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『柳生一族の陰謀』に深作欣二監督が!

 深作欣二監督といえば、『仁義なき戦い』シリーズでよく知られる東映のアクション派映画の巨匠として有名な人でした。

 晩年は、『いつかギラギラする日』や、遺作となった『バトルロワイヤル』が話題になりましたが、その破天荒な生きざまはアウトローの雰囲気がありました。

 そんな深作監督も時代劇の傑作をいくつも撮っています。

 ある意味、真に正統派たる四谷怪談を描いた『忠臣蔵外伝 四谷怪談』や、TVスペシャルの『阿部一族』(傑作!)、主役の千葉ちゃん以上に若山先生が大チャンバラを披露して活躍した『魔界転生』、珍しく真田広之の仇役が拝める『必殺4 裏か表か』等々。

 ですが、深作監督の名を高めて時代劇復興のエポックとなったのが、『柳生一族の陰謀』でした。

 映画版のヒットを受けてTVシリーズ化もされ、千葉真一の柳生十兵衛を定着させた作品でしたが、このシリーズに、何と、深作監督自らが雇われ刺客の浪人者として登場し、千葉ちゃんと堂々と対決してやられる役柄を演じていて、ビックリ仰天しましたね。

 それがまた、不気味な浪人役がピッタリで雰囲気が出てるんですよ。

 映画監督が役者として特別出演するのって、アルフレッド・ヒッチコックやM・ナイト・シャマランが有名ですけど、『ミディアン』に出てたディビッド・クローネンバーグとか、殺人シーンの犯人の手だけ毎回自分で演じていたというダリオ・アルジェントとか、割りとホラーとかサスペンス系の監督は出たがり屋さんが多いみたいです。

 日本の映画監督だと、松田優作の唯一の監督作品『ア・ホーマンス』には、集団時代劇(『十三人の刺客』『十一人の侍』『大殺陣』)の確立者にしてTVの『傷だらけの天使』や『必殺』シリーズ等で“光と影の魔術師”と異名をとった工藤栄一監督が、ヤクザの親分役で友情出演していました。

 工藤監督は松田優作の異色のハードボイルド『ヨコハマBJブルース』を監督していて、その縁で『ア・ホーマンス』に出演したみたいですね。

 また、意外と役者としても出ている監督としては、孤高の奇才、鈴木清順監督も、『美少女仮面ポワトリン』の神様役でセミレギュラー出演したりしていましたが、確か『ウルトラマンティガ』では特撮の神様と呼ばれた円谷英二を演じていましたね。

 しかし、役者兼監督として最も有名な人といったら、それはもう世界の北野こと、北野たけしでしょう。元々、役者としての存在感が強かったものの、『その男、凶暴につき』が転機になったんじゃないでしょうか?

 あっ、そうそう。『バトルロワイヤル2』『スケバン刑事』を撮った深作Jr監督ですが、作風が父ちゃんに似ているような気がしますね。

 だいたい、親父が有名だと息子は比べられて不当な評価をされるものですが、客観的に観て深作健太監督の作品はエネルギッシュで私は好きですね~。

『XXエクスクロス』も面白かったですよ。映画というのはハッタリとパワーが必要だと思うし、ホラー、アクション、サスペンスにユーモアもあって、面白い。

 巨大なハサミで襲ってくるゴスロリ・ファッションの小沢真珠が最高ですね。狙われてる恋敵?の鈴木亜美が全然覚えがないというのも斬新です。もしかして、単に小沢が勘違いしているだけかも?という辺りの理不尽さといい、ブチ切れてチェーンソーで反撃する鈴木亜美というのもアニメ的で面白い。

 足刈り村という都市伝説風の味付けがどうでもよくなってしまったりするところも、むしろ爽快ですね。まるで、毒ガスが効かなかったストロンガーに、「何故だ? 何故、お前には効かないんだ」と愕然として問いかける怪人に、当のストロンガーが、「そんなこと俺が知るかぁっ!」と一喝して無理やり納得させてしまうみたい・・・。

 ちなみに、この作品、設定としては、菅原文太のデビュー作としてマニアに知られる大蔵映画の怪作『九十九本目の生娘』とかドルイド教を信じる島に紛れ込んだ主人公の恐怖を描く『ウィッカーマン』に影響受けてると思うんですけど、ペンションに泊まるところは『リング』みたいだし、巨大ハサミの殺人鬼は『口裂け女』と『バーニング』、チェンソーで戦うのは『悪魔のいけにえ』と、いろんな作品へのオマージュがうかがえます。

 このゴッタ煮感覚は、菊地秀行の作品にも通じるものがありますね。
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新刊本の購入について

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 新刊本の配本書店の通知を貰ったのですが、いつも武道系の本の品揃えの良い書店とかには配本されない様子ですから、出ても知らないままになってしまう可能性もあります。

 最近は、一週間書店に出しておいて売れなければ返本してそれっきりという場合が多くて、以前のようにずっと書店に置かれていることは少ないですから、書店に無ければ注文しなければ入手できない訳です。

 そこで、御希望の方はお手数ですが、最寄りの書店で注文していただけると確実に入手できると思いますので、宜しくお願い致します。

書名は、『武術と生きる日々』(文芸社) 著者名は長野峻也。書名と著者名、出版社名は必ず伝えてください。

 初版が約千部くらいで非常に少ないですから、予約注文していないと買えなくなる恐れがあります。

 通常、売り切れて重版がかかって再度の配本までは何週間もかかってしまいますから、予約注文されることをお薦めします。

 早く読みたい方は、アマゾンに注文されるのもいいと思います。

・・・って言うか、ぶっちゃけた話。サクサクッと売り切れて重版かかってくれないと次の本に繋げていけないから、“売れる”という実績に結び付けたいんですよ。本音は。

 もちろん、内容は自信あります。いや、自信があるというか、書きたいことを書いたのでかなり満足しているし、私のダメッぷりを笑って読んでくださいねって感じです。

 で、どんなこと書いてるか?っていうと、皆さんの知りたかった“あの人の話”とか、登場人物は多岐に渡っております。

 ただし、いわゆる暴露本じゃありませんよ。武術の世界の特殊な事情を知った上で修行したほうが得るものが大きいと思うからです。

 技術解説本ではありませんが、技術以上に大切な武術における心法について書いたつもりでいます。だから、いち早く読んでいただいた新体道の青木宏之先生には非常に誉めていただけました。

 やっぱり、技術だけではどうしようもないことがある。今の世界不況もそうですし、飯島愛さんのように病気に倒れてしまうこともある(心より御冥福をお祈り致します)。

 正直言って、人生、いつどうなるか?なんか誰にも解らないんだから、いつ、どうなっても後悔しないで済むように生きるべきだと思いますね。そういうことを書いた本だと思ってください。

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2008年ラスト稽古会

 2008年最後の稽古会は21日(日)にシダックスで行いましたけれど、急遽、キャンセルした人が二人いたので、いつものメンバーでやりました。

 いつものメンバーなので、基礎錬体と対錬ははしょって、いきなり実用的な技の使い方ばかりやりました。

 つまり、相手の構えを打ち崩しつつ、入身しながら突き蹴りをババババッと打ち込みながら、最後は止めの猛虎硬破山?(八極拳の絶招!)をする・・・みたいな。

 もっとも、これをやるためには打撃技の性質を完全に変えてしまわないといけません。

 ほとんど密着したところから破壊的に強烈な打撃力を出せなければいけませんし、しかも、単発でなくて次から次に相手に立ち直るヒマも与えずバルカン砲のような連発ができねばなりません。

 で、これをやるためには突いた腕、蹴った足を引き戻したらダメ! 絶対!

「突いた腕や蹴った足を引き戻すなって、そんなの無理だろ?」と思うでしょ?

 確かに、ムリです。従来の打撃技しか知らなければ・・・。

 でもね。うちはコレができなきゃ体術技法の戦闘理論全てが崩れて成立しなくなるんですよ。游心流の攻撃技のメインは“打撃”です。ただし、その打撃の方法論が異なる。即ち、“触れて打つ打撃”なんです。

 つまり、1,「重心移動の力を用いる」のと、2,「打撃ポイントを点(拳や肘)から線(前腕や臑)・面(肩や背中)へと移していく」のが秘訣で、これができれば、「投げながら打つ・受けながら打つ・固めながら打つ・・・」といった具合に、打・投・極の技法が互いに融合していって、臨機応変に自在に繰り出せるようになる訳です。

 例えば、今年は打撃技を中心に教えていったんですが、会員さんは、最近、ようやくモノにしてきた様子です。重心移動で打てれば、身体中のどこでも打てるし、それだけ身体が自在に使えるから、逆技・崩し技・投げ技も勝手に上達していくんですね。

 そうして研究していった結果、たとえば空手の型の何げない動作の中に合気技が隠れていたり点穴や発勁が含まれていることが解ってきたんですよ。

 いや、本当に空手は凄い! 正直、ここまで凄いとは・・・? 全国の空手を修行している方は誇りを持ってください。一生、追求できる内容が空手には有るんですよ! だから、基本技、型を捨てずにしっかり練り込んでいってください。中年過ぎてから、それが貴方の力になりますよ。

 また、最も前衛に進んだ空手、新体道を見直してみたら、これがまた物凄く研究されている事実が解ってきて、やっぱり青木宏之先生は凄い人だな~と思いましたよ。天真五相なんて昔の武術家が夢の中で神様に授けられた・・・なんて話を思い出すくらい奇跡的な型です。

 新規会員に新体道経験者がいるんですが、彼は自分がやっていない流儀(たとえば太気拳)の真似をしても抜群に上手いです。身体の練り具合が、ちょっと尋常じゃ~ありません。原理的なものを稽古したから流儀の別は関係なくなっているのかもしれませんね。

 ちょっと我流で癖があるけれど、それが抜ければぐぐっと良くなる筈ですし、他の会員さん達も刺激を受けて頑張って、相乗効果で皆、上達してきています。白蝋杆の棍も、全員、しなるように振れるようになったし・・・。

 野生動物にとっての戦いは生きるか死ぬかに直結します。人間は理性でそれを抑えることもできるけれど、これも理性の弱い人はできなくなる。だから、武術を学ぶということは超人的な自制心を養成していく覚悟がなくちゃ身の破滅になる。

 武道や格闘技の好きな人間は、単に上っ面の強さを興味本位に求めているだけの脳足りんが結構います。自分の我を強めるための道具として原始的な戦闘力を求める。実に理性も知性も乏しい頭脳の働きの愚鈍な人間です。

 結果的に、我を強めて忍耐を忘れた人間がどうなるか? 他人を暴力で威嚇するだけの阿呆になる。そんな阿呆には腐るほど会ってきたし、「強くなればそれだけでいい」と私に向かって平然と断言した者もいましたよ。

 下手に武術とかやれば、このような誇大妄想狂になりかねない面もあるんです。

 また、「武術は単に娯楽としてしか求められていない」と言う者もいました。

 学ぶ者の求める内容に合わせて武術の意義を歪めて教える馬鹿者には、相応の馬鹿しか追随しないでしょう。類は友を呼ぶのです。私は武術に娯楽しか求めていない人間に教えるつもりはありませんし、そんな不心得な人間を増殖させるくらいなら、誰にも教えないで独りだけでやりますよ。

 確かに技が上達するのは嬉しいし楽しいでしょう。それは解る。ですが、武術の技はスポーツのパフォーマンスが上がるのとはまったく別物です。

 それは、所詮、殺人の技能がアップするだけの話でしかなく、その“根源的な空しさ”を感じないとしたら人間として壊れていますよ。

“トリガーハッピー”という言葉をご存じですか? トリガーは“引き金”、ハッピーは“幸せ”ですね。

 これは、麻薬中毒患者みたいに銃を撃つことに酔い痴れるガンクレージーのことで、まっとうな射撃愛好家からは毛嫌いされているのです。

 武術を娯楽として単純に楽しめるとしたら、それは自覚のないまま頭が狂ってるということなんですよ。たまにいますよ、こういう人は。

 武を学ぶ人間が考えねばならないことは、「人を殺す技を学ぶのは何のためか?」という自分への問いかけです。武術が単なる軍事戦闘術から変質したのは、この問いかけに対する自然発生的倫理観と一つになった時でした。

 自分が殺されないため・自分の家族を殺されないため・自分の友人や仲間を殺されないため・・・。やがて、そこから“自分”というものの枠組みが無くなって、“人を助けるため”となった時、それは最終的には“汝の隣人を愛せ”であり、“敵を許せ”へと向かっていくべきものであり、武術に於ける目指すべき境地が“活人”となり万有愛護の精神となっていく・・・それが近代武道が目指したものだったのであれば、武道はどこで道を間違ったのか?

 だから、私は綺麗事の理想論、精神論を掲げるのは止めた。根源に逆上って武術を追体験していこうと考えた訳。が、それもある程度まで至ったと思っています。

 20代で頂点に至り、30代以降は緩やかに実力が衰えていき、40過ぎれば若く屈強な者には勝てない・・・そんな武道が先人の伝えたものなのか?

 私は武道の本質は、武術に残っていると信じたけれども、それは間違いではなかったと確信している次第で、今後はきちんとそれを伝えていきたい。

 遊び心というのは、心の余裕という意味であって、単なる娯楽を求める心ということではありません。真剣に考えつつ、その真剣さを客観的に笑い飛ばす心の余裕があって初めて、武術という“魔を飼い慣らす術”の修行から天に通じる道が見えてくる。

 それは私が出会ってきた何人かの尊敬し得る武術家から自然に想起されたことです。自分の力を誇って他者を見下すような人間は一流ではありません。禅では“魔境に陥る”といいますが、武術修行も技だけで済むものではなく、必然的に自分の心と向き合わなければならなくなります。単に身体を動かして気持ちいい・・・というレベルのものは修行ではないのです。

 武術を学んでいると、欲望(金銭欲・名誉欲・権力欲など)と対峙して呑み込まれてしまう人も少なくない。それは原始的な動物としての戦闘力の強さを得ることによる万能感や独善思考による視野狭搾のなせるハイな状態に過ぎないのですが、気持ち良さしか求めなければ、そこに留まって、現実的冷静な判断を放棄してしまうものです。

 つまり、自省心を失うのです。何もかも他人の責任にして自分の未熟さを顧みる冷静さを無くして傲岸不遜な精神に凝り固まってしまう・・・。

 まあ、結局、一言で“現実逃避”という言葉で足りる心の弱い人間の陥る罠ですが、裸の王様、井の中の蛙である現実が認識できない者は永遠に錯覚したままでしょう。

 武術の道場が“虚栄の花園”というカルトな場になるのが現代の風潮なので致し方ありませんが、私は、そんな「自分たちが楽しければそれだけでいい」・・・というようなフザケた場を提供するつもりは、これまでも、これからも、決してありません。

 これは武術に限った話ではなく、何かを学ぶということは、“自分を変える”ということです。楽しさだけ求めていても何も変わりません。勉強でもスポーツでも仕事でも、何事かを達成しようとするのは苦しいものです。本当の楽しさはそれを乗り越える過程にしかないのです。本気で追究するということは、そういうことであって、私は例外を知りません。

 武術修行が厳しい現実に立ち向かって強く生きていく忍耐力を養成するものでなければ、やる価値はない。個人の心身を鍛えて世の中に役立つ人材を育てるものでなければ、単に娯楽としてストレス解消しか求めないのでは意味がないし、恐らく、これからの厳しい時代にますます意義は認められなくなり見捨てられるだけでしょう。

 何故なら、生きることは忍耐力に支えられるからです。現実逃避の娯楽に金と時間を費やす余裕はなくなっていく筈。生きていく忍耐力を養成する“行”としての武術修行でなければ価値はなくなる・・・と、私は考えます。

 必死で生きる。真剣に生きる。ガムシャラに生きる。そのためにこそ武術を学ぶ意義がある。これは誤解して欲しくありません。


 話を戻して稽古会の指導・・・。

 打撃技はある程度の突き蹴りの加速空間を必要とする。ならば、密着すれば打撃技は出せない・・・これが寝技系格闘技の勝負理論。実に単純な話です。

 しかし、密着したまま打撃技が自在に打てたらどうなるか?

 中国拳法の寸勁・分勁・毫勁といった、ほとんど密着したところから打つ打撃技も、大抵は拳面に頼っていて、腕が曲がれば打てなくなる。

 多くの流儀では威力が出る腕の形、身勢の形、足の踏み方を事細かく論じるけれども、“形”で打つことを覚えると、形が取れなければ打てなくなるという弱点を晒してしまうものです。

 つまり、楷書・行書・草書の段階のうちの楷書だけを重要視して、形を崩して変化応用させる戦術的な技の用法を練習させないから、多くの伝統的な武術の技が実戦への応用が利かなくなってしまっている。

 では、「勁力の出し方そのものは何か?と考えれば、形に拘らずに原理的な身体の動かし方だけで実用に足りる」と考えた。

 そうして編み出したのが、腕・脚を脱力させておいて、ブルンッと瞬間的に震わせて重心を先端に流し込む(集中させる)練習法・・・。

 この練習法のアイデアは、六合大槍の勁力養成法であり、槍の代わりに腕・脚を用いるというもので、ちょうど、陳氏太極拳の纏絲勁のフィニッシュの動きと同じになる。

 ただし、理論的には鞭をしならせて先端がピシッと空気を切り裂くような音を発する様子をイメージして考案した練習法。

 これを最初は空手の正拳突き(音速拳?)に応用したところ、「腰に構えたところから途中の動作が消えて、いきなり拳が突き終わっているみたいに見える」と、長年空手を修行している会員さんの弁。

 でも、下手に真似すると肘が壊れそうになるので、注意して量より質で練習してもらうように指示。少し肘を曲げた状態でスピードを少しセーブして突くようにしてもらう。

 次に、本式のやり方をやらせる。

 これは、突きを避けられた時や差し手で遮られた時に、そこから裏拳・背掌・把子拳(掌打みたいに打つ)など、打撃の方向を変えてしまうことができるので、相手は非常に面食らう。

 鞭が巻き付くように、相手が構えた腕を巻き落とすこともできる。やってみせると身体ごと崩れてしまう。「重さが違うから払われただけで腰から崩れた」のだとか?

 でも、私ができるのは当たり前。会員に伝わらなければ意味がない。これは、去年やらせていたら、全然、体得できなかったであろう、かなり高度な技。もう、普通のパンチとは全然違うやり方。皆、ある程度できていたので、いよいよ使い方に入る・・・。

 相手の構えている手を上・下・左・右から叩いて、そのまま突き込む・・・。

 これは先の先で一方的に攻め崩す戦法。構え(門)を強制的に開いて一気に攻めるから、“開門式”とも言う招法(技の極め方)ですが、この要点は実は歩法で間合を詰めるやり方であり、游心流極意の型“蛟龍十八式”に繋がる導入部分となります。

 差し手の応用なんですが、差し手の攻撃的応用法として弾勁を用いるやり方です。

 この後は、掌から拳、肘、膝、脚からみ、肩当て・・・へと連結させていく猛虎硬破山の応用技法を指導しましたが、これはちょっとマジでやれば後頭部からゴーンと地面に叩きつけられて危険過ぎるので、スピードを落として技を分断しながら指導しました。


 これだけで今年の稽古は全て終わり・・・。この一年の会員の上達ぶりは満足いくものでした。が、まだまだ、この程度では終わらない。常に変化し続けて新しい技が日々生み出されていくようにしていきたい・・・。

 余談ですが、当会剣術師範代が某抜刀試斬の会の支部長に就任しました。支部長就任依頼の旨を私に相談されてこられたのですが、こういう名誉ある話は受けなければ大きな損です。縁あって信を得ての依頼なのですから、「それは是非、お受けするべき」と応えました。

 私が剣術の研究をここまで進められたのも彼のお陰ですし、きちんと礼をもって私にも断りを入れる人柄だからこそ、依頼されたのでしょう。縁は大切にしていっていただきたいと思っています。


 さて、来年2009年は、1月10日のシダックスが初練習で、翌日11日は2009年セミナーの初日です。ちょうど、『武術と生きる日々』(もう、予約注文もできる筈なので、宜しく!)の発刊も記念して、大盤振る舞いでやってみようと思っていますので、宜しくお願いします。
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 また、2009年の春頃には、私の故郷、天草市にて初のセミナーを開催する計画もたてています。九州にお住まいの方は是非、宜しくお願い致します。天草は観光に良いところですよ。日時等、詳細が決まりましたら、告知します。
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模擬刀の拵え

 私の住んでいる相模原市渕野辺は、駅の近くに桜美林大学と青山学院大学があるためか、居合道の部員と思しき居合刀の合成皮革ケースを担いだ若い男女をよく見かけます。

 で、自分がやっていると、やっているらしき他人も気になるもので、私なんか「ほほ~、居合やっているのか?」と思って、つい目が向くんですね。

 長く修行している人だと気さくに声をかけてこられる場合もあるんですが、若い人はまず声をかけてくることはないですね(私もそうですけどね)。

 でも、私くらいのオッサンが居合ケース担いでいると、ジロジロ見る人もいますから、いつもは釣道具のケースに入れています。それでも、たまに居合ケースに入れて担いでいると、電車の中でチラチラ見る若い人もいますね。

 大太刀をケースに入れていると、逆に誰も刀だとは思わないようですが・・・。

 やってる人でないと中に刀が入っているとは思わないでしょうけれど、模擬刀入れている人か真剣入れている人かは割りと判ってしまいますね。

 真剣は高いから学生とかはまず入れていません。それと、大体、刀袋に入れてからケースに入れている人が多いので、ケースの膨らみ具合が違いますし、真剣を使って居合をやる人の場合、居合道着などをバッグに入れて一緒に持ち歩く場合がほとんどです。

 それと、真剣を入れている人は何か態度が落ち着いています。

 普通、気になってオドオドしそうに思うでしょうが、それは初めて持ち歩いた時くらいで、稽古にしょっちゅう持ち歩くようになれば逆に落ち着きが出てきますよ。安心感とでもいいましょうかね?

 こういう、精神面に影響して態度に出るということは模擬刀の場合はほとんどありませんね。だって、武器として使えるものではありませんから・・・(木刀のほうがマシ)。

 古武術やっている人の中には真剣を刀袋に入れたまま持ち歩く人もいますが、これは周囲への無意識の示威行為という側面があるので、あんまり誉められたものじゃないと私は思っています。周囲を威圧するのは精神の欠陥を匂わせますから・・・。

 けれども、最近、確かに一種の武士道ブーム、日本刀ブームが出てきたような印象は受けますね。まだ、目立ったほどじゃありませんが、世の中の混迷の中で“頼るべきは自分”という認識が広がってきているんじゃないか?と、そう思えます。


 さて、模擬刀代わりに使うのに刃挽きにしていた真剣(クエストのDVD『武術秘伝の活用』の時に居合術の演武で私が使っていた刀で江戸時代初期の頃の無銘新刀)を研いで刃を付けてしまったので、稽古指導用に使う模擬刀の適当なものが無くなってしまいました。

 調子に乗って真剣ばかり揃えてしまったので、模擬刀の拵えを外して真剣を入れたりしていて、亜鉛合金の刀身だけはあるんですが、鞘がない。

 一応、真剣を入れている鞘に合う模擬刀を使ってはいたんですが、これが廉価版のために作りが粗雑で稽古に使うには強度的にも不安がありました。

 柄がプラスチックなのは良しとして、茎が中でガタつくし柄糸の巻きも甘い。この作りの粗雑さが問題です。

 ちなみに、私の持っている重ねの薄い軽い刀(多分、幕末の新々刀だと思われる無銘の刀)は、模擬刀の拵えをそのまま流用していますが、プラ柄をきっちり整形して合わせ、黒牛革の柄糸をしっかり巻いていますが、刀身が軽いこともあって、実用強度上は問題を感じません。

 実際、これで細竹を斬ったり、吊るした厚紙を抜き斬りにしたりする試し斬りも何回も試していますが、別に問題ありません。

 柄の材質がプラスチックのものは問題外で危険だと言う方もいらっしゃいますが、朴材の柄と強度を比べてみたんですけど、ガタつきがないようにしてしっかり巻けば朴の木で作ったのとそんなに変わらないように私は感じますね。

 確かにガタつきがあると割れるかもしれませんけど、木材よりは粘りもあるから割れやすいということもないし、きちんと整形して茎が収まるように削って接着し、柄糸をしっかり巻けば、それなりに充分、使えます。

 朴材の居合練習用の模擬刀の柄が練習中に折れたり割れたりしたのは目の前で見たことがあるので、私は真剣の拵えを自分で作る時は朴は使いません。居合用の柄木だと鮫革でくるむようになっておらず(飾りとして貼り付けてあるだけ)、粘りのない朴だと割れやすいのではないか?と思います。

 白鞘なら肉厚があるのでピンとこないかも知れませんが、通常の拵えにするとかなり薄く削り込まれるので朴だと保たないと思いますね。

 私がこれまで使った柄材は、最初がケヤキ(繊維の隙間が多いのが難点)、次に白樫(堅過ぎて加工し難く粘りも足りない)を使い、その後は桜を使うようになって、この桜が気に入って、以後は、毎度、桜材で作っています。

 樫ほどの堅さはありませんが、材質に粘りがあるのと樫に比べて加工しやすく、柄材としては適していると思います。

 中国武術で用いる棍や槍に用いる白蝋(柳科)も粘りがあって良いかもしれない・・・とも思っていますが、聞くところでは虫に食われやすいという話もあるのと、少し弾性があり過ぎるかも?と思って、まだ試してはいません。そもそも、適当な材木が日本では入手できないですし・・・。

 けれども、柄を本格的に作るのは結構苦労しますし、最低、柄用材木・薄刃のノコギリ・ノミ・ヤスリ・彫刻刀・紙ヤスリ・接着剤・鮫革・目貫・目釘用竹(竹刀用の竹がいい)・縁金具・柄糸が必要になります。

 製作用の工具類はともかく、鮫革や柄糸はちょっと手に入らないでしょう。鮫革は東急ハンズのレザー・コーナーで売っているエイの染めた革を私は使っていますが、柄糸は水道橋の尚武堂武道具店でしか売っていませんでした。普通の武道具店では入手できなかったのです。

 まあ、「柄を自作する人なんかいない」という前提で、一般向けには売らないんでしょうけどね。

 ですから、美術刀の部品を流用するというのは、そもそも、最初からそれなりの部品にできあがっているので、個別に部品を集めなくてもいいし、柄の太さなどを調整して削るとかする必要がなく、結果的に安上がりだったんですね。

 稽古用だし、何千~何万もかけて揃えるのも馬鹿らしい。それなら別に模擬刀買ったほうが結局は、安い。

 プラ柄も、茎との一体感だけ考えてエポキシパテとかで調整するだけで良いから、私は一概に否定はできません。素材も調理法によって化けたりするのと同じですよ。

 ただし、真剣を用いて本格的な畳表巻いたものの試し斬りに用いるのなら、柄は本格的にしっかり作ったほうがいいと思いますよ。

 柄木は丈夫な桜を用いて金属の板を挟み込むとか針金を巻いて補強するとかして鮫革を被せて柄糸をしっかり巻いて作るべきだと思います。

 この点に関しては、私は職人さんが作ったものであっても、ちょっと信頼して使う気持ちにはなれないですね。自分で作らないと安心できません。

 現代刀は美術品なので、見た目を重視して作るのが当然。誰も、実用の戦闘に使う刀の拵えを作ろうとは思っていないからです。

 以前、居合用模擬刀の柄が練習中に折れたのを見たことがあります。ただ、思いっきり振って止めただけ・・・。

 やっぱり刀を振る時に瞬間的に柄にかかる力というのは凄いもんですね。使い手が下手だといえばおしまいですが、でも、あれが実戦やってる最中に起こったら悲惨ですよ。

 どちらにしても、柄の中で茎が動かないように作るのが重要でしょう。柄材と茎がピタッと一体化するように作るのが最も重要なことです。

 真剣でやってはいけませんが、模擬刀だったら接着剤を流し込んで完全に固めてしまってもいいくらいだと思います。

 実際にものを斬ったり打ち合う時の衝撃は凄いものがある筈ですからね・・・。


 そんな訳で、稽古用に使う模擬刀を新たに買うお金もないので、久しぶりに模擬刀の改造をやってみました。

 ガタつきの原因を探るには柄を分解してみるしかありません。

 目釘を目釘抜きで押し出して、鐔に親指をかけてぐいっと引くと、わりとスンナリ、茎が抜けました。

 あ~、こりゃあひどい・・・。茎はバリだらけでメッキも膨れて剥げかかっています。

 元から緩かった柄糸も引き剥がすようにすると、ベリベリとボンドから剥がれます。いや~、これもひどい・・・。巻きが緩いのをごまかすのにボンドでベタベタに接着しています。適当過ぎますね~。仕事に愛が無いな~。

 龍の目貫も上下が逆だし、本来は二つ別のもので一対になっている筈なのに、同じものが対になっていたりして、実にぞんざいな作りです。

 まあ、武道具店で売ってる二万円以上のものと、土産物屋で売ってるような一万円以下~数千円で売られているようなものでは材質も仕上げも差があってあたりまえです。

 柄糸を剥がして、プラの柄を二つに分解すると、これもバリが残っていてガタつく筈ですよ。柄の内側の穴と茎が密着していないから、ガタガタしていた訳です。

 早速、彫刻刀でバリを削り取ります。

 刀身はメッキが剥がれかかっていてみっともないから、別の模擬刀の刀身を使うことにして試しに嵌めてみたら、目釘穴も何もかも全てピッタシ。美術模擬刀は規格が統一されているのかも知れませんね。刀身の長さ以外は結構同じみたいです。

 真剣だと、一振り一振り、全てハンドメイドなので微妙に違うものなんですけど、模擬刀は金型がある筈なんで、こうなるんでしょうね。ちなみに模擬刀は廉価のものは亜鉛合金の鋳物で、居合稽古用のものだと真鍮の合金の鋳物、どうしても型に流し込む時に空気が混ざって“す”と呼ばれる空気の穴みたいなものができてしまうので、砂型で成型して“す”ができないようにした高級居合用模擬刀も最近は作られています・・・。

 取り替えた刀身にはおしゃれな樋も入っていて、振ると風切り音が鳴る。樋が入ってなくても風切り音が鳴るように振れるものですが、相当なスピードが必要。強度が落ちると嫌がる人も多いですが、樋入りの刀は初心者が刃筋が通って振れているかどうかの確認にはいいのです。

 刃文も大乱れだし、少しばかり長寸(二尺四寸五分くらい)。武道具店の居合稽古用の模擬刀並に見えるから、こっちに決定!

 バリを取っただけで納まりはバッチリで、これはもう、このまま柄糸をしっかり巻けば完成するな?と思ったんですが、残念ながらハバキが薄くて真剣の鞘ではスカスカになって納まりが悪いんですね~。

 これはハバキに何か張り付けるか?とか対策を考えていたら、ふと、ハバキの底の穴に太い鏨とか突っ込んでハンマーでガンガン叩けば、ハバキの底が広がって納まりが良くなるのでは?と思いつき、明け方近くに、ついアイデアを実行してしまいました。

 すると、しばらくしてピンポーンとチャイムが・・・。

 しまった。近所迷惑で苦情が出てしまったかも・・・と思って、バックレて寝ました。

 皆さん。アパートやマンションで暮らしている方は御近所に迷惑にならないように充分、お気をつけくださいませ・・・。


 ハバキの納まり具合を調整し、後は柄糸を巻き直すだけ。ところが、ここで予期せぬ困った事態が発生!

 何と? 柄糸の長さが足りなくなってしまったのです・・・何で?

 柄の長さは変わらず、巻きもキツクしたから、普通だったら余る筈だと思ったんですが(実際、以前に巻き直した時は余った)、現実には逆に足りなくなっている・・・。

 何でかな~?と考えてみたんですが、恐らく、キツク巻き過ぎて引っ張られた糸の幅が狭くなり、その分、余計に巻いてしまって長さが足りなくなったものと思われます。

 この柄糸だって結構な値段がするんですよね。真剣用なら別に構わないけど、模擬刀のためにわざわざ買うのもバカらしい・・・。

 じゃあ、どうするか? しばらく考えて、柄の寸法を切り詰めて糸の長さに合わせることにしました。

 2cmくらい柄を薄刃のノコギリでジョリジョリと切断してみました。縁頭の金具の穴(柄糸がここに通る)用の切り込みもノコギリとヤスリと彫刻刀を使って成型。木材よりちと堅いけれど木目もなくて癖がないからプラ柄は、切ったり削ったりの加工が楽。

 これで柄糸を巻くと、今度はバッチリ、少し余る程度で巻き切りました。目測で適当にやった割りにはバッチリで、手慣れてくると職人の勘も働くもんですな~。

 柄巻きは、一番オーソドックスな諸手捻り巻きで仕上げましたよ。最近は、目貫のところだけ捻り巻きにして、その他の部分は捻らないで平巻きにするという変則的な巻きを工夫していたんですが、今回は“普通”にしました。

 出来上がった柄を握ってみると、エラク短くなったような気もしますが、実際の見た目はさほど変わりません。2cm短くなっただけで、こんなに感覚が変わるものか?と、ちょっとビックリしました。

 でも、バランス的にはこれくらいが丁度いいみたいです。美術模擬刀の柄は鑑賞用にやや長目になっているみたいなんですね。

 短くなった分だけプラ柄特有のシナリも少なくなった感じもするので、これはこれで実用上の貴重な研究になりそうです。

 しばらく、遊んでいると手に馴染んできて、何かいい感じです。もっとも、そうなると刀身がちょっと長過ぎるかな~?という気もしますが、最近、定寸よりちょっと短か目くらいが使いやすいように思えてきているからでしょうかね?

 このくらいの柄の長さだと二尺一寸くらいがいいかも知れません。伯耆流や関口流のような柔術と併伝されている居合術に使う肥後拵えのものにしてみるといいかもしれませんが、南蛮鉄で作ったという藤原綱廣の刀で作ってみようかな~?と思っています。

 あっ、ちなみに南蛮鉄について少し調べてみたんですが、インドの古代鉄にウーツ鋼というのがあって、これがダマスカス・ナイフなんかの古い時代の刀剣の材料になっているんだそうで、日本に最初に入ってきた南蛮の鉄というのもウーツ鋼だという話を聞いたんですけどね。

 現代のダマスカス・ナイフは模様のパターンを面白く作るために、スチールワイヤーを加熱鍛造したワイヤー・ダマスカスとか、性質の異なる鋼を積層してドリルやヤスリで表面に疵をつけて更に鍛造して作るラダーパターン・ダマスカスとか、種類の違う鋼の小片を積み重ねて鍛接するモザイク・ダマスカスとか、人為的に規則的なパターンが現れるように作られるのですが、日本刀の折り返し鍛錬の場合は不規則な積層模様が細かく現れる“結果的に出来た機能美”なんですね。

 ウーツ鋼については私は詳しく知らないんですが、「インドの古代の鉄柱が千年近く錆びないで立っている」みたいなムーみたいな話を思い出して、ちょっとワクワクしますけどね。

 先日、スウェーデン鋼で作った刀というものを青木先生に見せていただいた時、刀匠の方が竹とかを沢山斬っても斬れ味が悪くならなかったみたいにうかがいました。

 和鋼が特別に優れていると思いたいのが日本人としての情ですけれど、鉄というのはまだまだ奥深い元素なのかもな~?なんて思うと、研究者魂が慄えますね~。


 話は変わりますが、時代劇専門チャンネルで五社英雄監督、仲代達矢主演の『丹下左膳 剣風!百万両の壷』をやっていまして、私は五社監督のケレン味のある劇画タッチの時代劇が大好きなんで、喜々として見ました。

 この作品、ヨロキン主演の『丹下左膳 飛燕居合斬り』のリメイク作品なんですけど、正直いって、このTV時代劇版のほうが出来がいいと思うんですよ。

 何といっても松尾嘉代がメチャメチャ熱演していてカッチョイイ。オッパイ出して啖呵切るところとか『子連れ狼・三途の川の乳母車』の柳生鞘香、『闇の狩人』の原田芳雄を付け狙う女盗賊の時以上の大熱演です。

 それに、伝説の女優、夏目雅子が薄幸のヒロインを演じていたり、佐藤京一先生や夏八木勲先生の凄みのある敵役や、嘉代の子分役の桜きんぞうも演技達者ぶりを見せていて、非常に見ごたえがあります。

 それに丹下左膳が何故、片目片腕になったのか?というシーン(仲代先生を騙し打ちにするのはヤラレ役一筋でハリウッドデビューも果たした福本清三さん)を冒頭で見せて、元の名前が丹下左馬之介という名前だったことも判って、ハードボイルドな男の美学が漂う大傑作です。

 踊りながら攻撃してくるクノイチとか見てると、『忍者武芸帖・百地三太夫』でファイヤーダンスを踊る真田宏之とか、劇場版『服部半蔵・影の軍団』でアメフト・スタイルで戦う忍者軍団とかを思い出します。

 仲代さんは、決して殺陣が上手いという訳でもないんですが、あの独特なデェ~~~イみたいな大仰な刀捌きが何か好きで、特に『御用金』『雲霧仁左衛門』『闇の狩人』といった五社監督作品での殺陣がいいですね。『雲霧仁左衛門』での佐藤京一先生との田圃の中での決闘や、『闇の狩人』での千葉ちゃんとのラス立ちは特に印象的でした。

 五社監督といえばTV時代劇の伝説となった『三匹の侍』の産みの親として知られています。晩年は女性文芸大作の監督として世間的には認知されていましたが、やっぱりチャンバラ物がいいですね~。

 夏八木先生の映画デビュー作という『牙狼之介』では、佐藤京一先生演じる小猿を連れた唖の賞金稼ぎが原型になって、後に若山先生が主演してTVシリーズ化した『唖侍・鬼一法眼』になったそうです。

 続く、『牙狼之介・地獄斬り』では、狼之介が自分の父親そっくりの凄腕の浪人、西村晃と出会って宿命的な対決に到る過程が泣けます。

 西村晃さんは二代目黄門様を演じた人として広く知られるところですが、世界初?の人造人間“学天則”を発明した西村真琴博士の実子であり、『帝都物語』では実父である西村博士役を演じられていました。

 怪優としてのイメージもあった西村晃さんですけど、実は殺陣が上手いことでは定評があって、『十三人の刺客』『十一人の侍』での達人っぷりが有名ですが、TVシリーズ『子連れ狼』での柳生烈堂や、『宮本武蔵』や『柳生新陰流』での柳生石舟斎、国広富幸版『新吾十番勝負』での柳生如雲斎(兵庫介利厳の晩年)等々、妙に柳生と縁のある人でした。

 あっ、柳生といえば、東映チャンネルで『柳生武芸帳』のTVスペシャルを放送していましたね。

 こちらは主人公、十兵衛を松方弘樹が演じて、但馬守宗矩と仇役の山田浮月斎(疋田陰流)をヨロキンが演じるという凄い内容で、当時、結構インパクトありましたよ。

 この作品は松方さんのパパで殺陣の名手として数多のチャンバラ好きがナンバー1と評価する近衛十四郎の当たり役として有名で、特に原作(五味康祐)を離れて原作が紙屋五平という名前になったオリジナルの『十兵衛暗殺剣』が最高傑作とされています。

 大友柳太朗演じる幕屋大休は実在の剣客で、柳生石舟斎とライバル関係だった松田織部之助(松田派新陰流)のひ孫に当たります。彼は上泉の新陰流正統を名乗り、次々に柳生の門弟を倒していきますが、これが脇差一本の片手斬りで大刀を打ち折る秘剣の遣い手。十兵衛も悲鳴をあげて恐怖をあらわにする凄腕っぷりで、実際に古流居合術などをいろいろ習っていたという大友柳太朗のベスト悪役っぷりでした。

 ちなみに、ここで大友が遣った右手で脇差を持ち、左掌を敵にかざす構えは天真正伝香取神道流のお家芸である“笹隠れの構え”。NHK版『蝉しぐれ』の空鈍流(夕雲流二世の小出切一雲が晩年名乗った“片桐空鈍”の名を冠した流儀名)の極意“村雨”に流用されておりました・・・。

 だけど、不思議なことに誰もが近衛十四郎を評するばかりで大友のあの凄みのある剣捌きを評価しないのが不思議ですね~。近衛十四郎の殺陣の凄さなら、シリーズ中では『無頼の谷』と『片目の忍者』が凄いと思う。『十兵衛暗殺剣』では断然、大友が迫力があったと思うけど・・・。

 まあ、余談が過ぎましたけど、そんなパパの当たり役を演じたTV版柳生武芸帳の松方さんですが、天守閣の上での対決とか見せ場も多くて面白い作品でした。ヨロキンの浮月斎がまた不気味なんです。最初はヨロキンだと気づかなかったくらい。

 が、その当時、十兵衛のイメージは千葉真一という強烈なスリコミがあったので、松方さんの十兵衛にはちょっと違和感を感じたものでした。松方さんは現代任侠物のイメージが強いんですよね。だから、『密命~寒月霞斬り』の悪役っぷりは見事でしたよ。

 この作品もテレ東とかで上川隆也主演でやればいいんじゃないかな~?

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年内の定期稽古会予定

 年内の日曜日の定期稽古会は、公園では寒過ぎるので(私は寒いと膝関節炎が酷くなったり、すぐ風邪ひいたりするんです)、シダックス橋本駅前店で11月30日、12月14日、12月21日に午前11:00~午後1:00の二時間、練習します。

 会員で普段、来れない方も是非、おいでください(入会希望者もどうぞ)。

 丁度、12月は土曜日のシダックスの講座もお休みですから、講座の受講生の方も宜しかったら御参加ください。

 シダックスだと暖房付きで鏡張りですから、いつも公園ではできない居合術・剣術・杖術・ヌンチャクやトンファー・棍術(槍術)なんかもやってみようと思っております。

 その他、太極拳とかの套路も、少し特訓してみようか?と思っています。

 費用は一回につき場所代金(二時間で700円くらい)と指導料2000円です。一応、レンタルルームで借りてますのでカラオケもできますよ~(って、歌ってど~する?)。


追伸;12月7日のセミナーでは新刊本『武術と生きる日々』(文芸社刊)も販売予定です。シダックスでも販売しますので、宜しく!
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事務連絡

※ 事務連絡 ※

游心流武術健身法のホームページがリニューアルされました。

今までの(アスペクトの武術シリーズに記載されている)URLと変更されていますので、
宜しくお願い致します。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~yushinryu/



 2008年内の日曜日の定期稽古会は、シダックス橋本駅前店で11月30日、12月14日、12月21日に午前11:00~午後1:00の二時間、練習します。

 会員で普段、来れない方も是非、おいでください(入会希望者もどうぞ)。
 
 費用は一回につき場所代金(二時間で700円くらい)と指導料2000円です。一応、レンタルルームで借りてますので飲み物の持込等出来ませんので、ご注意ください。

当日、参加される場合は稽古開始までにメール(yusin_mail_from2006【アットマーク】yahoo.co.jp)でご連絡ください。

カラオケ同様、時間と人数を先に申告してから入室となりますので、参加・遅刻する場合は必ず、開始より前に早めにご連絡をお願い致します。
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世界不況恐るべし!

 いんや~、今年は割りと順調に大過なく進んできて、無事、文芸社さん初の本『武術と生きる日々』も何とか出せることとなり、ま~、「今年は頑張ったな~、オレ・・・」と思って安心して年末年始を迎える準備をしておりました・・・が・・・。

 無事、お金の心配もなくなったので、ちょっとばかし燃え尽きた感じで気持ちが緩んだからでしょうか? 体調がおかしいな~と思っていたら風邪ひいちゃいまして、原稿書きも中断してしまいました。

 咳が止まらなくて腹筋痛くなっちゃいましたよ。

 と、そこへもってきて、何と、すっかり当てにしていた印税の振り込みが、この世界的不況の煽りを受けて一カ月先になってしまう・・・という連絡があって、ショック、ショック、アイア~ンショ~ック!・・・てな感じで浜田光男な気分ですよ。

 いや~、こればっかりは自分じゃどうしようもないしね~。

 いやね~。印税入るのを当てにしてたから、こういう時こそ「太っ腹なオレを見ろ!」って思って、ちょこちょこ金使ってたんですよ~。

「ゴメンゴメン、返してくれる?」みたいになったら、まるで『殺人遊戯』のエンディングでキャバレーでホステスにチップ渡しまくってて支払いできなくなった松田優作みたいですよ。

 でも、考えてみると、私は年末って、毎年、こんな感じで金が無かったような気がするな~。ここ何年も年末年始は田舎には帰らないし・・・。

 で、出掛けると金無くなるから、閉じこもってTV観るというのが毎度のパターンで、何か、こういうところは江戸っ子みたいだよね~(宵越しの銭は持たない?)。

 それにしても、世界的不況だのリストラだの倒産だのって世間が大騒ぎしていても、私はいつものパターンで世間の基準からは外れて生きてきたから、ピンとこなかったんだけど、黒字なのに金が回らないという世間のシステムの連鎖不況っぷりはコワイですな~。

 円高でついに一ドルが80円代になった・・・なんて聞いても、別にもう驚かない。

 アメリカのパワーで押し切る競争型のやり方が通用しなくなってきたってことじゃないのか?と私なんかは思う訳です。

 でも、それじゃあ、共産主義がいいのかとなると、旧ソ連(スターリン)、北朝鮮(金正日)、中国(毛沢東)、カンボジア(ポル・ポト)のクメール・ルージュとか、虐殺を平然と行うリーダーに率いられるという共通項がありますからね。

 な~んか、みんな平等だとか言うのは胡散臭くって、「そんな訳ね~だろ」って言いたくなるんですけど、やっぱり、そんな訳ないんですよね。人間を働く機械としか認識しないようなパーフェクトな社会システムを優先しようとするみたいな『未来惑星ザルドス』の理想郷ボルテックスを思い出してしまうな~。

 あれも理想郷を成立させるために外部では暴力が渦巻いていたけど、やっぱり、どうしても歪みがでてきて、あんなことになるんじゃないのかな?

 だから、私は、口先でどんな高邁な理想を語ってみせたところで、現実にやっていることしか評価しませんから、むしろ、綺麗な話ばっかりする人は信用できません。

 大体、ご立派なこと言うヤツは実際には口ほどにもない。苦労してやってきた人間はでかいことは言わないですよ。

 やっぱり、世の中で苦労するのは必要だと思います。だから、安穏とし過ぎた現代人に対する今は試練の時期なんだと思いますよ。


 先日、青木先生の書の発表会に行った時、一家言ある会員から「先生は政治とかには興味ないみたいですね」と言われたので、「うん、俺は無政府主義に近いかもね」と答えました。

 人間は思想信条に奴隷化されたがる生き物ですよ。考え方を何か既成のイデオロギーや宗教やらに委ねたがるもんです。そうやっていれば自分の頭で考えなくて済むから楽なんですよ。思想家とか宗教家って、実は自分の頭で考えるのが苦手だったりして、話していて「意外と頭悪いな~? コイツ」とか思いますよ。ホント。

 今はどうなのか知りませんが、私の高校の頃には、就職の時の面接なんかで「どの政党を支持しますか?と聞かれた時は自民党と答えておけ」とか言われたものですけど、今はどうなんでしょうね?

 基本、政治家というのは権力志向が人一倍強い人間が選ぶものという認識があるので、反権力的な孤高のヒーローが大好きな私は、やっぱり、水戸黄門や暴れん坊将軍、戦国時代の天下盗り物語なんかよりも、権力に背を向けて剣一筋に生きるみたいな座頭市や子連れ狼、眠狂四郎なんかが好きですね~。


 無理やり話は変わりますけど、時代劇専門チャンネルで『乾いて候』を放送してたんですが、マサカズ様はカッチョエエですわ~。

 腕下主丞(かいなげもんど)という読みにくい名前と、腕力がないマサカズ様だからこそ編み出したような脱力して沈身を使って斬る独特な剣法。

 豪快な立ち回りもいいけど、テクニカルな技で斬るマサカズ剣法は、意外に武術の理合に則っていると見た!

 14日の『忠臣蔵 音無しの剣』では久々のマサカズ剣法が見られました。

 ワクワクして見ましたけど、クライマックスまで中々殺陣シーンが無くてね~。これも多分、時代劇のマサカズ様をよく知らない世代の人達向けに“大人の愛に生きるマサカズ様”っぷりをアピールしようとしたんだと思う。

 忠臣蔵という季節物の外伝としては『忠臣蔵外伝・四谷怪談』は面白かったけど、市川雷蔵の『薄桜記』と、そのリメイク版の松方弘樹の『秘剣破り』、さらにTV版で杉良太郎も演じましたけど、これって残酷時代劇みたいだからマサカズ様主演だと、ちょっとね~。無理でしょうな~。

 で、この『音無しの剣』ですが、殺陣のシーンに関しては予想以上に良かったです。マサカズ様が殺陣が相当上手いというのは知っていましたけど、いつもは演技過多で一歩間違うとクサくなってしまいそうなところもありました。

 でも、今回は無駄な動きを排除してソリッドな太刀捌きで剣の達人っぷりを見事に表現していました。やっぱり、刀の振り下ろされる軌道一つで、全然違いますからね。若手の俳優がヘニョ~ンと刀振ったりしてるのを見るとカックンとなるもん。

 そこいくと、マサカズ様の太刀捌きは刀の重さを見事に表現していて、あれなら試し斬りしても相当いけると思いましたよ。

 ちなみに若山先生はマサカズ様のファンで『パパはニュースキャスター』とか喜々として見ていたそうですが、当然、時代劇の立ち回りも見ていた筈だし、殺陣の下手な俳優は認めないでしょうからね~。

 しっかしまあ、剣の腕一つで権力に逆らって生きるというのはカッコイイですな~。

 何というか、私も武術一本で世の中どこまで渡っていけるのか?というのをこれからは実験精神でやってみたいと思いますね。

 やっぱり、好きだからなのかもしれないけれど、剣術は私に向いてるみたいな気がしますよ。刀持つと、何かこう、フツフツと、「やってやるぜっ」というような昂揚感が沸き上がってきますよ。丹田からエネルギーがサーッと剣尖に流れていくような、そんな独特な感覚があるんですよね~。不思議ですよね~。

 これって、新体道の青木先生と伊東不学先生から頂戴したDVDを見て、剣術を少し真似てみたら、いきなり、そんな感じになったんですよ。

 それまで剣と身体的に繋がるような感覚は無かったんですけどね。やっぱり、新体道はどこか普通の武道とは一線を画するところがあるように思いますね~。

 もしかすると、だから、初めて斬ったのに試し斬りがあんなにうまくいったのかもしれませんね。だって、斬る手ごたえが全然なくて、自分でアレッて感じましたもん。

 刀を使うという感覚じゃなくて、刀と一体化した感覚ができれば試し斬りは難しくはないんだと思いました。

 もしかすると、日本刀って、人間の根源的エネルギーを増幅する装置みたいなものなのかも知れませんね。単なる武器としての機能だけ求めたとは思えないんですよ。

 何か、今の世の中のドン変わりっぷりを見ていると、やっぱり、自分の人生は自分で守って生きていくしかなくなるんじゃないかな~?と、リアルに思えてくるんです。

 結局、つい最近まで勝ち組だの負け組だの言っていたのも、今じゃ誰もが一夜にして負け組になってしまいかねない浮世の現実を見せつけられてる訳でしょう?

 金さえあれば・・・って発想は捨てるべきかもしれない。だって、そんな考えからは、「金が無くなったら生きていけない」って結論しか出てこないでしょ?

 世界的不況の問題の根源は、安定した生活基盤が根底から揺るがされてしまう・・・という恐怖がメディアによって煽られていることだと思う。

 通り魔事件の犯人の中にも恐怖心からブチ切れた連中がいる訳で、それなら増えることはあっても減らないでしょう。

 背に腹は代えられないとなって犯罪に走る人も増えるでしょう。

 となると・・・「あ~、やっぱり私が活躍すべき時期だよな~」なんて考えざるを得なくなるんですよ。護身を真剣に考えなきゃならない時代になる。

 世の中がどうなろうが、それに合わせて自分までダメになる必要はない。逆に、どんな状況になっていても生き残る人はいるもんです。

 結局、不況だ不況だと言ってみても、それは社会のシステムに綻びが出てきただけの話です。建設的にシステムを組み直す作業を楽しめばいいんですよ。

 メディアの流す情報はそのまま鵜呑みにはできません。

 陰謀史観を安易に信じるものではありませんが、9.11を契機にしたイラク紛争にしろ胡散臭い背景を感じざるを得ないし、急激に勃発したような金融危機も何か怪しいですね。

 金融危機に関してはずっと前から予測できる筈なのに、何で避けられなかったか?というと意図的な計画の存在を疑わずにはおられません。

 だってね~。斯界の第一人者という触れ込みでメディアに登場する人が、実は・・・みたいなケースは物凄く多いでしょう?

 情報に踊らされないようにするのも護身のうちですよ。金がない・仕事がない・住むところがない・・・となったって、それだけで絶望するのは弱過ぎますよ。

 世界中にそんな人はゴマンといるんです。それでも必死に生きていますよ。生きるという前提を掲げて、「そのために必要なことをする」と考えていけば、道はいくらでもありますよ。

 ホームレスの漫画家や小説家、芸術家だっているし、性格俳優として有名だった天本英世さんなんかも家はなかったそうですよ。仕事依頼する時は彼が行きつけにしていたファミレスで張ってた・・・なんて話も聞いたことあります。

 つまり、生きていくのに方法は何だってあるってことです。それも犯罪おかさなくてもやれる方法がね・・・。

 これしかないという思い込みが人間の可能性を潰しているんじゃないですかね~?


追伸;先日のブログ中、“ゾルゲくん”と書いていたのは“ドルゲくん”の書き間違いでした。ゾルゲはスパイの名前で、ドルゲは『超人バロム1』に出てくる宇宙の悪の魔神の名前。ドルゲくんは、その悪の魔神と名前が同じだとしてイジメられたドイツ人少年だったとか? で、この番組から「この作品はフィクションであり、実在の人物とは何の関係もありません」というおなじみのテロップが流れる切っ掛けになったのだとか?です。
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稽古会日誌(12/14)

 今日(14日)は風邪も治らず朝から体調も悪くて、正直、稽古会にいくのが億劫。

 何日も風呂にも入ってなかったので髭も伸びてる。風呂に入ったら体熱上がって風邪のウイルスも殺せるかも?と思って、風呂に入ってみたら、咳が止まらなくなって困る。

「こりゃあ、師範代に指導は任せて休むかな~?」とも思ったけど、最近は才能のある新規の会員さんも交えてやる気が出てるからな~と怠惰な考えはふっ切る・・・。

 風呂から上がると身体が暖まった分、少しはマシになったので、出掛ける。

 朝から雨も降ってて嫌な感じですな~。冬の雨は寒いのを通り越して痛い感じがする。

 こんな日に公園でやるのは無理だから、シダックスが借りられて良かった・・・。

 この日は雨のせいか刀を忘れた人が多かったみたいなので、体術オンリーです。師範代に基礎錬体をやってもらって、対錬は初級と中級もやりました。

 私は動くと少し咳が出るので、ちょこちょこと直す程度にするつもりだったんだけど、やっぱり気が乗ると勝手に動いてしまいますね。

 以前は隠して教えなかったような危険なテクニックもバンバン教えてしまっているけど、こういう技は日本の武術ではほとんどやらないし、中国武術でも形としてしか教えないから具体的な使い方は知らない人が多いんですね。

 でも、ディスカバリー・チャンネルとかヒストリー・チャンネルの武術ドキュメンタリー見るとカリとかシラットでは普通にやってるから、あ~、東南アジアの武術は侮れないな~と思って、最近はバシバシ教えるようにした訳です。

 やっぱり、海外の発展した武術やっている人達と手合わせした時にやられちゃマズイでしょ? 知らない技には対処できないもんね・・・。

 差し手のやり方も表・裏から入る方法、構え手を崩しながら、そのまま打つ方法、接触と同時に崩しながら打拳・肘当て・倒れかかる相手の顔面を蹴り上げる方法・・・等々をやってみせました。

 また、推手から打拳、受け止められたらそのまま発勁・・・といった攻撃主体の推手のやり方なんかも指導しました。こういった技は太極拳ではあまりやりませんが、意拳や詠春拳には近いやり方があり、私はそれをさらに発展させて用いるようにしています。

 結局、意拳にしろ詠春拳にしろ、拳での打撃に拘っている点があって、もっと、貫手や掌打・裏拳・掴み手・肘打ち・前腕(内腕)での打ち等を使えば、技のパターンも格段に広がる訳ですから、そういう具合に改変していってみたんです。

 さらに言うなら、別に打撃技だけに拘らなくても、“崩し”を主眼にしていれば、相手の体勢によって打撃・投げ・逆固めなんかも変幻自在に出せると思って、そういう複合的な技法にしていった訳ですね。

 一瞬すれ違ったようにしか見えないのに何カ所も骨折して動けなくなってしまう・・・そういうのを私は目指しています。居合術で抜刀して納めるまでに何カ所も斬っているとか?

 そんなの無理だと思うでしょ? でも、無理じゃないと思うんですよ。相手が万全の体勢のところを攻めても無理だけど、相手の重心バランスが崩れてしまえば一方的に攻撃技をババババッと入れることは可能です。

 例えば、差し手で接触した瞬間に相手の重心が居着くか浮くかすれば、その体勢を立て直すのにどうしても時間を要するから、防御も攻撃もできなくなる。

 無論、0コンマ何秒の極めて短い時間ですよ。だけど、熟練した武術家ならば、それだけの時間があれば相手を殺すのに充分な筈です。差し手の重要性はこういうところにもある訳なんですよ。

 しかし、こういった技は基本から積み上げていかないと体得できないし、実際に使うには変化が複雑過ぎて形式で覚えるのは無理です。仮に手順を覚えても相手の体勢がほんの少しでも変化すればスムーズにかからなくなるからです。

 けれども、個別に分解していけば技の一つ一つは基本技でしかないのです。基本技の動きの中に応用変化できる要素が含まれていた。それを理解できれば技は千変万化していくという次第です。

 伝統空手・フルコン空手・古流柔術・中国武術・新体道なんかを学んでいた会員さん達にとっては、学んでいた技の秘密が解ける面白さがあるみたいでした。

“流派に優劣は無い”という私の主張が具体的に理解してもらえるのではないかと思います。

 ちなみに、師範代から「う~ん、やっぱり先生は身体の具合が悪い時のほうが動きがスムーズに流れてていいですね~」と言っていましたが、本当に合理的に動けば筋肉を無駄に使う必要はない筈なんですよ。

 こういう身体の状態で普通の武道や格闘技はまったくできないでしょうが、脱力して重心移動だけ意識して動くなら問題ない。むしろ、頑張らないからいい訳です。

 もっとも、今回はそれだけじゃなくて、実は、このところの青木先生とのお付き合いの中で、何となく「こ~なんじゃないかな?」と自分なりにピンとくるところがあったんですよ。

 だから、何とも表現できませんが、相手の動きが以前より確実に読めるようになった気がしますし、身体が勝手に相手の急所を探り出してピンポイントで攻めているみたいな感じがしています。

 要は、動きが滞って居着くのは、相手を的確にどう攻めていけばいいのか解らないからなんでしょう。今は身体が勝手に的確に判断して動いているから流れが途切れないまま動いていけているみたいに思えます。考えてないから凄くラクです。

 でも、これは教えるのは難しい。ちょっとでも戦闘意欲がわくと止まるから、長年、武道をやり込んだ人ほど難しいかも? こうなってくると身体の動きじゃなくて精神のコントロールのほうが関係してきますからね。


 ちなみに、結婚が決まった会員さんから披露宴に出席して欲しいと電話ありまして、感無量です。幸せな家庭をつくって欲しいですね。


追伸;これ書いている最中に新体道の青木先生からお電話があって、丁度、青木先生のことを書いていたから軽く驚きましたよ。先日、お訪ねした時にプレゼントさせていただいた香港海賊版?『斬虎屠龍剣3(子連れ狼・死に風に向かう乳母車)』が気に入っていただけたようで、若山先生の剣技の素晴らしさを堪能していただけたらしく、他の作品も観たくなって『子連れ狼DVD-BOX』も注文されたそうです。どうですか? 世界の青木も認めた若山先生の超絶居合を皆さんも是非、ご覧くだされたし・・・。

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『あずみ』の新展開を予想?

 上戸彩主演、北村龍平監督で映画化された『あずみ』は、私の時代劇映画批評中でも上位にランキングされる好きな作品です。

 金子修介監督の『あずみ2』は、ちょっと期待していたような出来ではありませんでしたが、是非、完結編パート3まで作ってもらいたいですね。

 というのも、長い連載もそろそろ終わりそうな感じになってきているからです。

 何と、早々に幕末編のあずみが告知されている?

・・・ってえことは、『あずみ』も、もうすぐ終わるってこと?・・・になりますよね。

 戦国末期から江戸初期にかけての物語で、美少女刺客あずみの成長を描くというのも、やはり、「あずみって、今は何歳なの?」って思うでしょ?

 外見変わらないのにアラフォーになってて、「お前は黒木瞳か、はたまた由美かおるか?」ってくらいになったりしてたらビックリだもんね~。おまけに処女だと「尼さんですか?」って感じだし・・・。

 幕末編は、当然、あずみの子孫の話になると思うんですけど、私の予想だと飛猿の子供を妊娠したところで天海に裏切られて飛猿が死んじゃって、あずみは天海を斬って、いずこともなく去っていく・・・ってな終わり方をすると思うんだけどさ~って、そのマンマだったらどうしようかな~?ってちょっと思うけどね。

 小山ゆうの気持ちになって予想すると、やっぱり、こういう終わり方だろうと思うんだよね~。彼は美男が嫌いだから、最後は飛猿とくっつけると思うんだよな~。

 で、最後は天海が実は明智光秀で、天下取りに家康を利用したとか毒々しい怨念の本音を吐きまくってメッチャ極悪人になる訳ですよ。あずみはショックを受けるけど飛猿が殺されて怒りの復讐を果たす・・・ってな訳ですな。


 以上は、あくまでも小山ゆうの気持ちになって考えた妥当な終わり方です。


 しか~し・・・、俺だったら、こうするね。

 戦場で絶体絶命に陥ったあずみの前に、突然、天空から光輝くウツボ船(タイムマシーン)が出現する。

 そして、あずみは実は歴史を修正するためにやってきた遠い未来人が土地の娘と契って生まれた子供で、DNAに歴史を修正するための行動をとるように組み込まれていた。

 彼女の異常な戦闘能力はそのせいだったのです。

 そして、あずみの父を名乗る未来人は、この時代でのあずみの果たす役割は終了したから、次の時代へ行くと告げて、あずみを連れ去る・・・。

 そして、幕末に到着したあずみは記憶を失い、また刺客稼業に精を出すのだった。

 そしてまた、現代でも、未来でも謎の美少女刺客が現れるのだった・・・ってのはどうよ?

 ちょっと永井豪か石川賢かって感じだけど、これなら、おろちか、はたまた、暗黒神話の竹内老人かって感じで面白いと思うけどね。
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殺人の容疑者の報道に思う

 幸満ちゃん殺害の報道を見ていると、奥歯にものが挟まったような印象が拭えません。

 養護学校の出身ということを一応は出していながら、容疑者の知能障害については触れない点に、差別的ニュアンスに誤解されるのを恐れるメディアの及び腰が透けて見えるからです。

 知能障害のある人間が犯罪を犯す率は結構高いのだそうで、社会に適応する力が足りないから犯罪に手を染めてしまう・・・というのも解らないことではありません。

 差別問題を扱う人達の話では、身体障害・知能障害・性別・人種の差別が四大問題であるように言っていましたが、もちろん、言葉狩りをすれば差別が無くなるというものでもありません。

 分裂病やら痴呆症、癩病、バカチョン・カメラ、登校拒否、部落民、水飲み百姓、土方、日雇い人夫、乞食、合いの子、オカマ、せむし、唖、メクラ、カタワ、チンバ、いざり、キチガイ、知恵遅れ、ケトウ、南蛮、ふたなり、河原乞食、入れ墨者、支那人、脳無し、脳足りん、チビ黒さんぼ、ジャングル黒べえ、被爆怪獣(スペル星人)、ゾルゲくん、乞胸者、狂鬼人間・・・etc.

 差別に関わる言葉がメディアからどんどん消されていくのは、その大半が自主規制によるものなのだそうです。

 つまり、“触らぬ神に祟りなし”と避けているだけなんですね。

 私はそういう態度が差別観念をズルズル引きずっていくだけじゃないか?と思っているので、むしろ、こういう差別表現をする言葉はきちんと検討して、言葉の意味を知り、その言葉の意味する根源まで逆上って差別観念の生まれる理由まで考える絶好の素材になると思うんですね。

 そうやっていかないと心ない差別は無くならないし、差別が生まれる観念の誤りについて理解することもできないでしょう? 言葉を問題にするんじゃなくて、その言葉が出てくる認識を問題にしているんですよ。

 そういう点では麻生さんが医者を蔑視するような発言をしたことに問題があるんじゃなくて、その言葉が出てくる麻生さんの偏見が問題なんだから、失礼な表現を詫びたって意味ないんですよ。「私の認識が間違っておりました。申し訳ありません」と言うのが正しい謝罪の仕方ですよね。

・・・っていうか・・・麻生さんの失言暴言癖って、彼の認識力のレベルを如実にあらわしていて、一国の首相としてどうなのよ?ってレベルで疑問が出てくるんですけどね。

 ちなみに、私も差別表現を敢えて使うことが多いんですが、これはもの書きとしての特性でわざと書いているんであって、タブー視される事柄にどこまで踏み込んでいけるか?っていう私なりの“お試し”なんですよ。

 言葉に反応する人もいれば、全体的な文意を考えてくれる人もいます。

 正しいか正しくないか? 共感するかしないか? そんなことはどっちでもいい。読んだ人が自分なりに考える切っ掛けになってくれればいいと思ってますよ。

 だから、「俺はこう考えるけど、あなたはどうですか?」って気持ちで書いてます。


 で、知能障害者が世の中で暮らしていくには、程度にもよると思いますけど、周囲の人が理解して助けることが必要ですよね。

 でも、まずは適切な教育ですよ。これは知能がどうこうという問題以前に、適切な教育がなされていないとワガママ勝手に振る舞う確率が高いでしょう。

 恐らく、優しさだけでは良くないと思う。いけないことはいけないと厳しく教えることで自制心を体得させていかないと悪気がないのに暴力をふるってしまうでしょう。

 やっちゃいけないことをきちんと教えていかないと平然と繰り返しますよ。

 まだ殺害については判らないようですが、都合の悪いことは記憶から消去してしまっているフリをするようなズルさはあると思います。子供がそうですからね。子供は純真で嘘をつかない天使のような心の持ち主だ・・・なんか考えてたら、大間違いですよ。

 元厚生省次官夫婦の殺害事件に関しても、殺された犬の仇などという不可解な理由をつける犯人の異常さばかり強調していますが、こちらもおかしい・・・。

 国会図書館で住所を調べたというのも本当かな~?と思うし、パソコンに堪能だったのなら、そっちから調べたというほうがまだ納得できる。

 そもそも、あそこまで計画的な殺人を犯す人間が、単に場当たり的な精神異常者だとするほうがおかしいのだし、やっている行為は社会的に立場のある人を襲撃する立派なテロ行為以外の何でもない。

 週刊ポストではオウムとの関連を匂わせているけれど、それなら納得できるのです。

 犯罪の質や、犯人の異常人格っぷりもカルト宗教に洗脳された結果と考えると納得できるのです。

 恐ろしいですね~。私の考え過ぎだといいんだけど・・・。

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2008年セミナー終了

 2008年の月例セミナーも、無事、終了致しました。参加された皆様、ありがとうございました。

 本年は、特に問題のある人もおらず、遠くは山口県や大阪から通われた方や、アメリカから来られた方もおられて、毎回、充実した内容で開催できたと思っております。

 まったく武道未経験の方から、空手・柔道・少林寺拳法・総合格闘技など学ばれている方まで、幅広く参加されていました。

 本年の特徴としては、指導者クラスの方も参加されていた点がありますが、来年はさらに指導者クラスの方の受講も増える様子ですから、内容ももっと精選してやっていきたいと思っています。

 それから、時々は自分の実力を勘違いして無礼な言動をとる人もいたりするので、今後は他の参加者の迷惑になるような態度の人は、即刻退場してもらうようにするつもりでいます。

 特に“実戦的な武道”ということを標榜する流派を学んでいる人には、こういう勘違いしているような人が残念ながらいます。

 そういう人間に限って、「あんな練習では強くなれない」とか勘違い発言をするので困ったもんだと思いますよ。

 練習は基礎・基本を学ぶものです。

 それらは、使うために学ぶのではなく、いざという場合の万が一の心得としての技を学ぶだけであって、武術にとっての実戦というのは、技なんかに拘らず、どんな手段を講じても必ず生き残ることが目的であり、逃げるのが最上で、逃げられない場合にはどんな汚い手段を使っても必ず敵を殺す(倒すではない)・・・というものです。

 ですから、武術というものは原則的に“武器で敵を殺す技”を学びます。武器が無い時のために“素手で殺す技”も知らないと困るから学ぶだけですし、通常、武術に於ける体術は身体作りと基本の戦闘原理を学ぶのが目的であって、メインの戦闘法ではない。

 本当に見識のある武道家だったら、ナイフ、手裏剣、拳銃なんかで襲撃された時にどうするか?ということも当然に考えているものですよ。

 芦原英幸先生なんか、その典型ですよ。トンファーやヌンチャク、手裏剣も工夫し日本刀まで自作していたという・・・あれこそ本物の武道家です!

 外国の土着の武術なんて、棒やナイフで巧妙に殺す技が実に見事に工夫されています。アメリカの軍隊や警察で日本の武道が採用されずにフィリピン武術が採用されたりしていることは日本人は知らないでしょう?

 競技スポーツになってしまっている日本の武道では生き死にがかかった現場では役に立たないから採用されなかったんですよ。

 戸隠流忍法も日本では今でも馬鹿にする武道家が多いですが、海外の生き死にがかかった現場に従事する人達には高く評価されていますでしょう?

 そういう現場で通用するテクニックと考え方が残っているのが、現代の実戦的に発達したとされている武道ではなく、たまたま戸隠流忍法だったというだけの話です。

 正直言って、“何をやっても勝てばいい”という状況だったら、私は自分よりずっと実力が上の武道家でも倒す自信はあります。

 大抵の武道好きの人間だったら「長野が大言壮語している」と思うでしょうけれど、そういう考え方が既に間違ってしまっているんですよ。

 現実的に考えれば簡単な話です。現実に武道の高段者や格闘技の猛者が素人にあっさり殺されてしまった実例がいくらでもあります。

 どうしてそうなったのか?

 一つは不意をつかれたこと。もう一つはナイフや銃で殺されたこと。

 こういうのを「卑怯だ」と考える人は実戦がどうこう考えるのはやめたほうがいい。元々、武術というのは不意をつくものなのですし、敵の武器より強力な武器を用意するのが当たり前なのです。

 宮本武蔵なんか、まさにそうやって六十数度の真剣勝負に生き残ってきた訳ですし、赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入りした時に一人も殺されずに済んだのも、敵の寝込みを襲撃したのと、鎖帷子を着込み、実戦刀として定評のある関の孫六兼元の刀を揃えた武装の差が大きかったでしょう。

 この武装を進言したのは、高田馬場の決闘で有名な馬庭念流の遣い手、堀部安兵衛だったと伝わっていますけれど、当時、真剣勝負の気風は失われた江戸太平の世の中だったので、実戦経験のある安兵衛は敵に勝つための実戦的な考え方をこらしていたのでしょう。

 実際に安兵衛が討ち入りの時に用いたのは、普通の刀ではなく“長巻”という薙刀と大刀の合いの子のような武器だったそうです。

 馬庭念流と言えば無構え下段の太刀構えが有名ですが、長巻を下段に構えてヒュッと斬り上げれば、普通の刀では防ぐことは難しい筈です。

 一方で、伊賀上野の仇討ちで有名な荒木又右衛門は、持参した伊賀守金道が戦闘中に折れたことについて、戸波又兵衛という人は、「かかる大事の時に折れやすい新刀を持参するというのは武士として甚だしく不嗜みである」と批判したと伝わります。

 実際に、この刀が折れたのは、槍術の達人、桜井半兵衛の伴の者が背後から又右衛門に木刀で打ちかかり、腰を打たれた後、木刀で刀の峰側を打たれた時に折れたというのですから、リアルな実戦譚ではあるものの、剣豪として名高い荒木又右衛門の名誉を損なうカッコ悪い話です。

 もし真剣だったら殺されていたかもしれませんから・・・。


 変態扱いされても構わないから、はっきり告白しておきますけれど、私、寝る時に日本刀(真剣)を横に置いて寝てます。住所明かしているから、本気で私を殺そうと思ってる人間なら簡単に寝込みを襲うことができますからね。

 侵入者がいたら鞘ごと殴りつけておいてから抜き討ちにするつもりです。

 昔、襲撃されたことあるから、用心しているんですよ。

 もちろん、日常的にもいろいろ考えていますよ。手のうち明かすとマズイから書かないですけどね。

 だいたい、何で私がありとあらゆる武術・武道・格闘技を研究したか?っていうと、それらの経験者と対戦した時にどうやって制圧するか?ということを考えているからであって、実は他流の技を採り入れて云々というセコイ考えじゃないんですよ。

 多分、現在、日本でも一、二を争うくらい実戦を考えているのは俺かも?なんてことも思ってますよ。どうやって倒すか?という観点でしか見ないから・・・。

 強さやスピードは素人でも判るけれど、テクニックや戦術は基本的に経験者しか読めない。それを観の眼で読めるのがプロってもんです。さらに、その裏をかいて制圧する方法まで考えられる人間となると激減します。

 原理的に見たら、どんな流派でも大差はないんですよ。瑣末な違いを優劣で論じてる連中がお目出度いだけ。そんなものは変化応用の方向性の違いでしかないんです。

 例えば、今回のセミナーでは空手の技の中に含まれている合気的な崩しの技法について指導したりしたんですが、これも技術そのものしか見ていなかったら気づかない。

 人間の身体の構造と様々な流派の技法の比較検討をしてみれば気づくことなんです。

 私は、武道家を自認している人達と話していて、一番、違和感(ガッカリ感)を感じさせられるのが、“俺は強い”という根拠のない自信をのぞかせて鼻の穴膨らませて威張ったりされる時なんですね。

 特に私が「研究家です」というと、たちまち、「ほう~、そうかね」と勝ち誇ったような態度になる人も多いです。私なんか、そういう態度の変化を観察していて腹の中で「おやおや、“この低度”で武術家のつもりかい(笑)」と微笑ましく見てたりします。

 しかし、本当に実戦を考えている人だと絶対に態度は変わらないですね。どんなに格下と思える相手でも態度が変わらない。つまり、警戒心を解かない。

 こういうのは武術の実戦についての考え方の現れなんですよ。実戦が強い弱いで決まるものではないと解っているから、決して相手を侮らない。侮りが墓穴を掘ることを知っているからですよ。

 こういう心理戦術について知らない人達は、「こいつは臆病な小心者だ」と思ったりするんですけど、大きな勘違いなんですよ。事実は、自分の臆病さが相手に映っているだけなんです。

 率直に挑発を込めて言わせていただくなら、現代の競技武道にも格闘技にも“実戦”の考えは無きに等しいでしょう。

 どうして、ナイフや拳銃に対抗する術を工夫しないのか? どうして、素手の格闘の練習しかいないのか? ・・・およそ、“実戦”から掛け離れた“娯楽”としてのスポーツの一種としての観点から考えた“実戦的強さ”しかそこにはありません。

 以前、実戦空手を標榜する団体の修行者と話していた時に、その人は「剣道三倍段と言われるけれど、剣道家なんか怖くない。竹刀や木刀で打たれても正拳突きを顔面に叩き込めば終わりだよ」と自信満々に言っていたので、「相手が真剣持っていてもできる?」と聞いたら、「ええ~? まさか~(笑)」と苦笑していました。

 そんなに実戦がどうこう言うのなら、日本刀で斬りつけるのを素手で捌いて抑える練習くらいはやって欲しいですよね。そこまでやれば、空想上の実戦的技が何の意味もないことが判るでしょう。

 遊心流ではそこまでできるように稽古していくつもりです。居合術も最終段階は無刀捕りにしていきますが、これもかつての古武術ではそうなっていたのです。

 殺から活に転化する具体的な技術的進化と言えるでしょう。

 その稽古システムの目的を理解してやらなければ、何十年漫然とやっても成果は得られないでしょう。

 娯楽として武術を楽しむことを間違いだとは言いませんが、単に娯楽目的ならば、他にもっと楽しいことはいくらでもあるでしょう。

 私は武術というものが人間の生き死にを直視して技術が組み上げられてきたものである点と、戦いという本能と直結している点にこそ、他のいかなる分野とも違う善悪を超えた価値があるように思えるのです。

 だから、強いとか弱いとかいったレベルで認識しようとする人達の論議には与したくありません。

 弱い者を足蹴にしておのれの強さを自認しアピールしたがる人間の浅ましさ・・・どうせ戦うのなら、庶民を食い物にする権力を持った巨悪に立ち向かうべきでしょう。


 余談ですが、K-1の優勝決定戦だけTVで見ましたが、バダ・ハリの暴走で最悪の後味の悪い結果になりましたけれど、「ただ勝てばいい。勝った者が強い」という強さを求める競技の問題点が露呈したように思えました。

 こんなモン見せて何になるのか?って思いましたよ。

 ルールがあって無いような、過激な内容をウリにするリアルな格闘技は凄惨な殺し合いの闇の興行にしかなりません。そういう代物を見て喜ぶ人間は理性が壊れていますよ。

 武術は人に見せるためでも強さを求めるものでもありませんが、「人殺しの技術を磨く修行を何の目的でやるのか?」というと、まず、「自分が生き伸びるため」であり、さらに「親しい者をも生かすため」であり、最終的には「敵を改心させて生かすため」というところまで到ることを目指している。

 殺から転じて活に到る。『殺活自在』というのが武術の目標なのです。陰を極めて陽に到る・・・これは宗教や哲学と同じ“行”なんですよね。

 人間は獣とは違う。それは理性があるからです。

 本能の衝動を抑制できない人間こそが弱い人間です。武術はそこまで考えさせてくれるところに追究する本当の価値がある。

 よって、それを求めていない人は来るだけ無駄だから、どうぞ他所へ行ってください。


追伸;この間、書きました「ブログで文句書いているヤツ」の話ですが、無事、自分達から退会届けを出してきましたので、除名の名前を晒すことはやめておきます。ただし、はっきり申しますが、こういうことは相手から言われる前に自分からやるべきことです。私自身、一人一人にはっきりと言ってやりたいことは山ほどありますが、信頼関係も無くなっている以上、無駄なことはやめておきます。去る者は追いません。ただ、今後は筋違いな真似をしないように彼らなりに反省してやっていっていただきたいと、それだけ思っています。どうせなら、私を見返すくらいになって欲しいと思う。ブログで妙な文句書くくらいなら、男だったら、そのくらいの意地は見せて欲しいもんです。私は陰口たたいたことは本人にも直接言ってますからね。
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中学校の武道必修はアブナイ?

 中学校の体育で武道が必修になるという点について、武道の世界では論議されていますが、単純に考えれば、私なんか歓迎すると思うでしょ?

 でも、第一に思ったのは、「誰が教えるの?」ってことでした。

 武道というのは、そんな一朝一夕に身につくものじゃないし、初段や二段くらいの教師が教えたとしても、小学校からずっとやってきた中学生もいるだろうし、模範で試合して教師がメタメタにやられてしまったりしたらどうするのか?

 合法的な教師イジメになったりしかねませんよ。

 それに、これまた合法的な体罰の場へと変質しかねない危うさもある。

 正直いって、私も中学と大学の時の武道クラブにはいい思い出はないし、教えるようになってからも、「この野郎、ブチ殴ったろかい?」と思うこともありますよ。

 まあ、私みたいに自制心がある人間?だったらまだいいかもしれないけど、普通の武道の先生は態度の悪い生徒には鉄拳制裁するのが当たり前だと思ってる筈ですよ。

 見せしめ的に生徒に暴行する教師が出てしまうことが否定できないと思う。

 武道は、だから長い年月の修行が必要なんですよ。形ばかりの技や礼節が体得できただけでは人の教育はできませんよ。

 だから・・・「誰が教えるの?」って思っていたんですが・・・。

 11月22日の読売新聞[くらし教育]欄の「教育ルネサンス」で“体育を見直す”として“武道必修 手薄な環境”と題した記事を読んで、私が予想していた以上に危険性があるな~と思いました。

 なんと、年度講習会が年一回!とか、「これまで剣道を教えたことのない教師らに最低限の基礎を教えるため」とか・・・。

 えぇ~っ? 冗談でしょう? 教えたこともない教師に一年に一回の指導者養成講習会をやって充分かどうか?って論議するって、馬鹿じゃないんですか?

 あのですね~。どれだけ頑張ったとしても毎日稽古して、最低でも3~5年くらいはやっていなければ武道を人に教えるくらいの技能は体得できませんよ。

 その中でも、充分な指導をできるには、10年以上の修行歴と段位は三段以上は持っていないと難しい。

 それに、武道が好きで習いに来ている人間ならおとなしく指示に従うかもしれないけれど、荒れる盛りの中学生がおとなしく指導に従いますか?

 そんな中学生に、素人同然のマニュアル通りにしかやれない教師がどうやって教えるんですか?

 本当にブッチャケテ言いますけれど、私にやれって言われても、自信ないですね~。おとなしく指示に従う筈がないもん。私、ごくせんになっちゃうよ~。

 昔、学生演劇の劇団に殺陣の指導に行っていた頃、演劇やっている人間の中には空手とか剣道とかやっている人間がいる訳で、私みたいに見た目が弱そうだと侮って指示通りやらなかったりするんですね。

 だから、最初に「へっ、何だ、コイツ~」みたいな視線を向けてる人間を相手にして技かけて見せて、「逆らうとヤバイぞ」って思わせてから指導してましたよ。

 20歳前後でもこうなんだから、中学生が言う通り、やる訳ないでしょ? それなのに、講習会で指導者養成・・・って、そりゃあ泥縄もいいところですよ。

 どうせ、よく考えないで決めたんだろうとは思ってたけど、もう、論外!

 もちろん、各都道府県で事情は違うでしょう。新聞に載るのは極端なケースなのかもしれません。

 けれども、武道を教えるというのは専門的な修行を一定期間経験している熟練した人間にしかできないことだという現実は、きちんと理解しておいて欲しいものです。

 そうでないと現場の教師が困ることになるんですよ。これ以上、現場に責任を押し付けるような配慮のない教育指導の制度化はやめて欲しいものです。


 とまあ、批判だけしててもしょうがないから、対策を一つ・・・。

 武道の授業の時は民間の武道の指導者を呼ぶ。熟練した専門家の指導なら問題は少ないでしょう。

 ただし、学校教育の現場で教えるのに相応しいかどうかの人柄はきちんと確認しないといけないから、都道府県の武道の連盟とかに依頼して相応しい人を紹介してもらうとかしたらいいと思う。個人経営の道場だと実力も人格も伴わないヘンな人がいたりするから。

 それだったら、剣道、柔道、空手道、合気道、少林寺拳法、太極拳とかも安心して取り組めるんじゃないですか?

 個人的には新体道がいいと思いますけどね。
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セミナー予定教習内容

※事務連絡※
長野峻也へのお問い合わせ・本やDVDのご感想・各セミナーへの参加申し込みは
①氏名(+ふりがな)
②年齢(何歳代でOKです)
③住所
④電話番号
⑤Eメール
⑥ご職業
⑦武術・武道・格闘技・スポーツ歴(会員の方は会員暦)
⑧参加希望セミナーの日付・タイトル(セミナー申し込みの場合のみ)
⑨何か一言(セミナー申し込みの場合のみ)
を書き添えて、yusin_mail_from2006(アットマーク)yahoo.co.jpまでご連絡下さい。
(未記入項目がありますと、参加受付出来ない場合がございます)
※事務連絡以上※

 今後(2008年内です)の予定している月例セミナーの教習内容について、少々、書いておきます。

四月(4.20)
『歩法』縮地法の原理解説・丹田歩法・這い(基本と応用)・走圏・揺身歩・蛟龍歩・歩法の具体的使用法・縮地法を利用した技(突き・蹴り・居合)・蛟龍歩を使った戦闘法

五月(5.4)
『脱力技法』脱力の概念解説・合気揚げ・指合気・棒を介した合気・多数捕り合気・抜け技・投げ技・打撃を重くする理論

六月(6.8)
『軸と崩し』軸の概念解説・背骨の仕組み・相手の軸を観察するやり方・軸を想定する攻防技術

七月(7.6)
『読み』読みの概念解説・身体の構造で読む・構えを読む・技の仕組みで読む・武器の性質で読む・顔の表情や話し方、文字、文章で読む

八月(8.10)
『聴勁』推手の原理解説・感覚を養成する・推手のやり方・剣術に応用するやり方

九月(9.14)
『型の分解』型の原理解説・型の法則性を読む・武術型の読解・踊りの動作を護身術に応用する・オリジナルの武術型を創作する

十月(10.12)
『武器』武器の原理解説・長い武器・中くらいの武器・短い武器・軟らかい武器・硬い武器・飛翔武器・周辺のものを武器にする

十一月(11.9)
『武術を応用する』武術の応用原理・打撃格闘技に応用する・組み合い格闘技に応用する・総合格闘技に応用する・総合剣術を工夫する

十二月(12.7)
『総集編』

 この他に、申し込みして予約金を支払っていたものの、都合がつかずに参加できなかった方のための補講のセミナーも開催したいと思っておりますが、日時や場所は年末か2009年に入ってからと考えております。以上、宜しく御理解ください。
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日本刀は美術品です

 御承知のように、10月・11月は共同出版で出す新刊本の頭金と電子ブックの分を支払わねばならなかったので、11月分の刀の支払いが少し遅れて12月に入り込んでしまったんですが、お陰様で支払いに横浜名刀会様に行ってきました。

 いつもはお客さんがいたとしても、一人か二人くらいなものなんですが、珍しく店内には数人いらして、社長さんとゆっくりお喋りするヒマもありませんでしたよ。

 一カ月毎に行くと、必ず新しい刀や槍とかが入荷していて、それを見るのも楽しみなんですけれど、今回は三mもある長い槍が飾ってあって、しかも柄が曲がっておらず真っすぐなままだったので、ちょっと驚きました。

 このくらいの寸法だと、まず柄が湾曲しているものなんですよ。長い年月が経過すると水分が抜けたり逆に吸ったりして木が反ってきたりグネグネと曲がったりするんです。

 だから、槍や薙刀の柄、あるいは六尺棒なんかは材木を伐採してから何年も陰干しするとか、油の壷を被せておいて油を吸わせて堅くするとか、沼の底の泥の中に沈めておくとか、いろいろな処理法が工夫されていたそうです。

 なので、現代でこの寸法の槍は最早作れないとも言われています。

 この寸法だと完全に戦場で使う槍ですよ。私の部屋には最早、飾れません。それこそ、物干し台にでもかけておくしかありません。

 かと思えば、三尺ちょっとの短い槍もあって、こちらは青い螺鈿細工の綺麗なものでしたが、籠の中に護身用に忍ばせる、通称、“籠槍”と呼ばれるものでした。

 籠槍の実物は私も初めて見たんですけれど、もっと短い“枕槍”とか護身用の暗器として用いる短刀くらいの槍なら何度か見たんですけど、籠槍は大名クラスが使う武器の筈なんで、そうそう一般に出回るとは思えなかったんですけどね。


 社長さんとお客さんのやり取りを聞いていると、現代刀のトップレベルの刀匠である廣木弘邦氏も、お店によく来られているのだとか?

 そんな廣木刀匠くらいのクラスであっても刀鍛冶だけで生活していくのは難しいらしく、副業もされているのだとか・・・何ともショックな話です。

 日本刀というのは、美術品なのです。

 その美術品を作る工芸家はアーティストなのです。この観点はきちんと持っていなければなりません。


 先日、ブログでこのお店について書きましたが、実際に足を運ばれた方もいたようですね。

 けれども、居合術を修行されている方らしかったのですが、ちょっと模擬刀の代わりに真剣を・・・という認識でおられたようです。

 まず、誤解のないように補足させていただきますけれど、真剣と模擬刀は全く別物なのです。

 よく、見識のある居合術の師範が嘆かれているのを耳にしていましたが、模擬刀を普通に使うようになったので、真剣を持っても模擬刀と変わらない気持ちでぞんざいに扱う修行者が多くなったというのですね。

 よく考えてみてください。包丁や鉈を振り回す人がいたら通報されますよね? でも、居合術を修行している人の中には人前で真剣を平然と振り回してみせる人が結構います。

 模擬刀であっても、素人には見た目で区別はつきません。公園で模擬刀振り回していて通報されて警察に捕まった人もいるそうです。

 ましてや、真剣となれば、持ち運ぶのもケースに入れて登録証を携帯していなければなりません。

 手入れも模擬刀と違って、一度稽古に使えば、その都度、刀身を綺麗にしていなければ一発で錆びてしまいます。

 稽古中も抜き納めの時に指先を傷つけるくらいは当たり前。下手な真似をすれば指を切断しかねません。

 また、稽古に熱中するあまり、周囲に人がいるのもおかまいなしにビュンビュン振り回す人もいるものですが、危険極まりないものです。

 このような認識の甘さは、日本刀に対する見識の低さから発生しているのであって、小学校の頃に刃物の扱い方をきちんと教えなかったりする延長上にあるでしょう。

 私も真剣を買う前に真剣の扱い方の本などを何冊か読んで予備知識を頭に入れておきましたし、刀の拵えの作り方や研ぎのやり方なんかも事前に勉強してから臨みました。

 そういうことをやらずにいきなり自己流でやろうとしても、まず成功することはないでしょう。

 例えば、模擬刀の拵えを真剣の拵えにするとか、あるいはその逆とかを推奨する記事を読んだこともありますが、それは「部品を選んで専門職人に依頼する」というもので、自分でやれるものではないという前提で書かれていました。

 私自身は自己流で勉強しましたが、元々、手先が器用であったのと、研究家としての研究対象として取り組んでいたので、できた訳です。が、無論のことながら専門の職人には遠く及ぶものではありません。

 初めて刀の拵えを自作したのは二十年以上も前でしたし、試行錯誤を繰り返してきているのです。

 武術の修行と同じで、工芸の技能も実用レベルになるまでは何年もかかるものです。

 ですから、もし、居合術を学んでいるか、これから学ぼうと考えている方で、できるだけ安く真剣を入手して稽古用の拵えも作りたいと考えている方は、私に御相談ください。

 相談するだけなら無料で構いませんよ。一緒に店に行って予算と好みに適した刀を選ぶお手伝いをしますよ。居合の稽古用か、試し斬りもやりたいのか、あるいは単に鑑賞用に持ちたいだけか・・・。

 一口に真剣といっても、ただ居合に使えればいいと言っても、定寸の刀なら二十万円前後は必要ですし、流石に五万~十万円では錆びた脇差くらいしかありません。

 稽古に使うのに安全性を考えて刃挽きにするとしても、鉄鋼ヤスリと荒研石がないと無理ですし、それも素人がやるには結構難しいですよ。私でも結構苦労しましたから。

 刃挽きにすると日本刀の美術品としての価値は損なわれてしまいますから、料金に見合ったものでないと大損になってしまいます。それなら無理して真剣を買うより模擬刀を使っていた方が安上がりということにもなるでしょう。

 また、真剣を模擬刀の拵えに装着するのも、私は何度もやって慣れているからできますが、初めての人だとちょっと無理だと思います。第一、鞘の反りと真剣の反りが合うとは限りませんから、これが一番、難しいところですね。

 金がいくらでも使えるのなら話は簡単ですが、まあ、この御時世ですから、不必要なところに金はかけたくないですからね。

 でも、自分で拵えも作れるようになるとメンテナンスも楽だし、実際に居合道を修行している人は、是非、挑戦してみて欲しいですね。

 あっ、そうそう・・・、お店で聞いた話ですが、刀剣愛好家の人だと下手な扱い方はしないそうなんですが、居合を修行している人で、特に女性のほうが刀の扱いがぞんざいで危なっかしいそうですね。

 刀身を指で触るとか刀を構えてブンブン揺さぶるとか、とんでもなく阿呆な真似を平然とやったりするそうです。

 自分の持ち物ならわかりますけど、店内に置かれているものは何十万円もする“美術品”なんだってことを忘れているんでしょうね~。

 はぁ~、情けない・・・居合を修行する人間が一番、常識がなかったとは・・・?

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御協力感謝!

 文芸社から出る新刊本『武術と生きる日々』の頭金、及び電子ブックの契約代金も、無事、集まりました。
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 皆様の御協力の賜物と思っております。感謝! 後は、どうぞ、楽しんでお読みくださいませ。


 それから、差し迫っておりましたので割引できなかったのですが、12月7日のセミナーからは、会場で物品販売しているDVDも参加者特典として割引致します。

「教材DVDの上級編はいつ出るのか?」という問い合わせも受けますが、こちらはまだ撮影もしていませんから、最低でも半年はお待ちください。現在、収録内容を検討している最中です。上級なので殺法だけでなく活法も入れようと思っています。


 ところで、シダックスでの日曜日の定期稽古会は久しぶりに中国槍術の勁力養成法をやってみました。

 これは、槍をズンッとしごくとビビィーンと槍先まで棒が振動することで勁力が伝達しているかどうかを測るのですが、私の持っている白蝋杆(中国原産の柳科の樹で振るとしなる)は割りと堅くてあまりしならないので、これで振動させられれば相当な勁力があることを示します。

 コツとしては沈墜勁(沈身)と腕の絞りで棒そのものに重さを乗せるようにするんですが、これも上達すればほとんど振りかぶらずに、ちょっとしごくだけでビィーンと振動するようになるものです。

 が、師範代と新規会員のOさんと講座受講生のSさんの三人しかできず、できなかった三人はいずれも空手経験者で沈身の威力を乗せる体動が苦手みたいでしたね。

 OさんとSさんは中国武術の経験もあるみたいなんですが、特にSさんは教えてもいないのに最初から軽く腰を沈めて小さく振って、ビーンと振動させていました。

 でもまあ、できないことをできるようにしていくのが稽古ですから、最初はできないのが当たり前。それができるようになる過程で身体操作も技も考え方も変わっていくものです。

 たとえば、私も教える時に赤樫の杖を使ってやってみたら、樫なのにビーンと振動したので師範代がビックリしていましたが、自分でも驚きましたよ。これはしなるような材質ではありませんからね。

 で、白樫の半棒でもやってみたら、流石にこれは短過ぎて、できませんでした。

 それでも、知らない間に相当、勁力が上がっていたんだな~と、ちょっと嬉しかったですね。白蝋杆はしなるような材質だし190cmくらいあるんで、ちゃんとやれば振動するんですけど、樫の杖でできるとは思わなかった。

 ちなみに、この振動させるというのは、浸透勁の要領にも繋がってくるもので、打撃力の重さ・貫通力と共に威力が波動となって作用するようになる訳です。だから、人体に複雑なダメージを与えることになるので、下手に打つと危険なんです。

 脱力技法で重心移動の力を使うと予想外の威力が出て驚くことがありますが、この前の試し斬りの時も刀に重さを乗せるようにしただけでスパッと斬れましたからね。

 スキージャーナルから『超人になる』というDVD付きの身体操作のコツを明かした本が出ていると聞いてワクワクして買ってきたんですが、思っていたようなものじゃなくて、個人的にはちょっと物足りない印象がありました。

 というのも肝心な技術の原理が明確にされていないように思えたんですよ。「エネルギーを使う」と書かれていても、エネルギーって言ってしまったら意味が広過ぎて“気”という言葉で説明するのと変わらなくなってしまう。

 ビール瓶を手刀で切るというのも、「安全のためにケブラー樹脂の手袋をはめてます」って時点で、「それじゃあ原理的にブラックジャックでぶん殴るのと変わらなくなるよ。脱力して骨盤回して鞭みたいに思いっきり叩けば割れるだろうけど、そのケブラー樹脂の手袋に守られているという意識があるからできるってことにならないかな~?」と、実験のやり方には疑問を感じましたね。

 そもそも安全性を考慮する必要のあるパフォーマンスは無理にやる必要ないでしょう?

 それから、“刀の斬り込むのを躱す”というのを単なるスピードで躱すように解説しているのは絶対にまずいでしょう。読みを駆使しなければスピードで対処しようとしたら危険極まりないです。あれはタイミングを察知する技術なんだから・・・。

 寸勁のデモンストレーションとかスリ足の解説とか、ちょっと、首を捻るところもありましたが、甲野氏に習ったんじゃ、しょうがないかな~?と思いました。

 でも、プロフィール以外に甲野氏の名前は全然出てないし、文中、甲野理論に疑問を呈したようなニュアンスの箇所もいくつかあって、ひょっとして決別しているのかな?なんてことも思いました。

 私にとっては物足りないとは思ったものの、一般向けにはNHKの実験番組的な面白さはあると思いますし、別に武術や武道をくさしている訳でもないから、特に反感を覚えるところもありませんでした。

「あ~、いいこと言ってるな~」と思う箇所もいくつかありました。

 ただ、理論発表するからには参考資料とかは巻末に書くか本文中で紹介するのが筋だとは思いますよ。甲野氏のパクリ体質だけは引き継いじゃダメ!

 やっぱり、甲野チルドレンの人達って、武術や武道を幅広く勉強したりしていないから、初歩的な勘違いが凄く目立ったりするんですよ。「“武術”という言葉を冠するのなら、武術について、もっとちゃんと勉強せい!」と、言いたいですね。

 甲野氏の甘さが伝染しちゃってるような気がしますね。

 本当に甘~い考えで武術をやろうとする人が多過ぎます。娯楽しか求めてないのなら、他のことやったほうがいいですよ。

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子連れ狼と天真書法塾発表会

・・・って、何のこっちゃ?と思うでしょうけれど、テアトル新宿の若山富三郎vs勝新太郎の特集上映で、子連れ狼と御用牙の原作者である小池一夫先生のトークショーもあるので、『子連れ狼・三途の川の乳母車』を観てきました。

 会員も四名一緒だったんですが、子連れ狼六部作中でも最もキッチュな味わいのある、裏柳生ジェットストリームアタック、明石柳生の別式女軍団の大根投げ襲撃、黒鍬者の襲撃、弁天来三兄弟との砂丘での対決と見所の多い作品で、皆で堪能致しました。

 やっぱり、こういう活劇映画は何人かで一緒に見るのが最高ですな~。

 鉄砲好きの私としては、『死に風に向かう乳母車』か『親の心子の心』の方が好みなんですが、この『三途の川の乳母車』では、松尾嘉代演じる柳生鞘香が若山先生の真っ向斬りを白刃取りして投げたり、払い斬りを着物からスポーンッとシースルー鎖かたびら姿で脱出して、そのまま凄い真剣な顔したまま後ろ向きに走って去っていくところが忘れ難いんですね。

 この時の嘉代の演技は、『闇の狩人』の時の原田芳雄を付け狙う悪女役やTVスペシャル『丹下左膳・剣風!百万両の壷』の櫛巻お藤役を彷彿とさせます。

 ちなみに嘉代は『唖侍・鬼一法眼』で若山先生の許婚役で共演していて最終回ではハッピーに二人で去っていっていましたよ。

 作品上映の後、原作者である小池一夫先生のトークショーがありましたが、何となくイメージ的に梶原チックな人なのか?と想像していたら全然違っていて、非常に謙虚で気配りされる優しい人柄が滲み出てくる方でしたね。

 若山・勝兄弟との居合抜き合戦の話も出たものの、関口流居合術を修めている筈の小池先生はそれを隠して若山・勝兄弟をたてておられて、流石でござったのぅ~。

 特集は12月5日まで続くので、未観の方は是非、テアトル新宿で真の時代劇を堪能して欲しいものでござりまする・・・。私もあと一回は観に行きたい!


 さて、映画ツアーの後は、飯田橋駅近くの日中友好会館で第七回天真書法塾発表会があるとの青木先生からのお誘いを受けていたので、皆で訪ねてまいりました。

 伝説の日本の最高峰の武道家に会えるというので、皆、期待と緊張(してない?)をしていましたが、青木先生に直接会える機会は滅多にないから、会わせてあげたいと思ったんですね。

 新宿から総武線で飯田橋まで行き、軽くウェンディーズで食べてから、日中友好会館を訪ねました。

 青木先生に御挨拶すると、「吉原義人さんが打った七星刀があるんだけど見たいですか?」と聞かれたので、「それはもちろん見たいですが・・・(って、ここで?)」と言ったら、そそくさと刀の入ったケースを持ってこられて、嬉しそうに見せてくださいましたよ。

 でもね・・・書の発表会場ですからね。書を見に来られている人達は、ヒィ~ッとばかりにドン引きしていたような・・・う~ん・・・私の考え過ぎかな?

 だって、青木先生ってば発表会の後のパーティーで剣の演武をする予定だったそうなんですが、予行練習モードに入っちゃって、ヒュヒュッと振るんですもん。後で会員に聞いたら全員、ビビッてたそうです。

 でも、ここはホレ、私が武術の人間だから「青木先生がサービスしてるんだよぉ~」という光景に見えないと、書道家の青木先生しか知らない人達から青木先生が単なるアブナイ人に見えてしまったらマズイですから、私は内心、コワイよ~と思いつつ、平静に拝観させていただきましたよ。

 実際、青木先生が剣を振ってるところなんて新体道の古参会員でも一生に一度見れるかどうか?ってくらいなんだから、こりゃあもう、有り難~く拝見しなきゃ損なんですよ。

 私も、「これは俺に観盗ってみなさいってことだよな~」と、感謝の気持ちで有り難く注視させていただきまして、翌日の稽古で真似してみせました。

 青木先生は左右の斬り返しの時に足の踏み替えと同時に柄を持つ両手も巧妙に滑らしながら右手と左手を持ち替えていたんですが、皆、驚いたのが先にたって、青木先生の動きが途切れないで流れていたことまでしか観取れなかった様子で、師範代でも気づいていませんでした。

 一緒に行った剣術師範代は気づいていたかもしれませんが、今度、聞いてみようと思います。・・・でも、あれは気づかなくても仕方ないだろうな~。私もDVDで事前に知ってたから見落とさなかっただけで、知らなかったら気づかなかったでしょう。

 まあ、そんな青木先生のファンキー且つ偉ぶらないおおらかな人柄に皆、感銘を受けた様子でした。

 やっぱり、武術家とか武道家って、ある種、拘りを捨て切って心の闇をどこまでも突き抜けて光の世界に至らないといけないんだと思います。でも、闇ってある種の安寧もあるから、そこに捕らわれてしまう人がほとんどなんですよ。

 青木先生の書法は、“天衣無縫”の一言。体技と同じです。

 天の真理に至るのに武術だの何だのとセコイことほざいていてもしょうがない。それゆえに天衣無縫な書が立ち顕れる・・・青木天外先生の無言の教えを聞いたような気がしましたよ。

 書法塾の生徒さん方の書を観ると、私は書は素人ですが、何か感じるところはありました。私は文字のバランスがさっぱり取れないので、小さな文字をバランスを取って沢山書き連ねている点にまず驚きました。

 特に苫米地李紗さん?の書には衝撃を感じましたね。広い紙にビッシリと整然と書かれていて、尚且つ、文字が生き生きとしていて見入ってしまいました。

 せっかくだから、記念に青木先生の書の前で、皆で青木先生と一緒に写真を撮らせてもらいました。今日の一期一会を大切な新生“遊心流”の門出としたいと思います。
20081129.jpg


追伸;丁度、文芸社の新刊『武術と生きる日々』が出来上がって送ってきていたので、会場で青木先生に一部さしあげてきました。そうしたら、お忙しいのに、その日のうちに読み終えられたそうで、翌朝、わざわざ電話で感想を言っていただけました。いや、本当に恐縮です。やっぱり、人間の魅力は“愛と迫力”だね。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
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