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 以前から私と游心流に関してネットストーカーしている者が、またもウィキペディアなどにくだらんことを書き込みしていると会員から連絡を受けました。

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游心流DVDラインナップ

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游心流DVDラインナップ

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連絡専用ブログ「游心流武術健身法 インフォメーション」

セミナーや稽古会の予定、DVD、商品関連等の情報については、こちらのブログをご覧ください。
最新情報も掲載してます!)

游心流武術健身法 インフォメーション

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7月セミナー“目付け”

 7月の月例セミナーのテーマは“目付け”です!

 これも、例年やっているんですが、毎年同じ内容では芸がありません。

 今年は、基本的な目付けのやり方に加えて、人相・体形や体癖から読み解く性格や癖といった事柄についても解説しようと思います。

「何で、人相とかが武術と関係あるんだ?」と思われた方は受講は御遠慮ください! 無駄な説明をしたくないので・・・。

 関係大アリなんですよ!

 武術の理想としては、「戦わずして勝つこと」です。

 つまり、実際に戦う以前に、一瞥しただけで相手の敵意の有無や攻撃の兆し、身体構造上の弱点、動き(戦い方)の癖・・・といった情報をどれだけサーチできるかによって勝敗の行方を分析するのが武術に於ける“読み”の役割だからです。

 これは意識的に養成するように眼力・眼識を鍛えていかないと、そうそう育ってきません。

 もちろん、場数をこなしている人は自然成長するものですが、それではイレギュラー過ぎます。

 例えば、試合経験が豊富な人でもストリートファイトに対応できなかったという例があります。これは、理由は簡単で、ルールのある試合と特別のルールがない当事者の倫理観や目的意識によって内容が変わるストリートファイトは構造的に別物だからです。

 また、戦場であったり自然の中だったり都市の中だったりという環境によっても戦闘の状況はガラリと変わります。

 そして、最も肝要なのは、戦闘する者の意識です。

「ちょっと、ビビらせてやろう」「ぶっ殺してやる!」「手足の一本も折ってやる」「殺してから死骸はどう始末しよう?」・・・といった具合に目的意識によって戦闘状況はガラリと変わってしまうのです。

 なので、相手に対した時に、相手に敵意が有るかどうか? 敵意が有れば、どのような行動を起こすつもりなのか? 殺意が有るのか? 殺意が有るとすれば、どのような手段を取るつもりなのか?・・・とまあ、こういう具合に細分化して対処法を適切に選んでいかなくてはなりません。

 そのために読みの基本段階としての“目付け”が重要なのであり、それは“読心術”とも言うべき内容にまで発展していかざるを得ない訳です。

 これが試合であれば、さほど重視されません。

 何故なら、試合は競技能力の比較が目的であって、生死がかかった戦闘をする訳ではないからです。

 防具やルールで最低限の身体的安全は守られた上で試合するので、不必要に相手を傷つける行為は禁止されています。その枠内で真剣に闘うのが正しい在り方でしょう。

 一方で、武術が想定しているのは生死がかかった戦闘状況に置かれた場合の危機脱出であり、基本は「殺意を持つ敵の排除」です。

 だからこそ、武術の技は殺傷性が極めて高く考案されている訳で、秘伝伝授システムは悪用誤用を阻止するための処置だった訳です。

 ちなみに、秘伝伝授システムというのは、要するに、「縁無き衆生には伝えない」という選別制度だということです。

 現代武道や格闘技では理解に苦しむ制度でしょうが、伝統的武術流儀の多くが、今でもこの制度を厳守しています。

 私はどうか?というと、やはり、あまりに危険な技は一般公開するのは憚られますね。

 武術を学ぶ人は、理性と知性を磨いて反社会的な人間にならないよう自戒しなければ、学んだばっかりに自滅してしまうことになりかねませんから・・・。

 江戸時代には、腕前は優れていても狂気に陥った門人を師匠が密かに抹殺したという話もあります。

 教える以上は、そういう責任も有ると思いますね~?

 私が教えた人が社会的に活躍してくれれば嬉しいですが、人様に迷惑をかけて逃げた?とかいったことを聞くと、本当に哀しくなります。

 そんな哀しい人間も数人はいたので、私は本当に指導方針は変えてきましたよ。

 独善的な人間には教えない!

 自由に楽しくやれれば一番いいと思うんですが、武術である以上、根本的な危うさを自覚していないとキチガイに刃物持たせるのと同じになりかねませんから・・・。

 26日は、島根在住で小説家をやっている吉田恭教さんが久しぶりに稽古に参加しました。デビュー以来、もう7冊も単行本出しているそうで、デビューした途端、消えていく新人作家が大半の御時世で、大したものだな~?と感心しました。

 吉田さんはミステリー物を書いていますが、今後、飛躍していくんじゃないか?と思います。

 また、27日には俳優をやっている千葉文博さんと会いました。

 彼は今夏、岩槻で映画監督に初挑戦していますので、私も応援したいと思っています。

 元々、俳優だけでなく演出も志していた様子なので、撮影スナップを見せてもらいましたが、『セーラー服忍者』にも主演してくれた鶴巻星奈さんが素晴らしく綺麗に映されていました。

 その写真一つで、千葉さんの監督としての適性がうかがえて感心させられましたね。

「千葉さんは、ひょっとすると俳優より監督が向いているかもしれないよ」と、前回、会った時に言っていたんですが、直感的に当たっているような気がしましたね。

 素質や才能、あるいは適性というものは、いろいろやってみないと判明しないものなんですね?

 私も、実は文才が有るとは高校時代くらいまでは一瞬たりとも思ったことがありませんでした。

 二浪して入った大学時代に友人の栗原君から、「長野~、お前、文才有るな~」と言われて初めて、「えっ? そうなの?」と思って自覚してからですよ。

 本読むのは好きだったけど、書くことにはあまり興味がなかったですから。

 文筆業やるようになったのが30前後で、小説家目指すようになったのは40半ばですからね~?

 でもね~・・・。

 今は、作家として売れっ子になる自信もありますよ。名作は書けないだろうけれど、エンタメ小説や漫画原作はいくらでも書く自信があります!

 千葉さんと馬鹿話している最中にもアイデアがばんばん出てきます。ストーリー設定とかではあまり悩まずに考えつきますね。

 小説仲間からも驚かれましたが、やっぱり映画とかTVドラマとか大量に観てるのが役立ってるんだろうと思いますね。

 オタク気質も作家としてはプラスですよ。

 人間、適材適所ですね? 私は長くかかったけれど、自分のポジション見つけられたんだろうと思います。

 まだ、見つけてない人は、いろいろチャレンジしてみてくださいね?


PS;DVD割引セールは六月いっぱいです! いつも、期間が過ぎてから割引してくださいって泣きつく人がいるので、欲しい方はお早くどうぞっ!

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アフガニスタン・ブシドウ

「アフガンのサムライ」と呼ばれた田中光四郎先生が、インターネットTVで取材されたそうで、動画を拝見しました。

 私は以前、光四郎先生の本を手伝わせていただいた時に資料をお借りしたのでいろいろ見ていたんですが、写真でしか見たことがなかった、アフガニスタンでの光四郎先生がムジャヒディンに武術を教えている様子も見れて、ドキュメンタリー映画のようでした。

 しかし、「武道家として本当の実戦の場に立てた自分は幸せだ」と言いつつ、実際に何人かの人命を奪ったという後悔の念も滲ませたインタビュー映像は非常に重いです。

 旧ソ連軍が突然、アフガニスタンに侵攻し、現地ゲリラ“ムジャヒディン”が迎え撃ったのがアフガン紛争。大国の暴挙に義憤を感じ、単身、義勇兵を志願してアフガニスタンに渡った光四郎先生でした。

 後に“人間の盾”にも志願した光四郎先生は、オウム真理教の地下鉄テロ事件が起こった時にも、教主、麻原を殺そうとしたことがある。

 光四郎先生は、情の人です。世のため人のために自分の人生を捧げたいという願望があって、それを実行する勇気がある・・・。


 日本でも、私の父親より上の世代(90歳以上)は太平洋戦争で戦った人が数多くいました。

 私の父の兄弟の長男は潜水艦に乗っていて魚雷で撃沈されて亡くなっていて、実家に写真が飾ってありました。

 母の家族は終戦まで満州に居たので、日本に帰るのに大変な苦心をしたそうですし、帰ってきたら土地とか大分、奪われてしまっていて、満州時代とは段違いの貧乏生活を余儀なくされたそうでした。

 今の日本人は、祖父や曾祖父の時代の戦争を生き残った人達の末裔だという自覚があるでしょうか?

 私は子供の頃に戦争の話ばっかり聞いて育ったので、「戦争は絶対悪である」という意識が強いです。天草は長崎にも近いですから、長崎で被爆した人も結構いらっしゃいました。だから、戦争映画を英雄的に描く作品には拒否反応がでます。

 今でも世界中で戦争に苦しんでいる人達は大勢います。

 ヒロイズムとしての右翼の主張を私は嫌悪しますが、現実に戦闘の場に居たら、自分はどうするだろうか?と考えると、そうそう簡単に答えはでません。

 光四郎先生の行動が正しいのか間違いなのか・・・私には何とも言えません。

 義の精神は容易に“偽”にすり変わってしまうからです。それは光四郎先生自身も実際は痛感されているのではないか?と思っています。

 私は、新宿の焼き鳥屋で、「私は人を殺してしまった人間です。もう、生きてる価値が無いんです」と、涙をこぼした光四郎先生こそが好きです。

 思想ではなく、人間は“情”で動くからこそ人間なのだと私は思います。

「人を一人殺せば人殺し、何千何万と殺せば英雄」と言われます。

 この言葉が、“大義”の欺瞞性をよく表現していると思います。

 映像を見ていて思ったのは、光四郎先生の悲しそうな眼でした。自分の中の業の深さを持て余した人の眼であり、達観も超然もしていません。悟りなんて美しい言葉とは真逆の、だからこそ、“人間らしい慈愛を秘めた眼”です。

「実戦を体験できたから武道家として幸せ」だと言う価値観は、最早、“狂気”と言わざるを得ませんが、残念なことに私にはよく理解できる。共感してしまうのです・・・。

 本能として闘争を求める欲望が多かれ少なかれ、男には有ります。

 これは女性には理解しにくいところだと思います。

 最近は、この本能が非常に希薄な男も多くなっていると思いますが、社会環境の中で飼い慣らされてしまったと言えるかもしれません。

 沖縄の駐留米軍の軍人や元軍人が女性を襲って殺した事件に関して、TVである人が、戦争体験のトラウマで自己コントロールできなくなった・・・という意見を述べていましたが、これはある程度、納得できる面があるでしょう。

 殺し合いの場に立つことで理性が消し飛び、野獣の本能が剥き出しになってしまう。

 戦争は人の命を奪い、人の心をも殺してしまうのです・・・。

 武道や格闘技も、熱心にやっている人が自制心を失ってしまいがちなのも事実としてあります。そういう実例を沢山見ましたし、私自身も若い頃に「武を極めるには実際に人を殺してみる必要がある」という狂気に駆られた時期があり、その当時を知る親友からは、「あの頃の長野はヤクザ者に見えたよ」と言われました。

 私は実行する勇気がなかった。それが幸いでした。

 今になってから考えれば、社会の中でまっとうに生きられない自分に対する自己憐憫であり、現実逃避だったのだと自己分析しています。

 うちの会入会希望してくる人の中にも現実逃避しようとしている人がいます。武術を極めれば周囲から尊敬され生活も潤うと勘違いしている人もいれば、社会生活そのものを何も考えていない愚か者もいます。

「立禅を修練していると理性より本能が優位になって、野獣のような闘争本能を発揮できる・・・だから“強い”のだ」と説いたりする人は、多少なりとも社会性を失いつつあるのです。

 強さだけ求めていると、こういう発想になってしまいますが、こうなってしまえば、もうまともな社会生活ができなくなってしまいます。理性より本能が優位だというのは危険なことなのです。それを自覚していない。

 重要なのは、「いかに、自己コントロールするか?」ということであり、それこそが本当の武術の極意です。

 映画『椿三十郎』で、「本当に良い刀は鞘に入っているものですよ」と家老の奥方が三十郎を諭すシーン・・・あれが作品の本当のテーマだったのでしょう。

 ラストでライバルを倒した三十郎に若侍達が「お見事!」と言うと、「バカヤロー!」と三十郎は激怒して叱り飛ばしますが、“自分みたいな鞘無しの刀になっちゃいかん”という意味のことを言い残して去っていきます。

 私は、この映像を見ていて、この映画のシーンを思い出しました。光四郎先生は“鞘に納まっていられない刀”なんだと思い至りました。

 そこが魅力でありつつ、下手に触れれば傷つく・・・。他者に向ける憐憫の眼差しは、実は自分に向けられる筈だったのかもしれません。

 生存の理由。生きるための戦い。殺すための戦略・・・。

 死に場所を探すということは、生きた実感を最大限に味わいたいという願望。それは、戦いの中で死にたいという狂気であり、魔的(デモーニッシュ)な欲望です。

 それだけの人であれば、私は軽蔑するだけ。しかし、悲しみを湛えた光四郎先生の眼にこそ、魂の救いが有ると私は思っています。

 いちずにギラギラとした眼で師への尊敬と憧れを口にするお弟子さんには、どうか、光四郎先生の埋めようのない悲しみを見て欲しい!

 どんな理屈をつけようが、人殺しは人殺しなのだという厳然たる事実・・・。

 チンケなヒロイズムで祭り上げたりしないで欲しい!

 その悲しみの情こそが、人間・田中光四郎の真実だと私は思います!

 他意はありません。

 失礼に受け取られるのを承知で、率直に感じたままに書きました・・・。

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震脚で脳震盪は起こらないか?

 陳氏太極拳の安田先生が『秘伝』の連載中で、「震脚で脳震盪が起こったりはしない」という旨のことを書かれていました。

 専門に学んだ方なので、「嘘が広まってもらっては困る!」というお気持ちで書かれたのだろうと推察します。

 ただ、きちんとした先生に学んでいる方だから言えることではないか?と思います。

 震脚と一口に言っても陳氏太極拳だけが行うものではなく、例えば、私は陳氏太極拳は学んだことがなく八極拳を少し練習しただけですが、以前、松田隆智先生からお聞きした話で、大学生に教えていた時に、震脚を打った学生が脳震盪を起こして倒れたことがあったという話でした。その方は知っている方だったので驚きました。

 で、私も研究段階で「下手に震脚をやると脳震盪を起こす危険性がある」という事実を体感したことが何度もあって、「これは姿勢とかやり方とか注意してやらないと危険だな?」と思うようになって注意を促すようにしている次第です。

 安田先生が主張されているように、「まともな先生にきちんと学んでいれば、震脚で脳震盪が起こるようなことはない」のだろうと思いますが、日本で中国武術を学んでいる圧倒的大多数の愛好家は、“まともな先生にきちんと学ぶ機会はほとんど望めない”という現実を視野に置かれていないと思うのですね。

 特に私のようにいろんな流儀を実践研究している者は、“下手な練習”を膨大に積み重ねていく中から真相に近づいていく手法をとっているので、当然のことながら、身体中、故障しまくっています。

 よく、「練習で身体を故障するようでは実戦の時に困る」という中国武術家の意見もありますが、実戦で無傷に済む道理が無く、実戦を想定した練習での傷は勲章みたいなものであって、安全安心なだけの練習を延々と続けていて、急に苛酷な実戦に対応できるものかどうか? 考えるまでもないでしょう。

 十数年前にある中国武術家にケンカを売られて買いましたが、まともにケンカの一つもやったことがない人なのがすぐに判りました。安全安心な練習の中で自分の腕前を勘違いしてしまったのでしょう。後日、その人が全日本チャンピオンだったことを知って二度ビックリしましたが・・・。

 最近は、まともなケンカの一つも経験無いような人達が武術家を名乗っている実例が多い様子ですが、「よく、名乗れるな~?」と他人事ながら心配になります。

 武術の世界は伝統的にヤクザ社会と極めて似ていますから、本当の実戦派武術家はヤクザや秘密結社と兼業だったりすることも、ちっとも珍しくありません。公表しないから知られていないだけの話です。

 ともあれ、そうしたことも含めての経験の中から、私は「こうやったらマズイ。こうやった方がいい」という方法論を常に改善進行中で提供していくようにしている次第です。

 だから、私は「自分のやっているやり方が正しい」という言い方はしません。

 正しいかどうかの判断基準は結果オーライであり、権威主義的な正解とは固定観念の枠から永遠に出られない代物でしかありません。

 私は自分の研究を既存の武術観や武術理論に対する脱構築だと認識しています。斯界で言われている正解をすべて疑って実験検証していく作業が必要だと思っています。

 その作業の中から、「真剣白刃取りは不可能。実際の無刀取りとは違う」とか、「日本刀を逆手持ちで斬ってもちゃんと斬れる」とか、「背負太刀の抜き納めは左肩越しでないとできないというのは嘘。練習すれば右肩越しでもできる」・・・といった斯界で常識とされていた事柄を検証してきました。

 どうしてか?というと、百の流派があれば百の正解を主張するものだからです。

 つまり、本当に正しいのがどの流派か? どの先生が正解を知っているのか?

 こうしたことは皆目わからない。正解に迫るには権威者の発言を疑って、自分で実験検証していくしかありません。

 仮に、真の正解を知っている先生がいたとして、それをそのまま弟子に伝えるかどうか? 私は大いに疑問です。

 武術家は聖人君子ではなく、「包み隠さず何でもお教えします」と言っている先生が、実際は嘘はっぴゃくで金儲けしか考えていなかったりするからです。

 特に日本も中国も伝統武術の世界は秘伝だらけで、金さえ払って熱心に練習していればすべて教えてもらえる・・・なんて甘い考えはまったく通用しません。

 構造的に嘘を教えて飼い慣らしておき、「これは!」と思える弟子一人だけを選んで極意相伝するというのが“常識”だからです!

 無論、何人もの伝統武術修行者から、「そんなことはない! 昔はそうだったかもしれないが、現代では包み隠さず何でも教えてもらっている!」と反論されたことが何度もありました。

 ところが、そう言っている人の実演を見ると、本人は得意満面に「これが正しいやり方だ」と披露しているのですが、私から見ると、ものの見事に型の形式だけしか教わっておらず、技を崩して応用変化させて用いることや、基本となる戦闘理論がゴッソリ抜け落ちているのです・・・。

 つまり、カモにされて大金をふんだくられながら、嘘を教えられていた訳で、“騙されていた”のですね。


 話を戻しますが、私がまだ武術雑誌のライターをやっていた頃、「物凄い発勁を披露する先生がいたけれど、突然死してしまった。どうやら震脚のやり過ぎで脳にダメージを負ってしまったらしい」という話を聞いたことがありました。

 もちろん、安田先生が嘘を言っている訳ではなく、正しくやれば脳震盪は起こらないのでしょうが・・・さて、そもそもの話、正しくやれる人がどのくらいいるでしょうか?

 上手い人に共通している誤解は、自分を基準にして考えるので、下手な人、できない人が、「何故、うまくできないのか?」を理解できない点です。

 例えば、「立禅で頭がおかしくなるなんてあり得ない」と言う先生もいますが、それは御自分の周囲にいなかっただけで、実際に立禅をやっていて性格が豹変したり感情が激し易くなったりする人は結構な比率でいます。

 以前、立禅を中心に修行する流儀の師範格の人が浄霊をすると言って女子中学生を親の目の前で犯す?という信じられない事件がありましたが、このような常軌を逸する行動を是認させてしまうのが立禅も含めた瞑想系修行によって陥る“魔境”の恐ろしさです。

 この点の危険性をまるで考えていない人が多過ぎます! 甘過ぎる!

 特に、いくつかの流儀を兼修した人はそうなる確率が高いようですし、熱心にやっている人ほど発症率が高くなる現実があり、心ある人達の間では問題視されているんです。が、公に注意を促したりすれば生徒が減ってしまいかねないから、良い効果しか発表しない訳です。

 これは本を書く時の注意点としても、「本は宣伝のために書くものだからマイナスになる要素のことは書かないでくれ」と言われる場合が多いんですよ。

 でも、そんな裏事情を知らないから、空虚な綺麗事の理想論を読んで、「何て素晴らしい先生なんだ!」と信じてしまう人も多い訳ですね。

 世の中で苦労を重ねた人なら、文章の裏を読む(洞察する)ことができるでしょうが、まあ、読解力の無い人は大勢いますからね~?

 救いようがないのは、「立禅は最高ーっ!」とハイになった目で叫びながらやっているような人・・・完全に“ポン中”ですよ。

 以前、清原の事件の時に覚醒剤の作用についてTVのワイドショーで解説していましたが、覚醒剤はSEXの時の快感の十倍も気持ちいいと数値化されていて、「なるほどな~? こりゃ、やめられん筈だな~?」と、苦笑してしまいました。

 淫祀邪教と言いますが、武術も熱狂的にやっている人間にとっては宗教と同じ。

 独善と排他。自分の信じるものだけが全てで、他所は間違い・・・。

 判断基準がこれだけ!

 笑っちゃいますよ。「勝手に信じてやっててください」って言うしかありません。


 それと、ちょっと気になったのは、震脚は具体的な技には応用できないみたいに安田先生は書かれていましたが、これも疑問です。

 武術である以上、一つの目的のためだけの動作であるとは思えません。いくつもの目的が複合的に作用して相乗的に効果を高めるのが武術の術理である筈です。

 実際に八極拳の震脚を応用していくつもの武術用法を考案しましたが、套路の動作の中に組み込めば無限大に応用していけると私は考えます。

 以前、ビデオで見て、竹内流にも無双直伝英信流居合術にも空手道にも震脚のようにズシンと足を踏み締める動作を確認し、「はは~? これは中国武術の専売特許という訳ではないな?」と直感して研究してみたことがあります。

 陳氏太極拳は非常に優れた武術だと思います。安田先生も非常に優れた技量をお持ちの先生だと拝察します。生前の松田先生からもお話をうかがったことがありますし、中国武術の世界で一種独特のポジションを確立している方だと尊敬しております。

 しかし、だからこそ、自流の価値判断にのみ頼むのではなく、他流の良さや他流に打ち込んでいる人達の研鑽に想いを馳せて戴ければ、本当に有り難いことだと思います。


 さてさて・・・これまた余談ですが、今回の論考にも参考になると思うので書きます。

 横並びにしたマキワラを試斬する大会?の様子の動画を練習の時にスマホで見せてもらいました。

 が、足場を固めて、しっかり刀を振りつつ、失敗する人が続出していました。

 誰も彼も力み返って刀を振っているのと、足を踏ん張っているのが失敗する原因ではないか?と思いましたが、皆が皆、そうやっているということは、それが正しいやり方なのだと教育された結果なんだと思いました。

 マキワラが一本なら、それでもいいでしょうが、横並びのものを斬る場合は、刃筋が最後まで通らないといけないので、足場を固定してその場で身体を回転させるのではなく、横にスライドするようにして刃筋を持続的にまっすぐ通すようにしないと斬れない筈。

 非常に単純化した論ですが、要は“力がどう作用すれば、技としての効果が発揮されるか?”という点から考えないとダメです。

 私は試し斬りは、文字通り、頭で考えたやり方が正しいかどうかを検証するためにやっています。斬ることが目的でやっているのではありません。

 寸勁斬り(ネーミングは故・佐藤貴生先生!)も、重心力の集中で力を真っすぐ通す訓練として考えたもので、この練習によって通常の打拳の浸透勁のコントロールも向上しました。

 あるいは下段手刀払いを人さし指一本で実施して廻し蹴りを払い落とすこともできるようになりました。

 つまり、重さの乗せ方と力が働く面積の縮小化ができてきたという訳です。

 もう十年くらい経過しましたが、直感的に始めた独己九剣の稽古が、刀を使わなくとも同等以上の戦闘力を発揮できるようになってきた・・・という次第です。

 直感というのは凄いですね? まさか、ここまで研究が進むとは私自身も予想外です。

 奇しくも、『刃牙道』で宮本武蔵が無刀(素手)で二天一流を実施するという描写とリンクするような研究になってきて、その意味でも『刃牙道』の今後が非常に楽しみなのですが・・・。

 甲野氏経由の若手研究家の方も増えている様子ですし(広い意味でいったら私もそうなるのか? 嫌だな~・・・)、うちも若手のレベルアップっぷりは異常なくらいです。

 時代によって変わる面と、時代を超えて伝承される不変のもの・・・その両方を上手く機能させて後進にバトンタッチしていくのが、もう若くはないけれど年寄りでもない私の世代の責務なんだろうと思います。

 少なくとも、もう「ナントカ流が最高!」とはしゃいでいる幼稚な時代は終わったのです・・・。

 21世紀は、「武術によって、人間はどこまで進化していけるのか?」というのがテーマだと私は直感しています・・・。


PS;熊本大地震の義援金集めのためにDVD半額セールを実施してきましたが、一応は落ち着いてきているみたいですので、六月一杯で終了させて戴きます。御協力ありがとうございました! また、最新作『交叉法2』の割引セールも六月一杯とさせて戴きます。七月から通常価格となりますので、御希望の方はお早くお申し込みください!

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時代劇こそセンス・オブ・ワンダーが必要では?

 TVから時代劇ドラマがほとんど消滅して、今ではNHKだけが作っている感じですが、時代小説の世界も、何だかワンパターンの度が過ぎる気がしますね。

 そもそも、時代劇って、もっと空想的な世界観が通用する分野だったと思うのですが、現在の時代小説は、ほとんどが江戸時代の日常的な平均的庶民や武士を描いた作品ばかりのような気がします。

 妖怪がらみの作品もありますが、ほのぼの系のものが多くて、私はちょっと読む気がしないんですね~。

 私自身が、山田風太郎の忍法帳物とか柴田錬三郎の剣豪小説くらいしか時代小説を読んでないのですが、江戸時代の日常生活を描いて何が面白いのかな?と疑問に思うだけなんですよ。

 時代小説というのはそういう具合に書かないとダメなんだという出版社の取り決めとかあるんですかね~?

 昔の時代小説って、もっとSFファンタジー色が強かったような気がするんですよ。

『南総里見八犬伝』にしろ、『神州天魔峡』とか『紅孔雀』とかありますよね?

『水戸黄門』だって古い映画だと猿人とか出てくるんですよ。

 源頼光の『大江山酒呑童子』なんて妖怪退治物だし、怪談物や大映の妖怪三部作に大魔神シリーズなんて時代劇として非常に良くできています。

 東映の『怪竜大決戦』なんて面白かったし、この作品の着ぐるみ(怪竜と大蝦蟇)流用した『仮面の忍者・赤影』も実に楽しい作品です。

 特撮系では、『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『変身忍者・嵐』がありますが、それ以外にも『白獅子仮面』とか『魔人ハンター・ミツルギ』というのがありました。

 横溝正史だったか?も、『髑髏検行』という作品を書いていますが、これって元ネタがドラキュラなんですよね? 時代劇スペシャルで田村正和サマが演じていたのでヒーローっぽくなってましたが。

 原作読んでなくて、ムーに載ってた作品解説みたいなので読んだ記憶があるだけなんですが、横溝ミステリーも私は今ひとつ好みじゃないんですよ。推理小説って現実的過ぎて面白いと思えないんですよね? たかが人間が考えつく程度のトリックに翻弄される話って、スケールが小さ過ぎる。

 先日も小説の師匠と次回作の打ち合わせしていて、「長野さんは普通のミステリーは書きませんか?」と聞かれたので、「いいえ、ぜんっぜん、興味ありません。トリック考えるのに苦労しそうだし、戦闘シーンが書きたいだけなんで活劇しか書けません」と応えました。

 ほら、TVの二時間物の西村京太郎サスペンスとかあるでしょう? ああいう一般メジャー向けのものを書いたらいいのでは?と言われたんですが、私はバトルがメインでないと書けない(書く気がない?)んですよね~?

 夢枕獏とか菊地秀行の朝日ソノラマや角川ノベルズの世代だから・・・。

 そういえば、菊地秀行の『血鬼の国』という柳生十兵衛が吸血鬼と対決する作品を読みました。

 あとがきで菊地さん本人も不完全燃焼だったみたいな感想を書いていますが、確かにクライマックスが燃料切れっぽくあっさり終わってしまうところが往年の菊地作品と比べると、ちと物足りないかな~?という気もしました。

 それでも、菊地秀行が書いているんだからつまらない筈がない! 日常系時代小説に飽きがきていたので、実に楽しくサクサクッと読めました。

 先日、友人が電話で夢枕獏の『大帝の剣』を一気読みしたらアクションシーンが面白いから参考のために読んでみたら?と言ってきました。

 私、アクション描写は自分なりに新しいスタイルを確立したいんで、敢えて読まないでおこうかな~?と思っていますね。ただでさえ、似てると言われてしまうので。

 映画で殺陣やってみて思ったんですが、見せ方の工夫というのは映像でも文章でも共通する面があると思いますね。

 売れっ子作家の作品はどうか?と思って、宮部みゆきの『荒神』を中古で買って読みましたが、「時代劇で怪獣物やるには、こうだろうな~?」と私が考えていた案(陰陽道の式神で巨大山椒魚風の怪物出すという話)と似ていたので、「しまった! 先にやられてしまった」と思いましたが、流石は宮部みゆき!という完成度でした。

 宮部さんの作品は映像化されてる作品も多いし、時代劇でも現代劇でも何でも達者に書ける人だから、そりゃあ売れっ子になるよな~?と改めて思いましたね。

 私は頭の中に映像が浮かんで、それを描写するようにしていますが、それだと無駄に書き過ぎてしまうらしく、頃合いを探るのが難しい。所詮、万人向けに書くのは不可能だと認識したので、いろいろ実験してみようと思っています。

 とか何とか言っていたら、デビュー作を手伝ってもらっているH先生から重大なミスを指摘されました!

 何と、江戸時代の特殊部隊で設定した中の副隊長格が、設定した年だと12歳なのだとか?

 てっきりオッサンだとばっかり思っていて、ろくに調べないまま選んだ実在キャラだったんですが、昔の時代劇ドラマはいい加減だな~?と思いましたよ(いやいや、ちゃんと調べない俺がいい加減?)。

 味のあるキャラで残念だったんですが、幸い、設定している隊長の副官にピッタリの27歳くらいの実在キャラがいたので、その人物に取っ代えてもらいました。

 は~、焦った~・・・。

 でも、代理キャラながら、この人物も実に深みのあるムチャクチャな人生を送った(殿様を砲撃しようとして失敗し、江戸に逃げて名前を変えて道場やってたけどバレて打ち首獄門になった)人なので、面白くなりそうです・・・。

 やっぱり、作品のキャラクターってむちゃくちゃな人物の方が面白いじゃないですか?

 実際の人物で付き合いがあると困るけど・・・。

 けれども、武術の世界って、そういうムチャクチャな人が結構いるから面白い。キャラクター考えるのに苦労しません。

 やっぱり、普通の人生送ってる人と話しても全然つまんないし・・・。

 話は変わりますが、今、『トーキョウトライブ』観ながら書いてるんですけど、清野菜名さんがパンチラで激闘している“いつもの園しおん監督節”とはまったく違って、TVKで『まかない荘』というドラマに主演されていて、ちょいコメディーっぽい普通の役柄を演じられています。稲吉先生がダンス教えていたというのもビックリしたんですけど、清野さんは常に体当たり演技だな~?と、最近、感心しています。アクションの師匠が坂口拓さんだから?

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六月“縮地法”セミナー感想

 今年も半分になりました。早いもんです・・・。

 さて、今回は“縮地法”です。

 毎年やっていて、歩法だけは基礎訓練からやらないといけないので、結構な運動量になって疲れます。夏の暑い時期には避けたいところですが、六月になってしまいました。

「暑くならなきゃいいけどな~?」と思っていたら、割りと風が涼しくて、窓を開け放してやると気持ち良かったですね。

 一応、冷暖房完備なんですが、業務用だから電気代が嵩むので、あんまり使いたくないんですよ。

 この道場も2年経過したので、今月は更新しなきゃいけなくて、お金がいっぱいかかるので困ってたんですが、何とかギリギリ払えそうです・・・。

 余裕があれば二階も事務所に借りたいところですが、流石に今がギリギリなんで小説がヒットしないと無理ですね~?

 本当に50過ぎても生活に余裕が無いとは思わなかったな~? 予定ではブレイクして金に不自由しないくらいになってる筈だったんだけど、さてさて、金の心配しないで研究に専念できるようになるまで、後、どのくらいかかるかな~?

 もっとも、マスゾエさんみたいになるのも悲惨だから、地道にコツコツと実績を積み上げていくのが一番でしょうね?


 今回のセミナーは、いつもはアドリブで進めて教える内容が変動し過ぎるので、今回は事前にやる内容をノートに書き出してきました。

「えっ、それって普通でしょ?」って言いたい人もいると思いますが、私は本当にアドリブ体質でして、計画した通りに進めるのが苦手なんですよね。

 去年の11月3日にやった特別極意講習会の時も、最初のヤツに時間がとられて時間配分がメタメタになりましたもん。

 それでもやるべき内容は無理やり、やりましたけどね・・・。

 結局、私の考えでは、原理を理解し、後はどれだけ応用発展させる応用力を磨くか?ということが肝心だと思うんです。

 なので、縮地法の原理を理解してもらえば、それでOKなんですよ。

 常連の人は理解していると思うんですが、今回は初参加の人も何人もいたので、原理を理解してもらうために、縮地法を使った突きと普通の突きがどのくらい威力が違うのか?ということを体感してもらうようにしました。

 武道・格闘技を長くやっている人ほど、「突き技はこうするもの」という固定観念が強いので、指示した通りにやらせてもできないものなんですね?

 ミットを使って、“腕をまっすぐ突きの形にしたまま歩いていって当てる”というだけのことをやらせても、当てる瞬間に足を止めたり、腕を曲げて打とうとしてしまったりするんですね。

 強く打とうとするから、ついつい、習性でやってしまうのです。

 突きの威力を腕の筋肉の収縮力で出そうとする習性がついてしまっているんですね。

 腕は拳を握って真っすぐ肘を伸ばして固定させておいて、歩いていく時の身体に働いている運動エネルギーをそのまま拳に作用させれば、予想以上の威力が出せるのです。

 イメージしにくいかもしれませんが、例えば伝統空手の追い突きも、原理的にはこれと同じことをやっている訳です。遠い間合からバーンッ!と飛び出す時のエネルギーを拳に乗せるから小柄な選手でも驚くべき威力が出せるのです。

 ただ、当てないで止める(コントロール)のが難しい訳ですね? もし当てていたら、威力が出過ぎて手首や肘、肩を壊してしまう選手が続出するでしょう。

 どうしてか?というと、狙って当てていっても相手は止まって受け止める訳ではないからで、ほんのわずかズレるだけで自分の威力で手首や肘、肩を捻って壊してしまいかねないからです。

 実際、今回、丹田歩法で錬成された腹圧の威力を示すために北島師範に突かせて腹発勁で跳ね返すというのを実演した時、グキッと嫌な音で北島師範が手首を捻ってしまい、危うく折れるところでした。

 約束組手式にやってもこうなるんですから、実際にやったらもっと大怪我してしまうでしょう。

 北島師範も解っているからあまり強く打たないようにしていたのですが、それでは皆が信用しないだろうからと強く打たせた結果・・・危機一髪でした。

「内家拳なんてものは嘘だ!」と言う空手の先生もおられますが、私は太極拳の戦闘理論は凄いものだな~?と思いますし、他の武道にも組み込んでいけるものだと思います。

 日本の内家拳といえば、やはり合気武術だと思います。

 脱力して重力(重さ)を使って威力を出す。これなら体格や体力とは無関係に誰でもできます。

 そして、縮地法も、実は脚力(るろ剣の宗次郎は特別脚力が強いという設定だったけど、これは武芸考証を手伝った加来さんの誤解だったのかもしれない?)ではなく、重心移動をうまく使うことで気配なく迅速に体移動する方法として工夫されたものだと私は考えています。

 中国武術でも類似の歩法はいろいろ伝えられていて、歩法に特徴のある門派としては迷蹤芸(秘宗拳)や八卦掌が有名です。

 歩行というのは最も基本的な重心移動運動ですから、歩行を技化すれば凄いものになります。

 私は20代半ばから関心をもって研究し始めましたが、足よりも体幹部から動くことが重要なのではないか?と思い至り、骨盤の動き(ハラと腰)に注目しました。

 この辺は健康法や舞踊を研究したことも関係していますが、ほとんど直感ですよ。

 私以外の身体運動の研究家の大半が、やはり骨盤の動きに注目しています。これは、それが正解に近いということの証しでしょう。

 私の嫌いな人も言っていたりしますが・・・。

 どんな偉い人が言っていようが間違いは間違い。逆に無名な人が言っていようが正しいことは正しいのです。

「誰が言っているから信用できる」なんて考え方をしてはいけません! ダメ! 絶対!


 言っている内容そのものを吟味しなくてはいけません。信じる信じないで考えるのは愚か者です。

 どんな人間でも嘘をついたり間違ったりします。だから、他者を絶対視して盲信してはいけません。

 無論、私に対してもです!

 自分自身の洞察力を磨くことが大切なんですね。


 ところで、三尺以上の大太刀を遣う居合抜刀術の流派が集まる研究会に参加された方から聞いたんですが、研究会にゲストで参加した甲野氏は、いつもの普通の長さの刀で演武してみせただけで、三尺越えの大太刀の抜きには挑戦しなかったんだそうですね?

 それでは、参加した意味が無いと思うんですけどね?

 システマのシャシュカのセミナーに参加した時も日本刀の模擬刀遣って素手のミカエル先生に向かって奪われまくっただけ・・・一体、何のために参加したんでしょう?

 私は、動画で見た時に、「これって邪魔してるだけじゃん?」としか思いませんでしたね。研究したかったら個人的に別に時間とって頼めばいいじゃないですか? セミナー荒らしと判断されてつまみ出されても文句言えませんよ。

 それでも、敢えてそこまでするなら、せめて、日本刀vsシャシュカの軽い手合わせくらいすれば良かったのに・・・負けまくったら恥ずかしいから、やらなかったのかな?

 郷に入りては郷に従えって言うでしょう? これでは研究にはなりませんよ。

 うちは研究会なので、いろんな流派の人が参加して、時には技を見せてもらったりもしますが、明らかに挑戦的な態度とる人は許しませんよ。許してしまったら他の参加者に迷惑がかかってしまうでしょう?

 地方から高い交通費使って参加している人も多く、満足して帰って戴きたいので、不心得者には容赦しないつもりです。

(最近、兵庫支部も活動し始めたので、関西方面で御希望の方は宜しくどうぞ!)

 余談ですが、セミナーの時に三尺三寸の模擬刀を貸して戴いて抜かせてもらいましたが、帯に挟んだら私はこの寸法がギリギリだろうな~?と思いました。

 あと一寸あったら、ちょっと無理でしょうね?

 確か圓心流の田中普門先生だったと思いますが、三尺八寸の長大な刀を抜いておられて、ビックリ仰天した記憶があります。そんなに大柄な方ではないようにお見受けしますが、いろんな秘訣があるんだろうな~?と思いました。

 普通の居合(夢想神伝流や無双直伝英信流など)の抜き方では、まず三尺以上の刀は抜けません。いや、二尺六寸くらいが限界でしょう。

 そのためか、「三尺以上のあんな長い刀が抜けても実戦の役には立たない」と否定する居合の先生も少なからずおられますが、自分が抜けないから否定したいだけじゃないかな~?と思いますね。

 刃渡り三尺以上の刀を抜刀する方法としては、黒田鉄山先生の民弥流居合術の抜き方ならできると思います。

 私は一回、講習会受けただけ(初期のビデオに私が映ってる? いや~、お恥ずかしい)ですが、現在に到るも、得難い体験だったな~?と思っております。

 ちなみに、この時に、「あっ、流派は関係ないな? 理合が解れば秘密は解けるんだ」と直感したことが今の游心流理論のベースになっています。

 私が持ってる刀で一番長いのは、三尺二寸一分の一貫斎繁綱ですが、長さよりも重過ぎて速抜きできないですね~(苦笑)。まだまだ、修行の道は長いですよ・・・。


PS;今月の木曜日のメイプルホールの稽古会(19:00~21:00くらい)は、16日と30日もやります! 広々としてますから、お暇な会員さんはどうぞ! 最近は、ほとんど個人稽古になっています(苦笑)?

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6月セミナーは“縮地法”

 游心流の特徴としては、「一に脱力、二に交叉」なんですが、もう一つ重大な要素に「縮地法」があります。

 つまり、歩法ですね。

 これは、直接的に技としては使わないような印象がありますが、武術の戦闘法として縮地法は非常に重要な秘伝になります。

 最新作DVD『交叉法2』で、実は縮地法を応用した歩法の使い方も紹介しているんですが、今回は、これをより具体的に細かい練習法と理論を解説しようと思っています。

 中国武術では、「技は教えても歩は教えるな」と言うくらい重視されますし、日本の武術でも歩法や足捌きは見せないように袴で隠したと言われます。

 実は私、高校生の頃に両膝関節炎になってしまい(ロクに練習しないでマラソン大会に出て罹患した)、以降の人生、ずっと膝が悪く、ここ数年は悪化しています。

 例えば、昨年、映画の撮影中に、ちょっとした飛び降りシーンをやっただけで膝がイカレかかってしまったものでした。

 なので、先日、歩法を遣った時も、“できなくなってるかも?”とチラッと思ったんですが、問題なくやれて、内心、驚いていたんです。

「あれっ? 全然、平気だな~?」と・・・。

 まあ、理論上、多少、足腰に故障があってもできる筈だとは思っていたんですが、自分でやってみて確認すると感無量でしたね。

 ある意味、縮地法が一番、武術の技法の中で一般的に応用できるものかもしれません。

 単純に歩行速度を急加速させることができますし、出会い頭にぶつかったりすることを避けることもできたりします。

 先日、町田の小説講座に行くのに小田急町田駅の出口階段を昇ろうとした時、勢いよく走り降りてきた子供と激突しそうになりましたが、私がビュッと身体一つ分避けたので、ぶつからずに済みました。

 子供もぶつかると思ったんでしょうが、私をビックリした顔で見上げて立ちすくんでいました。

 飛び降りるくらいの勢いだったので、もしぶつかっていたら衝撃が自分に跳ね返って怪我させてしまっただろうと思います。

 この歩法は技術ですから、年齢重ねても延ばしていくことができます。

 私みたいな身体がポンコツの人間でもできるんですから、誰でもできますよ。

 ただし、これは日常的に自然な訓練が必要です。

 身体が馴染まないと、頭で理論を理解しただけではできないのです。


 以前、破門にした会員は、自分が体得できないのに「歩法は初心者には難しいから必要ありません」なんて言っていましたが、バカ過ぎて二の句がつげませんでした。

 簡単に体得できる技は簡単に破られます。体得に時間がかかる技は簡単には破られません。どちらの技が武術として有効性が高いでしょうか?

 無論、現在は、体得するのに無駄な時間はかけられませんから、稽古法も合理化しています。

 天剣の宗次郎の必殺技“瞬天殺”は縮地法と居合抜きの合体技だという設定でしたが、私もこれはいろいろ考えていました。

 以下は実際のセミナーにて・・・。

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真実はいつもヒトツ~っ!

「百人いたら百通りの答えがある」と気軽に言う人・・・

 あま~いっ!

「な~に、ヌルいことゆうとるんじゃい、ワ~レ~?」って、私は言いたいです。

 勘違いしてはいけません・・・。

 真実は常に、一つしかありません!

 もちろん、解釈は百人いたら百通りあっていいんですよ。気持ちの問題だから。どれが本当か嘘か?なんてことをはっきり白黒つけたいと思っている人間以外には、どうだってよかったりするんですよ。圧倒的に多くの場合・・・。

 でもね? 真実というのは一つしかないから“真実”と言うんですよ。ここ、大事!

 私が武術が大好きなのは、限りなく真実に近づいていける世にも珍しいものだから。

 武術にとっての真実とは、「戦って勝てる技術」ということです。実にシンプル。

 かつて、「戦えない武術ではいけないんですか?」と問うた人がいました。

 私は、「ダメ! 絶対!」と確信を以て断言しました。

 だって、武術は戦って勝つために数多の戦闘大好き人間達が周囲から変態扱いされるのも厭わず研究工夫して作り出してきたものだからです。

 戦えない武術は武術ではないのです。モデルガンが武器でないのと同じ。

 しかし、モデルガンでも改造して殺傷力のある弾丸発射機能を備えれば武器になりますよね? そうなったら改造銃という代物になり、銃の一種、あるいは亜種として認知されることになります。

 フルーツナイフだって、武器として使おうとすれば武器になってしまいます。

 私なんてラジオ体操でも阿波踊りでも武術に改造できますよ!

 何故か?

“戦う意志”が技術を生み出していくものだからです。

 どんな達人に習おうが、どんな秘技を修得しようが、戦えない人というものは居ます。

 私は、現代日本の最高峰クラスの達人に何人も会っていますが、弟子がそのレベルに達している例は非常に少ない・・・というか、ほとんど皆無に近いものでした。

 その理由は、戦う意志が無いからなんでしょうね。

 あるいは、「達人に習えて幸せ~。いつか自分も達人になれるといいな~?」という自己満足の願望に陥っているから、自身が師匠超えを目指さない。これではダメです。

 逆説すると、何の技も知らず、何の力も持たない者でも、戦う意志さえあれば、技術も力も自分で勉強して獲得するものです。肝心なのは“戦う意志”そのもの。

 独学だって、非常に高いレベルに到る人はいます。異常に意志が強い人だと。

 それに、戦うことだけ考えれば、武器を持てばいい。武器なんて、周囲にいくらでもあるでしょう? 何もなくても上着を振り回したり頭から被せてブン殴れば効果的だし、ベルトを鞭代わりにするもよし、靴を手に持って殴るのもいい。靴下だって砂とか土とか砂利とか摘めて殴ればブラックジャックみたいな打撃武器になります。

 どうですか? 周囲にいくらでも武器になりそうなものはあるでしょう? 戦う意志があれば、こういうこともどんどん考えつくようになるのです。

 例えば、ストーカーに家に押し入られた時に、ただ隠れるよりも台所にダッシュして包丁を握った方が助かる率が高まりますよ。

「風呂に入っていたらお手上げじゃないか?」と思うのも間違い。熱い湯をぶっかけるとか、シャンプーを目潰しにするとか、濡れタオルをヌンチャク代わりにするとかいろいろできますよ。

 トイレでもサンポールを目潰しにするとかトイレブラシで顔面突くとか・・・?

 ねっ? やろうと思えば、いくらでもできるでしょう?

 私が世界中の古今東西の武術を研究してきたのは何か?というと、別に技とか理論はどうでもよかったんですよ。

 私は信仰心が無いので、どんな必殺技だの高度な理論だの習っても、それが万能に通じる筈がないと思っていました。だから、今でもずっと研究し続けているんです。

 つまり、戦って勝つ方法を貪欲に追究してきただけなんですよ。

 武術に関して膨大な知識を得ることになったのも、副産物なんですね。基本的に武術の歴史だとか達人の経歴だとかには全然、興味がありません。

 小説書くようになったから意識的に調べているだけです。

 私は、戦って勝てる武術を追究しているだけだし、もしも無いのなら自分が作り出してやろうと思って研究してきています。習ったら、さらに改良する! 常に進歩し続けていく・・・それが武術のあるべき姿だと思います。

 この点、普通に武道や格闘技が好きでやっている人達とは考え方が根本から違う。

 私は武器を使うことを前提にしていますが、それは武器を使うのが人類の普遍的戦闘の真実だからですよ。

 素手の戦いに拘る人に共通するのは、本気で戦闘に勝つことを考えていないということです。「勝敗は時の運」みたいな呑気なことを言うのは素手で闘う格闘スタイルを楽しみたいだけなんであって、命のやり取りを考えていないからですよ。

 だから、戦争のような状況は何も考えないで、強いとか弱いとかヤンキー中学生レベルのことを考えていられる・・・近視眼的なんですね。

「そんな状況を今の日本で考えることそのものが異常だ」と、時々、言われます。

 阿呆ですね?

 今の日本の状況でも日夜、生死がかかる戦いに備えていなければいけない仕事の人達は大勢います。その人達がもしいなかったら、社会秩序は成立していません。

 法律が秩序を守っているのではありません。法律を支える処罰を“実行する人間”がいるから成立しているのです。

 そもそも犯罪をおかす人間はアウトロー(法律を無視する無法者)なんですから、そんな人間に法を守れと言うだけ無駄です。

 こんな簡単な理屈が解らない人間は“阿呆”としか言えないでしょう?

 生死がかかる戦いに備えている人達に感謝しないでどうします?

 具体的には警察官や自衛官。警備業務の人にも命がかかる危険な場所で仕事している人はいますよ。

 そこまででなくとも、日常生活の中で暴力に晒される機会は少なからずあります。

 学校や職場のイジメ、ママ友イジメ、サークル内イジメ、御近所トラブル、ネットコミュニティーでのイジメ、そして家庭内DV・・・。

 自分が経験が無い、あるいは経験しても鈍くて感じないから、「そんなものは無い。日本は平和そのもの」と考えるのは大間違いですよ。

 基本的に自分の幸せを優先して考えるのが人間の性質であり、世のため人のために粉骨砕身して自己犠牲の精神を持つ人は極めて希少でしょう。

 マスゾエ都知事のニュースとか見ると、一般社会だったら業務上横領で即刻捕まるレベルなんじゃないか?と思いますね。以前、五円玉ポケットにしまっただけで懲戒免職になった駅員が居たと思いますけど、庶民がマスゾエ都知事に怒っているのは、自分達が生活ギリギリで苦しい生活をしている中で、税金使って成り金みたいな真似繰り返している神経に腹が立っている訳ですよね?

 でも、私は政治家なんてあんなもんだと思ってるので、呆れるだけで腹は立ちません。

 ナルシシストは海外ではサイコパス扱いで危険視されているのに、日本ではちょっと変わった人程度に思われているそうです。ナルシシストは他者への共感ができない自分のことしか考えない人間だから、権力握るとムチャクチャやるから危ない・・・という理屈。

 マスゾエ都知事はナルシシストでしょう? 典型的な・・・。反省なんかしてないでしょう。“俺は今、受難を受けているのだ”としか思ってない。権力にしがみついてる。

 猪瀬さんはサクッと辞めたでしょう? 権力に未練が無いから辞められたんじゃないですか?

 ナルシシストといえば、武術界にも多いです。

 もう名前書かなくとも誰のことか解りますよね?

 大勢いるからな~・・・。

 最初のテーマに戻りますが、百人いたら百通りの解釈があるのは当然のことです。が、それは決して真実が百通りあることにはなりません。

 真実を追究するには厳しい態度が必要ですし、そのためには、むしろ解釈は邪魔になります。

 稽古の時に話題になったんですが、「水素水は科学分析するとただの水だから、健康に良いというのは何の根拠も無いのでは?」というもの。

 科学的に根拠が認められなくとも体験的に効果が認められるとして愛好者がいる物というのは無数にあります。

 EM菌、パイウォーター、紅茶きのこ、ぶらさがり健康機、磁化水、還元水、バナナ酢、ヒランヤ、サルノコシカケ、丸山ワクチン・・・etc

 多くの民間療法が科学的には根拠が無いとされながらも、愛好者がいなくなることはありません。

 どうしてか?というと、体験的に効果があると認識する人が一定数いるから。

 現在、療法として定着している、柔道接骨、指圧、鍼灸なども国が認定するには関係者の壮絶なまでの運動があったことを知る人は少ないでしょう。

 催眠療法も、創始者と見なされるメスメルは詐欺師扱いされていて、“動物磁気説”なんてものを提唱したりして科学的な理論を構築しようとしていた訳ですが、その後、心理療法の中で“自律訓練法”(シュルツが考案)が採り入れられて科学的に認められていきます。

 気功法も、中国で科学的に理論付けして普及したから、それほどオカルト的なイメージは薄いですが、元をただせば仙道の訓練法(内丹法)ですから、科学的か?と言えば、実に怪しい訳ですよ。

 日本ではダイエット体操くらいに思われているヨーガも、もともとは修行者の行法であり、根本は瞑想(メディテーション)です。原理的には気功法と同じなんですよ。

 座禅も仏教式の瞑想ですよね。

 20年くらい前にはカイロプラクティックも国認定の療法にしようという運動がありましたが、「科学的な根拠が認められない」として挫折しました。

 それはそれで良かったと思います。まともな教育を受けていないカイロプラクターが溢れている現状では危険過ぎるからです。

 しかし、私は「科学的に」という言葉には逆の意味で盲信が感じられてしまいます。科学が万能という認識自体が誇大妄想だと思うからです。

 そもそも、自然科学の源流は長い歴史の中での様々な試行錯誤の末に理論付けされてきたものであり、根本は体験的な知恵だった訳です。

 例えば、漢方薬はまさにそうですね。薬になるか毒になるか? 分析技術が無かった頃は体験的に調べていくしかない訳です。

 水素水のブームも、健康に良いと言われる水に共通するものは何か?と研究した人がいて、「水素含有量が多いからではないか?」という仮説をたてて発表したことが遠因だと思います。

 私、一時期、健康法の研究している頃にいろんな水を試してみたりしていたんですが、確かに成分分析すればただの水なんだけど、明らかに体調に変化が出たりする訳で、「果たしてこれはプラシーボ効果に過ぎないのだろうか?」と考えたりしましたね。

 個人的にはプラシーボとは言えない物もあると思います。例えばパイウォーター。これは相当、違いが出ましたね。水分の吸収率が良くなったのでしょう。ウサギの糞みたいに乾いた便がコロコロッと出るのでビックリしました。

「お尻拭かなくて済むからペーパー代が浮くな~?」とか思いましたね。

 その当時、パワーウォーターがブームとなりましたが、その時は水素ではなく「水分子が小さい」というのがキモでしたね。

 結局、科学は後追いだと思うんですよ。現象があって、仮説をたてて、分析して、理論化する・・・。

 既存の科学分析で判定できなくとも現象として“有る”ということを否定することはできません。

 ただ、注意しなければいけないのは、体験は主観であって個人の感想に過ぎない。客観性が乏しいものを絶対視してみたり、盲信する態度は、そこに付け込む詐欺的ビジネスの温床になることも現実ですから、常に批判的視点を忘れてはいけないと思いますね。

 要は、一つの視点に固定化する態度はマズイ!ということです。

 真実は一つ!

 しかし、真実を認識することは不可能に近いのだと謙虚な姿勢でいないといけない。

 故に、私は信仰心を持たないようにしている次第・・・。

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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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