コンテントヘッダー

連絡専用ブログ「游心流武術健身法 インフォメーション」

セミナーや稽古会の予定、DVD、商品関連等の情報については、こちらのブログをご覧ください。
最新情報も掲載してます!)

游心流武術健身法 インフォメーション

スポンサーサイト
このページのトップへ
コンテントヘッダー

事務連絡 : DVD割引セール 03/31まで

● DVD割引セール 2017年03月 ●
2017年最新の新作DVD 『化勁の極意』  早期予約割引

・対象DVD : 新作DVD『化勁の極意
・価格 : 20,000円 2017/03/31 23:59までの申し込みで 15,000円 
・期間 : 2017/03/31 23:59 申込みまで
・申し込み方法はこちらの下方をご参照ください。

・内容:(ブログ記事より);遅くなりましたが、三月のDVD割引セールは、今年最新の新作『化勁の極意』とします。前作が攻撃技の極意たる0インチ打撃についてだったので、「打撃技、特に0インチ打撃に対して無力化する防御法」をテーマにしたいと思っています。これまた、あまり公開したくはないんですが、危険性の高い攻撃技を発表した以上は、それに対抗する防御法も発表しなければならないな~?と思った次第です。何か、矛と盾で、矛盾しているみたいですけど、大切なことですからね? また、いつものように三月中に申し込まれた方は2万円のところを1万5千円(税込み)とさせていただきます。原理的にはシステマっぽくなってしまうんですが、恐らく、システマでもやらないであろう?という誰でも簡単にできるやり方も収録しますので、御期待ください。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

ついに縮地法を使う人が出た

 女子マラソンで“忍者走り”で大活躍したというのが話題になっていて、私も小説の師匠から感想を聞かれたのでスマホで見たんですけど、両手を振らずに垂らしたまま走るというのは、要するに、体幹部の重心移動を駆使して身体を進めていっている訳で、典型的な縮地法のやり方でしたね。

 腕を振らないことで上体のツイスト運動を制限し、胴体を前に押し出すようにして速力を出し、足はそれについていくだけ・・・。

 かつての“ナンバ走り”をより先鋭的に進めた感じでしたね。

 これは恐らくトレーナーの方が研究した結果なんでしょう。

 従来の腕と脚を大きく振ることで速力を出そうとする走り方は筋力の強化に頼った訳ですが、この走法だと筋力に頼らず胴体を押し出す時の体内の重心移動を速くすれば、理論上、いくらでも速力をアップできます。

 ただし、アップさせ過ぎるとストップさせるのが難しくなるので、一瞬で脚を破壊してしまいかねない危険性も出てきますね。

 下り坂を加速度つけて駆け降りていくようなものです。

 それでも、重心移動のエネルギーを駆使する運動理論が工夫されてきている証拠だと思えば、誠に結構なことだと思います。

 第一、見ていて実に面白かった!

 マラソンがこれだけ面白いと思ったのは久しぶりです。

 これは異種格闘技戦の面白さに通じますね?

このページのトップへ
コンテントヘッダー

三月セミナー下丹田感想

 年が明けて早くも三月・・・。今度はお花見か~?という季節になってきました。

 さてさて、今月のテーマは下丹田です。

 が、やっぱり下っ腹ポコンとなるのが嫌がられたのか? 参加者はきわめて少なかったです。

 それでも、参加者が少ないと内容がディープになるのがジンクス化しつつあるものか?
 今回も濃度が高いセミナーとなりました。

 もうね。クビレがどうこう・・・なんて欧米に毒された美意識ではなくて、“アジアの身体”は“上虚下実”のどっしりした低重心体型こそがカッコイイのだ!というムーブメントを興してやろうかな~?と思う今日この頃で~す?

 え~っ、下丹田を養成するメリットなんですが・・・

1,度胸がつく。

2,性格がおおらかになる。

3,技の威力がアップする。

・・・と、まあ、こんなような効果が実感されます。

 昔っから「器がでかい」とか、「ハラがすわっている」「キモッタマが太い」といったように大人物を表現する言葉として伝わっているんですが、人間、動揺すると重心が上がって「地に足がつかない」状態になりますよね?

 だから、重心が低く落ちていることが大切なんですよ。

 私は、若い頃は“瞬間湯沸かし器”とあだ名を中国拳法の師匠からつけられたぐらい、すぐに頭に血が昇る性格だったんですが、今では滅多なことでは怒らない性格になりました。

 考えてみたら、下丹田ができてくるのに従って性格も変わっていったような気がしますね?

 周囲を見回しても、痩せている人は性格がギスギスしてて、太ってる人は呑気です。

 世の中、ゆるキャラ人気なのも、癒しが求められているからじゃないですか?


 え~っと、で、セミナーなんですが、今回はセミナー直後に重要な案件がありまして、さくっと終わらせなくてはならなかったので、後半は簡化24式太極拳をやって、個々の技の用法を教えるのを気ぃ狂ったようなスピードでババババ~ッと教えて、終わりっ!

 いつもなら終了後にファミレスでまったりと参加者と懇親会をやるところなんですが、今回は無しっ!

「さあ~、けえったけえった~!」と、追い出しにかかって失礼致しましたっ!

 その後、何をやったのか?というのは、まだ秘密!です・・・。

 いやぁ~、すんげえ一日でした~(汗!)。

 ちなみに・・・この日はセミナー後で零勁斬りに二度目の挑戦をしましたが、まだ一回しか成功したことなかったので自信はなかったんですけど、一発でスパッと成功しましたよ?

 何となく、「左手は普通に持って、右手は逆手にしたほうがいいのではないか?」と思っていたので試してみたんですが、どうやら、正解だったみたいです。

 十四年くらい前に、古武術ムックの取材で朝霞の林邦史朗先生の道場をお訪ねした時に林先生が実演してくださった逆手持ちでの試し斬りがこういう持ち方でしたね?

 あの時は、下から斬り上げられていましたが、試し斬りの達人である林先生の技を直に見れたのは財産になったな~?と、改めて思いました。

 零勁斬りをもっと磨いて自在に斬れるようになりたいと思います。

 あっ、余談ですが、先日、川保天骨さんの会社に打ち合わせで行った時に、自作の試し斬り台を見せてもらいました。

 台座と支柱を分離合体できるようにしたゲッター3みたいなゴツイ台で、川保さんもDIY精神があるんだな~?と思いましたよ。

 何か、今年は縁が広がって、本も何冊も出すことになりそうですし、「ガンバレ、俺」って感じですよ。

 皆さん、頑張りましょう!

 頑張ってれば、いつか成功のチャンスは巡ってきますよ~。


追伸;19日(日)は、ついに大阪支部の稽古会が始まります! 関西近郊の方は是非、お尋ねくださいませ。大阪支部長は、この日のセミナーにも参加していてやる気満々でした。游心流史上最短で指導者(二段)になりましたが、熱心さでは随一です。ちゃんとカタギの商売もしていますので、単なる武術バカとは違います(当初、みんな誤解していて、名刺貰ってビックリ仰天した)。セミナー当日も護身を考えて棒術・剣術・ナイフ術を指導してくれと申し出ていたくらいです。私も大阪に行く機会が増えたので、また大阪セミナーもやってみようか?と考えています・・・。

20170318_001.jpg 20170318_002.jpg

このページのトップへ
コンテントヘッダー

三月は下丹田

 月例セミナー三月のテーマは下丹田です。

 下丹田とは何か?と言うと、種々様々な解釈がありますが、私の解釈は、骨盤の球状中心に発生する膨張する腹圧の感覚としています。

 つまり、ハラとコシの感覚を融合した腹圧の感覚です。

 この感覚は、妊婦の感覚に近いとも言われますが、男の私にはピンと来ません。

 ただ、東洋医学では“上虚下実”と言われて下っ腹がポコンと出て胸が凹んでいる状態を理想とする考えがあり、西洋の理想とする腹が締まって胸筋が張っているギリシャ彫刻のような肉体とは逆になっています。

 日本も近代化される中で西洋的価値観を上位に置くようになっているので、“上虚下実”の身体は見苦しいものという美意識が優位になっていますが、伝統的武術や武道の修行者には“上虚下実”の身体を「練度が高い(内功が凄い)」と称賛する場合もあります。

 私は若い頃はブルース・リーみたいな身体に憧れて細マッチョな身体だったんですけど(誰も信じてくれな~いっ!)、30頃から太極拳や合気武術を好むようになって体型が変わっていき、現在はサモハン・キンポーみたいになってしまいました。

 若い頃はそんな体型は見苦しいと思っていたんですが、いざなってしまうと、何かもう、痩せたいという欲求が薄れていって、「まっ、いっか?」という感じになってしまいましたよ。

 何でか?というと、“技の威力が格段に上がった”から。

 ほら、「ハラから力を出せ!」とか「コシで打て!」とか昭和の指導者はよく言っていたでしょう?

 つまり、腹回り、腰回りの太さは手先に力を伝える場合に出力の大きさに直結するんですよね?

 ただし、単純に太ってしまうと全身の連動を阻害してしまうので動きが鈍重になってしまうのですが、腹・腰から力を送り出す全身連動の身体操法を実施する場合、体幹部の太さは最初の出力値を大きくするので出せる力もより倍加されるという訳。

 その上、逆腹式呼吸で瞬間的に腹圧を掛けると爆発的に威力を圧縮解放させることができる・・・というのが発勁の極意となる訳です。

 だから、伝統的な武術家は上虚下実の身体を尊ぶのですね? 実用的な意味で。

 かくして下丹田を錬成する修行法は様々に考案されてきました・・・。

 八段錦、易筋経、藤田霊斎の丹田呼吸法、岡田式静座法、肥田式強健術、戴氏心意拳の丹田功、那覇手系の三戦・・・いろいろ有ります。

 私が興した游心流武術健身法では“丹田歩法”と名付けた歩法訓練で下丹田を錬成しています。

 歩法で訓練するという方法はあまり知られていませんが、例えば、八卦掌の走圏の下盤勢での練功は下丹田の錬成に最適でしょう。

 私は、能の歩法を参考にしてこれを作りましたが、当初は下丹田の錬成を目的にしたのではなく、仙腸関節の微動を得るための訓練法として考えたものでした。

 ところが、実践して30分くらいすると、その場で下腹が膨張してくる感覚があり、自然に腹圧が高まったので驚いてしまいました。

 普通、いかなる下丹田の錬成訓練を行っても、実感を得るには毎日30分やったとしても何カ月かの単位は要します。

 それが、その場でゴゴゴゴ・・・・ッという具合に下っ腹が張ってくるなんか信じられませんでした。

「なっ、なんじゃ、こりゃあ~?」という感じですよ。

 その後、10年以上研究して理論的に整理しましたが、游心流で真面目に通って練習しているかどうか?は、下っ腹がポコッとしているかどうか?で判明するくらいになりました。

 無論、感覚的に鈍くて自分では認識できていない人もいますが、客観的に見れば全然、違います。

 これを書いている日の日曜の定例稽古の時も、参加者は小塚・栗原・田中の三人だけだったんですが、教えたそばからグングン技が変わって変幻自在に動いていて、教えた私が「えっ? 今、どう動いたの?」と思うくらい達人クラスの動きが勝手に出てきていました。

 批判を覚悟で正直に申しますが、今現在、武術の研究でうちが最先端であろう?と思っています。

 秘伝・極意の技をメカニズム的に解析し理論的に体得する方法を研究しているという意味において・・・です。

 それは、試行錯誤を繰り返して流派の境界を超えて“技”は“技”として抽出して分析しているからです。

 この日は基本に戻って太極拳推手のDVD教則本を参考にしてみたり、先週、大阪の賢友流本部に出版の打ち合わせでうかがった時に小耳に挟んだ賢友流の歩法を試したり、居合術の裏技として伝わる暗殺用秘剣を教えたりしました。

 最近は常連会員も仁平師範の刀功門に通ったり、山田師範のセミナーに参加したりしているので本部稽古の参加者は減っているのですが、人数が少ないと研究が進む?という逆転現象が起こって苦笑せざるを得ません。

 常連会員はみんな知ってることですが、私は基本的に質問しないと教えない人間なんですよ。

 大阪支部長が急激に伸びたのも、はっきり言って、質問魔だったからですよ。

 だから、人によって差がつきます。

 何年も通っているのに伸びない人がいたりするのも、その人が私にさっぱり質問しなかったから・・・ということだったりするのです。

 ところが、よその団体だと生徒が師匠に安易に質問することを禁じているところもあるのだとか? だから、質問しないのがお約束みたいになっていたりもするのだとか?

 馬鹿馬鹿しいですね?

 習いに行ってお金も出しているんだから、たくさん教えてもらった方が得じゃないですか?

 教える側だって、お金もらってるんなら教えないと詐欺ですよね?

「何を質問すればいいのかわからない」と言う人もいます。

 言葉にできないのなら、「技をうまくできないんですが・・・」と言ってくれれば、ちゃんとできるやり方を教えますよ。

 月例セミナーは単発参加の人は一万円も取っていますし、地方から何万も使って来る人もいます。お金は無駄にしないでください。

 私は満足して“おなか一杯”になって帰ってもらいたいので、皆さん、遠慮しないで質問してくださいね?

“日本で最も武術について何でも教えてくれる道場”を目指してますから!

 ただし、悪用しそうな人・礼儀を弁えない人・精神を病んでいる人・・・などの人には教えられません。

 私が教える技はまともに使えばビックリするほど簡単に人を破壊してしまえるので、人柄だけは確認します。

 武術は護身のための術ですから・・・。


追伸;遅くなりましたが、三月のDVD割引セールは、今年最新の新作『化勁の極意』とします。前作が攻撃技の極意たる0インチ打撃についてだったので、「打撃技、特に0インチ打撃に対して無力化する防御法」をテーマにしたいと思っています。これまた、あまり公開したくはないんですが、危険性の高い攻撃技を発表した以上は、それに対抗する防御法も発表しなければならないな~?と思った次第です。何か、矛と盾で、矛盾しているみたいですけど、大切なことですからね? また、いつものように三月中に申し込まれた方は2万円のところを1万5千円(税込み)とさせていただきます。原理的にはシステマっぽくなってしまうんですが、恐らく、システマでもやらないであろう?という誰でも簡単にできるやり方も収録しますので、御期待ください。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

武器の修理

 私は武術研究の一環として、稽古に使う武器類を改良したり、時に自作したりもするんですが、これは小学時代の図工、中学時代の技術家庭の授業以来、DIY好きであるということも手伝っています。

 材木削って木刀作ったり、竹を削って弓矢を作ったりもしていましたが、Gunマニアになってからはエアガン、ガスガンのカスタマイズをするのが趣味でした。

 それが高じて、今では真剣の外装を自作したりしている訳です。

 まあ、練習で模擬刀を使っていると、鞘の鯉口が擦れてユルユルになったり、速く抜刀しようとし過ぎて鞘が割れるなんてこともあります。

 日常的に稽古で使う道具をいちいち武道具店に修理を頼むのも面倒だし、お金もかかりますから、刀身が折れるとかは別として、多少の破損は自分で直せるようになるべきだと思っています。

 が、どうも、うちの会員さんはブキッチョな人が多いみたいで、破損した模擬刀をそのまま使っていたりする・・・。

 見かねて、私が預かって修理するという機会が結構あります。

 鞘がボロボロだったから塗り直したとか、鯉口に薄板を貼ったりとか、割れた鞘を強化して直したとか・・・そういうこともやっています。

 先日も、超至近距離から抜く暗殺秘剣術を教えていた時に、北島師範が速く抜こうとし過ぎて鯉口を破損させてしまいました。

 この模擬刀は二尺六寸近くある長めの刀で切っ先も大きく重量もあるので、速抜きには適していないんで、「誰か壊すかも?」と予想していたので、しょうがないか?と思いましたね。

 鞘も二つ繋げて作っているので、ちょっと脆弱だったんですが、そちらは壊れなかったので、ほっとしましたね?

 破片もあるので、修理と同時に少し強化しておこうと思います。

 また、ついでに、取っ手が壊れかかっていたトンファーも持ち帰って修理しました。

 クサビが抜けていて、木の釘で固定してあったんですが、それが中で折れているらしく、ガタつきがあったので引っ張ってみたらスッポリ抜けてしまいました。

 この状態で振っていたら危険でしたから、丁度良かったです。

 まず、薄い板を切ってクサビにし、折れた木釘を取り除くのに、木釘自体に錐で穴を開けて貫通させました。

 アロンアルファを適当に塗ってから取っ手を挿入し、錐で開けた穴には軟鉄の細丸棒を差し込んで固定し、余った部分は金ノコで切断してヤスリで馴らしました。

 これでブンブン振り回しても大丈夫!

 トンファーはアメリカの警察のポリスバトンにも採用されているぐらいですから、熟練すると非常に機能的な武器です。

 琉球古武術特有の武器だと日本では思われていますが、同様の武器は中国にもタイにも、アジア各地に伝承しています。

 ジャッキー・チェンの映画では度々出てきますが、『拳精』や『龍拳』は必見です!

 琉球古武術といえば、圧倒的にヌンチャクが有名ですが、トンファー・棍・拐(ウェーク)・釵・鉄拳・スルヂン・ティンベー・ローチン・二丁振鎌といった武器術も伝承しています。

 中国も剣・刀・棍・槍を代表に、三節棍や双節棍(いわゆるヌンチャク)、(十三・九・七)節鞭、硬鞭、戦斧、圏、鉞、点穴針、峨嵋刺、双鉤、蛇矛、青龍偃月刀等々、多種多彩な武器(兵器、あるいは器械と言う)があります。

 日本の古武術も実は膨大な武器が伝承しているんですよ?

 だから、武術の研究は武器の研究を避けて通れないんですよ。

 現代武道のイメージで考えると皆目、理解できない。それが武術の真相なんです。

 例えば、素手で闘うものだと思って古流柔術を習ったら、棒、薙刀、槍、刀、居合、手裏剣と習うハメになって面食らってしまった・・・なんて話もあります。

 素手で試合するイメージそのものが、近代国家となった日本が海外のスポーツ教育によって洗脳された実例なんですよ。

 戦闘術としての本来の姿をめくらまししてしまった訳ですね。

 だから、私は武器を極端に嫌がる人には「だったら、お前は武術なんかやるなっ!」って言いたくなるんですよ!

「空手は徒手空拳の武術である」という建前が拡大解釈され過ぎて、洗脳されてしまった結果だと思いますよ。

 空手の古式の言い方は「唐手」。つまり、唐の国の武術であり、当然ながら多彩な武器術も伝承していた訳です。

「琉球の武士が武器を取り上げられたから素手で剣に対抗するために手を工夫した」という説がもっともらしく言われていますが、これは完全な誤説ですよ。

 源流が中国伝来であることは明々白々です。

 戦後、文化的に日本民族を精神的に去勢して戦闘をイメージさせる武器に対する拒否反応を刷り込みした訳。

 本来の日本人は勇猛な戦闘民族だったのに、現代の日本人は殺されても戦わないような似非平和主義者が圧倒的に多数派になっているでしょう?

 武道の母国だなんて威張っても、意味がないんですよ。

“武道とは何か?”をきちんと説明できる人なんか、ほとんどいないんですから。


追伸;毎年恒例のお花見会は、今年は4月2日の日曜日に実施します! 午前10時半に淵野辺駅改札前に集合して、鹿沼公園でやります。雨天の場合は道場で実施しますので、普段、御無沙汰している会員の皆さんもおいでください! また、この日は初の支部長総会も実施しますので、支部長はできるだけ御参集ください。游心流も結構、所帯が大きくなってきたので年に1~2回は支部長総会を開催して活動方針などを定めていきたいと思います。宜しく!

このページのトップへ
コンテントヘッダー

二月セミナー“軸”感想

 二月セミナーも楽しく終了しました!

 雪が降ったりするかな?と心配だったんですが、当日は快晴で、人数も先月よりちょっと増えました。

 セミナーの前に稲吉先生が「武術の世界のしきたりを教えてください」と来られていて、私が体験的に認識してきた武術業界の常識?についてお話しました。

 どんな業界でも、その業界特有の慣習みたいなものはあります。

 芸能界、ヤクザ業界、政界、経済界、教育界・・・部外者からすれば、「何それ?」みたいな不可解で不合理で不条理で馬鹿馬鹿しいと思えるようなこともざらにあります。

 私も若い頃は「何それ? 阿呆臭っ!」と思って無視してきたものでしたが、あまりにも軋轢を生み出してしまうので、“仕方がない”と思って守るようにならざるを得ませんでしたね?

 もう、何が正しいとか何とかの話じゃないんですよ。

“お約束”として守らないとハブされたり嫌がらせされたり悪い噂を広められたりする訳なんですよ。

 そこには嫉妬や憎悪、偏見といった感情が介在していたりするので、もう本当に気持ちが悪いヘドロ沼のようなマイナスの想念の温床となりがちなんですね。

 特に業界で目立つ人はそういう連中のマイナスの想念を向けられてしまうので、仕方がない!

 けれども、目立ちまくって第一人者になってしまえば、出過ぎた杭は打ちたくても打てなくなる?ものらしくて、周囲が強力に護ってくれて安泰になります。

 ところが、問題なのは、第一人者が正しいとは限らない点なんですよ。

 人間は神様じゃありません。

 だから、全てに於いて完全な人はいない訳で、武術業界でも腕前は一流なんだけれども社会性がOUTな人とかざらにいたりするんですよ。

 うちの仁平師範は、「理論が破綻していれば、いずれ綻びが出て自滅しますよ」と言っていたんですが、私は、「いや、間違っていても支持者が増えれば持て囃されてそうそう滅びないもんだよ」と言いました。

 毎度、例に出しますが、甲野氏がその代表格ですよ。

 あれだけ嘘つきまくってて実力(戦闘力ね?)も皆無なのに、いかにも凄いことやってるように見せるパフォーマンスと独自の弁論で、未だに多くの支持者を集めていて、世間的にも武術の第一人者だということになっていますよね?

 私に言わせれば、“世紀のブラックジョーク”としか思えませんが、要は、「何か神秘的なものに憧れる人間の潜在的願望を上手く利用して売名戦略を駆使して自らのポジションを確立した能力だけは優れていた!」ということなんですよ。

 武術というよりは新興宗教に近いですけどね?

 神智学のマダム・ヴラバツキーとかも詐欺で捕まったりしてるんですが、信者にとってはモーマンタイ! 「陰謀だ!」となったりするんですよね・・・。

 実際に陰謀で潰されかかった例も歴史上にはありますから(例・大本教の弾圧)。

 いまだにオウムを信じる人達だって同じじゃないですか? 「世間の評価は関係ない。私が信じれば本物なんだ」という心理メカニズムなんですよ。

 信じるかどうか? それだけの話です。

 実際の薬効がない偽薬で治るプラシーボ効果って、要は催眠なんですよ。

 そして、催眠というのは究極的に信じれば不治の病も治せると言われます。

 それこそ「信じる者は救われる」という言葉の本当の意味ですよ。

 だけど、現代の科学的医学の考えでは、薬理効果がある成分が治すのだという大前提で考えるから、催眠で治る原理は肯定されていないでしょう?

 しかし、催眠とは原始の頃の“呪(まじな)い”や“祈り”を科学的に表現したものなんですよ。科学的には全然解明されてはいません。

 メスメルの動物磁気説以降に催眠術が心理療法として研究されるようになったと考えられ、それ以前は魔術の一種みたいに扱われていた訳ですよ。

 飛び加藤と呼ばれた戦国最強の忍者、加藤段蔵が西方伝来の牛呑術を演じてみせたりしたのが今日で言うところの催眠術なんですよね?

 強固な催眠(自己暗示)によって自然治癒力が最大限に活性化されていく結果として難病をも治癒できる・・・という現象は充分にあり得ることだと思いますよ。

 それでも、肉体の寿命というものは厳然とありますからね。信じれば死なないとか言ってたら完全なキチガイ。何か、昔あったな~? ミイラ化した遺骸が蘇ると言ってた人達・・・?

 武術を修行している人の中には霊能に目覚める人も少なくありません。

 それは、武術の稽古システムの中にヨーガや仙道などの霊性開発システムが組み込まれているからです。

 だから、意識的にか無意識的にかは問わず、いつの間にか霊的気質になってしまう人もいます。

 青木宏之先生がその典型例でしょうし、友寄隆一郎先生もそうでした。

 松田隆智先生も憧れがあったようでしたね?

 でも、青木先生も友寄先生も松田先生も霊能力とは一線を引いて冷静でしたね。舞い上がって万能感に犯されていたりしなかった。

 私はどうか?というと、別に憧れはありません。徹頭徹尾、リアリストなんで。

 ただし、オカルトはネタとして大っ好きですね? 面白いから。

 ほら、私みたいに小学生の頃にTVの特撮物やアニメばっかり見て育った人間にとっては、怪獣はUMAで、星人はエイリアン、ショッカーや死ね死ね団は秘密結社なんですよね?

 幽霊は心霊動画で、妖怪は・・・やっぱり妖怪なんですよ。

 怪しい都市伝説はリアルなファンタジーなんですよ!

 歴史や社会の闇を照らすのがリアル・ファンタジー!

 私は、そういう隠されたものを解明していくのが楽しくってたまらない訳で、フリーメーソンやイルミナティーなどの秘密結社の世界支配戦略みたいな話は三十数年前から知ってましたよ。その頃、膨大に本読んでたので・・・。

 普通の人は、“秘伝(秘儀)”を有り難がって神秘的なものとして信仰するんですけど、私はどうしても解明したくなるんですよね。

 ほらほら・・・一般の武道や格闘技をやっている人達って、「発勁なんて眉唾」「合気道や中国武術は型だけで弱い」と強固に信じ込んでたりするでしょう?

 浅~い、現実主義者! 上っ面の常識を信じて疑わず、偏見に凝り固まっていて、すぐ思考停止する愚か者!

 はっきり言って、無知で馬鹿で頭が硬直化してるとしか言えないんですけど、現実に「発勁ができる」と嘘(というか誇大妄想)つく人がいたり、全然戦い方を知らない合気道や中国武術の修行者が多いのも事実なんですよね。

 そういうイカレポンチしか見たことがなければ、仕方がないのかもしれませんね? 何しろ、私も20代まではそう思った時期もありましたからね。

 でもね。自分ができるようになっちゃって、人にも教えて体得できるようにしているんだから、これはもう神秘でもなんでもなく、単なる技術。理解しているかいないかの違いでしかないんです。

 セミナー翌日に個人指導したIさんも、既に自分ができるようになっているのに、「発勁ができるように・・・」といまだに言うので、ミット持って打たせてみたり、サンドバッグ打たせて、ちゃんと体得できてることを確認させました。

 太極拳の按と、形意十二形拳の馬形拳を教えました。

 発勁の問題点は、筋肉に頼らないので、“打ってる”という身体感覚が乏しく、「これで本当に威力出てるのかな~?」と疑問に思える点ですね? 体得しても自覚しにくいんですよ。

 私は実地に沢山試しているので疑問に感じないんですけど、仲間内でやるだけだと、これで本当に通用するんかいな?と思ってしまうのもわからなくはありません。

 打たれてみないと本当の怖さも判らないし、かと言っても、事故死したりする危険性も普通の打撃技よりずっと高いので、あんまり試せないですからね。

 私も、「やべぇっ? 殺しちゃったか?」と慌てたこと何度かあります。本当に発勁は恐ろしい技ですよ。実験で打たせてみた時は死ぬかと思ったし・・・。

 秘伝にしたのも当然でしょう。

 だからと言って、「そんなものインチキだ」と言う連中には我慢なりませんよ! 松田先生が亡くなられた今、「俺が中国武術の名誉を護ってやる!」と思ってますもん。

 シーラカンスやダイオウイカだって、「そんな怪物は実在しない」と言われていて実物が発見されたら当たり前になっていますよね?

 決めつけたがる人間がバカなんですよ!

 松田隆智先生も、「発勁なんて怪しげな嘘を吹聴する人間がいると批判されたものだったけど、批判していた当人が中国で体験して発勁のすごさに感動したなんて書いてるんだからな~? 笑っちゃうよ」と言われていましたね。

 私も、「発勁なんて怪しいことを言う」なんていまだに言ってる人達を見ると、ウンザリしますよ。本当に無知過ぎる!

 ファンだった『修羅の門』に乗れなくなったのも、そこなんですよね~。作者が中国武術のことを知らな過ぎ! 『史上最強の弟子ケンイチ』や『ツダヌマ格闘街』(事務局注  ツマヌダ ですね)の作者みたいに勉強しなきゃ~ダメですよ!

 作家は読者以上に知識がないといけません。プロに及ばないのは仕方ないけど、ちょっと取材したら解るようなことを自分のイメージ(先入観)だけで書いていたらいかんのですよ。

 無空波なんて、よくぞ考えたな~?と感心したものでしたけどね・・・。

 ただし、武術の世界は誇大妄想的な話を吹聴している人間が多いのも事実です。他人の言うことはまったく信用できません!

 だから、自分ができるようになればいいんですよ! 自分ができたら、嘘か本当かの区別はつくじゃないですか?

 だから、はっきり言って、「発勁を体得したかったら私のところに来なさい! 責任もって、できるように教えてあげます!」と宣言しておきますよ!

 ただし、悪用しそうな人間には教えません! 事件起こしたら教えた人間にも責任が生じるでしょう? イタズラ小僧にフル装填のマグナムガン持たせるようなもんですから。

 木曜隔週のメイプルホールに来られる格闘技や中国武術学んでいた人には発勁や他流破りのやり方を教えたりしていますが、「先生、こんなこと教えてもらっていいんですか?」と逆に恐縮されていましたけど、ほら、真面目に通っている人なら人柄も確認できますからね?

 当然ながら、危険性の高い技は一般には公開しないし、DVDもバカ高いでしょう?

 それでも、「これは流石に広まったらマズイよな~?」と思う部分はカットしますし、前回のDVDは、ちょっと出し過ぎたか?と反省しているのでお蔵入りにするかどうか?と検討しています。

 それでも、ある程度までは本当のことを公開していかないといけないと思ってるのは、もうね~・・・あまりにもいい加減なこと言う人が多いから、私が真実を広めていくしかないな~?と思っているんですよ。

 それに百の論よりも、本当にできる人間を何十人何百人も育てていけば、だれも文句言えなくなるでしょう?

 武術の真実はたった一つだけ!

 それは、“自分ができることだけ”なんですよ。

 どんな有名な実力者に習おうと、自分が未熟なら意味がありません! むしろ、尊敬する師匠の面子を潰すだけですよ。

 例えば、先日、下田愛璃さん岩下めぐみさんと久々に会ったんですが、弟子を見れば教えた師匠のレベルが判ります。秋本つばささんが、どういう指導をしてきていたか?というのが弟子を通して見えてくるんですよ! そんじょそこらの女子高校生とは全然違うもん!

 私も北島師範や小塚師範や仁平師範や栗原師範や山田師範や来住師範を誉められたほうが鼻が高いんです。だから、大阪支部も楽しみなんですよね~。

 たとえ、彼らが私のところから離れていったとしても、活躍してくれているなら、やっぱり嬉しいと感じるでしょう。


 さて・・・セミナーの感想を全然書いていませんね?

 まあ、いつもの通りで特別に書くこともないんですけど、大阪支部長がぐぐぐぐっと伸びてきていて、「人間、やる気になると短期間でここまで変わるものなのか?」と、ちょっと感動しました。

 八極拳の使い方(冲捶から頂肘への応用変化交叉技)や六合大槍の基本操法とか指導したんですが、徒手格闘術の素養があるので、非常に飲み込みが早いです。

 仁平師範が靠(鉄山靠)を実地指導すると、大抵の人は仁平師範のぶちかましにピューンと飛ばされるんですが、彼は当たり負けしておらず、揚げ句に仁平師範が跳ね返されるというビックリなシーンまで見られて、皆、唖然としておりました。

 日頃から警察や自衛官の猛者と練習したりしているだけあって、大したものだな~と感心しましたよ。

 それと彼の偉いところは自分がボコられたりした話も平気で言えることです。格闘技系の人達は練習でそういう体験は無数にしますからね。当たり前なんですよ。

 だから、うちに来る人達でも最も人格的に謙虚で正直なのが極真空手や格闘技の経験者で、最も舞い上がって勘違いしているようなのが合気道や中国伝統武術の経験者?

 人間、痛い思いをしないと人格は磨かれないのかな~?

 ところで、仁平師範は会う度にどんどん変化していっているんですが、以前はリアル刃牙みたいだな~?と思っていたんですが、今回はリアル・バビル二世みたいになってましたよ?(苦笑)

 いや~、彼の治療術は最早、整体でもなくなってきていて、心霊治療のホセ・アリゴーか?って方向に向かっていましたね。

 これ、人に教えてできるようになんのか?って疑問ですけどね。

 彼の教えている内容は游心流とは別ですから、皆さん、誤解ありませんようにお願いしますね。

 ただ、いい機会なんで、今回、彼には私の秘蔵愛刀一振りを進呈しました。ほぼ直刀の刃渡り二尺四寸くらいの刀です。彼が「反りの無い刀のほうがいいですね」と言っていたので・・・。

 真っすぐな刀って気の通りがいいんですよね?

 以前、持たせた時に凄く嬉しそうな顔してて、「あ~、この刀は仁平さんと相性が良さそうだな~?」と思っていたので・・・。

 鐔の代わりに木ではみ出し鐔風に作っているんですが、彼が鬼をデザインした面白い鐔を持っていたので、それを付けてみたらいいのではないか?と・・・。

 ちなみにこの刀は二本目釘にしていて、竹の目釘と真鍮の細棒を削って作った目釘も入れています。

 拵えを作り直してみようか?とも思っていたんですけどね?

 稽古用に三尺越え長刀作ったり、槍の鞘作ったりしていて、何か職人魂が目覚めてきつつあるんですけどね~?

 私の前世は武器職人かもね?


このページのトップへ
コンテントヘッダー

二月セミナーは軸の確立

 いろいろと仕事上の事情がありまして、通っている小説講座でミニ演武をやらせていただきました!

 まともな演武をやるには、やはり受け手がちゃんとしていないとダメですから、当日は北島師範小塚師範に見学と称して講座の席にも来てもらいました。

 小説講座に通っている人達は、基本的に元文学少年少女?ですから、体育会系、わけても武道など夢にも習ったことがない人がほとんどです。

 けれども、作品を書く場合は、時代劇ならチャンバラ、現代ミステリーなら警察官や犯人の銃撃といったシーンは必須ですから、皆さん、興味はなくともそれなりに調べて書いていたりする訳です。

 けれども、やはり経験が無くて資料だけから想像して描写するのは限界があります。

 どれだけ調べてみたところで情報だけからは判らない面が少なからずある訳です。

 それで、私のようにその方面の知識と経験が豊富な人間はプチ講師?のようなポジションになる場合が多かったんですね?

 そういう次第で小説講座の先生のツテでいろんな作家の武芸考証を頼まれるようになっていった訳で、そこからさらに自分も作家デビューしようとしている訳ですね?

 一応、これまでゴーストライターも含めて20冊以上は本を出せている訳ですが、小説に関しては初心者ですし、そもそも文芸修行らしきことを若い頃にやっていなかったので、50の手習いみたいに、現在、勉強中なんですが・・・。

 理由は書けませんが、今回、演武したのも私がやっている武術がどういうものなのか?を理解してもらうには目の前で実演解説するしかないと思ったからで、講座の先生にも許可をいただいて講座の終わり際に、無刀取り・合気系統の護身術・合気揚げ・突き蹴りを丹田力で弾き返す!というのをやらせてもらいました。

 結果は上々。予想していたより好評でした。

 私、見た目がアレだから、実演するまで「この人、本当にできるの~?」と疑いの眼差しで見られることがほとんどです。

 ほら、口では立派なこと言っても、実際にはまったく戦えないような人も最近はいますからね?

 私も見た目に全然、説得力が無いので、やって見せるか、実際に手合わせするまで理解してもらえません。

 でも、武術の有り難いことは、50過ぎても技はどんどん伸びていけることですね?

 正直、ルール無用なら負ける気がしませんもん(豪語?)。

 ただし!

 ルール設けてきちんとした試合やったら全然弱いと思いますよ。自信ない!

 過去に何度か負けましたからね~。やっぱり、餅は餅屋。専門にやっている人には敵いませんよ!

 特に体力の衰えはいかんともし難いですな~?

 100m全力ダッシュしたら私は死ぬと思いますよ?

 まあ、世の中には80過ぎて毎日何kmも走ってる妖怪爺さんも実在しますが(笑)。

 でも、私は年齢相応に肉体が衰えていっても戦える技を研究しているので、年々、直実に技能アップしている実感はあります。

 2/1で満54歳になりましたが、去年と比べても今のほうがレベルアップしていると思います。

 この感覚は向こう十年は当たり前に続くと思います。


 さてさて、二月の月例セミナーは“軸”です!

 中芯軸・側軸・無数の軸の設定・・・といったことを過去に発表してきましたが、今年も最新研究成果を発表したいと思います。

 つまり、「軸を確立することで軸を消して動く」「自在に軸を体感して操作する」「相手の軸を洞察し操作する」・・・といった事柄を具体的な技の展開で指導しようと思っています。

 そもそも、私が体軸の研究を始めたのは、今から三十年ほども逆上ります。

 中国武術の「立身中正」や合気道の「中心軸」、剣道の「正中線」といった言葉から追究し、能やクラシックバレエ、フラメンコ、パントマイム、前衛舞踏、コンテンポラリーダンス、あるいはヨーガや仙道、気功、各種健康法の研究をするに至ったのです。

 そも、人間が霊長類と呼ばれるのは、直立二足歩行をするようになって天地の軸線に背骨と脳が連なったことから異常な進化を果たしたのではないか?

 それはヨーガのクンダリニーの理論から類推した仮説でした。

 小用茂夫先生が刀禅を創始されたのも、長年の伝統武術の探究の果てに重力を利用する武術の理論に気づかれたからなのではないかな~?と私見します。

 武術が格闘術の範疇に留まらないのは、ひとえに、人間の心身機能の進化の鍵が潜んでいる点にあると私は考えています。

 なぜなら、単純に戦闘に勝つだけならば、軸の確立などは意味がないからです。

 むしろ、見方を変えれば狙うべき弱点を晒してしまうことになりかねません(この点はセミナー時に詳しく解説します)。

 それでも、東洋のいろんな行法が秘伝として伝え、神智学を通じて欧米にも広まっていった“軸”の概念について、今回は時間が許す限り、詳しく解説してみようと思っています

追伸;前述したように、今月は私の誕生月でもありますので、少々遅れましたが、DVDの割引セールは、「どれでも二枚買った方は合計額の半額」ということにしたいと思います! 「この際だから、アレも買っておこうかな~?」と思う商品がある方は是非、ご利用くださいませ。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

アルミって硬って~?

 会員の抜刀訓練用にと思って、三尺三分くらいの長寸の居合訓練刀を自作しようと思って、町田の東急ハンズでアルミの1mの平板を買ってきていたんですが、毎晩、金ヤスリでガシガシと削って切っ先や刃側の形を成型したり、柄に納まる茎(なかご)を削り出したりしていたんですが、錆び錆びの透かし鍔や美術刀の柄を嵌めて、ハバキは真剣の短刀に付いていた木製のハバキを流用することにして、これに銅テープを貼って“銅着せ”?のハバキにしました。

 実際のハバキは白銀師という専門職人が居て、銅や真鍮、銀で作ったりするんですけど、薄い金の板で包む“金着せ”という技術があるんですね? それで真似てみた訳です。

 鞘用の板材も買ってきたんですが、90cmまでのしかなかったので、ちょっと、切っ先がはみ出てしまいます。この部分は鐺でもあるから硬い材質のものを繋ごうかと思います。

 茎の部分が9cmと短くなってしまったので、振った時に強度的に大丈夫かな?とは思ったんですが、アルミで軽いから問題なさそうでした。

 もっとも、個人指導している会員さんに持たせたら、「うわっ、重いですね~? 僕の持ってる居合刀より重いですよ」と言うので、あれっ、そうなのかな?と思いましたが、やっぱり三尺越えた刀だと真剣だったら2kg以上になったりするし、アルミでも定寸の居合刀よりは重いのかな~?と思いました。

 過日、セミナーに参加された古武術を学ばれている方から三尺三寸の居合刀を抜かせてもらったんですが、非常に軽く感じました。

 刀身の材質と刀の重心バランスの問題でもあるんでしょうね?

 実は、この方といろいろ話していて、居合術の原点は大太刀抜刀だよな~?と直感したんで、自分でも練習して会員にも練習させたいと思った訳です。

 三尺二寸一分の真剣も持ってはいますが、これは重過ぎて稽古に使うのは無理。私の個人的練習にしか使えません。

 会員にやらせたら鞘を割るか怪我するかのどっちかでしょうし、鞘を作り直さないと、ちょっと使えません。

 で、三尺越えの模擬刀を買おうか?と思ったんですが、10万~20万くらいしちゃうんですよ。

 そんな時に東急ハンズで見て回っている時に、自分でも作れるんじゃないかな~?と思った訳です。

 折しも、『唖侍・鬼一法眼』が始まり、若山先生の三尺の長剣居合を見て、益々、その気になりました。

 やっぱ、刀は長いのが映えますよ!

 鞘無しの状態で、ほびっと村の講座にも持っていきましたよ。

「後は茎に穴開けたら完成だよ」って言っておいたんですが・・・(ガ~~~~ン)。

 翌日、個人指導の前に道場でドリルで穴あけようとしたんですが・・・さっ、刺さらん?

 以前は問題なく貫通していたドリルが全然刺さらないんですよ?

 少し丸く削れるけど、それ以上、いきません・・・。

 ドリル刃がへたってるのかもしれんと思って、“ステンレスも削れる驚異の切削力”と書かれている千円越えのドリルビットを買ってきて最挑戦したんですが、やっぱり無理。

 ステンレスより頑丈なアルミって・・・?

 これはもう大工仕事用のドリルじゃなくて工業工作用の機械でないと無理っぽいな~?と思いました。

 それにしても、金ヤスリで削ってる時も尋常じゃなく硬いな~?とは思っていたんですが、まさか、電動ドリルも通さないとは・・・?

 成分は、アルミニウムにマグネシウムも混ざってるようですが、そのせいで超合金化したんでしょうか?

 まあ、頑丈な方が練習に使うにはいいんですけどね~?

「まっ、先に鞘とか作っておくか~?」と、鞘作っておりますが、木材は加工が楽で助かりますわ~・・・。

(数日後、完成! まだ目釘穴開けてないけど・・・)

 しっかし・・・原稿書かんで、こんなことしてるのを見つかったら、怒られるかな?

 大体、TV見ながら、本読みながら、細工しながら、原稿書いたりしております。

 今回も、キマイラの最新刊が出てたのを買って読みながらでした。

 何と、物語の始まる前、久鬼麗一と九十九三蔵が出会う話になっていて、「おいおい、今更過去に戻ってどうすんじゃい?」と突っ込みを入れてしまったんですが、流石は夢枕獏!

 何のストレスもなくサクサクサクッと読めました。

 途中、完全に少年格闘物になったりして、空手部を仕切ってる連中が黒・青・赤・白・黄の姓だったりして、「おいおい、それじゃゴレンジャーみたいだろ?」って、再び突っ込みを入れてみたり、“試し掛け”って自由組手が出てきて、「おいおい、それを言うなら“掛け試し”だよ?」って、またまたまた、突っ込みを入れたりしながら、でも、面白いんですよ~。

 でも、「流石に合宿で金玉潰れたのを寝かせてるだけじゃダメでしょう? ちゃんと病院に運びましょうよ~」・・・とか、随所に出てくるリアリティーを無視した豪快な展開は「昭和だな~?」と思いましたね。

 知ってる人はもう少ないと思いますが、キマイラシリーズの原点、『幻獣少年キマイラ』は、80年くらいに書かれた作品で、作品世界ではまだ一年も経過していないんじゃないかな~?と思うんですよ。

 当時は携帯もスマホも無いし、インターネットも無い。

 ここまで長期シリーズになるとは獏さんも思っていなかったでしょうし、辻褄合わせるのが大変だと思いますよ。

 だけど、シリーズ完結も近いらしいし、待望の映像化も期待したいですね~。

 個人的には塚本晋也監督がいいのでは?と思いますが、いかがでしょう?

 アクションは谷垣健治監督で・・・。

 武芸考証は私、やりますよぉ~(笑)。神秘学とかも詳しいよぉ~。

 いやいや、実写よりも、まずはアニメ化がいいかな?

 キマイラシリーズが、やっぱり獏さんの最高傑作だと思うし、大鳳、久鬼、九十九といった少年たちと、真壁雲斎、宇名月典膳といった爺さん、そして何といっても龍王院弘ですよ。

 主要キャラがことごとく武術の遣い手というのがいいじゃないですか?

『寄生獣』が映像化されたんだから、キマイラもできるでしょう?

 刃牙もアニメ新シリーズが放送されるそうだし、ブリーチも実写映画化されるんでしょう?

 キマイラも是非!


追伸;ドリルに付いてる安全装置だと思っていたボタンが、実は回転数の切り替えスイッチだったことが判明! ハイサイクルにしてみたら、何とか穴を穿つことに成功しましたよっ! 鞘も延長部分にエポキシパテ盛って成型し、金色の装飾テープ貼って、鯉口近くは割れる可能性があるので三角ヤスリで溝刻んで針金巻いて、映画の小道具用に買った牛革貼り、栗形は紫檀を削って作りました。塗りは黒の漆塗料を節約するために閃いてマジックインキでベタ塗りした上に、クリアーの漆塗料に金・銀・レインボーカラーの粉を混ぜたものをハケで塗ってみました。これは光を当てると金・銀・黄・緑・青・赤のツブツブが点滅してるみたいで綺麗なんですよ。目釘で柄を固定した刀を納めると、稽古用に適当に作ったとは思えない出来になりましたよ~。柄材は安い美術刀のプラ製ながら柄糸は革巻きですからね。いや、今回は随分、安く作れました~。ついでに試作ナイフにもドリルで穴を三箇所穿ち、後は鉄工ヤスリで地道にギシギシギシギシギシギシ・・・と削りながら人差し指の第二関節まで入るくらいまで円く穴を広げていきました。これは、人差し指でクルクルクルッと回せるようにするためなんですが、カランビットナイフにヒントを得てやってみた訳です。ナイフを逆手持ちで使うのに腕の裏側に隠し持つのをクルッと回して逆手持ちにするのに役立つんですね。ちなみに、この試作ナイフは非対象の両刃なんで、押しても引いても切れるんですよね。拳法術のキモ先生に習ったナイフ術に向いた形で工夫しました。シャシュカの折れた切っ先で作ったとは、ちょっと見ても判らない?

追伸2;ドリルがちゃんと使えることが判ったので、いろいろ護身用具を試作してみようか?と思ってます。昔、武道医学のパリッシュ先生から見せてもらった古流に伝わる秘武器(中国風にいうと暗器)もアルミ板から削り出して作れそうだな~?と思って、早速、東急ハンズで厚さ5mmと3mm(2枚)のアルミ板を買ってきました。5mmの板で暗器が四つは削り出せそうです。3mmの方は「これで子母鴛鴦鉞を自作してみようかな~?」と思いついて買いましたよ。でも切り出して金ヤスリで成型するのは相当、骨が折れそうです。ヒマと気力が余ってる時に挑戦してみようかな~?と・・・。


このページのトップへ
コンテントヘッダー

新年会

 いつもは忘年会だけしかやらなかったんですが、「東京支部の新年会を小塚師範宅でやらない?」と言っていたら、何だか、游心流全体の新年会だと思われたのか? 少々、大掛かりになってしまいました。

 私は、小塚師範の飼ってる三毛猫のカヅコに会いたかっただけなんですけどね。

 支部長は、東京橋本横浜幸手に大阪まで揃って、そこに体道塾の仁平師範に常連会員、女性会員も三名?と、結構な人数になりました。

 で、猫ちゃんはビックリしたみたいで、終始、落ちつきなく目玉を真ん丸にしてあっちに行ったり、こっちに行ったりしていてあんまり遊べなかったですね~(グッスン)。

 料理上手な小塚師範の自宅ではいつも小料理屋状態・・・実際に看板猫つきの小料理屋(深夜食堂?)を開業した方が儲かるのではないか?と、皆で話しているくらいです。

 私は完成直前の刃渡り三尺超えの長尺居合稽古用刀を持っていって披露しました。

 今回はアルミ材削って刀身まで作ってますからね。もう、ほとんど職人化しつつあります。その後は、無事、ドリルで穴穿って目釘もつけたし・・・。

 剣武天真流にも通っているK中さんは、流石にちゃんと抜き納めできましたが、他の会員でできる人は何人いることか? 普通の居合道をやっている人だと、この長さはまず抜けません。大体、普通の居合の抜き方だと二尺七寸くらいになると抜けない。

 抜き方が違うからですが、黒田鉄山先生のところの抜き方だと長尺刀でも抜けると思います。私は黒田先生の初の講習会を受講した時の収穫が大きかったですね~(この時の様子を映したビデオには私も映ってるそうでした)。原理がわかれば流派の別は関係なくなると思います。

 コツとしては半身を切ることですかね? まあ、稽古用に作ったので、初めはできなくとも構いませんがね。長尺刀が抜ければ定寸刀(二尺三~四寸)が脇差抜くみたいに簡単に抜けるようになりますよ。

 ちなみにK中さんは、「先生、僕が下手だったら破門するつもりだったんですか~?」と言うので、「まあ、上手だったから、いいよ」と、天真会での演武を誉めておきましたよ。

 仁平師範は少し仕事に余裕ができるらしく、「先生、この道場に行けってところがあれば言ってください!」と、道場破り宣言・・・?

 何やら、インチキ臭かったり自惚れたことをほざく自称武術家連中に憤りを感じている様子・・・。

「やめときなさい。君が行ったら、弱い者イジメにしかならないから」と、止めておきましたけど、「あっ? 甲野さんのところだけは行ってもいいよ」と。これ以上、日本武術に泥を塗るような恥ずかしい真似をさせてはいけませんからね?

 いや、しかし・・・確かに若手(でもないか?)の武術家を名乗ってる人達は自惚れの度が過ぎて言葉は丁寧だけれども、その実、気持ちが悪いくらい自己愛に凝り固まってる人間が増えてきているような感じがしてなりません。

 私は“甲野病”と呼んでいます。

 不当に他流を蔑んだり、他者の権威を利用して売名に励んだりする品性下劣さを言葉巧みに隠す病気です。

 一種のナルチシズムですね。

 甲野善紀氏と仲良くしてると感染してしまうんですよ。

 私は疑問感じて離れたから感染しないで済みましたけど・・・例えば、宇城氏なんて、もろに甲野病に感染してしまいましたよね~?

 結構、感染してる人が多いんじゃないかな~?

 これに感染すると、嘘を嘘で塗り固めて屁理屈をこねまくるようになり、最後は現実認識ができなくなって自分の頭の中の世界観に浸ってしまうようになりますから、歪な精神構造になって後戻りできなくなります。

 用心しましょう・・・。

 さて、わざわざ大阪から駆けつけてくれたキヨタキ大阪支部長(游心流二段)は、早速、三月から始める稽古会の概要を報告してくれました。

 大阪名古屋にもイサミ(武道・格闘技具の専門店)さんがあるそうで、そこで格闘技歴のある店長さんと仲良くなって、ミットを使って発勁を打ってみせたところ、非常に驚かれて「是非、やってみたい」と言われたとのことで、早くも大阪支部は会員が増えていきそうな塩梅です。

 やっぱり打拳距離0で数十から百kgの人間を数m弾き飛ばすような威力が出せるというのは、“一般の武道や格闘技の概念にはありません”から、初めて受けたら、そりゃあ驚かれますよね?

 イサミさんに勤務されている人達は、ちょっと齧りました程度の人達ではなく、本格的に格闘技を練習されている人ばかりなので、未知の技術に素直に関心を持ってくださったのではないでしょうかね? 有り難いですね~。

 昔、大阪でセミナーやった時は、結構、皆さん、ノリが良くて喜んでくれたな~?と、懐かしく思い出しましたよ。

 関西の人はあったかいですよね。関東は良く言えばクールですが、悪く言えば、スカしたヤツが多くて、厭味な印象を受けることが少なくありません。九州人の私は、関西の人のほうが好きですね~。本音で話せる感じがする。

 そういえば、大阪セミナーの時、宇城氏の直弟子の方が参加されていて焦りましたけど、飲み会で“変わっていく師匠への哀しさ”を訴えておられたのが本当に気の毒でした。

 なんでも、宇城氏に甲野氏を引き合わせたのがその方だったのだそうで、非常に後悔されていましたね? 影響されてしまった・・・と。

 その後、その方も結局、宇城氏から離れて「宇城氏以上の弟子を育てる!」と宣言されていましたが、大阪は男気のある人が多いと思いました。随分、長く会っていませんが、きっと頑張ってお弟子さんを育てられていることと思います! 応援してますよ!

 ただ、あまりにも宇城氏を過大評価して他の流儀の優れた人達に目を向けないのでは、もったいないと思いますね?

 どこの流派団体にも優れた遣い手は必ずいますから!

 例えば、私は発勁の威力には絶対的な自信を持っていますが、それは自分が優れているというのではなく、“発勁という技撃法のメカニズム自体が優秀である”という認識であり、私が教えれば誰でも私と同程度かそれ以上に遣えるようになると確信しています。

 そういえば、ポーランドの武術研究家ヤヌシュ先生一行と技術交流した時、私が八極拳式発勁(冲捶=中段突き)で、キックミット持った横浜支部長が吹っ飛んだ時は、隣で練習していた空手の人達が唖然として見ていた?と、後から会員から聞きましたけど、0距離打撃の威力には驚かれるでしょうね?

 新年会後に兵庫支部長から電話があった時に、両手で胸をド~ンと押してきた人に対して、(そうだっ? 抖勁で跳ね返してみよう!)と思って、押された箇所から発勁して打ち返してみたそうなんですが、相手はウギャッと言って崩れ落ちてしまったそうで、何と、ギックリ腰になってしまったのだそうでした。

 多分、脚で踏ん張っていたので威力が中間点の腰椎に作用してしまったのでしょう。

 後ろに素直に吹っ飛ばされていた方が被害は無かったんでしょうけどね?

 やっぱり、0距離打撃は恐ろしい技だと思いますよ。要するに、中国武術の暗勁と同じなので、ポンッと打ったようにしか見えないのに甚大なダメージを与えてしまえますからね。最新DVDの『0距離打撃戦闘法』が高山本店さんに卸している分の売れ行きがえらい早いんですが、中国武術ファンが密かに買ってるのかもしれません。

 だけど、何度でも繰り返しますが、本当に危険なんで、絶対、人を打って試したりしないでくださいね? 武術は飽くまでも「護身術」なんですから!


・・・新年会やってみて、今、游心流に集まってくれている人間の善良さ、嘘の無さ、好きな武道に打ち込む一途さ・・・そういった純情一途さというのは、現代では死滅しかかっているものなのかもしれませんが、人間は本気で愛する時は、損得感情なんか捨てて、真っすぐ向かうものなんだと思います。

 うちの会には他流経験者がたくさんいますけれど、それまで学んだことを無価値だと思ってもらいたくありません。

 極真空手、芦原空手、円心空手、新体道、合気会、気の研、空手協会、講道館柔道、剣道、居合道、杖道、日本拳法、少林寺拳法、不動禅少林寺拳法、詠春拳、ジークンドー、クラブマガ、システマ、剛柔流、大東流、八光流・・・等々、どんな流儀でも、先人が命をかけて生み出し、誇りをかけて護り伝えてきたものですよ!

 それにプラスして、游心流で学んだことに誇りを持ってもらえるように、今後も研鑽を怠らないようにしなければ・・・と、改めて思いました。

 作家が主体になっても、私は生涯、武術という文化の研究家であることに誇りを持っていきたいですね。

 それがたとえ、人を殺傷する技術であったとしても、根本に“命を護る”という目的がある限り、伝承していく価値はあると思っています・・・。

 そうですね~?

 今年の目標としては、取り敢えず、“強い弱い”という価値判断ではなく、「“命を護る”というのが武の道なのだ」という価値観を広めたいですね?

 暴力で他人を従わせるのではなく、いかなる暴力にも屈服することなく孤高を護り、それゆえに他者を尊重する・・・という真の意味に於ける“唯我独尊”。そのためにこそ武術修行は価値があると主張したいものです。

 そのためには、自分がそういう心掛けで生きていかないといけないよな~?と思いますね。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

ほびっと村感想

 今年、しょっぱなのほびっと村の講座は游心流合気道の初披露となりました!

 つまり、游心流武術の考え方を組み込んだ合気道ということですね?

 ちょうど、0インチ打撃法を幹部クラス全員体得してしまって、危険過ぎて迂闊に打てなくなってしまったので、崩して制圧する合気道の技術体系と、殺伐としない技の掛け合いが中心の稽古法がピッタリだと思ったんですよ。

 そもそも、合気道が現在の練習体系になったのは、怪我人が続出して“地獄道場”という異名をとるほどだったので、普及するために安全に技を掛け合えるように工夫した結果だということなんですね。

 創始者である植芝盛平翁も、最初は大東流柔術と名乗った時期もあり、後に相生流と名乗ったり、九鬼神伝流との関連も匂わせたり、実は結構、紆余曲折しておりまして、合気道に落ち着くまでは色々とあった様子です。

 巷間に知られるように、大東流を武田惣角に習った後に大本教に入信してから独自の悟りを得て合気道と名乗った・・・というような単純なものではなかったようです。

 それと、本当に危険な技は、お互いが弁えて安全に気を配りながら注意して練習しないと体得できませんし、そういう練習ができるのが合気道の素晴らしいところだと思うんですね?

 もっとも、私自身は合気道を実際に体験したのは一時間半しかない訳で、そんな人間が合気道を名乗ったり教えたりしていいのか?って疑問の声があると思います。

 いいんです!

 游心流の中の合気道なんですから、部外者にとやかく言われる筋合いじゃありません!

 ただし、専任師範は私以外から選ぶつもりでいます。

 順当なのは東京支部長の小塚師範なんですが、「大学の部活でやっていただけの人間がおこがましいですよ~」と遠慮しているので、まだ正式には決めていません。

 他にも修行歴が10年の人と20年の人もいて、その他にも数人いるので、やってるうちに自然に決まるだろう?と思って、今は焦っていません。

 何よりも、技の研究するのが楽しくってしょうがないんですよ。

 横浜支部長の栗原師範も、「(うちは)こんなに楽しいのに、何で、皆、興味持ってくれないんですかね~?」と首ひねっていました。

 私も不思議です。

 游心流合気道も各派の合気武術を研究した私の集大成としたいと思っています。

 従来の合気道では裏技扱いになっている当て身も多用しますし、剣の理合との融合、対武器などを流派の特色にしようと思っています。

 要するに、私が触れて示唆を受けて脳内で理想化された合気道を具現化したい!という欲求が生じたんですね。

 これは、やっぱり新体道と佐原先生の合気道を取材させてもらったからだと思います。

 御承知の方は少ないと思いますが、ザックリ言って、新体道は空手をベースにして合気武術の理合で構築されていると言っても間違いにはならないでしょう。特に、養気体の技は空手とは別物です。

 以前、武術研究の先輩Nさんから、「長野さんの技は中国武術の技を日本武術の理合で使っているね~」と言われたことがありましたが、そう言われて、あ~、なるほど、そう言われたらそうだよな~?と思ったものでした。

 読みも交叉法も剣(居合)術の理合なんですよ。

 それを応用して中国武術の使用法を工夫したのが北区赤羽にあった大日本講武會の櫻公路一顱先生。

 縁あって学べた理合を以ていろいろな流儀の達人を観察して回った結果、「私のような素質も才能も無い人間でもできるかも?」と直感して研究して、もう四半世紀も経過しますよ。

 中でも、日本武術の特質とも言えるのが合気道の中に受け継がれているような気がしますね。

 それが、力を捨てる・闘争心を捨てるということで、捨ててしまって0になることで個人の力ではなく自然と調和した力を駆使することができる!

 合気って、そういうことだと思います。

 我を捨てて、流れに身を委ねる。

 身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり・・・なんですよ。

 個人指導の時に合気道三段のIさんに教えていて、彼が「正直言って、まだ筋力が必要なんじゃないか?と先生を疑う気持ちがあるかもしれません・・・」と言ったんですが、なるほど、彼がさっぱり伸びなかった理由が判明したと思いました。

 要するに、捨てられないんですよ。だから、体得できない。

 手に荷物持っていたらダイヤモンドが落ちていても掴めないですよね?

 気持ちが固まっていたら身体は思うように動いてくれません。気持ちを楽にしていたら、相手が殴ってくるのも先に解ってひょいひょい避けられます。

 何事も、上手な人というのはリラックスして余裕があります。

 下手な人は、緊張して身体が固まり、視線が一点に固定しています。

 私が脱力が大切だというのは、根本の問題なんです。

 気持ちと身体は一体なんです。

 だから、どちらかをコントロールできれば心身はコントロールできるんですよ。

 それから、私に習いに来る人は、未だに「游心流は広まってもらいたくありません。自分たちだけのものにしていたい」と言う人がいるんですが、こういう姑息な性根でいると技も体得できないんですよね。

 要するに、劣等感があるから優越感に浸りたくて武術に依頼心を持ってしまう。

 現実逃避です。

 武術ができても偉くも何ともありません。

 私は作家として成功したいとは思いますが、生涯、武術家なんて名乗りたくありませんよ。

 名乗ってる人達は優越意識があるんでしょうが、武術家という肩書は一般人にとってはヤクザの親類くらいにしか思われませんし、少なくとも知性的な人間とは思ってもらえません。

 実際、非常に知的水準の低い人が多い(マニアックな知識はあっても、一般常識的な知識が欠落している)のが現実です。

 私の場合、武術は護身のため。そして修行は娯楽。楽しいから練習する。それだけ!

 生活の糧を得るのは売文業に徹したいですよね。数年のうちに作家として生活を確立させようと思っていますから、毎月、資料本に何万円も費やして勉強しています。お陰で貯金はまったくたまりません。

 でも、これは稽古をするより遥かに重要なことです。

 誰もが誤解していますが、武術とは身体運動よりも脳機能のトレーニングなのです。知識を蓄え、知恵を磨き、論理的戦略思考を発達させなければ意味がありません。

 実際に自分の五体を駆使して戦わねばならないのは下策なんですよ。

「戦わずして勝つ!」というのは、知恵を使え!という意味なんですよ。無論、上級者同士の立ち合いでは“位(くらい)勝ち”というものがありますが・・・。

 だから、「武術は馬鹿には体得できない」と言われているのです。

 ただし、文化としての武術の研究は、私に課せられた天命だと思っています。だからこそ、武術を利用して文化人の真似事みたいなことはしたくないんですよ。

 それは天に唾する行為だと思っています。

 そんな連中、ざらにいますからね~。同類と思われたくありませんよ。

「猛練習することを意味がないと言うんですか?」と、最近もよく聞かれます。

 猛練習することの意味を考えてやるのなら、ある程度の意味や効果はありますが、無心にやればそれでいいと思っているのなら大間違いです。

 答えが知りたい人も多いでしょうから、解説しておくと、猛練習というのはランニングハイのような動的瞑想法による変性意識状態に脳の状態を導くための一つの手段です。

 一つの手段と言うからには、他の方法もいくつもある訳で、効率を考えると、それほど賢いやり方ではありません。過剰な肉体鍛練による傷害の心配もあります。

 瞑想法の類いも問題が無いとは言えません。瞑想修行で廃人同然となってしまった人の話は、精神世界方面ではざらに聞きますし、私も何人も実見しています。

 原因は、神経伝達物質の過剰分泌による現実感覚の喪失だろうと考えられます。

「身体に良いものは沢山とればいい」と考えるのは阿呆です。何事も適正量というものがあるのです。薬を大量に飲めば毒になるでしょう? 何故、それを考えない? 馬鹿過ぎますよ!

 神経伝達物質であるドーパミン、エンドルフィン、セロトニン、ノルアドレナリン・・・等は適正な分泌量でなくては心身に悪影響を与えてしまう・・・という基本認識が欠落している人もいますね~。しかも、現役医師免許持っている人が・・・(気が狂ってる)。

 神経伝達物質は麻薬や覚醒剤より遥かに強力な幻覚作用をもたらすと言われており、昔、『脳内革命』という本が流行りましたが、最近も類似の本が出版されたりしているようです。

 はっきり言って、天然シャブ中患者を増やすだけだと思いますね。

 瞑想法を教える団体で、このような失敗した人を出していない団体は、恐らく皆無でしょう。

 私は具体的に名前を挙げられますが、敢えて書かずにおきましょう。

 私のところでさえ、気功の研究をしている連中が言動がおかしくなって、結果的に破門にせざるを得ませんでした。

 私の指示を無視するようになったからです。これでは治るものも治りません。

 一人、関係妄想の症状を訴えてきた会員の時は、「それは精神疾患の症状だから、しかるべき治療を受けなさい」と指示して従ってくれたので大丈夫でしたが・・・。

 何事も“中庸”が大切なのです。

 気持ち良ければそれが正しいことなのだと結論付ける・・・それは自己催眠に陥って思考停止しているだけなのです。

 世の中に溢れるマルチビジネスの類いは、そうやって信者を増やしていくのです。

「プラスイメージを持ちなさい」って、誰もが自分にとって都合の良いプラスイメージでしか考えなくなったら、世の中はメチャクチャになってしまいますよ。利己主義者を増産し続けているのが自己啓発セミナー系の阿呆システムなんですよ。

 ずる賢い詐欺師が愚か者を量産して金を吸い上げるために考え出したものです。

 お金というのは、生活を支える大切なものであり、だから働いて賃金を得ることが生活の核になっている訳ですね。

 よく、「健康は金に代えられないでしょう?」と言って法外な治療費を要求するクソ療法家?がいますが、彼らの正体は拝金主義者なんですよ。病気に苦しんでいる人を洗脳して金を絞り取ってしまうのでは、たとえ病気が治っても、借金苦で自殺するハメにならないとも限りません。

 病気治しを謡い文句にする霊能者とか新興宗教なんかも同様です!

 健全な批判精神というものは社会性ある大人にとって必須のものです。

 問題点をきちんと認識し、それを解決していくこと無しに未来は無いのです!

このページのトップへ
コンテントヘッダー

脱力体感想とお知らせ

 1/8は、本年初の月例セミナーでした。

 今年は一括予約申し込みの方が少なかったので、かなり少なくなるかな?と思っていたんですが、そうでもなかったですね?

 会員になると半額になるので、入会希望と一緒に受講された方もいます。

 もう“脱力体”が游心流の基本以前の基礎中の基礎なので、これができないと後のいろんな技はみんな中途半端になってしまいます。

 伸び悩んでいる会員を見ても、まず脱力の度合が悪い人が多いんですよ。

 武道や格闘技の経験者の方が脱力は苦手な人が多いので、最初は随分、苦労する人がいます。

 横浜支部長の栗原師範も、5年くらいはうまく脱力できずに苦労されていました。

 5年というと、普通の人は諦めて辞めてしまいますよね?

 何しろ、うちで5年以上続けて来ている人は10人いませんからね。

 他所の道場も、最近は三カ月続ける人すら少ないのだそうです。一回来て来なくなる人すら珍しくなく、入会手続きだけして一度も練習しない人すら数人はいました。

 私自身、何年も続けた流儀はなく、せいぜい、2年くらい通った程度なのですが、でも、技を体得しようという欲求は異常に強くて、体験入会しただけであっても、ずうっと練習し続けて基本は体得してきています。

 だから、ある道場で体験した時に、そこで一番ベテランだった人から「長野さんはやったことあるんですか?」と聞かれて、「いいえ、今、初めてですけど」と応えるとビックリした顔で、「いや、長野さん、うちの道場の誰よりも上手いですよ。何年もやっているのかと思ったんですが、本当に初めてなんですか?」と言われたことがありました。

「技の外形を真似るのが上手いだけ」の人ならいるんですが、私は中身を考えながら動いて結果的に外形が整うのが正しいと思っているので、そのように動いたつもりでした。

 その方も私と同様に考えて練習されていたから、「この人は違う・・・」と思われた様子でした。

 私は強くなりたいというより技の本質を体得したいと思って練習しているので、技を観取るのは凄く上手いですよ。

 だから、脱力が重要だと気づいたのも、技が生み出す威力というものが筋力とは少し違うな~?と思ったからです。

 それは古武術や太極拳、合気道の修練の中で確信に変わり、様々な武術に応用して独自の体系ができあがってきたという次第です。

 ここ何年かは日本刀の研究で得た理合を還元してきて、より発展してきたという実感がありますが、それは、「武術は武器を用いる戦闘術が本筋であり、素手の技術は副産物でしかない」という考えにまで行き着きました。

 何故か?というと、武器というものは筋力で操作するものではなく、身体機能を特段に飛躍させる道具だからです。

 人間が動物と最も異なるのが、道具を作って使う能力を持っているという点です。

 もちろん、カラスや燕が巣を作ったり、ビーバーがダムや巣を作ったりもしますが、作った道具を駆使したりはしませんよね?

 持って生まれた本能的機能の範疇でしか動物は生きられません。

 しかし、人間は本能を抑制して理性と知性を駆使して道具を作り、それを使う能力を持ち、しかもその能力を進化させてきています。

 武道や格闘技を好む人の中には、闘争本能の昇華のために取り組む人がいて、闘う行為そのものに耽溺する人もいます。

 つまり、スポーツとして取り組む訳です。

 娯楽、遊戯としてのスポーツを否定はしませんが、少なくとも武術の本質はそこにはありません。

 スポーツは本能で楽しむものです。論理は必要ありません(上達論とか勝負論とかを持ち込むことはできますが、それはスポーツの在り方とは実は無関係なものです)。

 ところが、武術というのは本能を超えて純粋に戦闘を論理化させたものなのです。

 即ち、「戦闘に勝つために何が必要か?」という観点で技術が体系化され発展していくものなのです。

 それは生き死にを問題としているから、本能に任せた勝負で体力・気力・根性に頼っている訳にはいかないからです。

 格闘漫画だったら、気力と根性で実力が上の相手に辛うじて勝っていくのを描くのがカタルシスに繋がる訳ですね?

 しかし、ウルトラマンだと怪獣の弱点を攻撃したり必殺技でブチ殺す。勝てない怪獣に遭遇するとウルトラブレスレット貰ったりして勝ったりする。

 生きるか死ぬかの勝負で綺麗事いってられませんからね?

 ところがどっこい!

 武道やっている人間に限って、綺麗事ばっかり言うんですよね~? 本当に危機感というものが無い!

 私は綺麗事言う人間が世の中で一番、嫌い! 要するに、“鈍感”なんですよ。

 人の痛み、苦しみ、悲しみ、恐れ、不安・・・といったものに対する共感する優しさが欠けてるから、無神経な綺麗事を口にして恥じることがないのです。

 私はいろんな業界(オカルト・社会運動・新宗教・教育・差別問題・環境・健康法・療法・芸術・自主映画・文芸・出版)に首突っ込んだから、いろんな人達に会いましたが、真摯に取り組んでいる人ほど、綺麗事を口にしません。できなくなるんですよ。

 綺麗事を平気で口にする人というのは、基本的に嘘つきで無責任、冷淡ですね。

 良く言えば合理主義者ですが、はっきり言って人間としての深みが無い・・・。

 薄っぺらな人間と話しているとムカついてくるんですよね?

 武術の世界では、青木宏之先生、松田隆智先生、友寄隆一郎先生、佐原文東先生・・・くらいですかね~? お話していて充実感があった方は・・・。

 中でも青木先生と松田先生は私にとって格別な先生でしたね?

 ツーカーと言えるような、何でも包み隠さずに話せる先生で、何時間でも話していて飽きることがありませんでしたよ。

 もちろん、相性もあるとは思うんですが、私は権威主義的な先生とは根本から合いませんから・・・(だから、反発して生意気なヤツだと目の敵にされたりしました)。

 自分がされて嫌なことは会員にもしないように気をつけていますけど、「先生と呼ばれる以上は教育的指導はしなくちゃいけない」と50過ぎてからは自戒しています。

 ダメなところはダメだと指摘してやらないと直らないですからね? 言ってもダメな人はもう放置プレイで何も言わないし、問題あると思ったら「はい、破門です」って平気で切り捨てます。

 青木先生から、先日、「それはやってはいけない」と言われたんですけど、縁を切る宣言をすることで相手の中に変化が生じ、一時的に私を恨んでも、いずれ自分の問題点に気づいて自ら直す切っ掛けを与えることになると思うので、私は迷いません。

 私は人から嫌われたり逆恨みされることには何の恐れもありません。他人の批評なんかどうでもいいのです。

 生きている間に、現実にどれだけの成果をあげられるか? そこにしか関心がありませんし、自分の思いに嘘をつかない! それだけですよ。


 今回のセミナーは大阪支部長の任命と大阪支部の新規活動を報告しました。

 具体的には3月から毎週日曜に開催する予定とのことで、本部師範が教えに行く大阪セミナーも年内には開催する計画でいます。

 10年くらい前までやっていた大阪支部とはまったくの別組織ですが、当時、来ていた方も参加は可能ですから希望される方は申し出てください。

 ちなみに、游心流の指導員は二段からで、師範代は三段、師範は四段を認定します。

 技もともかく基本は人柄で選びます。

 普通に練習に通っていれば一年で初段は取れますが、二段は三年はかかるかな~?というところです。

 ただし、寸勁斬りができれば二段を許しており、大阪支部長も私の目の前で寸勁斬りが連続でできたので二段を認定し、支部開設の許可を出した訳です。

 直接教えた回数は10回に満たないと思いますが、とにかく武術の研究に熱心なので(熱中し過ぎて他の会員から苦情?が出ていたくらいで、私も“暴れる君”とあだ名つけてた)、会う度に格段に進歩していました。

 今回は特に進歩が著しく、やる気も満々で指導カリキュラムも自分で考えてきていたくらいなので、栗原師範が「彼はえらいな~」と非常に感心していましたね。

 うちの技はあまりにも危険過ぎるので、安易に広める訳にはいかない?とは思っていますが、だからこそ老人でも女性でも護身術として抜群の効果を出せると思いますので、あくまでも護身術として広めていきたいんですね?


追伸;直前ですが、15日(日)は西荻窪ほびっと村学校で、游心流合気道の初お目見えです! ムチャクチャ寒くなりそうで不安ですが(また風邪がぶり返しそう?)、気合入れてやりまっす! 合気道は本当に使えるのか?と心配な人は是非!

このページのトップへ
コンテントヘッダー

脱力体の重要性

 今度の日曜日は月例セミナーの第一回ですが、毎年、第一回目は「脱力体の養成」をテーマにしています。

 どうして脱力体を第一にもってくるか?と言いますと、武道にしろスポーツにしろ勉強にしろ、筋肉に力を入れて緊張する程、効果が上がらなくなると考えるからです。

 ものの考え方が一面的で独善的な人は、身体的にも緊張して身体が堅い人が多い。

 もちろん、緊張型の人は勤勉であったり真面目であったりする良い面もあるのですが、行き過ぎてしまうと頑迷で融通が利かない愚か者になりかねません。

 武道家には、こういうタイプが実に多かったんですね。

 私は、だから武道家が日本の様々な業界で活躍できなかったのだと思います。

 もっとも、権力者に忠実なタイプは武道家タイプでしたから、戦前は奨励されました。

“権力の番犬”にはもって来いなんですよね。

 しかし、こういうタイプは達人とか名人にはなれないですよ。

 もちろん、その生来の真面目さ、勤勉さから稽古は熱心にやり続けるので、高い段位になって有名になる人はざらにいます。

 けれども、だから達人だとか名人だとか言えるのか?というと、私は全然、違うと思いますね。

 少なくとも、私が会った達人、名人と呼べるレベルの先生方は、物腰が柔らかく考え方も柔軟な方ばかりでしたし、洞察力が人間技のレベルではありませんでした。

 つまり、非常に頭脳明晰なんですよ。

 私は文筆業やってますから有名大学出てたり頭の良い人には沢山会っていますが、そういう人間としての頭の良さではなくて、やっぱり洞察力ですかね~? パッと見て、相手の本質を観抜いてしまうとか、そういう妖怪的な頭脳の持ち主なんですよ。

 年末に最近、紹介してもらって知人になった合気道家の方から知らせてもらって知ったんですが、合気会の若手の指導員が迷惑行為で警察に捕まったのだそうですね。

 ニュースを見ると、真面目そうだけれども前頭葉の働きが悪そうな目付きでした。

 脳の状態は大体、目に顕われます。

 ストレスとかあったのかもしれないけれど、犯罪行為をやってしまう言い訳にはなりません。

 恐らく、自分の欲求を適度に発散させられない性格で、ストレスを溜め込み続けてしまって爆発したのかもしれません。

 つまり、考え方が固定していて柔軟にあれこれ考えられなかったのでしょう。

 武道の先生は、そういう愚直さを持て囃してしまう傾向が強いので、弟子は疑問があっても先生に質問したりしないし、先生の問題点を指摘することも憚ります。

 武道の先生は、どんな無茶ブリをしても黙って従う“自分の頭で考えない”馬鹿が大好きなんですよ!

 だから、“思慮分別の無い馬鹿”が増殖するんです!

 武道の世界は、未だに前時代的な封建主義の道場が非常に多いですよね。私は、そういう道場を見るとウンザリさせられます。いつの時代やねん?と・・・。

 もちろん、最低限の礼儀も節度も必要ないとは言いませんけれど、もっと普通にやれないもんかな~?と思いますね。

 何か、“量産型馬鹿の製造工場”みたいな道場すらありますから・・・。

 そんな世界だから、“大馬鹿が先生やっている道場”も少なくありません。

 10年くらい前だったか? 荻窪の体育館を利用していた時に、個人解放の時間帯で畳の上で我々が数人で練習していたら、道着を着た爺様がヨタヨタとやってきて、無言で我々に向かって、シッシッと犬でも追っ払うみたいな仕草をしました。

 一人の会員が怒った顔で何か文句を言おうとしたんですが、「まあまあ」と宥めて、わざとらしくニコヤカに「どうぞ、どうぞ~」と場所を譲りました。

 その爺様。何と合気道八段の大先生?だったらしい・・・。

 でも、私の目には、ひいき目に見ても二段がせいぜいという程度にしか見えませんでしたし、いつも小人数で練習している合気道の先生らしき壮年の人の方がずっと実力がありそうでした。この方は明るく謙虚で、立ち居振る舞いが実に見事でしたね~。

 清心館佐原先生とお話していた時に、「あの先生が八段だったら佐原先生は八十段ですよ」とギャグを言ったら佐原先生は苦笑しておられましたが・・・。

 武道の世界は、喧嘩が強ければ尊敬される世界だったりするので、しょうがないか?とも思いますけど、これじゃあ、世間的に尊敬される道理がありませんよね~?

 ジャイアンが尊敬されてスネオが一番、嫌われる?(私はドラえもんみたいなもんなので、「長野はズルい!」と嫌われる・・・)って、何だかな~?


 え~っと・・・それで、何を言いたいのか?というと、私は、「本来の武道も武術も、みんながイメージしているようなものじゃな~いっ!」と言いたい訳です。

 武道にしろ武術にしろ、今現在、ものすごく表面的で抽象的なイメージで語られますでしょう? 専門家を名乗っている人達ですら首を捻るようなヘンテコリンな定義を言い出すから、本当に困ったものです。

 実際に修行している人間ですら、自分が何を修行しているのか?ということを全然、解ってないんですよ。だから、質問したって答えられない。

 じゃあ、武道をやっている大学の先生なら?と思って聞いてみても、いや~、やっぱり無理ですよ。

 何故なら、武芸百般の経験が無いし、流派の違いや各国の民族に伝わる武術についても知らないし、武術と舞踊、宗教、医術の関係なんかまで幅広く研究している人なんか皆無でしょう?

 どうしてそうなるか?というと、皆、自分の学んだものが一番だという思い込みに埋没して自己満足に陥ってしまうからですよ。

 即ち、頭が堅いんです・・・。

 武術で一番、重要なのは、「考え方を柔軟にすること」なんですよ。

 そもそも、武術って、人間にとって最も忌むべき“殺人”の技術を修練するものですよね? これって倫理的にも社会通念的にも完全にOUTでしょう?

 その完全にOUTな文化が、何故、何百年何千年も延々と伝えられてきたのでしょう?

 それは、「生きるためには戦わざるを得ない局面がある」という“生存のリアル”に対する具体的な対策を教える解答の一つだからです。

 警察や軍隊が無いと社会も国家も維持できない。けれども、もし絶対権力を持つ施政者が民衆を完全に支配するために警察や軍隊を利用したらどうなるでしょう?

 この具体例は、ナチスのホロコースト、ポルポトのクメールルージュ等々、人類の歴史に無数にあり、現在も続いているではありませんか?

 思想として暴力を否定し法律で処罰することにしたところで、現実の暴力が無くなることはない訳ですよ。

 その現実の暴力から個人が自己防衛を考えた時に“武術が誕生する訳”です。

 武術というのは権力から切り離された“完全なる自己防衛術”なのです。

 本質として、そこに正義だの善だの悪だのという概念はありません。あるのは、唯一、「護るための戦闘術」です。

 概念があるとすれば、“完全なる専守防衛の術”だということくらい。

 だから、中国、琉球の武術家は、自分が武術ができることを隠しておくことが基本でした。そして、やむを得ぬ場合にのみ遣った。

 日本では安土桃山から江戸時代初期を中心に武芸を売って地位を得る風潮ができましたが、一部の武術家は隠して生きたようです。腕前をアピールする行為を恥ずかしいことと考える人もいた訳です(まっとうな社会人ならそうですが・・・)。

 私も学生時代に母親から「お前はそんなことやっててヤクザにでもなりたいのか?」と言われたことがあります。

 父親は剣道の有段者だったので、私が武術にのめり込んでも文句を言ったことはありませんでした。

 まあ、男のロマンは女には解らんし、熊本の男は武道やるのが一つのステイタスだったのかもしれません。

 それはさておき、最近のストーカーやら通り魔、狂人の起こす事件などをニュースで見ると、「俺だったら、こんなヤツ、一瞬で倒すのにな~? くっそ~、ちゃんとした武術を広めたいな~?」と思うのです。

 競技に偏っている武道や格闘技には自己防衛術の概念が乏しく、特に“対刃物”をさっぱり考えていないんですよね~。

 何故、考えないか?というと、自分が練習しないからですよ。

 鉛筆を削れないとか料理ができないとか、最早、珍しくも何ともないでしょう?

 日本の教育環境の中で刃物の使い方を教えないのは、本当に大問題だと思いますね。

 それで、数年前から、私は游心流の中で制定したナイフ術を指導しようと思い、游心流独自のタクティカルナイフも考えていました。

 年末年始に風邪が治らずに困っていたんですが、無駄に時間を浪費するのが嫌だったので本を読みまくったりしていたんですよ。

 その時、ふと、以前に「システマ剣術シャシュカで使うアルミ製の刀が折れたので先生にプレゼントします」と会員さんに貰ったシャシュカの折れた切っ先があったのを思い出したので、これを金ヤスリで加工してみようと思ったんですね。

 ヤスリでガシガシ削っているうちに、あれこれイメージが湧いてきて、ちょっと面白い形になってきました。

 最初は、以前、田中光四郎先生に贈った両刃の日本刀の短刀みたいにするつもりだったんですが、「非対象の両刃でブレイドとグリップが一体化したものにしてみようか?」と思いつきました。

 私は同じ物を二回作るのは嫌なんですよ。せっかくロシア武術の刀剣だったんだから、日本風にする必要はないだろう?と思いまして、握りは、順手と逆手で握った時に安定してグリッピングできるように削り込んでみました。

 やっぱり機能性を優先しないと格好だけ良くてもダメですからね。

 アルミの鋳物らしく、空気が入ってス(透き間)が出来た箇所が多く、だから折れたのだろうと思いますが、トレーニング用ナイフとしては強度的に十分ですから、プロトタイプをいくつか作ってみてから正式採用する本物のナイフを作ってみるつもりです。

 游心流合気道では対ナイフを基本にするつもりです・・・。合気道って元々、そういうものだし、冨木式合気道がまさにそうですよね?

 さて、話を戻します。

 考え方というのは、その人が生きてきた中で自然に固まってきているものであって、「はい、そうですか?」と簡単に変えられるものじゃありません。

 例えば、敬虔なキリスト教徒に「イスラム教こそが正しいのだから変えなさい」と言っても、無理でしょう?

 だから、考え方をいきなり変えさせるのは無理なのですね。

 しかし、考え方が固定している人というのは、概ね、身体が堅いものなんです。力む癖がついている。

 だから、まず、身体を柔軟にする!

 脱力することを身体に覚えさせる。

 身体の力みを抜くことで精神もリラックスする・・・その状態でこそ脳機能が円滑に働き、考え方も柔軟になる・・・という仕組みです。

 だから、私は、これまでの「武道をやると馬鹿になる」という状態を「武術をやると頭が良くなる」という方向へ転換していくような啓蒙活動をやろうかな?と思っています。

 その第一歩として「脱力することによって達人しかできないと言われている技がバンバンできるようになる!」ということを証明しますので、初めての方こそ、歓迎致します。

 来たれ!


追伸;今年は、支部がいくつか増えそうです。10年くらい前にやっていた大阪支部も新しく復活する見込みです! 関西方面は兵庫支部に続いてですが、復活して欲しいと言っておられた皆様、御期待ください!


このページのトップへ
コンテントヘッダー

2017年挨拶

 明けまして、おめでとうございます!


 2017年しょっぱなの稽古は1/2に淵野辺本部稽古会で実施。

 北島師範栗原師範が参加していましたが、私が風邪が治らずあまり動けなかったので、口頭で解説する指導に留めて早めに切り上げました。

 1/5の木曜日にはメイプルホール稽古会(19:00~20:45)、そして、2017年月例セミナーの第一回目『脱力体の養成』は1/8(日)、ほびっと村学校講座は1/15(日)に開催します!

 今年は予約されている方が少ないのですが、毎年、進化した技術指導内容を自負しておりますので、久々の方、初めての方も歓迎致します。

 2016年は技術的に変革があった年でした。

 游心流武術の戦闘理論では「寸勁(ワンインチ打撃)を多用する」というものがあって、それに準じて構えや戦闘法を組み立てていたんですが、これを「零勁(0インチ打撃)を用いる」というものにしたお陰で、構えから何からかなり変わってしまいました。

 特に、0インチ打撃技を用いるということを前提にすると、“打撃技”に於ける“力のタメ”を一切排除してしまうので、いわゆる空手や拳法のような打撃格闘技のスタイルでなくなってしまうのです。

 例えば、2016年最後の練習である日曜の本部稽古会では、太気拳構えによる差し手の練習で、腕を肩より上に掲げていたのを、肩の位置まで下げて、両手の平を相手に向けて、「まあまあ、やめてくださいよ」と制止するポーズに変えました。

 これまでは、相手が突いてくる腕に“落として接触するように”差し手をおこなっていたんですが、このポーズからは、打ってくるのに“添える”ようにするだけで事が足ります。

“落とすやり方”の問題点は、「タイミングがずれると空振りして隙が生じてしまう」という点だったので、相手の攻撃の瞬間にドンピシャでタイミングを合わせる必要がありました。

 つまり、相手が“主体”で自分は相手に合わせて“従属して”いたのですね。

 しかし、新しいポーズだと、別に相手が打って出てくるまで待つ必要もないし、自分から「まあまあ・・・」と言いながら近づいていって接触することも可能になります。

 実際、会員にやらせてみても、「こっちの方が格段に楽ですね」という感想でした。

 このやり方は以前から剣術で研究していた“続飯付け”の応用なんですが、剣でできるなら手でやった方が簡単にできる筈ですからね。

 要するに、“先の先”を取る訳です。

 何か、フライングだと勘違いしている会員さんもいるみたいなんですが、はっきり申し上げておきますが、武術の戦闘理論にフライングという概念はありません!

 読みも何も無く、勝手に動いて無防備にカウンター攻撃を食らうのがフライングなのであって、相手が攻撃しようとする寸前に止められれば、それに越したことはない訳です。

 ですから、一見、フライングに見えるやり方を二回以上続けていたら、それは狙ってやっている訳ですね。私も修行時代にはよく勘違いされました。相手が“先の先”を知らないと理解できない訳で、「何か不思議だ~?」と言われたりしましたが・・・。

“後の先”を狙って、相手が動き出す瞬間を待つのが癖になっている人は、いわゆる気配の出ない攻撃や、相手の攻撃力が予想外に大きかった場合に遅れを取ることになってしまいます。

 ですから、武術の上級者は先手先手を制していくようになり、ついには、相手が攻撃動作をする以前の攻撃意欲が脳波に出た瞬間を制する“先の先”“先々の先”を取るのが当たり前になります。

 これは剣術だから生まれた理合だろうと思われます。素手で闘う場合にそこまでの必然性は生じませんから・・・(多少、殴られたぐらいで死ぬ恐怖はないでしょ?)。

 私が新体道を高く評価し青木先生を古今独歩の最後の名人と称賛を惜しまないのも、この“脳波レベルの読み”を体現されているからであって、だからこそ、数多の武道家・格闘家を難無く圧倒的に退けてしまった訳ですね。

 私が目指しているのもそのレベルなので、ここは誤解されないようにお願いします。

 さて、0インチ打撃を体得していれば、この「まあまあ・・・・」の構えと戦法が鉄壁の戦闘理論となります。

 無論、接触してから打つのですから、相手も打てる間合ではあります。現に、忘年会でやって見せた時、大石総教練は私の腹にパンチを出してきましたからね。

 ただし、素手を前提で考えた場合、接触したところから100で打てる人間と、加速度をつける距離が無いと打てない人間では、同時に打てば前者が圧倒的に勝てる訳です。

 両方が0インチ打撃を体得していたら、相討ちになるでしょう。差ができるとすれば、急所に当たるか威力に差があるか?・・・です。

 素手での0インチ打撃法で我々(私と師範、常連会員数名)が体得したのは、『修羅の門』に出てくる“無空波”に近いものです。振動波を打ち込むので体内に複雑な波紋効果を生じさせ、まったく予測不能のダメージを発生させるのです(DVDで練習法は解説しています)。

 これは、衝撃力の大きさではなく、また単なる貫通力でもありません。浸透して毒に侵されるような性質のダメージになります。

 これは低威力の軽い弾丸が人体に命中してから横転したりして貫通しないまま体内に残る様子をイメージしてもらうと近いかもしれません。つまり、命中した時の威力が大したことなくとも、体内で動きが変わることによって結果的に大きなダメージを生じさせてしまう訳です。

 私は、いつも発勁の演武では相手を後ろに飛ばすようにしていますが、これは、威力が体内に蓄積しないで後ろに抜けるように貫通させる打ち方をしているからです。

 この打ち方なら相手が派手に吹っ飛んでも実際は体内への破壊力は働いていません。

 もちろん、吹っ飛んだ時に後頭部を打ったりしないように受け手が二次被害を受けないように配慮する必要はありますが、このような演武なら安全なのです。

 もっとも振動波を用いた0インチ打撃を使うと、どうしても威力が体内に残留し易く、軽く打っても致命的なダメージを発生させてしまう危険性がある・・・ということがこれまでの研究で判明しました。

 例えば、DVD向けの撮影で防具を着けて受け手を務めてくれた北島師範から「内傷を負ってしまったみたいなんですが、どうすれば治せるでしょう?」と一週間後に相談を受けたことがありました。

 私に気を使って黙っていたらしいんですが、いつまでも痛みが引かないので不安になって質問した様子でした。

 私の自己治療法としてはホッカイロを貼りっ放しにして痛みが出なくなるまで様子を見るというものを過去に試して効果がありましたが、これは、その当時に来ていた会員さんから「温熱療法が効くのでは?」とアドバイスを受けて実験してみて改善しました。

 しかし、北島師範は貼りっ放しにせずに付けたり付けなかったりしていたらしく、効果があがりませんでした。

 それで、忘年会の時に仁平師範に治療してもらって治ったみたいでした。が、仁平師範も、この打撃法は寸止めに留めないと危険だと指摘していました。

 この技は、もう格闘技的な競技には使えませんね。安易に打てば、相手に予想外の致命傷を与えてしまいかねないからです。

 何しろ、防具越しに慎重にセーブして打ってもこうなってしまうのですから、競技試合の興奮状態で使えば簡単に致命傷になってしまうでしょう。それも試合後、何日か経過してから突然死したりするかもしれません。

 松田隆智先生の軽く打った発勁を手のひらで受けた青木先生が、「この突きは日本の武道には無いものだね。これをまともに打ったら内臓がグチャグチャになってしまうよ」と評しておられましたが、その打撃法がまさに、この0インチ打撃法なのです。

 その場で見ていたので、私は原理的に解析して研究したんですね。見せてもらっただけで私にとっては教えてもらったのと同じことですから、体得しないと失礼でしょう?

 松田先生は八極拳の冲捶、形意拳の崩拳、つまり“中段突き”で示されていましたが、拳や腕の横の振動ではなく、腕の芯を纏絲勁(螺旋状に巻き付くドリル状の振動)と沈墜勁(ピストン運動のような振動)が連なっている様子を内観できたので、まずは内観した身体感覚を移し取るように瞑想状態で再現してイメージ訓練し、それによって生じた自分自身の身体感覚を利用して直拳・裏拳・掌打・把子拳打・鉤手打・腕打・肘打等でも打てるように、その後、あれこれ工夫した・・・という次第です。

 ちょっとオカルト的に受け取られると困るので、このやり方は他人に教えたことはありませんが、私が見ただけで技の原理を盗める理由がこれなんですよね。

 仁平師範は教えなくとも自分でやっていましたね。

 ただ、これはイメージ力だけでも身体能力だけでもできないので、真似してできるようになる人はほとんどいないと思いますので、御注意ください。失敗するだけならまだしも、誇大妄想に陥る人もいますから・・・。

 松田先生は、「技の威力は正しい姿勢から生じる」という考え方をされていました。形が大切なのだと言われていたんですね。

 しかし、私はそうは思えませんでした。

 何故なら、現実に戦う時に正しい姿勢を取ることは不可能に近く、少なからず姿勢は崩れる筈であり、その崩れた姿勢の中からでも打ち倒す威力が出せなくてはならないと考えたからです。

 これは、私が新体道に注目した時に、“一撃必倒の突きを出す統一体”ではなく、“ぐにゃんぐにゃんに脱力した体勢からピシャッと打ち出す鞭手を用いる養気体”の技に関心を持ったり、システマに注目したりした理由でもありますが、私が泥酔した状態で日本拳法の人と手合わせした時に自然に酔拳の技が出た?という体験から直感したことでもありました。

 要は、楷書、行書、草書の別があると思うのです。

 基本稽古は楷書で、行書や草書は実用の時に用いる。そう考えれば、武術の訓練法と実戦応用の意味が理解できるのではないでしょうか?

 0インチ打撃は、肩・背中・腹・スネ・足裏でも打てますが、手技と比べるとコントロールが難しい。振動させながら打ち込むという芸当は、やはり手技に限られます。

 ただし、姿勢が崩れた状態でも打てないと、例えば、寝技でマウントポジションを取られたら為す術が無くなってしまいますね?

 立って姿勢を正確に定めないと打てないのでは実用性が無いに等しいことになるでしょう? 新作DVDでは、それを示すためにマウントを取られた状態でも打てることを示しましたが、これを実際にやれば相手に致命傷を与えてしまいますから、競技試合で試すのは絶対にやめてもらいたいですね。

 武術というのは、「どんな状況からでも逆転できる知恵と技術があるんだよ?」と言いたかったので敢えて紹介しましたが・・・。

 ちなみに、こう書くと特殊なことのようですが、白鶴拳の白鶴震身や陳氏太極拳の抖勁、柳生心眼流の武者震いといった技法も、振動波を発生させながら打ち込む工夫なのではないか?と思います。

 私も、このような技法が秘伝として伝わっている事実を検討して振動波0インチ打撃法を考案した訳で、まったくのゼロから独力で編み出した訳ではありません。

 また、濡れた犬がブルブルッと水気を吹き飛ばしたり、ベリーダンサーが体幹を細かく揺れ動かす動きなども研究しました。

 無論、これらの身体運動の基本は脱力体なんですね。筋肉をごてごてと膨らませた人はできない。だから、游心流では筋トレを御法度にした訳です。

(脱力体からの脅威の技についてはセミナーでどうぞ!)

 もう一点、ここで考えなくてはならないのは、「接触して間合が潰されている状態で迂闊に打撃技を出せば、自分に隙を生じさせてしまう」ということです。

 もし、互いが接触対面している状態で相手に殺意があったら、こちらがパンチを出したと同時に顔面に掌打(横面)と親指貫手(そのまま目に突っ込む)を入れるでしょう?

 何故か?

 パンチを出すということは、“パンチを出した腕”は防御に使えなくなるからです。

 つまり、私が打撃技の最大の盲点と考えたのが、ここなのです。

 打撃技を出した瞬間、腕や脚は攻撃力を集中させるために防御ができなくなる。即ち、「最も弱い隙間を晒すことになる」のです。

「攻撃の瞬間が防御力が最も低くなる」という真理から、「先を取る読みと交叉法」が日本武術の極意となったのだと私は考えています。

 即ち、それが戦法としての“後の先”であり、「空手に先手無し!」と言われる言葉の真の戦術的意味(先に手を出して攻撃した方が不利になる)なのですね。

 しかし、日本剣術の世界は、“先の先”を理想とします。

 だから、向かい合っただけで勝てるかどうかを察知して無益な腕試しをしないという境地に達する訳です。

 技や力の強弱ではなく、“読み”のレベルが勝敗を決める。それが日本の武術の到達した心法の世界なのですよ・・・。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

12月セミナー忘年会感想

 これまた遅くなりましたが、本年最後のセミナーと忘年会について・・・。

 北海道在住で常連の方が、「北海道が大雪で飛行機が飛べないので行けませ~ん」とメールしてくれたり、今年も最後までいろいろと想定外のことが起こりました。

 けれども、終わり良ければ、すべて良し!

 久しぶりに大石総教練、山田師範も顔を出して、仁平師範も駆けつけてくれました。

 セミナー常連の方も「来年は都合がつかなくて来れない」という方が何人かいらっしゃって、予約している方はこれまでで一番少ないです。

 けれども、私自身が作家活動が忙しくなりそうなので、今後は会員の指導は支部長に任せて、私はセミナー、講座と個人指導に専念して、常連会員と幹部は日曜の本部隔週木曜のメイプルホールで教える・・・という形を常態化していこうと思います。

 それというのも、常連会員さん達の実力もかなり上がっていて、支部や同好会での指導を任せても大丈夫だろうと思える人が増えたからです。

 なので、この日は何人かの会員さんに「游心流名乗って同好会やってもらってもいいですよ」と言っておいたんですね。

 私自身の経験上、「習うよりも教える方が実力が磨かれる」という考えがあります。

 私も最初に教えたのって20代前半なんですよ。大学の後輩にヌンチャク教えたのが初めて。ヌンチャクの技は拳正道と現代忍法道の通信講座で勉強して、琉球古武術の本買って研究してました。

 もっとも、私の世代だとブルース・リー直撃世代で自作ヌンチャク振り回して自己流で練習している人間がいっぱい居たから、振り回すだけだったら、上手い人間はいくらでも居たんですけどね?

 でも、ブルース・リーを知らない世代になるとヌンチャクなんか触ったこともない!という人が大半でしょう。まして、基本の操作法や技としての使い方まで知ってる人は滅多にいない訳です。

 武器というのは、本来、そういう性質のもので、「武器使えば誰だって勝てるだろ?」って素人さんは考えがちなんですが、とんでもありません!

 武器というものは、しっかり使い方を体得していないと使えないどころか下手すると自分を傷つけてしまいます!

 友人の時代小説家に日本刀の抜き方納め方とか教えたら、後からメールで「教わった通りにやっているのに刀を抜いて構えたら逆さまになってしまうんです」と苦情が来て、たまげたことがあります。

 要するに、抜く時に刀の柄を上から握って、そのまま構えたから刃が上側になってしまったということでしょう? 帯に差した打刀は刃が上になっているから、抜く時に下から柄を握らねばならないのですが、そう教えた部分を忘れていたのでしょうね?

 銃だって、弾の装填の仕方を知らない人が大半ですよ。極論すると一つ一つ使い方が違っていたりするんですから・・・。

 そういう次第で、映画やドラマ見ていても役者がそういう基本的なことを知らないで刀や銃を持っていたりすると、私はどっちらけてしまうんですよね。

 それと、武道や格闘技が好きな人は武器を使うことを異常に嫌う人が結構います。

 当然、嫌っているから教えても身につきません。だって練習しようとしませんからね。

 しかし、現代で“実戦”を真剣に考えるからには武器を避けて通る訳にはいきません!

 素手で拳銃や刀に立ち向かうのはアクション映画の中の演出でしかありません。本来の武術は武器術がメインであり、素手の体術はあくまでも副次的なものだったのです。

 現代武道がそうなっていないのは、社会体育としてスポーツの中に組み込んだからなんですよ。

 例えば、剣道を武術的に稽古しようと考えたら、当然、最後は日本刀を使って竹や巻藁切ったり、刃引き刀で組太刀の稽古をやったりしなければなりません。心ある剣道家はそこまで実践研究しているものですよ。

 手裏剣や弓道も、動いている的を狙ったり、複数の攻撃してくる相手に対したり、いろんなシチュエーションを設定して練習するでしょうね?

 ただし、私は手裏剣や弓矢でそこまで研究しようとは思いません。

 どうしてか?というと、現代は高性能の銃があるからですし、市販されているエアガンやガスガンでも護身用に使用できるだけの性能はある(目を狙えばいい。フルオートで撃てばアルミ缶に穴が穿く威力があるので・・・)と思いますから、敢えて手裏剣や弓矢で実戦に対応しようとは考えません。

 研究家として一応は練習していますが・・・。

 武器術の練習は、対武器への対処法の研究にもなります。何も持ってない時に複数の武装した集団に襲われた時に、降参したフリして敵の武器奪って殺しまくる・・・とか?

 テロリストに捕まった人が何も抵抗しないまま惨殺されるって、本当に悔しいし悲惨じゃないですか?

 せめて、「人を殺そうとするからには死ぬ覚悟はしておけよ」くらいの武士道精神を教えてから殺されれば、「うわ~、日本人はすげぇ~」とテロリスト達の心に刻みつけて、以後、日本人が襲われなくなるかもしれないでしょう?

 あるいは、そこで圧倒的な戦闘力の差を見せつければ、「俺たちに教えてください」となるかもしれません。そして、「いいかい? 人を殺せば自分も死ぬことになるんだよ? 人を殺さずに共存する道を探すのが本当の神の教えだよ」みたいに教育できたらいいとは思いませんか?

 私は、戸隠流忍法の道場で、対立する国同士の人間がかちあって、一緒に稽古するうちに泣き出して「俺たちは何で憎しみあっていたんだ」とハグし合った・・・という話が一番、好きですよ。

 これは、戸隠流忍法が生死を前提にした技の稽古をしているからだと思います。

 武術って、単に自分の命を護るんじゃなくて、もっと大きな影響力を秘めていると私は思います。

 結局、暴力で人を支配しようなんて、いかに空しいことなのか?ってことを悟らせるのが武術修行なんだと思いますよ。

 だって、いくら凄い技を体得しても、使い道が無くなるだけだからです。だって、武器を本気で使えば相手を殺してしまうでしょう?

 素手で練習していると、この恐ろしさに延々と気づかないんですよ。技がどの程度効くか?というレベルで止まってしまうんです。

 殺せないから何発もパンチやキックを出せるし、我慢合戦になるんです。

 でも本気で殺そうとする人間が、そんなことやりますか?

 やりませんよ。

 刺し身包丁買ってブスッて刺してきますよ。本気で殺意があれば・・・。

 私が研究しているのは、そういう殺意がある人間に対処する技であり、だから、読みを一番大切にしています。

「あっ、こいつ殺気が出てる? 危ないな~」と、察知できるのが一番いい訳です。逃げるは恥だが役に立つんですよ!

 場合によっては、町中でそんなヤツを発見して、そいつが何か仕出かす寸前に、チョチョチョイッと取り押さえてやったら、もっといいですよね?

 相模原の惨殺事件の犯人だって、要するに対応がマズ過ぎただけですよ。犯罪起こす宣言してる人間を野放しにするなんて無防備過ぎます! 措置入院させた時に独房に監禁して外に出さないようにするとか? そういう判断も必要だったでしょうね?

 脱線したので元に戻ります。

 技にしろ稽古法にしろ、いろんなやり方をバラバラに沢山覚えても実用には結びつかないと思うんです。

 私は、何人かの斯界の著名な先生から、「アンタはどうやって、そんなに膨大な技を覚えたんだ?」って聞かれたことがあります。

 無論、本とか映像は沢山見てますけど、30歳以降は、もっぱら根本的な理合を追究して、その観点からいろんな流派の技を解析していっただけなんですよ。

 そうすると、自分が習ったことのない技でも習った技の延長線上で応用できるようになったんですね。

 後は、それを組み合わせているうちに勝手に技数がどんどん増えていっただけです。

 だから、シラットなんて全然習ったことないのに、JKDでシラットを習っていた人達から「長野先生の技はシラットにそっくりですよ! 習ったことあるんですか?」と非常に驚かれて、逆にこっちが驚いたことがありました。

 で、映像で見てみると、確かにそっくりなんで二度ビックリしたことがありました。

「これはマズイ。俺が真似してるみたいじゃん?」と思って、それ以後、なるべく違うように心掛けてますが・・・。

 それと、太極拳やってる人や八光流やってる人から「何で、うちの秘伝を知ってるんだ?」と聞かれたこともあります。

 もちろん、知ってた訳じゃありません。自分で工夫しているうちに、たまたまそれが秘伝の技そのままになってしまったらしいです。

 松田隆智先生が私を非常に評価してくださったのも、私の研究家としての才能だったのだと思います。

「教えられなくても、君みたいに自分で発見しちゃう人間もいるんだよな~」と・・・。

 恐らく、斯界で一派を興した人は私みたいなタイプの人が多かったのではないでしょうか?

 創造力がある人・・・。

 その最右翼としては新体道、剣武天真流を興した青木宏之先生でしょうね?

 私は、そういう人が自然に育つような稽古体系を作ろうと思って游心流を興しました。

 18年くらい続けてきて、ようやく何人か育ったかな~?と思っています。

 しかも、それは最近のことなんですよ。

 初期に教えた人達は、ほとんどが来なくなりました。理由はいろいろありますが、根本的には完成度が低かったからだと思います。

 結構、何度もあったのが、少しできるようになって自惚れてしまった人。何人かいましたが、うちから離れた後、名を成した人はいません。

 他所と違った技を体得できるから、それだけで自分が異常に強くなったと錯覚してしまうのでしょうね?

 まあ、今思えば、この程度の人間はどこの流派にもいるでしょうから、しょうがないよな~?と思います。

 特に現代の日本の武術の世界は口先だけで何とかやっていける業界なので、実力が無くても人を驚かせられるようなパフォーマンスがいくつかできたら、それだけで達人のフリができるからです。

 以前は私もその類いだと思われていたみたいですが、最近は腕試し目的の人はほぼ来ませんね。

『刃牙道』のお陰かな~? 本部以蔵のモデルは長野らしい・・・って噂を何人かから聞いたんですが・・・(「最近は風貌も似てますよ」って千葉さんから言われた)。

 それは別として、『刃牙道』が完全に武術漫画になったな~?とは思いますけどね?


 セミナーが終わった後は忘年会というか飲み会になりました。

 セミナー始まる前に関西から来ている日本拳法修行者の会員さんに個人指導で寸勁斬りを教えたら、二回目で成功し、連続して三回も成功したので「よしっ、これができれば君は二段だ! 游心流名乗って同好会やってもいいよ」と・・・。

 その時のマキワラの切りカスの入ったゴミ袋を見た山田師範が、「長野先生、何ですか? それ」と聞くので、「セミナーの前に個人指導で試し斬り教えたの」と答えると、壁の刀掛けを指さして「あそこに掛かってるのは真剣なんですか?」と聞くので、「あれは模擬刀。真剣は下にあるヤツ・・・」と答えると、笑いながら「何で、真剣を下に放置してるんですか?」と言っていました。

 いや、刀掛けに掛けてたら誰かが知らずに抜いて振り回して怪我でもしたらマズイと思ったんですけどね?

 山田師範は小用先生の刀禅の同好会の主催も許可されたそうなので、刀禅の稽古に役立つように作ったアルミの刀をプレゼントしました。

 560円で買って先端を金ノコで斜めにカットしただけのものなんですが、これは真っすぐに振らないとブレブレに曲がってしまいます。

 つまり、これがブレないように振れたら真剣でも刃筋を通して振れるようになる筈!という刀法体得のための刀なんですね?

『0インチ打撃戦闘法』DVDでも紹介していますが、刃筋を通す訓練は打撃技でも貫通力を養成することに繋がるんですよ。
20161222_001.jpg 20161222_002.jpg


 このDVDでは零勁斬り(0距離で斬る技)にも挑戦していて、一回目は失敗、二回目で成功しましたけど、寸勁斬りとは別次元の難しさでしたね?

 感覚的には20倍くらい難しいように思えました。

 これも慣れれば、もっと自在に斬れるようになるでしょうが、そうなると素手の戦闘法も大分、変わると思います。

 ただし、防具装着して受けを取ってくれた北島師範から、後で内傷を負ってしまった旨の報告を受けて、かなり焦りました。浸透勁が当たり前に打てるようになると、もう寸止めして当てないで練習するしか方法が無いと思います。

 怪我しないように慎重に防具の上から打っていてもそうなってしまうのでは、軽く打ってるつもりでも直に打てば傷害を起こす危険性があるからです。

 DVDでは怪我しないように打つ真似程度にしていますが、これは本当に危険な打撃法なので、くれぐれも人体実験なさらないよう厳重に警告しておきます。

 仁平師範も、栗原師範のローキックを受けたIさんの治療をした感想で、「游心流の会員は当てて練習してはダメです」と言っていました。

 具体的に言うと、内部に威力が浸透する打撃技は、例えば血管に血栓とかできて、それが心臓や脳の血管に巡って詰まると心筋梗塞や脳梗塞を起こすかもしれません。

 だから、その場で大丈夫でも後から突然死起こす危険性があるのです!

・・・という訳ですから、DVDを買った方は、くれぐれも実験しないよう、お願いします! これは、いざという時のための絶招(必殺技)だと認識してください。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

2017年月例セミナー一括予約申し込み

 来年2017年の月例セミナーの一括予約申し込み。

実施日 毎月第二日曜日11:00~14:00

内容
(毎回、最初に参加者自己紹介から始めて、基礎錬体と歩法の練習をやり、小休憩。それから解説示範、二人組んでの技の掛け合いを繰り返し、小休憩を入れつつ、大体、終了30分前に実技講習は終わり、質疑応答をやって終了。その後、駅近くのファミレスで親睦会・・・という流れです。親睦会は参加強制ではありませんが、技の秘訣や武術業界の裏話などを話すので、常連の人はこちらを楽しみに参加される方が多いです。会費は自分の食べた分だけです)

毎回のテーマ
1月  脱力体の養成(武術の基本にして極意がこれです)
2月  軸の確立(中心軸や側軸を意識することで身体の操作性を高めます)
3月  下丹田の自覚(いわゆる丹田です)
4月  中丹田の活用(技を巧みに使うコツです)
5月  上丹田の覚醒(脳神経系の訓練です)
6月  交叉法(武術技法の極意です)
7月  読み(目付けのやり方です)
8月  推手(聴勁の訓練です)
9月  型の分解(いろいろな流儀の型から実践用法を抽出します)
10月 武器術(刀や半棒、短武器の使い方です)
11月 整体活法(武術に伝わる整体と活法です)
12月 総まとめと忘年会(一年間の復習と宴会です)

(以下は去年と同じ!)


***** 事務局情報追加 *****
●料金
通常各月毎の申込みは一般:10,000ですので、全回申込みで120,000円です。
事前の一括申込みが大変お得になってます。

・2016年09月30日までのご入金
  初めての一括申込者:60,000円
  常連受講者(前年2016年セミナーに一括申込みした方):50,000円

・2016年10月31日までのご入金
  初めての一括申込者:65,000円
  常連受講者(前年2016年セミナーに一括申込みした方):55,000円

・2016年11月30日までのご入金
  初めての一括申込者:70,000円
  常連受講者(前年2016年セミナーに一括申込みした方):60,000円

・2016年12月20日までのご入金
  初めての一括申込者:75,000円
  常連受講者(前年2016年セミナーに一括申込みした方):65,000円

・游心流会員:50,000円(通常の全回申込みの場合、60,000円ですので、10,000円引き!)
     …2016年12月20日まで

●予約/支払い期限:上記参照 (単発・一回毎の申し込みについては期限はございません。)

●会場:游心流本部道場(相模原市中央区淵野辺シャルマンビル3F JR横浜線淵野辺駅から徒歩15分程度)
     ・・・申し込みされた方には地図等詳細をお送りします。 

●集合場所:JR横浜線淵野辺駅改札に午前10時30分集合(遅れる方は直接道場に来てください)

●申し込み方法:下記参加方法をご参照下さい。折り返し、詳細をご連絡致します。


<参加方法>
下記の必要事項をご記入頂き、メールアドレス【yusin_mail_from2006@yahoo.co.jp】宛にお申し込み下さい。折り返し、返信を致します。

<必要事項>
(1)氏名(ふりがなもご記入下さい)
(2)年齢(何歳代でOKです)
(3)住所(郵便番号・都道府県も漏れなくご記入下さい)
(4)電話番号
(5)Eメール
(6)ご職業
(7)武術・武道・格闘技・スポーツ歴
 安全上必要の為、詳細のご記入を御願い致します。
 会員の方は会員暦も追加。
(8)用件
(『2017年セミナー 一括申し込み』 とご記入ください) 
(9)何か一言
(10)今までにかかった、又は現在かかっている病気・怪我歴
  (安全上必要なので詳細に)

(項目未記入等の不具合がありますと、参加受付出来ない場合がございます(返信致しません)。予約なしのご来場は即刻お帰り頂きます。交通費払いません。)

お申し込み用メールアドレス
yusin_mail_from2006@yahoo.co.jp

※以前に前納予約(一括申し込み)したけれども都合で参加できなかった回があるという方は、その旨、申し出てくだされば、未参加回数分(料金分ではありません)、本部(日曜・木曜)・横浜支部・橋本支部・東京支部へ無料参加できることにしました。より密度の濃い武術技法が習えますので、是非、御検討ください。無論、入会を強制したりはしませんので、御安心を・・・。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

12月セミナーは復習と忘年会

 例年の通り、12月のセミナーは一年間の復習と忘年会です!

 来年の予約申し込みは少ないのですが、希望される方、迷っている方は、お試しで参加してみられるのもいいかと思いますよ。

 特に遠方から参加される方は、参加費より交通費の方が高くなったりしますからね。


 それと、12月のメイプルホールの稽古は15日が最後です。29日はホールが休みになるのでありません。お間違いのないようにお願いします。


 また、12月のDVD半額セールは、『神業の原理』です! 二枚組の豪華版ですので、ボーナス出た方、宜しくねっ!


 DVDの注文してくださる方には、熱心な感想を書いてくださる方もいらっしゃいますけれど、こっちも励みになりますよね?

「よしっ、次はもっと凄いの作ってやるぜっ!」って・・・。


 それからそれから・・・18日の日曜稽古はお休みします。私、幸手の山田師範のところに行ったことないもんで、一回、行こうと思っております。

 来年からのうちの会の活動方針とか、いろいろ考えていかないといかんな~?と思っています。

 私は縁のあった人達にはみんな、良い人生を歩んで欲しいと思います。

「長野先生は、やっぱり立派な人だ~っ!」と、今、感動した人・・・。

 私を迫害したり嫌がらせしたり悪口言ってる人達は、みんな纏めて“ウラミ念法”かけてますよ・・・「フッフッフ、おめ~ら全員、地獄へ落ちろっ!」ってね?
このページのトップへ
コンテントヘッダー

ゼロインチ打撃

 格闘技に於ける打撃技とは、ボクシングではパンチ(ジャブ、ストレート、フック、アッパー)、キックボクシングでは、パンチ(ジャブ、ストレート、フック、アッパー、バックハンドブロー)に肘打ち、キック(廻し蹴り、膝蹴り、前蹴り、後ろ廻し蹴りなど)があります。

 空手では、パンチは厳密に言えば、突きと打ち、当てに区分されますが、どう分類するのか?という基準については曖昧です。

 ざっと解説しますと・・・突きは、正拳あるいは一本拳、貫手を使った直線的ストレートパンチを称し、打ちは、裏拳・手刀・背刀・肘・拳槌などを使った円曲的軌道によるパンチを称し、当ては、正拳・手刀・肘・掌底などを使った至近距離から打ち込む寸勁的パンチを称している・・・と思ってもらえばいいでしょう。

 空手の蹴り技に関しては、前蹴り・後ろ蹴り・廻し蹴り・横(足刀)蹴り・踏み蹴り・鉤蹴り・内廻し蹴り・外廻し蹴り・後ろ廻し蹴り・二段蹴り・飛び足刀蹴り・膝蹴りなどと多彩なものがありますが、例えば“カカト落とし”はテコンドーから、スネを使った“ローキック”ムエタイから導入されたと考えられ(元々、空手にスネで蹴る蹴り技が有ったとは考えにくい)、一説に“後ろ廻し蹴り”も大山倍達がブラジルでカポエィラと交流して導入したと言われます。

 無論、逆に空手から世界の格闘技に影響を与えて導入されていった例も無数にありますし、テコンドー、カラリパヤット、シラットなどが空手の影響を受けているのは疑う余地がありません。

 昔、ジャイアント馬場がアントニオ猪木に対抗して?異種格闘技戦をやった時の相手ラジャ・ライオンは、インドの“バンドゥー空手”なる流儀の達人という話でしたが、自分の蹴りでバランスを崩してスッテンコロリンとなってしまうヘナヘナっぷりでヤラセ感満点でしたが、世界中に空手を導入して新たに創作された格闘技が無数にあるのだろうな~?と思わせました。

 少林寺拳法では打撃技は総称して剛法と命名されています。分類する面倒を省いた良いアイデアだと言えるでしょう。

 中国武術では、門派によって様々ではありますが、打撃技だけで戦うという概念は一面的で、投げ技を主体とするシュアイジャオや、逆手技を主体とするチンナ、そしてツボを攻める點穴も含まれるのが普通ですし、武器(兵器、あるいは器械と呼ばれる)術も修練するのが当たり前です。

 日本の古流柔(体)術では、突きや蹴りは従属的で、当身、流派によっては強法、剛身、骨法、骨指術、砕などと呼ばれていますが、概ね、“当身殺活術”と総称されています。

 何故、“殺活術”と呼ばれるか?というと、武術的な使い方と医術的な使い方が表裏一体となって秘伝として伝えられたからです。


 さて、格闘技に於ける打撃技は、パンチにしろキックにしろ、極めて限定的な技であるという点に注目してください。

 何故、限定的か?というと、試合で用いることが大前提であり、本来の武道に伝わっていた技の相当な部分が削除されてしまっているという事実を認識してください。

 私が武道や格闘技ではなく三十代から一貫して武術を追究し続けてきたのも、技の膨大さに魅力を感じたからであり、実戦に対応し得る武術の研究を志したからでした。

 武道や格闘技が若いうちしか実力を発揮できない最大の理由は何でしょうか?

 それは、圧倒的に技が少ないからです!

「少ない技を磨くからレベルが上がるのだ!」という論がかつてはありましたが、それは“試合”を目的化した考えに過ぎません。

 実戦を考えれば、“勝てる技”を常に研究開発していく必要があります。

 余談ながら、近年のアメリカの銃規制の骨子になっていることが何か?というと、それは「軍用アサルトライフルをスポーツライフルに改造して市販していること」であるとされます。

 つまり、“多弾数をマシンガンのようにフルオート射撃できるライフル銃”をフルオート機構を取り除いて市販していることを危険視している訳です。

 言うまでもなく軍用銃というのは最初っから“多数の人間を効率よく殺すための銃”であり、狩猟用のショットガンやボルトアクションライフル、護身用の小形拳銃とは総合的な戦闘力が比較になりません。

 例えば、かの有名な、かつての世界最強の拳銃弾(現在では.500S&Wマグナムがある)と呼ばれた.44マグナム弾でも、軍用としては低威力のM16ライフルで使う.223レミントン弾よりずっとエネルギーは小さいのです。

 象狩りに用いる最強のライフル弾と呼ばれた.460ウエザビーマグナム弾でさえ、軍用の.50口径弾には全然敵いません。

 民間の銃と軍用の銃とは殺傷力に雲泥の差があるのです。

 また、銃の分解掃除に慣れている人間なら簡単にフルオート機構を復活させることができるでしょう。

 分解してシアを取り替えるだけですから・・・。

 では、どうして、軍用の銃はこんなに戦闘力が高いのでしょうか?

 それは、生きるか死ぬかの場で戦わねばならないからです!

 戦場で綺麗事が通用しますか?


 私が武道や格闘技に根本から違和感を感じてしまったのは、「これは本来の姿じゃないだろう?」と思ったからなのです。

 で、武術を研究しているうちに確信したのは、「あ~、武術はやっぱり戦場で工夫され平時に研究されて発展したものなんだな~」ということでした。

 つまり、競技が目的ではないのです。飽くまでも、平時に於ける実戦を想定した護身戦闘術が本分なんですね。だから、“兵法”に対応する“平法”という言葉が考案されていた訳です。

 けれども、競技によって磨かれた現代武道や格闘技の実践者とルールを決めて試合しても、勝ったり負けたりするのが“現実”で、「武術がどうこう言うなら試合に出て証明しろ!」と批判されたら何も言えなくなる訳ですよ。

 はっきり言って、ルール決めて闘ったら体格・体力・年齢の勝負になってしまうからです・・・。

 で、負けたら、「ほら見ろ。武術なんか口先ばっかりで理論倒れのオタクが逃げ込むファンタジー・ワールドなんだよ!」と嘲笑されるんですよ。

 悔しいけど、それは事実は事実として認めるしかありません。

 晩年の松田隆智先生と話していた時に、「悔しいな~。俺が若かったら試合に出て証明してやりたいよ~」と言われていたのを、よく思い出します。

 だから、私は板垣さんの『刃牙道』が大好きなんですよね。

 これまた余談ですが、最近、周囲の人達から、「あの本部以蔵って長野先生がモデルなんじゃないですか?」って何度も聞かれるんですが、もしも、参考にして戴いているとしたら、こんな有り難いことはないですよね?

 私の研究が報われているってことだから・・・。

『ケンイチ』が終わって、『ツマヌダ』も終わって、武術の魅力を伝えてくれるのは『刃牙道』しか無いでしょう? もう永遠に続いてもらいたいですね~?

 来年は、少なくとも小説はデビューできると思うんですけど、私としては21世紀版の『拳児』のような作品は書かなくてはいけないな~と思ってるんですよ。


 さてさて、余談ばかりで済みません。

 何故、今回、打撃技について書いているか?というと、游心流武術に於ける打撃技の概念をきちんと紹介するべき段階になったか?と思っているからです。

 以前から書いているように、游心流の打撃技は寸勁を基本にしていました。

 交叉法から使う打撃技として寸勁が絶好だったからです。

 しかし、脱力して寸勁を使うと打撃技の“質”が浸透勁になってしまい、軽く打っても内傷を起こして非常に危険であるという事実が最近、判明してきました。

 これは、“暗勁”とも呼ばれる中国武術でも秘伝扱いされて一般の弟子には教えないものです。

 20年くらい前に、松田隆智先生から、「あの打ち方は危険だから公開しない方がいい」と注意された打ち方(打撃訣)を必要としないくらい当たり前に打てるようになったということです。

 解っている人間同士で力をセーブしてやっていてさえ、こうなってしまうのですから、もし自由攻防でもやったら突然死起こす人間が出てもおかしくありません。

「慎重に怪我しないように型稽古か約束組手で練習するしかない」という結論に至った訳ですが、これはむしろ、「武術として原点回帰した」と言えるのかもしれません。

 即ち、“本来の武術としての殺傷力を備えた技術体系”のレベルに近接したと言えるのではないか?と思うのです。

 これまでは、下丹田(骨盤)から重心力を伝導させて末端の拳や掌に送り込むというやり方を主眼にしてきましたが、システマのやり方や、松葉国正先生が『秘伝』で解説されていた「指先から動かす」というやり方にヒントを得て、拳先を高速振動させて威力を生み出し、逆に下丹田に送り返す・・・というアイデアを考えて試して実感を得ていたので、日曜の稽古会で実験的に教えてやらせてみました。

 うちの支部長や常連会員は身体の脱力が効いているので、そんなに苦労しないですぐに体得できました(もっとも、「脱力した状態で拳先を高速振動させるというのは下手すると肘痛めそうです」との意見も出たので、練習法はもう少し検討せねばなりませんが)。

 しかも、これは効果テキメンで、従来の抖勁に組み合わせると、タイミングさえ合えば、威力が倍増することが判りました。

 前からやっていることの軌道を逆にするだけなので、やってできないことは無いだろう?と思っていましたが、これは予想以上に使えますね。

 ですが、これを実験したのは、もう一つ理由があって、これは寸勁ではなく密着した0距離から打撃することができるのです。

 つまり、抖勁をより実戦的に自在に使うことができるようになる訳です。

 通常の打撃技の最大の弱点は、「打撃の威力を生み出すためのタメを作る距離と時間が必要」だということでした。

 しかし、この技は距離も時間も必要としません。触れた箇所で0からいきなり100のパワーを生み出せます。

 しかも、打撃技のみならず、投げや逆、點穴に加えることで、普通の技を絶招(必殺技)に変えてしまえるのです!

 もともと、この技は游心流合気道のお家芸として組み込むつもりで考えたのですが、実験してみて判明したのは、冗談みたいに非常に応用性が効くということでした。

 元ネタとしては寸勁斬りのコツから発展させたと言えるんですが、これなら逆に熟練させれば零勁斬りもできるんじゃなかろうか?と・・・。

 ただし、見た目が益々ジミ~になりました・・・。

 何しろ、触ってバンっと打ち倒すだけなんで、格闘技の醍醐味たる“互いの技の攻防”が成立しないからです。

 けれども、武術として考えれば、体格・体力・年齢に関係なく誰もが使える理想的護身術である!と胸を張って発表できると思います。

 そこで、年内の最後のDVDのテーマとして、この『ゼロインチ打撃戦闘法』を作ることにしました!

 これは一つの技というより様々な技に応用できる武術の術理と言うべきものなので、武道や格闘技を学んでいる方にも役立ててもらえると思います。

 何故なら、通常の打撃技の弱点をつく技でありつつ、組技系への対抗戦術にもなるからです。何故なら、密着しているところからバンバン打てるので・・・。

 つきましては23日(水)に淵野辺本部道場にてビデオ撮影と特別講習を実施しますので、会員、セミナー受講生の方で関心のある方は、是非、どうぞ

 参加費用は、会員は2000円、セミナー受講生は5000円とします。

 初めての人で参加したいという人はメールで問い合わせてください。技が技なので部外者に教えるのは慎重にならざるを得ませんが、真面目に学びたい方は受け入れます。

 DVD発売は12月(販売価格は税込み20000円)になりますが、今回も11月中に予約申し込みした人は税込み1万5000円に割引します。

 交叉法と併せたら無敵?かも・・・。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

【事務連絡】11/23(水・祝)特別講習会『ゼロインチ打撃戦闘法』

・日時:2016/11/23 11:00~14:00
・場所:游心流本部道場(JR横浜線淵野辺駅に10:30集合 遅れる方は直接道場へ)
・参加費:
 游心流会員:2,000円
 月例セミナー受講生:5,000円
 その他(初めての方など):応相談
・内容:(ブログ記事より)
 そこで、年内の最後のDVDのテーマとして、この『ゼロインチ打撃戦闘法』を作ることにしました!
 これは一つの技というより様々な技に応用できる武術の術理と言うべきものなので、武道や格闘技を学んでいる方にも役立ててもらえると思います。
 何故なら、通常の打撃技の弱点をつく技でありつつ、組技系への対抗戦術にもなるからです。何故なら、密着しているところからバンバン打てるので・・・。
 つきましては23日(水)に淵野辺本部道場にてビデオ撮影と特別講習を実施しますので、会員、セミナー受講生の方で関心のある方は、是非、どうぞ。
 参加費用は、会員は2000円、セミナー受講生は5000円とします。
 初めての人で参加したいという人はメールで問い合わせてください。技が技なので部外者に教えるのは慎重にならざるを得ませんが、真面目に学びたい方は受け入れます。
 DVD発売は12月(販売価格は税込み20000円)になりますが、今回も11月中に予約申し込みした人は税込み1万5000円に割引します。
 交叉法と併せたら無敵?かも・・・。

・申し込み方法:
 こちら(http://infoyushin.blog.fc2.com/blog-entry-4.html)をご参照ください。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

11月健身法セミナー感想

 今月セミナーは常連さん、会員の欠席が集中し、異様に参加者が少なくて、10人足らず。ちとガッカリしてしまいました。

「游心流に期待されてるのは殺法だってことなんでしょうかね~?」と、もはや苦笑いするしかありません・・・。

 しかし、こういう回に限って、物凄~く内容の濃いものになる・・・というのがジンクスとしてありまして、事実、今回参加した人は世界観が変わったのではないか?と思います。

 今回、健身法部門の研究を任せている体道塾の仁平師範が急遽、参加可能になったので、終盤は最近、発見した療術の原理を実演解説してもらったんですね。

 もっとも、予告していたので、7割方は私の学んだスワイショウ(横と縦)、三元試力、歩法(丹田歩法・意拳の摩擦歩)、武道医学(背活と脳活)やディバーシファイド(基本)カイロプラクティック操法、意拳站椿功(形意拳との関連で説明)、内功盤根(形意拳の宋世栄が八卦掌を参考に作ったもの)、真極流柔術の錬体法(肩甲骨操法)、気体調整法(武道医学の経絡調整体操)、後ろ手合掌(ハズいから言いたくないけど甲野氏に学んだ。元は野口整体か?と思います。CSヨガの故岡島瑞徳氏の本でも紹介されてました)、馬弓捶(台湾武壇の基礎錬体・柔身六法の一つ)をやりました。

 いつもは我流でやると問題が起こるとマズイと思って解説しなかった意念の基本的なやり方も少し解説しました。

 一応、私が学んで研究したのは、一般常識の枠内で説明可能な整体と健康法です。

 いつもは基礎練体は小塚師範に、歩法は北島師範に指導させて私は見ているだけなんですが、今回は、仁平師範が実践研究している療術との差異を明確にするために、お蔵出しするために全て私が説明しながらやりました。

 つまり、比較的一般的なやり方と、霊能的?とでも言うしかないやり方の違いを見てもらうためです。

 余談ながら、最近、休んでいた会員のIさんは、先月のほびっと村講座で栗原師範の蹴りを受けて左脚を痛めてしまっていたそうでしたが、治療した仁平師範曰く、大腿骨が折れる寸前だったそうです。軽く蹴ってるつもりでもこうなるのですから、マジ蹴りしたら本当に折れてしまったのではないか?と思います。

 いや・・・力入れないで軽く蹴ってるから、こうなったのか? 空手道場ではバシバシ蹴ってるみたいで、それで相手が大丈夫だということは、そうとしか考えられません。

 小塚師範も空手道場で一度使ったら相手が非常に痛がって、怒ってメチャクチャに攻撃してきた?とか言っていたような・・・?

 で、Iさんもやはり、私と同じように蹴られた箇所とは別のところに後日、痣が浮かんできたとのことで、軽く蹴ってるつもりでも、游心流幹部の蹴りは浸透勁になってしまっているので、本当にこれは冗談抜きにヤバイな~と思いました。

 こうなってしまうとコントロールが非常に難しくなってしまうので、当てて練習するのは禁止するしかないな~と思いました。

 この蹴りは道場破り対策用にしておこう・・・と思います。

 余談、終わりっ!


 参加者で、体幹部の筋肉を鍛え過ぎて堅くなっているという人と、突き指とか足指の捻挫?とかしている人がいたので、そちらの治療をしてもらうことで仁平師範が新しく発見したという治療術の概要を見せてもらおうと思いました。

・・・と言うのも、彼のやり方は原理的に普通の整体療法の枠を飛び超えてしまっていて、非常に説明が怪しい? 解説すればするほどチンプンカンプンになってしまって常人には理解不能になっているのではないか?という懸念があったからなのです。

 それと、お金高過ぎっ! 価値があるのは認めるし“整体業界的”にはOKなのも解るけど、そんな事情を一切知らない世間一般の人達から見れば非常識に思われても致し方無し!

 正直、このままでは世間的には“インチキ詐欺師”か、“発狂した人”かのどちらかに決めつけられて社会的に潰されてしまうのではないか?という不安を感じさせたのです。

 普通の心理メカニズムとして、異質な人を排斥しようとするのは人間の本能みたいなものだからです。それが“差別はいけない”と言ってみたところで、本能的に人間は差別したがるものなんですよ・・・。

 まあね。

 武道武術の世界だったら、「腕は凄いけど人格はハチャメチャ! 一般常識は完全に欠落している!」という人は腐る程いるので、私個人は別に違和感はありません。

 作家としては、そんな人物の方がキャラが立っていて面白いからOK!

 そういう裏事情を知らない人達は有名な武道家や武術家を聖人君子みたいに崇め奉ったりしてますが、「アイドルはウンコをしない!」式の願望の投影でしかない訳です。

 現実(リアル)というのは、美しいものではありません。人間、表向きの顔と裏の顔があって当たり前なのです。

 そこを弁えて、敢えて触れない・・・というのが“大人の嗜み”として日本人は特に尊重している美徳なので、私みたいに「ウソじゃ~ん!」と言ってしまう人間は既知外扱いされてしまう訳ですね?

 かく言う私も、武術界に於けるトランプみたいに思われている様子ですけどね?

 日本人は社会的にも見て見ぬフリをするのが体質的でしたが、隠れて噂話をするのが大好き。それがインターネットによって匿名で広まるようになって、寄ってたかって潰しにかかる言葉の暴力が拡散するようになったように思われますけどね。


 さてさて、そんなこんなで、今回は仁平師範のお手並み拝見した訳ですが・・・う~む、これってもう物理的な説明がつかない領域に突入してしまっているよな~?

 具体的な施術としては経絡の流れ、神経と筋肉の繋がりを利用しているんですが、問題箇所を探るのに「瞬間的に変性意識状態にするんです」とのニューサイエンス的な解説が出てきたり、「アカシックレコードに繋ぐんです」とのルドルフ・シュタイナー的なオカルト表現が出てきたり・・・こういう方面の知識が無い人だと強烈に拒絶反応示すだろうな~?と思いました。

 これで治ったのか治らなかったのか判然としないんだったら、単なる危ない人になりかねないんですが、摩訶不思議な具合にチョチョイッと治してしまう・・・。

「言ってることはわからんが、やってることは神業だ!」と言うしかないんですよ。

「これは今までの三元療術の原理では説明がつかないので、火と水でヒミズと名付けようか?と思ったんです・・・」と言うんですけど、「それって、陰陽五行説とかの説明からしていかないといけないしな~。霊能的な説明にしか聞こえないから、もっと考えてからにしてみたら?」と苦しいアドバイスをするしかできませんでしたね。

 確かに彼の言わんとするところは解ったんですけど、それはもう、“言語化不能”とされる極めて宗教哲学的な領域での世界観でしかなく、一般常識的な世界観を持つ普通の人にとっては、理解不能で「信じる信じない」でしか認識できないんですよ。

 例えば、ラボアジェやニュートンは今日では近代の科学者として世間的にも認定されていますが、当時は錬金術師的な見方をされていたそうです。

 逆に錬金術師としてしか認識されていないパラケルスス(賢者の石を作った人として有名)が、ちゃんと“実在している科学者”として歴史に名前を刻んでいたりします。

 私は、てっきり架空の人物だと思ってましたもん。ファウスト博士もモデルになった人物がいたそうだし・・・。

 心理学の世界で知らぬ者のないユングも、シンクロニシティーの理論を提唱した当時はいかがわしいオカルティスト扱いされていたのは有名な話です。

 宗教哲学と哲学は科学に先んじてきました。

 つまり、思想は証明する必要がありません。提唱したら、しっぱなしでいいのです。

 ところが、科学は証明して正しいか間違いかを実証していかなくてはなりません。医療大麻推進論者も、科学的実証を徹底的にやらないのがいけないのです!

 今日の世界共通の言語は“科学”であると言えるでしょう。

 しかし、元来、科学というのも唯物論によって形成された思想であることには変わりがありません。物理学や数学、化学によって体系付けられてきたものです。

 その前提である唯物論を疑うことは、御法度であるというのが暗黙の了解となっています。

 が、その構造もまた信仰であることはほとんどの人が認識していません。

 かと言っても、唯物論の埒外にある領域。霊的であったり神的であったりする見えない世界を知覚する人が少なからず居て、その知覚そのものを科学的に解釈しようとする心理学者や脳機能学者が、一定の仮説を提出してきて、説明がつく事例も増えました。

 一方で、科学者がいきなり神秘の世界を信奉する発言をすることも珍しくはありませんね。科学者は絶対的な真理を求めるので、どうにも解釈不能になったら、いきなり宗教家に変心してしまうのかもしれません。

 が、他愛ないトリックを見抜けずに盲信してしまう科学者も歴史上、ざらにいて、詐欺師が暗躍して歴史に名前を残した例も多いでしょう。

 霊能者や超能力者の大半がインチキ詐欺師であることは事実と私も思っていますが、すべてがそうだと断定する程、私は唯物論を信じていませんし、常識外の能力を示す人に何人も会っていますからね。

 信じる信じないではなく、私は事実のみを尊重します。

 けれども、仁平師範が今後霊能者?扱いされて周囲に信奉者が集まってくる事態は、宜しくない!ということは明白です。世の中に大きく貢献できる才能を潰されてしまうのは、何としても防ぎたいと思っています。

 今回、彼は私や小塚師範が厳しい内容のメールを書いていたので、「破門されちゃうんじゃないか?」という不安を抱えて道場に来たのだそうでした。

 もちろん、そんなことはあり得ません!

 彼が今のような仕事をしようと決めたのは、私と出会ってからのことらしく、ということは私にも大いに責任がある訳です。

 もちろん、マジで発狂していたりしたら止めるのは私の責任です。過去におかしくなった連中(恥ずかしながら何人かいるんですよ)を止めなかった自戒も込めて、世の中に害悪を及ぼすような人間になったら殺してでも止めるのが定めだと思っています。

 武医同術というのは、そういう面も含んでいると思います。

 昔、八卦掌の遣い手で馬維稘という人が、腕自慢の武術家を叩きのめしたりして正義漢を気取っていたそうですが、乱暴が過ぎるので八卦門内で問題視された。ある時、夜道で呼び止められ、振り向いた瞬間に強烈な一撃を食らって吹っ飛び、以後、下半身付随になってしまったのだとか? 犯人は判らなかったそうですが、開祖の董海川がやったのではないか?と噂されました。似たような話は日本にもあります。

 異常に料金設定を高くしたのも、どうやらクチコミで、憑霊されているタイプ(これは精神疾患者かもしれません)が集まってくるようになり、ヤバイと思っての処置だったみたい。

 料金が高ければ、“ちょっと覗いてみよう”程度の考えの人間は来ませんからね。

 実は、うちの会の内部でも、「あの料金はやり過ぎなんじゃない?」「舞い上がって現実感覚を失ってるんじゃない?」といった意見が出てきていたんで、心配していたんですが、直に話してみて、まったくそういうことは無かったので、安心しました。

 むしろ、よくぞ、ここまで・・・と感動しましたね。彼が今学んでいる先生(敢えて名前は出しませんが)に感謝したいです!

・・・にしても、ネーミング・センスがちょっとな~? 中二病的だな~?

 まあ、怪獣大好きの小三病?の私が言えた義理じゃないんですけどね?

 それと、最近、ブームの4スタンス理論。これも、ある先生に学んだ理論を提唱者が先生の許可無く広めたのだそうで、実にけしからん話だな~?と思いました。きっと罰が当たりますよ!

 しかも、最後まで学んでいないので中途半端なため、最近は綻びが出てきているのでは?ということでした。

 そういえば、SOT(仙骨後頭骨療法)を学んだ某氏がソフトカイロプラクティックと名前を変えて広めたとか、この手の話は非常に多いんですよね~?

「出所をきちんと言ってるのって長野さんくらいじゃないの?」と言われたことありますが、そんなことは無いでしょう?

 小用先生や時津先生も、ちゃ~んとプロフィール欄に書いていますし、松田隆智先生も几帳面に記録されていましたね~。

 こういうのは教えを受けた先生に対する礼儀として、事実は事実としてきちんと言うのが当たり前なんですよ。

 もちろん、「俺の名前を利用しようとしているんじゃないか?」と勘ぐられた経験もあります。そういう方はその後は名前出さないようにしています。

 でも、私は他人を利用して自分の名声を得ようなんて考えはまったくありません。カッコ悪いでしょ? 小判鮫みたいで・・・。

 自分の実力だけで成り上がってやるっ!と思ってますからね。“鶏口となるも牛後となるなかれ”って言うでしょ?

 無論、勉強させてもらった先生方のお陰であるという気持ちは忘れていませんよ。

 誰に習ったのか言えないって、何か怪しいですよね? 師匠の名前を知らないとか、一回習っただけなら私も経験有るけど・・・いくら何でも、それはおかしいでしょう?

 ショーンKみたいな人、多いからな~・・・。


PS;来年の月例セミナ一括予約申し込み受付中です! 受講日が都合に合わない人は個人指導に振替もできますよ(実はその方が密に指導できる)。その場合、通常の個人指導より割安になります。毎年、最新の武術理論を提供していますから、御期待ください!

PS2;DVD付き実用書の企画で、ダイエット本!を書くことになりました。私の体型では説得力無さ過ぎなんで、「痩せなさい!」と言われてしまいました~。年末は断食してEMSでも遣うかな~?

このページのトップへ
コンテントヘッダー

11月は健身法

 11月の月例セミナーは、健身法をやります。

 今回は、基本に戻って、スワイショウ・立禅・三元試力の健身効果を説明し、骨盤調整を主にしたカイロプラクティックの基本と活法(背活・腹活・脳活)、四肢の関節の調整などをやってみようと思います。

 基本、健身法は今は仁平師範に任せるつもりでいるんですが、現在、多忙で彼が来れないと思うので、私も覚えている知識を無駄にするのももったいないから、たまにはきちんと教えていこうかな?と思っています。

 あまり指導していないので会員も私がどういうことを知っているのか想像がつかないと思うのですが、一応、ヨーガ、気功、太極拳、三体式站椿功、意拳養生功、柔身六法、気体調整法、剛柔流の息吹、熊式易筋経、肥田式、西式、真向法、野口整体、マクロビオティック、磯谷式、MRT良法、足医術、カイロプラクティック(ディバーシファイド・トムソン・SOT)、武道医学(天神真楊流・神道揚心流・竹内流)、新体道・・・等々、いろいろ勉強はしてるんです。

 しかし、仁平師範があまりにもできるので私のハンパな知識を披露するのもお恥ずかしいと思って、開陳しなかった訳です。

 が、せっかく勉強したんだから誰にも伝えずにいるのも良くないんじゃないか?と思って、今回はいろいろ御披露してみようと思います。

 私は治療の方は自信がなくてやらなかったんですが、これらの勉強で得た知識を武術技法の中に組み込んでいったから、いろんな流派の秘伝や極意のメカニズムが解けたという側面もあるんですね。

 そういう意味でも、やはり“武医同術”という日本武道医学を創始した中山清先生が提唱された概念は正しいと思います。

 私はサワリを勉強しただけなんですが、武術に医術は必須のものだという気もします。

 中国の武侠小説でも、例えば『倚天屠龍記』の主人公、張無忌は強大無比の内功を得ると共に治療術も体得します。気功の原理が殺活自在なんですよね。

 いろんな術はその応用でしかない訳です。

 若い頃に我流でやって失敗したので、私は気功には注意するようになりました。

 特に幻覚とか幻聴があらわれる“偏差”が出てくると精神疾患になりかねない。

 しかし、特異効能と呼ばれる超能力があらわれる場合もあるとされ、中国では政府が研究をしていると言われます。

 ロシアも昔、やっていたし(サイコキネシスができたというニーナ・クラギーナが有名)、日本でもソニーがやっていた(青木宏之先生が唯一、テレパシーで本物と認定)時期があります。

 ただし、これらはオカルトというより科学的実験としてされていたので、科学的に認定されないものは否定されていった訳です。

 中国の気功が最初に紹介された時、“外気を放射して患者を操る”という外気功が注目されましたが、実はこれと原理的にほとんど同じものが野口整体で行われていました。

 愉気と呼ばれるもので、これは錐体外路系運動と呼ばれて医学的裏付けがされていました。

 現象としては貧乏揺すりやチック(顔面麻痺)などの無意識の運動。

 太極拳の先生にチック症状が起こることが割合あるんですが、太極拳の練習で気の流れが良くなることで筋肉の歪みを自動補正しようとする反射運動なのだと思われます。

 こういうのは気功では自発(動)功と呼ばれますが、稀に自分で制御できなくなる場合があって、それは狐憑きとか“憑霊現象”と見做されたりするんですね。

 どうしてか?というと、統合失調症のように人格が分裂して悪魔的な言動を取る場合があるからです。

 これは脳内の神経伝達物質の過不足による誤作動が原因だと仮説が立てられているようです。

 オカルト現象のほとんどは脳内の機能異常で説明がつくと明言している脳機能学者もいるみたいですから、まずはその弁に耳を傾けるのが賢明かと思います。

 技術としては催眠誘導で行われる観念運動(糸で五円玉を吊るして吊っている手を動かさないように固定しておいて左右に振れるとか回るとか念じるとその通りに動く運動。念じることで微細な電気信号が送られて腕の筋肉が微動する現象)があります。

 つまり、催眠誘導でも外気功と同じような現象を起こせる訳です。

 太霊道(田中守平)なんかもこの原理を使っていますが、霊現象と考えられたものとしてはコックリ(狐狗狸)さんと、その原型になった西洋の降霊術で使われたウィジャ盤も原理的に同じだったと考えられています。

 私が小学生の時に学校でコックリさんが流行ったんですが、女の子が精神に異常を来して学校を休んだ事件があったそうで、コックリさん禁止令が出ていました。

 その女の子と私の親友が親しくてコックリさんをやった現場にも居たらしいのですが、真相については何も話してくれませんでした。質問すると真っ青な顔になっていたので、よほど恐ろしかったのでしょう。

 その当時、類似の事件が日本中で起こっていたらしく、コックリさんの危険性を訴える記事を新聞で読んだ記憶もあります。

 オカルトの伝播は、大抵の場合、子供の口コミによります。

 口裂け女も小学生に流行ってから日本中に広がったとされます。

 高校生になるとオカルトよりも現実的なサイコパスの事件の噂が広まるようになって、私の高校の近くのラーメン屋の近所でよく猫がいなくなり、「あのラーメン屋は猫でダシを取っている」という噂がありました。

 もちろん、デマだと思います。言ってる連中も度胸試しと称して、その“猫ラーメン”を食べに行っていましたから・・・。

 大人になると、流石にこの手のオカルト話をすると周囲にイカレポンチ扱いされてしまうので、しなくなるのが普通です。

 私もネタとして書いてるだけで信じている訳ではありません。

 ただし、世間一般で思われている程には根拠の無いインチキ話だとは思えない面があるので、研究対象からは外していませんし、ネタとしては小説に役立つので面白がって書いているのは事実です!

 私はいたってノーマルな人間なので、アブノーマルな言葉を使っても、それは作家としての芸風で書いているだけなので、誤解しないで欲しいものです。

 たとえ、実名で批判していても、それは私のジャーナリズム精神がそうさせているだけですから、礼儀知らずなのではありませんっ!

 おかしいことはおかしい!

 ならぬことはならぬ!

 そう断言する人間がいなくては、世の中、嘘とインチキがどんどん広まって、免疫の無い純情おバカさんが騙されては、また騙される・・・という悲劇なのか喜劇なのか判別がつかない事態が延々と続いてしまうでしょう。

 そんな業界が世の中でまともに評価されますか?

 もう個人崇拝はやめなければいけません!

 どの流派、どこの会派にも、真面目に懸命に頑張っている人達は無数にいるんです!

 何とか流の何とか先生だけが・・・みたいなバカなこと考えていちゃ~いけません!

 他を弁えて尊重しつつ、尚且つ、自身の向上を目指さないといけません。

 よく考えれば解る筈です。

 いかなる流派も無数の先人の試行錯誤と研鑽が積み重なって続いてきています。それを理解認識していれば、他を軽んじて見る目線のいかに浅薄であることか?

 私は凡そ20人を越える先生方に学びましたが、見識を深めるのに貴重な教えを受けた先生は百人は下りません。

 無論、人格的に尊敬できる人もいれば尊敬できない人もいましたが、刺激を受けて自分の研鑽を続けて来れたという意味では感謝しなければなりません。

 そして、私と同様に、いかなる師範と呼ばれる方でも同じような経験を経て自分を確立している訳です。

 歴史を学ぶというのは、そういう面もあると思いますね。

 小説の勉強をするようになって、武術の歴史的繋がりを以前よりずっと強く感じるようになりました。

 どんな素質と才能が有ろうと、今の我々は、過去の人達の残してくれた遺産の上に胡座をかいているに過ぎないんですよ。

 それじゃあ、ダメでしょう?

 次の世代、次の時代に伝承していく価値があるものを上乗せしていかなければ文化は衰退してしまいますよ。

 それはものすごく大変な使命かもしれないけれども、やり甲斐のある楽しいことでもあると思います。

 だから、私は40年も武術をやめずに続けて来れたのだと思いますね。


PS;今月の割引セールDVD『独己九剣の応用秘訣』ですが、試し斬り、寸勁、合気、脱力技法への展開、無刀取り、応用武器術・・・など、テンコ盛りにしていてお徳ですよ。結構前に撮ったものですが、この時に初めて寸勁斬りも成功したんだな~?と、感慨深かったです・・・。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

游心流合気道始動!

 思いつきでやることにした游心流合気道ですが、早速、研究成果を試してみようと思いまして、相模原在住で合気道五十嵐道場に通っている千葉さんを呼んで、道場で稽古してみました。

 まず、剣術との理合を同じにするというアイデアを確認してみましたが、思った通り、何の問題もありません。

 次に、無刀取りへの応用。これも問題無し。

 次に当て身の多用。これまた無問題!

 さらに、対打撃系武道格闘技。これも予想以上に使える確信を得ました。

 やっぱり、合気道という武道がいかに汎用性に富み、応用自在な武道であったか?ということを再認識させられましたね。

 ついでに太極拳と合気道の技の比較研究もやりましたが、千葉さんが「あっ? これは五十嵐先生が見せてくれた技ですっ!」と小躍りして喜んでいました。

 五十嵐先生は合気道が形骸化して実戦性を忘れてしまうことを憂い、太極拳との比較研究や剣術・杖術の必要性を考えておられたそうなのですね?

 形だけ合気道をやっても戦い方が解らない。イメージができないのでしょう。それで「果たして、これやっていて強くなれるのかな?」と疑問に思う人が多くいるみたい。

 そういう意味で、私のように考えて個人的に研究されている合気道師範は結構おられるのではないでしょうか?

 格闘技マスコミでは、「合気道は弱い」「少林寺拳法は形だけで使えない」「中国拳法は空手の厳しさに耐えられないオタクがやるもの」といった否定的意見が多く、それに影響されている人達が大勢いました。

 そしてまた、簡単に否定できないような現実もあったりしたので、定説みたいになってしまっていたのですね。

 以前、佐原先生とお話している時に、「合気道(の実戦性)を信じていない」お弟子さんがいるのが嘆かわしいみたいなことを話されていたのを、今もよく覚えています。

 合気道をやりながらフルコンタクト空手の道場に通う人も少なくありませんが、「合気道ではフルコン空手に勝てない」とか言うので、どうやって戦ったのか?と聞いたら、まったく合気道の技を使っておらず、フルコンの間合に立ち止まったままローキックをスネ受けした次の瞬間にパカパカパカーンッ!とパンチの連打を浴びてしまったのだとか?

 バカですね~?

 ローキック出してきた瞬間に“入身当て”してやればいいんですよ! つまり、フルコン空手の戦い方に付き合うから、やられてしまったんですよ!

 合気道は交叉法使わないと真の実戦力が出せません。

 たとえ、ローキックで足を砕かれても、入り身当てで相手の顎を砕いてやれば、相討ち? あるいは、相対的にこっちが勝ち?

 大体、無傷で綺麗に勝とうなんて甘いこと考えるのがバカなんですよ!

 皮を切らせて肉を断つ、肉を切らせて骨を断つ、骨を切らせて命を断つ・・・それが武術ってもんですよ!


 まあ、游心流合気道、案外、早く発表できるかもしれません。御期待くださいませ!


PS;11月月例セミナー“健身法”は、体道塾の仁平師範も参加することになりましたので、皆様、御期待ください!

このページのトップへ
コンテントヘッダー

游心流合気道

 毎月、個人指導に通っているIさんは、昔、ある会派の合気道の支部長をやっていたそうでしたが、正直言って覚えが悪い。

 空手バカ一代世代で、毎日500回も拳立て伏せしていた(プロレスラーですか?)というので、どうしても筋肉に力が入ってしまうんですね?

 どうにも一進一退で脱力技法は体得できません。

 頭で考え過ぎてしまうのも問題です。

 50も過ぎているので、このままやっていても上達は難しいと思いました。

 で、ものは試しで合気道をアレンジする形で教えてみようと思いついて、やってみたら、流石に長年やっていただけに動きがガラッと良くなります。

「よしっ、これなら上達できそうだ? Iさんは合気道をベースにしてやりましょう!」

・・・ということにして、まったくの思いつきで、「游心流合気道」を作ることにしましたっ!

 小塚師範が合気道ちゃんとできるし、外にも合気道達者な人がいるから、やれるだろう?と思った次第です。

 以前は「游心流太極拳」という名前で講座やっていたこともあるし、合気道も大丈夫だろう?と思います。

 私自身は一時間半の体験入門しか経験がありませんが、昔、佐原先生DVD付き教本の製作に携わった時に基本的な原理を勉強できたので、理論面は心配していません。

 Iさんは三段貰っているそうなので、まあ、大丈夫かな?と思います。

 過去に、合気会(山口清吾先生・西尾先生・多田先生・小林先生・佐原先生)、養神館、養正館、気の研究会、岩間道場、光輪洞、冨木式、万生館に学んだ人が来ていましたし、合気武道では、大東流(武田時宗先生系・佐川道場・幸道会・六方会・光道会・琢磨会・松田敏美先生系・山本角義先生系・西郷派)、親英体道、八光流、新体道、柔法、武田流、流道、和楽をやっていた人が来ていました。

 一口に「合気」と言っても、細かく分類していくと千差万別なんですね~? 大別すると伸筋系か脱力系か? 骨盤の縦回転か横回転か? 軸系か丹田系か? 骨格系か神経系か? 重心集約系か重心拡散系か? 自分主体か相手主体か? ぶつかって崩すかぶつからないで崩すか? 身法重視か心法重視か?

 ここに書いてることの意味が全部解った人には游心流合気道初段を進呈します! 多分、いないと思うけど・・・。

 合気と言っていなくても技術的には合気系統だよな~?と思うのは、鹿島神流ですね。

 私が習っていた頃の甲野善紀氏は技の説明にいちいち合気道を持ち出して“貶す”のが習性になっていて、例えば、「合気道ではこうやるけど、これでは効かない」といった具合で、「佐川先生でもこれほどできるかわからない」「養神館No,2の人が私の技に感動して道場を挙げると言われて困っちゃってさ~」とか自慢してたりしていたので、まだ20代半ばで合気道のことを何も知らなかった私は、すっかり信じ込んでいたものです。

 もっとも、その後、いろいろな合気道修行者に出会ったり道場を見て回ったりしているうちに、「あれ~? どうも甲野先生が言ってることはおかしいぞ?」と思うようになり、自分でも脱力技法を研究するようになって、「やっぱりおかしい。試してみようか?」と思った揚げ句が、例の“甲野先生ビンタ・ペシペシ事件”になった訳です。

 叩いた私がビックリしちゃった訳ですが、その後、養神館の先生に合気揚げを挑んでふっ飛ばされた・気の研の先生にボロ雑巾扱いされて木刀を叩き折られた・山口清吾先生を激怒させて破門されていたけど本人は自覚していなかった・筑波の大東流クラブで学生全員に投げ飛ばされて涙目になった・・・といった負け負け話がテンコ盛りで出てきたので、唖然となっちゃった訳ですけど、まっ、「やっぱりね」としか思わなかったですよ。

 ここまでダメ過ぎると笑っていいのか哀しいのか判りませんが、合気道をあそこまで糞味噌に貶していたのは“自分が強くなれなかった”という“恨み節”だったのかもしれないな~?と思いますね。

 そんな次第で、私は合気道に対してマイナスイメージから接していったんですが、知れば知る程、「あれ~? これは実際は日本武術の精髄を最も純粋に磨き揚げてきているんじゃないかな~?」と、徐々に認識が逆転していったのです。

 これは合気道に限った話ではないんですが、現代の武道でも格闘技でも競技として確立し過ぎて“双方が同じ闘い方で技量を競う”という試合(あるいは形の完成度を競う型競技)しかやらないので、「ルール無用で戦った時にどうするか?」という視点が失われているんですね?

 空手家には他流と戦った時にどうする?と考える人が少なくありません。中には積極的に他流の技を学びに行く人もいます。現に、うちに来る人の半数くらいが空手出身者ですかね~?

 Iさんも最初は極真空手やっていたそうです。バイク事故で続けられなくなって辞めたそうですが。

 うちの師範も全員、空手(拳法)出身です。

 私も、どちらかと言うと、投げたり固めたりするより拳法でぶっ叩く方が好きです。

 ただ、それでは危ないし、健康にも悪いし、一般常識的にも印象が悪いので、優しく崩して怪我しないように練習するようにしている訳です。

 自由組手やらなくなったのもそういう次第です。技を深めるには互いに協力し合わないとダメだということに気づいてからは、益々、合気道の型稽古の利点を感じるようになった訳です。

 どうして武術は型稽古が主体で乱取りの類いは主体でないのか?と思っていましたが、理由が判りました。

 競技に使えるものしか練習しなくなって、技がどんどん減ってしまうし、そうなると体力勝負になっていくので必然的に若いうちしかできなくなる。

 闘争心や勇気を養うには試合も必要ですが、せいぜい35歳くらいまでにして、その後は型稽古で技を深化していく修行システムを確立した方がいいのではないか?と思いますね。

 もちろん、試合経験が無いと勘違いしたりし易いマイナス面もありますが、それは思い上がってる者には指導者がペチンと叩いて解らせてやればいいのではないでしょうか?

 そんなこんなで、急遽、思いついた“游心流合気道”ですが、他所と似たことやってもしょうがないので、「動きの中で当て身入れまくる!」「剣体一致」という特色を持たせてみようと思います。

 やっぱり日本の武術は日本刀操法を知らないと本質が見えてこないと思うんですよ。

 合気道家の中には「剣なんか必要ない」と言う人もいるみたいですが、それは自分が知らないから必要ないと言ってるだけだと思うんですよね~?

 私は佐原先生にお会いしてから、「合気道はすべて無刀取りの原理でできている」と考えるようになりました。しかも、見えない“二刀(しかも小太刀)”を遣っているんですよ(ここ、多分、“秘伝”だと思う)。

 例えば、刀禅の小用先生は六方会で合気を学ばれていますし、転会で新陰流を修行されていたから刀法原理で武術的身体を練り上げるシステムを構築されたと思うんですよね。

 中国内家拳の影響も強く感じますね。内功の練法をそこから抽出されていると思いますし・・・。

 游心流合気道ではどのように構築していくか?ということですが、始めてみたら、意外と短期間で根幹は完成するんじゃなかろうか?と思っています。

 こうなったら、游心流太極拳、游心流空手道も作っちゃおうかな~?

 何か、一気に楽しくなってきましたよっ!

 私の長年に渡る合気研究の全てを注ぎ込んだ超実戦合気道を創って見せますよぉっ!

このページのトップへ
コンテントヘッダー

文化の日のメイプルホール稽古

 文化の日は晴の特異日という説の通り、今年も朝まで降っていた雨があがり、昼間は暑いくらいの快晴になりました。

 久しぶりにメイプルホールでの特別稽古会ということで、試し斬りもやってみようと前日夜に風呂の水に浸しておいた畳表を半畳分二枚、巻き藁二本を作っておきました。

 もっとも、試し斬りをするとなると、いろいろ用意しなければならなくなるので、荷物が多過ぎて独りで持っていくのが大変なので、北島師範に私の部屋に寄ってもらって分担して持って行きました。

 実はこの稽古会、『セーラー服忍者』のDVDに特典映像で収める武術指導風景のためにやることにしたんですね。

 ヒントは『ハイキックガール』の特典映像で、中達也先生の空手指導風景がたっぷり入っていたこと・・・。

「そうだ! これだっ! 俺もやろう!」と思った訳です。これで映画に興味がない人でも武術に関心がある人は買ってくれるのではないか?と・・・。

 なので、わざわざ映画で使った黒笠と袖無し羽織も持参して着ましたよ。

 月例セミナーを予約申し込みしておいて受講できなかった回の補習にも充てることにしていたので、受講生の方も参加され、会場も広いから結構、のびのびとやれました。

 今の本部道場もそこそこ広いんですけど、メイプルホールは天井が高いのが助かるんですよね。武器術やるのに安心してできますから。

 栗原師範は横浜で稽古会やる予定にして会場も押さえていたので変更できずに来れませんでしたが、滅多に来れない遠方に住んでいる会員さんも来てくれたので、なかなか充実してやれたのではないか?と思います。

 最初は通常カリキュラム通りに基礎錬体と歩法が終わったら初級対錬をやろうか?と思ったんですが、毎回通える人達ではないので、原理原則を覚えてもらおうと思って、差し手と推手をやってもらいました。

 特に差し手は交叉法を具体的に遣うために必須のものだと思うのですが、同時に応用変化が自在にできないと実用は難しい。

 だから、ひとつひとつの技として覚えようとすると無理があるのですが、交叉した瞬間に相手の隙間に滑り込むようにすると、どんどん変化できるようになってくるのです。

 これは30年近く前に戸隠流忍法で覚えた方法論です。優れたやり方はその後もずっと生き残る具体例でしょう。

 戸隠流には差し手の概念はありませんでしたが、その後、中国武術を本格的に研究するようになって、遣い手の先生は必ずと言っていいくらい、差し手を遣っていることに気づいて研究したのは、游心流を名乗ってから数年経過してからでしたか?

 一時は、「これさえやれば・・・」と思うくらい万能に思えましたが、今はそうでもありません。

 返し技も考えついたので、差し手だけで万能に通用するという甘い考えは捨てました。

 あらゆる技を研究しましたが、研究が進めば進むほど、欠点にも気づいてくるのです。

「この技はこうされたら通用しなくなるな~?」と考えると、流派の優劣を語ることが何とバカバカしいことなのか?と思うようになりました。

 TVの深夜のニュース番組で空手の型と組手の女子チャンピオンが登場したのを見た時、“スポーツ化して本来の空手の理合を失っている”と思っていた空手の技であっても、圧倒的なスピードを遣えば、生半可な武術の理論など木っ端微塵にしてしまうだろうな~?と、正直、思いましたね。

 これは柔道や剣道、レスリングの試合を見ても同様に思います。

 ルールを決めて同じ闘い方をすれば、とても勝てない!と、これは確信をもって言えますね。

 ただし、それは武術とは違うと思うんですよ。

 第一、それでは年齢・体格・体力・性別の壁を突破することができません。

 私は後、三カ月で54歳ですよ。明治時代なら立派な老人です。いくらアンチエイジングに励んで鍛練し直したところで、若い武道家や格闘家と同じ土俵で闘っても勝てないですよ。

 まあ、健康年齢を維持できるのは15年、頑張っても20年。そこまで生きているかも判りません。

 よく大病もしないで生きてこれてるな~?と、自分で感心するぐらい元来、体質は弱かったですからね。

 それでも、武術の研究を続けてきて良かったと思うのは、技は今でも伸びているという実感があるからですよ。

 単純に戦闘能力だけなら若い頃より今の方がずっと上です。それは知識が有るから。

 本心を言えば、50くらいがピークで、後は徐々に衰えるのを何とか維持できるのが70歳までだろう・・・と思っていました。

 でも、そういう、しょっぱい話は景気が悪いでしょ?

 それで70までは伸びる!とウソこいてた訳です。

 スンマセンッ! やっぱり自分が70になった時にちゃんと伸びてるという裏付けがないと言ってはいけない?んじゃないかな~?とも思うんですよね。

 ただ、70過ぎてヨロめいて歩いていた人が縮地法を体得し、見る見る上達していった実例はあるので、勘弁してください!

 今は“いや~、本当に70まで伸びるんじゃね~の?”と思うようになりましたね。

 これは、“体力に頼ることを諦めた”からです。

 極論すると“技術も捨ててしまった”からです。

 通常、技術に則って身体を遣うことを教える訳ですが、私はそのやり方を根本から崩して逆のやり方で何とかならないか?と実験を繰り返したんですね。

 例えば、「力のタメを捨てる」「脚力で動かない」「軸を立てない」「身体を統一しない」「集中しない」・・・といった、「やってはいけない」と言われていたことを全部実験していったんです。

 結果、「こうしなければいけない」と言われていることのまったく逆のやり方、つまり、「こうやってはいけない」と言われていることでも有効性が有る!ということを確認してきた訳です。

 これは本当に誰にも習っていません。

 だって、ダメだって言われていることを敢えて実験していったのですから、自分の直感を研究しようと考えて試行錯誤を繰り返していって発見したものだからです。

 特に、「筋肉を鍛えない」と言っているのは私しかいないのではないでしょうか?

 別に筋肉を鍛えることを否定している訳ではないのですが、鍛えなくても威力は出せるしスピードも早くなるのは事実ですから、だったら必要ないんじゃない?とアンチテーゼを投げかけている訳です。

 もっとも、筋肉を鍛えないということを何の運動もしないということだと思い違いをしてしまうと日常生活にも耐えられないくらい肉体が弱ってしまいかねないので、これは健康のためにはマイナスですから(それでも勝てると思ってるけど)、極端に考えないで欲しいんですね。

 現に、私は若い頃は結構鍛えたので、初めて会った人が「長野先生、結構、ごついですね~?」と驚かれたりします。自作振り棒(2kgくらい?)を中学時代から毎日振っていたり(熱中すると千回くらい)したので、私、かなり腕が太いんですよね。

 でも、こんなに筋肉要らないんです。脱力技法の研究にえらい時間がかかりました。力が抜けなくって・・・。

 私は試行錯誤やりまくってるから結構、失敗もしていますが、失敗したら原因を考えるというのが習性になっているので、研究家としては非常に適性があったと思います。

 正しいか間違いか?を多角的客観的に見れるようになったからです。

 考えてもみてください。

 正しいやり方が一つしかなかったら、どうして世の中に無数の流派が生まれたのでしょう?

「自分の教えることが正しくて、よそは皆、間違っているのだ」と言う先生はたくさんいますが、その根拠を示せる人にはお会いしたことがありません。

 正しいかどうかは、ある限定された局面の中だけでしか判定できないからです。

 しかし、あらゆる戦闘状況を一つの限定された局面に押し込むことなどできる道理がありません。

 例えば、百米走で9秒台を出せる人間は希少でしょうが、野生動物ならざらにいるでしょう? 車を使えば簡単ですし、このような競技がいかに限定され尽くした中で測定しているか?という点を考えなければなりません。

 武道や格闘技を武術とまったく同じだと考えている人は、戦闘に対して競技的な観点しか持っていない場合が多いようです。

 確かに現代の武道も格闘技も競技の上での優劣を競う場が絶対視されてしまいます。

 そこに武術を当てはめようとする人達もいますが、不見識と言わざるを得ないでしょう。

 武術に於ける戦闘の定義は無限定です。ルール無し、競い合い無し、武器使ってもOK、不意討ちも暗殺も騙し討ちもOK、勝てば官軍逃げるのもOK、卑怯卑劣の概念は無し!

「何だそれは? それじゃあ戦国時代みたいじゃないか?」と言われるなら、まさしく、然り!

 武術とは、その本質が兵法であり、“兵法とは詭道也”なのですから。

「そんな人殺しの技を研究してどうするんだ?」と、時々言われることもあるんですが、それはもちろん、「人殺しに遭遇した場合に生き残るために研究している」んですね。

 最近も通り魔みたいな事件がありましたが、「そんなことは起こる筈がない」と楽観していても、起こる時は起こる訳ですよ。

 私自身、経験があるし、周囲に痴漢やストーカーに悩まされている人がいて助けたことが何回もあります。

 それは、私が荒事になっても対応する自信があったから助けに行けた訳で、仮に正義感が強いけど武術も何も嗜みが無い人が助けに行っても、「ウルセーッ! でしゃばるんじゃねえっ!」って、ぶん殴られてバタンキュー?になる可能性があるでしょ?

 私が割って入った時も、「何だ、このヤロ~」って凄んで迫ってきましたが、(しょうがないな~。ちょっと、こらしめちゃおうかな~?)と思っていたら、何か殺気が出ちゃったらしくて、一米手前で見えない壁(闘気?)にぶつかったみたいに立ち止まって、そのままくるっと回れ右して去って行きました・・・。


 ストーカー殺人事件の何割かは警察に訴えていたにも関わらず殺されてしまっていますよね?

 本気で殺しに来る人間に対して四六時中護ってもらえない警察に頼っても効果的ではないということですよ。

 武術の素晴らしい点は、ありとあらゆる戦闘状況に対応する幅の広さですよね~。

 確か、死んだ親父から聞いた話だったと思うんですが、凄く酒癖の悪い乱暴者がいて、ある日、大酒呑んで暴れまわって警察官も手が出せない。近くに柔術の遣い手のお爺さんが住んでいたのを思い出した人が「取り押さえてくれ」と頼みに行ったそうなんです。

 それで、お爺さんがやってきて「やめなさ~い」って言ったんだそうですが、乱暴者は年寄り相手に殴りかかってきて、お爺さんも何もできずに後退するしかなかったように見えた。「これは危ない。いくら柔術ができても若い者には勝てないのか?」と思ったところ、橋げたに追い詰められたお爺さんに掴みかかった乱暴者が、そのままドボーン!と川に真っ逆さまに落ちてしまい、見ていた人達は唖然となったそうです。

 うちの親父は剣道もやっていたし高校のボクシング部の顧問もやったことあるそうで、私が武術にのめり込んだのにも一定の理解を示してくれていましたね。

 何か、学生時代に剣道部の帰りに不良にからまれて竹刀で追っかけ回して滅多打ちにしたことがあったのだとか? 非常に温厚な人でしたが、やっぱり九州男児の性格で、私もそういう性格を受け継いでいるんだろうな~?と、思います。

 死ぬ直前に、私が書いた本あなたの知らない武術のヒミツ』を送ってもらって、もう読めなかったそうですが、嬉しそうにしていたそうです。

 親父の家系は歴史ミステリーみたいな話があって面白いので、いつか作品に反映させたいと思っていますが、私が何かヘンな事件でも起こしたら家系に疵をつけることになってしまうので、迂闊なことはできないな~と思っていますよ。

 うちの会員さん達は人柄の良い人ばかりなので、もうヘンな事件を起こすような人間は出ないと思っていますが(元弟子には何人か出てしまった)、武術にのめり込み過ぎて常識から外れた考え方が基本になってしまうと社会的制裁を受ける瞬間がやってくると思うんですね。

 だから、腕前は隠す、知識はひけらかさない、オカルトは所詮、表に出してはいけないのです。

 昔、ある先生から「長野さんは神様になっちゃいけないよ」と言われましたが、確かにその通りと思います。人間が神様目線になってしまったら、自分を見失って社会で生きていく場が無くなってしまうからです。

 そうなったら、オウムのようなカルト団体の内部で世を呪って生きていかざるを得なくなる。

『ナイトヘッド』の超能力兄弟、霧原直人・直也には実在のモデルが居たそうですが、人と違った能力を持っていたお陰で苦悩の中で生きていかなければならなくなる悲劇を描いていて、今見ても印象深い作品です。

 ず抜けた能力があれば幸せになれるというものではありません。無能な人でも幸せに生きている例は少なくないでしょう。

 ブッダが中庸の大切さを説いたのは、流石だと思います。

 重要なのはバランスを保つこと。それは固定したバランスではなくアンバランスであっても釣り合いを取れること。

 強くなろうとすることは、自らバランスを崩すことでもある・・・ということを知ってもらいたいですね。

 最近のゾンビ・ブームには、死ぬべき運命の人を無理に延命させている非人道性を揶揄しているような面もあるのかもしれませんね?

 それと、関係ない話ですが、うちの会員さんは、他流の技を見た時に「間合が遠い」と評することが多いんですが、それが普通で、うちが近過ぎる訳です。

 何でか?というと、他流を破るために間合を潰してしまう戦略を考えたからです。

 離隔して戦う流派はくっついてしまうと技が出せなくなります。だから、くっつく。

 逆に、密着して戦う流派は打撃技が出せなくなるので、密着したら安全だと思っています。でも、我々は密着した状態から自在に打撃技(発勁)を出せる。だから、くっつく。

 どっちにしろ、くっついてしまえば我々が圧倒的に有利に戦えるという理屈です。

 あんまり手の内明かしたくないんで、この程度で・・・。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

文化の日は特別稽古やります

 去年の文化の日は特別講習会をやりまして、「今年はやらないんですか?」という御質問もありました。

 あれはあれで大変なんですよね? 仕込みが・・・。

っつう訳で、今年はやりません。疲れるから・・・。

 とか思っていたんですが、メイプルホールの練習日と重なっていたんですね~?

「そうか~? 祝日か~? メイプルホールの練習も最近はほとんど人が来なくてもったいないからな~? 時間早めて何かやるかな~?」と、ふと思いつきまして、いつもだと夜7時から9時くらいまで隔週でやっているんですが、昼3時から5時に時間を早めて特別稽古をやることにしました!

 月例セミナー年間通して申し込んでいる人も、来れなかったりする回もあるので、月例セミナーの補習も兼ねて、いろいろやってみようか?と思っています。

 渕野辺の本部は30畳くらいで天井もあまり高くないんですが、メイプルホールだと倍くらいあるし天井も高いので、剣術どころか槍術や九節鞭、ヌンチャク、三節棍まで練習できるんですよね。

 なので、ここ何カ月も大赤字なのに、私の稽古のために借り続けているのです。

 特に、槍、九節鞭、三節棍は、メイプルホールでないと練習できません。公園でやったら多分、通報されてしまうだろうし、公共の体育館でも規制されてますからね?

 中国武術や古武術やっている人達と話していると、最近は特に武器術を練習する場所が無くて困っているという人が多いです。居合道の先生も困ってましたね。

 東京支部も今は居合術の稽古はできないらしいし、公共施設の限界がありますよね?

 そもそも、2年前に自前の道場を探し出したのも、武器術を自由に練習できる場所が欲しかったからなんですよ。

 素手の技だけやっていたのでは武術のブの字も解らない!と痛感したからなんです。

 剣術と比べたら素手の技は物凄く“雑”です。

 力任せで間に合ってしまうからですよ。素手同士ならば・・・。

 でも、それでは若くて体力のある相手にはどんどん負けてしまいますよね?

 武器術、特に剣術は、物凄く精密に扱わないと敵に勝つどころか自滅してしまいます。

 それこそ毛筋一本ずれただけでダメになってしまうんですよ。

 日本刀の刃って研ぎ方によって何ミクロンの物凄く細い線になるのだそうですね? その刃筋を真っすぐ徹す!というのが、いかに超絶的技法なのか?が解るでしょう。

 手裏剣だって棒手裏剣を三間以上離れたところから投擲して正確に刺すというのは非常に繊細な力のコントロールが必要です。

 こうした技法は力を加えればいいというものではなく、力の大きさと方向のコントロールを適切にしなければ技として成立しません。

 私が日本武術の真価は剣術、特に居合術に有ると考えたのも、この点にあった訳です。

 そして、唯一、入門して学ぼうと考えたのが新陰流だった・・・というのも、刀法の繊細なコントロールが他流に比べて深いと思ったからでした。

 新陰流の木刀は他流と比べて非常に薄く軽いものですが、これは刀法の精密さを養成することが目的だったと考えられます。

 太く重い木刀は木刀の自重で勝手に振れるのですが、細く軽い木刀は全身を協調一致させて振らなければ斬撃力は発生しません。

 つまり、力任せでは振れないのです。

 私は、ごく短い期間で辞めてしまいましたが、目的は果たしています。

 剣体一致の理合を確認することが目的だったのです。

 ですから、以降、私の技は相当変わりました。

 例えば、それまで北島師範と推手をやってもドッコイドッコイになっていたのですが、先日やったら私が圧倒的に勝ちました。正直、「あれっ? 何でこんなに差がついたんだ?」と思って、他の会員とやっても、同じでした。

 お断りしますが、私は二年くらい推手の練習はほとんどやっていませんでした。教える時にちょこっと示範する程度です。トータルで10分もやっていないかもしれません。

 それなのに、何故、こんなに上達できたのか?と考えると、剣術・居合術をやっていたから?としか考えられません。

 刀禅の小用先生が今月号の『秘伝』の中で、「道具が人間に精度を要求する」と指摘されていまして、「修行が進んで動きの密度が濃くなるほど・・・隙間だらけだったことが解ってくる」と説明されています。
20161021_007.jpg

 私、これ読んで、「なるほど、そういうことだったのか?」と、得心しました。

 ゴーマンな書き方になっちゃって申し訳ないんですが、最近、私、武道やっている人の身体が隙間だらけに見えて仕方がなくって、何もやってない人の方がマシだったりするように見えるんですよ。

 別にオーラが見えてる訳じゃありません。構造的な弱点を晒しているのに気づいていないと申しますか、「動きが粗雑過ぎる」と言うべきでしょうか?

 これは立禅によって補っていくことはできるのでしょうが、剣術の方がずっと速いのではないかな~?という気がします。

 特に居合術だと、刀を抜くまでは体術と同じですから、自然に体術の修練にもなるんですね。

 まあ、「無構えで相手が攻撃してくるのを待つのなんて不合理だ」と勘違いしてやらなかった会員もいるんですが、実に浅薄な考えだな~?と思いつつ、教えてやりませんでした。だって、不遜でしょ? 私を信頼していないんだから・・・。

 この練習は交叉法の水準を飛躍的に高めるための稽古システムであり、熟練したら相手の攻撃を待つまでもなく先々で抜き斬れるようになる訳なんですが(私はそうなってます)、疑ってかかる人間に教えてやるほど私は優しくはありませんよ。

 どうも、「武器を使うのは卑怯者だ」という固定観念を持つ武道愛好家が多いのですが、素手で人を殴ったり蹴ったり投げたり首絞めたり関節の逆取ったりして痛め付ける行為のどこが正当なんでしょうね? ただのサディストでしょ?

 俺は何てロクデモナイ人間なんだ・・・と自覚しておかないと見苦しい。

 武術は綺麗事じゃありません! 断じて違います!

 稲吉先生が『月刊武道』に書かれていた内容で「武道をやれば世界平和に繋がる」みたいな趣旨でまとめられていましたが、私は考えが甘過ぎると思いました。

 武の本質とは何か?

「理不尽な暴力を粉砕する覚悟を養成すること!」です。

 つまり、世の中の諸悪をしっかりと見据えること。それをやっていれば、綺麗事を口にできなくなるものですよ。

 何故なら、“自分の中にも必ず悪が有る”からです!

 それを自覚していれば、簡単に性善説には立てない筈ですよね? 自覚した上で唱えていたら、それは偽善でしかない訳だし・・・。

 それは、個々の修行者の内的自覚以外に外部から教えられるものではないのです。

 どんな武術の達人であっても、聖人君子じゃありません。崇め奉って、「ポアしなさい」と言われて、ハハ~っと従ったりするような奴隷根性に陥ってはいけないんです。

 それと、気の武術を修行していると、他人の気の様子が見えるようになってきますが、これはある種の幻視な訳で、医科学的には“病気”に分類される訳です。

 ですから、変な優性思想を持って差別的な考えに捕らわれてしまうと、プチ・ヒットラーみたいになってしまう訳ですから、これまた注意しなければ社会的に排除される切っ掛けになりかねません。

 所詮、特殊な狭い世界観の中のことなのだ・・・という達観をしていないと危ないんですよね?

 だから、真に精神修行したいと思う人は出家しなさい!ってことなんですよ。

 ちなみに、私は精神を磨こうなんて金輪際、考えていません。


 あ~、何かどんどん話が飛んでしまった・・・。

 まあ、宜しかったら、おいでください。

 初参加の人は3000円です。会員は2000円。セミナー予約申し込みしていて受けていない回の補講が希望の方は無料です

 そうそう・・・来年の月例セミナー予約一括申し込みも受け付けておりますのでお早くどうぞ。払ったお金の分は責任もってお教えします。

追伸;16日のほびっと村講座にいらしたNさん! DVD購入御希望だったそうですが、講座受講割引価格で結構ですから、安心してお申し込みくださいね? 取材でお話できずにごめんなさい! お土産もありがとうございました!

追伸2;今月の割引セール発勁と化勁』。数年前に製作したものなのですが、非常に解り易くて内容も盛りだくさん。自分でも良い出来だな~?と思ってます。宜しかったらどうぞ


■□■ 事務連絡 11/3文化の日特別稽古会 ■□■

●特別稽古会
日時:2016/11/03(木・祝) 15:00~17:00
場所:MAPLE1990内 メイプルホール(Maple Hall メイプルビルB1F)
  地図:http://www.maple1990.com/menu/access/access.html
   〒229-0037 神奈川県相模原市千代田2-2-15
   TEL:042-751-5011
アクセス:JR横浜線 相模原駅より 6番バス停『高校入口』下車2分
参加費:
 ・一般 3,000円
 ・游心流会員 2,000円
 ・セミナー予約一括申込していて不参加分の振り替え参加希望の方は無料です!

※一括申込じゃないセミナー常連の方もモチロン参加可能です!
このページのトップへ
コンテントヘッダー

事務連絡 11/3文化の日特別稽古会

■□■ 事務連絡 11/3文化の日特別稽古会 ■□■

●特別稽古会
内容:ブログ記事参照
日時:2016/11/03(木・祝) 15:00~17:00
場所:MAPLE1990内 メイプルホール(Maple Hall メイプルビルB1F)
  地図:http://www.maple1990.com/menu/access/access.html
   〒229-0037 神奈川県相模原市千代田2-2-15
   TEL:042-751-5011
アクセス:JR横浜線 相模原駅より 6番バス停『高校入口』下車2分
参加費:
 ・一般(初めての方含む) 3,000円
 ・游心流会員 2,000円
 ・セミナー予約一括申込していて不参加分の振り替え参加希望の方は無料です!

※一括申込じゃないセミナー常連の方もモチロン参加可能です!

このページのトップへ
コンテントヘッダー

久しぶりに東京支部へ

 クエストさんに寄る用事があって、ついでに駒込の東京支部の稽古会にも行ってきました。

 先日のほびっと村の講座の時に小塚師範から相談があって、気になっていたので、もうちょっと詳しい話を聞きに行ったんですね。

 まあ、うちの会そのものの話ではないんですが、所属している会員さんの相談を小塚師範が受けて、他団体との兼ね合いがあったので私にも相談した・・・という次第だった訳です。

 ちょっと他団体と問題が起こったりするとマズイと思いまして、また、相談した会員さんも不安に思っている様子だったらしいので、これは私が引き受けた方が良いだろうと思ったんですよ。

 何しろ、この類いのトラブルバスターとしては過去に結構な回数の処理をやってきていますから・・・。

 武術武道の世界というのは本当に、メンドー臭い業界なんでね~。下手すると暴力に訴えるでしょう? 論理が通じない人間がザラですから。

 いやいや、まだ暴力に訴える人の方が潔くって(意外と話せば解る人が多かった)、ネチネチと陰湿な嫌がらせをするサイコパスも少なくないんですよ? マジで・・・。

 今だって、しつっこくヒツウチ電話かけてくる人が居るんですけど、ヒツウチは繋がらない設定にしているんで、データが残るだけなんですよ。

 何のためにやっているのか、さっぱり解りませんね?

 やってて自分がミジメに感じないんですかね~?

・・・っつうか、そんな暇あったら「あの長野のヤロー、いつか、ぶちのめしてやるっ!」って、サンドバッグ殴っり木刀振ったりした方が自分の実力も上がっていいんじゃないすかね?

 私はずぅ~っと、40年もそうして来ましたよ。

 何しろ、本当のこと言っても、礼儀知らずだのクレーマー扱いされたりするヘンな業界ですから、「無名な者は相手にされないんだな。それじゃあ、有名になるしかないな」と思った。

 その結果、今では、こと武術に関して「本当にちゃんと解ってるのは長野だけ!」と業界通の間で噂される唯一無二の存在になっちゃってますからね?

 要するに、素質や才能を超えるのは、“執念”なんですよ!

 こと、“徒手戦闘”に対する“執念”は国内でトップ10に間違いなく入ると思いますからね。

 現代武道、古武術、中国武術に留まらず、東南アジア、アメリカ、ブラジル、ロシアなどの世界中の武術や格闘技、軍隊野戦体術、その上、コンバットシューティングやスナイパーシューティング等も研究してますし、武器と名のつくものは何でも使えるし、自分でも作れます(材料と工具があれば)。

 特定の流派を長年修行して師範になっている人はざらに居ますが、私みたいな人間は皆無に近いでしょう?

 もちろん、専門にやっている人達は凄いと思うし敬意も持ちます。

 しかし、率直に言わせてもらえば視野が狭くて知識が無い人が実に多い。自己満足に浸って向上心を失っている人が少なくないのが実に残念です。

 いわゆる“専門家馬鹿”なんですよ。

 私は、「ペンは剣より強し」という事実をきちんと弁えています。“社会性”を無視していない。

 戦闘能力がいくら高くても、社会適応性が備わっていなければ、ただの奇人変人として一生を終えるしかない訳です。

 兵法好きな徳川家康は多くの武芸者に学んだり会談したりしていますが、疋田陰流の疋田豊五郎と会談した後に、「あの者は達人ではあるが、兵法の理を解っていない」と評したそうです。

 つまり、疋田は強いけれども専門家馬鹿だったということなんでしょうね?

 ただし、武術マニアにとっては世渡り下手な武術馬鹿でも強ければそれでいいのではないか?と考える傾向があります。

 宮本武蔵や小野次郎右衛門に憧れる人は、柳生但馬守宗矩を嫌う傾向がありますが、政治家タイプの頭脳派の宗矩より、荒くれ武者の純情馬鹿の武蔵や次郎右衛門の方が魅力的に思えるからでしょう。

 私自身も、どっちかと言うとそうなんですけど、目標にすべきなのは宗矩のような生き方だと思うんですよ。

 現代でも武術家として傑出した才能を持つ人が、社会人としては“おバカさん”過ぎたりする例が非常に多くて、私は本当に残念です。

 天は二物を与えず・・・というのは本当なんだな~?と思います。

 しかし、自分に欠けているものを勉強して補っていく努力をしなければ、いつまでも欠点を欠点のまま引きずってしまい、いつか欠点が全体を滅ぼすことになりかねません。

 往々にして、成功哲学(プラスイメージを持って生きれば人生は好転していくという理論)の信奉者は自分も他人も欠点に目を向けず、物事をなあなあで済ませる具合になってしまいますが、欠点を無視し続ければ無くなるということはありませんから、最終的には自分で自分の首を絞めているのに現実を認識できずにトラブルに見舞われてしまうというケースが非常に多くあります。

 結局、心を操ろうとか考え方がおこがましいんですよ。

 なすがままに・・・という超然とした達観こそが重要です。一切の作為を捨てて、心のままに生きることが真の自由であり、それができないのが世のしがらみであると自覚することが肝心ですね。

 要は、天に任せて生きるのが一番楽でいいんです!


 久しぶりに見た東京支部の皆さんは、地道に続けているから、前回、見た時より格段に上達していて驚きましたね。

 私なんかメチャクチャ教えて上手い?から、その場で誰にでも秘技を体得させてしまえるんですけれど、形ばかり体得しても技を実戦で遣えるようにはなりません。

 重要なのは、日々の地道な練習で身体に馴染ませて、頭で考えなくとも身体が勝手に技を繰り出せるように神経を鍛えることなんですよ。

 で、最近は特に推手のやり方をあれこれ研究してまして、かなり細分化した技術を順番に教えていく実験を本部稽古会でやっています。

 何で本部でしかやらないか?というと、やっぱり指導者クラスの会員でないと指示した通りにできないからなんですよ。

 初心者への教え方、他流経験者への教え方、身体能力の高い人への教え方、IQの高い人への教え方、覚えの悪い人への教え方・・・これらは、極端に言えば、一人一人の適性に合う指導法を別々に考えて教えないと効果的に上達させられない・・・というのが私の考えです。

 普通の日本の武道でも武術でも、形に嵌めることを大前提に指導する訳なんですが、これだけしかやらない先生も多いんですね?

 それしかやらなければ、それしか要求されない場では強くなれますが、一歩でも外に出たらまったく通用しなくなります。つまり、応用性が無い。

 武術で最も肝心なのは“応用性”です。

 本当に体得させるには、形から入るべき段階の人、その前の基礎的身体を作らないといけない人、形はできているから形を崩して応用自在に技を繰り出せるように教えるべき人、そもそも武道の形式に馴染めないので別のやり方を体得させた方がいい人・・・といった個性を洞察できないとダメなんです。

 指導者クラスの人だったら、このブログを読んで、ドキッとした方もおられると思います。

 多分、こんなこと考えたこともない・・・という人がほとんどだろうと思います。

 逆に言えば、私が何故、武術の秘伝でも、あっという間に体得させられる!と断言できるかというと、常日頃から、このような指導法の効率化を考えているからなんですよ。

 私は“信仰心”というものを持たないように心掛けているんですが、それはつまり、対象を徹底的に洞察して理解しようという意志を持っているからなんですね。信じてしまったら“理解”はできなくなるでしょう?

 むしろ、疑ってかかる!

 「果たして本当にそうなのか?」と、まず考える。後は観察・洞察・分析・試行・修正・確認・理論化・・・ということを日頃から思考回路に循環させ続けることで習慣化しているから、技術分析力や指導能力が日々、進化させられている訳で、ただひたすら努力の産物なんですよ。

 素質も才能も無かった。だから、努力を怠らなかった・・・。これぞ“執念”のなせる技なのです!

 30日の日曜稽古会でも、推手のやり方を段階的に次から次にステップアップさせていきました。

 えっ?というくらい、いきなり簡単にふっ飛ばせるようになった・・・と思ったら、通じなくなった・・・と思ったら、また簡単に崩せた・・・と思ったら、また通じなくなった・・・というのを何度か体験してもらいながら、肝心要の身体内部の重心移動の感覚を拡大していくように指導していきました。

 結局、万能のテクニックなんか無い!ということと、攻撃力が集中すればする程、実は防御力は下がっていく・・・という原理原則を理解してもらうようにしました。

 膨大な流儀を研究してきた結果、技を繰り出す以前の問題に行き着いてきたんです。

 例えば、打撃技の質が浸透勁になってしまうと、もう打撃戦闘用の加速空間が必要なくなってしまいますし、逆技や崩し技なども威力が浸透するような重さが乗るようになるので、見た目、一歩踏み込みながらポンッと打つだけで自動車に跳ね飛ばされたように相手が吹っ飛んでしまったりする訳です。

 これも体重が重い相手には通用しまいと普通は考えるところでしょうが、身体が重くて吹っ飛ばなければ、威力が内臓に浸透してダメージを蓄積させてしまうので、実はより危険性が高まってしまう。

 私なんか最初っから心臓や肝臓、腎臓、脳、脊椎を狙って浸透勁打ち込めますから、巨漢の人の方が危ないと思いますよ? 吹っ飛んだ方が安全ですからね~。

 まだ20代の頃でしたが体重が120kgオーバーの柔道経験者に薄いクッション越しに寸勁打った時に、うっと呻いて真下に崩れるように倒れて真っ青な顔になってしまって慌てたことがありました。

 この時はダメージがないように・・・と、打ってすぐに拳を引いたんですが、これが逆に内臓にダメージを与えてしまった訳でした。

 こういう不可抗力の試行錯誤を繰り返してきて、どう打てば吹っ飛んで、どう打てば内臓に効くか?ということがいろいろ解った訳です。

 この時から30年近く研究を続けてきていますから、こと発勁に関しては、自信満々ですよ。

 ちなみに、16日に北島師範蹴りを受けて一週間後に当たった箇所の反対側に痣が浮いてきた話を書きましたが、その痣が下の膝の方へ移動してきて紫色になったりしていたのを小塚師範に見せたら、マジでドン引きしていました・・・。
20161101_001.jpg

 何故なら、やはり栗原師範のキックを受けた後で妙な後遺症が出ていたからだそうで、同じように栗原師範のキックを受けていた会員のIさんも一週間以上、足を引きずって歩くハメになっていたのだとか?

「怪我しないように軽くやってね~」と言って、軽くやっているつもりでも、こうなってしまっていた訳です。

 浸透勁キックは、やはり恐ろしい技ですよ・・・。毒手?みたいになっちゃってる。

 これは会員同士ではもう練習できないな~? 道場破り向け必殺技シリーズに入れておくか~?

PS;11月のDVD半額割引は、『独己九剣の応用』にします。内容テンコ盛りですから、お楽しみに~。


■□■□■ 事務連絡 11/3文化の日特別稽古会 ■□■□■

●特別稽古会
内容:ブログ記事参照
日時:2016/11/03(木・祝) 15:00~17:00
場所:MAPLE1990内 メイプルホール(Maple Hall メイプルビルB1F)
  地図:http://www.maple1990.com/menu/access/access.html
   〒229-0037 神奈川県相模原市千代田2-2-15
   TEL:042-751-5011
アクセス:JR横浜線 相模原駅より 6番バス停『高校入口』下車2分
参加費:
 ・一般(初めての方含む) 3,000円
 ・游心流会員 2,000円
 ・セミナー予約一括申込していて不参加分の振り替え参加希望の方は無料です!

※一括申込じゃないセミナー常連の方もモチロン参加可能です!
このページのトップへ
コンテントヘッダー

なんじゃ~こりゃあ?

 23日の日曜日の本部稽古栗原師範独りしか参加者がいなかったので、二人であれこれダベりながら細かい技の秘訣とか説明したり、拳銃の持ち方・構え方・狙い方などをガスガンで指導しました。

 銃に詳しくない人だと、「鉄砲なんか誰でも簡単に撃てるから卑怯者が使う武器だ」と馬鹿にしていたりするものなんですが、銃は種類やメーカーによってメカニズムも異なり、基本的な扱い方を知らないと素人には使うことができません。

 基本は・・・拳銃は大別して回転弾倉式のリボルバーと半自動式のセミオートマチック(単にオートとも言う)。散弾銃は、水平二連式と上下二連式とポンプ(スライド)アクション式とガスオート式。ライフル銃は、ボルトアクション式とレバーアクション式と半自動式と突撃銃(アサルトライフル)。機関銃は、拳銃弾を使うサブマシンガンとライフル銃弾を使うライトマシンガンと50口径弾を使うヘビーマシンガン。

 使い方は機種によって全部違いますし、例外的な特殊な銃もたくさんあります。

 極論すると使い方は全部違うんですよ。機種が同じでも改良(チューンナップ)されてる場合も多いし・・・。

 日本刀や槍、薙刀なら使い方を知らなくとも振り回して刃を当てさえすれば敵を撃退することができますが、銃は使い方をきちんと知らないと持っていても武器としての機能を発揮できません。

 早い話。初めて触ったという人間が弾丸を込めることはできないでしょう? つまり、銃と弾丸が有っても、弾丸の込め方を知らない人間には撃てない訳です。

 私が銃に興味を持ったのは中学生の頃。銃の専門雑誌を買うようになったのは高校生の頃です。

 最初は、専門誌の記事に書かれている専門用語(カートリッジ、リアサイト、フロントサイト、バレル、フォーシングコーン、シリンダー、スライド、フレーム、サイドプレート、トリガー、ハンマー、エキストラクター、グリップ、マガジン、ベンチレイテッドリブ・・・)といった言葉の意味が解らず、チンプンカンプンで、写真を眺めているばかりでした。

 初めて買った専門雑誌『Gun』の特集記事は“ベイビールガー”というドイツの名銃ルガーP08の銃身とグリップ(とマガジンも)を切り詰めて小さくしたカスタムガンの紹介記事でした。

 ドイツのルガーP08拳銃とワルサーP38拳銃にほれ込んで、様々な改造(カスタマイズ)を行うガンスミス(銃の専門職工のこと)のジョン・マーツという人が作ったものだそうで、業界では“マーツカスタム”と呼ばれて珍重されていたそうです。

 何号か買って読んでいるうちに知識も増えて、エアガンやモデルガンを買うようになって拳銃を使った実戦戦闘術(コンバットシューティング)のテクニックを練習したりするようになりましたが、これはアメリカの警察で考案されたものだそうで、それが競技化されて広まっていったそうです。

 さらに特殊部隊で使う、より戦略的なアサルトライフルやショットガンも使ったタクティカルシューティングや、最近はスナイパーを教えるスクールも出てきますが、こうなると銃を用いたアメリカ流の武術みたいなものでしょう。

 これは弓道を考えれば理解し易いでしょう。

 流鏑馬みたいなものなんですよ。

 最近、時代小説の執筆のために調べ始めた日本の砲術も、想像していたよりずっと流派も多く、少なくとも火繩式(マッチロック)の銃としては世界一の高品質の銃を作っていたものです。

 もし、銃の規制が無ければ剣術を凌駕する“銃術”が日本武術の表芸になっていた可能性は否定できないように思われます。

 とまあ、私の考えもあるので、会員には銃の使い方は覚えて欲しい訳です。

 コルトガバメントM1911系の海兵隊仕様のMEWピストル(東京マルイ)を使って握り方、構え方、狙い方を指導して空の250mmペットボトルを4mくらい離れて撃ってもらいましたが、この距離なら当たって当たり前なのに、銃を安定させられず外れたりしています。

 次はS&WのM586の4インチ銃身(マルシン)で撃ってもらいましたが、こちらは全弾命中していました。

 BB弾の威力はMEWピストルの方があるんですが、リボルバーの方が初めての人は狙い易い場合が多いようです。

 実銃の場合も、初心者はリボルバーの方が当て易く、セミオートマチックは慣れるのに苦労するらしいです。

 昔は、ヤクザのヒットマンに持たせるのはリボルバーと相場が決まっていました。少々、オツムの弱い者が多かったので、操作が複雑(マガジンの弾込め・スライドの操作・セフティの操作)なセミオートマチックではし損じる危険性があったからだそうです。

 事前に装填されたリボルバーを渡して引き金を連続して引くだけで連射できるので全弾発射するまで撃たせて、そのままリボルバーを捨てて逃げる・・・ということをやらせたそうです。

 それじゃあ、銃から足が付くのでは?と考えるでしょうが、オツムの弱いチンピラは弾倉を開いて空薬莢を排出して再装填するなんて芸当はできないからなのだそうです。

 話だけ聞くとギャグみたいでしょう?

 でも、銃を触ったこともない日本人だと、大概、そうなってしまうのですよ。

 ガスガン使ってセミナーで解説して撃たせる場合、ほとんどの人が銃の知識が無く、まともに使えませんでした。オモチャでさえ、オッカナビックリなんだから、本物の銃を持っても到底使いこなせないでしょう。

 武道や武術に一定以上の関心がある人間でもそうなのですから、喧嘩の一つもしたことないような日本人が海外旅行した時に銃で武装している強盗やテロリストに囲まれたら、反撃は到底望めないでしょうね?

 仮に北朝鮮から武装した特殊部隊(数人でも)が侵入してきたら、自衛隊が駆けつけるまでに相当な範囲が制圧されてしまうでしょうね?

 その上で政府に脅しをかけられたら、対応できないんじゃないかな~?と思います。

 左翼系の論客が、そのような状況にどう対応するのか?と質問されると、すぐに「国民がゲリラになって対抗すればいい」と言ったりするんですが、呑気過ぎて笑い話にもなりません。

 戦い方を知らない人間が立ち向かっても死体の山が増えるだけでしょ? 日本人はいつまで経っても精神主義、根性主義でしか考えられない。バッカじゃなかろうか?

 これはネトウヨ論客の人達にも共通すると思うんですが、闘争は気合や思想ではできませんよ。

 具体的な戦闘の手段に熟練している人間しか対処できないんですよ。

 国家という共同体にとっては、それが警察であり軍隊である訳です。戦争を放棄している筈の日本で自衛隊が存在している事実が、必要悪?という“現実”を示しています。

 よって、いつまでも必要悪の存在にしておくのは自衛隊員にあまりにも失礼だろう?という理由で正式に“軍隊”にしよう!としているのが安倍首相な訳ですね。

 でも、実際の自衛隊員がそれを本当に望んでいるのか?というと、私は疑問。正式に軍隊と認められれば、現実の戦闘状況に対処しなければならなくなりますからね?

 私の田舎では「戦争に参加しないから死ぬ心配なくて安定してる・・・」という理由で馬鹿息子を自衛隊に入らせる家が結構ありましたよ?

『野性の証明』でも田中邦衛が「自衛隊やめるヤツは馬鹿でぇ~」と、この説を披露していましたね?

 自衛隊員や警察官と言えども、職務に強い責任感を持っていて、尚且つ戦闘技能に秀でて戦略的思考力を持っている人間というのは、ほとんど皆無に近いと思いますよ。

 何故、そう思うか?というと、現代の日本社会にそういう基盤が全然無いからですよ。

 本来、武道というものはそういう人材を養成するものだった筈なんですが、実際は競技スポーツ、社会体育としてしか認識されていませんし、それを逸脱した戦闘状況を想定している人は非常に稀で、むしろ変態扱いされてしまいます。

 私の考えでは、「本来の武術とは突発的に発生する戦闘状況に対処するための平時の備え(平法)」だと認識しています。

 であるならば、現代の戦闘状況で銃を無視するのは、あまりにも平和ボケの度が過ぎますね。

 左翼系の人達は、「スイスみたいな永世中立国にすればいい」と言う人が多かったんですが、スイスは国民独り独りが民兵として戦えるように各家庭にアサルトライフル配備させたりしているという現実を知らずに言っていましたね?

 いや・・・こういう戦闘そのものを具体的にイメージできない頭でっかちな人達には私は全然、何の期待もしていないからいいんですけど、本当に情けなくって仕方がないのは、武道や格闘技、武術の愛好家が、このような危機意識をさっぱり持っていないことなんですよ。

 パンチやキックがどのくらい効くか?とか、阿呆じゃないの?というくらい低レベルな話を喜々としてやっている訳ですよ。

 それだけなら別に「あ~、楽しくって良かったね~」って無邪気な子供を見る親父目線で見れるんですが、何を勘違いしているのか、パンチやキックで人を殺せるか?とか実戦がどうしたとか、そういう誇大妄想みたいなことを話してナルシシズムに浸ってたりする様子を見ると、物悲し~くなるんですよね~? 幼稚だな~っ?って・・・。

 確かに武術は人を殺す技術を追究するものです。それは厳然たる事実であって、私は綺麗事は断じて容認できません!

 しかし・・・であるならば、古典としての伝承されている技術体系だけを以て武術の実戦を語ることの何と時代錯誤で現代の戦闘状況に対する無知蒙昧なアンチ・リアリズムのファンタジーに洗脳されているのか?ということくらいは弁えていて欲しいのですよ。

 聞いてる、こっちが恥ずかしくなります!

 武道や格闘技の技を素人に思いっきりかけたら実に簡単に殺してしまえるでしょう。だから、危険性の高い技は禁止したりルールを設けて競い合う試合競技を作ったりしてスポーツとして“社会化(社会的認知化)”させてきた訳ですよ。

 ただし、武術に関しては、本質的に個人的な“平法”として「戦いに備える生き方」を選ぶということなんですね?

 一言で言うと、「護身術」なんですよ。個人的な・・・。

 だから、護身のために役立たないと意味がないんです。刃物や銃を出されたり、複数で襲われたりするのにも、何とかして危機回避できないといけない訳です。

 そこにはもう、「どっちが強いか?」という比較論は介在できません。とにかく、戦う以上は勝たなきゃいけない訳ですから・・・。

 20代までの私は、武術にそんな期待は持てませんでした。現実には無理だと思っていたからです。

 インチキな武術家?に何人も会って幻滅していたのと、自分が未熟で見識も何も無かったからです。

 でも、私がラッキーだったのは、その後、次から次に本物の武術家に出会えたことでしたね?

「やっぱり、武術はスゲ~ぞっ!」っと思うようになり、その凄さを現実に体現できるようになりたい!と念願して二十年以上、実践研究を続けてきて、ようやく、「これで間違いないだろうな~?」と思えるくらいになりましたよ。

 で、その研究成果は何か?というと、「教えた人間がどれだけ体得できたか?」ということですよね?

 いや~、今回は私の武術研究40年の中でも初めての経験で、本当に驚きましたよ!

 16日のほびっと村の講座北島師範のローキックを抖勁で跳ね返した時に、少し威力が残ったな~?と思っていたら、翌日、翌々日は右脚を引きずって歩かなくてはならないくらいになりました。

 ところが、これだけダメージがあるのに痣が出ない・・・。これまでなら打撲傷の痣が黒々と出てきていたのに・・・と、実に不思議でしたね?

 三日目、四日目からは痛みも和らいできたので、筋肉痛程度で終わるか?と思っていたんです。が・・・。

 丁度、一週間後の23日。

 栗原師範稽古後に食事に行って(奢ってもらった!サンキュー!)長々とダベッて帰ってきてから、ズボンを脱いで着替える時に自分の右脚の膝上内側を見て、思わず、「何じゃ~こりゃあ?」と、声を出してしまいました・・・?

 そこには直径6~7cmくらいの円形にうっすらと変色した痣があったのです!
20161025_001.jpg

 北島師範のローキックを受けたのは右脚の膝上“外側”です。

 しかし、そこには痣はできていません。筋肉が少し堅くなっているくらいです。

 ところが、痣が浮かんできたのは“内側”なのです。しかも、一週間後・・・?

 不可解ですが、考えられるのは、北島師範の蹴りの威力が浸透勁となって太ももの筋肉の奥深くに作用していて、それが一週間かかって反対側に汚れた血となって浮き出てきた?ということでしょうか・・・?

 重心力を用いた脱力技法による発勁打法を全身のどこからでも打ち出す!という私の考案した武術理論は、同時に中国武術の秘伝“浸透勁”を自然に体得させると考えてはいたんですが、今回の現象は流石にビックリさせられましたね。

 そもそも、発勁をローキックに組み合わせるのは十年以上前に考えついたものでしたが、これは危険過ぎるかも?と思ってはいました。

 だから、かなり加減して蹴るように皆に注意していたんですが、講座の時も栗原師範のキックを受けた小塚師範が悶絶してしばらく立てなかったりしていましたし、軽く蹴っても異様な効き方をするのですね。

 それは重心力が浸透するから・・・。勘違いしているかもしれないから断言しておきますが、蹴り方の角度とかそういう細かいことじゃないんです。威力の質の問題。

 北島師範も、今回は普通に蹴っただけなんですよ。それでいて、この異様な結果を見ると、本気で蹴ったらどうなっちゃうの?という感じでしたね。

 しかし、これこそ、私が研究してきた武術理論の成果を示してくれた訳ですから、まさしく名誉の負傷というヤツですよ。

 蹴られた一週間後に痣が、しかも反対側に現れる・・・何とも、恐るべき技です。

 抖勁で跳ね返してなかったら、どうなっていたかな~?

 骨折くらいしてたかもしれませんね?

 発勁ローキックの威力、身を以て体験しましたよ!

 護身術の技としては完成度が高い! 女性が蹴っても大の男を悶絶させられる筈だからです。

 女性、老人、子供という身体的弱者が護身術を学ぶ場合、最も重要なのは確実に相手を戦闘不能にできる“威力”を出せるか?という点なのですが、発勁ならそれが可能である!と、今回の件で、私は声を大にして言えますよ。


■□■□■ 事務連絡 11/3文化の日特別稽古会 ■□■□■

●特別稽古会
内容:ブログ記事参照
日時:2016/11/03(木・祝) 15:00~17:00
場所:MAPLE1990内 メイプルホール(Maple Hall メイプルビルB1F)
  地図:http://www.maple1990.com/menu/access/access.html
   〒229-0037 神奈川県相模原市千代田2-2-15
   TEL:042-751-5011
アクセス:JR横浜線 相模原駅より 6番バス停『高校入口』下車2分
参加費:
 ・一般(初めての方含む) 3,000円
 ・游心流会員 2,000円
 ・セミナー予約一括申込していて不参加分の振り替え参加希望の方は無料です!

※一括申込じゃないセミナー常連の方もモチロン参加可能です!

このページのトップへ
コンテントヘッダー

ほびっと村報告

 ブログでも告知しましたように、16日のほびっと村学校の講座では、初の武道格闘技系(サブカル?分類不能!)の雑誌『ドラゴン魂』の体験取材をしてもらいました。
20161021_005.jpg 20161021_006.jpg

 編集長の川保天骨さん自ら体験してもらいましたが、多分、DVD映像付きになるのではないか?と思いますので、お楽しみのために内容は割愛しておこうか?と思います。

 一応、各種(拳・肘・肩)寸勁の打ち方や打撃技を跳ね返す抖勁のやり方、空手の下段払いの脱力技法での応用、胸倉掴まれた時の対処法、八極拳の頂心肘から打開(双撞掌)への連続技、蟷螂拳の捕蝉式と分肘の使い方、白鶴拳の三戦の使い方・・・等々をやりました。

 川保さんは居合道や合気道もなさっているので、日本刀と体術の関連なんかも御説明しようかな?と、模擬刀くらいは持って行こうか?と思ったんですが、終わった後に阿佐ケ谷に移動してスタジオを見せて戴いて取材もその時に受ける予定だったので、あんまり荷物が多くなっても面倒臭いしな~?と思って、持っていきませんでした。

 結構、持参したのに使わなくて邪魔臭くなっただけ・・・みたいなことが多いんで。

 川保さんも、ほびっと村には来たことがあるということでしたので、やり易かったですね。窓からビルの隙間に居る猫の兄弟?を発見して「連れて帰りたい」と・・・。

 猫好きの人に悪人はいません!

 終わり頃には天真会吉田倫子先生も来られました。

 空手道の歴史に関する真面目な本を書くことになって、海外版も出そうという話になり、その翻訳をお願いすることにして御紹介するためにお呼びした次第でした。

 天真会の剣武天真流の教本の英訳などは倫子先生が書かれていて、英語が堪能で空手についても詳しいとなると、なかなか、いらっしゃらないですからね。

 人脈が広いと、こういう時に便利です。“世界のアオキ”のお弟子さんですからね。

 ほびっと村から徒歩5分くらいのところに自宅兼整体&ハワイのロミロミマッサージの療術院をされているので、御紹介するのに、たまたま時間が空いていたそうなので、お呼びした次第です。

 講座後は、阿佐ケ谷に移動して、まずスタジオを拝見しに行きました。
20161021_001.jpg 20161021_002.jpg

 駅から徒歩数分の住宅街にある白い屋敷の地下で、元々は女優の方の個人レッスン用のバレエスタジオとして作られていたのだとか?

 まだ本格運用前なのだそうですが、いろいろ活用したいということでしたので、私も講習会とか、いろいろ考えてみたいな~?と思っています。

 特に最近、公共施設だと模擬刀使えなくなりつつあります(殺陣の稽古で事故があったりしたからか?)から、剣術の講習会なんかもできるといいですね~?

 都内で活動されているサークルの方で場所を探している方は考えてみられるといいと思いますよ。武道・武術・格闘技・殺陣・ダンス・ヨガ・太極拳とかのサークルに向いていると思います。

 本当に岡部先生から御紹介戴いた時は、ここまで展開が広がっていくとは想像できませんでしたが、何かムーブメントが起こせるかもしれないな~?という予感がします。

 経験上から言っても、変わる時というのは、いろいろ一気に変わっていくものなんですよね? そういう時期というのがあるんでしょうね?

 で、これもまた経験上からなんですが、変わるべき時期に来ているのに変わらない人というのは、結局、“変わろうとしない人”なんですよ。

「チャンスは誰にでも平等に巡ってくるけれども、それに気づいて掴む人とそうでない人がいる」と、昔、当時習っていた拳法の先生が言っていました。その先生の師匠が言っていた言葉なのだそうです。

 確かに一理あるような気がしますね。

 チャンスなのかどうか?は一概に言えないと思いますが、例えば、親しい人と別れると次に新しい出会いがある・・・というのは、ほぼ確実にあります。

 そういう経験が何度もあったので、私は別離を躊躇しなくなりました。

 やっぱり、親しい人と別れるのは辛いから、しがみついていたいじゃないですか?

 でも、そういうストーカー的な腐れ縁を引きずっていても何も良いことはありません。

 人間、無数に人と出会っていても、その中で親しく付き合う人は、一体、何人いるんでしょうか? 統計学的に言えば、非常に微々たる割合に過ぎないでしょう?

 やっぱり、選んでいるんだと思いますよ。無意識下に。

 類は友を呼ぶとか言うでしょう? 友達は自分と似た人を選ぶし、恋人は自分とは似てない人を選んだりするでしょう?

 DNAのせいだという研究もありますね? 遺伝子的に近いと弱い個体が生まれてしまうから遠い相手を選ぶ本能がある・・・と。

 だから、ハーフの人は優秀な人が多いみたいですね。

 昔から異能者は異類婚によって生まれたとする伝説がありますが(安倍晴明は母親が狐だったとされる)・・・、いろんなジャンルで活躍している人がハーフやクォーターである率はかなり高いのではないでしょうか?

 日本人は純血思想を持つ人が多いですが、雑種の方が明らかに逞しくて強いと思いますよ。

 例えば、右翼!

 右翼と言えば、頑迷なナショナリストのイメージがありましたが、日本の右翼の創始者とされる頭山満翁は、大東亜共栄圏思想を掲げていて、アジア人が一丸になって欧米に対抗すべし!という考えだったと知って、非常に驚きましたね。

 現に、孫文やインドの革命家ラス・ビパリ・ボース(新宿中村屋にカリーの製法を伝えた)などを援助していますからね。

 だから、人種差別意識丸だしのネトウヨとかヘイトスピーチやっている連中とは志しがまったく違うんですよね。

 確かに、考え方が同じような人間が集まらないと仕事とか上手く回りません。以前の民主党みたいに思想信条が違う党派観念の人達が混在していては上手くいかないのも道理だった訳です。

 熱烈な恋愛結婚が上手くいかなかったりする(芸能人の結婚が長く続かないのも同じ)のも、考え方が違うところが面白いと思っていたのに家族になると反発ばっかりしてしまうから・・・。

・・・ということは、恋愛と結婚は別々の方がいいのかもしれませんね。

「結婚は二番目に好きな人としなさい」という言葉を聞いたことがありますが・・・。


 余談ながら・・・講座の時に北島師範のローキックを太ももで跳ね返す抖勁をやったんですが、その場は大したことありませんでしたが、翌日、翌々日は脚を引きずって歩かないといけなくなりました。

 加減はしていても脱力して振り打つのが身体に馴染んでいるので、丁度、ブラックジャックで殴るみたいに威力が浸透して跳ね返し切れなかったんでしょうね?

 実際、これだけ痛いと痣ができるものなんですが、表面上は何ともならない。つまり、威力が深く浸透しているのですね?

 他の受講生にも聞いてみないといけません。多分、北島師範だけじゃなくて、栗原師範小塚師範もそうなってる筈だから。

 鉄砂掌で有名な顧如章という硬功夫(インゴンフー)の達人が柳森厳という武術家と闘って敗れたという話が高藤聡一郎さんのムーブックスの本に昔、紹介されていましたが、堅い打撃は防げても柔らかい内部に浸透してくる打撃は防げないのかな~?と・・・。

 とすると、抖勁で跳ね返さなかったら、どうなっていたか? 骨がスカスカになっている人だとポキンッて折れるだろうな~?と・・・。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

今度のホビット村は取材有り

 今度のホビット村講座は、急遽、武道雑誌の取材をしてもらうことになりました(予定)。

 私が武道雑誌に取材してもらうのは、実は初で(自分で取材してもらったように書いたことは何度もあったんですが?)、最初はインタビューだけの予定だったんですが、ついでに体験取材してもらうことにした次第です。

長野先生はこれだけ本も売れてて有名人なのに、何で武道雑誌に出ないんですか?」

「いや、出ないんじゃなくて、業界内で“あいつを出すとヤバイことを暴露するから”と警戒されていてお呼びがかからないんですよ」

「ふぅ~ん・・・、馬鹿ですね~? 長野先生出したら人気が出て雑誌が売れるに決まってるのに・・・」

「ははは・・・実は僕もそう思うんですけど、ライターが人気者になるのは嫉妬するんじゃないですかね?」

「でも、山田編集長とか小島さんとか有名じゃないですか?」

「そっちですか?」

・・・ってな具合の話は何度もあった訳ですけどね。

 でも、正直言って、有り難いですよね? 武道マスコミ業界で悪名ばっかり轟いている私に声かけてくださったというのは素直に嬉しいです。

 そういう訳ですから、参加する方はお楽しみに~!

 内容は、全身をメカゴジラのように武器化する!というのをやります。

このページのトップへ
著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

FC2カウンター
リンク
最新記事
カテゴリー
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

月別アーカイブ
ブログ内検索