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DVD追加撮影やりま~す

 自主製作DVDの撮影した分がやはり量的に足りなかったらしく、追加撮影することにしました。

 日時は、8月31日の午前11:00~午後2:00に、江古田ストアハウス4Fの稽古場をお借りします。定期稽古会を兼ねてやりますから、会員の方はどなたでも参加できますから、日頃、中々来れない方も是非、どうぞ。


 ところで、先日の新刊本用の撮影の時に、薙刀vs大太刀をやってみたんですが、あまりに重過ぎて、とても実戦では使えそうもないな~と思っていた大太刀でしたけれど、むしろ、実戦になったら槍でも薙刀でも叩き切ってしまいそうな頼もしさを感じて、「やっぱり、こいつは凄いな~」と思いましたね。

 実際に相手をつけて向き合うと、右肩に峰を乗せて待ち構え、相手の攻撃の予備動作が現れた瞬間に袈裟に斬り込むだけで、相手の受け太刀ごと押し斬る勢いが出る感じがします。普通の刀だと、この安心感は出ません。

 それに、敏捷に振れないと思っていた重量も、実際に動いてみると意識が変わるせいなのか、重く感じなくなるんですね。戸隠流で習った「体で振る」という感じが解った気がしました。

 もっとも、正眼に構えると腕が疲れるし、構えただけで居着いてしまうんで、この大太刀は体幹部に近づけて持たないと逆に付け込まれてしまうことに気づきました。黒田鉄山師範のところで言うところの、「長い物は短く、短い物は長く使う」という最大最小理論が正しいな~と思いましたね。

 ただ、コレを刀ケースに入れて持ち歩くと肩が痛くなるんですよね。重くって・・・。

 先日の撮影日の時は、電車の中で、「アレ、刀・・・かな~?」と囁く声が聞こえたんですが、居合道をやっている人でも、サイズ的に普通の刀より30cmは長いですから、日本刀だと気づく人は滅多にいないと思いますよ。むしろ、何かの楽器が入っていると思うかも?

 まあ、追加撮影だから、次回は小物の武器の使い方なんかも収録しちゃおうかな? せっかくだから、よりゴージャスな内容のDVDにしようかな~と思っておりまする。

 御期待くださいませ!
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殺陣を見ていて気づいたこと

 武術・武道を実際にやっている人の中には、殺陣や擬闘を馬鹿にする人が少なくないんですが、私は武術の研究上、武術映画から得るところは実に多かったものです。

 最近は、チャンネルnecoの『碧血剣』が、CGに頼り過ぎずに剣法、拳法の細かいテクニックを何げに駆使していて、オオッ!と驚かされたりしています。

 この作品には、香港映画の『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』でイン道士を演じていたウー・マも出ていたり、最近の武侠シリーズがCGに頼り過ぎていた印象があったのに比較して、初期の肉体を駆使したアクションに少し戻った感じもします。

 やっぱり、タイのガチンコ・アクションが出た影響なのか、香港映画界もお家芸の肉弾アクションが復活してきているような印象を受けますね。


 実は、私が殺陣に強い関心を持つのは、武術やっている人だと自分の学ぶ流儀の動きしかできないものなんですが、殺陣師は空手・剣術・合気道・柔道・棒術・カンフー・銃と、何でもできてしまう点にあるんですよ。

 しかも、形なんか演じると本職の人より上手だったりするんですよね~。

 はっきり言ってしまうと、私が理想とする武術家の姿に近いのは、本職の武術家よりも殺陣師のほうだと思うんですよね。

 以前、つばさ基地で打ち合わせしている時に秋本つばささんが話しながら実演してくれるんですけど、その動きがイチイチ“芸”になってるんですよね~。たまげましたよ。

 もちろん、アクションと武術は別物ですよ。アクションは見せるために大きく動いたり、受けのリアクションもありますよね。武術は見えない・見せない動きを重視しますから、その意味では正反対なんです。

 だけど、実は、ある一点に於いて殺陣は武術で最も肝心な部分をきちんと継承しているんですよ。

 それは、「タイミング」です。間合を遠く取ったり角度をズラしたりする以外は、タイミングの取り方は、そんじょそこらの武術よりずっと上手い。

 でも、「演技だからできるんだ」って、武術やっている人は必ず批判するんですよ。

 私はそうは思わないんですね。だって、演技で相手の動きに合わせるのって、本当に打つよりずっと難しいんですよ? TVや映画では受けが上手いから、主人公が下手でもタイミングを合わせてくれる。

 逆に、武術やっている人間が、複数のド素人がアットランダムにかかってくるのにタイミングを合わせられるのか?っていうと、恐らくできないでしょう。

 かつて、リアルな格闘シーンを撮ろうと考えたある監督が、本物の空手家を招いて、段取りを決めずに、「複数のカラミが好きにかかっていくのを空手家が瞬く間に打ち倒す」というシーンを撮ろうと、いきなり本番でカメラ回して撮ったそうな・・・。

 どうなったと思います?

 哀れ、空手家は瞬く間に素人集団にフクロにされてしまったんだとか・・・。

 愕然とした監督は、以後、リアルな格闘シーンは諦めて殺陣師の考えた手(立ち回りのパターン)に一切、口出ししなくなったんだとか?

 あるいは、こんな話もあります。

 剣道経験の一切ないチャンバラ時代劇のスターが、剣道の有段者と試し合いをやってみたところ、簡単に剣道家をあしらって勝ってしまったんだとか?

 何で、こんな妙な事件が起こるのか?というと、ほとんどの空手家は複数の相手から一斉にかかってこられた経験が無く、剣道家は素手素面で刀をふるったことがないのと、相手の攻撃を斜め横に捌く運足が無いから・・・だろうと私は推理しますね。

 つまり、自分の戦い方の公式に無い攻撃にいきなり対処して、思考停止して為す術が無くなってしまったんだろうと思うんですよ。だから、そういう事件を振りかざして空手や剣道がダメだと論じることはできないんですけどね。単純に技術構造的な問題だから。

 ところが、『柳生一族の陰謀』や『影の軍団』で武芸考証を担当していた初見良昭先生の場合は、戸隠流忍法という何でもアリの総合武術だったので、殺陣の想定にも対応できたんでしょう。殺陣の形式は現代の競技武道より古い形の武術のほうが近いんですよ。

『王様のブランチ』で、殺陣を学ぶという企画があったのを、たまたま見たんですけれど、高瀬道場で刀の扱いや作法なんかもしっかり指導されていて、私は頭が下がりましたね。

 そこいらの武道の先生よりずっと、質が高いと思いましたよ。女性タレントの甘えた態度を厳しく叱責する師範のカッコイイこと・・・。私はこれが欠けてるからいかん!

 スタジオで披露した時には別人のように顔付きもキリッとして、刀を構えた姿も斬られて倒れるところも格段に良くなっていました。役者さんになるには、こういう芸をしっかりと磨いていくことが長く続けるための武器になるということを自覚すべきでしょう。

 ちなみに、カラミ役でかかっていく人には『七星闘神ガイファード』に出ていた人もいらっしゃいました。
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ちょっと怖い話?

『ほんとにあった怖い話』のスペシャルがあるということで、フジTVのお昼に『ほん怖』の傑作選が放送されていて、こういう話が大っ好きな私は、ゾクゾクしながら見てます。

 この番組、ブレイク前の女優さんが結構出ていて、真木洋子が出てたのは最初は気づきませんでしたよ。

 で、木曜(21日)に放送されていた番組中、心霊スポットの廃病院に肝試しに行って、生首に追いかけられる小池栄子・・・の話で、“広島県三次市”ってテロップが出ていたんですが、「アレッ? もしかして・・・」って思ったんですよ。

 心霊話にしては、生首だけが追っかけてくるというのは、ちょっと妖怪っぽい感じもするんですが、この“広島県三次市”っていうのは、実は日本の妖怪出現話中でも最も異色の『稲生物怪録絵巻(いのうもののけろくえまき)』の舞台になったところなんですよ。

 これって、心霊じゃなくて妖怪だったんじゃないのかな~?

『稲生物怪録』というのは、国学者の平田篤胤も採り上げたくらい有名な事件で、かなり信憑性のある怪奇事件なんですね。

 稲生平太郎(武太夫)という若い武士が、様々な化け物に脅かされるものの動揺せず、最後は山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)と名乗る妖怪の親玉が現れて魔法の木槌を与えて去っていったという怪異な話です。

 妖怪マニアの間では有名な話で人気が高く、三池たかし監督の『妖怪大戦争』にも主人公の名前とか、最後に出演しているアラマタさんやキョウゴクさんが扮装しています。


 ところで、心霊話というと、病院と並んでラブホにも出るというのが有名ですね。

 私がバイトしてたホテルにも、地下のボイラー室には御払いのお札が貼ってあり、“出る”という話でした。

 実際に“見た”という人もいましたけれど、霊感の無い私は見てません。

 でも、怪現象は確かに何度もありましたね~。

 原因不明の停電、メンテナンスしたばかりのエレベーターの故障、自動ドアの誤作動、唸り声(よがり声?)のような怪音・・・。

 一回くらいなら判るんですけど、確かに何回も起こってましたし、それも、決まって、アルバイトのスタッフが辞める最後の日に限って、起こるんですよ。

 フロントの女の子の最後の日には停電が起こったし、ルームメイクのスタッフの最後の日にはエレベーターが止まる・・・。

 実は、私の最後の日にも、やっぱり起こったんですよね。

 私は深夜から朝までの勤務だったんですが、順調に仕事をこなして、いつもよりは少し余裕があるくらいだったんです。

「こりゃあ、起こらないかな?」と思っていたら、明け方に、突然、エレベーターの一つが動かなくなってしまいました・・・。

 長く勤めているフロントのAさんは、「長野さんが辞めるから、寂しがってんのよ」と慣れた感じで笑っていましたが、いや~、流石にちょっと驚きましたね。

 ちなみに、このホテルに住み憑いている霊は、“腹上死した中年のオッサン”なんだそうです。

 ラブホテルって、結構、経営が入れ替わるものらしく、このオッサンが腹上死したのも前の前のホテルの時だったそうですが、そのせいか私が辞めて二年くらいしてから通りがかったら別のホテルになっていました。

 結構、繁盛していた筈なんですけどね~。

 もっとも、ボイラー室にお札が貼ってあるくらいだから、結構、(霊が)悪さをしていたのかもしれませんね。

 ちなみに御払いしたのは織田無道だったんだそうです。なるほど、だから・・・。
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「武道家」って呼ばれたいですか?

 年に二回、マンションの非常時に使うハシゴの検査に業者さんが部屋を通るんですが、部屋がゴッタ返しているのはいつものこととして、問題なのは、無造作に置かれた武器群?なんですね。

 これまでは押し入れに隠していたんですけど、刀(真剣ですよ・・・)が七振り、薙刀と十文字鎌槍、白臘棍(中国の柳科の樹木でよくシナル)、鎖鎌、南蛮千鳥鉄、子母鴛鴦鉞、八斬刀、峨眉刺、双剣、中国剣、カリスティック、ヌンチャク、トンファー、トンチャク(ヌンチャクとトンファーが合体したアルミ合金製鎖内蔵分割式武器)、釵、万力鎖、手鉤、各種棒手裏剣、十字手裏剣・・・等々、あまりに武器が増え過ぎて(特に十文字鎌槍は押し入れには入らない)、何か、コソコソ隠すのも面倒臭くなってきたんですね。

 それで、知らんプリして堂々と検査に来た業者の人(元の大阪支部長に顔が似てて、ちょっとビックリしたよ~。お~い、元気にしてるか~?)を通して、ベランダのハシゴを見てもらいました。

 で、何か、必要以上に物凄く事務的な対応をされたので、「あっ、こりゃあ、やっぱマズイな~」と、顔色をうかがって、帰られる時に「あの~、スイマセン・・・“コレ”、商売道具で道場で教えてたりするんですよ~」って、明るく言うと、ホッとした顔で、「あっ・・・そうなんですか。いや、スゲェ~な~って、思ったんですよね~」と、安心した顔で苦笑いしながら言われました。

「いや~、僕は本も書いてるんですけど、誤解されるとマズイな~って思ってですね~、ハッハッハ・・・(愛想笑い)」と、愛嬌を振り撒いてお送りしましたが、困惑したような笑いを浮かべて出ていかれました・・・ふぅっ、危機一髪だったぜ・・・。

 えっ、「何で、危機一髪なのか?」って、ことですか?

 そりゃあ、考えてみてくださいよ。たまたま訪ねた家の中に日本刀や槍がゴロゴロ転がっていたら、どう思います? 「もしかして、ヤーサンかな? 昼間っから家にいるのも変だし・・・」って思うでしょ? 噂されるくらいなら構わないけど、もしかして警察に通報されたらややこしくなるでしょ?

「別に違法なことやってないんなら、構わないでしょ」って思いますか? 

 甘いな・・・。

 警察が訪ねてきて部屋の中を見せてくれとか言われてるところを、近所の人に目撃されたら、もっと決定的なマイナス・イメージが広まることになるでしょ?

 あるいは、何かの事件が起こった時に不審人物として容疑をかけられる可能性もあるんですよ。私みたいなもの書きは、職業としては無職同然なんだから・・・。

 そういえば、ある人物から悪質な嫌がらせを受けて警察から電話がかかってきた時、事情を説明して既に地元の警察署にも被害届けを出していたことを話したら、それっきりになりました。後から聞いた話では、その人物は既に不審人物としてマークされていたので、私の話を信用してくれたみたいです。

「人を呪わば穴二つ」って格言は本当のことです。他人を恨んだり妬んだり呪ったりする人は、巡り巡って自分の首絞めるハメにしかならないんですよ。

 これは仏教の縁起の法則で説明される“仕組み”なんですが(余談ですが、私、二度目の大学では仏教学専攻です)、私はこれを知っていたから、人から嫌な思いをさせられると、絶対にそいつを見返してやるぞと決めて、仕事に頑張るようにしています。

 だから、冗談じゃなくて、嫌なことする人には感謝していますよ。「発奮材料になってくれて有り難う!」ってことです・・・。


 さて・・・以前から言っていますけれど、私は、「武道家」とか「武術家」なんて呼ばれても、ちっとも嬉しくありません。

 世の中には、自分から「武道家」とか「武術家」という肩書を好んで名乗る人がいますけれど、「恥ずかしくないっスか?」と聞いてみたくなるんです。

 第一に、「それって、職業として成立するのか?」って思う。道場経営者ならわかるんですけど、「私は武道家です」とか「武術家です」って名乗るのって、「私は侍です」とか「用心棒です」って言ってるみたいで何かヘンだと思うんですよね。

 例えば、自分の著作本が一冊も出ていないライターは少なくないし、多くのライターが生活費はアルバイトで賄っているのが現状だと思う。それはプロの格闘家や俳優でも同じような事情があります。

 私も、この業界の中では「長野さんは偉いね~。いくら貧乏だと言っても、武術で食っていってるんだから・・・」なんて言われることがありますが、要は、それくらい職業として成立するのが困難だということです。

 武道や武術の実力だけあっても道場経営のセンスなんかの実務的な社会性が無いとダメだろうと思うし、その逆だと論外でしょう?

 どうも、古武術がブームになった頃に、甲野氏の真似をして武術理論をウリにする人が続出しましたけれど、甲野氏みたいにうまくいかなかった。甲野氏が武術家?として大成功を収められたのも、彼の実家が元々裕福で食うに困らなかったから、道楽に専念できたという理由がある。普通の家庭に生まれ育った人間が真似をしたら人生を誤りますよ。

 私の場合は、文章書く才能がいくらか有ったから、何とかやってこれただけだし、それを認めて支えてくれた人が周囲にいたからですよね。それでも20年くらい極貧生活に耐えてきているんだから、他人の見本には全然ならないですよ。普通の神経の人だったら自殺しちゃうかもしれないし・・・。

 そして、第二点。「そんなに自分の実力に自信があるんですか?」って言いたくなる。

 私は、とてもとても自分で武道家とか武術家とか言う自信はないですね~。私なんかより強い人はゴマンといるし、逆に私より弱い武術家?もいたりするし、な~んか、武道・武術という言葉が安っぽく使われているな~と思うんですよ。

 そ~んな、安っぽいもんじゃないでしょう? 武道家とか武術家って言葉に値する人は滅多にいるもんじゃないと思いますよ。人の知らない技を知ってるだけで威張ってみても、知られてしまったら意味が無くなる。じゃあ、隠せるか?ってなっても、昔ならいざ知らず、今の御時世で隠せるものじゃないですよ・・・。

 私みたいに分析できる人間は、表に出ていないだけで結構いると思うから。

 だから、武道家・武術家って聞くと、「なんか、頭が悪そう」「偉そうにふんぞり返ってそう」「偽善者そう」「単に勘違いして自惚れてそう」といった、非常に恥ずかしいイメージがあるんですが、これって私だけなんでしょうかね~?


 けれども、現実に今の私は武術を教えて生活している訳なんで、単純に、武道家とか武術家とか人様から呼ばれることはある訳で、それを一々、否定するのも説明が面倒なんで、最近は放っておく場合も少なくありません。

 先日、近所のコンビニの店長さんに“もの書き”なのを見事に当てられて、「本を読んでみたい」と言われたもんですから、一冊、差し上げてきたんですが、何か、こっ恥ずかしいので、しばらく店に行かなかったんですね。

 それで、一週間ぶりくらいに店に行ったら、店長さんから「本、ありがとうございました。武道家だったんですね!」と言われて、曖昧に笑って、一瞬、研究家というのを強調しようかな?とも思ったんですが、「まっ、説明するのも面倒だし、別にそう受け止められてもいっか?」と思って、否定せずにいました。

 しかし、純粋に武道や武術に関心がある人に読んでもらうのならともかく、特に関心があるとも思えない人が私の本を読んで、果たして面白いと思ってもらえるのだろうか?とか考えてしまうんですね。

 正直言うと、武術のマニアとかより特撮好きの人とかサブカル本をハハハッて笑って読んでるような人にこそ、読んでもらいたいんです(エンタメとして書いてるんで)。

 そういう人達のほうが絶対、面白く読める筈だと思うんですよ。

 だいたい、私は精神構造的に武道家では絶対にあり得ない性格ですから、ガチガチの武道家タイプの人が私の本読んだら、「フザケテいる!」って、プリプリ怒ってしまうと思うんですよ(アンケート葉書に怒って書いてきた人もいた。そんなに腹立つなら読まなくていいですよ)。

 実際、うちの会で糞真面目な武道愛好者はまず続きません。シャレが解らないし、武道が何か崇高な精神性を磨くものだという思い込みがあるから、臭いものに蓋をするような考え方が根強く、融通が利かないからです。

 揚げ句に自分の偽善的考えを私に押し付けてきたりする。「綺麗事の屁理屈を意見する暇があったら練習しろ」って話です。

 勘違いする人が多過ぎるから明記しておきますが、私は、教わりに来ていて対等な関係は有り得ないと思っています。習う以上は、教わる内容に疑問を差し挟んだりするのは僭越というものです。私は質問は受け入れますが、疑問を呈する人や指示に従わない人には教えません。甚だしい場合は破門にします。

 講座やセミナーは、一応は一般向けに公開してお金を払って解説指導するものですから、そこまで厳しくはしません。が、会の中では自分勝手な真似を許す訳にはいきません。

 何かの事件が起こったら、社長や校長、親が出てきて謝罪したりするでしょう? 会社・学校・家庭といった共同体の中では管理責任ってものがあるからトップに責任が求められるんですよ。

 そういう考えなので、私は本質的には個人主義的体質なんですが、会を率いている以上は自分の責任を果たさなきゃならないと考えます。

 これが金銭の授受の無い単なるサークル活動だったら関係ないと思いますけど、金貰って教える以上は、管理責任は生じると思います。自己啓発セミナーやってるんじゃないんで、社会に顔向けできないような胡散臭い団体には絶対にしない!と決意しています。

 一度は解散しようか?とも考えた団体ですが、撮影の帰りに師範代が、「今は会員みんなが同じ方向を向いて頑張っているから楽しいです」と言ってくれた言葉で、俄然、やる気がわいてきましたよ。


 私は、糞真面目で冗談も言えないような人は嫌いです。一緒にいても楽しくないからです。武道や武術の愛好者には、こういうタイプが結構多くて、他人とコミュニケーションが上手くとれない人も少なくありません。

 真面目な人がダメだと言いたいんじゃないんですよ。本質的には真面目な人間であったほうがいいと思います。フザケて練習してたら危険だし・・・。

 けれども、真面目さを表に出すのは浅薄だと思うんですよ。お笑い芸人なんて、本当にいい加減な人間だとできないでしょう? 他人を笑わせるって、基本的に気配り上手な人間でないとできないですよ。

 バラエティ番組でお笑い芸人が司会をやる率が高いのは、彼らが場の空気を読んで気配りしながら番組を進行する能力に長けているからだと思いますよ。女子アナなんかより上手い人がいますからね。まあ、女子アナにそういうホステス的な能力を求めてしまうのも間違っているとは思いますが・・・。

 KYな人が冗談を言って、場が凍りついたりするのって、要するに気配りできずに自分が面白いと思うことをそのまま話すからでしょう。

 自分自身に対する真面目さより、他人に対する共感性を持つことのほうが重要なんだと思います。その点で、武道や武術に過剰にのめり込む人は、自己チューで他人の視線を気にしなさ過ぎる人が少なくないように思います。


 大槻ケンヂさんの本を読むと「この人は本質的にはメチャメチャ真面目な人間だぞ」ということがよく解ります。対象をシャレのめして面白がる感性は権威者的な観点に立つのが居心地が悪いからなんじゃないかな~? みずがめ座だそうだし・・・。

 私も典型的なみずがめ座なんですが、みずがめ座はそういう性格の人間が多いんですよね。一言で言って“変人”。

 でも、アーティストとかクリエイティブな仕事やるのには適性がありますよ。感性が普通の人と違うらしいから。

 ただ、猫かぶって常識人のフリをしていかないと世の中で浮いてしまったり、甚だしい場合は罪を犯してしまうでしょうね。

 確か、甲野氏もみずがめ座だったんじゃなかったかな~? あの変態っぷりはただ事じゃありませんけどね。その変人度数が世間の人の目を欺き、ある種の権威性にすり変わってしまっているから、今の繁栄がある(来年まで保つかな~?)。

 ですけども・・・未だに現代剣道を批判する(何のために批判する必要があるんでしょうかね~? それに乗っかる剣道関係者もいるから困ったもんだ)のに、名古屋の加藤伊三男師範が伝える柳生厳周伝新陰流の足の踏み方の理論(足指を反らして踵を着ける)を、さも自分が発見したかのごとく講座で解説するんだから、あれは“盗作”って言うものですよ。

 あの理論は、『江戸武士の身体操作 柳生新陰流を学ぶ』(赤羽根龍夫著・スキージャーナル刊)で発表されていたことであって、その事実関係を明確にした上で解説に引用しないといけない。

 気づいた人は、どんどん糾弾すべきですよ。武道業界の糞馬鹿馬鹿しい礼節に拘って誰も糾弾しないもんだから、本人も舞い上がって自分が第一人者だと勘違いしてしまうんだし、更に、そこに第三者がその勘違いを上塗りしていってしまうんだから、もう、二重三重のバチカブリ状態ですよ。

 私が武道家とか武術家とか言いたくないのも、業界的に間違いを放置してインチキをのさばらせつつ、本物と偽物の区別もつかない人達を増殖させてしまっているからでもあります。形式的な礼と本来の礼の判別がつかない人が極めて多い・・・。

 もっとも、他人のことを批判するのは簡単ですけど、私も気をつけなきゃいけないと思っています。これだけ続けて本書いてきている以上、間違いは当然、出てくる。できるだけ参考にした先生や資料は明かすようにしているつもりなんですが、読者の中で気づいた方は、遠慮なく指摘してください。私は他人に迷惑が及ばない範囲で隠し事はしないつもりですから・・・。

 だから、陰でイチャモン言われるのが一番、気持ち悪い。「長野さんは、そこが間違っているよ」と指摘してくれれば、きちんと訂正していくつもりでいます。

 公にしちゃいけない場合もありますが、少なくとも個人的な意見にはきちんと答えていきたいと思っています。

 でも、直接、意見してくれないと答えようがありませんから、私の知らないところで批判されても、一々、チェックしてないので、そこのところは宜しくお願いします。

 ただし、「どこかに良い道場はありませんか?」というのと、「どこそこの先生は本当に強いんですか?」といった類いの質問は御勘弁ください。

 道場の良い悪いというのは、結局、習う本人と先生、先輩たちとの相性でしかありませんから、答えようがありません。

 先生が強いか弱いかも、素人なら勝てるのか、初段クラスなら勝てるのか、プロ格闘家にも勝てるのか・・・といった具合に状況によるので、正確に答えることはできません。

 こういった質問をする人が初心者には、かなり多いんですけれど、初心者にとってはどこの道場に通っても実は大した違いはなかったりするんですし、あれこれ考える前に自分である程度まで修行してみないと意味がないと思うからです。

 結局、「自分が何をどうしたいのか?」ということだけが大切なことなんですよ。人から与えられるのを待っている人は、結果的に何も得られませんよ。

 游心流に来る人は、半分は、いくつかの流派を何年か習って中年に至って実力の衰えを何とかしたいと思った人で、後の半分は、何もやったことがなくて単純に面白そうだからやってみようと思った人ですね。

 ものの見事に、これ以外の目的の人はいないみたいです。

 でも、目的はどうあれ、私が教えることは、「護身術としての総合武術」以外の何物でもありません。学ぶ人の目的や好み、適性に応じて多少の違いはありますが・・・。

 私は、スポーツとしての武道性には興味がないので、必然的に技は危険なものばかりになります。格闘技を相当やってきた人が唖然となるくらい危険なことを教えてしまうので、やはり、教える人は選ばないと精神的に未成熟な人に教えてはいけないと思います。

 新刊本の写真撮影の時も、蛟龍十八式の技も撮ったんですが、技の雰囲気を表現したくて、つい気持ちが入ってしまって、受けを取ってくれている師範代の胸に寸止めしたつもりの拳が少し当たってしまい、これは危ないと思って、以後は形だけに止めて撮影しました。

 稽古会ではプロテクターを装着して練習していたんですが、これは寸止めは無理があるんですよ。重心移動を最大限に活用する技なんで・・・。

 この十八の技は一般公開しないつもりでいたんですが、映像で見せなければ写真くらいはいいだろうと思った訳です。

 それでも連続写真向けに実際に動いて技を仕掛けようとすると、戦闘の気が乗ってしまって、止まらなくなってしまう。

 私が師匠の歩法を真似て研究した蛟龍歩を用いて先をとって一気に攻め潰す技なので、「蛟龍十八式」と名付けたんですが、「連続縮地法で重心移動力を高めて、そのエネルギーを一気に相手に叩き込む」というシステムで作ったので、パワーのコントロールが利かないんですよね。

 もちろん、歩法ができなければ寸止めも可能ですが、それだと威力も大幅に半減してしまいます。奥義の必殺技なんだから、それなりに体得は難しくないとね・・・。


 それにしても、武術は奥へ進めば進むほど、表に出せなくなります。できる人ほど、何もやっていないように見せかけるのが、やっぱり正しい態度なんでしょうね。

 私も、一日も早く、もの書きだけで食えるようにならなくてはいけないと思っている今日この頃です。

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書評

マンガを読んで小説家になろう!』大内明日香・若桜木虔 アスペクト

 あの~、別にアスペクトから出ている本だから書評に採り上げた訳ではなくてですね。

 マジメに、この本が凄く面白かったので、是非、いろんな人に薦めてみたいと思っただけなんですね。

 今、私も“小説も書ける文筆家”を目指している最中なんで、この本は正に目からウロコが落ちまくるような内容で、実に面白かったんですね~。

 特に、私みたいに文学を勉強したことがない人間にとって、「小説家デビューする作法」「小説家として食っていく秘訣」「一発屋で終わらないための秘訣」なんかをもったいぶらずにズバリと書いてくれているところがサイコーですよ。

 いや~、アスペクトさんはいい本を出してくれてますね~。

「小説家も職業であることは変わらない」という一文は、甘い夢だけ見て努力しない人達に対して現実を突き付ける感じでカッコイイです。

 私も勇気がわいてキタァ~ッ!・・・かな?
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本と自主製作DVD撮影報告

もっと知りたい武術の極意』の掲載写真と、イラスト・モデル用写真、それから游心流教材用DVDの撮影を日曜日に江古田ストアハウスでおこないました。

 いや、皆さん。今回は期待してくださいよ~。

 面白い写真がいろいろ撮れたし、DVDのほうもハイスピード・カメラで撮ったらスンゴイ映像が撮れましたよ~。

 撮影は20年来の付き合いになる自主映画時代からの友人なんですが、ハイスピード・カメラで撮ってくれた映像が、とにかくNHKのサイエンスZEROみたいな感じなんですよね。

「うわっ、これはスンゲエな~!」と、みんなで感動して見てたんですが、初級の基本技や対練はみんな師範代と会員さんに任せたんですけど、二人の対練をハイスピード(つまり、スローモーション)で見ると、交叉法のタイミングの取り方がバッチリ決まっているし、動いても重心が崩れない。

 はっきり言って、私がやるより形が綺麗なんですよ。教材用としては最高です!

 でも、ちょっと空しくなっちゃったのは、中級に収録する予定で撮った居合術“卍月”の指の操作なんかもバッチリ判っちゃって、長く試行錯誤を繰り返してようやく編み出したのに、その秘訣がアッサリとバレバレになっちゃったんですね・・・グッスン(泣)。

 でもまあ、DVDは初級用と中級用の二つ分撮って、中級のほうは剣術と居合術を剣術師範代にやってもらいました。ちょっと時間が足りない可能性もあるので、もう少し撮り増しするかもしれませんが、今回はいいヤツが撮れましたよ。自信あります。

 そうそう、の写真用で会員歴の一番浅い会員さんに寸勁打たせて数人重なって受けた(私も入った)んですが、何か、ドカンッと、車が衝突してきたようなショックでブンッと後ろにふっ飛ばされる感覚があって、ビックリしましたね。

 いや~、重心移動の力って、やっぱり凄いわ~。凄過ぎて笑えます。

 こういうパフォーマンスって、西野流や骨法の“徹し”(以前は秘技“カムイ”で、その前は“発勁”と言ってたそうな)、最近では宇城師範がやっていたけど、原理を理解してやれば素人でもその場でできるんですからね。

・・・と、理屈では解ってるんだけど、受けてみると、やっぱりビックリするな~。

 とにかく、新作の本、DVDには御期待くださいませ。


追伸;セミナーの感想文や質問などもくださいね。
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北京オリンピックの明暗

 日本柔道の正念場となった今回のオリンピック、順当に勝ったのは内柴と石井、そして女子の活躍が印象に残りましたね。

 けれども、最も期待されていた谷亮子が銅メダルに終わってしまったのが象徴するように日本柔道のメダル獲得数は過去最低となってしまい、特に初戦で敗退した選手が目立つのは、日本の柔道に拘っていたら世界のJUDOに勝てない現実が露呈したと言えるのではないでしょうか?

 特に鈴木の初戦敗退はショックでしたね。タックルで抱え上げられての何もできないままの敗退・・・これは、日本柔道の完全敗北を象徴するものです。

 ですが、この試合内容にこそ希望があると私は思います。

 だって、これってモンゴル相撲の技を使ってきたんでしょう? だったら、モンゴル相撲の技術を分析して対策を練ればいいんですよ。簡単でしょ?

 白州に行った時に、帰りに韮沢駅近くのショッピングビルで昼食とって1FのTVで放送してた柔道の試合を見ていたら、中国とロシアの選手が闘っていたんですけど、ロシアの選手はサンボの技術を使っていました。

 要するに、JUDOは、柔道をベースに試合ルールに沿ったいろいろな格闘技の技術を採り入れて発展させているんですよ。

 今、日本でそれをやろうとしているのは石井くらいなもんでしょ? 昔気質の柔道家は眉を顰めるでしょうけど、勝負論を前提として考えれば、石井が絶対に正しい!

 ただ、問題なのは、石井はヒール扱いされて異端視されてしまうことです。普通に彼の合理的思考法を採り入れて頭を使って日本柔道を技術的に発展させていくことを考えればいいのに、何故、それをやろうとしないのか?

 これも答えは簡単。「日本柔道は武道である」という認識が根強くあるからですよ。

 武道って言葉は、固定され過ぎているんです。修行して道を極めることに意義があると思い込み過ぎて、その大前提であった筈の勝負を制する論議を捨てて、技量が優れていれば必然的に勝てると盲信して顧みなくなってしまった・・・。

 つまり、勝負の戦略・戦術が欠落してしまっているんですよね。

 これは、武道という言葉で統一することによって、武術の危険性のある技を捨てたことが遠因でしょう。つまり、危険性のある技を捨てる過程で知らないうちに“術”を捨ててしまった・・・。

 武術は思想より現実に戦って勝つための工夫をすることに意義があります。勝負論が先にあるんですよ。だから、型は変えないけれども、使う場合の形は必然的に応用変化させていく・・・というのが本来の考え方なんです。

 ところが、本来の武術を「古武道」と呼ぶことで稽古法としての型の伝承を主眼にしてしまったために、それらが現実に戦いに用いるには時代錯誤なものになっていった。

 当たり前ですよね。現代で刀差して歩いたりしないんだから・・・。

 でも、本来の武術性を端的に残して伝えている流派には戸隠流忍法があります。あそこは約束組手で技の変化を学ぶ独自の練習形式を確立していますが、決して同じ型を繰り返したりしない。現実に使うことを考えているからです。

 ただし、技が殺傷を目的にしたものをそのまま使うので、自由組手にはできない。これも護身術の発想があるからでしょう。技を磨くのではなく、練習を通して戦術を体現することを目指しているように見えます。

 だから、世界中の特殊部隊やボディガードなどの実戦のプロが教えを受けにくるのでしょう。

 柔道は、もう一度、原点の柔術の原理を見直すべきだと私は思いますね。実際、石井は相手が引き手を使えないように肩と胸の付け根を押さえて技をかけさせないようにしておいて、その体勢から小外刈りや大外刈りに持っていく戦法を工夫していました。

 水泳で大活躍した北島も、泳ぎの方法論を試合で勝てるメカニズムで組み立てて、そのための技術を工夫して作り上げていて、コーチの指導力と読みの鋭さには舌を巻きましたね。

 今の日本柔道に必要なのは、多様な観点から分析できる優秀なコーチであり、柔道しか知らない人では通用しなくなるでしょう。
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『ダンス白州2008』行ってきました!

 今年はお呼びは無くて、ちょっと寂しいな~(シクシク・・・泣)と思っていたんですけれど、支援会員になったので足を運んで参りました。

 とは言えど・・・新刊本の仕上げ作業と重なってしまって、ちょっと無理かも?と思って、師範代には「ひょっとすると俺は行けないかもしれない」と話していたんですが、「行っていいじゃないですか? “向こうで仕事すれば”(ギョエ~!)・・・」という編集担当の“鬼の一言”で、行って参りましたよ。夏、恒例の白州へ・・・。

 しっかし、まあ、韮崎からの路線バスが無くなってしまっていて、ちょっと交通の便が悪くなってたり、タクシーも値上がりしていて不況は地方にこそしわ寄せがいくものなんだな~?と思いましたね。

 宿に到着してから、しばらくマッタリしながら過ごしました。翌々日に写真撮影する本の原稿と睨めっこして打ち合わせしたり、会員さんが持ってきたクエストから出ている『武神館・九鬼神伝流』のDVD見たりして過ごしました。

 余談ですが・・・武神館の初見先生の技は、70代後半に至って尚、進化している事実が確認できて、「武術はマッスルじゃない。若さの勢いじゃない」と称えている私の理想を体現している武術家のお一人の技に、20年前に武神館の末席に入れていただいていた有り難みを感じました。

 私が直接教わった野口先生もお元気で何よりです。初見先生に離反した人も少なからずいる中で、一貫して師を敬い支え続けている野口先生のような立派な先生に習えて良かったと思います。野口道場では練習後に奥さんがスイカをさし入れしてくれたり家庭的な雰囲気の道場でしたよ。あのまま続けていたらどうなっていたかな~?(普通の社会人になっていたかもしれないな~?)

 私だって教わった先生方には全員、感謝の気持ちだけは失わないようにしています。人間的に軽蔑するしかない人もいましたが、教わった事実は消えませんから、感謝する気持ちまで捨てていいとは思いません。甲野氏を批判し続けているのも感謝する気持ちがあるからですよ。本気で嫌っていたら無視するだけ。私が首尾一貫して言い続けてきたのは、「嘘つくのいい加減に止めろよ。本当のことを言えよ」ってだけですよ。

 自分に嘘ついて周囲を騙くらかして生きていくのって、一番、不幸なことなんじゃないでしょうかね? 「勝ち組」なんて言葉が流行っていたけど、無目的に金さえ入ればいいって考え方自体が貧し過ぎる。日本の本当の貧困は心に余裕が無くなって目先のことしか見えなくなってることじゃないでしょうかね? 『ハゲタカ』で泯さんが「金なんて、ただの紙っぺらじゃないか」って言ってのけちゃうところがカッコ良かったですよね。

 さてさて、その夜、ヒカシューのリーダー、巻上さんのコンサート(と言うべきなんでしょうか? 様々な楽器?を駆使したお好み演芸会のような気もする超絶芸達者ぶりを堪能)を見るべく、同行した会員二人と懐中電灯を持って夜の道をテクテクと、通い慣れた?街灯がほとんど無い道を歩いていきました(こういう田舎の道を歩いていると、確かにベトベトさんとか現れそうだな~と思いました。脇へ退いて「ベトベトさん、先へお越し~」と言うと消えるのだそうな)。

 いや~、やっぱり暗いな~。暗いと距離感掴めないな~。道を間違ったみたいで少し遠回りしてしまいましたよ。地区の盆踊り大会があったらしく、呑気な歌が聞こえます。

 会場に到着してゴザに座ると、暗い中で「ようっ」と声が? アレ?と思ったら目前に座っていた人が田中泯さんでした。

 ここ数カ月、御無沙汰していましたが、TVの『ようこそ先輩』と『時代の響き』(これは素晴らしい内容でした。DVDで発売して欲しいくらい)と、『ファッション通信』(1カットだけだけど、もの凄い存在感にビックリ)を拝見してました。九月には横浜で踊られる予定と聞いているので、今度は何としても都合を合わせて見に行きたいと思ってます。

 さて、巻上さんのコンサートは、先日の渋谷クラブ・クアトロでのライブをイメージしていたら、ぜんっぜん、別! 正直、唖然! 何と形容すりゃいいのか、さっぱり解りませんが、最高に面白かったです。後から登場したダンサー軍団も素晴らしかった。よって、「機会があったら、一回、見てね」。(後楽園遊園地の仮面ライダー・ショーを思い出したのは私だけ? ちなみに、町田、橋本のレコード屋さんに無かったヒカシューのアルバム『生きること』、ゲットしましたぜっ)

 帰り道、山の天気は変わりやすいと警戒していた通り、小雨がポツポツ降ってきましたが、何度も来て心得ていた私は、ちゃ~んと百円ショップで雨合羽(レインコートね)を三人分用意していたんですよ。役立って良かった。備えあれば憂い無しですね(すぐ止んだけど・・・)。

 翌朝は、石原志保さんの踊りを見てから帰る予定。なにぶん、仕事が立て込んでて長居できなかったのが残念(コンテンポラリー・ダンス界の女王、木佐貫邦子さんのダンスが見れないのが残念)ですが、メイン会場の栗林で開始まで待つ間、泯さんに挨拶するとともに、写真も撮らせていただきましたよ(この期に及んで田舎者のサガは直りませぬな~。フハッ! あっ、急に水木しげるの生霊が憑いた? “写真参照”20080815_001.jpg
 ふ~む、並んで立ってるのに遠近法みたいだな~?)。

 で、石原さんのダンスは、八月十五日という終戦の日にちなんだドラマ性の高いものでした。昨年と同じらしいんですが、昨年は私は神経性腸炎でポンポンが痛くなって宿で唸ってて見損なっていたんですね。神経細いからな~、元々・・・。武術業界では鉄面皮で有名なんだけどね。

 まあ、今年は、ただ見るだけだから気楽です。

 それはそれとして、ダンス後に見物している人達も交えてダンスについて話し合うということだったんですが、自分で言うのも何ですけど、私の頭の中ではギャグ回路ができあがっていて、物凄く迂闊なことを口走ってしまいそうで、会場で氷の視線を浴びてしまったらマズイと思って、そのままコッソリと帰ることに致しました。

 いや~、最初は、「『恐怖!奇形人間』の土方巽さんのTシャツ着て行こうかな?」ぐらいのチャレンジ魂(悪フザケとも言う)で行こうかと思っていたんですけどね。世の中、シャレの解る人ばかりじゃないからな~(そういえば、以前、「もっと、武道家らしくしてください」と元会員から言われましたけどね。私に裏表使い分けろって要求すんの?)。

 それで、実際、ダンスの感想がどうかってことを書きますとですね。

 防空壕の中に潜んでいて、外に出てきて竹ヤリを持って天に吠えるんだけど、辺りは焦土と化していて、灰になった同胞を見て声無き叫びをあげる戦災孤児の少女・・・のように私は感じたんですね。いや、設定としては母親とか老婆だったのかも知れませんが、私には少女っぽく見えました。

 うちの母親の戦争体験談とかもイメージにあるからなんでしょうか? それとも、ロシア軍がグルジアに武力制圧かけてる時期だからなのか・・・(ジャーナリストの車に銃撃している映像を見た時はゾッとしました)。

 もっとも、今回のダンスが演劇的でテーマ性が明確にあっても、やっぱり私の関心は、ダンサーの“動き”に向いてしまうんですよ。

 それも、やっぱり武術的な連想がわいてくるんですよね。

 中国南方に伝わる狗拳(犬拳ってことです)や、行者拳、鴨拳を連想し、竹ヤリを見れば、「竹ヤリは先端を火であぶって水分が抜けると堅くなって強度が上がるんだよな~」とか、そんな物騒なことばっかり考えてしまう(職業病?)。

 そういえば、栗林でマッタリしている時に、去年教えた少年から、「あっ、合気道の人だ」と言われたんですが・・・、私、合気道は一時間半しか習ったことないんですけどね(確かに合気道的な技をやったからな~。拳法だと殴り合いはじめちゃうからね)。

 いや、それにしても石原さんは田中泯さん生き写しみたいな感じがしますね。錯覚したもん。泯さんが踊っているように見えてきたんですよね。何度も見てきていますけど、毎回、そのそっくり感度は上がってきていて、今回は本当に血縁の人なのか?と思えるくらいソックリでしたね。

 動きがどうこうと言うだけじゃなくて、意識のブッ飛び具合が凄い。アレを芝居でやれって言われてできる役者がいるんでしょうか?

 泯さんが役者で登場している作品を見ていて、共演している役者さんがビビッてるのが読めるんですよね。演技の論理を超えたところにある表現だから、太刀打ちできないし、役者の演技論の文法では解釈できないから困惑してしまうんでしょう。その困惑ぶりが覗いて見えるところを私はニヤニヤしながら見てしまうんですけどね。

 泯さんは、足の土踏まずのところを痛められていたそうですが、そんなところを痛めるというのは、一体、どんな踊りをやったのかな~?と、私はついつい稽古内容を想像してしまうんですよね。アキレス腱を切ったとかギックリ腰、膝関節周辺の腱、脊柱起立筋を痛めたとか、そういう故障の仕方なら解るんですけど、土踏まずの腱を痛めるというのは強く石を踏んだとか、そういうことでもないと普通は故障しませんよ。

 私も縮地法の研究やってた頃に土踏まずのところを伸ばして少し痛めたことあるんですが、これは足の踏み方と重心移動を工夫していて、“やっちゃった”って訳で、普通の武術の稽古でここを痛める人は滅多にいないでしょう。使わないんだから(あっ、そうだ。思い出した。沖縄空手の訓練法の中には足指を目一杯使ったり足の甲を着けて歩くカニ歩きの訓練とかやる人いるから、あれだと痛めるかも?)。

 いかに苛烈な訓練を積んでいるか?ということが想像できるだけでしかありませんが、想像するのと実際にそれをやるのではまったく次元が違う。

 泯さんと私が並んだ写真を改めて観てみると、私が単に破壊力が生み出せる身体を求めて内功を蓄積させて膨張したメタボ体型になっているのに対して、泯さんは無駄な肉をそぎ落として丹念に鍛え磨き上げられた名匠の作った日本刀みたいに見えるんですよね。

 名刀は、自己主張しないものです。ただ、端然と佇立するだけで自然と一体化して気配が消える・・・やっぱり、このオジサンは凄いわ・・・。

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『もっと知りたい武術の極意』九月発売決定!

 ただ今、最終仕上げ作業中なんですけれども、アスペクト武術シリーズ最新刊がタイトルも決まりまして、九月に発売する運びとなりました。

 ふぅ~っ、でも大変ですぅ・・・。

 掲載写真とイラストも、これからなんですぅ・・・(大丈夫かな? 月刊雑誌作るような猛スピードで進行中。単行本のペースじゃないよな~)。

 でも、今回はついに游心流の基本技そのものも紹介解説することになりました。よくよく考えると、私は自分のところの技はほとんど紹介してないんですよね。空手や中国武術、合気道とかの技を解析していただけ・・・。

 それでタイトルが『もっと知りたい武術の極意』ってんだから、何か、こっ恥ずかしいっスね? 間接的に自慢しちゃってるみたいだもんな~。まあ、過去のDVDではやってたから、今更、恥ずかしがることでもないけど・・・。

「せめて“極意”を“ゴクイ”ってしてくれないかな~」って言ったんですけど、「この期に及んで何故、カタカナに拘るの?」って企画会議で言われちゃったそうで、私もポシリー(何の?)を曲げざるを得ませんでした・・・。

 何か、「この前、出したばっかりじゃん?」って思う人も多いでしょうね。年二冊のペースというのもムチャな感じがしますけど、書いて早いのだけが自慢ですから、私的には三冊でも四冊でも構わないんですけど、アスペクトさんで季刊雑誌出してるのと変わらなくなっちゃうからな~。

 どうも、武術雑誌のライターやってたもんだから、次々に新しいこと書きたくなっちゃうんですよね。癖だね。

 毎回、テンコ盛りにし過ぎだって意見があったんで、テーマを絞って解説に力を入れてみましたよ。

 でも、脱線して途中で何書いてんだか判らなくなるという毎度のお約束は今回もきっちりと実践しております・・・(今回も大槻ケンヂさん以外は誰もツッコマないだろ?って、読者おいてけ堀のネタを用意しております)。

 あっ、それから、以前、バイオメカニズム学会の機関誌に原稿を書いたのに続いて、もっと大きな関連学会の機関誌から執筆依頼を頂戴しまして、「その後の研究の進展に応じて書いてください」ということで、前回はメッチャ場違いなことを書いてしまって「うっひゃ~、浮きまくってるな~」と我ながら反省していたので、今回はIQ高そうな原稿を書くぞっと、キバッテみようと思っとります。

 一般に発売することはありませんが、来年六月に出るそうです。やはり、ロボットに関する学会誌です。

 え~っと、それから新作DVDは、游心流の稽古法に沿った教則DVDにする予定で、初級と中級を製作します。どちらも基本技とその応用法について収録する予定でいます。

 こちらも発売時期などがはっきりしたら告知しますので宜しくお願いします。多分、九月に入るか、早くとも八月下旬になると思います。

 過去の作品に関しては、今でも要望の声をいたただいていますので、注文生産の形にしたく思っております。詳細はホームページをご覧ください。

 尚、嫌がらせが酷く(武術家の実態ってこんなもんだよ。姑息なヤツが多い)、業務に支障をきたしてしまうため、現在、電話番号は非公開にしております。御連絡は申し訳ありませんが事務局へメールでお願い致します。


追伸;アスペクト武術シリーズの次回作は『本当はコワイ武術の世界』って案を出してみたんですけど、「何故、そこまで敵を作りたがるの?」って言われちゃいました。テヘッ。
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八月セミナー“推手と聴勁”

 月一回の江古田ストアハウスのセミナーも、最近は人数が増えてきてやや手狭な感じもするくらいになってきましたが、常連で来られている方は、何だかもう会員と変わらない感じになってきていますね。

 で、実際に入会希望者も毎回いらっしゃるくらいになってきています。

 正直いって、広める気持ちが無くなったとは言っても、やっぱり求められるのは嬉しいものですよね。

 今回は、総合格闘技の大会にも多数出て活躍されていた方が参加されていて、私は二度お会いしたことがあって楽しみにしていて、会員にも「今度のセミナーは面白い人が参加されるから、いろいろ聞いてみるといいね」とか話していたんですね。

 でも、「アレッ、なんか昔と印象が違うな~」と思って、たまたま会員で知っている人もいたんですが、その人も「アレッ、あの人?」と驚いたくらい印象が変わっていたみたいです。

「昔はもっとギラギラして虎みたいな怖い感じの人でしたけどね」と、その人も言っていた通り、私も以前にお会いした時は人を寄せ付けない感じに思えたような記憶があったんですが、良い意味で凄く優しい感じがしましたね。

 よく言いますよね。「本当に強い人は優しいよ」って・・・。

 私も、これは本当のことだと思います。私が知ってる武術の達人は、例外なく優しいし明るいし穏やかな感じか茶目っ気のある人なんですよ。

 ただ、ちょっとした瞬間に凄くどう猛な眼をすることがありますけどね・・・。

 だから、外見だけ見て優しそうだからと思って無礼な真似をしてブチのめされりすることもありますからね(うちの先生はそうだったな~)。

 これは、私の印象なんですけれど、武道やっていて格闘技の試合にも出ている人というと謙虚で真面目な人が多く、試合の無い武道や武術をやっている人は自惚れて嫌な性格だったりする場合が多いんですよ。

 やっぱり、自分が痛い思いをしないと他人の痛みは解らないですよね。

 苦労して成功した人は自然に謙虚になるし、苦労知らずで周囲に持ち上げられた人って尊大で人を人とも思わない無神経な性格になったりする。

 だから、「子供に苦労させたくない」と、過保護に何でもやってあげる親は逆に子供をダメにしてしまうと思うんですよね。「鉄は熱いうちに打て」というのが本当の教育だと思いますよ。

 そのほうが多少の試練に出くわしてもへこたれない人間になるでしょう?

 私も外圧とか内乱とか色々とあるんですけど、お陰様でプレッシャーに押し潰されないように鍛えられてきましたからね。


 さて、今回のセミナーのお題である推手なんですが、これを技術と解釈するとあんまり意味が無くなってしまうと思うんですよ。

 あくまでも聴勁の感覚を養成するものとして取り組まないと、形を覚えても何もならないですよ。

 それを理解してもらうために、今回は化勁・発勁・逆関節・崩し・固定して打撃・・・といった具体的な武術の用法とからめて解説指導しました。

 特に、“差し手”で構えを崩しながら制圧していく方法は、武術の戦闘理論上、極めて有効性の高いものです。が、これを実際に使うと相手に致命傷を与えかねないので、どこまで教えていいか?というのは事前に少し考えていたんですけどね。

 その意味では中国武術の接近密着戦法の具体的やり方を解説したんですが、通常の推手とは違って寸止めで打撃を止めないと危険なので、注意して練習してもらいました。

 もっとも、参加者が多いので剣や棒の練習は取りやめておきました。事故が起こるとマズイですから、原理を実演解説しただけに留めておきました。

 ちなみに、最近、シダックス講座では游心流居合術及び無刀捕りも指導していますから、学びたい人はこちらにどうぞ。(流石に公園ではできないよ~)

 私は、中国武術は非常に優れた護身術だと思っていますが、いかんせん、ほとんどの道場は套路の練習だけで終わってしまうので、個々の技がどのように使われるのか?ということが判らないまま何年も練習している人が多いと思います。

 そういう意味で、今回の参加者の中にも太極拳を習っている人が何人かいらして、参考にしてもらえたみたいです。

 やっぱり、本やネットで情報ばっかり流通すると、隣の芝生が青く見えて、せっかく良いものを習っているのに体得しないままあちこち見て回る人とかでてきてしまうんです。

 どんな流派だって、良いものがありますからね。他流と比べて欠点だけ上げつらうのは、もったいないと思うんですよ。

 私は空手・柔道・剣道・合気道・少林寺拳法・新体道・躰道・・・いろんな流儀に触れてきましたけれど、役に立たないと思ったことはただの一度もありません。

 これは、私が「史上最低のヘッポコ達人」と認定している甲野善紀氏の技であってさえ、ヒントになることはいくらでもありました。

 多方向多要素異速度同時進行把握、フェードアウト技法、水鳥の足、なじみ、一足立ち、無拍子打ち、井桁の術理、四方輪の術理、捩らない動き、受けず躱さず真っすぐ入る、身体が割れる、足裏の垂直離陸・・・う~むむむ・・・頭イテェ~ッ!

 何が言いたいのか、さっぱり解りませんけど、甲野氏のやっていることって、「脱力すること・膝を抜いて沈む瞬間の重心移動を用いる・相手の軸を切り崩す・相手を居着かせる」という合気道や中国武術で当たり前に用いる技術をパフォーマンスに流用しているだけなんで、仕組みが解ってしまうと素人でもその場で八割以上は再現してしまえます。

 だから、簡単なので体得するのには初心者向けでいいんですよね。直接習いに行っても体得できない人ばかりなのが不思議なんですが・・・(教える気がないんでしょう)。

 でも、簡単な術理でも組み合わせれば高度な戦闘理論への応用が効きます。一見、複雑そうに見えても原理そのものはシンプルなのが多くの武術流派の技法の真相なんですよ。

 組み合わせればどんどん複雑になるだけ。その組み合わせるやり方を手順として覚えるんじゃなくて、感覚に任せるのが武術の極意なんですよね。

 今回のセミナーでは、その取っ掛かりとしての推手のやり方を指導したんですが、相手の推してくる力の強さと方向を読み取って、力の働かない方向へとずらしながら逆に相手の隙を生じさせて反撃していく・・・。これが本来の聴勁から化勁・発勁へと繋いでいく戦法なんですよ。

 この皮膚感覚を養成する練習法として、今回は“独り推手”という私が工夫した練習法も指導しました。これを日頃からやっていると、自覚しないまま結構、上達していきますからね(近日発売のDVDに収録予定です)。


追伸;次回セミナー9/14は、『型の分解』をやります。型稽古に何の意味があるのかと思っている人も目からウロコが落ちまくる驚愕の武術稽古法の革命になりますよ。

追伸2;会員さんにお知らせです。次回日曜日(8/17)の定期稽古会は、九月発売予定の本及び自主製作DVDの撮影を兼ねて、江古田ストアハウスにて昼12:00~夕方6:00まで行います。日頃、来れない方も是非、おいでください。
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8月のセミナーは皮膚感覚で“読む”

 7月のセミナーは、主に“目付け”で相手の動き出しを読むことを指導しましたが、中には、「視力が悪いので目付けで読むのは難しい。どうしたらいいか」という質問もありました。

 はいはい、その質問を待っておりましたよ。

「読み」は、目付けだけではありません。中国武術でいうところの“聴勁”こそが、皮膚感覚で読むものなのです。

 これは、“推手”で訓練します。

 太極拳や意拳で練習する手甲を合わせて推し引き受け流して互いに体勢を崩し合うアレです。

 この推手に熟練すれば、手のみならず足でも胴体でも相手に接触している箇所から化勁し発勁することができるようになります。

 最近、格闘技の世界でも注目されているロシアのシステマも、公開されている技術の基本原理は推手と同じですね。

 7月の目付けの時は先を取ることの重要性を解説指導しましたが、今回は“後の先”であり、具体的な技と重なってきます。

 つまり、相手が攻撃を出してきて、それを受け流して崩したり、逆転して打ったり関節を極めたりするのが推手の戦闘法なのです。

 ただし、多くの推手の練習法では、最初から互いに手を合わせておいてから練習しますが、游心流ではこれに“差し手”を組み合わせて用いる練習をします。

 離れた間合から打ち合いの間合に入り、さらに組み討ちの間合へと移行していく実際の戦闘状況に合わせて有機的な戦略としての“推手”と“差し手”のフュージョンです。

 武術は、技を組み合わせることで一足す一が二ではなくて、三にも四にもそれ以上にもなっていくのですが、これが面白いところなんですね。

 皮膚感覚で相手の力の方向や強い弱いを感知し、受け流して相手の隙を作り出していく戦法は、日本の合気や高度な剣術の理合にも通じるものです。

 そして、差し手は交叉法の戦闘理論にとって欠かせないテクニックであると同時に、繋ぎ技としてではなく、受けと攻撃を一体化した武術の戦術的進化系への、文字通りの手掛かりとなるものです。

 8月は夏休みとも重なりますし、是非、志しのある多くの参加者を期待したいと思っています。

 それから、余談ですが、アスペクトの武術本シリーズ第四弾は本年九月の発売を予定して、現在、鋭意進行中です。タイトルなどはまだ仮の状態ですので、決まり次第、発表しますので御期待ください。

 それ以外にも某大手出版社にても新春発売を予定しておりますが、こちらは自伝的内容のエッセイで読み物としてかなり面白いものになりそうです。

 その他、まだ発表できませんが企画進行中の計画もありますので、お楽しみに・・・。


追伸;月例セミナーは好評につき来年も開催することが決定しました。期間限定で先払いの予約割引も行いたいと思います。詳細はホームページをチェックしてくださいませ。
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『ドラゴンキングダム』感想

 早速、『ドラゴンキングダム』観てきましたっ!

 本音を言うと、この作品、さして期待はしていませんでした。

 敢えてキツイ言い方をすれば、「アクション俳優として、とうの昔に全盛期を過ぎてしまったジャッキー(五十半ば)と、ジェット(四十半ば)の初共演ということ以外にウリが無いB級作品なんだろうな~」と、B級テイスト満点のハリウッド版カンフーオタク(勘違い)映画だろうと予想していたからです。

 ところがドッコイ!

 マニアックな見所も満載ながら、十分にエンタメしているファンタジー・アクションの大傑作と言える内容で、少なからず驚きましたよ。

 ジャッキーとジェットは、『マジンガーZ対デビルマン』みたいな関係(マジンガーZとデビルマンが一切対決することなく、ドクター・ヘルに操られたデーモン一族と機械獣軍団と共闘する話で、空を飛べないマジンガーZがジェットスクランダーを装着して空を飛び、魔将軍ザンニンを真っ二つにしたりして「マジンガーZって残忍だな~」と思ったもんだよ。ちなみに、この作品でドクター・ヘルが乗る飛行艇はデビルマンの原型になった『魔王ダンテ』に出てくる超古代の青年科学者ダンテが恐竜狩り用に作った戦闘機と同じデザインだった。魔王ダンテは、この戦闘機とティラノサウルスとプテラノドンが宇宙のエネルギー生命体“神”のエネルギーをダンテ青年の怒りのエネルギーで吸収融合して誕生したという設定でした。デビルマンのリターンマッチにこれを実写化したら面白いのでは? モロに怪獣映画みたいだし・・・)で、別に対決する訳じゃないんですが、初対面の時は結構、長く手合わせして互いのカンフーを披露してくれます。

 ですが、まずはノッケから、主人公のカンフーオタク少年の部屋の壁一面に貼られたカンフー映画のポスター等から勘違い映画っぽいオタク臭がプンプンします。

 ブルース・リー、『独臂刀』のジミー・ウォング、『大酔侠』のティン・ペイペイ、『少林寺三十六房』のリュー・チアフィ(ゴードン・リウ)、その義兄にして洪家拳の遣い手として有名なラウ・カーリョン、チェン・カンタイ、デビッド・チャン等々の絵が次々にクローズアップされます。

 これはもう、「知野二郎師父のために作っているのか?」と言いたくなるようなセレクションで、一般観客おいてけぼり感がスパークしています。

「大丈夫か、この映画・・・」と一抹の不安も広がりますが・・・。

 でも、この作品、カンフーオタクの夢オチか?と思わせつつも、意外にツボを押さえたファンタジーになっていて、マニアックさが足を引っ張ることもありません。

 ファンタジーとリアルの繋がり具合も気持ち良く見せてくれて、途中でネタバレしそうになっても作品にパワーがあるからか、ハラは立ちません。

 全体的には『ネバーエンディング・ストーリー』のテイストだけど、主人公がイジメられっ子でストリートギャングと対決するところは『ベストキッド』みたいだし、中華街の怪しい中国人老人というのは『グレムリン』、そして、西遊記の世界観がベース。

 主人公が異世界で目覚めた時の村は棚田が広がる山の中の村・・・これって『スピリット』で精神が荒廃したジェットがたどり着いて、自然の中で無欲な生活を送る中で再生した土地だよね。でも、そこに将軍の手下が乱暴狼藉を働きにくるけど・・・。

 竹林や砂漠、滝、川なんかは『グリーンデスティニー』みたいな透明感のある美しい景観。ロケーションがどんどん変わるところは、やはり西遊記風の旅物ロードムービーのイメージなんでしょうね。

 ジャッキーの演じる酔八仙拳の遣い手(八仙人のイメージをゴチャ混ぜにした感じ)と、少林寺風の坊さんを演じるジェット(孫悟空と二役なんだけど・・・)、それにブリジット・リン主演で知られる『白髪魔女伝』の白髪魔女が敵の将軍に雇われているという設定は、武侠好きの人間には涙がチョチョ切れる展開ですたい。

 そして、主人公が憧れるゴールデン・スパロー金燕子は、台湾のクロサワと呼ばれた巨匠キンフーの傑作武侠作『大酔侠』に登場する女侠客。『グリーンデスティニー』では悪の老婆ジェイド・フォックス(碧眼狐)を演じていたティン・ペイペイがキュートに演じていまして、「あ~、あの美少女が・・・」と複雑な心境でしたが、ドキュメンタリー番組とかで見るとティン・ペイペイさんは上品な小母さんでしたね。ダンスをやっていて娘さんも女優やっているみたいです。

 このゴッタ煮感覚は『キルビル』にも通じるものがありますけど、『キルビル』が脳みそが破綻しまくったタラちゃんの“オレ妄想映画”だったのに比べると、ちゃんとファンタジー作品として成立しています。

 設定知らなくても楽しめるようにできてるところはチャウ・シンチー作品にも通じるサービス精神で、中国功夫版ロードオブザリングみたいな感じもするし、ディズニー的な大衆性も感じられます。

 ちなみに、白髪魔女を演じているのは、ミシェール姉さんが銀仮面の下で常に嬉しそうな顔をしてバリバリとアクションをかましてパンダを奪い返したりする“アタシ映画”『シルバーホーク』で、黒人マッチョメンと二人組の殺し屋の女を演じていたリー・ビンビンだそうですが、『シルバーホーク』では全然喋らなかったから、イメージが重なりません。髪もショートだったし・・・。

 鞭をピシンピシンと振り、軽功で梅花の樹の枝を折らずにヒューンと飛んでくるところは最近の武侠物のお約束で、悪女好きな人(うちの会員にも居た)にはたまらんでしょうな~。

 ゴールデン・スパロー(と、ラストに登場する中国人少女)を演じているのは、『神チョウ侠侶』で小龍女を演じていたリュウ・イーフェイ。武侠物には慣れてるだろうし、日本語で歌も出してたから、「国際女優を目指しているんだろうな~(事務所が・・・)」と思っていたら、いきなりハリウッドの大作で主役クラスだから、出世してますな~。

 琵琶をひき、不死身の将軍も倒せる翡翠のピャオ(中国式の手裏剣ですな)を操りますが、短い双刀を遣っています。

 さて、最強の敵、ジェイド将軍は、コリン・チョウ。

 イメージ的には二郎神君なんでしょうけど、徹底して悪人です。『北斗の拳2』の魔闘気を操るカイオウか、『ドラゴンボールZ』で魔導師バビディに従っていた暗黒魔界の王ダーブラみたいな感じ?

 ただ、コリン・チョウでは、ジャッキー、ジェットを敵にするには少しパワー不足な感じもするんですが、千葉ちゃんくらい濃ゆい人は他にいないだろうな~。個人的にはドニー・イェンのイメージかな~?

 ドニーの、『ドラゴンイン』の時の最強の宦官みたいに白塗りして馬鹿笑いしながら戦って、武侠たちを蹴散らす無敵っぷり・・・あ~、それなのに、肉斬り包丁を操る料理人に脚を骨だけにされてウギャーッ!と死ぬ・・・あの『赤んぼ少女』みたいなテイストが欲しい。

 さて、それでもこの作品、ジャッキーとジェットが対決するシーン等々、立ち回りシーンはCGに頼らず、結構、ライブ・アクションに拘っていて、巨匠ユエン・ウーピンの演出が光ります。全編、中国で撮ったそうなんで可能だったんでしょうね。

 主人公がストリートギャングのボスに蹴っ飛ばされるところなんか、無駄にパワフルだし、「え~、それ、やり過ぎだよ」って撮影中の様子が想像されて心配になりました。


 さてさて、それではジャッキーとジェットについて解説してみましょうか?

 ジャッキーは、そもそも京劇学校で洪家拳の基本を習得しています。

 中国武術は「南拳北腿」(あるいは「南船北馬」とも言う)と呼ばれて、南派拳法は不安定な船の上でも、ぐっと足を踏み締めて手技を多用するのが特徴で、その中でも洪家拳は代表的な名門なんですね。

 よく福建省にあっとされる南少林寺の伝説で、「反清復明」の漢民族復興に燃える革命闘士たちの一人、洪煕官が洪家拳の創始者とされていますけれど、中国で最大の秘密結社と言われる洪門会(ハンモンカイ、三合会ともいう)とも繋がりがあるとされます。

 だから、洪家拳は革命闘士を短期即成で武芸を教えるために非常にシステマチックに体系たてられていて、筋骨を鍛え、呼吸法で気を練り、即戦的に敵を粉砕する技を教えています。

 ちなみに人差し指をピンと伸ばした平拳を前に突き出して、深く騎馬立ちの姿勢でじっと立ち尽くす香港カンフー映画の訓練シーンでおなじみのアレが、洪家拳の代表的訓練法なんですが、目線を使ったり呼吸法を使ったり筋を伸ばしたりして身体内部を鍛える口訣も多く、短期即成だからレベルが低いと考えるのは大きな間違いですよ。

 有名なのは、龍・虎・蛇・豹・鶴の五種の獣になぞらえた五形拳(五獣拳という名前で『拳精』に登場。本作でもジェット戦と主人公の指導中に披露)ですが、これは初期の洪家拳には無かったらしく、比較的新しくできた套路(型)なんだそうで、鐵繊拳(『クレイジーモンキー笑拳』の怒りの拳が、この套路をベースにしていました)、十字拳などが知られ、有名な黄飛鴻(ウォン・フェイフォン)の秘技“無影脚”も洪家拳の中に含まれます。

 白鶴拳の影響が強いといわれる琉球空手にも洪家拳の影響はあるみたいに思えますね。

 ちなみにブルース・リーが最も修練した詠春拳も南派拳法に入り、白鶴拳が源流と言われています。

 単純に、表演大会で“南拳”と称して演じられるものは、洪家拳をベースに蔡李佛家拳の特徴的な大きく腕を振り回す技(腕ごと叩きつける)や蹴り技を入れて改編したもののようです。

 酔拳は、南派拳法にも北派拳法にもありますが、門派としてではなく、套路の一つとして、いくつかの地功拳(地ショウ拳とか狗拳とかがある。地面に転がりながら戦う技法が多い)系統の套路があるらしいそうです。北派の蟷螂門にも酔羅漢拳という套路があるそうですが、酔八仙拳は南派拳法に伝承されているみたいです。

 洪家拳の名手として有名なアクション監督で俳優のラウ・カーリョンは、監督作『超酔拳』の中で“酔猿拳”というのを披露していましたが、これは流石に創作でしょうね。

 ジェットのほうは、北派拳法(長拳・太極拳・形意拳・八卦掌・通備拳など)を一通り学んで「中国武術界の至宝」と呼ばれたほどの天才でした。いわば武術界の超エリート。

 ジャッキーのようにスタントからこなして現場の叩き上げで頂点に登ったアクション・バカ(誉め言葉)とは対極ですね。

 当たり役、ウォン・フェイフォンも、北派拳法の伸びやかな跳躍技を駆使して“無影脚”を表現していましたが、本作では蟷螂拳と棍法を披露。

 蟷螂拳は、七星派を筆頭に、秘門派、六合派、梅花派とか色々ありますが、南派にある蟷螂拳だけは周氏蟷螂拳といって技術原理がまったく別物らしく、一説にブルース・リーも学んだそうです。

 プログラムに因れば(ライターの安積さんは実際に中国武術を修行している方)、柳葉拳、猿拳、潭腿(弾腿)を挙げられていましたが、長い袖を利用して戦うところは、孫賓拳を遣っていたようにも思えます(孫賓拳は、高田馬場のラーメン屋マスターからちょこっと習ったことある)。

 孫悟空の猴棍は、京劇の西遊記物でよく演じられるものですが、猿っぽい仕草は京劇の影響だと思われ、猿拳とは孫悟空をモデルにした門派で聖天大斉の名前から採って、聖天門猴拳とか、いくつかの門派があるみたいです。

 そもそも、中国武術には猿の動きを参考にしたものが多くて、蟷螂拳の猿猴歩とか、形意十二形拳の猿形拳とか、白猿通背拳とかあるんですね。

 通臂拳なんて“手長猿”の腕は左右が背中で通じていて、一方が伸びると一方が縮むと考えられていたところから工夫されたそうです。

 猿がモデルだというと、日本でも愛洲陰流の伝書では猿が木刀構えて型を演じている絵が載っていたりして、それが中国の名将、戚継光の『紀効新書』だったか『武備志』だかに載っていたそうで、戚が日本刀法を研究して創ったのが“苗刀”という両手で柄を持つ湾刀の技法だったとか。

 本作の敵軍の兵士が持つ長柄武器も古代中国で遣われた“戈”や、“戟”が遣われていて、剣も青銅の古代剣だったりしていました。

 ジェイド将軍は方天画戟や青龍偃月刀?を使っていましたね。

 ゴッタ煮なのに細かいところがマニアックで、悟空が封じられた五行山や八卦炉、傷ついたジャッキーが運び込まれる寺が嵩山少林寺?で、『少林寺』のストーリーそのままの十三人の武僧がジャッキーを担いで助けに現れたりするところが楽しい。

 いやはや、作品の背景を知っていると何倍も楽しめるんですが、こんなの一般観客が知ってる筈もない日本では、ウケるかどうか? 『少林少女』もマニアック・ネタに白けて首を捻る人が多かったとか? やっぱり、そういうマニアック・ネタを知ってると作品の評価がガラッと変わるもんですよね。

 でも、アクション・ファンタジーとして非常によくできた作品なので、そんなに不満を感じる人はいないんじゃないかな~?

 ただ、映画館を出る時に前を歩いていた二人連れ観客の太った男が、「う~ん・・・オレは納得できん。ジャッキーとジェットが決着をつけると思ったのに・・・」と、何か勘違いして観に行った人もいるみたい・・・。

 私が強いて不満を挙げるとすれば、特訓シーンが少なかったところかな? あの辺りは『ドランクモンキー酔拳』でユエン・シャオティエン(本作のアクション監督ユエン・ウーピンの父ちゃん)がジャッキーを特訓するところを思い出したし、もっと、やって欲しかったな~。

 飯食うところで肉の取り合いするとか・・・? あっ、それは『キルビル』でやってたっけ?

 普通は、主人公が秘めたパワーを覚醒させて大活躍しそうなもんですが、ジャッキーとジェットにおいしいところは全部かっさらわれてしまいます。

 多分、初期設定ではジェットが大活躍する内容だったのでは? それにジャッキーを加えたから大御所二人のバランスを取るのに脚本を練り直したんじゃなかろうか?

 まあ、リアルに戻ってからストリートギャングのボスを倒すから、オタク少年の男気覚醒!という話だとすれば、こっちのほうがいいかもね?

 これはアメリカや中国では大ヒットしたみたいだから、続編もあり得るでしょうね。

 続編は、ドニー、サモハン、ミシェール・ヨーも出して、真田広之のサムライに、ケイン・コスギの忍者とか出して欲しいですね。
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日本刀って、斬れるな~

「五エ門の斬鉄剣は本当か?」というのを科学的に検証する番組中、斬心塾の東郷秀信師範が出演されていて、見事、鉄板を初代小林康弘刀匠の刀で断ち斬って見せていました。

 東郷師範が凄いのは、この鉄板を機械的に固定するんじゃなくて、お弟子さん達に持たせて斬ってみせたところですね。もし、刀が折れたり斬撃線が曲がって刀身が流れたりすればお弟子さんが大怪我するかもしれないんだから、師弟間の信頼感も尋常じゃない。

 さて、東郷師範が使った刀を鍛えた小林康弘刀匠は、鉄のレールや銃剣のブレイドを斬れる刀を独自の鍛刀理論から作り出したことで斯界で知られていて、「玉鋼を使わない」とか、「造り込みをせずに丸鍛えする」という現代の作刀理論からは異端とされる作刀法を主張し、鎌倉以前の古刀の再現を目指した人物として試斬を嗜む人の間で人気があります。

 ちなみに、うちの剣術師範代のSさんも、小林刀匠の刀を一振り持っていて、クエストのDVD『游心流武術秘伝の活用』で、私が居合術と無刀捕りを演武している時にSさんが持っていたのが、この“斬鉄剣”でした。

 TVを見ていて、「失敗したら俺もこの鉄板みたいに真っ二つになっていたんだな~」と、ちょっと感慨に耽ってしまいましたね。あの時はアドリブで演武したからな~。私もムチャするよな~。

 でも、Sさんだったら、私が失敗しても皮一枚で止めてくれるだろうと思っていたので、割りと思い切ってやれましたね。


 ところで、堅い物を斬るのも凄いんですが、逆に軽くて軟らかい物を斬るのも難しいものです。

『ぷっすま』で“真剣マル秘武士”と新聞のTV欄に書かれていて、「まさか、ま~た、甲野チャンが出てきて嘘んコ剣術とか見せるんじゃあるまいな~?」と思って、チェックしていたら、修心流居合兵道の町井師範が登場。

「あっ、この人はこの前、千本速斬りでギネスの新記録作った人だ!」と、一安心。

 スラ~リと抜いて見せた刀は刀身が白く擦れた疵が斑紋のようになっていますが、重さ1.36kgもあるそうで、多分、千本斬りに使った刀と思われます。

 銘は、“竹花一貫斎繁久”とのことですが、現代刀匠で玉鋼ナイフを作ったりされている方で『ナイフマガジン』の広告で見たお名前です。しかも、お値段は250万円とのことで、ビックリしましたよ。

 私なんて、50万円以上の刀で試斬とかやりたくないな~。刃毀れや引け疵がつくのも嫌だけど、折れたりしたら台なしだもんね。例えば、現在、分割払い中の小宮四郎国安なんて試斬りにもってこいの剛刀だけど、でも疵なんかつけたくない。

 20年以上の貧乏下流生活で、すっかりしみったれた性格になっちゃいましたよ。

 でも、町井師範は顔は童顔なのに腕前は凄いな~。片手抜き斬り上げでスパッ(これを実際にやってみせた人は五指に満たない)、袈裟に斬った巻きワラが空中にある間に真横にスパッ・・・あまりに簡単に斬ってみせるから驚くのを通り越してキョトンとなってしまう。

 そして、ペットボトル百本斬りと自転車組み立てのスピードを競うという趣向ながら、町井師範がミス無しでスパンスパン斬ってしまって圧勝。

 次はペットボトルより難しいトイレットペーパーの芯の百本斬り。ところがこれも後半にスピードアップして僅差で勝利。1.36kgの日本刀を寸分の狂いなく二百回斜めに振り下ろして失敗しなかったんだから、もう、マシーンのような正確さですよ。

 クマのプーさんみたいな温和な顔で淡々と物凄い技をやってみせるんだから、この人は掛け値なしに達人と呼んでいいですよね~。

 それに、ペットボトルとかトイレットペーパーって、簡単に思えるでしょ? 違いますよ。青竹や巻きワラ斬るより難しいですよ。軽いから抵抗が小さく、刃筋を徹すのに相当なスピードが必要な筈です。

 目標が小さいから適切な距離を目測するのも難しい筈だし、普通の刀よりずっと重い日本刀を針の穴を通すような正確な軌道で振り続けるのも至難だと思いますよ。

 以前の千本斬り達成の時は「据え物斬っても意味がない」みたいな批判をする剣人がいたそうですが、次々に多数の巻きワラを斬っていくのは、野太刀自顕流の打ち回しの稽古にも共通していて武術的にも十分に評価できる技だと思います。

 それにしても、東郷師範、町井師範共に日本刀の凄みを卓越した技量で見せつけてくれたのは嬉しい限りでした。私も、そろそろ本格的に試斬にも挑戦してみたいな~。


追伸;榎木孝明さんが『ラジかるッ』に出ていて、「古武術をやっているそうですが、見せてください」という視聴者の要望に応えて、脱力技法の崩し技を見せてくれました。示現流の心得があって、斬心塾で学んでいたというのも有名ですが、最近は甲野氏にも学んだと聞いています。けれども、甲野氏の技の原理が脱力技法なのを見抜いたんじゃないですかね。「力は要らない。力を抜けばいいんです」と、さらっとやって見せているところは非常に自然で、相手の軸を引き崩すようにして合成力(少し引いて下に落とす)を効かせてかけていました。はっきり言って、甲野氏よりずっと上手いです。巻きワラ一本斬れない人とは違って基本ができてるからな~。
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『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』を読んで

 新聞の広告記事でアキバ通り魔事件に関する評論集が出るということで、早速、シダックスの講座がある日に電車を一本分早めて、橋本駅前ビルの書店に買いに行きました。

 最近、プロの物書きとしての力量不足を痛感してまして、特に若い頃に読んでいた現代思想系の本なんかの批評論の表現法なんかももう一度、勉強し直してみっぺぇ~?みたいなことも思ったんですよね。

 何か、中身が薄くても思想的な表現を工夫したら、何となく偉そうで一般人が意味も解らずひれ伏しちゃったりするじゃないですか?

 そういう一級文化人みたいな文章も書けたほうが、ネームバリュー上がって仕事増えるんじゃないのかな?とか思ったりする訳ですよ。

 で、思想系、哲学系の本なんかも書店でパラパラッと眺めてみるんですけど、やっぱり抽象的な言葉がダダダーッと羅列されてるだけだと、つまんないったらありゃしなくてですね~。

 それで、もう少しレベル落としたサブカル批評本くらいにしとこうっと、思った訳。

 アキバの通り魔事件に関しては、私も凄く気になったし、武術の観点からも考えるべき点が多かったので、この本を読んでみたんですが・・・。

 正直言っちゃってもいいですかね?

「ヌルイね・・・」

 思っていたような卓越した論は無いし、事件より犯人の心情や社会学的な他愛の無い解説が並んでいるだけで、「そうだっ、その通り!」と言いたくなるような論はありませんでしたね。

 いや、サラサラーッと流し読みして「つまらん」と思ってほうり出してしまう・・・というのを5回も6回も繰り返したので熟読はしなかったんで、決めつけた書き方をしては申し訳がないんですが、でも、そのくらい慧眼を感じさせる論が無かったんですよ。

 ちょっと、共感できたのは、蔵研也氏が「経済力がすべてではない」という結論に纏めたところに賛同を覚えました。宮台真司氏の「勘違いの野放しが問題」というのも納得。

 でも・・・概ね、この犯人に同情的な方向での論説ばかりに思えて、何か根本的に「貴方達は人間としてやっていいことと悪いことの区別はついてんですか?」と言いたくなりました。

 この犯人は、要するに親や社会に対するルサンチマンが高じて“無差別殺人”という行為で自己顕示欲を満たしたかっただけのコンプレックスの固まりでしかないですよ。

 そんなチンケな男に共感や賛辞、崇拝の声を挙げるのも精神構造が同じレベルの幼稚な自己愛者でしかないでしょう。

 ワーキングプアだの何だのと言っても、商売で成功して金稼ぐ人間は、相応のリスクを負って努力を重ねるのが当たり前。与えられる職場しか選べない自分の脆弱さを自覚しているなら、何故、そこから抜け出していく努力と工夫、自己鍛錬をやろうとしないのか?

 私はまったく同情しようとも思わない。自分の脆弱さを変える勇気がない者が、社会や親に責任転嫁してみせるなんて卑劣で臆病なだけ。それを「真面目さ」だと勘違いして同情する間抜けの多さには呆れ返ってしまう・・・。

 この犯人は相当に頭がいいですよ。ズル賢い。自分がいかにも親や社会に追い詰められて爆発した悲劇のヒーローであるかのごとく周到に自己演出を重ねてきていますね。

 私がそう考える理由は、第一に、犯行の場所としてアキバを選んだこと。第二に、わざわざ福井の専門店まで足を運んでマニアしか買わないダガーナイフを購入したこと。第三に、犯行をネットで実況したこと・・・。

 私は、犯行の切っ掛けになったという“ツナギが無かった”ということに本人の作為的な演出を感じるのです。自分がキレて犯行に及ぶ正当な理由付けのシンボルが欲しかったから、“ツナギがない”と必要以上に大騒ぎして見せた・・・と読む。

 何故なら、犯人は過去に何度も何度も自分から仕事を変わっている。仕事に愛着があったとは考えにくいし、リストラされてもいきなり食うに困る状態になったとは思えないのです。

 こうした言動は、演技性人格障害のタイプに多く、統合失調症の人が犯罪を犯すやり方にもよく見られます。

 無論、だから無実だと言いたいのではなく、責任能力は明確にある。

 犯人に同情的な人達は、彼の周到な自己演出に乗せられてしまって、彼の深層心理に巣くう異様なまでの屈折した自己愛に気づいていません。

 自虐的な文章をネットに書き込むのは、本音ではなく、むしろ逆でしょう。

 優しい女の子に「そんなことはないよ」と言って欲しいからでしょう。餓鬼がよくやる手口ですよ。彼は典型的なナルチシストであることが、ポーズ取った写真を見ても、文学調に気取った文章を読んでも明確に感じられますよ。

 恐らく、「本当の自分はこんなものではない。それを世の中に見せてやる」というナルチシスト特有の想念こそが、彼を犯行にかき立てた真の動機だろうと私は観ます。

 それが、世界的に注目される町“アキバ”を選び(主演舞台)、百円ショップで買えるようなありふれたものではない特別な“ダガーナイフ”を専門店で購入した(特別な小道具の準備)理由でしょう。

 そして、彼の邪まな目論みは成功し、犯罪史に残るだろう凶悪な事件となったのに、多くの共感者、崇拝者を生み出したのです。正に、用意周到な邪悪な計画でした。

 このタワケた誇大妄想狂の演技に乗せられて、刹那的で邪悪な悪意に捕らわれて外道に陥る者が増殖しつつある。一瞬の邪念が一生の希望を潰してしまう予測ができずに、理性を喪失してしまうのです。

 弱い人間だからこそ、夢と希望を掲げて、努力と自己鍛錬を積まねばなりません。生きていくのは、須らく、辛くて苦しいことばかりです。それが現実であり、自分の思い通りにはなりません。

 どうしてか?

 皆が自分の思い通りになることだけを求めれば、互いの思いがぶつかり合って、社会は成立しなくなるからです。だから、生きていくには他人と共存共栄することを考えて、自らの適性を考えて仕事を選んでいかねばなりません。

 現今は、経済力が最も力を持つようなイメージが広まり過ぎています。金を稼ぐことさえできれば後はどうにでもできると本気で錯覚している人もいます。

 だから、自分の適性を考えないで仕事を選んでいるからこそ、金は稼げても心は苦しく居たたまれなくなってしまう。

 しかし、金で得られないものは現実にいくらでもあります。

 学識や芸術の才能、武芸も金で得られるものではありません。本気の恋愛も経済力とは無関係です。「幸せは金では買えない」というのは本当のことなんですよ。

 昔は“職人”というのは学の無い下流の人間がやることと蔑む傾向がありましたが、最近は技能職が見直されてきつつあります。腕に技能があれば仕事は得られる。卓越したスキルがある人は引っ張りだこになります。

 以前、ライター仲間だったNさんという人は、「職人になりたい」ということを言っていましたが、要するにプロフェッショナルとして仕事をこなせる人間になりたいという意味だったんだろうと思います。

 彼は、“好きな仕事がこなせれば貧乏でも構わないよ~んオーラ”をビンビンに出している人でしたが・・・。

 私は割りと目立ちたがり屋なんですが、同時に恥ずかしがりなんで、名前が知られるのは嬉しいんですけど、あんまり表に顔を晒すのには抵抗があります。本の表紙がイラストなのも写真で顔出してると書店で恥ずかしいからですよね。

 真正のナルチシストじゃないんで、人からジロジロ顔見られたりするのは嫌なんですよね。やっぱり、職人的なポジションで物書き仕事ができればいいかな~?とも思うようになりましたよね。

 命には限りがあるんだから、やりたいことをガムシャラにやって、後悔しないで死にたいですね。生きていくのは辛く苦しいことばかりかもしれないけれど、それだけって訳じゃないし、頑張ったことは決して無駄にはならないんですよ。

 自分の人生を大切にして、他者も尊重するのが大人ですよ。

 私がアキバ事件の犯人に最も憤るのは、“無関係な人達の命を理不尽に奪った”という点についてです。私は、それを徹頭徹尾、憎悪します。

 そして、犯人に共感したり崇めたりする言葉を吐く人達に、「貴方の愛する人が理不尽に殺されても、同じ言葉が言えますか?」と聞いてみたいものです。
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中国も体制の曲がり角か?

 本当にムカつきますね~。「ほ~ら、見ろ。やっぱり中国国内でメタミドホス混入してたんじゃん。判明した時点で日本に謝れよ!」と思いましたね。

 まったく、中国政府の捏造体質は非道過ぎますよ・・・。

 かつて、ソ連が崩壊した時、日本の社会党、共産党はガタガタになりました。

 北朝鮮の拉致疑惑が真実だったことが判明した時、日本の社会主義思想家は天を仰いでい嘆いていました。

 社会主義、共産主義は、自然科学に対する社会システムの科学として“社会科学”が成立するという理論によって生まれたそうです。

“~そうです”と書くのは、私は興味がないから自分から勉強したことがないから。それでも全共闘世代の人達からコッテリとレクチャーを受けて、何となく、「ハア~、そういうことっスか?」という程度の浅い認識は持っていました。

 けれども、それ以上、自分から進んで理論を追究する気になれなかったのは、「民衆の団結の力によって資本主義権力を倒すのだ!」という大衆扇動型の労働者運動の論理が、単に軍国主義の裏返しみたいなきな臭い印象が臭ってきたからです。

 私は、世の中がどうあろうと気にしません。「俺は俺。誰かに認められたいとか、世のため人のため、な~んてお為めごかしは言わないよ」という意識が強いから、社会の在り方にかかわらず、自分の在り方が重要だと考えるからです。

『どろろ』の歌、「こ~れも世のため、人のため~」に続いて、「とぼけちゃいけねえ、知ってるぜ。お前ら、み~いんなホゲタラだ。ホゲホゲタラタラ、ホゲタラポ~ン」と笑い飛ばすフレーズ・・・ああいう感じなんですよ。

 あるいは、亡くなった赤塚不二夫描くバカボンパパの「これでい~のだ」とか、あ~いう気分ですよ。世の中がどうしたこうしたとか関係ない。権力持った人間の問題。

 45年の短い人生の中で、立派な言葉、綺麗な理想を口にする人には少なからず出会ってきたけれど、一人の例外もなく欺瞞家でした。

 売名欲に脳みそが汚染されて裏切りを繰り返すような人間が「陰徳を積む」なんて言った日には笑い死にしそうになってしまう・・・。

 人間、生きていくのに間違いを犯さない者なんかいません。金、女、名誉・・・欲望はあって当たり前。本当に無欲であれば、深山に分け入って仙人のように暮らしている筈。

 それを隠すか隠さないかの違いが大きいのではないか?

 中国は、これまで自国の間違いを隠しまくってきました。民主化運動を呼びかける学生達を有無を言わさず抹殺した“天安門事件”。

 社会の秩序を維持するには考えの違う者は殺す・・・それが社会主義思想なのか?

 それも、ほころびが見えてきつつあります。テロ、食品に混入された毒物・・・国内で内乱が起ころうとしている。社会を震撼させることで社会主義システムに揺さぶりをかけている。

 日本の通り魔事件とは比べものにならない民衆の怒りがそこにのぞきます。

 これが一過性のものだとは思えませんね。中国は変わろうとしている。そして、恐らく、変わる。遠くない将来に・・・。

 そして、世界も変わっていくでしょう。その予兆は既に始まっていますよね。


追伸;いや~、ちょっとマジメに書いたら、疲れたよ。あんまし具体的なこと書くと敵が増えまくるからな~。ぼかすしかないけどね・・・フフフ(意味ありげ)。ところで、日テレ土曜夜9時の『ヤスコとケンジ』にはまってます。松岡クンのヤンキー顔がサイコーです。格闘シーンも、松岡クンの動きの良さに感心させられます。多部未華子も毎回、転んでピューンとつっぷすところでニャーッと猫声で悲鳴あげるお約束が面白いです。ギャグはお約束が肝心ですよ。広末も伸び伸びしてて新境地開拓しつつありますね。昔は太っていて松岡クンに告白するために必死で痩せた?という設定が笑えた。

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キレて得することは一つも無し・・・

 アキバ事件が切っ掛けになってナイフを使った殺傷事件が激増してきていますが、私は、こういう事件を起こす人間の気持ちが解らなくはないけれど、やっぱり共感はまったくできないし、正直、「他人を殺したり傷つけたりするくらいなら、独りで勝手に死ねばいいじゃない?」と本気で思います。

 かつて学生運動華やかなりし頃、テロリズムに走って暴力に訴える活動家の行動を支持する民衆はいませんでしたよ。

 戦前の教育を受けた私の両親は、浅間山荘事件や爆弾テロ事件を起こす過激派活動家の報道を新聞で読んだりTVで見たりする度に、「いいか、こんな事件を起こすのに理想も何もない。ただのキチガイだ」と、苦々しく言ってきかせました。

 大陸(満州)で生まれて子供の頃に天草に引き上げてきた両親は、戦争でやっと生き残った人間として、過激派の説く反権力、社会主義の理想も、結局は暴力を使って打ち立てようとする行為自体に胡散臭いインチキ軍国主義と共通するものを感じたようでした。

 戦争に負けたら途端にそれまでの教育を全部否定して、これが正しいんだと民主主義を押し付けられる。昭和一桁生まれはたまったもんじゃなかったでしょうね。

 だから、思想の胡散臭さは理屈じゃなくて体感で嗅ぎ取るのが当たり前。個人が信奉する理想のために、それに共感していない人間を犠牲にする思想なんか、誰が支持できるのか?

 人を殺せば命で償うしか道は無し・・・。

 野生動物が本気で戦うのは、食べ物を得るためか、食べられないため。必然的に命のやり取りになるものの、その残酷さに文句を言う余地はありません。そうしなければ生きられないのだから・・・。

 だから、「殺す者は殺される」というのが闘争の本来の原理であって、そこに武術の考え方もあります。従って、命のやり取りという戦闘状況しか考えないのだし、「腕試しに益は無し」という認識があるのです。

 私が最近のナイフ殺傷事件に感じるのは、キレることで自分の責任を放棄して自分の行為を正当化しようとする合理化の意志が強く見えることです。

 意味不明の被害者意識が根強くあるだけで、人を殺傷するに足る積極的な理由がないんです。彼らの感情が理解できる云々の論議は殺人の理由付けにはならないのです。

「誰でもよかった」「独りで死ぬのが寂しい」「注目して欲しい」・・・。

 誰でもいいのなら自分だけで死ねばいいじゃないですか? 独りで寂しくて注目して欲しいのなら、繁華街のど真ん中で切腹でもすればいいんじゃないですか?

 もちろん、自殺は良くないですよ。

 どうして良くないか? 人として良くないのか? いいえ、私はそういう風には思っていません。

 本人が意図するかしないかにかかわらず、“必ず、誰かに迷惑がかかる”からですよ。

 葬式だって300万円くらいかかりますからね。賃貸アパートで自殺した日にゃ~、大家さんにも不動産屋さんにも迷惑かかるしね~。

 リスカで死ねば血だらけの畳やフローリング、壁の清掃に業者さんが必要になるし、身内がいなけりゃ残った家財道具の始末にルームサービスを頼まなきゃいけない。

 おまけに、自殺者が出たんじゃ縁起が悪いから、御近所への口封じとイメージアップを兼ねて、神主さんor真言密教系の坊さんor霊能者にお払いをお願いしなきゃいけないかも?

 ま~、安く見積もっても数十万円はかかりますよね。悪質な霊能者だと300万くらい平気で要求したりしますからね。大家さんが自殺したくなっちゃいますよ。

 でも、他人を殺すのよりは、まだマシですよ。人を殺して自分が生き残ったら、自分はその後、殺人者として一生を過ごさなきゃならなくなって人生は台なし、家族は殺人者の親兄弟という不幸なレッテルを貼られて生きていかなきゃならない。

 だから、人を殺すくらいなら自殺したほうがマシだと私は思う。真剣にそう思う。死にたい人に死ぬ自由はあっていいと思う。

 私はそういう考えなんで、かつて、「死にたい」と言う親友を訪ねて、真面目に自殺のやり方について一緒に考えたことがあります。もう、下手に慰めても無駄だと思ったし、結構、マジで考えましたよ。

「リスカは時間かかって痛そうだからダメだろう」とか、「ビルから飛び降りるのは通行人に激突して巻き添えにしたら大変だ」とか、「舌をかみ切って死ぬというのは嘘らしい」とか、「農薬飲んで死ぬのはメチャ苦しいらしい」とか、「公園で首吊ったら、公園の管理している人にも責任がかかって失業させちゃうかもしれない・・・」とか。

 そんなことを色々と考えていると、そうそう死ねるもんじゃないよな~って思えてくるんですよ。生き物には、本能として「生きたい」という欲求があるんだから・・・。

 自分でも中学の頃とか生活苦で将来に希望が見えなかった頃とか、何度か自殺を考えたことがあります。このまま生きていても何も楽しいことはないように思えたから。

 さすがに、「彼女がいないから」とか、「誰も注目してくれないから」みたいな感情は無かったですけどね。私は独りで気楽に生きられるのなら、そっちのほうがいいと思ってるから“寂しい”という感情はとにかく無いですね。だから、あくまでもイジメが辛いとか、生活が苦しいとか、現実的な理由でしたよ。

 でもね~、やっぱり怖いですよ。それに、生きていさえすれば挽回できるチャンスがあるんですよ。「生きて挽回したい」という欲求が強かったから、将来に希望が持てなくても、「いつか俺は必ず活躍できる刻が来る! いや、そうでなかったら生まれてきた甲斐がないし、親に申し訳ない。その刻のために今は我慢して勉強しなくちゃいかん」という強迫観念みたいな予感が有りました。

 そういえば、十年くらい前だったかな~? ある中国武術家と大喧嘩になった時に、その人からの手紙で、「お前はどうして、そんなに自信があるんだ」みたいなことを書かれていましたね。

 私は逆に不思議でしたね。何故なら、その人は、「自分こそは日本の中国武術界の救世主だ」みたいな誇大妄想的な自信に満ちた発言と態度を隠さない人でしたから。

 けれども、それは自己暗示をかけて自分を鼓舞していたのかもしれません。

 その人は、「自分がどんなに頑張っても世の中に認めてもらえない」というコンプレックスが凄く強かったみたいで、後で知ったのは在日コリアン系の人だったそうなんですが、松田優作がそういうコンプレックスが凄く強かったという話を彼の最初の妻が書いた『越境者・松田優作』に書かれていて、なるほどそうか、と思いましたね。

 でも、在日コリアン系の人は芸能界や武道・格闘技の世界で日本人以上に大勢活躍しているし、昔みたいに人種差別を感じる必要はなくなっていると思うんですけどね。

 世間的に知られている人では、力道山、大山倍達、前田日明、布袋寅泰、和田アキ子とか、とにかく「えっ? あの人もそうだったの?」と言いたくなる大物ばっかり。

 正直、もう隠す必要なんか全然ないと思いますね。

 以前にも書きましたが、日本人も日本から出たら人種差別に晒されるのは同じことだし、結局、同じ状況に置かれていても視点を変えれば対応も変わるでしょう。

 隠すことそのものが後ろめたい気持ちの現れなんであって、それが逆に差別を助長してしまうと思うし、「俺は俺。他人がどう評価しようと関係ない」という態度でいればいいんじゃないのか?

 何か、最近のナイフ殺傷事件を見たり、ネットで共感の声を発している人達を見ると、辛くなりますね。

「どうして、そんなに弱いのか?」って、気が滅入るんですよ。

 はっきり言って、自分の人生は誰の責任でもなくて自分の責任なんですよ。誰もがそう自覚して頑張って生きている。だから挫折しようと失敗しようと世の中を恨んだり親を恨んだりはしない。

「あ~、自分の力が足りなかった。ごめんなさい」という気持ちで自殺する人を責める気はしないでしょう。

 だけど、事件起こす連中の言い分って何ですか? 世の中のせいにしたり、恋人がいないせいにしたり、親のせいにしたり・・・子供かよ?ってレベルですよ。

「あのね~、テメ~が弱過ぎるだけだろ? 何で自分を磨いて力をつけることを考えないんだよ?」って、言ってやりたくなるんです。

 でも、昔、左翼系の人から言われたな~。「じゃあ、長野さんは弱い人間は生きていちゃダメだとか言いたいの?」と言われたんですけどね。

 はい、強く生きていく意志を放棄して他者や社会に庇護されることを最初から期待しているような弱い人間は死んでいいと思います!(エ~ッ?)

 人間は強いも弱いも関係なく、いずれ死にますよね。どんな強い人間でも年とったら肉体は衰えて弱くなりますよ。生まれつき身体の弱い人や障害持って誰かが支えないと生きていけない人もいますよ。

 だけど、「生きる」という強い意志があるからこそ人間は身体の弱さや障害を乗り越えて頑張っていけるんですよ。その意志が弱い人は、自殺を選ぶ権利はあっていいんじゃないか?と思うんですよね。

 そして、身体的にも何も問題がないのに意志だけが弱い人。そんな甘えた人間は存在するだけで人に迷惑だから、さっさと死ぬべきだと思うし、助ける必要も全く感じません。

 日本みたいに生きていくのに苦労しないで済む国は世界中にほとんどないんじゃないですか? 物凄~く、優しい国だと思いますよ。ホームレスがTV見たりガスコンロですき焼き食ってたりする国なんですよ? 働いて金稼ぐチャンスなんかもゴロゴロ転がってますよ。

 私は不思議で仕方ない。ワーキングプアとかネットカフェ難民とか色々と言ってるけど、貧乏から抜け出して成り上がるのは若者の王道でしょ? 何で、いつまでも先の展望考えないでひたすら貧乏に耐えようとか考えちゃう訳ですか? ゼ~ンゼン、解らない。

 会社員しか仕事の選択が無いとでも思ってるのかな? 自分で商売やってもいいし、芸術や音楽に夢を託したっていい。田舎に行って農業をやったっていいじゃないですか?

 やろうと思えば道は無数にあるんだよ。横井さんや小野田さんみたいにサバイバルして戦後を生き抜いてきた人だっているでしょ? 与えられることばっかり考えている人間に道は開けてこない・・・というだけの話ですよ。

 天は自ら助ける者を助ける。これは人間の心理でも同じでしょう。アキバ事件に共感する人達の心理には彼と同じ甘えの心理があるんだと思います。そこが一番の問題点なんじゃないでしょうか?

 派遣社員の置かれた苦しい状況とかも理解はできますよ。でも、今はこんな不況な御時世なんだから、金が無いのはどこも同じですよ。若い世代だけじゃない。働き盛りでいきなりリストラされる人なんかいっくらでもいます。

 そこからはい上がるには、自分を磨いて金を稼げる技能を高めるしかないでしょう?

 宝くじも買わなきゃ当たらない。やることやってからでないと恩恵は得られない。何か、幸運は平等に誰にでも与えられるとか甘いこと考えている人が多すぎると思うんです。

 幸運も、努力している人にしか巡ってこないですよ。

 最近、手相の本読んでいて気づいたんですけど、私は昔は金運線とか財運線とか全然なかったんですけど、何年か前からくっきり出てきているんですね。

 具体的に生活水準とかは大して変わっていないんですよ。でも、尋常じゃない金運財運がある・・・。それで解ったのは、私は金に換算したら物凄い額になるだけの武術に関連した知識を持ってるから、それを示しているんだな~と思いましたよ。

 だって、おかしいもん。武術に関してだけは異常に恵まれてるもん。縁の無い人は何億円出したって習えないようなことを沢山学んじゃったもんな~。

 現実に今、それを使って生活しているし、本当に、頑張ってやってきたことは必ず報われるもんだと思います。それを信じて頑張れないのなら、猫みたいに人目のつかないところに消えて自殺するくらいの慎み深さを持ったらいいんです。

 他人がどうだとか世の中がどうだとか・・・関係ないんだよ。全部、自分の責任!

 生命力って、意志の力も含んでいると思います。無差別殺人なんかするより、「私の臓器を役立ててください」って言っておいて死ねば、せめて、死に甲斐もあるってもんでしょう?

 それが嫌なら、もっと貪欲に生きようよ~。

 キレるのが早過ぎる!
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游心流は不殺活人を目指す

 昨年の分裂騒動以来、ぐぐっと減った常連会員さん達ですが、シダックスとセミナーには復帰組及び新規参入組も増えてきて、技術レベルでいったら、今が一番、充実しているかもしれません。

 やっぱり、薄めて普及するより、少数でも理想の武術を体現してくれる人がいるほうが嬉しいんですよ。大きな組織を作ろうなんて気の迷いだったと反省しています。

 とにかく、以前と同じ技だと侮られてしまうっと思ってて、じゃんじゃん新しい技(特に蹴り技と関節技とか)を指導していますし、歩法が使える人が二人になったので、この二人には游心流秘伝絶招“蛟龍十八式”(これさえ体得できたら大抵の相手は恐れるに足らず!)も教え始めています。

 この技は交叉法の弱点を補完するために数年前からこっそり研究してきていたんですが、一気呵成に縮地法を使いながら攻め込んで相手に何もさせずに叩き潰す理合で考案したものなんで、いかんせん、歩法(蛟龍歩の第三段階まで)ができないと使えない技で、教えたくとも教えられなかったんですよね。

 だから、一見して交叉法とは繋がらない地味な歩法の練習をずっとやらせていたんですがね。私を信じて練習した人ばかりじゃなかった・・・。

 本当に目先の合理性しか見えない人間には教えるだけ無駄です。素直に練習していれば体得できたものを、目先の効果にしがみついて一番大切なものを掴み損なうんだから、愚か者としか言えません。縁無き者は何とやら・・・です。


 月例セミナーに通っている会員さんも相当上達してきていますが、土曜と日曜の両方通っている会員さんは、一週間経過すると別人のように上達してきていて、ちょっと驚かされてしまいましたよ。

 交叉法も基本的なところは体得できているし、それに加えて脱力したまま打撃を連発しつつ死角に回り込むとか、歩法と合体して技を出せるようになってきました。

 8/3の定期稽古会では、差し手からの約束一本自由組手形式で練習させてみたところ、以前のように技の繋ぎに迷いが出ることもなく、スムーズに差し手、粘手、打拳、逆捕り、崩し、肘打ち、掌打、膝蹴り、暗腿などを自在に組み合わせてアドリブで動けるようになっていました。

 これだけ攻防一体連環自在に技を繰り出していければ、特に直すところはないです。今まで教えてきた人達の中でトータルバランスでここまでできるようになった人はいませんでしたからね。

 後は、技の威力とスピードアップ、足技のテクニックを磨くくらいで素手の体術はカッコウがつくでしょう。

 それと、打撃技法の構造的改革(重心移動の打拳)もモノになってきたので、中国武術の高級技法である抖勁(身体のどこでも打てる発勁技法)も、開門技法(相手の構えを打ち崩すこと)の鞭手打法の中で、肘、前腕外、前腕内、手首(鉤手)、掌底部、裏拳頭、貫手、蟷螂手(点穴)を一挙動で連続打撃していく蛇形掌法や、酔八仙拳の呂洞賓の形の特徴的な酒瓶を抱える動作の中で円く張った内腕から肩、胸、腹を使った連続発勁のやり方まで指導解説しました。

 こんなのは難し過ぎて教えてもできっこないと思っていたんですが、今の会員さん達なら教えても体得できますからね。後は、やっていれば自然に身体が接触した瞬間にそこから発勁を打ち込めるように自然になっていきますから、そうなると構えたり受け技なんかも必要なくなってくるんですよ。

 そうなって、はじめて無構えの有効性が理解できるんです。

 少なくとも二人は、そのレベルまで到達しています。しかも、毎回毎回、違うパターンで技を変えて攻め崩していく様子は、ダンスを見ているように滑らかで優美な印象すら出てきています。

「やった! 俺の理想の武術はこういうものなんだ」という感慨が湧いてきました。

 ちょっと前までは打撃で粉砕するやり方を稽古させてみたんですが、それだと動きが中断しやすかったんですね。流れが途切れると隙が生じる。流れていれば九割り負けたと見せておいて一気に逆転できる。

 それで、敢えて推手をやらせたんです。

 推手で相手の力の方向を皮膚感覚で読み取り、その力の流れを吸収変換させて相手の重心の崩れを本人が察知できないうちに誘い出す。「勝った! いける」と思わせておいて最後の最後に逆転する。これが推手の真の用法だということです。

 このやり方は、現代中国十大名人のお一人だった王培生老師(呉氏太極拳・程派尹派馬貴派劉派八卦掌・形意拳・少林拳・李書文八極拳などを伝承し、陳氏太極拳を広めた陳発科老師と互角の勝負をしたことで有名。ちなみに日本少林寺拳法のY氏に腕試しを挑まれてふっ飛ばしたり擒拿術で抑えた事件が「日本の空手家を倒した」として現地新聞にて紹介された)の技を日本で伝えている高小飛先生からうちの師範代を相手にして実演教授していただいた原理を研究してきたものです。

 推手を研究していく段階でシステマのDVDも随分と参考になりました。頭の中で考えていたことを実際にやって見せられると嬉しいのと悔しいのが半々でしたね。

 でも、そこで立ち止まっていたら何も進展しません。武術は自分の身体を通して深めていかねば何の意味もありません。推手の研究は“力の働く(働かない)原理”についての理解を助けてくれました。

 それをさらに各種の武術の技(空手、柔道、合気道、剣術)にフィードバックさせて確認していく実験的作業を通して、技のバリエーションが無尽蔵に広がってきました。

 これらを意味も解らず単なる推し合い崩し合いの形式練習のみ繰り返していたら、一年やっても二年やっても、あるいは甚だしい場合は十年二十年やったとしても本質的向上は望めないかもしれません。

「太極拳は技無しで対して万の技を打ち破る」という言葉の真相を体得しなければ形式をいくら覚えても役には立たないんですよ。ここを理解できない人は何年やっても無駄でしょう。

 その点、「相手の力の強弱にかかわらず、力を働かせないように体内で受け流して(化勁)、反撃の隙が生じるのを感知する」という推手の高度な戦術が、まだまだ未熟ながら、やればやる程、目に見えてレベルアップしていくようです。

“片足立ちで胸を押させても崩れない”というパフォーマンスも、以前は太極拳の達人が30年やっても体得できるかどうか判らない高度な化勁の技なのだ・・・と思っていましたが、これって素人に教えてもその場で一分もあれば体得できますからね。

 この手のパフォーマンスで達人っぷりを印象付けてエバッてきた人達は、さぞや私が目の上のタンコブみたいに思えるでしょうね。真相を初心者でも理解できるように簡単にバラしちゃってるから・・・。

 ただ、推手の練習だけだと、離れた間合から素早く拳を打ってきた相手には通用しないでしょう。多くの太極拳修行者が実戦に対応することを諦めてしまう最大の難関がこれなんです。

 最初から接近密着できれば有利に戦えるけれど、離れた間合からビュンビュン打撃を打ってこられたら防ぐ間もなくやられてしまう。

 そこで有効なのが、太気拳の差し手なのです。差し手で接触して粘らせるように相手の突き腕を殺しながら正中線を攻め崩していく・・・。

 この戦闘理論を考えついたのは、太気拳一門の重鎮、岩間統正先生をかつて取材した時にヒントが得られたんです。

 そして、差し手を合わせるタイミングの執り方が、“交叉法”なんですよ。

 ボクシングのクロスカウンターって、相手のパンチの外側に被せるように自分のパンチを打っていくでしょう? でも、これって顔面が内側に入るから危険ですよね。

 実戦中国拳法の雄として斯界で有名な蘇東成老師は、ほとんどが相手のパンチの外側に体捌きしながら突き腕に乗せた崩拳(ストレート)や鑚拳(アッパー)を滑り込ませるように顔面に打ち当てていきます。

 これだと相手の腕を制圧したまま自分は安全圏にいて、一方的に相手を攻撃できる。形意拳の技と八卦掌の戦法を組み合わせた巧緻な戦術であり、天才的武才の蘇老師ならではの応用技です。

 かつて、「長野先生の技は蘇先生の技に似ています」と、蘇老師に学んだことのある人から言われたことがありますが、私が本格的に中国武術を学ぶ直前の頃、蘇老師のビデオと太気拳のビデオを参考に我流で練習していたりしたんです。

 で、その我流の技で甲野氏を顔面ビンタしちゃった・・・という訳なんですよ。

 そういえば、早朝にTVのチャンネルを回していたらNHK教育で甲野氏が出ていました。以前、見た『心の時代』の再々放送みたいでした。

 でも、池袋西武のコミュニティカレッジの講座中だと思いますが、甲野のバカチンめ?は、あろうことか、「現代剣道は宮本武蔵や柳生新陰流が教える足の踏み方や姿勢とは別のやり方をやっていながら剣について語るのはけしからん・・・」みたいなタワ言を好き勝手にほざきまくっているではないですか!(プンプンッ!)

「このタワケっ! そんな偉そうなこと言うなら、剣道家と勝負して一度でも勝ってからにしろっ!」っと言いたくなったのは私だけ?

 何で私が激怒するか理解できない方のために以前ブログでも書いた暴露話を再度書いておきます。

 甲野氏は、筑波大学で剣道五段(当時)の人と剣道の試合をし、30分間、ただただ一方的に打ちまくられて何もできなかった・・・という事例がありますし、また、数年前にも私が当時指導していた剣道二段の会員に公開稽古会で袋竹刀で一方的に打たれてしまっています。

 その会員は、「あれじゃあ、剣道初段の人にも勝てませんよ」と呆れていましたけれど、その程度の人間が「現代剣道はダメだ」なんて言っているんですよ? 糞馬鹿過ぎるとは思いませんか? 要するに、剣道にメタメタに負けてるもんだから屁理屈でケチつけてるだけなんですよ。オカマの腐ったような性格だって思いませんか?

 いや、久々に燃えましたね。私だって、武術の第一歩は剣道でしたからね。理不尽な誹謗中傷には黙っていられません!(蓑輪先生にも教えてあげようかな?)

 やっぱり、一回、お手合わせして叩きのめして反省させなきゃダメなのかもしれませんね。しょ~がないな~。誇大妄想ってなかなか治癒しないものなんだな~?

 ちなみに、現代剣道の足の踏み方についてですが、私見ですが、恐らく幕末に流行った北辰一刀流を中心にした竹刀稽古のシステムの中で、柳剛流というスネ打ちを得意技にする流派が大きな勢力だったことから、スネを払ってくる竹刀を避けて隙発入れずに打ち込む身体運用を工夫し、カカトを浮かして拇指球に体重をかけて迅速に進退するやり方が発達したのではないか?と考えます。

 カカトを接地してシュモクに踏む古流の運足法は、一対多を想定して動く場合は有効でも、一対一で正中線を守りつつ攻防をおこなう試合形式では骨盤を相手に向けて前後の進退の速度を素早くするものでないと不合理になる。戦場で使ったと思われる前脚に体重を乗せた脇構えに構えていたら柳剛流のスネ打ちの絶好のカモになるではないですか?

 つまり、戦闘状況に応じて戦闘理論が変化しているから、体構えから運足法から全て変化していった訳なんですね。

 甲野氏は自説を正当化するために都合の良さげなポイントばかり古典から拾ってきて理論めかしているだけ。そのこと自体は否定できないけれど、問題なのは現代剣道の発展の歴史を無視して自説に我田引水して誹謗中傷する、その研究家としてあるまじき客観性の欠如と故意の批判論を真相を見極める能力の無い人達に信じ込ませて後ろ盾に利用しようとする姑息な戦略にあります。

 本人は反権力的な反骨のポーズをつけてみせていますが、その実、極めて権威主義的な人なんですよね。何で指摘する人がいないのか不思議ですけど・・・。

 例えば、甲野氏が主張する宮本武蔵の二天一流や柳生新陰流は幕末の剣術隆盛期に、ほとんど名のある剣士を出していません。でも、流派として伝承者がいなかった訳ではありません。

 高杉晋作は柳生新陰流の免許皆伝まで達していたようですが、竹刀稽古の剣士としては凡庸な腕前であったようです。

 無住心剣流の流れを汲む加藤田新陰流からは松崎浪四郎という名剣士が出ていますし、大石新陰流の大石進という有名な剣士もいました。が、彼らは竹刀競技スタイルに十分に適応していたから活躍した訳です。

 現代剣道の在り方を論じるならば、その母体となってきた一刀流系統の身法について論じなければ話になりません。この点に於いて甲野氏は門外漢としての節度を弁えるべきでしょう(そういえば、講座で喋っていた内容は、柳生厳周伝の本に書かれていたことをそっくりそのままパクッて主張していましたけど、ちゃんと出典を言うのが筋ですよね)。

 どう批判しようと防具を装着して竹刀で打ち合えば、現代剣道のやり方が合理性があるでしょう。そうでなければ明治以降の名のある剣士がそれを改めていた筈です。

 無論、「真剣をもって立ち合えば古流の身法に理がある」という主張も否定しません。戦闘状況の条件設定によって戦闘の合理性がシフトしていくのは当然のことなのです。

 だからこそ、戦闘状況の違いを故意に除外しておいて論をたてる甲野氏の欺瞞的詐術は厳重に批判されなければいけない。世の武道人は、もっとプライドを持って欲しい。

 第一、古流の優位を説く以上、それは立ち合って実力を示さない限り、何の正当性もありません。この点において剣道二段の相手にまったく何もできずに一方的に打たれてしまった甲野氏に現代剣道を批判する資格は道義の問題としてあり得ません。

 私自身、現代剣道を専門に修行している人間ではありません。立場としてはむしろ甲野氏に近いかもしれませんが、私は武術を学ぶ者としての最低限の礼節は弁えたい。あんな無責任にいい加減な妄説を吹聴して他流を貶めようとする人物と同列で見られたくはありません。

 血と汗で連綿と伝承してきた数多の剣士のプライドを踏み付けにする権利など何者にもない。技術論としての差異は論じても、そこに優劣を論じるのは傲岸不遜なタワケ者だけでしょう。

 甲野氏の著書に『剣の精神誌』という優れた本がありますが、剣の精神を論じながら、自らは剣の精神をまるで体現できていない。恥を知るべきです!

 そして、剣道界の皆さんは、このような道義心を持たない誇大妄想狂に断固として世迷い言を口にさせぬようプライドを持つことをお願いしたいものです。


 さてさて、脱線は毎度のことなので御寛容くださりたく・・・。

 最近、『ヒューマンウエポン』とか『世界の格闘技・道場破り』とか武術格闘技系ドキュメンタリー番組を見ていて思ったのは、「あ~、日本だけが武道の母国だと思い込んでいるのは井の中の蛙だったんだな~」ということでしたよ。

 東洋の武術も、日本、朝鮮、中国、インドくらいしか興味がありませんでしたが、東南アジア系の武術の高度な技術には目を見張りました。

 東南アジア系の武術はカリスティック術やダガーナイフ術などを数年前にハワイの先生に基本を指導いただきましたが、人間関係のゴタゴタがあって縁が切れてしまいました。

 本当に、この業界は日和見主義で人を利用してやろうと裏で立ち回る人間が少なからずいます。イヤな業界です。

 でも、売名欲に凝り固まったしょうもない連中とかかわるのはエネルギーの無駄。私が個人的に尊敬している先生方は別にして、正直、他所の団体と親しく付き合うということはしたくないんですよね。

 そういう点は格闘技やっている人達のほうがさばさばしてていいな~と思います。

 でも、世界の武術、格闘術をいろいろ見ていて思ったのは、「結局、単なる暴力でしかないのか?」ということ。正直、空しくなりましたよ。

 特に、海外の武術・格闘術は戦闘に関してシビアだから、徹底的に敵を破壊し尽くすという考え方が明確なんですね。

 何か、「これじゃあ単なる人殺し術以外の何物でもないな~?」と思わされました。

 いや、本質論から言えば、武術は殺傷術です。これは厳然たる事実です。だから間違っている訳ではありません。

 だけど、それ以外に何もないのなら、そんなもの学ぶ価値があるのか?と思えてしまうんですよ。

 やっぱり私も戦争を放棄した戦後生まれの日本人、“戦争を知らない子供達”なんですよね。簡単に、「敵は殺せ」とは思えないんですよ(だいたい、敵って何?)。

 私は、これまで「殺せる技の裏付けがないのに綺麗言は言いたくない」という想いで武術を研究してきました。が、思いもかけず「先生の技は殺伐としているのに綺麗です。私はそれを習いたい」と言ってくる人が何人か現れました。

 私は、ただ単に、「いかに合理的に敵を無力化して倒すか?」ということしか考えたことがなかったのに、それが芸術的に見える動きになるなんて予想したこともなかったんですよ。

 でも、確かに武術を高度に極めた人の動きは惚れ惚れするくらいの魅惑的な磁力があります。それは芸術作品に感動するのと同じことなんでしょう。

 だから、武術は“マーシャルアーツ(戦いの芸術)”と呼ばれるようになったんでしょう。ひょっとすると、私がここまで武術に魂をぶん盗られたようになって生きてきたのも、そこに惹かれていたのかもしれません。

 そして、日本の武術の奥義は、「敵の暴力心だけを挫いて再生させる」という殺活自在の術の精神にある・・・ということを具体的に技術の中から納得できてきたんです。

 無論、まだまだ頂上は遠く、いつ到達できるかも解りません。一生到達できないかもしれません。

 それでも、技の稽古を通して、その理想を目指す精神を磨くことが、やはり本道なんだろうな~と、認めない訳にはいかないと思うんですよ。綺麗言は嫌だけど・・・。

 修行って、自分を高めるためにやるものですよね。芸を磨く・技能を高める・学問を探究する・・・私は修行している人間が好きだし、自分もそうありたいですね。

 夢も希望もない現実に押し潰されそうに思える人は、よく覚えておいて欲しい。 

「夢も希望も誰かに与えられるものじゃないんだよ。自分が思い描いて追究するものなんだよ。自分の人生は自分で切り開いていかなければ道は無いんだよ」ってことです。

 だから、私は游心流を不殺活人の武術として完成させてからあの世にいきたいな~と思っています(あ~、我ながら爺臭いっ!)。


追伸;ふと思ったんですけど、『愛の戦士レインボーマン』って、もしかして中村天風がモデルなんじゃなかろうか? インドの聖人カリアッパに出会ってヨガの奥義を得たっていう話なんて、インドの仙人ダイバダッタに出会ってレインボーマンになったヤマトタケシと同じみたい? 愛国の人、川内康範のことだから中村天風を知らない筈ないしな~。

追伸2;ヤマトタケシって言えば、『鉄拳』とかに主演した大和武士が酔っぱらって殺人未遂で捕まりましたね。渡辺二郎なんかもそうだけど名のあるボクサーが転落していく姿は悲しい。技を磨くだけじゃなくて心を磨くことの重要性を目指さないといけないな~。

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Gカルチャーで八極拳が紹介

 読売文化センターの講座を紹介する番組で、TV東朝のお天気お姉さんの井口玲音さんが今回は八極拳の体験取材をレポートしていました。

 この前は、戸隠流忍法でしたが、長瀬先生の容赦無しの教え方に井口お姉さんのマジ悲鳴が印象に残りましたねっ。

 今回は、『秘伝』や休刊した『武芸』で連載コーナーを持っていた呉氏開門八極拳の服部哲也さんが講師でした。

 八極拳と言えば激しいブチかましが有名な拳法ですから、排打功で痛くて泣いちゃったりするんじゃないの?とか期待と不安がありましたけど・・・。

 服部さんは性格が優しいな~と思いましたね。女性には優しく教えるところが紳士的でした。そして教え方が非常に理に適った細かいところが印象的でした。

 まあ、カルチャーセンターで気合じゃ~!みたいな教え方をしていたら浮くだろうとは思うんですけど、表演武術系の先生のほうが体育会系で厳しい人が多いと思いますよ。

 貼山靠(体当たり)の練習なんか井口お姉さんはニャ~ッて感じで身体を擦りつけて甘えてくる猫にしか見えません(長瀬先生だったら、「テメ~ッ!」って怒るだろ~な)。

 でも、八極拳は意外にも体格に劣る人にも向いている武術かもしれないと私は思っていまして、以前、痩せてチッサイ小父さんに教えたところ、一撃で相手が目を開いたまま失神してしまったことがあって、驚きました(練習なんだから寸止めしろよ)。

 ただね~、八極拳は交叉法知らないと使いものにならない典型的な武術だと思うんですよね~。私は使い易くて有り難いんですけど、間合を保って突き蹴りの応酬したらやられると思います。受け即攻撃だからね。

 何か、武術の強い弱いを論議する時に戦闘理論を知らないで論じるのは見当外れなんですよね。
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怪獣の設定ってヘン?

 怪獣って、怪しい獣って書くくらいなんで、設定がアバウト過ぎるみたいですね。

 記念すべきウルトラ・シリーズの第一弾『ウルトラQ』の第一話に登場した古代怪鳥リトラ(学名リトラリア?)なんて、5mしかないのに体重が1万t!もあることになっております。ちょっとデカイ鮫くらいの大きさなのに1万t・・・重過ぎっ。それじゃ飛べないだろっ?

 その敵役の古代恐竜ゴメス(学名ゴメテウス)も、10mしかないのに体重は3万t!

 なんてこったい! ゴジラだって身長50mというゴメス(ちなみにゴメスはゴジラ着グルミの改造です。リトラも操演用ラドンの改造だって話)の五倍なのに、体重は2万tなんだよ?

 身長が五倍ということは、人間だったら8m以上の巨人ということになるんですよ。大魔神だって4.5mくらい。大魔神の二倍かよ? 月光仮面に出てきたマンモスコングがそのくらいだっけ?

 でもゴジラはゴメスの体重が2/3なんだから、人間で考えると身長8mで体重が40kgくらいの人間になるの?・・・ゴジラ、痩せ過ぎだよぉ~っ?

 でもね~、そもそも5~10mで体重が1~3万tもあるというのがおかしい。1~3tだったら納得できるけどね。

 でも、ガメラは身長60mで体重が80tだったけど、これもものの本によれば発泡スチロールより比重が軽いんだとか? どれくらいが適切なんだろうな~?

 どっちにしろ、かなりテキトーな設定なのは間違いなさそうですね。

 100mもある古代植物ジュランが3千tで、40mの岩石怪獣ゴルゴスが10万t?もある。テキトー過ぎ! ガラモンも40mで6万tという設定なのに再登場の時は東京タワーの2/3くらい(推定身長200m?)のヤツもいるし・・・。

 でも、富士山を足下にしたスペクトルマンに比べたら・・・(ダイダラボッチか?)。

 怪獣の解剖図とか昔はあったけど、不思議だったのはヘドラにも内臓があったことだったり、メフィラス星人の脳なんて「いつも悪いことを考えている」とか書いてあった気がする。で、ゴーストロンなんかは脳みそがカラッポで馬鹿だとか・・・(いや、それって死んでるよ)。

 でも、実際、大海蛇なんて90mの目撃談もあるし(マンダかよ?)、アマゾンには50~70mのアナコンダがいるとか、100mの大ミミズ(ミニョコン)が出たとかいった、マンマ、「ウルトラQかよ?」って言いたくなるような話がありますからね。

 まあ、結構、信憑性がある話では15mのマハンバと呼ばれるワニがいるという評判だし、この世には未知のUMAが潜んでいるでしょう。


 何か、単に“デカイ”というだけでワクワクしちゃいますよね。

 毎年夏の恒例のルパン・スペシャルで、今回は次元がカリ城で使ったシモノフ対戦車ライフル(多分)を入手して使うシーンがありましたけど、対戦車ライフルって、第二次大戦の時に使われた特大のライフルで、最初はドイツ軍が作って、それが他国にも波及して、シモノフの外にもラティ対戦車ライフルとかがあったそうですね。

 でも口径が一番デカイのは何と日本軍の対戦車砲だったみたいで、36mm口径だったって聞いたことあります。それも一発撃つんじゃなくてフルオートで何発も一挙に撃つものだったんだとか聞いたんですけど、ものの本を調べてもほとんど載ってないんですよね。

 それらしき代物があったのは間違いないと思うんですけどね。

 で、この対戦車ライフルみたいにバカデカイ弾丸を遠距離に撃ち出す大口径スナイパーライフルが、湾岸戦争以来、蘇っていて、大抵は重機関銃に使う50口径(12.5mm)なんですけど、中でも南アフリカのツルベロ社には20mm対空機関砲、俗にいうバルカン砲に使う弾(当たると弾頭内の炸薬が爆発するそうな)を撃てるライフルがあったりして、これって長さが2mで重量が25kgもあるんだって。

 重さが普通のライフルの五倍以上で持ち運びに不便過ぎだし、固定する三脚(ライフル用は普通二脚のバイポッドを使う)はブローニング重機関銃用のものを使って、これだけで21kgもあるんだそうで、これじゃ独りで持ち運べないよな~。

 これは、対人用は考えてないね。スナイパーライフルというよりアンチマテリアル・ライフル。つまり、かつての対戦車ライフルそのものってことです。こうなったら、“怪銃”というべきかも?


追伸;BS2でルパン特集やっていて、私はワルサーP38のガスガン持って観てたんですけど、伝説の第一シリーズの演出をした大隅正秋さんが出演していて、初めてシリーズを降りた真相について語っていたんですけど、何か解るな~。クリエイターの気持ちで作っていたから低視聴率で路線変更を強要された時は爆発したんだな~。でも、再放送を重ねてルパンの魅力が大人向けのハードさに有ったことが認識されていって、国民的アニメとしてミリオンヒットした第二シリーズ以降より圧倒的に評価されたんですからね。やっぱり、作品は妥協しないで作り手の作りたいものを作らないと時代を超えた名作にはならないですよね。鬼太郎だって墓場の鬼太郎がアニメ化されたんだし。ちなみに、マニア間には知られた話なんですけど、ルパンや次元、五エ門、銭形、不二子の持ってる武器なんかも原作は無視してアニメで考えた設定なんだそうですね。ワルサーP38、357コンバットマグナム(パイロット版ではコルト・エグゼブティブ)、斬鉄剣(虎徹・吉兼・正宗を溶かし合わせて打ち直したもの)、コルト・ガバメント45、ブローニングM1930。ちなみに不二子の元相棒、殺し屋プーンはルガーP08を持っていたけど、これってドイツ軍の拳銃がルガーからワルサーに代わったことを暗示してんのかも?
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『暗黒マット世界』はヤバ過ぎ・・・

 ゴン格でも吉田豪さんが採り上げて書評していた『暗黒マット世界』ですが、私も裏話として聞いたことがあった話が、劇画化されるとウゲゲッ!って感じで目眩がしました。

 BUBKA編集部・編となっていますが、告訴必至の内容に備えてか、フィクションと言い張る居直りっぷりには、『噂の真相』からポリシーを排除したかのごときシャレッ気が利いていて、もう、笑うしかありません。

 でも、四年くらい前、私の甲野批判論を読んだBUBKA編集部からの連絡があった時は、極めて良識的で感心したことがありましたね。きちんと仁義を通してましたよ。

「文章責任は僕にしていいですよ。でも、他の先生方には御迷惑がかかるとマズイので名前出すのは僕だけにしておいてください」と言っておきましたが、かえって恐縮されたみたいで誌面には露骨な内容は書かずに私の当時のホームページを紹介しただけでした。

 別に書いてしまっても嘘じゃないんだから困らなかったんですけどね。今は私の知ってることはほとんどブログで書いてしまっているし、“件の手紙”もホームページに出してます。

 これは、名誉毀損で訴えるとか言われることも想定していたんですが、甲野氏側からは内容証明一つ来ていません。下手につつくとマズイ事実(ほとんど犯罪行為)が白日の下に晒される危険性があるから触りたくないんでしょうね。

 少し前に出していたら、ドキュメンタリー映画(『甲野善紀・身体操作術』)とか出ていたり取り巻きが強力だったからもみ消しに躍起になったと思いますよ。甲野氏で商売しようとしていた人達にとっては、金づる潰されたら敵わないと思う筈だから。

 でも、やっぱり旬の人ではなくなったものか、メディア関係からは一切、連絡ありませんでしたね。週刊誌とか飛びついてくるんじゃないか?と思ったんですよ、本当は。その時は、あらいざらい喋りまくってやろうと思ってましたもん。

 もっとも、正直、私は甲野氏には恩義もあるから、それをやるのもな~っ?って思う面もあったし、ただ、自己の売名のために武術を利用して間違った情報を広めるのさえしないでいてくれれば文句言うつもりはないし、このまま武術の世界からフェードアウトして、身体操作の研究家としてのみ地道に活動するのまで潰そうなんか思いません。

 やっぱ、人間は適材適所だもん。需要と供給のバランスで成り立っているのが世の中なのは否定しませんよ。完璧な人間なんかいないのも解ってます。

 甲野氏だって、いつまでも古武術の達人っぷりを演じ続ける猿芝居人生で、武術に無知な人達の関心をつなぎ留め続けていくのは辛いでしょう。

 微塵も実力がないのは業界的には有名な裏話なんですが、世間的に有名な人の正体を暴いたら可哀想過ぎると思ってか? 私以外の誰も糾弾しないですからね。だったら、周囲が説得して花道つくって引退させてやんなさいよって思いますよ。


 それにしても、武術の世界は嘘で凝り固まった業界ではありますからね。私もそのうち、暴露本でも書こうかな~? 『暗黒武術魔界』とか?

 でも、『暗黒マット世界』ですが・・・いや~、女子プロレスがレズばっかりだとか男のプロレスもホモばっかりみたいなネタは、絵で見せられるとイヤだな~。

 K-1とか格闘技の興行とか、かつての『リングの魂』で極真vs酔拳・蛇拳(龍飛雲門下)の裏話とか・・・そういえば中国武術業界で龍さんがバッシングされてたな~。

 でも、そんな中国武術業界の名物キャラだった龍さんも亡くなり、笑えない業界になりつつあるのかな~?

 本当に井上康生と朝青龍が格闘家デビューして対決したら面白過ぎるけど・・・。

 確かに、格闘技の世界とか芸能界とかって、その世界でないと生きていけない人っているでしょうね。闇の世界は同時に母胎回帰するようなあらゆる価値観から解放された癒しの場なのかもしれません。だからこそ夢を売る商売。光あるところ闇がある・・・。

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ちょっとテレビ局はボクシング愚弄し過ぎなんじゃないの?

 坂田・内藤のWタイトルマッチは現チャンピオンの防衛成功で幕を閉じました。

 でも、素晴らしい試合内容に満足できたのに、亀田一家で話題を作り、バッシングで話題を作ったTBSの問題プロデューサーが、今度は内藤選手で話題を作ろうとするあざとい戦略をかましてきた・・・という印象がありましたね。

 内藤選手はリアル“はじめの一歩”みたいな感じだから、ドラマ化したのに文句を言うつもりはありませんでしたけど、亀田一家で世間の話題を煽ってきたTBSがそれをやるのか?という不快感はありましたよ。

 正確に言えばTBSに所属しているプロデューサーがやっているんだと思いますけど、どこまでボクシングを愚弄するつもりなんだ?と、不愉快になってきます。

 いや、ドラマはいいんです。内藤の人気に乗ろうとするのも、彼のような苦労人で謙虚な性格の人間にスポットが当たるのは、生活苦に希望を持てない人達のためにもいいんじゃないかと思いますよ。

 でも、その裏側の意図が見え透いているが嫌なんですよ。

 猿芝居みたいな演出をして、真剣にボクシングやっている人間をダシにするな!と言いたいんですよ。今度は内藤選手をいいように使おうとしているのがミエミエじゃないですか?

 うちの会員は武道や格闘技が大好きで、格闘技の試合を楽しみにして見ている人が多いんですけれど、私は雑誌のライターやっていた頃に裏の情報をいろいろ聞いてきていたから、白けてしまって格闘技の試合を純粋に楽しめません。

 結局、金に振り回されて奴隷のように使われているプロ格闘技の選手達の将来が心配なだけです。彼らもそれが判っている人は金を稼げる時に稼ごうとして八百長にも加担してしまう訳ですよ。

 プロレスは一種の演劇だから別にいいんですよ。芝居の殺陣だけ抜き取ってやっていると思えばいいんだし。

 でも、格闘技って、ルールに沿って真剣に競うから価値があるのであって、ルール違反した者が非難されるからスポーツとして成立する訳ですよね。

 だから、八百長や片八百長(片方だけが八百長をやってわざと負けること)の試合をそれと知らずに見せられる観客や視聴者は、いいツラの皮なんですよ。

 で、ドラマまで作ってお膳立てして臨んだ内藤の世界戦ですが、内藤が分が悪い状態で進行し、10Rに起死回生の逆転。

 そこまでは良かった・・・。

 でも、最後の最後にインタビューを受けている内藤の前に、突然、亀田興毅が現れて、「次は自分とやろう」みたいな話を内藤に囁きながら勝利を祝福すると、内藤は困惑を隠せない様子でした。

 唖然としました。

 日本ボクシング界で活動できないだろうと言われていた亀田が現れるのも?なら、すんなりリングに上がってきてチャンピオンに直談判?というのも呆れた話です。

 これは裏でシナリオが書かれていたとしか考えられない展開ですが、それにしても、よくぞここまで糞みたいなシナリオが書けたものだ・・・と、呆れ返った茶番劇ですね。

 チャンピオン内藤を愚弄し、大善戦した清水選手を愚弄し、観客を愚弄し、視聴者を愚弄し、ボクシングを愚弄し切ったシナリオです。

 内藤選手は「亀田一家とは二度とかかわりたくない」と明言していましたが、それは、彼らのこのような売名のために他人を踏み付けにするような体質が嫌だった筈です。

 どう考えても裏でシナリオを書いた人間がいる筈ですが、もう、いい加減にこういう茶番劇でボクシング人気を煽ろうとする低脳なプロデューサーは首にしてください、TBSさん・・・。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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