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前田日明の男気

 前田日明が民主党から出るという噂を聞いた時、「また、タレント議員か?」と思った人は多かったみたいですが、私は、彼がかなりしっかりした考え方と情熱をもって何事も勉強している人だと知っていたので、実はかなり期待していました。

 民主党の、というか小沢さんのタレント議員戦略には辟易していたものの、前田日明は小沢さんごときにコントロールされるタマじゃないと思っていたからです。

 で、小沢さんが「前田なにがしというのが・・・」と言った時は、ニヤッとしてしまいましたね。「あ~、既にやりあっていたか?」と思ったからです。

 さすがは、元祖ガチ格闘王だ・・・と溜飲を下げた人も多かったんじゃないですか?

 でも、小沢さんの傲慢極まる言い方にも、前田日明は事情を黙して語らなかったので、はて、何があったのか?と思っていたんですが、週刊文春の4月1日号で裏事情について語っていて、これがホンマに苦笑するしかない話でした。

 まっ、要するに、政治家は国民のことより自分たちの金と野心を追及するしかできない餓鬼みたいな連中なんだな~・・・という当たり前のイメージを追認しただけの話でしたね。

 うちの会員さんにも政治に関係した仕事をしている人が何人かいます。多少、裏話を聞いたりすることもありますが、それは私を信頼して言ってくれている訳だから、こういうところには書けませんよ。

 それに、この人達は政治への希望と可能性をもって仕事をしている人達だから、一度も嫌な印象はありませんでした。

 だからといっても、私は政治家を根本的に信じていません。仮にの話、私が今の何十倍も有名になって、政治家になりませんか?というお誘いが来たとしても絶対に受けないでしょう。

 どうしてか?というと、政治家は一人では何もできないからです。どんな優れたアイデアを持っていても、それを政治の場で活かすには数の論理と力学によってしか成就できないのが明白だからです。

 そして、日本の政治の現場がカネと野心に凝り固まった魑魅魍魎の巣窟であるという印象を覆すことができない以上、触らぬ神に祟り無しです。

 そんな無駄無益なことに人生を浪費するよりも、私は武術研究という領域の中で確固たる業績をあげれば、それが恒久的な日本人の向上に役立つ“自己組織化する教育プログラム”として時代を超えた普遍的意義を刻することになると考えるからです。

「武術にそんな意義があるのか?」と問うのは愚問。

 日本国の歴代政治家よりも、世界で広く知られる有名人は“宮本武蔵”でしょう?

 政治家はその時代時代に消費される存在でしかありません。

 しかし、文化や芸術の担い手は時代を超え、国境も人種をも超えて人類の精神を形作る遺産となっていきます。

 肉体はいずれ消え去りますが、人が魂を注いで生きた精神は不滅の輝きを残します。

 私が政治家とか、いわゆるお偉いさんに全然、興味が持てないのは、人間の根源的な輝きを感じないからですよ。

 前田日明は、そこに気づいているんじゃないかな~?と思いました。“小沢ごとき”には解らないでしょうがね。



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コンバットマガジンに本物の武術家が出てた

 明治神宮至誠館といえば、鹿島神流の稲葉先生が館長だったと思っていましたが、最近、変わられたと小耳に挟んでいました。

 その新しい館長の荒谷卓先生がコンバットマガジンに登場されていました。

 一目見て、アレッ?と思ったのは、私、ある道場でお会いしたことあったみたいだな~と思ったんですが、そういえば「自衛隊に特殊部隊をつくった人の息子さんで・・・」って聞いたんだったっけか・・・?

 お顔があまりにそっくりだったので息子さんなのか御本人なのか、ちょっとよく判りませんが、その時に持参していた私の大太刀(三尺二寸五分ある)をお貸しした時に軽々と袈裟に振られていて、「さすがに鹿島神流をされているだけありますね~」なんて言っちゃったんですけども、もし、荒谷先生御本人だったとしたら、失礼過ぎること言っちゃったな~?と反省・・・。

 ちなみに、この記事は荒谷先生が自身の戦闘に関する考えを書かれたものですけれど、非常に卓見で納得させられましたね。

 かいつまむと、「武士道は死ぬことと見つけたり」という思想ですが、“日本の武道では意志を貫くためには肉体を捨てる。だから日本の侍は崇高で強いのだ”と、一般的な護身術としての武術との違いを指摘されている点は、単純明解ながら物凄く根源的な理合をさらっと書かれていて愕然となりました。

 私は、あくまでも武術とは生きるためのものと理解していますが、日本の武術は確かに荒谷先生の言われる通りの側面を持っています。これは否定できないでしょう。

 言われてみれば、鹿島神流の真剣を用いた組み太刀の稽古というのは、死ぬことの模擬訓練みたいなものです。

 正直いって、以前、動画で稲葉先生の演武を観ていて、「あの間合と角度じゃ自分も斬られてしまうんじゃないかな~? どうして、あんな危険なやり方をするのかな?」と思って、稲葉先生は剣の理合を誤解しているんじゃないか?とすら思ったんですよね。

 けれども、この荒谷先生の文を読んで、私が間違っていたことがよく解りましたよ。

 つまり、あれは“相打ちになる稽古”だった訳です・・・何と、苛烈な・・・。

 これは鹿島神流だけでなく、江戸時代の無住心剣流や雲弘流にも顕著な日本剣術の理合でしょうが、相打ちで死ぬ覚悟をする中から生まれた必勝の理合が交叉法であり、それが技法として洗練されていく中で、本来の“相打ちで自分も死ぬ”という前提が忘れられていったのかもしれません。

 その意味でも、私自身が無自覚に甘く考えるようになっていた原点を改めて指摘していただいたような気がしました。

 興味のある方は今月号のコンバットマガジンを買って読んでみたらいいでしょう。

 私自身は右翼思想はないので書店で見かけても手に取らなかったんですが、この記事を読んでみて、荒谷先生の御著書『戦う者たちへ ~日本の大義と武士道~』(並木書房)も読んでみたいと思いました。

 丁度、甲野氏も連載記事で民主党の菅さん、小沢さんの対応下手に関して論じていたんですけれど、こちらは何が言いたいのかよく解らない、いつもの甲野節で、「やっぱり、同じ鹿島神流学んだ人間でも覚悟の違いは、こういうところに出てくるもんだな~」と思いましたね。


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お花見会、ザンネン!

 3月28日の横山公園のお花見会・・・ザンネン! 「この分じゃ、いいとこ、三分咲きくらいがせいぜいかな~? まあ、仕方ないか~」と思いつつ、上溝駅に集合したものの、公園に近づくに連れて、ほとんど蕾のままのサクラがずら~り・・・。

「ウゲゲッ、これは一分どころか、0.5分咲き?」というくらいの様相で、公園に入っても人影はまばら・・・いつもの日曜日の賑わいすらありません。

 こりゃあ~、花見じゃなくて“蕾見”だよぉ~!

 おまけに、寒いっ!(帰りに渕野辺駅の温度計を見ると、4度になっていた・・・)

 何か、単なる寒い時期のピクニックになっちゃいましたよ。

 まあ、せっかく来たんだから、“聖地”での稽古ということで、スワイショウ、立禅、試力、対練、推手に、差し手からの崩しと超ショートパンチの連打のやり方等々を練習しました。

 何だか、ここに来ると私、スイッチが入るものか、普段よりもスピードアップしているような気がするんですけどね?

 それとも、前日のK-1や亀田の試合を観たから打撃に気合が入ったのかな~?

 余談ですけど、長島・自演乙、強いですね~。決勝なんて、フラフラになりながら額に当たったパンチで中島をKOしたんだから凄いな~と思いました。

 額って骨がブ厚い箇所だから、割りと正面からパンチに当たると拳の骨が折れたりするので、キックボクサーの中には、わざと額で頭突きみたいに受けて相手選手の拳を痛める荒業を使う人もいるんですが・・・。

 スローモーションで見ると、やや上から当たっているので、これは首に効いたんじゃないでしょうか?

 中島はかなり打たれ強い感じだったので、普通に顔面を打たれても倒れそうになかったですが、この一発は首に効いてしまったので身体が言うことをきかなくなってしまった感じでした。

 返しのアッパーも掠っていたようなので、恐らく、首に効いてしまったんだと思います。

 実力的には中島の方がやや勝っている感じだったんですが、打たれ弱いのでは?と思われた長島が、かなりフラフラになりながらも変則的な大振りのパンチを叩きつけて逆転してしまった感じは、まさに気力の勝利という感じがします。

 コスプレイヤーの台頭を思えば、長島の活躍は願ったりかなったりでしょうが、格闘技業界的には苦笑する結果になってしまったのかもしれません。

 それにしても、時代はこうして価値観を変えていくのかな~?という感じですね。


 亀田は、惜しかったですね。血だらけになりながら、よく頑張ったと思いますし、むしろ、今回の敗戦で、より大きく成長する機会になってくれたらいいんじゃないでしょうかね?

 これでポンサクレックがチャンピオンに帰り咲いたことで、内藤の復活も面白くなってくるんじゃないでしょうか?

 やっぱり、無敗の王者という超人的な称号をみんな得たいでしょうが、現実はそんなもんじゃないですよ。

 武術の世界だって、無敗の達人なんか、恐らく一人として存在していませんよ。

 大山倍達も澤井健一も国井善弥も宮本武蔵も真里谷円四郎も・・・生涯不敗伝説はあっても、実は敗れた話も表沙汰にならないだけで必ずあるものです。

 第一、修行時代に師匠や先輩にメタメタにされない道理がないでしょう? 本当に一度も負けたことがなかったとしたら、それはマトモな勝負をした経験がないだけですよ。

 虚栄の称号なんか振りかざすより、私は正直に自分の敗れた話を口にできる人こそを尊敬しますね。

 負けた人を批判できるのは、自分がその人以上に努力し、負けた理由を洞察できる人間だけです。その資格すら考えないで無責任に馬鹿にしたことを言う者は単なるクズ。クズはクズ同士で無責任なお喋りを楽しんでいればいい。

 私は「武術で負けたらいけない」とは言いますけれど、それは、“命のかかった戦闘”という一生に一度あるかどうかの大一番の戦いが大前提での話であって、稽古の一環、修行のための勝負であれば、「負けること=最良の学び」だと思っていますよ。

 負けるということは自分に欠点がある訳ですから、負けた理由を考えて改善していけばさらに向上していけるじゃないですか? その点は、武術であっても上達論上は武道や格闘技となんら変わらないんですよ。

 こんな簡単な理屈すら理解できない脳足りんがいるから、あたしゃ、頭痛しますよ。

 それに、人間なんだから、勝ったり負けたりして苦闘していく姿を見せるのが本当のプロの格闘技なんじゃないですか?

 ただ、強いというのではなくて、懸命に必死に頑張って努力していく結果として向上していくのが人間として尊い訳ですからね。格闘技の試合はその縮図だから魅力がある。

 単に強いヤツが勝つ!というだけでしかなかったら、そんなもの客から金取って見世物にすんなよって話ですよ。

 考えてもみてください。特撮ドラマのヒーローがメチャクチャ強くて怪人や怪獣を毎回、瞬殺してしまっていたら、物凄~く、つまらないでしょ?

 ヒーローはメタメタにやられて絶体絶命の大ピンチに陥って、そこから必死に頑張って大逆転して勝つからカタルシスがある訳ですよ。

 そして、そういうドラマツルギーが定着している中で、ブルース・リーやスチーブン・セガールが“メチャクチャ強くて一方的に勝つヒーロー”を演じたことが斬新だった訳ですよね。

 でも、そんなリーやセガールも作品によってピンチに陥ったりするでしょう? これが王道だからですよ。

 格闘技にしろプロスポーツにしろ、そういう人間ドラマがあってこそのパフォーマンスですよ。

 そうそう、真央ちゃんとキム・ヨナだって、今回は立場が逆転しましたけれど、これでこそ本当の切磋琢磨し合うライバルというものですよね。


 あっ・・・なんか、余談過ぎるぞ?

 もといっ!

 いや~、いろんな意味で寒い花見でしたが、久しぶりにビジュアルアニソン猫耳バンドやっているTさんも参加してくれて、帰りはバスで渕野辺駅まで移動し、いつものジョナサンでドリンクバーで粘って政治論とかいろいろ語りあったんですけどね。

 いや~、Tさん、論客だな~。政治や経済について勉強してるな~? おいちゃんは感心しちゃったね~(寅さんですか?)。

 ちなみに、Tさんは、去年、クエストさんから出したDVD『游心流武術秘伝の戦略』で、後半、ベトナムの民族衣装アオザイ着て扇子術を披露していたんですけど、撮影時の監督さんに先日会った時に、「えっ? あの人、男だったんですかっ?」と、俺、ちゃんと説明したつもりだったんですけど、女だと思い込んでいたみたいっス・・・。

 このDVDを持っている方は、是非、観直してみてください。

 よ~く、聴いていれば、私が、「彼は・・・」と言っているのが判る筈ですっ!

 いやね~、このDVDが出た時に、いっぱい、ツッコミが入るかな~?とワクワクしていたんですけど、誰も男だと気づかなかったみたいで、一人も質問してこなくて、「つまんね~な~」って、ちょっとガックリしていたんですけどね~。

 そういえば、上溝駅で彼と話していた時に、後ろを通り過ぎた女の子が、ジィーッと彼を見つめて行ったのが面白かったです。特に女装してなかったんですけどね。

 ひょっとして、ミワさんのようなオーラが出てるのか?



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民主党よ、しっかりせんかいっ!

 あ~、まったくもう~・・・って、国民の大多数が思っているんじゃないでしょうか?

 副幹事長が小沢批判で解任通告されたり留任したり、亀井さんは暴走しっぱなしだし、普天間基地移転はさっぱり進行しないし・・・しっちゃかめっちゃかな感じの鳩山民主党ですが・・・。

 まあね・・・私も、どうせゴタゴタして国民にそっぽ向かれたりはするだろうと思ってはいましたけど、ここまで酷いとは予想していませんでしたよ。

 何はともあれ、日本の政治が変わらないとダメだと思って民主党に政権交代するのもいいじゃないの?と思っていたんで、多少のゴタゴタは御愛嬌だと笑って済ますつもりでいました。

 でもね~、ここまで頼りないと、もう、誰がどうやっても日本の舵取は無理なんじゃないの?という諦めのムードになってきますね。

 この状況で首都圏に大地震が起こったりすると、もう、北斗の拳かバイオレンスジャックの世界みたいになっちゃうかもしれませんね~。

・・・なんてことをマジで考えると、政党が戦国武将みたいになったりして、政策じゃなくて武力統治するようになって、“帯刀令”なんか発布されちゃったりして・・・って、それじゃSFだよぉ~?

 なんてことが起こったりしてもおかしくないと思えるくらい、先の読めない日本。

 世紀末を超えて21世紀に入っても、人の世の悪行三昧は変わらないものですね?

 そういえば、小沢さんから出馬要請を受けた前田日明が、政策の話より金の話が先だったと言っていたそうで、さもありなんという感じがしましたね。

 小沢さん、本気で言動を慎まないと、マジで暗殺の危険性があると思いますけどね。

 大体、民主党さんも、何かトラブッたりする度に出る言葉が、「これじゃ選挙を戦えない」でしょ?

 つまり、「オメ~ら、国民のこと考えてね~だろ?」って話ですよ。自分たちの権力欲しかないのか?って感じで、実に不愉快ですね。

 本当に必要なことだったら、国民の不評を買おうとも、断固として実行するという気概がなくちゃ、政治家なんかできないでしょ? イメージばっかり気にしてカッコつけてるだけじゃ、本当の信頼は得られないですよ。

 一時的に誤解されても必要なことをやって、「今は悪役に徹して、後から理解してもらえばいいんだ」という意識がなくちゃダメなんですよ。


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偉大なる美術監督逝く・・・

 日本映画界の偉大なる巨人が、ついに逝去されました。

 美術監督の木村威夫氏です。

 もう、90歳を越えていらしたのですが、その年齢でバリバリの現役として本編の映画も監督されていらしたことは、規格外の人でした。

 私が木村氏の存在を初めて知ったのは、インディーズで撮られた林海象監督のデビュー作『夢みるように眠りたい』でした。

 この作品は、ミステリー仕立て、白黒、無声、佐野史郎の映画デビュー作という実験的作品でしたが、私にとっては特別な映画でした。

 当時、私はまだ大学生で岡山にいました。

 学生の自主映画がブームとなっていた時期で、この時期の前後は、関東では手塚眞、小中千昭・和也兄弟、関西では庵野秀明といった現在でもジャンル・ムービーで活躍している作家がプロへと進んだ時期でした。

 私も映画の世界に入りたいと願っていて、映研の先輩の言葉がきっかけで上京したということは、『武術と生きる日々』に書いた通りでした。

 そして、岡山にいた頃に雑誌やTVで観た『夢みるように眠りたい』という作品を、上京と同時に映画館に観に行ったという記憶があります。

 もう、24年くらい前なので記憶が曖昧なんですが、確か、大森のキネカ大森という映画館だったと記憶しています。

 上京して初めて観た映画でもあった『夢みるように眠りたい』は、想像を超える傑作でした。

 特に、幻想と現実が交錯するクライマックスの美しさは、未だに私がこれまで観た映画作品の中でも最も好きなシーンでした。

 ダイヤモンドダストのようにきらめく桜の花びらが舞い散る中、未完の映画『永遠の謎』のヒロイン桔梗姫を背負って歩いていく佐野演じる探偵の姿は、人間の一生が“想い”の一瞬に及ばない儚さを表現しているような幸福なペシミズムを感じさせるのでした。

 その中でも、白黒でありながら慄えるほどの美しさを表現してのけていた美術監督の木村威夫氏の存在が、私の中で大きくなっていました。

 既に当時から美術監督として大御所であった木村氏でしたが、若き林監督の情熱的な依頼を面白がって引き受けられたのだとか・・・。

 実は、鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』や『陽炎座』の美術も手掛けられていたことを後で知りました。

 そして、都内で自主映画サークルに参加していた頃に、木村氏のことを知る人から断片的に話を聞いたりしていました。

 誰かから聞いたと記憶しているんですが、映画学校での木村氏の講義は「木村さんは、スケールの大きなことを要求する人で、“ダイダラボッチが富士山に座ってるようなイメージで映画を考えないとダメだよ”みたいなことを言う人だった」と聞いて、なんだか豪快な人だな~と思ったものでした。

 お孫さんだったか姪御さんだったか? ちょっと記憶が定かではありませんが・・・の女優さんにも自主映画の現場で会ったことがあります。彼女はその後も舞台女優を続けていました。10年以上ぶりに友人の芝居の時に会った時も、まったく変わっておらずに驚かされたものでした。美術監督のDNAなんでしょうか?

 私自身、ついにお会いすることはかないませんでしたけれど、木村威夫氏の作品は残っていますから、その卓越したマエストロの技量を感じることはできます。

 クリエイターの端くれとして、偉大なる先達に敬意を表しつつ、御冥福を心よりお祈り申し上げます。


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これからの武術は高機能でなくっちゃ~

 剣武天真流DVD製作を間近にひかえる青木宏之先生から、過日の「刀の拵え製作の御礼に・・・」と、カスタムメイドの本革の日本刀ケースをプレゼントいただきました。
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 本当に、青木先生には、書もいただき、秘伝の技も御教授いただき、いろんな方も御紹介いただき・・・どういう風に恩返しすればいいのか?と考え込むばかりなんですけれども、とりあえず、新体道剣武天真流の真価について私が論じていくことが間接的な恩返しにはなるだろうと思っています。

 けれども、無論のことながら、私は“ダメなものは、誰が何と評価していようがダメ”と、はっきり言う人間ですから、恩情だけで評価して論じたりはしません。

 だって、自分が習った先生であっても、「あそこがダメだな」って平気で言っちゃう人間だから、私が優しい人間だと思ってる“ヌル~い考え”の人は、付き合っていくのはキツイと思いますよ。

 だけど、もし、「こりゃあ、ダメだな~」と思ったら、まず論評もしないのです。

 例えば、私は物凄い量の武術系(中国武術・古武術・空手等々)のビデオやDVDを観ているんですが、“こりゃあダメだな~”と思ったものは、論評そのものをしません。

 なので、仮に批判していたとしても、それは最低ラインとしての論評するに値する内容だと思ったからであって、「批判する価値もない」と思ったら、論評そのものもしないのです。

 大体、無名な人は論評しませんね。それは、読む人が知らないような人物のことを書いても意味がないからですし、この武道武術の業界で名前が知られていても、やはり、本やDVDとかいくつか出している人でないと存在そのものが知られていないでしょう。

 もちろん、無名でも実力のある師範は無数におられます。その筋では有名な人という場合もあります。

 そういう方だったら、採り上げて紹介するのも価値があると思いますが、売名欲ばかりが肥大した自己愛性人格障害者がこの業界に少なくないのも事実なのです。

 そんな、中身もないのに野心と自尊心ばかりが肥大しているような連中に関わると揉めるだけですから、今は研究活動を優先するために武道武術格闘技の関係者とは極力、交流しないように決めているんですよ。

 第一、有名人や売れてる人、実力者と交流したから自分もそうなるというものじゃないでしょう?

 私は小判鮫や腰ギンチャクみたいなヤツは大嫌いだし、自分自身の努力が認められないと意味がないと思っていますよ。

 専門雑誌に出てないのに、これだけ本やDVD出してるのって私だけでしょ? 武道武術業界の権威付けに頼っていないってことですよ。

 他人の権威にすがろうとするヤツは、本気で努力していないんですよ。虎の威を借りるキツネ君みたいなヤツが多いでしょう。そんな人間のどこをどう評価できますか?

 で、実際、世の中で活躍している人は、自分自身の努力を惜しまない人が最終的に評価されて成功を勝ち取っていっていると思いますよ。

 もちろん、人脈も大切ですが、中身のない人間が人脈だけ築いても誰も仕事を依頼したりはしないでしょう? 仕事となれば実力のある人を選ぶのが当たり前です。

 最近、「長野は上手いことやって本やDVDを次々に出している」と言う人もいるんですけど、「フザケルナ! 俺はお前の何十倍も陰で努力しているんだよ。テメーの基準で判断してんじゃね~よ。一生、腐って内輪で吠えてろ」って言いたいですよね。

 大体、私は人付き合いは苦手だし、趣味嗜好が同じ人としか話が続かないです。

 だから、稽古している時と、稽古が終わった後にファミレスでダベってる時が一番、リラックスできて楽しいですよ。

 後は、独りで本読んだりTV観てたり、文章書いてる時が幸せですね。

 一番、疲れるのは“趣味が合わない人と話さなきゃならない時”です。基本的に、私は自己に埋没して生きているヲタク人間なので、趣味嗜好の合わない他者に合わせるというのが、物凄く疲れるんですよ。

 変人と言われると大抵の人は怒るでしょうけれど、私は全然、ハラ立たないです。事実、自分は相当な変人だよな~と確信しているからです。マジで、一年くらい誰とも口きかなくても平気ですよ。興味のない話を聞かされるとイライラするし・・・。

 ただし、興味のある分野の話だったら一日中でも話せますから、いつぞや、講座を受講した女性がビックリして、「よく喋る人だな~。武術やっている人って、もっと無口だと思ってましたよ」と笑っていました。

 自分で自覚ないんですけど、私は物凄くギャップがあるらしいですね。全然、話さないか、物凄く喋り倒すか、時と場合で両極端だから・・・。

 躁鬱病って訳じゃないんですけど、興味の有無で極端に変わってしまうんですね。


 まあ、それはそれとして・・・、TVのニュース番組で、日本のケータイ文化の特殊性について論じられていて、なるほどな~って思いました。

 外国では電話の機能さえしっかりしていればいい・・・という感じなのに、日本だとパソコン並の多機能を組み込む傾向がある・・・というのです。

 これは日本人の文化的な特性なのかな~?と、ちょっと思いましたね。

 今でこそ、日本の武道は剣道・柔道・空手道・合気道・居合道・杖道・弓道と専門分化して確立していますが、江戸時代以前は、剣・居合・柔・棒・薙刀・槍・弓・手裏剣・鉄砲などが一つの流派の中で共存しているのが当たり前だったりしたのです。

 それどころか、伝統医術も忍法も築城術や風水気学に占い、憑き物落としなんかまで伝承していたりするんですから、凄いでしょ?

 武術って、単に格闘する術じゃないんですよ。根本的に違う。

 現在の高機能ケータイの発想というのは、かつての日本の総合化された武術と同じだと思いましたね。

 う~ん・・・そうか~・・・だったら、時代は“高機能武術”を求めている筈。

 ならば、我が游心流一門は、それを目指すしかないかな~?

(本日はBGMにスガシカオの『夕立ち』を聴いております。これは深夜アニメ及び劇場実写版『ブギーポップは笑わない』のテーマ曲でした。シカオはアニメのテーマ曲も結構歌ってますよね・・・)

PS;『游心流武術健身法・上級編教材DVD』の値段がちょっと高過ぎるのでは?と人から言われたんですけれど、私、最初は3万円にしようか?と思っていたんです。だって、居合の練習やっていて無刀捕りから他の武器術や体術まで全て上達できる武術型なんて、前代未聞でしょ? 長年の研究成果のエッセンスだけで考案したんだから、安売りして価値の解らないバカにツベコベ言わせたくないんですよ。本当に価値の解る人だったら、20万円でも安いと言うだろうと思ってますよ。だから、初級・中級やって上級やると、文字通り“高機能武術”を体現できるようになれますからね。3~4年、地道に稽古やって、時々、うちのセミナーに出たりすれば、上手下手の差はあっても誰でもびっくりするくらいの実力にはなれますよ。「武術はそんな簡単に体得できるものじゃない」って言ってる人は、単に自分の無能さを認めたくないだけ。現実は、理合をきちんと理解すれば誰でも短期間で驚くほど変わります! 人間の能力というのは意識の転換で一瞬にして何十倍も機能的に変わってしまうものなんです。武術は、元々、そういう機能を引き出す訓練システムを持っているんです。長年やればできるというものじゃないんですよ。長年やっているうちに「これだっ!」って悟って体得できるのが真相であって、それなら長年やらなくとも一瞬で悟ったらいいじゃないですか? 私が言ってるのは、こういう道理を言ってるだけなんだから、「身体鍛える前に脳みそを鍛えなさいっ!」と言いたいですね。


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護身術と武術

 またまた、動画で海外の護身術とか沢山、見ました。

 私、英語が苦手なんで、よくは解らないんですが、どうも、クラブマガ系・ケンポーカラテ(カジュケンボー)系・JKD系・戸隠流忍法系・ハプキドー(韓国の合気道)系とかがあるみたいですね~?

 それに、これは明らかにシステマの影響があるな~?と思えるものもありました。

 少し細かく分析すると、ハンドテクニックは、シラット(ペンチャックシラット)や詠春拳の技術をベースにしているものが多いみたいですね。

 ナイフ術やスティック術には特にその影響が強く見られて、ナイフだとダガーやカランビット(三日月型小形ナイフ)の操作法が顕著だし、スティックはフィリピンのエスクリマ(カリ)の影響が強いようです。

 日本刀(忍者刀)を振ってるところなんかもエスクリマかクラビ・クラボーン(タイの古武術)の使い方を応用しているみたいで、本質的な日本刀の操作法は知らない人が多いみたいですね。

 そういえば、合気道やフィリピン武術、カンフーを幅広く修行しているスチーブン・セガールも、蹴り技と日本刀の扱いは唖然となるくらい、とてつもなく下手だからな~(って、さりげなく問題発言)? 日本刀の扱いだけに限ればオーガミ・ゲンタの方が上手いと思うよ・・・(さらに問題発言。あ~、『ブレイズ・オブ・ザ・サン』を観てみたいな~。オーガミさんは何とか新陰流とか流派興してたでしょ? 『秘伝』で取材しないかな~?)・・・?

 これは、ナショジオのマーシャルアーツのテクニック分析のドキュメンタリー番組なんか見ても、日本刀の使い方に関しては、物凄く勘違いした技術が広まっているみたいですね~。バトントワリングみたいに空中に投げ挙げて、クルクル回って落下してくる日本刀をキャッチして、ダァーッ!って格好つけて吠えたりしてるから、頭痛しましたよ。

 ニンジャタートルでおなじみ、小幡利城先生(林邦史朗先生の御門下だった試斬のプロフェッショナル)も出演されていたんだから、「そんな勘違いしたニーチャンにやらせんなよ~」って思いましたよ。小幡先生も後で見てズッコケちゃったんじゃないかな~?

 私が一番、ウゲゲ・・・って思うのは、ガイジン武術家って、何で、あんなイチイチ、ガァーっ!って吠えるの?ってことです。闘志を表現しているんだったら、それは武術じゃないよ。「お前ら、モモタロスかよ?」って思いました(イクゼ、イクゼ、イクゼェーッ!って叫びながら戦う仮面ライダー電王のキャラ)。

 そこはそれ・・・、アメリカでは、今、東南アジア系の武術技法が人気を呼んでいるみたいです。映画の影響でしょうね。

 シラットの帯を使うテクニックなんかは確か秘伝的なものの筈ですが、これも使われていましたね。ナショジオとかで断片的に紹介された技術を採り入れたのかもしれません。

 体捌きや体変術に関しては、戸隠流忍法の技術が相当、海外で普及しているんだろうな~?と思えましたね。あの独特の間の外し方や死角を取るやり方は、他の武術ではやらない筈だと思えるからです。

 しかし、そこにシステマの接触しているところから柔らかく身体をグニャリといなして逆転していく身体操作法を採り入れているような人も増えているように思いましたね。

 拳銃の撃ち方が、そのまんまシステマじゃん?みたいな・・・。

 でも、あれは画期的だし見た目にも美しいですからね。先見の明のある武術関係者なら注目しない筈がありません。

 フットワークとかはJKDの影響があるような人も見られました。

 武器も、身近なもの、雑誌(丸めて突く)・携帯電話(角で喉とか突く)・帽子(目隠ししたまま殴る)・ベルト(鞭みたいに使ったり縛ったりする)・傘(逆捕りしたり突いたりする)・カバン(振り回して打つ)・・・等を用いて護身術に応用するやり方を指導していたりして、「俺と同じこと考えてるな~」と苦笑させられました。

 やっぱり海外だと日本と違って強盗なんか当たり前に銃を出してくるでしょうから、ピストル捕りやアサルトライフル捕りの要領なんかも指導していて、そういうところは参考になりますね。

 いや、本当に游心流としても年に一、二回くらいはグァム島に射撃の研修に行こうと思ってるんですよ。

 日本だって、銃を使った事件は増えているでしょう? 護身術としては考えざるを得ませんよね。

 で、対武器を考える場合、その武器の操作法やメカニズムを知らなきゃ対処法も考えられないと思うんですよね。

 余談ですが、新体道の青木宏之先生から電話があって、宮崎からかけてらっしゃるということだったんですが、現代刀の有名な刀匠の方の御自宅から電話されていたそうで(私の話題が出たので「じゃあ、話してみますか?」ってことだったみたい)、その刀匠の方とも御挨拶させていただきました。

 青木先生のお話では、その方の試し斬りが「物凄い上手い」とのことでしたが、やはり、御自身で刀を打たれているから、日本刀の構造に関して熟知されているので、どう斬れば最も斬撃力が発揮できるのか?ということを深く理解されているからなんだろうな~?と思いましたね。

 いろいろ面白い話もあったんですが、詳細はまた、後日・・・。


 とにかく、素手の武術も武器術も、同様に使いこなせなければ武術としては問題あるだろう?と私なんかは思っている訳なんですが、どうにも、日本の武術家には理解してもらえないみたいです。

 日本だと一つのことに集中するのが正しいという考えがあるから、空手なら空手、拳法なら拳法、合気なら合気・・・って具合になるみたい。

 何で日本の武道家は、素手に拘ったりするのか?と私は不思議です。ナイフを持っている相手に素手で立ち向かおうとする発想が理解できません。咄嗟に何もないから反射的に対応するのなら理解できますが、余裕があっても素手で・・・となってしまう人が多い。

 私はナイフ術は相当、研究してきて自信があります。どんな実力者が相手でも、素手の相手だったら一瞬で致命傷与えられると確信しています。

 だから、素人が相手だったとしても、ナイフを持っていたら無傷で倒すのは難しいと思います。

 うちも無刀捕りとか素手でナイフを捌く技の練習とかやることはやります。でも、それは「致命傷を負わずに済ませられたら御の字ですね・・・」って考えからであって、捨て身になる度胸を養う意味の方が強いのです。

 だから、護身術として教える場合、相手が武器持っていたら、決して自分から素手で立ち向かおうなんて考えてはダメだと教えています。

 実際に打撃系格闘技、現代武道、組技系格闘技、総合格闘技とかを相応に学んできた人たちとゴムナイフ使って手合わせしても、全員、あっという間に手足の腱と動脈切断、腎臓刺して頸動脈・喉を切断、金玉切り取る技・・・とかを実演?して、あまりの残忍さに凍りついていた人も何人もいました。

「はい、ここで肛門にナイフ突っ込んで、思いっきり上に切り上げます・・・」とか、私は平然と実演?しますからね。魚さばくみたいな感じです。

 誤解しないでくださいね。「素手の相手にナイフ持って対処したら勝って当たり前だ」ということが言いたいのであって、自慢しているんじゃないのです。

 それほど、人間が武器を持つということは怖いのだということです。

 逆説すれば、たとえ武道の高段位者や師範クラスであったとしても、ヤク中のニーチャンがナイフ持って暴れているのを素手で制圧するのは相当、難しいであろう・・・という予想はしておくべきだと思うんですよ。

 ナイフ術は怖いですよ~。本当に、近接戦闘だったら拳銃の何十倍も怖いですよ。

 大体、熟練しているヤツはナイフ持ってること判らないようにしてますからね。素手だと思って気楽に近寄っていったら、手品みたいに切られてた・・・ってハメになります。

 私は自分が判ってるから、迂闊に近寄らないで観察しますもんね。ナイフを構えて威嚇するようなヤツは素人ですよ。あるいは、威嚇用や投げ付けるためのナイフで、他に隠し持っているでしょうね。

 私も基本的にナイフ出して構えたりしません。隠剣型のナイフとかデザインしている最中ですし、“本来の武術は素手で戦うものじゃない”んですよ。

 ヤンキーに教えていた時に、素手のフリしていきなりナイフを急所に突き付けて、「こういう相手もいるから注意しなきゃダメだぞ」ってやってみせたら、震えあがってガタガタしてましたよ。一応、安全のために刃を潰しておいたんですけどね。

 持ってないと思っていた相手が持ってるのが一番、怖い訳です。だから、前提として、「ナイフくらい隠し持っているもんだ」と考えておいた方がいいと思うんですよ。

 実際、ヤンキーとか普通に持ってますからね。

 私は特にナイフ収集の趣味がある訳じゃないですけど(日本刀収集の趣味はあります)、それでも包丁や細工用のナイフとか数十本ありますからね~。

 普通の家庭でも、包丁とかフルーツナイフとか、5~6本は最低でもあるんじゃないですかね~?

 だから、戦闘の訓練とかしたことない普通の人が命の危険を感じたら、真っ先に包丁とかナイフとかを持つでしょう? これが自然な反応なんですよ。弱い人間は護身となると刃物を持つものなんですよ。それだけで戦闘力は何倍にもなるのを分かっている。

 それを卑怯者だの臆病者だのと考える方が認識の錯誤というものです。動物は本質的に卑怯で臆病なものなんですよ。これは野生動物を見れば解ることですよ。

 だけど、武道に一直線でやってきた人って、“正々堂々と闘う男らしさ”を大前提としてやってきているから、刃物を持つ相手を想定できないんだと思います。

 日本の武道界では、自分が習っている流派が最強だと思って他を顧みない“頭の悪い人”が多いですが、私は不信心な人間なので、流派の優劣では考えません。

 動画を見ていて思ったのは、特に海外は日進月歩でどんどんどんどん・・・といろんな流派の技術が融合されて発展していっていますね。数カ月も経過すると驚くくらい発展していて、ゲゲゲの鬼太郎の進化妖怪カブソみたい?

 私は、日本の武術シーンが世界の最前衛に立っていて欲しいと願っていますが、現状は、世界の動きにあまりにも無頓着で呑気過ぎるように見えます。取り残されているのに、まだ気づいていない・・・。

 だから、日本の武術を発展させることを誰もやらないんだったら、俺がやってやろうじゃないの?って思ってる訳ですけどね。武芸百般の遣い手をとりあえず百人くらいは育てたいですね~。

 俺が達人にしてやるぜぅぇっとぅ(水木一郎ですか?・・・って、自分ツッコミ)!


追伸;何となく思うのは、日本の武術・武道をやっている人って、男のロマンを求めているんでしょうね? だから、そこに糞リアリズムを追究してしまう私のような人間は異端者(アウトサイダー)なんだと思いますよ。“男のロマン”と弁えてしまえば、楽しいだけで済むんだろうと思いますけどね~。


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『射雕英雄伝』再び放送中

 チャンネルnecoで武侠小説の大家、金庸先生の代表作『射雕英雄伝』が放送されています。

 何度か放送されて、確か、「これが最後の放送」ということだったと記憶しているんですが、再び放送されています。

 これは、三部作最後の作品『倚天屠龍記』も映像化されたらしく、それで三部作を続けて一挙に放送しようということのようです。

 でもね~、面白いものは何回見ても面白いですよね。

 特に、物語の背景を知らない時に見る面白さと、知った上で見る面白さというのは違う訳で、久々に見ると本当に面白い!

 主人公よりも、むしろ、登場する武侠(武術の遣い手の侠客)たちが魅力的。

 江南七怪、全真七子、東邪(黄薬師)、西毒(欧陽鋒)、南帝(一灯大師)、北丐(洪七公)、老顔童(周伯通)に、既に死んでいるけれども天下第一の遣い手だったという全真教の開祖、王重陽や、無敵の剣客、独孤求敗の名前も出てきて、武侠世界の縦軸が繋がれて、他の作品との関連が匂わされているところも面白いんですね。

『笑傲江湖』の主人公、令狐冲が華山派剣術流の隠師、風清揚から受け継ぐ独孤九剣は、独孤求敗が編み出して、『神雕侠侶』の主人公、楊過が再興したものだし、『射雕英雄伝』の主人公、郭靖が洪七公に学んだ降龍十八掌は、『天龍八部』の主人公で丐幇(乞食のネットワークで日本でいうところのサンカに近い?)の頭、蕭峯の得意技でした。

 それに、これらの作品に特徴的なのは、武術家は内功の鍛錬によって力量が決まるので、概ね、老人の方が強いんですよね。

 東邪の「弾指神通」や西毒の「蝦蟇功」、南帝の「一陽指」、北丐の「打狗棒術」、老顔童の「空明拳」といった得意技や、物語の要となり争奪戦が繰り広げられる秘伝「九陰真経」や「辟邪剣譜」などといったアイテムは、時代劇の武芸帖争奪戦を思い出します。

 こうした、武術家が群雄割拠して秘伝の争奪戦を繰り広げたりする小説が国民的な支持を得るというのは、あまり日本では見られないですよね。

 それに、気功で鍛錬する描写も日本の武術にはほとんどないものです。

 門派の対立関係を描くのも武侠小説の特徴で、少林派、武当派、華山派、天山派、峨嵋派、黄山派、泰山派、嵩山派、啌洞派といった派閥も登場します。

 これらは日本でいえば、一刀流に新陰流に示現流に神道流に・・・って話なんですが、党派観念は日本の流派以上に強いでしょうね。


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『現代霊性論』を読んで・・・

 武道論も書いている内田樹さんの対談本ということで、新聞の広告記事で、おっ?と思ったのが、この『現代霊性論』。

 しかし、正直言って、私は内田樹さんの論には、今一つ、賛同するところがありませんでした。

 どうも、甲野善紀氏と付き合うようになってから、武道に関してもおかしな理屈をつけるようになったように思えたからです。

 だいたい、合気道の高段位を持ちながら、何故、甲野氏の技の欠陥に気づかないのか?と不思議だったからです。

 甲野氏の技は見世物芸の典型例であり、まともな武技としての実用性は無きに等しく、現実に、ちょっとでもまともに立ち合うと連戦連敗。私の知る限りでも70人以上の人に負けており、ボロ負けした経験も少なくない・・・という、日本武術史上類例を見ない現代日本を代表する“偽装武術家”だからです。

 無論、別にどんなに弱くても、「武術に伝わる身体操作法の研究をやっている者です」という分には、特に非難するには当たらないだろうと思います。

 私が甲野氏を徹底批判してきているのは、彼が“自分は全然戦えないということを黙して語らない・・・それどころか本物の達人であるかのごとく周囲に思い込ませるための手練手管を日夜研究工夫している物凄い詐欺師体質の人物”だと認識しているからに外なりません。

 こんなバカチンを野放しにしていたら、日本武術、日本武道の将来に及ぼす悪影響は計り知れないものがあります。

 実際、彼の詐欺師体質に利用されて苦い思いをされた師範は少なからずいるのですし、あるいは二匹目のドジョウを狙って“第二の甲野”を目指すカルト武術屋も出てきていますから、こういう風潮は断固として徹底糾弾されなければいかんのですよ!

 それに、見世物芸しかできない人間を天下の達人扱いするのは阿呆を満天下に晒す行為でしょう? それが武道家を自負し武道論を為している・・・ということの“悲哀”と“滑稽”は底知れない羞恥の沙汰ですよ。

 もしも私が内田さんの師匠であったら、「この糞馬鹿者! わしの顔に泥を塗るか? 恥を知れっ!」と怒鳴って、顔面にマジで蹴り入れてますね。

 仮にも武道の専門家で「甲野先生は大武術家だ!」なんてほざいているヤツは、どれだけ名前と地位のある人物だったとしても、私は「目ン玉、腐っとるな~、この人」と、思いっきり軽蔑しますね。

 そういう次第で、私は内田樹さんの武道家としての物凄い見識の無さにはガックリしてしまっていた訳ですよ。それ以前のムック本なんかで読んだ論考とかは慧眼を感じさせていたから、余計に「どこに目ぇつけてんだよ、このオッサンは?」って思いましたよ。はっきり言っときますけど・・・。

 ただし、新刊本でも書きましたけど、およそ試合をしない合気道や太極拳、中国武術などを実践してきている人には、師範クラスであっても甲野氏同様に唖然となるくらい脆弱な人がいるのも現実ですからね。

 それこそ、フルコンタクト空手を数カ月やっている程度のハイティーンのローキック一発で撃沈させられてしまった・・・なんて話は珍しくもありませんから、多くのフルコン修行者や格闘技実践者は、それらの武術には怪しいものというイメージしか持っていないようですね。

 つまり、“戦えない武道家(趣味道楽で稽古しているだけで現実に戦うことを想定していない武道の本質が抜け落ちた者、あるいはそこに無自覚な者)”なんですよね。

「内田樹先生も、その手のタイプなんだろうな~。マジで怒るのも大人げないか~? 所詮、学者が趣味で合気道や居合道やっているだけなんでしょ~」と思って、多くを望むのは間違いだと納得していた訳です。

 そんな訳で、この本に関しても、興味を惹くテーマではあるものの、屁理屈だけで無内容なんじゃないかな~?と思っていた訳ですよね。


 ところが、どっこい・・・この本は面白かったですね~。書店でパラパラッとめくって速読してみたら、オオッ?と思うようなことが書かれていて、これはちゃんと読むべきだと思って買ってきた訳です・・・。

 無論、武道だの武術だのについて書かれた本じゃなかったという点と、対談相手の釈徹宗氏(宗教思想)が、単なる仏教学者ではなくて宗教に関する全般的な知識と見識、新宗教とカルトの問題点なんかにも慧眼を持たれているのが解って、島田裕巳なんかよりずっといい!

 私は、正直、こんな宗教学者の方がいるとは思ってなかったですよ。

 何に関心したかっていうと、この人は東西オカルトに関しても、かなり知識を持っているようだし、その上で仏教者(浄土真宗)としての立ち位置にもブレがない。

 おまけに日本拳法をやっていたのだそうで、日本拳法と言うと防具付けて実際に殴り合い投げたりする武道ですから、その厳しさは合気道とは異質のものです。

 だから、優しく説いていても言葉に厳しさがありますね。迂闊なことを言って世の中に間違いを広めたりしてはいけない・・・と自覚しているようなフシも感じました。

 そんな人との対談だから、やり取りを概観していると、内田さんの人柄なんかも概略、読めてくるんですよ。

 それで、「あ~、なるほど、ウッチー(内田樹)は、相当、クセ者なんだな~? ということは、甲野チャンの問題点を知った上で面白がって付き合っている可能性があるかもな~?」と思い至ったんですね。

 釈氏は、かなり真面目で一本気なところのある性格に感じられますが、内田さんはまあ、ぬらりひょんみたいな性格なんだろうな~と思いましたね。

 そこが独特な無責任さに見えてしまう。全共闘世代の評論家に多いタイプですね。私はどうも、あの世代の人達とは相いれないというか、文句つけたくなることが多いんですよね~。何か、妙にイラッとするんですよ。

 その内田さんのイラつくところを釈氏が和らげてくれているというか、持ち味を引き立てているというか、対談ならではの読み易さにしてくれています。

 でも、個人的に笑ってしまったのは、内田さんが、ちょこちょこっと甲野氏の話を持ち出すところなんですが、私は本人をよく知ってるから、「そうそう、アルアル・・・(苦笑)」って思ってしまうんですよね。

 カルマ(業)についての甲野氏の話なんかは、恐らく私にイジメられた甲野氏が悩みまくった揚げ句に“合理化したカルマ論”を周囲に吹聴しているんだろう・・・と、むしろ、噴き出してしまいましたよ。

「相変わらず、バカだね~?」ってのが私の偽らざる感想。

 そういう、ごまかし方をするところが業が深いっちゅうんですよ。自分がキリスト様かなんかだとでも思ってんでしょうね。自己愛性人格障害者の典型例ですな・・・。

 まあ、内田さんにとっての甲野氏は、珍獣を見るような感覚なのかな~?

 あっ、そうそう・・・「仮にも師と仰いだ人物に対して無礼千万なもの言いをするのは人として未熟である」といった“浅薄過ぎる礼節論”持ち出す人が武道関係者には多いから、はっきり申し上げますが・・・「個人的心情を持ち出して事実をねじ曲げて語る者のどこに“真”があるのか? 礼節論を持ち出して真実を暗ます者は偽善の徒である。恥知らずは礼節を語るべからず!」と・・・。


 とにかく、『現代霊性論』、面白いから、興味のある人は読んでみるといいですよ。


PS;民主党の副幹事長が小沢批判を公言したという理由で辞めさせられたそうですが、民主党の器の小ささにはガックリきますね~。小沢さんはスターリンみたいになりたいのかな~?

PS2;クロマグロ問題、予想外の大逆転でビックリしましたね~。


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事務連絡 游心流 教材用DVD

游心流武術健身法 上級 教材DVD

20,000円(送料はこちらで負担致します。)

内容

(DVDパッケージより)

本DVDは、游心流武術健身法の、独修及び稽古のレベルアップを図るための教材用に製作されたものであり、内容に関しては、総合武術文化研究所・游心会の稽古内容に準じて撮影編集されています。

上級編は、刀の抜き納め・構え・体捌き・歩法訓練・居合術対錬“独己九剣”・独己九剣の応用法と目付け・応用組手(連続突きの捌き、連続斬りの捌き、蛟龍歩を用いた組手、目隠ししての反応組手)・整体基礎と基本活法を紹介しています。

鑑賞しながら練習される場合、初級編・中級編を既に練習されている方を前提に構成しておりますので、必ず初級編・中級編で練習された後に御鑑賞されることをお勧めします



游心流武術健身法 初級・中級 教材DVD

20,000円(送料はこちらで負担致します。)

内容
(ブログより)

初級編

1,スワイショウ
これは、脱力体の養成と中心軸の体感、そして背骨の歪みの矯正の効果がありますが、鞭手打法の威力養成にも役立ちます。スワイショウだけを抜き出した健康法と護身術も研究中です。

2,立禅
これは、各種の站椿功がありますが、主に体幹部のコア・トレーニング法の意味があります。

3,三元試力
これは、骨盤の横回転・縦回転・螺旋8の字回転の運動を手先足先まで伝達していく練習法であり、主に打撃やピッチング、ヒッティングの威力を養成する効果があります。ちなみに、応用法として合気的な崩し技や逆技から逃れて逆転する技などへの応用発展性があります。

 この三つが基礎錬体となりますが、これらは発勁・合気などの武術の高級技法を効率よく体得するための武術的身体を練り上げる練法であり、その要になっているのは骨盤の動きです。

4,歩法
歩法については武術の極意として欠かせないものですが、単なるフットワークではなく攻防の技と結び付いて体勢を崩さず移動し得るものでなければなりません。また、移動しながら技を次々に繰り出していくための基礎トレーニングであると同時に、游心流では丹田歩法による丹田の開発トレーニングも歩法に含まれています。

5,対錬
これは、簡単に言って交叉法と読みのトレーニングであり、技は二の次です。対錬を発展させることで交叉法も発展します。最も大切な練習法なのですが、これは意味を理解した人間同士でしゅくしゅくと続けていかなければ、やるだけ無駄になってしまいます。武術の修練は気持ちを入れてやらなければルーチンワークとして続けていても何も得られません。

中級編

1,差し手の練習風景
これは、交叉法を具体的に技として使う場合に最も多用するテクニックです。このテクニックを用いることで受け即攻撃の攻防一体の武術の戦闘法が具体的に体得されていきます。これは臨場感を出す意味で、普通に練習しているところをそのまま収録しました。

2,推手
これは太極拳などで練習される一種の約束組手ですが、差し手と組み合わせることで実践的な用法になっていきます。素手だけでなく剣術や棒術にも応用が利きます。

3,剣術
これは鈴木雅美剣術師範代が解説実演しています。ガツッと打ち合えば真剣は折れたり曲がったりしますし木刀は折れたりしやすいものです。ですから鈴木師範代はフワリと柔らかく剣を使って衝撃を受け止めない太刀捌きを使いますから、御注目を・・・。

4,居合術
これも鈴木師範代にやってもらいました。闇雲に速くやるのでなく、フワッと捌いてヒョイッと太刀を付ける鹿島神流の技を参考にしています。

5,対錬
中級の対錬は、初級を少し難しくしたもので、組手構えからの攻撃に対するのが特徴で、添え手や連続蹴りなどを用いています。初心者には少し難しいでしょう。

6,護身術
最近の通り魔事件多発に対応する意味で護身術も入れてみました。主に対ナイフの護身術を解説指導していますが、中国扇子や傘を用いた護身術も収録しています。




ご購入希望の方は、以下の要項を満たしてメールにてご注文下さい。
(事務担当と販売・製作担当が別ですので、時間が掛かります。ご了承下さい。)

1.氏名(+ふりがな)
2.年齢(何歳代でOKです)
3.郵便番号+住所(送付先を明記してください。都道府県名も省略しないで下さい。)
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7.武術・武道・格闘技・スポーツ歴(会員の方は会員暦)
8.ご購入希望のDVDタイトル
9.何か一言


(注)教材用DVDを買った方から雑音があるとかプレーヤーで映らないという苦情がたまにあります。出荷前に作動チェックしておりますが、一応、交換には応じております。が、戻されたものをDVDプレーヤーで見てみると問題なかったりします。家内産業で手作りしておりますので、撮影時の戸外の音などが混じっていたりすることもありますし、プレーヤーとの相性の問題もあると思われますので、恐縮ですが機種を変えて再生してみることをお薦めします。また、DVDは強力な磁気に近づけたりするとダメになったりしますので、携帯電話とかに近づけないようにしてください。
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教材用DVD上級編完成しました

 游心流武術健身法の初級・中級の教材用DVDに続いて、上級編も完成しました。

 去年のうちに出すつもりだったのが遅れてしまったのですが、何とか完成にこぎつけて良かったです。

 この上級編では游心流独自の九つの居合型“独己九剣”を中心に演武解説していますが、この型の中で体捌き・目付け・読み・脱力技法・合気・発勁・武器術・・・等のエッセンスを学べるように作っています。

「発勁については関係ないんじゃないか?」と思われるかもしれませんが、実は、抜刀の瞬間の身体の使い方というのは、沈墜勁と十字(開合)勁の体動と共通していまして、抜きの動作そのものが発勁の威力を高める稽古になるように作っているんですね。

 例えば、第二番目の“右剣”の動きは八極拳の冲捶とほぼ同じです。つまり、これを訓練することで八極拳の冲捶を実際にどのように使うことができるのか?ということを自然に気づかせることになるのです。

 まあ、本当は、稽古しているうちに自分で気づいて欲しいので、あまり書きたくはないんですけど、「武器術の練習したって素手の技が上達するもんじゃない」と思い込んで無関心を決め込む人が多いので、「本来の武術は素手でも武器でも理合は同じなんですよ」と認識を改めて欲しいので書いてるんですけどね。

 それで言うと、“雪崩潰し”の技は脱力系の合気そのものなんですね。これは甲野氏の技をパクッているんですが、源流の鹿島神流の剣術を観て折衷し、游心流式の応用法も加えています。

 この技も沈墜勁の原理を利用しているんですが、その応用法は相手との関係性の中で変化できなければ実用の意味がありませんから、剣を抑えるか、腕を抑えるかの二法を紹介していますが、根本的な問題としては、「相手の体勢を腰から崩す」という点で考えておかないと技の手順や形に拘っていたら意味がないんですよね。

・・・ということは、つまり、この技をかけられた時は腰を崩されないようにいなしてしまえば技を返すこともできるということです。

 武術というのは、技の原理構造を理解して応用発展させると同時に、その技の破り方も工夫しておかなければなりません。

 案外、それを考える人が少ないのが私には不思議なんですけどね。

 強いか弱いかではなくて、要は、「相手の技を分析して弱点だけ攻めれば強い弱いは無関係になる。それが武術の“術”」なんですよ。

 格闘技の世界でもクレバーな人は、当然のようにそうしますよね? だけど、武道やっている人って、案外、これを考えないんですよね。不思議ですね~。自分のやり方が絶対に正しいんだと信じて疑わない。それで勝てないと、「自分が未熟だから勝てないのだ」としか考えない。

 そういうのが「潔いのだ」と考える土壌があるから、あれこれと合理的に考えて解釈しようとする人間はむしろ疎まれて軽蔑されたりしますからね。

 私も、随分、後ろ指さされましたよ。「理屈ばっかり言って必死で練習しない」と思ってる人が多いし、私も必死で練習している姿を人目に晒すのが嫌いだし・・・。

 でも、冷静に考えてみれば解る筈ですよ。練習しないでできる訳ないじゃないですか。

 先日もシダックスの講座で、軽度の統合失調症状のある人が通っているんですが(通常は一切、お断りしています。この人は特別)、悪化する危険性があるので気功的な要素のある練習をやらせる訳にはいかず、一人だけミットトレーニングを延々とやらせたんですが、私がずっとミット持ったまま突き蹴り受けてやりましたもん。

 何年ぶりかでやったんですが、一時間ぶっ通しでやったって別にどうってことないですよ。蹴ってる本人はヘロヘロになってましたけどね。

 誤解している人が多いと思いますけど、私、やろうと思えば一日十時間でも十五時間でもトレーニングやれますよ。

 無駄だと思ってるから、やらないだけ。

 たまに、「長野さんは練習しないで口ばっかりでダメだ」なんて生意気なこと言ってくるヤツとかいるんですけど、面白いから付き合ってやると、すぐバテバテになってしまうんですね。

 でも、これもタネがあって、脱力して打たれる瞬間だけ重さを乗せて跳ね返すようにして受けていれば、疲れない。何時間やっても息切れしない。

 脱力が大切だというのは、こういうところにも応用できるからなんですね。

 久しぶりだったんで、見本を見せるのに突き蹴りもやって見せたんですが、軽い突きで吹っ飛ぶし、ローキック一発で引っ繰り返るし、ミドルキック軽く蹴ったら、ヨロヨロッと崩れて立ち上がろうとしてまたヨロヨロッ・・・相当、加減して30%くらいでやったんですけど、それでも、こんな具合になってしまうんだから、これは道場破りとか来た時に100%のマジ蹴りしたらシャレならんな~と思いました。

 重心移動のパワーって、やっぱり怖いですわ~。知らない間にパワーもスピードも倍加してて、ローキック連続して蹴ったらババババッて蹴れたから自分で驚きましたよ。

 正直、自分がこんな打撃が上手いとは思ってませんでしたよ。ずっと練習してなかったし・・・。でも、人に教えてもそうなっていってるからな~。何か、改造人間つくってるマッドサイエンティストの気分?

 ただね~。威力やスピードがあっても、相手の攻撃を捌いて当てられないと意味がない訳で、私はやっぱり戦術を重視しますね。

 相手の攻撃を無効化できれば一番いい訳で、人を傷つけたり殺したりするしかできない武術じゃ社会性0でしょう?

 公園で練習してる時も、遊びに来ていた少年少女たちが我々の練習見てて燃えてきちゃったんでしょうね~。何か、急にバトル始めて、マジ蹴り入れたり小石投げたりしはじめちゃって、これは子供を刺激しちゃうとマズイな~と思って、練習終了しましたよ。

 案外、子供だからって侮れなくて、観察しているうちに技の要領覚えたりするんですよね。武道長年やっている人間より観察眼あったりしますからね。


 おっと、脱線しまくりましたね・・・。

 え~、この居合型、二人組みで練習するのも、相手の動き出す初動を読む訓練ですし、“刀の柄に手をかけて待ち受ける”という居合術で当たり前と考えられている所作をやらないのも、その所作そのものが足の“居着き”となって斬撃の範囲を限定してしまうからであって、無構えで対峙しておいて、あくまでも相手の攻撃に応じて体捌きする瞬間の“動いている時に抜く”ということを徹底訓練することを目指しています。

 どうして、こうするか?というのは、無刀捕りをできるようにするためで、基本は体捌きで避けるというのが第一で、これを習慣にしておくことで、例えば、通り魔の刃物を避けたり、車にはねられるのを避けたりすることを狙っています。

 また、この原理は対格闘戦でも有効で、普通は相手と対面して戦うんですが、この「体捌きで避けながら技を出す」ということを覚えると、体格差は関係なくなるんですよ。

 そして、一対多数の“多敵の位”に発展していけるんですね。

 ほとんどの武道では対複数の敵は想定しませんが、現実的に考えれば、おかしいですよね。オヤジ狩りだって何人かで一人を襲うものですよね。

 だから、武術としては対複数を考えないとおかしい訳ですよ。

 対複数を想定しているのは合気道です。それは、戦闘理論と技の構造に現れています。

 それが、“体捌き”なんですね。つまり、体移動しながら技をかける。

 この応用法としては、DVDの中で応用組手で北島師範が演武している突きと木剣を捌いている所に如実に游心流の戦闘理論が顕在化しています。

 これは段取り無しでいきなりやらせたものですが、体捌きと読みがきちんと体得できていればこそ、即興でやれたものです。

 私は、この演武を見て、游心流初の師範を任命した訳です。

 本当に軽々とやっているからヤラセか?と思うくらいなんですが、やってみたら解ると思いますよ。こんな風に避けたりできませんよ。

・・・とまあ、今回の上級編は、かなりいい感じのものに仕上がったと思っています。

 ただし、難点を言うと、初級・中級と比べてレベルに差ができ過ぎてるかな~?というところです。

 整体活法のところも、あまり細かく解説して真似して事故が起こるとマズイので、ここのところは参考として理解していただきたいと思います。

 何にしても、やっぱり、直に教えないと伝えられないところはある訳で、DVDを買って練習される方は、時々、セミナーに参加していただいてコツを感じとっていただきたいと思います。

 今回の教材用DVDは、何はともあれ、上級編に相応しい内容になったと思います。

 今後、市販のDVDで独己九剣を全部紹介することはないと思いますので、是非、御高覧ください。


PS;京王線橋本駅のコンコースにある書店で、ちくま新書の『使える武術』が置いてあるかな~?と思ってのぞいてみたら、無い・・・おかしい?と思って、よくよく見たら、別の本を上に置いて見えないように隠されていましたよ。「このヤロー、嫌がらせしやがってぇ~」と思って、ちゃんと見えるように直しておきました。うちの会員さんからも、「書店で置いてなかった」と言われたんですけれど、ちくま新書の方は、新書版のコーナーに置かれているので、武道書のコーナーを見ても無かったりしますから、宜しく。できましたら店員さんに聞いてもらった方がいいと思います。アスペクトの『ヒトを観抜く武術の読み』は、武道書のコーナーに置いてある場合が多いようです。が、今回はやはり、いつもより売れ行きが良いらしくて売り切れている場合もあるみたいですから、こちらも店員さんに聞いてみてください。最近の傾向として、新しく出た本も一週間置いて売れなかったら版元に返すというパターンがあるので、うっかりしてると買い逃すケースも少なくありません。是非、店員さんに聞いてみてくださいね。



*** 事務担当 注 ***
(DVDパッケージより)

本DVDは、游心流武術健身法の、独修及び稽古のレベルアップを図るための教材用に製作されたものであり、内容に関しては、総合武術文化研究所・游心会の稽古内容に準じて撮影編集されています。

上級編は、刀の抜き納め・構え・体捌き・歩法訓練・居合術対錬“独己九剣”・独己九剣の応用法と目付け・応用組手(連続突きの捌き、連続斬りの捌き、蛟龍歩を用いた組手、目隠ししての反応組手)・整体基礎と基本活法を紹介しています。

鑑賞しながら練習される場合、初級編・中級編を既に練習されている方を前提に構成しておりますので、必ず初級編・中級編で練習された後に御鑑賞されることをお勧めします


価格 20,000円 (送料はこちらで負担致します。)

ご購入希望の方は、以下の要項を満たしてメールにてご注文下さい。
(事務担当と販売・製作担当が別ですので、時間が掛かります。ご了承下さい。)

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8.ご購入希望のDVDタイトル(游心流武術健身法 上級 教材DVD 又は、游心流武術健身法 初級・中級 教材DVD )
9.何か一言

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お花見会、イラッシャイ~

 毎年恒例の游心流お花見稽古会は、昨年、盛り上がった相模原市横山公園にて実施します。

 午前10:30に上溝駅改札前に集合で、そこからダイエー・グルメストアで買い出ししてから公園に直行します。

 この公園は、私が20代後半から30代前半にかけて稽古に励んだ場所であり、いろんな実験を繰り返していたところでした。

 立禅1時間に馬歩30分、ミット蹴り1時間、フットワーク1時間・・・といった具合に時間をかけて稽古していました。

「長くやればいいというもんじゃない」というのも、長くやってみた経験があるから言える訳ですね。

 空蹴りは3000本、空突きは10000本くらい続けてやっていましたから、前蹴りは片足立ちのまま、100本も200本も連続して蹴り足を地面に降ろすことなしに蹴れましたよ。

 人間、やればできるんだね~・・・(シミジミ)。

 まっ、そういうことで、天気予報では28日も晴天のようだし、楽しく稽古して、楽しく酒飲んで食って、桜を愛でたいと思っております。

 会員以外の方でも、例えばセミナー参加者の方や本やDVDを見て一緒にお花見したいという方は気楽においでください。最近、ずっと来ていないという会員さんも最新の技を教えますから、是非、どうぞ。特に女性は歓迎しま~す。


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三沢伊兵衛は理想の時代劇ヒーローか?

 若山富三郎先生が主演する時代劇映画やドラマで未観なのは『人斬り半次郎』だけだと思っていたんですが、何と、『雨あがる』の三沢伊兵衛を若山先生も演じられていたんですね~?

 時代劇専門チャンネルで、『道場破り』のタイトルで、この若山先生版三沢伊兵衛が活躍する時代劇スペシャルドラマが放送されていたんですが、これは、長門勇が主演した松竹の映画『道場破り』と、ほぼ同じ脚本のようでした。

 長門勇と若山先生は、体型的にも似たところがあって、私は映画版DVDを持ってるものですから、配役の違いとかを見て二倍楽しめましたね。

『雨あがる』で寺尾聡が演じた三沢伊兵衛は、無外流の開祖、辻月丹の直弟子という設定でしたが、若山先生版では神道夢想流と名乗っています。この流派は夢想権之助が開いた流派で、杖術が表芸ですが、神道流の剣術も併伝されていたようです。

 若山先生は、実際に神道夢想流杖術を修行されていますから、そこから持ってきた設定なのかもしれません。

 ところで、この三沢伊兵衛というキャラクターが、こんなにいろんな役者さんによって演じられていたとは知りませんでしたよ。

『雨あがる』の寺尾聡、『夫婦旅日記』の藤田まこと、劇場版『道場破り』の長門勇、そして『道場破り』の若山先生・・・。

 やっぱり、人情味があって、お人好しな剣客というところが理想のサムライ像なんだろうな~と思いますね。

 ハードな孤狼みたいな無頼派のサムライもいいけれど、お人好しで世渡りが下手なんだけど、実は剣の遣い手というサムライの方が共感できますよね。

 今回の作品では、当然、伊兵衛はほとんど人を斬りませんが、三人組の賞金稼ぎみたいな侍たちだけは斬ります。

 中でも、時代劇の悪役キャラ中でも実力随一の本格派、伊吹聡太朗との対決のところは、若山先生が伊吹さんを見た瞬間、「この男、できる!」と呟き、奥さんに「この男は斬ります。目をつぶっていてください」と言うのです。

 実際は、一瞬で斬ってしまうんですが、この演出の盛り上げ方は上手いと思いました。

 若山先生の作品は、どれも殺陣が凝っていて感心してしまうんですが、今回も斬り合いしている侍たちに割って入って仲裁するシーンが実に良かったです。

 若山先生は、剣と居合以外にも手裏剣や拳法、棒術も上手いので、一種、カンフー映画を観ているような感銘を受けるんですが、ケレンが強過ぎると感じる人もいるかもしれません。

 けれども、単にリアルなだけの殺陣というのは面白くないんですよね~。リアルにしようとすればする程、逆にリアリティーを失ってしまっているように思えるのも不思議なものです。

 本物の武道家や格闘家を主演にしたらいいというものではないんですよね。

 やっぱり、アクションの見せ方を工夫していかなくてはダメですよね~。お正月ワイドの『柳生武芸帳』は、あの真剣白刃取り連発はやめて欲しかったですね~。同じやるにしても工夫が欲しいですよね~。

 あ~、本当に、俺にやらせてくんないかな~? 芝居でも映画でもアニメでも漫画でも何でもいいけどな~・・・いろいろアイデアあるんですけどね~。ホント、観ていて苛ついてくることありますもん。もうね~、タダでもやりますよ。マジで。

 なんかね~、滝田栄さんがチャンバラに復帰してくれないかな~?


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丹田開発法とフリーメイソンの関係は?

 やりすぎ都市伝説で、定番のフリーメイソン・ネタをやっていた時に、オオッ?と思ったことがあります。

 14日のセミナーで指導した上丹田開発法の手の形が、フリーメイソンのポーズとそっくりだったからです。

 ちなみに、この上丹田開発法は、私が空手や中国拳法、気功などの型を分析して考案したものなのですが、こういう東洋的身体開発の方法論の源流には、神秘的な宗教行法がある訳です。

 そして、フリーメイソンの源流もまた、グノーシス派といった西洋の秘教派のオカルチックな知識を伝えるものであり、そこに共通するものがあるのは特に驚くには当たらないんですけれど、それでも感慨深いものがありましたね。

 私は武術に伝わる東洋の秘教的知識を研究している過程で、「これは西洋の魔術と原理的には同じなんじゃないか?」と思ったものでした。

 20代の頃はその手のオカルト的な領域に関心が深くて、かなり調べたりもしていたんですね。

 でも、元来、ロマンチストではなかったので、そういう神秘的なものにもリアルなものがあるのではないか?と思って調べていたので、具体的な成果が得られないものは信用するにあたわずと考えて、30代以降は切り捨ててしまいました。

 けれども、御承知と思いますが、私は相当に凝り性ですから、当時に得た知識が今でも役立っている面はある訳ですね。

 それと、最近、武術の心法を研究しはじめてから、「あ~、これはこういう意味があったのか?」といった再確認したことも多かったのです。

 フリーメイソンの陰謀論も10代後半の頃には知っていましたし、やりすぎ都市伝説で披露された知識も、ほとんど20歳の頃に読み耽った本で得ていた知識と変わりはしませんでした。

 だから、エヴァンゲリオンを観た時は、「あっ、これってフリーメイソンの話だ」と、すぐ解ったし、アムウェイのセミナーを聞いた時も、「あっ、これってフリーメイソンのメンバーが創設したんだな」と感づきました。

 そういえば、『コンドールマン』のモンスター一族の設定も、明らかにフリーメイソン(ロックフェラーやロスチャイルド)だし、原作者の川内康範さんは民族主義者だったから、明らかに意識して書いていたんだろうな~と思いました。

 ちなみに、こういう秘密結社による陰謀史観というのは、何もフリーメイソンに限ったものではなくて、中国にも白蓮教とか洪門会(六合会)とかあるし、朝鮮系だと統一教会もそうですよね。

 ロシア系、アフリカ系・・・いろいろありますよ。ナチスもそうですね~。前身がトゥーレ協会っていうモロに秘教系の秘密結社なんだもんね。

 オウム真理教も、あれって宗教団体というより秘密結社だと考えたほうが理解しやすいんですよ。「宗教団体があんなことするなんて・・・」って論評する人達が認識不足なんですよ。

 島田裕巳とかさ~。オウムを宗教として評価してたじゃないですか? 彼の責任は軽くないですよ。一種、広告塔として利用されちゃってたんですから、「僕は宗教学者として間違いを犯しました」という意識で仕事を変えるとかですね。そのくらいの心意気は欲しかったですね。

 あの事件以降、宗教団体とカルトを分けて考えるようになりましたけど、まったく別物と分けられない要素があるんだから、むしろ“秘密結社”という概念で考えたら、かなりスッキリすると思いますよ。

 要するに、“閉じられた教義(イデオロギー)の結社”という概念。

 日本で言ったら、創価学会だってある意味、秘密結社みたいなもんだし、宗教的結社、政治的結社、学会なんかも組織というのは、そういう性格(権力的構造化)を帯びていくものなんですよ。

 最近の政治シーンを見ていると、幸福の科学が、宗教から秘密結社へと変質しつつあるのかな~?と思ったりしていたんですが、何か失速しちゃった感じがしますね~。戦争を容認するような過激な主張をしたりして、ビックラこいちゃったんですが・・・。


 人間が社会的営みをする時に、共通の価値観に支えられた共同体というのは社会的安定を維持するための装置なんであって、学校にも校則があるし、家庭にも家訓とかあったりするでしょう? あれは価値観の共有化のためのものなんですよ。

 これは武術の流派や道場にも昔は顕著にあったんですよ。

 今は個人の習い事としか考えられないから、“一門”という概念を重視する人は少ないですけれど、現代でも入門の際に血判押させる古い流派はありますからね。

 私は、そういうのをいろいろ調べているうちに、「個人の自由を奪うような組織の権力は良くない」と考えて、自分の流派はそうならないものにしようと思った訳なんですが、今となっては、「これはこれで問題あって良くないな~」と思うようになりました。

 自由と自分勝手は違いますからね。

 だから、現在は常識に欠けている人は入会もさせないし、セミナー受講もお断りしていますよ。

 人が社会性を得るための教育というのは必要なものだよな~と思います。

 社会性というのは第三者とのコミュニケーション能力ということ・・・これが無い人が増えているように思えるんですよね。


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知人が活躍しているのを見る

・・・と、なんだか、こっちまで誇らしく思える・・・ということはないですか?

 私は、よくあります。

 もちろん、嫌いな人が活躍しているのは嬉しくはないんですけど、友人であったり御無沙汰している知人がメディアに登場しているのを、たまたま見かけたりすると、「あ~、頑張ってるんだな~。俺も頑張らなくっちゃ~」って具合に発奮できますよね。

 例えば、私が昔、自主映画や学生演劇で殺陣を指導したことのある人が、演劇の世界で活躍していたり、新人賞をとって小説家として活躍していたり、あるいは映画監督になっていたり、脚本家になっていたり、TVドラマの演出していたりするのを知った時は、特にそういう思いになります。

 こういう分野では、いくら努力しても芽が出ない人の方が多いと思うんですが、運を招き寄せるパワーを持つ人というのは確実にいる訳です。

 もう、ずぅっと昔のことですが、私も中学時代に友人から、「長野くんは、何か将来、大物になりそうな感じがするな~」と言われたことがあって、それまでは自分が特別な生き方をするとは夢にも思ったことがなかったもんですから、嬉しいような気恥ずかしいような気持ちになったことを今でも覚えています。

 その後、大学時代にもクラスメイトの栗原君から、「長野は何か、普通の人とは違う生き方をしそうに見えるな~」と言われたことがあったんですが、この時期には大学の授業にも出ないで武術とか精神世界や現代思想の本とかを読み耽って、映画研究部に入ってからは完全に学業そっちのけで自主映画製作にのめり込んでいたので、そりゃまあ、普通には見えなかっただろうと思いますね。

 その当時の映研の仲間も個性豊かな人ばっかりでしたが、恐らく、大学からドロップアウトしたのは私だけだったでしょうから、やっぱり、奇人変人扱いされていましたね~。

 それでも、大学辞めて上京すると決めた時は、万年筆をプレゼントしてくれて、「これで立派な物書きになってください」と言ってくれました。

 多分、彼らとしてはクラブを引っ掻き回す“困った人だ”という思いもあったと思いますが、同時に、「この人は、ひょっとすると何かやってくれるかもしれない」という期待感も持ってくれていたような印象もありましたね。

 私の場合、そういう期待感とかいった他人の精神エネルギーを自分のパワーに変換してやってこれたんじゃないかな~?と思える場合もあります。誹謗中傷だって期待感の裏返しですからね。本気で嫌いだったら完全無視するものですよ。

 芸能人だって、ファンの声援がパワーになってる筈ですよ。

 立派じゃないけど、物書きになる約束は一応、果たしたかな~?と思ってはいますが、まだ映画はやっていないから、まだまだ、これからいろんな活動をしていかなきゃ~、男がすたると思っています。

 死んだ親父は、「お前のやっとることはよ~わからんけど、お前は何か人のやらんことをやりそうに思えるから、一番期待しとる」と言ってくれていたんですが、母親とか兄貴とかは全然、理解しようという意識すら無いみたいなので、何か、話をする度に空しくなるだけですね~。

 田舎に住んでると世の中の動きとか社会や文化といった事柄にも関心が無くなって、自分の生活空間のことしか考えなくなるのかな~?とか思うと、50過ぎたら田舎に帰って・・・なんてことも考えていたんですけど、やっぱり自分の能力を無駄に死滅させるだけかもしれないから、帰るのはやめた方がいいか~?とか思い直しています。

 天草に国際武術大学を建立してやろうか?とか思ってたんだけど、理解者が一人もいなさそうだし・・・。このまま帰れば単なる変人で生涯終わりそうですから。


 それはさておき、『トレーニングマガジン』に秋本つばささんが紹介されているというので、駅前の有隣堂書店で一冊残っていたのを買ってきましたよ。

 この雑誌、初めて買ったんですけど、マッチョ御用達みたいな雑誌で、私は何か、ちょっと表紙見ただけで引いちゃうんですけど、広い意味でのトレーニング理論の研究はしておいた方がいいだろうし、この際、食わず嫌いはやめておこうかな~と思いました。

 もっとも、実は私も高校生の頃から数年間は筋トレにも励んだことあるし、プロテイン飲んでマシーン使うようなトレーニングもやったことあるんですよ。

 30代前半までは多少はやっていましたね。

 だから、セミナーに参加した人からもよく言われるんですが、私、腕なんかは今でもかなり太いんですよ。剣道やったことあるから、中学時代以降も自主練で材木削った太い振り棒とか一日千回振ったりしていましたから、特に前腕と上腕の外側が不自然に発達しています。

 これはしょうがないですけどね。最近、剣術再開してるから、また微妙に発達してきたような・・・?

 ただ、どうも、筋肉がブクブク膨らんだ肉体というのは美しく見えないし、何か気持ち悪く感じてしまうんですよね~。ホモ臭いというか・・・、何かイヤなんですよ~。

 何か、不自然な感じがするしナルシスティックで変態臭く思えるからですかね~? もっとナチュラルな肉体がいいと思うんですよ。

 もちろん、ブヨブヨ太ってるのもイヤだし、ガリガリに痩せているのも気持ち悪いと思うんですけどね。

 田中泯さんがお百姓さんの肉体を見て美しいと感じて自身も百姓になった・・・という話もちょっと解る気がします。機能美としての無駄の無い肉体でないと、ちょっとね~。


 えっと、ともかく、この『トレーニングマガジン』Vol,12。

 正直、自分の趣味じゃないんですけど、女性のストレッチとかエクササイズ的な記事にはホッとします。

 最後に秋本さんが紹介されていますが、経歴とか読んでて「うわっ、こりゃ~スゲーな~」って思いましたよ。武芸百般を本当にできますって感じ・・・。

 しかし、小さい頃は運動が苦手だったというのにビックリ。

 それがどうして、あんなトップアスリートに匹敵する身体能力を発揮できるようになったのか?

 それは、どうやら“体操”に秘密があったようですね。

 子供にとっては、特に鍛えるというよりも、全身を使ってバランス能力を高める体操のような運動をする方が身体能力を高めていけるんじゃないでしょうか?

 骨格の固まっていない子供の頃から身体を伸びやかに使う運動をやっていれば、身体能力は全般的に伸ばしていけるでしょう。

 中国武術で言うところの“伸筋抜骨”です。簡単に言うと“ストレッチ”。

 秋本さんはストレッチのインストラクター資格も取得されたそうですが、本当に男前だな~・・・と思いましたよ。


 それから、そのつばさ基地でも講座をやっているダンディGOさんのジャグササイズがズームインSUPERで紹介されていました。

 ちょっと時間が短いのが残念でしたが、今後はジャグササイズが脳力開発にも役立つエクササイズとして注目されていくだろうという私の予感が的中していきそうです。

 何だか、知っている人がメディアに登場されているのを見るのは、本当に、こっちまで誇らしく思えたりするものですね~。


PS;『ヒトを観抜く武術の読み』『使える武術』、どちらも売れ行き好調なようです。まだ、読んでいらっしゃらない方は、是非、御購読くださいませ。


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出版記念パーティーやります!

『使える武術』ちくま新書 新書判 224頁 定価756 円(税込)
『ヒトを観抜く 武術の読み』アスペクト 判型:四六/並製 ページ数:200 定価 1,575円
が発売されまして、今回、2冊合同の出版記念パーティを行うことになりました!

日時:2010/04/03(土) 17:30~ (10分前までに着くようにしてください。着いた順に会費を集めます。お釣りのないように!)

場所:相模原橋本駅前シダックスカルチャークラブ(いつも稽古でお世話になってます!)
〒229-1103 神奈川県相模原市橋本3-12-8  042-700-1694
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会費:5,000円  3時間 コース料理+ドリンク飲み放題(プレミアムビール・ワイン・カクテル・サワー・ソフトドリンクなど)込みです!

参加希望の方、2010/03/19(金)までに
yusin_mail_from2006(アットマーク)yahoo.co.jp
までご連絡ください。

氏名、連絡先(携帯番号・携帯メールアドレスなど)などの明記をお願いします。

締め切り(クドイけど)3/19(金)までです!
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民族の伝統文化を主張してもね~?

 クロマグロが、シーラカンスやジャイアントパンダ並に保護動物とされて規制されるということで、あの美味しいトロが食えなくなるのか?とお嘆きの人は多いと思います。

 でも、大西洋で捕れるのを規制しようって話なんだったら、高い金出せば食える訳で、そもそも、昔に戻るだけのことなんじゃないかな~?とか、私なんか呑気に考えてしまう訳ですよ。

 大体、私、マグロって大学時代に叔母さんに寿司を御馳走してもらって食べるまで、恐らく、寿司で食べたことなかったんですよ。

 こういう話を打ち明けると、「ええっ? そんなバカなことが・・・」って信じない人が多いと思うんですけど、私が生まれ育った天草では、今はどうだか知りませんが、寿司にマグロって入ってなくて、赤身の魚って食べる習慣がなかったんですね。

 うちの母親も、もう80近いですが、去年だったか、親戚に大トロを食べさせてもらって、こんな美味い寿司は初めて食べたとか言っていて、下手すると一生食べたことないまま死んでたかもしれません。

 大体、天草では寿司でも鯵か鯛、鮃で、最高級の寿司ネタというと、ブリでしたね。

 親戚が集まっての御馳走とかってなると、大抵、ブリの刺し身が出てくる訳です。

 天草って、要するに周囲が海だから、もう圧倒的に魚か貝を食べることが多い訳なんですよ。

 私の叔父さんなんて、海老の養殖業でその筋では全国的に有名だったりしているらしいし、天草の名産品って、自然に海産物中心になるんですよね。あとは真珠くらいかな?

 もっとも、私が魚より肉が好きなのも、要するに魚ばっかり食べてたから、あまり食べられなかった肉を食いたいという欲求の方が強い訳なんですね。

 最近は年のせいか少しは魚も食べるようになりました(焼き塩鯖が美味い)が・・・。

 だから、叔母さんに寿司を御馳走になった時に食べた大トロの美味かったことと言ったら、二十数年経過した今でも記憶に残っているくらい衝撃的だったんですよ。

 何で、マグロは食べてなかったのかな~?と思うと、多分、天草の近海では捕れなかったからなんでしょうね。

 マグロって、刺し身で食べてもあんまり美味いと思えないのも不思議なところです。よく、スーパーで買ってきて食べたりもするんですけど、マグロ丼にして食べる時と、刺し身で食べる時では明確に味が違うように思えます。

 もちろん、マグロ丼にした方が美味い。

 酢飯つくって握りにした方がもっと美味いかも?と、一回は挑戦してみようと思っていますが、いつも白米に発芽玄米と雑穀混ぜて炊いてるので、これを酢飯にして美味いのかどうか?と考えて躊躇してしまうのです。

 それでも、マグロは寿司にするとピカイチで美味いですよね。それもクロマグロかインドマグロ・・・。

 あ~、近い将来、食べられなくなるのかな~?と思うと残念ではありますが、日本人が世界のクロマグロの75%も食べていると聞けば、「そりゃあ、食い過ぎだよな~」とも思いましたね。

 マグロばっかり食べるんじゃなくて、もっといろんな魚を食べた方がいいでしょうね?


 それから、伝統的なイルカ猟の残酷さを告発したドキュメンタリー映画が物議を醸していますけど、「伝統食文化にケチをつけるのはおかしい」といった日本側の主張が、どれだけ説得力を持つか?という点については、もっとよく考えるべきだと思います。

 隠し撮りなどの撮影手法が批判されていますが、ドキュメンタリーって、どれだけエゲツないやり方で真相に迫るか?というのが真骨頂なのであって、はっきり言って批判の論点が思いっきり間違ってますよ。

 私も、有名武術家?の恥ずかしい裏話をバンバン暴露してしまうから鬼畜生のごとく非難されたりしていましたけど、私はドキュメンタリー作家の感覚で「事実は事実として認める冷徹な態度が必要だ」と主張し続けてきたから、時間はかかっても認めてくれる人が増えていきましたよね。

 結局、偽装を暴く者はリスクを負うけれども、真相が白日に晒されることで恩恵を受ける人が増えるのが厳然たる事実なんですからね。事実に対して謙虚でないとダメですよ。

 捕鯨に関してはまだしも、日本で伝統的なイルカ猟なんてものがあるというのは知らなかったし、いくら伝統文化だからって主張しても、例えば犬や猫や猿を大量に撲殺したりする伝統的な祭りとかあったとして、それを存続させるべきって言えるでしょうか?

 韓国や中国で犬を食べる習慣があると聞いたら、日本人だってウゲゲ~って思うでしょう? 「伝統食文化なんだから外国は文句言うな」って論理は通用せんでしょう?

 極論すれば、首刈りの文化を持つ人達が国際社会で「首刈りは民族の伝統文化なんだ」と主張したって認められる道理はない・・・そういう認識の落差があるかもしれないでしょう?

 高校時代に乗馬やっていた友達が、「俺は馬刺しは、よ~食べられん」と言っていましたが、私も犬や猫の料理を出されたら食べられないでしょう。

 ちょっと、イルカを食べるってのは猿を食べるのと近い抵抗を感じますよね~。

 そして、恐らく、欧米の捕鯨反対論者の感覚では「鯨は大きなイルカ」なんだと思います。セントバーナードとチワワみたいな感覚なのかもしれませんよ。

 何か、ニュース番組で、イルカ猟の地元の町長さんだかが、「知能の高い動物だから残酷だというなら食べるものがなくなる・・・」とか喋ってたんですけど、そういう小学生が考えるような低劣な論を持ち出してちゃダメでしょう。

「牛は食べても鯨はダメというのはおかしい」という日本人に多い論理も、「牛を食べるなら犬でも猫でも猿でも同じだ」という論理に飛躍していきかねないし、それこそ下手すれば“人間食べるのもアリ”というカニバリズムの肯定にも発展しかねませんよ。

 実際、都市伝説では、ミミズバーガー、猫バーガーの類いの話はまことしやかに語られていますし、私の高校時代にも学校の近くのラーメン屋が猫でダシとってるという“猫ラーメン”の噂がありました。

 香港映画の『八仙飯店の人肉饅頭』なんかも実話をベースにしているそうですが、効率が優先されると倫理観なり理性なりが麻痺して鈍感になってしまうというのは、牛肉偽装問題の時に明らかになっているでしょう?

 あれだって、牛や豚の肉が足りなくてウサギ肉を使うのを“ラビットちゃん”と呼んでたそうですけど、細かくミンチにして香辛料とかまぶしたら、素人には判別つかないでしょう。

『世にも奇妙な物語』の中でも映像化されていましたが、戦時中の南方の島で人肉食べた話が「海亀のスープ」という都市伝説になったりもしているでしょう?

 ジャパン・バッシングになっている時に、強引に日本の正義を主張しようとするよりも、むしろ、謙虚に問題点を認めて直していく姿勢をとり続けることで、「日本人は誠実で嘘をつかず倫理観の発達した民族だ」という世界の評価を勝ち取ることの方が、結局は信頼を得られて良いのではないか?と私は思うのです。

 武術やっている人間としては甘い考えだと言う人が多いと思いますが、目先のことより大局的な時代の先を考えて布石を打っていくことを怠っていては、それこそ日本の将来は暗いでしょう。

 ドキュメンタリー映画の問題では『靖國』が記憶に新しいところでしょうけれど、やはり、作品は実際に観てからでないと批評はできませんよね。国の威信だの民族の誇りだのを持ち出すのは、その後で考えるべきことですよ。

 それに、私個人は、今現在の日本という国に威信も感じないし、日本人であることを誇りに思えるか?っていうと、まったく思えないですね。

 何しろ、日本人の中の最も優秀な人材であるべき筈の政治家の迷走っぷりを見せつけられると、もう、笑うしかないじゃないですか? コント見てる気がするんですよ。

 どんな綺麗事を口にしてみても、結局、自分の利益を優先して考える小市民が政治家やってるだけにしか思えない。鳩山首相や小沢幹事長なんて、大金持ちなんだから、率先して国のために私財を投げ打って国家存亡の刻を切り抜ける覚悟を示したらいいんですよ。

 自分が損したくないのがミエミエだから国民の信頼が得られないんだからね~。不況で生活苦に喘いでいる国民の気持ちを知るには、多少なりとも自分たちの身銭を切るのも必要なことでしょう。

 国民に質素倹約を求めるのなら、まず自分たちが模範を示すのが当たり前なんですよ。

 それに普天間基地の移設問題だって、地元とアメリカの責任者とを同じテーブルで討議させりゃあいいんですよ。間に立って、どっちにもいい顔しようとするから、いつまでも決まらない。こんなんで5月までに決まる道理がないし、ギリギリになって強権的に決めるしかなくなって、結局、信頼を失うだけ・・・そうなるのが目に見えているのに、何故、無益な時間稼ぎをするのか?

 地元がこれだけ嫌がっているんだってことをアメリカにアピールした方がいいじゃないですか? 本当にバカだな~。解決策をあれこれ講じるより、「解決しようもない」という現場の事情をアメリカに見せつけて、あちらに判断させればいいんですよ。

 それでもゴリ押ししたら、アメリカが酷いって話になって、日本政府は責められなくて済むじゃないですか?

 要するに、感情の向け所の設定が大事なんであって、問題を八方丸く治めることなんかできないんですよ。これは八ツ場ダムの問題も同じですよ。「お金がないからできません」だけで済む話でしょ? ゴチャゴチャ理屈つける必要ないんですよ。

 何か勘違いしてるな~と思うのは、問題を解決するのはシステムじゃないってこと。古いシステムを壊して新しいシステムにすれば解決する?ってのは幻想ですよ。

 この日本という国の中に生きている日本人が、卑屈で無能で情熱も枯渇した愚者の群れになり下がっているようにしか思えないんですよね。

 やっぱり、人材育成、人間らしい人間を教育するということを本気で考えないと日本の将来は危険だと思いますね。

 そういう意味でも、いろんな問題を本気で考える機会なり場なりというのは重要だと思うし、そういう問題意識を持って何とかしていこうと考える人が増えていかなきゃマズイと思いますけどね。


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三月セミナー“丹田力と縮地法”感想

 今月は、やや人数が少なくなりましたが、新刊本が発売された直後のセミナーというのは、何故か毎回、人数が少なくなる傾向があるんですね。

 を読んだ人が申し込むから増えるのでは?と思っていても、いつも何故か逆に減る傾向があるというのは不思議なものです。

 宣伝広告の効果が出るのは、それが出てから三カ月後くらいだという説があります。

 つまり、以前から注目している人には変わりがないし、初めて本を読んだ人が習ってみたいと思うまでには少し時間がかかるということなんでしょう。

 それと、うちのセミナーの常連になる人は、大体、周囲に勧めることが少ないようなんですね。

 それは、「自分だけ独り占めしたいから」なんだそうです。

 普通に通っていたら何年もかかって体得できるかどうか?というような秘伝の技を、あっさりと教えて体得させてしまうというのは、疑いを持っている人はハナから信用しないでしょうし、体得してしまった人は、逆に広まらないまま差をつけたいと思ってしまうでしょう。

 以前の会員さん達も同様のことを言っていました。

「人が増えたら、細かく教えてもらえなくなるかもしれないから、増えて欲しくない。長野先生がメジャーになると困る」なんてことまで言う人がいました。

 でもね~。私はマイナーな存在でありたいなんか思ってないですよ。生活がかかっているので、人が増えてくれないと困る訳ですよ。本部道場はまだ赤字ですからね。

 それに、文筆業をやっている者としては、はっきり言ってベストセラー作家になりたいですからね。

 本は売れてナンボでしょう。売れなくていいと思ってる人は本なんか書くな!と言いたいですよ。

 私は一人でも多くの人に読んでもらいたいし、読んだ人が「面白い!」と言ってくれるようなものを書きたい。その満足度が私のもらえる印税に反映すると思っています。

 前々から不満だったのは、「武術の本は真面目腐って偉そうな割に、よくよく読むと意味不明で役に立たない」というものが大半だと感じていたのです。

 一言でいって、「お笑いが足りん!」。

 つまらない。面白くない。文章の意味が解らない。使えない・・・。

 だから、武術の本というのは千部売れるかどうか?というのが普通なのです。出版業界がいくら不況だからと言っても、この数字は論外で話にならないですよ。二千部売れたらホテル借りてパーティー開くような業界なんだもん・・・。

 売れなくて当然でしょうね。面白くないんだから・・・。

 ただ、どうも、「武術の本は糞真面目であるべきだ」と思い込んでいる人も多いんですよ。特に年配で自分自身も実践している人はそうです。

 冗談の一つも書いていたら、「けしからん!」と怒って文句を書き送ってくるような人もいます。

 だから、私は、そういう頭の堅いシャレの解らない人には読んでもらわなくて結構だと思っていて、最初から除外して書いています。万人に気に入られるものを書こうなんか思っていないのです。

 私は藤沢周平の時代小説も良いとは思うけれども、やっぱり、柴田錬三郎や山田風太郎のケレン味のある作品の方が好きなんですね。もう、主人公がバッサバッサ斬りまくるような作品が好きですね。

 金庸の武侠小説なんかも荒唐無稽なところが好きですね~。

 何か、最近の映画界は、時代劇をリアルな生活感のある傑作にしようという意識が強すぎるんじゃないでしょうか?

 確かに『たそがれ清兵衛』は傑作でしたが、それは、やはり耐えに耐えた男の必死の戦いがクライマックスとして用意されているからこそ傑作になるのであって、時代劇の最大の見所である殺陣をないがしろにした作品では、もう観るべき要素がありません。

 最近の作品では『山桜』の殺陣が実に素晴らしかった! 

 ただ、少な過ぎるのが残念。もっともっと見たい! 徹底的に殺陣にこだわり抜いた作品が見たい! どうして、そういう作品を作ろうとしないのか? 時代劇は日本のアクションの原点なのに・・・。


 今回の「丹田力と縮地法」というのは、東洋の武術の奥にある心身開発の秘法です。

 いろんな人が、独自の解説をしていますが、具体的にどうやれば体得できるのか?という点について平易に解説されたものはありません。

 私は、これらについては独自に研究した側面が多くありますね。その結果として従来からあるやり方に似てしまった・・・というか、「はは~、昔から伝えられているやり方には、本当はこういう意味があったんだな?」と再発見することが多かったですね。

 今回は特に、丹田に関して「下・中・上」の三つの丹田について解説して養成法も指導しました。

 以前だったら、丹田開発をテーマにすると、ちょっとばかしオツムが大丈夫かな?というようなタイプの人が集まってきていたんですが、そういう人を排除するように努力してきた結果、最近は来なくなりましたね。

 アスペクトの新刊で書いたような心法にも関連してくるテーマなので、超能力武術マニアが殺到するか?とも思って少々、警戒もしていたんですが・・・。

 まあ、具体的なことはここには書きません。やっぱり自己流でやれば発狂する人が増える危険性もあるので、無責任な情報の伝播は慎むべきでしょう。

 それに関連して、事務局から教えてもらって、「あ~、またか?」と思ったんですが、例によって2ちゃんねる掲示板に私の名前を騙って書き込みしている者がいたそうです。

 心当たりのある人間がいるのですが、その人は統合失調(乖離性同一性障害)を患って療養している筈なのですが、過去に同じことを何度も何度も繰り返して周囲に迷惑をかけてきています。

 本人からの詫び状で、「訴えられても覚悟しています」と自分の住所と電話番号も明かしていたのですが、まあ、病気が病気だから仕方がないと容赦していました。

 が、現在、私はそれなりの社会的立場があります。誤解が広まればいろんな人に迷惑が及んでしまいます。もう、可哀想だとか同情している場合ではなく、私がくい止めなければならないでしょう。

 他人になりすまして公に読む人がいる場所に書くというのは、私文書偽造に相当する犯罪であり、「病気の人だから仕方がない」と許せる範囲を越えてしまっています。

 これは、以前に精神医療の専門医師にも確認し、「それはもう犯罪でしょう。医師の力の及ぶところではありません」と言われていました。

 不本意ながら、事ここに至っては法的に処罰してもらうしか仕方がないと判断し、現在、告訴する準備をしております。

 願わくば、このブログを読んだ本人が事の重大さを自覚して、処罰される前にしかるべき対応をする理性が残っていてくれることを・・・。


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第三回セミナー“丹田力と縮地法”について

 今年も早、三回目ですよ。月日のたつのは早いですな~・・・・。


 丹田について少し解説しておきますと、普通、臍下丹田(下丹田)のことを指すんですが、毎年、そればっかりでも御不満でしょうから、今年は、中丹田と上丹田の鍛練法もやってみようか?と思っております。

 中丹田というのは、タン中穴(任脈上にあり、胸骨の心臓に対応)、上丹田というのは眉間にほぼ相当します。

 下丹田は、腹圧(横隔膜の圧縮)の強化と関係するので、主に身体的な活力に関連しますけれども、中丹田は感情に関連し、上丹田は意識に関連します。

 アスペクト新刊でも書きましたが、こういった丹田の開発というのは慎重に進めていかないと成果さえ上がればいいと思っていると脳に変調を及ぼしてしまいます。

 ヨーガや気功、中国武術をやる人の中には、結構なパーセンテージでクルクルパアになってしまう人がいます。

 このような訓練は「気を活性化するので健康にもよくて能力開発にもなるんだ」と説く指導家ばかりですが、肝心なことを忘れ果てています。

“人体の気の流れる通路がそのままだと、気の量が増えると通路が壊れて気が違う通路に流れてしまう”ということ・・・これを、“気違い”になるという訳なんですよ。

 だいたい、武術大好きな人間は、多少、肉体に無理をさせても強くなれればOKと考える大馬鹿野郎ばっかりなので、効果があると聞けば、ムチャばっかり好んでするんですよね~。

 しかし、気功の類いは脳神経を鍛える訓練法ですから、そこを無理すれば途端にオツムがアッパッパになっちゃう訳なんですよ。

 しか~も・・・そんなオツムがアッパッパになっちゃってる状態なのも気づかず、「脳内覚醒物質がドッピュドッピュ出て健康になるんですよぉ~! あ~、スンゲ~、気持ちイイ~ッ!」って叫んじゃってたり・・・コラ、アカンですわ・・・。

 立禅やっててパアになった人を私は何人も見ていますけれど、こういう人は熱心にやる人だから、こうなってしまうんです。

 ヨーガや気功の先生でSEX中毒みたいになる人もいますけど、これも精力強くし過ぎるからですね。

 まあ、草食系男子はいいかもしれませんけど、肉食系のヤツがやったら強姦魔みたいになってもおかしくありません。


 そんな訳で、丹田を鍛えるのは、そこだけ鍛えると弊害も出てくる訳です。今回は、この辺りのメカニズムについても説明してみようと思っています。

 中・上丹田の開発法をやろうと思ったのも、トータルバランスを保つやり方でないと問題が起こってはマズイと思うからです。

 そういう意味では、今回のセミナーは、単に武術の技というだけではなくて、「気は優しくて力持ち、その上、頭脳明晰」という人間力アップのための訓練法です。

 もちろん、うちのウリは武術力アップですから、丹田力で威力を倍加する方法についても指導しますし、“縮地法”も解説します。

 この辺のテクニックについては、ちくま新書『使える武術』をご覧ください。

追伸;教材用DVD上級編、ただ今、編集作業中です。上級編は、初級・中級編で基礎、基本を練習した後でないと体得は難しいので、これだけ買おうという方は御注意ください。また、あくまでも教材用なので、パフォーマンスとして見ても面白くはありません。游心流の技を見たいという方はクエスト三部作DVDをご覧ください。それから演武会とかやらないのか?という御質問も受けますが、見たって何やってるか解らないでしょうから、やりません。見世モンじゃないからね。・・・というか、見世物でやるんだったら、殺陣としてカッチョイイものを別に作ろうかな~?と思っちょります。

追伸2;今度は台湾でも地震が起こり、これはちょっと、震災の当たり年なのかな~と思えます。もう、どこで何が起こってもおかしくないですね。震災に会われた方にお悔やみ申します。

追伸3;業務連絡です。7日の定期稽古会はかなり雨降りそうなので、私の自宅にて武術DVDを観て、その流派の技と破り方の分析をします。え~、それから、毎年恒例のお花見稽古会は3月28日に相模原市横山公園を予定しておきます。普段、御無沙汰している会員さんやセミナーの常連さんもおいでくださいませ。一年に一回しかやらない私の酔拳を見よ! さらに、本も二冊出たことだし、出版記念飲み会を相模原市内でやります。日取りは決まり次第、告知します(こちらは人数制限あります)。


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剣武天真流DVD計画着々進行中・・・

 火曜日に、剣武天真流DVD撮影の打ち合わせに(アドバイザー的な立場で参加しているのです)、西荻窪の天真書法塾へ行ってまいりました。

 何か、季節外れの大雪で荒れた天候のために約束の時刻にはとても到着できそうもないので、一度、クエストさんに電話して伺いをかけてみたら、「遅れてもいいから来て頂戴」とのことでしたから、おっとり刀で(って、実際に拵えの完成した小宮四郎國安を青木先生に見せたくて持参してしまいました。我ながらアホやな~)、西荻窪に向かいました。

 しかし、電車の窓から外を見てると、凄い雪国みたいになってて、ちょっと壮観でしたね。水分の多いザラザラしたみぞれっぽい雪だったから翌日はほとんど溶けてましたけどね~。

 西荻窪と言えば、長年、月一回の講座でほびっと村に通っていたから、都内でも慣れ親しんだ町です。

 風水的にも、富士山から高尾山を経由して都心に龍脈が通っていると言われる中央線上でも、とりわけ霊的エネルギーの強いスポットとされていて、新宗教やニューエイジ系の団体が多く住むことでも有名な町です。

 この町で出会った人達は、今でも私の心の財産とでも言うか・・・そんな特別な町ですね。東京で一番好きな町かもしれないな~。

・・・とか、ちょっと感傷に浸っちゃいましたね。

 まっ、打ち合わせの内容に関しては守秘義務ということで、当然、ここには書けませんけれど・・・。

 でも、書ける範囲のことを書いておきますと、今回の「剣武天真流DVD」は、かつてない、ある意味で、「真の武道とはどうあるべきなのか?」という壮大な人類文化史的テーマに答える内容になるかもしれません・・・。

 私は、『ヒトを観抜く武術の読み』の中で、初めて武術の“心法”について概論的なことを書きましたが、「それでは、心法を具体的に伝えている武道はあるのか?」と問われた時に、「あります! それは新体道であり、剣武天真流です」と答えることができる!

 そう確信しているからこそ、“心法”について論じたのでした。


 本当の気持ちとしては、私自身がそれを指導できれば最も良いと思っていましたが、残念ながら、私が心法について本気で研究し始めたのは、ほんの一年程度でしかなかったのです。

 いくら何でも、こんな短期間の研究で得られる成果は高が知れています。

 だから、“読み”については、まだまだ何年か先に発表しようと思っていた訳です。

 しかし、何も私が何でも受け入れなくとも、これ以上ないくらい心法について指導教程が確立されている団体があるじゃないか?・・・と、ふと思い至ったのです。

 無論、それは青木宏之先生に親しく御教示いただくようになったからなのと、現在の新体道の指導者の技量を実際に観て、「これこそが日本の武術の真価を世界に示すことのできる本当の武道だ」と感銘を受けたからでした。

 私は、武術武道の世界で強いと言われる師範を数多く観てきました。

 しかし、“比較できる強さ”が本物と言えるのだろうか?と、次第に疑問を感じるようになってきました。

 どれだけ強くても弱点はあります。むしろ、その人が最も強いと思っている部分にこそ弱点が隠れているものなのです。

 どんなパンチに優れた人でも、パンチが効かない相手にはお手上げです。例えばカポエィラや地功拳を相手にしたら困ってしまうでしょうし、下手をしたらやられてしまうでしょうね。

 打撃技しか知らない格闘家が寝技に持ち込まれて為す術なく絞め落とされる光景が、かつては格闘技シーンで続出して、誰もが「ブラジリアン柔術こそ最強だ」と思い込んだ時期もありました。

 世界最高の刀剣といわれる日本刀でも鉄兜を両断することは不可能に近い。44マグナム弾も最新のボディアーマー(防弾ベスト)は撃ち抜けない・・・。

 万事、勝負はジャンケンみたいな関係です。その理を理解して適切な戦法を選べる者が勝ち残るのです。

 特に、強さにこだわる人は、心の内に過剰な弱さへの恐れを持っています。負けることへの異常な過敏さは、実は精神の脆弱さを顕しています。

「あいつより俺の方が強い」と自分に言い聞かせて自我を保っている異常心理に毒されている人が実に多い。

 強さを求めるのは、そういうことです。

 それに気づいてから、私は相手の弱点が手のひらを見るように解るようになってきました。どれだけ強がっていようが、強がれば強がるほど、心の弱さがはっきり解るのです。

 そして、その心の弱さ、恐れは、無意識に自身の身体の弱点を庇うような構えとなって顕在化していきます。

 だから、構えを観れば弱点が解る。本人も自覚していない弱点が解るのです。


 それに比べて、青木先生にしろ、大井秀樹先生にしろ、呆れるほどに自然体です。どこからどう見ても武道家の匂いがしません。

 つまり、構えていないのです。強さも弱さもありません。無=0です。“木鷄”です。

「青木先生はともかく、大井さんがそこまで達しているとは信じられない」と言う武友もいました。

「僕の目がフシ穴だと思いますか?」と言うと、彼は唸って黙ってしまいました。

 男子三日会わざれば刮目してまみえよ!・・・と言うではありませんか。

 強くなろうと努力する人は、同時に自分の弱さも強めてしまっていることに気づいていないことが多いものです。

 スポーツのように他人と競うのも若いうちは良いでしょう。が、武術武道は生涯に渡って向上していくものでなければ意味がありません。

 十年やっても変わらなければ、それは自分で何一つ本質を掴みとっていないということです。

 私は、研究家ですから、技の秘訣や戦闘理論については聞かれればかなり詳しく解説してしまいます。が、その解説を聞いて体得できた人は稀れです。

「聞けば教えてもらえるから、自分で考えなくてもいいや」という意識が芽生えてしまうのでしょう。

 武術は自分で「あっ、そうか、コレだ!」と悟ったものしか体得できません。感覚化できないものは体得し使いこなすことはできません。

 だから、一から十まで教えてやった人間は、まず、モノになりません。むしろ、ダメになってしまいます。

 私は何十人もの先生の技を観察し、その技をどうすれば体得できるのか?ということは、すべて自分自身で工夫しました。なので、「俺は長野には教えていないよ」と憤慨した先生もいらっしゃると聞いています。それは事実です。が、真実ではありません。

 私の観察眼だけは日本の武術の世界でもトップレベルだという自信があります。

 よって、技を一度でも観たら、必ずできるようになってみせる!と決意しています。見せるのと教えるのは私の中では同じなのです。

 先日、青木先生に教えていただいた水平三連斬りも、もう体得しました。そのままやるのでは芸が無いので、四連斬りまで練習しましたが、ただ数を増やしても意味がないと気づいたので止めておきましたが・・・。

 ですから、DVDや動画で観た国内外の先生方の技も、すべて技術分析して自分なりにアレンジを加えてはいますが、ほとんど会得してきています。

 どうしてもできないのは、躾道会の小林先生の超加速歩法くらいですが、これは糸口が掴めた段階で、とてつもなく身体に負担がかかることが解ったので、中止したものです。

 後は、試斬や手裏剣などの稽古場所に苦労するものだと単純に稽古量が足りないので熟練までに至りませんが、これらは経済的に余裕ができて専門道場とかできたら研究を進めようと思っています。

 どんな優れた技の遣い手であっても、人間である以上は、その絶技を成立させている理論構造がある筈ですから、私は一度見た技は必ず体得のための方法論を構築できる筈だと考えているのです。

 私は、武術というのは、真面目に修行していたら、一年経過したら二倍以上の実力になっていないと嘘だと思っています。

 十年経過して、十年前とどっこいどっこいの腕前だったら、その人は武術が何も解っていないということですよ。

 まして、年齢を重ねる毎に一方的に失われていく実力だったら、それは武術じゃないと言うしかありません。

 肉体が衰えるに従って、技は無駄が省かれて鋭く研ぎ澄まされるものなのです。俗に内功(内力)と言われるのがそういうものです。

 でも、これは他人と競う気持ちがあると理解できないような気がしますね。

 ただ、無心に技を極めて、心身の限界を突破するほどに追究していく人は、強い弱いの呪縛から離れて自然体に到達していくのでしょう。

「こんな技は達人にしかできない」と思う気持ちがストッパーになって、その人の体得を阻んでしまうのです。ある地点まで到達したら、後は心の在り方で大きく左右されていくのです。

 新体道は、それを最初から言っている。「意識を0化せよ」と・・・。

 これは、昔日の武術家も到達していた答えの筈です。夢想剣、相ヌケ・・・。

 本質を掴めば、答えは勝手に読めてきます。千変万化する事象に捕らわれるのでなく本質の理法を悟れば、答えを外部に求める必要はなくなるのです。

 禅や瞑想は、その本質を掴むための方法論に過ぎませんが、いつの間にか方法論が本質とすり変わって崇められてしまうのです。

 唯我独尊という言葉は、外部に崇める対象を設定するのでなく、自己の内に初めからそれは内在していることを自覚せよ・・・という教えですが、現在では単なる自己中心的自惚れ屋を揶揄する言葉に成り下がっています。

 本当に唯我独尊の意味を自覚している人は、他者に対しても尊重の態度を持つ筈なのです。自分にある物は他人にもあると解っている筈ですから・・・。

 武術を学ぶ人は、強さを求めるべきではありません。強さが弱さの相対的鏡像関係にあるものなのだと理解せねばなりません。

 大切なのは、素直に真面目に学ぶこと。優劣の分別ではなく、長所の中にある短所、短所の中にある長所をきちんと洞察すること・・・それができれば、武術は勝手に上達していきます。

 過剰に強さを求めると、同時に弱さを溜め込みます。

 肝心なのは、我執を捨ててニュートラルな状態を維持することです・・・。


 私が大井先生を凄いと思ったのは、微塵も自分を大きく見せようとするところがなかったからなのです。呆れるほどの自然体にして、ニュートラルな状態・・・。

 そんな武道家はほとんど皆無に近いでしょう。

 例えば、不肖、私も「全然、武術の先生に見えない」と言われますが、私の場合は、演技して意図的に見えないようにしている部分がありますから、まだまだ自然体には程遠いのです。

 よって、過日、ブッディでのパフォーマンス時の演武を観るまでもなく、「これは想像以上のレベルに達していらっしゃるな~」と思っていたのですが、演武を観た時にも「やっぱりね~。さすが、俺の眼に狂いはないな~」と、自画自賛したのみでした。

 そういう思いもあったので、打ち合わせの後に御馳走になった時に、「大井さんは昔から全然変わりませんね~」と言いましたが、青木先生も天真塾の吉田さんもケラケラ笑ってらっしゃいました。でも、本当に何の誇張もなく、心底、そう思いましたよ。

 立場や肩書、社会的環境によって、人の心は容易に変容していくものですが、大井先生は一会員の頃から新体道の代表者となった今になっても、どこにも何の変わるところもありません。

 これって、もの凄いことですよ~。

 人間は、ちょっと成功すれば、自惚れたり舞い上がったりして、傲岸不遜になるものです。武術の世界は特にそういう傾向が強くて、謙虚にしていた人がガラリと人が変わったように権力者のように振る舞いだしたりすることがざらにあります。

 だから、人の内面を歪めないまま向上させていく武道こそが、本当の武道なんじゃないかな~?と、最近、私はつくづく思っています。

 そんな訳で、日本武術の究極奥義“心法”を学びたい人には、新体道剣武天真流を熱烈にプッシュしておきたいと思いますね~。


追伸;青木先生の刀の打ち込み練習を見せてもらったところ、前回見た時より二倍以上、強烈になっているように感じました。前回は、音がズバーン!という炸裂音のような感じだったのが、今回はドゥゴォーン!という、ドーベルマン刑事がスタームルガー・ニューモデル・スーパーブラックホーク44マグナムを撃った時のような重く浸透するような重低音になっていたのです。前回見たのって、確か一月だったかな~? 青木先生ってば、74歳になったって言ってたよな~・・・、やっぱり、武術は年齢に関係なく向上していける・・・って言いたいんだけど、この先生は例外のような気がする・・・? 読者の皆様、伝説の超人武道家の真価が観れるのはもうすぐですから、期待して待っててくださいね。

追伸2;「クエストから出ているDVDのうち、お勧めはどれですか?」と、最近、続けざまに聞かれたんですが、「三巻とも買ってください」と言いたいところですが、強いて一つだけと言われるなら、シリーズ最後の『武術秘伝の戦略』を観てもらいたいですね。これは、歩法を使った間合の詰め方も、発勁を交えた深手もやっていますから、交叉法以外の攻撃メインの技も唯一見せているんですね。これはもう、今後は見せないでおこうと思っています。奥の手は隠しておきたいですからね。実は一、二巻ではわざと隠してやらなかったんですよ。それと、特典映像のセミナーの指導風景が自分で見ても面白かったですね。K氏やU氏の技の仕組みを何げにバラしてしまっていますし・・・。いろんな意味で、究極のおタカラDVDとして、闇取引されるようになるかもしれませんね~(苦笑)。気にいらないところは、撮影直前に足怪我しちゃったんで動きが悪くなってしまったのと、頭部の不毛地帯が照明のライトで目立って「このまま、オラはハゲチョロゲテいくのかな~?」と、大ショックだったことくらいかな~? で、現在、アロエ育毛剤を愛用しておりま~っす。これは何かいい感じ・・・。アレッ? DVDの宣伝なのか育毛剤の宣伝なのか判らなくなったような・・・?


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ホンの感想

 続けて二冊出て、何か景気がいいな~と思ってますけど、頑張った甲斐があったからか、売れ行きがいいという話を聞いてホッとしております。

 今回、アスペクトさんは伝家の宝刀を抜いてしまった・・・という多少の後悔もあるんですが、“読み”の中でも一般向けに役立つような内容にしようと知恵を絞って書いたので、武術からは少し脱線したかな~?という気もしています。

 でも、武術に特化した内容だと、もう一般の人には何が何だかチンプンカンプンになってしまうでしょう。

 うちの会員さんでも、「細か過ぎて覚えられない」と苦情を言うくらいですから、本格的に武術の勝負論上の読み(構えから戦法を読むとか、得意技にこそ最大の弱点が潜んでいるとか)について書いたら、もう、ほとんどの人が解らない内容になってしまうでしょうから、この辺りが妥当なところかな~?と思います。


 一方で、ちくま新書さんの方は、コテコテの武術入門書として書いたつもりなんですが、読み直してみると意外と一般向けになっているな~という感じがします。

 また、努めてギャグを書かないように注意したつもりだったんですが、普通の新書の本と比べると、相当、ギャグ走ってる?感じがしますね。

「こう見えても、オラは学会誌にも寄稿したくらいだから真面目な文章も書けるんだぞ~!」と思っていたんですが、やっぱ、ダメっすね~。無意識にショーモナイこと書いてしまうんですね~。

「また、つまらぬギャグを書いてしまった・・・」


 で、早速、お世話になっている先生とか何冊かお贈りしたんですが、青木先生から早々にお電話を頂戴しまして、感想をお聞きしました。

「長野さんは本当に正直だね~」と。

 で、50分近くお話したんですけど、青木先生も本当に正直な方なんですよね~。

 何が正直かというと、“自分の都合の悪いことでも平然と喋れる”ということ。

 武道や武術をやっている人は、これが一番、苦手なんですよね。虚栄心が強過ぎて都合のいいことしか話さないし、都合の悪いことは全部他人の責任にしたり、時には捏造して話したりする。そんな人ばっかりですよ。

 劣等感が強い人は自分を守ろうとする意識が強いから、自分の本音をさらけ出すというのができないんですよ。独善的で一方的に他人が悪いと思い込んで非難することで自分を守ろうとしている・・・ビョーキですな。

 しかも、面と向かって文句言えないんですよ。論理的にも実力的にも勝てないと思ってるから逃げてる。陰口とかネット掲示板に匿名で書き込むとか、せいぜい手紙で文句つけたりするだけ。会って話そうとすると逃げ回る臆病な卑劣漢・・・そんなゴミ連中に人間としての誇りや克己心はありませんよ。

 だけど、コンプレックスだけは人一倍強いから、武術に現実逃避してしまう訳ですね。

 だから、何か暗いんですよね~。卑屈でジメッとした人間が武術やっている人には非常に多いです。

 しかめっ面して苦しそうに練習すれば上達するってもんでもなかろうに・・・どうも、必死で頑張ってる俺・・・という図に酔ってる人ばっかりですね~。

 だから、上達しないんですよ。

 もっと、練習は楽しんでやらなきゃダメですよ。理合がわかれば、こんな面白いものはないんだから・・・。

 武術はこんなに面白いのに、なんで、あんなにつまらない無味乾燥な教え方をするのかな~?と疑問に思うんですね。

 この面白さを理解すると、もう、ゲームだとか他のスポーツだとかやる気がしなくなると思うんですけど、知らない人達は可哀想だな~と思います・・・。


 そうかと思えば、躾道館の小林直樹先生からも感想の電話を頂戴しました。恐らく、出会って以来、初めて、ちゃんと誉めてもらいましたよ。

 とにかく、小林先生は他人を認めるということはまずありません。批判はしないけれども本音の部分ではまず認めていないですね。勝負師としての厳しさを師伝されて忠実に守って修行されてきたからだと思います。

「俺は駄物は嫌いなんだ」と言われていましたが、フェイクのやつとか口先だけのやつとかを嫌われているんだと思います。

「って~ことは、俺も今まではそういう類いの人間だと見下されてたんだろうな~?」って、邪推しちゃうんですけど、まあ、見直してくれたんだったら、別にいっかぁ~。


 その電話の時に「先生も、いい加減にDVD出してくださいよ。ずぅ~っと、クエストさん待ってるんですから・・・」と、(また断るんだろうな~?)と期待しないで言ってみたら、「よし、こうなったら、俺もやるぞ」と言われたので、(はっ? 今、何と言いました?)と思って、確認しちゃいましたよ。

 いや~、十年かかって、やっとその気になってくれましたか~・・・。何か、今年は剣武天真流のDVDも出るし、これで小林先生の超神速歩法が映像化されたら、日本の武術シーンから、一気にフェイクが一掃されるだろうな~。

 これで私も武術家の真似事みたいなことしないで研究と指導に徹することができます。


追伸;ホームページの方で、年末年始に書いた中編の小説をアップしてもらいます。以前、書いた猫又侍の異伝というか、新耳袋風の奇談としてリニューアルして書いてみました。『日本昔話』にもなったことのある熊本県の妖怪伝説を元ネタにした作品です。読んでやってくださいませ。携帯小説は挫折しちゃったんで、これからはホームページの方でボチボチ発表していこうかと思ってます。漫画やアニメやドラマや映画の原案とかにでもなったらいいな~と思ってます。あっ、盗作したら、訴えちゃいますよぉ~(っ~か、俺も伝説をパクッてるけど)。それから、私の本から参照したいプロの作家の方は事前に挨拶してくださるか、参照しましたって書いてくださったら、別にお金ちょーだいとは申しませんから宜しくお願いしますね。こっちも宣伝になりますから有り難いだけですから。ただ、明らかに私の考えた理論とかを無断で使われるのは、著作権侵害に相当してしまうので、御注意くださいね。私は、どうぞどうぞ・・・って感じなんですが、出版社側から告発される場合がありますので・・・。私もうっかりして事前連絡無しである出版社の本の図版をビデオで使って参考資料としてクレジットタイトルには書いて、その出版社にも「失礼しました」ってお贈りしたんですが、後から「こんな失礼なやり方があるかっ!」って、凄い怒られて、大慌てで謝りに行ったりしたことあります。作家の方は注意して、苦労して描いた作品にケチがつかないよう、御賢察くださいね。

追伸2;4月6日の火曜日夜より游心流東京支部同好会の活動を始めます。初日は私も顔出して軽く打ち上げやります。詳細はブログ・トップをご覧ください。

追伸3;教材用DVD上級編、もう仮編集が終わりました(早いっ)。この分だと3月中旬には発売できそうな感じです。これは私の武術研究成果のエッセンスを注ぎ込んだ内容ですから、安売りはできませんので、悪しからず御了解ください。やっぱり、悪用されたらマズイし、本気で学びたい人だけを選ぶためにも、高い値段にするのも致し方がありません。もっと安くしていっぱい売れた方が収益にはなるでしょうけど、価値の解らない人達には見てもらいたくないんですよね。

追伸4;相模原本部道場(メイプルホール)へのJR横浜線相模原駅からのバスの乗り場は“6番乗り場”で、“上溝駅行き”に乗り、「高校前」で降りる方がバスの本数も増えて良いようです。上溝駅行きは、市役所経由と横山団地経由があり、市役所経由だと「学院前」も近いのですが、「高校前」だと両方のバスが停車しますから、こちらをお勧めします。メイプルビル2Fには喫茶店もありますので、遠方から来られる方は早めに来て喫茶店でゆったりしてから練習に参加してもらうのもいいと思います。足腰を鍛えるには駅から25分、徒歩でくるのもいいと思います。距離的には相模線の上溝駅からだと徒歩で15分くらいです。車やバイクの方は駐車場もあります。

(本日の執筆中のBGMは、MINMIの『四季ノ唄』。『侍チャンプルー』のエンディング曲です)


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相模原本部道場、道場生大募集中どす・・・

 寒いし雨降ってるしで、「何か、今日は集まりが悪いような気がするな~」と思っていたら、案の定、本部道場の稽古に来たのが師範だけ・・・。

 今のところ、大赤字です。

 平日の夜だと遠方の会員さんは来るのが大変なんですよね。それで都内の稽古会も始めることにしたんですが、地元の会員さんも、もっと集めないと意味ない。

 師範代が仕事の都合で三月は来れないんですが、彼が来れないと不思議なことに他の会員さんも来れなくなるケースが多いんですよね。

 まあ、せっかくだから、ここは師範をマンツーマンで特訓することにしましたよ。

 拳法体術は問題ないから、居合と剣術、それに槍術を指導しました。

 まず、居合。

 これは右腰に差して左手で抜く練習をやらせました。慣れない左手だと途端に難しくなりますが、これは右脳開発と左右半身の切り返し操作の訓練になります。

 また、続いて特殊な抜刀斬りの練習法も指導しました。

 鞘ごと抜いて使うトリッキーな技を数本教えました。

 そして、刀を差した状態で“刀がブレないように歩く”スリ足歩行の練習。

 これは、時代劇なんか見ていても、できる人はまずいません。歩くたびに刀が左右にブランブラン揺れ動く・・・。

 これでは、動きながら刀を抜こうとした時に柄を掴みそこなってしまったりするでしょう。つまり、咄嗟に抜けない。

 近衛十四郎は、歩いている時に懐手にした左手の肘で刀の柄を抑えていたりしましたが、稽古のために日常的に着物を着て刀を差していたという近衛十四郎でさえ、刀の揺れを抑えて歩くのは難しかったという訳です。

 歩行の際の刀のブレは、ハラで抑えて骨盤を振らないようにスリ足で歩くことで防ぐことができます。

 そして、この歩行ができるようになったら、縮地法で近づきながら一挙動で刀を抜いて、突き、真っ向斬りにする鐘捲流の暗殺秘剣もできます。

 それから、対剣道、対古流剣術の居合の変化技と剣術の“続飯付け”“橋掛かり”のやり方を徹底指導しました。

 何のためかというと、カチコミしてきた他流の人間に敗れないために、徹底的に他流の技と戦闘法の盲点を突く“破法”を教えた訳です。

 うちで稽古する独己九剣は、無刀取りや体術、その他の武器術に応用が利くように考案したというのは以前に書いていますが、実はもう一つ、重要な要素があって、「他流儀の技を破る破法になっている」という次第です。

 新刊本でもちょこっと書いていますが、私はいろんな流儀の長所は採り入れていますが、同時に短所を研究して、実際にその流儀と戦う場合はどうやれば破ることができるか?ということを研究してきています。

 かつてグレーシー柔術がアルティメット大会で無類の強さを発揮したのも、他流の技をいかにして破るか?というのを徹底的に研究していたからでしょう?

 格闘技をやっている人は納得されるかと思いますが、多くの武道・武術の愛好家は、こういう研究はしないどころか発想そのものが無いみたいです。

 しかし、まったくの素人が、割りと簡単に実戦武術の弱点に気づいてしまう場合があります。

 専門にやっている人間は、「素人が勘違いしているのだ」と歯牙にもかけないものですが、事実として素人が気づいた弱点がそのまま真相をついている場合があるのです。

 拳法やボクシングは、組みつかれると技が使えなくなる。柔道家は殴られると掴めなくなる。剣道家は竹刀を投げ付けたり組み討ちされると困る・・・etc

 やっぱり、ジャンルが違ったらいきなり戦えなくなるというのは武術として問題アリでしょう?

 游心流の会員には武芸百般、何でもできる達人になってもらいたいのです。

 そういう意味で理想の武術家というと・・・ゴルゴ13かな?


 最後に、槍術は、ラン・ナー・チャーを教えました。六合大槍の基本ですな。というか、槍術全般の基本ですな。

 そして、槍で剣を抑えて突く技と、逆に剣で槍を抑えて間合を潰すやり方・・・等を指導しました。

 この辺りの術理は素手の場合の差し手と同じことなんですね。だからこそ、武器術と体術が連環して上達していける訳です。

 もっとも、こういう武器の練習は、ここでしかできないからな~・・・。



※※※ 事務担当ご連絡 ※※※

● 相模原本部道場稽古会(日曜稽古会・セミナー・シダックスカルチャー講座とは別です) 

場所:MAPLE1990内 メイプルホール(Maple Hall メイプルビルB1F  〒229-0037 神奈川県相模原市千代田2-2-15 TEL042-751-5011)
アクセス:JR横浜線 相模原駅より バス停『学院前』下車1~2分 

時間:隔週木曜〔第一・第三(・第五)木曜〕19:00~21:00

指導料:一般会員 2,000円 (高校生以下会員 500円)

※基本的に見学不可。
広い屋内ですので、武器術の稽古も沢山やる予定です!

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GRとRBの意外な関係?

 先日、『ジャイアントロボ』の「巨腕ガンガー」の回を観ていて、アレッ?と思いました。

 ストーリーの設定が、先日、観た『レッドバロン』にそっくりだったからです。

「ムムッ、これは・・・盗作か?」

・・・と考えて、「あっ、そうだった。ジャイアントロボの方が古いから、盗作だとしたらレッドバロンだよな~」と思った訳ですが・・・。

 その設定というのは、ジャイアントロボのロケット弾や火炎噴射、メガトンパンチでも壊れない透明な超合金のテストをして、それを盗み見ていたBF団がユニコーン機関に化けて設計図を盗もうとする・・・というものでした。

 これとそっくりだったのが、レッドバロンにもあったのです。やっぱり、“透明な超合金”だったので、これはもう偶然、似たとは思えません。

 しかし、単純に盗作だとは言えないでしょうね。演じる人が違って、演出が違ってアレンジが加えられることでオリジナリティーが生まれるからです。

 作家は著作権とか気にするんですけど、あまりにそれを振りかざすのも個人的にはどうか?と思いますね。

 だって、過去の作品にまったく影響受けないでオリジナルの作品を生み出すのなんてあり得ないでしょう?

 何でか?というと、特撮物とか刑事物、時代劇なんかでは、過去の作品の脚本を流用したりすることがザラにあるからです。

 長く続いている月刊誌にはよくあるのですが、毎月の巻頭特集のテーマが、実は毎年同じだったりする・・・ってことが結構あるんですよ。

 だから、定期購読していると、「アレッ? これって以前あったよな~?」と思うことがあります。

 でもま~、これも長く続けていくにはマンネリのリズムということで許容されると思いますね。

 私も、最新刊の『使える武術』(ちくま新書)を読んでいて、「あ~、過去のネタと被っちゃったな~?」と思う訳ですよね。
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 だけど、切り口を変えて最新研究成果を加えていくことで違うものに思える。

 うちのファンの方の激励メールとかで、よく「游心流こそ本物です!」って書かれる方がいらっしゃるんでしょうけど、そういうのはおこがましいですよね。

「長野さんは強いのか弱いのか?」って、糞しょーもないことを論議する人達もいらっしゃいますが、あのね~、まともに試合したら私なんかペーペーで弱いっスよ。全然、勝てないですよ。

 でもね、「勝てないから、しょうがない」って考えて諦めるんじゃなくて、「弱くても勝つにはどうすればいいか?」って、メチャメチャ考えて研究してきている点を評価して欲しい訳ですよね。

 その結果、「別に試合に勝てなくてもいいや。俺は自分が弱いの解ってるから、他人と競い合うのはやめよう。だけど、護身術としての最高の武術を目指そう」って思った訳ですよ。

 ただし、百種以上の流儀の技をパクッてるので、「本物」って言われたら、それは違うでしょう? 

「自分のやっていることが本物で他が偽物だ」って言い方はこの業界で誰もが言うんですけど、バカ言っちゃダメですよね。そんな訳ないでしょう。

 ほとんどの流派が他流の上に付け足して成立しているんです。それなのに「うちこそが本物だ」って、一体、誰が決められるんでしょうか?

 そういう歴史的な過程とか先人の努力を考えたら、教わったすべての流派と先人に敬意を払うべきだし、「自分こそが本物なんて自惚れるのも大概にしろ!」って言いたくなるんですよね。

 私は所詮、研究家ですよ。でも、だからこそ、本物だの偽物だのという論議には慎重にならなくちゃいけないし、そういうレベルに武術を留めておいてはいけないと思っています。

 どんな流派でも優れたところもあれば弱点もありますよ。当たり前の話です。

 武術やっている人間は、自惚れてしまって自流の弱点を検討しない人が多過ぎます。弱点こそ検討して克服していかなくては発展しないんです。

 どんなに強がっても弱点のない人間なんかいません。運命というのは皮肉なもので、その人が一番見たくない弱点を突くようにしてくるものですが、それは、「弱点を自覚して克服せよ」ということだと思いますね。


 出版契約書のサインをしていて、いつもはあんまりよく読まないんですけど、ざざっと読んでいたら、「あ~、そういわれれば、こういう点は意識してなかったけど、常識として弁えていないとダメだよな~」と、改めて思うところもありました。

 契約は慎重に・・・。


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最近みた武術DVD

 最近、動画とかDVDとかでいろんな武術家の先生の技を見ているんですが、う~ん、これじゃ~な~って思う場合が多くて、特に中国武術でいいな~と思える先生は少なくてですね~(ションボリ・・・)。

 新刊本の中でも書いているんですが、武術として太極拳や中国伝統武術、合気道、古武術、気の武術に取り組んでいる人達には、結構なパーセンテージでオツムがどうかしちゃってる人がいたりするんです。

 それも、指導者クラスがそんなだったりするので、一般の武道、格闘技の愛好家から軽蔑されていたり無視されていたりするんですよね。

 私も、「長野さんは何でそんな怪しいものをやっているんですか?」と言われたりすることもあります。

 困っちゃいますよね~。こういう現状は・・・。


 でも、うちの会員さんから借りて、太気拳の久保勇人先生と、太極拳無形塾の池田秀幸先生のDVDを観たんですが、とても良かったです。

 昔は若手ナンバー1と言われていらっしゃいましたが、最近は久保先生の噂を聞かないので、どうされていらっしゃるのかな~?と思っていたんですが、2005年に出たDVDを観ると、内功と発勁の威力は太気拳一門でもトップレベルなんじゃないかな~と思いましたね。

 やっぱり、中国武術の世界で太気拳というと、空手界に於ける極真みたいな位置付けで、恐れられていますから・・・。

 ただ、意拳と交流して理論的に稽古法が確立されたのは良いとしても、澤井健一先生伝統のワイルドな荒々しい組手スタイルが消えて、形に捕らわれた人が増えているんじゃないのかな~?という心配もあったんですよ。

 新刊本の中でも解説しましたけれど、何かやたらに形にこだわって意識が抜けて堅く構えてしまう人もいたりして、そんな人だと一気に弱点つかれてやられてしまう場合があるので、敢えて御注意したんです。だって、下手な負け方したら実戦拳法の名を汚してしまうじゃないですか?

 格好ばっかり見栄えよくしようとしていたら有形無形の太気拳の本来の持ち味が出せないのに、“この形でなくてはならない”と勘違いしている人がいるんですよ。

 私の個人的な考えに過ぎませんが、意拳のやり方は稽古法には適していますが、実際に闘う場合は澤井先生のような、動きの流れを途切らせない体幹部を伸縮自在に動かしながら間合を潰していく猫科動物のような動きをした方が断然いいと思います。

 そうしないと、体幹部を直立不動のままフック系パンチを繰り出すばかりでは、打たれ強い体格に勝る総合格闘技の人と闘ったら打拳の間合を潰されて寝技に引きずり込まれて無残に絞め落とされかねません。

 格闘技の世界はどんどん進化しているんです。武術も進化しなければなりません。

 太気拳は原点の澤井健一先生の技と動きに帰るべきですよ!


 それから、無形塾の池田先生は実力者だという噂をよく聞いていたんですが、確かに形ばっかりじゃない実戦的な太極拳の使い方に納得できます。

 私の親しくしていただいている高小飛先生以外に、これだけ太極拳を武術的に遣える方は久々に見ました。

 通常の打撃戦の間合に止まらないで、すべてカウンターの交叉法で体幹部からぶち当たって相手を根こそぎ刈り倒すような戦闘法は、本質的な太極拳の戦法として実に正しいやり方だと思います。

 が、その正しいやり方をきちんとやって見せられる人は滅多にいません。

「うわ~、お弟子さん、可哀想だな~?」と思うくらい、遠慮なくズバーンと打ち飛ばしてみせる池田先生・・・なんかナウシカのユパ様を思い出しましたぞい・・・。

 ただ・・・プロフィールを見ると、剛柔流二段、沖縄上地流二段・・・って・・・。

 う~む・・・元々強いから太極拳やっても強いってことでは・・・?

 う~む・・・そういえば、久保先生も極真空手出身なんだよな~・・・?

 う~ん・・・中国武術オンリーで強い日本人って、聞いたことないな~?

 やっぱ、なんだかんだ言っても、空手家が強いってことかな~?

 そういえば、合気道家が他流の人間に挑む時の決まり文句で、「私は実戦空手をやっていた!」ってのがあるもんな~。合気道じゃ闘えないのかな?

 私は、中国武術や合気道は試合向きじゃないけど、ストリートファイトなんかではメチャメチャ実戦向きだと思うんだけどな~?


追伸;ハイチに続いてチリでも大地震が発生し、日本にも津浪被害の影響がありました。大地震の猛威を前にすると格闘の強さを大真面目に論議するのも馬鹿らしくなります。震災の被害に会われた方々にお悔やみ申します。それにしても今年は地球規模の事件が起こる年なのか? 2012を待たずして先が見えない時代に生きているんだな~とあらためて思います。


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ちくま新書『使える武術』もうすぐ発売

 ちくま新書から出る『使える武術』の見本もあがってきました。
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 来週、書店に並ぶそうですが、アスペクトの第一弾と第二弾を足して、そこに最新研究成果を盛り込んだような内容になっておりまして、入門書として初めて読む方にはうってつけだと思っております。

 ちょうど、時期的に執筆がアスペクトの『ヒトを観抜く武術の読み』と被さってしまったのですが、内容は差別化できたので、初めて長野本?に触れる方には、こちらがお勧めです。

 でも、客観的に考えて、新書版でこの内容というのはエポックメイキングだと思いますよ。最後の章には軽く“達人列伝”まで載ってますけど、普通、この章だけで一冊になるネタですから、怒涛のテンコ盛り状態です。

 ムラサキウニ混ぜたご飯の上にエゾバフンウニをご飯が見えなくなるまでトッピングしたウニご飯・・・みたいな武術漬けの本です。

 自分で書いておいてナンですが、「スゲ~な、これ・・・本当に俺が書いたの?」って思いましたよ。いや、マジで・・・。

 何か、乗り移られて書かされたのかも?って、思えますね。現物見ると・・・。

「いろんな武術家を取材して原稿執筆を依頼したりして、徹夜で一カ月編集作業しないとムリでしょ?」って内容を、正味二日で書きましたからね・・・フッフッフ(メッチャ、自慢げだな~、オレ・・・)。

 送っていただいても構わなかったのですが、担当編集の方がわざわざ持参くださるとのことで、イラストを担当してもらった黒谷薫先生にも橋本駅まで来ていただいて三人で少し遅いランチをいただきながら出版の苦労話や、某先生の面白失敗話などして過ごしました。

 それにしても、私は自分でも思うんですけれど、本当に強運だよな~と思います。

 90年代半ばからの甲野善紀氏独り勝ち状態の長い古武術ブームも、昨今は陰りを見せて、目立った活躍をしている人はいなくなっているのが現状です。

 甲野氏に続くか?と思えた人達も、甲野氏ほど世間に注目されることなく地道な活動に落ち着いているような気がします。

 では、そんなに甲野氏の研究が並外れていたのか?というと、実際には各界の名のある人との交流を役立てたりする宣伝上手さが先走って、発表している内容は浅いし、武術そのものもフェイクとしか言えなかった訳ですが、「そんなことは世間様の感知するところではない」といった本末転倒な論調まで出てくる始末でした。

 だけど、「それなら武術じゃなくっていいじゃん?」と、私は言いたいですけどね。

 だいたい、武道武術の専門雑誌が書店の本棚で見かけなくなって久しく、80年代後半から業界をけん引してきた老舗雑誌である『格闘技通信』も休刊が決まり、この分野の衰退は誰の目にも明らかです。

 そんな中で私の武術業界裏うんちく話のシリーズ本が六冊も続いていたり、DVDが三巻出せたというのも、どう考えても私自身の力だけでは考えられないと思うのです。

 十年前だったら、この分野も世間の注目を集めて活気がありましたから、変人の私独りくらい許容できる活力があっても、不思議はなかったと思うんです。

 でも、今は違いますよね。

 はっきり言って世間の目は全然向いていませんよ。甲野氏ですら、もうかつての輝きを取り戻すことはないと思いますし、無理にでしゃばると痛い思いをするだけでしょう。

 かつて、この分野で伝説の達人と仰ぎ見られていた青木宏之先生を、ほとんどの武道武術愛好家が“知らない”という現実・・・。

 私には信じられません。王や長島を知らないというのと同じことですよ。

 あ~、でも世代が変わってしまったということなのかも知れませんね。

 近い将来、大山倍達、芦原英幸、塩田剛三、植芝盛平、上原清吉、澤井健一、佐川幸義といった伝説の武人の名前を知らない人達が大勢を占めてしまうのでしょう・・・。

 哀しいな~。

 あっ・・・そうか? そういうことか・・・。

 私に“武術の世界の語り部”になれってことなのか? 武術版の“稗田阿礼”の役目を私が負わされているのかもしれないな~?

 そうでもなけりゃ、貧乏のあまりアパート追い出されそうになったりしているボンクラ中年が売れる訳ないもんな~。

 まあ、自分の実力を勘違いするほど、私も若くはないですからね~。


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カッパ寿司のCFは意味深・・・

 カッパ寿司のCFにグレイ(デカ頭にデカい眼の小人型エイリアン)が登場していて、「何でエイリアンなの?」と思った方はいないでしょうか?

 私は、これを見て、「あれっ、もしかして・・・?」と思っていたんですが、最近、新バージョンで、グレイがカッパに仮装しているシーンを見て確信に変わりました。

 UMA(未確認動物)マニアの間では、「河童の正体はグレイではないか?」という説があったんです。

 そもそも、河童には類似の妖怪(妖精)が物凄く多いんですね。

 河童はもともと中国から渡ってきたといわれていて、河伯、水虎と呼ばれていました。

 朝鮮半島のトッケビや、ヨーロッパの妖精、南米のサシペレレなんかも河童との類似性が指摘されています。

 西欧の白人が漂着して山中に潜んだのを鬼や天狗に譬えたという異人説と比べて、河童の場合は割りと身近でありながら人間とは明確に異なる感じがします。

 これが一つ目の妖怪になると、産鉄技能の民“タタラ者”を妖怪視したものという説が有力(砂鉄を炉で溶かす様子を注視し続けることで目を悪くする)なのですが、河童に関しては、人間を見間違えるとは思えません。

 まず、身長が1mくらいまでで肌の色が茶色や青緑色、灰色という点で人間とは思えません。

 それに、頭の皿や尖ったクチバシはヘルメット、背中の甲羅は酸素ボンベを見間違えたと考えると、他天体から来た来訪者と考えることは可能でしょう。

 河童が人間と会話できるのも相当に知能が高いことを証明していますし、馬や子供の尻小玉を抜くというのは地球の生命体を調査研究しているとも考えられます。

 小さいのに怪力の持ち主だとか、頭の皿の水が無くなると力が出なくなるというのも、ヘルメットが壊れて地球の大気で具合が悪くなったと考えることができます。

 腕を切られた河童が秘薬で腕をくっつけたというのも、エイリアンならありえるでしょう。

 そもそも、「中国から渡ってきた」というのも、島国の日本からすれば、外国も宇宙も区別がつかないでしょうし、「遠くの国から来た」と言われて、中国を連想しただけかもしれません。

 江戸時代の奇談には、宇宙船と宇宙人の美女らしきものを描いた絵物語もありますし、徳川家康が人の形の肉のような肉人と会った話などもあります。

 これらもエイリアン遭遇事件を当時の世界観で伝えたものと考えられます。

 だから、「エイリアン・グレイが河童の正体だ」という最近の仮説をカッパ寿司のCFを制作したディレクターとかが知っていて、意図的に演出したんじゃないかな~?と、最初に思っていて、新バージョンを見て確信した・・・という訳です。

 ちなみに、私は河童の鳴き声?を中学時代(現在の天草市久玉町)に聞いたことありますし、不知火も見たし、火の玉(非常に物理的なものに見えた)も見たし、UFOも何度か見ています。

 ただ、霊感体質じゃないので幽霊とかの類いは全然見たことなかったんですが、寝入り端の幻覚なのか、赤いワンピースに長い髪の女が枕元に立っていたとか、押し入れに子供が座っているのを見た・・・なんてことはあります。

 もっとも、夜中に独りでホラー映画見ながら寝たりしているから、本当に幻覚だと思いますよ。

 あっ、そうそう。昔、深夜の公園で稽古していた頃にも、幻覚は見えましたね~。

 もし、私が宗教的な思考だったら、怪しい方向へまっしぐらになっていたかもしれませんね~。


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游心流の内容について

 本もDVDも結構、出せたし、ここらで原点に戻って、游心流の内容について一通り解説しておこうか?と思います。

 まず、うちの場合、既存の流儀が型であったり組手や乱取りを練習のメインに置くのに対して、「まず、原理を理解する」という点を重視しています。

 極論すれば型とか技とかはどうでもいい。それよりも稽古法の意味を理解し、戦闘法の理論を理解し、勝負の戦略戦術を理解することを重視しています。

 つまり、原理から考えて、やるべき稽古法を決定している訳です。

 だから、基本は重視しますが、基本の意味を理解しないままではやっても意味がないと考えます。

 これはもう、十年試行錯誤を重ねて明確にいえます。

 意味が解らないまま基本練習をいかに繰り返しても実用には結びつきません。

 確かに基本は重要です。いや、基本さえ確実に体得すればそれで充分だというくらい大切です。

 しかし、それは、基本の技の意味を理解してあらゆる状況に変化応用できるようになれば・・・の話です。

 例えば、伝統空手では基本練習の大半が「これは実際の試合では通用しないけれど」という前提で練習されています。

 基本の受け技が、「実際の試合ではほぼ使えない」と見限られているからですが、これは、「受け技ではなくて受けながら攻撃する技である」と認識を変えることで解決できるでしょう。

 実際の試合でなぜ使えないのか?というと、それは試合の形式が空手の技を使うのではなくて、「離れたところから先に当てるスピードを競う形式にしているから」であるという現実を再検討すべきでしょう。

 要は、空手の多彩な技を使えないような試合形式を考案定着させてしまった先人の責任であり、また、それに疑問を提示しないで無批判に続けてきた世代の問題でもあります。

 極論すると、空手ができなくても反射神経と運動能力に優れた人間がルールを覚えて試合向けの練習した方が勝てる。

 おかしいよね~・・・。


 まっ、それはいいです。俺は興味ないから。

 うちの稽古法では、まず、第一に脱力体と脱力技法の養成。次に、目付けと読みを駆使する交叉法の体得。そして、気配を消して動く歩法の精練。

 後は、技は寸勁をメインにした打・崩・投・極の連環技法を、体術でも武器術でも用います。

 稽古体系としては、まず、基礎錬体。

 これは、脱力体の養成と、骨盤から動く身体操作の基本を体得するためのものです。

 つまり、“重心移動で打つ”ということを徹底的に身体に覚えさせるのです。

 それと同時に各種の歩法を稽古しますが、これも骨盤起動で重心移動を用いる歩法を覚えるためで、中国武術の歩法訓練法も導入していますが、すべて基本的にスリ足でおこないます。

 これは、私が日本人だから、日本の剣術の理合を応用しているからです。身体性には民族性も隠れていますが、元来、日本人は蹴り技を用いる習慣が乏しく、体捌きで投げや崩しを用いる中で突き蹴りを副次的に使うのが民族的身体性に合うように思えます。

 初級・中級の対錬は素手の拳法体術技法の基本を練習するものですが、上級は居合術の組型です。

 しかし、実は、この居合術の型は、そのまま体術にも他の武器術にも応用できるように作っているんです。

 体術の基本原理も、無刀捕りをベースにしています。これは実際にできるできないではなく、想定として対日本刀をイメージすることで、ナイフや鉄パイプなどでの襲撃に咄嗟に対応する感覚を養成するのを目指しています。

 また、対日本刀を考えていれば、素手の突き蹴りを恐れる必然性がなくなります。それだけ心理的に余裕が生まれて入身に迷いが無くなるという訳です。

 もちろん、常日頃から日本刀を持ち歩ける訳ではありませんから、居合術を現代で実戦に用いるという考えは非現実的と言うしかありませんが、居合術で精練した体捌きと読みを駆使すれば素手の護身術にも応用が効くという次第です。

 この考えも、個々の技で対処するのではなく、あくまでも原理から個別の対処法をアドリブで繰り出せるようにするという考え方で稽古していく訳です。

 ですから、既に何らかの流派を一定期間修行して技が身についている人なら、それをブラッシュアップするだけで異常な上達をさせることも可能になります。

 が、それは、原理を理解できるかどうか?にかかっています。

 よって、うちの場合、何も考えないで教えられた通りに練習するというタイプの人は案外、上達しません。

 ただ努力してもダメで、要は「理を解する」ということが絶対に不可欠です。さもなければ過去のやり方が鋳型になって、逆にいつまでも上達できないままに終わってしまうでしょう。

 型稽古は、何のためにやるのか?というと、「最終的に型の動きから離れて型が教えている原理に沿って自由自在に変化応用できるようになる」ということを目指しているのですが、現実にそうなっている人や流派は非常に少ないものです。

 型を盲目的に有り難がっていても意味がないのです。

 型に秘められている理が読み解ければ、教えてもらわなくとも型の中から技を抽出することは可能ですが、盲信的に型を有り難がっている人間は、その肝心の理が読めないので、教えられたやり方以外には解読できないのです。

 そして、お人好しの日本人は、およそ使えないフェイクの用法(嘘)を教えられても観抜けず、喜々として自信満々になったりしてしまうのですから、悲喜劇というしかないでしょう。

 私は、教えられたことが本当かどうかは自分で再検討してきました。そうして教えられた内容を微調整しながら試行錯誤を重ねて再構成してきました。

 実際に用いることを考えれば、これが妥当なやり方だと考えたのです。

 その過程で、無数の流儀の本や映像資料を研究し、長所も短所も調べました。

 長所は採り入れ、短所は“その流儀の人間と立ち合う時の戦法を工夫する”ための参考にしています。

 私は、特定の流儀を信心する観念が皆無なので、たとえ自分が学んだ尊敬する師の流儀であったとしても、「どうすれば打ち破れるか?」と日夜考えています。

『柳生一族の陰謀』ではありませんが、「神に会うては神を殺し、仏に会うては仏を殺す」という非情必殺の精神を持たねばならないと思ったからです。

 何でか?

 武術は“仲良し倶楽部”じゃないからですよ。ただ楽しければいいというだけじゃ、いざという時に使えないでしょう。

 もちろん、稽古そのものは楽しく和気藹々と笑いも交えて練習した方がいいと私は思っています。しかめっ顔して頑張ったから上達するというものじゃないんです。

 特にリラックスすることで最強のパワーが出る脱力技法にとって、緊張は敵です。

 従来の武道・武術のやり方では、強い人は育てられても達人は生まれないでしょう。そして、どんなに強くても、ちょっと違う戦い方に遭遇したら他愛なく破れてしまう場合があるのです。

 武術というのは、いかに相手の裏をかくか?が重要なのであって、同じ条件でルールを決めて「どっちが強いか決めようぜ」というものとはまったく違うものです。

 生き残るのが目的なのです。戦わなくて済むなら戦わないのが武術なのです。

 戦わねば負けない。だから絶対無敵であるという訳です。

「そんなの詐欺じゃね~か。男らしくない!」と怒る人も多いと思いますが、あのですね~。命がかかってる時に卑怯も糞もないでしょう?

 強さを競って楽しむのはスポーツなんです。武術はスポーツじゃないんです。武術は自己防衛術なのであって、他人と競い合うことが目的ではないのです。

 競うということは、強い方が勝つということですね?

 強い方が必ず勝つんだったら、武術なんか何の意味がありますか? 弱い者が自分より強い者に勝てるから武術は価値があるんです。力に粉砕される技術では意味がありませんよ。

 言ってみれば、武術はアメリカ人が西部開拓時代の後半に手にしたコルト・ピースメイカーであり、ウインチェスターM73なんですよ。

 女子供でも巨漢の暴力を確実に排除できる武器・・・それが銃です。

 日本人は豊臣秀吉の刀狩りの時代以降、「武器を使うのは卑怯だ」という観念を植え付けられています。

 でも、これは、権力を握った者が、大衆の異議申し立てをできなくさせて効率的に支配するための戦略なんですよ。

 そういう戦略に洗脳されてしまっている日本人は、権力に対して抗う精神を持たない世界でも珍しい民族でしょう。牙も金玉も抜かれてしまっているんですよ。

 そういう日本の伝統をぶち壊してヒトとしての尊厳を取り戻すための武術を、私は普及したいですね。

 実際、武術やっていながら、物凄い腑抜けたヤツも多いもんね~。


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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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