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『ICHI』を観てきましたよ

 綾瀬はるかが女座頭市に扮したというのが話題の『ICHI』を観てきました。

 例によってオヤジデーのお昼に橋本駅前MOVIXに行きますと、平日の昼なのにチケット売り場に結構並んでいて、余裕をもって20分前に到着したのにギリギリになってしまいました。

『ICHI』もオッサンばっかりかと思っていたら、結構、若い人もいました。

 でもね~、開始直前に私の隣の席にカップルが座って、イチャイチャするから参ったね~。暗いから顔見なかったけど、オッサンみたいなのと子供みたいに小さい女で、一瞬、親子かと思ったよ。

 それにしても、席は半分以上空いてるのに、どうしてこう映画館側は客を密集させたがるのかね~? 正直、好きなところに座りたいよ。空いてるんだもん。

 昔の名画座が懐かしいね~。


 で、座頭市と言えば、殺陣ですよね。「綾瀬はるかは運動神経抜群で殺陣が上手い」と、前宣伝はバンバンやっていましたけど、こういうのは鵜呑みにしちゃいけないからね。

 確かに綾瀬はるかは殺陣は下手じゃないです。なかなか決まってます。

 でも、やっぱり見せ方が上手いんですね。そりゃあ、勝新座頭市みたいなテクニックを期待したらガッカリしちゃうもんね。

 驚異の殺陣アクションを期待して見る映画じゃないのは十分に承知していましたから、「うん、なかなか頑張ってるし悪くないね」とは思いました。

 殺陣は勝新最後の『座頭市』で殺陣を担当されていた久世浩氏。

 かつての勝新座頭市を彷彿とさせる構成で、意外に重厚な見せ方。最近はやりのワイヤーワークとか派手なケレンはやっていません。

 案外、正統派の時代劇になっていたのは『ベクシル』など、SFの監督という印象の強い曽利文彦監督からは想像もつきませんでしたね。

 もっとエンターティンメント性を前面に出して綾瀬はるかが超人的に斬って斬って斬りまくる作品にすることも可能だったと思うんですが、殺陣は少なめで、その分、映像的な見せ方に拘っていました。

 大沢たかおが『荒神』以来の時代劇チャンバラに挑戦していますけど、この人は本当にいい俳優に育ったな~。確かファッションモデル出身でしょ? 『イン・トウ・ザ・サン』の時は完全にセガールを食ってたもんな~(って言うか、セガールがあんなにも演技下手だったとは・・・?)。

 北野たけしの座頭市みたいなデラックス感はありませんが、本来の座頭市テイストはこちらのほうが出てるかも?

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「何でもできる!」とは言わないけれど・・・

 またまた、お金の話でごめんなさい!

 最近の游心流の合言葉は、「やればできるっ!(ミラクルカンフー阿修羅?)」なんですけれど、10月中に100万円つくるのを目標に頑張ってきましたが、目標額には及びませんでしたが70万円くらいには何とか達しそうです。

 それもこれも皆様のお陰でござります・・・感謝!

 9月末時点で私の預金額は2万8千円でして、DVDを頑張って売りまくり、セミナー半額セールの宣伝をして70万円に到達させたんだから、頑張りましたよね~。

 まだ足りない分はあるけれど、目標定めて真剣にやれば結果は現れるものなんだな~と思います。

 だいたい、40歳の頃にアルバイト死ぬほど頑張って稼いだ最高額が18万円でしたけれど、35歳くらいの頃にビデオ作って売った時には月額40万近くいったことがありました。だけど、これも年間で平均すると月20万くらいの月収でしたね。

 でも、今年の一月のセミナーの時は年間申し込みされた方が何人かいらしたので一日で40万円に達したりもしたんですよ。この時は生まれて初めて?母親にお金を貸すことができたから、本当に有り難かったです。

 今、の印税とセミナーDVDの売上、これに定期稽古会とシダックスの講座の収入が2~3万くらい・・・というのが私の収入なんですが、刀のローンで毎月2万くらい支払ってます。

 これに家賃と光熱費とか支払うと、残高0に近くなる月も多い訳です。

 そんな状態で一カ月100万円つくろうとするのは冷静に考えると無謀過ぎるでしょうけどね~。

 でも、「俺も本気でやれば金は稼げるんじゃないかな?」と、最近は強く思うようになっていたのと、苦手なことに挑戦していかないと人間は進歩しないですからね。

 運悪く金融危機で世の中が財布の紐を堅く縛っている時期にかち合ったので目標には到達できませんでしたが、自分としては「人間は本気でやれば何でもできるとまでは言わないけれど、頑張った分は道が開けるものだよな~」と思いましたね。今回。

 以前、「お金はエネルギーだ」と言う人がいました。ちょっと(かなり?)問題のある人でしたが、お金はエネルギーだというのは本当かもな・・・と思いますね。

 それに加えてエネルギーというのは人間の思いが籠もるものだとも思うんですよ。

 私は本を書いている時(このブログも)に、自分はこれを伝えたいんだという気持ちを込めて書く場合が多くて、それに反応して感想を返してくださる人も多いんですね。

 本を介して書き手と読み手が対話する要素がそこにはあるんだと思うんですよ。

 やっぱり気持ちの籠もっている本や芝居が面白いし、それは技術では補えないものだと思うんです。

 まあ、思いが強過ぎて発狂しちゃってる人(K島さんとか・・・)というのも冗談抜きでいますけど、それって普通の人でも恋愛で狂ったような真似をしでかすことってあるじゃないですか? 経験あるでしょ? 俺もありますよ、若い頃は。

 名作をつくるクリエイターって、人間としてはおかしな人が多かったりするんですが、そうでない人もコントロールが上手なだけなんだろうと思いますね。

 人間は“思い”のエネルギーを上手に駆使していけば、運命を切り開いていける側面はありますよ。

“游心”というのは、「心を自由に泳がせて世の中の状況に臨機応変に合わせて変化していく」という意味なんですが、思いを堅く固定させて“執念”にしてしまうと爆発的なパワーは出ても、それは自分や周囲をも壊してしまいかねません。

 戦前の軍国主義もそうだし、最近のストーカー事件や通り魔事件だって、思いが一点に居着いてしまっているから、そうなるんですよね。

 金融危機で騒がれていたって、そんなもの知ってる人には10年以上前からそうなると洞察できていたことで、慌てても意味ないんです。

 世の中は変わっていくのが原理原則なんだから、金融危機の時代も永遠に続く訳じゃないですよ。円高も悪いことばかりじゃなくて、円の力が高まっていると考えれば別にいいじゃないですか?

 全面的な悪も善もないんですよ。

 だけど、どういう状況になっても慌てないで対処していくには自分自身の力を日頃から養成しておくことが賢い対処法だと思います。

 お金稼ぐことが最も苦手な私でさえ、本気で頑張れば一カ月でここまで稼ぐことができたというのは、自分にとっての実験的な自信にも繋がりましたね。

 まあ、期日までに残り30万円何とかしなきゃいかんし、来月も40万以上は稼がなきゃならないんで、しばらくは大変ですが、建設的な目標のために頑張るのは気持ちいいですよね。

 何か、ラーメン屋さんを開業して人気店にしていこうと頑張ってるみたいな気分だし、「こんな俺でも期待してくれる人が大勢いるんだ」という感謝の気持ちと「裏切ったら地獄行きだな~」という責任を感じますよね。


 話は変わりますが、本を贈らせて戴いていた新体道の青木宏之先生から、貴重な極秘の内部資料を頂戴してしまいまして、お手紙でも詳しく解説文まで書いてくださって、恐縮しちゃいましたよね(でも、「達筆過ぎて読めねぇ~よぉ~っ!」・・・)。

 私、新体道の会員でも何でもないんですけどね。それなのに一般の会員さんでも知り得ないような情報をいろいろ知ることができたり、游心流の技の中にもそのエキスを活かしたりしているんですよ(気楽会の中村晴一先生、お元気ですか? 住所わかんなくなっちゃったんで、メールくださいっ)。

 最近、入会した会員さんは稽古の時にえらい反応が速すぎるくらい速くて、この神経の過敏さはただ事じゃないぞ・・・と思っていたら、以前、新体道をやったことがあるということで、あ~、なるほどな~と思いましたよ。

 新体道の場合、技の原理が先々の先をとっていくから、相手が攻撃しようと思った瞬間には動いていく・・・という感覚が発達するんです。だから、心法の武術。

 うちは初級は後の先で始めて、中級で対の先、上級になってから先の先、先々の先をとっていくように稽古システムを作っていますが、こうしたのは個々の術技を沢山駆使できるようにしたかったからで、無駄なものをそぎ落としていくなら新体道のような方向性もあり得たんですけどね。

 やっぱり、私はアクション大好き人間なんで細かい技もいろいろやりたかった訳なんですよ。

 最近はシダックスでも細かいテクニック(中国武術の招法・技を極める導入のやり方)を教えるようになったし、稽古会ではそれを応用した空手の技術改革なんかも実験的に練習させてみたりしています。

 そういうのは早過ぎるかとは思うんですが、教えられる時に教えてしまわないといけないと思いますね。今、体得できなくともバラバラに練習していたと思っていることが一つに繋がっていけば、いずれは自然にできるようになるものなので・・・。

 武術というのは流派だの何だのを取り払って原形質だけになると、そういうもんなんですよね。青木先生の自由奔放な演武を見ていてそう思いましたし、田中泯さんの踊りと非常に近い感覚があったのも驚きました。

 ついでに言うと、甲野氏って、最も影響を受けたのは青木先生だったんだろうな~と思いましたよ。

 だけど、スケールが違うから真似してもズレていくんでしょうね。影響というのも良し悪しがありますよね。

 青木先生の剣術も、従来のどの流派とも異質ですし、そこを強いて影響があっただろうと思えるのは鹿島神流の国井先生の剣かな~?という印象は受けました。

 多分、伝統的な居合の先生は誉めないだろうと思いますよ。セオリーを逸脱しているしキメが無いから・・・でも、そこがやっぱり凄いですよね。“天剣”だから。

 一緒に見た師範代は「これは怖いですね~。どっから攻めてくるか全然判らない」とビビッていました。

 あっ、“天剣”と書いて思い出しましたけど、“縮地法(『るろうに剣心』の天剣の惣次郎が使ったヤツ)”という言葉は、私が知る限りは最初に言ったのは青木先生ですよ。

 縮地法を技術的に稽古に組み込んでいるのは新体道だけと言っても過言ではないです。

 新体道の武術性を洞察できる人は専門家にも稀ですが、心法技術は遠当てとか、ああいった現象面ばっかりに視線が捕らわれて具体的な技術構造の枠組みが見えないから判断できる人がほとんどいなくなってしまうんですよ。自分自身もできる人でなければ理解できない。

 その意味で催眠術で意識面は読み解けるんです。でも、それだけだと半分しか解らないんです。

 新体道を極めて簡略化して言えば、“型を突き抜けてしまった空手”なんですよ。だから、合気道にも剣術にもボディアートにもカルト宗教?にも、どうにでも見えてしまう。

 だけど、“栄光の型”は「伝統的な剣術の斬り落とす原理を剣体一致のダイナミックな動きの中で再現したもの」と解釈できるし、“天真五相の型”は「五行理論と陰陽の原理から空手技法を記号エッセンス化したもの」という武術型の“抽象化”されたものと認定できるんです。

 無論、これは“武術としての身法”を分析した場合であって、新体道は基本的に“心法の武術”なのは間違いないのですね。

 でも、新体道がなぜ、異常なまでの馬鹿馬鹿しいくらいの肉体鍛練を強いるのか?という意味は、身法を極めて限界突破したところに心法があると考えているからだと思いますし、そこから解釈すれば“行(ぎょう)”なんですよ。純然たる“ムービング禅”です。

 しかし、禅だって、実際にやっている人にとってみたらお気楽な瞑想じゃなくて肉体鍛練の要素が強いんじゃないですかね?

 私はお金払ったことないから解らないんですが、新体道は料金が高いと聞いたりしていましたけれど、それは、あれだけ高密度の内容のものを指導していくには安くしたらいかんだろうと思いますね。お金安いと悪意のある人間も来る率が上がるんですよ。

 游心流でも、タダで教えてくれって平気で言うような人間って何か勘違いしてるし、お金稼げない人って何か考えが凄い甘い人が多いような気がする。

 タダで教えるとどんどんふざけた自惚れ屋になっていく不思議な現象もありました。それで料金も内容に見合うくらいに高くしたんです。これで高いと思う人はこなくて結構だと思ってるし、「金払ってんだから何でも教えろよ」みたいな態度の人も門前払い。

 良くも悪くも“お金”に、その人の思いは乗っかるものですね。

 現代はエネルギーの交流を媒介するものとして“お金”が位置付けられているし、それをお約束として生活が保障されていくものなんで、私も金が稼げる人気作家になるのを目標に設定して頑張ろうと思ってるんですけどね。良いエネルギーを乗せて、楽しく、実になってもらうようにね・・・。

 現代は、目標のために金が必要だという本質を忘れて、とにかく金さえ入ればいいんだという本末転倒の頭の悪い解釈をする人が増殖し過ぎたから食品偽装や金融危機が起こった訳で、要するにああいう人達も金の有り難みが解らない銭クレージーなんですね。

 人間としての中身が無いから金で補おうとする・・・偽装人間の時代もそろそろ終わらせなくちゃいけませんよね。

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若山先生の『子連れ狼』がついにDVD化!

 ついに・・・ついに、若山富三郎先生の最高傑作にして世界が認めた超サムライ・ムービー『子連れ狼』六部作がDVD・BOXにて発売されることになりましたっ! 拍手!

 いや~、長かったな~・・・何故、これほどまでの超絶サムライ・アクション映画を埋もれさせたままにしておくのか?と、私は歯軋りする思いでいたものでしたが、これで、ようやく、「何故、長野はあれほどまでに若山富三郎に私淑し憧憬の念を隠さないのか?」という理由が解っていただけると思います。

 あ~、長い道のりだった・・・。

 武術関係者からは、「何を馬鹿なこと言ってんだよ」と嘲笑され、時代劇ファンからは「若山富三郎が武術の達人? はあ~、何を寝ぼけたこと書いてんの?」と無視され、それ以外の人からは、「若山富三郎? 誰?」と言われて相手にされなかった日々が遠い昔のことになるでしょう・・・フッフッフ・・・一言、言っておきましょう・・・。

「俺の目はフシ穴じゃねぇ~っ! この子連れ狼に成り切った若山先生の剣捌きをよぉ~く見ろっ! 一体、誰があの超高速居合斬りをできるんだ? うぬらのその細腕で、やれるもんなら、やってみろぉ~っ!」

 あ~、スッキリした・・・。


 え~っと、そんな若山先生の子連れ狼DVD発売と、実弟勝新の自伝、若山・勝新兄弟についての山城新吾のエッセイ文庫本の発売を記念したものか、テアトル新宿で11月に特集上映会が開催されます。

 子連れ狼・賞金稼ぎ・極悪坊主・座頭市・御用牙といった若山・勝新兄弟のヒーロー対決が浅草でない新宿の映画館で拝めるのです。これは快挙ですね~。

 劇画原作の巨匠、小池一雄先生のトークショーや、若山Jr・勝Jrの対談、『跋扈妖怪伝牙吉』で若山先生リスペクトをしていた特殊メイクとジャンル映画監督の職人として知られる原口智生氏のトークショーもあるそうです。

 皆さん! これは見ないと一生の損ですぜっ! 游心流でもツアー組んで見に行こうかと思ってますぜっ。

 夜~烏ぅ~がぁ~、鳴い~たぁ~・・・子ぉ~連れぇ~が~やぁ~ってぇ~くぅる~ずぇ~・・・くぅ~るぅ~ずぇぇ~・・・・(『子連れ狼・死に風に向かう乳母車』でのみかかったテーマ曲。若山先生がコブシきかせ過ぎて特撮ヒーロー物っぽい。最初は「うわっ、何じゃ、こりゃあ~?」と思ったけど・・・)。
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『千葉真一改め和千永倫道』を読んで

 営業で神保町に行った時、書泉グランデの地下の映画本のコーナーを眺めるのが習慣なんですが、千葉ちゃんの自伝エッセイが出ていたので、ソッコーで買いました。

 文章量はそんなにないので、サクサクッと一気に読めます。

 そして、感想を述べれば、「流石は世界の千葉ちゃんだ」の一言。

 真田宏之や堤真一が去っていったところも悔しかった気持ちを吐露しつつもサラリと流して無問題! 爽やかなスポーツマンのイメージのまま。

 いや、実際はそんな割り切れるようなもんじゃなかっただろうと思いますよ。私も何人か破門にした会員に関しては、残念だったり腹立ったりだから、そんなに簡単に割り切れるものじゃないと思いますよ。

 まあ、時間も経過して活躍している元弟子たちの姿に嫉妬するような男にはなりたくないというプライドが働いているんだとは思います。

 けれども、真田さんや堤さんには、日本の芸能界に於ける千葉真一の存在は大きかったですから、その庇護下にいたら、いつまでたっても自分の理想には到達できないという気持ちもあったと思いますよ。

 これは普通のことであって、親から離れて独り立ちするのが男として当然ですからね。

 男として生まれたからには、第一の目標は“親父超え”なんだと思います。

『巨人の星』も『刃牙』もそうでしょう。

 私も高校の校長までやって地元の教育現場で若い先生たちから慕われていた親父を尊敬していたし、だからこそ、「教師にだけはなるまい」と思いましたね。

 何故か? 教師になったら親父と比較され続けるでしょ? 絶対に勝てないと思ったから、最初は医者を目指した訳です。漠然とだけど、親父はよく医者と間違えられていて、そのうち教師じゃなくて医者になった方が良かったと思っていたらしく、息子三人に医者を目指すように言い続けていたみたい。

 ところが息子は親ほど勉強の出来が良くなかったから医者にはなれなかった。それでも兄貴と弟は医療関係の大学に進んだ。私だけは完全に普通の人生のレールから脱線したままフルスロットルで突っ走ってしまった・・・。

 親父にはもうちょっと私が活躍しているところを見せてやりたかったんですが、2006年に亡くなりました。アスペクトの最初の本を見せられたのがせめてもの救いです・・・。


 千葉ちゃんの主張は男のロマンそのものだしサラッとし過ぎている感じもするんですが、それこそが数々のヒーローを演じ続けてきた男の意地なのかもしれません。

 男は笑って過去を水に流して明日だけを夢見るものなんだぜっ!とか言いそうです。

 あ~、この時代錯誤なまでのアナクロ野郎っぷりは素敵過ぎますぜっ!


 大麻で騒がれてる相撲界やエンセン井上とか、格闘技の世界にダークな話が蔓延する御時世ですが、何か金に心奪われ過ぎてる人間が多過ぎるんじゃないスかね~?

 千葉ちゃんの暑苦しいまでの理想を求めるロマンチストっぷりは、格闘技の世界に住んでる人達が忘れ果ててしまったものを感じさせます。

 もっとも、私は何でそこまでハリウッドに拘るのか?が解らないんですけどね。映画俳優にはハリウッド・コンプレックスがあるのかな~?

 世界のクロサワ、世界のキタノ・・・日本映画の素晴らしさを見せつけたからこそ世界に注目されたんじゃないかな~? 
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金融危機に思うこと

 世界恐慌前夜みたいな金融危機に世間は晒されていますが、私のこれまでの人生は常に経済的危機と共にやってきているので、特に不安になったりもしません。

 それなりに安定した生活をしていた人にとっては不安なんでしょうが、最初から不安定だと別に変わらないですからね。

 世間がバブルで浮かれている頃にも、私はパニック障害の発作を抱えて日雇いの肉体労働で生きながらえつつ、明日の見えない人生を自主映画や劇団の殺陣をつけたりしながら精神的に支えていました。

 もっとも、明確にどんな仕事をやっていくか?という目標はまだ固まっていなかったですね~。バブルの頃は・・・。

 会員さんからも時々、「先生はそんなに経済的に安定していなくてよく平気ですよね。僕だったら不安で神経をやられてしまうかも知れません」みたいなことをいわれていました。

 きちんとした給料取りの仕事をやっている人はそうなるかも知れませんが、自由業・芸能人の卵・自分で小さな店をやっている人・・・とかだったら、私より厳しい中を頑張ってる人はいくらでもいるでしょう。

 ですが、普通は45歳にもなって預金通帳の残高が1000円以下になったら自殺を考える人もいるでしょうが、私、慣れてるもんだから大して動揺しませんからね。

「取り敢えず、古本売りに行って金作るかな?」ぐらいのこと繰り返して凌いだりしてきてますから、安定して月々きちんと数十万円入ってくるとしても、やはり、出る分は出してしまって預金は変わらないかもしれません。まっ、今までのところ、入る金がギリギリだったから、どうなるかは判りませんが・・・。

 武術を指導するようになったのも、単純な話で、それ以外に生活費を稼ぐことができなかっただけ。もし、甲野氏みたいに生活の心配のない裕福な家庭に生まれていたら武術は生活と切り離していたでしょう。

 けれども、別に甲野氏が羨ましいとは思わないです。だって、あれだけ社会的名声が得られてお金も不自由していないでしょうが、肝心要の武術の腕前が素人のケンカ慣れした人にも負けちゃいそうなんじゃ~哀し過ぎる。

 う~ん・・・やっぱり、あの人みたいにはなりたくないですね~。カッコ悪過ぎる。

 でも、“芸は身を助ける”という言葉は私のためにあるような言葉です。武術やってきたのと多少の文章書くことができたお陰で何とか生活してこれている。貯金は目減りするけど芸は無くならないし磨いていれば価値も上がる。

 宝くじが2億円当たった女性が殺されて・・・みたいなニュースを聞くと、やっぱりどんな幸運も、それを奪われない護る力がなかったら、こんな悲惨な目に会うこともあり得るものだな~と思う訳です。

 人間は突然、大金が目の前にちらつくと理性を失いますよね。名誉欲や金銭欲に目がくらんで友情を捨ててしまう人も随分見ましたけれど、怖いですね~。お金って・・・。

 金の額で人間の価値が決まる訳でもなかろうに、資産数百億円あっても人間としての評価が単なる“お金持ち”というだけでは人類への貢献度は大してないでしょう。

 私の望みは「人類の歴史に名前が残るくらいの武術研究の業績をあげて世の中に役立ちたい」ということで、それだけの価値が武術文化には眠っていると思っているから大言壮語もできる訳。

 ついでにいうと、ちょびっとくらい「長野さんは変な人だったけど、彼がいなければ武術文化がこれだけ世の中に貢献できるものにはならなかっただろう・・・アーメン」くらいのことは死んだ時にいわれてみたいもんですね~。

 しかし、その価値を世間的に認めさせるには、それだけの影響力を獲得していかなきゃならない訳で、換言するなら、もっと売れなきゃいけない・・・と、最近はちょっとばかし焦ったりもしています。

「わかる人だけ、わかればいい」と思ってはいるけれど、世の中、違いのわかる人というのは思いの外、少ないものです。ならば、もっとアピールして啓蒙活動もやらなきゃいけない・・・(ボヤキ体質だから、そういうの苦手なんスけどね~)。


 さてさて・・・、DVDの注文に「応援しています。頑張ってください」というコメントを付けてくださる方がいらして、励みになります。本当にありがとうございます。

 個別にお返事したいところなんですが、現在、資金集めにテンテコ舞いしていて思うに任せません。失礼を御容赦ください。

 何の資金を集めているのか?といいますと、共同企画出版で新しい本を出すためのローンの頭金を作っているんですね。

 何で、既に何冊も本を出しているのに、わざわざお金を出してまで本を出すのか?と不可解に思われるでしょう。

 実際、私も自分から金を出してまで出版社にお願いして出そうという気持ちはなかったんですが(そもそもお金がない)、やはり、出版業界自体が不況の煽りを食っていて、今後、景気が上向く可能性は薄い筆頭に入る業界なんですね。

 そういう事情も知っているので、自分自身の今後の活動も考えれば、「一回毎に出す本の売上部数そのものをもっと伸ばしていかなくてはいけない。そのためには宣伝広告に力を入れて知名度を上げるしかない」と考えて、新聞や雑誌の広告にも力を入れている出版社に企画を出した次第なのです。

 本当に、支持してくださる皆さんのお陰で、アスペクトさんから出していただいている武術シリーズも安定した売上を記録しています。

 しかし、武術という枠組みの中だけでは限界だな~と感じるようになった訳です。

 書店で武道書のコーナーを見る人は、明らかに武道に興味がある人だけです。そのコーナーにしか置かれていなければ、必然的に購買層が限定されます。

 当初、私は「自分が書けば一万部以上は売れる本が書ける!」という自信がありましたし、事実、発売一週間で五千部が売り切れる勢いで増刷が決まり、そのままの勢いなら一万部は軽く超えると思われました。

 が、三刷り目で売上はピタリと止まってしまいました。

 二冊目、三冊目、四冊目も売れ行きは好調でしたが、「ババッと売れて止まる」という繰り返しです。

 私は「おかしいな~。何で止まっちゃうのかな~? 普通だったら面白い本は口コミでも広がって部数は伸びる筈だけどな~」と思っていたんですが、今までのところ、一万部超えは果たせていません(トータルでは三万部近くいってる筈だけど)。

 理由はいくつか考えられます。「単行本で値段が高いから」「知名度がないから」「宣伝広告しないから」「武術というマイナーなジャンルだから」・・・etc.

 けれども、やはり、武道書のコーナーにしか置かれていないというのが一番の問題なんじゃないか?と思います。つまり、存在を知られていない・・・。

 10年ちょっと前に壮神社さんから出していただいた最初の本は二千部以上は売れたようですが、当時、武道の本としては異例に売上が良かったそうで、聞くところでは武道の本だと千部売れればいい方で、二千部売れたらパーティー開いてお祝いする?というのが相場なんだそうです。

 そういう基準線の中でアスペクトさんから出していただいている私の武術シリーズは、武道・武術の本としては異例中の異例で売れていると営業関係の人複数から聞きました。

 そりゃあそうでしょう。二千部売れたら絶好調のジャンルでその三倍以上売れてるんだから・・・。

 が、「これくらいが限界なんだろうな~」と思います。書店に足を運ぶ人も大抵は雑誌のコーナーと文芸書、漫画のコーナーを眺めるくらいで、実用書やスポーツのコーナーを見る人は限られるでしょう。

 そして、正直いってしまうと、私はいつも武道の本を買う人達に向けて書いている訳ではなくて、「へ~、なんか武術って面白そうだな~?」と思う人達に読んで欲しい。

 何でか?というと、武道や武術、格闘技のマニアには一割近くの頻度で人格に問題がある人がいたりするからです。

 私は人のこと言えた義理じゃないですけど、でも、最低限の社会常識は弁えて他人に迷惑かけないようにするバランス感覚はありますよ。よって、人体破壊テクニックを山ほど研究していながら、同時に「こんなもん研究しても意味ないよ」という自分を客観視できる福田前総理?みたいな性格なんです(シャレなんでマジに受け止めないでね?)。

 とすると、一般客が眺める場所に置かれていないとダメだろうと思うんですね。

「本が売れない」とボヤくのは誰でもできますが、売れる本は売れる努力をしているものだと思います。

 それで、企画を出した出版社さんからは「共同企画出版の審査に合格しました」という連絡をいただいたんですが、それはつまり基本的には自費出版(二刷り目以降から印税が入る)ということですから、そうすると、以前、別の自費出版を請け負う出版社の営業の方と話した時、300万円(印刷製本と編集やレイアウトの人件費と会社の純利益でこのくらい)くらいかかると聞いていたので、「これはとても無理だな~。でも、きちんと原稿も読んで講評してもらったりしているし、この会社はやっぱりやる気があるところだな。電話で“やめます”と断るのは失礼過ぎるよな。自分の生活水準では共同出版はやりたくとも無理だということを説明してお断りするしかないな・・・」と考えて、会社に直接うかがったんです。

 こちらも出版業界の事情や出版に関するシステムを知っていますから、包み隠さず話しました。が、ローンの組み方や出版後の印税報酬のシステムについて説明してもらっているうちに、「ここまで考えてもらえるのなら、やれないことはないんじゃないかな~? 出版しさえすれば元は取り返せるし、売れる本が書けるということをアピールできれば後は仕事依頼もされるようになる。それと、これだけ宣伝広告に力を入れてもらえれば知名度も上がってアスペクトさんの本の売上も伸びるだろう。相乗効果も考えると頑張って出しさえすれば決して損にはならない筈だな・・・」と考えて、ここは一つ、「宣伝広告費用にあてるための金だ」と考え、納得して契約を決意しました。

 それで、ローンの頭金にまとまった金額を最初に支払う必要ができたという次第で、その資金を作るためにDVDを作ってその売上をあてることにした訳です。

 先に金ができた後で契約すれば良かったかな~?とも思いましたが、まあ、いつも呑気にし過ぎている自分のモチベーションを上げるためにも、ここは一つ、勝負してみるか?という気持ちでした。

 リスクを避けては勝負に勝つことはできません。また、チャンスはタイミングを外すと二度と来ない。たとえ勝負に負けてもその後のチャレンジに繋がるでしょう。

 私の最大の弱点は「金がない」という点であり、人並みに金を作れるようにならなければ成功は覚束無いでしょう。だから、今回は自分へのチャレンジとして自分の最も苦手なことにチャレンジすることにした訳です。

 去年は、「自分に無理がないできることをやれば金も入る」と勧められてチャレンジしてみましたが、無理せずリスクをおわない仕事をしても入る額は限られているな~と思うようになりました。だから、今年はちょっと無理するくらいに仕事を増やしました。

 結果的に、やはりリスクを恐れて無理しないようにするのは自分の性に合わないことを痛感しました。

 幸か不幸か、世の中が構造的不況に突入した時期に重なったので予想以上に資金集めには苦心しています。が、それでも数年前から比べれば格段の進歩がありますし、お金に対する意識も変わりました。

 何よりも、この不況の御時世に安くない金額のDVDを買い、セミナーを申し込んでくれる人が、「頑張ってください。応援しています」と言ってくださることがどれだけ励みになっているか・・・。これ、頑張らなかったら男じゃないですよね。

 ここ一年で、一番、変わったのは、“武術修行は人間に覚悟を与えてくれる”という意識ができて迷わなくなったことです。技だの理論だのは二の次なんです。克己心を育ててくれる点にこそ価値があると私は思うようになりました。

「弱いままの自分でいてもいいではないか」と考える人に武術は無用です。

 私は根がお節介で、人助けにしゃしゃり出たことが何度もありますけれど、でも、「自分で頑張ればやれるのに他人の助けを期待している人」は助けません(特に男)。そういうのは逆にルーズで甘えた人間を増やすだけで良くないでしょう。

“弱さ”を理由にして、戦わなきゃならない時にも戦わない人が、心の底から大っ嫌いです。プライドというか責任感というか、そういう自然に持っていた筈の精神が薄れて目先の合理精神に侵食されて、結果的に日本人を世界一脆弱にしてしまったんじゃないでしょうか?

 武術をやり始めたのは、私にとってサバイバルのためでした。そして、状況は変わっても今も同じ。自分の食いぶちを得るための仕事であり、私にとっては、“生きていくことイコール武術を修業・研究・指導すること”なのです。

“生き甲斐”?

 いや、そんなチッポケなものじゃないですね~。天から与えられた“使命”だと思ってます。

 金がすべてと言い切れる人間がざらにいる今の時代に、「違うよ。人間はそれぞれ自分にしかできない、やるべき使命をもって生まれてくるんだよ」と、私は何の疑いもなく言い切れますね。

 私がこれまでやってこれたのは、金に助けられたんじゃなくて、応援してくれる人達の有形無形の援助のお陰でした。だから、人間が生きていく時に真っ先に有るのは“気持ちの問題”であって、私は本当に恵まれているし、仕事で恩返ししていかなきゃいけないと思っています。

 金融危機や食料危機も騒がれていますけど、金をかけないで自給自足する生活が見直されてきてますでしょう? 世の中、マイナスばっかりじゃないってことですよ。

 逆境こそが自分を磨く刻ですよ。


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『主水之助・七番勝負』は必見!

 暴れん坊将軍が終わってから、「キンキラ衣装でサンバを踊る人」というイメージが強まってしまっていた松平健が、伝統のTV東の時代劇で久々の殺陣を披露してくれています。

 暴れん坊将軍は華麗な踊りのような殺陣に特徴があって、チャンバラとしてのリアリティーに欠けるような評価がありましたけれど、スペシャル版で城内を次々に強豪と戦っていくブルース・リーの『死亡遊戯』みたいな話の時は、珍しくピンチに陥る将軍様の必死の戦いが見られて面白かったんですね。

 その他にも、マツケン主演の時代劇スペシャルは、柴田錬三郎の『運命峠』(田村正和主演で連続ドラマがあるそうだけど、見た~い)や『八幡鳩九郎』、天然で強い将軍の弟、松平忠輝に扮した『鬼の剣(だったかな~?)』とかがあります。

 殺陣の実力でいったら、若山先生、ヨロキン無き今、恐らく高橋英樹と双璧をなすんじゃないでしょうか?

 もちろん、松方さんや里見浩太朗、北大路欣也といった大御所もいらっしゃいますけど、長寿時代劇で大量に斬り続けた数では、やはり、高橋・松平の両雄が頭一つ抜けているように思えます。

 で、マツケンは実は、あの勝新の直系の弟子なんですね。若山先生にも教わっていたようですし、殺陣の上手さは当然なんですね。

 一時期、マツケン自ら師匠の当たり役だった座頭市を演りたがっていたそうですが、パチンコのCMでやって念願かなったみたいです。

 もっとも、体格の良いマツケンには座頭市のイメージはないですけどね。


 それはそれとして、今回のドラマは、TV東の新春時代劇『徳川太平記』の登場人物である剣豪・土屋主水之助を主人公にしたスピンオフ作品なんだそうです。

 原作から離れた作品なので工夫が必要ということでしょうが、同じ原作者柴田錬三郎の短編シリーズ『剣鬼』と組み合わせて一話ずつ主水之助がからむという話にしたみたいです。

 柴田錬三郎というと、一番有名なのは『眠狂四郎』シリーズですね。

 しかし、『赤い影法師』みたいな伝奇的な忍者小説も書いているし、フジTVで人気があったのは渡辺健の人気を不動にした『御家人斬九郎』・・・。

 時代小説としてはチャンバラの描写がアクション映画っぽいイマジネーションを喚起して、大衆娯楽小説として手本にしたいと思えます。

 もっとも、その荒唐無稽な面白さがリアリティーを欠いていると思われて最近は藤沢周平に人気をもっていかれていますが、ヒーロー物として私はシバレンの方が好きです。

 やっぱり主人公は超人的であって欲しいんですよ。武術をやっている者としてはヘンにリアルである必要はありませんから・・・。

 そんなシバレンの作品中でも、私がダントツで好きなのは『剣鬼』に収録された『人斬り斑平』を映画化した市川雷蔵主演の『剣鬼』です。

 気の触れた奥女中が犬と交わって産まれたとされてイジメられて育った男が、花作りの才能と韋駄天のように走る才能、そして居合術の天賦の才能を開花させて藩を調べる隠密を斬る刺客となり、“人斬り斑平”と異名をとって、より悲惨な運命に転がっていってしまう・・・という悲壮なストーリーと、原作とは違って斑平が生死不明となって終わるところが良かった。

 この『剣鬼』のシリーズは短編集なので悲劇的に終わる話ばかりなんですが、第一回にモチーフを使われた『人面狼之助』は、主水之助によって救われます。

 狼之助役は西村和彦。確か『ライブマン』が主演デビューじゃなかったですかね? JAC出身だから殺陣も激しく力強い。格上の筈の三田村邦彦と互角に戦ってる・・・。

 その妻を演じた北川弘美も時代劇によく出るようになって、女優として風格が出てきましたね~。確かモデル出身なんですよね?

 剣術指南役の父の仇を探す姉弟の姉を演じていた佐藤藍子も、『柳生一族の陰謀』で柳生茜を演じていましたけど、現代的なシャープな顔立ちなのに何か和服が似合う女優になってきました。結婚したからかな?

 しかし、何といっても主人公を演じるマツケンの風格は流石です! オーラが全然違うんですよ。北斗の拳に出てくる大物キャラみたい・・・。

 殺陣も円熟の境地ですよね~。剣体一致していますよ。暴れん坊将軍みたいな舞踊的なものではなく、リアルな殺陣にしている点もポイント高いです。

 ただし、まあ、これは突っ込む人はほとんどいないでしょうけれど、登場する剣術の時代設定が合わないのはどうかと思いましたね~。

 吉宗の時代なのに土屋主水之助が伊藤一刀斎の弟子(神子上典膳ということか?)だったり、兄弟弟子の“善鬼(小野善鬼だろうな~?)”が敵役というのは一刀流の流儀伝承の善鬼と典膳の決闘に関する話なんだろうけど、史実では勝った典膳は破れた善鬼の姓名“小野”を名乗って“小野次郎右衛門忠明”と改名して小野派一刀流を広める訳なんですが、それは徳川幕府の最初の頃なんですよね。

 江戸時代初期の頃は、小野派一刀流と柳生新陰流が徳川幕府の御流儀でしたが、袋竹刀(蟇肌撓い)を用いて優しく教える柳生但馬守に比べて、小野忠明は将軍にも遠慮しないで木刀でビシビシ叩いて教えたもんだから、次第に疎まれてしまったそうですが・・・。

 それに、仇討ち旅をしている姉弟の父親の流儀は鏡心明智流。幕末に江戸の三大道場の一つに数えられた桃井春蔵の士学館の流儀です。春蔵は四代目ですから、初代桃井八郎左衛門の頃なら時代設定も合うかも知れませんが、主水之助のモデルが小野次郎右衛門忠明だとすれば、江戸初期と後期で、随分と時代に開きが出てしまうでしょうね。

 やはり、この辺の混乱は短編を交ぜたから時代設定が不自然になってしまったんじゃないか?と思うんですけど、古武術に詳しい人しか気づかないでしょうから、細かいこと言うのはやめておきましょうかね?

 私も歴史は苦手なんで、詳しい人からツッコミ入れられると降参しちゃうしかないからね~。

 でも、時代劇が作られている状況は良いことです。伝統文化は継承することに意義がありますからね。

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貧乏でも拘る俺食

 長年、貧乏に慣れ親しみ過ぎてきた私は、マジで金がない時は雑草取って食ったこともあるんですが、美食の趣味がないがために、気張って働こうとしなかったのかもしれないな~?と、最近は思ったりしております。

 そもそも、私の両親は昭和一桁生まれだから、食いたくても食えない時期を過ごしてきたので、「食えるだけで幸せ」という考え方が根強く、グルメとは程遠い人生でした。

 だから、大学生の時に叔母さんから寿司屋で大トロの寿司を食べさせてもらった時の感動は、いまだに覚えているくらいで、「世の中にこんなに上手い寿司があったのか?」という感動でしたね~。

 だって、天草で寿司って言ったら一番高級な魚はブリ(ハマチ)くらいだから、記憶している限り、私はその大トロ食べるまでマグロって食べたことなかったと思うんですよ。

 何しろ、周囲は海という島ですから、魚は豊富にありますよ。でも、食べるのはアジ、鯛、カレイ、ヒラメ、サバ、それから圧倒的に多いのがイワシですね。その他の魚って食べた記憶が無かったな~。あっ、サケとシシャモは食べてた・・・。

 うちの犬は魚の骨を混ぜた飯ばっかり食べさせていたから、貰われていった子犬にステーキの肉とかやっても見向きもせずに魚の骨混ぜた残飯やったら狂ったように喜んで食べていた・・・とかいった話を後から聞いて(子犬貰ってくれた小母さんがクスクス笑いながら話してくれた)、うちの家族は大恥かきました・・・。

 でも、魚ばっかり食べてると飽きるから、私は魚は好きじゃないんですね。

 一人暮らしするようになると圧倒的に肉しか食べなくなりましたね。よって、メインの料理は肉野菜炒め。フライパンで肉とクズ野菜を炒めるだけだから簡単にできて助かる。

 けれども、そればっかりじゃ栄養が偏り過ぎるから、野菜果物ジュースは意識してとるようにしています。

 それから、米は割りと拘っていて、今は発芽玄米と白米に十六穀雑穀を混ぜて炊いていますね。どうしてもコンビニ弁当や総菜の世話になる率が高いから、基本的栄養分は補うようにしています。

 で、サクサク作れて安い独身向き料理は色々と考案してきたんですが、最近の俺的ヒット作品は、『大根と豚角煮の煮込み』です!

 元ネタは“ブリ大根”ですが、スーパーで焼き魚に大根おろしを付けて食べようと半分に切った葉付き大根(50円くらい)を買ったんですが、大根おろしにしたのは少しだけなので、大分、余ってしまいました。

 それで、ふと思いついて、半額シールの貼られた売れ残りの豚角煮パック(250円くらい)を買ってきて、ブリ大根みたいに煮たら美味いかも?と思って、作ってみました。

 大根は輪切りにして先にヒタヒタの量のお湯を注いで鍋で煮込みます。角煮と一緒に煮込むと角煮のほうが先に崩れてしまうので、大根を先に柔らかくなるまで煮込むのがコツです。

 この時、葉の部分は別に切って、みじん切りに刻んでおいて、後でトッピングします。

 大根は葉の部分に葉酸やビタミンやミネラルが豊富に含まれているので、これを熱で壊さないように利用しましょう。

 水分が無くなる頃には大根に箸がスルッと抵抗無く刺さるくらいに柔らかくなっている筈なので(まだ堅かったら水を少し足して適度に柔らかくなるまで煮込みます)、そこで一旦、火を止めて、パックから豚角煮を汁ごと入れて、再度、大根と角煮が半分くらい水没する少量の水を注いで、もう一度煮ます。

 すぐに煮立つ筈ですが、今度は大根に汁が染みて角煮に火が通ればOKです。調味料は要らないから簡単ですよ。

 火が通ったら器に移して、刻んでおいた大根の葉を振りかけて(これがシャキシャキしてコントラストが出て美味い)完成です!

 これはご飯に合う! 正直、ここまで美味いとは予想していなかったです。ラーメンとかに乗せても美味いかも~?

 これ、思いつきで作ったけど、メッチャメチャ美味いっスよ~。材料費も300円だもんな~。普通に買っても600円程度で作れるから、是非、お試しあれ!


 それから、先日、従兄弟の写真展で会った御婦人から煎りたてコーヒー豆を頂戴したので、本格的コーヒーを飲んでます。

 コーヒー豆って本来、甘みもあるからブラックで充分美味いですね? 甘党の私でもブラックで美味しく飲めてます・・・って言うか、下手に砂糖とかミルクとか入れないほうが美味いね。

 コーヒーのカフェインは下手なサプリメントより脂肪燃焼効果があるし、ポリフェノールの一種、クロロゲン酸には脳機能の活性化作用があるらしいことが報告されています。

 また、コーヒーのカフェインには血栓を防ぐ作用があることも判ってきています。脳梗塞や心筋梗塞の予防効果も期待できるでしょう。

 飲み過ぎると胃を荒らすと言われていますが、一日、コーヒーカップ2~3杯なら全然問題ないし、しかも、有り難いことにコーヒーの薬理作用は大量に摂取しなくとも十二分に働くらしいです。

 私は以前からコーヒー好きで缶コーヒーとかガブガブ飲んでいたんですけど、これでは糖分と脂肪分の摂り過ぎなのは明らかでしたから、コーヒーの薬理作用以上にメタボ作用?のほうが大きかったでしょう。

 今はブラックで優雅に飲んでいるので仕事もはかどってますし、確かに少し体脂肪が減ってきた感じがしますよ。

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遅ればせながら、ノーベル賞四人受賞の快挙に拍手!

 いや~、遅れた感想で申し訳ありません。

 ノーベル賞を日本人が四人も一挙に受賞するなんて、これは近来、稀に見る日本にとっての快挙と言うしかありませんね。

 物理学と化学という、「理科系に強い日本」というプライドを世界に示してみせてくれたのは、何とも目出度いものだと思います。

 私も中退しましたが、岡山理科大学という理科系大学に三年も籍を置かせていただいた者として、羨望を禁じ得ません。

 あわよくばノーベル文学賞も・・・というメディアの願望は破れましたが、それでも、かつて四人同時の受賞なんて予想もできないくらい、ノーベル賞とは世界一の権威ある賞でしたから、よくぞ、日本の誉れを世界に示してくださった・・・と、気分はもう国粋主義者そのものになってしまっている私でした・・・。

 研究家と自称している身としては、一生を地道な研究に明け暮れて人類に貢献し得る研究成果を具体化したと評価された職人的研究家の先輩方に最大限の敬意を表明したいものです。

 そもそも、ノーベル賞とはダイナマイトを発明したノーベルが、それが戦争で大量虐殺に利用されてしまったことを悔やみ、人類に貢献する発明や研究、活動をしている人を表彰して欲しいという切なる願いで設けられたのは、あまりにも有名な話です。

 つまり、人類に益となることを研究し活動をするのが人として生まれた者の目指すべき道だとノーベルは言いたかった訳で、この青臭いまでの理想主義が世界中の研究者や平和運動家に誇りを持たせてきたのです。

 この想いを共有することが、真の平和を実現する唯一の道でしょう。

 年をとったら邪魔者扱いされがちな今の日本で、人生をかけて培う仕事があることを示してくれた四人の偉大な研究家に、我々は明日の自分の姿を重ねて一途に生きて仕事を続けていくべきだ・・・なんてことを考えましたね。

 人間はいずれ死ぬのが運命ですが、生きた“証し”を残して後の世を生きる人達への希望を遺していくのが生まれた者が果たすべき義務なんじゃないでしょうか? それを忘れて私心に捕らわれたまま人生を無為に消耗させている人達の多さが哀しい限り・・・。

『ゴジラ』のラスト、核兵器をも凌ぐ超兵器オキシジェン・デストロイヤーを発明した若き天才、芹沢博士は、人類の生存を脅かす核兵器の申し子であるゴジラと相討ちになって果てることで悪魔の超兵器を葬り去って後の世の平和を護ろうとしました。

 ゲテモノ映画と謗りを受けながらも世界に冠たるモンスターSFの傑作として金字塔を築いたのも、『ゴジラ』の中に反戦平和への切なるメッセージが込められ犠牲的精神で平和を護ろうとする神風(大和心)の真の精神を表現したからではないでしょうか?

 世界で唯一の被爆国である日本が、平和のための科学利用の前衛を疾走している・・・という誇りを見せてくれた四人の老いた侍に拍手を贈ります。
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海上自衛隊特殊部隊隊員の死亡について

 海上自衛隊の特殊部隊の訓練中、隊員が死亡したというニュースが出て問題視されています。

 自衛隊の特殊部隊と言えば、私は『野性の証明』の特殊工作隊を思い出してしまうんですね。

 あの作品(映画)のクライマックスは原作とは違っているんだそうですが、通常の自衛隊隊員を秘密を護るために暗殺してしまう描写は、まるで時代劇の忍者みたいな非情さでした。

 それを県警の刑事(夏八木勲)が「あいつらはキチガイだ! 何故、自衛隊同士で殺し合うんだ?」と憤慨しますが、元特殊工作隊員の味沢(高倉健)は、「あいつらは人殺しなんか何とも思っちゃいないんだ。俺と同じだ・・・」と自嘲気味に言います。

 そもそも、軍隊というのは祖国防衛のために敵を殺すことが使命なのです。国を衛るための命令なら同じ国民であっても殺す。それが軍隊というものの本質であり人道は眼中にないのです。

 軍隊で言う“戦い”とは、“殺し合い”を意味する訳で、祖国の防衛のためという大義のために、“敵を抹殺すること”を目的にし、それを先鋭化させたのが“特殊部隊”である筈です。

 例えば、警察庁においてもSATやSITの存在は長く秘密にされていましたし、それが自衛隊であれば存在しないほうがおかしいと言わざるを得ません。

 拳銃を持って立てこもった犯人をSATが囲みながら、撃たれた警察官を助けることもできず、流れ弾でSAT隊員が運悪く死亡した事件も記憶に残っていると思います。

 人道を優先して犯人を説得しようとしたがために、警察官が犠牲者になった現実を考える必要があるでしょう。

 類似の事件では西鉄バスジャック事件も思い出します。あれも犯人が未成年だからという理由で無傷で取り押さえようとしていましたが、牛刀で無抵抗の乗客を刺し殺しているんですよ? アメリカだったら、さっさと狙撃されているでしょう。

 私は、凶悪な犯人の人権なんか考えることはないだろうと思います。殺人を犯そうとしている者は狙撃して被害者を出さないようにするのが正しいと思います。

 過激だと思われる人は何か勘違いしていますよ。人を殺そうとしている者は殺される覚悟もしていなきゃいけない。ならば、悪事を働かせず、被害者も出さないようにさっさと命を縮めてあげるのが天の配剤というものではないですか?

 北朝鮮にしろ中国にしろ、軍隊のトレーニング風景などはニュースなどで平然と公開しています。これは「我が国の軍隊はこんなに戦闘力があるんだぞ」という威嚇をしている訳です。

 それは、「いざとなったら暴力で制圧するぞ」という意味であり、倫理観を持ち出して是非を論じる余地はありません。聞く耳は無いという意思表示なのですから・・・。

 軍隊というのは人間性を剥奪して殺人マシーンと成り切れる者が優秀とされるところなのです。

 以前は、「自衛隊は体力に自信があれば食うに困らない、いい商売だ」という就職先として地方出身者の間では一定の人気がありました。

 まず戦争に駆り出される心配がないから・・・という理由でGunマニアの選ぶ就職先としてダントツ一位だという話もありました。

 後はやっぱり、武道をやっている人。自衛隊の徒手格闘術は日本拳法をベースに独自に実戦性を高めた優秀な格闘技であるとしてマニア間で人気があったのです。

 で、今回の15人組手での隊員の事故死が、配置換えを願いでた隊員への見せしめとしてヤキを入れられたものではないか?というニュースでしたが・・・。

 この、“見せしめ的な組手”については、あり得る話だと思いました。

 どうしてか?というと、私も中学時代の剣道部と大学時代の古武道部の時に体験したからです。

 特に大学の時は六尺棒で顔面打たれて口切って歯がグラグラになったし、今でも、あの時の先輩の「いや~、悪い悪い・・・」と薄笑いを浮かべていた顔は忘れませんよ。

・・・と言えば、私はこの事件を批判すると思うでしょう?

 でも、特に批判しようとは思わないんです。

 どうしてか?というと、あの時、わざと顔面を棒でぶん殴られたお陰で、闘志が燃えて、「よ~し、この先輩が及びもつかないくらい絶対に強くなってやる!」と思いましたし、楽しい練習だけで良い思い出に終わっていれば、私はここまで武術を続けてこなかったかもしれません。

 メラメラと燃え上がる憎悪の炎が、私の武術熱の燃料となっていたのですし、お陰で普通だったら経験できない面白過ぎる経験を沢山してきました。挫折を繰り返すことが、折り返し鍛錬される日本刀みたいに私の武術を形作ってきたのだと思うのです。

 だから、恐らく、今、この時の先輩に会っても恨むような気持ちは出ないと思いますし、「あ~、先輩、お久しぶりです。お元気ですか?」と言えると思うのです。

 何故なら、この先輩は、「武道をやるのは就職に有利だからだよ。卒業したらやらないよ」と言っていたからです。多分、今、会ったとしても私は専門家になっているのですから、腕前を競う対象にもならない筈で、仕返ししたいという気持ちは起きないですよ。

 六尺(180cm)の赤樫の棒でぶん殴られてグラグラになった歯は、自分で抜いてしまいましたが、目玉が潰れたのでなかっただけマシですよ。


 学生時代は武道のクラブの先輩というと鬼のように強い人に見えましたが、今となっては大学生の武道クラブの部員と言っても武術については何も解っておらず体力に任せて闘うしか知らないもので、カワイイね~としか思わないんですよ。

 私の住んでる相模原市渕野辺は青山学院、桜美林大、麻布大といった大学があるので、武道をやっているらしき学生もよく見かけますが、やっぱりスポーツとしてやっているようにしか見えません。

 最近はかつてのバンカラな武道部員みたいな連中は姿を消してしまって見かけないですしね。

 余談が過ぎましたが、15人と順番に一人で組手をするというと普通の人は驚くでしょうが、空手系の武道だと時々ありますし、海外の武道だと普通にやるでしょう。

 ですから、自衛隊の特殊部隊の訓練だと言うのなら、それは当たり前なんじゃないか?としか思わないのです。

 そもそも、そういう訓練に耐えられないなら除隊すべきだし、実際に厳しい訓練に嫌気がさして逃げ出す自衛隊員の話もよく聞きます。

 国の防衛を果たすための訓練ならば、そこに感情的な倫理観や常識を差し挟むのはどうかと思うのです。

 まして、特殊部隊であれば、敵と殺し合いをしなければいけない。その訓練なら並の体力精神力の人間がふるい落とされるのは必然でしょう。そうした訓練をくぐり抜けられない者が、もっと厳しい戦場をくぐり抜けられるでしょうか?

 大相撲の“かわいがり”の末の虐待死事件とはまた事情が別だと思います。相撲は殺し合いじゃないのですから、死ぬまでやらせるのは明らかに行き過ぎています。

 が、特殊部隊の訓練であれば、敵を殺すか自分が死ぬか・・・その訓練を常識の範疇で判断するのはお門違いだと私見します。

 多分、私の意見に納得される人は少ないでしょう。非道で冷酷な考えだと非難する人もいると思います。

 ですが、仮に、その辺の大学の武道サークル程度のぬるい訓練にしてしまったら、どうなりますか? 苛酷な訓練をくぐり抜けてきた精鋭が揃っている外国の特殊部隊とかち合った時に、まともに戦えますか? あっという間に全滅してしまいますよ。

 私が武術に求めたのも身を護れる技能を体得することが目的でしたから、趣味として練習を楽しみたいということは実はあまり考えていませんでした。

 幸か不幸か、私は持病があって体力的に厳しい稽古に耐えられなかったから、稽古法を自分で工夫せざるを得なかっただけで、丈夫な身体に生まれついていたらガシガシ限界に挑戦したかったですよ。

 私は、日本人はもっと強くあって欲しいと願います。かつての侍たちのように平和の中であっても戦乱を忘れず、いざという時に身を護れる術と覚悟を備えていて欲しいと思っています。それも一般人のレベルでそうあって欲しいと思っています。

 ですが、今の日本人は世界でも最も脆弱な民族になり果てているんじゃないか?と、そんな気がして仕方がありません。

 上司に叱られた程度で易々と自殺してしまうような人間がゴロゴロしている。どうして、頑張って見返してやろうとしないのでしょう? さっぱり理解できません。

「それは、長野さんが強い人間だから、そう思うんだ。普通の人間は弱いもんだよ」と、以前、社会運動をやっている人から窘められたことがありましたが、私は丸で納得できませんでした。

 私は全然、強い人間じゃありませんよ。ただ、弱い人間に甘んじていたくないだけ!

 だから、武術を選んでずっと続けてきたのです。弱いままの自分でいたくなかったから、30年以上も続けてきているのです。

 もちろん、武道や武術が手放しで良いものだと人に勧めるつもりはありません。嫌な面も沢山見てきました。

 中学校で武道を体育の正課にするという文科省の決定にも賛同しません。一体、誰が教えるのか? 武道なんて一朝一夕に身につくものじゃないんだから、未熟な人間が指導すれば害のほうが大きいのではないか?と思うからです。

 特に、大学の武道クラブのシゴキで事故死する例の大半は、実質的に傷害致死事件だろうと思っていますから、もしそれが中学にまで広がったらどうするのか?と心配です。

 結果としての良し悪しは、過程の評価の材料とは必ずしもなりません。けれども、目的が定まっていれば、そのために必要な為すべきことも必然的に定まります。

 中学校で武道を体育の正課にする・・・これは目的が曖昧過ぎる。もし、礼儀作法を身につけさせるのが目的ならば、伝統的な礼法そのものを学ばせたほうがいいでしょう。

 どうも、体罰を容認させるための苦肉の策みたいな印象を受けるんですが・・・。


 さて、一方で、海上自衛隊特殊部隊の訓練中の死亡・・・という事件に関しては、見せしめの意図があったとしても、果たしてそれを問題視できるのか?と私は思うのです。

 殺し合いを前提にした部隊の訓練だという点をよく認識しておいたほうがいい。そういう外道な場に立ち入った者に人道を当てはめて論じること自体が“論外”でしょう。スポーツクラブか何かと勘違いした論議を聞くと、阿呆ではないかと思ってしまう。

 もちろん、私は戦争絶対反対、軍隊なんか関係ないと思っている人間ですから、結論として是非を問われれば、非と答えますけどね。

 国のために戦ったりなんか絶対にしない! 私が戦うのは自分と自分が守りたい人達を守ると決意した時だけです。だから、国を守る軍隊なんぞには与しない。

 でも、それは私の事情です。私が自分の生き方としてそう選ぶと決めていることであって、それが正しいとか他人に勧めるつもりもない。

 そこで提案。

 どうしても国防のための特殊部隊が必要だと国の偉いさんが考えるのなら、日本の優秀なロボット工学技術を見せつけて諸外国をビビらせるアーマード・トルーパー部隊を作ればいいと、私は本気で思っていますよ。

 ハッタリで作っておいたって「日本人なら作れるだろう」って、外国は勝手にビビッて、たやすくチョッカイ出せなくなりますよ。そのくらいのトンチを使ってもらいたいもんです。この領域なら日本に敵う国はないんだから、本気で研究開発すればできますよ。

 そうすれば、少なくとも前時代的で無益な歩兵訓練で貴重な人命を失わずに済む。

 亡くなられた方には本当にお気の毒と言うしかありませんが、この機会を無駄にすることなく、本当に中身のある国防と“日本人(日本国ではない!)”を防衛するために為すべきことが何か?という論議をしてもらいたいと思いますね。

 私は、あくまでも独りで戦うと決めているので、他人に「戦え」と言うつもりはありませんが・・・。

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武器術セミナー感想

 月例セミナー10月12日は、武器術がテーマでした。

 いつもに比べて参加人数が少なかったんですが、棒を使ったりするので事故を防ぐ意味では好都合でした。

 とにかく、道具を使う場合に一番、注意しなければいけないのは、“予期せぬ事故”という、この一点につきます。

 これは殺陣の場合でも同じなんですが、周囲に人がいる場合、“刀を後ろまで振りかぶらない”とか、「刀の切っ先(棒も)が自分の視界から出ないように用いる」のが重要です。

 刀の事故と言えば、勝新太郎の最後の作品『座頭市』でのアップ用の本身を俳優に持たせて殺陣師の一人が事故死してしまった事件を覚えている人が多いでしょう。

 武器を用いた殺陣は本当に慎重にやらなければ危険なのです。

 もちろん、武術では真剣も当たり前に用いるのですから、注意を怠れば事故死は起こって当たり前。慎重に慎重を重ねていてさえ事故死してしまう例もあるのです。

 Z流という抜刀術の流派は現在、実質的に失伝していますが、この流派が失伝してしまった理由が、真剣で稽古している最中に受け手が真剣を躱し損なって死亡してしまったから・・・だという話を聞いたことがあります。

 現在は合金製の精巧な居合練習用の模擬刀を稽古に用いる場合が多くなっているので、そこまでの事故は少なくなったようですが、今でも頑なに真剣での稽古を遵守している古流武術の流儀も少ないながら現存しています。

 居合抜刀術系統の演武では真剣を用いるのが礼儀とされていますから、公式に演武される時は全て真剣を用いていると思ってよいでしょう。

 ですから、演武会で過剰に緊張していると手元が狂って側頭部の頭皮を血振り動作で払った自分の刀でそぎ落としてしまった・・・(ヅラがふっ飛んだみたいだったらしい?)とか、素早く切っ先から鞘に納める技を特徴とする流儀で、慌ててしまって鞘でなくて自分の脇腹に貫通させてしまった・・・とかいったシャレにならない危ない事故も起こっているそうです。

 悲惨な例では、小学校の体育館で教師が居合の稽古をやっていたところ、刀の目釘(柄に刀身を固定する部品で竹などでできている)を装着し忘れていて、勢いよく抜いた瞬間、刀身がスッポ抜けて、遊んでいた子供に刺さってしまった・・・という事故を新聞で読んだことがありました。

 これなんて、遊んでいる子供が近くにいるところで練習することそのものが不見識ですし、稽古する前に目釘を確かめたり、刀身の緩みが無いかを確認するのは常識だと思うんですが、最近も、ライフル銃の手入れをしていて弾丸が発射できる状態で放置していて子供が引き金を触って暴発させ弟を撃ってしまった・・・という事件がありました。

 自分が怪我する分には勉強になるからいいと思うんですが・・・。

 新体道の青木宏之先生に聞いた話では、黒田鉄山師範と会う機会があって話していた時に、黒田師範が演武の時に失敗して自分の左掌を深く斬ってしまったことがあるという失敗談を何のてらいもなく口にされていたので、「いや、あの人は立派ですね~」と、青木先生は非常に感心されていらっしゃいましたね。

 まあ、見栄張って大嘘こいちゃう甲野氏と比べれば、自分の失敗談を普通に口にできる黒田師範は立派ですよ。特に古武術界のホープとして著名な人が自分の失敗談を平然と口にすれば、それは無名な人が言うのとは言葉の重さが異なります。

 それに比べると、甲野氏って、自分の失敗談をよ~言わんですからね。元々が、ええカッコしいな上に、今は古武術の代表みたいに世間に名前が通っちゃったから、余計、言えないでしょうね~。平然と全部言ったら逆にもっと人気が出ると思うけどな~?(お笑いの人になっちゃうだろうけど・・・)

 人のことばっかり書いていたら嫌らしいから、私も失敗談を書きますと、昔、真剣で居合抜刀術の稽古している最中、抜いた瞬間、刀を跳ね上げちゃって自分の顎下に刃をぶつけてしまったことがあります。この時の疵跡は今でも残ってますよ。鼻をそいだり喉にぶつけたりしなくて良かったな~と思っています。

 その他にも、左手でヌンチャク振っていて上唇にぶつけてしまってザックリ切れたこともあり、これも疵跡が残ってますよ。

 それから、演武の時に納刀していて掌の皮を挟んで少し切ったとか、刀身を研いでいて刃先にぶつけて指先を少し切ったとか・・・そういう細かい失敗は何回もあります。


 さて、余談はやめて本題に入りましょう。

 今回のセミナーは、できるだけ武器を沢山見せてさしあげようと思って、持てるだけ持って行ったんですが、重くって(師範代が・・・)、やはり限定してしまうしかありませんでしたね。

 鎖鎌・トンチャク(ヌンチャクとトンファーが合体した創作武器で、一見、ポリスバトン型金属製トンファーみたいで、ヌンチャク、トンファー、短棒、トンチャクの四種類に使えるスグレ物です)・南蛮千鳥鉄(なんばんちどりがね)・十字手裏剣・中国扇子・コブタンなどを説明しました。

 実際にこれら全部の使い方を教えるのは時間的にもとても無理ですから、稽古は半棒(三尺・約90cm)を使った棒術と剣術、無刀捕り、ナイフ術、ナイフ捕り、ピストル捕りなどを練習しました。

 うちの場合、武器術とは言ってもベースは体術です。どうしてか?と申しますと、武器そのものの扱い方をやっていたら、一つ一つの武器の操作法に熟練しても他の武器は使えません。ヌンチャクができても剣は使えない。剣ができても槍は使えない・・・といった具合です。

 ところが、体術の応用で武器が使えれば、どんな武器でも咄嗟に使いこなすことができます。体術の要領で棒や剣、ナイフなどを手に持っただけだからです。

 中国武術の世界には、「武器は手の延長」という考えがありますが、要するにそういうことです。日本のサムライだって、剣術だけでなく、弓・乗馬・泳法・槍・棒・居合・手裏剣・柔術・応急手当・・・と、一通りできて当たり前だったのです。

 現代の武道家、武術家と名乗っている人達の勉強不足っぷりは呆れるばかりですよ。筋肉鍛えるより頭脳を鍛えろよって言いたくなるのは私だけ? 今日び、ボディビルダーだって生理解剖学や栄養学や運動生理学とか勉強するんだし・・・。



 さて、それから、最後に真剣での試し斬りもやってみたんですが、これが悪戦苦闘でしたね。

 真剣は打ち落とし(ヤスリ掛けして刀の成型までされた状態)の刀を私が研いだもので、刃がきちんと立っていなかったので、前夜に頑張って刃先だけ研いだもの。

 試し斬り素材としては畳表を巻いて二日くらい水に浸けておいたものを使うのが一番いいんですが、用意できないので、少し難しいけど2mくらいの長さの細竹を町田の東急ハンズで三本買ってきて、持ち運びに不便なので170cmくらいに切り詰めて持参しました。

 青竹と違って水分が抜けているから堅くなっていますが、指くらいの細い竹だから、いくら何でも斬れるっしょ?と思っていたんですが・・・

 なっ、何と? 最初に挑戦した私も失敗してしまい、「ゲゲェ~? 何で、こんなモンが斬れないの? 嘘だろ~?」と、自分で驚いてしまいましたよ。同じものを過去に何度も斬っていて大丈夫と思っていたのに、これにはビックリ!

 だから、「これは侮っていたら斬れないぞ」と思って、二度目は、慎重に刃筋が通るイメージを作って、上半身の力みを抜いて、膝を抜いて沈身をかけるようにしてスッと斬ってみました。と、今度は成功・・・ホッ・・・。

 でも、希望者に挑戦してもらったものの、ほとんど誰も綺麗に切断できません。

 何で、こんな細竹が切れないのか?と思ったら、その細さ(と、長さ)が原因であることに気づきました。

 つまり、竹を支え持つ人間の安全のために長くしていたのと“細さ”が相俟って、刀が当たった時に竹が釣竿みたいにビョ~ンとしなって、そのために力が集中しなくて刃が食い込まなかったんですね。

 もし、水分が多い青竹だったらそれでも刃が食い込む筈だから、切り口は曲がっても切断できたでしょうが・・・。

 それと竹を持つ時の角度が問題で、直角に刃を当ててしまう人が多かったからでしょうが、竹が撓って刃筋が通らず、切り口を見れば一目瞭然で、半分まで切断できても、そこで割れてしまって、それなりに切れたのが二人だけで、スパッと切れたのは慣れている私だけでした。

 最後にもう一度、私が斬りましたが、失敗している人の様子を観察していて、竹が撓らないためには、刀を斬り込む角度がポイントだと思って、斜めに差し出して持ってもらっている竹に60度くらいの角度で、撓りの少ない節の近くに斬り込むように、結果的にほぼ真上から斬り込みましたが、これが一番、綺麗に切断できました。

 でも、私は多少のコツと刀の性質を知っているから、こりゃあ難しいな~と思っても対象に合わせて対策を取れた訳で、斬れて当たり前ですからね。だから、しょっぱなで失敗したのは自分でもパニクッちゃいましたもん。

 鉄板斬っちゃう東郷師範とは比較にもならないお粗末さ・・・。

 先日、佐原先生も「やっぱり、やってみなければ解らないし、数をこなすのが上達の近道ですよ」と言われていたのも、その通りだな~と思いましたよ。『秘伝』の最新号にも東郷師範が再登場して試斬の細かい秘訣をいろいろ披露されていましたが、結局、万の単位で数をこなすしか上達は望めないんだろうと思いました。

 それで、これは本格的に試し斬りの数をこなして稽古しなきゃいかんと思い、試し斬り用の刀を確保しようと思いたち、刃引きにして斬れなくしていた真剣も、翌日、砥石で研いで刃を立てて斬れるようにしてみました。これで定寸の試し斬りできる刀は三振りになります。

 これは江戸時代初期の頃の新刀ですが、刃毀れして少し曲がっていたので刀屋さんから格安で譲ってもらっていたのを自分で補修して外装も自作していたものです。

 試斬りに使うには、私が静岡の会員さんから譲ってもらった刃の角度が小さい薄刃で重ねが薄くて身幅の広い、通称、ダンビラと呼ばれる刀の方が巻藁斬りなんかには向いていると思うんです。カミソリみたいに斬れますし、厚紙を吊り下げて片手で抜き斬りしてみたら結構、シャッと斬れたんですね。

 でも、これだけ薄刃だと実際の斬り合いでは不安ですね。身幅があるからいいけど、事実、刀の斬り込んだ疵が三ケ所あって、もの打ちに割りと深い錆び疵もありました。自分で補修した時にちょっと触れたくらいで怪我してしまいましたし、恐らく、斬り合いを経験している刀でしょう・・・。

 それに比べると、この刀は元々は仕込み杖に入っていた刀身(ハバキ付き)だけを買ったもので、無銘ですけど互の目乱れの刃文が割りと格好よくて、重ねもブ厚くハマグリ刃だから、試し斬りより実戦向きだな~と気に入っています。

 江戸時代半ばの刀だと、飾りものみたいに細くて斬り合いには向かないような刀も多いんですが、これは実際に斬り合いをする機会が激減していたから、重い刀を差して歩くのが億劫になって軽い刀が好まれるようになったからのようです。

 実際、今回のセミナーには大太刀は持っていきませんでしたが、これは重過ぎて持ち歩くとケースの肩紐が肩に食い込んで赤くなったりするので、荷物が多過ぎたので置いてきたんですよね。大太刀は一振りで槍や薙刀にも対抗できる刀として戦場用にカスタマイズされた刀なんで、多少重くてもそれだけ持っていればいいんですが・・・。

 でも、幕末になって治安が悪くなると、戦場で使うような長大な刀の需要が高まり、勤王の志士が用いるから・・・という勤王刀と呼ばれる大振りの刀が流行ります。が、これも室内戦などでは鴨居に引っ掛かったりするから短か目の刀に戻ったり、刀の流行も実戦の現場での試行錯誤が反映していたようです。

 現代で日本刀の実戦を考える必然性はありませんが、そこを敢えて考えてみた場合、第一に「斬れるかどうか」を確かめないといけません。そのためには試し斬りから始めて斬る技術を体得し、それから様々なシチュエーションに対応する技法のバリエーションを考えていかなくてはならないでしょう。

 居合をやる人の中には試し斬りを軽視する人もいますが、斬れなくとも構わないのであれば、別に日本刀である必要もないのですし、わざわざ数十万から百万以上もする刀を買う必要もないでしょう。稽古の安全性のためにも数万円の模擬刀で十分な筈ですし、木刀を使っても問題はないという考え方になります。

 ですが、実際に真剣を用いるようになってみて、やはり真剣を使わなければ修練にならない面があると思うようになりました。

 それは、「武術は原則的に敵を殺傷する術技を修練するもの」という偽らざる本質を明確に認識させてくれる・・・ということです。

 殺傷力のある武器を用いて修行するということは、術技の向上よりも「身を滅ぼさないために自戒の精神を養成する」という側面が重要になってきます。

 私は真剣を使うようになってから、以前よりもずっと武術修行の意味を考えるようになりました。刃渡りが1m近くある巨大な刃物を俊敏に扱う術とは、一瞬でも気を抜けば大怪我しかねない危険性があります。

 失敗したでは済まない、一瞬の甘さが人生を棒に振ることになる・・・それが殺傷力の備わる武器を持つということの意味なんだと考えるようになった訳です。

 例えば、鉄砲の暴発や誤射で人が死ぬ事件が毎年ありますけれど、こうした事件も武器についての認識がきちんとしていれば起こらない筈です。

 今回のセミナーはある団体の指導的立場の方も参加されてらっしゃいましたが、ちっとも驕ることなく謙虚に一般参加者と変わらない態度で取り組まれていて、前回に無礼な態度の人がいたのと比べて、セミナー後の会食で常連さん達の間で、「流石は経験の深い人は違いますよね~」と、皆、感心していました。

 現代で武術を学ぶ時に最も注意して心掛けるべきなのが、この日常の態度なんだと思います。そこに普段の修行の内容が表れてくる訳です。軽はずみな人は軽はずみな稽古しかしていないということです。

 正直、武術・武道をやっている人の中には態度が尊大だったり非常識だったり高圧的なものの言い方をする人が少なからずいますから、そういう様子を見て世間的イメージが悪くなってしまうのも無理がないと思うことが多いんです。

 ですが、武道や武術、格闘技というのは、それに関心のない人にとっては、単なる暴力にしか見えないものです。だから、プチ暴力団みたいな態度をひけらかすのは阿呆そのものです。やたらに人前でエア武術?をやって見せて、周囲の人達がドン引きするのを喜ぶような人もいますが、これはもう精神がおかしくなりかけている証拠なんですよ。

 以前、新宿のロッテリアでエアガンやガスガンをテーブルの上にいくつも出してサバイバルゲーム談義をしている阿呆連中を見かけましたけど、アメリカだったらSWATに射殺されるかもしれないですね~。日本って平和というかチャイルディッシュっていうか。

 この病状が進行すると、平気で人前で刀を抜いてみせたりするようになる(例・甲野氏は高校の講演会場や職員室、結婚式場、宴会場、交番の前、喫茶店で真剣を抜いてみせたりしています。重症だ・・・っていうか・・・何故、捕まらないんだろ?)。

 心身を武器化するのが武術の稽古ではありますが、だからこそ人を威圧したりするのは抜き身の真剣を持ち歩くようなもので、技を磨くのと比例して威圧感を潜めていくようにするのが肝心な心得です。いかにも、「何かやってるな?」という風に見えてはいけないんです!


追伸;セミナー参加者の感想をお待ちします。たまに怒ったりするから怖がる方もいるみたいですが、普通は怒らないですから、安心してどうぞ。また、参加したいけれど遠方に住んでいたりヒマが無いという方は教材DVD游心流武術健身法 初級・中級 教材DVD
を宜しくどうぞ。それから、来年の月例セミナー12回分半額セール(12万円が6万円となります)は10月一杯ですので、お申し込みはお早く。今年よりバージョンアップしていきますので御期待ください。場所は今年と同じく江古田ストアハウスにて、毎月第二日曜日の午前11:00~午後2:00となっております。ちなみに、次回11月セミナーは、「格闘技に活かす武術」です。打撃・逆関節・投げ・絞め等の技法をブラッシュアップしてみます。これらの技法はほとんど今年に入ってから研究した初公開のものですので、御期待ください。「中国武術や古武術って本当に使えるの?」と、疑問に思っていらっしゃる方は、是非、お越しください。百聞は一見にしかず。従来の格闘技に壁や行き詰まりを感じている方の限界突破に役立ててもらいたいと思っています。

追伸2;25日(土)の夜7:00~9:00くらいまで『もっと知りたい武術の極意』の出版記念飲み会をやりますので、会員さん、セミナー常連さん(準会員扱い)で参加されたい方は事務局に申し出てください。場所は駒込駅前の居酒屋さんで、会費は3000円くらいです。

追伸3;「自主製作DVDの書店売りはしないのか?」という問い合わせがありましたが、今のところ、神田神保町の高山本店さんで少し置かせていただいています。同店は武道古書店として都内随一のお店で古武術関係者が多く出入りする店でもあります。入手不能の絶版本も多数入荷しますから、関東近郊の方は足を運んでみてはいかが?
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峰岸徹さんも急逝・・・

 緒形拳さんに続いて、峰岸徹さんも急逝され、驚きました。

 峰岸さんと言えば、悪役が多かったような印象がありますが、いつも単純な悪役ではなくて屈折した非運に塗れて犯罪に手を染めた人物像を演じることが多かったように思います。

 若山先生の『賞金稼ぎ』でも、極悪人の賞金首ながら、実は・・・というチェ・ゲバラを思い出させるゲリラのリーダーを演じていました。

 大林宣彦監督の作品では常連で、『麗猫伝説』の時のシュールな探偵?はちょっとユーモラスで魅力的でしたし、何といっても『ねらわれた学園』の時の腹に大きな目玉が付いてるエイリアンの王子?が物凄いインパクトで、岡本太郎の『宇宙人東京にあらわる』のパイラ星人みたいなシュール且つキュートな雰囲気がありました。

 ちょっと暗いイメージがあるヤサグレた雰囲気が峰岸さんの持ち味でしたが、それを逆手にとってギャグみたいな演出をつける大林監督の茶目っ気と、それを嬉々として?演じていた峰岸さんの人柄がうかがえました。

 衝撃の自殺をしたアイドル岡田有希子の恋人だったと週刊誌に書かれたりした峰岸さんでしたし、今回のニュース報道でもそのことが話されていましたが、多分、芸能事務所的大人の事情で峰岸さんが貧乏くじを引かされていたのではないか?という噂も聞いたことがあります。

 話題作『おくりびと』が遺作だったということですが、また一人、名優が消えていったのは何とも寂しい限りです。

 峰岸徹さんの御冥福をお祈りします・・・合掌。
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ロス疑惑、三浦氏の自殺について

 ロス疑惑事件の三浦和義氏の自殺という劇的な結末について思い出してみると、一美さん銃撃事件そのものは、何と、1981年の11月という27年も前に起こっていた事件だったという事実に、まず、驚きました。

 20年くらい経過していたかな~?という印象だったんですが、こんなに時間が経過していたのか?と思うと、やはり、事件のサスペンス・ドラマ顔負けの物語性に印象操作されていたんだな~と、改めて思いました。

 新妻に保険金をかけて殺し屋を雇って殺させて、自分も太ももに銃弾を撃たせて被害者を装い、悲劇の夫を演じた・・・という犯罪小説みたいなストーリーを週刊誌が特集して“疑惑の銃弾”と糾弾し始めたことから一大ブームとなったこと・・・。

 そもそも、この事件は三浦氏の特異なキャラクターに注目が集まったところに特徴があって、ぷちサイコな人物なのではないか?という世間の関心を一身に集めたようです。

 異様なまでの自己顕示性や、役者のような所作、詩人のような語り、マスコミに追い回されることを迷惑がっているように見せて芝居がかった対応をするところ・・・明らかに一般人ではなく、ナルチシストそのもので、確かに怪しいのを通り越して「絶対、やってるよ」と確信させるキャラクターでした。

 個人的に本音を述べれば、真相はやはりこの人が事件のシナリオを書いたに違いないと思いますし、私だけでなく日本中の大半の人がそう思っているのではないでしょうか?

 だから、司法で無罪が確定した時は、憤慨した人が多かったと思いますし、アメリカ側で捕まったという報があった時は、「そ~ら、お天道さまは見逃さないんだよ」と、溜飲を下げた人が多かったであろうと思います。

 実際の役者は、一般が思うほど芝居がかっておらず、日常生活ではいたって普通だったりする人が多いのと比べると、この人の場合は人生そのものが舞台か何かと思い込んでいるのではないか?という印象を受けます。

 つい最近も、万引きで捕まったりしていましたが、何故、こんなつまらないことで世間の耳目を集めたがるのか?

 こういう性癖を、“演技性人格障害”と言うようです。

 私は、こういうタイプの人に結構、何度も出会いました。全員、武術をやっている人でした。

 代表的な人では、甲野善紀氏もそうだと思います。「そんなバカな」と思った人は、冷静に考えてみてください。

 一本歯の高下駄を履いて着物を着て革袋に入れた“日本刀”を持って歩く・・・ということを毎日やっているんですよ? 常識的な精神構造の人間にできますか?

 本人は修行のためと言っていますが、何の修行なんですか? 本物の武術家は、いかにも「自分は武術家だ」みたいな格好をして生活したりはしません。見ただけでフェイクなのが明白に判りますよ。

 第一、あんな格好をしていたらサラリーマンも公務員もサービス業も農業も漁業も・・・ほとんどの仕事ができないではありませんか? できるとしたら作家か芸術家で生活費の心配がない人間だけです。

 甲野氏に心酔して真似する人もいるでしょうが、「馬鹿な真似はやめて、きちんと世の中に役立つ仕事に取り組んで欲しい」と、(昔の自分を思い出して赤面しつつ)お勧めします。

 ですが、実際に甲野氏以上の演技性人格障害を思わせる武術家?は多いのですが、困ったことに、こういう人物は自己顕示欲の強さから社会的に有名になることに異常な執着心があるために、結構、名前が知られていたりするものです。

 そして、「有名な人だからその世界の権威者なんだろう」と、素人考えで受け止めてしまうことから、病的な人間の“思想カルト”が形成され広がっていってしまうのです。

 どういう意味かと言うと、甲野氏が軽はずみに唱えた「ナンバは古武術の技であり、江戸時代以前の日本人は皆、ナンバで歩き、走ることができず、動物性タンパク質を摂っていなかった」といった極めて特異的な論を定説へと導いてしまった点でも明らかです。

 私が厳しく批判してから声高に主張しなくなっていますが、かと言って訂正しているという話は聞きません。ですから、世間的には間違った説が残ったままなのです。

 これを訂正するためには私が甲野氏以上の権威者となって「あの説は間違いです」と言うしか、今のところ有効な方法がありません。もっと適切な権威ある論者が言ってくれればいいのですが、誰も彼も甲野氏とツルんでいた方が利益に繋がるとおもねる人ばっかりで期待するだけ無駄ですしね~。しゃ~ね~なぁ~(苦笑)。

 まあ、時間はかかっても本当のことだけ言い続けていれば、嘘はいつかバレるものですからね。ミートホープの肉の偽装事件だって、内部告発者が出てから随分と長い間、糾弾されなかったそうですし、最初の糾弾者は苦心するものでしょう。でも、最後は真実が勝つんですよ!


 もとに戻って三浦和義氏の場合も、支援者が随分いたようですし、疑わしきは罰せずの法の理念に沿って、人権擁護をうたう人たちと共に“闘争”していたようです。

 ですが、私自身はどう思うか?と言えば、「疑わしき人を祭り上げるべきではない」と思っています。

 純粋な人権擁護論者が彼に与すれば、彼の演技に振り回され真実から目を背けさせられてしまわないとも限らない。善良で誠実な人達が、欺瞞に満ちた狡猾な人間に利用される可能性があることを自覚していなければならない。

 私は、法の理念よりも“真実”をこそ重視します。真相に到るためには疑わしきを徹底究明していかねばなりません。“法の理念”を優先して人権云々を論じるよりも、真相究明にあらゆる角度から切り込むことを考えます。

 司法的には時効が成立し証拠能力の基準が論じられるでしょうが、殺された一美さんのことを思えば、司法が認める云々よりも「疑わしきを徹底して追究していく姿勢」を捨ててはいけないと思います。

 法律は人間が作ったものですが、真実は捏造することはできないんです。

 マスコミも大衆も、三浦和義という人物に振り回されてしまっていた。現実はどうでしょう? 三浦氏の一挙手一投足をマスコミは注目し続け、大衆はそのマスコミに煽られて三浦和義劇場の観客にさせられていた・・・とは言えないでしょうか?

 疑わしきは罰せず・・・という法の理念は間違いではないでしょう。しかし、疑わしい人物を白か黒か判然とするまで“白”と規定するのはおかしい。せめて“グレイ”な人だと認識しておくべきでしょう。

 何はともあれ、三浦和義劇場は、本人の自殺という横溝映画のラストみたいな終焉を迎えました。

 疑惑は最後まで晴れることなく、一代のトリックスターは、永遠の謎を残したまま舞台から去っていきました。死と金と虚栄に彩られた三文芝居は、これにて幕を降ろしたのです・・・。
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セミナー中で新作DVDも販売します

 え~っとですね。事情がありまして、10月と11月にドドッと大金が必要なもんですから、正直、焦ってまして、今月のセミナーでは、新作教材用DVDも販売致します。

教材DVD、早速お申し込みいただいた皆さん、ありがとうございます。判らない点がありましたら御遠慮なく御質問ください。申し込み時点で個別にコメント致したいところですが余裕がありませず、失礼をお許しください・・・)

 また、発勁・合気・丹田のDVDに関しましては、忘れてしまいたいことが有る?過去の作品ですから廃盤にしたいところなんですけれど、今でも問い合わせがありますので、注文に応じて作っております(こちらは一本だけだと10000円。二本組み合わせてだとサービスで15000円とさせていただきます。送料はサービスです)。(事務担当注 既にトレーニングシリーズは生産終了致しました。)

 それと、来年のセミナーの予約半額セール期間も10月一杯まで延長します。10月セミナーの時に申し込んでいただいても結構です。

 尚、来年の月例セミナーは基本的に第二日曜日の午前11:00~午後2:00に江古田ストアハウス稽古場にて開催する予定でおります。今年より人数が増えることが予想されますので、できるだけ予約申し込みしていただいておいた方が良いと思います。都合により参加されなかった回数分の補講もやるつもりでおります。

 さて、率直に本音を書きますと・・・

“「みんな~、オラにゲンキンを分けてくれえ~!」って叫んでいる元気玉作ってる悟空の心境”をご想像くださいませ・・・。

 この不況の折りに御負担をお願いするのは本当に恐縮至極なんですけれど、“あした(来年)”のために今月来月は金をつくる月間目標なので、御支援を賜りたく思っております・・・。


 話は変わりますけれど、日曜日に公園での稽古をした時に定期稽古会の場所について相談してみました。

 すると、「僕は公園での稽古が気に入ってるんだけどな~」とか、「僕は寒い中で公園でやるのが気持ちいい」とか予想に反して気に入っている発言がありました。

 う~ん、確かに今の季節だと雨が降らなきゃ公園の稽古は気持ちいいんですけどね。春と秋は戸外で運動するのが気持ちいいもんね~。

 でも、私は冬の寒い時期に公園で練習するのは嫌なんだよね~。私は両膝とも関節炎で寒くなると痛いんですよ。爺さん臭くて困るけど高校で痛めて以来だから仕方ない。

 それに南国育ちだから寒いのは苦手。ついでに上京して長く経過してるから暑いのにも耐えられなくなりました。やっぱり春と秋が好き・・・。

 特にどっちかと言うと秋が好きですな。芸術と体育の秋。金木犀の甘酸っぱい匂いが漂う頃が一年のうちで一番好きですね。

 まあ、当面は公園でもいいか?と思いつつ、この前、シダックスがお店の都合で日曜日の午前中に変わった時に閃いて、「そうだ。レンタルで日曜日の午前中に借りればできるじゃん? 鏡も付いてるし場所もそこそこ広くて剣術も杖術も棍術もヌンチャクもほとんどできるし・・・」と思いついて尋ねてみたら、大丈夫だということで、しかも公共施設並に激安! こんなに安かったんだ!

 いや~、盲点でした。今年の冬は暖房付きの室内で剣術・居合術・杖術・トンファー・ヌンチャクなんかも色々と練習してみようと思っています。


 え~、それから、その日は夕方から橋本駅ビルの本屋さんで待ち合わせて清心館道場の佐原文東先生とお会いしました。

 何しろ、今回の本では佐原先生の技をそのマンマ、パクッているので、ちゃんと御挨拶して本も贈呈しなきゃ失礼だよ・・・と思っていたのです。が、もちろん、佐原先生は笑って許してくださいました。ホッ・・・。

 余談ですが、先日、クエストさんに寄った時に営業のIさんが丁度在社されていたので30分くらいお喋りしたんですが、新刊本を贈呈したら、「技をパクッてるの自分から書くのは長野さんくらいでしょう」って笑ってました。

 でも、黙っていたら何十人の先生に恨まれることか? 書いたら書いたで文句言われることもあるけど(むこうの事情で?)、明記して感謝の気持ちを示すのは常識的で大切なことだと思いますよ。

 ただ、パクッてなくても偶然、酷似していたってこともありますよ。でも、それも指摘されたら「御不快に感じられたら申し訳ありません。まったく偶然に似てしまったものですので御理解戴ければ幸いです。先生の御活躍をお祈りします」くらいの返事を返すのが相手への配慮なんじゃないですかね~? 結局、気持ちの問題ですからね。合理性だけで考えるのは間違いだと思いますよ。私自身は・・・。

 私だって、「あれっ? これって俺のパクッてるんじゃないの?」って思うことがあったりするんですけど、正直、いい気持ちはしませんよ。他人の家で断りもなく物に触ったりトイレ使ったりするヤツは非常識だな~って思うでしょ。一言、「見せてもらってもいいですか?」「トイレ使わせてください」って言えば何の問題もない。それと同じ。


 例によって、今回も佐原先生が食事を御馳走してくださって、いつもだから恐縮しましたよ。特に今月は節約しているので有り難かったんですが・・・、やっぱり、何かお返ししたいから、脇差一本で試し斬り稽古会をされているそうなので、刀は何本も持っているので、試し斬り用の刀を提供することで御協力したいな~と思ってます。

 佐原先生は新陰流と鹿島神流を修行されていますが、「何事もやってみなくちゃ判らないけれど、刀は実際に斬ってみなくちゃ判らないですね」と言われていました。どうやって刃筋を通していくか・・・ということがテクニック上の難しさであるそうで、やってみて初めて解ったことが多かったそうです。

 ちなみに、今月の武器術セミナーでは細い竹も持っていって、希望者には実際に試し斬りもやってもらうつもりですから、やってみたい人は申し出てください。畳表巻いて濡らしておいたヤツだと簡単らしいんですけど用意できないんで、細竹にします・・・。
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10月セミナー「武器術」について

 以前から思っていたことですが、日本に限って、ほとんどの武道や格闘技を学ぶ人は、「武器を使うのは卑怯者のやること」という強固な倫理観があるようです。

 どうしてか?というと、やはり試合を目的にして技量を競うことが当たり前だと考えられているからのようです。

 けれども、武道や格闘技の源流は、戦場に始まっており、簡単に定義すると、まず、“武道”は、戦場で効率よく戦うテクニックを体系化しつつ、次第に徒手護身術として発達した各流派の武術が、近代の西洋スポーツ理論と融合して統合成立したものです。

 一方、格闘技は、戦場で戦うための基礎トレーニングとして始まった相撲のように、徒手空拳で試合を楽しみ、またそれを娯楽として見物するものとしてずっと続いてきたものです。

 武器を嫌う観念は、剣道にすらあって、防具や竹刀の寸法なども細かく規定されています。二刀流さえ剣道として認めるかどうか長く論議されたくらいですから、対槍、対薙刀、対鎖鎌などの異種武器術の試合は認められません。

 今日の日本では、武道的に武器の戦闘を現実的に考えているのは、恐らく、スポーツチャンバラくらいなのではないか?と思います。

 どういう意味かと言いますと、スポチャンは、槍vs二刀流とかいった異なる武器での戦いを認めているからです(ただ、娯楽的な観点から認めている印象は受けますが)。

 武道や格闘技の玄人的観点の持ち主からすると、「技は制限されることによって洗練され技術レベルが上がる」という認識を持つ人もいると思いますし、その考え方は別に間違っている訳ではありません。

 しかし、制限されてレベルが上がるというのはルールを厳密に規定した“試合”を念頭においた考えであって、ストリートファイトなどの場を考えれば、やはり制約が少なければ少ないほど、実戦的ということになるのは異論の無いところです。

 ですから、私は試合に勝つことには何の関心も無く、ストリートファイト以上の実戦に対応し得る技術と戦術、戦略を探究しているので、鉄砲を使うこともまったく躊躇しないで考えますし、効率よく勝つことが目的であれば、「相手より遥かに戦力のある武器を使えばいい」と、極めて当たり前に思っています。

 そんな訳で、格闘技好きな人達が口にする「実戦的な組手やスパーリングをしなければ強くなれないぞ」という理屈にはいつも首を傾げてしまうのです。

 それは、そんな実戦論を口にする人達が、揃いも揃って素手で闘うことしか考えていない事実に唖然とするからなのです・・・。

 そもそも、日本の古武術流派には射撃(砲術)も含まれていた訳ですし、江戸時代には二十連発銃や空気銃、暗殺や護身用に作ったと思われる十手や脇差に偽装した仕込み銃も発明されていました。銃砲の製作に規制が無かったら、恐らく世界一の銃大国になった可能性もあります。

 アメリカの警察官の射撃訓練から発達したコンバット・シューティングは、その源流としてのウエスタンのクイック・ドロー(速撃ち;スピード・シューティングとも言う)を居合術に譬えれば、居合術と剣術と柔術を組み合わせたような拳銃を使う武術だと考えられます。

 ウエスタン・シューティングの第一人者として有名なセル・マーク・リード氏の抜き撃ちベストスコアは、0.069秒だとされ、抜き撃ちの音が一発しか聞こえなかったのに実際は二連射していたという話もあります。

 正に居合抜き名人(測定された居合抜きの最高スコアは0.2秒とされています)も真っ青になるようなとてつもない速さです。

 ルパンの相棒、次元大介がコンバットマグナムを抜き撃ちする速度が0.3秒ですから、その四倍以上速いということになります。事実は小説より奇なり・・・です。

 拳銃射撃は、そのくらい“武術”として進化しているのです。正に『リベリオン』や『ウルトラ・ヴァイオレット』に登場した射撃と武術が融合した“ガン・カタ”なんですよね。

 ちなみにガン・カタは映画のために創作されたものですが、その原型になった拳銃戦闘術は実際に存在していますし、弾丸が切れた時に拳銃に装着されたストライク用コンペンセイター(銃口に装着する部品にトゲを付けて打撃力を持たせたもの)やグリップ下に装着されたストライク用フック(鉤爪のような部品で急所に突き刺したり引っかけて用いる)を使って打撃武器として用いられるように改造されたガバメント・オート拳銃もあるのです。

 このような工夫は、銃の最大の欠点である「弾薬が切れたらどうするか?」という点を補う工夫として考案されたものですが、無論、古くからこういう工夫はされていました。

 ナックルダスターとナイフが装着された通称アパッチ・ピストルや、軍用ライフルに装着する銃剣(バヨネット)も、工夫されたのは少なくとも19世紀以前の結構古くからです。

 私が実際に見て触れたものとしては、琉球古武術の釵の原型と思われる中国の“鉄尺”の握りの中がガランドウになっていて、ここに黒色火薬と弾丸を詰めて、握りの外に小さい穴があり、ここに着火用の火繩を付けて撃てるようになっていたものがあります。

 西洋でも銃と剣が合体しているものは昔からあって、決闘の時の騙し討ち用に工夫されたようですし、ル・マットピストルというヨーロッパのリボルバー(回転式)は、通常の6連発にプラスして散弾をもう一発撃てる仕掛けがありました。

 日本の古銃にも、かなり凝った物もあって、銃身を束ねた連発銃は普通に骨董店で見かけますし、私が行きつけの横浜の刀屋さんには幕末に少数だけ製造されたという火繩を使わない雷管式の種ヶ島銃が飾ってありました。非常に珍しい代物で思っていたより安かったのですが、残念ながら部品が揃っていないので価値はかなり落ちてしまうらしく、購入は自粛しました・・・。



 話は変わります。ここ最近、最も注目していた格闘漫画『ホーリーランド』も終わってしまい、師範代から借りて全部読みましたが、ヤンキーの生態が描かれていて面白く読めました。

 個人的にはバキやバガボンドとかより好みですね。やっぱり等身大だからなのと、ちゃんと暴力をふるうことの後ろ暗さといったメンタルな部分をきちんと描いて、上っ面のカタルシスや底の浅い格闘ロマンにしていない点が私の琴線に共鳴したような印象を受けます。

 それに、この作者は、それぞれの武道や格闘技の良さと欠点を論じつつ、いずれにも敬意を払う姿勢に好感が持てましたし、“実戦”についての10代の葛藤をホロ苦く描き出していったところに共感を覚えました。

 私はヤンキーじゃなかったですけど、中学時代は正にあんな感じの環境に居たし、30代に入って本格的に武術指導をするようになってから、元ヤンキーだった人間数人とも手合わせしたりして教えるようになりました。

 元ヤンキーや元暴走族のヘッドだった・・・なんて変わり種もいましたが、彼らも一生、それを続けていけるものでないことは解っているし、本職(893さんのことね)になるより、きちんと光の当たる表の世界で生きていくために葛藤を抱えてさ迷う期間というのは必要なんだと思いますよ。

 私も含めて、武術に興味持つ人間というのも、心の中にいい知れない闇を抱えているのかも知れません。だから、スポーツとしての格闘技には、どうしても馴染めなかったんですよね。

 武道や格闘技よりも武術に関心を惹かれたのも、ストリートファイトの経験が多少あったことも関係していると思います。試合とは全然違うし、何というか度胸試しみたいなところもあります。ナイフ突き付けられてもビビらないとか、複数で来た時にどうする?とか、その場その場で頭をフル稼働して危機を回避することに悪知恵を働かせる・・・。

 面白いもので、武道やっている人に限って、そういう場合に最もやっちゃいけない対応をする人が多いんですよ。何か、凄く勘違いしているんですね。自分の強さを過信して相手を侮る人が凄く多いです。

 昔の武道の先生は、そういう態度が身の破滅に繋がるとして徹底して戒めていたものですが、現在では凄く甘く考える人が増えています。

 私が武器に拘るのも、武道や格闘技の経験の無い人間は、必ず得物を持ち出すことを体験的に知っているからです。

 何で持ち出すか? 自分の戦闘力に自信が無いから武器で補うことを考えるからです。

 で、自信のある人間は「そんなのは卑怯者、臆病者のやることだ!」と軽蔑しますけどね。ちょっとだけ考えてみてください。そもそも、自分の戦闘力に自信のある人間なんか千人に一人もいないでしょう?

 仮にいたとしても、まず間違いなく勘違いしているだけなんですよ。実戦経験が乏しいから予測できない。カッターナイフ持った小学生だって暴れ回っていたら素手で取り押さえるのは難しいですよ。

 だから、護身術を考えた時に、“対武器”ということを絶対に考えなければいけない。

 ナイフ、木刀、鉄パイプ、伸縮警棒、角材、金属バット、チェーン、模擬刀(ホントにいますよ。ただし亜鉛合金の鋳物の安いヤツだとすぐに曲がったり折れたりするから鉄パイプのほうが実戦向き)・・・それから、改造エアガンやボーガン、スリングショットは厄介ですね。

 やっぱり遠距離から飛んでくる武器は厄介です。

 こういう多様な武器に対して素手で対抗する術はない訳で、あるのはそれぞれの武器の長所と短所を知り、防ぐことです。

 そして、長所と短所を知る最も良い方法は、自分がそれらの武器の操作に熟練することです。

 お解りでしょうか? 現代で武器術を修行することの最も現実的な意味が、コレなんですよ。

 無論、これだけではありません。

 例えば、棒術を訓練すれば棒状の物を咄嗟に武器として使えるようになる。棒状の物は注意して周囲を見回すと意外とあるものですからね。

 学校にもサスマタを配備したりしていますが、棒術に熟練した人間と素人では雲泥の差が出ますからね。

 それに、短刀術を訓練していれば、家に押し入られた時に包丁一本で対抗できる。主婦向けに教えてみたいですね。片手に包丁、片手に防御用兼打撃用のフライパンでも持てば琉球古武術のローチンとティンベーみたいなものです。

 武器術を訓練することは、実は護身術としては非常に実用性があることなんです。護身用グッズだって、日頃から訓練していなければ実用は難しいでしょうし、「武器は素手の体術の効果を補うもの」と認識しておいたほうがいいでしょうね。

 それから、咄嗟に周囲にあるものを武器に転用する感性も磨かれる。実に、この周囲にある物を護身に利用することこそが、武器術修練の要点になる発想なのです。

 こういう諸々のところも含めて、10月の武器術セミナーではお教えしてみようと思っていますので、ドシドシ御参加ください。

 ちなみに、当日、木刀・杖・模擬刀を持っている方は持参ください(ちゃんとケースに入れてきてくださいね)。

 剣術・居合術・棒術や、今回はナイフ術とその対策も解説する予定でいますから、暗器や護身具の使い方も指導し、そこから逆に無刀捕りといった素手の体術への応用も考えます。


追伸;セミナー参加者の中で自分の学ぶ流儀の技を試してみたり、こちらの指示を無視する人がたまにいます。こういう行為は他の参加者の迷惑になりますから、今後は厳しく対処します。特に武器術の場合、自分勝手な行動は思わぬ怪我を招きますので、参加者には御協力と御理解を宜しくお願い致します。

追伸2;游心流の教材DVDが完成しました。非常に良い出来になったと思っています。御購入方法は游心流ホームページをご覧ください。(当面は初級・中級のセット販売のみとしバラ売りは致しません)
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追悼・緒形拳さんの殺陣

 急逝された緒形拳さんは、時代劇にもよく出られていて殺陣の上手い方でした。

 晩年は、『武士の一分』の主人公の剣の師匠役もされていましたが、バイオレンス・ファンタジー『IZO』で、主人公の前に現れる宮本武蔵を思わせる謎の剣客役も印象的でした。

 宮本武蔵と言えば、『魔界転生』ですが、あれも出演のオファーを断り続けていたものの、若山先生とバッタリ出会って、「お~い、緒形! 緒形は先生のことが好きか?」と聞かれ、「はい」と答えると、「今度、魔界転生って、しょ~もない映画に出るんだけど、緒形も出ろよ」と言われて、「はい、出ます」と答えてしまったと『時代劇マガジン』のインタビューで答えられていました。

 緒形拳は若山・勝兄弟と仲が良かったのだそうで、若山先生の『子連れ狼』シリーズも大好きなんだそうでした。

 TVの時代劇スペシャル『鼠小僧とイレズミ判官』で若山先生の鼠小僧次郎吉(ちょっと無理があるな~)と昔馴染みの遠山金四郎景元を演じ、クライマックスでは槍術を駆使してみせていました。

 そういえば、結果的に勝新太郎の遺作となってしまった『座頭市』にも、市に奇妙な友情と対抗心を燃やす浪人役で出ていて正統的居合斬りと柔術の投げ技を披露していましたが、最後は市に斬りつけた瞬間、あっさりと斬られて「抜いたのは・・・そっちが先だぜ」と言われてしまい、私は、市は果たして自分が斬った相手が、あの浪人だったと知っていたのだろうか?と、気になったものでした。

 緒形拳の時代劇作品では、高橋英樹が主演した幕末物の『狼よ落日を斬れ』では、薩摩の人斬りとして有名な中村半次郎(桐野利秋)を明るく演じていました。

 元々、新国劇出身ですから時代劇はお手の物だったでしょうし、私が初めて見たのは、NHK大河ドラマの藤原純友を演じられた時だったと覚えています。

 NHK大河では常連とも言える役者さんだったでしょうが、やはり必殺仕掛人の藤枝梅按を演じてから、凄みのある殺し屋のような役柄のイメージが強くなったような気がします。

 それが、『復讐するは我にあり』と『鬼畜』によって犯罪者的なイメージもつきます。

 完全な悪役というのはほとんど無かっただろうと思うんですが、私の思い出す限り、工藤栄一監督の『服部半蔵・影の軍団』では、伊賀の上服部と下服部の二人の半蔵を翻弄して上服部の半蔵(西郷輝彦)を倒してしまう不気味な忍者、甲賀白兵衛を演じ、全身に墨を塗って現れたりしていました。

 甲賀白兵衛を倒した下服部の半蔵(渡瀬恒彦)は、恋人になった白兵衛の娘も死んでしまい、飼い犬人生に嫌気がさして、白兵衛のように全身に墨を塗ってテロに走ります。一種の青春安保闘争時代劇?といった印象がありましたが、TV版とはまったく違う内容でした。

 ちなみに必殺シリーズのカラクリ人だったかな~? あの作品では妖怪と呼ばれた町奉行、鳥居耀三(岸田森)を鉄砲で狙うものの飛び立った鳩に当たって失敗。追い詰められて全身に黒色火薬を塗って火をつけて自殺する仕事人を演じていました。

 そんな緒形拳の主演作品となると、やはり『将軍家光の乱心・激突!』を挙げるべきでしょう。

 これは千葉ちゃんがアクション監督をつとめた時代活劇で、アクション映画としては悪い出来ではありませんでしたが、なんかストーリーに納得がいかなかったんですね。

 緒形拳率いる傭兵軍団は全滅してしまい、緒形拳も『明日に向かって撃て』のラストみたいに白黒のストップモーションに銃撃音が被さって終わるんですが・・・ストーリーはその後も続くんですね。

 あのテンポが蛇足に思える。むしろ、緒形拳が幼い若君と共に死んだと思わせておいて、ラストで城に二人でやってきて、家光が発狂して斬りかかるのを緒形拳がズバッと斬っちゃって、そんでもって、家臣が色めき立ってるところを若君が「ひかえろ! 余が四代将軍なるぞ」とか言って、皆、ハハァ~っとなっちゃうのなんかどうですか?

 20年くらい前の作品だから、緒形拳は50歳くらいだった筈で、千葉ちゃんとのアクションは大変だっただろうな~と思います。ちなみに、この作品には無名な頃の織田裕二も出てた。織田ちゃんは、『椿三十郎』で「時代劇は初めて」って言ってたけど嘘だよ。TV東の30分物時代劇でも主演してたんだもん。

 緒形拳の主演作では、TVのお正月の時代劇スペシャルでは藤沢周平の原作の元武士だった侠客を演じたのが良かったですね。タイトルは『夢追い坂の決闘』だったかな? 浅野君と南野陽子と平田満が共演してました。

 それから、石ノ森原作の刑事物の『お宮さん』も、最初は緒形拳が主演していて剣道が強いという設定で木刀でのアクションもありましたね。

 刑事物と言えば、工藤栄一監督の『野獣刑事』もありましたけど、TVの2時間サスペンス物の「名のない探偵シリーズ」も渋くてカッコ良かった。あれは元刑事の探偵という設定だったかな?

 でも、私が意外と印象に残っているのは、新刊本でも書いたように『GONIN2』の町工場の社長で元剣道日本一だった初老の男役で、ヤクザに殺された妻の仇を討つのに車の板バネを加工して日本刀作って、これでヤクザ供を斬り殺し続けて、主人公たち五人の女を助けて撃たれて死ぬんだけど、死ぬ間際に妻の死体の顔を見ると、男の目には妻が目を開いて自分を見ているように見える・・・あのホラーなんだけど何とも切ないシーンが凄く印象に残ってます。

 緒形拳さんが亡くなったのは、本当に残念ですね。まだまだ活躍できる年齢だったのに、肝臓ガンというのは怖いです。

 丁度、同じ時期に大麻栽培で捕まった俳優もいましたけど、同じ役者でも厳しく自分の芸を磨いて仕事に臨んで生きた人と、何となく役者になって芸を磨くこともせずに過ごしてきた者とでは大きな差ができるもんだと思いましたよ。
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新刊本、売り切れ店続出?

 9月末に出たばっかりの『もっと知りたい武術の極意』(アスペクト刊)なんですが、相模原近辺のいつも平積みされている書店を数件回ってみているんですが、橋本駅前ビルの書店に一冊あっただけで、他には見かけません。

 町田最大の書店というあおい書店も見てきたんですが、『あなたの知らない武術のヒミツ』と『そこが知りたい武術のシクミ』が並べてあるだけで新刊本は売り切れている様子でした。

 最初の本も売れ行きが早かったんですが、今回は異常ですね。この調子なら目下の目標の一万部超えも期待できるかもしれませんが、そのためには早く増刷してもらわないといけません。

 書店で見かけない方は、書店に「アスペクトの『もっと知りたい武術の極意』という本を入れてください」と頼んでみてくださいませ・・・。


 それはそれとして、いつも質問されるんですが、「甲野先生って、本当にそんなに弱いんですか?」ってことです。

 やっぱり、「TVにも沢山出ていて“現代の達人”として天下のNHKでも紹介されているから、そんなケンカ慣れした素人にすらボロ負けするような弱い人である筈がない」と思う人が大半であろうと思います。

 いや、私だって武術研究家と名乗って本出したり技教えたりしている人間ですから、そんないい加減な嘘を放言していたら仕事を失いかねませんよ。

 でも、こと、甲野善紀氏に限っては、自信をもって、「弱いっ! シャレにならないくらい目茶目茶弱いっ!」と断言できます。

 その根拠としては、私が数多くの武道関係者から見聞してきた“甲野先生惨敗話”が数十話(一つや二つだったら大抵の武道家には有るもんです)ありますし、そのうちの一つは、私がヤッたことですし、また、私の弟子数名がヤッたことでもありますから、間違いようのない事実そのものです。

 ヤッちゃった時は私も驚きましたけれど、私の弟子は驚くのを通り越して「長野先生は、本当にあんな弱い人に習っていたんですか?」と呆れられてしまったくらいです。

 真面目に武道をやってきている人が甲野氏に習いに行って、少し本気で技を掛けてみたら驚くべき脆弱さを露呈して、真っ白い灰のようになって俯いていた・・・という話が腐るほどあるのです。

 でも、そんな人物を今でも採り上げている武道雑誌もありますね。どうしてか?と疑問に思われるでしょう。

 そこが日本の武道・武術の世界のダメなところなんです。実力が皆無であっても、有名人で注目を浴びる人間であれば権威者として持ち上げる・・・嘘をついていてもそれには触れない・・・むしろ、批判する者の方をタブーを犯す無礼者扱いして問題児扱いする性根の腐った業界です。

 日本社会はこういう傾向がもともと強いですが、武道・武術の世界は特にそうです。

 だから、そういう“嘘ついても売れた者の勝ちだ”みたいな風潮なのを利用して、「いかに世間を欺いて売り出すか?」ということを考える人間が“勝ち組”と持て囃されてきたのが、日本の偽装社会の根底にあると思いますね。

 甲野氏はその最も象徴的な存在と言えるでしょう。

 けれども、別に甲野氏以前にもそういう人物は何人もいましたし、甲野氏以外にも今でも同様に売り出している人はいます。自分が売れれば武道・武術がどうねじ曲がって広まっても知らない、関係ないと思っているような阿呆が溢れ返っていますよ。

 だから、そんな権威主義者の本質を観抜けないで騙される方が悪いと言われてしまえば仕方がないんです。

 もっとも、武道・武術の専門誌が信頼に値しないとなれば、何を信じればいいのか?

「俺を信じろ!」と言ってみたいのは山々なんですが、私はそういうキャラじゃないから申しません。

 ただし、自分の判断力の基準線を作ってもらうための材料(情報)と道具(情報の正しさを確認するための実験と訓練法)は私が提供していこう・・・と、そう思ったのがビデオや本を出し始めた切っ掛けでした。

 だから、武術の研究家を名乗るようになった訳です。

 いやはや、嫌がらせは酷かったですよ。今でもあるけど、本当のことを書こうとしているだけなのに、何で、こんなに潰そうとするんでしょうね? そんなに嘘、偽物にしがみついて何の役にも立たない武術にしがみついていたいんでしょうか?

 そんな態度は結果的に自分をダメにしてしまうだけなのに、どうして真相から目をそらして甘い幻想に浸りたがるのでしょう? 私には理解不能です。武術は現実に立ち向かって切り開いていく力を養うために修行するものですよ。引きこもっていたらダメ!

 甲野氏は武術家としての技量は皆無に等しい。それが“事実”だから、私はそう書いているだけです。嫉妬にかられた誹謗中傷ではないんです。

 正直、嫉妬心も以前は少しはあったかも知れないけど、今は全然ないですよ。逆に哀れだとしか思わない。「そこまでして達人扱いされたいんだ?」って思うだけ・・・。

 また、「武術を学ぶ者は節度を弁えて・・・」と何百回も言われてきましたけど、私は自分の評判なんぞどうなろうが関係ない。事実を事実として広く知らしめるのが研究家としての天命だと思ってますからね。

 チンケな処世訓を押し付けられるのはお門違いですし、そもそも私は事なかれ主義の人間が吐き気を催すくらい大っ嫌いなので・・・。

 それから、「それじゃあ、宇城さんはどうなの?」「日野さんはどうなの?」「高岡さんはどう?」っていろいろと聞かれるんで、はっきり思っていることを書きます。

 宇城師範は空手家として極めて高いレベルに達しているとお見受けします。が、気の技とかに耽溺してしまっている今の状況を見れば、将来的にはカルト的組織になりかねず残念なことだと思っています。空手の世界のためにも初心に帰って欲しいですね。

 日野さんに関しては、才能も素質も甲野氏以上だと思いますし、研究家としては認めるべき点が少なくないと思います。が、武術家として特に高いレベルに達しているとは思いません。戸隠流の初見先生とは比べる器ではないと思います。そこは事実として、手合わせすれば判明するでしょう。ヘンに持ち上げるのは第二の甲野氏を生み出すだけで良くないと思います。

 高岡さんに関しては、「お金儲けが目的なんでしょうね」の一言以外に何の感想もありません。・・・って言うか、あの方は武道家なんですか?


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高小飛先生が太極拳の著書を発刊!

 私が親しくさせていただいている呉氏太極拳の高小飛先生から、御著書を贈っていただきました。

 呉氏太極拳の套路は元々、長くて八十三式あるそうですが、これを重複動作を簡略化して三十七式、さらに十六式にした普及用の套路も王培生老師(故人・高先生の師父です)が編纂されていました。

 しかし、太極拳を学ぶ人は圧倒的に年配の方が多いので、普及用として広まっている簡化二十四式でも覚えるのが大変だという声をよく聞きます。

 ですから、そういう要望の声に応える意味で、八式(八つの技)という手軽な套路を高先生は作られたようです。

 そして、今回の本は、その八式を写真解説で端的に解説した本です。解説と用法も写真で紹介されているので見やすくて良い構成です。

 この本は、御自身の『中国文武学院』での発行で、税込み1000円です。御興味のある方は、こちらへどうぞ・・・

中国文武学院 〒113-0033 東京都文京区本郷1-20-7 
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格闘技ブームの終焉は新しいムーブメントの始まり?

 格闘技をテーマにしたフジテレビのバラエティ番組『格闘SRS』が、ついに幕を閉じました。

 13年も続いていたそうで、隠れた長寿番組であると共に、田代まさしが司会をしていたことや、大槻ケンヂさんの名物コーナー「格闘ビデオ道」が楽しい番組でした。

 また、ファッション誌モデルから女優への登竜門的な側面もあって、藤原紀香、畑野浩子、長谷川京子らがこの番組のMCから飛躍していったことは有名です。そういえばゲストで矢田亜希子も出ていて「私はマニア受けするみたい」とか話していましたね。

 格闘技と美女というのはアメリカのマーシャルアーツ雑誌のノリですが、このベタな展開があったからこそ深夜枠での異例の長寿番組たりえたのではないでしょうか?

 思えば、同時期に始まったテレ東の『リングの魂』が消えて、現在はTBSの『格闘王』だけが格闘技バラエティ番組となった訳ですが、ここ最近、格闘技界が地盤沈下してきているとも言われており、SRSの終了はその象徴なのかという印象も拭えません。

 何よりも、金曜深夜の2:00過ぎに始まるというのは人間の生理的メカニズムからしても、最も視聴が困難な時間帯です。

 正直言って、新聞のテレビ欄をつぶさに観察していて、「あっ、SRSはまだ健在だったのか?」とすら思えてしまっていたのが偽らざる本音・・・という人も少なくないのではないでしょうか?

 実を申しまして、私も最終回前回の放送を久しぶりに見て最終回になることを知ったぐらいで、下手をすると終了したことも知らないままだったかもしれません。

 しかも、最終回当日は『ゴルゴ13』を見て書き物仕事をやっていて、ついうっかり見過ごして、「はっ、そういえば今日がSRSの最終回じゃないか?」と思い出してチャンネルを替えたのが終了5分前という体たらく・・・しまった! やっちまった・・・。

 これで水道橋博士の格闘技トークも聞けなくなるのか・・・グッスン・・・。


 あ~、でもね・・・予感はありましたよ。だって、K-1と極真のリポートしかしなくなっていった頃から、番組の混沌とした闇鍋的魅力が枯渇していった感じがしてました。

 やっぱり、マンネリは良くない。せめて大槻ケンヂさんの「格闘ビデオ道」だけでも月に一回はやって欲しかったですね~。何かトンチキな武術家?が色々出てきて面白かったのに・・・。

 ちょっと、打ち明け話もしますと、実は私もSRSの格闘ビデオ道で出演交渉を受けたことがあったんですよ。もう8~9年くらい前だったかな~?

 あのコーナーって、番組ADが面白そうなビデオを探して番組で紹介するかどうか会議にかけるらしいですね。それで私が作ったビデオに目をつけて連絡してこられたんです。

 当時はシャレでビデオ作っていたんで、お笑いにしてもらっても全然構わなかったですから、私は快くOKして、ADの方が渕野辺駅まで来てくれて打ち合わせしたんです。

 でも、その後、会議でOKが出なかったそうで、ADの方はわざわざお詫びに再度、渕野辺まで来られたんですよ。

 その後、その方はADの仕事そのものを辞めたということと、個人的に私のファンとして応援しているというメッセージをくださいました。真面目な方だったのでTVの作り方には疑問を持ったみたいですね。今はどんな仕事をされているのかな~?と思いますが、元気にやっている姿をまた見せて欲しいと思っています。

 私がマスメディアに出たのは、芸術劇場でダンス白州2005が紹介された時と、TBSラジオの小堺さんの番組の体験レポート・コーナーに出た二回だけです。

 後は、「真剣白刃取りやってください」という深夜枠らしきバラエティのTV番組のADの人からの出演依頼があったのを“これは出るとヤバイかも?”ってとっさに思って「そういうのは殺陣師の先生がいいですよ」と断ったのと、NHKの子供向け教育番組の制作準備の相談にディレクターの方が訪ねてこられたこともありました。

 バラエティ番組はともかく、NHKの方は非常に熱心で真面目に良い番組を作ろうという情熱がうかがえる方でした。が、甲野氏の後釜的な人を探しているみたいな印象を個人的に受けたので、知ってる先生を数人推薦しただけでした。私は甲野氏とは別の道を歩きたいし武術そのものを評価して欲しいですからね。

 有名になって金が入ったって、そんなのは空しいですよ。修行者としては武術をトコトンまで究めていきたいし、あんな最低の実力なのを隠して“現代の達人”と無知な人達から称賛されて喜ぶ甲野氏みたいな破廉恥な人間になるなんて“史上最低の三文芝居”ですよ。

 私は本物の達人になれるんだったら、ホームレスで一生終えても全然後悔しませんよ。


 TVや雑誌なんかもそうですが、よく登場する人はコネだったり、プロデューサーが個人的に心酔しているとか、弟子だとか・・・そういう裏事情があったりするものです。

 実力があれば採り上げられると思うのは素人だけで、実際は全然違うんですよ。第一、武道の実力者ってマスコミ嫌いの人が多いので、中々、出てくれません。

 私も、「着物とか着て、もっと武道家っぽくした方がマスコミ受けしますよ」と言われたことがありましたが、着物は道着しか持ってないし、他人に認められたいがためにそういう不自然な格好して歩くのは馬鹿らしいでしょ? 第一、武道家じゃないし・・・。

 私は「武術をやっているように見えないようにしなさい」と教わってきたから、いかにもな格好している人は馬鹿に見えちゃうんですよ。

 あっ、そうだ・・・今、気づきましたけど、私が今ひとつ格闘技に乗れなかったのは、やっぱり見世物として客の前で闘って見せるというのが、どうにも嫌なんですね。

 見るのは嫌いじゃないんですよ。この前のK-1だって楽しく見れました。

 でも、自分があの場に立ちたいとはまったく思わない。ああいう熱狂的な視線に晒されるのは恥ずかしくて溜まらない。いいとか悪いとか言ってるんじゃなくて、“俺はダメ”なんですよね。ああいうのは・・・。

 思えば、自主映画作ったり劇団で殺陣つけたりしている頃から、役者をやりたいとは一度も思ったことがありませんでした。自主映画とか寸劇で芝居やったことは何度かあるんですよ。でもね~、こっ恥ずかしくて、よ~やれんですわ。寸劇はコントだったから平気だったけど・・・。

 だけど、役者とか舞踊家とか、ああいう人達には憧れますよ。ああいうのは神が与えた才能だと思うね。田中泯さんは日本一カッコイイと思うし、この前のアクション・イベントで見た秋本つばささんは世界で活躍するアクション女優の資質を備えた人なんだと再認識しました。私はそういう才能や素質は完璧に0です。人からジロジロ見られるのはいたたまれないですよ。中身を評価して欲しい。だから物書きの方が性に合ってますよ。


 また、脱線しちゃったけど、格闘技も才能のある選ばれた者同士が闘う神聖なスポーツというか儀式みたいなものですよね。あれは普通の凡人にはできないんですよ。

 でもね~、武術だったら誰でもできる。人と比べる訳じゃないから、自分に適したものをやればいい。殴るのが好きなら拳法や空手、剣が好きなら剣術や居合術、力に頼らない護身術を目指すなら太極拳や合気道・・・選択の幅が広いから好きなもの、自分に適したものを選べる。

 見て憧れるのでなく自分で練習して楽しみながら深めていける・・・。

 大槻ケンヂさんは山田編集長から誘われて格闘技の練習もしたけれど試合に負けて今はやっていない・・・みたいなことを著書に書かれていましたが、格闘技は向き不向きがあるから、向いてない人はどんなに努力しても無理がありますよ。

 どうしてか?っていうと競技スポーツだから。

 皆、どうした訳か忘れているみたいなんですけど、スポーツでトップに行ける人というのは選ばれた素質と才能の持ち主で、しかもトレーナーに恵まれて努力ができる環境にいられる人なんですよ。

 素人が少しばかり練習しても素人に毛の生えた程度にしかなれません。なら、徹底的に努力すればトップに近づけるのか? これは素質と才能がものを言いますよ。

 繰り返しますがスポーツは向き不向きが如実に反映するんです。しかもトップを守れる期間はそんなに長くない。格闘技なら、なおさらです。蓄積されたダメージが長期間に渡って気づかないうちに肉体を侵食していく事実を認識しなきゃいけない。

 人と競うストレスは、このように心身に気づかないうちにダメージを積み重ねていくものなんです。だから、護身術の上策としての健身術を伝承する武術は、基本的に他人と腕前を競うことをしなかった訳です。

 競うことが好きな人というのは自分の素質と才能に自信があって、それを試したい気持ちが強いからなんでしょうね。だから、「闘ってみなければ判らない」と言うんですが、何で他人を傷つけてまで自分の強さを確認したいのか? 常識的には社会人として壊れている人間の発想なんですよ。よって、私は若くてデカイことほざく格闘技選手は嫌い。経験を積み重ねて人間的にも成熟しないと応援する気にはなれないですね。

 そういう意味では柔道の石井選手も今の状態はあまり評価できませんね。メディアに媚びることを覚えてしまったから、知らない間に慢心が芽生えてきている感じがします。

 一回、ボロボロに負けた方が彼の成長にはプラスでしょう。ゴン格で山口香がそういう意味のことを辛辣に評していましたが、彼女はかつて“女三四郎”と呼ばれた女子柔道のAでしたからね。厳しいことを言う資格がありますし、非常に的確だったと思います。

 柔道は武術じゃないんだから、術だけではダメです。勝負論と日常の修行論は分けて考えなくてはなりません。柔道家として自覚の欠けた言動は周囲に悪い影響を及ぼすものだということを石井選手はもう少し理解できなければいけないでしょうね(私が言っても説得力は無いけどね~)。

 格闘技ブームの沈静化は、熱に浮かされた状態から、この辺りの当然の常識を弁える人達が増えてきた証明なのかもしれないな~と思うのは、穿ち過ぎでしょうか?

 我田引水でしかありませんが、これからは争いを避ける武術の価値が見直されて愛好家や探求者が増えていくと思うんですよ。私が、そのための水先案内人としてガイド役を果たすことができれば本望ですね。


追伸;先月のセミナーで山口県から来てくれた方からお土産にお菓子を貰っていたんですけど、これが非常に美味しかったです。本当にありがとうございました! それから、会員のOさんが婚約が決まったそうで、久しぶりに顔を出してくれました。おめでとうございます! 何か、久しぶりの会員さんが来てくれて近況を報告してくれると嬉しいですよね~。何年も来ていない会員さんも、遠慮しないでたまには来てくださいねっ。
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ぷちサイコな人々が増えているのかな~?

・・・って、つくづく思いますね。

 いや、あのビデオ店放火殺人事件の犯人の“顔”ですよ。

 アレは脳の状態がおかしい顔ですよ。目の焦点が合わずにボーッと見開いて、口も半開き・・・離婚してどうのこうのって生活環境についてニュースで聞いても別に同情はしないんですけど、な~んか、最近の事件は“ぷちサイコ”な人間が起こしている理由無き殺人事件が多過ぎる気がして気持ちが悪いんですね。

 普通、殺人事件って、個人に対する怨恨とか金銭が目的とかってものなのに、通り魔にしろ今回の放火殺人にしろ、「人生が嫌になったから」みたいな理由にならない甘えた理由ばっかりじゃないですか?

 そんな甘えた理由で人が殺せるんだったら、私なんか5、6人くらいは日本刀でぶった斬ってますよ。

 結局、生きていくのに現実に最も大切なことって、“忍耐”ですよ。試行錯誤を繰り返して努力に努力を重ねて、失敗に失敗を積み重ねる人生を十年くらい我慢して、ちょびっと成功に繋がるかも?と思ったけど、まだ不十分で、さらに十年かけて、ようやく何とか軌道に乗る・・・そのくらいのもんですよ。

 楽して金儲けて誰もが自分に従う人生なんて、どこにも無いんですよ。

 この際ですから、はっきり明記しておきますが、「游心流を学べば楽して強くなれる」なんて考えて習いに来る人がいるんですけど、そんな訳ないでしょ?

 他所の団体と比べたら、技は比較的簡単にできるようになりますよ。理合も教えるから上達は早いですよ。

 でも、現実に戦う強さは全然、別なんです。真剣で斬りつけられても心が動揺しないくらい圧倒的な精神力にならなきゃ、本当に交叉法を使えるものじゃないんです。

 もう、死ぬの生きるのという意識から完全に超然としていなければ本当に先を取って制圧するなんてできっこないんです。

 だから、趣味として学んだところで何の技能も体得できはしませんよ。役にたたない珍しいパフォーマンスができるようになるだけ・・・それじゃ、甲野氏と五十歩百歩でしかない。

 私は、そんな低レベルな地点は目指していません。

 正しく学べば、武術について知れば知るほど、人間の弱さ、限界、儚さ、現実に戦うことの恐ろしさ・・・なんかが具体的に理解できてくるから、「強くなった」なんてノウテンキに考えられなくなりますよ。

 うちで自惚れて破門になった人達は、その恐ろしさを理解することから目を背けて自分の未熟さを認識しないまま思考停止してしまった人達です。つまり、現実逃避した。

 ただのマニアと修行者はまったく別ですよ。マニアは自分の世界に閉じこもって悦に入るだけ。修行者は修練したことで精神と知性が磨かれて実生活に活かせる人です。

 私はやっぱり、一修行者でありたいし、教える人にもそうなって欲しいんですよ。目先の強さ?しか見ようとしない礼儀知らずの武道バカや武術気違いは御免こうむります。

 大体、考えてみてください。武術の技を体得して何の役にたちますか?

 そりゃね~、ヤンキーからは尊敬されたりしましたよ。「ケンカ、汚ね~な~」って必ず言われるもん。それで「教えてくれっ」てなるけど、ヤンキーは続かないんですよ。忍耐力がからっきし無いから・・・。

 肝心なことを教えるまで続く人は非常に少ないし、大抵は物珍しい技が知りたいだけ。そこそこ満足したら来なくなったり、私が意外と昔気質な人間だもんで、興味がある技だけ教えてもらおうとしても断られるから離れる・・・とか、そういうパターンが腐るほどありましたよ。この十数年間で。

 やっぱり、根本的に考え違いしている人が多いと思うんですよ。

 何事も基本を体得してこそいろんな技能が効力を発揮するんであって、インスタントに習った技だけでは現実にはいかんともしがたいのが現実なんですよ。

 そういう意味では、強くなることが目的なら、格闘技の方が絶対に早く強くなれます。数カ月もジムに通えば、それなりの実力がついて、人によったら試合にも出れる。でも、その分、年とったら確実に衰える。

 武術で本当に強くなるには、やはり時間が必要です。年単位で・・・。数カ月じゃ全然無理ですよ。

 もちろん、それじゃあ現実的に困るから、即席で人を倒す技術もいろいろと工夫されている訳ですが、それは現代武道や格闘技では禁じ手だったり反則だったりするものです。

 その上、武器も使う。戦闘術として工夫されているんだから当たり前ですが。

 で、私が武術を長く研究してきて思うのは、具体的な技とか稽古法だのじゃなくて、この“発想”の豊かさが現実生活に役立つと思うんですよね。

 だって、他に使い道ないですよ。護身術だって、戦う時点で既に法的処罰を覚悟しなきゃならないんですからね。私自身、余裕で遊んであげられる相手と判断しなければ相手しませんからね。

 だからといって、身体の使い方がどうしたこうしたとかって方面には行きたくないですね~。そんなの武術であるべき必然性が全然ないでしょ? 単にブランド・イメージとして“武術”だの“古武術”だのって言ってるだけで実質的には丸で関係ない。

 護身術として使えない武術なんか、インチキとしか言えませんから、私は関与したくないんですよ。

 何で武術がスポーツの下請けに成り下がらなきゃならないのか? 先人に失礼ですよ。

 だから、現代で武術修行の積極的眼目として認められるものは、唯一、“忍耐力”を養成することくらいなんですよ。精神的鍛錬となるものでなければ現代で修行する意義が無くなってしまいますからね。

 これは護身術としても同様です。嫌がらせに屈さない心を支えるための「最終的に暴力をふるわれても制圧してみせる」という覚悟があれば、最後の最後まで我慢できます。

 実際に、これまで暴力で脅された時にも私が全然怯まないから相手がシューンとしたり逃げたりして事無きを得たことが何度もありました。だから、手を出す必要がなくなるんですよね。

 私はもともと臆病だから、暴力で脅されたら怖いですよ。でも、今はむしろ、先に手を出してくれたら合法的にぶちのめせるかな~?みたいな欲求が出てくるくらいだから、相手も「こいつは脅えてないな。何か様子が違うぞ」と不気味に感じて手だししなくなるんですよね。(わかんなくて出すヤツもいるけど)

“奥の手”って言いますけど、やっぱり、最後に頼るべき手段があると思うと気持ちに余裕ができますよ。武術はそういう奥の手であるべきで、表だって人にひけらかすものじゃないですよ。

 でもね~。正しく学べばそうなるものでも、現実には中途半端な現実逃避の遊び道具として武術をやりたがる人が多くて、そういう人は気質的に“ぷちサイコ”予備軍だったりするから、本当に困ったもんです。
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魔裟斗の熱戦は素晴らしかった!

 最近、K-1などの格闘技番組をほとんど見なくなり、結果だけ会員さん達から聞くようになっていたんですが、K-1ワールドMAXは久々に見ました。

 肘打ち無しのキックボクシングと思えば、私が小学生の頃に活躍していた“キックの鬼”こと沢村忠の“真空飛び膝蹴り”が懐かしく思い出されますし、そういえば、小学校の頃は友達とキックボクシング・ゴッコやっていたから、よくよく考えると格闘技に憧れたのはこの頃だったのかも知れませんね。

 何となく「キックボクシングのプロになりたい」と思ったことがあったような気もします。

 私の田舎の熊本は武道好きな県民性がありますからね。男は何か武道やってないとダメだというような雰囲気がちょびっとありましたよ。ケンカ弱いヤツは軽蔑されるとか。

 それにしても、久々に見たら面白かったですよ。

 高校生の試合もヒロヤが立派でしたね。すぐ勝っちゃったけど、負けた相手を称えて手を挙げてやろうとすると、相手も“そんなの滅相もありません”みたいに断ったりして、スゲ~礼儀正しいから感心しました。

 10代の頃は身体がまだ細くて成長途中という印象がありますね。でも、20代後半から30代に突入すると、突然、ピークを過ぎているように見えるから不思議です。

 肉体のピークって19~25くらいなのかも知れませんね。何て、短いんだろう?

 ところで、私は、武道でも格闘技の試合でも、勝った選手が負けた相手を見下すような露骨なガッツポーズ取ったりするのが嫌でね~。「相手してくださって有り難うございました」って気持ちが先に来ないとダメなんですよ。

 だから、はっきり言って魔裟斗はあんまり好きじゃなかったんですけどね。デカイこと言うから。

 でも、今回は本当に立派だったと思います。

 準決勝も決勝も、一度ダウンを奪われてから、諦めずに果敢に攻めていって本戦ドローに持ち込み、延長戦で判定勝ちしてのけたというのは物凄い精神力だと思います。

 判定に疑問持つ人は多いと思います。だってダウン奪われてるんだから・・・。

 だけどね・・・ダウン奪われてたら、大抵の人は弱腰になって打ち合いに行けなくなるんですよ。気持ちが萎えてしまうし、脳が揺れてたら身体を上手く制御できなくなる。

 脳が揺れてダウンすると、そのまま眠り込みたくなるくらい気持ちがいいもんなんですよ。「あ~、やられちゃった~。でも、もうこのまま負けてていいや~。また打ち合うのは辛いもん・・・」って気持ちになるんですよ。

 シャブ中の人が独力で抜けられないのは、気持ちいいから心身が依存してしまうんですよね。

 柔道でも絞め落とされるのが癖になる人がいるって聞きます。Mですね。

 魔裟斗が倒れた時も、そういう気持ちの戦いをしているのが表情に出てましたよ。だから、そこから立ち直って、尚も打ち合いに挑んでいった彼は、本当に凄いな~と私は思いました。

 小比類巻選手はダウンとられた時に明らかに諦めていました。あそこで立てなくとも立とうと必死で足掻くところを見たかった。それが無いなら引退も止むを得ないでしょう。

 魔裟斗は悪ぶって、そういう感情を顔に出さないようにしているけど、それだけ気持ちが強い証拠ですよ。やられたらやり返すという意志がある。

 決勝の時は魔裟斗の左足は動かなかったし、ローを無防備に受けてたし(膝受けできないくらいだったんでしょう)、追い突きするのにバランス崩してスリップダウンしていたから、あれでよく戦えたな~と私はハラハラしましたね。

 奥足のローだとモーションが大きいから躱されやすいし、前足を痛めていると軸足の返しができないから威力が落ちてしまう。前足のインローから奥足のローで相手を崩して連打に繋ぐことができれば十分KOできたろうに、それができない状態で立ち向かっていたと思います。ウィービングでギリギリで蹴りを躱したところなんか見てて冷や汗物でしたよ・・・。

 それだけ佐藤選手が強くて辛勝したということだし、決勝のシチェンコ?って選手も強かったですよね~。どっちの試合も、結果が逆でも誰も文句は言えなかったでしょう。

 根性だけで打ち合っていった魔裟斗が延長戦を制したのは、気力、執念の差だと思いますよ。本人がクールに決めたい人だから感情を出さないようにしているだけで、でも、やっぱり嬉しかったでしょうね。これまでのどんな試合よりも・・・。

 それに、優勝のマイクパフォーマンスで、「頑張り続ければ、結果がどうなろうがいいことあるから頑張れ」って言葉には、彼なりに時代の閉塞感に打ちのめされてる人達に対する激励のメッセージを込めたいと思ったんだろうな~と、私は魔裟斗のファンになりましたよ。

 まったく同感。頑張り続けた人間にはいつか御褒美が与えられるもんだと本当にそう思いますよ。


 何だかね~。ビデオ店の火事が実は人生に絶望したヤツの放火事件だったことが判って、またか?って感じなんですけど、負け犬根性のヤツは独りでどっか誰にも知られないようにして勝手に死にゃ~いいじゃん? どうして、他人を巻き添えにしようとするのか?

 本気で頑張ってる人は弱音吐かないし世の中や他人のせいにしたりしないですよ。

 やたら、自分の悲惨な境遇とか主張して同情を買おうとか自己弁護したがる人がいますけど、私は、こういう連中には吐き気を催しますよ。自分の人生は誰の責任でもない。自分のできることを目一杯頑張ってやっていれば、必ず成果は実るもんです。そうならないのは、自分の努力と周囲の人達への感謝が足りないだけなんですよ。

 自分のこと言いますけど、こんなゴク潰しの阿呆息子を親は最後まで見捨てなかったし、武道マスコミから危険人物扱いされてる私に仕事をくれた壮神社とクエストの社長さん、売れるかどうか判らない本を出して戴いたアスペクトさん、本やDVDを買ってくれてる皆さん・・・そんな人達がいなかったら、俺は絶対に生きていられなかったですよ。

 先日も不動産屋さんに家賃払いに行った時に本とDVDを「見てください」って渡したら、社長さんが凄く喜んでくれて、私がしょっちゅう滞納して迷惑かけまくってた頃から、ずっと大目に見てくれていた社長さんなんで、「あ~、長野君、頑張ってるんだね~」って言っていただきましたよ。

 辞めていった会員の中にも私の苦しい時を支えてくれた人間がいますもん。それは一生忘れずにいて、もしも彼らが大変なことになっていたら俺が助けなきゃいかんと思ってますよ。一時の憎しみなんか半年も経過すれば忘れるもんですよ。そんな“憎しみ”を生きる燃料にしても自分が腐るだけだよね。俺、趣味以外の物覚えスンゴイ悪いから、嫌がらせ受けても、どうでもよくなるもんね。

 あっ、それと誤解されると困るから甲野ちゃんのことですけどね。私は憎悪しているんじゃないですよ。哀しい人だな~と思ってて、等身大の本当の姿を晒して楽にしてやりたいだけです。「まあ、無理すんなよ、オッサン。世間は騙せても自分は騙せないよ」って肩たたいてやりたいね。

 だから、頑張り続けることの大切さを身をもって示してくれた魔裟斗に有り難うと言いたいですし、やっぱり、格闘技の醍醐味は「勇気をもって挑む」という姿を見せてくれるところ。結果なんか、どうでもいいんですよ。強いとか弱いとかどうでもいい。決死の思いで戦いを挑む姿勢を見せてくれる選手すべてに拍手を送りたいです・・・。

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『空手のタマゴ3黒帯への道』感想

 月刊空手道で連載していた漫画『空手のタマゴ』の第三弾が出ていたので、早速、買って読みました。

 ジークンドー、上地流空手道、白鶴門食鶴拳の三つを採り上げた内容で、結構、武術寄りの内容だったことで私も即買いした訳です。

 ジークンドーというのは、言わずと知れたブルース・リーが創始したJKDのことなんですね。漢字で書くと“截拳道”と書く。

 以前、レンタルビデオ店で“截拳道”というタイトルの中国のものと思しきDVDを借りて見たところ、これが全然、JKDとは似ても似つかない格闘術で、しかもヘナチョコだったもんですから、「何じゃ、こりゃあ~?」と唖然としたことがありました。

 考えてみたら、ブルース・リーがJKDを創始して教えていたのはアメリカであって、中国できちんと習って伝承している人がいるのはおかしいんですね。ブルース・リーの弟だって全然できないんだし・・・。

 まあ、せめて詠春拳やって「ブルース・リーと同じ葉問老師に習っていた」って言うんだったら許せるんですけど、こりゃあ、いくらパチモンでも中身が全然違うんだから論外でしたけどね。

 真相は判りませんが、私の聞くところでは、海外ではブルース・リーに習ったと自称して勝手に「これがジークンドーだ」と言って道場を開く人間が物凄く多かったらしくて、実質的に二代目を任されたダン・イノサント師父がブルース・リーのリンダ夫人の許可を得てJKDの資格認定を統括しているようです。

 それで、日本でもイノサント師父に学んだ人が数人はいるそうなんですが、私の聞く限りでは正式に認定されているのは中村頼永先生だけだそうです。

 実際に映像で見比べてみても中村先生が頭一つ抜けた実力だと個人的には思います。

 この『空手のタマゴ3黒帯への道』では某氏が採り上げられて監修されていますが、確かにイノサント師父に直接学ばれた方ではあるそうなんですが、果たしてJKDを名乗って教える許可があるのかな~?という疑問は拭えませんでした。

 また、ターキー木村、テッド・ウォン両氏のインタビュー記事(多分、フルコンタクトKARATEに掲載された記事と思われる)なども入っていましたが、関連性の無い記事を一つに纏めるのは配慮の欠けた処理だと言わざるを得ません。

 武術・武道の世界は人間関係が非常に複雑なので、同じ流儀の同門であるからといっても実際は犬猿の仲である場合も多々あって、編集サイドが考えもなく組み合わせて本にしてしまえば問題になる場合もあります。

 私も似たような失敗で謝りに行ったことあるので、「オイオイ、これってマズイだろ?」って思っちゃいましたよ。

 まあ、ジークンドーの技術自体は正式に学ばれた方らしい勉強になる内容でした。


 それから、上地流の先生は私の地元、相模原市の先生で、実は一度、お会いしたことあるんですが、ギロッとメンチ切られてコワイよ~と思って、「ここはアッシの方からご挨拶して・・・」と思って御挨拶しましたところ、ハッとした顔で「あっ、今日は・・・」と返してくださって、ホッとしましたね。

 ほら、アッシは見た目がからっきし武道家っぽくないんで、「インチキ臭いヤローだ」みたいに思われたかも知れませんからね。普通の人間ですよぉ~ってアピールしとかないといけません・・・。まっ、会ったと言っても、それだけなんですけどね。

 上地流はうちの理念とは真逆みたいですが、鍛えに鍛えた貫手と足先蹴りは刃のようですげぇな~って思います。ちょっと拳道会を思い出しますね。

 でも、下地派上地流ってなってたのは何か正統云々のトラブルがあって派を分けたんだろうな~?と、ここにも武術の正統継承問題を感じましたね。


 白鶴門食鶴拳も非常に面白かったんですが、これも『武術(ウーシュウ)』に掲載された記事を採録してあって、「これはマズイんじゃないの?」って思いましたよね。

 白鶴門の劉一門は秘伝について伝統的な考え方が強いと聞きますが、書籍が出た時に食鶴拳じゃなかったのが気になっていたんですよ。

 編集する側はそんなことは気にしないですが、一門の中では技を一つ公開するにも論争になるものです。

 例えば、外国のある一門の套路を本で公開したら破門にされちゃった・・・なんてことが何度もあります。

 私もいつも経験あることなんですが、取材した時の情報が本に載る頃にはガラッと状況が変わってしまっている・・・なんてことが、この業界では凄く多いんですよ。

 十年も二十年も前の雑誌に載せた記事を、中身を確かめないままムック本に載せてしまったりすれば、トラブルが起こらない道理がないんですよ。編集者が入れ替わってしまったから調べようがないのかも知れませんが、それならば過去の記事を流用すべきじゃない。

 何か、情報はタダだと思っている人がプロの中にすらいますけど、そんなことはないんですからね。

 さてさて、それから・・・この本は、「『月刊空手道』編集部 編」というのが太字で、その横に「まんが・坂丘のぼる」って細字で載っているんですが・・・ちゃ~んと坂丘さんに印税あるいは稿料は支払われるんでしょうか?

 な~んか、「雑誌掲載の時に原稿料払われてるから無しね」な~んて言われている様子が目に浮かぶのは私だけかな~?

 文字書くのと漫画描くのでは単純に労力だけ考えても数倍から十倍は違う筈で、例えば、原作者付きの漫画家の場合でも稿料や印税のパーセンテージは漫画家の方が多いものだそうです。

 そりゃ、そうだろ~と思いますよ。私、一冊分の原稿(400字詰め原稿用紙に換算して350~400枚くらい)書くのに頑張ったら正味二日で書けますけど、漫画の場合は、アイデアを思いついてからストーリーの構想を練ってネーム(設計図みたいな大まかな下描き)を描いて、編集者のOKが出てから仕上げ作業が終わるまで16ページの分量で二週間以上はかかるみたいです。

 だから、作品の出来を無視すれば、漫画描くのと小説書くのでは、小説の方が問題にならないくらい楽だと思います。漫画が小説より遥かに売れるというのも労力を考えたら当たり前の話でしょう。

 小説家が映画監督しても面白くならないけれど、漫画家が映画監督したら結構面白かったみたいな話も聞きますが、漫画を描く作業は映画のシナリオ、美術、小道具、大道具、撮影、キャスト、演出、殺陣、スタント、照明、衣装、振り付け、記録、編集など、ほとんどを一人(あるいはスタッフ数人)でこなすようなものなので、順応しやすいからだと思うんですよ。

 だから、漫画原作の映画は作者本人に助監督で本職を付けて撮ったらいいと思うんですけどね~。それなら『ドラゴンボール』も心配ないのに・・・。

 まあ、だから、私が言いたいのは、『空手のタマゴ』は坂丘さんの漫画力あってこその本なんだから、きちんとお金を渡してあげてねっ・・・ということが言いたかった訳。

 とにかく、何やかやと文句も書きましたが、この本はここ最近の武道本の中では一番面白かったです。坂丘さんの絵で『真説・芦原英幸伝』(監修は英典館長でね)とか格通とかゴン格で連載してアニメ化、映画化してくれないかな~?
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死んで花実も咲くことがある

「人間は、死んだらそれまで。死んで花実が咲くものか」って言葉がありますけれど、私はこれは一面的な考えだよな~と以前から思っていました。

 ブルース・リーは死んだ後から世界中に有名になりましたし、松田優作は死んでから20年近くになろうかというのに人気は衰えていません。

 ジェームス・ディーンや赤木圭一郎のように若くして死んで伝説となった俳優もいますし、黒沢明、勝新太郎、石原裕二郎のように生前から輝きを放っていた人もいます。

 芸術家や芸能人は死んだ後も作品と共に名前が残ることが多いですね。

 武術の世界も同じで、宮本武蔵を筆頭に、戦国時代からずっと続く武術の歴史上、数多の名人達人の名が伝えられ、昭和の頃の生ける伝説だった武術家も少なからずいました。

 武術というのもある種の作品ですよね。受け継がれていく技や理合が、それを工夫し編み出した人の存在を証明するものです。

 そう考えると、無形の財産を戴いている我々は本当に幸せだよな~と思うんですよ。あの拳聖と呼ばれた澤井健一先生や、中国武術最強と呼ばれる李書文先生、ゴッドハンド大山倍達先生、神人武道家と呼ばれた植芝盛平先生、今武蔵と呼ばれた鹿島神流の国井善弥先生、知る人ぞ知る伝説の名人桜公路一顱先生・・・無数の名人達人が工夫した技と理合の一端を学ばせて戴いたなんて、中学時代の自分が知ったらどう思ったでしょうか?

 人生は、どこでどうなるか? 先が判らないことを不安に思うより「だから面白い」と思ったほうがいいと思いますね。

「あの人がいてくれたから、今の自分がある」と思う人が、誰にでも一人や二人はいるんじゃないですか?

 でも、本当は無数の人のお陰で生きていけるのが人生ですよね。だから、「お陰様で」と言うんです・・・。


 今日(9月30日)、従兄弟の写真展の最終日だったので、橋本駅近くのコーヒー・ギャラリー“えみいる”さんに行ってきました。

 二回目だったか?のささやかな展示会でしたが、先客もおられて、私は記憶になかったんですが、一度お会いしていたらしく話しかけられていろいろお話しました。

 従兄弟の父(私の叔父に当たります)が相模原市の田名地区でユニークな活動をしていたので、地域の人達と交流が盛んで、その頃から仲良くされていたそうでした。

 叔父は十年以上前に亡くなってしまっていたんですが、今でも、こうして懐かしく親しく話してくださる人がいらっしゃるということが血縁者としても嬉しいものでした。

「歩き方とか雰囲気とか話し方まで岡崎さん(母方の姓が岡崎と言います)とそっくりですね。息子さんより似てますよ」と言われて、生前の叔父とはしょっちゅう喧嘩(口論だから勘違いしないでね?)ばっかりしていたから、昔だったら似てると言われても嬉しくなかったんですけど、今では何か嬉しく感じるようになりました。

 だって、死んで十年以上も経過していたら、大抵の人は忘れ去られてしまうんじゃないですかね?

 確かに私の叔父はユニークと言うのを通り越して変人扱いされるような異常に濃いキャラクターの人でした。リアル版“フーテンの寅さん”を想像してもらったら一番近いと思います。本当に冗談抜きであんな感じの人でした。

 一応、高校教師という職業は持っていましたが、地域の社会活動に熱心で座間キャンプとの縁を通じて英会話学校を始めたり、自分の主義主張をエッセイとして纏めたガリ板刷りの機関紙を出したり、地域の困っている人を助けようとしゃしゃり出ていったり、もう、訳の分からない世話焼きオヤジっぷりを一年365日、続けているような人でした。

 損得勘定の抜け落ちた、あまりの訳の分からなさ加減に、「あの人は政治家を目指しているのか?」とか「何かの宗教をやっているのか?」とか言われていたものでしたが、団塊の世代にはそういうタイプの人が結構いますから、その意味では別に珍しいこともなかったのかも知れません。

 けれども、そんなメチャメチャッぷりも今思えば愛嬌であり、珍獣を見ているみたいな可愛らしいところのある人でした。

 そういえば、叔父の依頼で高校の講演に甲野善紀大先生様を招いた時は、甲野大先生様が大魔神怒る?みたいに豹変して真剣を抜刀してスゲ~こと(詳細は省く!)になっちゃいましたけど、あの時も叔父は大先生様のことを心配してくれて自分が責任を引っ被ってくれていたんですけどね。

 あの時のことは叔父に本当に申し訳なかったですよ。あんなパープリンを紹介しちゃったばっかりに・・・。

 とにかく、叔父は、頼まれた訳でもないのに他人の世話をするのが好きで好きでたまらないみたいな人で、利害をちっとも考えずに突っ走るところがありましたから、周囲の人達は笑って見ていながら少々の困惑も交えて付き合っていたみたいですね。

 最初は私心があって、やっているんだろう?と思っていた周囲の人達も、叔父が本気で自分の思いだけでやっていることが解って手助けしてくれたりしていたみたいです。

 ところが、殺しても死にそうにないバイタリティーの固まりみたいな叔父が、風邪をこじらせて入院したと思ったら、あっさりと亡くなってしまったのです。

 本当に驚きました。残念だとか何だとか考える余裕もありませんでしたから。

 でも、私は叔父を頼って上京してきてから、何かにつけて叔父を精神的な支えにして頑張ってこれたような気がします。

 家族も親戚中の誰も認めてくれなかったのに、叔父だけが「アイツは絶対に凄い才能がある。今に必ず有名になって活躍する」と言い続けてくれていました。

 今になって思えば、もし、叔父がいなかったら、私はそもそも上京しようと思わず田舎でひっそりと普通に暮らして、近所から「長野さんは変わってるね~」と苦笑いして見られるようなボンクラな人生を歩んでいたように思えます。

 だから、たった一人だけでも認めてくれた叔父の言葉が私の精神的支柱となってくれていたんだと思いますよね。

 今でも、トラブルが起こる度に、「あ~、叔父さんが生きていてくれたらな~」と思いますよ。何か、徳川家光にとっての柳生但馬守宗矩みたいな存在ですかね~?

 あ~、だから、一回、甲野善紀大先生が自分の著書の中で高校の日本刀事件(詳細は省きます)の時のことを自分のお手柄話にすり替えて書いていたのを読んだ時は、本当に激怒しましたよ。叔父さんはもう死んでいたから何も反論できないし、アイツのせいでどれだけ片身の狭い思いをしたか?と考えると許せなかったですね。

 それで、一回、西武のコミュニティカレッジ乗り込みましたからね(詳細は省く)。

 でもま~、そんな訳で、死んだ後もいろんな人から慕われ続けている叔父は立派だったよな~と改めて思いましたよ。相模原の一部の人達の間だけの伝説だって、私は叔父を誇りに思っているし、あんなフェイク野郎と違って自分に嘘をつかなかったんだから立派ですよ。

 今度は私が従兄弟の心の支えになれるようにしなきゃいかんな~と思ってます。

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誰か道場を世話してくださぁ~いっ!

 ふぅ~・・・、私の住んでるマンションの1Fがテナント募集になっていたから、「よしっ、これはちょっと無理してでも借りて道場にするぞっ!」と燃えていたんですが、家賃を聞いたら、「え~っと・・・あそこは46畳くらいあるんで、月に35万、光熱費とか管理費を入れたら40万くらいになりますけど・・・」とのことで・・・。

 私、聞いた瞬間、アストラル体が抜けていくのを感じましたよ・・・。

 いんやぁ~、甘かった・・・月20万くらいまでなら、頑張って生徒集めたらできるぞっと思っていたんですが、予想上限の軽く二倍だったから、お手上げもいいところです。

 今年の冬も寒~い公園で鼻水垂らしながら練習すんのか~・・・。

 これを読んでる方で物好きなお金持ちの人がいたら、私に道場を世話してくださ~い!


 あ~、何か、勝手に色々考えていたから、一気にやる気が無くなってきたけど、まあ、こういうのも縁とタイミングだからな~。ベストセラー出して金がガバチョッと入るとかでもしないと道場作るのは無理なんだろうな~。

 まあ、一応、「子供向けには空手と合気道を合体させたクラスを作って、年より向けには太極拳をベースにした健康クラスを作って、マニア向けには居合術と手裏剣術をベースにしたクラスを作って、20~50代は游心流武術の普通のクラスを作って、選抜指導員養成クラスは整体活殺法と武術型(中国武術・空手・古武術等)の研究とエアガン・シューティングもやって、サンドバッグと木人を置いて防具付けてスパーもやって、たまに試し斬りもやって・・・それからそれから・・・」とか考えていたんですけどね~。

 うちの持ち味って、何でもやるってところと指導員が私一人と助手が二人くらいいればまかなえるってところですよね。その道の専門家雇う必要ないから。

 もっとも、実際に経営やり始めると管理が大変だろうし時間も取られてしまうから別の問題が色々と起こるかもしれない?とは思っていたんですけどね。

 取り敢えず、しょげてても仕方ないし、場所は無くてもシダックスの講座江古田ストアハウスの毎月のセミナーはやっているから、贅沢は言えませんね。

 とにかく金を稼ぐ方が先決だし、幸い、新刊本初級中級の教材用DVDが完成したばっかりだから、年内は欲出して道場運営まで手を出すなって天命と心得ておきましょう。

 でも、やっぱりいつでも使える道場が欲しいな~(次は年末ジャンボに賭けるか~?)。
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『柳生一族の陰謀』を見た!

 リメイクされた『柳生一族の陰謀』、見ました。

 かつて、時代劇が下火になっていた1970年代後半頃に、突如として時代劇ブームを呼んだ切っ掛けになった作品。それが『柳生一族の陰謀』でした。

 萬屋錦之介が東映チャンバラに復帰した記念作として、三船敏郎、松方弘樹、西郷輝彦、原田芳雄、丹波哲郎、夏八木勲、大原麗子といった主演クラスが揃ったオールスター・キャストの作品で、千葉真一とJAC(志穂美悦子と真田広之も出演)によるアクション時代劇路線を敷いた記念碑的な作品でした。

 その人気からTVドラマ化もされ、クエンティン・タランティーノなどの海外の映画人に影響を与えたことでも知られています。

 特に千葉ちゃんは、この作品で演じた柳生十兵衛を当たり役として、『柳生十兵衛あばれ旅』『柳生あばれ旅』『魔界転生』で演じ続けて、『影の軍団』の半蔵役と並んで、代名詞的なキャラクターとしました。

 そんな『柳生一族の陰謀』ですが、この作品は映画オリジナルだったので原作の小説などはありません。監督の深作欣次と脚本家数人でストーリーを作ったようです。

 そのために、いわゆる時代劇のセオリーを無視したような荒唐無稽な展開は、仁義なき戦いシリーズの深作監督らしい過激な内容で、それまでの時代劇のパターンをブチ壊すエネルギーに満ちていました。

 特にラストの萬屋錦之介のイッちゃった演技は名シーンとして語り継がれるものです。

 しかし、映画ファンの友人間でいつも話すのは、“この作品は展開に破綻が多くて演出上の不満が残る点も少なくない”ということです。

 例えば、敵役として登場する強敵、小笠原玄真斎(丹波哲郎)と烏丸少将文麿(成田三樹夫)が、実にアッサリと倒されてしまうところ。こういうところはエンターティンメントとして物足りないところであり、きちんと丁々発止の殺陣を見せてくれないのは時代劇として致命的に不満が残る点でした。

 そういう点を含めて、今回のTVスペシャル版によるリメイク作には、期待と不安が半々の気持ちでした。

 柳生十兵衛を演じるのは、宮本武蔵や坂本龍馬を演じたこともある上川隆也。柳生宗矩を演じるのは、オリジナルで顔にアザがあり吃音の陰気な徳川家光を演じた松方弘樹。

 私は、この二人は最適な配役だと思います。上川隆也は、殺陣がワイルドで表情の演技をつけるところが並の役者ではなく、宮本武蔵を演じた時が良かった。それにこの人は品があります。新しい十兵衛像を見せてくれるのではないかと思います。

 それから、松方さんの柳生宗矩。こちらも他の配役が考えられません。何しろ、あのヨロキンがイッちゃった目で大仰に演じたラストの“アレ”を演じてサマになるのは松方さん以外に一体、誰が演じられるでしょう?

 しかし、配役が良くても、超大作オールスター映画として作られた『柳生一族の陰謀』を、TVの時代劇スペシャル・ドラマという予算の枠が当たり前に予想できる中で、果たしてどこまでやれるのか? ガッカリさせられるくらいなら止めておいたほうが良かったのではないか?という気持ちも拭い切れません。

 だから、あまり期待しないようにして見ました。

 そして、やはり、それほどの見せ場もないままストーリーは割りと淡々と進んでいきました。新聞のTV欄の批評では殺陣のシーンであり得ない跳び方をしたりして白けるとか書いてあったんですが、この作品は破天荒な伝奇性に魅力がある訳ですから、このくらいのケレン味があった方が適切だと私は思いますね。

 特に上川十兵衛が強敵佐野文麿と戦うところは、公家なのに剣の達人という烏丸少将の怪人っぷりを表現するためにも、ワイヤーアクションは必要でしょう。

 ちなみに佐野史郎は現代劇のヘンな役のイメージが強いですが、映画デビュー作『夢見るように眠りたい』では劇中劇の快傑黒頭巾を演じていて殺陣も披露していますから、今回の烏丸少将役は案外にハマリ役でした。

 それに、よく見れば細部に拘って丁寧な作り方をしていて、決して手抜きは見られません。TVドラマという枠を考えれば、これは作り手の志しの高さが伺えます。

 後半に進むに従って、ドラマは熱を帯びてきます。首尾よく家光を将軍に据えて忠長を自刃に追い込んだ後、生き残っていた烏丸少将(佐野史郎がホホホ・・と笑いながら死ぬところが傑作です)と一騎打ちして打ち破った十兵衛が、陰謀発覚を隠蔽するために根来の里を壊滅させた父、宗矩の冷酷非情な仕打ちに激怒し復讐を誓った十兵衛が動き出すところの上川の演技が秀逸です。

 オリジナルで出雲の阿国を演じたのは大原麗子で、忠長との悲恋となっていましたが、TV版では多岐川裕美が千葉ちゃん十兵衛に惹かれているという設定でした。

 今回は、家光の狼藉を諌めて斬殺された家臣の娘で復讐を狙って十兵衛に近づいたという設定になっていましたが、内山理名の阿国は悲劇のヒロインとして十兵衛の怒りを着火する役目を努めて中々良い芝居でした。

 そして、家光を演じた高橋和也のデモーニッシュな芝居も凄い。この人、こんなに演技力があったんだ?と失礼ながら思いましたよ。忠長が名君の器なのに家光は完全な暗君なのも空しさ倍増で、十兵衛に首チョンパされても、ちっとも同情する気がおきなくて、よくぞここまで嫌な悪役っぷりを演じてくれましたって感じです。

 さて、問題のクライマックスです。ここはTVドラマの表現上、どこまで見せるのか?というのが難しいところです。

 家光の生首がゴロンと転がり、宗矩の腕が切られてボトリと落ちる・・・そこをどう処理するのかな?と思っていたんですが・・・なっ、なんと! そのマンマ、生首ゴロリン、腕、ボトリ・・・を、何のためらいもなく映してしまったのですから、驚きました。

 そして、松方さんの「夢じゃ夢じゃ~・・・」の長台詞独り芝居シーンは、丸で市川昆監督のようにカットバックで何度も繰り返す編集テクニックと組み合わさって、あの名シーンをきっちり再現してのけたのですから、大したものです。

 オリジナル版の十兵衛は千葉ちゃんが演じているからなのか? あまり葛藤は感じられませんでしたが、上川隆也の十兵衛は、最初はおぼっちゃま的な甘さが残るところから、片目を失い、弟と妹を失い、父親に裏切られて仲間を失って、密かに愛していた阿国まで失ってしまったことから、ソリッドに変貌していく過程がきちんと描かれていてヒーローとして魅力的です。

 オリジナルは破天荒な時代劇としての魅力に満ちていましたが、今回のリメイクは、ストーリーの軸として、人間としての柳生十兵衛が成長する過程を描いた点でオリジナルに感じた不満点を補ってくれていたように感じました。

 でも、それにしても、TVドラマで、あのクライマックス・シーンを逃げずに撮ったのは、本当に立派だと思いました。良識派を気取った視聴者から底の浅い非難が集まることは容易に想像できたでしょうからね~。

 ラスト、海岸を独り去っていく十兵衛の孤独な姿で終わるところもカッコイイ。ヒーローはこうでなくちゃいけません。テレ朝は、よくやりました。立派です!

 この調子で『魔界転生』と『柳生十兵衛死す』もドラマ化してくれないかな?
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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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