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名手に名人の打った名刀があってこその斬鉄技

 町井先生の驚愕の鉄管斬りについて録画していた映像を師範代にも見せたら、ネットで調べてプリントしたものを持ってきてくれました。

 それによると、町井先生は刀剣商をされていて刀剣研師でもあるということで、なるほどな~と思いました。

 つまり、刀剣に関する理解度が刀法にも反映していたのでしょうし、少々、刀身が傷んでも御自分で研げるから、それで練習にも専念できたという訳でしょう。

 それにしても、例の鉄管斬りに挑戦した裏では、陸軍受命刀工作(多分、靖国刀ということでしょう。靖国刀は薄い鉄板を試し斬りして納品していたとか聞いたことがあります)で事前に試してみたところ、刀が折れてしまい、そこで急遽、町井師範が懇意の現代刀匠に鉄でも斬れる刀を打ってもらうことにしたそうなのです。

 その刀匠は、人間国宝に指定された宮入昭平に学んだという藤安将平氏だそうで、古刀の再現に最も近い実用に耐えうる美術刀剣を鍛えられるということです。

 斬鉄剣といえば、我々武術関係の人間の間では、小林康弘刀匠が有名ですが、小林刀匠の特徴は純度の高い鉄を精錬する方法について解明した点にあるといわれています。

 小林刀匠は美術品としてではなく実用品としての日本刀を追究して、古刀の秘密を突き止めていたとされます。その結果が鉄でも斬れる刀ができたということでした。

 現代刀匠の間でも、鎌倉以前の古刀の再現を目指す人は少なくありませんが、原料である鉄の製法が解明できないから、どうしても古刀のような刀はできないといわれます。

 小林刀匠が一門として確立されていれば、あるいは真に古刀の再現ができていたかもしれませんが・・・。

 うちのS師範代も小林刀匠の打った刀を一振り持っています(DVD『武術秘伝の活用』で無刀捕りの演武の時に使っている刀がそうです)。が、万一、折れたり修復不能の刃毀れでもできたら大変だと思ってか、鉄を斬るのに挑戦したことはないそうです。

 まあ、私も綱廣で試してみようとは思わないですけどね。マキワラ斬ったり細竹斬るくらいがせいぜいですよ。試した感じでは、この刀は確かに軟らかいマキワラ斬るより堅い竹の方が斬れましたけど、まだ、ちょっと鉄とかに挑戦してみようという決心はつきません。下手すりゃ曲がったり刃毀れするかもしれないですからね~。皆焼刃(ひたつらば)で、結構、綺麗な刀ですから、あんまり疵つけたくありません。

 研師の話では、古刀は硬いものだと思っていたら、むしろ新刀なんかより軟らかいらしいですね。鉄質に粘りがあるというんです。だから、衝撃を逃がして刃が食い込むのかもしれません・・・。

 荒木又右衛門が鍵屋の辻の決闘で、新刀の伊賀守金道を木刀で打たれて折られたという話は有名ですが、「かかる大事に古刀でなくて新刀を持っていくとは心掛けがなっていない」と批判されたという話もあり、江戸時代前期には既に新刀は折れやすくて実戦は古刀でないとダメだという認識があったんでしょう。

 戦時中に軍刀仕立ての家伝の古刀を持っていった武術家が、白兵戦で敵の小銃ごと斬り倒して窮地を脱したといった話がよくありますが、まんざら嘘とも決めつけられません。

 もっとも、美術品としてしか存在が認められない現代で、古刀のような強靭さを持つ刀を打とうとする人は異端中の異端になってしまうでしょう。

 必然的に外側がいかに美しいか?ということを競うしか方向性がないんですよ。実際に斬って斬れ味や強靭さを競う訳でもありませんし、試し斬りをすれば刀を研がなければならない。でも、刀を研ぐのは何万~何十万とかかってしまう・・・。

 健全な有銘の古刀でバリバリ試し斬りをする人間がいたら、よっぽどのバカでしょう。

 町井先生が二百万もする刀で斬っているとTVで見た時は、非常に驚かされましたが、刀剣商で研師でもあると知って、納得できました。

 そして、藤安刀匠が鍛えた刀で見事に鉄管を裁断してのけ、刃毀れも刃キレもなかったというのは、非常な快挙だと思います。町井先生の腕前と、藤安刀匠の鍛刀技術が合わさって、初めて到達できた神業でしょう。

 小林刀匠以外にも現代刀匠で斬鉄剣を作れる人がいたということも嬉しい限り。町井先生は次の『ベストハウス123』では、東郷秀信師範が小林刀でやってのけた鉄板斬りにも挑戦されるそうですが、期待して待ちたいものです。

 それにしても、日本刀はナマクラも名刀も性能はそんなに差はないんじゃないか?とも思っていたんですが、こんなに差が出るものだとは・・・。


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大太刀抜刀の稽古

・・・を、ここのところ、再開しています。

 きっかけは、『剣道時代』に集中連載されている神夢想林崎流居合術の技術解説記事を読んで奮起したからでした。

 居合術の開祖とされる林崎甚助重信は、三尺三寸の刃渡りの大太刀を抜いたとされていたので、私は注文打ちで三尺二寸五分の打ち落としの刀身を作ってもらい、荒研ぎと拵え作りは自分でやりました。

 ところが、この刀はあまりに重くて、片手で振れるような代物ではなく、遣いこなせないままになっていたんですが、50万円以上かけて作った刀ですから、いずれはきちんと遣えるようになろうと思っていました。

 だから、この記事を読んでいて、ムラムラとやる気が湧いてきて、毎夜、抜き納めの訓練を始めました。

 まあ、帯に差さなきゃ、それなりに早く抜けるんですけどね。

 帯に差して抜き納めするには、鞘も作り直さないとスムーズにいかないように思いますけど、やっぱり、刀の重量に負けないだけ振り棒とか振って訓練せざるを得ないかな~?と、筋トレ嫌いな私も流石に考えてしまいましたよ。

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 写真見てもらえば解ると思いますが、普通の長さの刀と比べると冗談みたいにデカイでしょ? 重さは二倍以上あると思います。

 この刀は振らなくても、相手に向かって落っことすだけで頭蓋骨割れるような気がします。ちなみに、まだ、刃は付けていないのですが、付けたらスンゴイ斬撃力出そうな気がします。

 さて、そんな大太刀居合も併せて、最近の定期稽古会では剣術(居合術)に特に力を入れています。居合技もいくつか新たに付け加えました。

 無論、全て体術へ応用できます。

 大太刀居合も、甲野善紀氏の得意技“雪崩潰し”(三月発売予定の新刊本にて技術解説しています。高岡先生の神秘の合気も解説したよ~ン)を、刀を抜くことなく、柄で抑えるだけでやれます。

 刀というものは抜かなくとも戦う技はいくらでもある訳ですよ。人を斬る役にしかたたないと思うのは武術を知らない人の考えです。

 日本刀が人殺しの道具か美術品か?という二者択一じゃなくて、日本武術の核心を練るものと考えて書いたのが今回の本『武道に伝える武術の教え(仮題)』です。

 企画変更の末にやっと書いた本ですが、その分、何かもの凄い内容になりましたよ(本当にビックリすると思いますよ~)。空手道・剣道・柔道・合気道・中国武術・身体操法について武術の視点から分析しています。よ~やく、原稿書き上げたんですけど、予定より少し延びて、今月後半の発売となりますので、期待して待っててくださいね。

 この本でも書いたんですけど、もう、はっきり断言します。剣術がわかんないと日本武術・日本武道は本質的に読み解けません! 絶対、やったほうがいい! 間合・読み・拍子・目付け・丹田・正中線・体軸・死角・・・すべて剣術をやらなきゃ理解できないという結論に至りましたよ。

 8日のセミナーでは剣術と丹田・縮地の関係についても解説する予定です。模擬刀一本、鞘付き木刀一本で練習できますよ。新手のエクササイズとして発表しようかな~?と、マジで考えています。

 あ~、本当に遠回りしてしまった。もっと早く気づいていたら・・・。流石に、「剣術いくらやったって素手の拳法や体術にはそんなに役立たないだろう」と思っていたんですけど、大間違いでしたよ。まあ、気づいただけ恩の字かもな~?

 で、具体的に一つだけ例を挙げますと、剣の遣い方をやると、掌法の技を遣う感覚を養成できるんですね。

 私は拳法より掌法の方が得意なんですけれど、実際に初心者の場合も掌法だったら相手をKOしやすいんです。

「打撃の威力が面で作用する」「打撃から投げ・関節技・点穴へと移行しやすい」「そのまま武器術へと繋げやすい」・・・等の利点があります。

 特に、三番目の武器術との関連で考えると、切掌の遣い方はそのまま刀法になります。

 今は大刀を訓練していますが、今後は脇差を訓練して、それから二刀流をやる予定でいます。ここまでやると、そのまま掌法と日本刀術の融合になる・・・と考えています。

 本来の日本の伝統武術にはこういう遣い方が絶対にあったと思うんですけど、断片的にしか見られなくなっています(柳生心眼流くらいかな~?)。だから、もう自分で作っちゃえって感じでやっていますよ。

 結局、素手の拳法や体術しか知らないと、少々の打撃は身体で受けて耐えるという考え方にしかならないんです。死ぬかカタワになるという恐怖心があったら、相手の打撃を身体で受けるなんて考えには絶対にならないでしょう。

「そんなのムリに決まってるだろ~。長野は何を非現実的なことをいっているんだ」と思った人は私の本もブログも一生、読まなくていいです。読むだけ無駄だから、好きに自分の練習をなさっていたらいいでしょう。

 私は“護身術”を考えているんであって、試合に勝つことなんて考えていないんです。

 もし、相手が五寸釘でも握り込んでパンチしてきたら・・・夜中で暗い場所で襲われたら見えないでしょう。一発食らったけどボコボコにして倒した・・・でも、何か胸が痛くて呼吸が苦しい・・・おかしいぞ?と思っていたら肺に穴を開けられて救急車の中で意識が無くなって・・・なんて具合で死ぬ可能性もあります。

 素手の武道しかやったことない人は、武器の怖さに恐ろしく鈍感です。気の強い人は強引に立ち向かおうとしたりする場合も少なくありません。

 私が調べた限りでは、武道家で素人のナイフで命を落とした人の例で多いのは、圧倒的に空手と柔道をやっている人でした。かなり有名な空手家がバスの割り込みをした若者を叱りつけた次の瞬間、ナイフで胸をひと突きされて死亡した事件もあるそうです。

 トラブルを目撃して腕に自信があるものだから、不用意に割って入って、いきなり刺されたり、謝る相手を解放した途端に隠していたナイフで刺された・・・といったパターンがあります。

 私は先日、路上で揉めてるのを無視しましたが、路上トラブルが原因で渋滞している以上、すぐに警察が来るのが容易に予想できたし、暴れている男は前後の見境を無くしていたので話しても無駄。そうなると腕づくになる。そうなると弾みで私も過剰防衛に問われる危険性もある。

 トラブルに遭遇した時に自分が処理できるものなのか?といったことを瞬間に判断できないと思わぬ危機に発展する場合もあるんですよ。私は、この辺りの嗅覚が発達していたから、これまで何とか無事にやってこれている訳で、それも武術の教えですよ。

 だから、女性のように抵抗できない人が危険な目にあっている時でもないと、まず私は割って入ったりはしないんです。そういう判断を瞬間にするのも武術なんです。

 剣術をやると、そういう日常の危険性に敏感になってきます。日常の危険性で一番多いのが、殺意を持った人間は必ず刃物を用意するということ。ボコられて土下座して謝った相手が家から包丁持ち出して後から刺し殺したという事件もあります。その場で倒しても油断しちゃいけないし、刃物の怖さは自覚していなければなりません。

 同時に、剣で稽古相手を怪我させないように注意深くなれば、実戦時に必要以上に相手にダメージを与えずとも済ませられるようになるでしょう。

 武術で本当に重要になってくるのは、実はここのところです。

 思いっきりやったら相手を殺せる実力を得たら、今度は、いかに相手を傷つけずに取り押さえるか? そして説得して改心させられるか?という点を訓練しなければ、真の意味での“実戦平法”としての護身術とはなりません。

 特に空手などの打撃系武道を修行してきた人間は、相手を倒すことばかりに執着して、それをやったら自分がどうなるか?ということを考えない人も少なくありません。殴り倒しただけでは恨みを引きずることになってしまうのです。一寸の虫にも五分のプライドがあることを忘れてはいけません。

 こういう人はヤクザになるしか道はありません。泥酔する度に路上で人にからんで殴りかかったり、叱責されたくらいで上司を殴るようでは、ただの人間凶器。社会人として生きていくことはできません。

 やっちゃった・・・という経験は誰でもあると思いますが、問題はその後のアフターケアができるかどうかですよ。

 私は受けた恩義はずうっと忘れないし、それと同じくらい受けた屈辱も忘れません。後者に仕返ししてやろうとは思わないけれど、「必ずホエヅラかかせてやる!」と思ってますし、仕事頑張るモチベーションにもなりますからね。

 世の中は人の感情で動くもんです。だから、誰もが感動を求めるんです。感情を無視する人は何事も成さないですよ。

 これも武術やってきて解った人の心のメカニズムです。処世術にもお役立てください。


追伸;ここ何カ月かシダックス橋本駅前店をお借りして定期稽古会をやってきていますが、鏡張りでエアコンも完備しているという恵まれた練習場所です。これなら新しい会員も募集してもいいだろうと思っています。最近、技術体系もぐぐっとレベルアップしてきて師範代以外に新しく指導員も任命した(いや、この一年くらいでえらくレベルアップしたんですよ)ので、本気で武術に取り組みたい方、どうぞ、おいでください(ただし、原則として道場の掛け持ちは禁止です。揉めるから・・・)。
 つきましては、春の特別謝恩キャンペーンとして、三月と四月の二カ月間は、游心流武術健身法研究会の入会金と教材DVD『初級・中級』の半額セールを実施したいと思います。つまり、入会金は五千円。教材DVDは一万円となります。夜露死苦~!



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お花見会のお誘い

 今年の花見は、相模原でもほぼ中央に位置する公園の横山公園でやることにしました。

 なんでか?というと、ここはかつて私が毎日トレーニングしていた場所なんですね。まあ、マス大山における大峰山みたいなもんスかね~?

 ここは桜が沢山あって綺麗なんですよ~。

 日時は3月29日の昼2:00。JR相模線の上溝駅改札に集合です。古い会員さんでもセミナーにしか来ていない人でも参加可能ですよ。遠慮なくどうぞ!
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世の中、上には上がいるもんだ・・・

・・・と思いませんか?

 先日、TVで試し斬りの達人、町井先生がまた出演されていましたが、もう、笑ってしまうくらいのスゴ技を次々に披露してくれて、居合の抜き付けでエアガンの発射された6mmBB弾を一発で斬ってみせたのには開いた口が塞がりませんでしたよ。

 サヤエンドウを縦に斬るのも驚いたし、細い鉄管をバシーンッと斬ってみせたのも驚きましたけど、飛んでくるBB弾を抜刀一閃で斬るというのは、五エ門さんですか?って感じでしたよ。十字手裏剣とかだったら、絶対、打ち落とせるよ。

 何やら、「据え物斬りなんかできても大したことはない」と難癖つける人もいたんだそうですが、「じゃあ、お前、できんのか?」っていいたくなりますよ。高速で動いているのを斬るんだし、あの狙い澄ました精度は神業ですよ。

 しかも、抜き付けの一太刀で斬ってしまうところがスゴイ! あれはほとんどできる人はいないんじゃないですか?

 私も吊るした厚紙とか斬る練習はしてますが、固定してないと斬れません。正確に刃筋を通すのと太刀行きの速度が合致しないと斬れないでしょう。いくらか試し斬りやっている人なら、いかなる神業か想像できると思います。

 あれなら、コルトガバメント用の弾速の遅い45ACP弾くらいなら、特訓したら抜き打ちで斬れるようになるんじゃないかな~? 弾の太さは11mmくらいあるし、動態視力の良い人だと飛んでるのが確認できるくらい遅いっていうし・・・。

 以前、固定した日本刀(カスタムナイフメイカーとして活躍されているクザン小田さんが打った刀)にガバメントで45ACPのワッドカッター(鉛剥き出しの弾)を撃って、チーズが切れるように分断していましたから、正確に当てさえすれば斬れると思う。

 あ~、そうか~、日本刀を海外に持ち出すのは難しいから、ちょっと無理かな~? ならば、国内の射撃場で本物のエアライフルとかに挑戦するのはどうかな? 本物のエアライフル弾だと5.5mmと4.5mmの二つの口径ですが、昔のエアガンに使われていたツヅミ弾のような形をしているものの、やっぱり鉛でできているので、町井先生なら大丈夫ではないか?と・・・。


 まあ、こんなことを思ったりしておりましたが、同時代にこんな凄技の持ち主がいるというのは、いい目標になります。

 先週から、稽古にヌンチャクを使うようになりました。例の“居合術を全ての武術に応用する”という研究を具体的に進めてきています。

 ヌンチャクは怪我しないようにフォームラバーのものを使っていますが、打ったり、ヒモを使って逆関節を捕ったり、絞め技を使うのに役立ちます。

 また、ヌンチャクの代用として、マフラーとかタオルなんかも使えるんですね。そこから更に、素手の鞭手打ちにも応用できます。鞭手打ちは、ただ打つだけじゃなくて首に腕を巻き付けて一瞬に捻り倒すとか、腕に巻き付けるようにからめ捕って、一瞬に逆関節技に極めるとか、非常に変幻自在に応用することができますし、そもそも、普通に殴るより全然スピードが出るんですよ。

 中国武術は拳より掌打を多用します。太極拳も七割くらいが掌打だといわれますし、八卦掌、劈掛掌、通背拳など、拳より掌打を用いる門派も多くあります。

 これは技の応用が自在にできるからなんですよね。拳で殴ることしか知らないと技の応用は限定されてしまうんです。

 何か、やっているうちにドンドン技が発展していってしまうんですから、面白過ぎますよね~。

 それから、試合に挑戦している会員さんがうまくいかなかったというので、こうなったらリスクが高いから教えなかった(攻撃力は凄く出るけど、メッチャ疲れるので中年過ぎた人にはキツイと思って教えなかったのです)蛟龍十八式の技の中から“残影拳”というのを指導しました。

 コレは、デンプシーロールを高速歩法を使いながらぶちかますような技です。パンチの回転数を上げるには足を止めるしかないのが常識ですが、この技は歩法のスピードが上がれば必然的にパンチの回転数も威力も上がりますから、熟練すればするほど寸止めできなくなり、必殺技と呼ぶに相応しい絶招なんですけれど、瞬間的に物凄くエネルギーを消耗する欠点があるので、教えなかったんです。

 いや、教えても歩法ができないと体得できませんから、まだ無理だし・・・と思っていたんですね。歩法ができるようになった人から少しずつ教えようかな?と思っていたので、一年以上前までに教えていた人には一人も伝えていません。やって見せてはいたんですが、実質的に練習法を具体的に教えたのは初めてですね。

 この技はリスクが高過ぎるし身体への負担も大きく、力のコントロールも難しい。文字通り、奥の手としてしか使えない。

 けれども、何だか同じ相手に毎回負けてしまうということなので、敗因を考えると攻撃力の差みたいに思えたので、これは仕方がないから、とにかくリスクが高くても攻撃力を優先した技をやるしかないっ!というアニメ的展開で“肉を打たせて骨を砕く戦法”を指導した訳です。

 それにしても、私はどうしても顔面に攻撃しちゃうから、この技を全力でやると危ないんですよね。歩法で加速度がついて拳が止められないんですよ。

 それから、差し手で合わせ突きするのは割りと成功するようになったそうなので、そこから更に二度突きできるよう、形意五行拳の崩拳の用法も指導しました。

 普通の空手、ボクシングなどをやってきた人は、どうしても腕を戻して力をタメ込んでから打つ・・・ということを繰り返してしまうので、歩法の推進力と身体の重さを突きに乗せるという感覚がなかなか体得できません。

 これさえできれば触れたところからババババ・・・ッと寸勁連発して相手に反撃するヒマを与えないで済むんですけどね。

 どうも、話を聞いていると相手の攻撃を受け流してから打っているらしくて、それでは相手の攻撃を次々に呼び込んでしまうし、二拍子で攻撃しても十分な威力は出せない。

 長年染み込んだ動きは抜けないものですね。

 無論、何やってもいいんなら、破り方はいくらでも考えられますよ。ルール決めた試合の大変さはケンカの比じゃありません。結局、同じ条件で戦う以上、体力勝負にならざるを得ないんですよ。顔面叩いていいルールだったら、既にかなり有利に闘えるようになっていると思うんですが・・・。

 ケンカだと技より駆け引きがものをいいます。ケンカのうまい人は、いかに相手に何もさせないか?とか、相手に全力を出させて空回りさせるか?とかいったことを考えます。

 武術の場合は、試合は無視してケンカに適応することを考えていますから、武術やっていてケンカに勝てなかったら大問題でしょうね。

 練習後にオヤジ狩りを撃退したYさんの話をファミレスで話していたら、「彼は昔から結構ケンカしていたみたいで10回以上あるみたいですよ」と、仲の良い会員さんが打ち明け話を・・・。

 すると、他の会員が「え~、そんなにやっているんですか」と驚いていたんですけど、私は「えっ、そのくらいならオレもやってるけどな~」といったら、みんなビックリした顔で見るので、ちょっと照れ臭くなりました。

 私は、正直いって試合はやりたくないんですけど、ケンカは好きなんですよね。恨みもない人を殴ったりするのって嫌じゃないですか? 腕試ししたいという気持ちがどうにも私は理解できないんですよ。

 でも、ケンカだと基本的に「このヤロー、なめんじゃねえぞ!」って怒りの感情があるから、ヘーキで顔面にパンチできるんですよね。ルールに縛られずに済むから、どうやって倒すか?という一点を考える訳ですよ。

 文章読んでる人は解ると思いますけど、私、元々、物凄く気が短くて、すぐ怒る性格なんですよ。ただし、怒っても我を忘れたりはしないんです。怒ったら思考法が戦闘モードに切り替わって、「どうやれば勝てるか?」とか、「どうやれば正当防衛になるか?」といった具合に瞬間的に戦略をたてられるんです。

 こういう時は自己陶酔してますからね。「オレって何て戦略家なんだろう?」って自分で感心してしまう。やっぱり、戦闘マニアの変態としかいえないでしょうね。

 誤解しないでもらいたいんですが、やっぱり、暴力は怖いし見るのも嫌ですよ。だけど、暴力をふるう不届き者をこらしめる時は、「自分はそんじょそこらの暴力にやられるような技をやってきてはいないし、どんな相手にも必ず弱点はある」と考えて、とにかく弱点を探って倒すチャンスをうかがう訳ですね。

 そういう時は“勝ちゃあいいんだよ”としか考えないから、それこそ暴走族でもビビるくらい汚いこと平然とやりますよ。

 こんなことをいえば、「通り魔にいきなり刺されたらどうする? そんなこと考えるだけ無駄だよ」ってしたり顔していう人もいますけど、こういうのは論理のすり替え。自分ができない(やらない)ことの口実でしかありません。勝手に死ねば~?って感じ。

 Yさんの場合、女性を同伴していたんですから、そこでやられてしまったら女性にも危害が及ぶし、面目も失って長年修行してきた空手の流派や、護身術をうたっているうちの流派にも泥を塗ることになってしまいますよね。

 単に不幸だったでは済まされるものじゃないんですよ。

 それに、突き蹴りで相手を叩きのめして間違って死なせてしまっていたら、その場合も人生が台なしになりかねません。

 更にいえば、そんな不届きな者がいる夜道を女性だけで帰らせていたら、それこそ危険だった訳で、二重三重に正しい判断だったということですし、その判断を実行できる裏付けのある技能を持っていたことが一番良かった。

 結局、現実がどうか?ということが大切なことで、理屈で何をどういってみても意味がないんですよ。どんな理想論を唱えても負けたら意味がない。

 少林寺拳法は「正義なき力は暴力なり。力なき正義は無力なり」っていってますけど、説得力ありますよね~。

 以前、オヤジ狩りにあって後遺症の残った人がニュース番組で話しているのを見ましたけれど、悲惨ですよ。面白半分で人を傷つけるような人間に話して納得させられるなんて勘違いはしないでもらいたいもんです。

 私も武術やっていなかったら生きてないんですよ。具体的にどういう経験をしたかってことは差し障りがあるからいえないんですけど、本に書いてることより書けないことの方が多いんです。

 少なくとも、暴力に負けない技能は体得しておいて絶対に損にはならないと断言しておきます。世の中、口でいってわからない人はいくらでもいますよ。面白半分に人を傷つけるキチガイもいるんですよ。

 家庭で、学校で、職場で、町中で、深夜の終電で・・・世の中はいつ訪れるかしれない暴力に満ちているという現実をわきまえて対抗策を備えておくのが賢明な選択です。

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田中泯「斜面の生活-続-」感想

 3月20日にPlanBにて、急遽、田中泯さんの踊りをやるということで招待状をいただいたので、観にいってきました。

 私の勝手な印象ですが、田中泯という人は、内部にドロドロと沸騰した黒い熔岩を湛えているように見えて、いい知れぬ畏怖を感じる人なのです。『たそがれ清兵衛』を観た時も、『隠し剣・鬼の爪』の時も、そして、今現在、直にお会いする機会を得てからも、一貫して田中泯という人は私の中で“異人(マレビト)”であり続けています。

 今回の独舞は、中国で場踊りを試む前に、どうしても踊っておきたいという衝動で企画されたそうでした。

 土方巽さんの生誕を祝う会の時の、あの剥き出しの戦闘的な荒ぶる衝動が、泯さんをつき動かしたのだろうか?・・・と、あの時は意味も判らず戸惑っただけでしたが、少し時間をおくと、何となく、その衝動の正体が見えてきたような・・・いや、こういう表現は傲慢かもしれませんね。

 私は、言葉なんか信じません。人は思想だの信念だとかいう“言霊”で他人を洗脳したがるものです。

 私は、文章書いてお金もらってる人間だから、そのカラクリは知っています。人間は自分の本心にさえ嘘をついて、その嘘を他人にも信じさせようとするんですよ。

 だから、騙しの手口に引っ掛からないためには、その人の生きざまから生まれた考え方や価値観があって、そこから出た言葉から“真意”を探らなければならない。

 泯さんが挑発的な言葉を投げかけたのは明らかに“わざと”であり、単なる侮辱とは違うんですね。単なる侮辱でしかなかったら、私だって黙って聞いたりはしていないんですよ。

 衝動的に突如として噴出した挑発の文言の裏にいかなる考えがあるのか? “その衝動の意味を見せてもらおう”という気持ちで足を運びました。

“人としてお前のその態度は何なんだ?”という無言の叱責のニュアンスも感じたんですが、残念ながら真意は聞いてみないと解りません。私の態度が気に障ったのか? 話した内容が気に障ったのか? あるいは以前から感じていた私の問題点について指摘したかったのか? あるいはまた、単に負けず嫌いなだけなのか? それとも、単に論争するのが好きなのか?

 正直、解らないんですが、あれこれ考えたって、しょうがない。舞踊家に言葉は不要。踊りの中に感じられるものがある筈だ・・・と、そう思うだけです。


 当日、丁度、新刊本もできあがったところだったのでお土産代わりに持参しました(う~ん、もしかして、こういうナルシストっぷりが気に入らないのかも~?)。


 さて・・・会場に座って待つと、真っ暗な闇の中でザラザラ、ドンドン・・・と音がします。照明がない中で微かに聞こえる音の気配・・・しばらくしてから、火を灯す泯さんが小さな炎に浮かび上がります。

 ザルを持って、火で炙り、山中のあばら家で独り遊びに興じる老人・・・炎が消えると別の火皿に灯し、眉毛も焦げんばかりに顔を近づけてのぞき込む。

 じっと見ている私は、何故か大量の汗が滴り落ちます・・・呼吸も苦しくなってきました。「ヤバイ・・・パニック発作が出てきそうだ」と思い、会場の外へ出ようかどうしようか?と思いつつ、ぎっしりとお客さんが詰まっている中を出るのは困難と思い、ここはできるだけ我慢しようと決めて、踊りに集中しました。

 踊り自体は淡々としたものでした。が、私はトランスに引き込まれて“気”を吸われている感覚でした。時間にして一時間くらいの踊りが、私にとっては五時間くらいに感じられ、魔の空間に引き込まれた感覚でした。

 十年くらい前にも舞踏系の踊りを見ていて、こちらも無意識に感応してえらい疲れたことがありましたが、今回はその時の比ではありません。ブラックホールに吸い込まれそうな感じとでもいいましょうか?

「どうして、みんな、平然と観ていられるんだろう?」と思いました。気功をやっているとか野口整体をやっている人ばかりを集めていたら、恐らく会場はトランス状態で黒ミサのような群体運動の異様な景観を呈したでしょう。

 田中泯さんの師匠、土方巽は暗黒舞踏の創始者といわれていますが、その言葉の意味が身体で解ったような気がしました。

 踊りが終わった瞬間、あれほどのキツイ感覚が、むしろ身体に溜まっていた邪気を吸い出されたかのような心地よい疲労感に変わっていたのは、まったく初めての体験で驚かされました。でも、こんなにグッタリと疲れ果てたのも初めてです。

 久々に、身の毛もよだつような凄まじい踊りを観ました。まるで、人の形をした“鬼”です。やはり、最初に感じた、「この人の中には鬼が住んでいる」という直感は間違っていなかったんだと改めて思いました。

 火皿をのぞく泯さんの眼がまったくまばたきしていなかったのを観た時、いい知れぬ寒気を感じたのです。暗く沈む陰鬱な黒い淵・・・しかし、それはどんな艶やかな色よりも美しい漆黒の闇の色なのです。

 舞台に設けられた小さな池も、奈落に通じる黄泉の池みたいに思えます。そこに泯さんが立つと、まるで水面に浮かんでいるように見えるのです。何だか、こちらの三次元感覚が狂わされてしまうみたいでした。

“魔”を宿す武道人は、現代には皆無でしょう。私があくまでも武術の研究家としか名乗らない(名乗れない)のは、その“魔”を希求して生き死にを超えた境地に憧れるからです。

 武道家とか武術家と現代で名乗ることの滑稽さ。幼稚な優越感をツラの皮一枚で隠して実戦を語る実戦を知らない人達。それをまた大仰に祭り上げてみせるメディアの住人や文化人と呼ばれる山師達。虚仮威しの権威者連中に迎合してみせるほど、私は恥知らずには成り切れません。

“魔”を知らない者の武道、武術とは空しい言葉だけです。健全な社会体育としてしか現代社会での存在を許されない武道や武術に、私は全然、興味がないのです。“研究家”といい続けるのは、武術の“魔”を追究する私のせめてもの“矜持”なのです。

 技をみがく“磨”が稽古ならば、戦闘の“間”を見極めるのが実戦。しかし、実戦を体験すれば“人”でなくなる。剣で斬り合い、銃で撃ち合う・・・もはや“魔の者”です。

 現代で、武道、武術の世界に“魔”を宿す人はいないでしょうが、ここに“いた”・・・と、私はそう思いました。

 真っ黒い熔岩が煮え立つような“魔”を潜めた男・・・。

 もし、泯さんが舞踊ではなく武術を選んでいたら、宮本武蔵ですら及ばない境地に達していたでしょう。我を捨てられない武蔵は、まだ人間ですよ。田中泯が武術を選んでいたら“真実の魔人”になっていたかもしれません。

『たそがれ清兵衛』で田中泯が演じた余吾善右衛門なる人物は、藤沢周平の原作では、しょうもない男でした。それが、かくも見事な剣鬼になり得ていたことに、遅ればせながら舌を巻いたものでした。

 私は、武術を追究する者の一人として、現実にそれを見てみたいという欲望と共に、「そんな人間は現代にいるべきではないんだよ」と、囁く理性に目を覚まさせられるのです。

 今回の踊りを見て、改めて、フェイク武道、腐れ武術が全盛期の現代日本で、絶滅した筈のニッポンオオカミを、見たような気がしました。


 芸能芸術は、私にとって羨ましいものです。見る人をして感動させられるから・・・。

 それに比べると、武術はあさましい。偽物は見苦しく、本物はおぞましい。

 クソの役にも立たないフェイク武術を自慢たらたらに演じて見せる武術家気取りの阿呆連中に私がいいたいことは一つだけ。「切腹しろ!」の一語。

 けれども、本当の実戦に役立つ武術の技なんて、ただの殺人術でしかない。

 以前、公園で拳法を教えていた時、太極拳を演武していると、ベンチに座って見ていたオバチャン達が、「あの人、うまいわよ~」と感嘆したように話しているのが耳に聞こえ、てきましたが、実戦用法を教え始めると、オバチャン達はヤクザでも見るように慌てて脱兎のごとくスタコラサッサと逃げてしまいました・・・。

 私の技に感動してくれるのは、同じ変態仲間の空手バカ一代みたいな人達かアメリカの特殊部隊出身の人とか、暴走族かヤンキー兄ちゃんみたいなのばっかり・・・。カタギの人間は毒蛇にでも遭遇したように逃げる。

 そういえば、同じ公園で師範代に教えさせていたら、見るからにヤクザですって感じの「俺も空手やってんだよ。松濤館二段もらってんだよ」なんていってニヤニヤしながら練習中に近寄ってきたオッサンが、代わって教え始めた私の残忍過ぎる技を見ていて、じわじわ離れていき、しばらく黙って見ていたかと思ったら、「オスッ、失礼しまっス!」と別人のように礼儀正しくお辞儀して去っていきました。

 そんな次第で、私は自分の研究している“これが本物の武術だ”と思える技は、ほとんど本にもDVDにも出さないし、セミナーや講座でも隠しています。

 そこを予測できる人(例えば、新体道の青木先生とか)だと高く評価してくれるけれど、そういう人は自分でもそういう技の存在について知っているから、「あ~、長野さんは隠しているんだな~」と考えて評価してくれた訳でしょう。

 普通は知らないから、知識自慢したい連中はイチャモンつけるだけでしょうね。

 本物の武術を追究すると、暴力の本職の人達すら怖がるような凶悪な技になってしまうものです。それも当然。何百年、何千年という歳月をかけて無数の人間が実戦経験の中から知恵を絞って積み重ねてきた殺人テクニックのエッセンスなんですから、親や先生にすらひっぱたかれたことのない現代日本の普通の人なら拒絶反応が出てしまうでしょう。

 現代で武道や格闘技は競技スポーツであって、殺し合う技術を修練するものではありません。が、武術は昔も今も、人を殺せる技術を修練するものです。棒や剣や弓矢や鉄砲といった武器から、毒薬や火薬を扱う方法まで研究されているのです。

 現代で一番近いのは特殊部隊の野戦体術でしょう。殺す技に関しては・・・。

 無論、素手の技も基本的に「どうやったら簡単に人を殺せるか?」というのが前提であり、人体の急所と、その攻撃方法を事細かく研究されています。そこから逆に整体・接骨・活法などの医術も工夫されたのですが、現代ではどちらもほとんど失伝されています。

 でも、こんな“本物の武術”については、「ちょっと、やって見せてくれ」といわれてもどうしようもありませんよ。確実に誤解されるだけの話です。

 だから、先人は、昔ながらの武術を社会体育として危険なもの(つまり、本質)を取り除いて伝えるしかなかったのでしょう。それから数十年経過しているうちに武術としての本質は、やっている人達すら、その存在を忘れ果ててしまっているという訳です。

 この辺の事情については最新刊『武道に伝える武術の教え』に一通り書いていますから、是非、読んでみてもらいたいですね。ひょっとすると私の遺作?になるかもしれないので、ヨロシク!


追伸;まあ、たまには嬉しいこともありました。うちの会員さんで極真空手を長く修行されているYさんがオヤジ狩り?に遭遇したそうなんですが、同伴の女性を守って、不届き者のパンチを差し手で遮りつつ、崩して逆手で制圧。結局、不届き者は泡食って逃げたそうですが、お見事です! 極真で鍛えた度胸があればこその制圧術とは思いますが、人を傷つけず、自分も同伴者も傷つけられず事を収められたのは、本当に理想的な展開です。こういう風に役立ててもらえると、私も本当に嬉しいものです。まあ、「武術もそんなに悪いもんじゃないかな~?」と、ちょっと安心しますね。あ~、オレもオヤジ狩りに遭遇してみたいな~(意味深・・・)。

追伸2;NHKハイビジョンで、アマゾン川の奥地に住むヤノマミ族のドキュメンタリーを見ました。この番組は田中泯さんがナレーションを担当されていて、地上波では四月に放送されるそうですが、一万年前からほとんど変わらない生活を続けてきたというヤノマミ族の風俗を100日以上、一緒に居住して撮ったというから凄いものです。私は諸星大二郎の『マッドメン』を思い出しましたね。

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『武道に伝える武術の教え』完成!

 一月に文芸社さんから『武術と生きる日々』が出たばっかりだというのに、アスペクトの武術シリーズ第五弾『武道に伝える武術の教え』(自著としては通算7冊目)、早々に完成しました。

 早々っていっても、実は二月には出る予定で昨年末から進めていたんですけれど、十二月が体調不良で丸々仕事できなかったり、企画変更がたび重なったりで一カ月も伸びてしまったんですね。

 でも、一月から二月にかけてライトノベル三冊分くらいの量の原稿は書いてますよ。

 今回は資料本も十数冊は読み込んで書いたので労力もかかったし(ページ数の都合で参考資料一覧を掲載できず、大変、失礼しました。次回作には載せたいと思います)、これまで書いた本の中でも二番目か三番目くらいには苦労しましたね~。

 それでも、喉元過ぎれば熱さ忘れるという通り、今回もできあがってしまえば、「もっと、こうすれば良かったかな~?」と反省するところもあるんですが、まずは「最新刊が最高傑作」という物書きとしての志しは裏切らずに済んだかな~?と思っています。

 この一冊読めば、現代武道と古武術、そして気の武術と気功、最近流行の武術系身体操法の裏事情についての概略が、おおよそ理解できるようになっています。

 恐らく、こういう本はいまだかつて誰も書けなかっただろうと思っています。

 なぜ、書けないか?というと・・・

1,こんなことを研究している酔狂なヤツはいない!

2,メチャメチャ敵をつくる!

3,武道マスコミを根底から引っ繰り返しかねないので武道系の出版社では企画が通らない!

・・・とまあ、このような理由が考えられます。

・・・と、こう書けば、一体、どんな内容なのか?ということはお察しいただけるのではないか?と思っております。

 空手道(沖縄空手・伝統派・フルコンタクト派)、剣道(古流剣術・古流居合術・剣道と剣術もし戦わば?)、柔道(古流柔術・少林寺拳法)、合気道(大東流・八光流・脱力技法と軸の操作・必殺ヘドラ固め)、中国武術(日中武術交流史・松田隆智評伝・神秘の解明・電光石火の太極拳・極悪八卦掌・必殺猛虎硬破山・凶悪の実戦蟷螂手)、身体操法(古武術と無関係な身体操法・新体道戦闘法・発狂する気の武術・誰にでもできる合気の神秘・科学で解明できちゃう甲野理論)・・・といった具合の“問答無用の武道武術界の掟破り決定版”となっております。

 スゲェ~・・・自分で書いておきながら、なんちゅうムチャクチャな本を書いてしまったんだろうか・・・と、できあがった本を読み直していて慄然としてしまいました。

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 これ読んだら、いろんな武道武術関係の人(武道家・武術家・武術ライター・武術誌編集者など)が寝込んだり脳卒中や心筋梗塞で倒れたりするかも~?(スネに疵もつ皆さん、南無阿弥陀仏・・・)

 なんか、もう、私は問題作しか書けない体質になっちゃってるかも~?

 これからは「武術界の快傑ズバット」とでも呼んでくださいまし・・・。

PS;書店には25日くらいに並ぶと思います。確実に都内在住で確実に入手したい方は神保町の書泉グランデ2Fの長野コーナー(ホントにあるんだヨ)に御来店ヨロシク。私の地元(相模原市渕野辺)では、渕野辺駅前の有隣堂さんには入荷すると思います。こちらは過去の本もありましたので、御近所にお住まいの方は是非、どうぞ~。

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君は『13階段のマキ』を知っているか?

・・・っつったって、そりゃあ、知ってる人はほとんどおらんよな~・・・。

 この作品は、女必殺拳シリーズで確固たる日本のアクション女優ぶっちぎりのナンバー1の地位をしめた志穂美悦子の伝説の一作です。

 でも、今となっては、「ナガブチの嫁」といわないと誰もわからないだろうな~?というくらい女優業から離れて久しいし、娘もデビューしたけどアクション女優として活躍しそうな気配は皆無だし・・・。

 志穂美悦子の活躍というと、『女必殺拳』『女必殺拳危機一発』『帰ってきた女必殺拳』『必殺女拳士』『女必殺五段拳』『華麗なる追跡』といった主演作や、『激突・殺人拳』『激殺・邪道拳』『激突・合気道』『ゴルゴ13・九竜の首』『忍者武芸帖・百地三太夫』『吠えろ鉄拳』『コータローまかりとおる』『柳生一族の陰謀』『宇宙からのメッセージ』『里見八犬伝』『二代目はクリスチャン』といった映画作品から、『キカイダー01』『大江戸捜査網』『ザ・ゴリラ7』『爆走・ドーベルマン刑事』『熱中時代』『柳生一族の陰謀』『柳生十兵衛あばれ旅』『影の軍団Ⅱ』『影の軍団Ⅲ』といったTVドラマや『欽どこ』のレギュラー、『ジャッカー電撃隊』のゲスト出演等々・・・非常に多岐にわたっています。

 そんな悦子の芸能生活の中でもファンですらも隠しておきたい汚点・・・それが『13階段のマキ』・・・の、より正確にいうと悦子自ら歌ったタイトル曲なのです・・・。

 いや、正直、私も劇場の椅子からコケそうになってしまいましたよ。

 はっきしいって、音痴! う~ん・・・『柳生十兵衛あばれ旅』の時はそんな酷くなかったから、この時に発奮してボイストレーニングとか励んだんでしょうね~。

 そんな伝説の『13階段のマキ』が、ついに東映チャンネルで放送されます。

 これはある意味で必見! まず、登場した瞬間、笑えます。なぜ? WHY?

 それは、悦子の着てるTシャツの胸にデカデカと「13」と書いてあるから・・・バカ過ぎる・・・これじゃコントだよ。

 一瞬、どういう映画なんだろうと思ったんですけど、普通に女必殺拳シリーズと変わりません。

・・・っていうか・・・女必殺拳シリーズも相当バカ度が高いんですよね~。「琉球拳法・湖城流」だとか「高砂流吹き矢」とか「アマゾネス7」とか、次々に頭のイカレたようなバカ武術家が登場してきて悦子を襲う訳(なんか『地上最強のヨメ』みたい)なんですけど、例によって、敵のナンバー2は、ことごとく石橋雅史先生なんですよね。

 確かに師匠の千葉ちゃんのカラテ映画も相当なバカ度でしたけど、悦子主演作のほうがバカ度が高いような気がするんスけど・・・気のせい?

 そういえば、もうやめた会員が、以前、「先生、『風のファイター』(大山倍達先生の韓国版自伝映画)は最高ですよ~」というので見たら、千葉ちゃん主演のマス大山映画『喧嘩カラテ極真拳』『極真無頼拳』『空手バカ一代』と見比べたら、ぬる過ぎて、「こんなのより千葉ちゃん主演作の方がずっと面白いよ」といって見せたら、「うわっ、ホントっすね~」といってましたっけ。

 だってね~。千葉ちゃん演じるマス大山がヤクザを殴り殺しちゃって、空手をやめて遺族に償いをしようとしていたかと思ったら、クライマックスでは群がる敵を何のためらいもなく撲殺していくんですから、「何だったんだ、アレは~?」と思いましたよ。

 そんな東映伝統のカラテ馬鹿映画群には、最近の洗練され過ぎてぬるくなってる武術映画にはないデタラメなパワーが漲っています。

 今、こういうデタラメなパワー映画が撮れるのは、三池監督と北村監督くらいかな~?

 とにかく理屈抜きに「なんじゃ~こりゃあ~?」と思わせてくれるような映画が見たいですよね。

 な~んか、洗練された高尚な映画を撮ればいいと思い過ぎてるんじゃないスかね~。そんな眠くなる映画より、理屈抜きに楽しくなれる作品を撮って欲しいですね~。

 時代劇なんかも、別に高尚に撮ったっていいですよ。でも、殺陣だけは、頼むから手抜きしないでくれぇ~! 淡々と進んでいても、殺陣が凄かったら、それだけで名作になりますよ。理屈じゃないんです。

 逆に、どんな名作でも殺陣がダメだったら、ガクーンと印象が悪くなります。例えば、映画版の『蝉しぐれ』・・・御前試合のシーンとクライマッマスの一騎打ち対決のシーンの、あの不条理極まりない“能”から採ったという殺陣・・・あんなキテレツな演出は絶対にやっちゃダメ! 堂々と剣技を戦わせて決着をつけなくちゃダメ! あんな奇をてらった演出は単なる逃げです。あれでは、その後の変位抜刀霞斬り?も活きないですよ。

『隠し剣・鬼の爪』も、田中泯さん演じる剣の師匠が秘太刀を教えるシーンは最高だったのに、肝心のクライマックスの対決は、もう素人が刀持ってジャレてるみたいで全然ダメでした。小澤征悦は一刀流の遣い手という設定なのに、丸っきりそう見えない。

 ああいうのがリアルなんだといわれるなら、絶対に違うと私は断言しますよ。長年修行していれば、その動きは身体に染み込んでいて形状記憶合金みたいに剣持った途端にビシーンと姿勢が決まって眼光に力が漲るものです。

 そういうのは演技力だけではどうにもなりません。身体と精神が一致して出てくるものだから、訓練していない人間にはできないんです。『たそがれ清兵衛』の時は真田広之という当代随一の殺陣の名手と、田中泯という世界に名だたる舞踊の名手だったから、あの荘厳なまでの対決シーンができたんです。

 NHK大河ドラマ・アーカイブスで柳生宗矩の一生を描いた『春の坂道』の最終回を見ましたが、余命いくばくもない宗矩が明国出兵しようとしている徳川家光を諌めるのに無刀取りをやってみせるんですが、実際に居合道も修行していたヨロキンの鬼気迫る殺陣と相俟って、非常に素晴らしいシーンになっていました。

 この作品は江戸柳生流を継承する大坪指方師範が武芸考証されていたから、頭上で拝み取りにする真剣白刃取りではなくて、斬り込みを躱して峯側から刀身を挟み取っていましたが、合理性に則った技と死を覚悟して教え諭そうとする宗矩の姿が感動的でした。

 また、国広富之が主演した『新吾十番勝負』1~3でライバルを演じた新国劇の大山克巳の殺陣の見事なことといったら、ため息が出ます。実際に神影流や鹿島神流も学ばれたと本で読んだ記憶がありますが、剣の振り一つが芸術ですよ。この人の場合、眼神が尋常じゃないですね。まるで大山倍達みたい。

 その他では、『ザ・ヤクザ』の時の高倉健も素晴らしかった。元ヤクザの剣道師範でロバート・ミッチャムと一緒に敵のヤクザの組に殴り込むんですけど、これが見てるこっちまで油汗が流れてきそうなくらい緊迫感に満ちていて、日本刀の殺陣シーンの中でも最もリアルな作品の一つだと思います。

 ともかく、志穂美悦子の女ドラゴン全盛期の作品群、この機会に未見の人はご覧になってはいかが?
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感覚を研ぐ心法への転換

 最初は流派の名前もなく、游心流と名乗るようになってから、ほぼ10年が経過し、昨年末には「游心」という漢字に拘る必要もないだろうと思い、「この際、遊心流でもアリにしようよ」と話し合って、“遊”の字も使うようになりました。

 言霊(ことだま)というくらい、ネーミングというのは思いの外、現実に影響力を持つものです。

 最後の拘りみたいな“游”の字への執着があったんですけど、書家として御活躍されている新体道の青木宏之先生(書家としての号は青木天外先生)から、思いもかけず「遊心」との書をプレゼントしてもらって、その執着も解けました。

 その時に、「長野さんも、これからは心法の研究をすべきだよ」といわれたことも大きな切っ掛けになりました。

 正直、武術の身体操法に関しては、一通りは研究してきて、これ以上の発展性は感じなくなっていたんですね。もう、いろんな人が研究発表して出尽くした感もあります。

 所詮、人間の身体はいくら開発してもゴリラのパワーや、チーターの走力、イルカの泳力とは比較すべくもない。

 そんなチンケな能力開発やるヒマがあったら、人間が最も優れた能力に磨きをかけた方がいいと思うようになっていたんですよ。

 人間が他の動物より圧倒的に優れているのは頭脳。なら、それを磨かずして何をやるべきか?

 もっとも、頭脳を磨くというと、単純に脳トレすりゃ~いいと思う人が多い。

 私は武術研究家だから、武術を通して頭脳を磨く方法を考えないと意味がありません。

 そんなことを漠然と考えている時に青木先生から示唆を受けたので、稽古法の中で身体感覚を研ぐ研究を昨年11月くらいから密かにやり始めていたんですね。

 これは実際に指導している会員さん達にも内緒にしていたんですが、そろそろ打ち明けてみましょう。

 推手と差し手で、相手が力を加えてくる(加えようとしている)方向を敏感に察知してベクトルを外して逆転していく稽古を集中的にやらせていたんですね。

 これって、単純に身体を動かすだけでは養成できないんですよ。必然的に加わってくる力の圧力と方向を探るように神経を意識的に働かせていないといけない。

 神経の知覚機能を鋭敏にしようとすることは、それだけ脳を使うんですね。

 普通、頭脳を鍛えようと思って頭だけ使っているとオーバーヒートして疲れる。身体を使いながら脳を同時に使うことで脳の疲労を分散し、無理なく発達させられる筈だと考えた訳です。

 武術は自分勝手に無目的に稽古しても思うようにレベルアップはしないものです。

 あくまでも人と触れ合う相対稽古の中で相手を読み、それを自分にフィードバックさせることで発達させていくものです。

 この原理が解っていれば、別に武術の稽古でなくとも、町中歩く中で人の流れを観察しているだけでも頭脳は鋭敏に稽古と同じように働くし、人の話や表情の中からも無数のヒントを得られます。

 例えば、先日の土方巽生誕を祝う会の時も、「一つに集中し固めたら、また、バラバラに分散させて・・・」といった國吉和子さんのお話を聞いていて、私の頭の中では、「重心を集中して発勁を打ちこんだら、すぐに体内に重心をバラして相手の攻撃を受け流すようにすべきだよな~」と、技法と戦術に置き換えながら聞いていました。

 私は性格的には空手拳法系の“打撃で極める”のが好きなんですが、技能的には合気系の“受け流す技”のほうが明らかに向いているんですね。

 松田隆智先生から「長野くんは化勁の達人だな~」と笑われたことありますよ。

 どういう意味か?ってえと、人から非難されても話をはぐらかして煙に巻くのが巧みだから?・・・みたいです。

 戦い方って性格が現れますよ。私は人とガンガンぶつかり合うのは苦手で攻撃されたら受け流して相手に返す。弱者が負けないほとんど唯一の戦法です。

 だから、「こいつぅ~、何でこんな平然とした顔してるんだ? 強いのか弱いのか、さっぱりわからん・・・」みたいに思われちゃうみたいなんですよね。

 でも、武術は強さは求めませんから。最終的に勝てばいいんですよ。生き残るのが目的なんだから、無駄にやり合うとか競い合うという観念はないですからね。というか、それは極力、避けなきゃならん。

 現代は武道と格闘技がゴッチャになってしまって、本来の武術の発想が忘れられてしまっていますね。本来、武術は人に見せるものじゃないんですよね。

 だから、武術を見世物にしている人達には疑問を感じるんだし、逆説的に“舞踊にしろ演劇にしろ、最初から前提として他人に見せて感動させることを目的にしている芸の世界に生きている人達”が羨ましくってしょうがないんですよ。

 自主映画やってた頃の友人知人は、その後、本格的にプロの映像製作をやったり演劇の道に進んだ人もいますが、私も本当はそういう道に進みたかったけれど、その才能がなかったから、今でも羨ましいですよ。

 もっと才能があったら、アクションスターとか目指していただろうし、プロの映画監督になろうとしていたでしょう。

 やっぱり、そういう芸能の世界というのは才能がものをいう世界ですよ。

 人間は、自分に適した仕事をやるのが一番の幸せですよ。だから、残念ながら、芸能の世界で活躍できるような才能のない私は、いつの間にか武術の研究などというヤクザな商売をやるようになってしまった訳ですよ。

 でも、幸か不幸か、武術に関しては私は向いていたとしかいいようがありませんね。だって、観てるだけで技の構造が解っちゃうし、真似したら大概、できちゃうんだもん。見て覚えた技で、白州では「合気道の先生だ」っていわれちゃったもんな~。マジで、合気道は一時間半しか習ったことないですからね。


 え~っと、脱線しまくりましたけど、要は、身体感覚を養成するというのは頭脳と身体を同時に鍛えることだという訳です。

 そして、その訓練法として推手は非常に奥が深いものなんです。

 で、理論上、手で推手をやるように、棒や剣でもできるようにすべし・・・と思って、ちょっとやらせてみたんですが・・・これはもう全然ダメでしたね。

 模擬刀でやったら、いきなり緊張しまくって力みまくる。こりゃ~あかん・・・。

 推手が相当できるようになっても、まだ実質は機械的にやっていたという訳で、このままじゃ、いくらやっても身につかない。下手すりゃ大怪我しかねない・・・。

 それで、やらせている稽古の意味について理解してもらわないと先に進めないな~と思ったので、コレを書いている次第。

 私の目論みでは、真剣使って推手できるようになれば、佐川幸義先生のような触れた瞬間に相手の重心を崩してしまうような超絶の合気が駆使できるようになるというアイデアがあって、やらせているんです。

 正直、合気の技術理論構造は分析できました。後は、それをいかに体現していくか?ということであって、それは感覚の差だという結論に達したんです。

 これは、いくら素手でできるようになっても、どうしても感覚的なレベルの差を埋められないと思って、ミリ単位で力のベクトルを外していかないと大怪我をしてしまう刀でできるようになれば、「素手なら、どうにでもできる」と予測した稽古法なんですよ。

 類似したものとしてはシステマのナイフ捌きがありますね。物凄く巧妙にナイフの刃が立たないように身体をうねるように使っていなしていくでしょう? ああいう稽古は単なる身体操法ではできないですよ。

 木刀やプラの模擬ナイフでやれば形の上ではそれなりにできるようになるでしょう。

 だけど、そんな稽古をいくらやっても本物の刃物を前にしたら緊張して動けなくなるものです。合金製の模擬刀ですら、真剣と同じように見えるだけで緊張して動きがコチンコチンになってしまうんだから、むしろ、本物に慣れた方が早い。

 スタントマンがビルから飛び降りる時に、もっと高い階から飛び降りるマット位置を確認して、心理コントロールして臨むというのを聞いたことありますが、より困難なことを訓練していれば本番で余裕ができてくるんです。

 無論、危険性のある稽古は、より注意深く慎重に安全性に配慮しなければなりませんが、そうすることが武術を学ぶことの現代的意義だと思いますね。

 ビビッてもダメ。ビビらなくてもダメ。恐怖心や緊張感、注意力の欠如を克服して心を鍛えるから武術修行の今日的意義が認められていく・・・。

 心を制御するというのは、自分のことばかりではなく、相手の心も制御する、気配りする、読む・・・といったことです。

 そして、武術というのは人の闘争本能をコントロールしていく心術を目標に据えなければ、取り組む価値がないものです。格闘の技能を競い合うスポーツとは目指しているものが全然違うのだという明確な認識を広めないといかんな~と思う今日この頃。

 あらゆる人がスポーツ的強弱の論理でしか解釈しようとしない。全然、違うもんなのに、やってる連中まで理解していないから、話はどんどん低劣になる・・・困ったもんだ。
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遊心流の技法体系に大変革

 数年前からアスペクトの武術シリーズ本でイラストを描いてもらっている漫画家の黒谷薫先生から、「この数年間で長野さんの技はどんどん進んでいってますよ」といわれて、ちょっと照れ臭かったんですけども、「あっ、やっぱり、そう見えますか?」と答えました。

 いや、自分でも相当に変わってきているという自覚はあったんですけれど、客観的に見て指摘してくれる人は中々いないんで、確信は持てなかったんですね。

 具体的には、脱力技法が原理的に解明できたことと、体術と武器術の垣根がなくなってしまったことが大きいでしょうか?

 歩法と手技との連動がうまくできるようになってきたという点も大きいでしょう。

 これらの点については、剣術をベースに考えてきた結果なんです。

 もっとも、剣術といっても、うちのやり方は居合抜刀の術から開始するのが特徴で、これを体術(無刀捕り)にも応用できるようにしようと思って研究してきていたんです。

 ところが、新刊本の技術解説用のイラスト向けに参考写真を撮っていて、「あ~、そうか? 別に居合と体術だけじゃなくて、棒術・杖術・短棒術・ナイフ術・ヌンチャクでも何でも応用できるじゃないか?」と、気づいてしまったんですよ。

 意味、わかります?

 要は、「居合で応じる技を工夫していれば、素手の技にも、逆にあらゆる武器にも応用できる?」という直感があったんです。“閃き”とでもいいますかね~。

 最初は漠然とした閃きだったんですが、考えれば考える程、アイデアとしての具体的な技の展開が温泉が湧き出るみたいに次から次に出てくるんですよ。

 でも、やっぱりコレも、本来はいろんな武術の中に含まれていたことなんですね。気づいたそばから、更にそのことに気づかされていく・・・というコイル構造がそこにある。

 遊心流という名前の通り、うちのやり方は型をカチッと履修するのではなく、“遊び”の部分を大切にして型をいじくり回しているんですね。それは不謹慎なことなんですけど、結果的には技が無尽蔵に引き出せるんですよ。

 古武術の型がなぜ使えないのか?というと、形として使うことに拘るからですよ。実直に生真面目に、形に拘って戦闘の状況を観察しようとしない。

 型の中に含まれる技の動作は、相手との戦闘状況に応じて適切な変化をさせなければ使えません。こんな当たり前の理論を考えようともしない人たちが伝統の継承者であるといくら踏ん反り返ってみせても、武術の価値は永遠に世間一般に認知されることはないでしょう。

 それは単なる骨董収集の趣味にしかならないからです。

 美術品としてなら、別にそれでもいいでしょうけれど、私は武術は武術としての実用性を追究することにしか関心は持てません。

 以前にもいっているように、私は10振りを越える日本刀剣を実用のポテンシャルを持っているかどうか?でしか収集していません。

「何故、そんなにしてまで強さを求めるのか?」と問いたい人もおられると思いますが、それは誤解なんです。

 武術は戦う強さなんか追究しません。戦って殺されないための方法論を具体的実技と共に日々、修練していく生き方そのものだからです。

 だから、私は田中泯さんから「アンタは強いの? 弱いの?」と聞かれても困惑する以外の反応ができなかったんですよ。実際、自分が強いとも弱いとも思っていません。

 でも、私は自分より圧倒的に強い相手から暴力で服従させられそうになっても屈服しませんよ。どんな強い敵でも必ず弱点はある。それを見つけて集中攻撃するのも武術の常套手段だし、一回負けても生きている間に挽回できるチャンスはあるでしょう?

 私は、“戦闘”ということに関してはありとあらゆる研究してきたと自負してます。武術もそうですけど、特殊部隊の殺人術みたいなのも一通り研究しました。ナイフ術なんかもメッチャ得意ですよ。講習会でちょこっと披露したら全員、青ざめた顔でドン引きしちゃいましたけど、でも、それも含めて戦闘のリアルなんですよ。

 結局、心が折れて服従させられるのが嫌なんですよ。この点は、もしかすると田中泯さんも私と同じなのかもしれないな~?と思ったりしましたね。選んだ方法論が異なるだけで・・・。

 普通、武道やっている人間というのは、ふとした拍子でコワモテの顔で人を威圧したりしてしまうものです。今でこそ随分、タヌキになりましたけど、私も以前はそういう面がありました。犬猫が威嚇するのと同じ。これって、劣等感や恐怖心があるから自分が上位にいるんだと印象付けないと安心できないんだと思います。

 私が目指しているのは、自分の劣等感や恐怖心に打ち勝ちたいということであって、ビビリな自分でいたくない訳ですよ。それは中学時代のイジメ体験がトラウマになってるからだろうと思いますよ。

 だけど、こういう明らかなマイナスの心理が、武術という分野を追究するための圧倒的なモチベーションになっているんですよ。

 普通の精神の人には私と同じ生き方はできないと思います。どっか壊れていて狂っていて、それを自覚しつつタイトロープを渡るように綱渡りする生き方には耐えられないと思うんですよ。

 もし、私がいろんな有名無名の武術家と出会ってこなかったら、間違いなく止めて田舎に戻っていたでしょう。これはもう、私一人の問題では絶対にあり得ないと、そう確信するしかなかったんですね。

 そう自覚し始めてからは、研究は進むは進むは・・・ちょっと、自分でも信じられないくらい進みましたね。

 何か、降ってくるみたいに閃く時もあれば、漠然とモヤモヤッとしたイメージだけがくすぶっていて、練習しているうちにイメージが具体的なアイデアになって技になっていたり・・・いや~、何か、面白過ぎてやめられないんですよ。ホントに。

 まあ、近々、具体的な技で披露しようと思っています。本当に、今回のはエポックメイキングだと思いますよ~。
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エイベックスの社長は男やな~

 小室さんの借金を肩代わりしたエイベックスの社長さん・・・男やな~・・・と、久々に感じ入りましたぜよ。

 6億5000万という巨額な借金を、「恩師の窮地を救う」という義理人情でやってのけたって、今時、あり得ないような話です。

 まあ、こういう話は裏で何やかやとあるものでしょうが、それにしたって6億5000万円なんて額を出せるもんじゃないでしょう。

 音楽業界って、義理人情とは最も遠いみたいな印象を受けていましたが、こんな人もいるんだな~と思うと、日本もまだ捨てたもんじゃないな~って思いますね。

 食品偽装に政治の迷走・・・もう、この国は人間が腐ってるよ・・・とか思っていたから、本当に気持ちの良い話でした。

「小室さんには悪い取り巻きがついて傲慢になっていた」という話には、なるほどな~と思わされます。

 金の匂いのするところは小判鮫みたいな連中が群がってくるものです。

 そういう様子も傍観していたんでしょうね。エイベックスの社長さんは・・・。でも、普通は、そこで見限ってしまうもんでしょう。本当に窮地に陥った時に手をさしのべてくれる人こそ、本当に信頼できる人です。

 私も何度かそうやって救ってくれる人がいました。お陰で今の自分がいる訳だし、それを忘れて自分の力だけでやってきたなんて考える馬鹿は、最期にとんでもない悲惨な目にあうものだと思います。

 マイナスの出会いというのもありますけど、それも結局、自分の受け止め方の問題なんじゃないかな~?と思いますね。

 プラスの出会いは単純に感謝できますけど、マイナスの出会いは受け止め方次第ですよね。

 私の場合では、やっぱり甲野氏と出会ったのは大きかったですよ。「武術家としてやってはいけない」という見本をすべて彼が見せてくれましたよ。

 第一に、「口先だけで弱過ぎる」・・・弱いんじゃないんです。“弱過ぎる”んです。腕前も心もすべてが弱過ぎる。人間って、あまりに弱過ぎると、ある意味で逆に物凄く強くなりますよ。“我”というやつが・・・。

 彼は、自分が特別な優れた人間であるかのごとく周囲に認めさせたいという欲望が異常に肥大した人間ですね。だから、理論武装、フェイク武術で武装するしか生きていけなくなっている。これは、彼が“弱過ぎる”からです。

 第二に、「誇大妄想狂である」・・・自分は達人であるという妄想に取り付かれていますね。剣道・柔道・空手道といった現代武道を見下して自惚れている・・・。

 しかも、彼の場合、まっとうに手合わせすれば必ず惨敗しているにもかかわらず、その事実を認められない。現実から目を背けて自己の妄想の世界に埋没し、手練手管でたらし込んだ武術を観る目がない著名人を利用して権威者ぶってしまう・・・救いようのない恥知らずです。これを誇大妄想狂といわずして何をいうでしょう?

・・・けれども、私は20年前から、甲野氏の先行きを予想し、その問題点が広がることについて警鐘を鳴らし続けてきました。

 ただ、その過程で気づいたのは、もし、私が甲野氏の下で忠実な助手として生きていたら、私もまた甲野氏と同様の人間になっていただろうということです。

 つまり、自分の中にも彼と同様の心の弱さ、誇大妄想的な傾向があって、それをそのままにしていたらどうなったか?と思った訳で、彼に自身の問題点を自覚させて生き方を改めさせるのが自分の役割でもあると考えたのです。

 要するに、私なりの恩返しのつもりだし、自分の修行でもあるんですよ。

 土方巽さんの生誕記念会の時に田中泯さんが私に挑発的な言葉を投げかけたのも、泯さんから見た私の問題点を問いかけてくれたんでしょう。

 私もそういうところがあるから理解できます。どうでもいいと思う相手には何もいわないし、逆に調子よくおだてたりするもんでしょう。

 だから、「いや~、参ったな~」と思いつつも、“お前、そういう態度は失礼だろうが?”という本気で向き合うということの大切さを世界の田中泯からぶつけられたというのは光栄なことでしたよ。

 やっぱり、人と人のかかわり合いって、本気であればあるほど暴力的にならざるを得ないでしょう?

 特別なことじゃなくって、親子や夫婦の喧嘩なんか日常的なレベルで、そういうのってあるじゃないですか?

 だからという訳じゃないですけど、自分の弱いところ、ダメなところをさらけ出して、その上で救いの手をさし出してくれる人が一人でもいるってことは、本当に幸せなことだと思いますよ。

~っちゅう訳で、マイナスもプラスもないんですよ。この世はすべてオール・オッケーなんですよぉ~。


追伸;え~っと、「寺が炎上していたのは『呪いの壷』で、『京都買います』ではないのでは?」という御指摘をいただきました。スンマッセン。DVDないから確認できないんですけど、そうかもしれません。知ってる人がいたら教えてくださいませ。
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生徒の結婚式に呼ばれるということ・・・

 最初に武術を教えたのが25歳だったので、46歳の今となっては、21年という結構な年月を指導する者として過ごしてきたんですが、教えた人の結婚式に呼ばれたのは初めてです。

 何か、正直、ピンとこなかったんですけど、K師範代と一緒に呼んでもらって、お台場のホテルへ着慣れない礼服を着て出掛けましたよ。

 ゆりかもめにも初めて乗って、あ~、そういえば23歳で上京してきてから一度も都内観光みたいなことはしてないな~と思ったり、何だか感慨深くなりましたね。

 まあね~、人間は精神年齢って、そうそう上がらないものですけど、肉体年齢は確実に増えていきますからね。

 会員のOさんは、うちの会の純粋培養ではありませんから、そんな結婚式にまで呼んでくれるなんて思ってもいませんでした。

 それにね。正直、私は冠婚葬祭が大の苦手なんですよ。できるだけお断りしたいくらいなんです。最近、パニック障害の発作も時々ぶり返すようになってしまったので、公の場所に長時間いるのは余計にきつくて、家で仕事してるのが一番ラク。

 でも、「是非、出て欲しいんです」といわれると、“お目出度いことだし、断るのは良くないし、俺みたいなのに出て欲しいといってくれるのは二度とないかもしれないしな~”とか考えて、OKしたんです。

 また、「当日は講座があるから途中で退席しなきゃいけないけど、それで良ければ」といっていたんです。が、場所と時間から考えて、ほんの30分くらいしかいられない計算になってしまい、これじゃ~いくらなんでも出席した意味がないだろうと思って、講座は休講にさせてもらいました。

 そんな訳で、出席するまでは嫌という訳じゃないけれども、何かウキウキして出掛けたという程でもなかったんですよ。実をいうと・・・。

 けれども、結論からいって、本当に出席させてもらって良かったですよ。

 本当にいい結婚式でした。Oさん。二人で頑張って幸せな家庭を築いてください!


 また、会場では合気道のS先生とも同じテーブルでしたが、いろいろとお喋りして楽しく過ごせました。

 帰りは新宿駅まで御一緒したんですが、駅の乗り換えの時に階段を二段とばしに軽快に駆け上がっていく還暦越えたS先生の身ごなしには舌を巻きましたよ。あたしゃ、縮地法使わないと追いつけなかったですよ。恐るべし・・・合気道!

 それに、合気道理論と剣の理合についてS先生と意見交換していて、我が意を得たりの感触がありました。ここのところ考えていたことが間違っているかどうかを確認したかったんですよね。専門家の先生の御意見を聞けるのは勉強になります。

 こういう話をまともにできる先生は滅多にいないんですよ。残念ながら・・・。

 それにしても、私の唯一自慢できる点は、本当に人の縁には恵まれているな~ってことです。Oさんのお陰でS先生と縁ができたし、何げない一言に救われることってあるじゃないですか?

 人の縁は財産です。Oさんも可愛らしい奥さんと出会って本当に良かったね~。

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『髑髏城の七人』随想

 劇団☆新感線の代表作を小説化したという『髑髏城の七人』の文庫版を、去年、町田のあおい書店で見つけて面白そうだと思って買っていて、そのまま忙しくて読んでいなかったんですが、原稿書きの合間に読み進めてみたら、これが非常に面白くて一気に読了しました。

 作者の中島かずき氏は、最近、幅広く活躍されているみたいで、アニメなんかも手掛けられていたような?

 だからなのか、伝奇的なファンタジー色もあって、時代小説にありがちな作劇法とは異なる現代的な感覚で読みやすいものでした。

 そうかといって、時代小説としていい加減なのか?というと、そんなこともなくて、里見八犬伝とか、山田風太郎の忍法帖シリーズよりはリアル?ですかね~。

 織田信長の二人の影武者の対立を軸に、生きていた森蘭丸、雑賀衆の女、サンカの女、傾奇者、武装農民、異能の刀匠、風魔一族、剣豪としての徳川家康・・・とかが入り乱れる奇想の時代絵巻・・・。

 いや~、本当に面白かったですよ。

 七人というところは、大傑作『七人の侍』を彷彿とさせますが、キャラクターに頼らずプロットが魅力的でしたね。

 武術には、築城術も含まれていたりするんですが、これは兵法の一環としてです。高い城を築くには芯柱が必要で、ここから“御柱衆”という城作り名手のサンカの一族を出してくる辺りの考証が上手い!

 中島かずき氏は相当、いろいろ勉強されているんだな~と思いました。

 徳川家康が剣術修行に精進していた(新陰流の柳生宗矩・一刀流の小野忠明・奥山流の奥山休賀斎・新当流の松岡則方に学んだとされる)のは割りと知られていて、相当な腕前だったとされますが、だからといって家康の遣い手っぷりを描こうとは普通は思わないでしょう。

 家康の遣い手っぷりを描いたのは、私の知る限りではキムタクが若き日の家康を演じて現代にタイムスリップしてくるというファンタジー作品(タイトル失念)と、『風雲・真田幸村』で若山富三郎先生が家康を演じた時くらい。

 刺客に襲撃されたのをトンボをきって躱すと抜刀一閃で刺客を斬る・・・という最晩年で身体も満足に動かなかった筈なのに余人には真似できない殺陣スキルを自ら演じて見せていました。

 ただ、この時の家康は影武者だったという裏設定があったみたいで、若山先生演じる家康の影武者と北大路先生演じる真田幸村の一騎打ちをクライマックスで見せる予定だったろうと思うんですが、多分、若山先生の体調が優れず、やむなく中止したんじゃないかな~?と思っています。

 なので、読んでいる時に家康こと狸穴二郎衛門の活躍するところは、若山先生のイメージがかぶりましたよ(長門勇もちょっと入ってたかな?)。

 それから、雑賀衆の鉄砲の描写も詳しいし、古式銃の勉強をされているのが解ります。

 火繩銃の銃身を切断してバラ弾20発を詰めた早合(火薬と弾丸を和紙で一つにして装填しやすくしたもの)で、ソウドオフショットガン?とか、五郎入道正宗の相州伝の鍛刀についてもチラッと披露している蘊蓄が正確でした。

 サンカについてもウメガイという両刃の短剣を重要なアイテムとして出していて、サンカについても資料をあたられたんだろうな~と思いました。

 ところが、これはもう仕方がないところですが、ナイフマガジンで連載している関根秀樹氏の「刃物の民俗誌」では、ウメガイはサンカ研究の第一人者とされる三角寛の捏造だったと考証されていて、山岳漂白の民としてのサンカそのものの実在にも疑問を呈されています。

 サンカ(山窩)については既に民俗学の分野で実在したとして論が進められているものですし、多くの小説や漫画にも登場しています。

 けれども、関根氏の説にはウメガイという短剣が日常生活用の汎用ナイフだという三角の説への疑問点が的確に指摘されていて、非常な説得力があります。

 私は、マタギが遣ったという汎用ナイフ(剣鉈)のフクロナガサをもってますけど、まさかこれも捏造ってことはないでしょうね?

 サンカの実在を示す証拠は実際には無い訳で、逆に三角が示した証拠が捏造だったとすれば、導き出される答えは一つ、「サンカは実在しない」ということになるでしょう。

 広く定説となったものを根底から否定するのは並大抵のことではありません。

 ウメガイの捏造だけでは論拠に乏しい。けれども、関根氏はサンカという言葉は大正時代の警察の隠語で浮浪の盗賊団体を示していたということも提示しています。

 いやはや、関根氏の説はサンカにロマンを託してきた人達の脳天をガツンとブン殴るような衝撃的なものですが、真相究明は学問の基本。是非とも連載を纏めた本を出していただきたいものと熱望します。

 そういえば、ショーケン主演のサンカを描いた映画『瀬降り物語』は、奇怪な映画でしたよ。なんか後半のテイストがいきなりドロドロになったような・・・?

 なんだか、三角寛って、全身小説家みたいな人だったのかもな~?

 いつも思うんですけど、研究家の中には自分で意図的に捏造した説を発表して権威者になりたがる人がたまにいるもんですが、こういうことをすると後々の悪影響は計り知れないくらいになるんですね。

 いわゆるバタフライ・エフェクト(蝶の羽ばたき程度が波紋を広げて大きな問題が発生すること)ですよ。

 武道・武術の世界は、こういう捏造体質が物凄いから、本当、トラブルの巣窟だし、私もいろいろとね~、反感買ってナンダカンダとありましたよ。感情的な人ばっかりだからね~。事実を前にしても認められない人が多いから、そういうのも含めて、武術の研究家としてやっていけるのはオレしかいないかな~?なんちゃって・・・。

 昔、甲野ちゃんからいわれたことありましたね~。「事実のみ貴しとする人間だ」ってね(非情な人間だという非難的ニュアンスでいわれたんだけど)。まったく、おっしゃる通り。くだらん解釈で事実を捏造する人間は研究家とはいえませんよ。

 だから、関根氏は本当に勇気があるな~と思いましたね~。
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韓国アクション『無影剣』に日本時代劇漫画の影響が?

 韓国のパクリ体質はお国柄とでもいいましょうか? でもオリジナルを堂々と主張して憚らないところは日本とは逆だな~と、前々から思っています。

「テコンドーは日本の空手の源流である」とか、「コムドが日本の剣道のルーツである」といった主張を臆面もなく宣言してしまうところ(そりゃあ、逆だよ)は、スゲェ~な~としか思わないんですけど、ドラゴンボールや北斗の拳、マジンガーZやグレンダイザー、宇宙戦艦ヤマトやガンダムをパクッているというのは、ある意味、中国のニセ・ディズニーより非道いと思うんですけどね。

 でも、文句いっても聞く耳なさそうな感じもするし、儒教の国っていっても、こんなに欺瞞かましてくれてるじゃ~ないの?って心の中で苦笑するしかありません(日本もそうだけど)。

 だから、私は韓流ドラマが流行っても、ほとんど見たことなかったんですよ。もともとメロドラマみたいなの嫌いだし、最近、ますます嫌いになってきましたよ。

 無力な主人公が薄幸のヒロインと・・・とかいうの全然みる気がしない。

 グエムルは面白かったけど、あれってパトレイバー劇場版3に出てきた怪物にそっくりですね~。偶然なのかな~?

 韓流アクション時代劇とかはいくつか見たんですけど、アクションは香港風でまあ面白いけど、ストーリーがねぇ~。何か、クラ~クなって悲惨な終わり方ばっかりで、そりゃ~ないでしょう?って思うんですよ。

 やっぱり香港のカンフー映画みたいに最後はガハハッと笑ってカラッと終わってくれないと嫌なんですよね~。ヒーローやヒロインが最後に死ねば観客は感動すると思ってんのかな~?

 そんな訳で、チャンネルnecoで韓流時代劇アクション『無影剣』というのが放送されているのも、全然、期待しないで見たんですね。

 でも、これは結構、面白かったですよ。香港映画だっていわれたら、そうかも?って感じだし、アクションもかなりいい感じです。

 主人公のダメ男をけなげに護るヒロインが非常に魅力的に描かれていて、金庸の武侠ドラマに出てくる性格が破綻している美少女とは違っていて、逆に新鮮に感じましたね。

 でも、見ていて思ったのは、「これって、何か『あずみ』に似ているな~?」ということ。アクションの構図だったり、ヒロインの性格だったりが似ているように思える。

「影響受けてるのかな~?」と思っていたら、クライマックスの敵の親玉との戦いでは、有利に戦っていたヒロインがとどめの一撃をかまそうとするところに親玉を庇って女刺客が間に割って入って剣を受ける・・・すると、親玉は非情にも女を盾にしたまま剣を刺してヒロインに致命傷を負わせる・・・

・・・って、これは! 『るろうに剣心』で、剣心の究極奥義「天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)」で破れた志々雄真実を庇って命乞いする由美の身体ごと剣心を刺した志々雄・・・って名シーンを、そのまんまパクッとるやないですか~?

 最早、疑う余地なく日本漫画の影響を受けていることが明白になったんですが、その後、根性取り戻したダメ男が代わって親玉を討ち取り、押し寄せる敵軍勢の前に絶体絶命か?と思ったところに味方軍勢が押し寄せて形勢逆転してメデタシ・・・えっ?

 やっぱし、ここで韓流王道の悲劇的終わり方・・・あ~、もうっ・・・。ヒロインはそのまま死んじゃって、なんでダメ男をあそこまで必死で護っていたか?というと、かつて戦争で両親を殺されて自分も殺されそうになった少女時代に、ダメ男(実は王子だった)に救われていたからだったんですね~。

 こういうところが儒教的というか、鶴の恩返しみたいな展開で、単なる悲劇で終わらなくてよかった・・・のかな~?

 でもね~、もういい加減、悲劇的展開はやめて欲しいよな~。

 そこいくと、やっぱし香港映画は能天気!

『カンフー少女』という『カンフーハッスル』の続編みたいなギャグ映画はパロディばっかりながらアクションは凄いので見ごたえはあります。

 でも、これは軽過ぎるかな~?
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土方巽が修行した謎の武道って何だ?

 暗黒舞踏の開祖として、逝去して今もなお、その名が高い土方巽。

 昨年、その土方さんの生誕80周年を祈念する催しがPlanBで開催され、今年も81周年のバースデイを祝う会にストリートダンスもやっている会員と二人で行ってきました。

 何が楽しみって、まず、酒ですよ。アルコールの弱い私が、また飲みたいと思った日本酒は、唯一、これだけです。

 そもそも、酒が弱い上に日本酒はほとんど飲まないんですけどね。でも、また、あの酒が飲めるかと思うと、ちょっとワクワク・・・。

 でもって、今年は泯さんのドキュメント番組のスタッフの方々もいらしたので、ひょっとすると、またチラッとTVに(後頭部が・・・)映ってるかも?

 昨年は、土方さんのことをまったく知らない泯さんのファンの方が多かったので、今年は「土方巽について語ろう」というコンセプトがあった・・・のかも?

 自己紹介(というか、徐々に討論会のような塩梅に?)だけで4時間くらいかかっていたようで、私の番に来るまでに結構、酒飲んでたから脳の活動がかなり緩慢になっていたんで、生前の土方さんと交流があった青木宏之先生の話とかしたことくらいしか、あんまり覚えてません。

 というか、何か泯さんが討論するぞモード全開で、一瞬、「ここは朝生のスタジオか?」という幻覚に襲われたくらい愛のツッコミが次々に炸裂していて、何か、昔、社会運動の団体に出入りしていた時に戻ったような感じもしましたね。

 で、「アンタは何で武術やってるの?」という根源的な問いかけを十数年ぶりに聞かれましたけど、それはもう答えようのないものであって、「泯さんはなんでダンスをやっているのですか?」というのと同じことだと思いますね。

 答えるだけ嘘臭くなるでしょ? 言葉じゃないし理屈でもない。ましてや思想でも信念でもない。衝動であり憧憬であり宿業であり自己の存在理由・・・そんなものは語れる代物じゃないし、語ること自体が傲慢。

 それでも強いていえば、中毒! 人間の顔も名前も覚えないのに一回見た日本刀は忘れないという変態になってしまった理由といえば、もう、「カルマです」とでもいうしかない。持って生まれた業病なんだと思えば納得もいくのです。

 だけど、物書きの仕事もしている身としては、語れないことを無理やりに言語の圧し型にギュウギュウ押し付けて、文章をでっち上げるのが商売。ダブルバインドですよ~。

 そんでもって、「で、アンタは強いの? 弱いの?」との、これまた暴力的な問いかけで、マイッチング~って感じでしたよ。

 強いか弱いかは相対的な比較によってしか解答が出ないし、正直いって格闘技ならまだしも武術の場合は“本気で戦えば殺人”という段階で技術構築されているので、強弱では測れない訳ですよ。

 でもね~、そんなことは万に一つも理解してもらえるとは思っちゃいません。

 要するに、やって見せるしか納得(理解ではありません)させられないのですが、それをどこまで、どのように見せるか?という線引きが難しい。

 だから、私は大体に於いて、“やりません”。

 何で? だって、理解してもらう必然性がないからですよ。

 以前は武術の本質を理解して欲しいと思って実際に使う技を見せたりしていました。が、武術に興味や憧れのある人以外は完全にドン引きして魔物でも見るような恐怖の表情を見せるだけ。

 いや、普通に実戦的といわれている現代武道をバリバリやってきている人であっても、危な過ぎると嫌悪感を示していたのです。

 だから、感覚的に私は自分は変態なんだろうな~と思う訳で、以後、そういう危ない面が極力出ないように注意してきています。

 ダンス白州でも合気的な安全な崩し技とかしかやらなかったし(意外にも実戦的な技を見たがる人が少なくなかったんですが、正直、そういうのやったら場の雰囲気が悪くなると思います)、見世物芸なら解った気がするから丁度いいかも知れません。

 でも、それは武術の本質とは違うものだから、見せるだけだと誤解を広めるだけ。そんな馬鹿なことやっている人は腐るほどいますから、私までそんなことやっちゃいかん。

 ただ、あんまり猫かぶったままでいると逆に不愉快に感じられるのかな~?とも思ったりしたんですけど、別に「俺は強いんだぜ。ふっふ~ん・・・」みたいな優越感抱えて他人を見ている?みたいなのは意識にないし、むしろ、劣等感があるから武術を稽古する人間が本質的に圧倒的多数派なんだと私は思ってますから、「う~ん、劣等感でやってるんだと思いますよ」と、確か答えたような気がするけど・・・一晩寝たら忘れましたね。

 それで、まあ、うちの会員さんは隣で聞いていて、私の名誉?のために黙っておれなかったんでしょうけど、「長野先生は強いです!」とか言い出すから、オイオイと思って、止めました。

 だってね~。強いっつったら、「じゃあ、どのくらい強いかやって見せてくれ」ってなっちゃいますからね~。かなり実力差があって、しかも相手が従順に対応してくれるなら、問題なく見せられるかもしれませんが、世の中、そんな甘いもんじゃありませんからね。

 多少、武道やったことある人だとかヤンキーみたいな人間は、「タマとったれ~」ってなるもんね。私だって、弱いくせに偉そうにしてる人見ると、

 私は、相当、そういう経験もしてきたし、失敗したことも何度もあります。でも、失敗したのは考えの甘さでしたから、今は、疑って試しにかかってくる相手はためらわずに腕の一本、足の一本くらい叩き折る覚悟をしています。

 でないと「長野は弱い。口先だけだ」っていいふらされて、私の主張してきたことが全て台なしになりかねない。これは私一人の問題じゃなくて“武術”という文化全体に及ぶ問題となっているんだ・・・という意識があるんですよ。

 今度の本では、現代日本の空手道・剣道・柔道・合気道・中国武術・身体操法の世界の歴史と技術、現状の問題点と改善案なんかを一通り書いているんですが、正直、私以外にこれを書ける人間はいないと思っています。

 空手だけ、剣道だけ、合気道だけ、中国武術だけ・・・といった研究家ならいると思いますけどね。総合的に比較研究している人は非常に限られるし、初心者に理解できるように文章で解説できる人間となると、皆無に近いと思います。

 これは自惚れた発言に思われるでしょうけれど、今回、書いてみて、明確に自分が方向性を指していかないと誰もできないと思ったんですよ。「俺がやらなきゃ誰がやる?」って、本当に心底、そう思いました。

 いやね・・・「誰かできる人がいたら代わりにやってください」っていうのが本音なんですよ。私は本質的にオタクだから、武術とは何か? 武道とは何か?とかいうようなこと書くの苦手なんだも~ん・・・。

 でもまあ、そこで質問されたことで、何と! 「土方巽さんが“コテン道”というのをやっていたそうなんですけど、コテン道って何ですか?」と聞かれて、脳天をハンマーでぶっ叩かれたような衝撃を受けました。

 だって、そんなの聞いたことない! この日本一マニアックな武術研究家にして武術の裏も表も知らないことはない!といわれる、このオレが知らない武道がまだあったとは?

 私のショックを察してください。もう、屈辱感に打ちのめされたまま、「すいません。聞いたことないですぅ~・・・」というと、「それって、“テコン道”じゃない?」という声が・・・。

「あっ、そうそう。テコン道だったわぁ~」って、それ、ぜんぜん違うやないか~い?

 テコン道だったら、創始者が松濤館空手道を学んで帰国して空手と差別化するのに蹴り技中心に体系化して作ったものなんですよ。

 もっとも、マジンガーZやヤマトやガンダム、北斗の拳にドラゴンボールまでパクって自国のオリジナルだと言い張るお国柄なんで、例によって、テコン道が空手の源流だというムチャな主張をしているんですけど、国技として世界的に普及していったので、実は海外では空手より広まっていたりするんですよね。

 ブルース・リーもアメリカのテコン道(当初はアメリカンカラテと呼ばれていた)の父といわれるジョン・リーと交流があったし、香港映画で活躍する蹴り技の上手いアクション俳優(ブルース・リャン、タン・ロン、カサノバ・ウォン、ウォン・チョンリー、ウォン・インシック、ホー・チョンドー等々)は韓国から出稼ぎに来ていた人だったりするんですね。

 ちなみに韓国では合気道(ハッキドーと読む)というのもあって、これはテコン道に大東流合気武術をミックスして新しく作り出したもので、日本の合気道とは違うんです。

 この流儀の名手であるウォン・インシックは『ヤングマスター師弟出馬』で、物凄い蹴り技と合気道の多彩な逆関節技を披露していましたが、『ドラゴンへの道』ではカタコトでしゃべる日本人空手家を演じてブルース・リーにやられておりました。

 その他にも、韓国合気道を嗜む香港アクションスターは、『燃えよドラゴン』でブルース・リーの妹を演じていたアンジェラ・マオや、太った身体で身軽にバク転するサモ・ハン・キンポー等がいます。

・・・それにしても、土方さんがテコン道やっていたとはな~・・・。
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仏像盗むって、どっかであったような・・・?

 仏像を盗む泥棒・・・って、どっかであったよな~と思っていたら、思い出しました。

 円谷プロのSFドラマとして放送当時の視聴率は今ひとつだったものの、後年、カルト的な名作として人気が出た『怪奇大作戦』。

 その中でも一際、カルト的な作風で知られる実相寺昭雄監督のシュールな味わいの傑作『京都買います』と同じじゃないですか~?

 この回は、当初は二番手的な主役だった牧こと岸田森が完全に主役に踊りだした作品としても知られていて、次々に盗まれる仏像を捜査するSRIの任務(超常的事件の謎を科学捜査で解く)と、犯人側の女ミヤコへの恋情で悩む牧の姿を追っていて、炎上する寺の様子は、あの名作『金閣寺』をも想い起こさせます。

 そして、消えたミヤコが尼になっているのを発見した牧が、別離を惜しんで振り返ると、そこにはミヤコの姿ではなく仏像が?という何ともシュールな終わり方をするのです。

 私は仏像には興味ありませんけれど、日本刀という骨董趣味はありますから、少しは理解できますね。何しろ、人間の顔はちっとも覚えないけれど、日本刀は一度見たら忘れませんからね。

 あの刃紋、地肌、反り具合、鋒(きっさき)・・・日本刀は一本一本がハンドメイドなので、すべてがオンリーワン。はっきりいって贋作は絶対に作れません。

 いくら作風を真似して偽銘を入れても、観る人が観れば本物か偽物かは判別がつくのです。

 だから、武術も日本刀作るみたいに、一人一人が自分独自のスタイルを確立していくべきじゃないか?と私は思いますね。修行途上で傷ついても、また研げばいいんです。

 でも、鍛えが足りないと実用の役には立たないからね~。

 仏像マニアの泥棒さんも、何か勘違いしてますよね~。
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三月セミナー報告

 三月のセミナーは、丹田と縮地法でした。

 どちらも丹田歩法の応用でできることなので一緒にしたんですが、武術的な応用法が解りづらくなるとマズイと思って、今回はひと工夫しましたね。

 まずは、いつものように基礎錬体とその応用をやりました。

 今年のテーマとして基礎錬体法は実践応用を一つは新しいものを指導していこうと思ってまして、今回は歩法を使って回り込みながら技をかける方法をやりました。

 技の応用法で考えられるのは、“正面でかける打撃・崩し・逆・投げ”ですが、これを側面や後面からかけるものと考えると単純に応用技の数が二倍、三倍になるんですね。

 だから、「技は教えても歩は教えるな」という言葉の中には、たった一つの基本技から応用技を倍々化して展開させる秘訣が含まれていることを暗示していた・・・と私は考えた訳なんです。

 歩法というと、“素早く動くこと”と、“一気に間合を潰すこと”くらいしか普通は考えない訳ですが、そんな単純なことをもったいつけて隠す道理がありません。

 つまり、歩法そのもので技に直結している筈なんですよ。

 簡単にいうと歩法は重心移動の力をもっとも簡単に駆使する運動であり、足を踏み締めて立ち止まって打つより、歩きながら打つ方がずっと威力が出せる訳です。

 もちろん、走って打ったらもっと威力は出ます。

 ただ、走って打つというのは避けられたりカウンターで迎撃されたりするリスクも高くなりますから、“歩幅一歩分”の距離でどれだけ瞬間的に加速させるか?が勝負になるんですね。

 こうした工夫が、形意拳の「半歩崩拳、打遍天下(半歩で打つ崩拳の一撃は遍く天下を打ち取る)」とか、八極拳の神槍李(李書文)の得意技「猛虎硬爬山」が、本来の極め技が二撃目であるのに、一撃目の牽制の打ちだけでカタがついてしまっていたという「李書文に二の打ち要らず」といった“歩法の秘訣”に繋がっていたのです。

 今回は丹田と縮地法だったので、縮地法で飛び込みながらの突きを腹で呑んで、腹圧で弾き返す!なんていうムチャな技も指導しましたが、凄いことに皆さん、結構できていたんですね~。

 その他、丹田とは直接関係ないんですけど、“上虚下実”の応用法で、背後から両腕で抱えて押さえ込まれたのを脱力して逃げる秘技“ウナギ抜け”も指導しましたけど、結構、こういう不条理な技はウケがいいですね。

 セミナー終了後は最終原稿チェックがあったので、ストアハウスの公演を泣く泣くキャンセルして、江古田のMr.ドーナツで30分だけ参加者と懇親会やって神保町に直行!・・・する予定が、ついいつもの癖で長くなってしまい、一時間あまりもしゃべってしまいましたよ。

 で、慌てて神保町に地下鉄大江戸線から新宿で都営新宿線に乗り換えて神保町へ。

 到着して電話したら担当者が風邪ひいて家にいた・・・イエ~イ?(無理やり過ぎる駄洒落だ)

 でも、締め切り入稿は翌日・・・「頑張れ~! 男なら戦って死ねぇ~!」という心の声が届いたのか? 担当者は「これから行きます!」

 で、書泉グランデでヒマ潰して(諸星大二郎特集のユリイカ買ったよ。諸星さん、ここのところ気さくにインタビューとか応じてますよね。何となくマスコミ嫌いな人みたいなイメージがあったんだけど)適当な頃合いに会社に向かい、ジョナサン前で合流して、いざ会社へ・・・。

 分担して原稿チェックし、いくつか直しを入れて終了。泊まりも覚悟していたんですが、三時間半くらいで終わりましたね。

 いやはや、いつものことだけど、今回も苦労しましたよ。でも、苦労しないといい本にはならないからね~。

 てな訳で、今回の本『武道に伝える武術の教え』(自分でいっちゃうけど、最高傑作です! かつて、こんな武道・武術の本があっただろうか?)は、三月二十五日くらいには全国の書店に並ぶのではないか?という進行状況であります! 我輩は疲れたので、これから寝るであります!

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三月セミナー『丹田と縮地法』

 三月の月例セミナー(三月八日・11;00~14;00、江古田ストアハウス4F稽古場)は、丹田と縮地法です。

 丹田開発は歩法で行うやり方がうちのお家芸となりましたが、「丹田できたらどうなるの?」と、よく聞かれるので、今回は「丹田で歩く。動く」ということを特に解説指導していきたいと思います。

 これは、要するに、「骨盤で動く身体操作法」ということなんですが、うちの場合は、骨盤自体を動かす訓練をするので腹圧が高まって、下丹田の感覚が具体的に感じ取れるようになる人が多いです。

 また、具体的な体感がなくても、下腹部がプックリ、あるいはボーンとゴムボールが入って膨張しているみたいになってくるので外見で判ります。

 まあ、みっともないから何とかしてという御要望もあったので、下丹田を上腹部に持ち上げるリフトアップのやり方も今回は一応、指導しようと思っています。

 でも、武術的に考えたら、下腹部ボーンとしているハート様体型の方が“拳法殺し”になっていいと思いますよ。

 そういえば、先日、セミナー参加者から「長野先生はサモハン・キンポーに似てますね」といわれました。水島裕の声に似てるのか?(違う。体型だよ)

 丹田を練るというのは中国武術でいうところの内功(内力)を養成するということですから、発勁の威力が高まります。打たれ強くもなります。身体中のどこからでも発勁できるようになっていきます。

 それと、縮地法の原理も、骨盤から動くという点に秘訣があり、この二つは武道以外にも相当な応用が期待できると思いますよ。

 全ての動きを骨盤から動かすようにすると、非常に面白いことになっていきます。それは体験者しか判らないことですから、能書きはやめておきましょう。

 武道の訓練も、ハラを鍛えてコシで動くことを忘れて、いくら筋肉鍛えても意味ないんだから、え~加減に目を覚ましたほうがいいよ~。


追伸;DVD御注文の方にお知らせします。注文が週の後半の場合、入金の確認から発送が翌週になる場合があります。DVDの作動チェックして手作りでやっておりますので、しばらくお待ちください。入金後、一週間しても到着しなかった場合は御連絡ください。注文生産方式ですので、宜しく御了解くださいませ。
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特撮俳優の変身度

 東映チャンネルで『忍者キャプター』をやっているので見てますけど、特撮ドラマの主演俳優って、その後も特撮ドラマに主演する率が異常に高いですよね~。

 このドラマの主人公で火忍キャプター7の伴大介(直弥)は、『人造人間キカイダー』のジローを演じて以来、『イナズマン』『イナズマンF』に主演し、『バトルフィーバーJ』の二代目バトルコサックを演じています。

 かと思うと、『キカイダー01』のイチローを演じた池田駿介も、『帰ってきたウルトラマン』の南隊員とか『緊急指令10-4-10-10』にも隊員役で出てました。

 南条竜也も『変身忍者嵐』の後に『鉄人タイガーセブン』に主演してるし、『ジャンボーグA』の立花直樹は『ザ・カゲスター』にも主演。

 三ツ木清隆も『高速エスパー』と『白獅子仮面』に主演。

 特撮ドラマで有名なのは、『V3』の宮内洋。アオレンジャーにズバットに番場壮吉に正木警視正と、ヒーロー役者の代表格みたいな印象もあります。

 大葉健二も『宇宙刑事ギャバン』の前に『バトルフィーバーJ』でバトルケニヤを、『電子戦隊デンジマン』でデンジブルーだっけ?を演じていました。

 昨年、つばさ基地のアクション・イベントでお会いした渡洋史さんも、『宇宙刑事シャリバン』に主演した後、『スピルバン』にも主演し、現在も時空警察シリーズなどに出演されています。

 女性でも、牧れいさんが『レッドバロン』に出る少し前に『緊急指令10-4-10-10』にも隊員役で出演していましたし、『忍者キャプター』では敵のクノイチ役でも出ていました。

 役者さんは、一つのイメージに固まるのを嫌うものだそうですが、たった一つでも代表作があって、多くの人の心に焼き付けられているというのは凄いことだと思うんですよ。

 私の知り合いのシナリオライターの人なんて、「宇宙刑事が俺の原点だ」って胸張ってましたけど、私もどれか一つに特定できませんが、少年時代に見た特撮ドラマの影響は物凄くありますね。

 私が自主映画撮ろうと思ったのは、松田優作の映画デビュー作としても知られる『狼の紋章』を福岡のテアトル西新という映画館のオールナイトで見たのが直接的なきっかけでした。低予算の作品だけれども、何か異様な気迫に満ちていてSFマインドを刺激してくれましたね。

 だから、見たいのはやっぱりSFドラマというか、ファンタジー、ホラー、アクションですよ。時代劇なんてファンタジーだし、別にリアルに作らなくていいよって思いますからね。

 私が武術続けてきたのも、結局、現実社会の奴隷みたいな生き方したくなかったからなのかもしれません。

 世の中のしがらみに押し潰されるように無力感を感じて生きていくのが嫌だったから、いざとなったら牙を剥いて徹底抗戦して死んでやろう・・・ぐらいのドラマチックな生き方がしたいと思っていたんですね。

 まあ、なかなかそういう具合にはならないと思いますけど、現実社会のルールから超然として生きていたい訳ですよ。気持ちの上での話では・・・。

 そんな訳で、私は現実社会のルールに負けてひっそりと生きていく人達のドラマなんか見たくないし、やっぱり今でも特撮ドラマが大好きなんで、自分でもそういう作品を作り出していきたいと思ってます。
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石原志保・踊り場作業1「否連続」感想

 2/28(土)は、シダックス講座が終わってから、plan-Bにて石原志保さんの踊りを見に行きました。

 今回は直前まで原稿直し作業があったので、行けるかどうか判らず、予約していなかったもんですから、当日で行きました。

 先々週は田中泯さんの場踊りもあったんですが、原稿書きと写真撮影があったので行けなかったんですね。

 石原さんの踊りの時は、師匠の泯さんもいつも来られているので、「今度、青木先生の演武DVDを見せます」と年賀状に書いていた(もちろん、青木先生にも許可をいただいています)ので、DVDプレーヤーごと持って行きました。

 石原さんの「昭和の体重」シリーズの時は、舞台美術が結構、大掛かりだったんですけれど、今回は割りとシンプルな感じで、シンプルだからこそ演者の技量が問われるだろうな~という感じに思えました。

 中央にデーンと割れた板の間の舞台があり、割れ目に顔を埋める踊り手。音楽ならぬ音響(雨音・雷鳴・雑踏のざわめき・・・)の中、不安定な舞台の上で伸縮屈曲する肢体と忘我の表情。

 私は昔、飼ってた猫が屋根の上のトタン部分でひなたぼっこしながら寝ぼけてヨガのポーズみたいに奇妙な格好をしていたのを思い出しましたよ。

 昨年夏に白州で見た時は、泯さんの踊りそっくりに見えましたが、今回は石原流に脱皮しつつあるような、そんな印象も受けました。

 特にお尻歩きしていたところが・・・(って、前衛派系の踊りを見たことない人は、一体、なんのこっちゃ?と思うでしょう)。

 ちなみに、昔飼ってたスピッツの雑種犬は、時々、お尻を地面に付けて後ろ足を宙に浮かしたまま、前足だけでお尻ズリズリしながら歩いてました。ヘンなことする犬だな~と思いましたけど、お尻が痒いとやるそうですね。

 でも、うちの犬は、狂喜すると、この姿勢のまま猛スピードで走ったんですよ。どうやって走ったんだか、よく判りませんが・・・。

 最近、ダンスのプロの方とお話してから、伝統的な踊り(クラシックバレエ・フラメンコ・フラダンス・ベリーダンス等)、コンテンポラリーダンス、ストリート系ダンス、舞踏などなどの本も買って読んだりしていたんですが、いやはや、ダンスの世界は幅広いですね。

 一般的なダンスが長拳系統の素早く伸びやかな拳法とすれば、舞踏系統の前衛派の踊りは太極拳をさらにアレンジしていったようなものに見えます。

 よく、「何を表現したいのか判らない」という否定的意見を吐く人もいるんですが、そもそもダンスに意味を求めること自体が大きな勘違いじゃないでしょうか?

 ダンスは衝動ですよ。自己の心身の内部から湧き出てくる純粋な躍動への衝動が原点なんであって、そこに意味を求めるのは無粋ってもんです。

 先日、NHK衛星第2のアニメ夜話で『海のトリトン』をテーマに話していて、「トリトンは思春期の性の目覚めが裏テーマなんですよ」と暑苦しく語るオタキングの発言にゲストで来ていた当時の作画監督が苦笑顔で「いや~、そんなこと考えたこともなかったな~」と言っていましたけど、意味性、定義付けというものは、そういうもんですよ。作り手が考えることとは別に受け取る側が感じて考えることです・・・。

 公演の後、泯さんにDVDプレーヤーごとお貸ししてきましたけれど、土方巽の名前を世界に高からしめた?『江戸川乱歩全集・恐怖!奇形人間』の海外版DVDもプレゼントしてきました。

 この海外版DVDには石井輝男監督のイタリア訪問の時のインタビューとか、塚本晋也監督と河崎実監督のインタビューとかも収録されているんですが、石井監督が土方さんの公演を見た時の衝撃から、是非、土方さんに出演して欲しいと口説いたという思い出を話していて、そういう意味でも貴重なDVDですね。

 石井監督はエログロ・ナンセンスな作品ばっかり撮るカルト・キングというイメージがありましたが、芸術家肌のロマンチストなんだな~と思いましたよ。

・・・う~ん・・・全然、感想になってないな~・・・要するに、「昔飼ってた猫と犬を思い出しました」って言ってるだけじゃ~ん?

 石原志保さん、失礼しました・・・。
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小向美奈子の判決会見にもウ~ン?

 何度も意見を書いてきましたが、小向美奈子の覚醒剤使用が確定し、執行猶予付きの判決が出ました。残念ですが、やった事実は事実と認めてやり直して欲しいですね。

 正直、本当にやっていたとは思っていなかったのですが、その後の週刊誌などでいろいろと読んでいたので、「あ~、やっぱりやっていたのか」という感じではありました。

 でも、涙ながらに会見している小向美奈子が、週刊ポストの記事について質問されると顔色を変えて、「知りません」と答え、後から「コメントできません」と答えたというのは、いかにも何かのプレッシャーがかけられていたのでは?という印象がありました。

 無論、自分のやったことを棚に上げて告発したといっても説得力はないでしょうから、何もいえないとは思いますが、やっぱり、あの記事が引き金で脅迫されたりとかしていたのではないか?という疑念も拭いきれません。

 夕方のニュース番組では、そこの箇所は放送されず、朝のワイドショーで少し触れているだけでしたが、いかにも違和感の拭えないシーンでした。何か裏があるのを隠したような印象が残りました。

 確かに覚醒剤をやっていたのは許されることではないでしょうが、本当にVシネ系の元俳優の元カレだけの責任か?というと、ちょっとどうかな~?という感じもします。

 まず、逮捕状が出されてからの空白期間があまりに長い。結局、昨年六月から逮捕されるまで八カ月も費やしていたり、その間に週刊誌に出るというあり得ないことがある。

 週刊ポストにはお金に困って自分から売り込んだということですが、そんな金に困る状況で何カ月も住むところもなく、どこでどう過ごしてきたというのでしょうか?

 別の週刊誌では大物芸人の愛人だったという話も書かれていましたが、それなら何故、助けてくれなかったのか? それとも、密かに匿っていたのか?

 表に出てくる情報をそのまま鵜呑みにはできません。少なくとも、芸能界の闇は想像以上に深い部分があるのだろうということだけが心に引っ掛かるのです・・・。

 それにしても、中学時代からグラドルとして芸能界に入り、特殊な人間関係の中で生きてきて、おまけに覚醒剤にも手を出してしまった・・・となったら、普通にバイトして生活していくことのほうが難しいのは誰でも予測できます。

 かといって、ここまでイメージが堕ちてしまえば芸能界に復帰するのも難しいでしょうから、前途多難どころの話ではありません。

「クスリはあまりに代償が大きい」と本人もいっていましたが、気づくのがあまりに遅すぎました。

 しかし、まだ若いし、執行猶予という恩情判決を貰ったのだから、しっかり頑張って人生をやり直して欲しいと思います。生きてる限りはやり直せますよ。他人に頼らず自分で頑張っていれば、天は見捨てないものですよ。

 くれぐれも自暴自棄になったりしないで、それこそ人生を0からやり直す覚悟で頑張っていって欲しい・・・と思います。

(俺って美人には甘いな~)

 余談ですが、弟が出張で上京してきたので羽田空港で待ち合わせて昼飯食べてきたんですけど、帰ってきた時に道路上で大騒ぎしているオッチャンがいました。

 車が接触したかどうかしたらしく、ありし日のナガブチ・キックみたいに車をドンドン蹴っ飛ばしながら運転していたらしき青年を恫喝していました。

 私はどうしたか? 無視して道を変えてやり過ごしましたよ。

 女性だったら助けるけど、男だったからな~。心の中で「青年よ、これも人生。突然の苦難が君を鍛えてくれるのじゃ~。頑張りたまえ」と、合掌して・・・。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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