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野沢那智さん御逝去

 昨年、一昨年の、つばさプロジェクト主催“アクション・パーティ・ナイト”での審査員をおおせつかった時に御一緒させていただいた、声優で俳優、また演出家でもあった野沢那智さんが30日の午後3時36分に亡くなられたことを新聞で知りました。肺ガンであったそうです。

 72歳。まだまだお若く、早過ぎる死が、一ファンとしてとても残念です。

 しかし、実を申しますと、私は昨年、お会いした時に予感がありました。一昨年にお会いした時から随分とやつれていらして、5~6歳は年とられたように見えたからです。

 私は武道医学を勉強したり気功も訓練したりしてきたので、こういう時は人より敏感に感じてしまうので、ちょっと辛く感じることもあります。正直申して、一年でここまでなったとすれば、あまり長くは保たないだろう・・・というのが偽らざるところでした。

 イベントの最後に壇上に上がられた時も、私は隣にいたのですが、会場から見えないところで苦しそうに俯いておられて、今にも倒れてしまうのではないか?と思えるくらいで、もしもの場合はすぐに私が支えようと思っていたくらいでした。

 ところが、そんな状態なのに、マイクを向けられると堂々と、ハラから声を出しておられて、私はプロの気力の凄まじさに内心で舌を巻く思いでした。

 野沢さんに学んだことのあるうちの会員のCさんは、野沢さんは凄く厳しい先生であったと言っていましたが、演技の技術指導に関しては厳しくとも、それ以外では生徒をとても大切にする心優しい人だったと言っていました。

 多分、秋本さんに対しても、自分の娘を見るような気持ちでいらしていたのではないでしょうか? イベントの最後に壇上で挨拶をして欲しいと頼まれた時に、断ろうとする付き添いの方を遮り、「うん、いいよ」と快諾されていた様子を、私は今でも鮮明に覚えています。

 そして、新聞を見て“肺ガン”だったと知って、何と凄い人なんだろう・・・と、ただただ、驚愕するばかりでした。

 ガンの中でも肺ガンは最も苦しく、進行も早いとされます。呼吸を司る臓器のガンなのですから、声を出すことに関しては最も苦心する筈です。

 声優の世界でも大御所として活躍されてこられた野沢さんは、それだけ肉体も酷使されていたのだと思います。

 最新作が作られた『コブラ』の声も、奇しくも前日夜に放送された『ダイハード4.0』のブルース・ウィリスの声も、野沢さんではありませんでした。これもまた、「あ~、野沢さんはやはり病気がお悪いんだろうな・・・」と思っていた矢先の訃報で、悲しいというか、野沢さんの声のコブラ、ブルース・ウィリスの活躍が見れなかったことが寂しく感じられました。

 大声優、野沢那智さんの御冥福を心より祈ります・・・。

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大刀剣市2010!

 今年も全国の刀剣商が一同に会する大刀剣市が開催され、私は青木宏之先生が誘ってくださって、渋谷の霜剣堂さんからカタログと入場券を贈っていただき、訪ねてきました。

 霜剣堂さんでは、現代刀の短刀と、かなり古い平造りの脇差を買ったことがありますが、随分、御無沙汰していました。

「その後、10本以上、刀集めちゃいました~」と言ったら、「うちで買ってくださいよ」と言われちゃいました~。そりゃ~、安っすいのしか買ってないからね~。

 それにしても、刀バカの私にとっては、大刀剣市って、目の毒過ぎます。

 もう、アレも欲しい、コレも欲しい・・・あ~、金さえあれば・・・。

 考えてみたら、私、独身で良かったよ。有り金ぜんぶ刀につぎ込むようなダンナに黙ってついてくる女はおらんですよ。

 貯金は溜まらんけど、日本刀は溜まってるよぉ~。ほぉ~ら、短刀・脇差・定寸刀・大太刀・薙刀・十文字鎌槍もあるでぇよぉ~。

 それだけじゃないっ。

 鎖鎌・長尾流懐剣・南蛮千鳥鉄(振り出し分銅鎖。分銅の形がモスマンみたいなの)・・・隠し武器もいろいろあるよぉ~ん。

 我ながらド阿呆ですな~。

 でもね~。日本刀って、一度、好きになると麻薬中毒みたいに次から次に欲しくなるんですよ。“キン消し”集めてた小学生と一緒なんですよ。

 しかし、金額はレベル違うからな~。本当に大企業の社長とか大俳優とか大作家とか、頭に大がつく人じゃないと自由には買えない。

 私みたいな貧乏人がポン刀15本も持ってるなんて、奇跡なんですよ。本の印税、つぎ込みまくったからな~。お陰で生活水準、さっぱり上がらないんだよぉ~。

 それにしても、やっぱ、私は長~い刀に惹かれますね~。三尺五寸以上の大太刀があって、その店は以前、三尺の大太刀があった店。刀剣市が終わった後、北島師範と二人でわざわざ阿佐ケ谷まで見に行ったからね~。

 あ~、日本刀って、ほんっとにいいもんですね~(ヨドガワかっ?)。

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ロボット兵器と貧者の兵器

 NHKのドキュメンタリー番組は、やっぱり一味違うな~・・・と、いつも思うんですが、ヤノマミ族のドキュメンタリーに続いて、田中泯さんのナレーションによるアフガンのタリバンによる自爆テロと、アメリカのロボット兵器による爆撃の対比が語られ、何ともやるせない気持ちになりました。

 ドキュメンタリー映像の凄みは、創作ではない事実を切り取って突き付けるノンフィクションの凄みです。

 これは、「事実は小説より奇なり」の言葉の通り、リアルであるからこそ胸に迫るものがあります。

 私は、ドキュメンタリー作品そのものを作りたいとはあんまり思わないんですが、武術関係の映像の企画製作にかかわってきたせいか、創作では考えられない生の人間の持つ力に圧倒される想いを持つこともあります。

 今年は、伝説の武道家、青木宏之先生が剣武天真流を立ち上げる過程で製作されたクエストのDVDに協力していたために、一つの流儀が形を成す過程をドキュメンタリーとして観詰める・・・という貴重な体験もしました。

 撮影中、青木先生が語った“武道のあるべき姿”は、闘争を制する、敵の心を包み込んで争う気持ちを消し去ろうとする日本武道の目指す境地を提言するものであり、宗教家で芸術家でもある青木先生ならではの願いの籠もった言葉でした。

 実は、私は、今年、原点に戻って武術を深めていこうと思って、割りと意識的に交際を制限しています。

 自分が追究している武術が、従来の単なる格闘の技術ではないんだというレベルに引き上げたいと思ったからです。

 これは、芸術や芸能、その他の世界の一流の人達と接する機会が増えてきて、「あ~、俺はこんなレベルでこの人達と付き合うのはおこがましいことだ」と思う気持ちが強くなってきたことと、かといって武術を捨てるような欺瞞的な真似はやりたくなかったので、逆に徹底的に殺法を追究し尽くしてしまおうと考えたのです。

 多分、私の月例セミナーに来ている人の中には気づいた人もいるのではないか?と思うのですが、以前だったら隠して教えなかったような、身も蓋もない“殺人術”を平気で教えたりしていることに違和感を感じられたかもしれません。

 しかし、臭いものに蓋をして偽善のオブラートでくるんだ武術を論じたままでは先に進めない。私は先に進むために、徹底的に殺法を研究し尽くして、武術の原点を理解した上で、21世紀に適合する最先端の武術を新たに構築しようと考えているのです。

 なので、ここ最近、最新の特殊部隊の武器や戦術なんかも調べたりしていたのです。

 その過程で、私が知っていた1980年代の武器や戦術は既に時代遅れになっている事実を知りました。

 例えば、第二次大戦の時には時代遅れになっていた対戦車ライフルが、対物(アンチマテリアル)ライフルとなって部隊に必須の装備として蘇っていた・・・なんてことも知りました。

 初期の頃は、50BMG弾を使うバーレット・ライフルくらいしかなかった対物ライフル(超長距離狙撃銃)も、今では南アフリカのツルベロ、フランスのPGM、アメリカのシェイタック、ウインドランナー、中国のノリンコJS等々、各国各社でしのぎを削って高性能のものが作られています。

 何故なら、これらのライフルは、通常500m~700mくらいの実用有効射程の従来のスナイパーライフルと比べて、遥かに大きな弾薬(50BMG、338ラプアマグナム、408シェイタック、20mm弾など)を使用するため、1km~2kmもの超長距離狙撃が可能となり、AKライフルの弾が届く(200~300mくらい)遥か遠くから狙い撃つことができるからです。

 この対物ライフルの隆盛が暗示するように、現代の戦争では、歩兵が銃で撃ち合う戦闘ではなく、高性能の武器で遠くから一方的に殲滅する戦闘法が当たり前になってきています。

 その実情を描いたのが、今回のNHKのドキュメンタリー『ロボット兵器と貧者の兵器』でした・・・。


 私は、「日本はロボット軍団を開発装備して諸外国に睨みを効かせばいいのでは?」と提言してきましたが、これは半分は冗談、つまり、ハッタリを効かせればいいという戦略的な意味でのものでした。

 まさか、本当にロボット兵器を使うようになっているとは思っていませんでした。

 ところが、アメリカは、既に本気で取り組んで、実戦配備していたんですね。

 無人爆撃機プレデターの威力と、TVゲームみたいな感覚でそれを操る訓練をしているアメリカの若い訓練生たちのゾッとするような人間性の薄さ・・・。

 敵は殺す・敵は人間じゃない・平和を脅かす者は殺すしかない・・・こういった論理の正当性を“現実”だとするなら、人間の存在理由は一体、何なのか?

 対するアフガンの自爆兵器と化す人々もまた、麻薬を使って洗脳され酩酊状態のまま人間爆弾となる・・・。

 私の両親は戦前の教育を受けて戦争を体験していますから、戦争中の悲惨な話を随分聞かされましたが、中でも、教育の内容が戦前は“鬼畜米英”といっていたのが、戦争後はコロリと変わってしまったことに衝撃を受けたという話をよくしていました。

 親父が話していたと記憶していますが、校長にまでなった先輩教師の話で、「戦前とまったく違う教育方針を押し付けられた時に、それまで御国のために戦って死ぬのが正しいのだと教えて戦地に送り出してきた生徒たちに申し訳無い」と終戦後に自殺した人がいたということでした。

 そんな戦争の悲惨さを聞いて育った上に、具体的に戦争の怖さを実感する機会もありました。

 それは、“原爆”です。

 天草は長崎に近いために、長崎で原爆の被害を受けた人も少なくありませんでした。隣の家の小母さんも、子供の頃は普通に優しい人でしたが、私が高校生になったくらいに精神疾患になられていて、その理由が「若い頃に原爆の被害を受けたからそのせいだろう」ということでしたが、長い時間をかけて心身を蝕んでいく原爆の恐ろしさを実感させられたものでした。

 だから、私は、戦争だけは断じて嫌なのです。何が嫌か? 自分の意志を剥奪されて殺し合いをしなきゃいけない。

 私は見かけと違って実際はかなり喧嘩好きですし、格闘技の試合など見ていると興奮して身体が動いてしまうような本能的な戦闘好きなタイプです。

「そんなに日本刀を集めていたら、人を斬ってみたいとか思いませんか?」と聞かれたりしますが、正直に申します。なります! 私はそんな変態です。

 何の恨みもない人を殺したいとは思いませんが、人を殺そうと思ったことも二回はあります。まっ、実行しなかったから、こうして生活できている訳ですが。

 けれども、いくら喧嘩好きであったり戦闘マニアであったりしても、直接の恨みも憎しみもない相手をいきなり殺せるでしょうか? ましてや、「あいつは敵だ。殺せ」と命令されて殺すなんて、とてもできないし、嫌です。

 仮に「あいつを殺さないとお前を殺すぞ」と脅されたとしても、私は嫌なことは絶対にやりたくありません。むしろ、そんな命令をするヤツを殺すかもしれません。

 つまり、私は他人に命令されるのが我慢ならないのです。暴力をちらつかせた権力に従わされるのが嫌なのです。

 戦争はその典型でしょう。だから、絶対に嫌なのです。


 だから、この番組は、やるせなくて、悲しくて、空しくて、でも、どうする力もないし、ただ、「人間はどうしてこんな馬鹿な戦いを繰り返すんだろう」と思うばかりで、二の句が告げなくなってしまいました。

 アフガンと言えば、私が親しくさせていただいている日子流の田中光四郎先生は、ムジャヒディンとして旧ソ連と戦っていました。

 しかし、その当時の戦闘状況とは大きく様変わりしているようです。


 ロボット兵器を導入するアメリカの論理は、「アメリカの兵士に犠牲を出さない人道上の配慮」だというでしょう。

 が、爆撃で殺される人達の人道上の配慮はそこにはまったくありません。爆撃の被害を受けているのはタリバンより一般のアフガンの民の方がずっと多いと聞きます。

 つまり、アメリカの正義は敵と見做す者の何倍も何十倍も多くの犠牲を出す単なる大虐殺でしかない。

 私は、ルパン三世第二シリーズの最終話『さらば愛しきルパンよ』でのロボット兵器ラムダを思い出してしまいました。SFアニメの話が30年後には現実になってしまったということです。

 対して、アフガンは貧しい国であり、麻薬の生産が現金収入となることから、構造的に紛争地域から脱却することができないでいる。

 この国の背景に某かの大国の思惑がからんでいないとは思えないのですが・・・。


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日曜日の稽古で・・・

 三週間ぶりに日曜日の公園の稽古をしました。

 それにしても、秋ももう終わりそうな感じで肌寒くなってきて、また寒い冬の空の下で練習するのか~?と思うと、ちょっとゲンナリしてきます。

 けれども、先週のDVD撮影の時に、長年、フルコンタクト空手を修行してきて動きの癖が取れなかったKさんが、ガラリと変わっていたことが一回だけだったのか?と思うこともなく、やはり、開眼したような流れる動きで推手をこなしていて、何か感動してしまいました。

 結局、長年やっている動きはリズムとなって身体に刻まれてしまうので、それを矯正するのは難しいのですよ。

 2、3年しかやっていないならまだしも、20年以上続けてきていれば、リズムが細胞に染みた状態になっていて、意識的に何とかするのは難しいようです。

 むしろ、何もやっていない人の方が最初にインプットされた動きを覚えるから早いんですね。

 あるいは、リズムが共通した動きだったら、そんなに苦労しない場合もあります。

 大学で合気道をやっていて中国武術の基礎もある新会員の人は、もう、何年もやっている人と同等にやれるようになっています。あまりの短期向上っぷりに、皆、ビビッたりしていましたが・・・。

 さて、そんな中で、今回は心法技術の中でも特に、“腕をセンサーに使って相手に触れた状態で相手が攻撃しようとするのを読んで制する”というのをやらせました。

 これは、先日、北島師範にやらせてみたら全然できずに私のパンチがスルスル入ってしまって、“あ~、まだ、できなかったか?”と思って、細かく秘訣を教えたので、他の会員にも教えてみた訳です。

 大石教練は、新体道や柔法などの経験があるので感覚技法はお手の物なので、すぐ要領を飲み込みましたが、矢嶋師範代はこの手の感覚技法が最も苦手なので、途方に暮れた顔で、「先生、難し過ぎますよ~」とベソ顔になっていました。

 ま~ね~・・・、難しいのは解ってるんだけど、誰でもできるような技じゃ~、すぐに通じなくなるからね~。人ができない技だから実用価値がある訳で・・・。

 しかし、こういうのって感覚だから、理屈でどうこう言っても教えようがないんですが、そこは何とかしなくては・・・と思って、腕を完全に脱力させること・自分から動こうとしないこと・相手の腕を触ったまま骨格をイメージして相手の背骨から骨盤にかけて繋がっているイメージを持つ・・・などの要領をその場で考えて解説しました。

 彼の場合、攻撃されると、その攻撃部分に意識が奪われて、ついつい力んで受けたり払ったりしてしまうんですね。無駄に動いてしまう訳ですが、それは相手の“攻撃”が出てから反応しているから、そうなってしまう訳です。

 攻撃してくる手足ではなくて、体幹部を捕らえなければいけない訳です。手足を通して・・・ですね。

 ただ受けたり、払ったりする動作は、武術からすると全く無駄な動きです。受けたり払ったりするヒマがあったら打て!というのが武術です。

 そうではなくて、受けたり払ったりする動作が、そのまま崩しになって、相手の攻撃を分断してしまわなければいけない。

 相手が二撃目を出せるということは、もう、「失敗した」ということなのです。

 あくまでも一撃目に合わせる。一撃目を出させて合わせる。一撃目が出る前に合わせる・・・というのが、先を取る攻防理論であって、これを理解できない者は武術のブの字も解っていません。

 この戦闘理論を成立させるために技がある訳で、技が独立してある訳ではありませんし、武術の技を武道や格闘技に安易に組み込んでも何の意味もありません。「試合で使えない」と悩むのは、技を万能視して戦闘理論を解していない。重要なのは戦闘理論なのです。

 武術の様々な稽古法は、戦闘理論を理解していなければ生かせません。

 戦術の無い特殊部隊が最新兵器を配備されたからって、作戦成功できるでしょうか?

 相手の攻撃を待って対応していたら間に合わなくなります。

 矢嶋師範代はその辺りの理解がまだまだ足りないな~と思ったので、大石教練と対練をやらせましたが、いつまで経っても、“出てくる技”に対処しようとしてしまうので、大石教練が次から次に攻めて矢嶋師範代はお手上げになっている様子でした。

 そこで、私が大石教練とやってみせると、彼が攻めようとすると私が軽く抑えてしまうので攻め手が出せなくなって、何もできなくなっておとなしくなってしまいます。

 どこが違うのか? 矢嶋師範代は腕前の差だと考えてしまうのですが、そうじゃないのです。

 大石教練が遠慮しているのでもない。実際に出せなくなるのは、動こうとする“う”のところで抑えるから出せないだけ。一撃目が出せなければ二撃目以降は全部出せなくなるのです。

 彼は攻撃力もスピードも私より上かも知れませんから、まともに殴り合ったら私より強いかも知れません。長年、空手をやっている会員が久しぶりに来た時に、大石教練に弄ばれてしまって「メチャクチャ強ぇ~」と呆れていましたもんね。

 沖縄空手の達人と言われて有名な某先生と勝負しても勝っちゃうと思うんですよ。こういうタイプとは、あの先生は相性が悪いでしょう(敢えて遠慮して名前は伏せました)。

 人間、差があり過ぎると、悔しいというより笑っちゃうしかなくなるもんです。

 でも、矢嶋師範代も、本人が思うほど私や大石教練と実力差があるのではなくて、“無駄に動いているだけ”で、技が出てから対処しようとするのと、技が出る前の筋肉の緊張を読んで制するのとの違いでしかないのです。

 それが先を取るということの実際です。

 だから、先を取れるようになると、強い弱いは関係ありません。相手がどんな戦闘力の持ち主であっても、熟睡してるところをバットで殴りつければ小学生にも殺せますね。

 武術の戦闘理論は、極論すればそういうものなのです。だから、強い弱いという論理で考えても意味がありません。

 強い弱いで語りたがる人間の心には、「強い=優れている・弱い=劣っている」という優劣の論理があります。

 要するに、他者に対して優越意識を持ちたい幼稚な人間なのであり、心の中に劣等感を抱えて生きているから、そうなっているだけです。

 もちろん、“腕っ節の弱さ”を「人間は弱い生き物なんだから社会制度的に平等にしなければいけない」という論理で転倒させて語る連中もいますが・・・。

 所詮、強い弱いは相対論でしかありません。

 むしろ、武術の発想は、「自分より実力が上の相手をいかにして倒すか?」というものであって、技量ではなくて戦術が先に来るのです。戦術がない技の威力やスピードを高めても意味がないのです。

 私だって、ボクシングだのムエタイだのサンボだのいろんな格闘技を知らない訳ではありません。パンチが凄い・キックが凄い・関節技が凄い・・・が、それらは技の凄さであって、戦闘理論は極めて単純です。

 スポーツとして素晴らしい。それはそれでいい。

 でも、戦闘はスポーツですか? 殺し合いをスポーツにしてもいいのですか?

 武術をスポーツの観点で語ろうとする人達は根本から大きな錯覚をしていますよ。身体の動きしか考えてない。阿呆か?と思います。

「武術は身体操作の宝庫である」という論理を、どのツラさげて平然と語るのか? 勘違いするにも程があります。

「お前らは前頭葉が腐ってんのか?」と聞きたくなります。

 私は、最近の武術を語る人達の、あまりの安直さに唖然とするばかりです。格闘の強さを求めるなら、武術はやるべきではないと思いますね。全然違うものだし、そんな綺麗なものでも健全なものでもないでしょう。

 だって、殺人の技術なんだから・・・。殺せない技は武術じゃないんですよ。

「だったら、人を殺せることにそんな意義があるのか? 殺したら偉いのか?」って文句を言う人もいるでしょうが、「お前は戦いというものを何だと思ってるのか?」と私は聞きたくなります。

 動物が戦うのは生きるか死ぬかの時だけですよ。殺して食うか、食われないために必死で抵抗する・・・それが“戦い”でしょ?

“戦い”を楽しもうとするのは人間だけでしょ?

 私は格闘技が真剣勝負を提唱するのは形容矛盾だと思いますよ。本当に真剣に勝負するのならどっちか死ぬまでやらなきゃ嘘じゃん?

 殺すか殺されるか?というギリギリの状況で戦うために武術は工夫され発展してきたものです。見世物でもなければ娯楽でもありません。だから、スポーツとは別物ですよと言ってるだけ。

 人間の闘争本能のドロドロした部分を知った上で、それをコントロールする心法こそが武術の核心です。人間の業を見つめる覚悟のない者に武術修行は何の恩恵も与えてはくれないでしょう。

“相手の攻撃が出る前に制圧する”ということは、「暴力をふるう意志のある者に暴力をふるわせない」ということです。

 先を取るという行為の中に、“活人剣”の具体性があるのです。

 いつでも殺せるけれども殺さない。それが殺法を超えて活法にいたる武術が用意してくれた道。“不殺活人”の論理は、武術の戦闘理論から導き出される必然なのです。

 そういう必然の論理であるから、頭の中でひねくり出した思想とは違います。

 現実にできるかどうかが問題です。

 あっ、そういえば・・・20年くらい昔、甲野センセイが「できねば無意味」というキャッチフレーズ使ってたな~? 今となっては、物凄いトホホなフレーズになっちゃったけど・・・(お前が言うか?)。

 稽古後に、困惑しまくった顔で矢嶋師範代が、「どんな練習をしたら体得できるでしょうか?」と聞いてきたのですが、「俺は全然、練習したことないよ」と答えるしかありません。

 これは、筋肉をトレーニングするのとは全然違うことなのです。練習法なんか無い。

 ただ、神経を鋭敏に意識的に感覚を磨く、それしかありません。そのために筋肉に力を込めないでリラックスする必要があるのです。

 皮膚感覚を鋭敏にして接触している箇所の微細な圧力の変化を察知する。察知すると同時に柔らかくフワッと包み込むように抑える。まあ、そんなところですかね。要領は。

 結局、脱力技法というと、“重心移動で力を出すため”という一面的な考え方をしていたらいけない訳で、センサー感覚を働かせる聴勁とか、加えられた力を分散させたりする化勁も含んでいるんですね。

 単なる技術の一つとしてではなくて、もっと戦術的に特化した“技法”として多面的な応用性を持っている訳です。

 そういえば、いつも稽古している時にやってきて見学している人がいるんですが、今回は私が構えを崩して肘打ちを出す技を見せたら、「あっ、あれはいいな~」とか言っていたみたいですが、その後、「技なんか覚えても意味がない。感覚を養成して咄嗟にアドリブで技を出せないとダメだ・・・」みたいなことを解説していたら、理解できなかったみたいで、去っていきました。

 やっぱり、個々の技にしか興味がないんでしょうね。イチゲンさんは、みんな、そうだからね。「この技は使える」とか「使えない」とか、自分勝手に解釈しているうちは、どれだけ道場回っても上達はできませんよ。

 でも、やっぱり、そういうレベルの人しかいないですね。普通・・・。
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新作DVD撮影完了!

游心流の教材DVDに補足的なDVDをシリーズで刊行していこう」という話は以前からしていたんですが、その新シリーズとして、「最近、太極拳の効用を前面に押し出しているので、太極拳をベースにして発勁と化勁の用法を理解できるものを作ろう」ということで計画し、撮影日と場所も決めた訳ですが・・・。

 何と、当日の朝に北島師範が風邪でダウン。大石教練も風邪で体調を崩し、実は私も風邪が完治せずに、おまけに風邪の症状と思しき関節痛のためか持病の腰痛が出てきてギックリ腰寸前秒読み開始!・・・みたいな~。

 実は私、最近、著しく太極拳の内功が上がってきている北島師範に一通りやらせて、自分は応用技法とかだけ演じるつもりでいたもんですから、正直いうと困惑しまくりましたよ。

 太極拳となると、矢嶋師範代は、まだまだ模範で演武できる水準ではありません。彼は型の演武が特に弱点なんですね。

 となると、私がやるしかないんですが・・・私も、もう身体が勝手に動いてしまうようになってるもんだから、これまた模範でキッカリした演武をやるのは問題アリなんですよね。ギックリ腰も起こりそうだし・・・。

 でも、今更、変更はできません。場所代もかかってるし、仕事で忙しい友人に都合つけて撮影してもらうので、おいそれと変更できない。

 ガンバレ、俺。

 要するに、ピンチはチャンスに変えればいいんです。北島師範も大石教練も参加できないのなら、太極拳のDVDじゃなくて、練習風景の中で発勁と化勁を教える内容にすれば、私が一人で延々と実演解説する必要もないし、考えてみれば、会員に教えている様子の方が、鑑賞する側にとってもリアルだし、理解しやすい筈だと思います。

 それに、こういう展開ならば、武神館のシリーズみたいに毎回のテーマを決めておけばいくらでもDVDが作れてネタ切れになる心配がない。将来的なインターネット使った動画通信講座の教材にも使えるんじゃないの?

・・・と、行きの電車中で沈思黙考。撮影内容を発展的に変えることに決めて、会場に向かいました。

 方針が決まれば慣れたもんです。やっぱり、慣れてることは早いです。

 普通に練習しながら、「さ~、ここから撮影しますよ~」と、発勁の打ち方の練習をさせたり、その用法を教えたり、化勁の仕組みと、U先生のパフォーマンスのタネ明かしをやったり(口で批判するよりやって見せるのが早い)もしました。

 まだ、撮影した映像は見てませんが、自分でいうのも何ですが、結構、凄いと思いますよ。撮影してくれた友達も、見慣れてる筈なのに、「長野さん、やっぱ、うまいな~」と言ってくれたので、「俺ってば、どうしてこんな簡単に秘伝の仕組みを教えられちゃうんだろ? 普通は気の力とかトンチンカンな説明しかできない人ばっかりなのに」と、自分で自分に感心しちゃいましたよ。

 形意拳の崩拳、八極拳の頂肘・打開、八卦掌の螺旋掌・単換掌・大鵬展翅、新体道の大平原・下段払い、鞭手応用法・・・なんかの用法も実演解説しちゃいましたよ。

 当然、これらもすべて自分で技の仕組みも用法も考えて実験してきたものであり、特に誰かに習ったという訳じゃありません。俺ジナル?のテクニックだから、教えるのに何の制約も受けるイワレはありません。

 あと、太極拳家がよくやる片足立ちで片手や胸を押されても崩れないパフォーマンス。

 これなんて、「30年修行しないとできない技」だと聞いたことあったんですけど、試してみたらできちゃって、「おおっ、俺ってば凄いじゃん?」と思って実演して見せたりしているうちに、「むむっ? もしかして、これって誰でも教えたら、すぐ、できるんじゃないの?」と思って指導してみたら、やっぱり、簡単にできちゃう・・・。

“素人でもその場ですぐ体得できる”と確信しまして、今回、その要領を解説指導しましたが、「うちの秘伝をバラしやがってぇ~」って、泣いちゃう人がいるだろうな~。

 つーか・・・この情報時代に“秘伝”に頼って自己を権威付けしてる連中が頭が悪いだけなんですよ。世の中、変わっていくのに“武術の伝統”にしがみついて後生大事に秘伝伝授にこだわってたら、時代に取り残されるだけです。

 どうでもいいようなパフォーマンスのネタはばらして、武術として本当に大切なことは何か?という視点を追究するのが正しい取り組み方だと思いますよ。

 でないと本当の価値じゃないところばかり求めてしまうでしょ? 合気揚げがかかったのかからないのと一喜一憂しているようなボンクラを量産してるんじゃ~、パナウェーブ研究所かロマゾフィー協会と変わんねえっつうもんですよ。

“哀気の達人”に教わって洗脳されたい? 武術は糞マニアのお遊戯じゃねえんだっ!

 本当に、武術業界は甲野さんに毒され過ぎましたよ。武術として何の役にも立たない素人をビックリさせるために工夫された見せかけのC調手品風“武術みたいなもの?”を次から次に考えついて発表するノータリンっぷりを、何故、誰も批判しないのか?

 揚げ句の果てに、そのノータリンっぷりを猿真似しだしたりする日にゃ~、見ているこっちが恥ずかしい。「オメーら、何が目的で修行してきたんだよ?」って言いたい。

 そんな達人の秘技?のネタをばらして、無知な愛好家の目を覚ましてあげるのも研究家の義務ですよ。


 さて、当日、新規入会された熟年世代のNさん。

 セミナーに熱心に通われていて、この日、満を持して入会されたんですが、教えるそばからドンドン体得してしまって、ビックリしました。

 熱意があれば年齢だの何だの一切、関係ない。人間は、いつどこから志しを立てても、息が続く限り、向上していけるものなんだと思いましたね。


 今回のDVDは、結果的に、以前、出していた発勁のビデオやDVDと比べると、実際に戦うために使える戦術的な発勁の用法解説をしたものとなったと思います。

「発勁をどう使うのか?」という内容のDVDは、これまで一度も出ていないんじゃないかと思います。

 無論、「相手が攻撃しようとする先を読んで制圧する」というのが絶対条件ではありますが、そのための練習の取っ掛かりとして、かつてなかったエポックメイキングな映像作品になったと自負しています。

 そういう意味で、まったくの素人の人ではなくて、各種の武道の黒帯クラスの人に喜んでもらえるんじゃないかな~?と思います。以前、教えていた会員さんにも見てもらいたいですね。以前は、こんなことは教えられなかったから・・・。

 ともかく、期待していただいてもいいんじゃないかと思っていますので、宜しくお願いします。買ってね~。


 さて、撮影終了後、参加した皆さんから、「来年のセミナーはやるんですか?」と聞かれまして、まだ、迷っているとお返事したんですが、「是非、続けてやって欲しい」と嬉しい要望がありまして、よし、それなら、来年も続けるか~と、俄然、やる気になりましたよ。

 ほびっと村で月イチの講座を続けていた頃から考えても、私の場合、月イチくらいのペースで公開の講座、講習会で最新の研究発表をしていく・・・というのが大きな原動力になってきているんだと思います。

 つまり、参加してくれる人達の期待感のエネルギーが私の力になってきたんだと思いますね。

 三年前には解散しようか?とすら考えた游心流ですが、「続けて教えてください」と私を信じてついてきてくれた会員さんも、一人増え、二人増え・・・と、それなりの人数になってきて、セミナーも再開してから、また新たな人と出会ってきました。

 人間というのは誰にも期待されていないと空しくてやりきれなくなってしまう。

 私は臍曲がりだから、別に誰にも期待されていなくたって、「いつか見返してやるぜ」ってマイナスの想念でもプラスにできますけど、たいていの人はそんなことはできない。

 落ち込んで鬱々となってしまうだけでしょう。

 以前は、そんなヤツは心が弱過ぎるだけだと見下していましたが、残念ながら、今の日本の多くの人は、そこまで心が脆弱になってしまっているんだと思うようになりました。

 弱い心を鍛えるのに武道や格闘技は役立ちます。闘争本能を刺激するからです。その意味で、だれもが学ぶ価値はあるでしょう。

 そして、本当に上達したかったら、どんな流派を選んでもいいんです。自分が必死になって修行して学んだことを深めていきさえすれば、絶対に上達できます。

 どんな流派にだって達人のような実力者はいます。その人達は、その流儀の技を深めていっただけです。

 浅い考えのやつは格好だけ真似して技の中身を深めようとしない。だから上達できないのに、それを理解しようともしない。

 達人の物真似やったって意味ないんですよ。重要なのは技の質です。それが解らない馬鹿には実際にフルコンタクトで痛い思いをさせるしか理解させられないんでしょうね。

 私、「武術としては使えない」という定説がある簡化太極拳の技だけで戦えます。使い方なんか習ってない。全部、自分で工夫しましたよ。戦えるか戦えないかは、取り組む人間の意志の問題なんですよね。そこを勘違いしている人間が多過ぎます。

 一途に打ち込むことを怠って、何でも人に教えてもらえばいいと思っている人が多い。金出せば教えてもらえると思ってる阿呆もざらにいます。でも、そういう阿呆に限って金を値切ろうとするんですよ、これまた・・・。

 性根が腐ってるヤツが興味本位に武術やりたがるようになった原因はどこにあるんでしょうか? 専門誌の取り上げ方が良くないんじゃないか? 「専門誌に載せてもらったら礼儀知らずの頭がおかしな連中ばかりやって来た」という話をよく聞きます。

 私は、いろんな流儀の演武を観る機会があったら、も~、必死になって「絶対に技の秘訣を観抜いて体得してやる!」と気合入れて観ますよ。

 だから、やって見せてもらうだけで涙が出るほど、有り難いです。例えば、太気拳の岩間先生の演武なんて、技を実演しながら解説までしてくださったんですから、本当にもう、一生の宝物ですよ。

 一回、岩間先生のお弟子さんだった方から「岩間先生の技に似てますね」と言われた時は本当に嬉しかったですね~。お世辞でも嬉しいです。あんな一流中の一流の師範に似てると言ってもらえるなんて・・・。

 それに、小林先生や青木先生や友寄先生や光四郎先生には、もう、財産を分けていただいたようなもんですよ。だって、この先生方と出会っていなかったら、私は今、生きていないかもしれませんからね~。

 お金に換算できない無形の財産というのもあるんです。

 第一には親。保護者ですよ。そして、いろんな先生。友人。その重要性が解っていたら、感謝せずにはおれないでしょう?

 よく、自分ひとりでやっている・・・とか、世間にルサンチマンを溜め込んでるみたいな人もいますが、それは自分の生きている真相を解ってないだけだと思いますよ。


 撮影の合間に、香港旅行に行っていた会員のKさんがお土産の槍穂や匕首の中国兵器レプリカをくれ、DVDを貸してくれました。

 うちは出入りは結構激しいけれども、人柄の良い人が集まってくれて、有り難い。いくら実力があっても、一緒に飯食ってて不愉快なヤツじゃ~、論外です。

 あ~、そういえば、横浜同好会を主催しているK原さんが、何だか妙に推手が上達しているのでビックリ仰天してしまいましたよ。

 やっぱり、人を教えるということの成果なのかな~? 実に絶妙に相手の体勢を崩して推し飛ばしていて、何か、二週間くらい会わないうちに別人のように上達しています。

 男子三日会わざれば刮目して見よ!という言葉はありますけど、まさにそんな感じで驚きました。そして、なかなか上達できなかったK原さんが、突然、一気に何段階も向上しているのを見るのは、私も嬉しかったです。

 三年前に、游心流は解散しようかと思った時に、私に教えて欲しいと言ってきてくれた中の一人が彼でした。

 たった三人を相手に日曜日の公園で教え始めた時は、この三人を絶対に達人に育ててみせると密かに思ったものでした。

 三年が経過した今、恐らく、最初に構想していたレベルには達しているかもしれませんが、向上したらしたで、もっと先へ先へ・・・と目指す地点は高まっていきますね。

 まあ、取り敢えず、頑張って続けていけば確実に向上するもんですよね~。


追伸;中国の反日運動が激化しています。いつもお世話になっているストアハウス・カンパニーさんも上海公演の予定がたたずに困ってらっしゃるそうでした。本当に国の軋轢というのは厄介なものです。文化芸術の交流というのが最も有効な国際平和の実現に繋がるものなのに・・・。国という概念が百年先には無くなっていて欲しいと思いますよ。国という縄張り意識が人種の対立を招いているんですから・・・。

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やはり・・・東映チャンネル恐るべし・・・

『キカイダー01』の放送禁止用語バリバリ全開っぷりに唖然としつつも、「この回だけは放送しないんじゃないかな~?」と思っていた問題作の回も、実にあっさりと、アッケラカ~ンと放送されていました・・・。

 その回の敵ロボットは、もぉー、そりゃあマジでダメっしょ?と言いたくなる名前。

“キチガイバト”・・・

 電波で人を発狂させる怪ロボットなんですよ・・・。

 例によって、修正も何もされていない、そのマンマで放送するという豪快さ!

 んもぉ~っ、こっちが心配になっちゃいますよ。それいっちゃダメ~っ!

 レインボーマンのキャッツアイ作戦とか、サンダーマスクのシンナーマンとか、怪奇大作戦の狂鬼人間とか、いろいろありますけどね~。

 このキカイダー01のキチガイバトというのも、相当、ヤバイですよ。鳴き声が「クルックルゥ~」って、“狂う狂う”の駄洒落なんだから、恐れ入ります。

 思えば、地上波放送では『獄門島』でネタに触れている「キーチガイ(季違い)じゃが、仕方がない」というセリフを放送できなくて困るという事態なんかもあったし、『あずみ』のクライマックスでオダジョーの首が一回転してポロッと落ちるシーンが神業クラスの編集テクニックで切り抜けるということもあったですね~。

 でも、CSだって、他局は結構、気を使ってる。ファミリー劇場とかアニマックスみたいに子供が多く観るだろう局では、かなり注意しています。

 そこいくと、東映チャンネルは男気があるというか細かいことは気にしないというか、特撮もアニメも時代劇も任侠物もエロも差別しないんだから、ワイルドです。

 まあ、一視聴者としては、そんな東映チャンネルが好き・・・。

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『宮本武蔵 剣と思想』を読んで

 前田英樹氏については、以前、甲野善紀氏との共著を読んだ時、あまりに独善的な印象を受けて、正直、あまり良い印象が持てませんでした。

「甲野氏とつるむのでは、その程度の人なんだろう」と思った点もありました(御承知と思いますが、私は甲野氏を武術家としてはまったく評価していません)。

 何よりも、私は“思想家”といった人種が嫌いなんです。

 人が“思想”という言葉を使う時は、何か自分が他に抜きん出た立派な人格と優れた知性の持ち主ででもあるかのごとくナルチシズムに浸っている風体がのぞいて、実に気持ちが悪いっ!

 思想というのは、人が個として生きるのに何の関係もない代物です。自分自身の守るべき信条があるとしても、それを「俺の思想だ!」と声高に周囲にアピールする必要もないでしょう。

 それを敢えて声高に言うということは、つまり、思想とは個人が社会的な存在として名乗りを挙げる権威付けのための人騙しの宣伝装置でしかありませんし、社会的制度的な性格の強いものであり、根っこの部分に他者を支配したいとする欲求が隠れていることを暗示します。

 よって、私は、オレ思想みたいなことを口上したがる人物は胡散臭く感じてしまうのです。シャレで言ってるか、あるいは学問として研究しているのなら、まあ、お好きにどうぞ・・・という程度の許容度はありますが・・・。

 でもまあ、私のこれまで出会った思想愛好者は、総じて自身の無能さを隠蔽するための自己憐憫的空威張りのネタとして“思想”を信仰していましたね。

 要は、自己の無能さの裏返しとしての、万能感に酔いしれるためのアルコールや麻薬、覚醒剤として“思想”を掲げている弱々しい人達でしたね。観念の世界で世の中を神の視座で見下ろしている喜悦に浸る癖がついてるだけなんですよ。わかりやすくいうと、“妄想癖”ですね。

 それはそれとして、前田英樹氏には何の期待もしていなかったけれど、相模原駅ビルの書店で『宮本武蔵 剣と思想』という、ちくま文庫の本を立ち読みしてみたら、思いの外、面白そうだったので購入しました。

 私の学生時代はポスト・モダンの現代思想ブームで、私も難しそうな本を結構、読んでいたんですけど、もう二十年以上、読んでないから頭がそういう話題についていけないんですよね。

 ただ、この本は武術についての本なので、割りかし、楽しく読めましたよ。

 そして、前田英樹氏の評価もぐっと上がりましたね。この人、かなり、解ってらっしゃると思う(上から目線ですんませんね~)。いや~、武術関係者でこういうこと解ってる人って、青木先生以外はいないと思っていたんですけどね。

 無論、思想家特有の抽象的観念的表現は具体性に欠ける側面もあるんですが、武術論としてはかなり本質をついているように思えましたし、かなり読み易かった。

 少なくとも凡百の宮本武蔵解説本の類いとは一線をかくしていると言えるでしょう。まさにエポックメイキングです。

 片手持ち二刀剣法の利をとなえた武蔵と、上泉伊勢守の比較論なんかは、ありそうでなかった論でしょう。

 いや、実に堪能できました。

 もっとも、難解さはある意味で他の宮本武蔵解説本より上なので、人様に薦めようという気はしませんね。

 多分、ここに書かれていることをまともに読解できる武術関係者は皆無に近いと思います(だって、武術にかまけてるヤツって、ものすご~く“頭が悪い”から)。

 文章にいろんな含みが潜在しているので、字ヅラだけ読んであ~だこ~だと論じても阿呆をさらすだけです。言葉一つに多角的重層的意味が秘められているので、一部分だけ取り出して論評しても、意味がないということです。

 例えば、武蔵の足の踏み様について前田氏が解説している点は、“厳密な”足の踏み方について解説しているのではありません。

 そもそも、“厳密に”解説しようとすれば、初心者と中級者、上級者ではやり方が変わってきてしまいます。一様に同じやり方を強いるのは間違いなのです。

 重要なのは、方法論に一貫して通底している原理であって、原理は応用させて形を無限に変化させ発展していかなくては実用の役には立ちません。そんなことはまともに修行していれば気づいて当然のことです。

 私が最近、初心者に教えるのが億劫になってしまったのも、私のやり方をそのまま教えても役に立たないばかりか害になりかねないからです。必然的に初心者に必要なやり方にレベルを数段落として指導する必要があります。だから、億劫なのですよ。

 前田氏の技術論は自身の達しているレベルからの理解で解説しているので、初心者には解らないし中級者にも難解でしょう。私は研究家だから、何とか理解できたに過ぎませんが、「あっ、これは具体的な技術論を書くつもりは全然ないな」と気づきましたよ。

 よって、書かれている点だけを批評しても、まったく意味がない。

 私が面白く読めたのは、私が文筆業をやっている人間だから読解力が人並みよりちょっとくらいあるからであって、一般の読者にはチンプンカンプンな箇所も多いでしょう。

 それと、スポーツ嫌いで剣道形は無意味だといった決めつけ方をするところは、お高くとまっていて、相変わらずの優越意識が鼻につくな~とは思いましたが、“そーゆー人”なんだと弁えてしまえば何にも問題ナッシング~ですね。

 解説者も、そんな風に思ったのかも知れませんが、前田英樹氏を“清々しいまでに「偏屈」な文章”とユーモアを交えて苦笑しながら書いている? 多分、前田氏は冗談を言わない甲野氏みたいな性格なんじゃなかろうか?と私なんかは思ってしまいましたね。

 何だか、おフランスな感じがします。フランス現代思想を研究されていたんだっけ?

 前田氏の話は甲野氏のところに居た時に若干聞いたのと、小用茂夫先生からも聞いていたんですが、特に小用先生は高く評価されていましたね。元新陰流兵法転会で、実力も高い小用先生が言うのだから間違いないと思いますよ。

 ちなみに、解説者の方が、“病床に伏した医者嫌いの合気の達人が無理やり呼ばれた医者を片手で投げた”という話を紹介し、「馬鹿話の類いでは断じてない」と書いているのが微笑ましいですね。

 ええ、もちろん、私は馬鹿話だなんて思いませんよ。その程度のことなら技の原理を理解すれば誰でもできると断言できますからね・・・。

 結局、武術というのは不可思議なパフォーマンスとセットで披露される傾向が強まっているので、なんだか摩訶不思議な秘術みたいな扱い方ばかりされてしまう点に問題点があると思うんですね。

 その上、理合について重層的な難解な解釈をされる傾向もあるので、思想的に語ることによって益々、実用を離れた特殊な技芸の領域に祭り上げられてしまう傾向もありますから、そういう意味で剣であったり武であったりを思想として語る営みには注意が必要だと思います。

 前田英樹氏は、その辺りの注意深さ(偏屈さや頑迷さと誤解される点)は持っている方のようなので、そこはまあ、偉いな~と思います。甲野氏のように肝心なところで嘘ついたりしそうにない・・・という意味で・・・。


 え~、ところで、刀で斬るということに関して、うちの会員さんも勘違いしていたことがあったので、少し解説してみます。

 先日の試し斬りで、ある会員がうまく斬れなかったのを見ていた別の会員が、「彼は足を一歩踏み込みながら斬っていたので、それで刃筋が狂ったのでは?」と、評していました。

 つまり、「ものを斬る時は、足をしっかり定めて斬るべし」という考え方を彼はしていることが判りますね。

 しかし、一歩踏み込む程度で刃筋が狂う腕ならば、足をしっかり定めていても刃筋は安定しないでしょう。だから、足を定めて狙って斬っても、多分、同じでしょう。

“姿勢を定めれば斬れる”という考え方は初心の考えなのです。そして、多くの武道家は、初心者向けの秘訣を一生手放そうとせず、だから、真の向上をしません。

 失敗の主な原因はそこにはありません。

 私が試斬の稽古をやらせている理由は、斬る姿勢を体得させるためではありませんし、むしろ、「しっかり足を固定して斬る」という運動を覚えてしまうと武術的には有害でしかありません。

 無論、まったくの初心者レベルならば、“刃筋を通すことで斬れる”ということを確認するためにはそれでもいいでしょう。

 しかし、ずっと同じことをやっていてはダメです。試斬で両手を寄せて柄を握るように指導したのも、暫定的なもので、自由に斬れるようになれば手の内はいろいろ変えて斬れるように訓練すべきです。

 試斬の弱点は、考えてみればすぐに解ることです。

 立ち止まったまま無抵抗で斬られてくれる敵なんかいる訳がない。

 動いて、しかも攻撃してくる敵を相手に的確に斬れるようになるには、大前提として、自分も自在に動き回りながら的確に斬れないとダメでしょう。

 だから、まだ、皆が慣れていないから、足をしっかり止めて刃筋がきっちり通るように斬らせているだけの話で、それが普通にできるようになったら、歩き回りながら斬ったり、型の動作で斬ったりもさせる予定でいるのです。

 やはり、武術なんですから、想定できる限りの実戦のシミュレーションに応じた内容の練習を積み重ねていかなくてはいけません。

 なので、斬る瞬間に一歩踏み込むことは何らマイナス要素ではないし、その証拠に切り口を観察すれば刃筋の侵入角度と切り口のザラつき、途中での“割れ”によって失敗の原因は判明します。単純に余計な力みが出て刃筋が通らなかっただけだったのです。

 試斬の専門家には異論のある方もいると思いますが、別に足元がフラフラであっても斬る瞬間に刃筋を通すことは可能です。

 要は、斬撃の一瞬に力がどう集中的に作用して斬撃力が発揮されるのか?が重要なのであって、姿勢だの呼吸だの手の内だの間合だのは決定的な秘訣ではないのです。

 日本刀は斬れるように作られているのですから、その機能をきちんと発揮できたら斬れて当然なのです。以前、刃の付いていない模擬刀でやってみた時もちゃんと斬れました。

 斬れないことに理由がある訳です。単に“下手”の一言で終わってはいけません。丹念に原因を探り出して修正していく地道な作業を怠ってはいけません。マグレで斬れた程度では技として体得したことにはならないのです。

 動画で出ていた剣武天真流の青木宏之先生が、竹薮で、スカッスカッと青竹を斬っている時の姿勢をよく観察してみたらいい。足で踏ん張って姿勢を固めて斬って・・・は“いない”のです。

 力の作用は運動の外見からでは判別しがたいものです。

 青木先生の最新の剣舞映像を剣道高段者の研究会内部で資料映像としたところ、その居着きの無さ、起こりの読めなさ、体捌きのスピード等に仰天し、「これは先天的な要素が強くてとても真似できるものではない」という結論に至った・・・とのことですが、それは剣道の身体操作の枠組みから見れば真似できないものでも、青木先生自身は明確に理論的身体運動の結果としてそうなることを確信し、必要なトレーニングを重ねられているのですから、単純に天才の一言で神棚に上げてしまうのは、ちょっと違うでしょう?と私は言いたくなりますね。

 やっぱり、無目的に稽古してもダメで、理論的に考えて、「これをこうやったら、こうなる筈だ」という予測をしながら稽古法を組み立てていかないと成果は出ないですよ。


 話を戻します。

 游心流で斬る対象として細竹を立て掛けて斬るようにしているのも、軽くて刃筋がちょっとでも狂うと跳ね飛んでしまう物を、的確に芯を捉えて斬ることが必要な条件でもあったからなのです。

 ぶっといマキワラを両断する醍醐味を求めるのも良いですが、武術的には細竹が斬れれば充分、致命傷を与えられます。

 堅い細竹が綺麗に両断できれば、水に浸して柔らかくしたマキワラを両断するのは簡単です。そうなれば、腕くらい斬り落とせるでしょう。

 しかし、動き回りながら、一瞬に抜いて斬るのは、別の複合的な技術が必要です。

 そして、武術で必要なのは複合的な技術なのです。「立ち止まって据え物が斬れても意味がない」と主張する人が多いのも、別に間違いとは言えないのです。

 もっとも、据え物すら斬れない人間が、動いて攻撃してくる人間を斬れるとは思えませんが・・・。


追伸;殺伐とした話題の口直し。チリの鉱山地下620m以上から救出された33人。良かったというか、凄い科学力ですね~。60mでも諦めるしかないような気がしますが、本当に世界中が注目して協力して救出したということには、世界が一致団結して平和な世界を築こうとすることも可能なんだという希望が感じられました。暗い話題ばかりの世の中で、21世紀の科学の力を見せつけてくれたと思います。本当に良かった!



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武器術セミナー終了!

 早いもので、今年のセミナーも残すところ、あと二回ですよ。

 三年間やって常連で参加されている人の実力アップは、ちょっと信じ難いものがありまして、嘘でもハッタリでも冗談でもなく、達人級に技ができるようになっている人が出てきていますね~。

 月に一回であっても、三年続けると、ここまで差が出るものなのか?と、つくづく継続は力になるものだな~と思います。だから、今から12月の最終回が楽しみです。

 さて、今回のテーマである武器術ですが、直前に、刃物で襲われた高校生が殺されるという通り魔殺人事件が発生していたために、参加者の皆さんは、ナイフで襲われた時の対処法に関心があった様子です。

 私が前々からしつこく言ってきたように、ナイフ一本出されただけで、通常の武道の技は通用しなくなる場合が多々あります。

 対ナイフの練習をするのは、合気道くらいなものでしょうが、それとても現在ではやらない道場が増えているそうです。

 う~ん・・・いいのか、それで?

 だから、一般の武道がやらなくとも、俺はやるぜっ!・・・ってな感じでバリバリやってみましたっ!

 まず、対ナイフを知るには、ナイフ術を知る必要がある・・・。

“敵を知れば百戦危うからず”って考えですね。

 そんでもって、去年は出し惜しみした“ナイフ術で敵を効率よく抹殺する技”を指導させていただきました。

「もう、コレは護身術じゃなくて、完全に敵を殺す技です。でも、こういう技があるということを知っていないと対策は立てられないんですよ」と前置きして指導しました。

 そもそも、武器術というのは、護身よりも敵を抹殺することを前提に工夫されていったものです。

 投石、樹木の枝、石器の槍や弓矢、金属の刀剣、銃・・・と発展していき、今では核兵器まで発明してしまった・・・。

 武器というのは、敵を抹殺する力を増大させると同時に、自らも滅ぼす危険性も高めるものです。

 これはもう人類の歴史が証明していますよね。

 けれども、それなら「武器よ、さらば~!」とあらゆる武器を捨ててしまえばいいのかというと、それは違うんですよ。

 武器が無くなれば、生まれつき力の強い人間が弱い人間を支配するだけ。

 武器は自動的に人を襲いません。あくまでも道具でしかない訳で、人間が闘争本能と支配欲をコントロールすることを覚えなければ、自滅するだけなんですよ。

 だから、武器術を修練するということは、武術にとって重要な意味を持ちます。

 戦うことが生存と直結しているという真相を気づかせてくれるからです。強い弱いを問題にする格闘技ではなく、戦いの戦略面を考えざるを得なくさせるのが武術なのだと気づかせるからです。

 力比べじゃなくて、生き残るための思考とテクニックを根底におくのが武術なのです。

 それを理解してもらいたいから、今回は敢えて“ナイフで敵を抹殺する術”も指導した訳ですし、最後は真剣で試し斬りもやってもらいました。

 真剣の威力を目の当たりにすれば、素手で対抗できるようなものじゃないことが理解できるでしょう。

 受けた腕ごと切断される武器に対して、人間の肉体はいかに無力であるか?ということを知ってもらいたかった訳です。

 まったく鍛えていない人間でも、刀や銃を持てば、一挙に武道の高段者の遥かに及ばない威力を発揮できてしまいます。

 戦国時代に歴戦のつわものが、雑兵の持った種ヶ島銃の一発であっさりと殺されてしまう様子は、いかばかりのものだったでしょうか?

 武道・格闘技の愛好者は、刀や銃にも勝つ達人の話を崇拝したがりますが、ヤッパやチャカで命を落とした武道家や格闘家は決して少なくはありません。

 0戦の名パイロットも、より馬力のあるエンジンを積んだ最新鋭戦闘機が出現することで対抗できなくなってしまった・・・という話も聞きます。

 三十年も前には、1km先の敵を狙撃すると言えば、ゴルゴ13のような漫画の主人公でなければあり得ないと思われたでしょうが、現在では2km先を狙撃できる超長距離狙撃ライフルが次々に開発されています。

 単純に戦いに勝つだけならば、より高機能の武器を持てばいいだけです。

 私は、武道や格闘技を愛好しながら強いの弱いのと無邪気にお喋りして威張っている人達が、たまらなく嫌いです。拳銃持っていたら発作的に撃ち殺してしまうかも?

 武器に頼るのは卑怯だと言う人もいますが、自分の五体を武器化するのは臆病さの現れである点を自覚しているのでしょうか?

 命のかかった戦いに、卑怯だの臆病だの論じるのは単なるロマンチストに過ぎないでしょう。武術を学びたいなら、リアリストに徹さないとダメです。

 ストリートファイトで、相手が素手で立ち向かってくる確率は無きに等しいものと心得ておかなくてはなりません。

 今回のセミナーでは、素手の戦闘では気づかない戦いの本質に目を向けてもらいたいという気持ちがありました。

 無論、三時間でできることはタカが知れています。

 棒術・剣術・ナイフ術・ナイフ捕り・ピストル捕り・真剣斬り・・・まあ、この程度しかできません。

 けれども、棒術ができれば、ステッキ、傘、ゴルフクラブ、箒、モップなどを咄嗟に応用できるでしょう。

 ナイフ術を知っていれば折り畳み傘やボールペン、家の中なら包丁や果物ナイフなどを咄嗟に使うこともできるでしょう。

 ナイフ捕りのコツを知っていれば、通り魔に遭遇した時に致命傷をおわずに軽傷で済ますことができる確率が上がるでしょう。

 何よりも、“知っている”ということは、それが大きな武器になるのです。

 テクニックは知識と融合することで多彩に発展していきます。私が習ったこともない流派の技を一目見ただけで原理がわかったり返し技を考えついたりできるのも、さまざまな知識があるからです。

 そして、知識をテクニックに転換するための実験場所である稽古会を持っていることも決定的な理由です。

 私は、一瞬も同じ地点に留まっていたくありません。

 武術に関しても同じです。前人未踏の境地へドンドン登っていきたい。

 何しろ、私の周囲には現代の大達人が何人もいるのです。そんな化け物みたいな人達を見慣れてしまうと、一般の武道の有名な先生とか見ても、「はぁ~、そんなもんなんですかね~」としか思わなくなってしまう訳です。

 有名人と名人は違うんですよ。

 骨董店の新入りに優れた本物ばかり見せておくと、偽物が一目で判別できるようになると言いますが、それと同じなんでしょうね。

 何事も見聞を広く取っておくに越したことはありません。中国や北朝鮮のように情報を限定させて国民を支配しようというのは無理がありますよね・・・。


追伸;17日の日曜日の定期稽古会は、江古田ストアハウスで12時から16時までDVD撮影を兼ねておこないます。普段、参加できない会員さんも宜しかったらおいでください。撮影兼なので、普段は見せないような技もバンバンやるつもりです。

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後先考える能力がないのか?

 高校生が刺殺された事件は、ちょっと驚きました。

 最初は、青春時代に多い恋のモツレなのか?と思ったのですが、ニュースで続報が出る度に、通り魔事件だったように思われ、犯人は包丁らしき刃物を持ったままうろついていた訳で、事件の起こった現場周辺では何度も目撃されていたらしい。

 つまり、この犯人は、恐らく刃物を持ったまま徘徊し続けていたということで、何とも物騒で不気味で、まるで13日の金曜日のジェイソンか、ハロウィンのマイケルのような殺人鬼を思わせます。

 殺された高校生は主に頭部に何度も刺し傷があったそうですが、普通、ナイフで頭は狙わないと思うんですよ。

 頭蓋骨は分厚いので刃先が欠ける可能性があるし、握りが滑ってしまうので、素人であっても無意識でも柔らかい胴体を狙う筈です。

 だから、この犯人は相当に精神を病んでいるのではないか?と思われます。

 秋葉原事件の時の犯人は、世の中に対する怨嗟の想いから事件を計画していますし、十分に判断力があったでしょうが、今回の犯人は人間の心が完全に欠損してしまっているような邪悪さを感じます。まさに、狂っているとしか思えません。

 どうも、こういう人間の心を失って犯罪をおかす者が増えてきているように思えてなりませんが、こういう手合いが武術とか覚えたら、えらいことになってしまうでしょうから、十分に注意しなければいけないな~と思っています。


 しかし、それにしても、殺された高校生は彼女を逃がして自分が犠牲になったようですが、本当に、為す術なく殺されてしまったのは残念です。

 こういう男気のある少年こそ武術を修行していれば助かったかもしれない・・・と思うと、本当に残念に思えます。

 さて、こういう理不尽な暴力を理屈でいくら非難しても、頭のおかしいヤツに自分が遭遇して襲われてしまった時には自分で何とかするしかありません。

 アクション女優の秋本つばささんも、ブログで痴漢に遭遇して過剰防衛になったらいけないから、軽く蹴り入れただけにした?という話を書かれていましたが、彼女は、その辺の道場の先生より上ですが、一般的には何もできない人の方が圧倒的に多いでしょう。

 電車で痴漢というか、女性にからんでいる酔っ払いとかいても、誰一人として注意したり割って入ったりしなかった・・・という光景を、私も何度か見ました。

 しょうがないから、私が割って入りましたけど、“しなびた酔っ払いオヤジ程度”であっても怖がって見て見ぬフリする人が多いんですから、本格的に殺意持って暴れるヤツに立ち向かう人間はほとんど皆無に近いでしょうね。

 要は、あまりに平和過ぎて、暴力をちらつかせられると立ち向かえなくなる“子羊国家”になってしまっている訳ですよ。今の日本は。

 だから、理不尽な暴力は許さないという勇気を育むことも大切だと思いますよ。

 護身術というのは、そういう勇気がないと、知識として知っていたって、到底、使えない代物です。

 護身術というと、何かひ弱な人間がやるものみたいなイメージがあると思いますが、実際には現代武道の初段程度の実力では護身術として充分な実力ではないと私は思います。

 最低でも二段か三段くらいは持っていないと無理だろうと思いますし、その上で、対ナイフ(包丁)、対木刀(鉄パイプ)といった得物を持った相手への対処法も知っておかないといけないでしょう。

 もっとも、下手に腕に自信があると、後先考えないで相手に立ち向かって半殺しにして過剰防衛で捕まってしまう場合もあります。

 重要なのは、そういう緊急事態に陥っても冷静に適切な対処法を瞬間的に考えられるように、日頃から想定しておくということと、必要だと判断したらためらわずに動けるように判断力と瞬発力を養成しておくことですね。

 ケンカっ早いヤツだと、すぐに熱くなってキレたりできるんですが、そういう場合、冷静さを失って暴れるだけの人間が多いのです。

 冷静に状況を把握しつつ、とっさに反射的に反応できることが肝心です。

 一つ、実用的な秘訣をお教えしましょう。

 もし、刃物を持った人間に至近距離で遭遇した時は、絶対に後ろを向いて逃げてはいけません。

 今回の事件で殺された少年は、後ろから刺されていたようです。前を向いていたら刃物を防ぐ抵抗傷を腕に負うでしょうが、それが無かった様子です。

 どうせ、刺されるにしても、無防備で急所を刺されるよりは、抵抗して反撃しようとしている方が、確実に傷は浅く済みます。

 これはもう分かり切っていることですから、もしも、刃物などの武器を持った暴漢に遭遇した場合は、絶対に背中を見せないで、「俺を刺すなら、同時に目ン玉、ぶっ潰してやる」と怒鳴りつけて睨みつけてください。

 実戦で一番、重要なのは、この“気迫”なんですよ。

 殺るか殺られるか!

 実戦時に心掛けるのは、これだけです。

 うちの本部稽古会で真剣で試斬りをやったりするのも、一撃で命を奪う武器を持つことの意味を噛み締めて欲しいからなんですね。

 細い竹でも芯をとらえないと斬れないですからね。集中力が必要です。

 ちなみに、7日の稽古も試斬をやりましたが、ホームセンターで買ってきた180cmの細竹を斬りました。

 皆、それなりに斬り慣れてきましたが、まだまだ集中度が足りないですね。切り口を見れば一目瞭然で判ります。

 会員のCさんがバイト友達の“歴女”の女性を見学に連れてきていたので、試斬りにも挑戦してもらいましたが、特に剣道とかの経験もなかったそうなので、いきなり初心者には危ないかも?と思って、まず模擬刀を振ってもらって様子を見ました。

 未経験にしては癖がなくて風切り音も鳴っており、刃筋が通っているようです。

 これなら大丈夫そうだと思って、やってもらいましたが、竹に半分くらい切り込んでいて、ちゃんと固定したものだったら、充分、斬れていたでしょう。

 細くてしなる竹よりも、固定したマキワラの方が斬りやすいですから、ちょっと練習したら、結構、上達しそうだな~と思いました。

 それにしても、美人が武器持つとカッコイイな~・・・と思ってしまう私は、感性がおかしいかな~?


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70年代はおおらかだったんだな~・・・

 東映チャンネルで『キカイダー01』を放送中、何だか、放送禁止用語がバンバン出てくるので面食らってしまいました。

 人魚姫ロボットが01に向かって、「お前をメクラにしてやうぅ~」・・・。

 ビジンダー・マリ(しつこいようですが、長渕ヨメの志穂美悦子の本格TVデビューがこれで、まだアクションが荒削りな感じ)が、「私は中途半端なカタワの人造人間なんです」・・・。

 うわ~ん、それ言っちゃダメだろ~?

 CS放送だと、そのまま放送して「当時の作者の表現を尊重して・・・」とか断り書きを出すのが定番なんですが、それでも、『レインボーマン』や『ルパン三世』第一シリーズでは「キチガイ」のセリフは無音に処理されたりしています。

 東映チャンネルの豪快なところは、多分、放送当時のフィルムをチェックしないで、そのまま放送してるんじゃないか?というところですね。

 まあね~・・・、ウルトラセブンのスペル星人の“被爆怪獣事件”とか、怪奇大作戦の“狂わせ屋”とか、シルバー仮面の“シルバーめくら手裏剣”とか、サンダーマスクの“サンダーマスク発狂”とか、若山先生の“唖(おし)ざむらい”とか、映像化はされていませんが、平田弘史の“血だるま剣法”とか、いろいろあります。封印作品は・・・。

 いくらCSが緩いからって、やっぱり、公共の電波使ってるチャンネルだから、それなりに気を使ったりはしてると思うんですけど、東映チャンネルはズバ抜けて“おおらか”ですね~。

 正直、私ももの書きの端くれとして、言葉狩りなんかやるべきじゃないと思うんです。

「汚い言葉は使うべきじゃない」という論理は逆差別にしかならないと思います。

 例えば、昔、“バカチョン・カメラ”という言い方をされたフィルム付きカメラですが、これも、いつの間にか呼ばれなくなりました。

 私、なんでなのか意味が解らなかった。「バカってのがダメなのかな~?」と思っていたら、“チョン”というのがダメだったらしい。

 私は、てっきり、「バカでもチョンッとボタン押せば撮れる」という意味だと思っていたら、チョンというのは朝鮮人の蔑称なんだそうですね? 全然、知らなかったよ。

 それを知った時は、「あっ、ヤベ~ッ・・・」って思いましたよ。だって、在日朝鮮人だってことを隠していた先生の前で、「バカチョン・カメラで撮りま~す」とかはしゃいで撮ったことあったからです。

 在日の人は隠している場合が圧倒的に多い(不自然なまでに国粋的発言をする人が多いのも不思議です)から、判らないですからね。

 よって、バカチョン・カメラという言い方は、在日朝鮮人への差別だという批判があって、使わないようになったと言われています。

 でも、むしろ、チョンという言葉の語源についてTV討論したりして在日朝鮮人差別の問題について広く知らせるようにした方が、良かったんじゃないか?と私なんかは思うんですね。

 当事者の心情としては、とても言えないのかもしれませんけど、被害者意識で付き合われても困るし、隠していて良いことはないと思うんですけどね。自分が辛くなるだけだし、差別意識って、異文化の中では必然的に発生してくる問題でしょう?

 日本人だって、海外に出たら差別されることが多くあるでしょう。異質であることは差別の誘因になるものであって、それを無くすには相互理解しかないんですよ。

 だから、言葉狩りしたら差別が無くなるというもんじゃないと思うんですよ。

 むしろ、問題の根本をめくらまししてしまうんじゃないか?とすら思えます。“触らぬ神に祟りなし”ってことです。

 日本人は気質的にそうですね。臭いものには蓋をして知らぬ存ぜぬを通そうとする。

 クリエイターは、そういう世の中の欺瞞に挑戦しようという意欲をかきたてられるんでしょうね~。

 手塚治虫(どろろの百鬼丸とか)、宮崎駿(千と千尋の神隠しとか)、山田洋次(フーテンの寅さんとか)なんて、国民的な優良作品作家だと認知されていますが、その根底には世の中の欺瞞に対するシニカルな批判眼があります。戦略的挑戦ですよ。

 昔は『朝まで生テレビ』で、そんなテーマを扱ったりしていましたが、最近はそういうのは滅多にないみたいに思えますね。もっぱら政治の話ばっかり。

 むしろ、人間の根本的意識に関するテーマを扱った方が、世の中の問題に対する批判眼も高まって、いろんな問題意識の高い人間が出てくると思うんだけど・・・。

 結局、細かいところをつついて全体を潰そうとするような真似をしていたら、いかんと思うんですよね。

 蓮舫さんがファッション雑誌で高い服着てるのがけしからんとか、くっだらね~こと問題視してても仕方がないでしょう。値段が書いてあるのが良くないと言ったって、そんなの本人が書く訳じゃなくて、雑誌は宣伝媒体なんだから、そりゃあ、撮影に使う服の値段書くのは当たり前なんだから、しょうがないんですよ。

 御本人も、元来、芸能関係の人なんだから、そんなの問題視しても意味がない。

 むしろ、頭が良くて美人で格好いい大臣がいる・・・ということが日本の政府の良いイメージになれば結構じゃないですか? 日本人はチビでデブでハゲでデッパでメガネかけた醜い民族というイメージが世界中に広がり過ぎてるんですから、いいじゃない?

 とにかく、日本は宣伝下手過ぎるんですよ。中国みたいにしろとは言わないけど、「男は黙っていても仕事ができればいい」という時代は終わったんだから、言うべきことは言う。言わない時は黙っていても威厳を保つ。

 早朝のワイドショーで戸隠流忍法の初見先生が、外国人のオススメで登場されていましたけど、海外で、ここまで評価されて尊敬されている日本人って、そうそういないんですよ。

 78歳になってもかくしゃくとして、魔法のように外国人を転がして見せる初見先生の姿は、日本の誇りですよ。人間国宝、無形文化財に指定すべきなんですよ。

 日本人が世界で尊敬されるようにするには、どうしたらいいか?

 日本人は全員、マーシャルアーティストになればいい。武芸家ですね。“武術のできる芸術家”“戦える平和主義者”。これですよ。理想の日本人は・・・。


追伸;躾道館の小林直樹先生のDVDは、内容量が多過ぎるために、嫡流真伝中国正派拳法と太氣至誠拳法の前後編、二つに分かれて11月に発売されるそうです。買いそびれないように御予約はクエストに、お早めにどうぞ~!

追伸2;テレビ東京、金曜深夜の『宇宙犬作戦』。原案は私の自主映画時代の友人の須賀大観監督です。いわゆるスラップスティック・コメディーのSFですが、何と、檀れい様がゲスト出演してオバサン呼ばわりされたり、くっだらないけれども妙に豪華だったりもするドラマです。観てね~。あっ、シンケンピンク演ってた高梨臨も出てます。多分、今後はこういう役は演らないと思うので、お宝作品になるかも~?


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10月セミナー“武器術”について

 延々と続いて終わることないかと思われた今年の炎夏も、ようやく過ぎ去った・・・かと思っていたら、一気に冬を思わせるような寒気がやってきたり・・・俺の秋を返せ~。

・・・つ~訳で、10月の月例セミナーは武器術です。

 私が格闘技や武道でなくて、“武術”に心惹かれた理由の中には、「いろんな武器も扱えるようになりたい」というものがありまして、最初に学んだのが剣道だったのもあって、やっぱり武器術には格別の思い入れがあるんですね。

 だから、剣術、居合術、小太刀術、懐剣術、仕込み杖術、二刀術、棒術、杖術、半棒術、鉄扇術、薙刀術、槍術、鎖鎌術、弓術、万力鎖術、十手術、手裏剣術、琉球古武術(ヌンチャク・トンファー・釵)、中国兵器法(棍・槍・刀・剣・双剣・子母鴛鴦鉞・八斬刀・峨嵋刺・三節棍・九節鞭・匕首・扇子)、隠し武器術(寸鉄・角指・長尾流懐剣・鉄鉤)等々を研究してきましたし、今は無くなったと聞きますが、作家の菊地秀行さんも通っていたという無許可で実物のエアライフル(サイドレバー式のファインベルクバウ)が撃てる都内のエアライフル射撃場に通って射撃の基本訓練なんかもやっていたんですね。

 私、上唇にヌンチャク傷、顎下に刀傷があるんですが、どちらも練習中に失敗して自分でつけちゃった傷です。が、武器の傷って、何かカッコイイような気がする。

 丹下左膳、旗本退屈男、柳生十兵衛、るろうに剣心、キャプテン・ハーロックとか。

 傷痕は男にとって勲章ですよ~。


 武器の中でも私が好きなのは、銃と日本刀。

 どちらも興味を持ったのは中学時代です。

 TVの洋画劇場でマカロニウエスタンをよくやっていて、ジュリアーノ・ジェンマとリー・ヴァン・クリーフが共演した『怒りの荒野』(傑作! 時代劇とかVシネ殺し屋物でリメイクしても良いと思う。悪漢に弟子入りした主人公が恩人を殺されて正義に目覚め師匠を倒す話。『モンキーフィスト猿拳』にも影響があるね)とか、テレンス・ヒルの『風来坊』(悪魔の右手と呼ばれる超速撃ちガンマンのお気楽コメディ)とか、クリント・イーストウッドの『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』なんかを頻繁に放送していて、西部劇好きになっていましたね。

 もちろん、『荒野の七人』とか『シェーン』『リオ・ブラボー』『OK牧場の決闘』『真昼の決闘』なんかの正統な西部劇も良かったですけど、何か、イタリア製のマカロニウエスタンのキテレツな感じの方が好きで、やっぱし根っからのB級好き体質があったんだな~と思いますね。

 中でも大好きなのは、リー・ヴァン・クリーフ主演の『西部悪人伝』と『西部決闘史』は大好きですね~。珍銃(四連発デリンジャーを撃ち尽くしたかと思ったら、握りの下からまだ三発撃てたり、手のひらに握り込んで撃つパーム・ピストル“プロテクター”が出てた)が出てきたり、演出が、人を食ったようなシャレが効いてるんですよ。

 遠い丘の上から狙われて、「あんな遠くからじゃ弾は届かね~よ・・・」と余裕ぶっこいたヤツが、次の瞬間、バキューンと撃たれて絶命。なんであんな遠くから?と思ったら、シルエットで長~い銃身のライフルが・・・。そして、銃身をスポンと外すと短銃身のカービン銃に早変わり! トンチが効いてるな~・・・。

 万事、こんな調子のトリックプレーで敵を次々に騙し撃ちにしていくリー・ヴァン・クリーフ先生・・・何か、若山先生の『賞金稼ぎ』シリーズみたいです。

 やっぱり、戦いというのは、ただ真剣に熱血勝負するんじゃなくて、ちょこっとトンチの効いた策略を駆使してスカして勝つ!というのが粋じゃないかと思うんですね~。

 力任せで戦うんじゃなくて、技を駆使して頭脳的に戦うのが好きなんですね~。

 でも、パワー殺法も好きなんですよ。だけど、本当はパワーも凄いのに、それを見せないで隠しておいて戦っていて、相手に弱点だと思わせておいて、いざという時に「ホントはパワーもお前らよりずっと上なんだよぉ~ん」とばかりにブワァ~ッ!と蹴散らしたりすると面白いじゃん?

 人間、見た目と中身がギャップがあるヤツの方が面白いでしょ?

 いかにも強そうなヤツが強いのはつまんないじゃないですか? 格闘技や武道やっている人は、パッと見て大体、判るんですよ。それじゃ~、つまんない。ファンタジーが無い。

「えっ、こんなヤツが強い訳ないじゃん?」と思ってたヤツが、メチャクチャ強かったりすると感動するじゃないですか?

 でも、そんなのは武道や格闘技には滅多にないんですよ。強そうな人が強い。

 だから、私は武術が好きなんですね。ギャップありまくりの妖怪爺いみたいな先生がいるんですよ。「こんな人間が実在すんのか~?」ってのが、楽しいんですよ。


 で、武器術の話に戻りますけど、武器と素手の違いというのは、攻撃が当たる射程距離の違いなんですよ。極論してしまえば・・・。

 武器を使うことで射程距離が広がっていくんですね。

 寸鉄とかだと5cmくらい、短刀とかトンファーだと20cmくらい素手より間合が広がる。

 日本刀だと70cmくらい広がる。日本刀は全長じゃなくて刃渡りの長さを寸法として記すのが普通ですが、これは間合に反映するからなんでしょうね。

 棒だと90cm。槍だと1.5~2mくらい。手裏剣だと5~6mくらい。弓矢だと10~20mくらい・・・。

 ピストルだと10~20mくらい。ライフルだと50~100mくらい(スコープ付きだと300~500m)。ロングレンジスナイパーライフルだと1km以上。

『極大射程-ザ・シューター-』に出てきた408口径シャイテックM200なんて、2kmくらい先まで狙えるそうですよ。

 とまあ、こういう具合に戦闘の間合が広がっていくと、大は小を兼ねるというか、より広い間合で戦える者の方が圧倒的に有利な訳ですから、私が武器術に拘る意味が理解してもらえるんじゃないか?と思います。

 武蔵が刃渡り三尺を越える大太刀を操る小次郎を破る対策として、拐を削ったより長大な木刀で打ち破った・・・というのは有名な逸話でしょう?

 率直にいうと、もし私がアメリカ人に生まれて銃を自由に買える立場だったら、銃を20~30丁集めてコンバットシューティング・スクールに通い、武術なんかやっていなかったか、あるいはエクササイズ的にちょこっと習う程度だったでしょうね。

 だって、武術を修行するより、銃持った方が簡単に人殺せる力が入手できるでしょ?

 本気で護身を考えるなら、技でも武器でも殺せる威力がないとダメです。赤ちゃんパンチしか打てないんじゃ論外。その点、銃持った方がずっと効率的なんですよ。

 もっとも、武器はいつでもどこでも持ち歩ける訳ではありません。銃となると、自宅と射撃場くらいでしょ? 映画観に行ったり友達と酒飲みに行くのにショルダーホルスターに44マグナム入れて行けるもんじゃないですからね。

 だから、武術は武術で非常に優れているのは、一度、体得してしまえば、よほどの病気とか事故とかで健康を損なわない限りは失われることがなく、一日24時間、すぐに使えて自在に使い分けできる訳ですよ。

 そして、いろんな武器術を経験しておくことで、いろんな戦闘状況を理解することができる。

 さらに、武器が無くとも五体を武器のように使うコツが解るし、身の回りの物を武器の代用として使うセンスが磨かれる訳です。

 もし、武器術の経験が無ければ、相手がナイフや鉄パイプ持っていても、素手で立ち向かおうとしてしまうでしょう。実際、笑っちゃうくらい、十中八九、そうしてしまうんですよね。間違いなく、そうやってしまう。自分で気づいてないくらい。

 バカですよ。ナイフ向けられてるのに素手で立ち向かおうなんて・・・。

 模擬ナイフで練習してみたら判りますよ。無理だって。

 もし、私の目の前で素手でナイフに対処できると言ったら、滅多斬りにしてグゥの音もでないくらいにトラウマ負わせますよ。素人が振り回す程度だって不可能に近いのに、ナイフ術に熟練している相手に素手の武術で立ち向かえるなんか錯覚もいいところです。

 游心流ではナイフ術は時々教えますが、まずは、タクティカルナイフのファイティングでどこをどう切ったら戦闘不能になるか? どこを突き切りしたら致命傷になるか?といったことを教えます。古武術の鎧通しの用法なんかもこれに近い。

 これは魚を捌くようなもんです。人格無視。豚肉の血抜き解体をやるようなもんです。

 私でも素手でナイフに対処する自信はありませんね。うまくいったとしても腕に多少の傷くらい貰うのは仕方ないと思います。切られて血が出たら、血飛沫を相手の顔にかけて目潰ししながら飛び蹴りして倒れたところを喉に足刀蹴り食らわす・・・くらいのつもりでないとね~。

「そんな荒っぽいこと咄嗟にできない。喉に足刀蹴り入れるなんて、相手が死んだらどうするんだ?」って、言った馬鹿がいましたが、殺らなきゃ殺られるという状況で、何を間抜けなことを言ってんの?ってことです。

 それに、ナイフで人を刺し殺そうとする人間は、一刻も早くあの世に旅立っていただくのが世のため人のためです。

 そこで死んだら、「今度は善人になって生まれ変わってきてください」と祈るだけ。

 死ななかったら、二度と悪さができないように両手両足の腱をナイフで切断しておいて一生、不自由な身体で人様の助けがないと生きていけない身の上になっていただいて、一生かけて人様の有り難みを感じさせてあげる陰徳を積んでおくといいんじゃない?

 まっ、冗談すけどね(ホントか?)・・・。


 対武器の素手の体術が不合理だからといって、素手で無刀捕りの練習するのが無駄だとまでは言いませんよ。私もやってるから・・・。

 でも、こういうのは、どうしようもない場合にハラ括って冷静に対応するための心法の訓練という要素があるからであり、体術で武器術に勝つ方法の訓練ではないんですよ。

 多少の怪我はやむをえないけれど、致命傷を避けて制圧するための訓練と理解してもらえばいいでしょう。

 要は、生き残るのが優先順位だからです。絶対絶命の状況からでも生き残る人はいるもんですからね。その運を引き寄せるのは、強烈な意志と知識、技能なんですよ。

 武器術を習得しておけば、敵の武器を奪って絶対絶命の危機を切り抜けられる可能性もあるでしょう。

 日本人は、生命の危機に対処する危機感というものが致命的に薄れてしまっているから、西鉄バスジャック事件にしろ秋葉原の通り魔事件にしろ、戦闘のプロでもないひ弱な人間のふるうナイフごときにぶるって何もできなくなってしまうんですよ。

 池袋で通り魔事件があった時は、通行人が協力して取り押さえたりしたんじゃなかったかな~?

 状況を冷静に観察すれば対処法はいくらでも考えつくもんなんですよ。その意志と勇気があれば・・・。

 ましてや、私みたいに護身術考えてる人間にしてみたら、「人を見たら通り魔と思え」という基本的な認識がありますからね。夜道で人とすれ違う時なんて、「いきなりウギャーッ!って包丁振りかざして襲ってくるかもしれん」と警戒しながらすれ違ってます。

 それと、素手の格闘技・武道しか体験していない人は、武器があっても使おうとしない習性があるんですが、よぉ~く考えてみてくださいよ。

 どんな人間でも一切の武器を持たずに生活したりはできないんですよ。

 まず、靴。これなんか十分に武器になります。ヤーサンは尖端の尖った革靴履くでしょう? あれは咄嗟に尖端で蹴り込めるからですよ。

 それから、ベルトも鞭代わりになりますね。未熟な者のナイフくらいならベルト振り回して威嚇するだけでも効果はあります。

 指輪もカイザーナックル代わりになる。ヤーサンがゴツイ指輪をいくつも嵌めるのも同様の理由。

 ネクタイは怪我した時の止血に使えるし、暴漢の手首を後ろ手に縛る手錠代わりにも使えます。外して先端を結んでコブを作れば、咄嗟にヌンチャクや万力鎖の代用になる。

 ハンカチは拳に巻いてバンテージ代わりになる。

 自宅の鍵は拳から突き出して握り込むと簡易寸鉄になる。

 カバンは楯にもなるし、肩掛けベルトがついているなら振り回すのもアリ。

 折り畳み傘は簡易警棒として使えるし、丈夫なコウモリ傘なら剣道か杖道の心得がある人なら手頃な武器になります。

 どうですか? 武器なんか持ち歩かなくても工夫したら身の回りにいくらでも武器に転用できるものはあるんですよ。

 逆に、こういう具合にいつも周囲のものを武器化して用いることを考える癖があれば、本当に素っ裸で何もないところに監禁されたとしても、肉体のいろいろな箇所を武器として用いることは考えられます。

 まず、噛み付き。ゾンビになったつもりで敵の喉首に齧りつけばいい。

 そして、掴み。喉笛掴む。髪の毛掴む。耳たぶ掴む。金玉掴む。指を掴む。

 突き蹴りも喉と後ろ首をねらえば鍛えてない人間でも相手をKOするのは難しくありません。

 投げ技も相手の後頭部から叩きつければ一発KOできます。

 どうですか? こんなこと考えてる人間と下手に喧嘩したら酷い目にあってしまうと思うでしょう? 相手にそういう“邪悪な殺気”を放って、自然に退散させるというのも一つの手ですよ。

 喧嘩慣れしてるヤツは、普通の殺気と違う「ヤバイ! こいつと戦っちゃダメだ」というのが本能的に判るらしいです。

 元ヤンや元ゾクの会員は、口を揃えて、こう言っていました・・・。


 まっ、勉強にはしてもらえると思いますので、是非、どうぞ・・・。


追伸;クエストから出ている『刀剣 匠の世界』『戸山流居合道』を観ました。前者は現代刀匠の気鋭の作家集団「叢雲会(むらくもかい)」の作品の紹介解説DVDですが、映像の美しさが陶然となるくらい素晴らしく、現代刀の到達しているレベルの高さが知れます。日本刀の鑑賞のための基本知識も解説されているので、これから真剣で居合道を始めようと考えている人や、既に真剣で稽古している人も必見です! 後者は、陸軍戸山学校で教えられた軍刀操作法の流儀として呼ばれた戸山流抜刀術を紹介するものですが、試し斬りをやってみようと考えている人にとって参考になります。「なるほど、こういう斬り方があるのか~?」という試斬の術について学べます。
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EVOROOTS from RAKUDO “RiGURA~追憶の未来~”

 うちの会の特別名誉会員である稲吉勝さんが主宰するダンス・カンパニーRAKUDOの公演が10月2日・3日に六行会ホールで催されました。

 私も招待状を戴いていて楽しみにしていたのですが、当日、急用ができて行けなくなってしまったため、北島師範と矢嶋師範代に行ってもらいました。

 前回、阿佐ケ谷だったか?で催された時は、ダンスもやっている矢嶋師範代と二人で行って、物凄~く感動して、「こんな素晴らしい人がうちの会にいてくれるだけで有り難いよな~」と、帰りにトンカツ定食食べながら矢嶋師範代と二人で話し合ったものでした。

 今回は、残念ながら私は観れなかったのですが、初めて観た北島師範は感動に打ち震えた声(感涙にむせていたよ)で電話をかけてきて、「先生、本当に素晴らしかったですっ!」と公演後にすぐ連絡してくれました。

 稲吉さんは、今年一月の公演で現役ダンサーを引退し、今後は世界に通用する若手プロ・ダンサーの育成に専念していきたいと言われていましたが、プロのダンサーにとって最も怖いのは身体の故障であり、身体のメンテナンスについて以前からいろいろ勉強されていて、それで私を訪ねてこられた・・・という経緯があったんですね。

 初めてお会いした時には調布の喫茶店でお話したんですが、ダンスが好きで好きでたまらないという様子がうかがえて、本当に楽しくお喋りしましたね。

 私と同世代ですから、当面は指導者と演出・振り付け家として活動するつもりの様子でしたが、純粋に好きなダンスを生涯にわたって追究していきたいと考えられていて、現役は引退しても自己研鑽を捨てるつもりではない様子ですし、いつかまた、御自身で納得のいくダンスを創られたら復帰されるかもしれないですね。

 武術に関してもいくつかの団体に勉強に行ったりされていたそうで、少しでもダンスのパフォーマンスを高めていきたいという向上心が伝わってきて頭が下がりましたね。

 こういうジャンルを超えた研鑽は、演出されているダンスに充分に反映されていて、だからこそ、あの感動的なドラマチックなパフォーマンスに達しているのだと思います。

 本当に最初から最後まで気持ちの良い、心にも身体にも前向きな活力が漲ってくる演舞なんですよね~・・・(って、これは一月に私が観た時の感想なんだけどね)。

 私がご縁のある田中泯さんのことも非常に尊敬されている様子で、ジャンルを問わず長く続けていけるダンス・パフォーマンスについて探求心を持たれていました。

 指導者としての苦労された話には、なんだか私と同様の経験もあるみたいでしたが、私と違って、一切、悪く言われません。むしろ、お世話になったという感謝の気持ちだけを持ち続けられているみたいで、恐れ入っちゃいました(いや、お恥ずかしいですぅ~)。

 それに、カンパニーのお弟子さん達が成長され実績を挙げられることを自分のこと以上に喜ばれていました。

 私の研究がちょっとでもお役に立てれば、こんな嬉しいことはないですね。本当に武術以外の他ジャンルの世界でも一流の素晴らしい人達と出会えて、私は強運の持ち主だよな~と思いますよね。


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物事、是非を論じるに益は無し

 今日はちょっと哲学的なことを書いてみます。

 件の尖閣諸島の問題で、民主党の弱腰外交が批判されています。

 けれども、それなら強気強気で対処すれば良いのでしょうか?

 売り言葉に買い言葉。引っ込みがつかなくなって、とどのつまりは戦争に突入!となってしまったら、“誰”が戦うのか?

 自衛隊?

 軍事に国力を注いでいる中国と戦えますか? 規模も装備も違う。まともにやれば全滅でしょう。

 それでは、アメリカに助けてもらうのか?

 国の経済を立て直すのに手一杯のアメリカに頼めるんでしょうか?

 戦いは、やる以上は勝たなきゃダメ。勝てる見込みがない戦いを仕掛けるのは愚の骨頂というものです。

 私が小林よしのりとか、右寄り思想をとなえる評論家とか文化人とかに虫酸が走るのは、「自分が率先して戦って日本を護るつもりであれば別だけれども、戦う能力も意志も訓練さえやらないお前らがタワ言をほざくなっ!」という嫌悪感から来るものです。

 戦うなら勝つことを考えて周到に戦略をたてていかなくちゃダメ! 勝てない戦いを招いて無駄な死人を膨大に出すくらいならば、中国の属国になるくらい何だというのか?

 日本という国の“記号”が無くなっても、重要なのは日本人が生き残っていけばいい。

 目先のことに拘って大局を見失い、日本国民を大量死させるような阿呆よりは、弱腰政治家の方がまだマシなんじゃないのか?

 プライドを振りかざすのなら、殺されたって構わないという強烈な意志が必要です。

 現在の日本人に、それだけの意志力のある人が何人いるのか?

 真に優れた政治家であれば、国民を護るために敵のケツなめてでも戦争避けるのが本物ではないのか?

 そういう“したたかさ”があるなら民主党も支持できるんだけど・・・。


 テメーのプライドだけ考えて、勝てもしない戦争やらかして国民を死地に追い込んだ、かつての日本帝国軍人連中の“阿呆さ”を反省して作られた日本国憲法の“戦争放棄”の精神は、称賛されこそすれ、恥じるべきことではないでしょう。

 私は、断固として支持します。戦争は絶対にやるべきじゃない!

 では、侵略されたらどうするのか?

 私は独りで戦います。あらゆる手を使ってレジスタンス活動をしてやるつもり。

 武術はそのためにやっていると言っても過言じゃありません。命がかかった戦いへの備え。だから、現代戦闘の武器も扱えなきゃダメだと考えてきた訳。

 でも、別に戦えない人達に戦いを強要するつもりは全然ないですよ。生き残ることを本心から欲する人は、放っておいても必要な戦いはやるでしょう?

 確かに、戦後教育のマイナスの面は現在の日本人の精神面に現れているかもしれませんが、でも、諸外国と比べて、そんな酷いものなのでしょうか?

 戦争・飢餓・貧困・教育格差・・・そういった要素は、少なくとも戦後復興した日本には縁がなかった。これは誇るべきことじゃないのか?

 無論、いろんな要素と条件が重なって達成できたことかも知れませんが、少なくとも戦後の日本が世界でも珍しい平和と平等と自由を謳歌できる国として発展し続けてきたことは事実でしょう。

 私は、今の日本が好きだし、本当に良い国だと思います。

 少々の問題があっても、天安門事件みたいに市民が虐殺される心配もないし、中東の国のように爆弾落とされる心配もないし、カンボジアみたいに地雷があっちこっちに埋まっている心配もない。

 北朝鮮や中国みたいに国家体制を批判したら捕まって拷問されたり処刑されたりする心配もなく、好き勝手にネット掲示板に罵詈雑言書き込める・・・。

 教育水準も高いし、文化的にも極めて多彩なジャンルがあるし、差別意識も低い。

 私は海外旅行したことないから比較できないけれど、日本くらい良い国があるとは思えません。

 どうして、こんな素晴らしい国に住んでいるのに「日本はダメだ」と言いたがる人がいるのか不思議です。

 確かに、あまりにも住みやすくて安全で良い国だから、危機感が無さ過ぎてしまうのは問題だと思うけれど、それはそれで恥ずべきこととはいえないでしょう。

 どこに卑下する必要があるのか?・・・と、私は言いたいですね。

 よく言われることですが、どうも日本人は自虐趣味が身に染みてしまっているのかもしれませんね。

 謙遜するのが美徳であるが故に、不必要にへり下ったり、不幸自慢したがってしまう。

 お金を稼ぐことを後ろめたく感じてしまったり、幸せを素直に享受することをためらってしまう・・・。

 しかし、度を越した謙虚さは傲慢さの裏返しでしょう。

 日本人がアジアの各国で毛嫌いされるのも、かつての日本がアジアの諸国を植民地としてきたことへの怒りがあるからなのは明らかなことです。

 要するに、かつての帝国軍人のイメージが日本人のイメージとして残っている訳で、だからこそアジアの中で日本人が悪く思われてしまう。

 そのイメージを変えていくには、国境を越えた国際交流、文化交流だけが本当の力を発揮していくでしょう。

 もともと、日本はアジアの辺境の島国に過ぎなかった。

 中国文化が朝鮮半島を経由して流れ込み、独自に発展していったのは歴史的にも疑う余地はありません。

 今回の尖閣諸島問題も、いわば兄弟喧嘩に過ぎないものと認識した方が、これから先の政治外交と民間レベルの交流の在り方も円満な形になるのではないか?

 敵対するより親密になった方が賢明なやり方なんですよ。

 外交より内部に入って交流していった方が良いと私は思いますね~。

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日本刀は両手で握るものか?

 日本剣術の特徴として、「日本刀は両手で握るもの」であるという考えが定説になっています。

 右手は鐔の近くを握り、左手は柄尻辺を握って、両手の間隔は拳一つ分くらい空けるのが基本的な持ち方で、流派によって若干の差異があります。

 ところが、最近、甲野氏が、「日本刀の柄は両手の間を空けないで寄せて握るのが本来の使い方」であるという説をたてています。

 例によって、甲野氏の説くところは、自説に都合のよい例ばかりを提示して展開していてウンザリさせられるのですが、実のところ、完全に間違いとは言えないと私も思っています。

 試斬の実践家の中には、刀の柄を両手を寄せて斬る人が多く、その理由は、「刀身の茎を直接握るつもりで握らないと、柄折れを生じることがある」とのことなのですが、私も試斬の練習をしていろいろと試してみた結果として、単純に両手を離して握るより、くっつけて握った方が刃筋に力が集中しやすいことを実感しています。

 試斬をやってみるまでは、「刀は右手を押して、左手を引くことで斬れる」という剣道家や居合道家の話を意識していたんですが、いざ、そうやってみると、むしろ刃筋が狂いやすくなって斬れず、「これは、おかしいな~。実際は違うんじゃないかな~?」と思って、いろいろ握りや力の乗せ方なんかを工夫しているうちに、両手をくっつけて剣体一致で斬り込んでみたところ、何の抵抗も感じずにストンと斬れてしまいました。

「あっ、これだ!」と思って、以後、試斬は両手をくっつけて斬るようにしていますが、試斬家もそうしていると知って、「あ~、やっぱり、そうだったのか?」と思った訳ですね。

 ちなみに、柄折れは、多くの日本刀の茎が短くて、柄木の2/3くらいまでしかないことから、両手の間隔を空けて握り、斬った瞬間に右手を押し、左手を引くことによって、茎尻のところに大きな衝撃力が発生して、柄木がそこから折れてしまう現象であると考えられます。

 これを防ぐ対策としては、茎を長く作って柄木のギリギリまでにするとか、柄材を丈夫な木で作るとか、あるいは鉄板を埋め込んだり針金を巻いたりして強化するという手段があります。

 模擬刀などは、見映えを良くするのに柄を細く長く作ったりしていますし、鮫革も飾りとして貼り付けてあるだけで柄木を巻き込むようになっていないので、耐久性は期待できません。

 試斬をやるにはある程度の太さで耐久性を考える必要があり、私も最近は、不格好になるのは仕方がないと割り切って、結構、太目に作っていまして、細い柄の刀は実用に使えば折れてしまいそうな不安を感じるようになりました。

 真剣でも江戸時代の古い拵えのまま保存されていると虫食いで柄木が痛んでいる場合が多く、そのまま使ってパキンと折れてしまったという話も聞きますから、私は拵えがついている刀はむしろ買わずに刀身だけのものか白鞘のものを買って、必ず自分で拵えを作るようにしています。

 とにかく、武用に使う真剣の拵えは、見映えより、第一に丈夫に作る必要があり、柄が華奢だと事故や怪我の原因になってしまいます。


 ところで、鎌倉時代以前の太刀拵えの日本刀は、柄が深く湾曲していて、茎も曲がって作られています。

 こういう柄を剣道式に握って構えるのはかなり不自然です。

「どうして、こんな不自然な形をしているのか?」と思っていたんですが、この形は、片手で握る分には湾曲部分が滑り留め効果があって理に適っているのですね。

 そこから考えると、両手の間隔を空けずに寄せて握るというやり方は、太刀拵えの刀には向いているでしょう。

 というか、片手で持つ前提の刀を両手で持つなら、そうせざるを得ないのです。

 中国の刀剣は片手持ちがほとんどですが、双手剣という長大な剣の場合、両手で握ります。が、これも両手の間隔は空けずに持つようですけれど、それは柄がそんなに長くないからと考えられます。

 日本刀の柄が長くなったのは、長巻や大太刀の影響ではないか?と私は思うのですが、大太刀を使っていたらしい最初期の神夢想林崎流の林崎甚助重信の流れである田宮流では“長柄の利”を説きます。

 小笠原源真斎の秘術“八寸の延べ金”も、中国の戈の術から工夫されたという説がありますが、戈の長い柄を滑らしながら刃の到達距離を延ばす秘訣を流用したというのが真相に近いようです。

 この“八寸”というのは、刀の柄の標準的寸法を表現しており、「柄の持ち手を滑らして剣の到達距離を延ばす秘術」と読み解ける訳です。

 剣術では間合を正確に読めることが常勝の条件とされますが、届かない間合で届くということが、どれだけ驚異的なことだったのか?が解ります。

 もっとも、タネを明かせば他愛のないものだったと言えるでしょう。

 こういった点から考えると、柄を両手の間隔を空けて持つということの意味も、この辺りに理由がありそうです。

 つまり、型ではなく実際に防具を用いて打ち合う稽古をやるようになってから、間合を狂わす駆け引きを多用するようになると、片手面打ちのような“伸びる打ち”の有効性が際立つようになり、戦術的に両手の間隔を空けて突き打ちの瞬間に右手を外して片手で伸ばすようにしたことが主流になってきた・・・のではないか?とも思われるのです。

 現実に、竹刀の柄は真っすぐでかなり長くなっています。試合向きにそのようになっていったと考えられます。

 両手を寄せて柄を持っていては、このような戦術は使えません。だから廃れたのではないでしょうか?

 甲野氏は実際に自由に打ち合う稽古はやりませんから、このような戦術的な発達については考えが及ばないのでしょうし、対立的な原則論を提示した方が批判はあっても注目も浴びますから、いつものパフォーマンスとの合わせ技で「江戸時代以前は・・・」のいつもの論調で衆目を集めようという作戦なのでしょう。

 しかし、いつまでも同じ手法が通用する程、世の中は甘くありません。

 現実に武術としての実用性を示さず、内輪で詐術めいたパフォーマンスだけを繰り返してみせても意味がありません。

 もし、甲野氏が自説の正統を主張したいのであれば、現代剣道と公式に立ち合って連戦連勝してみせる必要があります。習いに来ている剣道家を相手に一方的に技をやってみせても何の証明にもなりません。

 しかも、自分が手も足も出ないで一方的に打ち負かされた話は隠して、自説の有効性だけを主張する態度は、極めてアンフェアであるといわねばなりません。

 確かに、甲野氏の活躍によって古武術が見直された功績は否定できませんが、彼のやり方は、古武術を利用して自身の社会的権威性を確立したいだけではないか? 私にはそう思えて仕方がありません。自身の負け話を平然とできるようになって初めて、私は彼を認めますよ。


 それはともかくとして、二天一流のように片手打ちを提唱する流派を研究していて、ふと太刀拵えの刀の柄について考えるようになり、延壽宣次の柄は、いつもより反りを深く作ってみました。

 この刀は軽量で片手でも扱いやすそうだったので、実験的に作ってみた訳です。

 そもそも、居合術は、抜きの一撃は片手斬りになる訳ですから、片手持ちしやすいような柄の方がいいんじゃなかろうか?と思っていたのです。

 次の刀は新々刀の二尺七寸の長刀ですから、今度は薩摩拵え風に柄の反りを逆にしてみようかな?とか思ったりしていますが・・・。


追伸;10月の29、30、31日に東京美術倶楽部(港区新橋6-19-15)にて第23回大刀剣市が開催されるそうです。同時併催で「坂本龍馬と幕末の名刀展」などもあるそうです。関心のある方は行ってみられるとよいと思いますよ。


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日曜日の稽古

 3日の日曜日の稽古会は、いつもの練習にプラスして他流の破り方を指導しました。

 他流の破り方といっても、特別なことをやるのではありません。その流儀ごとの構えからどう攻撃してくるか?という特徴に対して、それを封じながら攻撃するやり方を指導解説していった訳です。

 といっても、「自由に攻撃してくる相手に一方的に技をかけるなんか、簡単にできる訳がないだろう」と文句を言う人はいるでしょう。

 でも、できます。

“自由に攻撃させなければいいのです”。

 つまり、瞬間的に相手を居着かせると同時に先手先手で攻撃すればいいのです。

 無論、こういう戦闘理論は“読み”と“交叉法”、“歩法”と“崩し”ができることが前提ですから、これらをできない人間には教えても体得できないでしょう。

 が、うちの常連会員さんたちはクリアしているので、教えれば結構、簡単にできます。

 それでも、やっぱり、上手下手の差が出てしまうんですね。

 どこで差がつくか?というと、理解度で差が出るんです。

 率直にいうと、武術を身体操作で考えている人は、これらは体得が難しくなります。

 どうしてか?というと、自分の動きの速さばかり考えて、相手をまったく観ないからです。

 重要なのは、相手の状況を正確に読んで、相手が動こうとするより先に制することと、体幹部を攻めることです。

 どうも、武道、格闘技をやればやるほど、手足の先端ばかりに注目してしまう。

 これを避けたり躱したり受けたりしようとするから、必然的に間合を保ってしまう。

 そして、相手が動いてから反応する・・・これでは速い相手にはやられてしまいます。

 ゆっくり動いても相手より先に制してしまう・・・こういう動きをしないとダメです。

 ナゾナゾみたいですが、答えは簡単。相手の狙点をズラしながらカウンターで返すことで、相手の攻撃は当たらず、こちらの攻撃は当たる。

 あるいは、相手が動こうと考えた時点で先に動いて制してしまえば相手は攻撃を出せなくなる。

 これもタネを明かせば、“歩きながら攻撃する”というだけです。

(あ~、物凄く重要な秘訣を書いたんだけど、多分、誰もわかんないだろうな~? 実感したい方はセミナーへどうぞ~)


 今後は、他流破りの方法論を常連会員にはバンバン教えていくつもりです。秘伝は実際に使えてこそナンボですからね・・・。


追伸;ついに武術漫画の原作を書くという計画を立ち上げました。取り敢えず、プロモーション用の第一話を作って、企画を出版社に持ち込みしていこう・・・ということにして、ストーリーやキャラクター、作品背景などをミーティングしたんですが、私が考えた案を漫画家の先生が「それは面白いよ」と言ってくれたので、ちょっと自信がつきました。これが日の目を見て、ヒット作になって漫画原作者として成功できたらいいんだけどな~?と、思っています。漫画雑誌編集者の方で興味のある方はお声かけくださいませ~。


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弟子を育てるということ・・・

 10年前に游心流を名乗って活動し始めた頃だと、「ライター風情が流派を名乗るなんて身の程知らずなヤツだ」と、周囲から散々陰口を叩かれたものでしたが、10年間も活動し続けて、を一冊出すと、「あいつ、生意気な・・・」と言われ、二冊目を出すと何も言われなくなり、三冊目を出すと無視されるようになり、四冊目、五冊目、六冊目と出すと、「いや~、長野“先生”は凄いな~・・・」と言われるようになりました。

 特に、今の御時世、売れない物書きは一冊出して終わりですからね。何冊も出しているというのは売れている証拠な訳ですし、さらに、私の場合、武術武道の専門誌にまったく出ていないというのも逆の意味でブランド・イメージが確立されましたね。

 もちろん、ネット・アイドルと違って、実際に毎月セミナーやっていろんな武道格闘技の経験者に教えて結構な好評を得ているという点もポイントが高いし、その様子を特典映像に入れたDVDもシリーズで出ているので、「口先だけじゃなくて、実際は指導家としては優秀なんじゃないか?」という具合にプラマイが逆転していっています。

 もちろん、これらは、わざと戦略的にやってきている訳で、偶然そうなったとは言えません。私の計算では今頃はもっと売れっ子になって道場兼自宅の3F建てビルに住んでいる予定なんですけど、ちょっと甘かったですかね~?

 それでも、昔は知り合いから寸借詐欺みたいにお金借りて、何とか凌いでやってきていたのに、今はお金を貸してくれませんか?と言われて、多少は貸したりできるようになったんだから、本当に継続は力になるんだな~?と、しみじみ感じます。

 とにかく、目下の目標は安定した収入を確立して武術文化の研究所として人も雇って運営していけるようになることです。やっぱり、先立つ物は金という面はありますよ。心意気だけじゃ、やってけないですよ。

 無職だったり病気で働けないとか家に引きこもってるとか言って、教えてくれと言ってくる人がいるんですが、本当に武術にかまけてる場合じゃないですよ。

 バイトでも何でもやって金稼ぎながら、武術をやるのならいいんですが、なんか明らかに現実逃避なんだよな~? そういう人が相当数いますけど、自分の首を絞めるハメになるだけですよ。

 世の中、やっぱり、独りだけの力じゃどうにもなりませんけど、天は自らを助ける者を助く・・・なんだよね~。

 自慢じゃないけど、何とか自力で食えるようになるまで20年くらいかかってますよ。よく親から見捨てられなかったな~と思うし、私が綺麗事が大っ嫌いなのも、社会の底辺を這いずる感じで貧乏芸人みたいに生きてきたからですよ。綺麗事言う余裕なんか無いもんね。

 47歳という年齢は、武道の世界では鼻垂れ小僧みたいなもんなんですが、最近は、斯界で名だたる諸先生方が「長野先生」と呼んでくださることもあって、流石に、武術を指導して一派をたてている者として、それなりに振る舞わなきゃいけないよな~とか、思っています。だって、周囲はそういう人だと思って見てる訳だから・・・。

 指導者として一番、活躍できるのは40~50代だと思う訳です。私はその真っ只中にいる訳だし、これまでは先生ヅラするのが嫌で、会員と友達感覚でいる方が気楽だったんですけれど、それが災いして増長してしまう人間を何人も出してしまいました。

 これじゃあ、いかんな~と反省したんですよね。青木先生からも、そういう具合に言われたし・・・。

 やっぱり、もう、「若気の至りです」と言い訳できる年齢じゃないですからね。指導者として、実力も人格も兼ね備えた武術家を育てるのは義務だと思っています。

 無論、私自身は、生涯一武術研究家をまっとうするつもりでいますが、武術の指導者としては世界一でありたいと思っています。それこそ、世界中、どこに出しても恥ずかしくない大達人を17人くらいは育てたい(大達人ワンセブンとか呼ぼうかな?)。

「いきなり、世界一かよ? 日本一は目指してないのか?」と思われるかもしれませんが、不遜な言い方ですが、武術の指導者としては日本一にはもう達してると思っています。

 もちろん、私自身が自分が達人に達しているなんかゼ~ンゼン思っていません。青木宏之先生や田中光四郎先生、小林直樹先生、友寄隆一郎先生といった大達人の先生方とは比べるべくもありませんよ。そこまで阿呆じゃありません。

 でも、“武術の技と理合を指導する能力”に関しては、私は自分が日本でぶっちぎりで随一だと思っています。この点だけは誰が何と非難しようが、「否定できるもんなら、やってみやがれ」と思っています。

 うちの常連会員の上達具合。月例セミナーの常連参加者の上達具合。奇跡を見るかのように感動する瞬間がしょっちゅう有りますよ。「人間って、誰でも磨けば光るんだな~」と感動しますよ。ホント!

 東京支部に通っている人達はグングン上達しているし、横浜同好会に熱心に通っている20代の人もどんどん良くなってきてると主宰会員から毎回メールしてくれるんですが、本人も嬉しそうです。人を育てるのは本当に楽しいし感動的ですよ。相手が育てば自分も育っていくんですよね・・・。

 私のDVD見てヘナチョコ呼ばわりする人とかも多いんですが、「そんなら、真剣で斬ってくるのを躱して捕り抑えてみろよ」って言いたいですね。アレ、模擬刀じゃなくて本身の真剣ですからね。斬りかかる方が怖いから、「もっとビュッって斬ってこい」って言ってるんですけど、「とてもできません・・・」とぶるってたんですよ。

 私は、「失敗して死んだら自分が悪いんだ」とハラ括ってるからいいけど、斬りかかる方はトラウマになっちゃうでしょうからね。

 だって、そんな練習、一度もやったことないですからね。怖くて当然です。私だって見切れる自信はあっても、“(真剣では)一度もやったことない”んだから、絶対、成功するかどうかは判らないんですよ。

 おまけにビデオカメラで撮影している中でやるのは無意識に緊張して実力が発揮できないものなのも知ってる。だから、私としても決死の覚悟でやったんですよ。

 敢えて、それをやっているのは、技だの術だのじゃなくて、肚を括ることの重要性を少しでも表現したかったからなんですね。映像で見るとあんまり判らないですけどね。

 けれど、私のDVD見て評価してる人は、形じゃなくて、もっと深い部分を洞察できる人だと思いますよ。よって、「こんなモノ、ダメだ」と言う人は、「あ~、その程度しか観えないんだね~。お可哀想にね~」って思うだけです。

 こういう発言は誇大妄想かな~?とは、自分でも思うんですが、少なくとも武道武術の専門誌とか読んでいても、失礼ながら私以上に知識と技能と解析能力を持つと思える方は見当たらないのですよ。

 表に出ていないで私以上の人はきっといるだろうとは思うんですが、でも、表だって活動している中にはいないと思えます。

 高岡さん、日野さんは、武術の細かい内容については知らないみたいですし、特に中国武術には疎いみたいです。技術分析はできても総体としての理合を知らない。

 宇城さんは自分の学んだ沖縄空手と居合道しか知らないみたいです。

 甲野さんは“論外”として、高橋賢さんは古武道研究家として優れた研究をされていますが、空手や一般武道について知らな過ぎです。

 木村達夫さんや保江さんも佐川伝合気しか知らないし他流の戦闘理論などはそもそも興味がないでしょう。

 そうですね~。河野智聖さんは一通り研究されている印象を受けますが、武術よりは身体操作に関心が深い様子ですし、野口整体をベースにされている印象があります。案外、武術の戦闘理論とかは求めていらっしゃらないんじゃないかな~?

 内田樹さんは、あんまり読んでないから決めつけるのも良くないんでしょうが、ちと能書きが過ぎると思いますね~。合気道中心の人には多いから仕方がないかな~?

 前田英樹さんは、何か甲野さんとの共著がイケズだったので期待していなかったんですが、ちくま文庫の『宮本武蔵 剣と思想』を今、読んでいるんですが、なるほど、この人は慧眼だな~と見直しましたよ。宮本武蔵の解析本として一番、優れているんじゃないか?と思いました。

 その前田さんの武友である小用茂夫先生が、実をいうと最も武術武道格闘技を全般的に解析して語れる能力を持たれていると思うんですが、恐らく表だって武術について語っていこうとはされないでしょうし、あくまでも自身の修行に専念して一生を費やすことを求めるタイプだと思いますね。「本、書いてくださいよ」って、だいぶん、前から言ってるんですけどね~(苦笑)。

 本音を言えば、小用先生が私のやろうとしていることをやってくれれば、私なんか出る幕ないと思うんですけどね。表だって活動していないから知られていませんが、実質的に武術研究では当代随一の第一人者だと思います。

 私の場合、使命感もあるんですけど、半分は自分の生活のためにやっていることですからね~。生活の苦労を考えなくていい立場だったら、私は武術は道楽としてだけやって、他人にも教えなかったでしょうね・・・。


 その他にも武道本を著述している方はいるでしょうが、大体、空手系、古武術系、合気系、剣道系、中国武術系、格闘技系といった具合に限定的な専門家と言うべきですね。

 例えば、かつて武道の理論で一世を風靡した南郷継正さんも、空手をベースとして現代武道一般を研究した様子でしたが、中国武術に関しては、かなりトンデモな解釈をされていました。

 要するに、経験のないものは論評できない訳ですよ。

 表だって知られていないけれども、青木宏之先生は空手、古武術と広範囲に研究されていて、その見識の高さはもの凄いんですよ。甲野さんの師匠筋だから当然かも知れませんが、格が違います。ただ、中国武術は専門外だから、ちょっとお話していても表演武術を判断基準にされているみたいだな~とは思いました。

 なので、私のように、現代武道・古武術・格闘技・中国武術・エスニック武術を全般的に知っていて、舞踊・整体療法・健康法・精神世界・オカルト・宗教・銃などの武術に関連する周辺領域についても詳しい筋金入りのオタク人間となると、皆無に近いと思うんですよ。表だって活動している人では・・・。

 その点で、私は、武術研究家になるべくしてなったんだと運命論的に解釈してます。

 が、これまで多くの人に教えてきましたが、私のやっていることを全部引き継いでくれそうな人は、ちょっといないかも知れませんね。

 これはもう、最近は諦めています。単純に実力と人格さえ向上してくれればいいかな~?と思っています。


 九月の本部道場稽古会は三回あったんですが、どうも雨ばっかり降るものだからか、最後の日は、またも北島師範のマンツーマン指導になりました。

 結局、彼だけが格段に伸びていっている最大の理由は、私が直接指導する時間が長いからなんだと思いますね。家も近いし・・・。

 せっかく広い道場で思いっきり練習できるから、相模原近郊の人はどんどん入会してもらいたいんですけどね~。20~30人いても練習できる広さだから、もったいない。

 まあ、せっかくだから北島師範の秘密特訓のつもりで、フィリピノ・カリのスティック術と、ナイフ術をみっちり指導しました。

 いつも、護身術を考えているのでスティック術は逆技とかを教えていたんですが、この日は相手を滅多打ちにするスピーディーなストライキング・テクニックを中心に教えました。

 カリ・スティックはラタン(藤)の棒なので軽いんですが、適度な弾力があるので激しく叩きつけても樫のように折れたりしにくいのが特徴です。一撃の威力は樫に劣りますが、滅多打ちにするのに適しています。要は、多撃必殺の叩き殺す殺法術です。

 ナイフ術も、触れるやいなや相手の血管や腱をズタズタに切り刻んで、トドメに急所を突き刺す殺人術のマンマを教えました。

 フィリピノ・マーシャルアーツが欧米で評価されているのは即戦力が高いからなんですね。能書き無用の殺法術をそのまま学ぶ。

 こういう残忍な技は人格が練れた人間にしか教えられないですから、マンツーマンだったのが幸いでした。

 ただ強さのみ求め、後先考える脳のない阿呆に教えると、通り魔殺人犯にならないとも限りませんからね。

 北島師範は、教えたそばからグングン上達していって、私は内心、舌を巻きました。なので、「これで練習しなさい」と、カリ・スティックはプレゼントしましたよ。

 後は武器の操作に熟練すれば、十分以上に、使いこなせるようになるでしょう。

 ナイフの持ち方なども、順手か逆手かの持ち方の意味についても指導しましたが、自分でやってみて納得できなければ実際には使えないでしょうね。

 まだ、武器をガチッと握る癖があるので、フワッと握って、全身の関節を柔らかく連動させて変幻自在に操作するように指導しました。

 私は短刀や脇差なんかの刃渡りの短い刀剣は、割りと逆手持ちをやるんですが、これは体術の応用でやる場合には非常に有効性が高いのです。「刃筋が立ちにくいから実用的でない」と考える剣術家が多いですが、接近密着戦法では逆に利点が多いのです。

 間合を潰して肘当てする要領でやったり、蟷螂手法で相手の手首に引っかけたりするのに有効なんですね。

 SPに主演している岡田クンがJKDのインストラクター資格を得たという話を聞きましたが、ブルース・リーが創始したJKDは、詠春拳の手技に北派拳法、テコンドー、ムエタイの蹴り技を加え、韓国合気道の逆技やレスリングの投げ技、フェンシングやモハメド・アリのステップ、それにフィリピノ・カリの棒術などを混合精錬したものです。

 うちのセミナーにも、過去6人くらい、JKD経験者が来られていますが、いずれも武術のセンスが良かったですね。いろんな流儀を混合しているという点で相性が良かったのかも知れませんし、コンセプト自体がうちと少し似ているからかもしれない。

 このうち、一人はアメリカで俳優業をやっている人で『硫黄島からの手紙』にも出演されていますが、随分、気に入ってくれて、入会もされました。本部道場で個人指導した時は、「セミナーの時は、相当、技を隠していたんですね・・・」と真剣な顔で言われていました。JKDを長年修行されているから、私が対外的に技の要点を隠していたのに気づかれた様子です。

 実は、ここ最近、游心流を海外に広めていってはどうか?という話も頂戴しており、海外指導員の養成も計画しているところです。具体的なことはまだ何も決まっていないんですが、武術に関する文化的な価値を知らせていくためには、単に実力があるというだけでは、もう無理があるんでしょう。

 何しろ、海外にはいろんな流儀がひしめいていて、日本では想像もつかないような技や実力を持つ武道家がゴマンといます。

 そういう中で競技としての武道を持っていっても意味がないでしょう。

 日本では偏見を持たれていますが、戸隠流忍法が海外で爆発的に受け入れられた理由を考えてみなければなりません。

 正直いって、日本人が世界で最も武術武道の真価について理解していないと言わざるを得ません。武術武道は日本の専有物であるという特権意識が先立ち、その内容を深く追究しようとしてこなかったツケが回ってきていると私は思っています。

 前々から言っているように、私は日本人にこそ日本の、ひいては東洋の武術の真価を理解し体得していってもらいたいと願っていますが、残念ながら、それは難しいのだと思います。

 なので、一度、海外で認めてもらって、逆輸入の形で理解してもらうのも仕方がないかと思いはじめています。

 それは、海外の権威ある映画祭で受賞することで日本でも評価されるという映画と同じ過程を経るしか道がないか?という諦めによるものです。

 しかし、これだけは予言しておきたいと思います。

 游心流が海外で普及すれば、もう日本の武道は世界から完全に取り残されるでしょう。

 何故なら、游心流は、様々な流儀の弱点を分析して打ち破ることを最大の特徴にして創った流派だからです。あんまり、表だって明かすとマズイと思って部外に漏らさないように注意していますが、徹底的に他流を潰すための技と戦略を研究してきています。

 それを応用すれば現在の日本武道や格闘技の世界にも役立ててもらえると思ったからなんですが、だからこそ、海外の武術愛好家に教えたら、あっという間に広まってしまうだろうと確信できるのです。

 そうなってしまえば、もう、流派の枠組みの中でしか技術の研究をしない日本武道では勝ち目がないという点だけは申し上げておきます。

 私が膨大な武術研究をしてきた最大の理由は、それら総てを体得するためではなくて、それら総てをどうやって打ち破るか?を研究するためでした。それはもう完成したと申し上げてもいいと思っています。

「強い弱いは関係ない」と私が言っているのは、戦闘理論を徹底的に研究し尽くして他流の弱点を調べあげているからなんですよ。

 どんな“つわもの”でも、弱点だけを徹底的に集中攻撃されたら簡単にやられてしまうでしょう。

 武術というのは、元々がそういうものなんですが、それを極端に追究したのが游心流の実態です。そして、無論のことですが、その実態は本やDVDでは公開していません。よほど勘の良い人なら基本原理から予測できるかも知れませんが・・・。

 セミナーでは一部、公開していますが、本格的に学びたい人は入会して本部の稽古会に通ってもらうしかありません。が、誰でも入会を許すとは限りませんし、入会しても人柄を見て教えるかどうかは私が判別しています。

 はっきり申し上げておきますが、これまで私の知っていることの総てを教えた人間は一人もいません。指導者に任命した人間でも、その後の態度を観察して、「これは教えるに値しないな」と思って破門にしたりしています。

 そこまでやらないと武術というものを正しく伝えることはできないのだと思いますね。

 だから、ただ楽しい趣味として取り組みたいだけの人は、うちは選ばない方がいいですよ。うちは“修業”じゃなくて“修行”を求めますから・・・。


追伸;水道橋駅近くの尚武堂さんで秋の武道具セールが9日から24日まで開催されるそうです。居合模擬刀や木刀、サヤ付き木刀も安くなっているようですから、利用されてみてはいかがでしょうか?(定休日・水曜日)

追伸2;10月の本部道場メイプルホール稽古会(7、21)の7日の方は、久しぶりに試し斬りをやってみます。ひょっとすると10日のセミナーの時もやるかも


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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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