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内藤選手、苦戦のワケ?

 今回の内藤選手の苦戦は、いろいろと論議のあるところかと思います。

 中国男子で初の世界戦挑戦者はボクシングを始めて、まだ3年だといいます。同級の10位というのも、はっきり言って、カマセ犬の消化試合という意識が無かったとは言えないでしょう。

 リーチ差も大きく、内藤選手の圧倒的な有利を疑う人はいなかったでしょう。

 ところが、ブンブン大振りのロングフックを振り回してくるだけの熊選手の強打と打たれ強さに内藤選手はダウンを奪われ、左右両目の上を切っての大苦戦。

 スキルとフットワークでは誰が見ても内藤選手が上回っているのに、熊選手に追い詰められているように見えてしまう。

 私は、この熊選手を見ていて、ピンときました。

「この人はボクシングは3年かもしれないけど、それ以前に散打を相当やっているんじゃないか?」ということです。

 ボクシングの基本は、あくまでもジャブとストレートです。直線上の最短距離を真っすぐ打つパンチ。ジャブで距離を測り、ストレートで打ち抜く・・・これが基本中の基本。

 フックやアッパーは、ストレートパンチが打てる上で意味を成す技です。

 ところが、熊選手は、ほとんどロングフックばかりで攻めていきます。ボクシングのセオリーから見たら下手なんです。

 だから、ボクシングを見慣れた人には、「こんな下手糞なヤツに苦戦して内藤はダメじゃん」と思えるかも知れません。

 しかし、このロングフックをパンチ技術の基本にするのが、中国の格闘技“散打”なのです。

 散打は、組み討ち技を主体にするシュアイジャオをベースに、圏捶(ロングフック)と足揣脚(サイドキック。空手の足刀蹴りと違うのは足裏で蹴る点)を打撃技の基本として構築された純国産の中国の格闘技です。

 その基本戦法は、半身に構えたところからロングフックを打っていき、腕を相手選手の首に巻き付けるようにして投げる点にあり、それとサイドキックで蹴り離す点も特徴的です。

 散打は組み討ち技のシュアイジャオをベースとしているので、相手選手の突き蹴りをキャッチして投げ倒す技術が発達しています。突き蹴りでポイントを稼いで投げで仕留める格闘技だと考えた方が適切でしょう。

 散打は、伝統的な中国武術とは随分と掛け離れた形に見えますが、実は中国武術の大家が集まって、空手・剣道・テコンドー・ムエタイ・ボクシングなどの技を封じて倒すために有効な戦法を研究して作ったと言われています。

 試合を見ていると面白みには欠ける気がするんですが、実は相当に多彩な技を秘めていて、相手選手の技を封じて倒す一点で考えられているので、それが地味な試合展開に見える理由なのでしょう。技のラリーが続かないからです。

「散打は伝統武術とは似ても似つかない」と批判する中国武術家は多いですが、実は戦闘理論から見た技術からすると、一般の格闘技に比べて遥かに伝統武術的戦い方をするのです。

 まあ、日本の中国武術業界には、理論的に分析する観察眼がなく、外見だけで判断する阿呆が多いということです。

 普通の打撃格闘技は中間距離で打撃戦を勝ち抜く方法論が確立されています。これは特にフルコンタクト空手やムエタイがそうなっています。

 しかし、散打の場合、中間距離で打ち合うということはしません。遠距離から一気に密着して投げるのです。

 こう書けば、ピンときた人もいるかもしれません。

 そうです。内藤選手が苦戦した理由がそこにあるからです。

 大振りのロングフック(遠距離)から一気にくっついてくる熊選手には、中間距離でテクニカルな攻防を繰り出すボクシングならではの技術戦がおこなえず、内藤選手は戸惑ってしまったと考えられるのです。

 しかし、内藤選手はフットワークに長じていたので、ダウンを奪われてからはサークリング(円周を回り込むフットワーク)をうまく使って、熊選手の強打をもらわないよう避けていました。

 ボクシング技術そのものは内藤選手が圧倒的と言っても差し支えないくらい上でした。

 けれども、試合内容は大苦戦で、両目上瞼を切っての流血姿は、まるでギャオスの超音波メスで切り刻まれたガメラのような痛々しさでした。

 もう一点、指摘しておくと、熊選手は異様に打たれ強い。内藤選手のいいパンチが入っても“効いてないよ”とアピールしていましたが、確かにあれは効いていなかったと思います。ムエタイ選手がよくやる“効いた時は笑う”というのとは別だと思います。

 よく思い出してください。

 熊選手の筋肉のつき方・・・フライ級のボクシング選手とは思えない筋骨の逞しさ。あれは組み技系の格闘技をやっている人に近いでしょう。

 腕の太さ、首の太さ、胴体の太さ・・・打撃選手にとって不必要な屈筋までが妙に発達していました。もっと重い階級の選手なら解りますが、フライ級であんな体型の選手は初めて見ました。

 実は、これも散打選手に特有の身体特徴なのです。

 投げ技もある散打では、打撃向きの筋肉だけ発達するということはありません。特に国家級の選手となると、全国の表演武術選手の中から散打向きの選手を選んで子供の頃から英才教育をするというのです。

 それも科学的トレーニング法とは別に、站椿功(立禅)を毎日数時間もやったりして、徹底的に体幹部の強化を図るそうです。

 站椿功と言えば、意拳が有名ですが、意拳がボクシングを参考にして発達したことを知る人は少ないでしょう。意拳の強さは、ある意味、伝統武術を脱却して近代的スポーツ格闘技との融合をした点にあると言えるのです。

 站椿功を長年練ってきた拳法家は、身体のどこを打たれてもビクともしなくなることが知られていますが、今回の熊選手の異様な打たれ強さを見ると、納得できるところがあります。

 私が、立禅を問題点があるのに捨て切れない理由が、これなのです。


 それにしても、「しょっぱい試合してすいません・・・」と言う内藤選手。内容的には負けてたと思っていたんでしょうね~。

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リュウケンの奥義を間違えてたよぉ~っ!

 皆さん、申し訳ありまっしぇん!

 武者アヴェスタ様(HNは書いても大丈夫ですよね?)より、私の『そこが知りたい武術のシクミ』154ページの『北斗の拳』先師リュウケンの奥義を“夢想転生”と書いていたところ、“リュウケンが繰り出した奥義は「七星点心」のはずです。また、「夢想」転生ではなく、「無想」転生が正しい表記と思われます”との御指摘をいただきました。

 早速、当会のマニアック会員に確認したところ、「確かにその通りです。僕も言おうかな~?と思っていたんですが・・・(言ってよっ!)」とのこと。誠に失礼致しました。

 増刷される折りには訂正したいと思いますが、取り敢えず、先に、ここで訂正とお詫びを申し上げたいと思います。

 いや、お恥ずかしい限りでございます。武者アヴェスタ様、わざわざお教えいただきまして、ありがとうございました。

 読者の皆様も、「これは間違いではないか?」と思われたら、どうぞ、御遠慮なく御指摘ください。(でも、嫌がらせはやめてぇ~)
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小島一志さんは創作作家を目指すべき

 また、“小島一志さんがバクレツしとる”という話で会員さんが見せてくれてゴング格闘技を読みました。

 芦原英幸先生の本を息子の英典氏と共著で出しての暴走劇っぷりに、釘を刺して「もの書きとしての基本」を説いた吉田豪さんの『吉田文豪[人生劇場]新☆書評の星座』(ゴング格闘技)でしたが、まあ、あの小島さんが素直に反省するとは思っていませんでしたが、自身のサイトで吉田豪さんを脅迫するような文章を書いていたとは知りませんでしたね。

 いや、別に驚きはしませんよ。そ~いう人なのは判りきっていましたから。

 しかし、脅迫文の内容もお粗末ですが、「バッグにいつも芦原英幸の形見の手裏剣仕込んどる」とか、「Yoshikoには護身銃持たせとる」ってのは、正気を疑うムチャぶりで、久しぶりにワクワクして、「こりゃ~、ゴン格買わなくっちゃ・・・」と、近所の本屋さんで買ってきましたよ。

 う~ん、半ページ読みたいだけで940円出したのは初めてだよ。

 しかし、ゆっくり読んで、ウプププ・・・っと吹き出してしまう吉田豪さんのツッコミは、私ももの書きの端くれとして勉強になります。オスッ!

 これはもう、直接、小島さんのサイトを読むしかないな~と思っていたら、事務長が気をきかせてプリントアウトして持ってきてくれました。

 でも、何か、松井館長のこととか自分の組織を裏切った人達?のこととか、塚本佳子さんへの熱烈ラブ宣言(はぁ~?)とか、もう、この人の頭の中のカオスっぷりには、よ~ついていけませんよ、私・・・。

 小島さんと付き合っている人達は、さぞや疲れるのではないでしょうか?

 だって、親友付き合いしていても、ちょっと気に入らないことがあったらサイトで悪口書くみたいだし、はっきり言って人格障害でしょう。まともな神経じゃないですよ。

 吉田豪さんへの脅迫文だって、吉田さんが警察に訴え出たらアウトでしょ? 雑誌の連載で採り上げて批判するというのは、プロとして認めて批判している訳なのであって、きちんとした反論を返すべきですよ。

 それを、チンピラの脅し文句みたいなことサイトに書いて“ネット将軍”とでも言うしかないですね。

 武道やっている人間とは思えない低劣さです。

 一応、知らなくて捕まったら可哀想なので教えておきますが、芦原英幸先生の自作された手裏剣は、両刃のダガーナイフ型なので、新銃刀法により、持っているだけで捕まります。

 護身銃というのも、実銃なのかスタンガンなのか催涙スプレーガンなのか、あるいはガスガン、エアガンの類いなのか判りませんから、一概に違法なのかどうかは判然としませんが、文脈からしたら実銃を想像させますし、そうなると塚本佳子さんも銃砲不法所持で捕まることになります。

 小島一志さんは、これを吉田豪さんへの脅迫を意図した文脈で書いている訳ですから、結構、重い罪状になってしまいますよ。

 こういう現状認識力の致命的欠損は、ジャーナリストには最も向かない性格ですね。

『大山倍達正伝』は、非常に面白い本でしたし、労作だったでしょう。武道本の枠に収まらない内容で、良かったですよ。

 でも、やはり、よくよく読むと小島さんの独りよがりや思い込みの強さがノンフィクション本の構成を崩しているところが散見されます。

 気質的にも小島さんはフィクションの作家を目指した方がいいんじゃないでしょうか?

 小説家や漫画家には、明確に人格障害の人が多いと言われます。普通の感覚ではないから、普通の人が気づかないような面白い観点からものを見れるので、それが作家としての持ち味になる訳ですね。

 小島さんの文章は抜群に面白いと思いますよ。揺れまくって軸がブレブレなところが逆に面白い。だって、言うことがコロッコロコロッコロ変わっていく・・・。

 何だか、金庸先生の武侠小説に登場するキャラクター西毒“欧陽峰”みたいで、面白過ぎます。

 だけど、こういう性格の人は普通の仕事しちゃダメです。そりゃあ、社員がほとんど逃げ出したのも無理はないと思います。相手を罵倒する前に自分の性格の問題点をきちんと認識するべきでしょう。

 他人を罵倒しても自分が上位に立てる訳じゃありません。むしろ、「これは自分の未熟さを教えて鍛えてもらっているんだ」と解釈した方が感謝の気持ちがわいてきていいんじゃないでしょうか?

 吉田豪さんは、別に小島さんを憎悪してるとかじゃなくて、「この人、珍獣みたいで面白いな~」と思って、イジッてやっているんじゃないでしょうか? つまり好意ですよ。

 本気で嫌っていたら、そもそも話題にしないもんね。


追伸;ホームページの『逃れネコ外伝』(原作・長野峻也、作画・黒谷薫)、アップ完了したそうですので、是非、ご覧くださいまし・・・。プロの漫画家に描いてもらって、私は幸せでございます・・・。ちなみに、この主人公の遣うタイ捨流は、新陰流の上泉伊勢守信綱の高弟、丸目蔵人佐が創始した流派で、肥後人吉の地に今も伝承しています。丸目蔵人佐は、相良忍軍の頭領で、補佐役は中国の帰化人で中国武術の遣い手だったと伝わります。そのためか、タイ捨流には突き蹴りや跳躍技、逆手居合斬りといった技が伝わっています。現在、新版の小説化を考えておりますが、妖怪武侠時代劇?になりそうな感じです・・・(普通の時代小説に挑戦しようと思ったんですがね~)・・・。

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北朝鮮は、騒音オバサンか?

 北朝鮮が核実験にミサイル実験をまた始めてしまったとか・・・。

 中途半端なリスカ少女みたいで、本当に困ったもんだと思います。

 何で、世界の顰蹙を浴びるようなことしかできないのか? 金正日は、自分の死期を悟って、ヤケクソになって、できるだけ多くの人を巻き添えにして死にたいのか?

 まったく、迷惑千万です。

 はっきり言って、「爆撃してください」と言っているようなものでしょう。

 国民が貧困に喘いでいるというのに、空威張りしている場合じゃないでしょうに、どうして、こんな阿呆な真似しかできないのでしょうか?

 何か戦時中の日本も似たようなものだったのかもしれません。

 日本軍は銃の弾丸の口径すら統一されておらず、数人がかりで持ち運ばねばならない重い対戦車銃を繰り出したり、大和の悲劇をつくったり、そもそもが勝てる戦略が立てられなかった。

 アメリカのミュージアムに飾られている日本軍の銃などは、「こんな銃は自殺用としか思えない」と感想を言われているとか?

 軍事力にばかり力を入れて虚勢を張って見せても、国民を苦しめるだけでは国は疲弊していくだけです。

 ヒトラーのような独裁者に率いられれば、国は狂った方向へ引きずられていくばかりです。

 日本に核ミサイルが落ちたらどうしよう?と考える前に、下手をすれば極東に第三次世界大戦の火種があがりかねないことを見越して対処していかねばなりません。

 警戒し経済制裁などをするだけで良いのでしょうか? ブッシュ政権の時の悪夢が再び起こらないことを祈りたいところですが、ヤケクソになっている独裁者くらい始末におえないものはありません。

 しかし、以前にも書いたように、脅迫に制裁をもって当たればヤケッパチの暴発に及ぶ危険の方が高い訳で、脅迫行為をするのは話し合いしたい訳ですから、話し合いし、どんどん中に入って助けてあげれば良い。

 閉鎖されているから独裁が可能なのです。開放し外と交流することで国民も変わっていきます。情報をシャットアウトして愚民化政策するから無茶な支配もできるのです。

 多少の時間がかかっても、人民が成熟していけば必然的に国も成熟していくのです。

 つまり、「金持ち喧嘩せず作戦」です!

 恐らく、これが最も効果的戦略であると私は考えます・・・。


追伸;大変、遅い情報で申し訳ありませんが、四つの時期に分散開催されるダンス白州2009の“土の節”が、いよいよ、来る6/12~14に開催されるそうです。
 今回は、田植えの体験会もあり、より参加者との共同の祭り体験が企画されているようです。そもそも、祭りというのは日常の連続の中で、ふっと日常を超越する非日常感覚を共同体で共感するイベントとして自然発生してくるものです。“踊り”はその原点であり、また、そこに音楽や格闘技(相撲)、芝居(お神楽とか)といった様々な芸能的なるものが派生していったと考えられます。ダンス白州の主催者である田中泯さんは、舞踊の原点回帰を目指して活動を続け、一瞬も足を止めることなく常に前衛を走り続けている・・・そういう具合に私には見えます。
 だから、「よしっ、俺も武術の世界で前衛を突っ走ってやる・・・」という勇気を頂戴している気がするんですが、「やっぱり、器が違うよな~」と、私なんかは、度々、弱音を吐いてヘコタレてしまったりもするんですね。
 泯さんから「何だ! その筋肉は?」とイジラレたうちの会員は、「いや~、世界の田中泯さんにイジられたのは光栄です!」と恍惚とした顔で申しておりまして、(もしかして、マゾ?)と、ちょっと怖かったです。
 私の周囲にはあんまり普通の人がいないもんですから(ビジュアルバンドやってる会員はネコミミメイド化してるし。こういう方向に進化するとは思わんかったな~)・・・って、待て! もしかして、これは“類は友を呼ぶ”ってことか・・・?
 いやいや、何か最近、「良くも悪くも常識人」と書かれて、私はちょっと嬉しい。常識人って言われたの生まれて初めてだから・・・。

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続・日本最高レベル武術家の対談実現!

 金曜日に新体道の青木先生からお電話を頂戴致しまして、「明日、田中先生の道場へ見学に行くんですよ」とのことで、「じゃ、僕も行きまっす!」と即答。翌朝、恵比寿の抱一龕道場を訪ねました。

 いや、正直、青木先生と光四郎先生では武術に対する考え方やアプローチの仕方も違うし、言ってみれば真逆の方向性を持っているみたいなものだと思っていたので、こんなに意気投合されるとは思っていませんでしたよ。

 しかし、青木先生は光四郎先生の壮神社から出ているDVDを見て、非常に感心されていて、「私が若い頃だったら習いに行きたかったですよ」とまで言われて激賞されていました。

 確かにあのDVDは凄いですからね。それを“日子流護身術”という形で新たに立ち上げた光四郎先生の小太刀剣術はいかなるものか? これは研究家として私も拝見せねばならないと思っていましたが、こんなに早く機会を得るとは・・・。

 恵比寿の抱一龕道場というと、何年か前に一度、訪ねたことがあります。

 その時は、甲野善紀氏の公開稽古会に殴り込み?みたいなつもりで訪ねたんですが、まあ、血相変えて待ち受けていた甲野氏の様子を見て作戦変更し、「まあ、邪魔しに来たんじゃありません(嘘です!)から、終わって喫茶店でお話でもしましょう。じゃ、終わるまで待ってま~す」と言って、外で待っていたんですけどね・・・。

 その時の喫茶店の話は何度も書いてるから割愛します。

 あれから何年も経過しているので道を忘れていて、交番で聞いて見当つけて行ったんですが、それでも迷いましたね。

 ようやく見つけて、道場に入ると、既に青木先生一行は来られていて、しかも、現在、NPO新体道の代表・首席師範を務める大井秀樹先生も来られていました。

 恐らく、青木先生が誘われたのか、あるいは話をして大井先生の方から勉強のために見たいと申し出られたのでしょう。


 さて、初めて見る日子流の技ですが、体術とは違って、脇差寸法の小太刀に柄だけは八寸程の大刀と同じ長さの異形の“剣”を用いられています。

 以前、雑誌掲載用の写真撮影の時に光四郎先生に私の持っていた二尺七寸の居合練習刀を持って構えていただいた時、構えると同時に、いきなり物凄い殺気が切っ先から放出されて背筋が寒くなったことがありました。

 この日子流の小太刀も光四郎先生が構えるとギリギリと灼けつくような剣気が出て、しかも、その状態から擦り上げ、擦り落とし、巻き抑え、流刀しつつ、擦過の一撃を繰り出す様子は剥き出しの“殺人刀(せつにんとう)”を思わせます。

 二人のお弟子さんは女性で、しかも始めて半年ほどとのことでしたが、燐とした構えは既に堂に入っていて、品格すら感じさせます。

 気を緩めると大怪我しかねない真剣な型稽古の中で、光四郎先生は実にきめ細かい姿勢と意識の遣い方について指導されているのが印象的でした。

 小太刀の技というと、中条流、富田流を思い浮かべる人が多いと思いますが、私は、平山行蔵の講武実用流(忠孝心貫流)や、井鳥巨雲の雲弘流の稽古を想像しますね。短竹刀で敵に飛び込むように刺突する一剣必殺の心技を体得しようとするものです。

 それにしても灼熱の太陽にじりじり灼かれるかのような独自の緊張感と、柔らかく包むようなリラックスした身法の自然さが同居する日子流の小太刀の技には、剣術と体術のどちらにも転用し得る間合の絶妙な感得の秘策が練り込まれている様子で、よくぞ、ここまで工夫されたものだな~と、私は感心するのを通り越して唖然となってしまいました。

 日子流のホームページを師範代がプリントして持ってきてくれたので読みましたが、光四郎先生くらい「常在戦場」という言葉がピッタリはまる人はいないんじゃないでしょうか?

 この言葉を好んで口にする人は少なくありませんが、およそ命をかける戦闘に臨める胆力を備えているとは思えない口先だけ、見せかけだけの人達としか私には思えません。

 しかし、光四郎先生には本当にそれが有る。

 稽古後には青木先生も御礼の演武を大井先生を受けに披露し、天真流剣武も披露されました。

 宗教家でもあり芸術家でもある青木先生の求め練ってきた技は、“活人剣(かつじんけん)”であり、生命への祈りです。光四郎先生が探求した武術のリアルな実戦とは対極にあります。

 こちらはモロに無住心剣流・・・針ケ谷夕雲(はりがやせきうん)が創始した心法の剣の現代版という趣です。

 多くの武道家が本質を洞察できずに、侮って挑み、敗れてはじめて気づいた・・・その生ける伝説が目前で披露されていることに、私は内心「ラッキー!」とニヤついておりましたが・・・。

 まったく方向性が正反対であっても、本質は同じものがある。少なくとも私はそう感じているのですが、果たして光四郎先生の今の眼にはどう映ったのでしょう。

 大井先生の動きも随分と久しぶりに拝見しましたが、青木先生が自慢されていた通り、驚くべき進化をされていました。光四郎先生が日子流の構えを指導されていて、大井先生は新体道の大きく心身を開いていく動きとは逆に小さく精緻に構えを取る姿勢を取るのは苦労されるかと思いました。

 普通は真逆の構えを取るのは身体が拒否して似ても似つかない感じになるのですが、これもしっかり吸収しておられて驚かされました。

 新体道の良さは開放系と養気系の二つがあるので、このような対極的な身体操作にも対処しやすい点があるでしょう。ダンス系のパフォーミングアーティストが多く学んでいるのも納得のいくところです。まず、普通の武道だったら、こういう具合にはいきません。

 やはり、大きく身体を練っていた方が小さく精緻に纏めることもできるのです。逆に小さくしか練っていなければ、大きく身体を遣うのは難しいでしょう・・・。

 うちの会員にも新体道出身者がいますけれど、空手でも中国拳法でも何でも専門で十年以上やっていたのか?と思えるくらい動きを体得するのが早いです。この徹底的に基本を練り込む稽古システムを構築したことは日本の武道史上のエポックメイキングだと思いますよ。

 もちろん、ちょっと習ってそうなる訳じゃありませんけどね。


 それから、道場内ならば問題ないだろうと思って、青木先生と光四郎先生に見てもらいたいと思って持参した三尺二寸五分の一貫斎繁綱と、南蛮鉄製の相州綱廣をお見せして、しばしの刀談義もできて、この日も充実した時間を過ごすことができました。

 帰り際、「田中先生、死んじゃダメですよ。長生きしてくださいよ」と青木先生が言われていたところに、あ~、やっぱり、そこを心配されていたんだな~と思いました。

 兵法と平法・・・目指す方向は違っていても、その心の内は同じく人を愛して平和を守りたいとする武の心。私はこの先生方に出会えて本当に良かったな~と思っています。

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日本最高レベル武術家の対談実現!

 よく、人から「長野さんが一番強いと思う武術家は誰ですか?」と聞かれます。

 一番と言うのは誰もが簡単に考えて答えが出せるくらい“ぶっ千切りで強い人”というイメージで言われるのでしょうが、武術を長く幅広くやってきていると、おいそれと答えられるものではなくなっていきます。

「弱い人は?」と聞かれたら腐るほどいますけど、武術の強さは試合して測定するのが難しく、実際にどのくらい強いの?というと、断片的な立ち合った事実から推定するしかなくなります。

 あとは、スピードならこの先生、テクニックならこの先生、打撃の破壊力ならこの先生・・・といった部分的な技の錬度は比較できますが、それら全てを兼ね備えていて実戦に対応できるであろう人となると、ちょっと思いつかないんですね。

 それでも、トータルで「格が違うな~」と思える方なら、挙げられますよ。

 そのお一人は、新体道の創始者である青木宏之先生。最近は、滅多にメディアに取り上げられず、武道は引退した?ということにされているので知らない方も多くなっているかと思うのですが、かつて、その実力は日本最高峰とも噂され、著名な武道家が密かに仰ぎ見ている存在でした。

 そして、もうお一人、掛け値なしに並の武術家とは比較にならないと思うのは、先頃、生涯一修行者を貫徹すべく日子流を打ち立てられた田中光四郎先生。かつて義勇軍としてアフガン・ゲリラ「ムジャヒディーン」に参加し、“アフガンのサムライ”と呼ばれて白い道着で戦場に立つ姿が世界中に報道されていました。

 このお二人は、武術家という枠組みに収まらない現代に奇跡的に残ったラストサムライとでも呼ぶべき、正に“別格”の武人だと私は思っています。


 随分、多くの有名無名の武道・武術関係の方に会ってきましたけれど、「知名度と実力は比例しない」とか、「弱いヤツほど強がって見せる」とか、いくつも法則があるな~と思うようになりました。そして、そんな中でも青木先生と光四郎先生は、一見、生き方の方向性が異なるものの、どこか共通する感触を感じてきていました。

 そして、私がライターとして文を書かせていただいた光四郎先生の御著書を読んだ青木先生から、「田中先生に是非、お会いしたいから、長野さん、紹介してくださいよ」と言われて数カ月、この度、セッティングできました。


 いや、それにしても・・・私、何を勘違いしてしまったものか、メモ帳に“くだん会館”と記していたのですが、当日、都営新宿線の九段下で降りて右往左往した揚げ句、光四郎先生に電話すると“伊勢丹会館”と聞き間違いしていたことが判明しまして、慌てて新宿三丁目に戻って、セッティングした本人が遅れてくるという大ポカをやっちゃいましたよ・・・。

 私は何で“伊勢丹”と“九段”を聞き間違えたのでしょうかね~?

 まあ、当日、確認の連絡をしてから出掛ければ良かったんですけどね。皆さん、気をつけましょう・・・(って、気をつけるのは俺だよぉ~)。

 久しぶりにお会いする(確か高瀬道場の演武会でお会いして以来)光四郎先生は、大病をされた後と聞いていましたが、思っていたよりずっとお元気でした。何よりも、不二流体術から離れて、新たに“日子流”を興されたと聞き、近々、クエストさんからもDVDが出る予定です。

 青木先生は、光四郎先生への贈り物として“書”を用意してこられていました。やはり、光四郎先生に是非、お会いしたいと、青木先生が主宰されている天真書法塾を支えていらっしゃる吉田さんも同伴されていらしたので、フェミニスト(御本人は「レディキラーと呼んでください」とのこと)の光四郎先生は常にもましてニコニコされていたように思いました。

 やっぱり、美しい女性がいると男はニコニコしちゃいます。

 男、特に武術をやっている者同士で酒を飲んでいると、「どっちが強いか、勝負だ、このヤロー」みたいな展開にいつの間にかなってしまって、夜の公園で酔拳でドリャー!となったり(経験者は語る。テヘヘ)・・・という場合もあるんですよね。

「まさか~。そんないい歳した大人がそんなことないよ~」って、思うでしょ?

 違います! 武術やる男というのは精神年齢が中学生くらいで止まってるんです。「男同士は拳で語るんじゃ~」・・・というヤンキー精神を60、70、80になっても温存しているものなんです。私も自分が46にもなっているのに、全然、自覚ないです。

「少年の心を失わない純真な男」と思ってもらいたいけど、こればっかりは哀しい男のサガと言うか、闘争本能のなせる業なんでしょうね。

 人間も動物だから本能につき動かされて理性的判断ができなくなることってある。特に酒飲んでる時はそうなりやすい・・・。

 何年か前に、中国武術家同士を引き合わせた時、「よしよし、仲良くしてるな」と思って安心して仕事のために中座したら、私がいなくなった後、きわどい展開になったということもあったようです。

 また、隣同士に座っていながら間にシールドが張られているように互いに口を利かない武術家とか・・・(あっ、俺もあったな~、そういえば・・・)。

 だから、私は武術家同士を引き合わせる時は、随分、神経使うんですよ。

 本当に、さっきまで笑いながら酒を酌み交わしていたかと思うと、振り返ると殴り合っている・・・なんてことが起こっても不思議じゃないんですよ。

 わ~い・・・って陽気に騒いでいて、「ちょっとトイレに失礼しまっす」とトイレ行って帰ってきたら、無言で睨み合ってた・・・って、本当にありましたからね。

 特に、今回は、『キングコング対ゴジラ』みたいなものだから、気を抜くといかん!と、内心、思っていたりしたんですね。

「もし、青木先生と光四郎先生が戦いはじめたら、俺はダッシュで逃げるぞ・・・」と心の中で決めてましたよ。

 だけど、今回は本当に良かったな~と思ったのは、吉田さんのレッサーパンダのようなつぶらな瞳が向いていると光四郎先生も照れ臭そうに俯き加減で、闘争本能が燃え上がらないものか、終始、円満に会食は進みました。

 腕に覚えのある男だけで酒飲むのは、火薬箱に座ってキャンプファイヤーやるようなもんだもん。

 でも、青木先生が紹介して欲しいと言われたのは、尊敬する気持ちがあるからであって、そもそも私が心配するのは杞憂に過ぎませんでしたね。

 それに、青木先生はいつも相手を立てる方ですから、よっぽど勘違いして自惚れた人間でもない限り、険悪な雰囲気にはそうそうならないでしょうね。

 それから、考えてみたら、私は光四郎先生からも押し付けがましいことは一度も言われたことがありません。「俺はこう思う」ということは時に激しく言われますが、それを他人に押し付けるところは一度も見たことがありません。“自分は自分、人は人”という達観を持たれている方なのです。

 それに、光四郎先生の心はまたアフガンの大地に飛んでいる御様子でした。

 世間的には孫の成長を見守りながらのんびり余生を過ごす年齢になりながら、老いた獅子が獅子に相応しい死に場所を求めるように、武侠の最期をまっとうしたいと切実に求められているんじゃないのか・・・と、勝手に私はそんな印象を受けていました。

 ですが、吉田さんもまた、そんな具合に感じられたと話されていました。彼女は英雄的な死を求める男の気持ちにエゴを感じ共感できない様子でしたし、それよりも、光四郎先生には、もっと生きて欲しいと思われていたのではないかと思います。

 私と青木先生は、やはり男として自分に相応しい死に場所を選びたいとする光四郎先生の気持ちは解る面があると思うんです。

 正直いって、私は、今回が光四郎先生に会う最期かもしれないと思いつつ、足を運んでいました。大病を患い、もう若いとは言えない年齢で、再び混迷深まるアフガンに向かう決意をされた以上、それはより具体的な死の覚悟を決めたことを意味するからです。

 かつて、我々の親、その親の世代には日本も戦争を経験していました。敗戦によって民主国家、自由主義国家として世界有数の産業国として蘇った日本は、平和を当然のこととして享受して生きてきました。

 しかし、今でも世界には子供の頃から銃を握って戦わねば生きていけない国や地域もある。そんな国がかつての日本のように平和を享受できるように・・・そんな願いを持ちつつも今を生き抜いていくには銃で敵を殺さねばならない・・・。

 それが悪で、間違っていると解っていても、そうしなければ生きていけない。そんな人達の存在を見て見ぬフリができず、「それなら俺は一緒に戦ってやるよ。一緒に死んでやるよ」と、自ら進んで地獄の戦場に向かった。それが田中光四郎という人の愛なんだろうと私は思う。

 どんな理屈をつけようと人殺しは人殺し。人として最も忌避すべき最大のタブー。それを犯した罪悪感を背負った上での自身の正義を求めること。かつて戦場に駆り出された日本人の多くが背負った十字架を、自分の意志で背負ったこと・・・。

 私には、それを何と評価することもできません。英雄的な行為だと讃えることも、そんなのは無意味だと切り捨てることも、どちらも他人事とし過ぎているような気がする。

 朝鮮戦争、ベトナム戦争に従軍していたアメリカ人武道家の先生と一時期、交流がありましたが、自身の行為を英雄的なものと話すところは正直、嫌だな~と思いました。が、最近、雑誌で「夢でうなされる」みたいなことを書かれていて、やはりPTSDに悩み、英雄的行為なんだと思い込むことで精神のバランスを保っていらしたのかも知れないな~と、思いましたね。

 青木先生が光四郎先生に会いたいと言われたこと、吉田さんも同行したいと申し出られたこと。それは、光四郎先生の澄んだ眼の奥にあるあまりに深い哀しみと孤独の色を感じ取られたからだったんじゃないか。せめてそれを癒してあげたいという気持ちがあったんじゃないか?と、私はそんなことを勝手に思っていたりしました。

 だから、今回、「あれっ? 光四郎先生もこんなことを言われるのかな?」と意外に思う瞬間もありました。それに対して、本当に一所懸命に答えている青木先生の姿を見ていて、私は本当に御紹介できて良かったと思いました(もっとも、青木先生が忘れていただけで以前に何かのパーティで挨拶を交わしたことはあったそうです)。

 この日、この瞬間にできた縁が、きっと育っていくんじゃないか?と、そう思ったのです。

 そんなことを考えながら、帰りの電車の中で、ふと青木先生と光四郎先生の共通性に気づかされたように思いました。それは、お二人とも、人に共感する心、愛が深いということだと・・・そう思うと、何だか急に泣けてきましたよ。終電で人が少なかったので助かりましたけどね。

 戦争。人はなんで殺し合いをやめられないのか。本能と理性。武術の実戦と修行の意味するものは?

 そもそも、たかだか百年もたずに誰もが死ぬのに、何で生まれるんでしょうね。生きることがそんなに楽しいのか? いや~、半分以上は苦しいと思う。私はもう人生の半分以上過ぎたと思うけど、本音言うと、本当に大変だったよ。よく、死ななかったな~と思いますよ。少なくとも精神のバランス壊れなかったのは奇跡的なように思える。

 精神のバランスを失っている人にも随分会ったし、その度に「弱いヤツだな~。しょうがないな~」と思ったけれど、友人から「俺は長野さんみたいに強くないんだよぉ~」と言われて、「えっ、そうなの? 俺が強いだけだったの?」って思いましたよ。

 それでも、生まれて、生きて、人とかかわって最後は死ぬ。これは全人類に共通するものです。なら、生きがいは自分でつくっていくしかないんですね。良いことも悪いことも、自分の受け止め方であり自分で招くもの・・・。

 私の場合はどうか? 嫌な思い出の方が多いけど、でも、割りと楽しい人生だと思う。

 だって、今から別の人生送りたいとか思わないもん。結構、満足はしているし、出会った人達にも本当に恵まれていると思う。嫌な人との出会いも、自分を奮起させる起爆剤になってる。「ぬぬ~、あのヤロー、絶対、ほえづらかかせてやるっ!」って思って頑張ってこれたからね・・・。

 今は、皆と一緒に練習するのが楽しいし、稽古した後、ファミレスで何時間もねばってオタク話に興じるのも楽しい。この前の日曜日も黒谷先生が御友人を連れて見学にこられて楽しかった。練習中も公園で子供さんと遊んでいたお父さんが「道場はどこでやっているんですか?」と興味もって尋ねてこられて、「道場はここです」と言ったら、ガクンとして行っちゃいました(早く道場を確保せねばなら~ん)。

 お~、でも何か、楽しいこと考えてたら、楽しいばっかりの人生に思えてきたぞ~。

 青木先生、光四郎先生、吉田さん、楽しい時間をありがとうございました!


追伸;『あなたの知らない武術のヒミツ』と、『誰も知らない武術のヒケツ』が増刷されました。大きな書店の武道書コーナーには並んでいると思いますので、是非、ご覧くださいませ。増刷にあたって少しだけ訂正した箇所もありますが、まあ、人生はいろいろあるな~?と、ちょっと物思いに耽っちゃいましたね。
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陰謀説が流行るのも陰謀か?

 最近、何だか秘密結社の世界支配戦略の陰謀という説が普及してきていますね。

「新型インフルエンザはイルミナティの陰謀だ」といった話ですよ。

 こういう陰謀説って、都市伝説ブームの時も言われてきましたが、『ダヴィンチ・コード』や『天使と悪魔』で最高潮に達してきている印象があります。

 秘密結社の陰謀説を私が初めて知ったのは、学生時代でした。

『ムー』とか愛読していた頃ですね。

 その後、オウム事件があったり、9.11事件があったりしましたが、肝心要のノストラダムスの大予言は外れたし、今は2012年の世界の終末論が騒がれていますけどね。

 ベンジャミン・フルフォードさんの四川大地震の地震兵器説や、鳥インフルエンザの生物兵器説みたいな話も、荒唐無稽過ぎてオイオイって感じなんですが、世界の歴史が秘密結社によって作られているという陰謀説は、胡散臭くも魅惑的な感じもします。

 そういえば、私もフリーメイソンのメンバーだとか何だとかネットで書かれたことがありましたけど、こういう陰謀説に捕らわれている人って、結局、「世の中に認められないオレ」みたいなルサンチマンを抱えているヒガミ屋さんだったりすると思うんですよ。

 そういう意味で、陰謀説にしがみつく人達は、自分の人生に本気で向き合わずに、「誰かがどこかで世界を操っている。だから、オレは自由に生きていけないんだ」みたいな理由付けしていたいんじゃないのかな~?

 秘密結社は大小さまざまあるのが事実だと思います。

 けれども、自分の人生は自分で管理しなきゃダメでしょう。管理できない怠慢を誰かに責任押し付ける訳にはいかないでしょう?

 誰かに人生預けてしまって、幸せな未来に連れていって欲しいと願い、「オラと一緒にパライソさ行くだぁ~!」と、“いんへるの”に落とされたら目も当てられない・・・。

 死ぬも生きるも我が人生。一片の悔いなく生きて死ぬのが最高の幸せってもんじゃないんですかね~?

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脱力セミナー報告

 今月の月例セミナーは、お待ちかねの“脱力の合気”がテーマでした。

 以前は、発勁と合気の謎解き?が、うちのお家芸みたいなところもあったんですけれど、さすがに最近は、「発勁や合気の秘密が知りたいです!」みたいな人はほとんど参加されなくなってきました。

 つまり、それだけ「発勁や合気はできて当たり前の基礎技能」みたいな感覚が広まってきたんだと思うんですよ。

 だいたい、今頃になって、「発勁や合気ができさえすれば俺、最強!」みたいに考える頭の悪い人はいないだろうと思うんですよね。

 でもね、ぶっちゃけ、“発勁も合気も相手に接触しないと通用しない技”です。

 ということは・・・攻撃してくる相手をどう処理して自分の技をかけるか?という点が勝負のキモになる訳です。

 約束組手や型演武で、どんなスーパーナチュラルな必殺技をやって見せたところで意味はないんですよ。

 じゃあ、非接触系の技“遠当て”ができれば最強?

 これも違います。嘘ではないけれど、やはり万能に通じる技ではないんです。遠当てが看板になっている新体道が、実際は冗談みたいに身体を鍛練しまくる流儀である事実はあんまり知られていません・・・。

 要するに、一部の技術を取り出して、「これさえできれば・・・」と考えるのは素人だけだということです。

 さて、そんな訳ですから、もう、うちのセミナーで合気の見世物演武しか教えなかったりすると、思いっきりバカにされてしまうに違いない。「これが気の技なんですよ」って催眠暗示セミナーになっちゃうと、もうカルト宗教か政治結社か?って感じ・・・。

 批判してる本人が、「あんなの全然使えないよ」と小馬鹿にされるような素人を驚かすだけの技しか見せなかったのでは詐欺だと思っています。

 かといっても、やっぱり見世物演芸技も、一応、いろいろできるようになっておかないと、そういうのに騙されて新宗教みたいな団体に引き込まれて、武術とは似ても似つかない集団催眠の暗示をかけられて「俺、最狂!」になってしまいかねません。

 こういうのが一番マズイですよね?


 今回のセミナーは、遠くはアメリカ、山口、大阪、兵庫からの参加者もあり、常にまして盛況でした。

 そして、DVDの第三弾の特典映像用にクエストさんも撮影に来ていただいていまして、ちょっと初見先生の気分・・・(はっ、自惚れたこと言ってスンマッセン・・・)。

 そのせいか・・・ちょっと気負い込み過ぎたかな~?と思ったのは、技の解説演武の時に勢い余って、いつもだと師範代を転がすようにゆっくり倒すところを、バーンとひっくり返しちゃって、“先生、何すんの~?”という涙目で起き上がってくる師範代・・・スマンです・・・。

 見世物芸は、例によって、いつものレパートリー、座取り脱力合気揚げ・片手取り・二人取り・三人取り・指持たせの合気揚げ・立位で指持たせての合気崩し・秘技ウナギ抜け・・・とかをやりまして、皆さん、だいたい、できておりました(DVDの特典映像で御確認をどうぞ)。

 よく考えると、これだけできたら甲野さんや日野さんに並ぶ達人?になっちゃうよ。

 これで達人隠し芸は免許皆伝!

 しか~し! この程度で終わっては素人は納得しても武術の真価を求める人達は納得できる筈がありませぬ!

 で、ヘドラ固めの応用、“ヘドラ投げ”とか、腕(肘と手首)関節技から逃れる・首絞めから逃れるという実用技への応用法もやってみました。

・・・っつうか、「やってみた」というのは、これまでやったことがなかったのをその場で実験してみたって意味なんですね。

 特に、背後から首絞めにされたところから脱力技法で抜け出るというのは、古流柔術の棒抜けの技なんかの応用法として、原理的にはできる筈だと思っていたものの、一度も試してみたことはありませんから、ビデオ撮影している中で失敗したら赤っ恥もいいところです。

 ちょっとドキドキした。

 それに師範代が結構、ギュッと締めてくるから「こらこら、もうちょっと遠慮していいよぉ~(心の声)」って、ちょい思いましたね。

 だけど、思った通り、顎を引いて捻りながらやるとツルンッとトコロテンが出るみたいに腕から首を抜くことができて、内心、ホッとしましたよ。

 喫茶店での懇親会で「全部アドリブでやっていて、事前に何やるか全然打ち合わせしていないんです」と師範代が言うと、初参加した人が驚かれていました。

 でも、私の場合は、アドリブでやらないとうまくいかないんですよね~。どうも、事前に決めておいてやると気持ちが乗らなくて、今イチになってしまう気がする。

 今回は、ビデオ撮影もされているから侮られるといかんと思って、ついつい技の危険度が二割りましくらいになっていたような・・・。


 それにしても遠くから久しぶりに参加してくれた人もいたりして、本当に楽しく充実した時間を共有できたかな~?と思っています。

 懇親会も三時間以上も話し込んだりして、アメリカの武道の業界の話から、スチーブン・セガールの困った性格の話(噂には聞いていたけど・・・)とか、あ~あ・・・どこも一緒だな~って思いましたね。

 だけど、やっぱり、好きなことを趣味の同じ人が集まってワイワイやるのって理屈抜きに楽しいですよね~。練習は楽しく、実戦は厳しく・・・これが極意なんじゃないのかな~と思う。

 それにしても、私みたいな素質も才能もない人間が、いろんな流儀の指導者クラスの人達に教えて喜んでもらえるようになれたのは、すべてこれまで教えていただいた諸先生方のお陰としかいえません。改めて、そのことを痛感しました。

 だってね~。練習している内容が他流のパクリばっかりだから、クエストさんは呆れ顔で見てましたよ。だから、はっきり断言しておきますけど、「私の技は全てパクリ! 遊心流にオリジナル無し!」ってね・・・。

 さて、来月は“軸の操作”です。脱力技法と同様に遊心流では重視するものです。

 参加くださった皆さん、本当にありがとうございました。良かったら感想ください。


追伸;ホームページで漫画『逃れネコ外伝』が見られます。原作は私で、それを元ネタに黒谷先生がパイロット版に描いてくださいました。是非、ご覧くださいませ・・・。

追伸2;炸裂する本物の空手映画『ハイキック・ガール』が、ついに公開! 5/30から劇場公開されるとのことです。いろんな武道界の大物が出演している模様です!


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大太刀抜刀の研究

 ここ最近は、本当に居合の練習しかしなくなってしまっているんですが、『剣道時代』に三回集中連載された神夢想林崎流の大太刀抜刀術の解説を読んで、私も大太刀の抜きを集中的に稽古しています。

 やっぱり数をこなしていると重さにも慣れてくるもので、少しはマシに扱えるようになってきましたが、長さはともかく、刀の重さには辟易してしまいます。

 備前刀について書かれている本を読んでいて、古刀は長くても軽いという記述があって、あ~、やっぱりそうなのか?と思いましたね。

 現在支払い中の二尺五寸六分の古刀がえらく軽かったので、こんな長寸(普通は二尺三~四寸)で、どうしてこんなに軽いのか?と思っていたんですが、バランスと共に鉄の比重も軽かったのだろうと思うと、納得がいきました。

 同じくらいの寸法の現代刀と持ち比べても感触として半分くらいにしか感じなかったので、驚いたんですけれど、この備前刀の本には日本一長い大太刀も紹介されていましたが、何と、刀身の全長が377cm(四メートル近い!)で、刃渡りが226cm(スラムキングの斬馬刀より長~い!)、茎(なかご)の長さが151cm、厚さが2.34cm、刃幅が5.85cmという冗談みたいな大きさ・・・。

 けれども、重量は14.5kgなんだそうで、そんなでもないです。製作されたのは文安4年(1447)だそうで、室町時代初期の古刀の時代(私の買った古刀もこのくらいの時期に製作されたものらしく、後から刀身の疵隠しに彫刻が入れられてます)です。

 ところが、備前長船博物館に所蔵されているという長船派最後の刀匠60代横山元之進祐定が引退記念に打ったという大太刀(大正時代製作)は、332cmと、45cmも短いのに重さは20kgあるそうです。

 厚さや刃幅も違うでしょうから一概に比較はできませんが、それにしても45cm短いのに、重さは5.5kg(三割分)も重くなっているというのは、どういうことなんでしょうか?

 考えられるのは、「鉄の比重が違う」ということです。

 備前刀は平安時代から刀鍛冶が発生して古刀の時代には一大勢力となっていました。有名な相州正宗の相州鍛冶も備前から移り住んだ刀匠群の中から生まれたそうです。

 現代刀匠の中でもトップレベルの吉原義人さんも備前伝の刀を打つんだそうですね。

 そんな備前刀についての本を読んでいて、エエッ?と思うところがありました。

 それは、古釘や古兜などの“古鉄”を原料に混ぜて、わざと鋼の純度を少し落とすことで組成の違う鉄の成分が混ざり合って強靭になるというのです。

 そして、低い温度でゆっくり鉄を溶かすのも備前刀の特徴だそうで、古刀そのものを素材にして鍛刀すると軽く柔軟性があり低温で溶着するそうで、この低温で鍛えるという理論などは斬鉄剣を打った小林康弘刀匠の理論を思い出します。

 古刀の時代の凄さと美しさを求める現代刀匠は少なくないと思いますが、「タタラ」という言葉が現代に於ける「ハイテクノロジー」を意味する点を考えても、古刀の製作法の秘密を解くことは非常に大きな意味があるのかも知れません。

 けれども、古刀の鉄の軽さには成分上の秘密があるような気もします。たとえばチタンのような比重が軽くて強靭な元素が多く含まれていたのかもしれない・・・。


 でも、それはそれとして、やっぱり研究家として刀の重さに負けてしまうようではいかんと思いまして、大太刀のこの重さのまま軽く振れるようになれればそれに越したことはありませんから、雑誌の解説だけでは分からない点を研究しようと思って、日本武道館から出ている林崎夢想流居合術(奥山観禅)のDVDを買ってきました。

 丁度、水道橋の尚武堂さんでGWセール中だったので、模擬刀も一本くらい買おうかな?と思って立ち寄ったんですが、古流剣術流派の古い伝書の資料集『鈴鹿家文書解説(一)』(新陰流・タイ捨流・雲弘流・寺見流・武蔵流・加藤田神陰流・三和無敵流等々)と、『居合道-その理合と神髄』(檀崎友彰著)を買ったので、模擬刀は後回しにしておきました・・・。

 奥山観禅師範については、ヴァンパイヤハンターDや魔界都市新宿シリーズなどで知られる菊地秀行氏(武道関係者には故・伊藤昇先生の少林寺拳法の弟子と言った方が通るかな?)が、かつて古武道を訪ねるレポート本の中で紹介され、自身の小説の中のモデルにもされていました。

 もっとも、私は真相は知らないんですが、昔、甲野善紀氏が「奥山観禅は経歴詐称をしている!」と鼻息荒く罵倒していたことがあって、奥山師範に送ったという手紙のコピーを見せられた記憶があります。

 DVDを見ると、手裏剣を打っているシーンが収録されていましたが、その手裏剣は根岸流のものであり、甲野氏が習った前田勇師範との兼ね合いがあるのかもしれません。前田師範の打ち方とそっくりだし・・・。

 伝統武術に流派の捏造だの経歴詐称だのの話は腐るほどあるものですが、私は馬鹿馬鹿しいから「どうでもいいじゃん?」としか思っていないんですが、嘘を言うのはいかんと思いますけどね。

 でも、「夢の中に井上方軒先生が出てきて教えてくれたんです」と平然と言ってしまう青木宏之先生のようなトンチが効いたことを言ってた方が、シャレてていいんじゃないですかね?

 所詮、武術は実力がある方が正統なんですよ。「俺はこんな正統な流派を継いでいるんだ~」っていくら自慢しても、腕前がヘボかったら逆に恥晒すだけで、誰も尊敬しませんって・・・。

 だから、本当は弱いのに格好ばっかりつけてる人達って、見てるこっちが恥ずかしい。

 世間の目は騙せても、この長野の眼は騙せませんよぉ~・・・。

 で、奥山師範の居合術ですが、想像していた以上に軽妙で滑らかな動きで、この時点でかなり御高齢に見えますが(現在も御健在なのでしょうか?)、三尺以上の大太刀を実に軽く扱っておられて感心しました。

 ゆっくり、フワッと、少しも力まず太刀を扱うところはお世辞抜きに凄いと思いましたよ。思っていたより面白い技だったこともアクション馬鹿の私には嬉しいものでした。

 だって、居合術って地味だしカッタルイし、見て面白いものじゃないですよね。

 私の好きなのは天真正伝香取神道流やタイ捨流のような激しく飛びながら抜くような居合術なんですね。まさか、大太刀でそれをやるとは夢にも思わなかったですよ。

 一方、檀崎先生のお名前は、居合道界で広く知られていて、今回、お写真で拝見して唸ってしまいました。かなり長い刀を使われているようで、構えた姿の腰の据わり具合が尋常ではありません。「これは噂に違わぬ凄い先生だな~」とため息が出ました。

 檀崎先生は元相撲取りであったということなのですが、そこから中山博道先生に師事されています。

 しかし、中山先生が柔術も修行されていたというのは初耳でした。富山ということなので、「ひょっとして四心多久間四代見日流かもな~。そういえば中山先生は黒田泰治先生に居合の抜き付けについてしつこく質問していたとかいう話もあるからな~」とか思いました。

 また、鈴鹿家文書解説に載っている加藤田神陰流は、針ケ谷夕雲に学んだ片岡伊兵衛秀安から九州の久留米に伝わった流派で、あの他流仕合千回無敗という真里谷圓四郎義旭が唯一負けたらしい?という中村権内安威が片岡の弟子で、中村から加藤田新作に伝わって、以後、加藤田神陰流と称するようになったみたいですね。

 この加藤田神陰流からは、幕末の名剣士、松崎浪四郎が出て剣道界にも広く知られています。

 九州といえば、柳川には景流という大太刀を使う流派がありました。薩摩の野太刀自顕流も大太刀(野太刀)の刀法を伝えるとされます。

 大太刀抜刀の稽古をしていて、「鞘を作り直そうかな~?」と思ってきまして、“刀を鞘から抜く”のではなく、“鞘を刀から脱がす”ようにすべきかな?と、ふと思いついたのです。

 これを思いついてから、抜刀が非常に楽になりました。要は、右手で抜かないということです。

 最初に白鞘二つを切り貼りして作った鞘なので、繋ぎ方も粗くて少しよじれたようになってしまっていたのです。そのまま補強して作ったので頑丈ではあるんですが、繋ぎ目にタコ糸を巻いて漆懸けしているので、鞘引きがやりづらいんですね。

 内部を刀身に合わせて削ったりもしていないので、鞘の中でぶつかりながら抜き納めしていたので、いずれきちんと作り直した方がいいかな?とは思っていたんですが、そろそろ実践してみようかな?と思っています。

 やっぱり、稽古していると色々と細かい点が判ってきて面白いですね。口で何だかんだと言っても、やってみないと本当のところは判らないですからね。

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ヒロイン・アクションの可能性

 アクション映画大好き人間で、尚且つ武術を研究している私が特に好きなのは、当然、男臭い本物のアクションが炸裂する映画だろう・・・と思われるかもしれません。

 でもね~、私、実はあんまりムキムキしたマッチョな男がドウリャア~ッ!と格闘したりするアクション映画って、そんなに好きじゃないんですよ。

 強そうな人が強いのって、何か、意外性がないでしょ?

 ブルース・リーが革命的だったのは、彼が小柄で痩せた肉体で圧倒的なスピードとスキルでパワーを圧倒していたからだと思うんですよ。

『燃えよドラゴン』でのオハラ、『ドラゴンへの道』でのチャック・ノリス、『死亡遊戯』でのカーリム・アブドゥール・ジャバール・・・といった大きな男を倒すところがキモだったんでしょう。

 それが「東洋の武術なんだ!」ってリー先生は言いたかったんだと思うよ。

 私がジャッキー・チェンの初期のカンフー映画の方が今の作品より好きなのは、「強い爺さんが出ていたから」ですよ。

 本来、弱い筈の老人がムチャ強いってのは、ファンタジーであり得ないと思われる筈ですが、“屈強な若者の暴力を技で制圧する”という武術の理念がそこにあるじゃないですか?

 これは、私が格闘技を選ばなかった理由とも重なるんですよ。

 肉体のパワーで左右される勝負には、まったく興味が持てないんですよね。だって、30過ぎたら衰える一方だし、生まれつき肉体に恵まれた相手には絶対勝てないって結論にしかならない。つまんね~じゃん?

 どんなに頑張っても、誰もが一様に強くなれるものじゃない。勝てない人は結局勝てないんですよ。勝てないまま年とって諦めて普通のオッサンに戻っていくものなんですよ。

 だから、格闘技というのは、一般的には、いつまで経過しても見て楽しむスポーツでしかない。

 実際にジムに入っても、素質と才能と運に恵まれた人間だけが、青春の一時期だけ打ち込んでトップを目指せるものですよ。

 それが、スポーツなんですよ。

 無論、だからこそ貴いし感動的な美学があるのかも知れません。あしたのジョーに感動する人は、その一瞬の美学に酔うのかも知れませんね。

 でもね~、私は、そこにある意味、物凄くエリート主義的な匂いがするんですよ。それが気に入らないんですよ。

「クソッタレ~、俺だって素質も才能もなくったって、必ず超老人になって、いずれお前らにほえ面かかせてやるぜっ!」なんてこと夢想(妄想?)して武術に取り組んでます。


 戦闘という言葉から最も遠いと思われるのは、老人と女性でしょう。

 アクション映画に関しては、『チャーリーズ・エンジェルズ』辺りからヒロイン・アクションが全盛期になった印象があるんですが、日本の時代劇だと『琴姫七変化』とか『めくらのお市』の松山容子、香港の武侠映画だとシャンカンリンホーにチェン・ペイペイ辺り。

 しかし、『燃えよドラゴン』でリー先生の妹役を演じたアンジェラ・マオの登場によって“女ドラゴン物”が量産されるようになり、それが日本のカラテ映画にも飛び火した形で、志穂美悦子の女必殺拳シリーズとかが製作されました。

 東映チャンネルで志穂美悦子主演作品を放送していたから、また見たんですけど、やっぱり、この人は凄いですよ。スピードと技のキレがピカイチ! Wヌンチャクなんて凄い速いし、身体のバネ力がハンパじゃありません。

 時代劇の殺陣でも太刀行きの速度と動きのキレは、現在の時代劇スター(無論、男)の誰も敵わないんじゃないでしょうか? 『里見八犬伝』の犬坂毛野の立ち回りなんか凄いですよ。

 カラミの人達も凄いんですよ。大葉健二(ギャバン!)さんなんて、カラミなのにやたら小芝居してて目立つんですよ。

 JAC全盛期の人達は本当に凄かったな~・・・って、改めて思いましたね~。

 でも、その後、長い停滞期が訪れ、アクション物自体がほとんど作られなくなり、志穂美悦子もナガブチと結婚引退し、真田さんも演技派に転向してアクションはやらなくなっていました。

 けれども、スケバン刑事が当たってから、美少女アクション物みたいな路線が静かに続いていた印象はありますね。

 前田日明とニールセンの異種格闘技戦が呼び水になって、格闘技ブームが起こり、格闘技雑誌がやたら創刊された時期に呼応するように、『少女コマンドー・イズミ』なんて骨法の遣い手だった(という設定を覚えている人はいないと思いますけど・・・骨法も流行ったよな~)。

 だけど、これも長くは続きませんでしたね。個人的には空手経験のある奥田圭子が主演してユル~イ学園物なのか格闘物なのか踏ん切りのつかない演出がじれったかった『そんな学園みたことない』という作品(古尾谷雅人が出演していた)を今一度CSで見たいと願っている私ですが・・・(ブーメランみたいにヌンチャクが飛んでくる。真似してヌンチャク投げたりしてたバカ大学生のオレ・・・中退する筈だよ)。

 随分と経過して、ハリウッドでヒロイン・アクションがブームになると、日本もゾロゾロとそーゆう作品が映画に深夜ドラマに続出した・・・。

 だけど、キワモノっぽい特撮ヒロイン・アクションというジャンルは、オタク向けと割り切って肝心のアクションを丁寧に魅力的に見せる作品が少なく、アイドルの修行の場としてのホラーとアクション・・・という位置付けしかされていない印象があった。

 そんな中でも、ミシェール・ヨーやチャン・ツィイーのように、アクションの技能を売りにできる女優の登場として、志穂美悦子のいない空白を埋める存在として一身に期待を集めたのが、水野美紀。

 特撮オタクの私は、水野美紀が倉田アクション・クラブでトレーニングしていてファイブマンに宇宙人役でゲスト出演していたりした女優だというのは最初から知っていましたが、世間の人は清純派女優だとしか思っていなかった。

 そんな水野美紀がアクション女優としての実力の片鱗を見せたのが、『千里眼』という映画。ここで話の本筋とは全然関係ないと思える、いきなり始まる格闘戦がジャッキー・チェンの映画?と思わせる程のパワフルなもので、ビックラこいた人も多かった。

 かくして、少しずつアクション女優としての才能を小出しに見せていた水野美紀でしたが、フラストレーション溜まってたのかな~?と思える、突如、SFバイオレンス・アクション『ハードリベンジ・ミリー』への主演!

 監督は、押井守監督の『真・女立ち喰い師列伝』の“バーボンのミキ”編を監督した辻本さん。こっちは軽いタッチでGunアクションが楽しかった。

 で、この『ハードリベンジ・ミリー』という中編SFが東映チャンネルで放送されたので見ました・・・。

 う~ん・・・アクションの魅力を見せるには、あまりにもスプラッター過ぎだしホラーバイオレンス猟奇物?

 そういえば、米倉涼子主演のGunアクション物も、ちょっと、こんなテイストだったような気がするけど・・・まあね~、クエンティン・タランティーノは大好きだろうな~?って感じなのね。

 近未来SFバイオレンス物なんだけど、要するに水野美紀は改造人間なんですよ。それもなんか怪奇な感じでグロいんですよ。

 何か、グロな役演りたいのかな~? 口裂け女も演じてたもんな~。

 美紀ちゃん、ダーク・ヒロインの仕事しか来なくなったらどうするの?って心配になってしまったのでした・・・。

 この作品は、neoアクション・シリーズの作品だとのことですが、劇場で併映されていた『マスクド・ガール女子高生は改造人間』という作品も放送されていましたけど、こちらはどう見ても、“よくできた自主映画の特撮物”にしか見えません。

 何か、ヒロイン・アクション物ばっかり撮ってる会社あるけど、あの中の一編だと思えば納得できます。

 いや、パロディだからこんなものかな?と思えば楽しめるかも知れません。それに、佐藤藍子が悪の女幹部で出演しているので、そこだけゴージャスな感じがします。

 主演女優はアイドルなんだろうと思いますが、「アクション頑張ってやりました」というだけで終わっていて、アクションが売りの筈なのに、これでいいのか?と、ちょこっと意見したくなりましたけどね。う~ん・・・。


 さて、そんな訳で、低予算がミエミエのヒロイン・アクション物に、ちょいガッカリしつつあって、「タイトルがアレだからな~?」と、ほとんど期待しないで『お姉チャンバラ』を見ました。

 こちらの主演は乙黒えり。『映画秘宝』の大槻ケンヂさんの対談で撮影の苦労話を読んでいたのと、ジークンドー(JKD)やカンフーを数年も修行していたというポイントで、劇場に見に行ってみようかな~?と思ったりしたものの、ガッカリさせられるのも嫌だと思って見ていなかった作品でした。

 でもね~。これは面白いよ。ちょっとビックリした。

 アクションの構築の仕方や見せ方が上手い! スタントも使ってるんでしょうけど、明らかに乙黒えり本人の動きのキレが悪くないです。しっかり訓練した人の動きです。

『少林少女』にもラクロス部員で出演していたそうですが、『リュウケンドー』にゲストで出ていたそうで、確かに見たような記憶があります。

 ちょっとホワッとした顔立ちなので、とてもシャープに動けそうに見えないんですが、剣捌きや蹴りの動きなんかは磨けば相当鋭くなりそうな印象を受けました。

 撮影時期が真冬でロケ場所が氷点下だったりしていたそうで、そこで水着にブーツだけみたいな格好でアクションやるというのは本来の動きではなかったでしょう。

 それでも、これほど動けるのは逸材ですよ。

 だけど、この作品は「水着のお姉さんが日本刀でゾンビをぶった斬る」という原作ゲームのおちゃらけた印象が全然しないし、非常に真面目に撮られていて好感が持てます。

 アクションの見せ方に手抜きがないし、ドラマ部分も嘘臭くなっていません。ゾンビのメイクも相当凝って作られているし、仕事の丁寧さが感じられますね。テキトーにやっていない。

 峰不二子みたいな格好で水平二連ソウドオフショットガン(銃の選定がエッ?って感じだけど。ここは多弾数の自動拳銃の二丁撃ちがよかった)を何十発も連射する相棒キャラのお姉さんも登場しますが、こちらもガンカタみたいな射撃アクションが格好よく、死なすのが惜しいキャラでしたが、印象的に主人公を救って絶命。

 何か、任侠物のテイストも感じるな~。

 ラストは北斗の拳みたいな姉妹対決! ここは武侠物とドラゴンボールの対決シーンを足したみたいで燃えます。

 私は、『VERSUS』を見た時の興奮をちょっと思い出しましたよ。

 乙黒えりはアクション女優として活躍するには、もう少し専門的訓練が必要(動きの中でちょっと軸がブレていて安定していない点が見受けられる・・・って、何、俺、本気で論じてるんだ?)だとは思いますが、武術修行経験を活かした逸材として、たとえば雨宮慶太監督作品とかで活躍して欲しいな~と思います。

 ちなみに、敵役の中村知世もアクションはよかったです。ゲームの世界観に拘らずに、もっとオリジナルで撮ったら、さらに良くなったと思うんですけど、まあ、宣伝のこととか色々あるからな~・・・。

 設定としては『バイオハザード』と同じようなもんだけど、アクション映画としては、こちらの方が私は面白いと思いましたね。予算は百倍くらい違うんじゃないかと思うけどね。

『片腕マシンガール』や『東京残酷警察』の路線で海外に売れるとは思うんですが、もう少しメジャーが狙えそうなアクション映画としての魅力を堪能できる作品でした。

 日本もやればできるな~。やっぱり、ちゃんとアクションのできる人を主演にして真面目に撮ったら面白い作品はできるんですよ。

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5月のセミナーは脱力技法です

 今年ももう四カ月過ぎたか・・・早いですね~。

 さて、GW最後の日(五月十日)の月例セミナーは、“脱力技法”です。

 脱力技法と呼んでいるのは、多分、私が最初かな~?と思うんですが、もちろん、著作権とか主張するつもりは全然ありません。

 何故なら、脱力することで技の効果を上げるとする術の理合は、多くの流儀に昔からあるからです。

 私の知る範囲では・・・八光流、大東流合気術、太極拳、新体道、合気道、親和体道、体術、柔法、練気柔身法、メビウス気流法、システマとあります。

 また、技の秘訣として脱力を説く流儀となると、これはもう、ほとんど全ての流儀に当てはまるのではないでしょうか?

 例えば、ムエタイのしなやかな蹴り、ボクシングのスピーディーなパンチ、伝統派空手の組み手構え・・・等。

 私はいろんな流儀を見聞してきましたが、武術の高度な水準を目指すには、大基本原理として“脱力”するしかないという結論に至りました。

 でも、力を抜いたらどうやって相手を倒すパワーを出すのか?

 心配御無用!

 力を抜くからパワーが出せるのです。武道や格闘技は、そろそろ西洋式トレーニング理論からなる筋肉の信仰から脱却するべき時期に至ったのだと私は思います。

 筋肉、つまり、自分の我を強めようとする発想は、対抗性の戦闘理論であり、力で力を圧倒しようとする我と我のぶつかり合いです。

 そうではなくて、我を捨てることで、敵の攻撃を徹頭徹尾受け流してしまう。そして、地球に働く重力にゆだねることで相手の我を粉砕してしまう・・・それが脱力技法の戦闘原理です。

 今回のセミナーでは、この脱力技法の原理解説から、応用法としての見世物芸と、見世物芸には終わらない実戦用法について解説指導していきます。

 もう、「よくわからないけど不思議な技だ・・・」と煙に巻かれるような武術の世界から脱却して、真に実用できる武術への道を歩んでいって欲しいと思っています。


 毎度の余談ですが、ある武道の先生から、そのお弟子さんで地方で道場を開いている方が、私の本を読んで甲野さんの問題点がよく判ったとおっしゃっていたという話をうかがって、お役に立てて良かったな~と思いました。

 結局、武術は口先でどんな理屈をつけていても真剣に手合わせすれば真偽は白日にさらけ出されてしまう非常に厳しい嘘のつけない世界なんです。

 本来、そういう世界であるのに、それを口先でどうにでも言いくるめてしまえる世界にねじ曲げてしまった人達は、いずれ真実が白日の下にさらされた時に消え去っていく運命なのが最初から決まっているのです。

 でも、真実を明かしていく人間がいなければ、ねじ曲がったままの蜃気楼みたいな世界が真実なんだと誤解されたまま続いていくことになります。

 あんまり、そういう麻薬中毒患者の妄想世界みたいな状況が長く続くのは危険ですから、今の時代では私が真実を明かしていく仕事をやらなきゃならないんじゃないかな~?と思っているに過ぎません。

 別にやりたい訳じゃないんですよ。私も命は一つしかないですから・・・。

 それに、所詮、人間のやることですから間違うこともあります。私もチョコチョコと間違いを発表してしまったりもします。

 ですから、どうぞ、「長野さんの言うことだから正しいんだ」みたいな思い込みはしないで、「誰が言っていようと間違いは間違いだ」という冷静、峻厳、客観的な態度で、私の書いている点についても、「それはちょっと違うぞ」と思ったら遠慮なく指摘してくださいね。

 これはカッコつけているんじゃなくて、間違いは自分では自覚していないことが多いので、むしろ指摘してもらった方が助かるんですよ。

 間違いだと判っていながら嘘を書くことだけは研究家として絶対にやっちゃいけない・・・という普通の常識はありますから、宜しくお願いします。

 それでは、世界中に新たな新型インフルエンザの問題が起こっていますが、試練の先には良いことがあるのがこの世の法則ですから、皆さん、頑張りましょう!

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武術を騙る恥知らず

「天網恢々、粗にして漏らさず」という言葉があります。

「世を欺くと天罰が当たるものなんだ」という昔の人の素朴な倫理観が、人を戒めていた訳ですね。「おてんとうさんは、いつも見ていなさるから、悪いことはやっちゃなんめえ」っていった自戒の観念ですね。

 ですけど、現代では「バレなきゃ何やったっていいんだ」みたいなエゴイズムを正当化する風潮のほうが強くなっていると思います。

 だけど、所詮、嘘は嘘。意図的に捏造された嘘は、いずれは真相が明らかになって厳しく糾弾される。それが自然の摂理なのを、我々は潜在意識下ではきちんと理解しているものです。

 自分を正当化するために嘘を言って他人に責任を押し付けて周囲の共感を得ようとしても、その嘘がバレれば余計に自分の立場を悪くするだけ・・・だから、一度ついた嘘がバレないように次々に嘘をつき続けていかなければならなくなる。

 こうやって、嘘に嘘を塗り固めて他人の信用を得ようと、不自然に浅ましく嘘人生を歩んでいる愚かな人が、どうしたものか、武術の世界には結構多いものです。


 先日、相模原駅前のビルの書店をのぞいた時に、中国武術の新刊本が出ていたので、購入しました。著者は古流柔術を専門とする研究家で著書も何冊も出している人物です。

 武士の情で実名は明かしませんが、この人物は、かつてTVのエンターティンメント番組に登場した時に、「グレーシー柔術などは古流柔術の亜流に過ぎない」などという上から目線発言をし、型演武でタケシ軍団員を痛めつけておきながら、乱取りになると柔道経験のあるラッシャー板前の大外刈りで投げつけられ、「勘弁してください」なんて土下座して謝って見せたりして、すっかりお笑いキャラになってしまっていました。

 後に業界裏話で聞いたところ、この番組出演のヘボさ加減に愛想をつかした弟子達が道場を辞めてしまったのだとか・・・。

 芸能人の武道・格闘技の経験者というと、余技でしかないだろうと軽く見る武道関係者が少なくありませんが、芸能界というのは一流中の一流の芸達者が集まっている業界なのであり、プロの武道家・格闘家に比肩できるような人物がゴロゴロしているものです。

 特にタケシ軍団は普通に強いと思いますよ。軍団員のほとんどが武道や格闘技の経験もあると聞きますし、北野たけしの監督した映画を見ると、非常にリアルな喧嘩テクニックを演出している場面がよくあり、「この人は喧嘩強いだろうな~」って感心して見てましたから、弟子も喧嘩テクニックに精通していると予測すべきです。

 なので、この高慢ちきな古流武術マニアのボンボンが簡単にやられてしまったのも不思議ではないと個人的には思っていました。


 それはそれとして、この人物の書いた中国武術の本ですが、従来、ほとんど日本では紹介されたことのなかった南派武術について解説したり、「あ~、よく資料をあたって研究しているな~」と、私は資料研究が苦手なので感心しないでもありませんでした。

 元々、この人物は資料研究が得意なようで、腕前が大したことなくても、それはそれで貴重なことではないか?と思っていました。甲野氏のような例もあるからです。

 けれども、ちょっと内容にダメ出ししておくと、八卦掌の源流が陰陽八盤掌であるという説も解説していますが、この説は松田隆智・高橋賢共著の『神秘の拳法・八卦掌』で解説されていたものの、後に陰陽八盤掌は八卦掌を改編して発表されたものであり、歴史などは捏造されたものであることが中国の武術研究家によって明確にされて否定されているそうです。

 つまり、古い資料の情報をそのまま検証しないで解説してしまっており、資料本の情報に頼り過ぎている問題点は感じます。武術の世界で本に書かれていることをそのまま鵜呑みにするのは非常に危険なのですが・・・。

 でもまあ、そういう間違いは私も時々やってしまうので、ことさら責めるつもりはありません。

 それよりも、私がこの本を読んでいてムカッとしたのは、伝統武術を上位に置いて、散打や表演武術をことさらに貶めるような書き方をしている点でした。

 中国散打の世界の事情も知らず、この人物は散打の内容を洞察する眼力もないのに、「散打は中国拳法本来の武術性を失っている」と決めつけていますが、中国の散打がシュアイジャオをベースに足揣脚(サイドキック)と圏捶(ロングフック)という伝統的な中国武術の打撃法を主体に攻防を理論化している事などまったく知らない様子です。

 日本でも中国武術を学ぶ多くの人が、実際に自由攻防をおこなって技の実用性を高めていこうと努力してきていました。

 それは、「中国武術は理論倒れで弱い」という日本の武道界の通念を払拭しようとする気概の表現でもあったのです。今でも、いろんな格闘技大会に参加して中国武術の実戦性を証明しようとしている人達はいるでしょう。それを、自らやりもしない人間が否定的論説を権威者ぶって発表するのは非常に失礼なことです。

 表演武術にしてもアクロバット的に誇張されてはいるものの、その基本動作は紛れもない中国武術のものであって、それらはいくらでも武術として応用展開できるものだと私は断言できます。

 要は、闘い方を練習しない点に問題があるのであって、指導者の多くは実際の用法も知っているケースが多いのです。外国人には教えないだけです。

 伝統の型に拘って動作の研鑽をしなければ、それらはどんどん時代遅れになるだけで、伝統を重視し過ぎて武術としての真面目を失ってしまう方が本末転倒で、伝統武術の名誉を汚す後ろ向きな認識でしょう。

 型稽古のみを研鑽している人が実際に闘って強かった・・・という実例を、私はただの一つも見たことも聞いたこともありません。その逆に型演武は超人的なのに、まともに闘うと冗談みたいに弱っちくてメッタ打ちに叩きのめされてしまった例なら、何度も見たり聞いたり体験したりしています。

 この人物は、はっきり言って、自分が闘って勝てないから実際に打ち合う散打を否定し、自分が優れた身体能力を持っていないから表演を無意味と言いたいだけではないか?

 まさしく典型的な“伝統武術権威主義者(流儀の伝統をかさに着て威張りたがるだけで戦いの本質を追究しない者)”の主張でしかないのです。

 公に批判する以上は、反論される覚悟はしていなければならないと私は考えています。

 私は、この人物の覚悟の程を知りたい。よって、ここに私の知る、この人物の過去の行状について“告発”しておこうと思います。

 実名を明かさないままの告発では意味がないと思われるでしょうが、事実関係を整理すれば誰のことかは判明するでしょう。敢えて実名を書かないのは、甲野氏のような世間的に名の通った人物ではなく、マニアックな読者しか知らないであろう人物だからです。

 しかし、それでも武術の研究をする者として、決してやってはならない行為をしている人物を、そのまま放置しておくことは私にはできません。

 おこがましい思い上がりかも知れませんが、武道業界の人が見る確率の高いであろう私のブログに書くことは、それなりに業界に波紋を起こし自浄作用に繋がるだろうと思っていますし、「影で恥ずべき行為をしていながら権威者ぶる問題人物も、真相は必ず誰かが見抜いているのだと知らねばならない」という戒めとして、心ある人達に響けばそれで良いと思っています。


その一、「流派の宗家を騙りたがる悪癖」

 この人物の最も困ったところは、「伝統的な流派の宗家を名乗りたがる」という点にあります。普通、こういう性癖は相当な高齢の武術愛好家に見られるものなのですが、この人物の場合、大学生の頃から名刺に~流宗家とか刷っていたという話をかつて聞いたことがあります。

 十数年前、板橋の佐藤金兵衛師範の道場を訪ねた時、佐藤師範から、この人物が送りつけたという手紙のコピーを見せてもらったことがあります。

 そこには、佐藤師範が継いでいる古流武術の宗家を自分に譲って欲しいと書かれていました。

 ちなみに、この人物は佐藤師範の孫弟子に当たりますが、「大東流は恐れ多いから別の流派でも・・・」などという手前勝手な理屈で図々しいことを書いていました。無論、こんな失敬な要求には応えなかったと佐藤師範は言われていました。

 ちなみに、この人物が自分の本で紹介している古流武術の流派では、この人物が勝手に師範や宗家を名乗ったとして呆れたり怒ったりしている所もあると聞きます。

 要するに、典型的な“宗家病(流派の代表を名乗りたがる異常な権威主義を求める病気)”の患者というしかありません。これが進行すると自分で勝手に流派を継いだという捏造話を吹聴するようになるものです。

 もっとも、私が本を読んでいて苦笑してしまったのは、「日本の中国武術界」と題したページで、「当時は、ブームに乗ってひどく低劣な本が出たり、経歴を偽ってマスコミに登場したりする者もあった」と書いていて、私は「オメーのことだろ?」と、思わずツッコミを入れてしまいました・・・。


その二、「誇大妄想の気がある」

 この人物は、「古流柔術の実戦力を確認したいから、実戦的な合気道の道場を紹介して欲しい」と、とある武道具店に頼み、紹介してもらった道場で散々に投げ飛ばされてしまったと聞きます。

 まず、実戦的な武道と試合してみたいのなら、普通、極真空手とか太気拳とか、そういうところに行きたがるものなんじゃないでしょうか?

 合気道なら安全で大したことはないだろうというイメージがあったのかもしれませんが、自分の実力を考えるべきですね。

 どんな流儀であれ、長年修行している人は、それなりの技量があるものです。そして、どんな流儀でも強い人もいれば弱い人もいるもの。

 さらに言えば、何もやったことがない人であっても、本気で人を殺傷しようという意志を持っていたら、そうそう容易く勝てるものではありません。

 仮にも伝統武術を学んでいて、誇大妄想に浸ってしまうのは、いかに真摯な稽古をしていないか?という悪い証明なのです。「俺は強い」と思った時点で、もう棺桶に片足突っ込んでいるくらいの自戒をしていて丁度いいくらいだと私は思っています。

 この点、極真空手をはじめ、厳しい試合を多く体験している人ほど性格が謙虚で常識を弁えている人が多いように感じています。やはり、痛みを知るのは大切なことです。自分が痛みを知らねば他人の痛みに共感することは難しいでしょう。


その三、「捏造体質がある」

 この人物の最大の問題点が、この“捏造体質”です。

 具体例を挙げます。

 この人物がかつて日本の伝統武術について概論をまとめて本を出したことがありましたが、その中の“揚心流覚悟之巻”という絵伝書の写真キャプションに、「牧堂文庫」と記してありました。

 牧堂文庫というのは、熊本出身の古流武術の研究家で、『剣道五百年史』(島津書房より復刻版が出ています)という著作のある冨永堅吾氏の所蔵していた伝書類を蔵にまとめているもので、冨永氏の号が“牧堂”ということから、「牧堂文庫」と呼ばれ、御子息が管理されていました。

 ところが、この絵伝書は長崎の図書館に所蔵されているものだという指摘をある古流武術の研究家から聞きました。

 これが本当であったら、完全な捏造行為です。

 私は、かつて甲野善紀氏の無住心剣術研究の手伝いをした時に、私の郷里の熊本にある牧堂文庫を訪ねたことがあり、冨永牧堂氏の御子息が、奇しくも私の父が世話になった高校の校長先生であったという事実が判って、当時、訪問者を断っていたのを特別に許してくださり、親しくしていただいていたので、確認を取るために、この本の問題箇所のコピーを取って送り、照会していただきました。

 すると、牧堂文庫を管理されている御子息の冨永文男先生は、わざわざ文庫に所蔵されている当該箇所の写真コピーも添えて、「写真も違うし、そもそもその人物は訪ねてきたこともないので捏造という外はありません。牧堂文庫の名前を勝手に使ったものでしょう」と書かれた返事を手紙で送ってくださいました。

 これで、この人物が捏造をした証拠は揃いました。

 後日、機会があって、私はこの一件について本人を手紙で窘めたことがありますが、無論、それっきり何の返事もありませんし、私も取り立てて法的に何かしようという程の気持ちもありませんでしたから、それっきり放っておきました。

 余談ながら、この人物と付き合いのある古流柔術の研究家から電話がかかってきて話した時、この人物の捏造話をしたところ、「俺もやめた方がいいと言ったんだけどさ~」と、捏造を知っていたような言い方でした。私だったら、ぶん殴ってでも止めますが・・・。

 ともあれ、経歴詐称する武術関係者を非難しながら、実際は自分もそうだという訳で、まったく武術を騙る山師の典型的人物なのだな~と、呆れるばかりです・・・。

 私が既存の流派名を名乗らず自分で流派を立ち上げた理由がお解りいただけると思います。こんなクソ連中と同列で見られるくらいなら、「長野は正当な流派で学んでいない」と悪口言われるほうが、ずっとマシだと思っているからです。


その四、「あ~、よかった・・・発言の真意?」

 ちなみに、この人物は、私から捏造を暴かれて手紙で窘められたことが余程、怖かったらしく、十年ちょっと前に、ある中国武術団体を主宰する人が物凄い誤解をして「長野が『武術(ウーシュウと読む。日本初の中国武術の専門雑誌。現在は休刊したまま)』の編集長になるらしい」と思い込んで、あっちこっちで吹聴していたらしく、その噂がこの人物の耳にも入ったのでしょう。

 当時、まだライターの仕事を頂戴していたので、その時も確か会社にいたと記憶しているのですが、この人物が編集部に電話をかけてきて、電話に出た社員に「長野さんがウーシュウの編集長になるって本当ですか?」と聞いており、「いや、そんな話はありませんよ」と社員が答えると、「あ~、よかった・・・(ガチャン)」と切れたようでした。

 本当に会社で笑ってしまったんですけれど、勘違いして噂を流す人もですが、噂を信じるヤツもバカですね~。

 だいたい、社員でもないライターが、いきなり編集長になれる訳ないでしょう? 普通、雑誌の編集長というのは編集者の仕事を十年くらい経験してからでないと抜擢されませんよ。フリーライターをヘッドハントして編集長に任命するなんて、そんな阿呆な真似をする出版社があったら、とっくに潰れていますよ。

 この人物が私がウーシュウの編集長になる?ことを心配したのは、要は、捏造している自分が問題人物とされて雑誌に出してもらえなくなることを恐れたからでしょう。

 いや、下手をすれば自分が捏造したことを雑誌の中で暴露されてしまうかもしれないという恐怖心もあったかもしれません。ウーシュウでは、一度、本を何冊も出している中国武術家の経歴詐称を暴いて糾弾していますから・・・。

 何しろ、私はライター時代から今に至るも、平気のへーざで武術界の著名人をこき降ろしていますから、“身に覚えのある人達”は、さぞや怖いでしょうね。

 この人物の名前を書かないのも、判る人だけ判ればいいと思ってるからで、そもそも、社会的な影響力の少ない批判する価値すらない人物だと軽蔑しているからなんですよ。

 たまたま本を読んでムカつかなかったら、何にもしていません。「あ~、また本出したんだな~」としか思わない。その程度の人物だとしか思っていませんから。

 だから、この人物も、もっと謙虚にして、偉そうに余計なことを書かなければ悪事をバラされなくて済んだのに・・・(実名書かなくとも判る人にはピンとくるでしょう)。


・・・とまあ、こういう次第なんですが、こんなインチキ親父が“正統伝統武術家”を自称していられるんだから、私が「伝統武術はやめた方がいい」と最新刊で書いた理由が解りますでしょう?

 もちろん、日本でも中国でもマトモな流派門派を地道に継承されている方は少なくないんですよ。でも、そういう人達は自分から宣伝しないから、地方でひっそり続けている場合が多くて、公に専門雑誌とか電話帳とかで弟子を募集したりしない率が高いんです。

 だから、武術メディアは、こんなクソッタレみたいなのが野放しにされてるどころか、クソッタレ連中との腐れ縁に支えられて雑誌出してきてるような業界なんだから、「マトモな師範に出会える確率は相当に低い」というしかないし、そもそも、名前が知られてるとか専門誌に載ってるからとかいうのが判断基準にならないんですからコワイですね?

 私もライターやってた時に専門誌で連載している武術家?にも結構会いましたし、高小飛先生みたいに実力もず抜けているけれど性格の良い人(ユーチューブに動画があるようですから関心のある方は見てください。発勁で相手が吹っ飛ぶ様子は凄いですよ)もいらっしゃいますけど、中には「うひゃ~、こんなヤツとは二度と会いたくないな~」と思うようなゲロゲロな性格の厭味な人物もいました。

 伝統武術好きな人って社会性に問題を感じる人が非常に多いように感じますね。どうも、コンプレックスが裏返っているように思えてならないですね。

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体罰の是非を分けるのは“常識”のセンス

 熊本県天草市が「子供が体罰でPTSDになった」と訴えられたとかで、最高裁判所が一、二審の判決を退けて無罪判決を出したそうです。

 まあ、私の郷里の事件でもあるし、私の両親も教師だったし、おまけに私も塾で講師をやっていたこともあるので、このニュースには、ちょっと関心が惹かれました。

 で、“悪ふざけしている児童の胸倉を掴んで壁に押し付けて叱った”ということですが、別にぶっ叩いた訳でもないなら、これで体罰だと騒ぐのもおかしいとは思いますね。

 確かに胸倉を掴んで恫喝するのは教育的とは言えませんけれど、口で注意しても懲りない以上、怖い想いをさせるか、痛い想いをさせるか・・・そのどちらかを教育的指導として選択するのは仕方がないとは思いますよ。

 というか、私の子供の頃は先生から平気で平手打ちされていたし、打たれた拍子で鼻血出たりしても親は文句言わなかったですよね。

 だいたい、私は体罰を批判する資格がないんですよ。

 塾の講師の時は、一本拳で頭にゴツッと食らわせたりしていましたからね。見かねた別の講師が「長野さん、頼みますから、生徒を殴らないでください」なんて言われたりしていました。

 でもね~。不登校の生徒を受け入れている塾だったから、問題児ばっかりで、わざと悪ふざけしてくるヤツはゴツッとやられたい訳なんですよ。

 それに、ダウン症の子が脱走?して道路に飛び出していったりした時は、私に体罰はやめてくれと意見していた本人が、「長野さ~ん、そいつを捕まえてくれ~!」って叫んでたりして、私はデヤァ~ッととっ捕まえて、暴れるものだから逆関節取って抑えたりしたんですが、「何すんだぁ~、人殺しぃ~!」とか叫ぶのね~、こいつ。

 障害がある子供って、親が可哀想だからって全然叱らなかったりするそうで、だから凄くワガママで言うこと聞かなかったりするんです。この時も絶叫しながら暴れるし私の腕にも噛み付いてきましたよ。

 それで私はムンズと下顎掴んで外しながら、「暴れるんじゃないっ!」と、ヤクザみたいに怒鳴りつけながら引きずるように塾に連行しましたよ・・・って、これって、客観的に見て戸塚ヨットスクールかよ?って感じに見えただろうな~って思いますよ。

 私に暴力ふるうのはイカンと意見した彼は、見てただけで手伝ってくれないし~、もう~って思いましたけどね。

 まっ、綺麗事で現実は済まないってことですよ。話して解らない相手はいくらでもいるんです。いざという時には力で何とかしなきゃならないのが男に生まれた者の義務だと私は思うな~。

 もちろん、「だから体罰は必要だ」なんて主張はしませんよ。「体罰を認める」と決めた瞬間に、そこには暴力を容認する権力が設定されてしまうからです。

 そうなったら、これは「教育上の躾としての体罰だ」という合理化された論法で暴力がエスカレートしていくのが目に見えていますよ。そこにどこまでを是として、どこからを非とするか?という線引きをするのはほぼ不可能だと思います。

 ケース・バイ・ケースで判断は分かれますからね。

 でもやっぱり、力ずくで人を従わせようとするのは確実に悪なんですよ。それをきちんと弁えた上で、「綺麗事で済まない悪も必要な場合があるのが現実なんだ」という認識の仕方をしておかないと社会の中で生活していくことはできません。

 だから、教育の場で、時に暴力的な教育的指導に及ぶのは、その現実の社会の仕組みを理解させるためには意義があると思いますね。

 そこに是か非か?の二者択一の論法を持ち込むからおかしくなる訳で、その線引きをするのが“常識”であるべきだと思うんですね。

「そんな常識なんて曖昧なこと言っていたらダメだろう?」と思う人もいるでしょうが、曖昧でなきゃダメなんですよ。一律に「こうすればいい」なんて判断がつくようなもんじゃないですよ。

 甲野さんみたいな文化人気取ってる人なんて、すぐに「常識を疑え!」みたいな論法を掲げたがるものですが、個人の信念や思想信条よりも、不特定多数の人達が納得できる最大公約数的な一般解こそが、最も社会的に熟成されて定着した認識である場合が多いと私は思うんですね。

 何か、特別なことが正しいことなんだと思い込む人が多いみたいですけど、本当のことって、実は極めて当たり前のことだったりするんですよ。普通が一番。

 これは私が長年、武術を探究してきた結論として感じたことでもあります。特殊な訓練して得た秘伝みたいなのは役に立たないんですよ。本当に力になるのは、ごくごく基本的な技を繰り返すこと・・・。

 武術って、本当は凄く簡単なんです。特別な素質や才能はいらない。基本技をただただ繰り返していれば、それが一番の力になるんですからね。「基本が極意」ってだけ。

 これって学問でも仕事でも芸術でも何でも同じでしょ?

 何か、錯覚させられてる人が多いと思いますね。著名な権威者の発言に左右されて自分で判断することを放棄していたり・・・。

 教育は、その常識の基本を教えるものじゃないですか? 社会で生きていくための基礎から専門的知識と技能までを伝えるもの・・・。

 いわゆる体罰というのも、「人との付き合いで自分一人の考えを通すと痛い目に会う」という社会のルールを教えるものと解釈できます。

 けれども、体罰は所詮、暴力でしかないということも理解していなければ、未熟な親による幼児虐待の末の殺人に到る場合もあります。

 時代は今や、親の再教育が必要になっているのかもしれませんね。

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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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