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ジョゲッ・ピンギタンを見た・・・

 先週の木曜日に両国/シアターx(カイ)にて、幻のバリ舞踊と呼ばれる『ジョゲッ・ピンギタン』を見てきました。

 バリ舞踊と言うと、民俗学に関心がある人だったら、魔女ランダと聖獣バロンが登場する物語性があるものと知っていると思いますが、このジョゲッ・ピンギタンは19世紀末にギャニアールの王が宮廷で舞わせたのが始まりとされているのだそうです。

 今回の日本公演は、幻のバリ舞踊と言われるジョゲッ・ピンギタンの最後の伝承者とされるニ・クトゥット・チュニック(通称イブ・チュニック)の実質的日本初の公演となっているそうです。

 しかし、イブ・チュニックは既に88歳にもなろうか?という御高齢であり、恐らく今回の日本での公演が最初で最後となるだろうと目されていて、後継者で孫にあたるニ・ワヤン・スカリアニ(通称イブ・スカール)とひ孫にあたるスリ・マハリエニを伴っての公演でした。


 うちの会にもバリ舞踊の研究をしているダンサーが所属していたのと、個人的にガムランの伝統音楽が好きなので、今回の公演は是非見たいと思っていました。

 それで、今回、本場のバリ舞踊を初めて見た訳ですが、これがまた独特な身体の使い方で興味深いものでした。

 首・肘・手首・指の反り・腰椎の反り・股関節の開き・足指の反り・足裏の平起平落といった要素は精妙で、イブ・チュニックの舞いも後半にいくに従って何かが乗り移ったように流麗に激しくなる様子は圧巻でした。

 目の動きや肘の張り、足の踏み様などはインド舞踊にも共通性を感じますが、極度に指を反り返らせながら柔軟性を失わずにユラユラと揺れている様子には驚かされました。関節や筋の特別なストレッチングを長年続けないとああいう具合にはならないだろうと思いますが・・・。


 公演終了後、ヒカシューのリーダー巻上さんにバッタリ出くわし、「あっ、丁度よかった。新作本ができあがったので読んでください」と見本を一部贈呈しましたら、「え~っ、早いっ!」と、驚かれていました。

 二、三ケ月前に本を贈呈したばっかりだったんで・・・。


 いや~、芸術に国境は無いのと同様に、武術もくだらない自尊心の押し付け合いから解放されて人を感動させられるものになればいいな~と思いますね~。
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映画『靖国』は反日か?

 稀に見る社会問題となったドキュメンタリー映画『靖国』ですが、どうにも話題ばかりが先行し過ぎて、私は劇場で見る機会を失していました。

 どうも、映画として冷静に見ることが難しくなってしまった印象があったので、しばらく時間を置いてから見る方が良いと思っていたのです。

 DVD発売も予定されていますが、これもまた紛糾しそうな感じで、知人からDVDのサンプルを見せてもらったので、遅ればせながら感想を書きます。

 一言でいってしまうと、この映画は反日映画とはまったく言えないでしょう。

 いや、「反日映画ではない」と明言しても構いません。

 確かに、南京大虐殺の新聞記事写真やら戦時中の記録映像なんかも使われていますから、その部分だけをあげつらって「反日の意志がある」と批判したがる人達がいるのも解らなくはありません。

 台湾先住民族タイヤル族の活動家、高金素梅さん達の「高砂義勇軍として日本軍に組み込まれて死んだ祖先の霊を返せ!」という靖国神社との確執も、それ自体を採り上げたドキュメンタリー『出草の歌』と比べれば、思想的なプロパガンダはありません。

 いや、そもそも、この作品には思想的意図は極めて薄く、通常のドキュメンタリー映画と比べると、ナレーションもなくテロップで解説文が少し出るだけで特に印象を操作しようとする意志がありません。

 まったく無いとは言いませんが、靖国という場(フィールド)に引き寄せられる人達を実直に映しただけという印象の方が強いのです。

「日本人にとって靖国とは何なんだろう?」という問いかけだけを残している作品。

 だからこそ、見る人がそこに自分の思想性を映してあれこれと批評してしまうのではないか?と思います。

 特に問題視されていた政治的意図は全然なく、単に小泉元首相が参りに来たか来ないかを騒ぐ人達がいたり、各自が自分の主張を誰に聞かせるでもなく喋っていたり、軍服コスプレで軍刀持って参る変な人とかがやたらに集まっている妙な場所?という印象しか残らないのです。

 コミケに集まるオタクと別に変わらないだろうし、軍国主義に浸りたい軍事マニアの聖地なのか?という印象さえ持ってしまうのですが、こういう具合に、今時、天皇制だの英霊だのということを声高にしゃべりたがる人達が極めて異端的な人達であることは疑いのないところでしょう。

 私の父親も母親も戦前の教育を受けていたので、結構、右よりな考え方をしていましたが、私の世代は学校の社会の先生が大学時代に学生運動の洗礼を受けているので、必然的に左よりになってしまったものでした。

 だから、私も自然に左よりの考え方になっていたみたいですが、その後、左と右の人達と実際に付き合いをした時に、どっちかと言うと右の人の方が人間的に好ましかったので、そういう付き合いも増えました。

 けれども、率直に申しますが、私は天皇制には全然関心が持てないし、共産主義は嫌いだし、特に心酔している宗教や思想もありません。欺瞞しか感じないんですよ。

 何で、そんなもんが必要なのか?とすら思ってるくらいなので、そういう何らかの思想に機械的に支配されたがる人達が滑稽に見えて仕方がないのです。

 所詮、好きか嫌いかに理由を付け足す必要なんかないのですよ。

 だから、この『靖国』という映画は鏡と一緒で、見た人が自分の思いをそこに投影してしまうんでしょう。鏡を見て吠える犬と一緒です。

 だいたい、南京大虐殺をプロパガンダしているように批判していた人は、その前に南京大虐殺が嘘であるという署名運動をしている人達のシーンを見なかったんでしょうか?

 最後の靖国刀の刀匠、刈谷さんの刀剣作りの様子も、靖国を巡る喧噪とは無関係に上質な日本刀を作りたいとする職人魂を描いただけの効果しか挙げていません。これも軍国主義に利用された刀匠の悲哀は感じても、それ以外のものは感じられませんでしたけどね。

 ただし、反日ではないけれども、この作品は意外なほどの“反戦”の意図を秘めている作品であることはもっと評価すべきではなかったでしょうか?

 私の父の兄、つまり、私の伯父は潜水艦に乗っていて沈められて英霊になったそうですけれど、私の知る限り、父は兄の慰霊に靖国神社に参りに来たことはなかった筈です。

 戦争で死んだ人達を英雄視する行為は、私には欺瞞の最たるものとしか思えません。

 何故なら、戦争の召集令状を受けて本心からお国のために敵と戦ってくるぞ・・・という意識で立ち向かった人達がそんなにいたとは思えないからです。

 否応もなく死地に連れていかれて殺し合いをさせられて、恐怖に震えながら銃を撃ったに違いないと思うからです。要するに“洗脳”されて“戦争”させられた。卑劣で残酷で不幸なだけです。

 だから、そこに有るのは「国のために死ぬことが家族の幸せだ」とする拒否できない権力の心理コントロールであり、私は絶対にこんな権力の理不尽な暴力には従いたくないし、拒否する力が無くて悲壮な気持ちで死地に向かった人達の悔しさを思っていたたまれなくなるのです。

 私が戦う時は、自分・友達・家族・身近の助けを求める人・・・のためくらいです。国のため? そんな欺瞞の手口には引っ掛かりませんよ。

 別に日本だけじゃないですよ。中国も北朝鮮も、アメリカだって、ロシアだって、どこの国だって、一皮剥けば同じことでしょう? 民衆を騙くらかす欺瞞に満ちているのは。

 国家という権力装置の維持の駒として死地に向かわされた人達を“英霊”と呼ぶのは欺瞞に過ぎない。

 それを露にしただけで『靖国』は価値のある映画だったと私は思います。

 あ~、だから、必死になって上映できなくしようとしたのかな~?

 小泉さんが「日本のために死んでいった人達に日本人がお参りすることのどこが悪いのか?」と言っていましたが、無論、全然悪くないですよ。

 だけど、そう思うのなら、日本との戦争で犠牲者が出たアジア諸国にもお参りに行かなきゃ~嘘だよね。

「日本の首相だけが何故、そんなことをしなきゃいけないのか?」って言う人もいるけど、外国の首相がやらないからこそ日本の首相がやることの意味があるんだよ。自分たちが敬意を払っていれば相手も応えるようになるんだから、低いところで競うのはやめましょうよ。ホントに・・・。

 日本の良さって礼儀正しいところじゃなかったっけ? 戦わずに勝つ! これが平法ってもんです。

「君たちは大和魂というものを知ってるか?」と叫ぶ爺さん。

“大和民族の魂”だと言いたいんだろうけど、それは違うよ。大和って、“大いなる和”って書くでしょ? 民族の優越思想のことじゃなくて、“民族人種を超えた大いなる結びの精神”を持つ和魂(ニギミタマ)って意味の筈でしょ~、本来は。

 民族主義の選民優越思想が他国に危険視されているんだから、そういう近視眼的思想の問題点を自覚して“世界”を考えなきゃいかんですよ。

 もっと単純に言うとですね。攻撃された時に備えて防衛意識を持つのは重要ですが、それ以上に重要なのは、攻撃されないように他国と理解し合う努力をすることですよ。国としてやるべきなのは、最終的には国境を無くしていくことだと思いますよ。

 自尊心だけじゃなくて、他人、他国の人達も尊重する姿勢がこれからは必要になっていくでしょう。映画『靖国』が暴き出したのは自尊心に塗り込められて排他主義に陥った人達の滑稽さだったんじゃないか?と私は思いましたけどね。

 それが戦争を正当化してしまうんじゃないのかな~? 国の都合で国民に殺し合いやらせるのが戦争なんだからね。


PS;今週土曜日のシダックス講座は翌日曜日の午前10:00~11:30に変更されます。会員さんで滅多に来れない人も体験入門で来られたらいかが?

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宇宙刑事と宇宙海賊と私・・・

 行って参りました。『アクション・パーティ・ナイト2』!

 当日、朝の定期練習やってる時から頭がボケボケ、風邪かな~?みたいな冴えない体調で、練習後のファミレスでもドリンクバーのアイスコーヒー飲んで、「何、このコーヒー。甘くないぞ?」と思ったらシロップ入れ忘れてた・・・みたいな感じ。

 前日、ほとんど寝てなかったからか異常に眠い・・・。

 こんなんでアクションの審査員できるかな?と思いつつ(でも、やるんだよ)、渋谷にGO!

 連れの皆さん(特撮ヒーロー大好き師範代と、ビジュアル系アニソン・コスプレバンドやってる勝負アオザイ着てきた会員と、いつも本のイラスト描いてもらっている漫画家の先生)と別れて審査員席に座ると、まだ私だけ。

 早く来過ぎたかな?と思ったものの、開始時間ギリギリになっても審査員席に座ってるのは私だけ?(エエ~? 放置プレイ?)

 で、開始されて、「それでは、審査員の御紹介を・・・」となってスポットライトが当たって名前が告げられるものの・・・私だけ・・・う~ん・・・気まずい・・・。

 あのぅ~、映画監督やアーティスト、アクション俳優、大御所声優という審査員なら、なるほど、納得なんですが・・・会場の観客の声を代弁しますと・・・「武術研究家って何? 何者っスか? 全然、知らんよ」・・・って、フツー、なるってば~。

 審査員席にいるのが最も知名度の無いオッサンというのは、客観的に見ても、ちょっとマズイよね。

 でも、流石に秋本つばささんがすかさずフォローして、「武術研究家で“文筆家”の長野峻也先生です」って、“文筆家”のところを強調して紹介してくれたんで(そうです! そこを強調してくださいっ! 五冊目の著書『もっと知りたい武術の極意』ヨロシクねっ!)、ホッとしました。

 私、コアラ並にストレスにめっちゃ弱くて環境変わると死ぬ?から・・・。

 結局、少し遅れて審査員の先生方も来られたんですが、いや~、正直、焦りました。

 でもね、審査員席に座ってて最初に来られたのがアーティストの西司さん。「こういう場合は取り敢えず名刺をお渡しして・・・」とそそくさと御挨拶しました。

 しばらくは西さんと私だけ。他の審査員の方は来られるのかな?と思っていたら、次に来られたのは、渡洋史さん・・・って・・・う、宇宙刑事シャリバン!(伊賀電!)だよ。ジャスピオンのブーメランだよ。スピルバンだよ! ゼブラーマンだよぅ~!(「ヴェッカー・シグナも宜しくね!」って、笑顔で渡さん。はいっ、MXテレビで見ておりましたぜよ。制作のレイアップの社長さんとも会ったことあって、シリーズ通して見てました。それからウルトラマンレオの真夏竜さんが悪役で出たのも驚いたけどな~。変身ポーズがレオなんだよ~)

 ここで興奮してミーハー丸出しになったらオタクの正体モロバレでカッコ悪過ぎるから、かろうじて大人の分別で理性で抑えましたが、私、もうカチンコチンに緊張してましたよ、実際・・・。

 その次に来られたのは、大御所声優としてアラン・ドロンやブルース・ウィリスの声でおなじみ、野沢那智さん! ひょぇ~、コブラだよ! ムナカタ・コーチだよ! 大物過ぎだよ! どうすんだよ、オレ・・・私、もう固まっちゃいました。

 あ~、なんか私の耳元でセンバキッチョウのオカミが「・・・“頭が真っ白になって”っていいなさい・・・」と囁いているような気がする?・・・幻聴?

 私の隣に座ってらした西さんが野沢さんに席を譲られて一段上の審査席に移られます。

「はっ? こういう時は一番、無名なあっしが移るべきなのに・・・すんません、御隠居」と、もう気分はすっかり、うっかり八兵衛状態・・・でも、緊張し過ぎて気が回りませんでした。西さん、恐縮です。それから、つばささ~ん。誰が来るか教えといてよ~。

 渡さん、野沢さんにも名刺をお渡しして、「シャリバン見てました」「コブラ見てました」と、オタクの地が出る御挨拶・・・(あ~、やっぱり言っちゃった。もう少しで「サイン書いてください」って言いそうになったけど、審査員がそれやっちゃマズイよな~と自制しましたぜよ・・・あ~、でも、やっぱり貰っとけば良かったよ~ん・・・)。

 でも、渡さんも野沢さんも照れ臭そうに笑ってくれたので、ほっとしました。

 いんや~、それにしても・・・審査員席に、宇宙刑事シャリバンと宇宙海賊コブラと並んで座ってるオレって図はどうよ?

 分かるっかな~? この昂揚感。

 特撮アニメのオタクにとっては『柳生一族の陰謀』(ちなみにテレ朝でリメイクして日曜日に放送されるって知ってビックリ!)のラストで「これは夢じゃ、夢じゃ、夢じゃ夢じゃ夢じゃ夢じゃ・・・夢でごぉざぁるぅ~」とイッちゃった目で叫んでるヨロキン(萬屋錦之介)演じる柳生但馬守の気分なんですよ(って、余計に訳が分からなくなる譬えでスマン!)。

 何か、パーティナイトのチラシに「忘れられない夜にしてやるぜ」って、ちょっとイヤ~ンなコピーが踊っていたんですけど、確かに私にとって一生、忘れられない夜になったことは確かです。

・・・っちゅうか、一夜明けて、今、原稿書いていると、どうにも現実感が無いです。

 でも、本当に渡さんも野沢さんも全然気取らないし優しいし、渡さんがお茶注いでくれた時は、「ひゃあ~、シャリバンがお茶注いでくれたよ~。イガ星からいつ帰ってきたんや~? めちゃめちゃエエ人やぁ~。TVで見たマンマや~」って、何か、私、オタク妄想が頭の中でグルグル渦巻いて軽く発狂してましたよ。

 ライブが終了した時、ヒーロー大好きな師範代が瞳孔を全開にして「せっ、先生・・・渡さんに御挨拶してもいいですかね? 握手して欲しいんですけど・・・」と言いつつ、もう向かおうとしていたのを、「待て! 渡さんは今、昔馴染みの方とばったり出会って話されているから邪魔しちゃダメだ。遠慮しなさい」と引き留めましたが、スッゴク悲しそうな顔をしてました(気持ちは解るけどな~。目がコワイから渡さんが引くって)。

 それに今、ちょうど『コブラ』の新作が作られてたり、アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』のスペシャル・エディションが発売されたり(野沢さんの特別インタビューも収録されているそうな)してますけど、野沢さんの生声シャウト(これ見れた会場の人達。奇跡だよ。一生の宝っスよ。野沢那智が生でブルース・ウィリス演じてくれたんだよ~)も聞けて、何かもう、言葉が出ないっス・・・(感涙)。

 同行した漫画家の黒谷薫先生は「野沢那智さんが見れただけで満足・・・」と、“このまま死んでも本望です”みたいな言い方してました。

 田舎の兄貴も野沢那智さんの大ファンで、日曜洋画劇場でアラン・ドロンのハードボイルド作やジュリアーノ・ジェンマのマカロニ・ウエスタンを喜々として見てたんです。帰省したら、兄貴に自慢しま~す。


 さて、しからば・・・パーティナイトの感想をば、書きますと・・・。

殺陣・寸劇コント・シアターダンス・太鼓・モダンダンス・アクションコント・キックボクシング(ボディビルだったのかも?)・ヌンチャクデモンストレーション・歌・キッズアクロバット・創作剣舞が出場・・・。

 う~ん、「ちょっと待て」と言いたくなるのもあったけど、去年より高水準だな~。でも、審査員全員一致で優勝は“ジャグリング”でした。

 これはもう、誰が見ても意見は一致するだろうという納得の芸でした。

 私、「素人さんが勘違いして出ると恥かくよ」みたいなこと書いて、「ヤベッ、書き過ぎたかな? ゴーマンだったかな?」と、ちょっと反省してたんですけど・・・やっぱり書いといて正解だったかなと思いました。

 それくらい前回にもました高水準で、審査員をやる以上は責任があるからと思って、目を皿のようにして観ていましたが、いずれもプロの水準の芸で甲乙つけ難い・・・。ジャグリングを見るまでは結構、悩んじゃいましたね。

 だから、ジャグリングが頭一つ二つ抜けていたので、審査は迷わなかったですよ。


 そして、ラストは主催者である秋本つばささんのポールダンスとパフォーマンスが披露されたんですが・・・う~ん・・・帰り道で一緒に行った黒谷先生も言っていたんですが・・・もうねぇ~、“別格”なんですよ。

 勝負アオザイ着てきたビジュアル系会員のT君(性別もどこの国の人かも全然判んねえよ。私と同じカバラ数秘術で運命数22だから普通に生きたらダメな人間なんだよ)も、「俺もつばさ基地に通おうかな~?」と、のたまっておりました(うちの会だといつも浮くけど、パーティ・ナイトじゃ違和感なかったな~。芸能の才が開花するかもしれん)。

 考えてみたら、私は秋本さんの生のパフォーマンス演技を見たことは無かったんですよね。去年はまだ膝の故障が完治していなかった筈で、ほとんど動きは見せられなかったと記憶しています。

 私、洞察眼だけは自信があって、たとえ動きを見なくても、「あっ、この人だったら、このくらい動けるだろうな」というのが判る。これまで目測を誤っても最大で二割くらいの誤差です。

 何でか?というと、普段の動きの延長線上だから予測できるんです。極論すると武道家の実力も電話で声聞いただけで判る。これは声の響く深さで腹圧の強弱が判るから、地力のレベルが察知できるからです。

 書き文字にだって現れますからね。筆圧や文字の癖で元気なのか病気なのか意外と判るもんなんですよ。

 ですから、私は秋本さんと何度かお会いした時に動きを見ていて、「この人は凄いな~。かなり動けるだろうな~」と思ってはいたんですね。

 でもね~。正直、「えぇ~? こんなに凄いの?」って、絶句しちゃいましたよ。私が予測してたのと誤差が五割くらいありました。こんなの初めて!

 あのですね~。譬えて言うと、サイヤ人がスーパーサイヤ人に変身したって感じですかね。でも、恐らく、スーパーサイヤ人2、3、4と、まだ変身できそうな感じ。

 ポールダンスも、技術性、芸術性もハンパなく、全身くまなく筋力のバランスが絶妙に組み合わさっていて唖然となりました。

 壇上でのパフォーマンスも、喜怒哀楽の表現も交えたダンス、キックアクション、棍術、新体操のリボン・・・と、しなやかな動きの中でチラッとのぞくキレ味の鋭さに並々ならない身体能力をうかがわせます。

 が、表現力が特に素晴らしい! 全身を目一杯使って指先まで意識が行き渡っていて、私は世界レベルの舞踊家と付き合いがあるから随分、見てる訳なんですけど、決して遜色ないですからね~。棍やリボンを使うところもスピード感や力感よりも女性らしいしなやかさを表現していたところにエンターティナーとしての志しの高さが感じられました。

 ビックリさせるのと感動させるのは、ちょっと違うからね。自分のことしか考えない人にはできない演技です。女優さんは高飛車な人ばっかりというイメージがあったんですけど、“女優”って言葉は引っ繰り返すと“優しい女”って書くでしょう? 本来、他人に思いやりのある女性が向いてる仕事ですよね。でないと感動は与えられないと思う。

 これは個人的な想像ですが、器械体操で養った基礎体力と身体操作能力の上に、バレエの表現力、中国武術の動き(棍法の操作法が中国式でした)、新体操の演技、格闘アクションの動き、そして純然たる演技表現の訓練が全て融合して、つばさ流アクション・パフォーマンスを生み出しているんだな~・・・と。

 才能ももちろん、努力と根性、そして前向きにプラスに考える発想の成せるミラクルとしか言えませぬ(唐突に“大奥”かよ?)。これは今の日本に一番欠けている要素じゃないですか?(って、突然、社会派発言・・・)

 アクション女優ということで言えば、例えば志穂美悦子やアンジェラ・マオといった往年のアクトレスが思い浮かびますが、今、自覚的にアクション女優と胸を張って言える人はミシェール・ヨーくらいじゃないでしょうか。

 やっぱり、“アクションもできる女優”と見られたい人がほとんどだと思うんですけれども、ここまでトータルにアクションを極めて「私はアクション女優です」と言い切れる女優さんは、他にはいないんじゃないか?と思うんです。

 黒谷先生が評していたように、正に「格が違う」んですね。その格の違いはアクション演技で魅せることに対するプライドの差だと思うんです。

 結局、想いの深さが人間力の素になる。諦めないで続けていくことが道を拓いていくものです。


 私事ですが、去年は研究会内部の問題でクサクサした気分で足を運んだんですが、今年は別に何のトラブルも無く、本も順調に出たばっかりで楽しませていただいただけでしたけれど、年内は資金繰りで来年の飛躍の下準備をしなきゃいけないから、多少、心配事でもあったんですが、またも元気を分けていただきました。

 帰り道、「先生、体調は良くなりました?」と師範代から聞かれて、「あっ、そういえばスッカリ治ってる?」と浮き浮きして帰りましたよ。

(にしても・・・我ながら田舎者のミーハー気質というのは抜けないもんだな~)


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つばさプロジェクト主催『Action Party Night2』によっといで

『そこが知りたい武術のシクミ』でも書いていますけれど、つばさ基地アクション・イベントを見て感動したのが、ちょうど一年前。

 当時、会の内部の問題で悩んでいる時にストレス解消にK師範代と一緒に見にいって、すっきりストレス解消、その上、会の解散も覚悟して人員の整理をするハラが決まった運命の夜だったんですよね・・・。

 私が武術始めたのも、ブルース・リーの映画や松田優作が「拳銃を持たずに空手を使う刑事」で『太陽にほえろ』で活躍していた頃の印象があって、以来、ずっとアクション映画やドラマの病的なまでのファンであり続けたんですね。

 今でこそ“崖っぷちのプニョ?”みたいな体型ですけど、これでも19~23歳くらいの頃には旋風脚や後旋飛腿が得意な跳躍蹴り技大好き男だったんスけどね。ポール使って“鯉のぼり”(ポールに掴まってピーンと身体を横に伸ばす技)もできたんだよ~。

 まあ、元々が運動神経0だったんで、アクロバチックな技は憧れてはいてもできるようにはならず、マニアックな路線に変わっていっちゃったんですけどね。

 本当は俺だって、翔びたいんだよぉぅっ・・・。


・・・って、まあ、脱線したまま戻れなくなりそうなんで、本題!

 あの伝説の夜から一年。帰ってきた“アクション・パーティ・ナイト2”。

 何と、今年はアクション・バトル(優勝すると賞金も出るかも?)の審査員もやることになりそうです(いいのか、オレで?)。

 期日は9月21日(日)。時間は18:30スタート。場所や料金等の詳細は、つばさ基地のホームページをご覧あれ!

追伸;一応、書いておきますけど、昨年の出場者のパフォーマンス・レベルはプロ級超でしたから、正直、自信満々の素人さんが出ても赤っ恥かくだけだと思いますので念の為。
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『秘伝』の手裏剣術特集に驚き

 最近、近所の書店で『秘伝』を見かけなくなって、休刊しちゃったのかな?と思っていたら、駅の構内の書店では平積みされてて、しかも特集が手裏剣術! 私がお世話になった鈴木崩残先生も出ていたので、買いました。

 とにかく、私は手裏剣は何年やってもさっぱり上達せず、半ば諦めている頃に鈴木先生の著書を見て練習して、徐々に、何とか格好になる程度には上達してきたんですね。

 だから、本当に感謝していますよ。貴重な手裏剣もお譲り戴きましたし・・・。

 今回、また違った角度から解説されていて、ライターの人がうまく書いていたのも手伝って、非常に面白く読めました。

 でも・・・このライターの人、本当に嬉しそうにやっているな~(って言うか実は知ってる人なんだけど)。本当に根っから武術が好きなんだな~・・・って、読んでいて微笑ましくなりました。読んでるこっちも楽しくなってくるからね。


 私は手裏剣を専門にやっている人間じゃないんですが、やっぱり武芸百般を研究する上で避けることはできないですよね。

 でも、外でやる訳にはいかないし、二間が限度だったんですけど、この前、部屋の仕切りを外している空間を使って、初めて三間くらいに挑戦してみたんですが、やっぱり最初は全然、刺さらない。

 でも、鈴木理論の初心に戻って打っていたら、段々、刺さるようになりました。やっぱり、これが一番いいような気がしますね。理論的に研究した技法は汎用性がある。

 今、何とか道場の場所を確保する算段をしていますが、首尾よくいったら総合的な武術研究所として志しを同じくする人達と、技と理合と稽古法を探究していきたいと思っています。

 手裏剣術に関しては、専門的に探究されている方々の意見を尊重して私は学ばせていただく立場でいたいですね。やっぱり、専門家と比べたら才能があるとは言えませんもん。

 大塚先生や近藤先生の打剣も素晴らしい。ビンに剣が突き刺さるというのは凄いものだな~と驚くばかりです。

 ハイスピードカメラという研究用の強力な秘密兵器もあるので、今後の研究は面白いことになりそうです。だって、これは先を取る“読み”を機械的に解析してくれるんだから凄いですよ。
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試合と実戦は繋がらない

・・・というのが私の持論です。

 武道や格闘技の技が実戦に通用しないと言っては言い過ぎでしょうが、少なくとも「素手で戦う技だけでは実戦には通用しない」と心掛けておくべきでしょう。

 で、私の本を読んでもらえば解る筈ですが、私は「試合で勝つための武術を研究しているのではなく、国内外での通り魔や暴漢、強盗などに遭遇した時に身を護る術技としての武術の研究をしている」んですね。

 ですが、武道を長くやっている人は、試合の強さがそのまま実戦に結び付くという幻想に支配されていたりするもので、そういう考えの枠組みで、ちょっと珍しくて役立つ技術を求めて来る人もいたりします。

 この違いを弁えて、「それでも試合に活かせる技術を学びたい」という人も会員の中にはいますけれど、そういう人の場合は自分の学ぶ流儀の技をひけらかしてみたりはせず、謙虚に教えを受けに来られていますから、私もその希望に応えたいと思う訳です。

 その中には有名な空手団体の指導的立場の方もいますが、私よりずっと年長なのに、きちんと「長野先生」と敬って、一度たりとて礼を失する言い方をされたことはありません。
 私は、口の利き方を知らない尊大な人間が何よりも嫌いですし、私自身も、初対面の人には尊大な印象を与えないように注意しているつもりでいます。

 ですが、まともな口の利き方もできない無礼な相手に対しては、私もまともな対応はとりません。「まともじゃないヤツには、まともじゃないやり方で対する。それがまともなやり方だ」と、『ヨコハマBJブルース』の中で松田優作演じる私立探偵BJが言っていましたが、まさにそういう対応をするのが私のやり方です。

 目には目、歯には歯、暴力には暴力、嫌がらせには嫌がらせ、無礼者には無礼を返す・・・それが私のいつものやり方です。


 九月のセミナーに参加したある人物から「ボクシングの技にはああいう練習内容では通じないのではないか?」という質問を受けたんですが、この人は私のこれまで書いてきている本やブログの内容をちっとも理解しようとしていない上に、自分の興味のある部分だけを求めて場の空気が読めない問題人物だと言わざるを得ませんでした。

 私はセミナーに参加する人は受付する段階から観察してます。この人は最初から態度が尊大だったし、自分の実力?を見せつけようとしたがって、こちらの指示した通りにやらずに自分の学んでいる某合気道流派(植芝伝の合気道ではありません)の技をやろうとするので、この時点で礼儀を弁えない問題人物だと思っていました。

 要するに、謙虚に教えを受けるつもりがない訳です。だから、「あ~、腕試ししたいのかな?」って思って観察していたんですが、そこまでするつもりもない。実に中途半端。

 力任せに“初心者”(セミナー参加者の半数近くは武道経験のない人です)に乱暴な技の掛け方をしたりする(技が下手だから力任せになる)ので、近視眼的に強さを求めて周囲が見えなくなるタイプだと思いました。

 まあ、そういう人も初めてではなく時々参加してくるから、こっちは慣れているんですが、とにかく武道経験の無い参加者に怪我でもさせられたら私の責任ですから、そういう人は組ませないように注意したりしていました。

 なので、「回答してもどうせ理解できないだろう。というか、理解しようという謙虚さも無いだろうな。“明確な返答を期待します”って、相手と同等以上だと思ってないと出てこない言葉だからな。こいつ、誰に対してもこんな態度しかとれないんだろう。まったく口の利き方を知らんヤツだ・・・」と思いましたが、案の定、ちょっとキツク書いただけで暴言を吐いて逃げを打ちました。

 実戦がどうとか言う割りには「そんなになめたこと言うならやってやるから、ハラ括ってかかってこいよ」って態度見せるとビビッて逃げるんですね。ビビッたのを知られたくないから相手を誹謗する捨て台詞残して強がるのも、この手の人間のいつもの手口です。

 ネット達人のパターンらしいですね。インターネット掲示板で強がって、本気で相手しようとする人が書き込むと捨て台詞残して逃げるらしい。似たような人が時々いますよ。安全なところで強がる。実戦がどうとか言う割りには、実際にやってみせようとすると腰砕けになってしまう・・・。

 本当にやっている人はその怖さを正直に言うものですよ。実際に怖いですもん。初めて会う人間だったら、どんな技使うか判らないし、ストリート・ファイトだったら武器を隠し持ってるかもしれないし仲間が潜んでいるかもしれない。

 私はビョーキっぽい人はいつも相手にしないようにしてますが、そういう人間は懲りずにしつこく嫌がらせしてくるから相手しないのが一番です。でも、今回は「たまには、武勇伝の一つも作っちゃおうかな。こいつもそれ(実戦)を望んでるんでしょ?」って思ったんですが・・・いや~、42歳にもなって逃げを打つとは思わなかった。

 こういうタイプの人は武道やっている人には結構いるから慣れていますけれど、必ずと言っていいくらい団体間のトラブル・メイカーになるものなので、ケツまくって二度と来なくなってくれるのが一番ですね。

 だから、手の内を明かすと、実はわざと試すようなことを書くのが私の常套手段なんですよ。キツイ言葉を書けば、書かれた方は怒る。怒ると本音を吐く。その人の本質や目的を確認するために、わざと書く。これも戦略的心理戦術の一つです。

 それで素直に反省してくれる人なら教えられもするけれど、我を張って誹謗中傷を返してきたら、シャットアウトして門前払いする。これがこの業界で団体を率いていくために必要な戦略です。困ったちゃんが一人でも混じると団体内部が引っ掻き回される。

 でも、もっと頭の良い人だと、腹の中で怒りがわいても、しらばっくれて「流石は先生!」とか言って煽てて取り入ったりする。そんな腹黒いヤツにうっかり秘伝を教えてしまったら、ヤバイですよ。

 幸い?と言うべきか、武道バカには、そんな普通にズル賢い知恵の回る人間は滅多にいないから、ちょっと挑発するとすぐに馬脚を現しますね(何か、ダイヤモンドアイの外道照身霊波光線みたい)。大体、自惚れてオレ様な態度を隠さなくなる人が多い。謙虚な求道精神より自尊心が勝ってる人が最近の武道マニアには多いみたい。

“平法”を駆使する人はもういないのかもな~?


 さてさて、それでも、この暴言アラフォーさんと同様の疑問を持つ人もいると思いますので、ボクシングと戦う武術的方法を少し考えてみましょうか。

 端的に言って、ボクシングのプロと“パンチだけで殴り合ったら”、たいていの武道の高段者でも殴り倒されるんじゃないかと思います。

 私も少し齧ったことがあるから判りますが、それほどボクシングのパンチ技術は卓越していると思います。躾道会に通っていた時期(13年くらい前かな?)に、ボクシングのスパーを道場の先輩(日本人で初めて中国散打のチャンピオンになった岡部武央先生)とやらされた時は、一発も返せずに打たれただけでした。

 だから、実戦ということを少しでも考えるなら、まず第一に相手と互角の勝負をしないことが肝心でしょうね。及ばない技術で挑むのは結果が見えていますから。

 こういうところは普通に考えたほうがいいです。根性ではどうにもならない。

 対ボクシングを考える場合、空手家やキックボクサーなら蹴りを用いてパンチが届く間合に入らせない。ブラジリアン柔術家や総合格闘家なら寝技の体勢で低く構えて誘う筈。

 私だったらどうするか?

 実際に20年くらい前にやったのは(S県の県大会でベスト8に入ったと言っていた人)、ケンカになって構えたところを差し手でくっついてパンチを封じて膝蹴りを入れた・・・ということはありました。「汚ね~っ」って罵られたけど、以後、立ち向かってこなかった。

 でも、もっと要領よくやるなら箒でも持ちますね。それで顔面をつつく・・・。間合を遠くしておいて、視界を遮り、足の止まったところを捕まえてローキックと寸勁をガンガン打ち込みながら倒して絞め技を出す・・・まあ、一つの手としてはこんな具合でしょうか?

 要するに、相手の得意な技が出せない状況を作る。これが実戦を考える時のセオリーです。試合じゃないんだから、わざわざ相手が自由に技を出せる状況に付き合う必要はないんですよ。技を競うんじゃなくて、いかにして相手の技を封じるかの戦略を築くことが肝心です。

 箒が無かったらどうするか? 亀になって(頭と顔面を抱えて急所を打たれない体勢のこと)わざと打たせる。そして、打たれた時にとにかく捕まえる。後は同じ・・・。

 くっついちゃえば私は寸勁と関節技、急所攻撃技を沢山知ってるから、一発殴られるくらいは我慢しますよ。パンチが届く距離ならこっちも相手を捕まえられる。ケンカやってた人なら解るでしょ?

 経験の無い人だと「肋骨が折れた」というと戦闘不能になるくらいの重傷だと考えるでしょうが、折れた骨が内臓を傷つけたり皮肉を突き破って飛び出てでもいなければ、肋骨くらい何本折れても大して戦闘力は落ちませんから、頭や顔面の急所をガードして一発くらいは我慢しましょう。

 現実問題としてボクシングのプロ選手とかがケンカすることはほとんどあり得ないので、実は、頭の中で考えるような実戦的シミュレーションは成立しないんですがね。試合に慣れてる人だと、ついつい、その競技を拡大解釈して実戦云々を考えがちだと思いますが、やっぱり冷静に現実を考えるべきです。

 うちの会のボクシング経験者も、やはり対ナイフとか、そういう自己防衛的な技術の必要性を考えた人が来ています。

 例えば、相手がナイフ使ったら、こんな手は通用しない。「武器を持っていたら」「複数だったら」・・・ケースバイケースで対処法を考える能力こそが肝心です。

 何か、試合経験しかない人だと、相手と同じ土俵で闘うことしか発想にない人も多いみたいなんですが、(普通は自分から好んでやらなきゃ経験しようがないけれど・・・)何度かストリートファイトを経験したら、武道や格闘技の技が実際には思うように使えないということが判るでしょう。

 そういう経験のある人は、「武道や格闘技の試合と、ケンカ、実戦は全然、別物だ」って判ってますから、比較して云々とか言わないものですよ。

 ケンカ十段と言われた芦原英幸先生は手裏剣や日本刀、トンファーなんかを自作して研究していたことが知られていますが、本当に実戦を考えたら武器術を研究するもの。

 暴言アラフォーさん(匿名にするのも大変だからお茶目なニックネームでおちょくってますけど・・・俺も性格悪いな~?)は、「不意打ちは精神論」だとも書いていましたが、大きな勘違いなんですね。

 武術に意味のない精神論なんかありませんよ。技術・戦術・戦略に裏打ちされた教えがあるだけ。読み解けない人間が勘違いして無意味だと決めつけてるだけの話です。

 不意打ちというのは、「相手の先を取ること」を言うのです。

 人間の身体は意識が支配している。意識が動いてから身体が動く。だから、戦意の隙間を読んで攻撃のリズムを分断して倒す。それが先を取る戦法の極意であり、意(識)が不足しているところを打つから、「不意打ち」と言うのです。

 これは純然たる読みの技術です。磨けば高まる。磨かなければ体得できない。

 古来より先の先、対の先、後の先と呼ばれて剣道でも空手道でも目標とされてきたのは精神論ではなく純然たる技術論だったことの証しです。侮る者は縁無き人です。

 まあ、それが知りたくてセミナーに来たんでしょうけど、謙虚に教えを受ける心根の無い人間には教えないことにしているので、試した訳です。結果は不合格!


“実戦”で勝ち残るためには、戦略が必要です。

 相手が自分より明らかに強い場合、まずやることは、徹底して相手が実力を出せない状況に追い込むこと。何もさせずに一方的に潰す。卑怯も糞もありません。それが“実戦”ということです。

 具体的なやり方はいくらでもありますが、ストリートギャングのよく使う手を解説しておきましょう。

 彼らの仲間がオヤジ狩りに失敗して達人級に強いオヤジにたたきのめされた・・・。

 さて、どうするか?

 やられたヤツの仲間が、達人オヤジをこっそり携帯カメラで撮影し、写真を仲間に送ってマーク。駅からオヤジの帰るルートまでを調べあげて張る。

 三日後にオヤジを発見したヤツが仲間にすぐに知らせると、仲間は鉄パイプ、木刀、チェーンなどを持って帰りのルートの人通りが少ない場所で待ち構える。

 何も知らずに居酒屋でちょっと一杯ひっかけてホロ酔い加減の達人オヤジが通りがかった時、いきなり十数人で囲んで滅多打ち・・・そして、さっと退く。ほんの十数秒の凶行で、達人オヤジは半身不随の廃人になってしまった・・・。

 この話、実は創作じゃありません。恐らく半分以上は事実だと思います。武道業界で本当にあった話だということを聞いています。確か、空手やボクシング、合気道、剣道、柔道などの高段者で、三度の飯よりケンカ好きという警備会社に勤務している人だったとか聞いています。

 実戦って、こういう類いのことを言うんです。悠長に武道の技を使うヒマがあると考えるのはお目出度い考えです。戦闘を意識していない虚の状態を狙われたら、どんな達人だって人間サンドバッグに早変わりしてしまうものです。

 本気で殺る気でいる人間は、どんな汚い卑劣な真似をしてでも確実にターゲットを潰すことを考えるものです。

 戦争だってそうでしょう? 戦闘者だろうが非戦闘者だろうが敵国にいる人間は情容赦なく爆撃して虱潰しに殺していく・・・それが戦争のセオリーですよ。

 だからこそ、実戦を考え、実戦を選ぶのなら、非情に徹していかなる手段を講じても敵を抹殺する意志を固めなければならない。具体的な手段はそこからいくらでも考案されるものです。

 武術って、そうやって出来上がってきたものなんですよ。

 競技試合の様子を見て“実戦”を考えるなんて、日本だけだと思いますよ。銃やナイフで襲撃されることを無視して実戦を語る武道が普通に考えられているのは・・・。

 どこの国でもスポーツだって弁えてますよ。だって、実戦を考えれば海外ではセルフ・ディフェンス用のハンドガンや室内戦用のショットガンを普通の家庭で揃えて子供の頃から射撃訓練する国が少なくないでしょう?

 世界標準で見れば日本だけが特殊なんだということをそろそろ気づくべきですよ。

 私は、本当に切実に自己を頼りとしたいと考える人に来て欲しいし、そうでない興味本位の人には教えたくはありません。本当に大事な事柄は、その価値を理解して大切にする人間にこそ伝えられなければいけないんです。価値の判らない者、理解しようとしない者、自分の好むようにしか見ない者・・・そういう人達はお呼びじゃありません。

 私が交叉法を教わった師匠は、「いいか、長野。お前は武道のことをとやかく言ったら許さんぞ!」と言ったことがありましたが、多分、実力もなく覚悟もない者が武道についてあれこれ言うのは僭越なんだという考えがあって、私が自惚れないように叱ってくれたんだと思います。

 少なくとも師匠からは私が口先先行の人間に見えていたんでしょうね。

 けれども、この時は「僕は先生に認めてもらわなくて結構です!」と言い返しました。

 人に認めてもらいたくてやっていることじゃないんです。自分がやらなきゃ誰もできないことだと信じているからやっているんだ・・・という覚悟を示したいと思ったんです。

 それ以来、師匠は私をある種、認めてくれるようになりました。「こいつは覚悟があって敢えてやっているんだ」と思ってくれた様子です。私にとってはそれ以上の望みはありませんよ。当代随一と私が確信する師匠が認めてくれたんだから、覚悟の無い連中に何を言われようが関係ないっスよ。


追伸;『もっと知りたい武術の極意』、見本が出来上がってきました。自分で言うのも何ですが、現時点で私の書ける最高水準の本になったと感無量に思っています。もし、「何だ、この程度か?」と言われても仕方がない。正真正銘、現時点の自分のイッパイイッパイですから・・・。イラストの黒谷先生、演武協力してくれた会員さん達、写真撮ってくれた伴野さん、それから、何よりも教えを受けた多くの先生方に、ただ“感謝”の一言です。楽しんでいただければ幸いです。


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岩間統正先生の技に感銘

 私が未だにパソコン扱えない超アナログ人間なのを知る人は少ないと思います。

 このブログだってワープロで打ってフロッピーディスクで事務長に渡してアップしてもらっているんですよ。だから話題に時間差ができてしまうし、メールの問い合わせへの返事も数日遅れる訳です。

 それでも、今はようやく携帯電話も持つようになって一年以上が経過しました。でも、まだメールうまく打てない・・・。人間は向き不向きがありますね~。

 近所のネット喫茶で、事務長と一緒に自分のホームページすらパソコンで見るのが数カ月ぶり(ひょっとして一年ぶりかも?)でしたよ。

 今回は近日発売予定の游心流の教習DVDの粗編した素材をチェックするのが目的だったんですけど、いや~、これは解りやすいし出来がいいと思います。自分で言うのも何ですけど、面白いし、これで地方会員の人達もググッと実力アップできる筈。

 ちょうど、新刊本で游心流の稽古法を写真解説しているので、これと併せて練習してもらうと独修用教材としてベストだと思います。


 さて、それから、せっかくだから噂に聞く某合気道師範の真剣仕合の動画も見ました。

 もっと壮絶なのを想像していたんですが、たまたま無防備に殴られて怪我しただけに見えますね。って言うか、こんな呑気な気持ちで真剣仕合に臨んでいたら痛い目をみるのは当たり前だと思いますよ。

 総合格闘家の人は殺すくらいの気合で臨んでいたのが解るし(金もかけていたんでしょ?)、「老人相手にやり過ぎだ」と非難する声も聞いていたんですが、老人だろうと武道家を私称する以上は、事故で死ぬのも覚悟しなきゃダメだと思いますよ。

 自分が挑発して「誰でもかかって来い」と公言した以上、負けて言い訳する訳にはいかないでしょう。

 私も何度も負けたことあるけど、負けは負けだもんね。事実は事実として認めないと成長はしないですよ。負けるってことは自分の弱点を教えてもらうことなんだし、修行過程での練習試合は悪くないどころか必要なことだと思います。

 そりゃ、負けるのは悔しいけど、命取られた訳じゃなし、自分の未熟さを教えてもらって有り難うございますって解釈しなきゃダメですよね。

 でも、たとえ勘違いしたオヤジだったとしても、衆人監視の中で仕合してみせた点は立派だと思います。その点だけは、負けまくっていながら現代武道批判をやめずに達人扱いされても否定しないで平然としている甲野氏のような恥知らずよりはマシだと思います。


 それから、せっかくだから動画もいろいろと見てみました。

 つばさ基地のホームページの凱旋塾の練習風景の動画とエクストリーム・キックの動画も見ましたっ! 素晴らしいっ!

 凱旋塾は古伝の空手の術法を研究されているとのことですが、無構えからギュンッて感じで反応して捌きと突きが一体化して迎撃しているところが素晴らしいですね。あのピリピリした緊張感がいい。ちょっと無門會の映像を見た時を思い出しました。やっぱり空手は疾いな~!

 エクストリーム・キックも、マッハ!を彷彿させる跳躍回転蹴りが見事です(私も蹴り技、また練習しよっと・・・体型がサモハン化したから、できるかな?)。去年のアクション・イベントが最高でしたからね。今年も見れるかな?


 その他、八卦掌とか中国武術の動画もいろいろ見てみました。八卦掌は張宏梅老師の動きが見事でした。伝統派の動きはノンビリし過ぎて見る分には正直、つまんないですね。

 そんな中でも、太気拳の岩間統正先生の指導風景を撮った動画があったのでいくつか見ましたけれど、私が取材した時に拝見して十年くらい経過していると思うんですけど、変わらないどころか、より進化されていてビックリしましたね~。

 だって、60歳はとっくに過ぎてらっしゃる筈ですよ。それなのに身法の柔らかさや無駄な動きが皆無。驚異と言うしかありませんよ。

 一見、そんなに速く動いていないように見えるんですけど、全身が無駄なく連動して一流のバレエダンサーのように機能的に動かれているので、まさにマーシャルアート! あれは受ける相手にとってはとてつもなく速く感じる筈です。

 ありし日の澤井先生がこうだっんじゃないのか?って思えるゴムマリが弾むような爆発的な瞬発力を湛えたまま、スルスルスルッと滑らかに動かれる様子は隔絶した技量を想起させます。

 ただ速く動いているんじゃなくて、動きに居着きが無いんです。大抵の武道家は歩けば必ず居着きが出ます。が、岩間先生はそれが出ないんですよ。実に自然に足が上体にくっついて動いている・・・。

 いや、上半身を固めて動くならできる人は結構いるでしょう。だけど、上半身をウィービングさせたり腕を回しながら足はスルスルッて動く人なんています?

 私はそういう動きを目指して練習してきてますけど、ま~だまだ、遠く及ばない。

 いや~、岩間先生はやっぱり凄いわ~。

 私もここ一年か二年くらい差し手の研究をしてきて、結構、できるようになってるんじゃないかな?と自負するところがあったんですが、岩間先生の差し手のレベルには比べるのも愚かですよ。

 そのくらい力が抜け切ったまま、スルリッと相手の突き腕に添わせるように擦過させる様子には身震いしました。ものすっごい達人の繰り出す切り落としの技みたい。

 本当に優れた技は人を感動させるものなんだ・・・と、改めて思いました。いや、いいものを見せていただきました。


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ミッドナイトシアターはエライッ!

 フジテレビの金曜深夜のミッドナイトシアターで、我が魂の師匠、若山富三郎先生の遺作となった『王手』が放送されていました。

 が、ただ放送するんじゃなくて、解説がついてて、何と、若山富三郎先生も伝説の真剣師役として紹介してくれていたんですが・・・クックック・・・(泣く)。

 勝新の兄貴といったいつもの紹介はいいんですけどね、解説文のところに、『極道』シリーズと並んで、“『子連れ狼』シリーズ”と書いてあるじゃ~ありませんかっ!

 あ~、よくぞ、よくぞ、『子連れ狼』について書いてくれましたっ! えらぁいっ!

 子連れ狼を演じた役者といえば、ヨロキン(萬屋錦之介)か北大路欣也しか知らない人ばっかりであろうし、正和サマや高橋英樹も演じているということを知る人も、まあ、いるかも知れませんね。

 でも、元祖と言えば、若山富三郎先生ですからね。

 若山先生が雑誌連載されたばかりの子連れ狼を読んで、原作者の小池一夫先生を訪ねて主演映画化を直談判し、渋った小池先生の前で、「俺が太ってるからイメージが合わないと思ってるのか? でも、俺はこんなこともできるんだぞ」と、居合抜きを抜いてみせ、クルッとトンボを切ってみせたとか。

 その余りの熱意に根負けした小池先生が、断ったら真剣で斬られると思ったからか? 「分かった、分かった。若山さんにあげるよ」と許可して映画化されたのが『子連れ狼・子を貸し腕貸しつかまつる』だったのです。

 もう、若山先生、完全に拝一刀の霊が入ってるイタコ状態ですから、濡れ衣を着せられて捕縛にやってきた役人達の前で、「斬れるか? うぬらのその細腕で介錯人の俺が斬れるかぁっ!」と一喝するところなんか、もう痺れますよ、ホント。

 続く、『三途の川の乳母車』『死に風に向かう乳母車』『親の心子の心』『冥府魔道』『地獄へ行くぞ大五郎』とシリーズ化された若山先生版子連れ狼は、時代活劇として今でも誰も超えられない極致まで到達していたと思いますね。

 いや、ヨロキンもキンちゃんも頑張ってたと思いますよ。でも、ジャンプするところとかスピーディーに動くところはスタント使ってるし、殺陣は上手いけどアクションという水準ではないんですよね。

 若山先生は自分で飛んだり跳ねたりできたからね。特に『親の心子の心』の時は不思議時空で戦ってる宇宙刑事みたいだもん。空中でキリモミしながら飛んでたよ。


・・・まあ、ミッドナイトシアターの解説のところ担当した人はそういうところも知っていたんでしょうね。エライッ! 本当にエライッ!

 思えば、『驚き桃の木20世紀』という番組で若山先生が採り上げられた時、ただの一言も殺陣の名手だったことや子連れ狼などの時代劇映画に主演していることについて触れていなかったんで、私は激怒しましたよ。

“弟、勝新の陰に隠れて苦労して極道映画の役者から演技派の名優になった兄貴”というシナリオだけでドキュメント作ってるんだもん・・・ガッカリだよ・・・。

 こういうのはディレクターが自分の関心のある部分だけで編集するメディアの悪い癖ですよね。

 若山先生に関しては『もっと知りたい武術の極意』でも特別評論として書いていますから、是非、読んで、できるなら『子連れ狼』を見てください。見れば解る!
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太田農水相の発言は許せない

 私は政治家って権力志向に凝り固まった人間がなるものだから人並みの倫理観とか正義感なんか期待していないんですが、今回の農水相の発言は、ちょっと許容範囲に収まらないですね。

 まったく、阿呆じゃなかろうかと思います。安全基準の問題ではなくて、食品を偽装して流通させたことについての問題でしょ?

 何を勘違いしているんでしょうか。

 たまたま濃度が大したことがなかっただけで、事故米を偽装して流通させたということは毒物を偽って流通させたことなんですよ。

 大臣が大した問題じゃないと言えることですか? 切腹してお詫びしろって問題です。

 三笠フーズの社長さんも金儲けるためには何人死のが関係ないと思える無神経さが万死に値する訳で、「手口を教えられた」からと言っても、何の責任逃れにもならない。

 実践したのはテメーなんだからね。

 あの・・・仕事って、ただ金を稼ぐことじゃないでしょ? 自分の仕事に責任と誇りを持って社会貢献できない仕事だったらやる意味ないんじゃないですか?

 私は去年の今頃、武術指導業を廃業しようか?と本気で考えました。「ただ強くなればいいじゃないか?」とか、「みんな、ただ楽しいから習いに来ているだけだ」と平然と言い放つ腐れ弟子どもを育ててしまった責任を感じたからです。

 ただ破門にするだけじゃなくて、こんな連中を量産するだけの武術なんか人に教えちゃいかんだろう?と考えたからです。

 でも、今の師範代や会員さん達のお陰でやめずに済みました。

 たまたま出くわした合気道のS先生に相談に乗ってもらったり、気晴らしに見にいったアクション・イベントの主催者Aさんの苦労話を聞いたりしてやる気を取り戻したんですよね。

 結局、私が武術やっているのは最終的には社会に役立つ仕事にしたいと思っているからですよ。

 この三笠フーズの社長とか農水相は、一体、何を考えて仕事してるんでしょうね?

 私は本当にこいつらには腹が立ちます。
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九月セミナー報告

 はいっ、九月のセミナー“型の研究”も、無事に終了しました。

 でも・・・今回は反省・・・。

 私、張り切り過ぎちゃって、伝統武術では極秘扱いにされているような技の秘訣について、バンバン解説して教えちゃいましたよ・・・あ~っ、やっちまったぁっ!

 いや、実際、今回はこういうことになるかもな~?と自分でも思っていたんですけど、何かね~、型の中に隠されている技の用法や変化応用の術式(術の公式という意味)について解析していけば、必然的に型を創案した人が本来は何を目的にして型の動き、所作を決定していったのか?という根源的な地点まで逆上ってしまうんですね。

 お断りしておきますが、私は型の用法なんてほとんど習ったことはないんです。

 けれども、自信を持って申し上げておきますが、習ったことのない型であっても、その型の動き、所作に秘められている意味についてはすぐに解読してしまえる特殊能力が育ってしまったんです。

 それは、読みと交叉法を探究し続けた結果、自然に解読できるようになっていったのです。

 で、それが解ってしまうと自分が習ったことのない流派の型を見ても、「あ~、この技はこうやって使うんだな」と直感的に解読できるようになっていたのです。

 でも、これは超能力でも何でもない。“型を読み解く公式”が私の脳内と身体感覚に自然に芽生えて育ってきたからなんですよ。

 こういう能力は、私の師匠にあったもので、師匠は自分が習ったことのない八極拳や心意六合拳、あるいは二天一流なんかの用法も即興で解析してみせていたんですけれど、これも読みと交叉法を探究した結果、身についたんだろうと思っています。

 ですから、今回のセミナーでは、その種を植えてチョビッと肥料と水を撒いたんです。

 具体的なやり方は参加者の特典として、ここには書きません。いずれ、一般公開する時をお楽しみに・・・。


 さて、それはそれとして・・・極秘中の極秘伝(いや、ホントにこれは公開しちゃマズイだろ?って秘訣)をいくつも教えてしまったんですが、それって何?と読者の皆さんは興味津々だと思います。

 だから、はっきり書いてしまいますけれど、要するに“禁じ手”をバシバシ教えてしまったんですね。

 えっ? 意味が解らないですか?

 じゃ、言葉を換えてみますと、“効率よく致命傷を与えるやり方”、簡単に言うと“殺法”をいくつも教えてしまったんです・・・あ~、下手こいた・・・。

 こういうのって、伝統武術ではよっぽど信用のおける弟子とか跡継ぎだけに、こっそりと教える性質のものなんですけど、私、最近、護身術を突き詰めて考えているせいか、どうすれば効率よく殺せるか?というところまで真剣に考えていて、当たり前になっちゃっていて、ついつい教えてしまった訳なんですね。

 でも、無論、「こんな技をちょっと本気出して使ったら人殺しになってしまうから、使っちゃダメですよ」と言ってはいるんです。

 それでも、型の動作を解析していくと、禁じ手ばっかり入ってる訳で、「な~るほど、型の意味を容易に教えなかったのは、危険性を考えたからなんだろうな」と思う場合が多かったんですね。

 今回、過去に二回くらいやったことのある保健体操として広まっている簡化24式太極拳に含まれる技の実戦的な応用法を解説指導した訳なんですが、何と! 半分くらいしか教えられなかったんですよ。

 何でか?と申しますと、過去に二回もやっているから同じやり方を教えたのでは意味がない。しからば、今回は新しいパターンを・・・と思って、一つの技で三つも四つも用法を気張って指導してみたところ、爺さん婆さんがピロリ~ンとラジオ体操代わりに練習している簡化24式太極拳が、あっと驚く“地上最凶の武術・殺人太極拳”に変貌してしまったから、あ~ら、不思議・・・。

 鼓膜を破って脳髄に衝撃波を送り込む技、一瞬で肘を破壊し頸動脈を突き刺す技、肋骨をへし折って内臓に折れた骨片を突き刺す技、瞬きする間に頸骨をへし折る技、無防備にして喉仏を圧殺する技・・・「陸奥圓明流ですか?」って聞かれそうですね。

 でもね・・・これって簡化24式太極拳の技を掘り下げたら発掘された必殺術なんですよ。「コワイ・・・コワ過ぎる・・・こんなん使ったら一生、ブタ箱から出られなくなるかもしれん・・・?」と、流石に途中で気づいて抑制したんですけど、それでも、「ぶぅげぇっ!」とか鶏が絞められたみたいな声が・・・オイオイ、ダメだよ、やり過ぎだよ・・・でも、加減してもこうなるんだから、ちょいと本気でかけたら確実にやっちまうな。

「はい、皆さん、力入れてやったらダメですよ~。“死ぬ”から・・・(オイオイ)」


 その他、空手の型の意味もいくつか解析してみましたけど、これだって試合じゃ使えない技ばっかりだもんね。

 ナイファンチンの動作の意味だって、相手と正対して使うものと考えると丸で意味が解らなくなってしまう。おっと・・・これ以上は、ヒ・ミ・ツ・・・。


 何ちゅうかね~、最近は人の技や理論を平気でパクッて「自分が研究しました」って言って発表しちゃうことに罪の意識を丸で感じない人が多いから、私も気をつけなくちゃいかんと思ってます。

 だって、効かない技や特別な才能のある人にしか駆使できない技だったら別に広まっても構わないと思うんですけど、私の考えた技って、「命を奪いにくる相手をいかに効率よく排除抹殺するか」というテーマで考えているんで、ド素人が覚えても十分過ぎる殺傷力が発揮できちゃうんですよ。

 セミナー受けた人は「なるほど、確かにそうだろうな」って納得されると思います。身をもって体験したら危険性が理解されると思うんですね。いつもは肘を折る程度の技で済ましてますけど、今回はあからさまに瞬殺できる技を指導したので、むしろ、武道をある程度以上修行していた人のほうが驚いていたみたいです。現代武道ではこんな技はやらないから・・・。

「武術の技は上達すればするほど、使えなくなるんですよ」と私が言ってきていた意味も少しは理解してもらえたかも知れません。簡単に人殺しになってしまうから・・・。

 やっぱり、ここまで来ると、腕前を競おうという意識は無くなってくると思います。こんな技は使う訳にはいかない。

 でも、格闘技やっていると神経が麻痺するというか人間性が壊れるというか・・・相手に致命的な傷害を与えるような必殺技を嬉々として学びたがるものです。

 私も本質的にはそんな変態の一人でしかないと思いますよ。残酷な技も随分研究してますからね。多少、自己嫌悪も感じているので、こういう技はあんまり見せないようにしてきていたんですが、最近は通り魔事件が多発しているから解禁して教えるようにしてきたんです。

 余談ですが、私が腕試しに来られるのが凄く嫌なのは、危なくなったら、そういう歯止めの利かない殺人術を使っちゃいそうになるからなんですよ。実力差があったら加減することもできるけど、現実的に私より実力が上の人と戦う場合、殺す気で立ち向かうしか突破口は無いですからね。

 はっきり申しますと、武術というのは相手の知らない技で殺すやり方を無数に研究されているので、どんなに実力差があっても関係なく簡単にブチ殺せますよ。ホントの話。

 だって、命がかかっているんだから刃物だって飛び道具だって毒だって何だって使いますよ。格闘技じゃないんだから、技量を競うものじゃないんです。本質的に。ここを絶対に勘違いしちゃいけません!

 だから、「決して使っちゃいけない」という自戒の心が必要なんです。使ったら人殺しになってしまうんですから、現代社会でまともに人生を送れなくなる。

 そして、どれだけ武術を修練したところで「俺は強い」と自惚れるのは間違い。サバイバル技術を磨いて強いとか弱いとか言う人はいないでしょ? 強いとか弱いとかはスポーツの枠組みを設定することで成立する考え方なんですよ。

 甲野氏もそうだけど、すぐにスポーツ化した現代武道を批判する武術家がいますけど、立脚点が違うんだから比べることが間違いなんですよ。どっちが正しくてどっちが間違っているという問題じゃないんです。“違う”というだけの話。

 私は武術の本質を目指して“絶対に勝つためにはどうすればいいか?”という観点だけで考えてきたんで、必然的に、倫理上の観点からも、こういう技を考えも無しに誰にでも教える訳にはいかなくなったと思っています。

 私はこの認識があるだけ、何も考えずにただ強くなりたいと考えている武術マニアとは一線をひいていられるし、それがなくなったら、指導者失格だと思っています。世の中に暴力を撒き散らすだけですからね。


 話を戻しますが、パクるのが悪いとは、私には到底、言うことはできません。多くの先生の技をパクりまくってきた私にそれを言う資格はありません。

 が、出典を明かして仁義を切るなら、“盗作”と見なされることはない筈です。それは先人への尊敬の念を表明することだからで、技の背景にある“技を工夫してきた人達の努力と想いを尊重する気持ちの現れ”だからです。

 その気持ちが無いから、平然とパクっておいて、パクったことを隠していられるんでしょうね。

 皆さん、注意しましょう。

 専門誌や本を読んで、書かれている事柄を無批判に信じてしまうのは危険なことなんですよ。書かれていることよりも書かれていないことを洞察していかないといけない。

 見えないところを読むのが“読み”なんです。

 その意味で、詐欺的匂いを嗅ぎ分ける嗅覚が鈍くなっている人が多いように思います。

 人間は嘘をつくのが普通だし自分の恥は隠したがるものです。雑誌や本、あるいはテレビなんかも原則として宣伝が目的です。売れるためにはいかに上手に嘘をつくか?というのが本質です。

 だから、本に書かれていることをそのまま疑いもしないで鵜呑みにするのはおバカさんというものです。もっと、大人になりましょう!

 それから、「自分で確かめてみないと分からない」とか、「見れば分かる」とか、「体験すれば分かる」と言う人もいます。

 でも、素人が手品のタネを見抜けますか? 武道をやったことのない人が武道家の実力をきちんと測れますか? 自分が修行したことのない流派の技を見ただけで破り方が解りますか?

 観る目というのは、相応の訓練を持続的に続けていなければ育ちません。初心者がいろんな道場を回って「あそこは良いが、あそこはダメだ」みたいな批評をしているのを何度も聞きますが、全てピント外れの勘違い。自惚れるのも大概にしろと言いたくなります。

 謙虚に見ることと、角度を変えて見ること、それと体験を積み重ねること・・・これらが武術修行の要点です。自惚れは修行者の最大の敵です。

 まっ、以上は、“自戒を含めての話”です・・・。


追伸;セミナーの感想文、お待ちしています。また、質問もどうぞ。例えば「あそこまで書いて名誉毀損で訴えられないんですか?」とか・・・。
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九月セミナー予告

 九月の武術セミナーは、『型の解釈』です。

「太極拳って本当に武術なの?」とか、「空手の型って、どうやって使うの?」とか、「合気道って、どうして手刀で打ちかかるの?」とか、「居合道って本当に使えるの?」といった、様々な“型への疑問”を、私がバッサリと解決してみせましょうぞ・・・。

 いや、私も、交叉法を知るまでは、「武道に型なんか必要ないじゃん」と思ってましたよ、マジで・・・。

 30歳過ぎて、謎の中国拳法家K先生と出会うまでは、“型不要論”に気持ちが傾いていましたよ。

 いやはや、愚か者でございましたよ・・・若気の至りってヤツですか・・・。

 まあ、今回は一年間のセミナー中でも最もディープな回になると思いますよ。

 なんたって、型って一口に言ってもですね~。これがまた秘伝、極意の宝庫なんですよね~。私、簡化太極拳でボクシングやってる人に勝っちゃったことあるもんね~。ビックリしてましたよ。「太極拳って、汚ねぇ~っ!」って、その人、呆れてましたもん。

 そうです。武術の型の中には汚い卑怯技がテンコ盛りなんですよ。

 だから、口伝にして隠したんでしょうね。卑怯過ぎるから・・・。

 でも、だからこそ、老人でも女性でも子供でも大の大人を一撃必殺で倒せる訳で、汚い技こそ実用的なんですよ。

 それを捨ててしまったりするから、柔道がJUDOに太刀打ちできなくなるんだから、綺麗言をほざく暇があったら、本来の武術の型をもっと研究分析するべきだと私は思いますね。

 私、型の解釈やるだけで本が何百冊も書けちゃうでしょうね~。それだけで食っていけるかもしれないな~。

 九月に出る予定の新作本『もっと知りたい武術の極意』中でも、空手のジオンとバッサイの型から抽出した技と“山突き”の用法例をイラストで解説しています。

 これなんて、夏に白州に行った時にペンションで会員さんと相談して「コレをやろう」って決めたものなんですけどね。

 つくづく、昔の人はよくぞここまで武術を工夫したものだな~・・・と、感心するばかりですよ。分析するより0から生み出す方が遥かに困難なものですからね。

 先人の命懸けの工夫を無駄にしないで実用の技を抽出していくだけでも私の仕事は一生を捧げても意味があるもんだと思っています。

 頑張りまっス!
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この時代劇が好き!

 あ~、一年のうちで最も好きな季節、“秋”です。

 昼間、町田の書店に本を買いに行って、宝くじ売り場でサマージャンボの当たりくじを見てもらったら、4200円当たってました!(12000使ってたから元はとれてないけどね~)

 そんでもって、帰りに駅の温度掲示板を見たら33度もあったんです。それなのに、そんなに暑く感じません。涼しい風がスゥ~ッと吹いて気持ちいい・・・。

 でも、やっぱり暑いから、セブン・イレブンに寄って『練乳がおいしい白くま』を買って食べました。280円もするけど、最高です! でも、何故か真夏の殺人的に暑い時期には売ってなくって、毎年、八月の終わりくらいから売られてる。

 九州では『白くま』は定番の夏のデラックスかき氷だったんですけどね~。フルーツが入って練乳がガバ~ッと入ってて、甘党にはたまらん。セブン・イレブンで期間限定でしか売ってないのが残念・・・。

 ところで、貴方は時代劇が好きですか?

 私は、年の割りにはかなり好きなほうです。が、定番の時代劇ってあんまり見ない。

 時代劇の魅力と言えば、もう“殺陣”に尽きます。人情時代劇とかは爺さん婆さんが楽しむものであって、時代劇の真の魅力は殺陣の面白さに集約できるんですよ。

 恋愛物とか社会派の問題作とかは現代劇でやればいいじゃありませんか。

 わざわざ時代劇でやるんだったら、クライマックスは怒りの大殺陣をコッテリと見せてくれなきゃ~、つまんないんですよ! 「斬れ~っ、叩っ斬れ~っ!」って、ボクシングの試合見てるような感じです・・・。

 殺陣がダメな時代劇は駄作です! 逆に、話がつまんなくって役者が大根でも殺陣が凄かったら時代劇として合格です!

 いや、はっきり言って、時代劇というのは、クライマックスのブレード・バトルへ向かってストーリーが転がっていくものでなければいかんのです! いかに燃えさせてくれるかが重要なんですよ。

 そういう観点から私が独断と偏見でTV時代劇のベスト10を勝手にランキングぅ~。

1位『翔べ!必殺うらごろし』
市原悦子がサイコー! 音楽もカッコイイ。そして、神憑った中村敦夫が大ジャンプして旗竿で悪人をぶっ刺して殺すところが凄過ぎます。視聴率は最低だったらしいけど、このアバンギャルドな作風は今こそ再評価されるべきだよね。もう、ラストに向かって燃える展開は非常に気持ちいい。「必殺シリーズとは言えない」という批判なんか、どうでもいいんだよ。むしろ、時代劇版怪奇大作戦だと思ったほうがいいよ。

2位『賞金稼ぎ』
若山先生の居合・手裏剣・空手・伸縮警棒・44マグナムが炸裂する大殺陣時代劇。面白過ぎます。ジュディ・オングがアクション上手いのも驚きです。『おしどり右京捕り物車』もジュディの女子連れ狼路線で作ったほうが良かったかも? 北村龍平監督でリメイクして欲しい・・・。

3位『必殺仕事人・激突』
必殺シリーズの最終作だったっけ? 中村主水も影が薄くなってしまった滝田栄の山田朝右衛門の豪快過ぎる殺陣が最高にカッコイイ。また、剣豪役を演じて欲しいな~。

4位『乾いて候』
正和サマの当たり役を時代劇スペシャルと連続ドラマで映像化。正和サマの殺陣はかなりテクニカルで独特な味があります。古畑しか知らない人に見て欲しい。

5位『唖侍・鬼一法眼』
「弟(勝新)はメクラで兄貴(若山先生)はオシかよ? あ~・・・」と思った若山富三郎先生主演のハードボイルド時代劇。復讐の鬼となって両親を殺して自分の喉を切り裂き恋人を犯したイスパニアの剣士ゴンザレスを求める凄腕の賞金稼ぎ・鬼一法眼。やっと捜し当てたゴンザレスは前非を悔いて善人になってて、「ええ~っ? ゴンザレスっていい人じゃ~ん?」と私はコケたよ・・・。

6位『それからの武蔵』
宮本武蔵役者としてのヨロキン(萬屋錦之介)の円熟の完成形を描いたドラマ。佐々木小次郎との対決以後の武蔵の一生を描いた作品なんですが、宮本武蔵って小次郎との対決以後のほうが実は経歴が判っていたりするんですね。

7位『影の軍団3』
JAC人気が最も大爆発していた頃の『影の軍団』シリーズ第三弾。「我が身、既に鉄なり。我が心、既に空なり。天魔、伏滅!」という千葉真一の口上がカッコ良かった。ちなみに第一話のゲストには若山先生が将軍家指南役の小野次郎右衛門すら敵わない最強の剣客を演じていました・・・。

8位『柳生一族の陰謀』
千葉真一が柳生十兵衛を演じた映画版のTVドラマ・シリーズ。千葉チャンもいいんですが、裏柳生軍団のフチカリを演じた千葉チャンの弟、治郎さんがいい味出してます。ナガブチの嫁と言ったほうが最近は納得されるかも知れない志穂美悦子も大活躍してますが、最大の強敵、成田三樹夫の烏丸少将が最高です!

9位『三匹の侍』
TV時代劇の伝説となったドラマ。丹波哲郎、平幹二郎、長門勇の三人の浪人者が活躍するロードムービー風の作品。この作品では短槍を器用に操る長門勇の人気が出て主演作『道場破り』も映画化されてますが、実はこの作品、寺尾聡主演の『雨あがる』と同じ原作なんですよね。丹波先生に代わって加藤剛が出演していたシリーズの最終回のゲストでは、若山先生が出演していて立て札を真剣で斬ってみせたりしてました。

10位『座頭市』
やっぱり、勝新の逆手居合斬りは外せません。ドラマ性も高く、TVドラマとは思えないクオリティです。役者バカと呼ばれた勝新ですが、座頭市は今でも時代劇ヒーローとしていろんな役者によって引き継がれてますからね~。

 まあ、殺陣に注目するなら近衛十四郎の月影兵庫、花山大吉、いただき勘兵衛とかもいいし、必殺シリーズ、大江戸捜査網、木枯らし紋次郎、あるいは隠密剣士、赤影、ライオン丸、嵐なんかも良かった。

 最近の作品も悪くないんですけど、殺陣の工夫をしているものと、そうでないものの落差が大きいのは何とかならんもんでしょうかね~? イケメン出したり、シツケのためにアイドル出したりするって伝統もどうよ?って感じがする。

 私は、時代劇ってSFだと思うんですよ。その本質を的確に見抜いて映像化した作品って、例えば雨宮慶太監督の『タオの月』とかがあります。アレは斬新で面白かった。隕石(隕鉄)で刀を作るって発想も榎本武揚が作った流星刀のように伝奇ロマンを感じる。

 そういう観点から、TV時代劇はチャレンジ精神が枯渇してると思いますね。

『魔界転生』なんてキムタクでドラマ化したら、メチャメチャ面白いと思うけどな~。

 数年前のNHK大河ドラマの『武蔵』なんかも、せっかく一年間もやるんだし、この期に及んで吉川英治に気を使っても意味ないんだし、佐々木小次郎との決闘以後もきちんと描いて死ぬところまで描き切るべきだったと思うんですよ。

 何か、皆、勘違いしてるけど、別に吉川英治の宮本武蔵って史実を忠実に描いてる訳でも何でもないし、資料的には中年以後のほうが武蔵の人生は判ってるんだからね~。
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大槻ケンヂさん、それはヘンです・・・

 NHKのBS2マンガ夜話で放送されていた『男組』の回が地上派で再放送されていたので、見ました。

 本放送の時は全部は見ていなかったんですけど、改めて見て、大槻ケンヂさんの神秘武術愛がちょこっと炸裂していて面白かったですよ。

 角田さんしか解らない「武田鉄矢が蟷螂拳を松田隆智に学んだ」みたいな話を持ち出してみたり、マンガから武術に話が脱線してしまうので、すぐに引き留められてしまっていましたけど、私なんか、「イケイケェ~ッ。無視して脱線しちぇえ~っ」って、思ってましたよ。

 でもね・・・「流全次郎は義和団みたいなもので、ウォン・フェイフォン(黄飛鴻)なんですよ。そして神竜剛次は三島由紀夫で、いうなれば、ウォン・フェイフォン対三島由紀夫なんですよっ」ってのは、無理やり過ぎますってば・・・。

 まっ、面白いからいいんですけどね。

 それにしても「蟷螂拳習えるところを探しても無かった・・・」みたいに話していましたけど、都内だったらいくつか有ると思うけどな~。

 私の師匠も蟷螂拳(崩歩拳)できたから、練習中に何度か見せてもらっていたんで、ちょっと覚えたんですけどね。友寄先生も技の使い方を少し見せてくれたんで、それは大事に練習していますよ。

 何かね~。中国武術って非実戦的なイメージが定着していて、唯一、意拳だけが例外みたいに思われていたりするんですけどね~。使い方、知らないだけなんだけどな~?

 はっきり言って、ベラボーに実戦的ですよ。人体の攻め崩し方はため息が出るくらい巧妙に考えられていてバイオメカニクス的に研究したら実に面白いと思います。

 だから、やってる人達ってマニアックに熱中しちゃうし、自分だけ独り占めにしたくなるんでしょうね。でも、見せびらかしたくなって、やたらに実演して見せたがる人が多いです。気持ちは判る・・・。

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脱力技法の可能性

 え~っとですね・・・。

 游心流の基本として、“脱力技法”を提唱してきている訳ですが、これは「重心移動で打つ」という攻撃力を得る意味と、「相手の攻撃力を作用させない」という防御力を高める意味の両面があるんですね。

 現代武道でも格闘技でもウエイトトレーニングをするのは当然のことだとされていますが、これって武術的に考えれば不必要だと言うしかなくなるんですよ。

 ウエイトトレーニングを一所懸命にやってきた人は、うちのやり方に慣れるまでは苦労するんです。長年やり続けてきて、どうにも力が抜けなくなってしまっていて、諦めて来なくなった人もいます。

 でも、脱力の有効性を身体で理解できるとウエイトトレーニングがいかに非能率的な訓練だったかということが痛感されてくるんですね。

 だって、ちっとも鍛えていない普通の人にアッサリ負けてしまうんだから、そりゃあ、ショックだと思いますよ。

 だから、“武術を身につけたい人”は、悪いことは言いませんからウエイトトレーニングはやめた方がいいです。筋肉に力む癖をつけてしまったら重心移動の力を使えなくなってしまいますから。

 自分の力を捨てれば、もっと大きな力が出せるようになるんだから・・・。

 日曜日の稽古会では関節技を封じて逆転する練習をやりました。

 これはチンナ術(中国武術の関節技主体の技術)と脱力技法を組み合わせて考案したものなんですが、こういう技術は体系化されているものではないので、これまで教えたことは無かったんですね。

 関節技って、立技にしろ寝技にしろ、手順と形で教えるでしょう?

 以前、うちの会員だった人にも手順と形にやたらに拘る人がいて、二回くらい「それじゃダメだ」と注意したんですが、その場で掛けてみせた時は納得するんですが、その後はすぐに戻ってしまうので、もう、馬鹿らしいから注意もしなくなりました。

 習う気がないなら、何をしたくてやってきていたのか? 私は以前は会員の主体性を尊重しようと考えていましたが自惚れてロクな結果にならないことが十分に解ったので、今は好き勝手な真似をしようとする人間は即座に破門にすることに決めています。

 人にものを習うということの意味を全然理解していない人間が結構いるんですよね。

「関節技はきちんとした形に入れば必ず極まって逃げられない」と、武道や格闘技の世界では言われています。だから、そう信じて疑わない人がほとんどでしょう。

 でも、この説は九割り以上は当たっていますが、それでも穴があるんです。

 一つには、関節技というのはその体勢に入るまでが重要で、技そのものを形で覚えても相手の体勢をコントロールできなければ、まず通用しないんですよ。

 この基本的な事柄を理解していない人が意外と多い。「この技が極まれば必ず勝てる!」とか言っちゃったりするけど、知らない相手なら簡単に極まっても知ってる人間にはそうそう極まるものじゃないんですよね。まして、動いて攻撃してくる相手なら・・・。

 また、俗に“猿手”と言われて関節技が極まらない腕の人がいたりします。アントニオ猪木も猿手で有名で関節技が極まらないと言われていました。

 古流柔術やヨガをやっている人にも時々、猿手の人がいたりします。

 私は猿手ではありませんが、大抵の関節技にはかからない自信があります。それはもちろん、術を使っているからですが、知らない人からは猿手だと勘違いされたりします。

 猿手の人が何故、関節技が極まらないのか?と言うと、彼らは関節周辺の筋が柔軟な体質なのと、筋肉に力を込めないからです。

 つまり、天然で脱力技法を駆使しているのです。

 私はそれを技術的に体得していたから関節技が極まらないようにできた訳ですね。

 私がこれに気づいたのは、甲野氏の技が脱力技法だと気づいて(以後、彼の技は一切私にかからなくなった。そればかりか私が教えた人にさえ全然通じなくなった)以来、力を受け流す技法を研究していたからでした。

 大東流では最初に柔術技法を学んで、それから合気術を学び、最後に合気と柔術を融合して用いることを学ぶ派閥がありますけれど、私もそれにヒントを受けて脱力技法を色々と応用する研究をしてきた訳です。

 打撃技(発勁)や歩法(縮地法)、崩し(合気)も全て、脱力技法から研究しました。

 もっとも、最初は相手の技を受け流して封じることしかできませんでした。

 封じたところから逆転して技をかけられるようになったのは、つい最近のことです。どうしてか?というと、練習できる相手がいなかったからです。

 受け流すだけなら、ちょこっと教えれば誰でもすぐに体得できますが、返し技で逆転するのは少し時間が必要でしょう。ですが、それができなければ相手を倒すことはできません。

 これはもう感覚を覚えるしかないので教えたくても教えようがなかったというのが本当のところでした。

 昨年までは忠実に学ぶ気持ちがあって筋も良いK師範代だけに教えるつもりでいましたが、今年に入ってから推手と差し手を融合するやり方を教えているうちに、推手から関節を極める技まで指導するようになり、その流れの中から「返し技で逆転するやり方もできるだけ教えてみよう」と思うようになりました。

 これらもシダックスと定期稽古会の両方でちょこちょこっと教えてみて、覚えられるかどうかを確認しながらやってきたんですね。覚えられそうもなければ教えないつもりだったんですよ。

 それぐらい感覚を伝えるのは難しいと思うのです。伝わる人には簡単に伝わるけれども、伝わらない人には全然、無理というような性質のものなんです。

 第一、関節をぎちっと極められようとしている時に「力を抜け」って言われても、大抵の人は怖くてできないですよ。

 下手をするとそのまま折られてしまうかもしれませんからね(って言うか、まずそうなるだろうな~?)。

 だから、関節技を教える場合は手順と形をきちっと教えねばならないと結論づけられても仕方がなかったのだと思います。普通はそこまで感覚の優れた人はいないから。

 でも、そんなやり方では脱力技法を体得している人には通じない。

 推手のやり方は稽古会でかなり上達してきていたので、今回は脱力して返し技で逆転して相手を極める練習をやりました。

 案の定、普通の推手から逆関節を極められるようになっていた会員さんも、全然できません。

 困惑顔で続けているばかりでは意味がないので、何とか技術的に教えられないものか?と考えて、仮説?として考えていた「極められた関節はそのままにして動く関節を動かして力の作用点をずらして返す」というやり方を教えてみました。

 厳密に言うと、これを原理だと思い込んでいたら、そこで進歩が止まってしまうんですが、何の手掛かりもないままでは仕方がないので、便宜上、「今回はここまでできればよしとしよう」と思った訳です。

 とにかく、武術の場合、弱い人間が強い人間に勝てる術でなければ意味がないので、徹底して力に力で対抗するやり方を排除していかねばなりません。技術的に完成させた後でなければ勝負論を論じても意味がないからです。

 が、ここで勘違いしてはならないのは、脱力するのは、「より大きな威力を出せるため」だということです。個体差としての強い弱いを超えた絶対的な力を使う。そのための脱力であって、勝てない技には用はないのです。

 ウエイトトレーニングをやって、それ以上の威力が出せるのなら、私は迷わずウエイトトレーニングを選んでいましたよ。

 脱力技法の可能性は、当初、私が考えていた以上に応用性が望めるものでした。それを明らかにできるだけでも人類に貢献できるかもしれない・・・な~んて思っていますよ。

 だけど、この技を会員さん達に体得させるのは、しばらくかかるかもしれませんね。ここ最近の上達っぷりからすると、もっと簡単に体得できるかも?と期待していたんですけど、やっぱり身体感覚に頼った技というのは伝えるのが非常に難しい・・・。

 でも、モチベーションが上がるように書いておきますけど、この技術を原理的に体得できれば、ほとんどあらゆる関節技を無効にして逆転することも不可能ではありません。

 少なくとも技がかからなくするだけならそんなに難しくはありません。逆転して制圧するのは、それなりに技を知らないと無理ですけどね。

 感覚が高まれば高まる程、技術は勝手に上がります。合気の名人の技を受け継いだと豪語する師範が私に合気揚げをかけられなかった理由がコレなんですよ。

 そして、コレは、素質も才能も要らないんです。老人でも子供でも誰でも体得できるんです。いや、むしろ何も鍛えたことのない人の方が体得しやすいでしょうね。

「じゃあ、それを体得したら甲野先生にも勝てるんですか?」と、武道・格闘技経験が0の人から聞かれたことありますけど、「無論です! 体術なら楽勝で勝てます。簡単な理屈ですよ。彼の技が通用しないのに対して、貴方はそこから返し技で逆に技を出せる訳ですよ。その気がなくても勝っちゃうでしょ? 嘘だと思ったら実際にやってみてくださいよ」と私は自信をもって断言したんですが、その人は笑って、「いや~、もう(甲野氏の講座には)行きたくないですよ。お金がもったいない」と笑っていました・・・。

 あっ、そうだ。誤解する人もいるかも知れないから付け足しておきますけど、ここに書いたのは関節技に対するものであって、絞め技・投げ技・打撃技などに対するものではありませんから勘違いしないでくださいね。

 でも、それらに対抗する場合でも脱力技法は有利なんですよ。けど、それはまた別の機会に解説しましょう・・・。
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闘争本能の復権が必要かも?

 いや~、自民党はもう、お祭り騒ぎになってきましたね~。

 安倍さんの涙目辞職報告のお次は、福田さんのヤケッパチ放り投げ辞職報告で、いよいよ自民党崩壊か?って感じで日本の政治が抜き差しならない事態に到っている印象が強まっているな~と思っていたら、何かもう、自棄糞(ヤケクソ)になったように次から次に総裁選に出馬する議員が続出して、「祭りじゃ、祭りじゃぁ~」って感じ・・・。

 何か、安倍さんの時は情けないな~って思ったんですけど、福田さんの辞職は、「もう日本の政治はそこまで救いようがない事態になってるんですよ。誰がなったって、どうにもなりませんからね。文句が言いたきゃ、好きに言ってくださいよ」って感じの尻まくりに思えて、責める気もしませんでしたね。

 私なんかも「文句あるなら、テメーが自分でやってみろよ」って思っちゃうタイプなんで、割りと途中で「テヤンデェッ、ベラボーめっ」って、ほうり出したりします。

 で、文句言うヤツが自分でやってみて上手くいった試しはないと思うんですよ。

 文句言う人は文句言いたいだけ。実際に実務をやる人の苦労はやってみた人間にしか解らない。だから、私は文句ばっかり言う人間は全然、信用していません。

 だいたい、文句言うヒマがあったら、その分、仕事で実績上げることを考えますよ。

 先週の土曜日のシダックスでは、また新しく入られた人がいましたけど、講座の後にサイゼリヤで三時間以上も話して、ついつい、“私が甲野さんを批判する理由”について熱弁しちゃったんですけどね。

 ただ文句言うだけだったら、信用してくれなかったでしょうけれど、講座を受けて私が話している内容が実際に技術的な裏付けがあることくらいは認識してもらえた様子なので、混乱しつつも納得してくれていたようでした。

 もし、私が実際には何もできないのに有名人が気に入らないだけで文句を言っていたとしたら、誰も相手にしてくれないでしょう。

 それはもう、当たり前のことです。たとえ、私が真実について正直に語っていても、実際に技ができなかったら信用される道理はありません。

 その人も、私と甲野さんのDVDを見て、先に私の技を体験しに来られたそうでしたけれど(ラッキーですね。先に甲野氏に習ったら洗脳されちゃうぞ?)、残念ながら甲野さんの技を見抜く程の経験知が無く、ただ「凄い人だ」と思って、私の言うことが本当なのか?という疑問を抱えたままで来られた様子でした。

 まあ、甲野氏に洗脳される人の一般的なパターンとして、「武道の経験知が足りない」というのが大きく、見せかけの技と具体的な実用技の判別がつかないという面があるでしょう。

 実際に私も若い頃は甲野氏に心酔して「日本一の古武術の遣い手」とまでは思いませんでしたが、それに近い実力者で天才的な才能の持ち主なんだと信じていました(あ~、人生最大の恥っさらしじゃあ~っ!)し、甲野氏自身がそういうイメージを植え付ける催眠暗示の話術を研究している人でしたからね。

 武術家としては彼は完全なる詐欺師ですが、身体運用の研究家として世間的に第一人者と認められたんだから、そういう意味でのある種の才能は持っていた訳で、私もそこまでは否定しませんよ。

 ですが、何度でも繰り返しますが、彼の武術は遣いものにはならないフェイクに過ぎません。あれは古武術の理合が抜け落ちた抜け殻としか言えないものです。中国風に言うと“死功夫”って言います。

 けれども、現に武道や格闘技の専門家が数多く彼に師事したりしていますね。

「その事実が彼の実力を証明するものだ」と考える人もいるでしょう。

 武術メディアの人間でも、本を売るために、そういう偽装に手を貸してしまっていたので、素人が騙されるのは無理もありません。

 けれども、それこそが彼の詐欺的戦略に過ぎないのです。“状況設定という騙しの装置”を用いることで真相を隠して実力を偽装してきたのです。

 それは、状況設定を少しでも外れて本気で攻撃された場合に、甲野氏が唖然となるくらいの惨敗を“必ず”喫してきている・・・という事実が、私の知る限りでも数十回を数えて、単純計算でも“七十人を越える相手に全く何もできずに敗れている”ことで証明されるからです。

 間違いなく、このような事例は日本の武術武道史上でも類例の無かった珍事でしょう。

 ここまで技量の劣る者が武術の達人として世間に認知された事例は過去にも未来にもあり得ません。

 平和ボケした現代日本で情報を操作する者が勝者となりえる環境だからこそ成立した世にも稀な詐欺事件だと思います。

 武道業界もなめられたものですよ。どうして真相を知っていながら誰も黙っているんでしょうかね? 沈黙が善であるという間違った礼節が浸透している日本の武道界の悪しき風習がなせる技です。

「テコンドーが空手の源流」だとか、「コムドが日本に伝わって剣道になった」みたいなタワ言をきちんと論理的に糾弾しないタワケ者ばっかりだから、いかんのです! そんな“沈黙は金”という体質は日本の武道の文化を貶める結果にしかならないですよ。

 私は、甲野氏を武術の世界から完全に駆逐しなければならないと本気で思っていますから、九月後半に出版される本でも、そのようなことを書いています。彼の虚偽発言が改まらない限り、延々と糾弾し続けますよ。

 以前は、「有名人を妬んで書いている」と非難されることが多かったのですが、よく考えてみてください。

 今回の本で、私も著書は五冊目(アスペクトのシリーズは四冊目)で、ライターで関わった本も五冊。トータルで十冊目になる訳です。DVD連続して出してもらっています。

 現時点で彼を非難して得することなんか一つもないんです。むしろ、性格の悪さをアピールしているだけでしょ? でも、私は性格が悪いのも事実だから別に構いません。少なくとも嘘は書いてないし、タブー視されている事柄をきちんと明かして啓蒙する使命があると思ってますよ。誰もやらないんだから・・・。

 出版不況の今の時世でコンスタントに本を出していられるのは、知名度がさほど無いのだから、ひとえに、本に書いている理論と技術内容を評価してくれている証しと解釈してもよいでしょう。

 無論、私は武術家ではないし実力も高が知れています。私より実力がある本物の武術家、武道家、格闘家はゴマンといます。だから、普通だったら売れる筈がないのです。

 でも現実に売れているのは、私が発表している内容にニーズがあるからでしょう。読者は“捏造された情報ではなくて本当のことが知りたい”のだと思います・・・。

 甲野氏のようなフェイク武術家に好き勝手な嘘を広められれば、武術の文化は世の中に間違った形で広まり訂正がきかなくされてしまうでしょう。メディアがそれに力を貸しているんだから救いがないですよ。私しか批判者がいないのも異常なことです。

 だから、本当のことを知りたい人達が私に応援してくれているのだと思う。

 その応援を裏切ったらいけないと思っています。自分の損になることでも事実なら「これが事実です」と毅然として明かす度胸をもって捨て身にならなきゃいけないと思う。

 私と甲野氏の違いは、「自分が損することであっても本当のことを書ける」という、ただ一点だけですよ。

「あんなヤツと俺は違う」と思っている武道家でも、名が売れて金が入れば魂を捨ててしまうもんですよ。誰の心にも甲野氏のような虚栄の邪神が棲んでいるんです・・・。

 それを偽ったら、私も甲野氏と変わらないフェイク武術家に堕してしまうでしょう。

 まあ、そうやった方が知名度も上がって金も儲かるのかも知れませんが、でもね~、それって男としてカッコワルイと思いませんか?

 中身がある人間が評価されるならいいと思うんですが、中身が無くて張り子の虎状態の人間が「達人だ~」と言われている状況って、最低にカッコワルイと思うんですよ。

 私はラブホで働いていた時は、「俺も頑張ってきたけど、ここまでの男で終わるのか」って最初は思ったもんでしたけど、三カ月くらい働いたら逆に、「俺ってば、ここまでなりふり構わず武術に専念できるんだからスゲーな~?」って、自分で自分をカッコイイと思うようになりましたよ。

 やっぱり、人間は外見なんかより、どれだけ純粋に好きなことに打ち込めるか?で価値が決まると思うんですよね。

 甲野氏が不幸だったのは、恐らく、働かなくとも食うに困らない裕福な家庭に育ったことだと思いますよ。

 生活の苦労を知らないから、普通に人間が味わう筈の生きていく苦しさを知らないまま人生を歩いてきている・・・。

 だから、他人の痛みが全然解らないもんだから、人間を機械か何かみたいに思って利用することしか考えなくなってしまう。謙虚で善人そうに振る舞うのも全て演技。だって、人の痛みを理解できないんだから、いかにして他人を手なずけるか?という技術しか持てない人なんですよ。

 普通、あそこまでボロボロに負けまくっていたら、とっくの昔に武術なんか諦めるものなのに、彼はめげない。人間の健全な心を持ち合わせていないから反省する心理作用が働かない。学習能力が無いんですね。

 彼の介護術は、自己本位なものでしょう。介護を必要とする人を荷物か何かと同一に考えてしまう危険性はないか? 相手と心を通い合わせる要素が抜け落ちてラクをすることを優先して考案されているんじゃないか? その先に待ち受けるのが何か?と考えた時に、私は底知れない不安を感じるのです。

 ラクをする。楽しむこと。気持ちいいこと・・・これらって、現実逃避のキイワードじゃないですか?

 生きることって基本的に苦しいものでしょう? その苦しさを頑張って克服していく中に充実感や達成感という一瞬の快感が味わえるものでしょう。

 最初からラクすることしか考えなくなったら、誰も生きていくためにやらねばならない義務を果たせなくなってしまいますよ。農業や漁業をやっている人なんて、労働が凄くつらいですよね。ラクしか求めなければ、そういう第一次産業をやる人達がいなくなってしまうじゃないですか?

 つまり、忍耐力が崩壊してしまうんですよ。

 甲野氏に心酔する人達に共通しているのは、「本当の苦労を避けたがる」という点だと思います。

 私は自分の経験上で言って、「やっぱり、人間は苦労して絞り出したものしか力(武器)にはならない」と思います。

 甲野氏の、あの“驚くべきひ弱さ”は、彼が本当の苦労を味わった経験が無いからこそのものだと思うのです。可哀想な人です・・・。

 鉄は熱いうちに打てと言われるのは、人間は打たれて鍛えられるものだから、苦労を避けてはいけないという戒めですが、この格言は現代では通用しなくなりつつあります。

「子供に苦労させたくない」と、親が30、40、50過ぎた子供を養い続けていたらどうなりますか? 独りで生きていけなくなりますよ。そんな“優しさ”は、人間をダメにする麻薬みたいなもんなんですよ。

 甲野氏はその象徴的な存在なのかな~?と思うんですが、それでは済まされない時代になっていくと私は思いますね。身体の使い方を覚えてラクに生きようって、邪教だよ。人間は苦労する中から本物の愛と尊敬と尊厳が生まれるんだよ!

 何年も前から田舎の繁華街はシャッター街になったりしていましたが、最近、私の住んでる相模原市渕野辺の駅前の商店街の店も次々にシャッターが閉じてきています。

 都心に近いところでも、ここまでなってしまうのか?と、ちょっと怖いものがありますよね。それだけ日本経済の逼迫が隠せない状況になってきたんだと思います。

 だから、福田さんが総理職をほうり出してしまったのを見ても、「もう、日本は抜き差しならないところまで来てしまっているんだ」という危機感しか感じなかったんですよ。

 もう、財テクだの何だの金を回して呑気に生きていられる時代じゃなくなると思いますよ。

 最後の最後に残るのは、身一つ。サバイバルとしての武術の価値を広めないといけないと思っています。技術もそうですが、忍耐力をつけなきゃダメだろうな~。

 そして、年とっても介護の必要がない元気でバリバリ働ける老人であり続けるために武術を教えていきたいし、心の弱い人に決死の覚悟で生きる心の強さを鍛えるための武術教育を広めたい・・・と、最近、そう考えています。

 結局、私が思うに日本人は暴力を否定するあまり、闘争本能を排除しようとしてしまったから、生きる意志が弱い人が増え過ぎてしまったんじゃないかと思うんですよ。

 動物の闘争本能って、生存本能そのものなんですよ。だから、闘争本能を否定してしまったら生きる気力が枯渇してしまうのは必然です。武道や格闘技を学ぶ積極的な価値はそこにあると私は思います。

 だから、「戦えない武術じゃダメですか?」って言われたことありますが、私は「絶対にダメです!」って答えちゃいましたよ。

「男なら砕け散るまで戦って死ね!(死ぬ覚悟で生きろ)」ってのが私の基本姿勢ですから、甘えたことは言わんといてくださいね。私は甘ったれたこと言うヤツは物凄~く嫌いなんです。

 ちなみに、昔、甲野氏に「腹斬って死ね!」って手紙出したことあります。

 何でか?

 その当時、オウム真理教の地下鉄テロ事件が起こったのに対して、彼は自著の中で、「現代に生きる人間はすべて好むと好まざるにかかわらず環境破壊に手をかしているのだ。だから、誰が彼ら(テロ実行犯)を責められるだろうか」って書いていたんで激怒したんですよ。

「お前は神様か? その言葉をテロの犠牲者の遺族の前で言ってみろ。そんなに人間の原罪を説くのなら、アンタが率先して腹斬って死んでみせろよ」って具合に書いたんです。

 無論、返事こなかったですけどね~。

「親や友人にも内緒で真剣で真剣稽古しましょう」って阿呆な手紙は書けても、「無礼者! 貴様のようなヤツはたたっ斬ってくれる!」っては書けないのね? どこが古武術師範なんですかね~?

 いや、正直、私はいろんなしょうもない武術家も見てきましたけど、ここまでキモッ玉の無い人は見たことも聞いたこともないです。

 ある意味、フェイクが横行している現代を象徴している人だと思いますし、そんな詐欺師に救いを求める人達も騙されたくってウズウズしているのかも知れませんね。

 いや、ホントに、日本のごく近い将来が心配でたまりません・・・。大丈夫かよ、この国は?
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偽装の根本は何か?

 三笠フーズの事故米を食用に偽装していたというニュースは、久々に驚きました。

 いや~、酷い事件は随分あるけど、これは酷いなぁ~・・・。

 何なの? この社長の悪びれなさ加減は・・・?

 経営が苦しかったら、偽装するのが当たり前だとでも言わんばかりだし、「私は食べない」とか平然と言い切るところといい、江戸時代だったら公開処刑してさらし首モンじゃないですか? このオヤジは・・・?

 そもそも、食品偽装する連中って、事故が起こったら消費者の信用を失って根本から自滅して商売どころではなくなるということを、何故、予想しないんでしょうかね?

 目先の金を稼ぐために根本をダメにしてしまったらアウトでしょう?

 金の卵を産むメン鶏を殺して金の卵を根こそぎ取ろうとしたら普通の鶏だったという童話知らないのかな? コツコツと積み重ねていくのが商売の基本でしょ? 何で、こんな馬鹿な真似をするんだろう?

 何かね~、コレって今の日本の縮図なのかも知れないな~?っとか思いませんか?

 嘘ついて人騙すことに関して罪の意識持つ人は今は少ないでしょう。

 どうしてか?って言うと、誰も叱らないもん。ペナルティ無いから平然と偽装するようになるんですよ。

 みのもんたがいい事言ってました。

「誰も厳しく言わないから、他人事みたいに考えるから、こういうのがのさばるんですよ」ってね。私もそう思います。偽装した企業は迷わずぶっ潰していくべきですね。

 毒と解っている食品を流通させるなんてテロリストと変わらないんですからね。
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空手ドキュメンタリーは面白過ぎます・・・

 東映チャンネルで、空手系のドキュメンタリー『拳豪の祭典』『殺人空手』が放送されています。

『殺人空手』は、大塚剛とプロ空手のドキュメンタリー映画なんですが、いわゆるドキュドラマ(フェイク・ドキュメンタリー)みたいな作品で、マムシを食べるバファロー弁慶とか、すごいパチモン臭い作品で有名なんですね。

 大塚剛先生が世界最強を目指して、イノブタと戦い、香港カンフーと戦い、マレーシアのシラリンチャン(ペンチャックシラット?)と戦い、ネパールでグルカ簇と戦う・・・という『闘え!ドラゴン』みたいな話なんですけどね。

 何か、大山総裁か骨法の堀辺さんの話みたい・・・。

 大塚先生は、『猛虎激殺』で倉田先生のライバルとしてハカイダーみたいな感じの役を演じていたり空手映画に結構出てらっしゃいましたけど、“安藤昇と同じ目をしている”んで、「あ~、本職の人なのかな~」と、私は思っていたんですね。


 でも、今回は『拳豪の祭典』に驚かされましたよ~。

 こちらもドキュメンタリーなんですが、『女必殺五段拳』とか『激突!殺人拳』に出ていた鈴木正文先生の企画らしく、鈴木先生の演武もあるんですが、沖縄空手や古武術の師範も登場して、ちゃんとした武道のドキュメンタリーになっているんです。

 そういう意味では面白味がないように思うでしょ?

 ところがドッコイ! これがお宝映像だったんですよ~。

 独り黙々と槍を修練する男が一世一代の剣道との勝負をしたり、水鴎流の先代宗家も出たり・・・でも、一番、驚かされたのは、若き日の初見先生が出ていたことです。

 でも、戸隠流忍法のシーンのシメに恒例の後ろからトリャッと打つのを目を瞑っておいて避けるというヤツをレポーターがやったら、脳天にバシーンッと当たったところで画面が切り替わる・・・エッ? 何コレ? いいの、コレ?

 素人に脳天思いっきしぶっ叩かれたのは、若き日の玄武館館長、種村匠刀先生でした。

 ハァ~・・・もしかして、これが原因で戸隠流から分派したのかな~?
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『もっと知りたい武術の極意』九月末発売予定

 毎度のことながら、本のゲラが上がってから直し作業に入ると、できあがりのイメージができてきてワクワクするもんです。

 私は基本的に何かを0から作っていく作業が好きなので、子供の頃は落書きばっかりしていたし、小学校の頃から工作するのは好きでした。

 もっとも、特別、上手という訳ではなくて、それを専門職にするほどではなかったと思うんですけど、作るのが好きなのは今の職業にも繋がってきてます。

 武術をやるようになってからも、木刀とかヌンチャクは自分で材木削って作ったりしていましたが、これも現在では日本刀(真剣)の外装製作とか錆び刀や打ち落ろし刀の研ぎ出しなんかを手掛けることに繋がっています。

 まあ、武術指導の現役を後進に譲るくらいの年齢になったら、田舎で本格的な工房を作って専門職にしてもいいかもしれないな~と思ってます。

 高校時代くらいから大学の頃にかけては、エアガンもカスタマイズしてチューンナップして命中度を上げるとか、引き金を軽くするとか、グリップにヤスリでチェッカリングを刻むとか、そういうこともやっていました。

 44マグナムのプラのモデルガンの銃身とシリンダーを加工してBB弾が撃てるガスカートリッジを使うガスガンに改造したこともありましたよ。発売予定のガスリボルバーが「改造すると実弾が撃てる?」というタレコミ(どう考えてもプラのフレームで実弾撃ったりしたら一発で暴発破損する筈なんだけど、業者間の足の引っ張りあいらしい)で発売禁止になって、ガスカートリッジだけが余っていたので「モデルガン作り替えれば撃てるのでは?」と思って、やってみたらできちゃったんですけどね・・・(とっくに売ったから今は持ってない)。

 アレは、学生時代だったんですけど、銃身長を12インチ(30cm)にして、シリンダーは糸ノコギリで輪切りにしてインサートを抜き取り、瞬間接着剤とプラの粉状の切りクズをまぶして切断部分を再度接着し、硬化してからヤスリで整形してサンドペーパーで磨いて作ったんですね。我ながら、よく作ったな~?と思います。糸ノコとナイフと瞬間接着剤とヤスリ、サンドペーパーだけで作ったんだから・・・。

 最近、最新型のガスカートリッジが開発されて安全基準に適合したガスリボルバーが発売されてますけど、隔世の感がありますよ。もう、二十数年前か~? エアガン、ガスガンのその後の高機能化は昔は想像もつかなかったです・・・。

 そういえば、本のイラストの打ち合わせに黒谷先生に私の部屋に来てもらった時にワルサーP38のガスガンを撃ってもらったらBB弾の威力とブローバックの性能にビックリして欲しそうでした。昔のモデルガンなんかも好きみたいで、特にドイツ軍のが好みみたいで、漫画の中でもルガーP08とかシュマイザーMP40なんかは非常に細密に描かれてました。銃が細密に描かれている漫画って、実は非常に少ないんですよね。作者がよっぽどマニアでもなければテキトーに描かれてるものです。時代劇漫画の日本刀なんかも結構、いい加減に描かれてるしな~。



 さて、今回の本アスペクトさんから出していただいている武術シリーズも第四弾となりました。これも愛読してくださる皆さんのお陰です。

 売れなきゃ二回目は無くなる・・・それが現在の出版不況時代の現実です。

 そんな中で順調に四作目まで出してこれたのは、ただただ、売れてくれたからです。

 前回の『武術のシクミ』で、割りとやり切った感があったんで、今回は蛇足になってしまうかな?という気もしていたんですよ。

 でも、繰り返しになっても角度を変えていけば印象はガラッと変わるものですね。できてみれば、これまでで最高の出来になったと思っています。

 面白い写真もたくさん撮れた(秘技『徹し(当破?)』とか『大太刀vs薙刀』とか)し、イラストも漫画家でなければ描けない構図で描いてもらいました。まるで武術漫画みたいなんですよ。酔拳・長拳・空手(ジオンとバッサイ)・護身術・汚いボクシング?・高田馬場の有名ラーメン店店長に教わったシュアイジャオとか・・・?

 これまで、武術は、よく意味が解らないところが有り難い?みたいなヘンな風潮にずっと支配されてきていたと思います。

 神秘のベールで包んでみたり、わざと難解な専門用語で解説することで、さも一般の武道や格闘技とは次元が違うかのような雰囲気ばかりが先行して、技術の合理的分析がいつまでたっても進まない独特の業界体質が作られて、普通の武道や格闘技とは接点が結ばれないままでした。

 いや、それどころか、カルト宗教紛いの奇妙なマニア世界になっていたと言うべきかもしれません。

 無論、それはメディアが意図的にそういう方向へ導いてしまったのです。それは一種の優越意識に支配された選民思想と結び付いた、伝統の権威に依存する体質の人達によって構築された共同幻想ワールドであり、その体質に馴染めない者は入れなかったのですが、それは要するにニート的、オタク的趣味性に通底するものでした。

 そのワールドは、脳内超越達人への道を歩いている自分を夢想しながら自己満足の修行に取り組むことを是とするものであり、要するに禅に於ける“魔境”と変わらないものだった訳ですが、独修がいつの間にか“毒修”へと変質してしまうところに麻薬様の危険性があります。

 これらはニューエイジ・ムーブメントで膨大に作り出されたサイコ・セラピーやヒーリングの流派、気功や肥田式、野口整体などの健康法の業界とも通じる体質があり、無批判にそれらを受け入れることで“入信”し、マタンゴを食べてキノコ人間化するように徐々に洗脳されていく恐怖に無自覚な人達の増加を感じている、私のような一部のメディア側の人間が危機意識を喚起するように発信するしか、今のところ、取り立てて有効な対策が無い状況です。

 しかし、神秘のベールを剥ぎ取っていくことで、「誰にでも体得できるもの」という新たな観点が広まってくれれば、従来のマニアックな体質とは異なる健康的な常識人が武術に取り組んでいってくれればいいな~と思っているんですね。

 私が武術の優れた可能性と感じる一番の要素は、格闘技や競技武道は、素質と才能がある人しか上位に到ることはできないのに対して、武術は素質も才能も無関係に誰もが向上できる点にあります。

 オリンピックを見ていてもスポーツの世界は素質と才能に恵まれた人が努力してトップを争う厳しい世界なのだと思います。

 でも、武術は他人と競うためにやるのでなく、ただ、一生のうちに一度あるかないか判らない命懸けの戦いに勝ち残るために日々を備える“生き方”に核心があるのです。生き方の問題だから、人それぞれのやり方が許容される。そのためのベースを提供するのも、実に多くのやり方が用意されているから、好きなものを選べる。

 武芸百般の好きなものを選んでやればいいのです。私みたいにほとんど何でもやろうとするか、自分の好みのものだけやるか・・・それは自由です。

 武術に綺麗言は無用です。「どんなことしてでも生き抜く」という覚悟を決めるためのものです。そのために技や理合が工夫されたのです。

 だから、覚悟の無い人間が学んでも何の恩恵も得られません。

 重要なのは、“捨て身で生きる”ということです。

 今回のもっと知りたい武術の極意』では、その“捨て身”の極意について書いています。捨て身になれば心が解放される。そうすると身体も解放され自由自在に「動けば即ち技となる」という境地になれるのです。

 九月の月例セミナーのテーマである“型”も鋳型としての武術の型を壊して実際に自由に動いて技を生み出す方法論について解説指導するつもりです。

 固定された型の技ではなく、型から形を抽出し、それを自由自在に変化させて用いる点にこそ、武術の術式が隠され、芸術的機能美が生み出されてくる訳です。

 この方法論は、伝統の権威を有り難がっている連中は生み出せないでしょうね。極意は人から伝えられるものではなく、自分の心身の働きに響応して呼び出していくものなんですよ。

 神を呼び出すか悪魔を呼び出すか? それは結局、自分の問題です。

 が、他力を頼むのでなく自力を信じなければ成りませんぞ・・・。
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パクリにも礼儀あり!

 日曜日にDVDの追加撮影をしたんですが、ちょうど、新規入会希望の人も来られたので、撮影と並行して普通に稽古もやりました。

 新作の本では、ついに游心流の稽古内容についても紹介解説しましたから、できれば定期的に使える稽古場所を確保したいんですが、現在、稽古会の代わりとしてはシダックスの講座と日曜日の公園の練習しかなく、せっかく入会しても定期的に通える環境が整っていないのが困ったところなんですね。

 会員の人数自体は以前と同じくらいに戻ったんですが、公園での稽古会に参加する人は決まって同じメンバーになってしまいます。本格的に実力上げようと思ってる人でないと公園の練習には来ないだろうな~。

 そうなると、月例セミナーのほうが人数も多くて稽古会の代わりにもなるということになりますが、こちらは、毎回、テーマを決めて練習するので毎回が違う内容になる。

 だから、稽古の参考にはなっても、稽古そのものにはならないんですね。やはり、同じ内容を繰り返して練習しないと技量アップには中々繋がらないものなんです。

 他所の道場と掛け持ちして技量アップしようと考える人もいますけど、まず、逆効果になってしまうし、先方の先生に対しても失礼だから、やめといたほうがいいですね。初心者が複数の流儀を掛け持ちすると身体と頭が混乱するだけです。

 実際、既に別の道場に通っていた人がうちに入って練習しているうちに、そちらの道場のやり方に肌が合わなくなってしまって、やめるしかなくなってしまったという例もあります。どっちがいいか?という問題じゃなくて、合うか合わないかの問題なんです。

 例えば、うちの場合も去年の分裂する前と今年に入ってからでは内容は結構変わっています。打撃技、蹴り技が増えて、推手からの逆技や逆技の返し技も教えるようになりましたから、以前に来ていた会員さんだとついてこれないと思います。護身術としての有効性を求めて内容をかなりバージョンアップさせましたから・・・。

 そういう事情もあって、DVDに関しては独修である程度の技能アップに繋がるように、今回は教材DVDとして、游心流の初級と中級の稽古内容をそのまま収録しています。

 初級は游心流の基本の練習法を、そのまま収録し、ハイスピードカメラを駆使して動きがバッチリ解るので、ただ真似して練習してもらえば確実に体得できるでしょう。

 そして、中級のほうは推手・差し手・剣術・居合術・護身術(ナイフを扇子や雨傘で制する技)なんかも収録しました。初級で基礎を作ってから練習してもらえば、こちらも十分に上達できるでしょう。

 ちなみに中級の対錬は、初級とほとんど同様のものなんですが、ほんの少し添え手をつけたり技を連結しただけで効果はまるで変わってしまうものです。

 中でも“天地二連蹴り”というのは、金的蹴りから蹴り足を降ろさずにそのまま足尖で喉蹴りをするものなんですが、ピンポイントをピシピシッと連続して蹴るのはかなり難しいですよ。蹴りが得意な人じゃないと体得が難しい。今のところ、K師範代しか満足にできません。

 最初は、「う~ん、チンチン蹴って喉蹴る技だから、“ノドチン蹴り”なんて名前じゃ、どうかな?」って考えたんですけど、師範代に「そんなのやめて~っ」て言われちゃいましたよ。

 こんな具合なんで内容は御想像くださいまし・・・。

 体得してもらうことを考えているので、これに関しては中級だけの単独別売りはしません。初級を買った人にしか販売しません。技を見てみたいだけで練習する気がない人はクエストさんから出ているDVDを買っていただけば十分でしょう。

 それにしても、やっぱり365日、24時間、自由に使える道場が欲しいですね。家から近くて、いつでも自由に使えて居合や槍、薙刀、手裏剣なんかもできて、サンドバッグ・トレーニングなんかもできればいいし、できればエアガンやガスガンで射撃練習もしたい。会員さんもいつでも好きな時に来て練習できれば言うことないんですが・・・。

 な~んて思っていたら、私の住んでるマンションの1Fがテナント募集になって、窓からのぞいてみたら40畳分くらいは十分にある。この前まで倉庫で使われていたんですが倉庫だけの場所代だと高いから立ち退いたんじゃないでしょうか。

「こりゃあ、ここが借りられたらバッチリだな~」と思ったんですが、賃貸料を出せる余裕が今のところは無い。12月まで金に余裕は無いからな~。それまで空いててくれれば来年から道場開きできるかも?(という訳でスポンサー募集します。いや、マジで! 道場経営やってみようという方、連絡くださいませ)


 え~、さて、話は変わりますが、横浜の刀屋さんに毎月の支払いに行った帰り、町田に寄って書店で本を買い込んできました。

 金庸の武侠小説『雪山飛狐』や、『フルコンタクトKARATE』『コンバットマガジン』『ナイフマガジン』『太極スタイル』『達人への道』などと一緒に、殺陣(立ち回り)の本が出ていて面白そうだと思って、購入しました。

 書店でパラパラッとめくって見た時に、「あ~、この剣の構えや身体操作は黒田鉄山先生をモロにパクッているな~」と思ったので、当然、黒田先生に師事したか、あるいは参考資料として挙げてあるものと思っていたのです。

 ところが、この本には、どこにも黒田先生について触れていません。

 黒田先生の振武舘に伝わる流儀、駒川改心流の剣は非常に独自性の強い特徴的な身法を使います。剣道や他の古流剣術と比べても素人目でも判別がつきます。

 駒川改心流は新陰流から分かれた流派なんですが、現代に伝わる柳生新陰流や直心影流と比べても明確に違うんですね。だから、これを真似れば、十中八九、判別がついてしまうんですよ。

 例えば、以前、甲野氏に習っていて独立した永野順一氏(同じナガノなので、一時期、よく間違われました)は、剣の素振りや体捌きなどを、そっくりそのまま駒川改心流からパクッていましたから、あれはいかがなものかな~?と思ったものでした。

 もっとも、それを言ったら当時は黒田先生の技をモロにパクッて練習している人が有名無名問わず多かったですけどね。甲野氏もそうだし日野さんもやってたしな~。

 私も一回だけですが黒田先生の第一回の講習会を受講しました(その時に永野順一氏も見かけました)。

 永野順一氏は、恐らく人から聞かれればパクッていると認めるでしょうが、仁義の問題として自分から明かしておくのが礼儀じゃないか?と思っていました。

 私も新派を興している人間ですが、本当に様々な流儀の技をパクッてきましたから、仁義の問題として習った方や参考にした方の名前を明かすように心掛けてきました。

 もっとも、「私が教えたということを絶対に言ってね」といっていた人が、私が本でそう書いたら「私は教えていない」と嘘つき呼ばわりしやがったことがあって、驚きましたけどね。私と付き合いがあったことを隠したかったんでしょうが、自分から接触してきたくせに何という恥知らずなんだろうと呆れはててしまいました。

 真相を知っている会員は怒っていましたが、まあ、大人げないから、「あっ、そうですか~? じゃあ、私の勘違いなんですね~」ってことにしておきましたけど、平然と人を裏切る人間は“同じことを繰り返す”ものだし、いけしゃあしゃあと“陰徳を積む”とか言いたがるものです。名前も書いてやろうか?と思うけど、仏教式に言うと、この人は確実に地獄に落ちる道を自分で選んだんだから、私が糾弾するまでもないでしょう。

 人を裏切ったりするのは男のすることじゃありません。人を切る時は表から思いっきり切るのが男ってもんでしょ?


 まっ、そんな訳で、私は、こっそりパクるのは嫌だからパクる時は堂々と出所は明かすし、できるだけ独自の研究を盛り込んで違う形になるように努力してきました。まったく同じ技を教えていたら、それこそ詐欺師になってしまいますからね。

 その結果として、戦闘スタイルそのものはかなり独自性が出てきたと思っていますが、稽古法の内容に関しては、オリジナルからそんなには変えられませんでしたね~。

 戦闘スタイルというのは応用変化の領域なので自由にアレンジできるのですが、稽古法は基本になるものですから、既存の流儀のもののほうが完成度が高く、下手にいじれば稽古法として意味をなさなくなってしまうから、そのままやる方が効果的で、アレンジしにくいんですよ。

 例えば、甲野氏はいろんな師範から教えを受けたものの、すべて自己流に解釈してアレンジした稽古法を作っていますけど、だからこそ武術としては役立たない代物になってしまっていると思うんですね。

 甲野氏が鹿島神流を学んだ野口弘行先生の技も拝見したんですが、もう原理的に全然違うんですよ。もちろん、野口先生の技が理合に沿っていて、甲野氏は勘違いしているんですけどね。特に間合とか位置取りのタイミングの取り方とか剣術で最も大切な要素を甲野氏は野口先生からまったく受け取っていなかったんだということが判りました。

 一番違うのは、自分から技を出して相手に受けさせる方法論をやっている点ですけど、これは相手から攻撃させて練習しないと意味がないんですよ。見せ芸として第三者にいかに達人っぽく見えるか?という観点から考えた演芸手法ばかり考えるから、本来の武術としての変化応用性が育たないんだと思います。

 ですから、私は参考にした稽古法に関しては下手なアレンジは加えないで、ほぼそのまま練習するようにしました。そして、出所を明かして敬意を表明することにしてきたのです。そうするのが最低限の礼だと考えるからです。

 そもそも、私が甲野氏を批判しはじめた切っ掛けが、甲野氏のパクリ体質と都合の悪いことを隠す隠蔽体質、そして、平然と嘘をつく虚言体質に関してでした。

 人間だから嘘はつくでしょう。都合の悪いことは隠したいでしょう。すばらしい技を見ればパクりたくもなるでしょう。

 気持ちは解ります。現に武術の世界ではそういう真似をして一派をなした人がかなりの数に上ります。

 でも・・・それをやっちゃダメなんですよ!

 嘘も方便、百万辺繰り返せば嘘も本当になる・・・ってね~、こんな格言は修行者には無縁のものなんですよ。

 嘘は嘘。事実は事実。それを認めることが修行なんですから・・・。

 あのですね。甲野氏みたいに常人のできない技をいろいろやって見せられる人が、何故、まともに闘うと冗談みたいにコロリと負けてしまうのか?

 それは、彼の工夫研究している武術が見せかけだけのイミテーションでしかないからなんですよ。嘘はどんなに取り繕って見せても本物にはならないんです。

 特に精密に作られた武術の稽古法は、少しでも変えると全体がダメになったりするんです。これは精密な機械ほど、ほんの少しホコリが入った程度で機能しなくなったりするのと同じことです。

 私が形から入るのが良くないと思ったのもここなんですよ。原理が見えるようになると形が同じだったら体格や体癖によって個人個人の技量に差が出てくるんです。原理を体現した上で整って自然にそういう形になった・・・というのを求めているんです。

 これは観察眼と原理を理解できていなければ判らないことですが・・・。


 話を戻しますが、この殺陣の本の著者は、恐らく技をパクっているという悪気はまったくないんでしょう。「自分は武術家ではない」とも明記していますから、とりたてて批判する必要もないかもしれません。

 ですが、この本を黒田先生の一門の人が見たら、どう思うでしょうか? 「な~んだ。うちの真似をしているじゃないか」と笑って済ますかもしれませんが、多分、気分は良くないでしょう。

 パクる側が気にしなくともパクられた側はそういう訳にはいきません。

 もし、この著者が武術家を名乗っていれば、私は直接尋ねて意見します。何故なら、それをやったら著作権侵害、盗作に当たるでしょうからです。

 武術の技に著作権なんか無いと言う人もいますが、モロにパクッていれば話は別。文化には知的所有権というものもあるんです。

 私ももの書きの仕事が長くなるので、このような問題については何度か失敗して謝罪して回ったこともあります。ある出版社の社長さんからは直接電話で激しく叱責され、私の常識の無さを厳しく教えていただきました。電話を置いてからすぐに出版社を訪ねてお詫びしましたが、「お前は見所があるな」って、逆に昼食を御馳走になってしまいました。

 やはり、世の中では悪気がなければ何をやっても許されるということではありませんからね。私は、この時に叱ってもらったから、二度と同じ間違いは犯さないですもん。有り難いことですよ。十年くらい前だったですかね~。本当に今でも感謝していますよ。

 厳しい人こそ情がある。優しさばっかり求める人はダメですよ。甘ったれは成長しないんです。日常生活の中こそ修行の場ですよ。

 だから、この著者も、ちょっと世間知らずなんじゃないのかな~? たった一言、「黒田鉄山先生の本を参考にしました」と書いていさえすれば、何も問題がなかったのに、何故、それだけの心くばりができなかったのか?

 松本零二が槙原の歌の歌詞を盗作だとして訴えたのも、クリエイターとして血の出る思いで絞り出した言葉だからこそ、許せないと思ったのでしょう。

 本を出すということは、常にそういう問題を抱えることです。この著者は、その問題意識が欠落しているように感じられてなりません。

 礼というのは形式の問題ではありません。気持ちの表れとして出てくるものです。

 人への心くばりや感謝の念を忘れて虚礼を示す人も多くなっているように思えます。目先の合理性しか見えない、いや、見ようとすらしない人が増えている気がします。自分の気持ちしか考えない。相手の気持ちを無視して上から目線で文句ばっかり言う。

 口で言うだけなら小学生だってできる。でも、本当に自分の分際を自覚するのは難しいことです。言葉を有り難がって、その人の本質を観ようとしない人が多過ぎる。武術の“読み”はまったく別ですよ。私は言葉なんか信用しないもん。

 あの・・・「話す時は相手の目を見て話せ」って言われたことありませんか?

 嘘ついてる人は“目が動かない”とか、“視線が泳ぐ”とかいった不自然さが出るんですよ。あるいは騙そうとしてると、目力で説得してしまおうと力んでいたりする芝居っ気が出る。

 見た目の美しさを追求しても、中身が伴わなければ意味がないではないか?と思うのです・・・。

 この殺陣の本は見る人が見れば判ると思うので、書名も著者名もここには書きません。ただ、心当たりのある方は、今後、注意していただければ・・・と願うばかりです。

 また、私も自分では注意しているつもりですが、芸風が芸風なので、気づかずに礼を失しているだろうと思います。気づいた方は、是非、遠慮なく御指摘ください。

 あっ、それとですね。よく健康相談をメールしてくる人がいらっしゃるんですが、私は医者じゃないので質問されても困るんですよ。私の本を読んだりDVDを買って練習したら体調が悪くなった・・・ということでしたらアドバイスできるんですが、自己流でいろんな健康法をやって体調を崩した人から相談されることが結構あります。

 これは基本的に病院に行ってください。自己診断するよりきちんと診療してもらうべきだと思います。

 特に幻覚を見たり幻聴が聴こえたりするのを神様のお告げだとか霊感体質だから修行して・・・なんて考えると病気が進行するだけでまともに社会生活できなくなってしまうでしょう。

 ある程度以上の症状が出て生活に支障が出るくらいになったら健康法じゃ追いつきませんよ。手遅れにならないように常識的判断をお勧めします。
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介護古武術にウ~~~ン・・・

 日曜夜のテレ朝『ジキルとハイド』の介護古武術とかで、またまた甲野氏が出ていたので、「ま~た、何か武道を馬鹿にしたようなタワ言を吐くんじゃなかろうな~? 武道マスコミは許してもこの長野が許しませんっ!(ポワトリンですか?)」と思って、チェックしました。

 何せ、NHK教育の『心の時代』に出演した時は他人の理論(柳生厳周伝の本のモロ・パクリでビックラこいちゃったよ~!)を、さも自分の理論みたいにして剣道批判してやがったから、「このオヤジは、一体、いつになったらマトモになるんだ?」と思って、「やっぱり、今後は俺が厳しく目を光らせて阿呆抜かしたらバッシングするしかないな」と思ったんですね。

 だって、本当に今や世間的には“古武術の大家”ってことになっちゃってるでしょ?

 メディアを通じて広まった誤解はメディアを通じて訂正していく義務があると思うし、「誰もやらないから俺がやるっきゃない」と思うだけですよ。ハァ~、疲れるな~。


 でもまあ、今回の番組は別に他流の中傷をするでもなし、甲野氏が古武術を研究して介護術に応用できますよって言ってるだけの話だから、別にとりたてて目くじらたてる程のことはなかったかな?と思いましたよ。

 でも、私が気になったのは、甲野氏の目付きでした。失礼ですけど、誇大妄想狂の目付き(カルト宗教の教祖の目付き)に似てるな~って思いました。大丈夫なのかな? 周囲の人達から持ち上げられて現実の自分が認識できなくなっちゃってるんじゃないでしょうか?

 いや、何か、逆に心配になっちゃいましたよ。危ない感じがするな~。

 まあ、テクニックに関しては、非常に単純に重心移動を利用して相手の体勢を制御していて、「アレ? 別にちっとも難しくないんじゃない。合気道や太極拳やってる人なら応用法でいくらでも思いつくと思うけどな~」としか思いませんでした。

 正直いって、腕の形だとか何だとかはあんまり関係ないと思いますよ。相手の重心を少し浮かして流れるように導くのと、自分は体幹部から動くようにするだけでしょう?

 科学的に分析する試みも面白かったですね。「私の武術は科学では分析できない」なんて甲野氏はほざいていたけれど、やっぱり科学的に分析したら大概の技は解明できますってば・・・。

 私も新作自主製作DVD撮ってハイスピードカメラで撮ったら、何とまあ、あんなに苦労して体得した技の動きが一発で丸判りになっちゃっいましたよ~。あ~、空しいな~。

 まっ、そんな訳で、今回のTVは別に文句言うつもりはない。

 でも、「あれが古武術と言えるのか?」ってなったら、やはり、やめるべきだと思いますね。どうして単に“身体操作術”だけじゃダメなのかな~? そんなに古武術という言葉を入れてバックボーンにすることで権威を強調したいんでしょうかね?

 結局、甲野氏はゴリゴリの権威主義者ってことなんだろうね・・・。
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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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