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第29回・スコーレ懇親の集い

 青木宏之先生の御紹介で、私の住んでいる地元、渕野辺にある社団法人スコーレ家庭教育振興協会をお訪ねしたのは昨年でしたか?

 会長の永池榮吉先生は、青木先生と半世紀に及ぶ付き合いだということで、過日の天真会のパーティーにもお忙しい中を駆けつけて御挨拶を済まされたらすぐに帰られているくらいスケジュールが詰まっていらっしゃるようでした。

 私の両親は教師という公務員でしたから、70歳になった頃は、すっかり現役引退という感じでしたけれど、永池会長の見た目は、せいぜい50代にしか見えません。

 下手すると47の私より精力的に見えてしまいます。

 そういえば青木先生も「身体が衰えちゃって・・・」なんか言いつつも若い弟子が全然、相手にならない。

 ど~なってんでしょうか? この先生方は? 滝行のせいかな~? 細胞の組成からして普通の人間と違うんじゃないの?とすら思えてきますけど・・・。


 さてさて、そんなスコーレの一年に一回開催される懇親会の御案内を頂戴した時は、はて、私が行っても構わないものなんだろうか?と思っていて、青木先生からお電話をいただいた時にお話したら、青木先生も参加されるということだったので、それなら私も行ってもいいか・・・と思って、参加する旨のお返事を出しておきました。

 これは私が田舎者だからなのと、もともとの性格的なものの両方があるんですが、どうも、昔っからパーティーというのが苦手で、ましてや、知り合いのいないパーティーだと、どうしたものか?と困惑するばっかりなんですね。

 それでも、以前は呼ばれたらホイホイ出掛けていったりしていたんですが、とにかく共通の話題がない人と話すことが非常に億劫になってきて、武術や特撮アクション映画なんかの共通の話題のある人とだったら何時間でも話せるんですが、そうでない人と話すのが辛くなってきてしまって、最近は自分の仕事に没頭している時が一番、気楽でいいな~と思うようになってきたものです。

 練習している時と、練習後のファミレスでの馬鹿話・・・これが一番、楽しい。

 と言う訳で、もし青木先生が参加されていなかったら、私は御遠慮していたでしょう。

 実際、「懇親会だから、別にこの暑いのに背広着ていったりしなくていいよな~」と思ってラフな格好で行ったら、皆さん、ビチーッと背広着ていらして、「あっちゃ~っ、しまった~」って思ったんですけど、まあ、別に“武術研究家”なんて名刺刷ってる人間なんだから、常識人気取っても仕様が無い。“俺はアーティストですから”みたいな顔してればいいだろうと思ってその場にいました。

 いや、けれども、やっぱり参加して良かったですね。

 永池会長の活動されていることの沿革が、参加されている多彩な人達から逆にうかがえて、非常に良かったです。

 それに、大倉正之助さんとも十数年ぶりにお会いして、当然、覚えてはいらっしゃいませんでしたけれど、「随分、昔に何度かお会いしました」と言って、筑摩新書の『使える武術』を「読んでください」と渡してきました。

 大倉さんは見た目が最初にお会いした20年くらい前と全然変わっていなかったので、ちょっと羨ましかったですね。私はユン・ピョウがサモ・ハン・キンポーに変わったくらい見た目が変わってるので、もしかしてそれでわからなかった可能性もありますが。

 それにしても、青木先生が次から次にいろんな方を紹介してくださったので、私は小判鮫みたいに青木先生にくっついて歩いて、10人くらいの方と名刺交換させていただきましたが、なんか、「その世界では知る人ぞ知る人物」みたいな人ばっかりなんで、恐縮しっぱなしだったですね。

 名簿を見ると、ある意味、普通の人が全然いない。企業家・芸術家のジャンルを問わない。私を除いてお金持ちばかり?

 それも異能の人ばかり。よくぞ、これだけ凄い人ばっかり集まってるな~と、ちょっと感動しました。よく、「付き合ってる人達の傾向を見ればどんな人間か解る」と言われますが、永池会長の人脈の幅広さは人間の器量がうかがえます。

 私は、スコーレ協会が具体的にどんな組織なのか?ということはよく知りませんが、これだけの多彩な人達が集まっているところと、集まっている人達が、皆さん、世の中を何とかしていかなきゃいけない・・・みたいな感覚を持たれているような点に、敬意を覚えました。

 とかく異業種交流会なんかでは、自分を売り込み仕事を貰って云々・・・みたいな欲望のエネルギーが交錯しているのが見えて侘しくなったりするんですが(私も昔はそれが目当てでいろんなところに顔出していたけど)、この日はそんな様子が全然ありませんでしたね。

 最近、「名のある人の前では変に謙遜していたらいけない」ということを覚えまして、青木先生が「この人は武術の知識がもの凄い人で・・・」と言ってくださるのを、そのまま受けて挨拶するように心掛けました。

「いや~、私なんかは・・・」と否定していたら、紹介している青木先生が嘘ついたみたいになりかねませんからね。

 それに、私も、本音を言えば、「俺は日本の武術の歴史に名前残す人間だ。そんじょそこらの武道やってる連中と一緒にしてもらっちゃあ、困りますよ」という物凄い自負心があるんですよ。自惚れどころじゃありません。「武術と言ったら、俺しかいないよ」っていう意識があります。

 お恥ずかしいですが、嘘偽らざる本心は、こんな感じです。

 でもね~、これは、それだけの努力続けてきてますからね。稽古もしてるし勉強もしてる。道具だって自作してるでしょう? 我ながら、本当によく止めずに続けてこられたもんだな~と思います。ほとんど人生、ダメになるかどうか?ってくらい。

「文句があるなら、俺と同じことできるもんなら、やってみやがれ!」って思ってますもんね。

 今でも自分が強いとは全然思っていませんが、努力しているという点では誰にも引けは取っていないと思っています。と言うか、「武道やっている人達って、どうしてこんなに弱いんだろう?」と思えるようになってしまいました。強がって見せる時点でもうダメ。

 私は素質も才能もなかったから、努力するしか道はなかったんですよ。そして、素質も才能もなくても努力し続ける人間には神様がプレゼントくれるんだな~って思います。

 本当にどんなに探しても巡り会えないだろう優れた先生方とお会いして、極意に関する教えを受けられました。丁度、武侠小説のボンクラ主人公が次々に武術の遣い手に出会って奥義を伝えられる・・・あの感覚に近い感じがします。

 なので、僭越ながら、私しか気づいていないだろう武術の極意もあると思っています。

 これらは本当に人類の宝になるもので、私ひとりの自己満足で秘蔵するものじゃないと思っています。

 だから、私の人生は、この武術の伝える極意を世の中に役立つ形に造り直して普及することに捧げるべきなんだと、ここ数年は思っていますね。

 そう思うようになった一番大きな影響を受けたのは、やっぱり青木先生の存在です。自分が目指すべきモデルケースとしての生き方をされていますよね。

 そして、青木先生から分けていただいた縁を大切に使わせていただくことで、私というアートマンが今の世の中の本質にあるブラフマンと一体化していくのかな~?という孔子暗黒伝的?な生命原理へと回帰していくのかな~?なんぞと思ったりしています。

 私は武術という逆縁を選んでしまった訳ですが、逆もまた真、です。あんまり人が選ばない分野ですが、だからこそ人が知り得ない真理があるのも事実でしょう。

 慎重に、且つ、大胆に、武術の伝導者としての勤めを果たしていきたいものです。


 こんな風に自分の使命感を再認識させてもらう切っ掛けになって、今回の懇親会に参加させていただいたことは、本当に有り難いことでした。

 永池会長と青木先生に心より御礼申し上げたいと思います。


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捏造された情報は悪影響を広める

 ちょっと、今回は堅い話を書いておきます。

使える武術』(ちくま新書)中に書いた、「テコンドーは松濤館流空手道、ハッキドーは大東流合気柔術、コムドは剣道をベースに創作されたものであって、朝鮮半島が源流であるとの一部の主張は間違いです」との私の文に対して、立命館大学の原尻英樹氏より編集部に直接電話があって「日本武道をベースに創作されたと言い切ってしまうのは乱暴過ぎると感じる」という批判意見があったそうでした。

 原尻氏は、自身の著書『心身一如の身体づくり』(勉誠出版)を、「嘉納治五郎の古武術研究会に言及しているということは、読んでいる筈と思うが」とのことで御意見を述べられていたそうです。

 そういえば、この『心身一如の身体づくり』は、町田のあおい書店で見かけて購入していたと思い出して、引っ張り出してみました。が、失礼ながら、あまり熱心に読んでいなかったので、該等箇所には気づきませんでした。

 ちなみに、嘉納治五郎の古武道研究会の存在は20年以上前から知っていましたから、当然ながら、この本で知った訳ではありません。その証拠は、原尻氏の本(2008年10月31日初版発行と奥付に出ています)より以前に出版されている私の本(2006年から毎年出しています)やムック本(2004年に学研より出た)中でも触れていますから、それで充分、反証となるでしょう。


 さて、それで御指摘の点ですけれども、原尻氏は文化人類学的見地から、朝鮮半島経由の大陸の武術文化が日本の武術に影響を与えた可能性を鑑み、私の意見が乱暴過ぎると感じられた様子です。

 これは言葉が足らなかったな~と反省しています。

 私が断定的に否定しているのは、「テコンドー、ハッ(プ)キドー、コムドが、それぞれ朝鮮半島を源流にする武術であって、それぞれ日本の空手道、合気道、剣道はここから派生した」と主張する勢力に対する研究家としての徹底批判の意志を込めてのものなのです。

 当然、私も中国・朝鮮の武術文化の影響無しに日本の武術文化がまったく独自にオリジナルで生まれたなどとは露ほども思っておりません。

 それが証拠に、私自身、日本武術のみならず、中国武術も朝鮮武術も東南アジアの武術も等しく研究してきています。最近は、琉球の武術と台湾やタイなどの武術との類似性も研究してきています。

 つまり、比較文化論の見地で研究すべきことはやってきているのです。

 しかし、文化論で語ることと、社会通念上、倫理的に捏造された虚偽の情報を意図的に広めて歴史と文化を歪曲することは厳しく非難されるべきです。

 テコンドーの創始者、ハッキドーの創始者、コムドの提唱者・・・それらが日本武道を学び、それを新たに発展させたことを率直に申告しているにも拘わらず、「これらは元々、朝鮮半島を源流とし、むしろ、日本の武術の源流でもあるのだ」という虚偽の説を広める輩は、それこそ文化と歴史を改竄する犯罪者として厳しく非難し断罪されるべきであると私は考えており、その観点から断定的に書いている訳です。

 これらの捏造問題に関しては過去に専門雑誌でも論争が戦わされたりしていますから、インターネットで調べれば、いくらでも具体的な情報が得られるでしょう。関心のある方はそれらを読まれれば良いと思います。

 なので、何も人種差別的な観点から否定しているのでもありませんし、むしろ、事実は事実としてきちんと提示する中から、技術の比較研究や将来的な交流発展の礎とされるなら重畳であると考えているのです。

 何しろ、日本の武術の歴史にしたところで、有名人を創始者に仮託したり、大陸系、半島系を主張することで舶来信仰の権威付けをした流派も数多くあったのです。

 そのような事実に反する権威付けの捏造情報が、後世の継承者を苦しめ、日本の武術文化の社会的信頼を失墜させ続けてきた悪しき伝統を改めて、武術文化の真価を顕現させるためには、虚偽は虚偽、真実は真実として究明する態度が研究家に求められる唯一絶対のものであると私は考えています。

 ここ最近では、日本少林寺拳法が「中国の武術とは関係なく日本で創始された拳法」だと公式に認めたことが挙げられます。間違いを正して真相を明確にした、大変、勇気ある態度であると私は高く評価します。

 文化人類学的見地から内外の武術文化を研究されることは貴重なことと尊敬致しますが、文化論で大まかに論じてしまう前に、武術文化の伝統には、虚偽捏造された情報が多数含まれているという現実を鑑み、地道な検証実験による真相究明の態度が必要でしょう。

 例えば、日本武術と中国朝鮮半島武術の違いの中には、技術と装具、そして身勢の違いも含まれます。

 そこを弁えることなく技法の質的類同性のみで大まかに類型化して語ることは謹まねばなりません。

 例えば、合気。これは類同性技法を探れば、それこそ世界中にいくらでもそのような技法はあります。ロシア武術システマなどはその最たるものでしょうし、それを認めて「合気はロシアから伝播した」と称えたら、どう思われるでしょうか?

 しかし、日本の大東流、合気道などでも派閥によっても個人によってもそれぞれの工夫がなされて種々の技法特徴が見られます。

 そんな個々の工夫の差異化を無視することは傲慢というものでしょう。

 私自身は、伸筋技法・脱力技法に分け、さらに体軸系と丹田系に身法型を分けて分類整理しています。が、それでも触れ合気、体の合気、察気術、予測誘導(予測外し)、反射誘導、霞がけ・・・等々の多数の合気派生技法群を分類整理することはできません。

 これらの技法群は、それぞれ大小各派で工夫洗練されて育まれていった術技なのであって、それらを他人が土足で踏み付けたり踏み潰したりする権利はありません。

 捏造、虚偽の宣伝とは、そうしたことに繋がる明確な犯罪なのです。

 このような捏造、虚偽の宣伝は国内外を問わず、昔も今も斯界に渦巻いています。資料に書かれていることが真実とは簡単に言えません。むしろ、嘘かも知れないと思って調べた方が良い。

 また、間違いを自覚しないまま流用するお人好しも、この業界には少なくありませんし、人格実力共に優れた師範が、先師のついた嘘の尻拭いに必死になるあまり、自ら虚偽捏造に手を染めてしまったり、他流との諍いが絶えなかったりする様子は悲惨というべきでしょう。師と流派を敬う気持ちは尊敬できますが、間違いは間違いと冷静になれなくてはいけません。

 原尻氏がそれを了解しておられるのであれば、私が乱暴な物言いをしているのではないことは御理解いただけるものと思いますし、文化人類学的見地からの文化論で語る前に、情報の真偽を検証しないまま文化論でまとめる行為は“善意の歴史捏造”に繋がってしまう危険性を持つことを御理解いただきたい・・・と、私は切にそう願います。

 また、老婆心ながら、原尻氏の『心身一如の身体づくり』中、桧垣源之助氏や藤松栄一氏、岡田慎一郎氏の著作本中の写真やイラストをそのまま載せておられるのは、写真撮影者やイラスト執筆者の著作権益に抵触する行為であり、きちんと許諾を得られておられるのかどうか心配になりました。私も10年以上前に、この件で某出版社にお詫びにうかがった経験があります。このような点も、迂闊に行えば捏造問題として扱われる場合もありますので、御注意されるよう祈っております。

 以上、批判御意見に答える形で書かせていただきました。


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武術の身体操作

 TVを見ていたら、たまたまチャンネルを変えた時に、元佐川道場の保江さん(理論武道家?)が出ていて、おったまげました。

 合気パフォーマンスを芸能人に教えるのに「バカになるといいんだ~」と、ナイスな指導法で体得させていたのは、「なかなかTV向きの役者だな~」と感心しました。

 丁度、電話中で、あんまり熱心に見ていなかったので、何をしゃべっていたのかはよく解らなかったんですが、恐らく、合気揚げで相手に強く押さえられているのをバカ(無心)になって撥ね除けることができるという点を教えていたみたいです。

 私は保江さんが武道家と言えるだけの実力があるとは思っていませんし、他流に対する理解が足りずに悪気がないけれども他流蔑視発言をしているように感じています。

 私がそう考えて批判的なことを言うと、うちの会員さんはそれに輪をかけて毛嫌いしてしまったりするので、あ~、これはいかんな~と思って、「俺の考えを鵜呑みにしないで冷静に見なくちゃダメだよ」と言ったりしていますが・・・。

 それはそれとして、保江さんには一点だけ、優れた点があるな~と思っていました。

 それは、技を掛ける様子の連続写真を見ると、“相手から目線を外して戦闘意欲そのものを放擲している様子がうかがえた点”です。

 基本的に興味を失ってしまったので読んではいませんが、保江さんが出した著書のタイトルで“唯心論武道”と言っている意味が、ここにあると思ったからです。

 理論物理学者である彼は、当然、唯物論の権化でなければならない筈ですが、往々にして物理学の専門家が精神世界や宗教哲学の分野に共鳴していくことは珍しくありません。

 デヴッド・ボームがJ・クリシュナムルティーに触れて明在系暗在系の理論を提唱したことなど、唯物論の枠組みでは、どうしても規定できない要素を感じて、心や、その先にあると想定される神の領域について肯定的な理論化を図る学者はいくらでもいた訳です。

 このような“陰極まりて陽になる”現象は、例えば、まるで左翼みたいな考え方になる極右翼の例(新右翼の鈴木邦男さん等)を考えてみれば理解しやすいでしょう。

 追究し過ぎると、根本的枠組みから外れて真反対の理論になったりするのです。

 神を認めない唯物論が、その根底から覆されるような理論の転換を図るしかない解釈にさらされてしまう・・・保江さんはそういう体験をしたのでしょうね。

 特に“理論”というのは、要は“仮説”ですから、平たく言えば“哲学”の領域なんですよ。“科学”だと実験検証して事実を明らかにしていく物理と数学が支配する領域でしょう? けれども、解釈の問題になると文章化する段階で曖昧な要素がどんどん入ってしまう訳ですよ。

 保江さんは合気という技法の解釈の段階で宗教の悟りを持ち出したりしたので、技法のメカニズムを身体操作から解析する工夫を怠った印象がありますね。

 これはほとんどの武道実践家に共通する点で、最近の例だと宇城氏の気の理論(理由付け)に顕著です。宇城氏は技の権威性を演出するために気の理論を持ち出したに過ぎないと私は見ていますが、具体的な身体運動のメカニズムを読み解けない人が武道の世界では圧倒的主流であるために、あまり批判されることもなかった訳です。

 しかし、このような事情は世間一般からは乖離しているんですね・・・。



 武道をやっている人というのは、相手に技をかけようとする時に、必ず戦闘意欲が高まります。

 それは、筋肉を力ませ、重心を落として全身のバネを使って襲いかからんばかりの体勢を無意識のうちに取らせます。

 極上の合気の使い手は、この戦闘意欲から生じる身勢を滅却しています。

 つまり、まったく力みません。目前の相手が襲いかかろうとしていようがいまいが。

 敵を敵とすら認識せず、猛スピードで突っ込んでくる自転車をヒョイッと避け、そのついでにラリアットをくらわせるようにして入身投げをかけたりするのです。

 しかも、中には、笑いながらやる人もいます。

 保江さんは、稽古仲間を相手にした場合には、そういうことをやっているのだと思われます。

 よそ見して、ポカ~ンとした惚け顔で技をかけるから、相手の力とぶつからずにスイッと技がかかる・・・まあ、そういう仕組みです。

 これは、身体操作だけでは解釈できません。意識の用い方、つまり、“心法”の秘訣だからです。

 ところが、武道を熱心にやればやる程、こういう心法は難しくなります。だって、戦闘意欲を捨てないといけないからです。

 むしろ、全然、戦闘意欲なんか無い人の方がすぐにできるでしょうね?


 私が自由組手の問題点を感じた理由の一つもコレです。戦闘意欲を高めるということは、“読みのエジキになる”ということだからです。

 これでは、目指す方向性が逆になってしまいます。だから、思い切って自由組手は止めてしまったのです。

 殴り合うのが好きな人はそういう道場へ行ってくださいということです。

 私が目指しているのは、“相手に何もさせずに一方的にやっつける武術”なので、向かい合って、ヨ~イ、ドン!という牧歌的なタイマンのイメージはないんですね。

 強いて言えば、“必殺仕事人がチャララ~ン、プシュッ!(死んだ)”みたいなのでしょうか? ああいうプロフェッショナルな一撃必殺を理想にしているんですね。

 なんでか?というと、一人倒すのにマゴついてるようでは相手が複数だったら絶対に勝てませんからね。2~3人相手に実験してみたらすぐに判りますよ。

 私は、読みの訓練を続けているうちに、何となく、相手の弱点がパッと見て解るようになってきました。従って、パッと見て「あっ、ここを攻めれば勝てるな」と解る。

 逆に言うと、パッと見て「あっ、これは強いな~。ちょっと勝てないな~」というのも解るし、「勝てるには勝てそうだけど、こっちも無傷とはいかないだろうな~」とか細かく解るようになってきました。

 本でも書いていますが、こういう“読み”は、文章読んだだけでも解るんですよ。

 威圧的な書き方をする人間は弱いです。自分の弱点を悟られまいとするから威圧するのです。本当に強い人は、自分の弱点を平然と晒してしまう人です。これは怖い!

 弱点だと思って攻めると逆に自滅させられます。これ、交叉法の極意ですよ。

 そしてまた、その人が威圧する時に持ち出す最大の武器が、最大の弱点にも繋がっていくのです。だって、自分の手の内を晒してしまったら返し技を工夫されるのは当然。

 その意味で、今の日本の武道家を自称する人達の人の好さ(頭の悪さ)は、笑ってしまうくらいです。

 電車に乗っている時なんかも、読みの訓練にはもってこいです。

 何か、妙に威嚇したがる男とかいるんですよね。威嚇したがるというのは、妙に筋肉に力込めて目付きを鋭くしてみせたりすることです。

 一見しただけで、何か武道や格闘技の経験がいくらかあるんだろうな~とか、経験はないけどヤンキー気取りなのかな~とか、そういう男は夏場になると必ず電車の中で見かけます。

 どうしてか?というと、講座や道場への行き帰りで刀の入ったケースを肩にかけて会員と一緒に電車に乗って話すと、話の端々で私たちが武術やっている人間だと察知できるでしょう?

 そしてまた、重要なのは、私も会員も顔が“いかにも武道やっています”に見えない点ですよ。

 だから、“こいつらナンボのもんじゃい”と刺激してしまうんでしょうね。

 なので、突如、腕組みしたり指の関節鳴らしたりして自己主張しはじめる男の子がいたりして、ちょっと面白いです。

 だけど、こういう主張をする人間はその時点でダメなんですよ。だって、上半身に力を込めたりするから重心が浮いてしまう。意気がって見せた途端に電車の揺れでスッ転んだニイチャンもいました。

 強い人は、いつ何時もリラックスしていますよね。


 さて、武術の身体操作はリラックスすることが肝心なのですが、意識によってその実現度は大きく左右されてしまいます。

 よって、メンタル・コントロールで身体操作をするやり方もいくつも考えられていますけれど、これらはヨーガの専門家の方がよほど上手いのではないでしょうか?

 武術の身体操作で肝心なのは、集中力です。

 何を集中するのか?と言えば、“力”です。全身の筋肉を協調連動させて力を生み出すやり方が一般的でしょう。これは伸筋主導の力で、一般的に発勁や合気はこれを用いると考えられる傾向があり、ほとんどの流派がこのやり方を主張します。

 しかし、このやり方は一定年齢を越えると衰える一方です。

 私は重心移動で生じるエネルギーを集中して打ち込む“力”を重視します。いわゆる脱力パワーです。これは重力(グラヴィトン)を利用するものです。

 これは年齢を重ねても肉体が弱ってもあまり衰えません。筋肉を鍛える必要もなく、ただ柔軟に動ける身体を練り込めば、どんどん上達していきますし、コツが飲み込めれば一、二時間の訓練で“数倍のパワー”(ハッタリじゃなくて事実です)を得られます。

 この非常識さ故に、気のパワーと勘違いされてきたのでしょう。

 この重力を利用した武術は、合気道と太極拳など、ごくごく限られた流儀だけでした。

 ちなみに、重力は自然界に働いている力であり、磁力や電力より普遍的です。よって、気の概念「天地自然には気が充満している云々・・・」という考え方に従えば、気の力であると言えないこともありません。

 要は、これもまた解釈の問題だということです。


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日本刀バカ一代・・・?

 一応、筑摩さんの本の印税が出たので、溜まってる刀の支払いに横浜名刀会に行ってきました。

 とは言っても全額払ってしまうと生活費まで無くなりそうなので、残りの半分くらい支払いましたが、こんな無茶が通用するのも紹介してくれたSさんのお陰だよな~とシミジミ。Sさん、元気にしてますか?

 それでも、ある程度、まとまった額を支払うと気分的にもスッキリするもので、社長さんが見せてくれる最近入った刀を持たせてもらったりするのが無上の愉しみです。

 この日は、30~50万円台の脇差もいろいろ見せてもらったんですが、ごつくて鉈みたいなのもあれば、薄刃の平造りのものや、皆焼(ひたつら)刃の華やかなものもあり、それぞれ特徴があって、どれか一つだけ気に入るという具合にはならないですね~。

 もっとも、大概の日本人って、日本刀や鉄砲に過剰な嫌悪感を持ったりするみたいですよね?

 私は、正反対の性格で、武器を見るとフラフラ~ッと近づいていってしまう。

 鉄の造形物の中で、日本刀や鉄砲というのは生命を奪う力を持つからこそ、逆に生命力を感じさせるのです。

 もっとも戦争嫌いなので、好きなのは個人兵器まで。戦闘機や戦車なんかにはあんまり興味がわかないんですね(興味あっても持てないけど)。

 特に私が日本人で先祖が侍だったからなのか、日本刀に対する愛着は自分でもコントロールしがたいくらいです。アメリカ人だったら鉄砲集めまくってたでしょう。

 青木先生と親しくさせてもらうようになって、刀談義に興じたりしているからか、最近、日本刀もブランドに拘る気持ちが出てきました。

 以前は、試し斬りできるような安物でいいと思っていたんですが、名のある刀工が魂を込めて打った作品が、やっぱりいいな~と思うようになってきました。

 これは、以前の私が、武術に機能性しか求めていなかったからだったのかもしれませんね。

 古刀が大好きだったのも、古刀が実戦向きだと言われていたからですが、どうも、そうとばかりは言えないと思うようになりました。良い刀はいつの時代でもありますし、古刀だって数打ち物だとナマクラです。

 斬鉄剣で有名になった小林康弘刀工以外にも、現代刀工の作品で古刀の斬れ味を凌ぐような刀はありますし、現代刀の美しさは古名刀を超えつつあると思いますよ。


 もちろん、そんな刀も「貧乏だから、良いと思っても買えなかった」というだけの話なんですが、文筆業が順調になるに従って、経済的にも少し余裕が出てきたので、“自分御褒美”に、ちょっとずつランクの高い刀を買うようになってきた次第です。

 今回は、「支払いが全部済むまで新しいのは我慢しよう」と思っていたんですけれど、刀というのは縁があるんでしょうね~。

 丁度、現代刀工で有名な延壽宣次(谷川盛吉の息子で平成10年に50歳で病没)の刀が入っていて、注文主の名前が銘に入っているのでエッ?と耳を疑うような激安で売ってもらえるとのこと・・・ムム~・・・。

 元の持ち主が居合道に使っていたらしく、刀身が擦れて刃文や肌の映りが悪いので、研ぎ直して拵えも作って売る予定だったそうなのですが、私は拵えは自分で作れますから、金かけて売り物にして中々売れないよりは、まあ、常連の私に安く売ってあげようという御厚意みたいです。

 谷川盛吉と言えば、私でも知っている現代刀工の最高の栄誉である無鑑査となり、あの源清麿風を得意とした人で、私の郷里で親父が八代高校の校長を勤めていた関係でしばらく住んでいた八代の刀工でした(平成2年没)。

 延壽宣次も、相州伝上位作、清麿を目指して八代で作刀に励まれ、薫山賞二回、寒山賞二回、優秀賞、奨励賞、努力賞などを受賞されていたそうです。

 そういえば、昔、甲野善紀氏の道場に通っていた頃、氏の愛刀は熊本県八代郡千丁町の刀工が打ったもの・・・と聞いた記憶があるのですが、裕福な家に生まれて働かずとも生活できた甲野氏が注文打ちを依頼したとしても不思議ではありませんね。

 そんな事柄が瞬間的に脳裏を駆け巡り、「普通だったら俺の経済力じゃ手が出ない刀だもんな~。もう亡くなられているから後から注文したくてもできないし・・・確かにこれは縁かもしれないな~」と思って、「買わせていただきます」と、頭金を支払い、翌日、引き取ってきました。

 この刀、居合道に使うには長寸で二尺五寸程ありますが、樋が掻いてあって重ねは厚くて身幅もあるのに重量は軽く、確かに拵えを作って研ぎ直したら200~300万は下らないだろうと思われます。

 昭和58年の作らしく、宣次刀工がまだ30代の覇気に満ちた頃の作品で、自信作だったんでしょうね。銘に、「偲清麿 延壽宣次造之」と切っていて、入魂作だったことがうかがえます。

 私も40代後半になったから解りますが、20代の頃は夢はあっても未熟で、40代は経験を重ねた分、仕事はこなせますが、気迫があって活力に満ちて仕事できるのは30代ですよね。

 清麿と言えば、四谷正宗の異名を取る幕末の天才刀工として、現在、日本刀の完成者とされる正宗をも上回る人気のある人物ですが、大酒呑みで若くして死んでいます。

 宣次刀工もまた大酒呑みで若くして亡くなられたらしく、そこもまた清麿と似ているように思えます。

 ちなみに、延壽系は、鎌倉時代から続く肥後の刀鍛冶一門で、菊地千本槍で有名。子連れ狼で有名になった同田貫の一門も延壽系です。

 また、筑前の金剛兵衛(こんごうひょうえ)系も谷川盛吉に伝わっていますが、宣次刀工は延壽の後継者を名乗ったようです。

 肥後熊本に連綿と伝えられた刀の伝統を受け継ぐ一振りを手に入れたというのも、細川家の末裔伝説を持つ天草・長野家の人間としては、これまた不思議な気持ちがします。


 それにしても、日本刀に対する世間の評価が、もうちょっと良くなってくれないものかな~?と思いますね。刀剣ブームは深く静かに続いて、“刀剣女子”なんてのも現れているというのに・・・。

 刃物工芸の中で世界中の研究家が口を揃えて“日本刀が世界一”だと断言している。

 そりゃあ、機能としてのナイフは様々な最新の合金素材で日進月歩し続けていますが、美術品としての日本刀に匹敵するものはないですよ。

 海外の刀剣は鋳造が多いし、有名なナイフメイカーの作品を観ても、やっぱり日本刀と比べると比較対象にはなりません。

 もし、私が20代だったら、本気で刀工を志していたでしょう。田舎に土地はあるし。

 でも、今は武術の研究をライフワークとしているので、とても刀工修行ができる余裕はありませんし、ナイフメイキングを趣味でやるのが関の山だと思います。

 それでも、武術の研究の過程で日本刀の研究に行き着いたのは、大きな成果でした。

 本当に、日本刀が解らない限り、日本武術の理合は絶対に解明できない! これは声を大にして言いたいところです。

 そして、日本刀を怖がったり毛嫌いする日本人は、日本人としてのアイデンティティーを失いかかっているんだと私は言いたい。

 日本には、嫁入り道具として“守り刀”を持たせる伝統がありました。

 明治以降、多くの刀工が、生活のために包丁や鎌、鍬などの農具を鍛える鍛冶になりましたが、それだからこそ、日本の野鍛冶が異様な高い技能を持つ遠因になりました。

 本来の武器は、人を傷つけ殺したり、脅したりするためのものじゃありません。

 人を傷つけ殺し、脅す者から守るための道具なのです。

“用心棒”という言葉がありますが、あれは元々、強盗などが侵入してきた時の“用心”として手頃な“棍棒”を屋内に置いていたことが語源なのです。

 強さを誇ったり、武術の技をちらつかせて人を威嚇したりするような人間はクズ。そんなクズが武術家や武道家を私称する現代日本は、恥知らずが跋扈する国になり果ててしまいました。

 武器というのは自らの誇りの象徴です。だから、他人に見せつけて脅しつければ、単なる“凶器”となり果てて、自らの誇り無き“狂気”を露呈してしまいます。

 やはり、武術修行というのは、そんな自身の心の中の邪念を滅するつもりでやらないと、知らず知らずに狂気に陥ってしまうもの。

 少なからず、そうなっていく人を見ました。一種の愉快犯みたいなもので、そんな人に共通するのは、厳しく自分の在り方を見つめようとする意識が無いことです。何でもかんでも他人のせいにして自分は悪くないと言い張る感謝の心を失った愚か者が、そうなっていくのです。

 なので、自分のことしか考えない、甘い考え、弱い心の人はやらぬが花でしょうね。

 面白い、楽しい・・・という意識だけで武術を学べば、いずれ精神が病んでいくんですよ。そうならないためには、「気の緩みが死亡事故に繋がる」という峻厳な認識を持ち続けることです。

 日本刀は、ちょっと掠っただけで命を奪う力があります。

 だからこそ、気の緩みは厳禁であり、集中力と周囲への注意力が養成できます。つまり、心法を磨く最上の利器なのです。

 戦闘術を修練しながら自身の精神も磨くことができる。ここが、日本武術の極意たる所以であり、修行する価値がある理由なのです。

 武器でありつつ人間の霊性(この場合、精神エネルギーとでも認識してください)修行の神器である・・・というのが“日本刀の正体”なのだと私は理解しています。

 だから、木刀、模擬刀ではなく、ある程度以上の武術修行者は是非とも真剣を入手して欲しいと思います。

 ただし、子供さんがいる御家庭のお父さんは控えておいた方がいいかもしれません。何年か前にライフルを掃除したまま席を外したら子供が遊んで暴発事故で子供が死んだ事件もありました。

 分別のつかない子供の手の届く範囲に置いてはいけませんからね。これは刃物類全般にも言えることです。

 けれども、ある程度の年齢になったら、むしろ、積極的に刃物の扱い方を教えるべきでしょうね。臭い物に蓋の態度を取るから、扱い方もぞんざいになってしまう。

 鉛筆も削れない。料理もできない。細工もできない・・・これじゃ困りますよ。


追伸;ゴング格闘技の吉田豪さんの連載中で、吉田さんも小島一志さんの「謝罪したい」メールを受けたけれども無視したということを書かれていました。確かに、あんな人を脅迫するようなことをやらかしておいて、小学生じゃあるまいし、「ごめんなさい」で済む問題でもないでしょうよ。出版業界も狭い業界ですから色々と噂が耳に入ってくるのですが、やはり、と言うか、当然と言うか、私が推察した通り、小島さんは本の企画がなかなか通らない上に、仲間だった人達がどんどん離れて孤立して困っているようだと聞きました。そりゃあ、出版社に脅しかけたりすれば、ブラックリストに載って問題人物だと噂が広まり仕事をスポイルされるのも当たり前。私がそういう情報を知らないと思っていたら大間違い。武道の専門出版社でない会社から続けて本を出しているということは、業界事情にも通じていると考えるべきですよ。具体的に知ってること書かないのも告訴された時の準備だからなんですね。奥の手は晒したら意味がないでしょ? 知能犯を気取っても自分で証拠残しまくってますからね。天に唾すれば自分にかかるだけ。自業自得と解っているのなら、黙って別の業種で一から出直すことが賢明な選択だと思いますけどね。
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池田駿介さん急逝・・・

 東映チャンネルで『人造人間キカイダー』の続編『キカイダー01』が放送始まったばかりだというのに、主演していた池田駿介さんがお亡くなりになられたそうです。

 本当に残念です。

 池田さんは、『帰ってきたウルトラマン』で主人公、郷秀樹に最も優しいMATの南隊員の印象が強くて、実は主演したキカイダー01より南隊員のイメージの方が強いんですね。

 特撮番組にもよく出演されていて、他にも『緊急指令10-4-10-10』や『ダイヤモンドアイ』とか『コンドールマン』なんかにも出演されていたように思います。

 時代劇でもよくお見かけした記憶がありますが、特撮専門誌か何かで読んだ記憶があるのは、有名な殺陣師の息子さんだったとか?

 この時代の主演俳優は、ほとんど立ち回りも自分で演じられていましたよね。

 流石にスーツの中には入らないでしょうが、01のイチロー役で見る池田さんの笑顔は本当に優しい顔ですね~。

『帰ってきたウルトラマン』の時も、主役を演じるかどうかという話で、結果的に主役は団時朗さんになった訳ですが、ザゴラスの回だったかの南隊員が子供を叱るシーンなんて素晴らしい演技でしたし、郷の失敗で怪我をした南隊員が郷を庇うシーンなんかも男気と優しさを兼ね備えた人柄を見事に見せ切っていました。

 池田駿介さんの御冥福を心より祈ります。

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たまには厳しく・・・

 日曜日の公園の稽古は、矢嶋師範代と横浜同好会の主宰会員の二人は、北島師範に簡化24式太極拳の套路(型)の徹底指導をやってもらいました。

 どうして、そうしたか?と申しますと、二人とも指導する立場になっても、太極拳をきちんと覚えていなかったからです。

 私は、基本的に型というのは自分で本や映像を観ながら独修してもらえばいいと思っているので、あまり、こと細かく「指先がどうのこうの・・・」といったことは指導してきていません。

 そんな細かい動作に気を取られて、実戦に役立たない綺麗なだけの型名人になってもらいたくないという意味もあります。

 よって、テキトーに覚えてもらって熟練して内功が養われればそれでいいと思っていたからです。

 しかし、指導する側になった者が型もろくすっぽできないのでは問題ですし、そもそも、真剣に覚えようという気迫を感じないので、これはマズイ・・・と思った訳です。

 太極拳は行書・草書の武術です。楷書のようなきちっきちっとしたメリハリのある動きでは使えません。

 ですが、技の極まった瞬間には合理合法の形が現れねばなりません。

 率直に言えば、太極拳の楷書を知らない者が行書・草書の動きをやっても真価は発揮できない。つまり、“使えない”のです。

 それに、太極拳の動作は心法(意念)の運用が伴わねば形だけやっても意味がありません。

 私が懸念したのは、北島師範以外は、この太極拳の心法がまったく欠如してしまっているということだったのです。

 最初は型を分解して技の用法を教えれば型そのものも熟練するだろうと思っていたのですが、分解組手もまた形だけやっている始末で、まったく太極拳の戦闘理論を体現できていなかったのです。

 こんな魂の入っていない型しか演じられないのでは、ダメです。

 太極拳の演武をすれば、無念無想であっても自然にその人のキャラクターが浮かび上がってきます。

 オーラがぐわっと盛り上がるような演武をしてもらいたい。見た人達が「游心流の人達は凄いっ!」と唸ってしまうような演武をしてもらいたい。

 北島師範はそれができます。まるでラオウみたいに闘気が膨れ上がってきます。太極拳なのに必殺の気迫が満ちてきます。

 でも、矢嶋師範代も横浜同好会の主宰者も、なんか、テレテレーっと気迫の出ないラジオ体操みたいな太極拳しかできません。

 北島師範もイラついていました。

 矢嶋師範代は困惑しまくっていましたが、この日は敢えて、私も「下手糞過ぎる!」と厳しい評価を与えました。

 正直、一応の動作はそれなりに覚えていましたが、何年も太極拳やっている爺ちゃん婆ちゃんとドッコイドッコイでは話になりませんから、ここは厳しく、しっかり練習するように申し渡しておきました。

 矢嶋師範代は相当、ショックだったみたいでブログにも書いていましたが、このキツサを乗り越えれば、指導者としても成長できますからね。

 彼の場合、居合の方も、基本的な刀法がまだまだ熟練しておらず、東京支部でも居合をやりたいと言っていたんですが、「まだまだ、この程度では任せられない」と言っておきました。

 たとえ模擬刀でも強く当たったり先端が刺さったりすれば大怪我しかねません。

 刀を自分の手足のようにコントロールできなければ人の指導は無謀です。

「一応、毎日、百回素振りしています」と言っていたので、「それじゃ少ない。千回やりなさい!」とゲキを飛ばしておきましたよ。

 実際、千回二千回は当たり前で、万回を超すくらいやっても指導者なら普通でしょう。

 私もそのくらいやっていました。中学時代から、太い枝を削って作った木刀二本分以上くらいある振り棒を毎日、千回素振りするのを日課にしていましたよ。

 私の前腕が異様に太くなったのは、こういう練習をやっていたからです。

 居合の早抜きも二尺七寸の特製模擬刀を使って体育館で延々、千回くらいやっていましたが、それで鞘を割ってしまったこともあります。

 手裏剣の稽古を始めた頃も、一万回くらい夢中になって打ったりしていました。

 技の精度がどうこう論じる前に、未熟なうちは黙々と数稽古を重ねることも必要なのです。

 その上で、間違いを修正したり、無駄な力を抜いて腰(骨盤)から動くことを身体で覚えたりする訳です。

 今はそういう稽古はやりませんが、それは最もバランスのよい動きを感覚的に体得したからやらないだけなのであって、その感覚の無い人は、目一杯、身体をイジメて身体感覚を養成すべきなんですよ。

 無論、これは指導者レベルを目指す人だから要求していることであって、趣味道楽でやりたい人や軽く護身や健身に役立てたい人には強制しませんよ。

 しかし、師範、師範代と呼ばれる人間がそのレベルでやっていたら怠慢でしょう?

 キツサを潜り抜けて、真の柔らかい身法と心法を体得してもらいたいのです。

 それと、敢えて厳しくしたのは、自分の現在のレベルをきちんと認識できていないな~と思ったのもあります。

 できていないのにできる気でいる・・・というのは危険なのです。

 これは修行者にとって永遠の命題かもしれませんね。

 とにかく、目標は高く高く設定し、日々、進化する武術を游心流は目指します。

 居合は電光石火! 太極拳は悠然と、震脚発勁は山をも崩す勢いで、八卦掌法は巨龍が舞い踊るごとく・・・あらゆる武術をぶっちぎりで体現してもらいたい。

 その為には、私は時々、鬼になりますよぉっ!


追伸;相模経済新聞で『使える武術』(ちくま新書)が紹介してもらいました。
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『-空、蒼すぎて-』GALA Obirin2010招聘企画

 木佐貫邦子さんのダンス公演が、私の地元、渕野辺の桜美林大学PRUNUS HALLであるというので、北島師範と二人で観てきました。

 昨年、木佐貫さんが演出振り付けされた学生の公演を観た時に、あまりのレベルの高さにびっくりしたものですから、今回は、田中泯さんをして「コンテンポラリーダンスのナンバー1」と絶賛させていた木佐貫さん自身の踊りを観れるのですから、滅多にないチャンスです。

 いつもだと恥ずかしいから後ろの方から、こそこそっと観るんですが、「これは最前列で観なくちゃならん!」と、珍しく最前列に陣取りました。

 チラシを読むと、何と、私ですら知っている有名なダンサーの上村なおかさんも出演されているではないですか。上村さんは、確か、泯さんが主催されているダンス白州でも踊られていたと記憶していますが、木佐貫さんのお弟子さんだったんですね?

 公演は、想像以上の素晴らしさでした。

 私的には、中国武術でいうところの独立式(片足で立つポーズ)のポージングをとるところで、微動もしないでかなり長く立ち続けていたのに感心させられました。

 中でも、峨嵋派武術(虎や猿などの形態を真似る象形拳が多い。鴨拳なんてのもある)の鷹拳のポーズそのままをやっている女性ダンサーもいました。

 ちなみにこの人は四つん這いのまま、物凄い速度でザザーッと後ろに疾駆して見せて、私は思わず「速っ!」と呟いてしまうくらいビックリしました。

 チラシを読むと、何と最年少で、しかも少し前まで桜美林の学生さんだったみたいで、木佐貫さんの指導力の高さが改めてうかがえました。


 私がダンサーの身体技能を武術家よりずっと上だと評価していることは、本で何度も書いてきたことなので、読者の皆さんは御承知されていると思います。

 今回も、私はそれを再確認しました。

 最近、いろいろな武術の動画映像を観ましたが、身体性そのものが比較検討するまでもありません。技には「なるほど」と思うものの、演じている人の身体の練度の低さは否めません。観ていてつらくなってくる・・・。

 私は、公演を観ていて、「あ~、この人達に教えたら、一カ月もしないで武術の達人になるだろうな~」と、そんなことばかり思ってしまいました。

 公演後はトークタイムもあったそうですが、私は恥ずかしがり屋さんなので(ホント)、そのまま帰りましたけれど、練習のやり方とか意識の持ち方とか質問してみたいことは多々ありました。

 もっとも、純粋にダンスを鑑賞して楽しむ態度ではありませんから、そんなことばかり質問したりしたら失礼だしな~と思って遠慮したという理由もあります。

 要するに、私は何でもかんでも武術に結び付けて考える癖がある。業病ですな。

 ダンスを純粋に楽しめるようになりたいものです・・・。


 それにしても、地元でこんな豪華な公演が鑑賞できるというのは、パニック障害の持病があって遠出するのが苦手な私にとっては本当にありがたい限りです(最近、ちょっと悪化しているので、体調を整えようと思っています)。

 桜美林大学は、確か弓道も強かったと聞き及びますが、演劇、ダンスの芸術に強い大学として有名になってきていますね。特に今回の企画は学生主導の芸術祭の中の企画なのだそうで、地元にも開かれた地域活性の交流をしようとするのは素晴らしいことだと思います。

 貰ったチラシの中に、昔、殺陣の指導に行っていた慶応大の演劇サークルの名前があって、感慨深くなりましたが、大学生の時期というのは学業そっちのけで自分の好きなことに打ち込み、そのまま、その世界でプロになっていく・・・という夢追い型の人間が、断然、カッコイイというイメージがありました。

 やっぱり、自分の好きなことに打ち込んで生きている人は、生き方にブレがないから輝いて見えますし、今の時代では特に貴重な存在だと思います。

 一回限りの期間限定の人生。自分のやりたいことをやらずに生きて、何のメリットがあるでしょう?

 ただ、“-空、蒼すぎて-”・・・若い頃のわき目もふらずに好きなことを追求できていたあの時代を思い出して、いささか淋しく羨ましい気持ちではあります。若い時代は二度と戻ってはこないからな~・・・。


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怪談特撮のヘンな描写・・・

 東映チャンネルで怪猫物の時代劇があったんですが、何か、ホゲゲッ!と思うトンチキな描写があって、引っ繰り返りそうになりましたよ。

 主演は田中健&田中好子。

 猫好きの私からすると、たくさん猫が出てくるのを見るだけでオナカ一杯なんですけれど、この作品、怪談なのに全然こわくない。

 主役の猫が白の推定生後5~6カ月くらいの、まだ子猫なので怪猫の迫力が出ないというのもありますが、この猫ちゃんの必殺技がスゲ~!

 何と、両目から緑色のビームを出すんですよ。ビビーッ!と・・・。

「あっ、田中健が危ないっ!」となったら、ニャ~ッ! ビビーッ!

「あっ、スーちゃん、ピーンチ!」となったら、ニャ~ッ! ビビーッ!

 そんでもって、お祓いの札が貼ってあると、ニャ~ッ! ビビーッ! お札がボボッと燃え落ちる・・・ってな具合です。

 怪猫というより、“メカニャンコ”って感じです。

 緑色の光線というところが、ジャンボーグエースの必殺技ビーム・エメラルドみたいで、いっそ、猫ちゃんが巨神兵みたいにビビビーッ!とビーム出しまくって悪党一味を殲滅してしまうみたいな豪快な演出にしちゃった方が面白かったのではないか?とすら思えるヘンテコな演出でしたね~。

 まっ、狙った演出じゃないんでしょうけど、たまげました・・・。


追伸;「オートマグ・クリント1ってどんな銃なの?」って聞かれたのでガスガンのやつをお見せします。これはブラックだけど実物はステンレス・スチール製の銀色です。
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一撃必殺!古武術入門

 モンドTVで『一撃必殺!古武術入門』という番組を観ました。

 倉田プロモーションのメンバーが古武術道場に体験入門するという趣向で、大谷亜矢子さん、田代俊介さんの二人が、それぞれ、無比無敵流杖術と為我流派勝新流柔術、荒木流拳法の道場を訪ねて、杖術と柔術、鎖鎌術を教わるというものでした。

 確か、数年前に放送されたものらしく、その当時は観れなかったのですが、今はモンドTVも観れるので、再放送を知って、楽しみにして観たのです。

 もっとも、実際に観るまでは、どういう内容か知らず、「古武術って・・・まさか、甲野ちゃんが出てきたりしたらガッカリだけどな~」と少々の不安もあったのですけれど、バリバリの本物の古武術流派だったので、やった~っ!と、小躍りして観ましたよ。

 古武術というのは型だけだから、未熟な師範はそれこそ空手や合気道の白帯クラスの技量だったりする場合も多いのですが、今回の三つの流派の師範は現代武道とも互角に戦える熟練度があって、恐らく、打ち合わせで倉田先生が選んだのかもしれないな~?と思いました。

 事実、この三流派の演武は、日本古武道演武大会のDVDを鑑賞した時に、私も注目していた流派だったのです。

 恐らく、ほとんどの方がこれらの流派名を知らないだろうと思うのですが、有名な流派だからレベルが高いとは限らないものです。

 番組を観ていて、「あ~、なるほど、これは巧妙な技だな~」と感心させられました。

 極めて合理的。そして実戦的。素晴らしいっ!

 やっぱり、日本の古武術に秘められた合理的身法、高度な心法、巧妙な技法、精妙な術法には唸らせられますね~。

 そして、流石は倉田アクションクラブのメンバーだな~と思ったのは、大谷・田代のお二人は習った技をアクションに応用して新しい殺陣アクションを工夫していたことです。

 つまり、現代的な武術に改良してみせていたのですね。

 殺陣と武術型の融合と発展・・・日本には素晴らしい武術文化があるんですから、是非、殺陣アクションの中に溶け込んで発展させていってもらいたいな~と思いました。


追伸;游心流のホームページ動画DVDの編集などをお願いしているグラフィックデザイナー兼アーティストの伴野晴彦さんが、ニコニコ動画に作品を出しています。タイトルは『ゲシュタルトの犬』。シュールでブキミカワイイ?トランス・テイストを、是非、堪能ください。


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水戸黄門にアノ人が?

 たまたまTVの水戸黄門を観ていたら、「あれっ、この人、どっかで観たことあるような・・・?」と思う女優さんがいました。

 時代劇に出る女優さんというと割りと類型的なものがあるので、そうでない都会的なキリッとした顔立ちの人が出ると妙に目立つというか、微妙な違和感があるもの。

 この女優さんにもそれを感じたんです。

 新聞の解説欄によれば、“東風万智子”。あれっ? 全然知らない。初めて聞く名前ですけど、普通、こういうゲストの女優さんはそれなりに名の知れた人がやるものだと思うんですが・・・。

「宝塚出身の人なのか?」とも思いますが、似た名前の人だとシャンゼリオンに出ていた東風平千香さんだったら、その後、暴れん坊将軍にも御庭番でレギュラー出演していたから時代劇に出ていてもおかしくないですけど、顔立ちが全然違うからな~?

「一体、この女優さんは誰なんだ?」と思って、よくよく見ていたら、ピーンと来ましたよ。

 アップの時に顎のホクロを見て、気づきました。

 この人は、久米さんのニュースステーションでキャスターを勤めた後、女優デビューして映画にも主演していた真中瞳さんに間違いない!

 ここ何年かTVで見ないと思っていたら、改名して活動されていたんですね~。

 それにしても、時代劇に出ているとは夢にも思いませんでした。

 しかし、あの現代的なシャープな顔立ちの北川景子が時代劇に主演したくらいなんだから、これまでの時代劇女優はタヌキ顔が似合う?みたいなイメージは良くないのかもしれませんね。

 でも、やっぱり、全然似合わない人もいますけどね~。

 ま~、それはそれとして、“東風”って何て読むの? ひがしかぜ? とうふう? こち?だっけ・・・? 誰か、おせーてっ!


※事務注※
『こち まちこ』さんと読むそうです。
真中さんは電波少年出てましたよね~
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6月『軸と合気』セミナー感想

 5月の脱力の合気セミナーから随分と間が開いたような気がしますが、6月の軸と合気のセミナーも無事に終わりました。

 今回も遠方から足を運んでくださった会員さんもいらして、楽しくやれました。

 最近は、前半の基礎錬体は矢嶋師範代に指導を任せていますが、東京支部長を任命してから慣れてきたのもあって、実に堂々と説明演武するようになって、見ていても安心できます。

 私は元々は感覚的な人間なので、面倒臭くなると擬音?で説明したりしてしまうのですが、彼はきちんと論理的に説明しようとするので初心者の指導には向いています。

 ただ、安心してくると細部が少し甘くなってくるものか、気負いが出てくるものか、知らず知らずに身勢の崩れや緊張が出てくるものです。

 これは、誰でもそうなってしまうものです。

 うちの師範代は、矢嶋師範代が5代目(破門にした者は除く)で、4代目の北島師範は師範代から師範(游心流初)に繰り上げましたから、現時点で師範代は彼一人だけです。

 初代は仕事が多忙になって何年も通えなくなっていますし、2代目は自然退会、3代目は休会のまま行方知れずになっていました。

 ちなみに、破門にした師範代が二人と指導員が一人。この人達は新派を名乗っていますが、会として普及発展させようという意欲は感じられず、自分たちだけで稽古を続けている様子です。

 どうも、うちの場合、師範代が“居着かない”(游心流という名前だからか? それとも居着かないで動くことを極意にしているからか?)。

 どうしてか?というと、実力と人柄が伴わなかったからかな~?という気がしており、どっちかが欠けている人を任命してしまった私のミスだったな~と思っています。

 誤解してもらっては困るんですが、うちの場合は、指導する側になったから一人前になったという認識じゃないんですね。

“指導することで学ぶことがある”から、「貴方は後進の人を指導していくことが自身の成長に繋がりますから、それを学んでいってください」というつもりで任命しているのであって、そこを勘違いして自惚れてもらっては困るんですね。

 北島・矢嶋両君は、私のこの考えを察してくれているので、少しも驕ることはありません。安心して任せられます。

 まずは“人柄”。

 実力は後から伸びていけばいいのです。特に矢嶋さんを師範代に任命するのはまだ早いと思って、少し迷っていたんですよ。

 しかし、任命してから本人も自覚を持ってくれて急速に実力もアップしていっていますし、特に歩法ができるようになったのには驚きました。動画で出しているのの三倍以上できるようになっていますからね。

 これまで師範代に任命した人の中で、歩法が一定水準までできるようになった人は北島師範だけでした。

 破門にした会員は、「歩法は難し過ぎるから必要ない」と、私に面と向かって言った人間もいましたが、それは、“自分ができないから必要ない”と言うに等しく、この瞬間、「こいつは何も理解していないな~。馬鹿だな~」と思ったものでした。

 実際に戦えば、はっきり判りますが、技量が同等なら歩法のレベルで勝敗は左右されます。まともに戦えば彼らは北島師範に手も足も出ないで一方的にぶちのめされるのが私には解っていたんですが、歩法のできない彼らには予測できずに私が北島師範を贔屓しているからだと勘違いしていた様子です。

 まあ、北島師範自身が自分の戦闘力の高さを丸っきり自覚していなかったせいでもありますが・・・。

 それでも、北島師範をなめていた連中は本当に馬鹿だな~と思います。

 交叉法だけで勝てるのなら、私は歩法をやっていないでしょう。有り体に言えば、交叉法を研究していく過程で、これを破るには歩法で撹乱するしかないと気づいたから必死で研究した訳なのです。

 私は、「これさえできれば万全だ」という技なんかないと思っています。いかなる技にも弱点がある。だから、技を組み合わせて弱点を補っていく必要があったのです。

 私が地道な歩法の稽古をやらせるのも、使いこなせるようになれば理由がはっきり判るのです。脱力技法も読みも発勁も合気も交叉法も・・・歩法のスピードが3倍違う相手には一切、通じません。

 私は、自分が研究してきた武術の秘伝技法の中で、他流との実戦を考えた場合に最も信頼できる奥の手として“歩法”を研究してきており、だからこそ5~6年もかけて、ようやく納得できるだけのものに仕上げたのです。

 もちろん、ただ歩法だけできても人は倒せません。が、歩法ができなければどんな秘伝絶招も不完全なままです。

 これは、『るろうに剣心』で、神速の剣技を誇る主人公を圧倒する“縮地法”を駆使する天剣の宗次郎の強さを見ても明らかではないでしょうか? もし、宗次郎がトラウマで動揺せずに縮地法を目一杯使えていたら、果たして剣心の天翔龍閃で勝てたでしょうか?

 私がこう思うのは、私の師である小林直樹先生が、超神速の歩法でいかなる相手をも一方的に打ち破っていた姿を見てきたからです。

 だから、歩法に関しては物凄く研究してきました。これさえ完成すれば、どんな強敵も恐れるに足らず・・・と思っています。

 何故なら、歩法をプラスすることで攻撃力がどんどん倍加することに気づいたからなのです。

 単純な話ですよ。時速20kmでぶつかるより時速100kmでぶつかった方が車は大破してしまいますよね? スピードが上がればエネルギーも高まり出せるパワーも倍加するというだけの話です。

 ただし、問題点は、一方向だけに極端にパワーを出そうとすれば、避けられたら自爆してしまう。だから、非常に短い距離で、極大のパワーを出せる特殊な歩法でなければ武術には使えない訳です。

 よって、小林先生の歩法をお手本にしながら、私は独自の研究をした訳ですし、その真価は体得した者にしか理解できない。

 矢嶋師範代は、できるようになったから、私の意図していることを察することができるようになりました。

 なので、本来はあまりやりたくないんですが、今回は、参加者の前で指導解説している最中の矢嶋師範代の姿勢を修正したりもしましたが、彼はちっとも嫌な顔をしないで指示に従ってくれ、「あ~、やっぱり、矢嶋さんを選んで良かったな~」と内心で思いましたね。

 結局、私だって理想とする武術の完成形には程遠く(今のペースだと後、5年くらいはかなり変貌する可能性がある)、まだまだ発展させていかねばならないと思っていますし、会員にも低いレベルで自己満足に陥ってもらいたくないんです。

 もう、誰も文句言えなくなるくらいぶっ千切りで凄い実力者を多数、育てたい。

 そうですね~。

 体術なら、全身のどこからでも発勁が打てて、相手の攻撃は化勁で受け流し、読みで相手の攻撃を事前にすべて察知し、目隠ししていても触れれば即、崩し倒せる・・・というレベル。

 そして、武器は、ナイフ、居合、剣、二刀、棒、手裏剣、槍、薙刀、ヌンチャク、トンファー、釵、鎖鎌、扇子など、何でも即座に使いこなし、拳銃・ライフル・ショットガン・サブマシンガンにアサルトライフル程度の銃は扱えるようになって欲しい。

 それから、知識として、空手(伝統派・フルコン・沖縄古伝)・柔道・合気道・剣道・弓道・杖道・居合道・少林寺拳法などの現代武道の基本、中国武術(太極拳・形意拳・八卦掌・意拳・八極拳・通背拳・長拳・白鶴拳等)、日本古武術(竹内流・新陰流・一刀流・神道流等)、海外の武術(フィリピノ・ペンチャックシラット・カラリパヤット・カポエィラ・システマ等)等々についても幅広く学習し続けてもらいたいのです。

 無論、武術文化の総合的な歴史や、それに付随する武器の変遷と機能、構造、製作法等や、“戦闘”に関する哲学的な考察も必要です。

 例えば、日本刀一つをテーマにしても、時代による姿形の変化や、タタラ製鉄の技術的変遷による上古刀・古刀・新刀・新々刀・現代刀の違いや、“拵え”の違いによる機能性・・・といった研究も必要になってきます。

 鐔の大きさや形、柄の長さや材質、金具の形状などによる操刀法についても実際に作り比べてみないと本当のところは解らないと思います。

 弓矢なども世界各地に伝わるもので違いはありますし、例えば、日本の弓矢は左手で弓を持ち、弓の右側に矢をつがえますが、西洋弓(アーチェリー)は弓の左側に矢をつがえます。

 こういう違いは何故か?といったことは使いこなしてみないと解らない面が大きい。

 日本の武道家、武術家は、「昔から伝えられているから」という理由だけで、「これが正しい」と自分のやり方を絶対視しますが、こういう無批判な伝承は実用性を損なうものです。

 私はすべて実験検証して真偽を確認していく必要があると思います。

 また、真に実用を考えれば、古伝のものをそのまま用いようとするのは愚かです。

 以前、古武術の研究家として斯界で第一人者であった方を取材した時、伝統と格式を上位概念におく古武術の世界では異端視されている戸隠流忍法体術を、かなり高く評価されていて意外に思ったことがありました。

 しかし、それは、武術の実用を考えた時に古典的な型の継承から抜け出して、古武術の技を有機的に実用させる工夫をしている点を評価されている様子でした。

 私もごく短期間ながら戸隠流を学んで、現在の武術研究に大きく役立っていると思っています。


 余談が過ぎました。

 今回のセミナーでは、前回、合気の根本原理の一つである脱力について指導したものの、これには重大な(致命的?)弱点があるということを真っ先に説明しました。

 つまり、“脱力系合気技法の破り方”を教えたのです。

 正直、これだけ学べば、いかなる合気の遣い手といえども恐れるに足らず!です。

 やり方は・・・自分も脱力すること。一休さんのトンチみたいな話ですが、本当です。

 嘘か本当かはやれば解ります。

 が、「おいおい。游心流の根本原理は脱力技法だったんじゃなかったのか? 自分の流儀の弱点教えてえ~のんかい、ワ~レ~」と思った方・・・その通りです!

 しかし、自分の得意技を真に実用的に遣いこなすためには、敢えて、弱点を自覚することが肝心です。

 そして、その弱点を知った上で、さらなる高みに引き上げていかねばなりません。

 脱力の合気には脱力で対する・・・しかし、脱力している相手にもかける合気とは?

 それが軸の操作による“斬り崩し”の技法です。

 あ~、あんまり書くとネタバレになるから、この辺にしておきましょう。

 武術の読みについて書いたら、思った通り、いろんな人が読みの重要性について書くようになりましたが、構造的に武術技法と一貫して用いるやり方はわざと書いていないので、案の定、ネタとして書いているだけ。ふふふ・・・してやったり!

 参加者の感想で、軸の操作は読みにも関連するのでは?と書いていた方がいましたが、その通りです。それは次回のお楽しみ~・・・。


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日本古武道演武大会DVD

 ちょうど、筑摩書房さんの本の印税が振り込まれて余裕ができたので、BABジャパンから出ている日本古武道演武大会のDVD(二枚組)を買いました。

 やっぱり、いろんな流派の技を一度に見れるのは勉強になりますからね。

 特に、今回、幻の流派“雲弘流”の演武があったので、これは見なくちゃいかん!と思って買った訳なんですよ。

 雲弘流の開祖は、井鳥巨雲。井鳥巨雲は晩年の小出切一雲(この当時は片桐空純と名乗っていた可能性あり)にも学んでいて、一雲が工夫した型を伝えているとされます。

 一雲といえば無住心剣術の二世です。

 幕末の剣客、白井亨は、一雲を古今最高の剣聖と崇めており、その認識が現代の剣道界にまで伝わっているくらいです。

 しかし、何度も書いてきているように、無住心剣術は、一雲が弟子で三世を継いだ真里谷圓四郎に敗れてしまったことから徐々に崩壊していき、白井が活躍していた頃には影も形もありませんでした。

 ですから、無住心剣術の影響を受けて現代まで伝承している流派は、恐らく、この雲弘流が唯一だと思われるのです。

 なので、剣道雑誌で失伝しないで現在でも伝えられていたことを知った時は、どんな技を使うのか興味津々だったのです。

 その雲弘流のみならず、様々な剣術・柔術・居合術・弓術・槍術・棒術・薙刀術などの流派の技が見られるのですから、非常にお得でしょう。

 もっとも、大槻ケンヂさんが『ぴあ』の連載で演武大会を見た感想をユーモアを交えて書いていらしたのを読むと、何か、二十数年前に見たホゲホゲ感が蘇ってしまいそうで、ちょっと、おっかなびっくりだったんですが・・・。

 で、実際に見た感想ですが・・・オオッ!と思う演武もあるものの、ウ~ン・・・と唸ってしまうようなのも正直、ありましたね。

 それで、260分もあるので、何か眠くなってきたりする訳ですよ。

 でも、そういう時に絶妙な具合で目の醒めるような演武が?・・・って、これ、あまりの下手さにビックラこいちゃって目が醒めるという初体験をしましたね・・・。

 合気道や少林寺拳法が、いかにレベル高いか?ということを再認識させられます。

 そういえば、根岸流手裏剣術は収録されていませんでしたけど、やっぱし刺さらないから外したんでしょうか?

 正直、練習不足を感じさせる流派もありましたが、それは仕方がない面もあるでしょうね。後継者がいないとか、指導者がいないとか・・・。

 ここ最近、書店回っていて気づいたんですけど、武術のブームはもうとっくに終わっていますね。もう、世間は注目してないですよ。

 でも、これでいいのかもしれない。

 古武術=介護術=身体操作という構図ばかりが無批判に拡大されてしまって、「介護を学びたいから柳生新陰流に入門したい」なんて、トンチンカンなことを真面目に考える人が結構出てきていたんですね。

 本当にバカな状況でしたよ。よしゃあいいのに、そのバカな状況にタダ乗りしようとして身体操作の理論で武術武道を語り尽くそうとする自称専門家がゾロゾロ出てきて、恥ずかしい状況でした。

 だって、金輪際、身体が動かない連中が身体操作がどうこうって語ってるんだもん。阿呆か?としか言えない・・・。

「本当の身体操作とはアクロバット的な動きではなく動きの精妙さにあるのである」なんぞと大ボラ吹いて威張りたがる連中の精妙な動きなんて、素人レベルの小手先技でしかないっちゅうんですよ。

 プロのダンサーと比べたら話にならないよ~。

 古武術の真価というのは、身体の動きなんてのにはありません。そんなものは基本以前の基礎の話です。それよりも、“相手を読むこと”・“そして戦略をたてられること”が重要です。

 皆、勘違いしているのは、古かろうが新しかろうが、武術は自分の身体の動きなんか大して意味はなく、それよりも相手の身体の状況を一瞬で読むことの方が遥かに大事だってことです。

 外見を観察して読む・接触して皮膚感覚で読む・気配を読む・・・この“読み”が最も重要なんですよ。“読み”のない武術なんか武術とは言えないのです。

 武道でも格闘技でもレベルの高い人は皆、これを駆使している訳です。自分の技の威力やスピードばかり高めようとしても意味ないんですよ。だって、誰も黙って打たれたりしないでしょう?

 日本の古武道の多くが二人組んで型稽古を繰り返すのも、実は“読み”の訓練が主目的なんですよ。だから、それを無視して馴れ合いで形式だけなぞっていても上達しないということですし、居合道のように独りだけで演武を繰り返すものだと対敵動作として向上していかない訳です。

 空手の型無用論も、そこから出てきた訳ですね。だから、空手は分解組手で型から技の用法を抽出していかないと意味不明なままです。

 けれども、古武道大会を見ていて問題だと思ったのは、淡々と型を演じるだけなので、何をやっているのかよく解らない・・・という点なんですよ。

 意味が解らないのが一番、辛い。

 その流派ごとに解説者を一人出して、「この技はこういう意味があって・・・」って具合に説明しながらやった方がいいよな~と思いました。

 昔はNHKでも放送されたりしたことがあって、高橋賢先生が解説した時はまともだったんですが、一度、何か作家か誰かだったのか、何かトンチンカンな解説した人がいましたね~。

 琉球古武術の演武で釵が出た時に、「何でしょうかね~? あの武器は十手みたいですね~」とか言っちゃってて、そんな無知な解説者を呼ぶんじゃないよっと思いました。

 でもまあ、お目当ての雲弘流剣術はバッチリ見れました。

 型はとてもシンプルで、ケレン味はありません。しかし、オッと思ったのは、技をキメた後に右手で木刀を提げて無構え自然体になって退く点でした。

 この自然体と八相と正眼しか構えを取りません。技の使い方も相打ちのタイミングの合わせ技。相手の斬り下げた刀の峰を叩き落として斬る動作が多かったですね。

 ただ、片手打ちの剣法だった無住心剣術とはかなり違うな~と思いました。

 その他、初実剣理方一流は、物凄くギリギリの体捌きで躱しながら斬り返すところが見事でしたし、荒木流拳法もダイナミックで古武道らしからぬ野性味があって見ごたえありました。

 練度の差はありましたが、それぞれの流派に伝わる技の工夫は見事でした。だからこそ、先人の伝えた工夫を無にしないよう、伝えられた者は研鑽を積んで、できることならより発展させていくのがいいんじゃないかな~?と思います。

 また、型の演武ということなら、殺陣の表現法に倣うべきだと思いますね。

 正直言って、古武道の演武を殺陣の専門家チームがやれば、見違えるようなレベルになるだろうな~と思ったからです。

“演武”というのはパフォーマンスなんですから、「オオッ! スゲーッ!」って思わせるように演じないとダメだと思うんですけどね。


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44オートマグ・クリント1

 NHKの衛星放送で『ダーティ・ハリー2~5』のシリーズをやっていたので、久しぶりに堪能しました。

 主演は言わずと知れたクリント・イーストウッド。

『ローハイド』で注目され、マカロニ・ウエスタンの名作『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』でアクション俳優の地位を確立したイーストウッドが、43歳の頃に主演したのが大名作『ダーティ・ハリー』でした。

 ちなみに、この型破りのアウトロー刑事にはモデルがいて、その人はコルト・パイソンのカスタムガンを愛用していますが、ダーティ・ハリーはS&W.44マグナムを愛用しています。

 元々、この刑事役は、当初はジョン・ウェインに話がいったそうなのですが、結局、当時はまだ二線級だったイーストウッドが主演することになったそうです。

 ストーリー自体はB級アクション物ですし、多分、そんなに大ヒットするとは思っていなかったのでしょう。

 ところが、44レミントンマグナム弾を撃てる狩猟用の超強力拳銃、S&W Model,29を駆使するハリー刑事のハードボイルド且つバイオレントなヒーローっぷりに人気が集まり、映画は大ヒットし、それまで反動が強過ぎて売れ行きの悪かった44マグナムは売り切れ店続出の大ヒット。S&W社は思わぬ人気にM29を大量生産することになったのです。

 それから、スターム・ルガー、ダン・ウエッソン、ラーマ・・・等の多くの銃器会社が44マグナム弾を撃てる拳銃を製作したもので、すっかり定番の拳銃弾薬となりました。

 ちなみに、当初、ハリーを演じる予定だったジョン・ウェインは『マックQ』でイングラムM10というコンパクトサブマシンガンを撃ちまくっていましたが、こちらは中ヒットにとどまりました。

 ダーティ・ハリーは人気を受けて第二弾を製作しますが、これはマグナム拳銃の魅力を前面に出した作品(副題がマグナム・フォース)となり、TVの人気刑事ドラマ『スタスキー&ハッチ』でハッチを演じたデビッド・ソウルが357マグナムを撃てるコルト・パイソンの4インチ銃身モデルを使っていましたが、ハッチがパイソンの6インチ銃身モデルを使っていたのは、デビッド・ソウル自身がパイソン好きだったからなのかもしれませんね。

 パイソンも日本で人気の高い拳銃で、シティハンターが4インチのものを愛用しています。

 ダーティ・ハリーのシリーズは、都合、5作が製作されましたが、イーストウッド自身が監督した第四作『ダーティ・ハリー4 サドン・インパクト』が私は好きです。

 作中、強盗に入られた喫茶店で、強盗たちに向かって、「俺たち・・・」とハリーが言うのですが、強盗から「お前独りじゃないのか?」と聞かれて、「スミス、アーンド、ウエッソン、アーンド、ミー」とハリーが答えるのがシャレています。

 つまり、“スミス&ウエッソン”という愛銃の会社にかけて、「スミスさんとウエッソンさんと俺だ」とシャレている訳で、それだけ、拳銃を相棒として信頼しているということを間接的に伝える良いシーンです。

 実際に、イーストウッドは銃の愛好家だそうで、若い頃は早撃ち大会に出場したこともあったそうです。

 当時のお気に入りソンドラ・ロックをヒロイン役に、ハリーが秘蔵していた44オートマグの8と1/2インチ長銃身モデル、俗に“クリント1”と呼ばれるスタイリッシュな強力自動拳銃を使うところがカッコイイのです。

 この拳銃、実物はマグナム弾が撃てるオートマチック拳銃を作ろうと、パサデナのオートマグ・コーポレイションで製作したロータリー・ボルト・ロッキング・システムの近未来的デザインの画期的拳銃だったのですが、独自の拳銃弾を使用するために作動不良が多くて“オートジャム”という蔑称までいただき、普及せず、AMP、TDEと会社を変えて売り出されたものの、やはり普及せず、かなり希少な拳銃となっています。

 クリント1は、このオートマグの長銃身モデルを店で見て気に入ったイーストウッドが映画の中で使いたいと言って出したそうです。

 会社としても絶好の機会ですし、これでオートマグ復活を賭けたようでしたが、やはり、作動面に問題があったのか、それとも製作態勢が整わなかったのか、より少ないバージョンとなってしまったようです。

 オートマチック拳銃は作動がデリケートなので反動の強過ぎるマグナム弾は不向きだと言われています。成功したのはデザート・イーグルくらいでしょう。

 チャールズ・ブロンソンの『スーパーマグナム』に出てウイルディ475オートマグナムは、ガス圧を調整して作動を確実にしたオートマグの改良型でしたが、やはり製作態勢が整わずに普及しませんでした。

 他にもグリズリー45オートマグナムやクーナン357オートマグナムとかいった、45ガバメント系のディレード・ブローバック作動システムを持ったものが発売されていましたが、オートマチックだとグリップ(握り)の中に箱型弾倉を挿入する形式がほとんどで、マグナム弾のように火薬量の多い長い弾丸を使うと、それだけ握りの前後幅が大きくなって握りづらくなってしまう・・・という問題点もあって、やはり普及していないようです。

 しかし、マグナム弾を撃てる拳銃は数あれど、この44オートマグ・クリント1のカッコ良さに並ぶものはない。

 オートライフルに用いるようなロータリー・ボルト方式のメカメカしい外観に、ショットガンやパイソンのようなクーリングホール付きのベンチレイテッド・リブ付きの長い銃身・・・カッコ良過ぎる・・・。

「銃身が長いと携帯に不便だし重くなり過ぎて実用的でない」というのが実戦的な拳銃の条件として定説なのですが、大口径マグナム拳銃に関しては、銃身は長い方が撃ち易いようです。

 それは、銃身が長いことで重心バランスが前方に移り、反動を抑えることができる。従って、撃ち易くなるからです。

 それに、発射の反動を利用して自動装填するオートマチックでは、反動のエネルギーが有効に利用されるのでリボルバー式より連射し易くなる。

 問題は作動不良ですが、これは弾丸の火薬量を調整すれば解決する問題ですし、カスタムチューンナップされたオートマグは非常に撃ち易いマグナム拳銃だという話もあるのです。

 ちなみに、このオートマグ・クリント1は、マルシン工業からモデルガンとガスガンが発売されていて、私はガスガンのノンブローバックのものを最初に買って、非常に気に入っていました。

 が、威力(普通は6mmBB弾を用いますが、これは8mmBB弾だから迫力が違う)も命中率も良かったのですが、引き金がかなり重くて連射しにくいのが難点でした。そのまま引き金を引くのはきつくて引いてるうちに照準がブレてしまう。仕方なく撃鉄(ハンマー)を起こして撃っていましたが、これではシングルアクション・リボルバーみたいです。

 けれども、後にブローバック式ガスガンが出て、これも購入して撃ってみたところ、何と引き金が軽く、Wタップ(二連射)も易々とできて威力も命中精度もほとんど変わらず、しかも、撃つ度にボシュンッと作動するボルトの迫力もあって、一番のお気に入りとなっています。

 私は予備弾倉(マガジン)も買って、バシバシ撃ちまくったりしましたよ。

 ちなみに、このオートマグ・クリント1は、Vシネマ第一号『クライム・ハンター』で印象的な使われ方をしていました。

 敵役の愛銃として登場するんですが、ラストで作動不良を起こしてアタフタしている隙にやられてしまう・・・という何か哀しい扱いではありました。

 しかし、この『クライム・ハンター』が銃器の描写に凝って、いろんな仕掛けをやったことから日本の銃器アクションの描写が飛躍的に高まったことも事実です。

 世良さん、又野さん(自殺されてしまって残念です)のコンビによるVシネ・アクションの先駆けとなった『クライム・ハンター』も、東映チャンネルで久々に観ましたが、“辺野古”で撮っていたらしく、何か、今のこの時代に観返すと感慨深いですね。

 この作品も、『ダーティ・ハリー4』も、私が岡山で自主映画撮っていた頃の作品で、必然的に当時の私もハードボイルド・Gunアクションを撮りたくて試行錯誤していたものです。

 そして、それから26年経過して、久しぶりに短編で自主映画撮ろうと思った時に考えた話が、Gunアクション物なのも、因縁かな~?という気もします。

 余談ついでですが、Vシネでハードボイルドアクション物で「このアクションはかっこいいな~」と思っていると、決まって、高瀬将嗣先生が擬闘を担当されていて、なんか因縁を感じましたね~。“いいな~”と思っている人とは何故か縁ができるんですよね。
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東京支部稽古会報告

 6月7日(月)の東京支部稽古会も、私がピンチヒッターで指導に赴きました。

 丁度、アスペクトさんのシリーズの第七弾の本の打ち合わせに神保町にある会社に行ってきて、担当のSさんと「ア~でもないコ~でもない」と、いつものごとく構想を練ったのですが、最近は、「もう、飛ばしちゃってくださいっ。それが長野さんの味だから・・・」って言われているので、「え~、大丈夫かな~?」と思いつつも、武術のディープな情報を取り入れて書くことに決めました。

 前回の“読み”が、かなり情報をテンコ盛りにしたので「難しい。半分読んで挫折しました」なんて言う会員さんもいたりしたので、今回は少し抑えようかな?と思っていたんですが、編集者的には「徹底的にヤレーッ!」みたいな感じです。

 正直いって、私が研究している内容をそのまま書いたら、ほとんど誰も理解できないと思います。

 これは“知識が並外れて多い”ということではないんです。武術の世界で定説とされていたことの真反対の理論を考えていたりするから、一所懸命に武道・格闘技・武術をやってきた専門家ですら「えっ? ホントなんですか?」って思ってしまう筈だからです。


 まっ、取り敢えず、今回の本でも思いっきりターボかけてみて、後から調整するということで書いてみようかな~?と思っていますので、皆さん、御期待あれ!

 で、内容なんですが、前々から要望が強かった健康法の側面と、武術が単なる格闘技と最も異なっている東洋医学的な面、神秘主義的な解釈をされている面についても書いてみることになりました。

 これ書いちゃうとど~かな~?と思って避けていたんですけどね~。トンデモ理論扱いされるのがオチだもんな~?

 ユーチューブで目隠し組手とかやらせたの出しちゃったから、賛否両論が出てきてますからね。

 でもね。段階的に感覚を磨いていくと、ああいうこともできるようになる訳ですよ。事実は事実なんだから、しょうがないよね。

 誰でもとは言いませんけど、感覚を磨くというのは脳機能開発トレーニングのことなんですね。

 だから、「武術の稽古は脳機能トレーニングなのだ」ということを、今回の本では主張してみようかな~?と思っている次第です。

 従って、ことさら権威主義的に受け止める必要はないんです。「やればできるようになる。やらなきゃできない」というだけの話です。


 さて、東京支部の稽古会は、今回は参加者二人。ちょい赤字だけれど、うちの稽古内容だと二人に教えるのが一番、いいんですね。

 対錬や推手を二人でやらせて、横から修整していくことができるからです。

 マンツーマンが一番、いいと誰もが思うところでしょうが、武術の場合は一人で二人を指導するのが一番いいんですね。

 基礎錬体は、いつも矢嶋師範代がきっちり指導しているので、私はササッと流してやりました。

 そして、シダックスの講座では毎回やっている太極拳をやりました。

 太極拳はまだ矢嶋師範代は教えていないと言っていたんですが、今回の参加者二人は空手をやっているので、太極拳の動作から武術的な応用を教えるとすぐに飲み込みます。

 本当はこれだけみっちりやってもいいんですけど、太極拳の用法までしっかり教えたのは北島師範だけなんで、それ以外の会員で太極拳を正確にやれる人はいないんですね。

 どうしてかと言うと、他の人は套路を正確に覚えていないので教えても体得できないからなんですよ。

 戦う時は無形でなくてはなりませんが、無形の中から一瞬一瞬に有形にならねば技の真価は発揮できません。だから、「形や手順に拘ったらダメだ」と教えているのがマイナスに働いているみたいで、誰もが正確な形を覚えようとしなくなってしまったみたい。

 その結果、北島師範以外は形が崩れているので太極拳の真価を発揮できない。

 しかし、それでも私は敢えて形を正確にやらせようとは思わないのです。外側から教えても形の意味を理解できなければ、やっぱり使えないままだからです。

 自分で千回も万回も繰り返し練って、「この形でこそ真価が発揮できる」というものを自分で体感できなければ、どんなに上手に套路ができても中身が太極拳になりません。

 中身とは何か? 一言では言えませんが、大まかに言うと、「全身が協調して動いて止まらない」ということです。

 長年、空手をやってきた人だと、技を決めた姿勢でいちいち止まってしまう人が多いです。流れが途切れてしまうので、いつまで経っても太極拳の動きになりません。

 そして、「空手と違って凄く難しい」と言うのです。

 しかし、実際は太極拳の方がずっと簡単です。どうしてかというと、動きが途切れないというのは人間の普段の動作そのものだからです。試しに歩いている時に、いちいち踏みしめながら歩いてみてください。遅くぎこちなくなるでしょう?

 人間の身体は自然に動く時は全身が協調連動しているものなのです。恐らく、本来の空手はそういう動きだったと思われます。

 静中の動、動中の静・・・これらの言葉を何か特別なことだと考えたがるものですが、そうではない。実際は当たり前のことを言っているのです。

 私は武術には非常に多くの可能性があると感じています。護身術・予防医学・危機管理プログラム・脳機能開発・運動機能開発・精神鍛練などの他にも、芸術・哲学・工芸・芸能・歴史・文学などにも関連していきます。

 なので、“総合武術文化”の研究をしていこうと思っていまして、そのために、ある程度の規模にまで游心流を組織として普及しておこうと思うようになりました。

 いや~、しかし、3年前には本気で解散を考えていたのに、よくぞ、ここまで復活、いや、むしろ拡がってきていますかな~? これも応援してくれている読者の皆さんや友人、教わった先生方、そして会員の皆さんのお陰ですよね。

 期待されてるってことだから、頑張らなくっちゃ~。
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六月セミナー『軸の操作と崩し』

 2010年の月例セミナーも、早くも半分が終わろうとしています。

 早いな~。

 六月は、『軸の操作と崩し』。五月の脱力技法に続く、合気技法の第二弾です。

 脱力技法は、非常に汎用性の高い技法なんですが、唯一の弱点が、「相手も脱力していたら掛からない」という点があります。

 例えば、ヨーガとかやっている人だと中々掛かりません。

 合気技法は関節技が発展したものと考えられ、大東流では、柔術、合気柔術を経て、合気術を学ぶという構成になっていると解く人もいます。

 つまり、初手で基本的な逆固め技を学んでから、段々、高度な合気の崩し技へと移行していくというのです。

 しかし、この論の問題点は、合気さえ体得すれば柔術技法は必要ないという誤解を与えてしまうところで、実際に「合気さえできれば外の技は必要ない」と豪語する木村達夫さんのような人もいる訳です。

 合気の高度な崩しを体得しても、相手を制圧する当て身なり固め技なり絞め技なりをできなければ、相手は立ち直って攻撃し続けるでしょう。

 合気単体では武術技法として不完全なのです。

 ましてや、脱力系合気技法は、同じ原理を会得している相手にはまず掛かりません。木村さんが私に掛けられなかったのは技“量”の問題ではなくて技“質”の問題だったのです。

 無論、私も脱力ができている人に脱力系の技を掛けることはできません。その場合、別のやり方で掛けます。

「そんなのはインチキだ」と文句を言う人もいるかもしれませんが、武術なんだから、とにかく勝たなきゃダメです。技が通じないとすぐに諦めてはダメ! 二の手、三の手と次々に別の技を繰り出して、相手を制圧するまで止まってはいけません!

 型稽古でも“残心”を取るのは、本来、相手がやられたフリをして、いきなり反撃してきた時に備えるためのものであって、これを具体的に技でやる場合は、相手が戦闘不能になるまで技を繰り出し続けねばなりません。

 うちの稽古でも、対錬の時に技がうまく極まらないと途中でウ~ンと唸って中断してしまう人がいたりします。が、本来、中断したら相手は反撃してくるものです。この点を説明しても繰り返してしまう人は、いくら練習しても上達はしません。

 戦いの最中に考えている暇はありません。稽古は実戦のシミュレーションであって、実戦を想定しない馴れ合いの稽古はやればやるだけダメになってしまいます。

 初心者同士で怪我も辞さない稽古をやるのは論外ですが、熟練していくに従って技は厳しくしていかないと稽古になりません。

 恐怖心を克服するのも重要な稽古なのです。

 そして、武術は、相手を観察することが重要です。それも、パッと観て一瞬で対策をたてられないといけません。相手を無視して自分のことしか考えない人間は、これまた上達の見込みはありません。

 これは繰り返し繰り返し稽古する中で培っていくしかないのですが、意識的に稽古しなければ永久に身につきません。


 さて、脱力技法の弱点を補うものとして、私は“軸の操作”を提唱しています。

 どれだけ脱力できても人間の身体の1/3は固形物で、中でも骨はグニャグニャ曲がったりしません。タコみたいな軟体動物ではないのです。

 だから、軸の操作で崩すやり方は、平たく言うと骨格を利用して力学的に崩すものだと考えてもらえばいいでしょう。

 つまり、これは合気技法から元々の柔術の関節技に寄っていった技法なのです。

 けれども、純粋な関節技と違うのは、“軸”というのは仮想のものだということです。

 身体内部にも、場合によっては身体の外側に想定することもできます。

 軸の概念については、新しく考えた理論もありますから、それは当日、御説明します。

 軸の想定は、身体内部の重心点を意識しやすくする側面もあり、自分の身体感覚を高めるのにも、相手の動きを読む場合にも幅広く役立ちます。

 これは武術のみならずスポーツ全般にも応用が期待できるでしょう。

 そういう意味では身体論の分野で多用されている概念ではありますが、さほど理論的に深めている研究家は見当たりません。

 今回のセミナーは、そういう意味で武術でなく身体論に関心がある人にとっても面白いかもしれません。

 よろしくどうぞ・・・。


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『鉄男』と『犬神の悪霊(たたり)』と『怒りの荒野』と『SHOGUN ASSASSIN』

 俳優をやっている会員のTさんとテアトル新宿に『鉄男ザ・ブレットマン』を観に行ってきました。

 ぴあを観ると、レイトショーになっていたので夜8:00に新宿アルタ前で待ち合わせて、上映時間まで一時間以上あったので、近くのツタヤに欲しかったDVDを買いに行きました。

 印税も出た後なので、“自分御褒美”ですよ。

 数年ぶりに来た新宿ツタヤは、売り場の階が変わっていて、セルDVDはB-1階になっていました。

 以前は文京学院大学の生涯学習センターで教えていた頃に会員になっていたので、ちょくちょく寄っていたんですけど、そちらも撤退してしまったし、地元の活動に力を入れているので、新宿に来ることもめっきり減りました。

 上京してきた頃に一番最初にブラついたのが新宿。そして、自主映画の上映会があった恵比寿。それから池袋。神保町。西荻窪。高田馬場。荻窪。駒込。

 意外に秋葉原や中野には一、二回しか行ったことないんですよ。

 渋谷はまあ、何というか、自分には合わない町だな~という感じがします。人間が多過ぎるし、何かオシャレな感じが違和感ある。

 新宿は割りと落ち着きます。東京という都市のエッセンスが集中している感じ。陰影がくっきりしているというか・・・。

 特に夜の新宿の喧噪と剣呑さは、田舎育ちの私には魅力的。だけど歌舞伎町は苦手だな~。客引きが煩いから。

 新宿ツタヤはシャレていないところがいいですね。穴蔵っぽい。

 Tさんはホラーや特撮が大好きなので、年齢離れているのにそれを感じさせないマニアック話ができるので、第二の矢嶋師範代のようになるかも?

 お目当ての作品が無かったんですが、買い逃していた若山先生の『子連れ狼DVD-BOX第二弾』と、先日、プランBでお話をうかがった伊藤俊也監督の幻のオカルト傑作『犬神の悪霊』があったので、即買いしました。

 そして、まだ上映時間まで40分以上、時間があったので、定食屋で飯食べて、お目当ての鬼才、塚本晋也監督の最新作『鉄男ザ・ブレットマン』を観ました。

 いや~、爆音上映ということでノイズィーなBGMが耳をつんざく中、アートフィルムのような色味を落とした塚本監督独自の、都市・疾走感・痛み・怒り・メタモルフォーゼ・有機物と無機物の融合・・・etcの要素が凝縮し炸裂するスピーディな展開・・・。

“鉄男プロジェクト”なる、変身人間兵器計画のストーリーは、『鉄人28号』や『ミカドロイド』や『メタルダー』・・・等々、数多くのSFアクションのプロットとして存在していたものなので、別に目新しいものではありません。

 が、“鉄が人体を侵食していく”というサイバーパンクな要素に科学的裏付けは不必要であり、重要なのは、怒りの感情で異形の生体マシーンへと自己組織化していくモンスターの悲哀であり、また破滅していく愉悦です。

 鉄男のモンスター化を挑発して促す塚本監督自ら演じる“男”は、結局、最強のモンスター鉄男の力で滅ぼされたいという倒錯した願望を達成するために活動している。

 この男が一体、何者なのか?という答えは明示されないままストーリーは終了し、元に戻った男は家族とともに幸せに暮らしている・・・のか?という不穏な雰囲気を匂わせて完結します。

 しかし、70分くらいの中編なのに、観ているだけでエネルギーを吸い取られるようにグッタリ疲れてしまうパワフルさは尋常ではありません。

 この作品、主人公はアメリカ人で、東京を舞台にしていて奥さん役は、桃生亜希子。CFで見かける以外はTVにはあんまり出ておらず、『サムライ・フィクション』や『レッドシャドウ赤影』の監督さんの作品によく出ている女優さんです。

 Tさんは塚本監督の大ファンで、是非、役者として塚本作品に出たいそうです。こういうのは願い続けていると願望が縁を繋げるものなんですよね~。

 縁と言えば、帰りの電車中でダベッていて、何と、Tさんが昔、演技の指導を受けていたのが、私が自主映画時代から付き合いがあった田辺日太さんだったということが解って、お互いにビックリ!

 世間は狭いね~とは、よく言う話なんですが、武術の世界だったら解るけど、まさか俳優養成学校の講師の縁があったとは、いくらなんでも怖いくらいの偶然過ぎる縁。

 でも、私はこういう縁がやたらに多いので、もう、あんまり驚かなくなりましたよ。Tさんは驚きまくってましたけど・・・。

 それにしても、上映後に小田急線で帰る時には何か異常にグッタリ疲れてましたね~。

 こういう体験は田中泯さんの踊りを観て帰る時と似ています。

 そんな田中泯さんも踊る村人の中にいたという『犬神の悪霊』・・・。封印されている作品だと噂されていたものの、最近、DVD化もされ、再評価が高まりつつあります。

 ムック本で大体のストーリーを知った後で観たせいか、「アバンギャルド過ぎて訳わからん映画」という評価とは違って、私には非常に面白く鑑賞できましたね。

 だけど、確かに、全然、先が読めない! 予備知識0だったら、「なんじゃ~、こりゃあっ!」ってジーパン刑事の物真似したくなったでしょう。

『狗神』という映画がありましたけれど、同様に犬神憑きについてモチーフにしていながら、この作品はいろんな要素がギュギュッと詰まっていて、社会問題や差別問題がテンコ盛りになっていて、オカルトなのか心理的なものなのか判然としないように進めておきながら、後半、完全な怪談映画へと豹変する、物凄いエネルギッシュな作品です。

「音楽が違和感あり過ぎる」という批評もありましたが、変にオドロオドロしくしない素っ頓狂な音楽が逆に理不尽な作品世界を浮き彫りにしていていいと思いましね~。

 私は、『恐竜怪鳥の伝説』と原田美枝子主演の『地獄』と大林監督の『ハウス』を、ちょこっと思い出しましたね。

 これは本当に、多くの人に観てもらいたいですね~。面白過ぎるもん。特にラストシーンは唖然としますよ・・・(ネタバレになるから書かない)。


 それと、NHKBS2で、ジュリアーノ・ジェンマ主演のマカロニウエスタン『怒りの荒野』を観ました。

 もう、何回も観てますけど、便所掃除人をしている身寄りのない青年が早撃ちガンマン(リー・ヴァン・クリーフ)に弟子入りして差別していた町の連中を見返すものの、師匠が実は悪人で、育ての親の元名保安官だった老人を殺されて師匠と対決するという燃える展開。

 私は西部劇俳優の中でリー・ヴァン・クリーフが一番好きで、初登場時で既に初老なのに渋い。そして、戦い方がやたらにトリッキーで、騙し討ちの名人。

『西部悪人伝』『西部決闘史』のサバタ役は最高ですよ。この卑怯殺法が認められたからか、後に彼は『忍者マスター』で、日本で忍法の極意を得た退役軍人という素敵過ぎる役を演じていました。

 武侠ドラマを観ていても、超達人の爺さんが出てくると、もうワクワクしますよ。

 ジャッキー・チェンの初期のカンフー映画でも、蛇拳の白長天や、酔拳の蘇化子、ヤングマスターのキム・・・なんかの達人爺さんに憧れたものです。

 やっぱ、爺さんは“ヨボッてるフリして実は達人”ってんじゃなきゃ~ダメだよ。

 で、この師匠は、弟子に銃を買ってやる時に、銃身の長いキャバルリーモデルを選ぶんですけど、弟子の才能が自分以上なのを見抜いていて、いざという時に早撃ちで遅れを取るように考えている訳で、非常に狡猾です。

 育ての親の老人が実は師匠以上の名手だった過去があり、その早撃ちの手口や銃の改造(銃身を短くして照準をつける銃口の上に出っ張っているフロントサイトを削り落とし、引き金の重さを調整して軽くする等)について講釈し、「自分にもしものことがあったら奥の箱を開けろ」と言って、保安官代理に復帰し、町から犯罪を一掃しようと銃の所持を禁止します。

 そして、主人公の目前で師匠に銃を寄越せと言い、ホルスターごと銃を渡すフリをした師匠からそのまま撃たれて絶命。

 こっからがいいんですよ~。主人公は怒りに燃えて老人の指示していた箱を開けると、何と、そこには早撃ち用に改造されたドク・ホリディが使っていたという拳銃とメモが残されていたのです。

 つまり、老人は、もう反射神経の衰えた自分では勝てないと解っていて、若くて才能のある主人公に後を託した訳です。

 この辺の展開って、『幽々白書』で戸愚呂に敗れることを解っていて弟子である幽助に霊光波動拳の奥義を託した幻海師範みたいなもんですね。

 この後は、マカロニ・ウエスタンの貴公子と呼ばれたジュリアーノ・ジェンマの身軽な曲撃ちアクションが見ごたえあります。

 太陽を背にした師匠が余裕をかませば、主人公は、自分には死んだ老人が味方しているんだ!と、師匠と同様のカスタマイズされた銃を持っていることを言い、早撃ちで師匠を倒します。

 町から出ていくから見逃してくれという師匠に、「必ずとどめをさせと教えたのはアンタじゃないか」と、熱く語って、とどめの一発を撃ち、拳銃を投げ捨てて去っていく主人公・・・あ~、カッチョイイ~・・・。

 何回、観ても傑作だな~・・・。でも、昔のTV放送の時は野沢那智さんの声でジェンマが喋るのが最高だったんですけど、NHKBS2だから字幕で残念。

 私はナマ野沢那智に会ったことがあるのを、一生、自慢し続けますよ。


 さて、もう一つ。

 アメリカの辣腕プロデューサー、ロジャー・コーマンが、若山先生の『子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる』『子連れ狼 三途の川の乳母車』を編集して一本にしてアメリカで上映し、多くの熱狂的ファンを生み出した『SHOGUN ASSASSIN』。

 これがDVD-BOXの特典映像で収録されていたのです。

 正直、本編を何度も観ている目からすると、はてさて・・・と思わざるを得ないんですが、それでも、このスプラッター・アクションと若山先生の目ヂカラに度肝を抜かれた人は多かったんでしょうな~。

 そしてまた、先日、結婚されたばかりの若山Jr.こと若山騎一郎さんが演じた『子連れ狼エクリプス』も、関係者のインタビューと共に収録されていて、本当に嬉しい。騎一郎さんは殺陣も上手いです。JAC出身だという話も聞きますが、時代劇アクション映画の面白いのを製作してもらいたいですね。何せ、若山先生DNAを持ってるんだから。

 特に、私が嬉しかったのは、齋藤武市監督が、「高橋英樹や萬屋さんもそこそこ上手かったけど、若山さんのチャンバラは凄かった。本当に斬れるって感じがしたね~」と、若山先生の殺陣の実力について非常に高く評価されていたところです。小池一夫先生も若山先生の殺陣を高く評価されていて、何か自分が誉められるより嬉しい。

 何せ、若山富三郎先生は私の心の師匠ですから! 子連れ狼と賞金稼ぎはバイブルですよ。

 でも、騎一郎さんの話でショックだったのは、若山先生は子連れ狼の話は一切、しなかったそうで、自身の中で封印してしまっていたらしく、ヨロキン主演でTVシリーズが作られたのが、それほどまでにショックだったんだな~・・・と、思いました。

 そりゃあ、日本刀持ち出して勝負したくもなるかも?

 だって、子連れ狼を映像化するのに真っ先に目をつけたのは若山先生なんですよ。劇画が連載されたてすぐに自分で小池先生のところに押しかけて主演作品の許可をくれと直談判したという話は有名です。

 そして、徹底的に役作りして臨んだ作品は大ヒットを飛ばし、シリーズ化。その人気を受けてTVシリーズ化の話が持ち上がった訳ですからね。

 そして、子連れ狼はヨロキンの代表作というイメージが世間に広まってしまったんですから、若山先生としては残念無念だったでしょう。

 ヨロキンは破れ傘刀舟とか宮本武蔵とか当たり役があるんだから、若山先生に譲ってやればよかったのにな~・・・。

 晩年は演技派俳優として認知された若山先生ですが、あの“日本最高の時代劇アクション俳優”を埋もれさせてしまった日本映画界の罪は重いですよ。



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鳩山総理退陣から菅総理誕生

 当然と言えば当然だと思うんですが、鳩山さんもついに辞職。

 もう、あそこまでダメダメっぷりを晒してしまったからには、辞める以外の道はないでしょう。

 結局、福島さんが意地を通して男を上げた?分、鳩山さんが男を下げてしまったことが致命傷になったと思います。

 でも、一点だけ評価できるのは、小沢さんの辞職も促したことですね。

 鳩山さんも、何か、楽しそう?でした。サムズアップしたりして、“してやったり”の顔でした。

 やっぱり、小沢さんの傀儡と見なされてきたことへの憤懣があったのかな~?と思われますし、恐らく、「小沢さんの言いなりになっていたら政治はできない」とか若手から突っ突かれていたんじゃないでしょうか。

 どうせ、辞めるなら劇的なシチュエイションを狙っていたのかな~? ギロチン帝王を捕まえて流星に特攻自爆してのけたジャイアントロボみたいに・・・。

 私は、阿部ちゃん主演で映画化(『奇談』)もされた諸星大二郎の漫画『生命の樹』のクライマックス、「みんな~、オラといっしょに“ぱらいそ”さ、いくだ~」って言ってるところを思い出しましたよ。

“闇将軍”と言われた小沢さんの苦虫を噛み潰したような顔を見ると、ちょっと溜飲が下がる気がしますけれど、これを機会に民主党が変わっていって欲しいです。

 民主党にとっては小沢さんの影響力を排除することが課題でしょう。何しろ、“民主”という考えにとって絶対君主的存在の小沢さんはいない方が良い。

 それがたとえ、政党としての力の無さを露呈することになっても・・・。


 どうしてか?というと、政党というのは主義主張のブレの無さが肝心要なのであって、福島さんが素人政治家と揶揄されながらも社民党の理念を優先したことは、決して間違いではなかった。

 鳩山政権の致命傷となったのは、理念が理念だけで終わって現実が伴わなかったことです。鳩山さんの決断力の無さもありますが、やはり、戦略の無さが大きな問題だったと思います。泥縄で日米安保について勉強してもどうしようもないでしょう。

 しかし、こういったことは、別に政党には限らないでしょう。

 小さなサークルでも基本的な会の理念に反する人間は、どんなにやり手でも、そこに居続けることはできません。でないと会が内部崩壊してしまうからです。

 うちの会でも辞めさせた人間の中には私以上に能力がある人間もいました。だから彼らに期待したという点もありますが、能力がある人間は、おうおうにして自分の能力を拡大解釈して万能感に酔ってしまう場合もあります。

 私がこの業界で長く続けてこれているのも、自分の能力の程度を冷静に弁えて、背伸びしないようにしているからです。簡単に言えば、能力というのは経験値によって自然に高まるのであり、経験不足の人間がいくら能力があっても、経験値の高い人間には敵わないという場合が世の中では多いのです。

「あんな馬鹿なヤツでもできるんだから・・・」と上司の無能をあざ笑っていたのに、いざ自分がやってみたら全然できない・・・こういう経験をしたことのある人もいるでしょう。

 だから、経験を重ねていくことで能力は飛躍的にアップしていくのですから、多少の頭の良さとか才能とかに頼っても、努力し続けない人間には限界がくるのです。

 芸能界を見れば一目瞭然。日本中をブームに巻き込んだトップ芸人が、一年後には影も形もなくなってしまっていることが当たり前になっているでしょう?

 そこそこの成績をずっと継続して出せる人間が、結果的に本物になれるんです。そして、それは日々の継続的努力でしか達成できません。

 恵まれた環境で育ち、能力値の高い人間は、努力しなくても周囲がお膳立てしてくれるから問題がない。だから、挫折に弱い。必死で頑張るということができない。

 私は、鳩山さんは長く続かないと思っていましたが、それは彼の苦労知らずな人生から耐久力がないだろうと思ったからでした。

 民主党が連立政権を立ち上げた時、最も懸念されたのは、権力と金の問題を抱えた小沢・鳩山がトップに立ったことでした。

 これは民意を無視したものであり、遠からず辞職せざるを得ないのは容易に想像できました。これは当時のブログにも書いていた通りです。

 だから、今、これから民主党が真価を問われることになっていけば良いし、さもなくば民主党さん、オサラバ・・・というのも致し方がないでしょうね。

 ここで、菅さんを党首にたてたのも意味深ですが、菅さんの頭の良さは「俺は小沢の傀儡ではない」という面をアピールした点でしょう。

 しかし、ニュースで気になるのは、菅さんが市民運動から政治家になったというクリーンなイメージの中で、「怜悧な人間」「頭が切れ過ぎる」「脇が甘い」といった評価でしょう。

 結局、市民運動をやっていた頃から、どこか権力志向の野心が覗いていたということでしょう。

 でも、それは政治家としてのマイナスではありません。政治家は単なる善人では勤まらない。大事のためには小事を犠牲にできる冷徹さも必要です。

 それができない鳩山さんは事態をより混乱させてしまった・・・。

 菅さんが小沢さんと“距離を取って見せた”のは、党内にも国民にもアピールできる点だし、敢えて小沢さんを悪役として表舞台から下げることで民主党の命脈を保ったのは、なかなかの手腕でしょう。

 演技力も三宅雪子よりずっと上。そういえば、感想を聞かれた三宅雪子が「もう、足は直ったんですか?」と聞かれて、一瞬、目が泳いでいたのが傑作でした・・・。


 もっとも、私は、国民からも人気のある前原さんをたてるかと思っていたんですが、前原さんは前原さんで、今の鳩山政権の問題をそのまま引きずったままの政権では自滅しかねないから“今回はパス”と判断したのかもしれませんね。

 民主党が中心で連立政権を取ったのは、明らかに小沢戦略のお陰だった訳ですが、政権としての命脈を保つのに闇将軍のイメージがつき過ぎた小沢さんが内閣にいては危険だという判断をした訳でしょう。

 鳩山さんが切っ掛けを作って無理心中したのか? あるいは、これもまた小沢さんの戦略の内か?となったら、何とも言えませんが、「どっちにしても、それだけの戦略が打てるのなら、もっと前からやれよ」と言いたくなるのは私だけでしょうか?

 菅さんが、最初からやっていればそれなりに続いたかもしれませんが、鳩山さんの後始末をやらされるのでは“イラ菅”の短気さが致命傷となって政権を投げ出す可能性もあるでしょう。どっちにしてもトラブルは起こるのが明白。

 その時によほど上手く立ち回らねば、もう民主党は浮かび上がれなくなるでしょうし、小沢さんの再登板も無くなるでしょう。

 可能性としては、そうなるような予感がします。

 小沢さんは、闇将軍として裏から仕切ってこそ実力を発揮するタイプで表舞台で明るくやっていけるタイプには見えませんし、健康問題もあるから、ここらで政界引退を考えるべきかもしれませんね。

 あっ、そういえば、仲曽根さんも92歳で御健在で、頭もしっかりされてる様子で、ちょっと驚きましたよ。

 政治家の世界は生涯現役なんですね~。


 まあ、早々に、亀井さんがツムジ曲げて辞任するという連立崩壊?を思わせる展開もありましたが、菅さんが“強さ”をアピールして国民の信頼を得ようとした点は正解でしょう。

 普通の家庭に育って、市民運動グループから政治家になっていったという自身の経験をアピールしたのも良かったと思います。

 今のこの経済不況で問題山積みの疲弊しきった日本に必要なのは、“強さ”であって、戦っていく気概がなければ日本はこのままダメになりますよ。

 後は、菅さんが言葉通りに強いリーダーシップを発揮できるかどうか。お手並み拝見というところでしょうか?


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福昌堂出身者のその後は?

 新聞の折り込みチラシに毎月“よみうりカルチャー八王子”が入っているんですが、そこのNEW講座で“蟷螂拳”があって、「あれっ、珍しいな~」と思って、よくよく見たら、何と! 私が福昌堂でライターの仕事ちょうだいしていた頃の同僚の野村暁彦さんが講師ではないですか?

 噂で、やはり元福昌堂の社員だったMさんと一緒に中国武術の道場をやっていると聞いていたので、「あ~、頑張ってるんだな~」と思いました。

 野村さんは若い頃から蟷螂拳を中心に修行していたそうで、『武術(うーしゅう)』の取材でも、もの凄い嬉しそうにいろんな老師の技を自分で受けていました。

 身体で受けて覚えようという考えだったのか、それとも単なるドMだったのか? それは定かではありませんが、彼は根っからの伝統武術好きで、仕事と趣味が完全に一致している様子でした。

 実際、蟷螂拳の動きを何度か見せてもらいましたが、上手いですよ。それに取材を通じて無数の武術を見て体験もしているから、知識は私以上にあると思います。

 そういう意味でも、いつまでもライターを続けるより指導者になっていった方が生活のためにもいいんじゃないかな~?と他人事ながら思っていたので、この場を借りてエールを贈っておきたいと思います。

 野村さん、ガンバ!


 しかし・・・彼のように自分自身に芸のある人ならいいでしょうが、そうじゃない人だといろんな武道家や武術家を取材して本つくりするしかない訳で、この出版不況の御時世で大変なんじゃないかな~?と思ったりしています。

 福昌堂出身の編集者には、BABジャパンの社長の東口さん、『秘伝』の副編集長の塩澤さん、フル・コムの山田さん、野澤さん、そして、小島さんもそうですね。

 また、JKファンにも関わっていて最近は自社を興されたと聞きますが、小池さん、それにフリーでやっている生島さん・・・(椎原さんもフリーなのかな~?)といった人が私が知っている方ですかね。

 ライターでは、私も含めて何人もいましたが、自由業だから他社の雑誌に書いてる人もいましたし、坂丘さんのように武道武術格闘技の漫画を描かれている方もいます。

 あっ、そういえば『東京ゾンビ』で有名な“あの漫画家”も福昌堂で仕事されていたんだよっ!

 これらの人達に共通するのは・・・(東口さんを除いて)「皆、武道・武術・格闘技が病的に大好き!」ということです。

 もう、取り憑かれているんじゃないか?ってぐらいですよ。

 まあ、私がその典型だろうから、「お前が言うな!」って言われてしまいそうですが、やっぱり、よっぽど好き者でないと福昌堂では続かないでしょうね・・・。

 あれで、それなりにお金貰えていたら誰も辞めないでパラダイスだっただろうな~?

「これじゃあ、食えない」と、完全に辞めていった人も少なからずいたんだろうとは思いますが、割りと業界には残ってる人が多いというのも、趣味というのは何物にも変え難いものなんでしょうね~?

 でも、霞食って生きてく訳にもいきませんから、この大不況の御時世、シノギはきついっすよね~。


 金を稼ぐのも護身術の内ですよ。


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護身術の考え方

 游心流で考える護身術というのは、「極力、戦わないで済ませる」ということが第一です。

 危ない場所には近づかない。危なそうな人には近づかない。危なそうな時間帯には出歩かない。

 こういうことが基本です。

 でも、注意していても、危ないことに遭遇する可能性は0ではない。

 その場合、避けようがない時に身を護るための技術を稽古するのが武術の稽古というものです。

 ですから、避けようがなくて救助も期待できない場合は、自分で何とかするしかない訳です。

 そういうシチュエイションを考えてみると、エレベーターの中、電車の中、バスの中などの密閉された空間が考えられます。

 こういう場合、狭くて逃げられない場所でも戦える技でなくては意味がありませんね。

 游心流の打撃技が寸勁を基本にしているのは、こういう場所で使うことのできる技だからです。

 そして、打撃のみでなく、崩し、逆関節技等を用いるのも、狭い場所で使うためです。

 ある程度の空間があれば歩法を駆使することも可能ですが、狭ければそれはできませんから、接触したまま制圧できる技でなくてはいけません。

 また、襲撃される危険性の高い時間帯や場所というのは暗がりの可能性も高いでしょうから、目で確認できなくとも戦える技術が必要です。よって、推手を重視するのです。

 それから、刃物や銃の扱いを覚えるのも、武装した敵に襲撃された時に相手の武器を奪ったとしても自分が使えなければ意味がないからです。

 現代で護身術を本気で考えるならば、自分の学んだ流儀の技しか知らなくては不充分でしょう。

 素手の技だけで現代戦闘に生き残ろうと考えるのは、あまりにも愚かです。

 第一、殺意を持った人間が第一にすることは、殺傷力のある武器(凶器)を入手することです。

 最低でも金属バットかナイフか包丁か鉄パイプくらいは持つと考えねばなりません。

 本職だったら、銃を入手するでしょう。

 そうした武器を持つ相手を素手の技でどうにかできると考えるのは、あまりにも呑気に過ぎます。

 けれども、同時に、「そんな武器を使えば罪は重くなる。殺してしまえば一生が台なしになる」ということも弁えておかねばなりません。

 相手がそういう武器を持ち出したからといって自分も使えば同罪です。

 だから、武器の代用になるもので咄嗟に防御できる技能が必要になります。

 基本的に、自分がナイフとかを携帯して「自己防衛用です」と言っても通りません。特種警棒やスタンガン、催涙スプレーなんかも下手に使えば凶器と見なされる可能性があります。

 ですから、私がお勧めできるのは、護身用なら“タクティカルペン”と“傘”、“中国扇子”ですね。

 60歳以上の人ならステッキを持ち歩くことをお勧めします。

 これらは杖術・半棒術・八寸拉ぎ術の応用で使えます。

 秋葉原の通り魔事件のようなダガーナイフくらいなら、頑丈なコウモリ傘かステッキを持った棒術の使い手なら充分に撃退できたでしょう。

 タクティカルペンや中国扇子は、体術ができないと使うのは難しいですが、傘だったら振り回したり突いたりすれば素人でもそこそこ実用できます。

 昔は対拳銃用に手裏剣が使えないか?と研究したこともありましたが、ほとんど無理だという結論に至りました。おもちゃのガスガンを使う方がまだ有効でしょう。


 けれども、これらの技を使わざるを得ない状況というのは生命の危険が迫った時であり、仮に敵を撃退したとしても自分も何らかの罪を背負わざるを得なくなります。

 基本的には、暴力に暴力で対抗するのは最終手段であって、しかも上策ではないということを肝に銘じておいて欲しいと思います。

 例えば、誰かから脅されたり具体的な被害を受けている(精神的なものも含めて)のなら、警察とか生活センターとかに相談し法律で対処することをまず考えるべきです。

 私も仕事柄、脅迫的なことや嫌がらせとかを受けることが多いので、法的対策は何度もたてていますが、具体的な被害を受けてからでないと法的処罰はできないので、なるべく相手を野放しにしておいて“被害”のデータを集めておくようにしています。

 大体、そういう真似をする人間は病的なので繰り返し繰り返し同じことをやりますから、データがたまるんですね。どんなに偽装しても、結局、判明しますからね。同じ人間の手口はパターンがありますし、いろんな相手にやらかしたりするからです。

「お天道様は見ている」というのは本当のことで、どれだけ策を弄していても、結局、悪行はバレるんですよ。そして、その報いは予想もしない形で還ってくるんですね。

 だから、護身術というのは、できるだけ相手も傷つけないのが最良なんです。

 昔、松田隆智先生から「長野君は化勁の達人だな~」と言われましたが、武術の極意は受け流すことなんです。

 一見、喧嘩ばっかりしているように見える私が、この業界で生き残ってこれたのも、このお陰なんですよ・・・。



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横浜同好会始動!

 6月4日は、游心流横浜同好会の初稽古の日でした。

 特に予約制にもしていなかったので申し込んでいた人もおらず、「まあ、初日は誰も来ないかもしれないから・・・」と、同好会の主催者と私と北島師範の三人だけになると思っていたんですが、予定時刻になると、ひょっこりと会員さんが三人現れ、都合、六人で稽古できました。

 稽古場所の男女共同参画センター横浜は、戸塚駅のホームから見えるくらい近いんですが、駅前の再開発整備が進んでいるのだそうで、ちょっと、初めて行くと解りづらいみたいです。

 私は主催者と駅で待ち合わせて行ったので問題ありませんでしたが、皆さん、「ちょっと迷って人に聞いたりしました」とか言っていました。

 しかし、場所は素晴らしいです。設備的にも綺麗だし、男女共同参画センターということなので、フェミニズム関係の本などを中心にした図書館もあったりして、昔、社会運動の団体に参加していた時のことも思い出したりしました。

 フィットネスルームだと、エアロビクスやヨーガ、気功太極拳やバレエ、ストレッチなどのプログラムもあるようです。

 この日は、多目的スタジオを借りて稽古したんですが、元々は音楽向けのスタジオらしくて、隣の調整室までが外から覗けるようになっていて、ちょっとミュージシャンのレコーディングやラジオの収録をやっているみたいに見えたりします。
外から見た多目的スタジオ

 まあ、公共施設ですから安く借りられるんですが、その分、武器とか振り回すのは宜しくないでしょうから、太極拳を中心に、基礎錬体と対錬、そして推手を練習しました。
対練指導   太極拳

 この同好会では、「太極拳で護身と健身を養う」というテーマでやっていってもらおうかな~と思っています。

 うちの場合は、型としては簡化24式健康太極拳を練習しますが、意拳・太気拳・八極拳・八卦掌・形意拳などの要素も入れているので、健康法としてよりも、“必殺太極拳”を求めています。

 つまり、太極拳の動作に秘められている武術としての実戦技法を抽出していこうとしている訳です。

 横浜は中華街がありますね。華僑の人も多いですよね。華僑の人には中国武術の隠れた遣い手(武林隠者?)が実際にいたりします。

 そういう土地柄でもあるから、やっぱり単なる健康法としての太極拳ではない武術性を追究してもらいたいですね。

 私は正当な修行をしていないものの、だからこそ逆に太極拳を虚心坦懐に技法分析して原理的な身体運用、技撃理論、心法作用を研究することができました。

 なので、純然たる“武術性”から判断した新しい応用変化技を創意工夫していくことができます。

 伝統的な武術の教授制度の中で学んだ人は、この独創の部分が禁じられているため、師匠に教わったこと以上に技を発展させていくことができません。

 なので、厳格に学べば学ぶほど、代が変わる度に技の数は減ってレベルも下がってしまう・・・という矛盾した現象が現れてきます。

 そして、問題なのは、「この技はこういう具合に遣うのが正しい」という一面的な観方しかできなくなってしまうのです。

 しかし、素人相手ならまだしも、今の情報が膨大に溢れている時勢で、そのような一面的な技の用法の正誤を論じているようでは話になりません。

 この日も、太極拳の用法の説明の中から、“空手の受け技の意味”について解説したり、「なぜ、差し手するのか?」という游心流の戦闘理論の根幹に関する説明をしたりもしました。

 こういった個別の技から技の原理や戦闘の理論を説明するというのは、一般向けの月例セミナーではあまりやらないので、参加された会員さんは驚かれていたようです。

 そういえば、セミナーを二、三回受けて入会された他流を10年くらいやっていた人が、個人指導でいろいろ教えていると、真顔になって、「長野先生は、セミナーの時に何でも説明してくれるので出し惜しみしない人だと思っていたんですが・・・本当に危険なことは隠して教えていなかったんですね・・・。この技を本気で遣ったら一瞬で殺してしまいますね・・・」と、身震いするようにされていました。

 先日、シダックスの講座を受講された伝統空手を長く修行されている方も同様の感想を言われていました。

 私が、ハッタリをかまして強がっているのだと思いたい人は、どうぞ自由にそう思ってください。私は疑ってかかる人に理解してもらいたいとはまったく思っていません。

 誤解のないように申しますが、武道、格闘技の技というのは、すべて無防備な素人に本気で遣えば殺傷してしまうものです。

 かなり前の話ですが、外国人の空手修行者が外を走っている途中、酔っ払ったカップルの女性がふざけて「助けて~」と言ったのに対して、相手の男にハイキックを入れて殺してしまった・・・という事件があったと記憶しています。

 心身が無防備な状態だと軽い打撃でも致命傷になりかねないのです。

 しかし、競技化、社会体育化されていく段階で、それらの中でも本当に危険な技というのは禁止されたり隠されたりしていきました。

 例えば、極真空手では顔面を素拳で攻撃することを禁止しています。「ナンデモアリ」が売りのアルティメット大会でも噛み付きなどは禁止されていたようです。

 私は、弱者が自分の心身を護るための合理的な技を研究しているうちに、いろんな流派の禁じ手や隠されていた秘伝の技を解明することに夢中になり、結果的に現代武道や格闘技では捨てられてしまっていた技ばかりを発掘して体系化していきました。

 私がかつて学んだ先生は、「空手は体育、中国拳法は殺し技」だと先生の師匠が言っていたという話をされていました。

 もう、技の目的が違うという認識だったのです。

 私も戦闘理論に着眼して研究しているうちに、「あ~、確かにそうだ。中国武術の技は試合向きではないけれどもルール無用のストリートファイトには極めて親和性があるよな~。だから、遣い方を隠して表演スポーツにして普及したんだな」と確信するようになりました。

 中でも、太極拳はそんな中国武術の到達した一つの極致だという気がします。

「あんな健康体操は使えないよ」と思う人は、単に使い方を知らないだけですよ。

 ただし、空手やボクシング、ムエタイなどに対抗するためには、そういった戦い方を無効化するための練習も必要だと思います。

 ユーチューブで目隠しして組手をやっているのも、別にハッタリでやっているのではないのです。

 あれは、護身術ということを考えた場合、暗がりで襲われる確率が高いのを想定しているから、練習体系の過程に組み入れている訳です。

 もちろん、いきなりやらせてできる道理もありません。

 推手と差し手を組み合わせて熟練してから、目を瞑った状態で練習していき、そこから更に離れたところから対応できるように練習していく訳です。

“読み”も、初心者には目付けが必要ですが、熟練していけば皮膚感覚の察知力へと発展していく必要があります。

 もっとも、最初から感覚主導でやると過剰反応し過ぎるようになって、社会生活に困る事態にもなりかねないのです。人によっては霊感体質が開花して発狂してしまったりもします。

 それに、感覚は個人差があり過ぎます。自分でコントロールできない能力は無い方がいいのです。

 まあ、初日ですから、試験的に軽く流すように練習しましたが、北島師範の太極拳が、何だか凄い闘気がゴゴォーッと放射されていて、「何か、会社で嫌なこととかあったの?」と聞いたら、そうではなく、倉本先生のDVD付き本を私が貸していたんですが、それを観てから凄く感銘を受けて、やる気が出ていたようでした。

 ちょっと、私が見てても怖かったですぅ~。


 そんなこんなで、横浜同好会は、武術としての太極拳の可能性を模索するサークル活動として続いていってもらいたいと思っていますので、近郊にお住まいの方は、どうぞ、おいでください。


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大野一雄さん永眠

 世界のダンスに衝撃を与えた日本の“舞踏”。土方巽とともに舞踏を創始した大野一雄さんが6月1日に呼吸不全で逝去されました。

 近年、再評価の高まっている土方巽の存在も、生涯現役であり続けようとした大野一雄さんの奮闘がなかったらどうだったでしょうか?

 舞踏と言えば、白塗りで、ゆっくりと意味不明に蠢く記号論化された魔術的な踊りのイメージがあり、山海塾、白虎社、大駱駝館などが知られ、現代舞踊の中でもコンテンポラリーダンスとの共通点が囁かれる前衛派の最右翼です。

 開祖というべき土方巽亡き後は、“世界の大野”が最前線で引っ張ってきました。

 それにしても、103歳の大往生。実に一つの世紀を生きて前衛芸術の第一線で生き続けたという業績は比類がないでしょう。

 私は、十数年前に大野さんを見ています。

 場所は、新体道の三十周年パーティーでした。青木宏之先生との長年のお付き合いがあって招かれたということでした。

 壇上で挨拶を始められた大野さんは、何故か、そのまま踊り始められました。

 そうです。芸術家に言葉は不要なのです。“想い”を伝えるのに必ずしも言葉である必要はないのです。

 その時、私は大野一雄さんの名前だけは聞いたことがありましたが、どういう人物なのか?ということはよくは知りませんでした。

 ただ、いろんな縁を感じてはいました。

 まず、私が中国拳法を学んだ先生が稽古場に借りている“アルトー館”の及川廣信先生(パフォーミングアーツ批評家)が、大野さんと付き合いがあり、大野さんの息子さんである慶人さんのバレエの先生だったこと。

 私がお世話になっているクエストから大野さんの映像作品(『御殿、空を飛ぶ』『ひとりごとのように』)が出ていること。

 ダンス白州でダンス批評を担当した時に、大野慶人さんの舞踏を観てお話したこと。

・・・等です。

 読売新聞の記事によれば、大野さんが国際的に認められたのは、1980年のフランス、ナンシー国際演劇祭で「ラ・アルヘンチーナ頌」を海外初演し、外見的な美に重きを置きがちな西洋のダンス界に衝撃を与えたのが切っ掛けだったそうです。

 当時、73歳。老醜を表に出して情念をにじませる踊りが海外のダンス関係者の度肝を抜いたようです。

 確かに、演劇ならまだしも、普通、ダンスという身体表現のみの芸術に於いて、年齢というのは大きな壁でしょう。

 能の世界にも老齢でかくしゃくと舞う人はいますが、能の場合は舞台装置や楽曲で魅せる総合芸術です。

 ダンスは、踊る人そのものの身体表現だけが勝負所です。

 恐らく、多くのダンサーが肉体の衰えと共に、「現役はもう無理だ」と、慚愧の念とともに舞台から離れて指導と演出に回っていくことでしょう。

 そこに、常識を無視した老齢での踊り「舞踏」を観せられた海外のダンス関係者は、固定観念を打ち砕かれたことでしょう。

 ただ、その舞踏の外側だけを真似る者が続出している・・・という批判意見も、よく耳にします。

 当然のことでしょう。内面からわき出てくる踊りの衝動だからこそ、“舞踏”なのであって、外見をそれらしく真似ることは空虚なだけなのですから・・・。


 大野一雄さんの御冥福をお祈り申し上げます。


追伸;『大野一雄 御殿、空を飛ぶ』は、1993年4月4日に横浜赤レンガ倉庫で公演された舞踏を収録したもので、『大野一雄 ひとりごとのように』は、大津幸四郎第一回監督作品のドキュメンタリー映画。どちらもクエストよりDVDが販売されています。


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『ハイキックガール』面白いじゃん

 いろいろと批判的な意見を耳にしていたのと、「本物の武道家でなければ本物のアクションはできない」という監督の発言に不安を煽られていた『ハイキックガール』を東映チャンネルで見ました。

 予告編が面白そうだったので、「むむっ、これは面白いかも?」と、ちょっと認識を変えて先入観抜きにして見ました。

 まず、一番心配だった演技力。

 いや~、達者なもんです。自主映画レベルじゃないか?と思っていたけど、なかなか思っていた以上に皆さん、上手いもんですよ。

 次に心配だったアクション。

 本物の武道家がアクションやってもアクションの面白さに繋がらないのは数多の例が先にあるので、実はこれが一番、心配だったんですね。

 特に、「マジで蹴ってマジで当てる」と宣言している時点で、大丈夫かな~?と思っていたんですが、アクションの構築の仕方は心得ているな~と思いました。

 それから、まあ、これは心配だったというより期待していなかったシナリオ。

 う~ん、これは思った通りでしたね~。なんか70年代の香港カンフーや日本カラテ映画を観ていると思えば、ベタ過ぎる内容でも問題ないっス。


 放送初日は、ピンチヒッターで東京支部の指導に赴いていた(内容は東京支部長のブログを参照ください)ので、終わってから直帰してギリギリで放送開始時間に間に合いました。

 この作品、正直言って細かい欠点は少なくありません。

「主人公が性格破綻してて感情移入しづらい(可愛げがない)」とか、「アクションシーンを繰り返し見せる(J・チェンの映画の真似し過ぎ)のがウザイ」とか・・・。

 でも、私は、この作品の監督がプロデュースした前作『黒帯』よりも面白かった。あの作品は生真面目過ぎてノレませんでした。アクションの見せ方もはっきり言って、下手でした。主人公とライバルの対決シーンがいきなりモノクロになるのも、あまり効果的な処理とは思えませんでした。

 何より、ストーリー自体に面白みが感じられなかったのです。

 確かに、この作品にもいろいろと改善すべき余地が多いとは思うんですが、本物の武道家でないとできないレベルの動きを見せてくれている点(連続ケンケン蹴りや、相手の蹴りをステップバックして躱してすぐに前に出て蹴りを入れる・・・などは相当な実力がないと無理)は、確かに監督のねらい目は間違っていなかったな~と思いました。

 こういうシーンには、「どうだ? これが伝統空手なんだ!」という監督の空手愛が結実しています。これまで伝統空手の技をこれだけ魅力的に表現した作品はなかったと思うんですよ。

 予想していたより、ハッタリの効いたアクションも交ぜていたので、アクションの見せ方にも工夫があります。本物に拘ると、大体、ラフな喧嘩アクションか地味過ぎる渋好みのアクションになり過ぎてカタルシスの欠けたものになりがちですが、そこは避けていました。

 監督自ら主人公に襲い掛かる変態染みた格闘家を演じていたところなどは、ちょっと微笑ましくて苦笑してしまいますが、「『黒帯』で格好良い役を演じた照れがあったのかな~?」という気もしました(まさか、女子高生に蹴られたい願望?)。

 主演の武田梨奈ちゃんは逸材です。鋭いヌンチャク捌きは『女必殺拳』シリーズの志穂美悦子を思い出します。まだ表情が堅いから演技の勉強を積んでいけば世界で活躍できるアクション女優に成長できるかもしれません。というか、そうしないともったいない。

 空手界のアイドル小林由佳との対決シーンは、ちょっと『スパルタンX』の時のベニー・ユキーデとジャッキー・チェンや、『ドラゴンへの道』のブルース・リーとチャック・ノリスの対決を彷彿とさせました(だから、勝った梨奈ちゃんが相手に敬意を払う演出もあった方が良かったと思うんですが)。

 かつての倉田先生主演『闘え!ドラゴン』風の女空手家ドラマをテレ東深夜にやってみたらいいんじゃないでしょうか? そして、劇場版で『チョコレートファイター』のジージャーとタイマン張る作品をやってもらいたいですね。

 私的には、作品中の空手の形演武や分解組手、壊し屋軍団との格闘戦で見せる中達也師範の見事な技に唸りました。これが見れただけで満足! 私だけかもしれんけど・・・。

 中師範が“読み”の重要性を語るところなんか痺れます。意外に深い武術としての空手とは何か?といったことを問題提起してくれているところもナイスです。

 でも、蟷螂拳などの中国武術修行歴があって、斬心塾で総合武術の研鑽も積んでいる須藤正博さんがあっさりやられてしまうのはもったいない・・・。

 蟷螂拳で空手の突きを封じて展拍の技で引っ繰り返す・・・と、何故か二人とも倒れるが、次の瞬間、中師範がムクッと起き上がる・・・そこでスローモーション映像で、倒れながら中師範が繰り出した廻し蹴りがコメカミにヒットしていた!なんてのがあると良かったのにね~。

 やっぱり、空手の描写には熱心でも、他の壊し屋軍団のメンバーの使う技の特徴とかの描写がないので、そこが一番、弱いところですかね~?

 女キックボクサーや棒術遣い、アクロバットマーシャルアーツの女、テコンドー遣いなんかはキャラもアクションも見ごたえがありましたが、何だか仮面ライダー劇場版の再生怪人軍団みたいな扱いで、本当にもったいないと思いました。

 一人ずつ立ち向かってくるところも説明不足で、見ていて「最初から全員でかかればいいじゃん」とか思ってしまいます。

 やっぱり、こういう場合はボスの命令に従う・・・というのが必要ですよ。あるいは、「私にやらせてください」と志願するとか。

 こういうところは思いっきりベタな方がいいと思いますね。

 先にいろんな道場に道場破りするシーンがいくつもあって、ボスみたいなヤツは「日本武道界を俺が実力で支配する。お前らのような軟弱な武道家は消えろ!」みたいなゴーマンかますシーンとかが欲しいですね。

 ほら、『少林寺木人拳』みたいな感じ・・・って、わかんないか?

 やっぱり、脚本が弱いかな~? 東映カラテ映画みたいなハッタリが必要ですよ。“アマゾネス7”とか、“高砂流吹き矢”とか、“琉球古武道二丁鎌”とか・・・。

 それに、せめてラスボスは石橋雅史先生にしないとね~。それで、中師範が立ち合おうとするところを武田梨奈ちゃんが、「先生、ここは私に任せてくださいっ」とか言って出てくると、石橋先生が本位田猪一郎(わかんな過ぎる?)の時みたいに二丁釵を取り出してイエエ~イッ!ってカチーンカチーンとやる訳ですよ~。

 そんでもって、中師範が「土屋っ。敵の得物に惑わされるんじゃない。武器は見るな!」とか言うと、「押忍!」って梨奈ちゃんが目を瞑って、“考えるなっ、感じるんだ”殺法で打ち破るんですよぉっ!

 なんか、アンジェラ・マオの『女活殺拳(原題・合気道=ハプキドー)』みたい?

 やっぱり、敵の軍団の設定とかが意味不明で今ひとつなんですね~。“壊し屋ナントカ”ってテロップが出るんですが、そこは、“ナニナニ流、ナントカ”って出さないとダメなんですよね~。

 こういう作品の好きな人間は、「空手がカポエラやカンフーやハプキドーやJKDやカラリパヤットやペンチャックシラットと闘うところが見てぇ~」と思ってる訳ですから、そこはきちんと描かないと・・・。

 それと、カット割りやカメラアングル、編集のやり方なんかは、もっとアクションに手慣れた人に任せた方がいいと思いましたね。そこが上手いだけでかなり違うと思います。


 まあ、いろいろと批判的なことも書きましたが、私は欠点も含めて、この作品は面白いと思います。潜在的なポテンシャルをもっともっと高めていけると思いました。

 西監督の「ここを見せたいんだ」というところを、より効果的に映像化してクリエイトできるようなチームつくりをされたら、それこそ世界が驚愕するようなアクション・マーシャルアーツ作品が生まれるでしょう。

 反省点を踏まえて、何倍もグレードアップしたパート2を製作してもらいたいですね。


追伸;私が解説文を担当した永岡書店から出ているDVD付き教本『実践合気道入門』(佐原文東著)『空手道実践トレーニング』(香川政夫著)が、判型を小さくして再販されています。それぞれ100円安くなって1400円となっていますので、まだ観ていない方も、是非、御購読ください。自分が関わったから言うのではなく、本当に武道技術書のエポックメイキングになっています。
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追伸2;游心流の稽古生募集のチラシ、できました。
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プロに作ってもらったら凄いカッチョイイのができて、我ながら照れ臭いです。イタズラ電話防止のためにメールでのみ申し込みは受け付けていますので、よろしく御理解お願いします。

追伸3;アスペクトの次回作は武術の健身法でやってみようと思っています。この夏は忙しくなりそうですが、今年中に最低あと一冊は本出しておきたいですからね。

追伸4;6月7日(月曜日)の東京支部稽古会も、私が代理で指導します。時間と場所はいつものところ。今回も太極拳の必殺用法とか教えますので、会員さんは是非どうぞ。ちなみに定員を気にしている人も多いと思いますが、毎回、赤字になりかかっているので気にしないでおいでください。場所代が高いので参加者が少ないと大赤字なんですよ。実は月例セミナーに参加するよりずっとお得です。ほぼ個人指導なので。また、横浜同好会も宜しくお願いします。


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友情は不滅

 シダックスの講座で元極真の会員さんが、「協会(日本空手協会)の人でメチャメチャ強い人がいて、先生の本をたまたま読んだら、亡くなった自分の先輩の名前が出ていて驚いたと言われていたんですよ」と話されていて、「えっ? 本当ですか? それは是非、連れてきてくださいよ」と言っていたら、講座の体験入門に来られて、そのまま受講されることになりました。

 極真を長くやって指導員までされていた人が「メチャメチャ強い」と言うんだから、それは非凡な人に違いありません。

 ところが、非常に謙虚な方で、私の“でっちあげた技の用法”(基本的にエラい先生に教わったのではなくて自分で工夫した)にも感嘆してくれるし、「50歳過ぎても深めていける空手を追及したいと思っている時に先生の本をたまたま読んで、そうしたら本の最後に自分の空手の先輩の名前が載っていたから驚いたんです。本当に先輩のお陰で縁ができて嬉しいです」と言われていました。

 この方の“先輩”というのは、小説家で沖縄空手の探究をされている今野敏先生に学ばれていた宮田重則さんで、当会にも相談役的な立場で関わってもらっていました。

 元々、当時、親しく付き合いがあった友人の主催する映画サークルで知り合ったのです。

 血液の癌で亡くなられましたが、本当に男気のある方で、亡くなられるまでの数年の付き合いの中で、本当に私が悩んでいる時は相談にのってくれたり、いろんな方を紹介してくれたり一方的にお世話になったばかりで、私は何一つ恩返しできませんでした。

 しばらく体調が悪くて道場にも来られなかった時に、「これは何か重大な病気なのかもしれないな~」と思っていたんですが、久しぶりに会った時にボソリと、「長野さん、実は俺は血液のガンなんだ」と打ち明けられました。

 こういう時に私が動揺した顔をしたら彼を余計に不安にさせてしまうだろうと思って、平静に話しましたが、「この人が俺に打ち明けるというのは、よっぽど俺を信頼してくれているんだな~」と、家に帰る電車の中で泣けてきて困ってしまった記憶があります。

 その時に今野先生の道場があるから紹介したいと連れていってもらったんですが、丁度、今野先生はお忙しくて御不在でした。

 けれども、「もしかして、その時にお会いしていたかもしれませんね~」と話すと、「多分、そうだと思います。宮田先輩の縁ですね」と、嬉しそうにされていました。

 宮田さんは空手家だから、豪快な逸話も多くて、松田優作と喧嘩になりかかって岸田森さんが助けてくれた逸話なんかは、「うわ~、それはうらやましい逸話だな~。あの松田優作と喧嘩しそうになったなんて・・・」と笑って話したりしていました。

 本当に男気があって周囲の人を楽しませようと気を配る人で、その反面、他人に同情されたり女々しいことを嫌う人でした。

 そんな宮田さんが「今、病院に入院しているんだけど寂しいから来てよ」と電話があった時は、「あの宮田さんが寂しいなんて言うのは、これはあぶないかもしれない」と思って、翌日、仕事をキャンセルして病院に行きました。

 それから都合、三回、お見舞いに行きましたが、亡くなられたのを知ったのは一カ月以上経過してからでした。

 御自宅に共通の友人だった漫画家の黒谷先生と一緒にうかがって、それが最後になりました。

 私は御葬式にも出ていないので、宮田さんが亡くなられたという実感が今でもありません。

 元々が友人としょっちゅう会って飲み歩くようなタイプでもないので、親しい友達とも半年も一年も会わないことがざらなのです。

 そういえば中国拳法を習った先生と電話でお話した時も、「たまには顔を見せなさい」と言われてしまいました。

 ここ最近は忙しいというのもありますが、基本的に独りでチマチマ作業しているのが性に合うので、「俺は職人さんタイプなのかな~?」とか思ったりしますが、こういう性格だから“武術研究家”というのも天職だったんでしょう。

 けれども、人間は死んでも遠くに離れていても、相手のことを想う限りは寂しいということはありませんね。むしろ、ベタベタされるのが嫌いなのです。


 ともあれ、宮田さんの縁でうちに来られた人もいれば、生前に紹介してもらっていた高瀬将嗣先生と今は親しくお付き合いいただいているというのも、不思議な感じがするのですが、宮田さんがそうやってくれているのかも知れないな~と思います。

 いつか、現世を離れた時に、「いや~、お陰で随分、楽しくやれましたよ」と御礼を言わなきゃいけないな~と思いました。


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鳩山さんには“シン”が無い

 福島さんの罷免、連立離脱劇を見ていると、政治家に必要なものが鳩山さんには根本的に欠けているな~と思える。

 それは、「“シン”がない」ということ。


 第一のシンは、“信”。

 鳩山さんは「私を信じてください」と言いながら、他者の信頼を裏切っている。これでは信頼を得られない。


 第二のシンは、“真”。

 鳩山さんは美しい言葉を並べたてて、批判されれば謙虚に謝罪の言葉を言う。けれども、言葉だけで何を言っても何も解決しないし、むしろ事態は最悪に近くなってしまう。言葉通りにできないし、できなくても責任を取らないのでは虚言を弄しているだけにしかならない。


 第三のシンは、“芯”。

 鳩山さんの最大の欠点は、話がコロコロ変わること。考えが柔軟なのではなくて、ブレているだけ。こんなにコロコロ方針が変わってしまうのでは、政策も糞もない。


 第四のシンは、“辛”。

 鳩山さんの言葉は甘い。考え方も甘い。政治家としての鍛錬がされていないとしか言えない。老母からの毎月1500万円の“お小遣い”?を知らなかったと言える点に苦労知らずのお坊っちゃま体質がうかがえる。


 第五のシンは、“深”。

 鳩山さんは全てにおいて“浅い”。普天間問題の解決どころか事態を悪化させて沖縄県民の期待を裏切った罪の深さを理解できないのは、認識の浅薄さにある。


 最後のシンは、“心”。

 これが最大の問題点。友愛を旗印に船出した人情家のイメージがあった鳩山さんは、実は人の気持ちを察することができなかった。


“宇宙人”とか“ルーピー”と揶揄されてもノホホンとしていられたのは、政治家としての鳩山さんの“したたかさ”ではなく、本当に形容される通りだったのだと思わざるを得ない。

 それに比べると、沖縄県民との“信”を優先し、社民党主としての“真”を貫いた福島さんは、身を以て鳩山さんの問題点を糾弾してのける“男気”を示したことで、社民党の存在感を印象付けた。

 もし、ここで罷免されながら連立政権に残っていたら、二律背反の謗りを受けて国民の信を失うことになっただろう。

 今回の騒動で、鳩山さんの国民の支持は20%を切ってしまった。

 この期に及んで、まだ「これでは選挙が戦えない」などと寝言をほざいているようでは、民主党に明日はない。

「政治家は信用するに値しない」という重大な不信感を国民に植え付けてしまった責任は非常に重い。そこを自覚することなく選挙戦略にうつつをぬかしているようでは、奈落の底まで堕ちないと目が覚めないのではないか?

 
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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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