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意識の転換が結果を左右する

 どうも、ここ何年か、「懸命に武道の修行を積むことが本当に実力の向上に繋がるのだろうか?」という疑問が膨らんでいます。

 私自身、何年も、いわゆる練習らしい練習をまったくやっていません。立禅すら、せいぜい一分くらいしかやりませんし、筋トレの類いは徹底的にやっていません。

 しかし、居合とか杖術とか手裏剣とか、そういうのは練習し始めると結構やってしまったりもするんですが、それも型の稽古みたいなことはやりません。

 型稽古というと、せいぜい、簡化24式太極拳と八卦掌の走圏をやるくらいで、これもメイプルホールで生徒が誰も来なかった時に独り稽古でやっている程度です。

 汗をかくほどの練習もやっていないのです。

 それで十年くらい?

 普通に武道に取り組んでいる人だったら、完全にOUTだと思うでしょう?

 でも、一日十時間も汗だくになって血尿が出るくらい必死で頑張っていた頃より、今のほうが遥かに実力は上がっています。

 無論、多くの武道修行者は私と同年代になっていても毎日汗だくになって練習しているのだろうと思います。

 そういう必死で練習を続けていることをステイタスにしている先生も多く、「練習しない=怠けている=修行者失格」という強固な認識を微塵も疑っていないからです。

 私が練習らしい練習をしなくなったのは、始めた当時に時間が無くなったという点もあったのですが、脱力技法を研究しているうちに、練習すればするほど下手になる?という悪循環に気づいたからでした。

 つまり、ついつい余計な力が入ってしまって技が成功しなかったのです。

「力を抜かなくてはいけないのに、力を入れる練習ばかりすれば、下手になるのは当たり前だよな~? いっそ、練習しなければどうなる?」と考えて実践してみた訳です。

 最初は、相手の攻撃力に打ち負けては元も子も無いと考えて、ついつい力を入れてしまっていたのですが、例のグデングデンに酔った状態での手合わせで、重心力の真の威力に気づいて、徹底的に脱力して完全に相手の攻撃力を受け止めないで流し崩す“化勁”を磨くことに徹した訳です。

 その結果、太極拳や合気道の戦闘原理を理想として追究してきました。

 副産物的に達人しかできないと言われていた数々の技が、脱力技法によってほとんど再現できることを発見し、「まったくの素人にもできる!」と実証することで、武道の世界で金科玉条となっている考え方に疑問を提示する反骨的快感に浸ってきました。

 私にはそもそもの信仰心がありません。

 何も信じていませんから、疑ってかかることに対する倫理的束縛がありません。

 これは研究家にとって必要不可欠の資質であり、私にとっては技の優劣、流派の優劣、個人の優劣などすべて無価値であり、何が正しくて何が間違いか?という区別すら意味がないというニヒリズム的理解をしているのです。

 これは若い頃にジッドゥ・クリシュナムルティーが好きで著作をかたっぱしから読んでいた影響でしょう。

 武道好きには思想だの美意識だのに拘りを持つ人が多いのですが、彼らの根本には自己崇拝があります。その代償としての憧れの師範への過度の熱愛や憧憬があります。

 根本が自己崇拝ですから、実力が上がって憧れの師範を超えた?と自認(大抵は錯覚)した時に自我意識が肥大して誇大妄想狂となり果ててしまう例が多くあります。

 このタイプの人達に共通するのは、「いかなる人間も自覚のある無しに関係なく何らかの思想信条によって行動原理を支配されている」という自己認識を他者に押し付けたがるという点です。

 無思想、無信条である人間というものの存在を認めたくないのです。

 何故なら、そんな人間は自らの誇大妄想を洞察してしまうからで、つまりは自身が構築している権威主義的思想の正当性を共有してくれないからです。

 どういう意味かと申しますと、特定の宗教を信仰している者にとって、それ以外の宗教の教えは間違いであり、間違った信仰は否定されるべきだ・・・という独善性があるということです。

 私には信仰心がありません。

 だから、他人の信仰心に干渉する気もないのです。

 お解りでしょうか?

 私が流派の優劣論争だの強弱論争だのを無意味だと認識しているのは、私はいかなる対象にも信仰心を持っていないからなのです。

 けれども、過剰に批判したりするのは何故か?

 それは、自分の信仰心に過ぎないものを、これが正しいんですよ!と広めようしている人達の阿呆さ加減を指摘してやりたいからです。

「ヤボなことをするな! それはお前の誇大妄想に過ぎないんだよ?」と指摘してやりたいだけ。だから、私と同様に、信仰に過ぎないと自覚している人には文句を言わないんですよ。

 松田隆智先生や青木宏之先生は、ちゃ~んと解ってらっしゃいましたから、私も安心して本音で話せた訳です。

 信仰心の強い人だと、勝手に敵愾心を燃やして私を貶めようとするので長続きしませんね?

 武道の世界では信仰心の強い人が圧倒的に多いので、私のような考え方の人間は目障りで仕方がないのでしょう。

 即ち、自分が長年、「これが正しいのだ!」と信じて疑わなかったことを根底から揺るがすような“自分の信仰を脅かす悪魔”のような人間に思える訳です。

 無論、これは信仰心の強固な人間に特有の“被害妄想”です。

 精神病理として考えると、非常に危ないタイプで、ちょっとした弾みで簡単に社会規範を逸脱してしまうような人間です。

 ところが、そういう歪んだ精神構造だからこそ、一定以上の水準に達することができた?という現実もあります。

 つまり、歪んでいたり危ない精神だから強い?という大変、困った現実がある訳です。

 シンガーソングライターを滅多刺ししたストーカー男は柔道を、相模原で戦後最多人数の殺傷事件を起こした犯人も格闘技をやっていた・・・という事実がある。

 この連中は明らかに自己肥大した神意識の持ち主で、選民思想のようなものがあったのでしょう。だから、あのような残忍な事件を平然とやれた訳で、惜しむらくは、彼らに教える立場の人達が、何故、そこを見抜けなかったのか?ということです。

 私は、競技スポーツの弊害であろうと考えます。

「競技者として強ければいい」という認識しかないから、本人の人としての精神面の欠陥を放置したのだと思います。

 私が入会希望者やDVD購入希望者をたまに断ったりするのも、人として他者に対する時の言葉や態度を重視するからです。

「こういう言葉を用いれば相手がどのように感じるか?」と予測して言葉を選ぶのが社会性のある人間ですから、まずはそこを観察します。

 つまり、基本的な礼儀作法を弁えているか?という“常識”の有無。

 私は常識の欠けている人間に武術を教えるのはキチガイに刃物持たせるようなものだと思いますから、初対面で非常識な態度の人には教えません。

 しかし、その“常識”を意図的に駆使して人を騙そうとする狡猾な人間もいますから、そこを更に洞察していく力も養う必要があります。

 10年前の分裂騒動の時も、私は半年間、観察し続けました。そして、彼らには私に対する敬意は失われており、自分達の方が上だという優越意識が認められたので、最初はその優越感を満足させるために“独立”を提案して体よく追い出しましたが、「破門された」と第三者に告げ口しているのを確認したので、「あ~、体面を保ってあげようとしたのに、そういう被害者ヅラするんだ? だったら御希望通り、破門にしましょう!」と破門宣告した・・・という次第です。

 私は性格優しいですよ? でも、ある一線を超えたらためらわずに斬ります!

 必要とあらば、いつでも捨て身になれる! それが宮本武蔵の言う“巌の身”であり、修行者として範とすべきだと思っています(まあ、これは趣味ですよ)。

 日頃の言動というのは、その人の基本的考え方が反映されますから、注意していれば相当に多くのことが洞察できます。

 これは、“武術の読み”にも直結することです。

 この点に関しては、戸隠流忍法を習った時に野口先生に教わったことが多かったと思いますし、後に友寄先生からはかなり厳しく言われましたね。

 伝統的な武術家は、技よりも、このような心得について非常に重視しているものです。

 だから、私も技とか実力よりも心得がどの程度なのか?という点を、まず観察します。

 で、本当にできる人は、微塵もそれを感じさせないものですね? 武道家でござい!と宣伝して歩いているような人は論外ですね。

 現実は残酷なものです。

 有名な空手の師範がバスの割り込みした者を叱ったら、ナイフで刺されて即死したとか、全米空手チャンピオンが小学生に拳銃で射殺されたとか、クラブマガのインストラクターが喧嘩に巻き込まれてナイフで刺されて死んだとか、柔道家が引ったくりを取り押さえたけど「許してください」と言われて放してやったら隠し持っていたナイフで刺されて死んだとか・・・こういう話は腐るほどありますよ。

「自分は強い」と思っているから、油断して弱いはずの者に殺されてしまった訳です。

 日本プロレスの父である力道山がヤクザにナイフで刺されたのが原因で死んだという事実もあります。

 だから、私は技だの力だのはあんまり評価していません。その人が武術家としての心構えをどのくらい体現できているか?を評価しますね。

 極端に言えば、顔を見ただけでわかりますよ? 威圧するような険しい顔している人はダメですね。戦闘意欲を表面に出していたら相手も反応しますからね?

 でも、専門誌の取材なんかでは、強そうな顔をしてくれって注文出したりしますからね~? 本人の意志じゃないかもしれないから、表に出ている情報だけでは判断できませんけどね・・・。

 あっ、それと誤解する人がいるので解説しておきますが、「組手もやらずに強くなれるはずがない!」と言う人が随分といらっしゃるんですが、私は勝つことしか考えていないので、逆に「組手になったら勝てないでしょ? 確実に勝つには、いかにして相手の技を封殺して何もさせないようにするか? 相手に技を出させて自分も技を繰り出して、どっちの技が速くて強いか?で勝負を決するのは競技の考え方であって、武術の戦闘理論は徹底的に自分が一方的に勝つためだけの理論なので、原則的に騙し討ちにするのが鉄則です!」と申し上げておきます。

 だから、「老人でも子供でも非力な女性でも屈強な男に勝てる!」と主張している訳で、「勝つためには、正々堂々とまともに戦ってはいけません。相手を油断させ急所だけを狙い、できれば、一発で殺せる強力な武器を使いなさい!」と言う訳です。

 このような考え方を「卑怯だ」と非難する者は真の戦闘のなんたるか?を一度も考えたことのない“平和惚け勘違い人間”です!

「組手、実戦的、強さ」を主張する人達って、同じ条件で競うことしか想定していないし、圧倒的に相手が自分より強い場合を考えていません。

 負けたら死ぬという絶対の危機を想定していないから、“強さ”を無邪気に論じられるのです!

 武道、格闘技に親しんでいる人はまったく疑問に感じない様子ですが、そもそも武術の源流は戦場で戦う“兵法”ですよ。

“兵法”というのは、いかに効率よく敵を殺すか?というものですよね?

 私が言わんとしている事柄を、よくよく考えてみて戴きたいですね?

 そうすれば、いかに自分が幼稚な平和惚けした考え方をしているのか?が解ると思いますよ。

 本当に、私は武道家を自認している人と話していて、情けなくなるというか、「こいつ、本当に頭悪いな~?」と、つくづく失望することが多いんですよね?

 ほら、北朝鮮とアメリカがいつ戦争はじめるか判らない時に、殴り合いの強いの弱いのと喜んで話している時点で「阿呆ですか?」としか言えないでしょう~。

 現実逃避していないで、意識を転換していかなくちゃ~生き残れない人類滅亡前夜に我々は生まれてきているのかもしれませんよ~?

「人類存亡の危機に臨んで、俺は一体、何ができるだろう?」って、嘘でもいいから言ってくださいよっ!

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静岡に天才武術家アリ!

 私が昔、習った先生の道場では天才的な才能を持った兄弟がいました。

 琉球古武術、伝統空手道、フルコンタクト空手、合気道、ムエタイ等を学んでいたのが弟の武央(タケヒサ)先生でしたが、その後、日本人で初めて中国の散打(自由搏撃)大会で中量級チャンピオンとなり、中国散打の名選手と互角以上の試合をやった(判定で敗れた)ことで、中国武術の大家から絶賛されたと聞いています。

 さらにその後はインドでヨーガを学んだり、中国で意拳を学んだりされていました。

 長いこと御無沙汰していたものの、昨年、連絡を頂戴して川保天骨さんを御紹介して戴いて、また交流が再開したという次第なんですが、兄の宜史(ヨシフミ)先生はどうされているのか?と思っていました。

 いつも弟の武央先生の才能を高く評価して「弟は天才ですよ!」と言われていましたが、私は、「う~ん、むしろ、天才タイプなのは宜史さんなのかもしれないな~?」と思ったことが何度もありましたね。

 弟の武央先生は、どっしりと土に足を着けて修行する沈身の感じなんですが、宜史先生は、風のように軽やかに何物にも捕らわれない浮身の感じなんですよ。

 で、ほら? 私って、どこからどう見ても浮身の感じでしょ?

 気質的に似てるからだったのか、宜史先生とは気が合ったんですよね~?

 だから、私が個人で作っていた機関誌の企画に協力してもらって、天然理心流や太気拳(意拳)、ニューマーシャルアーツ(サンボ系)、松田隆智先生の八卦掌?とか体験してもらったりしたんですよ。

 で、「スゲェ~!」と思ったことが何度かあったんですが、一番、戦慄を覚えたのは、故・龍飛雲老師のトーナメントで準優勝した時の試合ですよ!

 相手選手の蹴りと宜史先生の蹴り足がカチ合った瞬間、パキーンッと甲高い音がして、直後に宜史先生が片足のまま戦い出したんです。

 おやっ?と思って、よく見たら、挙げている足の足首からぐにゃっとあり得ない方向に曲がっています。

 足首の上の二本の骨が完全骨折していたのです。

 その点だけ見れば、相手選手の蹴りの威力が凄いという評価に繋がるかもしれませんが、私はむしろ、宜史先生の精神力に度肝を抜かれたんですよ。

 だって、ケンケンしながら、そのまま戦ってるんですよ?

 絶叫するか、倒れて動けなくなるかのどっちかでしょう?

 極真の黒澤先生が拳の骨が折れて皮を破って突き出したまま戦っていたという有名な逸話がありますが、あれを彷彿とさせます。

 無論、もつれて倒れた時に、骨折しているのが判明して病院に搬送され、その後、一カ月以上は入院生活で、「そりゃあ、メチャクチャ痛かったですよ~(笑)」と言っていましたが、格闘技の試合でこんな凄絶なシーンを見ることになるとは思わなかったですよ。

 また、宜史先生は、当時、弟子の誰もできなかった師匠の歩法を唯一、できるようになっていました。

 その後、誰かできるようになった人がいるのか知りませんが、私は独自に研究して私なりの歩法“蛟龍歩”を工夫したんですが、道場ではずっと隠していたんですね。

 でも、宜史先生には、ちょっとした動きで見破られました。

「はは~、長野さん、先生の歩法、盗みましたね(笑)」と言われたのを、今でもよく覚えています。

 そんな次第なんですが、そこの道場と縁が切れてからは、ずっと会っていなかったんですけれど、武央先生から、「実家がある静岡に戻って独自の考えで総合的に武道を研究する道場を主宰している」とは何年か前に聞いていました。

 あの分析能力なら、さぞやユニークな道場だろうな~?と興味津々でいたんですが、川保さんとの企画で武術ムック本を作ろうという話になっていたので、取材してみたいな~?と思っていた訳です。

 そうすると、やっぱりシンクロニシティーが起こるんでしょうね~?

 宜史先生の方から武央先生を通じて、私が書いた小説を読んで誉めて戴いたんです。

 ですら、御礼と併せて取材を申し込みました。

 お弟子さんは少ないらしいんですが、若いお弟子さんが私の愛読者らしくて、以前から注目してくれていたらしいですね?

 極真空手でも、会は分裂しても、弟子同士は仲良く付き合っていたりするじゃないですか?

 最近、つくづく思うのは、武術は伝える人次第だということです。

 松田隆智先生が、「三年かけても良師を選べ」と本に書かれていたことは本当のことだな~?と、つくづく痛感させられます。

 有名な流派だからとか、会が大きいからとか、先生が専門誌に出ているからとか、そういったことを基準に評価する人が大半でしょうが、真実は違います!

 そういった事柄は、「宣伝が上手い」というだけだったりするのです。

 本当に実力がある先生は宣伝が嫌いで、まったく表に出なかったりするので、まったく無名で、業界の一部でだけ噂されている・・・なんてことが多いんですよ。

 しかし、それでは本当に優れた武術が失われてしまいかねません。

 伝統は誰かが繋いでいかないと消滅してしまいます。

 特に技芸の分野は人間が学んで次の世代に伝えていくしか方法がないのです。

 私は武術研究家として、優れた技と理論を持つ人を紹介していくのも自分の仕事だと思っていますが、さて、なかなか、紹介できるような先生は少ないのが現実でした。

 しかし、岡部宜史先生なら安心して広く紹介し推薦できると確信しています!

 どうぞ、静岡近郊にお住まいの方で武術を学んでみたいと思っておられる方は、富士宮市の総合武道研究会玄武館をお訪ねください。

 実力も見識も人柄も優れて、その上、“シャレが分かる”明るい先生ですよ!

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スタンレー・プラニン氏死去

 合気道を学び、合気道の研究のために来日して『合気ニュース』を刊行されていたスタンレー・プラニン氏が、2017年3月10日に胃癌でラスベガスの自宅で亡くなられたそうです。

 私はクエストさんで聞いて、どう出版のサイトで確認したんですが、まだ71歳だったそうで残念なことだと思います。

 合気道の専門誌として地道に続けてこられて、大東流や甲野善紀氏のブレイクのきっかけを作ったのも、『合気ニュース』だったと私見します。

 私が砂泊先生や親英体道のビデオを見たのも合気ニュースから出ていた作品が最初でした。

 ロシアの合気道というキャッチフレーズでシステマを紹介したのも、確か合気ニュースが最初だったのではなかったでしょうか?

 私は二、三回、直にお会いしたことはありましたが、親しくなることもなく終わりましたけれども、スタンレー氏が合気道界に果たした功績は、非常に大きなものだったと思いますし、合気道を中心とした武術の研究に関して敬意を覚えます。

 時に、経歴詐称の団体を厳しく批判する記事を書かれていた熱血な点も、個人的に好きでしたね。武道武術をやる人間は本質的に熱血漢であって欲しいんですよ。

 合気ニュースも、今は、どう出版と名前が変わり、宇城氏の著作専門の出版社みたいになってしまっているので、往時のスタンレー氏の真摯な合気道探求のテーマ性は失われてしまいましたから、ずっと買っていません。

 スタンレー氏としては残念だったのではなかろうか?と思いますが、その後もアメリカに戻ってライフワークとして合気道に関わっておられたのは、実に立派な人生だったのだろうと思います。

 私も二十代後半から三十代にかけて、『合気ニュース』に大いに刺激を受けて武術研究家としての自分のポジションを確立してきました。

 そして、結果的に日本武術の到達した極意が合気道の中に有る!とまで認じるに至りました。

 游心流の中から分派して游心流合気道を立ち上げたのも、合気道の魅力を教えてくれた『合気ニュース』のお陰だったかもしれません。

 スタンレー・プラニンさん! 

 有り難うございました!


追伸;黒澤浩樹先生も急逝されたと聞き、大変、驚きました。竹山晴友先生との対談の予定などもあったそうでしたが、本当に一時代を築いた格闘技界のヒーローが亡くなられたのは残念至極です。何と、私と同学年だったそうで、まだまだ、これからの人生だったのに・・・と思うと、きっと、お弟子さん達も途方に暮れるお気持ちだと思います。けれども、どうか、黒澤先生の分も頑張って戴きたいと思います。一代の空手家、黒澤浩樹先生の御冥福を祈ります。

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中達也先生は凄い!

 私は、この先生を見たいだけで『ハイキックガール』を何回見たことか?

 中達也先生は間違いなく現在の空手道の理論的オピニオンリーダーと言えるでしょう。

 それは、「空手は型にはじまり型に終わる」と言われていた沖縄古伝の空手“術”の原理を解明しつつあるという点に於いて、本土に伝わって以降の伝統空手道に欠けている“術理”を独自の探究で洗い出している姿勢に共感するからです。

「空手道がオリンピック種目になった!」とはしゃいでいる場合じゃないのです。

 このまま進めば、空手道は日本のお家芸ではなくなっていく運命が待っている。

 それはスポーツ競技の枠組みの中に押し込められて、身体文化としての“空手”の存在意義がないがしろにされる傾向が強まりこそすれ、その逆は望めないからです。

 どうしてか?

 オリンピックは莫大な金が動くからです。

 空手の探究という地道な日々の研鑽よりも金が儲かるほうを選ぶのが人情ですからね。

 スポーツビジネスに邁進する空手道場が増えるだけでしょうね?


 そういう御時世でもありますから、もう、空手の形の意味を研究しようなんて師範は消滅してしまう可能性が高く、そうすると形もどんどん見栄えの良いアクロバチックな動作に改変されていく可能性が高いでしょう。

 そもそも論として、空手の形の意味を理解して演武している空手家が何人いるのでしょうか?

 恐らく、片手の指で足りるんじゃないか?と思います。

 私も研究家として多少の空手の本や映像教材を見ているんですが、形の解釈に関しては不合理極まりない代物が大半です。

 もちろん、正解は有って無きがごとし・・・で、実際に戦っている中で通用するのなら間違いとは言えない訳です。

 しかし、武術としての空手を考えるならば、一つの動作に一つしか用法が無い・・・なんてことは有り得ないんですよ!

 一つの動作で、最低でも10、あるいは20くらいの応用変化技が繰り出せないと武術の動きとは言えないのです!

 空手の動作の解釈で、最もトンチキなのが、“受け”!

 上段受け、下段受け、手刀受け、内受け、外受け、掛け手受け、十字受け・・・。

 これらの動作は実際には技としては使えない・・・と解く師範もいます。

 正しく、しかり!

 空手のスピーディーな突き蹴りに、“受け止める技”は通用しません!

 つまり、これらの動作は“受け”じゃないのです。

“接触しながら攻撃する技”なんですよ。

 どうして、このような根本的間違いが蔓延したのか?

 それは、空手は離隔して突き蹴りを繰り出し合うもの・・・と規定してしまったからなのです。

 本来の空手“術”は、突き、蹴り、打ち、払い、掴み、当て、逆手取り、絞め、固め、投げ等の総合格闘術なのです。

 その多彩な技の応用変化を知らないまま競技化を図ったから誤解が定着してしまったと考えられます。

「中国武術を知れば空手は簡単に理解できる」という言葉があります。

 私が半世紀近く前に習った道場で言われていた言葉だそうです。

 これは、賢友流の友寄隆一郎先生と親しくさせて戴いてから確信に変わりました。

 もちろん、中国武術は普通に学んでも用法は教えてもらえません。これは沖縄空手以上に秘密主義だからです。

 しかし、戦闘理論が理解できれば技の応用変化は自ずと解明されていきます。

 奇妙キテレツな中国武術の動作が、実は驚天動地の実戦性を求めた結果である事実が判明すれば、シンプルな空手の動作の意味は割合簡単に解析することができます。

 ですから、私は「空手の形を解釈するなら自分が専門の空手家よりもできるだろう」という自負心を持っていました。

 ところが、中先生の実演解説を動画で拝見して、もう、惚れ惚れするくらいでしたよ!

 恐らく、空手以外の様々な流儀も研究されているでしょうね?

 でなければ、できる道理がありません!

 どうしてか?というと、“間合が違う”からです。

 これ、極意ですよ!

 私もこれについては公開したくないんですが、志しある空手修行者に知って欲しいから、敢えて書きますよ?

 いろんな流儀の戦闘理論は、その流儀が取っている“間合”によって決定されていくのです。

 これは遠・中・近と大まかに考えているだけでは解けません!

 実に微妙な差で変化していくんです。

 拳の幅の半分くらいの違いで技が通用したりしなくなったりするのですよ。

 例えば、用事ができたので、久しぶりに東京支部の稽古会に行ったんですが、せっかくなんで少し教えたんですね?

 その時に、技を掛けようとして上手くいったりいかなかったりする違いがどこにあるか?という点で、「この間合で相手の技が掛からなくなる。ということは逆に考えれば、この間合を少しでも離れれば、相手の技を潰すことができますよ」と実演してみせました。

 こういうのって、ただ技を掛け合うだけでは延々と気づかないものなんです。

 何しろ、受けてる感触だけでは、ちょっとした違和感でしかないからです。

 やってる先生も感覚的に自得しているだけだから、言葉で説明することができない。

 で、弟子はいつまでもできないものだから、「やっぱり先生は特別なんだ!」と崇拝することで自分のできなさを合理化して納得してしまう訳です。

 言葉で説明して相手に伝えるというのは理論化するということなんです。

 感覚的に伝えているだけでは理論は生まれません。

 私が中先生を高く評価するのは、この難しい作業をかなり的確に成立させられているからなんですね?

 無論、世の中には独自の理論を提唱する人は掃いて捨てるほどいますよ?

 でも、俺ジナル過ぎて意味不明な理論ばっかりですよね?

 人に伝えられない理論は価値がありません!

 それなら、理論なんかとなえないで感覚的に伝えて行くほうがマシなんですよ。

 昔の芸事の習い方って、大概、そんなもんだったんですからね~?

 ある程度、日本人ならそれでも有りかな~?と・・・。

 あっ、訂正します。

“昔の日本人なら”でしょうね?

 今の現代日本人は理論的に教えないと伝わらないでしょう・・・。

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サイコパスばっかり?

 ベストセラーになっているサイコパスについての本を買って読んでいたら、「げげっ? もしかして俺もサイコパスか~?」と、ちょっとドキッとしましたよ。

 というのも、武術家って、どう考えても普通の精神構造じゃないんですよね?

 私は研究家ですけど、ひょっとすると世界で一番、武術について考えている人間ですから、どうしても思考的に武術家みたいになってしまう訳ですよ。

 ほら、普通の日本人は、「いざとなったら暴力に頼る!」って考えないでしょ?

「危なくなったら警察を呼ぶ」としか考えないでしょう?

 私は、「緊急で必要とあらば、一切ためらわずに暴漢をぶん殴ったり腕をへし折ったりできる人間でいよう!」と“決めてる人間”なので、やっぱりサイコパスになっちゃうんじゃないでしょうか?

 過去、二回。本気で人を殺してやろうか?と真剣に考えたこともありましたし、若い頃に「武術を究めるためには人殺しの経験が必要なんじゃないか?」と、真面目に傭兵になろうか?と考えていた“狂ってた時期”もあります。

 どうですか~?

 キチガイでしょ?

 半世紀以上も生きてきたから、今では「あ~、俺ってキチガイだよな~? こんなキチガイの部分を表に出してはいけないな~?」と知恵つけて普段は出さないように注意しているんですが、やっぱり今でも心の奥底にはキチガイが眠っているんですよ。

 しかし、俺だけがキチガイを飼ってるのか?と思っていたけど、そんな訳じゃないな~?と思うようになりましたね。

 誰でも心の奥にはキチガイが眠っているんですよ!

 そのキチガイの別名は“本能”です。

“闘争本能”ですね?

 で、闘争本能のややこしいところは、これって“生存本能”に直結しているってことなんですよ。

 動物だと闘争本能に従って瞬時に戦いますからね。

 武術にも動物に倣った型とかありますよね?

 鷹爪拳・龍拳・蛇拳・鶴拳・虎拳・豹拳・猿拳・蟷螂拳・狗拳・鴨拳・・・etc.

 で、私は猫好きなんで、猫の動きをかなり研究しましたよ。

 また、うちの猫がこれまた凄い喧嘩好きで毎日、三回は庭に侵入してきた野良猫と戦い、時に蛇と戦い、床下でイタチを追っかけ、雀を狩り、ドブネズミを喰らい、隣の家の高価な鯉をすくって食べ、襲い掛かってきた犬を返り討ちにしてました・・・。


 しかしながら!

 人間は本能を理性で制御することで文明を築き、文化を育んできています。

 武術と暴力の違いは、この“理性”の有無にかかっている訳ですよ。

“理性”とは何か?

 合理、論理、理知、理解、理法・・・。

 人と動物の違いは、理を悟り、理に従って生き方をクリエイトしていけるということ。

 動物の生き方も自然の律に従っていますが、人間は理に従うことを選んでいます。

 それは必ずしも自然律とは相いれないものですが、宗教や科学は“理”を求めて生み出されたものです。

 武術も戦いの理を追究して生み出されてきたものです。

 長年、研究してますけど、知れば知る程、奥が見えなくなっていく感じがします。

 武術をある程度以上に極めると、どう考えても超能力としか言えないような神秘の世界に突入してしまう?と考えざるを得ないんですよね~?

 私は徹底的に合理性を現実的に追究しているんですが、それでも説明のつかない領域の技ってある訳ですよ。

 もちろん、それを体現できる人は極めて希少で、一般化できるとは思えません。

 それでも、人間の潜在能力は凄いものだな~?と思えば、武術研究の可能性にも手ごたえを感じるんですよね?

 ただし、そのボーダーラインには有象無象のサイコパス君が巣くっているのが現状なのです。

 従って、あんまり武術を一般の人にはお勧めできないな~?と思ってるんですよ。

 超絶的に理性が強靭な人間しか武術を学んではいけないんじゃないか? 普通の人間が下手に首突っ込んだら、単なるイカレポンチになってしまうだけなんじゃなかろうか?

 最近、そう感じています。

 相模原の大量殺傷事件や、小金井のシンガーソングライター刺傷事件の犯人は、格闘技や柔道をやっていてかなり強かったらしいですね?

 これって格闘技や武道が単に暴力性を助長しているだけではないですか?

 彼らに欠落しているもの。

 それは“理性”です!

 この場合、“社会性”と言い換えてもいいでしょう。

 多くのサイコパスに共通するのは「考え方が自己完結している」ということではないか?と思います。

 つまり、自分自身の考え方に固執していて対人や対社会で考える頭脳が働いていないのです。

 言葉を換えれば、思いやりや配慮が無い訳です。

「これを言ったら、どう受け止められるか?」ということを考えなかったり、考えているつもりで見当外れだったりするのです。

 これはカルト団体の人間にも共通しますね?

 どう考えても、「それってアウトでしょう?」という事柄に関して、何も疑問を感じなくなる・・・これは恐ろしいことです。

 人間にとって社会性を失うということは、社会からスポイルされてしまうということを意味しています。

 閉じた空間で同じ価値観を共有していた時は問題なかったけれども、一度、外に出てしまったらキチガイ扱いされてしまう・・・というのがカルトな団体の弊害です。

 森友学園ですか?

 戦前の教育みたいなことを園児に強制している様子をニュース番組で見ると、悪い冗談みたいで気持ちが悪くなってしまいます。

 よその国だったら、苦笑して見ていられますが、今の日本でこれかいな?という気持ちの悪さがありました。

 鴻池さんが会見で「オバハン」だの「無礼者」だのとか言っていたのは笑いましたけど、「こんなヤツは教育者じゃない!」と言っていたのには、激しく同意?しましたよ。

 でも、私だったら札束でペシペシされたら、「ははぁ~っ、何でもおっしゃる通りに致しますぅ~!」って言っちゃいそうですね・・・(苦笑)。

 しかしまあ~、籠池さんですか?

 日本会議って、こんなレベルの人間がやってるのか~?と思うと、ダメージ大きいでしょうね~?


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伝説の空手家が復活!

 川保天骨さんが主催されている龍魂会の阿佐ケ谷の道場案内を頂戴し、いそいそと読んでみたら、凄いことになっていて、たまげてしまいましたっ!

 なっ、何と、何と・・・あの伝説の“魂の空手家”竹山晴友先生の道場が復活したというではないですかっ!
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 極真空手の名だたる師範の中でも「真の極真魂を持つ男」として多くのファンの尊敬を集めていた、あの竹山晴友先生ですよ!

 大きな事故に遭われたという噂は聞いていたのですが、その後の動向はまったく聞くこともなく、もはや復帰は難しい状況なのか?とも思っていたのですが、本当に良かった!

 ダンディーな俳優の夏八木勲さんが演じた牙狼之介を彷彿させる風貌は、そのまま時代劇に出てくる凄腕の浪人者を想像させて大好きな空手家でした。

 ちょっと不覚にも涙が出てきましたよ・・・。

 川保さんは立派です。よくぞ、竹山先生を復活させてくれましたよ。


 私も游心流合気道の稽古でオルタナスタジオをお借りしようかな~?と思っているところでしたが、本当に驚きました!

 また、川保さんと岡部武央先生からお名前だけうかがっていた深井信悟先生のお顔も初めて拝見しましたが、何とも透徹した澄んだ眼差しに、どこかジッドゥ・クリシュナムルティーの顔を思い出しました。
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 世の中にはまだまだ素晴らしい武術家がいるんだな~?と感じましたね。


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剣武天真流納会

 風邪で臥せってたので遅くなりましたが、剣武天真流の納会演武に行ってきました。

 毎年、拝見していますが、何だかどんどん支部もできて活動が広がっているみたいですね~?

 私のブログ読んで入会した方もいらっしゃるみたいで、今回は、うちの会員のK中さんも演武していました。

 彼は芸術家肌で哲学を勉強していたくらいなので、青木先生に学ぶのが一番合うと思ってました。

 なかなか上手だったので、安心しました。

 やっぱり、下手だったら「何だよ、長野さんの弟子は駄目だな~?」って思われたらイヤじゃないですか?

 武術やっている人間が性格誉められるより、やっぱり「あいつは得体が知れない」とか畏怖されるところが無いとダメだと思うんですよ。

「武術って、マジ、型だけっしょ~?」って、挑発してきたら、取り敢えず、金玉か喉笛ガシッと掴んで、「一回、死んでみる?」(地獄少女?)ってネジネジして、「ピェェ~~」って泣かしてやらんといかんです!

 謙虚な心というのは、そういうコワイ思いを何度も繰り返すことで出来上がっていくものなんですよ!(長野理論による)

 もしK中さんが下手だったら・・・「てめぇ~、俺に恥かかせやがったな~? 腕が足らんかったら、せめて笑い取って来~いっ!」って叱ってるとこですよ・・・(笑)。


 何か、聞くところでは剣武天真流の会員数の方が既に新体道の会員数を超えているんだとか?

 それだけ青木先生のネームバリューが高くて期待されているということでしょうね?

 今年は会場に、あの刀匠にして合気道家である松葉先生もいらっしゃって、大太刀と、隕鉄を混ぜて作った流星刀を持参されていたので、私もじっくり拝見致しました!

 私、一回、お電話で話したことあるしDVDや『秘伝』の記事でお顔を存じ上げていたので、何か知人のつもりで話していたんですけど、よく考えたら、松葉先生とは初対面で私の顔をご存じなかったみたいですね?

 名刺をお渡ししたら、「ええっ? 貴方が長野さん?」と、驚かれていました。

 まっ、いつものことですけどね・・・? 私は全然、武道やっている人のオーラ無いからね~。

 大太刀は、刃渡りが1.5m超えてるそうで、独りで抜き納めするには無理がありますが(大体、四尺、つまり1.23mくらいが限界でしょうね?)、持った人達の感想では「重いけど、バランスがいい」との意見が多かったですね?

 この大太刀も凄いんですけど、私は流星刀の美しさに惹き込まれました。

 以前、新宿の紀伊国屋ビルの一階の鉱石店?に隕鉄製ナイフが飾ってあったんですが、非常に美しく、欲しいな~と思ったんですが、十万円超えてたんで買えませんでした。

 そりゃあ、高い筈なんですよ。隕鉄って飴玉くらいの大きさでも数千円しますからね。

 松葉先生の流星刀は、敢えて刃を付けずにヒーリング具?として作られたらしいです。

 先端は気が集まるように“菖蒲作り”に作られていて、通常の刀にある横手筋がありません。

 隕鉄を混ぜ込んで硬軟が入り混じったダマスクパターンは、普通の日本刀の地肌以上に肌目が際立っていながら、計算して作られたような、わざとらしい模様ではない自然な美しさでした。

 これで身幅の広い皆焼(ひたつら)刃の“おそらく作り”寸延び短刀風の合口拵え脇差(刃渡り一尺三寸くらい)が欲しいな~?とか思いましたね。


 この演武会の様子は、来年春に出る予定の『セーラー服忍者』DVDの特典映像に少し収録する予定でいますので、御期待くださいませ!

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第十五回天真書法塾発表会

 11月27日の日曜日は稽古を早めに切り上げさせてもらって、天真書法塾の発表会に行ってきました。

 去年は確か原宿で、その前は日中友好会館だったと思うのですが、今年は、青木先生の八十歳記念を祝ったアートコンプレックスセンター地下一階ホールギャラリーで開催されました。

 かなり広いホールなので、作品の展示点数も多かったような印象でしたが、今年は特に全体的なレベルアップももちろん、青木先生が一歩引いて、お弟子さん方の師範としての実力を見て欲しいという気持ちが出ていたように思えました。

「無鑑査師範」という名称が書道の世界にあるのか不勉強で知りませんが、“無鑑査”というのは現代刀匠の世界で作品の評価を判定する人がいないくらい技量が抜きん出た人が認定されているものです。

 つまり、斯界で最高の権威とされ、この上となると、国が認定する人間国宝とか無形文化財とかになる訳でしょう。

 この無鑑査師範が三名、ホールの前面に大書を掲げられていました。

「なるほど、これは無鑑査でしょうね?」と納得させられるアーティスティックな書で、もう文字が動き出すような感じで圧倒されました。

 また、レインボーカラーで彩られた書は、絵画と書が融合して新しいアートが生まれたかのようです。

 私も刀の鞘塗りに黒の漆を全面に塗って、その上に金7・銀1・レインボーカラー2の割合で混合した粉を散らして、その上に透明の漆を塗って保護膜にする・・・というのをやっているんですが、蒔絵風のインスピレーションで始めたんですね?

 これは暗いところで見ると星空みたいに見えて綺麗なんですよ。

 山の上から街の夜景とか見ると綺麗でしょう?

 何か、今回はそれも思い出しましたね。


 副塾長の吉田随流先生の書は、天啓を感じます。作為を感じないんですね。

 天啓と言えば、私も武術の技考えてる時とか小説書く時に「降りてくる」感覚があります。

 実はゼロインチ打撃戦闘法もそうだったんですよ。アイデアはあったけど、練習法や応用法は実演している最中に勝手に編み出しました。

 小説もそうで、作為的に書こうとしても、どうも乗れないし進まないのに、降りてきたら、ビックリするくらい短時間でバババーッと書き上げてしまったり・・・なんてことがあります。今回のホラー小説も結末を考えないまま書き進めているうちに、勝手に書けました。

 何かもう、岡本天明の『日月神示(ひつくしんじ)』ですか?ってくらい自動書記状態になることもあります。

 吉田先生はひょっとして、そんな感じで書かれたりされてるんじゃないかな~?と、今回、強く思いました。


 さて、青木天外先生の今回の書「般若理趣経」・・・理趣経かぁ~・・・。「煩悩即菩提」・・・煩悩を全面的に肯定する。

 それが今の青木先生の心境であると言われると、「そうでしょうね?」と微笑み返すしかない私でございまする・・・。

 恐らく、悟ったからといって煩悩が無くなる訳ではないのではないか?

 では、煩悩とは、どこから出てくるんでしょう?

 推測ですが、多分、生きようとする意欲から生じているのではないか?

 それは生物としての本能であり、細胞の中のDNAに刻まれた意志なのではないか?

 だから、死を実感し受け入れると煩悩は消える。とすると、煩悩を生じさせるのは肉体そのもの。生命活動そのもの。

 そういうことかな~?

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今月号の『秘伝』は買いだよ

 今月号の『秘伝』は、日本刀特集が面白かったですね~。
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 まず、刀禅の小用茂夫先生が出てらして、非常に示唆に富んだ内容で、読んでいるだけで「あっ、なるほど、そういうことか・・・」と目からウロコが落ちる想いでした。

 昔は、頑なにメディアに出ることを拒んで、ヤダヤダ・・・と、はにかみながら避けておられたのを微笑ましく思い出しますね。

 自分から出たがるナルチシスト武道家が大多数の業界で、小用先生を引っ張り挙げた人達は立派ですよ。

 本当に実力があって深い見識を持って、尚且つ、人柄の良い先生方を取材していって欲しいですよね。

 それから、松葉先生の記事も良かったですね~。

 私も青木先生から頂戴した松葉先生の鍛えた刀を所持しておりますが、武用刀にするのがもったいない美しい刀なので、いずれは研ぎに出して綺麗にしたいと思っています。

 斬鉄剣を作る小林康弘刀匠の記事も面白い!

 そして、青木宏之先生のインタビュー記事も面白かったですね。

 ちなみに青木先生自身は、もう武術だの武道だのの業界にはまるで関心が無くなっているんですが、親しい人から頼まれたら気さくに受けてくださるので、有り難い限りです。

 そういえば、常心門空手道の池田奉秀先生が亡くなられていたのですね?

 池田先生は天才的な空手家でしたね。瞬間の交差入身のやり方は、恐らく御自身で研究されたものなのでしょう。

 真半身で斬り割るように入身するやり方は、切り落としや合撃のような日本剣術の理合であり、沖縄空手とは違って見えましたが、個人的には、こちらのやり方が好きです。

 一度だけ、その当時親交があった武術ライターの方の紹介でお会いしたことがありますが、丁度、来客中だったので、ほとんどお話することはできませんでした。

 不思議なもので、些細なことで縁が繋がったり繋がらなかったりするものなんです。

 私はそういう展開が多いので、すっかり運命論者ですよ。

 でも、本や映像で無数の先輩方に学んでこれたという認識です。

 そういう意味でも、『秘伝』は日本唯一の武術専門誌として頑張って継続していってもらいたいと願わずにはいられません。

 武術の世界はクセ者揃いですが、それがまた麻薬的な魅力だったりもするので、中毒になってしまったりするんですよね~?

 正直、私は宗教的な悟りのこととか全然わかんないし、興味もないし、有り体に言ってしまえば“阿呆臭い”としか思わないんですよ。

「悟って、どうすんの?」って感じ。結局、「俺は悟ってる!」って舞い上がって、大衆を見下して権威主義に浸るだけでしょう? それが馬鹿馬鹿しいっちゅうんですよ。

 二度目の大学は「東洋哲学でも勉強しよっかな?」と思って、仏教系のところに行きましたが、坊さんの偉そうな態度に嫌気がさしてほとんど通わず、武術の練習ばっかりやってましたよ。

 所詮、人間は悟ろうがそうでなかろうが、本質は変わらないと思いますよ。

 どんな格好いいこと言っても、人間は、金に汚かったり、女に目がなかったり、名誉欲が肥大してたり、ブランドマニアだったりする。

 私が青木宏之先生が好きなのは、そういう俗物のところを隠さないところですよ。

「長野さんね~。無の世界、空の世界のその先があって、そのまた、先があったんですよ~」って教えてくれるんですけど、こっちは興味ない(わかんね~もん)から、「はは~、左様でござりまするか~?」って聞いてるんですけど、そのチャイルディッシュなまでの純粋さを80の爺さんが持ち続けているところが、アバンギャルドでしょ?

 大概、隠すでしょ? 聖人君子とか苦行僧みたいな、しかめっ顔して見せるじゃないですか?

 で、そういう人達は私みたいに権威を屁みたいに馬鹿にする人間って一番怖いから遠ざけたい訳ですよ。

 でも、私は別にそういうことしたい人達は勝手におやりくださいって思ってますよ。付き合わないから、関係ない・・・。

 むしろ、そういう俗物なところも残してくれていた方が人間的に魅力的に思えるから、それでいいんじゃないですか?

 私は、そういう欺瞞的な人間をネタにしておちょくり倒すのが大好きなんで、どんどんやってくださると嬉しいです!


 ただ、研究家として警鐘を鳴らさないとマズイと思ってるのは、他人を崇め奉って阿呆ヅラ晒すような連中なんですよ。

 私は尊敬する人はいっぱいいますけど、絶対に崇め奉ったりはしません!

 安易に他人を崇め奉る人って、実は自分がそうされたいという願望を内に秘めているんですよ。邪念ですよ、邪念!

 だから、最後は、「こんな人だと思わなかった! 裏切られた!」って捨て台詞残して後ろ脚で砂かけて去っていくんですよ。

 そんでもって、聖人君子のフリして人を騙すような真似をやって、注意されると逆ギレして逃げるんですよ!

 私のところにも奉りたがるヤツとか来ることがあるんですけど、「帰れ! バカヤロー。お前のような偽善者に誰が教えるか?」って門前払いします。

 ヌルいこと真顔でほざくような、“人生で苦労したことない人間”は、武術なんかやっちゃダメです!

 むしろ、邪念を隠さない青木先生のような人が真の意味で正直者ですよ!

 そうそう、川保さんから頂戴した『居酒屋竜ちゃん』という本を読んで、まだまだま~だ、俺はヌルいっ!と、痛感させられましたよ。
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 何て言っていいのか、わかりません! 取り敢えず、参りましたっ!
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『月刊武道』に稲吉先生が

 あまり技術解説とか載らないので滅多に買わないんですが、書店で立ち読みくらいはするのが『月刊武道』です。

 作家修行するようになって資料本代がかさむので、立ち読みで済ませられる程度なら済ませてしまおうという不届きな考えもあります。

 しかし、今回は、稲吉先生が記事を書いていると聞いたので、橋本駅ミウイの有隣堂さんで買いましたよ。

 稲吉先生は、ダンサーでありダンス振り付け家ですが、何と、ダンスを始めた切っ掛けがブルース・リーだった?というくらいなので、空手、意拳、詠春拳、刀禅、柔法、八神流体術、合気道、刀功門、そして游心流というマニアックの度が過ぎる経験を積まれていますから、実際は普通に武道やっている人より見識が高くなってると思うんですよ。

 記事を読んでいても、普通に武道やっている人だと、そもそも自覚すらしなかったであろう事柄を当たり前のことなのだと思い込んで書かれているフシがうかがえました。

 だから、“異常にハイレベルなこと”を書かれていて、読んだ人達も首捻ってしまうのではなかろうか?と・・・。

 立ち合った時に相手を読む・・・というのは、現代武道の世界でほとんど忘れられている理合(りあい。間違って“りごう”と読んではいけません! 先生が間違っていたら、さりげなく直してあげないと、先生の恥を延々と後世に伝えることになっちゃいますからね?)です。理屈は知っていても、具体的なやり方を知らない人がほとんどです。

 それと、稲吉先生の人柄の良さがにじみ出てますよね。

 大体、武道を専門にやってきていない人が少しでも武道を齧ると自己肥大起こして誇大妄想狂になり易い(作家とか役者とか多い)ものなんですが、稲吉先生は微塵もそういうところが無い!

 松田隆智先生がよく言っていました。

「武道をやったから性格が良くなったんじゃなくて、性格の良い人は元から良かったんだよ」と・・・。

 確かに一理ありますよね? 熟練するに従ってその人の本性が現れてきますもん。

 武道家なんて、そんな立派な人はいませんよ。

 浅~く付き合うだけなら、立派に見える人も居ますが、それは“猫かぶってる”だけで、本性は、み~んな喧嘩大好きで我の強い人ばっかり! もう、断言します!

 だって、考えたら解るでしょう? 他人の顔面殴ったり蹴ったり投げたり首絞めたり関節の逆取ったり竹刀で叩いたりするんですよ? 暴力が嫌いな人間ができる訳ないでしょう?

 どんな理屈を並べようが、いざとなったら暴力でカタをつけたいと思ってる人間しかやらないんですよ。

 しかし、私はそれが嫌いじゃありません。

 何故なら、自分もそうだから。

 特に礼儀知らずなヤツとか見ると、「こいつ、喧嘩売ってんの?」って、すぐ思っちゃう(苦笑)。実際に、無礼者に寸勁かましたり、ビンタ張ったりしてますからね。

 ただし、私は、こういう場合にニコニコ笑ったままやれるので、不気味がられてしまうんですけどね。

 こういう性格は多分、一生変わらないと思うんですよね~?

(それに男に愛情持てないです・・・ムリっす)

 たま~に、尊敬の気持ちは持つことありますけどね?

 例えば、時津賢児先生が意拳を習った時にボコられて悔し涙を流したと連載記事の中で告白されていたのを読んだ時は、「何て、真っ正直な先生なんだ?」と感動を通り越して唖然となってしまいました。

 いや~、立派過ぎて二の句が継げません。

 修行中の若い人や格闘家のように公開の場で試合する人が言うのなら解りますが、時津先生はフランスを代表する著名な武道家ですよ。

 そのポジションの武道家が自分の負けた話を堂々と書くというのは、権威を捨てる覚悟が必要なんですよ。

 何故ならば、武道の世界は勝ち負けの結果だけで優劣を判断する人間が大勢を占めているからです。

 時津先生は甲野氏を前蹴り一触でダウンさせたりしているのに(見てた竹内海四郎さんが言いふらかしたので業界で結構、有名な話で、私が時津先生に直接聞いたら、目を丸くして驚いてらっしゃいました・・・)・・・と、思ったので、ここに書いておきます。

 私ですら、研究家と名乗っているから負けても構わないか?というと、そんな甘いことはありませんよね?

 道場破りに手も足も出ないで負けたりしたら、それこそ「やっぱり長野はヘッポコじゃ~ん!」とバッシングされまくって、会員もどんどん逃げ出して、私は切腹して果てるしかなくなりますよ。だから、なるべく直に手合わせしないように注意していますよ。

 大袈裟だと思います?

 いいえ。私は有名武道家(甲野・高岡・宇城・・・etc)をケチョンケチョンに貶してきているんだから、その反動は凄まじいですよ。

 嫌がらせも数限りなくありましたよ。

 潰しにかかられたことも何回あったか判らなくなるくらいありました。しかも、それまで親しくしてもらっていた人がコロッと豹変して敵になるんですから、義理も人情もあったもんじゃないです。仁義なき戦いですよ。

 だから、どうしても立ち合うしかなくなったら、殺す気で立ち向かわなきゃ~潰されると思ってます。

 私は武道の世界が綺麗事が通用する業界だとは考えていません。憎悪と嫉妬、傲慢と自己愛が渦巻くヤクザ社会と変わらない業界で、表面的に“礼節”を謳っているに過ぎないと思っています。

 そんな世界だから、“武術”でなければ乗り切れないと思ったのです。

 武道も格闘技も力の差はいかんともし難い。体格・体力・年齢・素質がモノを言う世界です。

 精神論や理想論ではなく、現実のチカラでシノギをやっていくしかない。私のように元々チカラが無い者にとっては、戦略戦術を駆使して戦う武術でないとムリ!

 でも、果たしてこれは武道の世界だけの特殊なことなのか? 多分、自覚するかしないかに関わらず、人生のいろんな局面で、誰もが程度の軽重の差はあっても体験せざるを得ないことでしょう。

 学校や職場のイジメ、ストーカー、事故、病気、災害・・・こういうのを一度も体験することなく人生を送ることができる人なんかいないでしょう?

 その厳しさに立ち向かう“気概”を養ってくれるという意味でなら、武道の修行は確かに一定の価値があると言えるかもしれません。

 稲吉先生も時津先生も、そういう真っすぐなブレない心を持ってらっしゃるのだな~と、尊敬の念が湧きました。


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オカルトはなぜ、オカルトなのか?

 オウム真理教の地下鉄テロ事件以降、一時的に下火になっていたヨガ教室も、今では完全に復活してカルチャーセンターやスポーツスタジオのメインプログラムとして常備されている印象があります。

 つまり、それだけ健康法としても美容法としても効果があるという実感が得られるからでしょう。

 特に、欧米では伝統的なヨーガをエクササイズとして改良する試みが何十年も続けられてきた伝統があり、最近では“ホットヨガ”がブームになっているようです。

 日本では、沖正弘や佐保田鶴治といった黎明期を支えた人や、中村天風(インドの聖人カリアッパに出会ってヨガの奥義を学んだという人で、大陸浪人だった時期があるらしく、随変流抜刀術の遣い手で“人斬り天風”と呼ばれた。合気道家で学んだ人が多い)の天風会のような政財界人を巻き込んだ修養団体の中に取り込まれて発展してきた経緯がありますが、個人の修行者によって多くのヨガ団体が生み出されていきました。

 しかし、健康法や美容法として注目している人達は、ヨガの真相については丸で関心も無く、勉強しようとする人はごく一部です。

 インド原産の修行法だと知っていれば御の字というくらい日本のヨガ愛好者の認識は低レベルだと言わざるを得ないでしょう。

 だからこそ、オウム真理教が生まれたと言えるかもしれません。

 今では御承知でない人のほうが多いと思いますが、オウム真理教は元々、オウム神仙の会というヨガ団体から出発しました。

“本格的にヨガを修行し、最終解脱をして悟りを得た聖人であり超能力者”であると月刊ムーの競合誌『トワイライトゾーン』の連載(何故か、ムーに執筆していたことばかり報道されてトワイライトゾーンの連載には触れられていない)で信者を獲得していき、一大カルト団体にまで発展させた訳です。

 教祖の松本が阿含宗(先頃亡くなった桐山靖雄が主催)や和尚ラジニーシの(組織作りの)影響を受けていると指摘されていたように、当時、新興宗教やニューエイジ・ムーブメントの煽りで精神世界ブームがあったのも事実であり、ニューサイエンスと呼ばれたトランスパーソナル心理学の潮流がポストモダンの現代思想ブームとも繋がり、東洋的な修行法に関心が集まっていたのです。

 アメリカでは、ヒーリングやサイコセラピー、手技整体療法、自己啓発プログラム(NLP(神経言語プログラミング)など催眠系心理療法がベース)などを次々に生み出したことで知られるエサレン研究所(オルダス・ハクスリーが主催だったとされる)に代表されるラブ&ピースのヒッピー文化の中にヨーガや禅が中枢を占めていましたし、その象徴的なミュージシャンが、ビートルズだったんですね?

 ビートルズのメンバーがTM(トランセンデンシャル・メディテーション)ヨガにはまっていた(後に決裂!)とか、欧米の俳優やアーティストが日本のゼン(鈴木大拙が広めた禅)とか中国のタオイズム(道教。ヒーリングタオが有名)に心酔したりするのも、この時期以降のブームだったみたいですね?

 しかし、その実態には、マリファナやLSD、ペヨーテ、マジックマッシュルームなどの服用による幻覚体験を神秘体験として持て囃し、現実逃避の白昼夢に酔い痴れる・・・というヒッピー文化の自堕落な体質もあった訳で、だからこそ“カウンターカルチャー”と呼ばれた訳ですね。

 これは、当時のアメリカがベトナム戦争のPTSDに苦しむ人が多かったことからの社会現象だったと言えるでしょう。

 ちなみに、USAという国は、移民によって建国された国であり、キリスト教をバックボーンにしています。宗教的価値観を骨格にしている移民にとっては、例えば唯物論をベースとする共産主義思想は悪魔的なものと思える訳で、だからこそ共産主義思想を徹底排除しようとした訳でしょう。

 しかし、キリスト教、あるいはユダヤ教を信仰したとしても、やはりセクト(党派)が出てくる訳です。

 中でも、魔術的な神秘主義思想は、仏教で譬えれば密教に当たるものとして秘密結社の母体になり易く、中世ヨーロッパの貴族階級の中で遊び半分に悪魔崇拝思想が出てきてオカルトの伝統が確立されていった訳です。

 これは近現代の秘教的魔術結社に繋がり、現在の陰謀史観のブームに繋がっています。

 中でもブラヴァツキー夫人が興した神智学協会は一世を風靡しました。

 真相は希代の山師だったというのが妥当でしょうが、その後のオカルティズムのジャンルに与えた影響は絶大でした。

 アニー・ベザント、オルコット大佐、ジッドゥ・クリシュナムルティー、そして人智学を提唱したルドルフ・シュタイナーが神智学協会から出ていますし、クトゥルー神話を生み出した偉大なるホラー作家、ハワード・フィリップス・ラブクラフトもまた神智学の影響を多大に受けているとされます。

 神智学の特筆すべき点は、西洋の魔術の伝統にチベット密教という東洋のオカルティズムを融合した点にありました。

 そして、アカシックレコードという壮大な宇宙の時間軸の記録(要は、超・運命論)を掲げ、アトランティス人の末裔たるアーリア人種の優性思想を説いた点も“意識高い系の人達”の指示を集めたのでしょう。

 有名な話では、ヒトラーが神智学が説いたチベットの地下にあるシャンバラを探しに行ったというものがありますが、ヒトラーは元々、秘教結社トゥーレ協会に入っていました。

 それ以前からあった秘密結社も神智学の影響を受けたようですし、これによって東西のオカルティズム思想の融合が進んでいきました。

 かの有名なアレイスター・クロウリー(黙示録の獣を自称。マクレガー・メイザースのゴールデン・ドーン(黄金の夜明団)の出身)が自らモデルとなってヨガの教本を出しているのも、何だか、ちょっと微笑ましい感じがします。

 ちなみに、ビジネス向け自己啓発系本の定番である「成功哲学(成功している自分をありありと思い浮かべることで現実に成功に繋がるという現世利益思想。最近は“引き寄せの法則”と名前を変えてプチブーム?)」も、仏教の唯識論が元ネタではないか?と思われますが、西洋秘密結社の秘教の中にも含まれていますね。


 さてさて、以上の背景を頭に納めた状態で、以下をお読みください!

 オカルティズムの中でエヴァンゲリオンにも出てきて注目されたものに“カバラの生命の樹”がありますが、これを人体に対応させたものが“スシュムナー管上に位置するチャクラ”と考えられています。

 ヨーガの行法は、瞑想(内観と呼吸法)によって、最下部のチャクラ(ムーラダーラ)に眠るクンダリーニを目覚めさせて上昇させ、七つのチャクラを回転させながら頭頂のチャクラ(サハスラーラ)より外界に解放することで解脱を得る・・・というのが大まかな修行過程とされます。

 実は私、若い頃にこれやったんです。で、解脱した感覚もありました。もう、物凄くハイになって身体はフワフワ浮いた感じだし視覚はサイケデリックな原色の色が塗られたように風景が見えて、物凄く頭がクリアーになった・・・ような“幻覚”がありました。

 でも、しばらくしてフと気づきました。現実の自分は何も変わっていないし能力が高まったりした訳でもなく、むしろ、その後は体調が悪くなり精神的にもアンバランスになりました。

 以前にも書いているように、パニック障害になったのも、このせいだと思います。

 後々に知りましたが、このような例は、“クンダリーニ症候群”と呼ばれて、ヨーガ行者にも多く発生する独特な病気であり、酷い場合は廃人となってまともな社会生活が送れなくなってしまうのだとか?

 その後、武術と精神世界の業界で、同様の病気になる人を相当数見ました。

 レベルが低いからそうなるのではありません。相当なレベルで熱心にやった人ほど、そうなってしまうのです。

 座禅でも禅病と呼ばれ、「魔境に陥る」と表現されますが、これはメディテーション(瞑想)系の修行法には付き物であり、俗に“狐が憑く”といった「動物霊の憑依現象」にも原理的な共通性があると思われ、専門用語では“ジャーク(宗教的痙攣)”と呼ばれます。

 類似の現象に気功の“自発(動)功”や、野口整体(気合術の松本道別の弟子だった野口晴哉(はるちか)が創始。よく野口三千三(みちぞう)の野口体操と混同されがちだが全く別物)の“活元運動”があるが、これらは身体的なもので、錐体外路系運動と呼ばれる無意識の反射運動であり、禅病やジャークは精神疾患様のもので、放置すれば本格的に発病する危険性があります。

 ヨーガが中国化した仙道を現代的にエクササイズとした気功でも、“偏差”と呼ばれて注意すべき状態とされていますが、多くの場合、性的快感を伴う(脳内覚醒物質の作用と判明している)ので、「気持ちが良いことは正しいことなのだ!」という手前勝手な御都合主義で受け止めてしまう“無知蒙昧なオバカさん”が非常に多い(昔、脳内革命と謳って奨励した医師がいて、「医者が言っているんだから正しい」と盲信するアンポンタンが続出しました)のです。

 よく、苦しい修行に耐える人達を立派な人だと讃えたりしますが、あれははっきり申して単なるマゾヒズムに目覚めただけなんですよ。

 苦しければ苦しいほど脳内麻薬がドッパドッパと出て「チョー気持ちイイ~ッ!」と立禅しながら叫んだ“変態さん”がいましたよ?

 ここまで来ると“ヤク中”と一緒ですから、大体、まともな社会生活できなくなりますからね? 事実、この人はあちこちで詐欺行為を働いた揚げ句に行方不明になりました。

 で、私が何を言いたいか?と申しますと、「俺は命懸けて修行をやっている!」と威張るようになったら人間失格! 単に“底抜けに頭が悪い”だけ!

 そもそも、真の修行というものは、出家して乞食同然の暮らしをするものであって、道場経営と宣伝に明け暮れるようなビジネスマンとは縁がありません! 寝言ほざく暇があったら、ちゃんと社会生活をやって、「いえいえ、私ごとき俗物が武道家なんておこがましくって口が裂けても申せません!」と言うのが身の程を弁えた正しい認識!です。

「もっと、謙虚になんなさい!」と、言ってやりたくなるような勘違いした人が武道の世界には腐るほど実在していますからね?

「人間は世の中で生産的な仕事をすることで社会に貢献し、その行為への報酬を得て日々の暮らしの糧を得るのが正しい生き方であり、自己満足の修行に埋没するのは人類が築いてきた歴史と社会に背を向けた愚者の営みでしかない」と言いたい訳です。

 分かりやすく言うと、「現実逃避」です!

 だから、私は「俺は武道家だ!」と恥じらいもなく公言するような“糞馬鹿”には軽蔑と哀れみの念しか感じません。「お前はちゃんと義務教育を受けたのか?」と・・・。

 はっきり言って、「井の中のカワズ」ですよ。せめて、恥ずかしそうに言いなさいよ?って言いたいですね。

 人間の価値というのは、「人に優しい」ことと「教養が豊か」であること。

「殴り合いの強さ」には何の価値もありません!

 それ以外の人間の価値ってありますか?

 武道の業界では「礼節がしっかりできている」というのを大事にしがちですが、表面的な礼節をどんなにしっかりやって見せられても“ハラの中が真っ黒”だったら意味ないでしょう?

 それでは自己欺瞞であり偽善者ですよ。礼儀正しく振る舞っているから人格が立派だとは限らないのが人間の心の奥深さ・・・。

 よって、私は礼節は評価しません。カタチじゃなくて、本心が外に顕在化した結果を評価しますね。

 やっぱり、私が本当に嫌だな~って思うのは、“自分の得することしか考えない人”ですね?

 人間だから、しょうがないとは思いますけど、平気のへいざで自分の得しか考えない人っていますからね。こういう人は結婚したり家族持ったりしちゃ~ダメ!

 えっと・・・無関係なことをいろいろ書いたと思われるかもしれませんが、実はそうではありません。

 クンダリーニを安易に上昇させると、このような自己愛に凝り固まったモンスターに変化してしまう場合があるのです!

 本当に人格がコロッと変わってしまいますから。

 クンダリーニというのは仙道で言うところの「精」なんですね。

 順番として仙道では「錬精化気」、次に「錬気化神」として、最後に「出神の法」を遣って頭頂の百会(ひゃくえ)から神を解脱させる(俗に言うアストラルプロジェクション(幽体離脱)はこの初期現象と見做される)のです。

 これは精がガソリンで、気がガス、ガスの燃焼でエンジンが動くと考えてもらえばいいか?と思います。

 これが失敗してクンダリーニ症候群となるのは、この錬精や錬気が不十分なまま周天法を行って(経脈を周回させる錬法で、小周天を基本とし、大周天を経て、出神に到る)、気の流れが滞ったり、詰まったり、別ルートに流れて(これが「気が狂う」とか「気違い」の語源)心身に不調を起こすことなんですね。

 余談ながら、伝説ではシャカムニもこの修行法では挫折し、行法そのものを捨てることでサマーディ(三昧)に至り、最終解脱に至ったとされていますから、結論から言えば意識の解放だけで充分かと思います。

 さらに言えば、オカルトとは“隠秘学”という意味であり、本来、一般に公開してはいけない知識であるとされてきました。

 何で、公開してはいけないか?ということは、もう御理解いただけたでしょう?

 そうです。“生半可な気持ちで取り組めば人生を台なしにしかねない危険性がある”からです!

 学ぶ側も教える側も相応の覚悟が必要ですし、真剣に取り組めば良いというものではなく、むしろ、いかにして自分の人生のバランスを取るか?という意識が重要なのです。

 実は、ヨーガの語源は「バランスを取る」というものなのだそうです。

 心身のバランスを取るために取り組む・・・これが正しい取り組み方です。

追伸;霊という言葉も、心霊・幽霊・亡霊・・・といったイメージしかないでしょうが、これも神道では「ヒ」とか「タマ」と読んだりして根源的なエネルギーという意味合いがあります。霊現象を残留思念であると説いた研究家の方もおられました。これもまた唯識論的解釈かな~?と思います。この世は、夢か現(うつつ)か・・・。乱歩的だな~?

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武術と武道・格闘技はどこがどう違うのか?

「武術と武道・格闘技はどこがどう違うんですか?」と、よく聞かれるんですが、質問される方は大体、格闘技をやっている人が多いです。

 何もやっていない人だと、武術も武道も格闘技も区別がつきません。

 だから、どこが違うのか?という質問自体を思いつかない訳で、私も説明するのに骨が折れるので、「長野さんは格闘家なんですよね?」とか言われても、「違いますけど、まあ、そんな感じですかね~」とか曖昧に応えます。

 以前、2時間くらいかけて一所懸命、説明した後で、「で、武術と武道と格闘技って、結局、呼び方の違いなんですよね?」と言われて、ギャフンとしたことがありました。

 もう、全然違うから!

 で、概念を抽象的に説明したところで何も伝わらないということがよく解ったので、現在は例題で違いを感じさせることにしています。

1,スポーツかどうか?
格闘技はスポーツです。武道もスポーツです。武術はスポーツではありません。

2,では、武術は何ですか?
戦闘を前提にしたサバイバル術です。

3,スポーツとは何ですか?
レクリエーションとしてルールを決めて技量を競う競技です。

4,武道はスポーツの括りには入り切らないのでは?
建前上は入り切りませんが、実質的にはスポーツとして社会に認知されているのでスポーツです。これは、戦後に武道が再開される時に規定されています。

5,武道は外国には無いのですか?
武道という言葉は日本の武士道から考案されたもので、文化的に日本だけのものです。

6,テコンドーやハプキドー、ブルムドー、ジークンドーといった外国の武道がありますが?
武士道の文化から採ったものではないので日本の武道とは別です。特にジークンドーは老荘思想のTAO(道)の概念から引用されているので武士道とは無関係です。

7,武術も日本固有のものですか?
武術は、武士道とは無関係です。自己防衛術として世界各地で自然発生してきたものと規定すれば国家や民族・宗教などとは無関係です。

8,自己防衛術とはどういうものですか?
簡単に言えば護身術ですが、もっと広い意味で言えば、「自己防衛を目的とした戦闘術」です。

9,戦闘術とは何ですか? 格闘技とは違うんですか?
戦闘術に一定の定義はありませんが、格闘技とは明確に違います。具体的に言えば、「あらゆる武器を遣って戦う術」であり、その前提は「命のやり取り」です。

10,命のやり取りというのは真剣勝負という意味ですか?
命のやり取りは殺すか殺されるか?という局面であって、真剣勝負というのは「真剣に試合する」という意味ですからスポーツにも当てはまります。ですから基本的には意味が違います。

11,具体的にはどこが違いますか?
まず、試合はルールがあります。当然、殺し合いも禁止され、致命傷を与えるような技や武器の使用も禁止されます。ところが、命のやり取りを前提にしている武術の場合、基本技が致命傷を与えることを目的にしており、武器も遣うことが前提です。

12,致命傷を与える技や武器とは具体的にどんなものですか?
目潰し・金的・関節を逆から折る・喉攻め・首折り等々です。武器は棒・刀剣・槍・弓矢・手裏剣・鉄砲と何でも遣います。また、毒薬や炸裂弾、呪殺術等を伝承する流儀も現存します。

13,そのような技や武器は反社会的で許容されないのではないですか?
無論、遣えば法的に処罰されます。が、生命の危険が差し迫っている状況で自分のみならず家族や友人を護らねばならない場合に、法に触れることはできないと放置しますか? 放置できる人には武術は縁がないものでしょう。

14,そんな状況には一生、縁が無い人が大半ではないでしょうか?
そうでしょうか? 現時点の日本を考えればそうかもしれませんが、世界中に戦火に塗れている地域はありますし、治安の悪い地域も少なくありません。日本ですら、通り魔やストーカー、猟奇殺人犯の事件が起こっています。特にDV被害で死に到る幼児の事件は、具体的に救ってやる人間が必要でしょう。それは法的な対処だけでは解決し切れないのが現状でしょう。

・・・御参考までに!
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DVD感想

九十九式太極拳 岡部武央
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 岡部武央(たけひさ)先生は、私が昔、通っていた中国拳法の道場の大師兄(その道場の一番弟子という意味です)に当たります。
 もともと、琉球古武術、伝統空手、フルコンタクト空手(大道塾)、ボクシング、ムエタイ、合気道(養神館)などを修行されていて、私が初めて会った時は20歳前後くらいだったと思いますが、今でも脳裏にはっきりイメージが残っています。
 震脚(形意拳系)の凄さ、廻し蹴りの爆発的な威力、聴勁のレベルの高さに天才的な素質を感じたものでした。
 その後、1998年に実施された中国深 市で行われた散打自由搏撃国際大会に日本代表で出場し、中量級で優勝。当時の日本人初の散打競技のチャンピオンとなり、また試合内容のレベルの高さから中国の伝統武術の世界の重鎮からも認められたという話も聞いています。
 しかし、私が見るところ、格闘家ではなく武術家、それも生涯一修行者のタイプだと思っていましたし、以後はそのような方向での修行へと向かっていたように思います。
 まあとにかく、そんじょそこらの武道家武術家とは一味も二味も違う人でしたが、私が一番驚いたのは、“結婚した”ということでしょうか?(現在、二児がいるそうです)
「ええっ? 結婚するの?」と・・・そんな庶民的な生き方をするイメージが全然なかったもんですから・・・。
 意外だったのは、結婚しても方向性が変わらず、むしろ、より視野が広がって武術を生活者の観点から老若男女、誰もが無理なく取り組めるものとして普及活動をするようになったということでした。
 結局、ただ格闘や喧嘩のレベルの強さを求めるだけというのは特殊な趣味性の問題でしかなく、しかも世間一般的にはまともな評価が得られるものではありません。
 プロ格闘家が現役引退してからヤクザの用心棒やったり事件起こしたりする例があるのも、その証明ではないでしょうか?
 昔の武術家が武術の腕を隠して平凡な生活を志したのも、日常の生活に直結する仕事にはなり難かったからだと思います。
 私の場合を例とすれば、やっぱり“もの書き”としての意識の方が強いですし、武術家扱いされても困惑するだけですよね?

 岡部先生とは、ここ何年も直にお会いしたことがなかったんですが、突然、「DVDを作ったので、よかったら見てください」と電話を頂戴したので、懐かしさもあっていろいろ話し込みました。会ってない間の情報交換も楽しかったし、昔よりも価値観が近くなったのかな?という気もしました。
 で、ふと「何歳になったんですか?」と聞いたら、「44歳になりましたよ」とのことで、私は最初に会った19歳くらいの頃からイメージがまったく変わらないので、そこが一番のビックリでしたね。
「そんなこと言っても、長野さんも、もう50は過ぎてるでしょう?」
「はい、53ですよ(笑) 明治時代だったら爺さんですよ」
・・・人間、精神年齢はちっとも上がりませんが、肉体の年齢だけは着々と進んでいくんですね~?
 贈ってもらったDVDは、台湾の武術家・王樹金老師が伝えたことで日本では割合、普及している(中国拳法連盟・柔拳連盟・楊柳会などなど)九十九式太極拳の套路をきめ細かく教える内容で、岡部先生が日常的に指導しているような内容をそのまま収録しているらしく、DVDを見ながら練習するのに非常に適した構成になっていました。
 まず、ストレッチで身体をほぐし、意拳站椿功と試力で錬功し、太極拳の套路を練習するという順番になっています。
 私はてっきり技の用法なんかもやっているのか?と思っていたんですが、徹底してシンプルに無駄を省いて“DVDを見ながら練習する”というコンセプトで作られたのだと思います。
 あるいは、格闘技の世界をくぐった岡部先生ならでは、通り一遍の用法など解説したところで実戦に通用するものではない!との見識からやらなかったのかもしれません。
 いずれにしろ、「基本をしっかり練習すれば、健康法にも護身術にもスポーツにも何にでも応用できるんですよ」というメッセージが感じられました。
 武術の世界はナルチシストの巣窟で、迂闊に道場を選ぶと危険な世界です。
 私も「どの道場がいいでしょうか?」と、しょっちゅう質問されるんですが、なかなか、「ここがいいですよ」とは言えないんですよ。
 多くの人が、「TVに出たり専門誌に紹介されていたり本を書いていたりする先生なら信じて間違いないだろう」と思いがちなんですが、武術に関しては大間違いです。
 有名であることが本物の証明にはならない(現代はネットを使って自分で宣伝できるのでショーンK方式に経歴捏造している人もいるから要注意!)し、仮に教えている先生の実力が凄くとも人格が破綻していて、まともな指導ができない人もいたりするのです。
 それと、これを言ってはオシマイかもしれませんが、基本的に武道武術の指導者は無教養な人が多く、「理屈を言うな。無心に練習に徹しなさい」という教え方が伝統的なので、言葉で説明したり稽古法を体系的に工夫することを軽視するのです。実力があればバカでも尊敬される不条理な世界なので、そのような特殊な価値観が定着したのでしょう。
 私は本当に、武道武術をやっている人と話していて、「何て、無知無教養なんだろう?」と呆れることが度々あります。ビックリするほど知識が無い人が指導者やっていたりすると、他人事ながら心配になりますよね?
 しかし、世の中、よくしたもので、そんな指導者の下には“類は友を呼ぶ”で似たような無知な人ばかり集まるので、特に問題が起きなかったのでしょう。
 でも、そんな人物が第一人者として世間に出たら奇人変人扱いされて終わりです。
 中には、パフォーマンス的に自己演出してサブカル風のポジションを築く人もいますが、やっぱりメジャーな評価は受けられないんじゃないか?と思いますね。
 良くても専門家馬鹿で終わりです・・・。

 岡部先生は幅広く、いろんな流儀を学んでいます。
 武術のみならず整体療法やヨーガ、気功、マクロビオティックにも造詣が深い。東洋医学的な身体観に関する教養の高さが群を抜いています。
 そして、何よりも私が推薦できるのは、“人柄が良い”という点です。
「思無邪(おもいよこしまなし)」という言葉に尽きます。
「悪いヤツに騙されなければいいけどな~?」と昔は心配だったんですが・・・(苦笑)。
 そのような意味でも、「道場に通って習いたくても、どうすればいいか判らない」と考えている人に絶好の独修できる教材DVDであると思いました。
 販売は、クエストさんで扱ってもらっているそうなので、是非!


[連絡先]
九十九式太極拳の会(主催・岡部武央)
takehisanda@hotmail.co.jp

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青木先生久々にTV登場

 TV東京の名物番組『YOUは何しに日本へ』に、剣武天真流の合宿に参加するイタリア人二人が空港で取材スタッフに捕まり?「けんぶ? 剣道のことか?」と、荷物を見せてもらって模擬刀を見て「剣道じゃないみたい?」と興味を持った取材スタッフが調べて剣武天真流の合宿を取材した・・・ということでした。

 確かに「けんぶ」と聞いても、ピンとくる人は少ないでしょう。多少詳しい人なら“詩吟・剣舞”の剣舞を思い浮かべるかもしれませんが、一般人のみならず一般的な武道しか知らない人だと「武道に“けんぶ”なんてのあったっけ?」と思うでしょう。

 そもそも剣舞は日本舞踊の一種として認識されていますが、古流居合や剣術の流派が明治以降に存続が危ぶまれた時に“踊り”として伝承されていった裏事情があるのです。

 例えば、田宮流居合術の先代宗家である妻木正麟先生は田宮神剣流という剣舞を主体とする流派を継承されていて、田宮流の正統嫡伝が途絶えていたことを憂いて居合術の名門である田宮流の再興を祈念して田宮流を名乗られた・・・という経緯があったと聞いています。

 妻木先生が立派だな~と思うのは、他流の居合師範にも教えを受けにいって技術的な田宮流の再興に努力されたという点でしょう。古流武術の世界に圧倒的に多い名前の権威にばかり固執している人にはできないことですよね?

 青木先生にお聞きしたところでは、剣武天真流のコンセプトをスタッフに説明して理解してもらうのに、えらい苦労をしたということでしたが、仮に武道やっている人だったとしても同じだったでしょうね。

 私は青木先生が剣武天真流を創始する過程を見ていたので、よく解りますが、そうでなければ演武だけ見ても意味が解らないでしょう。

 かつて青木先生が新体道を創始した時、従来の空手道のほとんどの形を分析してエッセンスを抽出して作ったのが天真五相であり、インスピレーションを得て極意として纏めたのが栄光。基礎的心身を作るのがワカメ体操であったり開脚前進、連続反り跳び。

 これらは親和体道(現在は親英体道)の理合を融合した中から武道の根源的理合としてエキスを絞り出したものでした。

 具体的な武技としては新体道棒術や新体道空手、新体道剣術、新体道柔術、新体道杖術などで交叉法と縮地法、読みなどを養成する構成になっていた訳です。

 青木先生自身は気合術や催眠術、ヨガの瞑想といったことを研究しつつ、手裏剣術やナイフ術なんかも研究したらしいですね。

 なので、新体道は一般的には武道らしくないし稽古体系が見えにくいのですが、私にとっては非常に示唆に富んだ優れた武術となりましたね?

 実際、新体道の技だけ使って手合わせしたこともありますよ。「あんなの使えない」と馬鹿にした人に対して・・・。

 結果、その人は放心状態になっていました・・・。

「ねっ? 私みたいにちょっと真似しただけでも、これだけ威力があるんだから、青木先生が弱い訳ないでしょ?」って言っときました。

 で、この新体道と剣武天真流は別々に考えられたものだそうですが、最近は融合してきているように見えます。

 新体道の欠点としては、異常に体力を使い過ぎるように思いますし、だから私も入会はしなかった訳です(陽性気質の人向き。私のように元々が陰性気質の人間だと体力的についていけません)が、剣武天真流は体力の無い中高年が始めても無理なく上達していけるように作られています。

 これは、やはり、青木先生が70歳を過ぎてから創始したという事情とも関連しているでしょう。

 日本刀を使うことに抵抗感を持つ人もいると思いますが、日本刀というのは身体操法を助けてくれる道具として非常に優れているのです。

 私も独己九剣の型を作ったのは、素手では会得できない武術の奥義(読み・見切り・無刀取りなど)を体得するのに手助けになると考えたからでしたが、もしかすると青木先生もそう考えておられたのかもしれません。

 番組は、取材スタッフが“けんぶ”という謎の武道を探る・・・という展開で進みましたが、非常に楽しくドラマチックでもありましたね。

 主人公であるイタリア人二人が昇段審査に挑むも落ちてしまう・・・という展開が、嘘が無くて逆に良かった!

 番組中、武神館に行く外国人を捕まえて、ちょこっと初見先生が紹介されるのも面白かったですが、多分、あまりに多いので今回はパスッてなったのでしょう。

 それにしても、日本のTVメディアは本物の達人を紹介しないでインチキ達人ばっかり紹介する傾向がありましたが、少しは見る目ができてきたのかな~?と・・・。

 BSプレミアムの初見先生といい、今回の青木先生といい、海外で評価されている凄い先生をもっと紹介していって欲しいですね?


 話は変わりますが、東京都知事選、鳥越さんが決死の覚悟で出馬し、宇都宮さんが断腸の想いで断念されたのに、私は何か非常に感動しました!

 男は負けると判っていてもやらなきゃならないことがあるんですよ!

 戦争を知らないボンボンに好き勝手にさせていてはいかん!という老兵の覚悟を見せてもらった気がしますよ。

 権力にくるまって自分の安全しか考えない小市民しかいなくなったと思っていた中、このお二人はカッコイイな~?と思いました。

 保守だの野党だのうるせーって言いたいんですよ!

 私は組織だの権力だのクソみたいなもんに奴隷根性で従う国に未来はないと思います。

 周囲の顔色うかがって自分を殺して生きる人生に何ほどの価値がありますか?

 先日のセミナーの後で、「先生は猪木とアリの番組についてどう思われますか?」って質問されたんです(技術的なことが聞きたかったんでしょうね?)が、「試合なんぞどうでもいい。アリがベトナム戦争の徴兵を断って非国民扱いされながらも“どうして恨みもない人間と殺し合わなきゃならないんだ”と言ってのけた姿勢こそが素晴らしい!」と答えました。

 生前退位を示唆されたという天皇陛下も、同じ考えだと思います。

 民衆を大切に思わない国家観はダメですよ。自国民を護るためなら他国民は殺して構わないんですか?

 戦争の論理は国家が主体であって国民は蚊帳の外。

 でも、天皇陛下は本当に国民のためを考えていらっしゃるんだな~・・・と思います。

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初見良昭先生

 戸隠流忍法体術“武神館”館長として長年指導普及をされてこられている初見良昭(はつみまさあき)先生がBSプレミアムで特集されていました。

 久々に初見先生の技を拝見して感銘を受けました!

 もう触れるだけで相手を固めてしまっていたり、指や拳をちょいっと摘まむだけで激痛を与えてコントロールしてしまう骨指術の様子は、相当に武道をやっている人でもチンプンカンプンで何をどうやっているのか判らないでしょう。

 しかし、私は最初に通った町道場が戸隠流の野口先生の道場でしたから、基本的なやり方は判ります・・・が、あまりのレベルの高さに絶句してしまいましたね?

 合気道やシステマの方がまだ判り易いです。

 流れで相手の重心をコントロールしているからです。

 ところが、初見先生ときたら、相手の流れをプチンと切って固まらせてしまうので、もう、やりたい放題で無人の野を行くがごとし!

 要するに、相手と戦わないで自滅させてしまっているのです。

・・・と解説したところで、真似できます? もう、幽体離脱(アストラル・プロジェクション)して戦っているようなもんです。

 まさしく、虚実を使い分けておられる訳ですが、御自身は虚・虚・虚・・・です。

 長瀬先輩は明確に虚と実を使い分けておられるのが見えるので、技の鋭さと柔軟さが判別できますし、一見、それが判るから初見先生より強く見えるんですが・・・やっぱり、本当に達人を超えてしまうと強いのか弱いのか外見からはさっぱり見えなくなりますね?

 私、ここ何年かでようやく判ってきましたが、本当に武術を極めると形が見えなくなってしまうので、強さも何も外見から判別できなくなるし、俗に言う“内功・内力”でさえ外からは見えなくなってしまう・・・ということに気づきました。

 だから、強そうに見えないし、底が知れない。判らない。だから抵抗できない。

 現実にやられているのに何故やられてしまうのか判らない。だから、コテンコテンにされているのに顔は笑ってしまう・・・。

 FBIや海兵隊、モサド・・・なんかの、普通に戦えば空手や柔道の高段者でも勝てないような猛者が、コントのようにやられてしまいながら痛がって悶えていたり、クニャクニャに固められて苦笑したり、半泣き状態になっている様子は、ここ最近の「世界の人が日本を尊敬している!」路線のヤラセと比べても、圧倒的過ぎて、どう反応していいのか判らない・・・。

 判らない・判らない・判らない・・・???と、無限にクエスチョンマークが続いているような印象で、まさしく、「これが忍法(NINPO)だっ!」という印象でした。

 初見先生は武道武術の世界で、これまで誤解されまくってきました。

 古武術の世界でもインチキ扱いされたり、現代武道の世界からも怪しまれたりしていました。

 しかし、その技の卓越した応用変化の自在性については、実は斯界の第一人者から脅威として見られていたのです。

 一人は、養神館合気道の塩田剛三先生。

 実戦合気道の第一人者と言われ、他流何するものぞ!との気概を示し、かの今武蔵と呼ばれた鹿島神流の国井善弥師範が植芝盛平翁にしつこく挑戦していた時に、「私が先生の代わりに立ち合います!」と申し入れる程の熱血漢だった、あの先生ですよ。

 あの塩田先生が唯一、「戸隠流忍法侮り難し!」と言っていたそうです。

 もう一人は、松田隆智先生。

 中国伝統武術の存在を日本に伝えて、本場中国の武術界から大恩人として尊敬されている松田先生が、私と雑談している最中に、「あの初見さんは凄いよな~。あれだけ自由自在に古武術の技を応用させられるのは大したものだよ」と、突然、さも感心したように言われたのを、私はよく覚えています。

「日本の古武術の凄さを世界中に広めてくれたのは、本当に有り難いと思う」と付け足されていました。

 会ったことは無いと言われていましたが、どこかで演武を見られたのでしょうね?

 それと、もう一人。古武道研究家として活躍されていた高橋賢先生も、私と雑談している時に、「初見先生は凄いね。戸隠流が正当かどうかはともかく、あれだけ技を自由自在に使えるのは大したものだ」と、ほぼ松田先生と同様の感想を言われていました。

 いずれの方も、武術武道に関する見識に関して斯界の第一人者と言える人である点が、初見先生の客観的評価として信用に値するのではないでしょうか?

 私自身、自分で学んだ経験が無ければ、理解できなかったかもしれません。

 そのくらい一般的な武道のセオリーとは逸脱しているのです。

 その逸脱の仕方は新体道に近いかもしれませんが、一見、摩訶不思議ながら実は非常に実用的な護身術として体系立てられている点を見なければなりません。

 そうでなければ84歳の年齢でモッサリと動いていながら屈強な若い武道家をコテンコテンにしたりはできません。

 私は武術の研究家として、日本に戸隠流忍法体術という流儀があってくれて良かった!と、心の底から思っています。

 そして、自分が目指すべき方向は、これだな?と、ぱっと目を開かせてもらえたような気がしました。素晴らしい番組でした!

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青木先生讃寿の御祝い会DVD

 3月6日に青木宏之先生の80歳の誕生日をお祝いする会を撮影していたDVDを天真会から贈って戴きました!

 青木先生が作品(書)を書かれている様子も収録してあり、新体道や剣武天真流の演武や師範の書のパフォーマンスもあり、バースデイケーキを刀(真剣?)で切ってしまう青木先生らしい肩の凝らない内容で、改めてパーティーの様子を思い出しました。

 それにしても、時間の経過するのの早いこと早いこと・・・。

 今年の3月にあったことなのに、もう何年も前のことのように思えてしまうのは、青木先生が常に進化し続けているからなのかな~?と思えるのです。

 DVDの最後に来場者と写っている青木先生の静止画が次々に出てきますが、私も出てきて、「あれっ? いつの間に撮ってたんだろう?」と思いました。

 そういえば、この時にBABの記者の方も来られていて『秘伝』に載るということだったので『セーラー服忍者』も宣伝したんでしたよ!

 青木先生のお陰で記事にしてもらえました。ありがたや~、ありがたや~・・・。

 しっかし、ま~・・・地震は起こるはテロが頻発するや、世界はこれからどうなっちゃうんでしょう?って時代に、私は武術やっていたお陰で、いろんな異能の人とお付き合いさせて戴いて、やっぱり超強運の持ち主だったんだろうな~?と思うばかりです。

 私は本当に権力が嫌いです!

 何でか?というと、人間は権力持ったら人を人とも思わなくなってしまうからです。

 尊敬できる政治家って、全然、思い浮かびません。

 武道の世界も政治的権力志向の強い人が多いですが、青木先生はまったく無い!

 私がまったく無名などこの馬の骨クン状態だった頃から、今に至るまで一切、対応が変わりません。

 だからなんでしょうが、当日、会場に集まった人達は有名無名問わず、皆さん、青木先生の人柄が好きで付き合いのある方ばかりだったのでしょうね。

 青木先生と縁があったことに感謝!と思っているのは私ばかりじゃないでしょうね?


追伸;7月11日(夜6時55分~8時TV東京)の「YOUは何しに日本へ?」に青木先生の剣武会員イタリア人二名様が出演するそうですので、是非、ご覧くださいませ!

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クマ出没の理由

 何やら、野生のクマが出没して事件になっている様子で、私の住む相模原市にも出没している(ラーメン屋のガラスドアにクマの足形が・・・)のだとか?

 この分だと市街地に出てくるのも時間の問題か?と思います。

 本州に住むのはツキノワグマで、北海道のヒグマと比べると全然、おとなしくて人も襲わないとされてきました。

 しかし、今回のクマ騒動では人を襲って食べた形跡があったのだとか?

 要するに、人間もエサだと思ったのでしょうが、以前は、「人間を怖がるから大声で威嚇すれば逃げる」と言われていました。

 何故、人間を怖がらなくなったのでしょうか?

 私が推測するに、狩猟人口が激減したからではないか?と思います。

 日本は銃規制が特別厳しく、狩猟期間も制限されています。

 その中から大型の獣を撃つにはスラッグ弾(散弾銃用の一発弾)を使うか大口径のライフル銃を使わねばなりません。

 鳥や小形の獣を撃つのに使う小粒の散弾銃や空気銃(ポンプ式・サイドレバー式・CO2ガス式)、あるいは標的射撃用の22口径のスモールボアライフルでは仕留められません。

 しかし、大口径ライフル銃の所持(日本でもスナイパーライフルの定番である338ラプアマグナム弾を撃てるライフルが所持可能)は散弾銃所持歴10年を越えないとダメという規制があるので、ベテランしか持てません。

 そんな理由もあるのでしょうが、近年、狩猟人口が激減していると言われているそうです。

 やる人が少なければ経験値も高まりません。

 狩猟は銃を持っていればできるというものではなく、猟犬も必要だし、獲物をさばくハンティングナイフの使い方も知らねばなりません。

 猟場は基本的に山ですから、車も必要です。

 もちろん、狩猟と銃に関する法令も知らねばなりません。

 個人で勉強して揃えるのは困難なので、都道府県の猟友会に入るのが必須でしょう。


 日本では事件が起こると武器の規制が必要だという論調になりますが、もっと多角的に検討して実効性のある対策を考えていかなくてはならないでしょう。

 どうにも、勘違いしているな~?と思うのは、武器さえ持っていれば大丈夫だと思っている人が多い点です。

 武器は道具ですから、使いこなせなければ役に立ちません。

 私、ガラケーからスマホに変えて一カ月経過しますが、基本操作に慣れるのに四苦八苦して北島師範に教えてもらいましたよ。パソコンはまだ満足に使えません。

 カナダなんかでは巨大なグリズリーベア(灰色熊)に対して、大口径ライフルとは別にマグナム弾を使う拳銃を携帯するのが常識だそうです。ライフルが壊れたり、咄嗟に至近距離に迫って来られた時には取り回し易い拳銃が必要だからです。

 ところが、かの有名な44マグナム(一発で象も倒せるとか、車のエンジンを撃ち抜くとか誤解されていた)であっても、実は一発で灰色熊を仕留めることはできないそうで、「五連射して、それでも倒せなかったら最後の一発で自殺しなさい」という冗談みたいな教訓があるそうです。

 でも、実際に六発全弾使って、ようやく熊を仕留めて助かった人もいたそうです。

 これが狩猟の現実なので、ワイルドキャット・カートリッジと呼ばれる自作の弾丸で44マグナム以上の強力な弾丸が作られたりしていたそうですね?

 454カスール(44マグナムの二倍)とか500マグナム(同じく三倍)なんかも元々はワイルドキャット・カートリッジから量産化されたのだとか?

 こういう狩猟用の強力な弾丸からすると、日本の警察官の使うニューナンブやSIGの弾丸では麻薬中毒のマッスル外国人を制圧するのは難しいのではないか?と思われますし、そもそも、訓練しなさ過ぎなので、TVドラマのようにはいかないでしょう。

 警察官の自殺事件がよくニュースになりますが、ろくな備えも無いのに凶悪犯に向かったりしなきゃいけない仕事なんだから、本当に同情しますよ。

「クマが出たから何とかしてくれ」って通報で駐在さんが向かって、拳銃使ったものの、クマが凶暴化して大怪我してしまった・・・なんて事件がそのうち起こるんじゃないかな~?と、心配ですね。

 そういえば、暴れている犬に何発も発砲したといって問題視しているようなニュース番組がありましたよね? 警察官の身になってみろ!って思いましたよ。

 犬や猫だって本気で向かってきたら野獣と変わらないんですから・・・。

 ショッピングセンターで包丁で客を刺したりするような甘えん坊バカなんか、アメリカだったら警備員に射殺されてますよね?

 死にたきゃ~、一人で勝手に死ねばいいんです!

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アフガニスタン・ブシドウ

「アフガンのサムライ」と呼ばれた田中光四郎先生が、インターネットTVで取材されたそうで、動画を拝見しました。

 私は以前、光四郎先生の本を手伝わせていただいた時に資料をお借りしたのでいろいろ見ていたんですが、写真でしか見たことがなかった、アフガニスタンでの光四郎先生がムジャヒディンに武術を教えている様子も見れて、ドキュメンタリー映画のようでした。

 しかし、「武道家として本当の実戦の場に立てた自分は幸せだ」と言いつつ、実際に何人かの人命を奪ったという後悔の念も滲ませたインタビュー映像は非常に重いです。

 旧ソ連軍が突然、アフガニスタンに侵攻し、現地ゲリラ“ムジャヒディン”が迎え撃ったのがアフガン紛争。大国の暴挙に義憤を感じ、単身、義勇兵を志願してアフガニスタンに渡った光四郎先生でした。

 後に“人間の盾”にも志願した光四郎先生は、オウム真理教の地下鉄テロ事件が起こった時にも、教主、麻原を殺そうとしたことがある。

 光四郎先生は、情の人です。世のため人のために自分の人生を捧げたいという願望があって、それを実行する勇気がある・・・。


 日本でも、私の父親より上の世代(90歳以上)は太平洋戦争で戦った人が数多くいました。

 私の父の兄弟の長男は潜水艦に乗っていて魚雷で撃沈されて亡くなっていて、実家に写真が飾ってありました。

 母の家族は終戦まで満州に居たので、日本に帰るのに大変な苦心をしたそうですし、帰ってきたら土地とか大分、奪われてしまっていて、満州時代とは段違いの貧乏生活を余儀なくされたそうでした。

 今の日本人は、祖父や曾祖父の時代の戦争を生き残った人達の末裔だという自覚があるでしょうか?

 私は子供の頃に戦争の話ばっかり聞いて育ったので、「戦争は絶対悪である」という意識が強いです。天草は長崎にも近いですから、長崎で被爆した人も結構いらっしゃいました。だから、戦争映画を英雄的に描く作品には拒否反応がでます。

 今でも世界中で戦争に苦しんでいる人達は大勢います。

 ヒロイズムとしての右翼の主張を私は嫌悪しますが、現実に戦闘の場に居たら、自分はどうするだろうか?と考えると、そうそう簡単に答えはでません。

 光四郎先生の行動が正しいのか間違いなのか・・・私には何とも言えません。

 義の精神は容易に“偽”にすり変わってしまうからです。それは光四郎先生自身も実際は痛感されているのではないか?と思っています。

 私は、新宿の焼き鳥屋で、「私は人を殺してしまった人間です。もう、生きてる価値が無いんです」と、涙をこぼした光四郎先生こそが好きです。

 思想ではなく、人間は“情”で動くからこそ人間なのだと私は思います。

「人を一人殺せば人殺し、何千何万と殺せば英雄」と言われます。

 この言葉が、“大義”の欺瞞性をよく表現していると思います。

 映像を見ていて思ったのは、光四郎先生の悲しそうな眼でした。自分の中の業の深さを持て余した人の眼であり、達観も超然もしていません。悟りなんて美しい言葉とは真逆の、だからこそ、“人間らしい慈愛を秘めた眼”です。

「実戦を体験できたから武道家として幸せ」だと言う価値観は、最早、“狂気”と言わざるを得ませんが、残念なことに私にはよく理解できる。共感してしまうのです・・・。

 本能として闘争を求める欲望が多かれ少なかれ、男には有ります。

 これは女性には理解しにくいところだと思います。

 最近は、この本能が非常に希薄な男も多くなっていると思いますが、社会環境の中で飼い慣らされてしまったと言えるかもしれません。

 沖縄の駐留米軍の軍人や元軍人が女性を襲って殺した事件に関して、TVである人が、戦争体験のトラウマで自己コントロールできなくなった・・・という意見を述べていましたが、これはある程度、納得できる面があるでしょう。

 殺し合いの場に立つことで理性が消し飛び、野獣の本能が剥き出しになってしまう。

 戦争は人の命を奪い、人の心をも殺してしまうのです・・・。

 武道や格闘技も、熱心にやっている人が自制心を失ってしまいがちなのも事実としてあります。そういう実例を沢山見ましたし、私自身も若い頃に「武を極めるには実際に人を殺してみる必要がある」という狂気に駆られた時期があり、その当時を知る親友からは、「あの頃の長野はヤクザ者に見えたよ」と言われました。

 私は実行する勇気がなかった。それが幸いでした。

 今になってから考えれば、社会の中でまっとうに生きられない自分に対する自己憐憫であり、現実逃避だったのだと自己分析しています。

 うちの会入会希望してくる人の中にも現実逃避しようとしている人がいます。武術を極めれば周囲から尊敬され生活も潤うと勘違いしている人もいれば、社会生活そのものを何も考えていない愚か者もいます。

「立禅を修練していると理性より本能が優位になって、野獣のような闘争本能を発揮できる・・・だから“強い”のだ」と説いたりする人は、多少なりとも社会性を失いつつあるのです。

 強さだけ求めていると、こういう発想になってしまいますが、こうなってしまえば、もうまともな社会生活ができなくなってしまいます。理性より本能が優位だというのは危険なことなのです。それを自覚していない。

 重要なのは、「いかに、自己コントロールするか?」ということであり、それこそが本当の武術の極意です。

 映画『椿三十郎』で、「本当に良い刀は鞘に入っているものですよ」と家老の奥方が三十郎を諭すシーン・・・あれが作品の本当のテーマだったのでしょう。

 ラストでライバルを倒した三十郎に若侍達が「お見事!」と言うと、「バカヤロー!」と三十郎は激怒して叱り飛ばしますが、“自分みたいな鞘無しの刀になっちゃいかん”という意味のことを言い残して去っていきます。

 私は、この映像を見ていて、この映画のシーンを思い出しました。光四郎先生は“鞘に納まっていられない刀”なんだと思い至りました。

 そこが魅力でありつつ、下手に触れれば傷つく・・・。他者に向ける憐憫の眼差しは、実は自分に向けられる筈だったのかもしれません。

 生存の理由。生きるための戦い。殺すための戦略・・・。

 死に場所を探すということは、生きた実感を最大限に味わいたいという願望。それは、戦いの中で死にたいという狂気であり、魔的(デモーニッシュ)な欲望です。

 それだけの人であれば、私は軽蔑するだけ。しかし、悲しみを湛えた光四郎先生の眼にこそ、魂の救いが有ると私は思っています。

 いちずにギラギラとした眼で師への尊敬と憧れを口にするお弟子さんには、どうか、光四郎先生の埋めようのない悲しみを見て欲しい!

 どんな理屈をつけようが、人殺しは人殺しなのだという厳然たる事実・・・。

 チンケなヒロイズムで祭り上げたりしないで欲しい!

 その悲しみの情こそが、人間・田中光四郎の真実だと私は思います!

 他意はありません。

 失礼に受け取られるのを承知で、率直に感じたままに書きました・・・。

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震脚で脳震盪は起こらないか?

 陳氏太極拳の安田先生が『秘伝』の連載中で、「震脚で脳震盪が起こったりはしない」という旨のことを書かれていました。

 専門に学んだ方なので、「嘘が広まってもらっては困る!」というお気持ちで書かれたのだろうと推察します。

 ただ、きちんとした先生に学んでいる方だから言えることではないか?と思います。

 震脚と一口に言っても陳氏太極拳だけが行うものではなく、例えば、私は陳氏太極拳は学んだことがなく八極拳を少し練習しただけですが、以前、松田隆智先生からお聞きした話で、大学生に教えていた時に、震脚を打った学生が脳震盪を起こして倒れたことがあったという話でした。その方は知っている方だったので驚きました。

 で、私も研究段階で「下手に震脚をやると脳震盪を起こす危険性がある」という事実を体感したことが何度もあって、「これは姿勢とかやり方とか注意してやらないと危険だな?」と思うようになって注意を促すようにしている次第です。

 安田先生が主張されているように、「まともな先生にきちんと学んでいれば、震脚で脳震盪が起こるようなことはない」のだろうと思いますが、日本で中国武術を学んでいる圧倒的大多数の愛好家は、“まともな先生にきちんと学ぶ機会はほとんど望めない”という現実を視野に置かれていないと思うのですね。

 特に私のようにいろんな流儀を実践研究している者は、“下手な練習”を膨大に積み重ねていく中から真相に近づいていく手法をとっているので、当然のことながら、身体中、故障しまくっています。

 よく、「練習で身体を故障するようでは実戦の時に困る」という中国武術家の意見もありますが、実戦で無傷に済む道理が無く、実戦を想定した練習での傷は勲章みたいなものであって、安全安心なだけの練習を延々と続けていて、急に苛酷な実戦に対応できるものかどうか? 考えるまでもないでしょう。

 十数年前にある中国武術家にケンカを売られて買いましたが、まともにケンカの一つもやったことがない人なのがすぐに判りました。安全安心な練習の中で自分の腕前を勘違いしてしまったのでしょう。後日、その人が全日本チャンピオンだったことを知って二度ビックリしましたが・・・。

 最近は、まともなケンカの一つも経験無いような人達が武術家を名乗っている実例が多い様子ですが、「よく、名乗れるな~?」と他人事ながら心配になります。

 武術の世界は伝統的にヤクザ社会と極めて似ていますから、本当の実戦派武術家はヤクザや秘密結社と兼業だったりすることも、ちっとも珍しくありません。公表しないから知られていないだけの話です。

 ともあれ、そうしたことも含めての経験の中から、私は「こうやったらマズイ。こうやった方がいい」という方法論を常に改善進行中で提供していくようにしている次第です。

 だから、私は「自分のやっているやり方が正しい」という言い方はしません。

 正しいかどうかの判断基準は結果オーライであり、権威主義的な正解とは固定観念の枠から永遠に出られない代物でしかありません。

 私は自分の研究を既存の武術観や武術理論に対する脱構築だと認識しています。斯界で言われている正解をすべて疑って実験検証していく作業が必要だと思っています。

 その作業の中から、「真剣白刃取りは不可能。実際の無刀取りとは違う」とか、「日本刀を逆手持ちで斬ってもちゃんと斬れる」とか、「背負太刀の抜き納めは左肩越しでないとできないというのは嘘。練習すれば右肩越しでもできる」・・・といった斯界で常識とされていた事柄を検証してきました。

 どうしてか?というと、百の流派があれば百の正解を主張するものだからです。

 つまり、本当に正しいのがどの流派か? どの先生が正解を知っているのか?

 こうしたことは皆目わからない。正解に迫るには権威者の発言を疑って、自分で実験検証していくしかありません。

 仮に、真の正解を知っている先生がいたとして、それをそのまま弟子に伝えるかどうか? 私は大いに疑問です。

 武術家は聖人君子ではなく、「包み隠さず何でもお教えします」と言っている先生が、実際は嘘はっぴゃくで金儲けしか考えていなかったりするからです。

 特に日本も中国も伝統武術の世界は秘伝だらけで、金さえ払って熱心に練習していればすべて教えてもらえる・・・なんて甘い考えはまったく通用しません。

 構造的に嘘を教えて飼い慣らしておき、「これは!」と思える弟子一人だけを選んで極意相伝するというのが“常識”だからです!

 無論、何人もの伝統武術修行者から、「そんなことはない! 昔はそうだったかもしれないが、現代では包み隠さず何でも教えてもらっている!」と反論されたことが何度もありました。

 ところが、そう言っている人の実演を見ると、本人は得意満面に「これが正しいやり方だ」と披露しているのですが、私から見ると、ものの見事に型の形式だけしか教わっておらず、技を崩して応用変化させて用いることや、基本となる戦闘理論がゴッソリ抜け落ちているのです・・・。

 つまり、カモにされて大金をふんだくられながら、嘘を教えられていた訳で、“騙されていた”のですね。


 話を戻しますが、私がまだ武術雑誌のライターをやっていた頃、「物凄い発勁を披露する先生がいたけれど、突然死してしまった。どうやら震脚のやり過ぎで脳にダメージを負ってしまったらしい」という話を聞いたことがありました。

 もちろん、安田先生が嘘を言っている訳ではなく、正しくやれば脳震盪は起こらないのでしょうが・・・さて、そもそもの話、正しくやれる人がどのくらいいるでしょうか?

 上手い人に共通している誤解は、自分を基準にして考えるので、下手な人、できない人が、「何故、うまくできないのか?」を理解できない点です。

 例えば、「立禅で頭がおかしくなるなんてあり得ない」と言う先生もいますが、それは御自分の周囲にいなかっただけで、実際に立禅をやっていて性格が豹変したり感情が激し易くなったりする人は結構な比率でいます。

 以前、立禅を中心に修行する流儀の師範格の人が浄霊をすると言って女子中学生を親の目の前で犯す?という信じられない事件がありましたが、このような常軌を逸する行動を是認させてしまうのが立禅も含めた瞑想系修行によって陥る“魔境”の恐ろしさです。

 この点の危険性をまるで考えていない人が多過ぎます! 甘過ぎる!

 特に、いくつかの流儀を兼修した人はそうなる確率が高いようですし、熱心にやっている人ほど発症率が高くなる現実があり、心ある人達の間では問題視されているんです。が、公に注意を促したりすれば生徒が減ってしまいかねないから、良い効果しか発表しない訳です。

 これは本を書く時の注意点としても、「本は宣伝のために書くものだからマイナスになる要素のことは書かないでくれ」と言われる場合が多いんですよ。

 でも、そんな裏事情を知らないから、空虚な綺麗事の理想論を読んで、「何て素晴らしい先生なんだ!」と信じてしまう人も多い訳ですね。

 世の中で苦労を重ねた人なら、文章の裏を読む(洞察する)ことができるでしょうが、まあ、読解力の無い人は大勢いますからね~?

 救いようがないのは、「立禅は最高ーっ!」とハイになった目で叫びながらやっているような人・・・完全に“ポン中”ですよ。

 以前、清原の事件の時に覚醒剤の作用についてTVのワイドショーで解説していましたが、覚醒剤はSEXの時の快感の十倍も気持ちいいと数値化されていて、「なるほどな~? こりゃ、やめられん筈だな~?」と、苦笑してしまいました。

 淫祀邪教と言いますが、武術も熱狂的にやっている人間にとっては宗教と同じ。

 独善と排他。自分の信じるものだけが全てで、他所は間違い・・・。

 判断基準がこれだけ!

 笑っちゃいますよ。「勝手に信じてやっててください」って言うしかありません。


 それと、ちょっと気になったのは、震脚は具体的な技には応用できないみたいに安田先生は書かれていましたが、これも疑問です。

 武術である以上、一つの目的のためだけの動作であるとは思えません。いくつもの目的が複合的に作用して相乗的に効果を高めるのが武術の術理である筈です。

 実際に八極拳の震脚を応用していくつもの武術用法を考案しましたが、套路の動作の中に組み込めば無限大に応用していけると私は考えます。

 以前、ビデオで見て、竹内流にも無双直伝英信流居合術にも空手道にも震脚のようにズシンと足を踏み締める動作を確認し、「はは~? これは中国武術の専売特許という訳ではないな?」と直感して研究してみたことがあります。

 陳氏太極拳は非常に優れた武術だと思います。安田先生も非常に優れた技量をお持ちの先生だと拝察します。生前の松田先生からもお話をうかがったことがありますし、中国武術の世界で一種独特のポジションを確立している方だと尊敬しております。

 しかし、だからこそ、自流の価値判断にのみ頼むのではなく、他流の良さや他流に打ち込んでいる人達の研鑽に想いを馳せて戴ければ、本当に有り難いことだと思います。


 さてさて・・・これまた余談ですが、今回の論考にも参考になると思うので書きます。

 横並びにしたマキワラを試斬する大会?の様子の動画を練習の時にスマホで見せてもらいました。

 が、足場を固めて、しっかり刀を振りつつ、失敗する人が続出していました。

 誰も彼も力み返って刀を振っているのと、足を踏ん張っているのが失敗する原因ではないか?と思いましたが、皆が皆、そうやっているということは、それが正しいやり方なのだと教育された結果なんだと思いました。

 マキワラが一本なら、それでもいいでしょうが、横並びのものを斬る場合は、刃筋が最後まで通らないといけないので、足場を固定してその場で身体を回転させるのではなく、横にスライドするようにして刃筋を持続的にまっすぐ通すようにしないと斬れない筈。

 非常に単純化した論ですが、要は“力がどう作用すれば、技としての効果が発揮されるか?”という点から考えないとダメです。

 私は試し斬りは、文字通り、頭で考えたやり方が正しいかどうかを検証するためにやっています。斬ることが目的でやっているのではありません。

 寸勁斬り(ネーミングは故・佐藤貴生先生!)も、重心力の集中で力を真っすぐ通す訓練として考えたもので、この練習によって通常の打拳の浸透勁のコントロールも向上しました。

 あるいは下段手刀払いを人さし指一本で実施して廻し蹴りを払い落とすこともできるようになりました。

 つまり、重さの乗せ方と力が働く面積の縮小化ができてきたという訳です。

 もう十年くらい経過しましたが、直感的に始めた独己九剣の稽古が、刀を使わなくとも同等以上の戦闘力を発揮できるようになってきた・・・という次第です。

 直感というのは凄いですね? まさか、ここまで研究が進むとは私自身も予想外です。

 奇しくも、『刃牙道』で宮本武蔵が無刀(素手)で二天一流を実施するという描写とリンクするような研究になってきて、その意味でも『刃牙道』の今後が非常に楽しみなのですが・・・。

 甲野氏経由の若手研究家の方も増えている様子ですし(広い意味でいったら私もそうなるのか? 嫌だな~・・・)、うちも若手のレベルアップっぷりは異常なくらいです。

 時代によって変わる面と、時代を超えて伝承される不変のもの・・・その両方を上手く機能させて後進にバトンタッチしていくのが、もう若くはないけれど年寄りでもない私の世代の責務なんだろうと思います。

 少なくとも、もう「ナントカ流が最高!」とはしゃいでいる幼稚な時代は終わったのです・・・。

 21世紀は、「武術によって、人間はどこまで進化していけるのか?」というのがテーマだと私は直感しています・・・。


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おのれの分際をわきまえよう

 アイドルをストーカーして刺した男の事件は、本当にホラー系Vシネマみたいな話でしたが、アイドル乱立の現状からすれば起こるべくして起こった事件という気もします。

 ドルヲタの男の中には現実に誰とも付き合った経験が無くて、アイドルに金をつぎ込むことでライブ会場で握手したりお喋りしたりできることに対して、キャバクラのホステスに入れ込むサラリーマン以上に疑似恋愛妄想に陥る人間がいるんじゃないのかな~?と、前々から思っていたんですがね。

 事件を起こした男は、どう見ても女性にモテる顔ではないし、その上、性格も悪そうです。「僕はブサイクだから相手にしてもらえる筈はない。だからプラトニックな関係だけでいい。それだけで幸せなんだ」と、アイドルの成功と幸せを願うような謙虚な性格だったら良かったんでしょうけどね~。

 人間も生物学的に優秀な遺伝子を求めるものですから、美しさや強さ、頭の良さ、人柄の良さを求めるのが当たり前なんですよね。

 差別は良くないと言っても、わざわざブサイクで弱くてバカで性格の悪い相手を選ぶ人は滅多にいないでしょう?

 そもそも、そんなに完璧な人間なんかいない。

 だから、整形してでも美しい外見になろうとしたり、武道や格闘技に熱中したり、勉強したり、宗教や自己啓発セミナーに入ったりする訳ですよ。

 最も一般的なのが“勉強する”こと。

 その他のことは、あまり効果的ではありません。

 私も、武術というより、武術に関して膨大に勉強したことが役立っているんですよね。

 今も作家として歴史のこととかいろいろ勉強しなきゃいけないからやっているんですが、つくづく人間にとって重要なのは“勉強し続けること”だと思います。

 武道の世界では「バカになれないとダメだ!」なんて言われてきましたが、バカでは一流になれません。

『空手バカ一代』の主人公、大山倍達先生も、実際は非常に理知的で従来の空手界の権威に対抗する直接打撃制の試合方式を提唱して世界的な組織化を果たしました。

 ブルース・リーが欧米でいまだに尊敬され続けているのも、彼の武術理論が思想的に優秀だったからでしょう。

 日本の武道界は、理論や思考、思想をないがしろにして思考停止した“愚直なバカ”を礼讚する気質があったことが足を引っ張っていると思いますよ。

 例のストーカー刺傷事件を起こした男が柔道をやっていたという点。柔道関係者はどう思っているのでしょう?

 本来の柔道は、「精力善用・自他共栄」を旨としていると言われますが、この男は「精力悪用・自己中心」でしかありません。

 このような人間を出してしまったことに対する柔道界からの反省というものがあるのでしょうか?

 類似の事件が前にもありました。

 付き合っている女性の子供を暴行して殺したヤクザの男が元フルコンタクト空手のチャンピオンだったという事件・・・。

 こんな糞馬鹿に武道や格闘技を教えるのはキチガイに刃物を持たせるに等しい。

 教える以上は性格を矯正させる教育が必要でしょうが、果たして、そこまで考えている指導者がいるのかどうか? 私はかなり懐疑的です。

 要は、指導者の人間性に左右される問題で、システムとしての教育過程は存在していないに等しいでしょう。

 じゃあ、どうすればいいのか?

 中学校で武道教育を義務化しようとなった時に、およそ効果が望めない現実に唖然とさせられたものでしたが、まずモデルケースとして、そのような教育システムを実験検証するプロジェクトチームを個別にやっていくのが良いでしょう。

 言い出しっぺだから、私は今後、游心流の中でそういうコンセプトを立ちあげてみようと思います。

 システム化できるかどうかは判りませんが、それができる指導陣を養成できれば不可能ではないでしょう。将来的に・・・。

 まずは、「護身術」に関する点ですね。

 柔道をやっていた巨漢の男でさえ、華奢なアイドルを殺すのにナイフを使ったという点を、よくよく検討しなければなりません。

 普通に武道や格闘技をやっている人間は、自分の学んでいる技をそのまま使おうと考えるのですが、もし、本気で殺すことを考えた場合、意識的にか無意識的にかは不明ですが、確実に殺せる刃物などの武器を準備するということ・・・ここが肝心です。

 普通の武道では対ナイフなどの訓練をしません。なので、対処法を知りません。

 ここが致命的な欠陥であることを自覚しなければなりません。

 日本ではナイフの事件が起こるとナイフを規制する方向へ論点が向かいますが、凶器を遠ざければいいという問題ではなく、事件を起こす者は別の凶器を用意するだけの話なのです。

 現実的に、暴走車が何人もひき殺しても車が規制されることはありません。

 車の事故で一定数の犠牲者が出ていても、社会構造的に車を禁止する訳にはいかないからです。

 で、護身用にナイフを持ち歩けば、それ自体で罪に問われてしまいますから、暴漢のナイフにこちらもナイフで対抗することはできません。

 となれば、日常的に持ち歩ける物を護身用の武器に転用するしかありません。

 カバンは楯になり得ます。ビジネスバッグや革のハンドバッグをナイフで突き抜くのは意外に難しいものです。

 ベルトは鞭のように使えます。ネクタイは相手を後ろ手に捕縛するのに使えます。

 玄関のドアキーは握り込んだ拳から突き出せばパンチを必殺パンチに変えます。ヤクザがデカい指輪をはめているのも同様の理由です。

 革靴やウエスタンブーツ、エンジニアブーツなども蹴りの威力を高めます。ハイヒールは電車内の痴漢撃退に有効です。

 催涙スプレーの代わりにスプレー式の化粧品なども目に直接噴射すれば一時的な目潰し効果が望めます。

 ただし、中途半端な攻撃は過激な反撃を食らう危険性もあります。やるなら瞬間的に急所(目玉・金玉)を狙って潰すつもりでやらねばなりません。

 そして、ダッシュで逃げながら周囲に助けを求めるか警察を呼ぶ。

 仮にやり過ぎて殺してしまったとしたら、“必死で抵抗しただけで何も覚えていない”と力説する。あくまでも被害を受けて正当防衛をしただけである点を主張しなければなりませんし、事実、そのように振る舞う必要があります。

 後、護身術で重要なのは、諦めないこと!

 相手が武道や格闘技の使い手であろうが、複数であろうが、武装していようが、冷静に状況を分析すれば必ず付け入る隙があります!

 例えば、武道や格闘技というのは戦い方が固定していますから、まったく違う戦い方をすれば対応できなくなる欠点があります。

 格闘競技には向かない合気道や中国武術が、護身術では意外に優秀であるという事実も特筆しておきましょう。

 自分が素手で武器を持っている敵と戦わねばならない時はどうするか? 敵の武器を奪って使えばいいのです。

 そのためには日頃からいろんな武器の使い方を知っておく必要がありますが。

 どうしても自分が戦えない場合。この場合は戦う能力のある人に護ってもらうしかありません。

 ストーカー被害に悩まされている女性は、武道や格闘技の道場やジムに通って、人柄のいい人を選んで付き合うことをお勧めします・・・。

 以上、御参考になれば幸いです・・・。


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『セーラー服忍者』相模原上映会感想

 5月22日(日)は相模原メイプルホールにて『セーラー服忍者』(併映『いちごジャム』)の上映会を開催しました。

 来られる予定だった青木先生から予定が立たないという連絡があり、かなり参加者が減ってしまいそうだな~?と心配でしたが、そこそこの人数の御来場者があって、まずまずの上映会になったかな~?と思います。

 とにかく苦労して撮った作品なので、より多くの人に観ていただきたいと思っていますが、劇場での公開は予算的にキツイので、これでひとまず、上映はお休みさせていただきます。

 ブルーレイ、DVDの発売は、来年春以降になりそうなので、それまでにイベント的に上映会を開きたいところですが、その時は告知しますので、宜しくお願い致します。

 御来場いただいた皆様、ありがとうございました!


・・・と、気分良くシメるつもりだったのですが、帰宅してから観てくれた友人からいきなり怒りの電話を受けて、面食らってしまいました。

 打ち上げの席で、その人の習っていた武道の先生を私が侮蔑したのが“絶対に許せない”ということでした。

「あ~、以前もこういうことがあったな~?」と思いました。それも二度。

 何だか頭に血がのぼってる感じで一方的に文句を言われたので、謝るしかありませんでしたが、ちょっと言い訳を書いておこうと思います(もしかしたら、これを読むかもしれないので)。

 私は、侮蔑した訳ではなく、その人はいつも自分の習っていた先生と流派の自慢話をするのですが、既に自分は道場を辞めてしまっており、強くなることを諦めている様子なのが気の毒に感じていて、「世の中は広いから、強い人、優れた武術家はいくらでも居るし、君だって今からもっともっと強くなれるんだよ!」と、以前から彼に言いたくてたまらなかったのですよ。

 師匠を敬愛するのは否定はしませんが、アンタッチャブルに祭り上げる態度は本人の向上を心理的に阻んでしまうのです。

 私がいろんな技を独自に体得していった一番の理由は何か?

 優れた師範に出会う度に、憧れると同時に「この先生と戦う時にどうやったら勝てるだろうか?」と常に考える習性があったからです。

 憧れているうちは先生の技の真似まではできても、決して超えることはできません。憧れとは、心理的に「超えたくない。超えるなんておこがましい。不遜な考えだ」というストッパーが働くからです。

 むしろ、「このヤロー、絶対超えてやる!」くらいの気持ちが無いと武術修行者としての上達の見込みはありません。

 何故なら、超えることを考えていれば、先生の技を一面ではなく多面的に観察し、分析して長所と短所を導き出すことができるからです。

 実際に、一角の名を成す人物というのは、こういう思考法を持っています。一流の人間ほど人格的には偏っていたりします。その偏りがあるからこそ、常に精進し続けられるのであって、円満な性格の人間が修行者としては二流止まりになるのも、すぐに満足してしまうからでしょう。

 無論、超一流となると話は別で、徹底的に修行し尽くした後に無我となったのでしょうが、そこまで行ける人はやはり異能者で、凡人はあがきにあがくしかありません。

 師匠に限らず、他者への敬愛を語るのは素晴らしいことだと考える人が多いでしょうが、聞かされる側はウンザリするだけです。新婚の友人のノロケ話を聞かされて楽しめますか? 「結婚したのは間違いだった~!」と落ち込んで見せた方が得ですよ?

 例えば、ひたすら自分の師匠の凄さ、素晴らしさを称えるだけの文章と、師匠への尊敬と憎悪、嫉妬がないまぜになった文章のどちらが第三者に強い印象を与えるでしょう?

 私は、前者を読むと吐き気がしてきます。嘘臭くって、気持ち悪い・・・「カルト宗教の機関紙かいな?」と思える。

 後者を読むと、「そうだよな~。そういうもんだよな~、人間は」と共感できる。

「人の不幸は蜜の味」・・・これが凡人の心理に共通する定理ですよ!

 人間は、酒を飲んで本音が出ると、大抵、他人の悪口ばっかりになります。しかし、それが本音であるのなら、その状態は嘘が無い極めて誠実な状態なのです。

 私が、美しい言葉ばかり口にする人が信用ならないのも、本音を隠していると思えるからです。毒舌の人だと他人に悪く思われることを恐れていないから、実際は真っ正直な人でしょう。

 いつも真面目な人が悪酔いして人格が豹変し、後から酔いが覚めて、ハッ?と気づいて自己嫌悪に陥る・・・これが人間の味というものですよ。

 マスゾエさんとノノちゃんを比べたら、ノノちゃんの方が断然、魅力的でしょう?


・・・で、彼は、この時もまた自分の師匠の自慢話をし出したので、私は“気持ちが悪くなってきて”、「ごめんなさいね?」と断っておいて、挑発的に「あなたの先生でも~~さんには勝てないよ」と言ったのです。

 本当は続けて技術論的、心理作用的な理由を説明するつもりだったのですが、彼は何も言わないので、「~~流の先生たちでも~~さんには勝てないよ」と続けて言ったのですね。

 やはり、彼は反論しませんでしたから、それ以上は言いませんでした。

 が、彼は内心では腹を立てて、帰る途中で怒りが倍増したということなのでしょう。敬愛する師匠を侮辱されたという“曲解”が自尊心を傷つけた様子です。

 その場で言わなかったのは、私の身内の前で私に恥をかかせたくなかったからだと言ってました。が、これは言い訳でしょう。面と向かって私を怒らせてはマズイと思ったのが本当のところだと思います。

 しかし、私だったら、その場で言いますね。「それってどういう意味? 俺の師匠を侮辱するんだったら、俺にケンカ売ってる訳だよね? 当然、覚悟してるよね?」って喧嘩吹っかけます。というか、こういう具合に喧嘩?したことが何回もあります。

 私は性格が悪くて無礼なのではなく、思ってることをはっきり言いたくなる性格なだけです。

 電話で彼も言っていましたが、「戦ってみなければ解らないのに、何で、どっちが強いか解るんだ?」と言う人も武道・格闘技の世界には多くいます。

 これは一見正しいことのようですが、正解ではありません。

 戦力や弱点を分析すれば戦わなくともほぼ解る・・・というのが戦術論の基本です。

 もちろん、マグレ勝ちやラッキーパンチというものもありますから、強い方が必ず勝つとは言えませんし、勝負の行方は論理では測れない面があります。

 けれども、200m離れてスコープ付きライフルとピストルで撃ち合ったとしたら、どうなるでしょう? ピストルで200m先を正確に狙う照準器はついていませんから、ほとんどの場合、遠距離を正確に狙い撃てるスコープ付きライフルを持っている方が勝つでしょう。

 武器の機能や戦力の差で決着がついてしまうのですね。

 武道や格闘技をやっている人達の大半が、このような思考法を持っていません。だから、「戦ってみなければ解らない」と平気で言うのです。

 漠然と、「どっちが強いか?」としか考えられないのです。

 しかし、武術の世界では、「パッと会った瞬間に勝てるかどうか判らないようでは武術はモノにならない」と言われます。身体的な戦闘力よりも洞察力が重視されるのです。

 親しい合気道の先生も、「実際に手合わせしないと解らないようでは命がいくつあっても足りませんよ」と笑っておられましたが。

 どれだけの実力者でも、その本人が自覚していない弱点を狙われれば、実力を発揮することもできないままコロリとやられてしまうものです。

 身体の隙、動きの隙、呼吸の隙、意識の隙・・・実は人間“隙だらけ”なのです。

 そして、自分は強いと思っている人ほど、自分の弱点(隙)に気づいていません。と言うか、考えたことも無いでしょう?

 私は、彼が武道を諦めていながら、かつての師匠への過剰な憧れを吐露することに違和感が拭えませんでした。憧れることで強い師匠に自分を自己同一化して考えているのですね。諦めているから、そうなるのです。要は、“依存”です。

 しかし、武道・武術・格闘技は他人の実力は関係ありません。自分がどれだけできるか?ということだけが肝心なのです。

 なので、私は自分がどこまで向上できるか?が第一の関心で、その次に弟子がどこまで向上するか?を目標にしていて、尊敬する先生も何人もいますが、基本的には超えるべき目標でしかありません。私は信仰心ありませんからね。

 以前、俳優をやっている会員の千葉さんと久しぶりに会った時に、「先生は立派です。弟子の仁平さんが自分よりずっとレベルが高いと平気で言えるのは素晴らしい。普通は嫉妬したりするものでしょう」と感心した風に言うので、「嫉妬しない訳ないじゃ~ん? 本当は妬ましいけど、それ言ってたらカッコ悪いじゃ~ん?」と答えたら、ズッコケてました。

 ただ、私が偉いところは、“事実に関してごまかさない”というところですかね~?

 事実、仁平師範が総合的に私を超えているから、そう言っているだけの話です。が、例えば、歩法のスピードとか、ギャグのセンスとか?部分的にはまだ私の方ができるところもあります。

 けれども、それも時間の問題で仁平師範はあらゆる点で私を超えていくのが一目瞭然ですけど、単なる一武術家ではなく、武医同術の遣い手として武術の歴史を変革した人間として名を残せる人材だと思うので、それをサポートしたいと思ってますよ。

 ちょっとお名前は出せませんが、武道の世界では誰もが知っている有名な師範が身体の故障に苦しんでおられたのを、仁平師範が治療して治してさしあげたらしい。その師範は武道界の宝と言うべき方ですから、これからも長く活躍されないと大きな損失になってしまいます。仁平師範は、よくやった!と、私はこんな嬉しいことはありませんよ。

 だから、私は武術研究家と作家(できれば映画Pも)に専念して残りの人生を送るつもりです。武術は道楽で続けますけど、やっぱり作家だけで食えるようにならねば!

 ちなみに、達人になるのは理由があります。素質や才能とは関係ありません。誰もが仁平師範のようにはなれないでしょうが、私と同程度のことは教えれば誰でもできます。

 正直言うと、私は他人に教えるのは嫌なんですよ。生活費稼ぐために仕方なく教えているだけです。でも、金取ってる以上は、しっかり教えないといけないと思ってます。

 武術は知識がある方が圧倒的に有利になります。持って生まれた強さではなく後天的に得る様々な知識によって弱者が強者に圧倒的に勝てる!

 それを文句言ってきた彼にも理解させて、「あ~、自分でも上達できるんだ!」と感動させてやりたい。そのためには過剰な師匠愛を切り離して物事を客観的に水平に観察することが必要だと考えて、わざと挑発的なことを言ったのです。

 もちろん、彼が怒って「実証してみせろ!」とかつての道場の先輩を引き連れて道場破りに及ぶことも想定内ですよ(似たようなことやらかしたヤツがいました)。

 私は40年もやってるんですから、勝算が無くて、自慢話するようなぽっと出ではありません。彼の学んでいた流儀は私もやったことがあるので、特徴は熟知していますし、弱点も研究し尽くしています。はっきり言って、致命的な弱点があるんですよ(ヒミツ)。

『刃牙道』風に言うと、「確かに強いが、武ではないな・・・」ということです。

 このような次第で、私は彼に教えてあげたいと思っただけで、侮蔑する意識など金輪際無かったのですが、私が思っていた以上に彼の依存性が強くて、反感を強めただけでしたね。

 彼の欠点は自尊心が強過ぎることです。口では自分の弱さを吐露して見せながら、かつての師匠への盲目的な敬愛の念を口にする時点で、背伸びして見せたがる。私に対しても露骨に対抗心を燃やします。それは本当は、まだ強くなることへの未練があるからなのを自覚していません。道場は辞めたけれども、まだ未練が残っているのです。

 要は、自分の本心に蓋をしてあれこれ理由を付けて自己憐憫に陥っているのを自認できていない。

 簡単なんですけどね~? 「俺は本当は強くなりたいんだよ!」って言えばいいだけなんですから・・・。

 こういうことを書いているのは、過去に同様の誤解をして敵意を剥き出しにしていた人が、何カ月も何年も経過して、突然、連絡してきて「長野さんの言っていた通りでした」と言われたことも何度もあるからです。

 今、現時点で「長野さんは何て性格が悪いんだ! 絶対、許せん!」と思ってもらっても一向に構いませんし、むしろ、そう思うような気持ちの強さが無いと本当に負け犬になり下がってしまうでしょう。

 やっぱり、「悔しい」とか「こんチクショウ!」という感情は向上心に繋がるんですよね。私は、ずうっと、そういう負の感情を燃料にして頑張ってこれましたから。

 武術業界で私が一番売れてるのに専門誌が取材に来ないのは何故か? 偏見もあるでしょうが、一番の理由はジェラシーでしょう。「こんなオタク野郎をのさばらせてたまるか?」と思ってる人が何人もいる訳ですよ。

 でも、それが私のやる気スイッチになってるから、いいんですよ! 超売れっ子になって厭味言いまくってやるのが楽しみなんですよ。

 人格円満で誰にでも好かれる八方美人は、何故か一流にはなれません。

 そういう意味で、「俺は長野さんを絶対に許さない!」と宣言した彼は嫌いになれません。それでこそ、武を学ぶ資格があるんですよ!

 あっ、そういえば、私が松田隆智先生に意見した(噛み付いた?)時の松田先生も、こんな気持ちだったのかもしれない・・・?

 結局のところ、人間は自分が体験して骨身に染みたりしないことには信仰心からは覚めないものです。

 かく言う私も、お恥ずかしいことに甲野氏を二年間は信じていましたから・・・。

 不思議なもので、信仰心というのはいつかは崩れるものですよね?

 ある先生を生涯の師と崇めて尊敬していたのに、その先生の二面性を知って、すっかりバカバカしくなってしまったこともありました。

 武術家は聖人君子じゃないですよね?

 しかし、そういう経験が私自身の今に繋がって財産になっているのだと思います。

 その意味ではプラスもマイナスもありません。良いとか悪いというのは自己の都合でより分けているだけです。

 信じる信じないではなく、理解するかしないか?

 本当に理解したら、怒りとか憎悪とかではなく、「ふ~ん、そういうことか?」と納得するだけで感情がささくれだったりはしないものでしょう。



 話は変わりますが、柔芯体メソッド稲吉先生がお弟子さんを連れてバルセロナ・ダンス・アワードに行かれるのに、クラウドファンディングで資金援助される方を求められているそうです

 私も少しばかりは援助させていただこうと思っていますが、昨年、日本人初の三冠に輝く快挙をあげられた稲吉先生です。日本人の素晴らしさを世界に注目してもらうチャンスですから、是非、お志しを賜れば・・・と友人として願っております!


 また、さらに話は変わりますが、高瀬先生のツイッターで怪我をして後遺症に悩むスタントマンの方について、(製作側が)あまりにも心ない対応をされている点を憤られるコメントをされていました。

 本当に私も身に染みます。

 何故なら、昨年の『セーラー服忍者』の撮影中、やはり事故が発生してしまい、プロデューサーとして事前準備が足りなかったことを痛切に反省させられたからでした。

 スタントの仕事に怪我が付き物なのは当たり前でしょう。が、それを自己責任の一語で済ませられるでしょうか?

 肉体が資本の仕事をしている人にとって、怪我はある程度覚悟の上でしょうが、後遺症に苦しむ人を労災としてできる限りケアしようとするのは雇う人間の誠意と良心の問題です。

 私は後日、お見舞いをした後、丁寧な御礼状を頂戴しましたが、大事に至らなかったから良かったものの、取り返しがつかないことになっていたらどうすれば良かったのか?と、冷や汗をかいたものでした。

 同様に、数年前に武術セミナーの最中に起こった事故の時も、救急車を呼んだり、終わってから病院へお見舞いに行ったら、集中治療室に入られていて茫然としたものでした。

 聞くところでは、何とお子さんが生まれたばっかりなんだそうで、もし万一の事態になったら、私はどう償っていけばいいのか?と、動揺しまくりでしたよ。

 この時も大事に至らず、怪我された方も退院してから一度来られましたが、本当に、ちょっとした弾みで事故は起こるもので、注意してし過ぎることはないでしょう。

 高瀬先生はお立場上、多くのスタントマンやアクション俳優を護らねばならない方ですし、想像するに、心無い言葉を浴びせるプロデューサー、監督にも何人も出会っておられるのでしょう。

 侠気(おとこぎ)という言葉はもはや死語に近いかもしれませんが、失わずに持ち続ける人間が今ほど必要な時代はないように思います。

 高瀬先生のように外柔内剛の人であって欲しいですが・・・(ピラピラのチンピラチックな態度を侠気と勘違いしている人もいるからな~?)。

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オタクは偉い

長野先生の本で初めて知りました」と言われることが多くなり、隔世の感もあるのですが、青木宏之先生のことを知らない武道修行者が増えています(ブルース・リー知らない人もいるからな~?)。

 今の40歳以下の武術愛好家は知らないかもしれませんが、80年代から90年代初頭にかけて日本武道の最高峰と目されていたのが青木宏之先生なんですね。

 前衛武道「新体道」の創始者で、“遠当ての達人”として注目されていました。

 武術に少し詳しい人になると、もう神様扱いでした(空手家・プロレスラーなんかが挑戦しても一撃ならぬ“一触”で退けていた)し、精神世界関連の人達にも尊敬されていました。

 また、現代思想家や前衛芸術家にもシンパが多かったんですけどね。

 いわゆる“超能力武道家”“神秘武術の大家”として有名で、TVにもちょくちょく出られていたんです

 でも、実際の青木先生はアーティスト気質で、お祭り好きな性格だからパフォーマンスは派手でも、本質的にシャイで、ナルチシスト気質ではないので、ある時期を境に天の岩戸じゃないけど籠もってしまっていたんですね。

 これにはある事情があったんですが、いろいろ迷惑がかかる人もいるので話は割愛します。が、事情を知った身としては、「青木先生も、あまりにも人が好過ぎるよな~?」とは思います。

 しかし、その間、青木先生が何をやっていたか?というと、かつての楽天会を発展させたとも言える天真会を組織して書道と瞑想、ボランティア活動に励まれていたようです。

 そして、剣武天真流を新たに創始したのが数年前で、その前後に私は相談役の一人みたいなポジションだったと言ってもいいと思うんですけどね。

 例えば、「天真流剣武にするか、剣武天真流にしようと思ってるんですけどね~」とか言われていました。

 ちょうど、私も同時期に剣術、居合術の研究に熱中していたので、割りと意見交換もさせていただきましたが、武術に関する私の知識量を青木先生が高く評価してくださって付き合いが深まったと言えるんじゃないかと思います。

 松田隆智先生友寄隆一郎先生もそうでしたが、斯界の最前衛に居る先生というのは孤独なものなんです。

 どうしてか?というと、理解してくれる者がいないからです。

 あまりにも突出した立場になってしまうと、周囲に対等に話せる人間がいなくなってしまうのです。

 なので、一般的に武道家はオタクを毛嫌いするんですが、青木先生も松田先生も友寄先生もオタクを馬鹿にしてはいませんでしたね。知識があることはそれだけで力になりますから。

 オタクというと、蔑称として認識されていますが、世の中に偉大な発明をしたような人物は大体、オタクですよね?

 もう、徹底的に一つのことを突き詰めて調べあげて研究しまくったから、発明ができたりする訳で、後の歴史に偉人として伝えられるのですが、当時は単なる変人扱いされた人が多かったみたいですね。

 武術の世界も以前はオタクが中心でした。

 本やビデオを集めまくって雑多な知識を披露し、いかに他人が知らないことを知っているか?がステイタスでした。

 オタクが高じてライターや編集者になったり研究家や評論家になったりするのも自然なコースでしたし、私もその典型例でした。

 例えば、今、Hという武術雑誌の編集をしているSさんという人は、以前、勤めていた会社では「あいつはオタクだからな~」と陰口を叩かれていましたが、私は彼が日本の武術メディアをけん引していく力のある唯一の編集者だと思っていました。

 また、武術系ライターのNさんという人も、私を非常に嫌っている様子ですが、でも客観的に判断して武術に関する知識と見識は私が唯一、「手ごわい」と思う相手で、時々、彼が書いた記事を読んで、「う~む・・・流石だ・・・」と唸っちゃったりしてます(マニアック過ぎて一般受けしない記事も時々あるけど)。

 別にお世辞で書いてる訳ではありませんよ。お世辞書いても私が得することはありませんからね。

 私が言いたいのは、「オタクを馬鹿にするのは洞察力が無い人間だぞ」ってことです。

 でもね~、どうも最近はオタクが少なくなってきている感じですね~?

 本当に武術の知識が驚くほど無い人が武術を語ってる。安っぽい業界になっちゃったな~?と、嘆かわしいです。

 ライターやっていた頃、全空連の選手で自分の流派を知らない人がいました。形を見せてもらって、「あ~、貴方が学んだのは松濤館流ですよ」と判定すると、「あ~、そうです! 思い出しました! 確か、先生がそう言っていました!」と言われてギャフンとしたことがありました。

 伝統空手道では四大流派と言って、松濤館流、糸東流、剛柔流、和道流がメジャーな流派とされます。それぞれ構えの姿勢などに違いがあり、形を演武すれば大体、判別がつきます。

 沖縄空手にはもともと、流派という概念が無くて、“どこそこ地方の手”とか、“誰それさんの手”とか言っていただけなんだそうで、富名腰義珍翁が本土に伝えて以降、本土式に流派名をつけるのが習慣化したとされます。

 ちなみに最初に流派を名乗ったのは剛柔流で、一説に、中国南方の武術、白鶴拳系統の秘伝書『琉球伝武備誌』の「剛柔呑吐」の呼吸法の極意からネーミングしたものなんだとか言われています。

 居合道でも制定居合道とは別に、古流居合道として、夢想神伝流、無双直伝英信流、伯耆流、無外流、新陰流などがあります。が、無外流は本来は自鏡流(多賀自鏡軒が創始し無外流に併伝された)で、新陰流は制剛流(制剛僧が創始した居合と柔術拳法、縄術、隠し武器術を伝える流派で尾張藩に伝わり、長岡桃嶺によって尾張柳生家の新陰流に併伝されたもの)がベースになっています。

 こういう事実に関しては知っていても黙っている師範がいたりしますが、よりメジャーな流派名を名乗る方がウケがいいと考えてしまうのかもしれませんけれど、はっきりいって、それは伝統文化の捏造であって許すべきではないと思います。

 事実、本当に平気で捏造する人が多く、これは歴史的な伝統?という側面もあるので、研究家としては非常に困った点なんですけど、多分、“どうでもいいことだ”と考えているから平気で嘘つくんでしょうね?

 でも、私は研究家だから、嘘は嘘、間違いは間違いとはっきり書かせてもらいます!

 そうしないと文化伝承の学問体系として成り立たなくなってしまうからです。デタラメばかりだと・・・。

 余談ですが、青木先生の80歳の記念プレゼントを持って西荻の事務所を訪ねて、昼食を御馳走になったんですが、ここに書いたような話をしたところ、青木先生もほぼ同意見でしたね。

 かつて、「戦えない武術じゃダメなんでしょうか?」と言った武術指導者がいましたが、その人の師匠は「馬鹿者!」って叱ったそうでした。

 戦いを考えないなら、もう武術である必要が無い。命懸けで武術の研鑽をし伝えてきた先人に対する冒涜なんですよ!

 青木先生も、「私の悪口言われるのは何とも思わないけど、私の技が効かないと言われたら怒りますよ」って言われていますし、松田先生も「僕が発表していることが嘘だと言われると中国武術の恥になっちゃうから黙ってる訳にはいかなくなる」と言われていましたね。

 私が甲野氏とかを糞バカにしているのは、まさに“この点”ですよ。まともに戦って勝ったこともない癖(全戦全敗?)に現代武道を馬鹿にしたようなこと言いますからね~。

 どうも、誤解する人が多いみたいなんですが、私が脱力技法に行き着くまでにはいろんな訓練を重ねてきて、その結果としての理論を提唱しているのであって、経験を経ないで空想を書いている訳じゃありませんからね。

 事実、脱力系技法の優越を説いている人物が格闘技や現代武道の人とまともに手合わせして惨敗したみたいな話はよく聞きます。戦い方を知らなければそうなりますよ。

 私も確信が持てるようになるまで長い試行錯誤の時間を要しました。ざっと20年。修行というのは長い期間を要するのが当然で、どんな天才でも突然悟るなんかあり得ないんです。

 日々の蓄積によって開花するんですから、オタク的な探究心を馬鹿にしてはいけませんよ・・・。

 例えば、游心流の次期宗家と私が公言している体道塾の仁平師範は、まだ20歳そこそこですが、幼少の頃から様々な武術を修行し、うちに入門したのは5年前くらいでしたが、それはもう物凄い速度で吸収し、尚且つ発展させていきました。現在では、その実力は既に達人のレベルを越えていて、斯界の名だたる師範が驚く程です。

 これを簡単に天才という言葉で言うのは逆に失礼でしょうね? 何しろ、物凄い鍛練と研鑽を日々、積み重ねてきて「武医同術」を地でいっていますから。

 修行と口で言うのは誰にでもできますが、真に修行を実践することは並大抵の努力ではありません。

 彼は立禅を最低3時間やるというのですが、私は最長でも2時間がやっとでしたよ。

 私には無い素質と才能に恵まれていることは確実ですが、それ以上に鬼のような稽古の虫になれる! それが彼の真の才能です。

 彼には、単なる一つの流派の伝承者というレベルではなく、武術という文化を丸ごとけん引していき、これからの時代に貢献していってもらいたいと願っています。それは彼ならできる! 私はそう確信して微塵も疑っていません・・・。

 もちろん、游心流の会員には、皆、それぞれの人生を最大限に生き切って欲しいと思います。ひょっとすると、仁平師範以上に社会貢献できる人間が出るかもしれません。

 武術修行も、そういうエネルギーにはなると思います。

 どんな苦境に陥っても諦めないで突破していく勇気を養う・・・それが武術の修行であって欲しいと思いますね。

 私は、口先で立派なこと言うような人間はまったく信用できません。人間は行動で示し、現実の実績を挙げていくことでしか評価は得られません。

 50年以上生きての一つの結論ですね。

 死ぬ時までに何ができるか? それはこれからの人生です。

 そして、死んだ後に本当に評価される人もいます。これは私の今年のテーマなんです。

 だから、アスペクトの武術シリーズは今年はお休みします。

 自分の武術理論を発表するより真に価値ある先人の研究成果を世に出すことも使命だと考えます。

PS;5月のメイプルホール稽古はお休みします。5月22日(日)にはメイプルホールで上映会やりますので、是非、おいでください!

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青木先生80歳パーティー

 6日に青木宏之先生の80歳の記念パーティーが信濃町であったので、後は会員に任せて稽古途中で抜けて行ってきました。

 そういえば・・・私、最初に青木先生にお会いしてから20年は経過するんですが、一度も嫌な思いをしたことがありません。

 これって武道武術の関係者では奇跡のように例外的なことです。

 もちろん、付き合いが浅ければトラブルは避けられますが、恐らく、青木先生が現在付き合いのある外部の武術関係者の中では私が一番、深いお付き合いをさせてもらっているのではないかな~?と思います(武術に限っての話です)から、尚更、奇跡的なことなんですね?

 私はハラに秘めて黙っているということが絶対的に苦手なので、親しく付き合ってても必ず衝突してしまうんですよね。

 だから、40過ぎてからは、極力、武道武術関係者とは関わらないように注意しています。

 やっぱり武道武術で一家をなしている人は圧倒的に我が強くて独善的で押し付けがましい性格だったりするので、必ずケンカになっちゃうんですよね~?(「長野さんは自分がそうじゃない?」って青木先生に笑われてしまいました。テヘペロッ)

 君子の交わりは水のごとし・・・というタイプの先生じゃないと、私は付き合えない。

 今でこそ私もだいぶん、タヌキになりましたが、本質的にはハリネズミなんで、カンに障ること言われるとグワッと怒ったりすることもあります。

 で、九州人なんで、怒ると相手が誰だろうと捨て身で殺気出てしまう訳です。

 私、外見は全然、暴力的じゃないんですけど、内側に物凄い怨念を抱えて生きてきてますから(多分、DNAに入ってる)、怒るとそれが噴出してしまう訳です。それが普通だと思ってたんですが、どうも、違うみたい。

 一回、言われたことあるのが、「長野さんは凄く優しそうだし、実際、優しいんだけど、怒ると別人のように凶暴になって攻撃的になるから、あまりのギャップの激しさに皆、面食らうんですよ」とのことで、「あ~、なるほど、そのせいで不気味がられるんだろうな~?」と、自分でも思いましたね。

 文章が過激なのも武道の世界では異質過ぎるから怖がられるらしいです。厭味なくらい馬鹿丁寧で、気持ち悪いくらい謙虚な文章書くのが不問律になっていますからね?

 そういう意味では裏表無く思ったまま言う人のほうが好感を感じますが・・・。

 でも、私の文章は“芸風”ですから、一種のシャレで書いてるだけで、本気で怒るような読解力の欠如した人は私の文章は読まないほうがいいですよね?

 アスペクトさんから本出しはじめた頃に、毎回、律義にアンケート返してくる人がいたんですが、一回目が「人の悪口はやめなさい」、二回目が「やめなさいと言っているだろう」、三回目が「いい加減にしろ!」と・・・。

 毒舌漫才に「真面目にやれ!」って言うようなものでしょう? よっぽど頭のコチンコチンな宗教家みたいな人だったのかもしれませんが、「お前、何様のつもりだよ?」って手紙返してやりたかったんですが、この手のタイプは反論されると発狂したように攻撃してくる実例を何度も経験していたので無視しました。

「どうぞ、お上品な人生をまっとうしてくださいませ~」みたいな皮肉言ってやりたかったんですが・・・。

 もしかすると武道の高段者の名のある師範だったのかもしれませんが、そんなもん、私とは何の関係も無いですからね?

 昔、通ってた道場の若い生徒さんからも「長野さんも~~さん(有名なスポーツ系作家)みたいな文章を書けばいいですよ」とか言うから、「うるさいな~? 嫌なら読まなきゃ~いいだろ?」って睨みつけてやったら、「何で、怒るんですか~?」ってビビッた顔していましたけど、私だって自分はプロだというプライドはある訳ですから、有名作家みたいな文章を書けばいいだとか無礼なこと言われたら怒りますよ。

 どうも、失礼なことを相手に言っているのに気づかない人っていますよね?

 鈍感と言うか、馬鹿と言うか・・・言われた相手がどう感じるか?という想像力が無いのかもしれませんが、多分、無神経なだけでしょうね?

 私が滅多に怒らないから試そうとするヤツもいるからね~? ピンポンダッシュみたいに人を怒らせて本気にさせてみようとする・・・。会員にもいました。

 それで破門にした人間も何人もいる訳で、北島師範みたいに私が怒ると別人格に変わって、物凄く冷酷になれる人間だと知ってると、すごく気を使ってくれるんですけどね?

 DVD見た人の感想で、「あんなゆっくりした攻撃を捌いて技かけても強いかどうかわからない」って言うヤツもいるんですが、速く攻撃したら私も速くなってしまうので、怪我する危険性があるのを北島師範は解っているので、どうしてもゆっくりになってしまう訳ですよ。

 それに本式のスピードだと全然見えなくて映像作品にならない訳で、それでは教材DVDにならんでしょうが?

 私が伝統空手の寸止めで突き蹴りを止める人達を凄い!と思うのも、私は本気で突き出して寸前で止めるなんて芸当はできないからです。本気で打ったら当ててしまうから、スピード落とすしかないんですよ。

 もちろん、怒ったら、そんな加減もできなくなります。つまり、「こうなったら、刺し違えてもこいつをぶち殺してやるっ!」って、一瞬で意識を変えられる人間な訳です。

 こういう性格だと普通の人生送るの大変なんですよ? よく、今まで道を踏み外さないでこれたな~?と、自分を誉めてあげたいくらいです。

 青木先生はそういう危なっかしい私の本性も見抜いてると思うんですね。見抜いてて長所を伸ばしてやろうとしてくださったんだと思います。

 人間はやっぱり、認めてくれる人がいるから頑張れるものですよ。もし青木先生と出会わなかったら、どうなっていたことか?と思うと、怖いですね。

 甲野氏も青木先生と出会わなかったら、あれだけ世間に受け入れられていなかったと思いますよ。自惚れ屋の要素が肥大しちゃったのは副作用だと思いますが・・・。

 人の本性が見える先生は滅多にいませんよ。私が出会った中では友寄先生松田先生くらいかな~?

 今はもう青木先生しかいません。ありがたいと同時に、元気で長生きしていただきたいな~と思うばかりです。

 もっとも、青木先生も裏切られたり誤解されたりして辛い思いをしたことがあったと聞いてます。だからこそ、他人に優しくなれるのではないか?と・・・。

 辛い経験をした人は思いやりを持てるように思います。屈折する人もいるけど、本質的には優しい人になるんじゃないか?と思います。苦労知らずでヌクヌク育った人って、どうも無神経な感じがするんですけどね~?

 パーティー会場には多くの人が来られていましたが、ほとんどの人が青木先生の優しさを愛して集まってきているのだと思いました。

 打算的な人は青木先生とは長く付き合えないような気がします。

 青木先生はパッと見たらその人の本性が見抜ける筈なんで、私なんかは、「よく辛くならないで周囲の人達に愛情を保ち続けていられるな~?」と思うんですね~。

 宗教家だからなのかもしれませんが、いくら悟っても、人間は人間ですから、わき出る感情は有るでしょう?

 武道に関しては、瞬間的に鬼のように非情になれる先生なのも分かってますから、会場に来ているほとんどの人が思っている青木先生のイメージとは私は違う印象を持っています。

 松田隆智先生は流石だな~?と思ったんですが、青木先生のその非情な部分も見抜いていたと思うんですよ。その上で、「う~ん・・・凄い大きな人だな~・・・」と唸っていました。

 やっぱり、武術に本気で取り組んでいる人間にとっては、青木先生の本当の凄さに気づかない筈がないと思うんですよね。田中光四郎先生も、そんじょそこらの武道家なんか眼中に無いでしょうけれど、青木先生は別格と見てらっしゃる様子でした。

 その意味では青木先生に直接学んだ人達でも何人がそこまで見えていたのか?とは思います。

 優しい人は侮られやすい面がありますからね。でも、侮られることを気にしないというのは凄い器の大きな人ですよ。

 パーティー会場には青木先生の書や写真、これまでの歩んできた経歴に関しての解説が壁に張られていました。

 改めて、それを見れば、青木先生が単なる武道家ではなく芸術家であり思想家であり修行者であり社会活動家であるという歴史に名が残るだけの偉大な業績をあげた人だということが解ります。

 けれども、青木先生自身はそれらを本質的に無であると解っていながら、でも敢えてやってきた・・・。なぜなら、周囲の人達を喜ばせたいからであり、人間が幸福に生きる術を創りたかったからだと思います。

 普通は、口ではそう言っても現実には自己の欲望を満足させることしか人間は考えられないものです。多くの宗教家や慈善事業家、政治家、思想家が、結局は自分の名声や金銭欲、権力を求めることにしか関心が無くなる・・・。

 社会性の方向が逆転してしまうんです。

 つまり、社会を平等で協調したものとしたかった筈なのに、独裁になってしまう。

 その言い訳として、「民衆が愚かだからだ」と言い出す。だから制度的に統制するしかないし、法がすべてだという考え方になってしまう。

 けれども、それなら民衆が賢くなればいいじゃないですか?

 となれば、必要なのは教育ですね? 学校教育のように固まって洗脳紛いになったものではなく、個々の人間が自分自身で成長し続けていける教育システムがあればいい。

 青木先生が創造したのはそれだと私は思っています。心身の教育システム。しかも自己組織化し続けていく進化系のシステム・・・。

 青木先生は新体道というシステムを最初に創造し、そこから発展して剣武天真流や天真書法、瞑想法を創造していっています。

 私は、その過程を傍観していただけですが、多大なインスピレーションを得て武術全般を研究し直すことで青木メソッドのコンセプトを流用させてもらおうとしていたのかもしれません・・・。

 まあ、小難しいことよりも、バースデイケーキを真剣?で切っちゃうチャイルディッシュなシャレッ気を八十歳になっても失わないところが一番、カッコイイな~?と個人的には思ってますけどね・・・(笑)。

 人間、権力に胡座をかいてはオシマイですよ・・・。

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私の好きな流儀

 そういえば、セミナー後に会食しての帰り、「先生が一番好きな流派は何ですか?」と聞かれました。

「游心流です!」と言いたいところなんですが、これは研究家としての研究成果を編成したものなので、流派と言えるかどうか?は、私が死んだ後の話でしょう。

 なので、既存の武術の流派(門派)で言うなら、一番好きなのは“八卦掌”ですね。

『グランドマスター』でチャン・ツィイーがやっていた門派です。『太極(タイチー)2』ではユン・ピョウが、『阿羅漢』『ザ・ワン』ではジェット・リーがやっていました。

 実際、一番、練習したのは八卦掌ですね?

 程氏、尹氏、宮氏(二派)、馬氏、劉氏を習いました。後、少し研究したのは梁氏。

 やっぱり変幻自在の動きで戦うところが好きですね~。

 台湾の八卦掌ビデオを見たら、技の使い方が合気道そっくりで驚いたことがありましたね~?

 次に好きなのは、“八極拳”。

 これは何と言っても威力が絶大で一撃必殺な発勁が好きですね~。

 後は、甲乙つけがたいんですが、太極拳、形意拳、通背拳、白鶴拳、詠春拳、蟷螂拳、酔拳・・・ですね?

 松田先生から「心意六合拳を教えてやろう」と言われたんですが、「カッコ悪いからヤです」って断っちゃったんですよね~。今考えると習っておけば良かったかな~?とは思います。

 長拳系の跳躍したり伸び伸びと突き蹴りを出す門派は、私みたいに手足が短い純日本人体型だとカッコ悪いから、あまりやりませんでしたね~?

 空手の練習やっていた頃は蹴りに憧れて練習していました。

 普通に廻し蹴り、足刀蹴り、後ろ蹴り、後ろ廻し蹴り、掛け蹴りなんかは練習してましたけど、中国武術の蹴り技も練習しましたね。

 二起脚、旋風脚、虎尾脚、前掃腿、後掃腿、擺蓮脚、斧刃脚、釘脚、トウ脚とかは練習しました。しかし、ムエタイ習った時にスネで蹴る廻し蹴りの練習ばっかりやるようになって、それ以外の蹴りは膝蹴りくらいしか練習しなくなりましたね。

「蹴り技は実戦だと墓穴を掘りやすい」と聞いて、練習しなくなったんですよ。脚裏の筋切って練習できなくなったのも関係あります。お陰で高い蹴り出せない。

 今では、私が蹴り技出すと、みんな驚きます。「先生も蹴り技出すんだ~?」って。

 一応、節拳や六路短拳、弾腿、秘宗拳とかは少し練習したんですが、やっぱり接近密着戦法を旨とする内家拳系の方が体質的にも気質的にも私に合っていましたし、昔は苦手だったんですが、今では手技の方がずっと得意です。

 手技というとパンチしか考えない人もいますが、私は掌打の方を主に使いますね。

 拳で殴ると、手首をグキッとくじいたり、拳の関節がすぐ擦りむけて傷だらけになるんですよ。ケンカしたことある人なら解るでしょう?

 下手すると手の甲の細い骨折れたりしますからね。

 掌打だと、かなり耐久性あります。浸透勁も掌打の方が効果的です。ただ、瞬間的な破壊力(衝撃力)でKOするには拳の方がいいんです。

 でも、破壊的な衝撃力なら肘打ちが一番でしょうね? 八極拳の頂心肘なら一撃必殺も十分に可能でしょう。

 私が掌打を普通に使うようになったのは、打った瞬間、握って逆関節極めたり崩して投げたりもしやすいからです。怪我させないで制圧するにも都合が良い。

 拳だと殴るしかできませんからね。


 日本の武術だったら、タイ捨流が好きですね~。カッコイイ!

 次に新陰流かな? いや、二天一流か?

 後は、香取神道流、鹿島神流、小野派一刀流、示現流、天然理心流・・・ですね。

 やっぱり日本の武術だったら剣術と居合術が好きです。空手は中国武術の一種という印象がありますし、剣道や柔道はもう武術とは違う感じがします。

 合気道も好きなんですけど、やっぱり打撃技であったり剣で斬るというのが好みなんですね?

 組技系はあんまり好きじゃないな~。男同士で組み合うのヤだもん。一応、研究はしてますが、好きではないですね~。

 勝負が延々と続くのが嫌いなんですよ。スパッと一瞬で決着がつくのが好きです。

 だから、交叉法を知った時は「これだっ! 俺が求めていた武術はこれなんだ!」って思いましたし、そうでなければ23年もずぅ~っと研究し続けたりしていませんよ。

 技は一撃必殺! そして、理合は読みと交叉!

 これが武術の理想形だと私は思います。

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模擬刀の補修

 小塚師範が使っていた模擬刀が相当、傷んでいたので預かって補修することにしました。

 柄には鮫(エイの革)が使ってあり、外装は割りと良いんですが、刀身は亜鉛合金の鋳物にメッキしている廉価の美術刀で、鐔の装飾の鯉が手元の方にレリーフされていたんですけど、これが“くせ者”で、尖り過ぎていて指を傷つけそうだったんですね?

 実際、知らずに借りて使っていた会員が指から血が滲んでいて、こりゃあ危ないな~と、応急処置で、道場でダイヤモンドヤスリで尖っている部分を丸めましたが、刀に嵌めてあるままだと細かいところまでは処理できません。

 それで預かった訳です。

 柄を外して鐔を逆さまに装着すれば問題解決するのですが、小塚師範が外そうとして目釘を抜こうとしたけど抜けなかったそうで、「柄と刀身が接着されているみたいで分解できませんでした」と言っていました。

 安い美術刀ではよくあることです。

 柄がプラでできて鮫の肌目のようなブツブツが付いたものだと、よくボンドで固められていたりします。こういうものだと柄糸を解いてバラすしかないんですが、これは木材に鮫を貼りつけて目貫も付けて柄糸が巻いてあるので、それなりに手間のかかった作りなんですね。

 が、それよりも問題は、鞘が割れていることでした。

 小塚師範は接着してエポキシパテで成型していたんですが、鞘の真ん中の繋ぎ目から割れてしまうと、普通に接着しただけだと強度的に無理があって、また同じところから割れるんですよね~。

 本当に、一回割れると割れ目を接着するだけでは強度不足なんですよ。小塚師範も仕事が終わって帰ってからはニャンコの世話も大変だろうから、作業する暇もないだろうしな~?と思って、預かった次第。

 私はいつも真剣の外装を自作しています(20回以上やってます)から、模擬刀の補修くらいはどうってことありませんからね。

 もっとも、いろいろゴタゴタと忙しかったものですから、中々、手付かずだったんですが、ようやくヒマができたので、金曜の夜に補修作業をやりました。

 まず、柄を外すために、目釘(材質は竹)を抜かなければなりませんが、確かに堅くて抜けません。小塚師範が抜こうと悪戦苦闘した痕跡が目釘に残っていました。

 こういう場合、私は目釘そのものにキリで穴を穿ち、少しずつ削り取ってしまいます。

 目釘は新たに作らなければならなくなりますが、また竹の丸棒を削って新しく作ればいいので、まずは柄を外すのを優先します。

 この模擬刀は鐔が緩んでいたので、「緩むということは接着剤で固められてはいないんじゃないかな?」と思ったのです。であれば、目釘さえ取り除けば柄は外せる筈です。

 目釘を削り除くと最初は堅かったんですが、思った通り、ちゃんと柄は外れました。接着剤も使ってありませんでした。これで作業は楽に済みます。

 切羽二枚と鐔を外して、鐔を反対側にしてはめ込み、柄を装着しました。大雑把に削った竹の丸棒を抜き差ししながら少しずつ削って調整しながら目釘を作り、打ち込んでみたら、ちゃんとなりました。これで分解も可能になりましたよ。

 刀身に刃毀れもあったので、こちらも金属用ヤスリとダイヤモンドヤスリを使って均しました。これで刀そのものは完了です。

 次は、鞘です。

 繋ぎ目から割れた鞘は、居合で使うには危険です。たとえ模擬刀でも超高速で引っこ抜いた時に、また鞘が割れて左手の平を傷つけてしまうかもしれません。

 実際、真剣だと、このような事故が多いのです。古流居合術の遣い手として有名な先生も、若い時に鞘割れで左手の平に大怪我をしているという噂を聞いたことがあります。

 実は私もやったことあります。怪我はしませんでしたが、それ以来、鞘の強化補修はいろいろ考えるようになりました。

 愛刀家に言わせれば邪道なのでしょうが、私は下手糞なので御容赦ください!

 結果、割れた鞘は鯉口から握り一個分の箇所を重点的に補強します。ここが割れなければ問題ないのです。

 で、どうするか?というと、“針金を巻く”のです。

 しかし、鞘の表にそのまま針金を巻いたのでは不細工過ぎますから、見苦しくならないように補強を兼ねた装飾を施します。

 まず、鞘の表面を漆塗装を剥ぎ取るくらいに薄く削り、彫刻刀(三角刀か切り出し刀)か三角ヤスリで針金を巻き込む溝を彫ります。溝を彫るのは、針金を埋め込むためです。

 そのまま巻くと針金を巻いた部分が出っ張るので、鯉口近くを握った時に太くなり過ぎてしまったりするので、握り心地を考えて溝を彫って埋め込むようにしています。

 彫った溝に針金を埋め込むように巻き込みますが、何周巻くかは好みで構いません。

 5~6周でも、万が一、鞘が割れても刀の刃で手を傷つける心配はなくなりますから。

 私は10~12回は最低、巻いていますが、これは念のための処置なので、回数はそんなに気にしなくて大丈夫ですし、針金も0.5mmの太さくらいで十分です。

 今回は鯉口(コイグチ、刀身を抜き納めする開口部分で鯉の口のように見えるからこう呼ばれる)から栗形(クリガタ、下緒を通して装着する部品で帯に差した時に表側に在る)の手前まで12周巻きました。

 さて、最後は、この針金を巻いた部分に接着剤で革を貼り付けて完了です。私は東急ハンズで色付きのエイ革を買ってきて柄巻きに使っている残りを利用しています。

 これは非常に丈夫なのと、格好がいいので気に入っています。目の細かいヤスリで削って“研ぎ出し鮫”にするのも本格的になっていいかもしれませんね?

 今回は柄木用に使った残りの“焦げ茶染めの鮫(エイの革)”を接着しましたが、どうもサイズを合わせるのに苦労しました。それで5cm幅に長く切って斜めに巻き込むように接着してみました。

 ツギハギになると不細工かな?と思ったんですが、苦肉の策がかえって格好良くできました!

 刀のハバキ(刀身を鞘の中で浮かせて固定する金具で赤銅や真鍮、金着せ、銀などでできている)もユルユルになっていたので、これも鞘の鯉口の内側に雲丹を買った時にためていた木製の台から取った薄板をハサミで適当に切り、接着しました。

 ちなみに、これは水に浸して塩抜きしてから天日干ししておくのが良いと思います。塩分が残っていると真剣の鞘に使うと錆が発生する原因になりかねません。まっ、模擬刀ならそこまで神経質になる必要はないと思いますが。

 小塚師範は木目シートを貼り付けていたみたいですが、私も昔、やっていたんですが、これだと剥がれた粘着剤がハバキや刀身にこびり着いてしまったりします。それで、これは剥がして新たに作った次第です。

 薄板を接着しても使っていればすぐに擦り減ってしまうのですが、だからといってアルミテープとか硬い粘着シートを貼っていたりすると刀身を傷つけてしまったり、粘着剤がこびりついたりするので、面倒臭くてもマメに薄板(桐みたいな柔らかい材質のものを使ってください)を貼って補修する方が結局はベストだと思いますよ。

 もちろん、武道具店に頼めば補修はしてくれるんですが、新しい模擬刀買った方が安上がりではないか?と思うくらい料金がかかる場合もあります。自分でやった方がずっと安上がりだし、刀への愛着も湧いて刀の構造を理解することもできます。

 特に居合の稽古をやっている人なら、鞘の補修くらいは自分でやれないとダメだと思ったので、今回は私なりに工夫した“やり方”を簡単に解説してみました。

 揃えておく道具は、目釘抜き(武道具店に売ってる。無ければ金づちと先端が細くなった金属の棒で可)、キリ(電動ドリルでも可)、木工ヤスリ、金属ヤスリ、ダイヤモンドヤスリ、彫刻刀、瞬間接着剤(すぐ硬化する。ゼリー状と液状があると便利)、ウルトラ多用途超強力接着剤(固まるとゴム状になる)、エポキシパテ(粘土みたいに練って使い、セメントみたいに固まる)、針金(0.5mmくらいがいい)、工作用薄刃ノコギリ、竹丸棒(竹刀に使う竹だとモアベター、削って目釘を作る)、皮革(東急ハンズにいろいろなのが売ってるよ)、ハサミ、ラジオペンチ(針金切ったりするのに有ると便利)、マジックインキ(目印を描くのに必要)、柔らかい材質の薄板・・・その他、材料になりそうな物です。

 私は町田の東急ハンズと横浜線の古淵駅から歩いて5分くらいにあるホームセンター島忠で、「これ、使えそうだな~?」と思ったものを、ちょこちょこ買ってきてます。

 中学時代の技術家庭の授業で使った工具から、高校時代に買った工具、大学時代に買った工具・・・と、ずぅ~っと、ちょこちょこ買い足してきているんですけどね。

 今回は稽古用の模擬刀なので一晩でできましたが、真剣の外装作る時は最低三日くらいはかかります。

 でも、そうやって作ると愛着湧きますよね?

「お祖父ちゃんの遺品のボロボロになった模擬刀があるんだけど・・・」という刀剣女子でDIY好きの方とかは挑戦してみられてはいかがでしょうか? 凝れば凝るでキリがないですけどね?

 拵えを自作することを否定する方も居ますが、私の場合、自分で作らないと不安なんですよ。既製の模擬刀使っていて柄が折れたのを二回見たことあります。

 古い刀で拵えがボロボロになっている場合もあります。補修しても木が虫に食われてボロボロになっていると、振っただけで折れたりするんですよね。

 本職の人に注文したら20万くらい取られるし、それでも頑丈に壊れないように作ってもらえるかどうか?

 武道具店で作ってもらうのも安くはできるけど、やはり強度的に心配です。特に柄が細いと心配なんですよね~。茎が短いのに細くて長い朴の木の柄だと、不安ですよ。見てくれより頑丈さが大切だと私は思うので・・・。

 もちろん、美術品だからという理由はわかりますが、日本刀の第一の目的は戦闘用でしょう? 戦闘用に生まれて機能美を珍重するようになっただけです。

 戦後、美術品として登録されるようになったからと言っても、それを大上段に構えた価値観しか認めないというのは何か違うんじゃないかな~?と思いますね。

 武術で言うなら、どんな優れた絶技を持っていても、戦って勝てない人は尊敬されないですよ。

 その点で、格闘技やっている人達から武術がバカにされたりするのも仕方がないように思いますね。

 甲野さんみたいになったらオシマイですよ・・・。

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本物って何?

 日曜日の稽古前、小塚師範から電話がかかってきて「階段のシャッターの鍵が開きません」とのことでした。

 もともと、癖がある鍵で開けるのにコツが要り、皆、悪戦苦闘していたんですが、今回は本格的に開かなくなっているらしく、私も駆けつけてみましたが、もう完全にOUTでした。

 一階がビルのオーナーの工房(ガラス工芸)になっているので、相談しようと思ったんですが、日曜日だからお休みされていました。

 後から会員が来て入れないとマズイので、皆が来るまで待ちましたけど、こういう日に限って参加者が増えて滅多に来れない人も来ていたんですよね~(苦笑)。

 まあ、「ちょっと寒いけど、天気がいいから久しぶりに公園でやろう!」と、皆で駅の向こうの鹿沼公園に行って、久々に野外練習しましたよ。

 公園だと模擬刀はもちろんですが、木刀も使う訳にはいきませんので、もっぱら基礎練体と対練、推手の練習になります。

 ガンガン殴りあったりしないので、「何の練習ですか?」と興味もって聞いてくる年配の小父さんもいたりするんですけど、この日は二回も聞かれましたね。

 面倒臭いから「太極拳です」って答えます。

 ちょっと詳しい人だと「太極拳って空手みたいな組み手もやるんですか?」と聞いてきたりするんで、「本当はあるんですけど、健康法でやっている団体だと練習しないだけなんですよ~」と、笑顔でごまかしたりします。

 もう少し詳しい人(経験者)だと、腕試ししたがったりする場合も無くはありませんが、そういう場合は、いきなり「ここで金玉掴んで捻り潰す」「ここで目ン玉えぐり取る」「ここで喉笛掴んで押し潰す」「ここで耳を引き千切る」と、エグイ技路線に変更しますと・・・戦意喪失して黙って退いていきますね。

 スポーツ競技の感覚で腕試ししてカタワにされたらかなわん・・・と恐怖心を植え付けてあげる訳です。

 で、大抵、武道や格闘技をちょこっとやったことある初段か、せいぜい二段までの人間ですね。三段以上でこういうタイプは流石にいないと思いますけど。

 あ~、そういえば・・・子供を暴行して殺した暴力団員のデカブツが、何と、元極真空手のチャンピオンだったと報道されていて、愕然としてしまいましたよ。

 何て情けない・・・。私の知る極真空手修行者は全員が素晴らしく謙虚で人柄の良い人ばっかりだったのに、チャンピオンにまでなりながら、どうしてこんなクズになり下がってしまったんでしょう?

 本当に「情けない」の一語です!

 武道家としてのプライドも自制心も無い。無差別に暴力ふるうしかできない。本来、こんなヤツに空手を教えてはいけないと思うんですが、目先の強さしか求めていないと、こんな歪な精神構造のゴミ人間になってしまうのでしょう。

 でも、私も本当に気をつけないといけないと思いましたね。破門にしましたけど、勘違いした自惚れ屋は何人も出してしまいましたから・・・。

 少なくとも“キチガイに刃物”みたいにならないよう、教える人はきちんと選ばないといけないと思っているので、入会希望者でも態度が悪かったりすると断ったりしてます。

「武術はバカではものにならない」と言われるんですが、それは戦略思考、戦術試行をできる知性がないと実技を遣いこなせないからなんです。

 そういう点から言っても、武道を学びながら本質を考えている人は滅多にいませんね。

 チンピラ的強さしか求めないバカは、昔は入門させないのが当たり前だったのですが。


 練習後に、久々に駅前のジョナサンに行きました。

 ある意味、練習以上に練習後に飯食べながらいろいろな話をするのが戦略思考を育てる場として重要なんだと私は思っていますし、私自身も貴重な情報収集になります。

 昨年、セミナーを受講されていたスポーツトレーナーの方からも聞いていたんですが、ここ最近、整体や気功の先生が武術を教えて、しかも異常な高額で教えているのだそうですね?

 まっ、価格設定は教える人次第ですし、習う人が納得しているのであれば他人がとやかく言う問題ではありません。

 整体・カイロプラクティックなどの業界では100万円を超えるようなセミナーが普通にあるので、料金設定がバカ高くなるのも、そのせいかもしれません。80年代末の自己啓発セミナーも、そんな感じで300万円くらい取るのが当たり前な感じでしたね。

 無論、バブルが弾けて、こういうセミナー業界は一気に消滅していきましたが、企業研修なんかで細々と生き残り、未だに異常に高額で教えているところもあります。

 最近は、お金儲けに繋がるという名目で気功とか教えるところがあると聞きますけど、ただお金を集めるのに気功を用いるというのは完全なマルチ商法の手口ですね。

 気功というのはそもそも仙道やヨーガ、山岳密教の修行法を現代的エクササイズとして中国で再編成したものであり、ルーツからすればお金を集めるという世俗的欲求とは反対のものです。

 その筋の専門用語で「お試し」と言いますが、こういう欲望成就に応用した場合、最初はウハウハで上手くいったりするんですが、ほどほどで止めないと、どんどん欲望が肥大してコントロールできなくなり、最後は自滅してしまいます。

 気功の原理は催眠と同じです。自分を騙し、他人を騙す。そんなの良い訳ないんです。

 私は宗教哲学とか勉強してたんで、そのことも知ってましたから、自分の欲望成就には使わなかったんですよ。一時的に上手くいっても後で大変な災難に陥るのがわかってましたからね。

 願望達成だの成功哲学だのとやっている人には注意するようにしているんですが、こういうのは自己暗示ですから自分を客観視できなくなってる人は聞く耳ないんですよね。で、精神疾患まっしぐらになる人も多いです。「お金欲しい」やら、「有名になりたい」といった欲望だけをストレートに求めるのは自滅するだけです。

 お金が欲しければ、お金を稼げる能力を磨く! 有名になりたければ、自分の目指す分野で実績をあげる。これが一番です。

 私が小説の勉強したのも、これが理由なんですよ。自分が金を稼ぐ可能性のある能力を磨く!

「地道にコツコツ」・・・これが本当の成功の秘訣。


 さて、一般に武道の指導料は安過ぎるのではないか?とも言われますが、まあ、上限として入会金10000円で月謝10000円くらいかな~?とは思います。

 それ以上だと「高い」という感じがしますが、内容がその分濃いとか、施設の装備が良いとか、それなりの付加価値があれば問題視する程ではないか?と思います。

 逆に安過ぎるところだと、無料とか月謝2000円とか、そういう“お得感”をウリにするところもあります。

 そもそも「武道は金で買うものではない」という観念もあるので、お金を貰うことに抵抗を感じる年配の先生も大勢います。

 私も初期の頃は抵抗を感じました。が、安い料金(一回千円)で発勁も合気も何でも教えようとしたところ、ほとんど人が来ませんでした。

 つまり、安かろう悪かろうという観念が習い事にはある訳で、「ちょっと高いな」くらいが一番、信用を得やすいのでしょう。

 また、安くない金額を払ったら真剣度が違います。安いと真剣にやらないんですね。

 そういう様子を何年も観察してきたので、今では、「武術は安売りしない!」ということを自戒しています。「価値のあるものはそれなりの対価を払うのが当然だ」と、考え方を改めた訳です。

 個人指導は一回10000円貰っていますが、続けてきている人は真剣度が全然違うので、やはり上達度が尋常ではないですね? ほとんど別人のようになっています。

 だから、昨年は一回20000円の特別講習会もやった訳です。真剣に学びたい人だけを選びたかった訳です。

 そういう料金設定にしたので、“荒らし”が目的の人とかは来なくなりましたね。

 道場破りに金かける人はいないでしょう?

 もっとも、私は料金に見合った内容を提供できる自信があるから高くできましたが、「アンタ、誰?」って具合に、武術の世界で見たことも聞いたこともないような人がバカ高い料金で「これが本物の技だ」って教えていると聞くと、“誇大妄想狂がカルトを興す”みたいに思えて、いかがなものか?と思うんですよね~?

 もちろん、そういう人は昔っからざらにいます。甲野氏みたいに自己アピールが異常に上手くて世間を完全に騙してしまった実例すらありますからね~?

 詳しくない人は未だに信じていますが、まともに修行している人で甲野氏とまともな手合わせした人は、あまりの弱さにビックリした・・・という実例が多いので、業界の裏事情に詳しい人達の間ではお笑いの対象(ギャグ)でしかありませんよ。

 彼を利用したい人は仲良くしたがるんでしょうが、ダメな人はダメとはっきり言っていないと、最終的には同じ穴のムジナ扱いされるだけでしょうね?

 事実はいずれ明らかになります。現代のようにインターネットが発達した世の中では真相は隠せないですよ。

 特に、武術は実際にまともに手合わせすれば実力は露になってしまいます。延々とごまかし続けることは不可能ですよ。

 けれども、業界の体質を知らない人達だと区別がつかずに騙されてしまったりしますから、真贋の見分け方もお教えしましょう。

 本当に実力と見識がある先生ならば、「これが本物だ!」とは、決して言いません。

 何故なら、詳しく研究し知識が増えれば増えるほど、「これが本物で他は偽物」とは言えなくなっていくからです。

 実例で説明すると、甲野氏の武術はインチキですが、理論的に正しいことも部分部分では散見されます。

 トータルで見れば、武術家とすればインチキ詐欺師(戦闘力0だから)にしかならないんですが、武術の研究をしている人間だとすれば、あれでもOKなんですよ。

 どういうことか?というと、武術家であれば第一に実戦能力の高さが評価基準になりますから、まともに戦って全戦全敗の甲野氏は武術家と呼ぶに相応しくないということになります。

 ところが、“武術の研究をしている人間”ということになれば、別に実戦能力皆無でも構わない訳です。実戦経験も必要としません。趣味でやっているだけですからね。

 また、研究家と名乗らなければ、発表内容に責任を持つ必要もなくなります。プロではなくなるからです。

 つまり、“趣味で武術のまね事をやって文筆や講演活動をしている作家”だと規定するなら、な~んにも問題ない訳ですよ。単なる“奇人変人”として・・・。

 例えば、作家で武道や武術を趣味でやっている人もいますよね? その場合、下手であっても「修行している」という事実だけでハクが付きます。

 まして、道場で教えていたりする人だと、もう達人扱いされても構わないでしょう。

 何故なら、作家と武道を両立させてどちらもプロだというのは、並大抵の才能ではないからです。どちらか一つだけでも並の人間にはできませんからね? 並でないなら達人扱いされたって構わないでしょう? 達人の定義がある訳じゃないし・・・。

 宮本武蔵が高い評価を得られたのも画家であったり理論書を書いたからですよ。ただ強いだけなら武蔵以上の人もいたでしょう。


 私の場合は研究“家”と名乗っているので、甲野氏のように無責任に振る舞う訳にはいきません。発表内容には責任が伴いますから、間違ったらお詫びして訂正するということを心掛けています。

 武術の修行をしている人間としてもプライドの問題として勝負には拘るし、実戦能力を高めることを第一に考えていますから、指導する場合もそのように言っています。

 小説も発表して作家としても本格的に活動しようと思っていますが、これは研究家とは別の仕事ですからね。

 しかし、作家、文筆家としては、言葉の意味は正確にすべきだと思っています。

「これが本物の技だ」と称するならば、何が本物で何が偽物なのか?ということを説明できなくてはなりません。

 本来、説明するには膨大な知識が必要ですから、専門家は資料を集めたり自分で学んだりフィールドワークしたり、物凄く調べる訳ですよ。

 ところが、調べれば調べるほど、背反する事実が出てきて定説が覆ったりするんです。

 だから、専門家として真摯に研究していればいる程、「これが本物だ」とは言えなくなっていくのです。

 私のところにも「長野先生が本物だと思って来ました。教えてください」と言って来る人はいます。

 ですが、そういう人は見識が浅いから簡単に“本物”なんて言葉を使っているのです。

「私は本物じゃありませんよ。私の技はほとんど全てがパクリですよ」と言います。事実がそうだから、ありのまま言っています。正統な流派を継いでいる訳でもありませんし、実力だって私以上の人はいくらでもいます。

 武道武術の世界に詳しくない人が勘違いしたり舞い上がってしまったりするんですよ。

 唖然として来なくなる人はそれでいいと思っています。“本物”とは何か?と考えて自分が何を求めているのか・・・と改めて考え直して入会する人にしか教えたくない。

 そういう人でないと教えても体得できないんですよ。見世物芸なら誰でもできますが、武術の技を実用レベルで体得するには理合をきちんと理解して応用できないとダメです。

 私のところには、甲野氏や高岡氏、宇城氏、日野氏のところに行っていた人が結構いるんですが、“本物の武術とは何だろうか?”と悩んだ揚げ句に私のところに来たりしているみたいです。

 結局、こういう人達に共通しているのは、「有名な先生に習えば自分も凄くなれるに違いない」という依頼心でした。

 私に習いに来たのも、「長野さんに習えば自分でも達人になれそうだ」と甘いこと考える訳ですね。

 もちろん、こういう考えの抜けない人は、私が教えても、やっぱりダメです。で、また、別の団体に移っていくだけですね。で、考えを改めない限り、ずっとそのままです。

 こういう人は、本気で自分を変えたいと思っておらず、達人の弟子という立場に安心したいだけです。

 私は“本物の技”は存在しないと思います。でも、“本物の武術家”には誰でもなれると思います。

 それは、「徹底して自分に嘘をつかずに真剣に探究し続けること」です。

“本物”かどうかは自分の決意に左右されるのであって、他人から与えられるものではないのです。

 バカ高い金を払えば自分のものにできる・・・そんな都合の良い武術はありませんよ。

 むしろ、そんな御都合主義の考えをした時点で、その人は永遠に偽物のままです。

 近藤勇は偽物の虎徹を本物と信じていたと言われますが、一説に清麿が打った刀に虎徹の銘を切った刀だったとされます。

 その当時、清麿の刀は虎徹の刀に遠く及ばない値段で取引されましたが、現在では清麿の刀は正宗をも凌ぐ人気で最も高額な値段で取引されて虎徹を完全に超えています。

 要するに、近藤は刀の本質を洞察でき、当時の第一級とされた虎徹に優るとも劣らない刀であるから本物だと認識していたのではないか?と思いますね。

 日本のみならず世界中にいろいろな武術武道を学ぶ人がいて、「自分の学んでいる流儀こそが本物だ」という自負を持っている人が大勢います。

 それが間違っている・・・とは言えないでしょう?

 しかし、本気で探究している人は、安易に「これが本物だ」とは言えなくなる。それは、本物を求め続けているから、言えなくなるのです。

「これが本物の~~だ!」と言って教える人がいたら、迂闊に近づかないのが賢明です。

 誇大妄想狂か詐欺師、そのどちらかでしょう。


 稽古の翌日、シャッターの鍵が開かなくなったことを不動産屋さんに相談に行き、大家さんに連絡してもらって直行したら、大家さんがCRC556で開けてくれました。

 錆びて動きがおかしくなっただけだったみたいです。部品が壊れたのかと思った。

 ま~、セミナーの時じゃなくて良かったですよ~。

 せっかく大家さんが開けてくださったんで、前々からガラス工芸の作品を見たいと思っていたので見せてもらいました! 私も工芸は好きですけど、やっぱり素人ですから、プロの仕事の細かさには圧倒されました。

 表札も作られていたので、游心流の道場の表札もクリスタルガラスで作ってもらうとカッコイイな~?と思って、注文することにしました。

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我が青春の福昌堂・・・

 武道・武術・格闘技の世界は、専門雑誌の存在によってけん引されてきた側面があります。

 中でも、『月刊空手道』『季刊武術(ウーシュウ)』『月刊フルコンタクトKARATE』の出版元であった福昌堂は、小さな出版社でありながら、武道マスコミの中枢を担う人材を多数輩出した点で、特別な会社であったと言えるでしょう。

 一時期、精神世界方面の雑誌(『パワースペース』)を出したこともありましたが、根幹は武道・武術・格闘技を専門とする出版社であり続けました。

 その福昌堂が、倒産したという話を小説講座の新年会でフリーの編集者の方から聞きました。ネットのニュースでも出たんだそうですね?

「あ~、ついに・・・」と、さして驚きもなく受け止められましたが、それは昨年末にやはり武道関係の雑誌の編集者の方とお会いした時に「恐らく、3月くらいまでには無くなるんじゃないか?」という話を聞いていたからでした。

 福昌堂の倒産というのは、やはりアベノミクスが大企業に偏った経済政策で、中小企業に厳しいものだという説を実証しているような印象もあります。

 そもそも、ニッチなジャンル系出版社というのは一定数の固定読者を対象にしているので、そうそう売上がガクンと落ちることはなく、不況にも強いと言われていました。

 福昌堂も、まさにその典型の出版社なので、結構続くのではないか?と思っていたんですが・・・出版不況も極まった感じがしますね。

 残るは、『秘伝』を擁するBABジャパンと、『JKファン』を擁するチャンプしかありませんが、武術に関しては『秘伝』が最後の砦という感じですね。

 それと、山田編集長のフルコムと、武道・武術・格闘技DVDのクエスト(私はクエストさんでお世話になっていますから、全力で生き残りへの助力を惜しまない覚悟です!)。

 しかしね~。売上ということを考えれば、もう昔から変わらないやり方でやっていても伸びないのだと思いますね。

 元武術(ウーシュウ)組が学研で甲野氏をフィーチャーしたムックを出して中国武術の専門雑誌を作ろうとした時も、続きませんでしたが、ジャンルの問題よりも編集内容が武術(ウーシュウ)と少しも変わらなかった点に問題があったと思うんですね。

 小さな出版社なら一万部も売れれば大丈夫でしょうが、学研みたいな大手で雑誌の売上が一万部では全然、ペイしないでしょう。続かなくて当然だと思いましたよ。

 やっぱり読者のニーズを考えることと、新しい読者を獲得するために何が必要か?ということを真剣に考えていないとルーチンワークで作っていれば見放されてしまいます。

 かつての古武術ブームの正体は、甲野氏のブームでしかなかったことを武道武術の業界の人達は解っていなかったんですね。

 しかし、ブームに頼っていれば、ブームの終了と同時に消えてなくなってしまうのが宿命です。コンスタントに売れ続けるには、固定読者を獲得する信頼のブランドを築かないとなりません。

 私はそう考えていたので、“スポーツや介護に役立つ古武術の身体操作”といった路線には行きませんでした。「武術はあくまでも戦闘術なのだ。人間が生きるために避けて通れない戦いを勝ち抜くための知恵なのだ」ということを延々と主張し続けていれば、必ず注目してくれる人は増えると考えていたからです。

 それと、私は実践し続けていますからね。頭でっかちの理論を唱えている訳ではなくて、日々の試行と研究の成果をずぅ~っと発表し続けてきているから、潰されないでやって来れている訳です。

 もっとも、それはどこの団体でも多少なりともやっていることです。うちは所帯が小さいから小回りが利いて、より研究が進み易いというだけかもしれません。


 それにしても、福昌堂は、私が初めてプロのもの書きとして仕事を頂戴した会社であり、やはり、非常に残念ではありますよ。

 いわば自分の30代の遅い青春を過ごした学校みたいな印象があります。

 大学生の頃から月刊空手道を読み始めて、ウーシュウ、フルコンも愛読しました。

 格闘技ブームで続々と格闘技雑誌が出版された時も、あくまでも技術解説を中心にした“実際に練習している人のための雑誌”であったから愛読し続けられました。

 業界をけん引する人材が沢山、この会社から出ているということも特筆すべきでしょうね?

 中国武術を本格的に日本に紹介し、中国でも第一人者として知られる松田隆智先生と笠尾楊柳先生、古武道研究の第一人者である高橋賢先生、柳生心眼流の島津先生、通背拳の常松先生、振武舘の黒田先生、武神館の初見先生、新体道の青木先生が始めて紹介されたのも月刊空手道の連載記事(竹内海四郎氏の武の足跡シリーズ等)だったのではないでしょうか?

 その他、甲野氏が紹介されたのも月刊空手道が最初でしたね。

 空手はもちろん、いろんな先生が紹介されていますが、空道の東孝先生や芦原会館の芦原英幸先生、和道会の柳川先生、自成道の時津先生が初めて紹介されたのも月刊空手道だったと思いますし、近年は日子流の田中光四郎先生もよく出られていました。

 幻の実戦中国拳法と呼ばれていた太気拳を初めて雑誌で紹介したのも季刊ウーシュウでした。

 出版関係者では、BABジャパンの東口社長と『秘伝』の副編集長の塩澤さん、ライターの野村さん、村上さん、精神世界系の編集をされている生島裕さん(私がもの書きになる切っ掛けを与えてくれた大恩人です!)、フルコムの山田さん、野沢さん、今の肩書は知りませんが小島さんも元月刊空手道編集長でした。

 俳優に転身した須藤さんもバイトしていたと聞きます。

 学研の編集者になった椎原さんも私がお世話になっていた頃のウーシュウの編集長でしたね。

 漫画家の坂丘のぼるさんは今はJKファンで連載されていますし、まあ、私も福昌堂出身者の端くれではありますかね~(苦笑)?

 こうして考えてみると、武道武術の業界を作ってきたのは福昌堂だったのかも?とすら思えます。

 亡くなられた松田先生と最後に電話で話した時に、「福昌堂のお陰で自分は中国武術の研究を続けられて研究成果を発表し続けることができたから感謝している」ということを話されていました。

 中村社長への恩義を感じられていたので、『秘伝』に出て欲しいという東口さんの要請にも最初は断られていたんですね。

 しかし、当時(椎原編集長が辞めた後)はウーシュウから締め出されておられたので、私は「そこまでウーシュウに義理だてることはないですよ。松田先生の価値を解っていて出て欲しいと言ってくれる場所に移っても構わないでしょう。もし、事情を知らない人間が松田先生を裏切り者みたいに言った時は、私が“事実はこうだ”と言ってやりますよ」と、勧めたので、「長野君がそこまで言ってくれるのなら、じゃあ、会うだけ会ってみるか?」と言われて、東口さんに会って、熱意に応える格好で『秘伝』に出ることを決心されたという次第でした。

 そういう訳で、松田先生が福昌堂を裏切ったみたいに思っている方がいたとしたら、それは大きな誤解ですから、御承知くださいね?

 まあ、いろいろ思い出も尽きませんが、福昌堂という小さな出版社が武道・武術・格闘技の世界に及ぼした影響というのは想像以上に大きなものだったという事実は、ここにきちんと書いておきたいと思います。

 何より、そこに集っていた人達は、金や出世より武道・武術・格闘技が大好きという人達ばっかりであり、実に楽しい会社でしたね。

 ちょっとライターとして出入りしていただけの私でなく、もっと語るに相応しい方もおられると思いますので、恐らく、どなたかが単行本とか書かれるのではないかな~?という予感もありますが・・・。

 ちなみに、今回のタイトル、気づいた方もいるかもしれませんが、『我が青春のアルカディア』をパクリました。スンマセン!

PS;愛隆堂も潰れたという噂を聞いていたんですが、ガセだったそうです。ネットって怖いね~? 誰かが嘘書いたり、読み間違って流した情報があっという間に広まったりしますからね~? 私、できるだけ正確に書こうと心掛けているんですけどね~? す~ぐ揚げ足取ろうとする人とかいるからな~? 直接文句言われるなら誤解を解けるけど、陰口広めるだけだから嘘話が広まる。本当にこの業界は女々しい人が多くて困ります・・・あっ、女々しいなんて女性蔑視だよな~、スンマセン!



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実はプロレス好き

・・・というオッサンは多くて、私も好きか嫌いかと言えば“好き”なんですが、最近はプロレス好き女子のお陰でブームが復活しているのだとか?

 でも、女子の目線はイケメンマッチョ若手レスラーが組んずほぐれつしているシーンが好きという、かつての女子プロレス好き男子とちっとも変わらない理由なんだそうで、BL好き女子も加担しているのだとか?

 はあ~、そうなんすか? 時代は変わったな~・・・。

 私の親の世代(昭和一桁)だと、圧倒的に力道山のファンでしょうし、シャープ兄弟とか知ってる世代ですね。

 私がTVで見はじめた頃は、ジャイアント馬場の全盛期で、アントニオ猪木、ストロング小林(後に金剛)、大木金太郎、坂口征二とかがいて、ブルーノ・サンマルチノ、カール・ゴッチ、ボボ・ブラジル、ザ・デストロイヤー、フレッド・ブラッシーなんかがよく出てましたね。

 その後、馬場の全日と猪木の新日に分かれて、藤波辰巳、ジャンボ鶴田、天竜、長州とかが出てきて、ファンク兄弟、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン、ビル・ロビンソン、ミル・マスカラス、ドス・カラス、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディーとかが活躍してました。

 でも、プロレスではしばしば異種格闘技対戦がマッチメイクされ、プロ柔道を目指した木村政彦に始まり、柔道のオリンピック金メダリストのアントン・ヘーシンクやウィレム・ルスカが出たり、梶原一騎がプロデュースしていた頃にはモンスターマンとか極真のウィリー・ウイリアムスとか出たり、馬場もバンドー空手の遣い手という触れ込みのラジャ・ライオン(自分が蹴った拍子にヘナヘナ・スッテンコロリンとコケてしまって呆然としましたよ。その後、倉田先生の映画『ファイナルファイト』に出演した時は別人のようにちゃんとアクション演じてた・・・別人?)と闘ったりしてました。

 しかし、プロレスの黄金期と言えば、恐らく、初代タイガーマスクが活躍した頃ではないかな~?と思います。四次元殺法と呼ばれたルチャ・リーブレ仕込みのアクロバチックな闘い方は、今日のプロレス人気にまで継承されています。

 覆面レスラーもマスカラス以降いろいろ出ていて、ザ・コブラ、ウルトラマンとかもいましたけど、獣神サンダーライガーとスーパーストロングマシーンぐらいかな~? タイガーマスク以降では? あっ、ブラックタイガーもいたか?

 プロレスは梶原一騎原作の『タイガーマスク』のアニメ化によってもプロレスの漫画化という路線があって、『アステカイザー』という実写とアニメが合体した番組もありましたけど、漫画とアニメで一番成功したのは、何といっても『キンニクマン』でしょう?

 最初の設定ではウルトラの父が不倫してできた子供がキンニクマンで、ウルトラの母や兄弟にイジメられて地球にやってきたという完全なウルトラシリーズのパロディー作品だったんですが、これは問題あり過ぎの設定だから無かったことにしてキンニク星の王子という設定となり、超人がプロレスするという設定ができて、テリーマンやロビンマスク、ラーメンマン、ウォーズマン、バッファローマン、アシュラマンとか出てきましたね。

 一方でリアルな格闘技路線もこの頃から模索されて、前田日明とドン・ニールセンの試合がきっかけで、空前の格闘技ブームが起こり、格闘技雑誌がいくつも出版されたものでした。

 ここで、藤原組長のような燻し銀の技の遣い手に陽が当たったのは、歓迎すべきことでした。

 格闘技としてのプロフェッショナル・レスリングへの注目が集まったからです。

 今日にまで続く格闘技ファンは、この時期に萌芽があったと言えるでしょう。

 つまり、UWFプロレスを中心として、シューティング、シュートボクシング、フルコンタクト空手、ムエタイ、ボクシング、サンボ、高専柔道等が注目を集め、打撃系と組み討ち系というカテゴライズができ、グレイシー柔術のアルティメット大会を契機として総合格闘技の流れができたからです。

 K-1の前身となったトーワ杯トーナメント以降、アマチュアも参加するグローブ空手、新空手というジャンルもできましたし、プロとアマの垣根も曖昧になっていきました。

 この流れが無かったら、格闘技漫画というジャンルが生まれていなかったかもしれません。『グラップラー刃牙』『修羅の門』・・・等がその代表格でしょう。

 そんな流れの中で、アマ・スポーツとしての現代武道からはみ出していた伝統武術は“神秘武道”なる冷笑的なネーミングで格闘技ファンから語られるようになりました。

「悔しかったら試合で勝て」という具合に挑発を受けて、試合に挑戦して敗退する武術修行者もいますが、自分の団体の主催でなければ勝てないという格闘技のセオリーから逃れることは困難で、ずっとマイナーな存在であり続けているのが実情でしょう。

 そもそも、武術にとっては試合はルール設定があり断片的な技量を競うものでしかなかったのですが、それ自体が目的化してしまうと格闘“競”技としてのカテゴリーに入ってしまい、それ専門の練習を積んでいないと対応できないものです。

 中国の散打は、中国武術を格闘技化したものと考えられていますが、実際のところ、シュアイジャオという組み討ち格闘技をベースにロングフック(圏捶)とサイドキック(足揣脚)を組み合わせて新たに創編されたものであり、カンフー映画でよく見られる打撃技主体のものではありません。

 そもそもが、中国武術は空手やボクシングのように打撃技のみで闘うスタイルではなく、打撃技と逆・投げ・崩し・点穴(ツボ攻め)が融合しているもので、門派による技術の違いも激しいので競技化が困難だと思われました。

 ボクシングに挑戦して破った国民的ヒーロー“神拳大龍”と呼ばれた蔡龍雲老師は華拳の遣い手ですが、華拳というのは長拳という表演武術(型の演武を競う競技)の中心になっている種目の門派なので、伝統中国武術マニアにはあまり評価されなかったりする門派なんですが、要は“遣い手の腕次第”という武術の当たり前の現実を示したのが蔡老師だったんですね~。

 中国の散打大会に出場した友人に聞いたところでは蔡老師はその大会の時も重要なポストで来られていたらしいですね。随分、前なので、その後、御健勝でおられるかは存じませんが・・・。

 初期の散打(散手)大会では意拳が活躍したり、通備拳の馬賢達老師が活躍したりとか、大会毎にいろいろな門派の人が活躍して一定のスタイルが無かった様子です。

 台湾の雷抬賽という散打大会では蘇東成老師や体流法の大槻一博先生が優勝したりされていたように聞いていますが、実は20代後半の頃に私も出場を目標にして格闘技の練習をしていた時期があったんですけどね・・・挫折して、でもせっかく練習したんだし?ということで、桐生の村上祐尊先生が主催されているグローブ空手の大会に出て判定負けしたのが私の剣道以外での唯一の試合体験でしたね~・・・。

 でもこれで格闘技の練習はやめてしまいましたね~。「一日十時間も練習してこの程度か?」って自己嫌悪に陥りましたよ~。試合そのものは何か独特な爽やかさがあって良かったから、またやろうという気持ちも一瞬あったんですが、いかんせん、格闘技やるには年齢がいき過ぎていたのですが、やっぱ、伸び代が感じられないとモチベーションが続かないですよ。

 本当、この頃は、「俺は何て才能が無いんだ~」って、落ち込みましたけどね~? 今思えば、変に勘違いしないですんだので、貴重な体験だったと思います。人間、本当の成長は失敗からしか得られないんですよ!

(あっ、何か凄いカッコイイこと言った気がする?)

 現在の散打の闘い方のスタイルを見ていると、シュートボクシングが一番、相性が良いように思えます。ロングフックを腕ごと相手の首に巻き付けて首投げにする展開が非常に頻繁に見られる点などです。

 これは、空手やテコンドー、ムエタイと闘った時に有利に闘えるように研究されたスタイルなのだそうです。

 K-1では肘打ちが禁止されていますが、これが禁止されたのではムエタイの選手が勝つのは困難になるでしょう。たった一つのルールで闘い方は想像以上に制限されることを知る必要があります。

 そういう意味でもプロレスは意外に実戦的なのだと思います。殺し合いを想定していたらプロレスラーが圧倒的に強くなるかもしれません。何しろ、パイプ椅子や折り畳み机、ゴングで殴ったり、マイクのコードで首絞めたり、フォークで刺したりしても“5カウント以内の反則はアリ”なのですから・・・。

 それを「八百長だ!」と非難する人もいますが、根本的に勘違いしていると思うんですよね?

 誰もが誤解していますが、格闘技は殺し合いを想定していません。ルールを決めて技の力量を競い合うスポーツなのです。

 なので、そこに単純な「強い・弱い」を決定する発想を持ち込むのはナンセンスなのです。決定されるのは技量の優劣であって、戦闘能力の計測ではありません。

 まして、“実戦的”という言葉を付け加えると、益々、おかしな解釈になります。本当に実戦ということを考えるのなら、どちらかの選手が死ぬまでやらなければ実戦的とは言えないでしょう?

 例えば、“実戦的な剣道”や“実戦的な柔道”を語る人はいません。しかし、“実戦的な空手”や“実戦的な合気道”を語る人は多いのです。

 どうしてでしょうか?

 恐らく、剣道や柔道は完全に競技スポーツ化しているので、実戦で語る必然性が無いからでしょうし、空手や合気道はストリートファイトへの対応を想定している武術性を残しているからでしょう。

 けれども、行き過ぎた実戦論は不毛なだけです。

 どうしても強いか弱いかに拘るのであれば、テロ組織に潜り込んで殲滅してくるとか、そういうことをやって証明されたらいかがでしょう? それが世の中にとっても役に立つ“実戦的強さ”ではないでしょうか?

 ルールを決めて素手で一対一で殴りっこして勝った俺は強い!・・・って、何かの自慢になるんでしょうか?

 幼稚園児が砂場を分捕って威張るのと変わりないと思うんですけどね?

 一般のスポーツを楽しむのと同様に、格闘技を、プロレスを楽しむ態度こそが正しいと思うのは、私ばかりなんでしょうか?

 試合に勝つための日々のトレーニングを積み重ねるストイックさや、試合で懸命に頑張る意志力や、負けても相手を称える謙虚さとか、そういうスポーツマンシップをこそ評価すべきだと思うんですけどね~。私の会った格闘技の人達は、皆、そういう精神の輝きを放っていて、私なんか「あっ、まぶしい!」って思いましたね~。

 それに比べると武術やっている人間なんて、オーラがどす黒く濁っていて、ムワァ~ンと嫌な臭いが漂ってくるような精神の腐ったような悪臭を放っていて、私なんか「げっ、寄るなっ!」って思いましたね~。

PS;射撃の解説で文字の打ち間違いがありました。狙いをつける部品は、銃口上のものが“照星(フロントサイト)”で、機関部後方上のものが“照門(リアーサイト)”です。お詫びして訂正致します!

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『気の流れる太極拳 陳式混元太極拳・内功の極意』出口衆太郎

 自然身法研究会を主宰されている出口衆太郎先生とは、3年くらい前になりますか? 河野智聖先生小用茂夫先生と一緒に青木宏之先生に新年の挨拶をされる時に私も御邪魔してお会いしたのが初めてでした。

 私も業界で悪名?が轟いていますから、出口先生もご存じだったのですが、初対面から結構、お喋りした記憶があります。

 当然、私も御著書を読んだりしていましたから、お名前は知っていました。

 陳氏太極拳の実戦高手として有名な馮志強老師に学ばれていることや、大東流合気柔術の岡本正剛師範に学ばれたこと。武術業界で伝説的な存在として知られる初心禅師にも師事されているということ・・・。

 今回、拙著をお贈りしたところ、クエストさんから出たばかりの新刊DVDを御礼にお贈りくださいました。

 ぱっと見た印象として、馮老師と一緒に写っている写真の出口先生の胴体の太さに驚かされます。「これは相当な内功だな~」と思いました。

 私みたいにあれこれインスタントに学んで効率を求めている人間とは対極にある、一つの稽古システムを地道に修練して養った内功。

 それは、生涯に渡って成長し続けるものであり、健康法であると同時に武術としても応用可能で、しかも絶対的な力を発揮し得るものです。

 実際に拝見するまで、私は出口先生は精神世界的な観点で探究されている方で、あまり武術的な戦術とかは考えておられないのではないか?と思っていました。

 しかし、このDVDの内容は、太極拳の発勁の打法に関して非常に丁寧に実演解説されていて、まさしく内功武術の精髄を伝えている映像作品だと思いました。

 実際、私はこの方面のDVDは膨大に見ているのですが、このように丁寧に優しく教えている作品は、ちょっと、これまで見た記憶がありません。

 出口先生の風貌も仙人というか哲学者みたいで、まったく戦闘的な雰囲気が無いのですが、実演される発勁の威力は無理なく引き出されて、すべてが抖勁になっています。

 丁度、現在進行形で研究しているテーマそのものだったのは、何という奇縁なのだろう?と、感謝感激するばかりでした。

 内功武術の健身と用法に関心のある方は、是非

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甲野先生、「哀・おぼえていますか?」

 今年の最後のセミナーでDVDとか売れて少しお金の余裕ができたので、町田のブック・オフに資料本探しに行きました。小説書くにはいろんなこと知らないとダメなんで、日々、勉強、勉強で、結構、金かかります・・・。

 ブック・オフって凄いな~?と思ったのは、売れない本って、3000円くらいする本でも360円ぐらいになってたりするんですね~? 専門書店だったら、値上がりしたりするもんなんですが、何だか、本の値打ちが内容よりも売れるかどうか?で決まるのって、もの書きの端くれとして哀しいですよ~・・・。

 でも、中古DVDでドニーさんが40過ぎて高校生役を演じるという竹内力状態が話題になったけど、意外と違和感がなかった『かちこみ!ドラゴンタイガーゲート』と、『燃えよドラゴン』でリー先生の妹役を演じて女ドラゴンの走りとなったアンジェラ・マオが主演し、サモハンや『ヤングマスター』『ドラゴンロード』『ドラゴンへの道』で悪役道を突っ走っていたウォン・インシック先生も出演している『女活殺拳』も買いましたよ!

 この『女活殺拳』は、原題が『合気道』で、当時、天草の二大映画館の一つで今は無き本渡映劇で何故か?今年の夏に亡くなったオカンと弟と三人で見たんですが、何とな~く、「あれっ? 合気道って、こういう技じゃなかったような・・・?」と思いましたね?

 その後、何年も経って、日本の合気道じゃなくて、韓国の合気道(ハプキドー)のことだったと知りましたが、これ、十年くらい前に当時の映画友達の自宅で鑑賞会やった時に字幕無しだったと思うけど、見返しました。

 武術的に非常に見ごたえのある作品だったんですね~? 『死亡遊戯』にも出てるチ・ハンツァイとウォン・インシックがやっぱり凄い(本物だから)! 今の観点で見ても充分に面白いアクション映画です。千円以下で買えてお釣りが来ましたよ~。


 ついでに、私の新刊置いてないかな~?と思って、町田駅ビルの本屋さんに立ち寄ったんですけど、ありませんでした・・・が、『秘伝』の最新号が出ていて、十数年前に私が形意拳の初歩と新陰流刀法の基本を教わった恩師である小用茂夫先生が特集記事で取材されていたので、買いました!

 私が教わった時は、まだ“刀禅”と名乗ってはおられませんでしたが、研究試行段階だったと思いますね? 小用先生は関東の武術業界で知らない人はモグリだと言われる伝説的な存在で、別名“神保町の王樹金”と呼ばれていました。

 もっとも、王樹金系の先生ではなく、単に体型が似てる?ということで噂されていたような・・・? いや、失礼! 内功のレベルが王樹金のように凄い!と噂されていたんですよ。

 2~3年前だったかのお正月に、河野智聖先生や出口衆太郎先生と一緒に青木宏之先生の事務所を訪ねられていた時に、久しぶりにお会いして、以前、お借りしていた3万円の代わりに13万円で買った短刀をお贈りしましたら、嬉しそうに振っておられました。

 小用先生は古武術、中国武術、武術系格闘技等を膨大に研究されていて、その知識量は関東随一と言われていましたが、この時にそう申し上げたら、「いや~、今では長野さんの方がずっと詳しいよ」と謙遜されていました。

 こういう自己顕示欲がまったく無い先生なので、若手の相談役みたいな感じで、いろんな人を、よく面倒を見ておられました・・・というのも、私も何度も間接的に御迷惑おかけしちゃってたんですよね~? お恥ずかしいです・・・(汗)。

 一番、ヤバ~イと思ったのは、夜中に小用先生から電話を頂戴して、「甲野ちゃんがお怒りだよ? 俺、立ち会い人を頼まれちゃったんだけどさ~。長野くん、何とかしてよ。困るよ~」とのこと・・・。

 これって、甲野氏が私の批判に激怒して送った“真剣で立ち合いましょう手紙事件”の時のことなんですね。手紙にはウダウダ書いてましたけど、「事故に見せかけて叩っ斬ってやる」って周囲の近しい人達にはしゃいで吠えてたそうで、心配して電話くれた甲野氏の弟子もいたくらいです・・・(苦笑)。

「あ~? どうせ、事故に見せかけて俺を斬ってやるってはしゃいでんでしょ?」って言ったら、「うっ・・・・そ、そうです・・・」と言ってて、「心配ないよ。そんなのに引っ掛かるような阿呆じゃないよ。わざわざ知らせてくれて有り難う」と答えたような記憶があります。

 ちなみに、この人、「さっきの話、長野さんに伝えましたよ」と、わざわざ甲野氏に告げたそうで(カッコイイ!)、そうすると甲野氏は「ええ~っ! 何で言っちゃうの~? じゃあ、作戦変えなきゃ~いけない・・・」と言ったそうです・・・。

 作戦だったんだ? バレバレだと思うけど・・・。

 もっとも、私は覚悟の上だから別に構わないんですけど、小用先生が立ち会い人になったら決闘罪の共犯として罪に問われるでしょう? その時、小用先生はまだ某大手出版社の社員でしたから、事件が発覚したら仕事も失ってしまったでしょう。甲野氏は働いたことないから、そこまで考えが回らないんでしょうね?

「本当に済みません。何とかしますから・・・」とお詫びして、考えた末、甲野氏の手紙をホームページに晒したんですよ。

「バカやっちゃ、ダメだよ~ん?」って、反省させる感じで・・・。

 いやはや、その後も大変でしたね~? 大爆笑しながら誉めてくれた人もいましたけどね~? 「長野さんは、ほんっとうに性格悪いな~? でも、甲野のヤツは、ほんとうにバカですね~?」って、ゲラゲラ笑ってましたよ。

 でも、概ね、嫌がらせが凄くなりましたね(苦笑)。当時、勤めていた大学に「こんな非常識な人間を雇っていていいのか?」と学長に手紙が来て、事務局に怒られましたよ。

 そんな具合なんで、どこかに所属しているというのは、いろんなしがらみが出てきてしまうから、今はどこにも所属していません。自由に発言したり行動したりできなくなるでしょう?

 私にとっては発言が制限されるのはもの書きとしてマイナスにしかなりませんからね。

 ネット掲示板の匿名性というのも、自由な発言の権利を護るという意味では大切なことじゃないか?と思いますね。嘘書かれるのはムカつくけど、そういうのも全部含めて、検証されて真実が追究されていけばいいんじゃないかな~?と思います。

 本当のことをずぅ~っといい続けていれば、いずれ事実が判明して「長野さんの言っていたことが真実だった」と証明されると思っているので、現時点であれこれ非難されても気にしませんよ。「嘘もずっとつき続ければ事実になる」って言われますが、どんな屁理屈つけようが、事実は厳然として事実なんですよ。


 さてさて、毎度毎度、長~い前振りで済みません!

 この書店で『大武道』という武道格闘技系ムック本を立ち読みしたんですけど、相変わらず武術界の代表?として甲野氏のインタビュー記事が載っていました。

 まっ、それはいいんですけど・・・読んでビックリ! 唖然茫然、これ如何に?という内容で、もはや、怒る気力も起きませんでした・・・。

 興味のある方は是非、御一読をお勧めしますよ(何故か、宣伝になってしまった?)。

 いやね~? 世の中には平気で嘘をつける人間が存在するということは承知しているつもりだったんですけど、甲野氏の場合は、むしろ限りなく病的なものを感じますね。

 恐らく、自分に都合の悪い事柄は忘却してしまって、都合の良いように脳内で変換されて記憶されたりしているのではないでしょうか?

 類似の性格の人に何人も会ったことがあるんですけど、こういう人って、自分が嘘をついているという自己認識が無いみたいなんですよ。

 自信満々で自説を強弁するから、「そんなものなのかな~?」と納得させられてしまう人が多く、割りと“その筋の第一人者”におさまっていることもあります!

 甲野氏の場合、普通の人間が全然知らないマイナーな分野の知識を織り交ぜて解説し、実演するから、世間的にすっかり“古武術の大家”“現代の達人”“本当に居た五エ門”みたいにキャラクターが拡大していっていますね?

 戦略的にやっているとしたら、立派ですけど・・・でも、あそこまで実力が伴っていないのがバレたら、どうすんの?って思うと、異常な自己顕示欲に振り回されてる哀しいヤツだな~?と、思ってしまいます。

 恐らく、小さい頃にイジメられたりしたんじゃないでしょうか? それでトラウマ負って、常人離れした自己承認欲求が肥大していき、着物に下駄履いて真剣持ち歩いたりして注目を浴びようとするようになってしまったんでしょう。

 いろんな武術家に教わりながら、実戦を無視した演芸化した技をあの手この手でアピールする詐欺師的スタイルを作り上げてしまったのでしょう。

 戦う技能も無いのに、さも実戦武術を探究しているかのごとく見せかけたがるのも、国井先生や青木先生や黒田泰治先生のような本物の達人に対する憧れが強過ぎるからなんでしょうが、いかんせん、もう致命的に才能が無いので“まともに戦えば冗談みたいに惨敗してしまう”・・・。

 普通の精神構造なら辞めてしまうと思うんですが、自己承認欲求が強過ぎるが故に、屁理屈こねたりしてごまかしているうちに、脳内で都合良く捏造した記憶が定着するようになってしまったのではないか?と・・・。似たような人は武術業界に結構いますけど、甲野氏ほど世間的に活躍した例は無いでしょう。

 要するに、自分に自己暗示かけて生きている人なんだと思います。

 そこにマンマと世間が乗せられてしまった・・・。本人はウッシッシですよね。してやったり!と思ってるでしょうね? 彼の人生は、「嘘も百万回言い続けていれば真実になる!」と、思い込みだけで成立させてしまったのでしょう・・・。

 哀れなことです。現実を認識できないんですから・・・。あるいは、年齢的にも認知症状が出てきてもおかしくないですし、動物性タンパク質を取らない食生活で脳が萎縮している危険性も感じられます。

 インタビュー記事中では試合はしないけれど、手合わせは歓迎だとうそぶいているんですが、「おいおい、危ないよ~」って思いました。まともに手合わせして勝った試しが無い人間が、何を言っているんだ?と・・・。

 多分、通常の意識では忘却してしまっているのでしょうが、これは思いださせなくてはなりませんね?

 周囲の人間も誰も注意しないでしょうから、しょうがない。また、私が思い出させてあげるしかありませんね?

 以下、かいつまんで書きますから、本人に質問してみてください。間違っていたら訂正しますから・・・(また、つまらぬものを切ってしまうのか~?)。

[対専門家編]
1,YS流のY先生に合気揚げで惨敗。
2,K合気道の某先生にボロ雑巾扱いされて惨敗。
3,合気会に通っていた頃、マゾのように投げまくられていた。
4,空手家のT先生に空手をバカにした発言をして前蹴り食らって撃沈。
5,空手家のU先生の陰口叩いて怒らせて惨敗。その後、さらに陰口叩いて激怒させる。
6,T大学で剣道の先生と剣道やって30分間何もできずに叩かれまくって惨敗。
7,S道場で合気揚げで身体ごと揚げられ、あまりの弱さに全員、唖然。
8,空手の全国組織の講演で大口叩いて参加者を怒らせ、実技講習で残念な結果になる。
9,S体道のO先生にボロ雑巾扱いされて惨敗。
10,Y合気道のA先生に合気揚げ挑んでふっ飛ばされて惨敗。
11,ある合気道家に技をかけられず、真っ赤な顔で突然、手裏剣打って威嚇。
12,T大学の合気柔術サークルで学生全員に惨敗。
13,N呼吸法のN先生に真剣構えたまま金縛りになった?と雑誌に書かれて激怒。
14,TK先生のお弟子さんに惨敗。
15,八卦掌のR先生に惨敗。
16,太気拳のN先生に惨敗。
17,SのM先生に模擬刀で挑みまくるも、ことごとく片手で取り上げられる。顔が段々マジになってきて、いつもニコニコ顔のM先生もウンザリ顔になっていた。

[対習いに来た人編]
1,K空手の緑帯の人に教えていた時に下突きを食らって激怒して追い返す。
2,柔道二段の人の技を潰して見せると宣言して失敗。ぶん投げられる。
3,合気揚げが参加者にかからず、延々とやり続けて講習会の参加者に金返さなかった。
4,女の子のローキックがまともに入り、異常なニコニコ顔で顔面掌打を返した。
5,私の弟子の動きを捌けず後ろを取られて後頭部ツンツンされた。
6,私の弟子に袋竹刀でポカポカ叩かれた。
7,私の弟子に推手でふっ飛ばされた。
8,某大学のラグビーチームに呼ばれてタックルで放物線描いてふっ飛ばされた。
9,私が27歳くらいの時に手合わせで顔面に掌打が5.6発入って、ビックリした。
10,講習会に参加した人に技がかからず、その人に深夜に電話して誹謗中傷しまくる。

[イベント・ハプニング編]
1,試斬の団体で講演後、マキワラ斬りをやろうとして40分斬れず、摘まみ出された。
2,高校の講演で激怒し真剣を高校生の喉元に突き付け、叱られてションボリした。
3,対談で司会をやりながら自説を強弁して紛糾。参加者からやり込められる。
4,結婚式の打ち上げで真剣を抜いてウエイトレスから摘まみ出される。
5,NHKに出た時、コイン取りをアシスタントの床島圭子が先に成功して面目丸潰れ。
6,TV番組でお笑い芸人に額を叩かれて気まずい沈黙。
7,NHKの番組中、ラグビー選手とテロップが出た相手がそうではなかったと告白。
8,雑誌の対談記事を相手に無断で自分の都合の良いように書き換えた。
9,雑誌の対談で剣道家のM先生を激怒させ記事はお蔵入りになった。
10,M先生が武芸考証した作品で、自分が教えたように別の雑誌で作家と対談した時に発言したことがM先生を激怒させた原因だった。

 ざっと思い出す限りで信憑性の高い話を書いてみましたが、噂話の類いは無数に聞いていますね。

 人数で数えてみたら、私の知る範囲だけでも70~80人くらいに手合わせで負けているんですよ。相手が専門家ならしょうがないとも思いますが、初段にも満たない人にも負けてたりします。

 手合わせした人に聞くと、「冗談みたいに弱かった」と誰もが感想を言います。あんまり弱いから、武道やっている人は“弱い者いじめ”している気がして口にしたくなくなるんでしょうね?

 実際、私もある人から電話かかってきて、「甲野さんが病気なのは見ればわかるだろ~? 弱い者いじめするな!」と叱責されたことあります。でも、この人もインチキやっていたみたいなんで、同類相哀れむってことだったんでしょうか?

 ですから、業界的には彼が異常に弱くて素人にも負けてしまうような人物なのは常識なんですが、何しろ、古武術界の宣伝マンとして権威者になっていますから、メディア関係者は彼の名声を守らないといけない訳で、私のように真相を平気でしゃべる人間の方が警戒すべき人物になってしまう訳ですね。

 これを踏まえて、『大武道』のインタビュー記事を読むと、もの哀し~くなってくると思いますよ?

 普通、負けたことは忘れられないもんですけどね~?

「長野さんも、いつまでも甲野さんの悪口ばっかり書いていてはいけない。あなたが評判を落とすだけだよ」と、心配してくれる方は随分いたんですけどね。

 でも、私は甲野氏だけを批判している訳じゃなくて、武道武術業界の問題点は常に提起し続けてきています。ぶっちぎりで甲野氏の問題が多いから、批判せざるを得なくなるだけの話です。

 私は武術家ではなくて武術の研究家ですから、評判なんか気にしていたら仕事ができませんからね。事実、私にとっては既に悪評は勲章になっていますよ。

 私が追究するのは「事実はどうか?」ということのみ!

 それが武術が真に世の中に貢献できる身体文化となることに繋がっていくと思っていますから・・・。

 90年代後半から今にいたるまで、その役割は甲野氏が担っていたのかもしれませんが、これからは彼の無自覚な“嘘”の弊害が出てくるのが明白です。それを糺すのは、どうやら私しかいない様子ですね~?

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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