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春の入会金・DVD半額セール実施中!

 遊心流武術健身法研究会では、本部道場開設を目指して、現在、やる気のある新規会員を募集しております。

 打ち明けた話、道場を開設する場合、一定人数の生徒がいないと運営できませんから、そろそろ新規会員を募集してみようかと思った次第です。

 アドバイスしていただく先生もいらして、稽古法も具体的な体系化ができあがったので、これからは本格的に指導育成に力を入れようと思っています。

 内容は、基礎錬体・初級対錬は従来通りですが、推手(単・双・足・武器)と差し手を中心にした戦闘法と、居合抜刀の対錬から体術・武器術(棒・杖・ヌンチャク・トンファー・ナイフ・ピストル)へと展開していく“居合錬法”を軸に置きます。

 それから、各種武器の操作法、基本技の訓練、型の研究(空手・太極拳・形意拳・八卦掌・八極拳など)、武術秘伝の研究(合気・発勁・縮地法・点穴法など)、健身法の研究(整体・活法・骨格調整など)、鍛練法の研究(站椿・走圏・木人・素振り・サンドバッグ・ミット打ちなど)なんかも総合的にやりたいと考えています。

 何分、こういったことをやるには24時間使える専属道場がないと無理なものですから、そういう意味で道場開設をしようと思った訳です。

 日曜日の定期稽古会は、当面、シダックスを借りてやれそうですし、あそこは鏡張りなので姿勢のチェックができるのが有り難いところです。駅からも近いし、もう少し人数が増えてもやれるでしょう。

 まあ、そういう次第ですので、やる気さえあれば性別能力は問いません。ただし、武術は誰にでも教えてよいものではありませんから、やる気があってもやらない方がいい人もいます。そういう人は入会を断る場合もあります。

 うちは礼儀作法はあまりうるさくいいません。が、それは入る時点で礼儀作法を弁えていることを求めているからであって、無礼尊大な態度の人間は最初から断りますし、そういう態度が見えてきたら破門にします。

 人にものを習うのに何か勘違いして対等な付き合いをしようみたいな態度をとる阿呆もいるものですが、私はそんな人間に教える気持ちはさらさらありません。勝手に自惚れていればいいんですよ。

 それに、何か勘違いしてパンダでも見物するような感じでくる方もいらっしゃいますが、練習する気がない人は他の人の邪魔になるので、お断りします。

 やっぱり、ある程度以上、何か習い事に何年も取り組んでいたような人だといいですね。

 多忙なんだけれどもヒマを見つけてやってみたいという方の場合は、通信教育的に教材用DVDで練習してもらうという手もあります。会員になるとセミナーも割引されますし、個人指導もありますから、そういう点は御心配はいらないでしょう。要は、やる気次第です。

 今年のセミナーに来られている方には、指導者クラスの人もいらっしゃいますが、これからは現代武道のレベルアップにも貢献したいですね。

 三月四月は春のキャンペーンとして、入会金5000円にしていますから、やってみたい人は是非、どうぞ。

 また、併せて教材用初級中級DVDも通常2万円のところを半額の1万円にしていますので、遠方の方は是非、この機会にどうぞ。(上級編DVDは夏くらいには出したいと思っています)

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君は『拳児』を読んだか?

 4月のセミナーの時に、会員さんから松田隆智先生原作の漫画『拳児』がコンビニ向け版で出たと聞いて、近所のセブンイレブンで買ってきました。

 私はもちろん、既に文庫版で全部読んでいるんですが、今回は松田隆智先生のインタビュー記事も掲載されているので、また買ってみた訳です。

 私が松田先生を一番尊敬できる点として、「自分の名声を利用して金儲けや組織作りに奔走しなかった」という点が挙げられます。

 つまり、自身の修行を最優先してきた・・・ということです。

 私だったら、ここぞとばかりに銭儲けに奔走しまくりますけどね。先日もクエストさんで打ち合わせしている時に、社長さんから、「長野さんは今後の展開はどう考えているんですか?」と聞かれて、「いや~、稼げるうちに稼いどかないと、僕は老後の生活もできなくなりますからね~。注目されてるうちにバンバン仕事しますよぉ~」と答えたら苦笑されてました・・・。

 文字通りの清貧を実践している松田先生は本当に偉いな~と思う訳ですよ。

 しかし、今回のコンビニ版の松田先生のインタビュー記事には、少し違和感がありましたね。

 まず、松田先生は活字に載る時は自身を“僕”と書かれていました。雑誌に載せるインタビュー記事でも「僕と書いてくれ」と言われていました。

 もちろん、しゃべっている時は気楽に「俺は・・・だよ」と話されることが多かったですよ。でも、それをそのまま記事にしないようにと注意されていました。

 つまり、文章から受けるイメージが尊大になったりしないように慎重な表現を心掛ける方だったのです。

 でも、今回は“俺”・・・そして、“本作の原作者である、松田氏は知る人ぞ、知る!武術の達人。そんな格闘技の神様が語る、伝説の格闘家たちとの交遊録は、まさに生ける格闘伝説なのだ”という惹句(コピー)があります・・・。

 これは、恐らく、私が思うに松田先生に取材した後、きちんと原稿のチェックを受けないまま載せているんだと思います。

 何故なら、松田先生は、こんな大袈裟な書き方をされるのを非常に嫌う方だからです。

・・・武術関係者がメディアで紹介される場合、大抵は“達人”とか書かれます。もう決まり文句ですよね。

 そして、武道家、武術家、あるいは格闘家と紹介されたりします。

 無論、よく知らないから、こういう安易な紹介の仕方をしてしまうんだと思いますし、紹介される側も面倒臭いから否定しないでいる場合が多いと思うんですけれど、やっぱり、こういう言葉は注意深く用いられるべきだと思うんですよ。

 例えば、私は武道家でも武術家でもなく、武術研究家です。“武術”という身体文化を総合的に研究していく志しをたてているから、“武術研究家”と名乗っている訳です。

 正直言って、私より強い人はいくらでもいます。だから、武道家・武術家・格闘家とは恐れ多くて、とても名乗れない。

(名乗っている人達がそれに相応しい場合はほとんどないと思っていますけれど・・・)

 けれども、“武術”という分野を私ほど幅広く研究している人は皆無に近いだろうと思っています。何故なら、武術を学問だと考えて追究する人は滅多にいないからですし、いたとしても、実践を通じて確かめていこうとはしていないでしょう。

 文武両道の人というのは現実にはほとんどいないものですよ。私も元来、武をやるタイプじゃありませんからね。身体弱いし、競い合うことに喜びを感じるスポーツマン的な感性が全然ない。

 でも、それがないから良かったんだと思ってます。

 歴史上、一般的に認められた武術文化の総合研究者というのは一人もいない訳です。だから、私はその第一号になってやろうと思っているんです。ついでに70歳くらいで超達人になれていたらいいな~?という願望はありますが、それをメインで追求している訳ではありません。

 松田先生の場合も、恐らく、個人的な自己満足を得るために空手・古武術・中国武術を学んでこられただけで、他人の評価は求めていなかったんじゃないかな~?と思うのですね。

 だから、“格闘技の神様”みたいに書かれることを喜ばれるとは思えないですね。

 いや、そもそも武術と格闘技を同列で語ろうとするのが無理がある訳で、このインタビュー記事には、ちょっと苦笑されているんじゃないでしょうか?


 さて、それはそれとして、このブログを読まれている人の中には『拳児』を知らない人も少なくないだろうと思います。

 そういう人は是非とも読んでもらいたいと思います。

 何よりも、ここまで中国武術の技をきちんと考証して解説した漫画は無かったからですし、実際に教本としても利用できるのです。

 八極拳・形意拳・大東流合気武術・八卦掌・陳家太極拳・心意六合拳・・・といった武術の描写が正確で、特に神槍李こと李書文について描かれた箇所は独立した武侠小説のような面白さがあります。

 私も久しぶりに読んでみて、以前は気づかなかった技の要点を改めて知ったりすることができました。

 そして、この漫画は是非、アニメ化、あるいは実写ドラマ化すべきものだな~と、あらためて思いました。

 昔、聞いた話では、実はNHKでドラマ化する企画もあったそうでしたが、中国ロケもしなくてはならないから断念され、代わりに夢枕貘の『ビジネスマン空手道』がドラマ化された?のだとか・・・。

 実写が難しければ、アニメでどうかな~?と思いますけどね。

 ともかく、必読です!


 え~、それと、5月の東映チャンネルで、DVDにもなっていない幻の作品『子連れ殺人拳』と、冒頭の植芝吉祥丸の演武以外に合気道らしさが微塵もない!という奇跡のような物凄い迷作『激突!合気道』も放送されます!

 他にも、千葉ちゃんの殺人拳シリーズやマス大山シリーズ、地獄拳シリーズ、少林寺拳法も放送され、千葉ちゃんのカラテ映画のほとんどが放送されます。(これに『ボディガード牙』シリーズと『激殺!邪道拳』と『ゴルゴ13九竜の首』と『ドーベルマン刑事』と『燃えろ狼男』が入ると完璧かな? えっ? ゴルゴとドーベルマンとウルフガイはカラテ映画じゃないだろ?って思いますか・・・見てくださいよ。実際、カラテ映画だから・・・)

 でも、必見なのは、やはり『激突!合気道』でしょう。「相手の力にぶつからないのが合気道」の筈なのに、堂々と題名が裏切っちゃってま~す。

 しかも、千葉ちゃんの弟、二朗さんが主演なのに、ゲストで出演している空手家役の千葉ちゃんにボコボコにされて、何だかいつもの千葉ちゃん主演の作品のような錯覚に陥るダメッぷりに、ダメ押しで悦子が蹴りを放ちます(注・合気道に蹴り技はございませぬぅ~)。

 そんな『激突!合気道』・・・見る人が見れば、「おやっ? これは『少林寺拳法』の続編かな?」と思える怪作です。こいつぁ~、見なきゃいかんばい!

追伸;う~む・・・『激突!合気道』に協力した合気会は、まさか、こんな映画になるとは夢にも思わなかっただろうな~・・・。結局、合気道の技を効果的に映画で見せたのはスチーブン・セガールだけってのがね~。韓国合気道(ハッキドー)ならいくつもあるんだけど・・・。


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牛から鳥、鳥から豚・・・

 熊本で県の衛生保健の仕事をしている弟が東京に出張してきて、「この不況で宿泊代とかが足りないので一泊、泊まらせて・・・」とのことで、先週金曜日に泊まって行きました。

 以前、待ち合わせしたことのある新宿のアルタ前で夕方に待ち合わせしたんですが、物凄く人が多くて、携帯電話で場所を確認しながら東口の交番辺りに移動して、ようやく会いました。

 新宿で食事してから・・・と思っていましたが、田舎暮らしで人間がごった返しているのに慣れていない弟には気が休まらないだろうと思って、取り敢えず家に直行することにして小田急線で町田まで出て、横浜線に乗り換えて渕野辺に到着、そこで行きつけの駅前のジョナサンに入りました。

 電車も通っていない田舎に住んでいると、都会の人の多さは非人道的に感じるもので、私も通勤通学客の多い時間帯は電車を避けていますが、弟にとっては「うわ~、俺はとてもこがんところには住みきらん」と辟易していました。

 大学を出て一度は大阪の獣医医院に就職したものの、すぐ辞めて熊本に戻った弟は、結局は親と同じ公務員の道を選びました。元来、人と競争して出世を望むような性格ではなく、自分のペースでのんびりと生きていくのが性に合っている様子です。

 天草で薬局を経営している兄貴も、若い頃は社会的に成功しようという野心とかあったように見えましたが、結婚してからは家庭生活を最優先するようになりました。

 結局、人並みの人生を捨てて野望にしがみついているのは私だけ・・・。どっちが幸せですかね~?

 翌日の朝、飛行機の時間まではかなり余裕があったので、『子連れ狼・死に風に向かう乳母車』のDVDを無理やり見せました・・・が、若山先生の殺陣の凄さには感心していたようですが、その卑怯な戦法や血飛沫がビュービュー出る残酷っぷりに辟易した様子で、「うわ~っ・・・ひどかぁ~(酷いな~)」と呆れていました。

 やっぱり、兄弟でも変態なのは私だけみたい?・・・です。


 ちょうど、豚インフルエンザの記事が新聞に出ていて、家畜の衛生検査の仕事をしている弟は、狂牛病の時も大変だったそうですが、鳥インフルエンザでテンテコ舞いしていたのに、今度は豚インフルエンザも出て、困った顔をしていました。

 元々、単純に動物好きだから獣医の道を選んだ弟でしたが、何だか責任の重い大変な人生を歩かされているみたいに見えます。

 本にも書きましたが、親父の手術の時なども死んだ後の事務的なことなどもほとんど弟がやってくれましたから、何もできなかった私は感謝しています。

 いやはや・・・それにしても、牛から鳥、さらに豚・・・と、伝染性の病気で世界が戦々恐々となってしまうのも困ったものです。そういう時に付け込んで、不安と恐怖を煽るようなインチキ占い師とか発狂した神秘家とか出てきますから、皆さん、気をつけましょうね。

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人間だもの・・・失敗したっていいじゃない?

 草なぎ剛君が公然わいせつ罪で捕まったというニュースは驚きましたけれど、家宅捜索までされたというのは、もっと驚かされましたね。

 泥酔して公園で全裸になって騒いでいたところを警察に逮捕された・・・というのは、別にどうということもないんじゃない?としか思わないんですが、よっぽど暴れたりしたんでしょうね。

 それでクスリをやっているのでは?と疑われて家宅捜索までに至ったと想像できますが、それはなかったみたいで、ちょっと安心です。

 彼は誠実で木訥なイメージで多くの番組やCFにも出ていたので、大騒ぎになっていますけれど、逆に、あそこまでアイドルとしてのイメージが広まってしまうとストレスは相当なものがあったんじゃないでしょうか?

 私が彼と同様の立場だったら、常に周囲に見られているというストレスで神経が参ってしまうんじゃないかと思います。本では写真も載せてるから、たまに顔を知ってるみたいな人もいるものか・・・ジロジロ見られることもあったりしますけど、私は人からジロジロ見られるのは嫌いだし、そもそも好きな人って少ないんじゃないですかね。

 有名人に憧れる人は多いでしょうが、よっぽどナルチシストでもない限り、常に周囲の視線を集めているという生活をしていかなくちゃならないのは耐えられないと思うんですよね。

 だから、私の場合、「映画にかかわる仕事をやりたい」と思っても、役者をやろうとは一度も思わなかったんですよ。少しは芝居も経験したんですが、やっぱり恥ずかしいですよね。役者やってる人はそれだけで尊敬しますよ。

 でも、もし自分がメチャメチャ格好良く生まれてたりしたら、違っていたかもわかんないですね。

 東映チャンネルで真田広之の初期のアクション映画『忍者武芸帖・百地三太夫』『吼えろ!鉄拳』『燃える勇者』『冒険者カミカゼ』とか見ていて、「うわ~、こんなカッコイイ男が世の中にいるのか?」って、あらためて思いましたよ。池上遼一の青春劇画の主人公みたいだもんね。『男組』を真田広之主演で映画化していたら超傑作になっていたと思います。星正人はアクションできないし、舘ひろしはコワモテ過ぎだし・・・。

 大体、ヒーローがブサイクだったらサイアクでしょ? 最近の特撮ドラマがイケメン俳優の登竜門みたいになっているのも、別に今に始まった訳じゃなくて、昔っから特撮ヒーロー物の主人公は演技が下手でも見た目がカッコイイ人に決まっていたんですよ。

 それでも、役者だって人間ですからね。年とったら体型も崩れてくるし、シワやシミも出て頭も禿げてくる訳ですよ。気持ちは変わらなくても肉体は変わりますからね。

 それでも、人から見られるイメージを売る商売だから、ジムで身体鍛えて体型を保つとか、整形に頼るとかヅラとか植毛とか色々と一般人の何倍も気を使わなきゃならない訳ですよね。

 それがプロ意識として要求されることのストレスは、ちょっと想像がつかないですね。

 人気が高まれば高まるほど、私生活まで監視されるようになっていく・・・草なぎ剛君は、一体、どれくらいのストレスに晒されながら毎日を過ごしていたのか?と思うと、私は到底、彼を非難する気持ちにはなれませんね~。


 泥酔して裸になって騒いだくらい、人間として許容してあげられないもんですかね。小劇団の打ち上げ飲み会なんて、そんなのザラじゃないですか? トップアイドルだから謹厳実直であらねばならないんですか? だったらSMに興じる政治家センセイなんかも即刻クビにならなきゃ不公平でしょう。

 な~んか、瑣末なことを大事件みたいにして騒ぎたてて大問題にしつらえてしまう今の日本のマスコミのありかたの方がおかしいと思えてならないんですよ。

 過日、過激な批評がウリだった北野誠が芸能界から放逐されてしまったように、何とも一方的な報道のありかた(この場合、全然報道しなかったことが問題)がまかり通っているような気がして仕方ありません。

 人間なんだから、そりゃあ失敗もあるでしょう? その都度、「オイオイ、それはマズイでしょ?」ってツッコミ入れていればいいだけなんですよ。それで軌道修正されていくもんです。

 草なぎ剛君の今回の失敗も、ツルベが一言、「オイオイ、アイドルがスッポンポンで捕まったらシャレならんでぇ~」ってTVでツッコミ入れて、剛君が土下座してお詫びするパフォーマンスやればオシマイでしょう。

 もうね~、芸能界追放せんばかりの勢いになっちゃって・・・あまりにも過剰反応だと思うんですけどね。スッポンポンで町中走り回ったんなら問題だけど、深夜の公園なんだから・・・。

 正直、G君が婦警さんに軽傷負わせた事件の時の方が問題だもん。

 鳩山さんもね~。「アンタがムキになって非難したら問題が大きくなるだけでしょうが?」って言いたい。ホントに短慮だな~と思いましたよ。実際、批判が沢山あったんだろうと思いますが、翌日はお詫びしてたりして・・・でも、発言のニュアンスを変えただけで偉そうな態度はそのまま。さぞや世間の印象が悪くなったことでしょう。

 深酒の上の失敗なんて誰にだってあるもの。そこはガッハッハ・・・と豪快に笑って、“あいつもそこまで酒癖悪いとは知らなかったな~。まあ、ストレスたまってたんだろうね。このくらい許してやろうよ”って、どうってことないじゃんという意思表示しなきゃダメじゃん?

 テレビのコメンテーターとかは、そこまで読んでいて「大した問題じゃない」とアピールしていましたけど、彼らはちゃんと解ってるんですよ。自分たちの発言がどういう影響を与えるかってことを・・・。

 鳩山さんもそれを自覚していれば、こんな大袈裟なことにならずに各方面の経済損失もほとんど出さずに済んだかも知れない。総務大臣が激怒しちゃったら、TV番組も主演映画もCFも、軒並み自粛せざるをえないムードができちゃうでしょう?

 本当にハラ芸のできない人だな~と思いましたよ。神経が細いね~。

 鳩山さんは、大問題化するのをくい止めるよう働きかけなきゃダメだったんですよ。こうゆう場合は小泉さんの無責任オヤジっぷりの方がいいと思うね。

「元気があっていいねっ」くらいのトンチンカンなコメントして無問題ムードを広めてあげたらいいんですよ。実際、ただの笑い話なんだから、余裕がないよね~。

 草なぎ君も偉いな~と思ったのは、釈放されてすぐに記者会見して話したじゃないですか? 本人も覚えてないだろうし、謝りようがないですよね。聞かれたって答えられないでしょう。普通は何日か雲隠れするもんですよ。亀田大毅なんて放心状態で何も答えなかったじゃないですか・・・。

 あ~、でもね。怖いもんです。今の日本のメディアって、持ち上げるだけ持ち上げておいて、テッペンからストーンと落としちゃうんだから・・・。

 あ~、怖い怖い・・・。


追伸;初級中級教材DVDと游心流入会金の半額セールも、あと少しとなりました(4月30日迄)。お陰様で何人もの申し込みをいただきましたが、5月から元に戻りますので、御希望の方はお早くお願い致します。(必ずといっていいくらい、期間を過ぎてから「まけてくれ」という人がいます。4月中に申し込みされた方はセーフですよ)
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公園の練習に戻って・・・

 日曜日の会員向け稽古会が、シダックスのレンタルルームが使えなくなったので、また、公園でやることになりました。

 けれども、春は気候も良くて非常に気持ちよくやれましたよ。立禅やっている時にサァ~ッと風が吹き過ぎていくと、身体の中の邪気を洗い流してくれているような心地よさもあります。

 桜は散って青葉が繁ってきていますが、よく見ると枝から咲いた花も少しだけまだ残っていたりして、久しぶりの公園稽古は風情がありました。

 ただし、戸外で刀系の稽古はできませんから、自然、素手の拳法や立ち関節技系の技しかやれません。

 これも、本部道場が開設するまでの少しの期間だから、我慢するとしましょう。

 スワイショウ、立禅、歩法・・・とやって、対錬(ここでは中級)、差し手からの交叉突き、崩しや関節技の練習をやりました。

 今回は、構えの意味を説明したところ、「そんなことまで考えていたんですか?」とみんな、驚いた顔をしていましたけれど、“構え”というのは武術の戦略と結び付いたものなんであって、漠然と構えたら絶対に駄目なんですよね。

 普通、うちは無構えを採りますが、「どうして無構えなのか?」という点をきちんと理解していないと使いこなせない訳です。

 実際、「無構えは無防備過ぎて使えない」とか、難し過ぎるという理由で捨ててしまおうとする人間もいましたが、そういう人間は構えの意味をまったく理解していないんですね。目先の合理性しか見えていないんですよ。

 無構えが使いこなせれば多種多様な構えは簡単に使いこなせるんです。無構えが構えの究極形ですからね。

 古武術では最初に最も難しい極意の技を教えるものであり、だからこそ「基本こそが極意である」と言うのですが、これは精神論で言っているのではなく、具体的な事実なのです。

 一刀流の斬り落とし、新陰流の合撃(がっし)、太気拳の立禅・・・これらは技の原理だけを抽出した究極の極意であり、だからこそ基本として最初にやらされるのです。

 ですから、本来は、最初の一手がきちんと体得できたら、後は一見ややこしく難しそうな多彩な技も簡単に体得できてしまうのです。

 基本が大切というのは、それが極意そのものだからです。極意とは技の原理そのものなのであって、それさえ理解体得できたら、後の膨大な体系もすべて応用発展させたものでしかない真相が理解できるのです。

 よって、無構えを練習させているのは、私が武術の本質を教えるつもりであるということなんです。

 最終形を最初にやるから、その他の構えを使いこなすのに苦労しない訳なんですけれど、間に合わせの技にばっかり気持ちが奪われる人は、私が嫌がらせして先の技を教えないんだと邪推してしまう訳です。

 馬鹿ですよね~。例えば、成長期の子供に子供が欲しがるからってジュースやお菓子ばかり与えてまともな食事を与えなかったらどうなるか?

 でも、私に面と向かって、そういう風に指導してくれと言った脳無しもいましたよ。無論、こんな馬鹿者は破門しました。こんな礼節も何も無い者に武術なんか教えるのはキチガイに刃物にしかなりません。

 世の中には「金は払うから教えてくれ」みたいな態度を平然とする人間さえいますが、信頼できる人柄でない者に教える技なんか私は持っていませんよ。常識としての礼儀作法を弁えない人間は誰も相手にしませんよ。まして、武を志す人間なら尚更です・・・。


 さて、『もっと知りたい武術の極意』で、いろんな流儀の構えを例示しましたが、構えは固定したものではなく戦術的な技を駆使するための招法なので、特定の構えは特定の戦術を極めるために必然的に導き出されたものなんですよ。

 私は構えを観たら、その人の戦法が概略解ります。逆説的に、だから私は構えない場合が多いという次第です。自分の戦い方を事前に相手に教えるのはバカでしょ?

 でも、そのバカなことをみんなやっちゃってるんですよ。

 意味が解らないと思いますが、それはクエストさんの次のDVDで解説しようと思っています(セミナーや講座でも説明する予定です)。

 長く武術を教えてきていて思うのは、大概の人が自分の実力を上げることしか考えていないということですね。

「えっ? 当たり前じゃないか。長野は何、ヘンなこと言ってるんだよ」って思った人は、武術習っても上達はしないでしょう。自分の実力上げることしか考えないんじゃダメ!

 自分の実力を上げるために稽古を積むのは当たり前。ですが、それは技のレベルに留まるのです。

 武術は、“術”というくらいなので、戦術を駆使することを考えないといけません。戦術は相手に応じて変化応用していかないと使えません。

 技だけしか知らない人は、ここを間違ってしまって、“万能の技”を使えば誰にでも勝てると思い込んでしまっている訳です。発勁や合気を体得すれば最強になれると本気で思っていたりするのですから、無邪気というか平和ボケというか・・・。

「最強の威力の突き技を極めれば無敵だ!」とか考えてしまう訳です。

 でも、そんな技は“500S&Wマグナム弾”一発に敵わないでしょ? 技の威力しか考えない人は、所詮、近代兵器に対して無力なんですよ。

 けれども、近代兵器であっても人間が操作しなければ威力を発揮できない。だから、人間に操作させないよう“先”を取って制圧する・・・それが武術の求めるやり方です。

 その“先”を取るのは、いくら身体鍛えて技を磨いてもできるようにはなりません。

 先を取るには相手の身体の動きを観察し、身体が動く以前の意識の動きを洞察していく訓練が必要です。

 これがつまり戦術であり、それを統括するのが武術の戦略思考になるんです。

 だから、単なる体育だと思っていくら身体鍛えてみても、武術を駆使するどころか理解することすらできないんですよ。

 武術は難しいとか神秘武道だとか言っている人達は、観点を間違えてスポーツ、体育だと思い込んで解釈しようとしているから、さっぱり理解できないんでしょうね。

 私は全然別物だと思っているから、非常に具体的に理解できた訳です。

 武術を武道という言葉に置き換えて実態としてスポーツとして普及してきた瞬間から、現代武道の零落が始まっていたんですよ。嘉納治五郎が競技武道として発展した柔道を見ていて「これは私が求めていた柔道じゃない」とポツリとこぼしたという逸話の真意を現代武道に携わるすべての人が猛烈に反省すべきなんだと思います。

 アジアには、こんな優れた身体文化の伝統があるのに、何で西洋スポーツに隷属して阿呆さらしているのか? 誇りを失った時点で、武は死んでいたんだ・・・と認識しなければ、武の復活はないでしょうね。

 話が随分、飛んでると思われるかもしれませんが、私が武術を続けてきたのは自分のアイデンティティーを何者にも侵されたくないという想いがあったからで、単なる格闘の強さなんか求めてないですよ。

「俺は強いんだ~」って吠えてる連中見ていると、「うるせーよ、このヤロー」って、対戦車ライフルで脳天ふっ飛ばしてやりたくなります。

 稽古後に、いつものようにファミレスで話している時、「先生は構えの意味とか、そんなことまで考えてやっていたんですね・・・」と感心するのを通り越して呆れたような顔で言われたんですが、確かに普通はそこまで考えないと思います。

 ですが、人と同じレベルで満足していたら、そこまでで進歩は止まってしまうでしょうから、私は徹底的に探究し続けていこうと思っています。

 それは多くの先生方に貴重な教えをいただいた者として、それを更に研究発展させて次の世代に伝えていかないと、武術の伝統なんてすぐに時代遅れになってしまうと思っているからです。

 古い伝統の知識自慢しているようなレベルじゃダメですよ。昔は良かったとほざいているのは爺さんの特権であって、30代40代の人間が口にしていちゃダメ! 常に最新のものに進化させ続けていかなきゃ~意味ないんですよ。

 な~んか、伝統武術を習っているんだぞって自慢する連中って、ジジイかよ?って言いたくなるのは私だけなんでしょうかね? 「先人を敬う」って謙虚ぶって見せながら、要は先人の努力して築いた遺産の上で胡座かいて寝てるだけなんじゃないですかね~?

 やっぱり、海外のマーシャルアーティストは習ったものを更に発展させようとしていますから、呑気に「日本は武道母国だから・・・」と踏ん反り返っていたら、知らない間に遥かに先を進まれてしまっていると思うんですよ。

 そんな状況だから山師みたいな“メディア達人”が続出してきている・・・。

 まあ、いいや・・・私は私にできることを目一杯やっていこうと思ってます。


 今回の稽古では、こちらがパンチを出して、相手が避けたら、避けた方向に腕全体を振って腕打をかますやり方も指導しました。

 前腕部の内腕、外腕で打つ打撃法は、要するにムエタイのスネ蹴りみたいなもの。よって、前蹴りでピンポイントの点撃を狙って蹴り、相手が避けたら、そこから蹴りを戻さずに回し蹴りするようなもの・・・と思ってもらったらいいでしょうか?

 もちろん、普通の打撃方法ではこれで威力は出ません。が、当たってから威力を注入する打撃法に慣れると、ヒョイッとパンチを出して、当たった瞬間に重心を乗せて最大威力を出せるので、「拳で打って、当たらなかったら腕打で追撃する」というようなこともできるようになる訳です。

 もともと、これは剣術から考えた技なんですね。突きを出して相手が避けたら、避けた方向へ引き斬る・・・。刀は刃が通れば斬れますからね。

 素手でやる場合、威力は体内の重心移動で生み出さねばなりませんが、拳を急激に伸ばして加速させて威力を出すのと比べれば、ずっと応用性がありますから、慣れたらどうってことはありません。腕打が当たったら、さらに肘打ちに繋げることもできます・・・。

 原理が解れば形はあんまり拘る必要がなくなっていくんですよ。

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クエストDVDシリーズ第三弾始動!

 今年は仕事の当たり年なのかな~?

 一月に文芸社さんから『武術と生きる日々』が出て(電子ブックも発売中)、三月にはアスペクトさんのシリーズ第五弾『武道に伝える武術の教え』が出たばかり。

 そろそろアスペクトさんの次回作の企画打ち合わせを・・・と思案していたら、クエストさんからお電話を頂戴しまして、「前作から一年経過したので、そろそろ第三弾のDVDを出しませんか?」との有り難~いお誘いを受けまして、一も二もなく快諾させていただき、善は急げ!と、その日のうちに企画案を書いて、翌日には打ち合わせに高田馬場のクエストさんにうかがって参りました。

 自主製作で作る教材用DVDもいいんですけれど(上級編の内容を現在、検討中です)、やっぱり専門の制作会社で作っていただけると出来が全然違いますからね。

 だけど、内容がかぶってしまうと、買っていただいた方に申し訳がありませんから、コンセプトは変えないといけません。

 今年はDVD付き教本も作ってもらう予定(まだ決定はしていません)で考えているので、尚更、差別化していないといけません。

 少なくとも値段に見合った内容にしないと、この不況の御時世に安くない買い物をさせて“残念”に思われてはいけませんし、作ったDVDが売れなかったらクエストさんにも迷惑を掛けてしまいますからね。

 で・・・知恵を絞って考えて、「やっぱり、クエストさんのシリーズのテイストを踏襲したほうがいいから、『武術秘伝の原理』『武術秘伝の活用』ときているから、『武術秘伝の戦略』ってしてみたらどうかな~?」と考えました。

 第一弾は、武術の秘伝技の根本的なメカニズムを説明するものでした。発勁や合気、縮地法や交叉法の基本的メカニズムを解説するものでした。

 第二弾は、その原理を踏まえた上での技の使い方を解説するものにしました。技の原理を理解した上で技の用法を知れば、それなりに使えるようになる筈です。よって、“活用”と題した訳でした。

 そして、第三弾は、いよいよ、そうした武術秘伝を具体的に用いて戦う“勝負論に於ける必勝の方程式”のようなものを解説してみようと思った訳です。

 勝負論というと、武道や格闘技ではそれなりに論じられてきていると思うんですけれど、日本古武術や合気武術、中国武術なんかでは、ついぞ聞いたことがありません。

 せいぜい、「中国内家拳は接近密着して戦う」といったくらいで、では、“どうやって接近密着するの?”という肝心要なところはお茶を濁して誰も明確に答えられない。

 答えられなくても不思議ではないと思うんです。だって、明確に説明できるくらいなら、実際にやって見せられる筈が、とんとやって見せられる人がいなかった・・・。

 そうですね~。蘇東成先生くらいかな~? 映像作品で実演解説していたのは・・・。

 私も、“目付け”と“三つの先”、“差し手”、“歩法”、そして“交叉法”について繰り返し解説してきましたが、これらをどう結び付けて用いるのか?という点については、実のところ明確にしてきませんでした。

 ごめんなさい。

 はっきり言います。実は、意図的に隠してきたんですよ。

 どうしてか? 

 第一の理由は、これが広まったら私が勝てなくなるから・・・(セコクてすまん!)。

 私が現在、それなりに自信もって教えていけるのも、構造的に相手の技を封じていく武術の戦略を八割方は確立できたという認識があるからなんです。

 どれだけ実力があっても、その実力を発揮できる余裕を与えなければ素人と変わらないので、一方的に制圧することは可能なんですね。これは戦略であり、具体的なやり方は戦術としていくつかある訳です。

 でも、部分的に教えていれば、全体の繋がりを知らない人間では充分に駆使することは難しい。だから、たとえ私より実力が上でも、一点だけ潰してしまえば相手は技の真価を発揮できなくなってしまう・・・(だから勝てる)。

 これが武術の術であり、それを導くのが理合なのです。

 現代武道も格闘技も試合に特化し過ぎて、術と理合を忘れてしまっています。だから、単純に強いほうが勝つと信じて疑わない訳です。

 これは、著名な武術家・武道家でも知らない人が多いのです。

 例えば、甲野さん。彼は約束組手的な“状況設定”の中に相手をはめ込むことで達人パフォーマンスを演出し続けてきましたが、ちょっとでも“状況設定”の“ハコ”から相手が出て本気で攻撃してきた場合、冗談のように惨敗しまくっていますが、普通だったら、この“ハコ組みの欠点”を反省して戦略を切り替えるものなのに、壊れたハコを修繕して30年くらい延々と続けてきてしまっている訳です。

 要するに、武術の術は知っていても本当の理合を知らないから、工夫できなかった訳でしょう。

 また、恐らく、佐川門下の木村さんも知らないでしょう。甲野さんよりはマシですが、やっぱり根本的に手法は変わりません。地力があるから大恥はかいていないみたいですが、私みたいなタイプに中恥かかされたことは数回あると聞きます。

 私が新刊本の中で「木村さんには負ける気がしない」と書いたのも、別に豪語している訳じゃなく、“確実に勝てる”という勝算があるから書いている訳で、さっさと腕試しに来てくれたら私も武勇伝の一つもできて宣伝になるから有り難いんだけどな~・・・とか思っている訳ですよ(はっきり言って、挑発しております。空手や中国拳法、合気道などなめるのも大概にして欲しいから・・・)。

「木村さんは大学の柔道部員全員と乱取りして倒したそうですけど、先生は自信あるんですか?」と、この前もセミナー参加者に聞かれたんです。

「そりゃ、勝てるでしょ。だって、いくら柔道が強くたって、こっちは柔道やるつもりはないんだし、ただ勝つだけだったら打撃技のない柔道は怖くないよ。わざわざ組ませて密着してくれるんだから、こっちは寸勁打ち放題、合気使い放題でしょ。ちなみに昔、警察学校の柔道大会で優勝した友達と会った時に、“長野~、久しぶりに柔道やろうぜ”って高校時代のつもり(当時はドッコイドッコイ)で自信満々で掴みかかってきたけど、俺が一瞬で勝ったよ。どうやったか?っていうと、喉の急所に指突っ込んだだけ・・・試合に慣れ過ぎてる今の日本柔道は平気で急所ガラ空きで掴んでくるんだから、本来だったら古武術や中国武術が対抗できない道理がないんだよ。勝てないのは柔道のルールで対決しちゃうからだよ・・・キムタツだって、合気使えるんだから勝てなきゃおかしいよ。でも、もし伝統空手道みたいに遠い間合からビュンビュン突き蹴りが飛んできたらどうかな? 俺だったらゼ~ンゼン勝つ自信ないな~」ってことを説明しました。

 多くの空手家が木村さんに習いに行っているそうですが、知らない技、神秘的な技を習いに行く態度は立派だと思いますが、どんな技にも必ず原理がある訳で、そこさえ見えたら達人扱いする必要はないと思いますし、むしろ、そこが見えないままま何年学んだところで自分の益にはならないでしょう。崇め奉ってオシマイ・・・。

 神秘の達人技を崇める人って、結局、「生涯、達人になれない人」なんですよ。自分が学んだ技を信じないでよそ見ばっかりするのはバカですよ。自分の学んだものの中に本物があるのに気づいていないんだから、哀しいね・・・。

 空手家だったら空手を信じなさい! 合気道家なら合気を信じなさい! 柔道家なら能柔制剛を信じなさい! 剣道家だったら無心の剣は天に通じることを信じなさい!

 私は武術を信じてる。だから、勝って当然! 勝てなかったら我が身の未熟、我が心が至らないだけ! 神秘の技を求める心は、己の心の弱さと心得たが宜しいでしょう。


 え~・・・それから、私が武術の戦略を隠していた第二の理由は、教えていただいた先生に遠慮していたから・・・です。秘伝はおかすべからず・・・これも武術の伝統也。

 でもね~、もうそろそろ、ある程度、武道や格闘技の修行者が納得できるレベルまでは公開してもいいかな?と思ったんですね。

 いつまでたっても、武術イコール神秘だの、武術イコール身体操作だのというトンチンカンな理論ばっかり広まって、純真な武道格闘技愛好家が騙されまくってしまう状況は終わらせていかないと、日本は世界に取り残されてしまうと思うんですよ。

 研究家として、いずれは公開すべしと思って何年も経過してきましたが、今がその時期かもしれません。いつまで待っても、武術は神秘の世界にうっちゃられたまま科学的に認識されていかないでしょう? ノータリンと精神疾患と詐欺師の世界になってしまっている。真っ当な師範がさっぱり評価されていない。私がガイドやるしかない・・・。

 私はね~。本当に日本人には強くなってもらいたいんですよ。今、弱過ぎるでしょ?

 不況だ不況だって言ってたって、今の日本くらい裕福な国は珍しいですよ。過保護にし過ぎて心を弱らせてしまっただけですよ。日本人のアイデンティティーが壊れてしまっていると思う。

 柔道、剣道、空手道・・・日本武道が外国勢に惨敗する姿って、そのまま日本人が弱くなっている象徴に見えて仕方がないんですよ。

 武道って、日本人が世界に誇れる最後の砦みたいな聖域だったと思うんですよ。それも今は昔の話・・・どうしてこうなったのかって、武道をスポーツにしたからだと思いますよ。

 スポーツがダメだって言いたいんじゃないんです。でも、スポーツは西洋に発祥したものであって、日本の武道の源流はアジアの武術ですよ。生き死にに直面して己の心身を錬磨する死生観に根差した哲学的身体文化なんですよ。それを単なる技の競いあいにして点取りゲームみたいにして、“武道”って言われてもね~。

 3S政策という愚民化政策については知っていますか? スポーツ、スクリーン(映画)、セックスという三つの娯楽を煽って人民を骨抜きにして支配しやすくする政策。

 今の日本人は丸っきりそうなってるでしょ? 快楽しか求めてないから、ちょっとしたストレスでポンポン自殺したりキレル。現実に立ち向かっていく意志力を奪われてしまってますよ。

 武道が廃れたのも、その象徴。精神を鍛えるという発想そのものがアナクロニズムにされてしまい、戦う力を求めることが非難されてしまう。結果、単なる筋肉トレーニング道に成り下がってしまった・・・。

 スポーツという枠組みの中に無理やりはめ込んで、どんどん変質してしまった。

 おまけに権威だの金だの俗っぽい欲に塗れて自己啓発セミナーかカルト宗教みたいになってる武術屋オヤジが続出してるのを見ると、脳が腐ってるとしか言えない。

 いい加減にさらせっ!と言いたくなる。

 もちろん、人間だから、人からチヤホヤされたいとか金を儲けていい暮らししたいとか高い服に高い車が欲しいとか、そういう気持ちが解らなくもないですよ。

 私だって、服だの車だの欲しいとか思わないけど、「上等な日本刀が欲しいな~」とかは思いますからね(物欲が物凄い偏ってる?)。

 だけどね~、日本人って元々、恥じらいを知っていたというか、照れ屋さんだったじゃないですか? 今はナルチシストの大行進だもん。恥じを知らないというか、裸の王様状態の人ばっかりだよね。


 最近、何か空しくってですね~。余談が過ぎました。


 武道メディアの中で私に目をかけてくれているのはクエストさんがほとんど唯一。才能を見込んで声をかけてもらったからには、期待に応えないと男がすたるってモンです。

 よって、ここらで一発、清水の舞台から飛び降りるつもりで、これまで隠してきたことを公開しようと思ってます。

 まあね~、決死の覚悟で公開したからって、多分、ほとんど理解してもらえないんじゃなかろうか?とは思うんですけれど、本気で武術を求めている人が一人でも多く理解してくれれば、無駄にはならないと思うんですね。

 そうして、今度は、そんな人がまた新しい人に伝えていってくれるなら、少しは意味はあるだろうと思っています。だから、期待していてください。


 そういえば、クエストさんで打ち合わせしている時に、話のついでに「宇城さんの腕相撲ってどうやるんですか?」と聞かれたので、「こうやるんですよ・・・相手が力を加えてきたら、こっちは腕の力を抜いたままにして微妙に前後にずらして相手の力と拮抗しないようにします。そうすると、力の反発がないから、相手は自分の力の加え所のポイントが定まらずに腕が固着してしまう訳です。相手の力がこちらに作用しないから、“力が0化される”と表現している訳です。そこで、ほんの少しずらしたまま巻き込むようにしていけば、相手は抵抗して力を働かせる方向が掴めないまま押し切られてしまう・・・という仕組みです・・・ホラ、ね?」と実演解説したところ、「ええ~? それって腕相撲になってないじゃないですか? インチキじゃないですか~?」と言われました。

 これは、私が説明しているから「こんなのインチキじゃないか」と思う訳で、以前、福昌堂で高岡さんの合気を実演解説した時も同じでした。教えた瞬間に誰でもできてしまったからです。

 技の原理が解らないと「神秘の気のパワーなんだ」と簡単に思い込まされてしまう。

 甲野氏みたいに意図的に人を騙すために見世物芸演じている人もいますが、宇城さん自身は多分、感覚的にやっていて技の原理を説明できない人なのかもしれません。

「胸から光を出して相手を照らす」とか、「(身体の)内部を高速化すると(突き)腕が伸びる」とか説明されても皆目、理解できないでしょう?

“胸から光”というのは「相手と正対して相手の身体を包むような意識をイメージ化せよ」と教えたほうが伝わると思いますし、“突き腕が伸びる”のは「肩から肩甲骨回りの筋肉を柔らかく自然に伸ばして突け」と教えたほうがいいでしょう。

 あまりに抽象化した感覚言語を駆使していたら、より具体的な身体技法の体得を阻害してしまうだけです。

 DVDを見ていると、本気で“気の力”だと思い込んで教えているように見えますが、一般的に通じる説明ができない技を一方的に何人にもかけて見せていたら、原理が解らない人達は皆、“達人だ”って信じ込む。その尊敬の眼差しが心地よいから居座ってしまう・・・はっきり言って、武術家としての堕落の道ですよ。

 要するに、武術じゃなくて、催眠術で演じてみせるパフォーマンスと変わらないんですから、それでは洗脳団体と思われても致し方がありませんよ。週刊誌でバッシングされたのも道理です。現に長く学んでいたお弟子さん達がほとんど辞めてしまったといいますし、率直に反省すべきだと思います。修行者にとっての必須の心。それは謙虚さです・・・。


 ちなみに、私のところにも、この手の武術風手品の原理ばっかり聞きたがる人が今でも来るんですよ。よく、恥ずかしくないな~?って思います。見世物芸の秘密ばっかり知りたがるって、はっきり言って、洞察力が0ってことだから・・・。

 本当に、そんな技にしか興味がないんだったら、甲野ちゃんのところで一生、遊んでもらってたらいいんじゃないのかな~? 自分のレベルに合ったところに行くのが居心地がいいと思うんですよ。

 真剣に武術を求めている人は、そんな見世物芸なんか軽蔑しているし興味も持たないものです。私も、キムタツの技とか甲野ちゃんの技とか丸で興味ありません。だって、戦闘の役にはたたない素人を驚かすだけのフェイクじゃん?

 あんなの崇めてるヤツは武道なんかやめたほうがいいよ。上達の見込みないんだから。

 だから、「まったく、こいつら武術を何か勘違いしてるな~っ。あ~あ~、いい年こいて何で本質を求めないでくだらない三流手品にばっかり興味持ってるんだろ」ってガッカリするし、「俺はそんなことを教えるために武術の研究やってるんじゃないぞ!」って思うんですけど、武術を素人演芸と勘違いさせた側(最大罪人は甲野善紀さん!)の責任でもあるんでしょうね。

 でもね~、何か新興宗教とか占いにはまる人達と変わらないですね・・・。そんなお目出度くもノーテンキな人達は、武術なんかやらないほうがいいと思いますけど、それが今の日本人の典型なのかもね。


 そんな訳で、クエストさんのDVD次回作は、俺の魂を込めてみせまっせぇ~!

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マスコミの取材力が落ちているのかな~?

 週刊新潮が大スクープの誤報を認めて謝罪したということですが、その謝罪態度が無責任だと批判されているみたいです。

 要するに、取材した相手に騙されたという被害者ヅラをしているのがプロとして潔くないと批判されているそうです。

 でも、人間だからね~。そりゃあ、間違うことも騙されることもありますよ。それも含めて、真相に迫っていく姿勢がないとジャーナリストとは言えないんじゃないかな~?と私は思います。

 大体、どんな評判が良い人でも“そんな馬鹿な”みたいな意外過ぎる裏の顔があったりするのが世の中ってもんですし、散々に悪い評判の人が実際に付き合うと凄く一本気な人だったり・・・なんてことが少なからずあるのが人生の醍醐味ってもんでしょ?

 付き合う分には困るけど、ギャップの激しい人のほうが絶対的に面白いもんです。

 芸能人やプロレスラー、武術家、芸術家、小説家、政治家・・・もう、人格が破綻しまくってるみたいな人の方が成功してたりするでしょう?

 私の大好きな若山富三郎先生や松田優作も、もう、メッチャクチャな性格だったみたいですが、それだからこそ、抜群に愛された人だったと思うんですよ。

 平凡で常識的で普通の人・・・って、家庭生活する分には安心できていいかもしれないんですけど、人間としての魅力は感じませんね~。

 何か、どっかバランスが壊れているくらい一部分だけ突出しているような人の方が、面白いし魅力的に見えるんですよ。露骨な欠点のない人って、可愛くないでしょ?


 週刊新潮に限らず、マスコミの人間って、何か上から目線に過ぎるんじゃないですか?

 一種の権力を持っているから、神の目線になってしまいがちだと思うんですよ。自分たちが所詮は人間なんだってことをきちんと自覚していれば、取材対象者の話をそのまま鵜呑みにするのではなくて、多角的に判断しようとした筈ですよ。

 新聞や週刊誌、TVだって、いくらでも誤報はするでしょう?

 小向美奈子の涙の謝罪会見の時だって、一部のワイドショー以外のニュース報道では、週刊ポストの告発記事内容について質問された途端に顔面蒼白になって「知りません」と血相変えて走り去ったシーンは省いて放送していましたが、このシーンを見ると「やっぱり、脅されているんだろうな~」としか思えない。

 あるいは、“実弾が撃てる玩具銃を製造販売した”という触れ込みで逮捕されたモデルガン・ガスガンメーカー“タナカ”の社長が不起訴になった報道は新聞に小さく載っただけでTVのニュース報道はさっぱり見かけない・・・。

 オカシイ・・・、マスコミ報道の公平性云々という以前に、意図的な世間のイメージ操作をしているとしか思えないんですけど・・・。

 まあ、マスコミがよく調べないで報道したりするのは昔から結構あった訳で、例えば、「古武術に伝わるナンバの走りで・・・」なんてTVのニュース番組で安藤アナが言っていた時は、「それは違うよ~」って頭抱えてしまいましたけど、もっと凄いのは、私が中学の頃だったか、新聞で密輸入された拳銃について書かれた記事で“S&W”にフリガナがふってあったんですけど、それが何と!“スミス・アンド・ウエスタン”ってなっていて、私は笑い死にしそうになりましたよ。

 これは、正しくは、“スミス・アンド・ウエッソン”という社名で、ホーレス・スミスとダニエル・ウエッソンの二人で共同設立した銃器会社なんですね。

 S&Wは、COLTと並んで19世紀に設立された銃器会社で、あの坂本龍馬が持っていた拳銃もS&W社の製造したものだったんですね。

 ちなみに、次元大介の愛銃コンバットマグナムM19や、ダーティハリーの愛銃44マグナムM29もS&W製で、ダブルアクション・リボルバーに関してはCOLTも及ばない世界一の会社なんですね。

 こういう専門用語の間違いに関しては、多分、相当、多いのかもしれませんね。

 特に、雑誌社もTV局も、最近は手っ取り早くインターネットで調べる傾向があるみたいで、私のところにもTV局から二回くらい質問が来たことがあったんですけど、インターネットの情報って、結構、一方通行だったり意図的に捏造されていたりする率が高いと思うんですよ。

 だって、私なんか二回死んでたそうだし、最初は実在しない説があったらしい。

 私自身はネットで調べたりしないんで全然知らないんですけど、結構、真に受けて心配した友人知人とかいたりするんですよね。

 CIAだとかフリーメーソンの幹部だとかいう妄想話を書いた人もいたそうですけど、そんなの信じる方がどうかしてるでしょう。

 私自身がそんな具合に書かれているから、もうインターネット情報は全然信用していませんからね。それを信用して取材する人は、やっぱり安易過ぎるとしか言えません。

 便利だから、取っ掛かりとしてはいいかも知れませんが、それだけで記事書いたりしたらダメでしょう。

 私は口コミで知った事柄を何人かの事情通の人から裏付け取って発表することが多いですね。噂話でも信憑性があるかどうかは複数の人に確認していかないと判断できません。

 著名な武術家の噂に関しても、そうしていますよ。複数の人から聞いた話が同じだったら、ある程度の信憑性が望めるでしょう。

 本人に聞いても都合の悪いことは嘘つくから無駄だし、客観的な周囲の人達の意見を聞いて総合的に判断していった方が間違いが少ないでしょう。

 後は、自分の眼を信じる。私の場合は、これが一番だと思っています。

 マスコミで働くプロの人達も、単なる情報収集だけじゃなくて、自身の判断力を磨くのが最も大切なことなんだ・・・と、再認識しなきゃいけない時代なんだろうな~と思いますね。

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ヌルヌル公害怪獣大行進

 新刊本『武道に伝える武術の教え』の中で、秘技“ヘドラ固め”を発表したら、読者から「ヘドラってどんな怪獣なんですか?」という質問を受けたので、まあ、ちょっと公害怪獣について書いてみようかと思います。

 まず、言わずと知れた公害怪獣の代表格であるヘドラですが、『ゴジラ・ファイナルウォーズ』にもチラッと出ていたので見たことある人は結構いらっしゃるのではないか?と思います。

 もうね~、このヘドラに関しては『宇宙船』『映画秘宝』で海外ホラー作品批評を執筆されている映画文筆家の鷲巣義明氏が制作された『HEDORAH/公害怪獣の映像世界』に優る解説批評論はあり得ません!

 いや、ホントに、これは物凄いですよ。同人誌で作られているんですけど、ゴジラやウルトラマン、仮面ライダーのエンサイクロペディアみたいな公刊本が霞みますよ。

 どこを読んでも凄いんですけど、ヘドラとクトゥルフ神話を重ねた論や、『ゴジラ対ヘドラ』のエンサイクロペディア、そして唸ってしまったのが、『ゴジラ対ヘドラ』の続編ともいうべき小説・・・。

 ヘドラという怪獣は、確かに正体不明の宇宙から隕石にくっついてやってきた鉱物生命体がヘドロやスモッグを吸収して巨大怪獣化したものなんですが、乾燥させて退治されたものの、水の中に入れると生き返っていた筈なんですよね。

 だから、人食いアメーバ(ブロブ)みたいに切れっ端から蘇る危険性もある筈なんですよ。

 そして、ゴジラとの戦いの中でゴジラ細胞と融合するというビオランテやスペースゴジラの設定の延長で考えたら・・・鷲巣氏の小説はあまりにも必然的でありつつ、絶望的なSFホラーの作法に則ったビジュアル・イメージが脳裏に浮かんでくる悪夢のような作品でした(これを原型にして是非、長編小説にして欲しいものです)。

 そんな観念もあったものだから、ウルトラマンレオの円盤生物シリーズを見ていたら、「円盤生物って実は邪神の一族で、ブラック指令ってナイアルラトホテップみたい?」と思えてしまいましたよ。

 それにしても、ヘドラという怪獣が、何故、かくも心を惹きつけてやまないのか?というと、公害を実体化した怪獣というコメディ的設定なのに、その妖怪染みたビジュアルと、よくよく観るとラメの入ったようなキラキラと輝くボディを持って、ゴジラと格闘しているというより、スリスリと甘えているみたいな妙なキュートさにあるのかもしれません。

 帰ってきたウルトラマンにVサインで目潰しを食らった毒ガス怪獣モグネズンが、よく見ると円らな瞳のプレーリードックみたいな顔をしていたように・・・。

 公害怪獣のボスはヘドラで決まりですが、同じヘドロ系だと、宇宙猿人ゴリが開発したヘドロン、ネオヘドロン、それに帰ってきたウルトラマンが戦ったヘドロ怪獣ザザーン辺り。これにレインボーマンを襲ったヘドロンにコンドールマンのヘドロンガーと、川内康範ヒーローは公害怪人とよく戦います。

 妖怪でヘドロ系というと、第二期の鬼太郎に出てきた泥田坊とアカナメもそれっぽいし、ドロロンえん魔くんを毒ヘドロ吐いて苦しめた雨女郎もヘドロを武器にしていた点でヘドロ系かも?

 余談ながら、この第二期鬼太郎とドロロンえん魔くんは、明確に公害と妖怪が関連づけて描かれて、何か社会派な作品を見ている気がしました(特にえん魔くん)。70年代の特撮アニメのヒーローは怪獣や怪人、妖怪という名前の“公害”と戦っていたのかもしれません。

 ところで、公害怪獣といって忘れられがちなものに、ナメクジ怪獣がいます。

 やっぱり気持ち悪いからなのか、ナメクジの怪獣って案外多いんですよね。ウルトラQのナメゴン、ウルトラマンタロウのジレンマといった巨大怪獣以外にも、『ノストラダムスの大予言』の大ナメクジに、『緊急指令10-4-10-10』の人食いナメクジなんて玩具っぽいのに子供だったからか夢に出てきて追いかけ回された記憶があります。

 何しろ、ナメクジって存在自体が気持ち悪いから、ただデカイだけで充分にインパクトがあります。殻ついてるだけのカタツムリはそんなに気持ち悪くないのに・・・。

 洋物モンスター・パニック作品に『スラッグ』というナメクジ映画があるそうなんですが、それはそれは気持ちの悪い映画だという噂で、大抵のホラー映画は狂喜して見る私も、見てみたいんだけど、何か怖くて未だに見ていません。

 何で、私がこんなにナメクジ嫌いなのか?っていうと、実は子供の時に庭の石をどけた時に、ニュチャア~ッと手のひらに何ともいえないおぞましいヌルヌルベッチョーとした粘着ゼリー汁?みたいな感触を感じて、ウゲゲッと思って手を離したら、なんと石の下にいたナメクジを潰してしまっていたんですね。

 もう、楳図漫画のキャラみたいにブゥギョエ~ッ!と奇声を発して、家に駆け込み、水道で必死こいて手を洗ったんですが、これがまた、なっかなかネチョネチョニュルニュル~とした感触が落ちないんですよ・・・もう、ねえ~、『妖怪百物語』でおいてけ堀で釣った鯉の生き血みたいに落ちない(例えになってない)・・・ホント、我が人生で最も気持ち悪かったです。

 大体、蛇とかミミズとかヒルとかナマコとか足が付いてないヤツは嫌いなんですよ~。

 でも、その割りにはヌルヌル怪獣が出てくる映画は好きで見てるかも? まあ、怪獣だから成立する訳で、ヒーローがヌルヌルしてたら気持ち悪いんだけどね~。
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『美の護身術』感想

 先日、クエストさんで、BSで日野晃さんが護身術の番組を持つという話を聞いて、会員さんで見た人もいたので、興味を持って見てみました。

 土曜夜11:00からの30分番組で、BS日テレの『美の護身術』という番組。

 これまで格闘技の情報番組はざらにありましたけれど、NHKで甲野善紀氏の番組があった以外には、こういった番組が制作されたことはなかったんじゃないでしょうか?

 地上波ではないから成立したのかも知れませんが、シンプル・イズ・ベストで、日野さんがタレントの安めぐみや日テレ・アナウンサーの藤井さんに“技の原理”を解説して伝授していく構成は、わかるようで解らなかった甲野氏の時よりも、ずっと丁寧ですし、伝授される側の感動する様子が視聴者に伝わって、正直、なかなか良いんじゃないか?と思いました。

 いや、“なかなか良い”なんて書いたら、随分、偉そうで失礼かもしれませんが、ぶっちゃけた話、私は日野さんの武術家としての実力は特に評価する程じゃないと思ってるものですから、ついつい上から目線になってしまった訳で、どうも御無礼しました。

 実は、最新刊の本でも日野さんに関する批評文を書いていたんですが、〆切りの関係で原稿の整理が必要で、全面的に削除してしまっていたんですね。

 その削除原稿の内容がどうだったのか?というと、正直、あまり誉めて書いてはいなかったんです。“伊藤式胴体力や戸隠流の初見先生からパクッている”みたいな書き方をしていたんですよ。

 どの道、削除する予定だった文では、「急逝された伊藤昇先生が御健在であれば、世に出ていなかったのではないか?」みたいな、かなり失礼千万なことすら書いていました。

 私は元々、武術の世界と精神世界が重なって語られる風潮には危機感を持っていまして、日野さんが自己啓発セミナー(要するに催眠セミナー商法ですよ)に関わっていたという話を聞いて、胡散臭いオッサンだな~と思っていた訳なんです。

 戸隠流忍法の大会で外人参加者にボロ負けしたという話も聞いていたし、写真や映像を見ても、どうも運動神経のいいだけの人に見えて、武術・武道を基本から体得している人の身体性には見えなかった訳ですよ。

 ダンス白州で日野さんに心酔されている様子のダンサーの方から「日野先生は、どう思いますか?」と聞かれた時も、だから、「甲野さんなんかよりは、ずっといいと思いますけど、日野さんが足元にも及ばない武道家はザラにいますよ」という大人げないことを言ってしまって、その方には不愉快に思わせて申し訳なかったな~・・・なんて思ったりもしたんですが、でも、正直に思う通りに言っておかないと、世間的に注目される人物を安易に「天才武道家」みたいな扱い方をしがちでしょう?

 無論、私自身が自分を武道家とか武術家と名乗らないのも、到底、その言葉に足りるレベルではないと思っているからですし、ましてや自分から「私は武道家です」とか言える人というのは武道そのものを嘗めているタワケ者としか思えないんですよ。

 これは自信がないのとは違いますよ。私だって三十三年くらい、ほとんど毎日休まずに多少の訓練を続けてきたんですから、そりゃあ、何もやっていない人とドッコイドッコイだったら哀し過ぎるじゃありませんか。(あ~、甲野さんは凄いな~)

 でもね~。私なんか足元にも及ばないくらい根性の座った厳しい修行を続けている人はゴマンといるんですよ。

 私は強いか弱いかではなくて、努力研鑽し続けている人は、それだけで尊敬します。仮に私より弱くても、努力研鑽する姿勢は尊重されるべきだと思っています。

 だから、人目を惹くような見世物芸で武道の達人っぷりを見せつけて“自分こそが第一人者”みたいな振る舞いをする人に、私は虫酸が走るような憤りを感じるのです。

 私が見世物芸のネタばらしをするのも、そんな真似は武術武道の本質とはまったく関係のないことだと言いたいだけであって、武を見世物にする連中には「恥を知れ!」と言いたいんです。

 余談ですが、ショービジネスの世界で生きている人達の苦労は、それはもう大変なことなんですよ。本当に食えているのはピラミッドの頂点だけ。8~9割以上の人が挫折し別の世界に行ったり、副業で何とか生活を支えながら続けていたり、中には生活苦と先の見えない将来を悲観して自殺してしまう人も非常に多い。

 そんな厳しいショービジネスの世界で頑張っているプロに対して、武術武道の技を応用して素人騙しの下手糞な手品みたいな見世物芸を演じて「達人」ぶる行為が、どれほど無礼かつ醜悪な振る舞いなのか?ということを、どうか、理解して欲しいのです。

 本当に才能のある人であってさえ、運と援助が無ければショービジネスの世界で成功することはできない。だからといって、運と援助だけでは一時的成功に終わってしまうことも皆、知っているんですよ。

 私が昔、自主映画業界に関わって、それから学生演劇で殺陣をつけたりしていた頃、まだ若かった友人達は希望を抱いて演劇や映像の道に進んで行きました。

 正直、私は取り残された感じもありましたが、武術研究の道を進んでいって、20年くらいかかって、ようやくそれなりの形になってきました。

 ところが、演劇の道に進んだ友人達の多くが、プロとしてやっていくことを諦めてしまいました。決して才能が無かったのではなく、執念と戦略が欠けていたのだと思います。

 でも、武術の世界だったら40半ばでもまだ若い部類に入りますけれど、役者として40代に入るくらいになると活躍の幅は大きく制限されざるを得ないでしょう。

 私が本当に「田中泯さんは凄い!」と思った理由の一つが、彼はダンスを見せて金を取るということを捨ててしまっても生活できる地盤を構築し、尚且つ、その地盤そのものをダンスの技能を高める訓練の場にしていた点なのです。

 まして、それを支える仲間が多数いる。あの吸引力は何なのか?と思うのです。

 そして、60を過ぎても尚、現役であるどころか、その高密度のエネルギーは年齢の衰えなど微塵も感じさせません。表面的な筋肉に支えられたダンスではない、意念に統治された身体の内力を駆使するパフォーマンスの凄さは、先日、こちらの気力を吸い取られる踊りを見せつけられて再確認したばかりです。

 泯さんの仲間に極真空手の大山倍達、合気道の植芝盛平の近くにいた方がおられますが、その方は、「泯さんの踊りを見た時に植芝先生を見たように感じたんです」と言われていましたが、その言葉に私は大いに納得したものでした。

 つまり、現代武道の伝説的名人に匹敵するパフォーマンスが田中泯さんの踊りにはある・・・とその方は感じた訳でしょうし、それは私が感じたものと共通しているのではないか?と思えた次第です・・・。


 さてさて、そんな訳で、私は武道家としての日野晃さんには何も期待していませんでしたし、番組を見ても特にその認識には変化はありません。

 けれども、一点だけ、評価できるし評価すべき点があると思いました。

 それは、“護身術”の必要性(重要性)についてアピールしたという点ですし、護身術のベースには古来から伝承されている武術武道の“原理”があるということを日野さんが明確に指摘していたという点です。

 この一点だけで、充分にエポックメイキングたり得る!・・・と、私は思います。

 思えば、甲野氏の活躍で武術に世間一般の目が向いたのは僥倖ではありました。

 しかし、甲野氏の説く武術理論は、武術の本質から外れた単なる“身体操作法”に過ぎず、“ナンバ”や“捻らない動き”といった特異な身体操作の優秀性をアピールするだけで、本来の武術に伝わる多様な身体機能を駆使する技法の本質を逆に目くらまししてしまう結果を招いてしまいました。

 つまり、“素人を驚かすだけで実用の役には立たない戦えない武術”を蔓延させる悪例をこしらえてしまい、まったく戦うことを考えない勘違いした自称武術家を量産してしまいました。

 私は、日野さんもその尻馬に乗るのではないか?と思っていたのですが、この番組を見る限り、そうしたヘンテコな方向へ向かおうとしてはいない様子に、ほっと胸を撫で下ろしたのでした。

 ですから、これは研究家としてエールを贈っても良い番組だと考え、日野さんの御活躍を期待して見守りたいと思います。


追伸;う~ん・・・でも、そろそろ武術そのものを紹介する番組もできないかな~? ある意味、格闘技の番組より面白いものができると思うけどな~。私で良かったらスーパーバイザーやるけどね。(おっと、さりげなく売り込みしちゃったぜっ)


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四月セミナー報告

 四月のセミナーは、“スリ足のステップワーク”と題して、歩法から一歩進んだ戦術的な歩法の用い方について解説指導していきました。

 も出たばっかりだったからか、今回は人数も多くて会場が手狭な印象もありましたし、おまけに動き回るので余計に狭く感じられたんですけれど、まあ、何とかなりました。

 一口に歩法、ステップワークと言えば、大抵は、「どうやって間合を詰めるか?」といった観点に落ち着く場合が多いと思うんですけれど、実は武術が歩法を重視する理由は、そこに積極的な裏技が隠されているからなんですね。

 簡単に言えば、「自分は自由に動いて相手は居着かせてしまう」という戦術的な使い方が隠されている訳です。

 どういう意味かいな?と思うでしょうね。不思議な神秘の秘術とかあるのかな?って。

 違います。

 そんな意味不明なことではありません。もっと具体的なこと。

 それは・・・“相手の脚(膝)、足(甲や指)を踏む”“相手の脚に自分の足を搦める”といった姑息な技を歩法の最中に駆使することです。

 こういう技は中国武術では“暗腿”と呼ばれます。八卦掌がよく駆使することで有名ですが、無論、他の門派でも普通にあります。

 例えば、八極拳の頂心肘の技の時にカカトをズシンと踏み込む震脚の動作や足先の角度は、相手の足を踏みつけたり脚に引っかけて逃げられなくしたりする技を成功させるための招法が内蔵されています。

 つまり、その招法の意味を知らないまま形ばかり真似して技を極めようとしても、間合が遠くて届かないとか、相手が素早く避けて当たらない・・・といったことになってしまう訳です。

 こうした技は、裏技として隠されていたので知らない人が多く、たとえ知っていても人には教えない・・・という場合も多いようです。

 私は運よく多少、習う機会があって、それを形の分析をしている時に色々と試しているうちに自然にあれこれ使うようになり、そこからさらに歩法と結び付けて使う研究をしていった次第です。

 端的に言えば、こういった暗腿の技は何も中国武術にしかないのではなく、日本の古武術にも沖縄空手にも東南アジアの武術なんかにもあります。

 それは、暗腿の技を知っていれば、単に構えを見ただけで、隠されている用法が洞察できてくるんですよ。

 養神館の塩田剛三先生も足の親指の先で相手の足甲を踏んで釘を刺したみたいに痛がらせてフッフッフ・・・ってしていましたよね。あれも踏む位置と足指に重心を沈めるコツとかを体得していれば誰でも可能です。

 チャウ・シンチーは、『カンフーハッスル』の中で敵の足をバンバン踏んずけるシーンを撮っていましたが、震脚の用法にそういうものがあるというのを知っていたのかもしれません。

 今回のセミナーでは歩法の延長だと皆さん思っていたようなので、歩法に隠された陰険な技の数々に面食らった人もいたみたいです。

 特に、膝を踏みつけて折る斧刃脚から、そのまま滑り込ませて暗腿を仕掛ける連続技は、出した手足を引き戻すことに慣れている空手出身の人には難しいかもしれません。

 でも、護身術とか実戦的な使い勝手のいい技というのは、こういう狡猾な技なんですよね。戦ってる最中にちょこちょこっとやられると、何をされたか気づかない・・・そういう技のほうが実用的ですし、本来の空手の型を分析していると、どう考えても引き戻さないで連続させているとしか考えられない技の動作が少なくないんですよ。

 突き蹴りだけで仕留めると考えるから戦闘法が変化し、本来の用法が不明になっていったんだろうと思いますし、逆に現在の空手道の戦闘法からは型の解釈が不可解になりがちなんじゃないでしょうか?

 また、使えるかどうかを試合でしか判断しようとしないでしょう?

 こういう陰険な技は試合で使うのははばかられますから、どの道、禁じ手になっていくしかなく、そうなると存在そのものが忘れられてしまう。

 でも、指導していく立場の人は知っておいたほうがいいと思うんですよ。本来の武術の戦闘法なり理論なりという点をきちんと理解していれば、本質を踏み外さないで済む。

 私は、そのための研究をしていこうと思っている訳で、何か特定の流派の伝統を守っていかねばならない立場じゃないので、基本的にフリーでやれますからね。

 伝統的な武術の流派というのは秘伝が多すぎて制約され過ぎています。私もその立場に留まっていたら何も発表できなかったですよ。

 でも、誤解して欲しくないのは、伝統的な武術の流派は文化として保存継承されるべき価値もある訳で、私はその点を否定しないし尊重すべきことだと思っています。

 要は、人間は己の目的を純粋に求めていくことがカッチョイイんだよぉ~って言いたいんですよね。

 武術の世界は不純なヤツが多過ぎますよ。ホント・・・。


 ところで、75歳の爺さんが口論の末、65歳の爺さんを日本刀でぶっ刺した・・・という事件があったそうですが・・・もう、いい年こいて何を考えてんでしょうね~。

 どうせなら、相手にも日本刀持たせて、二人で斬り合えば「う~ん、サムライだな~」なんて、ちょびっとは感心したんスけど・・・(エッ、しない? 俺だけ?)。

 何か、『コンバットマガジン』で甲野氏が「最近は刃物を遠ざけるばかりで教育しないからいかん」とか書いていたんですけど、いい年こいた爺さんでも阿呆は阿呆なんだし、それよりも何よりも、「高校の講演会で高校生の首根っこ掴んで日本刀の切っ先突き付けて恫喝したお前に言う資格あるんかい?」と、私は言いたい!

 それに、訪ねていった格闘家に無言で日本刀抜いて突き付けてイヒヒッて笑ったとか、公開稽古会で合気道習ってる女の子に日本刀突き付けて怖がらせて、「やめてくださ~い」と逃げるのを追いかけ回したという目撃談も聞いたんスけど・・・気は確かですか?

 私も真剣たくさん所持している人間として人様から誤解を受けたり恐怖心を感じさせたりしないように心掛けなくちゃいけないな~と思いましたよ。シャレで済まないことってありますからね。

 武術は自己抑制の心掛けがないと簡単に暴力になってしまいます。何も考えずに強さを求めるのは自滅の道だと認識しておかないといけません。

 秘伝をバンバン公開している私が言うのも矛盾してるんスけど、せめて、心掛けの重要性だけは強調しておかないといけないと思っています。

 来月は、いよいよ“脱力技法”です。合気ですよ。化勁ですよ。武術の神秘を合理的に解説指導していきますから、乞、御期待!

追伸;近々、游心流では狭いながらも宿泊施設付きの本部道場(要するに民家です)を借りる算段をしております。これで、365日24時間、フルタイムで練習できることになります(無論、完全予約制)。これまで日時が合わずに来れなかった方、足が遠のいていた会員の方、地方在住の方もドシドシおいでください。指導内容や料金などは、場所が確保でき次第、発表しますので、もうしばらくお待ちください。また、本部道場開設の時は祝賀披露演武なんかもやってみようかな?と思っております。

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四月セミナー『スリ足ステップワーク』

 四月の武術セミナーは、遊心流オリジナルともいえるスリ足歩法によるステップワークを指導します。

 これは、厳密にいうと縮地法の応用編ともいえる内容なんですが、ボクシングやテコンドーなどのフットワークと違って、スリ足で動く点に特徴があり、骨盤の動きを先導させて、それに足がついていく・・・という感覚なので、地面を蹴って推進力を得るのではなく、あくまでも体内の重心を先に動かすことで体移動していくものです。

 普通、歩法というと、足の踏み方といった手順の形式に拘って指導される場合がほとんどだと思うんですが、“骨盤の動きを先導させる”という点が最重要なので、極論すると足の踏み方は必ずしも同じにやる必要はありません。

 無論、基本的な体捌きの原理原則については指導しますけれど、それも、真っすぐ入るかジグザグに動くか円周で回るか・・・といったやり方の違いに拘る必要はありません。

 難しいといえば難しいけれども、簡単といえば簡単です。

 そして、このステップワークは、攻撃技と防御技を融合させたものであり、戦略的な戦闘理論の要になっています。

 ちょっと、抽象的な説明で恐縮なんですけれど、恐らく、何らかの武道をやっている人は、「あっ、この動きはこういう意味があったのか?」という発見をされるのではないかと思っています。

 そして、この、ほんのちょっとの秘訣によって、それまで「こんな技が使えるのかな~?」と思っていた技が劇的に使えるようになったりする。そういう感動を味わっていただきたいと思っております。

 余談ですが、新刊本を新体道の青木先生にお贈りしたところ、「私はいつも贈ってもらった本をなかなか読めないでいるんですけど、長野さんの本は読みやすいから一晩で読んでいますよ」と、早々に感想をお話しくださいました。

 青木先生は基本的に人の悪いところを責めない方ですから、恐らく、私の本を読んで問題だと思った箇所については敢えてスルーされて、良いと思うところだけ評価していただいているんだと思いますが、でも、やっぱり、人間、誉められた方が嬉しいですからね。

 武道・武術をやっている人間は本質的に普通の人より戦闘的な性格ですし、戦って勝つために敵の弱点を探るのが職業病みたいなものですから、批判眼も厳しいものです。

 だから、仲間内の雑談では他流批判の話一辺倒になりがちです。

 それだからこそ、「他流の批判は一切やってはならない」という道場訓も昔からいわれているのです。そうしなければ流派間のケンカに発展しかねず、血で血を洗う闘争劇になりかねないからです。

 でも、表向きお世辞ばっかりいいながら、裏では口汚く罵ったり小馬鹿にしているのは、人間として尊敬できないでしょう。

 私は、武道の世界のそういう薄っぺらな礼節が虫酸が走るくらい嫌いです。

 だって、信用できないでしょう? 本音を隠して付き合う人間って・・・。

 綺麗事の倫理観なんか掲げず、むしろ、面と向かって「君のそこが間違っている」と指摘してくれる人こそ信用できる人間で、そういう厳しい意見にこそ耳を傾けなければならない価値があると思います。

 やっぱり、人間は厳しいことを言う時ほど、本気で相手に向き合っているものです。

 厳しいことを言われれば、誰でも腹が立ったりガッカリしたりするものですが、それだけで終わっていたら単なる過保護のガキですよね。

 人間は、悪口の中にこそ本音が隠れているものです。マアマアナアナアの馴れ合いから学ぶものはないですよ。

 今回の新刊本『武道に伝える武術の教え』は、そういう意味で、武道武術業界のカンフル剤になるものを書こうと思ったものです。斯界の発展のためには、誰かが意見を出していかなければならないと考えたからです。

 親しい人からは、概ね、「こんなこと書いちゃって大丈夫ですか?」と真顔で心配されていますけれど、それは意図的に戦略として書いたものなので、別に私の頭がハッチャケてしまっている訳ではありません。

 普通に週刊誌を読むつもりで読めば、別におかしなことを書いているのでないことは自覚されるでしょう。ただ、武道の世界ではタブー視されて誰も指摘しなかっただけです。

 要するに、武道の世界がヘンなんですよ。おかしいことを誰も批判しないんだから、誰も彼もが「それはおかしいよ」という捏造話や妄想話を平気のへいざで公に発表してきているんですから、自浄作用が0の業界です。

 有名武道家の名前を実名で批判しているのも、武道ジャーナリズムの立場から書いたものです。普通の武道家、武術家を自認している人達には決して書けないでしょう。

 つまり、「これは俺にしか書けない。俺が書かなければ絶対にこの業界は変わっていかない」という使命感もあったのです。

 青木先生は、恐らく、そこまで読んでいたので敢えて私の暴走っぷりには何も言われなかったのでしょう。いや、「この人はこういうキャラだから、言っても止めないし」と思われたのかな~?とも思いますけれど・・・。

 でもね。私も批判対象としてもらって結構ですけれど、武道・武術の業界が建設的に発展していくためにも、タブーを取り払って「それはおかしいんじゃない?」ということをきちんと言える業界にしなきゃいけないと思いますよ。

 誰も彼もが言えば言いっぱなし・・・まっとうな論議がされない業界は腐るだけです。

 だから、今回の本は“内部告発の本”だと思ってもらえたら有り難いですね。私が批判している人達だって、基本、立ち直って欲しいから批判しているんですよ。「あ~、この人はここを直せばいいのにな~」と思う人しか批判しないですよ。

 何でか? とりあえず武道、武術の世界の代表者みたいに世間的に名前が知られている人達には、世間に誤解を広めるような真似はしてもらいたくないんですよ。そんだけ。

 でもね~、こんな私の気持ちはなかなか理解してくれる人いないんだよね~。みずがめ座って宿命的に人から誤解されちゃう運命なんだよね~・・・しゃ~ないな~。

 まあ、いつ襲撃されてもおかしくない、こんな私が命かけて書いた冥府魔道の新刊本『武道に伝える武術の教え』、みんな、買ってね~(決死の宣伝だ!)。

 むっ、そういえば・・・余談の方が長くなってね?

追伸;また、『死ぬかと思った』シリーズ向けの体験談が増えるかも~?(アスペクト刊『死ぬかと思った1』マンガ版も好評発売中です。夜露死苦!)

追伸2;お花見、一週間延ばしてスマンです! だって、相模原のサクラ、まだ一分咲きくらいでシャレにならんのですよぉ~。お詫びの印に、当日の参加者には必殺デッチアゲ酔拳を伝授!(ホントか?)
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研究論文は難しいぃ~!

 訂正依頼が無かったので、スンナリ載るのかな?と思っていた某学会の研究論文原稿でしたが、「こりゃあ全面的に書き直した方が早いかも?」と思うくらい、かなり凄い量の訂正依頼が来まして、ドッヒャ~、参ったな~!と思っていたんです。

 〆切りが近づいてきたので、しょうがない・・・頑張って書くか~?と思って、原稿をダメ出しされている箇所から見直してチェックしていきましたが、何かね~、今更かもしれないんですけど、オレって文章、下手糞だよな~って、何か悲しくなってきましたよ。

 昔の私だったら、こんなんやってられっかぁ~って思って、放り出してしまったと思いますけど、細かいダメ出しするのって、原稿自体を相当読み込まないとできない訳で、要は、それだけ期待してくれている証拠なんだって風に最近は解釈するようになったので、我慢できるようになりましたよね。

 実際、ダメ出しされる事柄は私の客観的な問題点である場合があるので、そこを自覚して直していくことは私にとってプラスにしかならないんですよ。

 アスペクトさんで私の本がシリーズ化できたのも、現実には担当編集者のSさんのお陰なんですよね。

 何か、キツイ言葉を投げかけられたら、怒ったり恨んだりするだけの人って、いるでしょう? その人は損しているのに気づいていないんですね。子供じゃないんだから、もっと冷静に考えなきゃダメですよね。

 親や親友でもなければキツイ指摘はしてくれないでしょう? でも、それは本気で相手のことを考えてくれてる証拠なんですよね。

 だって、私は嫌いな人の本とかは読まないし、基本的に“本気で死んで欲しいと思うくらい嫌悪している人”は決して批判しません。

 どうしてか?といったら、批判する値打ちすら無いと思っているから・・・。

 だから、感情的に私の誹謗中傷している人達にとっては私が無視できない存在な訳で、誹謗中傷される度に、優越感感じてるんですよ。

 冷静に批判する人だったら、別に感情的に何か含むものがある訳じゃないと思うんですが、無根拠の悪意が籠もった誹謗中傷文って、“嫉妬心”しかあり得ませんからね。

 人を妬んで、それがモチベーションになって自分を高めてくれるのなら良いことだと思いますが、嫉妬に狂って破滅していくだけの人も多いのかもしれません。

 嫉妬って、憧れの気持ちと似てますよね。いや、一緒なのかもしれないな~?

 もしかすると、自己愛とか自己憐憫も一緒かもしれないな~?

 でもまあ、どうでもいいや~。私は所詮、“武術バカ一代”で一生、終わる運命なんだろうと思ってるもんね~。
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炸裂!遊心流酔拳?お花見2009

 はい、一週間延ばして、毎年恒例のお花見会を今年も開催致しました。

 昨年末は体調不良につき忘年会もやらず、新年会も不況の煽りでやらず、年間恒例行事が減った中、お花見だけは毎年欠かさず開催しておりますです。ハイ。

 何か、私は桜の咲く頃が一番好きで、次は金木犀の花が甘酸っぱい香を漂わせる頃。

 季節としては秋の方が好きなんですけど、気分的には、やっぱり心浮き立つ春が一番ですよね~。

 でも、今年は田舎の伯父さんが亡くなったという知らせを受けたばかりで、丁度、親父も四年前の桜の咲く時期に亡くなったので感慨深くシンミリしたりもしたんです。

 けれども、人間、生きてる間が花。いずれは誰もが墓の下に行くものならば、先に逝った人との繋がりを心に留めて自分の生をまっとうするのが正しい生き方であり、先人への尊敬なんじゃないでしょうか。

 人生も折り返し点を回る年代になって、私も少し不惑の境地に到達しつつあるかも?

 それに、「一期は夢よ、ただ狂え」の言葉の通り、満開の桜の下で酒を呑みながら浮かれ騒ぐのは日本人のDNAですね。

 先週、下見で相模原のほぼ中央に位置する横山公園でプチ花見をしてきた時は、何と?桜の開花率は一~二割という寂し過ぎる状況でした。

 その後、「テポドンが発射される」だの「雨が降る」だのという予報を無視して迎えた日曜日。無事、晴れて絶好の花見日和・・・。

 渕野辺駅からバスで上溝駅まで行くと、参加予定のビジュアルバンドやっているTさんが降りる駅を間違えたという電話があって、K師範代が残って待つというので、我々は買い出ししてから公園に回る。

 公園に到着した時は、丁度、K師範代とTさんと合流。Tさんは期待を裏切らずアオザイを着ていて今回も性別不明。大抵の女性が本物と思い込むくらいだもんな~。「猫耳付けてくるかも?」と言っていたら、流石にそれはしてなかった。

 さて、公園に入ると、先週とはうって変わってほぼ満開の桜が出迎えてくれました。

 途中、妙に人通りが多くて、これはゴッタ返しているかも?と思ったんですが、何故か公園の花見客は少なく、むしろ先週の方が多かったくらい。

 何で?と思ったら、相模原の恒例さくら祭りの開催中で、花見客は市役所通りのパレードとかに向かっていたんでしょうね。

・・・っちゅう訳で、絶好のお花見スポットも広々としていて、これまた、毎年恒例になったお花見稽古会実施!

「よしっ、それでは練習始めるぞ~」と言うと、「え~、やるんですか?」と、皆、ちょいビックリ・・・当然ですよ・・・やるんだよ! 日々、精進あるのみ!

 かつて、この公園で私は深夜から朝まで延々と練習していたものでした。東屋のコンクリの柱にキックミットをくくりつけて延々と蹴るとか、独りで練習していたんです。

 つまり、マス大山に於ける大峰山みたいなモンすかね~(誇大妄想?)。

 円陣組んでスワイショウ、立禅、練りと練習して、二人組んでの対練。

 やらせている最中に、私は例によってビールを飲む・・・。

 推手から、秘技“酔拳”の指導に・・・(この為にビールを飲むのだっ!)。

 別に意図的にやっている訳じゃないんですけど、何か、毎年、花見の時は酔拳をやるのが習わし?になってきています。

 酔拳って、実際に酒飲む訳じゃないって言うんですけど、やっぱり、実際に飲んだ方が身体の脱力具合や意識のストッパーの外れ具合がいい感じで、毎回、見ていた会員さんから「いつもより動きがスムーズになっている」と指摘されるんですね。

 今年の酒は、名古屋から元会員がお歳暮に贈ってくれたものを持っていったんですけど、これが非常に美味いビールで、そのせいか技のキレ味も上がったような気がしましたね。

 見ていた会員さんも驚いた顔をしていましたけど、俺も自分でどう動いてるんだか、よく判らない。酔えば酔うほど強くなるぅ~? そのくらい自由に勝手に身体が反応して臨機応変に技を出していけないと実戦なんかとてもとても無理だと思うんですよ。

 酔拳の特徴は、月牙叉手、杯手と呼ばれる独特な手の形にありますが、酒瓶を抱えるような腕の形にも秘密があります。これは意拳の技撃椿に近いかも?

 それから、千鳥足で中心軸を前後左右にゆっくりと揺らしながら常に身体を微妙に動かしている点にも戦法の妙味があります。要は、居着いていないから反応速度が高まる。

 後は、相手の攻撃してくるパンチに交差しつつ巻き捕らえるように一気に腕の逆関節捕って投げたり、固めたまま崩して顔面に蹴り入れたり、パンチを捌いて捌いた腕を相手の顔面に巻き付けるようにからめながら腰を捻って倒したり、月牙叉手で喉笛掴んだり・・・といった変幻自在に技を複合させて繰り出していくので、非常に実戦性の高い武術だと思いますね。

 何か、「伝統武術をきちんと学んでいない者が勝手な技術解説をするのはけしからん」と評する方もいたとか聞くんですが、伝統武術をきちんと学んでいるのに戦えない人が技術解説するほうがマズイと思うんですよ。

 私は、武術の原理を研究している過程で公表されている型や技を分析して実用技を試行研究してきているのであって、流派だの門派だのの型の保存伝承には実は興味がありません。それを実践されている方々は尊重されてしかるべきとは思いますが、目指している方向性が違うんですから、とやかく非難されるのはお門違いだと思いますよ。

 例えば、私が八極拳の大八極の套路を教わった木本泰司先生は、「私は長野さんに八極拳は教えていないよ」と言っていたそうですが、「たとえ一回だけでも習った以上は教わったと言うべき」と考えているだけで、一から十まで長年手取り足取り学んだ直弟子だと言っている訳じゃありませんし、木本先生の名前を持ち出して自己顕示したい訳じゃありませんよ。

 他に学んだ先生方もすべて同様です。確かに私はいかなる人物にも直弟子として師事したことは一度もありません。

 ですが、だから逆に本やDVDでしか知らない先生からさえも、学んだと思える方は師匠だと思う訳ですよ。よって、人がどう思うかは関係ありません。私自身がどう思うか?が肝心なことです。

 人を尊敬するということは、こういうことなんだと私は思っていますよ。

 例によって、酔拳も私はほとんど習ったことはありません。ただ、ムック本の取材で南拳の遣い手として有名な劉樵穂老師の相手役を努めたくらいです。この時の様子は福昌堂の格闘王シリーズ『マーシャルアーツ・マニア』という本に載っています。

 劉老師の技は流麗で力強く、烈しさと緻密さが融合した素晴らしいものでした。これほどの優れた技を体現するには、どれくらいの修行を積まれただろうか?という意味で、私は劉老師を尊敬しています。

 それで、「酔拳って、実はこんなに実戦的だったんだ」と感動し、以後、交叉法の研究過程でいろいろと実験的に技の応用を工夫してきていたんですよね。

 中国武術は、ボクシングやフルコンタクト空手のような離れた間合で打撃技を繰り出し合うものと考えると、大きな間違いを犯してしまいがちです。

 長く極真空手を修行してこられた会員さんは、久しぶりに試合に挑戦したいといわれるので、八極拳の猛虎硬爬山を応用した戦法を指導したんですが、組手練習でモロに命中したと報告されました。

 大抵のフルコン修行者が、「猛虎硬爬山は使えない」と試してうまくいかなかったという報告をされるんですが、どうして成功しないのか?という観点から研究すれば使えないことはないんですよ。

「うまく当てられない。当たっても効かない」という人は、間合が遠い場合がほとんどです。突き蹴りが当たる間合で肘打ちが浅くなるのは当然。半歩踏み込みながら相手の背中まで貫くつもりで当てていかないと効く道理がありませんし、その踏み込む動作による体重心移動が威力の源泉なんですよ。

 武術は間合と角度、拍子を知らないと成立しません。

 私の場合、八卦掌の掌法変化を組み合わせて八極拳の肘打ちを入れるやり方を工夫して教えたんですけれど、こういう実際の攻防での応用法の研究をする中国武術修行者って、不思議なくらい少ないみたいです。教条的過ぎるんですね。こういう人はどんな名師に学んでもものにならないでしょう。

 だから、武術の伝統がどうしたこうしたと威張っていても、てんで戦えない人間が中国武術の実戦を私称するのでは、中国武術の伝統を傷つけるだけ。自分が学んだ老師を恥ずかしめるだけ・・・そうは思いませんかね~?

「素質も才能もなくて持病まで持ってるオッサンが身体張って武術の名誉を護ろうとしてんのに、テメ~ら、安全なところからゴタクばっかり並べやがってぇ~」って、流石に私もキレかかっちゃいますよ。もう~(いんや~、花見で余ったビール飲みながら書いてるんで、失言は大目に見てくださいよ~)。

 フルコン空手出身者だと、他流の技や戦法を組み合わせてフルコン空手の技術革新をしていこうという先取の気性を持つ人が少なくないんですが、伝統的な武術流派を学ぶ人は、そういう革新的なこと自体をタブー視する人が多いんですね。良く言えば保守的だけど、それでは発展はしませんよね。

 そういうシガラミのない海外の武道家はどんどん技術革新していっているし、十年後には日本は知らない間に武術後進国になってしまっていると思いますよ。海外では常に、より合理的な技術を開発しようとしますからね。

 例えば、日本では意拳が人気が高いですが、この人気も極真空手と太気拳の関係性があって、「意拳は太気拳の源流」という前評判が働いた可能性は否定できないでしょう。技術内容をきちんと分析した結果だとは思わないんですよ。“中国武術の中で最も実戦的な意拳”というイメージに洗脳されているだけで、その実戦力の秘密を解明しようとすれば、従来の伝統的な武術から掛け離れたものではないことが解った筈だからです。

 本質を求めながら洞察する能力のない人が、武術・武道の専門雑誌の記事を鵜呑みにして無駄に回り道をさせられたまま、山師の巣窟みたいな業界を徘徊していたりする。

 コワイですね~。

 私は武術の本質にしか興味ない。戦って勝つのに流派だの何だのは関係ない。だから、“遊心流”なんですよ。シャレですよ。シャレ! 「~先生が最強!」「~拳が最強!」とか、他力本願バカは、一生、ほざいていてくださいよ。



 さて、結構、練習もしたので、桜の花の綺麗な場所に移動して宴席・・・。

 いや~、本当にガラガラだよ? こんなに見事に桜が咲いてるのにもったいない。だけど、お陰で、公園中、最も桜の綺麗な場所の木製テーブルが奇跡的に空いていたので、ゲット! シート使わずに済んだ。

 タコ焼き、焼き鳥、ビール(Tさんも美味しいビールを持ってきてくれました)におにぎり、稲荷寿司・・・いや、今年も良いお花見ができましたよ。

 新入会員で武術マニアのOさんが、Tさんが高小飛先生のビデオを見て覚えた劉氏八卦六十四掌が見たいというので、また技の研究になっちゃいましたけどね・・・。

 あっ、大事なことがあった! 残念ながら日曜日のシダックスでの稽古会がレンタルルームで借りられなくなってしまった(20人以上いないと借りられない部屋を講師特権で使わせてもらっていた)ので、また当面は公園でやることになったんですけど、春になって気候も良くなったし、戸外で練習するのも気持ちがいいものです。

 しかし、早々に専属道場をきちんと確保して、流派やカテゴリーに囚われない総合武術文化研究所みたいな活動を本格的にやっていこうと思っています。この先は海外から来られる人も増えると思うので・・・。

 花見の席で会員さんから聞いたところでは、今回の『武道に伝える武術の教え』はインターネット中の書評ですこぶる評判が悪いようですが、よくよく聞くと、単なる誹謗中傷ばかりで感情的に否定したいだけのものばかりの様子です。

 つまり、これまでは無視して黙殺しようとしていたものの、やはりアスペクトのシリーズとしては第五弾、通算自著としては七作目、ムック本や代筆を含めると、十二冊目、クエストのDVDも含めると十四作目になり、これまで自主製作したビデオやDVDも相当数出回っていますから、もう、黙殺したくとも無視できなくなってきたということなんでしょう。

 周囲の感想を聞いても、今回は賛否両論ですが、私は最初から誰もが支持してくれるような毒にも薬にもならないような無内容な本ではなく、明確に「毒をもって毒を制する」という意識で書いた本なので、誹謗中傷も無反応よりはずっと良いと思っていますよ。

 要は、論理的に切り崩せないから感情的な誹謗中傷をしてダメージを与えようとしている訳で、実は心の内では私の書いていることが本当のことなんだと認めていることの証明ですからね。

 まっ、そりゃあ、私は本当だと思うことをそのまま書いているだけなんだから、当たり前ですけどね。本当のことが広まったりすると困る人、真実に目を向けたくない人が感情的に私を目障りに思う訳ですよ。分かりやすい人達だよな~?

 な~んか、私、ちょっと松田隆智先生の気持ちが判るような気がする・・・。

 もっとも、正直、偽善と虚礼の蔓延する日本の武道の世界で評価してもらおうなんて、鼻くそ程も考えていません。

 それより、本音で話せる人達と一緒に武術の本質を求めていきたいと考えているだけですし、それは必ず世の中に役立つものになる筈だと思っているんですよ。

 何よりも、日本人に強くなって欲しい! 欲望を我慢できずに些細な挫折、失敗で容易く自殺したり現実の厳しさに耐えられずに通り魔みたいな犯罪に走る人・・・これらは、要は心が弱過ぎるんですよ。

「将来に希望が持てない。夢が持てない・・・」なんて、フザケたこと言ってちゃダメですよ。世界中に今の日本ぐらい恵まれた国は滅多にないですよ。恵まれ過ぎて心身が脆弱になってしまっただけですよ。

 それを平和ボケと断じてしまうのは簡単ですけど、無論、それなりの大変さはあるでしょう。けれど、道は一つしかない訳ではありません。何度でもチャレンジする根性を育てるには、ある程度の厳しさを体験していった方がいいんですよ。

 だから、私の場合だと、“中学時代のイジメっ子に感謝!”“大学時代のヤな先輩に感謝!”“悪口FAXを流してくれた人に感謝!”“2ちゃんねるで誹謗中傷書いてる人に感謝!”“自作自演犯行を警察に垂れ込んだ人に感謝!”・・・。

 私の場合は感謝すべき人は多いですよ。生まれつき執念深くて反骨心の強い私は、嫌なことされる度に心が強靭に鍛えられてきた訳です。こういうストレスがなかったら、私は田舎育ちで呑気な性格だから発奮して何かデカイことをやり遂げてみせようなんて思わなかったですよ。

 今年はビジネスとしての活動計画もいくつか企画が出てきていますから、流石にもう、いつでも使える道場がないと困るし、天下の青木宏之先生が書いてくださった「遊心」の書に相応しい道場を早く設けないといかん・・・と思う今日この頃です。
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 今、不況だの北朝鮮の脅威だのに不安を感じている人が多いと思いますけど、こういうのは、単に時代の転換期に入っただけなんです。次の新しい時代に移行する準備期間なんだから、オタオタする必要はありません。

 ただし、変わるべき時代に変われないで、これまでのやり方にしがみついているのは危険だと思いますよ。


追伸;planBでダンス白州2008「縄文という命-いのち-」フェスティバルの様子を撮った前田万里さんの写真展が開催されます。4/12(日)の14:00オープンで、当日は17:00よりオープニングパーティーがあるそうです。連日19:00よりゲストトークがあるそうで、4/16(木)まで開催されます。入場は無料で、連日12:00~21:00に開催しているそうです。場所は、中野区弥生町4-26-20モナーク中野B1です。

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遊心流の新“型”発表!

 研究会分裂騒動(うちばっかりか?と思っていたら、どこの団体でもザラにあるんだね~)を経て、約一年と半年ほど、稽古しながら研究してきた新しい技法群を新しい“型”として纏めましたから、発表したいと思います。

 まず、ここ最近、閃いて編成した遊心流居合術の対錬型ですが、これは、私の大好きな金庸先生の武侠小説『笑傲江湖』の主人公の必殺剣にちなんで、『独己九剣』と名付けました!

「うわっ、パクリ過ぎ!」と思ったアナタ! よ~く、ごろうじろ・・・。金庸先生の作品では「独孤九剣」。遊心流では、『独己九剣』。ねっ、“一字”違うでしょ? 読みは一緒だけど・・・。

 この型は、従来、無刀捕りへの応用が効く遊心流居合術の基本型として制定研究してきたものですが、体術からその他武器術への多様な応用発展ができるよう編成し直してみたんです。

 すると、何と、バッチシ、応用できるじゃ~ないですかぁ~。予想はしていたけど、ここまでできるとは、「オレ、テンサイ(天災)?」・・・な~んて、すっかり有頂天になってしまいましたぜよ。

 いや、しっかし、冗談抜きで、これは凄いのができちゃったな~・・・と、本当に我ながら自画自賛してしまうんです。スンマッセン、46にもなって、ナルシストで・・・。

 これは、新体道の青木宏之先生が門外不出の居合術の映像資料を物凄い御厚意でお贈りくださったのと、奇しくもアメリカの新体道を統べる伊東不学先生からもDVDを頂戴したことから、何だか、物凄くモチベーション上がってしまって、ここ四カ月ほど居合術と剣術の動きを根詰めて検討していたんです。

 それで、単なる日本刀の抜き、斬り、納め・・・というんじゃなくて、体捌きのやり方に抽象化して考えるようにしたんですね。その方が応用が利くと思ったもんで・・・。

 技そのものは相当たくさん考えたんですが、型として稽古するのに、あんまり数が多いのは宜しくありません。

 それで、初級対錬と同様に九つの型に纏めてみました。

 最初はテキトーに考えたんですけど、これが意外に応用性が高くて我ながらビックリしたんですけど、そもそもアドリブ感覚で動いた結果の技なんで、動きに無理が生じなかったんでしょうね。

 第一、二式は左右の体捌き。第三、四式は左右の裏の体捌き。第五、六式は真直入身からの捌き。第七、八式は向身から真半身へのいなし。第九式は全方位体転換を学ぶ型として編成してみたんです。

 基本的には二人組んでの相対鍛錬型なんですが、一般的な居合術みたいに仕太刀独りで稽古しても上達できるように構成してみました。

 その“独己九剣”の名称は・・・

第一式,左剣(サケン)
第二式,右剣(ウケン)
第三式,影抜き(カゲヌき)
第四式,龍尾(リュウビ)
第五式,追い燕(オいツバメ)
第六式,流星(リュウセイ)
第七式,柄回し(ツカマワし)
第八式,雪崩潰し(ナダレツブし)
第九式,逆斬り(サカギり ギャクギり)

 どうでしょうか? 第一、二、三、五、七式は以前からやってはいたんですが、技の意味合いは物凄く膨らんでいます。

 それから、第九式は、以前は“影車”と名付けていたんですが、現在は逆手抜きで全方位に対応できる技として極意的な技として位置付けています。もっとも、第六式とコレは、まだ具体的に稽古でやらせていないので、もう少し技として練り込む必要があります。

 それでも、この“独己九剣”は、単なる居合術でなく、いろいろな体術技法や武器術への応用ができる訳で、ちょっと、これは凄いの思いついちゃったな~?と、独りでほくそ笑んでいたりします。

 応用例としては・・・

1,無刀(刀・ナイフ)捕り
2,体術
3,ナイフ
4,棒(半棒・杖・六尺棒)術
5,ヌンチャク
6,釵(十手)
7,トンファー
8,ピストル(ガンカタ?)

・・・などなど・・・。ヌンチャク、釵、トンファーなんかの武器も、それぞれ武器の特徴を活かした体術への応用も工夫できるんですね。

 ヌンチャクなんて、鞭手技法に応用できるし、タオルやマフラー、ベルトを使った応用法もできる。これなんてナイフ持った通り魔と遭遇した時に充分に対抗できる訳です。

 特筆したいのは“ピストル術”。これは至近距離での抜き撃ち(ガバメント系オートのコックアンドロックのクイックドロー)を武術的な体術と合体させて考えたもので、『リベリオン』の“ガンカタ”をイメージしてマジで作ってしまいましたよ。

 拳銃は弾丸を撃ち尽くすと武器としての機能を失ってしまいますけれど、よく考えたら鋼鉄の固まりなんですよ。メリケンサックみたいにブン殴ればいいじゃん?ってことですよね。

 尚、応用展開する場合、体捌きの動きと無構えからの変化を優先し、それ以外の技の形式には拘らないことにしました。型稽古の一番の問題点として、型の動作の細かい形に拘るあまり、相手の攻撃へ応じられない人が非常に多くなってしまうようなのです。

 これは、うちで練習していてもそうなる訳で、稽古相手がちょっと違うことをやると、もうそこで動きが止まってしまって、困惑してしまっているんですね。

 技が掛からなければ変化して別の技にしていく・・・こういう応用変化能力を磨かなければ型稽古はむしろ害になってしまうでしょう。

 特に、うちの場合は、他流修行者が半数以上ですから、いろんな技を繰り出してきたりする訳です。オチャメな人間だとしらばっくれてワザと他流の秘伝技使って相手を困らせたりする(まあ、勉強になる分には許すけどね)。そういう時に一つのやり方に拘っていたら、墓穴を掘る訳ですよ。

 私の発想として「技がかからなかったら、それは即座に捨てて別の攻撃に切り替える」というのが上策だと考えています。これは戸隠流忍法で教えられたものです。技を万能視しがちな武道家にはけしからんと思う人もいるでしょうが、冷静に考えれば万能の技なんてある訳がないんですよ。

 この点については特に合気武道系統の修行者は、単純に「合気が通じるか通じないか?」で実戦を語る人が凄く多いんですけれど、武術なんだから「通じなかった場合にどうするか?」ということを考えていないといけないんですね。

 推してダメなら、引く、引いてダメなら回る・・・これ兵法のセオリーです。

 極論すれば、真に武術を追究するなら、核兵器だろうと細菌兵器だろうと敵対する対象をいかにして破る(制圧する)か?という一点を徹底的に考え抜かなきゃダメなんですよね。

 強いか弱いか?じゃない。戦うなら絶対に勝たなきゃならない。勝てないと判断したらためらわずに逃げたり一時撤退して勝機をうかがう。一秒でも長く生き残った方が勝ちなんですから。

 この一点で、私は現代で武道愛好している人達のほとんどが落第してると思います。個人の格闘技能しか考えないのなら、むしろスポーツとして取り組んだ方が健全です。

 でも、それはもう武術ではないんだから、勘違いしてはいけないんです。

 例えば、植芝盛平なんて国井善弥に勝負を挑まれた時に、「わかりました。それじゃあ、道場を差し上げます」と、ヌケヌケと言ってしまい、国井善弥はバツが悪くなって苦笑いして帰った・・・なんて話があります。

 これなんて、もし実力的に国井善弥が植芝盛平より上だったとしても、人間力(この場合、トンチ?)が上回った植芝盛平の勝ちですよ。こういうのが武術的戦略発想です。

 こういう武術的戦略発想を教えてくれる先生って、現代では極端に減ってしまっているんじゃないですか? でも、こういう戦略発想こそが武術の本質なんですよ。だから、技ばっかりいくら稽古していても、それだけでは単にボディビルやってんのと大した違いはないんですよ(ボディビルやってる方、ゴメン!)。頭脳を鍛えなきゃダメ!

 ですから、稽古と実戦は別ですが、稽古法から実戦意識を抜いてしまったら意味がありません。基本技は基本技として稽古すべきですが、「武術として自在に応じられないとダメ」という点は稽古中から意識しておく必要があると私は考えます。

 例えば、素人だとパターン化した攻撃をしないので、逆に技の予測がつけづらいものですが、その場合、動く前に制圧してしまうのが上策です。

 経験者の場合、動きのパターンがある程度決まっているので、後の先で合わせる方が楽だったりします。が、それ一辺倒になってはいけないんですね。こちらがワンパターンな対応しかできないのでは、勘の良い相手にはすぐに裏をかかれてしまいます。

 だから、型は原理原則を学ぶものであって、鋳型にはめて技の形を整えるという伝統武術に主流の考え方は間違いではないか?と私は思います。型は稽古の方便であり、鋳型のように身体の動きを固めてしまってはダメでしょう。

 実用を求めるならば、実戦では無形となってこそ応用変化できるものだと考えます。よって、型稽古は柔軟に臨機応変に瞬時に変化する意識を秘めて取り組まなければならないと考えます。


 え~、それから、游心流の門外不出の絶招の型『蛟龍十八式』も、一通り、制定しました。

 この十八の技は、対戦者が攻撃意欲を見せて構えている場合に、こちらから先手で攻撃して一気に制圧するものであり、縮地法と連動した打撃や投げ技、逆関節技、崩し技で構成され、攻防一致且つ最大威力を得られる游心流の必殺技法です。

 攻撃を以て防御を兼ねる先制技であることから、主に太気拳や形意拳、八卦掌などの基本構えを駆使する先々の技として工夫していますが、基本的に歩法(蛟龍歩)ができないと技としての真価が得られないので、必然的に研究試行中だった2007年以前に教えていた人達には一切、教えていません。

 なので、以前、通っていた人でも学びたい人(破門・除籍・退会した人は除く。休会者は可)には復帰してもらいたいと思っています。

 もっとも、今現在、教えている会員さん達にも数式しか指導していないので、これから地道に指導して体得してもらおうと思っています。

 師範代と指導員が少し体得しつつあるんですが、歩法の速度がまだ不充分(足の動きがまだ見える。どう動かしているのか判らないくらいでないとね~)なので、このくらいでは実戦に使うのはまだ墓穴を掘ってしまうでしょう。

 が、稽古している最中に、オヤッ?と思うくらい動きが鋭くなる瞬間もあって、十八式全部でなくとも、一式か二式でいいから完全にできるようになったら、相当、面白いことになるかもしれません。

 中でも、フルコン空手を習っている人が組手に応用しているので、今後は表に出る機会があるかもしれませんね。

 一応、こちらも名称だけ発表しておきます。

 技の内容は割愛します。ゴメンなさい。セミナーや講座では歩法を抜いて手技や蹴り技だけで指導する場合もあります。それだけでも組手への応用は結構できると思います。

第一式,螺旋拳(ラセンケン)
第二式,斬手斧刃掌(ザンシュフジンショウ)
第三式,弾手廻身掌(ダンシュカイシンショウ)
第四式,風塵掃脚(フウジンソウキャク)
第五式,転身穿脚(テンシンセンキャク)
第六式,廻身幻影(カイシンゲンエイ)
第七式,蛟龍纏身(コウリュウテンシン)
第八式,刺拳刀脚(シケントウキャク)
第九式,碧雷撃(ヘキライゲキ)
第十式,無影潜脚(ムエイセンキャク)
第十一式,旋風掛脚(センプウカキャク)
第十二式,弧月斬影(コゲツザンエイ)
第十三式,雨龍双把(ウリュウソウハ)
第十四式,流水穿山(リュウスイセンザン)
第十五式,電光閃脚(デンコウセンキャク)
第十六式,残影拳(ザンエイケン)
第十七式,穿龍拳(センリュウケン)
第十八式,風雷掌(フウライショウ)

 以上。(会員さんは一応、覚えておいてね)

 尚、これらの新しく制定した遊心流の型については、「独己九剣」は教材DVD上級編にて詳しく解説しようと思っています。こちらは本当にいろんな応用性が期待できるので、今後、エクササイズ的な方向で「居合ビクス」なんぞという世の中に迎合しまくった名称で広めちゃったりしようかな~?なんて考えたりしています。

「蛟龍十八式」は、発表しても歩法が難し過ぎるので、多分、できないと思いますし、要するに、「敵を粉砕する!」という一点のみを追求したものなので、ちょっと、コレ、広めるのも何だかな~?と思っちゃったりしています。

 ま~、オレの心の闇に潜む魔物が「コレを作れぇ~い!」と命令したような気がするのだヨ~ン・・・(ホントは、単純に男のロマンで“必殺技”を作りたかっただけだヨォ~・・・)。

追伸;青木先生に書いて戴いた「遊心」の書。ようやく額縁買ってきて入れました。こりゃあ、早く道場確保して飾らないといかんな~。

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この本は読み得ですぞ!

 春は番組改編の季節・・・TVアニメ『ソウルイーター』『ゲゲゲの鬼太郎』も、終わってしまいましたね。

 ついでに言うと、漫画の『HELLSING』も『あずみ』も終わってしまった。寂しい・・・。

 でも、『報道ステーション』で、お天気コーナーだけしか見れなかった市川寛子さんがメインキャスターになったから沢山見れて嬉しい。

 私、女子アナ・ウォッチャーですから、日テレだと朝の西尾由佳利さんとお昼のニュースやミヤネ屋で人気急上昇中の童顔アラフォー丸岡いずみさんのファンです。

 TBS、フジは、この人って感じの人はいませんが(何かアナウンサーに見えない人ばっかりでね~)、何故かテレ東の女子アナは美人揃いですね。

 何か、男の願望としては「美人で優しくてバカがいい」と言う人が多いんですけど、私は頭のいい人でないとダメですね。その上で剣道と合気道と空手の黒帯持ってたりしたら理想的ですけどね(結局、女でも戦闘力を重視してしまうのだった・・・)。

 やっぱり長年武道やっている人だと礼儀正しいし姿勢がいい。竹をスパーンと割ったような曲がったことが大嫌い!みたいな性格の女がいいですな~。そんな人、滅多にいないだろうけどね・・・。

 な~んか、会員が結婚したり彼女できたりするのを見ていると、毒身中年も、ちょい辛くなってきましてね~。「オレも、婚活しよっかなぁ~」と思って、好みのタイプについて書いてみました・・・悪しからず・・・。

 さて、本題です(え~っ?)。

 最近、武道の本読んで、これはいいな~と思うものがありましたよ。これはお知らせせねばならんと思ったので、御紹介してみます。

 まず、『剣道日本2009年5月号』。これは教士七段、国士館大学鶴川剣道部部長、馬場欽司先生のDVD付きでメチャクチャに良い! 絶対、買った方がいい!

 特集の“形”についての記事の一環で馬場先生の研究を披露されているんですが、古流の剣術と現代剣道を結ぶ形の解釈について試行されている稽古法についての解説ですけど、これが本当に素晴らしい!

 特に、二刀流の刀法で、大刀で受けて小刀で斬るという稽古形を工夫されているところは、その柔軟な発想には痺れましたよ。

 聞くところでは、現代剣道の二刀流ではそれはやっちゃいけないって話なんですが、私も二刀流を研究していて、どう考えても大刀で受けた方が合理的だと思っていたんですよね~。

 二刀流というと、二天一流を思い出す人が多いでしょうが、日本最古の流儀とされる天真正伝香取神道流にも既にあるし、外にも新陰流、柳生心眼流、心形刀流(幕末の伊庭八郎が有名)なんかにもあるんですよ。

 だから、当然、私も独自に研究してきました。でも、やっているうちに、小刀で受けて大刀で斬るというのは不合理に思えてきたんですよね。

 だって、無構えから中段に両刀を挙げる時は向身で身体の正面を相手に向けている・・・とすれば、相手の斬りつけてくる剣に最初に触れていくのは当然にして“大刀”の筈。

 だったら、大刀で受け流しながら小刀で斬り込む方が理に適っていると思うんですけどね。「取り敢えず勝ちゃあいいんですよ」の武蔵の兵法観からすれば、こういう技もアリだったと私は思っていたんですが、馬場先生も同様に考えられたのかも・・・?

 もうね~、武術をダシに使った身体操作がどうしたこうしたなんて本はどうでもいいから、スキージャーナルさんで馬場先生の武道理論でDVDブック作ってもらいたいですよね~。絶対、売れますよ。間違いないっ! こんな凄い先生を埋もれさせてるなんてダメですよ。

 それから、笠尾楊柳先生の『太極拳に学ぶ身体操作の知恵』。これも素晴らしい。シンプル且つ具体的な解説は感動的で、ナンバ歩きのヘンさについて指摘しているところも流石です。

 ナンバがブームになって、いろんな武道関係者が無批判にナンバを採り入れて論じる恥ずかしい事態になっていたから、私は本当に情けなかったですよ。

 ナンバと武術が無関係と批判したのは、私と中村民雄氏くらいしかいなかったから、中国武術の世界の重鎮である笠尾先生が書かれた意味は大きいですよね。

 やっぱり、ブームだろうが何だろうが、「間違いは間違いだ」と、堂々と指摘するのが研究家の義務ですよ。「それでも地球は回っている」と言ったというガリレオの精神を示してくれた笠尾先生は何だかカッコイイです。久々に研究家として尊敬の念がわきましたよ。

 無論、それ以外にも普通に面白い本です。難しいことを易しい文章で書くのは素人目には「オレでも書けそう?」と思うものですが、実際は逆に非常に難しいことなんです。

 小難しく哲学的に書いて、読者を煙に巻くような本は腐るほど出版されてますけどね。

 それと、『瞬撃手・横山和正の空手の原理原則』も、非常に良い本だと思います。

 校正がちょい雑なのが惜しいところですが、空手の理合について、ここまで解説された本って読んだ記憶がありません。もったいつけながらどうでもいいような内容の本ばっかりだと思っていたので、正直、大して期待しないで読んだんですが・・・。

 これも易しく書かれていますが、内容は非常に深い部分に踏み込んで書かれていますから、読みごたえがあります。

 これは横山先生のDVDも見なきゃいけませんね~。

 いや、BABさんも良い本を出しますね~。見直しましたよ。

 やっぱり、世の中、専門的に研究している先生はいくらでもいるもんですね。オレも自惚れるのは十年早かったよ~(反省!)。

 やっぱ、日々、精進あるのみですな~。


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アフガンのサムライを知っていますか?

 シルベスター・スタローンのヒット・シリーズ『ランボー』の第三弾はアフガニスタンを舞台にしていましたが、実は、そのモデルにされていたといわれる“アフガンのサムライ”と呼ばれた日本人武道家がいたことは、あまり知られていません。

 アフガン・ゲリラ“ムジャヒディーン”に義勇軍として参加し、旧ソ連と戦ったその武道家は、白い空手着姿でアフガン戦士に武道を教えている写真が世界中に配信され、“アフガンのサムライ”と呼ばれるようになりました。

 その後、日本で開催されたアジアオリンピックに、アフガニスタン・チームの中に交じって日本人である彼がいたことを記憶している人もいるかも知れません。

 まだ、私が武道雑誌でライターの仕事を頂戴していた時に、この“アフガンのサムライ”と呼ばれた武道家を紹介してもらい、以後、ビデオ製作や技術書製作にスタッフとして参加させていただきました。

 その過程で、研究家として得難い武術上の貴重な極意を示していただきました。

 その極意とは、「死ぬも生きるもハラひとつ」ということ。技だの術だのを超えた、生き死にを扱う武の本質を示していただいた大恩人です。

 自分が「やる」と決めたことは、どんな妨害があっても命を捨てても必ずやり遂げるべし・・・という生きざまを身を以て教えられたと私は思っています。

 その大恩人の名は、田中光四郎。

 国士、古賀不二人師範より見込まれて古賀師範が創始した不二流体術の相伝を贈られた人です。

 病と戦い、齢七十に近づいた今も尚、武道家として現役であり続けようとする田中光四郎先生は、不二流体術の宗家を譲った後、この度、新たに“日子流護身術”を創始し遺そうとされています。

 ここ数年、武道・武術関係の付き合いを意図的に断ってきていた私には、光四郎先生がいかにしてそこに至ったのか?という事情は知りません。

 ですが、現代で文字通り、死をもって生きる武士道を体現しようとしてきた希有な武道家と出会えたことを光栄に感じるばかりです。

 遅ればせながら、拙著『武術と生きる日々』を送らせていただいたところ、以前と変わらない思いやりある声でお電話を頂戴しました。

 私はやっぱり、武術をやってきて良かった。随分とくだらない人間にも会いましたが、この世界には、口先だけではない本当に凄い人はいます。そして、そんな人は自身の弱さを自覚した上で“弱さ”に逃げ込まないで自己を極限まで鍛え上げようとする人です。

 そんな目標にできる人に出会えるということは金に換えられない財産です。人間は目標がないとどこまでも自堕落に人生を無駄に浪費してしまいかねないからです。

 私は向上心のない人間は大っ嫌いです。口をきくのすら不愉快です。が、本当に努力している人は努力していることをアピールしたりはしないものです。私の尊敬できる人は皆、そうでした。

 そんな人に出会えなかったら、私はとっくの昔に武術なんかやめていたでしょうね。

追伸;『日子流護身術』DVDがクエストより近日中に発売予定であるそうです。壮神社刊DVD『護身・不二流体術』及び『ケタ外れ・武侠一代 不二流体術第二代宗家田中光四郎外伝』(佐瀬伸治著)もどうぞ(壮神社刊の作品は神田神保町高山本店や書泉グランデなどでお求めください)。
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やっぱり武道とアクションは別?

 よく論議されることなんですが、「殺陣やアクションは武道とはまったく別物」だという点については、基本的にその通りだろうと思います。

 それは、実際に本物の武道家を使ってアクション映画を撮っても、決して作品として良いものにはならない・・・という過去の数々の失敗例が示しています。

「そんなこと言ったら、ブルース・リーはどうなんだ? 『少林寺』だってあるじゃないか? スチーブン・セガールみたいに元々武道家だった俳優もいるじゃないか?」と言いたくなる人もいるでしょう。

 よく考えてくださいね。それらの作品って全て外国の作品でしょ?

 日本映画で成功した試しってないんですよ。

 何でかな~?と私も思っていたんですが、単純な話、「演技ができない武道家に演技をやらせてもダメでしょ?」ってこと。

 それに、アクションの見せ方についての研究が不足している。香港映画はその点でもの凄く研究されてるし、欧米のアクション映画も香港式のやり方を貪欲に研究して採り入れていっています。

 日本は、この点で大きく遅れてしまっていると思うんですが、それは悪い意味で伝統的なやり方を重んじ過ぎるから改革を怠ってきたツケが回っているように思えるんです。

 殺陣が演技であるということすら理解していない人がいる・・・。

「そんなこと言うなら、戸隠流の初見先生は『ジライヤ』にレギュラー出演していたし、キックの鬼こと沢村忠とか、ギルガメの『乳拳』に出てた龍飛雲とかいたじゃん」と言いたくなる人もいるでしょう。

 あまり知られていないことでしょうが、初見先生は演技の勉強もしてるし、沢村忠も龍さんも日大の芸術学部出身で演技の勉強してるんですよ。ズブの素人じゃないんです。

 TVや映画で活躍している役者さん達を私たちは「うわ~、下手だな~」とか単純に思ったりしますが、小さい劇団の芝居とか見に行くと、下手なんてもんじゃないレベルの人がざらにいますよ。でも、それじゃあ、自分ができるか?ってなったら、その下手に見えた人達がいかにレベルが高かったのか?という点を痛感するものです。

 倉田保昭先生の『闘えドラゴン』を撮ってる時は、スタッフは倉田先生の演技を素人か?と思ったぐらいだったそうですが、観ている我々は別に気にならなかった。むしろ、眼光鋭くビシッと姿勢が決まっているから、お芝居ができるだけの役者よりずっと存在感がある。

 でも、存在感だけではどうしようもないレベルの技術的な部分もあります。『ジライヤ』の時の初見先生は声が吹き替えになってしまっていたし、『乳拳』の龍さんも正直いって素人が演技しているようにしか見えませんでしたよ。

 特に難しいのは表情の作り方でしょうね。

 つまり、演技力の水準が我々素人が見るのとプロが見るのでは雲泥の差があって、TVや映画に出ている人達は、プロの中のプロばっかりだということでしょう。

 だから、アマチュア劇団で人気だった程度の人だと、プロの中に入ると凄く下手に見えてしまう。

 やっぱり、どこの世界も同じでしょうが、ピラミッド構造があるんだと思います。

 人目に触れるのは、その頂点のところだけなんですよ。

 武道家として一流でも、演技の世界でも一流になれる道理はありません。ブルース・リーだって役者の息子だったから俳優になったけれど、じゃあ、俳優として演技力に秀でていたのか?といったら、そこだけ客観的に見れば評価は低いでしょう。ジェット・リーなんて例外中の例外なんですよ。

 松田優作もアクション俳優としてコワモテ演技をやっていた頃は抜群の存在感を示せたけれど、ごく普通の日常的な演技になると、どう芝居すればいいのかわからないと悩んでいたそうです。

 千葉ちゃんは、俳優の技能としてのアクション、その中の本物のアクションを演じるための武道に取り組んでいたので、志穂美悦子や真田広之は、演技力が確かでした。アクションをやらなくとも高い評価を受けた。それは千葉ちゃんの指導方針が正しかったんだと思いますよ。

 去年、東映チャンネルで『黒帯』を見た時、正直いって雰囲気先行で、アクション映画として面白い作品だとは思えませんでした。肝心の空手の凄さが充分に表現されているようには見えなかったからです。千葉ちゃんのかつての東映カラテ映画群にあった過剰な演出の胡散臭さこそが味だった訳ですよ。

 そういう点で、見せ方を失敗していると思いましたね。もっと、空手の技術の合理性を表現して欲しいと思いましたね。

“本物の武道家が演じれば本物のアクション映画ができる”という考えには落とし穴があります。

 まったく武道を知らない人が武道の映画を撮れば、それはダメな作品になるのが自明です。『激突・合気道』のように合気道らしさが微塵もないカルト映画にしかならない。

 また、空手草創期を描いた高倉健デビュー作『電光・空手打ち』も、空手経験のない健さんだとツライ・・・。

 どんな映画でも、“本物”は、意図的に作ろうとしてできるものじゃないですよ。

 優れた脚本、優れた役者、優れたスタッフと監督、潤沢な予算を使ったとしても、傑作になるとは限らないものです。

 かと思えば、無名の役者や素人を使って少ない予算で自主製作した作品が素晴らしく評価される場合もあります。G・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』とか、サム・ライミの『死霊のはらわた』、北村龍平の『VERSUS』とか・・・。

 そうした作品は、アイデアの一本勝ちみたいなところがあって、ホラーやアクションを嘘臭くならずに観客に見せる世界観の設定に成功したといえるでしょう。

『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』なんかもその典型でしょうね。

 日本映画は、日常的な中の感情の機微を描くような作品には傑作が多いですが、アクション系統の面白さを描き出す作品はほとんど評価されません。では、そういうのが嫌いなのか?というと、ハリウッドのアクション物なんかは喜んで見る・・・。

 結局、ドラマの構造がしっかりしていて、その中で効果的にアクションを見せられるからなんじゃないかな~?と思うんですね。

 そういう点が上手いのは北野武ですね。ブッ千切りに上手いと思います。アクションというかバイオレンスが静かな中で予備動作なく突然始まる。あの突発的なバイオレンス描写が非常に上手く、海外でもそういった表現が無かったから、もう、それだけで高く評価されたような印象があります。

 日本映画のアクション表現って、もったいつけ過ぎるじゃないですか? 格闘になると互いに構えて大仰になる。時代劇ならアリでしょうが、現代劇でそれをやるとコントみたいになってしまうんですよね。

 あのですね。ケンカになって武道や格闘技みたいに構えると、メチャメチャ恥ずかしいもんですよ。何かミョーなカンフー映画みたいに思えて客観的に物凄くバカに見えてしまうんです。現実はそういうもんです。

 嘘臭い。『TAKESHI’S』の時は、わざとそういう立ち回りの嘘臭さを際立たせる演出をやって見せたりしていましたが、アクションの見せ方にも二つの方向性があると思うんですね。

 ひとつは様式的なファンタジーとしてのアクション。もう一つはリアリズムに則った説得力のあるアクション。

 私は両方とも好きなんですが、自分が演出つけるのなら、リアリズムの方になるでしょうか?

 ファンタジーのアクションは、武道だけではダメです。ダンスや器械体操、アクロバット的な躍動感がないとつまらないのです。ジェット・リーが大成したのも、彼が実戦派の伝統中国武術ではなく、新体操のように華麗な動きを見せる表演派の武術チャンピオンだったからであることを見落としてはいけません。

 そういう身体能力の点ではダンサー出身のミシェール・ヨーやチャン・ツィイーがアクション女優として大成したのも当然のことでしょう。

 そもそも、武道の動きというのは“本物”であればあるほど、動きが小さくなり、外側に見えない動きになっていくものです。大きく素早く迫力のある動きというのは、それだけ隙ができてしまうからです。

 私が若い頃は旋風脚(飛び回し蹴り)や二起脚(二段蹴り)、後旋飛腿(飛び後ろ回し蹴り)なんかの練習ばっかりしていたと言うと、今の教えている人達はビックリするんですが、武道について詳しくなってくると、そういった大技は墓穴を掘る可能性が高いからやらなくなっていき、「いかに小さく動いて大きな威力を出すか?」という方向性に変わっていきました。

 元々、運動神経は極めて悪く、体力も無かったですから、どれだけ鍛えても運動能力そのものは大して変わらなかったんですね。多少、腕力がついたくらいで、逆に膝や腰を痛めて無理できなくなっただけでした。

 武道好きな人には、実は運動神経の悪い人が相当多いんですよ。

 どうしてか?というと、運動神経のいい人間は野球やサッカー、バスケットボールをやるものです。運動の苦手な人間はコンプレックスが強いし、イジメの対象になったりしますから、必然的に武道や格闘技を習って見返してやろうと考えたりするんですね。

 私もそうだったし、そういう負のモチベーションで指導者になっている人は結構多いと思いますよ。やっぱり、コンプレックス強くないと武道は長く続けられないですよ。

 それでも、そうやって時間がかかっても自分の弱さを改善できていく人は幸せだと思いますけどね。屈折したままイジケて生きてる人だって相当多いんじゃないでしょうか?

 アクションスターを目指す人だって、コンプレックスがあるのかもしれません。他人に注目されたいという感情は誰だってあるでしょうから。


 ところで、先日、漫画家の黒谷先生から、「『山桜』の殺陣が凄く良かった。ほんの少ししかないんだけど、これが本当に素晴らしい!」と絶賛していました。いつも、ほとんど誉めない人なので、よほど感動されたのでしょう。

 この作品の殺陣は、確か高瀬将嗣先生だったと思いますけれど、クエストの名物営業社員のIさんも、高瀬道場の発表会で舞台の幕間に高瀬先生が武道での刀の扱い方と殺陣の時の扱い方の違いを比較実演解説されていて感心したという話をされていました。

 高瀬先生が連載されている『映画秘宝』の記事を読んでいると、そんじょそこらの武道実践者とは比較にならないくらい武道についても研究されていることがうかがえます。

 しかし、これは当然のことで、映画やTVドラマではいろんな設定のアクション・シーンの演出を要求されるんですから、本職が「知らない」では済まされないんですよね。

 平安時代と鎌倉時代、室町時代と江戸時代では着物や鬘の形も違う筈だし、刀だって太刀と打ち刀では違う。

 そういえばリメイク版『魔界転生』で柳生四天王の一人、木村助九郎を演じた浜田晃さんが馬に乗る時に帯に差している刀の反りを返して刃が下になるようにしたら、見ていた他の役者さん(加藤雅也かな?)から、「浜田さん、反りが逆になっているよ」と注意され、「あ~、時代劇の基本的な所作を知らない人が増えたんだな~と思った」という話が『時代劇マガジン』に載っていました。

 普通、江戸時代に平服に二本差しになると、刀は帯に刃が上向きになるようにして差します。だから、反りが逆になっていると思って指摘したのは当然なんです。

 ところが、馬に乗る時は打ち刀の反りを返して太刀みたいに刃が下になるようにして乗らないと、走っている時に刀の鞘が馬の尻に当たってしまう・・・だから反りを返すものなんですね。

 こういう武芸考証みたいなことも殺陣師が知っているとモアベターですからね。だから、殺陣の世界には下手な武道家顔負けに研究している方もいらっしゃるんですよ。

 知った上で、「殺陣と武道はまったく別」と言うのと、知らないで言うのでは意味が違いますからね。

 やっぱり、そういう意味で、殺陣とかアクションというと馬鹿にする武道愛好家が多いんですが、「まったく何もわかっちゃいね~な~」と、私なんか逆に苦笑しちゃうんですよね。

 そういえば、『必殺仕事人2009』に出ている中村主水(あれっ? 確か映画で爆死した筈では?)役の藤田まことについて、新聞で「脇差を使うようになったのは年とったからか?」と記者が書いていて、アチャ~と思いましたよ。

 主水さんは昔っから脇差使っていたのに・・・ま~、なんて失礼な・・・。

 最近のCSで楽しんで見ているのは、ファミリー劇場の『柳生十兵衛』と『江戸の激斗』、ホームドラマチャンネルの『眠狂四郎』『大盗賊』、時代劇専門チャンネルの『柳生十兵衛あばれ旅』とか先日までやっていた『女人武蔵』・・・等々。

 特に『江戸の激斗』は時代劇版西部警察みたいな作品で面白かったですね~。これなんて映画版にしたら面白いと思うんだけどな~。

『女人武蔵』は、『子連れ狼・親の心子の心』で乞胸(ごうむね)お雪を演じた東美千が武蔵に惚れる女剣士(双子の姉はキャプテンウルトラの茜隊員役の城野ゆき)を演じているんですが、結構、殺陣も頑張っています。『子連れ狼・三途の川の乳母車』の時は別式女(べっしきめ)軍団の一人で、鮎川いずみと一緒に若山先生に胴太貫(どうたぬき)でブッ刺されて死んでましたけど、『唖侍・鬼一法眼』にもゲストで出演していました。

 何か、面白い時代劇アクション映画が見たいな~。『カムイ外伝』は期待してるんだけど、どうかな~?

追伸;最近、エリートヤンキー三郎にも出ていた小沢兄貴の超前衛時代活劇『闇武者』の続編ができる?との『映画秘宝』の谷垣健治監督(テアトル新宿で『賞金稼ぎ』観てる時にお見かけしましたよ)の連載記事中で書かれていて、ちょっとワクワクしております。小沢兄貴といえば『ゾンビ極道』ですが、監督作『クノイチ忍法帖・柳生外伝』なんて、私は非常に傑作だと思う。小沢兄貴自ら扮した十兵衛もワイルド系の極致で意外に似合っていた。『闇武者』も、あれは鈴木清順が撮ったと言われても、ナルホド~と思えるシュールなバカっぽさが最高で、やっぱり私は好きな作品です。

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ミサイル迎撃の是非を問う前に・・・

 また、例によって北朝鮮がミサイル発射の威嚇をしようとしているそうです。

 で、日本は迎撃の準備におおわらわ・・・。

 頼りのアメリカは無視を決め込むみたいですが、迎撃云々と言うのは、要は、「戦争仕掛けるなら受けて立ちますよ」という意志表示に繋がる訳で、それを解っているのかな~?と、私は思ったりしています。

 いや、戦争やる気なんだったら、ミサイル基地をこっちから先に攻撃して潰すとか、やり方はいろいろ考えられますけど、そうなれば本格的な戦争が始まってしまう訳です。

 国民の安全のためと言うけれど、北朝鮮は衛星の打ち上げだと主張している訳で、迎撃されたら戦争になるよという口実を主張しているんですから、日本が何をどう主張しようと悪者にされるだけでしょう。

 それよりも、「もし、日本の国土に衛星が落ちたりして被害を受けた場合は相応の保障金をくださいね。拉致されてる人達も全員返してくださいね」と、ヤンワリと言っておいた方が、向こうも焦ると思うんだけどね。

 威嚇してくる相手は無視するのが一番なんですよ。無抵抗でされるがままになって、被害を受けたら金をむしり取ってやる。何しろ、何もこっちは悪くないんだから、文句言われる筋合いはない。金持ってる方が強いんだからさ。

 迎撃準備だって黙ってやればいいんですよ。それなら、「いや~、我が国の防衛システムが優秀だからですよ」と、しらばっくれてりゃいいんですよ。

 日本人は目先の危険とかそういうのにばっかり反応していないで、いつ何が起こっても泰然自若として生きるという姿勢だけ示しているのがカッコイイし、所詮、あくせくしたって死ぬときゃ~死ぬんだから、オタオタしない方がいいよ。

 それにね。北朝鮮は経済的に酷いことになっているんだから、むしろ、助けてやって恩を売った方がいい。どんどんどんどん日本のボランティアを送り込んで、国民の間に「なんて日本人はいい人達ばっかりなんだろう」と思わせる。そうすりゃ、あの国も遠からず変わるでしょう?

 日本だって、鬼畜米英と言っていたのに、戦争で負けた後は、すっかりアメリカ文化に飼い慣らされちゃったでしょう? 日本人はアメリカが世界一好きなんだもんね~。でも、そうなったのは戦略であることを自覚しておいた方がいいですよ。

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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
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