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秋本先生初著書『どんなに体が硬くてもペターッと前屈できる本』

秋本先生初著書『どんなに体が硬くてもペターッと前屈できる本
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 健康雑誌で有名なマキノ出版から謹呈本が贈られてきたので、「あれっ? 俺はマキノ出版さんとは関係ないけどな~?」と思いつつ、開封しました。

 すると!

 何と!

 秋本つばさ先生の著書ではないですかぁっ?

 少し前に著書を書いたと聞いていたんですが、私は秋本先生が関係しているベースボールマガジンから出るものとばかり思っていたんですね~。

 でも、恐らくマキノ出版から出た方が広がりがあるんじゃないかな~?という気がしますね?

 スポーツ関係よりも健康関係の方が需要がありますから。

 確か、以前に「秋本先生も本出すといいですよ」とアドバイスした記憶があったんですが、いろんな資格を持っている秋本先生ならではのシンプルで解りやすい構成で感心しましたね~。

 しかも、体質別に分けてストレッチ・メニューを解説しているところが、そんじょそこらの本とは根本から違いますね~。

 モデルも秋本先生自身がすべて演じていて、衣装も変えたり、実にきめ細かく実用解説書として工夫してあります。

 昨年、つばさ基地のアクションパーティナイトにお誘いして紹介した『デボラがライバル』『プラトニックセックス』『ダンボールハウスガール』などの映画の松浦雅子監督は、秋本先生を一目見て、「う~ん、できる・・・」と、剣豪みたいなこと言っていましたが、この本を見せたら何と言われるかな~?と思いましたね。

 素晴らしいっ!


 それと、話は変わりますが、東映チャンネルで『ハイキックエンジェルズ』を見ましたよっ!

『仮面ライダー・アマゾンズ』にも出演し、過日のアクションアワード2017にも出ておられた宮原華音さんのデビュー作で、子安慎悟先生が出演しているということで、ドキドキして見ました。

 冒頭、何となく、懐かしいような気がしたんですが、何か『セーラー服忍者』と作風が似ている?と思いましたよ。

 ただ、ガールズアクションとしては完敗だ・・・と思ってしまいました。グッスン。とても、ここまではできませんよ・・・。

 やっぱ、西監督のアクションへの拘りには、ながせき監督では太刀打ちできないかな~?と、そんなことも考えてしまいましたけどね。

 で、宮原さんのライバル的仲間で出演している青野楓さんの長~い脚でのキックも良かったんですけど、何か痣だらけになっているのは、マジで打ち合ったせいなのではなかろうか?と思うと、西監督、相変わらず鬼ですな~?と思いました。

 私的には、高田馬場の書店で話しかけられた経験がある子安先生の演技にドキドキしながら見たんですけど、ずっと無言で一言もセリフがありません?

 やっぱ、芝居経験が無いとそうならざるを得ないよな~?と、『セーラー服忍者』で同じようなポジションを演じた私は、一人、納得したのでした・・・。

 でも、ベニー・ユキーデとジャッキーとの対決を思わせる青野さんとの対決シーンでは子安キックも見せてくれて、やはり存在感はピカイチでしたね!

 しかし、痛そうだな~?

 何か、主題歌がどっかで聞いたことがあると思っていたら、『北斗の拳2』だったかの主題歌なんですね~?

 自主映画っぽい雰囲気が逆に可愛らしい作品ですね?

 えっと、それと、5月21日だったか? 岩槻映画祭で『セーラー服忍者』が再上映されるそうです! うちの会の千葉さんも初監督に挑戦した『面影』という短編作品を出してますので、宜しかったら是非!

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本の感想

 最近、小説のお仕事が立て込んでまして、ブログの更新が遅れております。ごめんなさい!

 やっぱり、金になる方を優先しないと定収入の無い自由業(無職?)の人間は大変なことになりますからね~?

 デビューしちゃえば、こっちのものだと思ってるんですが、現在の小説新人賞取ってデビューしても光の速さで消えていく人が9割りというムチャクチャな現状では、あれやこれやと戦略を練らないといけないのですよ。

 まあ、戦略というのは手の内晒すと無効になってしまうので、書きませんけどね?

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 高瀬將嗣先生の新刊『技斗番長活劇戦記・実録日本アクション闘争記』(洋泉社)も、町田や相模原の書店を探し回って、ようやく発見(橋本の駅ビルの有隣堂さんにあった!)したので、遅ればせながら感想を書かせて戴きますです、はい。

 結局、高瀬先生の監督作『昭和最強高校伝 國士参上!!』も、劇場に観に行きそびれてしまって残念だったんですけど、私は元々、作品を作る側にいたい人間なので、映画製作の裏事情について書かれている今回の本は非常に楽しく、一気に読めました。

 特に私的には、第四章の「アクションは武道ではない!」のところが、やっぱり一番、関心をそそられるところでしたね。

 何しろ、去年、自分でやってみて、確かにアクションと武術は全然別物だよな~?ということを痛感したので、尚更でした。

 だって、自分でまあまあかな?と思ったのは三手くらいしかありませんでしたからね。

 概ね、うちの会員は誉めてくれましたが、高瀬先生の殺陣講座で勉強させてもらった小塚師範なんて、細かいところダメ出ししますからね? それが全部、的確なんでギャフンとしましたもん。

 自分としては若山先生とまではいかずとも、必殺仕事人激突!の滝田栄さんのように重厚な殺陣を・・・と思っていたんですが、やっぱ、無理でした。

 やっぱ、アクションは芝居ですよ。演技力が伴わないとダメ!

 顔見えないから、まだ大丈夫でしたけど、もし顔見えてのアクションだったらテレ~ッとしちゃって、全然、ダメだったでしょうね~?

 その点、主役の鶴巻さんは本当に芝居が上手くなってましたよ。今年の夏も岩槻で撮っている様子を見ましたが、毎回、レベルアップしていってます。


 さて、それで第四章で特に面白いと思ったのは、武道理論でかつて一世を風靡した玄和会の南郷継正先生のアクション批判に関して見解を述べられている点でした。

 私より年長の武道修行者しか読んでないと思いますが、南郷先生の『武道の復権』でのブルース・リー批判は、情報が古かったというのを差し引いても勘違いとしか言えないと思うんですよね?

「ブルース・リーの空手は初段クラスでしかない」と断定していたところなんか、現在の武術通の人達が読んだら吹き出してしまうでしょう。

 だって、ブルース・リーは空手家じゃないし、詠春拳を中心に、周氏蟷螂拳、節拳、蔡李佛家拳、太極拳、シュアイジャオなどの中国武術を相応に修練し、アメリカに渡ってからは、ダン・イノサントからフィリピノマーシャルアーツのカリや、インドネシアマーシャルアーツのシラットを学んだり、ムエタイ、ケンポーカラテ、テコンドー、サンボ、合気道、ボクシング、レスリング、フェンシングなどを貪欲に実践研究して截拳道(JKD)を創始した新派の武術家として活動していた訳ですよ。

 で、弟子にはスティーブ・マックイーンやジェームス・コバーンといった第一級の俳優や、脚本家のスターリング・シリファントとかが居たし、『死亡遊戯』のノッポさん、カーリム・アブドゥール・ジャバールもリー先生の弟子だったんですよね。

 そして、アメリカの武道界のドンとも呼ばれたケンポーカラテのエド・パーカーに認められてロングビーチのトーナメントで特別招待演武をやって、そこで伝説のワンインチ・パンチを披露したのは有名な話です。

 それに、アメリカでテコンドーを普及したジューン・リーとも親しく、言うなれば、アメリカの武道界で知る人ぞ知る偉才だった訳。

 その上、老子、荘子、孫子、孔子、スピノザ、クリシュナムルティーといった哲学者の思想に傾倒しつつ、自己啓発の成功哲学(ナポレオン・ヒル)なんかも研究する非常に知的レベルの高い人だった訳です。

 こういうブルース・リーの武術や哲学に関する側面については、オルタナパブリッシングから『ブルース・リー思想解析』『ブルース・リーからの手紙』といった本が出ていますから、是非、読んでもらいたいですね。
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 また、『ブルース・リーの実像』という関係者へのインタビュー集は非常に面白いですよ。
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 こうした情報は未だに日本では知られていなくて、ブルース・リーはアクション俳優という認識しかないでしょう?

 とんでもない誤解ですよ。

 リー先生は文句のつけようがない正真正銘の武術家であり、本人も言ってるけど、映画はプロパガンダだった訳です。

 そっちの才能が傑出していたから注目されたけど、欧米のマーシャルアーツ雑誌で未だにリー先生の特集が組まれ続けているのも、JKDという流儀の創始者という武術家として評価されているからなのを、何故か日本の愛好家は理解できないんですね?

 日本人で言うなら、藤岡弘、さんが近いかもしれませんが、世界の隅々にまで知れ渡っているという意味で比較することはできないでしょう。

 敢えて言うなら、もし、宮本武蔵が現代の武術家だったら、ひょっとするとリー先生みたいな活動をしていたかも知れないですね? そんな武蔵像を描いているから、私は『刃牙道』が刃牙シリーズ中で一番、面白いです(寸勁斬りもやってるし?)。
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 南郷先生は空手家という自認の下に合気道や柔道、剣道、杖道なども修行されたように著述されていますが、一体、誰にどのように学んだのか?ということを明確に書かれていないのは疑問なんですよね?

 空手は玄制流を学ばれたと聞きますが、一口に空手と言っても、首里手と那覇手は相当な違いがあるし、本土に渡って以降の空手道も違うでしょう?

 で、空手の源流である筈の福建省に伝わる拳法(白鶴拳・太祖拳・五祖拳など)と沖縄空手との技術的比較研究はまだまだ充分とは言えない中で、一体、何を基準にしてレベルを測れるのでしょうか?

 この章で高瀬先生が述べられている事柄には私もほぼ賛成です。

 剣道にしろボクシングにしろ、竹刀や刀、グローブが技の稚拙さを補ってくれるというのは誤解でしょう。

 むしろ、逆にごまかしが効かないと思いますよ。

 構えた姿で実力が判らないようでは専門家ではありませんよね? 道具を持つということは、実力のレベルを拡大してしまうんですよ。つまり、サマになっているかどうか?

 例えば、息子さんは相応の実力者に見えますが赤羽先生は写真を見ると下手です。本を書いて理論を提唱していると自分が凄くレベルが高いように錯覚してきてしまう(私なんかもそうですよ)のですが、写真はごまかせないですよ。師匠の加藤先生は実力者なのに胡散臭く見えてきてしまうのだから、恐ろしいですね。

 無論、以前から言ってるように、超一流になると一見して下手に見えたりするから、これは一般的なレベルでの実力の話です。

 空手は素手だから難しいというのも、どうでしょうか?

 かつて、士道館の添野館長がマイケル・ジャクソンに段を与えたのを批判した空手関係者が大勢いましたが、添野館長は、「本当に上手いからあげたんだ」とコメントされていました。

 私もそれが事実だろうと思います。

 プロのダンサーの身体能力はずば抜けており、形など教えれば、すぐに師範クラスに演じることができるでしょう。

 そして、空手の本質は形の中に有る・・・というのが沖縄空手の主張ですよね?

 つまり、組手の練習をするより形の中に秘められた理合を教えれば、十二分に戦えるという訳です。

 南郷先生の言いたいのは、量質転化の法則であり弁証法唯物論の理論でしょうが、ちと教条的独善思想に陥り過ぎていると思います。

 少なくとも合気武道や太極拳はそうした理論とは別の上達論がありますし、勝負論もまた違います。優れた先生は少なからずいらっしゃるのだから、決めつける前に教えを受けてみれば良いと思うのですが・・・。

 中里介山の話も面白かったですね~? この人、確か国井善弥先生にも習ったんじゃなかったかな? 作家も中途半端に齧った人に限って、第一人者みたいに自己肥大しちゃいますからね? 悪い意味ではなく、作家って、もともと誇大妄想の資質がある人が多いですから。

 ちゃんと修行してる人は謙虚だし頭ごなしに他流を否定したりはしませんよ。

「長野は甲野先生をボロクソに非難してるじゃないか?」って思った方・・・それは違います!

 私は、「甲野氏は武術を利用して売名欲を満足させたいだけの人」という事実を指摘しているだけ! 戦いを考えない武術家なんて論外でしょう?

 事実でないと言うのなら、ちゃんと反論してくださいね?

 あっ、そうだ! これは書いておかなくちゃいかんと思うんですが、『燃えよドラゴン』でリー先生の代わりにバク宙キックしたのは、ユン・ピョウではなくユン・ワーだった?という説もありますね?

 ユン・ワーって、『カンフーハッスル』の大家さんとか、『サイクロンZ』のカマキリ工場長とか、『ドラゴンタイガーゲート』の龍虎門の師範を演じてた人です。

 それと、“強いだけならブルース・リャンが上”って高瀬先生は断定されてましたけど、それは明確に誤解されてると思います。前述したように、リー先生は武術家としての格が違っていたのです。

 一定水準以上になった武術家を喧嘩の強さで比較するのは無理がありますよ。

 確かにテコンドー・スタイルの蹴り技だけ比較したらブルース・リャンのほうが上に見えるかもしれませんが、総合的戦闘技能はリー先生がずっと上だと私は思います。

 あの『ヤングマスター』の蹴り技の名手、ウォン・インシックも最初はリー先生を嘗めていたけど実際に技を比べてからリー先生を尊敬するようになったそうです。

 それと、私が武術空手の大家と尊敬する賢友流の友寄隆一郎先生も、実はリー先生を高く評価していたのです。弟子が一万人以上いる流派を率いる空手家でリー先生を高く評価している人って、他にいるでしょうか?

 ほとんど聞いたことがありません。大抵の空手家が南郷先生と同様に「ブルース・リーは大したことはない」と思っているでしょう。

 友寄先生は中国武術も高手でした。抜き身の妖刀村正みたいな先生でした。そんな先生が高く評価しているのは何故か?

 それは、通常の空手とは違う勁力の遣い方をしているのを見抜いていたからですよ。

 この点は外見に見えにくく、受けてみないと威力の質が違うことが判らないので、日本武道しかやったことのない人だと、まず百パー、納得してくれません。

 中国武術もスポーツとしてやっている人だと教えてもらえないからできない?という問題点があるので、「中国武術は弱い」というイメージばかりが広がってしまうんですね。

 私は研究家なので解明しました。発勁は自由自在に打てます。しかし、「あっ、これって本気で打ったら死ぬな?」と確信したので、いつも危険が無い程度にセーブして飛ばすようにしています。危険が無いように打つのって逆に難しいんですよ。

 しかも、これって素人に教えても、そこそこの威力が簡単に出せるのが問題なんですよね~?

 別にハッタリじゃありませんよ。事実だから書いてるだけ。

 爺ちゃん婆ちゃんが健康体操としてやってる簡化24式太極拳だって、私がレクチャーしたら“殺人タイチー”に早変わりしますよ!

 だからこそ、武術には“秘伝”があるのです! 広まったら危険だと思ったんでしょうね~?

 前にも書きましたけど、青木宏之先生と松田隆智先生が会った時に、松田先生に「技を広めないと駄目です」と熱く説得していた青木先生が、松田先生の発勁を体験した後、「う~ん・・・これは広めないほうがいいかもしれないな~? こんなの受けたら内臓がグチャグチャになっちゃうぞ? これは日本の武道には無い打ち方だよ」と私に耳打ちされていました。

 一撃必殺の突き技を追究して新体道を創始した青木先生が言ってる訳ですよ。

 もっとも、私は日本の武道にも本来はあったと思います。古流の当身は発勁と同質だし、沖縄空手の裏当てとは発勁(浸透勁)のことだと思います。

 リー先生の発勁は詠春拳に太極拳が少し混ざっている感じですが、60kgそこそこの体格で巨漢のアメリカ人をぼんぼん吹っ飛ばしていた事実を鑑みても、相当なレベルに達していたのは疑う余地がありません。

 普通は体重が倍の相手には全然勝てないでしょう? 格闘技の概念では。

 でも、武術なら問題なくできるんですよ。日本でも伝説的な達人と言われる武田惣角、西郷四郎、塩田剛三、植芝盛平といった人達は小学生並みのタッパだったでしょう?

 リー先生もアメリカでは子供みたいな体格に過ぎません。それでいて、JKDがあそこまで広まったという事実を鑑みないといけません。

 もっとも、探究心が強過ぎたのが寿命を縮める結果に繋がったのかもしれません。神経伝達スピードを速くするために脳に電流流してたりした・・・というのは健康を害する結果になるのが自明でしょう・・・。


 ついつい、批判的になってしまいました。高瀬先生、失礼しましたっ!

 いや、しかし・・・何か、結構ページ数あるのに、読み始めたら、あっという間に読み終えてしまいましたよ!

 特に、殺陣師の相関系図とか、現在のアクションクラブの系統図とか、私にとっては非常に資料的にも知りたいところが書かれていて助かりました!

 いずれ、殺陣アクションと武術に関する本を書いてみたいと思っていたので!

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武術と武道と格闘技

『大武道(OH!BUDO)』を買ってきて読みました。

 元格闘技通信と元紙のプロレスの編集長が組んで創刊したムック本でしたね。

 どちらの雑誌も、基本はプロ格闘技の専門雑誌でしたから、この『大武道』も、根本的には武道ではなくプロ格闘技の雑誌としてやっていこうとしているように思えました。

 コンセプトとしては、プロ格闘技の新たなブームを作るには“武道”という思想的な概念が必要なのではないか?という企画意図があったようですね。

 なので、実際に武道をやっている人間が読むと、かなり違和感を感じます。

 つまり、『厳流島』という“プロ格闘技イベントのプロパー”として創刊されたムックであって、別に“武道”という文化そのものを探究する専門雑誌にするつもりはさらさら無いのが読めてしまうからです。

 私は格闘技は嫌いではありませんし、格闘技を修行している人達にも尊敬の気持ちを持ちますけれど、“興行”というビジネスに組み込まれてしまっているプロ格闘技の選手として一所懸命にトレーニングしている人達は、どうにも気の毒に思えてしまいます。

 格闘技の純粋な探究と、興行のためのショー化は本来、意味が違うのではないかな~?と思うからです。やっている人達は、目先の“強さ”を求めて視野狭搾に陥っていることを自覚していないでしょう。

 古代ローマのパンクラチオンや、タイのムエタイ、プロボクシングやプロレスもそうですが、ショーとして見せるエンターティンメント性ビジネスとなれば、そこには多少なりとも演出や演技が入ってくる訳で、それを「真剣勝負」と認識することは何か根本が違うと思いますね。

 むしろ、完全に演技と割り切って、芸術性や芸能性を追究する殺陣アクションが、スポーツの枠組みを脱しているように思いますし、“健全”でしょう。今夏、自分でやってみて、尚更、芸道として確立されているジャンルなんだと思いました。

 抽象概念としての“強さ”を求める呪縛から解放されて、ダンスのような身体表現の芸術になっているから“健全”なんですよ。

 私も道場経営している人間ですから、ビジネスが悪いと言うつもりはありませんが、何か目的がズレていってしまうのでは問題があるな~?と思うんですよ。

 武道は、既に現代日本でビジネスモデルにされてしまっている面があるので、どんどん本質から離れて建前としての精神論と、競技に勝てる技術ばかりを残す形式になってきています。

 いや、その点を疑わない人も多いのではないでしょうか?

「試合に勝って強さを証明する」というスポーツの論理に組み込まれてしまっている訳で、“競技試合”が目的化されているのです。

 そこでは、武道はスポーツとして微塵も疑われなくなっていますが、これは西洋の文化に日本の本来の文化が侵食されてしまった結果だと思います。

 もともと、武術は兵法と同義であり、いかに効率良く敵を抹殺するか?を研究して発達してきたものです。そこに年齢とか体格とか体重とかはまったく関係ありません。

 そもそも、命懸けの戦闘に平等な条件はあり得ないからですし、見物して楽しむためのものでもありません。戦争映画は虚構だから楽しめるのであって、ドキュメンタリー映像で戦争で人が木っ端微塵になる様子を楽しんで見れたら、それは精神に異常がある証明にしかなりませんよ。

 血みどろで闘う格闘技を「実戦的だ!」と喜ぶのは、もう変態性欲の持ち主でしかないでしょう。こういう人間が暴力事件を起こしても驚くには値しません。弱い者を救いたいと思う人間でないとキチガイに刃物ですよ。


 さて、よく誤解されがちですが、鉄砲が入ってから武術は廃れたと考えられていますが、事実は違います。鉄砲も武術化したのです。

 西洋では鉄砲は火繩式(マッチロック)から火打石(フリントロック)や燧発火式(ホイールロック)を経て、雷管式(プライマー)となり、19世紀半ば過ぎに薬莢(カートリッジ)が開発されてから連発が容易になって急激に発達して今に至ります。

 が、日本では幕末に独自に雷火式が発明されるまで火繩式が使われ続け、火繩式に関しては世界で最も研究されて数多くの流派が出ました。

 しかし、海外で鉄砲の流派というものはあまり聞きません。鉄砲そのものが改良され続けて一般化したからです。そこには武器の進化しかありません。

 日本では、どうして武術化したのか? それは、鉄砲が新しい武器だったからです。刀や槍、薙刀、棒などに対するに、弓矢や手裏剣よりも遠方を狙える“武器”として武術の中に採り入れられた訳です。

 どうも、格闘技をやってきた人達が一番、誤解しやすいのが、この点のようです。

 武術は本来、“武器を用いて戦う戦闘術”だということです。

 素手で闘うのは、相撲のような祭礼儀式的な遊戯であり、軍事訓練の一つでもありましたが、そこから武術が発展した訳ではありません。

 日本で素手の武術が発展したのは、戦場で武器が無くなった時に最後の手段として組み討ちで戦う必要があったからです。

 その証拠に、ほとんどの柔術流派が、剣術や居合術も含んでおり、最初の柔術流派とされる竹内流に至っては総合武術流派として剣・居合・棒・槍・薙刀・手裏剣・整体活法・捕縄・十手に気合術や霊術(エクソシズム)まで含まれています。

 戦国時代に発祥した天真正伝香取神道流も、剣術がメインではありますが、居合・棒・薙刀・槍・手裏剣も含みながら、柔術も採り入れています。

 現代武道のように空手なら突き蹴り、柔道なら投げと固め、剣道なら竹刀で打ち合う・・・といった形態とはまるで異なるという事実を、もっと理解していなければなりません。

『大武道』では、このような現代武道の根底にある本来の武術性について評価する視点がまったく感じられませんでした。

 実際に柳生心眼流を学んでいる平さんや、武道武術に造詣の深い山田編集長も取材されていましたが、インタビューの聞き手の質問に問題があるのか、そういった“武術性”については、ほとんどくみ取られておらず、語られてもいないのです。

「達人は本当にいるのかどうか?」といった、格闘技ファンが考える神秘のイメージでしか語られないので、結局、強いか弱いか?という競技試合の観点に話が戻ってしまうんですね?

 平さんはもともとプロ格闘家だったので、武術マニアがプロ格闘技をなめたような発言をするのを苦々しく感じているのが明白でしたが、ほとんど格闘家の視点に戻っていましたね。

 武術の代表として、この期に及んでフェイク武術の代表である甲野さんを取材する時点で、何も理解していないのがバレバレなんですが、“武道”という言葉を掲げているだけで、武道そのものへのリスペクトが欠落しているのは明白でしょう。

 それでも、私は「しょうがない」と思っています。

 実際に武道家と呼ばれている先生方を取材しても、納得できるような答えを論理的に示すことのできる人は皆無に近いでしょうし、それができる先生は取材そのものを受け付けないと思います。

 真に武道武術を探究している先生方に共通するのは、「わかってない人間はまともに取り合わない」ということです。無視したり叱責したりするか、あるいは、「こいつに何を話しても無駄だな」と、テキトーにおだてて何も見せずに帰してしまうか? そういうものですよ(私もそうやってますから・・・)。

 だから、本当に凄い先生って、案外、メディアに出てこないんですよ。いっぱい出てるから本物か?というと、まったく逆で、自分で売り込みまくってたりするんですよね。

 そんな訳で、武道や武術を真剣に追究していれば、雑誌は作れないでしょう。仮に私が、「金出すからやれっ」て言われても断るでしょうね?

 難しいですよ。各流派を取材しても流派の歴史なんてもう捏造だらけですからね~(苦笑)。本当のこと書いたら、やっている人達が激怒するでしょう? だから、書けないんですよ。

『秘伝』なんて、よく頑張ってやっているよな~?と、最近、本当に偉いと思うようになりましたよ。物凄くニュートラルにバランス取って書いてる。私にはできない芸当です。「こりゃあ、ダメっすね~(苦笑)」って思った通りに書いちゃうし、あまりにもインチキで勘違いした相手だったりしたら、怒ってぶっ叩いちゃったりしますからね~、私は。

 つまり、武道について知らないから『大武道』と、シャレでできる訳です。

 知らないなりに、「知りたい」という欲求が根底にあるから創刊しようとした訳でしょうから、是非を論じても仕方がありませんが、雑誌を作るには金がかかるし、ビジネスとして成立させるには出版事業計画を建てなければなりません。

 そういう大変なことが必要なのを、私ももの書きの端くれとして知らない訳ではありませんから・・・。

 ただ、「もういい加減に、格闘技と武道、武術をいっしょくたにして考えるな!」と言いたいし、専門家も、「もうちょっと、ちゃんと勉強してから物を言え!」って言いたいんですね~。

 格闘技と武道は、競技スポーツとしての面で共通性がありますが、武術は競技スポーツではありません。

 では、武術は何か?と問われるのなら、“護身術”です!

 ただし、暴漢から身を護るだけが護身術ではありません。

 病気に罹らないための養生術・怪我を治す治療術・身体を強化する健身術・心を強化する瞑想術・危機を予測する察知術・敵の心を読む読心術・天地自然の理を読む観相術・・・や、あらゆる武器を使いこなす武芸百般の腕も必要です。

 気功や呼吸法、整体や薬方、食養、易や風水気学、そして、ありとあらゆる武器術の修練や武器の製作法なんかも勉強するのが武術の考える護身術なのです。

 何故、そんなに膨大な知識が必要なのか?というと、生き残ることが大前提だからなんですね?

 格闘技の試合だったら、「相手が強かったから負けても仕方ない」と言えますが、武術の勝負は基本的に“負けたら死ぬ”という状況であって、“競い合う”という概念は皆無です。当然、強いとか弱いとかも関係ありません。

 相手が自分より強くても勝たなきゃいけない場合が“当たり前”なのが武術の想定する実戦なんです。よって、できるだけ勝負は避けるのが基本ですし、強さの確認じゃなくて、「生き残るためにはどうすればいいか?」が前提としてあって、その上に確実に勝ち残るための戦闘術がある訳です。

 プロ格闘技の場合は、“負けたら飯が食えなくなる”という状況があるかもしれませんが、即座に死ぬことには直結しないでしょう。

 実戦をケンカと想定するのも、やはり、ちょっと違いますよね? ケンカで人を殺そうとは思わないですよ。普通。従って、殺傷力のある武器は使いません。

 逆説すると、人を殺そうと考える場合、素手で殴り合う人間は普通はいません。ナイフや包丁、金属バットくらいは用意するでしょう?

 致命傷を与えるには武器を使うのが確実だからです。

 ですから、護身術で一番に考えなくてはならないのは、“対武器”なんですよ。

 素手の武道や格闘技をやっている人間は、この認識が非常に乏しいようです。皆無に近いと言っても構わないくらいですね?

「刃物や鉄砲を相手にするなんか考えるのがナンセンスだ」って言い切ってしまう武道家も普通にいますが、本来は、そこが肝心要な点なんですよ。そこを考えないで武術だの武道だの語るも愚かです。平和ボケの極致!

 わかりますか? 武道家が一番、平和ボケしている?って、それこそナンセンス・ギャグにすらなりませんよ。笑えないよな~・・・。

 恐らく、日本がアメリカみたいな銃社会だったら、「銃道」みたいな武道があったでしょうね?

「そんな訳あるかい?」って思った人は、何かお忘れではないでしょうか?

“銃剣道”ってあるでしょう?

 どう考えますか? 明らかに軍事教練の産物ですよね?

 ライフル型の木剣は、小銃にバヨネット(銃口近くに装着するナイフ)を装着したものをモデルにしていますね? これって完全に軍隊の野戦体術の発想でしょう?

 銃は、弾が尽きたら鈍器として使うくらいしか武器としての効力がありませんが、ナイフを装着していれば接近戦闘にも応用できます。

 この発想で、アラン・ジッタという人が考えた“ストライクガン”というのがあって、これはコルト・ガバメントM1911をベースに、銃口やグリップ下に打撃用のスパイクがデザインされていて、『リベリオン』のガン=カタに登場するクラリックガンの元ネタになったものです。

 OK牧場の決闘で有名な名保安官ワイアット・アープが使用したと言われる、異常に銃身が長いコルト・シングルアクション・アーミー45・バントライン・スペシャルも、実際に撃つより長い銃身でぶん殴っていたとか?

 映画『黄金の犬』で地井さんが演じた残虐非道な殺し屋が使ったナックルダスターガンというのも、弾が尽きたらナックルダスターで殴ったり、ナイフで切ったりする実在する珍銃でした。

 日本や中国の武術にも、こういう珍奇な隠し武器、暗器は沢山ありますし、宮本武蔵が晩年、刀を差さずに歩いて、「流石は名人だ」と言われながらも、実は懐に斧刃状の懐剣という握り武器を隠していたとか・・・武器というものは武術にとって必要不可欠なものだったのです。

 武道や格闘技を愛好する人は、大抵、こういう武器に関する話を嫌がるものですが、刃物を持った通り魔に遭遇して逃げるしか能がないような武道家や格闘家の実戦論なんか聞く意味があるんでしょうかね?

 まして、武装テロリストに捕まって、為す術なく斬首されてしまうとしたら、何のための武道や格闘技の修行だったのか?と、私は思います。どうせ殺されるのなら、敵の銃を奪って一人でも多くのテロリストを殺した方が、世の中の平和に貢献できると思うのは私が特殊過ぎるんでしょうか?

 私は、戦うべき時に戦える人間でありたい。そのための武術修行であり、同じ志しを持つ人に戦い方を教えるべく研究している訳です。

 競技で自己満足の強さを獲得したい人は、そういう道場を選べばいいと思うんですけど、それだけで満足できる人達の気持ちが私には理解できませんね。

 私は人を救けられなくて悔しい思いをしたことが二回あります。

 一度目は中学の時で、二度目は24歳くらいの時でした。

 試合に負けたりしても大して悔しくはないんですが、人を救けられなかった悔しさはずぅ~っと残りますよ。

 だから、爺さんになっても、義を見てせざるは勇無きなり!の精神を保てるように武術の研鑽を生涯続けたいんですね・・・。


PS;31日の隔週木曜のメイプルホールの稽古はお休みです! 間違って、来ないようにお願いしますね。新年は14日から始めます。3日の日曜本部稽古は普通にやります!(ブログ担当追記:1/2土曜日11:00から本部道場稽古あります。いつも通り10:30にJR横浜線淵野辺駅集合です)

PS2;質問があったのですが、『武術極意特別講習会』DVDは、セミナーや講座でも値引きできません。秘伝をいくつも喋ってしまっているので、安くして広まると問題が生じるかもしれないので・・・。また、同じ理由で、予告無しに販売中止するかもしれませんので、御了解ください。

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ツマヌダ格闘街にあの技が・・・

 土曜日の橋本支部の稽古会(北島師範指導)には、近いことから、私もちょくちょく顔を出しているんですが、24日は参加している会員のNさんが、『ツマヌダ格闘街』の最新刊(なのかな?)をもってきて見せてくれました。

「これは、長野先生の技だと思うんですけど~」と、微笑みながら見せてくれた箇所は、ドラエさんが畳表を巻いたマキワラを日本刀で試し斬りするシーンでしたが、何と!

 振りかぶらずにマキワラにピタッと刃を当てて、そこからシュパパパーンッと斬って見せるのですぅ~。

 確かに、これは私しか発表していない“寸勁斬り”(私が命名してるんで、さも昔からある技の名前なんだと勘違いしないでくださいね? 寸勁って中国武術用語なんだし・・・)じゃあないですか?

 いやぁ~、これは嬉しかったですね~・・・。

 漫画の参考にしてもらうというのは、何とも言えない嬉しいものがあります。

 要するに、「これはカッコイイ技だな~」と、認めてくれている訳でしょう?

 それと、そのまま連続斬りにアレンジして表現しているところも心憎いです!

 以前も、雑誌で“寸勁斬り”と称して披露していましたが、全然、別物でガックリしたものでした。真似するんなら、オリジナルを超えるものをやらなきゃ~ダメでしょう?

 私は、この技をできるようになるのに、かなり試行錯誤を重ねたんですが、会員も三人できるようになりましたから、単なる見世物芸で終わってしまうのでは意味がありませんし、現在は寸勁斬りを発展させた実戦刀法を工夫している最中です。

 よく、「固定したマキワラが斬れても動き回って攻撃してくる相手と戦うのには役立たない。そんなものは見世物芸でしかない」と、偉そうに言う人もいるじゃないですか?

 でも、論旨は間違いではありません。

 自在に動き回って攻撃してくる相手を倒すのに役立たないと意味がありません。

 だから、寸勁斬りは実戦刀法の必殺技として研究してきた訳で、私は別にマキワラが斬れることを目的にしている訳じゃあないんですよ。

 じゃあ、何を斬るのか?

 それは、ヒ・ミ・ツ・・・(笑)。

 武器の研究は、素手の体術の研究にフィードバックさせています。これは、今度の特別講習会で初公開しようと思っています(まだ、空きがありますよ~)。

 ちなみに、『ツマヌダ格闘街』は『拳児』以来の武術技法の教本的な活用法もできる貴重な作品ですね。作中に出てくる“最速の空手の突き”をどうやるのか?と質問されたので、これもやり方を教えました。これも講習会で教えましょうかね?

 この作品の良さは、武術にしろ格闘技にしろ、作者が敬意を持って描いているところだと思いますね。単なるネタ扱いしていない。


 やっぱり、何事も、始めた時は「道は遠いな~? これ、本当にできるようになるかな~?」と思えるものですが、諦めずに地道に続けていれば、偶然、うまくできた瞬間があったりします。

「あれっ? 今、何で、うまくできたんだ?」と、その瞬間を再現するように試行錯誤を繰り返しているうちに、“うまくできる瞬間”から“コツ”が導き出され、その“コツ”を集積していくことで、最初は、全然無理だと思っていたことが、当たり前にできるようになっていくのです・・・。

 私は、手裏剣が一番苦手なんで、もうちょっと、上手くなりたいな~と思って、先日、早朝暗いうちに道場のゴミ出しに行った時に、ツイツイ1時間くらい練習したんですが、それまで、たま~にしか刺さらなかった三間の距離で続けて刺さり、「むむっ? こんな感じかな?」とか、手首の角度を注意しながら打っていたら、畳み針みたいに細いのでも刺さって、ちょっと驚きましたね~。苦手だからって敬遠していたら、一生、できなかったかもしれない・・・。

 これが、“技の修業”。

 そして、“技の修業”を日常生活にフィードバックさせて考え方や行動原理の規範とすることが、“武術の修行”なんだと私は認識しています。

 しかし、修行って、何かの形がある訳じゃありません。稽古を型通りに繰り返していればいいというのは、多分、間違いでしょう。

 けれども、間違いの中から真実に到達する人だっています。それは、恐らく、形式をルーチンワークとするのではなく、“型破り”に遣う身体感覚を持つ人でしょう。

 幕末のある人斬りは、「剣術の修行をした人間ほど斬るのが容易だ」と言ったそうですが、それは、戦い方がパターン化しているからでしょう。

 予測できる攻撃パターンの相手を倒すのは難しいものではありません。

 パターンの裏をかけば簡単に制圧できるからです。

 私は、「正しい技」なんてものは存在しないと思っています。形があれば、必ず破り方が工夫できます。武術の技は勝てるかどうか?にしか正誤の別はありません。

 予測不能の攻撃をしてくる相手が恐ろしいのです。だから、昔気質の武術家は技を隠して簡単に見せたりしないのです。

 私も自分の本当の得意技なんかは隠して絶対、見せません。自慢気に技を見せたがる人を、私は武術家だとは思いません。

 この点、師範と名乗っていても、今は単なる武術マニアばかりで、武術家と呼べるような人は、ごく少ないですね~。自己顕示欲強過ぎ!

 私が隠しながら小出しにやってる技を、「あんな技じゃ通用しない」とか鬼の首とったみたいに評論する人もいまだにいるんだから、カワイイですね~?

 武術の技なんて、興味のない人に実演したってドン引きさせるだけなんだから、そんな実戦実戦だとはしゃいでみたって、オツム狂ってるアピールにしかなりませんよ~。

 私が尊敬する本物の武術の先生方って、一見、全然、武術家に見えません。ヤクザだって、親分格になると、物静かな爺さんにしか見えないもんですよ~。

 本当に、物事の裏をちっとも考えないで、目に映ったものがすべてだと思ってしまう人を見ると、「この人、世の中で苦労したことないのかな~?」と、ちょっと心配になってしまいますよね?


PS;来年2016年の月例セミナー予約申し込みは、月毎に割引価格が変わりますから、御希望の方は早く申し込みいただいたほうがお得ですよ。

PS2;かなり久しぶりに、動画アップしてもらいました。時代小説家の上田秀人先生御一行が道場見学に来られた時に記録用に撮影した“真剣無刀捌き”です。新作本のDVDに収録していたんですが、発売が遅れに遅れてしまったので、先に見てください(でも、真似しないでね~。死ぬデスよ~)。

PS3;新作本はタイトルが『剣に学ぶ武術の奥義』となりました。11月後半に発売される予定で、現在、仕上げ作業中です! また、昨年出した『重心力を極める武術のコツ』が増刷されて今月末には出ますので、買いそびれた方は是非、どうぞ! 「この本は面白いよ~!」と、道場や趣味のサークル内で宣伝してくださいませ~(笑)。

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本の紹介

 私が武芸考証をお手伝いした作品が出ましたので、御紹介します。

ねぼけ医者 月を斬る平茂寛
小児科医の主人公がお庭番の助っ人“斬月”として活躍! 主人公が無眼流を使うというのがミソです。無眼流とは、三浦源右衛門政為が創始した流儀で江戸時代初期から中期にかなり流行ったみたいですが、残念ながら現代にまでは伝わっていないようです。夕雲流と同様に気の術を極意にしたようです。平茂先生は当道場まで来て試し斬りや無刀取りも体験されていきましたが、無刀取りも見事、成功していました。

開花請負人 忍桜の武士高田在子
植木奉行同心という、今で言うなら樹医と警官が合体したような職務の主人公が、直心影流の腕を活かして活躍! 女性作家らしい恋愛描写が泣けます! 女性作家らしくない剣戟描写も燃えます! 直心影流と言えば、振り棒の素振り鍛錬が有名ですが、「何回くらいが適切でしょうか?」「千回くらいっスね」「ええ~っ! そんなに振るんですか?」「当然です!」みたいなやり取りをしました・・・。高田先生も以前、月例セミナーを見学されたり、先日も個人指導の様子を熱心に見てメモを取っておられました。

 どちらの作品も、白泉社招き猫文庫より発売中です。よろしくねっ!

 また、作家仲間の鷹橋忍さんの『城の戦国史』(河出夢文庫より発売中!)も、城好きにはたまらない内容ですから、是非、よろしくっ! 城の兵器としての機能について書いた本は初めてではないか?と思います。

ケダマメ玉井雪雄
ビッグコミックスピリッツで連載中のSFファンタジー時代活劇漫画ですが、2巻まで発売中です! 昨年、連載前に取材に来られたのですが、剣戟描写の役に立てたみたいですね。SF設定には驚きましたが、ヒロインがサンカの持つ両刃のウメガイ短刀を持っていたり、相当にディテールを研究して描かれているんだな~?と思いましたね。あっと驚く伏線があったりして、新章も楽しみです。

 その他、最近、読んだ本では、『人生で大切なことはオカルトとプロレスが教えてくれた』大槻ケンヂ・山口敏太郎(KADOKAWA)が、異常に面白かったです!

 特撮、神秘武術のネタもちょこちょこっと入っていて、私向けの内容ですね。

 でも、意外に批評本としてもよく出来ていて、お二人の指摘していることには、イチイチ納得するところが多かったですね?

“ある種の”・・・と、ぼかしてはいますが、『帰ってきたウルトラマン』のムルチとメイツ星人の回が在日朝鮮人差別を暗示していたのではないか?とか、「あ~、なるほど、そういうことか~?」と思う点がいくつもありました。

 骨法バッシングの話では、“作りはいかん、と。でもそれを言ったら極真空手もそうだし少林寺拳法も何でもそうなんだけど。”と、大槻ケンヂさんは“野暮な”ことだという思いがあったみたいですね?

 う~ん・・・その論理は芸能界という特殊な業界に居るが故のものじゃないでしょうかね? 嘘ついて歴史の捏造するのは文化の破壊だと思うんですよ。創始者がそういうことしたお陰で後継者たちは要らぬ苦労をしなきゃならなくなるんですし、これまでずっとそうだったから、これからも許されるという論理は、もはや通用しないでしょう。

 エンターティンメントとしての“作り(ファンタジーと言い換えた方がいいか?)”の部分は有ってもいいとは思うんですが、世間一般を欺くような嘘を広めるのはバッシングされるのが当たり前だと思うんですよ。

 シャレで済まない領域がありますからね。

 それでなくとも、今はネットでいろんな人が今まで遠慮して言えなかったことを匿名で言える時代なんだから、“作り”は自然に通用しなくなっていくと思いますね。

 ファジーな部分を楽しむサブカル的な“軽さ”も好きなんですが、具体的に被害を受ける人達のことを考えたら、第三者の立ち位置から面白がっていられないじゃないですか?

 私は武術が好きで続けてきましたから、愛情も敬意も無い人間に荒らしてもらいたくないし、嘘が広まって誤解した人達が面白がってるだけで真価を知ろうともしない態度には腹が立ちます。なので、嘘は嘘、間違いは間違い!と、これからも書いていきますよ。

 さて、もう一つ、面白かったのが、天皇を護る八咫烏なる集団が使う武術・・・の話。

 なるほど、これが青木先生が言っていた皇室兵法なのか?と思いましたね。血の汚れを嫌うから内臓を潰して殺す技を持っているのだとか?

 大槻さんが「内家拳の発勁か?」と、そこに食いついてましたけど、似たようなもんでしょうね。合気の原理を使った当身を使えば、浸透勁のようになるでしょうから・・・。

 意外に深い内容で、非常に面白い本でしたが、もっと突っ込んでも良かったかな~?と、思いましたね。サブカル的なスタンスというのが、何か斜に構え過ぎじゃないか?と。

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ナイフマガジン休刊にショック

 数年前から必ず購読していた雑誌、『ナイフマガジン』が、突如、休刊になってしまい、ショックです。

 骨董品の雑誌『集』も、突如、不定期刊行(実質的休刊)になって以降、出ていないし、こういう「趣味の専門雑誌は特定の読者が居るから安泰だ」と言われていたのも、今は昔の印象があります。

『宇宙船』や『Gun』が復活した例もあるから、『ナイフマガジン』も出版社を変えて復活してもらいたいな~?と思うばかりです。

 いっそ、刃物全般を扱う雑誌にして、日本刀とか西洋の刀剣、中国やインドの刀剣なんかも扱う雑誌にしたら面白いんじゃないかな~?

 おっと・・・自分の趣味に走ってしまったぜ・・・。

 この雑誌がお気に入りだったのは、とにかく写真が綺麗なところでした。

 日本刀以外の刃物にはあまり興味がなかった私に、ぐぐっと視野を広げてくれたのも、『ナイフマガジン』を書店で見てからでした。

 そして、ナイフメイキングという技能があることも知り、「年とり過ぎたから日本刀の刀匠は無理! でも、ナイフメイキングならできそう?」と思ってから数年、光四郎先生へのプレゼントに両刃の模擬ナイフを作ったのみですが、安~い錆び刀を磨いたり、拵えを作ったりしてきた経験を応用して、そろそろ“ナガノナイフ”?を作ろうか・・・と思っていた矢先でした。

 非常に残念・・・。

 カスタムナイフの神様といわれたラブレスが亡くなって、一時代が終わったのかな~?という印象もありましたが、度重なる通り魔やストーカーの事件で、「ナイフは犯罪者の使うもの」という印象ばかりが肥大し、規制が重なった点もあるでしょう。

 でも、だからこそ、「ナイフというのは生活必需品で、尚且つ美術品にもなり得る」という正しいイメージを広める貴重なメディアだったと思うんですが・・・。

 しかし、この雑誌は偉いな~?と思ったのは、広告記事であるナイフ専門店が批判的なコメントを載せていたのを、そのまま載せていた点でした。反論も無し!

 実にカッコイイ。

 無論、雑誌は広告収入に支えられていますから、お金を払えば内容には関知しないという出版社もあります。

 それでも、掲載されてる雑誌そのものを批判している広告記事をそのまま載せるというのは器量が大きくないとやれません。

 多分、親会社の方針で突然、休刊が決まったんだと思います。大きな出版社にはよくあることです。

 で、営業の人が広告出してたお店に知らせる・・・「何だよ、そりゃあ?」と店の人が怒ったりもするでしょう。

 何しろ、宣伝媒体が無いと刃物店という特殊なお店は売上が激減してしまう可能性があるからです。死活問題です・・・。

 経営破綻している大会社がなかなか潰れないのも、そこが潰れると周辺の小さな会社が巻き添えで絶滅してしまいかねないからです。

 出版業界は、それで何とか支えられている状態なんですよ。

 だから、私のような三流もの書き(今、死ぬと無職とされかねない?)は生き残りに必死ですよ。

 もっとも、出版社も銀行から金借りるのに出版事情を説明しなきゃならないから、とにかく本を出し続けないとならない。そのため、新人デビューは以前よりは門戸が広い。

 でも、売れない本書いたら一発で捨てられるから、デビューは楽でも生き残るのは難しくなっています。

 ただし、宣伝は自分でインターネット使えばできる訳だから、今後はどんどん形態が変わっていくんでしょう。

 だけど、やっぱり、私は紙の本がいいよな~・・・。実体の無い情報だけってのは好きじゃないな~。

 最近、CSで昔のジャッキー・チェンやリー・リン・チェイ時代のジェット・リーの作品を見直しましたけど、彼らのアクションはCGで再現しても面白くはならない。

 以前、身体論流行の時は、人間の身体を機械のように考える人が多かったんですが、最近は、すっかりナリを潜めました。

 そんな単純なものではないと判ったからでしょうね?

 文章を書いていても思うんですけど、無味乾燥に書くのが優れた文章だと勘違いしている人が多過ぎますね。

 書いた人のキャラクターが見えてこないような文章ではダメですよ。面白くも何ともない。

 プロが無駄だと思うところが、読者にとっては面白い味わいだということに気づかないと、出版業界は上向いていかないと思いますね・・・。

 情報だけで良いと考える人は、情報を成立させている背景を洞察できないバカなんだと思いますよ。

 そういう意味で、この国はバカばっかり量産している気がしますね。


 あっ、余談ですが、最近、私の住んでる相模原で殺傷事件とか増えてきてます。

 酔っ払いとか痴話喧嘩とか車の衝突事故に遭遇したことはありますが、親父狩りとか通り魔とかの事件にはまだ会わないですね~?

・・・っつうか、やっぱ、普通のオッサンと違うオーラが出てるのかな~? やる気満々で向かってきても、面と向かったら顔色が変わってクルッて回って去っていってしまったりするから・・・。

 護身術で一つ・・・。

 ナイフや包丁で雑誌やカバンを貫くのはほとんど不可能に近いですから、もし、刃物持った通り魔とかに遭遇したら、カバンなんかを盾にしてください。かなり防げる筈です。

 カバンに折り畳み傘とか入れておいて、さっと取り出せるようにしておくと、あっという間に楯と剣になります!

 ベルトを抜いて鞭にする手もあります。

 上着や靴も防具にできます。女性のニーハイブーツなんか、私の目には戦闘用ブーツにしか見えません。蹴りが得意だったらナイフにも対抗できるでしょう。

 そういえば、確か、中国で刃物持ってるオバチャンの刃物を蹴り落としたお姉さんは、ニーハイブーツ履いてなかったっけ? オバチャン、ビックリしてそのまま逃げてた。

 蹴り技はひっくり返されやすいですが、ブラジリアン柔術やってたら、そのまま寝技で相手の首締めて失神させちゃうといいし・・・。

 ミットが四つついてる練習台のタンクにちまちまとコップで水入れて、蹴りの練習も始めたんで、19歳の頃の華麗な蹴り技(開脚180度できたし旋風脚や飛び後ろ廻し蹴りもできた)をまた再現するように頑張ろうと思います(大丈夫か? オレ?)。

 でも、スタンディングバッグも買わないと重い蹴りの練習はできないな~?

 しかし・・・私の体型で蹴り技バンバン出したら不気味かも?

 とりあえず、ストレッチとミット蹴りとカポエィラのジンガの練習しよっ!

PS;個人指導の予約入ってたのをスッカリ忘れておりました! スマン! 自宅に迎えに来てくれたんで思い出したよ。元、極真空手と合気道の指導員やっていた人で、小塚師範の指導で手裏剣がえらい上手くなってましたよ。北島師範も「小塚師範の教え方が上手いです」と感心していました。

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本の感想

 いつもDVDの編集やってもらっている友人が町田の近くに引っ越してきているので、次回作のデータを渡すのと、10月に出る予定で伸び伸びになってしまっている教材DVDの第四弾目の(ラッシュ映像を編集する時の指示をする)打ち合わせで、小田急線の某駅近くのガストで昼飯食べながら、あれやこれやとノートに書いて細かい指示を出しました。

 映像作品に関してははセミプロなんですが、今回は武術の教材用なんで専門用語とか細かい点を教えておかないと編集作業ができないからです。

 例えば、今回、游心流体道塾のN師範代が八極拳・形意拳・戴氏心意拳を演武していますが、これはある程度、中国武術に詳しくないと見ても区別できないでしょう。

 うちの会員で正確に判るのはマニアックな大石総教練と小塚師範代くらいかな~?と思います。

 北島師範は中国武術は簡化24式太極拳と形意五行拳と八卦単換掌くらいしか教えていないので、多分、区別できないと思いますし、他の会員も同様でしょう。

 もっとも、N師範代は、ほとんど動画で独修して覚えたらしく、私はちょっと細かいコツを教えた程度なんですけど、断言しますが、専門に習っている人よりずっと遣えます。

 半年前くらいまでは剣術はまだかな~?と思っていましたが、先日、見たらベラボーに上達していてたまげました。

 剣の筋がいいのは北島師範小塚師範代でしたが、これは完全にうちの会でナンバー1ですね。頭一つじゃなくて頭三つも四つも抜きん出ています。これだけ圧倒的にできると嫉妬する気持ちも起きないでしょうね。

 多分、戦えば大石総教練、北島師範の方がまだ分があるでしょうが、今の時点で比べても意味がないでしょう。理合を完全に理解した上でやっているんだから、上達度合が異常に早く、一度は勝っても次は勝てないでしょう。

「長野さんより上なの?」と聞かれるなら、はっきり言って、もう私より上ですね。

 そうだな~? 知識の量に差があるくらいでしょうかね?

 しかし、驚くべきことに彼はまだ10代ですからね~。武術漫画の主人公が実在しているみたいなもんで、普通の人間の進歩で考えたらいかんでしょう。

 特にビックリしたのは、彼は経絡の研究をしていて自分で裏の経絡(陰経絡)に気づいていたことですね。

 これは私がパリッシュ先生に武道医学学んでいた頃に「裏の経絡の存在は普通の鍼灸やっている人は知らない。世界中でも数人しかいない筈だ」と聞いていたので、彼が教えている時に、オヤッ、これはもしかして気づいてるんじゃないの?と思ったんで質問してみたんですけど・・・。

 彼の演武を気観の能力のある人が観れば、いかに驚くべきレベルに達しているのか?ということが判るでしょう(ネットで文句つけてる連中は、自分のレベルの低さを晒しているだけです。そんなに文句つけたいなら勝負してみたらいいじゃないですかね?)。

 むしろ、普通に武道武術やってきた人だと全然判らないでしょうね~。

 以前は「長年やってきた空手をもっとレベルアップさせたい」と言っていたのに、もう興味が無くなってしまった様子なんですけど、その切っ掛けが、空手の動きに内家拳の体動が混ざってきたので動きが繋がってメリハリの表現が薄くなってしまい、「空手が下手になった」と判断されてしまって、一気にやる気がなくなってしまったみたいですね。

 でも、私に言わせれば彼の空手は進化したんですよ。動きが草書体になったから楷書体の動きしか評価できない人達には読めなくなっただけです。

 何が違うか?というと、彼は内勁を巡らせながら演武しているんですよ。外側の形ではないから、内勁の伝達を理解している人間(恐らく、日本の武術の世界で何人もいないでしょう)でないと観ても判らない・・・。

 内勁が解らないと、手の形や握りがどうとか勘違いしたことばかり言い出す。

 そういう細部の整合性を云々するような凡庸な人間ばっかり伝統武術をやってたりするから、独りよがりに阿呆な感想を書いて喜んだりするんですよね。

 まあ、そういう他人を嫉妬することで自己憐憫に浸っていられるのも幸せ者かもしれませんがね? 世の中に出ない限りは・・・。


 でもね~。圧倒的大多数の人間は世の中に出て格闘しながら自分のポジションを築いていくしか生きる道はないんですよ。働いて生活費を稼がないと生きていけませんからね。

 そういう苦労は避けて通れないし、苦労することが自分の本当のチカラになっていく訳ですから、苦労している人は自慢すべきだと思いますね。

 苦労知らずの人間は挫折を乗り越えるチカラが育たないからね~・・・。

 私も相当、苦労したし、今でも多少の苦労はありますが、昔と比べたら、どうってことないですし、いろんな体験したから対処法もいろいろ知ってますからね。

 無駄な苦労はなかったな~と思いますよ。

 その点、最近は苦労させないように・・・ってばっかり考えるでしょう? ダメだよね~。これ以上、精神の弱い人間を増やしてどうするんですかね~?

 最近の事件起こした人間って、自制心が無さ過ぎるでしょう? 忍耐力のカケラもないような人間が事件起こしてる。

 心が弱くて自己愛しかない。だから簡単にキレて見境なく暴走するんですよ。

 せめて、武術やる人間くらいは、そうならないようにしなくちゃ~・・・。


 おっと、脱線し過ぎたので元に戻します!

 別に、うちの会で彼だけが異常に上達している訳ではありません。常連の会員やセミナー受講生は押しなべて嘘みたいな速度で上達していっています。

 どうしてそうなるのか?というと、やっぱり理合を理解することから教えているからでしょうね?

 逆に、うちに通っていてもなかなか上達しない人もいますし、部分的に上達するけれど総合的にはさっぱり伸びないという人もいます。

 要するに、理解してないんですよね。理解していたら勝手に応用変化させられる筈なんですが、どうも、皮相的な言葉に捕らわれて本質をきちんと理解できていない様子なんですよ・・・。

 まあ、それでも基本的に、真面目に通ってさえいれば知らない間に変わりますけどね。


 そんな次第・・・(はっ? 話が繋がってないぞ?)で、教材DVDは、何とか11月中には・・・と思っていましたが、友人も仕事が立て込んでいたので、結局、12月に食い込んでしまいました。

 正規の仕事を後回しにしてくれとは頼めないので、仕方がありません。その分、ラッシュで見る限り、相当に濃い内容になりますよ! 超・御期待くださいっ!


 で、この日は打ち合わせが済んでから、高田馬場のクエストさんに、田中光四郎先生が撮影で使う両刃の模擬短刀を持って行きました。

 翌日、光四郎先生からお電話を戴き、久しぶりにお話しました。

 光四郎先生も松田隆智先生と世代が近いですからね。御恩返しできるうちにしておかないと・・・と思ったんですね。

 12月1日に撮影があるというので、練習後に応援に行こうとしていたら、撮影が順調に進んで予定より早く終わってしまったらしく、間に合わないので途中で引っ返しましたが・・・。


 光四郎先生は海外に指導の拠点を移されていますが、本物の武術は日本より海外の方が受け入れられるんでしょう。

 そうそう・・・クエストさんの帰りに駅前のビルにある書店の武道コーナーに寄ったんですが、そこで『世界武道格闘技大百科』というデカい本を買いました。

 フル・コムさんが関わってるみたいですが、一つ一つの解説は少ないものの、世界中の様々な武術や格闘技が写真で紹介されているので、研究家としては大変、有り難い本ですね。

 アフリカやヨーロッパ、南北アメリカの武術というのは情報も少ないので重宝します。

 私も聞いたこともなかったような流派がいくつもあって、非常に面白いんですが、中でも気になったのは、“ネコリュウゴシンジツ”!

「これは、キャット(猫)と呼ばれた剛柔会の山口剛玄先生の流れなのか?」とか思ったんですが、全然、違っていて、文字通り、猫の巧妙さを基にした護身術で、日本人の中林先生という人がビジネスマン向けに作った護身術がベースなんだとか? でも、発祥時期は1870年代ってことなので、明治時代? 謎です・・・。

 猫好きの私としては非常に気になる流派です・・・。

 これで具体的な技の解説とか入っていたら、凄く面白いだろうな~?と思いました。

 日本武道のコーナーには新体道も紹介されていて青木宏之先生の写真も掲載されていたので、天真会の書展にも持参してお見せしましたが、青木先生はご存じなかったですね。

 無断で載せてどうこう・・・と言い出したらキリがありませんが、好意的に採り上げて紹介している訳ですから、ヤボはよしましょう。

 それにしても海外のマーシャルアーツをこれだけ網羅して紹介するのは大変なことだと思います。

 昔、私が20代の頃に学んだ戸隠流忍法の野口先生も写真で載せられていて、嬉しかったですね~(でも、ひょっとして初見先生と間違ってんのかも?)。

 朝鮮の服着た一団の写真を日本軍人と紹介してたりするくらいなので、あり得るかもしれません・・・。

 けれども、武術好きな人間は買って損しないと思いますよ。6000円だけど。


PS;12月8日の月例セミナーは、一年間の総まとめとして、アノ先生やコノ先生の神技?の仕組みを解明してみます。さあ、これで忘年会、新年会で「私は実は武術の達人なんですぅ~!」とホラ吹いてみてくださいね? うまくメディアに売り込めば一獲千金できるかもよ?(つ~か、そんなヤツばっかだけどね~? 武術業界は・・・)

PS2;新体道の“武道エクササイズ”が新展開中です! 指導は、石井俊充首席師範、寺崎桂子師範。初心者向けの体験コースも開設中とのことです。私も若い頃に体験して武道の最も重要な脱力体・貫通する突き・意識の解放・・・等を学んだ新体道。多くの著名武道家がこっそり学んだ事実については知られていませんが・・・(以下、自粛)。アルタード・ステーツ(変性意識)状態の心法を駆使する現代の無住心剣術! それが新体道の真相なのです。ア・エ・イ・オ・ウン・・・の母音の発声は、マントラ(真言)を唱えて精神統一する密教や、呪文を駆使する西洋魔術にも通じる動的瞑想にもなり、一見、奇異な稽古法に見える中に、古来から伝わる東洋の身体論や様々な宗教的秘儀の英知を織り込んだ超人覚醒のシステムを持っています。そうです。新体道は超人を生み出す稽古法なのです。武術の中に隠されていた極意、奥義を誰もが会得できるようにオープンにした最初の流派と言えるかもしれません。道を求める人にお勧めです!

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本の紹介

1,『鉄と日本刀』天田昭次 慶友社

 武術の根本的な原理を探究していて、「これは日本刀操法を研究しなければ解らないな~。そのためには真剣を入手しなければ」と思ったのが、かれこれ10年くらい前。

 本が売れて、真剣を買えるようになってからは、「これは日本刀の製作法を研究しなきゃ~ダメだな~?」と思うようになってから数年、もう武術の本よりも買ってるかもしれない?というくらい、随分と日本刀関連の本を購読しました。

 和鉄でなければ造れないとされる日本刀。

 その材料である玉鋼は鑪(タタラ)製鉄法でなければ造れない・・・。

 その鑪製鉄法も、古代から中世の頃はどうやっていたのか解らない。

 だから、鎌倉時代の古名刀を再現したいと思っても、どうやってもできない・・・。

 幕末新々刀から続き、現代日本刀作家たちもが夢みる古刀の再現。それを追究した天田刀匠が行き着いたのは自家製鋼という手法。

「古刀の材料は玉鋼ではなく銑鉄(ズク)だった」という仮説を実証するために繰り返された実験研究の記録は、伝統工芸師としての刀匠を超えて、まるで賢者の石を求めて実験を繰り返す中世の錬金術師を想起させます。

 また、現代に日本刀文化の伝統を繋げた人達の物語は、知られざる近代日本の裏面史であり、武道の世界とも繋がっていたのだな~・・・と、感慨深いものがあります。

 ここ数年、多くの刀剣関係書を読みましたが、これほどエキサイティングな本は初めてでした。


2,『基礎から始めるアクション 技斗/殺陣』高瀬將嗣 雷鳥社

 日曜日の稽古小塚師範代が持ってきたこの本をパラパラとめくった大石総教練の目の色が変わり、「うわ~、これはいいですね~・・・武道の秘訣に当たることがわかりやすく書かれてますね。僕も欲しいです」と、武道以外の本には目もくれなかった彼が、私の知る限り、初の“武道書以外の本”に興味津々の様子でした。

 もっとも、高瀬先生は「武道と殺陣はまったく別物です」と明確に言われています。

 それは、武道を侮っての発言ではなく、むしろ逆に敬意を払うからこそのものなのですが、私は研究家として「いや~、高瀬先生ぐらい武道全般を研究している武道家は滅多にいないんですけどね~(苦笑)」と、ちょっとブルーな気持ちになります・・・。

 ちゃんとした観る眼のある人ならば、この本で紹介解説されている内容が、一般の武道より深く身体操作・理合・戦術などを研究した上で構築されている事実に気づくでしょうが、そこまで気づく武道家が、今の日本に何人居るんだろうか?と思うと、物悲し~い気持ちになってしまうのです。

 パーティーの時に来賓代表で挨拶された今野敏先生は、武道と違って技を大きく、出をわかりやすくする点に感心したと言われていましたが、「武道は動きを小さく相手に出を読まれないように予備動作を無くして出すから凄いんだぞぉ~」みたいに言いたいドヤ顔をされてて、私ははっきり申し上げますが、「アッチャ~! それは安全に怪我なくやれて、その上で迫力あるように魅せるための演出でやっている訳で、それができるということは、逆説的に動きを小さく出を読ませないようにやることも簡単にできる・・・とは、思わないんですか~?」と思いました。

「やっちまったな~。今野先生~(苦笑)」と・・・。

 見た目の表現は、何を目的にしているか?で決まってくる訳で、武道はルールを決めた試合で互いの技を競うのが一般的な目的ですが、殺陣は演技として、どう魅力的に戦いの様子を見せるか?が目的なんですね。

 これが武術となると、「要するに、勝負は勝ちゃ~いいんだよ! 負けちゃったら人生終わるんだよ」の世界なので、技以上に戦術や使う武器の性能に比重が大きく働きます。

 だから、武術の場合、本当の戦闘法は隠しておいて、型なんかもわざとフェイクにしたりする訳ですね。手の内ばれたら、どんな必殺技も研究されて破られますからね。

 なので、武術を伝えるのに踊りの中に隠して伝えた・・・なんてこともある訳です。

 棒の手踊りなんかその典型例だし、カポエィラやインドの武術なんかも舞踊の中に隠したりしています。

 私が踊りを研究したのも、この事実を確認したかったからなんですよ。

 古武術の型なんて、所作の意味を知らなかったらまるで使えないものだし、それを口伝で伝えるシステムだったから、口伝が伝わらないまま型だけ伝わって意味不明になってしまったりしているんです。

 殺陣の源流は踊りです。日本舞踊には“立ち回り”が伝承しています。

 居合の名流として今に伝わる田宮流も、先代は田宮神剣流という剣舞に特化した流儀を伝承していて、現在の田宮流の型は他流に学んで先代が再編成したものだと聞きます。

 このように剣舞として伝わった居合術の流儀もいくつかあるようですし、最近、『秘伝』にて「天然理心流の棒術が棒の手踊りとして伝えられていた」という記事を読んだこともあります。

 このような実例を検討するまでもなく、殺陣が意外に伝統的な武術と重なる面があるということです。

 これが香港になると、ジャッキー・チェンやサモハン・キンポー、ユン・ピョウなどは京劇学校出身で、京劇の訓練の中で様々な武術の型も学んだようです。

 有名なアクション監督のラウ・カーリョンにいたっては中国南派拳術の名門、洪家拳のマスターでもありますからね。

 そもそも、中国の武術は、京劇の影響もあってパフォーマンスとしての表演武術が普及され、その天才的チャンピオンであったリー・リンチェイが『少林寺』でデビューしても演技に支障がなかったのも、表演という形態が演技に通じていたからでしょう。

 リー・リンチェイは、その後、ジェット・リーという芸名となって今も活躍していますが、カタチはカッコイイけれども、立ち回りで相手役の人にマジ当てしてしまったり、逆に「痛がりだった」といった噂が漏れてくるのも、アクションの技能の難しさを物語っているでしょう。

 特に難しいのは、間合と運足ではないかと思います。

 当たる間合がわかっていないと、当たらないように攻撃することはできません。

 伝統空手の寸止めという技術が、いかに高度なものであるか?は、部外者には想像もつかないでしょう。

 また、アクションでは、1vs1ばかりではなく、複数の相手と戦う様子も見せなくてはなりません。間合と運足がわかっていないと、これはとてもできません。

 ある殺陣師が空手の先生を呼んで、迫力のあるシーンにしようと空手の先生を囲んだカラミ数人が一気にかかっていくのをアドリブで倒すシーンを撮ろうとしたところ、空手の先生は何もできずにボコられてしまった・・・といいます。

 まあ、普通、空手は一対複数の練習はしないので、パニクッちゃったんでしょうね?

 無論、高瀬先生の言う通り、実際の戦いと演技としてのアクションは、まったくの別物です。

 しかし、一般の武道から失われた重要な秘訣がアクション演技の中に眠っているかもしれません。

 現に、私が武術の技を考える参考にしているのはアクション映画です。

 それは、理想的な技の用法が、そこに表現されている場合が多いからです。

 意外と武術のDVD教材なんかには、そういう具体的な技の使い方が解説されておらず、ただ、延々と型を演武しているだけのものが多いんですね。

 だから、参考にならない訳です。

 技のリアリティーという点では、かつて高瀬道場がアクションを担当していたビー・バップ・ハイスクールなんかの喧嘩殺法に学ぶ点が多かったですね~。

「あ~、これはやってないとわからないよな~」って思う描写がいくつもありましたし、発想が“武術的”なんですよ。

 昔、暴走族上がりやヤンキー上がりの人間が何人も入会してきていましたが、彼らが言うには「長野先生の発想はリアルで、俺らよりやり方が汚い」と、“そこがいいんじゃない”と言ってましたね。

 ただ、彼らは長く続きませんでした。

 どうしてか?というと、「長野先生の技は相手を殺すか半身不随にしてしまいそうだから・・・」と言うのです。

 どうも、喧嘩を楽しみたかったのに、私の技だと最初からトドメさすので必殺仕事人みたいになって喧嘩にならないから困惑してしまったみたいでした。

 しかし、こういう武術の技はアクションとして表現するには向いているだろうと思うんですけどね? どうでしょうかね?

 ちなみに、この本はDVDが非常にわかりやすいです。これで1800円というのはバーゲンセールもいいところですね。

 私だったら1万円にしますけどね~(笑)。

 うちの会員は是非、買ってくださいね(買わないと破門じゃ~っ!)。


PS;私が長い解説文を書いた『忍術忠臣蔵』という本が出ます。今年出る第一弾の本ですので、皆さん、買ってね?

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ツマヌダ格闘街13巻を読んで

 上山道郎さんの『ツマヌダ格闘街』の13巻を書店で見かけたので買ってきました。

 格闘系の漫画としてはおとなしいので、ちょっと地味過ぎるかな~?と思ったりもしていたんですが、武術に関する描写が詳しく、また、武徳の在り方について考えさせてくれる点が、個人的に好きだったんですが・・・。

 今回は、主人公とドラエさんの繋がりについて秘密が明かされ、「なるほど、そういうことだったのか?」という感慨で、マジで泣けました。

 漫画読んで泣けるというのは、あんまり経験ありませんけど、これは本当に感動的でしたよ。純粋にエンタメだと思っていたけど、こんなに武術と人の生き方について考えさせてくれるとは・・・。

 また、個人的に共感できる点があったのは、何でドラエのお祖父さんがシベリアに居たのか?ということで、舞台が終戦の時の満州から始まった点でした。

 何度か書いたと思いますが、私の両親は満州生まれです。

 特に子供の頃を大連で過ごした母親からは満州の話を随分、聞かされたものです。祖父が満鉄(満州鉄道)に勤めていたのですが、その頃は結構、裕福な生活だったようです。

 しかし、終戦の時に引き上げ船に乗るのに大変な苦労をしたらしく、あそこで船に乗れなかったら、母親は残留孤児になったり、祖父はシベリア抑留になったりしたかもしれないのです。

 まさに、今回の巻で描かれていたような事件は、私にとっては遠い話ではなく、まさか、こういう設定に繋がっていたとは夢にも思いませんでした。

 それと、武術を学ぶ者は、単に自分の身を護るんじゃなくて、人助けするために命を投げ出す覚悟も必要だ・・・というようなメッセージは、自分の生活空間だけ良ければいいというような利己的な考えしかできない現代人に考えさせられることでしょう。

 とかく、我欲として強さを求めるのがテーマになりがちな格闘技系漫画と異なり、何のために武術を学ぶのか?ということを考えさせてくれています。

 是非、御一読を・・・。


PS;DVDの注文をくださる方の中には、生活が大変な中からバカ高いうちのDVDに期待して買ってくださる人も居るみたいで、本当に有り難いのが半分、あとの半分は申し訳無い気もします。特に今回は生産態勢が整わず、不良品が出てしまって御迷惑をおかけした方もいらっしゃいます。改めて、お詫び申し上げます。私が余裕があれば地方での講習会もやりたいところなのですが、現状はちょっと無理です。その分、指導員を養成することに力を入れておりますが、私より遥かに才能のある人材も育ってきておりますので、後、2~3年後には地方での講習会も再開できるか?と思っております。それから、DVDを購入された方からの質問は随時、受け付けておりますので、気軽にお申し付けください。相模原以外でも東京、横浜に同好会をやっておりますので、どうぞ、御利用くださいませ。練習環境として一番いいのは東京同好会が広くてお勧めです

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『こんな自分がイヤと思ったら読む本』

 游心流を1999年に興してから今年の秋には14年にもなりますか?

 結構、時間が経過するのは早いものですね~。

 つい、この間まで「10周年には何かやろうか?」なんて北島師範と話していたのが、忙しさにかまけて、すっかり時間が経ってしまいました・・・。

 まあ、これだけ続けていると会員の入れ替わりも多くありましたし、問題を起こして破門にした人も何人か居ます。

 無論、自然消滅した人も、自分から退会を願い出て去っていった人も何人か居ます。

 忘れた頃に、ひょっこり顔を出す方も居ますが、常連で来ている中では北島師範と横浜同好会の栗原さんが8年くらいで最も長くやっている会員ということになりますか?

 発足当初から残っている人は、ほとんど居なくなってしまいましたが、自身の仕事が軌道に乗って来られなくなった人も居ます。

 そういう人は、自身の仕事で活躍してくれていれば、それが何よりも嬉しいことです。
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 この『こんな自分がイヤと思ったら読む本』(現代書林)の著者の片寄陽平さんも、自身の整体治療院の仕事が忙しくなって、来られなくなっていた御一人で、律義な性格なので、「通えないのに会員で居るのは失礼なので・・・」と退会の旨を言われていたのですが、私の方から、「お願いですから、辞めないでください」と、後にも先にも、こっちからお願いして名前だけでも残しておいてくれと頼んだ唯一の人です。

 正直、私は退会したいと言う人を止める気持ちにはなれません。

 やる気の無い人に教えても身につかないし、游心流に学ぶ以上は、ぶっちぎりの超達人を目指していただきたいからです。

 游心流でネット検索すれば、誹謗中傷のオンパレードだったりするそうで、その中には元会員と称する人も居ますが、私は、「面と向かって文句を言えない恥を知らない連中は勝手にさえずってなさい」としか思っておりません。

 ですが、現実に実力の無い会員が増えれば、「やっぱり、游心流なんて大したことないじゃないか」と嘲笑されてしまいますから、私は中途半端な実力で自己満足するような会員は居てもらいたくないのです。

 武術は中途半端に身につけるのが一番、危ない。狭い世界で自惚れていれば人生を無駄に費やしてしまいかねません。上達することに関しては、徹底的に貪欲である方が良いと思いますね。常に自分の限界と向き合うことで本当の謙虚さが得られると思います。

 自己満足で武術を楽しみたいだけの人は、それに見合った道場や教室はいくらでもあります。「強いとか弱いとか関係ない。自分が楽しいかどうかだけが大切なんだ」と思っている人は、そういうところに通われたら充分でしょう。

 別に、そういう考えが間違っていると言うつもりはありません。私はそういう自己満足でやりたい人の考えが個人的に好きじゃないし、そういう人には教えたくないというだけの話なんです。

 ちょっとずつでも上達し続けていれば、後は長く続ければ続ける程、より高みに到達することができます。「このぐらいやれば充分」というのは有り得ないのです。

 私が武術に求めているのはリアルな戦闘技能であり、それは一度しかない人生を外部から抑圧されて忍従して生きるのではなく、誰からも支配されず、誰も支配せず、自分の理想とする人生を真っすぐ生きていくための精神的支柱であり具体的な防衛術として位置付けているからで、生きて行くあらゆる局面に応用できるものでなくては意味がないからです。

 だから、単に習い事であるとか伝統文化であるという認識だけに留まらず、様々な危機的状況に対応する豊富な戦闘技能やサバイバル技術を持っていないとダメだろう?と思っている訳です。

 こう考える切っ掛けは、中学時代の校内暴力の体験にありましたが、人間、一皮剥いたら自我をぶつけて暴力で押し通そうとする野性の本能が厳然として有ります。

 やっぱり、九州の男だと子供の頃から殴り合いの喧嘩は誰でもするし、話し合いでカタがつかないのが男の世界だったりしますよ。

「殴り合いの喧嘩なんか一度もしたことが無い」と言う人も居ますが、私には理解に苦しむばかりですね。「自分が体験したことが無いから現実にも有り得ない」という考え方そのものが不合理でしょう? 

「痛い思い、危険な体験をしたことが無い」というのは自慢にはなりません。もし危険な状況に陥っても対処法を知らないし考えたこともない・・・と言っているに等しいですからね。私が女で武術とか知らなかったら、こんな頼りにならない人とは知らない土地を一緒に歩きたくないでしょうね。

 今や、東京を大地震が襲うことも、富士山が爆発することも、それが現実に起こっても誰も「そんな馬鹿な?」とは言わないでしょう。

 私が武術に関心を持ったのは自然な流れでしたし、少なくとも男と生まれて武道や武術にまったく興味が無いという人の心性は理解に苦しみます。

 いや、正直言えば、大抵の人が憧れる気持ちは有るでしょう。ただ、「自分にはムリだ」と思っているから学ぼうと考えないだけです。

 実際、私も、まさか自分が武術を生業にするようになろうとは夢にも思いませんでしたよ。

 何しろ、運動神経はクラスで下から何番目って感じでしたし、何よりも体育が嫌いでしたね。

 もう、TV見たり何か作ってる方が好きでしたね~。

 でも、それでも土地柄から喧嘩はそこそこやる訳ですよ。で、体育は苦手だけど喧嘩はそこそこできる訳です。相撲なんかも結構、強かったんですよ。

「あれっ? 武道だと結構、できるかも?」と思いましたよね。で、相変わらず普通の運動とかスポーツは苦手なんだけど、武道的な動きだけはできた訳です。

 周囲を見回しても、私と似たような人がいましたね。

 どうも、一般的なスポーツと武道はちょっと違うぞ?と思って、自己流で、ずぅっと練習し続けて、結構、鍛えてましたね~。

 そのお陰で、道場に通うようになってからも上達は早かったと思います。

 ただ、スポーツ的な根性主義でやらされると全然、ダメ! もう、向いてないんです。

 向いてないから、「これはもう、自分でやり方を考える方が合理的だ」と思って個人的に研究会を始めて、それが游心流になっていった訳です。

 私のように運動神経が鈍くて体力も無い根性も無い・・・という人間の方が圧倒的に大多数の筈ですが、残念ながら一般の武道や格闘技は、そういう人が上達できるシステムではありません。だから、私は新しいシステムを作ったんですね。


 まあ、何事も止めずに長く続けていれば、それなりの形になっていくものです。

 自信持って言いますが、今、游心流が武術として最も進んでいると思っています。得られる限りのデータを集めて技術を原理的に分類再編成して新しくシステム化しましたからね。

 伝統的な武術は文化として完成されているけれども、やはり現実の今の時代に対応してはいません。

 現代的な武術流派の場合も、下手に運動構造の違う現代武道や格闘技を組み合わせてしまったがために戦闘理論がどっちつかずになってしまっている流派をよく見かけます。

 あるいは、戦闘理論そのものが備わっておらず、武術の理合を身体の操作法だと短絡的に理解してしまっている人も多いようですね。

 空手にしろ合気道にしろ、本来の戦闘理論を知らないまま、形式だけ練習してしまっている事例が大半だろうと思います。武術をスポーツと勘違いしてしまったからですね。

 いやはや、実にもったいないことです。唯一の希望は、まだ達人と呼べるに足る先生がいろんな流儀に少数は残っている・・・という点だけでしょうか?


 さて、本論に戻りますが、片寄さんの著書『こんな自分がイヤと思ったら読む本』の骨子となっているのは、身体の問題も含めて、「心のサビ」を落とすことで悩みは自然に解消していく・・・という単純明快な理論です。

 これは、要するに、“心法”について優しく解説してくれているのです。

 一読、よくありがちなスピリチュアルヒーリング系の自己啓発本のように解釈しがちですが、この本は、そういうマインドコントロールを説いた本ではありません。

 心と身体、その奥にある魂と呼ばれる根源的な意識の仕組みについて平易に説き明かしているのです。

“心のサビ”というのは、的確な表現で、肉体の老化の一つが酸化であることは、今日、広く知られるところです。

 細胞が酸化していくのと同様、心がネガティブな思考に侵食されていくことで悪因縁を招き寄せてしまう・・・というこの世の法則性を、この本では説いているのです。

 仏教的に言えば、唯識論ですよ。

 何カ月か前、うちの会員が片寄さんの活動をインターネットで調べて、「何だか、教祖様的になっているみたいです」なんて心配していたんですが、今回の本を読んで、杞憂であったと安心しました。

 カルト的になるということが必ずしもマイナスに作用するのではなく、結局、主宰者の方向性の問題なんですね。

 何らかのイデオロギーに従うのは人間の本能のようなものであり、誰もが自分の好みの考えに従って生きていて、それに反する考えを持つ人を非難したがってしまうものです。

 重要なのは、考えの違う人を容認できることです。“違い”を認められること。

 以前、片寄さんを個人指導した時に、当時、うちの会の内部が揉めていて困った状態であったことから、彼に愚痴をこぼしたことがあったんですが、その時に、「長野先生は自分でやる気になれば何でもできますよ。運気は自分でコントロールできるものです」と、キラキラ光る目でサラッと言ってくれたことが、その後、大いなる自信になって、迷いを払拭してくれました。

 そして、彼の言う通り、自分で自信をもってやってきたことが、ことごとく良い循環になってくれています。

 だから、形としては私が彼の先生の立場になり、実際に彼も私を尊重してくれましたが、実質的には、私の方が彼にどれだけ気持ちの上で助けられたか?ということなのです。

 今回、初の著書を贈ってもらい、本当に、こんな嬉しいことはありません。しかも、内容が本当に素晴らしい! 私の本の何十倍も良い! 今の世の中に、本当に必要な内容を説いてある本です。

 先日、RAKUDOの公演を観た時にも感じましたが、こんな素晴らしい人達が游心流に関心を持ってくれた・・・という事実が、本当に有り難く誇らしい気持ちなのです。

 あるいは、私に反感をもって離れた人達であっても、やはり、社会的に認められる業績を挙げてくれた方が、嬉しいですよ。むしろ、「どうだ! 長野!」と言ってくれた方が、悔しさよりも「参りました!」という気持ちになれるでしょう。

 だから、陰に隠れて陰湿な誹謗中傷をするしかできない何とも情けないヤツばっかりで、「あ~、俺はこんなヤツに教えていたのか~?」と、ガッカリするだけだったんですが、そういう時に片寄さんの贈ってくれた本を手に取った私の気持ちが解りますか?

 本当に世の中、物事を表面的にしか読めないヤツが多くて、自分の損か得か?でしか考えられないヤツには“義憤”という言葉が理解できないんでしょうけどね。

 私が甲野氏を批判し始めた時から、一貫して、「俺はこいつだけには絶対に負けんぞ!」って燃えてましたよ。

 だって、彼は純粋そうに見せてて本当はそうじゃありませんでしたからね。名誉欲が強過ぎるんですよ。

 もっとも、私の場合、元師匠に喧嘩売って離れた以上、より以上の業績を挙げないと男じゃないでしょ?

 甲野氏が社会的に挙げた業績に比べれば、私はまだまだ実績が足りません。だから、これからガンガン活躍して彼が広めた間違いを払拭して、さらに実効性ある武術文化への理解を広めないと男じゃない!

 有名人を批判する以上、そこまでやらなきゃ~ダメ。礼儀知らずを敢えて決行する以上は、そこまでやらないと筋を通したことにならない。

 どうも、私が単なる礼儀知らずだと誤解している人が多いみたいですが、私はむしろ礼儀にうるさいから、虚礼をしたくないんです。

 上っ面の礼は相手に対して最大の非礼ですよ。相手を侮ってるから適当にあしらおうとしている訳で、そういう虚礼を重視する連中の形式主義思考を引きずっていれば、社会的な評価は得られないでしょう?

 私は、「虚礼を強いる武道の世界こそが非常識」だと思ってるだけで、この構造的欺瞞体質を変えないと武術文化が世の中にまともに評価されないと思ってる訳で、それを改善するために一時的に自分の評判が悪くなるのは承知の上だったんですよ。

 10年20年先を見越して地道に実践する覚悟が無い人間には理解できないでしょうけれど、本物を目指すなら、目先の損得を考えていちゃ~ダメですよね。

 無論、自分の損得は後回しで、世の中に役立つ仕事をやれば、天が味方してくれます。

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中国武術、知らな過ぎだよ

『修羅の門』の新シリーズが始まって、ワクワクしながら読んでおります。

 矢嶋師範代から、「今度は中国武術と闘うみたいです」って聞いて、楽しみにしていたんですね。

 でも、スイマセン・・・正直言って、川原さんって、中国武術知らな過ぎませんか?

 いえね~・・・昔、『武術(ウーシュウ)』のライターやってた頃から思ってたんですけど、フルコンタクト空手や格闘技の愛好者って、空恐ろしくなるほど、武術全般に対する知識が無かったりするんですよ。

「何? 発勁? あの気で打つとか何とかいうインチキなやつだろ?」とか、「合気? 気合で飛ぶとかいうインチキなやつだろ?」って具合に、もうね~、最初っからインチキだと決めつけて顧みない人が多かったですね~。

 確かに、インチキな中国武術家や合気武道家が少なからず存在していて、そういうヤツに限ってメディアを使って露出しまくっていたのも事実です。

 実際、今だって大して事情は変わっていません。

 何しろ、TVでは無敵の達人のごとく振る舞いながらも実際にまともに立ち合えば連戦連敗することから武術界の生ける伝説となっている甲野善紀氏に比べても、1/40くらいの実力か?ってな人が自身の武術サークルを組織していたりする現実があるんですから、「もしかして全体的な武術業界の平均水準からすると、甲野氏は十分に達人と呼べるに値するのかも?」ってくらい武術界のレベルは低いのかもしれないからです・・・。

 何で、こんなにレベルが低いのか?というと、武術は乱取りとか試合とかやらずに型の稽古を繰り返すだけなので、生まれてこの方、一度も他人とまともに殴り合ったことのない人が年数だけ重ねて指導者になったりするからなんでしょうね?

 本当に、今年、シダックスで会った人なんて、チワワと闘っても負けるんじゃないか?ってくらいひ弱でしたよ。

 誇大妄想なんだろうと思って老婆心で「正直いってあなたの腕前で武術道場をやろうなんて無理だから、しっかり実力をつけてからにした方がいいよ」と言ったんですが、その日のうちにブログで私が見る目が無いだの、自分は天才だのと書いていたそうで、矢嶋師範代が忠告したら慌てて消していましたが・・・。

 河野智聖先生とも知り合いだと言っていたのでイベントの時に聞いてみたら、名前も知らないとのことで、「外見はエイリアンのグレイみたいで、腕が僕の1/3くらいの太さしかないんです」って外見の特徴を説明したら、「あ~、その人だったら・・・」と思い出されて、単に河野先生の講座を1、2回受講しただけの人だったそうです。

 ちなみに、この人、柳生心眼流の吉田先生の弟子だったそうで、「最近、吉田さんは衰えた」とか上から目線で論評していましたが、心眼流の吉田先生といえば甲野氏に習いに行って、言われるままにしたら逆に甲野氏をビタンビタンにこかしてしまって恐縮して帰ってきた・・・ってくらいの天然で強い古武術界の喧嘩番長と噂される達人ですよ。

 だから、「ホンマかいな? 第一、自分の師匠を“さん付け”で評するか、フツー?」って、苦笑しながら聞きました。習ったのは事実かもしれませんが、およそ何も体得できていないでしょう。そのくらい鍛えた形跡がまったく無い人でしたね。

 武術は筋肉を鍛えなくても高い威力を出せますが、それは全然、身体を鍛える必要がないという意味じゃありません。

 むしろ、身体を練り込み神経を鋭敏にし身体感覚を研ぎ澄ます修練は漫然と筋トレしたり厳しいスパーを繰り返すより難しいのです。

 型稽古も、技の手順を覚えることが目的ではなくて、総合的に武術体を練ることが目的なのです。

 だから、本当は、武術体を練ったら、今度は相手の攻撃に対応する訓練も必要なのですね。ただし、闇雲に乱取りしたり自由組手やっても技が使えないので、力任せにならざるを得ない。重要なのは約束組手でしっかり技の用法やタイミングの取り方、相手の潰し方を学ぶことなんです。

 そして、そこまで教えてくれる武術道場は極めて少なく、型だけで終わってしまうところが大半なので、必然的に闘えるようにはならない。だから、闘っても勝てない。弱いということになっていく訳ですよ。

 つまり、武術を習いに行っても戦い方を教えてくれないので未完成なままなんですね。

 よく、「型だけやっていて強くなれるのか?」って疑問がありますが、戦闘理論を知らないまま型だけ学んでもダメだと思いますよ。ほとんどの人が30年くらいやり続ければ、ある日、突然、達人のようになれると信じているみたいですが、戦闘理論を習わない限り、無理です。

 中国武術の多くは表演武術として型の美しさを競う身体表現のレベルを高めることが目的化されているので闘い方は学びません。

 だから、闘えない訳です。だって、闘い方を練習しないんだもん・・・。

 でも、本来の中国武術は闘うために考案されて長く研究改良され続けてきたものなので、戦闘理論さえ理解すれば、あっという間に必殺武術に変身します! これは自信を以て断言します! え~、そりゃあもう、絶対に間違いない!

 仮に表演武術のチャンピオンでも私が指導すれば一日三時間で一週間も教えれば、本物の中国武術の遣い手に生まれ変わることができます!

 実際、以前、表演の中国武術しかやったことのない人がセミナーに来られていましたが、物凄い実力アップしてしまいましたよ。喧嘩やったら物凄い強いだろうな~と思う。

 今だに「中国武術なんか弱いよ」とか、「合気道なんかただの踊りだよ」とかほざいている人は、いかに自分が無知蒙昧で武の世界の広さを知らないか?という点を反省しなきゃいかんと思いますね。

 ただし、ルール決めた試合じゃあその強さは発揮できません。何故なら、試合向けに考案されていないからです。

 武術は生き死ににかかわる戦闘状況を勝ち残るために研究されてきたものなので、ほとんどの技が試合じゃ使えないんです。武器や隠し武器、毒までも使うのが、その証拠ですが、素手に限っても、通常の武道や格闘技の概念からは考え及ばないでしょう。

 攻撃一つ一つが確実に人体に致命傷を与えるためのものであり、これを試合で使えば、死人か半身不随になるかのどちらかでしょう。

 考えてみてください。目玉をくりぬく・耳を引き千切る・鼻の穴を引き裂く・喉仏を踏み潰す・金玉を掴み潰す・頸骨を捻り折る・背骨を踏み砕く・・・なんて技を解禁したらどうなりますか? 試合そのものが殺人未遂ですよ。

 でも、こういう技は武術では当たり前なんです。「やる以上は敵に情はかけるな。殺せ!」ってのが武術の考え方であり、だからこそ、「決してやってはいけない」と教える訳ですよ。

 で、唯一、実践が許されるのは、命がかかった時です。

 先週、地元の新聞の取材を受けたんですが、女性の記者の方だったので、「何で武術なんかやるのか? 使う機会なんか一生ないのでは? 相手が何人もいたり武器を持っていたり強そうで、とても勝てないと思ったら逃げませんか?」と言われたんですね。

 私は、「あなたは自分の子供が通り魔に襲われていたのを見たら、どうしますか?」って聞きました。

 すると、えっ?という顔をされて首を捻ってらっしゃいました。

「自分の大切な人が殺されそうになっていたら、相手が強かろうがどうだろうが、誰だって助けようとしますよね?」と言うと、「それはそうするかもしれませんね」と言われていました。

 私は最近、武術は弱い人間が自分や自分の大切な人達を護るために必死で研究してきたものだと考えています。

 どうしてか?というと、もともとが体格や体力に秀でた強い人間が考えたものじゃないと思うからです。

 体格が小さくて体力も腕力も人並み以下の人間が考えたような技術体系なんですよ。

 あるいは、老人になって体力も反射神経も衰えてしまってからでも遣える技術が武術なんですね。

 そりゃあもう~、よくぞここまで考えたものだな~?と感動してしまいますよ。

 私なんか、本当に全然、才能も素質も無かったし、努力も人一倍続けました(30前後の頃は一日10時間くらい練習していた)けど、思うような成果は得られず、普通に試合や組手をやっても勝ったり負けたりのボンクラそのものでした。

 けれども、武術って、こんな才能も素質もなくてもちゃ~んと体得できるし、年齢重ねても上達していけるんですよ。正直、今までの人生で今が一番、実力あると思いますし、恐らく、今後10年以上、向上していけると思います。

 才能も素質もない私がこれだけできるようになったというのは、武術がそれだけ優れているという証明ですよ。こんな素晴らしい身体文化は普通のスポーツには無いでしょう。

 中国や日本の武術が達したレベルは人間の通常の可能性を超えているんです。

 だから、武術や格闘技を描く漫画にも、そういう武術の凄さをリアルに描き出して欲しいんですよね。

 漫画の世界で中国武術の凄さをきちんと表現していたのは、第一に『拳児』であり、『史上最強の弟子ケンイチ』や『ツマヌダ格闘街』だと思います。

『バキ』も頑張ってるけど、やっぱり板垣さんは自分で中国武術やっていないから、ちょっと表現に首を捻るところがありますね~。合気道の塩田剛三先生をあそこまでカッコ良く描いたのは拍手しますが・・・。


 けれども、漫画にしろ小説にしろ中国武術を使うヒーローがリアルに描かれてない理由の多くは、我々、武術マスコミにかかわる人間が解りやすく表現してこなかった点にも原因があると思うんですね。

 中国武術の専門誌が無くなってから随分と時間が経過していますが、当面、復活の兆しは無さそうです。総合武術雑誌の『秘伝』だけがありますが、これも置いていない書店が増えていて、部数が減っているのは間違いないところです。

 恐らく、中国武術マニアがインターネットから情報を得ればいいと考えるようになったことも大きいのではないでしょうか?

 しかし、総合的な情報を提供する専門誌が必要ないとは思いません。結局、情報の偏りが読者に見透かされてしまったことと、専門的過ぎる知識や用語をそのまま羅列してしまう無愛想さが普通の武道や格闘技をやっている人達の偏見を助長してしまった点に遠因があったのかもしれません。

 それにしても・・・今どき、「あれが中国武術の秘技“発勁”か?」みたいに驚く描写というのも、私は逆の意味で驚かされてしまいました。

 発勁という言葉が紹介されて、もう40年くらい経過しているのです。それなのに、今だに実態が判らない神秘の技みたいに扱われている状況というのは、異常ですよ。


 次の本は、私の初めての武術理論解説書としたんですが、この一冊で発勁も合気も完全に理論解明するつもりです。格闘漫画を描いている皆さんは、是非、お手元に置いて参考にしていただきたいと思っています。

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本の紹介!

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僕はずっと裸だった 前衛ダンサーの身体論』田中泯著 写真・岡田正人 工作社刊

 私が、この世の中で最も畏怖の念で見ている田中泯さんの著書が出ました。

「泯さんが本を書いたらしい」と聞き、町田のあおい書店の演劇コーナーに平積みされていたのを見て、即買いました。

 私は泯さんが現代思想とかニューサイエンス方面の著名な人達と知り合いであるらしい?ということぐらいしか知らなくて、泯さんの思想がどういうものなのか?というのも、まったく知りません。

・・・というのも、私は“思想”なるものに対して、非常に拒否感を持っている人間なので、自分では思想を持たないように注意していて、思想的なる人との付き合いでは距離感を保つことにいつも注意しているからです。

 何故?

 喧嘩になるからですよ。

“思想”に付随するのは“権威性”です。これは避けようもなく必ず付いて回ります。

 私は権威的なるモノを見ると叩き壊してやりたい衝動にかられます。

 だって、不自然の極みでしょう。権威性は人間が生み出した最も醜い精神の産物だと思いますし、権威主義から生み出された様々な暴力のシステムによって、どれだけ多くの人が苦しめられ続けていることか・・・。

 私が思想を持たないということを、「それ自体が長野さんの思想であることに気づいていないではないか?」と評した人が数人はいました。

 が、私は自らの“思想”を持たないと言っているのは、“思想”というものに付随する権威性を持たないという意味であり、思想そのものは空虚な観念でしかないと自覚しているという意味なのです。

 人が思想をとなえる時、そこには厳粛な権威性を伴っています。

 そして、その思想に共鳴した人達がシンパとなって崇めていくことで権威が構造化されていきます。

 そうやって出来上がっていったのが宗教であり、政治であり、社会システムそのものです。

 これらの社会システムを維持するためには、思想を共有しない者を排除する現実的なシステムも必要となります。

 それが法による裁きであり、それを執行する警察や軍隊といった諸機関です。

 お解りと思いますが、警察や軍隊は暴力で強制的に支配する機関です。逆らう者は処罰されます。

 カダフィが惨殺された様子をニュースで見て、「ざま~みろ!」と思った人は、カダフィが傲岸不遜で残忍な独裁者であるという観念だけを刷り込まれている人でしょう。

 客観的に惨殺されたカダフィの死骸を見たら、「何て残酷なんだ・・・」と思うのが自然な反応でしょう。

 人間の自然な感情をねじ曲げてしまうのも“思想”と呼ばれる“洗脳”なのです。

 こういう構造的なルートがあることを意識しないまま“思想”をとなえる人を、私はたまらなく嫌悪します。

 そもそも、「俺の思想は・・・」とかしゃべくる人間の“醜怪さ”を感じないことが気持ちが悪い。

 だから、私は、思想をしゃべっている人は下品で嫌いです。

「長野さんは思想性が無くって本音だけだから、ダメだな~」とか言うような人間は、人間の底が浅いんですよ。

 わかってね~な~・・・と思うだけ。

 人間の本音は、どんな作られた美辞麗句より、遥かにエネルギーを持っているのです。


 さて、そういう訳で、田中泯さんの思想を聞いてみたいと一度も思ったことがない私ですが、泯さんがどんな想いを文章にしているのか?という点は、ちょっとだけ関心がありました。

“ちょっとだけ”というのは、泯さんはダンサーとして言葉では表現し得ない深いレベルで雄弁に語り続けて来ているのを何度も観てきているので、あの肉体とオーラが表現し語りかけてくるのと同等以上のものが言葉で語られるとは思えなかったからなんですが、それでも泯さんが言葉ではどう表現するのかな?という関心も無くはなかったからです。

 以前、泯さんの写真集を買いました。

 圧倒的な迫力がありました。が、それは田中泯の肉体と魂が写真の力で召還されている魔術的なエネルギーが感じられたからでした。

 今回の本も、有り難いことに、故・田中正人さんが撮った写真が多く掲載されていて、それがもう、一つ一つが素晴らしい!

 私は文章を読む前にページをめくりながら写真を眺めてため息をついていました。

 ようやく、文章を読みはじめましたが、泯さんが、師匠、土方巽に対する熱い想いがこれほどまでだったのか?という驚きがありました。

 私は、25年程前に熊本の牧堂文庫の蔵書で読んだ、江戸時代の古伝書『無住心剣術書』(夕雲流剣術の伝書を神谷伝心斎の派の人間が書き写したらしい)で、同流を崩壊させる原因となった三世、真里谷圓四郎を「大酒呑みで人柄が悪いように言う人がいるが、腕前を批判する人は誰もいない」と擁護して書いている弟子の川村秀東を思い出しました。

 武術の世界でも、最近は師をないがしろにして恥じない人間が多いものですが、泯さんが土方巽という異人(マレビト)と出会うことによって、決定的に人生が変わっていった様子がうかがえるようでした。

 私は、今まで、田中泯さんに親しみを感じたことは一度もありませんでした。畏怖と憧憬の対象でしかなく、せいぜい、ジョークを言って無理やり笑かしてやろうとイタズラ心を燃やす程度でしかなかったのです。

 これは、憧れている人にあんまり近づき過ぎるとロクな結果にならないという、これまでの人生での経験則からのものでもありましたが、今度、泯さんに会う時は、もう少しばかり距離を縮めてみようと思いました。


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「江戸しぐさ」完全理解』越川禮子・林田明大共著 三五館刊

 ひそかなブームを呼んでいる“江戸しぐさ”の解説本ですが、陽明学の研究家、林田明大先生の解説も加わることで、実に面白く読めました。

 林田先生とは、今年の6月にスコーレ家庭教育振興協会の親睦会でお会いしまして、名刺代わりに本をお渡ししたところ、私が講師をやっているシダックス橋本店宛に御著書『イヤな「仕事」もニッコリやれる陽明学』を贈っていただきました。

 すぐにお返事しようと思っていたものの、甲野さんと親しくお付き合いされている御様子だったので、「いや、俺と付き合って甲野さんとの仲が悪くなったら申し訳ないしな~」とか思っているうちにズルズルと時を過ごしました。

 ですが、新しい本を出したので、自伝本と二つ、お贈りしたんですね。御礼として。

 そうしたら、『真説「陽明学」入門』という本もお贈りくださいまして、また、御自身のブログで私の本の感想も非常に好意的に書いてくださいました。

 ここまでしてもらったら、遠慮していても仕方がないな~と思い、一度、直にお会いしてじっくりお話させていただければ・・・と思っておりますので、林田先生、どうぞ宜しくお願いします。

 林田先生は、何でも長崎は島原の出身だそうで、やはり中学時代にいじめを受けたとか、何だか私と似たところがあるな~と思いました。

 親睦会の時にお聞きしたのは、昔、新体道もやっておられたそうで、今は甲野氏の紹介で韓氏意拳を学ばれているそうです。

 ルドルフ・シュタイナーの研究をされて、陽明学の研究を専門にされるようになったらしく、禅やニューサイエンスにも関心が深く、クリシュナムルティーもお好きなようなので、多分、共通の話題はいくつもありそうで、今から、ちょっと楽しみです。

“江戸しぐさ”も、これから時代小説書く時の参考にさせていただければ・・・と思っています。

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こんな本を読んだ・・・

 電車が止まったり計画停電の影響で、仕事がさっぱり進みません。

 ジタバタしても仕方がないので、ここぞとばかりに深夜から明け方にかけて原稿書き、昼間は本を読んで過ごしています・・・。

 21日の月曜日は、会員さんに紹介してもらったイラストレーター志望の女性と打ち合わせしに小田急線相武台前駅に行ってきました。

 サンプルの絵を貰って仕事の進行の説明をざっと話して、帰りに町田のあおい書店に寄って本を8000円分くらい買ってきました。

 毎月買ってる『映画秘宝』は、高瀬将嗣先生の連載記事とホラー映画評論の第一人者である鷲巣義明先生の作品解説批評を読むのが楽しみです。偽悪的な雑誌のテイストが面白いから、結局、毎月必ず購読している雑誌は、これだけになってしまいましたね。

 お行儀の良い文章とか読んでも面白くありませんからね。この点は武道の本なんて糞つまらんのばっかりですからね~・・・。

 一応、資料的な価値があるからと思って以前はかなり高い本でも買い集めてきていたんですが、最近は、「こういうことならネットで調べたら判ることでしょ?」と思って、買わなくなりましたね。

 それでも、稽古の時に会員さんが言っていた、今野敏先生と押井守監督の対談本『武道のリアル』という本があったので、買いました。

 まだじっくり読んではいませんが、一般の武道本と違って、対談形式なので本音がバシバシでてきて、実にスリリングな(危ない?)内容になっていて、ちょっと、ドキッとしてしまいました。

 私は、ここまでよ~言えんな~と思いましたよ。狙われるから・・・。

 ま~、そういう問題発言がバシバシと出てくる勇気ある内容なのは、むしろ痛快ですけどね。読む側としては・・・。

 それにしても、「あ~、そうか~? 今野先生って中国武術とか全然関心なかったのか~?」っていうのは、ちょっと驚きました。

 考えてみたら、空手やってきた人って、案外、中国武術を評価しない人が多いみたいですね? 私は最初から中国武術に関心があって、それから空手にも関心を持ったので、「何で、中国武術を評価しない空手人が多いのかな~?」と不思議だったんですけどね。

 一つには、私の両親が旧満州で生まれてることも関係していると思うんですよ。戦後の引き上げ組なんで、どうかしたら残留孤児になってたかもしれないから、中国文化に対する憧れが物心つく頃からあったのかもしれません。

 それに、私がラッキーだったのは、小林先生や岩間先生、友寄隆一郎先生といった現代日本で真に使える中国武術の先生と出会えたことですね。やっぱり、実際に見ないとね。

 強い弱いは個人の問題ですが、技術的に奥深いのは、空手より中国武術であると私は確信して微塵も疑いません!

 どうしてか?というと、空手の技法・戦術・訓練法・身体運用法などは、中国武術の中に全部包含されていると思うからです。それは両方を修行してみれば誰でもそう思うだろうと思っています。

 私は、空手人は中国武術を知らな過ぎると言うか、知ろうとしてないように思うんですよね。それが非常に残念です。

 中国武術に有って空手に無い技はありますが、空手に有って中国武術に無い技はないと思いますよ。ただ、本土に伝わって以降は競技上で日本剣道の影響を強く受けたので、戦い方は剣道的ですけどね。伝統派は。フルコンはまた違うけど・・・。

 でも、沖縄空手を見ると、やっぱり技の用法とかは中国武術に非常に近いですし、ヌンチャクや棒、トンファー、釵、ティンベー・ローチン等の琉球古武器術はすべて中国や台湾、あるいはタイとか東南アジアに類似の武器が無数にあります。

 そういう点をもっと深く研究すべきだと思うんですけどね~。

 表演武術を見て「あれは実戦には使えない」と言うのも単なる勘違いだし、散打を見て「キックボクシングみたいだな」と言うのも勘違い。伝統武術を見て「う~ん、深い」と言う場合も、大抵、実は解らないからテキトーに言ってるだけ・・・。

 中国武術が理解できないのは、戦闘理論を教えてくれないから、空手の試合形式のフィルターを通してしか判断できないからですよ。

 中国武術の試合とか見てもフルコンタクト空手風にしか見えない場合が多いですが、それは戦闘理論の統一理解がないから試行錯誤している段階だから、致し方ないんですね。

 中国散打なんかシュアイジャオの投げをベースに打撃は圏捶と足揣脚で組み上げて独自の戦闘スタイルを作っていったそうです。そのスタイル作りの段階でムエタイや日本の空手道も研究して、「もっと違う中国武術独自のものにしよう」と考えて、組み討ち武術であるシュアイジャオをベースにしたと聞いています。

 これなんて、松濤館流空手道をベースにしながら試合スタイルを蹴り技中心にして差別化したテコンドーや、そこに大東流合気柔術をミックスしてもっと多彩な技法体系にしたハッキドー(合気道)のような朝鮮武道の成立のさせ方とも似てますよね。

 だから、あまり中国“拳法”っぽくないので文句を言う日本の中国武術愛好家が多いみたいですが、見た目と違って実際に学ぶと原理的には極めて中国武術らしい戦闘理論であるそうです。

 誤解されているのは、もともと、中国武術は空手のように離隔して打撃技の応酬で勝負を決するのではなく、打撃から投げ・逆技なども駆使して戦うのが門派を問わず普通なんですね。武器だって普通に練習するし、いくつかの門派を併習するのも普通。

 陳氏太極拳の実戦高手として日本の武術愛好家間でも有名な馮志強老師が、実は白猿通背拳の遣い手だってのは業界では有名な話ですが、拳型を見ると確かに通背拳で用いる透骨拳のように握られてる写真がありますよね。

 私も通背拳、通臂拳、孫ビン拳とかちょこっと習いましたが、ハイスピードで掌や拳を腕を背中から肩甲骨にかけて鞭みたいに完全脱力してバシュバシュバシュッて打ちまくるのって、ケンカ的には非常に有効なんですね。普通のパンチの三倍以上速く打てるし。

 ただ、コントロールが難しいので相手に怪我させるリスクがあるので、あんまり使わないようにしていますが、普通の格闘技しかやったことない人にやると面食らいますね。どうやって打ってるのか全然見えないと言われます。うちでは大石教練が上手いですね。教えたらすぐ体得してしまいました。

 そもそも、空手と合気道のどっちが強いか?と論じても全然解らないのと同じで、正確な判断をするには、同等に修行して比較検討しながら、それぞれの戦闘理論を十分に解析しなきゃいけません。

 そういう意味で言えば、この『武道のリアル』は、沖縄空手に対する今野先生個人の愛着から拡大させて他流を考えられている点に、正直言って多少の無理を感じざるを得なかったのですが(競技化されると技の精度は発展しますから上手下手で論じるのはおかしいと思う)、それは現在の日本の武道という文化の置かれている立ち位置の問題であるようにも思えましたね。

 日本では、トータルに武道・武術・格闘技を概観して分類分析できる専門家が育っていないんだと思いますよ。ネット掲示板には武術マニアは腐るほどいるでしょうが、彼らの中で本当に修行し実践してきている人は半分もいないでしょう。所詮、耳学問でしかない人が大多数だから、論外です。何事もある程度、実践しなきゃ何とも言えません。

 中国武術や古武術なんて空手や合気道の圧倒的な修行人口とは比較するのも愚かです。

 日本は、空手なら空手、合気道なら合気道、剣道なら剣道、古武術なら古武術、格闘技なら格闘技・・・という細分化した専門家だけが並列的にいるだけで、武道文化・武術文化・格闘技の社会学・・・といったトータルで、しかも技術的にも深く比較研究してものを言える人間がいないんだと思われます。

 例えば、高岡さんや日野さんなんかはそのポジションに立てる人なのか?という期待感があったのでしょうが、どちらかというと武術武道系身体論の文脈にカテゴライズされていましたね。

 それは、彼らの立脚点がビジネスモデルにあったからだと思うんですよ。

 両者共に自己啓発セミナー的手法に立っていましたからね。まっ、言葉を変えれば新興宗教的と言いますか・・・。この文脈で現在際立っているのは宇城さんですかね~? なんだか、大川隆法っぽくなっちゃいましたね~(苦笑)。

 武術武道系身体論の文脈を打ち立てたのは甲野善紀氏であって、その社会的影響力を見て、誰もが真似してしまった点に、武術・武道・格闘技の差異化が不問にされてしまった遠因もあったと思いますけどね。

 なんちゅうか・・・不幸ですね・・・。

 その点、今野先生と押井監督のドメスティックな対談本という中であっても、この本の価値は大きなものになる可能性はあるでしょう。

 社会的なモデルケースとしての“武道”なるものの正体に迫ろうとした・・・という一点で、例えば内田樹さんの武道思想本よりも、ずっと身近な説得力を感じられる。

 内田樹さんの武道論には思想はあっても理論が提示されていない。技術や戦術の構造的理論が示されないままなんで、説得力が欠けているんですよ。合気道と居合道とかしかやってないから、競技的な武道のぶつかりあいを経験してないのが決定的に致命傷になってると思います。

「で、それって戦って強いの弱いの?」って問いかけに対して、内田さんは多分、一所懸命、説明するんじゃないかな~? そんな気がする。ワイルドさが欠けてる。

「ゴチャゴチャ言わんとかかって来なさい」って言える風格ってもんが感じられない。だから、私は内田さんの武道論には魅力を感じません。何か、カッコワルイ。甲野さんに共通するカッコワルサを感じる。

 その点、『武道のリアル』は一言で言って、面白かった!

 細かいこと言ったら、いろいろありますけどね。そりゃあ、こちとら武術評論のプロだもん。「そりゃ~、違うでしょう」と言いたいところは大分、ありました。

 それでも日本では、こういう本はあまり出てこなかった。多分、海外には普通にあると思いますが・・・。

 うちの会員さん達が読めば、目くじら立てるような箇所はいくらでもありましたが、対談というのは問題発言が出てしまいがちなんですよ。特に武道業界の事情を知らない編集者がからむと、ビックリするほどムチャな内容の本が出てしまうこともあるんです。

 あっ、ごめん・・・。そういえば、武道の専門出版社から出た本でもムチャクチャ配慮に欠けた内容の本もあったな~・・・?

 一読して、「なんじゃあ~、こりゃあ~?」って卒倒しそうになった本があった。私の思った通り、告訴されたらしいけど・・・っつ~か、そんなの原稿読めば解るだろ?って思ったけどな~・・・武道系出版社には、そういうこと解んない編集者もいるんですね?

 お世話になっている会社の社長さんから、「長野さんは武道の専門出版社じゃなくて、アスペクト筑摩から出したから良かったんですよ」と言われたことあります。特に筑摩新書の本『使える武術』を読んでいただいたら、「これはロングセラーになる内容ですよ」と言っていただいて有り難かったですね。

 新書判コーナーにあるから、読んでない人もいらっしゃると思いますが、是非、宜しく(って、自分の本の宣伝かいっ?)。


 それはそれで、もう一冊・・・。

『マルセ太郎読本』は、田中泯さんの話も載っていて、マルセさんの白州での公演記録映像のDVDも付いています。

 私は、マルセ太郎さんのことは昔、TVで見たことがあるという程度の認識しかないのですが、上京して前衛舞踊関係の人達と繋がりができたり、一時期、武術研究のために舞踊をあれこれ観て回っていた頃に、パントマイマーのマルセル・マルソーにちなんでマルセ太郎という芸名になった・・・という程度のことは、どこかで読んだか聞いたかしたように思います。

 で、昨年だったか? plan-Bで貰ったチラシでマルセ太郎さんのことが書かれていて、泯さんと親しい方だったのか・・・と改めて思った訳だったんですが・・・。

 でも、正直いうと、この本を書店で手に取って買ったのは、泯さんの対談箇所があったからなんですね。

 私は、初めて泯さんに会った時は、何か怖くてですね~。あんまり喋れなかったんですね。

 と言うか、その後、多少は冗談言うくらいにはなったものの、相変わらず泯さんは怖いな~という印象があって、そもそもそんなに喋くり倒すような人じゃないので、こっちからベラベラ喋って怒らせたらいかんな~とか思わせるような孤高の人という感じがあるんですよ。

 近づき難いというか・・・。宮崎駿的というか、頑固なラーメン屋さん的というか・・・(違うかっ?)。

 私は元々、趣味とか嗜好が合う人とは狂ったように喋くり倒す人間なんですが、特殊な性癖過ぎるんで、話が合う人かどうかを見極めるのが大変なんで、自分から親しく普通に話しかけていくというのが、どうも、苦手で苦手で仕方がなくってですね。

 それでも比較的、芸術関係とかの人とは話せるんですけど、やっぱり圧倒的にアクション映画とかホラー映画とか武術のオタク話とかでないとダメなんですよね~。

 だから、セミナーの後とか稽古の後に参加者や会員と喋ってる時が一番、幸せですね。

 何といっても気楽でいい。私は質問に答えるだけ。後は馬鹿話して笑わせてるだけ。

 こういう一見、無駄なコミュニケーションの中からこそ、実はいろんなインスピレーションが浮かんできたりするんですよね。

 ただ、こういう関係性は私が上位構造にいる訳ですよね。王様状態。

 こればっかりじゃダメですよね。

 だから、青木先生や小林先生と電話で話すとか、泯さんや石原さんの踊りを観に行ったりするのは、上から降りてくる啓示のようなインスピレーションが得られて有り難いんですよね~。

 いや、自分で気づいていたことを再確認させてもらって「あ~、やっぱりそうだった」と思うことの方が最近は多いんですけど、私が考えていたのとは違う文脈で説明されるというのは極めて重要なことなんですよね。

 前衛舞踊の魅力は、私にとってはそういう啓示的な閃きを得られる点にあると思いますが、芸術(アート)・芸能(エンターティンメント)の区分と差異については未分化の部分というものがありますよね?

 私はその辺は拘りはありませんから、何でも良いと思ったら見て楽しめる。

 上手か下手かってのはあっても、流儀や派閥に優劣を冠して論じるのは凄く失礼だし馬鹿げていると思うんですね。観えるものが観えなくなっちゃうんですよ。もったいない。

 そりゃあ、上手であるのがいいに決まっているんですけど、上手か下手かでカテゴライズできない部分というのがどの分野でもありますからね。古武道大会なんか、典型例。それが判らないヤツはダメだと思いますよ。

 この辺りの私の感性は流派に拘らない点にも共通性があるかもしれませんけどね。

 話が長くなりましたけど、この本『マルセ太郎読本』の中で、「ほんとに怖い顔してるんですから、マルセさんは(笑)。」と泯さんが言っている箇所で、私は、ちょっとプッと吹き出してしまいました。

 確かにそりゃそうだな~と、本に掲載されているマルセさんの顔を見ると思うんですけど、「泯さんも結構、怖いよ?」って私は言いたくなりましたね~。

 でも、あの泯さんがこんなに喋ってるの?という驚きの方が大きかったですね。まあ、観衆の前で対談やってて喋らなかったらマズイんでしょうけど、それだけ田中泯をして喋らせるに値する人物が、マルセ太郎さんだったのか?と、私は思いましたよね。

 泯さんって、「何だコイツ・・・」って思ったら、フ~ンって全然相手しない人だと私は勝手に思ってるんですけど、土方巽を師匠と敬うのと似た感じでマルセ太郎さんを語られているのかな~?と、この本を読んでいて、ちょっと嫉妬に近い感覚もありました。

 あっ・・・そうか・・・なるほど・・・今、書いてて気づきましたよ。田中泯さんってあ~なんだろう、こうなんだろうって私が書いてることって、「俺は自分のこと言ってんのか?」って、今、気づきました。

 私が小林先生や青木先生や友寄先生について語る時も、こんな具合に喋ってるのかもしれませんね~。そういえば、セミナーに初参加した人から「もっと怖い人かと思ってました」って、いつも言われるもんな~・・・。

 だけど、怖く見える人って、本質を追究しているからなんだと私は思います。「まあまあ、いいじゃない・・・」というのを「俺は許さん・・・」みたいなところがあるから顔に現れるんだと思いますよ。

 マルセ太郎さんの凄さは、本で語られてることだけだとピンと来ないんですが、付属DVDを観て、ガァ~ン・・・って感じで痛感しましたよ。泯さんが心酔する筈だな~と思いました。天才とか言うより“鬼才”ですね。魔物的な練度で培われた芸ですよ。

 なるほど、恐ろしい人だ・・・と、私は久しぶりに思いました。必見!


『武道のリアル』エンターブレイン 1700円(税抜き)
『マルセ太郎読本』クリエイツかもがわ 2200円(税抜き)


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『マタンゴ 最後の逆襲』

 角川ホラー文庫で、東宝のホラー特撮の傑作として有名な『マタンゴ』の続編が書かれているという話を雑誌で知って、読んでみようかな~?と思いつつ、結構なボリュームにたじろいで未読のままだった、吉村達也の『マタンゴ 最後の逆襲』を、思い切って購読してみました。

 20代の頃は、一日に一冊は読まないと落ち着かないくらいの活字中毒だったんですが、30代以降はあんまり小説は読まなくなっていたんです。

 ここ最近は、文筆業の幅を広げるために小説にもチャレンジしようと思って、勉強のつもりで読むようになったんですが、年齢のせいか長編は疲れるので躊躇してしまうんですよね~。

 けれども、『マタンゴ』は、私が産まれた1963年の作品であり、子供の頃にTVで観て、ラストシーンのショッキングさにトラウマになった作品でもありました。

 いつも私の本のイラストをお願いしている漫画家の黒谷先生も『マタンゴ』がトラウマだったそうで、キノコがちょっと苦手らしいです。

 しかし、怖いものほど関心を惹かれるもので、「『マタンゴ』の続編なんて、どんな話なんだろう?」と、興味津々になってしまう人も多いでしょうね。

 何よりも、作者の吉村達也さんが、『マタンゴ』の後日談を見たいという気持ちが強かったのだろうと思います。

 ちなみに、『マタンゴ』の原作、ウイリアム・ホープ・ホジスンが書いた『闇の声』も読みましたが、映画とはかなり違った感じの短編です。

『マタンゴ』の翻案ではないか?と言われているのは、ルチオ・フルチの代表作『サンゲリア(原題はゾンビ2)』ですが、ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画がSF的なのに比べて、ヴゥードゥー教のゾンビに近づいた怨霊というか地獄の餓鬼みたいな感じのゾンビがフルチの作品からは感じられます。

 ヨット、南の島、怪物化する仲間・・・といった道具立ては、確かに『マタンゴ』が元ネタなのかも知れません。

 真似されるとすれば、それは設定が上出来である証拠でもあります。

『マタンゴ』がカルト的人気を持ったのは、極限状況に置かれた人間たちが本音を剥き出しにしていく点にあったと指摘する人が多いですが、キノコの毒性や麻薬性の恐ろしさをメタファーとしている点もあるでしょう。

 特に、謹厳実直な船長が仲間を置き去りにして独りで島を脱出しようとした点に象徴されます。


 この続編小説には、『マタンゴ』に敬意を払った仕掛けも多くありますが、それ以外にもいろいろな作品の影響が感じられます。

 狂言廻し的に登場している占い師の婆さんは、『幻魔大戦』のそれを思わせますし、主人公たち七人が都市伝説のフィールドワークにやってきてキャンプしながら樹海の前で話しているところなんかは、カーペンター監督の『ザ・フォッグ』を思い出します。

 他にも『溶解人間』とか『原子人間』『カプリコン1』『エイリアン』『REC』『地獄の黙示録』『怪奇大作戦』『シルバー仮面』『バイオハザード』『幻の湖』等の影響があるような印象を受けました。

 かなりのページ数があったのに、徹夜で読み終えてしまいました。

 非常に映像的なんですね。ホラーというよりSF。ただ、実写映画化は金がかかり過ぎて難しいだろうな~と思いました。

 これは、『屍鬼』みたいにノイタミナ枠でアニメ化したら非常に面白いんじゃないかな~?と思いましたね。


追伸;ニュージーランドの大地震。マグニチュードはそれほどでもなかったのに、縦揺れだったためか、被害の大きな災害となりました。地震大国と呼ばれる日本ですが、いまや世界中のどこで地震が起こっても不思議ではありません。犠牲者の御冥福をお祈りするばかりです。

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ツマヌダ格闘街、凄過ぎるぅ~!

 矢嶋師範代から新刊を貸してもらって読んだんですが、上山道郎先生の『ツマヌダ格闘街』、何か、スゲ~ですよ。

 内家拳の戦闘法を、ここまで理論的に分析して漫画で描いた人っていないと思う。

 いや~、ビックリしましたよ。

 やっぱり、作者は王樹金派の内家拳を実際に学ばれているんじゃないでしょうか?

 やってる人間じゃないと、こういう描写はできないと思うんですよね。

 形意拳の崩拳のフォームは、多くの派では正中線上に寄せて打つんですが、王樹金派では中心は開けて側軸で打つんですよ。これは特徴的なのですぐにわかります。

 一説には王老師が肥満体だったから拳を寄せられなかった?というものもありますが、多分、術理的な合理性からやっていたんだと思います。


 それと、トンファーとか武器の解説なんかもプロも真っ青の慧眼で、資料をあたったとは思うんですが、実に説得力ある説明で、漫画で解説するということの絶大な効果には唸りましたね~。

 ただ、ここまでマニアック且つ専門的に描かれると、ついつい“どっかにアラは無いか?”と思ってしまうもので、ドラエさんが袋撓を持っているところの撓の向きが反対(縫い目が前に来るように持つのが新陰流)でした・・・(スイマセン。癖でアラ探ししちゃいました)。

 また、荷物をラクに持ったり、階段をラクに上がれる方法というのは、甲野流身体操法の応用だと思いますけど、より分かりやすい解説にアレンジされていてセンスの良さを感じましたね~。

 この前、批判を書きましたが、その後、甲野氏の『増補改定版・剣の精神誌』ちくま学芸文庫を勉強のために買ってきて読んだんですが、いや~、こういう良質の研究書を出したという点だけで、甲野氏は価値ある仕事をやったな~と感心しましたよ。あれで虚言癖さえ治れば、単なるオモロイおっさんで、いい人なのにね~・・・。
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『宮本武蔵 剣と思想』を読んで

 前田英樹氏については、以前、甲野善紀氏との共著を読んだ時、あまりに独善的な印象を受けて、正直、あまり良い印象が持てませんでした。

「甲野氏とつるむのでは、その程度の人なんだろう」と思った点もありました(御承知と思いますが、私は甲野氏を武術家としてはまったく評価していません)。

 何よりも、私は“思想家”といった人種が嫌いなんです。

 人が“思想”という言葉を使う時は、何か自分が他に抜きん出た立派な人格と優れた知性の持ち主ででもあるかのごとくナルチシズムに浸っている風体がのぞいて、実に気持ちが悪いっ!

 思想というのは、人が個として生きるのに何の関係もない代物です。自分自身の守るべき信条があるとしても、それを「俺の思想だ!」と声高に周囲にアピールする必要もないでしょう。

 それを敢えて声高に言うということは、つまり、思想とは個人が社会的な存在として名乗りを挙げる権威付けのための人騙しの宣伝装置でしかありませんし、社会的制度的な性格の強いものであり、根っこの部分に他者を支配したいとする欲求が隠れていることを暗示します。

 よって、私は、オレ思想みたいなことを口上したがる人物は胡散臭く感じてしまうのです。シャレで言ってるか、あるいは学問として研究しているのなら、まあ、お好きにどうぞ・・・という程度の許容度はありますが・・・。

 でもまあ、私のこれまで出会った思想愛好者は、総じて自身の無能さを隠蔽するための自己憐憫的空威張りのネタとして“思想”を信仰していましたね。

 要は、自己の無能さの裏返しとしての、万能感に酔いしれるためのアルコールや麻薬、覚醒剤として“思想”を掲げている弱々しい人達でしたね。観念の世界で世の中を神の視座で見下ろしている喜悦に浸る癖がついてるだけなんですよ。わかりやすくいうと、“妄想癖”ですね。

 それはそれとして、前田英樹氏には何の期待もしていなかったけれど、相模原駅ビルの書店で『宮本武蔵 剣と思想』という、ちくま文庫の本を立ち読みしてみたら、思いの外、面白そうだったので購入しました。

 私の学生時代はポスト・モダンの現代思想ブームで、私も難しそうな本を結構、読んでいたんですけど、もう二十年以上、読んでないから頭がそういう話題についていけないんですよね。

 ただ、この本は武術についての本なので、割りかし、楽しく読めましたよ。

 そして、前田英樹氏の評価もぐっと上がりましたね。この人、かなり、解ってらっしゃると思う(上から目線ですんませんね~)。いや~、武術関係者でこういうこと解ってる人って、青木先生以外はいないと思っていたんですけどね。

 無論、思想家特有の抽象的観念的表現は具体性に欠ける側面もあるんですが、武術論としてはかなり本質をついているように思えましたし、かなり読み易かった。

 少なくとも凡百の宮本武蔵解説本の類いとは一線をかくしていると言えるでしょう。まさにエポックメイキングです。

 片手持ち二刀剣法の利をとなえた武蔵と、上泉伊勢守の比較論なんかは、ありそうでなかった論でしょう。

 いや、実に堪能できました。

 もっとも、難解さはある意味で他の宮本武蔵解説本より上なので、人様に薦めようという気はしませんね。

 多分、ここに書かれていることをまともに読解できる武術関係者は皆無に近いと思います(だって、武術にかまけてるヤツって、ものすご~く“頭が悪い”から)。

 文章にいろんな含みが潜在しているので、字ヅラだけ読んであ~だこ~だと論じても阿呆をさらすだけです。言葉一つに多角的重層的意味が秘められているので、一部分だけ取り出して論評しても、意味がないということです。

 例えば、武蔵の足の踏み様について前田氏が解説している点は、“厳密な”足の踏み方について解説しているのではありません。

 そもそも、“厳密に”解説しようとすれば、初心者と中級者、上級者ではやり方が変わってきてしまいます。一様に同じやり方を強いるのは間違いなのです。

 重要なのは、方法論に一貫して通底している原理であって、原理は応用させて形を無限に変化させ発展していかなくては実用の役には立ちません。そんなことはまともに修行していれば気づいて当然のことです。

 私が最近、初心者に教えるのが億劫になってしまったのも、私のやり方をそのまま教えても役に立たないばかりか害になりかねないからです。必然的に初心者に必要なやり方にレベルを数段落として指導する必要があります。だから、億劫なのですよ。

 前田氏の技術論は自身の達しているレベルからの理解で解説しているので、初心者には解らないし中級者にも難解でしょう。私は研究家だから、何とか理解できたに過ぎませんが、「あっ、これは具体的な技術論を書くつもりは全然ないな」と気づきましたよ。

 よって、書かれている点だけを批評しても、まったく意味がない。

 私が面白く読めたのは、私が文筆業をやっている人間だから読解力が人並みよりちょっとくらいあるからであって、一般の読者にはチンプンカンプンな箇所も多いでしょう。

 それと、スポーツ嫌いで剣道形は無意味だといった決めつけ方をするところは、お高くとまっていて、相変わらずの優越意識が鼻につくな~とは思いましたが、“そーゆー人”なんだと弁えてしまえば何にも問題ナッシング~ですね。

 解説者も、そんな風に思ったのかも知れませんが、前田英樹氏を“清々しいまでに「偏屈」な文章”とユーモアを交えて苦笑しながら書いている? 多分、前田氏は冗談を言わない甲野氏みたいな性格なんじゃなかろうか?と私なんかは思ってしまいましたね。

 何だか、おフランスな感じがします。フランス現代思想を研究されていたんだっけ?

 前田氏の話は甲野氏のところに居た時に若干聞いたのと、小用茂夫先生からも聞いていたんですが、特に小用先生は高く評価されていましたね。元新陰流兵法転会で、実力も高い小用先生が言うのだから間違いないと思いますよ。

 ちなみに、解説者の方が、“病床に伏した医者嫌いの合気の達人が無理やり呼ばれた医者を片手で投げた”という話を紹介し、「馬鹿話の類いでは断じてない」と書いているのが微笑ましいですね。

 ええ、もちろん、私は馬鹿話だなんて思いませんよ。その程度のことなら技の原理を理解すれば誰でもできると断言できますからね・・・。

 結局、武術というのは不可思議なパフォーマンスとセットで披露される傾向が強まっているので、なんだか摩訶不思議な秘術みたいな扱い方ばかりされてしまう点に問題点があると思うんですね。

 その上、理合について重層的な難解な解釈をされる傾向もあるので、思想的に語ることによって益々、実用を離れた特殊な技芸の領域に祭り上げられてしまう傾向もありますから、そういう意味で剣であったり武であったりを思想として語る営みには注意が必要だと思います。

 前田英樹氏は、その辺りの注意深さ(偏屈さや頑迷さと誤解される点)は持っている方のようなので、そこはまあ、偉いな~と思います。甲野氏のように肝心なところで嘘ついたりしそうにない・・・という意味で・・・。


 え~、ところで、刀で斬るということに関して、うちの会員さんも勘違いしていたことがあったので、少し解説してみます。

 先日の試し斬りで、ある会員がうまく斬れなかったのを見ていた別の会員が、「彼は足を一歩踏み込みながら斬っていたので、それで刃筋が狂ったのでは?」と、評していました。

 つまり、「ものを斬る時は、足をしっかり定めて斬るべし」という考え方を彼はしていることが判りますね。

 しかし、一歩踏み込む程度で刃筋が狂う腕ならば、足をしっかり定めていても刃筋は安定しないでしょう。だから、足を定めて狙って斬っても、多分、同じでしょう。

“姿勢を定めれば斬れる”という考え方は初心の考えなのです。そして、多くの武道家は、初心者向けの秘訣を一生手放そうとせず、だから、真の向上をしません。

 失敗の主な原因はそこにはありません。

 私が試斬の稽古をやらせている理由は、斬る姿勢を体得させるためではありませんし、むしろ、「しっかり足を固定して斬る」という運動を覚えてしまうと武術的には有害でしかありません。

 無論、まったくの初心者レベルならば、“刃筋を通すことで斬れる”ということを確認するためにはそれでもいいでしょう。

 しかし、ずっと同じことをやっていてはダメです。試斬で両手を寄せて柄を握るように指導したのも、暫定的なもので、自由に斬れるようになれば手の内はいろいろ変えて斬れるように訓練すべきです。

 試斬の弱点は、考えてみればすぐに解ることです。

 立ち止まったまま無抵抗で斬られてくれる敵なんかいる訳がない。

 動いて、しかも攻撃してくる敵を相手に的確に斬れるようになるには、大前提として、自分も自在に動き回りながら的確に斬れないとダメでしょう。

 だから、まだ、皆が慣れていないから、足をしっかり止めて刃筋がきっちり通るように斬らせているだけの話で、それが普通にできるようになったら、歩き回りながら斬ったり、型の動作で斬ったりもさせる予定でいるのです。

 やはり、武術なんですから、想定できる限りの実戦のシミュレーションに応じた内容の練習を積み重ねていかなくてはいけません。

 なので、斬る瞬間に一歩踏み込むことは何らマイナス要素ではないし、その証拠に切り口を観察すれば刃筋の侵入角度と切り口のザラつき、途中での“割れ”によって失敗の原因は判明します。単純に余計な力みが出て刃筋が通らなかっただけだったのです。

 試斬の専門家には異論のある方もいると思いますが、別に足元がフラフラであっても斬る瞬間に刃筋を通すことは可能です。

 要は、斬撃の一瞬に力がどう集中的に作用して斬撃力が発揮されるのか?が重要なのであって、姿勢だの呼吸だの手の内だの間合だのは決定的な秘訣ではないのです。

 日本刀は斬れるように作られているのですから、その機能をきちんと発揮できたら斬れて当然なのです。以前、刃の付いていない模擬刀でやってみた時もちゃんと斬れました。

 斬れないことに理由がある訳です。単に“下手”の一言で終わってはいけません。丹念に原因を探り出して修正していく地道な作業を怠ってはいけません。マグレで斬れた程度では技として体得したことにはならないのです。

 動画で出ていた剣武天真流の青木宏之先生が、竹薮で、スカッスカッと青竹を斬っている時の姿勢をよく観察してみたらいい。足で踏ん張って姿勢を固めて斬って・・・は“いない”のです。

 力の作用は運動の外見からでは判別しがたいものです。

 青木先生の最新の剣舞映像を剣道高段者の研究会内部で資料映像としたところ、その居着きの無さ、起こりの読めなさ、体捌きのスピード等に仰天し、「これは先天的な要素が強くてとても真似できるものではない」という結論に至った・・・とのことですが、それは剣道の身体操作の枠組みから見れば真似できないものでも、青木先生自身は明確に理論的身体運動の結果としてそうなることを確信し、必要なトレーニングを重ねられているのですから、単純に天才の一言で神棚に上げてしまうのは、ちょっと違うでしょう?と私は言いたくなりますね。

 やっぱり、無目的に稽古してもダメで、理論的に考えて、「これをこうやったら、こうなる筈だ」という予測をしながら稽古法を組み立てていかないと成果は出ないですよ。


 話を戻します。

 游心流で斬る対象として細竹を立て掛けて斬るようにしているのも、軽くて刃筋がちょっとでも狂うと跳ね飛んでしまう物を、的確に芯を捉えて斬ることが必要な条件でもあったからなのです。

 ぶっといマキワラを両断する醍醐味を求めるのも良いですが、武術的には細竹が斬れれば充分、致命傷を与えられます。

 堅い細竹が綺麗に両断できれば、水に浸して柔らかくしたマキワラを両断するのは簡単です。そうなれば、腕くらい斬り落とせるでしょう。

 しかし、動き回りながら、一瞬に抜いて斬るのは、別の複合的な技術が必要です。

 そして、武術で必要なのは複合的な技術なのです。「立ち止まって据え物が斬れても意味がない」と主張する人が多いのも、別に間違いとは言えないのです。

 もっとも、据え物すら斬れない人間が、動いて攻撃してくる人間を斬れるとは思えませんが・・・。


追伸;殺伐とした話題の口直し。チリの鉱山地下620m以上から救出された33人。良かったというか、凄い科学力ですね~。60mでも諦めるしかないような気がしますが、本当に世界中が注目して協力して救出したということには、世界が一致団結して平和な世界を築こうとすることも可能なんだという希望が感じられました。暗い話題ばかりの世の中で、21世紀の科学の力を見せつけてくれたと思います。本当に良かった!



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武術格闘漫画考

ツマヌダ格闘街』の最新巻を矢嶋師範代が貸してくれたので読みました。

 前回くらいから、「これは俺の本を結構、参考にしてるのかも?」と思っていたんですが、いや~、そうとばかりは言えませんね。

 私の嫌いな宇城憲治氏の本からも、ほぼそのまま参照したような技術解説コーナーがあったりして、そういえば初期の頃は私の大嫌いな甲野善紀氏の影響ありまくりだったし・・・相当、いろんな本(安田登氏の本の影響も感じました)を読んで研究しながら描かれているんだろうな~と思いました。

 無論、パクリだと非難したいのじゃなくて(オレにそれを非難する資格はな~い!)、漫画という表現の中でどれだけ武術の真相を解明していってくれるのか?という期待感で読んでいるんですね。

 下手な武術家の意味不明の技術解説よりセンスの良さを感じますし、私のような専門家が読んでも、なるほど~と感心する描写が時々あるんですよね。この作品の作者はタダ者じゃないと思うんですよ。情報の処理の仕方にセンスの良さがある。

 特に前巻の中国武術マニアの繰り出す予備動作ミエミエの攻撃を主人公があっさり躱す描写なんて、意外と誰も指摘しなかった弱点じゃないでしょうか? これに気づいているのは大した慧眼だと思いますよ。実際にやってる人間でも気づいていない人がザラ。

 気配を消すとか言ってる人が気配出まくりの攻撃したりするのを眼前で見て、「冗談かな?」と思ったこと、私もあります・・・。アレは哀しかったな~・・・。

 結局、世の武術家は技に関しても術理に関しても、戦闘の理合に関しても解説するのが下手な人ばっかりで、正直、何を伝えたいのか判らないんですよね。

 理論は立派でも、それを体現するのは非常に難しいということです。これは、真面目に修行している人は誰でも痛感していると思いますよ。

 例えば、私と年齢一緒くらいの人が試合に挑戦して負け続けているという話を小耳に挟んだんですが、私は嘲笑う気はしません。だって、自分がやっても、勝てないと思いますからね。

 私は護身術として使えることを目指しているので、試合で勝ちたいと思ってないから、試そうとも思わないんですが、「試合の場で実力を証明しないと認めてもらえない」と考えて頑張ってる人を、やりもしない人が嘲笑するのは意地が悪過ぎると思いませんか?

 私が一番、嫌だな~と思うのは、伝統武術を修行する人達には、そんな意地の悪い人間が非常に多い点です。

 やりもしない、できもしない人間が、頑張ってやっている人達を嘲笑するのは嫉妬や劣等感の裏返しでしかありません。だから、醜いんです。

 だから、『ツマヌダ格闘街』に登場した伝統中国武術マニアの描写は、極めてリアルなものだと感心してしまったんですよ。あの胸糞の悪くなるような勘違いして自惚れた連中の性格が、非常に正確に描写されているな~って・・・。


 さて、それはそれとして・・・、漫画というのは絵と言葉で解説してくれるから、ある意味、非常に優秀なテキストになり得るんですよ。

 もちろん、描いている人がきちんと理解していないとダメなんですけど、漫画家の観察眼というのは常人とは段違いだと思う場合がありますね。

 私の本で、いつもイラストをお願いしている黒谷薫先生も、武術経験はほぼないんですけど、やっぱりプロの漫画家の人は凄いな~と思うのは、モデルになった会員の自分で気づいていない身体のクセなんかまで正確に描かれるんですね。

 ある意味、本人より本人らしいんですよ。

 だから、もう、他のイラストレーターの方には頼めなくなりましたね。

 無論、プロだったら誰でも描けるか?というと、そんなことはないと思いますよ。

 例えば、月刊空手道の10月号(今月号)で、空手専門誌では欠かせない第一人者となった観のある漫画家の坂丘のぼる先生(全空連三段)がマスターズの試合に参戦されたという記事が掲載されていましたが、作家で空手家といえば今野敏先生がおられますが、漫画家で空手家といったら坂丘先生がまず思い浮かびます。

 坂丘先生は御自身が長く空手を修行されて子供たちにも教えておられる上に、雑誌の取材でいろんな武術にも触れられているので、描写が緻密で、躍動感があるんですね。

 芦原空手のムック本での漫画や、『空手のタマゴ』シリーズなんて、私は格闘漫画の隠れた傑作だと思います。私の周囲の空手やっている人達の間でも実はファンが多いんですね。北斗の拳や空手バカ一代が嫌いな人が坂丘先生の漫画だけは絶賛していたのを見たことあります。

 要するに、玄人ウケするんですよ。オリジナルの天下一武道会のような漫画を是非、描いて欲しいな~と心から切望しています。というか、坂丘先生にしか描けないよ!

 以前、松田隆智先生とお話していた時に、『拳児』の絵を描いた藤原先生も格闘シーンの描写が非常に上手いと絶賛されていたのを思い出します。

 ただ、『拳児』の格闘シーンは、とにかく相手が順突きで攻撃してくる率が異様に高くて、「そりゃあ、あり得ないでしょ?」って思いましたけどね。

 多分、モデルとして描く参考に松田先生が実際に実演して見せた時、お弟子さんがそういう攻撃しかしなかったからなんじゃないかな~?と思うんですが・・・。

 アニメでも実写でも、格闘アクションのところはセンスが凄く出ます。

 板垣さんの『バキ』も、少林寺拳法や空手や合気道やボクシングの描写はオオッと思うんですが、中国武術になると何かいきなり変な感じになる。烈さんが、トニー・ジャーみたいな戦い方したりするし・・・。

 いや・・・しかし、そもそも中国武術に関しては実際に修行している人でも戦い方を知らなかったりする(太極拳なんて打撃格闘技とは考えない方がいい)から、これはもう、しょうがないかもしれないんですけどね。

 比較的、いい線いってるな~と思ったのは、『地上最強の弟子ケンイチ』くらい?

『ツマヌダ格闘街』は、リアルな武術描写のできる希少な作品で、これからもっと化けるかもしれないので、見守っていきたいな~と思っております。

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追伸;コンバットマガジンの今月号の甲野善紀氏の記事の写真。書店で見てコワかったですぅ~・・・(泣)。日本刀(真剣)持って、メッチャ嬉しそうに笑ってるんですが、子供の時に見た日本妖怪図鑑に載っていた“わらひ般若”の絵にクリソツ過ぎるんですよ~。何で、こんな不気味な写真を使ってるんでしょ? ホワ~イ? 何か、編集部の作為的イタズラッ気を感じるのは私だけ? 「いいか? 人間は大義名分があれば、人を斬っても心が痛まないんだぞ・・・」と真剣眺めながら力説していた時の顔と一緒だったな~。大丈夫ですか? コーノ先生~っ! 人を斬ったら、心、痛むのが人間じゃないですかぁ~(泣)。自分が傷つくより他人を傷つけることのほうが心が痛むのが、人としてあるべき姿じゃないですかぁ~? アンタね~。神様気分で世の中、眺めるのよしなさいよっ! 脳みその腐った政治家みたいな考え方しちゃ~ダメだよぉっ! 爆笑問題の太田が安倍元首相に食ってかかってたけど、俺も同感。人殺しを正当化する大義名分なんぞ無いよ!


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追伸2;今度の木曜日の相模原本部の稽古会(事務注:9/2の稽古です)ではエアソフトガン使ったライフル射撃の基本を講習します。ライフルの構え方(スタンディング、ニーリング、プローン)、スリングの使い方、スコープの狙い方、ボルト操作、セフティの掛け方と外し方、トリガーの引き方、銃床の肩付けとチークピースの頬付けのやり方・・・といった基本的なことを指導します。用いるのは東京マルイの最新型プロハンター。ボルトアクションのハンティングやスナイピングで用いられるウインチェスターやレミントンの最もポピュラーな形のライフル銃を模したものです。国内でもしも暴動が起こって市民生活が危ぶまれるようになった場合、我々が最も現実的に入手する可能性がある銃は、ハンティング用のショットガンかボルトアクションのライフルでしょう。その意味でも基本的な操作法は知っておくべきと思います。これも現代で武術を学ぶ時に必須であると私は思います。昔の古武術は火繩銃の撃ち方も心得として稽古していたのですから、前々から基本的な銃の操作法も指導しようと思っていたんですが、今後はエアソフトガンで練習しておいて、一年に一回くらいはグァムとかにシューティング・ツアーに行きたいと思っております。普段、来れない会員さんも是非、どうぞ。(何か、着々とやりたいことを実現してきつつあるかも?)


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最近、読んだ本

 ここ最近、久々に小説を読んだりしています。

 何でか?というと、小説家(ライトノベル作家)を目指して本格的に修行しようと思ったからなのと、雑誌の書評とかで面白そうだと思った単行本を買った訳です。

 で、読んだのは、『達人、山を下りる』(中央公論新社・室積光)と『竹島御免状』(角川書店・荒山徹)です。

 私、少しばかり速読の練習もしていたので、早く読めないこともないんですが、速読すると視覚で文字をとらえるので、頭の中でイメージできないので面白くない。

 なので、読書を楽しみたい時は、速読しないでじっくり読みます。

 けれども、この二冊は面白くて一気に読み切りました。

 本当に面白かったですね~。

 こういう具合に面白く読めたのは『カンフーガール』(文芸社・八神かおり)以来かな~?

 面白い本というのは、一回だけじゃなくて、時々、読み直しても面白いもんですね。

 この『カンフーガール』も、武術描写がハンパでなく、ギャグもいい感じで時々、ちょい読みしたくなって手に取ると、結局、全部、読んでしまったりします。

 特に今回も読み直していて、主人公がデートの待ち合わせ場所にした新宿紀伊国屋書店の前なんて、「ゲゲッ、そういえば俺も昔、ここで待ち合わせてカレー食ったな~? 唐突に思い出したぞ」な~んて忘れかけていた元カノのこと思い出してしまいましたがな。

 金庸の武侠小説も、ドラマに嵌まって読むようになってから、いくつも読みましたよ。

 浪人時代から学生時代にかけては、随分、本読んでいて、小説も夢枕獏、菊地秀行、笠井潔、栗本薫と新書判の角川ノベルス中心に読んでいましたね。

 今で言うところのラノベも朝日ソノラマで読んでましたね~。やっぱり『幻獣少年キマイラ』と『吸血鬼ハンターD』が原点かな~?

 あんまり記憶には残ってないんですけど、古典的な夏目漱石や芥川龍之介、太宰治なんかも読んでいたんですが、これらは勉強している感じで娯楽じゃなかったですよね。

 娯楽として読んだのは、親父が好きで読んでいて家の書棚にあった柴田錬三郎の眠狂四郎シリーズや剣鬼、山田風太郎の忍法帖シリーズ、大薮春彦のハードボイルド物が始まりでしたかね~?

 どうも、普通の恋愛小説とかは読まなかったですね~。バトルがないと、つまんないんですよね~。

 せいぜい、ダニエル・キースの『アルジャーノンに花束を』くらいかな? あっ、これもSFだった。スペクトルマンの怪獣ボビーとノーマンの話の原案だし・・・。


 そんな訳で、小説も怪獣が出てくるとか幽霊話だとか武術家が戦う話でないと読む気にならないんですが、この二冊は非常に面白かったんですよ。

 よっぽど読みたいと思わないと単行本は買わないもんね~。文庫だったら、ちょっと買ってみようかな~?と思うけどね。

『達人山を下りる』は、ユーモア小説で、山奥で独りで暮らしていた80歳の古流柔術の達人が、孫娘がカルト宗教団体に誘拐されたのを知って都会に出てきて活躍する話。

 武術の描写はイメージだけなんでリアリティーはないんですが、必殺技が相手のツボを打ってお漏らしさせてしまうというそら恐ろしい技で、これをかけられると威厳も糞もない?というシャレた感じです。

 中島らもの『超老伝-カポエラをする老人-』をちょっと思い出しましたよ。

 そういえば、この作者も劇作家らしくて、中島らもさんと共通する感性があるのかな~と思いました。

『竹島御免状』は、真面目な?時代小説かと思いきや、作者の駄洒落と遊び心が炸裂していて、普通の時代小説好きの人達が読んだら腰抜かしてしまいそうな内容です。

 竹島問題について真面目に調べて書かれたらしいんですが、そんなことはど~でもよくって、要は、『魔界転生』の続編?なんですね~、コレ・・・。

『映画秘宝』だったかの書評に採り上げられていて、「そりゃあ、読まなきゃ~っ」と思って書店を探したんですが、なかなか置いてなくって、町田のあおい書店で見つけて買いましたよ。

 主人公は柳生十兵衛。ただし・・・91歳! ムチャ過ぎます・・・。

 流石に91歳の十兵衛が活躍しまくったらおかしいでしょうから、柳生一族の若き天才陰陽師!が主に活躍します・・・。

 陰陽師だから式神を操るんですが、これがもう・・・オイオイ、そりゃマズイんじゃないの?って感じで、耳をプロペラみたいに回して空を飛ぶウサギ“卯月”に、手足と頭を引っ込めて火炎噴射で回転して飛ぶ亀“牙瑪嵐帝(ガメランテと読む。うっひゃ~)”に、頭に搭乗して操縦する18mの巨大ハニワ“覇尼麻呂(ハニマロ。マジンガーZみたい)”に、大海亀の“武羅巴(ブラパ。ウルトラQに出てきたな~。こういうの・・・)”といったやりたい放題。

 敵の朝鮮妖術師が操るのも凄いでっせ~。妖星“蜈蠡須(オラス・・・妖星ゴラス?)”に、巨大藻屑蟹(多分、SF巨大生物の島に出てきたカニが元ネタだと思いまっす)、巨大アリジゴク(アントラー?)に、巨大魚、巨大赤エイ(ウルトラQに出てきたボスタングと妖怪説話“赤エイの京”が元ネタでしょうね)が登場・・・。

 なんかもう、やりたい放題です・・・。

 そして、『魔界転生』の続編?ですから、転生してきた剣豪もいます。

 柳生新陰流の柳生五郎右衛門に荒木又右衛門。それに、雖井蛙流の深尾角馬。

 特に、91歳の十兵衛は、荒木又右衛門が蘇ったことを聞いても、あんまり驚きませんが、どうしてか?というと、“二度目だから”・・・。

 そして、「ことは躇錯剣(ちょさくけん。え~っ!)に絡む問題ゆえ、詳しい次第は申されぬが・・・」と、かつての『魔界転生』の時のことをひそひそ話で語るのです。

 私が、この『竹島御免状』の粗筋を稽古会の後のファミレスで会員に話して聞かせると、北島師範なんて、また、私がヨタ話をしていると思って笑って聞いていたんですが、本を直接見せると、引っ繰り返りそうになっていました・・・。

 いや~、竹島問題が注目されるかと思ったら、こんなパロディ小説だったとは?

 普通に時代小説が好きで読んでいる人は、「フザケンな~っ!」と怒るかも? シャレがわかんない人が多いからな~・・・。

 でも、シャレがきつい以外は、ちゃんと綿密な取材と描写がしてあるので、読みごたえあります。

 よく考えると山田風太郎のも、こんな感じだったかも~?

 それにしても、80歳や91歳の老人が活躍するという話は、“武術の達人だったらジジーでも無問題!”というおおらかさを感じますね。

 実際、90歳過ぎても実力が衰えてなかった人にも会ったことありますよ。武術の世界では70歳くらいは「ベテランですね」って程度です。

 何か、若い人が活躍するドラマより、ジーサンが活躍するドラマとかつくったら面白いんじゃないかな~? 中国の武侠ドラマなんて、若い主人公より周囲のジーサン達の方がずっと強いし・・・。

 仙人の国だからかな~?


追伸;『剣武天真流』のDVDがもうすぐ発売されます。「超人的な実力を示すジーサマなんか武侠ドラマにしか出てこないよ」と思っている武道愛好家の方は、これを観て絶句してください。武道武術を嗜む者は、このあり得べからざる実在する大和武術最高峰の超老人?ミラクルを見逃してはいけませんっ! 気・剣・体が一致し、箱根の山の霊気さえ呼び出したファンタスティック・テクニックを、とくとご覧くださいませ。


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『現代霊性論』を読んで・・・

 武道論も書いている内田樹さんの対談本ということで、新聞の広告記事で、おっ?と思ったのが、この『現代霊性論』。

 しかし、正直言って、私は内田樹さんの論には、今一つ、賛同するところがありませんでした。

 どうも、甲野善紀氏と付き合うようになってから、武道に関してもおかしな理屈をつけるようになったように思えたからです。

 だいたい、合気道の高段位を持ちながら、何故、甲野氏の技の欠陥に気づかないのか?と不思議だったからです。

 甲野氏の技は見世物芸の典型例であり、まともな武技としての実用性は無きに等しく、現実に、ちょっとでもまともに立ち合うと連戦連敗。私の知る限りでも70人以上の人に負けており、ボロ負けした経験も少なくない・・・という、日本武術史上類例を見ない現代日本を代表する“偽装武術家”だからです。

 無論、別にどんなに弱くても、「武術に伝わる身体操作法の研究をやっている者です」という分には、特に非難するには当たらないだろうと思います。

 私が甲野氏を徹底批判してきているのは、彼が“自分は全然戦えないということを黙して語らない・・・それどころか本物の達人であるかのごとく周囲に思い込ませるための手練手管を日夜研究工夫している物凄い詐欺師体質の人物”だと認識しているからに外なりません。

 こんなバカチンを野放しにしていたら、日本武術、日本武道の将来に及ぼす悪影響は計り知れないものがあります。

 実際、彼の詐欺師体質に利用されて苦い思いをされた師範は少なからずいるのですし、あるいは二匹目のドジョウを狙って“第二の甲野”を目指すカルト武術屋も出てきていますから、こういう風潮は断固として徹底糾弾されなければいかんのですよ!

 それに、見世物芸しかできない人間を天下の達人扱いするのは阿呆を満天下に晒す行為でしょう? それが武道家を自負し武道論を為している・・・ということの“悲哀”と“滑稽”は底知れない羞恥の沙汰ですよ。

 もしも私が内田さんの師匠であったら、「この糞馬鹿者! わしの顔に泥を塗るか? 恥を知れっ!」と怒鳴って、顔面にマジで蹴り入れてますね。

 仮にも武道の専門家で「甲野先生は大武術家だ!」なんてほざいているヤツは、どれだけ名前と地位のある人物だったとしても、私は「目ン玉、腐っとるな~、この人」と、思いっきり軽蔑しますね。

 そういう次第で、私は内田樹さんの武道家としての物凄い見識の無さにはガックリしてしまっていた訳ですよ。それ以前のムック本なんかで読んだ論考とかは慧眼を感じさせていたから、余計に「どこに目ぇつけてんだよ、このオッサンは?」って思いましたよ。はっきり言っときますけど・・・。

 ただし、新刊本でも書きましたけど、およそ試合をしない合気道や太極拳、中国武術などを実践してきている人には、師範クラスであっても甲野氏同様に唖然となるくらい脆弱な人がいるのも現実ですからね。

 それこそ、フルコンタクト空手を数カ月やっている程度のハイティーンのローキック一発で撃沈させられてしまった・・・なんて話は珍しくもありませんから、多くのフルコン修行者や格闘技実践者は、それらの武術には怪しいものというイメージしか持っていないようですね。

 つまり、“戦えない武道家(趣味道楽で稽古しているだけで現実に戦うことを想定していない武道の本質が抜け落ちた者、あるいはそこに無自覚な者)”なんですよね。

「内田樹先生も、その手のタイプなんだろうな~。マジで怒るのも大人げないか~? 所詮、学者が趣味で合気道や居合道やっているだけなんでしょ~」と思って、多くを望むのは間違いだと納得していた訳です。

 そんな訳で、この本に関しても、興味を惹くテーマではあるものの、屁理屈だけで無内容なんじゃないかな~?と思っていた訳ですよね。


 ところが、どっこい・・・この本は面白かったですね~。書店でパラパラッとめくって速読してみたら、オオッ?と思うようなことが書かれていて、これはちゃんと読むべきだと思って買ってきた訳です・・・。

 無論、武道だの武術だのについて書かれた本じゃなかったという点と、対談相手の釈徹宗氏(宗教思想)が、単なる仏教学者ではなくて宗教に関する全般的な知識と見識、新宗教とカルトの問題点なんかにも慧眼を持たれているのが解って、島田裕巳なんかよりずっといい!

 私は、正直、こんな宗教学者の方がいるとは思ってなかったですよ。

 何に関心したかっていうと、この人は東西オカルトに関しても、かなり知識を持っているようだし、その上で仏教者(浄土真宗)としての立ち位置にもブレがない。

 おまけに日本拳法をやっていたのだそうで、日本拳法と言うと防具付けて実際に殴り合い投げたりする武道ですから、その厳しさは合気道とは異質のものです。

 だから、優しく説いていても言葉に厳しさがありますね。迂闊なことを言って世の中に間違いを広めたりしてはいけない・・・と自覚しているようなフシも感じました。

 そんな人との対談だから、やり取りを概観していると、内田さんの人柄なんかも概略、読めてくるんですよ。

 それで、「あ~、なるほど、ウッチー(内田樹)は、相当、クセ者なんだな~? ということは、甲野チャンの問題点を知った上で面白がって付き合っている可能性があるかもな~?」と思い至ったんですね。

 釈氏は、かなり真面目で一本気なところのある性格に感じられますが、内田さんはまあ、ぬらりひょんみたいな性格なんだろうな~と思いましたね。

 そこが独特な無責任さに見えてしまう。全共闘世代の評論家に多いタイプですね。私はどうも、あの世代の人達とは相いれないというか、文句つけたくなることが多いんですよね~。何か、妙にイラッとするんですよ。

 その内田さんのイラつくところを釈氏が和らげてくれているというか、持ち味を引き立てているというか、対談ならではの読み易さにしてくれています。

 でも、個人的に笑ってしまったのは、内田さんが、ちょこちょこっと甲野氏の話を持ち出すところなんですが、私は本人をよく知ってるから、「そうそう、アルアル・・・(苦笑)」って思ってしまうんですよね。

 カルマ(業)についての甲野氏の話なんかは、恐らく私にイジメられた甲野氏が悩みまくった揚げ句に“合理化したカルマ論”を周囲に吹聴しているんだろう・・・と、むしろ、噴き出してしまいましたよ。

「相変わらず、バカだね~?」ってのが私の偽らざる感想。

 そういう、ごまかし方をするところが業が深いっちゅうんですよ。自分がキリスト様かなんかだとでも思ってんでしょうね。自己愛性人格障害者の典型例ですな・・・。

 まあ、内田さんにとっての甲野氏は、珍獣を見るような感覚なのかな~?

 あっ、そうそう・・・「仮にも師と仰いだ人物に対して無礼千万なもの言いをするのは人として未熟である」といった“浅薄過ぎる礼節論”持ち出す人が武道関係者には多いから、はっきり申し上げますが・・・「個人的心情を持ち出して事実をねじ曲げて語る者のどこに“真”があるのか? 礼節論を持ち出して真実を暗ます者は偽善の徒である。恥知らずは礼節を語るべからず!」と・・・。


 とにかく、『現代霊性論』、面白いから、興味のある人は読んでみるといいですよ。


PS;民主党の副幹事長が小沢批判を公言したという理由で辞めさせられたそうですが、民主党の器の小ささにはガックリきますね~。小沢さんはスターリンみたいになりたいのかな~?

PS2;クロマグロ問題、予想外の大逆転でビックリしましたね~。


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『ツマヌダ格闘街』7巻に意味深な描写が?

 中村晴一先生から教えてもらって読んでいる『ツマヌダ格闘街』。

 何か、物凄く武術のディープなネタが織り込まれていて、この作者は一体どなたでございますか?って言いたくなります。

 新刊を矢嶋師範代が貸してくれたので読んだんですが、ほぼ確定的に私の本も読んで参考にされているだろうな~?と思いました。

 いや、無論、文句が言いたいのではありません。

 むしろ、「どうぞ、どうぞ、使ってください」って感じです。漫画でプロ顔負けの武術描写が出てくるというのは痛快というよりありませんよ。

 今どき、武術の大家と世間的に広く知られている人間が、実は物凄いヘッポコだったりする“本質が観えない御時世”で、漫画の方が正しいなんて、愉快じゃないですか~?

 それにしても、ここまでディープに武術の術理や勝負の理合について解説していくと、読者の方がチンプンカンプンになりゃしないかな~?とも思えるんですが、そこがまた漫画というメディアの強みで、非常にわかりやすいんですね。

 文章だけだと伝わらないし、映像で見せても細かいポイントが判らない・・・伝えるメディアとしての漫画のチカラは凄いものがあるな~と痛感しますね。

 それにしても、今回、オヤッ?と思ったのは、座禅を体験に行った主人公が、少林寺で心意把を修行したと自慢する中国武術マニアの男と手合わせして、予備動作ミエミエで攻撃してくる男を簡単にあしらってしまう・・・という描写のところでした。

 これって~大学の中国武術サークルとかがモデルなんじゃないかな~?と思いました。

 要するに、ブランド意識ばっかり肥大していながら、武術以前の格闘のイロハも知らないマニアに対する作者なりのアンチテーゼとして描いたんじゃないか?と思いましたね。

 私、昔、中国武術の専門誌のライターやらせてもらっていたから、中国武術マニアを多く見たんですけど、勘違いはひどいし、自己顕示欲と屈折した優越意識が肥大した欺瞞的性格の人間が大多数をしめている肥溜めみたいな業界だな~?って、思いましたよ。

 まっとうな人って、むしろ表演武術をスポーツとして愛好している人だったりして、伝統武術を修行しているって言う人は、なんかもう顔付きからして邪気を発散させていたり、異様にふんぞり返って、「俺の発勁が当たれば内臓が破裂して死ぬからさ~」なんか言っちゃったりして実演してみせるのがヘナチョコ過ぎて笑っちゃう・・・みたいな・・・。

 こりゃあ、まともに武道や格闘技やっている人達から相手にされないのは道理だな~って思いました。もう、人間としてクズ!みたいなのが多い。

 ですから、私は「中国伝統武術をやっています」と言われただけで、もう、口もききたくなくなります。そのくらい嫌い! 「きっと、こいつもキチガイに違いない」と反射的に思ってしまうからです。

 無論、凄く実力のある人もいますよ。

 でも、実力あるけど性格はな~?って思う人も多くて、どっちも優れた人って数人しか会ったことありません。

 だから、「中国武術のいい道場はありませんか?」と聞かれた時は、「そうですね~。高小飛先生のところくらいかな~」としか言えませんね。

 そんな訳で、私は中国伝統武術を本格的に学ぼうという気持ちにはなれなかったんですよね。あの、ミョーな権威主義を振りかざしたがる阿呆の巣窟みたいな雰囲気が気持ち悪くって・・・。

 それに、私は日本人だから気質的に日本武術に愛着ありますもん。海外の武術や格闘術の“いいな~”と思う部分を採り入れて発展させていくのが楽しいのです。

 人間、過去を有り難がって発展を拒否するうしろ向きな生き方をしちゃダメっスよ。


 さて、話は変わりますが、NHK時代劇『寺子屋ゆめ指南』を時代劇専門チャンネルで見ていたら、“千葉チャンVS林邦史朗先生”というゴージャスな展開があって、ビックラこいちゃいましたよ~。

 いや~、本放送、ちゃんと観とけばよかったな~・・・。

 千葉チャンは失明した剣術道場の先生で、主人公の剣の師匠役なんですが、実の娘で女優の間瀬樹里さんとの対決の回もあったりして、意外に立ち回りが凝ってる作品だったんですよね~。

 それにしても林先生が刺客団のリーダー役で登場された時は唖然としましたよ。

「ええっ? 林先生と千葉チャンが対決するの?」って感じ・・・。

 立ち回りも、千葉チャンが失明しているのに気づいた林先生が刀の先に鞘を浅くさしておいて誘うというようなトリッキーな小技を使ったり、なかなか見所がありました。

 もう、十数年前の作品ですが、つい、数年前に見ていたような気がします。CSは有り難いですね~。

 クレジットタイトルでは日大の殺陣研究会の名前があったり、「あ~、これが剣伎衆カムイに繋がっていったんだろうな~」とか、ちょっと感慨深かったですね~。

 やっぱ、殺陣はいいよね~・・・。


追伸;時代劇専門チャンネルで三月に、若山富三郎先生主演の『道場破り』が放送されるそうです。これって、名作『雨あがる』と同じ原作なんですよ。『道場破り』のタイトルで長門勇主演で映画化されていたり、藤田まこと主演でTVシリーズ化もされていたんですよね。私も若山先生版があるとは知らなかったんですが、これは楽しみです・・・。




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『刀匠 河内國平という生き方』を読んで

 久しぶりに代々木の刀剣博物館に足を運びました。

 どうしてか?というと、町井勲先生がブログでお薦めされていらしたからです。お目当ての刀は古備前の真恒です。

 当日は第五十五回重要刀剣等新指定展の最終日。来国光や包永、貞宗、一文字、長光、金重、青江吉次、長曽袮興里虎徹、津田越前守助広、陸奥守忠吉、大慶直胤、藤原清人(源清麿の弟子)といった名工の作が並んで壮観でした。

 日曜の稽古会が終わって、軽くファミレスで食事しながらお喋りし、それから向かったんですが、ちょっと博物館の開館時間の終了が迫っていたので、この日は防具も用意していたんですが、いったん家に帰っている時間が惜しいので、家が近い会員に「これ、部屋の前に置いておいて~」と頼んで、駅から直行しました。

 横浜線で橋本駅へ、そこで京王線の急行に乗り換えて、都営新宿線の初台駅で降り、終了時刻まで一時間しかなかったんですが、まあ、ざっと観るには充分です。

 お目当ての真恒を見ると、「兵庫県 町井竣哉」となっていましたが、これって町井先生の御本名なんでしょうか? 私と同じ名前だったとは? ちょっとビックリしました。

 そういえば、うちの流派は游心流、町井先生は修心流・・・なんか似てる。光栄です。

 外にも、インターネットで悪口書かれまくってるところなんかも似てる? まあ、陰で誹謗中傷するようなヤツは武術やっていても未熟者なのがバレバレだから、気にする必要はありませんが・・・。

 それにしても、古備前、真恒・・・お薦めされるだけの気品のある刀でした。小さい切っ先で定寸の直刃。飾り気のないシンプルな渋い作柄で、武人の好む刀だな~と思いましたよ。

 古備前というのは、備前刀で有名な長舩派や一文字派より古く、平安後期から鎌倉初期の頃の、友成や正恒、包平が有名なそうです。いや~、スンゴイですね~。町井先生の真恒は、『図説・日本刀大全Ⅱ』に掲載されていた正恒の刀の写真とそっくりでしたけど、ひょっとして同一人物? 不勉強で私は判りません。刀に詳しい方、教えて~!

 無論、ここに並んでいる刀はどれも逸品揃いで、私は薙刀直し刀の一文字に痺れましたね~。どうも、派手なのが好きなんですよね~、私は・・・。

 ささっと観て回って、さくさくっと帰ろうと思ったんですが、受付のところで売っている刀剣関係の本の中で『刀匠 河内國平という生き方』(写真・文 宮田昌彦 里文出版)という本を買いました。

 写真集なんですが、推薦文を作家の山本兼一さん(『いっしん虎徹』が注目された)と写真家の織作峰子さんが書かれていて、河内刀匠の言葉とかが相田みつをみたいな語録になっていたり、陶芸家の樂吉左衛門さんとの対談が載っています(これがもう伝統工芸に生きる芸術家同士の話で物凄く示唆に富んでいます)。

 本当にこの本は素晴らしいですよ。武術修行とか芸道を歩いている人にとっては重要なヒントがちりばめられています。

 私は田中泯さんと話しているような印象を受けましたね。一脈通じるような気がする。

 芸術の分野の中でも工芸の世界は、製作過程そのものは職人の世界ですよね。けれども、身体芸術の世界も自らの身体を自在に表現し得るレベルに練り上げていく過程は工芸と共通すると思うんですね。

 無論、武術もそうです。格闘技と決定的に異質なところが、この芸術的な世界観なんじゃないかと思います。美意識だの思想だのというコトバは権威主義的でイヤラシイから大嫌いなんですが、そういう意図的な“あざとさ”じゃなくて、もっと原初的な感覚の中に立ちのぼってくる“これだ”って思う瞬間は確実にあるんですよ。

 無理に言葉にすると、“面白い”と思う感覚。私の求める感覚としては、“美しい”より“面白い”なんですよ。“面白い”といわれるのが最高の誉め言葉ですね。

 この言葉の中に大抵の要素が含まれるでしょ? キレイもキタナイもスゴイもバカバカシイもカッコイイもカッコワルイもニクタラシイもカワイイも、対極的な反対の意味も含めて“面白い”と表現できるでしょう? 

「俺は嫌いだけど、コレ、面白いね」とかね? 物凄く不合理なんだけど成立しちゃうんですよ。このコトバは・・・。つまり、意味性を超越しているんですよ。

 私は、割りと映画なんかでも名作と呼ばれる作品よりチープなB級作品の中のキテレツなシーンに惹かれるんですね。面白いシーンを撮ろうとしているでしょ? そこがカワイイからいいじゃないですか? シャレっ気があって・・・。

 私は、やっぱり、シャレの解るイキな人が好きですね~。糞真面目な人ってつまんないしね~。

 やっぱり、私も、もっともっとスットコドッコイなことやってアバンギャルドな人間になって、周囲の人達から珍獣扱いされるようにならんといかんな~と思ってます。


 それはさておき、河内刀匠の言葉じゃありませんが、奥さんが、「お父さんが必死になって三十年かかって工夫してきた技術を、ちょっとしたことで辞めたい言うような、ナサケナイ人に教えなアカンのかと思もたら、くやしいて悲しいて言葉にならへんわ」と語っていたというところは、何か、最近の私自身の気持ちを代弁してもらっているようにも思えました。

 本当にね~、やる気があって来たのなら、それなりに黙って続ける姿勢は欲しいですけど、耐久力が無さ過ぎるな~と思いますよね。

 武術やりたがる人は神経が細過ぎますよね~。結局、続く人って体育会系の人だけだったりするもんな~・・・。

 河内刀匠の奥さんの気持ちは、よく理解できますね。

 この本の帯には、「この生ぬるい世の中を、一刀両断する!!」と書かれていますが、確かに今の世の中、優しさと弱さの区別のつかない生ぬるい人間ばっかりだよな~と思いますよ・・・。


追伸;月刊空手道に倉本成春先生が出ておられました。剛を極めて柔に至っている数少ない現代の達人だな~と思いました。これは絶対、見た方がいいですよ。

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武術格闘物漫画『ツマヌダ格闘街』

 武友の熱烈推薦で、「武術の描写がメチャメチャ詳しい。作者が実際にやっているとしか思えない」とのことで、どうしても私の講評が聞きたいらしく、宅急便で漫画本を送ってくれました。

 その作品は『ツマヌダ格闘街』(上山道郎・少年画報社)。

 ストリートファイトで町起こしする妻沼田市(千葉県津田沼市がモデルみたい)という架空の町を設定し、イラストレーターを目指して上京してきた少年が、謎の古武術“明道流”を継承するメイドさんの指導でストリートファイターとしてメキメキ実力を上げていく・・・という物語。

 明道流って、メイド流をもじったんだそうです。

 武友が大推薦するだけあって、ある意味、『拳児』(原作・松田隆智)や『柳生連也武芸帳』(とみ新蔵)みたいな武術に関するウンチクがリアルです。

 ただ、メイドや『みゆき』(血の繋がらない兄妹)、女装コスプレなどの今風のアニメ要素が前面に出ているので、武術に詳しくない人が読んでも気づかないかもしれません。

 が、一連の甲野善紀さん本(一本歯の下駄や身体操作のコツとか)や『秘伝』ネタを活用されているようなんですが、どうも、私の本や、ひょっとするとDVDも参考にされているのかも?(交叉法や“読み”について)と思えたりもしました。

 片足で立って胸を押させておいて化勁で流してすっ転ばせる・・・って、そのまま教材用DVDで実演してたし、三、四人に掴みかからせておいて転身で振り飛ばしたりするのもやってるからな~? まっ、私も元ネタは塩田剛三先生とかからパクッてるから文句言うつもりは一切ないし、ひょっとして私以外にもやってる人いるだろうし・・・。

 主人公のライバル役で登場する王青年の設定なんて、台湾の王樹金一門を参考にしているフシもある(その割りには陳式太極拳。王樹金の太極拳は陳ハンレイが楊式をベースに形意・八卦の要素を加味して制定したもので陳家溝で行われているものとは全然別)。

 でも、太極拳の実戦性を非常に上手く表現してくれていて嬉しいですね~。

 こういう描写は確かに太極拳を修行していないと解らないんじゃないか?という気もしますが、この作品の面白いところは神秘の気のパワーとかに逃げないところで、武術のウンチク以外にも身体操作の仕組みについてなるべく合理的に解説しようとしている点にあります。

 健康法みたいなことも描いていたり、正直、「ここまで書けば逆に理解できる武術家・格闘家は少ないんじゃないかな~」と思いますし、知識の上では、最早、武術研究家と名乗れるレベルだろうと思いましたね。

 それくらい武術の核心に触れるような表現をしていて驚かされます。

 最近の作品では『地上最強の弟子ケンイチ』が、かなりリアルな武術の知識の裏付けをもっていたと思いましたが、その“質”に関してはこちらが上ですね。

 もちろん、『刃牙』や『ホーリーランド』もリアルでしたけど、前者は最近、ファンタジーの世界に入り込んでるし、後者は格闘技寄りで武術的な要素はほとんどありませんでした。

 このブログでも度々書いているように、要するに、武道・格闘技と違って、武術(日本古武術・沖縄空手・中国武術・インド武術・インドネシア武術等々)に関しては技術や戦闘法がまだまだ理解されていないので、イメージ的な“神秘武道”といったカテゴライズを当てはめてアンタッチャブルにしていたように思います。

 だから、やりたくとも表現のしようがなかったということでしょう。

 しかし、この作品では、そういう誰も(専門家すら)できなかった流儀を超えた武術の技と戦術、戦略について横断的に表現しようという志しが見られるのです。

 第一巻とかだと甲野流の身体操法を武器に武術の解析をしているフシが感じられますが、太極拳の王姉弟が登場した辺りから少し変わってきて、第五巻では無構えの理について解いているし、空手の師匠が登場する第六巻になると、心法に関する解析が出てきます。

 この辺のことを書いているのは私くらいしかいないんじゃないかな~?と思っているのですが、まあ、もし参考にしてもらったとすれば、それは嬉しいだけです。

 また、武術としての忍法も出てくるし、武術の理合を表現して現代の武道や格闘技と戦う時の戦術を描写している点が画期的と言えるでしょう。

 イラストレーターなどが一瞬で動きの本質を観て取る能力に長けている・・・といった描写も、私の本でいつもイラストを描いてもらっている黒谷薫先生の例で納得がいくところです。

 だって、うちの会員が何年稽古していても気づかないような点を一目観て解ってしまうんだから、驚きましたよ~。いつも、写真撮って描いてもらっているんですが、自分でも気づいていないような体の癖がイラストでは解るんですからね。

 よって、この作者は資料本やDVDから技を成立させる動きの原理を洞察して描いているのではないかな~?という気がしますし、むしろ、武術やってる人より解ってるかもしれない。そういうことってあるんですよ。

 よく、「技を体感しなければ解らない」と言われるんですが、観の眼が養成されている人間なら、見学しているだけで技をそっくりコピーしたりできるんです。

 だから、昔かたぎの武術家は徹底して自分の技を人に見せなかった。自分ができることは他人にもできる・・・と考えて隠したんでしょうね。

 それにしても、沖縄古伝空手の描写のところは、てっきり宇城さんの本を参考にしているのか?と思ったら、突きの捻りで相手の蹴りを擦りそらせて突き込む・・・といった技の原理は、もしかすると私の本かDVDを参考にしたのかな~?と思っていたら、その空手の先生が登場したのを見て絶句してしまいました。

 何と、私が尊敬し畏怖する数少ない武術家のお一人で、賢友流空手道二代宗家、友寄隆一郎先生にそっくりなんですよ~。

 普段着のセンスといい、身長の設定とか姿勢とか体型とか、ちょっとガラッパチなものの言い方とか、妙に似ている?

 しかし、「あっ、やっぱりこれは友寄先生だ!」と思ったのは、挑んできたフルコン空手家の前に無構えで立ち、相手が出そうとする寸前に「ローキックか」「ジャブか」と予知してしまうという天真一刀流の寺田五右衛門ばりの“読み”を示すんですけど、「これって友寄先生のマンマやんか?」と思いましたね~。

 もちろん、特定の人をモデルにした訳ではない(翁長先生の娘さんとか御殿手の上原先生の要素もかいまみえる)と思うんですが、私の知る友寄隆一郎先生のイメージと非常に近くて、レストランで御馳走していただいた時に、「相手から目を離すな。肩を落とせ。脇を開くな・・・」と細かく注意してもらって、ステーキを味わう余裕もなかったのを思い出しましたよ。


『ツマヌダ格闘街』・・・確かに武友が推薦するだけありました!

 アニメにするには少し地味な感じもあるけれど、『ホーリーランド』の時みたいに深夜ドラマとかでやったら面白いんじゃないですかね~?

『聖龍伝説』以来の本格武術ドラマになるかも?(って、この作品、誰も覚えてないかな~? 安達祐実主演、片岡鶴太郎、JJサニー千葉、佐竹雅昭、シンシア・ラスター、ケイン・コスギ、長谷川初範等が出てた武術格闘ドラマだよ。でも、何で安達祐実が主演だったのか、今でも謎です・・・)

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本の感想

『居合道虎の巻其の弐』スキージャーナル刊

 昨年出た『居合道虎の巻』が好評だったからでしょう。第二弾が出ました。居合道というのは現代武道の中で他人と競うのでなく、「自己と競う」という点に特徴があります。
 年とってもできるし、「強くなる」という一般的な武道とは違って、「技を深める」という点に目標が据えられます。他人と競うのが嫌いな人に向いている武道と言えるでしょうね。


『読むだけであなたは身を守れる・テクニックのいらない護身術』小森君美著・スキージャーナル刊

 同じ著者の前作に物足りなさを感じていたので、店頭で見た時に買おうかどうしようか?と逡巡したんですが、武術の護身性を研究している身としては読んでおくべきだろうと思って購読しました。今回は、概ね、賛同できましたね。“護身術というのは武道や格闘技をバリバリやっているような人間ではなく、弱者にこそ必要性があり、また、長くトレーニングしなければ体得できないものでは意味がない”という主張には大賛成! 制敵のテクニックより心構えや危機回避の方法論について書かれている点に好感が持てます。


『公開!沖縄空手の真実』東邦出版刊

 おなじみ、ブドーラ・ブックスの最新作でDVD付きムック。ここ最近、空手関係者が注目する沖縄空手にコンセプトを絞った点に興味津々。いたずらに沖縄空手こそが本物だ!みたいな論調でないところが良いですね。自信のある人は自分から強がって見せたりしないものです・・・。


『オーケンの、私は変な映画を観た!!2』大槻ケンヂ著・キネマ旬報社刊

 大槻さんのヘンテコな映画への偏愛っぷりがうかがえる映画評論本の第二弾。もうね~、読んでみて?って言うしかありません・・・。うちの読者的には、カラテ映画系に関するウンチクが素敵過ぎます。何か自分が書いたような錯覚に捕らわれたんですけどね。


『多読術』松岡正剛著・筑摩書房刊

 松岡正剛さんというと、“編集工学”という理論を掲げる哲学者で、異常なまでの博識で有名な人物。その博識っぷりの理由が、これまた異常なる活字中毒にあったことが初めて判りましたよ。こう見えても、私もそこそこの活字中毒で、毎日2~3冊は雑誌や本読まないと落ち着かない人間なんですが、学生時代は哲学書とか宗教学や心理学の本とかを発狂したみたいに読んでいて、当時、ノートに書き殴っていた文章とか引っ越しした時に荷物から発見して読んだ時は、「うっわ~、俺ってば、マジで気ぃ狂っとったんやね~」と、妙に感心してしまうくらい意味不明でした・・・。当時の文章スタイルで本書いたら、十冊も売れないだろうな~? そこいくと、この本は小難しいか?と、気張って読んでみたら、何か妙に面白く読めてしまいましたよ。別にギャグ書いてある訳じゃないんだけど、何で、こんなにスラスラ読めるんだろう? うん、面白かった! お薦め!
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『髑髏城の七人』随想

 劇団☆新感線の代表作を小説化したという『髑髏城の七人』の文庫版を、去年、町田のあおい書店で見つけて面白そうだと思って買っていて、そのまま忙しくて読んでいなかったんですが、原稿書きの合間に読み進めてみたら、これが非常に面白くて一気に読了しました。

 作者の中島かずき氏は、最近、幅広く活躍されているみたいで、アニメなんかも手掛けられていたような?

 だからなのか、伝奇的なファンタジー色もあって、時代小説にありがちな作劇法とは異なる現代的な感覚で読みやすいものでした。

 そうかといって、時代小説としていい加減なのか?というと、そんなこともなくて、里見八犬伝とか、山田風太郎の忍法帖シリーズよりはリアル?ですかね~。

 織田信長の二人の影武者の対立を軸に、生きていた森蘭丸、雑賀衆の女、サンカの女、傾奇者、武装農民、異能の刀匠、風魔一族、剣豪としての徳川家康・・・とかが入り乱れる奇想の時代絵巻・・・。

 いや~、本当に面白かったですよ。

 七人というところは、大傑作『七人の侍』を彷彿とさせますが、キャラクターに頼らずプロットが魅力的でしたね。

 武術には、築城術も含まれていたりするんですが、これは兵法の一環としてです。高い城を築くには芯柱が必要で、ここから“御柱衆”という城作り名手のサンカの一族を出してくる辺りの考証が上手い!

 中島かずき氏は相当、いろいろ勉強されているんだな~と思いました。

 徳川家康が剣術修行に精進していた(新陰流の柳生宗矩・一刀流の小野忠明・奥山流の奥山休賀斎・新当流の松岡則方に学んだとされる)のは割りと知られていて、相当な腕前だったとされますが、だからといって家康の遣い手っぷりを描こうとは普通は思わないでしょう。

 家康の遣い手っぷりを描いたのは、私の知る限りではキムタクが若き日の家康を演じて現代にタイムスリップしてくるというファンタジー作品(タイトル失念)と、『風雲・真田幸村』で若山富三郎先生が家康を演じた時くらい。

 刺客に襲撃されたのをトンボをきって躱すと抜刀一閃で刺客を斬る・・・という最晩年で身体も満足に動かなかった筈なのに余人には真似できない殺陣スキルを自ら演じて見せていました。

 ただ、この時の家康は影武者だったという裏設定があったみたいで、若山先生演じる家康の影武者と北大路先生演じる真田幸村の一騎打ちをクライマックスで見せる予定だったろうと思うんですが、多分、若山先生の体調が優れず、やむなく中止したんじゃないかな~?と思っています。

 なので、読んでいる時に家康こと狸穴二郎衛門の活躍するところは、若山先生のイメージがかぶりましたよ(長門勇もちょっと入ってたかな?)。

 それから、雑賀衆の鉄砲の描写も詳しいし、古式銃の勉強をされているのが解ります。

 火繩銃の銃身を切断してバラ弾20発を詰めた早合(火薬と弾丸を和紙で一つにして装填しやすくしたもの)で、ソウドオフショットガン?とか、五郎入道正宗の相州伝の鍛刀についてもチラッと披露している蘊蓄が正確でした。

 サンカについてもウメガイという両刃の短剣を重要なアイテムとして出していて、サンカについても資料をあたられたんだろうな~と思いました。

 ところが、これはもう仕方がないところですが、ナイフマガジンで連載している関根秀樹氏の「刃物の民俗誌」では、ウメガイはサンカ研究の第一人者とされる三角寛の捏造だったと考証されていて、山岳漂白の民としてのサンカそのものの実在にも疑問を呈されています。

 サンカ(山窩)については既に民俗学の分野で実在したとして論が進められているものですし、多くの小説や漫画にも登場しています。

 けれども、関根氏の説にはウメガイという短剣が日常生活用の汎用ナイフだという三角の説への疑問点が的確に指摘されていて、非常な説得力があります。

 私は、マタギが遣ったという汎用ナイフ(剣鉈)のフクロナガサをもってますけど、まさかこれも捏造ってことはないでしょうね?

 サンカの実在を示す証拠は実際には無い訳で、逆に三角が示した証拠が捏造だったとすれば、導き出される答えは一つ、「サンカは実在しない」ということになるでしょう。

 広く定説となったものを根底から否定するのは並大抵のことではありません。

 ウメガイの捏造だけでは論拠に乏しい。けれども、関根氏はサンカという言葉は大正時代の警察の隠語で浮浪の盗賊団体を示していたということも提示しています。

 いやはや、関根氏の説はサンカにロマンを託してきた人達の脳天をガツンとブン殴るような衝撃的なものですが、真相究明は学問の基本。是非とも連載を纏めた本を出していただきたいものと熱望します。

 そういえば、ショーケン主演のサンカを描いた映画『瀬降り物語』は、奇怪な映画でしたよ。なんか後半のテイストがいきなりドロドロになったような・・・?

 なんだか、三角寛って、全身小説家みたいな人だったのかもな~?

 いつも思うんですけど、研究家の中には自分で意図的に捏造した説を発表して権威者になりたがる人がたまにいるもんですが、こういうことをすると後々の悪影響は計り知れないくらいになるんですね。

 いわゆるバタフライ・エフェクト(蝶の羽ばたき程度が波紋を広げて大きな問題が発生すること)ですよ。

 武道・武術の世界は、こういう捏造体質が物凄いから、本当、トラブルの巣窟だし、私もいろいろとね~、反感買ってナンダカンダとありましたよ。感情的な人ばっかりだからね~。事実を前にしても認められない人が多いから、そういうのも含めて、武術の研究家としてやっていけるのはオレしかいないかな~?なんちゃって・・・。

 昔、甲野ちゃんからいわれたことありましたね~。「事実のみ貴しとする人間だ」ってね(非情な人間だという非難的ニュアンスでいわれたんだけど)。まったく、おっしゃる通り。くだらん解釈で事実を捏造する人間は研究家とはいえませんよ。

 だから、関根氏は本当に勇気があるな~と思いましたね~。
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『千葉真一改め和千永倫道』を読んで

 営業で神保町に行った時、書泉グランデの地下の映画本のコーナーを眺めるのが習慣なんですが、千葉ちゃんの自伝エッセイが出ていたので、ソッコーで買いました。

 文章量はそんなにないので、サクサクッと一気に読めます。

 そして、感想を述べれば、「流石は世界の千葉ちゃんだ」の一言。

 真田宏之や堤真一が去っていったところも悔しかった気持ちを吐露しつつもサラリと流して無問題! 爽やかなスポーツマンのイメージのまま。

 いや、実際はそんな割り切れるようなもんじゃなかっただろうと思いますよ。私も何人か破門にした会員に関しては、残念だったり腹立ったりだから、そんなに簡単に割り切れるものじゃないと思いますよ。

 まあ、時間も経過して活躍している元弟子たちの姿に嫉妬するような男にはなりたくないというプライドが働いているんだとは思います。

 けれども、真田さんや堤さんには、日本の芸能界に於ける千葉真一の存在は大きかったですから、その庇護下にいたら、いつまでたっても自分の理想には到達できないという気持ちもあったと思いますよ。

 これは普通のことであって、親から離れて独り立ちするのが男として当然ですからね。

 男として生まれたからには、第一の目標は“親父超え”なんだと思います。

『巨人の星』も『刃牙』もそうでしょう。

 私も高校の校長までやって地元の教育現場で若い先生たちから慕われていた親父を尊敬していたし、だからこそ、「教師にだけはなるまい」と思いましたね。

 何故か? 教師になったら親父と比較され続けるでしょ? 絶対に勝てないと思ったから、最初は医者を目指した訳です。漠然とだけど、親父はよく医者と間違えられていて、そのうち教師じゃなくて医者になった方が良かったと思っていたらしく、息子三人に医者を目指すように言い続けていたみたい。

 ところが息子は親ほど勉強の出来が良くなかったから医者にはなれなかった。それでも兄貴と弟は医療関係の大学に進んだ。私だけは完全に普通の人生のレールから脱線したままフルスロットルで突っ走ってしまった・・・。

 親父にはもうちょっと私が活躍しているところを見せてやりたかったんですが、2006年に亡くなりました。アスペクトの最初の本を見せられたのがせめてもの救いです・・・。


 千葉ちゃんの主張は男のロマンそのものだしサラッとし過ぎている感じもするんですが、それこそが数々のヒーローを演じ続けてきた男の意地なのかもしれません。

 男は笑って過去を水に流して明日だけを夢見るものなんだぜっ!とか言いそうです。

 あ~、この時代錯誤なまでのアナクロ野郎っぷりは素敵過ぎますぜっ!


 大麻で騒がれてる相撲界やエンセン井上とか、格闘技の世界にダークな話が蔓延する御時世ですが、何か金に心奪われ過ぎてる人間が多過ぎるんじゃないスかね~?

 千葉ちゃんの暑苦しいまでの理想を求めるロマンチストっぷりは、格闘技の世界に住んでる人達が忘れ果ててしまったものを感じさせます。

 もっとも、私は何でそこまでハリウッドに拘るのか?が解らないんですけどね。映画俳優にはハリウッド・コンプレックスがあるのかな~?

 世界のクロサワ、世界のキタノ・・・日本映画の素晴らしさを見せつけたからこそ世界に注目されたんじゃないかな~? 
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『空手のタマゴ3黒帯への道』感想

 月刊空手道で連載していた漫画『空手のタマゴ』の第三弾が出ていたので、早速、買って読みました。

 ジークンドー、上地流空手道、白鶴門食鶴拳の三つを採り上げた内容で、結構、武術寄りの内容だったことで私も即買いした訳です。

 ジークンドーというのは、言わずと知れたブルース・リーが創始したJKDのことなんですね。漢字で書くと“截拳道”と書く。

 以前、レンタルビデオ店で“截拳道”というタイトルの中国のものと思しきDVDを借りて見たところ、これが全然、JKDとは似ても似つかない格闘術で、しかもヘナチョコだったもんですから、「何じゃ、こりゃあ~?」と唖然としたことがありました。

 考えてみたら、ブルース・リーがJKDを創始して教えていたのはアメリカであって、中国できちんと習って伝承している人がいるのはおかしいんですね。ブルース・リーの弟だって全然できないんだし・・・。

 まあ、せめて詠春拳やって「ブルース・リーと同じ葉問老師に習っていた」って言うんだったら許せるんですけど、こりゃあ、いくらパチモンでも中身が全然違うんだから論外でしたけどね。

 真相は判りませんが、私の聞くところでは、海外ではブルース・リーに習ったと自称して勝手に「これがジークンドーだ」と言って道場を開く人間が物凄く多かったらしくて、実質的に二代目を任されたダン・イノサント師父がブルース・リーのリンダ夫人の許可を得てJKDの資格認定を統括しているようです。

 それで、日本でもイノサント師父に学んだ人が数人はいるそうなんですが、私の聞く限りでは正式に認定されているのは中村頼永先生だけだそうです。

 実際に映像で見比べてみても中村先生が頭一つ抜けた実力だと個人的には思います。

 この『空手のタマゴ3黒帯への道』では某氏が採り上げられて監修されていますが、確かにイノサント師父に直接学ばれた方ではあるそうなんですが、果たしてJKDを名乗って教える許可があるのかな~?という疑問は拭えませんでした。

 また、ターキー木村、テッド・ウォン両氏のインタビュー記事(多分、フルコンタクトKARATEに掲載された記事と思われる)なども入っていましたが、関連性の無い記事を一つに纏めるのは配慮の欠けた処理だと言わざるを得ません。

 武術・武道の世界は人間関係が非常に複雑なので、同じ流儀の同門であるからといっても実際は犬猿の仲である場合も多々あって、編集サイドが考えもなく組み合わせて本にしてしまえば問題になる場合もあります。

 私も似たような失敗で謝りに行ったことあるので、「オイオイ、これってマズイだろ?」って思っちゃいましたよ。

 まあ、ジークンドーの技術自体は正式に学ばれた方らしい勉強になる内容でした。


 それから、上地流の先生は私の地元、相模原市の先生で、実は一度、お会いしたことあるんですが、ギロッとメンチ切られてコワイよ~と思って、「ここはアッシの方からご挨拶して・・・」と思って御挨拶しましたところ、ハッとした顔で「あっ、今日は・・・」と返してくださって、ホッとしましたね。

 ほら、アッシは見た目がからっきし武道家っぽくないんで、「インチキ臭いヤローだ」みたいに思われたかも知れませんからね。普通の人間ですよぉ~ってアピールしとかないといけません・・・。まっ、会ったと言っても、それだけなんですけどね。

 上地流はうちの理念とは真逆みたいですが、鍛えに鍛えた貫手と足先蹴りは刃のようですげぇな~って思います。ちょっと拳道会を思い出しますね。

 でも、下地派上地流ってなってたのは何か正統云々のトラブルがあって派を分けたんだろうな~?と、ここにも武術の正統継承問題を感じましたね。


 白鶴門食鶴拳も非常に面白かったんですが、これも『武術(ウーシュウ)』に掲載された記事を採録してあって、「これはマズイんじゃないの?」って思いましたよね。

 白鶴門の劉一門は秘伝について伝統的な考え方が強いと聞きますが、書籍が出た時に食鶴拳じゃなかったのが気になっていたんですよ。

 編集する側はそんなことは気にしないですが、一門の中では技を一つ公開するにも論争になるものです。

 例えば、外国のある一門の套路を本で公開したら破門にされちゃった・・・なんてことが何度もあります。

 私もいつも経験あることなんですが、取材した時の情報が本に載る頃にはガラッと状況が変わってしまっている・・・なんてことが、この業界では凄く多いんですよ。

 十年も二十年も前の雑誌に載せた記事を、中身を確かめないままムック本に載せてしまったりすれば、トラブルが起こらない道理がないんですよ。編集者が入れ替わってしまったから調べようがないのかも知れませんが、それならば過去の記事を流用すべきじゃない。

 何か、情報はタダだと思っている人がプロの中にすらいますけど、そんなことはないんですからね。

 さてさて、それから・・・この本は、「『月刊空手道』編集部 編」というのが太字で、その横に「まんが・坂丘のぼる」って細字で載っているんですが・・・ちゃ~んと坂丘さんに印税あるいは稿料は支払われるんでしょうか?

 な~んか、「雑誌掲載の時に原稿料払われてるから無しね」な~んて言われている様子が目に浮かぶのは私だけかな~?

 文字書くのと漫画描くのでは単純に労力だけ考えても数倍から十倍は違う筈で、例えば、原作者付きの漫画家の場合でも稿料や印税のパーセンテージは漫画家の方が多いものだそうです。

 そりゃ、そうだろ~と思いますよ。私、一冊分の原稿(400字詰め原稿用紙に換算して350~400枚くらい)書くのに頑張ったら正味二日で書けますけど、漫画の場合は、アイデアを思いついてからストーリーの構想を練ってネーム(設計図みたいな大まかな下描き)を描いて、編集者のOKが出てから仕上げ作業が終わるまで16ページの分量で二週間以上はかかるみたいです。

 だから、作品の出来を無視すれば、漫画描くのと小説書くのでは、小説の方が問題にならないくらい楽だと思います。漫画が小説より遥かに売れるというのも労力を考えたら当たり前の話でしょう。

 小説家が映画監督しても面白くならないけれど、漫画家が映画監督したら結構面白かったみたいな話も聞きますが、漫画を描く作業は映画のシナリオ、美術、小道具、大道具、撮影、キャスト、演出、殺陣、スタント、照明、衣装、振り付け、記録、編集など、ほとんどを一人(あるいはスタッフ数人)でこなすようなものなので、順応しやすいからだと思うんですよ。

 だから、漫画原作の映画は作者本人に助監督で本職を付けて撮ったらいいと思うんですけどね~。それなら『ドラゴンボール』も心配ないのに・・・。

 まあ、だから、私が言いたいのは、『空手のタマゴ』は坂丘さんの漫画力あってこその本なんだから、きちんとお金を渡してあげてねっ・・・ということが言いたかった訳。

 とにかく、何やかやと文句も書きましたが、この本はここ最近の武道本の中では一番面白かったです。坂丘さんの絵で『真説・芦原英幸伝』(監修は英典館長でね)とか格通とかゴン格で連載してアニメ化、映画化してくれないかな~?
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書評

マンガを読んで小説家になろう!』大内明日香・若桜木虔 アスペクト

 あの~、別にアスペクトから出ている本だから書評に採り上げた訳ではなくてですね。

 マジメに、この本が凄く面白かったので、是非、いろんな人に薦めてみたいと思っただけなんですね。

 今、私も“小説も書ける文筆家”を目指している最中なんで、この本は正に目からウロコが落ちまくるような内容で、実に面白かったんですね~。

 特に、私みたいに文学を勉強したことがない人間にとって、「小説家デビューする作法」「小説家として食っていく秘訣」「一発屋で終わらないための秘訣」なんかをもったいぶらずにズバリと書いてくれているところがサイコーですよ。

 いや~、アスペクトさんはいい本を出してくれてますね~。

「小説家も職業であることは変わらない」という一文は、甘い夢だけ見て努力しない人達に対して現実を突き付ける感じでカッコイイです。

 私も勇気がわいてキタァ~ッ!・・・かな?
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『暗黒マット世界』はヤバ過ぎ・・・

 ゴン格でも吉田豪さんが採り上げて書評していた『暗黒マット世界』ですが、私も裏話として聞いたことがあった話が、劇画化されるとウゲゲッ!って感じで目眩がしました。

 BUBKA編集部・編となっていますが、告訴必至の内容に備えてか、フィクションと言い張る居直りっぷりには、『噂の真相』からポリシーを排除したかのごときシャレッ気が利いていて、もう、笑うしかありません。

 でも、四年くらい前、私の甲野批判論を読んだBUBKA編集部からの連絡があった時は、極めて良識的で感心したことがありましたね。きちんと仁義を通してましたよ。

「文章責任は僕にしていいですよ。でも、他の先生方には御迷惑がかかるとマズイので名前出すのは僕だけにしておいてください」と言っておきましたが、かえって恐縮されたみたいで誌面には露骨な内容は書かずに私の当時のホームページを紹介しただけでした。

 別に書いてしまっても嘘じゃないんだから困らなかったんですけどね。今は私の知ってることはほとんどブログで書いてしまっているし、“件の手紙”もホームページに出してます。

 これは、名誉毀損で訴えるとか言われることも想定していたんですが、甲野氏側からは内容証明一つ来ていません。下手につつくとマズイ事実(ほとんど犯罪行為)が白日の下に晒される危険性があるから触りたくないんでしょうね。

 少し前に出していたら、ドキュメンタリー映画(『甲野善紀・身体操作術』)とか出ていたり取り巻きが強力だったからもみ消しに躍起になったと思いますよ。甲野氏で商売しようとしていた人達にとっては、金づる潰されたら敵わないと思う筈だから。

 でも、やっぱり旬の人ではなくなったものか、メディア関係からは一切、連絡ありませんでしたね。週刊誌とか飛びついてくるんじゃないか?と思ったんですよ、本当は。その時は、あらいざらい喋りまくってやろうと思ってましたもん。

 もっとも、正直、私は甲野氏には恩義もあるから、それをやるのもな~っ?って思う面もあったし、ただ、自己の売名のために武術を利用して間違った情報を広めるのさえしないでいてくれれば文句言うつもりはないし、このまま武術の世界からフェードアウトして、身体操作の研究家としてのみ地道に活動するのまで潰そうなんか思いません。

 やっぱ、人間は適材適所だもん。需要と供給のバランスで成り立っているのが世の中なのは否定しませんよ。完璧な人間なんかいないのも解ってます。

 甲野氏だって、いつまでも古武術の達人っぷりを演じ続ける猿芝居人生で、武術に無知な人達の関心をつなぎ留め続けていくのは辛いでしょう。

 微塵も実力がないのは業界的には有名な裏話なんですが、世間的に有名な人の正体を暴いたら可哀想過ぎると思ってか? 私以外の誰も糾弾しないですからね。だったら、周囲が説得して花道つくって引退させてやんなさいよって思いますよ。


 それにしても、武術の世界は嘘で凝り固まった業界ではありますからね。私もそのうち、暴露本でも書こうかな~? 『暗黒武術魔界』とか?

 でも、『暗黒マット世界』ですが・・・いや~、女子プロレスがレズばっかりだとか男のプロレスもホモばっかりみたいなネタは、絵で見せられるとイヤだな~。

 K-1とか格闘技の興行とか、かつての『リングの魂』で極真vs酔拳・蛇拳(龍飛雲門下)の裏話とか・・・そういえば中国武術業界で龍さんがバッシングされてたな~。

 でも、そんな中国武術業界の名物キャラだった龍さんも亡くなり、笑えない業界になりつつあるのかな~?

 本当に井上康生と朝青龍が格闘家デビューして対決したら面白過ぎるけど・・・。

 確かに、格闘技の世界とか芸能界とかって、その世界でないと生きていけない人っているでしょうね。闇の世界は同時に母胎回帰するようなあらゆる価値観から解放された癒しの場なのかもしれません。だからこそ夢を売る商売。光あるところ闇がある・・・。

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昭和の特撮は深かったな~

『昭和特撮大全 蘇る伝説のヒーローたち』(岩佐陽一著・三才ブックス刊)という本を本屋さんで見つけて手に取ってパラパラッとめくったところ、ババーンと“牧れい”サマの写真が載っていたので、即買いしました・・・。

 ガキの時にインプリンティングされたカッコイイお姉さんのイメージでダントツ一位が牧れいサマで、女性にカワイイとか優しいというイメージよりも先に“カッコイイ”を求めてしまう訳ですよ。

 だから、基本的に男に媚びるような女はスカンのですよ(ツンツンしてる女もスカンけどね。まっ、自然体で我が道を行くような女がいいね)。

・・・と、別に好みの女性観を書こうと思ったんじゃないんですが、この本、買って正解でしたよ。面白いもん。

 コンビニで買えるUMA本みたいな軽い文章がいいです。けど、意外と深いところまで突っ込んでいて、考えさせてくれるところもあります。ウルトラセブンのところとか。

 個人的には、もうちょっとくだけてくれてもいいかな?とは思いますけどね。あんまり茶化して書くと恨まれたりしかねないもんね。

 月光仮面やウルトラマン、ウルトラセブン、仮面ライダーはまあ国民的ヒーローだから判るとして、恐怖のミイラ・レインボーマン・シルバー仮面・アイアンキング・レッドバロンといった、ちょっとばかしマイナー臭が漂うヒーローから、ウルトラファイト、魔人ハンターミツルギ、グリーンマン、牛若小太郎といった、Z級ヒーロー番組をわざわざ採り上げている選択基準がよ~判らんのですけれど・・・。

 まあ、でも別に、私的にはその心意気や良し!という感じですし、誰も顧みないような作品こそ語り残すべき資料価値が有ると言えるかもしれないし・・・。

 しかしながら、多くの特撮本では「シルバー仮面は完成度は高過ぎて子供ウケしなかった」と、よく言われていることなんですが、実際に観てみると、かなりワキが甘い作品だよな~と思いましたけどね。

 逃げる星人をシルバー仮面が追いかけて商店街で暴れてるシーンなんて、見てる人達が苦笑いしていたり、春日兄弟の父親の霊?が出現?(オカルトになっちゃっても誰も不思議に思わない)して、星人に二度殺された?って、ヘンテコな描写が続出していて頭抱えちゃいましたけどね。

 え~っと、それと、細かいイチャモンで申し訳ないと思いつつ、レッドバロンが人間が乗り込んで操縦する初の巨大ロボット実写物と書かれているのもオヤッ?と思ったんですよね。たしか、ジャンボーグAのほうが早かったんじゃなかったっけ?

 という、特撮オタクにとっては重要に思えてしまう細かいツッコミ所も有りますが、でも、面白かった。岩佐氏には、大変だとは思いますが、この調子で全ての特撮物を紹介して欲しいところですね。

 あっ、でも、岩佐氏が憂う現在の特撮物に欠けているようなイマジネーションが昔の作品には溢れていたという指摘には、大いに納得です。

『レッドバロン』を見ていると、オイオイって描写もあるけれど、「エ~、すげ~な~」って思うような斬新な映像表現とかストーリーとか有りますよ。

 単に金が無いからなんだと思うけど、SSIの装備はジープと銃火器くらいで、後は格闘戦。手錠を素手で引き千切るメカロボを相手にパンチとキックで倒すSSIの面々は強過ぎます! 銃なんて、M-1カービン、UZIサブマシンガン、シュマイザーMP40、トンプソン・サブマシンガンとかだもんね~。ワイルド7か?と思ったよ。

 川内康範氏への尊敬の部分も、この本のキモですな。月光仮面にレインボーマン、ダイヤモンドアイ、現在、チャンネルnecoで放送中のコンドールマンなんかも改めて見ると新たな発見が有りますよ。民族派活動家としても有名だった川内氏の手掛けた特撮ドラマには、自灯明精神が根強くあって、今見ると確かに教育的な意図があったんだな~と思います。

 モンスター一族がアメリカの超高層ビルで会議してるところなんて、明らかにフリーメーソンだのイルミナティだのを意識して皮肉ってるし、ゼニクレージーなんて、六本木ヒルズ族ですか?って感じる。

 何だか、現在の世界不況や地球温暖化問題なんて川内氏に言わせれば全部、“人災”なんだぞって感じだよな~。特撮ドラマって、予言書みたいなものかも?



 さてさて、話は一挙に変わりますが、ゴン格に蘇東成老師が取材されていたので買いました。

 私は、格闘技が実戦的で武術が非実戦的という先入観は全然無いんですが、思っている以上に格闘技を愛好している人って、「武術は実戦的じゃない。弱い」という先入観が有るみたいですね?

 私のところに連絡してくる人にも露骨に武術蔑視した発言をする人もいましたけど、そういう人って、ほとんど学んだ経験が無い人なんですよね。

 私は格闘技も嗜んだことは有るから別に弱いとかダメだとかは思いませんし、試合形式でやったら強いだろうと思ってますし、真摯に格闘技を学んでいる人達には礼儀正しい人間的に尊敬できる態度の人が多かったですよ。

 でも、じゃあ、格闘技は護身術として優れているか?と言ったら、そんなに有効だとは思わないんですよね。ストリート・ファイト向けには芦原空手や功朗法のほうがずっと適応できると思いますし、大抵の格闘家が馬鹿にしている合気道や少林寺拳法は護身術的に技術を検討すると実に合理的に体系化されています。

 簡単に言えば、「ナイフや木刀、鉄パイプを持った複数の相手に対応する戦術を持っているか?」という点ですね。こういう想定をすると、「そんな特殊な状況を持ち出すのは論理の飛躍だ」って言い出す人が多いんですけど、「何を馬鹿なこと言ってんの?」と言いたい。

 何だか、格闘技をやっている人は護身術というと馬鹿にして簡単に考える人が多いんですが、護身術って普通に命がかかってしまうんですよ。“素手で最低の安全が保証された中で一対一で技を競う試合”とは違って、予測がつかないのです。

 例えばですよ。私のところに来た人の中には他流の指導者クラスの人もいる訳です。そんな人に一瞬で技かけてみせれば、そりゃあ、「うわっ、こんな達人には会ったことがない!」みたいに勘違いする訳ですよ。

 でもね~。それは、私は研究家だから大抵の流派の技や戦闘理論は頭の中に入ってるし、当然、弱点も研究しているんですよ。一応、身体動かして研究してるから、文献や資料集めて頭の中だけでやっている人とは違っていて当たり前ですよ。

 それと、尋ねてきた人は、基本的に私がどんな技使うか知らない訳ですよ。これじゃあ、対処できないのが当然です。私も信用できる人以外には技教えない人間だし、本やDVDにも基本的なことしか公開していない・・・。

 手の内バレたら相手は警戒して簡単には技がかけられなくなるでしょう? そうなったら私が一方的に勝つのは無理だし、下手したら負けますよ。いや、はっきり言えば、まともに同じ条件で闘って、若くてバリバリ現役でやっている人達に勝つ自信なんか全然無いですよ。

 フルコン空手のタフネスさ、ボクシングのフットワークと多彩なパンチ、伝統空手の遠距離からミサイルみたいに飛んでくる突き蹴りのスピード・・・同じ条件でまともにやれば、とても勝てないですよ。

 だから、相手の戦法を事前に調査して弱点を探って、そこだけ攻める。これも戦術のうちですよ。もっとも、本来は武道・格闘技もこうしていた筈だと思うんですが、競技形式の中で忘れられてしまったんじゃないかな~?

 格闘技の試合に、何故、ルールが有ると思いますか? 安全のため? まあ、それも少しはあるでしょう。

 だけど、一番の理由は、「どっちが強いか判別するために偶然性が入り込む余地をできるだけ排除する」というためにルールが有るんだと私は考えます。

 武術には原則的にルールは有りません。何でもアリ。ルールを設定したら護身術として役立たないから。

 だから、私は武術の研究家を志してから、素手の技、武器術のみならず、心理学、サバイバル技術、武器の製作法、銃の研究、健康法、舞踊、身体訓練法・・・等々、関連した分野をいろいろ勉強してきましたもん。

 また、武術の文化的表現形式として殺陣やアクションに関心を持って研究していたのも皆さん、御承知でしょう。以前は自主映画や学生演劇の立ち回りつけたりしていましたからね。

 蘇東成老師が評価されるのは、中国武術の本来の実戦性が注目されることになるでしょうから、大歓迎だと思います。蘇老師の技は、少林拳・太極拳・形意拳・八卦掌のエッセンスが融合し、まさに中国武術の本質を体現している師範だと思います。

 日本の中国武術界で格闘技の世界で認められるだけの実戦力を示せる師範は、太気拳をはじめ少数しかいないと思われるので、蘇老師のような幅広い技の遣い手が注目されたのは、ほっとしています。

 今、ようやくにして格闘技関係者が武術に目を向けて“実戦”に関する視野を広げようとしているのが感じられて、私は良いことだと思っています。いつまでも甲野氏みたいなフェイク武術家が第一人者扱いされていたらダメだと思いますしね。

 でも、武術をやっている若い人達も、実際に競技の場で腕を磨くことの重要性を知ることも必要じゃないか?とは思いますね。

 だって、ストリート・ファイトで試す訳にはいかないでしょう? というか、武術は護身術なんだからストリート・ファイトを自分から求めるのは本末転倒だもんね~。

 まあ、いろんな可能性を模索することは良いことだと思いますよ。何が正しくて何が間違いか?ってことは、求める自己の中にしかないんだから・・・。
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本の感想

暴いておやりよ ドルバッキー』 大槻ケンヂ著 ぴあ刊

 遅ればせながら、いつも私の本を紹介していただいている大槻ケンヂさんの御著書を読みました。

 これは『ぴあ』の連載を纏めたものに『本の雑誌』とかのエッセイも加えてあるそうなんですが、私の本『武術のヒミツ』についても感想文が書かれていました。

 元会員で読んだ人が「基本的に誉めていない」と言っていたんですが、別に批判的に書いている訳じゃないし、単にツッコミを入れて楽しんでもらった様子が感じられます。単純に茶化しているんじゃなくて、大槻さんのハートに響くものが有ったんだと解釈してます(ギャグの波長が合うとか?)。

 中でも、私が笑ってしまったのは、“古武術世界からの恐怖新聞”と『秘伝』を紹介しているところで、まあ、その筋の人達は怒るでしょうけど、ここまで的確な譬えはあり得ないよな~と思いましたよ。

 そうだよな~。アレを読んで信じ込んでしまったら、寿命が縮みそうだもんね。

 一般の格闘技愛好者が武術を胡散臭いと感じる最大の要因は、「武術の本が怪し過ぎるから」なんだと思いますよ。

 まあ、初めて読んだ人は学研のムーを読んでいるような錯覚に襲われるんじゃないでしょうか? 『秘伝』に限らず、中国武術の専門誌『武術(ウーシュウ)』なんかも同じノリでしたよね。

 これって、何故か判りますか?

『秘伝』も『武術』も企画立案した人が同じだからです。現在のBABジャパンの社長の東口さんが企画したんですよね。『フルコンタクトKARATE』もそうだし、東口さんは元々、『月刊空手道』の編集長だったから、武道・武術の出版プロデューサーとしては極めて敏腕な人だと言えると思いますよ。

 あのモンスター?小島一志さんだって、東口さんが認めて『月刊空手道』の編集長を譲ったそうですね。失敗したと思ってるみたいですけど・・・。

 東口さんは福昌堂で新しい雑誌を出そうとして失敗した責任をとって辞めたと聞いていますけど、偉いな~と思うのは、やっぱり見返してやろうと思ったからなんでしょうが、アメリカのパンサープロの武道ビデオを輸入販売する会社を興して、その宣伝媒体として『秘伝』の前身である『秘伝・古流武術』を、心眼流の島津先生を顧問に、当時、古流武術の研究家として愛隆堂で寺尾正充の名前で活動していた平上信行氏を具体的な編集の相談役として創刊したんですね。

 で、当時、甲野さんや黒田鉄山師範が頭角を現したり、大東流六方会の岡本正剛先生が注目されて大東流の合気ブームが起こりつつある時期に重なって順調に売上を伸ばし、自社制作ビデオも作り始めていたんですね。

 確か、クエストさんが少し早く武道・格闘技のビデオ制作専門会社として発足していたんじゃなかったでしょうか? 当時の『秘伝・古流武術』には広告が載っていたので、BABとクエストが別の会社であることを気づかない人が結構いましたね。

 その後、『秘伝』の好調っぷりに対抗する意味で福昌堂でも古武術専門誌『極意』が創刊されたり、東口さんに反発した平上氏が愛隆堂から『極意相伝』という専門誌を出したりしましたが、いずれも部数が伸びずに休刊。平上氏は『秘伝』に逆戻り。

『極意』休刊と共に編集担当の塩澤さんは福昌堂を退社し、しばらくフリーで仕事していたらしいんですが、生活の心配をした島津先生の口利きで『秘伝』編集部に入り、現在は編集の責任者として活躍されています。この辺りの事情を客観的に見ても、競合誌の編集をしていた人を受け入れたんだから、東口さんは立派だな~と感心しましたね。

 と、こう書くと、東口さんの偉人伝みたいになっちゃいそうなんですが、でも、私個人は、武術の世間的イメージを怪しいものにしてしまった責任は有ると思うので、評価は半々です。

 第一、“武道や武術に対して何の愛着も無い人”なので、“優秀なビジネスマン”として認められるだけです。それを悪いことだと責めるのは酷でしょうが・・・。


 えぇっと、それで・・・大槻ケンヂさんの神秘武術への興味津々っぷりがよく判ったんですが、疑問点を三つ挙げてくれていらっしゃったので、これについてかい摘まんでお答えしておこうと思います。

1,秘伝とされている技術の信憑性。合気、発勁、触れずに倒す、等。
(これについては一応、納得されているようなので割愛します)

2,奇妙な動作の物理的な意味。型、スローモーな太極拳の動き、立禅、等。

 これについては、説明が足りなかったな~と反省しております。一応、『武術のヒケツ』『武術のシクミ』で個々の技の意味とか用法なんかは解説しているから、その後は理解してもらえたかも知れませんけれど、「潜在能力が発揮しやすくなる」と私が書いているのは、(頭が良くなるとかそういうことは一応、置いといて)主に“重心移動力”を駆使することについてなんですよね。

 私は“潜在能力”と表現する時は、「本来もっていて出せる能力」という意味であって、超常能力のことではないんですよ。例えば、1tの重さのパンチなんて空手やボクシングを何年修行しても普通のやり方ではとても出せないですよね? でも、重心移動によって生じるエネルギーを乗せれば誰でも力学的にこれくらいは出せるようになる。

 発勁が“押す力”になりやすいとしても、普通、50~80kgくらいある人間をポーンと数mも跳ね飛ばすというのは、軽く車がぶち当たったくらいの衝撃力は必要な筈ですよね。計算上、1tくらい誰でも出せるというのは、これを見ても解ります。

 私が「筋力に頼るのは無駄が多いから自分はやらない」と言っているのは、重心移動で力を出した方が簡単だし突き蹴りの加速空間も筋肉を絞り込むタメもいらないからです。

 そして、この体内の重心を自在に操作できるようにするために立禅や太極拳の訓練が有効だということなんですよ。

 無論、これらの訓練は“力”の出し方とコントロールを学ぶものであって、具体的な攻防の技術と、打撃の威力を跳ね飛ばすのでなく内臓に作用させてダメージを重くする秘訣は別に学ばないといけません。

 ただ、1tクラスの衝撃力を内臓に作用させたら、どうなりますか? 普通の人間なら命に関わるダメージになりますよ。まだ、押し飛ばされるほうが安全なんですよ。

 だから、秘伝にして隠したという面も有ります。私だって全力でコレを打ち込むなんて怖くてできませんよ。ごく軽く打ってもムチ打ちになったりしてしまうんですから。

 それと、通常の打撃格闘技の試合では互いに動きながら打ち合うので、たとえ1tの重さのパンチやキックが打てても、それを百パーセント相手に作用させられることはそうそうありません。インパクトが多少、殺されたり半減するんですよ。もし、棒立ちになってるところに全力で一発で入れば簡単に倒れるでしょう。

 中国の内家拳では相手を固定しておいて発勁を打ち込むやり方が多いのも厄介なところですが、これも一般的には隠されているので知らない人が多い。

 多くの中国武術家は、この点を無視して、長く修行していればいきなり戦えるようになるのだと勘違いしているので、一向に戦えるようにならないままなのです。当たり前ですけどね。「戦い方を教えない」んだもん・・・。

 私みたいに自分で考えたほうが早いと思うんですけど、武術の伝統を重んじ過ぎる人は、そういうことを考える行為を否定したがる。私は研究家なんだから、放っといてよって感じですね。

 それはまた別の話として、大槻さんが「え~~っ? だったら、別に武術などせずに、頭に本を乗っけて落ちないようにウォーキングでもしていればよいのでは?」という感想を書かれたのは、御本人はツッコミのつもりでしょうが、実は全くおっしゃる通りで、現に私もそんな練習してましたし、舞踊に注目したのもそういう理由なんですよ。

 武術が中心軸を確立することに拘るのは、「重心移動の力を駆使するためには、まず重心のバランスが崩れない(軸が崩れない)ようにする必要がある。その次に、バランスを崩さないように動き、歩き、戦えるようになれば、次第に重心移動の力を駆使して戦えるようになる」という直感的な共通認識が有ったと私は考えています。

 だから、大槻さんがいきなり飛躍したトンデモ理論だと感じたのは、“重心移動の力”の具体的な実感が無かったから、そう感じられたんだと思います。これは自分に体感が無ければ具体的に理解することは無理があるでしょう(武術の型稽古は、その体感を伝達していく教育システムだと言えば理解してもらえるでしょうか?)。

 実際、本の編集担当者もまったく同じように感じていて「長野さんらしくない。飛躍し過ぎています」と指摘されていたんです。が、この点については私はちっとも飛躍しているとは思えないんですよ。だって、直立して歩くことって動物の身体構造上、とんでもないエポックメイキングになっていると思うんですよ。

 重力という地球が発している“力”を足かせとして考えるのでなく、むしろ積極的に利用することを考えたのだから、やはり武術の歴史は凄いものだと私は思いますし、それを忘れて筋肉信仰するスポーツ理論では先が見えていると思います。

 重力を感じて身体を考えることは、さらに人間の進化を促す切っ掛けになると私は思っています。それは人間が人間以上の存在になることを求めた様々な試みの中に鍵が隠れていると思うからです。

 考えてみてください。生まれたまま何の訓練も教育も受けない人間はどんな存在になるでしょうか? 訓練や教育は、人間を進化させるための装置として人間が自ら考案したものです。教育を受けられない地域に生まれた人間が、そこから別の場所に移されて教育を受けたら、以前の自分に対して人間として目覚めていない存在だったと感じるのではないでしょうか?

 百年前の人間が現代にやってきたら異世界に来たと感じるでしょう? 携帯電話なんか見たら霊現象だと勘違いするんじゃないかな? 『地下鉄に乗って』で、過去にタイムスリップした堤真一が万札出したらびっくりされるっていう描写が有りましたけど、我々は急激な変化に慣れているだけで、客観的に人類を見れば年単位で何万年分も加速度的に進化している筈ですよ。

 これは良いか悪いかは別にして、人間は自らを進化させることを選んだからこそ地球の支配者として自己を認識させている。人間と同等の知能を持つと言われるイルカやチンパンジーとの違いが、ここにあると私は思っています。

 我々は、それが当たり前だと慣れ過ぎて、認識できていないだけです。インチキを神秘と思う人は何げない日常の中の神秘に気づかない。優れた科学者が文学的なロマンチストだったりするのも、この辺りに理由があると思いますね~。

 宮本武蔵が柳生石舟斎の切り花の茎の切り口を見て、並の遣い手ではないと戦慄を覚えたという、あの感性がないと武術修行は中々難しいもんだと思う・・・ナンテネ?(スンマセン! 物凄く遠回しに自慢しちゃったよ~ん)


3,で、それ実際強いの?

 う~む。口で何と言ったって疑問が残るでしょうからね。ズバリ! 「一般的に現代の競技武道や格闘技をやっている人達と五分の条件で闘ったら勝てる武術家はかなり少ないでしょう」と、現実的にお答えしておきます。

 例えば、「長野さんが極真のトーナメントに出たら勝てますか?」と聞かれたら、「負けます!」と断言します。剣道、柔道、スポーツチャンバラ、総合格闘技、ボクシング等々の試合に出場しても同様に「負けます!」と躊躇なく言っちゃいます。

 だって、専門にやっている人達の練習量はハンパじゃないですよ。週に一回、道場で一時間半くらい、「いい汗かいたな~」って、練習後の居酒屋でビール飲んでる40過ぎたオッサンが勝てるなんか思ってたら誇大妄想がいいところでしょう?

 私、そんな勘違いするほど若くないっスよ~(と、油断させておいて、翔べ!必殺うらごろしの市原悦子みたいにドスでどすっと刺して「要は、勝ちゃあいいんだよぉ~」って言うのが武術です・・・って、これで納得してくれるのかな~、大槻さん?)。

 もっとも、いくら護身術だからって言っても言い訳みたいに思われるのもシャクなんで、現在、試合に使える技も色々と研究しております。別に否定する必要も無いし、試合で勝ちたいと思う人には勝たせてあげたいから・・・。


 え~っと、余談ですが(って、余談ばっかりじゃ~?)、電波人間タックルの欄外解説の箇所で、タックルの最後の必殺技が“スーパーサイクロン”となっていましたが、これは“ウルトラサイクロン”の間違いだと思います。

 だって、タックルが「ウルトラサイクロンッ!」と叫んでドクターケイトをやっつけた時、「オイオイ。石ノ森の代表作ライダー・シリーズで円谷の代表作のウルトラって言葉使っちゃダメだろう?」ってツッコミ入れたから、間違いないと思います・・・(はっ? そういえば、『キャプテン・ウルトラ』は東映で円谷プロとは無関係だったような?)。
 え~、文中、読者にとって意味不明の脱線が続きましたことを慎んでお詫び申し上げます・・・。




『マンガでわかる! 芦原カラテ 実戦サバキ入門』 スキージャーナル刊

 おぉ~・・・小島さんの大暴走で泥を塗られてしまった芦原空手の、漫画・写真での技術解説・DVDが三位一体となった技術指導書が出ました!

 西山先生の技術解説で英典館長の監修、空手界のアイドル小林由佳さんも出ていて、漫画は空手や中国武術等々の専門雑誌やムック本での漫画で知られる坂丘のぼるさん。

 これは素晴らしいっ!

 DVD付き教本は普通になりましたが、これに漫画がついているというのはエポックメイキングですね~。

 スキージャーナルさんは、一体全体、どうしたの?ってぐらい、斬新な企画を進めていますね~。

 同社の武道雑誌は、『剣道日本』だけの筈ですが、空手に古武術?、古流剣術に韓氏意拳、さらにストリートダンスの本も出していたような・・・?

 今はどこの出版社も出版不況の煽りで元気を失っているものですが、スキージャーナルさんはやる気満々ですね。

 芦原空手は小島ダークゾーンに引き込まれかかっていたから、この本の出版は脱出の弾みがついて良いのではないでしょうか?

 やっぱり、武道は実際に技を示してこそ真価が評価される訳ですからね。

(私も夏からフルスロットルで頑張るぞぉ~! DVDも再販、新作製作始めますよ)
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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