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小島さん、いい加減にしなさい!

 病気療養していた友人から電話があって、「長野さんは小島一志さんと何かあったの?」と聞かれました。

「長野さんが逃げたとか書いてあるけど、意味がわからないからさ~」と言うのです。

 うちの会員さんからも聞いていたんですが、「逃げた」と言われては流派の長として黙って見過ごす訳にはいきません。

 確かに、小島さんから彼が主宰しているという稽古会への招待メールがあったのは事実です。

 しかし、その日は私は仕事がありますし、返事のメールも受け取り拒否されているので断ることもできません(携帯の電話番号は書いてありましたが、率直に言って以後、嫌がらせ電話が来たら困るので電話はしないことにしています)。

 まして、他人に招待状を贈るというのは親愛の礼あってのことであるのに対して、彼は自分のブログ中では私に対する憎悪を燃やした書き方をしています。

 邪悪な意図しかないのは誰の目にも明らかです。

 そのような悪意を秘めた招待に応じる人間は、ただの愚か者でしょう。

 従いまして、私は無視させていただきました。“逃げた”のではなく、“避けた”のです。理由は? “気持ち悪いから”です。

 無論、彼が鬼の首取ったように私を臆病者呼ばわりするだろうことは歴然としていましたが、そのような見え透いた手口を洞察できない馬鹿者に何と言われても私は構わないと思っております。

 ですが、敵前逃亡したという噂が広まるのは困るので、少しだけ反論しておきたいと思います。

 気に入らない相手を脅迫めいた文言で貶めようとするやり方をすれば、それは巡り巡って我が身に還ってくるのが“この世の理法”です。

 私は、かつての師である甲野善紀氏をはじめ、幾人もの有名武術家を徹底批判してきました。

 それが間違いであったとは思っていませんが、彼らへの批判は、いずれ自分自身に還ってくるであろうことは覚悟していました。

 事実、想像以上に多くの人間の憎悪を向けられてきました。

 ですが、それは覚悟の上でやったことです。まったく後悔はしていません。いずれ、私が批判してきた事柄が正しいことだったと知る人が増えていくに違いない。そうなったら、私が批判してきた人達自身も我が身の問題を認めて反省することになるだろうから、それまではじっと我慢するしかない・・・と、そう思って書いてきました。

 実際に、誤解して私から離れていった人達も随分いました。が、信じて残ってくれた人達もいました。

 最近になって、誤解した人達の中からも戻ってくる人がポツリポツリと出てきました。

 我が身を大切にして大局的に言うべきことを言わずにいれば、楽は楽でしょう。

 しかし、自己保身を優先する者に世の中を変革するような働きはできません。そういう仕事をやるには捨て身にならねばならない。捨て身になるということは悪党と呼ばれることも厭わない強烈な覚悟が必要です。

 私が小島さんを批判してきたのは、彼にはその覚悟があるのではないか?と思ったからでした。批判する程の価値もないと思う相手を私は批判しませんから。

 私は彼の発言の半分は信用していません(かなり自作自演が入っていると思う)が、後の半分はジャーナリズムに則った面があると思ってきました。

 ですが、どうやら、買いかぶりだったみたいです。多重人格なのか?とすら思います。

 小細工を弄して人を貶めるしかできない見下げ果てた人間だな・・・と、ここ一カ月ほどは彼の病的な対応にガッカリしていました。

 それで、「こんな人間に拘わるヒマはない。こっちは仕事が順調に進んでいて忙しいんだから、無視しよう」と会員とも話していたのです。

 小島さんが私を気に入らないのなら、自分の稽古会に呼ぶのではなく、自分から出向くのが筋でしょう。実際に何人も直接、勝負も辞さずの覚悟で乗り込んでこられた人はいますし、そのうちの何人かとは友達付き合いをするようになったり、入会された方もおられます。

 直接行くということは、凄く度胸のいることです。私も何度か経験があるから、その緊張感は解ります。中には精神疾患を疑わせる人もいましたが、勝負も辞さずの覚悟を持って相手を訪ねるというのは、男気のある人ですよ。何人かの人は今でも尊敬しています。

 さて、私は元来、臆病ですけれど、だからといって侮辱されたら黙っていられません。

 小島さん。あなたも自分が武道家だという認識があるのなら、小細工を弄するのでなく、自分独りで訪ねてきなさい。勝負したいのなら受けますよ。勝負する気もないのなら、いい加減に見苦しい真似はしないで、黙って仕事に専念しなさい!


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竜虎さん、その論理は通じないよ・・・

 お昼のワイドショーは下手なドラマより面白いですね。

 鳩山劇場のヒロイン?だった福島さんの無駄な意地っぱり(個人的には嫌いじゃないけど・・・そこを譲ったら社民党の存在意義はないからね)も面白いけど、今回、「オイオイ・・・」って思ったのは、暴力団にチケット売ってた疑惑で処分された親方の問題で、コメンテーターの竜虎が・・・

「暴力団との付き合いなんかやっちゃダメなんだよ」というコメントに続いて・・・

「ヤクザならありますよ!」と平然とのたまったところ・・・。

 司会者なんかも、エエッ?という顔をしているところに、すかさず、フォロー?

「ヤクザと暴力団は違いますよ。だって、フーテンの寅さんだってヤクザですからね」との強引な論理・・・。

 いや~、この人、以前から論理がおかしいな~と思ってたんですけど、やっぱり、根本的に空気が読めないというか世間の認識とズレてますよね~。

 だから、コメンテーターにこの人の姿を見ると、「何かヤバイこと口走るんじゃないかな~?」って、ちょっとワクワクッと、期待?してしまうのです・・・。

 で、今回は予想に違わぬトンデモ論理を言いだしてくれました。

「暴力団という言葉はヤクザの蔑称であって、“カタギじゃない”(アウトローってこと)ことには変わりがないじゃないの?」というのが世間一般の認識です。

 世間的に問題視されてるのはそこなのに、「ヤクザと暴力団は違いますから」って言っちゃったら話にならんでしょう?

 案の定、番組放送中に視聴者の意見(苦情)の電話が随分あったみたいで、終わり加減に司会者のお詫びと釈明がありました。

 でもね。だからといって、私は竜虎の意見が一方的に間違いだと非難するつもりはないんですよね。

 何でかっていうと、武道格闘技の世界も、政財界も、芸能界も、(実は宗教団体も)ヤクザと無縁ではないからです。現実に・・・。

 政財界と芸能界はアンダーグラウンドでヤクザが“必要悪”ですし、武道格闘技の場合は興行をヤクザが仕切るので付き合いができる。

 あくまでも噂ですが、政治家やアイドルやミュージシャンや格闘技イベントのプロデューサーなんかの自殺は、本当はそういう方面の荒事専門の人達による他殺なんだという話も昔からよくあります。

 なので、スキャンダルを暴こうとしたジャーナリストが仕事を切られて、どこのメディアも話に乗ってくれなくなった時に、「命拾いしたな・・・」なんて電話がかかってきたりすることもあるようです。

 結局、世の中、裏でいろんな力が働いて成立しているんだな~って話です。これは中国では秘密結社(洪門会とか青幇とか)を源流にする“黒社会”もありますし、イタリアのシチリアン・マフィアとか、インドだとアサシンとか、いろいろありますよ。

 相撲は歴史も長いからヤクザがらみなのは当然なんですし、だからこそ竜虎も平然と「ヤクザと暴力団は違うんですよ」と言える。

 ボクシングやキックボクシングなどのジムもヤクザと完全に無関係なところを探す方が難しいかもしれません。

 K-1だってMMAだって、興行がからんでる格闘技はヤクザとからまざるを得ないんですよ。興行を仕切るのは昔からヤクザの仕事でしょう?

 綺麗事言わずに、それもまた伝統の裏面史である現実は認識しておくべきです。

 ヤクザ者はケンカが強くなりたいから武道格闘技を好む訳ですし、有名な武道家が元ヤクザだったりするのも珍しくありませんし、現役の人だって少なくはありません。

 私が学生時代に武術にのめり込んで大学を中退すると言った時に、うちの母親は「あがんとはヤクザか右翼のやるもんたい」と吐き捨てていましたが、その時は、「そがん偏見で見るもんじゃなかばい」と言い返したものの、深く追究すると、確かに武道としてレベルが高いところはヤクザや右翼と繋がりがあったりするんですよね~。

 例えば、実名は挙げませんけど、空手家でヤクザという人は結構多いし、プロボクサーが引退してからヤクザの用心棒やっていたりすることも少なくない。古武術関係は右翼の人が多いですよ。

 もちろん、竜虎が主張するように、彼らは自分たちがヤクザであることにある種の誇りを持っていますし、暴力団という認識はないかもしれません。チンピラを別とすれば親分とか幹部クラスは礼儀正しくて人間的に魅力的な人も多いでしょう。

 でも、当然ながらヤクザと自認する人は、何か事件が起これば必要とあらば暴力で解決しようというハラはある訳です。

 極道という言葉は、道を極めると書きますが、彼らの追求する道とは任侠道であって、まあ、アナーキストだと思えばいいでしょうかね?

 昔、武道関係の親しい人達からは、「長野さんはヤクザみたいな性格だよな~」とか言われたりしていましたが、松田隆智先生から「長野君は任侠道がわかってるな~」と言われて、あ~、そういうことか・・・と思いました。

 ヤクザにとってのアイデンティティーは、任侠道。

 だから、暴力団というのは、昔気質のヤクザは「あいつらは任侠道がねえっ」って軽蔑する訳ですよ。

 私がいろんな武術家を毛嫌いする感覚に近いかもしれませんね。自分も世間的に見れば武術家の仲間に入ってしまう訳ですが、それが嫌だから、「武術研究家」と名乗っている訳ですけどね。

 私がある種のヤクザへの敬意を覚えるのは、彼らが常在戦場に近い意識を持っているということです。

 日本の武道家にも格闘家にも武術愛好家にも、そういう意識はほとんどないでしょう。

 自衛隊員にも、そこまでの意識のある人は少ないんじゃないでしょうか?

 それが容認される環境でいられたことは、戦後日本のある方面での素晴らしさではあったけれども、だからこそ最大の欠点にもなってしまったと思います。

 その平和が、アメリカの軍事力の傘の下にいたから成立しているという裏の事情を忘れてしまっていたということです。

 鳩山首相の転向は、表側の民主国家としての日本しか考えていなかった人間が、裏の事情を知ってヤバイ!と思ったからなんでしょう。でなきゃ、あんな恥も外聞もなく変心しませんよ。


 竜虎みたいに相撲の世界にいた人は、恐らくヤクザに対して一種の敬意をもって接してきたと思います。

 人間の動物としての本能の部分で、ヤクザは男の理想像に近いからです。だから、ヤクザしか愛せない女性なんかもいますからね~。

 つまり、アウトローへの憧憬です。世の中で生きていくには、まず法律に縛られる。その法律を超えて、自分なりのルールで生きている人間へ憧れる感情がある。

 時代劇や西部劇のヒーローが、圧倒的にアウトローばっかりであることが、それを証明しているでしょう。ルパン三世だってそうでしょ?

 ただね~、それらの作品というのはファンタジーであって、現実社会ではアウトローが生きていくにはアンダーグラウンドな世界でしかありえないんですよね。

 そこのところを熟知している人なんかだと、「相撲界のタブーを斬るなんて、やっちゃいけないことなんだよ・・・」と、ポツリとコメントしたりするんですよ・・・。

 まあ、そんな次第で、私は竜虎の言いたいことも解る。「日本の格式ある大相撲は、誇り高い任侠の徒に支えられてきたんだ」と言いたかったんでしょう。

 率直に申しますが、私も武術を選んだ時点で、人生の“ここぞ”という必要性がある時には敢然と戦って死ねる覚悟をしたいと思いましたね。私にとっては法律より自分の意気の方が上位概念です。

 普通の日本人だったら、トラブルを暴力で解決しようとは考えないでしょう? でも、私は最終的には暴力でしか解決できないと思ってる訳ですよ。

 無論、“最終的”な話ですが、自分も他人も生命の危機に直面した時に法律がどうのこうの言ってらんないでしょ? これは生物としての本能的生存欲求なんです。

 つまり、もし、それが必要だと思ったら、アウトローになってでも思いを果たすことを選びたい。そんな捨て身の心境になれることが武術修行なんだと考えている訳です。

 だけど、くだらない人間と争うのは御免こうむりますよ。虚栄心に凝り固まってる精神疾患の人とかかわるとずっと付きまとわれるでしょ? 多いんですよね~、こういう人が武道の世界には・・・。

 どうせ死ぬなら、通り魔と遭遇して刺し違えて死ぬとか、テロ集団の本拠地で爆弾抱えて自爆して死ぬとか、せめてそういう世の中のためになる死に方をしたいですね。

 一殺多生ですよ~(って右翼の考え方と一緒じゃん?)。

 やっぱり、命を懸けるのなら世の中に役立つことに懸けなきゃね~。個人の自己愛を満足させるためだけの「強くなりたい」武道修行なんか、誉められたもんじゃない。

 そんなの単なる自己憐憫ですよ。


追伸;最近、道場訓を増やしました。「触らぬこじまに祟り無し」「泣く子とこじまには勝てぬ」「君子こじまに近寄らず」・・・わっかるかな~?


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居合道を見学してきました

 22日の土曜日に、シダックス橋本駅前店で金曜日に太極拳の講座を担当されている河原達先生の居合道の稽古会をお願いして見学させていただきました。

 河原先生とは、シダックスで講座を始める時に知り合いまして、一度、太極拳講座を体験入門させていただいたこともあり、楊名時太極拳と八段錦の手ほどきを受け、その時の御指導が素晴らしくて、人柄も良くて技量も確かな先生というのは稀な存在?ですから、以来、時々、お会いしてお話させていただいたりしています。

 河原先生は現代居合道で最もポピュラーな夢想神伝流を修行されているとうかがい、「そのうち、是非、見学させてください」とお願いしていて、ようやく、その機会を得た次第です。

 率直に言って、私は現代居合道にはあまり興味がありませんでした。八段くらいの先生の演武を見ても心に響くものがなかったし、『剣道日本』などに掲載されている居合道の大会の写真とかを見ても力みまくって息を詰めて刀を振っている様子が予想できたので、武術として参考にはならないと思ったからです。

 しかし、私自身は居合道をきちんと初歩から学んだ経験がありません。これまた、ほぼ我流なのです。

 そんな自分の眼で判断するのも傲慢というものでしょう。

 それで、一度はきちんと現代居合道をしっかり観ておくべきだと思っていたのですが、基本的に興味がないのでズルズルと時間ばかり経過してしまっていたのです。

 ところが、河原先生が居合道をなさっていると聞いた時に、直感的に、「この先生の居合なら違うだろう」と思って、お願いしたのです。

 そして、私の直感は間違っていませんでした。

 河原先生は合気道もなさっていたそうなのですが、合気道の流れ、太極拳の軸と脱力が合わさって、極めて端正で自然な居合を抜かれていました。

 以前、私が見た八段の先生と比べても三倍の実力だな~と思いました。段位は当てにならないものです。

 優れた先生の技を観るということは、何にも勝る修行です。

 基本の礼法、演武の呼吸、抜き納めの体動、身勢・・・非常に勉強になりました。

 帰りにファミレスで河原先生とお話した時に、「先生の居合には合気道と太極拳が活きていますね」と感想を言うと、「やっぱり、そう思いますか? 私も居合道だけでなくて合気道や太極拳が役立っているように感じます」と話されていらっしゃいました。

 世間的に有名だからといって優れた師範とは限りません。無名であっても、コツコツと修行を積んで、日々、精進されている師範は全国に多くおられるのだろうと思います。

 私は研究家として、そんな師範方の存在を知らせることも仕事だと思っていますが、優れた師範に出会う嗅覚だけは発達しているのかな~?と思うばかりです。

 河原先生はシダックス橋本駅前店(金曜午後3:15~4:45)ばかりでなく、都内でも何カ所かで指導されているようです。


 あっ、そうそう。河原先生の愛刀を見せていただいたら、現代刀工の筑州国光でしたが、これは私のもっている小宮四郎國安と同門なんじゃないか?と思って、ちょっと、驚きました。パッと見た時に「あっ、似てる」と思ったんですが・・・。

 もし、そうだったら縁というのも怖いくらいですね。


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横浜同好会始動!

 東京支部同好会が始まって日も浅いんですが、横浜在住の会員さんの要望で、横浜市戸塚区で“游心流横浜同好会”も6月から毎週金曜夜に始動することになりました。

 こちらは、游心流の稽古理論による太極拳を中心にした護身と健身に特化した同好の稽古会とすることに決めまして、料金も一回毎に1000円と、本部東京支部の半額になっています。

 料金体系は統一したかったんですが、会場の賃貸料金が格安で維持費が安く抑えられるのと、それとは逆に稽古内容は規制されてしまう(武器術は無理)ので、協議した結果、「支部ではなくて同好会に留める」ということで、通常の半額とすることにしました。

 東京支部の場合は、基本的には本部と同様の稽古内容ですので、今はまだ居合術などの武器術はやっていませんが、おいおい参加者の熟練度によって居合術などの武器術(半棒・杖・ヌンチャク等)も稽古していく予定でいます。

 そして、都内の施設賃貸料金は額が高いので本部と同じ2000円に統一した次第でした。

 横浜同好会は、身体作りと動きの精錬、それに読みと交叉法の体得に目的を絞った稽古会にしてみようと思っています。

 なので、名目としては、以前、シダックス橋本駅前店の講座で名乗っていた「游心流太極拳」とします。

 稽古内容は、基礎錬体・歩法・対錬と、簡化24式太極拳、太極拳の技を応用した推手、差し手からの交叉法の研究などになります。

 ちなみに、よく質問されるので少し書いておきたいのですが、私が学んだ太極拳は、大友映男先生(正宗太極拳)・小林直樹先生(陳ハン嶺太極拳)・高小飛先生(呉氏太極拳)・河原達先生(楊名時簡化24式太極拳)・山下さん(楊名時太極拳)に、それぞれ一回から数回学んだだけです。

 私が松田隆智先生に親しくさせてもらっていることから、一部に、「長野さんは松田隆智の秘蔵弟子で、八極拳や心意六合拳、そして陳式太極拳の絶招(必殺技という意味)を教わっている」という妄想都市伝説?があったことがあるんですが、私は陳式太極拳は学んだことがありません。

 松田先生が都内で内々に八卦掌の講座を催されていた時に、御厚意で三回だけ受講させていただいたことがあるだけで、その時に松田先生が八極拳と陳式太極拳を少し演武されたのを見たことがある・・・というだけで、直に御指導いただいたことはありません。

 強いて言えば、お喋りしている時に技術解説を何度かお聞きして私なりには大いに参考にさせていただいた・・・という意識はありますし、恩師のお一人という認識はありますが、到底、弟子を名乗れる立場ではありませんし、松田先生も武術として教えていらした講座ではありませんでしたから、余計に御迷惑になってしまうでしょう。

 なので、私の太極拳は我流以外の何物とも言えませんし、合気道みたいに「一時間半の体験入門だけ」という程ではありませんが、トータルで10時間も学んでいません。

 しかし、練習そのものは結構、やりました。太極拳の動きは心身に不快感がなく、気持ちいいので無意識のうちにも練習してしまうのです。この十数年、太極拳の動きをやらなかった日は恐らくないでしょう。そのぐらい日常生活に溶け込んでしまっています。

 ただ、私は、套路そのものよりも動きの原理を探るためにやっていたと言うべきでしょう。

 だから、套路の動作を正確にやろうという意識は全然ありません。私は根本的に“流派”という概念に馴染めないのです。どうにも形式やルールを遵守するというのが性に合わない。

 そんなですから、「長野さんはまともに修行してないからね~」と、伝統武術に勤しんでいる人から批判されたりするんですが、勘違いしてもらいたくないのは、私は24時間、武術のことばっかり考えて生きている人間であって、一日十時間練習していた頃より、今の方が遥かに日々の向上が実感できています。

 はっきり申し上げますが、“流派”というのは枝葉末節です。型や技も枝葉末節。

 伝統武術愛好家の多くは「その道の先達に習うことが修行である」と信じて疑いませんが、そんな依頼心ばっかりの連中が大成することは不可能でしょう。せいぜい、師匠の半分もできるようになればいいところでしょう。

 伝統武術のレベルが代をおうごとに低下していくのは、こういう依頼心しか持たない連中の怠慢に原因があります。

 いかなる流儀であっても真に上達し得るのは本質を掴んだ者だけです。

 武術の本質は“理合”にあります。“理合”が読み解ければ、流派の極意なんか一目観ただけで盗めます。盗めないような人間に極意を学ぶ資格はありません。

“理合”が読み解ければ、型から技を無尽蔵に抽出することも簡単なことです。

 以前、ある古武術研究の第一人者から「アンタは一体全体、あんなに色々な合気のやり方を誰に習ったんだい?」と驚かれたことがありましたが、ほとんど自分で考え出したんですね。

 その方の話では、私は、大東流・八光流・合気道のいくつもの流儀の極意とするやり方を組み合わせてやっているというのです。その時は三十歳半ばでしたから、その年齢で、どういう修行歴があるのか?と驚かれたのでしょう。

 ですが、これもまた、その方が誰かに何年も習わねば会得できないものだという思い込みがあったから誤解されたのでしょう。専門家でも、こういう考えから抜け出せないという次第です。

 言葉を変えると、情報を集めることでしか判断しようとしない人が武術の世界は圧倒的に多いということでしょう。

 私も情報収集という点ではオタク的に相当やってきていますが、それ以上に、異なる流儀の共通項を探って、その奥にある本質を探究することに腐心しました。

 なので、太極拳も陳・楊・呉・孫・鄭などの派閥の違いではなくて、根底にある共通原理を探ることに熱中したのです。

 考えてもみてください。派閥の違いというのは、人間の個性のようなものです。短気な人間が太極拳を学んだら、自然に速く動くようになるでしょう。ケンカっ早い人間なら発勁を強烈に放つことに熱中するでしょう。

 最初は同じ太極拳でも学ぶ人によって少しずつ変化していく筈です。それは自然な変化であって正しい正しくないという問題ではないのです。

 しかし、派閥が分かれても変化しないものがあります。それが、その流儀の特質であるところの“理合”です。

 私はこう考えたので、太極拳の形や派閥には興味を持たずに、放鬆(ファンソン)と、「何のための放鬆か?」という点を探ることを中心に練習したのです。

 それというのも、太極拳を学んだことで、合気の技の秘密が解明できてきたと思ったからですし、丹田と発勁、化勁の意味なども具体的に自分の身体で理解できていきました。

 技に関しては、ほとんど誰にも教わらずに自分で自然に編み出せるようになりましたし、簡化24式だけで超実戦的武術性があると考えるようになりました。

 無論、教わった先生方が良かったのだと思いますけれど、游心流の核になっているのは、身体操作の面でも戦闘理論の面でも、実は太極拳の影響が一番大きいのです。

 太極拳が解ると、空手の動きの意味が物凄く簡単に解るようになります。

 どうしてか?というと、太極拳の動作は突き・蹴り・逆・投げ・崩しなどが混然一体となっており、一つの技の動作から五つ六つの応用実戦技法を抽出できるのですが、空手の場合は動作の意味するところが太極拳よりずっと明確だからです。

 換言すると、空手は楷書で太極拳は行書から草書の武術なのです。

 空手の型を太極拳みたいに、ゆっくりと技の切れ目を無くして演武してみると、何も知らない人が見たら太極拳と勘違いしてしまうでしょう。

 余談ながら、倉本成春先生の型をDVDで見ると、まるで太極拳のようです。つまり、行書・草書の動きに自然に発展されたのだと思います。

 これがどういう意味かというと、個別の技の形には大した意味はないということです。

 拳法の口訣に「一招を極めれば千招も恐れず」というものがあります。

 この言葉は、「技の威力を高めて必殺技に至れば無敵だ」と解釈されることが多いのですが、「一つの技を極めて本質を悟れば、千の技を知る者をも及ばない無限の技の変化を秘めた無敵の技が駆使できる」というような意味だと私は解釈しています。

 また、太極拳の戦闘理論は合気道にも親和性が高く、実際に両者を同時に学ぶ人も多いようです。合気と化勁は理合から検討すれば同一の技法と言うこともできます。

 なので、例えば、「空手(合気道など)を長年やっているが型の意味が解らない」といった人が集まって技の研究をしてもらうというのも面白いのではないか?と思います。

 もともと、要望を出された会員さんがフルコン空手を長くやっている方なので、幅広く流派を超えた技の研究稽古をしたいと考えられた様子でした。なので、参加料金も「500円にしたい」とのことだったんですが、「流石に1/4の額だと差があり過ぎるので」と却下したんですね。

 東京支部と違って、どのくらいメンバーが集まるか予想がつかないのですが、少人数で密度の濃い稽古ができると思いますので、横浜近郊で真面目にやってみたいという方は、是非、おいでください。

 基本的には会員限定ではありますが、恒例ですから、六月中は横浜同好会限定で入会金免除期間とさせていただきますので、気楽にどうぞ。

 尚、当面は私も自分の稽古がてら指導に行きます。セミナーより格段に安いですから、どうぞ、気軽においでください。


追伸;東京支部の矢嶋師範代がブログを開設しました。特撮話では私とジェネレーションギャップをまったく感じさせない彼は、早速、夢枕獏原作漫画話を炸裂させています。細かいことを気にしない私と違って、きめ細かい指導が若い会員さん達に人気の彼です。そのお陰で、東京支部に通っている会員さんの上達スピードは何か異常に早くてビックリしました。どうぞ、読んでみてくださいませ。

追伸2;東京支部の6/1(火)と6/7(月)の稽古は、矢嶋師範代が仕事の都合で来られないので、ピンチヒッターで私が指導に赴きます! 参加希望の方は、やって欲しいことをリクエストしてくれたら、やりますよ。

追伸3;調子に乗って稽古生募集のチラシを作りました。支部や学校のサークル、同好会などをやりたい方は御相談ください。DVD教材もあるので地方の方でもOKですよ。それと指導員希望の方も募集します。


(事務局注)
游心流横浜同好会
2010/06/04(金)19:00~21:00
男女共同参画センター横浜(フォーラム) 多目的スタジオ
http://www.women.city.yokohama.jp/find-from-c/c-yokohama/accessmap/
横浜市戸塚区上倉田町435-1
交通 JR・横浜市営地下鉄戸塚駅下車 徒歩5分

6/11(金)、6/25(金)も同様です!
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ドニー・イェンがワシと同じ歳だったとは・・・

 最近は武道や格闘技やGunの雑誌でも毎月は買わず、本屋さんで立ち読みして面白そうだったら買う・・・という具合に節約しているんですが、『映画秘宝』と『SPA!』は毎号、必ず買っています。

 何か、趣味が変わってきたからですかね~?

 例えば、武道や格闘技の雑誌で紹介されている技術解説とか読んでも、もう、ちっとも参考にならないな~と感じるようになって、「オイオイ、それは違うでしょ?」ってツッコミ入れながら読んでしまうんですよね。

 その上、「オイオイ、その技は~先生に習ったの隠して自分で考えたみたいに嘘言っちゃダメでしょ?」とか、「オイオイ、そのエピソードは~先生の~って本に書かれていたエピソードでしょ?」とか、いろいろと虚偽申告を発見したりして、誌面で紹介されてる「達人の正体見たり、ただの嘘つき。字余り・・・」って、侘しくなっちゃうことが多いんで、毎回買おうって気持ちにならなくなってきたんですね。

 だって、私、仕事してたから判るんですけど、インチキだって判ってるのに売れそうだと思ったらヘーゼンと載せたりするんだもんね。まともな先生達の方が逆に人気出ないからって扱いが小さくなるんだから、凄いよね~。

 その点から言っても、アクション俳優や殺陣の先生は、普段は演技でやっていても実力も優れている上に凄く勉強もしている人ばっかりなんですよ。

 ブルース・リー、ジャッキー・チェン、サモハン・キンポー、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、チャック・ノリス、ジャン・クロード・バンダム、スチーブン・セガール、トニー・ジャーと、海外には多くのマーシャルアーツ俳優がいます。

 日本だって、千葉真一(JJサニー千葉)、倉田保昭、志穂美悦子、真田広之、ショー・コスギ、ケイン・コスギといった人がいます。

 そもそも、映画に於ける殺陣の伝統は日本が最先端だったのです。

 歌舞伎役者の“目玉の松っちゃん”が元祖じゃないでしょうか? それに田村正和の父で剣戟王と呼ばれた坂東妻三郎、松方弘樹の父で『柳生武芸帳』『月影兵庫』『花山大吉』などのヒットシリーズを持つ近衛十四郎。

 そして、私が尊敬する総合殺陣武術家?の若山富三郎先生! 時代劇でドロップキックかました剣豪は若山先生版拝一刀くらいでしょう・・・。

 香港の武侠映画のお家芸と思われているワイヤーアクションだって、元々は日本の時代劇の中でやっていたものだし、その源流は歌舞伎にあるんですよね。“吊り”の技術は、その後、特撮映画の中で、『ゴジラ』の戦闘機や、『空の大怪獣ラドン』のラドンなどから発展して、キングギドラはその最高峰でしょう。

 人間を吊る技術だって、東映版スパイダーマンのアクションや『忍者武芸帳・百地三太夫』の蜘蛛一族のアクションなどに活用して80年代JACアクションのお家芸でした。

 武侠映画のワイヤーアクションを初めて本格的に採り入れたのは、恐らく、キン・フー監督でしょうね。『大酔侠』なんか観ると若き日のややスリムなサモハンの姿も見れます。

 ところで、何故か日本ではあまり名前が浸透しないアクション俳優に、ドニー・イェンがいます。

 何となく悪役のイメージがついちゃってるんですが、ドニーが来日した時にレポーターが「貴方は悪役が有名ですが・・・」と言って、ドニーがちょっとムッとして「私は悪役は二回しかやったことないんだけど・・・」と言って、ちょい空気が凍ったのをTVで見た記憶があります。

 その当時、ドニーが悪役を演じたのは、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ天地大乱』と、『ドラゴン・イン』の時だけで、その後はジャッキーの作品でもう一度、悪役を演じていますが、ほとんどは主人公側なんですね。

 何で悪役の印象が強いのか?というと、それだけドニーが演じた悪役の強敵っぷりのインパクトが強かったからなんでしょう。

『ドラゴン・イン』の悪の宦官なんて、魔王のごとき強さで主人公側が束になってかかっても勝てない無敵の強さ。こりゃあ、ダメだ~と思っていたら宿の料理人が砂の中からアントラーみたいに襲い掛かって、物凄い勢いで肉斬り包丁で脚の肉をそぎ落として骨にしてしまう・・・というスプラッター過ぎてギャグみたいなオチがついていました(ドニーが骨になった自分の脚を見てギャアーッ!って絶叫する)。

 一般的にはジェット・リーが人気が高いものの、ディープなマニアは断然、ドニーが好き。

 それは、演武中心のカンフーの世界で、ガチで戦えるカンフーの遣い手としての評価が高いからです。

 特に欧米ではドニーの人気はブルース・リーに迫る勢いで、ウェズリー・スナイプスなんて、『ブレイド』シリーズの撮影に参加したドニーと会った途端、「師父・・・」って言って跪いて挨拶してんだもん。どんだけ尊敬されてるの?って唖然としました。

 そういえば、ジョン・ウー監督も来日した時に大ファンを公言していた小林旭と会った時に、やっぱり、旭の前で跪いて挨拶したから、旭もビックリしてましたね。

 ジョン・ウーがチョウ・ユンファを主役にしたのも「小林旭に似てるから」ってんだからね~・・・。


 まっ、それはともかく、ドニー・イェンを信奉するマーシャルアーツ映画マニアが多いのは、ドニーがカンフーだけでなくキックボクシングもやっていたりして古典と現代格闘技の両方に精通しているからではないかと思うんですね。

 欧米の人は理屈はともかく、実際にできなきゃ尊敬しないもんね。

 ブルース・リーが今でも尊敬され続けているのも、彼が古典としての伝統武術をそのまま伝えているんじゃなくて、様々な武術、格闘技の良さを認めてハイブリッド化した点にあるんじゃないかな~?と私は思います。

 現に、海外の武道武術愛好家は、何種類かの流儀を融合して新派を興す場合が多い。これはブルース・リーの影響だと思います。

 日本の武道愛好家だと、ひとつの流派を一生続けて他流によそ見しちゃダメって感覚が強かったですね。

 でも、それがしばしば独善に陥って井の中の蛙になってしまったりするんですね。

 少なくとも戦闘を意識するなら他流と戦う時に備えて研究するのが当たり前。その当たり前のことをやらないんだから、自分の殻に閉じこもったまま萎びていくのが運命ですよね~。

 無論、ただいろんな流派の技を混合すればいいとは私は言わないですよ。そんなことをやったら互いの良さを打ち消しあって逆にダメになってしまう場合もあります。

 重要なのは、自分の核になる技術なり戦闘理論なりを確立しておいて、他流の技と戦う場合に備えて一通り経験しておくということです。

 どんな達人でも全然知らない技には脆いものなんです。

 私は手裏剣を三本同時に打てますけど、これって居合の遣い手と立ち合う場合を想定して練習したんです。同時に三本の手裏剣が飛んできたら、躱すか打ち落とすかしても一本くらいは命中するでしょう?

 そうしておいて、居着いたところをトドメに斬ればいい。つまり、居合の技量が及ばない相手と勝負する場合の戦術として考えて練習したんですよ。

 こういうのを卑怯とかほざく人間はルールに則った競技をやればいいのです。私は命のかかった戦闘を生き残るために武術を修行し研究しているのであって、戦う時は相手を殺すというのを前提で考えます。

「お前は、戦いにただ勝てばいいと思っているのか?」と言う人もいるでしょう。

 答えは、「はい、その通り!」です。

 戦う以上は絶対に勝つことを考えないとダメです。「自分より強い相手にも勝てるか?」なんか考えない。

 戦う以上は、刀で斬る・銃で撃つ・硫酸ぶっかける・火炎瓶投げ付ける・・・どんな残忍なことやってでも敵を殲滅する! その覚悟がないなら戦ってはいけません。

 だからこそ、「無益な争いは徹底的に避ける」という発想になる。単なる倫理観じゃないんです。だって、本当に人殺したら、その時点で人生は台なしになってしまい、まともな社会生活は送れなくなるじゃないですか?

 武術というのはその覚悟を養うことが目的なんですよ。「強くなる? そんなヤンキーのタワ言はやめなさい!」って話です。

 沖縄空手なんて、対日本刀を前提にして考えられたんです。元来、一撃必殺を目標に発展したのです。「一撃で相手を倒せるか?」とか考えてる時点でダメ! 「一瞬で相手の命を奪う」という考え方をしないといけません。そこから「空手に先手無し」という自戒が生まれるからです。

 私は武道愛好家と話していて、「何て幼稚なヤツだ」と呆れ返ることが多くて、最近はそれもあって他所の団体とは付き合いたくないんです。オツムの程度がそこらのチンピラと一緒なんだもん・・・。


 全然、関係ない話になりましたけど、アクション映画というのは、こういう武の本質を演劇という表現形式の中で実際に見せてくれるじゃないですか? そこがいいんですよ。

 最初からウソだって判ってるから安心して見ていられるし、こういう仮想現実感覚を味わう心の余裕がない人が武術なんかやっていたら、本当に人殺ししてしまうかもしれませんよ。

 ドニー・イェンがブルース・リーの詠春拳の師匠、葉問を演じた『葉問』の海外版DVDを新会員の方から借りて観たんですが、本当に素晴らしい。

 日本語字幕がついてないから、日本の将校役の池内博之が喋ってるところくらいしか解らないんですが、“マッハ蹴り”の異名のある超速蹴りではなく、詠春拳の高速連打をこれでもかっ!という具合にダダダダダダダ・・・・と打ちまくるドニーの凄まじさに痺れます。

 しかも、関節技で相手を固めておいてダダダダダ・・・・と打ちまくる容赦の無さは、「やっぱり、武術というのは容赦なくやる時はやらなきゃダメだな~」と思わせます。

 前半で北派拳法の遣い手と戦うシーンが見物で、この北派拳法の遣い手は、劈掛掌や戳脚の技を駆使して佛山の武舘を次々に撃破していくんですが、その乱暴なところは「ドニーでも勝てないかも?」と思わせます。

 が、ドニーは優雅かつ精密絶妙な技で圧倒してしまうのです。

 そして、クライマックスは池内演じる日本人将校の空手と対決。こちらも危なげなく勝ちますが、将校の部下が放った銃弾に倒れて・・・というところで終わります。

 もっとも、葉問は長生きして香港でブルース・リーに教える訳なので、ここで死ぬ筈もなく、シリーズは続き、現在、パート2が香港で大ヒットしているのだそうです。

 そんなドニーの新作情報は、『映画秘宝』の谷垣監督の連載中で触れられています。

 それは、あのブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』と同じ『精武風雲』だそうですが、ドニーは以前、このTVシリーズに主演していて香港での人気を確立した作品でしたから、今回も気合が入りまくっているそうです。

 それにしても、谷垣監督の記事中、ドニーの年齢が47歳だということを読んで、私は愕然としてしまいました・・・。

 いや、そのぐらいだろうとは思っていましたけど、私と同じ年齢で、あれだけのアクションができるという点と、あれだけの引き締まった肉体を維持しているという事実にグワアァ~ン!と脳天に衝撃が走り抜けたのです・・・。

 いか~ん・・・今年こそ、ダイエットするか・・・?


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最近、読んだ武術本

 ここ最近、ちょっと知識を増やしておこうかと思って、武術の本をいくつも買ってきて読んでいます。

 よく利用するのは、神田神保町にある高山本店。

 ここは、実際に古武術の師範や研究家やディープなマニアが絶版になった珍しい本や自費出版の本を探しに来ることで都内でも有名な書店です。

 私ももう20年以上のお付き合いでしょうか? ここの近くの書泉グランデさんにも相当昔からお世話になったものでしたが、ほぼ同時期から足を運ぶようになっています。

 ここ十年くらいはビデオやDVDを販売してもらっていて、うちのビデオ、DVDは馬鹿高い(2万円だからね~)ので、「こんな高くて売れるかな~?」と言われたものでしたが、それでもちょくちょく追加注文があって、「長野さんのはよく売れるね~」と笑って売っていただいています。

 最新作の游心流DVD(上級編)も、もう何本か売れていて、もう作っていない過去の作品(発勁とか合気とか)も在庫がありました。

 一割引きなので、心得ている人だとネットで注文しないで新作ができるとここに覗きに来る人もいるようです。

 以前は書泉グランデさんにも卸していたんですが、お世話になった売り場担当者のTさんがリストラされてしまって、「長野さんのことは引き継ぎの担当者にも伝えておくから・・・」と言ってくださったんですが、何となく、足が遠のいてしまって現在は卸していません。

 御承知の人もいると思うんですが、私、自分で営業回りもやっているもんですから、パニック発作の持病と仕事が忙しいのもあって、以前みたいにDVDの卸しをしなくなったんですね。

 やっぱり、独りで何でもやるのは無理がありますよ。かといって人件費払う余裕もないから、以前は置いてもらっていた西荻窪のナワ・プラサードさん、新宿イサミさんなんかにも置かなくなりました。

 現在は、高山本店さんが唯一ですが、それも注文の電話をいただくから・・・という理由が大きいです。

 本が売れると印税で稼いだ方が効率がいい。年に4~5冊も本を出せれば、質素倹約すれば、それだけで生活するのには困らないでしょう。

 もっとも、出版業界もそろそろ一大転換期にさしかかっているので、印税生活だけを目指しても難しくなるかもしれません。出版社も取り次ぎも印刷所も無くなる可能性すらあるんですから・・・。

 だから、自分にできる唯一のことである武術研究と指導に力を入れなきゃ始まらないな~と思っています。ある程度の経済的余裕がないと満足な研究もできないということに気づいたからです。

 そのためには、もっともっと知識も必要だと思って、本を買ってきている訳です。

 さて、高山本店で買ってきた本は、『日本名刀大図鑑』(別冊歴史読本・歴史図鑑シリーズ)と、『新陰流六十年回顧録』(渡辺忠成著・新陰流兵法転会)の二冊と『秘伝』です。

『秘伝』は、毎回ではありませんが、割りとちょくちょく買っています。今号は太極拳の特集だったので買いました。

『日本名刀大図鑑』は、よくある日本刀の写真解説された図鑑なんですが、この手の本は馬鹿高いのが相場ですけれど、定価2800円という手頃な価格(ただし、中古でプレミアついているから4000円くらいしました)。

 元の持ち主の方が几帳面だったのか、本に“西脇”という印が押してあります。平成8年に発行されているので、私が書店で見かけていたら絶対に買っていたと思うんですが、恐らく、マニア向けだから発行部数がかなり少なかったのでしょう。

 出版社は新人物往来社。一年前くらいまでアスペクトさんが入っているビルの同じ階に会社があって、友人の紹介でここの部長さんと名刺交換したことがあったので、一回、御挨拶に訪ねたことがあったんですが、病気療養中ということで不在。そのままになってしまいました。

 やっぱり、人間は縁というのが確実にあって、繋がる人とは不思議に繋がるし、繋がらない人とはどんなに頑張っても繋がらないものだと思いますね。

 だから、私は何度もしつこく訪ねたりはしないことにしています。しつこく訪ねたからって、性格が合わない人とは結局は疎遠になるものですし、繋がる縁は、本当に全然、予想もしないところから繋がったりするものなんですよ。

 で、この本も、高山本店で見かけて立ち読みした時は、持ち合わせが少なかったので買わなかったんですが、二回目に行った時にまた読んで、今度は余裕があったので買いました。

 ここ最近は、武術の本より日本刀の本を買うことが多いんですが、どれも似たようなものなのに、やっぱり、少しでも独自色があると買いたくなるんですよね。

 中でも、兼元(関の孫六)の写真を観ていると、私のもっている脇差の兼元と刃紋もそっくりだし、「やっぱり、これ、本物みたいだな~。ちゃんと研いでおいたら結構な財産になるかもな~」と思いましたよ。

 以前は私は日本刀のブランドには全然、興味がなくって、「無銘でも偽銘でも刀としての機能が確かなら構わない。同じ鉄なんだから、そんなに変わる物でもないだろう」と思っていたんですが、試し斬りをやるようになって認識を改めました。

 やっぱり、本物は出来も全然違うということが解ってきて、本物が欲しいと思うようになりましたね。

 それから、『新陰流六十年回顧録』は、転(まろばし)会を主宰されている渡辺忠成先生が書かれた本で、転会の歴史と現在の新陰流の状況について、かなり突っ込んだ内容で書かれています。

 恐らく、出版社を通していたら企画として通らないか、かなり内容を制限されたと思います。そのくらい暴露的なことも書かれています。

 私は渡辺先生とは何度かお会いする機会があって、稽古会も見学させていただいたことがあるのですが、結局は入会しないままでした。

 本当は入会しようと思っていたのですが、伝統武術の世界にどっぷり入ることへの躊躇があったり、元転会の小用茂夫先生の稽古会にも何度か足を運び、新陰流を取り巻く状況が思っていたよりかなり複雑でややこしい問題があるのだろうな~と思って、足が遠のいてしまったのです。

 そして、この本を読んで、私が感じた直感が正しかったことを改めて知りました。伝統武術を学ぶというのは難しい問題があるな~と、つくづく思いましたよ。

 これは新陰流に限った話ではありません。古武術、古武道が現代で置かれている状況が「型の保存伝承」という一点のみに価値が置かれることは、どう考えても不自然です。

 恐らく、このような教条主義的価値観は、現代になって取り決められたに過ぎないのではないか?と私は考えています。

 古武術であっても、武術であるなら、その存在意義の第一は、実用性にある筈で、骨董品を扱うような価値認識を支持する人は百人に一人もいないでしょう。

 これは多分に日本人の精神的資質に理由があるように思います。先人を敬うのが度を越して、信仰心になり、アンタッチャブルになってしまうのです。

 しかし、よく考えてみてもらいたいのです。どんな分野であっても、過去を有り難がっているだけでは何の発展もしません。過去の遺産を大切に温存するだけではなく、それを更に高めてより価値のあるものを作り出していくことが重要です。

 武術だって、最初は単純なものから、次第に複雑になっていった訳です。そして、歴史を重ねるに従って、より研究されて発展していった筈です。

 それを、どうしてある一定のポイントで進化を止めて温存することに価値を見いだしてしまうのでしょうか?

 無論、マイナスの進化、間違った発展というものもあります。現代化された武道はスポーツ競技、社会体育としては発展しましたが、武術としてはむしろ後退してしまっています。それも、後退していることを自覚する人がいなくなるくらいに・・・。

 けれども、それを冷笑しながら相も変わらぬ古典の継承という稽古だけに終始していてよいのでしょうか? それではマイナスをプラスに、間違いを正すこともできない。

 私は非常に複雑な気持ちになりました。賛否両論が自分の中で激しく対立してしまったからです。

 しかし、それも含めて、何が正しくて何が間違っているのかを決めるような資格は私にはないのです。一つの道を半世紀以上も探究してこられた先人の言葉は、それだけで貴重な教えに溢れています。渡辺先生の御健康と転会の発展を祈念させていただくのみです。


 さて、それと、シダックスの講座の前に橋本駅前のビルの書店で『カラテ究極の練習法』(倉本成春著)を買いました。

 DVD付きですが、ささっと一通り読んでみましたが、非常に納得できる優れた内容です。私的にも倉本先生の解説される武術論には賛成できる面が大きいものでした。

 特に自由組手を3秒だけやったり、10秒やったり・・・という形式でやらせるというのは、なるほど、その手があったか?と感心させられました。

 表面的に読めば、私の武術論とは違う主張のように読む人が多いと思うのですが、よくよく本質を掴めば、ほとんど同じことを主張しています。

 アプローチの仕方で方法論が変わってくるだけなのです。

 そして、倉本先生の素晴らしさは、「これが唯一、正しい」という独善的な考えではなく、「自分はこう思います。参考にしてもらえれば嬉しいです」という、極めて健全な認識をされているところです。

 他流を否定しない。独善に陥らない。分を越えない。

 口で言うのは簡単ですが、それをやるのは非常に困難です。自惚れて裸の王様のようになっている武道家がごった返しているこの業界で、久しぶりに本物の武道家を見た思いがします。

 DVDを観ると、倉本先生の御研究の深さに圧倒される思いです。鉄人・倉本と呼ばれ、剛拳の遣い手のイメージの強い倉本先生が、かくも柔らかく、軽く、粘るような動きをされるとは驚きです。もう、空手というより内家拳になっています。

 ラオウがトキの動きをやるようなもの? 剛極まって柔に到る・・・感動的です。

 ここ最近、読んだ中でも最も素晴らしい本です。是非、御一読をお薦めします。


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久々に杖術をやってみた・・・

 木曜日の本部稽古会は、相変わらず人が少なくて赤字なんですが、とにかく広くて天井が高いので、武器術がのびのびとやれる点が有り難い。

 20日は、新しく入った会員さんが「棒術を教えてください」と言っていたので、“杖”を持ってきていました。

 もっとも、その会員さんは所用で来れなかったので、相模原組だけで対錬・独己九剣をやり、その後で“杖術”を指導しました。

 実は、“杖術”も游心流独自の型をつくるつもりで何年か前に多少、作り掛けていたんですが、分裂騒動とかがあって室内練習がしばらくできなかったもんですから、それっきり放置していたんです。

 このメイプルホールを借りて稽古するようになってからも、居合術を中心にしていたので杖術をやる余裕がなかったんですね。

 そんな訳で、私も本当に久々にやってみましたよ。

 うちの杖術の特徴は、六尺棒から八寸拉ぎ(短棒)まで自在に駆使できるようになることを狙っています。つまり、長短、いずれの寸法の棒でも扱えるようにするということ。

 参考にした流儀は、竹内流・琉球古武術・新体道・九鬼神伝流・中国棍法・松聲館・椿木小天狗流・フィリピノカリ・天心古流・神道夢想流・シランバン(インドの棒術)・合気道に、名古屋の棒の手踊りや日本舞踊の棒の手なんかも研究しました。

 寸法的に言えば、六尺棒(約180cm)・杖(四尺二寸一分=123cm)・半棒(三尺=90cm)・カリスティック(約二尺=60cm)・八寸拉ぎ(24cm)を使いこなせることを目標にしています。

 中でも杖の寸法を扱えれば、それより長くとも短くとも応用が利くと思い、主な会員には杖を買うように勧めていたんですが、「武道具店で買うのはちょっと高いから」と、ほとんどの会員さんが買いませんでした。

 正直いうと、武道具には金かけて欲しいんですけどね~。代用品じゃまともな稽古はできませんから、結局、壊れて買い直すハメになったりするんですよ。

 でも、あんまり金を使わせるのも気がひけます。私自身が生活に困って武術教えるようになった人間ですからね。

 で、半棒だと東急ハンズで樫の丸棒を買えば数百円で買えるので、「これでもいいよ」と言うと、皆、これを買っていました(トホホ・・・)。

 確かに半棒だと傘やゴルフクラブ、バット、木刀などでも応用できるし室内の練習も可能な長さです。

 ただし、半棒に熟練しても、長い六尺棒は扱えないんですよ。

 半棒は片手でも扱えるのに対して、六尺棒は両手を使わないといけません。この違いは操作法を根本から変えないといけなくなるのです。

 杖の場合は、基本は両手持ちですが、熟練すれば片手操作も可能です。だから、六尺棒にも半棒以下の短い棒の操作にも応用できるのです(あくまでも私が教えればの話)。

 そして、室内で杖をスムーズに扱えれば、大抵の棒術は苦もなく扱えるようになれるでしょう。もちろん、それまでは電灯を叩き割ってしまったり襖を突き破ったりといった経験も必要でしょうが・・・。

 どうも、辞めさせた会員の中にもいたんですが、稽古で自分のやり易いものばかりしたがる人がいるんですが、自分のやり易い稽古というのは、実は稽古にはならないんです。

 自分ができないこと、苦手なことを懸命に努力し工夫し続けることでできるようにしていくのが真の稽古であって、自己満足の気持ちいいだけの運動というのは、実際には脳神経への刺激にもならないし、いざという時にも役立たないものなのです。

 うちの稽古は、物凄く単純です。物凄く単純で基礎トレーニングもやらないし自由組手もやらないから、これで武術として使えるのか?と疑問に思う人もいるでしょう。

 ですが、これは「十数年、試行錯誤を繰り返し続けてきて徹底的に無駄を省いた結果」なのです。

 基礎トレーニングをやらないのは、「筋力で技をかける癖が抜けなくなるから」であり、自由組手をやらないのも、「相手の動きに引きずられて自分の戦術を忘れてしまうから」です。

 理由があって、やらないと決めているのです。ということは、残している内容は、すべて必要最低限と判断した訳ですから、しっかりと稽古していただきたいんですね。

 でなければ使いものにはならないですよ。

 武術で重要なのは、“どんな相手にも勝つこと。勝てない相手と判断したら、さっさと逃げること”です。

 競技化された武道や格闘技では、試合が目的化しているから、「フェアに闘って技量を競う」ためにルールが厳密に決められますが、武術の勝負論は試合にはありません。

 何故なら、自己防衛が目的なのですから、「第一には戦わないこと、第二に戦わざるを得なければ、どんな手段を用いても必ず相手を撃退すること」が旨となります。

 この論理が理解できない人は武術を学ぶべきではありません。

 どうも、よく解らないんですが、腕試ししたい人はいろんな大会とかあるんだから、それに出場すればいいと思うんですよ。

 殺される心配もないし、賞金だって貰える大会があるんでしょう?

 うちの会に所属されていて空手の道場も経営されているKさんという方は、大会に出て研鑽を積みながら、生涯続けることのできる武術としての空手を探究したいと話されていました。

 今月号の月刊空手道にも写真が出ていて、何か、凄く嬉しくなりましたよ。

 同様に、昨年、入会されたハリウッドで俳優をされているAさんは、『硫黄島からの手紙』に出演していて、クレジットタイトルで名前が出ていて、これまた嬉しくなりましたね~。

 こんな立派な人達が私の技と理論を認めて習いに来てくれているんだ・・・と思うと、本当に嬉しいですよ。


 で、この日の稽古では、俳優をやっているTさんが、私が実演した杖術に凄く感激してくれて、これまた嬉しくなりましたよね。

 杖突きの構えなどの、いくつかの構えから、交叉法で剣の斬り込みに合わせて体捌きしながら巻き落としたり、からめたりしながら相手の剣を奪う杖での太刀捕り技のパターンをいくつか実演解説しました。

 游心流では基本的に中段に構えて相手と間合を保つやり方はしません。

 無構えが基本なのは、体術も武器術も同じ原理です。無構えは構えの究極であり、もっとも困難な構えです。逆説すれば、無構えがしっかり体得できれば他の構えは簡単にできます。

 一番、難しいことを先にやれば、後はずっと簡単にできるようになるのです。が、この理論を理解できずに目先の合理性ばっかり求めて、「無構えは難しい過ぎるから、基本は構えるべきだ」と勝手な練習をしている人もいましたけれど、目先のことしか考えない人はまともな上達はできません。

 本当に馬鹿だな~と思うのは、私は難しいのを承知の上でやらせているのであって、その難しさを乗り越えた時は自由自在に構えを駆使することができるのを知っているから、敢えてやらせていたのですね。

 だから、私のやり方を信じてついてきた人達は、今、ビックリするほど上達していますよ。無論、いろんな構えも体得しています。教えるのも段階があるんです。小学生に高等数学教えたりしないでしょう?

 杖術も、杖を突き出して構えることはしません。基本的に体を晒して相手の初撃を誘って隙間に杖を滑り込ませ、接触してから体を入れ換えつつ制圧していくのです。

 杖術の真価は、「遠近の間合を自在に調節する」ということと、「杖を自分の腕と同様に扱う」ということです。

 武器術に熟練する秘訣は、「武器に頼らない」ということです。

 たまたま武器を使っているだけで、素手でも同じようにできなければいけません。

 逆説すれば、それができれば、周囲にある物すべてを武器にすることができます。これは香港のカンフー映画、特にジャッキー・チェンの作品を見ていれば、よく出てきます。

 私は、最近は定型化した武術の型よりも、質の良い殺陣を観た方がずっと勉強になりますね。はっきり言って、殺陣の専門家の方が世の武術武道の先生より、ずっと勉強熱心ですよ。

 武術家、武道家を自認している人達の大半が、驚くほど不勉強だし唖然となるほど視野が狭いですね。

 昔だったら、武芸百般に通暁するのが当たり前だったと思うのですが、現代日本では滅多にいないでしょう。

 でも、海外のマーシャルアーティストだったら、当たり前のように研究しているみたいですから、本当に気づいた時には後の祭りになっているんじゃないでしょうか?

 Tさんは海外で活躍したいという希望もあるそうなので、海外に出た時に「日本の武術はこういうものです」と自信を持ってやってみせられるように教えていきたいな~と思いました。そのためには、形式だけの技じゃ、馬鹿にされてしまうでしょうからね?


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気功や丹田開発の自己流は危険です

 気功や丹田開発法、ヨーガなどでは、偏差、禅病、クンダリニー症候群と呼ばれる独自の脳神経系の疾患に罹る場合があることがよく知られています。

 人によっては「百パーセント罹りますよ」と言う人もいるくらい、実際はポピュラーな病気なんですが、問題は、自己流でこういう修行をやった場合、病気であるという認識がなく、どんどん酷くなってしまっているのに自覚していない・・・という問題点があります。

 もっとも、よく、うちに、この手の病気の相談がくるのですけれど、「自己流でやっていて体調が悪くなって、どうしたらいいか?」という類いの話なんですけれど、まず、第一に言いたいのは、「私は医者でも霊能力者でもない」ということです。

 いかなる修行によるものでも、体調が悪ければ、まずは病院で診てもらうのが基本であり、そこで、どこに問題があるのか?をきちんと認識しなければなりません。

 私は、うちの稽古法の指導をした人であれば、できるだけの健身法としての範疇でのアドバイスはしますけれども、具体的な心身の不調があれば病院で専門的診察と治療を受けてもらわねばなりません。

 それに、病気なのに霊的な問題だと思い込んで、その手の拝み屋さんに頼ると、基本的には詐欺に会って何百万円も貢がされたりすることも多いのです。

 体調が悪ければ、精神科も含めて、まず、病院に行ってください! 手遅れにならないうちに・・・。


 シダックスの受講生の方と話していて、「気功をやると動物霊がつくからやめた方がいいと聞きました」と言われていたんですが、これはあり得る話でしょう。

 私は“動物霊”とは解釈しませんが、気功の類いの訓練は、脳幹のトレーニングであり、脳幹が発達するということは、「“人類の脳”であるところの前頭葉の働きを抑制し、“爬虫類の脳”の働きが優位になる」ということを意味します。

 つまり、理性を眠らせることで本能的な反射反応の神経作用が発達して直感力が高まるということです。

 確かに、理性的判断が弱くなって我欲が膨らんで非常識になる人が何人もいました。

 これはつまり、「動物霊に憑依された」という霊能者的解釈の、脳生理学的解釈なんですね。

 脳神経系の開発トレーニングというのは、熱中してやり過ぎると精神のバランスを崩すだけになりかねません。

 脳神経系の疾患を患っている人がやれば、病気が加速度的に悪化してしまうのです。


 だから、自己流で気功や丹田開発法などをやることは絶対にやめてください。

 そして、その手の病気の自覚があるなら、迷わず精神科医院で治療を受けてください。でないと手遅れになってしまいますよ。

 興味本位で心身開発トレーニングに手を出すのは危険なだけです。

 尚、うちではその類いの相談は受け付けておりません。専門の医療機関に相談されることをお薦めしますので、宜しく御了解ください。

 相談されても返事のやりようもありませんから、基本、お返事しませんので、悪しからず御了解ください。


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キムタクが優作に見える?

 フジTVの月9と言えば、高視聴率ドラマの時間帯として、長年、君臨してきたとされますが、多チャンネル化で必ずしも地上波の最新ドラマでなくともいいと考える視聴者の関心を引き留めておくのは、キムタクであっても難しい?と囁かれています。

 そんな中、『レッドクリフ』で注目された台湾の美人女優リン・チーリンをヒロインに迎えた『月の恋人』は、キムタクが目的のためには手段を選ばないハードボイルドな主人公を演じていて、いつもとちょっと雰囲気が違います。

 何か、このドラマを観ていると、松田優作の『蘇る金狼』を思い出してしまいます。

 ハードボイルド・アクションの傑作として語り継がれる優作伝説の代表的な作品なんですが、実はこの作品の主人公、朝倉哲也は、銃をぶっ放して犯罪も厭わないノワールな男ではあるものの、大企業乗っ取りの目的のために利用した女に本気で惚れたために、ナイフで刺されて野望が潰えてしまう・・・という因果応報な最期を迎えます。

 ニヒリズムの権化みたいな非情な男が愛に触れて破滅するという展開。

 こういうのは松田優作か田村正和がやらないとクサくって見てらんないですけどね。

 で、今回のキムタクは、何かこう、優作が入ってる感じがするんですよね~。

 優作Jr.の松田翔太が出ているからなのか?とも思うんですが、何かアクションを抜いた『蘇る金狼』を観ているような気がしてきましたよ・・・。

 でも、『蘇る金狼』といえば、Vシネで真木蔵人が演じたり、ドラマで香取くんが演じたりしていましたが、どちらもノワールなアクションに重点を置いていました。

 今回の『月の恋人』は、普通に都会的な恋愛ドラマを描こうとしてはいるんですが、キムタクはそういう方向を目指していないような気がしますね。

 リン・チーリンは身長が高過ぎてキムタクと並ぶとでかい。これって、男としては困ると思いますよ。私も若い頃は長身美女は苦手で苦手で・・・今はオッサンになったからヘーキになりましたけど・・・。

 主人公が武田鉄矢だったら問題ないんですけどね~。


 しかし、こういうアンビバレントな組み合わせの方が予期せぬ効果が生まれたりしますからね。

 何より、リン・チーリンがいいですな~。『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』のジョイ・ウォンを思い出しましたよ。

 北川景子も、パンダの着グルミに入ったりして、これから何かやらかしてくれそう。

 けれども、私がグッとくる作品というのは、普通はどうなんでしょうね? 人気出るのかな~? 何となく不穏な空気が漂ってるところが私は気に入っているんですけどね。

 この先、チャイニーズ・マフィアとか出てきてドンパチがあったりしたら面白過ぎるけどな~? 翔太が怪しいから、あり得るかも?


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国民を馬鹿だと思ってるのか?

 民主党の支持率がどんどん低くなってきていますけど、これは鳩山・小沢の責任だけじゃないと思いますね。野放しにしている時点でダメ!

 二言目には、「国民のため」と言いながら、国民の目線にはなっていない。お題目唱えれば何やっても許されると考えているようにしか思えません。

 むしろ、庶民感覚で政治をやろうとして、ことごとく失敗していっているようにしか思えません。

 特に、私が「国民をなめてるのか?」と思ったのは、三宅議員の事故?と、その後の大袈裟な展開。松葉杖に車椅子で登場したり、数段の階段をおぶさって降りてみたり、そんな大怪我なら家で寝ていればいい!

 私は、合気技の研究をしていて、「人間の身体の重心がどのように崩れたら、どんな具合に倒れたりふっ飛んだりするのか?」ということに関して20年くらい研究してきていますから、フェイクかそうでないかは、一目で判別できます。

 事故のシーンを映像で見る限り、押された方向からは後ろなら倒れる可能性もありますが、前方に倒れる力学的理由はなく、自分から飛び込んだとしか解釈できません。映像を参考に実験してみれば一目瞭然でしょう。

 その後の怪我の様子を見せつけるような映像を見ても、三文芝居もいいところで、こんなくだらないことで国民の同情をひこうとする民主党には「何ちゅう阿呆じゃ」と、最後の期待も失せました。シナリオ書いたヤツも愚劣なら、その尻馬に乗ってる連中はもっと酷い。恥を知れ!と言いたい。

 鳩山さんの沖縄訪問も、「私はこんなに頑張っているんだ」というアピール以上でも以下でもないし、本気で問題を解決したいのなら、根本的な日米の防衛問題について話し合いすればいいのです。

 揚げ句に、結局は自民党時代の案にほぼ戻す・・・なんて、沖縄県民を愚弄するにも程があります。できなかったらハラ切って詫びるくらいの覚悟がないなら、「五月までに決着する」なんて言うなっ!

 いつまで沖縄を犠牲にし続けて問題を先送りし続けるつもりなのか?

 小沢さんが谷亮子をかつぎ出したのもガッカリします。国民的有名人を出せば票が集まるという計算を臆面もなく前面に出してきたからです。

 谷亮子さんも、国の政治に乗り出すのなら柔道を引退するくらいの本気の覚悟を示すべきですよ。オリンピックでメダルを目指して頑張っている人達に対しても無礼だし、政治を片手間にできると思っているのがモロバレで、武道家として認識が甘過ぎます!

 そして、支持率が下がったら、人気回復とばかりに事業仕分けを再開する・・・姑息過ぎて情けなくなりますよ。

 そんなことをやるよりも景気を上げるために知恵を絞ればいいのに、いくら節約しても一方では金をバラ撒くから意味がない。

 民主党は、このまま鳩山・小沢で突き進むつもりのようですが、国民はそんなに馬鹿じゃないでしょう。

 選挙対策の目先の点数稼ぎしか考えない政党を暖かく見守るような国民はいませんよ。

 無策・無能・無責任・・・無い無い尽くしの上に覚悟も羞恥心も無い!

 本当に、私は益々、政治の場に群がる連中が大っ嫌いになりましたよ。

 命かけて国民のために捨て石になろうとする人間が少しはいるかも?と期待して損しましたね・・・。


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抑止力と防衛

 普天間基地移設問題での鳩山首相の備えの無さ、予測の甘さがクローズアップされていますが、米軍基地が日本にある意味について考えるべき時期がきたんだろうな~という気もします。

 かつて、「アメリカがクシャミをすれば日本が風邪をひく」と言われました。

 それほど日本という国はアメリカに依存して成立している国だということですが、その大きな理由としてアメリカの防衛力に依存する形で日本の国防が続いてきている訳です。

 戦争後にアメリカがやったことは、日本の軍事力を国民の精神性から奪い取ること(牙を抜いて去勢すること)でしたが、その象徴的な出来事として日本刀を没収したことが武道関係者筋では知られています。

 ロクな武器もなかった日本人がアメリカと互角に戦えた理由が、日本刀に代表される神風思想?にあったと考え、日本刀を没収し、武道を禁止し、日本人の精神的支柱を根腐れさせようとしたのです。

 それらは幾多の武道関係者の進言もあって復活させられましたが、大きなダメージを受けたのは事実でしょう。その結果が世界一の平和ボケ国民を擁する経済大国になったのですから・・・。

 その後、アメリカを理想とする経済と文化の発展を果たしてきた日本は、自由主義と民主主義を旗印に世界でも稀な発展をしますが、同時に愚民化政策の中に陥っていたような気もします。

 要は、アメリカの言いなりになってきていたのです。

 それが揺らぐというのは、アメリカが今や経済的に破産しかかっていて、世界の盟主としての力を失いかねなくなっているという事情によるでしょう。

 十年前だったらフリーメイソンだのイルミナティだのといった秘密結社による陰の世界支配戦略という陰謀史観は都市伝説に過ぎず、誰もまともに相手しようとはしていなかったのに、現在は実しやかな話として広まってきています。

 私は、それはあってもおかしくないだろうと思っています。イラク紛争を見ていて、どうにもアメリカのやり方が不可解に思えるからです。

 世界の紛争が起こる背景には、常に宗教的イデオロギーがあります。

 ブッシュ大統領がキリスト教原理主義者だというのは有名な話ですが、世界中のテロリストが、共産主義者であったりイスラム教徒だったり、あるいはカルト宗教団体の人間だったりしています。

 人間の行動原理には、宗教的イデオロギーへの信奉によって理性を眠らせてしまう側面があるのです。

 なので、宗教的イデオロギーを同じくしない別の価値観を持つ人間から見れば、彼らの行動原理は不可解で不気味で邪悪に見えるのです。

 要するに、「異教徒は殺せ」という行動原理で一貫しているからですし、誤爆で戦闘者でない一般市民を巻き添えにすることに何も良心の呵責を感じない感覚になっている人間に対して「人としてあるべき他者への共感」を期待するのは無駄でしょう。

 かつてオウムが起こした地下鉄テロ事件や坂本弁護士一家惨殺事件の時の「ポアしなさい」という“宗教的救い?としての殺人行為の正当論理化”を思い出してください。

 あれを「宗教的カルトによる狂気の集団心理」と受け止めて済ますことができるでしょうか?

 あの事件によって、宗教的カルトによるとされるシャロン・テート惨殺事件やガイアナ人民寺院集団自殺事件、あるいはイエスの方舟、パナウェーブ研究所、富士皇朝(ザイン)などのマスコミを賑わせた団体などの異常性が一部の論者に採り上げられるようになってはいますが、それらの論理は異質なアウトサイダー達の起こした事件として、まっとうな社会の外縁にタムロする者たちという論調に過ぎなかったように思います。

 しかし、私はそうは思わない。歴史上の宗教的イデオロギーによる数多の戦争を含んだ虐殺事件を鑑みるまでもなく、それらは決して特別な事件とは言えないでしょう。

 例えば、つい先日、起こった諏訪大祭の“御柱”の事故による死者についても、何故、事故死する者が出る危険性のある祭りを続けていこうとするのか?・・・と考える時に、そこに単に「伝統文化だから」という理由付けだけでは片付けられない人間の社会性心理に遺伝情報的に組み込まれている条件付けの存在を考えない訳にはいきません。

 ナチスのホロコースト、ポルポト政権のカンボジア大虐殺、スターリンの粛清、中国の文化大革命に天安門事件・・・人が人を殺す理由付けは本能的なものと考えられますが、そこに思想信条による正当な論理化のメカニズムが働いていると考えざるを得ない。

 かつて、日本でも学生運動が華やかになっていた頃、赤軍派の内ゲバ殺人や、過激派による無差別テロ事件の頻発によって、“思想の持つ狂気”が浮き彫りにされました。

 が、裏を返せば、彼らの頭には「自分たちにこそ大義がある」という強固な信念という“思い込み”があるのです。その“思い込み”は人の命を奪うことさえ躊躇しなくなるほどの狂気に支配される場合もあるのです。

 戦争だって“大義”を掲げて“敵”と認識した者を殺す訳です。そこには個人の冷静な理性的判断は無く、あるのは自己催眠で増幅させられた狂気だけであり、その狂気を含めての社会性が人間の心理行動なのだと考えられます。

 動物の場合は、同種の殺し合い(いわゆる共食い)も時に発生しますが、人間の場合は進化の過程で理性によって、その“同族殺しの衝動”を抑制する思想性を獲得するようになりましたが、その思想性は論理的反転の可能性も秘めています。

 つまり、思想の持つ行動制御機能が過剰に働いた場合、しばしば論理の転倒を起こして反社会的行動を容認する選択をする人間も出てしまうのです。

 私は、思想が過剰な人を「思想の奴隷」と呼んでいます。思想を崇めていて自分自身の自然な思考を規制し束縛してしまっている人のことです。

 でも、不思議なもので、人間はなにがしかの「思想の奴隷」になることを好む人が圧倒的に多いようです。それも知的能力の高い人に限って、そうなりがちなのは、その人にとって、「思想=権威性」として理想化されているからでしょう。

 何かの宗教を信じる。思想哲学を掲げて生きる。「大義」に生きて、「大義」に死にたいとさえ願う・・・。

 わけても、全共闘世代の人達は“思想”が大好きで、思想を持って生きることが立派な生き方なのだと信じて疑わない人さえ珍しくありません。

 個人が何をどう信じていようが、「お好きにどうぞ」と私は言えますが、「君には思想性がない! 思想性を持って生きるべきだ!」とか言い出すタワケには、「ウルセーよ。テメーは勝手に自己陶酔してろ、バーロー!」と言ってやりたくなるのをグッと堪えて、「はは~、それはまったくもってお恥ずかしいでござりまするぅ~」と笑ってやり過ごすのが、“しらけ”“新人類”世代と呼ばれた私のジェネレーションの処世術です。

 なんで白けるのか? だって、綺麗事ばっかり並べたがる連中の自己欺瞞っぷりにウンザリしてしまうから・・・。

 しかも、たっぷりと綺麗事を並べた揚げ句に、「より良き社会のためには犠牲者も仕方がない」という大局的?な崇高な思想?をとなえたりするもんだから、「アンタ、神様ですか?」って言いたくなるのですよね。

 私、どうも、戦争について語る人達が嫌いなんですけど、殴り合いの喧嘩すらしたことないような人間が、膨大な数の人間が殺し合いすることの“現実”を、どう解釈して口にしているんだろう?と、物凄く気持ち悪くなるからなんですね。

 練習中の事故で失神したり動けなくなったりした人を前にして、「このまま死んだりしたら、どうしたらいいんだ」という気持ちになれる自分に、むしろ、ほっとしたこともあります。

 だって、私は日夜、“敵を殺す方法”について常に考えている一種のキチガイですから、他者の命を気遣う気持ちを失ってしまったら“完全なる殺人狂”になってしまう訳なんですよ。

 だから、人殺しを容認するような思想なんぞ糞っ食らえだと思っています。キチガイのタワ言と何も変わらない。自分たちがキチガイであるという自己認識ができていないだけ、より問題の根が深い。

 率直に申しますが、私は理不尽な暴力で蹂躙してくる人間を場合によっては殺そうとするかもしれません。かつて二回、本気で「殺そうか?」と思った相手もいました。具体的な技能を持っているんですから、憤怒のあまり理性のストッパーが外れてしまったとしたら、人殺しをやらないとも限らないでしょう?

 もちろん、その二回の時は、「あんな馬鹿を殺して自分の人生を台なしにするのは大馬鹿だし、いろんな人達に間接的に迷惑をかけまくってしまうからな~」と考えることで頭を冷やすことができました。

 しかし、もしも殺人を犯してしまったとしたら、どんな理由があったとしても、私は自分の行為を正当化するタワ言だけは決して言うまいと思います。

 人殺しは人殺し。そこに正義も大義もありはしません。もし、自分が人を殺した時は罪人として生きていく・・・それが理性を持つ人間として選ぶべき唯一の道だと思っています。

「一人殺せば人殺し。二人殺せば殺人鬼。千人殺せば大英雄」・・・この大いなる論理矛盾の底意を、よくよく吟味しなければなりません。



 日本に於ける米軍基地の問題を考える時、我々は世界に冠たる平和憲法を持つ国だと誇りを持つように戦後は教育されてきましたが、それもまた思想教育であることは間違いがないでしょう。

 つまり、日本という国が戦争を放棄して恒久平和を宣言したモデル国家だということなのです。

 しかし、その日本にも自衛隊はあるし米軍基地もある。「矛盾じゃ~ないか? いっそ、米軍基地もすべて戻ってもらって自衛隊も解散すればいいじゃないか?」と思う国民も数多くいた訳です。

 でも、実際にそうやったら、どうなるのか?ということを実験してみましょう・・・という訳にもいかなかった。

 なぜなら、かつてはソ連がいたし、今は中国と北朝鮮がいるから・・・ということを、鳩山首相も「ようやく解った」と言っている訳ですね。

 いや、でも、やってみたっていいんじゃないの?と私は思います。

「我々は戦争を放棄しているんです。その国を武力で支配しようとするあなたたちは何て野蛮なんですか?」って、鉄砲突き付けられても言える国民ばっかりなんだったら、やってみればいいと思うんですね。

 うちの母親は、戦争で日本が負けた時は、学校の先生から「アメリカ軍がやってきたら全員自決するんだ」と教えられていたので、「うわ~、もうダメだ。みんなで死ぬんだ」と観念していたそうです。

 しかし、鬼畜生のような連中だと教わっていたアメリカ兵は意外に優しくて紳士的だったので拍子抜けしたそうでした。

 私は、日本国という国家なんかどうなろうが、知ったこっちゃね~よ・・・という人間です。日本人だ、中国人だ、朝鮮人だ、アメリカ人だ・・・って言うこと自体がナンセンスでしょう。

 たまたま、日本に生まれて日本語しゃべってるから、それなりの愛国心みたいなものは少しはありますけれど、“国家”という概念が“自分の上”にあるとは思ってないんですよ。私は私。国家の上にも下にもいません。

 私は日本の戦争放棄の平和憲法は素晴らしいと思います。が、その理念を維持するためには知恵が要ると思います。

 日本から自衛隊も米軍もなくなったとしたら、恐らく中国や北朝鮮に侵略されるでしょう。しかし、日本の国民の半数が武術的考えを持っていたら、支配されるだけでは終わらないでしょう。

「武術では銃に立ち向かえないだろう」と言う人もいます。

「バカだな~」と、私は思います。武術というのは生き残るための“総合人間力”を高める教育システムなんです。

 まずは降参しておいて、敵が油断したところを銃を奪えばいいではないですか? 食事の用意をさせられた女性が毒を入れれば敵は丸ごと殺せるではないですか? 殺せなくとも食中毒程度で戦闘不能には追い込めます。

 そして、武器は丸ごと奪える。無理に立ち向かって犠牲を出さなくても済む。相手の油断を衝くのは武術の常道です。

 女性でも針一本あれば屈強な兵士を戦闘不能にできます。SEXに誘って目に突き刺してやればイチコロ。余裕があったら両目突き刺せばいい。

「針が無かったら?」・・・もっと簡単。喉笛食い千切ればいいんですよ。

 生きるか死ぬかの勝負なんだから獣に戻ってやればいい・・・。


 太極拳の極意は何か知っていますか?

 相手に九割勝たせて安心させておいて、最後の最後の一割で逆転するのです。

 戦闘というのは最後の最後に勝ったらいいのです。最後まで生き残った者が真の勝者なんですから、綺麗な寝言ほざいていたらダメなんですよ。

・・・とまあ、ここまでハラの据わった決死の覚悟を決めた国民ばっかりだったら、自衛隊も米軍基地も要らないと私は思いますけどね~。

“隊”とか“軍”というのは人間が集まったものですが、私は、人間ひとりひとりが自分の“内”を磨いて一騎当千になった方が、ずっと効率よく防衛できると思います。

 だから、抑止力にしろ防衛力にしろ、目先のことより五十年、百年先を考えて根本的な戦略を考えていくべきだと思いますけどね。

 万一、中国や北朝鮮が侵略してきて日本が支配されたとしても、世界中で日本くらい民主的考え方が浸透している国はない訳で、それを封建的に支配できるでしょうか?

 最初は軍事力だけでどうにでもできたとしても、問題はそれを何年も続けていけるかどうか?という問題なんであって、支配されたまま内部から逆洗脳していくことも難しくないと思いますよ。

 武道では「制空圏に相手を絶対に入れない」ということを重視する考え方がありますが、むしろ、自分の間合に敵を受け入れてしまって、いつの間にか逆転制圧する“化勁”や“合気”の方法論もある訳ですからね・・・。

「こうやらねばならない」というのは思い込みに過ぎないんですよね・・・。



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御心配ありませんように・・・

 芦原空手を修行されている地方会員の方から、「小島一志のブログで長野先生のことが書かれていました」と心配してメールがありました。

 うちの会員さんも、「小島さんのブログはひどいです! 流石にカチンと来ました」と、殴り込みに行きそうな勢いで言ってきた人がいます。

 もう、放っておこうと思っていたんですが、このままでは、誰か文句つけて話がややこしくなるかもしれないと思いますので、私の考えを書いてみたいと思います。

「まあ、いいじゃないですか? 小島さんは昔、『月刊空手道』の編集長も勤めていた武道マスコミ業界屈指の名物編集者で格闘小説まで書いたことのある作家なんだから、その人に採り上げられているということは、宣伝広告効果は計り知れないものがあるでしょう? 現に、小島さんが私の批判を書いてから、うちのブログのヒットはぐぐっと上がって動画を見る人も増えているんだよ。私みたいな三流もの書きが注目してもらえるのは有り難いことなんだと感謝すべきだよ。何のマイナスもない。無問題だよ」と答えました。

 会員さんは苦笑していましたが、私はもともとインターネットでも武道マスコミ関係でも糞味噌に誹謗中傷されてきているので、悪口に対しては免疫があるんですよね。

“人の口に戸は建てられない”って言うでしょ? 言いたい人は勝手にどうぞってこと。私も勝手に書いてる訳ですから、自分だけ棚に上げて他人を批判したんじゃアンフェアでしょう?

 まあ、“読んでない”というのもありますけどね(読むとハラたつから読まない)。

 ガセネタで実害こうむる場合は法律も含めて対策たてますけど、ネタにしてもらうのは人気があるって証拠なんだから、いいんじゃないですか?

 だから、「感謝している」というのは皮肉じゃなくて本音ですよ。

 そもそも、憎悪と愛の感情は心理的には同じ働きです。愛憎が入り交じるって言うでしょう?

 小島さんは特別、愛情の深い人なんだと思います。だから、相手が受け入れてくれないと反転して憎悪の感情になってしまう。それだけの話でしょう。

「小島さんは武道業界で過去にいろんな舌禍のトラブルを発生させているから、彼に悪く書かれても逆に評判が良くなるから、心配することありませんよ」と言ってくれた極真関係の会員さんもいました。失礼ながら、私もそう思っています。

 悪く書かれたからってイチイチ怒っていたら神経がもたないですよ。

 私は小島さんと似たところが自分にあるから、彼の持ち味は評価しています。ただ、私はそんなに愛情深くないので、本気で嫌いな人のことは一切、書きませんけどね。

 だから、小島さんが「謝罪したい」という気持ちになられた点は高く評価したいんですよ。やっぱり、今までのやり方じゃうまくいかないと自覚されたんだろうと思います。

 能力のある人だから、正しく評論活動をされて、問題のあるところは創作の物語の中で書けばいいと思うんですよね。人間、やり直そうと思った時点で人生は変えられますよ。


 ただし、今現在、私は游心流を会としてきちんと育てていきたいと考えているので、他所と付き合う余力はありません。主な会員の実力をアップさせて指導者として一人前に育てたいと思っていて、東京支部に続いて横浜(同好会になる予定)にも稽古会を発足準備中です。

 なので、小島さんに限らず武道の団体を持つ人とは距離を置くようにしています。

 私は、いろんな団体が交流して収拾がつかない対立関係になっていくのを腐る程、見ましたし体験もしました。最初は敬意を示していても、親しくなるに従って、意見の対立が起こり、酒の勢いで喧嘩になってしまった・・・みたいな事件が起こる。

 武道武術やっている人間は、例外なく自分がやっていることが一番だと思っているものですよ。そうじゃない人は私は見たことありません。「お前はどうだ?」と言われるなら、普段は「いや~、私なんかは・・・」って言いますけど、本音を言えば「俺がやってんのが最高に決まってるよ。愚問だよ、君ぃ~」って思ってますから、本音は言えない(はっ! 言っちゃってるじゃん?)。

 だから、武道武術やっている人間は自戒のために「いや~、私なんか・・・」って謙遜するのが習性になる訳で、本音バンバン出したら単なるキチガイですよ。

 そういうもんですよ。安易に付き合って後々のトラブルを招くくらいなら、最初から一定の間合以上は入らないのが賢明な付き合い方でしょう。

 楽しく付き合えるのは最初のうちだけ。恋愛と一緒です。せいぜい、三年が限度かな?

 私の解釈では、憎悪や嫉妬といったマイナスの感情であっても、人の“想い”であることには変わりありません。人の想いは感謝の気持ちで受け止めれば、自分の成長に繋がります。善の想いだけを大切にしようって考えそのものが差別観念です。

 世の中、マイナスの想念の方が多いんだから、神様が与えてくれた試練と受け止めて、自己の成長の糧にした方が絶対にいいんですよ。

 よって、小島一志さんの御厚情にも「感謝!」の一語あるのみです。

 そういう次第ですので、皆様、どうぞ、御心配ありませんよう、宜しくお願いします。


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天真会一般財団法人記念式典

・・・が、5月の15日に飯田橋のエドモントホテルにて開催され、私も行ってまいりました。

 財団法人というと私は、さっぱり分からないんですけれど、剣武天真流の発会式も兼ねたパーティーということで、15日のシダックスの講座を29日に移してもらって出掛けました。

 何といっても、剣武天真流の母体となる青木先生の居合術を見せていただいたのが、私が游心流居合術“独己九剣”を編成した切っ掛けで、いわば親戚関係みたいなもの。

 おまけに、その剣武天真流のDVD制作にもアドバイザーとして関与しましたから、そのお披露目に同席しないのでは筋が通りません。

 それに、気心の知れた人達ばかりなので、気楽に出掛けられる・・・と思っていたんですが・・・何と! 持病のパニック発作が起こりそうになってしまって、また電車を乗り換えたりして少し遅れてしまいました。

 本当に厄介な病気で困りものです。まあ、大したことなかったから、20分くらい遅れただけで済みましたが・・・。


 今回はDVD撮影も無事に終わっていたので、会員の皆さんも、青木先生も演武は伸び伸びとやっていらっしゃいました。

 演武は、新体道(柔術と棒術)・剣武天真流(居合と組太刀)、そして、青木先生の剣舞と空手舞、そして大井先生を受け手に、久々に新体道武術の組手を演じてみせて、伝家の宝刀“遠当て”も演じてみせられました。

 それにしても青木先生はノリノリで大サービス! 起こりの読めない突きがスルリッと突き出され、運足は一瞬も停まらずに相手にくっついていきます。

 遠当ての時も気合を当てるのと相手の気を抜くのと相手の気を操作するのを使い分けてみせる超絶の心法技術を披露され、「これが解るかい?」と余裕の演武でした。

 え~、これを読んでいらっしゃる皆さんは、私がいつもは気の話をしないし批判的なことしか書かないから、面食らわれたかもしれません。

 しかし、批判するということは、そのメカニズムをきちんと研究して問題点を把握しているからであると認識してください。

 私も、武術に於ける“気”については相当、研究してきています。そして、武術の技法としてどう用いるか?ということも相応に研究分類しています。

 ただ、これらは下手に言葉で伝えようとすれば誤解を広める危険性の方が高いので、なるべく科学的に解説するように心掛けてきています。

 ここに書いた青木先生の技に関しては、一般的に武術家が実演している気の技よりかなり高度な技術であって、だからこそやり方を選択的に応用しているのだという点だけ、とりあえず認識しておいていただきたいと思います。

 具体的なことは私自身が研究実験して体得再現できるようになった時点で、あらためて解説してみようと思います。

 えっ? ムリ?

 フッフッフ・・・、私を誰だと思ってるんですか? 一度、観れば技のメカニズムは解る。つまり、設計図を頂戴したのと同じです。後は設計図に沿って技術を組み立てていけば再現できない道理はないでしょう?

 普通、武術というのは感覚を映し取ることでしか体得できないものですが、そのための方法論としては、ひたすら動きを真似て繰り返す・・・以外の稽古法がないと思われています。

 ですが、私の場合は、技の原理を先に観ます。原理が解れば、技を再現するために何をどうすればいいのか?ということは必然的に答えが出てきます。

 無論、だからといって青木先生のレベルで、すぐに体得できるという意味ではありません。レベルは低くてもいいんです。本質が映し取れれば、後は稽古を積み重ねていればレベルは自然に高まっていくからです。

 けれども、本質が観えないまま、ただ外見だけ真似てみても、とてもとてもできるようにはならないでしょうし、観えない人にはヤラセとしか認識できないでしょう。

 そういう意味で、今回の青木先生の演武は、昔はまったく観えなかったところが今は観えるようになって、それゆえに本当のレベルの高さが、きちんと理解できた・・・という点で、物凄く大きな宝物を頂戴したような気持ちでいます。

 う~ん・・・しかし、この1~2分あるかないかの組手演武の中で、これだけ奥義を凝縮してのけるってぇ~のは、青木先生はやっぱりバケモノ級ですよね~。

 夢枕貘さんとかが見たら、小説に書きそうだな~・・・っつうか、俺が書こうかな?


 そんな次第で、式典はなごやかな中にもハイレベルな演武が披露されて終了しました。

『秘伝』の塩沢副編集長も取材に来られていたので、同誌にも掲載されると思いますから、そちらもお楽しみに・・・(塩沢さん、写真、撮るの大変だったろうな~?)。


追伸;会場には日子流宗家の田中光四郎先生も来られていました。日子流は小太刀だけでなく“日子流体術”も正式に名乗られたということで、今後の活動が期待されます。私としても多くの教えを受けた先生のお一人ですので、お力添えできる点があれば、したいと思っております。もっとも、私がそう思える先生は数えるほどしかおられませんが。

追伸2;游心流東京支部では、引き続き、稽古会員募集中! 基礎錬体・対錬を中心にみっちり練習しております。最近、東京支部参加者のレベルアップが際立っております。(相模原本部の次回は20日に開催)


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若山先生の『賞金稼ぎ』

 J:COMオンデマンドで、若山富三郎先生の真の代表作『賞金稼ぎ』の第一作を観ました。

 一昨年だったか、テアトル新宿で観た(多分、香港アクションに精通する谷垣監督もいらした)んですが、この作品はDVD化もされておらず、時代劇版007とも言うべき突拍子も無い内容と、秘密兵器が次々に飛び出し若山先生のアクション俳優としてのスキルが存分に楽しめる作品でもあります。

『賞金稼ぎ』は、その後、シリーズ化されて、『五人の賞金稼ぎ』(ガトリングガンが登場したり、砦を護る賞金稼ぎ達が七人の侍風だったりする)、『賞金首 一瞬!八人斬り』(天知茂先生がニヒルな敵役で登場)の劇場版三部作があり、TVシリーズにもなっています。

 若山先生演じる主人公、錣(しころ)市兵衛は、拝一刀とは違って、侍というより雇われ傭兵みたいな感じなんですが、劇場版では貧乏人ばかり診察している破れ傘刀舟みたいな医者、TVシリーズでは寺子屋の塾長という設定になっています。

 貧乏人を助けるために金が要る。だから、賞金稼ぎを副業にしているという設定なんですね。

 それにしても錣市兵衛は無敵です。

 剣術、居合術、仕込み杖の逆手居合、二刀流、手裏剣、拳銃にライフルの射撃、それに拳法体術も凄腕で、まさに武芸百般、何でもござれという感じ。

 刀殺陣だけなら『子連れ狼』が最高ですが、総合武術殺陣なら『賞金稼ぎ』が一番。

 こんな面白過ぎる作品が、何故、DVD化されないのか不思議で仕方ありません。

 余談ですが、錣市兵衛の武器を収納している隠し部屋、あんな具合に私も刀とかガスガンとか鎖鎌とかいろいろ飾りたいですね~。

 スンマセンね~。脳みそが小学生のままなんですよね~。


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田中泯さんと青木先生

 田中泯さんが今も師と仰ぐ人物と言えば、暗黒舞踏の開祖、土方巽ですが、その土方巽と生前、交流があったのが青木宏之先生でした。

 青木先生は武道の世界で大天才と称賛する人もいれば、異端者として誹謗する人もいるという存在でしたが、武道家よりも芸術家、わけても土方さんのような前衛芸術の人達から認められていたそうです。

 なので、武道家よりも芸術家との付き合いの方が楽しいと話されていました。

「田中泯さんとは、昔、土方さんのところで会いました」と言う青木先生。

「青木先生とは近藤等則さんに紹介してもらって会いました」と言う泯さん。

 アレッ?と思っていたら、何と、青木先生ったら泯さんと会った時のことを忘れていたそうで、一体、あんなメチャメチャ存在感のある人をどうやったら忘れたりできるのか?と思ったもんですが、芸術家って、そんな感じかもしれませんね。

 そういえば、私も人の顔と名前、さっぱり覚えないんですよね。何年も来ていない会員さんだと、すっかり忘れてたりしますもんね。

 特に女性だと全然、覚えられません。「美人だと忘れないでしょ?」って思うかもしれませんけど、むしろ、美人だと照れちゃってまともに顔見れないから余計に覚えられなかったりします。

 でも、ドキュメンタリー番組を録画したDVDや、『龍馬伝』を観た青木先生は、「田中泯さんは凄いね~」と感心されていて、これは泯さんと青木先生が親交を深めることでお互いに何か面白い展開があるんじゃないかな~?と思っていたんです。

 が、青木先生は非常に忙しいので、なかなか機会がつくれなかったんです。

 しかし、泯さんがモスクワから帰って、11日にプランBで独舞をおこなうということで、直前ではありましたが青木先生をお誘いしてみたのです。

 すると、踊りには間に合いそうもなかったものの、踊りの後の懇親会に表敬訪問ならできるということで、不肖、私がセッティングさせていただきました。

 私は泯さんの踊りを見てから青木先生をお迎えに行こうと思って、当日、会場に向かったんですけれど・・・パニック発作も最近は落ち着いていたので余裕だと思っていたら、なんと電車が遅れてしまって、踊りが始まって半分くらいは終わったであろう時刻に到着してしまいました

 相模原から都内に出る時は、よく、こういうことがあります。やっぱり、遠いんだな~?と実感。

 泯さんの踊りの時は常に会場は満杯ですから、こりゃあ、無理だな~(受付も電気が消えて誰もいなかった)と思って、青木先生と吉田さん(天真会)がタクシーで向かうと携帯電話で聞いたので、雨の中を外で缶コーヒー飲みながら待っておりました。

 踊りが終わって、観客が出てこられて、しばらく経過してから青木先生と吉田さんがタクシーで到着されました。渋谷でレッスンが終わってから直行されたのです。

 レッスンの前のお昼には、先頃急逝された、青木先生が親しくされていた政治家の近藤先生の追悼式で剣舞をされたとのことで、和泉守国貞(大阪正宗と呼ばれた井上真改の父)の刀を入れたケースも持っていらっしゃいましたが、どうも、日本刀を持ち歩くことに嫌悪感を持つ人もいたりするので、これは追悼演武のためだったという点は、ここに記して誤解のないように御理解戴きたいです。

 さて、会場に御案内すると、まだ多くのお客さんが残っていらして、スタッフの皆さんもお相手に忙しい様子です。

 石原志保さんが気づいてくれて、「泯さんは会場の中にいますよ」と案内してくださったので会場に入り、泯さんと青木先生の久しぶりの顔合わせに至りました。

 青木先生は、『龍馬伝』の吉田東洋を演じた泯さんに大感激されていて、江古田のBUDDYでの新体道パフォーマンスと、近藤等則(世界的に活躍されているエレクトリックトランペッターで新体道の第一の後援者)さんとのコラボのDVD(『地球を吹く in Japan』)をプレゼントされていました。

 いつものごとく、芸術や映画、TVの世界のいろんな著名な人も来られていたので泯さんも忙しくされていた様子で、挨拶程度の話しかできませんでしたが、電話でなくて直接、顔を合わせることに意味がありますからね。

 それに、何と、木幡和枝(アートプロデューサーで田中泯さんの後援者)さんが青木先生とお知り合いで、30年近くぶり?くらいに顔を合わせたらしく、木幡さんの方から、「青木先生じゃありませんか?」と声をかけられて、もっぱら、木幡さんとお話するという格好で懇親会にお邪魔させていただきました。

 土方さんの関係でお知り合いなのかと思っていたら、筑波の国際シンポジウムの時に木幡さんが通訳をされていた?というような話で、全然、違うところで繋がりがあったというのも奇縁があるんだな~と思いましたね。

 が、そこで私的に凄く興奮してしまったのは、何と! その場に、伊藤俊也監督がいらしたことでした!

 伊藤監督の名前を知らなくても、『女囚さそり』『誘拐報道』の監督と言えば、オオッ!と思う人もいらっしゃるでしょう。

 私は、本名が“俊也”で同じなものですから、余計、伊藤俊也監督のお名前は存じ上げていた訳なんですが・・・それよりも何よりも、「あ~、『犬神の悪霊(タタリ)』の監督さんだぁ~っ!」と、もう脳内が沸騰していたんですよ。

 もう~、聞きたくて聞きたくて仕方がない。

 そういえば、『犬神の悪霊』には若き日の泯さんも出演していたという噂が・・・本当だったのか・・・と、一人で納得していました。

 が、私、この作品、長く封印されていて最近DVD化されたという話を聞いたものの、まだ観てなくて、「もの凄くアバンギャルド」という、称賛なのか侮蔑なのか判然としない批評を小耳に挟むばかりだったんですね。

 しかし、何か、物凄いエネルギーに満ちた作品だという噂だけは聞いていて、だから、伊藤監督に直接、聞いてみたかったんですが、もしも、御自身で失敗作と認識されていて触れて欲しくなかったりした場合を考えると、迂闊なことは聞けません。

 それに、伊藤監督は三億円事件を扱った新作『ロストクライム-閃光-』について話されていて、その熱っぽく話される表情が見れただけで、何か幸せな気持ちになれました。

 思えば、私も上京してきたのは映画の仕事がやりたかったから。

 何の因果か、武術研究家というアンポンタンな肩書を名乗って、もの書き稼業をやるようになろうとは夢にも思わなかったです。これでしか食えない無能な自分が恨めしい。

 あ~、でも、伊藤監督の少年のような瞳で語られる映画愛に満ちたお話が聞けて、本当に良かったです。凄い人のところには凄い人が集まるもんだな~・・・と、改めて思いましたよ。

 田中泯さんのキャッチフレーズは「地を這う前衛」ですが、確かに、ここプランBは日本の芸術・文化・思想が交錯する最前衛ポイントなのかもしれないな~?


PS;数々の作品が生まれた三億円事件の謎に挑む、伊藤俊也監督の渾身の最新作『ロストクライム-閃光-』は7月3日公開とのことです。

PS2;『地球を吹く in Japan“雪月を吹く”』DVDは、株式会社プラネックス ブロー・ジ・アース・事業部より発売中です。http://www.b-t-earth.jp

PS3;プランBでは、6/1~6/6にかけて映像週間第一弾、ドキュメンタリー映画の連続上映が実施されます。6/1『出草之歌』6/2『鬼ッ子』『倭奴へ』6/3『モトシンカカランヌー』6/4『アジアはひとつ』6/5『山谷-やられたらやりかえせ』6/6『出草之歌』となります。いずれも社会派ドキュメンター作品です。上映開始時間は連日19:00~で、上映後はゲストトークがあるそうです。


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脱力の合気セミナー感想

 年間セミナーで一番、“人気があった”のが、この脱力技法による合気の回です。

 何しろ、初めてやった時に参加した他流経験者がビックリ仰天して「こんな簡単にできることだったのか?」と、“信じられない”を連発していたからです。

 しかし、それも最初のうちで、できるようになってしまえば、「こんなの実際に戦う時に使えるの?」と疑問が湧いてきて、関心が無くなっていくのが常でした。

 なので、うちの会員さん達は、合気の技にはほとんど関心を持たなくなっていて、むしろ、合気道の基本技をしっかりやった方が断然、実用的なんだと考えるようになっているのです。

 とにかく、うちのモットーとしては、「武術の技に神秘無し。いかなる技にも原理が有る」という考えですから、「私の技は科学では解明できない!」(by甲野善紀)といった考えには、「嘘つけーっ!」と、真っ向から反論してきた次第です。

 そして、“気のパワー”という、武術業界の決まり文句も使わないことにしています。

 スピリチュアルな言葉は詐欺の温床にもなりやすく、慎重に使用しないと誤解と盲信、疑惑と蔑視を生み出すだけだからです。

 もちろん、「気なんて嘘」だと言っているのではありません。私も会の中では気で説明することもあります。が、大体において“意念(意識)”によるイメージ的なものとして理解してもらうようにしています。

 こういう言葉の使用を安直にしていると、発勁と合気に気のパワーがくっつき、無敵の脳内ドラゴンボール状態となって、アンポンタンな集団催眠劇の世界となってしまいがちなのです。

 暗示作用による錐体外路系反射運動を「気のパワーです!」と説明していたら、妄想の世界に入り込んでいってしまいます。

 かつてメディアに大々的にキャンペーンを張った西野流呼吸法、その後、同様の団体も流道、合気功、神意拳、柳龍拳、牛丸天真・・・といった具合に、日本各地に登場していましたが、これは小規模の新宗教みたいな感じに近かったのかもしれません。

 でも、こういう技は催眠暗示を利用すれば誰でもかけられますからね。っつうことは、ラポールがない人にはかからない訳ですよ。

 だから、トランス状態に陥らせるような条件を設定してかけると多人数がバタバタ引っ繰り返ったりする訳です。トランス状態はエクスタシーがあって気持ちいい訳です。だから気持ちよく引っ繰り返る。それはそういうもんなんだとしておけばいいのです。

 事情通の間では、新体道が“気の武道”の元祖であるとして知られていますが、新体道の場合は実は武道界でも最も身体トレーニングの量をこなす団体なので、静かに気を練るイメージで入ってきた人達は面食らってしまったりしていました。

“お家芸”の遠当ても、メカニズム的には“気のパワー”ではなくて神経伝達と呼吸運動の生理反射を狙って“発声”で作用させる技であり、古武術でいうところの気合当ての延長線上にある技です。

 これも誤解する人ばかりなので、今回の剣武天真流DVDの撮影時に青木宏之先生は敢えてやらなかったですね。もう、キワモノ的な見世芸で人を集める時代ではなくて、本質的な価値を知ってもらいたいと思われたんだと推察します。

 さて・・・最近、この方面が顕著な武道団体というと、宇城塾が挙げられますかね?

 DVDや動画で見ると、もう武術というより催眠術に近くなっていて、ふた昔前の自己啓発セミナーにしか見えないんですよね。

 真面目な武道修行者は、こういう自己啓発セミナーの問題点には丸で無頓着で、“潜在脳力が開発される”といった宣伝文句に容易く乗ってしまいがちです。純粋な人は美しい言葉を並べられると簡単に信じてしまいますからね。

 しかし、自己啓発セミナーの手法は人を洗脳する技術であって、「ベトナム戦争でトラウマを負った人達を治療するために逆洗脳(デプログラミング)する研究が母体となったものです」と、科学的にも社会的にも素晴らしいものであるかのように喧伝されていましたが、事実は、人を洗脳してお金を吸い取るビジネスとして考案されたという真相があるそうです。

 なので、自己啓発セミナーは異様な高額料金(何十万~何百万)で実施されていましたし、アメリカで社会問題となって海外に市場開拓に出たのが真相のようです。

 これが80年代のニューエイジ運動や癒しのブームとからんでバブル景気の中で広まりましたが、バブルが弾けて景気が悪くなると衰退していきました。金を払いたくても払えなくなったからです。

 自己啓発セミナーの核になっているのはいくつかの心理療法(NLPとか)の技法です。催眠術も、本来は催眠療法として考案されたものですが、日本では見世物的な面ばかりクローズアップされたりして療法的な面がなおざりにされ、やはり集金システムばかりが発達して“催眠商法”という言葉が出てくるようないかがわしいものと見られがちになっています。確か、一時間一万円が相場だったそうです。

 催眠のテクニックは名刺で割り箸を切ったり、針や割り箸で風船を刺しても割れないといったパフォーマンスをやりますが、「イメージの力で病気は治り人生はうまくいく!」といったナポレオン・ヒルやマーフィーの成功哲学と合体させ、自己啓発セミナーと同様のものを発明したと称して商売をするところもいくつもありました。

 で、そういうところに有名なスポーツ選手やプロ格闘家とかが行ったりすると、これ幸いと広告塔にしたがるんですね。

 催眠を、“気功”と言いかえて教室を開いたところもありますが、催眠、気功とくれば、大概、次は“武術”を持ち出すところが多く、宇城氏の場合はこれの逆パターンだな~?と思って、悲しくなったものです・・・。

 以前、週刊誌でバッシングされたり(岡田監督がカルト団体に心酔しているという内容)していましたけど、こういう方向へ進んでしまって、尚且つ周囲に意見を言う人がいないワンマン状態だと、団体そのものが一種の王国化してきて、かつてのオウム真理教みたいな感じになってしまうんですよ。

 宇城氏は空手家として一流の腕前がありながら、やはりその腕前が逆に作用して自分が天下第一の実力者だと思い込んでしまったんじゃないかな~?と思いますね。そうした万能感覚が、あたかも自身が時代に選ばれた特別な人間ででもあるかのごとく誇大妄想を膨らませてしまったのではないか?と思えます。

 武道家、武術家には、そういう例が多い。高岡英夫さんなんて自分の著書のプロフィールに「20世紀最高の武道家」なんて書いてましたからね~。自分で書く?

 最キョウのキョウはケモノヘンに王と書く?

 自惚れは堕落の第一歩です。自分がナンバーワンだと思ったら、もう、必死で研鑽を積もうとはしなくなるもの。

 率直にいって、宇城氏の最近の動画を見たら、ビックリするほど実力が落ちてしまわれていてショックでしたね~。悲しくなりましたよ。あれだと太気拳の岩間先生や島田先生、躾道館の小林先生、新体道の青木先生、倉本塾の倉本先生、全空連の香川先生・・・といった先生方にはまったく及ばないと思います。

 10年くらい前に秘蔵ビデオを入手して見た時は全然、違っていたので、やはり、気のパワーに頼るようになったから集中力が衰えていったんじゃないかと思えます。

 惜しいことです。あれだけの実力者が道を間違えてしまったばっかりに・・・。


 さて・・・それはともかく、今回のセミナーでは、座捕り合気揚げから始まって、指合気、二人捕り、三人捕り、四人捕りと、立位での合気崩し(高岡センセイの技をパクッた)をやって、胸倉掴まれた状態を崩す技(甲野センセイの技をパクッた)をやって、それから合気のパフォーマンスで最も楽しい?“何人も手を繋いでいる状態を端っこの人に合気をかけると順番に崩されていく・・・”というヤツを実験してみました。

 何か、この何人も繋がってる状態にかけるというのは宇城塾で多用しているみたいでしたが、あそこは“気のパワー”で説明しているのに対して、うちでは“重心移動”と“将棋倒し”の理論で説明しています。

 これを体験すると、凄い勢いで引き崩されるので、「気のパワーは凄いっ!」と勘違いしてしまうんですけど、何人も繋がっているから力が加算されるという仕組みなんですよね。

 ただ、「外部で実演する時は“気のパワーどぅえす!”と言っとけば、お金儲けできますよ~(笑)」と言っておきました。

 そのうち、うちのセミナー受けた人が『秘伝』で達人デビューしたりして(苦笑)。

 でも、このパフォーマンスを一列じゃなくて円陣組んでやったらコントみたいになるよな~?と、前々から思っていたので、今回は私もやってみました。

 円陣組んで、トリャっと右手側の人にかけると、崩れる、次の人も崩れる、その次の人も・・・と一周して、左手側の人に引き崩されて私もピョ~ンと・・・名付けて「因果応報」ってのはどうっスか? 『覚悟のススメ』の技みたい・・・。

 これ、『ケンタッキーフライドムービー』の燃えドラのパロディのところで似たようなギャグやってたんで、一回、やってみたかったんス・・・テヘッ。

 う~ん・・・こんなことやってるから、うちの会はシャレの解らない人は続かないんだよな~。代表師範(俺だよ)に威厳も糞もない!

 でも、こういうパフォーマンスを、いかにも神秘的な秘技ででもあるかのように説明してエバってる人達の方がオツムテンテンだと私は思うんですけどね?


 それから、シャレばっかりじゃ参加者の怒りを買うかもしれないんで、脱力技法による実用技も見せておこうと思い、突き腕、蹴り脚を脱力した下段払いで打ち払う技も実演してみました。

 ただ、これは初心者には無理があって怪我する危険性が高いので、私が師範代にやってみせるだけにとどめておきました。

 ちなみに、この技は鹿島神流の国井先生が拳法破りの手で用いていたそうで、「手はハの字、足はソの字」に構えて、迎え手で突き蹴りを払い落とすと、相手は体勢まで崩れてベチャッとその場に潰れてしまったそうです。

 新体道空手の技にもこれがあって、私は新体道空手の下段払いの技から游心流式に若干アレンジして使うようになりましたが、それなりに技としてできるようになったのは、ここ最近のことなので、まだ実戦で使えるかどうかは判らないですね。

 突き蹴りの速い人の突き腕蹴り脚そのものを狙うのは難しいですよ。特に伝統派空手の人の突き蹴りの速度は凄いですから、攻撃線上で迎え撃つのは極めて難しいと思います。

 完全に先を取って制するか、攻撃線上から体を捌きながら体幹部を攻め崩して制するか、その二つくらいしか有効な対応策は思いつきませんね。

 そういえば、伝統派を修行しているうちの会で最も若い新会員さんが、交叉法を使ったら寸止めできなくて相手の顔面にかなり強く当ててしまい、大怪我させてしまったかも?と恐ろしくなってしまったそうでした。

 それを聞いて、「あ~、そういえば俺も自由組手で交叉法使ったら寸止めできなかったよ」と思い出しましたよ。


 一通りやってみたら、何故かいつもとは違って時間が余ってしまったので、最後に24式簡化太極拳の套路を半分くらいやって、その中の動作の武術的用法もやりました。

 太極拳は脱力技法で成立している武術ですから、その動作の意味を知れば、いきなり凄い実戦護身武術に早変わりしてしまいますからね~。

 最初の礼式、あと、ノマブンソウ、ロウシツヨウホ、ハッカクリョウシ、シャタンベンの技の応用法を二人組んでやってもらいました。

 健康太極拳のインストラクターをやっている東京支部に新しく入られた会員さんは、凄く嬉しそうでした。やっぱり、太極拳を教えていて「護身術としてはこういう使い方ができますよ」と実演して見せたら生徒さんから尊敬されるでしょう。

 太極拳は他の拳法のように離れて突き蹴りを出し合うのではなく、基本原則として相手と接触したところで技を繰り出す武術なので、拳法というより柔体術と考えた方が技の用法がわかりやすいんですね。

 そして、「実戦を考えた源流の陳式以外の太極拳は戦闘には使えない」という説が広まってしまって、健康体操としてしか認知されていないのは、太極拳の護身応用性を無視した考えで実にもったいないと思います。

 私が齧ったのは、王樹金系の99式と、24式簡化、それに高小飛先生の取材時に体験した呉式くらいで、実は陳式太極拳は体験する機会もなくて、本やビデオで練習したくらいです。

 けれども、私が陳式の発勁をやるのを見た陳式太極拳の指導をしている人が本式に修行していると勘違いして「誰に習ったんですか?」と聞いてこられたことがありました。

 発勁だけは長年、いろんなやり方を研究してきましたから、専門家が見ても本物と勘違いしたんでしょうね。でも、我流ですけどね。

 それを言ったら、合気に関してはろくすっぽ習ったことないんですからね。氣の研究会系の道場に一時間半体験入門しただけ・・・。

 後は、古流柔術を研究していた友人から大東流六方会の合気揚げ下げの要領と西郷派の固め技、甲野善紀氏の溶暗(フェードアウト)技法のコツを解説してもらったのと、MRT良法を受けていた時に二回くらい上法円天流道術を体験したのと、キムタツと高橋先生の取材時に合気揚げを受けたのと・・・そのくらいかな~?

 あっ、そうでした。合気道のDVD付き教本つくる時に佐原文東先生の道場を取材した時が、合気系武道の基本原理を理論的に勉強できた機会でしたね。

 後はほぼすべて、観て覚えましたね。

 と言うか・・・原理的に観るようになってからは、合気に限らずダンス観てるだけで勉強になりましたよ。

 どうも、私のところを尋ねてくる人は、「身体の動き」に拘りが強い人が多いんですけど、それよりも武術の場合は意識の用い方の方が決定的に違いがあるんですね。

 意識の使い方が下手な人は、いつまでたっても身体の動きが良くならないんです。機械的に練習していても成果は得られないんですよ。

 どうも、多くの武道が、機械的な練習法を強制してしまっていて、その人のセンスを封じ込めてしまうから、本来は簡単にできることなのに、いつまでやっても体得できなくなってしまうんじゃないかな~?と、最近は思えるようになってきました。

 脱力技法の真価は、まず心が捕らわれのないリラックスした状態である点が最大の秘訣であって、リラックスした状態から一瞬で集中するから切れ味鋭い技が発揮できると思うんですよ。

 私がこれまで出会った達人は、“いかにも”って感じの人はいなかったですね~。明るくてお茶目な性格の人が多かったですね~。

 強いから強がらないんですね。

 だから、話したり文章読んだりしただけで大体、実力が読めますよね。

 それでは、また、次回・・・(次回の月例セミナーは軸の操作による合気)。


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5月は脱力の合気

 5月9日の月例セミナーは、「脱力技法による合気」がテーマです。

 考えてみると、私が、この業界で注目されるきっかけになったのが、「発勁と合気」という「達人しかできない」と言われる武術の極意とされる技を、「まったくの初心者にその場で体得させる」という秘伝のメカニズムを解明したという点にありました。

 発勁は23年前、合気は20年くらい前に基本的なことはできるようになりましたが、それから技術そのもののメカニズムを分析したり、実用技としてどう用いられるか?ということを試行錯誤を繰り返しながら研究していきました。

 普通、20年以上、何かの武道を続けるのって、そんなに多くの人はいないでしょう。

 それだけ続けていたら、たいていの道場で師範代くらいにはなっているでしょうね。

 つまり、まったくの初心者から専門家になれるくらいの期間だということです。

 しかし、だからといって、20年という年月が武術を修行する年月として充分な期間ということにはならないでしょう。

 20年より30年、30年より40年、40年より50年、50年より60年といった一生涯の大半を打ち込んでいってこそ、熟練した修行の年月になります。

 そして、50年60年続けてもまだ進歩していけるものが本当の武術だと私は思いますし、その年月を重ねることが“道”なんだと思います。

 合気の技は、死ぬ寸前になっても使える希有な武技です。

 徹底的に筋力を使わない。抜いて抜いて抜き切ってこそ真の威力が出てくる不思議な技です。

 知らない人は「気のパワー?」だと思い込むし、専門家も「電気」「電磁波」「愛」が正体なのだと、仮面ライダー・ストロンガーかレインボーマンか?という妙な結論を出してしまったりする奇怪な技です。

 普通の武道や格闘技では、とっくに引退している年齢のお爺ちゃんが、若い武道家をヒョイッとぶん投げたり、ズバァ~ンとふっ飛ばしたりするのだから、現象的に「神秘のエネルギーが働いておるのじゃぁ~」とスピリチュアルな解釈をされても致し方ないもの。

 でもね~、「そんな神秘のエネルギーで駆使する超能力武術だったら、どんなに練習したって誰もできないんでないの?」って話になりますよ。

 それで、せいぜい、「これは気の力で~すっ!」ってな具合にカルト宗教みたいになりかねないところが危険なんですね。

 実際、武道武術の業界には、自己啓発セミナーかカルト団体か、何がやりたいのかサッパリわからないアホンダラな流派や団体が、結構あります。

 気がど~したこ~したと言い出すと、すぐ、そういう発狂路線になっていったりするんですね。

 多分、原因は、武道武術やる人に真面目の度が過ぎる人が多いからだと思うんですよ。

 私みたいにオチャラケたひねくれた性格だと、物事を疑って見るから信者さんになりにくいんですね。

 だけど、疑ってかかるだけでもダメです。疑ってるだけだと自分が技を体得できないままです。

 ここが難しいところで、純粋に技術として徹底的に技の構造を解析していくような性格でないと、習うより慣れろ式だと、単に雰囲気に飲み込まれて自分も発狂してしまうだけになる訳ですよ。

 発狂しちゃった方が気持ちよくて楽しくて自己満足は得られるかもしれませんが、お金はどんどん吸い上げられるでしょうし、体得したつもりの技も実際は使いものにならないでしょう。だって、カルトなんだから・・・。

 重要なのは、「和して同ぜず!」という精神ですね。調和はするけど自分は保つ・・・という態度がよろしいのではないでしょうか?

 もっとも、本当の極意となると自分も捨てないとダメなんだと思うんですけど、そんなのは誰もがやる必要はありません。

 真の修行をやろうとする人間は、出家したり山に籠もったりして日常生活は捨ててしまうものでしょう? 武道武術を極めたいと思う人間は、修行マニアですから、ある種のキチガイには違いない。そんなの、真似しちゃダメですよ。

 だから、バランスが重要だと思いますよね。

 こういう風に考えるようになったのも、達人しかできないと思っていた合気の技が、ある程度自分でできるようになってくると、「おんや~? これって、誰でもできるんじゃね~の~?」って具合に思えてきたからでしょうかね?

 神秘だと思っていたことが、明確に理論的合理性がある結果だと認識が変わってくるとどうなるのか?

「技術は教えれば伝わる」という認識に変わるんですよ。

 そう考えて教えるようになったのは、十数年前からですね~。

 嫌がらせ、ひどかったですね~。

「長野がやってるのはインチキだ。本物はあんなものじゃない!」とか言うマニアが多かったですね~。

 だけど、「これが本物だ!」って見せてくれた人はいなかったな~? いや、いたかな~? あ~、いたいた・・・。「合気揚げを見せてあげよう」って得意満面でやって見せるから、私、すぐ仕掛けを見破って(何度も何度もかけられたら、そりゃあバレるよ。一回でやめときゃ~いいのにね。おバカさんだね~)、かからなくしたら・・・急にかからなくなったから油汗垂らして目がマジになっていたキムタツ先生とか?

 私、さんざん悪口書いてるから、文句言ってくるかな~?と思ってるんですけど、全然、来ないですね~。また、私に合気がかからなかったりしたら、面目丸潰れだからね~。

 まあ、キムタツ先生も、「あの頃は私もまだ合気が完成していなかった」とかほざくんでしょうね~? でも、だからといって、「じゃあ、やってみましょうか?」って話になったら、最も危険があぶないですからね~。

 もう一回やって私に合気かけられなかったら、哀気の達人?になっちゃうもんね~。だって、私は「ダメだこりゃ~」ってイカリヤチョースケみたいに本で書いちゃうからね。

 我ながら性格ワルイな~って思うんですけど、自惚れた人を見るとイジメたくてイジメたくてウズウズしちゃうもんですからね~。

 だけど、私は真摯に探究してきた人に対しては尊敬するんですよ。愚直に地道に稽古を重ねてきて、他流を侮ったり蔑んだりしない人も沢山いらっしゃいますよね。

 そういう人達の向上に役立てるなら研究家として本望ですよ。

 なので、真面目にやりたい人だけいらしてください。


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武道やってる男ってヤツは・・・

・・・ホント~に、嫉妬深いというか、恥を知らないというか、まったく、どうしようもない愚か者がいるものだな~?・・・と思うのは私ばかりなんでしょうか。

 町井勲先生のブログを会員さんから見せてもらって、『飛び出せ!科学くん』の回想記とコメントや、その返信を読んだところまでは良かったのですが・・・。

 その後の「・・・ケチをつけてくる心ない方が必ず現れる。悲しいことです。・・・」と書かれているところを読んで、私まで悲しくなってしまいました。

 500キロで飛んでくるボールを抜きつけた刀で捕らえたばかりか斬って見せた町井先生の実力は、恐らく、かつての居合術名人、中村半次郎などでもできないであろうと思われるくらい、とてつもなく凄いことであり、日本武術史上初の大快挙だと私は思うんですよ。

 だって、時速500kmの速度で飛んでくる球なんか、昔の侍は見たことがないでしょう? 

 経験しようのない速度を体験して、どうやって対応できるでしょうか?

 ましてや人間のように予備動作があって動き出すのではないのですから、タイミングを合わせることそのものが神業以上です。

 その神業以上のことをやってのけた剣の遣い手の偉業を、どうして素直に称賛できないのでしょうか?

 仮に私が町井先生を個人的に嫌いであったとしても、やはり、この偉業は「凄い!」としか言えないでしょう。

 どうしてか?というと、私には到底、同じことを実現する自信なんか皆無だからです。

 自分のできないことをできる人というのは、その一点だけで敬服に値します。そして、武術を探究する者として目指すべき良き目標たり得ます。

 例えば、私の会に入会された方には空手道場を運営し、自らフルコンタクト空手の大会にも出場している方もいますが、先日の大会では優勝されたそうです。

 それだけの実力があっても、自らの知らない領域の技を学びたいと私の会に入会されたのです。“一生を費やしても探究する価値のある武術空手を研鑽していきたい”という希望を持って、私に教えを求められた。

 まだ、年若い武道家です。しかし、一生をかけるに足る武術を求められて私のところへ来てくれたのです。

 これに応えられなかったら私のこれまでの研究は嘘っぱちになってしまうでしょう。

 無論、彼以外にも多くの方が期待感を持って尋ねてこられます。

 私の研究に期待して来てくれた人達を裏切ることは、つまり自分を裏切ることです。自分を裏切るのは、教えてくれた先生方を裏切ることであり、武術そのものを裏切ることに外なりません。

 死ぬ数年前に「お前に一番、期待している」と、三人兄弟のうちで一番ダメな生き方を選んだ息子に言ってくれた親父の期待を裏切ることになるでしょう。

「長野さんは才能があるんだから田舎に帰っちゃダメですよ」と助けてくれた某出版社の社長さんを裏切ることになるでしょう。

 私には裏切ることができない理由が無数にあります。多くの人から期待されるということは、責任を伴います。

 だから・・・TV放送される番組の中で全国の人が注目するであろう瞬間を、見事に期待に応えてみせた町井先生を、私は称賛してもし切れない最大級の賛辞を贈りたいと思いました。

 けれども、「あれを観ても、まだケチをつけられる人がいるんだ・・・」と、悲しいのを通り越して、「人間というのはここまで嫉妬で心を失ってしまうものなのか?」と逆の意味で感心してしまいました。

 武術をやっている?人には、口を開けば“実戦とは”と言う人がいるものですが、本当の意味での実戦を体験している武術家は現代日本ではほとんどいないでしょう。

 私はストリートファイト紛いのことなら何度か経験ありますが、それらは実戦と呼ぶような厳しいものではありませんでした。

 武道経験のある人と軽く手合わせしてみただけでしかありません。

 それ以外は元暴走族や元ヤンキーと遊んでやったくらいで、死ぬか生きるかの死闘は一度も経験ありません。

 いや、ちょっとそうなりかかったこともありますが、「仕方ない。こうなったらやるしかないな」とハラを括って無構えで待つと、その度に相手は異様な相手と思ったものか、掴みかかろうとしていた腕を引っ込めて、急に立ち去ってしまいました。

 私は、「仕方ない。やるしかないな」と決めた時は、「場合によっては相手が死ぬかもしれないが、仕方ないな」と決意します。

 一度はナイフを出して脅された時でしたが、この時も刺された瞬間に相打ちで目玉を潰してやろうと思ったんですが、私がびびったりしないので危ないと思ったのか、その人は黙ってナイフを仕舞って俯いてしまいました。

 意地を張って強がってみても、結局、武道をやる人間は、本質的に臆病であり、それゆえにこそ自尊心が人一倍強いのだと思います。

 だから、意見が対立する相手に対しては、自分の強さをアピールして平伏させたくなるのでしょう。自分が優位に立っていないと不安なのです。

 年齢が若いのなら、笑い話で済みますが、社会的に分別を求められる年齢になっても、そんな性格のままだとしたら、それはもう矯正は不可能に近いだろうと思いますし、ある種の精神障害の領域に入ってしまうでしょう。

 こういう場合、専門家のカウンセリングを受けてしかるべき治療を受けないと病気が進行して自分自身をコントロールできなくなり、仕事も何もできなくなってしまったり、犯罪をおかしてしまったりする危険性があります。

 私は、こういう状態になってしまっている人を武道武術の世界で腐るほど見聞してきました。

 そんな人は周囲の人達と安定した円満な関係を築くことができず、手前勝手な価値観を押し付けて人を非難したりして喧嘩別れを繰り返したりしてしまうものです。

 結果、親しく付き合っていた人達は“さわらぬ神にタタリなし”と無言で離れていってしまう・・・。

 小説家や芸術家、役者には、そんなタイプが多いと言われていますが、天才的才能と引き換えに、そんな人達は長く活動することができない場合が多いようです。

 原因は“病”です。そんな人には、ただ、自身の異常な状態を自覚して専門的治療を受けて欲しいと心から願うばかりです。


 さて、武道をやる人間は自分の弱さを改善したいから、やっているものです。その気持ちは私も何も変わりません。

 けれども、それは自分の弱さを本当に自覚した上でなければ、自己欺瞞と誇大妄想的万能感に酔い痴れて現実を客観的に見られなくし、妄想の世界に自己を埋没させていってしまうでしょう。

 せっかく武道を学びながら、そうなってしまう人達を多く見聞することは、本当につらいものです。

 本当に強い人は、自分の弱さを自覚し認められる人です。暴力に頼って他者を威嚇する者は武の本道を外れてしまっていることを理解してもらいたいと思っています。


 それから、これは余談なのですが、ここ最近、私と技術交流したいと申し出てこられる武道団体の主催者の方もいらっしゃるのですが、私はこの申し出は一切、お断りすることにしていますので、悪しからず、御了解願います。

 有り体に申しますと、私が武術指導しているのは生活費を得るためであり、趣味で楽しむためにやっているのではありません。研究した技術を無料で他所の団体に教えたりするのはラーメン屋が人気のあるレシピを競合他店に教えるようなものでしょう。

 ケチ臭いヤツだと思われるでしょうが、背に腹は代えられません。私は自分の生活を維持するだけでやっとこさ。他人と趣味を楽しむ余裕は経済的にも時間的にもまったくありません。“貧乏暇無し”ということです。

 また、私の研究している技術はスポーツとして他者と技量を競えるものではなく、スポーツライクな考え方しかできない方とは根本的に相いれません。

 私が研究しているのは弱者が命の危機に陥った時に切り抜けるための技術なので、格闘の技能を高めようという発想は皆無なのです。

 女・子供・老人が屈強な暴漢と互角に殴り合って勝てる道理はありませんが、“互角に戦わずに手段を選ばなければ”、倒すことは少しも難しくありません。

 私が研究しているのは、“そういう手段”であり、その意味では従来の武道格闘技の技術には、もう、ほとんど関心がありません。

 私が関心を持っているのは、居合術・槍術・薙刀術・手裏剣術・拳銃射撃・ライフル射撃・ナイフ術等の、もっぱら武器や暗器を用いる術であって、素手の格闘技には、ほとんど関心が無くなってしまっているのです。

 なので、素手で格闘する技を見て強いとか弱いとか判断する人達とは根本的に話が合わないし、そういう人達と同じ条件で戦って勝てるかどうか?と論じることそのものが馬鹿らしいと思ってしまうのです。

 私が考案した游心流では、素手の技術は武器術の従属的なものとして位置付けており、あくまでも基礎稽古のためのものでしかありません。基礎訓練を積んだ後に居合術を練るようにしたのも、そういう考えがあるからですし、行く行くは射撃の研修に年に一回は海外ツアー組もうと思っています。

 女・子供・老人でも屈強な格闘技の猛者を一瞬に倒すには、“武器を使って急所を攻撃する”という、実に簡単な理屈です。そして、武器そのものの殺傷力が高ければ、戦闘はより簡単に決着がつきます。私は“一秒以内に殺せる技術”を研究しているのであって、「格闘の技を楽しんで練習して良い汗流しましょう」という感性は全然ありません。

 なので、そうした会をやっている人から招待を受けて「武術としてどうですか?」と聞かれても、私は全然、興味がないし評価のしようもないんですよ。スポーツとして見ればそれなりの評価もしますが、少なくとも私の考える武術はまったく違うものですし、「どうです。強いでしょう?」と言われても、「はあ~、強いですね~」って言うだけ。

 でも、本音は「あなた、こういう戦い方が実戦だと思ってるんですか?」って話。

 肉体と格闘技の強さを誇ってみても、近代兵器には勝てません。武術というのは、それが考案された当時は、その当時の近代兵器を駆使して戦う技術だったのであって、そこを勘違いしてはダメなんですよ。

 アメリカで全米空手チャンピオンが小学生にピストルで射殺された事件があるそうですが、これは象徴的で実戦の本質を物語っています。

 戦闘で勝つために相手より圧倒的に強力な武器を持つのは当然のことであって、その当然のことを考えない者が実戦を語ることは愚かとしか言えないでしょう。きつい言い方ですが、ふた昔前の小学生のガキ大将の発想ですよ。


 ですが・・・だからこそ、“心ない人”に技術を教えたりする訳にはいきません。

 これは私に直に習っている方なら納得されると思っていますから、部外者にどう受け止められても構いません。バカに解ってもらおうとは思わないですし、敵意を持つ者に自分の手の内を教えてやる義理もありません。

 臆病者と罵られても一向に構いませんし、事実、私は臆病です。臆病だから戦いに備えて準備するのが武術を学ぶ者の心得だからです。

 本当に実力のある人は自分の腕前を誇らしげに振りかざすような恥ずかしい真似はしないものです。そんなのはチンピラのやり方ですよ。

 私は謙虚に学びたいと教えを請う人以外に教えるつもりはありませんし、それでも場合によっては断る場合もあります。武術は、刀剣や銃と同じ。不心得者に教えれば人を傷つけ自分も傷つくだけだからです。

 軽はずみな気持ちで武術を学んだばっかりに、精神のバランスを崩して社会生活もまともに送れなくなった人も結構います。“強さ”ばかり求めるとそうなってしまうのです。

 私は、私が研究してきた内容を良いと認めて習いたいという人達だけを相手にしてやっていくつもりですから、習う気もないのに興味本位で友人付き合いを求められても、正直いってしまえば、迷惑なのです。

 そんな訳で、他所の団体との技術交流は一切、お断りしていますし、私自身から学びたいと思って信頼できる先生の稽古場へ出向くことはありますが、それは技術交流ではありません。私が学びたいからですし、それなりの謝礼もします。

 目指すものが違って価値観も異なっている人間同士が付き合っても、意味がないどころか対立するだけでしょう。そういう経験は山ほど積んできたので、益のないのが解っている付き合いは最初からしないのが賢明でしょう。

 奇しくも、町井先生も同じような意味合いのことを書かれていて、まったく、おっしゃる通りだな~と思いましたが、やはり、日本刀という一振りで人命を断つことのできる武器を扱う術を修練されてこられているからこそであろう・・・と推察しました。

 殺す技術を知らない者は“強さ”に拘ってしまうのです。

 そして、殺す技術を知れば知るほど、無益な争いを避けようとする・・・だから、武徳というものが自然に芽生える。それが日本武術でいうところの“不殺活人”という理念が生まれた背景です。

 武術の技は強さを誇るためにやるものではなく、ただひたすら、自己の内面を鍛えるためにこそ修練するのであって、それを使うのは一生に一度あるかないかの自分や身内の命のかかった危機の時だけです。

 ただ、使わずに済ますことこそが極意なのです。だって、殺人を自慢してたら、単なるキチガイでしょ?(もっとも、本来、武道はなんでもそうなんですけど、本当にレベルの低い解釈をされていますよね~? ねえ、小島さん?)
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復活する達人伝説

 剣武天真流DVD撮影が順調に進んでいるかと思っていたら、クエストさんから電話がありました。

「ちょっと、長野さんに知恵を借りたいんです」ということでした。

 スタジオ撮り、体育館撮りの2回やったものの、どうも、武道として判りにくくて、一流派の内容を紹介している資料映像という内容にしかなっていないというのです。

 もちろん、多くの武道武術のDVDがそういう内容になっていたりするので、それでも問題はないのですけれど、今回のDVDにかけるクエストさんの意気込みはこれまでになかった感じなんですね。

「武道として説得力のある解説とか演武とかを青木先生本人にやってもらいたいので、長野さんも、今度の撮影に来てもらえませんか?」ということで、GWの最終日に、新体道の合宿場所である箱根に行ってきました。

 朝5時12分に渕野辺駅を出発して高田馬場へ、そこで撮影クルーと一緒に箱根に向かいます。

 いいな~、仕事してるって感じがするな~。

 私、いつも部屋の中でチマチマ原稿書いてるから、仕事らしいことしてる感覚は、会社に行って打ち合わせしたりしている時くらいなんですよね。

 武術教えている時は仕事より趣味の感覚が強いから、やっぱり、こういう撮影の時が一番、“仕事”って感じがしますよね。もっとも、これまた私は自主映画やってた時を思い出すから、楽しいばっかりなんですけれど・・・。

 箱根のホテルに到着すると、ちょうど新体道の会員さんたちが稽古に出てきたところでした。青木先生の御子息の青木太郎先生がちょうどいらしたので、挨拶し、そのまま稽古場所へ機材を運んでセッティング。

 吉田さんも大井先生もいらしたので、簡単に撮影の打ち合わせとか監督さんとやってもらいながら、稽古の様子も記録撮影しました。

 合宿の最後の日だったそうで、稽古は総まとめと、闘争を捨てた調和の武道である新体道らしく、ケラケラ笑い声も出る楽しい雰囲気で前衛的なフォークダンス?みたいな感じで全員で丸くなって大妙の型をやって納会となりました。

 新体道を知らない人が普通の武道のイメージで見たら、「なんじゃこりゃあ?」とビックリして、中には拒絶反応を起こす人もいるかもしれないんですね。

 でも、前衛的な舞踊とかボディワーク、アートを目指している人にとっては凄く感動すると思うんですよ。

 ただ、美しいだけではなくて非常に力強くて形式から解放された心身がある。

 うちのユーチューブに出した動画の中で目隠しして組手やっていた教練は、新体道のこの訓練をやっていたから、超感覚が芽生えていた訳なんですね。だから、従来の武道に行き詰まってしまった人が新体道を訓練すると素晴らしく伸びると私は思います。

 特に空手をやっていて行き詰まった人にとっては、新体道から学べることは非常に多いと思います。何しろ、青木先生は空手の型を全面的に研究しているので、実際、沖縄空手の型でも何でもパッと観てすぐ意味が解ってしまうみたいです。

 私自身は、ちょびっと体験した程度で会員ですらないんですけれど、それでも、得られたものは計り知れないものがあります。

 新体道を知らなかったら、今の私は絶対にあり得ませんでしたね。

 特に、武道をガンガンやってきた人は、心身がガチンガチンに凝り固まってしまって、柔軟な考え方もできなければ身体もアシモ君より堅い動きです。

 統一体という言葉を誤解して石像のようになっている人がほとんどです。

 いったん、身体をバラバラにほぐして、それを生ゴムのように柔軟でしなやかな動きに作り換えることが必要です。

 長く新体道を続けてきた人達の動きは、柔らかくてしなやかで伸びやかで素直で、その上に上半身は力が抜けて軽く、下半身はズシーンと重く、力をタメずにスルッと動き、ストーンと突く・・・。

 天才、江上茂翁が求めた空手は、奇才、青木宏之によって完成され、さらに武道というカテゴリーさえ超越したのです。

 その青木宏之先生が、齢70を越えて、まさか新たな流儀を興そうとは・・・。


 クエストさんが意気込むのも当然でしょう。そして、80年代に“最強の武道家”と噂されていた青木先生が、伝説のベールを脱いでくれることを願わずにはいられないのも当然のことでしょう。

 何しろ、90年代半ば以降、新体道はあまりメディアにも登場することもなく、青木先生のことも新体道のことも知らない武道修行者が増えていました。

 昔は、その超絶の強さが噂され、名だたる空手界の実力者がこぞって教えを受けに行っていましたが、青木先生は、彼らの名誉が傷つかないように厳しく箝口令を強いた上で指導していました。

 その世界で名のある立派な人ばっかりでしたよ。私も何人かお会いしましたが、もちろん、彼らの立場を考えて隠してきました。

 私がUさんやKさんに対して批判的な最大の理由がこれなんです。名のある人を一方的に転がしてみせている様子を公に見せて、自分の実力を誇示するところが武道家としてエチケットが無さ過ぎると思うんですよ。

 習いに来ているのと勝負に来ているのでは全然、違うでしょう? いくら強くたって、他流のトップを転がしているところをね~・・・やり方が嫌らしいですよ。

 誰も批判しないみたいだから、私が批判してやりますよ。私の言ってるの間違ってないでしょ? おかしいことはおかしいって、はっきり言わなきゃね。

 今回の合宿には、外国からもその国で著名な武道家がお弟子さんを引き連れて参加されていました。

 別の流儀であっても良いものは良いと素直に認めて教えを受けようとされるところは、海外の武道愛好家は視野が開けていますよね。

 つまり、海外で熱心に武道を修行している人達の間では、今でも「青木センセイ、シンタイドー」のネームバリューは高いんですよね。

 なので、前日の夜から明け方4:00頃まで海外から参加した人達に青木先生が直々に指導されていたようで、後から稽古場に来られた時は、流石に疲れた御様子でした。


 さて、午後は剣武天真流の残りの撮影です。

 場所を変えて地元体育館の横のグラウンドで撮影することになりましたが、予期せぬトラブルが?

 近くを通るロープウェイからノイズ音みたいなのがブーンブーンと鳴っていたり、道路の車の通過音も結構、気になる。

 ビデオ撮影の時に結構、問題になるのが、この周囲の雑音なんですね。戸外の時は特にそうです。

 箱根だから、アルプスの草原みたいなロケーションを想像していた我々は頭を抱えてしまいました。でも、やるんだよっ!

 剣武天真流の主要メンバーによる組み太刀の型、木剣VS棒、棒VS棒の対戦。なかなか迫力のある映像が撮れました。

「ヘロヘロになったところから無意識に出る技こそ極意」と解く、青木先生の武道原理の一端がここに現れています。

 続いて、場所を変えて青木先生と大井先生の演武を撮ります。

 しかし、ここでもトラブルが?

 カンカン照りに晴れていた箱根の山にガス(霧)が出てきて雲が太陽を覆い隠してきたのです。ヤバイッ! 

 なんか、人VS人ではなくて、青木先生VS山の神様みたいな感じになってきました。

 普通、いつもDVDは撮影を一日で終了します。二日かけるのは例外。今回のように三日かけたのは例外中の例外で、ひょっとするとクエスト初かもしれません。

 あ~、それなのに、このまま真っ暗になってしまったら、また日を改めて撮らなきゃならないかも? ぶっちゃけ、「予算がぁ~!」って話です。

 でも、トラブルもまた味方にするのが真の達人なんですね~。

 このガスが逆に、演武している最中にファ~ッて流れてきて幻想的な美しい画になったんですよ。なんか、霧隠れの技?って勘違いしちゃいそうな感じです。

 そしてまた、これは嘘だろ?って思えたのは、時刻は夕方になっているのに雲間が切れて、また青空が出てきたことですね。もう、暮れてくるくらいの時刻になっていたので、本当に驚きました。

 そういうギリギリ(時間的にも)の状況の中で撮影したのですが、青木先生が剣を持たずに素手の技で実演解説し、剣武天真流を興した動機や武道に対する想い「殺法ではなくて人を活かす、共に練習を楽しむ武道」について切々と話されて、インタビューも兼ねた内容にしてくださったお陰で、何とかなりました。

 いや、何とかなったというレベルじゃなくて、淡々とさりげなく実演してくださった技の深味、闘争を超えて敵を慈しむかのような調和する技を具体的に見せてくださったのは、生涯、追い求められる武の境地を示してくれたものとして、全武道修行者に見て感じてもらいたいと思いました。

 林の中での安原義人さんの刀を使っての剣舞も、実に素晴らしく美しいものでした。これは田中泯さんや舞踊関係の人達に見てもらいたいな~。

 また、最後の大井先生の居合術の素晴らしさ、二人を相手の組み太刀の様子は、「ひょっとして夕雲流って、こんな感じだったんじゃないかな~?」なんて思いました。

 実は、私も事前に打ち合わせして、「もしも、クエストさん的に、これでは物足りないという話になった時は、先生はお嫌でしょうけれど、私が攻撃側になって先生が制する・・・というのをやってもらえませんでしょうか?」と青木先生にお話していて、その準備もしていたんです。

 青木先生は、かつて遠当てを公に実演したことを今は後悔されていて、「ああいう技は外部に見せるべきじゃなかったんでしょう。みんなが喜んで、やってくれと言われてやっていたけれど、私はもう、名人だの何だのと言われるのは嫌なんですよ」と、地道に新体道、天真会の活動が広まって社会貢献できればいいという考えの様子でしたから、私も本当は青木先生を愛憎渦巻く嫉妬に狂った連中が暗躍する武道の世界に引き戻すようなことはしたくなかったんですけれどね~。

 けれども、これを見ていたら、私の出る幕はありませんでしたよ。私がもし出たら、そこだけ違和感になるでしょう。真っ白いキャンバスに、一点だけ濁った点が付いたようになってしまう。

 だから、青木先生と大井先生で、見事に締めてもらえて、本当に良かったです。それと太郎先生がいてくれたのも助かりましたね~。本当に的確なアドバイスを頂戴して撮影がスムーズに進みました。もし、太郎先生がいなかったら、撮り切れなかったかもしれません。何しろ、以前、日本の武道武術シーンの一大交流の場をつくっていた人ですから(譬えるならジュラシックパークの園長って感じ?)。

 本当に素晴らしいですよ。これ以上の武術DVDは作れないんじゃないかな~?と、私は自信をもって大々々推薦させていただきます。

 心地よい満足感と共に帰路につき、私は横浜在住のスタッフの方(帰り方、どうしようと思っていたので助かりました~)と一緒に高速道路を途中で降りて、田園都市線で長津田まで行き、横浜線に乗り換えて帰宅しました。

 前日、寝ていなかったので、貰ったお弁当を食べてから、いつの間にか爆睡して朝の5:45に目覚めました。いや、本当に夢のような一日でした・・・。

 青木先生、太郎先生、青木先生の奥様、太郎先生の奥様、吉田さん、大井先生、新体道及び剣武天真流会員の皆様、ありがとうございました! きっとクエストさんが最高のDVDに仕上げてくれると思いますので、御期待ください。

 そして、このブログを読んでいる皆さん。今回のDVDは是が非でも買って観てください。身法の極致、心法の極意が収録されています。これを観逃したら、日本の武道武術の真の価値を知らないまま終わってしまいます。

 空手をやっている人も合気道をやっている人も、もちろん、居合道や剣道をやっている人も、これを知らないままでは日本の武の到達した境地が永遠に判らないままですよ。

 カタチとマコトとコトワリがここにあるんですよ(モノノ怪?)。

 そして、「なぜ、今、剣なのか?」という答えがここに有ります。剣を知らねば日本の武は解りません。刀が教えてくれるんです。

 ここ最近、歴女ブームから“刀剣女子”ブームが起こりつつあるそうですが、時代は日本刀に向いてきている感じがしますね~。

 俺もガンバロッ!



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無策の人に政治は無理

「バカなんじゃないの?」と呟いた人が日本全国でどのくらいいたことでしょうか?

 鳩山首相の沖縄訪問のニュースを見ていて、予想はしていたけれども、ここまで予想通りだと笑っちゃうしかないでしょう。

 私の周囲の人の中には「鳩山さんは一所懸命やろうとしていて誠実な人じゃないか? あそこまで悪く言われなきゃならないのか?」と同情的な人もいました。

 そう言いたくなる気持ちも判らなくはありません。

 でも、そんな人は政治家には向かないし、ましてや総理大臣は勤まらないでしょう。

 世の中で策略が重要な意味を持つ場は、軍事と政治です。

 社会システムを維持するのも改革するのも、それなりの戦略的策が必要です。

 これはもう人類の歴史を顧みれば否定できない現実であり、いくら理念を唱えてみても、武力行使で押し潰されたらどうしようもない。

 力任せだろうが何だろうが、勝った者が支配していくのが現実。

 だから、勝たなきゃならない。よって、力無き者はテロに走ったりする。

 そういう現実に対して、友愛の精神がどうこうと言う甘ちゃんが何をどう解決できるのか?

 重要なのは、具体的実効的策略ですよ。

「じゃあ、お前だったら、どうするんだ?」って言われるのなら、まず、自衛隊の中でロボットの研究をさせます。

「そんなことやって何の意味があるのか?」って思うでしょうけど、これはね~、具体的にどうこういうものではなくて、要するに、対外的な大ハッタリをかます訳。

 日本のアンドロイド型ロボット工学のレベルが高いのは世界的にも知られていることであり、それを本格的に軍事産業に投入しているという情報だけ公表すれば、外国にない技術だからこそ畏怖の感情が高まる。

 核兵器や化学兵器、生物兵器などに続く新しい科学技術の軍事研究をしているという情報だけで抑止力になりますよ。

 その上でアメリカの基地を徐々に無くして自衛隊の駐屯地にしていく訳ですよ。

 そんでもって、モビルスーツ軍団みたいなのをお披露目したりする。映像だけね・・・。
 解ります? この映像というところがミソで、CG特撮で作ればいいんですよ。情報は小出しにして・・・。

 もちろん、具体的にロボットの研究はやる訳ですよ。情報は実際の十倍に膨らませて出せばいいんです。

 で、お次の作戦は、海外との文化芸術の交流をどんどん進める。そして、発展途上国には学校を建てたり教育援助をしていく・・・。

 いろんな国の文化や芸術の背景には宗教がありますから、その宗教観を充分に学んで、その国その国と、どう付き合っていけばいいのか?を研究していく・・・。

 そういう文化交流を通じて、互いの文化的違和感を減らしていって、国同士の団結意識をつくっていく訳ですよ。

 で、友愛精神で繋がった国同士は対立する必要を感じなくなるから、国の垣根を越えた交流ができる。

 最終的には世界が精神的に一つになれば国家の防衛ということも考える必要がなくなって、警察機構だけで充分な形になっていく・・・。

 そうなってから、「実は日本のロボット防衛構想は嘘で、ロボット工学は世界人類の平和な生活のために役立てる研究をしていました~」ってやればいいんですよ。

 無論、こんな構想は5年や10年では無理でしょう。

 でも、100年はかからないですよ。

 要は、文化芸術の振興と交流による人類の精神性の成長と、教育事業に本気で取り組むことと、世界の軍事産業をエネルギー産業へと転換させることです。

 元々、飛行機なんて軍事産業によって発展したんだし、インターネットもそうでしょう? 転換させるのは難しいことじゃありません。

 結局、何が一番の問題かというと、人類が精神的に成熟していないことなんですよ。

 鳩山首相は、具体的な策略を持たないまま、普天間基地の県外移設を口にしてズルズルと期限を伸ばしてみたものの、無策なまま追い詰められてしまった・・・。

 沖縄県民に基地の県外移設を期待させておいて、「やっぱりダメでした」では済まないでしょう。

 できない約束はしない方がいいんだし、自分の無能さを晒して諦めてもらおうなんて甘い考えが通用すると思う時点で負けは決まっていた訳です。

 昨年、5月までと言って後手後手で動いてきた責任は重いです。

 アメリカの顔色をうかがったり、沖縄県民の顔色をうかがったり、揚げ句に福島さんの顔色までうかがったり・・・なんてことをやっているからダメなんであって、話し合いをするんだったら、アメリカの駐日大使を沖縄県民と討論させて話させるとか、日米の防衛協定の話題をきちんと論議したらいいんですよ。

 当然、「アメリカの基地がなくなって沖縄を中国か北朝鮮が襲ってきたらどうするんだ?」みたいなことを言われるでしょう。

 だって、アメリカの基地の人達って、「俺たちが守ってやってるのにガタガタ文句言うんじゃねぇっ!」て考えがある訳でしょう?

 私なんか、正直言って、現在の日本はアメリカの属国であり続けているんだと思ってるから、神奈川も米軍基地がいくつもあって、時たまうるさかったりもしますけど、しゃ~ね~な~って思ってますよ。

 だからといって、「日本国は日本の防衛軍が護る!」って論理もね~・・・。

 もう、21世紀になってんだから、い~加減、国家国防論みたいな目先の現実論から脱却して何十年後の世界の在り方を考えて具体的に必要なことを考えていったらどうですかね~?

 左翼の現実味のないタワ言も聞き飽きたし、右翼の国防論も近視眼的に過ぎる。

 世界の終わりは二つあるんです。

 一つは文字通り、世界が終わること。

 もう一つは、自分が死んでしまうこと。

 どんな人間でも、いずれ世界とおさらばするんだから、生きてるうちは自分のやりたいことを目一杯やって生きるべきでしょう。

 だから、鳩山さんも、アメリカにゴネてゴネてゴネまくってみればいいじゃないですかね~?

 だってね~、そんなにアメリカの顔色うかがってみたって、アメリカだって、いずれ変わんなきゃならないんだからさ~。それを早めてやったらいいのに・・・。

 そんな余裕はないか?


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久しぶりの試し斬り

 4月29日のメイプルホール本部道場稽古は、休日でもあったので、久しぶりに真剣での細竹試し斬りをやってみました。

 多分、半年ぶりくらいでしょうか? ホームセンターで買った親指くらいの太さの竹を二本、白臘杆(中国原産の柳科の木で適度な撓りがある)の棍と一緒に刀袋二つに納めて持って行きました。

 休日でもあったので、メイプルビルの2Fの喫茶店で遅い昼食を食べながらダベッていたんですが、紫色の袋に入っている185cmくらいの棒を見たお店の人から、「弓道の道具ですか?」と聞かれて、「隔週木曜に下のホールを借りて武道の練習をしているんです」と言うと、「あ~、あの・・・」とニコニコされていました。

 多分、空手やダンス、バレエなどの教室に混ざって、昨年秋からヘンな武術をやっている団体があるということがメイプルビル内でも噂になっていた様子です。

 ここのホールは地下1Fになるんですが、外から窓でのぞけるようになっているんですよね。何しろ、太極拳や空手や合気道や居合剣術や槍術をやっていたりするので、「いったい、何の武道なんだろう?」と不思議に思われることでしょう。


 相模原の駅から歩くとちょっと遠いですが、バスを利用すればいいので、ここのホールは相模原市内でも、ちょっとした文化交流地点みたいになっています。

 ギャラリーやコンサートホールもある都市のひな型みたいなビルなんですよね。

 4Fまではいろいろなお店も入っているし、2Fの喫茶店は小洒落た店内と夏はビアガーデンもあります。お花見の時は特等席で市役所通りの桜が眺められる・・・。

 本当に、ここが借りられて良かったな~と思います。何しろ、槍が練習できるというのは大きいですからね~。

 そして、この日は練習の後半に、試し斬りをやりました。

 青竹と違って水分の抜けた竹は堅くて斬るのが難しいものです。親指程度の太さでも結構、難しい上に、うちの場合は固定する台がないので、コピー用紙の芯を金具に固定して、これに竹を挿入しているだけなので、ほとんど突っ立てているのに等しいのです。

 最初にやった時は、北島師範しか斬れなかったんですが、二回目の時は、ほぼ全員が斬れました。

 三度目のこの日も、まず私が斬ってから、一人ずつ試してもらいました。

 大学生の新会員が八割り方斬れてもう少しだった以外は、全員、スパッと斬っていて、最初にやった時にほとんど誰も斬れなかったのが嘘みたいです。
20100429_002.jpg

 試し斬り用に貰った刀を使ったんですが、私が持ってる刀の中でも一番、斬れ味が良いようです。

 恐らく、小宮四郎國安も、相当、斬れ味が良いだろうと思うんですが、これは上等過ぎて傷をつけたくありません。

 室町時代の古刀も三振り持っていますが、こちらは貴重だから万一、折れたり刃毀れしたりするとマズイな~と思って、これまた、ほとんど試し斬りには使っていません。

 水に浸けて柔らかくした畳表を巻いたものなら、大して傷はつかないかな~?とも思うんですが、美術刀剣という観念からは試し斬りする人間は狂人みたいに言われます。

 恐らく、現代で試し斬りに用いるのなら、“現代刀で試し斬りを目的にして打った刀”を使うのが一番良いでしょう。

 つまり、武用刀として作られた刀です。が、試し斬りに向いた刀と剣術・居合術に向いた刀というのは形状や重量バランスなどが異なってくるので、これまた分けて考えないといけません。

 その次は、消耗品として作られた無銘の数打ち物(戦国時代に量産されたもの。量産型ザクみたいなの?)で日本刀としては価値が低いもの。

 要するに、折れたり曲がったりしても懐が痛まないものです。

 それにしても日本刀は、どんなに安くても数万(脇差にはこのくらいの値段のものもある)~数十万円はしますからね。

 私は50万円以上の刀で試し斬りはしたくないですね~。

 まあ、せいぜい20~30万円くらいまでの刀でないと傷はつけたくないな~。

 そういえば、『飛び出せ! 科学くん』に久々に町井先生がゲスト出演されていて、時速500km!のボールを居合斬りするというのに挑戦して成功されていて、唖然となりました。「真ん中を斬りたかったんですけどね~」って残念そうなのも驚きます。

 人間相手じゃないんだから読みとは関係ないだろうし、あの動態視力と集中力、反射神経の冴えは昔の剣豪をも凌駕していると思いますね~。500kmですよ? 新幹線の倍以上のスピードですよ? これは、マジでコルトガバメントの45ACP弾を真っ二つにできるかも?

 人間の能力というのは鍛えればかくも伸びるものなんだな~?と感動しました。



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長谷川、無念!

「あっ、しまった!」と、私はTVを観ていて、思わず声が出てしまいました。

 今、日本を代表するプロボクシング世界王者である長谷川穂積が、やや優勢に試合を進めていたにもかかわらず、一瞬にして世界タイトル連勝記録を失ってしまいました。

 これが、勝負というものに潜む“魔”なんだと、つくづく思いました。

 王座を奪ったモンティエルは、確かに強い選手でした。

 しかし、長谷川が勝てない相手ではなかったと思われました。

 一発の左フックが浅く入り、続けて二発目の左フックが長谷川の脳を揺さぶり身体のバランスを失わせてしまいました。

 痛恨のミス・・・というべきか、一発打った後にパンチをほとんど引かずに二発目の超ショートフックを繰り出したモンティエルのテクニックを称賛するべきか・・・。

 4R終了間際の変則的な左フック一発が、日本最強王者の鉄壁と思えたガードを崩してしまったのです。

 食らってタタラを踏んだ長谷川が、何とか踏みとどまろうとしているのが解りました。

 が、絶好のKOチャンスと判断したモンティエルの容赦のない速射砲のようなパンチを浴びて、長谷川はクリンチすることもサークリングで回り込むこともできずにTKO負けを喫してしまいました。

 ロープに引っ掛かった左腕でガードできなかったのか、それとも左腕を引っかけて踏みとどまっていたのか・・・それは本人にも判らなかったでしょう。

 連勝記録を伸ばして日本ボクシング史に名前を残そうかという矢先の敗戦は、長谷川にとって慚愧に耐えないことでしょう。

 技量では、やや上回っていたと思えた長谷川の敗戦でしたが、一点、モンティエルには普通のボクサーにはない特異なパンチがありました。

 私は、今回、初めてモンティエルを見ましたけれど、「あれっ? この選手、二度突きしている?」と思いました。

“二度突き”というのは、突きが当たってから、さらにもう一段、突くテクニックです。

 通常の突き技、パンチは、一発打ったら引き戻して、二発目を放つのですが、二度突きは、一発打って突きが浅くて効かなかったら、その当たった位置からさらにもう一度深く突き込むのです。

 この技は、一発目を受けた時に筋肉を締めて持ちこたえ、当然、突きは引き戻されてからまた打ってくると思っているので筋肉の締めが無意識にも緩む・・・その緩んだところにもう一度深く突き刺さるように打ち込まれるので内臓にまで突きの威力が深く浸透してしまう・・・という仕組みです。

 これは形意拳の基本母拳“五行拳”のうちの“崩拳(ポンチュェン)”でよく用いられ、「半歩崩拳、打遍天下」、すなわち「半歩の寄せ足による崩拳の一撃は、あまねく天下を打つ」と称賛された形意拳一門の看板必殺技です。

 この“半歩崩拳”を得意技としていたのが、郭雲深であり尚雲祥といった名手です。

 そして、このモンティエルのパンチは、一発出してから、ほとんど引き戻さずにさらに二発目を出していたのです。

 つまり、一発目は通常のパンチで、二発目は寸勁だったのです。

 長谷川がダメージを受けてしまったのが、この二発目の寸勁パンチのようでしたが、恐らく、その位置からもう一度打ってくる筈がないというボクシングのセオリー通りの反射神経のために食らってしまったのではないかな~?と私は思いました。

 高度に読みを駆使する武道や格闘技では、読みを狂わされたらモロくなってしまう場合があります。

 長谷川が真に優れたボクサーだったからこそ、この罠に嵌まってしまったように思うのですが・・・。


 一方で、西岡利晃は、的確なカウンターで強豪バンゴヤンを一発で打ち抜き、これまたTKOで破ったのは見事でした。

 バンゴヤンの何とも不気味な雰囲気は怖いものがありましたが、西岡のスルリとガードを擦り抜ける疾風のようなカウンターの左ストレートは、ロングレンジスナイパーライフルのような精度でバンゴヤンの顔面をヒットし、見事にバッタリと打ち倒してみせた光景は爽やかな印象がありました。

 長谷川のまさかの敗戦で暗くなった雰囲気を吹き払うような、家族思いの西岡の爽やかさ・・・あ~、何か救われた感じです。

 コメントもいいですね~。相手選手を称え、負けた長谷川の再起を応援するところに根っからの人柄の良さが現れていました。

 勝負というのは勝つ者と負ける者の明暗を分けますが、非情であるからこそ、勝って驕らず、負けて我が身の欠点を顧みることの大切さを教えてくれますね。

 我を張らず謙虚になれることが“本当の強さ”なんだと教えてくれているようにも思えました。



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小島一志さん、ごめん!

 いや~、正直、「本当に本人なんですかね~? イタズラで他人がなりすましているんじゃないですかね~? 無視した方が良くないですか?」という会員たちとの話し合いで対応を考えていた時は、私も「その可能性もあるけれど、多分、本人なんじゃないかと俺は思うよ。どっちにしても返信のメールをしてみたら判るでしょう」と、先の返信メールを送ってみたんですが、どうやら小島さん本人だったようです。

 反論らしき返事のメールが二回、来たので、再度のお返事を書いたのですが、事務局に渡したら「着信拒否になって戻ってきました」ということです。

 何か、私は、ここぞとばかりに「これは、いいチャンスかもしれない。徹底的に論破して、こやつのひん曲がった根性を叩き直してやるっ!」ってつもりで書いちゃったんですけど、反論と彼のブログを読んだ会員がメールして知らせてくれたので、彼のブログも読んだんです。

 う~ん、どうやら、小島さんは本気で今までの自分のやり方を変えていこうとしていたみたいですね。

 何か仕事が順調みたいなこと書いてるみたいですけど、私も出版に関わる仕事やっていますから解るんですけど、強がりだと思いますよ。

 10年前くらいから「本が売れない」と言われて町の書店の生き残り戦略とか業界は大変だったんですけど、現在はその三倍くらい酷い状況になっています。

 確かに彼と塚本さんの共著『大山倍達正伝』は売れたようです。新聞や雑誌でも紹介されて話題にもなりました。

 だけど、武道・格闘技のジャンル作品というのは、一般の本と比べればそんなに売れるものじゃありません。値段も高いから何万部もバンバン売れる訳じゃありません。

 雑誌みたいに定期刊行していれば、そこそこ定期的に収入はあると思いますが、単発で企画をたてて大手の出版社から単行本やムック本を刊行するというスタイルは、現在の出版不況の状態では切り捨てられる危険性が一番高い訳ですよ。

 私がアスペクトさんで本のシリーズ化できたのだって、何とかコンスタントに売れているからであって、一回、水準を下回ってしまったらシリーズは打ち切られてしまうと担当者からも忠告されています。

 従って、企画自体は毎回、三つくらい考えて、一番、売れそうなやつを選ぶという形でやってきているんです。

 本当は特撮アクション映画の研究本とか書きたいんですけど、「映画本は売れないからダメ」って却下されちゃってるんですよ。

 だから、私みたいに武術と特撮とアクションしか書けないオタク作家が生き残っていくのは大変なんですよ。

 ちくま新書から声かけてもらった時は、本当に有り難かったですよね~。

 でも、打ち合わせした時に「新書版は一万部くらい売れないといけない」と言われて、「げげっ、ハードル高っ!」って思いましたね~。

 つまり、いきなり新人でプロデビューした野球選手が、「三割り打たなきゃ二軍に落ちますよ」って言われるようなもんなんですよ。

 小説家でも、新人賞とって鳴り物入りでデビューしても5年後は影も形もなくなってしまっている・・・というTVの人気芸人みたいなケースが圧倒的に多い。

 コンスタントに売れ続けるということがいかに大変なことなのか?

 複数の雑誌に連載持ってる作家でも「単行本で3000、新書で5000いかない」と言われている御時世で、メディアにほぼ出たことのない人間の本がその二倍の部数はけると思います? 無理っぽいでしょう?

 普通はムリ!

 私が常々、「マイナスの応援も宣伝になればOKですよ」って言う意味が解ってもらえると思います。皮肉で書いてるんじゃないんです。悪口雑言書かれたって、本を買ってくれるなら「お客さまは神様でございま~す!」って心境ですよ、マジで・・・(タダで宣伝してくれてるようなもんだし)。


 小島さんは、空手雑誌の編集長を歴任してキャラもたってるから、このジャンルでは山田編集長と並ぶ名物男ですけど、山田さんは自分をギャグにしたりできるユーモアセンスもあるけど、小島さんの場合は妙に生真面目過ぎて、それができないでしょう?

 そういえば・・・と納得する人も多いと思いますが、書店の店頭で武道の雑誌が置かれなくなっています。売れない雑誌は取り次ぎが通さなくなっているのです。入荷しても一週間も売れなければ返却されてしまうのが現状なんですよ。

 だから、現在の出版大不況の煽りを食らっていない道理がないと思いますよ。

 だけど、彼の今回の謝罪したいというメールであったりブログに書いた内容について読んでみると、これまでの強気一辺倒の傲慢な様子とは明らかに違っていますね。

 本当に別人なんじゃないか?と思うくらいです。

「ひょっとして、俺に仕事の相談とかしたいのかな~?」とも思ったんですけど、武術の研究家としての私に関心を持ったということは、結局はそこに繋がるんだろうと思われます。

 現実に経営は大変だと思いますよ。出版社も書店もどこもそうだもん。何万部もバンバン売れる本を毎月出しているんだったら話は違いますけどね~。

 以前は武道格闘技の出版社が団結して不況を乗り切ろう!って感じで会合持ったりしてて、私もクエストの営業の方から好意で呼んでもらったりして(アスペクトさんとの縁ができたのもそのお陰)、何度か出席させていただいたりしていたんですけど、これも2、3年前に解散してしまいました。

 だってね~。最初は頑張ろうって言ってたのが、だんだん、「本が売れないよね~」ってボヤキ飲み会に変貌していってましたからね~。

 私なんて、「企画売り込みのチャ~ンス!」と思って、出掛けてたんですけど、皆さん、やる気が年々、枯渇していく訳ですよ。業界の悲惨な状況を肌身で感じただけになっちゃいましたね~。

 人間、どんな強気の人であっても追い詰められたら、「やり方を変えないと、もうダメだ」って思うもんでしょう。

 小島さんも、私が反省を促すまでもなく、自分なりに今までの自分のやり方の問題点を考えて、必死に変わっていこうと一大決心して実行に移したところだったんでしょう。

 それなのに、いきなり私がガツンとダメ出ししたもんだから、「何を~っ!」って怒って元に戻ってしまった・・・という感じみたいで、「いや~、何か話の腰を叩き折っちゃって悪いことしちゃったな~、オレ・・・」って、思いましたよ。

「謝罪したい」ってメールに対しても、「いや~、別に気にしてないから、謝んなくていいですよ。子供じゃないんだから、そんなの本気にしていませんよ。武道やっている人間同士、過ぎたことは水に流してお互い、頑張りましょうね。新刊、楽しみにしてますね」って、善人ぶって軽く返信しておけば良かったかな~?って反省しちゃいましたよ。

 ついつい、「全国の小島vs長野を期待しているファンの皆さんの気持ちに応えなくっちゃ~」って、面白い展開にしようとしてしまう私のいつもの悪い癖が出てしまって、小島さんの気持ちを考えないで「よしっ、この人、今、弱ってるみたいだからラッシュでトドメをさして・・・」なんて勝負心が出てしまいましたよ。

 いや~、申し訳ない・・・。

 ホント、せっかく小島さんが一生に一度あるかないかの大決心をしたところに、悪いことしちゃったな~って思ってます。

 私以外にも目ぼしいところには謝罪しようとしていたそうなので、大道塾や芦原会館や極真関係、台湾系中国武術家のO氏とか、出版関係とか、あるいは元の身内の人達等々にも謝罪しようとしているんだと思います。

 とても許されるとは思えない場合もあると思いますが、とりあえず謝罪したいという気持ちを持たれたことは立派だと思います。

 人間、お詫びしたり感謝したりする気持ちしか成長の糧にはなりませんからね。



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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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