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最近見た幻想映画について

 いわゆるファンタジー映画と言うと、『ロード・オブ・ザ・リング』とか『ネバー・エンディング・ストーリー』とかになると思うんですが、もう少し現実的な中で幻想的な違和感を感じるような作品が私は結構、好きです。

 最近、CSでそういう作品が続けて放送されていました。

 一つは、日本に返還される直前の沖縄を描いた幻想作品『ウンタマギルー』。もう沖縄の方言が外国語みたいでよく判らないもんだから、字幕がついているという時点で、何やらヘンな感じです。

 ウンタマというのは運玉と書いて、ガジュマルに住むという樹木の妖怪キジムナーが住む怪しい森の名前。ギルーというのはサトウキビを搾る仕事をやっている青年、島尻ギルー(小林薫)。

 このギルーはキジムナーと仲が良いんですが、盲目の西原親方(仕事の元締めで地域の顔役みたい)が大事にしているマレーという女(実は豚の化身マジムン。青山知可子)に手を出したことから命を失いかかります。

 しかし、キジムナーの子供が溺れているところを助けてやった恩返しにキジムナーから額に魔法の石を埋め込まれて空中浮遊(レビテーション)や物質移動(アポート)といった超能力が使えるようになり、それを使って義賊ウンタマギルーとなり、琉球の独立運動をしているゲリラを助けたり貧乏人に金を与えたりして、ヒーロー視されるようになります。

 もっとも、作中でウンタマギルーが活躍しているシーンはほとんど描かれていません。西原親方の秘蔵の酒を盗もうとしたり、芝居に特別出演して空中に浮いて見せる程度なのです。

 しかも、挑発されて怒った西原親方が投げた槍が頭を貫通して生死不明のまま去っていきます(その頭に槍が刺さったまま海岸をフラフラと歩いているシーンから映画が始まるという、何とも妙な作品なのです)。

 実は西原親方はニライカナイからやってくる神の指令でマレーを養っており、怒った神様は西原親方をヤンバルクイナに変えてしまった・・・という話。

 そして、ギルーの妹チルー(戸川純)は想像妊娠し、ギルーそっくりの青年がギルーの代わりに仕事しキジムナーと言葉を交わし、新しくやってきた親方は、沖縄が日本に返還されたことを告げて、唐突にマレーと共にダイナマイトで自爆して果てます・・・。

 何とも意味不明な作品なんですが、要は、古いアニミズム的伝統を持っていた沖縄が日本に返還されて変わっていくことを象徴していたのでしょう。

 文章で書くと妖怪や神様も出てくる何とも怪異な作品に思えるでしょうけれど、キジムナーもニライカナイの神様も普通のオジサンが演じていて、少しも怪異な感じがしないんですね。

 まあ、演劇的なものと思えばいいでしょう。それでも、私がこの作品の一番の見所としてお薦めするのは、キジムナーがギルーにすすめられて“空手踊り”を披露するところです。

 これは、琉球古武術の二丁振り鎌の術なんですが、ヌンチャクのようにビュンビュン振られる鎌が本物であることを示すように、途中で木を切ってみせたり、凄いのです。

 蹴り足の鋭くビュッと上がる様子を見ても、凄い実力です。この人は一体、誰?


 もう一つの作品は、ダークなアート系人形アニメ作家として有名なヤン・シュヴァンクマイエルが監督した『オテサーネク妄想の子供』。

 これはダークなピノキオと言うべき作品で、子供のできない夫婦が樹の切り株を赤ん坊にみたてていたら、本当に生命が宿って猫でも人間でも食べてしまう怪物になってしまうという話なんですが、ちょっと、楳図先生のモクメ君を思い出してしまいました。

 オテサーネクというのは民話に出てくる樹木の怪物の話(本当にある民話なのか?)で、その絵本を読んでいたアパートの住人の娘(ちっとも可愛くない)が、地下室に隠した子供?をこっそり育てて変態爺さんを食べさせてしまったりするのです。

 シュヴァンクマイエルという人は実際にも相当な変人なんだろうな~?と思わせる意味のない幻覚シーンや、やたらに変態的なカットがあったりして、作品としては妙に纏まりがないのですが、そもそも人形アニメ作家が長編ドラマを撮れるというところが意外でしたよ。

 しかも、CGなど使わずギニョールや人形アニメで表現するローテク特撮手法が70年代特撮物で育った私にとっては懐かしい感じがします。

 このオテサーネクを植物怪獣とすれば、グリーンモンスやワイアール星人の等身大の時を思い出させます。

 しかし、3m以上はあるだろう怪物に育ったオテサーネクを退治するのがアパートの管理人のバアサンで、武器が古びた鍬であるというところは、映像では見せていないものの何か釈然としませんけどね。あのまま巨大化したオテサーネクが町を破壊して回る大怪獣映画にしても面白かったかも?


 もう一本は『パンズ・ラビリンス』。美少女が実は異世界の王女だった?という話がドイツ軍と反乱ゲリラの紛争という現実と交錯して描かれるのですが、少女は義理の親父の冷酷な大尉から最後は射殺され、すべてはこの少女の妄想でしかなかったかのように描かれます。

 要するに、ダークな『フランダースの犬』状態なんですね。

 登場する妖精や牧神パンも、何か邪悪な感じがしますし、日本妖怪“手の目”にそっくりの化け物も登場します。

 結局、少女の現実逃避の空想に過ぎなかったような感じですが、メイドになって潜入していたゲリラの娘が活躍して冷酷義父(本当に酷いヤツ)をナイフで刻んで逃げたりして、何とか少女を救出しようとするところが、こちらを主人公にして描いたらどうなったのかな~?という想像もしました。

 私が個人的にムムッと注目したのは、ドイツ軍だからこの義父がルガーP08を持っていたところですね。最初はワルサーP38かな?と思ったんですが、よく見るとルガーでした。無論、ライフルはモーゼル98kで、サブマシンガンはシュマイザーMP38ですよ。

 こいつは捕まえた人間がゲリラかどうかも判らないのに、ルガーのグリップで執拗にガンガン顔面を殴って顔面の骨が陥没骨折した青年の親父が「人殺し~っ!」と激怒して絶叫するや、ルガーでガ~ンッ!と無造作に射殺してしまうのです。

 そして、「森でウサギとってただけだ」と主張していた通り、親子のバッグからウサギが出てきてゲリラでなかったと判ったのに、平気のヘーザで、メイドに「このウサギを料理しろ」と渡すのです・・・人非人だよ!

 最後に観念して息子(赤ん坊)を手渡して「大きくなったらお前の父親は・・・」とメッセージを話そうとするのを怒りのメイドから「その必要はない」と即刻、射殺されてしまいます。

 殺された主人公である少女は死ぬ間際の幻影だったのか? 異世界の王と女王である両親と対面している光景を見て笑顔で死んでいったのでした・・・。

 あ~、空しい・・・

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武器術の効用

 素手の武道や格闘技しか経験してこなかった人にとって、武器術の修練というのは、やっぱりどこか違和感が拭えないものがあるのかもしれません。

 この前、シダックスの講座で指導している時に、「手裏剣はどういう効果があるんですか?」と聞かれたんです。

 何年も前に甲野氏が手裏剣術には特別な身体運用の秘訣がある・・・みたいなことを解説したりしていたんですが、私は、基本的に「間合の意識を広げるため」だと答えておきました。

 どういう意味かと言いますと、手裏剣術の一番、難しいところは、剣を投げる技術もありますが、むしろ、距離に応じて適切な打ち加減をするということであって、自分と的との距離感覚を、いかに間合として意識するか?という点にこそ、要点があると思うんですね。

 弓矢で狙う場合は、かなり遠くなりますが、手裏剣で狙う距離となると、数メートルからせいぜい10メートルくらいまでですね。それ以上の距離だと避けられると思います。

 そして、これくらいの距離というのは、槍や刀を持って駆け寄ってこれる距離なんですよ。

 私が結局、手裏剣術を実戦に用いるのは無理があると判断したのは、一本打って、これが致命傷にならなかったら、二本目を打つまでに近づいてこられてやられる危険性があると思ったからなんですね。

 だから、威力は弱くとも立て続けに連射できるフルオート・エアガンで顔面を狙い撃ちにした方がいいのではないか?と考えた訳です。正確に遠くから狙えますしね。

 ただ、至近距離なら三本同時に打てるようになったので、右手で三本、左手で三本、続けて打てば、一秒かからずに六本打てるので、これなら結構、実戦的だと思います。

 もっとも、手裏剣何本も持ち歩いていたら捕まると思いますけどね・・・。

 となると、手裏剣術の稽古しても武術としての応用は望めないということになります。

 が、それでも、やる価値はあると私は思う。それが、剣や槍では届かない間合に一打ちで届かせる訓練をすることで遠い間合を制圧圏内に意識化していく間合感覚の養成に良いと思うからです。

「武器は手の延長」という中国武術の言葉は、そのまま武器術の意味を表現しています。

 で、そう考えると、槍でも刀でも短刀でも、拳銃やライフルでも原理的には同じことになります。

 つまり、敵を制圧できる距離(間合)が広がっていくだけの話だからです。

 拳や蹴りの届く間合でも若干違います。

 突き技も、指を伸ばしただけでも数センチメートル伸びる。肩甲骨を伸ばすと10センチメートルは変わる。半身をきればもっと伸びる。前屈構えになるとさらに伸びる。縮地法で滑り込めば、さらに伸びる・・・。

 こうした間合を操作する秘術として、新陰流系剣術では“八寸の延べ金”という秘伝があった訳です。

 剣術では一寸の見切り、五分の見切りということが重視されてきましたが、この寸分の見切りが生死を分けると言われていたのです。

 つまり、ここには厳密に間合を把握してギリギリで攻防を制する極意が存在していた訳なのですが、それは触れれば切れる刃のついた武器を用いるからこそ発達した感覚であって、突き蹴りで打ち合うだけでは発達しなかったでしょう。

 実際問題として、間合や正中線を身体感覚で把握している武道修行者は非常に少ないものです。皆無とまでは言いませんが、滅多にいません。

 どうしてここまで鈍いのか?と不思議に思っていたんですが、これは武器術をやらないせいだと気づきました。

 しかし、居合道をやっていても鈍い人は鈍いようです。これは、独りでやっているからなのでしょう。

 模擬刀と真剣でも感覚はまったく変わってきます。が、しばらくやっていると当たり前になってきます。で、ちょっと怪我したりすると、また感覚が冴える。緊張感も重要な要素ですね。

 良い刀を持つと丹田が熱くなってくるのが解ります。経絡の流れを良くするスイッチが入るような感じです。

 慣れてしまうと感じなくなりますが、日本刀は単なる武器じゃないんだな~とつくづく思います。

 武器術をやることで、武術とは何か?ということが、より深く体感できてくると思うので、私は是非とも会員全員にやらせていきたいと思っています。

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身体の操作の要は意識を感覚化すること

 いや~、今日は、かなりガッカリした話から・・・

 ここ数カ月、専属本部道場開設のために物件を探してきて、店舗スペースがよいところがなく(狭いし高いし)、貸し家で探してみたところ、中々よいところが見つかって、十中八九、「よしっ、ここに決めた!」というつもりでおりました。

「庭付き一軒家だからネギとかプチトマトとか作ろうかな? 小型犬飼ってもいいんだったら、ポメラニアンにしようかな~? 本当はトラキジの日本ネコが好きなんだけどな~」とか、既に借りたつもりで考えていたんですが・・・

 何と、仮申し込みに不動産屋に行ったら、ビックリ仰天! 先を越されて決まってしまったと言うんです・・・。

 これって、二度目なんですよ~。こりゃ、どういうことかいな?

 金曜日に物件を見せてもらって、「日曜日に仮契約に行きます・・・」と話していたのに、「あっ、さっき決まりました」って・・・何だよ、それ?って感じですが、こんなやり取りが実は二度目だったので、正直、「ここは商売する気があるのかな?」って思わずにはいられませんでしたよ。

 偶然なのか、貸したくないのか・・・二度も続けてだと不審に思えてしまうんですが、流石に、こういうのは、嘆いても仕方ありません。

「まだ、借りない方がいいよ。今、無理して借りると金に困ることになるよ~」という、天のお達しだと解釈するしかありませんね~。

 お陰で、もうスッカリ、借りる気持ちが失せてしまいましたよ。ここ数カ月、物件を探し回った揚げ句なんで、他に条件に合うところが有るとも思えません。

 せっかく、新体道の青木先生が書いてくださった書を額縁に入れて、後は飾るのみと思っていたのに~・・・。

 仕方がないので、当面、今のまま続けて、金をもっとためて自由に物件を選ぶ余裕ができてから再度探すことにしますよ。

 しかし、練習意欲だけは高まっているので、このテンションを落とすのは嫌なんですよね。私は、常に進歩している実感がないといたたまれない性格なんですよ。停滞するのが大っ嫌いなんです。

 それで、引っ越し以来、片付けていなかった部屋の不要品を処分して、少しでも練習できるスペースを確保してみようと思います。

 それが一番、無駄に金も使わずに済むし、今のところ下の階も空いていて、二階でドンドコやっても苦情は来ないから、まあ、いいでしょう。

・・・という次第で、日曜日の本部定期稽古会(江古田でセミナーをやる第二日曜以外の日曜の午前10:30~12:00)は、雨天は私の部屋(それ以外はJR横浜線渕野辺駅集合、鹿沼公園内にて)で行います。

 また、近日中に室内での会員予約制個人指導(メールにて申し込みください。日時は調整します)も再開することにします。どちらも会員のみ限定(入会は面接審査有り。入会金10000円添えて申し込みください。その他、会員規約有り。金さえ払えば必ずしも入会できるとは限りません。うちは人柄重視)としますが、個人指導は一回10000円だったのを、諸物価を考えて初期設定の一回2000円(一時間半)に戻します。

 指導内容は、基礎錬体・交叉法・合気・発勁・居合・手裏剣等・・・です。決まった内容ではなく、希望に合わせてやります。


 料金設定は定期稽古会の参加費と同じで、セミナーよりかなり割安です。最近御無沙汰しているという会員の方もドシドシ御参加くださいませ。最新研究内容を指導します。

 学生サークル活動や劇団、ダンススタジオなどの出張指導の場合も問い合わせしてください。こちらは入会云々とは別として、交通費がいただければボランティアでやっても構いません。

 え~、それから、引き続き道場候補地を探しておりますので、相模原渕野辺近辺にお住まいのお心当たりの方はお知らせいただけると有り難いです。使っていない倉庫や借り手のつかないお店などを格安でお借りできれば有り難いです(流石に無料で貸してとは申しません)。道場の時間貸しも有り難いです。

 宜しくお願い申します。



 さて、それでは辛気臭いことはスパッと忘れて前向きに行きましょう!

 私の本を読んでこられた方なら、私が昨今の身体操作ブームに批判的懐疑的な人間であることは流石に自覚されていると思います。

 率直にいって、ただ身体操作に長けているだけであれば、ヨーガの行者、ストリートダンサー、体操・新体操の選手、サーカス団員といった人達に勝てるものではありません。

 無論、「そういう身体が柔軟に動かせるだけのものが身体操作ではないのだ」と言いたい人もいると思います。

 例えば、「ダンサーはどんなに身体が動かせても武道家のようなパワーやスピード、闘う技能はないだろう」と言って見下したようなことを言う人もいます。

 しかし、よく考えてみたら当たり前のことで、ダンサーは武道家としての専門訓練をしている訳ではないので、突き蹴りの威力やスピードが出せず、闘う技能も持たないのは当然ではありませんか?

 書道家だったら絵も描けると思いますか?

 専門的訓練を受けて技能を体得していなければできないのが当たり前なのです。

 けれども、一つの分野だけを集中してやってきた人間が優れているというのは思い込みに過ぎません。

 動けない人間よりも動ける人間が専門的な技能を用いる方が効率が良いのは当然のことです。関節や筋肉の可動域が広い方が技能を駆使するのは楽なのです。これ、当たり前。

 身体操作能力の高い人が武術を学ぶと上達スピードは驚異的なものがあります。ですが、ここで誰もが実は誤解していると思うのです。

 身体の動きというものは、決して機械的に考えてはいけないということなのです。本当に身体操作能力の高い人というのは、身体の隅々まで細かく意識を巡らせて感覚化することに長けた人のことなのです・・・。

 私がプロのダンサーを高く評価するのは、指先にまで意識が巡って形を真似るのが非常に上手いからなんですね。言葉で説明しなければ理解できない人は、実際にはどんなに説明しても細かいところは抜け落ちてしまうものなんです。

 武術の真の奥義とは、この身体感覚の鋭敏さが無くては体得していくことができないものなのですが、それは、普通に武道をやっている人には案外、難しいことなのです。

 どうしてか?というと、武道は下手をすると感覚を殺してしまいかねないからです。


 本にも書きましたが、武道を専門的に長年修行してきた人というのは、身体つきを一見しただけでそれと判るように、筋肉が不自然に発達しているものです。

 何故なら、専門化した同じ動きばかりを長年続けてきているからです。

 だから、身体つきを観察しただけで、その人がどういう闘い方をするか?を予測するのは特に難しいことではありません。

 つまり、一つの動きに特化しているからそうなるのであって、それは体癖となっているんですね。

 それも、まず、マイナスに働いてしまう場合の方が多いのです。しかも、長年、真面目に熱心にやってきた人ほど、取り除くのが難しい体の癖になっているのです。

 ある特定の動きだけは上手いけれども、応用が利かないのです。それは自分では自覚していないでしょうが、身体のバランスを崩しているからなんです。

 20代前半の頃の私は胴体は細くて腕ばかり太く発達していました。

 どうしてか?というと、独り稽古中心だったので筋肉を鍛える訓練くらいしかなく、中学で学んだ剣道の影響で、何年も太い木刀を何千回も振るようなことを日課にしていたからです。

 今も私の前腕と上腕の外側の筋肉は不自然に発達していますが、30代以降は胴体と腿を鍛える馬歩や立禅をやるようになったので腕だけ太いという感じではなくなりました。

 それと脱力技法を中心に研究するようになったので、筋肉に極力力を込めないようにしていたので、弛緩した体型になってしまいました。見た目が悪いので、ちょっと絞るようにしようかな?と思っていますが、明らかにパワーもスピードも上がって身体も思うように動くので、下手に絞って良いものか?と思ったりしています。

 46歳という年齢で、あまり筋骨たくましい身体をしているのも不自然でしょう? 私はナルシストじゃないので、何か、自分の肉体を美しくする?ということを画策するのがこっ恥ずかしいんですね。

 ただ、心肺機能が相当衰えているな~という実感をヒシヒシと感じるようになってきたので、健康のためには少し絞った方が良いだろうな~と思ったりしています。

 私は元々身体は固いし、身体能力も低い人間です。

 ところが、武術に関してはかなり柔軟に動くことができます。整体師の友人が「長野さんの身体だと、あんなに動ける筈がないんだけどな~」と不思議がっていたくらいです。

 どうして、動ける筈がない動きができるのか?というと、私は身体の隅々まで意識を巡らせて感覚を鋭敏にする訓練を続けてきたから、全身を協調させて使うからなんですね。

 この身体の感覚の度合に関しては、他人と比較することができませんが、個人による差が物凄く激しいものがあります。

 一般的に言う“気”というものも、ここに関連する意味合いがあり、これは身体感覚の操作という観点から考えると非常に重要な意味を持ちます。が、その感覚そのものが無い人にとっては単なる誇大妄想にしかなりませんし、感覚が有る人にとっても幻覚として脳の誤作動を招きかねないので注意を要します。

 ところが、武道をガンガンやってきた人は、むしろ普通の人より感覚が鈍くなっている例が多いものでした。それは、自分自身の筋肉の収縮に意識が向いてしまって、少しも相手を観察して対応しようとしないからのようです。

 より強く、より速く、突き蹴りを出す・・・。といったことに意識が集中し過ぎて、相手の状況をまったく無視してしまっている人さえいました。つまり、自分勝手に無駄に動いているのです。

 こういう状態で闘えば、相手とガチンコ勝負にしかなりません。間合もタイミングもへったくれもありません。より強く速い力で粉砕すればいいのだというものです。

 武道や格闘技の試合は、ほぼ、こういうやり方で競われるケースがほとんどです。誰も疑問を感じないばかりか、むしろ、そういうやり方を奨励していたりします。

 これは武術としてはおかしなやり方なんですね。第一に、こういう闘い方は、肉体が麻痺していた方が都合がよいものになってしまいます。

 アドレナリン全開で痛みを感じないみたいなやり方ですね。鈍いから我慢強くなる。

 しかし、痛みを感じなくなっているということは、致命傷を負っても気づかないということになります。

 これは危ない。痛覚というのは、生命の危機を知らせるための感覚なんですから、それが麻痺してしまっては取り返しのつかない事態にならないとも限りません。

 武術は護身が目的です。ということは、生命の危機に対する感覚が麻痺したら困る訳なんです。

「そんなこと言っても、一発打たれてへばってしまうようなひ弱な肉体では困るだろう?」と反論するフルコンタクト空手の指導者も多いようですが、素手の拳骨を耐えられても、ナイフの刃が少し潜って筋膜を貫いて内臓に達したり、太い血管を傷つければ、即死は免れても病院に到着した時にはお陀仏になる確率は低くありませんよ。

 人間の身体は思うより急所だらけなのです。腐った生ゴミに焼き鳥の串挿しておいて、ちょこっと刺しただけで数日後に絶命に到ったりする訳です。

 それは、精密な機械の配線を一か所切るだけで機能を殺してしまうようなものです。

 一発も食らわないに越したことはありません。

 ですから、詳細に調べていくと、武術に伝わる稽古法というのは、身体の隅々にまで意識を巡らせて身体感覚を鋭敏にしていく内容が少なくないのです。

 そして、二人組んでの約束稽古は、「相手の動向を読む」という洞察力を磨くことが最大の目的なのです。単なる技の練習ではありません。

 クエストから出ている新体道(観の眼の育ってきた会員は「これは凄い!」と大絶賛)や嫡流真伝中国正派拳法(武術の極意である読み・交叉法の教材としてこの上無し!)のDVDでは、この読みの訓練法のあれこれが紹介されています。

 私は、この“読み”を除いた武術は、もう武術でも何でもないと断言することに何の躊躇も覚えません。

 単なる合理的な身体操作では絶対に体得できない武術の奥義、それが“読み”であり、その“読み”を養成するシステムが組み込まれた武術こそが、真に評価できる内容を持っている・・・と、私は申し上げておきたいのです。

 極論すれば、技なんか何をどう使っても良いのです。「身体を捻ってはいけない」だの「大腰筋を使う」だの、揚げ句に「回し蹴りはダメ」といった瑣末な事柄に囚われるのは、本質に目が向いていない証拠です。

 そういう要素還元主義の考え方に陥ると観えるものも観えなくなってしまいます。もっと全体をトータルに多角的に観察し考えていかなければなりません。

 そこに“読み”が介在していれば武術として発展していけるし、介在していなければ、単にスポーツ格闘技に技術が取り込まれてダシにされるだけで終わってしまい、本当の価値に気づかないまま捨てられてしまうだけでしょう。

 かつての剣術、居合術、柔術、合気術、拳法・・・あらゆる武術に普遍的に通底している根本原理・・・それが“読み”なのです。

 それを抜いた武術ブームなどは、まったく意味のないことです。

 そして、“読み”とは、自分ではなく、“相手が主導”なのです。相手の働きかけに反射反応して適切な対応をするのが武術なのです。間違っても自分をメインに考えてはなりません。

 だからこそ、自分の我を捨てて心を無心にすることでしか適切な反射反応の感覚を養成することができないのです。

 私は、身体操作ブームは、早く終わって欲しいと思っています。“からだデッカチ”なことばっかり考えている人達は、単に効率的な身体操作しか追求しようとしていない。

 そういう御利益追求主義の卑しい心根は不健全です。

 身体操作は当たり前のこととして、その先にある“心法(読み・人間観察)”へと進んでいって欲しいと思っていますから、私は今後、そういう方向性での武術研究を進めていくつもりでいます。

 そうでないと、拝金主義ならぬ“拝筋”主義に陥った人達が武術を歪めていってしまいそうな危険性を感じてならないんですが・・・。


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納得いかんな~?

 大学生数人で女子大学生を酔わせて居酒屋の部屋を閉め切って強姦したという事件が、結局、示談成立で告訴無しの釈放となったそうです。

 そんなもんでいいんですかね?

 私が女子大学生の親だったら、絶対に示談には応じないし、「こんな連中を教師にしちゃいかん!」と学校にねじ込んで退学まで追い込みますよ。

 そして、一人一人と会って、無限説教地獄に落として、わざと激怒して襲いかからせ、「オッサンをなめるなよ~。正当防衛だからね~」って、しっちゃかめっちゃかにしてやりますね。

 示談にして釈放されてしばらくしたら復学、そのまま学校教師になったとしたら、こいつら同じこと、また、やりますよ。

 スマイリーキクチさんが犯人とデマを流されて、それを信じた人達からネット攻撃された綾瀬のコンクリート詰め監禁虐待殺人事件の犯人の一人は出所してから、また事件起こして捕まった・・・という事実がありました。

 やっぱり、心の底から反省しなきゃ、また、やりますよ。

「この程度の話はざらにある。目くじらたてる程のことじゃないよ」と言う人もいるでしょうが、他がどうあれ、教師になろうという人間がこんなことしちゃダメですよ!

 教育大学なんだから、いくら能力があろうが、教師の資質に欠ける人間は、毅然として退学にしなきゃいかん。


 かと思えば、女子中学生になりすまして男子中学生の裸の写メを送らせたというホモ・ショタコン(美少年好きの女のこと。鉄人28号の正太郎君が語源。ショコタンのことじゃないよ)の変態教師(27歳)が捕まったりしていましたけど、何で、こんな自制心の欠如した変態バカが教師になれてしまうんでしょうか?

 子供の惨死した死体写真にくだらんキャプションつけたサイトやってたネクロフィリア(死体愛好家)変態教師もいましたけど、こういう連中は教師にしちゃダメでしょう?

 私の高校時代の同級生にも、誰もいない教室で女子の机あさって匂い嗅いだりなめたりして喜んでるヤツが、その後、高校教師になった・・・ということがありましたけど、大丈夫かいな?と思いますよ。ホント。

 とにかく、変態は勘弁!


 教育問題の多くは、尊敬できる大人のモデルとしての教師がいれば解消すると私は思うんですよ。

 子供から侮られて軽蔑されてしまうような教師も親もダメですよね。これは躾以前の問題です。

「悪いことは悪い。ダメなことはダメ」と厳しく言う。エコひいきしないで誰とでも公平に接する。そんな教師に教えられていたら、そこまでひん曲がってしまう子供はいないだろうと思いますね。

 人間が世の中で生きていくために自然に持っているべき倫理観というものは、言葉で伝えるものじゃなくて生き方、行動で示していかないと伝わらないと思うんですよ。

 そういうモデルケースになれる人間は昔はいたと思うんですが、今は皆無と言っても言い過ぎでないくらいいなくなってしまったように思うんです。

 だから、教師になる人間は、子供が模範にしたいと思えるような、人間として自分に厳しくできなきゃダメだと思いますよ。

 そんな人間いないよ~と言いたくなる世の中だからこそ、やっぱり人間教育の基本を教える教育大学でなきゃダメでしょう? 本当に、教育現場は教師の育成の仕方から変えなきゃダメですよ。

 本当に今の日本はドンドンドンドンと崩れていっていると思う。食品偽装に代表される偽装社会。騙すのが基本みたいになっているでしょう? キチガイにならなきゃ生き辛い世の中です。

 だから、人を騙してでも金が入ればいいという利己的な考え方になってしまう。だけど、自分だけ得することなんかできる道理がありません。

 仮にできたとしましょうか? でも、そういう不自然な状況は歪みを生むだけで、必ず、シッペ返しが来ますよ。ホリエモンもそうだったでしょう。盛者は必ず衰えるのです。

 だから、自分だけ幸福になろうと考えてもダメなんですよね。バランスが崩れると揺り戻しが大きくなるんです。個人は全体との調和で自分の役割を考えていかないとダメ。


 倫理観というのは、自分独りしかいない世界だったら必要ないんですよ。他者との関係性があって社会の秩序を守るために自然発生してきた生き方の指針の最小単位です。

 犬や猫だって、よく観察していると、本能に根差した倫理観の原型みたいなものはありますよ。幼児虐待なんて、人間よりしないんじゃないかな~?

 しかし、いくら口で言ったって、自分の損得勘定しかできない人間には伝わらない。基本的な倫理観が崩壊していったら、社会全体が支えられなくなってしまいますよ。

 それは、人間性の根本が壊れかかっていることを示しているからです。

 それを教えるのが教育なんだから、倫理観の欠如している人間を教師にしちゃ~ダメなんですよ。“うつる”から・・・。

 私は関心なかったんですけど、会員さんがブログで絶賛していたので、“雀鬼”こと桜井章一さんの本『人を見抜く技術』を読みまして、その中で小学校の時に唯一尊敬できる先生に出会った話を紹介されていて、いつもは優しい先生なのに、桜井さんが身体障害者の真似をした時は烈火のごとく怒ってゲンコツで殴られた・・・ということを紹介されていました。

 それで、人として決してやってはいけないことを教えられた・・・と、ずっと覚えていらっしゃるんですね。

 私は、「マージャン強いののどこが偉いの?」としか思わなかったし、ヤクザっぽい外見とかK野さんと付き合いがあるということなどから、本当に全然関心もなかったんですが、この文を読んで、ファンになりましたね。

 だって、これは自分が失敗した話でしょう? その先生が特別優秀で尊敬に値する人物かどうかは客観的にはよく判らないんですよ。でも、「人としての根本的な倫理観とは何か?」ということを考えさせてくれた恩師として認識し、数十年間も感謝の気持ちを持ち続けているという点に、「あ~、この人は単なるやさぐれた男じゃないんだな~」と思いましたよ。

 ことほど然様に、師の存在は大きいものです。その論議をうっちゃっておいて、「体罰が是か非か?」みたいな論議を持ってくるからおかしくなるんです。そんな権威主義で制度を作ろうとする発想がすでに間違っているということに気づかなくちゃいかん。

 行動で示せない人間が口先でどんな上手いことを言ったって、昔は相手にされなかったでしょう? 今は口先だけ達者な人間が有能なんだと勘違いされている。

 私は口先だけ御大層な人間が一番、嫌いです。

 ヤンキー魂が見直されつつあるというのも、口先だけでない行動で示す侠気の世界に対する憧れなんだと思いますよ。


 でも、私が残念なのは、そこで本来だったら武道精神が見直されてしかるべき筈なのに、さっぱり潮流として出てこないことですね。

 やっぱり、バレちゃったからでしょうかね? 武道精神がどうとか言っている人間が、実は損得勘定で利権争いをしていたり、陰湿な誹謗中傷合戦にうつつをぬかしているという現実が・・・。

 でも、私個人は、武術・武道の世界で少ないながらも真に憧れられる先生方に何人も出会えたから、それが良かったと思いますね。野口先生、大友先生、小林先生、友寄先生、青木先生、光四郎先生、高先生、パリッシュ先生、木本先生、小用先生・・・といった先生方との出会いがなかったら、今の自分はあり得ません。

 だから、「武術・武道って、こんなにいいものなんだよ」って、心の底から言いたいんですけれどね~・・・。



・・・と、これを書きながらTVのニュース見ていたら、自民党(古賀さん)が東国原さんを担ぎ出そうとして、東国原さんは「俺を総裁にしてくれるなら・・・」みたいに言った?ということで、自民党の偉いさん達が「なめてるのか?」と怒ってるのだとか?

 もうね~。勝手にやっててくれよ・・・としか言う気がしないですね。

 東さんとしたら、「そのくらい自民党が変わる気概を持たなきゃダメだぞ」ってつもりで言った気持ちではあるんでしょうが、やっぱり、無意識下にある飽くなき権威志向がここでポロッと出ちゃった印象がありますね。

 なんか、私は『リボンの騎士』の悪の親玉の腰ぎんちゃく(名前忘れた)を思い出してしまいましたよ。権力者に媚びて取り入っていたのに、最後に自分がとって代わろうとする・・・。

 人間、誰しも権勢欲はあるでしょうから、別にいいんですけどね。

 だけど、東さんの場合は、どっかに師匠超えの野心があるんじゃないかな~? 国民的大御所となり海外でも芸術家として高い評価を得ている北野武を超えてみせたいって気持ちがあるように思えるんですね~。

 田舎から都会に出てくる人間って、都会コンプレックスとか「故郷に錦を飾る」コンプレックスとかがあると思うんですよ。私なんか、典型的にそうだからね。

 東さんは今、故郷に錦を飾っているけれど、逆に野心は大きくなったでしょう。もう一度、東京に戻って、より大きく活躍したいと思ってる筈ですよ。眼が真剣で怖いくらいだし、ある意味、政治家らしい生臭い顔になったな~と思いましたけど・・・

 まっ、それもまたアリかも知れませんね。

 だけど、自分の人気の理由を忘れてしまったらマズイと思いますよぉ~? 理想の政治家って、滅私奉公が基本でしょ? 生臭い野心を匂わせてしまったら、どんなに言い訳しても人の心は離れていってしまうと思うな~。

 国を思う師たらんとするなら、思無邪(おもいよこしまなし)が基本ですよ。

 今の自民党がダメだから外の血を入れて思い切った改革を・・・という主張はまさに正論でしょうが、そこで自分を売り込むのは猿知恵というものでしょう。

 かつて、古流師範が集まって制定形を編成した時、一番の大物師範は、自身の流派の技を入れなかったそうです。奥ゆかしいですね。謙譲の美徳というのは、こういうことを指すのです。

 東さんは確かに頑張ってるとは思いますけれど、政治家としてはまったくの初心者であって、人気先行でやっていられるに過ぎないんだという自覚をもっとしっかり持つべきですよね。

 自民党総裁や一国の首相を狙う前に、彼が本当に日本のことを思っているのであれば、「私みたいな人気先行のペーペーに頼らなきゃならない自民党では情けないですよ。国民の人気を気にするより、ここは民主党に政権を明け渡して、捲土重来を期して雌伏の刻を過ごす覚悟が必要ではないですか? その刻がきて私がお手伝いできるだけの力をつけていればお力添えさせていただきますよ」と、言うのが理想的でしょうね。

 国を思うて何が悪い!と言う人もいるでしょうけど、力も知恵も浅い人間がどうにかできる現状じゃないでしょう?

 従来のシステムが壊れかかっているから壊して新しくすべきだとして、その肝心の新しいシステムをきちんと作れるかどうかが問題なんですよ。ただ、ぶっ壊せばいいってものじゃないですからね。

 政治の場に出ていく人間って、根本的に権力志向の強い人間ですよ。そういうのが少ない人は市民運動とかやるもんです。

 でも、結局、世の中はパワーバランスで保たれているんだと解ると、自分が権力の中枢にいなきゃならんと思い込む訳ですよ。だけど、そこで権力を求める人というのは、実は権力そのものを求めていたんです。

 東さんは、目の前にニンジンぶら下げられて、ここが自分の売り所だと勘違いしちゃったんでしょうね。確かに政治の世界をなめていたとしか言えません。が、自分の絶大な人気が自分の実力と誤解してしまうのも仕方がないくらい、これまでの日本の政治が国民の人気に左右されていたのは事実としてある訳で、宣伝能力ばかりがクローズアップされてきた現状が変わらないといかんでしょうね~。

 う~む・・・何か、今日は右翼のオジサンっぽいかな~?

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“常在戦場”って、ストレスたまるな~?

 小島Jr.(小島さん本人?)の襲撃宣言を読んで、「これは男の意地として引けぬ! よし、やってやるぜっ、“常在戦場”だっ!」と思い込んで気張っております。

 でも、自宅がバレバレだから、起きてる時はいいんですけど(今も書きながら膝の上には愛刀・斬鉄剣“綱廣”を乗せております)、寝てる時に襲われたらヤバイな~とか思うと、安眠できませんね~。

 何か、気分は“湯けむりスナイパー”の源さん(遠藤憲一)状態ですよ。

 でも、ひょっとして俺のことじゃないのかな~? いや、そんな筈はない。インチキ武道評論家って悪口言われるとしたら俺しかいないっしょ?(何故か自虐的に考える)

 でも、もしかして他にも悪口言ってる人がいて、その人のことだったりしたら、独りで、はしゃいじゃった俺って馬鹿じゃ~ん?

 なんてことを思ったりしていて・・・今朝、朝刊取ろうとしたら、玄関の鍵かけるの忘れていたことに気づいて、ゾゾォ~ッとしましたよ。

 ヤッベ~! 呑気過ぎるぞ、俺! これじゃ、殺してくださいって言ってるようなもんじゃないの?・・・っていうか、戸締まりくらいちゃんとせ~よ、俺!

 やっぱり、“常在戦場”の精神というのは口で言うのは簡単だけど、体現するのは難しいものだな~・・・と思いましたよ。

 田中光四郎先生のように文字通りに生きている武術家はいらっしゃいますけど、私のキャラでは中々、常在戦場を意識するのは難しいもんだな~と思いました。


 しかしまあ、考えてみたら、この平和な日本で常在戦場を意識させてくれた小島一志さんには感謝しなくちゃいけないかも知れませんね。何といっても現代で武術の道場やっていても道場破りが来るような時代じゃなくなって、みんな無責任にネットで放言できて、ネット上での論理無き誹謗中傷合戦が延々と続くのが普通になっていますでしょう?

 こういうのは不健全ですよね。

 何でも、最近はネットを使った陰湿なイジメが広がって、昔のような直接的な暴力によるイジメは少なくなっているそうなんですが、心の闇が深いのはどっちなんでしょう?

 犯罪おかす人間が、ネットで犯行宣言してから決行するというパターンも当たり前になってしまいましたが、私にはよく理解できませんね。もしかして、止めて欲しいのかな?

 あっ、そうか? 本当に止めて欲しいのかもしれない。ネット番長タイプの人って、直接会うとすごくおとなしい人だったりすると聞きますけど、文章の印象とは全然違う場合が多いものですよね。

 だいたい、文章が強気で攻撃的な人というのは臆病な性格です。私も気が小さいし概ね臆病です。

 だから、武術をはじめたという面もあります。

 うちの会員さんで長く極真空手を修行されている方がいますが、その方のブログが携帯で読めるように師範代が設定してくれたので読んだんですが、何でも球技系が大の苦手で、自分が入ったチームの皆が「お前のせいで負ける」と嫌がって、余計に球技が嫌いになってしまった・・・ということを書かれていました。

 これって、まったく私と一緒だな~と思って、なんかジ~ンとしましたよ。40・50の大の大人になって武術武道で指導する立場になってさえ、子供の頃に負ったトラウマは引きずってしまうものなんだな~・・・と。

 以前、この方の御厚意で極真の大会を観戦させていただいた時、有名な選手がこの方に「先輩」と挨拶しているのを見て、「あっ、Yさんって偉い人だったんだ~」とあらためて思って、「こちらが私が太極拳を習っている長野先生です」と紹介された時は恐縮してしまいました。

 私は、自分が厳しい組手をバシバシやるフルコンタクト空手やキックボクシングなどで勝てないから(多少、やったことあるんだよ)、何とかして自分でも勝てる武術はないか?と考えて、十数年研究して脱力技法と交叉法、接触打法、スリ足歩法を駆使するスタイルを作り上げましたが、やっぱり、一つの流儀を一途に続けてきた人の持つ“愚直な正直さ”に対して、ある種の引け目を感じてしまうんですよ。

 だって、厳密に言って、勝てないから逃げた訳でしょ? やっぱり、逃げずに勝つまで頑張るべきだったかな~?という思いは拭えないんですよ。

 もっとも、逃げたから武術の世界の奥深さに気づいたのも間違いない訳で、結果的にどっちが良かったか?というのは死ぬ時まで判らないでしょうね。

 武道の世界の住人は、自分のやっているのが最高で他のやり方は間違いだと思い込んでいる人が大半です。が、これは視野狭搾でしかないんですよ。

 ぶっちゃけた話。私自身も自分の考えてきた武術理論が最も先進的だと自負しているんです。実のところは・・・。

 しかし、私は冷静に他を観る眼だけは持っているので、他流の良いものは良いと認めて採り入れたり、もし戦う場合にどうすれば勝てるか?ということを常に考えています。

 ですから、私は他流を誉める時も、実は本音の部分では“破り方”を考えているんですね。そういう意味での常在戦場の意識は多分、人一倍強いと思います。

 だって、コレを考えない人があまりにも多いんですよね。達人の技を体験して強いか弱いかしか感想が出てこない人は、はっきり言って考えていないんですよ。

 ここ何年か、海外の武術を集中的に研究してきていたんですが、本来の意味での実戦をやれば日本の武道家の大半が、もう勝てないと私は思っています。

 柔道、空手道、剣道・・・これらの世界大会とか観てください。試合には勝っても、もし実戦をやったら勝てるでしょうか?

 お決まりの言葉で「体格、体力が違うから勝てないのだ」と日本人は言いますが、それは20年以上前の話ですよ。

 試合内容をよく観察すれば誰の目にも明らかな筈。技術力が決定的に違っているんですよ。

 最近、段々、解ってきたんですが、海外の武術はハイブリッドなんですよ。日本のように空手は空手だけ、柔道は柔道だけ・・・といった純血種じゃありません。

 空手の試合に出てくる海外選手は、テコンドーやサファーデ、あるいはカポエィラやムエタイ、散打の技術まで駆使しています。

 柔道の試合だと、サンボ、チタオバ、モンゴル相撲、シルム、シュアイジャオ等の技術も使っています。

 空手や柔道の日本人の解説者は、それらの具体的な技について知らないので、単に空手、柔道の崩れて変形した技なのだと勘違いしていたりします。

 ベースとしての空手、柔道を深めるのは必要なことです。しかし、敵を知らずに闘うのは戦略の欠如であり無謀というものです。

 この戦略の欠如というのが、今の日本武道に最も欠けている点だと私は思います。

 日本の武道家が試合偏重の中で本来の実戦を考えなくなっている間に、もともと治安が悪い海外に住む武術家は現実的な実戦に即応するために流儀に拘らず、どんどんハイブリッド化していったと考えられます。

 現在、フルコンタクト空手の世界で沖縄空手に対する憧憬の念が高まっている様子ですが、これもよく考えてみて欲しいのです。

 沖縄空手は中国武術が琉球にもたらされて土着の格闘術と融合発展してできたと言われています。つまり、そこにはハイブリッド化があったのです。

 日本古流剣術の名門中の名門である新陰流を創始した上泉伊勢守信綱は、神道流を修めた後に愛洲移香斎の愛洲陰之流を学んで一派をたてます。そして、上泉から新陰流を相伝した柳生石舟斎以降の柳生新陰流にも、金春流能の運足法や制剛流抜刀術が採り入れられており、ここにもハイブリッド化が起こっています。

 恐らく、完全な純血種という流派は皆無であろうと思われますが、日本的な感性として流儀の純血を印象付けたがり、ハイブリッド化した亜流を一段低く見る傾向が強い。

 しかし、遺伝的な研究では、ハイブリッド化すると個体が強く優秀になることが知られています。近親婚を続けると遺伝情報が劣化して奇形児や障害児が生まれる確率が高くなるということが現実的に大昔から知られていましたが、これは差別的なものでなく生物学的な問題として冷静に受け止めねばならないでしょう。

 極真空手を創始した大山倍達先生だって、松濤館流をやって剛柔流をやり、若木竹丸のボディビルを採り入れ、柔道や剣道、居合道を研鑽したり、大東流合気術や太気拳をも採り入れていますし、ムエタイやカポエィラなども実際に参考にしたでしょう。

 つまり、フルコンタクト空手こそがハイブリッド空手そのものだったのです。

 太気拳についても少し書いておきますと、澤井健一先生は、もともと、柔道(柔術も)、剣道、居合道の心得があって、中国で意拳を学んでいます。そして、帰国してからは大山倍達先生と一緒にいろいろ研鑽を積んでおられ、大東流や琉球古武術なども参考にしたフシがうかがえます。

 太気拳の源流である意拳にしても、王向斎老師は形意拳をベースとして白鶴拳、梅花拳、心意六合拳などを参考にしたようですし、ボクシングの影響が強いことも有名です。

 どうでしょうか? 数十年程度の流儀の純血を誇ることに何の意味もない事実が御理解いただけるでしょうか?


 一つだけ言えるのは、どんな道を歩いていても頂上は同じだってことです。わき目もふらずにまっすぐ歩いていく人もいれば、曲がりくねった道を歩く人も、獣道に迷い込む人も、途中で遭難してしまう人も、道から滑り落ちてしまう人も、途中まで登ってきついから引き返す人も・・・いろんな人生があるということです。

 世はまさに、先の見えない底無し不況。戦争になったって不思議じゃない時代です。

 暴力をちらつかせて人を脅しつけてみたって、相手がそれ以上の暴力を持ち出してきたら意味がなくなる。10代のヤンキーがケンカするみたいなレベルの実戦を考えるのは平和な日本にいるからですよ。

 要するに、殺し合いに発展しないという予定調和でしか考えていないから呑気に脅したりできるだけ。

 何かまた、ウィキペディアで大量殺人をほのめかす文章書いた高校生が捕まったそうですが、威力業務妨害で捕まるなんて考えていなかったんでしょうね。これだけ多く捕まっている現実があるのに、「俺にはそんなこと起こらない」と考えてしまう・・・。

“常在戦場”って言葉をリアルに考えるというのは、現実をよく見るということかも知れませんね。武道やっている人間が一番、この感覚が麻痺しているとしたら、それこそ平和ボケの象徴かもしれませんね。


追伸;(社)計測自動制御学会の会誌『計測と制御 6』VOL.48 2009に、「武術の奥義と身体操作から人工物のモーションへ」というタイトルの論考が載っております。これは、バイオメカニズム学会の会誌に載ったのに続いてのロボット工学系学会誌なので、一般に出回ることはないのですが、よくTVで拝見するコミュニケーション・ロボット研究の石黒浩氏も掲載されていて、何かちょっとお茶の水博士になった気分です。

文武両道?
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短編アクション『残り2分』

 前々から観たいと思っていた、アクション女優の秋本つばささんが主演して、つばさプロジェクトのメンバーがアクションを担当している短編アクション映画『残り2分』を、地元のネット・カフェで観ました。

 いや、面白かったですよ。

 非常階段死亡遊戯女必殺セクシー拳?と言えば、誰でもイメージしやすいかな?

 正直、10分くらいかな~?という短編なのですが、ジョギングしている女二人がとあるビルに入って行くと・・・わらわらと現れる敵・・・そして、いきなり始まる格闘戦。

 説明無~し! 問答無用で「アクション見てくださいね~」という潔い演出。

 そして、非常階段を昇っていく秋本の前に、次々に現れる刺客・・・空手家、ナイフ使い、コンバットシューター、剣術使い、特殊部隊員、蹴撃手、カンフーマスター、デカい人(プロレスラー?)と、何か、異常にハイレベルなスキルの有る人達が最小限の見せ場を示して倒されていく・・・。

 何か無駄にゴージャスだよ。短編なのを忘れる。三池監督の『IZO』を思い出しましたよ・・・。

 でも、「う~ん、トレーニングスーツ姿で戦うのって、“ごくせん”じゃないんだから、ちょっと味気無いかな~?」と思っていたら、さっさと戦いの最中に脱げてしまって、これまた無意味にセクシーな戦闘服になって、俺のようなオタクオヤジのハートをM16で狙撃しましたって感じの心憎い展開・・・流石、監督はわかってらっしゃる。

 それにしても非常階段の狭い踊り場を使った格闘アクションというのは、厳しいでしょうね。だって、カメラに照明は必要だし、そこでアクションするという条件はムチャ厳しいですよ。

 それでも、これだけいろんなパターンのアクションを見せているというのは驚異的なことです。

 後半に登場してくる蹴撃手の超旋風脚(トニー・ジャーみたい)やカンフーマスターのドニー・イェンを思わせる?連環掌法の見事さと、秋本さんのマーシャルアーツ的な伸びのあるパンチとキックの対比が非常に美しい格闘シーンの映像美を見せてくれていましたね。

 やっぱり、格闘シーンの醍醐味は、戦闘スタイルの違う者同士が秘術を駆使して戦うところにあると私は思うんですね。異種格闘技戦こそがアクションの王道! 武道や格闘技の試合ではそういうのは無いでしょ?

 個性が際立ってこそアクションの面白さが活きる。

『ヤングマスター』のウォン・インシックとジャッキー・チェンの対決シーンなんて、蹴り技、立ち関節技の名手のインシックと、ひたすら耐えて耐えて最後に爆発するジャッキーだからこそ感動的になる。

 ブルース・リーだったら、『ドラゴンへの道』のチャック・ノリスとの対決が最高峰ですね。

 で、プロフェッショナルの技術戦の最後に技術が通じないような圧倒的な体格差の大男に小柄な女性がどう戦えるのか?という点では、やっぱり王道の急所攻撃ですね。

・・・っていう具合に、短編なのに、何か物凄く観た感じがする。

 で、「そういえば、どういう設定なんだっけ?」と、ふと考えたんですけど、激闘が終わって爽やかにビルから走って出てくる二人はそのままジョギング続けて・・・。

 う~む・・・もっと見たかったな~。というか、既に頭の中ではいろんな設定を考えてしまいましたよ。30~40分くらいの中編で作って、シリーズ化とかやっていってもらうと面白いと思いますね~。



追伸;読者の方からの御指摘で、鳩山さんが墓前で拝んでいたやり方は神道式なので、ひょっとして神道の家なのではないか?という御意見を頂戴しました。私は仏式以外に神道式の参り方があるとは知りませんでした。もし、御指摘の通りでしたら、鳩山さんにごめんなさいと言わねばなりません。ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。

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ダガーナイフ規制は、案外ややこしいですぞ?

 会員さんが『ストライク・アンド・タクティカルマガジン』にダガーナイフ規制についての記事が載っているとのことで見せてくれました。

 ざざっと読むと、今回のダガーナイフ規制は、相当なザル法?みたいで、妙なところで引っ掛かる可能性もあるみたいです。

 それによれば、「たとえ完全に両刃でなくとも左右均整のブレードだと規制対象になる可能性がある」とのことで、「多少の加工で刃ができるもの」もダメみたいです。

 こりゃあ、初耳ですね。

 刃をグラインダーや鉄鋼ヤスリで落としただけではダメみたいです。

 ところが、ここが「ヘぇ?」と思うところなんですが、カーボンファイバー製のダガーナイフだと鉄じゃないから大丈夫みたいなんですね~。

 それに、規制対象内のナイフ類を見てみると、一見、「えっ、コレがいいの?」と思うものもあります。

 左右均整でないから大丈夫だったり(刃の先端がブレードの中央にあるとOUT)、警察の判断も随分とお役所仕事なんだな~と首を捻ってしまいます。

 で、ダガーナイフを加工して規制対象内にするのは、これは素人加工では難しいみたいですね。要は、「ブレードの先端の位置をずらして不均整にし片刃にする」ということみたいですが、これは機械加工でないとヤスリの手作業ではえらい時間かかりそうです。

 雑誌中では山下刃物店(http://www.yamashita.org)で加工されたものを紹介してありましたが、元の安物ナイフがえらいカッチョイイ感じになっていました。最寄りのナイフ専門店などに猶予期間中に頼んでみたらいいかも知れませんね。

 それにしても、この『ストライク・アンド・タクティカルマガジン』って、購入して読んだのは初めてなんですが、我々Gunキチの間ではレジェンドである日本人コンバットシューターのナガタイチローさんがチーフ・ライターを勤められていて、思えば、30年くらい前だったかな~? 青木宏之先生とも対決した早撃ち日本一のウエスタンアームズ社長の国本圭一氏とのコンバットシューティングの腕を競う企画がGun誌であった時は、コルト45・ゴールドカップカスタム(愛銃が盗難されていたとのことでターク・タカノがカスタムした借り銃)を使う国本氏と、銀色に輝くステンレス製リボルバー、S&WコンバットマグナムM66の2.5インチ・スナブノーズを使って、オートVSリボルバー対決をされていました。

 リボルバー好きだったイチローさんも、やはり時代の進展によってオートマチック・ピストルを愛用されるようになりましたが、ブレンテンやCZ75初期モデル、SIG・SP210といったオートの名銃を有名にしたり、「リボルバーならS&W」というイメージを広めたのもイチローさんでした。

 まあ、Gun業界に於ける松田隆智先生のような存在と言えるでしょうかね~? そのうち、世界で活躍する日本人としてTV東京さんで取り上げていただきたいですね。

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6月セミナー“軸”報告

 夏もまだ序盤だというのに、早くも私はバテ気味です。

 九州男児なのに暑いのは苦手。夏は大っ嫌いです。ああっ、太陽が憎いっ!

 かといって、雨がジトジトと降るのも困る・・・何故・な・ら・ば・・・まだ、道場が確保できていないから、日曜日は公園で練習しているからなんですね。

 小雨くらいだったら外で練習するんですけど、本格的な梅雨になると困るな~。

 その点、月一回のセミナーの日はラクです。人数も多いのでヤル気も違います。特に前回と今回はクエストさんで撮っていただくDVDの特典映像用にVTR撮影もしていただいているので、ガッツが出ます。

 だいたい、私は本気出すというのが好きじゃないのです。格闘技が向かないと思ったのも、性分的に、殺してやりたい訳でもない相手と加減しながら闘うという行為に何とも言えない違和感を拭えなかったからです。

 親が戦中派だし、親父の兄は戦争で亡くなっています。地理的に長崎にも近いので原爆症の人も近所にいらして、子供の頃から戦争に対する嫌悪感を凄く感じていたのです。

 だから、遊びとは言っても人と人が肉体を傷つけながら闘う格闘技には心のどこかで拒否感情を拭えなかったのです。

 けれども、アクション映画は大好きだし、プロレスも結構好きだったんですね(二代目タイガーマスクだった三沢光晴さんの事故死は本当に残念です。私と同じ年齢。身体を張って仕事している人達の宿命とは言えど、ちょっと早過ぎる。今は御冥福をお祈りするばかりです)。

 私も闘争本能そのものは人並み以上に過剰だったのかもしれません。動物に近いというか・・・。

 昔、飼ってた猫は子猫の頃から小鼠が出てきたら猛ダッシュしてバババッと猫パンチしまくって捕ってたし、母猫になってからは半野良猫化(親父が猫嫌いで家に入れるのを禁じてしまった)して雀、鼠、蛇、近所の池の鯉・・・とか狩りをして子供を育ててましたけど、動物の本能って凄いですよね。一回、犬が襲い掛かってきた時、一瞬で野生化して猫パンチ! 犬はキャンキャ~ンと戦意喪失して逃げる・・・と、野生の本能に火がついてしまった猫は犬を追っかけてバリバリバリーッと猫爪パンチをお見舞いしていました。

 本能というのは理屈で説明できるようなものではないですね。闘争本能は生存本能にも密接に結びついていると思いますし、否定し切れるものじゃないでしょう。

 私は闘争本能を否定しません。だから、誰かが暴力で他者を蹂躙しようとする行為そのものを倫理観で否定しようとも思いません。

 そもそも、やるヤツにやるなと言っても無駄でしょう? やるヤツはやるんですよ。

 やりたいヤツはやればいい。だけど、私はスンナリやられるつもりはありません。

 よって、“武術”を志す。護る武の術(方法論)としての戦闘の理を体現することが私のアイデンティティーみたいなもの?と思っています。

 武術を長くやってきて、人間関係で嫌な想いも随分しましたけど、これは何の世界でも同じでしょうね。私みたいに独自の生き方を模索する人間は、どうしても周囲からは理解されにくく目の敵にされがちだと思いますが、それもまた鍛錬になるんですよね。

 誹謗中傷、嫌がらせ、流言飛語・・・ある意味、光栄なことかも知れません。話題にもされないような凡庸な人間の方が気楽に生きられるかも知れませんが、世の中を変えていくような流れを生み出す人生にはならないでしょう。

 イエスマンばっかりだと、お山の大将になって腐った組織を動かすだけになってしまうので、敵が必要なんですよ。

 ここ最近、心理カウンセラーの方とメールのやり取りをしたんですが、その噛み合わなさったらコントみたいな感じでコミュニケーションを取ることの難しさを痛感したんですけれど、その方が『不本意ながら何だか先生にいちいち反論しているようになってしまいましたが、先生の文章は不思議に人に考えや感情を触発する「喚起力」があると感じました。それに反応してしまいました』と書かれていて、これは別に誉めて書かれた訳じゃないんでしょうけれど、私としては凄く嬉しかったんですね~。

 だって、読んでもちっとも頭に残らず心に響いてこないような文章しか書けなかったら、もの書きとしてダメですもんね?

 考えてみたら、私にとっての恩師の方々は、存在自体が私にとって刺激的でしたよ。何も教えてもらわなくとも、こっちは物凄い質量の教えを受け取ってきています。

 そりゃあもう、一回でも技を見せてもらったら、その先生は意識していないでしょうけど、やって見せてくれた一つの技を折り返し鍛錬するみたいにして、積層された技の応用変化をぐわわぁ~っと考えちゃいますからね。

 今月のテーマの“軸”に関しても、まず、前回やったメインテーマである脱力技法を封じる方法から最初に教えてしまう・・・という超掟破りから教えてしまいましたよ。

 だって、これを教えてしまったら、理論上、前回教えた技はすべて無効化できてしまう訳ですよ。

 もっと具体的に言うと、甲野氏や木村氏の技が私に通用しないと豪語している戦術上の秘訣をバラしてしまった訳なんですね。気づいた人がいるかどうかは別として・・・。

 でも、脱力しさえすれば万能に技が通じる・・・といった安易な考えを植え付ける方が危険な訳です。

 武術的思考の基準として、「万能に通じる技なんか無い。常に技が効かなかった時の二の手、三の手を用意しておかなければならない」という点を理解して欲しかった訳なんですね。

 そこで、脱力技法の崩しが効かない相手に対しても有効性が期待できるのは、「相手の軸を斬り崩す」という方法論です。

 この場合の軸とは、単純に背骨と思ってもらえばいい。しかし、背骨は柔軟に曲がりますから、力を受け流すことも技術的にかなりできる。

 でも、関節は曲げられても骨はグニャッと曲げることはできません。よって、力を逃がすことのできないように背骨をロックさせながら体勢を崩させるコツをいくつか教え、それを利用した武術技法を指導していきました。

 しかし、この軸の斬り崩しの技法というのは、力任せにやると関節を破壊して致命的な障害を及ぼす危険性もある訳です。だから、相手を怪我させないような配慮をできる大人同士で技のメカニズムを楽しみながら覚えるような気持ちでやってもらわないとマジで危険なんですよね。

 脱力の合気が活法的なら、軸の斬り崩しの合気はモロに殺法になってしまう訳なんですよね。

 もちろん、だからといってフェイクにして武術としての効果が望めないような技に改変して教えてしまったら、今度は護身術として役立たず、いざという時に自分を窮地に追い込むハメになってしまうでしょう。

 従って、今回も実戦にいかにこの原理を応用していくか?という実戦に用いるための戦術的な技の変化や隠し技の付加ということも指導していきました。

 こういう隠し技みたいなものまでは、そうそう公開するのも憚られます。要するに“人体を子供でも簡単に効率的に壊せる方法”だからです。

 結局、やはり武術は体格や年齢、体力によって戦闘能力が左右されない叡知の結晶なんですね。知ってるか知らないかの差でしかないんですよ。

 私はそれを誰かに習った訳ではなくて、教えている最中に自然に発見していっているんですが、それは様々な流儀の“技の形”を攻防の流れの中で相手に応じて変化させているうちに勝手にそうなっていっただけなんですね。

 それは例えば、盲目の指圧師が相手の身体に触れているだけで自然に凝りのある箇所に指が動いていってしまうような、そんな感覚なのです。

 私はまだ相手に触れないとこれはできませんが、熟練していくことで相手に触れなくとも先手先手を取っていくことができるようになるだろうと予想しています。

 というのも、何となく感覚的に相手の隙間が読めるようになってきたからです。

 ひょっとすると、こういう身体感覚の養成法としても武術にはもっと可能性が認められるかもしれませんね。

 そうなると、これは武術だけには限りません。ダンスや気功、ボディアートの分野にも応用が期待できるでしょう。

 目下の目標としては、この身体感覚の養成ですね。これは道場を設置してから本格的にやっていこうと思っていますが・・・。

 セミナーの後半は、相手の構えを崩して制圧するやり方や、パンチや蹴りを処理して制圧するやり方というのを攻防の流れの中で“軸”を想定して技を施していく・・・というやり方を解説していきました。

 今年のテーマとして武術としての実用をどのようにはかるか?という点があります。型の中の技を抽出し、それをどう応用して役立てていくか・・・というのが今年一年を通してのテーマなんですね。

 やっぱり、私は護身術としての可能性を探っていきたいので、理屈はどうあれ、まず、現実に使える技でなければ意味がないと思うのです。

 で、現実に使えるということは、「現実の変化に対応できる」ということを意味するんですね。

 それは、現実に起こり得る可能性のある襲撃に対して対応できねばならない訳で、対ナイフ、対包丁、対日本刀、対オヤジ狩り、対暴走族、対テロ・・・等、既に現実に起こった事例のある事件については当然、考えておかなくてはなりません。

 そういえば、会員が見せてくれたんですが、小島一志さんのブログで小島さんの息子さんが書いているとのこと(本人が息子のフリして書いているんじゃないかな~?)で、インチキ武道評論家の自宅も電話番号もBABジャパンの東口社長とお父さん(一志さん)は仲良しなので知っているので・・・云々みたい脅し文句みたいなことを書いてありました。

 コレって、私のことなんだろうな~?と思うんですが、私が以前、東口さんとお会いした時は小島さんの暴言癖については「吐いた唾はもとに戻らないですからね」と批判的でしたけど、あの方は大人だからそつ無く付き合われていらっしゃるんでしょうね。

 でも、東口さんは私の以前の自宅に電話かかってきたことがあったのですが、その後、私、引っ越ししていますからね。

 新しい住所はアスペクトの武術シリーズのプロフィールのところに書いてある相模原市淵野辺本町2-1-4-203ですから、勘違いして違う家に襲撃かけないように気をつけてくださいね。

 それと襲撃するんだったら、私は日本刀や手裏剣や槍、薙刀、鎖鎌と自宅にいっぱい持っているので、人生を終わらせる覚悟くらいしてきてくださいね。
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 脅しをかけたら泣いて謝るとでも思っているのかもしれませんけど、私は暴力をちらつかせて威嚇されると逆に燃え上がってしまう性格なので、完全に逆効果です。フザケルんじゃないですよ。やれるもんなら、やってみなさい。

 いろいろ書かれて困ってしまうと思うのなら、相手を黙らせようとするのでなく、自分の言動を正すしかないんです。他人は変えられないけど自分は変われますよ。

 芦原先生を敬愛するなら芦原先生の縁ある人達を苦しめるような独りよがりな正義感を振りかざしてペンの暴力を使わないことです。

 ペンの暴力を使った以上は非難中傷されることは甘んじて受けることです。

 私はいろんな武術関係者を批判していますから、その人達のファン、シンパから悪く言われるだろうことは当然のことだと思っていますし、その中できちんと論理的に問題点を指摘してくれている人がいたら、ちゃんと考えますよ。

 吉田豪さんの言っていたことも、小島さんが悪いと思ったから書いた訳ですよね。そうしたら賛同する人がえらい多くて驚きましたけど、それは裏を返せば小島ファンの人達なんですよ。バッシングされたら、「ありがとうございます!」という悪役レスラーの気持ちで受け止めるべきなんですよ。

 小島さんはその覚悟が足りない! あくまでも自分が正義の人であろうという邪念があり過ぎますね。

 それから、文句を言うなら、相手の名前をきちんと書け!

長野峻也とかいう腐れ武術オタク野郎が・・・」とか好きに書いてくれて結構。私、2ちゃんでムチャクチャ書かれているそうなんで、今更、何書かれたってケツが痒いな~くらいにしか思わないですよ。

 マイナスのファンも、ファンはファン! 「話題にしてくださってありがとうございます」というおおらかな気持ちを持たないとやっていけないし、そういうマイナスのエネルギーでも自分を何くそ!と奮起させる力になりますから、鍛練してもらってると解釈すればいいんですよ。

 私は、小島一志さんは“独善糞馬鹿野郎”だと思って大っ嫌いだし、心の底から軽蔑していますけど、それでも彼の書く本は面白い! そう思ってますよ。

 だから、現実にいろんな人達を傷つけるようなノンフィクションではなくて、フィクションで面白いパロディ本を書けばいいと思うんですよ。

 キチガイはキチガイの仁義で生きればいいじゃ~ないの? 私はそう思って生きてますけどね。


追伸;『武道に伝える武術の教え』中、誠道塾のことを誠道会館と書いてしまっていたことを会員から指摘されて気づきました。関係各位にお詫びして訂正したいと思います。申し訳ありませんでした。

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本の感想

『居合道虎の巻其の弐』スキージャーナル刊

 昨年出た『居合道虎の巻』が好評だったからでしょう。第二弾が出ました。居合道というのは現代武道の中で他人と競うのでなく、「自己と競う」という点に特徴があります。
 年とってもできるし、「強くなる」という一般的な武道とは違って、「技を深める」という点に目標が据えられます。他人と競うのが嫌いな人に向いている武道と言えるでしょうね。


『読むだけであなたは身を守れる・テクニックのいらない護身術』小森君美著・スキージャーナル刊

 同じ著者の前作に物足りなさを感じていたので、店頭で見た時に買おうかどうしようか?と逡巡したんですが、武術の護身性を研究している身としては読んでおくべきだろうと思って購読しました。今回は、概ね、賛同できましたね。“護身術というのは武道や格闘技をバリバリやっているような人間ではなく、弱者にこそ必要性があり、また、長くトレーニングしなければ体得できないものでは意味がない”という主張には大賛成! 制敵のテクニックより心構えや危機回避の方法論について書かれている点に好感が持てます。


『公開!沖縄空手の真実』東邦出版刊

 おなじみ、ブドーラ・ブックスの最新作でDVD付きムック。ここ最近、空手関係者が注目する沖縄空手にコンセプトを絞った点に興味津々。いたずらに沖縄空手こそが本物だ!みたいな論調でないところが良いですね。自信のある人は自分から強がって見せたりしないものです・・・。


『オーケンの、私は変な映画を観た!!2』大槻ケンヂ著・キネマ旬報社刊

 大槻さんのヘンテコな映画への偏愛っぷりがうかがえる映画評論本の第二弾。もうね~、読んでみて?って言うしかありません・・・。うちの読者的には、カラテ映画系に関するウンチクが素敵過ぎます。何か自分が書いたような錯覚に捕らわれたんですけどね。


『多読術』松岡正剛著・筑摩書房刊

 松岡正剛さんというと、“編集工学”という理論を掲げる哲学者で、異常なまでの博識で有名な人物。その博識っぷりの理由が、これまた異常なる活字中毒にあったことが初めて判りましたよ。こう見えても、私もそこそこの活字中毒で、毎日2~3冊は雑誌や本読まないと落ち着かない人間なんですが、学生時代は哲学書とか宗教学や心理学の本とかを発狂したみたいに読んでいて、当時、ノートに書き殴っていた文章とか引っ越しした時に荷物から発見して読んだ時は、「うっわ~、俺ってば、マジで気ぃ狂っとったんやね~」と、妙に感心してしまうくらい意味不明でした・・・。当時の文章スタイルで本書いたら、十冊も売れないだろうな~? そこいくと、この本は小難しいか?と、気張って読んでみたら、何か妙に面白く読めてしまいましたよ。別にギャグ書いてある訳じゃないんだけど、何で、こんなにスラスラ読めるんだろう? うん、面白かった! お薦め!
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6月セミナーは『軸の操作』

 5月が脱力で、6月は軸・・・どちらも合気系の技法原理にとって、重要なものです。

 脱力技法の弱点は、「相手も脱力していたら通じない」ということ。例えば、ヨガをやっている人なんかには効かないことがありました。

 でも、はっきり言っておきますけど、こういうのは技量の問題じゃありませんから、勘違いせんといてね?

 武術的に考えると、一つの方法論が通じなければ別の方法論を試す・・・これがセオリーなんです。

 だから、私はありとあらゆる方法論を実験して試行錯誤せねばならんと考えて、阿呆みたいにいろんな技を研究してきた訳ですよ。

「長野は解っておらん! 武術とは絶対なる一つの完璧な技を追究する修行道なのだ」と言いたい人もいると思いますけど、修行途上でやられちゃったら困るっしょ?

 理想をほぞくのは好きにしてもらって構いませんけど、武術は現実に戦って勝てなきゃ意味ないんですよ。

 アントニオ猪木に「猪木さん、もし負けたらどうしますか?」と聞いたアナウンサーがバチンとはり飛ばされて「戦う前から負けること考えるヤツがどこにいるんだ! このヤロー!」って怒鳴られた・・・あれこそが戦闘者の真実ですよ!

 負けてもいいんだったら、武術なんかやるな!・・・と、私は言いたい。

 無論、武術は自分から求めて戦いに臨むために工夫されたものじゃありません。ここが格闘技と一番違うところです。

 居合道の技の中には、怖がってるフリして相手が油断したところをザクッとやる技なんかもフツーにあります。

 要は、どんな手段使っても、取り敢えず勝て!という発想が感じられます。

“生き残る”・・・これが武術の目的ですよ。「こりゃ~、勝てね~や~」と思ったら、スタコラサッサと逃げるのも武術! 素手の相手に武器で立ち向かうのも武術! 一人の相手を多数で囲んで倒すのも武術!

 脇差に偽装した鉄砲なんかもあったのだし、「遠当て」という秘技の正体も、実は“目潰し噴出器”だったりするのです。

 当然、私はこういうのも研究しておりますし、目潰し粉なんかも調合したりしました。

 日用品を見ても、私はどうやったら武器に使えるか? あるいは武器を仕込んだりできるか?・・・と、必ず考えてしまいます。

 何か、最近、格闘技雑誌読むと、誰も彼もが武術武術と言っているんですが、何か、私はピンとこないんですね~。

 何で、武器の研究しないのかな~?とか、戦術を抜きにしたら意味ないと思うけどな~?とか、いろいろと疑問に思うところが多々あります。

 特に甲野氏が広めた誤解に捕らわれている人は存外に多いようです。

 武術の身体操作なんか、そんな不思議がるようなものじゃないし、個別に分解していったら別に特殊なことなんか一つもやってないですよ。

 合気は“力の働き方”だけ研究すれば基礎原理は小学生だって解る。一体、どこの馬鹿があんな神秘の超能力扱いしたのか? 

 気功も自律訓練法やっている人なら「あっ、同じじゃん」と気づく筈。

 何か、科学的に分析されたことがなかった分野そのものが、「科学的に解明できないのだ」という思い込みに浸ってしまっていると思うんですよ。

 中国みたいに科学的に分析していこうとする態度が必要ですよ。日本だとすぐに宗教哲学みたいになってしまう・・・。

 甲野氏が「私の技は科学では解明できない」とか大嘘こくからいかんのですよ! 「アンタの技なんぞ小学生にも解るわい!」と、私は声を大にして言っておきます。

 だってさ~、脱力して重心移動使ってるだけやん? んなもん、3分で教えられる。

 高岡氏も「従来の専門用語に科学的言葉を与えたのがエライ!」と、確か山田編集長が書いていたと思うんですが、私はそう思わないですね~。

 だって、高岡氏の俺ジナル理論の用語に訳しただけで、ちぃっとも科学的になってないと思うんですけど・・・。余計、意味不明になっただけに思えるのは私だけ?


 まあ、別にいいや。みんな間違ってくれてれば、私だけ得だから・・・。


 え~、6月のセミナーのテーマである「軸の操作」は、脱力技法だけでは崩せない人にも効果的に技をかけるのに有効性のあるものです。

 まず、自分の軸を意識することから始まり、次に相手の軸を洞察することに移ります。

 一番、基礎になるのは単純に“背骨”と考えてもらって構いません。

 軸を斬り崩す・・・これが軸の操作の基本中の基本であり、これは日本刀刀法の基本である“袈裟斬り”になります。

 脱力技法は力を抜いて重心を操作することで相手を崩していきますが、相手も脱力していたら重心が流動して逃げてしまうので崩しにくくなります。

 ところが、どんなに脱力しても骨は人体の中で硬さを保っています。つまり、骨格に力を作用させれば、構造上、力を受け流すのが難しくなるのです。

 これが、脱力している相手のバランスを崩せる仕組みです。

 さ~、いかがでしょうか? 今回は、いきなり最重要な秘訣をバラしてしまいました。

 去年までの私だったら、これは公開しませんでした。だって、通用しなくなると困りますから・・・。

 でも、今年は別にいいんです。

 先の先まで戦術を工夫できたからです・・・仕組みが解っている相手の返し技をさらに返す工夫をしているからです・・・が、これはセミナーを受講した人だけの特典とさせていただきます・・・。

 どうぞ、御期待くださいませ。


追伸;小島一志さんについて書くと、ブログの閲覧者が激増するという現象に驚いております。小島さんって人気があるんですね~?(イヤミ?) それはそうと、吉田豪さんの記事によれば、「必ず脅す。時には蹴りか肘が出る。・・・」とか書いていたそうですが、何か、「時にはキック、時にはパンチ、逮捕しちゃうぞっ!」というフレーズを思い出したのは私だけ? ミニスカポリスか?

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鳩山さん更迭に思うのは・・・

 ついに鳩山さんが更迭されてしまいましたね。

 賛否両論みたいですが、私個人としては、鳩山さんの独善的思考傾向は政治家として危険なものを感じていたので、まあ、正義感だけで突っ走ってもダメですよ・・・という現実的な理を知らせるためには良かったのではないか?と思います。

 辞表を出して涙目で自身の正義を訴えた後、墓前に報告するところなんて、演技性人格障害なのか?とすら思わせる過剰な自己アピールに思えてしまったんですが、何より、お墓に向かって柏手打つっちゅうのは、何なんでしょう?

 私、小学生の時に墓参りで柏手打って、親に「お墓に参る時は手を打っちゃダメ。手を打つのは神社に参る時なんだよ」と教えられました。

 神前で手を打って音を鳴らすのは、神に呼びかける意味があった訳で、仏前では静かに手を合わせて故人の冥福を祈るものなんですね。

 日本の大臣を勤めていた人が、こんなことすら弁えていないというのは恥ずかしいことですね。

 それと、「正義が通らないのはおかしい」とマスコミにアピールするより、政治家だったら根回しして穏便に筋を通していくのが正しいやり方である筈で、鳩山さんのやり方を見ていると単なるダダッ子にしか見えませんでしたね。

 裏で計算ずくでやっていたのなら、まだマシというものですが、それが無くて純粋に義憤にかられていたとしたら、単なるバカと言うしかありません。

 いずれにしろ、こんなに独善的な思い込みが激しい人が総理大臣とかになりでもしたら、周囲の意見を無視して暴走する独裁者になるのが目に見えています。

 ヤクザの親分なら人気も出るでしょうが、政治家としては重要なセンスが欠けているように思いますけどね。

 以前、似たような展開で自民党を出た渡辺善美さんの方が純粋だったと思いますよ。


 まあ、いろいろと不満も出ますけれど、私自身は政治に期待する気持ちは薄いので、勝手にやれば?としか思わない。

 大体、本気で国民のこと考えてる人って、いたって少ないんじゃないですか?

 マスコミからコメント求められたら必ず、「選挙に影響が・・・」って言うでしょ?

 今、この物凄い不況だとか、新型インフルエンザだとか、北朝鮮の核武装だとかという問題が山積みになっているのに、「選挙が・・・」って心配してるんですよ?

 要するに自己保身しか考えてないって言ってるようなもんでしょ?

 かと言って、麻生首相の肩持つ気持ちなんか全然ないですけどね。鳩山さん説得するのに「西川さんに土下座させて謝らせるから・・・」って、本当にそんな阿呆なこと言ったんでしょうかね~?

 鳩山さんが怒っていたのは国民の金を膨大に無駄使いした、かんぽの宿売却に関する筋論を言っている訳で、その意味では「国民に謝れ」と言う鳩山さんの主張は正しいでしょう。それを鳩山さんに謝らせるから・・・みたいに言うのは麻生首相の考えがおかしい。

 政治と経済の組織論で西川さんを辞めさせる訳にいかないのなら、そうきちんと鳩山さんに伝えて、「それが判らないならアンタが辞めるしかないんだ」と本人に決めさせればいいだけなんですよ。

 それを妥協案だの何だのと小細工を弄するから話がこじれる。鳩山さんの性格を見抜いていたらからめ手の説得工作なんか無駄なのを解っていた筈なのに・・・。

 
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ニュース番組はエンタメ化?

 何か、ニュース番組って、最近、すごいエンターティンメント化しているな~と思います。

 別に、これは演出上のことを言っているんじゃなくって、「よくま~、こんなアンポンタンな事件が起こるな~」という呆れ返る“事実は小説より奇なり”という意味です。

 菅家さんのDNA判定による冤罪決定は、18年近く殺人犯として刑務所に入れっぱなしだった・・・なんて、「間違いでは済まされない」と記者会見で言っていた菅家さんの憤りも、もっとも過ぎて、一体、どう償えるのかな~?と首を捻るばかり。

 引ったくりして高校生に捕まえられた現職警察官の事件も、「世も末だ」と捕まえた高校生がビックリするのも当然・・・というか、私的には、高校生に取り押さえられてしまうような警察官が“敏腕?”と称されていたのにビックリしましたよ。

 この高校生は少林寺拳法二段だったそうですが、さすが、「正義なき力は暴力なり、力なき正義は無力なり」と喝破した少林寺拳法の理念に沿った行動ですね。

 でも、鳩山大臣の「俺は曲がったことが大嫌いなんだ」といった正義感っぷりも、何だかツヨポン批判の時を思い出して、独裁者的資質がかいま見えて、何か怖いんですけど、この人・・・。

 かと思えば、教育大学の飲み会で輪姦したという事件も、何かガッカリしますね。居酒屋の部屋でそんなことすんなよ! こんな理性の欠如した連中が学校の先生になったら困るよね。大学側も何で退学にしないのか理解できません。

 昔の先生だったら、「お預かりした娘さんを護れずに申し訳ありません」と被害者の自宅に学長以下謝罪に行ってると思うんですけど、そういうことやってないんじゃないかな~?

 そういえば、通り魔事件起こしたヤツが「人を殺すのは蚊を殺すのと同じだ」と言ったんだそうですが、こういうヤツは死ぬまで拷問して、じっくり死ぬことの意味を考えさせた方がいいと思う。

 タイゾー君が出馬を断念したという、物凄くドーデモイイ話もありましたね。この人はもっと額に汗して働いた方がいいと思います。

 働くと言えば、小向美奈子がストリップ嬢デビューしたとか? ああいう事件起こしたのでは、どこも雇ってくれないでしょうからね。職業に貴賎はありません。頑張って逞しく生きていって欲しいですね。


 さて、でも何と言っても、北朝鮮の動向は大ニュースですね。韓国も臨戦態勢を整えたみたいだし、オバマ大統領の気性からすると、案外、いきなり戦争に突入してもおかしくないように思うのは、私だけでしょうか?


・・・しっかし、ニュース番組がドラマよりエンタメしてしまうようではダメだと思いますけどね~。本当に次から次にバカか?と思うような事件が起こって、事実は小説より奇なりを地でいっている今の時代・・・何か、感覚が麻痺していきそうですよ。

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“体の合気”研究開始

 大東流合気武術の伝説的名人として生前から武道界の一部で名高かった佐川幸義先生ですが、私は直にお会いすることはありませんでした。

 しかし、その伝説的秘技とされる“体の合気”とはいかなる技なのか?という点については、前々から関心はありました。

 残された連続写真から判断すると、交叉法・差し手・粘手(化勁)・発勁を瞬間的に組み合わせて用いられているようです。

 無論、こんなことを書けば批判や異論が続出するでしょう。

 ならば、「実際に体現してみせるしかない。論より証拠じゃ~!」と思いまして、“体の合気”の練習を定期稽古会でも開始しました。

 二人組んでの対錬による練習法として、これまでは推手と差し手の練習を一年以上、やらせてきたんですが、実は、この“体の合気”の要点である、「相手が攻撃してきた腕に触れただけで重心を浮き上がらせて後方に弾き飛ばす」という技を具体化するための基礎訓練だったのです。

 推手の技能が上がれば触れたままわずかな体内の重心移動だけで相手の重心を浮かしてふっ飛ばすことができるようになります。

 しかし、推手は初めから腕を触れ合わせた状態から始めるので、実用性を考えると問題があります。

 もっと、瞬間的にできなければならない。

 差し手も、相手の攻撃してくる拳打の腕に交叉接触していく技法ですが、これを巧妙におこなうと相手はバランスを崩したり居着いてしまったりする。

 ならば、触れた瞬間に飛ばすことも可能な筈・・・。

 推手と差し手を緊密に瞬間におこなうことで、突きを打ってきた相手の重心を浮かして撥ね飛ばす“体の合気”の基礎原理が体得できる筈・・・と思って、会員が、推手、差し手が十分にできるようになるのを待っていた訳です。

 ここ数週間で会員の技能も目覚ましい進歩をしてきていると思えたので、先週、少し試しに「差し手した瞬間に発勁して・・・」とやらせてみたところ、タイミングがうまく合えば、相手が弾かれるようになったので、今週は本格的な練習に入ってみた訳です。

 もっとも、私自身がまだ十分にやって見せられないので、レベル的にはヨチヨチ歩き状態でした。

 皆、一歩踏み込みながらやったり、大きく身体のバネを使ったりしているのを、「ダメ。できるだけ動かないで身体の内部で重心移動させるようにして・・・」と指導していると・・・

「先生、もしかして、これって物凄~く、難しいことやらせてないですか?」と聞くので、「うん。簡単にはできないと思うけど、簡単にできないことがやれるようになれば、簡単にできる技の威力や精度が格段に上がるし、誰も文句言えなくなるでしょ?」と、そのままやらせながら、「そこをもっと、こうやって・・・」と修正しながら練習させました。

 それでも、「難しい~」と連発しつつも、皆、それなりに消化していました。

 初回としては、まずまず満足してもいいレベルだったと思います。後は、タイミングがドンピシャになっていけば、相当な進歩が期待できるだろうと思っています。

 腕でできるようになったら、胴体や足でもできるように技を洗練させていく予定ですが、改めて考えてみると、よくぞ、ここまでできるようになってきたものだな~?と感心してしまいます。

 武術を研究していて思うのは、時代遅れで使えないと思われていた伝統武術の技が、実は開拓されないまま埋もれてしまっているだけなのだということです。

 武術を伝えた先人の工夫と実践研究の奥深さには、毎度、惚れ惚れしてしまいます。

 空手、合気、古武術、カンフー・・・この豊饒な技の無尽蔵な応用自在性・・・。研究すればするほど、どんどん深まっていくこの感覚は、まるでソロモン王が残した財宝に巡り会ったかのようです。

 私、こんな貧乏なのに財運線がメチャメチャあるんですけど、きっと、これは武術文化を復興させていく運命をあらわしているのではないか?と思えます。

「伝説の奥義の秘密をお前が解明するのだ~」と、誰かが後押ししてくれているのかな~?なんてことも考えてしまう今日この頃です・・・。

 スンマセンね~。これも一種の自惚れかもしれませんね~。

「できねば無意味」と、昔、甲野大先生がキャッチフレーズを言っていましたが、「オメーが言うの?」と笑っちゃうくらい、さっぱり“できない人”だと判って、カッコワルクて言えなかったんですが、今なら、このキャッチフレーズ使わせてもらってもいいかも?と、ちょこっと思います。

 いかんいかん・・・私ごとき研究家風情が思い上がってはいかんですね~。

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遊心流の源流2

 私が遊心流武術健身法と名乗って指導し始めたのは、指導する中で技と術理の研究をする意味合いがありました。

 有り難かったのは、いろんな流儀の経験者が参加してくれたことです。

 伝統空手(剛柔・松濤館・松濤会・和道・糸東)、フルコン空手(極真・芦原・大道・無門会)、柔道、少林寺拳法、合気道、大東流、八光流、天心流、柳生心眼流、総合格闘技、ボクシング、キックボクシング、JKD、中国武術、居合道、剣道、躰道、新体道、日本拳法、サンボ、グレーシー柔術・・・等々。

 特にセミナーに参加される方は多彩でした。教えているのはこちらですが、懇親会の時に、その門下でなければ知り得ないような、いろんな貴重な情報を得ることができて、必然的にいろんな流儀の裏事情に詳しくなっていきました。

 純粋に武道武術格闘技が好きで、知らない技を学んでいく楽しさを知る者同士で話をすることは(オタク的で気持ちが悪いというストイックな方もいるとは思いますが)、時間がたつのも忘れてしまう至福の時間です。セミナーは3時間ですが、懇親会は毎度3時間4時間は経過してしまいます。

 無論、参加されている方のほとんどは自身の学んだ流儀に愛着があり、学んだ師範を尊敬されていますし、中には、「道場の先生に薦められて参加しました」と言う人さえいらして、「何て心の広い研究熱心な師範なんだろう」と、驚かされたこともあります。

 弟子を見れば師が解ると言いますが、残念ながら、同じ流儀、同じ師範の弟子に問題があるケースも少なくありません。それは指導法や躾に問題があるのだろうと思いますし、私も注意していかなければならないと思っています。

 武道武術の業界は、心の狭~い人が物凄く多くて、正直言って、私は極力、付き合いたくありません。妙な縄張り意識が強くて、言ってみればヤクザの親分みたいな人が多いものです。

 カリスマ的な武道家がいなくなると、途端に組織が細胞分裂していくような例は腐るほどあります。皆、親分になりたがる。

 そして、“俺、最強!”みたいな俺様意識がどこまでも肥大した人格が破綻しているような自称武術家?がウヨウヨしている・・・。

 こんな具合に、長くこの業界?で活動していると、武術家と名乗るような人達は気持ちが悪くて近寄りたくなくなっていくのです。

 やっぱり、自分の弱さ、欠点、足りない部分を自覚しているから向上を求めて修行する訳ですし、“自分の強さをいかに人に印象付けるか”ということしか考えないような人間は、もう、修行者とは言えないと思うんですね。

 だから、習いに来たのか腕試しがしたいのか何なのか、さっぱり判らないような人間は、できるだけ排除するようにしています。いろんな意味でそんな人間が一人いるだけで迷惑だからです。

 腕試しがしたいんだったら、そう言えばいいんですよ。すぐ警察呼びますからね。

 悪質な嫌がらせする人とかもいましたが、私はすぐに地元の警察署に届け出ていますから、その被害届けの有無によって、嫌がらせしている当人が警察のブラックリストに載ることになる訳で、次におかしな真似したら自分の首を絞めることになる。

 今の御時世、出来心が許される時代じゃありません。

 わざわざネットに犯罪予告するバカいるじゃないですか? イタズラじゃ済みませんからね。ネットの世界は誰が見るか判らない公共性がある訳で、一般的に犯罪を問われる行為をほのめかせば、それだけでしょっぴかれるのは当然なんですよ。

 中には物書きのプロでも弁えていない人がいますけど、所詮、人間だということです。

 だから、うちに来た人の中で問題があると判断した人は全て記録しています。そんな人は、他所の団体でも問題を起こしている確率が高くて、「あ~、長野さんのところにも来ましたか?」とか、業界の付き合いの中で笑い話になったりするのです。

 問題を起こす人は一回では済まないようで、何回でも同じ過ちを繰り返すのが特徴ですね。自省心と自制心がないんでしょうね。

 勘違いしてはいけないのは、忠告してくれる人は味方だということで、感謝すべきなんですね。敵視する人は何も言わずに陰で悪い噂を流したり、陥れようとしたりするものなんです。悪質な人間だと味方のフリをしながら悪さをしたりしますからね。

 でも、そういう人が問題起こし続けていると、ある日、臨界点を突破して、いきなり捕まる場合もある訳ですから、日々、人に迷惑をかけないように生活するのは護身の心得でもあります。

 もっとも、武術やっているヤツに限って、判ってないように思えるんですが・・・。


 武道や格闘技に関心のない人達って、実は非常にまっとうな感覚の人間ですよ。

 せいぜい、野球やサッカー、バスケットボール見て熱中する・・・そのくらいの闘争本能が社会人としてはちょうどいいんですよ。

 私は、K-1や総合格闘技の試合を興奮してキャアキャア言って見てるアイドルとか女優とかとはお付き合いしたくないな~と思いますね。普通、女はそんな闘争本能強くないでしょ?

 武術や武道は、本質的には他人と腕試しすることを目的にはしていないものです。

 何故なら、技の目的が“殺敵”だからです。“殺敵”の技能があってこそ、傷つけずに制圧する“制敵”が可能になります。その逆はあり得ません。

 護身術と言うと途端に馬鹿にする人が武道や格闘技実践者には少なくありません。そんなものは弱い人間が身を護るための逆手や急所攻撃の技しかないと思い込んでいるのでしょうが、“自分は強い”と思っている時点でダメですね。

 しかし、本当に護身を考えれば、それは本質的に暴漢を一瞬で抹殺できる技能が必要になります。強いとか弱いとかもまったく無関係です。

“どんなことをしても敵を抹殺する”という技能が護身術の本質です。

 そして、その技能があってこそ、「敵を傷つけずに制圧して自分も罪に問われない」という護身術の理想形が実現できます。

 しかし、武道や格闘技をやっている人にこんな認識はほとんど無いでしょう。

 それどころか、対ナイフ、対ピストル、対散弾銃、対複数・・・といった現実に発生している事件への対処法すら考えないのですから、平和ボケもいいところです。

 要するに危機意識が麻痺しているのです。「俺は強い」という思い込みがあるから、命の危険が迫っても、その危険度を測れないのでしょう。

 でも、ちょっと考えれば誰だって判ることですが、何の訓練もしたことのない者が無差別殺人をしようと決意したらどうするでしょうか? ナイフや包丁を買うでしょうね。

 あるいは硫酸や塩酸を用意するかもしれません。

 無許可で買えるボーガンやスリングショット、アーチェリーのような殺傷力のある遊具もありますし、鉄パイプや金属バット、木刀、ヌンチャク、チェーン、ドライバー、金づち、カミソリ・・・殺傷力のある物なんか周囲にいくらでもあります。

 何の訓練もしたことのない人間が人を殺傷しようと本気で思えば、間違いなく武装します。そして、武装した素人が相手でも、武道や格闘技の専門家が無傷で取り押さえるのは案外に難しく、逆に素人暴漢のナイフで殺された例も少なくないのです。

 武道や格闘技の最大の弱点は、ルールで限定された試合を戦いの全体像と錯覚しがちなことです。これは専門家ほど誤解してしまいがちです。

 私が、そういったルールに規定された武道や格闘技を選ばなかったのは、スポーツ競技に関心がなかったからです。

 私は中学時代のイジメ経験を契機に武術を始めました。これは何度も書いてきたので繰り返しませんが、だから、護身術としての武術にしか関心がないのです。

 自分の力を見せびらかして威張ったり威圧したりする姿の何とも言えない情けなさ。

 コンプレックスが透けて見えるんです。あるいは、そのコンプレックスすら自覚できなくなっている阿呆も多い。


 私が求める武術は、こんな阿呆には教えたくありません。

 自惚れた時点で即刻、破門!

 実際、破門を言い渡した人間は全員、自惚れてしまっていました。

 厳しいと思うかもしれませんけど、これは本人のためですよ。本当に戦いの本質を考えていたら、絶対に自惚れられるものではありません。

 素人のナイフや拳銃で命を落とした武道家や格闘家が教えてくれるのは、「油断は墓穴を掘る」という教えです。

 自惚れて戦いに臨めば油断して大怪我したり死んだりする危険があります。だから、自惚れたら破門にする訳です。

 武術は他人と技量を競うことを目的にはしていません。が、戦わねばならない時には絶対に敵を抹殺する覚悟で戦わねばなりません。

 私が研究し追究しているのは、そのための技・術・理合であって、だからこそ、かつての伝統的武術がそうであったように、拳法体術・剣術・居合術・棒術・槍術・薙刀術・手裏剣術・・・といった武術技法を総合的に研鑽していこうとしている訳です。

 けれども、それだけでは過去の遺物の復興にしかならない。現代で武術を追究する意味は、健身法も必要ですし、銃や化学兵器の知識も必要でしょうし、法律の勉強も必要になるだろうと思います。

 武術の身体操作に世間の注目が集まったように、今後は武術の総合研究が社会的に役立つような応用性を確立して提示していかねばならないとも思っています。

 そういう様々な観点から武術を検討した時に、現代で最も武術の可能性を多岐に渡って示して見せたのは、“新体道”だろうと思っています。

 新体道は、空手・合気・日本剣術の理合で構築された前衛的武術です。ほとんど知られてはいませんが、実は棒術をはじめ、杖術・剣術・琉球古武術・手裏剣術などをも総合的に研究されていて、現代武道の行き着いた一つの頂点と言っても過言ではありません。

 けれども、殺法を極めたからこそ、活人の技として世の中に広めていこうとして、「武道から生まれたボディアート」というカテゴライズに区分されることを敢えて否定せず、抽象化された思想的芸術的身体訓練法として普及されました。

 そういう次第なので、新体道は武術という観点からきちんと評価されることは、これまでほぼ皆無と言っても良かったくらい、評価の俎上にすら乗せられませんでした。

 載せたとしても、「遠当ては嘘か本当か?」というキワモノ扱いされるばかり。具体的な技術論が検討されたことは私が知る限り、一度もなかったと思います。

 一つには、これはもう言葉であれこれと語って理解できる水準ではなくなっているという点が理由になっており、言葉を拒否して体験する中で悟るべきヨーガや気功にも似た瞑想的な体技として認知されていったのです。

 私は縁があって、新体道の内部事情を知る機会に恵まれました。知れば知るほど、新体道がまぎれもない武術としての本質を持つものであることを確信していったのです。

 が、私は新体道の会員にもなっておらず、専門に学んだ者ではありませんから、おのずと遠慮すべきところがある。

「武術的に、ここがこうなんだ」と細かく解説することはできますが、それを私がやって良いものだろうか?という逡巡が常にあるのです。


 そして、もう一つ、現代の武術の在り方に大きな示唆を与えた流派として、戸隠流忍法があります。

 戸隠流の初見先生は、新体道の青木先生と、どこか似た雰囲気を感じます。

 どちらも型破り。従来の武道だの武術だのの枠組みを突破している人に思えます。

 それは技術論で語れば、技の形から自由になって自在に技を駆使できるという点にあります。

 新体道は極度に抽象化されていますが、戸隠流忍法は一度、型から技を分離させ、その場その場で再統合して用いるという離れ業を確立しています。

 私の作った遊心流の基本になっているのは、恐らく、戸隠流忍法のシステムです。

 個々の技は中国武術の影響が強いのですが、交叉法を使って技をアドリブで再統合していく戦闘法は、戸隠流忍法の影響が強いでしょう。

 また、技という点では拳正道、芦原空手の影響もあります。

 直に習ってはいませんが、田中光四郎先生の体術や友寄隆一郎先生の武術理論も大きな影響があると思います。

 源流を考えると、実際に習ったことがなくとも本やビデオ・DVDで技を貪欲に吸収してきた経緯があるので、それらも無視する訳にはいかないと思います。

 が、そうやっていくと、あまりにも膨大になってしまうので、解説することそのものが煩雑に過ぎるでしょう。

 そして、遊心流は、今後もどんどん発展させ変化していくでしょう。事実、ここ数カ月だけでも相当に変わってきていると思います。教えながら技を開発している感覚があるのです。

 一年後なら、そんなに変わっていないかもしれません。が、十年後は自分でも想像つきません。

 私が求めているのが、「日々、進化していく武術」だからです。

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遊心流の源流について

 ちょっと確認したいことがあって、元の道場の先生とお話しました。

 その時に、私が教えている技の内容と名称について逆に質問されましたので、これは誤解されるとマズイな~と思って、遊心流の源流について書いてみようと思います。

 まず、明確にしておかなくてはならないのは、「私は武術全般を総合的に研究している人間であり、何らかの流派を継承していく立場の者ではない」ということです。

 私が“遊心流”と名付けているのは流派としての伝統をもっているものではなく、「私の研究成果を実験的に編成している武術技法の体系を仮に称しているだけ」でしかありません。

 これは、どういう意味か?と言いますと、「研究成果なので固定したものではない」ということと、「流派の名称に伝統文化としての権威性はない」ということ。

 簡単に言うと、人から「武術というと、何をやっているんですか?」と聞かれた時に毎回、説明に四苦八苦していたので、便宜的に流派名を名乗るようになっただけなのです。


 しかし、このように概念を説明しても理解しづらいと思います。元々、深く考えて名乗るようになったのではなく、「シャレで考えた名称」だったからです。

 別に、「絶対魔拳道(ぜったいまけんどう)」でも「大東亜防衛武術(だいとうあぼうえいぶじゅつ)」でも何でも良かったんですよ。実際、「セクシーコマンドーじゃどうかな?」なんて言っていたくらいです・・・。

 スンマセンね~。ネーミング・センスなくって・・・。


遊心流武術健身法』としたのも、会員間で、「セクシーコマンドーはマズイでしょう?」と言われて、何となく、ちゃんとした流派名に聞こえるように“遊び心”でつけたんですよね。

 もう、十年も経過してますから、割りと愛着ありますよ。辞めた人間ですら、遊心流という名前を名乗りたがっていましたからね。

 ただ、今の会員でも源流を知らない人が多くなってしまっているし、習った師範方からも「勝手に名乗ってけしからん」とか、「勝手に名前を変えてけしからん」とかあれこれと言われてしまうのに個別に「それは誤解ですよ・・・」と説明するのも疲れます。

 ですから、源流について書いてみます。

 遊心流の源流は以下のごとし!

1,スワイショウ;笠尾恭二先生の太極拳本その他から採用。
2,立禅;高木康嗣先生の至誠塾に一時間半体験入門した経験と太気拳本を参考にし、田中光四郎先生からコツを教わって独自にアレンジした。
3,試力;至誠塾での体験と、岩間統正先生の取材時の様子を参考に採用しアレンジ。
4,這い;上に同じ。
5,丹田歩法;能の歩法と八卦掌の走圏を参考に独自に工夫。
6,蛟龍歩;躾道会の小林直樹先生と田中光四郎先生の歩法をミックスしてアレンジ。
7,走圏;松田隆智先生の八卦掌講座で習ったことをベースにアレンジ。
8,対錬;躾道会の嫡流真伝中国正派拳法の“使用法”をベースに、田中光四郎先生の技、新体道の技をアレンジして初級を編成。中級は組手構えからの攻撃に変えて、より実戦に即した形にアレンジ。
9,推手;高小飛先生の呉氏太極拳の推手を参考に意拳の技法を組み合わせてアレンジ。
10,剣術;鹿島神流、新体道剣術、新陰流、一刀流その他を研究して編成。
11,居合術;交叉法、刀法、身法等を研究してオリジナルで編成。甲野善紀氏に抜き納めと刀装製作等を習った後、民弥流を振武舘第一回講習会で初歩を学ぶ。
12,手裏剣術;甲野善紀氏に初歩を習い、無冥流の鈴木崩残氏のレクチャーで研究。
13,棒術;大学時代の竹内流、戸隠流野口道場、新体道棒術等をベースに研究。
14,ヌンチャク等;高校時代の拳正道通信教育で練習。
15,整体活法;日本武道医学専門学院二期卒業。三期インターン? 足医術を京都の講習会で一度受講(巍桜流拳法も体験)。

・・・え~っとまあ、だいたい、こんな感じですかね~?

 もちろん、参考にした武術武道の映像や書籍は無数にありますし、体験入門したり取材で体験した回数も数十回はあるんですよ。

 武術以外には健康法や舞踊、伝統芸能、サイコセラピーなんかも含めると、もうムチャクチャになってしまうんで、解説していたら本の二、三冊は書けてしまうんですね。

 無論、一つの流派を十年二十年と継続した経験はありませんから、「そんな齧り歩いても何の実力にもならんぞ」と思われるでしょうし、その点について反論する気はさらさらないです。

 でも、トータルした稽古量は、やっぱり三十三年も続けているので、その年数に見合った技量にはなっていると思っています。

 だって、私は単に技のコレクションして歩いた訳じゃありません。実際に使えるようになるのが目的だった訳で、体験的に結論付けると「流派の優劣なんか無い!」と確信をもって言えます。

 私が学んだ先生は「流派の優劣はない。ただ個人の練度で差がつくのだ」と言われていました。

 基本的にはこの考えで間違いないと思います。が、私は、「流派の優劣はない。理を体現したかどうかで決定的な差がつくのだ」と思うようになりました。

 だから、「技より術、術より理合」だと思っています。理に合わない練習や技の用法は、いくらやっても向上には結びつかないと思っています。

 自分の学ぶ流派と師匠を信じて取り組むのは当然のことだと思いますが、そこに理合を悟る経験がなければ真に上達することはないのではないか?と、私はそう思っています。

 理合を悟るというのは、“理合に沿って戦える”ということで、頭で理屈を解ったつもりでいても体現できなければ意味がない・・・そういうことです。

 結局、戦って勝てない武術では意味がないんですよ。

 そして、“勝つ”というのは、無傷で勝つ・多少の傷を負っても勝つ・戦わずして勝つ・勝負に負けて社会的な名誉や利益を得て勝つ・自分が犠牲になって仲間を助けて勝つ・小さなケンカに負けて大きく成長して人生に勝つ・暴力を諌めて邪念を挫いて改心させて勝つ・・・と、いろんな勝ち方があります。

 逃げるが勝ちというのだって、立派な勝ちですよ。

 自分に余裕がないと、暴力に暴力で対抗して互いに傷口を広げるだけになってしまいます。ある意味、圧倒的なレベルの差がないと手加減なんかできないんですよね。

 よって、武術を修行するなら徹底的に最高の境地を目指すべきだと思うんです。

 私は、武術というのは、自分が死ぬ瞬間に「俺はこんなに頑張ってきたんだ」と大いなる満足感を得られるよう人生を充実させる“勝ち”を目標に嗜むべきだと思っています。

 だから、自己満足でいいんですよ。最終的には・・・。

 私は他人に認めてもらいたくてやっているんじゃないんです。自分自身を認めたいから、やっているんです。

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アジアの武術は奥が深い

 会員さんからユーチューブの中国武術、カリ・シラットの映像を見せてもらいました。

 スワイジャオは、中国の組み討ち武術として名前だけはそこそこ知られていますが、実際に見ると新鮮な感じがします。関節を極めたまま投げたり、足の使い方が実戦的。

 八卦掌は、やっぱり遣える人が遣うと実に実戦的で凶悪だな~と思います。しかし、ちょっと強引な技の掛け方をする人が多いのが、中国版合気道を期待していた私には、ちょっと物足りないかな。螺旋勁を遣った発勁とか見たかった・・・。

 形意拳の十二形拳の蛇形拳の用法をやって見せる太った白人マスターは、なかなか、侮れないチンナ術の変化技をやって見せたりしています。

 チンナ術を見せる小柄な白人マスターは、何か弟子イジメてるみたい・・・。

 ファンキーな黒人の八卦掌はダンスっぽくてなかなか良かったけど・・・でも、別に八卦掌で戦わなくともこの人、強いのでは?

 尹派の朱先生の技が個人的には良かったですね。これは蓋世企画から出ているビデオ映像なのかな~?


 一方、カリ・シラットの方は、日本ではほとんど知られていません。

 先日、アメリカからセミナーに参加してくれた人から、「先生の技はシラットそっくりですよ」と言われて気になってはいたのですが、確かにシラット、ペンチャックシラットを見ると、ええ~? ウッソ~?と思うぐらい私の技の掛け方にそっくりで、驚きました・・・。

 私は、カラリパヤットやカポエィラ、スアイジャオやチンナ、カリは、ちっとばかり習ったことあるんだけど、シラット、ペンチャクシラットとかは全然ないんですよ。

 壮神社から出ていた『シラット・シンランバ派』の本は買って読んだことあるんですが、技に関してはほとんど参考にはしていません。

 以前、習っていた先生の御自宅の蔵書にペンチャクシラットの英語の本があって、写真が結構載っていたので、これを借りて見たくらいですかね~? 技の研究らしきことをしたのは?

 そうですね~。動きを見たのは、JKDの中村頼永先生の映像を見たくらいかな?

 その時は、「あ~、これは参考になるな~」と思ったくらいで、特に自分のやり方に似ているとも思わなかったんですが、フィリピン人のマスターなんですかね~? やってる技の動きが自分とそっくりだから驚きましたね~。

「あっ、本当にそっくりだ!」って思いましたよ。マジで・・・。知らない人が見たら私がペンチャクシラットをパクッてると思っちゃうだろうな~?ってくらい、クリソツで、唖然となってしまいました・・・。ホント、偶然なんですよ。

 私の技は、交叉法の観点から中国武術・空手・合気・戸隠流忍法等を融合して遣っているうちに勝手にできあがってきたものなんですが、個々の技を実用的に組み合わせて遣っているうちに、たまたまこういうスタイルになっただけなんですね。

 差し手・暗腿を多用したり、入身しながら相手の腕関節を挫く技なんかも自分で勝手に考えたものだったんですが、これらは一般の中国武術や日本古武術だと秘伝として隠して教えないものなんです。

 だけど、こういった細かいコツを知らないと、型通りに技を極めようとすると無理が生じてしまう訳なんですよね。

 私は、実地に技を試しながら相手の反応の仕方によって変化応用するようにしているうちに、どんどん技が変わっていっただけなんですよ。

 差し手だって、3~4年前に体系立て始めたものだし、暗腿のやり方を蹴り・歩法と連結していくようになったのは、一昨年の後半くらいからですよ。

 なので、教え始めた時は、「游心流に回し蹴りがあったんですか?」と、会員から聞かれたぐらいですからね。

 本当は沢山ありますよ。前蹴り・足刀蹴り・回し蹴り・踏み蹴り・二段蹴り・掃腿・鉤蹴り・膝蹴り・後ろ蹴り・・・等々。

 蹴り技は歩法ができて死角に回り込みながら繰り出さないと、居着きを招いて危険だから教えなかっただけなんですけどね。間合が離れた位置から蹴ると組み討ち技の餌食になって危険なんですよ。ストリートファイトだと滑って転んで一巻の終わりにもなりかねないですしね。

 間合を潰すためには歩法ができなきゃならない。歩法を遣うためには蹴り技はひとまず捨てておかなきゃならない。

 でも、的確な蹴り技は一撃で相手を倒す威力が出ます。これを捨ててしまうのはもったいないですよね。

 だけど、正面からあからさまに蹴りをブチ込むのは本人は気分がいいでしょうけど、多少なりとも修行してきた相手に当たるもんじゃないでしょう?

 よって、游心流の蹴り技の基本は暗腿。相手の見えない死角から蹴る。しかも蹴り一発で仕留めるのでなく、突き・逆・投げとセットで蹴る。至近距離から散弾銃をぶっ放すみたいに、一挙動で何種類もの技を繰り出す・・・。

 これが伝統的な武術の隠されていた真の用法だと私は考えた訳です・・・。

 ところが、ペンチャックシラットではあからさまに教えているんだから、驚きました。

 カリ(短いラタンの棒やダガーナイフを遣う)や、カランビット(円月型のナイフを遣う)、クンタオ(中国拳法がベースらしい)、クラビクラボーン(タイの剣棒術)といった東南アジアの武術の剥き出しの実戦本位の技の数々は、応用変化技が複雑に組み合わされて芸術的な領域に達していますね。

 なるほど、アメリカで流行っているのも道理だと思いました。

 これらの技はフリースタイルで何でも吸収していこうとするように見えますが、やはり、職人芸的なフィリピノの老武術家の技が良かったですね。

 これまで私が見ていたカリ・シラットのマスターがB級に思えてしまう程の、超絶のテクニックはA級S級の妖怪マスター(『幽々白書』の魔界の妖怪ランキングに拠りました・・・)ってな印象で、唖然となってしまいました。

 それに、システマのナイフ捕りの技の原型かな~?と思うナイフ奪手のテクニックがあって、「システマはいろいろな武術技法を研究して内家拳理論を応用して実戦向きに創作されたものではないか?」という考えが正しいかも知れない?と思いました。ああいう具合にナイフ奪うテクニックは、ちょっと思いつかないと思うんですよね。

 中国や日本の武術は型に捕らわれて発展性・自由性が奪われているような気がします。

 これは実際に遣うことを忘れているからじゃないか? 武術は実戦を通して磨かれていくのは言うまでもないことです。

 確かに日本の武術が百花繚乱の隆盛をした江戸時代は戦乱のない平和な時代だからこそ、技の研究がじっくりできたと言われます。

 しかし、戦いに備えて研究するのと、戦いを忘れて技を弄ぶのはまったく別のことでしょう。

 私は、武術は発展していかないと意味がないと考えます。

 その価値観に於いて、東南アジアの武術の実戦本位の姿には感心させられましたし、武術の思想がどうのこうのとほざくヒマがあったら、虚心坦懐に海外の武術のエキスを採り入れて、日本の武術もより発展させていくべきだと思いますね。

 日本人の特質として海外の文化を日本式に洗練させる国民性があるじゃないですか?

 私は、「日本が一番だ」「中国が最高だ」・・・みたいな考えはありません。常に進化させていく者が結果的に頂点に登ると思うんですよ。

 私の最も嫌いなのは、「現状維持」というヤツです。止まっていたら、進んでいる者に追い越されて結果的には退化してしまうんです。兎と亀みたいに・・・。

 伝統武術文化の保存伝承するのもダメとは申しませんが、何で、より発展させていこうとしないのかな~?と思いますね。

 百年前には、そんな武術家は一人もいなかったと思うんですよ。その時代時代の変革者がいたから武術の文化はずっと続いて発展してきたという事実を、何で無視するのか?

 現代の武術武道の世界の問題点は、多分、この点だと思います・・・。

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芸道殺陣・波濤流 高瀬道場技芸会

 ビーバップやあぶ刑事、特撮物では、渋いローキック合戦が格闘マニア間で噂になった『七星闘神ガイファード』が有名で、ここ最近は殺陣教室が度々、TVで採り上げられている“芸道殺陣波濤流”高瀬道場を主宰されている高瀬将嗣先生から、先頃開催された技芸会の様子を記録したDVDをお贈りいただきました。

 以前、本をお贈りしたことがありましたので、その返礼とのことのようですが、いや~、物凄く嬉しいですね~。

 招待状を頂戴したものの、私、仕事で行けなかったものですから、思いもかけず見ることができて、何て幸せ者なのか?と・・・。

 正直言って、私、武術より殺陣アクションの方が好きなんですよね。運動神経良かったら、絶対、JACかKACか目指してたよ。マジで・・・。

 しかし、私は走るのはビックリするほど遅いし、体育は五段階評価でほとんど2、高校の時は1取ったことあるよ。

 球技とかの集団でやるのになると運動音痴っぷりも全開で、中学時代のイジメの原因の一つもコレだからね。

 中学時代に自転車乗ってたのを見た同級生の女の子が、凄いビックリした顔して「長野君、自転車乗れるんだぁ~!?」と言ってました・・・。そのくらい運動は全然ダメなヤツだった訳です。

 だから、スポーツは、やるのも嫌いだけど見るのも好きじゃないんですよね。

 じゃあ、何で武術武道は好きなのか?

 これはね~、やってみると意外と強かったからなんですね。自分でも不思議・・・。

 そのまま長く続けてきて確信が持てたのは、武術に関しては運動神経とか体力とかは関係ないということ(武道は多少関係あるけど・・・)。

 今でも運動神経はからっきし自信ないです。いやもう、トラウマですよ。でも、武術だけ上達できたら他のことは人並み以下で全然構わない・・・と、悟りの境地に至っておりまする・・・。

 だけど、アクションに関しては、やっぱり、今でも未練がありますね~。器械体操とかやっていたら少しは運動神経良くなっていたかもしれないな~とか思う。

 でも、アクションは運動神経が良くないとダメだと思いますよ。秋本つばささんの忘年会に呼んでいただいた時に、つばさプロジェクトの皆さんがいろんな競技のトップ水準の人ばっかりだと知って、内心、劣等感でドヨ~ンとしましたもん。

 ダンス白州に初めて呼ばれて行った時も、ものすっごく身体が動く妖怪人間みたいな人達を見て、ドヨヨ~ンとしましたね~。

 あ~、俺って、何てダメダメなんだぁ~って、月に咆えたくなりました・・・。

 体力もスタミナも反射神経も人並み以上に良くないとダメだな~と思います。だから、アクションは諦めて、小技と戦術で勝負する武術を鬼のように研究してきた訳なんですけどね~。ヨボヨボの爺さんになって、いざ勝負ってなった時、0.2秒だけ超高速で動く・・・というのが目標です!

 よく、武道や武術やっている人達って、殺陣やアクションを馬鹿にしたようなことを言いますけど、アレはきっと、コンプレックスがあるんだと思います。

 だけど、人間、コンプレックスがあるから、頑張れるんだと思いますけどね~。


 おっと・・・また、余談で進んでしまいました。ごめんなさい・・・。

 で、お贈りいただいたDVDを拝見しました。

 ムムム・・・素晴らしい・・・。

 殺陣の教室に通う生徒さんたちの演技も、実に基本が活きています。殺陣には様々なお約束がありますが、その基本は侍の作法です。

 そして、侍の作法を伝えているのは、古流武術、能、日本舞踊等の限られたものしかありません。

 しかし、多くの人が見逃しているのは、例えば居合道を学んでも侍の作法そのものは学べないということ・・・。

 どういう意味かと言いますと、現代の居合道は正座で大刀を一本だけ帯に差して実技をおこないますが、これは稽古の方便であって、本来の侍の作法とは違いますよね。

 座り技なら脇差を遣う筈だし、大刀を用いるなら立ち姿勢での居合術でなければおかしい。しかも、脇差と二本差しの筈・・・といったことを考えていくと、古流武術に侍の作法をそのまま期待するのは無理があります。

 そうなると、日本舞踊の剣舞の方がより原型に近いかも知れません。

 しかし、舞踊の研究者によれば日本舞踊も明治以降にかなり変わってしまっているのだとか?

 しからば、能はどうか? うん、これが一番、原型に近いかも?

 でも、能の場合も芸能游芸としての嗜みであって、日常生活の侍の作法そのままだったか?というのは、ちょっと疑問が残りますね。

・・・とまあ、真面目で熱心な殺陣の指導者は、物凄く膨大な研究をしなければいけなくなっていくのです。

 武術家でそこまでやる人はほとんどいないと思います。知識自慢している人が、意外と阿呆だった・・・なんてことばっかり。武芸考証家だった名和弓雄氏とか、ごくごく限定されていたのではないでしょうか? でも、名和氏没後に武芸考証家という肩書の人はいないような・・・。

 ちなみに、町人の所作に関しては歌舞伎がありますが、この歌舞伎というものは、傾奇者(かぶきもの)を語源とするだけあって、要するに現代で言えば“コスプレイヤー”みたいなものなので、あれが町人の一般的な姿だったと考えるのもおかしい。

 甲野氏のヘンテコなナンバ論が受け入れられて無批判に広まったのも、このような事情を誰もはっきり判っていない現状があったからと私は思います。

 いや、そんな中で、高瀬先生は実に柔軟に本質を掴んで指導されてこられたんだな~と、感銘を受けました。

 殺陣に必要なのは、ケレンです! 単にガチガチのリアルな技を見せるのは面白くも何ともありません。

 少なくとも日本で、プロの武道家、武術家がゲスト出演してうまくいくことはほとんど無いと言ってしまっても構わないでしょう。

 要は、型にはまり過ぎていて形ばかり見せようとするので、効果的な迫力のある見せ方に対しての理解がないのが問題だと思うのです。

 そして、効果的に見せるのは、「受け手のリアクションの要素が大きい」と、アクション女優の秋本つばささんは言っていました。

 武道・武術をやっている者はリアクションを大袈裟にとるのを非常に嫌います。嘘臭く思えてしまうからです。が、これは“演技”というものが欠如しているからです。

 かの有名なキラレ役、福本清三さんは、スバッと斬られると思いっきりエビ反ってウギャーッ!と、断末魔の顔を二秒間は維持してからバッタリと倒れます。もう、名人芸です。

 高瀬道場のお家芸とも言えるのが、このリアクションを現役のアクション俳優の皆さんが生徒の技に合わせて演技してくれるのです! これで三倍くらい上手く見えます。

 全日本古武道演武大会も、こんな具合にやればいいのにな~と思うのは私だけかと思いますが、ぶっちゃけ、型の演武なんざぁ~、はっきり言って殺陣と同じなんだから、中国みたいに割り切って派手に演出して見せる方がいいと思うんですよ。

 い~え、正直言って、殺陣の方がずっといいと思います。

 だって、スピーディだし面白いし迫力もあるし、やってる者も気持ちよく、見てる者も気持ちいいでしょ? 武術の型は稽古の方便としてできたものですが、それを人様に見せるからには、“武芸”としての工夫をするのは礼儀だと私は思う。

 教室の発表の後、本部の芝居『新選組と岡田以蔵』『西遊記』のパロディ劇がありましたが、これがまた、イチイチ、シャレが効いてていいんですわ~。

 また、高瀬先生自ら刀の刀法の実際と殺陣の見せ方について実演解説されたところが、もう、若山先生や大山先生を思い出して感涙しましたね・・・。

「俺は居合道何段だ」とか威張ってる連中に見せたかったですね~。

 剣の構え方とか帯刀の仕方とか、私も知らなかった細かい意味を話されていて、その何分間かの間に、高瀬先生がどれだけ勉強されてこられたのか?ということが想像されて頭が下がりました。

『映画秘宝』の連載を読んでいて、相当、いろんな本を読まれているな~?とは思っていたんですが、改めて・・・。


 それと、今回、はっきり得心がいったのは、「武術の稽古は殺陣に学んだ方が確実に伸びる」ということでした。

 何故なら、空手の突き蹴り、柔道の投げ固め受け身、合気道の体捌きと受け身と無刀捕り、少林寺拳法の剛法と柔法、居合道の抜き納め、試斬の刀法、剣道の間詰もり、棒術、十手術、小太刀術、ヌンチャク、釵、トンファー、槍、薙刀、二刀流・・・等々、ありとあらゆる武術技法が殺陣には入っているんですよ。

 これを一つずつ体得しようと思ったら、いくつの武道道場に通わなきゃならないか?

 しかも、武道って、地味な練習、痛い練習、怖い練習・・・ばっかりでしょ? マゾじゃないと長く続かないっスよ。

 私が自分で流派作ったのも、あの武道・武術の道場に特有の空気感というのが苦手だったからなんですね。

 キリッとした礼儀とかは無いとダメだと思うんですけど、軍隊みたいになっちゃマズイでしょう? 厳しいだけじゃダメ! 武張った雰囲気って私は好きじゃないし、そんな態度取ってる人が本当に実力があるとは限らないですよ。

 以前、付き合いのあった職業武術家と喫茶店に入った時、ウエイトレスの対応が悪いとヤクザみたいに睨みつけちゃったりして、私は本当に一緒にいるのが嫌でした。

 その後、ケンカ別れしましたが、本当に二度と会いたくないですよ。あの性格は一生、直らないだろうな~と思うからです。

 たかが人を殴ったり蹴ったりするのが少し上手いくらいで、何を勘違いして偉そうにしなきゃならんのか? 器の小ささを強調しているみたいで嫌ですね。

 よく、いるじゃないですか? 女性と飲食店入って、些細なことでイチャモンつけてるバカ。カッコイイと思ってんのかね? だいたい、女性は困った顔してうつむいてる。

 見苦しいでしょ? 私は、こういう男が、一番、嫌い!


 高瀬先生は、以前、『デビルマン』の公開後に酷い中傷を浴びせかけられていた那須監督が急逝された時、連載記事中で那須監督を擁護して書かれておられました。

 那須監督を誹謗中傷する文章が多数載っていた『映画秘宝』の中で、ほとんど唯一、擁護しておられ、男気のある方だな~と思っていました。

 私も『デビルマン』の出来は悪かったと思っています。しかし、後から、うちのセミナーの常連であるシナリオライターの方から裏話を聞いたのですが、あの作品は東映内部の軋轢が凄くて、誰が監督しても出来の良いものにはなりようがなかったのだそうで、「那須監督が気の毒ですよ」と話されていました。

 億の金が動き、実に多くの人が関わる映画というものを、監督一人の裁量だけでどうこうできるものではない・・・という事実は、プロならば誰もが弁えていることでしょう。

 それなのに、「那須監督は死んでくれ」みたいな、冗談にしても低劣な罵詈雑言を投げかけまくった『映画秘宝』のスタッフ、ライターの皆さんは、恐らく、「しまった」と思われたことでしょう。

 私も毒舌物書きを芸風にしているから、察しがつくような気がします。罵詈雑言のムチャクチャさがウリですからね。私もそこが楽しくて購読しているんですが、あの時は後味が悪かったですよ。

 まさか、那須監督が、あのような形で急逝されるとは誰も予想できなかったに違いありません。

 高瀬先生はもう、反論のできない盟友のために、敢えて口を開かれたのだと思いますし、また、熱情籠もった思い出を高瀬先生が書かれたことで、『映画秘宝』のスタッフ、ライターの皆さん方も救われた気持ちだったんじゃないでしょうか?


 高瀬先生とは、癌で亡くなられた武友のMさんの御紹介で技芸会にお邪魔して、お会いしたのが最初でしたが、Mさんの作ってくれた縁に心から感謝しています。

 まあ、ちょっと、湿っぽくなっちゃいまして、ごめんなさい。

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中島梓(栗本薫)さん死去に思うこと

 世界最長のファンタジー小説として知られる『グイン・サーガ』も、ついに未完のままとなってしまいました。

 エッセイスト・評論家の中島梓さんのもう一つの顔である小説家・栗本薫の代表作が『グイン・サーガ』ですけれど、その栗本薫さんが癌で亡くなってしまいました。

『グイン・サーガ』は、現在、NHKでアニメ化されて放送中ですが、非常にクオリティーが高くて見ごたえがあります。豹頭の剣士が中世の魔法世界のような異世界で活躍する物語で既に129巻までは脱稿されていて、130巻の途中まで書かれていたそうです。

 私は、栗本さんの『魔界水滸伝』を浪人時代から読んでいました。挿絵が永井豪さんで、小説というより漫画を読んでいるようなイメージがありました。

 当時は受験勉強より小説を読んだり映画を観たりする方が多くて、それが大学を中退してまっとうな人生からドロップアウトする誘因になっていたのかも知れません。

 特に、『魔界水滸伝』で、H・P・ラブクラフトのクトゥルー神話の存在を知ったことは、オカルトへの関心を強めたものでした。

 私はオカルト方面には批判的なので、そういう方面の知識は無いと思われているみたいですが、実際はかなりあるんですね。だから危険性を感じて批判的になったとも言えますが・・・。

 で、この『魔界水滸伝』ですが、クトゥルー神話に登場する邪神と日本の妖怪が激突する話を、デビルマンの悪魔狩りテイストでゆっくりと進行させるところが、スペクタクル・シーンを期待している私にとってはイライラさせられたりもしたんですが・・・。

 それもまた、栗本テイストとでも言えるでしょう。

 ちなみに“魔界物”を描くと超常現象が起こる・・・という話が作家さんの間では広く知られていて、栗本さんも『魔界~』を書いている時は不思議なことがちょこちょこと起こっていたようです。

 この手の話は私もいくつか見聞あるんですが、いつかホラー小説とか書く時のネタとしてとっておこうと思っています・・・。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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