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 以前から私と游心流に関してネットストーカーしている者が、またもウィキペディアなどにくだらんことを書き込みしていると会員から連絡を受けました。

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游心流DVDラインナップ

● 4/18 ~ 游心流教材DVDチャリティー半額セール実施中
・詳細:こちらのブログ最下方を参照
・対象DVD: 『武術極意特別講習会DVD』と『交叉法2』以外のもの、全て半額になります。
・期限:未定

游心流DVDラインナップ

 通常の武術系DVDは5000~6000円くらいが相場ですが、これは販路の大きい大量に作れる会社だから可能な値段設定です。うちはチマチマと手作業で作ってますので、製作費や労力、販売部数の関係上、数倍にならざるを得ません。

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連絡専用ブログ「游心流武術健身法 インフォメーション」

セミナーや稽古会の予定、DVD、商品関連等の情報については、こちらのブログをご覧ください。
最新情報も掲載してます!)

游心流武術健身法 インフォメーション

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緊急発売『交叉法2』

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交叉法』の第二弾DVD『交叉法2』が完成しました!

 早くできたのは、セミナーの内容を主体にしたからなんですが、横浜支部のGW稽古会での練習風景も後半に入れています。

 今回は、前回説明しなかった中芯軸に関することや、游心流のオリジナルとも言える連続縮地法「蛟龍歩」を使った戦闘法についても紹介しています。

 この歩法に関しては、見ただけではできるようになるのは難しいと思いますので、体得したい方は入会して地道に練習していただくしかないか?と思います。

 しかしながら、今回は大石総教練の指導で、新体道でおこなう「相手の打ち気を察知して避ける」という“察気術”(例によって私の造語なので、昔からある武術用語と勘違いして使わないようにしてくださいね?)の訓練法も紹介しています。

 これは、合理的な説明がつかないので誤解を避けるために、これまでほとんど紹介してきませんでした。

 が、心法への入り口として練習することは益する点が多いと考えて、今回、収録しています。

 要するに、皮膚感覚で気配を察知するという訓練なんですが、こういえば格闘技をやっている人にも何となく御理解いただけるのではないか?と・・・。

 その延長として、砂泊先生が演武されていたような合気道によくある多数捌きの練習もやっています。

 最近、実戦を想定して複数の敵に対処するにはどうすればいいか?と考えて、いろいろ実験的にやっているんですが、攻撃を限定しておいて捌く練習は、その第一歩となるでしょう。

「相手が本気でかかってきたらどうするんだ?」と、すぐにケチをつける人もいるんですが、いきなり、そんな練習をやっても何にも体得できません。

 順番を追って、最初は直線的な単発の攻撃を捌くだけにして、タイミングと躱す方向をしっかり覚え、次に、躱すと同時に迎撃するという交叉法の原理を反映させていくのが賢明です。

 交叉法は一瞬で極まらねば意味がありません。

 自由組手やフリースパーリングのように互いに技を出し合って闘う練習をやっていては体得できない・・・というのが私の結論です。

 また、敵が複数いる場合、一人と数秒も闘っていては、たちまちフクロにされてボコボコにされてしまいます。

 昔、映画か何かの撮影でリアルな格闘シーンを撮ろうと空手家を連れてきて、数人が囲み、一気に襲いかかったのを電光石火の突き蹴りで倒してしまうシーンを撮ろうとしたところ、空手家は何もできずにボコボコにされてしまったとか?

 これは強いとか弱いとかの問題ではありません。

 普通、空手でも剣道でも柔道でも、一対一で正面の敵と闘う練習しかしません。

 そういう闘い方が心身に刻まれている人間が、いきなり囲まれて同時に攻撃されても対処の仕様がないでしょう。

 合気道の多人数捌きの演武や、本部御殿手(もとぶうどぅんでぇ)の上原清吉先生の演武や、新体道の青木宏之先生の演武を見ても、まず“捌き”が先で、ついでに攻撃しています。

 私は、これはどうしてか?と思っていましたが、いろいろ試してみて判明しました。

 攻撃しようとすると、無意識に強い力を出そうとして足を踏ん張ってしまうのです。

 つまり、攻撃する瞬間に足が止まってしまうので“居着いて”しまうのです。

 一対一ならさほどの問題がないかもしれませんが、相手が複数だったら止まった瞬間を別の者にブスリとやられてしまいます。

 実戦で寝技は使えないと言われるのも同様の理由によります。

 理屈が解れば、対処法は考えられます。

 常に動き続けること。これが第一の要点です。

 しかし、自分が動き続けて相手も動き続けていれば、いずれ捕まってしまいます。

 よって、動きながら迎撃する。これが第二の要点です。

 今回の交叉法の第二弾DVDでは、そのためのヒントを提示することができたかな~?と思います。

 ちなみに特典映像で『セーラー服忍者』で私が演じた丸目蔵人佐の扮装で無刀取りからの逆手試し斬りを実演しております。言ってみれば、これも交叉法の応用なんですよ?


PS;義援金半額セール中ですが、新作なので別とさせてください。また、5月中に申し込んだ方は定価¥20000のところ、割引価格¥15000(税込み)とさせてください。

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パクられた~!

 私は、漫画や小説に自分の本DVDの内容を参考にしてもらうのは嬉しいんですが、だからといって著作権フリーを宣言している訳ではありません。

 やっぱり、武術に関しては自信がありますが、時代小説を書くには歴史風俗についていろいろ知らないといけないので、その手の歴史考証本なんかも資料として努めて購読しているんです(毎月3万くらい使ってる)が、最近出たある本を書店で立ち読みして絶句してしまいました。

 私が『時代劇の間違い探し』で書いていた真剣白刃取りや峰打ちなどの嘘についての武芸考証を、そっくりパクッてあったからです。

 もちろん、これらは完全に私がオリジナルな訳ではなくて、専門家で言ってる人はいますよ。

 でも、合理的な理由を公刊誌で解説したのは私が最初だと思うんですよ。無論、長年の実験研究の成果であったり、資料の情報を鵜呑みにしないで、実際に「峰打ちしたら刃キレができてしまった」といった証言や刀匠の人の意見を聞いたりした結果なんです。

 それをパクッてあったから驚いた訳です。

 漫画や小説なら基本フィクションだから、別に文句はありません。むしろ、熱心に研究して描かれているな~?と感心するくらいです。

 巻末に参考資料の一覧が掲載されていましたが、何回、読んでも『時代劇の間違い探し』は載っていません・・・。

「これはちょっと酷いよな~。モロパクりしておいて知らぬフリか?」と、共著者の若桜木氏にも見せました。

 私の文をパクッているのなら、若桜木氏の文もパクッているかもしれないと思ったからです。

 案の定、若桜木氏の文もパクッてあったそうです。

「どうしましょうか? 流石に、これは笑って済ませられるレベルじゃないですよね~?」と、対応を相談しまして、若桜木氏が知っている版元だったので話をつけてもらうことにしました。

 編集の方も大変ですよね~。間に立つのは・・・。


 文筆業にこのような問題はちょくちょく起こります。

 パクりパクられが業界の常識ですが、話し合いで終わるレベルから、法廷闘争に発展するレベルまでいろいろです。

 私は、参考資料に書名が載っていれば文句は言わなかったでしょう。文句を言うのも面倒臭いからです。

 しかし、人の研究成果を無断で知ったかぶりして書かれるのは我慢できませんよ。

 以前、ブログの文章をそっくりそのまま無断で雑誌に載せられたことがあって、その時は文句を言いました。

 どうしてかと言うと、ある武道の先生に直接、御迷惑がかかってしまいかねなかったからで、念のため、その先生にもお詫びに行きました。

「いや~、長野さんの責任じゃないよ」と言ってくださいましたが、ブログだから過激な表現をしていたもの(文句があれば私が責任を持つつもりで書いた)を、誰が書いたか判らない専門誌に載せられたら、その先生の名誉にかかわってしまうからです。

 言葉が独り歩きしてしまうと思わぬトラブルに発展することが世の中にはざらにあります。

 よく、「長野先生はツイッターやらないんですか?」と聞かれるんですが、私は素人の無責任な発言と同列という訳にはいきませんし、ついうっかり軽い気持ちで書いて大問題に発展する危険性のあるツイッターはやる気がありません。

 そうでなくとも鵜の目鷹の目で私を引きずり落とそうと狙ってる連中もいるので、安易な気持ちで隙を見せられません。

 DVDだって、他流で秘伝扱いされている内容をバンバン、ネタばらししているので、もし5000円くらいの相場の価格で売っていたら、既得権益守りたい人達から暗殺されても不思議じゃありません。

 最新作の『交叉法2』も察気術について紹介したのは、いろんな意味でマズイかもしれませんね? 真似して売り出そうとする山師が出るかもしれませんし・・・。

 大袈裟だと思うかもしれませんが、武術の世界はカルト宗教やヤクザ社会と酷似していますからね。現に嫌がらせは日常的にありますからね~(苦笑)。

 私が普通の人並みの神経だったら自殺するか鬱病になってるでしょう・・・。

 実際、武術の世界では鬱病の人が多いですよ?

 あ~、でも芸能界よりマシかもしれないな~?

 アイドルが襲撃されたりするストーカー事件は昔からありましたが、今は地下アイドルの世界で暴発したファンの事件が増えていますよね?

 ボディガード雇うくらいしか対策は無いでしょうが、四六時中護ってもらうことも不可能ですし、やっぱり護身術が大切な時代になったのかもしれませんね~?

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『セーラー服忍者』相模原上映会感想

 5月22日(日)は相模原メイプルホールにて『セーラー服忍者』(併映『いちごジャム』)の上映会を開催しました。

 来られる予定だった青木先生から予定が立たないという連絡があり、かなり参加者が減ってしまいそうだな~?と心配でしたが、そこそこの人数の御来場者があって、まずまずの上映会になったかな~?と思います。

 とにかく苦労して撮った作品なので、より多くの人に観ていただきたいと思っていますが、劇場での公開は予算的にキツイので、これでひとまず、上映はお休みさせていただきます。

 ブルーレイ、DVDの発売は、来年春以降になりそうなので、それまでにイベント的に上映会を開きたいところですが、その時は告知しますので、宜しくお願い致します。

 御来場いただいた皆様、ありがとうございました!


・・・と、気分良くシメるつもりだったのですが、帰宅してから観てくれた友人からいきなり怒りの電話を受けて、面食らってしまいました。

 打ち上げの席で、その人の習っていた武道の先生を私が侮蔑したのが“絶対に許せない”ということでした。

「あ~、以前もこういうことがあったな~?」と思いました。それも二度。

 何だか頭に血がのぼってる感じで一方的に文句を言われたので、謝るしかありませんでしたが、ちょっと言い訳を書いておこうと思います(もしかしたら、これを読むかもしれないので)。

 私は、侮蔑した訳ではなく、その人はいつも自分の習っていた先生と流派の自慢話をするのですが、既に自分は道場を辞めてしまっており、強くなることを諦めている様子なのが気の毒に感じていて、「世の中は広いから、強い人、優れた武術家はいくらでも居るし、君だって今からもっともっと強くなれるんだよ!」と、以前から彼に言いたくてたまらなかったのですよ。

 師匠を敬愛するのは否定はしませんが、アンタッチャブルに祭り上げる態度は本人の向上を心理的に阻んでしまうのです。

 私がいろんな技を独自に体得していった一番の理由は何か?

 優れた師範に出会う度に、憧れると同時に「この先生と戦う時にどうやったら勝てるだろうか?」と常に考える習性があったからです。

 憧れているうちは先生の技の真似まではできても、決して超えることはできません。憧れとは、心理的に「超えたくない。超えるなんておこがましい。不遜な考えだ」というストッパーが働くからです。

 むしろ、「このヤロー、絶対超えてやる!」くらいの気持ちが無いと武術修行者としての上達の見込みはありません。

 何故なら、超えることを考えていれば、先生の技を一面ではなく多面的に観察し、分析して長所と短所を導き出すことができるからです。

 実際に、一角の名を成す人物というのは、こういう思考法を持っています。一流の人間ほど人格的には偏っていたりします。その偏りがあるからこそ、常に精進し続けられるのであって、円満な性格の人間が修行者としては二流止まりになるのも、すぐに満足してしまうからでしょう。

 無論、超一流となると話は別で、徹底的に修行し尽くした後に無我となったのでしょうが、そこまで行ける人はやはり異能者で、凡人はあがきにあがくしかありません。

 師匠に限らず、他者への敬愛を語るのは素晴らしいことだと考える人が多いでしょうが、聞かされる側はウンザリするだけです。新婚の友人のノロケ話を聞かされて楽しめますか? 「結婚したのは間違いだった~!」と落ち込んで見せた方が得ですよ?

 例えば、ひたすら自分の師匠の凄さ、素晴らしさを称えるだけの文章と、師匠への尊敬と憎悪、嫉妬がないまぜになった文章のどちらが第三者に強い印象を与えるでしょう?

 私は、前者を読むと吐き気がしてきます。嘘臭くって、気持ち悪い・・・「カルト宗教の機関紙かいな?」と思える。

 後者を読むと、「そうだよな~。そういうもんだよな~、人間は」と共感できる。

「人の不幸は蜜の味」・・・これが凡人の心理に共通する定理ですよ!

 人間は、酒を飲んで本音が出ると、大抵、他人の悪口ばっかりになります。しかし、それが本音であるのなら、その状態は嘘が無い極めて誠実な状態なのです。

 私が、美しい言葉ばかり口にする人が信用ならないのも、本音を隠していると思えるからです。毒舌の人だと他人に悪く思われることを恐れていないから、実際は真っ正直な人でしょう。

 いつも真面目な人が悪酔いして人格が豹変し、後から酔いが覚めて、ハッ?と気づいて自己嫌悪に陥る・・・これが人間の味というものですよ。

 マスゾエさんとノノちゃんを比べたら、ノノちゃんの方が断然、魅力的でしょう?


・・・で、彼は、この時もまた自分の師匠の自慢話をし出したので、私は“気持ちが悪くなってきて”、「ごめんなさいね?」と断っておいて、挑発的に「あなたの先生でも~~さんには勝てないよ」と言ったのです。

 本当は続けて技術論的、心理作用的な理由を説明するつもりだったのですが、彼は何も言わないので、「~~流の先生たちでも~~さんには勝てないよ」と続けて言ったのですね。

 やはり、彼は反論しませんでしたから、それ以上は言いませんでした。

 が、彼は内心では腹を立てて、帰る途中で怒りが倍増したということなのでしょう。敬愛する師匠を侮辱されたという“曲解”が自尊心を傷つけた様子です。

 その場で言わなかったのは、私の身内の前で私に恥をかかせたくなかったからだと言ってました。が、これは言い訳でしょう。面と向かって私を怒らせてはマズイと思ったのが本当のところだと思います。

 しかし、私だったら、その場で言いますね。「それってどういう意味? 俺の師匠を侮辱するんだったら、俺にケンカ売ってる訳だよね? 当然、覚悟してるよね?」って喧嘩吹っかけます。というか、こういう具合に喧嘩?したことが何回もあります。

 私は性格が悪くて無礼なのではなく、思ってることをはっきり言いたくなる性格なだけです。

 電話で彼も言っていましたが、「戦ってみなければ解らないのに、何で、どっちが強いか解るんだ?」と言う人も武道・格闘技の世界には多くいます。

 これは一見正しいことのようですが、正解ではありません。

 戦力や弱点を分析すれば戦わなくともほぼ解る・・・というのが戦術論の基本です。

 もちろん、マグレ勝ちやラッキーパンチというものもありますから、強い方が必ず勝つとは言えませんし、勝負の行方は論理では測れない面があります。

 けれども、200m離れてスコープ付きライフルとピストルで撃ち合ったとしたら、どうなるでしょう? ピストルで200m先を正確に狙う照準器はついていませんから、ほとんどの場合、遠距離を正確に狙い撃てるスコープ付きライフルを持っている方が勝つでしょう。

 武器の機能や戦力の差で決着がついてしまうのですね。

 武道や格闘技をやっている人達の大半が、このような思考法を持っていません。だから、「戦ってみなければ解らない」と平気で言うのです。

 漠然と、「どっちが強いか?」としか考えられないのです。

 しかし、武術の世界では、「パッと会った瞬間に勝てるかどうか判らないようでは武術はモノにならない」と言われます。身体的な戦闘力よりも洞察力が重視されるのです。

 親しい合気道の先生も、「実際に手合わせしないと解らないようでは命がいくつあっても足りませんよ」と笑っておられましたが。

 どれだけの実力者でも、その本人が自覚していない弱点を狙われれば、実力を発揮することもできないままコロリとやられてしまうものです。

 身体の隙、動きの隙、呼吸の隙、意識の隙・・・実は人間“隙だらけ”なのです。

 そして、自分は強いと思っている人ほど、自分の弱点(隙)に気づいていません。と言うか、考えたことも無いでしょう?

 私は、彼が武道を諦めていながら、かつての師匠への過剰な憧れを吐露することに違和感が拭えませんでした。憧れることで強い師匠に自分を自己同一化して考えているのですね。諦めているから、そうなるのです。要は、“依存”です。

 しかし、武道・武術・格闘技は他人の実力は関係ありません。自分がどれだけできるか?ということだけが肝心なのです。

 なので、私は自分がどこまで向上できるか?が第一の関心で、その次に弟子がどこまで向上するか?を目標にしていて、尊敬する先生も何人もいますが、基本的には超えるべき目標でしかありません。私は信仰心ありませんからね。

 以前、俳優をやっている会員の千葉さんと久しぶりに会った時に、「先生は立派です。弟子の仁平さんが自分よりずっとレベルが高いと平気で言えるのは素晴らしい。普通は嫉妬したりするものでしょう」と感心した風に言うので、「嫉妬しない訳ないじゃ~ん? 本当は妬ましいけど、それ言ってたらカッコ悪いじゃ~ん?」と答えたら、ズッコケてました。

 ただ、私が偉いところは、“事実に関してごまかさない”というところですかね~?

 事実、仁平師範が総合的に私を超えているから、そう言っているだけの話です。が、例えば、歩法のスピードとか、ギャグのセンスとか?部分的にはまだ私の方ができるところもあります。

 けれども、それも時間の問題で仁平師範はあらゆる点で私を超えていくのが一目瞭然ですけど、単なる一武術家ではなく、武医同術の遣い手として武術の歴史を変革した人間として名を残せる人材だと思うので、それをサポートしたいと思ってますよ。

 ちょっとお名前は出せませんが、武道の世界では誰もが知っている有名な師範が身体の故障に苦しんでおられたのを、仁平師範が治療して治してさしあげたらしい。その師範は武道界の宝と言うべき方ですから、これからも長く活躍されないと大きな損失になってしまいます。仁平師範は、よくやった!と、私はこんな嬉しいことはありませんよ。

 だから、私は武術研究家と作家(できれば映画Pも)に専念して残りの人生を送るつもりです。武術は道楽で続けますけど、やっぱり作家だけで食えるようにならねば!

 ちなみに、達人になるのは理由があります。素質や才能とは関係ありません。誰もが仁平師範のようにはなれないでしょうが、私と同程度のことは教えれば誰でもできます。

 正直言うと、私は他人に教えるのは嫌なんですよ。生活費稼ぐために仕方なく教えているだけです。でも、金取ってる以上は、しっかり教えないといけないと思ってます。

 武術は知識がある方が圧倒的に有利になります。持って生まれた強さではなく後天的に得る様々な知識によって弱者が強者に圧倒的に勝てる!

 それを文句言ってきた彼にも理解させて、「あ~、自分でも上達できるんだ!」と感動させてやりたい。そのためには過剰な師匠愛を切り離して物事を客観的に水平に観察することが必要だと考えて、わざと挑発的なことを言ったのです。

 もちろん、彼が怒って「実証してみせろ!」とかつての道場の先輩を引き連れて道場破りに及ぶことも想定内ですよ(似たようなことやらかしたヤツがいました)。

 私は40年もやってるんですから、勝算が無くて、自慢話するようなぽっと出ではありません。彼の学んでいた流儀は私もやったことがあるので、特徴は熟知していますし、弱点も研究し尽くしています。はっきり言って、致命的な弱点があるんですよ(ヒミツ)。

『刃牙道』風に言うと、「確かに強いが、武ではないな・・・」ということです。

 このような次第で、私は彼に教えてあげたいと思っただけで、侮蔑する意識など金輪際無かったのですが、私が思っていた以上に彼の依存性が強くて、反感を強めただけでしたね。

 彼の欠点は自尊心が強過ぎることです。口では自分の弱さを吐露して見せながら、かつての師匠への盲目的な敬愛の念を口にする時点で、背伸びして見せたがる。私に対しても露骨に対抗心を燃やします。それは本当は、まだ強くなることへの未練があるからなのを自覚していません。道場は辞めたけれども、まだ未練が残っているのです。

 要は、自分の本心に蓋をしてあれこれ理由を付けて自己憐憫に陥っているのを自認できていない。

 簡単なんですけどね~? 「俺は本当は強くなりたいんだよ!」って言えばいいだけなんですから・・・。

 こういうことを書いているのは、過去に同様の誤解をして敵意を剥き出しにしていた人が、何カ月も何年も経過して、突然、連絡してきて「長野さんの言っていた通りでした」と言われたことも何度もあるからです。

 今、現時点で「長野さんは何て性格が悪いんだ! 絶対、許せん!」と思ってもらっても一向に構いませんし、むしろ、そう思うような気持ちの強さが無いと本当に負け犬になり下がってしまうでしょう。

 やっぱり、「悔しい」とか「こんチクショウ!」という感情は向上心に繋がるんですよね。私は、ずうっと、そういう負の感情を燃料にして頑張ってこれましたから。

 武術業界で私が一番売れてるのに専門誌が取材に来ないのは何故か? 偏見もあるでしょうが、一番の理由はジェラシーでしょう。「こんなオタク野郎をのさばらせてたまるか?」と思ってる人が何人もいる訳ですよ。

 でも、それが私のやる気スイッチになってるから、いいんですよ! 超売れっ子になって厭味言いまくってやるのが楽しみなんですよ。

 人格円満で誰にでも好かれる八方美人は、何故か一流にはなれません。

 そういう意味で、「俺は長野さんを絶対に許さない!」と宣言した彼は嫌いになれません。それでこそ、武を学ぶ資格があるんですよ!

 あっ、そういえば、私が松田隆智先生に意見した(噛み付いた?)時の松田先生も、こんな気持ちだったのかもしれない・・・?

 結局のところ、人間は自分が体験して骨身に染みたりしないことには信仰心からは覚めないものです。

 かく言う私も、お恥ずかしいことに甲野氏を二年間は信じていましたから・・・。

 不思議なもので、信仰心というのはいつかは崩れるものですよね?

 ある先生を生涯の師と崇めて尊敬していたのに、その先生の二面性を知って、すっかりバカバカしくなってしまったこともありました。

 武術家は聖人君子じゃないですよね?

 しかし、そういう経験が私自身の今に繋がって財産になっているのだと思います。

 その意味ではプラスもマイナスもありません。良いとか悪いというのは自己の都合でより分けているだけです。

 信じる信じないではなく、理解するかしないか?

 本当に理解したら、怒りとか憎悪とかではなく、「ふ~ん、そういうことか?」と納得するだけで感情がささくれだったりはしないものでしょう。



 話は変わりますが、柔芯体メソッド稲吉先生がお弟子さんを連れてバルセロナ・ダンス・アワードに行かれるのに、クラウドファンディングで資金援助される方を求められているそうです

 私も少しばかりは援助させていただこうと思っていますが、昨年、日本人初の三冠に輝く快挙をあげられた稲吉先生です。日本人の素晴らしさを世界に注目してもらうチャンスですから、是非、お志しを賜れば・・・と友人として願っております!


 また、さらに話は変わりますが、高瀬先生のツイッターで怪我をして後遺症に悩むスタントマンの方について、(製作側が)あまりにも心ない対応をされている点を憤られるコメントをされていました。

 本当に私も身に染みます。

 何故なら、昨年の『セーラー服忍者』の撮影中、やはり事故が発生してしまい、プロデューサーとして事前準備が足りなかったことを痛切に反省させられたからでした。

 スタントの仕事に怪我が付き物なのは当たり前でしょう。が、それを自己責任の一語で済ませられるでしょうか?

 肉体が資本の仕事をしている人にとって、怪我はある程度覚悟の上でしょうが、後遺症に苦しむ人を労災としてできる限りケアしようとするのは雇う人間の誠意と良心の問題です。

 私は後日、お見舞いをした後、丁寧な御礼状を頂戴しましたが、大事に至らなかったから良かったものの、取り返しがつかないことになっていたらどうすれば良かったのか?と、冷や汗をかいたものでした。

 同様に、数年前に武術セミナーの最中に起こった事故の時も、救急車を呼んだり、終わってから病院へお見舞いに行ったら、集中治療室に入られていて茫然としたものでした。

 聞くところでは、何とお子さんが生まれたばっかりなんだそうで、もし万一の事態になったら、私はどう償っていけばいいのか?と、動揺しまくりでしたよ。

 この時も大事に至らず、怪我された方も退院してから一度来られましたが、本当に、ちょっとした弾みで事故は起こるもので、注意してし過ぎることはないでしょう。

 高瀬先生はお立場上、多くのスタントマンやアクション俳優を護らねばならない方ですし、想像するに、心無い言葉を浴びせるプロデューサー、監督にも何人も出会っておられるのでしょう。

 侠気(おとこぎ)という言葉はもはや死語に近いかもしれませんが、失わずに持ち続ける人間が今ほど必要な時代はないように思います。

 高瀬先生のように外柔内剛の人であって欲しいですが・・・(ピラピラのチンピラチックな態度を侠気と勘違いしている人もいるからな~?)。

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『セーラー服忍者』『いちごジャム』上映会

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 5月22日(日)13:00~より、『セーラー服忍者』及び『いちごジャム』の上映会を、相模原市中央区千代田2-2-15メイプルホールにて開催します。

 料金は二本立て視聴可で1500円(高校生以下は1000円)です。

 10日に、両作品を撮ったながせき監督の自宅にお邪魔して(猫目当てで行ったら、お出掛け中でいなかった・・・ガッカリ)再編集版を見てきましたが、アクションシーンを中心に再編集して全体の尺を縮めてテンポアップしました。

 前回のほびっと村上映会での観客感想を踏まえての再編集だったのですが、監督、よく頑張りましたよ!

 ちょっと、いじっただけで印象はかなり変わりましたね?

 いい感じになったと思います。

 併映の『いちごジャム』は、女子高校生のガールズバンド結成物語ですが、ながせき監督の作風としては、こちらの方が本領発揮しているんだろうな~?と思います。

 どちらもアイドル映画ですが、テイストはまったく違うもの。どちらが好きかは観客の皆さんの好みによると思いますが、アイドル映画というジャンルが消滅しかかっている現在、ながせきいさむ監督の存在は貴重ではないか?と思いますね。

「ながせき監督にアイドル映画撮らせたい!」という方がおられましたら、是非、お声掛けくださいませ!

 会場では物販もありますので、お金に余裕もって来ていただけると嬉しいです。

 ちなみに、10年前に通っていたという会員さんから突然、電話があって、この日に来たいということでした。名前聞いてもピンとこなかったんですが、後から思い出しましたよ。

 確か、最後に来たのはお花見の時で、私の自宅に寄りたいと言っていたのを、私が酔っ払ってしまって断っちゃったんですよね? それ以来、来てなくて、何か悪いこと言っちゃったな~?と気になっていて、ふと電話の前日に思い出していたんですけど、名前を忘れていたんですよね。

 一緒に模擬刀買いに行った時に、交差点で突然、「僕は女の子に興味ないんです・・・」ってボソッと言うので、ギョギョッ!としたんですけど、「あっ、別に男が好きって意味じゃなくて、単純に女に興味がないだけです」と言うので、あ~、変わってるよな~?と思ったことがありましたね。

 私も基本、人間嫌い(干渉されるのが何よりも嫌!)なんで、趣味が合う人以外とはまったく話す気になりません。普通の社会人はそもそも勤まらないでしょう・・・。

 何か、彼も仕事でストレス溜まるのでボクシング始めたそうでしたが、游心流の理論が役立ったと思って、懐かしくなって検索したところ、私の大活躍っぷり?に久しぶりに会いたくなったらしいです。

 昔の会員さん達にはいろいろ行き届かなくて申し訳なかったな~?と思うのですが、こちらから連絡とっても迷惑に感じられるかもしれないと思ってまして、まず自分からは連絡しないようにしています。

 けれども、連絡しなくてもブログだけは読んでるという会員さんも多いらしく、ごくたま~に連絡が来ることもあります。

 12年前に来ていて泊まりがけで個人指導受けて、来た時は普通の人だったのに帰りは達人になってしまった?という人すらいますからね・・・。

 の読者さんになると、それこそ全国に一万人以上は確実に居ますから、有り難いと同時に責任感じますよね?

 中年過ぎて酔っ払いにからまれて何とか逃げたけど、護身術の必要性を痛感したという地方の読者の方からDVDの注文が来た時は、何とか直接、教えられればな~?と思ったりもしますね~。

 
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5月“交叉法”感想

 5月は、游心流の・・・というより、武術全般の戦闘理論と言うべき“交叉法”をテーマにしました。

 二十数年前に初めて知ってから、直感的に、「これだっ!」と思って探究し続けてきて、やはり間違っていなかったと思ったのは、十年くらい経過してからですかね~?

 初めて、交叉法を教わった先生は、非常に大切にされていて部外者には見せないし説明もしない程でした。弟子にも本気で教わりたい人以外には教えていなかった様子です。

 私が教われたのは僥倖と言うしかないでしょう。お陰で、それまで教わっていたいろいろな武術の技に応用することで、ミラクル級に武術の原理解明を果たすことができ、この先生には今でも最大の感謝をしています。

 もちろん、教わったそのままを繰り返しているのでは芸がありませんから、私は私なりにいろいろ工夫し応用していきました。

 具体的な技法としては、“差し手(交叉手)”に結実しましたが、これも5年くらい前からは発展的に「必ずしも使わなくとも良い」と思うようになりました。

 身体技法としては、「武術は触れ合ってこそ成立する」のですが、“心法(心理的な術法)”となると、「必ずしも触れ合わなくとも成立する」ようになるのです。

 9年前だったでしょうか?

 急激に青木宏之先生と交流が深まった頃、青木先生から、「長野さんはもう身体技法は充分にやっているんだから、これからは心法を研究した方がいいですよ」と言われたのが切っ掛けでしたかね~?

 青木先生が創始した新体道は、江戸時代に爆発的な大流行をしながら、たった三代で失伝してしまった心法の剣術「無住心剣術(夕雲流・離想流・破想流とも呼ばれたらしい)」を体術で再現したとも言える前衛武道体技です。

 しかし、新体道は、物凄く誤解されています。

 やっている人達ですら解っていないのではないか?と思うくらいで、そのために現時点で「普及した」とは言い難い現状で、21世紀に入って武道界の表舞台からは忘れ去られてしまっていると言ったら言い過ぎかもしれませんが、そのくらい知っている人は限られるでしょう。

 私のところには武術の相当好きな人間ばかり集まりますが、40代以下で新体道を知っている人は、ほとんどいません。知っていても、私の本やブログで初めて知ったという人ばかりなのです。

 90年代にはコアな武術ファンで新体道を知らない人はいなかったように思います。青木先生の御子息の太郎先生は積極的に伝統武術の修行者と交流して共同イベントも開催していた(パソコン通信を利用)ので、決して知名度は低くなかったのです。

 しかし、今は音頭を取る人がいないので、組織的な活動も縮小されています。

 組織的な問題点もあるでしょうが、そもそもの主たる原因は、見た目の解りにくさにあると私は思っています。

 剣武天真流がグングン普及していっているのも、新体道の難解さに比べて、“普通の居合術”に見えるからでしょう。

 もちろん、青木先生が創始したのですから中身が普通の居合術である筈もないのですが、少なくとも“見た目”は解り易くなっています。

 新体道は見た目ではさっぱり解りません。武道としての使い方も不明だし基本の訓練法がまた通常の武道とは掛け離れています。

 新体道が抽象化されたものだとすると、剣武天真流はリアルに作られています。

 もっとも、私に言わせてもらえば、抽象化しようがリアルにしようが、突き詰めれば同じところに到達します。

 結局、身体技法を徹底的に突き詰めれば、必然的に心法の領域に入っていくのです。いつまでも肉体で技を考えている人は達人や名人とは呼ばれません。

 なぜならば、肉体は年齢とともに衰えるからです。しかし、心法はぎりぎりまで高めていけます。そこから更に霊的なものや神的な事柄へと意識が広がっていくのは不自然なことではないでしょう。

 かつての剣術家の多くが“神伝の悟り”を得たように、植芝盛平翁のような神人武道家となった人は実は少なくありません。青木先生もその御一人でしょうし、友寄隆一郎先生も実はそうでした。

 また、生前に自費出版本を出されていた佛生館の加藤武揚先生(空手・中国武術・古武術の達人)もその領域に達しておられたことを知りました。

 卑近な例を出せば、游心流の会員にも何人かそういうタイプの人がいました。

 私は極端なリアリストなんですが、リアルを追究していくと、常識的な認識の枠組みを逸脱してしまわざるを得なくなることを痛感しています。

 普通は、リアリストといえば、怪力乱神を語らない、オカルトを認めないものだと考えるでしょうし、私がカリスマ武術家?を糞味噌に貶すことから、極めて保守的な考えの人間だと思い込む人もいます。

 しかし、私は特定の考え方を保守する精神構造ではありません。ただただ、事実のみを追究したいだけで、嘘がある武術家を批判しているだけです。

 科学的に解釈不能な現象が現実にある以上は、それを無視したりインチキだと決めつける態度を私は選びません。

 それは現実逃避に過ぎないと考えるからです。

 徹底的に現実を直視し続けると、時と場合によって非現実的な非常識で不条理な事柄に行き当たることがあります。

「事実は小説より奇なり!」ということですね?

 だから、私は学生時代に神秘主義関連の本を膨大に読み耽り、実践したこともありました。それと同等に宗教哲学や現代思想、ニューサイエンスの本なんかも随分、読んだものです。

 大学の授業をほとんど受けずに、そんな本ばかり読んで武術や整体、ヨーガ、仙道、魔術の実践研究をして一年間アパートに閉じこもって、ほとんど誰とも口をきかなかった時期がありました。

 副産物的にインチキを見抜く能力が高くなったのです。そういう業界(新興宗教・マルチ商法・自己啓発セミナーなど)の手口(マインドコントロールの手法)にも詳しくなりました。

 でも、若い頃は、「悟った!」という実感もあったりしました。

 今思えば、単なる脳内覚醒物質の作用によるナチュラルハイでしかなかったと思いますし、心身を鍛えるつもりが、逆に心身を不調に陥らせて持病のパニック障害を酷くしてしまったのですから・・・。

 今で言うところの中二病ですよ。それが20歳くらいだったので、もう重症ですよ。

 そこから人生大転換でドロップアウトしていった訳ですが、50過ぎるともう開き直って人生やけくそで生きるしか仕方が無くなりますよね?

 松田隆智先生と最後の電話で話していた時に、「あ~、松田先生も俺と同じような気持ちだったのかもな~?」と、ふと思いましたね。

 武術という悪魔的な代物に取っ捕まって逃げられなくなってしまったんですよ。単なる戦闘術のみならず、武術の背後には膨大な宗教哲学やら東洋医学やら特殊な超人養成思想があった・・・つまり、本来の意味でのオカルティズムがあったからです。

 松田先生が神秘思想家のG.I.グルジェフに憧れていたのは意外と知られていませんし、松田先生を武術家としての視点だけで語る人もいますが、私はそれは案外、本質とは違うんじゃないかな~?と思っています。

 晩年の松田先生を青木先生に紹介した時に、松田先生はようやく武術界の呪縛から抜け出せたんじゃないか?と、私はふと思うことがあるんですけどね・・・。


 で、話を戻しますけれども、交叉法を知るだけで、空手も剣術も居合術も中国拳法も合気道も、ほとんど全てと言っても過言ではないくらいの流儀が“蘇る”。

“蘇る”と書いたのは、既にこれらが死にかかってしまっていると感じるからです。

 本気で真剣に追究している人なら賛同してもらえると思います。

 ほとんどの団体で武道スポーツとして発展普及していても、武術としての本質は抜け落ちてしまっていて、教えている師範ですら知らない・・・。

 だからこそ、甲野氏が提唱するような身体操作理論に頼ってしまったりする。

 まったく残念!と言うしかありません。

 確かに身体操作は基本です。脱力も秘訣です。これらを極意と呼んでも差し支えないかも知れません。

 しかし、これらはどこまで追究しても武術の本質には至りません。

 枝葉なんですよ。

 武術の本質は“心法”を知らねば理解できません。

 つまり、“読みと交叉法”です。心法を具体化すれば、技法原理として“読みと交叉法”に集約されます。

 今回のセミナーでは“読み(目付けと聴勁)”は省いていますが、“差し手”と“察気術(新体道式)”をやりました。

“差し手”の基本的訓練法は北島師範に、“察気術訓練法”は新体道経験者の大石総教練に解説してもらいました。

 前回出したDVD『交叉法』でやらなかったことをやってみました。

 今回のセミナーの様子は『交叉法2』DVDとして近日緊急発売する予定です。お楽しみに~。

 オマケとして、『セーラー服忍者』撮影時に扮装した丸目蔵人佐コスプレ?で無刀太刀取りからの試し斬りもやってみました。笠が邪魔でよく見えないので、ちょいビビりました・・・(汗)。

 ちなみに小塚師範も逆手斬りできるようになりましたよっ!

PS;GW中に完成する予定だった槍が、少し遅れましたが、ほぼ完成しました! 柄の芯を削ってステンレスの平鉄棒を埋め込んだので、普通の刀じゃ切断できませんよ? 90cmの半丸棒を継ぎ足して貼り合わせて柄長135cm、槍穂25cmくらいの短槍に仕上げました。『精霊の守り人』で綾瀬はるかが演じた女用心棒バルサが短槍の遣い手だったので、それっぽく仕上げてみました。まだ、塗ってなくて鞘も作ってないですけど、武器としてはこれで実用充分です(何か? だんだんコスプレイヤー化してきてる?)。

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五月は交叉法

 月例セミナーの五月八日は、交叉法です。

 交叉法は、過日、DVD化しましたが、武術全般に通じる戦闘原理として非常に有用性のあるものです。

 私の武術研究は交叉法を芯にして進めてきたと言っても過言ではありません。

 交叉法という言葉は以前から知っていましたが、具体的な戦闘原理として教えてもらったのは1993年でしたか? 私が30歳の頃でしたね。

 当時は、武術の世界の嘘臭さに嫌気がさして格闘技の練習をしたりしていた頃でしたが、交叉法を知ることによって、「もしかして、これを追及すれば武術の達人というレベルにも到達できるのではないか?」と直感したものでした。

 そして、この直感が正しいかどうかをいろんな流儀を研究する中で実験検証していきました。

 やがて直感は確信に変わり、交叉法を深めることでほとんどすべての武術の構造的原理が解析できてきました。

 まずは居合術に応用してみました。

 すると、既に剣を構えている相手の斬り込みに対しても先を制することができるようになりました。

 続いて、剣術、杖術に応用しました。

 これも、もはや打ち合うこともせずに先を取れるようになりました。

 武器ができれば次は無手です。

 まずは無刀取りに応用しました。

 これは何年か要しました。先が読めているのに身体の動きが遅れてしまっていたからです。

 しかし、動き出すタイミングの取り方を工夫して、できるようになりました。

 次は、普通に拳法体術に応用しました。

 まず、簡化24式太極拳。

 これは中国で国民健康保健体操として編纂されたもので、武術的な要素は無いとされていましたが、楊式太極拳の簡略化されたものとも言えるので、交叉法の原理で動きを解析すれば武術として応用可能ではないか?と思ったのです。

 これも思った通り武術的な応用が可能でした。

 その次は、空手の形の解析に応用しました。

 空手の動作は突きと蹴りしか無いと思われていますが、形の動作に関しては逆技や投げ、崩しなどが混然一体となっています。

 平安、三戦、ナイハンチ、ニーパイポ(二十八歩)、天真五相(松濤會空手道から分かれた新体道の基本形)や、沖縄空手の源流である南派鶴拳のパープーリャン(八歩連)等の形から抽出した動作から用法を探りました。

 特に三戦は実に応用性が高いですね? 「実戦形ではなく鍛錬形だ」とよく解説されていますが、私はむしろ超実戦形だと思います。それくらい応用自在です。

 試合には使えなくとも、護身術としては極めて有用性の高いものであることがはっきり解りました。

 さらに、形意拳、八卦掌、蟷螂拳、通背拳、八極拳、劈掛掌、白鶴拳、詠春拳、酔拳等々の中国の拳法にも応用して用法を研究していきました。

 こうした交叉法の研究によって判明してきたのは、「武術は先を取って戦うものである」ということでした。

 先の先、後の先、対の先という区分は、賢友流の友寄隆一郎先生の提唱されたものですが、「武術は結局、読みと交叉、これしかない!」と、友寄先生は明言されていました。

 私は、この典型例が居合術であると考えて、独己九剣の型を考案しました。

 これは、居合術で稽古する中で、読みと体捌きを養成するのが目的で、最終的には無手であらゆる敵に対応できるようにするための稽古型です。

 この中に、先の先、後の先、対の先のすべてが入っていますし、瞬間的な縮地法を使った体捌きも入れています。

 さらに、その動きの中で腰の刀を抜き付けるという複雑な動作も同時に処理する訳ですから、無手でやれば繁雑な動作を省けるので、結果的に異常な速度が生まれることになります。

 つまり、読みと交叉法に特化した稽古型なんですよ。

 極論すれば、コンバットシューティング(拳銃の抜き撃ち)の型にしても成立する訳です。

 私が武芸百般にこだわっているのは、武器が何でも使えるということは、武器がなくても周辺の物を武器に応用できるし、何も無ければ素手でも自分の肉体をいかようにも武器化できるようにする・・・ということなんですね。

 これは、思考の柔軟性と発想のクリエイティビリティーが必要です。

 頭の悪い人は武術に向いていないと言うのは、こういう意味なんですが、頭が悪いと言うのは思考が固定していて一定の考え方しかできないということなんですね。

 今回は、交叉法を通して、このような思考の柔軟性についても伝えられれば?と思っています。

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批判と中傷は違うもの

 何度も書いてきているつもりですが、私は、“批判は建設的なダメ出し”で、“悪口は悪意ある誹謗中傷”と考えており、まったく別物だと思っています。

 私が批判するのは、概ね、「その人物が社会的影響力が大きい場合」に限っています。

 なので、私が個人的に本気で嫌いな人物とか、社会的影響力が乏しい人物に対しては批判しません。批判するだけ益が無いと考えるからです。

 武道の世界では、批判的な意見を出すと、途端に「悪口だ!」と決めつけられてしまうので、心にもない、お世辞やおべんちゃらを無意味に書き連ねる気持ちの悪い習慣(心にも無い綺麗事を言う虚礼。相手を侮蔑する高慢さが隠れている。吐き気がしますよ)が延々と続いてきています。

 しかし、内輪では悪口雑言、他流の悪口をたれ流して嘲笑する人も多く、その裏表の激しさにウンザリさせられたことも二度や三度ではありません。

 私も練習後の親睦会で著名武術家の失敗談を披露して楽しく笑う?というのがいつものことなので、不謹慎だと非難されればそれまでですが、それは冗談の枠内なんですから目くじら立てられても困りますよね?

 実際に冗談で言ったつもりの言葉が巡り巡って、ある先生を怒らせてしまったことがあり、お酒持ってお詫びに行ったこともありますよ。

 ブラックジョークというのは、愛情の裏返しみたいなものなんですから、解ってくださいよ~っと言いたいですけど、第三者を通すとシャレでなくなってしまう場合もある。

 ですから、批判的な意見を堂々と公に発信する人に対しては、私はむしろ尊敬の気持ちを持ちます。潔さや侠気を感じるからです。

 だって、批判的な発言をすれば人からは嫌われますよね? 嫌われても構わないと思っていないと言えないんですから、それだけ自分の芯がブレない人でしょう?

 無論、匿名で人を貶めるようなことをネットに書くような人物はOUTです。要は、自分の発言の責任取る覚悟が無いから匿名にする訳でしょう? だったら黙ってなさいよって言いたい。

 やっぱり、自分の意見には責任を持つという態度が無いと批判はできないでしょう?

 そうは言っても、批判している内容が意味不明だったり、トンチンカンだったりする場合もありますから、結局は内容次第なんですが・・・(自分が有名人に喧嘩売ってるような屈折したヒロイズムと自己顕示欲が臭うヤツとか? 単なるバカチンか?)。

 ここのところ、熊本大地震に関する芸能人のブログやツイッターの発言にイチャモンをつける人が多いらしいですが、有名人だからイチャモンつけてるだけじゃないですか?

 批判するのなら、名前を明かして「貴方の発言に対して、私はこう思うんだけど」くらいの書き方をすればいいと思うんですよ。

 芸能人が高額の義援金を送ったということだって、そりゃあ、芸能人である以上は売名的な要素が皆無だとは言えないと思うんですが、具体的に普通の人間がとても送れないような金額の義援金を送ったということは、それだけ現実的に助けられる人達が増える訳ですから、いいじゃないですか?

 現実に困ってる人達に「可哀想だね。頑張って」って言葉より、マネーの方が有り難いんじゃないですか?

 私だって故郷が被災したんだから義援金くらい送りたいんですけど、貧乏過ぎて何もできない。そこで苦肉の策でDVD半額セールとかやってる訳ですよ。

 本当に、いつまで経っても金稼げない自分の力の無さが悔しいんですよ。応援してくれる人達に頼らないと独力では何もできないんだから・・・。


 さてさて、日曜の練習後に飯食っていて、『秘伝』で連載されている龍樹会という団体を主催されている空手師範が私の悪口を言っている?と会員から聞きました。

 私は読んでいないので何とも言えませんが、この師範はフルコンタクト空手のトーナメントで活躍された後に沖縄古伝空手の研鑽を積まれた方だそうです。

 そういう実績の持ち主が単なる悪口を言うとは私には思えません。

 恐らく、悪口ではなく、建設的な批判意見なのではないかな~?と想像します。

 何しろ、龍樹の名前を団体名にしている程の方ですから、精神性の優れた方なのではないか?と拝察します。

 知らない人が多いと思いますので、補足しますと、龍樹とは、大乗仏教を確立した偉大な宗教家ナーガールジュナのことで、一説にインドの錬金術師でもあったと伝わります。

 私、二度目の大学で仏教学部だったんで(ほとんど通わず除籍になってますが)、宗教哲学系の知識も少しはあるんです(オカルティズム系の方が詳しいけど・・・)。

 一般に錬金術師というと、今日では怪しげな西洋のオカルティストのイメージがあるでしょうが、ニュートンやユングも錬金術の研究をしていたんですよね。

 また、西洋に限らず、東洋にも錬金術はありました。黒色火薬の調合も中国の錬金術師が偶然、発見したものですし、錬金術が今日の化学の発展に少なからず貢献したことは誰にも否定できません。

 もちろん、でどころは魔術や秘教の密儀ですが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー(バラモン)教、仏教(密教)、ゾロアスター教、ミトラ教、マニ教、ジャイナ教、道教(仙道)、神道、陰陽道・・・等々の様々な宗教の神秘派に伝承されてきた教えが核になったと考えられます。

 例えば、内宇宙と外宇宙、錬丹、四大元素、陰陽五行、レイライン・・・等々。

 こうした古代から続く教えから、ユングなんかは集合無意識やシンクロニシティー(共時性)の理論を考えた訳です。

 カリフォルニアのエサレン研究所(神秘思想家のオルダス・ハクスリーが主催? LSDセラピーなんてものまであった)発のニューエイジ(ヒッピー)・ムーブメント、トランスパーソナル心理学を中心としたニューサイエンスのブームなんかも、この流れだったんですよ。

 何も無いところから突然、始まった訳ではなかったんですね?

 地球を一個の生命体と考えるガイア仮説なんかも、名前からして宗教的でしょう?

 ガイアというのはギリシア神話の大地の地母神のことです(六神合体ゴッドマーズを思い浮かべた人もいるか?)。

 ちなみに自己啓発セミナーとか成功哲学とかも秘教的な教えを流用しています。でどころはフリーメイソンだと考えられていますが、秘密結社の秘密結社たるゆえんが、秘教的な教えを段階的に伝授する儀式的な構造にある訳ですよ。

 これは中国でも日本でも秘密結社には付き物です。

 武術も秘密結社とは無縁ではありません。中国武術の流派は「なになに門」と言いますが、この“門”というのが宗教的な結社に入門するという意味がある訳ですね。

 私が先日、「武術は突き詰めると魔術に近づく」と書いたのは、こういう意味なのですよ。


 え~っと、かなり脱線してしまいましたが、私は、自分が人様を批判している以上は、自分も批判されて当然だと覚悟しています。

 批判するのは建設的なダメ出し(演劇などで批判意見を出しまくって完成度を上げていく心理学的な手法)だと認識しているので、自分では気づかない欠陥を指摘してもらっていると考えるべきでしょう。

 なので、私の周囲の人は結構、平気で私に批判意見してきますよね。もちろん、内容次第で時には怒ったりもしますけど、まっとうな批判意見は有り難く受け止めていますよ。

 ただし、私を知らない人だと、例えば、名刺を渡した瞬間、凍りついたように固まったり、睨んだり、ガタガタ震え出した人もいました。

 いや~、毒舌がきつ過ぎるとイメージが暴走するな~?とか思ったりもします。

 ま~、脳みそや金玉が腐ってるとか、糞馬鹿野郎とか平気で書いてますから、当然かもしれませんが、それはほれ、もの書きとしてエンターティンメント性を盛り上げようとしている訳ですよ。

 おとなしく書いても心に響かないでしょう?

 ガツン!とかましてこそ、人の心に残る・・・という心理学的手法なんですよ。

 私、基本、エンタメ作家気質なんで、そういう芸風なんだと御理解くださいませ。

 何か、真面目であることが貴いことだと思い込み過ぎてる人が日本人には多いのかもしれませんが、真面目な人と話しても面白くないじゃないですか?

 ユーモアのセンスが無い人くらい、つまらない人はいません。

 トランプさんが人気があるのも、本音で毒を吐くところなんだろうな~?と思いますけどね? 要するに、アメリカ人は政治家の綺麗事にウンザリしているんでしょうね?

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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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