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普天間問題、どうなるか?

 田中泯さんのお弟子さんの石原志保さんからのメールでお知らせがあって、NHKの普天間問題を扱ったドキュメント番組を観ました。

 泯さんのドキュメンタリー番組とかで知り合われたディレクターの方がつくられた番組なのかな~?と思います。

・・・ところがですね~・・・私、忙しくて寝てなかったものですから、睡魔と戦いながら観ていて、集中して観れなくて内容がほとんど頭に入らなくって、ザンネンなことになっちゃいました。せっかく石原さんが知らせてくれたのに申し訳ないっス。

 再放送を期待して待とうと思っております・・・。


 さて、でも、普天間問題について、私もちょっと考えてみます。

 まず、沖縄の米軍基地問題というのは、私自身は、実質的に日本はアメリカの属国なんだと思っていますから、日本がちゃんと独立した一国とならない限り、場所を変えて延々と続く問題だと思うんですね。

 だから、鳩山政権は日本の本当の独立を目指すくらいの気概と戦略を持たないで、あれこれと泥縄で対応しようとしても結果に繋がらないのは最初から判っていたことですよ。

 でも、それとは別に、“沖縄”は、果たして日本の一県であるべきなんでしょうか?

 地理的に見ると、九州本土より、台湾の方が遥かに近いんですよね。

 元々の文化圏としては中国に近い訳だし、琉球王朝に支えられた王国だったんでしょうから、薩摩藩に支配されて以降、日本の支配下に甘んじてきただけなんじゃないでしょうか?

 それが、ウチナンチューとヤマトンチューという言葉に残っているし、戦後、アメリカに支配され、日本に返還されてからも真の意味での“琉球国”に戻った訳ではないし、現に、普天間基地の問題には人身御供に出されたようなイメージがある訳です。

 ウルトラセブンの中に出てくる地球の先住民族ノンマルトをウルトラ警備隊が全滅させてしまう問題作は、実は支配され隷従させられてきた琉球の民の怨念を描いた作品として知られています。

 当時の円谷プロの脚本家であった金城哲夫と上原正三は沖縄出身でした。

 彼らの作品には、どこか隷従させられた者の怒りと怨嗟を感じさせるものが多くあります。それはもう、子供向けの特撮番組とは思えない社会的メッセージを含んでいました。

 大国の驕りと支配される小国の哀しみ・・・そこにはリアルな差別の問題が横たわっています。

 結局、普天間基地の問題には、アメリカに支配されている日本が、沖縄を人身御供にし続けるのか否か?という論理が横たわっている訳で、そういう観点からすれば鳩山首相は懸命に頑張って抵抗している訳ではあります。

 が、アメリカと中国のパワーバランスの戦略上の問題であるため、人道的なヒューマニズムの論理は消し飛んでしまうことでしょう。

 思想・理念・イデオロギー・・・私は、これらに価値を求めるのは無理があると思っています。これらは価値観を共有しルールを護ろうとする共同体の中でしか機能し得ないと思うからです。

 そして、世界は様々な価値観を持つ人・民族・国家が林立して共存している訳です。

 対立する価値観を持つ者同士は共生するのは難しいでしょう。

 だから、価値観は違うのが当然と弁えて、互いの価値観を尊重して犯さないようにしなければなりません。それでしか共生していくことはできない。

 しかし、人間は本能として他者を支配したがり支配されたがるのです。

 よって、力のある者は力のない者を暴力的に支配しようとする・・・この宿業的な本能をコントロールしない限り、友愛の精神は現実化することはないでしょう。

 琉球の“手”は、力のない者が支配者への抵抗の手段として密かに育んできた典型的な武術の原点の一例です。

“手”を伝承するウチナンチューの“武士”が、ヤマトンチューの空手愛好家に教えたがらないのも当然のことなのです。

 武術というものは社会的なものではありません。純粋に個人の防衛術であり、力のない弱い人間が理不尽な暴力で支配し隷属させられそうになる時の、人間の誇りを護るための最後の知恵であり手段です。

 国が軍隊を持って他国の侵略に備えるように、人が個としての自己防衛のために編み出したのが武術です。

 琉球の“手”こそは、まさに武術そのものです。

 琉球の武術を「日本武道」と呼び、世界に誇る「空手」として広めたヤマトンチューの空手家たちの姿を、ウチナンチューの武士はどう思って見ているのだろうか?と、私は思うのです。

 そして、普天間基地の問題とは、琉球の長い長い隷従の歴史が、未だ終わらないことへの怨嗟の声なんだと思うのです・・・。


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小島さんから謝罪したいとのメールが?

「えっ、なんじゃこりゃ? 本当にあの小島さんなの?」というメールが事務局に届きました。

「本当に本人なんでしょうか?」と聞く事務局長。

「さあ~。でも、電話番号まで書いてきてるから本人なんじゃないの?」と私。

「でも、あの小島さんが謝罪したいなんて、そんな殊勝なこと言うんでしょうか?」と事務局長。

「いや、小島さんは文章は傲慢だけど、直接話す時は低姿勢だったりするって聞いてるから、誰かから俺のこと聞いて、話せば解る相手だと思ったんじゃないの? それに、もしかすると俺に何か相談したいことでもあるのかもしれないね」と私。

「それじゃあ、どうしますか?」と事務局長。

「もちろん、返事はするよ。ただし、謝罪したいという話は受けないよ。それを受けたら、俺も謝んなきゃいけないでしょ? 俺の方が罵詈雑言書きまくってるからね。でも、間違ったこと書いたつもりないから謝りたくないもんね。それに、下手に直接話してお友達みたいになっても、彼は必ず喧嘩して誹謗中傷しまくるのが目に見えてるでしょ? 俺は彼の“エジキ”にされるのは御免だからさ~」と私。

 さて、このようなやり取りの上、小島一志氏のメールへ書いた返信は以下のごとし!



『拝復、小島一志殿。

 メール拝読しました。

「私のBlogコラムによって多大なる迷惑を長野様におかけしたことをまず謝罪させて頂きます」と書かれておられますが、この場合、「私の息子が」と書かなければならないのではないでしょうか? それとも、貴方が息子になりすまして書かれたのですか?

 失礼ながら、貴方には文筆を業務としている者としての誇りはないのですか? 相手が強かったり権威者であったりしたら謝り、自分より弱い相手を選んで喧嘩を売るのが貴方のやり方なのですか?

 貴方は私に謝罪する必要はありません。

 何故なら、貴方は私を名指しで書いてはいないからですし、また、私は貴方の脅しめいた文言に何のダメージも受けていないからです。

 いや、正直いって、ちょっと楽しみでした。遠慮なく技を使う千載一遇のチャンスだと思っていましたから・・・。

 貴方の御子息や武友やヤクザ者が押しかけてきたとしても、私は自分の意見が正論だと思って書いたことなので、そう主張するだけのことですし、暴力で黙らせようとされるのならば、多くの師に学んだ武術の技を駆使して徹底的に抵抗するつもりでいます。

 仮にそれで私が死んだり半身不随になったとしても、私の弟子は、むしろ誇りに思って私の研究を引き継いでいってくれるでしょう。

 ですから、私は貴方の謝罪は求めません。

 また、貴方の謝罪を受け入れて、私が貴方と直に話した結果、「小島さんはとても良い人でした」とでも書けば、「なんだ。長野はだらしのないヤツだな~」と、私のファンはガッカリするでしょう。

 私は、文筆家として、「おかしいことはおかしい」と常に言えるようにしておきたいと思っています。なので、ここ何年かは、極力、武道武術関係者とは付き合わないようにしています。多少なりとも付き合えば、義理人情も生じて、的確な批判ができなくなってしまうからです。

 謝罪ということであれば、貴方が謝るべき人は、私ではなく他に多数おられる筈です。

 例えば、貴方の書かれた某中国武術家を誹謗する文章に関して私がブログに書いた内容から、その人物の弟子の方が破門も覚悟で当方の講習会に乗り込む旨の申し出があり、門派関係のトラブルに発展する可能性を考えて厳重注意し、「私に文句を言うのは筋違いだ。小島さんに言うのが筋だろう」と伝えておきました。

 その人が貴方のところに文句をつけたかどうかは知りませんが、文筆業を営む以上、発した文言の影響と責任は自覚しておかねばなりません。

 以前、貴方も知っている出版社の社長さんと会った時、その人は「吐いた唾はもう、もとには戻らない」と、貴方に対して批判的なことを言われていました。これを侮辱と取るか、「あの悪い癖が直ればいいヤツなんだが・・・」という愛情ある批判と取るかで、人との関係性は変わっていくのではないでしょうか?

 いい機会ですから、私の意見も書きます。

 客観的に貴方のやってきたことを批評すれば、親しい人を持ち上げておきながら、ちょっとでも自分の意にそまない点があると、途端に極悪人のように非難し口汚く罵倒する。それを何度も何度も、繰り返してきていますね。

 そんな話を、この業界で、耳にタコができるくらい聞きました。それはもう正義感とは言えません。独善と言います。

 貴方の独善思考によるペンの暴力で、どれだけの人が傷つけられてきたか? 元の奥さんや社員、武友、そして御子息も傷ついているのではないですか? どうして、味方である筈の人達に対して、そんな真似をするのか?

 欠点のない人間なんかどこにもいません。他人の欠点を叱責する前に、自分がそれを非難する資格があるのか?と考えてみるのが成熟した大人というものです。

 どんな問題も、責任が一人だけに押し付けられるものではありません。見る角度を変えてみれば、責任の所在はどんどん移り変わっていきます。

 結局、これまで貴方が他人の欠点をあげつらって罵倒し続けてきた真の原因は、自身の器の小ささでしかありません。だから、自分のことは棚に上げて相手だけを一方的に非難し続けてきたのです。

 自分で解っていても、認められない。認めてしまえば自分のアイデンティティーを維持できなくなるのが怖いから・・・。

 しかし、そうまでして自己を護ろうとし続けて、何か得しますか? どんどん孤立していくだけではないですか?

 それを自覚し反省し、真摯に謝罪していくしかないんじゃないですか? 自分が変わらなければ人生は変わらないですよ。離れた人達は戻ってこなくても、貴方が変われば新たな人間関係は育っていくでしょう。

 もっとも・・・一小島ファンとしては、独善的で傲慢でルールを無視して暴走する文章こそが魅力的に思えるので、毒気が抜けてしまった小島一志じゃ、つまらんな~とは思いますが・・・(吉田豪さんも同じ気持ちじゃないかと思います)。

 以上です。

 繰り返しますが、私に謝罪する必要はありません。全然、気にしていませんから、御心配なく。


長野峻也 記す


追伸;このメールは私のブログにそのまま載せます。私は陰でゴチャゴチャ立ち回るのが嫌いですので、悪しからず。』


・・・という内容です。

 やっぱり、小島氏と内々で話して「和解しました」みたいなことを書いたら、全国的に「なんだよ、小島はだらしね~な~。長野もそんな手に乗っかってトンマなヤツだな~」と思われるだけで最低につまんない結末ですよね?

 私はファンの期待?を裏切りたくないですし、それに「謝罪したい」という意味が解らないですね。
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 小島氏が謝罪する必要のある人は私以外に大勢おられますからね。そういうことをきちんとされたら、私も「小島さんは偉い!」って書くんですよ。

 それとも、何か心境の変化を促すような事件でもあったんですかね~?


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何か、動画、好調みたいです

 ユーチューブにアップしてもらった、うちの師範、師範代、教練の演武動画が好調みたいで、結構、反響があるみたいです。

 27日の東京支部同好会の練習の時も、初参加の人もいらしたので、矢嶋師範代の技の示範の受けをとったりしたんですが、技の威力もスピードも格段にレベルアップしていてびっくりしましたよ。

 こんな急激にレベルアップすることが実際にあるのか?と思ったくらいです。

 でも、彼の良いところは、「先生の教えのお陰です」と言うところですね。

 けれども、こりゃあ、マジで陰練(カゲレン、こっそり練習すること)しないと抜かれそうだな~と思いましたよ。


 この四月で数名の新会員が入られました。

 若い人も入られたので、年齢層も広がりましたし、東京支部に続いて、早ければ5月後半には横浜支部も開設できるかもしれません。

 今年は既に本が二冊出たし、上級編DVDも出しました。

 セミナーも盛況です。

 二年半前の分裂騒動が嘘のようです。欲に振り回されずに良かったな~と思います。

 そういえば、極真出身の方がまた入会されたので、今、四名ですかね~? いつも思うんですが、いろんな流派の方が来られる中でも、極真空手を長く修行されていた方は、どなたも人柄が抜群に良いんですね。

 もちろん、ちょこっと齧った程度の人にはウ~ンと思うような人もいますけど、本当に極真空手をやっている人は他流に対して謙虚な人が多いですね。「知らないことを学ぼう」という純粋さと向上心があるように思えます。

 私は昔は、“ケンカ空手=ケンカばっかりする乱暴な人間ばかり集まっている空手”というイメージが強くて、それで中国拳法にのめり込んでいったんですが、実際にいろいろ見ていると、極真空手の人は謙虚で、中国拳法の人は人格がねじ曲がっている例が異常に多いんですよね~。

 人間は、痛い思いをしないと謙虚になれないのかな~?とか思ったこともありますが、そうとばかりも言えないようですし・・・やっぱり、極真空手を長く修行している人達は自信と誇りがあるから、他流に対しても欠点より優れた点に目を向けられるのかな~?という気がします。

 特に、指導者クラス以上の人になると人柄が良いな~って、つくづく感心しますよ。

 やっぱり、中途半端な腕前の時ほど、他流の師範とかに会っても「ホントに強いんスか~?」とかニヤついて挑発したりするもんですよね(って、俺も昔はそうだった)。

 私なんかも、ついつい習性で(職業病かな?)、人の欠点ばっかり探ってしまうんですけど、人付き合いを円満にして人生を幸せにするためには、人の良い面に目を向けて敬意を払うのが重要なんだと思いますね~。


 あっ、それと余談ですが、目隠しして組手をやっている大石教練ですが、あのような能力は新体道の瞑想訓練で開花した能力であって、游心流では心法技術はまだまだ研究段階でしかありません。

 游心流なりの心法を研究している段階で、実験的に推手を目を瞑って稽古し、そこからさらに逆技や崩し技を用いる練習や、差し手から推手に入る練習などを試行錯誤している時に、彼が飛び抜けて察知力が高かったので、「恐らく、できるだろう」と思って、ぶっつけ本番でやらせた・・・という次第なんです。

 ですから、「游心流は凄い!」と評価していただけるのは嬉しいのですけれども、そこは原点に敬意を表するのが筋だと思っております。

 心法に関しては、新体道が最も進化した武道であると私は考えておりますので、御関心のある方は、どうぞ、新体道の門を叩かれることを推薦します。
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武術修行は自尊心を捨てるべし!

 修心館の町井館長のブログに、良いことが書かれていました。

 何が良いことか?というと、武術の学び方に対する読者の意見に対する回答だったんですけれど、要約すると、「上手な人とできない人を比べてさらし者にするような教え方はいかがなものか?」というのに対して、「道徳としての考えと武道の修練する上での考えは違うものと考えます。更に厳しくいえば、武道を学ぶ姿勢や師弟関係が成っていないと言えます」というもの・・・。

 まったく、おっしゃる通りだな~と思います。

 武道に限らず、およそ、芸道修行は師匠の指示は絶対であって、納得いかなくても従うのが当然です。

 いや、教育の本質は、“愛の鞭”であって、未熟な者を教え導く以上は、対等に扱ってはいけません。

 習う側が教える側に対等の意識を持つこと自体が節操がないことであり、叱られるのが当然のこととして受け止めなくてはいけません。

 本来、師弟関係は民主的ではないものです。封建的なものです。それが納得できない者が人に教えを乞うことが間違いなのです。


 もっとも、私は基本的にこう考えていますが、“だからこそ”人の師たる者の心掛けるべき覚悟は重いと思っています。

 師たるべき立場にありながら、人を欺き、世を欺き、自己の本心をも欺く“欺瞞の徒”に人を教え導く資格はありません。

 そんな人間を武道の世界は許容し過ぎてきました。その結果、味噌も糞も区別のつかない愚か者が蠢く文化的にレベルの低い分野になり果ててしまっています。

 師たるべき能力の無い者に教えられれば、弟子もそうなってしまうでしょう。それが連鎖すれば、代を重ねる度に、どんどんダメになっていくばかりです。

“師範”という言葉は、「模範となるべき師」という意味がありますが、それはつまり、師たる者は、後進の者の模範となるべく自分を律していく必要があるということを示しています。

 武道なら、まず、技はできて当たり前、その上で、教える態度が尊敬できるような真摯さが必要でしょう。

 そのためには、指導する立場になる以前に学ぶ態度が問われるのです。

 学ぶ態度が成っていない者に、人の師になる資格があるとは思えません。

 シダックスの講座の時に、師範、師範代に、「俺は口が悪いのをウリにしてきたけど、貴方たちは俺の真似しちゃダメだよ」と言っておきました。

 私の欠点まで伝承してはダメですからね。

 まず、「技」、そして、「理論」、それから、「術」、後は、「知識」と「研究」と世の中にこれを活かす道を探ること・・・。

 まずは、オタクになるべきです。徹底的に探究心をもって追究することが必要です。

 ヒマ潰しの趣味として楽しみたい人は、武術なんか選ばない方がいいですよ。好むと好まざるにかかわらず殺人のテクニックを学ぶ訳ですから、明確な目的意識がないと精神衛生に悪いですよ。

 心の弱い人が武術に熱中すると発狂する確率が高いんですよ。いろんな欲心が噴出してきて自分をコントロールできなくなるんですね。

「こんなこと覚えて何になるの?」みたいな冷めた部分もないと、熱狂的にやっているとパアになってしまいます。

「タカダカ、武術だろ?」みたいな達観がないと危険なんですよね。

 武術の独修の危険性もここにあります。叱ってくれる師匠がいれば舞い上がったり自惚れたりして人の道を踏み外す危険性が減るんですよ。

 これは、禅のやり方にも共通するんじゃないかと思いますね。「私は悟った!」と舞い上がってると、「それは魔境に堕ちただけじゃっ!」と一喝してくれる師匠の存在は有り難いものです。

 どんな人間でも稽古の量をこなせば熟練はします。上手にはなります。

 しかし、技が熟練しても理合や戦術を知らないと技を活かすことは難しいでしょう。それを適切な時期を見計らって教えてくれる師匠は必要ですよ。

 私の場合、一貫して長く師事した師はいませんが、でも、超一流の人にばかり会ってきましたから、それはもう縁がなければ一生、会うこともできなかっただろう人達に会えたからには、「学べることは盗んで学べ!」という意識で、もう目を皿のようにして観察して学びましたよ。

 だから、私にとっては一度でもお会いして技を見せてもらった日にゃあ、何年間も直に学んだのに匹敵するだけの内容をエッセンスとして吸収してやる!って、決死の想いで脳力全開で記憶しようとしてきました。

 なので、私の師匠は膨大にいますよ。それは、私の脳に映像として残っている。

 その中には、殺陣の先生もいれば、舞踊の大家もいるし、アクション俳優もいます。

 また、TVで観たプロボクサーもいれば、時代劇俳優もいます。

 いや、別に人間に限る必要もありません。昔、飼っていた猫なんて喧嘩の名手で、犬に勝った時は驚きましたよね~。

 縁側でゴロッとしている時に、庭で鎖から外していた犬が吠えながら襲いかかってきて、「あっ、猫が咬み殺される?」と思った瞬間、犬がギャ~ン!と悲鳴をあげて逃げていき、猫が背中と尻尾の毛を逆立ててバリッバリッと猫爪パンチで追撃していったのです。

「うわ~っ、こいつ、強え~?」って、本当に思いましたね~。ゴロゴロしていた体勢から一瞬で戦闘モードに切り替わるところなんか達人の逸話みたいでした。

 庭で蛇と戦っているところなんかも名勝負でした。ヒット&アウェイで素早いジャヴを繰り出して弱らせ、最後は首を咬んでトドメをさし、くわえた蛇を物凄い自慢げに家の中に見せに持って来ました・・・(困ったな~)。

 そんな様子を見ていたからか、私の動きは猫っぽいとよく言われます。今はメタボ猫状態ですけどにゃ~・・・。


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武道具の持ち運びは注意して・・・

 先日、新聞の地元欄を読んでいたら、「模造刀所持で捕まった」という事件があって、ビックリしてしまいました。

 車の中に模造刀を積んでいて捕まったというんですが、そのまま持ち歩けば捕まっても当然と思いますが、車の中に積んでいて捕まるというのはどういうことだ?と思ったんですが・・・。

 記事によれば、“刃渡り9cmのナイフと刃渡り45cmの模造刀を車に積んでいた”ということだったので、模造刀よりもナイフの方が問題視されたのかな~?とも思ったんですが、まあ、恐らくは、捕まった人物が暴走族とかヤクザとかヤク中を疑われるようなタイプだったから、車を調べて「ナイフと模造刀を持っていたのは何かやるつもりだったんだろう?」ってことになったんだと思いますけれど・・・。

 しかし、そのまま持ち歩いているならともかく、車に積んでるだけで罪を問うのはやり過ぎじゃないの?という気がしますね。

 確かに刃渡り9cmのナイフだと持ち歩いていたら逮捕されますけど、車の中で問題にされるというのは外から見える所に置いていたということなんでしょうね。

 だって、いきなり車の中を探したりはできないでしょう? 職権濫用し過ぎだもん。

 刃物を持ち歩くことの規制が厳しくなってから、私はナイフが仕込んである真鍮製コブタンのキイホルダーからナイフだけ外しています。

 規制寸法より小さいんですが、見とがめられると面倒臭いからです。

 人を傷つける可能性のある物品は持ち歩かないのが賢明です。

 もっとも、私は昔は護身用の携帯ヌンチャクとか色々とカバンに入れて持ち歩いていた時期もあります。

 渋谷で飲み会がある時や映画を観に行く時にポケットに万力鎖を入れていったりもしていました。

 十数年前に渋谷でチーマーが喧嘩しているシーンを見たりして、「あ~、本当に危ない街だな~」と思って用心していた訳です。

 先日、私の本の担当編集者の人と電話で話している時、彼は「歌舞伎町とか普通に飲みに行くけど、一度もからまれたり危ない目にあったことはないですよ」と言っていて、私のように、いつ殺し合いが始まっても対応できるように・・・なんて考えている人間は神経質過ぎるんじゃないか?と言いたい様子でした。

 一度も危険な目に遭遇したことがなければ、警戒しないでしょうね。私も小学生の頃まではそうでしたから。

 でもね~、人間が暴力に晒されて命を失う時って、まったく予想していない時に突然、起こるものなんですよね。

 通り魔に会って死んだ人や、地下鉄サリン事件の被害者も、まさかそんなことになろうとは夢にも思っていなかったでしょうね。

 私は実際にそういう暴力沙汰に何度も遭遇しているし、そのうちの半分くらいは他人が遭遇しているのに出くわした訳です。

 喧嘩慣れしていない人は、目の前で暴力的な状況が発生すると思考停止して動けなくなったりします。平常心を失って判断力が働かなくなるのです。

 私だって、最初はそうでしたよ。場数踏んでるうちに冷静に対処する方法を考えられるようになってきた訳です。

 だいたい、全然、予想もしていない時に起こりますから、当事者はパニック状態になるのが普通ですよ。

 2、3年くらい前に道を歩いていた時に、ドラッグストアの駐車場から出てきた車が自転車に乗っていた女子高校生と追突事故を起こした時、当たる数瞬前に、「あっ、あれは当たるな・・・」と、当たった瞬間の映像が脳裏に浮かんで、ナップザックの肩掛けをしっかり掛けて、走り出す準備までしていました。

 で、イメージ通りに当たって、自転車が倒れて女子高校生も道路に倒れてしまいましたが、スピードが出ていなかったから無傷でしたし、自転車のフレームが僅かに曲がったかな?という程度でした。

 私は車がそのまま逃げないようにと思って、バックするように手で合図しながら自転車を起こして女子高校生に「大丈夫?」と尋ねましたけれど、その子はショックで放心状態でしたし、車を駐車場に戻して大慌てで降りてきた主婦らしき女性の方も、どうしていいか解らないという感じでした。

 そりゃ、そうですよね。人身追突事故なんか滅多に起こさないですよ。

 車を運転していた女性が非常に誠実な感じの人だったし、女子高校生も怪我した様子はなかったので、警察呼んだら大事になるのが目に見えていたので、「結果的に示談になるだろうから、先に親御さんに連絡とって相談されたらどうですか? もし、裁判になって揉めるようなことがあれば僕は近くで見ていたから証言しますから・・・」と、名刺を渡して帰りました。

 その日のうちに電話があって、やはり警察を呼ぶべきだと思って連絡したらパトカーが何台もやってきて凄い大袈裟なことになったということなどや、気持ちが動転している時に冷静に対応法を示してもらったので助かったという御礼もいわれました。

 その後、一度、お手紙もいただきましたけれど、こういう律義で誠実な人だから良かったものの、世の中には自分の非を認めないで他人の責任ばかり追及しようとするヤツもざらにいますからね~。

 この時は武術とは全然関係なかった訳ですが、事故が起こるのを直前に察知できたのは、やはり読みの訓練のお陰だろうと思っています。

 前から走ってくる自転車と、その前を横切って道路に出ようとする車・・・自転車が道路にまで回りこんで車の前方を走り抜けようとしてぶつかる・・・そのシーンが直前に脳裏に映像として現れ、その通りになったのです。

 だから、「あ~、ぶつかっちゃうから、助けなくっちゃ・・・」と決めて、ぶつかる前に走り出していたんです。しかも、その時に二次的な事故が起きないように道路を走っている車の状況を確認しながら近づきました。

 不思議と言えば不思議な感じもしますが、日頃から不意に何か起こった場合を想定しているからパニックにならずに済んだのでしょうし、冷静に対応できたのだと思います。

 で、ここ最近、私が護身用の武器をほとんど携帯しなくなったのも、下手に使えばややこしくなるだろうと考えているからなんですね。

 それに、身の回りの物を咄嗟に使えば間に合うだろうとも思うからです。カバン一つで相当、護身用にはなりますよ。傘でも持っていたら鉄壁! 厚手のジャケットなんかも相当使えます。

 要は、刃物なり鉄パイプなりで武装している相手の得物の動きを数秒止めさえすれば、その隙に突き蹴りを急所にぶち込めるからです。

 でも、人間は乱戦になるとアドレナリン全開で痛みを感じなくなりますから、身体構造的に動けなくなるところを適切に攻撃しないとダメですけどね。

 下手したら殺すか半身不随になりかねないから、その場所は割愛しますけど、乱戦状態の時は、普通だと一発で失神しそうなところを木刀でガンガンぶっ叩いても全然平気だったりしますからね。

 20年ちょっと昔、東武伊勢崎線だったかの駅のホームで喧嘩している酔っ払いがいましたが、一方が馬乗りになって相手の頭をコンクリートの床にガッツンガッツン叩きつけているんですよ~。ぞ~っとしましたね。

「オイオイ、死んじゃうよ~」って心の中で思いましたけど、一瞬、止めに入ろうか?と思った時は駅員とかダッシュで掛けよっていたから、まあ、大丈夫だろうと思って、そのまま帰りました。

 駅の警備のバイトしているセミナーの常連の人は、やっぱり、終電の頃になると酔っ払いとかが暴れてるのは日常茶飯事だそうでしたね。

 元SAT隊員だった親友も、暴走族に囲まれて恐ろしくてピストルのグリップ握り締めたまま先輩が助けに来てくれるまで生きた心地がしなかったという話をしてくれました。

 こういう、職業柄、どうしても暴力的な状況に対処せざるを得ない人もいます。警察官が凶器の携帯に過敏になるのも、それによって殺される危険性が高いのが自分たちであると知っているからでしょう。

 私自身は持ち歩く必然性は感じなくなっているんですが、それでも護身用具の研究は必要と考えています。身を護る技術を持たない人にとっては、最低限必要だと思うからなんですね。

 だから、¥14800もする高価なタクティカルペン“クナイ”を買ったのも、命を護る役目を果たせる機能があるか?と確認したかったからでもあります。

 今後もいろいろな護身用具を入手して研究しようと思っていますし、自分でも造ってみようと思っています。

 が、現時点での結論として、やはり、道具は使いこなす人間次第だな~ということですね。早い話が、やはり武術を体得するのが最も汎用性、応用性が高いというのが私の結論です。

 例えば、拳銃があっても操作法を知らなければ役に立たない。まったくの素人には引き金を引けば弾丸が出る状態で渡さないと撃てないでしょうし、また、撃てたからといっても命中させるのはまた別でしょう。

 武器を使いこなすというのは、その武器が高度な機能を持てば持つ程、操作法を熟知しなければなりません。

 銃は、その点で扱いが難しいでしょう。

 だから、簡単なものの方が汎用性が高い。

 家庭内の護身用であれば、包丁をお勧めしますね。持ち慣れているから精神的に緊張しにくいし、出刃包丁や柳刃包丁なら、下手なサバイバルナイフなんかより使えますよ。

 が、今回の模造刀所持で捕まったという事件からすると、相当、注意しなきゃ~いかんだろうな~と思いましたね。

 護身用に刃物・・・という発想そのものが法的規制に引っ掛かる風潮が強くなってきたようですからね。

 私の部屋は刃物だらけだから、注意しなきゃ~ね~?

 うちの会員にも、稽古に使う模擬刀の持ち運びはきちんと専用ケースに入れて、人目に触れないように注意しなきゃ~と思います。


PS;上海万博のPRソングの作曲家が、何かタワ言をほざいている様子ですね~。困った人はどこにでもいるもんだな~・・・と、感慨深くなりますよ。「恥の上塗り」という言葉を教えてあげて欲しいですね。


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人の口には戸は建てられないもんね~

 しゃあね~な~・・・と思うのは、ユーチューブに動画を出してもらったところ、悪意あるコメントを出す人がいるみたいで、「あ~、こういうところにもストーカーが出てくるって、人気者は辛いな~」と、苦笑してしまいましたね。

 統計学に、「批判が出たら、その十倍の賛同者がいる」って話があるんだとか、誰かに聞いたことがあって、確かに、私の批判する人達って異常なまでの嫉妬と憎悪に凝り固まっていたりするんですが、それだけ熱狂的になるということは、人の感情に訴えているからであると考えられる訳で、もの書きとしては合格ですよね。

 一番、ダメなのは完全に無視されること。だから、批判されなくなったら終わりです。

 だいたい、「いい人だよね」って言われて喜んでるようなマヌケじゃ、ダメっすよ。

 私なんか、「いい人=役立たずな人」って聞こえます。いい人って言われるより、“ヘンな人”とか“奇人変人”とか言われた方が嬉しいですよ。

「長野さんは単なるオタクだから・・・」って言う人も多いと思うんですけど、光栄なことですね。

 考えてみてください。

 いつの時代も、世の中をリードしていくのは“オタク”と“不良”なんですよ。総理大臣だって、お人よしの人がなって、上手くいった試しがないじゃないですか?

 真面目は「融通が利かない」、誠実は「偽善」、純粋は「単純馬鹿」、正義感は「独善」の裏返しです。

 人間の理想像は、清濁合わせ呑む器の大きさですよ。その混沌とした中に“意志”で一本筋が通っていればいいんですよ。

 何か、上っ面ばっかり論じる人が多くて嫌になりますよ。

 そういう考えなんで、悪口書かれると「俺って期待されてんだな~」って思いますし、うちの会員にまで矛先向けられると、「スゲ~な~? そこまで嫉妬しますか? 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってホントだな~」・・・と、ただもう、ひたすら感心してしまいますよね~。

 嫌がらせとかされるのは困るんですけど、具体的に何か犯罪みたいな真似をして自分を貶めてまで私を何とかして潰したい・・・という気持ちは、凄いエネルギーですよね?

 やっぱり、私も岡本真夜さんに倣って「光栄ですぅっ!」って喜ぶべきなのかもしれませんな~。

 だって、こういうことやってる人達って、下手したら捕まりますよ。嫌がらせを繰り返せば繰り返す程、その危険性は高まっていく(しつこく書き込みしていたら、どうしても足が付いてしまう)んです。

 おまけに、そうまでしてやったからって、私がダメージ受けて潰れるか?っていうと、ちぃ~ともダメージなんか受けない訳ですよ。

 ノーダメージどころか、逆に「この糞ったれどもめが~、嫉妬心で発狂するくらい大活躍してくれるわ~いっ!」って燃えるだけだもんね。嫌がらせされればされる程、私は強靭になっていく・・・相手の気を吸い取る術“吸星大法”みたいなもんです。

 ノイローゼになったり鬱病になったりするような、か細い神経してないし、マイナスの応援でも応援であることには変わらないんですよね。

 だから、そういう人達にも感謝っ!

 本もDVDも、動画も、公に出したものは、受け止める人達個々の感じ方で良くも悪くも評されるものですから、悪口雑言言われても、それは甘んじて受け止めるべきです。

 けれども、今回のユーチューブに出してもらった動画に関しては、私はかなり良いと思ってるし、武道界の第一人者からも誉めてもらっているので、私自身は良し悪しを判別できない人から悪口言われても別に何とも思わないんですよ。

「あ~、悔しくて嫉妬しているんだな~。恥ずかしいヤツだな~」としか思わない。

 だって、「この程度は簡単にできる」と言う人がいたら、「じゃあ、やってみせてくださいよ」って思うだけ。批評するのと実際にやるのは別次元ですよ。

 一見、簡単そうにやっているところがミソで、実際にこれをやるのは物凄い難しいですよ。真似してみたらすぐ解りますよ。

 ここまで来るのに、どれだけ大変だったか? 私が教えはじめた頃の彼らの動きからは雲泥の差なんです。

 冬場は特に大変で、凍えるような寒い日に氷雨や雪の降る中を震えながら練習したり、小砂利の上を滑らないようにバランスを保ちながら歩法で動く訓練をしたり・・・結構、頑張りましたよ。

 しかも、私の教え方は、それまで彼らが頑張って積み上げてきた武道の訓練の逆をやらせた訳ですから、積み上げたものを全て手放さないといけなかったんですね。

 私を信じられなかったら、やめているでしょう。

 だから、彼らの技を是非、多くの人に観てもらいたいと思ったのは、「誰でも地道に稽古していれば、こういうこともできるようになるんです」という実例を見て欲しいからなんですよ。

 もちろん、それは批判している人達に対しても同じです。

「批判するのは自由です。しかし、貴方に彼らのやっていることができますか? そこを冷静に受け止めて、感情的に否定しないで、よくよく観察してみてください。そうすれば、貴方自身の修行に役立つものがある筈ですよ」ということです。

 私はいろんな武道・武術を批判してきていますが、それは否定ではありません。批判と否定は別です。

 批判するということは欠点を指摘することであり、欠点を洞察する以上は、その矯正の方策も考えているということです。

 武道・武術をやっているほとんどの人は、自分のやっている流儀の欠点に関して無自覚過ぎる。自覚していないから改善しようとすらしない。完璧だと信じ込んで思考停止してしまっているのです。

 でも、現実に闘えば、完璧である筈の技が通じなかったりする訳です。

 多くの人は「自分が未熟だから通じないんだ」と考えるでしょう。その謙虚さは尊重されるべきではありますが、現実には完璧である筈の技にも欠点があるから通じなかったという場合も多いのです。

 例えば、私は八極拳は極めて強大な威力を出せる素晴らしい拳法だと思っていますが、威力を出せる分、防御面に欠点があるな~と感じていました。

 だから、確実に当てるための、技を極める招法を随分、研究しました。それは、目付け・差し手・歩法・体捌き・位置取り・崩し等を重層的に使う工夫であり、そのヒントになるのは八極拳の套路の中に含まれていた訳です。

 ただし、それだけでは完璧とは言えないと思いました。

 相手もバカじゃないから、こっちに都合よく動いてくれる道理はないからです。

 それで、八卦掌の動きを融合して貼身し、八極拳の技を確実に極めるという方法を考え出しました・・・が、何と、『拳児』を読んでいたら、松田先生も同じ考え方を劉雲樵老師から教わっていたらしく、「あ~、俺の考え方もまんざらデタラメじゃなかったんだな~?」と、以後の研究に自信が持てましたね。

 私は、基本的に完璧な武術なんかあり得ないと考えています。だから、游心流という形を創っても、それが完成形だなんて思ってもいません。10年後には、また、相当変化しているだろうと思いますし、そうならねば嘘でしょう。

 何年かぶりに稽古会に参加した会員さんは、「前とやっていることは同じようだけれど、中身が全然、違うものになっている」と面食らったりしています。

 そりゃあそうです。5年も6年も進歩がなかったらおかしいですよ。細かい変化は一週間でガラッと変わることもありますからね。

 本気で追究していたら、そうなるのが当然だと思います。

 常に、より合理的に、より進化させていこうと思っています。

 どうしてか? “不完全”だと認識しているからこそ、欠点を埋めていこうとしているのです。“完璧”だと思っていたら、与えられたことを思考停止したまま続けていれば良いでしょう。

 でも、それで結果が出たという話は聞いたことがありません。要は、宗教を盲信しているのと同じなんですよ。

 どうぞ、全国の武道・武術を修行している皆さん。「自身の学ぶ流儀こそが完全なのだ」という間違った思い込みは捨ててください。

 そういう教条的独善思想は偏狭な排他主義を蔓延させるだけで、遠からず日本の武道・武術の権威を失墜させてしまうだけです。

“強さ”を一面からしか見ない独善思想に毒されている人には理解できなくとも、物事を客観的に観察して検討すれば、武道・武術の欠点は無数にあります。

 ルール無用で欠点だけ効率良く攻めれば、どんな“つわもの”でもコロリと敗れるものです。

 もう、秘伝だ伝統だと言っていられる時代ではありません。

 時代は後戻りはできません。温故知新の理はあっても、新しい技術革新が無ければ文化は滅んでしまいます。

 これは今の日本の状況にも当てはまるでしょう。これまでのやり方に拘っていても対応できません。自己満足からは何も生まれないのです。

 個人個人がもっともっと強くなっていかないと、弱い人間が寄り集まっても共倒れになるだけです。

 戦えない人間は百人集まっても戦えません。それは戦う意志が無いからです。意志があって能力はついてくるのです。この逆はあり得ませんよ。

 他人の揚げ足とって自己満足を得ても事態は何も変わりません。

「何で、長野なんかが本やDVDを次々に出せて俺は出せないんだ」って憤慨していた武術家もいたそうですが、何を勘違いしているんでしょう?

 今、武道武術の業界で一番、頑張ってるのは、私だからですよ。これは、胸張って言えますよ。

 私は、努力・努力・努力だけ。素質も才能もない。あるのはどれだけ邪魔が入っても諦めないで必死で続ける“執念”。

 それだけの話ですよ。

 例えば、その文句言ってる武術家は、私なんかよりキャリアも長いし実力もあるでしょうから、私みたいな研究家風情が活躍するのが理解できないんでしょう。

 しかし、他人の自慢話くらい煩わしいものはありません。読者からすれば、本もDVDも、自分が楽しく満足できるものを欲しいと思うのは当然のことであって、自分の本やDVDが売れないのは、相手を楽しませようという努力を怠ってるからでしょう。

 本やDVDを次々に出すには、一つ一つが売れないといけない。この文句を言っている人は、どうすれば売れるか?という買う側の視点を全然、考えていないから売れないんです。ひとつ出して売れなかったら、次のビジネスの話だって来ませんよ。

「売れないのは売り方がおかしいんだ」なんて言ったってはじまらないですよ。

 本が出るのには、書き手がいて、編集者がいて、製作費を出す出版社があって、本を作る印刷所と製本所があって、全国の書店に流通させる取り次ぎ店があって、そこに配送する会社があって、実際に店頭に並べて売ってくれる書店がある訳です。

 さらに、宣伝広告や営業して回ってくれる人がいる訳ですよ。

 本にイラストがあったらイラスト描いてくれる人も必要だし、レイアウト決めてくれるデザイナーも必要ですよね。

 そういう本一冊出るために関わっている人達への報酬を支払うためには、赤字の本を書く書き手は糞馬鹿野郎なんですよ。

 そういう謙虚な態度で感謝する気持ちを持たないとダメっ! 絶対!


 だからね~、しつっこく私の誹謗中傷続けている人達も、その執念を“自分を磨くこと”に向けたら、どれだけレベルアップできるか?

 それを考えてもらいたいですね。

 人間、幸せになりたいなら、他人にエネルギー向けないで、まず、自分を磨くことに全力でエネルギーを集中しないとダメなんですよ。

 そうやって強くなって、それから世の中に役立つ仕事をやればいいと思いますよ。

 無力で無能なまま、他人の評価を得たいと思っても、そんなの無理に決まってる。世の中で成功したり活躍している人達は、それを自覚しているから自分を磨いていますよ。

 もっとも、「俺は誰にも負けないくらい身体を鍛えている」と威張る人もいるんですが、「身体鍛えても意味ないから、脳みそ鍛えなさい」と言いたいですね。


PS;業務連絡です。5月のシダックス講座は、1日がお休みで、15日は私が用事があるのでお休みにしてもらい、その分は29日に振り替えてもらっています。間違えないようにお願い致します。

PS2;游心流東京支部設立記念春の入会金無料キャンペーン期間は4月30日までとなっておりますので、お申し込みはお早くどうぞ。5月からは通常に戻り、入会金一万円が必要となります。いつも期間が過ぎてから問い合わせする人がいるので、宜しくお願いしますね。それと東京支部は定員にまだまだ余裕がありますので、東京近郊の方、遠慮しないでお越しくださいませ。ちなみに27日は私も顔を出します。

PS3;游心流相模原本部道場の29日の稽古は、久しぶりに試し斬りをやってみようと思います。休日ですから、日頃、来れない方もドシドシおいでやす・・・(はっ、ロボ芸者みたいになっちゃった?)。


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岡本真夜は立派だ・・・

 上海万博のPRソングの盗作騒ぎで、岡本真夜さんが、いきなりクローズアップされましたが、イケシャアシャアと「楽曲使用の許可をください」と申し込んでくるのも凄いツラの皮の厚さだと思いましたが・・・。

 でも、何と! 岡本真夜さんは、あっさりとOKして、しかも「光栄です」とまでコメントを返す・・・という、この世知辛くギスギスした世相の中で、何とも太っ腹な、何とも清々しい大人の対応を見せてくれて、ここ最近、これほど人間の器量の大きさを見せてくれた人はいなかったんじゃないでしょうか?

 何か、私は、自分の卑小でカミツキガメみたいな性格が恥ずかしくなってしまいましたぞよ・・・(って、恥ずかしさのあまり、語尾がヘンになっちゃったよ)。

 いや、もちろん、盗作はモラルに反するクリエイターとしての最低な行為なんですけれども、どこからどこまでを盗作とするのか?という点は難しい問題です。

 M本先生とM原の時だって、結局、盗作は認められなかったですよね。

・・・っつうか、M本先生、結構、訴えるの好きみたいなんですけど、それだったら韓国を訴えないとダメですよね~。ヤ~トや~ロックのモロパクリやってるんだから・・・。


 しかし、不肖、私も技なんか無数にパクりまくってますからね~。本読んでて面白いフレーズあったら平気でパクッてるしね~。

「ちっちゃいこと、ゴチャゴチャ言わんとえ~やん?」と思ってしまう性格なんでね。

 流石に人様の考えた理論とかはパクらないですけど、たまたま自分が考えた技が人様の本にも載っていたりするのを見たりすると、「これって俺の本とかDVDからパクッたのかな~?」なんて思うこともあります。

 でも、これもまた難しいところで、武術って、伝統的に「技を盗んで覚えるもの」というようなところがあるんですよ。

 私なんか、一回、観た技は原理から用法から返し技から応用技まで気ぃ狂ったように解析研究しまくりますからね。

 先日、上級編DVDを中国拳法の恩師に贈ったら、初めて誉めてくれましたけれど、このDVDは居合術がメインなんですよ。拳法じゃないんです。

 しかし、恩師は、自分が教えた理合を私が応用して居合術を工夫しているのが解ったんでしょうね。だから、そこを誉めてくれたんでしょう。

 剣も拳も、理合から探れば同じことなんです。武器が違っても戦闘理論が同じなら、それは観る人が観れば解るんですよ。

「先生に教わったことを応用して、こういうこともできるようになりました。すべて先生のお陰です」と御礼を言いました。

 岡本さんも、盗作されたであろう事実に目くじらたてるのではなくて、自分の作った曲が多くの人に認めてもらえることそのものを「光栄です」と感謝の気持ちで受け止められたんでしょう。

 この感謝する心の美しさを見せてくれた岡本真夜さんは、日本の良さを世界に広めてくれた恩人だと思いますね。

 見習いたいですね~。見習わなくっちゃな~・・・。


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意外な天草出身者

「へぇ~、あの人は天草出身だったのか~?」と思ったのが、インパクト絶大の悪役が有名な俳優の堀田眞三さん。

 師範代に貸してもらった『仮面ライダーSPIRITS』の9巻で、堀田さんのインタビュー記事が掲載されていたんですが、プロフィールを見て、驚きましたね。

 天草の御所浦町出身ということですが、ここって、妖怪“油すまし”で有名なところなんですね。

 伝わってる話というのが、爺ちゃんと孫が峠の小路を歩いていて、「ここはな~、昔、油すましという妖怪が出たと言われているんじゃ~」と爺ちゃんがイタズラっ気を出して孫を怖がらせるように言うと、「今でもおるぞ~」という声と共に油すましがピョコンと出てきてビックリ!という話・・・。

 何か、怪談・新耳袋に出てくるような話です。


 そんな堀田眞三さんと言えば、特撮ドラマの悪の大幹部などが有名な方ですが、私の記憶では、アイアンキングの不知火一族のボス不知火太郎と、忍者キャプターの風魔烈風、暗闇忍堂の印象が強いんですね~。

 最近ではVシネのヤクザの親分役とかが多いみたいなんですけど、堀田さんは時代劇の敵役もよく演じられていて、刀捌きが上手いんですよね~。

『必殺仕事人・激突!』では、滝田栄演じる首斬り朝右衛門の出奔した無頼の兄貴を演じられていて、兄弟対決のシーンは出色の出来映えでした。

 何といっても、同作では滝田さんの無敵っぷりは中村主水も霞んでしまうくらいだったので、互角の強敵を演じられそうな人がいない。

 しかし、唯一、滝田さんでも危ないかも?という迫力が出せていたのが堀田さんでしたね。先代の朝右衛門である実父を斬ろうとして弟に片目を斬られて出奔する・・・という凶漢ぶりで、シリーズ屈指の剣鬼っぷりでした。

 賢弟愚兄の屈折した心情がよく出ていたし、朝右衛門も死を覚悟して、妻に「自分が死んだら山田の家と子供の養育を頼む」と告げてから対決に赴くんですよ~。

 いつも使ってる試斬用の大ダンビラじゃなくて、普通に拵えの付いている大刀を使うのも、これが一撃で勝てるようなナマクラな相手ではなくて技巧戦になるのを予測しての選択なんだろうな~と思いましたね。

 そして、対決シーンでも斬り結んで離れたと思ったら、滝田さんが珍しく腕を斬られている訳ですよ。“どうだ。まともに立ち合えば俺の方が腕は上なんだ”という心の声が聞こえてくるようですが、しかし、そこで慌てず騒がず冷静に対応して朝右衛門が兄を斬るのです。

 あるいは、心ならずもかつて兄を片目にしてしまったことを詫びるつもりで、敢えて一太刀受けてやったのかも?という気さえするんですが、それだけシリーズ中でも指折りの名シーンでした。

 あっ、そういえば・・・秋本つばささんがカポエラ使いの仕事人を演じた現代版必殺風の『必殺・妖剣バトルロード』でも、確か堀田さんがワルの親玉を演じられていて、「何か、この映画、キャスティングがメチャクチャ豪華だな~?」って思った記憶がありますね~。

 それだけ、堀田眞三さんは悪役を演じていても別格の存在感がある役者さんなんですよね。下手な主役だと完全に食っちゃってるもんな~。

 そうか~、私の郷里の大先輩だったのか~?


・・・え~、ところで、セミナー受講されている方から、「ブログを本にしては?」という提案があったんですが、編集者の方からも同様のことを言われたりするんですね。

「本に書いてることよりブログで面白いことを書いているから・・・」とのことだったりするんですけど、そう言ってもらえるのは嬉しいんですが、ブログの文章は纏まりが全然ないし、凄くテキトーに書いているんで、もし、本にしたのを後から読んだら、メチャクチャこっ恥ずかしいだろうな~と思ってるんですね。

 それで、ブログはブログで、本は本で別々に書こうと思ってるんですよ。読み比べてもらえば判ると思いますが、文体も結構違うでしょう?

 ブログはやっぱり、日記みたいなものなので、ラフに書いていますよ。「訴えてやるっ!」って言われたら、「しっつれいしましたぁ~っ!」って、ソッコーで消すつもりですからね(案外、いわれない。不思議だ・・・?)。

 本は形として残るから、それなりに考えて書いてはいるんですよね。「告訴されたら、こうやって切り返して・・・」とか予め計算したりしますからね。「礼儀知らずなことを書いてはいけない」というお叱りの御意見は戴いたりしますが、それは“芸風”なんだから、そんな無粋なこと言われてもね~・・・。

 私は本はエンターティンメントを重視するので、読んでいて疲れるようなクソ真面目な本を書くのは“恥”だと思っていますから、笑って読んでもらえるように工夫して書いている訳で、それをやめろって言われても困るんですよね~。

 売れない本書いたらオマンマの食い上げになる訳ですから、私の生活を保証してくれるんだったら、礼儀正しく書くのもやぶさかではありませんけど、そんなことまで考えないで文句言うような浅薄な読みしかできない人の感性に合わせてやる義理はありません。

 私の文が気に入らない人は読んでいただかなくて結構!

「この人はくだらね~ギャグばっかり書いていてヲタクだしイヤミばっかりでヤな性格だけど、主張している内容は素晴らしい!」と言ってくれる清濁合わせ呑む器の大きな人に読んでもらいたいですね~。

 イチイチ、「そういう文章はいかがなものか?」とか気取ったこと言ってるような洞察眼の欠如した人間は大っ嫌いなんですよ。シャレの解らない人間くらいダメなものはないですよ。

 しかし、その匙加減というか塩梅が難しい・・・。

 やっぱり集中して熟考して書いた方が完成度は高まりますから、後から恥ずかしい思いをせんで済むでしょう・・・とか言いつつ、いつも、本を出してからしばらく経過して読み直すと、「あっちゃ~、阿呆なこと書いちゃったな~・・・」と反省するばかりなんですけどね~。

 いつも、本やDVDが出た直後は「やったぜ~」って高揚感があるんですが、一カ月、二カ月と経過すると、「あ~、書き直したい(撮り直したい)」って思えてくるんです。

 その意味でも最新作が最高のものでありたいんですね。

 日々、向上の手ごたえがないと、つまんないんですよ・・・。


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游心流の動画

 北島師範(相模原本部総教練)、矢嶋師範代(東京支部長)と、大石会員(本部教練)の三人で、上級編DVD撮影の時に撮った応用組手の部分をユーチューブにアップしてもらいました

 何しろ、段取りも練習も無しでいきなりアドリブで「やってみなさい」とやらせたものなので、“あらびき芸?”で未熟な部分もありますが、「游心流で週一、二回の稽古を年単位でやっていると、こうなりますよ」という実例として、非常によいサンプルになったかと思います。

 ちなみに、この動画で出したような練習をいつもやっている訳ではなく、地道に基本稽古を続けていると、いきなりこういうこともやれるということを理解していただきたいと思った訳です。

 無刀捕りなんて、私が30歳くらいの頃に交叉法を知って実験的に練習してみた時なんか、まったくできなくて、袋竹刀でポカポカ頭打たれてしまいましたからね。

 打ってくるタイミングは判別できても、動きの間に入る体捌きができなかったのです。

 数年後に游心流を興した時点で試した時は、一発目を避け捌いて入身することはできるようになりましたが、まだまだ10年前くらいは未熟千万でしたね。

 しかし、この動画で北島師範がやっているのは、連続して斬り込んでくるのを体捌き・裏体捌き・間の外し・入身を使って避け捌いているんですよね~。

 彼は空手の経験はありますが、合気道の経験は“一秒”もありませんからね。砂泊先生や山口先生の動画を見て真似しただけなんですよ。

 普通、まったく運動構造の違うことは真似したくてもできないものなんですが、彼の場合は空手も太極拳も形意拳も居合も合気も縮地法も、ほとんど何でもこなせるようになってしまいました。

 しかし、それでも全然、自惚れないところが一番の良さですね。これだけできたら、普通は「俺は長野先生を超えたっ!」って、はしゃぎだすもんなんですが・・・。

 次に矢嶋師範代は、いろいろ武道・格闘技を学んできていましたが、正直いって覚えも悪いし身体が物凄く堅かった(筋肉つけ過ぎ)ので、入会した当時は期待していませんでした。

 ところが、分裂騒動の時に「僕は長野先生に習いたくて入ったので教えてください」と言って片道一時間半以上かかる相模原まで週二回通って、シダックスの講座と日曜の稽古会にずっと通ってきていました。

 やっぱり、こういう人に対しては、こっちも知ってることは全て教えたいと思いますからね。

 かなり細々としたことも教えるようにして、特別にアドバイスもしていました。

 特に、「ダンスをやるといい」と言ったら、彼はヒップホップダンスも習いに行くようになったんですね。

 これが決定的に良かったんでしょう。どうしても脱力できずにコチコチになっていた身体が柔らかくバラバラに動かせるようになっていきました。

 こうなると、後は早いですよ。

 半年したくらいからでしょうか? 別人のように動きが滑らかにシャープになっていきました。

 そして、うちの技法の中でも最も難しい(厳密に言うと二人しか体得できなかった上に、その二人とも実戦に用いることはできなかった)蛟龍歩を用いた加速歩法を使えるようになってきたのです。

 動画の中では後半に、この歩法をちょこっと用いてるシーンがありますが、この撮影以後数週間の間に、ほぼ完全にできるようになってしまったのですから驚きます。

 また、撮り直した方が格段に良い動きになっているんですが、まあ、過渡期の動きを見ていただくのもアリかな~?と思っています。

 矢嶋師範代の場合、過去に学んだ武道、格闘技では強くなれそうもないと挫折に近い感じを持っていたらしいのですが、苦労したからこそ指導者に適していると思います。

 どうも、誰もが勘違いしているのですが、天才的な才能のある武道家に学べば自分も上達できると思っている様子ですが、“天才に学んで開花するのは天才だけ”なんですよ。

 そして、天才というのは自分独りで研鑽していても向上できるから天才なんですよ。

 つまり、天才的武道家というのは基本的に凡人を育てる能力は欠けているんですね。

 うちの会でも私が教えても中々上達しない(はっ・・・これは、間接的に自慢しているのでは?)のに、矢嶋師範代が教えた会員は上達していくんですよね~(苦笑)。

 それは、技以前の基礎的な身体の練り方や、基本的な技を教えることに関しては苦労して体得していった矢嶋師範代だからこそ、きっちり教えられる訳です。

 何故なら、私は最初から自分のできる内容で稽古システムを作っていったので、“できないことをできるように頑張った記憶がない”からです。

 その意味で言えば、目隠ししての組手をやった大石会員の場合、かなり前に新体道と柔法をやっていたそうなのですが、気配を読む能力が最初から高かったので、“心法”を教えるようになってから、グングン上達していきました。

 彼の場合、構えてやってみせたら、それだけで意識の使い方から自分なりに分析してしまうので、ほとんど言葉で説明する必要がありませんでした。

 文字通り、気の感覚だけで通じてしまう特殊な感性のタイプです。

 なので、中国武術の経験はまったく無かったのですが、一回実演すれば体得してしまう上に、DVDを買い込んでいろいろ見ているうちに、ほとんど体得してしまい、もう、そんじょそこらで中国武術を教えている人より、よっぽど上手です。

 いわゆる“気の武道”の中でも新体道も柔法も武道としての核(コア)になる部分を大切にしていたので、私はそれを発芽させてやるだけで良かった訳です。

 もっとも、彼の場合、人に教えるのは向いていないでしょう。感覚先行の人は論理的に技を考えて教えるのが苦手だからです。

 彼が稽古中に技の解説を始めると、皆、ポカ~ンとした顔をします。気の理論で解説したり、実演しながら「ねっ、この感じが違うでしょ?」という具合に微妙な感覚の違いを説明するから、さっぱり解らない訳です。

 最近は、自分の説明では人には伝わらないということが理解できたらしく、ワハハッと笑って愉しむだけになってきて、「ねっ、先生、こうですよね?」と・・・私にしか意見を求めなくなっています。

 私自身、もともとは感覚的タイプだったのですが、親父が数学の先生だったからなのか、理詰めで考える癖もあったんですね。

 結局、感覚を共有するのは場の雰囲気だったり興味が同じ人間同士だったりしないといけなくて、誰とでも・・・という訳にはいかないんですよね。

 テレパシーで意思疎通できたら簡単でしょうけど、嘘もつけなくなるから大変でしょうね~? 浮気なんかもできないし・・・えっ?


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内田さんってやっぱり・・・

 日本経済新聞4月17日(土)夕刊に載っていた内田樹さんの取材記事を、翌日の稽古会の時に会員さんが持ってきてくれたので読みました。

 内田さんは釈さんとの共著『現代霊性論』が抜群に面白かったので、見直していたところだったんですけれどぉ~・・・う~ん・・・やっぱり、この人、甘ちゃん過ぎだよ。

 俺、なんか頭痛がしましたよ。一度も修羅場くぐった体験がないんだろうな~? ちょっとね~、これで武道がどうとか言ってもらってもね~・・・(苦笑)。

 この人、本当に“危機意識”というのが全然、無いみたいですね?

 これだったら、荒谷卓先生の『日本の大義と武士道 戦う者たちへ』の方が百倍、説得力がありますよ。リアリティーが全然違いますから。

 私、右翼思想がないので、この本に対しては思想のバックボーンがどうかな?という生理的拒否反応は出たものの、指摘されている事柄の一つ一つには実に共感できました。

 それは、国の置かれた現状、国際社会を支えている現実、そして、生命原理の真相に迫る武の本質について真摯に語りかけているからです。

 荒谷先生は、明治神宮至誠館館長を勤められていますが、自衛隊に特殊部隊「特殊作戦群」を創設した生粋の武道家です。

 やはり、趣味で武道をやっている人とは別格なんですね。

 内田さんは、そもそも自分の言葉に責任感じていませんね。実にテキトーに無責任に言いっぱなしでいるだけでしょう。

 その楽天的な軽さが受けているのかもしれませんが、それはお笑い芸人のノリに近いものであって、言論人としての覚悟は感じられません。

 いや、お笑い芸人だって、人を笑わせる言葉を血の出るような思いで考えているでしょうから、比較するのは失礼かもしれません。

 この新聞記事で私が呆れてしまったのは、普天間基地移設問題について、「どう決着するにしろ、日本が渋々、米軍基地を受け入れている現実を世界中に知らしめることができる。アメリカはまだ『植民地政策』にこだわっている横暴な国と映るわけで、これぞ辺境国の知恵だ、と話したら特派員たちに受けました」という部分。

 馬鹿じゃないの?

 大国の横暴さは今に始まったことではないし、力のある国が力のない国を支配したがるのは当たり前の話。『植民地政策』ではなくて、沖縄に限らず日本の各地に米軍基地を置いているのはアメリカの対アジア戦略上の防波堤の意味で置いているのであって、具体的には中国と北朝鮮に対する威嚇ですよ。

 アメリカが横暴な国なのは世界中が充分に弁えていることであって、日本が被害者意識をアピールして何がどう変わるというものでもない。

 自国を自分たちの力で防衛できない寄生虫みたいな国だと軽蔑されるだけですよ。

 だいたい、日本人が思っているほど世界の人は日本という国を認識していないでしょうね。唯一、サムライのイメージが孤高の戦闘者というカッコイイ、ヒーロー像としてあるだけで、だから、世界中で日本の武道が憧れられる。

 けれども、実際はどうでしょうか? 口先だけで実力も伴わないインチキ臭くて甘えん坊の恥知らずな日本人ばっかり・・・逆に軽蔑されるだけですよ。

 私が武術を研究しているのは、心身共に強靭な日本人を育てていきたいからです。仲良し倶楽部つくりたいんじゃないんですよ。人間を磨くのが修行なんだから・・・。

 記事中のキイワードとして「たくさんの仮面かぶろう」という「ペルソナ(仮面)をたくさん持って時と場合で使い分けるといい」という主張も、う~ん・・・と思いました。

 論じていることは“もっともらしい”んですが、ペルソナを使い分けるというのは自我のコントロールができる自己がしっかりした人間だけであって、自己認識が未成熟な人間がいろんなペルソナを使い分けようとすれば、下手をすると乖離性人格性障害を患ってしまいますよ。

 時と場所で対人のルールが変わるのは社会常識の範疇であって、それは自己認識をしっかり持った上での対応力の問題であって、「ペルソナを使い分けろ」なんてのは無理な話ですよ。

 実際にそんなことをやってたら、「あの人、オツムがおかしいんじゃないの?」と発狂した人という噂がたつかもしれません。

 ですから、こんな不合理な提案より、私は、「ハラを割って本音を話すコミュニケーションの機会を増やそう」ということを提案したいですね。

 人間は、本音をぶつけあうことで互いの価値観を理解したり尊重したりして成熟していく訳ですから、最初から誰とでも上手くやろうとするのではなくて、本音をぶつけて互いを知ることから譲ったりゴリ押ししたり、人間の付き合いの中から精神の耐久性を鍛えていく訳です。

 ケンカ別れするのも重要なことですよ。私も気の合わない人とは別れていっています。それでいいんです。気の合う人同士でつるんでいる方が幸せなんですよ。

 例えば、以前、うちの事務局長を勤めてくれていた元会員は、ある事件がきっかけで私と対立し、私は破門にせざるを得なくなりましたが、その後もいろいろとトラブルがあったものの、移った先の道場でしかるべきポジションを与えられ、英語力を買われて立派に勤めている様子であることを今の事務局長から聞いて、ほっとしています。

 今が良いなら過去のトラブルも修行上の試練と受け止められますし、別れた会員達にはその後も頑張っていて欲しいと本心から思います。

 いかなるトラブルも、原因がすべて一方にだけあるということはあり得ませんから、トラブルが起こったら、自分の欠点は何だったのか?と考えることで糧になりますよね。

 相手を責めるだけでは何の益もありません。

 無論、私自身もプライド強いですから、離れた連中からとやかく言われないように活躍しなくちゃいけないと思って頑張ってきています。

 だから、人間はマイナスを避けて調子良く立ち回ろうとしたって成長は望めないと思うんですよ。特に若いうちはいろいろ周囲とぶつかって自分に足りない点を自覚していくべきです。

 皮相的な付き合いの中でペルソナを使い分けて接していたのでは、精神を病んでしまいますよ。

 考えてみてください。

 愛情の冷めた夫婦が子供のために良き夫、良き妻になりすまして暮らしていたら危険でしょう? ペルソナをかぶるというのは、こういう苦しさも伴うのですよ。

 自分の本音を隠して偽って他者と接するのは苦しいものですよ。その本音が知れた時には相手も不快感を感じるでしょう。内田さんの主張は、人間の感情を計算の外に置き去りにした機能論だけであって、実効性の欠けた空虚さばかり感じました。

 武士道の効用というのも、何だか上っ面で語っているだけに思えて、共感を覚えませんね。戦場を論じても、戦場を知らない人間の言葉にはリアリティーがないからです。

 失礼ながら、「ペラい人だな~?」という印象をまたも持ってしまいましたね。

 要するに、私は内田樹さんとは根本的に気が合わないんだろうな~と思いましたね。それが解ったから、まっ、いっか?


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春に降る雪・・・

 本当に今年は異常気象がどうこう言う前に、地球規模で変化していっているのかな~?という気がします。

 まだ1/3にもなっていないのに、大地震は連発するし、火山の噴煙で空の交通が乱れるし・・・。

 確か、二十年と少し前くらいに桜の花が咲いている時期に雪が降って驚いたことがあったと記憶しているんですが、まさか、四月の半ば過ぎてから雪が降るなんて思いもしなかったですよ。何と、41年ぶりなんだそうです。

 この暑くなったり寒くなったりを繰り返す極端な日々に、私の住んでる所の近所の桜は、まだ花びらが散り切っていません。

 日曜日に利用している駅近くの公園なんて、部分的にまだ充分に花見ができる四分咲き程度に残っていて、ブルーシートでピクニック風に花見している家族とかいましたけど、四月の十八日ですよ?

 実際、先々々週の日曜日に実施した蕾み状態の今年の花見の時より全然、マシでした。

 異常な状態が常態化していくと、それが普通のことだと認識されていきますが、これから四月に雪が降るのが当たり前みたいになるかもしれませんね。

 以前、遠東散打自由搏撃日本支部長の木本泰司先生の家で紹介された台湾の散打チーム監督の張老師は、雪が降ってきたのを珍しそうに見上げて、「生まれて初めて雪を見た」と言われていました。

 私が生まれ育った天草も南国ではありますが、ほぼ毎年、雪は降っていたように記憶しています。

 雪で真っ白になった庭で走り回っていた犬や、雪塗れになって家の中に避難してコタツに潜り込んできた猫のことを思い出します。

 何でも、私が生まれた日は天草でも記録的な大雪が降っていたそうで、母親は雪也と名付けようか?と思っていたそうです。

 親父がさっさと俊也(本名はニンベンの俊)と届け出てきたので、このメルヘンチックな名前にはならずに済みましたが、雪が降るのを見ると何となく気持ちが浮き立つのは生まれた日の記憶があるからなのかな~?とか思ったりします。

 カバラ数秘術でいうと、私は運命数が22で、マスター数と呼ばれる日に生まれています。

 この日に生まれた人間は人並みの平凡な人生を送ろうとすると人並み以下の不幸な人生になってしまうそうで、人類に役立つような業績を挙げるような生き方をするべく宿命付けられているのだそうですが、そういう生き方を実際にやるのは難しく、大抵は自分の能力を発揮できないまま人生を終える人が多い?というような話を柳川先生の本で読んだような記憶がありました。

 確かに、人並みになろうとしていた時期は、極度な貧乏生活をしていましたが、こと、武術の探究に関することだけは、「これは絶対に護られているんだろうな~?」としか思えないくらい、助けが入って続けて来られました。

 今でも本当は特撮アクション系映画の仕事がやりたいのですが、そちらの引きはほぼありませんし、“武術研究”は天命でやらされているんだろうな~?としか思えません。実際に二回くらいは本気でやめてしまおうと思ったんですから・・・。

 そういう価値観に立つと、私は自分の辿るべき運命に沿って生きているんだろうと思えます。

 不思議なことに、ステップアップする時には前兆があって、“親しい人と別れる”という現象が起こるんですよ。そして新しい人間関係ができる。一度、落ち込んで、それからポ~ンと上がる・・・プラマイ0(ゼロ)ってことなんでしょう。

 結果的にはそれで活動の幅が徐々に広がってきているので、無理してボ~ンと広げたりしていないので大借金を負うようなこともありませんし、大器晩成でいいだろうと思っています。

 だから、ここ最近は、こういう運命なんだと思って受け止めるようにしています。

 思い起こせば、確かに、よく続けてこられたもんだな~?と感慨深くなる武術研究ですが、“基盤になるものは確立できた”という実感があります。

 今後は、より多くの人材を育てていけば、勝手に研究は深まっていくだろうと思っていますし、それが相互循環する形になっていくような予感があります。

 特に、師範、師範代をはじめとする常連会員やセミナーの常連受講生の皆さんのレベルアップが目覚ましく、私自身の研究の正しさを証明してくれている生き証人なので、本当に有り難い限りです。

 尋ねてこられる方にも指導者クラスの人が増えているので、それだけ期待されているんだから頑張らないとな~と思っています。

 また、最近、以前に教えていた会員さんも顔を出してくれるようになったり、会としての熱気が出てきたように感じています。

 東京支部も基礎基本を重視した稽古でやっていってくれているのが、指導から脱線して独演会になりがちな私の欠点を見て、それを埋める内容にすべきと考えてやってくれている様子で有り難い限りです。

 なので、游心流をきちんと学びたいと思っている方や、まったく初めての方は東京支部に通われることをお勧めしておきます。四月中は入会金免除なので、御希望の方はお早くどうぞ。五月以降は入会金が一万円かかりますよ。

 それと、女性に限って体験入門は無料です。男の体験入門(入会前提は除く)は原則的にお断りします(道場破りとか情報知りたいだけの悪意のある者の可能性もありますからね~)。

 読み・交叉法も大切ですが、それ以前に“動ける身体をつくる”ということが最も大切なことであり、「骨盤先導の身体運用」を養う基礎錬体をみっちりやればやる程、伸び率には大きな差が現れてきます。

 今月入会した大学生の会員さんは高校時代にダンスをやっていたのが役立って、極めて覚えが早いです。やっぱりダンスはいいな~と思うばかりです。プロのダンサーだったら三カ月くらい特訓したら本物の達人になると思うな~。


 人間が本来、発揮できる筈の機能を蘇らせる訓練システムとして、武術には優れた叡智があります。

 ただ、単に筋肉を鍛えるだけであったり、また逆に「気さえ養えば良い」とする短絡的で安直で安易な単純化をして済ます壮絶に不勉強な指導者が多く、成果が出ないだけならまだしも、単なる洗脳セミナーにしかならなかったりするのでは、時間と金、そして結果としての人生の無駄使いになってしまうでしょう。

 武術が伝える叡智は、そんな単純なものではありませんし、抽象的な概念でもありません。すべて具体的な意味と理由が内蔵されていて、宗教学でいうところの隠秘学に相当するものです。

 ところが、学問として武術を研究していこうとしている人は、私の知る限り、一人もいません。

 無論、武術の研究をしている人は私以外にも何人もいますし、熱心な武術修行者になると膨大な知識を持つ人も結構いるものです。

 しかし、それらは知識・情報を蓄積しているだけであったり、歴史の研究であったり、あるいは珍しい型を習うことにばかり喜びを見いだしていたり、自身が学ぶ流儀に関することだけの研究であったり・・・という具合に、非常に狭い範囲に限られてしまっていて、研究家というよりはマニアと呼ぶべき人ばかりなのです。

 マニアというのは、自己の関心のある事柄に埋没して他を顧みない人ですから、そういうタイプの人は社会に向かって広く役立つものを発表するということはしません。

 自分の喜びしか追求していないし、他人に対しても自分の知識量を誇りたがるだけなので、社会性は0です。

 こと、武術に関してはマニアになることイコール“気違いに刃物”になりかねません。

 私はマニアにはなりたくありません。研究家と名乗っているのは、武術を研究して得られた成果を社会に還元しようと思っているからです。

 具体的には人を育てること。武術を学ぶことで世の中で活躍できるような人を育てたい訳で、自分の自己満足しか求めない人間には教えたくないのです。

 自己満足しか求めない人というのは、武術を覚えれば容易く自惚れて傲岸不遜になってしまうような人間です。

 こういうタイプの人間はコンプレックスが強くて現実逃避癖のある者です。若いうちならまだしも40、50を過ぎてもこういう性格だったら、矯正は難しいでしょう。


 それから、誤解する人が多いのでお断りしておきますが、私が名乗っている游心流は、まったく古武術ではありません。完全に新しくつくった総合武術です。

 古武術全般を研究してその要素を採り入れてはいますが、古武術と名乗るべき昔から伝わる型はありません(内部研究で稽古することはあります)から、必然的に古武術とは名乗れません。

 自分では“前衛武術”というカテゴライズを提唱していますが、海外向けに“コンテンポラリー・マーシャルアーツ”と名乗ってもいいかな~?とか思っています。

 多分、海外の方がウケはいいと思いますけどね。

 日本では私は異端者ですが、海外のマーシャルアーツ研究家には、私みたいなタイプが大勢いると思うからです。

 インターネットの動画を見ると仰天してしまいます。日進月歩で技術が進化していく早さに・・・。

 もう、秘伝だの伝統だのと威張っている時代じゃないという現実を認識しなきゃいけないと思うんですが・・・。


追伸;東京支部同好会に続いて、横浜支部同好会も発足させようという話が出てきています。メインの会員さん達が相当にレベルアップしてきて、もっと稽古が頻繁にできるようにしたいと思うようになってくれている訳です。教材用DVDも初級・中級に続いて上級編もできましたから、極論すれば教材DVDを教科書にしてクエストさんから出ている三部作DVDを参考書にしてもらえば、同好会活動は充分に可能でしょう。理論的な事柄はアスペクトのシリーズとちくま新書の本を読んでもらえば理解してもらえるでしょう。うちの特徴として体力に頼らないのと理合を理解すれば良いという点がありますから、武道未経験でも地道に練習していれば体得できます(むしろ、武道を熱心にやってきた人ほど体得に時間がかかっています)。遠方の方でも同好会活動をやりたいという方は御相談くださいませ。


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またまた動画の話

 動画で出ている武術を見ると、海外のマーシャルアーツ事情が判って面白いものですが、無形塾の池田先生の動画を見て、「あ~、やっぱりな~」と思ったことがあります。

 それは、「市販DVDより動きが良い」ということです。

 BABジャパンから出ている池田先生のDVDを観て、「あ~、この先生は強いな~。お弟子さんも相当できるしな~」と思っていたんですが、動画で出ている練習中の動きを観ると、DVDの時より一、二割り増しになっています。

 どうしてか?と申しますと、これが自然なことなんですよね~。

 私は、これまで福昌堂とクエストのビデオ、DVD撮影に何度も立ち会ってきましたし、自分のも三度、撮ってもらっています。

 これらの経験上、言えることは、「どれだけ実力がある先生でも市販DVDの撮影時には緊張して若干、動きが悪くなってしまう」ということです。

 だから、練習中の池田先生の動きはリラックスして伸び伸びと技を出しておられるので、DVDで観た時より良いんですね。

 改めて、観て思いましたけれども、空手で鍛えた地力が太極拳の動きの中に活きているな~ということです。

 剛柔流、上地流を修行されていたそうですが、池田先生の動きは、太極拳一辺倒で修行してきた人には見られない重さと鋭さが感じられます。

 中国武術家でこのような勁力を感じさせるのは、蘇東成先生と李英先生くらいしか思いあたりません。

 本当に効く打拳は“重さ”が必要です。軽い打撃では一発で倒すことはできません。

 脱力して打つのも“重さ”を出すためです。

 しかし、ただ重いだけでは鈍重になってしまいます。同時に鋭く打ち込むスピードも必要です。

 ところが、スピードばかり出そうとするとパンチが軽くなりがちなのです。

 打拳の速度が稲妻のように迅速だと言われる拳法家の映像を観たことがありますが、迅速ではありましたが、打つ度に重心が浮き上がり、「あれじゃあ、効かないよな~」と思ったことがあります。

 迅速で重い打拳というのは、非常に難しいものなのです。

 例えば、最近、対道場破り戦略として、会員に鞭手連打を指導していますが、これは見た目だけ真似して素早く打っても、威力が乗らないと、単に“ペチペチ・シッペ”しているだけになってしまいます。

 刃牙の中でも「女子供の武器」とバカにされたりしていた鞭打?になってしまうのですね。

 この技は通臂拳や劈掛掌などで多用されますが、速さだけを求めると威力が出なくなりがちなのです。

 だから、板垣さんも皮膚を痛める技だと誤解されているのかもしれないな~?とか思ってしまいます。

 実際は、中国武術に於ける掌打技法の本質は勁力の浸透にこそ意味があるのであり、体表面の痛覚を狙う技ではなくて、体内の水分に波紋効果を起こさせて複雑なダメージを与えることを狙っているのです。

 つまり、生理的な人体の機能不全を起こさせるための打撃法なのです。

 なので、特に内家拳に於いては掌打技法を体得しないと真価は発揮できませんし、八極拳が半握りの把子拳という拳型を用いるのも、状況に応じて拳打と掌打を使い分けるためであるのが容易に推測できるのです(松田隆智先生から公開しちゃダメと言われたので、やり方は割愛します)。

 夏場にはタオル・ヌンチャクの技をよくやってみせたりしていますが、乾いたタオルより、汗を吸って水分で重くなったタオルで打った方が、格段に効きます。

 鞭手で打つ場合は、弾勁を用いて弾くように打ち出しますが、当たる瞬間に体重心が急激に集中するように打つことで、黙視できない速度と重い威力が両立するのです。でなければ一発で倒すほどの威力は期待できません。

 鞭のしなやかさに日本刀の斬撃力を乗せる・・・これが私が追究した鞭手打法です。

 まあ、教えてはみたものの、まだ、ちょっと体得できた人はいないんですけどね~。

 
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『大魔神カノン』は挑戦してるね

・・・って思いましたね~。

 特撮専門雑誌で以前から告知されていて、「ゲゲッ? ついに大魔神が復活するの? しかもTVで?」と、ビックリしていたんですよ。

 そもそも、大魔神とは、大映特撮が活況だった頃、ガメラ、妖怪物と並んで特撮時代劇の金字塔として伝説化した作品でした。

 西洋のゴーレム伝説に材をとり、魔神アラカツマが悪人に天誅を食らわすファンタジーとして描かれた作品で、『大魔神』『大魔神怒る』『大魔神逆襲』の三部作という、まあ、ロード・オブ・ザ・リングみたいなもんを思い浮かべてもらうといいかな~?と。

 ポスターなんかだと身長20mくらいありそうなんですが、実際は4.5mというビミョーな大きさで、しかし、それくらいの平屋よりちょっと大きいくらいだからこそ怖さが倍増するのですね。

 大体、人間の感覚として、自分よりでかい人って、180cmでも200cmでも大した違いに思えないもんなんですよね。

 2mの大蛇に遭遇した人は、「3~4mくらいあった」って思っちゃうもんなんですよね。それは、「うわっ、でかい!」というイメージが現実を無視して脳内で醸成されちゃうからです。

 例えば、ブラジルで巨大なアナコンダって言ったら、もう、40m以上あって当たり前みたいに語られる訳ですよ。で、40mクラスだと思って実測したら7mくらいだったりしてギャフンって、する訳ですね。

 それで、「いやいや、オラが見たのはこいつじゃねえべ。鎌首もたげてオラの頭の上から見てたよ~」って嘘つく訳ですよ。コブラじゃないんだから、アナコンダはそんな鎌首持ち上げたりしませんよ。

 子供の時に爺ちゃんの家に行った時に、小さい山の中腹に家があるんで、人ひとり通れるくらいの小道を上がっていくんですが、後ろを歩いていた弟が突然、「へびぃっ!」って叫んだんで、えっ?と思って足元見ると、私、道に横たわってる蛇を跨いでいたんですね~。

「ギャーッ!」って、マコトちゃんみたいな絶叫と共にダッシュで逃げました。

 で、爺ちゃんに話すと、この山に昔から住んでいる山の主の青大将だろうと言うんですよね。“山の主”ってくらいだから、この時点で小学生の脳内では全長10mくらいになってる訳ですよ。

 で、恐る恐る棒持って戻ってみたら、もう蛇はいなくなっていて、でもそこに地面を擦った跡がついていましたが、どう見ても10mの大蛇の這った跡じゃない訳ですよ。

 それで脳内イメージは3mの蛇くらいになった訳なんですが、今になって思えば、多分、実際は1mあるかないかくらいの大きさだったと思いますね。3mって、相当でかいもんね~(苦笑)。

 天草って、意外と巨大生物の宝庫だったんじゃないか?と思うんですが、ミミズもでかいのがいたし、スッポンやザリガニなんかも異様にでかいのがいました。カブトムシやクワガタも妙にでかいのがいました。フカ(鮫)を捕る祭りみたいなのを見に行ったこともありますけど、あれはでかかったな~?

 山の方には昭和の初期までチョンマゲ結って裸足で生活してる人もいたって話なんですが、それってサンカだったのかな~?とか思いますね。


 で、大魔神に戻りますけど、魔神アラカツマってえのは、恐らくサンカの信仰するような神様なのかな~?という気がしますね。古代戦士の格好をしているんですが、明らかに記紀に登場するような神様じゃない訳です。

 自然の精霊みたいな感じなんですね。

 第一作では土、第二作では水、第三作では雪になって消滅するんですよ。

 そんな大映の看板キャラだった大魔神ですから、復活させる話は度々ありました。

 私が大学生だった頃にもアメリカとの合作で復活するからという話でシナリオの公募があって、私も書いて送りましたよ。

「日本の山奥で巨石武神像が見つかって、アメリカの美術館に寄贈される。と、それを取り返しに忍者軍団が夜のマンハッタンに出現する! 美術館の学芸員と刑事、それにクノイチ?がからんで何やかんやあって、実は武神像を利用しようとするフリーメーソン?がいて・・・で、最後は黒魔術で呼び出された地獄の番犬ケルベロスVS蘇った大魔神の対決が・・・」って話です。俺的にはサイコーだと今でも思ってるんですけどね。

 昔の大魔神に足りなかったのは、ライバル的な敵キャラがいなかったことです。ちょっとスチーブン・セガールの映画に似てますね。セガールが毎回、弱い者イジメして終わるみたいな・・・。

 それで、蘇った『大魔神カノン』でも、やっぱり敵キャラが必要だってことになったんでしょう。呪怨クンみたいな悪霊が出てきてます。

 主人公のヒロインは、あんまりあか抜けない感じがするんですが、そこが逆に良いですね。ここはキャスティングの重要なところで、いかにも女優とかアイドルとかいう感じの作った感のあるヒロインじゃダメだと思うんですよ。

 何か、私は80年代の自主映画のヒロインを思い出しましたね。映画青年達が憧れるプリティーなヒロイン(わっかるかな~?)。

 そして、今回の大魔神は挑戦してるな~と感心したのが、要は、大映のもう一つの特撮時代劇の金字塔である妖怪物三部作のテイストを加味していることです。

 妖怪物は、『妖怪百物語』『妖怪大戦争』『東海道お化け道中』の三作ですが、ここに登場する妖怪は悪人や邪悪な西洋妖怪を懲らしめる善人の味方でした。

 特に、『妖怪大戦争』は、西洋の強大な吸血妖怪ダイモンを倒すために人間に味方する妖怪たちが擬人化されていて鬼太郎テイストの強いものでしたが、『大魔神カノン』は、この作品の雰囲気も強い感じがするんですね。

 人間の恩を感じて動物や器物が化けたオンバケという善良な妖怪たちの設定と、その中での最強のオンバケが大魔神であるブジンサマというのは、仮面ライダー響鬼をたちあげた高寺プロデューサーらしい感じがします。

 何となくNHKの少年ドラマ・シリーズっぽい感じもするんですが、響鬼は少年の成長物語であったのに対して、この『大魔神カノン』は少女の成長物語なんでしょうね。

 まあ、実際に観てもらえば納得してもらえるんじゃないかな~?と思うんですが、ヒロインの回りのオンバケたちって、昔の妖怪大戦争の時の妖怪たちと結構、符合するんですよね。

 タイヘイは油すまし、イケチヨはろくろっ首、サワモリは青坊主、ハシタカは二面女、トモスケは河童、ジュウゾウは雲外鏡かな~?って感じです。

 日本の妖怪って全般的に善良でユーモラスな感じがしますよね。で、実際に邪悪な霊から人間を守ってくれていたりするという鬼太郎的な存在がいてくれるというのは憧れがあると思います。

 大魔神がTVドラマで蘇ると知った時は、当然、かつての大魔神とは違うものになるだろうと思いましたが、それでいい、むしろ、そうでなくては復活する意味がないだろうとも思います。

 何しろ、半世紀近くも経過しての復活なんですから・・・。

 新しい大魔神の復活は、大魔神が形ではなくて自然の精霊であるという根本的な設定にも通じるものだと思うし、その意味では、また違った大魔神が映画で蘇るのもアリだと思いますよ。

 だから、三池監督版大魔神も、ちゃんと進めてもらいたいですね~。


PS;『大魔神カノン』はTV東京金曜深夜に放送中です。テレ東金曜深夜といえば『エコエコアザラク』『ねらわれた学園』『デビルサマナー』『牙狼』『キューテイハニー』と、特撮ドラマの傑作を量産していた伝統の時間帯ですからね。毎週、楽しみ。“47になっても少年の心を失わない男”と呼んでくださ~い(単なる物凄いヲタク?)。


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弱い者を虐待するのは病気

 日テレで14日に始まった『MOTHER』を、途中から観ました。

 虐待されている幼女を担任の女教師が誘拐して旅立つ・・・というストーリーですが、私は個人的に児童虐待の話は重過ぎて、ちょっとキツイかな~と思って、観ないでおこうと思っていました。

 が、終わったと思ってTVのチャンネルを切り替えていたら、初回の放送枠拡大だったらしくてまだ放送していました。

 で、ちょっと観ただけで惹き込まれるように目が離せなくなってしまいました。

 本でもブログでも書いているので覚えている方もいらっしゃると思いますが、私が24歳くらいの頃に住んでいた学生向けのアパートで、唯一、子供連れの若い夫婦が入居していたんですが、その夫婦の二人の子供(姉妹)の妹の不審死が起こったのです。

 こっそりとお通夜をした翌日には夫婦と残った姉は引っ越ししてしまいましたが、その時のお姉ちゃんが宙を睨むように押し黙っていた顔が今でも忘れられません。

 その二人の姉妹とは、アパートの学生たち全員が、日頃、仲良くしていたものですから、本当に驚きましたが、どうも虐待死らしいという噂になり、隣のアパートの大家の小母さんが事情に詳しい様子だったので話を聞いたりして、これは確実に怪しいと思って、私が地元の派出所に捜査の依頼をお願いしました。

 それから半年くらいして、派出所の駐在さんから、やはり父親が虐待していて蹴った弾みで打ち所が悪くて死んでしまったらしく、父親はその後、山中で首吊り自殺をしたという後日談を聞きました。

 父親は本当の父親ではなかったそうで、二人の姉妹は母親の連れ子だったそうでした。

 そして、再婚した男はかなり年下だったらしく、妊娠がわかってから姉妹の特に妹の方を虐待するようになっていたそうです。

 この姉妹は非常に人懐っこくて、少しも虐待されているようなイジケた印象はなかったんですが、やたらに食事をねだってきたりしていて、きちんと食事も食べさせてもらっていなかった様子でしたし、確かに妹の方はあっちこっち怪我ばかりしていました。

 ある時、腕に包帯を巻いて吊っていたので、どうしたのか?と尋ねたら、「お父さんに蹴られた・・・」と口走り、その瞬間、お姉ちゃんが妹を睨んで、「この子、ドジだから、よく転ぶの・・・」と言い直していました。

 もし、この時に、私が「これは虐待だ」と気づいて、何かやっていれば、この子は死なずに済んだかもしれませんが、自分の子供を殴る蹴るするという感覚がどうにも信じられず、「まさか、そんなことはないだろう」と自分で自分を納得させたものでした。

 それを思うと、今でも後悔の気持ちがあります。

 お姉ちゃんの名前は忘れてしまいましたが、死んだ妹の名前は恵ちゃんといい、学生仲間はメグちゃんと呼んで可愛がっていました。実際、子犬みたいに人懐っこくて、あんな可愛らしい女の子に暴力をふるうという神経はまったく理解できません。


・・・と、こういう体験があったので、児童虐待の話は、たとえフィクションでも私は苦手なんですね。

 しかし、この『MOTHER』、何だか力作ですね。ドラマとしてしっかり作ろうという作り手の思いが感じられます。苦手ながらも、次回から観てしまいそうです・・・。


 また、話は変わりますが、先日は大量のペットの死骸を山中に捨てていた男が逮捕されましたね。

 ペット葬儀業をやっていて儲けが少ないから費用を浮かすためだったということですが、とんでもないヤツだと思います。

 せめて、きちんと埋めて供養しているなら未だしも、ゴミの不法投棄として捨ててしまうというのは、これまた、どういう神経をしているのか?と、非常に腹がたちました。

 けれども、こういう人間というのは、人として精神のどこかが欠損しているんじゃないか?と思います。

 何か人間の芯にある獣性のコントロールが利かないというか、弱い生き物を庇護しようとする人間の慈愛の心が欠け落ちてしまっているのかな~?という気もするのです。

 例えば、昔の不良は、弱い者イジメはしないというプライドがありました。ケンカも一対一でやるタイマンが当たり前でしたし、基本的に自分より強い相手に立ち向かっていくものでした。

 ヤクザ者だって、カタギには迷惑をかけないというのが原則でした。

 そして、武道を学んでいる人間は、「ケンカの道具にしない」と、自分を律するための修行と弁えていました。

 しかし、今はこういう強者の倫理観を持つ者は明らかに少なくなっています。

 力を誇り、力で威圧し、力で脅迫する・・・それも明らかに自分より弱い者を狙うようになってはいないでしょうか?

 そして、弱い者が「強くなりたい」と思う時も、選ぶのはラクして強くなれそうなところであって、本気で自分を鍛えていこうとする人間は至って少ないように思えます。

 うちの道場にも、そういうタイプの人は時々、やってきていました。

 何だか、「強くなろうと頑張っている自分」というイメージだけに浸りたいみたいで、決して本気で取り組んではいないのです。

 本気で追究している人は、こちらがとやかく言わなくとも自分で考えて工夫したりして勝手に伸びていくものです。

 それと比べて、いかにも本気でやっているように見せかけたがる人もいます。そんな人は私に認めてもらいたいのでしょうが、その程度のことはすぐに観抜けます。

 そんな無駄な努力にかまけるくらいなら、自分自身がやるべき仕事なり何なりに必死で取り組んだ方が遥かに建設的ですし、私は、自分自身を向上させたいと思っている人にしか教えたくないのです。

 私は、武術を現実逃避のパラダイスみたいにして欲しくありません。ヒマ潰しに楽しみたかったら、他所の道場に行ってくれという気持ちです。

 武術を学ぶのは自己鍛練でなければ意味がありません。

 そして、肉体を鍛え、技を磨き、知力と精神を強靭にし、それによって人間として豊かな人生を送れるように努力していかねば何の意味もありません。

「人間は弱いものだから強さを求めて何になるのか?」と、よく人から言われます。

 こういう考えの人は大きな錯覚をしています。

 強くなるのは弱い人を助けるためです。強者は弱者を助ける義務があります。

 親は子供を守り育てる義務があります。ペットを飼うならきちんと可愛がって一生面倒をみる義務があります。

 まだまだ・・・、学校の先生は生徒を守る義務があるし、警察官は市民の安全を守る義務があるし、自衛官は国民を外敵から守る義務がある・・・。

 他者を守るためには強くなければなりません。守る力が無くても良いと主張するのは無責任で怠慢な考えでしょう。

「人間は所詮、弱いものだから・・・」と、よく言う人がいますが、その人は自分の責任を放棄して逃げたいだけです。つまり、現実を直視せずに“友愛精神”を信仰しているだけでしょう。

“弱さ”を隠れみのにして義務から目をそらす人間を、私は最も軽蔑します。

 無論、強者が弱者を食い物にして恥じない社会そのものがおかしいんですが、それを変えるためには、やはり強者が改めさせなければならないでしょう。

「そんなこと言っても、長野さんだって年とったり病気したりしたら弱くなるでしょう? そうしたらどうするの?」なんて聞く人もいるんですが、愚問ですね。

 年とって死ぬのは当然のこと。病気するのも生きてる証拠。

 そんな自然現象を恐れて義務を放棄するのは精神的に既に死んでるのと同じです。

“弱さ”に価値はありません。どんな状況でも強くあろうとしないとダメです! 克己心を持たなきゃダメです。

 そうでないと生きていけない時代が来るでしょう。いや、もう既にそうなっています。

 生活苦で自殺する人の増加を思えば、理解できる筈です。

 特に日本人は弱さを是とし過ぎてきました。それは経済的に満ち足りていたから許されたことですが、もう、そんな時代も終わりを告げようとしています。必死で生きようと努力しなければ生きられない時代になる。そこに気づかねばならない。

 ましてや、大災害や戦争でも起こったらどうしようもありません。

 今年は世界中で次々に大災害が発生しています。日本でも起こる可能性は低くありません。何百、何千、何万の人が死傷するような大災害に遭遇した時に、ただ救出を待っているだけで良いのでしょうか?

 まず、自分で何とかしようとする。そして、周囲の人を助ける。それが当たり前のやり方である筈です。

 私は何回も見ましたが、電車の中で痴漢がいたり、酔っ払いが人にからんでいたりしても、やめさせようとする人は稀れです。

 そんな時に、私は男だったら助けませんが、女だったら「やめなさい」と割って入ったことが何度かあります。

 男だったら、暴力には自分で立ち向かうべきと思うからで、女は武道でも習っていない限り、抵抗する力は持っていないでしょうから、助けが必要だと判断する訳です。

 無論、本音を言えば誰もが私みたいにしたいだろうと思いますが、大抵はできません。

 どうしてでしょうか? 簡単な理屈です。現実に暴力に対処する力を持たないから勇気が持てないのです。

 私だって、自分の戦闘技能を信頼していなければ、とても勇気を出すことはできないでしょう。

 私が武術の研究をしている理由の一つが、強くなろうとする人を増やして、「弱い人を助ける」という当たり前の感性を養ってもらいたいからです。

 弱くて得することなんか、ただの一つもありません。

 私が子供の頃に飼っていた猫は、子供を産んでからは、父親が猫嫌いで家に入れることを禁じてしまったため、子供や孫を育てるために半分野性化してネズミや蛇、蝉、スズメ、近所の家の池の鯉なんかをとっていました。

 猫ですら自分の家族を守り育てるためには戦うのです。

 戦わなければ生きていけない場面でも、尚、戦いを拒否するのは日本人くらいなものではないか?と思います。

「戦後の民主主義教育が、かくも日本人を腑抜けにしてしまった」とは、よく言われることですが、右翼思想のない私から見ても、確かにそうかもしれないと思えます。

 その揚げ句、弱い者を虐待しても恥じない病気が日本中に蔓延してしまった・・・と、私にはそう思えてなりません。


PS;またも中国チベット自治区で大地震が起こり、多くの人が犠牲になってしまいました。我々が認識すべきは、対岸の火事を決め込むのでなく、明日は我が身と考えることでしょう。震災の犠牲になった方々にお悔やみ申します。


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4月セミナー感想

 今年は春の桜も天候不順で咲くのが遅れたせいか、4月の月例セミナーの日も、まだ七割から八割の花が残った桜があちこちに咲いていて、京王相模原線沿線で随分と楽しめました。

 そして、今年も四回目となって早くも、セミナー受講生の中から驚くべき変化が現れてきました。

 この日のテーマは“スリ足のステップワーク”。

 三月の“丹田歩法と縮地法”の実用編というべき内容です。

 ステップワークというのは、「運足によって相手の攻撃を躱すと同時に有利に技をかけるための死角にポジショニング(位置取り)する」と解釈してもらってもいいでしょう。

 実際には別に難しいことではありませんが、相手の攻撃してくるタイミングに合わせて動くのが難しい訳です。

 だから、先の読みができなければ成功するのは覚束無いでしょう。

 また、差し手・体捌き・攻防一体の技といったものも体得していないと武術的実用は難しいものです。

 どうも、何か絶対的に万能な一つのやり方さえ体得すれば良いのだと考える人が武術愛好家には多いのですが、そういう不合理な考え方に依頼するのは幼稚なロマンチシズムにしかなりません。

 どんな強力な打撃技も当てられなければ意味がありませんし、当てるためには相手の攻撃をかいくぐって近づかなければなりません。人間はサンドバッグみたいに黙って打たれてはくれません。相手の突き蹴りや投げ関節技を無効化できなければ勝つことは覚束無いのです。

 しかし、相手の攻撃を受けずに安全に近づくことも不可能とは言えません。

 一つの方法は、「相手が攻撃を出せないようにする」ということ。これはいくつかの方法がありますが、その最も有効な方法の一つが“歩法”なのです。

 これは昨年のセミナーでも指導しましたが、歩法は単に早く動いたり相手との距離を詰めるためだけのものではありません。

 武術に於ける歩法は、もっとタクティカルなものですし、具体的な攻撃技をも秘めています。

 だから、ステップ“ワーク”としているのです。

 今回は、昨年から一歩進めて、太気拳の構えや形意拳の構えを用いた戦術的な歩法の使い方を指導してみましたが、無論、これは流派の別とは関係なく普遍的に応用できるものとして游心流独自にシステム化しています。

 その要点となるのは、スリ足で動くことであり、スリ足の意義は、「居着かないで動き続ける」ということです。

「居着かない」とはどういうことか?

 これも言葉そのものは知られるようになっていますが、その意味を正確に理解して使っている人は極めて少ないようです。

 私の解釈は、「体内の重心が固定せずに攻防の間の中で常に流動し続けていること」です。

 これは単純な“浮き身”のことではありません。必ずしも重心を浮かすことを意味しません。単純に重心を浮かせば武術の攻防では極めて無防備になってしまいます。

 甲野氏が実際にまともに立ち合うと驚くべきひ弱さを露呈して惨敗し続けてしまう理由の一つもコレです。

 彼は“浮き身”で相手の攻撃を躱して素早く密着して“沈身”のエネルギーを用いて相手を潰すことを得意にしていますが、相手が技を受けてくれる前提(これが状況設定のカラクリ)ならできても、同時に相手が動いて攻撃してくる立ち合いになれば、“浮き身”で待っていては“沈身”へ移る余裕がないままフッ飛ばされてしまうのがオチです。

 つまり、先を取って制圧する武術の攻防は、先を取ったと同時に制圧できねば実用性は望めません。そのためには受けて攻撃するのでは間に合わないのです。

 無門會の受即攻の理論は、何も特別なことではなくて本来の武術がそういうものだったのです。スポーツとして発展した現代の競技武道で理合が失われて不明になってしまっているだけの話です。

 論を戻せば、“浮き身”のやり方の中には、「重心を沈めながら流す」やり方もあるのですが、これは体内の重心移動を自在に操作できることが前提です。

 要は、体内の重心をわずかでも流し続けること。固着させないことが肝心です。

 これが、“静中の動”です。

 一方、“動中の静”とは何か?

 これは、激しく動いている時でも体内の重心の流れを制御し続け、緩急自在に動くスピードをコントロールすることを意味します。

 どちらの場合も、要点になるのは、“重心のバランス”を保持するということです。

 武術の攻防は、記号論的に解釈すれば、「重心の奪い合い」となります。発勁や合気、縮地法、剣の斬り・・・これらの技のテクニカルな本質も重心操作にあります。

 筋肉の収縮によって発生する“力”を作用させることが技だと解釈している限り、このメカニズムは理解できません。このような力はタメが必要であり、力をタメるのに僅かでも居着かねばならなくなります。

 この身体運動の法則からすれば重心移動によって威力を生み出すやり方は不可解だからこそ、“気のパワー”といった抽象的な概念を当てはめて解釈してしまいがち。

 これは21世紀になった今だに武術の世界で主流となっているのですが、これでは技術の伝承が感覚のみに頼りがちとなってしまい、カルト宗教的組織構築の組織論的なキイワードになってしまっているようです。

 さて、歩法に関しても別問題ではありません。その原動力は重心移動によらねばなりません。よって、歩法といっても脚力によるのではありません。

 重心移動が先で、それに後から足がついてくる・・・そんな感じで動きます。

 スリ足は地面を蹴ってエネルギーを生み出しません。これは体内の重心移動を制御するのに適した歩法なのです。

 埼玉県大宮市の振武舘一門では“無足の法”と呼ぶ運足法が伝えられていますが、古来、“無足人”という言葉が仕事を持たないアウトロー的侮蔑の意味を持っていたことを考えれば、武家の作法として“無足”という言葉を用いるのは不自然だろう?と私は考えました。

 が、この種の歩法を研究していて、この“無足の法”という言葉が、「そのまま文字通り、足で地面を蹴って移動する歩法を否定した重心移動に先導される体移動の歩法」であるという理解を得ました。

 游心流では、この種の歩法を総称的に編成して「蛟龍歩」とネーミングしていますが、流派を問わずスリ足を主体とした武術的歩法を研究した結果なのです。

 中国武術では陰陽(虚実)の文化が背景にあるためか、あるいは生活習慣として靴を履いて歩くからか、スリ足を用いず、虚実分明を旨として一足一足に完全に体重を乗せきって体移動していきますが、これは厳密に言えば、動いている最中に連続的に“居着き”を生じさせていることになります。

 私はどうも、これが気になってしまい、虚実分明ではなくて、虚実を明確に分けない歩法に作り替えてしまいました。つまり、変化の切れ目が判らないようにしたのです。

 これは、技の複合機能性を生み出しました。一打多撃の連環変化技法を作ったのです。

 歩法に関しても、これは原理的に同じで、体移動・位置取りのみならず、蹴り・崩し・足払い・踏み抑え等の攻撃技も含んでいます。よって、ステップ“ワーク”なのです。

 今回のセミナーでは、最後に、蛟龍歩の用法を実演解説しましたが、正直、これは私が5~6年かかって苦心して纏めあげたもので、これまで何百人も教えてきた中でも3~4人しかできるようになりませんでした。それほど難しい技法です。

 教えたからといって、おいそれとできるようにはならないので、無論、セミナーで教えたからといってできるようになる訳がないと思っていたのです。

 ところが、今回、実演解説してやらせてみたら、2人くらい、かなりいい感じにやっていたので、「これは、もうちょっとでできるかもしれない」と思って、歩法の時の細かいコツも教えました。

 そうしたら、3人くらい、七割方、できるようになってしまったのです。

 要点としては、この歩法ができると、「足が勝手に動く」という現象が現れます。脚力で動くのではなく、重心移動が先にあるので、脚が体重を支えることから解放され、その瞬間に骨盤の動きに先導されて脚をババババッと高速で動かすことができる。

 この時に震脚を用いれば、重い発勁を連発しながらかなり早く動くことも可能になります(ちょっと身体に負担がかかってしまいますが)。

 この歩法のオリジナルは、躾道館の小林直樹先生の技でしたが、お弟子さんでもほとんどできなかったくらいで、私もそれなりに真似できるようになるのに数年の研究と試行錯誤を要したものでした。これまで研究した中でも最も難しい技法で、正直、始めて一年くらいは「これは無理かな~?」と諦めかかったものでした。

 それだけ難しいことができるようになったので、流派を名乗ったという特別な技です。

 しかし、私はそれなりの稽古システムを考案したので、少ないながらも何人かはできるように指導してこれました。

 北島師範はやればできるのが解っていましたが、矢嶋師範代がこの歩法をほぼ体得してしまったのには、正直、驚かされました。

 これさえできれば、どれだけ体格差があってもスピードで翻弄して攻め崩すことが可能になります。游心流の切り札として温存してきた時期もあり、読みと合気を併用すれば、一瞬に相手の死角に潜り込めるし、発勁を連発しながら歩法で動き回れば相手に反撃させずに倒すことができるようになるでしょう。

 入会して3年、正直、筋が良い訳でもなかった彼が、ここまで体得してしまったのは努力と研鑽の賜物です。弟子が育つということが、こんなに感動的なことだったとは自分でも意外でした。

 だから、私も今日はすこぶる機嫌良く帰りました。

 今年一杯で、セミナー受講生の皆さんがどこまで進化していけるのか、もう私にも予測不可能になってしまいました。

 もっとも、おめおめと追い越させてなるものか・・・という気持ちも、今、これを書いていてフツフツとわいてくるのですから、武術というのは業が深いな~と思いますね。

 後は、個々の技のレベルを高めていくだけ・・・目指すは天下無双の達人養成塾です。




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4月セミナー『スリ足のステップワーク』

 新年度4月11日の月例セミナーでは、「スリ足のステップワーク」をテーマに実施します。

 新刊本も2月、3月と続けて出て、DVD上級編も出したばかり、今年は春から怒涛のごときイケイケ状態でやっておりますが、まさに、そのステップさながらに、変幻自在に歩法で相手を翻弄してのけるテクニックを御伝授致しまする・・・。


 そもそも、何で日本の武術はスリ足を基本にしているんだろう?ということを疑問に感じて、いろいろと研究してきました。

 その結果、日本武術にはある秘密があったという考えに至りました。

 それはセミナーに参加した人だけに教えるつもりでいます。今はまだ公表しないことにしておきます。

 言葉にしてしまえば、「な~んだ。そういうことか」と納得がいくことでも、教えられなければ自分では永久に気づかなかっただろう・・・と思える事柄が真の“秘伝”なんですね。

 武術というものには、そういう知識と情報が未解明なまま眠っているのです。

 そういう部分に付け込んで、アンポンタンな大嘘こいちゃうバカチンがいたり、そしてまた、そんなバカチンを大先生扱いする大馬鹿者も結構いるんですから、困ったもんですよね?

 だから、私は情報は小出しにすることに決めています。

 洞察眼の欠落している連中に重要なことを教えても、価値が解らないから使いこなすこともできないんですよ。

 馬鹿は馬鹿同士、心ゆくまでくっちゃべって喜んでおればいいのです・・・。

 で、バカチンが嘘を広めた後で、「それは間違いです」と私が直せばいいんですよ。

 上級DVDを買った方が、「ザッと見たところですが、これは、凄いです。戦慄しました」と書かれていて、さすが、剣道経験者だから解るんだろうな~と思いましたね。

 理解できない人には豚に真珠、猫に小判の類いにしかならないでしょうね。

 まっ、それでいいんですよ・・・。


追伸;4月6日より、東京支部同好会、開始します。まだ定員に余裕ありますから、参加したい方はお早くどうぞ。初日は私(長野)も顔出します。


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『花のあと』は大傑作!

 情報誌なんかでも評価が高かったのですが、藤沢周平原作の時代劇『花のあと』を、橋本駅近くの映画館で、ようやく観てきました。

 何か、ここ最近、やたらに用事がたてこんでて忙しくってですね~。

 ウカウカしてると映画館で観逃してしまうことが多いもんですから、今回はサービスデイ以外に観に行きましたよ。

 結論から言うと、この作品は、一連の藤沢時代劇の中でも一、二を争う大傑作であると私は断言します! ドラマも美術も作品の隅々に至る所作の美しさも、そして殺陣も、すべてのバランスがパーフェクトに思えます。

 正直、ここまでの完成度だとは思っていなかったですね~。本当に素晴らしい!

 あの実写版セーラームーンでセーラーマーズを演じていた北川景子も、今や若手演技派女優のトップという印象がありますが、確かにデビュー当時から目ヂカラのある美貌は抜きん出ていて、正統派女優に育っていくんじゃないかな~?という気はしていました。

 吉永小百合(まぼろし探偵)も松坂慶子(ブースカ、ウルトラセブン)も特撮ドラマ出身だということはマニア間では有名な話。

 オダギリジョー以降、若手俳優にとっての特撮ドラマ出演は出世街道になっていますからね~。

 それにしても、北川景子の女剣士というイメージを見事に打ち壊す、物静かで慎ましい武家の娘という静の演技が実に素晴らしく、鋭く気迫が籠もったスリリングな殺陣シーンの動の演技とのギャップがまた、もう高倉健の任侠物みたいな感じです。

 別に付き合っていたのでもない、剣士として一度だけ手合わせして負けたという男が罠に嵌められて自決した・・・というその恨みを晴らそうとする、その心根は完全に誇り高き男の持つ感情であって、北川景子の“男気”に惚れ惚れするばかりです。

 なんかもう、桃太郎侍か必殺仕事人か?って感じ・・・。

『武士の一分』とか『隠し剣・鬼の爪』もそういう話でしたが、それらは“男”だから、ある意味、当然というべきでした。

 しかし、この二作の悪役って、なんか、あんまり悪い人に見えなかったのが作品として弱い点だったと思うんです。『鬼の爪』の時の緒形拳さんなんて、ちっとも悪人に見えなくて、何か可哀想に思えましたもん。

 が、この『花のあと』の悪役、市川亀治郎の陰険で卑劣なところったら、本当にヤなヤツだな~・・・って感心してしまうくらいムカつくヤツなんですね。

 北川景子の呼び出しに堂々と独りで来たと思わせておいて、相手が女独りだけと確認するや、潜ませていた三人の刺客に襲わせる・・・「うわっ、キッタネ~!」と思いましたね~。

 普通、こういう時は「この卑怯者!」とか罵倒しそうなものなのに、北川景子は一瞬、動揺した表情をするものの、次の瞬間には剣士としての落ち着きを取り戻して果敢に戦い、負傷しながらも三人を斬り倒します。

 そして、右手が使えなくなったら左手で刀を握って右肩に峯を置いて斬撃の準備をして亀治郎に立ち向かう・・・その堂々とした戦闘者っぷりは「お見事!」と声を掛けて「勝負は後日、また・・・」と言うのが武士の心得ってもんでしょうに、亀治郎は、ここぞとばかりに攻めて刀を打ち飛ばしてドSっぷりを見せつけてくれます。

 私は、てっきりここで許婚の才助が出てきて「実は拙者は夕雲流の免許皆伝で・・・」とか言うんじゃないか?と思っていたんですけど、戦闘はあくまでも北川景子演じる以登だけが独りで戦い、勝ち残るのです・・・。

 過去にも女剣士物の時代劇作品というのは『あずみ』とか、いくつかはありましたけれど、この作品のように日常的なリアルな設定の作品で剣術を修行した武家娘が活躍する作品というのはなかったんじゃないか?と思います。

 そして、この作品が大傑作となり得たのは、やはり、中盤の北川景子と宮尾俊太郎の“袋撓い”を用いた試合のシーンと、クライマックスの一vs四の死闘のシーンでしょう。

 私は『山桜』の殺陣シーンが凄く好きなんですが、惜しむらくは短かった・・・。

 しかも、あのシーンは東山君だからこそ見事だったという点もあるでしょう。

 正直、殺陣経験の無い初心者の俳優がどれだけできるのか?というと、期待するだけ無理があるでしょう。

 ところがね~、これがもう、物凄~い良かったんですよ~。北川景子はよっぽど頑張って練習したんでしょうね~。独りで剣術の基本型を稽古するシーンなんかでも、かなり様になっていたから、「これは期待できるかも?」と思っていたら、宮尾俊太郎との試合のシーンでは鳥居の構えを印象的に使ってみたり、リアルな中にケレン味のある芸も見せて、カンフー映画の攻防と剣道の激しさを融合したような実に見ごたえのある殺陣シーンでした。

 中でも、一通り、五分の攻防が続いた後で、宮尾俊太郎が下丹田に気を沈めるようにして撓いを構えて、北川景子が撓いをバシッバシッと打ち払おうとしても撓いが微動だにせず、打ち込む隙ができなくて焦る描写が実に効果的で、古流剣術の剣体一致の理合を描写してのけていたのは、殺陣を担当された高瀬将嗣先生の造詣の深さがうかがえました。

 藤沢周平の作品では、雲弘流とか法神流とか、かなりマイナーな流派が出てくることが多いように思うんですが、この作品の主人公が父から学んだ剣術は、夕雲(せきうん)流なんですよね~。

 私、甲野氏の道場に通っていた頃に氏の研究の手伝いした関係で夕雲流については結構、詳しくなったんですけど、この流派って、技は一つしかないんですよ。

 片手で刀持って額まで挙げて、相手が打ってこようとする先をとって落とすだけ。こんだけ・・・。

 つまり、究極の心法の剣術であって、技らしき技はないし、いろんな技の形を“畜生剣法”と侮蔑していたんですね。

 そして、この剣の極意に達した者同士は互いに打つに打てずに刀を天に向けたまま硬直したまま恍惚感に浸ってしまう・・・という“相ヌケ”という奥義になると説く訳。

 で、開祖の針ケ谷夕雲は、弟子の小出切一雲と、この“相ヌケ”になったから二代目を譲ったんですね。

 この時点では夕雲流は天下無双だったとされます。相手が打とうとする前にパシンパシンと先に打ってしまうから・・・。こりゃあもう、技量の勝負じゃないんですね。

 ところがどっこい・・・この天下無双である筈の小出切一雲が、弟子の真里谷圓四郎と二度、真剣勝負の試合をやって、二度とも負けてしまったからさ~大変!

「相ヌケにならね~じゃん?」と思いつつも、でも圓四郎の方が強いんだから三代目は譲るしかない。ここから夕雲流は滅びの道を辿っていったのです・・・。

・・・とまあ、こういう流派なんで、殺陣でどう魅力的に見せるのか?というのは、頭が痛くなってしまうと思うんですね。

 だいたい、夕雲(せきうん)流って読めなくて、「ゆううん」って読んじゃいそうでしょう? ヨロキンも『柳生新陰流』で、片桐空純(晩年の小出切一雲が名乗った名前)の襲撃を退けた時に、「そこもとの師匠の“ゆううん”殿が・・・」って言っちゃってましたよ。俺、「あっちゃ~・・・」って思ったもん。

 でも、流石、高瀬先生は夕雲流そのものは実態が解らないから、源流を探られたんでしょうね。夕雲流の源流は新陰流です。新陰流には神道流も入っています。

 従って、新陰流や神道流の特徴的な構えや太刀捌きをベースとして組み立てておられて、そこに殺陣特有の体の捌きと体転換、攻防の妙技を組み込んでおられて、本当に、よくぞここまで・・・と感動しました。

 私はこれまでいろんな殺陣を観てきましたけれど、これだけ武術的な殺陣にお目にかかったのは、ちょっと思いつかないです。

 どうも、最近は、とにかくリアルにすればいい・・・みたいな間違った風潮があったり、逆にケレン味だけで押し切ったりする殺陣ばっかりで、「アクションとしては面白いけれども殺陣としての魅力は感じられないな~」と思うことが多かったんです。

『たそがれ清兵衛』が画期的だったのは、やっぱり殺陣の魅力だったと思うんですが、『隠し剣・鬼の爪』だとそれが半減してしまったし、劇場版『蝉しぐれ』はもう勘違いしてしまっていました。

『武士の一分』は、キムタクの熱演で魅せたけれども殺陣のカタルシスには欠けました。

 そうした中で『山桜』の東山君の殺陣は孤高を保っていたんですね。でも、あまりに少な過ぎる・・・。

 そして、『花のあと』はリアルに“逃げず”、ケレンに“流れず”、堂々と殺陣の魅力を描き切ることに成功していました。

 高瀬先生は、以前の映画秘宝の連載中で、「殺陣は武道とはまったく別物です」と明記されていましたが、実際の殺陣の動作は極めて武術的な合理性のあるタクティカルな戦法を考慮して組み立てられています。

 つまり、知識が無くて感情的に否定しているんじゃないんですね。恐らく、相当に研究された上での発言だと思いますし、私もほぼ同意見です。

 ただ勝てばいいとなったら、もう、面白くも何ともないですからね。剣道や空手道の試合って、見てても面白いとは思わないでしょう?

 かといって、既存の様式化された殺陣のように主人公に斬られるためにかかっていくカラミばっかりじゃ、今どき、誰が見ても白けてしまう訳ですが、伝統だからという観念で工夫を怠る殺陣師もいるみたいです。それではエンターティンメントにかかわる人間として怠慢の謗りは免れないでしょう。

 この作中の殺陣で唸ってしまったのは、三人の刺客と対峙した北川景子が、“走った”ことです。

 走って三人の連携攻撃を崩した訳ですね。そして、チームプレイを分断して一人ずつ斬る・・・これ、複数の敵と戦う場合の鉄則ですが、案外、殺陣で表現されないんです。

 どうしてか? カメラのフレームからはみ出てしまうから・・・。

 TV時代劇の場合、予算と期日の関係から、立ち止まったままの主人公にカラミが次々と順番通りにかかっていって斬られるというお約束があるので、映画のダイナミックな縦横無尽に動きながら戦う殺陣を見慣れた人達が怒った・・・というようなTV時代劇草創期の話も聞きます。

『宇宙猿人ゴリ』を観ていた時、モグネチュードンと戦っているスペクトルマンが、モグネチュードンを投げ飛ばしてから、また“手元に引き寄せて”殴りつけているのを見て、私はハッと気づきましたよ・・・「そうか、カメラが一台しかなくてフレームから出ないように戦っているんだ・・・」と・・・。哀しかったな~。

 そしてまた、お約束として最もギャグにされるのが、「どうして主人公の後ろから斬りかからないのか?」というところ。日本の時代劇を見た外人さんの疑問の定番ですね。

 ところが、この死闘の最中、背後から斬りつけられて右上腕に傷を負うという描写もあって、それで片腕で戦ってピンチに陥る・・・という実にドラマチックな展開で殺陣がドラマを盛り上げていく訳ですよぉ~・・・。

 こういう燃える殺陣が最後にあるというのがバランス的にも最もいい。ストーリーがクライマックスの対決へと淡々と収斂していき、文字通りの死闘の果てに大逆転で悪が滅ぶという構図は、まるで革命が成功したかのようなカタルシス・・・。

 死闘直後に現れた才助が、放心状態の以登の短刀の血を拭い、傷の手当をして「後は拙者に任せて・・・」と送り出す飄々としたところも良かった。このキモッ魂の据わったところが剣の達人の親父殿に気に入られたところなんだろうな~と思わせます。

 スケベでいい加減な男に見えても、シチュエーションからして戦いの様子を最初からずっと観ていたとしか思えず、許婚のピンチにも助太刀しなかったのは、以登の性格をちゃんと理解していて独りで戦わせたということなんだろうな~?とか思ってしまいます。

 花見のところで待っていた才助に向けた以登の視線には、尊敬の色もあって、なるほど、この才助も藤沢周平の描く男なんだな~と思った次第。

 凛々しく気高く美しく、奥ゆかしいのに弱くはない日本女性の姿をものの見事に演じ切った北川景子の、この作品は代表作となるでしょうし、時代劇映画の中でのエポックメイキングになる作品だと思います。

 皆さん、この作品は観逃しちゃ、ダメ!

 現時点で、文句なく、私の中では今年の作品のベストです。


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男の顔

 私が“武術の読み”を研究していた時に参考に役立ったのは、学生時代に心理カウンセラーを目指して勉強していた心理学と、クレッチマーの体型分類、それに東洋の“気学”でした。

“気学”というのは、気功も入るし易の理論も入るし、風水の理論も入ります。

 中でも、“観相学”というのは大切で、これは宇宙から手相まで観るんですね。

 私は子供の頃から観察する癖があったので、観相学について知ってからは、手相とか人相とか意図的に観察するようになりました。

 最近は手相のブームなので知っている人も多いと思いますが、手相って、よく観察していると驚くくらい変わるものなんですよ。

 私も、以前は影も形もなかった太陽線(人気)と財運線が中年過ぎてから出てきましたし、細かい線は毎日のように変わってきたりしています。

 恐らく、細かい作業をしたり日本刀振ったりしているからだと思うんですが、それにしても、ちょっと変化が激し過ぎますね。

 しかし、手相は、そうそう人様のは観察する訳にもいきません。

 そこで、人相を観て性格とか読む訓練もしていました。

 もっとも、私の場合は、人相をマニュアルで観たりはしないんですね。大体は読めても人相はその瞬間瞬間でガラッと変わるからです。

 私なんかも、外を歩いている時と家の中とファミレスで特撮話に興じている時と練習している時なんかは全然違って見えるようです。

 特に本気で怒ると殺気が眼からビームみたいになって出てしまうらしくて、それで随分、ヤクザに間違えられた経験があるんですね。

 元の顔がフニャ~ッとしてるから、余計、ブキミに見えてしまうらしいです。

 最近も、電車の中で態度の悪いヤツがいてムカついたので、「このクソガキが~」と、わざとそいつの後ろにピタッと立って、冷た~い視線を向けたまま黙っていたら、窓ガラスに映った私の顔が怖かったみたいで、ビクゥッとして俯いたまま微動だにしなくなっていました。

 インネンつけてきたら面白いな~と思ってたのでザンネンだったんですけど・・・。


 それはそれとして、新聞に本宮ひろしの顔写真が載っていたのを観て驚きましたよ。

 いや~、凄い顔ですね~。クリエイターというより侠客に近いです。やっぱり、作風が男気溢れるから、御本人もそうなんだろうとは思っていましたけど、これほどだとは驚きました。

 こういう顔の人というと、空手家にはたまにいますけど、一般的には滅多にいないでしょうね~。

 何か鎌倉時代の武士を思い出しますね~(って、鎌倉武士は見たことないけどね)。


 そうそう・・・凄い顔と言えば、『龍馬伝』で吉田東洋を演じていた田中泯さん!

 もう、私はTV見ながら、ジョーズのテーマ曲が頭の中で反響してましたよ。

「出るぞ、出るぞ・・・出たーっ!」って感じでTV見てました。

 週刊ポストによれば、『龍馬伝』を見た視聴者から、「吉田東洋を演じている俳優は誰だ?」という問い合わせが殺到していたそうなんですけど、そりゃあ、アレを見たら誰だってそう思うでしょう。

 青木先生も、私のところに「あれは田中泯さんなの?」って電話してこられたくらいで、それはもう、圧倒的過ぎる存在感でしたから。

 ポストによると、“知る人ぞ知る「前衛舞踏家」”と書かれていますが、泯さんの表現者としてのカリスマ性は、既にダンス以外の芸能の世界でも広く知られるところですし、堤真一、オダギリジョー、真田広之といった俳優が心酔しているのも知られた話です。

 ポストの記者の方も、ちょっと認識不足じゃないかな~?と、私なんか少し不満に感じましたね~。現在、“世界で最も評価されている日本人ダンサー”だと知っていれば、“知る人ぞ知る”って言葉は出てこないと思う。

 別に悪く書いてある訳じゃないんですが、芸能の世界での評価より身体芸術(パフォーミングアート)の世界での土方巽が開いた“舞踏”の世界的評価の高さと、土方DNAの純度の高い継承者であるが故に、自らは“舞踏”と名乗らない田中泯の気骨ある精神性を察知していれば、もう少し違う書き方になるんじゃないかな~?と思うんですけどね。

 そうすれば、あの吉田東洋の異常なまでの存在感も納得がいく筈・・・。言わせてもらえば、普通の俳優と比較するのがおかしい。

 カルチャーセンターでヨガ教えている人と、インドの山奥で修行しているヨーガ行者を比較するようなもんでしょ?


 俳優が演技するのとは違って、泯さんの場合は、あくまでも表現しているのだと私は思います。黙っていても空気感が違うんですよ。

 ただ、私は以前から見ていて「ちょっと重過ぎるかな~? もっと思い切って軽いコントっぽい役をやってみたら面白いんじゃないかな~?」とか思っていたのですが、それは実際の泯さんのいろんな側面が出たところのギャップが見たいと思ったからです。

 カッコイイ役ばっかりじゃなくて“ヘンなことをやっているのに何故かカッコイイ”みたいなのが面白いと思うんですね。

 そういう意味では、『メゾン・ド・ヒミコ』の癌で死にかかっているゲイのお父さんという役は凄かったと思いますね~。

『龍馬伝』の吉田東洋は、いつもの威厳のある泯さんかと思わせながら、ヤ~な親父っぷりを出したり、多分、かなり面白がって芝居されてたんじゃないかな~?という感じがしましたね。

 欲を言えば、もっと出てもらいたかったし、もし私が演出家だったりしたら、勝海舟とかも泯さんにして、龍馬が、「うわっ、吉田様にそっくりじゃきに~」ってビックリするとかですね。そういう強引な演出しちゃいますね~。だって、もったいないでしょ?



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游心流初の支部活動開始『東京游心流同好会』

 2010年4月6日、満開の桜の時期に、游心流初の支部活動『東京游心流同好会』の初稽古会がありました。

 支部活動そのものは、以前にも沼津、関西であることはあったんです。いろいろあって続かなかったんですが、やっぱり、私の目が届かないと難しいな~というのが率直な感想でしたね。

 数年前には、師範代を任命して都内で講座をやらせてみたこともあったんですが、こちらも私がやらないと人が集まらなかったりして、どうもダメでしたね。

 その時の師範代もやる気なくして辞めてしまいましたし、私は直接聞いてないから何とも言えませんが、陰で私の批判をしていたそうで、良かれと思って任命したのが裏目に出てプレッシャーかけただけになったのは可哀想なことをしてしまったな~と反省したものです。

 何というか、人を指導するというのは大変なことなんだな~と思いますね。

 恐らく、向き不向きというのもあるんだろうと思います。

 私の場合、両親共に学校の先生だったし、親戚も、大学の名誉教授から保育園の先生まで一通り揃っていて、どうも、DNAに“教師”というのが入っていると思うんですよ。

 自分がそうだから、誰でもできると思ってしまったのが間違いだったのかもしれませんが、やっぱり、そういうものじゃないんだな~?と、最近になって気づきましたね。

 その点、今回の同好会活動に関しては、半年くらい前から計画を練って、矢嶋師範代が主催して北島師範がサポートするという形式でやると決めるまでにあれこれ検討しましたから、まったく心配していません。

 今年に入ってから月例セミナーの進行も北島師範・矢嶋師範代にほぼ任せるようにしているんですが、実はこれも指導に慣れさせるためだったんですね。

 もちろん、私が直接教えないからレベルが低くなるという訳じゃありません。

 むしろ、逆に、私が教えると難しくなり過ぎて参加者が混乱するだけになってしまう場合の方が多々あった訳です。何しろ、ノリノリで動くと自分でも何をどうやって技かけたのか解らないんですから、「もう一回やってください」ってのは禁句ですからね。

 そんな人間ですから、独己九剣の型つくるのに、えらい苦労しましたよ。たった九つしかないのに・・・(青木先生なんて剣武天真流の型、膨大につくってますよ。天才過ぎだよぉっ! 俺は泣いちゃうよ~)。

 それに、私は事細かく教えるとやり過ぎてしまうし、軽く流すようにするとスッ飛ばし過ぎてしまう悪い癖があるので、はっきり言って、単なる独演会になりかねない危険性があって、参加者は楽しく感じられても技術がきちんと伝わらなくなってしまう問題点もあったのです。

 そんな前衛芸術家みたいな性格の私に習ってる北島師範や矢嶋師範代の努力と忍耐は、並の武道道場に通うのとは比較にならなかったと思いますよ。「難しい」なんて言葉で表現できるようなレベルじゃないです。禅問答やっているようなもんだもん。

 どうしてか?と言うと、パターンを覚えるんじゃなくて、形を練習しながら同時に形を壊すことをやっている訳です。このダブルバインド(二律背反)の中から理合を掴み取らなきゃならないんだから、そりゃあ、苦労しますよ・・・。

 もっとも、私は、月例セミナーだとイチゲンさんもいますから、「まあ、イチゲンさんは楽しんでもらえばいいや」と思っていて、あまり細かい形のことなんかは言わないんですよ。

 要するに、勝負論で言うなら形に捕らわれるのはマイナスでしかないから、継続して学んでいこうと思っていない人には、勝負論だけ伝えれば十分なんです。

 けれども、継続して学ぶ人には勝負論だけでは不十分です。稽古システムの上達論が必要で、この場合は逆に正しい形に洗練させるための鋳型に嵌めていかなきゃいけないんですね。

 自由自在と自分勝手はまったく違うことなんです。自由自在に動いて技をかけられるというのは、動きの中に法則性が存在し、無意味で無駄な動きではなくて、目的に沿った“働き”のある効率的な動きが自然にできるようになっている状態を意味しています。

 通常、基本技や型の訓練は、この動きの中に法則性を内在させるための意識的訓練でなければならないのですが、それは結果としての無意識化された身体の自動反射運動のシステム化を目論んでいるものなのに、実際にはそこまで至らないケースが非常に多い。

 何故ならば、多くの団体が、上達論と勝負論をゴッチャにしていたり、そもそも理論構造的に認識しないままルーチンワークとして練習しているから・・・だと思われます。

 そしてまた、重大な問題点として、“流派”に縛られてしまっている点も、特に日本の場合は多く見受けます。

 戦闘の本質論を語れば、流派なんて代物は無くなってしまった方が正しいのです。

 しかし、流派というカテゴライズの中で様々な研究工夫が育ってきているからこそ、“戦闘”というテーマから幾多の武術が誕生して無数に枝分かれして競合しながら発展し、文化芸術学問の領域にまで昇華するという奇跡的人類の営みと成り得たのです。

 私は今でも、特段に、游心流という流派を広めたいとは思っていません。

 が、流派を名乗ったのは、武術という文化を全般的に研究していても質を深めることができない。自分の考えをシステム化した流派を提示しなければ本当の武術の価値を知ら示すことにはならないと思ったのです。

 そして、武術というのは理論だけつくっても意味はありません。遣い手を育てなければ絵に描いた餅にしかなりません。つまり、実用機能性を有していなければならない点が通常の文化芸術とは異質な部分です。

 つまり、「使わないけれども使えなくてはならない」のです・・・。

 この禅問答みたいな前提を具体化しようと考えれば“試合”をするという選択が出てきますが、試合と実戦はイコールにすることは(法的にも倫理的にも)できませんし、武術の想定し得る実戦の概念も時代と環境によってドンドン変わってしまいます。

 現代では骨董品扱いされている古武術も、創始された当時は最新鋭の戦闘システムを持っていたことを無視してはなりません。

 この点は、海外のセルフディフェンス系マーシャルアーツが軍事的観点を色濃く持っている点で再検討が必要でしょう。

 しかし、日本の場合、スポーツや介護に役立ったというような、本来の武術の目的とは何の接点も見いだせない枝葉末節な応用性を持て囃す風潮が出てしまい、ただでさえ平和ボケした日本武道家が、ますますボケボケになりつつあるのは、嘆かわしい限りです。

 実際に介護をしている人に言わせれば、肉体の介護よりも精神的な介護が重要なんだという話もよく聞きます。排泄物の処理や暴れる老親をどう介護するか?というのは身体操作の術ではどうしようもないでしょう。もっとメンタルなケアが必要な筈です。

 武術の指導も似たところがあるでしょう。

 なかなか育ったな~と思えば、すぐに自惚れて増長する者が少なくありません。自惚れなくとも、そこそこできるようになったら満足してそれ以上に伸びようとはしない者も多い・・・。

 人を指導し育てるのは本当に難しいことだと思います。

 けれども、それでも長く続けていれば教え方も変わるし、真面目に地道に続ける人は伸びていきます。当たり前のことですが・・・。

 私の場合、日々、研究の進展があって当たり前。来る者を選び、去る者は追わず、問題児は破門にし・・・という、道場経営上はウ~ン・・・なやり方であることは百も承知で、それでも量より質を優先してやってきました。

 私は、指導者としてよりも研究家としての比重の方がずっと高いので、正直、お荷物になるような人に教えるのは煩わしいと考えてしまうのです。

 いくら口先で熱意を主張しても、実際の稽古態度がともなっている人はむしろ稀ですから、もう、口で何をどう言おうが、そんな言葉は全然、信用していません。綺麗事を言う人間ほど内実が伴いません。

 本当に熱意のある人は黙ってやるし、こっちがアドバイスしたことには黙って従いますよ。

 北島師範・矢嶋師範代は、まさにそうやって、私が「これをやりなさい」と言えば、黙って「わかりました」って従ってやってきたんですね。その結果、ちゃんと体得していった訳です。

 できないヤツに限って文句言うんですよ。本当に、教えていて情けなくなりますよ。文句があるなら直接言えよって話です。言えないなら黙ってフェードアウトしてもらいたいですね。ムカつくから・・・。


 東京支部同好会は、私に欠けている部分を師範・師範代が埋めてくれる稽古会になると思います。

 何よりも基本を優先し、武術の核になる部分と学ぶことの芯を伝えていこうとしてくれているのが、初回の様子を見学していて、よく解りました。

 セミナーや講座では軽く流している基礎錬体だけで会場の鏡は白く雲ってしまう程、熱気のある練習でした。

 ごく簡単な動きに見えても、実際にきちんとやろうとすれば、全身を細かくバラして動かさねばならず、それでいて全身の連動協調が取れていなければなりません。

 基本が極意に通じると言われるならば、その基本を体得するためには基礎となる身体の動きを練り込む必要があります。これをやるかやらないかで基本技の完成度が何十倍にも差ができると私は考えます。

 矢嶋師範代は、この点について「最初は大変だと思いますけど、これをしっかりやっておけば、後から覚える技が楽に覚えられます」と言っていましたが、自分が苦労したからこそ実感して言える訳で、私はそういう細かい説明はしていませんでしたからね。

 やっている人間だから言えること。それが大切なんですね。

 当日、一年ぶりくらいに参加された会員さんもいれば、空手道場を経営しながら武術研究のためにうちにも通われている会員さん(大会で優勝したばかりだそうでした)もいて、和やかな稽古会になりました。

 練習後には、近くのファミレスで軽く食事しながら懇親会にしまして、いろいろ話をしたり聞いたりしましたが、何か、頭痛くなるような話もあったりして「あ~、どこの道場もいろいろあるんだな~」と、考えさせられましたね。

 でもね~。世界で最も尊敬される日本人って、もう圧倒的に武術武道をやっている人間なんですよね。世界の人から「何だ? 日本の武道家ってこんな連中なのか?」って軽蔑されてしまうような事態にだけはしちゃ~いけないって思いましたね~。


追伸;東京支部同好会は随時、参加会員募集中です。4月中は入会金無料ですので、お気軽にお問い合わせください。練習内容は、游心流武術の基本技から護身術まで指導していきます。

追伸2;相模原本部道場も、随時会員募集中です。4月は、15日と29日に千代田メイプルホールで行います。特に29日は祝日なので、日頃、参加できない会員さんも是非、おいでください。現代の達人も誉めてくれた居合術“独己九剣”もみっちり稽古しようと思っております。せっかく場所が広いので、もっと会員増えてくれると嬉しいんですけどね(月例セミナーとシダックスの講座も宜しく)。


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巧言を操る者に仁は無し?

 コンバットマガジンで甲野氏が菅さんと小沢さんの対応力にイチャモンつけて、何かフヌケた模範解答?を披露して悦に入っていましたけど、要するに、「相手とハラを割って真剣に話し合うのではなく、言葉巧みに責任逃れする話術を使えばいい」と説いているだけなんで、何か、気持ち悪くなりましたね。

 しかも、そのためには“身体を通した訓練が必要だ”とかヘンチクリンな理屈つけてシメにしていて、私はズッコケましたよ~。

 あまりのレベルの低さに、「このオッサンは本当に世の中で苦労したことがないんだな~」と、逆に感心してしまいましたね。

 甲野氏の話術を実践している人としては、鳩山さんがそのマンマですよね。

“問題を回避して結論を出さない論法”であると同時に、「自分が責任をもって決める。私を信じて欲しい」という感情に訴える言葉だけを繰り返すマインドコントロール型の話法・・・。

 私は何度も見ていますが、甲野氏は屁理屈が達者なだけで、相手が本格的な論理で攻める相手だと、大抵、論破されてグゥの音も出ない状態でイヤ~な顔したまま押し黙ってヨガの眠り?に入ってしまったり、放心状態で固まってしまったり、それはもうミジメな醜態を晒しまくっていますよ。

1,高校の講演で高校生に日本刀突き付けちゃって高校生に叱られちゃった時。

2,マルクス主義フェミニストの社会学者(最近はおひとり様の老後で有名)上野千鶴子先生の対談の時に自説をぶちあげて上野シンパの人達の総攻撃を食らった時。

3,恵比寿で稽古会やっていた時に話し合いに行った私と喫茶店で論争していて、自分はプロ格闘家や剣道七段の人にも教えてやっているんだと自慢するので、「そんなこと言っていても、甲野先生は時津先生の前蹴り食らって悶絶したでしょ?」と私がツッコミ入れた時。しばらくして立ち直って、「ピーター・アーツにも勝てるかもしれない」とエバるので、「それじゃ、僕とやってみますか?」と詰め寄った時。

 思い出すと笑っちゃいますぅ~。こ~んな論争の弱いオッサンが話術の極意を授けようって思っちゃうんだから誇大妄想というものでしょう。

 しかし、タカが武術やっている人間が、そんな思い上がったことを考えてしまうくらい今の民主党が情けない?ってことになるんでしょうかね~。

 だから、鳩山さんの発言を聞く度に、私は個人的に甲野氏の言い逃れする時の様子(小学生レベルの論理で、アタマ悪過ぎます)を思い出して失笑してしまいますね。

「三月中に決める」と言っておきながら、「一日、二日、あるいは数日ずれるのは問題ではない」とか、「五月中に決めるように努力している」とか・・・。

 江戸時代の侍だったら、切腹してお詫びしなきゃならないような水準の話なのに、どうしてこの人は、ここまで希望的観測だけを無責任に口にしてしまうんでしょう?

「できないんだったら、約束すんなよぉ~っ」て思いますよね?

 亀井さんが暴走するのだって、要するに鳩山さんが止められないと思ってるから、さっさと決めてしまえば勝ちだと思って好き勝手にやっている訳でしょ? 

 でも、鳩山さんは「曖昧な言い方をしておけば、後からいくらでも言い逃れできる」っていう認識が無意識のうちにも言葉に出てきていますね。

「一日、二日」と言った後で、「数日」と付け加えるところなんて、言ってる最中に「もうちょっと余裕もっとかないと・・・」って考えたんでしょうけど、もう、数日経過しちゃってますけどね・・・。

 それに、「五月中に決めるように“努力している”」と言っている時点で、もう、「全力で努力しましたが残念ながら決められませんでした」と責任放棄するための伏線張っているのがミエミエで、失笑するだけ・・・。

 本当に鳩山さんって、甲野氏と似てるな~って思いましたよ。

“生活の苦労したことがない”(甲野氏は裕福な家に生まれたので一度も勤労したことがないのです)と、ああいう浮世離れした感じになるんでしょうかね~?

 私は、意外と菅さんみたいに感情がそのまま顔に出るような人の方が好感ありますけどね。お遍路さんやった時なんか「そこまでやるの?」って、笑っちゃったもん。

 小沢さんは何か本当に憎々しい悪代官イメージが板に付いててキャラがたってるな~って思うんですけど、鳩山さんは、本当に単なる世間知らずのお坊っちゃまなだけかもしれない?という良いのか悪いのか判らないイメージですけど、何か憎めないですよね。

 ボクちゃんっぽいというか・・・憎むより先に哀れに思えてくる・・・。

 本の大人買いしてた時なんて、ニュース映像で見ていたら松岡正剛さんが一緒にいましたけど、そこについてはニュース番組のどこも指摘してなかったですね。

 私は、「おっ? 民主党さんもお目が高いね~」って思いましたけどね。

 あんな日本の知を代表するような人物をスルーしてしまうんだから、メディアの見識の欠如も凄いな~と思いましたけど、鳩山さんとしては、「どうですか? 私共は超一流の知識人がブレーンにいるんですよ~」って無言のアピールしたつもりだったんじゃないかな~?

 一流過ぎると案外、メディアに知られてなかったりしますからね。まあ、こういっちゃ失礼でしょうけど、マスコミ御用達の知識人って、意外と専門分野で評価されていない二流三流の人だったりしますからね~。

 しっかし、何をどうやってみたところで、鳩山さんは確かに政治家には向いていないんでしょうね~。谷垣さんに追い詰められた程度で「私には腹案がある」とか口走っちゃったりして・・・そんなん、本当にあるんだったら、とっくの昔に論議されてなきゃ意味ないでしょう?

 この期に及んで、無意味なデマカセ言ったりするところが“巧言”の人という印象を強めるだけで、先行きの絶望的な末路を暗示するだけなんだから、率直に、「今の状況では八方塞がりというしかありません」と、はっきりと言えばいいんですよ。

 その上で、「今回の問題は、日本国が、戦後、アメリカの属国であり続けた証拠であり、それにNOを告げるだけの主権国家としての力を持たない現実を表しているんですぅっ!」くらいの気ぃ狂ったような爆弾発言かまして総理を辞するとかですね~・・・そのくらいの捨て身の覚悟を示してみせたら、「鳩山さん、カッコイイ~!」って人気出ていいんじゃないですかね?

 私だったら、そうするな。どうせ、どうにもできないんだったら、問題の根源をビシィッ!と提起して去る。それだって政治家の覚悟だと思いますよ。

 どだい、あっちにもこっちにも良い顔しようなんか不可能なんだから・・・。

 いや~、何か、ニッポンはこれからどうなっちゃうんでしょうかね~? アメリカの州になるか、中国の省になるか・・・事態はそれぐらい緊迫しているのに、ニッポン人はまったく、日々、ノホホ~ンと過ごしている。

 しかし、それが日本の強さかもしれない・・・暴力ふるわれても抵抗しない民族なんだからね~・・・。

 まあ、人間、最後は誰もが平等に死ぬ訳ですから、一度しかない人生、思うがままにやりたいことを目一杯やって悔いのない生き方をしましょうよ?

 そして、自分がそうしたいように、他人のやることも尊重しましょうよ。それだけで世の中、日々、平穏になると思うんだけどね~。

追伸;『游心流武術健身法・上級教材DVD』を、青木宏之先生と小林直樹先生にお贈りしたところ、非常にお誉めに預かりましたよ。いや、正直いうと、かなり自信あるんですよね。このDVD。「居合術が無刀捕りに応用できる」なんて聞いたことないでしょ? 自分で工夫した時に、本当に「俺って凄いこと考えついちゃったな~? こんなのどこの流派にもないぞ?」って思いましたからね。この技の応用法は、実はまだまだ隠していて、いろんな武器術にも応用できるし、対複数にも応用展開できるように作っているんですね。


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出版記念パーティー

 新刊も二冊出たので、「久しぶりに記念パーティーをやろう」ということで、3日の土曜日のシダックスの講座の後、そのままパーティーをやりました。

 遠方(兵庫)から参加する人もいたので、講座の体験入門もついでにお薦めしていたら、いつもの倍くらいの人数になって、こちらも久しぶりに手狭な感じになりました(特に居合術)。

 いつもセミナーに参加されている方は、「スムーズに次々に練習内容が進んでいくので、ついていくのが大変でした」と感想を言われていましたが、確かにシダックスの講座だと、ほとんど説明しないでマニュアル的にメニューをこなしていくので、初めての方は少し面食らうことがあるみたいです。

 それでも、昨年からはセミナーでも前半に基礎錬体をやるようになったので、講座のメニューも解らないということはないので、進展はさして問題ありませんでした。

 しかし、打ち明け話をしますと、まったくの初心者の方がいきなり講座を受講されると、大体は定着しないまま来なくなる人が多いんですよね。

 時間が限られているので、練習メニューをこなすだけになりがちで、個別の動きの意味や応用法を説明することが少なくなってしまうからです。

 現在は、講座の受講生もほぼ会員になっているので、そう困るということもないんですが、講座だけの受講をされていた人の半分以上は続いていないんですね。

 元々が地元の人がカラオケ歌いに来ていて、ついでにカルチャーも受けてみようかな?というコンセプトなので、私の講座みたいに一時間以上かけて遠くから熱心に通う人ばっかりの講座って特殊なんですね。

 それだけ熱心な人だと教えるのも楽なんで、こっちも自然にあまり説明しなくなっていくんですよ。

 やっぱり、稽古している内容の意味を理解していないと、形だけやっても何も身につかないまま無駄にルーチンワークをこなすだけになってしまう人も少なくはありません。

 だから、よほど熱心でないと自然にフェードアウトしてしまいますね。それも何も体得しないまま・・・。

 申し訳ないな~と思いつつも、やる気の足りない人に体得させるのは無理ですから、これはもう致し方ないですね。地道に続ける楽しさを理解できる人は、やっぱり本当に好きでないとありえないんだと思います。

 なので、まったくの初心者の方はセミナーを何回か受けてから、講座なり稽古会なりに来てもらうのがいいと思います。

 丁度、東京支部同好会も始まりますから、初心者の方はこちらを受けてもらうのがいいと思いますね。

 正直、私は自分の研究に熱中してしまうタイプなので、まったくの初心者に一から教えるというのはカッタルクて、ダンサーとか役者とか身体能力の高い人に教えるのは楽しいんですが、“普通の人”に教えるのは面倒臭くってですね~。

 特に、何か、最近は覚えの悪い人には、反射的に掌打入れたり蹴り入れたりしちゃってますよ。

 事細かく説明するのを十回も繰り返して、それでも覚えられないという人は、「向いていない」か、「やる気がない」かのどっちかだと判断します。

 私は事細かく説明して教えてもらった・・・という経験は実際は非常に少ないですね。

 ほとんどは、先生のやっている技を観察して完コピし、帰宅してから技の原理がどういうものなのか?を必死に分析したりして体得していきました。

 だから、観ただけで覚えられるし、アレンジして返し技や応用変化技もできる訳なんですよね。

 才能の問題じゃなくて、集中力と執念と探究心の成果ですよ。

 自分が“超・努力型”の人間なんで、「教えてもらえばエスカレーター式に自分も上達できる」と考えているような甘えん坊は“殺意がわくぐらい嫌い”なんですよ。

 例えば、北島師範や矢嶋師範代は、入会してきた頃は別に目立った才能があった訳でも何でもなかったし、他の小才のある会員なんかは陰で嘲笑したりしていましたよ。

 私は、その様子をじぃっと何カ月も観察してきていましたが、結局、小才のある人間はすぐに自惚れて私に対しても嘗めた態度を隠さなくなっていき、本人の自己認識とは逆に技量の伸びも停滞していましたが、北島、矢嶋の二人は愚直に私の教える通りに地道に稽古を積み重ねていき、今では游心流の看板を背負うに足りる実力に育ってくれました。

 やっぱり、素質や才能よりも、最終的にものを言うのは努力を積み重ねること以外にはないんですよ。

 誤解している人が多いと思いますが、私の教える内容は年齢性別に関係なく誰でもできるようにはなれます。理合を理解すれば技なんか悲しいくらい簡単に会得できます。

「長野さんの言っていることは信じられない。私は十年もやってきているけれども、まだまだ体得できていない。そんな簡単にできる筈はない」という類いの批判を随分と向けられましたが、嘘か本当かは確認すればいいだけの話で、私は疑問を向ける人を言葉で説得する気なんかありません。

 だって、“事実を言っているだけ”という認識だからです。

 10年やろうが30年やろうが、理合を理解できなければ技は体得できません。確かにそんな人もざらにいます。ですが、可哀想ですが、そんな人は洞察力がないんですよ。理合を理解できれば“一瞬で技は体得できる”んですよ。

 私は合気も発勁も、ほとんど誰にも習っていませんし、自分で分析しているうちにメカニズムが読めたから自在に使えるようになりましたし、今現在も基本メカニズムを応用発展させ続けています。

“自在に使える”と豪語しているのも、現実に誰にもヒケは取らない自信があるからですよ(謙遜し過ぎると「自信がないんだ」と受け取る人が多いので、はっきり申し上げておきます)。

 無論、これは自分だけが凄いと威張りたいんじゃないんですよ。私が発見した“それ”を教えたら誰でもできるようになった・・・それが現実のことだからです。

 もし、私の言っていることが嘘だったら、誰が一万円もするセミナーにせっせと通うでしょうか? 文句言うのは自由ですが、事実は事実なんだから、「ウルセ~よ」の一言ですね。

 しかし、ここが重要なことなので、しっかり認識していただきたいのは、「技ができるのと、それを用いて命を守れるかどうかは同列にはない」ということです。

 私は、武術そのものに耽溺しているのではなく、本当に命のかかった刻に冷静に対応したり勝負に臨んだりできるかどうか?という観点から、武術を選んだだけに過ぎません。

 アメリカに住んでいたら銃を沢山買い込んでいたかもしれないし、あるいは宗教に帰依して絶対的な信念に安心立命を委ねていたかもしれません。

 どんな方法を選ぶにしろ、私の場合は、命のかかった状況にどう対処するか?というテーマを一生かけて考える生き方をしたのは間違いないでしょう。

 なので、たまたま武術を探究することになりはしましたが、それはあくまでも方法論として選択しただけなのです。

 とは言っても、もはや、趣味の一言では表現できないくらいの大きな意味を持ってしまっていますから、私としても、価値を理解してくれる人にしか教えたくはないんですよ。

 北島、矢嶋両君は、そんな私の想いを理解し尊重した上で学んでくれているのが判ったので、安心して師範、師範代を任命できたんですね。

 無論、常連の会員さんや、セミナーの常連の皆さん、今でも忘れずに顔を出してくれる昔の会員さん、熱心な読者の方・・・といった人達の応援する気持ちのエネルギーが私を支えてくれていたんだな~・・・という実感もありますね。

 それに対して私ができることは、「期待に応える仕事をする」ということだけです。


 そんなこんなで、今回の記念パーティーは、非常に気分よくやれました。

 カラオケをやるのも忘れるくらい、お喋りに夢中になって、あれこれと喋っているうちに時間が過ぎてしまい、記念撮影をしようと思っていたのも忘れてしまいました。

 何か、いつも記念撮影は忘れてしまうんですけどね~。

 まあ、日々、生成流転するのがこの世の理(ことわり)ですからね・・・。うちは淡々と長く続けていきたいな~と・・・。


 前日には、躾道館の小林直樹先生からもお電話を頂戴してDVDの感想をうかがいましたし、その小林先生もDVDを出すことが決まりました。あの超神速の加速歩法がついに披露されるかと思うと、感慨深いです。

 青木宏之先生の『剣武天真流』のDVD撮影の方もメインの撮影は終わりました。実技の実演は新体道代表である大井先生が担当され、青木先生は解説と模範演武もされています。

 よく考えると、青木先生が自身でここまで実演解説したりするのは滅多にありませんから、これはなんだかお宝DVDになりそうですよ~?

 その他にも大物の企画が進行中ですし、私も新作に取り掛かりはじめています。

 今の時代、立ち止まっていたら、あっという間に時代に取り残されてしまいます。時代の最前衛を駆け抜けていかなきゃ~、男と生まれた甲斐がないでしょう?

 自己満足だけを求めて生きても、それは得られないものです。目標は高く高く設定しておいて、そのために努力していく人間だけが結果的に自己の人生に達成感を得て死ぬことができるんだと思いますよ。

 謙虚さと卑屈さを区別できない人が多いような気がしますね~。


追伸;十数年ぶりに秋口に短編のインディーズムービーを撮る計画を進めています。スタッフ、キャストともに募集中です。特に特殊メイクのできる人の協力を求めています。我と思わん方は御連絡ください。完成したら作品はネットで公開する予定です。


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護身具“クナイ”

 日本人カメラマンでアメリカで銃写真のプロとして活躍後、趣味のコンバットシューティングが高じて、コンバットシューティングのプロガンマンになったイチロー・ナガタ氏。

 彼のお墨付きを得た銃は、日本のモデルガン、エアガンの世界でも人気が高く、例えば、S&WのM66(次元の愛銃コンバットマグナムのステンレススチール版で、短銃身2.5インチのモデル)とか、CZ75の初期モデル、SIGのオートピストルといったイチロー氏が「良い」と認めた銃は、映画の人気銃よりマニア間で高い評価を受けました。

 そんな訳で、彼は、我々ガンマニアの間では神様に等しい存在なんですが、セルフディフェンスとしてのコンバットシューティングを長く探究されているうちに、銃を使えない場合の護身術として、ナイフ術から更に武術的な護身術の研究もされているようでした。

 アメリカは銃社会であり、「自分の身は自分で護る」という西部開拓史の時代からの建国の理念があります。

 イチロー氏は、そんなアメリカの考えと日本人のブシドー精神を合体したような考え方なので、私は正直、ついていけないな~と思う面もあるのですが、それは私の付き合いのある武術の先生方とも共通しているので、思想を除けば依然としてファンであり続けています。

 それに、アメリカ人の間でも日本の武術家は尊敬できる対象であるらしく、その気持ちを裏切らないようにしなきゃいかんな~と思う今日この頃なんですが・・・。

 最近、イチロー氏は日本でも持てる護身用のタクティカルペンをデザインし、SATマガジン他で何度も紹介されていました。

 タクティカルペンというのは、“護身用のペン”ということであって、中国の暗器にも判官筆(パンガンピン)という筆に似せた武器がありますし、日本の隠し武器の中にも筆に仕込み刃が入っている物があったりします。

 要するに、文武両道?って言葉を実体化したような武器なんですね。

 類似の護身用武器というのは、古くは、手の内、寸鉄から名称すらないものがありますし、現代でもクボタン(コブタン)といったキイホルダーとして用いる物があります。

 これらには、ナイフを内蔵した物もありますが、9.11テロや、例の秋葉原通り魔事件の後、ナイフの規制が厳しくなったりして、ほぼ持ち歩くのが禁止されたようなものなので“ナイフを内蔵していないタクティカルペン”の需要が高まってきたという事情があるようです。

 そこで、イチロー氏がデザインしたタクティカルペン、通称“クナイ”(忍者の万能刃物“苦無い”へのオマージュ)は、鉄に匹敵する耐久強靭性を持つエアクラフトアルミ製で、上部に竹のフシのような滑り止め部を持ち、更に頂きには車のウインドーガラスを緊急時に割ることのできるグラスブレイカーを装備しています。
20100405.jpg

 パッと見、ちょっと変わったデザインのボールペンだな?くらいにしか思わないものの、百円のプラ製ボールペンとは比較にならない武器としてのタフさを備えています。

 私も護身術の講座をやってる者として、こういう実戦に耐えられる日用品を持ち歩けるといいな~と思っていて、夏場はバッグに中国扇子を入れていたり、キイホルダーはコブタンにしています。

 しかし、携帯するにはどちらも少し不自然なんですね。

 冬場にデカイ扇子持っていたら変だし、キイホルダーが妙にデカイのもね~?

 そういう意味でもタクティカルペンには以前から注目していて、何か適当な物をいくつか買ってテストしたいと思っていたところだったんですね。

 そういう時期だったので、まさにタイムリー!

 SATマガジンのタクティカルナイフの記事を読んで、兵庫県姫路市の山下刃物店に注文しました。

 何故、わざわざ遠くのお店に注文したか?と申しますと、ナイフマガジンの記事なんかも以前から読んでいて、このお店のナイフがいいな~と思っていたからなんですよ。

 御承知のように、私は日本刀マニアなんですが、ナイフに関しても日本刀テイストを求めてしまうんですよね。海外のブランドナイフより、やっぱり日本の和のテイストがあって、尚且つ現代戦闘をリードできる前衛的なナイフが欲しいと思う訳ですよ。

 それはそれとして・・・初回ロット分は売り切れてしまっていたそうで、「次回分が入荷してから送ります」とのお電話を頂戴して待つこと一カ月・・・憧れのイチロー・ナガタ印のタクティカルペン“クナイ”が送られてきました。

 大きさでいうと、私が持っている棒手裏剣くらいで、思わず直打で構えて投げてしまいそう・・・。重さは上等な万年筆みたいでボールペンとしては重く、重心が上にくるのでボールペンで文字を書くには、やや指力が必要か?という感じで、ペン回し競技には使いにくいでしょう。

 しかし、この“重さ”は武器としての威力を証明するものです。

 そもそも、タクティカルペンの意義は、“打撃力の強化”にあって、非力な女性や老人が一撃で暴漢をノックアウトできる威力を出すための物なのです。

 寸法を同じにした、新聞紙を丸めた棒、杉の棒、樫の棒、鉄の棒があったとしたら、断然、鉄の棒が打撃力を出せます。

 しかし、これは硬いから威力があるのではなく、実は重いから威力があるのです。

 例えば、これらの棒よりずっと柔らかいゴムホースに鉛の粒を詰めてブラックジャックみたいになった物で打てば、鉄の棒で打つより甚大なダメージを与える場合があります。

 これは重くエネルギーが浸透するからです。

 武器というのは材質と形状によって効果がまったく変わっていきます。

 百円の軽いペンや鉛筆だって、場合によっては人を殺すことができますが、もともとが武器として用いるようにはできていませんから、緊急時に持ってもあまり意味はありません。

 私も、緊急の時には何か身の回りの物を武器に使うことより、とっさに五体を駆使して何とかしようとするでしょう。そのために武術をやっているんですから・・・。

 タクティカルペンだって、相手が木刀やナイフを振り回していたら対抗するのは難しいでしょう。日本刀でも持っていたら対抗できません。

 が、隠し武器としてのタクティカルペンの威力は馬鹿にできません。

 私は、送られてきた“クナイ”を弄びながら、「拳に握り込んで突く・逆手に握って叩き打つ・関節に引っかけて逆手を捕る・急所に刺し込む・手裏剣打ちに顔面に投げ打つ・・・」といった使い方ができると判断しています。

 これらは隠剣(手の内)術の応用で考えたものですが、この“クナイ”の強靭な材質と形状だからこそ使えると思うのです。安いボールペンだとすぐに壊れてしまうでしょう。

 ただし、ナイフではありませんから、武器そのものに殺傷力はありませんので、やはり、“基本的な体術ができる”という前提の上でなければ真の威力を発揮することは難しいだろうな~と私は思いました。

 イチロー氏がSATマガジンで背後から捕まって両腕を締め付けられた場合の対処法を写真解説されていたんですが、こういう揉み合いの状況には打撃技では対処できませんから、合気道やシステマのような脱力して脱出するボディコントロール・テクニックを知っておく必要があると思いました。

 そういう意味でもタクティカルペンの機能をより引き出すような武術の原理を応用した総合的護身術を研究していくべきだな~と思いました。


 それにしても、世界で活躍されている日本人の存在は、誇らしく思えますね。私も頑張りまっす!


※クナイ・タクティカルペンTP-09 ¥14800(本体価格)
山下刃物店 www.yamashita.org

PS;ちくま新書の広告記事が朝日新聞の3月17日号に掲載されていたそうです。私の本『使える武術』も結構、売れ行き良いみたいです。バリバリ売れて増刷してくんないかな~? 先週、神保町の高山本店新作DVDの納品に行ったついでに、書泉グランデに寄ったら、何と! 私のフェアが開催されていて、ぶっ魂消ました。知らんかったよ。こっ恥ずかしいので、そそくさと目的の本(荒谷先生の本)を買って逃げ帰ってきましたよ。御近所の方、ちょっとのぞいて笑ってやってください・・・。


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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