「武道家」って呼ばれたいですか?2008-08-25 Mon 08:31
年に二回、マンションの非常時に使うハシゴの検査に業者さんが部屋を通るんですが、部屋がゴッタ返しているのはいつものこととして、問題なのは、無造作に置かれた武器群?なんですね。
これまでは押し入れに隠していたんですけど、刀(真剣ですよ・・・)が七振り、薙刀と十文字鎌槍、白臘棍(中国の柳科の樹木でよくシナル)、鎖鎌、南蛮千鳥鉄、子母鴛鴦鉞、八斬刀、峨眉刺、双剣、中国剣、カリスティック、ヌンチャク、トンファー、トンチャク(ヌンチャクとトンファーが合体したアルミ合金製鎖内蔵分割式武器)、釵、万力鎖、手鉤、各種棒手裏剣、十字手裏剣・・・等々、あまりに武器が増え過ぎて(特に十文字鎌槍は押し入れには入らない)、何か、コソコソ隠すのも面倒臭くなってきたんですね。 それで、知らんプリして堂々と検査に来た業者の人(元の大阪支部長に顔が似てて、ちょっとビックリしたよ〜。お〜い、元気にしてるか〜?)を通して、ベランダのハシゴを見てもらいました。 で、何か、必要以上に物凄く事務的な対応をされたので、「あっ、こりゃあ、やっぱマズイな〜」と、顔色をうかがって、帰られる時に「あの〜、スイマセン・・・“コレ”、商売道具で道場で教えてたりするんですよ〜」って、明るく言うと、ホッとした顔で、「あっ・・・そうなんですか。いや、スゲェ〜な〜って、思ったんですよね〜」と、安心した顔で苦笑いしながら言われました。 「いや〜、僕は本も書いてるんですけど、誤解されるとマズイな〜って思ってですね〜、ハッハッハ・・・(愛想笑い)」と、愛嬌を振り撒いてお送りしましたが、困惑したような笑いを浮かべて出ていかれました・・・ふぅっ、危機一髪だったぜ・・・。 えっ、「何で、危機一髪なのか?」って、ことですか? そりゃあ、考えてみてくださいよ。たまたま訪ねた家の中に日本刀や槍がゴロゴロ転がっていたら、どう思います? 「もしかして、ヤーサンかな? 昼間っから家にいるのも変だし・・・」って思うでしょ? 噂されるくらいなら構わないけど、もしかして警察に通報されたらややこしくなるでしょ? 「別に違法なことやってないんなら、構わないでしょ」って思いますか? 甘いな・・・。 警察が訪ねてきて部屋の中を見せてくれとか言われてるところを、近所の人に目撃されたら、もっと決定的なマイナス・イメージが広まることになるでしょ? あるいは、何かの事件が起こった時に不審人物として容疑をかけられる可能性もあるんですよ。私みたいなもの書きは、職業としては無職同然なんだから・・・。 そういえば、ある人物から悪質な嫌がらせを受けて警察から電話がかかってきた時、事情を説明して既に地元の警察署にも被害届けを出していたことを話したら、それっきりになりました。後から聞いた話では、その人物は既に不審人物としてマークされていたので、私の話を信用してくれたみたいです。 「人を呪わば穴二つ」って格言は本当のことです。他人を恨んだり妬んだり呪ったりする人は、巡り巡って自分の首絞めるハメにしかならないんですよ。 これは仏教の縁起の法則で説明される“仕組み”なんですが(余談ですが、私、二度目の大学では仏教学専攻です)、私はこれを知っていたから、人から嫌な思いをさせられると、絶対にそいつを見返してやるぞと決めて、仕事に頑張るようにしています。 だから、冗談じゃなくて、嫌なことする人には感謝していますよ。「発奮材料になってくれて有り難う!」ってことです・・・。 さて・・・以前から言っていますけれど、私は、「武道家」とか「武術家」なんて呼ばれても、ちっとも嬉しくありません。 世の中には、自分から「武道家」とか「武術家」という肩書を好んで名乗る人がいますけれど、「恥ずかしくないっスか?」と聞いてみたくなるんです。 第一に、「それって、職業として成立するのか?」って思う。道場経営者ならわかるんですけど、「私は武道家です」とか「武術家です」って名乗るのって、「私は侍です」とか「用心棒です」って言ってるみたいで何かヘンだと思うんですよね。 例えば、自分の著作本が一冊も出ていないライターは少なくないし、多くのライターが生活費はアルバイトで賄っているのが現状だと思う。それはプロの格闘家や俳優でも同じような事情があります。 私も、この業界の中では「長野さんは偉いね〜。いくら貧乏だと言っても、武術で食っていってるんだから・・・」なんて言われることがありますが、要は、それくらい職業として成立するのが困難だということです。 武道や武術の実力だけあっても道場経営のセンスなんかの実務的な社会性が無いとダメだろうと思うし、その逆だと論外でしょう? どうも、古武術がブームになった頃に、甲野氏の真似をして武術理論をウリにする人が続出しましたけれど、甲野氏みたいにうまくいかなかった。甲野氏が武術家?として大成功を収められたのも、彼の実家が元々裕福で食うに困らなかったから、道楽に専念できたという理由がある。普通の家庭に生まれ育った人間が真似をしたら人生を誤りますよ。 私の場合は、文章書く才能がいくらか有ったから、何とかやってこれただけだし、それを認めて支えてくれた人が周囲にいたからですよね。それでも20年くらい極貧生活に耐えてきているんだから、他人の見本には全然ならないですよ。普通の神経の人だったら自殺しちゃうかもしれないし・・・。 そして、第二点。「そんなに自分の実力に自信があるんですか?」って言いたくなる。 私は、とてもとても自分で武道家とか武術家とか言う自信はないですね〜。私なんかより強い人はゴマンといるし、逆に私より弱い武術家?もいたりするし、な〜んか、武道・武術という言葉が安っぽく使われているな〜と思うんですよ。 そ〜んな、安っぽいもんじゃないでしょう? 武道家とか武術家って言葉に値する人は滅多にいるもんじゃないと思いますよ。人の知らない技を知ってるだけで威張ってみても、知られてしまったら意味が無くなる。じゃあ、隠せるか?ってなっても、昔ならいざ知らず、今の御時世で隠せるものじゃないですよ・・・。 私みたいに分析できる人間は、表に出ていないだけで結構いると思うから。 だから、武道家・武術家って聞くと、「なんか、頭が悪そう」「偉そうにふんぞり返ってそう」「偽善者そう」「単に勘違いして自惚れてそう」といった、非常に恥ずかしいイメージがあるんですが、これって私だけなんでしょうかね〜? けれども、現実に今の私は武術を教えて生活している訳なんで、単純に、武道家とか武術家とか人様から呼ばれることはある訳で、それを一々、否定するのも説明が面倒なんで、最近は放っておく場合も少なくありません。 先日、近所のコンビニの店長さんに“もの書き”なのを見事に当てられて、「本を読んでみたい」と言われたもんですから、一冊、差し上げてきたんですが、何か、こっ恥ずかしいので、しばらく店に行かなかったんですね。 それで、一週間ぶりくらいに店に行ったら、店長さんから「本、ありがとうございました。武道家だったんですね!」と言われて、曖昧に笑って、一瞬、研究家というのを強調しようかな?とも思ったんですが、「まっ、説明するのも面倒だし、別にそう受け止められてもいっか?」と思って、否定せずにいました。 しかし、純粋に武道や武術に関心がある人に読んでもらうのならともかく、特に関心があるとも思えない人が私の本を読んで、果たして面白いと思ってもらえるのだろうか?とか考えてしまうんですね。 正直言うと、武術のマニアとかより特撮好きの人とかサブカル本をハハハッて笑って読んでるような人にこそ、読んでもらいたいんです(エンタメとして書いてるんで)。 そういう人達のほうが絶対、面白く読める筈だと思うんですよ。 だいたい、私は精神構造的に武道家では絶対にあり得ない性格ですから、ガチガチの武道家タイプの人が私の本読んだら、「フザケテいる!」って、プリプリ怒ってしまうと思うんですよ(アンケート葉書に怒って書いてきた人もいた。そんなに腹立つなら読まなくていいですよ)。 実際、うちの会で糞真面目な武道愛好者はまず続きません。シャレが解らないし、武道が何か崇高な精神性を磨くものだという思い込みがあるから、臭いものに蓋をするような考え方が根強く、融通が利かないからです。 揚げ句に自分の偽善的考えを私に押し付けてきたりする。「綺麗事の屁理屈を意見する暇があったら練習しろ」って話です。 勘違いする人が多過ぎるから明記しておきますが、私は、教わりに来ていて対等な関係は有り得ないと思っています。習う以上は、教わる内容に疑問を差し挟んだりするのは僭越というものです。私は質問は受け入れますが、疑問を呈する人や指示に従わない人には教えません。甚だしい場合は破門にします。 講座やセミナーは、一応は一般向けに公開してお金を払って解説指導するものですから、そこまで厳しくはしません。が、会の中では自分勝手な真似を許す訳にはいきません。 何かの事件が起こったら、社長や校長、親が出てきて謝罪したりするでしょう? 会社・学校・家庭といった共同体の中では管理責任ってものがあるからトップに責任が求められるんですよ。 そういう考えなので、私は本質的には個人主義的体質なんですが、会を率いている以上は自分の責任を果たさなきゃならないと考えます。 これが金銭の授受の無い単なるサークル活動だったら関係ないと思いますけど、金貰って教える以上は、管理責任は生じると思います。自己啓発セミナーやってるんじゃないんで、社会に顔向けできないような胡散臭い団体には絶対にしない!と決意しています。 一度は解散しようか?とも考えた団体ですが、撮影の帰りに師範代が、「今は会員みんなが同じ方向を向いて頑張っているから楽しいです」と言ってくれた言葉で、俄然、やる気がわいてきましたよ。 私は、糞真面目で冗談も言えないような人は嫌いです。一緒にいても楽しくないからです。武道や武術の愛好者には、こういうタイプが結構多くて、他人とコミュニケーションが上手くとれない人も少なくありません。 真面目な人がダメだと言いたいんじゃないんですよ。本質的には真面目な人間であったほうがいいと思います。フザケて練習してたら危険だし・・・。 けれども、真面目さを表に出すのは浅薄だと思うんですよ。お笑い芸人なんて、本当にいい加減な人間だとできないでしょう? 他人を笑わせるって、基本的に気配り上手な人間でないとできないですよ。 バラエティ番組でお笑い芸人が司会をやる率が高いのは、彼らが場の空気を読んで気配りしながら番組を進行する能力に長けているからだと思いますよ。女子アナなんかより上手い人がいますからね。まあ、女子アナにそういうホステス的な能力を求めてしまうのも間違っているとは思いますが・・・。 KYな人が冗談を言って、場が凍りついたりするのって、要するに気配りできずに自分が面白いと思うことをそのまま話すからでしょう。 自分自身に対する真面目さより、他人に対する共感性を持つことのほうが重要なんだと思います。その点で、武道や武術に過剰にのめり込む人は、自己チューで他人の視線を気にしなさ過ぎる人が少なくないように思います。 大槻ケンヂさんの本を読むと「この人は本質的にはメチャメチャ真面目な人間だぞ」ということがよく解ります。対象をシャレのめして面白がる感性は権威者的な観点に立つのが居心地が悪いからなんじゃないかな〜? みずがめ座だそうだし・・・。 私も典型的なみずがめ座なんですが、みずがめ座はそういう性格の人間が多いんですよね。一言で言って“変人”。 でも、アーティストとかクリエイティブな仕事やるのには適性がありますよ。感性が普通の人と違うらしいから。 ただ、猫かぶって常識人のフリをしていかないと世の中で浮いてしまったり、甚だしい場合は罪を犯してしまうでしょうね。 確か、甲野氏もみずがめ座だったんじゃなかったかな〜? あの変態っぷりはただ事じゃありませんけどね。その変人度数が世間の人の目を欺き、ある種の権威性にすり変わってしまっているから、今の繁栄がある(来年まで保つかな〜?)。 ですけども・・・未だに現代剣道を批判する(何のために批判する必要があるんでしょうかね〜? それに乗っかる剣道関係者もいるから困ったもんだ)のに、名古屋の加藤伊三男師範が伝える柳生厳周伝新陰流の足の踏み方の理論(足指を反らして踵を着ける)を、さも自分が発見したかのごとく講座で解説するんだから、あれは“盗作”って言うものですよ。 あの理論は、『江戸武士の身体操作 柳生新陰流を学ぶ』(赤羽根龍夫著・スキージャーナル刊)で発表されていたことであって、その事実関係を明確にした上で解説に引用しないといけない。 気づいた人は、どんどん糾弾すべきですよ。武道業界の糞馬鹿馬鹿しい礼節に拘って誰も糾弾しないもんだから、本人も舞い上がって自分が第一人者だと勘違いしてしまうんだし、更に、そこに第三者がその勘違いを上塗りしていってしまうんだから、もう、二重三重のバチカブリ状態ですよ。 私が武道家とか武術家とか言いたくないのも、業界的に間違いを放置してインチキをのさばらせつつ、本物と偽物の区別もつかない人達を増殖させてしまっているからでもあります。形式的な礼と本来の礼の判別がつかない人が極めて多い・・・。 もっとも、他人のことを批判するのは簡単ですけど、私も気をつけなきゃいけないと思っています。これだけ続けて本書いてきている以上、間違いは当然、出てくる。できるだけ参考にした先生や資料は明かすようにしているつもりなんですが、読者の中で気づいた方は、遠慮なく指摘してください。私は他人に迷惑が及ばない範囲で隠し事はしないつもりですから・・・。 だから、陰でイチャモン言われるのが一番、気持ち悪い。「長野さんは、そこが間違っているよ」と指摘してくれれば、きちんと訂正していくつもりでいます。 公にしちゃいけない場合もありますが、少なくとも個人的な意見にはきちんと答えていきたいと思っています。 でも、直接、意見してくれないと答えようがありませんから、私の知らないところで批判されても、一々、チェックしてないので、そこのところは宜しくお願いします。 ただし、「どこかに良い道場はありませんか?」というのと、「どこそこの先生は本当に強いんですか?」といった類いの質問は御勘弁ください。 道場の良い悪いというのは、結局、習う本人と先生、先輩たちとの相性でしかありませんから、答えようがありません。 先生が強いか弱いかも、素人なら勝てるのか、初段クラスなら勝てるのか、プロ格闘家にも勝てるのか・・・といった具合に状況によるので、正確に答えることはできません。 こういった質問をする人が初心者には、かなり多いんですけれど、初心者にとってはどこの道場に通っても実は大した違いはなかったりするんですし、あれこれ考える前に自分である程度まで修行してみないと意味がないと思うからです。 結局、「自分が何をどうしたいのか?」ということだけが大切なことなんですよ。人から与えられるのを待っている人は、結果的に何も得られませんよ。 游心流に来る人は、半分は、いくつかの流派を何年か習って中年に至って実力の衰えを何とかしたいと思った人で、後の半分は、何もやったことがなくて単純に面白そうだからやってみようと思った人ですね。 ものの見事に、これ以外の目的の人はいないみたいです。 でも、目的はどうあれ、私が教えることは、「護身術としての総合武術」以外の何物でもありません。学ぶ人の目的や好み、適性に応じて多少の違いはありますが・・・。 私は、スポーツとしての武道性には興味がないので、必然的に技は危険なものばかりになります。格闘技を相当やってきた人が唖然となるくらい危険なことを教えてしまうので、やはり、教える人は選ばないと精神的に未成熟な人に教えてはいけないと思います。 新刊本の写真撮影の時も、蛟龍十八式の技も撮ったんですが、技の雰囲気を表現したくて、つい気持ちが入ってしまって、受けを取ってくれている師範代の胸に寸止めしたつもりの拳が少し当たってしまい、これは危ないと思って、以後は形だけに止めて撮影しました。 稽古会ではプロテクターを装着して練習していたんですが、これは寸止めは無理があるんですよ。重心移動を最大限に活用する技なんで・・・。 この十八の技は一般公開しないつもりでいたんですが、映像で見せなければ写真くらいはいいだろうと思った訳です。 それでも連続写真向けに実際に動いて技を仕掛けようとすると、戦闘の気が乗ってしまって、止まらなくなってしまう。 私が師匠の歩法を真似て研究した蛟龍歩を用いて先をとって一気に攻め潰す技なので、「蛟龍十八式」と名付けたんですが、「連続縮地法で重心移動力を高めて、そのエネルギーを一気に相手に叩き込む」というシステムで作ったので、パワーのコントロールが利かないんですよね。 もちろん、歩法ができなければ寸止めも可能ですが、それだと威力も大幅に半減してしまいます。奥義の必殺技なんだから、それなりに体得は難しくないとね・・・。 それにしても、武術は奥へ進めば進むほど、表に出せなくなります。できる人ほど、何もやっていないように見せかけるのが、やっぱり正しい態度なんでしょうね。 私も、一日も早く、もの書きだけで食えるようにならなくてはいけないと思っている今日この頃です。 |
北京オリンピックの明暗2008-08-20 Wed 00:35
日本柔道の正念場となった今回のオリンピック、順当に勝ったのは内柴と石井、そして女子の活躍が印象に残りましたね。
けれども、最も期待されていた谷亮子が銅メダルに終わってしまったのが象徴するように日本柔道のメダル獲得数は過去最低となってしまい、特に初戦で敗退した選手が目立つのは、日本の柔道に拘っていたら世界のJUDOに勝てない現実が露呈したと言えるのではないでしょうか? 特に鈴木の初戦敗退はショックでしたね。タックルで抱え上げられての何もできないままの敗退・・・これは、日本柔道の完全敗北を象徴するものです。 ですが、この試合内容にこそ希望があると私は思います。 だって、これってモンゴル相撲の技を使ってきたんでしょう? だったら、モンゴル相撲の技術を分析して対策を練ればいいんですよ。簡単でしょ? 白州に行った時に、帰りに韮沢駅近くのショッピングビルで昼食とって1FのTVで放送してた柔道の試合を見ていたら、中国とロシアの選手が闘っていたんですけど、ロシアの選手はサンボの技術を使っていました。 要するに、JUDOは、柔道をベースに試合ルールに沿ったいろいろな格闘技の技術を採り入れて発展させているんですよ。 今、日本でそれをやろうとしているのは石井くらいなもんでしょ? 昔気質の柔道家は眉を顰めるでしょうけど、勝負論を前提として考えれば、石井が絶対に正しい! ただ、問題なのは、石井はヒール扱いされて異端視されてしまうことです。普通に彼の合理的思考法を採り入れて頭を使って日本柔道を技術的に発展させていくことを考えればいいのに、何故、それをやろうとしないのか? これも答えは簡単。「日本柔道は武道である」という認識が根強くあるからですよ。 武道って言葉は、固定され過ぎているんです。修行して道を極めることに意義があると思い込み過ぎて、その大前提であった筈の勝負を制する論議を捨てて、技量が優れていれば必然的に勝てると盲信して顧みなくなってしまった・・・。 つまり、勝負の戦略・戦術が欠落してしまっているんですよね。 これは、武道という言葉で統一することによって、武術の危険性のある技を捨てたことが遠因でしょう。つまり、危険性のある技を捨てる過程で知らないうちに“術”を捨ててしまった・・・。 武術は思想より現実に戦って勝つための工夫をすることに意義があります。勝負論が先にあるんですよ。だから、型は変えないけれども、使う場合の形は必然的に応用変化させていく・・・というのが本来の考え方なんです。 ところが、本来の武術を「古武道」と呼ぶことで稽古法としての型の伝承を主眼にしてしまったために、それらが現実に戦いに用いるには時代錯誤なものになっていった。 当たり前ですよね。現代で刀差して歩いたりしないんだから・・・。 でも、本来の武術性を端的に残して伝えている流派には戸隠流忍法があります。あそこは約束組手で技の変化を学ぶ独自の練習形式を確立していますが、決して同じ型を繰り返したりしない。現実に使うことを考えているからです。 ただし、技が殺傷を目的にしたものをそのまま使うので、自由組手にはできない。これも護身術の発想があるからでしょう。技を磨くのではなく、練習を通して戦術を体現することを目指しているように見えます。 だから、世界中の特殊部隊やボディガードなどの実戦のプロが教えを受けにくるのでしょう。 柔道は、もう一度、原点の柔術の原理を見直すべきだと私は思いますね。実際、石井は相手が引き手を使えないように肩と胸の付け根を押さえて技をかけさせないようにしておいて、その体勢から小外刈りや大外刈りに持っていく戦法を工夫していました。 水泳で大活躍した北島も、泳ぎの方法論を試合で勝てるメカニズムで組み立てて、そのための技術を工夫して作り上げていて、コーチの指導力と読みの鋭さには舌を巻きましたね。 今の日本柔道に必要なのは、多様な観点から分析できる優秀なコーチであり、柔道しか知らない人では通用しなくなるでしょう。 |
日本刀って、斬れるな〜2008-08-09 Sat 07:39
「五エ門の斬鉄剣は本当か?」というのを科学的に検証する番組中、斬心塾の東郷秀信師範が出演されていて、見事、鉄板を初代小林康弘刀匠の刀で断ち斬って見せていました。
東郷師範が凄いのは、この鉄板を機械的に固定するんじゃなくて、お弟子さん達に持たせて斬ってみせたところですね。もし、刀が折れたり斬撃線が曲がって刀身が流れたりすればお弟子さんが大怪我するかもしれないんだから、師弟間の信頼感も尋常じゃない。 さて、東郷師範が使った刀を鍛えた小林康弘刀匠は、鉄のレールや銃剣のブレイドを斬れる刀を独自の鍛刀理論から作り出したことで斯界で知られていて、「玉鋼を使わない」とか、「造り込みをせずに丸鍛えする」という現代の作刀理論からは異端とされる作刀法を主張し、鎌倉以前の古刀の再現を目指した人物として試斬を嗜む人の間で人気があります。 ちなみに、うちの剣術師範代のSさんも、小林刀匠の刀を一振り持っていて、クエストのDVD『游心流武術秘伝の活用』で、私が居合術と無刀捕りを演武している時にSさんが持っていたのが、この“斬鉄剣”でした。 TVを見ていて、「失敗したら俺もこの鉄板みたいに真っ二つになっていたんだな〜」と、ちょっと感慨に耽ってしまいましたね。あの時はアドリブで演武したからな〜。私もムチャするよな〜。 でも、Sさんだったら、私が失敗しても皮一枚で止めてくれるだろうと思っていたので、割りと思い切ってやれましたね。 ところで、堅い物を斬るのも凄いんですが、逆に軽くて軟らかい物を斬るのも難しいものです。 『ぷっすま』で“真剣マル秘武士”と新聞のTV欄に書かれていて、「まさか、ま〜た、甲野チャンが出てきて嘘んコ剣術とか見せるんじゃあるまいな〜?」と思って、チェックしていたら、修心流居合兵道の町井師範が登場。 「あっ、この人はこの前、千本速斬りでギネスの新記録作った人だ!」と、一安心。 スラ〜リと抜いて見せた刀は刀身が白く擦れた疵が斑紋のようになっていますが、重さ1.36kgもあるそうで、多分、千本斬りに使った刀と思われます。 銘は、“竹花一貫斎繁久”とのことですが、現代刀匠で玉鋼ナイフを作ったりされている方で『ナイフマガジン』の広告で見たお名前です。しかも、お値段は250万円とのことで、ビックリしましたよ。 私なんて、50万円以上の刀で試斬とかやりたくないな〜。刃毀れや引け疵がつくのも嫌だけど、折れたりしたら台なしだもんね。例えば、現在、分割払い中の小宮四郎国安なんて試斬りにもってこいの剛刀だけど、でも疵なんかつけたくない。 20年以上の貧乏下流生活で、すっかりしみったれた性格になっちゃいましたよ。 でも、町井師範は顔は童顔なのに腕前は凄いな〜。片手抜き斬り上げでスパッ(これを実際にやってみせた人は五指に満たない)、袈裟に斬った巻きワラが空中にある間に真横にスパッ・・・あまりに簡単に斬ってみせるから驚くのを通り越してキョトンとなってしまう。 そして、ペットボトル百本斬りと自転車組み立てのスピードを競うという趣向ながら、町井師範がミス無しでスパンスパン斬ってしまって圧勝。 次はペットボトルより難しいトイレットペーパーの芯の百本斬り。ところがこれも後半にスピードアップして僅差で勝利。1.36kgの日本刀を寸分の狂いなく二百回斜めに振り下ろして失敗しなかったんだから、もう、マシーンのような正確さですよ。 クマのプーさんみたいな温和な顔で淡々と物凄い技をやってみせるんだから、この人は掛け値なしに達人と呼んでいいですよね〜。 それに、ペットボトルとかトイレットペーパーって、簡単に思えるでしょ? 違いますよ。青竹や巻きワラ斬るより難しいですよ。軽いから抵抗が小さく、刃筋を徹すのに相当なスピードが必要な筈です。 目標が小さいから適切な距離を目測するのも難しい筈だし、普通の刀よりずっと重い日本刀を針の穴を通すような正確な軌道で振り続けるのも至難だと思いますよ。 以前の千本斬り達成の時は「据え物斬っても意味がない」みたいな批判をする剣人がいたそうですが、次々に多数の巻きワラを斬っていくのは、野太刀自顕流の打ち回しの稽古にも共通していて武術的にも十分に評価できる技だと思います。 それにしても、東郷師範、町井師範共に日本刀の凄みを卓越した技量で見せつけてくれたのは嬉しい限りでした。私も、そろそろ本格的に試斬にも挑戦してみたいな〜。 追伸;榎木孝明さんが『ラジかるッ』に出ていて、「古武術をやっているそうですが、見せてください」という視聴者の要望に応えて、脱力技法の崩し技を見せてくれました。示現流の心得があって、斬心塾で学んでいたというのも有名ですが、最近は甲野氏にも学んだと聞いています。けれども、甲野氏の技の原理が脱力技法なのを見抜いたんじゃないですかね。「力は要らない。力を抜けばいいんです」と、さらっとやって見せているところは非常に自然で、相手の軸を引き崩すようにして合成力(少し引いて下に落とす)を効かせてかけていました。はっきり言って、甲野氏よりずっと上手いです。巻きワラ一本斬れない人とは違って基本ができてるからな〜。 |
Gカルチャーで八極拳が紹介2008-08-05 Tue 06:00
読売文化センターの講座を紹介する番組で、TV東朝のお天気お姉さんの井口玲音さんが今回は八極拳の体験取材をレポートしていました。
この前は、戸隠流忍法でしたが、長瀬先生の容赦無しの教え方に井口お姉さんのマジ悲鳴が印象に残りましたねっ。 今回は、『秘伝』や休刊した『武芸』で連載コーナーを持っていた呉氏開門八極拳の服部哲也さんが講師でした。 八極拳と言えば激しいブチかましが有名な拳法ですから、排打功で痛くて泣いちゃったりするんじゃないの?とか期待と不安がありましたけど・・・。 服部さんは性格が優しいな〜と思いましたね。女性には優しく教えるところが紳士的でした。そして教え方が非常に理に適った細かいところが印象的でした。 まあ、カルチャーセンターで気合じゃ〜!みたいな教え方をしていたら浮くだろうとは思うんですけど、表演武術系の先生のほうが体育会系で厳しい人が多いと思いますよ。 貼山靠(体当たり)の練習なんか井口お姉さんはニャ〜ッて感じで身体を擦りつけて甘えてくる猫にしか見えません(長瀬先生だったら、「テメ〜ッ!」って怒るだろ〜な)。 でも、八極拳は意外にも体格に劣る人にも向いている武術かもしれないと私は思っていまして、以前、痩せてチッサイ小父さんに教えたところ、一撃で相手が目を開いたまま失神してしまったことがあって、驚きました(練習なんだから寸止めしろよ)。 ただね〜、八極拳は交叉法知らないと使いものにならない典型的な武術だと思うんですよね〜。私は使い易くて有り難いんですけど、間合を保って突き蹴りの応酬したらやられると思います。受け即攻撃だからね。 何か、武術の強い弱いを論議する時に戦闘理論を知らないで論じるのは見当外れなんですよね。 |
“気合当て”とは?2008-07-10 Thu 22:21
「“気合当て”って、どういうものなんですか? 誰でもできるものなんですか?」という質問があったので、ちょっと解説してみます。
原理的にいうと、声が出せて「読み」ができれば勝手にできるようになります。 気合当て(“気当て”ともいう)というのは、よく“遠当ての術”と混同されるんですが、これは少年ジェット(50代でないと知らないかな?)の必殺技“ミラクルボイス”「ウ〜、ヤ〜、タァ〜!」という掛け声で相手をスッ転ばせる描写のイメージが重なっているんじゃないかな?と思います。 実際、新体道の“遠当て”は、「エイッ!」とか、「ウム〜ッ」とか気合を掛けて、相手がバッタリ倒れたりするんですが、あの演武を見ていると、日頃から感応性の高い合気道的な動作と呼吸を合わせる稽古をやっているが故に、過剰に反射運動を起こしているものと考えられます。 ですが、基本的には古武術に伝わっている気合当てと原理は同じなので、別に感応にかかっていない普通の人に対しても、予測していなければかかるでしょう。 実際に、十数年前にTV番組で新体道の青木先生が出演された時はレポーターの女性にかけて、お弟子さんのように大袈裟に倒れたりはしませんでしたが、ビクッと一瞬竦んで動きが停まっていました。 口の悪い人は「何だよ、新体道の遠当てって、素人も倒せないのかよ?」と非難していたりしましたけれど、これが気合当てを受けた時の“普通の人の反応”なんです。 よって、気合当ての別名は“居竦みの術”というのです。 ちなみに、新体道の遠当ての気合で、エイッ!と鋭く発声するのは“陽の気合”で、ウム〜ッと低く唸るように含み気合(発声を外に出すのでなくハラに呑み込むようにする気合)をかけるのは、“陰の気合”です。 陰の気合を当てるのは、相手の気を抜いてヘナヘナ〜ッと脱力させて戦闘意欲も無くさせる一種の発声法による“力抜きの合気”と考えてもらえばいいでしょう。 こうした気合当ては、相手が攻撃しようとして意識的に動き出そうとする初動が観えたと同時にかけないといけません。つまり、先の先でかけないと、動き出してしまってからでは遅くなります。 身体運動は呼吸のリズムと連動しているので、普通、この場合の読みは「呼吸を読む」と表現しますが、呼吸のリズムを読むほうが難しいでしょう。 これ以上の詳しい解説は本に書こうと思っていますが(私はタダで情報をバラまいて喜ぶマニア気質は有りません。「知りたかったら金を出せ!」 あっ、ごめんなさい。つい本音が・・・)、気合当ては、催眠暗示による触れずに倒すような気の技とは区別しておくべきです。 気の技の多くは、被暗示性の高まった弟子を相手にかける共同幻想の技でしかありませんが、気合当ては、第三者に対しても、予測していない場合には有効性があるからです。 ただ、「かけてくるだろう」と事前に予想している相手には、具体的な威力のある技ではないので通用しないと考えておかねばなりません。予測していないからビックリして固まってしまう訳です。神秘的な技は万能に効く技ではないんですよ。 ギャオスの超音波メスみたいな声が出せる人だったら話は別なんですけどね。 昔、気合の研究をしていて、音声の作用をちょいと調べたんですけど、高音ほど脳天に響いて、低音はハラの方にズシーンとくるんですね。 この間もヒカシューのライブで、私は“身体で聴く”という実験をやりました。つまり、音の高低が身体のどの部位に響いてくるか?を体感するようにして聴いていたんです(研究熱心でしょ?)。 まあ、パンチの振動波が空気を伝導して相手に衝撃を及ぼすというのは考えられませんが(新幹線くらいの大きさとスピードなら衝撃波で倒れることも有るかも?)、音声だったら、結構、いろんな作用が有りますからね。 『カンフーハッスル』で、琴を使う殺し屋がブタ小屋砦を襲うとか、大家の小母さんが“獅子吼(はっ、白獅子仮面に変身する掛け声がシシクー!だったな〜?)”を鐘で増幅させて火雲邪神(ハァ〜、あのカッコ良かったブルース・リャンがハゲチョビンになっていたとは・・・)を追い詰めるシーンとかありましたね。 中国武術には“雷声”という気合が有りますし、意拳では“試声”というのが有りますが、下丹田に腹圧をかけてハラから気合を出すのは同じことです。日本の武術も原理は同じですよ。 だから、セミナー中、いろいろ質問されたので、参考までにやってみた訳です。無論、かけた相手は、一瞬、動きが停まった程度です。これが暗示性の高い人だと、過剰な反応を示したりする場合もある・・・という、それだけの話です。 ちなみに、游心流では技を繰り出す時に気合を出しませんが、気合と掛け声を混同させないためであり、私自身は気合の効果については昔、研究済みです。 それで、「丹田が開発されていないと単なる掛け声にしかならない」「うるさい」「気分が高揚し過ぎて冷静な読みが疎かになる」「動きが中断しやすい」という弊害があるので、気合をかけて技を出すことは不採用にしたのです。 これはきちんと説明したことがなかったので、会員さんでも初耳の人がほとんどだと思います。中には、私が気合を出すのが嫌いなだけだと思っている人もいたみたいです。 まあ、嫌いといえば嫌いなんですね。だって、無駄だし・・・。 多分、気合というのは技の威力を高める効果があると考えている人が多いと思いますが、そんな効果は大した差にはならないんですよ。 気合というのは、丹田を開発しないと意味が無いし、丹田力そのものを技にしたものが気合になるんですよ。だから、初心者が掛け声出して練習していたって意味は無いんですよね。丹田が開発されてからでないと気合の真価は発揮できないんです。 これって、別に武術に限りませんよ。能とか詩吟とか浪曲とか日本舞踊とか、そういった芸能は、丹田を鍛えるのが基本なんです。そういう芸能を長年やっている人の下腹ってポコッて出てて腰が張ってるもんですよ。だから、外見で判別できるんです。 私が気合当てかけた時の声は、いつもの私の声とは全然違って聞こえた筈です。他の参加者と練習していた師範代は、私の声だと気づかなかったそうです。 確か、彼には一度もやって見せたことなかったから(見せ芸やるのは嫌いだし)。 以上ですが、「先が読めれば誰でもできます」と言っておいても構わないでしょう。 終わり! 追伸;セミナーの感想文や質問も募集します。宜しくどうぞ! あっ、それと山口から来てくれたKさん。お土産、どうもありがとう! |
武術DVDの感想2008-06-24 Tue 07:00
1,『体を緩め丹田からの力を知る〜内勁の武術とは〜』
中古で購入したDVDですが、八極拳で日本一の栄冠に輝いていた中川二三生氏の技を収録したものとして興味深く拝見しました。 中川氏は流石は初期の日本の中国武術界で噂されていた方らしく、練り込んだ体の身法は見事ですし、空手(松濤館・極真)や大東流合気柔術(堀川幸道系)の修行もされていたそうなので、中国武術しか知らない人とは違って、技の動きに実戦的な視点が内蔵されているように見えました。 う〜ん・・・しかし、だから余計に残念に思えたのが、お弟子さん方が明らかに感応にかかって過剰反応(錐体外路系反射運動)してしまうので、身体技法としての武術の技の効果がどの程度作用しているのか?という基準が見えなくなってしまっており、部外者には、よくある神秘武道の演武にしか見えない・・・という点に有ります。 こういう過剰反応、暗示投げの類いは、師匠と弟子の間で催眠暗示的な反射作用として発現してくるものなので、リアルな“物理的な力学メカニズムによる技の効果”とは無関係に、“派手にふっ飛んだり・奇妙に踊ったり・悶えたり”するという一見してヤラセ臭い奇妙な動きをするので判別できるんですが、やってる本人は気持ち良さに酔いしれてしまって後戻りできなくなりがちなんですね。つまり、技の作用じゃなくて無意識に反応する自分の力でふっ跳んだりするのが真相なんです。 「宇城塾も、西野流と変わらなくなっちゃって、武道を求めていた人はどんどん離れて行っていますよ」、人伝えに聞いたんですけど、「奥深い理合を講釈するより現実に効く技の一つも教えてくれよ」って言いたくなりますよね。 百の理屈より一つの現実に効く技のほうが価値が有るんですよ。夢想剣のように、通り魔に頭より先に身体が反応して、ハッ?と気づいた時には通り魔が失神して転がっていて、自分でもどうやってやっつけたのか判らない・・・ってレベルにならなきゃダメです。 私は、こういうのを見ると、途端に白けてしまうんですが、BABは神秘の武道路線で売りたいんだろうから、「好きだね〜」と微笑ましく見れるようになってきましたよ。 でも、これって武術じゃなくて宗教だよね。気功やってるとこういう具合にならざるを得ないから、くわばらくわばら・・・って感じです。 あっ、それと説明がどうもね〜、「(体)のつまりを取る」とか、妙に“野口整体”的だったりするから意味が解らない人が多いと思います。身体感覚を言語化するのは難しいし誤解を与えるような見せ方をするのは不審に思われるだけだと思いますけどね〜。 でも、中川氏の流石の錬体度に感心できたから、まあ、割り引いとくかな? でも、その他多数のトンデモ武術DVDの同類に扱われるだろうことは確実だと思いました。 誉めてなくってごめんなさい。 2,『柳生新陰流を学ぶ』 スキージャーナルから出ている同名本の映像版です。本が非常に興味深い内容だったので、書泉グランデで楽しみにして購入しました(売り場担当のTさんが退職されて寂しい限りです。武道格闘技の出版社の営業の方でお世話になった人も多いでしょう。私の修行歴と同じくらい勤められていたそうなのに、書店業も大変なんだな〜と思います。でも、クエストのIさんが激励会を企画しているそうで、流石ですね〜。私もドン底からはい上がるコツなんぞをお伝えしようかな?なんて・・・)。 ちょっと発売が遅れていたみたいでしたけど、この分野はモメるからね〜。でも、無事、発売されて目出度い限りです。 私は、柳生新陰流は太刀のもち方と基本の振り方を教わった程度ですが、剣術の研究をするのに大いに示唆を受けましたよね。 剣術はどの流派も大同小異と思う人も多いでしょうが、やはり、流派の工夫というのは無視できないものがあって、それぞれの流派で独自の工夫がこらされているものなんですよ。人間にも個性が有るでしょう? これは、どちらが正しくてどちらが間違いとかは一概に言えないと思います。だから、そこに優劣論を持ち込むのはよろしくない。 このDVDは、尾張貫流管槍術も伝承する春風館道場に伝わる柳生新陰流(柳生厳周伝。先々々代宗家になるのかな?)を詳細に解説演武したものですが、実にきめ細かく丁寧に解説演武されていて、映像教材として好感の持てるものでした。 本と併せて見ると独修も可能でしょう。研究家として、実に有り難いDVDです。何か、スキージャーナルさんは最近、頑張ってますね〜。出版社も書店も頑張るところが生き残っていくのかも知れないな〜。 3,『岡林俊雄 嫡流真伝中国正派拳法』 これはクエストから以前、ビデオで刊行されていたもののDVD版です。 タイトルが怪しい?(“チャクリュウシンデンチュウゴクセイハケンポウ”と読みまする)からか、バッタモンの流派と思い込まれたらしく、はっきり言って、全〜然、売れておりません。ほとんど無視に近い状態です。 ですが、皆さん。よぉ〜く、覚えておいてくださいね〜。 このDVDでメインで演武しているのは、私が交叉法を教わった恩師、中国拳法躾道会(“ビドウカイ”と読みまする)の小林直樹師範なのです。 そうです! 私の渾身の必殺?フックを、子猫をニャーンと摘まみあげるみたいにグーパンチでペチッと止めてしまった、あの化け物みたいな技を遣う中国武術家です! 何しろ、私みたいなヘタレで素質も才能も無くて、おまけにパニック障害の持病まである人間が、紛いなりにも、現代武道や格闘技の指導者クラスの人に指導できるくらいにしてくれた、あの真の達人と私が認める師範なのです。 真の交叉法が知りたければ、小林師範の技を見て欲しい。 先に言っておきます。小林師範は全く本気を出しておりません。が、それでも滲み出てくる“澄んだ殺気”は、現代の武道家が失って久しい捨て身の無心から出てくる境地であると言いたい。 実のところ、私は小林師範が本気を出しているところを一度も見たことがありません。 どうしてか? 小林師範の学んだ流儀では、本気とは、“殺し合い”を意味するからですし、そこまで腹を括って立ち合う相手は滅多にいる筈もなく、私の見た範囲では軽くいなされてしまう人ばかりだったからです。 それでも、一度だけ、半分くらい本気が出たことがありました。その時は太気拳の動きでしたが(小林師範は最晩年の澤井健一先生に太気拳も学ばれています)、歩法と身法、掌打法が完全に連動して加速していき、ついに脚と腕があまりのスピードにブレて見えなくなってしまっていました。これぞ超神速! 人間技とは思えません。 私が目指しているのはアレができるようになることです。が、まだまだ遠いですね。そんな武術の到達できる高みを見せてくれた小林師範の技を、是非、一人でも多くの武術に関心を持つ人に見てもらいたいです。 甲野さんの見世物演芸を達人の技と勘違いしているような人達は、これを見て目からウロコを落としてくださいませ・・・。 え〜、ちなみに、監修の岡林俊雄先生は、小林師範の兄弟子であり、かつて道場では竜虎兄弟と呼ばれていたとか・・・(ウソです)。 あっ、でも、岡林先生の居合術、空手(二十八歩)の演武は、空手雑誌編集者やビデオ制作担当者をして、「これほど凄い演武は初めて見た」と言わせるほどのものでした。 それもその筈。岡林先生は、琉球古武術師範でもあり、空手道を中心に武芸百般に通じた真に天才と呼ぶべき名手なのです。ある編集者は「これほどの技は宇城憲治先生くらいしか並ぶ人を思いつきませんね」と言っていました。宇城先生があちらの世界へ向かわれて路頭に迷っている空手修行者は尋ねてみられたら良いと思います。 ちなみに、このDVDの撮影日直前に岡林先生は命にかかわる緊急の開腹手術を受けられたばかりでした。それゆえに兄弟子を思った小林師範が演武のメインを代わって担当したという事情が有りました。 ですが、岡林先生は亡き恩師に伝えられた技を映像に残す以上、下手なものにはできないという決意をもって撮影に臨まれていて、空手の演武では普段は柔らかくゆったりとした端正な表現をされることが多いのに、この時ばかりは激烈な気迫で剛的な演武をされていました。 無論、腹圧がかかるので手術を受けたばかりの傷には危険極まりないものです。 後で小林師範にお聞きしたところでは、遺作になっても構わないという覚悟をして臨んでいたのだそうでした。 どうでしょうか? 皆さん。私のDVDを買ってくださるのは、本当に有り難いんですよ。生活がかかってますからね。 でも、やっぱり、私は所詮は研究家に過ぎない。有名な映画評論家であっても、優れた映画監督になれるとは限らないでしょう? 私が「これが本物だ」と認める師範の技を、是非、見てもらって、「あ〜、なるほど、本物の武術家というのはこういう人のことなんだな〜」という違いを判別できるようになって欲しいんですよ。 やっぱり、良いものばっかり見ていると、悪いものが一目で見分けられるようになるでしょう? 見せかけの武術ばっかり見ていたら本物の武術が一向に見分けられないですからね。特に、単に綺麗に技をかけて見せているものはおかしいと思ったほうがいい。 一つ、見分け方を書いておきますね? 本物の武術家って、どんな優しそうに見えても瞬間的に冷たい殺気が走るんです。その背筋がヒヤッとするようなところの無い武術家って、見せかけだけでフェイクですよ。 |
武術は護身術です2008-06-23 Mon 01:59
え〜っと、入会の問い合わせがまたちょくちょく来るようになりました。
本を読んで、DVDを見て、「やってみたい」と思う人がいるのは有り難い限り。何せ、まだ印税だけで生活できる程にはなっていないんで、セミナーとシダックスの講座と稽古会は無視できない収入源なんですよね。 でも、正直言って、私は単に興味本位の人や無目的に強くなりたい人ではなく、武術について真面目に学びたいという気持ちの人でないと教えたくありません。 実際、「金はいくらでも出すから長野さんの知ってる技を全部教えてくれ」と言われたことがあるんですが、断りました。私が貧乏なのを知っていて金で釣ればいいだろうという足元見るようなフザケた野郎だったからです。 こんなこと言ったバカタレもいましたよ。「私がいなければ長野先生の老後は悲惨ですよね〜」って・・・。破門にしました。弟子が師匠に言う言葉じゃない。オメ〜は何様だよ?ってくらい、自惚れ過ぎるにも程が有る。私は自惚れ屋が一番嫌いなんで。 こんな、人を嘗め腐ってるヤツの力なんか要らねえって思いましたよね。正直、「駅のトイレ清掃の仕事やってでも、しぶとく生きて武術研究の成果だけは残してみせちゃる」っという気持ちでしたし、その心境は今も同じです。 武道をしっかり習っていた人は、大体、上下関係を弁えているので、そんなに失礼な言動を取ることはない・・・?と思いますが、そういう上下関係の有る習い事をやったことの無い人は、習いに来ているのに対等な立場を取ろうとする場合も少なくありません。 私がそういう対等な付き合い方を好む?ように見えるから、そうされるんだと思いますけど、この際、はっきり書いておきますけれど、私、軽々しくタメ口たたくような基本的礼儀を弁えていない無神経で無礼な人間は大っ嫌いです。 「でも、長野さんはヤンキーなんかにも教えていたんじゃないの?」って思うでしょう? はい、最初に身体に痛みを与えてから教えたんですよ。そうするとヤンキーの人達くらい礼儀正しくなる人達っていないですよ。自分より強いヤツには絶対、逆らわないもん。 自分がそういう態度取られるのが嫌いだから、相手に対してもそういう態度を取らないように気を付けているだけなんですよ。これはファミレスとか居酒屋での私の態度見ていたら気づくと思いますよ。気づかない会員さんもいたけどね。 ダメだね〜。日常生活から勝負の場だと思っていなきゃダメ! だってね〜。食い物屋さんで尊大な態度取ったら、鍋に雑巾汁入れられるかもしれないでしょ? 感じのいい客だったら店員さんだって良くしてあげたいと思うでしょう? 尊大な客に毎度からまれて爆発寸前になってる人だっているかもしれない。優しい言葉一つかけるだけで嫌な気持ちが消えて労働意欲だってわくもんですよ。 だから、態度のぞんざいな店員さんの時ほど、わざと丁寧に挨拶したりしますよ。そうすると、だいたい、向こうがハッとした顔して態度が変わったりします。 そういうハラ芸もできなきゃダメです。それも自然にできるようにならないとね。 私は、こういうのは武術の先生達から学んだ考え方ですよ。自分の見せ方も“読み”の内なんです。 外見がブサイクだったりしたら、これは有利ですよ〜。「この人、見かけはカッコ悪いけど、何ていい人なんだろう」とギャップ効果で印象が良くなる。ブ男でもてる人って、こういうところがうまいよね。ブサイクに生まれついたらチャンスだって思ったほうがいいんですよ。 逆に美人は大変ですよ。ちょっとでも下手こいちゃうと「こんな女だったんだ〜」って、一気に印象悪くなるでしょ? 疲れると思うな〜。 でもまあ、こんなことを色々考えられるようになるには時間も必要ですよ。結局、目先のこと考えていたってどうなるものでもない。「自分が生きてるのは自分にしかできない仕事が有る筈だ」って、何となく考えるようになったのは30過ぎてからですかね〜? だから、アキバの通り魔男って、まだ25歳だったんでしょ? 全く同情はしないけど、「そんくらいで人生諦めてどうすんだよ」って、言ってやる友達とか先輩とかいたら、違っていたんじゃないか?と思いますけどね。 彼は、大量殺人の記録を作って世の中に自分の存在をアピールしたかったんだと思うんですよ。現実の生活で成功するのは難しいから・・・。 正直、私もそんな気分になったことは過去に有りましたよね〜。大学に入ったけど不登校になった時なんて、宗教哲学の本ばっかり読み耽っていたしな〜。今思うと発狂してたと思いますよ。「俺は悟った!」とか思っちゃってたし・・・。 ナチュラル・ハイでおかしくなってたな〜。 でも、私は、映画と武術に打ち込んできたから、それを通じて色々な人との繋がりができたから、決定的に道を踏み外さないで済んだと思っていますよ。 映画のシナリオライターを目指したことが今の文筆業に繋がったし、芸術方面への関心にも結び付いた。 武術を続けていたことが特技として映画・演劇・舞踊の世界との結び付きを強めたし、武術の理論研究をやっていたことが専門誌のライターやら斯界の第一人者との交流に繋がっていった。 そういうのが全てバランスよく結び付いて相乗効果を上げてくれていると思うし、甲野さんと出会ったのも、今思えばマイナスにはなっていないんですよ。やっぱり反面教師という言葉は言い得て妙味が有りますよね。 無論、そんなエスカレーター式に歩んできた訳じゃないし、人並以上にトラブルにも見舞われたと思うんですけど、最後は、どれだけ純粋に追究しているか?という点が突破口になってきているんじゃないか?と思います。 しかし、犠牲にしたものも随分、有りますよね。「普通の人は先生みたいな生き方はとても耐えられないですよ」と、何人かから言われましたけどね。 でもね〜。“25歳で人生諦めて犯罪の花火を打ち上げて散る”より、“しつっこく諦めないで自分のやりたいことを追究する”のと、どっちがいいか?と言えば、最後に笑える後者の方が絶対、いいに決まっている。 私なんか45歳で定収入無いし、本が売れなくなったら、それこそ老後は野垂れ死ぬしかないですよ。でも、モーマンタイ。 だって、やりたいことやってんだもん。やりたくないことやらないんだもん。そんなワガママの極致みたいなキリギリス人生歩んできてるアンポンタンなオヤジでも、一芸が有るからやっていけてるんだよ。芸は身を助けるという言葉は私のために有るような言葉。 私にとっての武術は紛うことなく“護身術”なんですよね。どういう意味か? だって、これが無ければ私という存在は生存できていないからですよ。これぞ究極の護身術だと思いませんか? だから、そりゃあ、趣味でやっている人とは人生賭けてる比重が違うんだもん。真剣味も違いますよ。 従って、護身術という観点で考えていることも、そんじょそこらの人達とは全然違うと思いますよ。自慢しちゃうけどね。 そりゃあもう、空手・柔道・合気道・少林寺拳法・剣道・躰道・弓道・新体道・居合道とかの現代武道は当たり前、古流武術(剣・柔・棒・槍・薙刀・手裏剣・医)に琉球古武術(棒・ヌンチャク・トンファー・スルヂン・釵・ティンベー・ローチン・鉄甲・鎌)、中国武術(拳法・シュアイジャオ・チンナ・剣・刀・棍・槍・佐助兵器・暗器)のみならず、カラリパヤット、カポエィラ、シラットなんかの日本では知られていなかった武術や、ボクシング、ムエタイ、サンボ、テコンドー、サファーデ、キャッチアズキャッチキャンなんかの格闘技本も読んでましたよ。 よく読めないけど、古文書や中国語、英語やフランス語の武術本も読んだしね。 それだけじゃなくて、「やっぱり、現代の戦闘は軍隊流の野戦体術からナイフ、ピストル、アサルトライフルくらいは操作できなくちゃな〜」と思って、その手の研究もしてきたんですよ。拳銃を使ったコンバット・シューティングなんかはもう武術と考えたほうが正しいですね。 『マイアミ・バイス』でジム・ズビアナというコンバット・シューティングのチャンピオンが殺し屋役でゲスト出演した時の45オート・オスタムを使ったコック・アンド・ロックのクイックドロー・シューティングは素晴らしかったですよ。 元々、武術より先に銃に興味持っていたんで、道具と材料が有ったら自分で0から作れるくらいの知識と工作技能は有りますよ。エアガンのカスタマイズは高校の頃からやってたくらいだし、最近、趣味でやっている刀の拵え作るのだって、ほとんど自己流で工夫してるし・・・。 日本刀って、材料の玉鋼作るタタラの村下(むらげ)・刀を鍛刀する刀工・刀を研ぐ研ぎ師・鐔や金具を作る金工師・ハバキを作る白金師・鞘を作る鞘師・柄を作る柄巻き師と、七人の専門職人が連携して一振りの日本刀が完成するんです。柄糸や下緒を作る人も入れたら八人ですよね。 私は、その内、三人分の作業を一人でやってます。最近はこれらの職人さんも高齢化していなくなりつつあるそうなんで、これも武術研究の範囲と思うので、もっと研究して職人文化を残すことにも貢献できるようになりたいと思っていますが・・・。 さて、一口に護身術と言うと、何か非常に特殊なもののように思いがちですけれど、武術にしろ拳銃にしろ、護身術という観点から発展し確立していったものであって、実は人類の歴史上、無視し得るものじゃないんですよ。 専門家でも間違えてる人が多いんですが、武術は戦国時代に戦場で用いる技として成立したものじゃないんですね。 無論、それ以前から“関東七流京八流”という言葉で武術の原型とされている簡単な刀剣術みたいなものは有ったとされています。 しかし、戦場で用いる技というのは個人の工夫したものであって、体系化はされていなかったでしょう。つまり、教育システムが無い。それでは軍事訓練にはならない。むしろ、角力のほうが軍事訓練としての意味合いは大きかったと考えられます。 ですが、角力は武術ではなくて、儀礼的な格闘技(競技)として発展していきます。これは区別して考えるべきだと私は思います。 私が、「これが武術と言えるだろう」と考えているのは、流派が興って以降です。 この、流派を名乗った武術では、念流が最古と考えられますが、そのままの形で伝承した最古では天真正伝香取神道流が有ります。また、最古の柔術は竹内流が有名です。 これらの流儀武術は、戦場で戦う技を平時に修練することで戦乱に備える“平法”の観念を強く持っていました。つまり、最初から“護身術”と考えて技術体系化されているのです。 居合術なんて、完全に護身術として工夫された技ですよね。刀を抜いて「いざ、尋常に勝負!」って言ってる相手に対しては、普通はこちらも刀抜きますよね。いきなり襲ってこられたのに咄嗟に対処する技だから「居合は鞘の内」と言った訳ですし、護身術としての共通原理から柔術と結び付いて伝承されることが多かった。 例えば、竹内流を興した竹内久盛の弟の久安が片山伯耆守となって、伯耆流居合術の開祖になっているし、関口流抜刀術の開祖は柔術の名人として名高い関口氏心です。 他にも、甲冑組み討ち技と融合した形の初実剣理方一流(今枝流)とか、天然理心流の居合術も柔術と組合わさっているものが多いですし、現代居合道の母体になっている土佐の無双直伝英信流にも実は柔術が併伝されていました。 天心古流(神道天心流)に伝わっている“八寸拉ぎ”という短棒術は、元々刀の柄をからめて逆手に捕る技から発展していますし、居合術と柔術が融合して新たに護身術として工夫されていった技法は少なくないと思いますよ。 こうした特徴は、平穏な時代が続いた江戸時代に特に広まって、流派は数百を超えたと言われています。 よく考えてください。戦乱が続いている不安な情勢の中で呑気に武術の修行なんかやっている暇は無い。武術の技が高度に研究されたのは平穏な時代だからこそです。 これは現代だって同じことですよ。仕事で多忙な生活をしている人は武術を修練する余裕なんか無いでしょう。うちの会員さんも仕事が忙しくて練習に来れない人が随分いますから、できるだけ日常生活の中で独修できる稽古法をわざわざ考えたくらいですよ。 本当は学生さんとか暇の有る人がもっと来てくれたらいいのにな〜と思うんですが、うちの技は爺臭いから?若い人はほとんど来ませんね。 現代で腰に刀差して歩くと逮捕されちゃいますから、居合術なんかは直接の実用性は有りません。 でもね。武術の稽古は直接的な実用性だけには留まらない意義が有ると思うんです。 福沢諭吉が居合術の達人だったって、ほとんど知られていませんけど、実は新立身流居合術(開祖は立身三京)の物凄い遣い手だったのですよ(立身流は今も千葉県に伝承している名門です)。 現代で福沢諭吉に並ぶ居合の遣い手はほとんどいないだろうと言われるくらい、晩年まで居合の稽古は欠かさなかったそうで、実家には稽古でボロボロになった鞘がいくつも残っていたそうです。 板垣退助、大隈重信、大久保利通なんかも剣術や柔術が相当できたらしいですね。 勝海舟も直心影流の遣い手だし、桂小五郎は神道無念流、坂本龍馬が北辰一刀流の長刀免許を貰っていたのは知られていますね。でも、高杉晋作が柳生新陰流の免許持ちだったのは案外、知られていないでしょう。特に剣名を出していないから知らない人が多いだけです。 侍だから修行するのは教養のうちで当たり前だと言われたらその通りでしょう。 けれども、私は、彼らの行動力の基礎には武術修行が役立っていたと思います。感情的に否定したがる人は多いですが、幕末から明治にかけて日本の基盤を作ったのは疑う余地なく侍ですよ。あの行動力の原点には、武術修行で練ったハラ(度胸)が有ったと思います。無論、教養としての学問も学んでいたから先見の知恵も育っていた。 榊原鍵吉や山岡鉄舟といった純粋な剣客も、国のために動いたりしていたんです。 冷静に人口比率から考えても、もっと町人や百姓が活躍していてもいいとは思いませんか? 後半生は社会奉仕に励んだ清水の次郎長なんて、山岡鉄舟と出会って心酔したから人生が変わってますよね。 近代日本の礎を築いたのは、間違いなく侍達ですよ。それも教養の有る上級武士より剣術ばっかりやっていたような下級武士、豪士なんかが原動力になって動かしていった。 組織の中で硬直化して動けない上級武士ではなく、下級武士が私塾に通って「このままでは日本が危ない」という思想的方向性を与えられて決起していった結果でしょう。 確かに何も解らず人斬りばっかりやっていた連中もいるけれど、それも含めて時代を動かしたのは侍達だったのは否定できないでしょう。もし、彼らがいなかったら、近代日本は外国の植民地になって日本という国すら無くなっていたかも知れません。 これと同じ状況は“元寇”にも有る。もし日本に侍がいなかったら、日本は蒙古に支配されていたのは間違いありません。 人間にとって“護身”ということは人生を確保するための行為だから、本来、必要不可欠な筈なんです。これは日本に限らず世界中の様々な地域に護身の技が伝わっている点でも解るでしょう・・・。 で、突然、私事になりますが、私、昔は臆病だし級友がイジメられている(ほとんど寄ってたかっての暴行だった)のを黙って見て見ぬフリするような卑怯なガキでしたよ。 それがトラウマになって自己嫌悪でたまんなかったから武術をやり始めたのが本音ですけれども、何年もやってきて、それなりに暴力に対する自信がついていくと、危ない目に会っている人を助けに入ることが平気でできるようになっていったんですね。 学生の頃なんかはまだ結構、怖かったし、どうしようか?と悩んで決死の覚悟で割って入ったりもしたものですが、30歳過ぎる頃には、「あっ、あれは俺が助けないと危ないな〜」と、冷静に状況分析しながら「やめなさ〜い」と、平然と助けに入ることができるようになりました。要するに、想いと行動を一致させられるようになってきた。 護身術と言うと、自分の安全を確保する技としか考えない人が多いですけど、違いますよ。自分の護身より、ストーカーに付きまとわれている女の子助けたとか、色々と人助けもしましたよ。 だって、毎日訓練して膨大に戦闘術の研究してるんだもん。戦闘のプロでもないオタク・ストーカーにやられちゃったら泣きますよ。 大体、そこらのヤンキーとかがまともに武道や格闘技を何年もやっている人間と戦ったって勝てる訳ないんですよ。五分五分でまともにやれば・・・。 私も、「高校の頃にボクシングの県大会でベスト8になった」って学生とケンカになった時、距離取って殴り合いになったらボコボコに滅多打ちされると思って、わざと「へぇ〜、ボクシングってどう構えるの?」って尋ねて、「こうやって・・・」と相手が構えた瞬間、前手を掴まえて側面に密着しながら肘打ちと膝蹴り出しましたよ。「キッタネ〜!」と罵られたけど、二度と向かってこなかったですよ。 格闘技を真面目にやっている人と五分五分の勝負したら、そうそう勝てないよな〜と思ったから策略を使ったんです。その後、格闘技の練習もやってみて、確認できたし(人間、痛い思いをしてこそ修行になるもんです)。 だから、私は現代のスポーツ化した武道や格闘技が弱いなんか全然思わないですよ。武術オンリーの人は「スポーツだからダメだ」なんて言うけど、技の威力やスピード、テクニックの点でも型稽古オンリーの武術と比較すれば完全に上回ってると思いますよ。競技化は技の範囲を狭めるけれども技を洗練させる利点は有りますからね。 現に、甲野さんは日本空手協会でボッコボコにされたのをはじめ、現代武道や格闘技の実践者と、少し本気で手合わせしたら丸で勝てなかった。彼の場合は極端過ぎますが、似たような事態に陥る武術家は少なくないでしょうね。YRさんとか・・・。 悔しいから認めたくないという気持ちは理解できますが、事実は事実として認めていかないと進歩しませんからね。 でも、そういう現実を認められない人は、「武道や格闘技やっていたって、ナイフやピストルを出されたら勝てないだろう?」って論理をたてるんですけどね。 ナイフやピストルは、それ自体の攻撃力は凄いけど、結局、素人が遣ったって大した戦闘力には結びつかないんですよ。プロが遣ったらとんでもない戦闘力が発揮できるでしょうけどね。 「アキバでは一突きで何人も殺されたじゃないか」って思うでしょう? そこなんですよ。問題は・・・。 武術の訓練なんか意味が無いと考える人は戦闘の全体像を見渡していないで感情的に認めたくないだけ。暴力に暴力で対抗しようとする発想の危うさを論じたいのであれば、そう言えばいいと思うんですが、「現実的に無理だ」と言い切ることで否定すれば、結論が先に有りきの考証になり、不合理なんですよね。 無抵抗で棒立ちになっている人間だったら素手で殺すのだって造作も有りません。格闘技の試合で一方が棒立ちになっているところを一撃で倒して「最強だ」って言ったらバカでしょ? ダガーナイフが殺傷力が高いなんて言ったって、それはプロが遣う場合の話であって、あの事件の状況を見れば、百円ショップで買った包丁でも同様の事件が起こせたのは疑いの余地がありません。 「武術や護身術が無意味だという証明だ」と言うのなら、あのような通り魔事件と同様の状況を作って、武術や護身術を相当な期間学んだ人間を集めて実験してみなければ判断はできません。襲われたのはフツーの人達なんだから、戦闘能力以前に戦う意志すら無かったでしょう。 警察官も刺されたことから「戦闘のプロでもダメだった」なんて考える人もいるでしょうが、警察官は戦闘のプロじゃありませんからね。柔道や逮捕術を警察学校で習いはするでしょうが、せいぜい初段レベルの人が大半だし、拳銃の射撃訓練なんて年に一回か二回、数十発撃つ程度だそうです。戦闘に関してはフツーの人なんですよ。 私、親友が元SAT隊員だったから色々聞いてますもん。詳細は言えないけど・・・。 警察学校を一番で卒業したらしい彼とふざけて柔道の手合わせした時は私が一瞬で勝ちました。“急所を点穴して投げたから”です。 また、エアガンで射撃の競争した時も私のほうが上手でした。射撃の試験を受ける前に私が手紙で図解してコツを教えたら「お陰で良い点が取れた」と喜んでいました。 警察官の拳銃は、発砲が非常に厳しく制限されているので、実際に撃つのは相当に緊急事態でないと許されないのだと彼は言っていました。だから、後の始末書のこととか考えるとまず撃てないと言うのです。威嚇するために使えば充分だから弾丸を込めない警官もいるそうですし(ゴリさんだっ?)、「犯罪者に奪われたらどうしよう」とノイローゼになる警官もいるそうです。 拳銃持ってるから大丈夫と考えるのは大間違いなんですよ。アキバの通り魔男に立ち向かう警察官の様子を見ても、明らかにビビッて腰が引けていました。 回りで見ているヤジ馬が「足を撃て!」なんか叫んでいたそうですが、あの姿勢で狙って当てられるとは思えませんね。拳銃で手や足であっても人間を撃つというのは心理的に相当な覚悟が必要な筈ですよ。もし、太い動脈を損傷して出血多量で死なせてしまったらどうしよう?とか、考えるでしょう。 威嚇するのが関の山ですし、下手に撃って急所に当たったり、また、もし流れ弾や跳弾が通行人に被弾したらどうなるか?とか考えると、通り魔男がヘタレてくれたから、内心は目茶目茶安堵した筈だと思いますよ。 そう言えば、警察官のピストル自殺は結構有ります。ソ連崩壊後にトカレフやマカロフが日本に闇ルートで出回った時は日本中の警察官は震え上がっていたらしいです。トカレフの徹鋼弾は44マグナムのハローポイント弾を止められる防弾チョッキを楽々と貫通してしまったからだそうです。 悪質な犯罪者は警察官を狙って襲って拳銃奪うくらいやりますからね。今回の事件では背後から刺された警察官が拳銃を奪われなくて、本当に良かったと思います。もしかすると、それを狙ったかも知れませんが、交通誘導をやっていた方だったそうなので、拳銃を携帯していなかったのかも知れませんね。まだ重傷で入院されているそうですが、何とか御回復されることを祈りたいです。倒れながら仲間の警察官に犯人の向かった方向を指示されていたそうですが、命を張って仕事されている警察官には本当に頭が下がります。 正直言って、個人的には、凶器持ってる犯罪者と遭遇した時に警察官に守ってもらおうとは思いません。気の毒ですもん。自分が戦ったほうが、制圧できる確率が高いと思います。一応、警察に連絡はしますけどね。自分でやっちゃったら罪に問われるかもしれないから・・・。 実際に、以前、二回くらい警察を呼んだことありますけど、到着するまで5分はかかりますね。3分じゃ来れないですよ。アキバの通り魔男は正味2分で殺戮に及んだそうなんで、全然、間に合わない。 「走って逃げたほうがいい」という意見も賛成はできません。それなりの距離が有れば逃げたほうがいいのは言うまでもありませんが、犯人が近かったら背中を向けた途端に刺される危険性が高いからですし、そもそも人込みだったら思うように逃げられませんよ。 犬や猫を飼ってる人は解ると思いますが、犬猫は知らない犬猫と遭遇すると間合を保って唸るでしょう? それで気迫で負けて後ろ向いて逃げようとした途端、猛然と追いかけますよね。人間も、相手が逃げると反射的に追いかける本能が有るんですよ。 ハイヒール履いてる女性や子供、老人なんかはそもそも早く走って逃げられないでしょう? それに電車やバス、店の中なんかでは逃げるに逃げられない場合も有る。ナイフや包丁程度の武装だったら、カバンなんかを楯にして戦う意志を示して威嚇したほうが実際は効果的なんですよ。 以前、ベトナム戦争で戦っていたアメリカ人武道家の先生に聞いた話ですが、武器を持たない時にジャングルの中でばったりベトコンと出くわしてしまったそうです。 ベトコンはAK47(世界最高の軍用アサルト・ライフル)を持っていたそうですが、その先生は咄嗟に「ぶっ殺してやる」という意志を込めて相手を睨みつけたそうです。すると、銃を持っているベトコンのほうが脅えて動けなくなり、やがて、じりじりと後ずさって、しばらく下がってから大慌てで逃げ出してしまったそうです。 やっぱり、実戦は気迫が重要だと思いますよ。人間だって動物ですから。 ネオむぎ茶のバスジャック事件の時なんか、真っ先に後ろの窓から飛び降りて逃げたのが合気道師範だったと言われていますけど、「お前が逃げてどうすんねん? せめて相討ちになって取り押さえろよ〜」って、本当に思いましたよね。 私が今回の事件で本当に危惧しているのは、「暴力に対して為す術なく一方的に無抵抗でやられてしまう人間ばかりになっている今の日本の状況」なんですよ。つまり、気迫が無くなって、ほんのちょっとした暴力にすら何の抵抗もできないどころか、しようとすらしなくなっている。 暴力を否定するあまり、気迫、闘争本能まで否定してしまっているんですよ。 その結果、暴力に全く抵抗できず、より弱い者を狙う陰湿なイジメ体質国民になりつつあるように思えてなりません。 優しいだけで厳しさが無い。だから甘いことしか考えなくなるし、ちょっと挫折すると簡単に自殺したり犯罪に走ったりしてしまう。中身を磨くより金ためることばっかり考えて、「財力の有る男と結婚すればいい」なんて寄生虫宣言を平然とする女性も多い。忍耐力の代わりに自己顕示欲が肥大化して羞恥心が無くなっている・・・。 武道や格闘技をやる人間は、やっぱり普通の人より気迫や闘争本能は有りますよ(それが空回りして困ったちゃんになっている人もいますが)。武道や格闘技を続けるには、第一に忍耐力が無いと無理。だから、やってる人は心が強くなりますよ。 だから、私は武道やってる女性が好きですね〜。カッコイイもん。さらに武術も体得してくれたらな〜と思うんですよ。 私が武術、護身術を推奨するのは、「暴力を許すな!」ということです。ガンジーの無抵抗主義は崇高な暴力への抵抗の意志を表明する手段としての“無抵抗”であって、もし、子供や老人が暴力に晒されているのを見たら、ガンジーはきっと助けに入ったと思いますよ。そんな風なことも発言してるみたいだし。 だから、私は“徹底抵抗主義”でいたいと思います。力で脅されても「やれるもんなら、やってみろ」と言える人間でありたいのです。その意志を支える具体的なより所として武術修行には価値が有ると思っています。他人はどうあれ、私はそう有りたい。今の日本は幕末と似てるような気がするし、気骨の有る日本人が増えないと危険だと思うんですけどね・・・。(何か、国粋主義者と間違われるかな〜?) 追伸;やっぱり起こったか?と思いましたが、またもナイフ持って暴れた男が警察官に刺又で取り押さえられたりしていましたが、今度は結構、てこずってましたね。刺又をちょいちょい突き出して威嚇するのは掴まれて逆効果になりやすいから、一気に挟み込んだほうがいいと思いますね。それと、やはり掴めないように鉄のトゲがついていたほうがいいと思うな〜。あの刺又だと私だったら簡単に逃げてみせられるよ。後は、スルヂン(分銅鎖の長いヤツで琉球古武術最強の武器と言われる)を使って脚をからめることも考えたらどうでしょうかね。昔の捕り物具でも鉤爪の付いた縄を投げたりしていたでしょ? 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ヒストリーch『ヒューマン・ウエポン』は武術好きの人必見です!2008-06-20 Fri 01:42
世界中のマーシャルアーツ(武術・格闘術)を体験的に紹介していくというドキュメンタリー『ヒューマン・ウエポン』が、ヒストリー・チャンネルで放送中ですが、これは素晴らしく興味深いものです。
総合格闘家と、アメフト、レスリングをやっていた巨漢の二人が色々なマーシャルアーツを修行して、最後は試合する・・・という展開ですが、これまで、ムエタイ、空手、柔道、エスクリマ(フィリピン武術)、サファーデ(サバット。初代タイガーの得意技ローリングソバットの語源がこれ)、パンクレーション(パンコラチオンの現代版)、クラブマガと続いていますが、今後も軍隊格闘術とか色々やる予定らしい。 ムエタイは、古式ムエタイやクラビ・クラボーン(棒や刀剣を使う武術)も紹介されていましたし、空手は沖縄剛柔流(友人にチョコッとだけ教わったこと有る)に上地流(以前、シダックスで講座が有ったので師範に挨拶だけしたこと有ります)、そして極真空手が・・・。 柔道は最古の柔術“竹内流”まで登場するし、サファーデは謎に包まれていたステッキ術(噂には聞いていたけど見たのは初めて)まで紹介されていました。 最後に対戦するという趣旨が有るので、中国拳法や合気道は派を選ぶでしょうが、色々紹介されると楽しいでしょうね。 余談ですが、武道や格闘技を修行する人は、「実戦的なものを学びたい」と考えるのが常ですが、素手に限定されて技も禁じ手の多い現代武道や格闘技を学んでいると、この“実戦的”という言葉の定義があやふやになりがちではないか?と思うんですね。 私が一番、「これでは実戦的とは言えないな〜」と思うのは、ルールの問題ではなくて、“戦闘スタイルが同じ者同士で技を競う点”に有ります。この方式に慣れてしまうと予期しない攻撃に対処しづらくなるんですよ。 昨年の今頃でしたか、セミナーに参加した人に、模擬ナイフで突いていくのを捌いて捕らえる練習をやらせてみたら全然できず、「私は実戦的な武道をやりたいと思ってこれまでやってきたんですが、ナイフ一本出されただけで何もできなくなるなんてショックでした」と感想を言われていたことがありました。 この方はその後熱心に通ったので今は別人のようになりました。癖を抜くのに多少、時間がかかりましたが、一度癖が抜けると、以前やっていた武道の動きも見違えるようにレベルアップして蘇るものです。 どうしてこうなるか?と言うと、形を固めて作った動きは、応用性が望めないんですが、身体を柔らかく練り込んで動けるようにすれば、過去に学んだ動作も身体が記憶していれば形状記憶合金みたいにピシャッと出せる。 私もムエタイ風の回し蹴りなんて十年以上も練習していなかったのに、最近、やってみたら以前より楽に出せるから驚きました。威力も上がってるし、多分、ゆっくりしか蹴ってないけど、その気で出せばスピードも上がってると思います。 一番練習してた29歳の頃より45歳の今の方が動きが良くなってるって不思議でしょ? 要は、全身を効率良く連動させられるようになったから無理なく結果的に動きの質が上がった訳ですよ。ただ、無理して維持していた身体の可動性は無くなったから、昔できたような高い蹴りなんかはできませんけどね。 でも、私の体型と風貌で華麗なハイキック連発したらブキミでしょ? 今は掌法の方が得意だからいいや。回し蹴りはローのスイープキックとか、せいぜいミドルまでだね。 付き合いの有る方が自身のブログでアキバの通り魔事件について「護身術は役立たないという証拠だ」という意見を書かれているのを読んで、正直、タイヘン、不愉快な気分になったんですけれど(よっぽど、ヤな武術家に何人も会ったんだね?)、でも、十中八九、普通に武道や格闘技を習っていても、ああいう通り魔的な犯罪者にいきなり遭遇したら対処できないのが現実であろうとは思います。 実際、武道家や格闘家がナイフやピストルで簡単に命を失った例も有ります。 でも、だからといって、私は「武術や護身術なんか学んでも無駄だ」という結論にはなりません。 命を失うハメになった人達は「それはマズイよな〜」というやり方をしてしまっているからであって、つまり、武術的な戦略思考法を体得していなかったに過ぎない。やり方を間違えなければ命を失わずに済んだ筈だと思うのです。 論より証拠で、私、武術やってきたお陰で何度も現実に助かってるからですよ。間違いなく、やっていなかったら生きていないか、重大な障害負っているか、自殺してるかしてると思いますよ。 通り魔に会ったことはまだ無いんですけど、ナイフ突き付けられたことも有るし、木刀で向かってこられたり、椅子でぶん殴られそうになったり、複数と相手したことも有ります。 どうやったと思います? まず、ナイフで「アンタを殺しても外国に逃げれば平気なんだよ」な〜んて脅された時は、平然とした態度で思いっきり軽蔑の眼差しで視殺しました。すると、相手はハッとした顔になって、(俺って、メッチャ格好悪いことをやってしまった・・・)という自己嫌悪に陥って俯いてしまいました。武道やっている人だったのでプライドが有るので有効だと読んで心理戦術をやった訳です。ビビって泣きを入れると思ったんでしょうね。生憎、そういう性格じゃないんで。でも、こういう相手のプライドを利用するやり方はラリってるヤンキーには通用しないでしょう。 木刀のヤツは、わざと無防備にして振りかぶったところを入身して顎を突き上げて木刀を奪い取りました。椅子で殴りかかろうとしたヤツは、振り上げてる椅子に飛び蹴り噛まして椅子ごと蹴り倒しました。この二つの時は相手の攻撃を待たないで自分から先に攻撃してビビらせました。両方共にヤンキーだったので、より凶暴なやり方でビビらせたら向かってこなくなるのが解っていました。先手必勝! 複数と相手した時は学生時代で酔っていたので、何故、そうなったのか?はよく覚えていません。多分、クラブの飲み会の帰りか何かだったと思います。相手も酔っ払った連中で5〜6人以上は居たと思います。ただ、一番近くのヤツを捕まえて逆手に取って喉に三角絞めしたまま「こいつの腕、へし折るぞ!」とすごんで、やり過ごしたのだけ覚えています。酔ってたので他は本当に忘れてしまいましたが、「コイツ、あぶね〜よ」とか言われたような気がします。 私、顔の割りに意外とムチャする性格なんで、こういう真似も意識的にやることは有るんですが、ムチャしたのは全部二十代までです。 三十過ぎてからは本格的に修行に専念したので、技を伸ばすことにしか興味が無くなりましたね。試合も経験して自分が大した実力でないのもよく解りましたから、必然的に、いかに争い事を回避するか?という戦術的思考にシフトしていきました。 特に、私は最初に通った道場が戸隠流忍法でしたし、最も真剣に学んだのが中国拳法でしたから、最初からストリート・ファイト的な状況でいかに戦うか?という観点が原点だったんですね。 だから、技は素手対素手の格闘はハナッから考えていないし、対武器、武器対武器を基本にして、そこから現代武道や格闘技の対戦状況にも応用できるようにしようとしているだけです。でも、基本は武器を使うことを前提にしています。 本当に実戦を考えたら素手対素手で戦うなんて状況はほとんど有り得ませんからね。どんな人間でも、だれかを殺そうと思えば、刃物や首を絞めるためのロープとか用意するでしょう? スタンガンでリーマン脅して有り金全部奪った援交女子高校生とかいましたよね。 日本人は、「空手は徒手空拳の武道」とか、「精力善用自他共栄」とかいった精神性を前面に出して教育し過ぎたためか、本来の武術としての戦略思考まで捨ててしまったのがネックになっていますよね。 「武道は礼に始まり礼に終わる」というのだって、単なるお題目じゃなくて、礼儀を尽くして恨みをかわないようにする現実的な対人心理戦術だったんですよ。 「他流批判、決していたすまじき事、これ肝要也」ってのは、流派間の優劣論とか安易に論じていれば悪気は無くとも恨みをかって攻撃されるのが判っているからですよね。 これは武術やっている人達は当然、心得ていないと危ないんですよ。だから、私は勝負して勝てる計算してからしか批判しませんよ。戦略もたてずに意見するのは素人さんだけですよ。 江湖に民主主義は無いんですよ・・・。 どんなに格闘技に自信が有る者でも素手でコンビニとか銀行を襲うヤツはいないでしょう? 必殺カンフーを体得したチャイニーズ・マフィアの殺手(殺し屋)も実在するみたいですが、素手でどうにでもできる彼らでも暗器の類いは必ず持っているそうです。 本来、武術は素手から棒から刀剣から槍、薙刀、弓、手裏剣と一通りの武器術は習練するものですし、医術も当たり前に学ぶんですよ。日本以外でもインドや中国の武術家は表看板で治療院やっていることが多いでしょう。 例えば、手裏剣術って流派として残っているところは少ないでしょう? 根岸流と白井流くらいで、後は現代で作られた流派でしょう。 これって、どうしてか?と言うと、手裏剣は裏芸として古流武術では割りと一般的に伝承しているんですけど、表芸じゃないから存在が忘れられがちだったという事情が有りますね。 だから、古流の型の中には手裏剣を打つ動作が入っているタイ捨流とか、その源流の新陰流では刀を投げ付けてくるのを打ち落とすものとか有る。 空手の型の動作も、武器を持つと意味が解る場合が結構有ります。釵術の型には釵を投げ付ける動作も含まれています。だから、釵は両手に一本ずつと、予備に帯にもう一本挿して、都合三本持つのが本当なんだそうです。 中国でも暗器やピャオ、羅漢銭なんかの投擲武器はいろんな門派に伝承はしているけれど体系化はされていないようです。やっぱり裏芸だったんですね。 私も、もちろん、研究過程では軍隊の野戦体術やナイフ術、ピストル術なんかも研究してきていますし、実際、実はナイフ使うのは得意なんですよ。でも、あんまりそういうのをやって見せるとドン引きされちゃうし印象良くないですからね。殺伐とし過ぎるし。 『ヒューマン・ウエポン』でも、クラブマガの練習でいきなりゴムナイフで滅多刺しにされてしまうシーンが有りましたが、想定練習していなければ、そうなるのが当たり前なんですよ。 だから、先日、シダックスの“武術で護身術講座”ではナイフ術を指導しましたが、私の考えでは、まず自分がナイフ術をできるようになって、その長所と短所を覚えておけば、その制圧のやり方は必然的に導き出せる・・・という訳です。 形で覚えてもダメなんですよね。かと言って、理合も考えずにやたらに自由にやり合って感覚的に対応しようとしても無理が有る。 こういうところは武術は長い歴史の中で多くの歴代修行者が試行錯誤して工夫してきた技が伝えられているので、実はシステムが理解できると極めて実戦的な知恵が隠されていることに気づいて感動させられるんですよ。 私、完全に自分だけで考え出した技なんか一つも無いですもん。 殺気を察知して躱すというのも、やってるうちに鋭敏になってきて自然に発達するものですが、まずは五感を徹底して磨くべきでしょう。武道やってきた人は気合入れた瞬間、信号が出るから判りやすいです。素人のほうがよく判りません。そのうち、相手の気持ちを読む洞察力も発達していきますし、危機を予知するような感受性も出てきますよ。 偶然は偶然なんですが、昔、深夜に近所のレンタルビデオ店に行っていたら突然、地震があって、ビデオがバラバラッと床にぶち撒かれるくらい揺れたんですね。揺れが止んでから慌ててアパートに戻ったら、もちろん、本棚の本はドサドサと落ちてるし、私がいつも寝てる万年寝床に壁に立て掛けてた槍の穂先が突き立ってるんですよ。 ぞぞっとしましたね。あのまま寝てたら刺さって死んでたかも? 本当に、その時間帯はいつもはビデオ屋さんに行ったりしないんですけどね。急に行きたくなったんです。 私、こういう偶然助かったことって多いんですよね。 こういう危機察知能力って、ネズミだって猫だって有るんだから、人間だって有りますよ。有ると思っていれば自然に発達します。無いと否定していたら芽生えた感覚も自分で否定してしまうので発達を殺してしまう。だから発達しない。 昔は、「いや〜、あんな技は一生かかってもとてもできないよ」と思っていた技の大半が今はできるようになっちゃいましたからね。で、教えたら結構、誰でもできるようになるんですよね。 武術というのは護身術として伝わってきたものですから、本来、使えない道理は有りません。使えないのは、使うことを考えて練習しないからなんですよ。 だから、現代武道や格闘技が護身術にならないとすれば、護身術という観点で技を考えなくなっているからなんであって、専門的に考えて技や戦術を工夫していけば、「使えない」とは私は全く思いません。 犯罪者だって人間ですからね。ビビって背中向けて逃げてる相手と、素手でも拳握り締めて立ち向かう意志満々の相手とでは結果は全然変わりますよ。 アンドレ・ザ・ジャイアントだって無防備に棒立ちになっていたらナイフ一本で簡単に殺されるでしょう。 諦めて天命だと思って殺されるのを選ぶ人には護身術は必要ないと思いますが、私は人事を尽くすほうを選びますけどね〜。 それに、女性や子供、老人が暴力受けているのを見たら、助けたいって思わない人は少ないでしょう? 助けられなかったら自己嫌悪で一生トラウマになりますよ。私はそっちの方が嫌だよな〜。自分が暴力にしっぽ巻いて逃げ出すことの言い訳したがるヤツは軽蔑します。悔し涙を流すヤツが好き。だから、平和だの何だの理屈言って現実から目を背ける連中は大っ嫌い! 理不尽な暴力に蹂躙されて怒りを感じなくなったら、生きてる必要無し! 「男なら理不尽な暴力に蹂躙されて生きるより、立ち向かって、戦って死ねっ!」 言いたいことは、以上っ! |
ナイフを規制するより効果的なことは?2008-06-15 Sun 06:00
アキバの17人殺傷通り魔事件に関連して、「殺傷にしか使えないダガーナイフを販売禁止にすべきではないか?」という論調が出ています。
日本刀のみならずナイフも結構持っている私は、不思議にもダガーナイフは一本も持っていなかったんですが、美術品的なコレクションとして持つことまで禁止するのはどうなんだろうな〜?と思いますね。 ダガーナイフというのは、西洋の剣術の中に予備の短剣を二刀流みたいにして使う技術が有って、それに用いるナイフが両刃の短剣、つまりダガーなんですね。 もっとも、洋の東西を問わず、この形状の両刃の短剣は世界中に見られます。 フィリピノ・カリではダガーナイフを使う技が実に巧妙で、アメリカの軍隊ナイフ術なんかはこれを採用していると聞いています。 日本は片刃の刀(語源もカタバがなまってカタナになった)が普及しているので両刃の刃物は無いみたいに思われがちですが、槍は両刃が普通ですし、サンカが用いたという説がある(捏造説も有力)ウメガイという刃物も両刃ですが、実際に両刃の短剣も少ないながら作られたりしていたんですね。 最近は、ウォーレン・トーマスというナイフメイカーが、日本刀のデザインにインスピレーションを受けて、“ヨロイドウシ”という両刃の短剣形のタクティカル・ナイフ(戦闘用ナイフ)を作り、それが爆発的に人気が出て、多くのナイフメイカーが同様のものを作るようになっていました。 こういうナイフは一品物のカスタムメイドなので、一本が数万円から数十万円もする高価なものだったんですが、タクティカルのダガーナイフはモデルガンを愛好する人にも受けていたみたいでしたね。 だから、恐らく、何十万円もかけて入手してる人も結構いると思いますし、ナイフメイカーも挑戦している形状だったんですよね。これが販売禁止、所持禁止になるとガックリする人は多いでしょう。 また、スローイング・ナイフなんかは基本的に両刃なんで、これも形状からすれば禁止されるかも知れません。困ったもんですね〜。手裏剣の比較研究用に購入するつもりだったのに・・・。 ところで、アキバの通り魔男が購入していたナイフは、そんなに高価なものじゃなかったですね。1〜2万くらいで買えるものや数千円台のものでした。本物のマニアだったら、そんな安いナイフは使わなかったと思います。 ただし、ナイフで刺す時に、下から斜め上に突き上げるようにして刺したというのは、殺人術のマニュアル本なんかにも書いてあるやり方なので、その手の本なんかは読み耽っていたのではないでしょうか? 要するに、典型的なオタクだったのでしょう。 オタクに特徴的なのは、自分の知識(でも、経験が伴わないから浅い)をひけらかす点です。そのために、わざわざナイフ専門店まで買いに行ったんでしょう。 だいたい、ネットの掲示板に自分で実況しながら犯罪を起こしたという点に、津山30人殺しみたいに犯罪の歴史に残る事件を起こして有名になってやろうという屈折した名誉欲が感じられます。 だけど、何でそんな外道な真似をして注目されたいんでしょうかね? 社会や親に文句を言ったり、「ブサイクだから女にもてないんだ」って、被害者意識ばっかりで、努力して自分を変えていくことを、何故、目指さないのか? 単なる甘えん坊ですよね。一片の同情の余地も有りません。「生きてても意味無いんだったら、独りで勝手に死ねよ」って、私が友達だったら言ってあげますね。 そりゃあ、私も若い頃は社会に対する不満や親に対する不満、女にもてないという残念感は有りましたよ。だけど、「必ず見返してやる」としか思わなかったな〜。負けたまま終わるのは嫌だもん。 この通り魔男の事情を知れば知る程、同情する気持ちは更に無くなっていきます。 事件のきっかけになったという「ツナギが無かったのでキレて暴れた」というのも、いかにも自分が抑圧されているんだという被害者っぷりを周囲にアピールするために演技しただけだと思いますよ。 こういうヤツって、常套手段でそういう猿芝居やるからね。もう、何人も見ましたよ。こういう自分の正当性をアピールするために他人に注目してもらおうと思って捏造して回る脳みそが腐ってるヤツが、武術・武道の世界にはかなり多いです。 そして、必ず“大義”とか、そういうしょーもない思想を掲げるから阿呆か?と言いたくなります。 それはそうと、2〜3年前に町田の東急ハンズでフクロナガサ(剣鉈に分類されるようなもの)を買った時、店員さんに「これを見せてください」と言ったら、ギョギョッとしたように目を見開いて無言でタタターッとレジに行って鍵を持ってくると、慌てふためいてショーウインドーから出して、私に持たせることなく、そのまま袋に入れてしまいました・・・。 「おいおい、見せてくれとは言ったけど、まだ、買うとは言ってねえよ」と思ったんですが、買うつもりだったから、「まっ、いいか〜?」と思って、そのまま買いましたけど、アレは明らかに警戒しまくってましたね。私って、時々、凄くあぶなそうに見えるみたいだし。 でも、ナイフの規制を考える前に、この通り魔男は最初にトラックで三人ひき殺しているんですからね。そこは何も規制しようとかは思わないのかな? それに、ダガーナイフを禁止したところで、ナイフや包丁はどこの家にも有るんだし、あんまり意味が有るとは思えませんね。 それより、ナイフを買う時は身分証明と住所氏名電話番号なんかを署名して登録するようにした方が、事件が起こった場合にすぐに特定できるからいいんじゃないですか? 登録されてるのを自覚していれば心理的犯罪防止効果も有るでしょう? 「個人情報を漏らしたくない」と思うのなら、買わなきゃいいでしょ? 日本刀の場合は都道府県の教育委員会に所持者が変わる度に所有者変更届けを出しますからね。 しかし、根本的な問題は、こういう犯罪を起こそうとする人間の精神的未熟さをきちんとケアするような社会のシステムを整備していくことと、やはり、万が一に備えてセルフ・ディフェンスの意識を国民が持つように教育制度の中で護身術も教える機会を設けるのが必要だろうという点じゃないでしょうか。 私はますます自分の仕事が世の中に必要なんだと感じるばかりですね。あまり良いことじゃありませんが・・・。 そうそう。それと新聞で読みましたけれど、アキバの通り魔事件に関連してネット掲示板で犯罪予告した男が捕まったんだそうですね。 だったら、小島さんも芦原会館に脅迫かけてるんだから捕まるんじゃないかな〜? 個人的には警察でお灸据えてもらった方がいいと思いますけどね。あれじゃあ、言葉の暴力団ですよ。文筆業失格!(俺に言われちゃお仕舞いだけどね〜) 末筆ながら、今回の通り魔事件に巻き込まれた方々の御冥福を祈ります・・・。 |
武術理論・第四の男?2008-06-05 Thu 23:33
いつもお世話になっている会社の営業の人と、久しぶりに電話で話をしました。
「長野さんは、甲野・高岡・宇城に続く、“第四の男”になってますよ(笑)」と茶化して言うので、「またまた〜(笑)」と応えていたんですが、「いや、マジでそうなりつつありますよ」と言うので、何ソレ?と思ったんですがね。 何でも、書店回りをしていても、甲野さんや高岡さん、宇城さんの本が売れなくなってきているそうで、「一番、売れてるのは何ですか?」と聞くと、「これですね」と、私の本を指さされるそうなんです。 DVDも売れてるみたいだし、甲野・高岡・宇城といった先生方は、マイナーな武術・武道・格闘技の世界からメジャーな一般向けを狙って勝負しているから、むしろ、武術・武道・格闘技の世界ではブームが去りつつある?ということなんじゃないでしょうか。 でも、武道書のコーナーで人気が無くなったとしても、世間一般で売れているのなら、売上はむしろ伸びているかも知れないし、どうなんでしょうね〜? 正直、私が本書いているのは生活のためなんで、沢山売れて印税が入ってくれたほうが嬉しいんですけど、それが武道書という限定領域での人気に過ぎないんだとしたら、将来性は望めないでしょう。 チャンプや学研から創刊された中国武術の専門誌が、一号だけで未だに出ないというのは、売れ行きが伸びなかったから出せないということでしょう? この出版不況の時代には、一度でも売れなかったら、次は望めないという厳しい現実が有る訳ですよね。赤字覚悟で続けていこうというのは志しの問題なんですよ。 だから、第四の男?として注目してもらったとしても、一発屋の芸人的な感じで人気が出ても意味が無いと思っていますし、もっと普遍性の有る武術研究の業績を確立して遺したいんですね。私の希望としては・・・。 だから、流行り者みたいなのは勘弁してくれって感じですよね。 それに、私は甲野・高岡・宇城先生方と決定的に違う点があって、それは、「ナルシズムに浸り切れない」ということです。「俺様最強!」みたいな妄想パワーは無いですよ。 そういうタイプの人は、『秘伝』に登場する先生には居るんじゃないかな〜? やっぱり、チャレンジャーの時って活力が有るじゃないですか? それが地位が確立されると安定を考えてしまうから面白みが無くなってくる。 確かに、私も甲野・高岡・宇城先生方の本は、もう読まないんですよ。面白みが感じられなくなったからですね。 やっぱり、「江戸時代以前の日本人は動物性タンパク質は摂取していなかったんです」とか、「テレポーティションは朝飯前。一秒間に40発パンチが打てる」とか、「身体の内面を高速化すると腕が伸びる」とかタワ言をほざいてくれていた頃が、一番、面白かったですよ〜。 「江戸時代以前の日本人は魚食わんのか〜い!」 「テレポーティションとか秒間40発パンチ打つって、お前はドラゴンボールの孫悟空か〜い!」 「内面を高速化すると腕が伸びるって、お前はピッコロ大魔王か〜い!」 ・・・と、ツッコミ入れられたから・・・。 何か、パンチの効いたシャレを書き散らしつつ、でも、「いいこと言ってるな〜」みたいに感心しちゃったりする?みたいな文章スタイルを確立しようと、私なんか随分、努力してるんですよ〜?(ゴメン。嘘ついちゃったよ・・・) セミナーの前日なんか、徹夜でギャグのネタ考えてますもん(技は考えないのね?)。 真面目腐って教えていると、ど〜も、技のキレ味が悪くなっちゃうんですよね〜。気持ちの問題というのは大きいんですよね〜。 「大した問題じゃない」なんて言ったヤツいたんだけど、解ってないな〜・・・。 人間の行動原理は感情が大方を占める。つまり、気持ちの問題なんですよ。はい、これ重要ですよ〜? |
訂正とお詫びのお知らせ2008-06-03 Tue 20:27
甲野善紀氏の批判論中、「誤解を与える可能性があるので」ということで、無冥流手裏剣術研究家の鈴木方山先生から訂正の御意見をいただきました。
他の人から聞いた伝聞とゴッチャになってしまっていたみたいで、確認を怠り独断で書いてしまいまして、鈴木先生には大変、御迷惑をおかけしてしまいました。誠に申し訳ありません。衷心よりお詫び申し上げます。 当該箇所の事実関係に関しましては、鈴木先生からいただいたメール文をそのままホームページに転載させていただきましたので、御確認いただけると幸いです。 早速、鈴木先生にはお詫びの電話を致しましたが、最近、御無沙汰して失礼してしまっておりましたので、図々しく一時間近くも話し込んでしまいました。 甲野氏のこともともかく、「武術・武道をやる人間は常識が無さ過ぎる人が多いですよね〜」という話から、「武術家・武道家を自称している人間は、“俺が一番”的(自己愛性人格障害)病があるから、冷静な技術論なんかムリですよ。独善的且つ排他的な考えを押し付けてきた揚げ句に、こちらが納得しないと強圧的になっていくだけだから、付き合わない方がいいですよ」という体験的アドバイスを申し上げました。 それから、自称武術家?のストーカー的嫌がらせの実例なんかも話したりして、本当にヤな業界だな〜と・・・。 そうそう。この際ですから、私の手裏剣術の師伝について書いておきますね。 まず、甲野氏に習ったのが最初で、甲野氏自作!の根岸流型の手裏剣を一本貰ったりして、田舎に帰省した時に庭で段ボールを的にして練習したものでした。 余談ですが、甲野氏と対談本を出した『バガボンド』の井上雄彦さんは、同作中で吉岡清十郎に根岸流型のロケット型手裏剣を使わせていましたが、あのタイプの手裏剣は江戸時代後期に根岸松齢が工夫したものなので、この時代には無い筈なんですね。根岸流の源流である松林蝙也斉の願立流の手裏剣も針型だった筈ですからね(せっかくの名作漫画なのに甲野氏のハンパな影響でミソがつくのは嫌だな〜)。 ちなみに、甲野氏に貰ったこの手裏剣は、ある武道具店で手裏剣製作の相談をした時に参考品に預けていたら、そのお店が閉店してしまって行方不明になってしまいました。 何だか、私、甲野氏には随分、良くしてもらってたんですよね〜。やっぱり、ちゃんと御礼参りに行かなくちゃな〜・・・アレっ? 「御礼参り」って・・・意味が違う? そもそも、甲野氏に習った当時は、「手裏剣を教えたのは二人目だよ」みたいに言っていました。当時、ほとんど誰も興味を示さなかったので独りで稽古していたそうです。 まあ、20年くらい前ですからね。 それも、古武道大会で根岸流の演武があった時に、ほとんど刺さらずに会場に気まずい雰囲気が漂ったという話を甲野氏に話した時、「それは根岸流の名誉のために私がお見せしましょう・・・」なんて言って、甲野氏が自分からやって見せてくれたんですね。 実際に甲野氏から学んだ当時、私は懸命に練習しましたが、いくらやってもロクに的に刺さらず、初めて刺さったと喜んでよく見たら、何と、お尻の方から段ボールに刺さっていてガッカリしたものでしたよ。 それでも一万回を超えるくらいから、三回に一回くらいは刺さるようになって、調子が良くなると十回に六〜七回くらい刺さって、「よし、コツが掴めたかな?」と思ったら、また全然刺さらなくなる・・・といった繰り返しでした。 そんな程度から一向に上達しないので、「俺は手裏剣は全然向いてないんだな〜」と思って、あまり練習しなくなっていたんですね。 同時に、「こんなに難しいんじゃ、根岸流の宗家が古武道大会でほとんど刺さらなかったのも無理ないや」と思いましたし、「一本も刺さっていない凄い手裏剣術のビデオがある」という話を聞いたことがあります(本当だったら、そんなビデオをよく出したものだと思いますが)。 また、古武術の研究をしている人から「手裏剣というのはこうやって打つんだ〜」と講釈した揚げ句、打ってみせてくれたら全然刺さらず、「アレッ?・・・アレッ?・・・」と何度もやって、結局、刺さらず。「うわっ、俺より全然、下手やんけ〜?」と、呆れてしまったこともありますが、要するに、それくらい難しいってことで、ちょっとでも慢心があったり精神的に緊張していたりすると、途端に刺さらなくなるんですよ。 だから、「甲野氏も手裏剣だけは上手いな〜。剣術も抜刀術も体術も、その他は全部、史上最低の駄目っぷり(悪口に思える方は甲野氏の批判論をお読みください)だけど・・・」と、今でも思っている次第です。 ですが、手裏剣術の専門家からは「あんなのはダメだ」という意見を頂戴したこともあり、その方の映像も拝見しましたが、確かに優れた業前だとは思いましたが、甲野氏より格段に実力が上?という目立った差のある印象は、正直、受けませんでした。 私みたいな下手くその個人的見解ですから、恨まないで欲しいんですけれど、ただ、手裏剣の実戦性を声高に主張されるのには閉口させられたのが偽らざる本音で、喧嘩になるのが目に見えたので「付き合わんとこう」と思いましたよ。悪く思わないでください。 そんな訳で、私は甲野氏以外に手裏剣術を直接学んだ人はいません。が、それ以外には、武道医学のサイード・パリッシュ・サーバッジュー先生と、桜公路一顱先生の武術を伝承する拳志会の岡林俊雄先生、それに不二流体術先代宗家の田中光四郎先生から、手裏剣術のコツについて一言二言伺った程度です。 映像で参考にしたのは、芦原英幸先生と、“若山富三郎先生”ですね。 芦原先生の手裏剣術は、極真空手のドキュメンタリー映画や、ビデオ『スーパーテクニック芦原空手』の中で演武されているシーンがあります。 若山先生の手裏剣術は『唖侍・鬼一法眼』『賞金稼ぎ』『御金蔵破り』シリーズで何度も見返して、打つフォームやタイミングの取り方などを研究しました。 これらは見る機会がほとんど無いと思いますので、千葉チャン主演版の深作監督の撮った『魔界転生』の中で回想シーンで幼い十兵衛に稽古をつけていて手裏剣で息子の片目を潰してしまう柳生但馬守を演じる若山先生の手裏剣術を、ご覧アレ! 芦原先生も若山先生も刃先を手首側に向けて持つ“反転打法”を使っていましたが、これは投げナイフなんかでよく使う打法で、剣が一回転して刺さるので、剣先が刺さるように距離を測るのが難しいのですが、遠距離を打つには向いているとされます。 一説に、芦原先生は遠くの敵を倒すのに手裏剣を独自に研究したそうで、打法も野球のピッチングと同様で古武術的な打法ではありませんから、恐らく、ほとんど独学で工夫されたのだろうと思います。 若山先生は、悪役俳優の〜〜昌平さん(あ〜、宮〜さんだったっけ? チェンジマンのギルーク指令を演じてた人ですよ)の手裏剣を見て「俺にも教えろ」と言ったとかいう話もありますが、それにしては上手過ぎます。 一説に、子供の頃に忍術の先生に習っていたそうなんですが、忍術の先生と言うと甲賀流(南蛮殺到流拳法等々)の藤田西湖に習った?という可能性が考えられ、それなら白井流の手裏剣術を学んだ可能性があり、白井流は直打法と反転打法を使い分けるので、こっちの方が可能性がありそうです。 若山先生は勝新太郎の実兄ですが、天才役者勝新の影に隠れて売れない時期があり、その頃にいろいろな武術流派の門を叩いて技を磨いていたそうで、元々が柔道の道場を開こうか?と思うくらい柔道の実力があった上に、剣術・居合術・杖術・空手・合気術等、ほとんど総合的に武芸百般に通じていたんですね。 その実力は日本より、むしろ海外で評判になり、マーシャルアーツ・ムービースターとして認知されている訳なんですよ。事実、居合術の上手さは、全国の居合師範と比べてもず抜けていて神技のレベルですよ。順手のみならず逆手抜きでも勝新座頭市に劣らないし、三尺の長剣を速抜きする実力は驚異的です。 おっと、話がずれてしまいましたね。 そんなこんなで、私の手裏剣術のレベルは十数年間、ほとんど上達の見込みが無かったんですが、四年くらい前に鈴木先生から御著書を贈呈していただき、これがまた技術理論書として非常によくできた本でした。 一読して、書かれている通りに“畳針”を打ってみると、軽くて一度も刺さったことのなかった畳針がピシッと的に刺さるではないですか? エエッ?と思って、二度、三度と打ってみると、冗談みたいにピシッピシッと刺さります・・・嘘みたい・・・。 自分でも何故、いきなり刺さるようになったのか信じられません。 試しに、ちゃんとした?手裏剣で試してみましたが、これも問題なく刺さります。本を読んだだけで、何年もろくすっぽ練習してこなかった手裏剣が、いきなり刺さるようになるなんて、驚きを通り越して夢物語ですよ。 以前から、「武術の技は、訓練によって体得するものじゃなくて、あくまでも本質はコツを知るか知らないか?の問題なんだ」と考えていたものの、自分には才能が無くて向いていないと思い込んでいた手裏剣術にも当てはまるとは夢にも思いませんでした。 それから、鈴木先生の著書と首っぴきで手裏剣術の研究を再開しましたが、どんどん上達していくのが解りました。 何しろ、2〜3m離れて十回に三回刺さればマシな方だったのに、ほとんど刺さるようになっただけでも驚きで、右手、左手での上から、下から、横からの打法でも刺さるようになってきたのです。 しかし、「重い手裏剣で稽古すべき」と書いてあるものの、私は軽いものしか持っていませんでした。 そして、その軽い手裏剣で稽古している最中に、鈴木先生からまた荷物が届き、開けてビックリ! 自作の手裏剣を数本、「研究用に使ってください」と贈呈していただいていたのです。 それで狂喜して稽古に熱中したのは、言うまでもありません・・・。 この贈呈品の手裏剣は、『武術のシクミ』でも紹介していますが、これまで私が使った手裏剣の中でも最も機能的に優れていると思いますし、新体道の青木宏之先生が自作された手裏剣と偶然にも酷似した形の物もあったということを青木先生のお手紙に書かれていました。 そんな訳で、現在の私の手裏剣術の師匠は、実質的に鈴木方山先生という次第なんですけれども、実は未だに一度も直にお会いしたことがないんですよ。 私もちょっと忙しくなってきたから、お会いする機会を失して御無沙汰してしまっているのです。 けれども、近距離なら重い手裏剣三本を片手で一度に打てるくらいになって、手裏剣を武術として研究できる水準になれたのは、鈴木先生の御厚情以外の何物でもありません。 武術の研究をやってきて痛感するのは、「武術の技や知識を研究する人はざらにいるけれども、武術の理論を研究している人は極めて少ないな〜」という点であって、その意味で鈴木先生の手裏剣術研究は極めて理論的で流派の枠組みに捕らわれていない点が画期的だと思っています。 許されるなら、もっと広く御紹介したいところなんですが、手裏剣という武器の性質と、鈴木先生自身が「自分は研究家なので・・・」とのことであまり表に立ちたくないそうなんですね。 理論的な研究を怠るから、結果的に流派の優劣論に陥ってしまい、夜郎自大な自惚れた考え方に縛られてしまって、自分の足元が見えない武術気違いになり果ててしまうのではないか?とも思えるのです。 私は、武術・武道が大好きですが、武術家・武道家と自称している人達の大半が大っ嫌いです。 人間的に尊敬できる人が少ない“威張りん坊さん”ばっかり。何か、勘違いして自分が特別な存在ででもあるかのように自惚れているのが、謙虚そうに振る舞ってみせる裏からプンプン臭って、鼻持ちならないのです。 |
吉田豪さんはプロだな〜。2008-05-30 Fri 22:53
会員さんから貸してもらい、『ゴング格闘技』の吉田豪さんの連載記事を読みました。 今、武道・格闘技界で話題沸騰?の、『芦原英幸伝 我が父、その魂』についての書評だったんですが、小島一志さんの逆ギレ・ブログについても的確に指摘されていて、「フムフム、流石はプロのもの書きだな〜。小島さんの問題点と矛盾点について見事に洞察して書かれているな〜」と、納得の意見でした。 是非、同誌の記事を直接読んでいただきたいと思うので、ここには詳細を書きません。 けれども、「出版に関わる人間として絶対にやってはいけないこと」について、しっかりと指摘されていた点に、まず、我が意を得たりの感銘を受けました。 この一点を外してしまった人間には、もはや一言一句の自己弁護も認められない。 その、プロとしての基本中の基本について堂々と指摘されている吉田豪さんは、偉いと思いましたよ。わざわざ指摘してやっても聞く耳がない人間なのは十分に承知の上でしょうから・・・。 別に吉田さんは武道を嗜んでいる訳でもないでしょう? それなのに、すぐに暴力をちらつかせて脅しをかけてくる小島さんのような“武道ゴロ”を批判するのに文章に何のためらいも無いんですね。 持って生まれた侠気のある人と、小心者なのを知られたくなくて自分を大きく見せかけたがる人間との圧倒的な差を感じざるを得ません。 小島さんのブログを読んで感じたのは、「えらく虚勢を張りたがる人だな〜?」という点ですが、そこには自己保身や被害者意識、誇大妄想、優越感と劣等感・・・そうした黒々としたコンプレックスの想念が錯綜していて、それが安易に脅し文句にすり変わってくるから、実に不快なのです。 だから、一読して、まず第一番目に、「武道家」という言葉の裏にある偽善や卑屈さが臭ってきて、物凄く気恥ずかしくなるんですよね。 義だ・正義だ・仁義だ・プライドだ・・・そんな美辞麗句を並べたてて強がれば強がるほど、卑屈さ・恐怖心・劣等感・・・そういった小島さんの心の闇が浮かんでくる。 「済みませんでした。許してください」と、たったそれだけの言葉を、何故、言えないのでしょうか? はっきり言って、「弱いから」ですよね。弱い人間だから自分の間違いを認められないし、他者を蔑視して批評することで自己崇拝的な虚勢を張り続けるんですよ。 吉田豪さんは、そういう小島さんのナルチシスト的コンプレックスまで洞察した上で批判を書いていたんじゃないかと思います。 でも、ある意味、親切心が無いとわざわざ採り上げて書かないでしょうね。 小島さんの本まではともかく、“あのブログ”を読んだら、大抵の人が「あっ、こいつはマトモじゃないな。さわらぬ神に祟り無しだよな」と、シカトするでしょう。 ある意味、書評に採り上げて書いたということは、吉田豪さんも、小島さんをもの書きとして評価する面があるから厳しい批判を書いている訳で、小島さんは、感謝して読むべきだと思いますけどね。 それから、随分前の事件で知らない人が多いと思うので、小島一志さんが福昌堂を辞めるに至ったいきさつ(私が同社で仕事もらっていた頃に関係者複数から聞いた話)を、参考までに簡単に解説しておこうと思います。 何故なら、この事件は、今回の事件と極めて似ており、ルーツとも言えるからです。 私が20代半ば頃だったと思うので、20年くらい前だったでしょうか? 当時、福昌堂の『月刊空手道』の編集長だった小島さんは、伝統派空手道の機関誌から出発している同誌に、フルコンタクト空手の記事を定着させようとしていました。 その関係で芦原空手の記事も載るようになったのは、小島さんが自身の著作で書いている通りですし、努力もされていたでしょう。伝統派空手道の専門誌でフルコン空手の記事を載せるというのは大変なことだと思いますよ。 当時は、例外的に東孝師範の技術解説記事とかは載っていましたが、これは福昌堂が極真から独立して大道塾を旗揚げしたばかりの東師範を応援していたからのようです。 丁度、前田日明とニールセンの異種格闘技試合が切っ掛けになって、格闘技雑誌が次々に創刊された頃、福昌堂からも『月刊フルコンタクトKARATE』が創刊され、その中で東師範の組手理論も注目されていました。 が、問題は、突如として『月刊空手道』に東孝師範率いる大道塾のバッシング記事が連続して載ったことから始まりました。 最初は大道塾の試合形式に対する批判でしたが、段々ヒートアップして東師範個人を誹謗するようなドキッとする内容になり、東師範の反論も「品格を損なうから」という理由で掲載せず、一方的なアンチ大道塾キャンペーンになってしまっていました。 何しろ、私のような一読者が読んでさえ、「いくらなんでも、これじゃあペンの暴力だよな〜」と思うくらい異様な印象を受けましたから、社内ではどうなっているか?と殺伐とした事態になっているのが容易に想像できました。 そして、いきなり、翌月号で大道塾の特集記事が載り、編集スタッフが総入れ替えになったというスタッフの後書きのコメントがありました。そして、メディアを使って特定個人や団体のネガティブキャンペーンをする間違った正義感について「許されないことだ」という新編集長の意見が述べてありました。 小島さんが大道塾バッシング記事を連載した理由については、自身の著作でも書いていましたから、関心のある方は読んでみられたらいいでしょう。 しかし、小島さん本人の話とは全然違う話が東師範から告白されていて、この事実関係については複数の人から事情を聞いてみましたが、「東さんは悪 |










