書評2008-08-25 Mon 08:29
『マンガを読んで小説家になろう!』大内明日香・若桜木虔 アスペクト刊
あの〜、別にアスペクトから出ている本だから書評に採り上げた訳ではなくてですね。 マジメに、この本が凄く面白かったので、是非、いろんな人に薦めてみたいと思っただけなんですね。 今、私も“小説も書ける文筆家”を目指している最中なんで、この本は正に目からウロコが落ちまくるような内容で、実に面白かったんですね〜。 特に、私みたいに文学を勉強したことがない人間にとって、「小説家デビューする作法」「小説家として食っていく秘訣」「一発屋で終わらないための秘訣」なんかをもったいぶらずにズバリと書いてくれているところがサイコーですよ。 いや〜、アスペクトさんはいい本を出してくれてますね〜。 「小説家も職業であることは変わらない」という一文は、甘い夢だけ見て努力しない人達に対して現実を突き付ける感じでカッコイイです。 私も勇気がわいてキタァ〜ッ!・・・かな? |
『暗黒マット世界』はヤバ過ぎ・・・2008-08-04 Mon 00:34
ゴン格でも吉田豪さんが採り上げて書評していた『暗黒マット世界』ですが、私も裏話として聞いたことがあった話が、劇画化されるとウゲゲッ!って感じで目眩がしました。
BUBKA編集部・編となっていますが、告訴必至の内容に備えてか、フィクションと言い張る居直りっぷりには、『噂の真相』からポリシーを排除したかのごときシャレッ気が利いていて、もう、笑うしかありません。 でも、四年くらい前、私の甲野批判論を読んだBUBKA編集部からの連絡があった時は、極めて良識的で感心したことがありましたね。きちんと仁義を通してましたよ。 「文章責任は僕にしていいですよ。でも、他の先生方には御迷惑がかかるとマズイので名前出すのは僕だけにしておいてください」と言っておきましたが、かえって恐縮されたみたいで誌面には露骨な内容は書かずに私の当時のホームページを紹介しただけでした。 別に書いてしまっても嘘じゃないんだから困らなかったんですけどね。今は私の知ってることはほとんどブログで書いてしまっているし、“件の手紙”もホームページに出してます。 これは、名誉毀損で訴えるとか言われることも想定していたんですが、甲野氏側からは内容証明一つ来ていません。下手につつくとマズイ事実(ほとんど犯罪行為)が白日の下に晒される危険性があるから触りたくないんでしょうね。 少し前に出していたら、ドキュメンタリー映画(『甲野善紀・身体操作術』)とか出ていたり取り巻きが強力だったからもみ消しに躍起になったと思いますよ。甲野氏で商売しようとしていた人達にとっては、金づる潰されたら敵わないと思う筈だから。 でも、やっぱり旬の人ではなくなったものか、メディア関係からは一切、連絡ありませんでしたね。週刊誌とか飛びついてくるんじゃないか?と思ったんですよ、本当は。その時は、あらいざらい喋りまくってやろうと思ってましたもん。 もっとも、正直、私は甲野氏には恩義もあるから、それをやるのもな〜っ?って思う面もあったし、ただ、自己の売名のために武術を利用して間違った情報を広めるのさえしないでいてくれれば文句言うつもりはないし、このまま武術の世界からフェードアウトして、身体操作の研究家としてのみ地道に活動するのまで潰そうなんか思いません。 やっぱ、人間は適材適所だもん。需要と供給のバランスで成り立っているのが世の中なのは否定しませんよ。完璧な人間なんかいないのも解ってます。 甲野氏だって、いつまでも古武術の達人っぷりを演じ続ける猿芝居人生で、武術に無知な人達の関心をつなぎ留め続けていくのは辛いでしょう。 微塵も実力がないのは業界的には有名な裏話なんですが、世間的に有名な人の正体を暴いたら可哀想過ぎると思ってか? 私以外の誰も糾弾しないですからね。だったら、周囲が説得して花道つくって引退させてやんなさいよって思いますよ。 それにしても、武術の世界は嘘で凝り固まった業界ではありますからね。私もそのうち、暴露本でも書こうかな〜? 『暗黒武術魔界』とか? でも、『暗黒マット世界』ですが・・・いや〜、女子プロレスがレズばっかりだとか男のプロレスもホモばっかりみたいなネタは、絵で見せられるとイヤだな〜。 K−1とか格闘技の興行とか、かつての『リングの魂』で極真vs酔拳・蛇拳(龍飛雲門下)の裏話とか・・・そういえば中国武術業界で龍さんがバッシングされてたな〜。 でも、そんな中国武術業界の名物キャラだった龍さんも亡くなり、笑えない業界になりつつあるのかな〜? 本当に井上康生と朝青龍が格闘家デビューして対決したら面白過ぎるけど・・・。 確かに、格闘技の世界とか芸能界とかって、その世界でないと生きていけない人っているでしょうね。闇の世界は同時に母胎回帰するようなあらゆる価値観から解放された癒しの場なのかもしれません。だからこそ夢を売る商売。光あるところ闇がある・・・。 |
昭和の特撮は深かったな〜2008-07-03 Thu 01:01
『昭和特撮大全 蘇る伝説のヒーローたち』(岩佐陽一著・三才ブックス刊)という本を本屋さんで見つけて手に取ってパラパラッとめくったところ、ババーンと“牧れい”サマの写真が載っていたので、即買いしました・・・。
ガキの時にインプリンティングされたカッコイイお姉さんのイメージでダントツ一位が牧れいサマで、女性にカワイイとか優しいというイメージよりも先に“カッコイイ”を求めてしまう訳ですよ。 だから、基本的に男に媚びるような女はスカンのですよ(ツンツンしてる女もスカンけどね。まっ、自然体で我が道を行くような女がいいね)。 ・・・と、別に好みの女性観を書こうと思ったんじゃないんですが、この本、買って正解でしたよ。面白いもん。 コンビニで買えるUMA本みたいな軽い文章がいいです。けど、意外と深いところまで突っ込んでいて、考えさせてくれるところもあります。ウルトラセブンのところとか。 個人的には、もうちょっとくだけてくれてもいいかな?とは思いますけどね。あんまり茶化して書くと恨まれたりしかねないもんね。 月光仮面やウルトラマン、ウルトラセブン、仮面ライダーはまあ国民的ヒーローだから判るとして、恐怖のミイラ・レインボーマン・シルバー仮面・アイアンキング・レッドバロンといった、ちょっとばかしマイナー臭が漂うヒーローから、ウルトラファイト、魔人ハンターミツルギ、グリーンマン、牛若小太郎といった、Z級ヒーロー番組をわざわざ採り上げている選択基準がよ〜判らんのですけれど・・・。 まあ、でも別に、私的にはその心意気や良し!という感じですし、誰も顧みないような作品こそ語り残すべき資料価値が有ると言えるかもしれないし・・・。 しかしながら、多くの特撮本では「シルバー仮面は完成度は高過ぎて子供ウケしなかった」と、よく言われていることなんですが、実際に観てみると、かなりワキが甘い作品だよな〜と思いましたけどね。 逃げる星人をシルバー仮面が追いかけて商店街で暴れてるシーンなんて、見てる人達が苦笑いしていたり、春日兄弟の父親の霊?が出現?(オカルトになっちゃっても誰も不思議に思わない)して、星人に二度殺された?って、ヘンテコな描写が続出していて頭抱えちゃいましたけどね。 え〜っと、それと、細かいイチャモンで申し訳ないと思いつつ、レッドバロンが人間が乗り込んで操縦する初の巨大ロボット実写物と書かれているのもオヤッ?と思ったんですよね。たしか、ジャンボーグAのほうが早かったんじゃなかったっけ? という、特撮オタクにとっては重要に思えてしまう細かいツッコミ所も有りますが、でも、面白かった。岩佐氏には、大変だとは思いますが、この調子で全ての特撮物を紹介して欲しいところですね。 あっ、でも、岩佐氏が憂う現在の特撮物に欠けているようなイマジネーションが昔の作品には溢れていたという指摘には、大いに納得です。 『レッドバロン』を見ていると、オイオイって描写もあるけれど、「エ〜、すげ〜な〜」って思うような斬新な映像表現とかストーリーとか有りますよ。 単に金が無いからなんだと思うけど、SSIの装備はジープと銃火器くらいで、後は格闘戦。手錠を素手で引き千切るメカロボを相手にパンチとキックで倒すSSIの面々は強過ぎます! 銃なんて、M−1カービン、UZIサブマシンガン、シュマイザーMP40、トンプソン・サブマシンガンとかだもんね〜。ワイルド7か?と思ったよ。 川内康範氏への尊敬の部分も、この本のキモですな。月光仮面にレインボーマン、ダイヤモンドアイ、現在、チャンネルnecoで放送中のコンドールマンなんかも改めて見ると新たな発見が有りますよ。民族派活動家としても有名だった川内氏の手掛けた特撮ドラマには、自灯明精神が根強くあって、今見ると確かに教育的な意図があったんだな〜と思います。 モンスター一族がアメリカの超高層ビルで会議してるところなんて、明らかにフリーメーソンだのイルミナティだのを意識して皮肉ってるし、ゼニクレージーなんて、六本木ヒルズ族ですか?って感じる。 何だか、現在の世界不況や地球温暖化問題なんて川内氏に言わせれば全部、“人災”なんだぞって感じだよな〜。特撮ドラマって、予言書みたいなものかも? さてさて、話は一挙に変わりますが、ゴン格に蘇東成老師が取材されていたので買いました。 私は、格闘技が実戦的で武術が非実戦的という先入観は全然無いんですが、思っている以上に格闘技を愛好している人って、「武術は実戦的じゃない。弱い」という先入観が有るみたいですね? 私のところに連絡してくる人にも露骨に武術蔑視した発言をする人もいましたけど、そういう人って、ほとんど学んだ経験が無い人なんですよね。 私は格闘技も嗜んだことは有るから別に弱いとかダメだとかは思いませんし、試合形式でやったら強いだろうと思ってますし、真摯に格闘技を学んでいる人達には礼儀正しい人間的に尊敬できる態度の人が多かったですよ。 でも、じゃあ、格闘技は護身術として優れているか?と言ったら、そんなに有効だとは思わないんですよね。ストリート・ファイト向けには芦原空手や功朗法のほうがずっと適応できると思いますし、大抵の格闘家が馬鹿にしている合気道や少林寺拳法は護身術的に技術を検討すると実に合理的に体系化されています。 簡単に言えば、「ナイフや木刀、鉄パイプを持った複数の相手に対応する戦術を持っているか?」という点ですね。こういう想定をすると、「そんな特殊な状況を持ち出すのは論理の飛躍だ」って言い出す人が多いんですけど、「何を馬鹿なこと言ってんの?」と言いたい。 何だか、格闘技をやっている人は護身術というと馬鹿にして簡単に考える人が多いんですが、護身術って普通に命がかかってしまうんですよ。“素手で最低の安全が保証された中で一対一で技を競う試合”とは違って、予測がつかないのです。 例えばですよ。私のところに来た人の中には他流の指導者クラスの人もいる訳です。そんな人に一瞬で技かけてみせれば、そりゃあ、「うわっ、こんな達人には会ったことがない!」みたいに勘違いする訳ですよ。 でもね〜。それは、私は研究家だから大抵の流派の技や戦闘理論は頭の中に入ってるし、当然、弱点も研究しているんですよ。一応、身体動かして研究してるから、文献や資料集めて頭の中だけでやっている人とは違っていて当たり前ですよ。 それと、尋ねてきた人は、基本的に私がどんな技使うか知らない訳ですよ。これじゃあ、対処できないのが当然です。私も信用できる人以外には技教えない人間だし、本やDVDにも基本的なことしか公開していない・・・。 手の内バレたら相手は警戒して簡単には技がかけられなくなるでしょう? そうなったら私が一方的に勝つのは無理だし、下手したら負けますよ。いや、はっきり言えば、まともに同じ条件で闘って、若くてバリバリ現役でやっている人達に勝つ自信なんか全然無いですよ。 フルコン空手のタフネスさ、ボクシングのフットワークと多彩なパンチ、伝統空手の遠距離からミサイルみたいに飛んでくる突き蹴りのスピード・・・同じ条件でまともにやれば、とても勝てないですよ。 だから、相手の戦法を事前に調査して弱点を探って、そこだけ攻める。これも戦術のうちですよ。もっとも、本来は武道・格闘技もこうしていた筈だと思うんですが、競技形式の中で忘れられてしまったんじゃないかな〜? 格闘技の試合に、何故、ルールが有ると思いますか? 安全のため? まあ、それも少しはあるでしょう。 だけど、一番の理由は、「どっちが強いか判別するために偶然性が入り込む余地をできるだけ排除する」というためにルールが有るんだと私は考えます。 武術には原則的にルールは有りません。何でもアリ。ルールを設定したら護身術として役立たないから。 だから、私は武術の研究家を志してから、素手の技、武器術のみならず、心理学、サバイバル技術、武器の製作法、銃の研究、健康法、舞踊、身体訓練法・・・等々、関連した分野をいろいろ勉強してきましたもん。 また、武術の文化的表現形式として殺陣やアクションに関心を持って研究していたのも皆さん、御承知でしょう。以前は自主映画や学生演劇の立ち回りつけたりしていましたからね。 蘇東成老師が評価されるのは、中国武術の本来の実戦性が注目されることになるでしょうから、大歓迎だと思います。蘇老師の技は、少林拳・太極拳・形意拳・八卦掌のエッセンスが融合し、まさに中国武術の本質を体現している師範だと思います。 日本の中国武術界で格闘技の世界で認められるだけの実戦力を示せる師範は、太気拳をはじめ少数しかいないと思われるので、蘇老師のような幅広い技の遣い手が注目されたのは、ほっとしています。 今、ようやくにして格闘技関係者が武術に目を向けて“実戦”に関する視野を広げようとしているのが感じられて、私は良いことだと思っています。いつまでも甲野氏みたいなフェイク武術家が第一人者扱いされていたらダメだと思いますしね。 でも、武術をやっている若い人達も、実際に競技の場で腕を磨くことの重要性を知ることも必要じゃないか?とは思いますね。 だって、ストリート・ファイトで試す訳にはいかないでしょう? というか、武術は護身術なんだからストリート・ファイトを自分から求めるのは本末転倒だもんね〜。 まあ、いろんな可能性を模索することは良いことだと思いますよ。何が正しくて何が間違いか?ってことは、求める自己の中にしかないんだから・・・。 |
本の感想2008-06-28 Sat 23:30
『暴いておやりよ ドルバッキー』 大槻ケンヂ著 ぴあ刊
遅ればせながら、いつも私の本を紹介していただいている大槻ケンヂさんの御著書を読みました。 これは『ぴあ』の連載を纏めたものに『本の雑誌』とかのエッセイも加えてあるそうなんですが、私の本『武術のヒミツ』についても感想文が書かれていました。 元会員で読んだ人が「基本的に誉めていない」と言っていたんですが、別に批判的に書いている訳じゃないし、単にツッコミを入れて楽しんでもらった様子が感じられます。単純に茶化しているんじゃなくて、大槻さんのハートに響くものが有ったんだと解釈してます(ギャグの波長が合うとか?)。 中でも、私が笑ってしまったのは、“古武術世界からの恐怖新聞”と『秘伝』を紹介しているところで、まあ、その筋の人達は怒るでしょうけど、ここまで的確な譬えはあり得ないよな〜と思いましたよ。 そうだよな〜。アレを読んで信じ込んでしまったら、寿命が縮みそうだもんね。 一般の格闘技愛好者が武術を胡散臭いと感じる最大の要因は、「武術の本が怪し過ぎるから」なんだと思いますよ。 まあ、初めて読んだ人は学研のムーを読んでいるような錯覚に襲われるんじゃないでしょうか? 『秘伝』に限らず、中国武術の専門誌『武術(ウーシュウ)』なんかも同じノリでしたよね。 これって、何故か判りますか? 『秘伝』も『武術』も企画立案した人が同じだからです。現在のBABジャパンの社長の東口さんが企画したんですよね。『フルコンタクトKARATE』もそうだし、東口さんは元々、『月刊空手道』の編集長だったから、武道・武術の出版プロデューサーとしては極めて敏腕な人だと言えると思いますよ。 あのモンスター?小島一志さんだって、東口さんが認めて『月刊空手道』の編集長を譲ったそうですね。失敗したと思ってるみたいですけど・・・。 東口さんは福昌堂で新しい雑誌を出そうとして失敗した責任をとって辞めたと聞いていますけど、偉いな〜と思うのは、やっぱり見返してやろうと思ったからなんでしょうが、アメリカのパンサープロの武道ビデオを輸入販売する会社を興して、その宣伝媒体として『秘伝』の前身である『秘伝・古流武術』を、心眼流の島津先生を顧問に、当時、古流武術の研究家として愛隆堂で寺尾正充の名前で活動していた平上信行氏を具体的な編集の相談役として創刊したんですね。 で、当時、甲野さんや黒田鉄山師範が頭角を現したり、大東流六方会の岡本正剛先生が注目されて大東流の合気ブームが起こりつつある時期に重なって順調に売上を伸ばし、自社制作ビデオも作り始めていたんですね。 確か、クエストさんが少し早く武道・格闘技のビデオ制作専門会社として発足していたんじゃなかったでしょうか? 当時の『秘伝・古流武術』には広告が載っていたので、BABとクエストが別の会社であることを気づかない人が結構いましたね。 その後、『秘伝』の好調っぷりに対抗する意味で福昌堂でも古武術専門誌『極意』が創刊されたり、東口さんに反発した平上氏が愛隆堂から『極意相伝』という専門誌を出したりしましたが、いずれも部数が伸びずに休刊。平上氏は『秘伝』に逆戻り。 『極意』休刊と共に編集担当の塩澤さんは福昌堂を退社し、しばらくフリーで仕事していたらしいんですが、生活の心配をした島津先生の口利きで『秘伝』編集部に入り、現在は編集の責任者として活躍されています。この辺りの事情を客観的に見ても、競合誌の編集をしていた人を受け入れたんだから、東口さんは立派だな〜と感心しましたね。 と、こう書くと、東口さんの偉人伝みたいになっちゃいそうなんですが、でも、私個人は、武術の世間的イメージを怪しいものにしてしまった責任は有ると思うので、評価は半々です。 第一、“武道や武術に対して何の愛着も無い人”なので、“優秀なビジネスマン”として認められるだけです。それを悪いことだと責めるのは酷でしょうが・・・。 えぇっと、それで・・・大槻ケンヂさんの神秘武術への興味津々っぷりがよく判ったんですが、疑問点を三つ挙げてくれていらっしゃったので、これについてかい摘まんでお答えしておこうと思います。 1,秘伝とされている技術の信憑性。合気、発勁、触れずに倒す、等。 (これについては一応、納得されているようなので割愛します) 2,奇妙な動作の物理的な意味。型、スローモーな太極拳の動き、立禅、等。 これについては、説明が足りなかったな〜と反省しております。一応、『武術のヒケツ』『武術のシクミ』で個々の技の意味とか用法なんかは解説しているから、その後は理解してもらえたかも知れませんけれど、「潜在能力が発揮しやすくなる」と私が書いているのは、(頭が良くなるとかそういうことは一応、置いといて)主に“重心移動力”を駆使することについてなんですよね。 私は“潜在能力”と表現する時は、「本来もっていて出せる能力」という意味であって、超常能力のことではないんですよ。例えば、1tの重さのパンチなんて空手やボクシングを何年修行しても普通のやり方ではとても出せないですよね? でも、重心移動によって生じるエネルギーを乗せれば誰でも力学的にこれくらいは出せるようになる。 発勁が“押す力”になりやすいとしても、普通、50〜80kgくらいある人間をポーンと数mも跳ね飛ばすというのは、軽く車がぶち当たったくらいの衝撃力は必要な筈ですよね。計算上、1tくらい誰でも出せるというのは、これを見ても解ります。 私が「筋力に頼るのは無駄が多いから自分はやらない」と言っているのは、重心移動で力を出した方が簡単だし突き蹴りの加速空間も筋肉を絞り込むタメもいらないからです。 そして、この体内の重心を自在に操作できるようにするために立禅や太極拳の訓練が有効だということなんですよ。 無論、これらの訓練は“力”の出し方とコントロールを学ぶものであって、具体的な攻防の技術と、打撃の威力を跳ね飛ばすのでなく内臓に作用させてダメージを重くする秘訣は別に学ばないといけません。 ただ、1tクラスの衝撃力を内臓に作用させたら、どうなりますか? 普通の人間なら命に関わるダメージになりますよ。まだ、押し飛ばされるほうが安全なんですよ。 だから、秘伝にして隠したという面も有ります。私だって全力でコレを打ち込むなんて怖くてできませんよ。ごく軽く打ってもムチ打ちになったりしてしまうんですから。 それと、通常の打撃格闘技の試合では互いに動きながら打ち合うので、たとえ1tの重さのパンチやキックが打てても、それを百パーセント相手に作用させられることはそうそうありません。インパクトが多少、殺されたり半減するんですよ。もし、棒立ちになってるところに全力で一発で入れば簡単に倒れるでしょう。 中国の内家拳では相手を固定しておいて発勁を打ち込むやり方が多いのも厄介なところですが、これも一般的には隠されているので知らない人が多い。 多くの中国武術家は、この点を無視して、長く修行していればいきなり戦えるようになるのだと勘違いしているので、一向に戦えるようにならないままなのです。当たり前ですけどね。「戦い方を教えない」んだもん・・・。 私みたいに自分で考えたほうが早いと思うんですけど、武術の伝統を重んじ過ぎる人は、そういうことを考える行為を否定したがる。私は研究家なんだから、放っといてよって感じですね。 それはまた別の話として、大槻さんが「え〜〜っ? だったら、別に武術などせずに、頭に本を乗っけて落ちないようにウォーキングでもしていればよいのでは?」という感想を書かれたのは、御本人はツッコミのつもりでしょうが、実は全くおっしゃる通りで、現に私もそんな練習してましたし、舞踊に注目したのもそういう理由なんですよ。 武術が中心軸を確立することに拘るのは、「重心移動の力を駆使するためには、まず重心のバランスが崩れない(軸が崩れない)ようにする必要がある。その次に、バランスを崩さないように動き、歩き、戦えるようになれば、次第に重心移動の力を駆使して戦えるようになる」という直感的な共通認識が有ったと私は考えています。 だから、大槻さんがいきなり飛躍したトンデモ理論だと感じたのは、“重心移動の力”の具体的な実感が無かったから、そう感じられたんだと思います。これは自分に体感が無ければ具体的に理解することは無理があるでしょう(武術の型稽古は、その体感を伝達していく教育システムだと言えば理解してもらえるでしょうか?)。 実際、本の編集担当者もまったく同じように感じていて「長野さんらしくない。飛躍し過ぎています」と指摘されていたんです。が、この点については私はちっとも飛躍しているとは思えないんですよ。だって、直立して歩くことって動物の身体構造上、とんでもないエポックメイキングになっていると思うんですよ。 重力という地球が発している“力”を足かせとして考えるのでなく、むしろ積極的に利用することを考えたのだから、やはり武術の歴史は凄いものだと私は思いますし、それを忘れて筋肉信仰するスポーツ理論では先が見えていると思います。 重力を感じて身体を考えることは、さらに人間の進化を促す切っ掛けになると私は思っています。それは人間が人間以上の存在になることを求めた様々な試みの中に鍵が隠れていると思うからです。 考えてみてください。生まれたまま何の訓練も教育も受けない人間はどんな存在になるでしょうか? 訓練や教育は、人間を進化させるための装置として人間が自ら考案したものです。教育を受けられない地域に生まれた人間が、そこから別の場所に移されて教育を受けたら、以前の自分に対して人間として目覚めていない存在だったと感じるのではないでしょうか? 百年前の人間が現代にやってきたら異世界に来たと感じるでしょう? 携帯電話なんか見たら霊現象だと勘違いするんじゃないかな? 『地下鉄に乗って』で、過去にタイムスリップした堤真一が万札出したらびっくりされるっていう描写が有りましたけど、我々は急激な変化に慣れているだけで、客観的に人類を見れば年単位で何万年分も加速度的に進化している筈ですよ。 これは良いか悪いかは別にして、人間は自らを進化させることを選んだからこそ地球の支配者として自己を認識させている。人間と同等の知能を持つと言われるイルカやチンパンジーとの違いが、ここにあると私は思っています。 我々は、それが当たり前だと慣れ過ぎて、認識できていないだけです。インチキを神秘と思う人は何げない日常の中の神秘に気づかない。優れた科学者が文学的なロマンチストだったりするのも、この辺りに理由があると思いますね〜。 宮本武蔵が柳生石舟斎の切り花の茎の切り口を見て、並の遣い手ではないと戦慄を覚えたという、あの感性がないと武術修行は中々難しいもんだと思う・・・ナンテネ?(スンマセン! 物凄く遠回しに自慢しちゃったよ〜ん) 3,で、それ実際強いの? う〜む。口で何と言ったって疑問が残るでしょうからね。ズバリ! 「一般的に現代の競技武道や格闘技をやっている人達と五分の条件で闘ったら勝てる武術家はかなり少ないでしょう」と、現実的にお答えしておきます。 例えば、「長野さんが極真のトーナメントに出たら勝てますか?」と聞かれたら、「負けます!」と断言します。剣道、柔道、スポーツチャンバラ、総合格闘技、ボクシング等々の試合に出場しても同様に「負けます!」と躊躇なく言っちゃいます。 だって、専門にやっている人達の練習量はハンパじゃないですよ。週に一回、道場で一時間半くらい、「いい汗かいたな〜」って、練習後の居酒屋でビール飲んでる40過ぎたオッサンが勝てるなんか思ってたら誇大妄想がいいところでしょう? 私、そんな勘違いするほど若くないっスよ〜(と、油断させておいて、翔べ!必殺うらごろしの市原悦子みたいにドスでどすっと刺して「要は、勝ちゃあいいんだよぉ〜」って言うのが武術です・・・って、これで納得してくれるのかな〜、大槻さん?)。 もっとも、いくら護身術だからって言っても言い訳みたいに思われるのもシャクなんで、現在、試合に使える技も色々と研究しております。別に否定する必要も無いし、試合で勝ちたいと思う人には勝たせてあげたいから・・・。 え〜っと、余談ですが(って、余談ばっかりじゃ〜?)、電波人間タックルの欄外解説の箇所で、タックルの最後の必殺技が“スーパーサイクロン”となっていましたが、これは“ウルトラサイクロン”の間違いだと思います。 だって、タックルが「ウルトラサイクロンッ!」と叫んでドクターケイトをやっつけた時、「オイオイ。石ノ森の代表作ライダー・シリーズで円谷の代表作のウルトラって言葉使っちゃダメだろう?」ってツッコミ入れたから、間違いないと思います・・・(はっ? そういえば、『キャプテン・ウルトラ』は東映で円谷プロとは無関係だったような?)。 え〜、文中、読者にとって意味不明の脱線が続きましたことを慎んでお詫び申し上げます・・・。 『マンガでわかる! 芦原カラテ 実戦サバキ入門』 スキージャーナル刊 おぉ〜・・・小島さんの大暴走で泥を塗られてしまった芦原空手の、漫画・写真での技術解説・DVDが三位一体となった技術指導書が出ました! 西山先生の技術解説で英典館長の監修、空手界のアイドル小林由佳さんも出ていて、漫画は空手や中国武術等々の専門雑誌やムック本での漫画で知られる坂丘のぼるさん。 これは素晴らしいっ! DVD付き教本は普通になりましたが、これに漫画がついているというのはエポックメイキングですね〜。 スキージャーナルさんは、一体全体、どうしたの?ってぐらい、斬新な企画を進めていますね〜。 同社の武道雑誌は、『剣道日本』だけの筈ですが、空手に古武術?、古流剣術に韓氏意拳、さらにストリートダンスの本も出していたような・・・? 今はどこの出版社も出版不況の煽りで元気を失っているものですが、スキージャーナルさんはやる気満々ですね。 芦原空手は小島ダークゾーンに引き込まれかかっていたから、この本の出版は脱出の弾みがついて良いのではないでしょうか? やっぱり、武道は実際に技を示してこそ真価が評価される訳ですからね。 (私も夏からフルスロットルで頑張るぞぉ〜! DVDも再販、新作製作始めますよ) |
『芦原英幸伝 我が父、その魂』について “その2”2008-04-16 Wed 23:28
芦原英典・小島一志著『芦原英幸伝 我が父、その魂』に関して、先日、感想を書きましたけれど、読者の方から芦原会館総本部と加古川支部のホームページにてこの本に関するコメントが載っているという情報を寄せていただき、事務局で調べてプリントアウトしてもらった記事を読みました。
いやはや、この本について教えてくれた会員さんから、「英典館長や御家族と揉めたらしいですね。小島さんは文章責任は自分にあるとブログに書いていましたよ」という話を聞いていたので、大体、想像して本を読んだんですが・・・。 一読して、「こりゃあ、揉めるだろうな〜? 実際に話している時に、こんな具合に詳しく話せる筈がないんだから、恐らく、小島さんが後から自分の知ってる情報や個人的な考えを付け足したに違いない」と思って、後半の小島氏への批判文を書いたんですね。 やっぱり、私の読みが当たっていた様子ですね。何か、こういう場合の読みは当たっても嬉しくないです。ホントに、小島氏も懲りない人だ・・・。 加古川支部長さんが心配されている通り、あれでは英典館長の良識を疑われてもおかしくないでしょうし、武道の世界であそこまで言う人はいないでしょうから、英典館長が誤解を受けるのは間違いないでしょう。 何しろ、極真会館や正道会館に関するところは実名でバシバシ書いていますから、当然、名誉毀損で訴えられる可能性がある訳ですよ。だから、「迂闊な人だ」という印象を与えてしまうのは仕方がない。 無論、私はそうは思いませんでした。加古川支部長さんが懸命に英典館長を庇って書かれている通り、若干18歳で芦原空手の看板を背負って、これまで大過なく組織運営を担ってこれたというのは人格も含めた常人離れした技量が無くては果たせる道理がない。 それに、これは芦原会館の人から聞いたのですが、英典館長は研究熱心で他流の講習会なんかにも参加したりされるそうですね? それで甲野善紀氏の地方講習会にも参加したそうですが、甲野氏と軽く手合わせしたものの、別に悪意は全然なかったでしょうけれど、軽〜く出した技が全て入ってしまって甲野氏がボコボコになってしまったらしい。 普通、甲野氏は有名な武道家と交流したら自慢して本に書く人です。自分が対等か、あるいは「教えてやっているんだぞ」というポーズをつける。つまり、売名に利用するのがあの人のいつものやり方です。虚栄心に凝り固まった人ですからね。 ところが、この話は自分が大恥かいちゃったもんだから隠してる。英典館長の立派なところは、メディアで現代の達人と持て囃されている大物?を、軽く一蹴してしまったのに、その事実を公に語らなかったことです。もっとも、あんまり弱いから呆れてしまったらしいのですが・・・。 私なんか、『武術のシクミ』の中で甲野氏をイジメた体験談を書いちゃってますから、英典館長と比べたら大人気ないですよ。 そういう裏話も含めて、私は英典館長は凄いな〜と以前から思っていました。空手家としても、ひょっとすると芦原英幸をいつか超えるかもしれない?と、私個人は思っています。それだけの素質と天才の片鱗がかいまみえるんです。 そんな次第で、この本が小島一志の単独名で出された本であれば、別に問題はなかったでしょう。ジャーナリストとして取材して書いたドキュメント本ならば、ハナッから責任は小島氏に帰結するからです。 でも、小島氏の悪い癖で、英典館長を巻き込んで芦原会館を贔屓の引き倒しにしてしまった・・・。「お子ちゃまかよ?」と言いたくなるほどの大失敗です。「芦原先生の墓前で切腹して詫び入れてきなさい」って、言いたくなるのは私だけでしょうか? ライター、編集者としての基本を外してしまうなんて、言語道断です・・・。 もう、ここまでお馬鹿さんなのがバレバレになった訳だから、今後は他人に迷惑かけないように純粋に作家になってフィクションだけ書いた方がいいですよ。 作家だったら、結構、面白い本が書けるんじゃないですか? クリエイターって、有名な人でも結構、人格が壊れている人が多いし、変人の方が面白い作品書けますからね。作家としての資質は十分にありますよ。 だから、この本はノンフィクションとしてじゃなくて漫画として書けば良かったんですよ。『空手バカ一代』なんて目じゃない! 私は猛烈にこれが漫画で見たいです! 加古川支部長さんは「芦原先生を汚された」と悔しがっていらっしゃいましたが、いや、そんなことはないですよ! そりゃあ、弟子として師匠のダメなところを暴かれるのはつらいと思いますけど、欠点のない人間なんかいないんです。 小島氏の問題点は割り引いても、“秘められていた芦原先生の陰の部分の魅力が逆に引き出された”と、私は思うのです。 人間としての弱さ、欠陥、未熟さも持っていた芦原英幸だからこそ、逆に“空手の革命的達人”としての真実の姿が浮き彫りになったと思うのですよ。 完全無欠な立派な人には、誰も共感できないでしょう? 「あ〜、空手の達人と言えども、こういう弱い部分を持っていたんだな〜?」という感慨を得られて、私は以前より、もっと、ずっと、人間、芦原英幸のファンになりました。 だから、この本はこの本で、十二分に芦原先生の魅力を伝えてくれているし、芦原空手の素晴らしさ、そして、志し半ばで逝ってしまった父の無念を晴らしたいという英典館長はじめ御家族の愛情を雄弁に伝えてくれていると思いますよ。ちっとも汚されてなんかいません! それに、芦原英幸の遺産である空手の技術と理論の背景がうかがえて、嘘偽りなく、感銘を受けました。これは小島氏が暴走したお陰なのかもしれませんから、災い転じて福と為す結果になっていくんじゃないでしょうか? いや、そういう方向づけをしなくちゃいけない! この本を読んだ人は、必ず、芦原空手とは何なのか? 芦原英幸とは何者だったのか?という問いかけを自分の中にするでしょう。そこが大切なことです! 第一、小島氏も敬愛する芦原先生を貶めようという意志は全く無かったでしょう。どれだけの悪影響を及ぼすか?という点を予測できなかった思慮の浅さが露呈しただけです。 だから、加古川支部長さんが心配するようなイメージダウンにはならないと私は思いますよ。読者だって、馬鹿ばっかりじゃないんですから、ちゃんと本質を洞察できる人は少なからずいますよ。 問題は、実名を出していることによる法的糾弾に対してでしょうが、それも小島氏がハラ括って、「責任持つ」と言っているのなら、心配には及ばないでしょう。自分の不始末は自分で責任とってもらえばいい。 それよりも、私は加古川支部長さんのブログに書かれた記事から芦原先生を想う気持ち、英典館長を想う気持ち、芦原空手を愛する気持ちが十分に感じられたことが気持ちが良いです。 師匠を想い、流儀を想う気持ちは、本当に、今時、珍しいですよ。大病を患われているそうですが、どうぞ、御身体を御自愛して立派に人生を生ききってください。芦原先生がそうであったように・・・。 さて、文章を書いて生活している者の一人として、今回の小島氏の大失敗は、他人事と笑って済ませられる話ではありませんでした。 私も、ここまでの無茶は、まだ、やっちまったことはありませんが、似たような問題で謝罪して回ったことは何度かあります(現在、JKファンの編集長やっているK池さんから、「長野さ〜ん、ダメじゃないですかぁ〜。P先生、怒ってますよぉ〜」って言われて一緒に謝罪に行ってくれたな〜。K池さん、元気っスか〜?)。 私も、時々発狂して暴走してしまうところがあるから、“明日は我が身”と心得て自戒しなきゃいけないな〜と思っておりますです。はい・・・。 丁度、新体道の青木宏之先生から、お贈りした本の御礼状を戴いたところだったんですが、読んだ人は判ると思うんですけれど、私は本の中で、結構、青木先生に対してきわどいギャグを書いてシャレのめしています。 恐らく、“普通の武道家”だったら、「無礼者ぉーっ!」って具合に怒るだろうな〜?という水準の書き方をしているんですね。青木先生は“シャレの解る武道家”だから大丈夫なだけです。 でも、もし私が青木先生と一面識もないのに同じことを書いていたら、恐らく、「フザケタ野郎だ」という気持ちしか持たれなかったでしょう。 人間の感情の機微というのは、そういう状況によって全く変わってしまうものです。 最近は、こういう感情の機微を読める人が少なくなっているのかな〜?という気もするんですね。 あ〜、そうそう。以前、ある会員が「単なる気持ちの問題だから大したことではありません」とメールに書いていて、私は激怒したことがありました。 合理的に利益追求すれば問題ないだろう?という態度で無礼な発言を連発していた彼は、能力はあっても他人の気持ちが全く理解できないロボットみたいな人でした。練習態度も、合理的に技だけ教えてくれればいいんだよと言わんばかりで、本人は全く自覚していませんでしたが、非常に無礼極まりない傲慢な態度でした(一回、殺意がわいた・・・)。 そんな性格だから、他人の気持ちを考えない。だから、礼儀を尽くしているつもりでも相手に不快感を抱かせてしまうことが何度もあり、対外的に第三者に不快感を与えてしまっていたことが後からいくつも判明して慌てたものでした。 でも、たとえそれが自分の欠点であるということを自覚できても、恐らく直すことはできなかったでしょう。有能さが謙虚さを抑え込んでしまっていたからです。有能な人間にありがちな、“他人が馬鹿に見えて仕方がない”という状態に陥っていました。 私は本心から彼は可哀想な人間だと思っていました。 しかし、感情が無いように見えた彼が、私の知らないところで私に対して憤って泣いた?という話を聞いた時は、むしろ、ほっとしたものでした。 それでいいんです。人間は人間なんだから。自分で思うようには世の中動いてくれないんです。他人を自分の思うように動かそうなんて無理なんですよ。 私ももう、あ〜しよう、こ〜しようとかあれこれ考えるより、やりたいことを全力でやっていくことだけ考えようと思っています。作為的に動いてもちっとも進まないんですよ。 やっぱり、人間には天命というのがあるんじゃないのかな〜? 小島氏も、会ったこともないけど、元福昌堂の大先輩(私がライターやる以前に『月刊空手道』の編集長だったから)として、作家として出直す道をお勧めしておきます。いつまでも他人の力を借りていないで自分の創作力だけで勝負してください。 肩の力抜いて人に感謝する気持ちで・・・って? いや、それじゃあ面白い文章書けなくなっちゃうかもしれないもんな〜? う〜ん、難しい・・・。 |
『芦原英幸伝 我が父、その魂』を読んで2008-04-12 Sat 19:23
神田神保町の書泉グランデは、20代の頃から同人誌を売ってもらったりしてお世話になっておりますが、最近は、もっぱら自主製作DVDの委託販売をしてもらって、その納品や集金で月に一、二回は必ず顔を出します。
で、今月も集金に寄った時に武術書籍コーナーをのぞいていったんですが、何と! 聞き覚えのある声が聞こえます。ハッとして宣伝用のDVD映像が流されているモニターを見ると、「うわっ? 俺だぁ〜っ!」と、驚いてしまいましたよ・・・。 道理で、レジのお姉さんが満面の笑みで迎えてくれたはずです。バレバレだよぉ〜。 でも、お陰様で新刊本も新作DVDも非常に売上が良いそうで、本当にありがたいことです。お客さまは神様でございますぅ〜・・・。 あ〜っ、何か、オレってば、ジャパネット・タカタの社長みたいなポジションに立ちつつあるような気がするぅ〜? まっ、余談はおいといて、本日のお題は、“ケンカ十段”の異名で40代以上の私の世代にとっては憧れの男、芦原英幸先生の息子さんで、現在、芦原会館二代目館長として活躍されている芦原英典先生が、亡き父を語った本についてです。 これは、読み物として非常に面白く読めました。帯文のコピーにある「事実は、劇画を超えていた!」は、宣伝に偽り無し。 天才空手家、芦原英幸の天才っぷり、凶暴さ、お茶目さ、素朴さ、繊細さ・・・そして、不治の病に冒されて人並みの弱さを見せたところ等々、本当に涙なくして読めません。 正直いって、家族に暴力をふるうところは感心しません。ヤクザや武道家相手ならば許容できますが、日常的に弱い者を殴る蹴るする芦原英幸の姿は知りたくなかったのが本心なんですが、それも読み進めていくうちに、“人間らしさ”が極端な人だったんだろうな〜と、なんとなく納得してしまうのです。 まさに、“あしたのジョーがそのままいた”みたいな感じの人なんでしょうね。 それから、私的には、やはり手裏剣のところが興味深かったんですが、20〜30mも遠くまで打てたという話は、ある程度以上、手裏剣術を稽古したことのある人ならウソだと思うでしょうね。 棒手裏剣はクルクル回転したら刺さらない。90度程度の1/4回転くらいに留まるように打つには距離も10m前後くらいが限界だとされますからね。 確かに直打法だと不可能に近いと思うんですが、重量のある手裏剣を使って、回転打法を使えば、不可能とはいえないと思いますね。無論、回転させると刃先が当たる率も低くなってしまうんですが・・・。 20m以上の遠距離を打てる人は、八角流の半田先生くらいしか知りませんけれど、不二流の田中光四郎先生も、昔、短刀みたいにゴツイ手裏剣を使って25mくらい先まで打てたと言われていました。 ですから、重量のある手裏剣なら20m以上狙える人もいるだろうな〜?と思いますし、ビデオ映像で見た芦原先生だったら、できてもおかしくないと思いますね。 私は苦手だし、そもそも室内でしか練習していないんで5〜6mが関の山だと思いますけれど、将来的に自分の道場を作る時には、弓や手裏剣、それからガスガンやエアガンの訓練場も設置したいと思っています。 今の部屋でも八畳と六畳を繋げているので台所から狙えば8mくらいはあるんですけどね・・・。 それにしても、芦原先生が弟子や友人に裏切られたり、やっかみから誹謗中傷されたり、嫌がらせや命を狙われたりしていた・・・といった話は、私も多少は経験ありますけど、比較にならない。 何だか、武術、武道の世界って、本当に嫌な世界だな〜?と、改めて痛感させられましたね。 知らない人からしたら実感がわかないと思うんですけど、私も似たような経験が何度もあるから、よりリアルに感じさせられるんですよ。まあ、これも修行のうちと思えば、得難い勉強をさせてもらったと思えますが・・・。 でも、芦原先生の場合は、自分で招き寄せてるとしか言えないし、御本人も嫌がっていなかったでしょう。ある意味、そういう危機を楽しむような感性があったから、私とは根本的に違うよな〜と思いました。 学生時代。私の憧れの武術家は、中国武術の松田隆智先生、戸隠流忍法の初見良昭先生、そして、芦原英幸先生でした・・・。 松田先生、初見先生とは直接、お会いしたことがありますし、技も学ばせていただきました。 でも、芦原先生だけは直接会うことがありませんでしたし、技もビデオ講座で練習したのみです。 それでも、私の気持ちの中では「芦原空手を学んだ」という意識があります。 だから、英典館長を陰ながら応援したいという気持ちもあり、この本は特別な感慨を持って読みました。 ただ・・・読んでいて、少々、疑問というか違和感を覚えたのは、著者名が、芦原英典と並んで小島一志となっており、小島氏が英典館長にインタビュー取材したテープを起こして執筆編集されたものという形式と思われるものの、どうも、英典館長の言葉そのままとは思えない“付け足された文章”の印象を受ける箇所が全面的にいくつも散見されるように感じられたのです。 穿った見方をすれば、「英典館長の言葉を流用して小島氏の個人的なプロパガンダをしている部分が少なくないのでは?」という疑念も拭えなかったのです。 極真や正道会館の関係者に関する箇所は、実際に英典館長が話していたとしても、組織の最高責任者としての立場を考えれば、公刊誌上に書くには不適当だろうと思える点が少なくなく、普通だったら編集サイドで配慮して削除されるだろうと思えたからです。 もの書きの経験の無い人の場合、「これを書いたら現実的にどうなるか?」という予測をすることがほとんどありません。だから、そこはプロの編集者が調整してあげなくてはならない。 しかし、どうも武術や武道の出版に関わる人達には、趣味が高じて仕事になった人が多いので、プロとしての自覚と資質に欠ける人が少なくありません。 例えば、私が福昌堂でライターの仕事を頂戴していた頃、プロの編集者としての勉強をしたことのある人は、何と、たったの一人しかいませんでした。他の人は全員、現場で覚えていったそうでした。 それだから、当時の社員の中には「うちで仕事していても他所の出版社にいったら役に立たないよ」なんて自嘲的に言っている人もいました。 そんな福昌堂出身の人には、『秘伝』を出しているBABの社長を代表として、『秘伝』の副編集長、フルコムの山田さん達、JKファンの編集長、学研で甲野ムックを作っていた元ウーシュウ組、フリーの編集者をやっているIさんやKさんといった人達がいます。 多くの人が確かに武術、武道、格闘技関係の出版ビジネスから抜け出せない様子で、この業界以外の分野の仕事ができなくて戻った人もいるのではないか?と思います。 小島さんも元福昌堂で月刊空手道の編集長も勤めていた人ですが、辞める直前の同誌上では大道塾のバッシング記事を連載したりして異様な雰囲気になっていました。 私は小島さんとは一度も面識がありませんけれど、一緒に仕事をしたことのある人から聞いた話は、「彼は自分の想いが強過ぎて周囲が見えなくなってしまうところがある。一度吐いた唾はもとに戻らない。編集者としてその点に自覚が無さ過ぎる。本というのは形に残ってしまうものなんだから、自分の想いだけで作ってはいけない。でないと多くの人を巻き込んでしまうんだから・・・」と、厳しい評価をしていました。 今回の本を読んでいても、こういうインタビュー内容に無断で付け加えたような点は、私ももの書きの端くれですし、雑誌編集にも関わってきた人間ですから、何となく嗅覚が働くのです。 それでなくとも、小島氏は、自分の好みで他者を持ち上げたり貶めたりする独善的な主張が過ぎる。即ち、ジャーナリストとしての客観的冷静な視点に欠けるように私は個人的に思っておりましたので、どうも不審に思えてなりません。 正義感でふるわれても暴力は暴力なんですよ。もの書きの文章は武器なんだし、人を批判したら自分も傷つく覚悟をしなきゃならない。これは正しいかどうかの問題じゃない。 自然の摂理というヤツですよ。 英典館長の言葉を伝える時に余計な想いをそこに付け加えるのは、英典館長に責任を押し付けることになってしまう。 そういうのを、“他人のフンドシで角力をとる”と言う。 最低限の礼儀として、「この本は芦原英幸の息子である芦原英典氏に取材して書かれたものであるが、文章責任は全て、小島一志にある」と、全ての責任を自分が引き受けるのが、“もの書きとしての筋を通す”ということじゃないでしょうか? かつて、小島氏は自著の中で自らをダメ人間であるかのように卑下して書かれていましたが、間違ったことをして反省したのなら、そう書いて訂正すれば良いのだし、ぐちぐちと自己憐憫みたいなことを書いて読者の共感を得ようみたいなスケベ臭い書き方をするのは、いい年をした大人のやり方じゃありません。 そんな薄っぺらなプライド振りかざしてんじゃねえっ!って、言ってやりたい。 勤めていた会社を辞めたら廻状を回された・・・なんて被害者ヅラする前に、「何故、そうされるのか?」ということを考えて、自分の足りないところを冷静に反省して直すのが大人ですよ。 俺だって誤解されて廻状回されたことくらい数回ありますからね。でも、誤解される私自身の問題点を自覚的に直せば先の展開が違ってくるんですから、被害者意識は捨てたほうがいい。修行者だったら、「鍛えてくださって有り難うございます」です! 自分に何の落ち度もなくて相手が百パー悪い!なんてことは無いんですよ。ねえ、小島さん、どう思いますか? アンタ、そんな胸張って正義漢ぶれるんですか? 芦原先生の人間味のある欠点もチャーミングではありますが、「家族には決して手を出さなかった」なら、もっともっと遥かにカッコ良く尊敬できます。 武道の修行って、一体、何のためにやるんでしょうか? 自分の欠点を見つめて直していくことでしょう? 単に人を殴り倒す技がうまくなって何の意味があるんでしょうか? 芦原先生はそれを知ってたから、空手家なんてヒヨッ子じゃけんって言っていたんでしょう? 芦原先生は、いいたいことは山ほどあったでしょうが、自分の本の中で大山先生のことを悪く書かなかった。多分、感謝の気持ちと相殺されていたんじゃないですか? 私なんか、自分の感情に任せて人の批判を平然と書いてしまうチンケな人間だから、芦原先生のそんなところを尊敬しましたよ。 でも、私は批判する以上は、自分が傷つくのは覚悟しています。それが批判する相手に対する礼儀だと思っているからです。その気持ちが無かったら、人の批判はしてはいけないと思っています。 従って、小島氏のやり方は残念に思えるのです。恐らく、芦原会館に要らぬトラブルの火種を撒いてしまう結果になるでしょうから・・・。 この私の危惧する点を割り引いて読めば、本当に素晴らしい本だと思います。いや、欠点も含めて面白い! 御一読を強くお薦めします。 追伸;上映が決まったと思ったら、またまたキナ臭い展開になってきて、『靖国』問題はまだまだ続きそうですね? 「反日映画だ!」と批判している人達に私が言いたいのは、“映画は映画だ”ということです。傑作も駄作も関係なく映画は第三者に鑑賞されるために作られているのです。そして、その評価は観客一人一人なんですよ。私は、たとえ『靖国』に反日の意図があったとしても構わない。何故なら、それを切っ掛けにして国境を超えた論議ができるからです。日本人の最大の欠点は、「臭いものには蓋をしろ」という隠蔽体質にあります。近代民主国家としての気概を示して堂々と上映してこそ国際社会から評価される国になれる。その絶好の機会であり各自の思想を世に問うターニングポイントとして活用したらいいんです。見苦しい真似をするな! |
『範馬刃牙』はどこへ行く?2008-04-12 Sat 00:00
いや〜、最凶死刑囚編辺りから、何か方向性が見えなくなってきていた刃牙ですが、ピクル編になってから、「どうすんの? 板垣さん」って感じになってきましたね。
格闘物の宿命として、敵がどんどん強くなっていって主人公もどんどん強くなるという避けられないパターンがある訳で、その極大値が『ドラゴンボール』でしたけど、あれはファンタジーと割り切っていられるから許せる。 それに比べると、格闘技通の板垣さんがリアル・ファイトを描いた格闘漫画がウリの刃牙では、格闘技や武道、武術という枠組みの中だけでは行き詰まってしまう。 だから、どんどん異形の人間が戦う話になってきて、ついに“ジュラ紀に生きて恐竜を捕食していた人間”という、『恐竜百万年』(ダイナメーションの提唱者レイ・ハリーハウゼンが特殊効果を担当)みたいなホラ話を無理やり描いちゃった・・・。 何か、だんだん1960年代くらいのSFになってきたぞ? 原始人ピクルに挑んだ烈海王の中国拳法が効かなくて、揚げ句に片脚食べられたりするというシーンを見ると、昔、太気拳の岩間統正先生を取材した時に、「“三倍は技の外”と言って、力が三倍あったら技は通じない」という話をされていたのを思い出します。 岩間先生は、「人間はどんなに頑張ってもキングコングには勝てないだろう」という至極、当たり前の理を説かれていました。 ひょっとすると、板垣さんはこの言葉を知っていて、キングコングを人間サイズにしたピクルを思いついたのかも? T−レックスと戦ってたしな〜? しっかし・・・本当に刃牙はどうなっちゃうんでしょうね〜? ピクルと勇二郎が戦ってるうちに、互いに同じDNAの持ち主であることに感づくんですけど、実はピクルはエイリアンの遺伝子実験でジュラ紀に取り残された人間で、勇二郎も同じだった訳。 で、「範馬勇二郎は戦闘好きエイリアンのDNAが入っていたのだぁっ!」って真相が明かされて、突然、「地球は俺には狭過ぎる。今度は宇宙最強だっ!」って言って、迎えに来たUFOに乗り込んで、「刃牙、おめ〜も来い」とか言うんだけど、刃牙は「俺にはこの星のサイズが丁度いい」とか言ってとどまる。 それで独歩ちゃんや達人渋川が「ど〜りでっ!」って大笑いして終わる・・・とか? その後は、オーガは、宇宙の星々に最強の遺伝子をタネ付けして回るんだよ。 今の状況から予想される最終回は、これで決まりだな? |
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