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稲吉優流先生が大快挙!

 当会特別会員であるダンスカンパニーrakudoを主宰する稲吉優流先生が、バルセロナダンスアワード世界大会で、大快挙を達成されましたっ!!!!!!

 ジャズダンス部門、コンテンポラリーダンス部門の両方で一位、最優秀振付家賞も獲得という物凄い大活躍で、三つの一位を同じグループが獲得するのも大会史上初で、日本人の受賞も初という、非常に価値ある受賞であったようです。

 ベルギーのダンス関係者からインタビューを受けたり、かなり騒がれた様子です。

 日本では、こういう海外の情報はなかなか紹介されませんから、せめて、ここで取り上げさせて戴きました!

 でも、凄いな~・・・。

 世界から31団体、890のダンサー、200作品の中から選ばれたそうで、素晴らしい!

 少し前だと前衛舞踏が海外でブームだったというくらいしか、日本のダンスが注目されることは無かったでしょうが、最近はバレーやコンテンポラリーダンスでも日本人が海外で活躍するようになってきています。

 ですが、あくまでも個人の活躍に留まっていますよね?

 団体として実績を挙げられたのは、稲吉先生の研究と努力による指導力の賜物だと思うんですよ。

 稲吉先生は八神流の利根川先生に師事されたり、武術や整体療法もいろいろ学んで研究されて柔芯体メソッドを開発されていましたが、縁あって当会にも来られ、仁平師範の療術の腕を見込んで専属トレーナーとしてお付き合い戴いています。

 御自身もいろいろなものを学んでいるからこそ、仁平師範の技能の高さを認めてくださった訳で、私も本当に嬉しいです。

 普通、いくら実力があっても20歳という若さから侮ってしまう人も居るでしょうに、稲吉先生は先入観を抜きに実力そのものを洞察してくださったんですね~。

 数年前に、初めて調布でお会いした時は、それぞれの斯界の裏話なんかもして、互いに苦笑いしたものでしたが、何度か公演を拝見させて戴いて、ヒーリングを受けているかのような明るく爽やかな気分にしてくれる身体の動きの躍動感とメッセージ性、そして大上段に構えたりしない娯楽性も備えてくれているのが嬉しいですね。

 稲吉先生。本当に、おめでとうございます!

 さっ、私も負けておれないぞっ!

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Voice from Monochrome

 以前、田中泯さんの事務局をされていた齋藤朋さんからダンス公演の招待メールを頂戴しまして、丁度、その日は暇があって、随分、御無沙汰もしていたものですから御挨拶がてら神奈川芸術劇場へ出掛けてきました。

 皆さん、御承知のように、ここ数年、私は武道関係者よりもダンス関係者との付き合いの方が楽しくてですね~。

 殺陣アクションのプロの方とも共通していると思うんですが、純粋に身体を思いっきり動かすことの快感を知っているダンサーの方は、何かキラキラ光って見えるんですよ。

 そこんところは武術やってる人間には、ドョォ~ン・・・と粘ついた空気をまとわりつかせて暗~い顔したヤツが多くて、もう、最近は本当に嫌気がさしてきてますよ。

 そこんところは、ダンサーの方は単純に姿勢が美しく動きが美しいですね。

 例えば、顔立ちが綺麗なのに姿勢が悪くて表情が暗い女性や、歩き方がギクシャクしてたり動きがトロい女性なんかは私は生理的に受け付けなくてですね~。

 動物好きな私も、やっぱりブサイクな犬や猫は好きじゃないですね。

 やっぱり、武術なんかでも姿勢がスッと無理なく伸びていたり動きが美しく流れるように技を極められる人がカッコイイでしょう?

 だから、合気道や八卦掌が好きなんですけどね。


 それはそれとして、忙しくてダンス公演見るのも久しぶりだったんですが、場所が、いつも行く刀屋さんの近くの日本大通り駅の近くだったので、行きやすかったというのもありました。

 それにしても、主催されている加藤みや子さんのお名前は失礼ながら存じ上げなかったんですが、田中泯さんのところで拝見して不肖私が批評させていただいた舞踏家の武内靖彦さんも出演されているとのことだったので、「それなら前衛派の公演なのかな~?」と思ったのですが・・・。

 会場で齋藤さんに挨拶して大スタジオに入り、開演を待ちました・・・。


 おやっ? 前衛派なのかと思っていたら、結構、普通にコンテンポラリーダンスみたいだな~?

 かなり大勢の演者が出ておられてバラエティーに富んだいろんなスタイルの踊りが交錯し、その中で武内さんも静かな歩みの中に、7年前だったか?あの夏の白州で見たイメージが蘇りました。

 舞台美術もシンプルな中で凝った装いを見せてくれ、非常に華やかなダンス公演でしたね。

 それにしても、あれだけいろんなスタイルが混然一体となった公演というのは初めて見ました。実に充実した内容でした。素晴らしい!

 齋藤さんもお忙しい様子だったので、あまり話せませんでしたが、お元気で御活躍されていて私も嬉しいです。

 
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田中泯独舞

 久しぶりに田中泯さんの踊りを中野富士見町のplanBに観に行ってきました。

 1~2年ぶりくらい?

 確かに、「え~っと、どうやって行くんだったっけ?」と行き方を忘れかかっていたくらい。

 ここんところ、ずぅ~っと武術の研究に専念してきていたのですが、もう臨界点に達したというか、武術そのものの技術に関しては解らないものは無くなったという感じがしていました。

 そういう時に他分野の芸術芸能といったものに接することで突破口が発見できるということがある訳です。

 実際に田中泯さんの踊りにはかつての武術には有っただろう色んな想念が含まれているように思えます。

 特に私が研究してきたのは内功武術なので、意識や身体内部の動き、働きが重要なので、単純に身体操作で分析できません。

 体の動きと一口で言っても、筋肉の収縮でしか考えられない人と、身体内部の血の流れや筋肉の連なり、骨の動き、細胞の蠢動・・・といった動き以前の蠢きを考える人とでは身体感覚の次元が異なるのです。

 武術で読むのは、そういった外側からじっと凝視しても判別できないような身体内部の律動であり脳神経の電気信号を感じ取る超感覚を駆使する訳です。

 そういうレベルの感覚を養うために瞑想などの修行をする訳で、筋肉を鍛えるという現代スポーツの認識では無理なんですね。

 いや、スポーツ理論も日進月歩していますから、必ず武術的な方向へと発展すると思いますが、東洋の武術は何千年も昔にそこに到達していたという事実があって、それが丹田や経絡の理論として伝承されてきたという次第です。

 昨年出した『武術の丹田』は、そこを知ってもらおうと思って書いたんですけれど、現代的な単純な筋トレ武道しか知らない人にとっては「神秘系~怪しい」というレッテル張りしかされなかったようです。

 神秘のベールを剥ごうとして書いたんですけどね~?


 泯さんの踊りは、踊りの源初の誕生の頃へ逆上ることを目指して探究されてきているように言われていたんですが、余計なものを削り落としていくような感じ。

 今回、おっ?と思ったのは、関節を延ばして身長が高くなっていくような動き。

 徐々に徐々に延ばされていかれたのが印象的でした。あれは身体の内部感覚が高くないとできませんよね~。

 いつもは踊りが終了すると、そのままなんですが、この日は着物を着てそのままトークに入りました。

 泯さんが自分から話すというのは珍しいように思いましたが、話すのが嫌いな訳ではないようです。

 予期していなかったトークは新鮮で、聞いているだけで面白かったですね。

 24日にはお弟子さんの石原志保さんの改称が発表されるということで石原さんの踊りがありますが、さて・・・。


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RAKUDO『時のかけら』公演

 GWの5/5に、うちの会の特別会員でもある稲吉優流先生が主宰するダンス・カンパニーRAKUDOの公演があり、お招きいただいたので、小塚師範代と一緒に観に行ってきました。

 前々日の木曜日のメイプルホールの稽古には、ポーランドでダンスを教えてらっしゃる松田孝子先生が見学に来られていて、武術とダンスに共通し得る身体について考える切っ掛けになっていましたが、一口にダンスといっても、様々なスタイルがあり、また、探究する人によって最終的には一人一流になるのは武術以上の世界なのではないかな~?と、久しぶりに随分、刺激を受けましたね。

 やはり、その翌日(5/4)の金曜日には、国際的な即興演奏のトランペッターとして有名な近藤等則さんの事務所にうかがって、仕事の依頼の打ち合わせをさせていただいていたんですが、武術も音楽もダンスも、自分の身体を使って技能を表現する点に於いて、共通原理が有るのでは?ということは、過去から現在にわたって無数の人が考えてきたことでしょうね。

 そんな中で武術に注目してもらって、私に声を掛けていただいたというのは光栄なことであると同時に、責任重大だと思っています。

 何しろ、武術のプロ?と呼べる立場なのかどうかは自分でも首を捻ってしまうからなのですが、では、私以外に武術に関して全般的な知識を持っていて、実技もそれなりにできる人というのが居るのか?と考えると、例えば、空手や合気道や古武術や中国武術に関してなら、居るかもしれませんが、全般的に知っている人間となると、多分、私しか居ないんじゃないか?と、傲慢かもしれませんが、思ってしまうのですね。

 だから、「武術について質問されたら何でも答えられなければいけない」と思って、日々、勉強しているんですが、いやはや、勉強すればするほど、自分が知らないことがいくらでも有るもんだ・・・と、何か愕然となってしまうんですよ。

 でも、「少なくとも、武術業界の誰よりも勉強し続けているのは私だ!」という自負心だけはあります。

 で、なんで勉強しているか?というと、他のジャンルの一流の人と付き合うには、それだけの知識と見識と技能の蓄積が無いと、「な~んだ・・・武術ってこの程度か?」と見下されてしまったら、私独りが恥をかくだけじゃ済まなくなるからですよ。

 よって、責任が重い・・・という次第です。

 いや、これは本音で申しますが、私以上に武術全般の知識も見識も実力も兼ね備えた人が居るのなら、私は武術研究家の看板は捨てます!

 それぐらい、大変ですから。

 多分、隠れて居るとは思うんですが、表だって活動している人の中には居ないと思います。自分の専門分野は詳しくても、ちょっとでも方向がズレると、あまりにもトンチンカンな解釈しかできない・・・そんな人が大半です。

 むしろ、素人のマニアの方が、よっぽど的確な視点を持っていたりする場合も少なくありませんからね。

 しかし、武術に関しては、やっている人間の大半が、あまりにも情報至上主義で考えてしまうので、案外、基本的な戦闘理論も知らなかったりするんですね。

 言葉は知っていても、その内容をきちんと理解して体得していなければ、武術を理解することは不可能なんですが、情報量が多ければいいのだと勘違いしている訳です。

 私は、研究家として情報が正しいかどうかは実験して確認してきました。

 そして、確認したことを発表してきている訳です。

 例えば、先日、武道漫画の第一人者として業界でも知られている坂丘のぼる先生新作DVDをお贈りしたんですが、私が片手の逆手斬りでマキワラを斬っている点を非常に評価してくださいました。

 いや~、案外、誰も誉めてくれなかったから、正直、ガックリしてたんですよぉ~。

 だって、私はこの技を実演している人を誰も見たことがなかったし、「逆手に刀を持って斬っても刃筋が立たないから斬れない」と言われていたことへのアンチテーゼとして実験して成功したものだったので、もっといろんな人が絶賛してくれるんじゃないか?と期待していたんですよ。

 だけど、誉めてくれたのは坂丘先生だけでしたよ。なんで?

 結局、難しいことを普通にやって見せても驚いてもらえないんでしょうね? 甲野さんみたいに仕組みが解れば小学生でもできるようなことを、さも難しい秘術であるかのごとく、もったいぶって、やって見せないと驚いてもらえないんでしょう・・・。


 しかし、RAKUDOの公演を観ていて思ったのは、とんでもなく難しい技を立て続けにニコヤカに演じ続けて見せるプロの表現力の凄まじさ・・・でしたね。

 武術愛好家は、往々にして踊りを馬鹿にします。

 私が武術と踊りの共通性を論じても、「納得いかない」と言う作家の方もいました。

 結局、口で論じることじゃないんです。やって見せるしかないし、自分でやってみないと理解できない。

 私は、実践の伴わない人の想像だけの論に対しては、物凄く冷淡な対応をする場合があります。

「やったことの無いヤツは黙れ!」とまで言ったりすることがあります。

 どうして、そこまで厳しく言うか?と申しますと、私は実践し体技を磨いている人達の努力に対して敬意を持っているからです。

 やりもしない人間が、無責任にあ~だこ~だと論じているのを見ると猛烈に怒りを感じてしまうのです。

 努力している人達が報われるのが当然であって、やりもしない人間が何をほざこうが評価する価値は無いと思っています。

 だから、人間、若いうちの苦労は買ってでもせよ!と言われるのは、本当のことだな~と思うのです。苦労知らずの人間の浅知恵で世の中は良くはならんでしょう。

 私も、売れる本を書くためには、もっともっと勉強しなきゃいかんと思っていますし、松田孝子先生、近藤等則さん、稲吉優流先生と、一流のプロの方と三日間、立て続けに会い、「武術研究に於いて長野峻也に勝る者無し!」と、早く言われるようにならねばならない・・・と思いましたね。

 それにしても・・・稲吉先生は私よりちょっと年上くらいなのに、以前、観た時より技能が数段、レベルアップされていて驚かされましたね。

 恐らく、ダンサーの中で最も年齢が高かったんじゃないか?と思うんですが、一番、若く見えるくらい全身をくまなく使って踊られていました。

 いや~、オレももう一回、鍛え直さなきゃ~いかんな~・・・って思いました。マジで。
PS;稲吉先生の創始した柔芯体メソッドの本とDVDがBABジャパンより近日発売予定です。50歳で驚異の身体技能を示されたことで実証されてますよ。お薦め!

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ストアハウス“上野”で新劇場!

 江古田で毎月開催しているセミナー会場等で利用させていただいているストアハウスが、劇場としての活動を休止して2年。場所を上野に移しての新しい劇場がオープンするということで、上野ストアハウスの開場記念公演『縄-ROPE-』を、6/14の最終日に観に行ってきました!
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 チラシの地図を頼りに行ったんですが、夜になると地図を頼りに行くのって大変ですね~? 何か、グルグル回っちゃって、かなり余裕をもって出掛けた筈なのに、開演5分前に到着しましたよ。

 上野駅自体が大きいから、初めて行く人はちょっと迷うかもしれませんね。

 江古田ストアハウスは駅から降りてすぐのビルだったんですが、これはこれで雑居ビルの4Fだから、見上げないと気づかなかったりして、やっぱり初めて来た人が気づかないで回っちゃった・・・ということもあったそうです。

 でも、何はともあれ、ようやく見つけた新劇場だそうですから、主宰の木村真悟さんはじめ、カンパニーの皆さんの希望に満ちたやる気満々の表情には、こっちも感慨深いものがありましたね~。

 今回の公演に関連して開場前夜祭とかいろいろとあったらしいんですが、私、ちょうど忙しくって、そちらには行けなかったんですが、公演される『縄』は観たことがなかったものですから、これは是非、観たいと思っていて、最終日は何とか都合つけて行ってきましたね。

 ストアハウスカンパニーの特徴としては、極めてアート性が高いのに、同時にエンターティンメント性も感じられて、最初から最後まで一瞬も飽きさせないで集中して観られるという点が挙げられます。

 何度も観せていただいていて、その度に驚かされる内容なんですけれど、コンテンポラリーダンスとも違うし、いわゆる芝居とも違うし、単純にパフォーミングアートとも言えないし・・・、でも、それらをすべて包含している前衛的な演技として出演者の身体性を、無機的にも有機的にも表現し尽くす演出に、毎回、圧倒されます。

 今回は、特に、「これを考え出している木村さんの頭の中はどうなってるんだ?」と思いました。

 先日、観たばっかりの芝居は、エンターティンメントに徹していて非常に楽しかった。

 けれども、ストアハウスカンパニーの公演は、出演者にセリフは無いし、最初から最後まで舞台で動き回って、転がり、走り、暴れ回るというアクション俳優並の激しい運動を繰り広げます。

 多分、一回の公演やる度に1~3kgくらい痩せると思います。

 前衛舞踏だと、こんな激しさは見せないし、コンテンポラリーダンスでも、こんな具合の生々しい表現はしないでしょう。

 そして、毎回の公演で駆使されるのは、木箱であったり布切れであったりというオブジェなんですが、それが今回は無数の“縄”でありまして、そこから連想されるのはSM?か、あるいはホラー映画みたいな展開になるのかな~?といったことを想像していました。

 実際、舞台を埋め尽くした縄の中で転がり回ったりしている様子は、あのゲテモノ・ホラーの怪作『スクワーム』(ゴカイやミミズが人を襲うパニック系ホラー)を思い出させましたが、「ざるソバの上で遊んでいる小人」のイメージもありましたね。

 そして、チラシの写真にも使われている縄で頭をグルグル巻きにして仮面のようにした姿は、何やら縄状のエイリアンによる侵略SF映画?みたいな印象も受けました。

 そんな、いつもにも増してホラーなダークファンタジーっぽさを感じながら観ているうちに、何故か、時節柄、地震と津波で壊滅的打撃を受け、原発事故の放射能汚染に苦しむ人々が足掻く様子にも思えてきました。

 そうしているうちに、何だか、絶望的な状況の中でも希望をもって懸命に助け合いながら生き抜いていこうとしている人達の姿に観えてくるんですね。

“縄”には、“絆”の意味が込められていたようです。

 それは、新生ストアハウスカンパニーが、新たに挑戦していく意志を示し、今の世の中に「元気出せっ!」と、叱咤激励しているような印象でもありました。

 これからも一ファンとして、楽しませてもらいたいと思います。

 上野ストアハウスの躍進をお祈り致します!

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石原志保・独舞『否連続11』感

 19日の土曜日に、プランBで田中泯さん率いる桃花村の踊り手、石原志保さんの踊りの最新作が公演されました。

 何しろ、11日に突如として起こった巨大地震の影響で、交通機関はメタメタな状態だったので、予約はしてみたものの、当日まで「行けるのか?」という疑問がありました。

 それと言うのも、計画停電で道場はほとんどお休みせざるを得なくなり、また、JR横浜線も全面的に運休という状態を何日も続けていたからです。

 何とか金曜日には電車は動いてはいましたが、かなりの規模の地震と言っていい余震が次々に起こるので、どこでどうなるか判らない。

 下手に都内に出れば、帰れなくなりそうな“バッド・デイズ”・・・(新作本の打ち合わせもまだなのだ)。

 けれども、その状況で、敢えて公演を実施するという心意気がいいんですよね~。

 武術の場合も、いついかなる時も戦いを忘れず・・・という常在戦場の意識が大切とされています。

 だから、17日の本部稽古会だって、電気が消えていたって真っ暗闇の中で練習するつもりでいたんですけど、会場の貸し出しができないということだったので、断念せざるを得ませんでした。


 19日は、急行電車が無くて各駅停車で行くしかなかったので、開始時刻に間に合わず、踊りの後半しか見れなかったんですけれども、泯さんはじめ、桃花村メンバーは皆さん、明るくて悲壮な感じはありませんでしたね。到って自然体・・・。

 思ってたよりお客さんも普通に沢山来られていて、ちょっと、凄いな~って思いましたよ。今、この時期に踊りを見に来るというのは、本当に凄いと思います。

 私は今回、正直な気持ちを言うと、踊りを楽しむという感覚はとても持てなくて、ただ、皆さんが元気でいらっしゃるのかな~?というのを確かめたかった・・・という、単純にそれだけで足を運びました。

 しかし、拍子抜けするほど普通にやっていらしたので、私も普通に踊りを鑑賞して、「石原さんって、本当に手足が長いな~。やっぱ、ダンサーは俺みたいに手足短いとサマにならんよな~」とか、「今回の舞台って、この前、泯さんが踊った時と同じで鉄板だよね~? 拳とか手首とか足の指とか、あれはメチャクチャ痛いよな~?」とか、「何か、泯さんのところの踊り手の人達って、踊ってる最中にどこに重心があるのか判んね~な~。こういう相手と戦うと合気も化勁も効かないだろうな~。参っちゃうな~」とか、そういうことを色々と勝手に考えたりしておりました・・・。

 で、結局、当初の気分はふっ飛んで、か~な~り、踊りを堪能させていただきましたでござる・・・(はっ? 時代小説ずっと書いてたから、つい“ござる”とか書いてもうたよっ)。

 話は変わりますが、こういう日本全体が沈滞しているムードの時って、逆に笑い飛ばすようなのも必要だと思いますね。

 帰りに駅前のコンビニで週刊誌を立ち読みしていたら、TVでお笑い番組やったり、ニュース番組のアナウンサーが笑ってるのが不謹慎だとか書かれていたんですね。

 でも、そういう具合に文句言う風潮の方が、何かおかしいと思うんですよ。

 人間は、本当に悲惨な時って、精神の緊張を緩和したくて自然に笑えてきたりするものです。だって、悲しみに暮れるのって、嫌でしょう?

 私は、そういう時は無理やり笑い飛ばしたくなります。悲しみに浸って日本中でみんながワンワン泣けばいいのか? 気持ちワリーよ!

 悲惨過ぎて笑ってしまった・・・という瞬間を切り取って、不謹慎だと非難しているとすれば、それはどうなのか?と思うんですよね。

 ニュース番組を担当して悲惨な情報が次から次にやってくれば、並の神経では耐えられないでしょう。

「ちょっと待ってよ。こんなの冗談でしょ~?」って精神の臨海点を支えるには笑って拒絶するしかなくなる・・・それが健全な人間の心理メカニズムであるという点を、週刊誌記者はさっぱり解ってない。

「FテレビのAアナは・・・」とか、鬼の首とったように非難する阿呆と同じレベルでプロの記者が記事書いててどうすんだよ? バッカじゃね~のか?

 女子アナが地名を間違えまくったとか・・・地名とか人名ってヘンな読み方させたりするから、しらなきゃ読めなくて当然。本人だって、失敗してから反省して直すに決まってるんだから、「女子アナのくせに・・・」みたいなの、もう、止めて欲しいですよ。

 だってね~。あの大災害が起こって以降、TV局の報道キャスターって、不眠不休で頑張ってる訳で、俺なんか逆に本当に頭下がりますよ。被災地でずっとリポートしている日テレの丸岡さんなんて、元々報道キャスターだから本領発揮している感じです。

 原発の事故を何とか最小限度に治めようと命がけで頑張っている人達だって、菅さんが「命がけでやってくれっ」って叱咤したことが鼓舞させているのかも知れないし、週刊誌記者さんたちは、菅さんが人でなしの無能な人間だと非難して済ませばいいと思っているのか?

 もうちょっと建設的に支えるようなこと書いて勇気を広めるような記事書けないか?

 私が菅さんの立場だったとしても、「誰かが命がけでやらなければ莫大な被害が広がってしまう。貴方たち以外にできる人達はいないんだ。ここは命を捨てる覚悟で貴方たちが踏ん張ってもらいたい」って、やっぱり言いますよ。

 放ったらかしといたら、どうなるか? 放射能汚染が決定的に広がる結果になるのが判ってるんだったら、誰かが犠牲になる覚悟でくい止める努力するしかないじゃないか? 薄っぺらな倫理観振りかざすんじゃねえってんだ!

 俺は、やらないヤツが外からあ~だこ~だと勝手なこと言って批判するのって、本当に虫酸が走るくらい嫌っ!

 これまで痴漢に会ってる女性とか何回か助けたことありますけど、満員電車で大の男が沢山いるのに、酔っ払いの爺さん一人たしなめようとしないんだよ? 殴られたって猫パンチ以下でしかないのが判ってる相手であっても、怖がってしまうのって、恥ずかし過ぎると思いませんか?

 パンチパーマで金ピカ腕時計してるオッサンとかなら、怖がるのも解るけどね~。

・・・アレッ?

 なんか、石原志保さんの踊りについて書く予定だったのに、何故か、パンチパーマのオッサンの話になってしまったぞ・・・? 大丈夫か、オレ? トーゴーシッチョウショウになっちゃったのかぁ~?(はいっ、ここ2ちゃんねるネタです。ヨロシクッ!)


 はいっ、軌道修正ぃ~っ!

 近所のダイエー・グルメシティで米が買い占めされて無かったので、丁度いいや~と思って、泯さん率いる身体気象農場で収穫された玄米も買ってきました!

 ちなみに、玄米は表皮のセルロース成分が放射性物質を排泄する作用があるとされています。コンブなどの海草類と共に、主食として玄米を食べると放射性物質の排毒作用が期待できると思いますよ(ハトムギもいいらしいよ)。

 何だか、“うがい薬を飲め”とかいうヨー素剤の代用法がネットで広がって問題視されているそうですが、薬品というのは症状が出たり出る前から服用するものであって、健康な状態で摂取したら副作用の方が大きいんですね。

 それよりも普段の食事内容を薬膳食に工夫していく方が良いと思います。

 あ~、それにしても、泯さんのところに行くと、何か元気を分けてもらったような気がしますよ。やっぱり、普段から大地と格闘して生活されている人達って、揺るぎないですよね。田舎の農業やっていた爺ちゃん、婆ちゃんを思い出します。

 やっぱり、日本人は、農業が原点なんだよな~って思います。大地に足踏ん張って生きなきゃ~ダメだなっ。

 何か、石原さんの踊り見たら、もう少しで完成する初挑戦時代小説のラストをどうするか?と悩んでいたのの、いいインスピレーションも湧きましたよ。

(ごめんっ! 俺、今日は脳みそがシュールレアリスムになっちゃってるみたいっス)

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Kei Takei ムービングアース・オリエントスフィア

 ダンス公演のお知らせです。12日、13日に日暮里サニーホールにて舞踊家ケイ・タケイさんのカンパニー公演があるそうです。

 どうぞ、御関心のある方は足を運んでみられてはいかがでしょうか?

 今回は居合道家の方のパフォーマンスもあるそうですよ。私は仕事で見れなくて残念!

 また、24日には東中野のポレポレ坐にて『徹の部屋Vol.12 うたをさがして』があるそうです。

 どちらも問い合わせ・予約はマルメロ e-mail:saitomo55@gmail.com へどうぞ。

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田中泯独舞評論

 今日は真剣に論じてみましょう。

 2010年は、ほとんど踊りを観に行けず、心残りでしたが、11月27日(土)に田中泯さんの独舞がplanBで開催されるということで、最近、パニック障害の発作も多少、鎮まりつつあったので、予約のメールを入れました。

 早速、石原志保さんから申し込みOKのお返事を頂戴し、土曜日はシダックスの講座が終わってから、京王線で新宿に出て、地下鉄丸の内線で中野富士見町へ向かい、もう通い慣れてしまったplanBへと向かいました。

 今年の泯さんは、『龍馬伝』の吉田東洋役で、また幅広い層の人達から注目を浴びましたが、やはり、本分は前衛舞踊家であることは論じるまでもありません。

 孤高を保つということは、実は極めて難しいことです。

 ほとんどの人間にとっては、金や名声が得られるのならば、自分の本分を捨ててしまっても構わない・・・、いや、そもそも、自分の本分が何であるか?という自覚すら持たない人が絶対的多数でしょう。

 世の中の大多数の人間は、自分や家族の生活の糧を得るために働いているのであって、それは必ずしも自身がレーゾンゲートルを感じられる仕事とは限りません。

 そればかりか、最近では、自分や家族の生活の糧を得ることさえ放棄し、働こうとすらせずに老親に寄生して生きる者も増えています。

 必死になって生きようとする意欲すら無く、寄生して生きることしかできないのでは、人間としての生き甲斐さえ感じられないでしょう。


 けれども、田中泯という人は、自身の本分を当たり前のごとく守って生きている・・・ように私には見えます。

 それが、踊りであり、農業であり、近年は役者なのでしょう。

 泯さんの踊りは、暗黒舞踏の開祖である土方巽の影響抜き難くありますが、田中泯という属性の中にある艶めいた漆黒の闇の色が浮かび上がってきます。

 土方巽は虚無、絶対なる空があり、先頃亡くなった大野一雄には華やいだ情愛があったといわれます。

 前衛舞踊家には、それぞれ独自の色(滑稽・奇驕・狂乱・神聖等)がありますが、田中泯にはなんびとをも寄せ付けない屹立する孤高があります。

 ところが、余人を寄せ付けぬ峻厳が、逆に多くの人の心を捉えて離さない強烈な磁力を放つのです。

 恐らく、この不思議な矛盾は、田中泯の表層に立ち顕れることのない深層に潜む慈愛の存在を人が嗅ぎ取るからではないか・・・と、私には思えるのです。

 これは、『たそがれ清兵衛』で衝撃的に俳優デビューした時の役柄、藩のために尽くしながら無残に切り捨てられようとして、武士として抵抗し果てる初老の侍の姿に如実に現れていましたが、それはまた演技を超えて、田中泯その人と重なって見えていたのです。

 田中泯の生き方こそは、近代合理主義への抵抗であり、生物としてのニンゲンの根源的本能へと回帰していく、ある種の“宗教的透徹”を目指した生の営みであると言えます。

 私は、久しぶりに観た田中泯“独舞”の中に、本人が自覚していたかどうかとは別の次元での、その徹底した表現者としての作為を排除した“踊りのエキス”を搾り出して見せようとする“鬼迫”を感じずにはいられませんでした。

 私が感じたのは、火を操り鉄を精錬するタタラ者の姿であり、また、火の神、カグツチが生まれようとする胎内での踊りをも想起させました。

 タタラ者は、一本ダタラと呼ばれる妖怪にも擬せられた山の民の職能集団をいい、タタラとは現代でいうハイテクを意味する言葉であったとされます。

 砂鉄を巨大な炉に溶かして和鋼(玉鋼という言葉は明治以降に呼ばれたらしい)を作り出すタタラ製鉄は、特殊な技能集団によるものであって、錬金術にも似た魔術的なものを操る者たちと里人には恐れられた。

 一方、カグツチは、生まれ落ちる時に母であるイザナミを焼き殺してしまい、怒った父イザナギによって剣で斬られるのです。

 骨なし子として生まれて葦の船に乗せられて流し捨てられたというヒルコと同様、生まれながらに忌み嫌われた神でありました。

 しかし、何故、嫌われたのでしょうか?

 恐らく、“火を操る”ということが強力な武力を得ることに繋がることを恐れられたからなのではなかったでしょうか?

 現に、火を操る者は鉄の武器を作り出し、火薬は一度に多くの人間を殺せる武器に転用できた。火の象徴する最も強力で無慈悲な武器は核兵器なのです。

 折しも、先日、隣国で悲惨な砲撃事件が発生しました。火の矢を受けた家は焼け崩れ、多くの死傷者が出ました。

 しかし、あのような無慈悲な事件は世界のどこかで日常的に起こり続けているのです。

 バーナーを使った、今回の“踊り”に田中泯が何を託そうとしていたのか?は明白かもしれません。泯さんは敢えて、危険に迫って見せることで、戦争をよりおぞましく肥大させてしまっている文明の本質を訴えたかったのではなかろうか・・・。

 過日、NHKのドキュメンタリーで田中泯がナレーションを担当した『ロボット兵器と貧者の兵器』・・・あの寂滅たる虚無感の漂う深い深い人間の業のもたらす戦争の今。

 舞台が真ん中から真っ二つに割れていた点にも、国、宗教、イデオロギーの交わらぬ深い断絶があることを示唆しているように思えました。

 けれども、田中泯はその上を踊り歩く・・・。まるで、すべての断絶、分断をおかまいなしに踏みしだき、鎮めて回っている呪術師のように・・・。

 あらゆる断絶を突き崩して心を繋ぐ力を持つのは、文化芸術です。

 それは、いかなる強力な武器をも超える人間の本能に根差した愛を呼び覚ます鍵なのです。

 インド哲学では真我を実現した者をアートマンと呼びますが、奇しくも、Art(芸術)とMan(人間)が結び付いた言霊となっているのです。

 アートマンは、梵(ブラフマー=宇宙)と結び付いて、梵我一如となる。これが大悟のことです。

 そして、“術”とは、本来、神との交信を意味しているのです。技は人間が操るもので、術は神に通じるもの。呪術・占星術・法術・魔術・錬金術・医術・武術・・・etc。

 芸術もそうです。神意に通じた至高の芸術は、本能的に誰もの魂を打ち震わせる。

 ただ、それを顕現させるには、徹底的に自我の中の夾雑物を除き純化し精錬しなければならない。技芸を極めるとは、その行為の過程を言うのです・・・。

 泯さんの60代半ばに達した肉体は、無駄をそぎ落とし均整の取れたしなやかさを保っていますが、それは踊りの修行に特化した証しでしょう。

 それを“スゴイ”とは、もう言えません。そこには“オソロシイ”と言うのが相応しい、何度も折り返し鍛錬され、徹底的に研ぎ澄まされた日本刀のような肉体を維持した意志の力を感じるからです。

 そして、人間は、時にオソロシイ者へと、深く深く魂を引き寄せられる本能を持っているのです・・・。

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EVOROOTS from RAKUDO “RiGURA~追憶の未来~”

 うちの会の特別名誉会員である稲吉勝さんが主宰するダンス・カンパニーRAKUDOの公演が10月2日・3日に六行会ホールで催されました。

 私も招待状を戴いていて楽しみにしていたのですが、当日、急用ができて行けなくなってしまったため、北島師範と矢嶋師範代に行ってもらいました。

 前回、阿佐ケ谷だったか?で催された時は、ダンスもやっている矢嶋師範代と二人で行って、物凄~く感動して、「こんな素晴らしい人がうちの会にいてくれるだけで有り難いよな~」と、帰りにトンカツ定食食べながら矢嶋師範代と二人で話し合ったものでした。

 今回は、残念ながら私は観れなかったのですが、初めて観た北島師範は感動に打ち震えた声(感涙にむせていたよ)で電話をかけてきて、「先生、本当に素晴らしかったですっ!」と公演後にすぐ連絡してくれました。

 稲吉さんは、今年一月の公演で現役ダンサーを引退し、今後は世界に通用する若手プロ・ダンサーの育成に専念していきたいと言われていましたが、プロのダンサーにとって最も怖いのは身体の故障であり、身体のメンテナンスについて以前からいろいろ勉強されていて、それで私を訪ねてこられた・・・という経緯があったんですね。

 初めてお会いした時には調布の喫茶店でお話したんですが、ダンスが好きで好きでたまらないという様子がうかがえて、本当に楽しくお喋りしましたね。

 私と同世代ですから、当面は指導者と演出・振り付け家として活動するつもりの様子でしたが、純粋に好きなダンスを生涯にわたって追究していきたいと考えられていて、現役は引退しても自己研鑽を捨てるつもりではない様子ですし、いつかまた、御自身で納得のいくダンスを創られたら復帰されるかもしれないですね。

 武術に関してもいくつかの団体に勉強に行ったりされていたそうで、少しでもダンスのパフォーマンスを高めていきたいという向上心が伝わってきて頭が下がりましたね。

 こういうジャンルを超えた研鑽は、演出されているダンスに充分に反映されていて、だからこそ、あの感動的なドラマチックなパフォーマンスに達しているのだと思います。

 本当に最初から最後まで気持ちの良い、心にも身体にも前向きな活力が漲ってくる演舞なんですよね~・・・(って、これは一月に私が観た時の感想なんだけどね)。

 私がご縁のある田中泯さんのことも非常に尊敬されている様子で、ジャンルを問わず長く続けていけるダンス・パフォーマンスについて探求心を持たれていました。

 指導者としての苦労された話には、なんだか私と同様の経験もあるみたいでしたが、私と違って、一切、悪く言われません。むしろ、お世話になったという感謝の気持ちだけを持ち続けられているみたいで、恐れ入っちゃいました(いや、お恥ずかしいですぅ~)。

 それに、カンパニーのお弟子さん達が成長され実績を挙げられることを自分のこと以上に喜ばれていました。

 私の研究がちょっとでもお役に立てれば、こんな嬉しいことはないですね。本当に武術以外の他ジャンルの世界でも一流の素晴らしい人達と出会えて、私は強運の持ち主だよな~と思いますよね。


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南インド・ケーララの伝統舞踊“モヒニヤッタム”公演!

 9/2、深川江戸資料館 小劇場にて、ケーララの伝統舞踊モヒニヤッタムの公演があります。

 残念ながら私は本部稽古があるので行けませんが、貴重なインドの古典舞踊の動きには、武術にも共通する優れた身法があります。

 伝統的な舞踊には武術との共通点が多く、私も随分前から注目して研究してきたんですが、インド舞踊は特に示唆に富んでいるんですね。

 コンテンポラリーダンスもいいんですが、思いっきり古典の舞踊もまた、非常にいい味があるんですよ。

 本当に観れないのが残念なんですけど、都内にいらっしゃる方は、是非、観てみられるといいと思いますよ。

 8/28、29には小田急線豪徳寺駅近くのスタジオ・ムービングアースにてワークショップもあるようです。

問い合わせ・予約;マルメロ tel03-5627-7583
e-mail; marmeloyama@gmail.com

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『-空、蒼すぎて-』GALA Obirin2010招聘企画

 木佐貫邦子さんのダンス公演が、私の地元、渕野辺の桜美林大学PRUNUS HALLであるというので、北島師範と二人で観てきました。

 昨年、木佐貫さんが演出振り付けされた学生の公演を観た時に、あまりのレベルの高さにびっくりしたものですから、今回は、田中泯さんをして「コンテンポラリーダンスのナンバー1」と絶賛させていた木佐貫さん自身の踊りを観れるのですから、滅多にないチャンスです。

 いつもだと恥ずかしいから後ろの方から、こそこそっと観るんですが、「これは最前列で観なくちゃならん!」と、珍しく最前列に陣取りました。

 チラシを読むと、何と、私ですら知っている有名なダンサーの上村なおかさんも出演されているではないですか。上村さんは、確か、泯さんが主催されているダンス白州でも踊られていたと記憶していますが、木佐貫さんのお弟子さんだったんですね?

 公演は、想像以上の素晴らしさでした。

 私的には、中国武術でいうところの独立式(片足で立つポーズ)のポージングをとるところで、微動もしないでかなり長く立ち続けていたのに感心させられました。

 中でも、峨嵋派武術(虎や猿などの形態を真似る象形拳が多い。鴨拳なんてのもある)の鷹拳のポーズそのままをやっている女性ダンサーもいました。

 ちなみにこの人は四つん這いのまま、物凄い速度でザザーッと後ろに疾駆して見せて、私は思わず「速っ!」と呟いてしまうくらいビックリしました。

 チラシを読むと、何と最年少で、しかも少し前まで桜美林の学生さんだったみたいで、木佐貫さんの指導力の高さが改めてうかがえました。


 私がダンサーの身体技能を武術家よりずっと上だと評価していることは、本で何度も書いてきたことなので、読者の皆さんは御承知されていると思います。

 今回も、私はそれを再確認しました。

 最近、いろいろな武術の動画映像を観ましたが、身体性そのものが比較検討するまでもありません。技には「なるほど」と思うものの、演じている人の身体の練度の低さは否めません。観ていてつらくなってくる・・・。

 私は、公演を観ていて、「あ~、この人達に教えたら、一カ月もしないで武術の達人になるだろうな~」と、そんなことばかり思ってしまいました。

 公演後はトークタイムもあったそうですが、私は恥ずかしがり屋さんなので(ホント)、そのまま帰りましたけれど、練習のやり方とか意識の持ち方とか質問してみたいことは多々ありました。

 もっとも、純粋にダンスを鑑賞して楽しむ態度ではありませんから、そんなことばかり質問したりしたら失礼だしな~と思って遠慮したという理由もあります。

 要するに、私は何でもかんでも武術に結び付けて考える癖がある。業病ですな。

 ダンスを純粋に楽しめるようになりたいものです・・・。


 それにしても、地元でこんな豪華な公演が鑑賞できるというのは、パニック障害の持病があって遠出するのが苦手な私にとっては本当にありがたい限りです(最近、ちょっと悪化しているので、体調を整えようと思っています)。

 桜美林大学は、確か弓道も強かったと聞き及びますが、演劇、ダンスの芸術に強い大学として有名になってきていますね。特に今回の企画は学生主導の芸術祭の中の企画なのだそうで、地元にも開かれた地域活性の交流をしようとするのは素晴らしいことだと思います。

 貰ったチラシの中に、昔、殺陣の指導に行っていた慶応大の演劇サークルの名前があって、感慨深くなりましたが、大学生の時期というのは学業そっちのけで自分の好きなことに打ち込み、そのまま、その世界でプロになっていく・・・という夢追い型の人間が、断然、カッコイイというイメージがありました。

 やっぱり、自分の好きなことに打ち込んで生きている人は、生き方にブレがないから輝いて見えますし、今の時代では特に貴重な存在だと思います。

 一回限りの期間限定の人生。自分のやりたいことをやらずに生きて、何のメリットがあるでしょう?

 ただ、“-空、蒼すぎて-”・・・若い頃のわき目もふらずに好きなことを追求できていたあの時代を思い出して、いささか淋しく羨ましい気持ちではあります。若い時代は二度と戻ってはこないからな~・・・。


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大野一雄さん永眠

 世界のダンスに衝撃を与えた日本の“舞踏”。土方巽とともに舞踏を創始した大野一雄さんが6月1日に呼吸不全で逝去されました。

 近年、再評価の高まっている土方巽の存在も、生涯現役であり続けようとした大野一雄さんの奮闘がなかったらどうだったでしょうか?

 舞踏と言えば、白塗りで、ゆっくりと意味不明に蠢く記号論化された魔術的な踊りのイメージがあり、山海塾、白虎社、大駱駝館などが知られ、現代舞踊の中でもコンテンポラリーダンスとの共通点が囁かれる前衛派の最右翼です。

 開祖というべき土方巽亡き後は、“世界の大野”が最前線で引っ張ってきました。

 それにしても、103歳の大往生。実に一つの世紀を生きて前衛芸術の第一線で生き続けたという業績は比類がないでしょう。

 私は、十数年前に大野さんを見ています。

 場所は、新体道の三十周年パーティーでした。青木宏之先生との長年のお付き合いがあって招かれたということでした。

 壇上で挨拶を始められた大野さんは、何故か、そのまま踊り始められました。

 そうです。芸術家に言葉は不要なのです。“想い”を伝えるのに必ずしも言葉である必要はないのです。

 その時、私は大野一雄さんの名前だけは聞いたことがありましたが、どういう人物なのか?ということはよくは知りませんでした。

 ただ、いろんな縁を感じてはいました。

 まず、私が中国拳法を学んだ先生が稽古場に借りている“アルトー館”の及川廣信先生(パフォーミングアーツ批評家)が、大野さんと付き合いがあり、大野さんの息子さんである慶人さんのバレエの先生だったこと。

 私がお世話になっているクエストから大野さんの映像作品(『御殿、空を飛ぶ』『ひとりごとのように』)が出ていること。

 ダンス白州でダンス批評を担当した時に、大野慶人さんの舞踏を観てお話したこと。

・・・等です。

 読売新聞の記事によれば、大野さんが国際的に認められたのは、1980年のフランス、ナンシー国際演劇祭で「ラ・アルヘンチーナ頌」を海外初演し、外見的な美に重きを置きがちな西洋のダンス界に衝撃を与えたのが切っ掛けだったそうです。

 当時、73歳。老醜を表に出して情念をにじませる踊りが海外のダンス関係者の度肝を抜いたようです。

 確かに、演劇ならまだしも、普通、ダンスという身体表現のみの芸術に於いて、年齢というのは大きな壁でしょう。

 能の世界にも老齢でかくしゃくと舞う人はいますが、能の場合は舞台装置や楽曲で魅せる総合芸術です。

 ダンスは、踊る人そのものの身体表現だけが勝負所です。

 恐らく、多くのダンサーが肉体の衰えと共に、「現役はもう無理だ」と、慚愧の念とともに舞台から離れて指導と演出に回っていくことでしょう。

 そこに、常識を無視した老齢での踊り「舞踏」を観せられた海外のダンス関係者は、固定観念を打ち砕かれたことでしょう。

 ただ、その舞踏の外側だけを真似る者が続出している・・・という批判意見も、よく耳にします。

 当然のことでしょう。内面からわき出てくる踊りの衝動だからこそ、“舞踏”なのであって、外見をそれらしく真似ることは空虚なだけなのですから・・・。


 大野一雄さんの御冥福をお祈り申し上げます。


追伸;『大野一雄 御殿、空を飛ぶ』は、1993年4月4日に横浜赤レンガ倉庫で公演された舞踏を収録したもので、『大野一雄 ひとりごとのように』は、大津幸四郎第一回監督作品のドキュメンタリー映画。どちらもクエストよりDVDが販売されています。


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田中泯さんと青木先生

 田中泯さんが今も師と仰ぐ人物と言えば、暗黒舞踏の開祖、土方巽ですが、その土方巽と生前、交流があったのが青木宏之先生でした。

 青木先生は武道の世界で大天才と称賛する人もいれば、異端者として誹謗する人もいるという存在でしたが、武道家よりも芸術家、わけても土方さんのような前衛芸術の人達から認められていたそうです。

 なので、武道家よりも芸術家との付き合いの方が楽しいと話されていました。

「田中泯さんとは、昔、土方さんのところで会いました」と言う青木先生。

「青木先生とは近藤等則さんに紹介してもらって会いました」と言う泯さん。

 アレッ?と思っていたら、何と、青木先生ったら泯さんと会った時のことを忘れていたそうで、一体、あんなメチャメチャ存在感のある人をどうやったら忘れたりできるのか?と思ったもんですが、芸術家って、そんな感じかもしれませんね。

 そういえば、私も人の顔と名前、さっぱり覚えないんですよね。何年も来ていない会員さんだと、すっかり忘れてたりしますもんね。

 特に女性だと全然、覚えられません。「美人だと忘れないでしょ?」って思うかもしれませんけど、むしろ、美人だと照れちゃってまともに顔見れないから余計に覚えられなかったりします。

 でも、ドキュメンタリー番組を録画したDVDや、『龍馬伝』を観た青木先生は、「田中泯さんは凄いね~」と感心されていて、これは泯さんと青木先生が親交を深めることでお互いに何か面白い展開があるんじゃないかな~?と思っていたんです。

 が、青木先生は非常に忙しいので、なかなか機会がつくれなかったんです。

 しかし、泯さんがモスクワから帰って、11日にプランBで独舞をおこなうということで、直前ではありましたが青木先生をお誘いしてみたのです。

 すると、踊りには間に合いそうもなかったものの、踊りの後の懇親会に表敬訪問ならできるということで、不肖、私がセッティングさせていただきました。

 私は泯さんの踊りを見てから青木先生をお迎えに行こうと思って、当日、会場に向かったんですけれど・・・パニック発作も最近は落ち着いていたので余裕だと思っていたら、なんと電車が遅れてしまって、踊りが始まって半分くらいは終わったであろう時刻に到着してしまいました

 相模原から都内に出る時は、よく、こういうことがあります。やっぱり、遠いんだな~?と実感。

 泯さんの踊りの時は常に会場は満杯ですから、こりゃあ、無理だな~(受付も電気が消えて誰もいなかった)と思って、青木先生と吉田さん(天真会)がタクシーで向かうと携帯電話で聞いたので、雨の中を外で缶コーヒー飲みながら待っておりました。

 踊りが終わって、観客が出てこられて、しばらく経過してから青木先生と吉田さんがタクシーで到着されました。渋谷でレッスンが終わってから直行されたのです。

 レッスンの前のお昼には、先頃急逝された、青木先生が親しくされていた政治家の近藤先生の追悼式で剣舞をされたとのことで、和泉守国貞(大阪正宗と呼ばれた井上真改の父)の刀を入れたケースも持っていらっしゃいましたが、どうも、日本刀を持ち歩くことに嫌悪感を持つ人もいたりするので、これは追悼演武のためだったという点は、ここに記して誤解のないように御理解戴きたいです。

 さて、会場に御案内すると、まだ多くのお客さんが残っていらして、スタッフの皆さんもお相手に忙しい様子です。

 石原志保さんが気づいてくれて、「泯さんは会場の中にいますよ」と案内してくださったので会場に入り、泯さんと青木先生の久しぶりの顔合わせに至りました。

 青木先生は、『龍馬伝』の吉田東洋を演じた泯さんに大感激されていて、江古田のBUDDYでの新体道パフォーマンスと、近藤等則(世界的に活躍されているエレクトリックトランペッターで新体道の第一の後援者)さんとのコラボのDVD(『地球を吹く in Japan』)をプレゼントされていました。

 いつものごとく、芸術や映画、TVの世界のいろんな著名な人も来られていたので泯さんも忙しくされていた様子で、挨拶程度の話しかできませんでしたが、電話でなくて直接、顔を合わせることに意味がありますからね。

 それに、何と、木幡和枝(アートプロデューサーで田中泯さんの後援者)さんが青木先生とお知り合いで、30年近くぶり?くらいに顔を合わせたらしく、木幡さんの方から、「青木先生じゃありませんか?」と声をかけられて、もっぱら、木幡さんとお話するという格好で懇親会にお邪魔させていただきました。

 土方さんの関係でお知り合いなのかと思っていたら、筑波の国際シンポジウムの時に木幡さんが通訳をされていた?というような話で、全然、違うところで繋がりがあったというのも奇縁があるんだな~と思いましたね。

 が、そこで私的に凄く興奮してしまったのは、何と! その場に、伊藤俊也監督がいらしたことでした!

 伊藤監督の名前を知らなくても、『女囚さそり』『誘拐報道』の監督と言えば、オオッ!と思う人もいらっしゃるでしょう。

 私は、本名が“俊也”で同じなものですから、余計、伊藤俊也監督のお名前は存じ上げていた訳なんですが・・・それよりも何よりも、「あ~、『犬神の悪霊(タタリ)』の監督さんだぁ~っ!」と、もう脳内が沸騰していたんですよ。

 もう~、聞きたくて聞きたくて仕方がない。

 そういえば、『犬神の悪霊』には若き日の泯さんも出演していたという噂が・・・本当だったのか・・・と、一人で納得していました。

 が、私、この作品、長く封印されていて最近DVD化されたという話を聞いたものの、まだ観てなくて、「もの凄くアバンギャルド」という、称賛なのか侮蔑なのか判然としない批評を小耳に挟むばかりだったんですね。

 しかし、何か、物凄いエネルギーに満ちた作品だという噂だけは聞いていて、だから、伊藤監督に直接、聞いてみたかったんですが、もしも、御自身で失敗作と認識されていて触れて欲しくなかったりした場合を考えると、迂闊なことは聞けません。

 それに、伊藤監督は三億円事件を扱った新作『ロストクライム-閃光-』について話されていて、その熱っぽく話される表情が見れただけで、何か幸せな気持ちになれました。

 思えば、私も上京してきたのは映画の仕事がやりたかったから。

 何の因果か、武術研究家というアンポンタンな肩書を名乗って、もの書き稼業をやるようになろうとは夢にも思わなかったです。これでしか食えない無能な自分が恨めしい。

 あ~、でも、伊藤監督の少年のような瞳で語られる映画愛に満ちたお話が聞けて、本当に良かったです。凄い人のところには凄い人が集まるもんだな~・・・と、改めて思いましたよ。

 田中泯さんのキャッチフレーズは「地を這う前衛」ですが、確かに、ここプランBは日本の芸術・文化・思想が交錯する最前衛ポイントなのかもしれないな~?


PS;数々の作品が生まれた三億円事件の謎に挑む、伊藤俊也監督の渾身の最新作『ロストクライム-閃光-』は7月3日公開とのことです。

PS2;『地球を吹く in Japan“雪月を吹く”』DVDは、株式会社プラネックス ブロー・ジ・アース・事業部より発売中です。http://www.b-t-earth.jp

PS3;プランBでは、6/1~6/6にかけて映像週間第一弾、ドキュメンタリー映画の連続上映が実施されます。6/1『出草之歌』6/2『鬼ッ子』『倭奴へ』6/3『モトシンカカランヌー』6/4『アジアはひとつ』6/5『山谷-やられたらやりかえせ』6/6『出草之歌』となります。いずれも社会派ドキュメンター作品です。上映開始時間は連日19:00~で、上映後はゲストトークがあるそうです。


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桜美林0PAP公演“カサブタ”感想

 渕野辺駅近くの桜美林大学のホールで、コンテンポラリー・ダンスの第一人者として有名な木佐貫邦子さんが振り付け・演出するダンス公演があるということを、自宅郵便受けに“地元の方へ”の告知の付いたチラシを見て知りました。

 ダンス好きの指導員からも情報を知らせてもらって、地元同士の師範代に予約してもらって師範代と二人で観てきました。

 木佐貫さんのお名前は、一応、知ってはいたんですけれども、ダンスの世界にそれほど通暁している訳じゃありませんから、コンテンポラリー・ダンス界のクイーンとして有名な方だということまでは知りませんでした。

 しかし、昨年の夏のダンス白州を観に行った時に、たまたま泊まった宿が木佐貫さんと同じだったらしく、朝食の時に「おはようございます」と、誰だか知らずに挨拶したことだけが縁?で、その後、田中泯さんが絶賛されていたのを聞いて、「そうか~、そんな偉い方だったんだ・・・」と思ったんですが、残念ながら木佐貫さんのダンスを拝見しないまま帰ってしまっていたんですね~。

 だから、今回は滅多にないチャンスだと思いまして、ウキウキして観ました。

 学生の公演だというのに会場は超満員で、何かスゲ~な~?と思いましたね。

 で、開演してからは、もうビックリ! 本当に学生なんですか? 私の目にはプロにしか見えないんですけど・・・。

 師範代も唖然としていて、終わってからも呆然顔が戻りません。何か幽体離脱しちゃってる感じです・・・。

 いやね~。武術の身体操作だの身体運用だのとほざいている人達に見てもらいたいですよね~。

 テコンドーの選手だったら脚が頭の上までヒョイッと上がるでしょう。顔の高さなら太極拳の選手もゆっくり上がるでしょう。

 でも、ここの学生ダンサー達は、太極拳のユックリした動きのまま頭の上まで脚がス~イッと上がってしまう。

 ジャンプするのも脚力じゃなくて、全身がフワッと浮き上がるような浮遊感。

 いや~、こいつらスゲ~な~・・・。

 正直いって、こんな身体能力の高い学生が渕野辺にゴロゴロいたとは夢にも思いませんでしたよ。

 これだけ動けたら、三カ月特訓して交叉法と発勁と化勁を教えたらマジで達人化すると思いますよ。本当にそんじょそこらの道場の先生を超えますよ(私が教えればね)。


 師範代がショック受けるのも無理ないです。

 彼は、私の武術理論を最も忠実に実践してきているから、私の考えが解る筈だから。


 うちの会にはプロのダンサーも入会されているんですが、まだ直接指導したことがありません。もし、集中的に原理だけ教えたら、これはとんでもない超達人化するかもしれませんね・・・。

 もうね~。武術の基礎訓練はダンスやった方がいいかもしれないね?

 カチンコチンに動きを固める基礎訓練なんか、やればやる程、ダメになるだけだよ。

 こうなったら、コンテンポラリー武術?とか名乗っちゃおうかな?(意味わかんね~)


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東京創造芸術祭2009

 昨年だったか・・・毎月のセミナー会場である江古田ストアハウスのロビーで、ほんの数分お話して、名刺をお渡ししていた佐藤亜紀さん(舞踊家・演出家。アキスタジオダンスカンパニー主宰)から、パフォーミングアーツ・フェスティバルのお誘いのお手紙を頂戴したので、ダンス好きの会員を誘って、観に行ってまいりました。
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 私、最近は、どういう訳か、武道・武術・格闘技の演武や試合にどんどん興味がわかなくなってきておりまして、ダンスやアクション、ジャグリング、殺陣といったボディパフォーマンスを観る方が圧倒的に増えてきています。

 どうしてか?

 武道・武術・格闘技をやっている人達の身体性が、案外、低いという事実に気づいてしまい、観れば観るほど、ガッカリ感が高まるようになってしまったからです。

 もちろん、マーシャルアーティストとして優れた人もいることはいますよ。

 でも、数人・・・。十人はいませんね。

 そこにいくとプロのダンサーやアクション俳優の身体性の高さは、武の世界のトップレベルが平均的なレベルでしかありません。

 武術の重要な要素は、身体感覚の精度に負うんですが、その身体感覚の鋭敏さにおいて、プロのダンサーは武術の大家と同等以上だからなんですよ。

 あ~、もう、別にいいや。そんな世界は・・・。人は人、私は私・・・。


 それにしても、本当に最近、芸能芸術関係のイベントばっかり観に行ってるな~。でも、やっぱり楽しいし面白いし、何より実際に勉強になるんですよ。

 今回のフェスティバルは、板橋区のグリーンホールというところでありました。

 せっかくなので、自主製作DVDの在庫余りのものをお土産に持っていきましたよ。

 プログラムは三部構成。

 第一部は「ソプラノと舞踊のアンサンブル」。特に、小学3年生の西絛里菜さんの踊りは、中学生以上?と思える完成度で、会員と二人で顔を見合わせて呆然となりましたよ。将来、どんなダンサーになるんでしょうかね?

 第二部は「Sonic Train」。ぐぐっと前衛的な芸術の雰囲気になり、第一部とはガラリと変わりました。

 第三部は「扉の向こう」。アキスタジオダンスカンパニーの作品。ちょっと、ミュージカルっぽいドラマ性、ストーリー性があって、キャスト独り独りの見せ場もあり、素晴らしいです。

 区分としたら、コンテンポラリー・ダンスということになるんでしょうが、このドラマ性は親しみやすくて、観ていてハッピーな気分になりますよね。


 私も、これまで、クラッシックバレエ、モダンバレエ、フラメンコ、パントマイム、ジャズダンス、能、狂言、バリ舞踊、インド舞踊、そして前衛舞踊と、色々と観てきましたが、ダンスの世界は奥が深いものだな~と、つくづく思います。

 予定終了時間を30分以上も越えていたので、終わってから猛スピードでアンケートを書いて帰りました(それでも帰宅したのが12時近かった)が、非常に気持ちのいいフェスティバル体験でした・・・。

 人を幸せな気分にさせるというのが芸術・・・だとすると、武術もそういうものにしていかなくちゃいけないよな~と思いますね。

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石原志保独舞・踊り場作業4「否連続」

 10月9日金曜日の夜、plan-Bにて石原志保さんの独舞公演があったので、観に行ってきました。

 今回は大型台風本土上陸の微妙なタイミングだったんですが、台風は木曜日に上陸して過ぎ去った後だったので、問題ありませんでした。

 が、今回の警戒警報は凄いものがあって、確かに竜巻が発生したりして死者も出る災害でしたが、備えがあった分、被害は最小限に留められたんじゃないでしょうか?

 以前、豪雨で地下街が水浸しになり、スナックかどこかで被害者が何人も出た事件がありました。もし、一日ずれて大豪雨が降っていたら、plan-Bは地下にあるので、危険なことになっていたかもしれません。

 まずは台風一過で東京の霞んだ空も、いつもとは違う澄み切った蒼さを見せてくれていました。

 今回の公演、実は、現在、NPO新体道の代表/首席師範を勤める大井秀樹先生も、是非、観たいとのことで同行することになっていまして、思えば、舞踏の開祖・土方巽と親交のあった新体道開祖・青木宏之の関係性が、そっくり繰り返されて復活するようなイベントになる予感がありました。

 WOWWOWで放送された田中泯さんのドキュメンタリー番組を観た青木先生から教えられて大井先生も観て、「是非、お会いしたい」という要望があって実現したんです。

 私が予約の電話を入れても中々、連絡がつかなかったので、本部に直接電話してみたところ、何と、田中泯さんが出られたので、石原さんの独舞公演の予約と、新体道代表者を同伴するということをお話しました。

 いつも、泯さんもお弟子さんの公演の時は来られているので、終わった後で御紹介すればいいと思っていた訳です。

 当日、丸の内線の中野富士見町駅で待ち合わせすると、うちの指導員のYさんも来ていて、すぐに大井先生も若い女性と一緒に現れました。

「え~っと・・・奥さんですか?」と私が聞くと、「いいえ、天真書法塾の吉田の娘です」とのことで、「あ~っ、この前の新体道ライブで出ていた・・・」と、女性の顔をさっぱり覚えないことで有名(なんか恥ずかしいから、あんまりよく顔を見れない。二、三回会わないと覚えられません)な私も思い出しました。

 しかし、後で思ったんですが、DNAっていうか、一緒に暮らしているとうつるというか、あの母親にしてこの娘ありだな~と、思いましたね。もう、凄い天真爛漫で邪気が無い! しかも、凄く賢い。

 いや、待てよ・・・新体道やっているから、こうなるのかな・・・?

 最近、武道アレルギーが酷くなってきた私が付き合える希少な流派が、新体道であり天真流剣武なんですね。強いとか弱いとかスッ飛ばして無邪気にやっているところがいい。

 もう、武道の世界は、人の演武を見りゃあ、ケチばっかり言って「あんな技は実戦に通用せん」と踏ん反り返るようなヤツばっかしで、「もういいよ。アンタがサイキョウ(最狂?)だよ!」って言いたくなる、世の中でNGになる人ばっかしだからな~・・・新体道はそういうバカがいないからいいよね。

 余談ですが、動画で新体道や天真流剣武の練習風景とか見たんですが、もうね~、メチャクチャいいですよ~。武道特有の殺気(邪気だよね)が全然なくて、おおらかで柔らかく伸び伸びと全身を使って、それでいて技の切れ味は鋭い・・・そこが素晴らしい。

 武道引退宣言を出してから、すっかり過去の人と思われてしまっていた青木宏之先生も、竹林で太い竹をバッサバッサ斬っていて、“竹斬りの翁”?と化しています。

 それにしても、手首くらいの太さの竹って、あんなにパカパカ斬れたっけ? 特に試し斬り用に作った刀を使ってるのでもなさそうだし、よく斬れる鉈でも一発でスカッとは斬れないものだと思うんですけど・・・ってか・・・環境破壊?(いいえ、ちゃんと竹林の持ち主の許可は得ているそうです)


 さて、中野富士見町駅からplan-Bへと向かいます。徒歩で約7分くらいでしょうか?

 会場に入って前の方の席に座ると、すぐ前に田中泯さんも座られたので、ここで大井先生を御紹介しようか?と思いましたが、すぐに始まりそうだっので、終わってからにしようと遠慮しておきました。

 石原志保さんの独舞は、私は恐らく泯さんの踊りよりも回数は多く観ています。

 いや、同一のダンサーの踊りを観た回数としては一番多いかもしれません。

 以前はいろんな踊りを観に行ったりしていた時期もあったんですが、私の場合、宮本武蔵じゃないけれど、すべて武術研究に役立てたいという考えがあってなので、純粋な気持ちで踊りを観るということはどうもできない体質なんですね。

 それでも、最近は私自身が少し気持ちの余裕ができてきたからなのか、あまり余計なことを考えないで観れるようになってきたように思えます。

 もう、何を観ても武術に還元してしまうのは私の宿業みたいなもんなので、しょーがないと諦めたから、肩肘張らずに観れるようになったのかもしれませんが・・・。

 う~ん・・・それにしても、地味だ・・・。

 観る度に、石原さんは動かなくなっていく・・・。

 ただ、立っている・・・。

 少し身じろぐ・・・。

 じわじわとしゃがむ・・・。

 何か、インドの山奥でダイバダッタの修行を受けているヤマトタケシの姿を思い出してしまったぜよ(byレインボーマン)・・・あっ、また、いつもの悪い癖で森羅万象を脳内で特撮ドラマのネタに変換して考えてしまうオタク思考回路が勝手に働き出してきてしまった・・・?

 う~ん・・・本当に動かないな~・・・あっ、俺もうつってきて勝手に腕に力が入ってきてるぞ?

 何故か、俺の手がグワシの形になったまま固まっている・・・。

 むぅ~・・・アカン・・・何か、少林寺僧が少林羅漢睡臥功の荒行をやっているのを見ているような気になってきたぞ・・・。

 そういえば、昔、飼ってた猫がコタツの中でヨガみたいなポーズとったまま固まって寝てたのに似てるな~・・・んっ?・・・ってか、これで終わりか?

・・・とか、今回はメッチャ要らんことばっかり脳裏に浮かんできてしまいましたよ。

 何故ならば、最早、踊りが“禅の境地”に達したかのような迷いのない前衛っぷりに、身体が勝手に反応してしまうもんですから、えらいキツイんですよ。何か、少林寺三十六房に迷い込んでしまったような・・・?

 でも、終盤は、人力でローリングする舞台上を四つん這いでグルグル回る舞の語源(“まわる”が“まう”の語源)ともなったアクションで、やっと解放された感じ。

 しかしま~、踊りがどんどん地味になっていくのに反比例して中身はどんどんキツクなっていっている。もはや、奥義“体の合気”のごとく、触れただけで人がふっ飛ぶ技無き技の境地に向かって行くのか・・・? それは泯さんしかわからない・・・。

 立ち上がって、固まっている腕の筋肉をほぐして関節をコキコキ動かすと、観てるだけでこうなんだから、やっている石原さんはどうなのよ?って思いましたよ。


 公演終了後、泯さんに大井先生と吉田さんを紹介し、「あの~、もしかして、彼(一緒に来ていたうちの指導員)、この前、メッチャ睨んだりしてましたか?」と恐る恐る聞いてみると、「うん、凄いガンつけられたよ」とのことで、土方巽生誕の集いの泯さんのエキサイトした理由が判明しました・・・やっぱし、うちの指導員がガンタレとったんですね~・・・私は隣に座っていたんで角度的に判らなかったんだけど・・・。

 凄いな~、こいつ、世界の田中泯にガンタレた男ですよ。俺はよ~できんな~・・・。

 でも、大井先生が一言、「そういえば、そういう顔をしてますね~」とYさんに言った言葉が一番、ショックだったと彼は申しておりました・・・。


 公演終了後はいつも懇親会をされていて、山梨で泯さん達が育てている野菜を調理した料理が振る舞われます。ナスビが、カブが、ジャガ芋が、カボチャが美味いっ!

 ここで軽く新体道の青木先生のことや、パーカッショニストの土取さんやトランペッターの近藤さんのことなども話題に出てましたが、何と、劇場アニメ『鉄コン筋クリート』を監督したマイケル・アリアス監督も来られていました。

 この作品で泯さんはやさぐれたヤクザ“ネズミ”を演じていて、これがまた実写版かと思うような感じなんですよ。これ、観てくださいよ。

 マイケル監督は、その後は『ヘブンズドア』も監督されて、泯さんも出演されていたと思うんですが、こちらは残念ながらまだ観ていません。DVD化されてるのかな?

 私、英語がめちゃ苦手なので、マイケル監督と話したかったんだけど話せずにいましたところ、後で日本語できることを知って、「しまった~」と思いましたね。『鉄コン筋クリート』が良かった・・・と、一言、伝えたかったです。

 ところで、懇親会の時に泯さんが「本当にデタラメをやろうとすると凄く難しい」ということを言われていました。

 う~む、確かに・・・。デタラメにやろうとしたって、意識が邪魔したり身体が覚えている動きが出てきたりして、本当の意味でデタラメにやるというのは、かなり難しいことでしょう。

 なるほど、泯さんが追求しているのは、守・破・離という定義をも超えた踊りの概念すら無くなった生命体の原初の衝動みたいなものなのかもしれない・・・と、そんなことも思いましたが、こういう言語化する作業をも捨て去りたいのかもしれないですね。

 表現するという行為は、人間の持つ衝動そのものだと思うんです。私は武術を表現手段とは思っていませんが、それは文筆業という表現手段を持っているからかもしれません。

 先日、青木先生から新体道のライブで私も何か演武やってみませんか?とお誘いを受けたんですが、御遠慮したんです。

 新体道の演武は芸術として成立していると思ったんですが、私の技はとてもそのレベルに至っていません。自分のレベルを勘違いするほど世間知らずじゃないです。

 例えば、今回の石原志保さんの踊りは、“踊り”という言葉から通常受けるであろう躍動的なイメージは皆無でしたが、徹底して動かないことで身体内部の細胞が動く様子を表現してのけていたんです。

 だから、それを感じ取れる人の場合、深く感動させられるんですね。見かけじゃないんです。

 でも、大井先生はともかく、若い吉田さんがそこを観て取っていたのには驚かされましたよ。

 うちのYさんの場合も、自分でもダンスを習いに行ったりして勉強しているので、その外見に現れない凄さが判ったようで感動していました。が、以前の武道一直線の時だったら観えなかったでしょうね~。


追伸;ダンス白州2009「四つの節会・水の節」は、10月16日~18日にかけて開催されます。未体験の人は、この機会に行ってみたらどうでしょうか?

追伸2;田中泯さんが、10月25日(日)の16:00から、国立音大講堂小ホールで行われる「第5夜・音楽と身体 カーゲル追悼」に、特別出演してダンスを披露されるそうです。こちらもどうぞ。

追伸3;新体道パフォーマンスのライブが11月4日(水)に江古田BUDDYにてPM7:00より開催されます。こちらも是非、どうぞ。
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WOWWOWドキュメンタリー田中泯

 常設道場開設を諦めたものの、その分、稽古の質を上げることに専念しておりますが、やはり、日々の修行の積み重ねというのは大切なものだな~・・・と痛感。

 シダックスの講座を写真撮影用に取材(相模経済新聞)してもらった日、記者の方が帰られてから、人数も少なかったので、受講生と推手をやったんですが、至近距離から逆関節取ってきたり肘打ちを繰り出してきたり、以前とは比べものにならないくらい厳しい技を出してくるので、内心、魂消ました。

「Yさんから教わった技を試してみたんですが、やっぱり先生には通じません・・・」と困った顔をしていましたが、そりゃあ、そのYさんに教えたのは俺なんだから、通じないのは当たり前なんだけどね~。

 でも、腕を捌いて瞬時に背後に回り込みながら首にスリーパー決められたのには驚きましたよ~。小癪な真似するようになったな~。

 彼は絞め技知らないもんだから、チョークスリーパーになってて、しかも、そのまま喉仏を絞めようとするから、“やべっ!”と思って、秘技首抜けの術を使って首を抜いたんですけど、この技が使えない一年前だったら危なかったですよ。タップするしかない。

「えぇ~! 絞め技、今、完全に入ったと思ったのに~?」と驚いてましたけど、私に関節技や絞め技は通用せん(豪語)のですよ! でも、ちょっと焦っちゃったよ~。

 それにしても、何か、みんな、異様に上達してるぞ? 本人、気づいてないみたいだけど・・・。

 師範代の一蹴りで二連蹴る技なんかも龍王院弘の双龍脚(キマイラ・シリーズ)みたいになってるぞ? 私の眼でも二回くらい観えなかったので、ビックリした。モーションが消えたまま蹴れるようになりつつある・・・。

 50歳のSさんも、動きがサイボーグっぽくシャカシャカッと動いてババババッと回り込みながら打撃を繰り出していって、これ食らったら相手は何が何だか認識できないまま昏倒するだろうな~?

 何か、スゲーな~・・・と、ちょっと感動しちゃいましたよ。私もちゃんと練習しようと思いました。


 さて、先日、WOWWOWで放送された田中泯さんのドキュメンタリー番組を録画してもらって観ました。

 しっかしま~、泯さんって、こういうドキュメンタリー番組にいくつも採り上げられていますけど、毎回、ため息が漏れるような異能の人ですね~。

 毎回、「ええ~? マジっすか?」っていう驚きが有ります。

 特に今回は、土方巽さんの生誕記念パーティーの時に取材スタッフがいらしたので、一瞬、私も背中だけ映っていましたから、何か、特に感慨深く観れました。

 それにしても、「農地開拓している広さは東京ドームの4/5くらい」みたいなコメントを聞いて唖然としてしまいましたよ。

 機械とか使っても大変なのに、泯さん達は人力で開墾してきたそうですし、私なんかは子供の頃に田舎で稲刈りや田植えの手伝いをチョロッとやっただけで腰が痛くて悲鳴をあげてましたし、せいぜい、畑を少し耕すとか薪割りやる手伝いしかしていないんですね。

 それでも少しは経験があるから、それを専門で日常的に続けていく大変さだけは想像がつきます。

 今、それをやろうとしたら、多分、数分でへこたれるでしょうね。

 高校の頃とかは夏のキャンプとか喜んでやってたし、割りとアウトドア指向もあったんですけど、都会で長く自堕落な生活を続けていくと肉体も精神もブヨンブヨンになっていきますね~。

 最近、夢で昔飼ってた猫とか犬とか鳶(小学校に勤務してた母親が学校に迷い込んだのを持ってきて、おっかなびっくりで小屋作って飼ったけど、エサが合わなかったのか、すぐ死なせてしまった)とか出てきて、田舎暮らしを思い出したりするんですね。

 やっぱり、作家だけで食えるようになって、武術は趣味で教えながら天草で晩年を過ごすというのが良いかな~?と・・・、泯さんの生きざまを見ていると、どうしてもそういう想いが湧きます。

 それがまた、いいこと言うんだもん・・・。

「中心はどこにでもある」

 つまり、「東京でないとダメみたいな決めつけじゃなくて、田舎でも魅力があれば人は集まって来る。そうすれば中心はできる」という論理。

 まったくもう、おっしゃる通り。地方で町起こし村起こしやっている人達にとって、こんな力強い言葉はないですよ。

 ただ、田舎で生まれ育って都会に出てきた私なんかは、田舎の嫌なところも熟知しているので、そうおいそれと田舎に戻ろうとは決心できないんですね。

 一番、ネックになるのは話の合う仲間がほとんどいないってことですね。

 帰省した時にいつも思うのは、親兄弟とは話が合わないということ。そして、私の場合、仲のよい友人も郷里にはほとんどいないのです。

 だから、家の中で昔の思い出を懐かしんで過ごすだけ。

 刀とか手裏剣とか持参した時は練習して気を紛らわせたけど、こういうのはあんまり持ち歩けないし、親兄弟から変人扱いされるだけ。

 だから、こちらでよっぽど大成功して、行ったり来たりできる経済力がないと帰るのは無理だな~と思っている訳です。

・・・とまあ、こういう凡庸な悩みを持つ私にとって、泯さんの凄さは、何といっても、あの、人を惹きつけてやまない人間磁力?みたいなところに有ります。

 正直、私は怖い!

 あの磁力圏内に入ったら、アントラーの磁力光線に捕らわれたウルトラマンみたいになってしまいそうなのです。

 これは凄いですよ。恋愛でもあ~は、ならない。

 何と言うか、「昔気質のヤクザが親分に惚れる」とか、「植芝盛平が出口王仁三郎に師事する」とか、“悪魔に魂を取られました”みたいな感じ?・・・かな~。

 今回の番組を観ていて、泯さんに師事した石原志保さんの、「女優として共演した泯さんに惚れ込んで弟子入りし舞踊家の道に進んだ」という逸話に、「なるほど、話には聞いていたけど、そういうことだったか・・・」と、妙に感慨深かったと共に、「解る解る・・・」と頷いていました。

 多分、泯さんもまた、暗黒舞踏の祖・土方巽と出会って人生観が根本的に変わった感覚があったのではないか?と思います。

 番組中では、泯さんの立派さというか凄さ、偉さという部分しかクローズアップされていませんでしたが、そういう“まとめ方”は、わかりやすくて視聴者受けはすると思うんですけれど、もっと、彼の中の闇の領域・・・漆塗りの黒々としたブラックの中に青や赤、茶、紫の色合いが混じっている・・・あの深く沈んだ精神領域を掬いあげていたら、もっともっと凄味があったと思うんですけどね。

 たとえば、土方巽生誕パーティーの時は、結構、泯さんも荒れていたと思うし、それはつまり、「お前ら、ドキュメンタリー撮るんだったら、俺のこういうところも撮れるか?」という挑発の意識もあったと思うし、そこをアッサリ切ってしまうのも何かな~?

 ドキュメンタリーって、光ってるところだけじゃつまんない。きわどいところがあってこそ面白いと思うんですけどね。

 だから、私なんかキワキワのことばっかり文章で書くでしょ? 単なる偉人伝じゃ、つまんないでしょ?

 芸術家の価値って、露出狂みたいに自分の生皮剥がして筋肉も骨も内臓もズルッと晒して見せるところにあると思うんですよ。

 私も最近、反省してることがあって、あまりにもタヌキになり過ぎてるな~・・・と、自分で思ったりする訳ですよ。自分の感情をコントロールし過ぎているかな~と。

 それに、先日、久しぶりにTVで観た『たそがれ清兵衛』の印象が強かったから、今回のドキュメンタリーがぬるく感じてしまったのかな~?とも思うんですが・・・。

 やっぱり、ドキュメンタリーよりドラマの方が逆に本質が出る場合があるのかな~?とも思うんですよ。

 一つ、提案として、「田中泯さんに主演して欲しいストーリー」を出してみます。

 それは、松田優作が企画から関わって主演し、それまでのハードボイルドなイメージを打ち破った『探偵物語』の後日譚。

 あのドラマの最終回は、街の仲間を次々に殺された工藤探偵が、飄々とした顔を捨てて復讐して回り、最期はナイフで刺されて生死不明になって・・・エンドロール前に赤い傘をさして街を歩いている幻影?とも思える姿で終わる・・・アレです。

 松田優作が癌から生還したら主演しようと考えていたという彼の出世作、遊戯シリーズの新作脚本が基になっているという藤原竜也主演の『カメレオン』を東映チャンネルで観ましたが、これは非常に面白かった!

 この話も『探偵物語』の最終回と構造的に同じなんですけど、仲間を惨殺されて怒りに燃えた主人公が殴り込みするところとか、かつての優作を彷彿させています。

 ただ、藤原竜也は顔が優し過ぎるし若過ぎるんですね。演技は素晴らしかったんだけど、キャラクターが違うかな~?と・・・。

 だけど、泯さんだったら、もし工藤探偵が生きていたとしたら・・・という設定に年齢的にも風貌的にもピッタリだと思うんですよ。

 無論、別にそのマンマ『探偵物語』の続編として描く必要はないと思うんですが、新宿に記憶喪失の初老の男が現れて、かつての工藤探偵を知る人間達の間で「工藤ちゃんが戻ってきたんじゃないか?」と噂されて・・・みたいな展開でストーリーはどうとでも転がせるでしょう。

 まあ、記憶喪失ってところは松田優作唯一の監督作『ア・ホーマンス』みたいですけど、人間としてのしがらみとか感情とかから超然としたキャラクターが泯さんには合うと思うんですよね。

 そして、暴力団とかに襲われている人を助けちゃったりして、必殺仕事人みたいに簡単に倒してしまう・・・実は男は戦場を渡ってきてPTSDで記憶喪失になっていたけれども、身体が覚えた戦闘術は勝手に出てしまい・・・。

 あ~、何か、そういうハードボイルドな作品が観たいな~・・・。『鉄コン筋クリート』のネズミの声を演じた泯さんは、きっとハードボイルドが似合うと思うんですよ。

 ちょっと、これ、小説で書いてみようかな~? 何か面白いのが書けそうな気がしてきたよ・・・。

 余談ですが、お友達の編集者に小説の原案話していて、ゴジラの時代劇版の話していて、「やっぱり、決闘シーンが必要だから、メガロドン(ホオジロザメの先祖で15~20mくらいある)とか大蛸とか出てきて三つ巴で戦うんですよ。それにウツボ船(UFO)が出てきてSF作品になって・・・」とか、はしゃいで喋っていたら、「それって、小学生が考える話ですよ・・・」と言われちゃいました・・・グッスン・・・。

 あっ、そうだ! もう一つ、バッチシのが有ったよ。

『七人の侍』の志村喬が演じたリーダー格の勘兵衛役。これはもう田中泯さんしかいないでしょ? で、菊千代はオダギリジョーで、堤真一、真田広之、阿部寛、ジャニーズの若手の誰か、竹中直人とかではどうか?

 野武士も個性的な人を色々出すといいですね。

 リメイクには二の足踏む企画だと思いますけど、今だからこそできることもあると思うし、景気付けにいいんじゃないですかね?


追伸;常設道場は当分延期にしましたが、週一で借りられそうなところが相模原市内で見つかりました。練習日とか決まったら発表します。

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田中泯「斜面の生活-続-」感想

 3月20日にPlanBにて、急遽、田中泯さんの踊りをやるということで招待状をいただいたので、観にいってきました。

 私の勝手な印象ですが、田中泯という人は、内部にドロドロと沸騰した黒い熔岩を湛えているように見えて、いい知れぬ畏怖を感じる人なのです。『たそがれ清兵衛』を観た時も、『隠し剣・鬼の爪』の時も、そして、今現在、直にお会いする機会を得てからも、一貫して田中泯という人は私の中で“異人(マレビト)”であり続けています。

 今回の独舞は、中国で場踊りを試む前に、どうしても踊っておきたいという衝動で企画されたそうでした。

 土方巽さんの生誕を祝う会の時の、あの剥き出しの戦闘的な荒ぶる衝動が、泯さんをつき動かしたのだろうか?・・・と、あの時は意味も判らず戸惑っただけでしたが、少し時間をおくと、何となく、その衝動の正体が見えてきたような・・・いや、こういう表現は傲慢かもしれませんね。

 私は、言葉なんか信じません。人は思想だの信念だとかいう“言霊”で他人を洗脳したがるものです。

 私は、文章書いてお金もらってる人間だから、そのカラクリは知っています。人間は自分の本心にさえ嘘をついて、その嘘を他人にも信じさせようとするんですよ。

 だから、騙しの手口に引っ掛からないためには、その人の生きざまから生まれた考え方や価値観があって、そこから出た言葉から“真意”を探らなければならない。

 泯さんが挑発的な言葉を投げかけたのは明らかに“わざと”であり、単なる侮辱とは違うんですね。単なる侮辱でしかなかったら、私だって黙って聞いたりはしていないんですよ。

 衝動的に突如として噴出した挑発の文言の裏にいかなる考えがあるのか? “その衝動の意味を見せてもらおう”という気持ちで足を運びました。

“人としてお前のその態度は何なんだ?”という無言の叱責のニュアンスも感じたんですが、残念ながら真意は聞いてみないと解りません。私の態度が気に障ったのか? 話した内容が気に障ったのか? あるいは以前から感じていた私の問題点について指摘したかったのか? あるいはまた、単に負けず嫌いなだけなのか? それとも、単に論争するのが好きなのか?

 正直、解らないんですが、あれこれ考えたって、しょうがない。舞踊家に言葉は不要。踊りの中に感じられるものがある筈だ・・・と、そう思うだけです。


 当日、丁度、新刊本もできあがったところだったのでお土産代わりに持参しました(う~ん、もしかして、こういうナルシストっぷりが気に入らないのかも~?)。


 さて・・・会場に座って待つと、真っ暗な闇の中でザラザラ、ドンドン・・・と音がします。照明がない中で微かに聞こえる音の気配・・・しばらくしてから、火を灯す泯さんが小さな炎に浮かび上がります。

 ザルを持って、火で炙り、山中のあばら家で独り遊びに興じる老人・・・炎が消えると別の火皿に灯し、眉毛も焦げんばかりに顔を近づけてのぞき込む。

 じっと見ている私は、何故か大量の汗が滴り落ちます・・・呼吸も苦しくなってきました。「ヤバイ・・・パニック発作が出てきそうだ」と思い、会場の外へ出ようかどうしようか?と思いつつ、ぎっしりとお客さんが詰まっている中を出るのは困難と思い、ここはできるだけ我慢しようと決めて、踊りに集中しました。

 踊り自体は淡々としたものでした。が、私はトランスに引き込まれて“気”を吸われている感覚でした。時間にして一時間くらいの踊りが、私にとっては五時間くらいに感じられ、魔の空間に引き込まれた感覚でした。

 十年くらい前にも舞踏系の踊りを見ていて、こちらも無意識に感応してえらい疲れたことがありましたが、今回はその時の比ではありません。ブラックホールに吸い込まれそうな感じとでもいいましょうか?

「どうして、みんな、平然と観ていられるんだろう?」と思いました。気功をやっているとか野口整体をやっている人ばかりを集めていたら、恐らく会場はトランス状態で黒ミサのような群体運動の異様な景観を呈したでしょう。

 田中泯さんの師匠、土方巽は暗黒舞踏の創始者といわれていますが、その言葉の意味が身体で解ったような気がしました。

 踊りが終わった瞬間、あれほどのキツイ感覚が、むしろ身体に溜まっていた邪気を吸い出されたかのような心地よい疲労感に変わっていたのは、まったく初めての体験で驚かされました。でも、こんなにグッタリと疲れ果てたのも初めてです。

 久々に、身の毛もよだつような凄まじい踊りを観ました。まるで、人の形をした“鬼”です。やはり、最初に感じた、「この人の中には鬼が住んでいる」という直感は間違っていなかったんだと改めて思いました。

 火皿をのぞく泯さんの眼がまったくまばたきしていなかったのを観た時、いい知れぬ寒気を感じたのです。暗く沈む陰鬱な黒い淵・・・しかし、それはどんな艶やかな色よりも美しい漆黒の闇の色なのです。

 舞台に設けられた小さな池も、奈落に通じる黄泉の池みたいに思えます。そこに泯さんが立つと、まるで水面に浮かんでいるように見えるのです。何だか、こちらの三次元感覚が狂わされてしまうみたいでした。

“魔”を宿す武道人は、現代には皆無でしょう。私があくまでも武術の研究家としか名乗らない(名乗れない)のは、その“魔”を希求して生き死にを超えた境地に憧れるからです。

 武道家とか武術家と現代で名乗ることの滑稽さ。幼稚な優越感をツラの皮一枚で隠して実戦を語る実戦を知らない人達。それをまた大仰に祭り上げてみせるメディアの住人や文化人と呼ばれる山師達。虚仮威しの権威者連中に迎合してみせるほど、私は恥知らずには成り切れません。

“魔”を知らない者の武道、武術とは空しい言葉だけです。健全な社会体育としてしか現代社会での存在を許されない武道や武術に、私は全然、興味がないのです。“研究家”といい続けるのは、武術の“魔”を追究する私のせめてもの“矜持”なのです。

 技をみがく“磨”が稽古ならば、戦闘の“間”を見極めるのが実戦。しかし、実戦を体験すれば“人”でなくなる。剣で斬り合い、銃で撃ち合う・・・もはや“魔の者”です。

 現代で、武道、武術の世界に“魔”を宿す人はいないでしょうが、ここに“いた”・・・と、私はそう思いました。

 真っ黒い熔岩が煮え立つような“魔”を潜めた男・・・。

 もし、泯さんが舞踊ではなく武術を選んでいたら、宮本武蔵ですら及ばない境地に達していたでしょう。我を捨てられない武蔵は、まだ人間ですよ。田中泯が武術を選んでいたら“真実の魔人”になっていたかもしれません。

『たそがれ清兵衛』で田中泯が演じた余吾善右衛門なる人物は、藤沢周平の原作では、しょうもない男でした。それが、かくも見事な剣鬼になり得ていたことに、遅ればせながら舌を巻いたものでした。

 私は、武術を追究する者の一人として、現実にそれを見てみたいという欲望と共に、「そんな人間は現代にいるべきではないんだよ」と、囁く理性に目を覚まさせられるのです。

 今回の踊りを見て、改めて、フェイク武道、腐れ武術が全盛期の現代日本で、絶滅した筈のニッポンオオカミを、見たような気がしました。


 芸能芸術は、私にとって羨ましいものです。見る人をして感動させられるから・・・。

 それに比べると、武術はあさましい。偽物は見苦しく、本物はおぞましい。

 クソの役にも立たないフェイク武術を自慢たらたらに演じて見せる武術家気取りの阿呆連中に私がいいたいことは一つだけ。「切腹しろ!」の一語。

 けれども、本当の実戦に役立つ武術の技なんて、ただの殺人術でしかない。

 以前、公園で拳法を教えていた時、太極拳を演武していると、ベンチに座って見ていたオバチャン達が、「あの人、うまいわよ~」と感嘆したように話しているのが耳に聞こえ、てきましたが、実戦用法を教え始めると、オバチャン達はヤクザでも見るように慌てて脱兎のごとくスタコラサッサと逃げてしまいました・・・。

 私の技に感動してくれるのは、同じ変態仲間の空手バカ一代みたいな人達かアメリカの特殊部隊出身の人とか、暴走族かヤンキー兄ちゃんみたいなのばっかり・・・。カタギの人間は毒蛇にでも遭遇したように逃げる。

 そういえば、同じ公園で師範代に教えさせていたら、見るからにヤクザですって感じの「俺も空手やってんだよ。松濤館二段もらってんだよ」なんていってニヤニヤしながら練習中に近寄ってきたオッサンが、代わって教え始めた私の残忍過ぎる技を見ていて、じわじわ離れていき、しばらく黙って見ていたかと思ったら、「オスッ、失礼しまっス!」と別人のように礼儀正しくお辞儀して去っていきました。

 そんな次第で、私は自分の研究している“これが本物の武術だ”と思える技は、ほとんど本にもDVDにも出さないし、セミナーや講座でも隠しています。

 そこを予測できる人(例えば、新体道の青木先生とか)だと高く評価してくれるけれど、そういう人は自分でもそういう技の存在について知っているから、「あ~、長野さんは隠しているんだな~」と考えて評価してくれた訳でしょう。

 普通は知らないから、知識自慢したい連中はイチャモンつけるだけでしょうね。

 本物の武術を追究すると、暴力の本職の人達すら怖がるような凶悪な技になってしまうものです。それも当然。何百年、何千年という歳月をかけて無数の人間が実戦経験の中から知恵を絞って積み重ねてきた殺人テクニックのエッセンスなんですから、親や先生にすらひっぱたかれたことのない現代日本の普通の人なら拒絶反応が出てしまうでしょう。

 現代で武道や格闘技は競技スポーツであって、殺し合う技術を修練するものではありません。が、武術は昔も今も、人を殺せる技術を修練するものです。棒や剣や弓矢や鉄砲といった武器から、毒薬や火薬を扱う方法まで研究されているのです。

 現代で一番近いのは特殊部隊の野戦体術でしょう。殺す技に関しては・・・。

 無論、素手の技も基本的に「どうやったら簡単に人を殺せるか?」というのが前提であり、人体の急所と、その攻撃方法を事細かく研究されています。そこから逆に整体・接骨・活法などの医術も工夫されたのですが、現代ではどちらもほとんど失伝されています。

 でも、こんな“本物の武術”については、「ちょっと、やって見せてくれ」といわれてもどうしようもありませんよ。確実に誤解されるだけの話です。

 だから、先人は、昔ながらの武術を社会体育として危険なもの(つまり、本質)を取り除いて伝えるしかなかったのでしょう。それから数十年経過しているうちに武術としての本質は、やっている人達すら、その存在を忘れ果ててしまっているという訳です。

 この辺の事情については最新刊『武道に伝える武術の教え』に一通り書いていますから、是非、読んでみてもらいたいですね。ひょっとすると私の遺作?になるかもしれないので、ヨロシク!


追伸;まあ、たまには嬉しいこともありました。うちの会員さんで極真空手を長く修行されているYさんがオヤジ狩り?に遭遇したそうなんですが、同伴の女性を守って、不届き者のパンチを差し手で遮りつつ、崩して逆手で制圧。結局、不届き者は泡食って逃げたそうですが、お見事です! 極真で鍛えた度胸があればこその制圧術とは思いますが、人を傷つけず、自分も同伴者も傷つけられず事を収められたのは、本当に理想的な展開です。こういう風に役立ててもらえると、私も本当に嬉しいものです。まあ、「武術もそんなに悪いもんじゃないかな~?」と、ちょっと安心しますね。あ~、オレもオヤジ狩りに遭遇してみたいな~(意味深・・・)。

追伸2;NHKハイビジョンで、アマゾン川の奥地に住むヤノマミ族のドキュメンタリーを見ました。この番組は田中泯さんがナレーションを担当されていて、地上波では四月に放送されるそうですが、一万年前からほとんど変わらない生活を続けてきたというヤノマミ族の風俗を100日以上、一緒に居住して撮ったというから凄いものです。私は諸星大二郎の『マッドメン』を思い出しましたね。

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土方巽が修行した謎の武道って何だ?

 暗黒舞踏の開祖として、逝去して今もなお、その名が高い土方巽。

 昨年、その土方さんの生誕80周年を祈念する催しがPlanBで開催され、今年も81周年のバースデイを祝う会にストリートダンスもやっている会員と二人で行ってきました。

 何が楽しみって、まず、酒ですよ。アルコールの弱い私が、また飲みたいと思った日本酒は、唯一、これだけです。

 そもそも、酒が弱い上に日本酒はほとんど飲まないんですけどね。でも、また、あの酒が飲めるかと思うと、ちょっとワクワク・・・。

 でもって、今年は泯さんのドキュメント番組のスタッフの方々もいらしたので、ひょっとすると、またチラッとTVに(後頭部が・・・)映ってるかも?

 昨年は、土方さんのことをまったく知らない泯さんのファンの方が多かったので、今年は「土方巽について語ろう」というコンセプトがあった・・・のかも?

 自己紹介(というか、徐々に討論会のような塩梅に?)だけで4時間くらいかかっていたようで、私の番に来るまでに結構、酒飲んでたから脳の活動がかなり緩慢になっていたんで、生前の土方さんと交流があった青木宏之先生の話とかしたことくらいしか、あんまり覚えてません。

 というか、何か泯さんが討論するぞモード全開で、一瞬、「ここは朝生のスタジオか?」という幻覚に襲われたくらい愛のツッコミが次々に炸裂していて、何か、昔、社会運動の団体に出入りしていた時に戻ったような感じもしましたね。

 で、「アンタは何で武術やってるの?」という根源的な問いかけを十数年ぶりに聞かれましたけど、それはもう答えようのないものであって、「泯さんはなんでダンスをやっているのですか?」というのと同じことだと思いますね。

 答えるだけ嘘臭くなるでしょ? 言葉じゃないし理屈でもない。ましてや思想でも信念でもない。衝動であり憧憬であり宿業であり自己の存在理由・・・そんなものは語れる代物じゃないし、語ること自体が傲慢。

 それでも強いていえば、中毒! 人間の顔も名前も覚えないのに一回見た日本刀は忘れないという変態になってしまった理由といえば、もう、「カルマです」とでもいうしかない。持って生まれた業病なんだと思えば納得もいくのです。

 だけど、物書きの仕事もしている身としては、語れないことを無理やりに言語の圧し型にギュウギュウ押し付けて、文章をでっち上げるのが商売。ダブルバインドですよ~。

 そんでもって、「で、アンタは強いの? 弱いの?」との、これまた暴力的な問いかけで、マイッチング~って感じでしたよ。

 強いか弱いかは相対的な比較によってしか解答が出ないし、正直いって格闘技ならまだしも武術の場合は“本気で戦えば殺人”という段階で技術構築されているので、強弱では測れない訳ですよ。

 でもね~、そんなことは万に一つも理解してもらえるとは思っちゃいません。

 要するに、やって見せるしか納得(理解ではありません)させられないのですが、それをどこまで、どのように見せるか?という線引きが難しい。

 だから、私は大体に於いて、“やりません”。

 何で? だって、理解してもらう必然性がないからですよ。

 以前は武術の本質を理解して欲しいと思って実際に使う技を見せたりしていました。が、武術に興味や憧れのある人以外は完全にドン引きして魔物でも見るような恐怖の表情を見せるだけ。

 いや、普通に実戦的といわれている現代武道をバリバリやってきている人であっても、危な過ぎると嫌悪感を示していたのです。

 だから、感覚的に私は自分は変態なんだろうな~と思う訳で、以後、そういう危ない面が極力出ないように注意してきています。

 ダンス白州でも合気的な安全な崩し技とかしかやらなかったし(意外にも実戦的な技を見たがる人が少なくなかったんですが、正直、そういうのやったら場の雰囲気が悪くなると思います)、見世物芸なら解った気がするから丁度いいかも知れません。

 でも、それは武術の本質とは違うものだから、見せるだけだと誤解を広めるだけ。そんな馬鹿なことやっている人は腐るほどいますから、私までそんなことやっちゃいかん。

 ただ、あんまり猫かぶったままでいると逆に不愉快に感じられるのかな~?とも思ったりしたんですけど、別に「俺は強いんだぜ。ふっふ~ん・・・」みたいな優越感抱えて他人を見ている?みたいなのは意識にないし、むしろ、劣等感があるから武術を稽古する人間が本質的に圧倒的多数派なんだと私は思ってますから、「う~ん、劣等感でやってるんだと思いますよ」と、確か答えたような気がするけど・・・一晩寝たら忘れましたね。

 それで、まあ、うちの会員さんは隣で聞いていて、私の名誉?のために黙っておれなかったんでしょうけど、「長野先生は強いです!」とか言い出すから、オイオイと思って、止めました。

 だってね~。強いっつったら、「じゃあ、どのくらい強いかやって見せてくれ」ってなっちゃいますからね~。かなり実力差があって、しかも相手が従順に対応してくれるなら、問題なく見せられるかもしれませんが、世の中、そんな甘いもんじゃありませんからね。

 多少、武道やったことある人だとかヤンキーみたいな人間は、「タマとったれ~」ってなるもんね。私だって、弱いくせに偉そうにしてる人見ると、

 私は、相当、そういう経験もしてきたし、失敗したことも何度もあります。でも、失敗したのは考えの甘さでしたから、今は、疑って試しにかかってくる相手はためらわずに腕の一本、足の一本くらい叩き折る覚悟をしています。

 でないと「長野は弱い。口先だけだ」っていいふらされて、私の主張してきたことが全て台なしになりかねない。これは私一人の問題じゃなくて“武術”という文化全体に及ぶ問題となっているんだ・・・という意識があるんですよ。

 今度の本では、現代日本の空手道・剣道・柔道・合気道・中国武術・身体操法の世界の歴史と技術、現状の問題点と改善案なんかを一通り書いているんですが、正直、私以外にこれを書ける人間はいないと思っています。

 空手だけ、剣道だけ、合気道だけ、中国武術だけ・・・といった研究家ならいると思いますけどね。総合的に比較研究している人は非常に限られるし、初心者に理解できるように文章で解説できる人間となると、皆無に近いと思います。

 これは自惚れた発言に思われるでしょうけれど、今回、書いてみて、明確に自分が方向性を指していかないと誰もできないと思ったんですよ。「俺がやらなきゃ誰がやる?」って、本当に心底、そう思いました。

 いやね・・・「誰かできる人がいたら代わりにやってください」っていうのが本音なんですよ。私は本質的にオタクだから、武術とは何か? 武道とは何か?とかいうようなこと書くの苦手なんだも~ん・・・。

 でもまあ、そこで質問されたことで、何と! 「土方巽さんが“コテン道”というのをやっていたそうなんですけど、コテン道って何ですか?」と聞かれて、脳天をハンマーでぶっ叩かれたような衝撃を受けました。

 だって、そんなの聞いたことない! この日本一マニアックな武術研究家にして武術の裏も表も知らないことはない!といわれる、このオレが知らない武道がまだあったとは?

 私のショックを察してください。もう、屈辱感に打ちのめされたまま、「すいません。聞いたことないですぅ~・・・」というと、「それって、“テコン道”じゃない?」という声が・・・。

「あっ、そうそう。テコン道だったわぁ~」って、それ、ぜんぜん違うやないか~い?

 テコン道だったら、創始者が松濤館空手道を学んで帰国して空手と差別化するのに蹴り技中心に体系化して作ったものなんですよ。

 もっとも、マジンガーZやヤマトやガンダム、北斗の拳にドラゴンボールまでパクって自国のオリジナルだと言い張るお国柄なんで、例によって、テコン道が空手の源流だというムチャな主張をしているんですけど、国技として世界的に普及していったので、実は海外では空手より広まっていたりするんですよね。

 ブルース・リーもアメリカのテコン道(当初はアメリカンカラテと呼ばれていた)の父といわれるジョン・リーと交流があったし、香港映画で活躍する蹴り技の上手いアクション俳優(ブルース・リャン、タン・ロン、カサノバ・ウォン、ウォン・チョンリー、ウォン・インシック、ホー・チョンドー等々)は韓国から出稼ぎに来ていた人だったりするんですね。

 ちなみに韓国では合気道(ハッキドーと読む)というのもあって、これはテコン道に大東流合気武術をミックスして新しく作り出したもので、日本の合気道とは違うんです。

 この流儀の名手であるウォン・インシックは『ヤングマスター師弟出馬』で、物凄い蹴り技と合気道の多彩な逆関節技を披露していましたが、『ドラゴンへの道』ではカタコトでしゃべる日本人空手家を演じてブルース・リーにやられておりました。

 その他にも、韓国合気道を嗜む香港アクションスターは、『燃えよドラゴン』でブルース・リーの妹を演じていたアンジェラ・マオや、太った身体で身軽にバク転するサモ・ハン・キンポー等がいます。

・・・それにしても、土方さんがテコン道やっていたとはな~・・・。
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石原志保・踊り場作業1「否連続」感想

 2/28(土)は、シダックス講座が終わってから、plan-Bにて石原志保さんの踊りを見に行きました。

 今回は直前まで原稿直し作業があったので、行けるかどうか判らず、予約していなかったもんですから、当日で行きました。

 先々週は田中泯さんの場踊りもあったんですが、原稿書きと写真撮影があったので行けなかったんですね。

 石原さんの踊りの時は、師匠の泯さんもいつも来られているので、「今度、青木先生の演武DVDを見せます」と年賀状に書いていた(もちろん、青木先生にも許可をいただいています)ので、DVDプレーヤーごと持って行きました。

 石原さんの「昭和の体重」シリーズの時は、舞台美術が結構、大掛かりだったんですけれど、今回は割りとシンプルな感じで、シンプルだからこそ演者の技量が問われるだろうな~という感じに思えました。

 中央にデーンと割れた板の間の舞台があり、割れ目に顔を埋める踊り手。音楽ならぬ音響(雨音・雷鳴・雑踏のざわめき・・・)の中、不安定な舞台の上で伸縮屈曲する肢体と忘我の表情。

 私は昔、飼ってた猫が屋根の上のトタン部分でひなたぼっこしながら寝ぼけてヨガのポーズみたいに奇妙な格好をしていたのを思い出しましたよ。

 昨年夏に白州で見た時は、泯さんの踊りそっくりに見えましたが、今回は石原流に脱皮しつつあるような、そんな印象も受けました。

 特にお尻歩きしていたところが・・・(って、前衛派系の踊りを見たことない人は、一体、なんのこっちゃ?と思うでしょう)。

 ちなみに、昔飼ってたスピッツの雑種犬は、時々、お尻を地面に付けて後ろ足を宙に浮かしたまま、前足だけでお尻ズリズリしながら歩いてました。ヘンなことする犬だな~と思いましたけど、お尻が痒いとやるそうですね。

 でも、うちの犬は、狂喜すると、この姿勢のまま猛スピードで走ったんですよ。どうやって走ったんだか、よく判りませんが・・・。

 最近、ダンスのプロの方とお話してから、伝統的な踊り(クラシックバレエ・フラメンコ・フラダンス・ベリーダンス等)、コンテンポラリーダンス、ストリート系ダンス、舞踏などなどの本も買って読んだりしていたんですが、いやはや、ダンスの世界は幅広いですね。

 一般的なダンスが長拳系統の素早く伸びやかな拳法とすれば、舞踏系統の前衛派の踊りは太極拳をさらにアレンジしていったようなものに見えます。

 よく、「何を表現したいのか判らない」という否定的意見を吐く人もいるんですが、そもそもダンスに意味を求めること自体が大きな勘違いじゃないでしょうか?

 ダンスは衝動ですよ。自己の心身の内部から湧き出てくる純粋な躍動への衝動が原点なんであって、そこに意味を求めるのは無粋ってもんです。

 先日、NHK衛星第2のアニメ夜話で『海のトリトン』をテーマに話していて、「トリトンは思春期の性の目覚めが裏テーマなんですよ」と暑苦しく語るオタキングの発言にゲストで来ていた当時の作画監督が苦笑顔で「いや~、そんなこと考えたこともなかったな~」と言っていましたけど、意味性、定義付けというものは、そういうもんですよ。作り手が考えることとは別に受け取る側が感じて考えることです・・・。

 公演の後、泯さんにDVDプレーヤーごとお貸ししてきましたけれど、土方巽の名前を世界に高からしめた?『江戸川乱歩全集・恐怖!奇形人間』の海外版DVDもプレゼントしてきました。

 この海外版DVDには石井輝男監督のイタリア訪問の時のインタビューとか、塚本晋也監督と河崎実監督のインタビューとかも収録されているんですが、石井監督が土方さんの公演を見た時の衝撃から、是非、土方さんに出演して欲しいと口説いたという思い出を話していて、そういう意味でも貴重なDVDですね。

 石井監督はエログロ・ナンセンスな作品ばっかり撮るカルト・キングというイメージがありましたが、芸術家肌のロマンチストなんだな~と思いましたよ。

・・・う~ん・・・全然、感想になってないな~・・・要するに、「昔飼ってた猫と犬を思い出しました」って言ってるだけじゃ~ん?

 石原志保さん、失礼しました・・・。
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ジョゲッ・ピンギタンを見た・・・

 先週の木曜日に両国/シアターx(カイ)にて、幻のバリ舞踊と呼ばれる『ジョゲッ・ピンギタン』を見てきました。

 バリ舞踊と言うと、民俗学に関心がある人だったら、魔女ランダと聖獣バロンが登場する物語性があるものと知っていると思いますが、このジョゲッ・ピンギタンは19世紀末にギャニアールの王が宮廷で舞わせたのが始まりとされているのだそうです。

 今回の日本公演は、幻のバリ舞踊と言われるジョゲッ・ピンギタンの最後の伝承者とされるニ・クトゥット・チュニック(通称イブ・チュニック)の実質的日本初の公演となっているそうです。

 しかし、イブ・チュニックは既に88歳にもなろうか?という御高齢であり、恐らく今回の日本での公演が最初で最後となるだろうと目されていて、後継者で孫にあたるニ・ワヤン・スカリアニ(通称イブ・スカール)とひ孫にあたるスリ・マハリエニを伴っての公演でした。


 うちの会にもバリ舞踊の研究をしているダンサーが所属していたのと、個人的にガムランの伝統音楽が好きなので、今回の公演は是非見たいと思っていました。

 それで、今回、本場のバリ舞踊を初めて見た訳ですが、これがまた独特な身体の使い方で興味深いものでした。

 首・肘・手首・指の反り・腰椎の反り・股関節の開き・足指の反り・足裏の平起平落といった要素は精妙で、イブ・チュニックの舞いも後半にいくに従って何かが乗り移ったように流麗に激しくなる様子は圧巻でした。

 目の動きや肘の張り、足の踏み様などはインド舞踊にも共通性を感じますが、極度に指を反り返らせながら柔軟性を失わずにユラユラと揺れている様子には驚かされました。関節や筋の特別なストレッチングを長年続けないとああいう具合にはならないだろうと思いますが・・・。


 公演終了後、ヒカシューのリーダー巻上さんにバッタリ出くわし、「あっ、丁度よかった。新作本ができあがったので読んでください」と見本を一部贈呈しましたら、「え~っ、早いっ!」と、驚かれていました。

 二、三ケ月前に本を贈呈したばっかりだったんで・・・。


 いや~、芸術に国境は無いのと同様に、武術もくだらない自尊心の押し付け合いから解放されて人を感動させられるものになればいいな~と思いますね~。
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『ダンス白州2008』行ってきました!

 今年はお呼びは無くて、ちょっと寂しいな~(シクシク・・・泣)と思っていたんですけれど、支援会員になったので足を運んで参りました。

 とは言えど・・・新刊本の仕上げ作業と重なってしまって、ちょっと無理かも?と思って、師範代には「ひょっとすると俺は行けないかもしれない」と話していたんですが、「行っていいじゃないですか? “向こうで仕事すれば”(ギョエ~!)・・・」という編集担当の“鬼の一言”で、行って参りましたよ。夏、恒例の白州へ・・・。

 しっかし、まあ、韮崎からの路線バスが無くなってしまっていて、ちょっと交通の便が悪くなってたり、タクシーも値上がりしていて不況は地方にこそしわ寄せがいくものなんだな~?と思いましたね。

 宿に到着してから、しばらくマッタリしながら過ごしました。翌々日に写真撮影する本の原稿と睨めっこして打ち合わせしたり、会員さんが持ってきたクエストから出ている『武神館・九鬼神伝流』のDVD見たりして過ごしました。

 余談ですが・・・武神館の初見先生の技は、70代後半に至って尚、進化している事実が確認できて、「武術はマッスルじゃない。若さの勢いじゃない」と称えている私の理想を体現している武術家のお一人の技に、20年前に武神館の末席に入れていただいていた有り難みを感じました。

 私が直接教わった野口先生もお元気で何よりです。初見先生に離反した人も少なからずいる中で、一貫して師を敬い支え続けている野口先生のような立派な先生に習えて良かったと思います。野口道場では練習後に奥さんがスイカをさし入れしてくれたり家庭的な雰囲気の道場でしたよ。あのまま続けていたらどうなっていたかな~?(普通の社会人になっていたかもしれないな~?)

 私だって教わった先生方には全員、感謝の気持ちだけは失わないようにしています。人間的に軽蔑するしかない人もいましたが、教わった事実は消えませんから、感謝する気持ちまで捨てていいとは思いません。甲野氏を批判し続けているのも感謝する気持ちがあるからですよ。本気で嫌っていたら無視するだけ。私が首尾一貫して言い続けてきたのは、「嘘つくのいい加減に止めろよ。本当のことを言えよ」ってだけですよ。

 自分に嘘ついて周囲を騙くらかして生きていくのって、一番、不幸なことなんじゃないでしょうかね? 「勝ち組」なんて言葉が流行っていたけど、無目的に金さえ入ればいいって考え方自体が貧し過ぎる。日本の本当の貧困は心に余裕が無くなって目先のことしか見えなくなってることじゃないでしょうかね? 『ハゲタカ』で泯さんが「金なんて、ただの紙っぺらじゃないか」って言ってのけちゃうところがカッコ良かったですよね。

 さてさて、その夜、ヒカシューのリーダー、巻上さんのコンサート(と言うべきなんでしょうか? 様々な楽器?を駆使したお好み演芸会のような気もする超絶芸達者ぶりを堪能)を見るべく、同行した会員二人と懐中電灯を持って夜の道をテクテクと、通い慣れた?街灯がほとんど無い道を歩いていきました(こういう田舎の道を歩いていると、確かにベトベトさんとか現れそうだな~と思いました。脇へ退いて「ベトベトさん、先へお越し~」と言うと消えるのだそうな)。

 いや~、やっぱり暗いな~。暗いと距離感掴めないな~。道を間違ったみたいで少し遠回りしてしまいましたよ。地区の盆踊り大会があったらしく、呑気な歌が聞こえます。

 会場に到着してゴザに座ると、暗い中で「ようっ」と声が? アレ?と思ったら目前に座っていた人が田中泯さんでした。

 ここ数カ月、御無沙汰していましたが、TVの『ようこそ先輩』と『時代の響き』(これは素晴らしい内容でした。DVDで発売して欲しいくらい)と、『ファッション通信』(1カットだけだけど、もの凄い存在感にビックリ)を拝見してました。九月には横浜で踊られる予定と聞いているので、今度は何としても都合を合わせて見に行きたいと思ってます。

 さて、巻上さんのコンサートは、先日の渋谷クラブ・クアトロでのライブをイメージしていたら、ぜんっぜん、別! 正直、唖然! 何と形容すりゃいいのか、さっぱり解りませんが、最高に面白かったです。後から登場したダンサー軍団も素晴らしかった。よって、「機会があったら、一回、見てね」。(後楽園遊園地の仮面ライダー・ショーを思い出したのは私だけ? ちなみに、町田、橋本のレコード屋さんに無かったヒカシューのアルバム『生きること』、ゲットしましたぜっ)

 帰り道、山の天気は変わりやすいと警戒していた通り、小雨がポツポツ降ってきましたが、何度も来て心得ていた私は、ちゃ~んと百円ショップで雨合羽(レインコートね)を三人分用意していたんですよ。役立って良かった。備えあれば憂い無しですね(すぐ止んだけど・・・)。

 翌朝は、石原志保さんの踊りを見てから帰る予定。なにぶん、仕事が立て込んでて長居できなかったのが残念(コンテンポラリー・ダンス界の女王、木佐貫邦子さんのダンスが見れないのが残念)ですが、メイン会場の栗林で開始まで待つ間、泯さんに挨拶するとともに、写真も撮らせていただきましたよ(この期に及んで田舎者のサガは直りませぬな~。フハッ! あっ、急に水木しげるの生霊が憑いた? “写真参照”20080815_001.jpg
 ふ~む、並んで立ってるのに遠近法みたいだな~?)。

 で、石原さんのダンスは、八月十五日という終戦の日にちなんだドラマ性の高いものでした。昨年と同じらしいんですが、昨年は私は神経性腸炎でポンポンが痛くなって宿で唸ってて見損なっていたんですね。神経細いからな~、元々・・・。武術業界では鉄面皮で有名なんだけどね。

 まあ、今年は、ただ見るだけだから気楽です。

 それはそれとして、ダンス後に見物している人達も交えてダンスについて話し合うということだったんですが、自分で言うのも何ですけど、私の頭の中ではギャグ回路ができあがっていて、物凄く迂闊なことを口走ってしまいそうで、会場で氷の視線を浴びてしまったらマズイと思って、そのままコッソリと帰ることに致しました。

 いや~、最初は、「『恐怖!奇形人間』の土方巽さんのTシャツ着て行こうかな?」ぐらいのチャレンジ魂(悪フザケとも言う)で行こうかと思っていたんですけどね。世の中、シャレの解る人ばかりじゃないからな~(そういえば、以前、「もっと、武道家らしくしてください」と元会員から言われましたけどね。私に裏表使い分けろって要求すんの?)。

 それで、実際、ダンスの感想がどうかってことを書きますとですね。

 防空壕の中に潜んでいて、外に出てきて竹ヤリを持って天に吠えるんだけど、辺りは焦土と化していて、灰になった同胞を見て声無き叫びをあげる戦災孤児の少女・・・のように私は感じたんですね。いや、設定としては母親とか老婆だったのかも知れませんが、私には少女っぽく見えました。

 うちの母親の戦争体験談とかもイメージにあるからなんでしょうか? それとも、ロシア軍がグルジアに武力制圧かけてる時期だからなのか・・・(ジャーナリストの車に銃撃している映像を見た時はゾッとしました)。

 もっとも、今回のダンスが演劇的でテーマ性が明確にあっても、やっぱり私の関心は、ダンサーの“動き”に向いてしまうんですよ。

 それも、やっぱり武術的な連想がわいてくるんですよね。

 中国南方に伝わる狗拳(犬拳ってことです)や、行者拳、鴨拳を連想し、竹ヤリを見れば、「竹ヤリは先端を火であぶって水分が抜けると堅くなって強度が上がるんだよな~」とか、そんな物騒なことばっかり考えてしまう(職業病?)。

 そういえば、栗林でマッタリしている時に、去年教えた少年から、「あっ、合気道の人だ」と言われたんですが・・・、私、合気道は一時間半しか習ったことないんですけどね(確かに合気道的な技をやったからな~。拳法だと殴り合いはじめちゃうからね)。

 いや、それにしても石原さんは田中泯さん生き写しみたいな感じがしますね。錯覚したもん。泯さんが踊っているように見えてきたんですよね。何度も見てきていますけど、毎回、そのそっくり感度は上がってきていて、今回は本当に血縁の人なのか?と思えるくらいソックリでしたね。

 動きがどうこうと言うだけじゃなくて、意識のブッ飛び具合が凄い。アレを芝居でやれって言われてできる役者がいるんでしょうか?

 泯さんが役者で登場している作品を見ていて、共演している役者さんがビビッてるのが読めるんですよね。演技の論理を超えたところにある表現だから、太刀打ちできないし、役者の演技論の文法では解釈できないから困惑してしまうんでしょう。その困惑ぶりが覗いて見えるところを私はニヤニヤしながら見てしまうんですけどね。

 泯さんは、足の土踏まずのところを痛められていたそうですが、そんなところを痛めるというのは、一体、どんな踊りをやったのかな~?と、私はついつい稽古内容を想像してしまうんですよね。アキレス腱を切ったとかギックリ腰、膝関節周辺の腱、脊柱起立筋を痛めたとか、そういう故障の仕方なら解るんですけど、土踏まずの腱を痛めるというのは強く石を踏んだとか、そういうことでもないと普通は故障しませんよ。

 私も縮地法の研究やってた頃に土踏まずのところを伸ばして少し痛めたことあるんですが、これは足の踏み方と重心移動を工夫していて、“やっちゃった”って訳で、普通の武術の稽古でここを痛める人は滅多にいないでしょう。使わないんだから(あっ、そうだ。思い出した。沖縄空手の訓練法の中には足指を目一杯使ったり足の甲を着けて歩くカニ歩きの訓練とかやる人いるから、あれだと痛めるかも?)。

 いかに苛烈な訓練を積んでいるか?ということが想像できるだけでしかありませんが、想像するのと実際にそれをやるのではまったく次元が違う。

 泯さんと私が並んだ写真を改めて観てみると、私が単に破壊力が生み出せる身体を求めて内功を蓄積させて膨張したメタボ体型になっているのに対して、泯さんは無駄な肉をそぎ落として丹念に鍛え磨き上げられた名匠の作った日本刀みたいに見えるんですよね。

 名刀は、自己主張しないものです。ただ、端然と佇立するだけで自然と一体化して気配が消える・・・やっぱり、このオジサンは凄いわ・・・。

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ヒストリーchの『時代の響き』に田中泯さんが・・・

 気づいてみると、最近、ケーブルTVでヒストリーchを観ています。

 最初に観るようになったのは、『撃つためのデザイン』でした。

 これは、銃の歴史に関するシリーズで、M-16ライフル、AK-47ライフル、コルト・ガバメント、ルガー・ピストル、ベレッタ、モーゼル、弾薬、先込め銃、ウィンチェスターライフル、珍銃、暗殺に使われた銃・・・等々のドキュメンタリーが興味深くて、“銃から見る歴史物語”という趣が面白いものでした。

 で、他にも『極める~匠の世界』とか世界の武術物『ヒューマン・ウエポン』なんかも面白いものでした。

 この手のドキュメンタリー番組は、ディスカバリーchやナショナル・ジオグラフィックがありますけれど、意外にヒストリーchには地味目ながら奥の深い作品があります。

 さて、そんなヒストリーchには各界の第一人者を採り上げるドキュメンタリー番組の『時代の響き』があります。

 7月26日の放送では、舞踊家の田中泯さんが採り上げられるそうです。

 スポット紹介コーナーの泯さんの横顔の写真は、何やら仙人のような超然とした雰囲気と、革命家のような理想と野望を両方持つような鋭い視線が感じられて、何か背筋がゾクゾクッとさせられます。

 あらためて思ったのは、還暦過ぎた男がカッコイイというのは中々有り得ない。どんな美男俳優も60過ぎると色気も華も失われていきます。

 でも、田中泯さんは、ひょっとすると若い頃より今のほうがカッコイイんじゃないか?と思うんですね。だって、『たそがれ清兵衛』の時より今のほうがカッコイイですよ。

 こういう年とってカッコイイ人というと、インドの哲人、ジッドゥ・クリシュナムルティの横顔の写真がそうでしたね。何か、人間離れしていましたよ。

 あっ、そうか~。田中泯さんはインドの聖者っぽいんだ。な~んか、人間離れした人だな~と思ってたけど・・・。レインボーマンのダイバ・ダッタみたいな感じだよな~。

 ところで、この写真、丸Cで「石原志保」となっていたのですが、「石原さんは写真撮る才能も有ったのか?」と、彼女の踊り以外の才能にも驚かされました。

 ここ最近、仕事が重なったり、急遽、用事ができてしまって御無沙汰しているんですが、泯さんは精力的に活躍されているようです。

 日暮里の田中泯さんの場踊りを観に行った、最近、ダンスも習いはじめている会員さんは、あまりの前衛っぷりに唖然となって感想の言葉を思いつかないそうでした。

「考えるなっ! 感じるんだぁ~っ!」byブルース・リー
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『課外授業ようこそ先輩』で田中泯さんが・・・

 稽古会の時に、「今日の深夜にNHKの『ようこそ先輩』で田中泯さんが出る」と、会員さんが教えてくれたので、ワクワクして見ました。

 この番組は、何年か前に甲野ちゃんが出たんですけど、あのオッサンは真剣持ったまま小学校に入っていっちゃったからな~。

 私、思わず、「おいっ、そんなモン、持ったまま小学校に入っちゃダメだよ~。危ないよぉ~。スタッフ、誰か止めろよ~」と、TVに向かって思わず言っちゃいましたね。

 でも、泯さんが「こんちわ~」と教室に入っていき、自己紹介しながら小学生の反応を探っている様子を見ると、無反応でアクビしたりしている子もいて、困惑気味。

 しからば・・・と、ボディワークに入るとちょっと面白がる。子供は常に動いているとかしないとダメだもんね~。でも、少しやるとすぐ飽きるんだよね。

 で、ここで脱力して倒れたりするワークを見ると私の方が興味深かったですね。

 川での踊りを実演して見せた時の小学生の唖然とした表情は面白かったです。『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』の時も、インドネシアの人達が唖然として見ていたけれど、フツーにダンスと思って見ると衝撃受けますよね~。

「人間じゃないみたい」とか、「別人みたいで驚いた」とか言う反応から、「最初は子供で老人になって、それから目の見えない人になって・・・」とか、小学生の評論は意外と深いところ見てますよ。

 目隠ししての遊び、ゲームは、泯さんが踊りの稽古で指導している内容そのものなんでしょうが、視覚を遮断することで聴覚や触覚などが刺激されていくのは良い訓練になりますよね。

 で、モジモジして言うこと聞かない小学生を叱りつける泯さん。ビクッとしてシャキッとする小学生・・・。

 子供のご機嫌ばっかり取ろうとする人が多い御時世で、しっかり叱るところは偉いと思いますよ。最後はペチペチ小学生軽く叩いていたけど、あの程度のスキンシップでも「体罰だ~」って、問題視する風潮が有るから、子供が付け上がったりしますからね。

 今回、田中泯さんは「子供の頃はイジメられて独りで遊んでいた」りしたとか、泯と言う漢字の意味とか、脱力、感覚、即興、カッコイイ、カッコワルイといったキイワードがいくつか出てきて、非常に興味深く見れました。

 課外授業を受けた小学生は、「昔、こんな人を見た・・・」と、UMAと遭遇した話みたいにして語るのかも知れませんね。目隠ししての竹林の散策は、何やらジュブナイルの冒険物みたいな感じで心の中に残るかも知れません・・・。


 翌日、堤真一さんがお昼の対談番組に出ていて、オフは泯さんのところに行って酒飲んでるという話をしていたのも面白かったですね。堤さんは『地下鉄に乗って』のわずかなシーンで共演しただけで、もう大親友というか先輩みたいな感じで付き合われているみたいです。

 堤さんはお茶目ですね・・・。


 何だかんだと言いつつ、やっぱりNHKはいい番組作ってますね~。『ようこそ先輩』、久々に心に響くものが有りました。


追伸;今週の土曜日に池袋の文芸座で土方巽・大野一雄の特集オールナイト上映会があるらしいです。田中泯さんが今尚、憧憬の想いを持ち続けている伝説の前衛舞踏開祖、土方巽の貴重な映像が見られるチャンスですから、これは私も行きたいと思っております(最近、輸入版DVDが出回っている『江戸川乱歩劇場 恐怖・奇形人間』も上映されるよっ!)。
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ストアハウス公演『Boxes箱』感想

 毎月一回、日曜日にセミナーでお借りしている西武池袋線江古田駅前のストアハウスは、ストアハウス・カンパニーという、一口に演劇・コンテンポラリーダンスとも分類できない前衛的な身体表現劇を発表されている劇団が主宰されているフリースペースです。

 以前、初めてセミナーをやる時に当時の事務担当者が見つけてくれて、それ以来、料金的にも交通の便を考えても非常に利便性の良いところなので、もう数年にわたって使わせてもらっています。

 昨年末の自主映画時代から付き合いのある友人の忘年会でも、「えっ、長野さんはストアハウスでセミナーやってるんですか?」と、芝居関係の友人が驚いていました。

 どうしてか?と申しますと、映画や演劇の関係者の間では知る人ぞ知る場所だったからなんですね。

 いつも、お借りしているのは4Fの稽古場なんですが、その上の5Fは劇場になっており、大抵、どこかの劇団の公演で埋まっているんですが、今回は主宰劇団の公演が開催されました。

 実は、昨年、観せていただいた時は、ちょっと衝撃が強過ぎて、芸術表現としては論議が起こるんじゃないかな~?とも思ったんですね。

 かつての暗黒舞踏系ならアリかも知れませんが、それでも海外公演だと難しいだろうな~?と要らぬ世話まで考えてしまったんです。

 ですが、今年は縦長の木箱を使って演者が目まぐるしく様々なオブジェを作っては壊し、また作っては壊す・・・という極めて現代思想的なアプローチで、目を見張りました。

 橋・ビル・門・足場・階段・・・へ、次から次に姿形を変えていく木箱の連結による演技は、子供が積み木で遊ぶようなものを、深夜に小人が出てきて遊んでいるか?のような不思議な感覚とも思わせます。

 が、単純に見ていても、一時間半にも及ぶ時間を、ほとんど休憩も無しに歩き、動き、走り、跳び・・・と動き続ける演者の運動量だけでも極めてハードなものであり、特に、卓越したバランス感覚と、動いている最中にぶつかり合わない群体運動の様子には舌を巻きました。

 これは、一体、いかなる訓練を重ねてきたのだろうか?という点だけ考えても、驚異的なのです。

 一見、アドリブで動いているように見えても、緻密な数学的計算が無ければ、これはとてもできないだろう・・・という風に思えるし、身体的にもきついでしょう。

 公演終了直後、後ろの観客が唸るように「スゴイ・・・」と、漏らしていました。

 それにしても、このストーリー無き記号だけで表現していく演劇のアイデアは、どこから発想されたものなんだろうか・・・という、今回は「驚き」の一言だけが全身に染み込んだ公演でした。

 今後も海外公演などされていくそうですが、機会があれば、是非、一度、ご覧になってみてください。
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土方巽生誕80周年を祝う会

・・・にお声かけていただいたので、中野富士見町のプランBに、月例三回目の丹田セミナーの後にうかがってきました。

 丹田セミナーの方は、まず「丹田とは何か?」というところから、仙道の上・中・下の三つの丹田を、ヨーガのチャクラ(アージュニャー、アナーハタ、スワディスターナ)に対応させたりする概念から解説し、武術的な身体運動の観点から“骨格”に対応させた私独自の見解を解説させていただきました。

 で、各種の丹田開発のエクササイズを段階的に指導させてもらいました。が、この丹田に関しては、ほぼ、その場で体感させるのは無理があるので、全十二回のセミナー中でも最も説得力が乏しくならざるを得ず、下手すると詐欺臭くなってしまわないとも限りませぬ。

 それで、養成法と同時に応用法としての“縮地法”と、最新刊『そこが知りたい武術のシクミ』でも解説した<簡易式縮地法>も解説指導しました。

 特に<簡易式縮地法>は、その場で誰でも違いが実感できるし、日常的にも活用できるので、これだけでも非常に価値があるかな~?と思っています。受講生の評判も良かったみたいです。

 それから、丹田を意識した合気的な技への応用法も指導しました。

 今回も山口県や大阪という遠くからいらしている方がいましたから、武術的なことも覚えていって欲しいと思ったので、ちょこっと実戦向けの技も教えました。これは、最近の公園での稽古会で教えるようになったもので、以前は危な過ぎるから教えていなかったものです。

 防御無しで攻撃だけで一気に攻め崩す技で、金庸先生原作の『笑傲江湖』の独孤九剣からイメージして作った拳法技法で“破拳式”と名付けています。

 ちなみに、これは一式、二式、三式、零式の四つ考案しています。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、『るろうに剣心』に登場する元新選組三番隊組長、斎藤一の必殺平突き(平青眼からの片手突き)“牙突”からパクりましたっ!

 やっぱ、私のイメージでは「本来、武術に防御無し! 攻撃を以て攻撃を制する」というのが交叉法の本質であると思っておりまして、この理論に沿って技を工夫している次第でござりまする・・・。

 そんな次第ですから、最近の游心流はフツーに空手道場っぽい練習をやっておりますけれども、今は本気でついてきてくれている会員さんに応えたいから、格闘技に対応できる実戦向けの技を中心に指導しています。

 おっと、セミナーの話が長くなりましたね。今回のお題は別なんですよ。

 セミナーが終わってから一時間ほど参加者と懇親会をやって、それから中野富士見町のプランBに師範代と一緒に向かいました。

 やや時間が遅れて到着したところ、会場前では田中泯さんが待っておられて来場者に御挨拶されていました。

「セミナー帰りなので、こんなもの(刀袋に刀入っていました)持っていますけれど、御無礼をお許しください」と御挨拶して会場に入りました。だって、懇親会にたとえケースに入っていた模擬刀であったといえども日本刀持参で来るというのは普通の人の感覚では眉をひそめるに決まっていますからね。帰宅して出直すと開始時間に間に合わないと思ったので、仕方なく持ってきたんですが・・・。

 私は、土方巽さんにはお会いしたことも無いし、実は踊りそのものも映像でさえ見たことがありません。唯一、『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』に出演されている姿を見ただけです。師範代に関しては名前も何も知らなかったくらいで、「僕なんかが行って良かったんでしょうか?」と恐縮していましたが・・・。

 しかし、以前、私の師匠が中国拳法の道場でお借りしていた北区赤羽のバレエ・スタジオ“アルトー館”の主宰者であるパフォーミングアーツ評論の及川広信先生のところで何度も耳にしていたのと、田中泯さんが並々ならない敬意を今も尚、ずっと持ち続けている暗黒舞踏の開祖として、次第に私の意識の中でも大きな存在感を持ちはじめていた方だったので、この機会にいろいろお話を聞きたいと思っていました。

 いや~、それにしても参加されている半数以上の方が私と同様に生前の土方氏を知らない方々だったのには立場上、ちょっと安心はしましたが、でも、泯さんにとっては寂しいだろうな~と思うばかりなんですよね。

「私の中では(土方巽は)ずっと生き続けているんですよ」と、泯さんが言う言葉には納得するところがあります。

 ところで、参加者の自己紹介で順番に皆さんが話されていた時、土方さんの思い出が言える人はいいんですけど、私なんて何て言えばいいんだろう? 師範代はもっと困ったでしょうね。

 何か気の利いたことでも言えればいいんでしょうけどね~。しょうがないから、これは言ったらマズイかもしんないな~?と思いつつ、「土方巽さんのことは恐怖奇形人間で見て・・・」と話したら爆笑されたのでホッとしましたけど・・・。

 だって、恐怖奇形人間に触れるのは、敬愛している人達の間ではタブーかも知れないもんね。創価学会で池田大作先生を茶化すようなもんかもしれない? だから気まずい雰囲気にならずに、笑ってもらったから良かった~。シャレの解る人達でないと私は付き合えませぬ・・・。

 ちなみに、この作品、輸入版DVDを入手するしか現在、観る方法がありません。西新宿のビデオマーケットでも入荷してすぐに売り切れてしまったらしく、同店でも記録的セールスだった模様です。別に土方さんが主演じゃないんですけど、ほとんど観た人がいないから誤解されてて「暗黒舞踏の土方巽が主演している怪作」として有名になっている作品なのです。

 宇野邦一氏の土方巽の批評解説を聞いていますと、それまでまったく知らなかった土方さんの姿が大分、明確になってきたように思いましたし、「これは土方巽の本を読まなくちゃならん」という気持ちになりました。

 それにしても、私、不勉強であんまり知らなかったんですけど、舞踏の世界は芸術(シュールレアリスム)、哲学(現代思想)、精神世界(ニューサイエンス)なんかとかなり関連性があったんですね~。そういえば、及川先生が主宰した講座に何度か参加して一回は講師として武術論も講義させていただいたこともあったんですが、連続講座の全体的イメージは非常に哲学的な内容でしたから、私も無理して哲学っぽい話しましたね。何喋ったか全然覚えてないけど。

 まあ、当時は「そんな小難しいこと言わんでも・・・」って思ってたんですがね。

 アントナン・アルトー、ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ、ニーチェ、ライアル・ワトソン・・・とか、私が学生時代(1980年代)に流行ったポスト・モダニズムの現代思想ブームの時に耳にした著名な思想家の名前が次々に出てきたのは、久しぶりに刺激的な印象がありましたよ。

 私、二度目の大学では東洋(宗教)哲学を専攻したんで、そういう本は昔は結構、好きで読んでいたんですけど、丁度、甲野善紀氏のところから離れたくらいの時に思想系の本は読まなくなったんですよね。甲野氏も哲学チックだったけど、思想的には底の浅い人でしたからね。上野千鶴子(マルクス主義フェミニズム)にコテンコテンに論破されてたし。技や性格が反映するのかもしれない。

 だから、なんか頭でっかちで理屈となえてても、現実が伴わない人に対する嫌悪感がひどくなったから思想から離れたんですけどね・・・。

・・・っちゅうか、甲野ちゃん見てたらそう思うよね? 大達人みたいに世間的に知られるようになって、新聞やTVでも“古武術家”って紹介されてるけど、ケンカ慣れした素人にも殴り倒されるような実力だという真相を知ってる私のような武術業界の内部にいる人達にとっては悲し過ぎますよ。

 内田樹さんも合気道六段で見抜けないんじゃダメだよね~。やっぱり殴り合い経験してない人の武道って観念論に陥るから上っ面しか見えないんだろうね。理屈こねる余裕があるなら観の目を磨くべき。真贋が観抜けない人は教えた師匠に恥をかかせるんだから反省すべきですよ。六段だろうが七段だろうが観る目の有無は関係ない。松岡正剛さんは一目で甲野ちゃんがダメなの観抜いたらしいですよ。内田さんは甘いね。・・・とか言いつつ、私も昔は騙されたもんな~・・・あ~、墓穴掘ってもうたぁ~。

 なんちゅうんですか? 「アンタら、理論武装してダメな自分をごまかしてんじゃないんですか? 弱い自分を意味付けして他人に誇りたいだけのナルチシズムなんじゃないですか? 本気で現実に対峙して相討ちして果てる覚悟の無い人間が“革命だ”って唱和してんのは自己憐憫が透けて見えてみっともないですよ。本気で勝つ気なら、勝てる力と戦術を磨いていかなきゃダメでしょ? 本気で戦うつもりがない弱いままのヤツがより集まっても現実は何も変わらないでしょう? 甘ったれが百人千人いるより、本気でハラ括って戦える人間が一人いた方が世の中変えられますよ。要するに、アンタ、口先だけなんだよ。自分の無力さを自覚していながら負け犬になることを認められないエエ格好しいだから、吠えてるフリしたいんでしょ? そんなヤツは何もできんよ」って、社会運動やってる人に向かって追い詰めて自己崩壊させちゃったことも何度かありますよ。

 何かね~、みっともないんだよね~。酒飲んで革命だ革命だって唱えている全共闘運動家の成れの果てみたいなオッサンとか、それに憧れてたけど何もできなかったオバサンとかが中途半端な市民運動を道楽でやりながら体制批判してるのって負け犬っぷりが透けて見えて嫌なんだよね。

 世代的にも私には共感がわかない。昔、火炎瓶投げてたオヤジのタワ言聞いていると喧嘩自慢してる元ヤンキーのサラリーマンパパとどこが違うの?って思うだけ。現在進行形で戦えないヤツは信用ならない。戦わない理由をつけて現実逃避するヤツは視界にも入らない。自分は戦う気なんか全然ないのに、過激なこと言って人様を扇動しようとする小林よしのりなんか大っ嫌い!(“よしのり”って名前も嫌だ) 国家の品格だとか何だとかうまい理屈つけて国民に人殺しを奨励する戦争論なんぞふざけんなっ! ホラ吹きの武道家と対談してサムライがどうしたこうしたとかタワ言をほざくなっ!・・・っちゅうか、単なる誇大妄想狂の嘘つきオヤジを武術の達人だの現代のサムライだのと持ち上げてみせるメディアに巣くってる目ン玉腐った連中は全員、切腹しろ!

 要するに、誰もがみんな、本当は心の底で権力が欲しいんだよ。民衆に崇め奉られてみたいんだよ。そ~だろ? 「俺は本当は権力が欲しい~」って叫んでみろよ。スッキリすっぺ? いいんだよ。それが人間の本能に根差してんだから否定する必要なんかね~んだよ。
 だけど、嘘つくな。ムッツリスケベみたいにカッコつけんな。卑しい自分を隠すな。自分の分際をきちんと認識しなきゃ~本当の学びと変容は得られないんだよ。欲望と理性の間で葛藤しない人間は率先して死んでくれ。頼む!

(あ~、酒飲み過ぎてるな~、オレも・・・)

 武術だって、似てますよ。直接的に力を求めるからこそ、都合が悪くなったら暴力で相手を威嚇しようとしてしまう。ヤクザと大して変わりゃしない。いや、人格者のフリしてるだけタチが悪い・・・。

 一皮剥いたら私も一緒だけどね。いざとなったら暴力に頼ろうと思って稽古してるアブナイ変態ですよ。日本刀見つめながら「これで人間の首が斬れるかな~?」なんて発狂したことを当たり前に夢想しちゃうガイキチ連中の、私も立派なお仲間です! ゴメン!

 でもね、口先だけのヤツよりは、ちょびっとはマシだと思ってますよ。自分に嘘はついてないと思いますよ。人間は誰だって、生きていくのに何か武器を必要とするんですよ。多分。いや、きっと! でないと生きられない。これはもう好みの問題ですよね。生きるための武器に何を選ぶか?という問題だと思いますよね。思想を取るか、剣や銃を取るか、芸術を取るか・・・。

 それに、武器ってのはその背後に“権力”を持ってる訳。より威力のある“権力”を持ってる人に対して民衆はヘーコラしちゃうんですよね。で、ヘーコラされちゃうと人間って卑しい権力への欲望がムクムクッとわいてきちゃうイヤラシイ性(サガ)なのさっ。

 だから、反権力を唱えている人も「所詮、俺だって権力への欲求が裏返っただけなんじゃないのかな~?」・・・ってなことを認めてしまうと、とっても楽に生きられまっせ?

 答えが出てる人間なんて、多分、どこにも存在しない。悟り澄ました大僧正にある武術家がいきなり真剣振りかざして斬りつけていったら、絶叫して逃げた・・・という話を聞いたことありますけど、まあ、そんなもんでしょ? 人間だもん。痛いの嫌だし死ぬのは嫌でしょ? 人間なんだからさっ・・・。

 私が武術やり続けてきたのは、やっぱりコンプレックスが根強かったからなんだと思うんですよね。“普通の人”として“普通に生きていく”という覚悟が私には無いんですよね。弱い自分を認めたくなくて、普通に仕事して普通に結婚して普通に人生送っていく勇気が無くて、ズルズルズルズルとオタク道を這いずって生きてきて、“異人”への憧れが強過ぎて、自ら異人になろうとしてきたのかも知れない。そのための武器として武術をやらずにおれなかった・・・というのが真相かもしれない。

 異人と言うと解りづらいでしょうから、ヒーローという言葉に置き換えてもらうと分かりやすいかもしれませんね。まあ、“超人願望”に近いかもしれません。

 う~む・・・何か、いろんなこと考えちゃったな~? 最近、さっぱり、もの考えてなかったからな~(頭イテェ~。二日酔いか?)。不思議なパーティーですね。

 鹿肉のシチューとか烏骨鶏のスープとかお酒もメチャ美味かったし、本当に参加できて良かったです。本を贈りそこなっていた『ウミヒコヤマヒコマイヒコ-田中泯ダンスロード・イン・インドネシア-』の油谷監督にも本を渡せたし、プランBがいかに由緒ある芸術活動家の拠点であるか?ということの一端も知れました(知らんかったよ・・・)。

 仕事が残っていたのと、やたらからむオジサンがいた(経験上、こういう人に何故か好かれて「おいっ、俺と勝負しようぜっ」と挑んでこられる確率90パーセント越え)ので3時間程で先に帰らせていただきましたが、非常に密度の濃い一日でした。

 でも・・・土方さんも、こんなに愛されて幸せな人だよな~。愛がある人だから愛されるんでしょう。私が死んだ後も、こんな風に懐かしんでくれる人がいてくれると嬉しいから、もう、あんまり敵つくらないようにしなくっちゃ・・・と反省しきり・・・。


PS;3月29日と30日に、東京芸術大学上野校美術学部構内で「-マルチチュード饗宴- ネグリさんとデングリ対話」というシンポジウム、イベントがあり、その中で田中泯さんの場踊りと座談会などがあります。詳細はwww.negritokyo.orgをご覧ください。

PS2;当日、新しくクエストさんから出たばかり(発売は3月19日です)のDVD『長野峻也 游心流 武術秘伝の活用』を石原志保さんに差し上げたら本出したばっかりですぐだから、驚いたような呆れたような反応でした。じゃんじゃん仕事して印税稼がないと十文字鎌槍と小宮四郎国安の二尺五寸の刀、分割で買っちゃったから・・・。でも、DVDのジャケ写真がね~。蟷螂拳の構えって、何か“化け猫ニャ~”みたいな構えでヘン過ぎるよな~。形意拳の三体式か八極拳の頂心肘の構えにしてくれればよかったのに。でももう、私はイロモノで売るしかしゃ~ねえなぁ~(とDVDの感想、どしどし送ってくださいませ。可能な限り、お応えしますです)。

(以上、一言、いいわけをしておきます。「私、酔っぱらって書いております・・・」)
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『田中泯/地を這う前衛』岡田正人写真展 感想

 日曜日の稽古が終わってから、会員さんと新宿に行きました。

 何をしに行ったか?と申しますと、田中泯さんの写真展が開催されていたので見に行った訳です。

 30年に渡って舞踊家、田中泯を追いかけ続けた写真家の岡田正人氏は、一昨年だったか亡くなられています。

 けれども、関係者の尽力で写真集も出版され、その作品は海外でも反響を呼び、今回の写真展も新宿のコニカミノルタプラザで開催されました。

 一週間前には泯さんの踊りとトークライブもあったそうですが、人数制限があるのと仕事時間と重なりそうだったので遠慮させていただいていました。

 が、受付で聞いたところでは、私のように考えて遠慮した人が多かったらしく、結構、余裕があったのだとか・・・難しいもんですね。

 さて、コニカミノルタプラザというのは、私は初めて足を運びましたけれども、ギャラリーが三つあるというのを知らずに、エレベーターから降りてすぐのギャラリーに入ったところ、どの写真にも泯さんが写っておらず、「アレ?」と思ったら、違うギャラリーでした。

 でも、間違ったからと言って、即退場しては失礼だと思って、そのまま拝見させてもらいました。カンボジアの人達を写した写真展で、先の泯さんのドキュメンタリー映画『ウミヒコヤマヒコマイヒコ-田中泯ダンスロード・イン・インドネシア-』を思い出しましたね。

 で、改めて岡田正人写真展のギャラリーに入ります。

 一昨年、確か小川町のギャラリーで拝見していたんですが、今回は違う写真が多く掲げられていて、新鮮な印象がありました。

 夢の島でゴミに埋もれて蝿がたかっている写真もあれば、海辺の岩の上で産み落とされたばかりの胎児のようになっている写真もある。

 森の中で土から這い出てきたゾンビか山童のような写真もある。

 暗黒舞踏の開祖、土方巽との舞台の写真では、まるでカリガリ博士と眠り男チェザーレか、フランケンシュタイン博士とモンスターか・・・といった趣があります。

 見る人に説明のつかない不安と恐怖を感じさせる異形の象形の中に、微かな甘美と安寧を交えて人の理性、合理性を侵食し破壊し尽くす<魔>を観じつつも、その本質に優しい慈愛の眼差しが隠されている・・・そんな不思議な土方氏の瞳の先に、デク人形のごとく放心した田中泯の“抜け殻”が佇立している・・・そんな舞台の磁場さえ写真に封じ込められている。

 芸術を語るには、私はあまりに無粋に過ぎる。ただ、観て感じるのみ・・・。


 写真展を後にして、レア物ビデオ、輸入物DVDのショップを覗く。と、先日まで何本も残っていた土方巽が出演したカルト怪作と誉れも高き石井輝男監督の『江戸川乱歩全集-恐怖!奇形人間』の海外版DVDが売り切れ状態・・・。

 お目当てのDVDが売り切れでは「さっさと帰ろうかな?」と思いつつも、せっかくだから店内を見回すと、若山富三郎先生版子連れ狼の第一作と二作のアクション・シーンを中心に強引に合体編集したという悪名高きハリウッドのB級映画帝王ロジャー・コーマンの『ショーグン・アサシン』のジャケ画のイラストがデデ~ンとプリントされたお馬鹿Tシャツが目に入った。

 他にもルチオ・フルチの大傑作?ホラー『サンゲリア』の腐乱ゾンビとか、“着て歩いたら十戒の海が割れるシーンみたいに人が避けること確実”な悪趣味Tシャツばかり。

 でも、若山先生を心の師匠と敬愛する私は、「これは買わねばならん!」と、即買いしたぜよ・・・。今度のセミナーは、コレを着てやりますっ!

 お次ぎは、そのまま足を延ばして、Gunショップへ・・・。

 ここは射的場もあるのだとか? 前から欲しかったスイスの名銃“SIG P210-6”のガスガンを購入。何とコレは本物用のGunケースに納められているのです。

 早速、射的場で買ったばかりのSIGを試射・・・10m先のスチールプレートに8mmBB弾がスカーンッ!と命中。ヨッシャーッ! 続けて撃つ・・・と、BB弾がヘニョンッと右斜め上にスライス・・・次もスライス・・・ありゃ~?

 8連発を三回撃ったけれど、3~4回しか狙ったところに当たらなかった。弾道を確認してみたけれど、明らかに弾道が安定していない。

 原因として考えられるのは、「1,ガス圧が一定して射出されていない。2,ブローバックして戻ったスライドのリコイル・スプリングが強過ぎてBB弾がチャンバーの定位置に送られず、弾道が安定しない。3,銃身が短過ぎて遠射に向かない。4,新品なのでパーツの噛み合わせが馴染んでいない。5,BB弾が重過ぎる(or軽過ぎる)。6,新開発LD-2システムが未調整」の6点が考えられます。

 エアガン、ガスガンを撃つのは久しぶりだし、10m先の標的を狙うのも随分と久しぶりなんですが、思った通りに当たらないと、マニア魂が燃えてきますね。

 それに、SIG P210-6という銃は、精密機械加工で世界に冠たるスイスの銃で、命中精度の高さが有名な機能美を極めた拳銃です。

 この程度の性能では納得がいきません。10m先の直径10cm程度のスチールプレート程度は全弾軽く命中してくれないと困る。そうでないと手裏剣の名手には勝てない。8発中1~2発は現に当たるんだから、調整すれば全弾当たる筈ですからね。

 実は、游心流の稽古にエアガン、ガスガンの射撃訓練も採り入れていくつもりでいまして、ゆくゆくは年一回はグァム島とか旅行して一通りの実銃は使いこなせるようにしたいと思っています。

 実際、ガスガンの射撃大会で優勝している人がアメリカの実銃射撃競技の世界でも活躍するようになったりしているし、アメリカの特殊部隊が訓練で日本の電動エアガンを使ったりしているんですよ。

 だから、体術と武器術を一体化した現代の武術を突き詰める時に銃を無視する訳にはいかない。海外のマーシャルアーティストはほとんどそこまで考えているでしょう?

 日本の武道家だけですよ。形式主義の中で平和ボケしたまま実戦?を語ってるのは・・・。今こそ、「武芸百般何でもゴザレ!というが真の武術でR!」と、私は声を大にして言いたいですな~。

PS;クエストから発売予定の游心流新作DVDのニューリリースが出ていました。でも~・・・ジャケ画の写真に使ってるのが蟷螂手で構えている写真なんスけどぉ~、『魔界転生』のクライマックスで江戸城の中で魔界衆の正体を現して大殺戮を始める若山先生が「お化けっぽい仕草を考えた」とポーズを決めた柳生但馬守みたいなんスよ・・・三体式(形意拳)とか頂心肘(八極拳)とかのポーズの方が良かったと思うんですけどね・・・ウ~ン。
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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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