コンテントヘッダー

游心流DVD完結編近日発売!

 2009年という年は、私にとって生涯忘れられない年になるだろうな~と思っています。

1,本部道場が開設できた(ほとんど諦めていたのに、何て運が強いんだろ~)。

2,クエストDVD三部作の完結編が出せた(会員の上達ぶりに感激です)。

3,武術以外の人脈が広がった(芸術・芸能関係との縁が増えたのが嬉しい)。

4,文筆業の幅が広がった(本当に有り難い限りです)。


 しかし、あらためて思うのは、やはり、自分の原点である武術研究をなおざりにしていたのでは、こういう縁の広がりや運気の流れは無かったでしょうから、今後はより一層、武術の研究と指導に力を尽くしていかなければならないと思います。

 だって、これしかできないんだもんね~・・・。

 これしかできない人間なんだから、その分野でオンリーワン(唯一無二)の取り替えの利かない人間にならなければ、それこそ老後の生活にも困って野垂れ死にしかねません。

 結構、歴史に名前が残るような業績を挙げたのに野垂れ死んじゃった人っているじゃないですか?

 それじゃ、やっぱり不幸ですよね。

 終わり良ければすべて良しという言葉があるように、たとえ人生が短かったとしても、死ぬ瞬間には満足して死にたいですよね。

 生きるのが辛いから死ぬという人って、案外、周囲の人から見ると、その不幸な状況から抜け出す努力をしていないように見えることが多いと思うんですよ。

 善良な人なんだけど能力がないし努力もしない・・・そういう人が結構、多いんじゃないでしょうか?

 それと、一つのやり方に拘るあまり、いつまでも無為に時間を浪費し続けてしまう人というのも、日本人には多いような気がします。

 要するに、理屈に合わないやり方にいつまでも拘っていて、何年も無駄にしてしまう人です。

 私が武術研究を始めたのも、「どうやったら、自分みたいな素質も才能も金もない人間が達人みたいになれるだろうか?」って考えていたからですし、私は一つの流儀がすべてを完璧に備えているとは思わなかったから、色んな流儀を齧り歩きましたよ。

 そりゃまあ、節操がないだの考えが甘いだの筋を通さないだのと、色んな非難を受けましたけれど、私は終始一貫して“本質”にしか目を向けていなかったので、色んな流儀の技を単純に並列して流派を立てるということはしませんでした。

 知っている技の数だけだったら、恐らく今、日本で一、二を争うくらい沢山知っていると思います。

 私の会には複数の流儀を学んだ人が多いんですが、中でもダントツで詳しい会員からは、「長野先生は、武術に関してはどんな質問をしても必ず明確に答えてくれますけど、そんな人は初めて会いました」と言われたりしました。

 自分の専門にやっている流儀に詳しいのは当たり前なんです。知らないのは不勉強なだけですから。

 でも、専門外の流儀となると、本に書いてある以上の情報は知らない人がほとんどだと思います。

 また、情報はあっても、技の原理や、その技が成立するための身体の働きやメカニズムとなると、説明できる人はぐっと少なくなります。

 特に、どうした訳か、身体の使い方については熱心に調べても、意識の使い方や「読み」については全然、意味不明な解釈しかできない人ばかりなんですね。

 真面目で一本気、曲がったことは許さない・・・という人も少なくありませんが、武術家は、それだけではダメだと思います。

 先日、ある武道指導者のブログを見ました。

 ある流派を腐すような軽口を叩いていましたが、そこに、その流派の宗家からのコメントが来た!

 さあ、どうするのか?と思っていたら、「人から聞いたことだから、その人と話してくれ」と、いけしゃあしゃあとスルーしてしまったのですから、「凄ぇ~! 普通は取り敢えず失礼を詫びるものなのに・・・」と、仰天してしまいました。

 それでも相手の方が追求の手を緩めずにいると、“ああ言えばこう言う戦術”で煙に巻いてしまい、相手の苦手そうだと思った点だけを突っ突いて論議をあさっての方向に持っていってしまいました。

 私、本当に「凄いな~!」と感心しましたね~。

 この方は、人間的にはまったく信用ならないヤな性格だな~と思いましたが、舌先三寸で危険を回避してしまう絶妙なスカシ技“口車”の達人だと思いました。

 いや、これ、皮肉で書いているんじゃないですよ。正真正銘、本気で感心しているんです。

 だって、武道武術の世界で、この“舌先三寸で危機を回避してしまう術”を使いこなしている人なんて、ほとんどいませんよ。

 ルパン三世のファーストシリーズで、殺し屋ナンバーワンの地位をかけてルパンと五エ門を罠にかけて戦わせた張本人で五エ門の師匠である百地三太夫は、真相に気づいて殺しにやってきた五エ門に対して、「五エ門、おぬしに欠けているのは舌先三寸で危機を脱することじゃ」とのたまうのですが、五エ門も「確かにそれだけは・・・」と納得しちゃったりしていました。

 私だって、プライドがかかったら無謀だと知っていても危ない橋渡っちゃいます。

 でも、この方は、プライドも何も最初から存在していないかのごとく、平気のヘーザで言い逃れしつつ、いつの間にか相手の弱いところを見つけて論理をすり替えて、相手を手玉にとってしまっているんですから、達人ですよ!

 いや、現代でも、ここまで無手勝流舌法を極めている人がいたのか?と、私は心底、驚きました(だからといって、私は真似したくないけど・・・やっぱ、カッコ悪い・・・)。

 しかし・・・本来、武術は護身が目的なんだから、卑怯卑劣は論理の外。この方のように舌先三寸で相手を煙に巻いてしまえるのが理想ですよね。

 未だに面子に拘ってしまう私は、まだまだ未熟者だと反省しましたよ。


 さて、余談はさておいて・・・。

 クエスト第三弾DVDのジャケットもできあがり、11月20日の発売を待つばかりとなりました。

 つきましては、11月セミナー会場にて先行販売もします。

 この不況の御時世にお金の負担ばっかり強いるのは心苦しいのですが、今回は三部作完結編に恥じない盛り沢山の内容で、必ず満足していただけると思っております。

 特に、発勁に関しては、養成法から使い方から色々と見せていますから、打撃系をやっている人も、合気道や古武術をやっていて当て身をできるようになりたい人にも役立ててもらえると思います。

 そういえば、私のDVDの感想で、「こんなもん、通用しね~よ」と書いていた人がいると聞きますが、これを見ても言えるかな?

 率直に申しますが、何も判らない素人が言うのなら、私は笑って済まします。

 けれども、実際に武道や武術、格闘技をやっている人から言われたら、それは“侮辱”ですから、笑って済ますことはできません。

 ヤクザみたいな恫喝はしたくないんですけども、私はこの点はプライドを優先する人間ですから、侮辱するなら、それ相応の覚悟の上でお願いしたいです。

 私は、口先だけの男だと思われるのは嫌なんですよ。やる時はやる男っていうのがカッコイイじゃないですか?

 そういう男気のある人なら尊敬できるし、自分もそうありたいです。

 だから、匿名で人の悪口書くのだけは絶対にやりたくないし、言ったことは必ず実行したい。できないことを言い訳するのはカッコワルイじゃないですか?

 私は武術の戦術としては、どんな卑怯卑劣な真似でもやる覚悟ですが、人間として卑怯卑劣な振る舞いはしたくないんですね。

 何でか? カッコワルイからですよ。

 実際は、カッコワルイことは山のように積み重ねてきましたよ。人生はカッコヨク生きることは難しいんですよ。

 だけど、それを「仕方がない」の一言で諦めたくない。爺さんになった頃にはカッコイイ爺さんになっていたい・・・そのためには、今から行いをカッコヨクしていかなくちゃなりませんからね。

 やっぱり、私はカッコイイ人に憧れてますからね。

 田中泯さん、青木先生、小林先生、光四郎先生、友寄先生といったカッコイイ人達に出会ってしまった以上、自分もいつかそう思われるような武侠者になりたいじゃないですかね~?

 だから、私は、カッコワル~イ真似を平然と続けている人達が哀れに思えますよ。

「あ~、この人達って、周囲の誰も認めてくれてないんだろうな~。自分に自信がないから逆にエバッてしまうんだろうな~」と、昔の自分を思い出してゲンナリするんです。

 でもね~、人に認めて欲しかったら、とにかく自分にできる精一杯のことを努力し続けることですよ。

 自分を磨かない人間は、一生、輝きが出ないままですよ。

 私は輝いていない人間は好きじゃないし、人を輝かせるのが武術修行だと思ってますから、単なる殴り合いの強さを求めている人には教えたくないし、お付き合いもしたくないですね。

 日本人が海外で尊敬される理想像って、やっぱりサムライでしょう?

 私はそういう日本人をいっぱい育てていきたいですね。トシロー・ミフネみたいな日本人。それも、『用心棒』の三十郎は刀無いと弱くなるからダメ! 『レッドサン』の黒田勘兵衛みたいに刀が無くても柔術でブロンソンをぶん投げたり、弓矢や手裏剣も使えて、約束を守ってドロンに撃たれて死ぬ・・・そんな愚直で真っすぐなサムライが好き。

 そんな日本人って、武術家しかいない。でも、その肝心の武術の世界もハッタリかました阿呆の巣窟と化してしまっているんだから、何とかせんといかんです・・・。

スポンサーサイト
このページのトップへ
コンテントヘッダー

オヤジ殺し女って、もはや妖怪だよ

 結婚詐欺の揚げ句、自殺に見せかけて殺される・・・。

 結婚したいオヤジ心を利用して金を献がせて邪魔になったら殺す・・・恐ろしい女もいたものです。

 まだ、容疑は固まっていないのでしょうが、これは間違いないでしょう。

 学生時代はボランティア活動もしていて姉ご肌で頭のいい女・・・。

 学生時代の文章を見ると、文字は綺麗で知性を感じさせます。恐らく、故郷を離れて都会に出てきてから人格の闇が出てきたのではないか?と思われます。


 もう、人としての心が無くなっているとしか言えません。

 詐欺で済むくらいならまだいいですけど、殺すってのはもう次元が違います。

 老人介護でもぐりこんだり、結婚したいアキバ系オヤジを騙したり・・・もう、相手を人間だと思っていないんでしょうね。

 本人は犬飼って、高級マンションに住んでベンツ乗り回してセレブ生活をしていたそうですが、自分自身の能力で金を稼ぐことができなかった恨みでもあったんじゃないかな~と思えてしまいます。

・・・と言うのも、そういうタイプの人を結構、見かけるからなんです。

 共通点は無職で引きこもり。

 被害妄想と誇大妄想がせめぎあって、そら恐ろしいばかりの自己チューになる。

 だから、欲望を制御できない。人殺しを何とも思わない妖怪みたいになってしまうのもわかるような気がします。

「鬼畜」という言葉がありますけど、まさにそうでしょうね。


 だけど、私は思うんですけど、こういう人の心を失って欲望を充足させることしか考えられなくなる人間って、今の時代では特殊なことではないように思えるんです。

 のりピーの事件だって、根っこは同じじゃないですか? 快楽に溺れて自分で制御できなくなったんでしょう。

 押尾なんて、多分、反省すらしてないんじゃないですか?

『脳内革命』が大ブームになった時期、脳内ホルモンを出して気持ちいいことをすれば全て良し!という阿呆そのものの理論を信じてはしゃいでる連中が多かったですが、それは現実逃避なんですよ。

 精神世界の上っ面だけの世界観にはまった幼稚な連中がヤクチューみたいにフラフラ飛びついただけの話です。

 現実に生きるというのは圧倒的につらくて苦しい。だから、しっかり頑張って生きる人への御褒美として“祭り”があり“癒し”がある。

 もし、常にお祭りばっかりして癒しを求めて働かない人ばっかりになったら、人類は滅んでしまいますよ。

『ウルトラマンティガ』のギジェラの回がそういう話でしたよね。快楽物質の入った花粉を撒き散らす巨大な樹の怪獣。ちょっと、ビオランテを思い出しました。

 でも、気持ちいいから人間はギジェラを崇拝し、ギジェラを倒そうとするティガを敵視する・・・という話で、このギジェラによって過去の文明は滅んでしまった・・・という壮大な物語でした。

『帰ってきたウルトラマン』のヤメタランスの回も似たようなニュアンスでしたけど、あれはコメディーとして成立していたから裏テーマの恐ろしさは印象に残りません。

 だけど、この鈍感さの恐ろしさというのがありますね。

 私には、結婚詐欺殺人事件の女も、のりピーや押尾の事件と根っこで繋がっているように思えて仕方がないんですね。罪の意識が欲望にかき消されてしまっているという点で。

 でも、のりピー事件の問題点はまた別のところにあって、週刊誌の論調では、芸能人は悪人ばかりみたいなものもありましたが、でも、私の個人的に知っている芸能関係の人は、みんな、すごく誠実だし純粋だし頑張っている人ばかりですし、本当に尊敬してますけどね。

 その頑張り具合といったら、とても普通の人間にはできないと思いますよ。アッコさんが「芸能人はそんなヤツばっかりみたいに思われたくないよ」と言っていたのは、凄く苦労した経験があるし、周りもそうだと知っているから出た発言だと思います。

 どんな世界でも、その世界特有の苦労というものはあるんであって、上っ面の華やかさだけ見て「自分もあ~なりたい」と思うのは無知なだけです。

 現実の中でやることやって頑張って、苦労を重ねてこそ、本当の幸せが感じられるんだと思います。

 だから、人を騙したり、ましてや殺したりして自分の快感を追求しようとするのは、後で大きなツケが回ってくるものです。

 夢があるなら苦労しなきゃ、目標があるなら努力しなきゃ、やりたい仕事があるなら勉強しなきゃ、結婚したいなら自分を磨かなきゃ・・・っていう当たり前のことを言っても、「いや、私は才能があるのに認められない・・・」なんて勘違いしたこと言う阿呆もいるもんです。

 でもね~、才能があっても、それを武器としてやっていくには相応の修練と戦略が必要なんですよ。

 世の中で天才と言われている人は、皆、人並み外れた努力を怠らないもんです。

 俺なんか素質も才能もないから、そりゃあもう、苦労したもん。

 本当に素質と才能に恵まれた人というのは、意外とそれを活かすことのない人生を選んでしまったりするんです。

 多分、努力しないでできてしまうから、つまらないんじゃないでしょうかね~?


追伸;クエストDVD『武術秘伝の戦略』11月20日発売! 11月セミナー会場にて先行発売します! いや、今回のDVDは、うちの会員を見てやってくださいよって感じですね。太極拳に空手に太気拳に“徹しの技”に試し斬りに“新体道”までやってまっせ~(って、どういう内容やねん?)。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

批判と誹謗中傷は違う

 あ~、本格的に金欠だっ。ローン払う金もない。・・・こうなったら、仕方がない! 最後の大技“現金玉”を今年もやるか? 「みんな~、オラにゲンキンを分けてくれぇ~っ!」

・・・ふぅっ・・・、流石に去年、この技(ギャグ?)使ったから、今年は無理か?


 日曜日の定期稽古会も、また試練の季節を迎えてきました。

 そう、“冬”です。

 南国育ちの私は、冬がとっても苦手なのです。

 まだまだ秋になったばかりのように思って、「一年のうちで一番気持ちよくやれる季節
なんだよな~」と思っていたら、25日は妙に寒くなって、しかも小雨が降る中での公園の練習ですから、ちょっと参りましたね~。

 これから寒くなると思うと、ゲンナリするな~。でも、日曜しか参加できない人もいるからな~。あ~、冬を飛び越して春にならないかな~?


 ここのところ、差し手からの展開をいろいろと研究しておりまして、ちょっと前までは推手を研究していたんですが、また一巡りして差し手の研究をしている訳です。

 ちなみに、差し手という言葉は太気拳の言葉です。

 太気拳では高等戦術の技として重視されていますが、ごく一部の師範しか十分に使えない難しい技とされているように聞いています。

 技のメカニズムからすると、小野派一刀流の切り落としや、六合大槍のラン・ナン・チャーの原理を手から前腕にかけてやるものと理解してもらえばいいと思います。

 私は、この差し手の技術を“武術の普遍的な戦闘理論を成功させる重要な招法”として位置付けて研究しているのですが、その過程で、「空手の正拳突きは何故、腕を捻るのか?」ということの意味に気づき、実験を重ねて、「どうやら、これで間違いないだろうな」と考えるようになりました。

 無論、私が間違いないと思っているからといって、これが絶対に正しいのだと主張するつもりもありませんし、逆に言えば、よそ様から「長野が言っているのは嘘だ。あいつが勝手に言っているだけだ」と言われても、「はいはい、確かに私が勝手に言っているだけですよん。でも、実際に効けばいいんじゃないっすか? 私は実際に効くか効かないかを研究しているだけですよ~ん」と、お答えするだけの話です。

 で、この日は、空手の稽古で最も基本となる正拳突きの動作で差し手するやり方を練習しました。

 極力、腕の力を抜いて、スワイショウのように骨盤をキュンッと回転させることで腕そのものをほうり出すように突き出す・・・と、腕は自然に適度に捻り出される。

 その腕がブルンッと捻りながら弾き出される時のエネルギーは、鞭がビュッとしなるような勢いと同じで、相手が突いてきた腕の軌道を弾き逸らしながら、自分の突きはピシッと相手の顔面寸前に止ま・・・あっ、当たっちゃった!・・・スンマセン。勢いつき過ぎて止めるの難しいっス・・・。

 適度に勢いをセーブしながら練習してもらいましたが、コントロールが難しくて、皆、ボコッ、ボコッ、スイマセ~ン!と・・・「先生、これ、怖いですよ~」と言いつつ、何とか練習を続けてもらいました。

 ちなみに、この正拳突きは、腰をキル動作の次には突きがパシュッと突き終わるような具合に見えるのが理想です。

 更に言うと、突きが相手に接触したところから腰をキル動作をやっても威力が伝達するところに特徴があります。

 これ、要するに0インチパンチ(零勁)なんですね。

 でも、構造的にはごく普通の正拳突きなんですよ。ごくごく当たり前の正拳突きを、基本に忠実に“脱力して重心移動で打つ”と意識してやっただけです。

・・・っつうことは・・・「正拳突きは発勁であり、本質的に拳の加速距離を必要としない突き技である」ってえことになるんですよね~。

 私がこれに気がついたのは結構、昔(十年以上前)なんですけど、この突きの性質から戦闘理論を再検討するのには差し手の研究が不可欠で、それは三、四年前くらいからですかね~?

 アスペクトの二冊目の本が出た辺りから研究し始めて、理論的に確立したのは、丁度、会の分裂騒動があった半年くらい後になるでしょうか?

 差し手を初めて観たのは、躾道会の小林直樹先生が「僕はとても実戦で使うなんてできないけれど・・・」と言いつつ、門弟の突きに合わせて擦り逸らすように差し手で合わせ突きされていたのを観せてもらったのが、確か、最初です。

 その後、小林先生の御紹介で、至誠塾の高木康嗣先生をムック本の取材でお尋ねした時にも、実演してくださったように記憶しています。

 高木先生は、非常に気さくなオープンな性格の先生でしたし、意拳を研究して太気拳の稽古法を新たにシンプルに理論化されていました。

 中心軸の理論を基盤として、運動生理学的な誰にでも理解しやすい稽古理論を独自に確立されていて、当時の私は大いに感銘を受け、本の出版企画を高木先生に打診したものでした。

 そして、高木先生の監修で私の最初の著書が出たのです。

 が、この本に関しては、実をいうと後悔しています。高木先生の理論は高木先生御自身の言葉で語るべきだったのであり、私は他人の褌で相撲を取るような恥ずかしい真似をしてしまった・・・という気持ちが残り、正直、高木先生には申し訳なかったと思っています。

 むしろ、完全にゴーストライターに徹して書くべきだったのだと思っています。

 実際、その後、高木先生は門人の方の筆で新たに本を出しておられますし、内心では良くは思われていなかったでしょう(無論、そういう文句は私には言われませんでしたが)。

 それから後も、ライターのみの仕事も三冊こなしていますが、私は無意識にも自己顕示欲が働いてしまう性格なので、ライターの仕事は向かないな~と痛感するばかりです。

 けれども、高木先生との縁で勉強させていただいた事柄は、今でも游心流の核の中に入っており、特に立禅・試力・這いの練習法のベースは、高木先生に学んだ影響が大きいものである・・・と、自信を持って明記できます。


 いや、突然、何故、高木康嗣先生に学んだということを強調して書いているのか?と、いぶかしく思われるかもしれませんね。

 実は、稽古後にファミレスでしゃべっている時に、会員から、「至誠塾の人が長野先生の本かDVDについての感想をブログで書いていたんですが、すぐに削除されていました」と聞いたからなんです。

 私は相変わらずパソコン使えないし携帯電話も自分や関係者のブログをチェックするだけしか使えないので、もちろん、その文章は読んでおりません。しかも、削除されたそうなので、もう何が書いてあったのかはわかりません。

 けれども、これは想像なんですけれども、その方は、私の本やDVDを見て、「こいつ、高木先生から教わったことを隠して自分が考えた理論のように書いているのはけしからんヤツだ!」と義憤にかられたのではないかな~?と思えるのです。

 游心流を名乗った初期の頃は、私は自分が学んだり、示唆を受けた先生方のお名前はすべて明かすようにしていました。

 教えている時にも、「この技は~先生に学んだものをアレンジして使っている」といった話を今でもしています。

 しかし、学んだ先生の数だけでも二十人以上はおられますから、一々、書いていたらキリがないでしょう。

 それに、私が学んだと言うことそのものを気に入らない方もいるんですね。私と関係があるように思われたくないのかもしれませんし、「ちょっと、見せただけで教わったと言うのは不見識だ。あいつは弟子として認めてない」と怒る方もいます。

 では、言わない方がいいのか?と思っていると、今度は「俺が教えた技の名前を変えて教えているのはどういうつもりなのか?」と言われたこともあって、ど~すりゃいいんだよぉ~!・・・と思ったことも何度もあります。

 私が「游心流はパクリ武術です。私が勝手にデッチ上げたインチキ武術ですぅっ!」と公言するようになったのも、面倒臭くなったからなんですよ。もう、「アンタら勝手に悪く言えばええやんか?」と、開き直ったんですよ。

 でも、誤解しないでくださいね。

 私は縁あって、教えを受けた先生方、個人的に素晴らしいと思って研究の参考にさせていただいた先生方すべてに感謝していますよ。だから、その先生方が迷惑に感じられたとするなら、それは絶対的に私が悪いんです。

「いや~、長野君、よくやってくれた。有り難う」と言われるようにしない限り、私の筋は通らないんです(でも、まだ、筋を通せていない先生方もいらっしゃるので、自分が不甲斐ないです)。

 だから、高木先生に対しては、今でもちょっと申し訳ないというか、バツが悪いというか、後ろめたいというか・・・そういう複雑な感情があってですね。無意識に避けてしまうような面が無かったとは言えません。

 そういう意味で、確かに最近は、高木先生に教わったという点については、あまり書かなかったような気がしていますから、それで過去の事情を御承知でない御門人が義憤にかられて批判的なことをブログで書いて、それを高木先生が窘められた・・・のかも知れないな~?と、推測した次第なんですけども・・・。

 何にしても、私は高木康嗣先生と至誠塾に対して恩義しか感じておりませんので、どうぞ、御理解いただきたいと思っております・・・。


 また、どちらにしろ、公刊された本やDVDは、まな板の上に乗った鯉と同じで、どういう評価をされても、こちらは文句が言えないんですよね。

 ですから、批判されるのは当たり前のことだと思っていますから、ブログで採り上げて批判されるのも、どうぞ、遠慮なくおやりください。

 私としては、その批判意見の中から自分の問題点を探り出して今後の研究に建設的に役立てていきたいと思っていますし、無視されるよりは批判にしても意見を示していただく方がずっと有り難いのです。おためごかしや熱狂的思い込みの誉め言葉なんか何の益にもなりませんからね。

 無論、単なる感情的な誹謗中傷でしかなかったら、こっちも「このヤロー、まとめて訴えて慰謝料搾り取ってやるぅっ!」って思うだけなんですけど、私は批判意見は誹謗中傷とはまったく違うものだと認識しています。

 そもそも、武術の根本は、「瞬間的に相手の弱点を洞察する」というところから始まる訳ですから、どうしても批判眼が発達しがちで悪いところばっかりに眼が行くものなんですよ。

 それは社会生活する上では対人関係で邪魔になる能力ですが、危機管理の観点では都合が良いですよね。

 要は、馬鹿とハサミは使いようということですよ。


 あっ、何か、メッチャ、話が脱線しちゃったな~? まっ、いっか?


追伸;日子流の第二弾DVDが発売されたそうです。皆さん、是非、ご覧あれ。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

室内戦闘向けの十文字鎌槍を製作

 本部道場を開設してから、それまで一度も練習できなかった十文字鎌槍も練習できるようになって、「う~ん、余は満足じゃ~」という具合の稽古ライフを送っております。

 クエストさんから出るDVDでも槍の演武をやっていますが、やっぱり槍というのはグルグル振り回すようなもんじゃないですね~、実際は・・・。

 180cmくらいの六尺棒とか、もうちょっと長い中国の棍とかだと、結構、ビュンビュン回せるんですけど、2m50cmくらいになると、ちょっと無理がありますね。

 使いやすいという点では四尺二寸~五尺くらいがいいのではないか?と思いますが、棒や槍は、室内戦闘には向かないですね。

 かといっても二尺三寸の定寸刀でも室内戦にはちょっと長い。

 しかし、脇差だと短いから不安ですね。

 室内戦闘用の刀は一尺八寸~二尺くらいが一番いいのではないか?と思うのですが、三尺棒も結構、使い勝手がいいんですよね。

 三尺棒は、半棒術と呼ばれて戸隠流忍法体術の基本的な武器でした。

 この寸法は、実は座頭市の仕込み杖と同じ寸法なんですよ。あの仕込み杖の技は半棒術の応用だとも言われています。

 さて、槍というと、長い棒の先端に三角形の両刃の穂先が付いたものを連想しますが、実は護身用の槍というものも結構あります。

 刀は習練が必要ですが、槍は突き刺すだけ。誰でも使えるからでしょう。

 枕槍や手槍といったものもありますが、大名等の身分の高い侍が籠の中に護身用として携帯したものとして、“籠槍”というものがあります。

 これも半棒くらいの寸法の槍です。

 以前、町田の東急ハンズで、何となく、何かの細工物の材料になりそうだと思って、90cmのラミンの棒が半分に切ってあるもの(断面が半月型)を買っていたんですが、その後、何に使うでもなく放っておいたんですけれど、ふと、思い立って、室内戦闘用の籠槍みたいなものを作ってみようと思いました。

 切っ掛けは、クエストさんのDVDジャケットの表紙に載せる写真のデータが消えてしまったので撮り直しさせてくれという連絡があって、それなら、十文字鎌槍を構えている写真がいいな~と思ったものの、また道場まで来てもらう時間もないみたいなので、この槍の穂先を取り付ける柄を即席で作ってみようと思ったのです。

 で、どうせなら、ちゃんと室内戦闘用に使えるものを作ろうと思って、日曜日の稽古の後で町田の東急ハンズに材料を買いに行きました。

 最初は、片手で持つくらいの短い柄を作ろうと思っていたんですが(ラミンだと強度が足りないから握りの部分だけにしようと思った)、「そうだ。柄の芯に鉄棒を咬ませたら強度は問題なくなるぞ」と思って、90cmの半分に切ってあるラミン材をもう一本、買い(寸法が合うものが一本だけあった・・・)、芯にする手頃な鉄棒も買いました。

 ラミンは細工しやすいので、槍の茎(なかご)を挿入する穴と鉄棒を嵌める溝を彫刻刀で彫って接着すれば簡単にできると頭の中で考えていました。

 ところが、実際に作業してみると、結構、手間がかかりましたね。

 一つは大丈夫だったんですが、もう一つの棒が節が多くて彫刻刀で彫るのに苦労してしまったのです。痺れを切らして、ある程度彫ってから、電動ルーターでジャリジャリ~っと溝を彫りましたが、節が邪魔してデコボコになってしまいました。

「まあ、接着したら関係ないからいいかっ?」と思いましたが、加工に手間取ってしまったので、撮影日前日に一応、形だけができたという未完成バージョンとなってしまいました。

 けれども、接着剤を塗ってビニール紐で縛って固定した段階で、結構、カッコイイ感じになりました。壊れたビニール傘の部品を流用したプラスティックの石突きもいい感じです(傘の芯骨の鉄パイプを金ノコで切断して装着)。

 ちょっと張り合わせの隙間が空いてしまいましたが、ここは後からエポキシパテで埋めて、全体をポリッシュしてから漆塗料を塗ればカッコヨクなるでしょう。

 元々、穂先が小形だったので、このくらいの短い槍にしても違和感はありません。

 何か、ちょっと、柳生十兵衛が護身用に作ったという“柳生杖”を思い出します。

 棒の芯には鉄が入っているというのがミソです。

「しかし、これならステッキ型の吹き矢とかエアガンとかも作れるな~。う~ん・・・護身用グッズ作ってネット販売したら儲かるかもな~?」とか、いろいろと金儲け作戦まで妄想が広がりました。

 で、翌朝、未完成ながら、写真撮影だから振り回すでもないので、これとモンモン入りの古刀をバッグに入れて、高田馬場のクエストさん本社に向かいました。

 撮影場所は高田馬場駅から遠くない“おとめ山公園”・・・十数年前に自主映画のロケハンで来たことがありました。

 久しぶりに来てみたら、何と、トラキジの猫が何匹もいて、サイコー! 猫好きの私も、好みはうるさくて、外来種じゃなくて日本猫が好き。それも昔飼っていたトラキジが一番好きなんですね。一瞬、この公園に掘っ建て小屋建てて住みたくなりましたよ。

 余談ですが、ナニコレ珍百景で、車を押す猫と、二本足でピョコピョコッと歩く猫が登場していて驚きましたよ。うちの猫も後ろ足だけで立ったりはできたけど歩くのは無理でしたね~。


 もとい!

 公園の一角で道着に袴姿で刀と十文字鎌槍持ってポーズ取ってる俺・・・ちょっとグラビア・アイドル気分? 今回のDVDは、気合入ってまっせ~。

 しかし・・・刀も槍も本身だから、本当は戸外で抜き身で持ち歩いたりしてはいけませんけどね。たとえ登録証あっても・・・。


 撮影後は昼食に蕎麦を御馳走になって、今度は剣武天真流のDVD製作の打ち合わせに、西荻窪の青木先生の事務所を訪ねます。

 今回、私がコーディネートさせていただいているので、御案内しました。

 打ち合わせは楽しかったですね~。武道のDVDといっても、クエストさんの場合は、ちょっと映画作品を作るような雰囲気があるので、打ち合わせもいろんな話が出て面白いんですよ。

 丁度、撮影に使った刀と槍も青木先生にお見せしたかったので、青木先生が持っておられる刀も交えて、ちょっとした日本刀鑑賞会?にもなりました。

 何よりも、「武道はもう引退しましたよ」と以前、言われていた青木先生が、一巡りして、また武の世界に戻ってきてくれた・・・という展開は、武道界のビッグ・イベントですよ。

 でも、こんなに早く実現できるとは思わなかったな~。

・・・というか、こういう役回りをつとめることができるというのは、本当に光栄なことですよ。

 まだまだ、恩返ししなきゃならない先生方が何人もおられます。その恩返しが武道の世界のみならず、世間的にも意義があって永く人類の遺産となっていってくれたら嬉しいですね。


追伸;田中光四郎先生の日子流の発足式が開催されました。これから本格的に活動されていくと思います。お祝い申し上げます。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

クエストDVD第三弾チェック完了

 金はないのに忙しい。でも、仕事があれば明日は来るから、心配ないさぁ~!

 てな訳で、ちくま新書の初稿をあげて、セミナーやって、今度はサクサクッとアスペクトの新刊の原稿もあげて・・・と思っていたら、クエストさんから「DVDの仮編集が終わったので、ビデオ送りますから大至急チェックして・・・」との留守電がありました。

 ところが、ビデオデッキが10年以上使っていて、そろそろ寿命になりそうなザラザラ映像になっていて、これはマズイ・・・。

 火曜日の夜にもう一度かかってきて、「チェックは木曜日の朝までに・・・」とのことで、これでは事務局でビデオをDVDにコピーしてもらっている時間もない。

 それで、「だったら、会社に行きますから、そこでチェックした方が確実だし早いでしょう」と、水曜日の昼過ぎに高田馬場のクエストさんに行ってきました。

 それで、社内で仮編集のビデオテープをチェックしたんですが、いや~、自分で言うのも何ですけど、これまでで一番、面白いんじゃないでしょうか?

 解説しながら実演したんですが、解説が不足していたか?と思っていたんですけど、そうでもなかったですね。

 いや、と言うよりも、身体内部の重心操作ばっかりなんで、いくら説明したって外見ではほとんど解らないと思うんですよ。

 テイスト的には第一弾の時と繰り返しになるような技をやっているんですけど、もう全然違うことやっているように見えます。

 それはつまり、それだけ進展したってことなんですね。

 前にも書いたように、撮影直前に怪我してしまったので歩法の動きがかなり遅くなったと思っていたんですが、実際に見るとそうでもなかったので、ちょっと安心しました。

 でも、本調子でないのは観る人が観たらバレるでしょうね~。足をかばってるから中心軸もズレてる。まっ、しゃ~ないですな。

 本当は私は演武みたいなことやるのは好きじゃないんですよね。指導中に実演してる時は楽しいんですけどね~。何か、こっ恥ずかしくってナルシシズムに浸って演じるってのがど~もできません。この辺は、映像を気にしないでやっている特典映像と見比べてもらうと一目瞭然になっていると思いますよ。

 それにしても、今回のDVDは、うちの師範代はじめ会員さん達の見せ場もばっちりなんで、何か感無量ですよ。よくぞ、ここまで伸びてくれたもんです。

 今回は、発勁の養成法を集中してやったんですが、こういうのを見せてるのは他にないと思いますよ。

 武器術も、居合に剣術、中国鉄扇、十文字鎌槍とやっているし、護身術も面白いのが撮れたと思います。

 本編が一時間くらいだけど内容が多いから、相当観た感じがすると思います。それにセミナーの様子を映した特典映像が入りますからね。

 まあね~。残念だったのは、「髪の毛CGで増やしてね」ってギャグ言うくらい薄毛が進行してるのがショックだったけど、まっ、技が進化すればゲーハーくらい、何でもないさぁ~!(泣)


 これで、我が遊心流のクエストDVD三部作は完結しますが、10周年の年にここまでできたのは有り難い限りです。

 教材DVDの上級編も年内発売を目指して取り掛かる予定ですので、御期待ください。

 いや、本当に今年は頑張ったな~。本部道場もできたし地元新聞にも載るし、本も沢山書いたし、アクションの発表会で審査員までやらせていただくし、月例セミナーも盛況だし、後、二カ月半、まだ何か起こるかも?

 来年はもっと忙しくなるのかな~? 変革の年には変革者タイプの人間が必要になるだろうからね~。


 ビデオ・チェックが終わってから、会社の近くの店“一夜干し料理・ひもの屋網十”というお店で昼飯も御馳走になりました。鯖の定食食べたんですけど、美味かったです。

 いいお店も教えてもらって、高田馬場を後にしました。

 クエストさんとのお付き合いも結構、長くなりますが、武道や格闘技に対する愛情があって作品を作られているのが伝わってくるので気持ちいいですよね。“商品”じゃなくて“作品”として見てますよ。

 帰宅したら筑摩書房から留守電が入っていて、すぐかけ直して担当編集者さんと軽く打ち合わせしました。初稿をざっと読んで、面白かったということでした。具体的な手直しなどは来週にしてもらうことにして、今週中はアスペクトさんの本の初稿を大至急、仕上げてしまおうと思います。


追伸;これはもう発表しておいても構わないでしょう。新体道創始、青木宏之先生が新しく創始した居合流儀“剣武天真流”のDVDプロジェクトが具体的に始動しました。日子流(田中光四郎先生創始)のDVDを観て感動した青木先生が、クエストさんで出したいとおっしゃられたので、トントン拍子で進んだんですね。やっぱり日本武術の根本は剣術であり居合術ですよ。それを抜きにした体術も拳法も外国には勝てないですよ。システマ見てそう思いましたよ。正直、悔しくって、何とか互角に勝負できるものはないかな~?と考えましたよ。で、それは「日本刀を操る術しかないな」と思ったんです。その身法と心法は、日本で生まれ育ったものであり、唯一、誇れるものだと私は思います。剣術も、伝統の流儀だけでなく、現代の観点で新流が生まれることに意義があると思うんです。期待しておいてください。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

甲野さん、常識を疑う前に常識を弁えたらいかが?

 コンバットマガジンの甲野善紀氏の連載記事「君は何と闘うのか~世間の常識との闘い方~」が、益々、トンチンカンの度を深めてきています・・・。

 何回も野鍛冶でナイフを鍛造するやり方をマニアックに解説しているのを読んだ時は、「これは、一体、誰に読ませたくて書いているんだろう?」と思うくらい、庶民感覚のずれを感じました。

 第一、「都会生活者の一体、誰がわざわざ鉄を叩いてナイフを作れるのか?」という点を完全に無視しています。

 まあ、一件家に住んでいて鍛冶場を設置できる環境があったとしても、近隣住民から苦情が来るのは間違いないし、昨今、庭で焚き火するのさえ消防法で制限されるであろう御時世では、まず、都会ではOUTでしょう。

 私も小柄(日本刀装具の細工用小刀)を作る体験をさせてもらったことがありますが、これもブレードは既にできていて、それを削ったり焼き入れしたりしただけです。

 もし、炭素鋼を叩いて作るとしたら、素人が手におえる代物ではないでしょう。

 一般的なナイフメイキングも、鋼材をヤスリで削り出して作っていくものであり、甲野氏の解説していた内容は、読者の実用的な参考にはならないものでした。

 しかも、野鍛冶をイメージしたと思しき郊外のキャンプ場などで作る場合とか考えている時点で、あまりにも現実離れしていて非常識もいいところでした。

 鋼材の種類とか解説していたのには、呆れるのを通り越して笑うしかありませんでしたが、一体全体、その鋼材をどこから調達するのか? ヤットコやハンマーはどうするのか?・・・と、ツッコミ所しかないような妄論でした。

 もし、サバイバル的に刃物を作ることを推奨したいのであれば、材料らしい材料が無い場合を想定して、そこから簡易的に利用できるナイフの作り方を解説すべきでしょう?

 正直、コンバットマガジンが甲野氏の連載に期待することとは、まず、護身術、そして、サバイバル技術、さらに処世術・・・くらいなものでしょう。

 実現度が皆無に等しい鍛造ナイフの作り方という趣味丸だしの原稿は、ナイフマガジンだったら解らなくもありませんが、あまりにも場違いでした。


 しかし、まあ、いくらトンチンカンでも趣味の話なら害もないでしょう。

 ところが、第11回の連載記事では、仰天のトンデモ説を、さも当たり前のように書いていたのですから、唖然としてしまい、本気で正気を疑いました。

 引用します・・・

P178『・・・当時としてはまだ珍しかった玄米菜食の世界を知り、一気に惹きこまれていった。そして、“動物性蛋白質と言った物とは殆ど無縁だった江戸時代の一般人が、現代人よりも遥かに体力があった事を知るにつけ”・・・』

 どう、思いますか?

 江戸時代の日本人って、魚や貝は食べなかったんでしょうか?

 鴨とか鹿とか猪とかも食べなかったんでしょうか?

 甲野氏の決まり文句で、「常識を疑え」というのがありますが、これは、自分が非常識な人間である点を自己弁護しているんでしょうかね?

 何年か前にも、これと同じことをムック本の対談中で喋っていました(対談記事に勝手に文章をつけ加えていたと担当編集者から聞いた。対談相手に無断なんだから呆れます)が、未だに、こんな馬鹿げた妄想を信心していたとは驚きました。

 それとも、甲野氏の認識では、魚も貝も蛸も烏賊も雲丹も鯨も、海や川でとれるものは植物か菌類の仲間ということになっているのでしょうか?

 この記事中では現代農業や畜産業への批判を声高に宣言していますが、それなら、何故、甲野氏は自分自身が正しいと思う農業や畜産業を実践していないのでしょうか?

 田中泯さんや、大友映男さんのように、実際に理想とする農業をやってみせてこそ、現代農業批判をする資格があると思うのです。でも、泯さんも大友さんも声高にそういう下品なことは言わないでしょう。実践者は語らないものです。

 私には、甲野氏がエセ・エコロジストにしか見えませんし、武術に取り組む姿勢にも胡散臭さしか感じません。

 要するに、中身もないのに見せかけだけ構えて売名に励む人間にしか見えないのです。

 実は実践していないのに、いかにも実践しているかのごとく見せかけるインチキな体質は、もう、どうにもならないくらい性根に染み込んでいるのでしょう。

 玄米菜食は欧米で注目され逆輸入の形で日本でも注目されるようになっていますが、地道に続けてきている人達の間では問題点も知られています。

 それは、必須アミノ酸の欠乏によって鬱病になりやすいということです。

 ですから、厳密な玄米菜食をする人はむしろ少ないのです。

 甲野氏の問題点は、このような自説に都合の悪い点には触れないというところにも現れていますが、江戸時代の一般人が現代人よりずっと体力があったという理屈も何も根拠がなく、単なる自分の思い込みを吐露しているに過ぎません。

 現代人と比べて身体を動かさざるを得ない生活環境だったから、体力がずっとあったと早合点しているのではないでしょうか?

 比較しようのない論点を一方的に決めつけて発表するのは学究者として悪質なやり方です。

 いや、私は甲野氏を学究者とはまったく認められませんが・・・。

 彼を信用している方は、よく冷静になって観てもらいたいものです。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

何故か試斬力アップ!

 10月15日(文芸社武術と生きる日々ケータイで読めます!)の本部稽古会は、滅多に参加できないアメリカ在住の新会員の方の個人指導で昼に一時間借り、日本刀の礼法と扱い方、遊心流秘伝居合・卍月(バンゲツ)、居合術の目付けとタイミングの測り方の要領、基本の抜き方(横払い、縦抜き、斜め斬り上げ、横抜き)、柔術殺法と併せての居合術等を解説指導しました。

 それから、夕方7:00からの全体練習までメイプルビル内の喫茶店でお喋りして過ごしました。

 アメリカで日本人が俳優業をやっていくというのは非常な苦労を伴うだろうことは、ハリウッド・デビューした後の著名な日本人俳優が、そんなに活躍できていない現状を鑑みれば明らかです。

 いや、日本国内であっても俳優業で、売れる・食えるというのは並大抵のことじゃないでしょう。

 運も当然ながら、努力と忍耐、前向きな意識、自分を信頼する心、ある種の達観、戦略的な売り込みのセンス、他人の持っていない技能・・・等が必要な筈です。

 俳優の自殺率は結構高いと思いますが、それは売れているいないに拘わらず、自分の将来への不安感が大きいでしょう。

 そういう点は自由業の人間は皆、同じなんですが、今の時代では、特に単なる役者馬鹿ではやっていけないんじゃないかな~?と思います。

 だから、アメリカで頑張っている彼には、他人の持っていない“武器”をどうしても贈りたいと思って、無理を言って本部道場の稽古日に都合を合わせて参加してもらったんです。

 それが、“居合”です。

 私は町井先生のような超人的居合の腕は持っていませんが、武術としての居合術の探究は何年も続けてきました。形式だけの居合ではない武術としての戦闘に使える技を工夫してきているという自負心があります。

 その基本を指導しておけば、探究心の強い彼ならアメリカに帰ってから研鑽を積んで独自の武術殺陣を工夫し役者としての武器にしていってくれるだろうと思っています。

 だから、本来は居合の稽古を一年以上続けるくらいやった上でないと教えない卍月のやり方まで教えたのです。居合初心者に教えるような技じゃないんですが・・・。


 いや~、しかし、同じ苦労するにしても、自分が情熱を持って取り組んでいる仕事で苦労するのなら、いつ死んでも本望だ・・・というくらいの満足感はあるものです。

 彼と話しているとそんな感じがしましたね。

 生活の安定ばっかり考えてやりたくもない仕事を我慢してやるのと、多少、安定はしていなくても自分が悔いのない人生を歩くのと、どっちが幸せか?と思うと、彼も私も後者を選ぶ人間なんでしょう。

 先日、何年かぶりに連絡してくれた会員から、「先生の苦労した話を読んで、元気が出ました」と言われました。

 リストラされて病気になって腐っていたらしいんですが、まあ、世の中、そんな程度の苦労は誰でも経験するレベルですよ。嘆くような問題じゃありません。

 何か、思うんですけど、自分の恵まれない境遇を嘆いて腐っているだけの人って、そこから抜け出す努力をしていないもんなんですよね。努力しているつもりでも、わざわざ自分にできないような無理なことを選んでやり、結局、できない自分を正当化してしまっていたりする・・・。

 私はパニック障害持ってて、毎朝、通勤電車乗って会社に通うような仕事ができなかったので、家の中でやれる物書きの仕事を選んだんですよね。

 もちろん、そうそう食えるようになる仕事じゃないですよ。

 でも、10年以上続けて、本も何冊も出して続けてこれていますからね。自分の適性に合う仕事を選んで諦めずに続けてきたから、運もくっついてきたんだと思います。

 売れる売れないというのは後はタイミングの問題なんじゃないか?と思います。恐らく、チャンスは平等に誰に対しても巡ってきているんですよ。

 それに気づいて掴む人と気づかないで見逃してしまう人がいるだけで・・・。

 もしかすると、私は巡ってきたチャンスはほとんど掴んできているのかも知れません。

 武術に関しては確信をもってそう言えます。もう、個人としての問題じゃなくて天運があるんだとしか思えないくらい恵まれていますよ。

 だから、武術には恩返ししなきゃいけないと思っています・・・。


 7:00からの本部道場の稽古は、まだ人数は少ないですが、場所も広々としているし、毎回、充実しています。本当にここが借りられて良かったな~と思います。

 刀ばかりか槍もできるし、何よりも試し斬りもできてしまうのが良い。

 畳表を巻いて水に浸けておいて・・・というのは用意できませんが、今回もホームセンターで細竹を買ってきて、乾燥してえらい硬そうだったので、一晩、風呂場に浸けておいて水を吸わせるようにしておきました。ちょっとでも斬りやすくなるんじゃないか?と思って・・・。

 で、この日も稽古の最後に試し斬りをやらせたんですが、前回は師範代以外は全員失敗していますから、期待はしていなかったんです。

 しかも、前回はしっかり固定して斬ったんですが、今回は竹を立たせるだけの簡単な金具に使い終わったFAX用紙の芯をくくりつけただけの土台に竹を挿して、ほとんど不安定な突っ立っているだけの状態でやらせたんです。

 正直、こりゃあ、皆、無理かな~?と思ったんですが、まず、私が斬って見せて、それから全員に、順番に斬らせてみました。

 ところが、今回は前回、全然斬れなかったのが嘘のようにスカンスカンと斬れて、全員、成功! しかも、その斬り口も見事なもので、なんか唖然としてしまいました。
20091017.jpg


 斬る要領を事前に説明してやらせたので、皆、素直にやったのが良かったのかもしれません。

 が、今回は、ほぼ、“ただ、立っているだけ”でしっかり固定されている訳じゃありませんから、前回よりずっと難しい筈なんですけどね~。

 特に、失敗したか?と思ったら、すごく短い間隔でスパッと斬れていたりして驚きましたね。たった二回目でこんなに上達するものか?

 竹に水吸わせたのも良かったんだと思いますが、それだって完全に乾燥していた状態で山から切り出してきたばかりのものじゃありませんから、やっぱり凄いな~と思います。

 特に、九月に入会したてのTさんは、ひょいっと刀を落とすようにしただけでスカッと手ごたえなく斬れていて、本人も驚いていましたけど、こっちもビックリしましたよ。

 使った刀は、先日、剣術師範代が道場開きのお祝いにプレゼントしてくれた尾州住正泰です。試斬用にと貰ったものなので、斬れるだろうなと思ってはいましたが、本当に良く斬れました。

 若干、刃先が鈍いような気もしたので、事前に、刃先をダイヤモンドヤスリで軽く擦っておいたのも良かったかもしれません。

 それにしても、竹が斬れればマキワラは簡単に斬れる筈なんで、こりゃあ、先行きが楽しみです。

 居合術を探究する場合、実際に斬る技能があるという自信も必要だと思って試斬も始めたんですが、うちの居合術はかなり変則的な技を入れているので、形だけやっていると勘違いしそうに思ったのも導入した理由の一つです。

 居合道の師範には「日本刀は神器であり、ものを斬るのは邪道」という考え方をする方もいらっしゃるのは重々承知していますが、武術としての居合術を探究する以上、その邪道を避けて通ることはできないと考えています。

 そして、斬れる技量がある上で、人を斬らずに治められるのが本当の武術だと私は思うんですね。そのバランス感覚が重要だと思います。

 だって、戦う技量も勇気も持たない人間が武術を語るのっておかしいでしょう?

 私は何冊も武術の本を出して研究家と称している人間なんですし、おまけに金とって指導までしているんですから、口先だけにならないように日々の努力を怠る訳にはいきません。実践してこそ語る資格があると思っています。

 武道家には自分のやったことのない流儀を「あんなものはダメだ」と否定する人がざらにいます。やってから言うのなら、まだ許せるんですが・・・。

 日本武道が衰退しまくっているのも、精神論に与し過ぎて内実を磨く努力を怠ってきた当然の結果だと思うんですよ。

 だって、専門家が嘘や間違いを見抜けないで平然とパクッたりしているんですよ?

 文化としての武道精神を尊重するのは良いと思いますが、中身が衰微していったら意味がないでしょう。

 有り難いことに、私のところを尋ねてくれる人の大半は、探究心を持った人になっています。もう、そんなに興味本位なだけの人はいなくなりました。

 そして、自分の学ぶ流儀に誇りを持ちながら、未知の流儀への敬意と探究心を持っている人が集まるようになってくれて、本当に今が一番、楽しいですね。

 私は、今後は日本剣術、特に居合術の探究に力を入れたいと思っています。

 どうしてか?というと、日本武術を誇れるものとして世界に発信したいからです。

 率直に言ってしまって、もう、私は日本の武道人に期待するのはやめようと思ったんです。ほとんどの人が海外の武術の恐ろしいくらいの発展に気づいておらず、日本が武道の母国だという数十年前の感覚からいまだに抜け出していない。

 完全に取り残されてしまっていると思います。

 ペンチャクシラットやカリ、システマといった海外の武術の発展を見ていると、本来の日本武術の特質だった護身術としての良さを完全に上回っています。

 問題なのは、それを見抜けない人ばっかりだということです。アレを見て脅威を感じないのであれば、もう武道家でも武術家でもないでしょう。

 けれども、私は日本の武道武術のポテンシャルが劣るとは思っていません。

 私は日本人ですから、海外の武術にもろ手を挙げて降参したくはないんです。だから、どうやったら少なくとも互角に戦えるかな~?と、この一年くらいはずっと考えていたんですね。

 それで行き着いたのが、「やっぱり剣だな。それも居合だ。これしかないな」という結論に至ったんです。

「素手の武術に刀で向かえば勝てるに決まってるだろう」と思った人・・・おバカさん!

 日本剣術、居合術の“理合”を使うんですよ。無手で剣術をやるんです。

 日本の柔術って、元々、剣術の理合で原理的に構成されているんです。特に合気武術系統はその特徴が顕著です。

 本土に入って以降の伝統空手道も、剣道の影響が強く、剣術の理合をベースにしています。

 新体道の青木宏之先生も、「新体道のベースは実は剣術なんです」と言われていましたが、それを具現化したのが“剣武天真流”という訳ですね。

 田中光四郎先生が日子流のベースを小太刀におかれたのも、同じ観点だろうと思いますし、私もいろいろやっているうちに、結局、居合術にすべてが収斂してきたんですね。

 21世紀は日本武術の剣の理合が役立つ時代になると思いますよ。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

破門ということについて

 セミナーの日の帰り、師範代が「先生、条件付きの破門というのがあるんですか?」と、突然に聞くので、「えっ、どういう意味? 破門は破門だよね。条件付けて破門にするなんて聞いたことないけど・・・」と答えました。

 すると、「あっ、そうですか。僕はてっきり、武術の世界には条件をつけて破門にする風習があるのかな~?と思って・・・」と言うのです・・・。


 何でも、ある人のブログに、その人の元の師匠がしつっこくコメントをダメ出ししていて、“どうやら破門にした時に条件をつけていたらしく、それを守らないことに腹をたてているようだ”というふうに思った・・・と、“武術の世界には独自の風習があるらしいから、条件をつけて破門にしたりする風習があるのか?と思った”そうなんです。

 しかし、その書きようがあまりに愛の無いもので、読んでいてウンザリさせられたと言うのです。

「そもそも、条件をつけるというのは門下生につけることであって、破門にするということは、“貴方は門下生ではない”ということなんだから、どこで何をどうしようが本人の勝手だろ? 破門にした元弟子のブログにダメ出しし続けるなんて、そりゃ~嫌がらせしてるとしか言えないね。自分のブログに書けばいいことだよ。そうでしょう? そういうのは前代未聞だね~」と、答えました。

 翌日、いつものように原稿書いたフロッピーを取りに来た師範代に、気になったので、携帯でちょっと見せてもらったんですが、正直、唖然となりました。

「“これ”が元の師弟の間のやり取りなの? これは、単なる“荒らし”でしょう? この人は、ブログがまったくの第三者の目に触れるってことを解ってやっているのかな? こんなことやっても、自分自身の器の小ささを満天下に宣言するだけで、恥さらしにしかならないよ。職業武道家でなくったって、会を主宰しているんでしょう? どんな理屈つけてみたって、こんなに頻繁にダメ出しし続けるのって、破門にした元弟子をやっかみで嫌がらせしているとしか読めないよ。第三者にそういう風に思われてしまったらどうするの? 自身の立場とか考えないのかな? まあ、考えてないからやっているんだろうけど、それにしてもやり方が陰険だと思うね・・・」と、読んだ感想を言いました。

 私はまったく面識のない人なので、ここでお名前は出しませんけれど、でも、あまりにも大人げないやり方だと思いました。

 破門というのは、されるのも恥だけど、実はする側にとっても恥なんですよ。

 私なんて何人も破門にしていますから、大恥です。

 どういう意味か?というと、要するに“自分の指導力不足の宣言”でしかないからなんですよ。

 武術というのは人を傷つけたり殺したりしてしまう危険性を持っているものなんだから、それを指導するというのは責任が伴いますよね。

 武道やっている人間が人を怪我させたら罪が重くなることも実際にある訳ですよ。

 だから、“みだりに技の内容を口外してはならない”というのは、当然にして基本的な指導する者が教えるべき基本事項なんですね。

 再三注意してもそれを守れない者を破門にした・・・それ自体は理解できます。

 でもね。破門にしたということは、もう関係ない訳です。教える義務も義理もありませんよ。

 例えば、私のところの元会員にも、自分勝手なこと言ったり書いたりしている人間はいるらしいです。でも、もう破門しているんだから、私は一切、文句言うつもりはありません。

 もし、私や流派の名前を使ってやっているんだったら詐欺行為だから、当然、止めさせなきゃなりませんけど、そうでなかったら別に何をどうやっていようが私が関知することじゃありませんからね。

 トラブルが発生しても本人の自業自得だから、私は余計な口は挟みません。

 冷たいようですが、破門するということは「見捨てる」ってことなんです。言っても聞く耳持たないから、「じゃあ、勝手におやりください」ってことなんですよ。

 だから、原則的に破門にしたら後は何をどうしようが本人の勝手。

 だから、この元弟子のブログにダメ出しし続けている方は、やればやる程、自身の醜態を晒しているという事態をよく認識された方がいいと思いますね。

「みっともない」の一言だからです。

 通りすがりの人がそのようなコメントをしていましたが、それに対して「着信拒否されているからド~ノコ~ノ・・・」と、元弟子の人格攻撃をコメントしたりしていましたが、そういう言い訳をすればするほど、恥の上塗りにしかならない。

 そんなに気に入らないんだったら、チマチマとブログの文章に文句垂れてないで、直接、乗り込んでぶん殴って叱りつけるか、内容証明の書留送って「止めないと知的所有権の侵害で告訴しますよ」って宣言すれば済む話でしょう?

 私も会に所属したまま別団体に通っている人が陰で私を中傷している文章をブログに書いていると知らされて怒ったことあります。

 会に所属したままだったから怒ったんですよ。筋の通らない真似をする心根に腹が立ったのです。悪口書きたいんだったら退会してから思う存分、書けばいいでしょう? 私の目や耳に入らないところで悪口言うのにまで文句つけるつもりはないです。

 そんな卑劣な人間とは関わりたくありませんし、ヒマもありません。


 話を戻します。

 よく、考えてみてください。

 ストーカーみたいな真似されたら誰だって着信拒否しますよ、当然。その上、ブログの内容にイチイチ文句つけてくるのって、どんな正当性主張したところで、嫌がらせ以外の何物でもないんですよ。

 笑ってしまったのは、「破門にした意味を考えるべきだ」とか書いていて、「何なんだろう、この偉そうな態度は?」と思いました。

 破門にしたら師も弟子もないんだから立場は対等な筈です。いつまで師匠ぶってるつもりなのか?と、呆れましたね。

 仮に師弟の間柄でも、相手の尊厳を踏みにじるような物言いが許されるとは思えませんし、本当に、よくこんな一方的な嫌がらせに律義に対処しているな~・・・と、ブログを書いている方の忍耐力に、むしろ、感心しましたね。

 これは自戒を込めて申しますが、他人の批判をするからには、自分がそれをできる資格があるだろうか?と常に心のどこかに意識しておく必要があると思うんです。

 結局、因果応報って言うものは、やっぱり本当にあると思うんですよ。


 一つだけ確実に言えるのは、「この元師匠は武人じゃないな」ってことだけです。武を学ぶ人間の筋の通し方を弁えていらっしゃらないな・・・と、そう思いました。


 でも、ブログにコメント欄付けたら、私のところは即座に大炎上してるでしょうね。電話番号変えて非公開にしているのも、一日、多い時で70件くらい嫌がらせ電話かかってきて仕事に差し障りが出たからなんですよ(当然、被害届け出してますから、相手は警察の要注意人物のリストに載ってる筈です)。

 武術業界は粘着気質の脳みそが腐ったような連中が結構多いんですよね。

 私は、そんな連中に礼儀を払うだけ無駄だと考えています。付け上がるだけです。「文句があるなら勝負して決める覚悟は当然ありますよね」ってだけの話です。武術に民主主義はないんですよ!

 だから、私は武術の技に関して他人と技術論を交わす趣味は一切ありません。そんなことは百害あって一つの利もありゃしません。最終的には「戦って決めよう」ってことにしかならないんだから・・・。

 個人的に他の団体とかかわっても、間違っても技術交流はしませんよ。トラブルの元凶にしかならないのが解ってますからね。何度、煮え湯を飲まされたことか・・・。

 だから、自分の流派の内容を高めることしか関心ないですよ。それに、私と同じ考えで武術に取り組んでいる人は、恐らく、一人もいないと思うんですよ。近いこと考えていたって、微妙に目的は違うものです。そうなると、下手すると近親憎悪みたいな感情のもつれが出てくるんですよね~、これが・・・。

 そういう、くだらない揉め事に巻き込まれるのはごめんですよ。

 この破門した元弟子のブログにダメ出しのコメントをしつこく書き込みしている人も、要するに近親憎悪でしょう。

「俺のシマを荒らすんじゃねえぞ」ってのが本音でしょうね?

 それが透けて見えるから不快感しか感じられないんでしょうね。

 もし、そうではなく、純粋に元弟子のブログ内容の問題点を指摘しているだけなんだとしたら、それは自ずと文章の書き方に反映しているでしょう・・・。

 私自身も、文章書いて印税いただいている人間ですから、勉強させていただきました。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

橋下知事は大人げないのか?

 訓戒メールに対して皮肉たっぷりの反論を返した女性職員を厳重注意処分したという話をニュース番組で見て、考え込みました。

 橋下知事はちょっと大人げないかな~?と思いつつも、いや、こういう場合は立場を弁えるように厳しく対応するのも必要なのか?と、どっちが正しいのかよく判らなかったからなんですね。

 最初は、「この人も大人げないな~」と思いましたよ。権威主義的に思えたんです。

 もう、読者の皆さんは充分に察知されていると思いますけれど、私は独善的で権威主義的な人間というのが物凄く嫌いなんですよね。だから、政治家になりたがる人間の気持ちには、一切、共感できないんですよね。

 もっとも、武術武道の世界なんて、そういうタイプの人達の巣窟みたいなもんですから、私はもう、本当に嫌で嫌で仕方がないんですよね~。そういう連中とは付き合いたくないですからね。

 でもね~、「上司に対して言葉遣いがなっていないだろう」といわれると、確かにそうなんですよね。

 私も年齢的にも社会的な立場という点でも、責任が求められるようなポジションに立たざるを得ない場合が増えてきていますし、そういう場合に横並び一線にお友達感覚で付き合うのはかえって問題が大きくなるということも解ってきていますから・・・。

 特に、仕事場では上下関係は厳密にしておかなければならないですよね。

 そういう点で、橋下知事のいうことはもっともだし、そのもっともなことをいわねばならない事態が情けないという想いでいたとしたら、理解できます。

 私もラブホの仕事辞める切っ掛けが、新しく入ってきたマネージャーが仕事熱心なあまり、バイト仲間の疑心暗鬼を煽るような提案をしたのに反発したことがあったんです。

 ラブホのルームメイクって、二人一組のチームでやるんですが、先に掃除した部屋を別のチームにチェックさせることを押し付けられたんですね。

 これって5分以内に終了することを要求される仕事で、余計な時間を要する上に、チーム同士の確執を煽ってしまうことになるのが目に見えていたんですよ。

 で、実際にバイト仲間の間に険悪なムードが漂ってしまっていたのです。

 だから、私は日誌に「私はやらない」と宣言して実際に拒否したんです。

 すると、「貴方は会社で仕事することに向いていない人間だ。やらなければ辞めてもらうしかありません」と、わざわざ日誌に書かれていました。

 ラブホのバイトをやっている人は二種類で、若い人は興味本位で選んだ人が多く(他にいくらでも選べるでしょう)、中年以降の人は生活費の足しに選んでいるので、辞めさせられると困る人が多かったのです。

 だって、仕事はきついし、金は安いし、人に誇れるような綺麗な仕事でもないんだから、それを選ぶというのは、よっぽど生活に困っているしかないんですよ。少なくとも私はそうでした。とにかく汚れ仕事でも何でも金貰えるならやろうと思ってましたね。

 でも、道場の方も持ち直してきつつあったので、バイトの回数も減らしていた頃だったんですよ。

 それで、呼び出されて、その新人マネージャーは「従わなければ辞めてもらうしかありませんよ」と脅し文句をいうので、「はい、判りました。それでは、辞めさせていただきます」と答えました。

 マネージャーは、私が謝ると思っていたみたいで、かなり高圧的な態度だったので、一つ、逆説教してやろうと思った訳です。

 驚いた顔をしている彼に、「私は確かに会社勤めには向かない人間かもしれませんが、辞めると決めたので敢えて言いますけど、貴方は私より年下ですよね? 年上の人間にそんな見下すような態度を取るのは社会人としての礼儀が欠けているとは思いませんか?」と、ちょっと凄んで言いました。

 いや、なめた口きいたらぶん殴ってやろうか?くらいの気持ちはありましたよ。私はプライドだけは物凄く強いので、礼儀知らずな態度を取られるのは許せない性格なのです。

 だから、余談ですけど、2ちゃんねるで私の悪口書いている連中も、いずれ纏めて告訴して金を搾り取ってやろうと考えています。野放しにしといた方が、それだけ膨大に名誉棄損の証拠ができて私が有利になるでしょ? だから、どうぞ、遠慮なく、暗殺計画でも何でも、お好きに書いてくださいませ(笑)。

 元に戻ります。

 そのマネージャーは「すいませんでした」と謝ってくれたので、それはそれとして、でも、辞めると言った以上は辞めると決めて、それから一カ月、今まで以上に仕事を頑張って(手抜きしたと言われたくなかったので)、辞めました。

 その間、「考え直しませんか?」と店長さんも言ってくれましたが、上司の命令を断った以上、辞めるのは筋だと思ったのです。筋の通らないことはやっちゃいかんですよね。

 その経験もあったので、橋下知事に反論した女性職員の心意気も理解できなくはなかったんですが、やっぱり、反論するなら退職する覚悟はしなきゃいけないと思うんです。

 謝るくらいなら、中途半端に反論しちゃいかんと思うし、橋下知事の横暴さや権威主義的体質の問題点に対する意見があったら、論理的に意見しないとダメでしょうね。

 私も横暴だとか非常識だとか礼儀知らずだとか卑怯者だとか裏表があるとか嘘つきだとか言われることはあります。でも、否定はしません。自分が真っ正直で清廉潔白な立派な人間だなんて、ただの一度も自己認識したことはありませんから・・・。

 むしろ、自分で誠実さを装う人間は信用ならないですよ。

 面と向かって私に言うんじゃなくて、陰口たたくだけ(私の知人に手紙書き送ったりFAXしたり・・・これって犯罪じゃないかな?)なんだから、後ろめたいんでしょうけど、ただ一言、「男らしくない」としか言えません。

 仮にも武術修行者だったら、そんなに気に入らなけりゃ、直接、ぶん殴りに来たらいいんです。

 だから、実際に来た人は尊敬しますよね。何人かはいます。そこから親しくなった人もいます。

 やっぱり、口先だけの男って、一番、信用されないでしょう?

追伸;そういえば、小島一志さんは元気なんでしょうかね? 彼の名前を全然関係ないところで耳にしたんですけど、本当に誰に対しても暴力をちらつかせて威嚇するのがシュミなんですね~? 臆病なのがバレバレになるだけなんだから、いい加減、チンピラちっくな強がりはやめた方がいいですよ~、小島さ~ん。

追伸2;前原大臣の抹殺宣言を2ちゃんねるに書き込みしたお馬鹿さんが捕まったそうですけど、何で、そういうくだらないことするのかね~? 注目されたいのか、単なる自己満足なのか・・・意味が解りませんね。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

町井勲先生、凄過ぎ・・・

 ベストハウスのスペシャルで、“リアル五エ門”こと町井勲先生が登場して、またも唖然とするような居合斬りを披露されていました。

 どうも、斬心塾の東郷秀信師範を意識されているものか? 鉄板斬りに続いて東郷師範が雑誌『秘伝』で披露していた生卵斬りもやっていたり、試斬の革命児として知る人ぞ知る存在だった東郷師範に完全に並びましたね。

 それにしても、抜き打ちにエアガンから発射されたBB弾を斬るという驚異を通り越して神業そのものの実力を持つ町井先生が、今回、挑んだのは落ちてくる枯れ葉を抜き打ちに斬るというもの・・・。

 これ、スピードがゆっくりだから易しいと思う人がいるかもしれませんが、とんでもないですよ。まっすぐ落ちる訳じゃなくて風で軌道も変わるのでタイミングが読めない。

 これは難しいだろ~と思っていたら、難無く成功されていて、集中力が常人とは違うんでしょうね。

 手打蕎麦一本を縦に斬るというのは、もう笑うしかないくらいの正確無比さ。

 そして、大道芸で演じられる、刀に新聞紙の輪を吊るして角材を乗せたのを木刀で切断して見せるということも、ほぼ成功されていましたけれど、これは物凄くスピードが出ないと無理でしょうからね。

 多分、「刀に助けられているだけで実力じゃない」みたいに中傷する声もあったらしいので、斬撃の実力そのものを示してみせようという気概だったんじゃないでしょうか?

 私も「遊心流の表芸は居合術です」という以上、町井先生の境地を目標にしたいものですが、「どこまでできるんだろうな~?」って、純粋にそれが見てみたいですね。

 滝の水に向かって刀をふるう町井先生の太刀捌きを拝見すると、刀の斬り返しの速度が凄いですよ。

 かなり薄刃の刀を使われていたように見えたんですが、1.3kgの重い刀で千本斬りされたくらいだから、ちょっと軽い刀を使えば凄いスピードが出せるでしょうね。

 しかし、現代で、こんな凄い遣い手の技が見られるなんて、ラッキーだな~と思いますよ。江戸時代以前の剣の達人と言われた人達だって、ここまでできた人はそんなにはいなかったんじゃないか?と思えます。

 それと、いかにも武道家~って顔をしていないところが良い。いくら実力があっても、いかにも?って雰囲気の人は、なんかヤだ。

 まあ、私が武道家・武術家アレルギーが強いからなんですけどね~。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

石原志保独舞・踊り場作業4「否連続」

 10月9日金曜日の夜、plan-Bにて石原志保さんの独舞公演があったので、観に行ってきました。

 今回は大型台風本土上陸の微妙なタイミングだったんですが、台風は木曜日に上陸して過ぎ去った後だったので、問題ありませんでした。

 が、今回の警戒警報は凄いものがあって、確かに竜巻が発生したりして死者も出る災害でしたが、備えがあった分、被害は最小限に留められたんじゃないでしょうか?

 以前、豪雨で地下街が水浸しになり、スナックかどこかで被害者が何人も出た事件がありました。もし、一日ずれて大豪雨が降っていたら、plan-Bは地下にあるので、危険なことになっていたかもしれません。

 まずは台風一過で東京の霞んだ空も、いつもとは違う澄み切った蒼さを見せてくれていました。

 今回の公演、実は、現在、NPO新体道の代表/首席師範を勤める大井秀樹先生も、是非、観たいとのことで同行することになっていまして、思えば、舞踏の開祖・土方巽と親交のあった新体道開祖・青木宏之の関係性が、そっくり繰り返されて復活するようなイベントになる予感がありました。

 WOWWOWで放送された田中泯さんのドキュメンタリー番組を観た青木先生から教えられて大井先生も観て、「是非、お会いしたい」という要望があって実現したんです。

 私が予約の電話を入れても中々、連絡がつかなかったので、本部に直接電話してみたところ、何と、田中泯さんが出られたので、石原さんの独舞公演の予約と、新体道代表者を同伴するということをお話しました。

 いつも、泯さんもお弟子さんの公演の時は来られているので、終わった後で御紹介すればいいと思っていた訳です。

 当日、丸の内線の中野富士見町駅で待ち合わせすると、うちの指導員のYさんも来ていて、すぐに大井先生も若い女性と一緒に現れました。

「え~っと・・・奥さんですか?」と私が聞くと、「いいえ、天真書法塾の吉田の娘です」とのことで、「あ~っ、この前の新体道ライブで出ていた・・・」と、女性の顔をさっぱり覚えないことで有名(なんか恥ずかしいから、あんまりよく顔を見れない。二、三回会わないと覚えられません)な私も思い出しました。

 しかし、後で思ったんですが、DNAっていうか、一緒に暮らしているとうつるというか、あの母親にしてこの娘ありだな~と、思いましたね。もう、凄い天真爛漫で邪気が無い! しかも、凄く賢い。

 いや、待てよ・・・新体道やっているから、こうなるのかな・・・?

 最近、武道アレルギーが酷くなってきた私が付き合える希少な流派が、新体道であり天真流剣武なんですね。強いとか弱いとかスッ飛ばして無邪気にやっているところがいい。

 もう、武道の世界は、人の演武を見りゃあ、ケチばっかり言って「あんな技は実戦に通用せん」と踏ん反り返るようなヤツばっかしで、「もういいよ。アンタがサイキョウ(最狂?)だよ!」って言いたくなる、世の中でNGになる人ばっかしだからな~・・・新体道はそういうバカがいないからいいよね。

 余談ですが、動画で新体道や天真流剣武の練習風景とか見たんですが、もうね~、メチャクチャいいですよ~。武道特有の殺気(邪気だよね)が全然なくて、おおらかで柔らかく伸び伸びと全身を使って、それでいて技の切れ味は鋭い・・・そこが素晴らしい。

 武道引退宣言を出してから、すっかり過去の人と思われてしまっていた青木宏之先生も、竹林で太い竹をバッサバッサ斬っていて、“竹斬りの翁”?と化しています。

 それにしても、手首くらいの太さの竹って、あんなにパカパカ斬れたっけ? 特に試し斬り用に作った刀を使ってるのでもなさそうだし、よく斬れる鉈でも一発でスカッとは斬れないものだと思うんですけど・・・ってか・・・環境破壊?(いいえ、ちゃんと竹林の持ち主の許可は得ているそうです)


 さて、中野富士見町駅からplan-Bへと向かいます。徒歩で約7分くらいでしょうか?

 会場に入って前の方の席に座ると、すぐ前に田中泯さんも座られたので、ここで大井先生を御紹介しようか?と思いましたが、すぐに始まりそうだっので、終わってからにしようと遠慮しておきました。

 石原志保さんの独舞は、私は恐らく泯さんの踊りよりも回数は多く観ています。

 いや、同一のダンサーの踊りを観た回数としては一番多いかもしれません。

 以前はいろんな踊りを観に行ったりしていた時期もあったんですが、私の場合、宮本武蔵じゃないけれど、すべて武術研究に役立てたいという考えがあってなので、純粋な気持ちで踊りを観るということはどうもできない体質なんですね。

 それでも、最近は私自身が少し気持ちの余裕ができてきたからなのか、あまり余計なことを考えないで観れるようになってきたように思えます。

 もう、何を観ても武術に還元してしまうのは私の宿業みたいなもんなので、しょーがないと諦めたから、肩肘張らずに観れるようになったのかもしれませんが・・・。

 う~ん・・・それにしても、地味だ・・・。

 観る度に、石原さんは動かなくなっていく・・・。

 ただ、立っている・・・。

 少し身じろぐ・・・。

 じわじわとしゃがむ・・・。

 何か、インドの山奥でダイバダッタの修行を受けているヤマトタケシの姿を思い出してしまったぜよ(byレインボーマン)・・・あっ、また、いつもの悪い癖で森羅万象を脳内で特撮ドラマのネタに変換して考えてしまうオタク思考回路が勝手に働き出してきてしまった・・・?

 う~ん・・・本当に動かないな~・・・あっ、俺もうつってきて勝手に腕に力が入ってきてるぞ?

 何故か、俺の手がグワシの形になったまま固まっている・・・。

 むぅ~・・・アカン・・・何か、少林寺僧が少林羅漢睡臥功の荒行をやっているのを見ているような気になってきたぞ・・・。

 そういえば、昔、飼ってた猫がコタツの中でヨガみたいなポーズとったまま固まって寝てたのに似てるな~・・・んっ?・・・ってか、これで終わりか?

・・・とか、今回はメッチャ要らんことばっかり脳裏に浮かんできてしまいましたよ。

 何故ならば、最早、踊りが“禅の境地”に達したかのような迷いのない前衛っぷりに、身体が勝手に反応してしまうもんですから、えらいキツイんですよ。何か、少林寺三十六房に迷い込んでしまったような・・・?

 でも、終盤は、人力でローリングする舞台上を四つん這いでグルグル回る舞の語源(“まわる”が“まう”の語源)ともなったアクションで、やっと解放された感じ。

 しかしま~、踊りがどんどん地味になっていくのに反比例して中身はどんどんキツクなっていっている。もはや、奥義“体の合気”のごとく、触れただけで人がふっ飛ぶ技無き技の境地に向かって行くのか・・・? それは泯さんしかわからない・・・。

 立ち上がって、固まっている腕の筋肉をほぐして関節をコキコキ動かすと、観てるだけでこうなんだから、やっている石原さんはどうなのよ?って思いましたよ。


 公演終了後、泯さんに大井先生と吉田さんを紹介し、「あの~、もしかして、彼(一緒に来ていたうちの指導員)、この前、メッチャ睨んだりしてましたか?」と恐る恐る聞いてみると、「うん、凄いガンつけられたよ」とのことで、土方巽生誕の集いの泯さんのエキサイトした理由が判明しました・・・やっぱし、うちの指導員がガンタレとったんですね~・・・私は隣に座っていたんで角度的に判らなかったんだけど・・・。

 凄いな~、こいつ、世界の田中泯にガンタレた男ですよ。俺はよ~できんな~・・・。

 でも、大井先生が一言、「そういえば、そういう顔をしてますね~」とYさんに言った言葉が一番、ショックだったと彼は申しておりました・・・。


 公演終了後はいつも懇親会をされていて、山梨で泯さん達が育てている野菜を調理した料理が振る舞われます。ナスビが、カブが、ジャガ芋が、カボチャが美味いっ!

 ここで軽く新体道の青木先生のことや、パーカッショニストの土取さんやトランペッターの近藤さんのことなども話題に出てましたが、何と、劇場アニメ『鉄コン筋クリート』を監督したマイケル・アリアス監督も来られていました。

 この作品で泯さんはやさぐれたヤクザ“ネズミ”を演じていて、これがまた実写版かと思うような感じなんですよ。これ、観てくださいよ。

 マイケル監督は、その後は『ヘブンズドア』も監督されて、泯さんも出演されていたと思うんですが、こちらは残念ながらまだ観ていません。DVD化されてるのかな?

 私、英語がめちゃ苦手なので、マイケル監督と話したかったんだけど話せずにいましたところ、後で日本語できることを知って、「しまった~」と思いましたね。『鉄コン筋クリート』が良かった・・・と、一言、伝えたかったです。

 ところで、懇親会の時に泯さんが「本当にデタラメをやろうとすると凄く難しい」ということを言われていました。

 う~む、確かに・・・。デタラメにやろうとしたって、意識が邪魔したり身体が覚えている動きが出てきたりして、本当の意味でデタラメにやるというのは、かなり難しいことでしょう。

 なるほど、泯さんが追求しているのは、守・破・離という定義をも超えた踊りの概念すら無くなった生命体の原初の衝動みたいなものなのかもしれない・・・と、そんなことも思いましたが、こういう言語化する作業をも捨て去りたいのかもしれないですね。

 表現するという行為は、人間の持つ衝動そのものだと思うんです。私は武術を表現手段とは思っていませんが、それは文筆業という表現手段を持っているからかもしれません。

 先日、青木先生から新体道のライブで私も何か演武やってみませんか?とお誘いを受けたんですが、御遠慮したんです。

 新体道の演武は芸術として成立していると思ったんですが、私の技はとてもそのレベルに至っていません。自分のレベルを勘違いするほど世間知らずじゃないです。

 例えば、今回の石原志保さんの踊りは、“踊り”という言葉から通常受けるであろう躍動的なイメージは皆無でしたが、徹底して動かないことで身体内部の細胞が動く様子を表現してのけていたんです。

 だから、それを感じ取れる人の場合、深く感動させられるんですね。見かけじゃないんです。

 でも、大井先生はともかく、若い吉田さんがそこを観て取っていたのには驚かされましたよ。

 うちのYさんの場合も、自分でもダンスを習いに行ったりして勉強しているので、その外見に現れない凄さが判ったようで感動していました。が、以前の武道一直線の時だったら観えなかったでしょうね~。


追伸;ダンス白州2009「四つの節会・水の節」は、10月16日~18日にかけて開催されます。未体験の人は、この機会に行ってみたらどうでしょうか?

追伸2;田中泯さんが、10月25日(日)の16:00から、国立音大講堂小ホールで行われる「第5夜・音楽と身体 カーゲル追悼」に、特別出演してダンスを披露されるそうです。こちらもどうぞ。

追伸3;新体道パフォーマンスのライブが11月4日(水)に江古田BUDDYにてPM7:00より開催されます。こちらも是非、どうぞ。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

武器術セミナー感想

 10月の月例セミナーも無事、終了しました。

 新型インフルエンザの影響があったのか? いつもより参加人数は少なく、無欠席だった人も来られなかったりしていましたが、棒を振り回すので人数が少ない方が都合が良かったので、結果的には良かったと思います。

 今回、初参加で最年少の中学生がおられましたが、彼がまた武歴は凄いから驚きましたよね。

 詳しく書くのは割愛しますが、空手道を長く続けながら中国武術や沖縄武術、日本古武術も経験があるというのですから驚かされましたよ。

 で、修行歴も長いからか、動きも非常に良かったですね。とても中学生とは思えませんでした。

 でも、後から考えてみると、ヤワラちゃんも中学生で活躍していたんだよな~?

 私の中学時代のビーバップ連中だって、多分、普通の大人とガチで喧嘩しても勝ってただろうしな~?

 今回のセミナーは、「遊心流は居合術の流派です」というのを証明したいと思っていて、真剣で竹斬るとかいろいろやろうか?と思っていたんですが、持っていく荷物が重たくなり過ぎて片道二時間近くが大変だな~と思って、断念しました。

 参加者の中に古流剣術をやっていた人もいらしたんですが、やっぱり型だけやっていても意味が判らないと疑問を持っていらした様子なんですね。

 どんな素晴らしいものを習っていても、やっていることの意味が判らないままだと、それを実際に活かすことは不可能に近いくらい難しいことだと思うんです。

 それが現代の型を中心に学ぶ武術の問題点だと思いますね。

 しかし、武器術の場合は、まったく力が意味をなさないものです。

 力任せにたたきつけていっても、技術が上の相手にはまず絶対的に勝てません。

 武器そのものに殺傷力がある場合は、要は、先に当てた方が勝ちなんですよ。

 遊心流の体術で発勁を打てるように指導しているのは、素手で充分に殺傷力が出せるようにすれば、後は先に当てれば勝てるという考えがあるからなんですね。

 つまり、武器術の発想で体術を考えている訳です。

 今回は、武器術だけ教えると初参加の人がつまらないと思って、基礎錬体の動きを組み合わせて応用した体術技法も前半にいくつか指導しました。

 後半は、棒を持っての剣術・居合術・無刀捕りなどを中心に指導しました。

 うちの剣術の場合、剣道のやり方の裏をかくような技を中心に考えているのですが、鍔ぜり合いからの打拳体術や合気道的な崩し技を用いると、いつもの動きと変わりがなくなるので、皆さん、スムーズにこなしていました。

 居合術の場合も、どっちが早いか?というスピード勝負ではなくて、相手の斬ってくる斬撃線から身を躱しながら抜いて斬るということを指導しました。

 これができれば素手で捕る方がむしろ簡単なんですね。

 無論、現実に刃物を持ってかかってくる敵に素手で立ち向かうのは自殺行為だからお薦めはしません。

 しかし、咄嗟の場合にほんの少し身を躱しただけで死なずに掠り傷だけで助かったりするかもしれません。その差を理解して欲しいと思ったのです。

 現実的に考えられるナイフやピストルへの対処法についても、要領としてはまったく同じですが、絶対にやってはいけないこと・・・手を掲げて構えたりすることの危険性も指導しました。

 ナイフにしろ銃にしろ、武器の性質を知ることが、それらへの対処法を考える第一歩になります。

 ライフルや拳銃(オートマチック)の構造についても解説しました。

 また、真剣を分解して、「切羽詰まる」や「目貫通り」の語源が刀の部品からきていることも説明しました。

 最後の質問タイムでは、「見せると誰もがドン引きしてしまうナイフ術の必殺テクニックが見たい」と言う人がいたので、実演解説しましたが、やっぱり、皆さん、ウゲゲッと引いていました・・・。

 動脈を斬る・関節の腱を斬る・腎臓を刺す・心臓を刺す・・・スプラッター映画みたいな残忍な技は、強いとか弱いとかいう以前に、単に牛や豚のように、人体を解体したり血抜きするようなテクニックでしかありません。人間を屠殺するような技なんです。

 そりゃあ、ドン引きしますって・・・。逆に喜々として食いついてきたら絶対殺人淫楽症の変態ですよね。

 だから、何で私がこんなものやって見せたのか?というと、武術が生き死ににかかわる危険な状況を生き残るために考え出されたものだ・・・という点をきちんと考えて欲しかったからなんですよ。

「いただきます」という言葉は、自分が生きるために命を貰った相手への感謝の言葉なんですよね。食べる行為の前には命のやり取りがあるんですよ。そこを忘れてはいけませんよね。

 本来、命懸けというのは生きていることそのものなんですけど、ほとんどの人がそれを忘れてしまっているんですよ。

 せめて、武術やっている人間くらい、そのことを自覚しているべきだと私は思いますけどね。

 ともあれ、誰も怪我しないで良かったですよ。今回は少し全体を観察しながら事故が発生しないように注意しながら指導したんですが、最初は「棒は後ろまで振りかぶらないようにしてください。後ろの人に当たるから・・・」と注意していても、やってるうちに夢中になってくると振りかぶってしまうもんなんですね。

 練習で怪我してたんじゃ仕様が無いですからね・・・。


 月例セミナーも、今年は残すところ二回だけとなりました。最後までいくとどれだけできるようになっているか? 今年は期待できそうです・・・。


追伸;来年2010年の月例セミナーの日程も今年と同じ第二日曜日の11:00~14:00と決まりました。昨年も実施しましたように、10月、11月中に全十二回申し込みされる方は半額サービスとなります。それと、今年も申し込みして来年も引き続き受講したい人は、二回分サービスとし、全十二回分を十回分半額サービス(5万円)とさせていただきます(会員の場合もお得になります)。月一回の受講で武術の基礎から極意までが習得できる武術セミナーとして定評がついてきましたが、来年はさらにバージョンアップしていきたいと思っておりますので、ふるって御参加ください。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

10月セミナー“武器術と体術”

 いや~、一年が経過するのは早いものですね~? もう10月ですよ。月例セミナーも10回目ですからね~。残すところは後、三回です。

 さて、10月のテーマは武器術と体術の連環技法についてです。

 私は、最初に習った武道が剣道だったからか、基本的には素手の拳法とか合気道とかが向いているとは思うんですが、それと同時にいろんな武器術も体得しようと練習してきました。

 結構、空手から入った人だと武器を使うことに抵抗感が強いみたいで、「武器を使うなんて卑怯者のやることだ。空手は徒手空拳で武器に対抗する武道なんだ」と言う人が多いみたいです。

 この考えは武術の本質からすれば“完全な間違い”です。“一点の正しさ”もありません。絶対にこのような考え方は改めるべきです。

 んっ? 何、独善的? 「空手道は君子の拳。手に何も持たず徒手空拳で行うものである」と先人が言っている?

 ん~、そりゃ、間違いですね。どんな立派な人物が言ったとしても間違いは間違い!

 格闘技なら解りますが、武術は武器の存在を前提で考えなければなりません。それを無視すればもう武術ではないのです。

 ならば、問います。空手は何故、身体を鍛錬するのですか?

 はい、それは、“五体を武器化するため”です。そうですね?

 じゃあ、なんのために武器化するのですか?

 敵を倒す威力を得るため? まあ、そういうことですね。いかに護身術と言っても、襲撃してくる敵を撃退できなかったら意味がありませんからね。

 でも、単純に考えてください。要するに、薩摩藩の統治時代の禁武政策で武器を持つことが許されなかったから、他に方法がなくて肉体そのものを刃物に優る武器へと変えるしかなかった訳でしょう?

 つまり、空手が徒手空拳なのは、方便なんですよ。方便を理念にするのは誤解を与えるだけです。

 と、いうことは・・・武器が持てるのなら持った方がいいのだし、素手に拘り過ぎるのは不合理な考え方なんですよ。

 そもそも、突き蹴りだけしか空手にないと思い込むのもおかしい。逆・投げ・絞め・急所攻めといった多彩な技があるのだし、まして、琉球古武術には棒(棍)・ヌンチャク・トンファー・釵・ウェーク(拐)・スルヂン(分銅鎖)・ティンベー(亀甲楯)・ローチン(短槍)・鉄甲(メリケンサック)・二丁鎌といった武器術が伝承されているではないですか?

 この現実を無視して“空手道は徒手空拳で武器を用いない”と決めつけるのは不合理極まりないし、少なくとも海外の修行者は納得できないでしょう。

 ここ数年、少林寺拳法は、中国少林拳とは無関係で日本で生まれた武道であると明言するようになりました。現実に即して不合理な主張に拘泥することを止めた訳です。

 空手界も少林寺拳法を見習うべきだと思いますね。

 最近、読んだ合気道の本で井上強一先生が蹴りを使ったところ、「合気道に蹴りはないんじゃないのか?」と文句を言われて、「実戦は何でもアリだよ」と答えたとかいう話が披露されていました。

 これですよ。この柔軟な発想が武術家の考え方なんです。

 大東流の佐川幸義先生も、ボクシングや空手、相撲を研究し、独自に合気拳法を工夫していたと高橋賢先生からうかがいました。

 実戦合気道家として有名だった塩田剛三先生が若い頃に中国で実戦を経験した時は、ビール瓶を割って、そのギザキザの切り口を相手の顔面に突き刺してグリグリえぐってやったそうです。

 これですよ。武術というのは臨機応変にどんな卑怯で残忍な真似やってでも生き残るという毅然とした覚悟で戦わなきゃ~ダメなんですよ。命がかかってるのに卑怯な真似はせん!と言ってるようじゃダメなんです。

 そういえば、うちの研究会も分裂騒動があってから公園で教えるようになった頃、私が廻し蹴りとか蹴り技をいろいろ出すようになったら、「遊心流には廻し蹴りもあったんですか?」と、ある会員がびっくりしていました。

 別に効果的だったらどんな技使ったっていいんですよ。武術だから廻し蹴り使っちゃダメって訳じゃないでしょう? あっ、そういえば廻し蹴りは使っちゃダメって言ってる武術家がいるんだっけ? まあ、よそ様にケチつけるのは止めとこう・・・。


 ちなみに、私は綺麗なこと言う武術家なんか大っ嫌い! 嘘つけ!って思うだけ。人間が戦うことがそんな綺麗な訳ないじゃないか?って思う。世の中で苦労したことないのか、お前は?と言いたくなりますよ。

 通り魔とか子供を虐待して殺すヤツとか、そんなヤツに遭遇したら、ぶっ殺してやる!と決意して突撃してやらなきゃ~、武術修行した甲斐はないと思ってますよ。

 君子危うきに近寄らず・・・って、要するに利己主義の考えでしょ? テメーだけ傷つかなきゃいいんですか? それって男の考え方じゃないでしょ?

 私は、義を見てせざるは勇無きなり・・・って言葉の方が好きですね~。昔の自分が勇気がなかったから、そのミジメさを払拭したいだけかもしれんけど、理不尽な真似を見たら、「止めなさい」と言える男でありたいですよ。

 でも、蛮勇じゃ、人を助けたりできません。助ける能力がないと無理。

 素手だけの武道や格闘技では現実にナイフ振り回している暴漢を制圧するのは難しい訳ですよ。まして拳銃出されたらお手上げですよ。

 いろいろ試してみたけど、無理ですね。武器には武器で対処しないと・・・。

 ヨーイ、ドンで互いにつかみ合ったり殴り合ったりして「護身術です」って言われてもね~。困るでしょ? もし、相手が刃物握ってたら、どうするんですか? 相手を失神させたけど自分は出血多量で死んじゃった・・・では困るんです。

 自分が武器を使えれば、その欠点や限界も解る訳です。だから、対処法も考えつく訳ですよ。仮に奪って使うこともできる。

 海外で日本人が殺された事件をTVで見る度に、「この人達に護身の意識と技術があったらな~」と、胸が痛くなりますよ。

 でも、例えば、ライフルとショットガンを見分けられる日本人は相当少ない。日本では狩猟用のボルトアクション・ライフルか二連式ショットガンが多いですが、ボルトアクション・ライフルは装填して一発しか弾丸が出ないけれど、ショットガンは散弾といって小さいバラ弾が一度に沢山出る。

 しかし、もし自動式だと、引き金引けば次々に弾丸が撃てる。

 こうしたことは銃の機種からシステムを知っていないと対処できないでしょう。

 もっとも、こんなことをいくら言っても武道やっている人の大半が、本気で護身については考えていないんですよね。この国は・・・。

 私はね~、そんな武道はやる気がしないんです。自由組手やって強いの弱いのと言って楽しむだけのスポーツはやる気がしないんです。

 空手家や柔道家が暴漢のナイフで命を落とした事件がいくつもあります。基本的には油断したから殺されてしまった訳ですが、はっきり言うと、武器で襲ってくるという想定が頭の中になかった点に問題の本質があると思うんですよ。

「俺は強い」と思っているから素手で立ち向かい、素人の隠し持っていたナイフで命を奪われた訳ですよね。自信が墓穴を掘ったんです。

 私は、基本的に自分が大して強くないことを弁えています。素手では敵が複数だったり武装していたら対応できないと思っている。

 だから、武器術はすんごい研究してますよ。六尺棒・杖・半棒・刀・脇差・短刀・薙刀・槍・弓矢・鎖鎌・三節棍・九節鞭・八斬刀・鴛鴦鉞・子母峨嵋刺・鉄扇・手鉤・寸鉄・手の内・角指・隠剣・万力鎖・南蛮千鳥鉄・ヌンチャク・トンファー・カリ・釵・竜泉剣・双剣・棒手裏剣・車剣・・・etc.

 真剣を買うのも、万が一、本当の実戦をやらなきゃならなくなった時のために、実戦に用いることのできる刀を選んでいます。

 もちろん、ナイフ術やコンバットシューティングの研究もしています。知識だけなら毒薬とかその手のことも一通り知っていますよ。

 こういう知識は知っていても、恐らく一生、何の役にも立たないとは思うんですけれど、武術研究上は無視する訳にはいかないと思っています。

 オウムはVXガスだのサリンガスだのまで使ったじゃないですか? 全共闘世代のオヤジ達は火炎瓶投げてゲバ棒振り回してたでしょう?

 人間は本気で暴力を解放する時は武装に歯止めは利きませんよ。だから、武術を志すなら、戦いに備えて誰よりも研究しておくべきだと思います。それこそ軍隊の特殊部隊で教える以上の内容があるべきだと思っています。

 よって、素手の体術はむしろ武術の基礎基本でしかないのです。その応用発展は武器術にあります。

 だからこそ、「遊心流の根本は居合術である!」ということを今後はいうつもりです。

「えっ? そんなこと、俺は一度も習ってないよぉ~?」と思った会員さんも多いと思います。

 そうです。居合術を根本にしたのは、つい最近のことなんですよ。

 交叉法と読み。この遊心流の基盤である理合を養成するのに、居合術ほど適した武術はありません!

 それも、遊心流居合術の特徴は、「構えない!」という点にありまして、これは素手の体術と同じく、不意の襲撃に無構え(刀の鯉口も切らず柄も握らない)の状態から一瞬に反応して抜刀、斬撃!という超速瞬殺居合術こそ極意であるという確信によって考案したものなのです。

 これを練習していれば、素手で対応するのはもっと簡単であり、知らない間に無刀捕りもできるようになる。

 無刀捕りができればチンケなナイフや金属バットなんか恐れるに足らず! 素手のパンチやキックなんかカタツムリが這うに等しい・・・。

 この反応力の養成こそが居合術の真骨頂なのです。

 そして、居合術に慣れれば、剣術・棒術からピストルの抜き撃ちも自在にできるようになります。

 また、今、研究中なのは、咄嗟にベルトを引き抜いて居合術のように使うことができないだろうか?ということです。

 何しろ、チビたナイフすら持ち歩くのは御法度の世の中。護身用になるのは日常的に持ち歩くことのできる物に限られる訳です。

 海外では護身具の開発が真剣にされていて、クボタン(キーホルダー型の打撃武器)やタクティカル・ペン(刺突用ボールペン)が多く開発販売されています。

 最近は、スパイキーというイスラエルで考案された護身具を使う護身術も普及活動されていますし、日本人ガンファイターの草分けイチロー・ナガタ氏が考案した“クナイ”という名前のタクティカル・ペンも販売されています。

 私も老人や女性の護身を考えた場合、素手で倒す技能(特に威力)を体得するのは難しいので、その分を補う護身用に持ち歩ける武器の研究をしてきました。

 傘・ステッキ・扇子・ペン・・・等々。

 これらを使いこなすには、棒術・剣術・隠し武器術を稽古しておけば、似たような形の物を咄嗟に応用して使いこなすことができるでしょう。

 そして、武術では元々、こういう武器の使用法については長い歴史の中で相当に研究されてきているので、現代で考えられたものより効果的なものもあるのです。

 今回のセミナーでは、剣術と武器術、それにナイフ術とピストル術などについての基本的操作法と、それらの武器術を体術と応用連動させて用いる技について解説指導しようと思います。

 木刀を持っている人は持参してきてもらうと有り難いのですが、こちらでもある程度の数は用意します。

 特に、昨今の通り魔事件などでも多いナイフに対する対処法は、よく理解しておいて欲しいと思っています。

 よく、ナイフ術の教本にはナイフを持ってもう片方の手を掲げて構えたりしていますが、こういうやり方は自殺行為でしょう。

 ナイフ術の最も基本にして効果的な用法は、相手の手首の内側を切り払うことです。

 絶対に手を挙げて構えてはいけません! プロのナイフ使いは相手の手首の血管を切って、後は間合を保って牽制するだけ。時間が経過すれば失血して致命傷になります。

 その他、内股の血管を切られても致命的です。首の血管だとまず助かりません。

 こういう事情は素手の武道しかやったことのない人間や、防具で守られた剣道家は往々にして解っていません。が、古武術では鎧の隙間を狙う剣法として当たり前でした。

 単調に突くだけだったら手を挙げておいても大丈夫かもしれませんが、そこまでボンクラを想定して練習していたら逆に危険でしょう。

 至近距離だとナイフはピストルより怖い武器です。システマのナイフ捕りは見事ですが、それはナイフの構造を熟知しているからできることでしょう。

 畳針一本でも急所に的確に刺せば簡単に命は奪えるのです。

 松田優作主演の『蘇る金狼』では、優作が砂を詰めた靴下でJJサニー千葉を殴って失神させたりしていましたが、これがかの有名なブラックジャックという軟打撃武器の簡易版です。

 優作は、他にもスリングショット(パチンコ)を使ったりしていましたが、ちょっと工夫すれば我々の周囲に武器になりそうなものはいくらでもあるのです。

 育毛スプレーなんかも目潰しにもってこいですよ。どうしてか? トウガラシチンキが入っていたりするからですよ。これは目に染みますよぉ~。

 また、周囲に武器になりそうなものが何もない場合にはどうするか? 心配御無用!

 五体を武器にすればいいのです(空手だっ?!)。

「こんなのは使えない」と言われていた様々な拳形の使い方も、謎解きします。「拳はこう握らねばならない」と思い込んでいる人は目からウロコがボロボロッとなること必定ですよ。

 沢山の御参加を待っています。もちろん、まったくの初心者も大歓迎です。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

アメリカに遊心流が広がるかも?

 アメリカから入会希望の人が来られて、日曜日の稽古会に参加されました。

 俳優をやっている人なので、スチーブン・セガールやらサニー千葉さんやらクリント・イーストウッドの監督っぷりなんかもいろいろと聞いて、いつもにもまして楽しい懇親会になり、気づいたら四時間くらいジョナサンで粘ってしまいました。

 私が秘伝に関する技をいとも簡単にセミナーで教えてしまうので、最初はビックリされていたのですが、改めて入会して会員としての練習に参加して「これは、殺し技ですね・・・」と、段々、考え込まれていまして、私が本当に危険な技に関しては会員にしか教えていなかったことを察して、武術を興味本位で学ぶことの危険性を痛感されていた様子でした。

 話は変わりますが、前日の夜には、ダンス公演のお誘いを受けたものの、私が仕事と重なって行けなかったので、代理で行ってもらった会員さんから感想の電話を受けました。

 物凄く感動したそうなのですが、公演があまりに素晴らしくて、人を傷つける技を喜んで練習している自分に自己嫌悪を感じてしまった・・・と言っていました。

 率直にいって、私も30歳前後くらいの時期に、武術に対する疑問とか嫌悪感とかが凄く強くなって、「もう、こんな気違い染みたものを追究するのはやめよう。こんなことをやっていたら本物の気違いになりかねない」と思ったことがありました。

 もう、嘘つきの巣窟みたいな業界事情にウンザリしてしまったのです。

 結局、やめずに続けてきたのは、物凄く強いのに、きちんと自分を律している先生に何人も出会うようになったからなんですね。

 確かに武術やっている人は変人ばっかりなんですよ。自分も含めて・・・。

 こういうことに関心を持たない人からは、相当に異質な人間に見えてしまうと思います。

 しかし、その後、長く続けてきて思うようになったのは、生きるということに対する真剣さに於いて、本気で武術に取り組んでいると一種の達観を得るのは間違いなくあるんですよ。

 だから、武術を追究すればするほど、「あ~、人間って、こんなに簡単に殺せるんだ」という無常感が出てきて、最初は辛くなってくるんですけど、そのうち、「いつ死んでもおかしくないくらいモロい存在なんだから、後悔のない生き方をしないとダメだな」と、逆に人生に対して大切にしようという想いがわいてくるんです。

 さらに、続けていると、「本当に命は大切にしなきゃいけないな~」と思うようになるんですよ。

 けれども、私は自殺したいとか生きることに対して真剣でない人には、「死にたきゃ、とっとと死ねよ」と冷酷にいい放ってしまうんですよ。

 なんでかっていうと、こんなチンケなこと言う人間は、命の重みが解っていない人間であり、自分を大切にできないヤツは他人も大切にしない人間だと思うからなんです。

 人に暴力を平然とふるうような人間には、痛みを教えてやるべきだと思うし、内省する心のない人間は生きているだけで他人に迷惑だと思う。

 世の中に死なない人間は一人もいません。だから、そんなに怖がる必要はないでしょう。怖がるべきなのは、生きた証しを一つも残せないで死ぬことじゃないですか?

 エンターティンメントの業界に生きている人達は、多くの人に感動を与えることで存在証明していけるのだと思います。

 夢も希望もなかったら現実の苦しくつらい人生に押し潰されそうになる人達がいるのもわからなくもありません。人間は感動がないと生きていけない。喜怒哀楽があることが生きている醍醐味です。

 入会された方は、私より年上なのですが、話していると全然、そんな印象を受けません。
 映画の撮影現場の感動した体験について語っている彼の姿には、昔、自主映画を撮っていた頃に将来の夢を語り合っていた友人たちの顔が重なって見えました。

 やっぱり年齢は関係ないんじゃないかな~? 私も本当に自分の理想の武術が完成形になるのは二十年くらい先だろうと思っています。

 稽古会を体験した感想を聞いてみたら、「ちょっと前のセミナーの時よりかなり技が進んでいますね」といっていましたけれど、その差が解るというのは凄いもんだな~と思いました。

 また、話は変わりますが、アクションパーティナイト3で御一緒したダンディGOさんがTVのテーブルクロス芸の指導をされているとのことだったので、その番組を観たんですが、クロスを引き抜くだけでなくて、皿やクラスを倒さずにクロスを元に戻してしまう?!という芸をやって見せていて、やった本人も驚いていましたけど、これを指導して体得させてしまうというのは、凄過ぎますね。

 新聞にも紹介されていたと聞いて、やはり、ダンディさんのジャグササイズは、私の睨んだ通り、今後、急速に広がっていくだろうと思います。

 高瀬道場の新宿の殺陣教室もNHKの番組で紹介されていて、多加野詩子先生も出演されていましたが、この中で私が遊心流居合術・独己九剣の最後の技でつくった逆手斬り技そのままが出てきて、ビックリしてしまいました。

 いや~、なんか、やっぱり感動を人に与えていける仕事をしている人達って魅力的ですね。そこに自分が生きている証しを立てるという生き甲斐を見つけ出した人間が放つオーラは、やっぱり普通の人間とは違うものですね。

 うちの会もダンサーや俳優の人が少しずつ増えてきているんですが、芸能の世界で活躍する武器として遊心流を役立ててもらえると嬉しいですね。何しろ、武術は具体的な使い道がないもんな~・・・。

 願わくば、アメリカで日本武術の心意気を示して、敵の邪念を征伐して罪を許す調和の精神が広まっていって欲しいな~と思いました。


追伸;筑摩書房の本の初稿、ささっと書き上げました。担当編集者の方がびっくりして「編集が間に合わないですよ~」といわれていましたけどね。四日で書いちゃったから。

追伸2;中川元財務相が亡くなられてビックリしました。あの酔っ払い会見でバッシングされましたけど、珍獣みたいで凄く可愛らしい人でしたよね。一瞬、自殺したのかと思いましたけど、急性の病死みたいですね。お父さんも57歳で亡くなられているそうですし、何だかブルース・リーとブランドン・リーを思い出してしまいました。御冥福を祈ります。

追伸3;座敷わらしの宿として有名な緑風荘が火事で全焼してしまったそうで、本当に残念です。座敷わらしというと、NHKの少年ドラマ・シリーズで放送された『ユタと不思議な仲間たち』と、円谷映像の深夜ドラマ『WARASI』を思い出します。宿泊客も全員、無事だったそうですが、座敷わらしが助けてくれたのかもしれませんね。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

武術の動画を見て・・・

 日曜日は午前中に公園で練習し、その後は駅前のジョナサンで食事しながら数時間ダベるというのが、我が遊心流のパターンなんですが、ユーチューブの武術武道系の動画の話題が出たので、師範代が携帯で見せてくれました。

 読者からの質問があったので、ある大東流師範の合気技も見てみたんですが、うちのセミナーで教えて初心者でもすぐに体得してしまえるレベルの内容だったので、ちょっとガッカリしてしまいました。

 型稽古でいかに不思議な技をやってみせても演芸にしかなりませんからね。そういうレベルで武術を語っていても、極真空手を一年くらいやっている人が本気でローキック食らわしたら潰されてしまうと思いますよ。

 私もDVDやセミナーで演芸レベルの合気技をやっていますが、これは合気の原理解説のためにやっているだけで、これをもって戦えるなんか思っていませんからね。

 遊心流式の合気技は、交叉法と発勁ができることが前提であって、武術的攻防の中での「相手の体勢を崩して抵抗できない居着いた状態に陥らせる」のが目的なんです。

 だから、“止めは発勁で息の根が止まるまでパンチパンチパ~ンチし続ける”という暗黙の了解で、練習では危ないから崩すだけで終わっている訳ですけどね。

 武術のほとんどが型稽古中心になったのは、技の性質上、仕方がなかったんだと思いますよ。

 極真だって顔面へのパンチは禁止されてるし、ほとんどの武道や格闘技がグローブやプロテクター装着して、ルールも厳密に設定しますでしょう?

 本来の殺し技としての武術をそのまま競い合ったら死人や怪我人が続出してしまいますからね。アルティメット・ルールだって徐々に細かくルールができてきてますでしょ?

 それは当然だと思うんですけど、だからといって型稽古の中で技を覚えて実戦を語っていくのでは誇大妄想に陥りやすいと思いますね。現実から遊離していますから。

 刀で斬る技に関しては、やはりものを斬ってみる訓練は必要だと思いますね。据え物斬りが現実的でないと言うなら、動いているものを駆け寄って斬るとか・・・現実に起こり得る状況に近づける工夫をすればいいのです。

 やらない言い訳をするより、やってみて試行錯誤した方がいいですよね。

 私は自分で試して確認したことを書いているので、やってない人間からとやかく言われても何とも思いません。

 来年からは、できれば海外に射撃の研修に行きたいと思っています。現代で武術を研究する以上、銃の操作は絶対に覚えておかなくてはならないと思うからです。拳銃は、オートマチック、リボルバー。ライフルはボルトアクション、オートマチック。ショットガンはポンプアクション・・・こういうのは知らないと使えませんからね。


 さて、太気拳の動画もいくつか見ました。私はやっぱり、岩間統正先生が一番、納得できますね~。差し手の用法は芸術的と言っても過言ではないと思います。

 ほんの微かな接触の中で合気に通じる相手の重心操作を果たしているのに、相手はそれに気づいていない・・・。これぞ極意ですよ! 名人芸ですね・・・。

 剣術家が剣尖を触れ合わせただけで相手の中心線を奪ってしまうのに通じるものです。

 これが観えるようになっただけで、私は嬉しいですね。十年前は今ひとつ理解できませんでしたからね。

 やっぱり、本物を見ると違いが判りますね。


 え~っと・・・それから、太気拳VS極真空手の交流試合を撮ったビデオ映像も見ました・・・。

 この映像は、以前、深夜の格闘技番組で流されたものと、マスターに近いクリアな映像のものがありました。

 いや、これに関しては能天気に技術批評とかするのは遠慮するのが筋でしょうね。

 どうしてか?

 私は、ほんの僅かとは言えども実際に太気拳を学んだことのある者です。

 この映像は、盧山先生らの肝入りで澤井先生が太気拳と極真空手の相互交流の修行の一環として受け入れて企画されたものであり、本来、純粋に技術の研鑽のために実施されたものだったからです。

 当然、その内部資料であるビデオ映像は関係者のみに研究用に配られたものであり、外部に出さないことを条件にしていた訳です。

 ところが、裏ビデオとして高値で売られ密かに流通するようになりました。不心得者がいたということですね。

 それがTV番組で流された時は、太気拳側がやられているシーンばかり編集されていて、「太気拳というより、大変、危険ですね」というマーシーの駄ジャレで太気拳一門が激震したものでした。

 もう、番組が終わっているのでタネ明かししておきましょう。

 このビデオ映像は大槻ケンヂさんの格闘ビデオ道のコーナーで流されたものでしたが、実際に流すように指令したのは同番組のプロデューサーだったと聞きます。

 この人物は極真空手をやっている人で、だからビデオもマスターに近い映像のクリアなものを入手できたそうです。そして、当然、極真空手の人間なので、極真側が勝っている部分ばかり編集して流した訳です。

 つまり、意図的に太気拳をダシに使って極真空手の強さを印象付けようとしたヤラセだった訳です。

 真摯な気持ちで闘った人達の気持ちを無視してTVで見世物にするというやり方はいかがなものでしょうか?

 それに、ビデオを売ったり、動画に出したりするのも、嫌な感じがします。

 そのビデオに映っている人達は、今では一派をなしている人が多く、その人達のまだ未熟な頃の映像をさらすというのは、肖像権の侵害にはならないんでしょうか?

 いずれにしても、これらの映像を公に出した人間は、武を学ぶ者としての芯ができていないと言わざるを得ませんね。

 無論、極真空手が実戦空手の代名詞として、これまでいろんなマイナー流派の宣伝に利用されてきたのも事実です。

 私自身も、極真空手を長年修行している人に指導しているということを、どこか誇らしく思う面もあります。

 しかし、それはもっと広い意味での武の世界を学んでいきたいと考えて私のところに来てくれている人達なのであって、その純粋な気持ちを自己の売名に利用するような低劣な真似をやってはいけないと思いますね。

 何の道でも真剣に歩んできている人は尊敬すべきだと思います。

 例えば、私は自分のやってきた武術研究は余人には真似のできないことだという自信と誇りを持っていますが、では、もし普通に大学を出てサラリーマンになっていたとしたらどうか?と思うと、恐らく平均以下の実績しか出していなかっただろうと思います。

 職業に貴賎は無いといいます。実際に、40歳の時はラブホで掃除して糊口をしのいでたんですからね。精神的にはきつかったけれど、今思えば良い修行でした。

 人間は苦労してみないと他人の痛みは察することができません。人の足を踏んだ人間は、踏まれた人間の痛みは解らないのです。いや、踏んでいることすら自覚できない鈍重な人間も多いでしょう。

 必死にならなくても生きていける人間は、必死になることそのものができずにズルズルと人生を無駄に過ごしてしまったりするのです。

 優しいだけじゃダメ。厳しいだけでもダメ。物事はバランスが重要ですね。

このページのトップへ
著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

リンク
FC2カウンター
最新記事
カテゴリー
長野峻也ブログ
QR
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

月別アーカイブ
ブログ内検索