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発勁は誰でもすぐに体得できる!

 私が発勁について初めて知ったのは、中学一年生の頃でした。

 漫画『男組』で太極拳という中国の武術の存在を知って憧れたものでしたが、その後、熊本の交通センターというバス・ターミナルの二階にあった書店で『陳家太極拳入門』という新書版の本を買って自己流で練習し始めたのが本格的な武術修行の第一歩でした。

 しかし、まさか30歳も過ぎてから、この本の著者である松田隆智先生と出会い、20年以上も親しくお付き合い戴けるようになろうとは・・・?

 世の中には“縁”の働きというものが確実に有る!としか言えませんね。

 私が武術に多大な関心を持ったのは、「発勁という必殺技が存在する」という情報を信じたからだったような気もします。

 私より上の世代で武術に関心を持った人の大半が、やはり発勁に憧れたからだったのではないか?と思います。

 一方で、「発勁なんか存在しない!」と頑なに認めない人達もフルコンタクト空手修行者を中心に少なくありませんでしたし、実際に体得していても見世物芸としてしか活用できない人が圧倒的に多く、“発勁イコール空想の必殺技”というイメージもありました。

 今日、中国武術が「形ばっかりで全然使えない」というレッテルを張られているのも、実際の戦闘技能を知らない、もしくは駆使できない人が大半だからではないか?と思います。

 実際、私も戦闘理論は自分で構築しており特定の誰かに習った訳ではありません。

 ただし、いろんな先生の技を観察し、勉強し続けた結果ですから0から独創したものではありません。

 今更ながら、松田隆智先生が発表してこられた理論はすべてが間違っていなかったと思います。

 つまり、「小技をたくさん覚えるより強力無比な発勁一発で逆転できる」とか、「接近密着戦法で敵の攻撃を封じてしまう」とか、「達人はスタスタと歩いていってポンッと打つだけ」とか・・・これらの話は格闘技的に考えると眉唾に思えるでしょうが、武術的には非常に高度な理合に則っているのです。

 発勁に限って言えば、これさえ体得すれば一撃必殺は十分に可能であると断言します。

「おおっと・・・長野はそんなに自分の腕前に自信があるのか?」と言いたい方もおられるでしょうが、そういう意味ではありません。

 何故、ここまで断言しているか?と申しますと、先日(2018年1月28日)の本部稽古会に私の小説講座仲間の御婦人5名と、うち一人の御主人の合計6名が見学及び体験に来られ、私の指導で試し斬りと発勁、合気、手裏剣(これは小塚師範が指導)を体験してもらったからなのです。

 お断りしておきますが、平均年齢46~47歳くらいで根っからの文系女性ばかりで体育会系のことなど生まれてこの方、まったくやっていないような人ばっかりでした。

 まず、キックミットを持たせて普通のパンチを打ってもらいましたが、まったくビクともしません。これは当然として、次に発勁の要領を教えたところ、全員が弾かれたように後ろに倒れかかりました。

 無論、危ないので後ろに支える人をおいてやったのですが、皆、呆然としていました。

 私もかなり驚きました。

 日頃から、「武道の経験は関係ない。素人でもできる」と言ってはいましたが、多少は感覚の良い悪いの差が出るものだったのです。

 つまり、私の教え方が上手くなり過ぎてしまったのですよ。

 もちろん、発勁だけできても戦えはしません。しかし、一発で大の男を吹っ飛ばすような威力の打撃ができれば、逆転のチャンスは一気に広がります。

 嘘だと思うでしょう?

 信じられないでしょう?

 教えた私自身もポカーン・・・ですよ。

 何だか、汗水垂らして血の小便流して必死に練習して体得した打撃技を、3分クッキングみたいな教え方でアッサリ超えてしまうなんて反則過ぎでしょう?

 でもね・・・これが武術の奥深さなんですよ!

 まったくのド素人が、ちょこっと口伝を教えられただけで戦闘力がグングンと倍加するんですよ。

 多分、あまりにも簡単に体得できるから秘伝にして教えなかったのかもしれないな~?と、この日はつくづく痛感しました・・・。


 翌日は游心流合気道の稽古会です!

 この日は沖縄出身で極真空手経験者のNさんから、これまた興味深い話を聞きました。

 Nさん、私が教えた発勁を早速奥さんと娘さんに教えたそうなんですが、ミットを持たせて娘さんが打った時に、失敗?してしまい、狙いがずれてしまったそうなんですね。

 そうすると、見るからにヘッポコな突きだったにもかかわらず、ミット越しに受けた奥さんがウッと呻いてエライことなってしまったのだそうで、慌ててシステマの呼吸法とかいろいろやって治したそうなんですが、「吹っ飛ばない方が効くと長野先生が言っていたのはこういうことか?」と、身に染みて痛感したそうです。

「それにしても、見た目がチョンッと打っただけなのに、ミット越しであんなに効くなんて驚きました」とのことでした・・・。

 うちの会員はダントツで空手経験者、それもフルコンタクト空手経験者が多いんですけれど、最初は半信半疑でセミナーなどに参加されて、実際に発勁を体験し、次に自分が体得してから、ようやく納得してくれるというのが毎度のパターンですね?

 Nさんも半信半疑のような顔でしたが、家族で試して失敗したから逆に「恐ろしい技なんだ」と痛感された様子でしたから、失敗は成功のモトということでしょうね?

 娘さん、高校生らしいですから、これで痴漢撃退できますね?

 ちなみに、一口に発勁といっても流儀によってやり方は多数ありますから、どれが正しいの正しくないの・・・と論争になりがちなんですが、私のやり方ですと、発勁はどんな流儀にも応用できます。

 例えば、うちでは剣術でも柔道でも空手でもボクシングでも発勁を加えていますから、0距離でもバンバン打撃技を繰り出せます。

 ボクシングも最早、構えたまま腕の屈伸を使わずに打てますよ。ノーモーションで打つのが当たり前。

 無論のこと、游心流合気道は発勁をできることを前提にしておりまして、この日も形意拳や心意六合拳、首里手系空手の下段払いに応用して指導しました。

 ただし、個別の勁道(門派によって勁力を生み出すやり方が異なり、それを“勁力を導く道”という意味で勁道と呼ぶ)を使い分けはしていません。すべて体内の重心力を働かせているだけです。

 だから、形(姿勢)から力を出しているのではなくて、内部から重心力を働かせて結果的にそういう形(形意拳や心意六合拳や首里手空手の下段払い)になっただけです。

 これまた、武道のセオリーとは反対のやり方なんで、賛成してもらえないと思いますが、“逆もまた真”ということなんですよ。

 何故、こうしたか?というと、達人のやり方を最初から体得させたかったからです。

 最終段階を先に学んで、後から基礎基本を日々の修練で培っていく・・・という逆転のシステムを作ったのです。

 最終目標を先に体得しておけば、いざという時も最低限度、身を護れるでしょう?

 護身術として役に立たないのでは武術を学ぶ価値がないし、実用できるまでに何年も時間がかかったのでは論外でしょう?

 基礎鍛練や基本の動きを磨くのは趣味的に楽しんでやればいいと思うのです。楽しくないと続けられないでしょう?

 長く研究してきて明確になったのは、武術武道の専門家(道場主や宗家)でも真相を理解している人は極めて少ないということでした。

 原因は武道がスポーツになってしまったからですよ。

 武術であった時代の“術”の知識が抜け落ちたまま継承されるのが普通になってしまったからですよ。

 重要な知識が抜け落ちてしまっている事実さえ認識できていない人が大半です。

 解っている人も秘伝だから・・・と隠したままだったりする。

 そして、隠したまま弟子に伝えないうちに死んでしまって永久に失われてしまったという例も多い。

 私がやっているのは、失われつつある秘伝を解明して当たり前のこととして後世に伝えることだと思っています。

 秘匿権益を奪われまいと警戒する武術家もいるでしょう。

 実際に、これまで執拗な圧力や嫌がらせを呆れるくらい沢山受けてきました。

 しかし、これは研究家としての私の誇りに賭けて成し遂げなければならないことだと思っています。

 そうでなくては武術の文化が一部のマニアの間でだけ消費され世間一般に欺瞞を拡散させるばかりであると考えるからです。

 私は『日本武術達人列伝』で少なくない武術家を批判的に検証考察しましたが、それは彼らを糾弾することが目的ではなく、彼らの嘘に惑わされずに客観的に冷静に武術の文化伝統を考察する人が増えて欲しいと願うからです。

 つまり、ジャーナリズム精神で書いている訳ですよ。

「武術をやりながら武術家として“敵を作らない”という心得を忘れている」と批判する人がかつての師匠も含めて随分といましたが、私は、そんな当然のことはとっくのとうに熟知していますよ。

 私が“敵を作らない”という心得を知っていてわざと守らないのは、武術という文化をきちんと後世に残していくために誰かが真実をしっかりと明かしていかなければならないと考えているからです。

 当然、それをやれば多くの敵を作ってしまうでしょう。が、それを怖がって事なかれ主義者になってしまえば、自己保身のための武術を自家薬籠するだけの人生を送ることになってしまいます。

 あるいはそれこそが武術修行者の理想なのかもしれません。

 しかし、武術を文化として社会的価値あるものとして世の中に提供するには、それだけではダメでしょう。それは、世の中で武術というものが全く誤解されたまま存在意義をまるで認められていない現状で自明となっています。

 何せ、これほどまでに嘘が平然とまかり通っているジャンルは珍しい。

 そして、嘘を嘘で塗り固めて虚構の物語で歴史を捏造しまくってきているのですから。

 フィクションならフィクションだと言えばいいだけなんですよ。何で、そんな簡単なことができないのか?

 虚栄心ですよ。ショーンKなんですよ。エエ格好しいなんですよ。

 実際、武術家にはその手の人物が結構いました。

 甲野善紀さんとか、それ以外の何者でもないというくらい・・・。

 別に武術でなくともそういう人は結構いるものですがね。


PS;今月のDVD割引セールは新作を提供するつもりでいたんですが、製作する余裕が無くなってしまったので、二本以上お買い上げの方に限り半額セールを継続します! 二月は短いですから、この機会を外さないよう御希望の方は御注意ください。

PS2;「新作本がどこの書店にも並んでいない」との御意見を戴きますが、申し訳ありません。現在、未曾有の出版不況で小さな出版社の本はほとんど流通できない状況なんですよ。ですから、アマゾンに注文するか、書店に直接「この本を入荷してください」と依頼するしか入手できないと思います。現在、入手可能なのは『御先祖さまは忍者ガール』『日本武術達人列伝』で、どちらも叢文社(そうぶんしゃ)です。アスペクトの本は恐らくもうほとんど入手できないと思います。DVDはクエストのものとオルタナパブリッシングの『セーラー服忍者』が出ています。小説や映画は興味がないと言う会員もいましたが、これらは私が作った訳ですから普通の小説や映画である道理がありませんよね? 技術書では書けないことを表現していますから、通の人には「極意を出してましたね?」とニヤリとされたりしました。来月には光文社文庫から合作した時代小説が出る予定ですし、ひょっとすると私が取材受けた『ドラゴン魂』も出るかもしれません? お楽しみに!

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気功で人が飛ぶか?

気功で人が飛ぶか?

「飛びません!」

 結論から言うと、こうなります。

 では、何故、世の中には“気”で人をふっ飛ばして見せる気功師や武道家がいるのか?と言いますと、「暗示にかかって身体が勝手に反射運動してしまう」という“錐体外路系反射運動”という仕組みがあるからです。

『マツコの知らない世界』で青木宏之先生に登場してもらって“遠当て”を実演してもらったからなんでしょうね?

 某番組で「気功で人は飛ぶのか?」という検証ロケをしていました。

 何か、あまりにもミエミエの対抗企画なので笑ってしまいましたが、登場した気功師の先生は“暗示にかかった弟子が勝手にすっ転んでいるに過ぎない”という現象を理解されていなくて「誰でもかかる」と断言してしまっていました。

 だから、私がいっくら「青木先生のやっている遠当ては気功で飛ぶ現象とは違う仕組みなんですよ」と言っても、勘違いするんだから、困ったもんですよ。

 結果は当然ながら、失敗。ガチで受けた芸人は飛ばず、気を使って「仕込みも撮りましょう」と提案してアシスタントプロデューサーの女性が受けて、少しよろめいたのを放送してお茶を濁していました。

 もう30年近くなりますかね~?

 青木先生が遠当てを披露してから、西野流呼吸法が大々的にメディアに出て以降、大小様々な気功や武道の団体が「触れずに気で飛ばす」というパフォーマンスを演じるようになりました。

 思い出すままに挙げると・・・流道、合気功、合気会の渡辺先生、柳りゅうけん、牛丸天真、空勁気功、神意拳etc

 一時は流行りましたけど、結局、「ガチで飛ぶのではなくて弟子にしか効かない」という事実が業界的に知られるようになっTVも扱わなくなりました。

 要するに“ヤラセ”ですからね。問題視されますよ。今、そのままやったら。

 打ち明け話を書きますと、青木先生の遠当ても「弟子にやって見せても説得力がないから長野さんにやってくれませんか」と番組側から言われて、「長野さんにはかからないかもしれないから・・・」と青木先生がだいぶん、渋ったんですよ。

 私も「俺にはかからないんじゃないか」と思ってた訳ですよ。だから、ガチでやってもらってかからなかったら、「遠当て、破れたりっ!」とかギャグ言ってやろうか?とか思ったりしてましたからね。

 しかし、わざわざ青木先生に出てもらって全国ネットで恥かかせたりするのは酷いでしょう?

 だから、素直にかかるつもりでいた訳ですよ。

 ところが、こっちの予想より遥かに物理的作用を及ぼす技だということが判って、ビックリした訳ですよ。

 青木先生は大喜びしてましたけどね。ほら、自分は受けたことがないから、どういう効果があるのか?は判らない訳ですよ。

 青木先生は脳波を読んで“気合”を当てているので、まず誰にでもできると思いますよ。
 私も呼吸を読んで“気合”を当てる程度ならできますけど(古武術の世界では目録以上の腕前ならできて当然だったのだとか・・・)、これは交叉法の練習やっていれば自然にできるようになります。

 青木先生から教えてもらったので、今後は相手の脳波を読む訓練やりますよ。

 ちなみに私は気功の技も随分、受けてますが、当然、ふっ飛んだことはありません(身体が無意識に動く程度なら何度か経験していますが、これは当たり前の現象)。

 そもそも、気功で吹っ飛ぶ現象は、大概、太極拳や意拳などの内家拳の練習で発勁で吹っ飛ばされるのに慣れた人が、打たれる前に身体が予測反射を起こして吹っ飛ぶようになったもの(合気道では暗示投げと呼ばれる)であり、西野流呼吸法や空勁気功がその典型でしたね。

 だから、西野流と空勁気功をやっていた太田さんが神意拳を興したのも必然ですね?

 まあ、いつまでも信じる信じないの不毛な論議を繰り返すより、きちんと解明している私に聞いてくれりゃあ納得できるように解説するんですけどね~?(苦笑)

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webマガジン取材完了

 女性向けwebマガジンの取材依頼を受けまして、18日(月)に本部道場で取材を受けました。

 時間が一時間とのことだったので、無駄にやり取りするとライターの方が大変だと思って、事前に質問項目に答えたプリントを用意しておきました。

 これで最低でも記事が書けるはずです。

 何でか?というと、武術(護身術)というのはまったくの初心者が記事を書くのはかなり難しいんですよね? そういう苦労をされるのが経験上、分かっていたので、用意しておいた次第です。

 約束の時間丁度に編集者とライターの女性が来られたのですが、ライターの方はジャッキー・チェンのファンなのだそうで、しばし、ジャッキー話で盛り上がりましたよ!

 道場にある木人椿にも興味津々の様子だったので、記念に使い方を教えて写真も撮ってもらってました。

 まあ、護身術に興味を持つ女性というと、元々、格闘技に興味があるか? あるいは怖い目にあって護身術の必要性を痛感したか?のどちらかでしょう。

 ライターの方もつい先日、エレベーターで痴漢に遭遇して逃げても追いかけてきたのだそうで、「これは護身術を知らないといかん!」と思われたそうでした。

 いや、確かに、それはかなりヤバイ事態ですよね?

 痴漢と言えば・・・私も浪人して福岡の予備校に通っていた頃に、天神の映画館でルチオ・フルチの『サンゲリア』を観た時に、その映画館の名物ホモのおっさん?に遭遇してビビッた経験がありましたね~?

 それも御丁寧に、サング(ゾンビのことをこの映画オリジナルでサングと呼んだ)に髪の毛を掴まれたカトリオーナ・マッコール(実写版ベルサイユのバラでオスカルを演じた女優さん)の眼球に割れた板の木片のトゲが突き刺さるシーンにシンクロしておっさんの手が私の太ももに伸びてきて・・・キャア~っ!

 睨んだら、逃げていきましたけど・・・。

 そんなどうでもいい話をしたりして、和気藹々と取材は進みました。

 で、せっかくなんで、武術の面白さを体験してもらおうかな~?と思って、試し斬りの用意もしておいたんですよ。

 普通に生きてたら日本刀なんか一生、触る機会もないかもしれないであろう人が、いきなり日本刀持たされて試し斬りする!ってのも・・・ねえ? 嫌がられたら、やめておこうと思ったんですが、結構、興味持ってもらえたので、挑戦してもらいました。

 まあ、おっかなびっくりだから、一回目は失敗。二回目も失敗・・・でも、「ほらっ、ここを見てください。一回目は半分斬れてました。二回目は六割斬れてますよ?」と、モチベーションを高めておいて、マキワラを取り替えて挑戦してもらいました。

 すると、今度はズバッと見事に両断!

 女性でも力が無くても、コツを飲み込めば、ちゃんと斬れるんですよ!

 編集者の方も挑戦してみて、こちらは綺麗に一発で両断できました!

 私は、「鍛えなきゃできない」という武術ではダメだと思うんですよね。コツが解れば素人でもできるのが武術として優秀だと思うんですよ。

 武器で考えれば解るでしょう。

 性能が良く使い易くてよく当たる銃と、威力は凄いけど反動が酷くて命中率が低い銃のどちらが実戦的か? 後者を選ぶ馬鹿はおりますまい。

 現代日本人はやるべきことが多くて、悠長に鍛練している余裕はありませんから、覚えたその時からすぐに使える技でないと困る訳ですよ。

 これが護身術の考え方で、游心流の基本的な考え方です。

 一般的な武道とはかなり違いますけどね?


 さてさて、20日は東京支部の今年最後の練習日。先週に引き続き、小塚師範の代理で私が行きました。

 まあ、いつも練習が終わったら、そのまま解散している様子なので、最後の日だからプチ忘年会にしようと早めに終わって、何度か利用したことのあるイタリアン・ファミレスに向かいました。

 ところが、イタリアン・ファミレスが“ジョナサン”になっていて、久しぶりだから間違えたのかな?と思いましたが、確かに同じ場所。確か系列店だったから、変わったのかな~?と・・・。

 ファミレス大好きな私としては別にどっちでもいいんですけどね?

 支部会員の人だと私が会ったことがない人も、たま~にいたりするんですが、東京支部はたまに来ているから、全員、知ってます。

「来年から毎週やってるので、阿佐ケ谷の游心流合気道にも来てね」と宣伝しておきましたよ。


 翌日、木曜日は隔週で借りているメイプルホールの稽古ですが、今月は私の個人練習になりましたね?

 赤字続きだから、どうしようか?と思っていたんですが、独りでじっくり練習する機会としては貴重な時間なので、続けられる限りは続けようと思って帰りました。

 いやはや、それにしても金を稼ぐのは大変です。

 固定収入が無いのはキツイですよ。税金の相談に市役所に行ってきましたが、こっちがお茶目に笑わせてごまかそうとしても、担当の女性職員は慣れてるんでしょうね~?

 微塵も揺るがず、淡々と対応されていて、「うっ、達人だ・・・」と、こっちが動揺しちゃいました。で、心を入れ替えて、来年からはきちんきちんと税金を納めるぞ!と決心して帰りましたよっ!

 まっ、税金納められるだけ稼がなきゃ~ダメなんだけど・・・。


PS;最新DVD『2017游心流武術圧縮セミナー』割引セールは年内一杯ですから、御注文はお急ぎくださいませ~。型分解は空手をやりましたよっ!

PS2;『日本武術達人列伝』アマゾンで一位ゲットしましたっ! 店頭販売は年明けになってしまうそうなので、アマゾンをお薦めします。一緒に『御先祖さまは忍者ガール』とDVD『セーラー服忍者』もいかがですか? ちなみに『セーラー服忍者』をAVだと思い込む人が多いみたいですが、健全なアイドル映画ですので、誤解ありませんよう! 見逃した人は大損ですよ~・・・。

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護身術の世界

『マツコの知らない世界』で「護身術界の伝道師」なんて紹介されちゃったもんですから、「これは、護身術について色々書いておかないとインチキ呼ばわりされちゃうな~」と思いましたので、少々、書いてみます。

 まず、護身術の定義なんですが、これは“自他の心身の安全を護るための技術”と簡単に定義しておいて良いと思います。

 安全を護るのが目的ですから、強さは求めません!

 強さを求めるのは基本的に競技スポーツの理念ですから、護身術とは別なんですね。

 ここのところを大前提として以下を読んでくださいね。

 自己防衛を基本とするのが護身術ですが、意外と誰もが忘れているのは、“必要に応じて他人も護る”ということもある訳です。

 番組中でストーカーされている女子大生を助けた時に、話し合いだけで解決したという結果を申しましたが、もちろん、相手が逆上して襲い掛かってきたらブチ倒すつもりで話した訳ですよ。

 相手は自称・極真空手経験者ということだった(多分、ハッタリでしょう)ので、周囲の人(学生)達は怖がっていた訳ですけれど、私は既にあれこれ学んでいて、それなりに自信があったのですね。

 発勁も体得していたし・・・。

 ストーカーしている相手も私が武術やっているのを知っていたので、逆らったりしませんでしたね。

 もっとも、今から考えると素人にチン毛が生えた程度の腕前でしかなかったので、「あ~、命知らずだったな~?」と思ったりします。

 現に、その後、嫌がらせが続いたり、投石で窓を割られたりしました。

 ですが、私も若かったんで、「いつでも襲われたら返り討ちにしてやるっ!」みたいに思っていましたから、大して怖くは感じませんでしたね~。

 喧嘩にしろ試合にしろ、戦うまでが怖いんですけど、始まってしまえば無心ですよ。これも場数を踏めば、慣れてきますから・・・。

 しかし、長く武術修行していると、限界もはっきり判ってきますよね? 今だったら、危ない状況にならないように、もっと間接的な社会的解決法を考えますけどね。

 多くの武道や格闘技が護身もうたっていますが、素人が考えるほど簡単ではないし、武道や格闘技は、護身術として用いるには社会化(専門化)し過ぎていて汎用性に欠けるというのが私の考えですね。

 ですから、最初から護身を専門に考えている流儀が良いと思います。

 現代武道でなら、合気道か少林寺拳法が比較的護身術に向いていると思います。

 空手は殴る蹴るしか教えないから過剰防衛になり易いし、柔道は掴んで投げる構造上、刃物への対応に不安が残ります。剣道は棒状の物がないと戦えないし、ボクシングは素手の拳で殴ったら拳を痛めるでしょう。

 居合道、杖道、弓道も剣道と同じです。

 既存の流儀で私がお勧めできるのは、戸隠流忍法ですかね? 技も多彩で武器も使うし、何よりも護身の考え方が素晴らしい。

「基本は逃げろ。どうしても戦うしかなかったら必ず勝て!」というのが、私が習っていた当時に、野口先生が言われていた教えだったと記憶しています。

 つまり、強さを競う発想が無いんですよね?

 世界中に広く普及したのも当然だと思います。

 この点では古流柔術も同様ですが、戸隠流忍法ほど多彩な技を伝える流派は恐らくないでしょう。型稽古を意味も解らずに繰り返していて役に立つほど現実は甘くありません。

 古武術の達人と称する人が競技に挑戦して無残に破れる事例が圧倒的に多いのも、要するに経験知が不足しているからなんですよ。

 極論すれば武道や格闘技、武術を一切知らなくても、喧嘩の場数をこなせば実戦適応能力は自然に就いていきます。そういう人は何人も見ました。

 しかし、ほとんどの武術は、そういう実戦経験を踏んだ人達が何百年もの間、試行錯誤を重ねて工夫し、教育システムを体系化して伝えてきたものなので、古くから長く続いている流儀ほど実戦的な知恵を豊富に内蔵しています。

 なので、お陰様?で、喧嘩上等の元ヤンキーや元暴走族、元ヤクザみたいな人達にも気後れせずに済みましたよ。やっぱり、長い年月を多くの人が研究してきた情報量は個人が蓄えた内容とは比較になりませんから、結構、感心しておとなしく習ってくれましたね。

 私は研究家ですから、そういう実戦の知恵に関しては一般の武道家や格闘家よりも遥かに知っている・・・と言っても過言にはならないでしょう。

 というか、私以上に詳しい人に会ったことがないんですよ。

 強い人や上手い人はざらにいますが、戦略思考ができる人は滅多にいません。これは身体ばかり鍛えて頭脳を鍛えていない証拠なんですよ。

 動物と違って、人間の最大の武器は頭脳です。危機に対して、どう対処するか?ということを日頃から考えて備えておく方が圧倒的に有利です。

 ヤマタノオロチや大江山の酒呑童子は、酒で泥酔したところを首を斬られて退治されますよね?

 これは武道や格闘技だったら「卑怯だ!」と非難される行為ですよね? でも、誰も非難しないでしょう?

 圧倒的な戦闘能力の差があったら、まともに戦っても勝てないことが判りきっているからですよ。

 それでも勝たなきゃならない・・・としたら、知恵を駆使して倒すしか方法はないでしょう? これが武術の発想であり護身術の基本原理です。力比べしちゃ~ダメなんですよ。

 もちろん、深く一つの流儀を追究しているとか、武術の一つのジャンルを詳しく研究している人ならいます。

 けれども、全般的に詳しい人はどうもいないみたいなんですね?

 古武道だけ、沖縄空手だけ、中国武術だけ・・・そういう人がほとんどです。確かに、そのジャンルに関しては私以上に詳しい人はいます。

 が、これが問題なんですよ。

 私の考えでは、武術は一つの流儀や一つのジャンルだけをどれだけ深く探究しても真相が解らない。必ず、比較研究が必要になるのです! これは優劣のことではありません。

 例えば、琉球古武術に伝わる武器術は琉球独自に発展したものと主張する専門家がいますが、棍、ヌンチャク、トンファー、釵と同様の武器は中国から東アジア各地にいくらでもあります! ティンベー・ローチンだって台湾に類似の武器がありますし、『紀効新書』に載ってますよ。


 さて・・・護身術に特化した流儀としては、「護身道」「功朗法」「モデルマギング」「クラブマガ」などがあります。

 護身道の先生とは昔、お話したことがありますが、流石、普通の武道の先生とは一味違うな~と思いました。

 功朗法を創始された横山先生は、全方位的護身術の考えが徹底されていて、非常に合理的でシンプルな体系を編まれていると思います。実証主義的実験を重ねておられる点も頭が下がります。

 モデルマギングは、レイプ被害を受けた女性が考案して普及したという実用本位の護身術で、技術よりも気力気迫を重視している印象を受けます。

 クラブマガはイスラエルの軍隊格闘術として普及されていますが、いくつかの派閥に分裂している様子ですし、日本ではエクササイズ的な方向へ進んでいるように思えます。

 その他、人気が定着した観があるシステマも、どんどんエクササイズ化しつつあるみたいで、ちょっと護身術的にはどうかな~?と思っています。

 別に武道や格闘技を知らなくとも護身術はできます。が、武道や格闘技の道場に通うことで覚悟ができてくる面もありますし、本当に実戦の場に立った時に一番必要なことは恐怖心で身体が動かなくなることですから、その意味では何か習って損にはならないでしょうね。

「戦いに備えよ」「我に撃つ用意あり」ってことですね。これが護身術の極意です。


追伸;TVに出たお陰で、或るwebマガジンから取材依頼を頂戴しました。具体的なことが決まったらお知らせします! (来年はメディア露出が増えるかも? それで本が売れてくれればいいな~?)

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DVD紹介

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池田秀幸 24式太極拳 実戦性の追求』クエスト刊

「本当に強い武術家は誰か?」と議論される時に必ずと言ってよいくらい名前が挙がるのが、太極拳無形塾秀武館道場の池田秀幸先生です。

 その池田先生が、日本で最も愛好者人口の多い簡化24式太極拳を素材に、実戦応用法を示されたのが、このDVDです。

 ほとんどの中国武術愛好家が、「陳氏太極拳のみが実戦に通用するのであって、一般の太極拳は老人の保健養生体操に過ぎない」みたいなイメージを持っていて、「簡化24式なんて中国版ラジオ体操みたいなものだ」と冷笑的に言うものです。

 こういう考え方は、「実戦的な何々拳法」を求める伝統武術マニアの間で広まって定着していたものでしたが、本気で武術そのものの実戦性を追求している少数の人達は、流派や門派によって実戦性に優劣があるのではなく、個人の研鑽による見識によって優劣が生じるだけである事実に気づいていました。

 池田先生もそんな中のお一人なのだろうと思います。

 ですから、敢えて簡化24式太極拳が理合を知ることで極めて実戦的な護身術に変貌するものである!という真相を丁寧に説き明かしています。

 このDVDを見ていて思ったのは、池田先生の技量ももちろん、何よりも“人柄の良さ”でしたね~。

 強いだけの武術家なら掃いて捨てるほどいますが、実力と見識と人格を兼ね備えている人は極めて少ないものです。

 池田先生はその極めて少ない中のお一人であるのだな~?と、つくづく思いました。

 買って損のないDVDです。

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鈴木崩残先生ありがとうございました!

 先日、武道マスコミ関係の知人から「鈴木崩残先生が亡くなられたのは、長野さんは知ってますか?」と聞かれて、まったく知らなかったので、面食らって帰宅してからスマホでググってみましたところ、本当にお亡くなりになられていた様子でした。

 まだ、お若いのに・・・と、愕然としてしまいました。

 結局、私は鈴木先生とは一度も直接お会いしないままになってしまいました。

 こんなに早くお亡くなりになられると知っていたら、直接、訪ねて御礼を申し上げていたのに・・・と後悔するばかりです。

 何しろ、私の手裏剣術の師匠は鈴木先生なのです。

 自慢ではありませんが、私は武術に関しては大抵の術はそれなりにこなせるものの、手裏剣術だけは向いていないのか? 長く上達できませんでした。

 それが、40代半ばを過ぎた頃だったでしょうか? ある日、鈴木先生から御著書とハンドメイドの手裏剣数本を贈って戴きました。

 面識があった訳ではありません。

 だから、正直申し上げて、変な人なのか?と思いました。が、御著書を参考に手裏剣を打ってみると、それまで刺中率三割以下(しかも1m程度離れて)だったのに、ビシビシと刺さるようになり、3m離れても五割以上刺せるようになりました。

 手裏剣術を稽古されている方からしたら笑ってしまう程度でしょうが、まともに刺さらないのが当たり前だった私にしてみれば、大いなる進歩でした。

 それから鈴木先生と手紙・メール・電話で教えを受けるようになり、また、神秘思想方面や武術関係の裏話などもやり取りしました。

 しかし、私は神秘思想関係にはオウム事件以来、警戒心が強く出てしまって、あまり深入りしたくありませんでした。

 それで、一定の距離を縮める気持ちにはなれなかったのです。

 鈴木先生は私に非常な親しみを持って接してくださいましたが、私は数々の武術関係者との付き合いで煮え湯を飲まされた記憶がトラウマとなっており、どうしても一歩が踏み出せなかったのです。

 しかし、これは私の勝手な偏見です。

 鈴木先生は一貫して私の本質を見ようとしてくださっていました。

 そのような人は、松田隆智先生青木宏之先生以外にはごく少なかったのです。

 無礼をお詫びする機会も失ってしまいました・・・。

 今はただ、鈴木崩残先生の十数年にわたる御厚情に心から御礼申し上げたいと思います。
 ありがとうございました!


長野峻也 拝

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何か、スカし過ぎてませんか?

 スマホでググッてるといろいろユーチューブの動画を見れるので、面白そうだな~と思うのを、ちょこちょこ見るんですが、「空手をバカにする合気道家?に思いっきり蹴り入れてやった」というテンマツを書いた動画を見ました。

「これって甲野さんなんじゃないかな~?」と個人的に思ったんですが(このようなことを数限りなくやっている人だから・・・)、誰とは書かれていません。

 まあ、こういう合気道家や大東流合気武術家は結構いるのですが、私が心当たりがあるのは甲野さんが一番、可能性高そうですけどね。

 それはまあ、いいんですけど・・・私が嫌だな~と思ったのは、コメントしている人達が、この人に対して否定的なことばっかり書いていることですよ。

 何、スカしてるんでしょう? 上から目線で・・・。

 卑怯だって言うのなら、人前でデモンストレーションするのに他流の人を利用して一方的に技をかけて見せて自流を誇るような真似をする人間の品性は愚劣じゃないですか?

 そして、「空手をナメるんじゃねえっ!」と、少なくない人が見ている前で意地を示してみせたこの人の気骨を称賛するのが当たり前ですよ。

 他流をダシにしようとした揚げ句に蹴り倒されて醜態さらすのは、「士道不覚悟」の極みです!

 全面的に、この人物がクソですよ!

 そのクソ人間をスカした顔で上から目線で傍観している連中に武術の武の字も語る資格無し!

 私も昔、自惚れる度にガツーンと鼻っ柱を叩き折られて、ハッと現実を知る・・・という機会が何回もありましたけど、だからこそ、成長することができるんだと思います。

 武道や格闘技の良さって、現実に手合わせすれば嘘がつけないところにある。

 型稽古だけしかしない武術では嘘やごまかしがいくらでもできる。

 現実に試し合うことを「レベルが低い」と見下す人が伝統武術家には多いんですが、そういう低いレベルのことを経験しないままスカした優越意識に捕らわれてしまうと、この合気道家?みたいな悲しくも滑稽な姿をいずれさらすことになるんですよ。

 で、自分の現実の姿を隠して虚栄心で理論武装するように虚飾に塗れて屁理屈ばっかりしゃべくるような気持ちの悪~い人間になるんですよ・・・。

 武術や武道に憧れる人間は基本的に劣等感が強い! だから、逆転した優越感に浸りたがるので、御大層な美辞麗句で飾り立てるんですよね~。

 名のある人でもそうだったりするんですよ。

 そういう斯界の体質を熟知している者から言わせてもらえば、この人は非常に立派だし、勘違いした自惚れ武道家に真実を教えてあげたんだから、素晴らしく優しい人だと私は思いますよ。

 だって、相手の名前を明かしていないじゃないですか?

 最後のメンツだけは保ってあげようという武士の情けを弁えているんですからね?

 私だったらキッツイお灸を据えてあげようと相手の名前、書いちゃいますけどね?

 いやはや、それにしても、このコメント書いてる人達の存在からは、日本がインチキ詐欺師にかくも寛容な理由が納得できる気がしましたね?

 私は、こんな“スカした連中”には武術教えたりしたくないです。

「本当に強くなりたい!」

「今の自分から脱却したい!」

「もうイジメられるのはたくさんだっ!」

「年とっても衰えないで成長したい!」

「自分が知らない武術をたくさん知りたい!」

・・・といった向上心を持った人でないと教えたくありませんよ。

 ヒマ潰ししたいなら武術なんかより楽しいこといくらでもあるでしょうし、ちょっと他人と違った高尚な趣味をひけらかしたいみたいな人は他所に行ってもらいたいです。

 嘘つきや自惚れ屋は大っ嫌い!

 ブランド信仰の人も嫌ですね~。

 ちょっとメディアに採り上げられると殺到する連中なんて、ファッション感覚でしょう? 価値も解らず名前だけ欲しがるような連中には教えたくありませんよ。無駄だし。

 武術は単なるスポーツではないですよ。生きるか死ぬかの戦闘をくぐり抜けるサバイバルの知恵と技術です。

 だから、“生きる”ということへの執着心が無いとダメだし、対象的に生きることを捨てて無心になることを追究するのが極意という生き方の逆説的哲学なんですよね。

 当然、学ぶ内容は“ありとあらゆる人の殺し方”なんですよ。綺麗事並べたがる人間には縁のないものです。

 非日常、ファンタジーですよ。やってることは・・・。

 でも、日常に隠された非日常というものが在る!ということを知るのが真のリアルなんですよ。

 今、現時点の日本ではリアルに感じられないでしょうが、戦争を体験していた世代だったら戦闘のなんたるかは理解していたでしょう。

 なんだかんだと言ったところで、人間も極限まで追い詰められれば動物としての本性が出ますよ。

 理性的な人間ばかりと思うのは甘いか鈍感かのどっちかでしょう。

 私は、小学校は別に暴力的ではなかったですが、中学校は暴力教室状態でしたから、子供心に非常に魂消ましたね~? 不良に理屈は通じません。悪いと判っていて愉快にやる人間というのはいるのですよ。

 高校に進学したら、小学校と同じで平和になりましたが、大学生の頃はレイプ自慢するような同級生もいましたね? 「うわ~、危ないヤツだな~?」と思いましたけど、早稲田や慶応の学生もそういう事件起こしてましたしね。

 倫理観なんて人それぞれですよね?

 自分を基準に考えてはいかんのですよ。

 世の中、何が起こるか判らない。だから、突発的危機に備えて自分の身は護れるようになっておきたい・・・というのは常識的考え方だと思いますよ。

 昔、あまりにも嫌がらせが酷いので地元警察に相談にいった時、「あのね~。警察は貴方が殺されてからでないと動けないんですよ」と言われて、ハッと気づきましたよ。

「なるほど、そりゃあそうだ。警察が市民一人一人をガードするなんて不可能だよな」と悟りましたよね?

 以来、いざとなったら決死の覚悟で戦う!と決めています。

 そういう覚悟を決めてしまうと、案外、危なくなる前に相手が気づいて逃げてくれるようになりましたね。やっぱ、殺気が出るみたいだから・・・。

 ことのついでに、何度も人を救けたこともありました。戦う覚悟とスキルがあるから、救いに行く勇気が出せる訳ですよ。

「そんな危ない状況なんて滅多にないよ」と、何回言われたか判りません。が、そう言っていた本人から「実は最近、こういうことがあったんだけど・・・どうしたらいいでしょう?」と暴力への対処法を相談されたりすることもあります。

 他人事だと思っている人は、大抵は鈍感なだけです。

 学校で、職場で、路上で、旅先で、サークルで、電車の中で、居酒屋で・・・どこでも不意に暴力にさらされる危険性はあります。

 自分になくとも家族や友人がさらされることも少なくありません。

 ネットのイジメもひどいもんでしょう?

 私も経験ありますけど、イジメをやっている人に注意すると、今度は示し合わせてイジメてきたりするでしょう? だから、さらわぬ神に祟り無しを決め込んで見て見ぬフリをするじゃないですか?

 こういう傍観者も同罪ですよ。スカした態度とっても本当は自分が巻き込まれるのが怖いだけなんですよ。

 このスカしたコメント書いてる人達は、自惚れ合気道家?と同種の人間なんだと思いますよ。自分が無様な醜態をさらすことを恐れているから、口先非難しているんでしょう。

 私は逆! そんな自惚れ詐欺野郎は武術文化を汚すクソなんだから、パンチパンチパーンチ!してやるべきです。


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秘伝に岡部先生が出てる

 今月号の『秘伝』は太極拳特集! その中に岡部武央先生も取材されていました!

 九十九式太極拳というのは、日本に初めて武術としての実戦力を示す太極拳家として招聘された台湾の王樹金老師が伝えたもので、招聘したのは確か日本右翼の源流として近年、再注目されている玄洋社の頭山満翁の御子息で日本杖道連盟の理事だった頭山泉氏だったと記憶しています。

 この辺の裏事情については割愛しますが、王樹金老師は「本当に強い中国武術の達人」として呼ばれているので、日本の腕に覚えのある武道家、武術家、格闘家が多数、手合わせに来ていて、そのほとんどに腹を打たせて内功の威力でふっ飛ばしてみせたのは有名な話です。

 そうしておいて、多数の日本人が王老師に学び、太極拳の神秘的なパワーを体得しようとしました。

 王老師は大陸出身で太極拳のみならず、形意拳、八卦掌、大成(意拳)気功も会得していましたが、台湾に渡っていましたから、九十九式太極拳は実は台湾の一部と日本でしか普及していないのだそうです。

 これは、中国で国民保健体操として普及された簡化二十四式太極拳も同様で、中国より日本のほうが普及しているのだとか?

 それはそれとして、岡部先生は若い頃はバリバリに格闘技の修練をして国内外の試合に挑戦していたのに、なぜ、今は太極拳を中心に修行しているのか?

 その秘密は『秘伝』の記事が非常に上手く纏められているので、是非、参照していただきたいと思います。

 技の示範の相手は実兄の宜史先生がされていて、若い頃のお二人を知っている私としては、何か感慨深いものがありますよね~?

 だってね~?

 昔はガシガシ格闘技のトレーニングをやっていたのに、今は伝統武術なんですよ!

 私みたいに格闘技に落ちこぼれて武術に逃げた?人間とは違って、本物の強さを追究した果てに太極拳に辿りついたというところが凡百の中国武術愛好家とは根本的に違うところなんですよ。

 いや、私自身も、岡部ブラザーズ?と会っていなかったら、今のように武術を追究していなかったかもしれないな~?と思ったりもしています。

 最近、武道界で注目されている刀禅の小用茂夫先生だって、私が最初にお会いしたのは三十年くらい前で、まだ小用先生が痩せて普通の体格だった頃ですよ。

 でもね?

 私は、初めて会った時から、非凡な人だということははっきり解りましたよ。

 いずれ、斯界に名を成す人だと思いましたよ。

 うちの会でいえば仁平師範が中学生の時に入会してきた時も、会った瞬間、秘めた素質が解りましたもん。

 一般的には、無名な人の真価を見抜くような人は滅多にいないのでしょう。私なんか、随分、「あの人はただのオタクだから」と馬鹿にされまくりましたよ。

 中には、「あんなヤツ、ただのオタクだから」と侮蔑することで無視したい人もいるんだろうと思いますが、そういう人は本心では恐れているんでしょうね?

 でも、青木宏之先生松田隆智先生友寄隆一郎先生壮神社の恩蔵良治氏、それに私にライターの仕事を薦めてくれた生島裕氏(元月刊空手道・季刊武術の編集長)は、ペエペエの私を馬鹿にすることなく才能を認めてくださいました。

 人生、意気に感じると言いますが、認めてくれる人がいたから、私も頑張れたんだと思います。

 その意味でも、「岡部ブラザーズの真価を最初に洞察したのは俺じゃ~っ!」って思ってますよ~(苦笑)。


追伸;岡部先生も学ばれた深井信悟先生のセミナーが29日(土)13時~15時にオルタナスタジオで開催されるそうです! 丹田開発メソッドと小野派一刀流組太刀稽古をされるそうです。私、まだ二回しかお会いしていませんが、実に澄み切った深山の奥の清澄な泉のようなオーラを感じさせる先生ですよ。絶賛、お薦め致します!

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青木宏之先生の超絶“読み”

 最近、スマホでググれるようになって、動画を見まくってます!

 前々から興味があった趙道新が創始した武術「心会掌」も見れたし、CDを探しても見つからなかった聞きたかった歌もいろいろ聴けました。

『新十郎捕り物帳・快刀乱麻』の主題歌なんて、まさか聴けると思わなかったですよ!

 その他にも、『サムライチャンプルー』のエンディング(MINMI)、映画『サトラレ』のテーマ曲(クリスタル・ケイ)、『ブギーポップは笑わない』のテーマ曲(スガシカオ)、『チンピラ・ハワイアンドリーム』のテーマ曲(竹内まりや)、『キャシャーン・シンス』のテーマ曲(カラーボトル)、『蘇る金狼』『スペースコブラ』のテーマ曲(前野曜子)、『翔べ!必殺うらごろし』のテーマ曲(和田あきこ)、『長崎犯科帖』のエンディング曲(日暮らし)、『探偵物語』のOPとED(ショーグン)、『ガサラキ』のエンディング曲(種とも子)、『ラーゼフォン』のエンディング曲(橋本一子)とか‥‥。

 アニメでは一番好きな『装甲機兵ボトムズ』のOPとEDのTETSUが歌う曲なんて何回、聴いてるか?

 しかしま~、これだけ動画で見たり聞けたりするのでは、DVDやCDが売れなくなるのも道理だよな~?と思いましたけどね。

 スマホだから、画質や音質といった質的には今一歩ですけどね?

 けれども、昔のTV放映された番組とかが見れるのは有り難いです!

 私は、青木宏之先生がウエスタン・シューティングのビル横山さんのファストドロウ(早撃ち)と対決して、圧勝した『ワンダーゾーン』がもう一度見たかったんですが、稽古の時に会員のTさんが見せてくれて、改めて青木先生の読みの凄さに感動しましたよ!

 これができたら無敵でしょ?

 私みたいに読みの研究している人間からすれば、神業としか言えません。

 もう物理的なレベルの話ではありませんからね。

「青木宏之ワンダーゾーン」でググれば見れますから、是非、ご覧ください! もう、強いとか弱いとかの次元を超えてますから。

 もっとも、それでもイチャモン・コメントつけてる人がいるんですね~? 人間、ここまで嫉妬に狂うもんなんでしょうか?

 凄いものは凄い!と素直に称賛するのが大人ってものですよ。

 昔、「長野さんは嫌いだけど、長野さんの書く本は面白いから大好き!」と言っていた武道家がいたのだそうで、実にカッコイイ発言だな~?と思いましたね。

 これにあやかって、私も告白しますと、町井先生の著書を読んで、「う~ん?」と、何かちょっとガッカリしちゃったんですよね~。でも、やっぱり動画で技を見ると、凄いな~?と思う訳ですよ。並大抵の努力で到達できるレベルではないですよね?

 私もそうなんですが、武術を修行している人間は、上手な人も下手な人も関係なく、真摯に努力している人を見下すようなことは厳に謹まないといけないと思うんですよ。

 だってホラ。馬鹿にしていた人が、ある日、突然、自分を超えていることってある訳じゃないですか?

 私も随分、馬鹿にされまくりましたよ!

 その度に、「今に見てろよ~」ってメラメラと怨念をたぎらせて、密かに特訓特訓猛特訓!を繰り返したものです。

 私は超絶努力家なんで!

 素質も才能も無いから、気ぃ狂ったように努力・研究しまくりましたからね!

 ただし、他人と違っていたのは、普通に武道や武術をやっている人は体育だと思ってて肉体を鍛えることしか考えない訳ですが、私は武術は脳トレだと思ってたんですね?

 だから、努力と研究の方向性が違っていた訳です。

 青木宏之先生も、徹底的に肉体を鍛えながら、理知的な面と感性的な面も両方、修練されていますよね?

 青木先生を非難している人達って、肉体鍛えることだけしか考えていない人なのかな~?という気がします。

 だって、批判意見が実に見当外れで頭が悪過ぎる!

 まったく本質を洞察していない!

 身の程知らずに限って、上から目線で名のある師範にケチをつけたがるものなのだな~?と、武術系動画のコメント欄を見る度に思います・・・。

 自己承認欲求が肥大しているんでしょうが、ある意味、可哀想ですよね? 現実社会で全然、認められていない証拠でしょうから・・・。

 それは私も解ります!

 昔はそうだったから・・・。

 だけど、そこで腐って他人をクサしてもどうにもなりません。自分が懸命に努力を重ねて周囲から一目置かれるような人間になるしか道はないんですよ!

 批判意見を書くというのは、批判眼は有るのでしょうから、それを磨けばいいんです!

 感情じゃなくて論理で書く!

 リスペクトを持って批判する!

 そうやっていれば自ずと認められていくと思いますよ!


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意識の転換が結果を左右する

 どうも、ここ何年か、「懸命に武道の修行を積むことが本当に実力の向上に繋がるのだろうか?」という疑問が膨らんでいます。

 私自身、何年も、いわゆる練習らしい練習をまったくやっていません。立禅すら、せいぜい一分くらいしかやりませんし、筋トレの類いは徹底的にやっていません。

 しかし、居合とか杖術とか手裏剣とか、そういうのは練習し始めると結構やってしまったりもするんですが、それも型の稽古みたいなことはやりません。

 型稽古というと、せいぜい、簡化24式太極拳と八卦掌の走圏をやるくらいで、これもメイプルホールで生徒が誰も来なかった時に独り稽古でやっている程度です。

 汗をかくほどの練習もやっていないのです。

 それで十年くらい?

 普通に武道に取り組んでいる人だったら、完全にOUTだと思うでしょう?

 でも、一日十時間も汗だくになって血尿が出るくらい必死で頑張っていた頃より、今のほうが遥かに実力は上がっています。

 無論、多くの武道修行者は私と同年代になっていても毎日汗だくになって練習しているのだろうと思います。

 そういう必死で練習を続けていることをステイタスにしている先生も多く、「練習しない=怠けている=修行者失格」という強固な認識を微塵も疑っていないからです。

 私が練習らしい練習をしなくなったのは、始めた当時に時間が無くなったという点もあったのですが、脱力技法を研究しているうちに、練習すればするほど下手になる?という悪循環に気づいたからでした。

 つまり、ついつい余計な力が入ってしまって技が成功しなかったのです。

「力を抜かなくてはいけないのに、力を入れる練習ばかりすれば、下手になるのは当たり前だよな~? いっそ、練習しなければどうなる?」と考えて実践してみた訳です。

 最初は、相手の攻撃力に打ち負けては元も子も無いと考えて、ついつい力を入れてしまっていたのですが、例のグデングデンに酔った状態での手合わせで、重心力の真の威力に気づいて、徹底的に脱力して完全に相手の攻撃力を受け止めないで流し崩す“化勁”を磨くことに徹した訳です。

 その結果、太極拳や合気道の戦闘原理を理想として追究してきました。

 副産物的に達人しかできないと言われていた数々の技が、脱力技法によってほとんど再現できることを発見し、「まったくの素人にもできる!」と実証することで、武道の世界で金科玉条となっている考え方に疑問を提示する反骨的快感に浸ってきました。

 私にはそもそもの信仰心がありません。

 何も信じていませんから、疑ってかかることに対する倫理的束縛がありません。

 これは研究家にとって必要不可欠の資質であり、私にとっては技の優劣、流派の優劣、個人の優劣などすべて無価値であり、何が正しくて何が間違いか?という区別すら意味がないというニヒリズム的理解をしているのです。

 これは若い頃にジッドゥ・クリシュナムルティーが好きで著作をかたっぱしから読んでいた影響でしょう。

 武道好きには思想だの美意識だのに拘りを持つ人が多いのですが、彼らの根本には自己崇拝があります。その代償としての憧れの師範への過度の熱愛や憧憬があります。

 根本が自己崇拝ですから、実力が上がって憧れの師範を超えた?と自認(大抵は錯覚)した時に自我意識が肥大して誇大妄想狂となり果ててしまう例が多くあります。

 このタイプの人達に共通するのは、「いかなる人間も自覚のある無しに関係なく何らかの思想信条によって行動原理を支配されている」という自己認識を他者に押し付けたがるという点です。

 無思想、無信条である人間というものの存在を認めたくないのです。

 何故なら、そんな人間は自らの誇大妄想を洞察してしまうからで、つまりは自身が構築している権威主義的思想の正当性を共有してくれないからです。

 どういう意味かと申しますと、特定の宗教を信仰している者にとって、それ以外の宗教の教えは間違いであり、間違った信仰は否定されるべきだ・・・という独善性があるということです。

 私には信仰心がありません。

 だから、他人の信仰心に干渉する気もないのです。

 お解りでしょうか?

 私が流派の優劣論争だの強弱論争だのを無意味だと認識しているのは、私はいかなる対象にも信仰心を持っていないからなのです。

 けれども、過剰に批判したりするのは何故か?

 それは、自分の信仰心に過ぎないものを、これが正しいんですよ!と広めようしている人達の阿呆さ加減を指摘してやりたいからです。

「ヤボなことをするな! それはお前の誇大妄想に過ぎないんだよ?」と指摘してやりたいだけ。だから、私と同様に、信仰に過ぎないと自覚している人には文句を言わないんですよ。

 松田隆智先生や青木宏之先生は、ちゃ~んと解ってらっしゃいましたから、私も安心して本音で話せた訳です。

 信仰心の強い人だと、勝手に敵愾心を燃やして私を貶めようとするので長続きしませんね?

 武道の世界では信仰心の強い人が圧倒的に多いので、私のような考え方の人間は目障りで仕方がないのでしょう。

 即ち、自分が長年、「これが正しいのだ!」と信じて疑わなかったことを根底から揺るがすような“自分の信仰を脅かす悪魔”のような人間に思える訳です。

 無論、これは信仰心の強固な人間に特有の“被害妄想”です。

 精神病理として考えると、非常に危ないタイプで、ちょっとした弾みで簡単に社会規範を逸脱してしまうような人間です。

 ところが、そういう歪んだ精神構造だからこそ、一定以上の水準に達することができた?という現実もあります。

 つまり、歪んでいたり危ない精神だから強い?という大変、困った現実がある訳です。

 シンガーソングライターを滅多刺ししたストーカー男は柔道を、相模原で戦後最多人数の殺傷事件を起こした犯人も格闘技をやっていた・・・という事実がある。

 この連中は明らかに自己肥大した神意識の持ち主で、選民思想のようなものがあったのでしょう。だから、あのような残忍な事件を平然とやれた訳で、惜しむらくは、彼らに教える立場の人達が、何故、そこを見抜けなかったのか?ということです。

 私は、競技スポーツの弊害であろうと考えます。

「競技者として強ければいい」という認識しかないから、本人の人としての精神面の欠陥を放置したのだと思います。

 私が入会希望者やDVD購入希望者をたまに断ったりするのも、人として他者に対する時の言葉や態度を重視するからです。

「こういう言葉を用いれば相手がどのように感じるか?」と予測して言葉を選ぶのが社会性のある人間ですから、まずはそこを観察します。

 つまり、基本的な礼儀作法を弁えているか?という“常識”の有無。

 私は常識の欠けている人間に武術を教えるのはキチガイに刃物持たせるようなものだと思いますから、初対面で非常識な態度の人には教えません。

 しかし、その“常識”を意図的に駆使して人を騙そうとする狡猾な人間もいますから、そこを更に洞察していく力も養う必要があります。

 10年前の分裂騒動の時も、私は半年間、観察し続けました。そして、彼らには私に対する敬意は失われており、自分達の方が上だという優越意識が認められたので、最初はその優越感を満足させるために“独立”を提案して体よく追い出しましたが、「破門された」と第三者に告げ口しているのを確認したので、「あ~、体面を保ってあげようとしたのに、そういう被害者ヅラするんだ? だったら御希望通り、破門にしましょう!」と破門宣告した・・・という次第です。

 私は性格優しいですよ? でも、ある一線を超えたらためらわずに斬ります!

 必要とあらば、いつでも捨て身になれる! それが宮本武蔵の言う“巌の身”であり、修行者として範とすべきだと思っています(まあ、これは趣味ですよ)。

 日頃の言動というのは、その人の基本的考え方が反映されますから、注意していれば相当に多くのことが洞察できます。

 これは、“武術の読み”にも直結することです。

 この点に関しては、戸隠流忍法を習った時に野口先生に教わったことが多かったと思いますし、後に友寄先生からはかなり厳しく言われましたね。

 伝統的な武術家は、技よりも、このような心得について非常に重視しているものです。

 だから、私も技とか実力よりも心得がどの程度なのか?という点を、まず観察します。

 で、本当にできる人は、微塵もそれを感じさせないものですね? 武道家でござい!と宣伝して歩いているような人は論外ですね。

 現実は残酷なものです。

 有名な空手の師範がバスの割り込みした者を叱ったら、ナイフで刺されて即死したとか、全米空手チャンピオンが小学生に拳銃で射殺されたとか、クラブマガのインストラクターが喧嘩に巻き込まれてナイフで刺されて死んだとか、柔道家が引ったくりを取り押さえたけど「許してください」と言われて放してやったら隠し持っていたナイフで刺されて死んだとか・・・こういう話は腐るほどありますよ。

「自分は強い」と思っているから、油断して弱いはずの者に殺されてしまった訳です。

 日本プロレスの父である力道山がヤクザにナイフで刺されたのが原因で死んだという事実もあります。

 だから、私は技だの力だのはあんまり評価していません。その人が武術家としての心構えをどのくらい体現できているか?を評価しますね。

 極端に言えば、顔を見ただけでわかりますよ? 威圧するような険しい顔している人はダメですね。戦闘意欲を表面に出していたら相手も反応しますからね?

 でも、専門誌の取材なんかでは、強そうな顔をしてくれって注文出したりしますからね~? 本人の意志じゃないかもしれないから、表に出ている情報だけでは判断できませんけどね・・・。

 あっ、それと誤解する人がいるので解説しておきますが、「組手もやらずに強くなれるはずがない!」と言う人が随分といらっしゃるんですが、私は勝つことしか考えていないので、逆に「組手になったら勝てないでしょ? 確実に勝つには、いかにして相手の技を封殺して何もさせないようにするか? 相手に技を出させて自分も技を繰り出して、どっちの技が速くて強いか?で勝負を決するのは競技の考え方であって、武術の戦闘理論は徹底的に自分が一方的に勝つためだけの理論なので、原則的に騙し討ちにするのが鉄則です!」と申し上げておきます。

 だから、「老人でも子供でも非力な女性でも屈強な男に勝てる!」と主張している訳で、「勝つためには、正々堂々とまともに戦ってはいけません。相手を油断させ急所だけを狙い、できれば、一発で殺せる強力な武器を使いなさい!」と言う訳です。

 このような考え方を「卑怯だ」と非難する者は真の戦闘のなんたるか?を一度も考えたことのない“平和惚け勘違い人間”です!

「組手、実戦的、強さ」を主張する人達って、同じ条件で競うことしか想定していないし、圧倒的に相手が自分より強い場合を考えていません。

 負けたら死ぬという絶対の危機を想定していないから、“強さ”を無邪気に論じられるのです!

 武道、格闘技に親しんでいる人はまったく疑問に感じない様子ですが、そもそも武術の源流は戦場で戦う“兵法”ですよ。

“兵法”というのは、いかに効率よく敵を殺すか?というものですよね?

 私が言わんとしている事柄を、よくよく考えてみて戴きたいですね?

 そうすれば、いかに自分が幼稚な平和惚けした考え方をしているのか?が解ると思いますよ。

 本当に、私は武道家を自認している人と話していて、情けなくなるというか、「こいつ、本当に頭悪いな~?」と、つくづく失望することが多いんですよね?

 ほら、北朝鮮とアメリカがいつ戦争はじめるか判らない時に、殴り合いの強いの弱いのと喜んで話している時点で「阿呆ですか?」としか言えないでしょう~。

 現実逃避していないで、意識を転換していかなくちゃ~生き残れない人類滅亡前夜に我々は生まれてきているのかもしれませんよ~?

「人類存亡の危機に臨んで、俺は一体、何ができるだろう?」って、嘘でもいいから言ってくださいよっ!

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静岡に天才武術家アリ!

 私が昔、習った先生の道場では天才的な才能を持った兄弟がいました。

 琉球古武術、伝統空手道、フルコンタクト空手、合気道、ムエタイ等を学んでいたのが弟の武央(タケヒサ)先生でしたが、その後、日本人で初めて中国の散打(自由搏撃)大会で中量級チャンピオンとなり、中国散打の名選手と互角以上の試合をやった(判定で敗れた)ことで、中国武術の大家から絶賛されたと聞いています。

 さらにその後はインドでヨーガを学んだり、中国で意拳を学んだりされていました。

 長いこと御無沙汰していたものの、昨年、連絡を頂戴して川保天骨さんを御紹介して戴いて、また交流が再開したという次第なんですが、兄の宜史(ヨシフミ)先生はどうされているのか?と思っていました。

 いつも弟の武央先生の才能を高く評価して「弟は天才ですよ!」と言われていましたが、私は、「う~ん、むしろ、天才タイプなのは宜史さんなのかもしれないな~?」と思ったことが何度もありましたね。

 弟の武央先生は、どっしりと土に足を着けて修行する沈身の感じなんですが、宜史先生は、風のように軽やかに何物にも捕らわれない浮身の感じなんですよ。

 で、ほら? 私って、どこからどう見ても浮身の感じでしょ?

 気質的に似てるからだったのか、宜史先生とは気が合ったんですよね~?

 だから、私が個人で作っていた機関誌の企画に協力してもらって、天然理心流や太気拳(意拳)、ニューマーシャルアーツ(サンボ系)、松田隆智先生の八卦掌?とか体験してもらったりしたんですよ。

 で、「スゲェ~!」と思ったことが何度かあったんですが、一番、戦慄を覚えたのは、故・龍飛雲老師のトーナメントで準優勝した時の試合ですよ!

 相手選手の蹴りと宜史先生の蹴り足がカチ合った瞬間、パキーンッと甲高い音がして、直後に宜史先生が片足のまま戦い出したんです。

 おやっ?と思って、よく見たら、挙げている足の足首からぐにゃっとあり得ない方向に曲がっています。

 足首の上の二本の骨が完全骨折していたのです。

 その点だけ見れば、相手選手の蹴りの威力が凄いという評価に繋がるかもしれませんが、私はむしろ、宜史先生の精神力に度肝を抜かれたんですよ。

 だって、ケンケンしながら、そのまま戦ってるんですよ?

 絶叫するか、倒れて動けなくなるかのどっちかでしょう?

 極真の黒澤先生が拳の骨が折れて皮を破って突き出したまま戦っていたという有名な逸話がありますが、あれを彷彿とさせます。

 無論、もつれて倒れた時に、骨折しているのが判明して病院に搬送され、その後、一カ月以上は入院生活で、「そりゃあ、メチャクチャ痛かったですよ~(笑)」と言っていましたが、格闘技の試合でこんな凄絶なシーンを見ることになるとは思わなかったですよ。

 また、宜史先生は、当時、弟子の誰もできなかった師匠の歩法を唯一、できるようになっていました。

 その後、誰かできるようになった人がいるのか知りませんが、私は独自に研究して私なりの歩法“蛟龍歩”を工夫したんですが、道場ではずっと隠していたんですね。

 でも、宜史先生には、ちょっとした動きで見破られました。

「はは~、長野さん、先生の歩法、盗みましたね(笑)」と言われたのを、今でもよく覚えています。

 そんな次第なんですが、そこの道場と縁が切れてからは、ずっと会っていなかったんですけれど、武央先生から、「実家がある静岡に戻って独自の考えで総合的に武道を研究する道場を主宰している」とは何年か前に聞いていました。

 あの分析能力なら、さぞやユニークな道場だろうな~?と興味津々でいたんですが、川保さんとの企画で武術ムック本を作ろうという話になっていたので、取材してみたいな~?と思っていた訳です。

 そうすると、やっぱりシンクロニシティーが起こるんでしょうね~?

 宜史先生の方から武央先生を通じて、私が書いた小説を読んで誉めて戴いたんです。

 ですら、御礼と併せて取材を申し込みました。

 お弟子さんは少ないらしいんですが、若いお弟子さんが私の愛読者らしくて、以前から注目してくれていたらしいですね?

 極真空手でも、会は分裂しても、弟子同士は仲良く付き合っていたりするじゃないですか?

 最近、つくづく思うのは、武術は伝える人次第だということです。

 松田隆智先生が、「三年かけても良師を選べ」と本に書かれていたことは本当のことだな~?と、つくづく痛感させられます。

 有名な流派だからとか、会が大きいからとか、先生が専門誌に出ているからとか、そういったことを基準に評価する人が大半でしょうが、真実は違います!

 そういった事柄は、「宣伝が上手い」というだけだったりするのです。

 本当に実力がある先生は宣伝が嫌いで、まったく表に出なかったりするので、まったく無名で、業界の一部でだけ噂されている・・・なんてことが多いんですよ。

 しかし、それでは本当に優れた武術が失われてしまいかねません。

 伝統は誰かが繋いでいかないと消滅してしまいます。

 特に技芸の分野は人間が学んで次の世代に伝えていくしか方法がないのです。

 私は武術研究家として、優れた技と理論を持つ人を紹介していくのも自分の仕事だと思っていますが、さて、なかなか、紹介できるような先生は少ないのが現実でした。

 しかし、岡部宜史先生なら安心して広く紹介し推薦できると確信しています!

 どうぞ、静岡近郊にお住まいの方で武術を学んでみたいと思っておられる方は、富士宮市の総合武道研究会玄武館をお訪ねください。

 実力も見識も人柄も優れて、その上、“シャレが分かる”明るい先生ですよ!

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スタンレー・プラニン氏死去

 合気道を学び、合気道の研究のために来日して『合気ニュース』を刊行されていたスタンレー・プラニン氏が、2017年3月10日に胃癌でラスベガスの自宅で亡くなられたそうです。

 私はクエストさんで聞いて、どう出版のサイトで確認したんですが、まだ71歳だったそうで残念なことだと思います。

 合気道の専門誌として地道に続けてこられて、大東流や甲野善紀氏のブレイクのきっかけを作ったのも、『合気ニュース』だったと私見します。

 私が砂泊先生や親英体道のビデオを見たのも合気ニュースから出ていた作品が最初でした。

 ロシアの合気道というキャッチフレーズでシステマを紹介したのも、確か合気ニュースが最初だったのではなかったでしょうか?

 私は二、三回、直にお会いしたことはありましたが、親しくなることもなく終わりましたけれども、スタンレー氏が合気道界に果たした功績は、非常に大きなものだったと思いますし、合気道を中心とした武術の研究に関して敬意を覚えます。

 時に、経歴詐称の団体を厳しく批判する記事を書かれていた熱血な点も、個人的に好きでしたね。武道武術をやる人間は本質的に熱血漢であって欲しいんですよ。

 合気ニュースも、今は、どう出版と名前が変わり、宇城氏の著作専門の出版社みたいになってしまっているので、往時のスタンレー氏の真摯な合気道探求のテーマ性は失われてしまいましたから、ずっと買っていません。

 スタンレー氏としては残念だったのではなかろうか?と思いますが、その後もアメリカに戻ってライフワークとして合気道に関わっておられたのは、実に立派な人生だったのだろうと思います。

 私も二十代後半から三十代にかけて、『合気ニュース』に大いに刺激を受けて武術研究家としての自分のポジションを確立してきました。

 そして、結果的に日本武術の到達した極意が合気道の中に有る!とまで認じるに至りました。

 游心流の中から分派して游心流合気道を立ち上げたのも、合気道の魅力を教えてくれた『合気ニュース』のお陰だったかもしれません。

 スタンレー・プラニンさん! 

 有り難うございました!


追伸;黒澤浩樹先生も急逝されたと聞き、大変、驚きました。竹山晴友先生との対談の予定などもあったそうでしたが、本当に一時代を築いた格闘技界のヒーローが亡くなられたのは残念至極です。何と、私と同学年だったそうで、まだまだ、これからの人生だったのに・・・と思うと、きっと、お弟子さん達も途方に暮れるお気持ちだと思います。けれども、どうか、黒澤先生の分も頑張って戴きたいと思います。一代の空手家、黒澤浩樹先生の御冥福を祈ります。

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中達也先生は凄い!

 私は、この先生を見たいだけで『ハイキックガール』を何回見たことか?

 中達也先生は間違いなく現在の空手道の理論的オピニオンリーダーと言えるでしょう。

 それは、「空手は型にはじまり型に終わる」と言われていた沖縄古伝の空手“術”の原理を解明しつつあるという点に於いて、本土に伝わって以降の伝統空手道に欠けている“術理”を独自の探究で洗い出している姿勢に共感するからです。

「空手道がオリンピック種目になった!」とはしゃいでいる場合じゃないのです。

 このまま進めば、空手道は日本のお家芸ではなくなっていく運命が待っている。

 それはスポーツ競技の枠組みの中に押し込められて、身体文化としての“空手”の存在意義がないがしろにされる傾向が強まりこそすれ、その逆は望めないからです。

 どうしてか?

 オリンピックは莫大な金が動くからです。

 空手の探究という地道な日々の研鑽よりも金が儲かるほうを選ぶのが人情ですからね。

 スポーツビジネスに邁進する空手道場が増えるだけでしょうね?


 そういう御時世でもありますから、もう、空手の形の意味を研究しようなんて師範は消滅してしまう可能性が高く、そうすると形もどんどん見栄えの良いアクロバチックな動作に改変されていく可能性が高いでしょう。

 そもそも論として、空手の形の意味を理解して演武している空手家が何人いるのでしょうか?

 恐らく、片手の指で足りるんじゃないか?と思います。

 私も研究家として多少の空手の本や映像教材を見ているんですが、形の解釈に関しては不合理極まりない代物が大半です。

 もちろん、正解は有って無きがごとし・・・で、実際に戦っている中で通用するのなら間違いとは言えない訳です。

 しかし、武術としての空手を考えるならば、一つの動作に一つしか用法が無い・・・なんてことは有り得ないんですよ!

 一つの動作で、最低でも10、あるいは20くらいの応用変化技が繰り出せないと武術の動きとは言えないのです!

 空手の動作の解釈で、最もトンチキなのが、“受け”!

 上段受け、下段受け、手刀受け、内受け、外受け、掛け手受け、十字受け・・・。

 これらの動作は実際には技としては使えない・・・と解く師範もいます。

 正しく、しかり!

 空手のスピーディーな突き蹴りに、“受け止める技”は通用しません!

 つまり、これらの動作は“受け”じゃないのです。

“接触しながら攻撃する技”なんですよ。

 どうして、このような根本的間違いが蔓延したのか?

 それは、空手は離隔して突き蹴りを繰り出し合うもの・・・と規定してしまったからなのです。

 本来の空手“術”は、突き、蹴り、打ち、払い、掴み、当て、逆手取り、絞め、固め、投げ等の総合格闘術なのです。

 その多彩な技の応用変化を知らないまま競技化を図ったから誤解が定着してしまったと考えられます。

「中国武術を知れば空手は簡単に理解できる」という言葉があります。

 私が半世紀近く前に習った道場で言われていた言葉だそうです。

 これは、賢友流の友寄隆一郎先生と親しくさせて戴いてから確信に変わりました。

 もちろん、中国武術は普通に学んでも用法は教えてもらえません。これは沖縄空手以上に秘密主義だからです。

 しかし、戦闘理論が理解できれば技の応用変化は自ずと解明されていきます。

 奇妙キテレツな中国武術の動作が、実は驚天動地の実戦性を求めた結果である事実が判明すれば、シンプルな空手の動作の意味は割合簡単に解析することができます。

 ですから、私は「空手の形を解釈するなら自分が専門の空手家よりもできるだろう」という自負心を持っていました。

 ところが、中先生の実演解説を動画で拝見して、もう、惚れ惚れするくらいでしたよ!

 恐らく、空手以外の様々な流儀も研究されているでしょうね?

 でなければ、できる道理がありません!

 どうしてか?というと、“間合が違う”からです。

 これ、極意ですよ!

 私もこれについては公開したくないんですが、志しある空手修行者に知って欲しいから、敢えて書きますよ?

 いろんな流儀の戦闘理論は、その流儀が取っている“間合”によって決定されていくのです。

 これは遠・中・近と大まかに考えているだけでは解けません!

 実に微妙な差で変化していくんです。

 拳の幅の半分くらいの違いで技が通用したりしなくなったりするのですよ。

 例えば、用事ができたので、久しぶりに東京支部の稽古会に行ったんですが、せっかくなんで少し教えたんですね?

 その時に、技を掛けようとして上手くいったりいかなかったりする違いがどこにあるか?という点で、「この間合で相手の技が掛からなくなる。ということは逆に考えれば、この間合を少しでも離れれば、相手の技を潰すことができますよ」と実演してみせました。

 こういうのって、ただ技を掛け合うだけでは延々と気づかないものなんです。

 何しろ、受けてる感触だけでは、ちょっとした違和感でしかないからです。

 やってる先生も感覚的に自得しているだけだから、言葉で説明することができない。

 で、弟子はいつまでもできないものだから、「やっぱり先生は特別なんだ!」と崇拝することで自分のできなさを合理化して納得してしまう訳です。

 言葉で説明して相手に伝えるというのは理論化するということなんです。

 感覚的に伝えているだけでは理論は生まれません。

 私が中先生を高く評価するのは、この難しい作業をかなり的確に成立させられているからなんですね?

 無論、世の中には独自の理論を提唱する人は掃いて捨てるほどいますよ?

 でも、俺ジナル過ぎて意味不明な理論ばっかりですよね?

 人に伝えられない理論は価値がありません!

 それなら、理論なんかとなえないで感覚的に伝えて行くほうがマシなんですよ。

 昔の芸事の習い方って、大概、そんなもんだったんですからね~?

 ある程度、日本人ならそれでも有りかな~?と・・・。

 あっ、訂正します。

“昔の日本人なら”でしょうね?

 今の現代日本人は理論的に教えないと伝わらないでしょう・・・。

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サイコパスばっかり?

 ベストセラーになっているサイコパスについての本を買って読んでいたら、「げげっ? もしかして俺もサイコパスか~?」と、ちょっとドキッとしましたよ。

 というのも、武術家って、どう考えても普通の精神構造じゃないんですよね?

 私は研究家ですけど、ひょっとすると世界で一番、武術について考えている人間ですから、どうしても思考的に武術家みたいになってしまう訳ですよ。

 ほら、普通の日本人は、「いざとなったら暴力に頼る!」って考えないでしょ?

「危なくなったら警察を呼ぶ」としか考えないでしょう?

 私は、「緊急で必要とあらば、一切ためらわずに暴漢をぶん殴ったり腕をへし折ったりできる人間でいよう!」と“決めてる人間”なので、やっぱりサイコパスになっちゃうんじゃないでしょうか?

 過去、二回。本気で人を殺してやろうか?と真剣に考えたこともありましたし、若い頃に「武術を究めるためには人殺しの経験が必要なんじゃないか?」と、真面目に傭兵になろうか?と考えていた“狂ってた時期”もあります。

 どうですか~?

 キチガイでしょ?

 半世紀以上も生きてきたから、今では「あ~、俺ってキチガイだよな~? こんなキチガイの部分を表に出してはいけないな~?」と知恵つけて普段は出さないように注意しているんですが、やっぱり今でも心の奥底にはキチガイが眠っているんですよ。

 しかし、俺だけがキチガイを飼ってるのか?と思っていたけど、そんな訳じゃないな~?と思うようになりましたね。

 誰でも心の奥にはキチガイが眠っているんですよ!

 そのキチガイの別名は“本能”です。

“闘争本能”ですね?

 で、闘争本能のややこしいところは、これって“生存本能”に直結しているってことなんですよ。

 動物だと闘争本能に従って瞬時に戦いますからね。

 武術にも動物に倣った型とかありますよね?

 鷹爪拳・龍拳・蛇拳・鶴拳・虎拳・豹拳・猿拳・蟷螂拳・狗拳・鴨拳・・・etc.

 で、私は猫好きなんで、猫の動きをかなり研究しましたよ。

 また、うちの猫がこれまた凄い喧嘩好きで毎日、三回は庭に侵入してきた野良猫と戦い、時に蛇と戦い、床下でイタチを追っかけ、雀を狩り、ドブネズミを喰らい、隣の家の高価な鯉をすくって食べ、襲い掛かってきた犬を返り討ちにしてました・・・。


 しかしながら!

 人間は本能を理性で制御することで文明を築き、文化を育んできています。

 武術と暴力の違いは、この“理性”の有無にかかっている訳ですよ。

“理性”とは何か?

 合理、論理、理知、理解、理法・・・。

 人と動物の違いは、理を悟り、理に従って生き方をクリエイトしていけるということ。

 動物の生き方も自然の律に従っていますが、人間は理に従うことを選んでいます。

 それは必ずしも自然律とは相いれないものですが、宗教や科学は“理”を求めて生み出されたものです。

 武術も戦いの理を追究して生み出されてきたものです。

 長年、研究してますけど、知れば知る程、奥が見えなくなっていく感じがします。

 武術をある程度以上に極めると、どう考えても超能力としか言えないような神秘の世界に突入してしまう?と考えざるを得ないんですよね~?

 私は徹底的に合理性を現実的に追究しているんですが、それでも説明のつかない領域の技ってある訳ですよ。

 もちろん、それを体現できる人は極めて希少で、一般化できるとは思えません。

 それでも、人間の潜在能力は凄いものだな~?と思えば、武術研究の可能性にも手ごたえを感じるんですよね?

 ただし、そのボーダーラインには有象無象のサイコパス君が巣くっているのが現状なのです。

 従って、あんまり武術を一般の人にはお勧めできないな~?と思ってるんですよ。

 超絶的に理性が強靭な人間しか武術を学んではいけないんじゃないか? 普通の人間が下手に首突っ込んだら、単なるイカレポンチになってしまうだけなんじゃなかろうか?

 最近、そう感じています。

 相模原の大量殺傷事件や、小金井のシンガーソングライター刺傷事件の犯人は、格闘技や柔道をやっていてかなり強かったらしいですね?

 これって格闘技や武道が単に暴力性を助長しているだけではないですか?

 彼らに欠落しているもの。

 それは“理性”です!

 この場合、“社会性”と言い換えてもいいでしょう。

 多くのサイコパスに共通するのは「考え方が自己完結している」ということではないか?と思います。

 つまり、自分自身の考え方に固執していて対人や対社会で考える頭脳が働いていないのです。

 言葉を換えれば、思いやりや配慮が無い訳です。

「これを言ったら、どう受け止められるか?」ということを考えなかったり、考えているつもりで見当外れだったりするのです。

 これはカルト団体の人間にも共通しますね?

 どう考えても、「それってアウトでしょう?」という事柄に関して、何も疑問を感じなくなる・・・これは恐ろしいことです。

 人間にとって社会性を失うということは、社会からスポイルされてしまうということを意味しています。

 閉じた空間で同じ価値観を共有していた時は問題なかったけれども、一度、外に出てしまったらキチガイ扱いされてしまう・・・というのがカルトな団体の弊害です。

 森友学園ですか?

 戦前の教育みたいなことを園児に強制している様子をニュース番組で見ると、悪い冗談みたいで気持ちが悪くなってしまいます。

 よその国だったら、苦笑して見ていられますが、今の日本でこれかいな?という気持ちの悪さがありました。

 鴻池さんが会見で「オバハン」だの「無礼者」だのとか言っていたのは笑いましたけど、「こんなヤツは教育者じゃない!」と言っていたのには、激しく同意?しましたよ。

 でも、私だったら札束でペシペシされたら、「ははぁ~っ、何でもおっしゃる通りに致しますぅ~!」って言っちゃいそうですね・・・(苦笑)。

 しかしまあ~、籠池さんですか?

 日本会議って、こんなレベルの人間がやってるのか~?と思うと、ダメージ大きいでしょうね~?


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伝説の空手家が復活!

 川保天骨さんが主催されている龍魂会の阿佐ケ谷の道場案内を頂戴し、いそいそと読んでみたら、凄いことになっていて、たまげてしまいましたっ!

 なっ、何と、何と・・・あの伝説の“魂の空手家”竹山晴友先生の道場が復活したというではないですかっ!
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 極真空手の名だたる師範の中でも「真の極真魂を持つ男」として多くのファンの尊敬を集めていた、あの竹山晴友先生ですよ!

 大きな事故に遭われたという噂は聞いていたのですが、その後の動向はまったく聞くこともなく、もはや復帰は難しい状況なのか?とも思っていたのですが、本当に良かった!

 ダンディーな俳優の夏八木勲さんが演じた牙狼之介を彷彿させる風貌は、そのまま時代劇に出てくる凄腕の浪人者を想像させて大好きな空手家でした。

 ちょっと不覚にも涙が出てきましたよ・・・。

 川保さんは立派です。よくぞ、竹山先生を復活させてくれましたよ。


 私も游心流合気道の稽古でオルタナスタジオをお借りしようかな~?と思っているところでしたが、本当に驚きました!

 また、川保さんと岡部武央先生からお名前だけうかがっていた深井信悟先生のお顔も初めて拝見しましたが、何とも透徹した澄んだ眼差しに、どこかジッドゥ・クリシュナムルティーの顔を思い出しました。
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 世の中にはまだまだ素晴らしい武術家がいるんだな~?と感じましたね。


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剣武天真流納会

 風邪で臥せってたので遅くなりましたが、剣武天真流の納会演武に行ってきました。

 毎年、拝見していますが、何だかどんどん支部もできて活動が広がっているみたいですね~?

 私のブログ読んで入会した方もいらっしゃるみたいで、今回は、うちの会員のK中さんも演武していました。

 彼は芸術家肌で哲学を勉強していたくらいなので、青木先生に学ぶのが一番合うと思ってました。

 なかなか上手だったので、安心しました。

 やっぱり、下手だったら「何だよ、長野さんの弟子は駄目だな~?」って思われたらイヤじゃないですか?

 武術やっている人間が性格誉められるより、やっぱり「あいつは得体が知れない」とか畏怖されるところが無いとダメだと思うんですよ。

「武術って、マジ、型だけっしょ~?」って、挑発してきたら、取り敢えず、金玉か喉笛ガシッと掴んで、「一回、死んでみる?」(地獄少女?)ってネジネジして、「ピェェ~~」って泣かしてやらんといかんです!

 謙虚な心というのは、そういうコワイ思いを何度も繰り返すことで出来上がっていくものなんですよ!(長野理論による)

 もしK中さんが下手だったら・・・「てめぇ~、俺に恥かかせやがったな~? 腕が足らんかったら、せめて笑い取って来~いっ!」って叱ってるとこですよ・・・(笑)。


 何か、聞くところでは剣武天真流の会員数の方が既に新体道の会員数を超えているんだとか?

 それだけ青木先生のネームバリューが高くて期待されているということでしょうね?

 今年は会場に、あの刀匠にして合気道家である松葉先生もいらっしゃって、大太刀と、隕鉄を混ぜて作った流星刀を持参されていたので、私もじっくり拝見致しました!

 私、一回、お電話で話したことあるしDVDや『秘伝』の記事でお顔を存じ上げていたので、何か知人のつもりで話していたんですけど、よく考えたら、松葉先生とは初対面で私の顔をご存じなかったみたいですね?

 名刺をお渡ししたら、「ええっ? 貴方が長野さん?」と、驚かれていました。

 まっ、いつものことですけどね・・・? 私は全然、武道やっている人のオーラ無いからね~。

 大太刀は、刃渡りが1.5m超えてるそうで、独りで抜き納めするには無理がありますが(大体、四尺、つまり1.23mくらいが限界でしょうね?)、持った人達の感想では「重いけど、バランスがいい」との意見が多かったですね?

 この大太刀も凄いんですけど、私は流星刀の美しさに惹き込まれました。

 以前、新宿の紀伊国屋ビルの一階の鉱石店?に隕鉄製ナイフが飾ってあったんですが、非常に美しく、欲しいな~と思ったんですが、十万円超えてたんで買えませんでした。

 そりゃあ、高い筈なんですよ。隕鉄って飴玉くらいの大きさでも数千円しますからね。

 松葉先生の流星刀は、敢えて刃を付けずにヒーリング具?として作られたらしいです。

 先端は気が集まるように“菖蒲作り”に作られていて、通常の刀にある横手筋がありません。

 隕鉄を混ぜ込んで硬軟が入り混じったダマスクパターンは、普通の日本刀の地肌以上に肌目が際立っていながら、計算して作られたような、わざとらしい模様ではない自然な美しさでした。

 これで身幅の広い皆焼(ひたつら)刃の“おそらく作り”寸延び短刀風の合口拵え脇差(刃渡り一尺三寸くらい)が欲しいな~?とか思いましたね。


 この演武会の様子は、来年春に出る予定の『セーラー服忍者』DVDの特典映像に少し収録する予定でいますので、御期待くださいませ!

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第十五回天真書法塾発表会

 11月27日の日曜日は稽古を早めに切り上げさせてもらって、天真書法塾の発表会に行ってきました。

 去年は確か原宿で、その前は日中友好会館だったと思うのですが、今年は、青木先生の八十歳記念を祝ったアートコンプレックスセンター地下一階ホールギャラリーで開催されました。

 かなり広いホールなので、作品の展示点数も多かったような印象でしたが、今年は特に全体的なレベルアップももちろん、青木先生が一歩引いて、お弟子さん方の師範としての実力を見て欲しいという気持ちが出ていたように思えました。

「無鑑査師範」という名称が書道の世界にあるのか不勉強で知りませんが、“無鑑査”というのは現代刀匠の世界で作品の評価を判定する人がいないくらい技量が抜きん出た人が認定されているものです。

 つまり、斯界で最高の権威とされ、この上となると、国が認定する人間国宝とか無形文化財とかになる訳でしょう。

 この無鑑査師範が三名、ホールの前面に大書を掲げられていました。

「なるほど、これは無鑑査でしょうね?」と納得させられるアーティスティックな書で、もう文字が動き出すような感じで圧倒されました。

 また、レインボーカラーで彩られた書は、絵画と書が融合して新しいアートが生まれたかのようです。

 私も刀の鞘塗りに黒の漆を全面に塗って、その上に金7・銀1・レインボーカラー2の割合で混合した粉を散らして、その上に透明の漆を塗って保護膜にする・・・というのをやっているんですが、蒔絵風のインスピレーションで始めたんですね?

 これは暗いところで見ると星空みたいに見えて綺麗なんですよ。

 山の上から街の夜景とか見ると綺麗でしょう?

 何か、今回はそれも思い出しましたね。


 副塾長の吉田随流先生の書は、天啓を感じます。作為を感じないんですね。

 天啓と言えば、私も武術の技考えてる時とか小説書く時に「降りてくる」感覚があります。

 実はゼロインチ打撃戦闘法もそうだったんですよ。アイデアはあったけど、練習法や応用法は実演している最中に勝手に編み出しました。

 小説もそうで、作為的に書こうとしても、どうも乗れないし進まないのに、降りてきたら、ビックリするくらい短時間でバババーッと書き上げてしまったり・・・なんてことがあります。今回のホラー小説も結末を考えないまま書き進めているうちに、勝手に書けました。

 何かもう、岡本天明の『日月神示(ひつくしんじ)』ですか?ってくらい自動書記状態になることもあります。

 吉田先生はひょっとして、そんな感じで書かれたりされてるんじゃないかな~?と、今回、強く思いました。


 さて、青木天外先生の今回の書「般若理趣経」・・・理趣経かぁ~・・・。「煩悩即菩提」・・・煩悩を全面的に肯定する。

 それが今の青木先生の心境であると言われると、「そうでしょうね?」と微笑み返すしかない私でございまする・・・。

 恐らく、悟ったからといって煩悩が無くなる訳ではないのではないか?

 では、煩悩とは、どこから出てくるんでしょう?

 推測ですが、多分、生きようとする意欲から生じているのではないか?

 それは生物としての本能であり、細胞の中のDNAに刻まれた意志なのではないか?

 だから、死を実感し受け入れると煩悩は消える。とすると、煩悩を生じさせるのは肉体そのもの。生命活動そのもの。

 そういうことかな~?

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今月号の『秘伝』は買いだよ

 今月号の『秘伝』は、日本刀特集が面白かったですね~。
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 まず、刀禅の小用茂夫先生が出てらして、非常に示唆に富んだ内容で、読んでいるだけで「あっ、なるほど、そういうことか・・・」と目からウロコが落ちる想いでした。

 昔は、頑なにメディアに出ることを拒んで、ヤダヤダ・・・と、はにかみながら避けておられたのを微笑ましく思い出しますね。

 自分から出たがるナルチシスト武道家が大多数の業界で、小用先生を引っ張り挙げた人達は立派ですよ。

 本当に実力があって深い見識を持って、尚且つ、人柄の良い先生方を取材していって欲しいですよね。

 それから、松葉先生の記事も良かったですね~。

 私も青木先生から頂戴した松葉先生の鍛えた刀を所持しておりますが、武用刀にするのがもったいない美しい刀なので、いずれは研ぎに出して綺麗にしたいと思っています。

 斬鉄剣を作る小林康弘刀匠の記事も面白い!

 そして、青木宏之先生のインタビュー記事も面白かったですね。

 ちなみに青木先生自身は、もう武術だの武道だのの業界にはまるで関心が無くなっているんですが、親しい人から頼まれたら気さくに受けてくださるので、有り難い限りです。

 そういえば、常心門空手道の池田奉秀先生が亡くなられていたのですね?

 池田先生は天才的な空手家でしたね。瞬間の交差入身のやり方は、恐らく御自身で研究されたものなのでしょう。

 真半身で斬り割るように入身するやり方は、切り落としや合撃のような日本剣術の理合であり、沖縄空手とは違って見えましたが、個人的には、こちらのやり方が好きです。

 一度だけ、その当時親交があった武術ライターの方の紹介でお会いしたことがありますが、丁度、来客中だったので、ほとんどお話することはできませんでした。

 不思議なもので、些細なことで縁が繋がったり繋がらなかったりするものなんです。

 私はそういう展開が多いので、すっかり運命論者ですよ。

 でも、本や映像で無数の先輩方に学んでこれたという認識です。

 そういう意味でも、『秘伝』は日本唯一の武術専門誌として頑張って継続していってもらいたいと願わずにはいられません。

 武術の世界はクセ者揃いですが、それがまた麻薬的な魅力だったりもするので、中毒になってしまったりするんですよね~?

 正直、私は宗教的な悟りのこととか全然わかんないし、興味もないし、有り体に言ってしまえば“阿呆臭い”としか思わないんですよ。

「悟って、どうすんの?」って感じ。結局、「俺は悟ってる!」って舞い上がって、大衆を見下して権威主義に浸るだけでしょう? それが馬鹿馬鹿しいっちゅうんですよ。

 二度目の大学は「東洋哲学でも勉強しよっかな?」と思って、仏教系のところに行きましたが、坊さんの偉そうな態度に嫌気がさしてほとんど通わず、武術の練習ばっかりやってましたよ。

 所詮、人間は悟ろうがそうでなかろうが、本質は変わらないと思いますよ。

 どんな格好いいこと言っても、人間は、金に汚かったり、女に目がなかったり、名誉欲が肥大してたり、ブランドマニアだったりする。

 私が青木宏之先生が好きなのは、そういう俗物のところを隠さないところですよ。

「長野さんね~。無の世界、空の世界のその先があって、そのまた、先があったんですよ~」って教えてくれるんですけど、こっちは興味ない(わかんね~もん)から、「はは~、左様でござりまするか~?」って聞いてるんですけど、そのチャイルディッシュなまでの純粋さを80の爺さんが持ち続けているところが、アバンギャルドでしょ?

 大概、隠すでしょ? 聖人君子とか苦行僧みたいな、しかめっ顔して見せるじゃないですか?

 で、そういう人達は私みたいに権威を屁みたいに馬鹿にする人間って一番怖いから遠ざけたい訳ですよ。

 でも、私は別にそういうことしたい人達は勝手におやりくださいって思ってますよ。付き合わないから、関係ない・・・。

 むしろ、そういう俗物なところも残してくれていた方が人間的に魅力的に思えるから、それでいいんじゃないですか?

 私は、そういう欺瞞的な人間をネタにしておちょくり倒すのが大好きなんで、どんどんやってくださると嬉しいです!


 ただ、研究家として警鐘を鳴らさないとマズイと思ってるのは、他人を崇め奉って阿呆ヅラ晒すような連中なんですよ。

 私は尊敬する人はいっぱいいますけど、絶対に崇め奉ったりはしません!

 安易に他人を崇め奉る人って、実は自分がそうされたいという願望を内に秘めているんですよ。邪念ですよ、邪念!

 だから、最後は、「こんな人だと思わなかった! 裏切られた!」って捨て台詞残して後ろ脚で砂かけて去っていくんですよ。

 そんでもって、聖人君子のフリして人を騙すような真似をやって、注意されると逆ギレして逃げるんですよ!

 私のところにも奉りたがるヤツとか来ることがあるんですけど、「帰れ! バカヤロー。お前のような偽善者に誰が教えるか?」って門前払いします。

 ヌルいこと真顔でほざくような、“人生で苦労したことない人間”は、武術なんかやっちゃダメです!

 むしろ、邪念を隠さない青木先生のような人が真の意味で正直者ですよ!

 そうそう、川保さんから頂戴した『居酒屋竜ちゃん』という本を読んで、まだまだま~だ、俺はヌルいっ!と、痛感させられましたよ。
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 何て言っていいのか、わかりません! 取り敢えず、参りましたっ!
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『月刊武道』に稲吉先生が

 あまり技術解説とか載らないので滅多に買わないんですが、書店で立ち読みくらいはするのが『月刊武道』です。

 作家修行するようになって資料本代がかさむので、立ち読みで済ませられる程度なら済ませてしまおうという不届きな考えもあります。

 しかし、今回は、稲吉先生が記事を書いていると聞いたので、橋本駅ミウイの有隣堂さんで買いましたよ。

 稲吉先生は、ダンサーでありダンス振り付け家ですが、何と、ダンスを始めた切っ掛けがブルース・リーだった?というくらいなので、空手、意拳、詠春拳、刀禅、柔法、八神流体術、合気道、刀功門、そして游心流というマニアックの度が過ぎる経験を積まれていますから、実際は普通に武道やっている人より見識が高くなってると思うんですよ。

 記事を読んでいても、普通に武道やっている人だと、そもそも自覚すらしなかったであろう事柄を当たり前のことなのだと思い込んで書かれているフシがうかがえました。

 だから、“異常にハイレベルなこと”を書かれていて、読んだ人達も首捻ってしまうのではなかろうか?と・・・。

 立ち合った時に相手を読む・・・というのは、現代武道の世界でほとんど忘れられている理合(りあい。間違って“りごう”と読んではいけません! 先生が間違っていたら、さりげなく直してあげないと、先生の恥を延々と後世に伝えることになっちゃいますからね?)です。理屈は知っていても、具体的なやり方を知らない人がほとんどです。

 それと、稲吉先生の人柄の良さがにじみ出てますよね。

 大体、武道を専門にやってきていない人が少しでも武道を齧ると自己肥大起こして誇大妄想狂になり易い(作家とか役者とか多い)ものなんですが、稲吉先生は微塵もそういうところが無い!

 松田隆智先生がよく言っていました。

「武道をやったから性格が良くなったんじゃなくて、性格の良い人は元から良かったんだよ」と・・・。

 確かに一理ありますよね? 熟練するに従ってその人の本性が現れてきますもん。

 武道家なんて、そんな立派な人はいませんよ。

 浅~く付き合うだけなら、立派に見える人も居ますが、それは“猫かぶってる”だけで、本性は、み~んな喧嘩大好きで我の強い人ばっかり! もう、断言します!

 だって、考えたら解るでしょう? 他人の顔面殴ったり蹴ったり投げたり首絞めたり関節の逆取ったり竹刀で叩いたりするんですよ? 暴力が嫌いな人間ができる訳ないでしょう?

 どんな理屈を並べようが、いざとなったら暴力でカタをつけたいと思ってる人間しかやらないんですよ。

 しかし、私はそれが嫌いじゃありません。

 何故なら、自分もそうだから。

 特に礼儀知らずなヤツとか見ると、「こいつ、喧嘩売ってんの?」って、すぐ思っちゃう(苦笑)。実際に、無礼者に寸勁かましたり、ビンタ張ったりしてますからね。

 ただし、私は、こういう場合にニコニコ笑ったままやれるので、不気味がられてしまうんですけどね。

 こういう性格は多分、一生変わらないと思うんですよね~?

(それに男に愛情持てないです・・・ムリっす)

 たま~に、尊敬の気持ちは持つことありますけどね?

 例えば、時津賢児先生が意拳を習った時にボコられて悔し涙を流したと連載記事の中で告白されていたのを読んだ時は、「何て、真っ正直な先生なんだ?」と感動を通り越して唖然となってしまいました。

 いや~、立派過ぎて二の句が継げません。

 修行中の若い人や格闘家のように公開の場で試合する人が言うのなら解りますが、時津先生はフランスを代表する著名な武道家ですよ。

 そのポジションの武道家が自分の負けた話を堂々と書くというのは、権威を捨てる覚悟が必要なんですよ。

 何故ならば、武道の世界は勝ち負けの結果だけで優劣を判断する人間が大勢を占めているからです。

 時津先生は甲野氏を前蹴り一触でダウンさせたりしているのに(見てた竹内海四郎さんが言いふらかしたので業界で結構、有名な話で、私が時津先生に直接聞いたら、目を丸くして驚いてらっしゃいました・・・)・・・と、思ったので、ここに書いておきます。

 私ですら、研究家と名乗っているから負けても構わないか?というと、そんな甘いことはありませんよね?

 道場破りに手も足も出ないで負けたりしたら、それこそ「やっぱり長野はヘッポコじゃ~ん!」とバッシングされまくって、会員もどんどん逃げ出して、私は切腹して果てるしかなくなりますよ。だから、なるべく直に手合わせしないように注意していますよ。

 大袈裟だと思います?

 いいえ。私は有名武道家(甲野・高岡・宇城・・・etc)をケチョンケチョンに貶してきているんだから、その反動は凄まじいですよ。

 嫌がらせも数限りなくありましたよ。

 潰しにかかられたことも何回あったか判らなくなるくらいありました。しかも、それまで親しくしてもらっていた人がコロッと豹変して敵になるんですから、義理も人情もあったもんじゃないです。仁義なき戦いですよ。

 だから、どうしても立ち合うしかなくなったら、殺す気で立ち向かわなきゃ~潰されると思ってます。

 私は武道の世界が綺麗事が通用する業界だとは考えていません。憎悪と嫉妬、傲慢と自己愛が渦巻くヤクザ社会と変わらない業界で、表面的に“礼節”を謳っているに過ぎないと思っています。

 そんな世界だから、“武術”でなければ乗り切れないと思ったのです。

 武道も格闘技も力の差はいかんともし難い。体格・体力・年齢・素質がモノを言う世界です。

 精神論や理想論ではなく、現実のチカラでシノギをやっていくしかない。私のように元々チカラが無い者にとっては、戦略戦術を駆使して戦う武術でないとムリ!

 でも、果たしてこれは武道の世界だけの特殊なことなのか? 多分、自覚するかしないかに関わらず、人生のいろんな局面で、誰もが程度の軽重の差はあっても体験せざるを得ないことでしょう。

 学校や職場のイジメ、ストーカー、事故、病気、災害・・・こういうのを一度も体験することなく人生を送ることができる人なんかいないでしょう?

 その厳しさに立ち向かう“気概”を養ってくれるという意味でなら、武道の修行は確かに一定の価値があると言えるかもしれません。

 稲吉先生も時津先生も、そういう真っすぐなブレない心を持ってらっしゃるのだな~と、尊敬の念が湧きました。


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オカルトはなぜ、オカルトなのか?

 オウム真理教の地下鉄テロ事件以降、一時的に下火になっていたヨガ教室も、今では完全に復活してカルチャーセンターやスポーツスタジオのメインプログラムとして常備されている印象があります。

 つまり、それだけ健康法としても美容法としても効果があるという実感が得られるからでしょう。

 特に、欧米では伝統的なヨーガをエクササイズとして改良する試みが何十年も続けられてきた伝統があり、最近では“ホットヨガ”がブームになっているようです。

 日本では、沖正弘や佐保田鶴治といった黎明期を支えた人や、中村天風(インドの聖人カリアッパに出会ってヨガの奥義を学んだという人で、大陸浪人だった時期があるらしく、随変流抜刀術の遣い手で“人斬り天風”と呼ばれた。合気道家で学んだ人が多い)の天風会のような政財界人を巻き込んだ修養団体の中に取り込まれて発展してきた経緯がありますが、個人の修行者によって多くのヨガ団体が生み出されていきました。

 しかし、健康法や美容法として注目している人達は、ヨガの真相については丸で関心も無く、勉強しようとする人はごく一部です。

 インド原産の修行法だと知っていれば御の字というくらい日本のヨガ愛好者の認識は低レベルだと言わざるを得ないでしょう。

 だからこそ、オウム真理教が生まれたと言えるかもしれません。

 今では御承知でない人のほうが多いと思いますが、オウム真理教は元々、オウム神仙の会というヨガ団体から出発しました。

“本格的にヨガを修行し、最終解脱をして悟りを得た聖人であり超能力者”であると月刊ムーの競合誌『トワイライトゾーン』の連載(何故か、ムーに執筆していたことばかり報道されてトワイライトゾーンの連載には触れられていない)で信者を獲得していき、一大カルト団体にまで発展させた訳です。

 教祖の松本が阿含宗(先頃亡くなった桐山靖雄が主催)や和尚ラジニーシの(組織作りの)影響を受けていると指摘されていたように、当時、新興宗教やニューエイジ・ムーブメントの煽りで精神世界ブームがあったのも事実であり、ニューサイエンスと呼ばれたトランスパーソナル心理学の潮流がポストモダンの現代思想ブームとも繋がり、東洋的な修行法に関心が集まっていたのです。

 アメリカでは、ヒーリングやサイコセラピー、手技整体療法、自己啓発プログラム(NLP(神経言語プログラミング)など催眠系心理療法がベース)などを次々に生み出したことで知られるエサレン研究所(オルダス・ハクスリーが主催だったとされる)に代表されるラブ&ピースのヒッピー文化の中にヨーガや禅が中枢を占めていましたし、その象徴的なミュージシャンが、ビートルズだったんですね?

 ビートルズのメンバーがTM(トランセンデンシャル・メディテーション)ヨガにはまっていた(後に決裂!)とか、欧米の俳優やアーティストが日本のゼン(鈴木大拙が広めた禅)とか中国のタオイズム(道教。ヒーリングタオが有名)に心酔したりするのも、この時期以降のブームだったみたいですね?

 しかし、その実態には、マリファナやLSD、ペヨーテ、マジックマッシュルームなどの服用による幻覚体験を神秘体験として持て囃し、現実逃避の白昼夢に酔い痴れる・・・というヒッピー文化の自堕落な体質もあった訳で、だからこそ“カウンターカルチャー”と呼ばれた訳ですね。

 これは、当時のアメリカがベトナム戦争のPTSDに苦しむ人が多かったことからの社会現象だったと言えるでしょう。

 ちなみに、USAという国は、移民によって建国された国であり、キリスト教をバックボーンにしています。宗教的価値観を骨格にしている移民にとっては、例えば唯物論をベースとする共産主義思想は悪魔的なものと思える訳で、だからこそ共産主義思想を徹底排除しようとした訳でしょう。

 しかし、キリスト教、あるいはユダヤ教を信仰したとしても、やはりセクト(党派)が出てくる訳です。

 中でも、魔術的な神秘主義思想は、仏教で譬えれば密教に当たるものとして秘密結社の母体になり易く、中世ヨーロッパの貴族階級の中で遊び半分に悪魔崇拝思想が出てきてオカルトの伝統が確立されていった訳です。

 これは近現代の秘教的魔術結社に繋がり、現在の陰謀史観のブームに繋がっています。

 中でもブラヴァツキー夫人が興した神智学協会は一世を風靡しました。

 真相は希代の山師だったというのが妥当でしょうが、その後のオカルティズムのジャンルに与えた影響は絶大でした。

 アニー・ベザント、オルコット大佐、ジッドゥ・クリシュナムルティー、そして人智学を提唱したルドルフ・シュタイナーが神智学協会から出ていますし、クトゥルー神話を生み出した偉大なるホラー作家、ハワード・フィリップス・ラブクラフトもまた神智学の影響を多大に受けているとされます。

 神智学の特筆すべき点は、西洋の魔術の伝統にチベット密教という東洋のオカルティズムを融合した点にありました。

 そして、アカシックレコードという壮大な宇宙の時間軸の記録(要は、超・運命論)を掲げ、アトランティス人の末裔たるアーリア人種の優性思想を説いた点も“意識高い系の人達”の指示を集めたのでしょう。

 有名な話では、ヒトラーが神智学が説いたチベットの地下にあるシャンバラを探しに行ったというものがありますが、ヒトラーは元々、秘教結社トゥーレ協会に入っていました。

 それ以前からあった秘密結社も神智学の影響を受けたようですし、これによって東西のオカルティズム思想の融合が進んでいきました。

 かの有名なアレイスター・クロウリー(黙示録の獣を自称。マクレガー・メイザースのゴールデン・ドーン(黄金の夜明団)の出身)が自らモデルとなってヨガの教本を出しているのも、何だか、ちょっと微笑ましい感じがします。

 ちなみに、ビジネス向け自己啓発系本の定番である「成功哲学(成功している自分をありありと思い浮かべることで現実に成功に繋がるという現世利益思想。最近は“引き寄せの法則”と名前を変えてプチブーム?)」も、仏教の唯識論が元ネタではないか?と思われますが、西洋秘密結社の秘教の中にも含まれていますね。


 さてさて、以上の背景を頭に納めた状態で、以下をお読みください!

 オカルティズムの中でエヴァンゲリオンにも出てきて注目されたものに“カバラの生命の樹”がありますが、これを人体に対応させたものが“スシュムナー管上に位置するチャクラ”と考えられています。

 ヨーガの行法は、瞑想(内観と呼吸法)によって、最下部のチャクラ(ムーラダーラ)に眠るクンダリーニを目覚めさせて上昇させ、七つのチャクラを回転させながら頭頂のチャクラ(サハスラーラ)より外界に解放することで解脱を得る・・・というのが大まかな修行過程とされます。

 実は私、若い頃にこれやったんです。で、解脱した感覚もありました。もう、物凄くハイになって身体はフワフワ浮いた感じだし視覚はサイケデリックな原色の色が塗られたように風景が見えて、物凄く頭がクリアーになった・・・ような“幻覚”がありました。

 でも、しばらくしてフと気づきました。現実の自分は何も変わっていないし能力が高まったりした訳でもなく、むしろ、その後は体調が悪くなり精神的にもアンバランスになりました。

 以前にも書いているように、パニック障害になったのも、このせいだと思います。

 後々に知りましたが、このような例は、“クンダリーニ症候群”と呼ばれて、ヨーガ行者にも多く発生する独特な病気であり、酷い場合は廃人となってまともな社会生活が送れなくなってしまうのだとか?

 その後、武術と精神世界の業界で、同様の病気になる人を相当数見ました。

 レベルが低いからそうなるのではありません。相当なレベルで熱心にやった人ほど、そうなってしまうのです。

 座禅でも禅病と呼ばれ、「魔境に陥る」と表現されますが、これはメディテーション(瞑想)系の修行法には付き物であり、俗に“狐が憑く”といった「動物霊の憑依現象」にも原理的な共通性があると思われ、専門用語では“ジャーク(宗教的痙攣)”と呼ばれます。

 類似の現象に気功の“自発(動)功”や、野口整体(気合術の松本道別の弟子だった野口晴哉(はるちか)が創始。よく野口三千三(みちぞう)の野口体操と混同されがちだが全く別物)の“活元運動”があるが、これらは身体的なもので、錐体外路系運動と呼ばれる無意識の反射運動であり、禅病やジャークは精神疾患様のもので、放置すれば本格的に発病する危険性があります。

 ヨーガが中国化した仙道を現代的にエクササイズとした気功でも、“偏差”と呼ばれて注意すべき状態とされていますが、多くの場合、性的快感を伴う(脳内覚醒物質の作用と判明している)ので、「気持ちが良いことは正しいことなのだ!」という手前勝手な御都合主義で受け止めてしまう“無知蒙昧なオバカさん”が非常に多い(昔、脳内革命と謳って奨励した医師がいて、「医者が言っているんだから正しい」と盲信するアンポンタンが続出しました)のです。

 よく、苦しい修行に耐える人達を立派な人だと讃えたりしますが、あれははっきり申して単なるマゾヒズムに目覚めただけなんですよ。

 苦しければ苦しいほど脳内麻薬がドッパドッパと出て「チョー気持ちイイ~ッ!」と立禅しながら叫んだ“変態さん”がいましたよ?

 ここまで来ると“ヤク中”と一緒ですから、大体、まともな社会生活できなくなりますからね? 事実、この人はあちこちで詐欺行為を働いた揚げ句に行方不明になりました。

 で、私が何を言いたいか?と申しますと、「俺は命懸けて修行をやっている!」と威張るようになったら人間失格! 単に“底抜けに頭が悪い”だけ!

 そもそも、真の修行というものは、出家して乞食同然の暮らしをするものであって、道場経営と宣伝に明け暮れるようなビジネスマンとは縁がありません! 寝言ほざく暇があったら、ちゃんと社会生活をやって、「いえいえ、私ごとき俗物が武道家なんておこがましくって口が裂けても申せません!」と言うのが身の程を弁えた正しい認識!です。

「もっと、謙虚になんなさい!」と、言ってやりたくなるような勘違いした人が武道の世界には腐るほど実在していますからね?

「人間は世の中で生産的な仕事をすることで社会に貢献し、その行為への報酬を得て日々の暮らしの糧を得るのが正しい生き方であり、自己満足の修行に埋没するのは人類が築いてきた歴史と社会に背を向けた愚者の営みでしかない」と言いたい訳です。

 分かりやすく言うと、「現実逃避」です!

 だから、私は「俺は武道家だ!」と恥じらいもなく公言するような“糞馬鹿”には軽蔑と哀れみの念しか感じません。「お前はちゃんと義務教育を受けたのか?」と・・・。

 はっきり言って、「井の中のカワズ」ですよ。せめて、恥ずかしそうに言いなさいよ?って言いたいですね。

 人間の価値というのは、「人に優しい」ことと「教養が豊か」であること。

「殴り合いの強さ」には何の価値もありません!

 それ以外の人間の価値ってありますか?

 武道の業界では「礼節がしっかりできている」というのを大事にしがちですが、表面的な礼節をどんなにしっかりやって見せられても“ハラの中が真っ黒”だったら意味ないでしょう?

 それでは自己欺瞞であり偽善者ですよ。礼儀正しく振る舞っているから人格が立派だとは限らないのが人間の心の奥深さ・・・。

 よって、私は礼節は評価しません。カタチじゃなくて、本心が外に顕在化した結果を評価しますね。

 やっぱり、私が本当に嫌だな~って思うのは、“自分の得することしか考えない人”ですね?

 人間だから、しょうがないとは思いますけど、平気のへいざで自分の得しか考えない人っていますからね。こういう人は結婚したり家族持ったりしちゃ~ダメ!

 えっと・・・無関係なことをいろいろ書いたと思われるかもしれませんが、実はそうではありません。

 クンダリーニを安易に上昇させると、このような自己愛に凝り固まったモンスターに変化してしまう場合があるのです!

 本当に人格がコロッと変わってしまいますから。

 クンダリーニというのは仙道で言うところの「精」なんですね。

 順番として仙道では「錬精化気」、次に「錬気化神」として、最後に「出神の法」を遣って頭頂の百会(ひゃくえ)から神を解脱させる(俗に言うアストラルプロジェクション(幽体離脱)はこの初期現象と見做される)のです。

 これは精がガソリンで、気がガス、ガスの燃焼でエンジンが動くと考えてもらえばいいか?と思います。

 これが失敗してクンダリーニ症候群となるのは、この錬精や錬気が不十分なまま周天法を行って(経脈を周回させる錬法で、小周天を基本とし、大周天を経て、出神に到る)、気の流れが滞ったり、詰まったり、別ルートに流れて(これが「気が狂う」とか「気違い」の語源)心身に不調を起こすことなんですね。

 余談ながら、伝説ではシャカムニもこの修行法では挫折し、行法そのものを捨てることでサマーディ(三昧)に至り、最終解脱に至ったとされていますから、結論から言えば意識の解放だけで充分かと思います。

 さらに言えば、オカルトとは“隠秘学”という意味であり、本来、一般に公開してはいけない知識であるとされてきました。

 何で、公開してはいけないか?ということは、もう御理解いただけたでしょう?

 そうです。“生半可な気持ちで取り組めば人生を台なしにしかねない危険性がある”からです!

 学ぶ側も教える側も相応の覚悟が必要ですし、真剣に取り組めば良いというものではなく、むしろ、いかにして自分の人生のバランスを取るか?という意識が重要なのです。

 実は、ヨーガの語源は「バランスを取る」というものなのだそうです。

 心身のバランスを取るために取り組む・・・これが正しい取り組み方です。

追伸;霊という言葉も、心霊・幽霊・亡霊・・・といったイメージしかないでしょうが、これも神道では「ヒ」とか「タマ」と読んだりして根源的なエネルギーという意味合いがあります。霊現象を残留思念であると説いた研究家の方もおられました。これもまた唯識論的解釈かな~?と思います。この世は、夢か現(うつつ)か・・・。乱歩的だな~?

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武術と武道・格闘技はどこがどう違うのか?

「武術と武道・格闘技はどこがどう違うんですか?」と、よく聞かれるんですが、質問される方は大体、格闘技をやっている人が多いです。

 何もやっていない人だと、武術も武道も格闘技も区別がつきません。

 だから、どこが違うのか?という質問自体を思いつかない訳で、私も説明するのに骨が折れるので、「長野さんは格闘家なんですよね?」とか言われても、「違いますけど、まあ、そんな感じですかね~」とか曖昧に応えます。

 以前、2時間くらいかけて一所懸命、説明した後で、「で、武術と武道と格闘技って、結局、呼び方の違いなんですよね?」と言われて、ギャフンとしたことがありました。

 もう、全然違うから!

 で、概念を抽象的に説明したところで何も伝わらないということがよく解ったので、現在は例題で違いを感じさせることにしています。

1,スポーツかどうか?
格闘技はスポーツです。武道もスポーツです。武術はスポーツではありません。

2,では、武術は何ですか?
戦闘を前提にしたサバイバル術です。

3,スポーツとは何ですか?
レクリエーションとしてルールを決めて技量を競う競技です。

4,武道はスポーツの括りには入り切らないのでは?
建前上は入り切りませんが、実質的にはスポーツとして社会に認知されているのでスポーツです。これは、戦後に武道が再開される時に規定されています。

5,武道は外国には無いのですか?
武道という言葉は日本の武士道から考案されたもので、文化的に日本だけのものです。

6,テコンドーやハプキドー、ブルムドー、ジークンドーといった外国の武道がありますが?
武士道の文化から採ったものではないので日本の武道とは別です。特にジークンドーは老荘思想のTAO(道)の概念から引用されているので武士道とは無関係です。

7,武術も日本固有のものですか?
武術は、武士道とは無関係です。自己防衛術として世界各地で自然発生してきたものと規定すれば国家や民族・宗教などとは無関係です。

8,自己防衛術とはどういうものですか?
簡単に言えば護身術ですが、もっと広い意味で言えば、「自己防衛を目的とした戦闘術」です。

9,戦闘術とは何ですか? 格闘技とは違うんですか?
戦闘術に一定の定義はありませんが、格闘技とは明確に違います。具体的に言えば、「あらゆる武器を遣って戦う術」であり、その前提は「命のやり取り」です。

10,命のやり取りというのは真剣勝負という意味ですか?
命のやり取りは殺すか殺されるか?という局面であって、真剣勝負というのは「真剣に試合する」という意味ですからスポーツにも当てはまります。ですから基本的には意味が違います。

11,具体的にはどこが違いますか?
まず、試合はルールがあります。当然、殺し合いも禁止され、致命傷を与えるような技や武器の使用も禁止されます。ところが、命のやり取りを前提にしている武術の場合、基本技が致命傷を与えることを目的にしており、武器も遣うことが前提です。

12,致命傷を与える技や武器とは具体的にどんなものですか?
目潰し・金的・関節を逆から折る・喉攻め・首折り等々です。武器は棒・刀剣・槍・弓矢・手裏剣・鉄砲と何でも遣います。また、毒薬や炸裂弾、呪殺術等を伝承する流儀も現存します。

13,そのような技や武器は反社会的で許容されないのではないですか?
無論、遣えば法的に処罰されます。が、生命の危険が差し迫っている状況で自分のみならず家族や友人を護らねばならない場合に、法に触れることはできないと放置しますか? 放置できる人には武術は縁がないものでしょう。

14,そんな状況には一生、縁が無い人が大半ではないでしょうか?
そうでしょうか? 現時点の日本を考えればそうかもしれませんが、世界中に戦火に塗れている地域はありますし、治安の悪い地域も少なくありません。日本ですら、通り魔やストーカー、猟奇殺人犯の事件が起こっています。特にDV被害で死に到る幼児の事件は、具体的に救ってやる人間が必要でしょう。それは法的な対処だけでは解決し切れないのが現状でしょう。

・・・御参考までに!
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DVD感想

九十九式太極拳 岡部武央
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 岡部武央(たけひさ)先生は、私が昔、通っていた中国拳法の道場の大師兄(その道場の一番弟子という意味です)に当たります。
 もともと、琉球古武術、伝統空手、フルコンタクト空手(大道塾)、ボクシング、ムエタイ、合気道(養神館)などを修行されていて、私が初めて会った時は20歳前後くらいだったと思いますが、今でも脳裏にはっきりイメージが残っています。
 震脚(形意拳系)の凄さ、廻し蹴りの爆発的な威力、聴勁のレベルの高さに天才的な素質を感じたものでした。
 その後、1998年に実施された中国深 市で行われた散打自由搏撃国際大会に日本代表で出場し、中量級で優勝。当時の日本人初の散打競技のチャンピオンとなり、また試合内容のレベルの高さから中国の伝統武術の世界の重鎮からも認められたという話も聞いています。
 しかし、私が見るところ、格闘家ではなく武術家、それも生涯一修行者のタイプだと思っていましたし、以後はそのような方向での修行へと向かっていたように思います。
 まあとにかく、そんじょそこらの武道家武術家とは一味も二味も違う人でしたが、私が一番驚いたのは、“結婚した”ということでしょうか?(現在、二児がいるそうです)
「ええっ? 結婚するの?」と・・・そんな庶民的な生き方をするイメージが全然なかったもんですから・・・。
 意外だったのは、結婚しても方向性が変わらず、むしろ、より視野が広がって武術を生活者の観点から老若男女、誰もが無理なく取り組めるものとして普及活動をするようになったということでした。
 結局、ただ格闘や喧嘩のレベルの強さを求めるだけというのは特殊な趣味性の問題でしかなく、しかも世間一般的にはまともな評価が得られるものではありません。
 プロ格闘家が現役引退してからヤクザの用心棒やったり事件起こしたりする例があるのも、その証明ではないでしょうか?
 昔の武術家が武術の腕を隠して平凡な生活を志したのも、日常の生活に直結する仕事にはなり難かったからだと思います。
 私の場合を例とすれば、やっぱり“もの書き”としての意識の方が強いですし、武術家扱いされても困惑するだけですよね?

 岡部先生とは、ここ何年も直にお会いしたことがなかったんですが、突然、「DVDを作ったので、よかったら見てください」と電話を頂戴したので、懐かしさもあっていろいろ話し込みました。会ってない間の情報交換も楽しかったし、昔よりも価値観が近くなったのかな?という気もしました。
 で、ふと「何歳になったんですか?」と聞いたら、「44歳になりましたよ」とのことで、私は最初に会った19歳くらいの頃からイメージがまったく変わらないので、そこが一番のビックリでしたね。
「そんなこと言っても、長野さんも、もう50は過ぎてるでしょう?」
「はい、53ですよ(笑) 明治時代だったら爺さんですよ」
・・・人間、精神年齢はちっとも上がりませんが、肉体の年齢だけは着々と進んでいくんですね~?
 贈ってもらったDVDは、台湾の武術家・王樹金老師が伝えたことで日本では割合、普及している(中国拳法連盟・柔拳連盟・楊柳会などなど)九十九式太極拳の套路をきめ細かく教える内容で、岡部先生が日常的に指導しているような内容をそのまま収録しているらしく、DVDを見ながら練習するのに非常に適した構成になっていました。
 まず、ストレッチで身体をほぐし、意拳站椿功と試力で錬功し、太極拳の套路を練習するという順番になっています。
 私はてっきり技の用法なんかもやっているのか?と思っていたんですが、徹底してシンプルに無駄を省いて“DVDを見ながら練習する”というコンセプトで作られたのだと思います。
 あるいは、格闘技の世界をくぐった岡部先生ならでは、通り一遍の用法など解説したところで実戦に通用するものではない!との見識からやらなかったのかもしれません。
 いずれにしろ、「基本をしっかり練習すれば、健康法にも護身術にもスポーツにも何にでも応用できるんですよ」というメッセージが感じられました。
 武術の世界はナルチシストの巣窟で、迂闊に道場を選ぶと危険な世界です。
 私も「どの道場がいいでしょうか?」と、しょっちゅう質問されるんですが、なかなか、「ここがいいですよ」とは言えないんですよ。
 多くの人が、「TVに出たり専門誌に紹介されていたり本を書いていたりする先生なら信じて間違いないだろう」と思いがちなんですが、武術に関しては大間違いです。
 有名であることが本物の証明にはならない(現代はネットを使って自分で宣伝できるのでショーンK方式に経歴捏造している人もいるから要注意!)し、仮に教えている先生の実力が凄くとも人格が破綻していて、まともな指導ができない人もいたりするのです。
 それと、これを言ってはオシマイかもしれませんが、基本的に武道武術の指導者は無教養な人が多く、「理屈を言うな。無心に練習に徹しなさい」という教え方が伝統的なので、言葉で説明したり稽古法を体系的に工夫することを軽視するのです。実力があればバカでも尊敬される不条理な世界なので、そのような特殊な価値観が定着したのでしょう。
 私は本当に、武道武術をやっている人と話していて、「何て、無知無教養なんだろう?」と呆れることが度々あります。ビックリするほど知識が無い人が指導者やっていたりすると、他人事ながら心配になりますよね?
 しかし、世の中、よくしたもので、そんな指導者の下には“類は友を呼ぶ”で似たような無知な人ばかり集まるので、特に問題が起きなかったのでしょう。
 でも、そんな人物が第一人者として世間に出たら奇人変人扱いされて終わりです。
 中には、パフォーマンス的に自己演出してサブカル風のポジションを築く人もいますが、やっぱりメジャーな評価は受けられないんじゃないか?と思いますね。
 良くても専門家馬鹿で終わりです・・・。

 岡部先生は幅広く、いろんな流儀を学んでいます。
 武術のみならず整体療法やヨーガ、気功、マクロビオティックにも造詣が深い。東洋医学的な身体観に関する教養の高さが群を抜いています。
 そして、何よりも私が推薦できるのは、“人柄が良い”という点です。
「思無邪(おもいよこしまなし)」という言葉に尽きます。
「悪いヤツに騙されなければいいけどな~?」と昔は心配だったんですが・・・(苦笑)。
 そのような意味でも、「道場に通って習いたくても、どうすればいいか判らない」と考えている人に絶好の独修できる教材DVDであると思いました。
 販売は、クエストさんで扱ってもらっているそうなので、是非!


[連絡先]
九十九式太極拳の会(主催・岡部武央)
takehisanda@hotmail.co.jp

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青木先生久々にTV登場

 TV東京の名物番組『YOUは何しに日本へ』に、剣武天真流の合宿に参加するイタリア人二人が空港で取材スタッフに捕まり?「けんぶ? 剣道のことか?」と、荷物を見せてもらって模擬刀を見て「剣道じゃないみたい?」と興味を持った取材スタッフが調べて剣武天真流の合宿を取材した・・・ということでした。

 確かに「けんぶ」と聞いても、ピンとくる人は少ないでしょう。多少詳しい人なら“詩吟・剣舞”の剣舞を思い浮かべるかもしれませんが、一般人のみならず一般的な武道しか知らない人だと「武道に“けんぶ”なんてのあったっけ?」と思うでしょう。

 そもそも剣舞は日本舞踊の一種として認識されていますが、古流居合や剣術の流派が明治以降に存続が危ぶまれた時に“踊り”として伝承されていった裏事情があるのです。

 例えば、田宮流居合術の先代宗家である妻木正麟先生は田宮神剣流という剣舞を主体とする流派を継承されていて、田宮流の正統嫡伝が途絶えていたことを憂いて居合術の名門である田宮流の再興を祈念して田宮流を名乗られた・・・という経緯があったと聞いています。

 妻木先生が立派だな~と思うのは、他流の居合師範にも教えを受けにいって技術的な田宮流の再興に努力されたという点でしょう。古流武術の世界に圧倒的に多い名前の権威にばかり固執している人にはできないことですよね?

 青木先生にお聞きしたところでは、剣武天真流のコンセプトをスタッフに説明して理解してもらうのに、えらい苦労をしたということでしたが、仮に武道やっている人だったとしても同じだったでしょうね。

 私は青木先生が剣武天真流を創始する過程を見ていたので、よく解りますが、そうでなければ演武だけ見ても意味が解らないでしょう。

 かつて青木先生が新体道を創始した時、従来の空手道のほとんどの形を分析してエッセンスを抽出して作ったのが天真五相であり、インスピレーションを得て極意として纏めたのが栄光。基礎的心身を作るのがワカメ体操であったり開脚前進、連続反り跳び。

 これらは親和体道(現在は親英体道)の理合を融合した中から武道の根源的理合としてエキスを絞り出したものでした。

 具体的な武技としては新体道棒術や新体道空手、新体道剣術、新体道柔術、新体道杖術などで交叉法と縮地法、読みなどを養成する構成になっていた訳です。

 青木先生自身は気合術や催眠術、ヨガの瞑想といったことを研究しつつ、手裏剣術やナイフ術なんかも研究したらしいですね。

 なので、新体道は一般的には武道らしくないし稽古体系が見えにくいのですが、私にとっては非常に示唆に富んだ優れた武術となりましたね?

 実際、新体道の技だけ使って手合わせしたこともありますよ。「あんなの使えない」と馬鹿にした人に対して・・・。

 結果、その人は放心状態になっていました・・・。

「ねっ? 私みたいにちょっと真似しただけでも、これだけ威力があるんだから、青木先生が弱い訳ないでしょ?」って言っときました。

 で、この新体道と剣武天真流は別々に考えられたものだそうですが、最近は融合してきているように見えます。

 新体道の欠点としては、異常に体力を使い過ぎるように思いますし、だから私も入会はしなかった訳です(陽性気質の人向き。私のように元々が陰性気質の人間だと体力的についていけません)が、剣武天真流は体力の無い中高年が始めても無理なく上達していけるように作られています。

 これは、やはり、青木先生が70歳を過ぎてから創始したという事情とも関連しているでしょう。

 日本刀を使うことに抵抗感を持つ人もいると思いますが、日本刀というのは身体操法を助けてくれる道具として非常に優れているのです。

 私も独己九剣の型を作ったのは、素手では会得できない武術の奥義(読み・見切り・無刀取りなど)を体得するのに手助けになると考えたからでしたが、もしかすると青木先生もそう考えておられたのかもしれません。

 番組は、取材スタッフが“けんぶ”という謎の武道を探る・・・という展開で進みましたが、非常に楽しくドラマチックでもありましたね。

 主人公であるイタリア人二人が昇段審査に挑むも落ちてしまう・・・という展開が、嘘が無くて逆に良かった!

 番組中、武神館に行く外国人を捕まえて、ちょこっと初見先生が紹介されるのも面白かったですが、多分、あまりに多いので今回はパスッてなったのでしょう。

 それにしても、日本のTVメディアは本物の達人を紹介しないでインチキ達人ばっかり紹介する傾向がありましたが、少しは見る目ができてきたのかな~?と・・・。

 BSプレミアムの初見先生といい、今回の青木先生といい、海外で評価されている凄い先生をもっと紹介していって欲しいですね?


 話は変わりますが、東京都知事選、鳥越さんが決死の覚悟で出馬し、宇都宮さんが断腸の想いで断念されたのに、私は何か非常に感動しました!

 男は負けると判っていてもやらなきゃならないことがあるんですよ!

 戦争を知らないボンボンに好き勝手にさせていてはいかん!という老兵の覚悟を見せてもらった気がしますよ。

 権力にくるまって自分の安全しか考えない小市民しかいなくなったと思っていた中、このお二人はカッコイイな~?と思いました。

 保守だの野党だのうるせーって言いたいんですよ!

 私は組織だの権力だのクソみたいなもんに奴隷根性で従う国に未来はないと思います。

 周囲の顔色うかがって自分を殺して生きる人生に何ほどの価値がありますか?

 先日のセミナーの後で、「先生は猪木とアリの番組についてどう思われますか?」って質問されたんです(技術的なことが聞きたかったんでしょうね?)が、「試合なんぞどうでもいい。アリがベトナム戦争の徴兵を断って非国民扱いされながらも“どうして恨みもない人間と殺し合わなきゃならないんだ”と言ってのけた姿勢こそが素晴らしい!」と答えました。

 生前退位を示唆されたという天皇陛下も、同じ考えだと思います。

 民衆を大切に思わない国家観はダメですよ。自国民を護るためなら他国民は殺して構わないんですか?

 戦争の論理は国家が主体であって国民は蚊帳の外。

 でも、天皇陛下は本当に国民のためを考えていらっしゃるんだな~・・・と思います。

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初見良昭先生

 戸隠流忍法体術“武神館”館長として長年指導普及をされてこられている初見良昭(はつみまさあき)先生がBSプレミアムで特集されていました。

 久々に初見先生の技を拝見して感銘を受けました!

 もう触れるだけで相手を固めてしまっていたり、指や拳をちょいっと摘まむだけで激痛を与えてコントロールしてしまう骨指術の様子は、相当に武道をやっている人でもチンプンカンプンで何をどうやっているのか判らないでしょう。

 しかし、私は最初に通った町道場が戸隠流の野口先生の道場でしたから、基本的なやり方は判ります・・・が、あまりのレベルの高さに絶句してしまいましたね?

 合気道やシステマの方がまだ判り易いです。

 流れで相手の重心をコントロールしているからです。

 ところが、初見先生ときたら、相手の流れをプチンと切って固まらせてしまうので、もう、やりたい放題で無人の野を行くがごとし!

 要するに、相手と戦わないで自滅させてしまっているのです。

・・・と解説したところで、真似できます? もう、幽体離脱(アストラル・プロジェクション)して戦っているようなもんです。

 まさしく、虚実を使い分けておられる訳ですが、御自身は虚・虚・虚・・・です。

 長瀬先輩は明確に虚と実を使い分けておられるのが見えるので、技の鋭さと柔軟さが判別できますし、一見、それが判るから初見先生より強く見えるんですが・・・やっぱり、本当に達人を超えてしまうと強いのか弱いのか外見からはさっぱり見えなくなりますね?

 私、ここ何年かでようやく判ってきましたが、本当に武術を極めると形が見えなくなってしまうので、強さも何も外見から判別できなくなるし、俗に言う“内功・内力”でさえ外からは見えなくなってしまう・・・ということに気づきました。

 だから、強そうに見えないし、底が知れない。判らない。だから抵抗できない。

 現実にやられているのに何故やられてしまうのか判らない。だから、コテンコテンにされているのに顔は笑ってしまう・・・。

 FBIや海兵隊、モサド・・・なんかの、普通に戦えば空手や柔道の高段者でも勝てないような猛者が、コントのようにやられてしまいながら痛がって悶えていたり、クニャクニャに固められて苦笑したり、半泣き状態になっている様子は、ここ最近の「世界の人が日本を尊敬している!」路線のヤラセと比べても、圧倒的過ぎて、どう反応していいのか判らない・・・。

 判らない・判らない・判らない・・・???と、無限にクエスチョンマークが続いているような印象で、まさしく、「これが忍法(NINPO)だっ!」という印象でした。

 初見先生は武道武術の世界で、これまで誤解されまくってきました。

 古武術の世界でもインチキ扱いされたり、現代武道の世界からも怪しまれたりしていました。

 しかし、その技の卓越した応用変化の自在性については、実は斯界の第一人者から脅威として見られていたのです。

 一人は、養神館合気道の塩田剛三先生。

 実戦合気道の第一人者と言われ、他流何するものぞ!との気概を示し、かの今武蔵と呼ばれた鹿島神流の国井善弥師範が植芝盛平翁にしつこく挑戦していた時に、「私が先生の代わりに立ち合います!」と申し入れる程の熱血漢だった、あの先生ですよ。

 あの塩田先生が唯一、「戸隠流忍法侮り難し!」と言っていたそうです。

 もう一人は、松田隆智先生。

 中国伝統武術の存在を日本に伝えて、本場中国の武術界から大恩人として尊敬されている松田先生が、私と雑談している最中に、「あの初見さんは凄いよな~。あれだけ自由自在に古武術の技を応用させられるのは大したものだよ」と、突然、さも感心したように言われたのを、私はよく覚えています。

「日本の古武術の凄さを世界中に広めてくれたのは、本当に有り難いと思う」と付け足されていました。

 会ったことは無いと言われていましたが、どこかで演武を見られたのでしょうね?

 それと、もう一人。古武道研究家として活躍されていた高橋賢先生も、私と雑談している時に、「初見先生は凄いね。戸隠流が正当かどうかはともかく、あれだけ技を自由自在に使えるのは大したものだ」と、ほぼ松田先生と同様の感想を言われていました。

 いずれの方も、武術武道に関する見識に関して斯界の第一人者と言える人である点が、初見先生の客観的評価として信用に値するのではないでしょうか?

 私自身、自分で学んだ経験が無ければ、理解できなかったかもしれません。

 そのくらい一般的な武道のセオリーとは逸脱しているのです。

 その逸脱の仕方は新体道に近いかもしれませんが、一見、摩訶不思議ながら実は非常に実用的な護身術として体系立てられている点を見なければなりません。

 そうでなければ84歳の年齢でモッサリと動いていながら屈強な若い武道家をコテンコテンにしたりはできません。

 私は武術の研究家として、日本に戸隠流忍法体術という流儀があってくれて良かった!と、心の底から思っています。

 そして、自分が目指すべき方向は、これだな?と、ぱっと目を開かせてもらえたような気がしました。素晴らしい番組でした!

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青木先生讃寿の御祝い会DVD

 3月6日に青木宏之先生の80歳の誕生日をお祝いする会を撮影していたDVDを天真会から贈って戴きました!

 青木先生が作品(書)を書かれている様子も収録してあり、新体道や剣武天真流の演武や師範の書のパフォーマンスもあり、バースデイケーキを刀(真剣?)で切ってしまう青木先生らしい肩の凝らない内容で、改めてパーティーの様子を思い出しました。

 それにしても、時間の経過するのの早いこと早いこと・・・。

 今年の3月にあったことなのに、もう何年も前のことのように思えてしまうのは、青木先生が常に進化し続けているからなのかな~?と思えるのです。

 DVDの最後に来場者と写っている青木先生の静止画が次々に出てきますが、私も出てきて、「あれっ? いつの間に撮ってたんだろう?」と思いました。

 そういえば、この時にBABの記者の方も来られていて『秘伝』に載るということだったので『セーラー服忍者』も宣伝したんでしたよ!

 青木先生のお陰で記事にしてもらえました。ありがたや~、ありがたや~・・・。

 しっかし、ま~・・・地震は起こるはテロが頻発するや、世界はこれからどうなっちゃうんでしょう?って時代に、私は武術やっていたお陰で、いろんな異能の人とお付き合いさせて戴いて、やっぱり超強運の持ち主だったんだろうな~?と思うばかりです。

 私は本当に権力が嫌いです!

 何でか?というと、人間は権力持ったら人を人とも思わなくなってしまうからです。

 尊敬できる政治家って、全然、思い浮かびません。

 武道の世界も政治的権力志向の強い人が多いですが、青木先生はまったく無い!

 私がまったく無名などこの馬の骨クン状態だった頃から、今に至るまで一切、対応が変わりません。

 だからなんでしょうが、当日、会場に集まった人達は有名無名問わず、皆さん、青木先生の人柄が好きで付き合いのある方ばかりだったのでしょうね。

 青木先生と縁があったことに感謝!と思っているのは私ばかりじゃないでしょうね?


追伸;7月11日(夜6時55分~8時TV東京)の「YOUは何しに日本へ?」に青木先生の剣武会員イタリア人二名様が出演するそうですので、是非、ご覧くださいませ!

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クマ出没の理由

 何やら、野生のクマが出没して事件になっている様子で、私の住む相模原市にも出没している(ラーメン屋のガラスドアにクマの足形が・・・)のだとか?

 この分だと市街地に出てくるのも時間の問題か?と思います。

 本州に住むのはツキノワグマで、北海道のヒグマと比べると全然、おとなしくて人も襲わないとされてきました。

 しかし、今回のクマ騒動では人を襲って食べた形跡があったのだとか?

 要するに、人間もエサだと思ったのでしょうが、以前は、「人間を怖がるから大声で威嚇すれば逃げる」と言われていました。

 何故、人間を怖がらなくなったのでしょうか?

 私が推測するに、狩猟人口が激減したからではないか?と思います。

 日本は銃規制が特別厳しく、狩猟期間も制限されています。

 その中から大型の獣を撃つにはスラッグ弾(散弾銃用の一発弾)を使うか大口径のライフル銃を使わねばなりません。

 鳥や小形の獣を撃つのに使う小粒の散弾銃や空気銃(ポンプ式・サイドレバー式・CO2ガス式)、あるいは標的射撃用の22口径のスモールボアライフルでは仕留められません。

 しかし、大口径ライフル銃の所持(日本でもスナイパーライフルの定番である338ラプアマグナム弾を撃てるライフルが所持可能)は散弾銃所持歴10年を越えないとダメという規制があるので、ベテランしか持てません。

 そんな理由もあるのでしょうが、近年、狩猟人口が激減していると言われているそうです。

 やる人が少なければ経験値も高まりません。

 狩猟は銃を持っていればできるというものではなく、猟犬も必要だし、獲物をさばくハンティングナイフの使い方も知らねばなりません。

 猟場は基本的に山ですから、車も必要です。

 もちろん、狩猟と銃に関する法令も知らねばなりません。

 個人で勉強して揃えるのは困難なので、都道府県の猟友会に入るのが必須でしょう。


 日本では事件が起こると武器の規制が必要だという論調になりますが、もっと多角的に検討して実効性のある対策を考えていかなくてはならないでしょう。

 どうにも、勘違いしているな~?と思うのは、武器さえ持っていれば大丈夫だと思っている人が多い点です。

 武器は道具ですから、使いこなせなければ役に立ちません。

 私、ガラケーからスマホに変えて一カ月経過しますが、基本操作に慣れるのに四苦八苦して北島師範に教えてもらいましたよ。パソコンはまだ満足に使えません。

 カナダなんかでは巨大なグリズリーベア(灰色熊)に対して、大口径ライフルとは別にマグナム弾を使う拳銃を携帯するのが常識だそうです。ライフルが壊れたり、咄嗟に至近距離に迫って来られた時には取り回し易い拳銃が必要だからです。

 ところが、かの有名な44マグナム(一発で象も倒せるとか、車のエンジンを撃ち抜くとか誤解されていた)であっても、実は一発で灰色熊を仕留めることはできないそうで、「五連射して、それでも倒せなかったら最後の一発で自殺しなさい」という冗談みたいな教訓があるそうです。

 でも、実際に六発全弾使って、ようやく熊を仕留めて助かった人もいたそうです。

 これが狩猟の現実なので、ワイルドキャット・カートリッジと呼ばれる自作の弾丸で44マグナム以上の強力な弾丸が作られたりしていたそうですね?

 454カスール(44マグナムの二倍)とか500マグナム(同じく三倍)なんかも元々はワイルドキャット・カートリッジから量産化されたのだとか?

 こういう狩猟用の強力な弾丸からすると、日本の警察官の使うニューナンブやSIGの弾丸では麻薬中毒のマッスル外国人を制圧するのは難しいのではないか?と思われますし、そもそも、訓練しなさ過ぎなので、TVドラマのようにはいかないでしょう。

 警察官の自殺事件がよくニュースになりますが、ろくな備えも無いのに凶悪犯に向かったりしなきゃいけない仕事なんだから、本当に同情しますよ。

「クマが出たから何とかしてくれ」って通報で駐在さんが向かって、拳銃使ったものの、クマが凶暴化して大怪我してしまった・・・なんて事件がそのうち起こるんじゃないかな~?と、心配ですね。

 そういえば、暴れている犬に何発も発砲したといって問題視しているようなニュース番組がありましたよね? 警察官の身になってみろ!って思いましたよ。

 犬や猫だって本気で向かってきたら野獣と変わらないんですから・・・。

 ショッピングセンターで包丁で客を刺したりするような甘えん坊バカなんか、アメリカだったら警備員に射殺されてますよね?

 死にたきゃ~、一人で勝手に死ねばいいんです!

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アフガニスタン・ブシドウ

「アフガンのサムライ」と呼ばれた田中光四郎先生が、インターネットTVで取材されたそうで、動画を拝見しました。

 私は以前、光四郎先生の本を手伝わせていただいた時に資料をお借りしたのでいろいろ見ていたんですが、写真でしか見たことがなかった、アフガニスタンでの光四郎先生がムジャヒディンに武術を教えている様子も見れて、ドキュメンタリー映画のようでした。

 しかし、「武道家として本当の実戦の場に立てた自分は幸せだ」と言いつつ、実際に何人かの人命を奪ったという後悔の念も滲ませたインタビュー映像は非常に重いです。

 旧ソ連軍が突然、アフガニスタンに侵攻し、現地ゲリラ“ムジャヒディン”が迎え撃ったのがアフガン紛争。大国の暴挙に義憤を感じ、単身、義勇兵を志願してアフガニスタンに渡った光四郎先生でした。

 後に“人間の盾”にも志願した光四郎先生は、オウム真理教の地下鉄テロ事件が起こった時にも、教主、麻原を殺そうとしたことがある。

 光四郎先生は、情の人です。世のため人のために自分の人生を捧げたいという願望があって、それを実行する勇気がある・・・。


 日本でも、私の父親より上の世代(90歳以上)は太平洋戦争で戦った人が数多くいました。

 私の父の兄弟の長男は潜水艦に乗っていて魚雷で撃沈されて亡くなっていて、実家に写真が飾ってありました。

 母の家族は終戦まで満州に居たので、日本に帰るのに大変な苦心をしたそうですし、帰ってきたら土地とか大分、奪われてしまっていて、満州時代とは段違いの貧乏生活を余儀なくされたそうでした。

 今の日本人は、祖父や曾祖父の時代の戦争を生き残った人達の末裔だという自覚があるでしょうか?

 私は子供の頃に戦争の話ばっかり聞いて育ったので、「戦争は絶対悪である」という意識が強いです。天草は長崎にも近いですから、長崎で被爆した人も結構いらっしゃいました。だから、戦争映画を英雄的に描く作品には拒否反応がでます。

 今でも世界中で戦争に苦しんでいる人達は大勢います。

 ヒロイズムとしての右翼の主張を私は嫌悪しますが、現実に戦闘の場に居たら、自分はどうするだろうか?と考えると、そうそう簡単に答えはでません。

 光四郎先生の行動が正しいのか間違いなのか・・・私には何とも言えません。

 義の精神は容易に“偽”にすり変わってしまうからです。それは光四郎先生自身も実際は痛感されているのではないか?と思っています。

 私は、新宿の焼き鳥屋で、「私は人を殺してしまった人間です。もう、生きてる価値が無いんです」と、涙をこぼした光四郎先生こそが好きです。

 思想ではなく、人間は“情”で動くからこそ人間なのだと私は思います。

「人を一人殺せば人殺し、何千何万と殺せば英雄」と言われます。

 この言葉が、“大義”の欺瞞性をよく表現していると思います。

 映像を見ていて思ったのは、光四郎先生の悲しそうな眼でした。自分の中の業の深さを持て余した人の眼であり、達観も超然もしていません。悟りなんて美しい言葉とは真逆の、だからこそ、“人間らしい慈愛を秘めた眼”です。

「実戦を体験できたから武道家として幸せ」だと言う価値観は、最早、“狂気”と言わざるを得ませんが、残念なことに私にはよく理解できる。共感してしまうのです・・・。

 本能として闘争を求める欲望が多かれ少なかれ、男には有ります。

 これは女性には理解しにくいところだと思います。

 最近は、この本能が非常に希薄な男も多くなっていると思いますが、社会環境の中で飼い慣らされてしまったと言えるかもしれません。

 沖縄の駐留米軍の軍人や元軍人が女性を襲って殺した事件に関して、TVである人が、戦争体験のトラウマで自己コントロールできなくなった・・・という意見を述べていましたが、これはある程度、納得できる面があるでしょう。

 殺し合いの場に立つことで理性が消し飛び、野獣の本能が剥き出しになってしまう。

 戦争は人の命を奪い、人の心をも殺してしまうのです・・・。

 武道や格闘技も、熱心にやっている人が自制心を失ってしまいがちなのも事実としてあります。そういう実例を沢山見ましたし、私自身も若い頃に「武を極めるには実際に人を殺してみる必要がある」という狂気に駆られた時期があり、その当時を知る親友からは、「あの頃の長野はヤクザ者に見えたよ」と言われました。

 私は実行する勇気がなかった。それが幸いでした。

 今になってから考えれば、社会の中でまっとうに生きられない自分に対する自己憐憫であり、現実逃避だったのだと自己分析しています。

 うちの会入会希望してくる人の中にも現実逃避しようとしている人がいます。武術を極めれば周囲から尊敬され生活も潤うと勘違いしている人もいれば、社会生活そのものを何も考えていない愚か者もいます。

「立禅を修練していると理性より本能が優位になって、野獣のような闘争本能を発揮できる・・・だから“強い”のだ」と説いたりする人は、多少なりとも社会性を失いつつあるのです。

 強さだけ求めていると、こういう発想になってしまいますが、こうなってしまえば、もうまともな社会生活ができなくなってしまいます。理性より本能が優位だというのは危険なことなのです。それを自覚していない。

 重要なのは、「いかに、自己コントロールするか?」ということであり、それこそが本当の武術の極意です。

 映画『椿三十郎』で、「本当に良い刀は鞘に入っているものですよ」と家老の奥方が三十郎を諭すシーン・・・あれが作品の本当のテーマだったのでしょう。

 ラストでライバルを倒した三十郎に若侍達が「お見事!」と言うと、「バカヤロー!」と三十郎は激怒して叱り飛ばしますが、“自分みたいな鞘無しの刀になっちゃいかん”という意味のことを言い残して去っていきます。

 私は、この映像を見ていて、この映画のシーンを思い出しました。光四郎先生は“鞘に納まっていられない刀”なんだと思い至りました。

 そこが魅力でありつつ、下手に触れれば傷つく・・・。他者に向ける憐憫の眼差しは、実は自分に向けられる筈だったのかもしれません。

 生存の理由。生きるための戦い。殺すための戦略・・・。

 死に場所を探すということは、生きた実感を最大限に味わいたいという願望。それは、戦いの中で死にたいという狂気であり、魔的(デモーニッシュ)な欲望です。

 それだけの人であれば、私は軽蔑するだけ。しかし、悲しみを湛えた光四郎先生の眼にこそ、魂の救いが有ると私は思っています。

 いちずにギラギラとした眼で師への尊敬と憧れを口にするお弟子さんには、どうか、光四郎先生の埋めようのない悲しみを見て欲しい!

 どんな理屈をつけようが、人殺しは人殺しなのだという厳然たる事実・・・。

 チンケなヒロイズムで祭り上げたりしないで欲しい!

 その悲しみの情こそが、人間・田中光四郎の真実だと私は思います!

 他意はありません。

 失礼に受け取られるのを承知で、率直に感じたままに書きました・・・。

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震脚で脳震盪は起こらないか?

 陳氏太極拳の安田先生が『秘伝』の連載中で、「震脚で脳震盪が起こったりはしない」という旨のことを書かれていました。

 専門に学んだ方なので、「嘘が広まってもらっては困る!」というお気持ちで書かれたのだろうと推察します。

 ただ、きちんとした先生に学んでいる方だから言えることではないか?と思います。

 震脚と一口に言っても陳氏太極拳だけが行うものではなく、例えば、私は陳氏太極拳は学んだことがなく八極拳を少し練習しただけですが、以前、松田隆智先生からお聞きした話で、大学生に教えていた時に、震脚を打った学生が脳震盪を起こして倒れたことがあったという話でした。その方は知っている方だったので驚きました。

 で、私も研究段階で「下手に震脚をやると脳震盪を起こす危険性がある」という事実を体感したことが何度もあって、「これは姿勢とかやり方とか注意してやらないと危険だな?」と思うようになって注意を促すようにしている次第です。

 安田先生が主張されているように、「まともな先生にきちんと学んでいれば、震脚で脳震盪が起こるようなことはない」のだろうと思いますが、日本で中国武術を学んでいる圧倒的大多数の愛好家は、“まともな先生にきちんと学ぶ機会はほとんど望めない”という現実を視野に置かれていないと思うのですね。

 特に私のようにいろんな流儀を実践研究している者は、“下手な練習”を膨大に積み重ねていく中から真相に近づいていく手法をとっているので、当然のことながら、身体中、故障しまくっています。

 よく、「練習で身体を故障するようでは実戦の時に困る」という中国武術家の意見もありますが、実戦で無傷に済む道理が無く、実戦を想定した練習での傷は勲章みたいなものであって、安全安心なだけの練習を延々と続けていて、急に苛酷な実戦に対応できるものかどうか? 考えるまでもないでしょう。

 十数年前にある中国武術家にケンカを売られて買いましたが、まともにケンカの一つもやったことがない人なのがすぐに判りました。安全安心な練習の中で自分の腕前を勘違いしてしまったのでしょう。後日、その人が全日本チャンピオンだったことを知って二度ビックリしましたが・・・。

 最近は、まともなケンカの一つも経験無いような人達が武術家を名乗っている実例が多い様子ですが、「よく、名乗れるな~?」と他人事ながら心配になります。

 武術の世界は伝統的にヤクザ社会と極めて似ていますから、本当の実戦派武術家はヤクザや秘密結社と兼業だったりすることも、ちっとも珍しくありません。公表しないから知られていないだけの話です。

 ともあれ、そうしたことも含めての経験の中から、私は「こうやったらマズイ。こうやった方がいい」という方法論を常に改善進行中で提供していくようにしている次第です。

 だから、私は「自分のやっているやり方が正しい」という言い方はしません。

 正しいかどうかの判断基準は結果オーライであり、権威主義的な正解とは固定観念の枠から永遠に出られない代物でしかありません。

 私は自分の研究を既存の武術観や武術理論に対する脱構築だと認識しています。斯界で言われている正解をすべて疑って実験検証していく作業が必要だと思っています。

 その作業の中から、「真剣白刃取りは不可能。実際の無刀取りとは違う」とか、「日本刀を逆手持ちで斬ってもちゃんと斬れる」とか、「背負太刀の抜き納めは左肩越しでないとできないというのは嘘。練習すれば右肩越しでもできる」・・・といった斯界で常識とされていた事柄を検証してきました。

 どうしてか?というと、百の流派があれば百の正解を主張するものだからです。

 つまり、本当に正しいのがどの流派か? どの先生が正解を知っているのか?

 こうしたことは皆目わからない。正解に迫るには権威者の発言を疑って、自分で実験検証していくしかありません。

 仮に、真の正解を知っている先生がいたとして、それをそのまま弟子に伝えるかどうか? 私は大いに疑問です。

 武術家は聖人君子ではなく、「包み隠さず何でもお教えします」と言っている先生が、実際は嘘はっぴゃくで金儲けしか考えていなかったりするからです。

 特に日本も中国も伝統武術の世界は秘伝だらけで、金さえ払って熱心に練習していればすべて教えてもらえる・・・なんて甘い考えはまったく通用しません。

 構造的に嘘を教えて飼い慣らしておき、「これは!」と思える弟子一人だけを選んで極意相伝するというのが“常識”だからです!

 無論、何人もの伝統武術修行者から、「そんなことはない! 昔はそうだったかもしれないが、現代では包み隠さず何でも教えてもらっている!」と反論されたことが何度もありました。

 ところが、そう言っている人の実演を見ると、本人は得意満面に「これが正しいやり方だ」と披露しているのですが、私から見ると、ものの見事に型の形式だけしか教わっておらず、技を崩して応用変化させて用いることや、基本となる戦闘理論がゴッソリ抜け落ちているのです・・・。

 つまり、カモにされて大金をふんだくられながら、嘘を教えられていた訳で、“騙されていた”のですね。


 話を戻しますが、私がまだ武術雑誌のライターをやっていた頃、「物凄い発勁を披露する先生がいたけれど、突然死してしまった。どうやら震脚のやり過ぎで脳にダメージを負ってしまったらしい」という話を聞いたことがありました。

 もちろん、安田先生が嘘を言っている訳ではなく、正しくやれば脳震盪は起こらないのでしょうが・・・さて、そもそもの話、正しくやれる人がどのくらいいるでしょうか?

 上手い人に共通している誤解は、自分を基準にして考えるので、下手な人、できない人が、「何故、うまくできないのか?」を理解できない点です。

 例えば、「立禅で頭がおかしくなるなんてあり得ない」と言う先生もいますが、それは御自分の周囲にいなかっただけで、実際に立禅をやっていて性格が豹変したり感情が激し易くなったりする人は結構な比率でいます。

 以前、立禅を中心に修行する流儀の師範格の人が浄霊をすると言って女子中学生を親の目の前で犯す?という信じられない事件がありましたが、このような常軌を逸する行動を是認させてしまうのが立禅も含めた瞑想系修行によって陥る“魔境”の恐ろしさです。

 この点の危険性をまるで考えていない人が多過ぎます! 甘過ぎる!

 特に、いくつかの流儀を兼修した人はそうなる確率が高いようですし、熱心にやっている人ほど発症率が高くなる現実があり、心ある人達の間では問題視されているんです。が、公に注意を促したりすれば生徒が減ってしまいかねないから、良い効果しか発表しない訳です。

 これは本を書く時の注意点としても、「本は宣伝のために書くものだからマイナスになる要素のことは書かないでくれ」と言われる場合が多いんですよ。

 でも、そんな裏事情を知らないから、空虚な綺麗事の理想論を読んで、「何て素晴らしい先生なんだ!」と信じてしまう人も多い訳ですね。

 世の中で苦労を重ねた人なら、文章の裏を読む(洞察する)ことができるでしょうが、まあ、読解力の無い人は大勢いますからね~?

 救いようがないのは、「立禅は最高ーっ!」とハイになった目で叫びながらやっているような人・・・完全に“ポン中”ですよ。

 以前、清原の事件の時に覚醒剤の作用についてTVのワイドショーで解説していましたが、覚醒剤はSEXの時の快感の十倍も気持ちいいと数値化されていて、「なるほどな~? こりゃ、やめられん筈だな~?」と、苦笑してしまいました。

 淫祀邪教と言いますが、武術も熱狂的にやっている人間にとっては宗教と同じ。

 独善と排他。自分の信じるものだけが全てで、他所は間違い・・・。

 判断基準がこれだけ!

 笑っちゃいますよ。「勝手に信じてやっててください」って言うしかありません。


 それと、ちょっと気になったのは、震脚は具体的な技には応用できないみたいに安田先生は書かれていましたが、これも疑問です。

 武術である以上、一つの目的のためだけの動作であるとは思えません。いくつもの目的が複合的に作用して相乗的に効果を高めるのが武術の術理である筈です。

 実際に八極拳の震脚を応用していくつもの武術用法を考案しましたが、套路の動作の中に組み込めば無限大に応用していけると私は考えます。

 以前、ビデオで見て、竹内流にも無双直伝英信流居合術にも空手道にも震脚のようにズシンと足を踏み締める動作を確認し、「はは~? これは中国武術の専売特許という訳ではないな?」と直感して研究してみたことがあります。

 陳氏太極拳は非常に優れた武術だと思います。安田先生も非常に優れた技量をお持ちの先生だと拝察します。生前の松田先生からもお話をうかがったことがありますし、中国武術の世界で一種独特のポジションを確立している方だと尊敬しております。

 しかし、だからこそ、自流の価値判断にのみ頼むのではなく、他流の良さや他流に打ち込んでいる人達の研鑽に想いを馳せて戴ければ、本当に有り難いことだと思います。


 さてさて・・・これまた余談ですが、今回の論考にも参考になると思うので書きます。

 横並びにしたマキワラを試斬する大会?の様子の動画を練習の時にスマホで見せてもらいました。

 が、足場を固めて、しっかり刀を振りつつ、失敗する人が続出していました。

 誰も彼も力み返って刀を振っているのと、足を踏ん張っているのが失敗する原因ではないか?と思いましたが、皆が皆、そうやっているということは、それが正しいやり方なのだと教育された結果なんだと思いました。

 マキワラが一本なら、それでもいいでしょうが、横並びのものを斬る場合は、刃筋が最後まで通らないといけないので、足場を固定してその場で身体を回転させるのではなく、横にスライドするようにして刃筋を持続的にまっすぐ通すようにしないと斬れない筈。

 非常に単純化した論ですが、要は“力がどう作用すれば、技としての効果が発揮されるか?”という点から考えないとダメです。

 私は試し斬りは、文字通り、頭で考えたやり方が正しいかどうかを検証するためにやっています。斬ることが目的でやっているのではありません。

 寸勁斬り(ネーミングは故・佐藤貴生先生!)も、重心力の集中で力を真っすぐ通す訓練として考えたもので、この練習によって通常の打拳の浸透勁のコントロールも向上しました。

 あるいは下段手刀払いを人さし指一本で実施して廻し蹴りを払い落とすこともできるようになりました。

 つまり、重さの乗せ方と力が働く面積の縮小化ができてきたという訳です。

 もう十年くらい経過しましたが、直感的に始めた独己九剣の稽古が、刀を使わなくとも同等以上の戦闘力を発揮できるようになってきた・・・という次第です。

 直感というのは凄いですね? まさか、ここまで研究が進むとは私自身も予想外です。

 奇しくも、『刃牙道』で宮本武蔵が無刀(素手)で二天一流を実施するという描写とリンクするような研究になってきて、その意味でも『刃牙道』の今後が非常に楽しみなのですが・・・。

 甲野氏経由の若手研究家の方も増えている様子ですし(広い意味でいったら私もそうなるのか? 嫌だな~・・・)、うちも若手のレベルアップっぷりは異常なくらいです。

 時代によって変わる面と、時代を超えて伝承される不変のもの・・・その両方を上手く機能させて後進にバトンタッチしていくのが、もう若くはないけれど年寄りでもない私の世代の責務なんだろうと思います。

 少なくとも、もう「ナントカ流が最高!」とはしゃいでいる幼稚な時代は終わったのです・・・。

 21世紀は、「武術によって、人間はどこまで進化していけるのか?」というのがテーマだと私は直感しています・・・。


PS;熊本大地震の義援金集めのためにDVD半額セールを実施してきましたが、一応は落ち着いてきているみたいですので、六月一杯で終了させて戴きます。御協力ありがとうございました! また、最新作『交叉法2』の割引セールも六月一杯とさせて戴きます。七月から通常価格となりますので、御希望の方はお早くお申し込みください!

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おのれの分際をわきまえよう

 アイドルをストーカーして刺した男の事件は、本当にホラー系Vシネマみたいな話でしたが、アイドル乱立の現状からすれば起こるべくして起こった事件という気もします。

 ドルヲタの男の中には現実に誰とも付き合った経験が無くて、アイドルに金をつぎ込むことでライブ会場で握手したりお喋りしたりできることに対して、キャバクラのホステスに入れ込むサラリーマン以上に疑似恋愛妄想に陥る人間がいるんじゃないのかな~?と、前々から思っていたんですがね。

 事件を起こした男は、どう見ても女性にモテる顔ではないし、その上、性格も悪そうです。「僕はブサイクだから相手にしてもらえる筈はない。だからプラトニックな関係だけでいい。それだけで幸せなんだ」と、アイドルの成功と幸せを願うような謙虚な性格だったら良かったんでしょうけどね~。

 人間も生物学的に優秀な遺伝子を求めるものですから、美しさや強さ、頭の良さ、人柄の良さを求めるのが当たり前なんですよね。

 差別は良くないと言っても、わざわざブサイクで弱くてバカで性格の悪い相手を選ぶ人は滅多にいないでしょう?

 そもそも、そんなに完璧な人間なんかいない。

 だから、整形してでも美しい外見になろうとしたり、武道や格闘技に熱中したり、勉強したり、宗教や自己啓発セミナーに入ったりする訳ですよ。

 最も一般的なのが“勉強する”こと。

 その他のことは、あまり効果的ではありません。

 私も、武術というより、武術に関して膨大に勉強したことが役立っているんですよね。

 今も作家として歴史のこととかいろいろ勉強しなきゃいけないからやっているんですが、つくづく人間にとって重要なのは“勉強し続けること”だと思います。

 武道の世界では「バカになれないとダメだ!」なんて言われてきましたが、バカでは一流になれません。

『空手バカ一代』の主人公、大山倍達先生も、実際は非常に理知的で従来の空手界の権威に対抗する直接打撃制の試合方式を提唱して世界的な組織化を果たしました。

 ブルース・リーが欧米でいまだに尊敬され続けているのも、彼の武術理論が思想的に優秀だったからでしょう。

 日本の武道界は、理論や思考、思想をないがしろにして思考停止した“愚直なバカ”を礼讚する気質があったことが足を引っ張っていると思いますよ。

 例のストーカー刺傷事件を起こした男が柔道をやっていたという点。柔道関係者はどう思っているのでしょう?

 本来の柔道は、「精力善用・自他共栄」を旨としていると言われますが、この男は「精力悪用・自己中心」でしかありません。

 このような人間を出してしまったことに対する柔道界からの反省というものがあるのでしょうか?

 類似の事件が前にもありました。

 付き合っている女性の子供を暴行して殺したヤクザの男が元フルコンタクト空手のチャンピオンだったという事件・・・。

 こんな糞馬鹿に武道や格闘技を教えるのはキチガイに刃物を持たせるに等しい。

 教える以上は性格を矯正させる教育が必要でしょうが、果たして、そこまで考えている指導者がいるのかどうか? 私はかなり懐疑的です。

 要は、指導者の人間性に左右される問題で、システムとしての教育過程は存在していないに等しいでしょう。

 じゃあ、どうすればいいのか?

 中学校で武道教育を義務化しようとなった時に、およそ効果が望めない現実に唖然とさせられたものでしたが、まずモデルケースとして、そのような教育システムを実験検証するプロジェクトチームを個別にやっていくのが良いでしょう。

 言い出しっぺだから、私は今後、游心流の中でそういうコンセプトを立ちあげてみようと思います。

 システム化できるかどうかは判りませんが、それができる指導陣を養成できれば不可能ではないでしょう。将来的に・・・。

 まずは、「護身術」に関する点ですね。

 柔道をやっていた巨漢の男でさえ、華奢なアイドルを殺すのにナイフを使ったという点を、よくよく検討しなければなりません。

 普通に武道や格闘技をやっている人間は、自分の学んでいる技をそのまま使おうと考えるのですが、もし、本気で殺すことを考えた場合、意識的にか無意識的にかは不明ですが、確実に殺せる刃物などの武器を準備するということ・・・ここが肝心です。

 普通の武道では対ナイフなどの訓練をしません。なので、対処法を知りません。

 ここが致命的な欠陥であることを自覚しなければなりません。

 日本ではナイフの事件が起こるとナイフを規制する方向へ論点が向かいますが、凶器を遠ざければいいという問題ではなく、事件を起こす者は別の凶器を用意するだけの話なのです。

 現実的に、暴走車が何人もひき殺しても車が規制されることはありません。

 車の事故で一定数の犠牲者が出ていても、社会構造的に車を禁止する訳にはいかないからです。

 で、護身用にナイフを持ち歩けば、それ自体で罪に問われてしまいますから、暴漢のナイフにこちらもナイフで対抗することはできません。

 となれば、日常的に持ち歩ける物を護身用の武器に転用するしかありません。

 カバンは楯になり得ます。ビジネスバッグや革のハンドバッグをナイフで突き抜くのは意外に難しいものです。

 ベルトは鞭のように使えます。ネクタイは相手を後ろ手に捕縛するのに使えます。

 玄関のドアキーは握り込んだ拳から突き出せばパンチを必殺パンチに変えます。ヤクザがデカい指輪をはめているのも同様の理由です。

 革靴やウエスタンブーツ、エンジニアブーツなども蹴りの威力を高めます。ハイヒールは電車内の痴漢撃退に有効です。

 催涙スプレーの代わりにスプレー式の化粧品なども目に直接噴射すれば一時的な目潰し効果が望めます。

 ただし、中途半端な攻撃は過激な反撃を食らう危険性もあります。やるなら瞬間的に急所(目玉・金玉)を狙って潰すつもりでやらねばなりません。

 そして、ダッシュで逃げながら周囲に助けを求めるか警察を呼ぶ。

 仮にやり過ぎて殺してしまったとしたら、“必死で抵抗しただけで何も覚えていない”と力説する。あくまでも被害を受けて正当防衛をしただけである点を主張しなければなりませんし、事実、そのように振る舞う必要があります。

 後、護身術で重要なのは、諦めないこと!

 相手が武道や格闘技の使い手であろうが、複数であろうが、武装していようが、冷静に状況を分析すれば必ず付け入る隙があります!

 例えば、武道や格闘技というのは戦い方が固定していますから、まったく違う戦い方をすれば対応できなくなる欠点があります。

 格闘競技には向かない合気道や中国武術が、護身術では意外に優秀であるという事実も特筆しておきましょう。

 自分が素手で武器を持っている敵と戦わねばならない時はどうするか? 敵の武器を奪って使えばいいのです。

 そのためには日頃からいろんな武器の使い方を知っておく必要がありますが。

 どうしても自分が戦えない場合。この場合は戦う能力のある人に護ってもらうしかありません。

 ストーカー被害に悩まされている女性は、武道や格闘技の道場やジムに通って、人柄のいい人を選んで付き合うことをお勧めします・・・。

 以上、御参考になれば幸いです・・・。


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『セーラー服忍者』相模原上映会感想

 5月22日(日)は相模原メイプルホールにて『セーラー服忍者』(併映『いちごジャム』)の上映会を開催しました。

 来られる予定だった青木先生から予定が立たないという連絡があり、かなり参加者が減ってしまいそうだな~?と心配でしたが、そこそこの人数の御来場者があって、まずまずの上映会になったかな~?と思います。

 とにかく苦労して撮った作品なので、より多くの人に観ていただきたいと思っていますが、劇場での公開は予算的にキツイので、これでひとまず、上映はお休みさせていただきます。

 ブルーレイ、DVDの発売は、来年春以降になりそうなので、それまでにイベント的に上映会を開きたいところですが、その時は告知しますので、宜しくお願い致します。

 御来場いただいた皆様、ありがとうございました!


・・・と、気分良くシメるつもりだったのですが、帰宅してから観てくれた友人からいきなり怒りの電話を受けて、面食らってしまいました。

 打ち上げの席で、その人の習っていた武道の先生を私が侮蔑したのが“絶対に許せない”ということでした。

「あ~、以前もこういうことがあったな~?」と思いました。それも二度。

 何だか頭に血がのぼってる感じで一方的に文句を言われたので、謝るしかありませんでしたが、ちょっと言い訳を書いておこうと思います(もしかしたら、これを読むかもしれないので)。

 私は、侮蔑した訳ではなく、その人はいつも自分の習っていた先生と流派の自慢話をするのですが、既に自分は道場を辞めてしまっており、強くなることを諦めている様子なのが気の毒に感じていて、「世の中は広いから、強い人、優れた武術家はいくらでも居るし、君だって今からもっともっと強くなれるんだよ!」と、以前から彼に言いたくてたまらなかったのですよ。

 師匠を敬愛するのは否定はしませんが、アンタッチャブルに祭り上げる態度は本人の向上を心理的に阻んでしまうのです。

 私がいろんな技を独自に体得していった一番の理由は何か?

 優れた師範に出会う度に、憧れると同時に「この先生と戦う時にどうやったら勝てるだろうか?」と常に考える習性があったからです。

 憧れているうちは先生の技の真似まではできても、決して超えることはできません。憧れとは、心理的に「超えたくない。超えるなんておこがましい。不遜な考えだ」というストッパーが働くからです。

 むしろ、「このヤロー、絶対超えてやる!」くらいの気持ちが無いと武術修行者としての上達の見込みはありません。

 何故なら、超えることを考えていれば、先生の技を一面ではなく多面的に観察し、分析して長所と短所を導き出すことができるからです。

 実際に、一角の名を成す人物というのは、こういう思考法を持っています。一流の人間ほど人格的には偏っていたりします。その偏りがあるからこそ、常に精進し続けられるのであって、円満な性格の人間が修行者としては二流止まりになるのも、すぐに満足してしまうからでしょう。

 無論、超一流となると話は別で、徹底的に修行し尽くした後に無我となったのでしょうが、そこまで行ける人はやはり異能者で、凡人はあがきにあがくしかありません。

 師匠に限らず、他者への敬愛を語るのは素晴らしいことだと考える人が多いでしょうが、聞かされる側はウンザリするだけです。新婚の友人のノロケ話を聞かされて楽しめますか? 「結婚したのは間違いだった~!」と落ち込んで見せた方が得ですよ?

 例えば、ひたすら自分の師匠の凄さ、素晴らしさを称えるだけの文章と、師匠への尊敬と憎悪、嫉妬がないまぜになった文章のどちらが第三者に強い印象を与えるでしょう?

 私は、前者を読むと吐き気がしてきます。嘘臭くって、気持ち悪い・・・「カルト宗教の機関紙かいな?」と思える。

 後者を読むと、「そうだよな~。そういうもんだよな~、人間は」と共感できる。

「人の不幸は蜜の味」・・・これが凡人の心理に共通する定理ですよ!

 人間は、酒を飲んで本音が出ると、大抵、他人の悪口ばっかりになります。しかし、それが本音であるのなら、その状態は嘘が無い極めて誠実な状態なのです。

 私が、美しい言葉ばかり口にする人が信用ならないのも、本音を隠していると思えるからです。毒舌の人だと他人に悪く思われることを恐れていないから、実際は真っ正直な人でしょう。

 いつも真面目な人が悪酔いして人格が豹変し、後から酔いが覚めて、ハッ?と気づいて自己嫌悪に陥る・・・これが人間の味というものですよ。

 マスゾエさんとノノちゃんを比べたら、ノノちゃんの方が断然、魅力的でしょう?


・・・で、彼は、この時もまた自分の師匠の自慢話をし出したので、私は“気持ちが悪くなってきて”、「ごめんなさいね?」と断っておいて、挑発的に「あなたの先生でも~~さんには勝てないよ」と言ったのです。

 本当は続けて技術論的、心理作用的な理由を説明するつもりだったのですが、彼は何も言わないので、「~~流の先生たちでも~~さんには勝てないよ」と続けて言ったのですね。

 やはり、彼は反論しませんでしたから、それ以上は言いませんでした。

 が、彼は内心では腹を立てて、帰る途中で怒りが倍増したということなのでしょう。敬愛する師匠を侮辱されたという“曲解”が自尊心を傷つけた様子です。

 その場で言わなかったのは、私の身内の前で私に恥をかかせたくなかったからだと言ってました。が、これは言い訳でしょう。面と向かって私を怒らせてはマズイと思ったのが本当のところだと思います。

 しかし、私だったら、その場で言いますね。「それってどういう意味? 俺の師匠を侮辱するんだったら、俺にケンカ売ってる訳だよね? 当然、覚悟してるよね?」って喧嘩吹っかけます。というか、こういう具合に喧嘩?したことが何回もあります。

 私は性格が悪くて無礼なのではなく、思ってることをはっきり言いたくなる性格なだけです。

 電話で彼も言っていましたが、「戦ってみなければ解らないのに、何で、どっちが強いか解るんだ?」と言う人も武道・格闘技の世界には多くいます。

 これは一見正しいことのようですが、正解ではありません。

 戦力や弱点を分析すれば戦わなくともほぼ解る・・・というのが戦術論の基本です。

 もちろん、マグレ勝ちやラッキーパンチというものもありますから、強い方が必ず勝つとは言えませんし、勝負の行方は論理では測れない面があります。

 けれども、200m離れてスコープ付きライフルとピストルで撃ち合ったとしたら、どうなるでしょう? ピストルで200m先を正確に狙う照準器はついていませんから、ほとんどの場合、遠距離を正確に狙い撃てるスコープ付きライフルを持っている方が勝つでしょう。

 武器の機能や戦力の差で決着がついてしまうのですね。

 武道や格闘技をやっている人達の大半が、このような思考法を持っていません。だから、「戦ってみなければ解らない」と平気で言うのです。

 漠然と、「どっちが強いか?」としか考えられないのです。

 しかし、武術の世界では、「パッと会った瞬間に勝てるかどうか判らないようでは武術はモノにならない」と言われます。身体的な戦闘力よりも洞察力が重視されるのです。

 親しい合気道の先生も、「実際に手合わせしないと解らないようでは命がいくつあっても足りませんよ」と笑っておられましたが。

 どれだけの実力者でも、その本人が自覚していない弱点を狙われれば、実力を発揮することもできないままコロリとやられてしまうものです。

 身体の隙、動きの隙、呼吸の隙、意識の隙・・・実は人間“隙だらけ”なのです。

 そして、自分は強いと思っている人ほど、自分の弱点(隙)に気づいていません。と言うか、考えたことも無いでしょう?

 私は、彼が武道を諦めていながら、かつての師匠への過剰な憧れを吐露することに違和感が拭えませんでした。憧れることで強い師匠に自分を自己同一化して考えているのですね。諦めているから、そうなるのです。要は、“依存”です。

 しかし、武道・武術・格闘技は他人の実力は関係ありません。自分がどれだけできるか?ということだけが肝心なのです。

 なので、私は自分がどこまで向上できるか?が第一の関心で、その次に弟子がどこまで向上するか?を目標にしていて、尊敬する先生も何人もいますが、基本的には超えるべき目標でしかありません。私は信仰心ありませんからね。

 以前、俳優をやっている会員の千葉さんと久しぶりに会った時に、「先生は立派です。弟子の仁平さんが自分よりずっとレベルが高いと平気で言えるのは素晴らしい。普通は嫉妬したりするものでしょう」と感心した風に言うので、「嫉妬しない訳ないじゃ~ん? 本当は妬ましいけど、それ言ってたらカッコ悪いじゃ~ん?」と答えたら、ズッコケてました。

 ただ、私が偉いところは、“事実に関してごまかさない”というところですかね~?

 事実、仁平師範が総合的に私を超えているから、そう言っているだけの話です。が、例えば、歩法のスピードとか、ギャグのセンスとか?部分的にはまだ私の方ができるところもあります。

 けれども、それも時間の問題で仁平師範はあらゆる点で私を超えていくのが一目瞭然ですけど、単なる一武術家ではなく、武医同術の遣い手として武術の歴史を変革した人間として名を残せる人材だと思うので、それをサポートしたいと思ってますよ。

 ちょっとお名前は出せませんが、武道の世界では誰もが知っている有名な師範が身体の故障に苦しんでおられたのを、仁平師範が治療して治してさしあげたらしい。その師範は武道界の宝と言うべき方ですから、これからも長く活躍されないと大きな損失になってしまいます。仁平師範は、よくやった!と、私はこんな嬉しいことはありませんよ。

 だから、私は武術研究家と作家(できれば映画Pも)に専念して残りの人生を送るつもりです。武術は道楽で続けますけど、やっぱり作家だけで食えるようにならねば!

 ちなみに、達人になるのは理由があります。素質や才能とは関係ありません。誰もが仁平師範のようにはなれないでしょうが、私と同程度のことは教えれば誰でもできます。

 正直言うと、私は他人に教えるのは嫌なんですよ。生活費稼ぐために仕方なく教えているだけです。でも、金取ってる以上は、しっかり教えないといけないと思ってます。

 武術は知識がある方が圧倒的に有利になります。持って生まれた強さではなく後天的に得る様々な知識によって弱者が強者に圧倒的に勝てる!

 それを文句言ってきた彼にも理解させて、「あ~、自分でも上達できるんだ!」と感動させてやりたい。そのためには過剰な師匠愛を切り離して物事を客観的に水平に観察することが必要だと考えて、わざと挑発的なことを言ったのです。

 もちろん、彼が怒って「実証してみせろ!」とかつての道場の先輩を引き連れて道場破りに及ぶことも想定内ですよ(似たようなことやらかしたヤツがいました)。

 私は40年もやってるんですから、勝算が無くて、自慢話するようなぽっと出ではありません。彼の学んでいた流儀は私もやったことがあるので、特徴は熟知していますし、弱点も研究し尽くしています。はっきり言って、致命的な弱点があるんですよ(ヒミツ)。

『刃牙道』風に言うと、「確かに強いが、武ではないな・・・」ということです。

 このような次第で、私は彼に教えてあげたいと思っただけで、侮蔑する意識など金輪際無かったのですが、私が思っていた以上に彼の依存性が強くて、反感を強めただけでしたね。

 彼の欠点は自尊心が強過ぎることです。口では自分の弱さを吐露して見せながら、かつての師匠への盲目的な敬愛の念を口にする時点で、背伸びして見せたがる。私に対しても露骨に対抗心を燃やします。それは本当は、まだ強くなることへの未練があるからなのを自覚していません。道場は辞めたけれども、まだ未練が残っているのです。

 要は、自分の本心に蓋をしてあれこれ理由を付けて自己憐憫に陥っているのを自認できていない。

 簡単なんですけどね~? 「俺は本当は強くなりたいんだよ!」って言えばいいだけなんですから・・・。

 こういうことを書いているのは、過去に同様の誤解をして敵意を剥き出しにしていた人が、何カ月も何年も経過して、突然、連絡してきて「長野さんの言っていた通りでした」と言われたことも何度もあるからです。

 今、現時点で「長野さんは何て性格が悪いんだ! 絶対、許せん!」と思ってもらっても一向に構いませんし、むしろ、そう思うような気持ちの強さが無いと本当に負け犬になり下がってしまうでしょう。

 やっぱり、「悔しい」とか「こんチクショウ!」という感情は向上心に繋がるんですよね。私は、ずうっと、そういう負の感情を燃料にして頑張ってこれましたから。

 武術業界で私が一番売れてるのに専門誌が取材に来ないのは何故か? 偏見もあるでしょうが、一番の理由はジェラシーでしょう。「こんなオタク野郎をのさばらせてたまるか?」と思ってる人が何人もいる訳ですよ。

 でも、それが私のやる気スイッチになってるから、いいんですよ! 超売れっ子になって厭味言いまくってやるのが楽しみなんですよ。

 人格円満で誰にでも好かれる八方美人は、何故か一流にはなれません。

 そういう意味で、「俺は長野さんを絶対に許さない!」と宣言した彼は嫌いになれません。それでこそ、武を学ぶ資格があるんですよ!

 あっ、そういえば、私が松田隆智先生に意見した(噛み付いた?)時の松田先生も、こんな気持ちだったのかもしれない・・・?

 結局のところ、人間は自分が体験して骨身に染みたりしないことには信仰心からは覚めないものです。

 かく言う私も、お恥ずかしいことに甲野氏を二年間は信じていましたから・・・。

 不思議なもので、信仰心というのはいつかは崩れるものですよね?

 ある先生を生涯の師と崇めて尊敬していたのに、その先生の二面性を知って、すっかりバカバカしくなってしまったこともありました。

 武術家は聖人君子じゃないですよね?

 しかし、そういう経験が私自身の今に繋がって財産になっているのだと思います。

 その意味ではプラスもマイナスもありません。良いとか悪いというのは自己の都合でより分けているだけです。

 信じる信じないではなく、理解するかしないか?

 本当に理解したら、怒りとか憎悪とかではなく、「ふ~ん、そういうことか?」と納得するだけで感情がささくれだったりはしないものでしょう。



 話は変わりますが、柔芯体メソッド稲吉先生がお弟子さんを連れてバルセロナ・ダンス・アワードに行かれるのに、クラウドファンディングで資金援助される方を求められているそうです

 私も少しばかりは援助させていただこうと思っていますが、昨年、日本人初の三冠に輝く快挙をあげられた稲吉先生です。日本人の素晴らしさを世界に注目してもらうチャンスですから、是非、お志しを賜れば・・・と友人として願っております!


 また、さらに話は変わりますが、高瀬先生のツイッターで怪我をして後遺症に悩むスタントマンの方について、(製作側が)あまりにも心ない対応をされている点を憤られるコメントをされていました。

 本当に私も身に染みます。

 何故なら、昨年の『セーラー服忍者』の撮影中、やはり事故が発生してしまい、プロデューサーとして事前準備が足りなかったことを痛切に反省させられたからでした。

 スタントの仕事に怪我が付き物なのは当たり前でしょう。が、それを自己責任の一語で済ませられるでしょうか?

 肉体が資本の仕事をしている人にとって、怪我はある程度覚悟の上でしょうが、後遺症に苦しむ人を労災としてできる限りケアしようとするのは雇う人間の誠意と良心の問題です。

 私は後日、お見舞いをした後、丁寧な御礼状を頂戴しましたが、大事に至らなかったから良かったものの、取り返しがつかないことになっていたらどうすれば良かったのか?と、冷や汗をかいたものでした。

 同様に、数年前に武術セミナーの最中に起こった事故の時も、救急車を呼んだり、終わってから病院へお見舞いに行ったら、集中治療室に入られていて茫然としたものでした。

 聞くところでは、何とお子さんが生まれたばっかりなんだそうで、もし万一の事態になったら、私はどう償っていけばいいのか?と、動揺しまくりでしたよ。

 この時も大事に至らず、怪我された方も退院してから一度来られましたが、本当に、ちょっとした弾みで事故は起こるもので、注意してし過ぎることはないでしょう。

 高瀬先生はお立場上、多くのスタントマンやアクション俳優を護らねばならない方ですし、想像するに、心無い言葉を浴びせるプロデューサー、監督にも何人も出会っておられるのでしょう。

 侠気(おとこぎ)という言葉はもはや死語に近いかもしれませんが、失わずに持ち続ける人間が今ほど必要な時代はないように思います。

 高瀬先生のように外柔内剛の人であって欲しいですが・・・(ピラピラのチンピラチックな態度を侠気と勘違いしている人もいるからな~?)。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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