コンテントヘッダー

事務担当からのご連絡 お花見2回目やります

会員・関係者の皆様、急遽お花見2回目をやることになりました。

参加される方は長野先生に直接か、游心流事務担当(yusin_mail_from2006あっとまーくyahoo.co.jp)までご一報をお願い致します。

日時:2008/04/06(日)10:30

場所:JR横浜線 淵野辺駅改札前集合 

お花見の前に少し稽古もやる予定ですので、普段参加出来ない方もいらしてください。

当日遅れる方は、早めに連絡ください。

以上
スポンサーサイト
このページのトップへ
コンテントヘッダー

DVD『游心流 武術秘伝の活用』の御案内

 今年の1月しょっぱなに撮ったDVDが19日に発売されました。

 粗編集のビデオテープを見た時は、今イチかな~?と思ったんですが、完成したものを見ると教材用としてここまで武術の色々な流派の技法について解説したものはこれまで無かったよな~?と、結構、自画自賛しちゃいました。

 内容は、構えの意味と戦術についてから始まり、歩法の意味や手技、足技の用法について個別に解説しており、形意拳、八卦掌、蟷螂拳、八極拳、那覇手、合気道、剣道、古流剣術の構えに関する解析とかをやっています。

 それから、居合術に関しては游心流のオリジナルの技を解説していますが、居合術がそのまま無刀捕りに応用できる点がうちのウリなので、これだけでもDVD一巻分に相当する内容ができたでしょうね。

 特典映像ではセミナーの様子と私の部屋での手裏剣術のデモンストレーション(三本同時打法)も収録しています。

 今回は結構、実用的な技を蔵出ししたので、これまで武術に関心が持てなかった格闘技や武道の愛好家にも楽しんでもらえるんじゃないかな?と思います。

 それと同時に、伝統武術を既に学んでいて、学んでいる型の動作をどう実戦に活かすか?と考える時の参考にしてもらいたいと思ったんですね。

 だから、割りと基礎的な構えとか運足とか手法とかの用法について解説しているので、ご自分の学ぶ流派の中にも採り入れて使ってもらえるように・・・と思っています。

 結局、本当は凄く実戦的な技が入っているのに意味が解らないから無駄になってしまっている伝統的な型とか基本の構えや基本技なんかが多いと思うんですね。

 例えば、空手の“正拳突き”。

 アレって、何で捻って突くと思いますか? 捻ることによって威力が倍加するとか言われてきていますが、違うんですよ。

 捻るのは、空手の戦術と結び付いているんです。空手の技は、「受けは受けのみならず、受け即攻撃! よって、空手に先手無し!」なんですよ。意味、解りますか?

 これ以上の解説はやめておきます。実際に教えないと誤解されるでしょう。

 でも、DVDで解説はしています。実際に伝統空手を学んでいる人にはピンとくる筈です。

 そういえば、極真空手を学んでいる人から、うちで教えている差し手の理論が極真空手の名白楽として知られる広重先生の教えと似ていると指摘され、なるほどな~と思いました。

 私は差し手を「正中線を制圧していく技法」と考えて戦闘理論から工夫したんですが、広重先生は恐らく組手の中から体験的に練り上げて考案されたのでしょう。つまり、私の工夫してきたことが間違っていなかったという間接的な証明をしていただくみたいなものですから、本当に嬉しく光栄なことです。


 DVDを見た人から、「こんなに沢山出してしまったら、次に出せる技が無くなってしまうんじゃないか?」と言われたんですが、その心配はありません。

 初見先生には遥かに及びませんが、私もアドリブでその場で技が作れるし、まだまだ全然出していない技は多いのです。居合術も、今回はたったの三本だけしか出していませんし(五本までしか教えていませんが、20本くらい考案しています)、大太刀や脇差の用法も一種類しかやっていません。剣術はイメージ映像の中でしかやりませんでしたし、うちのお家芸である蛟龍歩に関してはまったくやりませんでした。

 歩法は地味だし、稽古している間は何の意味があるのか解らなかったりします。ですが、武術の勝負は歩法ができねば真価を発揮することはできません。

 歩法を疎かに考える者はどんなに技を磨いても実戦には通用しないのです。

 先日の内藤大助の試合を見れば、納得する人もいるでしょう。実力で勝る前王者を内藤はフットワークと変則的な戦法で翻弄して堂々とドローに持ち込みました。素晴らしいボクシングでした。個人的には内藤が勝っていたと思います。

 最初に、歩法、フットワークの重要性を教えてくれたのは、現在、中国散打の日本代表を努める木本泰司氏でした。木本氏に教わったフットワーク(前後のステップ、左右のステップ、サークリングで回り込むステップと、それらとパンチ、キックを連携させるテクニック)を毎日一時間以上練習し続けたお陰で、判定負けではありましたが、グローブ空手の試合でKOされずに済みました。29歳の時でした。

 その後、30を過ぎて中国拳法を学んだ時も、師匠の超神速の歩法に感銘を受けて何年も研究して蛟龍歩を作り出しました。私の武術研究の中心は、実は“歩法”なんです。

 45歳になって体力的には下り坂もいいところですが、師匠には遥かに及ばなくとも、歩法のスピードだけなら大抵の人には負けない自信があります。だから、実力が上の人でもそんなに怖くはない。当たらなければ互角に戦えると思うからです。

 人間は力を十分に出せる範囲と角度があります。逆説すればまったく力が出せなくなる範囲と角度もあります。いわゆる“死角”です。この死角に関しては田中光四郎先生に学んだ面が大きいでしょう。

 歩法を駆使してその死角に入ってしまえば、実力差は全く関係なくなります。だから、歩法を磨くことが武術の必勝理論の前提条件となるのです。

 DVDでは、歩法の基礎となる運足に関しては解説しました。これを理解しているかどうかで歩法の稽古に身が入るかどうかも変わるでしょう。ルーチン・ワークで漠然と稽古するのと、活用法を意識して稽古するのでは大きな開きが出るからです。

 詳細は4月のセミナーで徹底解説する予定でいますが、DVDなどで発表するのは、まだまだ先になるでしょう。歩法こそが游心流の真の秘伝であり、歩法を疎かにしようとする者に武術を語る資格はありません。

 遠方の会員さんは、前作と併せて今回のDVDを見ながら練習してもらえば、そこそこの実力にはなれると思います。頑張って練習してください。

 あっ、それと、DVD中、作品紹介で前作『武術秘伝の原理』と、『田中光四郎 不二流体術』『岡林俊雄 嫡流真伝中国正派拳法』『易筋經』『劉氏八卦六十四掌』も紹介されています。どれも素晴らしい作品なので、是非、ご覧くださいませ。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

物事は一長一短アリ!

 3月19日にオヤジの三回忌の法事で実家に帰ってきました。

 本当は18日に帰る予定だったんですが、ちょっと仕事が立て込んでいて遅れてしまったんですけれど、19日の朝5:00くらいに出発して新横浜から新幹線で博多まで行って、博多から高速バスで熊本の交通センターに向かい、熊本在住の弟に迎えにきてもらっていたので、そこからは弟の車で天草まで向かいました。

 新幹線が随分速くなったので助かりましたけれど、私は子供の時から過敏性腸症候群で電車や車に長時間乗ると必ずといっていいくらい腹の調子が悪くなるので、旅行というのが大嫌いなんですよね。

 最近はほとんど出なくなりましたが、20代からはパニック障害の発作も出るようになっていたので、電車の中で何度も倒れたことあります。

 私が普通に就職して勤め人をやらなかった理由の一つが、この体質の問題で、体質改善のために色々な健康法も研究したんですね。必要性が無いと人間は本気でやらないですからね。

 まあ、それはそれとして、法事の時は必ず腹の調子が悪くなるんですが、今回もまた法事の当日に腹の調子が悪くなりまして、最初はいつものことだから我慢して何とかやり過ごせそうかな?と思ったんですが、とても無理だと自己判断して、せっかく帰ったのに法事には参加しませんでした。

 後で母親からは文句を言われて大喧嘩しましたけれど、本当に体質というのは性格と同じでそうそう直せるものじゃないですよ。

 それでも、昨年夏の白州の時はもっと酷くて参ったんですけど、何だか、ここ最近は症状が酷くなっているので、おかしいな~と思っていたんですが、どうやら理由が解りました。

 要するに、丹田を鍛え過ぎて腹圧が高まり過ぎたからのようです。

 丹田が鍛えられてからは、技の威力が格段に伸びてきたので武術的には良いことづくめみたいに思っていたんですが、私の体質上の欠陥にはマイナスに働いてしまった訳です。

 物事は一長一短あるものだとつくづく思います。“過ぎ足るは及ばざるがごとし”なんですね。


 思うに、「これさえあれば万能に何事もうまくいく」という願望は、現実逃避なんじゃないでしょうかね?

 出版に関わる仕事を十数年やってきて思うのは、一般に広く提供される情報は編集作業というフィルターがかかったものだということです。

 つまり、それがビジネスである以上、“売る”ということが最優先される訳ですから、「売れるための情報の出し方をしなければならない」という基本的な考えがある。

 ですから、出版産業というものは、「正確な情報を読者に提供する」というジャーナリズムの考えは思いの外、小さいのです。どういう情報が読者の好奇心を刺激して購買欲に火をつけるか?ということを優先して考えている訳で、極論すれば嘘を書くのも許容範囲だと考えている・・・。

 一つには、書き手に「読者に真実を伝える」という使命感を持つ人が激減している点があるでしょう。

 けれども、一般読者はそんな出版業界の事情は知りません。専門の書籍に書かれていることなら真実だろうと信じて読む・・・ここに大きな問題がありますよね。

 私自身も虚偽の捏造された情報を2ちゃんねる掲示板に大量に書かれて随分と迷惑を受けたこともありました。だから、あんな掲示板なんか無くなってしまえばいいとも思ったこともあります。

 しかし、現実に出版産業の現場に携わってきた者の一人として、「いや、たとえ玉石混淆であっても、百に一つしか真実が書かれていなかったとしても、枷の無い一般人の声が自由に出せなくなってしまったら危険だぞ?」と思うようになりました。

 私自身がこのブログで自由に意見を書いているのも、文筆業のプロとしてやれない部分をここに書いて補完していく必要性も感じているからです。

 私は武術家ではなくて、武術という文化を総合的に研究する者ですから、最新の研究成果を発表できるインターネットという“場”の存在は大きな意味を持っています。

 それと同時に、研究家としての使命感から、武術に関する間違った情報が広まるのを防ぐための調整役をつとめなければならないと思っています。

 先日書いた『合気開眼』(保江邦夫著)に関する批判論や、週刊新潮の宇城憲治氏の記事に関する意見なども、「研究家である自分にしか書けないだろう」という予測と使命感で書いたものです。

 正直、敵が増えるのが解り切っているから書きたい訳じゃないんですよ。「長野さんは自分から敵を増やしている。武術家として失格だ」と言われたことも数知れず・・・でも、私は「自己保身を最優先する武術家ではなく、武術文化の真相を究明していく研究家であるべし」と自分に誓っているので、間違いは間違いだと指摘するのが使命だと認識している訳ですね。

 もし、私が事なかれ主義者だったら、間違いを指摘することも「これはおかしい」と思う人への批判も何もしないでしょう? でも、そうなったら、一体、誰が私の代わりを果たしてくれるんでしょうか? 専門誌がやってくれますかね~? いや~、雑誌は営利を優先するから期待はできません。

 誰もいないから、私がやるしかないんですよ。便所掃除する人がいなかったら駅のトイレなんて一日で使用不能になっちゃうでしょう? 私、駅のトイレで掃除してるおばちゃんに会うと、必ず「ありがとうございます」って挨拶してますよ。

 綺麗言抜かす武術家ぶった連中にとやかく言われたか~ないですね。自己保身しか考えていない社会性0のオタク連中の代わりに無報酬で業界の掃除してやろうってんだから、「長野君、いつも有り難う」くらいのこと言ってみろってんですよ。

 そりゃあもう、これまで嫌がらせの類いは腐るほど受けてきましたけどね~。でも、そういうことする連中って、ヨゴレ仕事やっている人達を馬鹿にして見下すような傲慢な人間でしょうね。その実、直接、自分が何者かを明かして堂々と文句を言えない。

 いっぱい、いましたよ。そんな、便器にこびりついてる干からびたウンコみたいなヤツは・・・。そんな根性がねじ曲がってるヤツが武術なんかやっても上達しませんよ。知識だけ溜め込んで誇大妄想に耽るのが関の山です。自己憐憫と自己崇拝をいったりきたりしながら十年も二十年も人生を無駄に浪費している人が現実にいますからね。悲しいね。

 私は、以前は、そういう人達にも「勇気を出せ」とエールを送りたいと思っていましたけれど、今はもう何も期待していません。自己認識が無いのに他人や社会に文句ばっかり垂れるようなワガママな餓鬼は、親の庇護を受けてる間は現実を見ようとはしないものだと考えるからです。そういう人達は宗教に頼るしか道はないのかもしれない。

 いずれ、現実と向き合わねばならなくなる日がくるまで・・・。


 余談が過ぎました。普通に武道や格闘技を愛好している人達にとって、恐らく、言葉にして論じることはできないけれども、何となく「アレはどうなんだろう?」と首を捻って傍観している人も沢山いると思うんですよ。

 あるいは、ある程度、真相を知っていながら、立場上、表だって批判できない武道関係者も少なからずいる筈です。

 そういう人達に自由に論議できるような土壌を開墾していくのも研究家としての自分の義務だと思うんです。そういうこちらの思いを受け止めて支持してくださる方も多いので、「少なくとも間違ったやり方はやっていないよな~。これは誰かがやらなきゃいけないことなんだから・・・」と認識している訳で、そういう意見は随分、頂戴しています。

 何よりも、これまで武術・武道の一部の世界って、妙に閉鎖的で疑問があっても口にしてはいけないみたいな雰囲気に守られてきていますから、いつまでたっても迷信的な怪しい秘伝や奥義に呪縛されたままの人達が新興宗教みたいなヘンな業界をこしらえているんですね。

 例えば、「中国武術最強は意拳である。中でも韓氏意拳こそが最高である」とか、「形意拳や陳氏太極拳の源流は心意拳である。中でも戴氏心意拳こそが本流である」とかいった、部外者には全く意味の解らない党派の権威主義をひけらかして論じる専門家が少なからずいるんですね。

 こういう「何々拳の何々派こそが本物」みたいな論というのは、武術の世界で未だに主流になっているんですけれど(あ~、阿呆臭っ)、そんなに特別優れているのなら、何でさっさと他流他派のトップと手合わせして傘下におさめてしまわないんでしょうかね?

 私も以前、陳氏太極拳の大名人に習ったと自慢する人と手合わせしたことがありますが、その人は「これじゃあ、素人のケンカ慣れした人にすら敵わないだろうな~?」と思える水準でしかなく、形式通りに弟子に技をかけたら上手いのかもしれませんが(でも、俺にかかんなかったな~?)、受けた感触として一度もケンカしたことがないのが丸判りになってしまうくらい応用力の無い人でした。

 多少なりとも場数を踏んだ経験のある人だったら、それなりのセオリーを確立している筈で、稽古と喧嘩を混同しているような人はいませんからね。だから、「あ~、この人、一度も殴り合いやったことないんだ」と、すぐに判りました。

 その後、斯界でそれなりに名のある人だったのが判ったので、後で「勘違いしちゃダメだ」と手紙を書きましたが・・・。

 無論、何度も書いているように、私自身、さしたる武勇伝も試合の実績もありませんし、勝つこともあれば負けることもある・・・ごく普通に武術を長く修行してきた人間の一人でしかありません。修行者としては、まったく凡庸です。

 まかり間違っても、「俺は武術界第一だ~!」なんて誇大妄想に耽るような自己認識の欠如した人間ではありません。

 が、妙にへり下るのも逃げ口上みたいで嫌らしいですから、私も過激な文章で挑発的なことを書いてきている以上は、御批判に背を向けるつもりはありません。


 先週、宇城氏をよく知る人と二人だけで会いました。

 師範代が警戒して「先生、僕も同席させてください」と、もしもの場合は自分が先生を庇って戦うという覚悟をしている厳しい顔をして言うので(有明ショウゴみたい?)、「いや、一人で行く。多分、普通に話すだけになるだろうし、万が一、彼がやる気でいて手合わせすることになっても今の君の腕前じゃ~勝てないよ。まあ、とにかく心配ないから」と断って、練習後に一人で会いに行きました。

 で、実際、その人と二人で居酒屋で楽しく歓談して帰っただけなんですが、私が宇城氏を批判的に評しているから、「じゃあ、アンタはどれだけできるんだよ。宇城先生を批判できるだけの技を持ってるのか?」と、反感を持って尋ねてきた人も何人かいますよ。実際。(メールで文句言ってきた人もいたな~。毎回、名前を変えてる。宇城氏を崇拝しているみたいでしたが、多分、習ったことはないんでしょう。週刊新潮にも噛み付いたのかな?)

 けれど、そういう実際に尋ねてくるような人というのは、きちんと話せば理解しあえる人が多いんですね。経験上から判断して・・・。

 だって、私の書いていることって、そんなピント外れな間違ったことじゃないでしょう? 論理的に反論してくる人って、これまで皆無なんですよ。感情的に文句を言うか、私が何も知らないと思って知ったかぶりして意見してくるか、そのどっちかでしかありませんでした。当の本人から反論してきたこともほとんどありません(甲野氏からは「親や友人にも内緒で真剣で立ち合い稽古しましょう」という不気味な内容の手紙を貰いましたけど、コレって意味が解りません。「甲野さんが激怒して長野さんを斬ってやると言ってる」と、心配して電話かけてきた人もいましたが、だったら、最初から「テメー、ぶった斬ってやる」って、それだけ言えばいいんですよ。ね~?)。

 まあ、甲野氏は別にいいんです。あの人は武術家なんて言えるレベルではない。でも、宇城氏は違う。宇城氏のやり方には疑問がありますが、あれだけの実力を持った人が世間から誤解を受けて自滅していってしまうのは個人的にも惜しいと思うのです。

 それに、武術の世界のある種のブランドである宇城氏がヘンなカルトの教祖みたいに思われてしまっては、武術の世界自体が一般社会から“おかしな世界”なのだと思われてしまうでしょう? それが困るんですよ。

 甲野氏の場合は自滅してくれても一向に構わない。だって実力が皆無の“とんだ一杯食わせ者”(そのトンデモっぷりは近日、決定版批評論を公開します!)なんだから、日本武術史に汚点を刻む前に、とっとと武術の世界から消えて欲しい。それなら「達人のフリをしている単なる誇大妄想狂でした」という個人レベルの話で済ませることができるからです。

 が、宇城氏は現実に達人と呼ばれるに足る実力の持ち主なんですから、その失墜は斯界にも大きなダメージになってしまうでしょう。

 そもそも、合気ニュースがあんなDVDを出してしまうのがいけない。社長のスタンレーさんは“気の技”に関して「あんなインチキはうちでは扱わない」と昔は言っていたんだから、宇城氏を止めるべきだったんですよ。本人は無邪気にやってるだけで騙す気なんか全然ないんだから・・・。

 まあね~、そんな訳で、「宇城氏の関係者が長野先生を騙し討ちに来たのか?」と、師範代は思ったんでしょうが、似たような状況で仲良くなった人とか教えるようになった人が何人もいるんです。私、正々堂々と闘うと弱いけど、ケンカみたいな状況だと悪魔のように狡猾だもん。第一、ストリートファイト向けの技しか研究してないし・・・。

 だから、うちの会には元暴走族とか元ヤンキーとか何人かいますもん。「先生の技はケンカに使うのに最適ですよ~」と喜んで入会して、しばらくしたら来なくなるってパターンが多いですが・・・(彼らは地道に訓練するの苦手なんですね~)。

 さてさて、どうも勘違いしている人が多いんですが、客観的に考えて、どんな流派であっても、その流派のトップの人達は皆、強いんですよ。「合気道は弱い」とか「少林寺拳法はダメだ」とか平然と言う人がいますけど、「アンタは合気道や少林寺の最高の遣い手と戦って勝ったんですか?」と聞いてみたいです。知らないが故の単なるイメージなんですよね。

 もちろん、私も、合気道の六段、八段の人や居合道の七段くらいの人の演武を見て、「何だこりゃ? 全然ダメじゃん?」と思うこともあります。正直言って。

 でも、同じ段位でも比較にならないような実力者がいることを私は認識していますから、その一部のダメな高段者を見て流派全体がダメだと判断することはありません。

 つまり、段位という権威じゃなくて、その人自身が体得している技量そのものを観察している訳です。

 でも、観察眼の無い人は、段位であったりメカニズムが解らない見世物芸を見て判断してしまうでしょう? そこが今の日本の武術・武道の世界の問題点だと思いますよ。

 いや、ひょっとすると日本人全体の問題点なのかもしれませんね。肩書とか見た目で判断して中身をきちんと観ていない。ブランドやイケメンに群がる感性と同じですね。

 偽装問題も、そういう日本人の感性から必然的に生まれてきた問題ですね。でも、見た目が良くても、中身が伴っていなかったらガッカリしますよね。私は、甲野氏の正体が判った時は本当にガッカリしたもん(段々、コントみたいに思えて面白くなったけど)。

 もういい加減に、等身大に背伸びしないで頑張っていく・・・ということの重要性に日本人は気づいた方がいいと思いますよね。

 で、結局・・・私も自分の体質の欠陥を直すよりも、それに合わせた家の中でできる仕事(もの書き)をやるようになった訳ですよ。結果的にコレで良し。

 災い転じて福となす! これぞ極意也・・・。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

通り魔続出に他力本願は通用しない

 通り魔が続出しています。8人が無差別に刺されるという異常性と、警察官の目前での挑発的な事件ということから、事件を防げなかった警察への批判の声が高まっています。

 この犯人は既に一人殺しており、指名手配中だったということです。

 殺すのは誰でもよかったという動機なき殺人事件に、精神疾患を疑わせてはいますが、犯罪の是非の判断がつかない程ではなかった様子ですし、格闘ゲームのマニアだったという点からも、最近の変質者的事件との類似性が感じられます。

 一つ、指摘しておきたいのは、この犯人が極端なゲーム・マニアだったという点です。

 私が思うには、TVゲームや携帯電話、パソコンに中毒症状のようになると、言動が異常になってしまう人が少なくないようです。

 私は理科系の大学にいましたが、コンピューターのプログラマーになった同級生などから、ずうっとコンピューターに向かって仕事をしていると精神的におかしくなって暴れてしまう人がいるとか聞いたことがありました。

 もう、20年以上前の話ですが、それからパソコンが普及し、ゲームが流行り、携帯電話が急速に普及するようになってからは、ごく普通の人にもそんな具合になる人が増殖していっているように思えます。

 これは多分、電磁波の影響でしょう。

 私も、仕事でワープロを長時間打っていて吐き気を催すことがありますが、電磁波の悪影響は80年代半ばから指摘されてきたことです。

 最近の通り魔事件を見ていると、引きこもりタイプの人間が動機らしい動機も無く犯行に及んでいて、電磁波障害で脳の機能がおかしくなって異常行動を抑えられなくなっているのではないか?と思えてならないのです。

 私が游心流の稽古体系から気功を排除したのも、脳神経に過剰な電気刺激を加える気功の訓練によって脳機能のバランスが崩れて精神面に悪影響が出てしまう危険性を予測したからです。こうなっては、論理的に説得しようとしても一種の“気違い”になっているので聞く耳を持たなくなる訳です。

 電磁波の影響もそれと同じです。

 私は最近は携帯電話を持っていますが、極力、使わずにいます。自分のブログを確認するのに使うくらいです。

 どうしてか?というと、携帯電話に使われている磁石が非常に強力なものだと知ったからです。

 これを耳にあてがって長時間話していたら脳への悪影響は必ずあるだろうと思う。

 人間の血液には鉄分がありますよね? ヘモグロビンです。

 強力な磁力線をずっと当てていれば、当然、血液の流れも偏る筈です。一時期、携帯電話で長時間話していると脳腫瘍ができるという都市伝説が囁かれていましたが、こういう科学的根拠が背景にあった訳です。

 それほどでなくとも脳の血流が滞って血栓ができたら脳梗塞が起こるかもしれませんから、どう考えても携帯電話の長話が身体の健康に何も悪影響が無いと言い切れるとは思えません。

 要するに、ハイテク公害が理由無き通り魔犯罪の増加に一役買っていると私には思えるのです。

 また、直に人と触れ合うことの少なくなった人は、他人とのコミュニケーションの取り方が下手になりますよね? 他人との距離感が測れなくなり、ストーカー行為に及ぶ場合もある。

 これも最近は増加しているでしょう? 

 怒りを抑制できずに暴力に訴えてしまう人も多い・・・。

 うちの会に入会してくる人の大半が、インターネット経由ですが、他人とのコミュニケーションの取り方を知らない人が結構、います。

 いわゆる礼儀知らずと言われるようなタイプの人です。若い人なら教えてやればいいとなりますが、30過ぎていたら、もう教えてもダメでしょう?

 マニアといわれるような人達は、他人からどう見られるか?ということを気にしないので、困った事態になる場合が多いですね。

 私は、最近、こういう精神的に未成熟な人に武術なんか教えたらキチガイに刃物になってしまって良くないんじゃないか?と思うようになりました。

 やっぱり、武術は、人を傷つけることに対する恐れを知らないといけないし、上達していくに従って、他人を威圧しないように注意して隠すようにしていかなくてはマズイ。

 つまり、ただ技を磨けばいいというものではなくて、技を磨くのと同時に忍耐力や周囲に気配りする観察力を磨かなくてはいけないのです。

 特に観察力は重要なんですね。

 いち早く異常を察知して危機を回避する。あるいは、被害を最小限にくい止める準備をする。

 これは日頃から周囲を観察する習慣をつけておかねば、いざやろうとしてもそうそうできるものではありません。

 通り魔事件が起こる度に、警察に責任を求める声が挙がります。

 が、被害を受けた後で文句を言ってもどうしようもないのです。自分にできることを日頃からやっておけば、危機を回避することも不可能ではありません。

 武術の護身術としての効用は、危機に備える意識にこそあります。その意識から具体的な対策はいくらでも工夫できることを知っておいて欲しいと思います。

 シダックスでやっている護身術講座を受講してもらえば、そういうことも具体的にお教えしますから、関心のある方はどうぞ。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

事務担当からのご連絡

会員・関係者の皆様、急遽お花見をやることになりました。

参加される方は長野先生に直接か、事務担当までご一報をお願い致します。

日時:2008/03/30(日)10:30

場所:JR横浜線 淵野辺駅改札前集合 

当日遅れる方は、早めに連絡ください。

以上
このページのトップへ
コンテントヘッダー

幻十郎に江戸時代のエアーライフルが登場!

 北大路欣也主演の『幻十郎必殺剣』最終回一話前で、発射音が鳴らない鉄砲“気砲”が登場して、ちょっと驚きました。

 この“気砲”というのは、実際に江戸時代に国友一貫斎が作ったというポンプ式のエアーライフルのことで、自転車の空気入れみたいなポンプで銃床に圧縮空気を溜めておいて、その空気圧を利用して鉛玉を発射する機構になっていて、確か私の記憶違いでなかったら、30連発だったと思います。

 この気砲の元ネタはヨーロッパにあったらしいんですが、一貫斎が作った物の方がずっと性能が良かったらしいですね。

 何しろ発射音はしないサイレンサー・ガンな上に、当時は一発ずつ火薬と弾丸込めて火繩を使って撃つ単発式火繩銃しかなかったんですから(多銃身の三連発、四連発、20連発銃も発明されてはいた)、30発も撃てるのは画期的です(ただし、圧縮空気を溜めるのが物凄く大変だったらしいです)。

 明治時代になってからも、この気砲のアイデアを使ったステッキなんかが作られていたらしいことが、なんでも鑑定団に出てましたね。

 火薬(厳密に言うと現代の銃の発射薬は火薬とは言わない。黒色火薬は古代中国で発明され硫黄・硝石・木炭を混合して作り、現代でも花火なんかの原料として製造される。元寇のモンゴル軍が使った“てつはう”は有名ですね)は作るのが大変だけど、エアーを使うのはエネルギーが無尽蔵にあってタダなんですから、エアーガンという武器がもっと発展していれば、現代文明のエネルギー問題に大きく貢献していたかもしれませんよね~。

 例えばの話ですけど、日本のエアーガン規制がされる前には、ドラム缶に穴穿っちゃうくらいの本物の銃みたいな威力の改造エアーガンをマニアが作っていた訳なんですが、個人でそこまで作れちゃうのって、何かもの凄くないですか?

 エアーガンが流行る以前に私がGunマニアだった頃は、モデルガンを改造して黒色火薬(花火からほぐして集める)を詰めたカートリッジ(薬莢)に鉛の弾頭を装着した改造銃を造るマニアがたまにいた訳ですけど、銃身や弾倉を鉄材から旋盤加工して造る労力からしたら、ホームセンターで買えるスプリングやステンレスや真鍮のパイプ、アルミ材とかを鉄工ヤスリで成型して部品を取り替える程度で造れてしまう。

 以前は日本ヤクザ御用達のフィリピンの密造拳銃なんかもありましたけど、銃身の内部に弾丸に回転を与えるライフリングすら掘れないから、命中度なんか期待できないし、手作業でヤスリで成型していたので暴発して壊れるような粗悪な代物ばっかりで、ヤクザも嫌がっていたそうな。

 それで、ソ連崩壊と共に旧ソ連軍のトカレフやマカロフ、AKライフルなんかが流出したりしたそうですが、その後は多少値が張ってもアメリカ製のブランド銃を密輸入するようになったんだとか?

 どうしてか?というと、粗悪な銃は入手に苦労しても使い物にならない。デメリットの方が大きいかららしいですね。それにヤクザなんて別にGunマニアじゃないから手入れとか操作方法もよく知らない訳。暴発させて自分が怪我する可能性もあったそうな。

 そこんところを考えるとGunマニアの中には手先が器用な人もいるし、メカ・フェチ故にエアガン、ガスガンを自分の好みでカスタマイズして威力、命中精度、操作性能なんかをどんどん追究していく人もいる訳。特にサバイバルゲームがアメリカから入ってきた頃からエアガン、ガスガンは加速度的に進化していき、個人のカスタムメイカーが現れることによってけん引され、急速に技術革新されていったんです。

 要するに、江戸時代の国友鉄砲鍛冶集団みたいな職人魂溢れるGunマニアが日本各地に続々と現れたんですね。

 ホビー雑誌でハンドメイドのガトリング・ガンや電動スプリング・マシンガンの製作レポートが発表された後に東京マルイが量産型の電動エアガン第一号FA-MASを売り出し、当初は機構的に不完全と批判もされたものの次第に技術力がアップして信頼性を勝ち取り、電動エアガンが市場を席巻し、それがサバイバルゲームのブームと並行してカスタム電動エアガンの威力競争に拍車をかけ、それが有害玩具として社会現象となって威力規制に至った訳ですね。

 でも、純粋にエアガン、ガスガンの技術の発展史として考えると、異常な進化速度なんですよね。もちろん、ベースになった電動エアーガンなんかの性能が凄いからなんですが、強度の劣る亜鉛合金やABS樹脂で作らないといけないだけで、もし材料に関する自主規制が無ければ、玩具メーカーが最先端の武器メーカーにもなりかねない技術力が育ちつつあった訳ですよ。もう、ほとんどBB弾を発射するロボットですよ。

 本物の射撃競技や猟に使われるエアーライフルなんて5発くらいまでしか撃てないし、引き金引くだけで連発することもできない。ましてやマシンガンみたいに全自動で百発も千発も撃てる改造エアーガンの方が完全に銃としての機能は上でしょう?

 幻十郎を見て、あの銃が本当に有るとはほとんど誰も思わなかったでしょうけれど、日本人の職人魂というのは本当にDNAに刷り込まれているんじゃないのかな~?と思いました。

 で、游心流でも射撃訓練をすることに決めたので、適当なテッポウを探すために相模原で一番大きな模型店、古渕駅近くのタムタムというお店に行ってきました。

 まあ、妥当なブツとしては、ここは渋くコルト・ガバメント系を選ぶところなんでしょうが、やっぱ実用性より好みを優先して、44オートマグ・クリント1のヘビーウエイト・ブローバックモデルを買いましたよ。

 本当はシルバーモデルを探したんですが、生産台数が少なかったらしくてどこも売り切れてるらしく、ブラックを買いました。

 この銃は以前、シルバーメッキのノンブローバック・モデルを買っていて、威力も命中精度も気に入っていたんですが元師範代に安く売っちゃったんですよね。

「やっぱ、オートマグはボルトがカシャーンッとブローバックしないと面白くないな~」と思ったのと、唯一、機能的な欠点として、引き金が重くて撃鉄(ハンマー)を起こしてシングル・アクションにしないと撃てないくらい、ダブル・アクションだとえらいシンドイのです。

 これじゃ咄嗟に撃てないよ~。手裏剣の上手い人には勝てない・・・。

 で、先日買ったSIG P21O-6が、性能は今一歩ながら引き金の引き味が素晴らしくて、「ブローバックすることで自動的に撃鉄が起きてシングル・アクションで撃てるからだ」という事実に気づき、それならばオートマグもブローバック・モデルならば最大の欠点も改善しているに違いないと考えた訳です。

 店で空撃ちさせてもらった時、予想以上の軽い引き金にYATTA~!って叫びそうになりましたよ。撃つ度にガシャコンッと動くボルトも、マグナム弾を撃つためにM16ライフルみたいなロータリーボルト・ロッキングを採用した破格の自動拳銃オートマグらしい無意味なハッタリ臭さが全開で素晴らしいっ!

 まあ、実物のオートマグは、その魅力的な外観とは裏腹に、オーバー・テクノロジーによる作動不良が続出して“オートジャム”と蔑称される(ジャムというのは回転不良のことで空薬莢が排出口に挟まったりして撃てなくなること)ハメに陥り、パテントだけが次々に会社を変わって細々と生産されてきたという因縁つきの銃なんですが・・・。

 でも、この8・1/2インチの長銃身モデルは、クリント・イーストウッドが気に入って『ダーティーハリー4・サドンインパクト』で、ハリー愛用の44マグナム・リボルバーが敵にポイ捨てされちゃったピンチ・ヒッターとして登場し、ステンレス・スチールの渋いシルバーメタリックのボディと一発撃つごとにガッシャ~ンッ!とボルトが動くメカニカルなド派手さで、たちまち大学生だった私のハートを鷲掴みしていたのさっ。

 クリント・イーストウッドが使ったモデルだからってんで、通称“クリント1”。

 シルバーでないのが残念だけど、これもものは考えようで、仕上げが荒いままメッキされたモデルは、狙いをつける最も大切なフロント・サイト(銃口の上に突き出ている部品で照準をつける物)部分に型抜きした時のバリが残ったままだった。嫌でも観なきゃいけない部分なので、ここにバリが残っているのは凄く気になる。

「よ~し、メッキがけされていないのが幸いだ。こうなったら自分で表面処理してから塗装してしまえばいいや~」と思ったのです。

 それも、普通にシルバーだと当たり前だから、いっそド派手にゴールド仕上げに塗装してみようかな?と思っております。以前、金ピカのモデルガンが出ていて凄くゴージャスだったのを思い出したのであります・・・。

 この原稿書く直前までバリを削り落とす作業やってたんですけど、オートマグの代名詞とも言える銃身上のベンチレイテッドリブ(銃身冷却用のものでショットガンによくついている)の四角い四つの穴(クーリングホールと言う)にもバリが残っていましたよ。

 それも細い精密ヤスリを差し込んでチマチマと削り落とす。まっ、塗装するのはもうちょっと様子を見て後日にしましょう・・・。

 で、取り敢えず、試射・・・。ノンブローバックのオートマグの威力と命中精度には(ブローバックでボルトを作動させるためにガスが余計に消費されるから)及ばないだろうと思っていたんですけど、予想外にドガシュッ!と派手な発射で8mmBB弾がビシュンッと飛んでいきます。

 ボルトがブローバックして動く感触も『ダーティーハリー4』で見たあの感じがバッチリ再現されていて涙物です・・・やっぱり、オートマグはこうでなくっちゃ・・・。

 ヘビーウエイトじゃなかったら反動ももっとあっただろうな~と思いますが、私は命中精度が良い方がいいんで、このくらいがいい。命中精度も注意深く狙って撃ってみたら、5m離れて180mlの空き缶は外さないくらいに集弾しているし直進性能がかなり良いので、これなら遠距離で手裏剣の達人と勝負するのにも使える。

 8mmBB弾は6mmBB弾と比べるとかなりでかいので、インパクトがあります。弾がでかいから装弾数は10発と少ないけれど、替えマガジン(箱型弾倉)も買っといたから、再装填して都合、20発は撃てる。ブローバックのお陰で引き金は呆れるくらい軽い。手裏剣一打の間に3~5発は撃てるね。威力、命中精度、速射性能と、どれも優秀です。こりゃ~予想外に使えるな~。

 仕事帰りに寄ったK師範代も、「え~? こんなに威力あるものなんですか?」と、ちょっとびびってました。手裏剣よりビシューンッ!って、まっすぐ飛んでくるから避けるのは難しい。

 まあ~、デカ過ぎるのが難点ではありますけど、電動エアライフルとかと比べれば携帯しやすいんだから、いざ勝負の時はショルダーホルスターにこれを突っ込んで「ゴーアヘッド、メイクマイデイ・・・」とか言ってみたい・・・。


 え~、オートマグと一緒に、店頭ではほとんど見かけたことがなかったモーゼル・ピストル用のホルスター・ストックもあったので、これも買いました。

 モーゼルは以前、買ったまま一度も撃っておらず箱に入れたままだったんですが、メタルフィニッシュの表面メッキが紫色っぽくて非常に綺麗だったので買ったものだったんですね。規制前の銃だから威力が引っ掛かる可能性があると思って以前調べた時、マガジン(弾倉)が劣化していてガスを注入しても漏れてしまうので撃てなくなっていました。

 実物のモーゼル・ピストルって、何せ19世紀末に生まれた拳銃ですから、いくら性能が良くても流石に現代で実用に使う人はほとんどいません。アンティーク・ガンなんですよ。

 でも、中国製モーゼルで大陸を闊歩していたという伊達順之助とか、映画でも『殺しのライセンス』『殺しが静かにやってくる』や、加山雄三がハードボイルドなヒーローを演じた『狙撃』や何やらで多くの作品に登場します。

 やっぱり、あの特異な外観が魅力的なんですよね~。

 私も、このモーゼルとルガーP08、ワルサーP38がオートピストルでは好きですね~。オートマグもそうですけど、銃身がニョキッと出てるのが好きなんですよ。スライドに覆われているのは何か仮性包茎みたいでちょっとね~(譬えが下品だったかな?)。

 で、特にモーゼル・ピストルには木製の収納箱みたいなのを兼用した装着式のショルダーストックがありまして、通常はこの中に本体を納めておくんですが、これから出した本体の握りの溝に金具をはめ込むと、何と? 簡易カービン銃に早変わりするのですよ。

 モーゼルそのものが遠距離狙撃に向いた拳銃で、実際に手に握って撃つにはバランスが悪い。ショルダーストックを装着してカービン銃みたいにして撃つのが一番ベストなんだそうですよね。

 モーゼルの機関部を利用したカービン銃もありますけど、これではかさ張る。

 私はピストルにストックをカチャッと装着してカービン銃に早変わりっというスパイ映画みたいなところが好きですね。だから、これはもう実用性とかはおいといて即買いした次第です。

 ですが、このストックも結構、作りが粗い。建て付けが悪いと言うべきでしょうか?

 金具がガタついていたり蓋の合わせがズレててボタンを押してもうまく外れないとか?で、これも部品を外して金具を少し曲げて調節したり、ネジが通る穴の隙間に紙片を咬ましてガタツキを無くしたり・・・とやって、これで直りました。

 ところがストックを装着する本体の溝がメッキ処理されているせいかキツクて全然入らない。しょうがないから、こちらも慎重にヤスリで削って調節しながら装着してみましたが、ほとんど入る筈なのにキツクて入らない・・・しょうがないからストックにタオルを巻き付けてハンマーで軽く叩いてはめ込んでみましたよ。

 キチッと装着されると見違えるようなカッコ良さ! 映画に登場する秘密兵器っぽいな~?

 最近出た8mmBB弾のブローバック仕様のモーゼルはセミオートとフルオートが切り替え式になっているそうですけど、この「拳銃なのに全自動でマシンピストルになる」というところがモーゼルの画期的なところだったんですよね。

 これ以降はロシアのスチェッキンとか、イタリアのベレッタ93Rとか、いくつかのマシンピストルが出ていますけど、モーゼルが元祖なんですよね。

 何か、久々にGun愛が蘇ってきましたよ・・・。


このページのトップへ
コンテントヘッダー

お前が言うか?

 週刊新潮2008.3.20号のワイド特集“解雇通告”に、武術の世界ではビッグネームである宇城憲治氏のことが書かれていました。

“日本サッカー大丈夫? ナゾの空手家に心酔する「岡田監督」”との記事で、私は新聞の広告欄を読んでいた時に、「これって宇城氏のことじゃないかな~?」と思っていたんですが、シダックスの講座で会員さんがコピーを持ってきて見せてくれ、やっぱりそうだったか~?と思いました。

 読んでもらえば解りますけど、この記事は宇城氏を「まるで超能力者かオカルト的な霊能力者だが・・・」と、カルト集団の怪しいリーダーみたいな論調で書かれていて、日本サッカーの名監督、岡田武史氏が怪しい教えに洗脳されちゃってんじゃないの?といったニュアンスです。

 その根拠として、宇城氏が合気ニュースから出しているDVDの気の技の実演(指一本で20人の縦列に並べた弟子を倒したりする見世物演芸技の数々)の様子に胡散臭い視線を向けている訳です。

 御記憶の方も多いと思いますが、私は以前、このDVDの感想を、「せっかく空手の実力があるのに、あんな見世物演芸をやっていたら世間に誤解されてしまう」と警鐘を鳴らしました。それが現実のものになった訳です・・・。

 また、記者は宇城氏本人にも質問した様子ですが、その回答に関して「禅問答のような答えが返ってくるばかり。一般人には理解しがたい教えのようだが・・・」と感想を書いています。

 またしても、私が危惧していた通りですが、予言?が的中しても嬉しくはありません。

 宇城氏の説明は抽象的で宗教哲学的に過ぎる。はっきり言って、意味が解らない。わざと解らないように説明しているのか?とも思いましたが、元々がそういう言語感覚の人みたいです。理解できるようにかみ砕いて具体的に話すことができない人なのでしょう。

 先日、林邦史朗氏が出演された殺陣の秘密に迫る番組を見た時は、林氏の的確にして明確な説明に非常に感心させられましたが、殺陣師として全くの初心者を短期間(短時間?)で剣の遣い手に見えるように指導しなければならないからこそ、具体的なコツを伝授する解説能力が磨かれたのかもしれませんが、私が聞いても唸ってしまうくらいシンプル・イズ・ベストの説明でした。武道家としての技量も優れていながら「私は一介の殺陣師」と謙遜される林氏にこそ、侍の姿が見えました・・・。

 しかし、武術武道の世界には、禅問答みたいな意味がありそうでなさそうな説明をして「流石は達人だ。常人とは違うな~」と、勝手に有り難がってくれるのを予定調和として話す癖になっている人が結構いますが、求道的な世界だから宗教哲学的な権威を求めてしまう訳です。

 ところで、私から観れば、宇城氏の空手の実力は本物だけれども、気の技と称して演じているのは物理的トリックと催眠暗示に過ぎず、それ以上でも以下でもありません。私がやり方を教えれば“ズブの素人でも再現できる技”がほとんどと言い切ってしまっても構いません。説明するための技術構造の認識が足りないのでしょう。

 だからこそ、以前、書いた時は「せっかくの空手の素晴らしさに疵をつけるような子供染みた馬鹿げた見世物演芸をやるのは止めるべきだ」と、警告した訳ですが、言わんこっちゃないですね・・・。


 週刊新潮の記事の内容は、私が批判した論調とほぼ同様のものであり、予想される普通の人の感覚から導き出される当然の意見でしたから、記事内容に関して反論するつもりなどありませんでした。ところが、最後の最後に呆れ果てる箇所が出てきて、無視できなくなりました・・・。

 それは、記者が宇城氏の人とナリについて質問した人物が、よりにもよって、甲野善紀氏だった点です。

 甲野氏は宇城氏に関して「私の記憶にある宇城先生は、“気”で相手を倒すなどということには大変否定的な方で、その卓抜した空手の技で十分説得力のある対応をされていました。社会的地位も確立されていた宇城先生が、なぜ怪しげな目で見られる可能性が高い“気の空手”を標榜され始めたのか、本当に理解に苦しみますし、残念です」と感想を述べているのですが、私は「ハァァ~? お前が言うか?」と思いました。

 甲野氏こそ、20年前には“離れた相手に気を当てて倒す技”を喜々として披露していましたし(私も受けた)、無拍子打ち・井桁崩しの術理・・・等々の意味不明の必殺奥義?を次から次に発表しては文化人やスポーツ選手との交流を最大限に利用してメディアに自分を売り込んできた<怪しい古武術家>に外ならないからです。

 それに、「私の記憶にある宇城先生」って、何を寝ぼけたことをほざいているのでしょうか?

 沖縄古伝の空手を修行者として少数の弟子と地道に修練していた宇城氏をメディアに引っ張り出して世に出したのは、外ならぬ甲野氏本人ですし、しかも“親友”と称していたのに、まるで昔ちょっと付き合いのあった知り合いについて話すみたいに、「私の記憶にある宇城先生」もクソもないでしょう?

 いや、もっと決定的なことを書いてあげましょう。

 合気ニュースに宇城氏を紹介した甲野氏は、実力も人格も秀でて編集スタッフから尊敬を集めた宇城氏にジェラシーを燃やして「突き蹴りでは敵わないけれど、柔術や剣術だったら勝てるかもしれないな~」と陰で自慢し、これを聞いた宇城氏から突き蹴り無しの手合わせでメタクソに投げられ固められ、剣術でも袋竹刀であしらわれた。

 私は別に宇城氏のカタを持つ義理も何もないし(むしろ、いけ好かない)、合気ニュースの出版社としてのプライドも信用してないけれど、研究家として冷静に比較して、甲野氏と宇城氏でははじめから勝負にならないのが判っていましたから、この一件を聞いた時は「あ~、宇城さんは偉いな~。テングになってる甲野ちゃんを実力で諌めてあげたんだな~」と、感心したんですが・・・ところが、どっこい。

 それを恨んだ甲野氏は尚も「宇城さんは韓氏意拳のM岡さんにボコボコに負けた」という嘘を吹聴し、これを聞いた宇城氏は激怒し、合気ニュースも甲野氏の病的な嘘に驚いて絶縁したというのです。

 事実は当事者である宇城氏と、合気ニュース編集者K女史、及び甲野氏に聞いてみるしかありませんが、少なくとも私が人伝えに知った裏事情からそんなに遠いものではないでしょうし、週刊誌でこう言われてしまった以上は真相を明かして反論しないと風評被害はくい止められなくなって非常にマズイ事態になるでしょう。

 何故なら、真相を知らない多くの人達は、甲野氏と宇城氏がいまだに親しく、「そうか、甲野先生は宇城氏が怪しいことをやり始めたから距離を取っていたのだな~?」と、勝手に考えてしまう可能性が高いからです。

 甲野氏の虚言癖は昔から有名で、名のある武道家に勝っただの何だのという自慢話ばかりしていましたが、実際にはまともに手合わせして勝った話は聞いたことがなく、柔道家・空手家・合気道家・古流剣術家・古流柔術家・中国武術家・・・といった有名無名を問わない数十からの(百を超えるかも?)相手にほとんど一方的に惨敗しています。

 私が危うく道場破りになりそうになってしまった逸話?も最新刊『そこが知りたい武術のシクミ』に書きましたが、信用できない方も多いでしょうから、二名だけお名前を挙げておきます。事実かどうかを知りたい方は直接、問い合わせてみられたらいかがでしょうか?

 現在、フランスで活動されている時津流自成道という武道を主宰されている時津賢児氏と、芦原空手の二代目館長芦原英典氏も、教えを受けに行って、軽く本気を出して突き蹴りを出したら甲野氏があっさり撃沈してしまって驚いた・・・ということです。

 まあ、そういうそら恐ろしいばかりのホラ吹きなので、例えば、山田洋次監督の藤沢周平時代劇三部作の第一弾『たそがれ清兵衛』と第二弾『隠し剣・鬼の爪』の殺陣を指導したと嘘を言っていますが、これを知った実際に剣術指導を担当した剣道師範M先生は激怒して告訴する準備もし(関係者に止められて諦める)、同作に出演して殺陣シーンを実際に演じているT氏は驚き呆れていました。

 つまり、まったくの事実無根だったのです。というか、こんなバレバレの嘘を何故、平然と吹聴するのでしょうか? 本当に理解に苦しみますし、残念です(あっ、パクッちゃった?)。

 実際、それまで甲野氏の本やDVDを次々に出版していた合気ニュース社のカタログから甲野氏関連の出版物は削除され、合気ニュース誌(現在、宇城氏が編集顧問となり『道』とタイトルが変更されて続いている)の甲野氏の連載も打ち切られています。

 私は書店でこれに気づいた時は「これは何かあったな? 売れスジの出版物を削除するなんて営利的損失に繋がることは小さい出版社ではやらない筈。これはよっぽどの事件があったに違いない」と感づいていましたが、後日、真相を人伝えに耳にして、なるほどと納得した次第です。

 週刊新潮の記者の方が、甲野善紀氏に宇城氏に関して問い合わせするのは世間的知名度に於いて不思議でもなんでもありませんが、親友を陥れようとして絶縁された人間が、自分の恥話は隠して、よくもまあ、白々しく識者ぶった分析をしてみせたものです。良く言えばクレバー、悪く言えばズル賢い。宇城氏をフォローすることなく巧妙に陥れるように批評する気分は、ボコボコにされた江戸の恨みを京で晴らすみたいな気分だったんでしょうか? 流石の私も吐き気を催しました。男のやり方じゃありませんね。

 もっとも、甲野氏は昔から、自分の都合の悪い話(高校の講演会で高校生の襟首掴んで真剣の切っ先突き付けて脅かしたり・・・あっ、しまった! 書いちゃった・・・まっ、いっか? 調べたら判明する事実だし、見た人が私も含めて数百人いるんだしね)はコロッと忘れてしまう得意技の持ち主だったから、宇城氏のこともマジで忘れていたのかもしれませんが。

 でも、甲野氏は「理解に苦しみますし、残念です」と言っていますが、私は、宇城氏がUK実践塾と称して活動している考えは実によく理解できますね。

 簡単でしょ? 宇城氏は「あんな甲野のバカタレでさえ達人として世間に持て囃されているんだから、俺だったら、もっともっと大きな社会的業績を上げることができる」と思ったに違いありません。

 だから、甲野氏と同様に見世物演芸をやって見せ、スポーツ関係者や著名な企業人を対象にした自己啓発のセミナーをやっている。元々が企業人なんだから、企業人がどんなことを求めているか?というニーズには鋭敏でしょう。

 現実の企業戦略に於いて、リアルな合理性だけでは限界が来る。それを超えた超自然的な運気を味方につけるにはどうすればいいのか?と、考える人は、経済界や政治の世界、芸能界、プロスポーツの世界の指導的立場にいる人には共通の発想ですよ。

 新宗教やら自己啓発のための修養団体にそういった人達が集まるのは不思議でも何でもないし、むしろ当然のことでしょう? 天風会(中村天風創始)とか整体協会(野口晴哉創始)みたいな健康法団体と言われているところも、その実態は新宗教団体とさして変わらないのです。

 宇城氏の発想には、直接的なそういう団体への希求は無かったとしても、欲求と目標として、そのような組織へと発展させる意図があるのは明白です。特に、従来のそのような諸団体には無かった“武術空手”という武器がある・・・という自負心が、企業人としての資質と結び付いて社会的野心となった・・・と、私見しています。

 余談ですが、ほとんど知られていませんが、甲野氏もまた、新宗教的業界への傾倒が非常に強く、宗教学者の島田裕巳氏の新刊『日本の10大新宗教』の中で、まだ武術の世界に入る前の若き日の甲野氏から大本教の実態について書かれた奇書『大地の母』について熱情を以て大推薦された体験談を書かれています。

 甲野氏は現在も整体協会と拘わりが深いですし、玄米食養も桜沢如一のマクロビオティックや肥田式強健術の創始者肥田春充の教えの影響があります。その証拠に、処女作『表の体育裏の体育』は、武術の本ではなくて、そんな新宗教的なる業界に関して書かれた本なのです。健康法の本だと思って読むと、かなり面食らうでしょう。そのくらい彼のオカルト的世界観への傾倒ぶりの一端がかいま見れる本です。

 宇城氏の間違いは、タイプが違うのに安易に甲野氏の手法を真似してしまった点にあります。宇城氏は甲野氏と違って、新宗教だの健康法だのの業界に関する知識も理解もない様子です。だからこそ、世間から胡散臭く見られてしまう危険性に関する嗅覚が鈍かったのでしょう。

 DVDで“気の技”を演じて見せている宇城氏は子供のように嬉しそうです。良く言えば無邪気ですが、悪く言えばチャイルデッシュです。単純に「どうだ? 凄いだろう」と自慢げですし、受けている人達も感心したり狂喜したりしています。

 このような様子はオウム真理教の修行の様子だとか、1989年くらいに世間をあっといわせてあっという間にメディアから消えていった西野流呼吸法の演武に極めて似ています。特に西野流の演武は、宇城氏の演武とそっくりで、「宇城氏は西野流を真似したのか?」と思えるくらいです。が、恐らく、これは意図したものではないでしょう。

 ですが、ここに宇城氏の先読みの甘さが現れています。本来だったら叩けば埃塗れになる甲野氏が先に社会的バッシングをされていた筈の“カルト特有の胡散臭さ”を、より先鋭的に派手にやってみせてしまったが故に、マスコミから先に嗅ぎ付けられてしまったのです。

 別に同情はしません。とっくに私が指摘していたことだし、宇城氏の独善的考えが必ずしも世間のスタンダードとして通用するものではないという欠点が露呈したんだから、軌道修正する良い切っ掛けなんじゃないでしょうか?

 恐らく、ビジネスの戦略として、これから宇城氏は封印していたTVメディアへの露出も再開せざるを得ないでしょう。“ナゾの空手家”なんて書かれては沽券にかかわるでしょうし、よりによって甲野氏にあんなこと言われたら心穏やかではいられない筈です。宇城シンパの有力者も支援するでしょう。こうなったら、力技で納得させて認知度を広めるしか方法がない。

 でも、以前のような、「どうです。不思議でしょう?」みたいな見世芸手法はもう通用しないでしょう。サポートするブレイン、つまり、宇城氏の技と理論を一般向けに翻訳できる人が必要になる。武術にも通じていながら社会常識を弁えたコモンセンスがある人を探すことです。でなきゃカルト集団扱いされて自滅しかねません。

 私がアドバイスしても仕方ありませんし、自信家で頑迷な宇城氏は耳を貸さないでしょう。が、武術家だったら、そのくらいの兵法は心得ておいて欲しい。何より空手や武術のイメージアップのためには宇城氏にも意地を見せてもらわなくてはならない。良くも悪くも現在の武術の世界を代表する人物の一人であることは否定できないからです。

 あ~、でも、甲野氏はね~。う~ん・・・この人は本当に困った人ですね? 最早、現代武術界の最高権威みたいに世間的に名前が浸透しちゃってる。でも、よくぞ今まで週刊誌にバッシングされないで(ブブカでちょこっと書かれただけ?って、コレって私の批判がそのまま載っただけだけど)、のうのうとやってこれたものです。宇城氏の二千倍は怪しいのに。やっぱり、私がきちんとバッシングしないと放っておいたら危険かもしれませんね。

 よしっ、今度は甲野氏の批判論をきちんと書きましょう。新聞も週刊誌も知らないで権威者扱いしている現状は日本武術史上最大の汚点です。ダメなものはダメ。嘘は嘘。インチキはインチキ。きちんと書いておかないと、これ以上、甲野氏を野放しにしていたらいかん。

・・・って言うか、ここ最近、武術家だの武道家だのって誇らしげにしゃしゃり出てきては大バカかましてカルトの教祖みたいになり果ててしまう人達が多過ぎますね。

 本当に、武術とか武道の世界って、バカばっかりなのか?って本気で思います。世間知らずなのに自惚れだけ異常に強くて、虚栄心の権化みたいなのしかおらんのか?って情けなくなります。

 能天気にタワ言をほざくしかできない阿呆。無知蒙昧で社会常識の欠落した馬鹿。研究心が行き過ぎて現実認識できなくなってる気違い。ウンザリしますよ・・・。

 本来の武術って、人に誇るためにやるものじゃなくて、あくまでも我が身の護身と健身を図り、いざという時の危難に備えて心を磨き、人生を充実したものにするための学びとして嗜むものだった筈なのに・・・まったく逆転してしまっている人が少なくない。

 情けないです。いや、人のことばっかり言えません。私が教えた中にも増長してしまう者が何人かいました。自己嫌悪に陥ります・・・。

 私自身は、武術をやってきたからこそ、多くの尊敬できる人達と出会えたし、自分のコンプレックスも多少なりとも克服できたと感謝しています。けれども、これは運が良かっただけなのかもしれない。ある種の人にとっては、武術は人格を破壊する魔術そのものなのかもしれません。禅で魔境に陥るのと同じです。

 スポーツ選手とか企業人なんかが禅に執心したりするのと同じようなものと弁えていられれば「あの岡田監督が怪しいカルトに入信している?」みたいな疑念を持たれずに済む訳で、要するに、宇城氏はプロパガンダ(主義主張の宣伝)が下手なんですね。

 そこいくと新体道の青木先生は素晴らしいです。「うちは宗教ですから~ワッハッハ」「私は芸術家ですから~ワッハッハ」・・・てな具合に即答するから怪しまれない。

 トゥーッ!と遠当てをかけて離れた弟子がエビ反りして倒れても、「少年ジェット見て考えた技ですよぉ~、ワッハッハ~」ってシャレのめしてくれそうなブッ飛びっぷりを示されたら、誰も本気でバッシングする気持ちにならない。一見、バカっぽいけど、実は最も高度な戦略に裏打ちされた人心操作術ですよ・・・。

 要するに、権威性をかなぐり捨ててしまっていたら、誰も文句言えなくなっちゃいますから。これ大事! ポイントは“捨て身”になることです。これ、武術の極意です。


このページのトップへ
コンテントヘッダー

『合気開眼』を読んで

 以下、私は覚悟を決めて本音を申します。批判という領域を逸脱すると思いますが、言い訳は申しません。誰かが書かなければいけないことであり、研究家として活動している者の義務と判断するからです。

 神保町の書泉に営業に行った時に、『合気開眼』(保江邦夫著 海鳴社)を、購入しました。この著者の本は三冊目です。

 ですが、一読して、目眩がするほどに仰天しました。

 いえ・・・感動したのではありません。呆れ果ててしまったのです。

 しかし、木村達雄氏といい、高橋賢氏といい、この保江氏といい、どうしてこう佐川道場の人達は、こんなに神懸かったような“合気万能思想”にはまって抜け出せないんでしょうか?

 無礼を承知(道場破りされるのも覚悟してという意味です)で申しますが、この三名の方は、一回、公衆の面前でまっとうに試合してタコ殴りにでもされない限り、目が覚めないんじゃないか?と思います。

 武道・格闘技・武術というものを、ひいては“人間が戦う”ということに関して、あまりにも認識が甘過ぎます。秘伝の技の幻妙さに耽溺するあまり、現実に戦うことのリアリティーを一切、念頭に置かないまま配慮も覚悟もなく文章を書かれていると思います。

 格闘家と試合して大怪我したという動画サイトで晒されていた合気武術家の方が、まだしも尊敬に値すると思います。現実に言い訳の通用しない場で戦って見せたのですから。

 生前、名人の呼び声高かった佐川幸義先生も嘆いておられると思うと、本当に哀しくなります。「これが佐川先生の技だ」として示される技の戦技としてのリアリティーの欠如を全く自覚されておられない。これは亡き師匠を冒涜するに等しい。

 正直、これは武術というより新興宗教を信仰する人達みたいにしか思えません。

 私が聞くところの佐川幸義先生は、そういう態度を最も嫌っていたそうです。木村達雄氏がある大東流の著名団体に乗り込んで、そこの先生に恥をかかせるような真似をした時は、佐川先生が詫び状を出したという話も道場関係者から聞いたことがあります。

 他所の道場へ行って腕試しみたいなことをすれば、昔は半殺しの目に合わされても文句は言えませんでした。ましてや、同じ大東流内でそういう真似をするのは門流の規律を乱すことになるのですから、論外です。江戸時代だったら生きて帰れないでしょう。

 技の追究に熱心なのは良いことですが、自流のみ貴く他流他派の営みは踏みにじって良しとする態度は人として最低に愚劣です。ナチスの発想と原理的に同じ優越思想からくる覇権主義でしかありません。

 ですから、この保江氏の主張していることに関しても、精神主義的、宗教理念的な倫理観を述べているにもかかわらず、一歩引いて読めば、酷く差別的で排他的なのです。とても正気の沙汰とは思えないのが嘘偽らざる私の率直な読後感です。

 新書版の本『武道vs物理学』は、これほどまでに排他的ではありませんでした。多少の行き過ぎた表現も、微笑ましく許容できました。が、この『合気開眼』は発狂者の著述としか思えません。何より、引き合いに出している他流派の人達はおろか、自流の先輩方に対する配慮さえ完全に忘れ果ててしまっています。

 保江氏の論は、詰まるところ、「佐川先生の合気だけが本物で他は偽物。そして、佐川先生の合気を体得したのは世界中で木村達雄さんと自分だけで、他の門下生の誰もできない」という主張なんですけれども、普通の良識の持ち主であれば、こんなことはたとえ思っていたとしても口にはしませんよね。

 うちの破門した元会員達であっても、陰で「俺は長野さんを超えた」とのぼせ上がっても、面と向かっては言いませんでした。私がそんな言葉を許すようなお人好しでないことは薄々わかっていたでしょうから。無論、直接会えば無事で済ますつもりはありません。

 仮にも武術を指導する立場に立つ者として、このような無礼極まりない放言を許す者はどこにもいないでしょう。それに、私は個人的に自惚れた言葉を吐く人間が特に嫌いなので、初対面でも叱りつけたことが何度もあります。

 ですから、科学者だろうが何者だろうが、悪気があろうがなかろうが、礼儀知らずは礼儀知らずと言うしかありません。無礼者に武を語る資格はありません。

 口絵写真で示されている合気の技は、私の目には感応にかかった人(気功や内家武術などの演武でしばしば現れる“暗示投げ”)特有の錐体外路系反射運動(くしゃみ・しゃっくり・貧乏揺すり等の類い)による“自発的崩れ”にしか見えないので、「これで実戦に通用するとはとても思えないな~」としか思いませんでした。私がいつも批判している見世物演芸の範疇を一歩も出ていないからです。

 が、本文の論調によれば、「(真の合気とは)敵の精神に働きかけて一時的に軽い精神疾患に陥らせることにより、まるでこちらの技が物理的に効いているかのような身体運動を自発的にさせる」と説明されていて、もし事実そのような技の原理であれば、写真の様子に、ほぼ偽りは無いことになるでしょう。

 確かに、武術的に考えて、「相手の攻撃してくる手なり足、胴体なりに触れた瞬間に、いかなる相手でも“一瞬に感応状態に陥って”勝手に体勢を崩してくれる」のならば、「合気は実戦にも通用する万能の技だ」ということをも一応は認めることができます。

 しかし、素人や感応にかかりやすい人、あるいは“状況設定された中で限定された技の掛け合いしかしていない状況”(型や約束組手)で神業を示せても、単純な話で、「極真のトーナメントやUFCの金網リングの中に入って、それができるんですか?」と言いたくなるのが普通の感想でしょう。

 木村氏も高橋氏も保江氏も、型稽古をメインとする合気道や古流武術の経験しかなく、試合競技を有する武道や格闘技の修行経験がありません。単に、それらの経験者が道場の中で佐川先生に手も足も出ない様子を見てきただけであり、五分の条件で自分自身がまともに闘った経験が無い。これは絶対的な錯覚に陥る要因です。

 ところで、保江氏が全幅の信頼を寄せている木村達雄氏の合気揚げが私にかからなかったことを、今回の『そこが知りたい武術のシクミ』の中で名前は伏せて書きました。

 木村氏が真に本物の探究者であったら、この失敗談も隠さない筈だと思いますが、それを告白したという話は一度も聞いていません。

 この時は、空手雑誌の取材で尋ねていたので、“おとなしく指示されるままに”技をかけてもらい、最初はテーブルとソファーの狭い間で一方的に何回もかけられたので、正直、“このオッサン、調子に乗ってるな~”と、少々腹がたってきたのと、技のカラクリが解ったので、“これなら、足場を広くとって密着されないようにすればかからないな”と、咄嗟に破り方を考えて、「すみません。ちょっと足場を変えていいですか?」と、了解をとってテーブルとソファーの隙間から出て、再度技を受けたのです。

 で、結果は木村氏の合気揚げがまったく通じなくなり、顔が段々マジになってきていたので、“ホ~レ、見ろ。こちとら素人じゃないんだよ”と、内心、笑いをかみ殺しつつ、「ありがとうございました」と言って引きました。

 ですが、この部分は記事には書きませんでした。

 最初に何度もかけられたのは事実だし、やっぱり、記者として尋ねた訳で失礼ですからね。一介のライターに技が通じないのでは大東流師範、ひいては佐川道場の名誉にかかわることにもなるでしょう・・・。

 しかし、この時の私の木村氏に対する印象はかなり悪いものでした。何故なら、私が学んでいる太気拳の悪口を言っていたからです。取材でなければ手合わせを願い出て殴り倒すつもりで本気で立ち向かったかもしれませんし(今でもやってみたいです)、その他、佐川道場に真摯に学びに来ている名のある師範のこととか引き合いに出して自慢する態度が実に嫌みでした。

 それに、取材から帰って会社に連絡したところ、「あれっ、長野さん。本当に行ったんですか?」と言うので、オヤッと思って理由を聞くと、実は木村氏の方から取材依頼の電話があったのだそうで、風邪で体調が悪いのを押して筑波まで独りで取材に向かい、約束の時間に遅れたからと菓子折りを買って私なりに礼を尽くしたつもりだったのが馬鹿らしくなってしまいました。

 要するに、編集部の方では木村氏の横柄な取材依頼に腹を立てていて無視するつもりだった様子なのです。それを聞いていたら私も行かなかったんですが・・・。

 余計なことを書きました。ここでよく認識しておいていただきたいのは、私は、木村氏の指示に従って、「一方的に技を受けただけで、こちらからは何の攻撃もしていない」ということです。

 保江氏の論述の「大いなる勘違い」も、ここにあります。

 相手が指示されるままに技を受けてくれるシチュエイションで「極真の館長でさえ何も抵抗できなかった」なんて吹聴するのは、ピント外れも甚だしいんです。

 私も、一方的に黙って技を受けてくれるんだったら身長2m以上のプロ格闘家にだって関節技かける自信はありますよ。黙って受けてくれるんなら・・・。

 でも、実際の武術でも武道、格闘技でも、そんな黙って抵抗しないで技を受けてくれる状況なんて、本質的にあり得ないでしょう? 何を勘違いして「天才空手家の松井館長さえ合気には手も足も出なかった」みたいなタワ言をほざいているのでしょうか?

 松井館長が本気で倒すつもりで用心深く間合を詰めながら突き蹴りを出してくるのに合気をかけて制圧して始めて、武技としての合気の有効性が実証できるのであって、木村氏や保江氏の説くシチュエイションはナンセンスと言うしかありません。

 技がかかるべき状況でかけているだけだからです。これでは武技としての合気の実証には程遠いものです。甲野氏のやって見せているのと何ら変わるところがありません。

 無論、私自身、木村氏の未完成時の合気揚げを封じただけでまともに闘った訳ではありませんし、その後、木村氏が佐川先生の合気を完全に体得したという噂も聞きますから、私の体験のみをもって木村氏の合気を否定するつもりはありません。

 が、合気に限らず、私は万能に誰にでも通じる技の存在はあり得ないと考えます。知らなきゃ通じるでしょうが、仕組みが判れば遠からず通じなくなる。

 だから、生前の佐川先生は映像で撮ることを頑なに拒み、「映像を分析すれば勘のいいヤツには合気の秘密が判ってしまう」と言われていたそうです。よって、武術家として常に戦う状況を想定していた佐川先生は表だって公開しなかった・・・。

 それでこそ敬意を払うべき武人です! 常在戦場を想定して無闇に技をひけらかさず、決して他流を侮らないことこそが武人の心構えであり、木村・高橋・保江三氏は根本的に佐川先生の境地にはたどり着けないでしょう。

 保江氏は合気を体得したら公開すべきと主張し、隠すことを非難しています。

 ですが、隠すことが悪いとは私は全く思いません。武術が殺傷術である以上、やたらに公開することは慎むのが修行する者の倫理的な義務であると私は考えます。

 命のかかった勝負に負けたら一巻の終わり。確かに保江氏が披露しているような実戦に何の効果も認められないような見世物演芸の合気だったらナンボでもお見せできるでしょうけれど、武術の本当に使える技というのは単なる殺傷術以外の何物でもありません。

 秘伝の技を見せびらかしてエバリたいだけの武術芸人だったら、大いに批判すべきと思いますが、武術は秘すれば花の側面が絶対にあると私は思います。少なくとも命懸けの戦闘を考えていれば、そうなる筈です。

 保江氏の主張には戦闘者の心得が欠落しています。武を語るに値しない人物です。

 真に武術について考えていれば、技を隠すのが当然ですし、保江氏(木村氏、高橋氏も)は、“合気”という技のみに執着し過ぎて、「それさえできればいかなる敵にも負けないのだ」と盲信し、武術として戦う場合の峻厳さをまったく考慮していない・・・としか思えません。

 簡単な話、手裏剣打ってこられたら合気でどう対処するんでしょうか? 弓術の達人と遠い間合で勝負になったらどうするのか? 居合術の達人にどうやって対処するのか?

「相手に敵対心を起こさせないのが武術だ」と能書きを垂れるのは簡単です。が、現実に敵対心を起こさせてしまっているではないですか? 正直申し上げて、私は立ち合う気で満々です。他流他派、同門の先輩を愚弄するような人物には我慢がならない。

 どうでしょうか? 保江氏の合気が、「単に素手で無抵抗で技を受けてくれる相手にしか通用しない武術として致命的な欠陥がある空理空論」と、私が批判している意味がお解りでしょうか?

 どんな超絶の秘技であっても、人間が操る以上は弱点は必ずあります。命がけの戦闘になったら、人間は武術なんか知らなくても何だってやるでしょう。“近視眼的究極奥義”に、のぼせあがらない方がいいのです。武術は極めれば極める程に、次の段階、そのまた次の段階・・・と、延々と修行が続くものなのです。究極なんて言葉を軽々しく用いるべきではないのです。

 SF映画の古典『宇宙戦争』で、人類の遥かに及ばない科学力を持ち、原子爆弾さえ通用しなかった火星人が、地球人には何でもないウイルスに感染して全滅してしまうという皮肉な描写がありましたが、武術というのは、要は、このような自分の遥かに及ばない敵の弱点を探って倒す点にこそ真面目があるのです。

 それだからこそ、既に実績も実力もある多くの武道家や格闘家が、未知の技術体系を真摯に学びたいと願って、佐川道場を尋ねたのです。

 そのように、礼儀を尽くして自己の技を封印して指示された通りにおとなしく技を受けているだけの松井館長を引き合いに出して、合気の優越を論じてみたり(無礼過ぎます)、「合気道には合気がない」と馬鹿にしてみたり・・・まともに闘って勝つ自信があるならともかく(それだけの覚悟でものを言う人ならば、むしろ応援したい)、到底、それを実証してみせる気も無さそうなのに、自身が体得したという佐川伝“合気”こそが武術武道の究極の極意であると主張する態度は、無知蒙昧です。

 どうしてもそれが言いたいのなら、松井館長と実戦組手をやって堂々と合気で制圧して見せなければ嘘でしょう。

 何と理屈をつけようとも、極真空手や合気道のブランドを利用して自流の権威付けをするやり方は、卑劣千万。私は保江氏には多少の親近感も感じていましたが、ここまで勘違いしているとは情けない。他流を愚弄する主張は断じて許せません!

 極真空手に対する無礼。合気道に対する無礼。大東流他派に対する無礼。同門の先輩方に対する無礼。人として思っていても口に出してはならない礼節が、保江氏には致命的に欠如しています。

 甲野氏だって、これほどまでの暴言は口にしないでしょう。少なくとも公刊書でここまで書いたことはなかったと思いますし、批判されれば発言を訂正するだけ可愛いげがあります。そういう自分を演出する術に長けているからメディアを席巻したのでしょうが。

 保江氏も、ここまで本で発表した以上は発言の責任を持たねばなりません。天下無敵の実力を示せなければ、江戸時代の武士だったら腹斬ってお詫びしなければいけないくらい責任は重い。が、それが判っているとはとても思えない。武術武道の世界に対する認識が甘過ぎるのです。血の気の多い武道家が乗り込んできたら闘う覚悟はできているのでしょうか?

 私は研究家ですから、写真によって技術構造の大体の察しは付きました。基本的に完全脱力して相手の加えてくる力を受け流して重心の崩れを誘導しているところまでは写真から観察できました。

 保江氏が合気をかけていると思しき写真では、ポカ~ンとした顔で相手を見ずにあらぬ方向を向いていますが、これは思考を停止させて相手の加えてくる力の方向を受け流している。いわゆる心法(自己催眠)のかかった状態です。

 それによって、相手は自分の加えようとする力に対して“抗力が発生しない”ので、そのまま重心が奪われそうになり、体勢を支えようと保江氏に寄り掛かって踏ん張ることになる。

 ところが保江氏は脱力体にしているのでより所が無い。従って踏ん張ろうにも踏ん張れない。そこに重心移動の力をかけられるので耐えられずに倒れてしまう・・・とまあ、私なりに構造的な基本的メカニズムを分析すればこうなります。

 無論、保江氏の主張するところの要点は、「一時的に精神疾患に陥らせる」という点にありますが、それを簡略化すれば、松山主水(江戸時代の剣客で二階堂流平法を称える)の心の一方のごとき“瞬間催眠術”と考えられます。が、それは心法(自己催眠)の作用によるものと理解して良いでしょう。

 このような暗示系の技術はDVDで見た宇城憲治師範も用いていましたが、宇城師範の技を受けた人何人かは保江氏の論じている合気と同様の感触を受けたと言っていました。

 こういう技術は、武術では特殊ですが、新興宗教や自己啓発セミナー、治療術の世界では特に珍しくはありません。保江氏も宗教的啓示を受けて体得しているそうですし。

 さて、公開している以上は、技の破り方を工夫されるのも覚悟されているに違いありませんから、ちょっと考えてみましょう。

 保江氏の示す合気の術理を破るには、自分から力を入れて殴ったり蹴ったり捕まえたりしないことが肝心でしょう。フワリと些かも力を入れずに触れて、触れた瞬間に爆発的に発勁すれば、合気を作用する暇もなく打ち倒すことが可能でしょう。

 所詮、武術は“力の作用”に尽きるのです。筋肉力、伸筋力、脱力による重心移動力・・・どれを用いようと力の作用する度合いによるのです。合気がかかると力が入らなくなるのであれば、最初から力を抜いている相手にはそもそも効果が発生しない筈です。が、そこから一瞬で力を発する技術を持つ相手にどう対処するのでしょうか?

 もっとも、寸突きのできる空手家や中国武術家でなければ、この戦法は駆使できませんが、太気拳、意拳、沖縄空手の水準以上の人ならばできるでしょう。試してみれば真相は自ずと判明する筈です。

 いかなる技も、技の仕組みを知らない相手にかけるのは容易ですが、一度でも見られたら対策を講じられるのは必定です。

 ちなみに、佐川幸義先生の生前の技の連続写真を見ると、保江氏とは全く違うことが判ります。保江氏の演武は相手が協力してかかっていますが、佐川先生の場合は相手が本気で倒すつもりの攻撃をしかけている場面がいくつもあります。その間境の観きわめ方が全然違います。

 つまり、佐川先生は、相手が攻撃してくる腕や木刀などに交叉接触した瞬間に力の流れを転換させて送り返している・・・その結果として相手は重心を制御できなくされて抵抗できなくなっている・・・と私的には観ています。つまり、心法とは無関係にかけている・・・と私は観ます。

 保江氏の主張するところの合気に近いのは、やはり宇城師範の技でしょう。ですが、宇城師範は保江氏とは比較にならないくらい武功があります。両者が立ち合えば、保江氏の合気は宇城師範には全く通じないだろうと思われます。

 佐川先生と保江氏で一番違うのは気迫と地力(内功)です。保江氏の合気には気迫も地力(内功)も感じられませんが、佐川先生は気迫も地力(内功)そのものも卓越しています。木村氏の場合、気迫はありませんが、佐川先生には及ばないものの、地力(内功)は結構ありました。これは正直、大したものだな~と思いました。

 このように、見世物芸のレベルで真似ができても本質は全く違うように私には見えますし、保江氏がまともな勝負で他流の武道家諸氏に対することができるとは、とても思えません。

 例えば、メカニズムが解らない人にはかかっても、果たして私にかかるでしょうか? 木村達雄氏の(たとえ未完成であったにしろ)合気揚げの原理をその場で見破った私に、事前に連続写真と原理解説付きで情報を与えている以上、通じない可能性はかなり高いと思いますし、また、もし、私に通じなかったら、これまでの著作の発表を全否定するハメになる。

 本当に余計なことを書いたものです。「雉も鳴かずば撃たれまい」と思う・・・。

 私も研究家と名乗っている以上、保江氏が主張するところの武術の究極奥義“合気”の科学的解明には、諸手を挙げて賛同します。そのこと自体は素晴らしいと思います。自ずから限界を弁えて礼儀を以て適切に発表するのであれば・・・。

 が、繰り返しますが、それをもって他流修行者の積み上げてきた営みを無価値と断ずるかのごとき主張は、武術文化を愛する者の一人として、断固として絶対に許せません!

 同書中、植芝吉祥丸前道主と思しき合気道師範の失敗談を以て「合気道に合気はない」とする論を立てていますが、吉祥丸氏はサラリーマンとして人生を送る予定だったのを呼び戻されて合気道の普及のために尽力された人物であり、確かに武道家としての技量に足りない部分はあったかも知れませんが、それを以て合気道全体がダメだとする論調はあまりにも無礼千万でしょう。

 大東流には大東流の良さが有り、合気道には合気道の良さが有ります! 塩田剛三先生や砂泊カン秀先生のような方を面前にして同じことが言えるのでしょうか? 特に私が観るところ、砂泊先生は佐川先生にも匹敵する優れた技の持ち主であると思っております。

 また、保江氏本人は全く予期していなくとも、必然的に佐川道場の先輩たちの面目をも潰すことになっています。何故、それを考慮しないのか? 実に情けない・・・。

 もし、腕試しに殺到した武道家たちにコテンパンにぶっ潰されたら、自分だけでなく佐川先生の恥になるということを考えていたのでしょうか?

 私も何度かやられましたよ。タックルでひっくり返された・袋竹刀で打たれた・ローキックで脚が腫れた・ミドルキックで肋骨折れた・六尺棒で打たれて歯が折れた・・・それなりに有りますよ。

 悔しくない筈もないでしょう? 「あのヤロー・・・今度あったら絶対、倒す!」と思って練習していますよ。いまだに・・・。

 修行の動機?“怨念”ですよ・・・昔も今も。私は綺麗に飾って言いたくはありませんから・・・。

 でも、流石に45歳ですからね。それなりに合理化して考えますよ。だから、自分の自惚れを直してもらったんだと今は頭が下がります。痛い思いをしなければ根本から直していくことはできないでしょう? そうやって私は研究してきましたからね。

 人間は武術修行に限らず痛い思いをしたり負けることによってこそ、自分の足りない欠点を自覚できるんだと思います。だから、私は自惚れ屋を見ると屈辱感を味わせてあげたくなるんですよ。教育したくなるんです。

 保江氏は、武術修行者として、あまりにも迂闊過ぎます。あまりの思慮の足りなさに、物悲しくなってきます。だから、私が教えてあげなきゃいけないな~と思ったんです。


 特別な苦労を体験した人は、自分だけが特殊な劇的人生を歩いているのだとつい思ってしまいがちですが、自分達だけが苦労し神の恩恵を受けているのではありません。

 私は様々な道場で懸命に修行している人達をゴマンと見てきました。到底、私なんか足元にも及ばないと思える人達がいくらでもいました。私より強い人、技ができる人、それはもう沢山いますよ。ただ、武術の理論研究に関しては誰にも引けをとらないという自負心だけは有ります。でなきゃ本もDVDも出せません。

 努力しているのは自分達だけじゃないんです。佐川先生が、生前、決して表舞台に出ようとしなかった意味を、保江氏も、木村氏も、高橋氏も、まったく理解していない。

 空しいですね。人は、何らかの超越的なチカラを掌中にしたと認識した途端、神のごとき“上から目線”で物事を見下ろすようになるものです。ところが、往々にして自分の分際は全く見えなくなってしまう・・・。

 佐川伝合気の秘密が解明できても、このような排他的な思考では正当な評価を得るのは難しいでしょう。ガンを克服し、イジメのトラウマを合気修行で払拭したという保江氏の純朴な人柄を思えば、もう少し社会常識と節度を弁えておられれば・・・と、多少は残念な気持ちもあります。

 以上、お叱り及び道場破りが来ることも覚悟の上で、思うところを存分に書かせていただきました。ここまで書く以上、私は自分の文章には責任を持ちたいと思っておりますので、お呼びがあれば訪ねていくつもりでおります。

 あるいは無視しておけばよいだろうと思われるかもしれませんが、私は著述業をやっている限り、今後も追及し続けます。これは研究家として取るべき唯一絶対の道だと思っています。

 末筆ながら、佐川幸義先生の名誉が損なわれぬことを祈りつつ、保江氏、木村氏、高橋氏の猛省を期待し筆をおきます。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

やっぱり内藤は強かった・・・

 内藤大輔のボクシング・タイトルマッチ、見ましたか?

 いや~、素晴らしい試合でしたよ。

 最強の前王者ポンサクレックの鋭い強打を、変則的なフットワーク、緩急をランダムにつけたロングフック、目線を外しての誘い・・・といった多彩な戦略でクレバーにいなし躱して堂々と闘った内藤は、まるで妖怪ぬらりひょん?

 イラついたポンサクレックが終盤に投げを打ったりしていたけれども、あれも内藤の戦略にはまった証明です。

 正直、パンチの鋭さやスピード、パワーが感じられない内藤の実力には疑問符がついていましたが、いやいや、どうしてどうして・・・なかなかのテクニックとタクティクスに長けた、日本には珍しいボクシングらしいボクシングのできるチャンピオンなんだと再認識した次第です。

 あれは三者三様のドローと裁定されていましたが、私は内藤の勝ちでも文句は出なかったと思いますけどね。ポンサクレックのパワーとスピードを、内藤のテクニックとタクティクスが封じ込めた試合に見えたからです。

 特にあの“あっち向いてホイ”みたいな変なフックには、なりふり構わず考えた戦法なんでしょうけれど、ユーモアも感じますよね。こんなフザケタやつに勝てないのはポンサクレックも頭にきたでしょうね。最高っ!
このページのトップへ
コンテントヘッダー

土方巽生誕80周年を祝う会

・・・にお声かけていただいたので、中野富士見町のプランBに、月例三回目の丹田セミナーの後にうかがってきました。

 丹田セミナーの方は、まず「丹田とは何か?」というところから、仙道の上・中・下の三つの丹田を、ヨーガのチャクラ(アージュニャー、アナーハタ、スワディスターナ)に対応させたりする概念から解説し、武術的な身体運動の観点から“骨格”に対応させた私独自の見解を解説させていただきました。

 で、各種の丹田開発のエクササイズを段階的に指導させてもらいました。が、この丹田に関しては、ほぼ、その場で体感させるのは無理があるので、全十二回のセミナー中でも最も説得力が乏しくならざるを得ず、下手すると詐欺臭くなってしまわないとも限りませぬ。

 それで、養成法と同時に応用法としての“縮地法”と、最新刊『そこが知りたい武術のシクミ』でも解説した<簡易式縮地法>も解説指導しました。

 特に<簡易式縮地法>は、その場で誰でも違いが実感できるし、日常的にも活用できるので、これだけでも非常に価値があるかな~?と思っています。受講生の評判も良かったみたいです。

 それから、丹田を意識した合気的な技への応用法も指導しました。

 今回も山口県や大阪という遠くからいらしている方がいましたから、武術的なことも覚えていって欲しいと思ったので、ちょこっと実戦向けの技も教えました。これは、最近の公園での稽古会で教えるようになったもので、以前は危な過ぎるから教えていなかったものです。

 防御無しで攻撃だけで一気に攻め崩す技で、金庸先生原作の『笑傲江湖』の独孤九剣からイメージして作った拳法技法で“破拳式”と名付けています。

 ちなみに、これは一式、二式、三式、零式の四つ考案しています。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、『るろうに剣心』に登場する元新選組三番隊組長、斎藤一の必殺平突き(平青眼からの片手突き)“牙突”からパクりましたっ!

 やっぱ、私のイメージでは「本来、武術に防御無し! 攻撃を以て攻撃を制する」というのが交叉法の本質であると思っておりまして、この理論に沿って技を工夫している次第でござりまする・・・。

 そんな次第ですから、最近の游心流はフツーに空手道場っぽい練習をやっておりますけれども、今は本気でついてきてくれている会員さんに応えたいから、格闘技に対応できる実戦向けの技を中心に指導しています。

 おっと、セミナーの話が長くなりましたね。今回のお題は別なんですよ。

 セミナーが終わってから一時間ほど参加者と懇親会をやって、それから中野富士見町のプランBに師範代と一緒に向かいました。

 やや時間が遅れて到着したところ、会場前では田中泯さんが待っておられて来場者に御挨拶されていました。

「セミナー帰りなので、こんなもの(刀袋に刀入っていました)持っていますけれど、御無礼をお許しください」と御挨拶して会場に入りました。だって、懇親会にたとえケースに入っていた模擬刀であったといえども日本刀持参で来るというのは普通の人の感覚では眉をひそめるに決まっていますからね。帰宅して出直すと開始時間に間に合わないと思ったので、仕方なく持ってきたんですが・・・。

 私は、土方巽さんにはお会いしたことも無いし、実は踊りそのものも映像でさえ見たことがありません。唯一、『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』に出演されている姿を見ただけです。師範代に関しては名前も何も知らなかったくらいで、「僕なんかが行って良かったんでしょうか?」と恐縮していましたが・・・。

 しかし、以前、私の師匠が中国拳法の道場でお借りしていた北区赤羽のバレエ・スタジオ“アルトー館”の主宰者であるパフォーミングアーツ評論の及川広信先生のところで何度も耳にしていたのと、田中泯さんが並々ならない敬意を今も尚、ずっと持ち続けている暗黒舞踏の開祖として、次第に私の意識の中でも大きな存在感を持ちはじめていた方だったので、この機会にいろいろお話を聞きたいと思っていました。

 いや~、それにしても参加されている半数以上の方が私と同様に生前の土方氏を知らない方々だったのには立場上、ちょっと安心はしましたが、でも、泯さんにとっては寂しいだろうな~と思うばかりなんですよね。

「私の中では(土方巽は)ずっと生き続けているんですよ」と、泯さんが言う言葉には納得するところがあります。

 ところで、参加者の自己紹介で順番に皆さんが話されていた時、土方さんの思い出が言える人はいいんですけど、私なんて何て言えばいいんだろう? 師範代はもっと困ったでしょうね。

 何か気の利いたことでも言えればいいんでしょうけどね~。しょうがないから、これは言ったらマズイかもしんないな~?と思いつつ、「土方巽さんのことは恐怖奇形人間で見て・・・」と話したら爆笑されたのでホッとしましたけど・・・。

 だって、恐怖奇形人間に触れるのは、敬愛している人達の間ではタブーかも知れないもんね。創価学会で池田大作先生を茶化すようなもんかもしれない? だから気まずい雰囲気にならずに、笑ってもらったから良かった~。シャレの解る人達でないと私は付き合えませぬ・・・。

 ちなみに、この作品、輸入版DVDを入手するしか現在、観る方法がありません。西新宿のビデオマーケットでも入荷してすぐに売り切れてしまったらしく、同店でも記録的セールスだった模様です。別に土方さんが主演じゃないんですけど、ほとんど観た人がいないから誤解されてて「暗黒舞踏の土方巽が主演している怪作」として有名になっている作品なのです。

 宇野邦一氏の土方巽の批評解説を聞いていますと、それまでまったく知らなかった土方さんの姿が大分、明確になってきたように思いましたし、「これは土方巽の本を読まなくちゃならん」という気持ちになりました。

 それにしても、私、不勉強であんまり知らなかったんですけど、舞踏の世界は芸術(シュールレアリスム)、哲学(現代思想)、精神世界(ニューサイエンス)なんかとかなり関連性があったんですね~。そういえば、及川先生が主宰した講座に何度か参加して一回は講師として武術論も講義させていただいたこともあったんですが、連続講座の全体的イメージは非常に哲学的な内容でしたから、私も無理して哲学っぽい話しましたね。何喋ったか全然覚えてないけど。

 まあ、当時は「そんな小難しいこと言わんでも・・・」って思ってたんですがね。

 アントナン・アルトー、ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ、ニーチェ、ライアル・ワトソン・・・とか、私が学生時代(1980年代)に流行ったポスト・モダニズムの現代思想ブームの時に耳にした著名な思想家の名前が次々に出てきたのは、久しぶりに刺激的な印象がありましたよ。

 私、二度目の大学では東洋(宗教)哲学を専攻したんで、そういう本は昔は結構、好きで読んでいたんですけど、丁度、甲野善紀氏のところから離れたくらいの時に思想系の本は読まなくなったんですよね。甲野氏も哲学チックだったけど、思想的には底の浅い人でしたからね。上野千鶴子(マルクス主義フェミニズム)にコテンコテンに論破されてたし。技や性格が反映するのかもしれない。

 だから、なんか頭でっかちで理屈となえてても、現実が伴わない人に対する嫌悪感がひどくなったから思想から離れたんですけどね・・・。

・・・っちゅうか、甲野ちゃん見てたらそう思うよね? 大達人みたいに世間的に知られるようになって、新聞やTVでも“古武術家”って紹介されてるけど、ケンカ慣れした素人にも殴り倒されるような実力だという真相を知ってる私のような武術業界の内部にいる人達にとっては悲し過ぎますよ。

 内田樹さんも合気道六段で見抜けないんじゃダメだよね~。やっぱり殴り合い経験してない人の武道って観念論に陥るから上っ面しか見えないんだろうね。理屈こねる余裕があるなら観の目を磨くべき。真贋が観抜けない人は教えた師匠に恥をかかせるんだから反省すべきですよ。六段だろうが七段だろうが観る目の有無は関係ない。松岡正剛さんは一目で甲野ちゃんがダメなの観抜いたらしいですよ。内田さんは甘いね。・・・とか言いつつ、私も昔は騙されたもんな~・・・あ~、墓穴掘ってもうたぁ~。

 なんちゅうんですか? 「アンタら、理論武装してダメな自分をごまかしてんじゃないんですか? 弱い自分を意味付けして他人に誇りたいだけのナルチシズムなんじゃないですか? 本気で現実に対峙して相討ちして果てる覚悟の無い人間が“革命だ”って唱和してんのは自己憐憫が透けて見えてみっともないですよ。本気で勝つ気なら、勝てる力と戦術を磨いていかなきゃダメでしょ? 本気で戦うつもりがない弱いままのヤツがより集まっても現実は何も変わらないでしょう? 甘ったれが百人千人いるより、本気でハラ括って戦える人間が一人いた方が世の中変えられますよ。要するに、アンタ、口先だけなんだよ。自分の無力さを自覚していながら負け犬になることを認められないエエ格好しいだから、吠えてるフリしたいんでしょ? そんなヤツは何もできんよ」って、社会運動やってる人に向かって追い詰めて自己崩壊させちゃったことも何度かありますよ。

 何かね~、みっともないんだよね~。酒飲んで革命だ革命だって唱えている全共闘運動家の成れの果てみたいなオッサンとか、それに憧れてたけど何もできなかったオバサンとかが中途半端な市民運動を道楽でやりながら体制批判してるのって負け犬っぷりが透けて見えて嫌なんだよね。

 世代的にも私には共感がわかない。昔、火炎瓶投げてたオヤジのタワ言聞いていると喧嘩自慢してる元ヤンキーのサラリーマンパパとどこが違うの?って思うだけ。現在進行形で戦えないヤツは信用ならない。戦わない理由をつけて現実逃避するヤツは視界にも入らない。自分は戦う気なんか全然ないのに、過激なこと言って人様を扇動しようとする小林よしのりなんか大っ嫌い!(“よしのり”って名前も嫌だ) 国家の品格だとか何だとかうまい理屈つけて国民に人殺しを奨励する戦争論なんぞふざけんなっ! ホラ吹きの武道家と対談してサムライがどうしたこうしたとかタワ言をほざくなっ!・・・っちゅうか、単なる誇大妄想狂の嘘つきオヤジを武術の達人だの現代のサムライだのと持ち上げてみせるメディアに巣くってる目ン玉腐った連中は全員、切腹しろ!

 要するに、誰もがみんな、本当は心の底で権力が欲しいんだよ。民衆に崇め奉られてみたいんだよ。そ~だろ? 「俺は本当は権力が欲しい~」って叫んでみろよ。スッキリすっぺ? いいんだよ。それが人間の本能に根差してんだから否定する必要なんかね~んだよ。
 だけど、嘘つくな。ムッツリスケベみたいにカッコつけんな。卑しい自分を隠すな。自分の分際をきちんと認識しなきゃ~本当の学びと変容は得られないんだよ。欲望と理性の間で葛藤しない人間は率先して死んでくれ。頼む!

(あ~、酒飲み過ぎてるな~、オレも・・・)

 武術だって、似てますよ。直接的に力を求めるからこそ、都合が悪くなったら暴力で相手を威嚇しようとしてしまう。ヤクザと大して変わりゃしない。いや、人格者のフリしてるだけタチが悪い・・・。

 一皮剥いたら私も一緒だけどね。いざとなったら暴力に頼ろうと思って稽古してるアブナイ変態ですよ。日本刀見つめながら「これで人間の首が斬れるかな~?」なんて発狂したことを当たり前に夢想しちゃうガイキチ連中の、私も立派なお仲間です! ゴメン!

 でもね、口先だけのヤツよりは、ちょびっとはマシだと思ってますよ。自分に嘘はついてないと思いますよ。人間は誰だって、生きていくのに何か武器を必要とするんですよ。多分。いや、きっと! でないと生きられない。これはもう好みの問題ですよね。生きるための武器に何を選ぶか?という問題だと思いますよね。思想を取るか、剣や銃を取るか、芸術を取るか・・・。

 それに、武器ってのはその背後に“権力”を持ってる訳。より威力のある“権力”を持ってる人に対して民衆はヘーコラしちゃうんですよね。で、ヘーコラされちゃうと人間って卑しい権力への欲望がムクムクッとわいてきちゃうイヤラシイ性(サガ)なのさっ。

 だから、反権力を唱えている人も「所詮、俺だって権力への欲求が裏返っただけなんじゃないのかな~?」・・・ってなことを認めてしまうと、とっても楽に生きられまっせ?

 答えが出てる人間なんて、多分、どこにも存在しない。悟り澄ました大僧正にある武術家がいきなり真剣振りかざして斬りつけていったら、絶叫して逃げた・・・という話を聞いたことありますけど、まあ、そんなもんでしょ? 人間だもん。痛いの嫌だし死ぬのは嫌でしょ? 人間なんだからさっ・・・。

 私が武術やり続けてきたのは、やっぱりコンプレックスが根強かったからなんだと思うんですよね。“普通の人”として“普通に生きていく”という覚悟が私には無いんですよね。弱い自分を認めたくなくて、普通に仕事して普通に結婚して普通に人生送っていく勇気が無くて、ズルズルズルズルとオタク道を這いずって生きてきて、“異人”への憧れが強過ぎて、自ら異人になろうとしてきたのかも知れない。そのための武器として武術をやらずにおれなかった・・・というのが真相かもしれない。

 異人と言うと解りづらいでしょうから、ヒーローという言葉に置き換えてもらうと分かりやすいかもしれませんね。まあ、“超人願望”に近いかもしれません。

 う~む・・・何か、いろんなこと考えちゃったな~? 最近、さっぱり、もの考えてなかったからな~(頭イテェ~。二日酔いか?)。不思議なパーティーですね。

 鹿肉のシチューとか烏骨鶏のスープとかお酒もメチャ美味かったし、本当に参加できて良かったです。本を贈りそこなっていた『ウミヒコヤマヒコマイヒコ-田中泯ダンスロード・イン・インドネシア-』の油谷監督にも本を渡せたし、プランBがいかに由緒ある芸術活動家の拠点であるか?ということの一端も知れました(知らんかったよ・・・)。

 仕事が残っていたのと、やたらからむオジサンがいた(経験上、こういう人に何故か好かれて「おいっ、俺と勝負しようぜっ」と挑んでこられる確率90パーセント越え)ので3時間程で先に帰らせていただきましたが、非常に密度の濃い一日でした。

 でも・・・土方さんも、こんなに愛されて幸せな人だよな~。愛がある人だから愛されるんでしょう。私が死んだ後も、こんな風に懐かしんでくれる人がいてくれると嬉しいから、もう、あんまり敵つくらないようにしなくっちゃ・・・と反省しきり・・・。


PS;3月29日と30日に、東京芸術大学上野校美術学部構内で「-マルチチュード饗宴- ネグリさんとデングリ対話」というシンポジウム、イベントがあり、その中で田中泯さんの場踊りと座談会などがあります。詳細はwww.negritokyo.orgをご覧ください。

PS2;当日、新しくクエストさんから出たばかり(発売は3月19日です)のDVD『長野峻也 游心流 武術秘伝の活用』を石原志保さんに差し上げたら本出したばっかりですぐだから、驚いたような呆れたような反応でした。じゃんじゃん仕事して印税稼がないと十文字鎌槍と小宮四郎国安の二尺五寸の刀、分割で買っちゃったから・・・。でも、DVDのジャケ写真がね~。蟷螂拳の構えって、何か“化け猫ニャ~”みたいな構えでヘン過ぎるよな~。形意拳の三体式か八極拳の頂心肘の構えにしてくれればよかったのに。でももう、私はイロモノで売るしかしゃ~ねえなぁ~(とDVDの感想、どしどし送ってくださいませ。可能な限り、お応えしますです)。

(以上、一言、いいわけをしておきます。「私、酔っぱらって書いております・・・」)
このページのトップへ
コンテントヘッダー

丹田セミナーのお知らせ!

 月例セミナーの第三弾は、“丹田開発”がテーマです。

 丹田歩法を発見してから三年以上が経過しましたが、やはり、これを超える短期速成の丹田開発法は、私の知る限り、他には無いようです。

 ただし、手っ取り早く開発できるのは良いとしても、下丹田の急激な開発は、心身の成熟を度外視して進んでしまうので、精神の安定を失う危険性を防ぐ意味で気功の訓練もやったんですが、それでも人によっては、精神のバランスを取れなくなって性格が一変してしまう弊害も出るものだと、痛感させられましたよ(トホホ・・・)。

 原因は、気功の訓練で用いる“意念”ですね。

 気のパワーというのは、あくまでも意識の上のことであり、本人の思い込みから出るものではありません。物理的な現象をそこに結び付けて考えていると、根本的な社会常識的考えを受け付けなくなってしまって、超常現象的な思考が定着し、誇大妄想に支配されてしまうようです。我知らず精神疾患に陥ってしまう訳です。

 例えば、「幽霊が見える」。これは精神医学の領域では脳の機能不全による幻視として位置付けられていますが、これは脳に傷を受けた人が幽霊が見えるようになったことから発見された学説だそうです。

 私も何度か見えたりしましたが、「あ~、幻覚見えちゃってるな~。ヤベ~ナ~」としか思わないので、それっきりです。

 体質的に幻覚が現れやすい人を“霊感体質”と呼びますが、これは脳神経系の機能不全であり、医学的には統合失調症の分類とされています。最近はスピリチュアルな世界観で肯定的になってきていますが、これはトランスパーソナル心理学なんかの影響によるものでしょう。自身も霊感体質だったユングの心理学派の影響下に出てきた党派だと考えられているそうです。

 ところが、心理学も脳生理学的な実験研究が進むことによって、解明された部分があります。幻覚は断食や不眠を続けていると普通の人でも起こる生理現象だったのです。

 それから、目を瞑っていても人の気配が判る・・・という武術の極意に関しても、実は普通の人でも瞑想状態になっていると敏感に察知できるようになります。新体道やメビウス気流法、戸隠流忍法なんかでもこういう訓練をやりますし、中国武術でも結構やりますよ。

 私が習った中国拳法の師匠も、背後から向かってくるのにドンピシャで合わせ技を決めていました。

 人間の脳は前頭葉が理性的な人間としての思考を司っていますが、これは野生動物としての本能を抑える働きを持っています。従って、知性的な人ほど前頭葉の働きが良く理性的な論理的思考が発達しています。

 ところが、そういう人は動物的な本能は逆に鈍い。前頭葉が抑えているからです。

 御承知のように野生動物は勘が鋭く、眠っていても外敵が近づいてくるとパッと目覚めたりしますね。理性的脳の働きが無いから、そうなっているのです。

 ヨーガの行者は、断食して瞑想しますが、そうすることで前頭葉の働きを抑えてしまうんですね。それで動物的な霊感を引き出す訳です。

 武術の極意は、人間としての合理的思考を抑えることで本能的直感力を引き出そうとするものです。“無心”というのは、簡単に言えば、そういうことです。

 だから、言葉は悪いんですが、単純な人の方が体得しやすいかも知れませんね。

 このような極意は、武術の訓練よりも催眠術をやった方が簡単に体得できます。催眠術にかかりやすい人と、かかりにくい人がいると言いますが、これも前頭葉の働きの程度によるのです。

 昔、気功に関心があった頃にいくらか習ったり自己流で訓練したりしましたが、私の場合はあまり成果が上がりませんでした。前頭葉の働きが強過ぎたんでしょう。私は信じるより懐疑の気持ちの方がすぐにわくので、アレコレ考えてしまうからなんですね。

 でも、そのお陰でマルチ商法や新興宗教の勧誘なんかでも途中で相手にバンバン疑問をぶつけてしまうので、取り込まれずに済んできましたよ。宗教でいうなら、T会・S会・O教・・・等々の勧誘を、相手がブチ切れるまで論破して「貴方は私の信仰を試しにきた悪魔だぁっ!」と言われたりしましたよ。

 そういえば、甲野氏のところに通っていた頃、催眠の先生を熱心に紹介されて、行かなかったら、「何で行かないんだ?」って、血相変えて言われたことありましたよ。甲野氏は自己啓発セミナーとかの洗脳技術に関しても随分、研究していたみたいです。日野さんも自己啓発セミナーの講師やっていたって聞いたことありますし、高岡さんはモロに自己啓発セミナーだよな~?

 武術につきまとう言うに言われぬ胡散臭さって、こういう怪しい宗教みたいな部分にあると思うんですね。

 そんな訳で、游心流では、今後、そういう新興宗教的マインドコントロールに陥りかねない気功とかはやらないことに決めましたよ。アブナイから。

 個人的に興味はあったんですけど、純真な会員さんが発狂しちゃったら困るもんね。超常的な能力が得たいのなら、武術じゃなくて超越瞑想とかやった方が効果あるでしょ。でも、O真理教みたいになるのが関の山だと思うから、「怪力乱神は語らず」が正しいんじゃないでしょうかね。

 あっ、そういえば、保江邦夫氏の新刊を読みましたけど、ついに「合気とは一時的に相手を精神疾患に陥らせる術」だと解明したんだそうです。へぇ~、それじゃ~、合気の稽古を続けていると、しょっちゅう精神病になっちゃうんだ? それってモノホンの精神病になっちゃうからヤバイよ? 道理で平然と“我が合気は究極奥義である”なんて言えると思ったけど・・・クワバラ、クワバラ・・・ナムアミダブツ・・・。


 何か、「科学的研究も行き過ぎるとオカルトになっちゃうんだな~」と、大変、勉強になりました。ハイ。・・・で、私は武術の世界の数多の反面教師の教えのお陰で、ここ最近、丹田の開発に関しても、初歩的な科学的アプローチをするように研究し直して参りましたでございますよ。

 その成果を、今回のセミナーでは御披露しようと思っています。

 つまり、「丹田感覚の生理解剖学的解説」です。これは、下丹田のみならず、中丹田、上丹田と、ヨーガで言うところのチャクラに関しても生理解剖学的な解釈をしてみるつもりでいます。

 まあ、いうなれば、気功を辞めて、武道医学に戻った訳ですよ。

 いつにも増して、学問的な内容のセミナーになるかと思いますが、そこはそれ、頭でっかちになるのが嫌いな私ですから、前回(借力)、前々回(発勁)の復習と共に、「丹田が開発されると武術的にどういう成果が得られるのか?」という具体的技術に関しても指導致しますから、御心配には及びませぬ。

 それから、今回の丹田セミナーに参加される方で練習用の居合模擬刀とか持っている人は、持ってきてください(ちゃんとケースに入れてないと警察に捕まりますよ)。ちょっと上級になりますが、居合術で丹田を練るやり方も指導します。

 福沢諭吉とか、居合術を日課にして訓練していた武士とかいたのが、どういう意味があったのか?ということをお話したいと思います。


PS;なっ、なんと! ファミリー劇場の番宣『ファ見る』で、“牧れい”さんがインタビューに答えて出演されていて、ぶったまげてしまいましたよ。で、レッドバロンの思い出としては、「ジャズダンスをやっていたのでアクションに役立った。ダンスは殺陣と共通性がある」とか、「メカロボ(敵の鉄面党の戦闘員ロボット)にスカートをめくられた時が恥ずかしかった」とか、なるほど~と思いましたね。確かにダンス経験者はアクションが上手いんですよ。昔、学生演劇で殺陣つけてた頃、私が苦心してようやくできるようになった技をダンサーの女の子が一目見て、「こうですか?」って、あっさりやってのけたので、アジャパー!と思ったもんです(写真参照。当時はモテモテだった?)。それと、スカートめくられたれい様が“何すんだ。このヤロー”とばかりにマジ蹴りしていた真相が判りましたです。次の回はパンタロンになってましたから、多分、御本人は、“パンチラでアクションやらされた恥ずかしい作品”という苦い思い出の方が強いのかもしれませんね。しかし、アクションと演技が素晴らしく、主人公より輝いていたからこそ、こうして呼ばれた訳で、ガキンチョだった私にとって“カッコイイお姉さん”というイメージしかないですからね。世代が同じ剣術師範代のSさんも「僕も牧れいさんが好きです」って言ってましたよ。あっ、余談ついでですが、レッドバロンの主人公の兄貴役は、ミラーマンこと(植草じゃないよ)石田信行だったことを再確認。石田さんって、空手・合気・柔道・杖道・居合道が合体した“体気道”って武道の名誉会長なんだよ~。


殺陣をつけていた頃(15年くらい前)

このページのトップへ
コンテントヘッダー

13日夜に“殺陣師の技”が放送

「待ってましたっ!」と言いたくなる番組が放送されます。

 NHK大河や時代劇で殺陣(タテ、立ち回り)の指導をしてこられた林邦史朗氏等のドキュメンタリー番組が放送される模様です。

『刀一振りに奥義あり~時代劇を支える殺陣師の技~』というタイトルで、13日(木曜日)の夜8:00から45分間にわたって放送されるみたいです。

 相変わらず、時代劇はブームにはなっていませんが、むしろ一過性のブームとして流行り廃りを繰り返すよりも、コンスタントに「日本の伝統映像文化」として製作され続けることが肝心でしょう。

 もう、高橋英樹も時代劇をやらなくなって久しいですし、里見浩太朗も黄門様。杉良太郎はTVから離れて随分になるし、マツケンの暴れん坊将軍も記憶が薄くなり、千葉チャンは引退?し、正和サマも時代劇は御無沙汰です・・・。

 今、現役で活躍している生え抜きの時代劇役者というと、北大路欣也と村上弘明くらいでしょうか? 藤田まことも頑張ってはいるけれど、剣客商売の新作が作られる気配は感じられません。

 絶大な人気を誇る中村吉右衛門の鬼平も、年一回のスペシャル版で観られるかどうか?というところでしょう。

 そのせいかどうか・・・読売新聞の木曜番組案内で北大路欣也のインタビュー記事が載っていたんですが、“「時代劇は好きですか」と聞くと、「日本人ですから好きも嫌いもありませんよ」と、憮然とした表情を見せた”と、記者が書いているんですけれど・・・。

 例えば、私のセミナーを受講してきた人が「長野さんは武術が好きですか」と聞いたとしたら、私は呆れて答えないでしょう。好きとか嫌いとかでなく、私の生きている存在証明みたいなものなんですからね。私から武術取ったら単なる変人にしかならない。

 この記者は、“Q「演技中のまばたきが少ない」と言われませんか?”なんて質問もしています。

「バカか、お前?」と、私だったら怒鳴りつけますよ。

 生粋の時代劇役者であり、大御所、右太衛門の息子で、現在のTV時代劇の最後の砦とも言うべき名優に対して、何をつまらんことを聞いているのか?

 ホントに、こういうバカにインタビューさせんなよと言いたくなりました。

 だいたい、プロのインタビュアーだったら、事前に相手がどういう人物で、どういう仕事を積み上げてきてどんな趣味を持っていて、どんな人と交流があるのか?といったことは、調べて臨むのが最低限の礼儀ですよ。

 まったく、呆れ果ててしまいます。

「ソフトバンクのCMで犬のお父さんの声を担当していますね」とか聞くよりも、時代劇役者として日頃からどんな稽古をされるのか?とか、そういうプロの領域の苦労について聞くのがベストでしょう。茶化したようなこと聞くのは、相応に親しくなってからですよ。
 ふぅ~っ、疲れるな~。

 でも、こういうKYな質問をする輩がプロにも出てくる御時世で、時代劇文化を継承していくには、啓蒙活動も必要になるでしょう。

 だから、今回の時代劇の殺陣に視線を向けたドキュメンタリー番組というのは、タイムリーな企画なのではないか?と思います。

 ここ数年続いている和のブーム。藤沢周平、鬼平、新選組、日本刀、武士道、古武術、江戸・・・これらは、日本人の原点回帰への憧憬ではないか?と思います。

 余談ですが、先日、プレゼントに当選したナイフブレードの一番小さいものを眺めて、どんな拵えに入れたら良いか?と考えていて、ふと思いついて、試し斬り練習用に東急ハンズで買って寸断していた細竹の残骸を見て、閃きました。

 この竹の中に納めたら面白いかも?と思いつき、深夜にいそいそと細工してみたところ、思った通り、ブレードは、この細竹にギリギリ納まる寸法でした。

 で、薄刃のホビー用ノコギリで二節分(20cmくらい)を切り、真ん中の節のすぐ上で切り、中をくりぬいてブレードを差し込んでみました。

 すると、非常にうまい具合にマッチします。握った感触も、彫刻刀くらいの太さで竹の皮の滑らかさと少し楕円形の断面が持ちやすく、切り余った部分に刃が納まるように精密ヤスリで内側を慎重に削って合わせると、20cmくらいの細竹の棒にしか見えない。

「これは必殺仕事人の武器みたい?」と思いましたが、なかなかシャレた和式小刀になりました。何か、ちょっと菊池槍(肥後国菊池地方で製作された鎧通し短刀を柄に装着した片刃の槍)のミニチュアみたい。

 刃先ももう少し研いで鋭くしてみましたが、細工用の削り出しナイフとして使える実用的なものになりましたよ。やっぱり格好だけじゃなくて使えるものでないとね。

 残り4本のブレードも、それぞれの寸法に合わせて別々の拵えを工夫して作ってみようと思っていますけれど、こうなったら本格的なナイフメイキングにも挑戦して、晩年はナイフ作家を目指そうかな~? とりあえず、棒手裏剣とか鎖鎌とか自分で作ろうかな?


追伸;『鞍馬天狗』の野村萬斎。殺陣がどうこうと言うよりも、身のこなしが惚れ惚れしますね~。あの浮遊感・・・『隠し剣・鬼の爪』で田中泯さん演じる戸田寛斎以来の感動でした。あれが古武術の極意“浮身”ですよ。浮身を使いこなせた役者は若山富三郎先生(『子連れ狼・冥府魔道』の城中での大殺陣や、『魔界転生』で宝蔵院胤舜の十文字槍を躱す動き)くらいかな~? 武術家で使いこなせている人は少ないな~。再放送、及び続編を期待!

knife2
knife1
このページのトップへ
コンテントヘッダー

『田中泯/地を這う前衛』岡田正人写真展 感想

 日曜日の稽古が終わってから、会員さんと新宿に行きました。

 何をしに行ったか?と申しますと、田中泯さんの写真展が開催されていたので見に行った訳です。

 30年に渡って舞踊家、田中泯を追いかけ続けた写真家の岡田正人氏は、一昨年だったか亡くなられています。

 けれども、関係者の尽力で写真集も出版され、その作品は海外でも反響を呼び、今回の写真展も新宿のコニカミノルタプラザで開催されました。

 一週間前には泯さんの踊りとトークライブもあったそうですが、人数制限があるのと仕事時間と重なりそうだったので遠慮させていただいていました。

 が、受付で聞いたところでは、私のように考えて遠慮した人が多かったらしく、結構、余裕があったのだとか・・・難しいもんですね。

 さて、コニカミノルタプラザというのは、私は初めて足を運びましたけれども、ギャラリーが三つあるというのを知らずに、エレベーターから降りてすぐのギャラリーに入ったところ、どの写真にも泯さんが写っておらず、「アレ?」と思ったら、違うギャラリーでした。

 でも、間違ったからと言って、即退場しては失礼だと思って、そのまま拝見させてもらいました。カンボジアの人達を写した写真展で、先の泯さんのドキュメンタリー映画『ウミヒコヤマヒコマイヒコ-田中泯ダンスロード・イン・インドネシア-』を思い出しましたね。

 で、改めて岡田正人写真展のギャラリーに入ります。

 一昨年、確か小川町のギャラリーで拝見していたんですが、今回は違う写真が多く掲げられていて、新鮮な印象がありました。

 夢の島でゴミに埋もれて蝿がたかっている写真もあれば、海辺の岩の上で産み落とされたばかりの胎児のようになっている写真もある。

 森の中で土から這い出てきたゾンビか山童のような写真もある。

 暗黒舞踏の開祖、土方巽との舞台の写真では、まるでカリガリ博士と眠り男チェザーレか、フランケンシュタイン博士とモンスターか・・・といった趣があります。

 見る人に説明のつかない不安と恐怖を感じさせる異形の象形の中に、微かな甘美と安寧を交えて人の理性、合理性を侵食し破壊し尽くす<魔>を観じつつも、その本質に優しい慈愛の眼差しが隠されている・・・そんな不思議な土方氏の瞳の先に、デク人形のごとく放心した田中泯の“抜け殻”が佇立している・・・そんな舞台の磁場さえ写真に封じ込められている。

 芸術を語るには、私はあまりに無粋に過ぎる。ただ、観て感じるのみ・・・。


 写真展を後にして、レア物ビデオ、輸入物DVDのショップを覗く。と、先日まで何本も残っていた土方巽が出演したカルト怪作と誉れも高き石井輝男監督の『江戸川乱歩全集-恐怖!奇形人間』の海外版DVDが売り切れ状態・・・。

 お目当てのDVDが売り切れでは「さっさと帰ろうかな?」と思いつつも、せっかくだから店内を見回すと、若山富三郎先生版子連れ狼の第一作と二作のアクション・シーンを中心に強引に合体編集したという悪名高きハリウッドのB級映画帝王ロジャー・コーマンの『ショーグン・アサシン』のジャケ画のイラストがデデ~ンとプリントされたお馬鹿Tシャツが目に入った。

 他にもルチオ・フルチの大傑作?ホラー『サンゲリア』の腐乱ゾンビとか、“着て歩いたら十戒の海が割れるシーンみたいに人が避けること確実”な悪趣味Tシャツばかり。

 でも、若山先生を心の師匠と敬愛する私は、「これは買わねばならん!」と、即買いしたぜよ・・・。今度のセミナーは、コレを着てやりますっ!

 お次ぎは、そのまま足を延ばして、Gunショップへ・・・。

 ここは射的場もあるのだとか? 前から欲しかったスイスの名銃“SIG P210-6”のガスガンを購入。何とコレは本物用のGunケースに納められているのです。

 早速、射的場で買ったばかりのSIGを試射・・・10m先のスチールプレートに8mmBB弾がスカーンッ!と命中。ヨッシャーッ! 続けて撃つ・・・と、BB弾がヘニョンッと右斜め上にスライス・・・次もスライス・・・ありゃ~?

 8連発を三回撃ったけれど、3~4回しか狙ったところに当たらなかった。弾道を確認してみたけれど、明らかに弾道が安定していない。

 原因として考えられるのは、「1,ガス圧が一定して射出されていない。2,ブローバックして戻ったスライドのリコイル・スプリングが強過ぎてBB弾がチャンバーの定位置に送られず、弾道が安定しない。3,銃身が短過ぎて遠射に向かない。4,新品なのでパーツの噛み合わせが馴染んでいない。5,BB弾が重過ぎる(or軽過ぎる)。6,新開発LD-2システムが未調整」の6点が考えられます。

 エアガン、ガスガンを撃つのは久しぶりだし、10m先の標的を狙うのも随分と久しぶりなんですが、思った通りに当たらないと、マニア魂が燃えてきますね。

 それに、SIG P210-6という銃は、精密機械加工で世界に冠たるスイスの銃で、命中精度の高さが有名な機能美を極めた拳銃です。

 この程度の性能では納得がいきません。10m先の直径10cm程度のスチールプレート程度は全弾軽く命中してくれないと困る。そうでないと手裏剣の名手には勝てない。8発中1~2発は現に当たるんだから、調整すれば全弾当たる筈ですからね。

 実は、游心流の稽古にエアガン、ガスガンの射撃訓練も採り入れていくつもりでいまして、ゆくゆくは年一回はグァム島とか旅行して一通りの実銃は使いこなせるようにしたいと思っています。

 実際、ガスガンの射撃大会で優勝している人がアメリカの実銃射撃競技の世界でも活躍するようになったりしているし、アメリカの特殊部隊が訓練で日本の電動エアガンを使ったりしているんですよ。

 だから、体術と武器術を一体化した現代の武術を突き詰める時に銃を無視する訳にはいかない。海外のマーシャルアーティストはほとんどそこまで考えているでしょう?

 日本の武道家だけですよ。形式主義の中で平和ボケしたまま実戦?を語ってるのは・・・。今こそ、「武芸百般何でもゴザレ!というが真の武術でR!」と、私は声を大にして言いたいですな~。

PS;クエストから発売予定の游心流新作DVDのニューリリースが出ていました。でも~・・・ジャケ画の写真に使ってるのが蟷螂手で構えている写真なんスけどぉ~、『魔界転生』のクライマックスで江戸城の中で魔界衆の正体を現して大殺戮を始める若山先生が「お化けっぽい仕草を考えた」とポーズを決めた柳生但馬守みたいなんスよ・・・三体式(形意拳)とか頂心肘(八極拳)とかのポーズの方が良かったと思うんですけどね・・・ウ~ン。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

忘れていたプレゼントに感激・・・

 新刊本と新DVDの追い込み仕上げとかで多忙だったので、すっかり忘れていたんですが、隔月刊の『ナイフマガジン』の読者プレゼントに、余っていた年賀葉書で応募したのが当選して、小型カスタム・ナイフのブレイドが贈られてきました。

 本当にすっかり忘れていたので、毎月購入している育毛アミノ酸サプリと一緒に届いて、「アレ、何かな?」と思って開けてビックリ!

「あ~、そうだった。そういえば、コレはいいな~、欲しいな~と思って、応募したんだった・・・」と、思い出しましたよ。でも、こういう読者プレゼントって、45年間で5~6回しか出したことないし、確か、一回くらいは当たったような気もするんですけど、まさか当たるとは思っていませんでしたね~。

 それに、プレゼント品は、カスタムナイフメイカーの町田一止氏の製作した焼き入れ焼き戻し済みの白紙多層鋼のナイフブレイドが5本セットになっていて、「普通は、一本ずつ五名に分けてプレゼントされそうなものなのに・・・」と、二重に嬉しかったです。

 確かにプレゼント・コーナーの記事を読み直すと、“ブレイド5本を1名様に”と書かれていましたが、刃渡り数cmの小型ブレイドであっても、単に鋼材を圧延して型抜きして磨いたようなナイフとは違って、日本刀並の値段(1997年に刀剣の小品展で優秀賞を獲得した刀子は650000円となっています。“刀子”というのは江戸時代の細工用のナイフですよ。肥後守みたいなものです。それが、結構な日本刀が一本買える値段なんですよ。スッゲーッ!)がつくプロのナイフメイカーが“溶接鍛造”という独自のテクニックで鍛えたダマスカス模様の積層鋼材を用いて削り出し仕上げた芸術作品とも言えるものなんです。

 それを5本まとめてプレゼント・・・って、太っ腹過ぎですよね~。

 私、自分が好きなのも関係あると思うんですけど、どうも、刃物に好かれるタチらしいですね。4~5万円で入手した脇差や刀も、本来はこの10倍くらいの値らしいし、十文字鎌槍なんかもそう滅多にないものでしょう? 何か、先祖がそういう仕事でもしてたのかな~? 刀の目利きとか刀匠とか・・・。

 それにしても、このブレイドは、まるで小型の日本刀みたいで、杢目調の地肌に互ノ目乱れの刃紋が裏表で谷山がズレた両刃平作りになっています。

 昔はダマスカス調のブレイドって、なんかゴテゴテし過ぎてて好きじゃなかったんですが、日本刀の地肌がよく見るとそうなっているというのを知り、折り返し鍛練で自然に現れる木目みたいな鉄の層の偶然できた模様が段々好きになってきて、それからダマスカス模様のナイフも好きになったんですよね。

 ただ、あまり整然とし過ぎていたり、グルグルと渦巻きが並んでいるような模様は、やっぱりあまり好きじゃありません。整然としていない乱れた積層模様が偶然織り成すものが美しいと感じます。

 日本刀だったら正宗、郷義弘などの相州伝に丁子大乱れの刃紋とかがあったりすると最高ですね。刀剣博物館で見た村正も全体に焼きが入った皆焼(ひたつら)で、いかにも妖刀って感じでグッときました。

 武道やってる通の人は「シンプルな飾り気のない直刃がいい」と言う人が多いんですが、私はケレン味があった上で実用的な機能があるものが好きです。

 このブレイドは、大切に外装を製作してみようと思います・・・。


 さて、予期せぬナイフブレイドを入手して喜々として眺めているうちに、過日製作した刀の柄が太過ぎて握り具合が今ひとつだったことを思い出しました。

 もうちょっとだけ細くすれば手持ちも良くなる筈と思いつつ、革の柄糸を外して鮫革を剥がして補強用の針金を外して柄木を削り直して、再度作り直す・・・という面倒臭さを考えると、少しくらいは我慢しておこうかな~?と思っていたんですが、プロのナイフメイカーである町田氏の労作をタダで入手してしまった有り難さと申し訳なさがヒシヒシと胸に迫ってきまして、急激に職人魂が目覚めてしまいました。

 で、「よしっ、やるぞ!」と決めて、いそいそと作業を始めました・・・。

 柄を解体するのは造作もありません。問題は柄木をどこまで削るか?です。

 というのも、この刀の茎(なかご)はかなり太くて、下手に削れば柄木の強度が落ちてしまうからです。最初にかなり太くなってしまったのも、そのせいでした。

 でも、ここまできたら思い切ってやるしかない。慎重にカンナ懸けしていきます。大分、削って、これなら手持ちもかなり変わるだろうと思って鮫革を巻いてみますと、柄頭の方がまだ大分太い。で、さらに削って限界まで細くし、また補強の針金を巻き込みます。

 針金を巻くところを三角ヤスリで削って溝を堀る・・・と、ここでミリッと柄木に小さな透き間が空き、黒い鉄の茎が奥にのぞいてしまいました。「ヤベッ!」と思わず声が出ましたが、ここまできたら作業を止められません。

 そのまま針金を巻いて、鮫革を被せました。が、柄木が細くなったので革が余る。肥満してた人が急に痩せると皮がビロ~ンと垂れる・・・みたいなもんですね。

 で、余った鮫革を切り出し刀で切除するんですが、これがまた革の表面が石化したツブツブがついているから切りにくいったらありゃしません。鮫とナイフで格闘する時はエラ狙うしかないな~(って、すぐ戦いのシチュエーションを考える)。

 そんな次第で、まっすぐ切れずにちょっと曲がってま~す。ふぅ~・・・。

 でも、ここまで終われば、後は革ヒモを巻いて終わり。接着剤が乾いてから、鮫革を巻いた柄を握って刀を抜き納めしてみると、オヤッ? 何かかすかにカタカタって音がするぞ・・・。

 ムム~、以前も柄を削って細くしたら茎が中でカタカタするようになった経験がありましたが、今回もそうなったか? 多分、柄木の肉厚が薄くなった分、シナリが出て茎が内部で動くようになってしまったものと考えられます。

 これを固定するには茎が中で動かないように何か充填するしかない。そうしないと針金を巻いているとはいえ、柄木が折れる可能性があります。茎が中で動かなければ強度的には問題ないでしょう。しょうがない。何とかしよう・・・。

 さて、革ヒモを巻いてみましたが、あらかた巻いて最後の結び目は面倒なのでテキトーに縛って、握りの太さを確認してみます・・・と、感触として実感できるほど細くなっていない?

 ゲッ! あんなに苦労したのに・・・と、ここでまた考えます。これ以上、削れば茎が剥き出しになってしまうでしょう。木の皮を張り付けたみたいな柄では強度もへったくれもありません。

 しかし、人間、ドン詰まりになると何とか知恵が出てくるもんですね? 「そうだ! 捻り巻きにするから革ヒモが盛り上がって太くなるんだ。捻らずに平巻きにすればいい」と思って、平巻きにしてみました。

 しかし、こうすると青く染められた鮫革の鮮やかさがかなり隠れてしまうし、金龍の目貫もほとんど隠れて見えなくなってしまう・・・。と、またしても閃いた! 「そうだ! 目貫のところだけ捻り巻きにしてその他は平巻きにすれば握り心地と美観を両立できるのでは?」と思いつき、そのようにしてみました。

 これが大正解! 我ながら変則的拵えにしましたが、目貫を巻き込んだ箇所だけ盛り上がって滑り止めになり、柄を持つ手の内が自然とピタッと決まる嬉しい効果もありました(今回、巻き直したついでに、目貫も逆目貫じゃなくて正常の位置に配置しました)。

 さらに、革ヒモの長さも随分と余っていて、かなり細くなっていたんだな~と、具体的に実感。やっぱり、作業は途中で妥協しないで納得いくまで徹底的にやるべきですね。


 刀の拵えを作るのも色々と研究になりますよ。

 後は鞘の鯉口のところもちょっと補修しておく必要があるので、これもついでに済ましておきましょう。

 この刀は、納める時に外側に押し付けるようにしないとスンナリ納められない。模擬刀の鞘を流用したんですが、作りが粗くて奥で段差があったりしているのでしょう。

 だいたい、模擬刀の鞘は機械加工されているみたいで、割ってみると内部は機械で適当にくりぬいてあるだけなんですよね。左右が非対象になっていたりするんです。

 私も、もっと加工するための工具も揃えて本格的に刀の外装製作ができるようにしたいですね。頑張って仕事して土地買って、道場に隣接する作業場とかも作りたいです。日本刀は無理でもナイフ・メイキングは是非やりたいですね。

このページのトップへ
著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

リンク
FC2カウンター
最新記事
カテゴリー
長野峻也ブログ
QR
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

月別アーカイブ
ブログ内検索