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緊急告知 『剣に学ぶ 武術の奥義』 いよいよ発売!

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アスペクトムック
剣に学ぶ 武術の奥義
達人の技が映像でわかる!DVD付き

長野 峻也
本体価格: 1800円+税

判型:A5 /並製
ページ数:128
初版年月日:2016/01/08
ISBN:978-4-7572-2435-3
ASIN:4-7572-2435-4

11月26日(木)頃から書店にも並ぶ予定です!
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重要なお知らせ

重要なお知らせ

 以前から私と游心流に関してネットストーカーしている者が、またもウィキペディアなどにくだらんことを書き込みしていると会員から連絡を受けました。

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游心流DVDラインナップ

游心流DVDラインナップ

 通常の武術系DVDは5000~6000円くらいが相場ですが、これは販路の大きい大量に作れる会社だから可能な値段設定です。うちはチマチマと手作業で作ってますので、製作費や労力、販売部数の関係上、数倍にならざるを得ません。

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連絡専用ブログ「游心流武術健身法 インフォメーション」

セミナーや稽古会の予定、DVD、商品関連等の情報については、こちらのブログをご覧ください。
最新情報も掲載してます!)

游心流武術健身法 インフォメーション

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二月セミナー“軸の確立”

 今年に入って、もう二回目ですよ。早いよな~・・・年取ると時間が経過するのが加速度がついてるんじゃないか?というくらい早くなってるような印象がありますね?

 10代の頃が一番、長かったような気がしますね? で、その頃から精神年齢ちっとも上がってないような気がするんですよね~?

 何しろ、今でも学校に通っている夢見て、「将来は俺はどうすればいいかな~?」なんか考えてたりするんですよね。で、目覚めて「あれっ、今、何考えていたんだっけ?」と、変な違和感が残ってたりするんです。

 私は両親共に学校の先生だったんで、家の中でも学校の話ばっかりするんですよ。ずぅ~っとそうだから、世の中が学校の中だけしかないような気持ちになってしまうんですよね~?

 親戚も学校の先生だらけだったんで、尚更、そうなってしまうし、家の中でも教育について考えるのが家族の習性になっていたんですよね。

 まだ両親共健在だった頃に、田舎に帰省している時に会員から電話がかかってきて、「長野先生をお願いします」って言われて母親が、「はい、私です」って答えて、「いえ、あのぅ~長野先生を・・・」って言われて、「はいはい・・・わかりました」って親父に代わって、「いえ、あの、違います」って言われて、「あ~、なるほど・・・」って兄貴に代わって、「あの~、長野峻也先生に・・・」と言われて、ようやく私に代わってくれた・・・ということもありました。

 兄貴は当時、病院の薬局に勤めていて長野先生と呼ばれていたんで、病院の人からかかってきたと思われたみたいですね。

 私の両親兄弟は私がどういう生活をしているのか?ということをまったく理解していなかったので(何回説明しても理解してくれなかった)、「へ~、お前も先生って呼ばれてるんだ?」と意外な顔をされましたね。

 電話だと声がそっくりだったらしくて、親父にかかってきた親父の学校に勤めている先生とか、「はい、長野です」って返事すると、「あっ、校長!・・・」って話し始めて、「あっ、ちょっとお待ちください。父に代わります」って言って、「ええっ?」ってビックリされて、代わった親父が電話の後で、「あんまり声がそっくりだけん、校長だと思とったら、息子さんだったけん、たまがったですよ~って言うとったよ?」と笑ってましたが、こういうことが何回もありましたね。

 2月1日で53になったんですけど、確かこの年は親父はもう校長になっていたと思います。もう、そんな年になっちゃったか~?と、ちょっとね~・・・流石にもう若気の至りでって言い訳は通用しない年になったよな~って思いますね。

 でも、覚えのある人は多いと思うんですが、別に年とったからって精神年齢が上がるって訳じゃないですよね?

 武術にしろGunにしろ特撮にしろ猫にしろ・・・子供の頃に好きだったものは未だに好きですし、むしろ、拍車がかかってますよね。

 普通はこうじゃないのかな~?

 普通に就職して結婚して子供できて・・・って経験をしていないから、童心のままなんですかね~?

 多分、本来は私みたいなのが当然なのに、社会の中で生きていく過程でいろいろなしがらみを感じて自分を偽って生きていかなくちゃならない人が大半だから、本音を隠して装っていなければならないんじゃないか?とか思ったりします。

 よってストレスが溜まる。

 ストレス解消の娯楽産業の中に武道の道場なんかもあると思うんですが、怒鳴られド突かれ金を取られる・・・って、SMじゃあるまいし?って思うようなところもありますよね~?

 私はそれが嫌で嫌で、自分がやるんだったら、わいわい笑いながら楽しんで練習できる道場にしたいと思ってました。

 あんまり規律が無くて好き勝手にやるのでは怪我したりしかねないから注意が必要ですが、武術は基本的にしかめっ面して必死にやっても上達はしません。

 まして、本質的には殺人術を練習する訳ですから、練習相手を怪我させないことを第一に考えて力のコントロールをしながら技の効果を確認していく繊細な感覚を養成しないといけません。

 もちろん、いざとなったら問答無用で敵をぶち倒す覚悟が必要ですが、それはいざという時の覚悟の問題であって、普段の練習でそんな精神でやっていたら社会不適応者を育てるだけなんですよ。

 練習は練習、生活は生活、実戦は実戦と区別して適切に対応できることが重要です。

 私が猫好きなのも、昔、飼ってた猫が、見事なまでのこの区別をやってのけていたからなんですよ。武術の達人でもこうはいかないだろう?というくらい一瞬で戦闘モードに変われました。

 これは本能なんでしょうね~? 何しろ、手のひらに乗るくらいの生後一カ月にもなっていない子猫というより赤ちゃん猫の頃ですよ。ヨチヨチ歩きしてたのに、ちっちゃいネズミが出てきたのを見つけて眼がキラリンッ!となったと思ったら、ダッシュして超神速猫パンチ(早過ぎて見えない!)でバババババッとちびネズミを翻弄したので、「ひぃぃーっ! このままネズミばりばり食うんじゃね?」って怖かったので、「こらこら、もうそのぐらいにしとけっ!」って後ろ首摘まんで引き離したんですが、ちびネズミは既に御臨終になっていました・・・。

 いろんな達人に会いましたけど、まだうちの猫以上の人には会ったことありません!

 例えば、縁側の座布団の上で寝てた時に、犬が猛烈にワンワン吠えても無視してたんですが、暴れて吠えかかった拍子に犬の首輪が外れて飛び掛かったんですよ。

「やめろっ!」って叫んだけど、もう犬にかみ殺されてる猫の情景が脳裏に浮かびましたね。ところが、咬まれる寸前、クルッと振り向いた猫の猫爪パンチが犬の鼻面にザクッと炸裂し、激痛に犬がギャンッ!と鳴いて、恐怖に尻尾丸めてブルブル震えて縁の下に逃げようとしたんですが、戦闘モード全開になった猫がフーッと威嚇しながらバリッバリッと犬のケツに猫爪パンチをお見舞いして、その度に犬がキャーン、キャーンって悲鳴を挙げて助けを求めるようにこっちを見る訳ですよ。

 うちの犬はスピッツの雑種であんまり大きくないんですけど、流石に猫よりはずっと大きいですよね? 犬の癖に自分から攻撃していって猫に負けて助けを求めるような目でこっち見るなよ~って思いましたけど、「はいはい、もうそのくらいにしてあげて~」って、猫を離してやりましたけどね。

 この時に思ったのは、実戦は体格じゃないな~ってことと、一発で逆転する気迫と必殺技が重要だってことですね。

 人間は戦闘モードに入るのに時間がかかり過ぎますよね? 一瞬で迎撃できないとダメだよな~?と思いました。これも、私が試合に乗れない理由の一つです。

 ケンカの上手い人って、特徴があって、不意打ちが上手いんですよ。全っ然、攻撃する素振りも見せないで、いきなり喉首掴むとか、意識の隙間を狙うんですね。

 さらに達人になると、闘気がまったく出ないままで必殺技を出せる。私が目指しているのはこれですね?

『猫の妙術』とか、『木鶏』のレベルです。

 素人さんとか普通に武道・格闘技やっている人だと、気迫が漲った技とかを「凄いっ!」って絶賛したりしますけど、このレベルしか見えない人は武術の奥義とかを洞察する眼力はありません。

 私の本の感想で、先日、「付属DVDの仁平師範の突きが凄い!」って書いてこられた地方の会員さんがいたんですが、「あ~、この人、全然見えていないな~」って思いました。仁平師範も、“素人目に凄く見えるようにわざとやっていた”訳なんです。うちの幹部連中は苦笑してましたよ。あざといことやってるな~って・・・。

 うちの会員さんだったら、そこはちゃんと見極めて欲しいところですね?

 本当に凄い人の技は自然過ぎて全然凄く見えないものなのです。

 凄く見えないから、「こんなの簡単だろ?」って思うんだけど、真似しようとしてもできない訳です。

 ところが、何の経験もない人が真似したらできてしまったりするんですよ。

 何故でしょう?

 偏見が無いから普通の技だと思って、そのまま真似するからなのと、力まないからなんですね。

 実は簡単にできるのに、「この技は本物の師匠に就いて30年は修行しないとできないのだ」みたいに思い込まされると、“できない自分”を肯定してしまう訳ですね。

 それと、武道や格闘技の経験者は、力み癖がある。これが最大の障害です。

 長年、修行してきた人がうちに入ってきて一番苦心するのが、力み癖を抜くことです。

 特にフルコンタクト空手を長年やっていた人は例外なく堅いですね。

 でも、実力のある人は意外とスンナリ力を抜けます。感覚的に力まない方が技が効くことを知ってるからです。

 合気道やっている人が一番、うちとの相性は良いように思いますが、中には妙に堅い人もいるんですよ。そんな人の何人かに修行歴を聞いたら、堅い人は皆、同じ先生に習っていたので、これはその先生が堅いんだろうな~?と・・・。

 二月の月例セミナーのテーマは「軸の確立」ですが、軸なんてものはそもそも有りません!

 しかし、人間の身体は骨格を筋肉によって支持され脳と神経の指令によってバランスが調整されながら動かされています。

 そこには地球の引力との関係があり、重力の偏りを制御しながら効率良く動く身体運用法の一つの概念として、「軸の想定」が工夫された訳ですね。

 なので、軸というのは身体運動の理論化に於ける一つの原理でしかない訳です。

 ですが、軸を想定することで、様々な動きを効率的にして技の向上が望めます。

 よって、中心軸、側軸、二軸理論といったものが次々に提唱されてきた訳ですが、もともと無いということは、無限に有ると仮定することができる訳ですね?

 目付けのやり方としても軸を想定すれば非常に簡略化することができます。

 便利なんですよね? 軸で考えると・・・。

 ただし、もともと無いので、あまりにも軸で解釈しようとすることは逆に固定観念化を促してしまうので、それはいかがなものかな~?と、私なんかは思う訳です。

 もっと言ってしまえば、私が提唱している脱力技法・読み・交叉法・・・なんかも、本来は無い訳ですよ。“理論”だから。

“理論”は人間が考えた概念なんですから、もともとは無い。でも、それが“有る”という具合に定義付けすることによって科学が発展してきたんですよね?

 それは、自然界の様々な法則を発見して名前をつけて理論付けしていく作業を人類が延々と続けてきた精華であり、文化・文明というものは、そうやって作り出されてきた訳ですよ。

 だから、「江戸時代以前の日本人はナンバで歩いていた」と言った時に、「江戸時代って何か? 日本人とは何か? ナンバって何か? 歩くって何か?」といった具合に分解し、それぞれの意味を探っていく作業が研究家としての必要な作業だと私は思っているんですよね。

 武術だって、そうやって本気で探究しようとしたら、物凄く膨大な分野の知識を研究していかなければならなくなりますよ。

 だけど、それが本当の楽しさなんだと私は思います。

 世に武術の研究家を名乗っている人は何人かはいますが、本質的な探究をしていると言える人はいないと思いますよ。私だって、目指してはいるけど今の段階で充分だとは全く思っていません。死ぬ時までにどこまでいけるか?ですけれど、次の世代に本当に役立つ形のものを遺したいとは思っています。

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親が遺した財産

 どうせ、もう田舎には帰ることはあるまいと思ったので、去年夏に死んだ母親の名義になっていた土地も「俺は要らん。兄貴と弟で分けてくれ」と言っていたんですが、兄貴の方から「せめて土地を売って金を分けようか?」と言ってくれて、取り敢えず120坪程もある田舎の土地を一つ貰ったんですね。

 で、「売れるんだったら売って金にしてもよかね?」と言ってくれていたんですが、何しろ天草の中でも中心地から外れた田圃の中なので、大した額にはならないだろうと思っていたんです。

 貰った土地は、私が小さい頃にちょっとだけ住んでいて、覚えているのは階段からおっこちて大泣きしたのと、庭の桜の木に毛虫がいてビックリした・・・ということぐらい。

 その後、親父が格安(月額5000円!)で人に貸したりしていましたがシロアリに食われているということで家は潰してさら地にし、その後は長く、そのままです。

 私が幼稚園に入る頃の家は天草の中心地の住宅街にあって、ここが自分の家という認識でした。猫飼っていた小学生の頃が一番、いい時代でしたかね~?

 が、親が学校の先生だと転勤があるので、ちょくちょく引っ越ししていたんですね。中学時代は親父の勤める高校の住宅に住んで地元の学校に通い、土日はこの家に戻ってくるという生活でした。

 ちなみに私が猫好きなのも、一週間毎に帰ってきた時に猫がダッシュで迎えに来てくれるので、「犬は三日飼えば一生忘れないけど猫は長年飼っても三日で忘れる」と言われていたのを、普通の猫はそうかもしれないけど、うちの猫は赤ちゃんの頃から飼ってたので非常に義理堅かったですね~?

 私は本当は引っ越しとか旅行とかあんまり好きじゃなくて定住インドア派なんですが、何故か、やたらに引っ越ししまくる人生でしたね。

 それでも、この家はずっとありました。父親が退職した時に建て替えましたが、場所は同じ。

 もっとも、兄貴が相続したので売るかどうかするだろうと思います。自営業で金が要るでしょうから。

 つまり、もう田舎に帰っても帰る家はない訳です。

 弟は熊本市内に母親が退職した時に買った家を貰っていますが、私は「土地だけ貰ってもしょうがないし、金に替えるのもアリかな~?」という気持ちにもなりかかっていました。

 で、兄貴から電話がかかってきて「土地が売れるけど、どうする?」ということでしたが、予想を遥かに下回る額で、「ハァァ~?」って言っちゃいましたよ。

 いくら辺鄙な田舎だといっても、山林とかじゃなく普通の平たい土地で120坪もある訳ですよ。相模原で120坪もあったら道場付きの豪邸建てられますよね?

 何か財産を子供に遺そうとしてくれた親に対して、申し訳なくて哀しくなってしまってですね~。売らないことにして断りました。

 正直、田舎に帰る気持ちはありません。何でか?というと、世の中の流れから切り離されて家族と隣近所のことだけ考えて生きるような狭い生き方には耐えられないからです。

 田舎に住んでいるとそうなりがちなんですよ。刺激が無いから・・・。

 住んでる時は不満も疑問も無かったですけど、上京してきてから、特別に私はいろんな業界の前衛的な人と出会って影響受けまくったので、自分の生活空間だけ考えて生きるようなのは耐えられないんですよ。

 けれども、田中泯さんと出会ってから、少し考えが変わりましたね。田舎でもやろうと思えば世界中の人と繋がれる。場所は関係ない。

 もちろん、それは泯さんが世界的なダンサーという芸術家だからだとは思うんですよ。

 だったら、私も今後、日本を代表する武術文化の研究家とか、作家として全国的に知られるくらいになれば、田舎に戻っても何のマイナスもないだろうと思ったんですね。

 しかし、まだまだ時期尚早です。この土地も、いずれ有効に活用しようと思います。

『キッズリターン』のセリフじゃないけど、「まだ始まってもいね~よ」って感じ。

 中学の時の同級生から、「長野君は何か、普通の人間とは違う人みたいな気がする。何か将来、凄い有名になるんじゃないかな~?」と言われたことがありました。

 大学の同級生からも、「長野は何か普通じゃない気がする」と言われましたし、映画研究部の後輩からは「先輩みたいな奇人には会ったことがない」と言われました。まあ、誉め言葉だと受け止めています。

 親父からも、「父ちゃんにはわからんが、お前は何か大きな仕事をするような気がする」と言われました。

 自分でも薄々、俺は普通じゃないんじゃないかな~?という漠然とした“普通の人”“普通の幸せ”“普通の人生”に対する違和感のようなものがずぅ~っと有りました。

 単なる自意識過剰と言えばそれまでなんですが、今は「あ~、やっぱり俺は何か普通に生きちゃいかん人間だったんだな~?」と思ってますね。

 武術をずぅ~っと続けてきたのが、その証拠ですね。

 率直に言うと、「これはやらされてるんだ!」と思ってる訳です。つまり、天命みたいなものがあると感じるんですよ。

 こういうのは才能とは無関係なのかもしれません。

 才能が全然ないのに第一人者としてやっている人というのも、いろんな業界に結構いるからです。むしろ、本当に才能がある人というのは“知る人ぞ知る存在”として影に隠れて一般的には知られていない場合が多いですね。

 特に武術の業界はそうです。

 私なんか及びもつかない人がいくらでもいます。だから、武術家なんて畏れ多くて名乗れないんですよ。

 ただ、どの業界でも口の達者な人というのは前衛にいます。いわゆる宣伝部長ですね。

 これは、知識があって屁理屈こねる能力があれば誰でもできます。ただし、ある程度の社会性がないと“奇人変人”なのがバレて干されますけどね~? 単なるオタクが一時的には持て囃されても第一人者にまで成り上がれないというのも、この最低限の社会性の有無が関係しています。

 まああれですよ。営業トーク能力ですね?

 それと自己演出能力!

 従って、演技性人格障害や空想虚言症の人って、割りと有名人に多いみたいですよ。

“平気で嘘つける人”ですね・・・。

 こういう人は作家とか芸能人とか、ちょっと特殊な業界でないと生きていけないとは思いますけどね。

 武術の世界も多いけどな~・・・。

“ナチュラルボーン詐欺師”が・・・。

 こういう人って、第三者から見れば胡散臭いんですけど、信者もできたりするんですよね。「ちょっと毒に当たるくらいがおいしいんだ」って、毒キノコ愛好家が言っていましたけど、そういうもんかもしれませんね?



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我が青春の福昌堂・・・

 武道・武術・格闘技の世界は、専門雑誌の存在によってけん引されてきた側面があります。

 中でも、『月刊空手道』『季刊武術(ウーシュウ)』『月刊フルコンタクトKARATE』の出版元であった福昌堂は、小さな出版社でありながら、武道マスコミの中枢を担う人材を多数輩出した点で、特別な会社であったと言えるでしょう。

 一時期、精神世界方面の雑誌(『パワースペース』)を出したこともありましたが、根幹は武道・武術・格闘技を専門とする出版社であり続けました。

 その福昌堂が、倒産したという話を小説講座の新年会でフリーの編集者の方から聞きました。ネットのニュースでも出たんだそうですね?

「あ~、ついに・・・」と、さして驚きもなく受け止められましたが、それは昨年末にやはり武道関係の雑誌の編集者の方とお会いした時に「恐らく、3月くらいまでには無くなるんじゃないか?」という話を聞いていたからでした。

 福昌堂の倒産というのは、やはりアベノミクスが大企業に偏った経済政策で、中小企業に厳しいものだという説を実証しているような印象もあります。

 そもそも、ニッチなジャンル系出版社というのは一定数の固定読者を対象にしているので、そうそう売上がガクンと落ちることはなく、不況にも強いと言われていました。

 福昌堂も、まさにその典型の出版社なので、結構続くのではないか?と思っていたんですが・・・出版不況も極まった感じがしますね。

 残るは、『秘伝』を擁するBABジャパンと、『JKファン』を擁するチャンプしかありませんが、武術に関しては『秘伝』が最後の砦という感じですね。

 それと、山田編集長のフルコムと、武道・武術・格闘技DVDのクエスト(私はクエストさんでお世話になっていますから、全力で生き残りへの助力を惜しまない覚悟です!)。

 しかしね~。売上ということを考えれば、もう昔から変わらないやり方でやっていても伸びないのだと思いますね。

 元武術(ウーシュウ)組が学研で甲野氏をフィーチャーしたムックを出して中国武術の専門雑誌を作ろうとした時も、続きませんでしたが、ジャンルの問題よりも編集内容が武術(ウーシュウ)と少しも変わらなかった点に問題があったと思うんですね。

 小さな出版社なら一万部も売れれば大丈夫でしょうが、学研みたいな大手で雑誌の売上が一万部では全然、ペイしないでしょう。続かなくて当然だと思いましたよ。

 やっぱり読者のニーズを考えることと、新しい読者を獲得するために何が必要か?ということを真剣に考えていないとルーチンワークで作っていれば見放されてしまいます。

 かつての古武術ブームの正体は、甲野氏のブームでしかなかったことを武道武術の業界の人達は解っていなかったんですね。

 しかし、ブームに頼っていれば、ブームの終了と同時に消えてなくなってしまうのが宿命です。コンスタントに売れ続けるには、固定読者を獲得する信頼のブランドを築かないとなりません。

 私はそう考えていたので、“スポーツや介護に役立つ古武術の身体操作”といった路線には行きませんでした。「武術はあくまでも戦闘術なのだ。人間が生きるために避けて通れない戦いを勝ち抜くための知恵なのだ」ということを延々と主張し続けていれば、必ず注目してくれる人は増えると考えていたからです。

 それと、私は実践し続けていますからね。頭でっかちの理論を唱えている訳ではなくて、日々の試行と研究の成果をずぅ~っと発表し続けてきているから、潰されないでやって来れている訳です。

 もっとも、それはどこの団体でも多少なりともやっていることです。うちは所帯が小さいから小回りが利いて、より研究が進み易いというだけかもしれません。


 それにしても、福昌堂は、私が初めてプロのもの書きとして仕事を頂戴した会社であり、やはり、非常に残念ではありますよ。

 いわば自分の30代の遅い青春を過ごした学校みたいな印象があります。

 大学生の頃から月刊空手道を読み始めて、ウーシュウ、フルコンも愛読しました。

 格闘技ブームで続々と格闘技雑誌が出版された時も、あくまでも技術解説を中心にした“実際に練習している人のための雑誌”であったから愛読し続けられました。

 業界をけん引する人材が沢山、この会社から出ているということも特筆すべきでしょうね?

 中国武術を本格的に日本に紹介し、中国でも第一人者として知られる松田隆智先生と笠尾楊柳先生、古武道研究の第一人者である高橋賢先生、柳生心眼流の島津先生、通背拳の常松先生、振武舘の黒田先生、武神館の初見先生、新体道の青木先生が始めて紹介されたのも月刊空手道の連載記事(竹内海四郎氏の武の足跡シリーズ等)だったのではないでしょうか?

 その他、甲野氏が紹介されたのも月刊空手道が最初でしたね。

 空手はもちろん、いろんな先生が紹介されていますが、空道の東孝先生や芦原会館の芦原英幸先生、和道会の柳川先生、自成道の時津先生が初めて紹介されたのも月刊空手道だったと思いますし、近年は日子流の田中光四郎先生もよく出られていました。

 幻の実戦中国拳法と呼ばれていた太気拳を初めて雑誌で紹介したのも季刊ウーシュウでした。

 出版関係者では、BABジャパンの東口社長と『秘伝』の副編集長の塩澤さん、ライターの野村さん、村上さん、精神世界系の編集をされている生島裕さん(私がもの書きになる切っ掛けを与えてくれた大恩人です!)、フルコムの山田さん、野沢さん、今の肩書は知りませんが小島さんも元月刊空手道編集長でした。

 俳優に転身した須藤さんもバイトしていたと聞きます。

 学研の編集者になった椎原さんも私がお世話になっていた頃のウーシュウの編集長でしたね。

 漫画家の坂丘のぼるさんは今はJKファンで連載されていますし、まあ、私も福昌堂出身者の端くれではありますかね~(苦笑)?

 こうして考えてみると、武道武術の業界を作ってきたのは福昌堂だったのかも?とすら思えます。

 亡くなられた松田先生と最後に電話で話した時に、「福昌堂のお陰で自分は中国武術の研究を続けられて研究成果を発表し続けることができたから感謝している」ということを話されていました。

 中村社長への恩義を感じられていたので、『秘伝』に出て欲しいという東口さんの要請にも最初は断られていたんですね。

 しかし、当時(椎原編集長が辞めた後)はウーシュウから締め出されておられたので、私は「そこまでウーシュウに義理だてることはないですよ。松田先生の価値を解っていて出て欲しいと言ってくれる場所に移っても構わないでしょう。もし、事情を知らない人間が松田先生を裏切り者みたいに言った時は、私が“事実はこうだ”と言ってやりますよ」と、勧めたので、「長野君がそこまで言ってくれるのなら、じゃあ、会うだけ会ってみるか?」と言われて、東口さんに会って、熱意に応える格好で『秘伝』に出ることを決心されたという次第でした。

 そういう訳で、松田先生が福昌堂を裏切ったみたいに思っている方がいたとしたら、それは大きな誤解ですから、御承知くださいね?

 まあ、いろいろ思い出も尽きませんが、福昌堂という小さな出版社が武道・武術・格闘技の世界に及ぼした影響というのは想像以上に大きなものだったという事実は、ここにきちんと書いておきたいと思います。

 何より、そこに集っていた人達は、金や出世より武道・武術・格闘技が大好きという人達ばっかりであり、実に楽しい会社でしたね。

 ちょっとライターとして出入りしていただけの私でなく、もっと語るに相応しい方もおられると思いますので、恐らく、どなたかが単行本とか書かれるのではないかな~?という予感もありますが・・・。

 ちなみに、今回のタイトル、気づいた方もいるかもしれませんが、『我が青春のアルカディア』をパクリました。スンマセン!

PS;愛隆堂も潰れたという噂を聞いていたんですが、ガセだったそうです。ネットって怖いね~? 誰かが嘘書いたり、読み間違って流した情報があっという間に広まったりしますからね~? 私、できるだけ正確に書こうと心掛けているんですけどね~? す~ぐ揚げ足取ろうとする人とかいるからな~? 直接文句言われるなら誤解を解けるけど、陰口広めるだけだから嘘話が広まる。本当にこの業界は女々しい人が多くて困ります・・・あっ、女々しいなんて女性蔑視だよな~、スンマセン!



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幼児虐待死について

 またぞろ、幼児の虐待死事件が続発しています。

 私は、これだけは本当に許せない!

 抵抗できない弱い者を虐待するなんて男のやることじゃないでしょう? また、母親が一緒になってイジメたり、見て見ぬフリをしたりするというのも理解できません。

 何で、そんなクソのような男と付き合うのでしょう?

 身長190cm以上の巨漢で暴力団員だという男と付き合う神経がまず解らないし、自分の子供が暴行されていたら包丁で刺し殺して止めるくらいの決死の気持ちがあってしかるべきだと思いますよ。

 とにかく、ストーカー殺人事件なんかの時も思うんですが、親だったら子供護るために命をかけるのが当たり前なんじゃないの?と思います。

「身体がでかくて力が強いから、暴れられたらどうしようもない」って、よく言い訳する人がいるんですけど、食事に一服盛ってやればいいんですよ。

 大体、暴力で弱い者を従わせようとするような人間は、暴力をふるえない身体にしてやるのが一番ですね。

 以前、終電車に肘を振り回しながら乗り込んできたデカブツも、私の前に立ってた人を肘で小突いて、私にも仕掛けてきたから、避けると同時に反射的に逆に肘で寸勁入れちゃったんですけど、身体をくの字に折り曲げてから脅すように睨んできました。

 この時は私も内心、激怒したんで、“このヤロー、ぶち殺されたいか?”という念を込めて睨み返してやりました。

 すると、視線を泳がせて俯いたまま、次の駅でそそくさと降りて行きました。

 多分、後遺症出たと思いますけど、仮にくたばったとしても良心の呵責はありません。

 あんな暴力的な人間はさっさとあの世に逝くのが世の中のためですよ。もし、その時にかかってきたら二度と暴力のふるえない身体にしてやりましたよ!

 数年前にも知人が暴力事件で警察の厄介になったんですが、釈放されてから私の家に来て武勇伝みたいなつもりで話したので、この時も激怒して、「お前、どんだけ周囲に迷惑かけたと思ってるんだ? 今度やったら両手両足叩き折ってやるぞ!」と怒鳴りつけたら、慌てふためいて逃げるように帰って行きました。

 結構な年齢になって、分別も無く衝動に任せて暴力をふるうなんていうのは、社会で暮らす資格が無いです。

 暴力衝動を昇華するために格闘技がある訳ですからね。


 それにしても、シングルマザーで子供を育てることの経済的な大変さを思うと、ろくでなしの男にも頼りたくなるのか?と、物悲しくなるんですけど、やっぱり暴力ふるうような男だけは関わっちゃいけないですよ。

 弱い者イジメするような男は性根が腐ってます。改善の余地無しですよ。

 とにかく、一発でもひっぱたかれたら「離婚します!」って家を出たほうがいいでしょうね。そのくらいは・・・と我慢していたら必ずエスカレートしますよ。嫁や子供に暴力ふるうようなDV男は人間失格です!

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実はプロレス好き

・・・というオッサンは多くて、私も好きか嫌いかと言えば“好き”なんですが、最近はプロレス好き女子のお陰でブームが復活しているのだとか?

 でも、女子の目線はイケメンマッチョ若手レスラーが組んずほぐれつしているシーンが好きという、かつての女子プロレス好き男子とちっとも変わらない理由なんだそうで、BL好き女子も加担しているのだとか?

 はあ~、そうなんすか? 時代は変わったな~・・・。

 私の親の世代(昭和一桁)だと、圧倒的に力道山のファンでしょうし、シャープ兄弟とか知ってる世代ですね。

 私がTVで見はじめた頃は、ジャイアント馬場の全盛期で、アントニオ猪木、ストロング小林(後に金剛)、大木金太郎、坂口征二とかがいて、ブルーノ・サンマルチノ、カール・ゴッチ、ボボ・ブラジル、ザ・デストロイヤー、フレッド・ブラッシーなんかがよく出てましたね。

 その後、馬場の全日と猪木の新日に分かれて、藤波辰巳、ジャンボ鶴田、天竜、長州とかが出てきて、ファンク兄弟、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン、ビル・ロビンソン、ミル・マスカラス、ドス・カラス、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディーとかが活躍してました。

 でも、プロレスではしばしば異種格闘技対戦がマッチメイクされ、プロ柔道を目指した木村政彦に始まり、柔道のオリンピック金メダリストのアントン・ヘーシンクやウィレム・ルスカが出たり、梶原一騎がプロデュースしていた頃にはモンスターマンとか極真のウィリー・ウイリアムスとか出たり、馬場もバンドー空手の遣い手という触れ込みのラジャ・ライオン(自分が蹴った拍子にヘナヘナ・スッテンコロリンとコケてしまって呆然としましたよ。その後、倉田先生の映画『ファイナルファイト』に出演した時は別人のようにちゃんとアクション演じてた・・・別人?)と闘ったりしてました。

 しかし、プロレスの黄金期と言えば、恐らく、初代タイガーマスクが活躍した頃ではないかな~?と思います。四次元殺法と呼ばれたルチャ・リーブレ仕込みのアクロバチックな闘い方は、今日のプロレス人気にまで継承されています。

 覆面レスラーもマスカラス以降いろいろ出ていて、ザ・コブラ、ウルトラマンとかもいましたけど、獣神サンダーライガーとスーパーストロングマシーンぐらいかな~? タイガーマスク以降では? あっ、ブラックタイガーもいたか?

 プロレスは梶原一騎原作の『タイガーマスク』のアニメ化によってもプロレスの漫画化という路線があって、『アステカイザー』という実写とアニメが合体した番組もありましたけど、漫画とアニメで一番成功したのは、何といっても『キンニクマン』でしょう?

 最初の設定ではウルトラの父が不倫してできた子供がキンニクマンで、ウルトラの母や兄弟にイジメられて地球にやってきたという完全なウルトラシリーズのパロディー作品だったんですが、これは問題あり過ぎの設定だから無かったことにしてキンニク星の王子という設定となり、超人がプロレスするという設定ができて、テリーマンやロビンマスク、ラーメンマン、ウォーズマン、バッファローマン、アシュラマンとか出てきましたね。

 一方でリアルな格闘技路線もこの頃から模索されて、前田日明とドン・ニールセンの試合がきっかけで、空前の格闘技ブームが起こり、格闘技雑誌がいくつも出版されたものでした。

 ここで、藤原組長のような燻し銀の技の遣い手に陽が当たったのは、歓迎すべきことでした。

 格闘技としてのプロフェッショナル・レスリングへの注目が集まったからです。

 今日にまで続く格闘技ファンは、この時期に萌芽があったと言えるでしょう。

 つまり、UWFプロレスを中心として、シューティング、シュートボクシング、フルコンタクト空手、ムエタイ、ボクシング、サンボ、高専柔道等が注目を集め、打撃系と組み討ち系というカテゴライズができ、グレイシー柔術のアルティメット大会を契機として総合格闘技の流れができたからです。

 K-1の前身となったトーワ杯トーナメント以降、アマチュアも参加するグローブ空手、新空手というジャンルもできましたし、プロとアマの垣根も曖昧になっていきました。

 この流れが無かったら、格闘技漫画というジャンルが生まれていなかったかもしれません。『グラップラー刃牙』『修羅の門』・・・等がその代表格でしょう。

 そんな流れの中で、アマ・スポーツとしての現代武道からはみ出していた伝統武術は“神秘武道”なる冷笑的なネーミングで格闘技ファンから語られるようになりました。

「悔しかったら試合で勝て」という具合に挑発を受けて、試合に挑戦して敗退する武術修行者もいますが、自分の団体の主催でなければ勝てないという格闘技のセオリーから逃れることは困難で、ずっとマイナーな存在であり続けているのが実情でしょう。

 そもそも、武術にとっては試合はルール設定があり断片的な技量を競うものでしかなかったのですが、それ自体が目的化してしまうと格闘“競”技としてのカテゴリーに入ってしまい、それ専門の練習を積んでいないと対応できないものです。

 中国の散打は、中国武術を格闘技化したものと考えられていますが、実際のところ、シュアイジャオという組み討ち格闘技をベースにロングフック(圏捶)とサイドキック(足揣脚)を組み合わせて新たに創編されたものであり、カンフー映画でよく見られる打撃技主体のものではありません。

 そもそもが、中国武術は空手やボクシングのように打撃技のみで闘うスタイルではなく、打撃技と逆・投げ・崩し・点穴(ツボ攻め)が融合しているもので、門派による技術の違いも激しいので競技化が困難だと思われました。

 ボクシングに挑戦して破った国民的ヒーロー“神拳大龍”と呼ばれた蔡龍雲老師は華拳の遣い手ですが、華拳というのは長拳という表演武術(型の演武を競う競技)の中心になっている種目の門派なので、伝統中国武術マニアにはあまり評価されなかったりする門派なんですが、要は“遣い手の腕次第”という武術の当たり前の現実を示したのが蔡老師だったんですね~。

 中国の散打大会に出場した友人に聞いたところでは蔡老師はその大会の時も重要なポストで来られていたらしいですね。随分、前なので、その後、御健勝でおられるかは存じませんが・・・。

 初期の散打(散手)大会では意拳が活躍したり、通備拳の馬賢達老師が活躍したりとか、大会毎にいろいろな門派の人が活躍して一定のスタイルが無かった様子です。

 台湾の雷抬賽という散打大会では蘇東成老師や体流法の大槻一博先生が優勝したりされていたように聞いていますが、実は20代後半の頃に私も出場を目標にして格闘技の練習をしていた時期があったんですけどね・・・挫折して、でもせっかく練習したんだし?ということで、桐生の村上祐尊先生が主催されているグローブ空手の大会に出て判定負けしたのが私の剣道以外での唯一の試合体験でしたね~・・・。

 でもこれで格闘技の練習はやめてしまいましたね~。「一日十時間も練習してこの程度か?」って自己嫌悪に陥りましたよ~。試合そのものは何か独特な爽やかさがあって良かったから、またやろうという気持ちも一瞬あったんですが、いかんせん、格闘技やるには年齢がいき過ぎていたのですが、やっぱ、伸び代が感じられないとモチベーションが続かないですよ。

 本当、この頃は、「俺は何て才能が無いんだ~」って、落ち込みましたけどね~? 今思えば、変に勘違いしないですんだので、貴重な体験だったと思います。人間、本当の成長は失敗からしか得られないんですよ!

(あっ、何か凄いカッコイイこと言った気がする?)

 現在の散打の闘い方のスタイルを見ていると、シュートボクシングが一番、相性が良いように思えます。ロングフックを腕ごと相手の首に巻き付けて首投げにする展開が非常に頻繁に見られる点などです。

 これは、空手やテコンドー、ムエタイと闘った時に有利に闘えるように研究されたスタイルなのだそうです。

 K-1では肘打ちが禁止されていますが、これが禁止されたのではムエタイの選手が勝つのは困難になるでしょう。たった一つのルールで闘い方は想像以上に制限されることを知る必要があります。

 そういう意味でもプロレスは意外に実戦的なのだと思います。殺し合いを想定していたらプロレスラーが圧倒的に強くなるかもしれません。何しろ、パイプ椅子や折り畳み机、ゴングで殴ったり、マイクのコードで首絞めたり、フォークで刺したりしても“5カウント以内の反則はアリ”なのですから・・・。

 それを「八百長だ!」と非難する人もいますが、根本的に勘違いしていると思うんですよね?

 誰もが誤解していますが、格闘技は殺し合いを想定していません。ルールを決めて技の力量を競い合うスポーツなのです。

 なので、そこに単純な「強い・弱い」を決定する発想を持ち込むのはナンセンスなのです。決定されるのは技量の優劣であって、戦闘能力の計測ではありません。

 まして、“実戦的”という言葉を付け加えると、益々、おかしな解釈になります。本当に実戦ということを考えるのなら、どちらかの選手が死ぬまでやらなければ実戦的とは言えないでしょう?

 例えば、“実戦的な剣道”や“実戦的な柔道”を語る人はいません。しかし、“実戦的な空手”や“実戦的な合気道”を語る人は多いのです。

 どうしてでしょうか?

 恐らく、剣道や柔道は完全に競技スポーツ化しているので、実戦で語る必然性が無いからでしょうし、空手や合気道はストリートファイトへの対応を想定している武術性を残しているからでしょう。

 けれども、行き過ぎた実戦論は不毛なだけです。

 どうしても強いか弱いかに拘るのであれば、テロ組織に潜り込んで殲滅してくるとか、そういうことをやって証明されたらいかがでしょう? それが世の中にとっても役に立つ“実戦的強さ”ではないでしょうか?

 ルールを決めて素手で一対一で殴りっこして勝った俺は強い!・・・って、何かの自慢になるんでしょうか?

 幼稚園児が砂場を分捕って威張るのと変わりないと思うんですけどね?

 一般のスポーツを楽しむのと同様に、格闘技を、プロレスを楽しむ態度こそが正しいと思うのは、私ばかりなんでしょうか?

 試合に勝つための日々のトレーニングを積み重ねるストイックさや、試合で懸命に頑張る意志力や、負けても相手を称える謙虚さとか、そういうスポーツマンシップをこそ評価すべきだと思うんですけどね~。私の会った格闘技の人達は、皆、そういう精神の輝きを放っていて、私なんか「あっ、まぶしい!」って思いましたね~。

 それに比べると武術やっている人間なんて、オーラがどす黒く濁っていて、ムワァ~ンと嫌な臭いが漂ってくるような精神の腐ったような悪臭を放っていて、私なんか「げっ、寄るなっ!」って思いましたね~。

PS;射撃の解説で文字の打ち間違いがありました。狙いをつける部品は、銃口上のものが“照星(フロントサイト)”で、機関部後方上のものが“照門(リアーサイト)”です。お詫びして訂正致します!

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やっとサンドバッグが・・・

 24日の日曜稽古会はムッチャ寒いせいか参加者が北島師範だけで、必然的に個人指導になりました。

 そんで、土台の重りに砂利を袋のまま入れていたサンドバッグの紐を結んでサンドバッグを固定する作業を北島師範に押さえ付けておいてもらって、私が穴に紐を通していって完了しました!

「やった、できた~っ!」と思って、嬉しさのあまりパンチパンチパーンチ!それからムエタイキックッ!・・・とやったら、何かヘニャッ?ってサンドバッグが傾いたままになっちゃって、「アチャーッ?」っと思っちゃいました。

 何でも、一人が支えて、もう一人が打ったりしていたんだとか?

 そんじゃ~、うちらも・・・と、私がサンドバッグにしがみついて北島師範にパンチさせたんですが・・・うちらの打撃技って浸透してくるからキツイ・・・。こりゃあ、危ない・・・。

 全力発勁の練習ができると思っていたんですが、このヘタッたサンドバッグで打ったら一発で壊れてしまいそうです・・・。

 見た目は大丈夫そうだったけど、やっぱ廃棄処分にする予定のものだと無理か?

 50%くらいで打っても一発毎にパンチングボールみたいに揺れちゃうけど、まあ、何とか・・・という感じなんで、「軽く、“当て感”養うくらいならいいかな~?」と思います。

 お金に余裕がある時に頑丈なの買おうと思います・・・。

 パンチはそうでもないけど、蹴りなんかは、しょっちゅうサンドバッグ蹴って練習していないと蹴れなくなりますからね~。全力で打てないのはストレス溜まるな~・・・。


 北島師範にパンチとキック、いろいろ教えようと思っていたんですが、無理っぽいので銃の撃ち方をエアガン、ガスガンで教えました。

 何度か教えてはいるし、妹さんの結婚式にハワイに行った時に射撃場で撃ってきたそうなので、まあまあ解ってるかな?と思ったんですが、ほとんど忘れてましたね~?

 まず、ライフル銃の基本であるボルトアクションライフルの撃ち方ですが、ボルトの操作法も忘れてました。

 ライフル銃って、初めての人だと、まず構え方から間違う場合が多い。

 日本の昔の火繩銃は二点射撃法といって、銃床を肩に当てて頬をくっつけて、片手で先台を握って撃つ現代のライフル銃の三点射撃法とは違って、肩当ての部分が無いので銃把を握った手に頬をくっつける訳です。

 握り方、構え方というのは銃を安定させるためのものなので、これができないと狙ったところに正確に当たらないんですね。

 次に、照準の合わせ方も知らないと当たりません。

 このエアライフルはレミントンM700をコピーした東京マルイのVSR-10シリーズなんですが、最初からスコープがセットになっているものを買いました。

 スコープが無いものは銃口上にある照星と、機関部後方上にある照星という部品を目線に合わせて狙うんですが、スコープの場合は、光学照準器なので、望遠鏡を覗くようにして狙います。

 よく、レンズの真ん中に十字の線(レティクル)が入ったものが映画なんかで出ますけど、“あれ”ですね?

 このスコープは固定倍率3倍のものですが、ズームスコープで可変倍率のものや、狙う線に細かい目盛りがついているものや、線が赤や緑に発光するイルミネーションレティクルと呼ばれるもの、あるいは夜間でも見える赤外線ナイトビジョンスコープや、星明かりなんかの微細な光量でも見えるスターライトスコープとか、一万円から数百万円のものまで実に多くのスコープがあります。

 日本のメーカーは品質が高いので、海外の有名なスコープメーカーの部品を委託生産していたりするんですが、場合によっては武器輸出条例に引っ掛かったりするので、注意が必要な分野です。

 ただ、ライフル銃やスラッグ弾専用散弾銃(ゾンビ漫画『アイアムアヒーロー』の主人公が使っています。十数から数百の小さい鉛球弾を発射する散弾銃で鹿や猪、熊を仕留めるための強力な一発弾を専用に撃つ銃で、外見はライフル銃そのもの)にスコープは必須と言ってもいいものであり、狩猟をやる人にはお馴染みです。

 アクション映画でお馴染みなのは、スナイパーが使うライフル銃に搭載されているスコープですが、このスコープというのは銃に搭載した時点で試し撃ちしてスコープの照準線に弾が当たる位置に調整することが必要で、これを“ゼロイン”と言います。

 ミステリー映画の傑作『ジャッカルの日』で、22口径の小口径炸裂弾を撃てる特殊狙撃銃を注文製作してもらったジャッカルと呼ばれる殺し屋がスイカを試し撃ちするシーンで、ゼロイン調整をするシーンがありました。

 ゼロイン調整していない銃だと狙ったところに当たらない訳です。

 私が中学の時代(40年くらい前)の頃のエアーガンは、とても狙ったところに当たるような代物ではありませんでした。

 BSガンと呼ばれるテルテル坊主型の塩化ビニールの弾をスプリングの圧縮空気で飛ばすものでしたが、放物線を描いて10m飛ぶかどうか?くらいのものでしたが、その時期にTMガンと呼ばれる強力なエアーガンがあるという噂を聞いていたものの、値段が高くて中学生には買えませんでした。

 高校時代にGun雑誌を購読するようになり、TMガンのシリーズにオートマグのエアーガンが出る!という広告が出て、待ちに待ってお金を溜めて通信販売で買ったんですが、これがまたBSガンとは比較にならない威力で、バスンッと弾が飛び出すと同時にボルト(エアシリンダー)がバコッと後ろに飛び出して空のカートリッジをエジェクトするという機構で、一発一発ボルトを押し込むのは面倒でしたが、威力も命中精度もそれまでのエアーガンとは雲泥の差があったので大満足でした。

 で、このSSオートマグカスタムというエアーガンが、TMガンSS9000というライフル銃と同じ威力だというので、またお金を溜めてSS9000も買ったんですね~。

 今見たらオモチャ丸出し(『死亡遊戯』でリー先生を狙う殺し屋がこれを使用していた。香港でも買えたんでしょうね?)ですが、当時は最高機種として持て囃されていて、20年くらい前までSS9000をベースにしたカスタムエアーガンで200~300m弾が飛ぶというのを売りにしているカスタムガンショップもあったくらい、サバゲでも使われていました。

「200~300mも飛ぶ」というと、銃を知らない人だと、とんでもない威力なんだと思うかもしれませんが、拳銃の弾丸でも1kmくらいは飛ぶとされます。ライフル銃なら4kmくらいは飛ぶでしょう。

 ただ、それだけ飛ぶのと当たる距離は別で、最大飛距離と有効射程距離、さらに実用有効射程距離というのは全然違います。

 ちなみに実銃の射撃競技では、10m、25m、50mくらいで分けられていて、ベンチレストと呼ばれる精密ライフル射撃で200~300m、338ラプアマグナム弾や50BMG弾を撃てる大口径狙撃銃を使う特殊な遠距離射撃で500~1000mのものがあるくらいです。

 ちなみに拳銃だと10mと25mくらいですかね?

 私が通ってた新宿のエアライフル射撃場(法律改正で今は多分、無いみたい?)ではファインベルクバウのサイドレバー式スプリング銃で10m先の標的を狙うようになっていました。

 SS9000は徹底改造すれば、本物のエアライフルに肉薄する威力と精度も出せたという噂がありましたから、初期のサバゲではマルゼンのKG9(サブマシンガン・タイプ)と双璧で、ポンプアクションショットガンみたいにスライド操作でスプリングを圧縮する形式に改造するキットなんかも出ていました。

 ちなみに、この当時はアクリル樹脂製の6mmBB弾を使うように業界が規格統一されていましたが、BB弾の製作精度が悪くて、デコボコしてたり型取りした時のバリが残っているようなのが普通でしたから、当然、命中精度も酷かったんですけどね。

 SS9000が、どうしてそこまで使われていたのか?というと、エアーシリンダーがでかかったからなんですね? スプリングを交換して威力をアップさせるのがそんなに難しくはなかったんですよ。私もやったことあります。

 その後、登場した電動エアーガンも、「SS9000の威力で引き金引くだけで撃てるものを作ろう」という趣旨で研究開発されたそうで、最初は構造的に無理があるのでは?と不安視されたものの、この問題をクリアして、現在の世界のエアーガン市場を電動一色にしています。

 前後して登場したガスガンは、最初、アサヒファイアーアームズという会社からブッシュマスターという珍銃(M16ライフルをブルパップ型にして小形化したカスタム銃)をモデルにしたバトルマスターというのが出て、第二弾でスターリング・サブマシンガンが出て、私は大学生でしたが、これを買いましたね。

 フロンガスの圧力でBB弾をフルオート射撃するというものでしたが、水鉄砲?みたいなメカニズムで、ガスの消費量も多くて冬場は圧力が下がって撃てなくなってしまうので、ちょっとガッカリしましたね。

 しかし、ガスガンの可能性に着眼したモデルガンメーカーMGCは、ベレッタM93Rというマシンピストルを出します。これは画期的でしたね。今では当たり前なんですが、引き金引くだけで続けて撃てるというのは、当時は考えられないことでしたからね。

 その後は、何度かの技術革新を経て、エアガン、ガスガンはサバゲの定着と連動する形で広がりましたが、悪質な強化銃が社会問題になって法律が改正されて、現在は6mmBB弾の威力が1J(ワンジュール)未満でないと違法ということになっています。

 威力の上限が規制されたことで、エアガン、ガスガンは命中精度とメカニズムを実物にどれだけ近づけるか?という方向に発展しました。

 正直、実物のエアーガン(鉛弾を飛ばす小獣狩猟用や標的射撃用)と比べても、現在のエアーガンやガスガンの機構は先進的で、実物がこれを取り入れたら本物の装薬銃をも凌ぐ発展をするんじゃないかな~?と思います。

 事実、20年くらい前からのエアーガン、ガスガンの命中精度は驚異的に高くなってきて、オリンピックの標的射撃の選手が日常の練習で使っていると言われるくらいですし、エアーガンの大会で優勝していた人が、その後、海外の本物のシューティング大会で優勝するようになったり、操作感はどんどん実銃に肉薄していっているのです。

 本でも少し書いてますが、特殊部隊出身の射撃インストラクターがいる射撃学校で、電動エアーガンをトレーニングに使って実際に撃ち合っていたりする訳で、一説に自衛隊でも試験的に89式小銃の電動エアーガンを使って模擬戦闘の訓練をしていたのだとか?

 こういうことを異常なこととして毛嫌いする日本人が多いとは思うんですが、現実の戦闘を体験し得ない自衛隊員が、もし武装テロリストと戦わなければならなくなった時に、このような訓練はかなり役立つ筈です。

 私が銃の扱いも会員に教えることにしたのも、海外では容易に銃が入手できるし、日本国内でも今後、銃を使った犯罪が増えることが予想できるからです。

 そもそも、武術を研究していて、かつての日本の武術(特に幕末)は、銃を武器として戦う武術を研究している流派の数も剣術を越えるくらいあったのではないか?と思えるくらいで、研究家として非常に驚かされたのですね。

 また、戦国時代から江戸時代にかけて様々な銃が研究試作されていましたし、この分野は研究が進むと、あっと驚く事実がいろいろ出てきそうなんです。

 例えば、忍者は特に鉄砲を研究したらしく、雑賀や根来は鉄砲衆が有名ですし、伊賀者が鉄砲で織田信長を狙った話もいくつもあります。脇差や十手に偽装した鉄砲も作られていました。こういうのは忍者の発想ではないか?と思われます。

 北村龍平監督の『あずみ』に三連発の火繩銃が登場しますが、あれは架空の物ではなくて実際に連発式火繩銃が作られていたんです。私、六連銃身の火繩銃の実物見たことありますよ。

 でも、鉄砲、飛び道具は卑怯千万というイメージが広まっているので、日本人は一般に鉄砲嫌いですが、これは権力者がイメージ戦略として庶民に鉄砲が広まらないようにする工夫だったんですね。こういうのは今でもあります。

 そんな次第で、子供の頃から普通に銃を手にして道具として使いこなせる海外の人と比べて、日本人で銃を使いこなせる者は非常に少ないでしょう。

 この実情で、銃で武装した人間が内地制圧してきたらどうなりますか? されるがままですよ。

 自衛隊や警察で対抗できるでしょうか? 一般市民はどうにもならないでしょう?

 本来の武術家なら銃にも対抗できた訳(奪った銃で戦う)ですが、現代武道、格闘技の観念しか持たない者にはどうすることもできません。使い方を知らないからです。

 今、アメリカは空前の銃の売上になっているそうです。

 どうしてか?というと、オバマの銃規制政策で銃が買えなくなると強盗などに対抗できなくなる?という恐怖心から規制される前に買っておこうとしている訳です。

 これは日本の感覚だと物凄く野蛮なように思えるでしょうが、アメリカの田舎みたいに警察呼んでも到着まで一時間もかかるようなところだと、強盗に対抗するのはショットガンしかない?みたいな現実的事情がある訳ですね。

 もちろん、私は規制に反対している訳ではありません。簡単に人を殺せる物をホイホイ売ってちゃいかんでしょう?

 が、現実的な自衛手段を持つ権利を奪うのはおかしいと思いますね。

 自己防衛という点に関して日本人は世界一認識が甘いと思いますよ。警察呼ぶか告訴するしか考えないでしょう?

 通り魔や強盗やストーカーに襲われている瞬間に、それでどうやって身を護るんでしょうか?

 殺されたらおしまいでしょう?

 また、自分の子供や親兄弟、恋人、友達が暴力にさらされている時に、それを助け出すのに最も必要なのは何でしょうか?

 自分が戦って救い出すことですよ!

 ニュース番組なんかで、暴力的な隣人に悩まされて長年暮らしている家族とか紹介されたりしますけど、例えば騒音オバサンみたいなのがいたら、「ぶち殺されたいか? この糞ババア!」って脅しつけてやればいいんですよ。

 包丁持って襲ってきてくれたら、こっちのもん。返り討ちですよ。

 私はそうしますね。売られた喧嘩は倍返し!

 おとなしくしてるから付け上がるんです! 暴力に対抗する最終的に最も効果的なやり方は、“より以上の暴力”しかありません。

 こんなこと書くと、とんでもない人だって言われるんですけど、バカ言っちゃいけません。法律が有効なのは具体的な処罰という“絶対暴力”があるからですよ。

 話して解るなら法律は必要ありません。倫理観を共有できる共同体で他人を尊重できる理知的で礼節を弁えた人間ばかりなら問題ないんですが、そうもいきませんよね?

「マトモじゃない相手にはマトモじゃないやり方で対する。それがマトモなやり方だ」と、『ヨコハマBJブルース』で松田優作は言っていますが、正しくその通りです。

 人様に平然と暴力をふるうような人間に道理を説くのは無駄です!

 だから、何度もありますよ。被害受けてる人とか助けたりしたことは。

「素人がそういうことやっちゃいかん」って、よく言われるんですが、「阿呆言うなっ! 緊急事態に身体張って救いに行くのにプロも素人もあるか? その場に居る人間が咄嗟に助けるのが人間の基本だ! できるかできないかの問題じゃない! やるかやらないかの勇気の問題だ! スカしたこと言ってんじゃねえ!」って、言ってあげてください。

 まっ、素人が手を出して事態を悪化させる場合があるのは解りますけどね。

 でも、何もやらないより、各自ができることをやればいいんじゃないでしょうか?

 電車の中で酔っ払った爺さんに痴漢されてる女性を助けた時は、誰も知らんぷりしてましたよ。私が割って入ったら、隣の初老の紳士が助け舟出してくれましたけどね。

 こういう時に助けに行けるのは、荒事になっても対処できる自信があるからできる訳ですよ。だから、武道や格闘技やっている人は正義感持ってて欲しい訳ですよ。

 でもね。私は現代の武道や格闘技の愛好家にはもう期待していません。趣味というか何というか、物凄く視野が狭くて本質を洞察する眼力も無ければ、「それをやって何になりたいの?」という明確な目的意識も無い。

 それと、教養が無さ過ぎる! マニアックなだけで何の役にも立たない知識だけ仕込んで常識も見識も無い。あるのは自己顕示欲だけ? 死ねばいいんだ! こんなヤツら!

 そして、暴力や不条理なことに対しても、何の怒りも感じないで事なかれ主義で自己保身しかしないような武術愛好家なんか存在価値が無いと思ってます。

 うちに入会したいと言ってくる人でも、話していてこんなタイプだったらお断りしてますよ。

 世の中の不条理に怒りを以て立ち向かう・・・そういうキャシャーン的正義感(鉄の悪魔を叩いて砕く。キャシャーンがやらねば誰がやる?)は男としてDNAに入ってないとダメでしょう?

 でも、そういう人は非常に少ない。武術愛好家が特別、そういうタイプなんだろうか?と思うくらい覇気が無い・・・。

 おっとっと・・・またもや、脱線しまくったぞい?


 要するに、何が言いたいのか?というと、私は日本人を戦闘民族化したいんですよ。

 日本人の唯一良いところは、お人好しだってことでしょう。そこはいいんです。

 事実として日本人は世界で一番、平和主義者でしょう。それもいいんです。

 ただし、こんな戦うことを忘れた民族では海外の獰猛な民族が本気で支配しにかかってきたら家畜化されてしまいますよ!

 私はそれを何とか回避させたい。そのために有効なのは武術の考え方を広めることだと思った訳です。

 つまり、生命の危険が迫った時に決然として戦える人間を増やすことが必要だと思っている訳です。

 では、「戦える」とはどういうことか?

 まず、意志として戦えること。これは覚悟を決めればいいんです。一瞬でできます。死ぬか生きるかの瀬戸際に立った時に選べばいいんです。もちろん、戦うのはしんどいから殺されて構わないと思う人はお好きにどうぞ!というのが私の基本姿勢です。死にたきゃ~、勝手に死ねばいい・・・。

 次に具体的な戦う技能を持っていること。

 これは学ばないと無理です。そして、学ぶ内容量は多ければ多いほどいいんです。が、多すぎて混乱する可能性もありますから、整理して必要最小限なスキルとタクティクスを学べるようにする。

 私が研究しているのは、この武術の最大公約数としてのスキルとタクティクスです。

 その中に銃の使い方も入れている訳です・・・。

 素人は鉄砲は引き金引けばいいんだと思ってるでしょうが、実際は、弾丸の込め方、銃の操作法、構え方、狙い方、敵から身を隠しながら撃つやり方・・・とか、やはり多くのやり方を知る必要がありますし、作動不良の対処法や銃のメンテナンスの仕方なんかも知らないといけません。

 軍で使用される銃も、目的に応じて改造されたりするのは兵士によります。

 私は自分の使う武器(主に日本刀)はカスタマイズしていますが、これもスキルアップに繋がる条件なんですね。技量が同じなら使う武器の性能が優れている方が有利になるでしょう?

 カスタマイズするのは高校生くらいからの癖で、エアガンを自分が使い易いように改造していたのが、日本刀の外装を自分で作るようになった誘因でしょうね?

 まあ、精神年齢がそこで止まったままなのかもしれないですけどね?

 別に否定はしませんよ。

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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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