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雨の日の公園はヤバイぜ!

 日曜日の公園の稽古も九ケ月くらいになりますかね~。

 冬の寒さもこたえたんですけど、梅雨時も困る。

 で、22日は大雨が降ってどうこうと言っていたので、部屋でやろうか?と思っていたんですけど、曇ってはいるものの雨が降っていなかったので、一応、公園に繰り出してみました。

 すると、ポツリポツリと降り出してきたので、公園の中の小高くなっているところの屋根付きの亭のところで練習したんです。

 雨が降ってるから公園で遊んでいる人はいなくなっています。ある意味、占有道場みたいなもんだな~と思って、この日は基本練習はやらずに、また試合に挑戦する会員さんがいるので、そのための試合向けに使える技の練習をやりました。

 試合に限らず、実際に自由に攻防すれば、相手の攻撃を受けてから返していたら間に合いません。よって、受ける動作をそのまま攻撃技にしていくスピード重視の内受け、裏拳、肘打ちへの一挙動の技を指導しました。

 肘打ちは一撃で倒せる威力が素人でも出しやすい技です。が、かなり至近距離でないと使えないので、試合では中々極まりません。

 ですが、単発だと難しいですが、密着していく動きの中で使うと実は非常に理にかなった技なんですね。足を止めて一定の間合を保ったまま拳頭をぶつけ合う試合スタイルが身体に染み込んでいるからできないのです。

 現に、首相撲をやるムエタイでは肘打ちが多彩に発達していますよね。技は距離によって使い分けるのが肝心です。

 それと、今回は試合向けの秘策で前掃腿とローキックをミックスしたスイープ・カッティング・キックを指導しました。

 前掃腿というのは、中国北派拳法の大技で、相手が高い蹴りを出してきた時に急激に地面に伏せながら全身を回すようにして軸足を刈り払うようにする足払い技です。これは前に回す前掃腿と、後ろからカカト側で蹴り払う後掃腿の二種があります。

 高校から大学の頃とか、よく練習していたんですが、ただし、この技はモーションが大きいので奇襲で使う分には決まると効果的ですが、実際に組手や試合で決まることはほとんどありません。

 だから、ローキックの動作にミックスして使うことを考えた訳です。

 以前、ローキックから崩し技、足払い技への変化を教えていた時に、このやり方を思いついて、練習中に密かに実験していたんですが、十分に使えると確認できたので指導しました。

 この技で相手の前足を蹴り込むと、相手はガクンと引き崩されて一瞬、隙だらけになってしまう。そこに拳打を集中して連発すればバランスが崩れているから防御も反撃もできない・・・と考えた次第です。


 さてさて、そんな感じで熱を入れて練習していると、この雨の中を自転車を押して一人の爺さんがやってきました。

 ムムッ? この爺さんは、以前、「最近のハポンは・・・」と、ぐっちゃらぐっちゃらと独り言イチャモンをつけて我々の練習の邪魔をしていた、あの爺さんでは・・・?(ハポンて、日本人てことだよね? スペイン語か何かだっけ?)

 嫌な予感で我々は黙りこくって無視して練習を続けたんですけどね~。やっぱり、この爺さんがまたまた英単語を交えて話しかけてくるんですわ~。

 まだ午前中なのに缶ビール飲んでるし、酔っぱらってんのか地なのか、よく判りませんけど、そもそも、何で雨が降る中を傘もささずに自転車押して独りで公園に来るのか?

 会員さん達は今にも「ウルセーナ~、この爺い!」と怒鳴りたそうな険しい顔で練習していますが、立ち向かってくる訳でもないので手荒なこともできません。

 この爺さんも、何故か機嫌が良かったらしくて、単にかまって欲しいみたいなんですけどね~。

 私がちょこちょこと話を合わせて気を逸らすようにしたんですけど、完全に無視していたら腹をたててからんできたかも知れませんね・・・って言うか、十分、からんでいたけど・・・。



 私は独りでTV見たり作業したり本読んだりしているほうが大好きで、寂しいという感情が枯渇していて、犬猫以外に人間と一緒に暮らすのは、さぞや煩わしいだろうな~と思うくらいですから、寂しがり屋さんの気持ちが全然解りません。

 理想の人生を考えると、地球最後の男オメガマンのチャールトン・ヘストンみたいなもんかな~? 彼は孤独に居たたまれなくなっていましたけど、私はTVで昔のビデオ見たり音楽聞いたり本読んだりしていれば孤独は感じないかもしれませんね。

 実際、大学一年の時は不登校状態になって一年間、ほっとんど誰とも話さなかったですよ。ヨガの瞑想とか整体とかキックの練習してましたからね。

 今でこそ武術を教えている時とか練習後に喋るのは好きですし、割りと喋るようになりましたけど、これは人恋しいのとは違うし、話の合わない人と話すのは正直、苦痛でしかないんですよね。この度合いは昔より強まってるかもしれません。

 が、それにしても、爺さんが酒飲みながら独り言をブツブツ呟き第三者にからみたがるという図は、非常に見苦しいものですが、少々話してみて、「多分、この爺さんは誰も相手してくれないから寂しくて公園に来てるんだろうな~」と思いましたよね~。同情しないけど。

 いや~、何が悲しゅうて、雨の降ってる公園に独りで缶ビール持って自転車押して来るのやら・・・。この爺さん、この公園で死ぬんじゃないかな? それで地縛霊とかなるんじゃないのかな~? で、幽霊なのに妙に明るいとか?

 私達は練習場所が無いから公園でやってるだけなんで、邪魔されるのはすっごい迷惑なんだけどね~。早く道場が欲しいな~。地元の地主さんとかが「オラに教えてくれんなら、土地提供すっぺ」とか言ってくんないかな~? 相模原って土地は余ってるみたいだし。


 あ~、雨の日の公園は何が起こるか、わからない・・・。

 ムッ? そういえば・・・この公園って、モーホーのハッテン場という噂があったけど・・・もしや、あのジジー・・・狙ってたのか?(ゾゾォ~ッ!)
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本の感想

暴いておやりよ ドルバッキー』 大槻ケンヂ著 ぴあ刊

 遅ればせながら、いつも私の本を紹介していただいている大槻ケンヂさんの御著書を読みました。

 これは『ぴあ』の連載を纏めたものに『本の雑誌』とかのエッセイも加えてあるそうなんですが、私の本『武術のヒミツ』についても感想文が書かれていました。

 元会員で読んだ人が「基本的に誉めていない」と言っていたんですが、別に批判的に書いている訳じゃないし、単にツッコミを入れて楽しんでもらった様子が感じられます。単純に茶化しているんじゃなくて、大槻さんのハートに響くものが有ったんだと解釈してます(ギャグの波長が合うとか?)。

 中でも、私が笑ってしまったのは、“古武術世界からの恐怖新聞”と『秘伝』を紹介しているところで、まあ、その筋の人達は怒るでしょうけど、ここまで的確な譬えはあり得ないよな~と思いましたよ。

 そうだよな~。アレを読んで信じ込んでしまったら、寿命が縮みそうだもんね。

 一般の格闘技愛好者が武術を胡散臭いと感じる最大の要因は、「武術の本が怪し過ぎるから」なんだと思いますよ。

 まあ、初めて読んだ人は学研のムーを読んでいるような錯覚に襲われるんじゃないでしょうか? 『秘伝』に限らず、中国武術の専門誌『武術(ウーシュウ)』なんかも同じノリでしたよね。

 これって、何故か判りますか?

『秘伝』も『武術』も企画立案した人が同じだからです。現在のBABジャパンの社長の東口さんが企画したんですよね。『フルコンタクトKARATE』もそうだし、東口さんは元々、『月刊空手道』の編集長だったから、武道・武術の出版プロデューサーとしては極めて敏腕な人だと言えると思いますよ。

 あのモンスター?小島一志さんだって、東口さんが認めて『月刊空手道』の編集長を譲ったそうですね。失敗したと思ってるみたいですけど・・・。

 東口さんは福昌堂で新しい雑誌を出そうとして失敗した責任をとって辞めたと聞いていますけど、偉いな~と思うのは、やっぱり見返してやろうと思ったからなんでしょうが、アメリカのパンサープロの武道ビデオを輸入販売する会社を興して、その宣伝媒体として『秘伝』の前身である『秘伝・古流武術』を、心眼流の島津先生を顧問に、当時、古流武術の研究家として愛隆堂で寺尾正充の名前で活動していた平上信行氏を具体的な編集の相談役として創刊したんですね。

 で、当時、甲野さんや黒田鉄山師範が頭角を現したり、大東流六方会の岡本正剛先生が注目されて大東流の合気ブームが起こりつつある時期に重なって順調に売上を伸ばし、自社制作ビデオも作り始めていたんですね。

 確か、クエストさんが少し早く武道・格闘技のビデオ制作専門会社として発足していたんじゃなかったでしょうか? 当時の『秘伝・古流武術』には広告が載っていたので、BABとクエストが別の会社であることを気づかない人が結構いましたね。

 その後、『秘伝』の好調っぷりに対抗する意味で福昌堂でも古武術専門誌『極意』が創刊されたり、東口さんに反発した平上氏が愛隆堂から『極意相伝』という専門誌を出したりしましたが、いずれも部数が伸びずに休刊。平上氏は『秘伝』に逆戻り。

『極意』休刊と共に編集担当の塩澤さんは福昌堂を退社し、しばらくフリーで仕事していたらしいんですが、生活の心配をした島津先生の口利きで『秘伝』編集部に入り、現在は編集の責任者として活躍されています。この辺りの事情を客観的に見ても、競合誌の編集をしていた人を受け入れたんだから、東口さんは立派だな~と感心しましたね。

 と、こう書くと、東口さんの偉人伝みたいになっちゃいそうなんですが、でも、私個人は、武術の世間的イメージを怪しいものにしてしまった責任は有ると思うので、評価は半々です。

 第一、“武道や武術に対して何の愛着も無い人”なので、“優秀なビジネスマン”として認められるだけです。それを悪いことだと責めるのは酷でしょうが・・・。


 えぇっと、それで・・・大槻ケンヂさんの神秘武術への興味津々っぷりがよく判ったんですが、疑問点を三つ挙げてくれていらっしゃったので、これについてかい摘まんでお答えしておこうと思います。

1,秘伝とされている技術の信憑性。合気、発勁、触れずに倒す、等。
(これについては一応、納得されているようなので割愛します)

2,奇妙な動作の物理的な意味。型、スローモーな太極拳の動き、立禅、等。

 これについては、説明が足りなかったな~と反省しております。一応、『武術のヒケツ』『武術のシクミ』で個々の技の意味とか用法なんかは解説しているから、その後は理解してもらえたかも知れませんけれど、「潜在能力が発揮しやすくなる」と私が書いているのは、(頭が良くなるとかそういうことは一応、置いといて)主に“重心移動力”を駆使することについてなんですよね。

 私は“潜在能力”と表現する時は、「本来もっていて出せる能力」という意味であって、超常能力のことではないんですよ。例えば、1tの重さのパンチなんて空手やボクシングを何年修行しても普通のやり方ではとても出せないですよね? でも、重心移動によって生じるエネルギーを乗せれば誰でも力学的にこれくらいは出せるようになる。

 発勁が“押す力”になりやすいとしても、普通、50~80kgくらいある人間をポーンと数mも跳ね飛ばすというのは、軽く車がぶち当たったくらいの衝撃力は必要な筈ですよね。計算上、1tくらい誰でも出せるというのは、これを見ても解ります。

 私が「筋力に頼るのは無駄が多いから自分はやらない」と言っているのは、重心移動で力を出した方が簡単だし突き蹴りの加速空間も筋肉を絞り込むタメもいらないからです。

 そして、この体内の重心を自在に操作できるようにするために立禅や太極拳の訓練が有効だということなんですよ。

 無論、これらの訓練は“力”の出し方とコントロールを学ぶものであって、具体的な攻防の技術と、打撃の威力を跳ね飛ばすのでなく内臓に作用させてダメージを重くする秘訣は別に学ばないといけません。

 ただ、1tクラスの衝撃力を内臓に作用させたら、どうなりますか? 普通の人間なら命に関わるダメージになりますよ。まだ、押し飛ばされるほうが安全なんですよ。

 だから、秘伝にして隠したという面も有ります。私だって全力でコレを打ち込むなんて怖くてできませんよ。ごく軽く打ってもムチ打ちになったりしてしまうんですから。

 それと、通常の打撃格闘技の試合では互いに動きながら打ち合うので、たとえ1tの重さのパンチやキックが打てても、それを百パーセント相手に作用させられることはそうそうありません。インパクトが多少、殺されたり半減するんですよ。もし、棒立ちになってるところに全力で一発で入れば簡単に倒れるでしょう。

 中国の内家拳では相手を固定しておいて発勁を打ち込むやり方が多いのも厄介なところですが、これも一般的には隠されているので知らない人が多い。

 多くの中国武術家は、この点を無視して、長く修行していればいきなり戦えるようになるのだと勘違いしているので、一向に戦えるようにならないままなのです。当たり前ですけどね。「戦い方を教えない」んだもん・・・。

 私みたいに自分で考えたほうが早いと思うんですけど、武術の伝統を重んじ過ぎる人は、そういうことを考える行為を否定したがる。私は研究家なんだから、放っといてよって感じですね。

 それはまた別の話として、大槻さんが「え~~っ? だったら、別に武術などせずに、頭に本を乗っけて落ちないようにウォーキングでもしていればよいのでは?」という感想を書かれたのは、御本人はツッコミのつもりでしょうが、実は全くおっしゃる通りで、現に私もそんな練習してましたし、舞踊に注目したのもそういう理由なんですよ。

 武術が中心軸を確立することに拘るのは、「重心移動の力を駆使するためには、まず重心のバランスが崩れない(軸が崩れない)ようにする必要がある。その次に、バランスを崩さないように動き、歩き、戦えるようになれば、次第に重心移動の力を駆使して戦えるようになる」という直感的な共通認識が有ったと私は考えています。

 だから、大槻さんがいきなり飛躍したトンデモ理論だと感じたのは、“重心移動の力”の具体的な実感が無かったから、そう感じられたんだと思います。これは自分に体感が無ければ具体的に理解することは無理があるでしょう(武術の型稽古は、その体感を伝達していく教育システムだと言えば理解してもらえるでしょうか?)。

 実際、本の編集担当者もまったく同じように感じていて「長野さんらしくない。飛躍し過ぎています」と指摘されていたんです。が、この点については私はちっとも飛躍しているとは思えないんですよ。だって、直立して歩くことって動物の身体構造上、とんでもないエポックメイキングになっていると思うんですよ。

 重力という地球が発している“力”を足かせとして考えるのでなく、むしろ積極的に利用することを考えたのだから、やはり武術の歴史は凄いものだと私は思いますし、それを忘れて筋肉信仰するスポーツ理論では先が見えていると思います。

 重力を感じて身体を考えることは、さらに人間の進化を促す切っ掛けになると私は思っています。それは人間が人間以上の存在になることを求めた様々な試みの中に鍵が隠れていると思うからです。

 考えてみてください。生まれたまま何の訓練も教育も受けない人間はどんな存在になるでしょうか? 訓練や教育は、人間を進化させるための装置として人間が自ら考案したものです。教育を受けられない地域に生まれた人間が、そこから別の場所に移されて教育を受けたら、以前の自分に対して人間として目覚めていない存在だったと感じるのではないでしょうか?

 百年前の人間が現代にやってきたら異世界に来たと感じるでしょう? 携帯電話なんか見たら霊現象だと勘違いするんじゃないかな? 『地下鉄に乗って』で、過去にタイムスリップした堤真一が万札出したらびっくりされるっていう描写が有りましたけど、我々は急激な変化に慣れているだけで、客観的に人類を見れば年単位で何万年分も加速度的に進化している筈ですよ。

 これは良いか悪いかは別にして、人間は自らを進化させることを選んだからこそ地球の支配者として自己を認識させている。人間と同等の知能を持つと言われるイルカやチンパンジーとの違いが、ここにあると私は思っています。

 我々は、それが当たり前だと慣れ過ぎて、認識できていないだけです。インチキを神秘と思う人は何げない日常の中の神秘に気づかない。優れた科学者が文学的なロマンチストだったりするのも、この辺りに理由があると思いますね~。

 宮本武蔵が柳生石舟斎の切り花の茎の切り口を見て、並の遣い手ではないと戦慄を覚えたという、あの感性がないと武術修行は中々難しいもんだと思う・・・ナンテネ?(スンマセン! 物凄く遠回しに自慢しちゃったよ~ん)


3,で、それ実際強いの?

 う~む。口で何と言ったって疑問が残るでしょうからね。ズバリ! 「一般的に現代の競技武道や格闘技をやっている人達と五分の条件で闘ったら勝てる武術家はかなり少ないでしょう」と、現実的にお答えしておきます。

 例えば、「長野さんが極真のトーナメントに出たら勝てますか?」と聞かれたら、「負けます!」と断言します。剣道、柔道、スポーツチャンバラ、総合格闘技、ボクシング等々の試合に出場しても同様に「負けます!」と躊躇なく言っちゃいます。

 だって、専門にやっている人達の練習量はハンパじゃないですよ。週に一回、道場で一時間半くらい、「いい汗かいたな~」って、練習後の居酒屋でビール飲んでる40過ぎたオッサンが勝てるなんか思ってたら誇大妄想がいいところでしょう?

 私、そんな勘違いするほど若くないっスよ~(と、油断させておいて、翔べ!必殺うらごろしの市原悦子みたいにドスでどすっと刺して「要は、勝ちゃあいいんだよぉ~」って言うのが武術です・・・って、これで納得してくれるのかな~、大槻さん?)。

 もっとも、いくら護身術だからって言っても言い訳みたいに思われるのもシャクなんで、現在、試合に使える技も色々と研究しております。別に否定する必要も無いし、試合で勝ちたいと思う人には勝たせてあげたいから・・・。


 え~っと、余談ですが(って、余談ばっかりじゃ~?)、電波人間タックルの欄外解説の箇所で、タックルの最後の必殺技が“スーパーサイクロン”となっていましたが、これは“ウルトラサイクロン”の間違いだと思います。

 だって、タックルが「ウルトラサイクロンッ!」と叫んでドクターケイトをやっつけた時、「オイオイ。石ノ森の代表作ライダー・シリーズで円谷の代表作のウルトラって言葉使っちゃダメだろう?」ってツッコミ入れたから、間違いないと思います・・・(はっ? そういえば、『キャプテン・ウルトラ』は東映で円谷プロとは無関係だったような?)。
 え~、文中、読者にとって意味不明の脱線が続きましたことを慎んでお詫び申し上げます・・・。




『マンガでわかる! 芦原カラテ 実戦サバキ入門』 スキージャーナル刊

 おぉ~・・・小島さんの大暴走で泥を塗られてしまった芦原空手の、漫画・写真での技術解説・DVDが三位一体となった技術指導書が出ました!

 西山先生の技術解説で英典館長の監修、空手界のアイドル小林由佳さんも出ていて、漫画は空手や中国武術等々の専門雑誌やムック本での漫画で知られる坂丘のぼるさん。

 これは素晴らしいっ!

 DVD付き教本は普通になりましたが、これに漫画がついているというのはエポックメイキングですね~。

 スキージャーナルさんは、一体全体、どうしたの?ってぐらい、斬新な企画を進めていますね~。

 同社の武道雑誌は、『剣道日本』だけの筈ですが、空手に古武術?、古流剣術に韓氏意拳、さらにストリートダンスの本も出していたような・・・?

 今はどこの出版社も出版不況の煽りで元気を失っているものですが、スキージャーナルさんはやる気満々ですね。

 芦原空手は小島ダークゾーンに引き込まれかかっていたから、この本の出版は脱出の弾みがついて良いのではないでしょうか?

 やっぱり、武道は実際に技を示してこそ真価が評価される訳ですからね。

(私も夏からフルスロットルで頑張るぞぉ~! DVDも再販、新作製作始めますよ)
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武術DVDの感想

1,『体を緩め丹田からの力を知る~内勁の武術とは~』

 中古で購入したDVDですが、八極拳で日本一の栄冠に輝いていた中川二三生氏の技を収録したものとして興味深く拝見しました。

 中川氏は流石は初期の日本の中国武術界で噂されていた方らしく、練り込んだ体の身法は見事ですし、空手(松濤館・極真)や大東流合気柔術(堀川幸道系)の修行もされていたそうなので、中国武術しか知らない人とは違って、技の動きに実戦的な視点が内蔵されているように見えました。

 う~ん・・・しかし、だから余計に残念に思えたのが、お弟子さん方が明らかに感応にかかって過剰反応(錐体外路系反射運動)してしまうので、身体技法としての武術の技の効果がどの程度作用しているのか?という基準が見えなくなってしまっており、部外者には、よくある神秘武道の演武にしか見えない・・・という点に有ります。

 こういう過剰反応、暗示投げの類いは、師匠と弟子の間で催眠暗示的な反射作用として発現してくるものなので、リアルな“物理的な力学メカニズムによる技の効果”とは無関係に、“派手にふっ飛んだり・奇妙に踊ったり・悶えたり”するという一見してヤラセ臭い奇妙な動きをするので判別できるんですが、やってる本人は気持ち良さに酔いしれてしまって後戻りできなくなりがちなんですね。つまり、技の作用じゃなくて無意識に反応する自分の力でふっ跳んだりするのが真相なんです。

「宇城塾も、西野流と変わらなくなっちゃって、武道を求めていた人はどんどん離れて行っていますよ」、人伝えに聞いたんですけど、「奥深い理合を講釈するより現実に効く技の一つも教えてくれよ」って言いたくなりますよね。

 百の理屈より一つの現実に効く技のほうが価値が有るんですよ。夢想剣のように、通り魔に頭より先に身体が反応して、ハッ?と気づいた時には通り魔が失神して転がっていて、自分でもどうやってやっつけたのか判らない・・・ってレベルにならなきゃダメです。

 私は、こういうのを見ると、途端に白けてしまうんですが、BABは神秘の武道路線で売りたいんだろうから、「好きだね~」と微笑ましく見れるようになってきましたよ。

 でも、これって武術じゃなくて宗教だよね。気功やってるとこういう具合にならざるを得ないから、くわばらくわばら・・・って感じです。

 あっ、それと説明がどうもね~、「(体)のつまりを取る」とか、妙に“野口整体”的だったりするから意味が解らない人が多いと思います。身体感覚を言語化するのは難しいし誤解を与えるような見せ方をするのは不審に思われるだけだと思いますけどね~。

 でも、中川氏の流石の錬体度に感心できたから、まあ、割り引いとくかな? でも、その他多数のトンデモ武術DVDの同類に扱われるだろうことは確実だと思いました。

 誉めてなくってごめんなさい。



2,『柳生新陰流を学ぶ』

 スキージャーナルから出ている同名本の映像版です。本が非常に興味深い内容だったので、書泉グランデで楽しみにして購入しました(売り場担当のTさんが退職されて寂しい限りです。武道格闘技の出版社の営業の方でお世話になった人も多いでしょう。私の修行歴と同じくらい勤められていたそうなのに、書店業も大変なんだな~と思います。でも、クエストのIさんが激励会を企画しているそうで、流石ですね~。私もドン底からはい上がるコツなんぞをお伝えしようかな?なんて・・・)。

 ちょっと発売が遅れていたみたいでしたけど、この分野はモメるからね~。でも、無事、発売されて目出度い限りです。

 私は、柳生新陰流は太刀のもち方と基本の振り方を教わった程度ですが、剣術の研究をするのに大いに示唆を受けましたよね。

 剣術はどの流派も大同小異と思う人も多いでしょうが、やはり、流派の工夫というのは無視できないものがあって、それぞれの流派で独自の工夫がこらされているものなんですよ。人間にも個性が有るでしょう?

 これは、どちらが正しくてどちらが間違いとかは一概に言えないと思います。だから、そこに優劣論を持ち込むのはよろしくない。

 このDVDは、尾張貫流管槍術も伝承する春風館道場に伝わる柳生新陰流(柳生厳周伝。先々々代宗家になるのかな?)を詳細に解説演武したものですが、実にきめ細かく丁寧に解説演武されていて、映像教材として好感の持てるものでした。

 本と併せて見ると独修も可能でしょう。研究家として、実に有り難いDVDです。何か、スキージャーナルさんは最近、頑張ってますね~。出版社も書店も頑張るところが生き残っていくのかも知れないな~。



3,『岡林俊雄 嫡流真伝中国正派拳法』

 これはクエストから以前、ビデオで刊行されていたもののDVD版です。

 タイトルが怪しい?(“チャクリュウシンデンチュウゴクセイハケンポウ”と読みまする)からか、バッタモンの流派と思い込まれたらしく、はっきり言って、全~然、売れておりません。ほとんど無視に近い状態です。

 ですが、皆さん。よぉ~く、覚えておいてくださいね~。

 このDVDでメインで演武しているのは、私が交叉法を教わった恩師、中国拳法躾道会(“ビドウカイ”と読みまする)の小林直樹師範なのです。

 そうです! 私の渾身の必殺?フックを、子猫をニャーンと摘まみあげるみたいにグーパンチでペチッと止めてしまった、あの化け物みたいな技を遣う中国武術家です!

 何しろ、私みたいなヘタレで素質も才能も無くて、おまけにパニック障害の持病まである人間が、紛いなりにも、現代武道や格闘技の指導者クラスの人に指導できるくらいにしてくれた、あの真の達人と私が認める師範なのです。

 真の交叉法が知りたければ、小林師範の技を見て欲しい。

 先に言っておきます。小林師範は全く本気を出しておりません。が、それでも滲み出てくる“澄んだ殺気”は、現代の武道家が失って久しい捨て身の無心から出てくる境地であると言いたい。

 実のところ、私は小林師範が本気を出しているところを一度も見たことがありません。

 どうしてか? 小林師範の学んだ流儀では、本気とは、“殺し合い”を意味するからですし、そこまで腹を括って立ち合う相手は滅多にいる筈もなく、私の見た範囲では軽くいなされてしまう人ばかりだったからです。

 それでも、一度だけ、半分くらい本気が出たことがありました。その時は太気拳の動きでしたが(小林師範は最晩年の澤井健一先生に太気拳も学ばれています)、歩法と身法、掌打法が完全に連動して加速していき、ついに脚と腕があまりのスピードにブレて見えなくなってしまっていました。これぞ超神速! 人間技とは思えません。

 私が目指しているのはアレができるようになることです。が、まだまだ遠いですね。そんな武術の到達できる高みを見せてくれた小林師範の技を、是非、一人でも多くの武術に関心を持つ人に見てもらいたいです。

 甲野さんの見世物演芸を達人の技と勘違いしているような人達は、これを見て目からウロコを落としてくださいませ・・・。

 え~、ちなみに、監修の岡林俊雄先生は、小林師範の兄弟子であり、かつて道場では竜虎兄弟と呼ばれていたとか・・・(ウソです)。

 あっ、でも、岡林先生の居合術、空手(二十八歩)の演武は、空手雑誌編集者やビデオ制作担当者をして、「これほど凄い演武は初めて見た」と言わせるほどのものでした。

 それもその筈。岡林先生は、琉球古武術師範でもあり、空手道を中心に武芸百般に通じた真に天才と呼ぶべき名手なのです。ある編集者は「これほどの技は宇城憲治先生くらいしか並ぶ人を思いつきませんね」と言っていました。宇城先生があちらの世界へ向かわれて路頭に迷っている空手修行者は尋ねてみられたら良いと思います。

 ちなみに、このDVDの撮影日直前に岡林先生は命にかかわる緊急の開腹手術を受けられたばかりでした。それゆえに兄弟子を思った小林師範が演武のメインを代わって担当したという事情が有りました。

 ですが、岡林先生は亡き恩師に伝えられた技を映像に残す以上、下手なものにはできないという決意をもって撮影に臨まれていて、空手の演武では普段は柔らかくゆったりとした端正な表現をされることが多いのに、この時ばかりは激烈な気迫で剛的な演武をされていました。

 無論、腹圧がかかるので手術を受けたばかりの傷には危険極まりないものです。

 後で小林師範にお聞きしたところでは、遺作になっても構わないという覚悟をして臨んでいたのだそうでした。

 どうでしょうか? 皆さん。私のDVDを買ってくださるのは、本当に有り難いんですよ。生活がかかってますからね。

 でも、やっぱり、私は所詮は研究家に過ぎない。有名な映画評論家であっても、優れた映画監督になれるとは限らないでしょう? 私が「これが本物だ」と認める師範の技を、是非、見てもらって、「あ~、なるほど、本物の武術家というのはこういう人のことなんだな~」という違いを判別できるようになって欲しいんですよ。

 やっぱり、良いものばっかり見ていると、悪いものが一目で見分けられるようになるでしょう? 見せかけの武術ばっかり見ていたら本物の武術が一向に見分けられないですからね。特に、単に綺麗に技をかけて見せているものはおかしいと思ったほうがいい。

 一つ、見分け方を書いておきますね? 本物の武術家って、どんな優しそうに見えても瞬間的に冷たい殺気が走るんです。その背筋がヒヤッとするようなところの無い武術家って、見せかけだけでフェイクですよ。
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武術は護身術です

 え~っと、入会の問い合わせがまたちょくちょく来るようになりました。

 を読んで、DVDを見て、「やってみたい」と思う人がいるのは有り難い限り。何せ、まだ印税だけで生活できる程にはなっていないんで、セミナーシダックスの講座稽古会は無視できない収入源なんですよね。

 でも、正直言って、私は単に興味本位の人や無目的に強くなりたい人ではなく、武術について真面目に学びたいという気持ちの人でないと教えたくありません。

 実際、「金はいくらでも出すから長野さんの知ってる技を全部教えてくれ」と言われたことがあるんですが、断りました。私が貧乏なのを知っていて金で釣ればいいだろうという足元見るようなフザケた野郎だったからです。

 こんなこと言ったバカタレもいましたよ。「私がいなければ長野先生の老後は悲惨ですよね~」って・・・。破門にしました。弟子が師匠に言う言葉じゃない。オメ~は何様だよ?ってくらい、自惚れ過ぎるにも程が有る。私は自惚れ屋が一番嫌いなんで。

 こんな、人を嘗め腐ってるヤツの力なんか要らねえって思いましたよね。正直、「駅のトイレ清掃の仕事やってでも、しぶとく生きて武術研究の成果だけは残してみせちゃる」っという気持ちでしたし、その心境は今も同じです。

 武道をしっかり習っていた人は、大体、上下関係を弁えているので、そんなに失礼な言動を取ることはない・・・?と思いますが、そういう上下関係の有る習い事をやったことの無い人は、習いに来ているのに対等な立場を取ろうとする場合も少なくありません。

 私がそういう対等な付き合い方を好む?ように見えるから、そうされるんだと思いますけど、この際、はっきり書いておきますけれど、私、軽々しくタメ口たたくような基本的礼儀を弁えていない無神経で無礼な人間は大っ嫌いです。

「でも、長野さんはヤンキーなんかにも教えていたんじゃないの?」って思うでしょう?

 はい、最初に身体に痛みを与えてから教えたんですよ。そうするとヤンキーの人達くらい礼儀正しくなる人達っていないですよ。自分より強いヤツには絶対、逆らわないもん。

 自分がそういう態度取られるのが嫌いだから、相手に対してもそういう態度を取らないように気を付けているだけなんですよ。これはファミレスとか居酒屋での私の態度見ていたら気づくと思いますよ。気づかない会員さんもいたけどね。

 ダメだね~。日常生活から勝負の場だと思っていなきゃダメ!

 だってね~。食い物屋さんで尊大な態度取ったら、鍋に雑巾汁入れられるかもしれないでしょ? 感じのいい客だったら店員さんだって良くしてあげたいと思うでしょう?

 尊大な客に毎度からまれて爆発寸前になってる人だっているかもしれない。優しい言葉一つかけるだけで嫌な気持ちが消えて労働意欲だってわくもんですよ。

 だから、態度のぞんざいな店員さんの時ほど、わざと丁寧に挨拶したりしますよ。そうすると、だいたい、向こうがハッとした顔して態度が変わったりします。

 そういうハラ芸もできなきゃダメです。それも自然にできるようにならないとね。

 私は、こういうのは武術の先生達から学んだ考え方ですよ。自分の見せ方も“読み”の内なんです。

 外見がブサイクだったりしたら、これは有利ですよ~。「この人、見かけはカッコ悪いけど、何ていい人なんだろう」とギャップ効果で印象が良くなる。ブ男でもてる人って、こういうところがうまいよね。ブサイクに生まれついたらチャンスだって思ったほうがいいんですよ。

 逆に美人は大変ですよ。ちょっとでも下手こいちゃうと「こんな女だったんだ~」って、一気に印象悪くなるでしょ? 疲れると思うな~。


 でもまあ、こんなことを色々考えられるようになるには時間も必要ですよ。結局、目先のこと考えていたってどうなるものでもない。「自分が生きてるのは自分にしかできない仕事が有る筈だ」って、何となく考えるようになったのは30過ぎてからですかね~?

 だから、アキバの通り魔男って、まだ25歳だったんでしょ? 全く同情はしないけど、「そんくらいで人生諦めてどうすんだよ」って、言ってやる友達とか先輩とかいたら、違っていたんじゃないか?と思いますけどね。

 彼は、大量殺人の記録を作って世の中に自分の存在をアピールしたかったんだと思うんですよ。現実の生活で成功するのは難しいから・・・。

 正直、私もそんな気分になったことは過去に有りましたよね~。大学に入ったけど不登校になった時なんて、宗教哲学の本ばっかり読み耽っていたしな~。今思うと発狂してたと思いますよ。「俺は悟った!」とか思っちゃってたし・・・。

 ナチュラル・ハイでおかしくなってたな~。

 でも、私は、映画と武術に打ち込んできたから、それを通じて色々な人との繋がりができたから、決定的に道を踏み外さないで済んだと思っていますよ。

 映画のシナリオライターを目指したことが今の文筆業に繋がったし、芸術方面への関心にも結び付いた。

 武術を続けていたことが特技として映画・演劇・舞踊の世界との結び付きを強めたし、武術の理論研究をやっていたことが専門誌のライターやら斯界の第一人者との交流に繋がっていった。

 そういうのが全てバランスよく結び付いて相乗効果を上げてくれていると思うし、甲野さんと出会ったのも、今思えばマイナスにはなっていないんですよ。やっぱり反面教師という言葉は言い得て妙味が有りますよね。

 無論、そんなエスカレーター式に歩んできた訳じゃないし、人並以上にトラブルにも見舞われたと思うんですけど、最後は、どれだけ純粋に追究しているか?という点が突破口になってきているんじゃないか?と思います。

 しかし、犠牲にしたものも随分、有りますよね。「普通の人は先生みたいな生き方はとても耐えられないですよ」と、何人かから言われましたけどね。

 でもね~。“25歳で人生諦めて犯罪の花火を打ち上げて散る”より、“しつっこく諦めないで自分のやりたいことを追究する”のと、どっちがいいか?と言えば、最後に笑える後者の方が絶対、いいに決まっている。

 私なんか45歳で定収入無いし、本が売れなくなったら、それこそ老後は野垂れ死ぬしかないですよ。でも、モーマンタイ。

 だって、やりたいことやってんだもん。やりたくないことやらないんだもん。そんなワガママの極致みたいなキリギリス人生歩んできてるアンポンタンなオヤジでも、一芸が有るからやっていけてるんだよ。芸は身を助けるという言葉は私のために有るような言葉。

 私にとっての武術は紛うことなく“護身術”なんですよね。どういう意味か? だって、これが無ければ私という存在は生存できていないからですよ。これぞ究極の護身術だと思いませんか?

 だから、そりゃあ、趣味でやっている人とは人生賭けてる比重が違うんだもん。真剣味も違いますよ。

 従って、護身術という観点で考えていることも、そんじょそこらの人達とは全然違うと思いますよ。自慢しちゃうけどね。

 そりゃあもう、空手・柔道・合気道・少林寺拳法・剣道・躰道・弓道・新体道・居合道とかの現代武道は当たり前、古流武術(剣・柔・棒・槍・薙刀・手裏剣・医)に琉球古武術(棒・ヌンチャク・トンファー・スルヂン・釵・ティンベー・ローチン・鉄甲・鎌)、中国武術(拳法・シュアイジャオ・チンナ・剣・刀・棍・槍・佐助兵器・暗器)のみならず、カラリパヤット、カポエィラ、シラットなんかの日本では知られていなかった武術や、ボクシング、ムエタイ、サンボ、テコンドー、サファーデ、キャッチアズキャッチキャンなんかの格闘技本も読んでましたよ。

 よく読めないけど、古文書や中国語、英語やフランス語の武術本も読んだしね。

 それだけじゃなくて、「やっぱり、現代の戦闘は軍隊流の野戦体術からナイフ、ピストル、アサルトライフルくらいは操作できなくちゃな~」と思って、その手の研究もしてきたんですよ。拳銃を使ったコンバット・シューティングなんかはもう武術と考えたほうが正しいですね。

『マイアミ・バイス』でジム・ズビアナというコンバット・シューティングのチャンピオンが殺し屋役でゲスト出演した時の45オート・オスタムを使ったコック・アンド・ロックのクイックドロー・シューティングは素晴らしかったですよ。

 元々、武術より先に銃に興味持っていたんで、道具と材料が有ったら自分で0から作れるくらいの知識と工作技能は有りますよ。エアガンのカスタマイズは高校の頃からやってたくらいだし、最近、趣味でやっている刀の拵え作るのだって、ほとんど自己流で工夫してるし・・・。

 日本刀って、材料の玉鋼作るタタラの村下(むらげ)・刀を鍛刀する刀工・刀を研ぐ研ぎ師・鐔や金具を作る金工師・ハバキを作る白金師・鞘を作る鞘師・柄を作る柄巻き師と、七人の専門職人が連携して一振りの日本刀が完成するんです。柄糸や下緒を作る人も入れたら八人ですよね。

 私は、その内、三人分の作業を一人でやってます。最近はこれらの職人さんも高齢化していなくなりつつあるそうなんで、これも武術研究の範囲と思うので、もっと研究して職人文化を残すことにも貢献できるようになりたいと思っていますが・・・。


 さて、一口に護身術と言うと、何か非常に特殊なもののように思いがちですけれど、武術にしろ拳銃にしろ、護身術という観点から発展し確立していったものであって、実は人類の歴史上、無視し得るものじゃないんですよ。

 専門家でも間違えてる人が多いんですが、武術は戦国時代に戦場で用いる技として成立したものじゃないんですね。

 無論、それ以前から“関東七流京八流”という言葉で武術の原型とされている簡単な刀剣術みたいなものは有ったとされています。

 しかし、戦場で用いる技というのは個人の工夫したものであって、体系化はされていなかったでしょう。つまり、教育システムが無い。それでは軍事訓練にはならない。むしろ、角力のほうが軍事訓練としての意味合いは大きかったと考えられます。

 ですが、角力は武術ではなくて、儀礼的な格闘技(競技)として発展していきます。これは区別して考えるべきだと私は思います。

 私が、「これが武術と言えるだろう」と考えているのは、流派が興って以降です。

 この、流派を名乗った武術では、念流が最古と考えられますが、そのままの形で伝承した最古では天真正伝香取神道流が有ります。また、最古の柔術は竹内流が有名です。

 これらの流儀武術は、戦場で戦う技を平時に修練することで戦乱に備える“平法”の観念を強く持っていました。つまり、最初から“護身術”と考えて技術体系化されているのです。

 居合術なんて、完全に護身術として工夫された技ですよね。刀を抜いて「いざ、尋常に勝負!」って言ってる相手に対しては、普通はこちらも刀抜きますよね。いきなり襲ってこられたのに咄嗟に対処する技だから「居合は鞘の内」と言った訳ですし、護身術としての共通原理から柔術と結び付いて伝承されることが多かった。

 例えば、竹内流を興した竹内久盛の弟の久安が片山伯耆守となって、伯耆流居合術の開祖になっているし、関口流抜刀術の開祖は柔術の名人として名高い関口氏心です。

 他にも、甲冑組み討ち技と融合した形の初実剣理方一流(今枝流)とか、天然理心流の居合術も柔術と組合わさっているものが多いですし、現代居合道の母体になっている土佐の無双直伝英信流にも実は柔術が併伝されていました。

 天心古流(神道天心流)に伝わっている“八寸拉ぎ”という短棒術は、元々刀の柄をからめて逆手に捕る技から発展していますし、居合術と柔術が融合して新たに護身術として工夫されていった技法は少なくないと思いますよ。

 こうした特徴は、平穏な時代が続いた江戸時代に特に広まって、流派は数百を超えたと言われています。

 よく考えてください。戦乱が続いている不安な情勢の中で呑気に武術の修行なんかやっている暇は無い。武術の技が高度に研究されたのは平穏な時代だからこそです。

 これは現代だって同じことですよ。仕事で多忙な生活をしている人は武術を修練する余裕なんか無いでしょう。うちの会員さんも仕事が忙しくて練習に来れない人が随分いますから、できるだけ日常生活の中で独修できる稽古法をわざわざ考えたくらいですよ。

 本当は学生さんとか暇の有る人がもっと来てくれたらいいのにな~と思うんですが、うちの技は爺臭いから?若い人はほとんど来ませんね。

 現代で腰に刀差して歩くと逮捕されちゃいますから、居合術なんかは直接の実用性は有りません。

 でもね。武術の稽古は直接的な実用性だけには留まらない意義が有ると思うんです。

 福沢諭吉が居合術の達人だったって、ほとんど知られていませんけど、実は新立身流居合術(開祖は立身三京)の物凄い遣い手だったのですよ(立身流は今も千葉県に伝承している名門です)。

 現代で福沢諭吉に並ぶ居合の遣い手はほとんどいないだろうと言われるくらい、晩年まで居合の稽古は欠かさなかったそうで、実家には稽古でボロボロになった鞘がいくつも残っていたそうです。

 板垣退助、大隈重信、大久保利通なんかも剣術や柔術が相当できたらしいですね。

 勝海舟も直心影流の遣い手だし、桂小五郎は神道無念流、坂本龍馬が北辰一刀流の長刀免許を貰っていたのは知られていますね。でも、高杉晋作が柳生新陰流の免許持ちだったのは案外、知られていないでしょう。特に剣名を出していないから知らない人が多いだけです。

 侍だから修行するのは教養のうちで当たり前だと言われたらその通りでしょう。

 けれども、私は、彼らの行動力の基礎には武術修行が役立っていたと思います。感情的に否定したがる人は多いですが、幕末から明治にかけて日本の基盤を作ったのは疑う余地なく侍ですよ。あの行動力の原点には、武術修行で練ったハラ(度胸)が有ったと思います。無論、教養としての学問も学んでいたから先見の知恵も育っていた。

 榊原鍵吉や山岡鉄舟といった純粋な剣客も、国のために動いたりしていたんです。

 冷静に人口比率から考えても、もっと町人や百姓が活躍していてもいいとは思いませんか? 後半生は社会奉仕に励んだ清水の次郎長なんて、山岡鉄舟と出会って心酔したから人生が変わってますよね。

 近代日本の礎を築いたのは、間違いなく侍達ですよ。それも教養の有る上級武士より剣術ばっかりやっていたような下級武士、豪士なんかが原動力になって動かしていった。

 組織の中で硬直化して動けない上級武士ではなく、下級武士が私塾に通って「このままでは日本が危ない」という思想的方向性を与えられて決起していった結果でしょう。

 確かに何も解らず人斬りばっかりやっていた連中もいるけれど、それも含めて時代を動かしたのは侍達だったのは否定できないでしょう。もし、彼らがいなかったら、近代日本は外国の植民地になって日本という国すら無くなっていたかも知れません。

 これと同じ状況は“元寇”にも有る。もし日本に侍がいなかったら、日本は蒙古に支配されていたのは間違いありません。

 人間にとって“護身”ということは人生を確保するための行為だから、本来、必要不可欠な筈なんです。これは日本に限らず世界中の様々な地域に護身の技が伝わっている点でも解るでしょう・・・。



 で、突然、私事になりますが、私、昔は臆病だし級友がイジメられている(ほとんど寄ってたかっての暴行だった)のを黙って見て見ぬフリするような卑怯なガキでしたよ。

 それがトラウマになって自己嫌悪でたまんなかったから武術をやり始めたのが本音ですけれども、何年もやってきて、それなりに暴力に対する自信がついていくと、危ない目に会っている人を助けに入ることが平気でできるようになっていったんですね。

 学生の頃なんかはまだ結構、怖かったし、どうしようか?と悩んで決死の覚悟で割って入ったりもしたものですが、30歳過ぎる頃には、「あっ、あれは俺が助けないと危ないな~」と、冷静に状況分析しながら「やめなさ~い」と、平然と助けに入ることができるようになりました。要するに、想いと行動を一致させられるようになってきた。

 護身術と言うと、自分の安全を確保する技としか考えない人が多いですけど、違いますよ。自分の護身より、ストーカーに付きまとわれている女の子助けたとか、色々と人助けもしましたよ。

 だって、毎日訓練して膨大に戦闘術の研究してるんだもん。戦闘のプロでもないオタク・ストーカーにやられちゃったら泣きますよ。

 大体、そこらのヤンキーとかがまともに武道や格闘技を何年もやっている人間と戦ったって勝てる訳ないんですよ。五分五分でまともにやれば・・・。

 私も、「高校の頃にボクシングの県大会でベスト8になった」って学生とケンカになった時、距離取って殴り合いになったらボコボコに滅多打ちされると思って、わざと「へぇ~、ボクシングってどう構えるの?」って尋ねて、「こうやって・・・」と相手が構えた瞬間、前手を掴まえて側面に密着しながら肘打ちと膝蹴り出しましたよ。「キッタネ~!」と罵られたけど、二度と向かってこなかったですよ。

 格闘技を真面目にやっている人と五分五分の勝負したら、そうそう勝てないよな~と思ったから策略を使ったんです。その後、格闘技の練習もやってみて、確認できたし(人間、痛い思いをしてこそ修行になるもんです)。

 だから、私は現代のスポーツ化した武道や格闘技が弱いなんか全然思わないですよ。武術オンリーの人は「スポーツだからダメだ」なんて言うけど、技の威力やスピード、テクニックの点でも型稽古オンリーの武術と比較すれば完全に上回ってると思いますよ。競技化は技の範囲を狭めるけれども技を洗練させる利点は有りますからね。

 現に、甲野さんは日本空手協会でボッコボコにされたのをはじめ、現代武道や格闘技の実践者と、少し本気で手合わせしたら丸で勝てなかった。彼の場合は極端過ぎますが、似たような事態に陥る武術家は少なくないでしょうね。YRさんとか・・・。

 悔しいから認めたくないという気持ちは理解できますが、事実は事実として認めていかないと進歩しませんからね。

 でも、そういう現実を認められない人は、「武道や格闘技やっていたって、ナイフやピストルを出されたら勝てないだろう?」って論理をたてるんですけどね。

 ナイフやピストルは、それ自体の攻撃力は凄いけど、結局、素人が遣ったって大した戦闘力には結びつかないんですよ。プロが遣ったらとんでもない戦闘力が発揮できるでしょうけどね。

「アキバでは一突きで何人も殺されたじゃないか」って思うでしょう?

 そこなんですよ。問題は・・・。

 武術の訓練なんか意味が無いと考える人は戦闘の全体像を見渡していないで感情的に認めたくないだけ。暴力に暴力で対抗しようとする発想の危うさを論じたいのであれば、そう言えばいいと思うんですが、「現実的に無理だ」と言い切ることで否定すれば、結論が先に有りきの考証になり、不合理なんですよね。

 無抵抗で棒立ちになっている人間だったら素手で殺すのだって造作も有りません。格闘技の試合で一方が棒立ちになっているところを一撃で倒して「最強だ」って言ったらバカでしょ?

 ダガーナイフが殺傷力が高いなんて言ったって、それはプロが遣う場合の話であって、あの事件の状況を見れば、百円ショップで買った包丁でも同様の事件が起こせたのは疑いの余地がありません。

「武術や護身術が無意味だという証明だ」と言うのなら、あのような通り魔事件と同様の状況を作って、武術や護身術を相当な期間学んだ人間を集めて実験してみなければ判断はできません。襲われたのはフツーの人達なんだから、戦闘能力以前に戦う意志すら無かったでしょう。

 警察官も刺されたことから「戦闘のプロでもダメだった」なんて考える人もいるでしょうが、警察官は戦闘のプロじゃありませんからね。柔道や逮捕術を警察学校で習いはするでしょうが、せいぜい初段レベルの人が大半だし、拳銃の射撃訓練なんて年に一回か二回、数十発撃つ程度だそうです。戦闘に関してはフツーの人なんですよ。

 私、親友が元SAT隊員だったから色々聞いてますもん。詳細は言えないけど・・・。

 警察学校を一番で卒業したらしい彼とふざけて柔道の手合わせした時は私が一瞬で勝ちました。“急所を点穴して投げたから”です。

 また、エアガンで射撃の競争した時も私のほうが上手でした。射撃の試験を受ける前に私が手紙で図解してコツを教えたら「お陰で良い点が取れた」と喜んでいました。

 警察官の拳銃は、発砲が非常に厳しく制限されているので、実際に撃つのは相当に緊急事態でないと許されないのだと彼は言っていました。だから、後の始末書のこととか考えるとまず撃てないと言うのです。威嚇するために使えば充分だから弾丸を込めない警官もいるそうですし(ゴリさんだっ?)、「犯罪者に奪われたらどうしよう」とノイローゼになる警官もいるそうです。

 拳銃持ってるから大丈夫と考えるのは大間違いなんですよ。アキバの通り魔男に立ち向かう警察官の様子を見ても、明らかにビビッて腰が引けていました。

 回りで見ているヤジ馬が「足を撃て!」なんか叫んでいたそうですが、あの姿勢で狙って当てられるとは思えませんね。拳銃で手や足であっても人間を撃つというのは心理的に相当な覚悟が必要な筈ですよ。もし、太い動脈を損傷して出血多量で死なせてしまったらどうしよう?とか、考えるでしょう。

 威嚇するのが関の山ですし、下手に撃って急所に当たったり、また、もし流れ弾や跳弾が通行人に被弾したらどうなるか?とか考えると、通り魔男がヘタレてくれたから、内心は目茶目茶安堵した筈だと思いますよ。

 そう言えば、警察官のピストル自殺は結構有ります。ソ連崩壊後にトカレフやマカロフが日本に闇ルートで出回った時は日本中の警察官は震え上がっていたらしいです。トカレフの徹鋼弾は44マグナムのハローポイント弾を止められる防弾チョッキを楽々と貫通してしまったからだそうです。

 悪質な犯罪者は警察官を狙って襲って拳銃奪うくらいやりますからね。今回の事件では背後から刺された警察官が拳銃を奪われなくて、本当に良かったと思います。もしかすると、それを狙ったかも知れませんが、交通誘導をやっていた方だったそうなので、拳銃を携帯していなかったのかも知れませんね。まだ重傷で入院されているそうですが、何とか御回復されることを祈りたいです。倒れながら仲間の警察官に犯人の向かった方向を指示されていたそうですが、命を張って仕事されている警察官には本当に頭が下がります。

 正直言って、個人的には、凶器持ってる犯罪者と遭遇した時に警察官に守ってもらおうとは思いません。気の毒ですもん。自分が戦ったほうが、制圧できる確率が高いと思います。一応、警察に連絡はしますけどね。自分でやっちゃったら罪に問われるかもしれないから・・・。

 実際に、以前、二回くらい警察を呼んだことありますけど、到着するまで5分はかかりますね。3分じゃ来れないですよ。アキバの通り魔男は正味2分で殺戮に及んだそうなんで、全然、間に合わない。

「走って逃げたほうがいい」という意見も賛成はできません。それなりの距離が有れば逃げたほうがいいのは言うまでもありませんが、犯人が近かったら背中を向けた途端に刺される危険性が高いからですし、そもそも人込みだったら思うように逃げられませんよ。

 犬や猫を飼ってる人は解ると思いますが、犬猫は知らない犬猫と遭遇すると間合を保って唸るでしょう? それで気迫で負けて後ろ向いて逃げようとした途端、猛然と追いかけますよね。人間も、相手が逃げると反射的に追いかける本能が有るんですよ。

 ハイヒール履いてる女性や子供、老人なんかはそもそも早く走って逃げられないでしょう? それに電車やバス、店の中なんかでは逃げるに逃げられない場合も有る。ナイフや包丁程度の武装だったら、カバンなんかを楯にして戦う意志を示して威嚇したほうが実際は効果的なんですよ。

 以前、ベトナム戦争で戦っていたアメリカ人武道家の先生に聞いた話ですが、武器を持たない時にジャングルの中でばったりベトコンと出くわしてしまったそうです。

 ベトコンはAK47(世界最高の軍用アサルト・ライフル)を持っていたそうですが、その先生は咄嗟に「ぶっ殺してやる」という意志を込めて相手を睨みつけたそうです。すると、銃を持っているベトコンのほうが脅えて動けなくなり、やがて、じりじりと後ずさって、しばらく下がってから大慌てで逃げ出してしまったそうです。

 やっぱり、実戦は気迫が重要だと思いますよ。人間だって動物ですから。

 ネオむぎ茶のバスジャック事件の時なんか、真っ先に後ろの窓から飛び降りて逃げたのが合気道師範だったと言われていますけど、「お前が逃げてどうすんねん? せめて相討ちになって取り押さえろよ~」って、本当に思いましたよね。

 私が今回の事件で本当に危惧しているのは、「暴力に対して為す術なく一方的に無抵抗でやられてしまう人間ばかりになっている今の日本の状況」なんですよ。つまり、気迫が無くなって、ほんのちょっとした暴力にすら何の抵抗もできないどころか、しようとすらしなくなっている。

 暴力を否定するあまり、気迫、闘争本能まで否定してしまっているんですよ。

 その結果、暴力に全く抵抗できず、より弱い者を狙う陰湿なイジメ体質国民になりつつあるように思えてなりません。

 優しいだけで厳しさが無い。だから甘いことしか考えなくなるし、ちょっと挫折すると簡単に自殺したり犯罪に走ったりしてしまう。中身を磨くより金ためることばっかり考えて、「財力の有る男と結婚すればいい」なんて寄生虫宣言を平然とする女性も多い。忍耐力の代わりに自己顕示欲が肥大化して羞恥心が無くなっている・・・。

 武道や格闘技をやる人間は、やっぱり普通の人より気迫や闘争本能は有りますよ(それが空回りして困ったちゃんになっている人もいますが)。武道や格闘技を続けるには、第一に忍耐力が無いと無理。だから、やってる人は心が強くなりますよ。

 だから、私は武道やってる女性が好きですね~。カッコイイもん。さらに武術も体得してくれたらな~と思うんですよ。

 私が武術、護身術を推奨するのは、「暴力を許すな!」ということです。ガンジーの無抵抗主義は崇高な暴力への抵抗の意志を表明する手段としての“無抵抗”であって、もし、子供や老人が暴力に晒されているのを見たら、ガンジーはきっと助けに入ったと思いますよ。そんな風なことも発言してるみたいだし。

 だから、私は“徹底抵抗主義”でいたいと思います。力で脅されても「やれるもんなら、やってみろ」と言える人間でありたいのです。その意志を支える具体的なより所として武術修行には価値が有ると思っています。他人はどうあれ、私はそう有りたい。今の日本は幕末と似てるような気がするし、気骨の有る日本人が増えないと危険だと思うんですけどね・・・。(何か、国粋主義者と間違われるかな~?)


追伸;やっぱり起こったか?と思いましたが、またもナイフ持って暴れた男が警察官に刺又で取り押さえられたりしていましたが、今度は結構、てこずってましたね。刺又をちょいちょい突き出して威嚇するのは掴まれて逆効果になりやすいから、一気に挟み込んだほうがいいと思いますね。それと、やはり掴めないように鉄のトゲがついていたほうがいいと思うな~。あの刺又だと私だったら簡単に逃げてみせられるよ。後は、スルヂン(分銅鎖の長いヤツで琉球古武術最強の武器と言われる)を使って脚をからめることも考えたらどうでしょうかね。昔の捕り物具でも鉤爪の付いた縄を投げたりしていたでしょ?
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ヒストリーch『ヒューマン・ウエポン』は武術好きの人必見です!

 世界中のマーシャルアーツ(武術・格闘術)を体験的に紹介していくというドキュメンタリー『ヒューマン・ウエポン』が、ヒストリー・チャンネルで放送中ですが、これは素晴らしく興味深いものです。

 総合格闘家と、アメフト、レスリングをやっていた巨漢の二人が色々なマーシャルアーツを修行して、最後は試合する・・・という展開ですが、これまで、ムエタイ、空手、柔道、エスクリマ(フィリピン武術)、サファーデ(サバット。初代タイガーの得意技ローリングソバットの語源がこれ)、パンクレーション(パンコラチオンの現代版)、クラブマガと続いていますが、今後も軍隊格闘術とか色々やる予定らしい。

 ムエタイは、古式ムエタイやクラビ・クラボーン(棒や刀剣を使う武術)も紹介されていましたし、空手は沖縄剛柔流(友人にチョコッとだけ教わったこと有る)に上地流(以前、シダックスで講座が有ったので師範に挨拶だけしたこと有ります)、そして極真空手が・・・。

 柔道は最古の柔術“竹内流”まで登場するし、サファーデは謎に包まれていたステッキ術(噂には聞いていたけど見たのは初めて)まで紹介されていました。

 最後に対戦するという趣旨が有るので、中国拳法や合気道は派を選ぶでしょうが、色々紹介されると楽しいでしょうね。


 余談ですが、武道や格闘技を修行する人は、「実戦的なものを学びたい」と考えるのが常ですが、素手に限定されて技も禁じ手の多い現代武道や格闘技を学んでいると、この“実戦的”という言葉の定義があやふやになりがちではないか?と思うんですね。

 私が一番、「これでは実戦的とは言えないな~」と思うのは、ルールの問題ではなくて、“戦闘スタイルが同じ者同士で技を競う点”に有ります。この方式に慣れてしまうと予期しない攻撃に対処しづらくなるんですよ。

 昨年の今頃でしたか、セミナーに参加した人に、模擬ナイフで突いていくのを捌いて捕らえる練習をやらせてみたら全然できず、「私は実戦的な武道をやりたいと思ってこれまでやってきたんですが、ナイフ一本出されただけで何もできなくなるなんてショックでした」と感想を言われていたことがありました。

 この方はその後熱心に通ったので今は別人のようになりました。癖を抜くのに多少、時間がかかりましたが、一度癖が抜けると、以前やっていた武道の動きも見違えるようにレベルアップして蘇るものです。

 どうしてこうなるか?と言うと、形を固めて作った動きは、応用性が望めないんですが、身体を柔らかく練り込んで動けるようにすれば、過去に学んだ動作も身体が記憶していれば形状記憶合金みたいにピシャッと出せる。

 私もムエタイ風の回し蹴りなんて十年以上も練習していなかったのに、最近、やってみたら以前より楽に出せるから驚きました。威力も上がってるし、多分、ゆっくりしか蹴ってないけど、その気で出せばスピードも上がってると思います。

 一番練習してた29歳の頃より45歳の今の方が動きが良くなってるって不思議でしょ? 要は、全身を効率良く連動させられるようになったから無理なく結果的に動きの質が上がった訳ですよ。ただ、無理して維持していた身体の可動性は無くなったから、昔できたような高い蹴りなんかはできませんけどね。

 でも、私の体型と風貌で華麗なハイキック連発したらブキミでしょ? 今は掌法の方が得意だからいいや。回し蹴りはローのスイープキックとか、せいぜいミドルまでだね。

 付き合いの有る方が自身のブログでアキバの通り魔事件について「護身術は役立たないという証拠だ」という意見を書かれているのを読んで、正直、タイヘン、不愉快な気分になったんですけれど(よっぽど、ヤな武術家に何人も会ったんだね?)、でも、十中八九、普通に武道や格闘技を習っていても、ああいう通り魔的な犯罪者にいきなり遭遇したら対処できないのが現実であろうとは思います。

 実際、武道家や格闘家がナイフやピストルで簡単に命を失った例も有ります。

 でも、だからといって、私は「武術や護身術なんか学んでも無駄だ」という結論にはなりません。

 命を失うハメになった人達は「それはマズイよな~」というやり方をしてしまっているからであって、つまり、武術的な戦略思考法を体得していなかったに過ぎない。やり方を間違えなければ命を失わずに済んだ筈だと思うのです。

 論より証拠で、私、武術やってきたお陰で何度も現実に助かってるからですよ。間違いなく、やっていなかったら生きていないか、重大な障害負っているか、自殺してるかしてると思いますよ。

 通り魔に会ったことはまだ無いんですけど、ナイフ突き付けられたことも有るし、木刀で向かってこられたり、椅子でぶん殴られそうになったり、複数と相手したことも有ります。

 どうやったと思います?

 まず、ナイフで「アンタを殺しても外国に逃げれば平気なんだよ」な~んて脅された時は、平然とした態度で思いっきり軽蔑の眼差しで視殺しました。すると、相手はハッとした顔になって、(俺って、メッチャ格好悪いことをやってしまった・・・)という自己嫌悪に陥って俯いてしまいました。武道やっている人だったのでプライドが有るので有効だと読んで心理戦術をやった訳です。ビビって泣きを入れると思ったんでしょうね。生憎、そういう性格じゃないんで。でも、こういう相手のプライドを利用するやり方はラリってるヤンキーには通用しないでしょう。

 木刀のヤツは、わざと無防備にして振りかぶったところを入身して顎を突き上げて木刀を奪い取りました。椅子で殴りかかろうとしたヤツは、振り上げてる椅子に飛び蹴り噛まして椅子ごと蹴り倒しました。この二つの時は相手の攻撃を待たないで自分から先に攻撃してビビらせました。両方共にヤンキーだったので、より凶暴なやり方でビビらせたら向かってこなくなるのが解っていました。先手必勝!

 複数と相手した時は学生時代で酔っていたので、何故、そうなったのか?はよく覚えていません。多分、クラブの飲み会の帰りか何かだったと思います。相手も酔っ払った連中で5~6人以上は居たと思います。ただ、一番近くのヤツを捕まえて逆手に取って喉に三角絞めしたまま「こいつの腕、へし折るぞ!」とすごんで、やり過ごしたのだけ覚えています。酔ってたので他は本当に忘れてしまいましたが、「コイツ、あぶね~よ」とか言われたような気がします。

 私、顔の割りに意外とムチャする性格なんで、こういう真似も意識的にやることは有るんですが、ムチャしたのは全部二十代までです。

 三十過ぎてからは本格的に修行に専念したので、技を伸ばすことにしか興味が無くなりましたね。試合も経験して自分が大した実力でないのもよく解りましたから、必然的に、いかに争い事を回避するか?という戦術的思考にシフトしていきました。

 特に、私は最初に通った道場が戸隠流忍法でしたし、最も真剣に学んだのが中国拳法でしたから、最初からストリート・ファイト的な状況でいかに戦うか?という観点が原点だったんですね。

 だから、技は素手対素手の格闘はハナッから考えていないし、対武器、武器対武器を基本にして、そこから現代武道や格闘技の対戦状況にも応用できるようにしようとしているだけです。でも、基本は武器を使うことを前提にしています。

 本当に実戦を考えたら素手対素手で戦うなんて状況はほとんど有り得ませんからね。どんな人間でも、だれかを殺そうと思えば、刃物や首を絞めるためのロープとか用意するでしょう? スタンガンでリーマン脅して有り金全部奪った援交女子高校生とかいましたよね。

 日本人は、「空手は徒手空拳の武道」とか、「精力善用自他共栄」とかいった精神性を前面に出して教育し過ぎたためか、本来の武術としての戦略思考まで捨ててしまったのがネックになっていますよね。

「武道は礼に始まり礼に終わる」というのだって、単なるお題目じゃなくて、礼儀を尽くして恨みをかわないようにする現実的な対人心理戦術だったんですよ。

「他流批判、決していたすまじき事、これ肝要也」ってのは、流派間の優劣論とか安易に論じていれば悪気は無くとも恨みをかって攻撃されるのが判っているからですよね。

 これは武術やっている人達は当然、心得ていないと危ないんですよ。だから、私は勝負して勝てる計算してからしか批判しませんよ。戦略もたてずに意見するのは素人さんだけですよ。

 江湖に民主主義は無いんですよ・・・。

 どんなに格闘技に自信が有る者でも素手でコンビニとか銀行を襲うヤツはいないでしょう? 必殺カンフーを体得したチャイニーズ・マフィアの殺手(殺し屋)も実在するみたいですが、素手でどうにでもできる彼らでも暗器の類いは必ず持っているそうです。

 本来、武術は素手から棒から刀剣から槍、薙刀、弓、手裏剣と一通りの武器術は習練するものですし、医術も当たり前に学ぶんですよ。日本以外でもインドや中国の武術家は表看板で治療院やっていることが多いでしょう。

 例えば、手裏剣術って流派として残っているところは少ないでしょう? 根岸流と白井流くらいで、後は現代で作られた流派でしょう。

 これって、どうしてか?と言うと、手裏剣は裏芸として古流武術では割りと一般的に伝承しているんですけど、表芸じゃないから存在が忘れられがちだったという事情が有りますね。

 だから、古流の型の中には手裏剣を打つ動作が入っているタイ捨流とか、その源流の新陰流では刀を投げ付けてくるのを打ち落とすものとか有る。

 空手の型の動作も、武器を持つと意味が解る場合が結構有ります。釵術の型には釵を投げ付ける動作も含まれています。だから、釵は両手に一本ずつと、予備に帯にもう一本挿して、都合三本持つのが本当なんだそうです。

 中国でも暗器やピャオ、羅漢銭なんかの投擲武器はいろんな門派に伝承はしているけれど体系化はされていないようです。やっぱり裏芸だったんですね。

 私も、もちろん、研究過程では軍隊の野戦体術やナイフ術、ピストル術なんかも研究してきていますし、実際、実はナイフ使うのは得意なんですよ。でも、あんまりそういうのをやって見せるとドン引きされちゃうし印象良くないですからね。殺伐とし過ぎるし。

『ヒューマン・ウエポン』でも、クラブマガの練習でいきなりゴムナイフで滅多刺しにされてしまうシーンが有りましたが、想定練習していなければ、そうなるのが当たり前なんですよ。

 だから、先日、シダックスの“武術で護身術講座”ではナイフ術を指導しましたが、私の考えでは、まず自分がナイフ術をできるようになって、その長所と短所を覚えておけば、その制圧のやり方は必然的に導き出せる・・・という訳です。

 形で覚えてもダメなんですよね。かと言って、理合も考えずにやたらに自由にやり合って感覚的に対応しようとしても無理が有る。

 こういうところは武術は長い歴史の中で多くの歴代修行者が試行錯誤して工夫してきた技が伝えられているので、実はシステムが理解できると極めて実戦的な知恵が隠されていることに気づいて感動させられるんですよ。

 私、完全に自分だけで考え出した技なんか一つも無いですもん。

 殺気を察知して躱すというのも、やってるうちに鋭敏になってきて自然に発達するものですが、まずは五感を徹底して磨くべきでしょう。武道やってきた人は気合入れた瞬間、信号が出るから判りやすいです。素人のほうがよく判りません。そのうち、相手の気持ちを読む洞察力も発達していきますし、危機を予知するような感受性も出てきますよ。

 偶然は偶然なんですが、昔、深夜に近所のレンタルビデオ店に行っていたら突然、地震があって、ビデオがバラバラッと床にぶち撒かれるくらい揺れたんですね。揺れが止んでから慌ててアパートに戻ったら、もちろん、本棚の本はドサドサと落ちてるし、私がいつも寝てる万年寝床に壁に立て掛けてた槍の穂先が突き立ってるんですよ。

 ぞぞっとしましたね。あのまま寝てたら刺さって死んでたかも? 本当に、その時間帯はいつもはビデオ屋さんに行ったりしないんですけどね。急に行きたくなったんです。

 私、こういう偶然助かったことって多いんですよね。

 こういう危機察知能力って、ネズミだって猫だって有るんだから、人間だって有りますよ。有ると思っていれば自然に発達します。無いと否定していたら芽生えた感覚も自分で否定してしまうので発達を殺してしまう。だから発達しない。

 昔は、「いや~、あんな技は一生かかってもとてもできないよ」と思っていた技の大半が今はできるようになっちゃいましたからね。で、教えたら結構、誰でもできるようになるんですよね。

 武術というのは護身術として伝わってきたものですから、本来、使えない道理は有りません。使えないのは、使うことを考えて練習しないからなんですよ。

 だから、現代武道や格闘技が護身術にならないとすれば、護身術という観点で技を考えなくなっているからなんであって、専門的に考えて技や戦術を工夫していけば、「使えない」とは私は全く思いません。

 犯罪者だって人間ですからね。ビビって背中向けて逃げてる相手と、素手でも拳握り締めて立ち向かう意志満々の相手とでは結果は全然変わりますよ。

 アンドレ・ザ・ジャイアントだって無防備に棒立ちになっていたらナイフ一本で簡単に殺されるでしょう。

 諦めて天命だと思って殺されるのを選ぶ人には護身術は必要ないと思いますが、私は人事を尽くすほうを選びますけどね~。

 それに、女性や子供、老人が暴力受けているのを見たら、助けたいって思わない人は少ないでしょう? 助けられなかったら自己嫌悪で一生トラウマになりますよ。私はそっちの方が嫌だよな~。自分が暴力にしっぽ巻いて逃げ出すことの言い訳したがるヤツは軽蔑します。悔し涙を流すヤツが好き。だから、平和だの何だの理屈言って現実から目を背ける連中は大っ嫌い! 理不尽な暴力に蹂躙されて怒りを感じなくなったら、生きてる必要無し! 

「男なら理不尽な暴力に蹂躙されて生きるより、立ち向かって、戦って死ねっ!」

 言いたいことは、以上っ!

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『課外授業ようこそ先輩』で田中泯さんが・・・

 稽古会の時に、「今日の深夜にNHKの『ようこそ先輩』で田中泯さんが出る」と、会員さんが教えてくれたので、ワクワクして見ました。

 この番組は、何年か前に甲野ちゃんが出たんですけど、あのオッサンは真剣持ったまま小学校に入っていっちゃったからな~。

 私、思わず、「おいっ、そんなモン、持ったまま小学校に入っちゃダメだよ~。危ないよぉ~。スタッフ、誰か止めろよ~」と、TVに向かって思わず言っちゃいましたね。

 でも、泯さんが「こんちわ~」と教室に入っていき、自己紹介しながら小学生の反応を探っている様子を見ると、無反応でアクビしたりしている子もいて、困惑気味。

 しからば・・・と、ボディワークに入るとちょっと面白がる。子供は常に動いているとかしないとダメだもんね~。でも、少しやるとすぐ飽きるんだよね。

 で、ここで脱力して倒れたりするワークを見ると私の方が興味深かったですね。

 川での踊りを実演して見せた時の小学生の唖然とした表情は面白かったです。『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』の時も、インドネシアの人達が唖然として見ていたけれど、フツーにダンスと思って見ると衝撃受けますよね~。

「人間じゃないみたい」とか、「別人みたいで驚いた」とか言う反応から、「最初は子供で老人になって、それから目の見えない人になって・・・」とか、小学生の評論は意外と深いところ見てますよ。

 目隠ししての遊び、ゲームは、泯さんが踊りの稽古で指導している内容そのものなんでしょうが、視覚を遮断することで聴覚や触覚などが刺激されていくのは良い訓練になりますよね。

 で、モジモジして言うこと聞かない小学生を叱りつける泯さん。ビクッとしてシャキッとする小学生・・・。

 子供のご機嫌ばっかり取ろうとする人が多い御時世で、しっかり叱るところは偉いと思いますよ。最後はペチペチ小学生軽く叩いていたけど、あの程度のスキンシップでも「体罰だ~」って、問題視する風潮が有るから、子供が付け上がったりしますからね。

 今回、田中泯さんは「子供の頃はイジメられて独りで遊んでいた」りしたとか、泯と言う漢字の意味とか、脱力、感覚、即興、カッコイイ、カッコワルイといったキイワードがいくつか出てきて、非常に興味深く見れました。

 課外授業を受けた小学生は、「昔、こんな人を見た・・・」と、UMAと遭遇した話みたいにして語るのかも知れませんね。目隠ししての竹林の散策は、何やらジュブナイルの冒険物みたいな感じで心の中に残るかも知れません・・・。


 翌日、堤真一さんがお昼の対談番組に出ていて、オフは泯さんのところに行って酒飲んでるという話をしていたのも面白かったですね。堤さんは『地下鉄に乗って』のわずかなシーンで共演しただけで、もう大親友というか先輩みたいな感じで付き合われているみたいです。

 堤さんはお茶目ですね・・・。


 何だかんだと言いつつ、やっぱりNHKはいい番組作ってますね~。『ようこそ先輩』、久々に心に響くものが有りました。


追伸;今週の土曜日に池袋の文芸座で土方巽・大野一雄の特集オールナイト上映会があるらしいです。田中泯さんが今尚、憧憬の想いを持ち続けている伝説の前衛舞踏開祖、土方巽の貴重な映像が見られるチャンスですから、これは私も行きたいと思っております(最近、輸入版DVDが出回っている『江戸川乱歩劇場 恐怖・奇形人間』も上映されるよっ!)。
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ナイフを規制するより効果的なことは?

 アキバの17人殺傷通り魔事件に関連して、「殺傷にしか使えないダガーナイフを販売禁止にすべきではないか?」という論調が出ています。

 日本刀のみならずナイフも結構持っている私は、不思議にもダガーナイフは一本も持っていなかったんですが、美術品的なコレクションとして持つことまで禁止するのはどうなんだろうな~?と思いますね。

 ダガーナイフというのは、西洋の剣術の中に予備の短剣を二刀流みたいにして使う技術が有って、それに用いるナイフが両刃の短剣、つまりダガーなんですね。

 もっとも、洋の東西を問わず、この形状の両刃の短剣は世界中に見られます。

 フィリピノ・カリではダガーナイフを使う技が実に巧妙で、アメリカの軍隊ナイフ術なんかはこれを採用していると聞いています。

 日本は片刃の刀(語源もカタバがなまってカタナになった)が普及しているので両刃の刃物は無いみたいに思われがちですが、槍は両刃が普通ですし、サンカが用いたという説がある(捏造説も有力)ウメガイという刃物も両刃ですが、実際に両刃の短剣も少ないながら作られたりしていたんですね。

 最近は、ウォーレン・トーマスというナイフメイカーが、日本刀のデザインにインスピレーションを受けて、“ヨロイドウシ”という両刃の短剣形のタクティカル・ナイフ(戦闘用ナイフ)を作り、それが爆発的に人気が出て、多くのナイフメイカーが同様のものを作るようになっていました。

 こういうナイフは一品物のカスタムメイドなので、一本が数万円から数十万円もする高価なものだったんですが、タクティカルのダガーナイフはモデルガンを愛好する人にも受けていたみたいでしたね。

 だから、恐らく、何十万円もかけて入手してる人も結構いると思いますし、ナイフメイカーも挑戦している形状だったんですよね。これが販売禁止、所持禁止になるとガックリする人は多いでしょう。

 また、スローイング・ナイフなんかは基本的に両刃なんで、これも形状からすれば禁止されるかも知れません。困ったもんですね~。手裏剣の比較研究用に購入するつもりだったのに・・・。


 ところで、アキバの通り魔男が購入していたナイフは、そんなに高価なものじゃなかったですね。1~2万くらいで買えるものや数千円台のものでした。本物のマニアだったら、そんな安いナイフは使わなかったと思います。

 ただし、ナイフで刺す時に、下から斜め上に突き上げるようにして刺したというのは、殺人術のマニュアル本なんかにも書いてあるやり方なので、その手の本なんかは読み耽っていたのではないでしょうか?

 要するに、典型的なオタクだったのでしょう。

 オタクに特徴的なのは、自分の知識(でも、経験が伴わないから浅い)をひけらかす点です。そのために、わざわざナイフ専門店まで買いに行ったんでしょう。

 だいたい、ネットの掲示板に自分で実況しながら犯罪を起こしたという点に、津山30人殺しみたいに犯罪の歴史に残る事件を起こして有名になってやろうという屈折した名誉欲が感じられます。

 だけど、何でそんな外道な真似をして注目されたいんでしょうかね? 社会や親に文句を言ったり、「ブサイクだから女にもてないんだ」って、被害者意識ばっかりで、努力して自分を変えていくことを、何故、目指さないのか?

 単なる甘えん坊ですよね。一片の同情の余地も有りません。「生きてても意味無いんだったら、独りで勝手に死ねよ」って、私が友達だったら言ってあげますね。

 そりゃあ、私も若い頃は社会に対する不満や親に対する不満、女にもてないという残念感は有りましたよ。だけど、「必ず見返してやる」としか思わなかったな~。負けたまま終わるのは嫌だもん。

 この通り魔男の事情を知れば知る程、同情する気持ちは更に無くなっていきます。

 事件のきっかけになったという「ツナギが無かったのでキレて暴れた」というのも、いかにも自分が抑圧されているんだという被害者っぷりを周囲にアピールするために演技しただけだと思いますよ。

 こういうヤツって、常套手段でそういう猿芝居やるからね。もう、何人も見ましたよ。こういう自分の正当性をアピールするために他人に注目してもらおうと思って捏造して回る脳みそが腐ってるヤツが、武術・武道の世界にはかなり多いです。

 そして、必ず“大義”とか、そういうしょーもない思想を掲げるから阿呆か?と言いたくなります。

 それはそうと、2~3年前に町田の東急ハンズでフクロナガサ(剣鉈に分類されるようなもの)を買った時、店員さんに「これを見せてください」と言ったら、ギョギョッとしたように目を見開いて無言でタタターッとレジに行って鍵を持ってくると、慌てふためいてショーウインドーから出して、私に持たせることなく、そのまま袋に入れてしまいました・・・。

「おいおい、見せてくれとは言ったけど、まだ、買うとは言ってねえよ」と思ったんですが、買うつもりだったから、「まっ、いいか~?」と思って、そのまま買いましたけど、アレは明らかに警戒しまくってましたね。私って、時々、凄くあぶなそうに見えるみたいだし。

 でも、ナイフの規制を考える前に、この通り魔男は最初にトラックで三人ひき殺しているんですからね。そこは何も規制しようとかは思わないのかな?

 それに、ダガーナイフを禁止したところで、ナイフや包丁はどこの家にも有るんだし、あんまり意味が有るとは思えませんね。

 それより、ナイフを買う時は身分証明と住所氏名電話番号なんかを署名して登録するようにした方が、事件が起こった場合にすぐに特定できるからいいんじゃないですか?

 登録されてるのを自覚していれば心理的犯罪防止効果も有るでしょう? 「個人情報を漏らしたくない」と思うのなら、買わなきゃいいでしょ?

 日本刀の場合は都道府県の教育委員会に所持者が変わる度に所有者変更届けを出しますからね。

 しかし、根本的な問題は、こういう犯罪を起こそうとする人間の精神的未熟さをきちんとケアするような社会のシステムを整備していくことと、やはり、万が一に備えてセルフ・ディフェンスの意識を国民が持つように教育制度の中で護身術も教える機会を設けるのが必要だろうという点じゃないでしょうか。

 私はますます自分の仕事が世の中に必要なんだと感じるばかりですね。あまり良いことじゃありませんが・・・。

 そうそう。それと新聞で読みましたけれど、アキバの通り魔事件に関連してネット掲示板で犯罪予告した男が捕まったんだそうですね。

 だったら、小島さんも芦原会館に脅迫かけてるんだから捕まるんじゃないかな~? 個人的には警察でお灸据えてもらった方がいいと思いますけどね。あれじゃあ、言葉の暴力団ですよ。文筆業失格!(俺に言われちゃお仕舞いだけどね~)



 末筆ながら、今回の通り魔事件に巻き込まれた方々の御冥福を祈ります・・・。

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地震の威力に震撼

 朝寝して遅く起き、TVをつけてみたら震度6強の地震が起きていたのを知って驚きました。

 今度は岩手・宮城の方面だという話ですが、徐々に被害状況が知らされてくるに従って、背筋が寒くなりました。

 山が巨人に踏み潰されたみたいに目茶苦茶に崩れて道路が引き千切られたみたいに寸断されている様子を見ると、相当数の人が土砂崩れに巻き込まれて生き埋めになっているのではないか?と思えました。

 恐らく、被害実数はもっと増えるでしょうが、このような自然がもたらす通り魔みたいな災害は、本当に恐ろしいものだと思います。

 四川の大地震の時は、遠い外国の事件であって実感も薄く、買い物帰りに釣銭を義援金箱に入れるくらいが関の山でしたが、やはり日本で起こると近畿や新潟の大地震を思い出してしまいます。

 もう、どこで何が起こっても不思議ではない。

 首都圏は地震の巣と言われて、いつ地震が起こってもおかしくないと言われて久しいですし、小さい地震が起こる度に、「あ~、ついに来たかな?」と思うものの、さほどのことも有りません。

 そして、予期しないところで大きな地震が起こるのは、まさに通り魔的です。

 私は護身術の研究の延長上で災害後のサバイバル技術に関しても少しは研究していましたが、もっと本格的にやっておかないとダメだな・・・と、ニュースを見ながら痛感させられました。

 災害に巻き込まれた方々の無事を祈るばかりですが、どうぞ、「必ず生き残る」という強い意志を持って頑張って欲しいと思います。
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『地下鉄に乗って』を見て『隠し剣・鬼の爪』のデジャブーが・・・

 ここんところ、実は新しい本の原稿書きで忙しくしておりまして、終わったら田中泯さんの公演に行こうと思っていたのに、手間取ってしまって、結局、行けませんでした。

 ですが、先日、泯さんが出演していると聞いていた『地下鉄に乗って』をTVで放送していたので、原稿書きながら観ていたんですね。

 前にも仕事しながら観たこと有ったんですけど、ついつい、泯さんの登場シーンを観逃してしまっていたので、今回は注意して観たんです。

 SFと言うかファンタジーと言うか、不思議な作品でしたけれど、地下鉄のホームで主人公の堤真一が推定年齢80歳くらいの泯さんに出くわすところは、何か、ギョギョッとしましたね。

「ウワッ、出た!」って感じです。

 でも、その次に東京オリンピックの頃の壮年時代で出てきた時は、「ウギャ~ッ!」って感じでビックリしたの何のって、これは何なんだ?と思いましたよ。

 老人の時は本当に老衰して歩くのも億劫な感じだったのに、壮年時代になると背筋がビシッと立っていて40そこそこにしか見えないんですよ。しかも、達人風・・・。

 堤さんをはじめ、演技の上手い人ばっかり出演しているのに、この圧倒的な化けっぷりは一体何なのか?

 私、あまりにも驚き過ぎて、その後の作品内容をよく覚えていません。

 これはそうです。あの時とそっくりです。

『隠し剣・鬼の爪』で、主人公が剣の師匠を尋ねて秘太刀を教わる時の、あの泯さんの纏うオーラの凄さに圧倒されてしまって、そこしか印象に残らなくなってしまったのと同じです。

 いや、あの時は剣術を見せて動いてくれていたから、私的には納得が行くんですが、今回は、ほとんど何もしないで佇立しているだけなんですよ。

 これは演技で出せる役者はいないでしょう。ただ立ってるだけで百の演技論を破壊してしまう男・・・。なるほどな~。堤さんが憧れたのが解るよな~。

 あ~、仕事放っぽり出して公演に行くべきだったかな~?
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スピード水着について

 スピード社の水着を着けた途端、ほとんどの選手が飛躍的に記録を伸ばして日本新、世界新を連発してしまったことは、「スポーツのパフォーマンスを道具に頼るのはいかがなものか?」という論議をふっ飛ばしてしまいましたね。

 選手にとっては、少しでも記録を伸ばせるなら何でもやりたいというのが本音でしょうから、ここまでの明確な差が出てしまった以上、義理人情に縛られて日本のメイカーの水着を着けて試合に臨む人は、まずおりますまい。

 実際に、早々に日本のメイカー各社が選手の自由選択に任せる旨の会見をしたのは、スポーツ用品メイカーらしい潔さだったと思います。

 ですが、スポーツが記録競争になってしまえば、より速く泳げる水着の開発に視線が向いてしまうでしょうし、私は個人的に釈然としませんね。

 ウルトラセブンに、超兵器の開発実験で犠牲になったギエロン星獣が地球に襲撃してくる話が有り、復讐の鬼と化した星獣の猛攻にピンチになったセブンが、逆ギレしたように星獣の翼を引き千切り、アイスラッガーで喉首を切って黄色い血に塗れて空しい勝利を得る・・・という描写が有りました。

 ダンは、超兵器の開発実験を「血を吐きながら走るマラソン」と譬えて中止を訴え、上官も中止を決定します。

 これは日本的な対処でしょうね。自分達で歯止めをかけようとするのは外国の人には理解しにくい面が有るかも知れません。

 民主主義は市場の自由競争が基本原理ですから、革新的な商品ができたら、他社はそれを越えるものを開発することに躍起になる。

 今回はスピード社の独り勝ちになるでしょうが、改良精神の強い日本人は、必ずこれを超える水着を作るでしょう。

 しかし、そうしたハイテク水着に支えられたパフォーマンスを測定するのはドーピングを問題とするのとどれだけの違いが有るのでしょうか。

 スポーツは、フェアに競う点が基本である筈です。水着で差が生じるのなら、すべてを統一すべきです。


 さてさて・・・しかしながら、今回のスピード水着の話で武術研究家として興味深い点がありました。

 それは、この水着を着用した選手達が一様に「締め付けられてキツイ」と、着心地の悪さを感想としていた点でした。

 普通、着心地が悪ければパフォーマンスは悪くなりそうなものです。が、結果は大幅な記録更新となっています。

 スピード水着の秘密に水を弾く機能が解説されていましたが、この身体を締め付ける点にも秘密が有るようにも思えます。

 近年、緊張を緩めるリラックス効果については注目が集まっていますが、締める効果については顧みられていませんでした。

 水中を猛スピードで泳ぐ魚の身体は堅く締まっています。ヒレ以外の凹凸は少ない魚が多い。

 つまり、緩んだ肉は水圧の抵抗を生み出してしまうから、締まっているし、ヌルヌルした粘液に覆われているのも水中での摩擦抵抗を減らす意味が有るでしょう。

 そのうち、冗談でなくウロコ模様でヌルヌルした全身スーツ・タイプの水着が出るのではないでしょうか?

 そこまで行くとしたら、人工エラの着いた息づきしなくていい水着が出るのも時間の問題でしょうね。
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六月セミナー“軸”と、ちょっとオコゴト

 五月の脱力に続いて軸を用いた崩し技や打撃等をテーマにやった今回は、また初めての人が多かったです。

 私は真面目に学びたくて来ている人の邪魔になったら迷惑なので、腕試し目的とかそういう常識の無い勘違いしたバカは徹底して排除することにしています。

 今回のセミナーでは申し込み規定通りにしていない方もいて、規定通りに書いてくれとメールしても返事が無かったそうなので、怪しいと思い、「当日、確認しても隠すようだったら断ることにしよう」と、事務長と事前に打ち合わせしておきました。

 こういうのを厳しいと思う人もいるでしょうが、他人の家を尋ねて自分の名前や素性を言わずに上がろうとしたら警察呼ばれても不思議じゃないですよね。

 就職の時も自分の履歴を書いて出すじゃないですか? こういうのは礼儀以前の常識ですから、それをおざなりにしていたら、相手に「非常識な人間だな」という印象を与えて自分が損するだけです。

 今回は、特に他意は無い様子でしたから参加を許可したんですが、毎回、一人か二人は書かない人がいるんです。だから、こちらが不審に思う場合、当日、参加を断ることも有ります。

 教えているのが武術ですから、人は選びますよ。他所のセミナーみたいに金さえ払えば教えるなんてやり方はできません。

 そこまでやっても、「あんなヤツに教えるべきじゃなかった」と、後で後悔したりすることは何度もありますから、誰彼構わず教えたら、とんでもない犯罪者を生み出してしまいかねません。

 武歴を書いてもらっている理由は二つあって、指導の参考が一つ。もう一つは、隠していても自分が修行した流儀の特徴は身体のちょっとした構えや動きに無意識にも出る。

 自慢げにわざとやって見せる人は御愛嬌ですが、「あ~、この人、武歴には書いてないけど意拳やってるな」とか、「意拳だとこの受け方はしないから、太気拳だな」とか、隠していてもバレるんですよ。

 30年以上、いろんな流儀を見てきてますからね。私ぐらい沢山の流儀の技を見聞してきている人は、滅多にいないだろうと思います。なめてもらっちゃ困ります。

 だから、申告しているのと違う流儀の動きをする人が結構多いんですが、それもまた、「何で隠すのか? 知られて困る経歴が有るのか?」と疑念を植え付けるだけで損するのは全て自分なんですけどね。

 私が隠し事するのが嫌いな人間なのは察しがつくと思います。だから、正直な人には良くするし、偽る人にはこっちも隠して教えない。気づかないフリして観察したりします。

 だって、武歴を偽って習いに来るということは、私に対して嘘言ってる訳ですね。失礼でしょう?

 公開して欲しくないことだったら、そう言えばちゃんと守秘義務は守ります。仕事でやっているんだから当然です。

 けれども、私が武歴を申告することに拘るのは、場合によっては宗教がらみの場合も有るからなんですよ。

 例えば、オウム真理教の残党には中国武術の団体を装って活動している連中がいたそうです。中国武術の業界にはオウムに指導していた人もいます。実際、「実はオウムにいた」と告白してくれた人も過去に二人くらいいました。

 本当のことを告白するというのは勇気の要ることです。差別されるのを恐れて言えない人が多いでしょう。

 自分から言える人なら問題は無いと思いますが、隠したままであれば企みが有るってことでしょう? 悪用される可能性の有る人に教える訳にはいきません。

 また、統一教会系の武道団体(韓国系)だって有るし、カルト的な団体も結構有るんですよ。そういうところに所属している人には私は教えない。金出せば何でも教えてもらえるなんて思ってもらっちゃ困ります。

 それから、左翼活動家にも教えない。人を傷つけるのが判っているんだし、何らかの思想や理念を持っている人は、正義観から容易に暴力を正当化してしまうものです。

 理想の社会システムとされていた社会主義の国で、何故、人民が抑圧され逆らう者が拷問されたり殺されたりするのか? 理想の社会システムも、所詮、人間が運転するものであり、ファシストが上に立てば容易に独裁国家になり果ててしまうということです。

 人間を動かすのは理ではなくて、感情・欲望、そういう“想い”なんですよ。世の中を何とか良くしたいと思いながら、どんどんドツボに嵌めて行ってしまうのが政治家の王道パターンですよ。阿部さんなんかいかにも実直そうだったもんね。政治家には向いてないでしょう。

“想い”が人を動かすという点を認識した上での合理性を考えなければいけない。

 優れた武術家は、皆、想いが人を動かしているということを知っていますよ。だから、私は辞めないで続けてこれたんです。

 私が一番教えたいのは、かつての私みたいに理不尽な暴力に晒されて絶望の日々を送っている人。そういう人に「理不尽な暴力に負けるな。自分の人生は戦って切り開け」と、希望と勇気を持たせたい。

 武術は護身術であると共に“護心術”であるべきだと思っています。いや、そっちの方が理由としては大きいですね。


 今回は、セミナーが終わって喫茶店でしゃべっている時に、アキバの通り魔殺傷事件が起こったのを知りましたけど、今の武道や格闘技をやっている人は、現実にそんな事件に遭遇した時に対処するにはどうしたらいいか?なんか悩まない人が多いでしょう。

 つまり、自分が学んだ技を実際に使うことを考えている人は滅多にいないと思うんですよね。試合で使えるかどうかしか考えない。スポーツの発想ですね。

「それはそんなに悪いことなのか? 武術は戦えなくちゃ意味が無いのか?」って言う人もいますよ。実際に指導者クラスでも・・・。

 ハッキリと私の考えを断言しておきますが、護身の役に立たない戦えない武術は悪い武術です。ダメな武術です。無意味な武術です。

 そもそも、それでは武術とは言えません。

 アキバや茨城、戸越銀座の通り魔男や、かつてのバスジャック少年、あるいは急行列車の中で女性乗客をレイプした男とか、あいつらは別に大した戦闘能力なんか持ってない、むしろ、その辺のひ弱い男に過ぎない。

 精神を病んだ戦闘のプロとか、そんな相手ではないんですよ。叩き殺すつもりで立ち向かえば、多少の怪我は負ったとしても素人でも制圧してしまえる程度のヤツですよ。

 何で、そんなヤツがチンケな刃物振り回したくらいで、何人も殺されたりしなきゃならないのか?

 刃物は振り回していなかったけれど、私は何度か女性に痴漢したり暴力ふるってる男を見て「やめろっ!」って怒鳴って割って入ったことありますよ。

 で、大体、「何だ、このヤロー?」って、こっちに向かってきますよね。でも、割って入る時点で、もう“半殺しにしてやる気でいる”から、相手もこちらの気迫が尋常じゃないのに気づいてびびって逃げますよ。

 女、子供、老人を狙うようなヤツはミジンコみたいな気の小さいヤツなんですよ。だから刃物持ち出したりするんです。

 私はいつも刃渡り70cmくらいの刃物(日本刀)ぶん回しているから、あんなチンケな刃物見ても笑っちゃいますよ。急所刺されなきゃ死なないから、ハラ括って飛び蹴りかませば倒せるよ。

 私はだから、一度も手は出していませんよね。こっちは日夜、暴漢を殴り殺す研究しているんだから、そこらの兄ちゃんごときに負ける筈が無いと思ってるから、相手もヤバイと思うんですよ。

 だから、重要なのは暴力に対して怯まないで相討ち覚悟で立ち向かうことだと思いますよ。

 だって、私はそういう時のためにやっているんですよ。自分のためなら先に逃げたほうが良い。コンビニに暴走族みたいなのがタムロしてたら別の店に行きますからね。自分からは行かない。でも、抵抗する力も術も持たない人が暴力に晒されているのを見て見ぬフリはできないでしょう?

 男同士なら助けようとか思わないし、酔っ払いがケンカしてるのも無視しますけど、女性や老人、子供がやられているのを見て見ぬフリするような腐れ金玉野郎にはなりたか~ないですよ。

 暴漢を制圧する能力が有る人間が逃げていたら、誰が制圧します? 警察が来るまで待つ? その間に何人も犠牲になるでしょう。

 昔のヤクザは、そういう時に弱い人を助けたりしていたから尊敬されていた面も有りますよ。今は一方的に弱い者をイジメるから暴力団としか呼ばれない。

 武術って、修練する過程で、その覚悟を養うことに意義が有る。だから、戦えない武術を趣味として楽しんで練習することには全く何のメリットも無いのです。

 たわけた妄想話にうつつを抜かしていなければ特に害も無いかも知れませんが、それこそ毒にも薬にもならない単なる娯楽でしかありません。

「僕はど突き合いが楽しいんスよ~(あっ、そう。良かったね)」 それだけの話。

 中途半端な技なんか体得しても何の役にも立たない。命を護るのは技や術よりも先に意志が無ければならないんですよ。


 私は、そんな不合理な話をしてますか?

 セミナーの最後に、製作したばかりの日本刀で実演解説しましたが、これも、ちょっとでも気を抜くと大怪我してしまいかねない真剣を使うことで、「武術は覚悟を養成するものです」という点を皆さんに伝えたかったんですね。


 さてさて、今回は、敢えて苦言を書きましたけれど、参加者の御感想をお待ちしております。次回のセミナーは「読み」がテーマですが、これは武術に関心の無い人の参加はお断りします。かなり突っ込んだところまで解説するつもりなので、無用の長物にしかならない人には教えたくないからです。この点、お含みおきください。


追伸;アキバの通り魔は最初はトラックでぶつかってきたみたいですが、車に追突されてきた時に、横に逃げるヒマが無かったら、上に飛び上がってください。足が接地した状態でぶつかれば衝撃力は百パーセント作用してしまいますが、空中に浮いた状態であれば、ぶつかった衝撃を逃がして被害を最小限にできる筈です。この差で命が助かる可能性も有るでしょう。万が一の時に試してみて欲しいと思います。また、刃渡りの短いナイフを持つ相手には週刊誌やカバンや上着を楯にして、ベルトを引き出して相手の目を狙って弾くように振り出す戦法がお薦めです。やってはいけないのは、背中を向けて逃げること。視線を外すと危険です。今回は警察官も後ろから刺されてしまったみたいですね。闇雲に逃げるのでなく、まず犯人の位置を確認することが重要です。正面を向いて抵抗の姿勢を見せれば相手は必ず怯みます。犬や猫でもそうやりますよ。背中を見せて逃げた瞬間に襲い掛かられますからね。それに、周囲の物をガンガン投げ付けたり、やれることはいくらでも有りますよ。昔、池袋で通り魔が出た時は通行人が牛乳瓶のプラケースを楯にして立ち向かって数人で抑えたそうですが、今回もやる気が有れば制圧のチャンスは有ったと思います。それと、通り魔男はネットの掲示板に書き込みしていたそうですけれど、こういうのは劇場型の演技性人格障害が有ると思われますね。事件を起こして注目を浴びたいという欲望が有る。こういう事件はまだまだ続いて起こると思われますし、ネット上でケアするシステムも必要なんじゃないでしょうか。ナイフを規制したら包丁を使うだろうし、意味がない規制をするより犯罪を犯すような人間の精神面のケアをすることが重要ですよ。

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六月セミナー『軸』について

 五月のセミナーでは、脱力技法による合気・化勁の技についてやりましたけれど、六月は、「軸」の操作について講習していきます。

 脱力技法というのは、甲野さんが初期の頃に使っていた“フェードアウト(溶暗)技法”の基本原理だったんですが、軸の概念を持ち込んで、“井桁の術理”と言い出して以降しばらくの間使っていた技の原理になっていましたね。

 これは、合気道から大東流に近づいたようなものなんですが、実際に甲野さんが井桁の術理を発表する直前に大東流佐川道場と接触していたり、大東流六方会の岡本正剛先生と会っていたりするんですね。

 となれば、合気道の脱力沈身で重みをかけて潰す技法ではなく、大東流各派に共通する背骨(中心軸)を“斬り崩す合気”の効率の良さに着目してパクッたんじゃないか?という疑問も当然出てくるんですがね。

 前者は、重心点そのものを狙うのに対して、後者は軸を攻めることで重心点を浮かして崩す。直接攻撃でない分、まどろっこしいみたいに思うでしょうが、実際は身体の支柱である背骨を崩すことで体内にテコの原理を発生させて崩す・・・という点で、直接狙うよりエネルギーは小さくて済む訳なんですよ。

 五月の脱力技法の時は、二人ほど技がかからない人がいまして、しょうがないので逆技で崩す方法と、中心軸を斬り上げて崩す方法を使ったんですけれど、こうした技法は、どっちかが上であるという訳ではなくて、相手によって使い分けるべきだと考えています。

 ただし、止まって踏ん張っている相手を崩す場合には軸を斬り崩すようにした方が効率が良くて簡単なのは事実です。

 その意味で、「ガッシリと掴んで踏ん張っていたら技がかけられなくなった」として、「合気道に合気は無い」などと公刊本で断定して書く木村達夫さんや保江邦夫さんのような人もいる訳ですね。

 これは、タネを明かせば、ガッチリ掴んで踏ん張っている相手を崩すには中心軸を攻める大東流の合気が効率が良いのですが、柔らかくフワッと掴んだままスルスル動く技能的な相手に対処したりするには合気道のように体捌きで動きながらかける方が合理的なんですね。

 私が合気道の方が実用性が高いと評価したのは、動いている相手に対処しやすいからです。相手が踏ん張っていたら、無理に合気をかける必要はないでしょう?

 よく考えてください。

 ガッチリ掴んで踏ん張っている状態というのは、普通、武道では“居着いている状態”として、やってはいけない体勢、つまり、“死に体”なんですね。

 そういう体勢だったら、片手でぶん殴るか、膝蹴りをたたき込むか、パッチギかますかした方が簡単確実に倒せる訳ですよ。私だったら、「発勁打ち放題になってくれてありがとう!」って、バンバン打ち込んじゃいますよね。

 現に、大東流には本来は当て身技を食らわせてから技をかける手順があります。

 合気の使えない初心者だから当て身を使うのだ・・・と考える人が多いでしょうが、違いますよ~。馬鹿だな~。基本から実戦的な対処法を教えてくれてる訳ですよ。

 大東流の場合、合気の技能が高まるに従って、基本技の質が上がって当て身と合気が融合していくことを狙っている・・・と考えるべきですよ。

 だから、稽古で傷つけないために当て身を入れずに済ましているだけで、そこを見落として状況設定の中で居着いている相手に合気の崩しをかける訓練ばかりやっていても実戦には通用しないだろう・・・ということなんですよ。

 当て身に合気が融合すると、そのまま浸透勁の打法になる。すると、打っているようにははた目には見えない。

 大東流は武田惣角が体系化された教授システムを確立してはいなかったと考えられ、無数の応用変化技としての固め技ばかりやってみせていた様子です。肝心な戦闘理論は隠して教えなかったんでしょうね。武田惣角らしいですよ。

 従って、伝統的な武術流派として体系化したのは、佐川先生はじめ少数だったのではないでしょうか?

 現代に伝承している多くの古武術流派でも、本来的な意味で体系化された流派は少ないでしょうし、異質な流儀を別々に練習している人(合気道と空手・柔道とボクシング等々)は多いと思いますが、それら全てを統一原理で纏めている人は非常に少ないと思います。

 私は、交叉法を学んでから直感的に「これだっ!」と思って研究して15年くらいになりますが、間違ってはいなかったんじゃないかな?とは思っています。

 中国武術・空手・合気・古流柔術・剣術・・・等が、全て、交叉法の理合で統一できてきたからです。

 そんな交叉法を理解するための概念としても、「軸」の考えは非常に汎用性の高いものですし、中心(芯)軸・(左右)側軸のみならず、縦に通す軸は無数に想定できますし、横にも斜めにも軸を想定することで技のパターンが無数に広がってくる・・・。

 この軸の考え方は伊藤昇先生がかなり研究されていた様子ですし、伊藤先生の弟子であった甲野氏が「身体が割れる」という表現で説明したかったみたいです。

 伊藤先生が側軸の概念について発表した時は、高岡英夫さんから「それは私の理論だ」というクレームが来たそうなんですが、するってぇと・・・『常足』にも文句つけたのかな~? 私のところにも、まだ文句つけてきてないな~?


 しかし、実体としての軸なんてものは無い訳で、あるのは全て“想定された線”に過ぎないんですね。

 逆に言えば、そんなものは無いんだから、勝手に“有る”とイメージして自由に設定すればいいんですよ。

 一番スタンダードな背骨に沿った中心軸に、肩と股関節を繋いだ左右の側軸、相対した時の自分と相手の中心軸を合わせるとか、いろんな使い方ができるという点では、脱力技法のように皮膚感覚に頼らず、イメージで想定する“脳内感覚”の問題なので、イメージ力に秀でた人が体得しやすいでしょうね。

 脱力技法の場合は接触して圧力の方向を探って崩れる位置を皮膚感覚で察知していた訳ですが、軸というのは、観た目で傾き具合をある程度は測れるんですよ。

 だから、崩し技なんかは連続写真で観ると技の構造が解析できたりする訳です。これも軸で考えると解りやすいんですね。

『オーラの泉』に出てた榎木孝明さんも、軸の操作で相手を崩す技をやってみせていましたけれど、甲野氏に習ったのかも知れませんが、ずっと教えてうまかったですよね。


 ただし、軸が観えない人もいるので、あまり頼り過ぎると騙されてしまう場合もあるんですよ。どう見ても弱そうなのに、手を合わせるとベラボーにできる人とかいるんですよね~。私は、そういう人の方がカッコイイと思うんですけどね。

 何にしろ、軸について考えていると、武術の技能アップに留まらないいろいろな分野に応用が利くと思います。

 そういう意味で、極めて実践的な内容になるでしょうから、今度のセミナーに限っては、武術に興味の無い人にも役立つんじゃないかな~?と思っています。 


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武術理論・第四の男?

 いつもお世話になっている会社の営業の人と、久しぶりに電話で話をしました。

「長野さんは、甲野・高岡・宇城に続く、“第四の男”になってますよ(笑)」と茶化して言うので、「またまた~(笑)」と応えていたんですが、「いや、マジでそうなりつつありますよ」と言うので、何ソレ?と思ったんですがね。

 何でも、書店回りをしていても、甲野さんや高岡さん、宇城さんの本が売れなくなってきているそうで、「一番、売れてるのは何ですか?」と聞くと、「これですね」と、私の本を指さされるそうなんです。

 DVDも売れてるみたいだし、甲野・高岡・宇城といった先生方は、マイナーな武術・武道・格闘技の世界からメジャーな一般向けを狙って勝負しているから、むしろ、武術・武道・格闘技の世界ではブームが去りつつある?ということなんじゃないでしょうか。

 でも、武道書のコーナーで人気が無くなったとしても、世間一般で売れているのなら、売上はむしろ伸びているかも知れないし、どうなんでしょうね~?

 正直、私が本書いているのは生活のためなんで、沢山売れて印税が入ってくれたほうが嬉しいんですけど、それが武道書という限定領域での人気に過ぎないんだとしたら、将来性は望めないでしょう。

 チャンプや学研から創刊された中国武術の専門誌が、一号だけで未だに出ないというのは、売れ行きが伸びなかったから出せないということでしょう?

 この出版不況の時代には、一度でも売れなかったら、次は望めないという厳しい現実が有る訳ですよね。赤字覚悟で続けていこうというのは志しの問題なんですよ。

 だから、第四の男?として注目してもらったとしても、一発屋の芸人的な感じで人気が出ても意味が無いと思っていますし、もっと普遍性の有る武術研究の業績を確立して遺したいんですね。私の希望としては・・・。

 だから、流行り者みたいなのは勘弁してくれって感じですよね。

 それに、私は甲野・高岡・宇城先生方と決定的に違う点があって、それは、「ナルシズムに浸り切れない」ということです。「俺様最強!」みたいな妄想パワーは無いですよ。

 そういうタイプの人は、『秘伝』に登場する先生には居るんじゃないかな~?

 やっぱり、チャレンジャーの時って活力が有るじゃないですか? それが地位が確立されると安定を考えてしまうから面白みが無くなってくる。

 確かに、私も甲野・高岡・宇城先生方の本は、もう読まないんですよ。面白みが感じられなくなったからですね。

 やっぱり、「江戸時代以前の日本人は動物性タンパク質は摂取していなかったんです」とか、「テレポーティションは朝飯前。一秒間に40発パンチが打てる」とか、「身体の内面を高速化すると腕が伸びる」とかタワ言をほざいてくれていた頃が、一番、面白かったですよ~。

「江戸時代以前の日本人は魚食わんのか~い!」
「テレポーティションとか秒間40発パンチ打つって、お前はドラゴンボールの孫悟空か~い!」
「内面を高速化すると腕が伸びるって、お前はピッコロ大魔王か~い!」
・・・と、ツッコミ入れられたから・・・。

 何か、パンチの効いたシャレを書き散らしつつ、でも、「いいこと言ってるな~」みたいに感心しちゃったりする?みたいな文章スタイルを確立しようと、私なんか随分、努力してるんですよ~?(ゴメン。嘘ついちゃったよ・・・)

 セミナーの前日なんか、徹夜でギャグのネタ考えてますもん(技は考えないのね?)。

 真面目腐って教えていると、ど~も、技のキレ味が悪くなっちゃうんですよね~。気持ちの問題というのは大きいんですよね~。

「大した問題じゃない」なんて言ったヤツいたんだけど、解ってないな~・・・。

 人間の行動原理は感情が大方を占める。つまり、気持ちの問題なんですよ。はい、これ重要ですよ~?
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訂正とお詫びのお知らせ

 甲野善紀氏の批判論中、「誤解を与える可能性があるので」ということで、無冥流手裏剣術研究家の鈴木方山先生から訂正の御意見をいただきました。

 他の人から聞いた伝聞とゴッチャになってしまっていたみたいで、確認を怠り独断で書いてしまいまして、鈴木先生には大変、御迷惑をおかけしてしまいました。誠に申し訳ありません。衷心よりお詫び申し上げます。

 当該箇所の事実関係に関しましては、鈴木先生からいただいたメール文をそのままホームページに転載させていただきましたので、御確認いただけると幸いです。



 早速、鈴木先生にはお詫びの電話を致しましたが、最近、御無沙汰して失礼してしまっておりましたので、図々しく一時間近くも話し込んでしまいました。

 甲野氏のこともともかく、「武術・武道をやる人間は常識が無さ過ぎる人が多いですよね~」という話から、「武術家・武道家を自称している人間は、“俺が一番”的(自己愛性人格障害)病があるから、冷静な技術論なんかムリですよ。独善的且つ排他的な考えを押し付けてきた揚げ句に、こちらが納得しないと強圧的になっていくだけだから、付き合わない方がいいですよ」という体験的アドバイスを申し上げました。

 それから、自称武術家?のストーカー的嫌がらせの実例なんかも話したりして、本当にヤな業界だな~と・・・。



 そうそう。この際ですから、私の手裏剣術の師伝について書いておきますね。

 まず、甲野氏に習ったのが最初で、甲野氏自作!の根岸流型の手裏剣を一本貰ったりして、田舎に帰省した時に庭で段ボールを的にして練習したものでした。

 余談ですが、甲野氏と対談本を出した『バガボンド』の井上雄彦さんは、同作中で吉岡清十郎に根岸流型のロケット型手裏剣を使わせていましたが、あのタイプの手裏剣は江戸時代後期に根岸松齢が工夫したものなので、この時代には無い筈なんですね。根岸流の源流である松林蝙也斉の願立流の手裏剣も針型だった筈ですからね(せっかくの名作漫画なのに甲野氏のハンパな影響でミソがつくのは嫌だな~)。

 ちなみに、甲野氏に貰ったこの手裏剣は、ある武道具店で手裏剣製作の相談をした時に参考品に預けていたら、そのお店が閉店してしまって行方不明になってしまいました。

 何だか、私、甲野氏には随分、良くしてもらってたんですよね~。やっぱり、ちゃんと御礼参りに行かなくちゃな~・・・アレっ? 「御礼参り」って・・・意味が違う?

 そもそも、甲野氏に習った当時は、「手裏剣を教えたのは二人目だよ」みたいに言っていました。当時、ほとんど誰も興味を示さなかったので独りで稽古していたそうです。

 まあ、20年くらい前ですからね。

 それも、古武道大会で根岸流の演武があった時に、ほとんど刺さらずに会場に気まずい雰囲気が漂ったという話を甲野氏に話した時、「それは根岸流の名誉のために私がお見せしましょう・・・」なんて言って、甲野氏が自分からやって見せてくれたんですね。

 実際に甲野氏から学んだ当時、私は懸命に練習しましたが、いくらやってもロクに的に刺さらず、初めて刺さったと喜んでよく見たら、何と、お尻の方から段ボールに刺さっていてガッカリしたものでしたよ。

 それでも一万回を超えるくらいから、三回に一回くらいは刺さるようになって、調子が良くなると十回に六~七回くらい刺さって、「よし、コツが掴めたかな?」と思ったら、また全然刺さらなくなる・・・といった繰り返しでした。

 そんな程度から一向に上達しないので、「俺は手裏剣は全然向いてないんだな~」と思って、あまり練習しなくなっていたんですね。

 同時に、「こんなに難しいんじゃ、根岸流の宗家が古武道大会でほとんど刺さらなかったのも無理ないや」と思いましたし、「一本も刺さっていない凄い手裏剣術のビデオがある」という話を聞いたことがあります(本当だったら、そんなビデオをよく出したものだと思いますが)。

 また、古武術の研究をしている人から「手裏剣というのはこうやって打つんだ~」と講釈した揚げ句、打ってみせてくれたら全然刺さらず、「アレッ?・・・アレッ?・・・」と何度もやって、結局、刺さらず。「うわっ、俺より全然、下手やんけ~?」と、呆れてしまったこともありますが、要するに、それくらい難しいってことで、ちょっとでも慢心があったり精神的に緊張していたりすると、途端に刺さらなくなるんですよ。

 だから、「甲野氏も手裏剣だけは上手いな~。剣術も抜刀術も体術も、その他は全部、史上最低の駄目っぷり(悪口に思える方は甲野氏の批判論をお読みください)だけど・・・」と、今でも思っている次第です。

 ですが、手裏剣術の専門家からは「あんなのはダメだ」という意見を頂戴したこともあり、その方の映像も拝見しましたが、確かに優れた業前だとは思いましたが、甲野氏より格段に実力が上?という目立った差のある印象は、正直、受けませんでした。

 私みたいな下手くその個人的見解ですから、恨まないで欲しいんですけれど、ただ、手裏剣の実戦性を声高に主張されるのには閉口させられたのが偽らざる本音で、喧嘩になるのが目に見えたので「付き合わんとこう」と思いましたよ。悪く思わないでください。

 そんな訳で、私は甲野氏以外に手裏剣術を直接学んだ人はいません。が、それ以外には、武道医学のサイード・パリッシュ・サーバッジュー先生と、桜公路一顱先生の武術を伝承する拳志会の岡林俊雄先生、それに不二流体術先代宗家の田中光四郎先生から、手裏剣術のコツについて一言二言伺った程度です。

 映像で参考にしたのは、芦原英幸先生と、“若山富三郎先生”ですね。

 芦原先生の手裏剣術は、極真空手のドキュメンタリー映画や、ビデオ『スーパーテクニック芦原空手』の中で演武されているシーンがあります。

 若山先生の手裏剣術は『唖侍・鬼一法眼』『賞金稼ぎ』『御金蔵破り』シリーズで何度も見返して、打つフォームやタイミングの取り方などを研究しました。

 これらは見る機会がほとんど無いと思いますので、千葉チャン主演版の深作監督の撮った『魔界転生』の中で回想シーンで幼い十兵衛に稽古をつけていて手裏剣で息子の片目を潰してしまう柳生但馬守を演じる若山先生の手裏剣術を、ご覧アレ!

 芦原先生も若山先生も刃先を手首側に向けて持つ“反転打法”を使っていましたが、これは投げナイフなんかでよく使う打法で、剣が一回転して刺さるので、剣先が刺さるように距離を測るのが難しいのですが、遠距離を打つには向いているとされます。

 一説に、芦原先生は遠くの敵を倒すのに手裏剣を独自に研究したそうで、打法も野球のピッチングと同様で古武術的な打法ではありませんから、恐らく、ほとんど独学で工夫されたのだろうと思います。

 若山先生は、悪役俳優の~~昌平さん(あ~、宮~さんだったっけ? チェンジマンのギルーク指令を演じてた人ですよ)の手裏剣を見て「俺にも教えろ」と言ったとかいう話もありますが、それにしては上手過ぎます。

 一説に、子供の頃に忍術の先生に習っていたそうなんですが、忍術の先生と言うと甲賀流(南蛮殺到流拳法等々)の藤田西湖に習った?という可能性が考えられ、それなら白井流の手裏剣術を学んだ可能性があり、白井流は直打法と反転打法を使い分けるので、こっちの方が可能性がありそうです。

 若山先生は勝新太郎の実兄ですが、天才役者勝新の影に隠れて売れない時期があり、その頃にいろいろな武術流派の門を叩いて技を磨いていたそうで、元々が柔道の道場を開こうか?と思うくらい柔道の実力があった上に、剣術・居合術・杖術・空手・合気術等、ほとんど総合的に武芸百般に通じていたんですね。

 その実力は日本より、むしろ海外で評判になり、マーシャルアーツ・ムービースターとして認知されている訳なんですよ。事実、居合術の上手さは、全国の居合師範と比べてもず抜けていて神技のレベルですよ。順手のみならず逆手抜きでも勝新座頭市に劣らないし、三尺の長剣を速抜きする実力は驚異的です。

 おっと、話がずれてしまいましたね。

 そんなこんなで、私の手裏剣術のレベルは十数年間、ほとんど上達の見込みが無かったんですが、四年くらい前に鈴木先生から御著書を贈呈していただき、これがまた技術理論書として非常によくできた本でした。

 一読して、書かれている通りに“畳針”を打ってみると、軽くて一度も刺さったことのなかった畳針がピシッと的に刺さるではないですか?

 エエッ?と思って、二度、三度と打ってみると、冗談みたいにピシッピシッと刺さります・・・嘘みたい・・・。

 自分でも何故、いきなり刺さるようになったのか信じられません。

 試しに、ちゃんとした?手裏剣で試してみましたが、これも問題なく刺さります。本を読んだだけで、何年もろくすっぽ練習してこなかった手裏剣が、いきなり刺さるようになるなんて、驚きを通り越して夢物語ですよ。

 以前から、「武術の技は、訓練によって体得するものじゃなくて、あくまでも本質はコツを知るか知らないか?の問題なんだ」と考えていたものの、自分には才能が無くて向いていないと思い込んでいた手裏剣術にも当てはまるとは夢にも思いませんでした。

 それから、鈴木先生の著書と首っぴきで手裏剣術の研究を再開しましたが、どんどん上達していくのが解りました。

 何しろ、2~3m離れて十回に三回刺さればマシな方だったのに、ほとんど刺さるようになっただけでも驚きで、右手、左手での上から、下から、横からの打法でも刺さるようになってきたのです。

 しかし、「重い手裏剣で稽古すべき」と書いてあるものの、私は軽いものしか持っていませんでした。

 そして、その軽い手裏剣で稽古している最中に、鈴木先生からまた荷物が届き、開けてビックリ! 自作の手裏剣を数本、「研究用に使ってください」と贈呈していただいていたのです。

 それで狂喜して稽古に熱中したのは、言うまでもありません・・・。

 この贈呈品の手裏剣は、『武術のシクミ』でも紹介していますが、これまで私が使った手裏剣の中でも最も機能的に優れていると思いますし、新体道の青木宏之先生が自作された手裏剣と偶然にも酷似した形の物もあったということを青木先生のお手紙に書かれていました。

 そんな訳で、現在の私の手裏剣術の師匠は、実質的に鈴木方山先生という次第なんですけれども、実は未だに一度も直にお会いしたことがないんですよ。

 私もちょっと忙しくなってきたから、お会いする機会を失して御無沙汰してしまっているのです。

 けれども、近距離なら重い手裏剣三本を片手で一度に打てるくらいになって、手裏剣を武術として研究できる水準になれたのは、鈴木先生の御厚情以外の何物でもありません。


 武術の研究をやってきて痛感するのは、「武術の技や知識を研究する人はざらにいるけれども、武術の理論を研究している人は極めて少ないな~」という点であって、その意味で鈴木先生の手裏剣術研究は極めて理論的で流派の枠組みに捕らわれていない点が画期的だと思っています。

 許されるなら、もっと広く御紹介したいところなんですが、手裏剣という武器の性質と、鈴木先生自身が「自分は研究家なので・・・」とのことであまり表に立ちたくないそうなんですね。

 理論的な研究を怠るから、結果的に流派の優劣論に陥ってしまい、夜郎自大な自惚れた考え方に縛られてしまって、自分の足元が見えない武術気違いになり果ててしまうのではないか?とも思えるのです。

 私は、武術・武道が大好きですが、武術家・武道家と自称している人達の大半が大っ嫌いです。

 人間的に尊敬できる人が少ない“威張りん坊さん”ばっかり。何か、勘違いして自分が特別な存在ででもあるかのように自惚れているのが、謙虚そうに振る舞ってみせる裏からプンプン臭って、鼻持ちならないのです。
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開運ブームには注意しましょう

 開運商法が問題になっているそうですね。

 社会に蔓延するいい知れない不安感や閉塞感から、占いやスピリチュアルのブームが続いているのに便乗した詐欺商法だと言えるでしょう。

 もっとも、私も占いは大好きだし、神秘的な事柄には興味津々な人間なんで、開運グッズとかは結構買っちゃうんですよね~。

 ただ、やっぱり金額の問題ですよね。宝くじ買う時も数千円止まりだし、何万円もかけようとは思わないですよね。

 健康雑誌なんかも最近は開運に関する記事が載るようになってきて、「神頼みでも効果があればいい」という御利益主義の考え方が増えてきているんだろうな~?と思います。

 確かに運勢というのは有るんじゃないかな?とは思います。

 私がやってきている武術研究に関しても、まさか仕事として成立するとは思いもよらなかったですし、20年を越える貧乏生活を乗り越えてこれたのも助けてくれる人が次から次に現れたからだとしか思えません。

 絶対に、私独りの力ではどうにもなりませんでした。我ながら奇跡的だよな~?と思いますよ。

 よって、私は自分が武術の研究をするために存在させられている人間なんだという運命論的考えでしか解釈できなくなってしまったんですよ。

 本当はバカ映画についてテキトーなコメントを書いて印税儲けるフザケタ人生の方がいいよな~と思うんですけど、当面、そうなる見込みはありませんね。

 やっぱり、人間は適材適所というのが有るんだと思うんですよ。

 だから、自分の向いてない仕事をやろうとしていたり、そういう場所にいたりすると、やることなすこと、うまくいかない。運気が悪くなるって、そういうことじゃないですかね~?

 で、開運というのは、自分のやりたいと思うことをやるのが一番だと思う訳ですよ。

 それが自分に向いていれば、続けられるし、続けていれば、いずれは一人前になるものですよ。

 逆に、向いていないことは、まず、続かないですよね。いくら好きなことでも向いてないことって不思議に妨害が入って続けられなくなるんですよ。

 で、ここが重要な点で、トラブルが発生することは、“軌道修正”を促すお知らせだってことなんですね。

 トラブルが起こった時に無視してゴリ押ししようとすると、次に更に大きなトラブルが押し寄せる。この連続なんですよ。

 うまくいかないということは、問題があるからなんです。そして、いくら問題を改善してもうまくいかない場合は、向いていないということなんですよ。これは、必ずしも好みとは一致しません。恋愛と一緒ですよ。

 逆に、向いている仕事は、スイスイ進みます。自分の向いている仕事が見つかった人は幸せですよね。

 だから、自分が興味のわいたことは取り敢えずやってみる。向いていなければ続けられません。向いていればアレッ?と思うくらい順調に進みます。トラブルが起こっても助けが入ったりして乗り越えられるし、むしろプラスになるものです。

 開運商法に頼る人は、自分の立ち位置に不満があったり、トラブルに脅えていたりする人が多い筈ですが、そういう人達を食い物にしようとするのが悪徳商法であり、幸せは金で買えないものなんだという当たり前の真理をちゃんと弁えておきましょう。

 勘違いしている人が多いですが、詐欺師は美しい言葉で装い、おいしい話をちらつかせるものなんですよ。世の中、そんな甘いもんじゃありません。

 心地よさ、優しさだけを求めるのが開運の鍵だと言う人もいますが、よく考えて欲しいのは、それは自分の都合でより分けているに過ぎないんですね。自分にとってプラスかマイナスか?という判断は、欲得によって変化するんですよ。

 以前、会員から「先生は心が強いですね~。そんな貧乏で将来の見込みもないのに、よく自殺しないでやってこれましたね~」と、言われたことありますが、確かに若い頃から老後の心配するような小心者だったら、とっくに自殺してるかも知れませんね。

 実際、不安だったり恐怖だったりは感じているんだけど、どこか芯の部分で「俺は何か歴史に残るような大きな仕事をやれるんじゃないか」という漠然としつつも確信に近いような妙な予感があったんですよ。

 だから、目先のことは気にならなかったんですよね。貧乏と挫折は人並み以上に体験してきていますけど、やっぱり試練だったんじゃないのかな~?と思いますね。だって、一つもマイナスになってないですからね。

 自殺する人達なんかは、目先の不幸に心が押し潰されてしまう前に、「あ~、この仕事は私に向いていなかったんだ」とか、「この人は私とは合わない」とか・・・視点を変えて考えれば心の平安は脅かされずに済む訳ですよ。

 先日、女子アナの某さんが自殺しましたね。役者さんなんかも自殺したりする人がいますけど、華やかな世界で商品価値が試される場にいると、常に第一線でやっていなければならないという焦りも出てくるんでしょうが、他人に評価されることと自分自身の評価は別物なんですからね。

 もったいないですよね。「自分はこうあるべきなんだ」と考えるのは傲慢でしかないんですよ。

 人間は、早いか遅いかは別にして誰でもいずれは死ぬんですよ。逆に言うと、それまでは生きていくべきだし、いかに人生を充実したものにできるか?と考えるべきですよ。

 自分から死ぬというのは一番、やっちゃいけないことなんだろうと、思いますね。

 完全燃焼し切って人生をまっとうする・・・その日々の積み重ねが一番の開運だと思うんですよ。それを抜きにして金がどれだけ入ったって、空しいんじゃないかな~?

 むしろ、金が無いと安心できないというのは、それだけ自分の人生を充実して生きていない証拠なんじゃないですか? そこに悪徳商法が付け込んでくるのは、貴重な教えですよね。

 私の場合、悪徳商法に取られる金は最初から無いし、かといって、無形の財産は頭の中に貯め込んでますからね。知識と技術が私の財産。これは毎日貯蓄額を増やしていけるスグレモノですよ。

 どうです? 長年の貧乏生活も無駄にはしていませんよ~。
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ストアハウス公演『Boxes箱』感想

 毎月一回、日曜日にセミナーでお借りしている西武池袋線江古田駅前のストアハウスは、ストアハウス・カンパニーという、一口に演劇・コンテンポラリーダンスとも分類できない前衛的な身体表現劇を発表されている劇団が主宰されているフリースペースです。

 以前、初めてセミナーをやる時に当時の事務担当者が見つけてくれて、それ以来、料金的にも交通の便を考えても非常に利便性の良いところなので、もう数年にわたって使わせてもらっています。

 昨年末の自主映画時代から付き合いのある友人の忘年会でも、「えっ、長野さんはストアハウスでセミナーやってるんですか?」と、芝居関係の友人が驚いていました。

 どうしてか?と申しますと、映画や演劇の関係者の間では知る人ぞ知る場所だったからなんですね。

 いつも、お借りしているのは4Fの稽古場なんですが、その上の5Fは劇場になっており、大抵、どこかの劇団の公演で埋まっているんですが、今回は主宰劇団の公演が開催されました。

 実は、昨年、観せていただいた時は、ちょっと衝撃が強過ぎて、芸術表現としては論議が起こるんじゃないかな~?とも思ったんですね。

 かつての暗黒舞踏系ならアリかも知れませんが、それでも海外公演だと難しいだろうな~?と要らぬ世話まで考えてしまったんです。

 ですが、今年は縦長の木箱を使って演者が目まぐるしく様々なオブジェを作っては壊し、また作っては壊す・・・という極めて現代思想的なアプローチで、目を見張りました。

 橋・ビル・門・足場・階段・・・へ、次から次に姿形を変えていく木箱の連結による演技は、子供が積み木で遊ぶようなものを、深夜に小人が出てきて遊んでいるか?のような不思議な感覚とも思わせます。

 が、単純に見ていても、一時間半にも及ぶ時間を、ほとんど休憩も無しに歩き、動き、走り、跳び・・・と動き続ける演者の運動量だけでも極めてハードなものであり、特に、卓越したバランス感覚と、動いている最中にぶつかり合わない群体運動の様子には舌を巻きました。

 これは、一体、いかなる訓練を重ねてきたのだろうか?という点だけ考えても、驚異的なのです。

 一見、アドリブで動いているように見えても、緻密な数学的計算が無ければ、これはとてもできないだろう・・・という風に思えるし、身体的にもきついでしょう。

 公演終了直後、後ろの観客が唸るように「スゴイ・・・」と、漏らしていました。

 それにしても、このストーリー無き記号だけで表現していく演劇のアイデアは、どこから発想されたものなんだろうか・・・という、今回は「驚き」の一言だけが全身に染み込んだ公演でした。

 今後も海外公演などされていくそうですが、機会があれば、是非、一度、ご覧になってみてください。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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