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小林先生からお許しが出ました!

 躾道館の小林直樹先生に、「モデルガンのグリップに嵌めたい」とのことで、年末に横浜名刀会に行った時に買っておいた金龍の目貫をお贈りしました。

 何でも、ドレメル社の電動ルーターも持っておられて、私と同様、そういう細工するのが趣味なんだそうですね。

 それで、贈った目貫を嵌めたCOLT GOVERMENT.45の写真を撮って送ってくださった(「長年の夢がかなった」とのことです)ので、許可を得てここに掲載させてもらいます。
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 何しろ、Gunキチで特撮好きでホラー映画好きで西部劇好き・・・というところまで私と趣味がピッタリの先生だったので、お電話して数年振りにマニア話に華が咲きましたよ。

 私以外のお弟子さんには、同じ趣味がある人がいないらしくて(岡部先生も小川先生も修行一途だからな~。DVD観て「う~ん、滝行が似合いそうだな~」って思ったよ)、そういう点ではちょっと寂しかったらしいです。

 私は、特撮好きだったりカンフー映画好きだったりする会員が何人かいるし、私がギャグかましたらみんな笑ってリアクションしてくれるから、練習よりも練習後のファミレスでダベってる時が一番楽しいんですね。

 澤井先生も練習後に喫茶店でいろんな話をして、それを聞くのが太気一門の結束を作っていったんじゃないか?と思うんですが、今の躾道館はどんななんでしょうね? 小林先生は賑やかなのが好きな人だし・・・。

 今年に入ってから、シダックスに毎週、三重から夜行バスで通ってきている学生さんがいて、武器マニアっぷりが自分の若い頃を思い出すくらい私と趣味が合うんですが、彼も「自分の趣味がこんなに合った人は初めてですっ」と感動した顔で言ってくれて、あ~、良かったな~と思いましたね。学校で浮いてて孤独だったみたいだけど、それは解るよ。

 余談ですけど、秋葉原の通り魔事件の犯人に死刑が求刑されたそうですが、もし、彼に何か趣味を同じくする仲間とかいたら、仕事のつまらなさとかに押し潰されることなく、頑張って生きていけたんじゃなかろうか?・・・なんて考えるんです。

 ネット掲示板だと本音がストレートに出やすいから、悪意が集中したりするじゃないですか? 顔が見えない相手との交流は悪意が肥大しやすいと思うんですよね。

 率直に言って、私は加藤よりずっと大変な思いして生きてきたと思うんですけど、映画とか武術とか趣味を共有する仲間や友人や先輩、先生がいましたからね~。

 理解してくれる人がいるというのは、物凄く大きなことですよ。本当、周囲に理解者が一人もいないというのは辛いもんです。

 私の場合、亡くなった叔父が、当時、唯一の私の理解者で、「お前は凄いな~。きっと、将来、大物になるぞ」と言ってくれていたので、それが本当に支えになりましたね~。親父も最晩年には同じように言ってくれましたが、やっぱ、男のロマンが解らない人間にゃ~、なりたくないですね~。

 あっ、そうそう。思い出したけど、甲野氏と最初に会った時に、「貴方はなかなかの論客だね~」なんて言ってくれたのは、嬉しかったな~。結局、不倶戴天の敵になっちゃったけどね~(これぞ逆縁の出会い?)。


 私は今、先生という立場になっていますから、教える人は選ぶことができます。気に入らない人には教えませんし、「教えるべきじゃない」と思った時も断ります。

 やっぱり、武術というのは特殊なものですから、金さえ払えば誰にでも教えて良いという風には私は思わないんです。

 だってね~。人を傷つければ、それは必ず自分に跳ね返ってくるんですよ。

 武術を学んだばっかりに、人を傷つけて人生が台なしになってしまったりしたら、取り返しがつかないでしょう?

 だから、最低限、自分の心を制御できる意志力のある人にしか教えてはいけないと思っていますし、精神疾患や人格障害の素質を感じる人は断っているんですよ。酷くなる危険性がありますからね。

 中国の武侠小説やドラマでは、気功の修練の副作用で人格が豹変してしまう描写が多いんですが、そういうことは実際にもあるんですよ。そういうメカニズムがあることを理解して自分で抑えられる人なら大丈夫ですが、普通は無理だと思いますよ。

 それに、単純に「強くなりたい」と考えている人にも、私は教えてはならないと思っています。

「強くなりたいと考えて何が悪いんだ?」と、もし、考えられたのでしたら、その方は二度と私の文章は読まないでもらいたいです。バカには読んで欲しくありません。

 強くなって何をどうしたいのか?ということを自問自答する心を持っている人でなければ、武術修行は恐らく毒になります。健全な精神を毒が侵食するんです。特殊なチカラを得たという優越意識がどんどん肥大して我欲の充足しか考えなくなり、人の心を喪失してしまいかねない・・・そうなってしまっている人を武術の世界で数多く見ました。

 特に伝統武術の世界はそれが酷いんですね。

 伝統武術の世界では、「金持ち以外は武術を学んではいけない」という戒めがあるんですが、何でだと思いますか?

 自惚れて鼻持ちならない性格になったら、普通の社会生活ができなくなってしまうからですよ。社会との協調性を失ってしまえば、生活費を稼ぐことも難しくなる。だから、生活に困らない裕福な人でないと武術を学ぶべきじゃない・・・ということでしょう。

 しかしね~。金持ちのボンボンが武術やって甘えん坊将軍みたいになってもね~?


 だから、私は、世の中で活躍できる意志と力を持った人を育てるために武術を役立てたいと思っているので、自己満足で学びたいだけの意識の低い人は他所に行っていただきたいのです。

 極論すれば技なんか覚えても覚えなくても、どっちだっていいんです。

 例えば、私の本を読んだ引きこもりの人が、勇気を出して外に出ていった・・・というのなんて、最高ですよね。

 武術というのは、心の奥に眠っている闘争心を引き出して、生きる気力や困難に立ち向かう闘志を奮い立たせるためにこそ学ばれるべきだと思っています。

 その上で、人生の艱難辛苦を乗り越える知恵と戦略をも学び取れるものです。

 護身術は護心術でもあるんですよ。


 私は、いろんな先生から、そのことを教わってきましたが、中でも小林先生の影響は大きかったんですね。

 小林先生は極めて厳しかったですよ。まず、人を認めるということは滅多にない。

 現に、私は十数年間、弟子としてはまったく認めてもらえませんでしたよ。

 何しろ、「未熟なヤツはいっちょまえの口利くな!」ってのが小林先生の根本的な考え方ですから、表面上の優しさに甘えてしまうと、一緒に酒飲んでる時にカミナリ落ちる。

 そういう、優しさと厳しさが極端なところも小林先生の武術家としての凄いところなんで、私はちっとも悪くは思っていませんでしたし、「はい、私は所詮、落ちこぼれです」と堂々と言えましたけど・・・この心情は他人には解ってもらえないかもしれませんね。

 それでもやっぱり、正直いって悔しいから、小林先生の目の届かないところで、物凄~く、技の研究をしていましたよ。特に歩法は4~5年、試行錯誤を繰り返して、ようやくできるようになりましたからね。「いつか、ほえ面かかしたるっ!」って燃えてましたもん(笑)。今だから書きますけど・・・。

 正式な弟子として認めてもらっていないというのは、私のコンプレックスであると共に、修行に対する揺るぎないモチベーションにもなっていた訳です。

 結果的にはそれが良かったんだと思います。武術に関して、私は解らないことは無いと言えるくらい、自信を持って言及できるだけの知識と理論を得られましたから。

 強いだけなら掃いて捨てるほど世の中にはいますが、こと、武術に対する見識と理論分析に於いて、私は日本ではトップレベルにいると確信してまったく疑いません。

 私は生来、身体が弱くて体格も体力も運動能力も人並みに足りませんでしたが、観察力と分析能力だけはあったので、この人並み以上の能力を徹底的に磨いてきた訳です。

 だから、一度観た技は、原理・掛ける秘訣・応用変化・返し技まで即座に考案するという特殊技能が備わってしまいましたよ。

 これは小林先生にそういう技能があったんですが、私もそうなってしまった訳です。

 私に一回見せた技は、もう通じないと思ってください。見た次の瞬間からは破り方を考えてますから・・・。

 十年ちょっと前に取材時に佐川道場の木村達夫氏の合気揚げを封じられたのも、木村氏が調子こいて何度も掛けてみせたから、「あ~、こうやって掛けてるな~。ってことは、こうすれば掛からないな」って、その場で瞬間に思いついたんですね。

 確かに木村氏の合気揚げの技量は、相当に高かったと思います。知らない相手は畑でニンジン抜くみたいに簡単に跳ねあげてしまえたでしょう。ざっと甲野氏の十倍はあったと思うので、甲野氏がまったく太刀打ちできなかったという話も本当のことだろうと思いました。

 この話は本でもブログでも書いているので、いろんな人から、「あの木村先生の合気を封じたなんて凄い!」って言われましたし、「で、木村さんは道場破りに来たの? あそこまで書かれたら、武道家だったら必ず行くでしょ? えっ? 来ないの? へえ~、木村さんってダメだな~」って、先日、ある中国武術の先生から言われました・・・。

 未だに誤解している方が多いと思いますから書きますが、どんな秘伝極意の技であろうと、“技の仕組みが解ってしまえば封じるのは簡単”なことなんですよ。技量の差じゃなくて、質の違いの問題だからです。

 強い弱いの技量でしか考えられない人には理解できないと思いますが、技の質が違えば、素人が達人に勝つことだって難しくないんです。

 アームレスリングのチャンピオンだから、マラソンランナーとマラソンやって勝てるとは言えないでしょう?

 空手の達人でもルールに従って柔道やったら白帯にさえ勝てない。つまり、そういう仕掛けです・・・。

 合気だの発勁だのが絶大な効力を発揮するのは、相手が仕組みを解らないから通用する訳ですし、技の仕組みを教えないで約束組手的な状況で掛ければ、一方的に掛かるのは当たり前の話なんですよ。

 私が木村氏を心の底から軽蔑しているのは、従順に学びに来ている他流空手師範などの名声を利用して自らの技と実力を、あたかも遥かにレベルが高いかのように印象付けて本で紹介する、その下劣な品性に対してのものなんですよ。

 ひょっとすると、無邪気に自分の実力と錯覚しているのかもしれませんが・・・まさか、そこまで阿呆じゃないでしょう(笑)。

 同様のことは宇城氏にも見られますが、一番、盛大にそれをやったのは西野流呼吸法の西野さんだったでしょうね。

 その次は、甲野氏がそのような詐術をより巧妙に利用して自らの地位を築きました。

 私は、そういう誇大妄想唯我独尊に陥っている武術家の“人騙しの手口”を公開して、二度とくだらん真似できないようにしてやろうと思っておりますので、ユーチューブにもその手のパフォーマンスのネタを披露しましたし、今後もジャンジャンばらしてやるつもりです。

 何でか?というと、そういう姑息な真似を続けている限り、武術の真価は世の中に認められないと考えているからです。権威主義にからめ捕られている状況を変えないと真の発展はあり得ませんよ。

 だってね~。柔道や剣道、空手道、ボクシング、キックボクシング、総合格闘技・・・といった世界で身体を痛めて懸命に頑張っている人達に対して、「恥ずかしい」とは思わないですか?

 私がコンバットマガジンの甲野氏の論に腹が立ったのも、そこなんですよ。

「恥を知れっ!」って、言いたいだけ。

 そして、この“恥”の概念を明確に教えてくださったのが、ほかならぬ躾道館の小林直樹先生でした。

 小林先生のところには名のあるチャンピオンが学びに来たりもしていたんですが、小林先生は、「彼が俺のところに来ていることは絶対に言っちゃダメだ。彼の立場にかかわるからね」と、箝口令を強いていたんです。

 これと同じ対応は青木先生もされていました。

 私は、腕前もそうですが、それ以上に、こういう人柄を尊敬しているんです。

 相手の立場を尊重した上で受け入れる。これは簡単そうで難しいことですよ。

 だって、威張りたくなっちゃうでしょう? 私なんか名のある人が入会してきたら威張りたいもん。自分がコンプレックス強いから、「俺は、こんな凄い人に教えてるんだぞ。ふっふ~ん」なんて威張りたいもんね~(俗物野郎ですんまっせん・・・)。

 まっ、それはそれとして、小林先生からは、「今後は堂々と俺にならったことを公言していいからね」と、まあ、何というか・・・そうですね~? 武術で言ったら、義理許し?みたいな・・・現代武道で言うところの名誉十段?みたいな・・・そんな感じでお許しを頂戴しました。

 ちょっとビミョ~なところ(実力認めてくれた訳じゃないからな~?)ですが、あのメチャメチャ厳しい小林先生が「許す」と言っただけでも、「これは物凄く認めているってことだよな~」と解釈しております。

 なので、これまで、義理だてて大っぴらにやらなかった“小林直樹伝超加速歩法(長野が勝手に命名しております。游心流では蛟龍歩と名付けております)”も、今後はバリバリ教えますよぉ~!

 今、だいたい、うちの会員で5人くらいはできるようになったから、歩法と身法、掌法をもっと融合してやれるようにスキルアップさせていかないとね~。

 2月1日は私のAGE48の誕生日なんで、この日は東京支部の稽古会に行って、この歩法も指導しますよ。もう、小林先生にも「歩法、バンバン出しますけど、いいですよね」って、言っといたから(多分、私ができるのはご存じないんじゃないかと思うけど)、サイボーグ009みたいに動ける遣い手をいっぱい育ててやりますよぉ~!

 よ~しっ! もう、隠さないで遠慮なくやるぞっ!

 ちなみに、私の歩法は、か~な~り、速いですよ。でも、小林先生のフルスロットル・モードは私の“20倍速い”という点だけは明記しておきます・・・。

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剣武天真流新春演武発表会

 23日に、三鷹の武蔵野芸能劇場の小ホールにて、剣武天真流の演武発表会が開催されたので、会員のCさんと一緒に観に行ってきました。

 大々的な発表会ではなく、観覧者は関係者のみとしてのものでしたが、「昨年の発会式以来、剣武天真流会員の上達ぶりをご覧ください」といった主旨での和やかな演武会・・・の予定?だったと思うんですが、後半の木刀での組み太刀は、ある程度、加減はしているものの、“木刀で自由組手やってるようなもの”で、やってるうちに何だか殺気を放射してきて、「うひゃ~、こりゃ、血ぃ見るんじゃないか?」と、ハラハラドキドキしてしまいましたよ・・・。

 組み太刀は、通常の古武術の型演武とは違って、段取りが決まっていないので、相手の隙を観たら打ち込んでいき、それを受け払って返していく・・・という真剣勝負に通じていく攻防訓練なんですね。

 だから、気を抜くと木刀の尖端や柄頭なんかが目に当たったり鼻や口に当たったりして怪我する可能性もあるし、打ち合った時に滑って指を怪我する場合も少なくありません。

 素手でやるより、ずっと大変なんですよ。

 それに、もし事故になると演武会の雰囲気が悪くなってしまうので、演目としてはどうかな~?という気もするんですが(合気道ではダンドリ通りで綺麗だけど武術性に疑問を感じる場合もありますね)、敢えて、そこを見せたいとする心意気を私は買いますね。


 この時は、新しく買った二尺七寸の長くて重い無銘の新々刀と、先日、青木先生に頂戴したスウェーデン鋼の刀を直したのを見てもらおうと思って、ポン刀二振持参で会場へ行きましたよ(客観的に見たらスゲェ~危ないヤツ?)。

 三鷹駅で、「是非、観たいです!」と言ってきた会員のCさんと待ち合わせて、会場へ・・・すると、知り合いの社長さんも来られていて、いろいろ用事があった中、時間を割いて、わざわざ足を運ばれていた様子です。

 会場では、早速、青木先生に刀を見せました。「うわっ、長い。しかも重いっ・・・」と言いつつ軽々と振り回す青木先生・・・。ビュンビュン振ってるから、目釘が折れて刀身吹っ飛んだらヤベ~(目釘の竹はまだ専用に作ってなかった)と思ってハラハラしちゃいましたよ。

 でも、流石に二尺七寸だと普通の抜き方だと腰から抜けないので、短か目の刀が好みの青木先生は困っちゃって、鞘を外して刀身だけで振ってましたけど、刀の重さから瞬時に振り方を変更して剣体一致にするところが、流石は青木先生だな~と思いましたね。

 並の武道家だったら、刀の重さを腕力で支えようとしてガチガチになって、まともに振れなくなるでしょう。この刀、恐らく1.5kgはあると思うんですよ。小宮四郎国安が1.3kgくらいだったから、それよりかなり重いですからね。

 普通の定寸の真剣だと1kg前後ですよ。鞘を払った刀身で・・・。

 そのくらいの重さは大したことないと思う人も多いと思うんですが、これを高速で振り回すと瞬間的にはもの凄いGが生じるので、単に筋力でやろうとすると負荷がかかり過ぎて筋断裂とかの怪我を招いてしまう訳で、だから腕の力を抜いて全身を効率よく協調させないといけない訳です。

 この刀は身幅も広いし重ねもブ厚く、同田貫よりゴツイんですよ。カブト割りとかに向いてると思いますが、腕力で扱うのはまず無理ですね。

 私も鞘塗り前の80%完成バージョンで練習した時に、腕力で支えたら振れないと解ったので、正和サマ刀法に切り替えて、柄を握り締めずに指も開き気味にして身体の捌きで振るようにしたんですが、青木先生はそれを一瞬で悟って、むしろ刀の重さを利用して振られていたのが印象的でした。

 そして、先日、交換で頂戴した松葉国正刀匠のスウェーデン鋼で作った刀。刃毀れと曲がりを直して、鯉口もユルかったのを直していたので、青木先生に見てもらいました。

 試し斬り向きに直った刀を、試し斬り合宿に参加したであろう会員さんに見せてらっしゃいました。


 さて、演武会です。

 昨年のDVD撮影の時に見た技とはかなり違う技が含まれていて、ちょっと苦笑させられましたね~。また、DVD第二弾つくらなきゃ~・・・。

 ちなみに、剣武天真流の合同稽古は月に一回だけなんだそうですね? なかなか練習場所が確保できないらしいんですが、新体道から兼修しているメンバーの演武は圧巻でしたね。やっぱり、鍛え方が違うからな~。

 私の印象にまず残ったのは、女性会員の上達ぶり。自然で素直で邪気が無い。刀法に迷いが無いのは凄いな~と思いましたね。

 それから、剣舞系の演武も良かった。ボサノバで抜刀術(吉田さんは誰かに似てると思ってたら『ブリーチ』の朽木ルキアに似てるな~。逆抜きの太刀が上手い!)・謡いで剣舞(仙人が舞い踊ってるみたいで、ムチャ格好いい! 『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の道術と剣術の達人イン道士を思い出した)・・・何か、私、ダンス系パフォーマンスが大好きなんで、こういう粋な演出で見せてもらうのがいいな~。

 個人的に一番、印象深かったのは、秋山さんの演武。二回くらい電話で刀談義をしたこともあったんで注目していたんですが、ムダな力が抜け切った、刀の自然な軌跡を描く非常に端正で美しい動きには目を見張りました。素晴らしい!

 刀の柄が出し目貫の少し変わった形だったので、自作したのかな?と思って聞いてみたら、御自分で工夫して作られたそうでした。

 私は、どうも、綺麗に作るのが苦手(面倒臭がり屋なんです)で、わざと大雑把に武骨な感じに作るんですが、やっぱり性格が出ますよね。秋山さんは非常に端正に芸術家が作る工芸品みたいな感じで拘って作られているのが解りましたね。

 それと、特殊抜刀の型は、私が考えていた技とほぼ同じ技もあったりして、自分の考えに近いので面白かったですね。殺陣にも応用が利きそうなので、役者志望の人が習うといいんじゃないかな~?

 青木先生の凄いところは、感性的なタイプかと思うと、緻密に理論構成して稽古体系を組み上げる論理的な面も合わせ持たれている点ですね。既にかなりの膨大な体系になっていますが、それを生み出すために、さらに膨大な映像資料を分析して検証していることが察せられます。それを70歳過ぎてからやるんだから・・・本当に凄いという言葉しか出ません。

 ほぼ初めてに近い発表会で、緊張されて木刀の組み太刀のタイミングが合わずにハラハラさせられたメンバーもおられましたが、それもまた愛嬌で、本当に身体サミット2010の時のような和気藹々とした非常に気持ちの良い演武会でした。

 そして、青木先生から道号を贈られた大井先生。

「秀岳」という道号に相応しく、DVD撮影の時からさらに磨きがかかった一分の隙もない堂々とした演武で、「うわ~、こりゃあ、ひょっとすると青木先生を超えたかも?」と思いましたよ。いや、マジで・・・。

 でも、最後に青木先生が剣舞を披露されると、「どひゃぁ~、ま~た、進化してるよぉ~。ど~なってんだよ、このヒト・・・」って、またまた脱帽させられちゃいました(大井先生・・・大変だね? 頑張れぇ~!)。


・・・とまあ、こんな感じでしたけれど、会場には河野智聖先生も来られていて、打ち上げの席では河野先生から『秘伝』に出ていた四節八極拳(酔八極拳)の先生の表演や、仮面ライダー・スーパー1の赤心少林拳の宗家、竜明広先生の秘蔵映像を見せて戴きましたよ。

 酔八極拳って、噂だけは結構、以前に耳にしていたんですけど(冗談かと思ってた)、これはいいな~と思いましたね。八極拳は打ち込んだ時にガチッと固まる人が多いんですが、この先生はファンソンが利いていて固まらないんですよ。

 柔らかく重心が体内で流動している様子がうかがえて、ゆっくり演武しているんですが、瞬間的な動きは凄く速いだろうな~と思いましたし、技の重さが想像できます。また、動きの最中で威力を出す方向を自在に変えられるだろうと思いましたね。

 そうですね~。システマのミカエル師にちょっと近い感じがします。人相も凄くいい感じですね。倉本先生と似てるかな?

 酔八極拳。思いの外、酔拳らしい。酔歩みたいな歩法も使ってるし、これは非常にいいと思いますね~。

 竜先生も武道界の裏の伝説の人でしたが、演武映像が残っていたとは、河野先生、いい仕事されてますね~。手を動かす型が、スーパー1の動きと重なって、特撮バカ魂が震えましたよぉっ!

 でも、河野先生が「リュウ先生」って言われた時は、「はて? リュウ先生って、龍飛雲先生に劉雲樵先生に劉しょう穂先生に・・・」って、頭の中で何人もイメージされてしまい、「誰だっけ?」って思いましたけどね。

 それと、河野先生が師範代をされていた“心拳”って何だろう?と思っていたら、鳳龍院心拳の清水伯鳳先生(って、漢字間違ってないかな?)のことだったようです。

 そういえば、清水あすかちゃんは『ガイファード』『グランセイザー』以降はVシネとか水戸黄門とか2時間ドラマで見かけたりしましたが、やっぱ、アクションを活かしてもっと活躍してもらいたいですね。

 今回、改めて河野先生とお話していて、「河野先生って、物凄くフツーっぽいけど、実はメチャメチャ変わり者かも?」と思って、親近感が湧きましたよ。

 だって、マイナーな方へマイナーな方へ・・・って突き進んでいくみたいなところがありつつ、でもメジャーで活躍できるような奇妙な才能を培ってて、不思議な人だな~と思いましたね(お前に言われたくないって?)。

 河野先生秘蔵の武術家映像は、是非、BABからDVDで出してもらいたいですね。東口さん、これは売れまっせ~。

 ところで、河野先生は酔八極拳の先生と出会った時には、自然身法の出口衆太郎先生(春秋社から『身のこなしのメソッド-自然身法』という本が出てて私も今読んでます)や小用茂夫先生と会って合同練習していたとのことでしたが、私が「小用先生はよく知ってますよ。形意拳と新陰流刀法の初歩をちょっとだけ習いました。あっ、そういえば、小用先生には三万円借りたまま返してなかった・・・」って言ったら、笑ってました。小用先生、近いうちに返しに行きま~す! もうちょっと、待っててね~。

 あっ、それと、河野先生には、前々からある女に気をつけて・・・と伝えたかったので、これもお話しておきました。

 その女、いくつもの武術道場を壊滅寸前に追い込んだ、まるで九尾の狐伝説みたいなコワイ女なんで・・・って、これ以上は祟りがありそうでコワイから書きません! くわばらくわばら・・・。

 んっ? 何か、演武会の感想とは全然関係ない話になっちゃったぞ?

 まっ・・・いっかぁ?


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脱力が大基本!

 ここ最近、何故か、矢嶋師範代の上達が足踏みしてしまっていて、むしろ、何だか妙に動きが堅くなってきていて、「おかしいな~? 何でかな~?」と首を捻っていました。

 横浜同好会を任せているK原さんは、ここ最近、急速に進歩してきていて、胴体の動きまで柔らかくなってきて、いい感じで脱力したまま動けるようになってきているんですが、これは明らかに指導する側に回ったことがいい影響を与えているんですね。

 矢嶋師範代も、東京支部を始めた当初はいい感じで伸びていて、「よしよし、この調子で伸びてくれれば・・・」と思っていたのに、何で、突然、下手になってしまうんだろう?と不思議に思っていた訳です・・・。

 ダンスをやめたのが良くないのか? それとも、師範代という肩書に拘るあまり、気合が入り過ぎて力む癖が再発(病気みたい・・・)したのか?・・・と・・・。

 普通は、うちの場合は、上達の兆しが見えたら、後は加速度がついて上達するんですよね。上達の兆しが見えてから、また下手になった人なんて一人もいなかったんです。

 無論、いつまで経過しても上達の兆しが現れずにやめていった人も何人もいますが。

 矢嶋師範代の場合、力み癖が抜けるのにかなり時間が掛かったんですが、それが抜けてからはグングン上達していったので、更に励みになるように・・・と思って師範代に任命したんですね。

 だから、一所懸命やっているのが解るだけに、注意するのが可哀想に思えていたんですが、何だか、本人も気づかないまま、どんどんダメになってきているので、「このまま指摘しないでいると取り返しがつかなくなるな~」と思って、厳しく注意することにしました。

 シダックスの時に、空手の正拳突きをやらせてみたら、これがもう、物凄~く力んで突きを出しているので、ビックリしてしまいました。

 正直、「何でこんなバカみたいに力を入れて突きを出しているんだ?」と、愕然としました。

 私が模範をやって見せても、直らない。以前は、ちゃんと直ったのに・・・。直らないというより、直せない様子です。

 北島師範にやらせたら、非常に力が脱け切った、スコーンと突き抜けるような正拳が出せる。

 でも、矢嶋師範代はどうやっても、そういう突きが出せない。本人は違いが観えない様子ですし、自分の突きのどこが悪いのかが解らない様子なのです。

 どこが悪いのか理解できなければ、百回やっても千回やっても直らないでしょう。

 ダメなものは、いくら頑張ってもずっとダメなままです。むしろ、頑張れば頑張るほど、どんどんダメっぷりが酷くなってしまいます。

 そうですね~。ブレーキ踏んだままアクセル吹かすようなものでしょうか?

 何とか直させなくては・・・と思って、何度も繰り返させて矯正していきましたが、彼の問題点は、第一に威力を出そうとし過ぎて、“突きが極まる瞬間だけ筋肉を締めて剛体化するべき空手の突き”を、拳が捻り出される(肘が脇を離れるポイント)くらいから筋肉を締めてしまっていたのです。

 これでは突きのスピードを殺して、当たった瞬間には拳の推進力が無くなってしまい、威力を出しているつもりで実際にはまるで威力が出ていない・・・という“死んだ突き”になってしまいます。

 どうして、こんなに根本原理から外れてしまったのだろう?と、かなり愕然となってしまいました。

 翌日の公園での稽古でも、矢嶋師範代にはいろいろ注意して動きを矯正するようにしましたが、やはり、全体的に力む癖が戻ってしまっていて、前日よりは矯正がスムーズにいきましたが、このままではすぐに戻ってしまうな~と思いました。

 発勁の動作も筋肉を締めて打とうとしてしまっていたり、本当に驚くほどに基本を忘れ果ててしまっているので、ちょっとショックでしたね~。軽く2年分は後退してしまっていたんですよ。

「おかしい・・・一体全体、何をやったら、こんなにダメになってしまうんだ? ダメになる練習なんかやっている筈がないのに・・・」と、本当に、不思議で不思議で仕方がありませんでした。

 指摘して何とか直せるレベルだったから問題ありませんでしたが、何か彼自身が独自に工夫して実践しているトレーニングが間違っているに違いない・・・と思いました。

 で、公園からの帰り道、彼自身も悩んだのでしょう。「最近、刀を振ってるから、どうしても“力が入ってしまって”・・・」と言ったので、“あっ、それか?”と思い至りました。

 彼は、模擬刀や木刀を“しっかり握って”振っていた様子です。それも懸命に数多く振っていたに違いありません。

「刀は握り締めて振ったらダメだよ」と言うと、意外そうに、「えっ? 雑巾を搾るように振るんじゃないんですか?」と言うので、「それは間違い! そんなことしたら刃筋が狂ってしまうから斬れなくなるよ。刀は腕の力で振っちゃダメなんだよ。だから柄をギュッと握ったら絶対にダメ!」・・・と。

 彼が下手になってしまった原因が解りました。

 自分勝手な解釈で刀を握り締めて振り続けることで、腕を力ませて固める癖が戻ってしまっていたのです・・・。

 そしてまた、型の形を正確に取ろうとするあまり、無理やり力任せに筋肉を締めて動きを止めてしまうために、尚更、力んで動く癖が出てきてしまっていたのでしょう。

 彼としては会員に正しい形を教えようとするあまり、動きを無理に止めて見せたりしているうちに、止めるための筋肉を収縮させる癖が知らないうちに習慣化してしまったのだと推測されます。

 すべて、当流で最大の禁忌であるところの“力み癖”を誘発させてしまっていた・・・という次第でしょう。

 東京支部のブログを読んでみたところ、“動きの柔らかさ”について彼は書いていましたが、もっと重要な「脱力したまま動く」という点については、恐らく、まだ理解できていないのだろうな?と思いました。

 柔らかく動くだけなら、多少の力みが残っていてもできます。プロの格闘家は皆、動きそのものは柔らかいのです。

 脱力と言っても「屈筋の力を抜いて伸筋を用いる」という考え方を正しいとする師範もかなり多いのです。

 これらの脱力は、極限まで脱力させて動くのとは別の意味としているのです。

 私が研究してきた結論として、武術で有効な柔らかい動きというのは、これ以上、力を抜けば崩れ落ちるように倒れてしまう・・・というギリギリまで力を抜いて抜いて抜き切って、体内の重心を自在に流動させることで技の効力を生み出す術理に適った“結果として現れる動き”なのです。

 例えば、八極拳の動きはガチガチッとした感じですが、人によっては内部が脱力できていて当たる瞬間に一挙に重心が集まってズドンッと打ち込むような鋭く重い打撃を出せる人もいます。

 私が理想として目指しているのは、そんな技です。

 単なる柔らかい動きを目指している訳ではなくて、瞬間瞬間に、適切に相手に応じて剛体化したり、柔体化したり、流動体化したり、また高速化して動いたりできる自由自在な術理に適った身法です。

 そのための絶対に必要な条件。それが“脱力”なのです。

 例えば、拳で破壊的な衝撃を与えるには剛体化が必要ですが、その剛体化の時間は当たった一瞬だけでいい。それ以外は極力、脱力していた方が剛体化した時に生じる衝撃力は大きくなるからです。

 また、掌打法なら剛体化は必要ありません。柔体のまま重心を無駄無く注入するには掌を柔らかく保ったまま打ち込むのがパワーロスが少ないからです。

 このような原理は、説明したところで従来の武道・格闘技の概念の影響下にある人には理解するのが難しいでしょう。

 ただ、私は長年、これらの技法の原理を体験的に研究して分類整理してきたので、何をどうやればどうなるか?ということは頭の中では明確に判っています。指導を通じて、その理論が正しいかどうかを確認しているに過ぎない訳です。

 しかし、これらは理論書として整理して本にしている訳ではなく、これまで断片的に本やブログで書いてきたことなので、全体像を掴んで理解できている会員がいるかは未知数です。

 今回、私の武術理論を最も熱心に学んできた矢嶋師範代ですら、基本的な間違いを犯してしまっていたという事実から、「そろそろ体系的な武術理論書を書くべきだろうな~」という必要性を感じました。

 それにしても、「万事、王道に近道はない」という、良い証明だな~と思いましたね。

 会員の皆さんは、地道にコツコツと一歩一歩前進していく過程そのものを楽しむ“心の余裕”を持ってください。

 ガムシャラに頑張ったら何事もうまくいく・・・ということは、現実にはあんまりないんですよ。
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ツマヌダ格闘街、凄過ぎるぅ~!

 矢嶋師範代から新刊を貸してもらって読んだんですが、上山道郎先生の『ツマヌダ格闘街』、何か、スゲ~ですよ。

 内家拳の戦闘法を、ここまで理論的に分析して漫画で描いた人っていないと思う。

 いや~、ビックリしましたよ。

 やっぱり、作者は王樹金派の内家拳を実際に学ばれているんじゃないでしょうか?

 やってる人間じゃないと、こういう描写はできないと思うんですよね。

 形意拳の崩拳のフォームは、多くの派では正中線上に寄せて打つんですが、王樹金派では中心は開けて側軸で打つんですよ。これは特徴的なのですぐにわかります。

 一説には王老師が肥満体だったから拳を寄せられなかった?というものもありますが、多分、術理的な合理性からやっていたんだと思います。


 それと、トンファーとか武器の解説なんかもプロも真っ青の慧眼で、資料をあたったとは思うんですが、実に説得力ある説明で、漫画で解説するということの絶大な効果には唸りましたね~。

 ただ、ここまでマニアック且つ専門的に描かれると、ついつい“どっかにアラは無いか?”と思ってしまうもので、ドラエさんが袋撓を持っているところの撓の向きが反対(縫い目が前に来るように持つのが新陰流)でした・・・(スイマセン。癖でアラ探ししちゃいました)。

 また、荷物をラクに持ったり、階段をラクに上がれる方法というのは、甲野流身体操法の応用だと思いますけど、より分かりやすい解説にアレンジされていてセンスの良さを感じましたね~。

 この前、批判を書きましたが、その後、甲野氏の『増補改定版・剣の精神誌』ちくま学芸文庫を勉強のために買ってきて読んだんですが、いや~、こういう良質の研究書を出したという点だけで、甲野氏は価値ある仕事をやったな~と感心しましたよ。あれで虚言癖さえ治れば、単なるオモロイおっさんで、いい人なのにね~・・・。
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恐ろし過ぎる必殺技・・・

 仮面ライダーの時代劇版ということで誕生した『変身忍者・嵐』ですが、『仮面ライダー響鬼』の最初の企画が嵐のリメイクだった?という話を小耳に挟んだことがあります。

 魔化魍(マカモウ)という呼び名でありながら、響鬼が戦う敵は完全に“妖怪”。

 そして、鍛錬を積んで鬼に変身する人間しか対抗できないという設定も、ちと強引ながら武術的な考え方で面白いと思ったものでした。

 しかし、どうしても鬼に変身できない者が、それに準じた力を得るための“鬼の鎧”というのがあって・・・という時に登場した鬼の鎧が、モロに嵐ソックリで驚いたものでしたが、ちょっとロボットアニメの『ガサラキ』に登場した鬼武者の鎧(アーマードスーツ)にも似てる気がしましたね。

 嵐は、血車党という忍者集団の谷の鬼十という医術のできる老忍者が編み出した化身忍者が、実は血車党が日本支配を狙っていて、それに利用されているのを知った鬼十と息子のハヤテが、陰謀を阻止するためにハヤテが志願して鷹の能力を持った化身忍者である変身忍者・嵐となって、血車党と戦い、さらにその背後にいた悪魔王サタンの送り込む西洋妖怪軍団とも戦う・・・という話でした。

 が、放送当時、ウルトラマンAの裏番組であったために視聴率的に苦戦したということで、石ノ森ヒーロー中でも幻のヒーロー扱いされていたんですね。

 で、実際に私も子供の頃に何回かは見た記憶があるんですが、どっちかっていうと、冒険王という漫画雑誌に載っていた石川ケンのコミカライズの方が印象に残ってるんですよね。

 今、思うと、「石ノ森の作品を何でダイナミックプロの人が漫画にしてんの?」って疑問もあるんですが、でも、凄い迫力あったので私的にはいいです。

 この時期は、確か『快傑ライオン丸』も放送されていて、時代劇特撮のブームが来るという印象があったのかも知れませんね。来なかったけど・・・。

 時代劇って、でも特撮とは相性がいいと思うんですよね。

 忍者映画なんて特撮がないと作品として成立しないし、『怪竜大決戦』なんて自来也物の怪獣ファンタジー作もあります。

 ドラマでも、『隠密剣士』『仮面の忍者・赤影』『妖術武芸帖』『白獅子仮面』『魔人ハンター・ミツルギ』とか色々ありましたよ。

 嵐にも、隠密剣士や赤影でベテラン忍者を演じてきた牧冬吉さんがレギュラーで出演していました。

 牧さんは『河童の三平』にも出ていましたが、時代劇ファンの間では実は立ち回りが上手いということで結構、注目されている人です。

 赤影の時は、それほど感じなかったんですが、嵐では、かなり上手いな~と思いましたね~。一説に「忍者の逆手斬りを編み出したのは牧冬吉だ」というものもあるんですが、それほどベテラン忍者役のイメージが強い人でした。

 雨宮慶太監督の初期のオリジナル作品『未来忍者』にも、雨宮監督のたっての希望で出演されていた・・・という話を当時の特撮専門誌『宇宙船』の記事で読んだ記憶がありますが、雨宮監督は、そういう粋なキャスティングをされるところもいいんですね~。

 晩年は『御家人斬九郎』で斬九郎の家の使用人役で出演されていましたが、元忍者という設定だったりするのかな?なんて妄想を働かせて見ていました。


 ところで、嵐ですが、必殺技が結構、地味で、「秘剣。影映し・・・」と嵐が言って刀の切っ先を下に向けて相手の姿を刀身に映して、トリャーッ!って空中でバク宙してから斬るんですが・・・。

 何か、空耳がして、「何、KAGE? HAGE? 秘剣。ハゲ移し・・・?」って聞こえちゃって、ゾゾォーッとしましたよ。何て、恐ろしい技だ・・・。

 ハゲを移すんですよ? ヒィ~ッ、コワイよぉ~・・・。


 それはそうと、正和サマの『運命峠』もアツオとエツコの『翔べ!必殺うらごろし』も終わってしまって、寂しいっス・・・。

 エネルギッシュに跳びはねながら斬る正和サマにもビックリしたけど、我流だって言っときながら、伊東一刀斎の弟子だったってのは「何だよ、ソレ?」って、ちょっと思いました。

 雲のジュウザみたいに「我が拳は我流!」みたいに言ってたらカッコイイのにね。

 それにしても、“うらごろし”は毎回、超常現象が起こって、それを解決しつつ恨みを晴らすという斬新さが根付かなかったけど、仕事人とは思えない、昼日中からダイナミックに旗竿で串刺しにする先生がサイコー。DVD欲しいな~。

 民放では時代劇が全滅に近いですが、NHKの舘ひろし主演の新ドラマは、主人公が馬庭念流の遣い手という設定で、鹿島神流そっくりの技を遣う(鹿島神流を世に出した国井先生は馬庭念流も修行した)ので感涙にむせび泣いております(嘘です)。

 やっぱ、こういう実際にある流儀の技を効果的に見せてくれるのはいいですね~。

 時代劇は殺陣がクライマックスですからね。ここがヘボだと、どんな名演技も面白いストーリーも重厚な演出もすべてが台なしになりますからね。

 でも、どうもそこを理解できていない演出家なんかもいますからね~。そういう人は時代劇やっちゃダメだと私は思いますね~。

 嵐もライオン丸も、殺陣のシーンそのものが真剣に構成されていたから、陳腐にならずに済んでいるんです。

 その点から考えると特撮物ってアクションは凄くクオリティ高いですよね。

 深夜のドラマでアクションがえらくマニアックになっているのも、そこが見所だという点を解ってる人達が作ってるからだと思いますね。

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先輩と・・・

 躾道館(私が通っていた頃は、まだ躾道会と名乗って発足した前後でした)の柏道場を預かる先輩の岡部武央先生と、随分、久しぶりに電話でお話しました。

 そもそも、私が躾道館の小林直樹先生と出会う切っ掛けは、「中国深 市で開催される中国散打の国際大会に出場する日本人選手を探すのを手伝って欲しい」との木本泰司先生からの依頼を受けて、日本武道医学会のサイード・パリッシュ・サーバッジュー先生に相談して紹介していただいた岡部先生が習っている“ムチャクチャ強い中国拳法家”ということで、訪ねたのが最初でしたね~。

 当時、小林先生はまったく無名で、岡部先生とその実兄の宜史先生、友人の小川正人先生(み~んな、先生になってますよ・・・)くらいしか弟子はいなかった頃でした。

 私も30歳になったかならないか?くらいの頃でしたね。

 確か、その時期は岡部先生はまだ19歳だったと思うんですが、深 の大会に出場して中国散打の若手ホープ楊金強選手と闘い、判定負けとはなりましたが(中量級ではチャンピオンとなった)、交叉法で蹴りを合わせたり、非常に武術性の高い普通の格闘技とは印象の異質な試合をしたということで、中国の著名な武術大家が絶賛した・・・という語り草がある方です。

 琉球古武術、伝統空手、フルコン空手、ムエタイ、太極拳等々の他、整体や気功、ヨーガ等も幅広く学んで来られて、現在は千葉県柏市で躾道館柏道場と、中国散打の倶楽部を主宰されているようです。

・・・というのは、『秘伝』の教室案内を読んでいて知ったんですが、躾道館のDVDを観て岡部先生が太極拳の抽絲勁の体動や、攬雀尾の技の第一挙動で小川先生の鋭い蹴り脚をすくい受けながら円形に差し上げていって跳ね飛ばして見せたのには、思わず、「うん、見事!」って声が出ましたね。

 太極拳の技って、やっぱり空手のスピーディーな突き蹴りに使うのは難しい訳ですよ。形式的にやって見せる人は少なからずいるでしょうが、ここまでのレベルでやれる人は滅多にいないでしょう。

 だから、これを見た時に、是非、直接、感想を話してみたいな~と思ったんですね。

 それで、今回、数年振りに、いろいろ話しましたね。

 宜史先生や木本先生のこととかも聞きましたし、何か、懐かしかったですね。

 でも、一番、驚いたのは、岡部先生にお子さんが二人いる・・・ということでしたよ。

 結婚した時も驚いたけど・・・。

 だって、昔、「インドでサドゥー(行者)になる」って話していたくらい浮世離れした修行三昧の人だったからな~(ごめんなさい・・・)。

 現在の道場では、主に太極拳を指導されたりしているそうですが、何しろ、私が本当に「この人は、本物の天才だ!」と思った数少ない武術家(大抵は、「この人は本物のバカだ!」と呆れ果てる)ですから、近隣に住んでいる方には、私が自信をもってお勧めしますよ。

『秘伝』の教室案内コーナーで紹介されていたので、希望のある方はどうぞ!

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久々のホビット村

 私の30代は、ほぼ西荻窪のホビット村と共にあったような気もします(言い過ぎかな?)。

 月に一回、ここで講座をやってきたことで、多くの人と繋がりが持てて、色々な縁ができてきたような気もするんですね。

 やさい村の大友先生や、あの松田隆智先生とも、ここで親交を深めていきました。

 もともと、日本のニューエイジ・ムーブメントの発信地として、80年代の精神世界ブーム、90年代の癒しのブーム、そして0年代のスピリチュアル・ブームへと連綿と変化しながら続いてきた人間の精神と自然との共生といった分野への関心を引き受けてきたホビット村は、現在、各方面で活躍している多くの異能の人物を送り出してきました。

 特に、ヨーガ、気功の方面や、ヒーリング、サイコセラピー、ボディワーク等の新旧様々な流派団体のリーダー的な人が、無名な頃に一度は訪れたことがある聖地であると言っても過言ではないでしょう。

 私が常連になった頃は、丁度、運営がゆりこさん達女性中心のスタッフになってからでしたが、大きな切っ掛けになったのは、日本に中国武術と中国気功の存在を広く知らしめた松田隆智先生の秘密セミナー?に参加させていただいたことでした。

 その後、私自身も講座をやらせていただくことになり、随分、長くやりましたね~。

 楊式太極拳の関本スミ先生を取材させてもらったこともあったし、躾道館の小林直樹先生の特別講座をやってもらったこともありました。

 たま~に、頭がどうかしちゃってる中国武術マニアが来て困ったことなんかもありましたけど、まあ、楽しい思い出の方が圧倒的に多いですよね。

 最近、思うんですけど、物事にはプラスもマイナスも無いんですよ。起こった事柄に関して自分の都合が良いか悪いかというだけの問題だと思います。

 だから、プラスだと思っていることが災いになったり、マイナスだと思ったことが自分の足りない部分を教えてくれることだったりすると思うんですね。

 数年前に霊感があると言う会員から、「長野先生の30代は最低の運気でしたね~」と言われたんですけど、確かにウダツは上がらないし、経済的にも常に困っていましたから、気の弱い人だったら自殺とかしていても不思議じゃないだろうな~?とか思うんです。

 けれども、あれこれあった30代でしたが、この期間にこそ私の武術研究は格段に進んだんですし、この時期に出会った人達から得られた恩恵を考えれば、宝くじで三億円当たるより遥かに得難い情報や教えを受けたと思うんですよ。

 もし、この期間が無かったとしたら、私は何の価値も能力も無いゴミクズみたいな人間として生きていくしかなかったでしょう。

 人間は、やっぱり人生を生き抜くためのトレーニングや勉強をする期間が必要なんですよね。普通は学校でそれをやる訳ですが、私は大学でドロップアウトしてから獣道に入ってしまったので、自分で探して何とかするしかなかった訳なんですが、考えてみたら、本当に人の縁に導かれたな~と思うんですね。

 最初に私の才能を認めてくれたのは死んだ叔父でした。親戚中でも変わり者で有名な叔父で、「姉兄がちっとも認めてくれない」と悔しがっていましたが、その分、やっぱり変わり者の甥である私を可愛がってくれて、「俊也~、お前は凄いな~。きっと、有名になるんじゃないかな~」とライターやっていた頃に親戚中で唯一、認めて応援してくれていました。

 後は、初めてライターの仕事をやらせてくださった元福昌堂の生島裕さん。生島さんが私の文才と武術を観る眼力を認めて原稿を掲載してくださったことが、今のような仕事をやっていく第一歩でしたからね~。本当に恩人です。

 それから、クエストの営業をやっている藍原さん。アスペクトを紹介してもらったり、クエストでいろいろ仕事をやらせていただく切っ掛けを与えてくださいましたが、藍原さんは私だけじゃなくて、いろんな武道の先生を引っ張り上げて活躍のチャンスを与えているんですね。表立って活躍する人は注目を浴びますが、こういう裏方で人を支える人の存在こそ重要なことなんですよね。

 率直に申しまして、本質的に私、物凄い自惚れが強い人間だと思うんですよ。若い頃は特に自分の能力はスペシャルなんだと思い込んでいて、だから「俺を認めない世間は阿呆だ」みたいな誇大妄想も酷かったですね~。

 自分の能力を疑ったことはないんですけど、でも「このまま生きているうちは認められないまま極貧のまま失意のうちに死ぬのかな~?」という不安は常にありましたね~。

 例のパニック発作も酷かったから、死ぬのは運命だからしょうがないとしても、何も満足できる業績をあげられないまま死ぬのは哀し過ぎて嫌だな~と思っていましたね。

 そういう時期に、少ないながらも私の才能を認めて応援してくれた人達のお陰で、私は頑張ってこれたと思っています。

 もちろん、良くしてくれた人ばかりじゃないんですが、例えば、私の悪口を言い触らすような人であっても、それだけ私に関心を強く持っている・・・あるいは“怖がっている”から潰そうとしている訳なんですし、そうなると、一種のファン心理が裏返ったものとして、“悪口言うのは応援の気持ち”がどこかしら有る訳で、感謝すべきなんだと思っています。

 だいたい、私に反感持って乗り込んできたものの、話してみたら凄く人間が真っすぐな人で、その後、仲良くなった・・・という経験もかなりあるんですよ。

 批判精神って、正義感の強い人しか持てないものですよ。だから、本当に勉強して謙虚に物事を客観的に判断できる知性を磨けば、必ず世の中で一角の働きのできる人間になると思いますよ。

 いつまでも、ネット掲示板で他人を誹謗して自己満足しているレベルに留まっていたら見込みないですけれど・・・若い頃の私もそういう人間だったな~と思いますよ。プロになれて良かったぁ~。救われましたね~。

 どんな才能の持ち主であっても、アマチュアのままだったら居ても居なくても同じ。死んだら存在そのものが消えてしまいます。やっぱり、能力があるなら社会的に働きかけて業績を挙げないとダメですよ。


 さて、それで、最近、青木先生の事務所がホビット村の通りから歩いて5分くらいのところに移ったものですから、何度か前を通り過ぎていて、懐かしくなってですね~。また、講座やってみようかな~?と思って、今年は初っ端からやらせてもらった次第です。

 江古田は技術講習が中心ですが、ホビット村では気楽に話を中心にちょこちょこっと練習もして・・・くらいに思っていたんですが、普段、なかなか来られない空手道場を運営されているKさんも来られていたので、これは試合なんかにも役立つようなことを教えなくちゃ、わざわざ来てもらったのに申し訳ない・・・と思って、“相手の構えを擦り抜けて打つコークスクリューパンチ”とか、対打撃格闘技戦用に研究している技とかも指導させてもらいました。

 いやね~。このKさんなんて、普通に殴り合ったら私なんかより絶対、強いに決まってる訳ですよ。それなのに、自分の空手を高めていくために勉強しようと思って、わざわざ来てくれてる訳ですよね。

 本当、こっちが頭下げたいくらいですよ。

 まだまだ若い方なので、将来、どんな偉大な武術家になっていくんだろう?と、楽しみですね~。

 最近、会員に才能ある若い人が増えてきたんですが、坂本龍馬みたいに世の中を動かす活躍をする人が出るかもしれません。単なる格闘技能だけじゃなくて、世の中の不条理に立ち向かって改革していく知恵と意志を持つ人間に育っていって欲しいですね。

 久々のホビット村でしたから、以前、通われていた人達がどのくらい来られるかな~?と、楽しみではあったんですが、正直、全然来られないような予感もありました。

 いろいろトラブルがあったから、もう、懲りてしまったんだろうな~?という感じもしますし、私自身、以前とはかなり変わってしまっているので、もう、波長が合わないんじゃないか?とも思います。

 で、やっぱり、初めての方が三人、後は現在のうちの会員さんばかりとなりました。

 けれども、少し遅れて、以前、文京学院大学の生涯学習センターの講座に通われていたHさんが、ひょっこり現れたので、ちょっと驚きました。

 と言うのも、何とな~く、「そういえば、あのオジサンはどうしているのかな~?」と、ふと思い出したりしていたんですね。名前すら忘れていたのに・・・。

 どうも、最近、こういう予知能力?が妙に鋭くなってきて、「青木先生と付き合ってるせいかな~?」とか思うんですがね。

 講座は、予約したのが三時間だったのをコロッと忘れていまして、二時間だと思ってたもんですから、休み休みやろうかと思っていたんですけど、何か夢中になってやってるうちに、割りとサクサクッと時間が過ぎてしまいました。

 立禅・軸・脱力の合気・寸勁・酔拳・蛇拳?と、結構、いろいろやってしまいました。

 今回、初参加の女性の方もいたので、いつもオッサン倶楽部状態でオヤジ臭が漂いそうな感じだったところにサワデー置いたみたいな?感じで場が華やかになったのも良かったかな~?

 また、この人が背筋が自然にピッと伸びていて動きが綺麗なんですよ。「バレエか何かやってるんですか?」って聞いたら、ちょっとやっていたということで、やっぱりね~と思いました。

 バレエをやっていた女性は無駄な力みが無くて腰から首、頭頂までの背筋がスゥーッと自然に伸びていて、立ち姿が凄く綺麗なんですね。モデルやっている人にもバレエやっていた人が多いみたいですけど、女の子に何か習い事やらせようと思ってる親御さんは、バレエやらせるといいと思いますよ。

 バレエやっていた人は、武道や武術、その他の踊りやストリートダンスとかやっても全て対応できます。

 姿勢が美しいと美人度30%くらいアップしますからね。美容考えるんだったら、バレエ・スタジオに入るのが一番だと私は思いますけどね。

 ただ・・・結構、厳しい・・・かも?

 あっ、そういえば、この方はブルース・リーのファンなんだそうで、たまたまブックカフェで私の本読んで、興味持ってネットで調べたら、ホビット村で講座があることを知って、勢いで参加しちゃったみたいです。

 う~む・・・20代まではブルース・リーみたいな体型だったんですけど、今はサモハン・キンポーみたいになっちゃったからな~、オレ・・・(苦笑)。


 講座が終わって、駅前のジョナサンで会員だけで食事会やってから帰りましたが、駅のホームで新体道代表の大井先生とバッタリ出くわしました。何でも九十九里で合宿だったのだとか・・・。

 連続反り跳び4km・・・とか、やったのかな?


 あっ、そういえば(って二度目やん?)、会員のK塚さんが、先週の発勁セミナーが終わった翌日、胸に鈍痛が残っていた・・・と言っていて、やっぱり・・・と思いました。

 クッション何枚も重ねて打っていたから大丈夫かと思っていたんですが、貫通力が出てきて、おまけに打撃の質が重くなっているので、他にも後から後遺症が出た参加者もおられるかもしれません。

 もし、後から痛みとか出たという方がおられましたら、お知らせください。

 次回の月例セミナーも発勁のパート2なんですが、これは、あまり打たない方が良さそうですね。

 抖勁(全身のどこからでも打つ発勁法)をやる予定なんですが、この前、ローキック蹴られた時に抖勁で弾き返す・・・といった技をちょっとやってみせたら、蹴った会員さんが顔面青ざめて、「これは、蹴った威力が全部返ってきますね。マジで蹴ったら自分の脚が折れるかも?」とビビってました。私、今、腕と脚と腹で、これできるんですよ。

 昔は、こんなの物凄い達人しかできないと思ってたんですけど、さほど難しい技じゃありません。

 もちろん、打たれる瞬間にタイミングを合わせないとダメなんですが、内家拳って脱力体から急激に体内の重心を移動させることで、こんな魔法みたいなことができるんだから、スゲーな~?って思いますね。

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ソード・スミスNAGANOと呼んでくだされ・・・

 年末にやる予定だった、二尺七寸の幕末新々刀の外装製作ですが、体調が悪くて手付かずだったのを、体調が治ったので、現在、やっております。

 とにかく刀身のゴツさに比べて茎(中心=なかご)が短いため、これは普通に柄を作ったら、強く振っただけで柄折れするのが目に見えています。

 昔の刀は、結構、茎が短かったりするんですけど、何でですかね~? 槍とか薙刀だったら茎は刃長より長かったりするんですけどね。

 で、これは柄そのものをかなり補強しておかないといけないと考えて、以前、小宮四郎国安の刀の時にやった、“平鉄棒を柄木に埋め込んで針金で巻く”という作業をもう一度、やってみることにしました。

 これは三尺二寸一分の大太刀の柄を作る時に真鍮の平棒を埋め込んだことから思いついた製作法なんですが、目釘穴が邪魔になるので、前回は目釘穴の下から埋め込んだんですね。

 しかし、今回の刀はさらに重量があるので、万全を期して縁頭の金具から目一杯の長さに埋め込むことにしました。

 平鉄棒は厚さ2mm、幅1.5cm、長さ1mのものを町田の東急ハンズで買ってきて、寸法を合わせて鉄鋼ヤスリで刻み目を入れて曲げて折る・・・というやり方で四つにし、この板状の棒を二つずつ柄木の側面にはめ込むように彫刻刀とノミで溝を掘ります。

 今回、柄木は白鞘のものを改造しているので、その分は楽なんですが、ただでさえ薄く削らねばならない柄木に、さらに平鉄棒を埋め込む訳ですから、結構、慎重に削らないといけません。

 そして、今回は、刀の重心があまりに先にあるので、使い辛くなるのが予想できたので、少しでも重心バランスを後ろに寄せるために、茎尻から余っている柄木の中に板鉛を巻き込んだ重りを仕込んでみました。

 これまた、地道に柄木を削って重りを入れるスペースを作ろうとしたんですが、平鉄棒の厚さをプラスすると柄木を貫通させるしかないということに気づき、それをやると下手すると強度不足になりかねないので、ちょっと悩んだんですが、重りを仕込んで隙間にたっぷりと接着剤を充填して固めれば、平鉄棒で蓋をする形になるから、多分、強度的には問題ないだろう・・・と判断して、完全に貫通させて重りを仕込みました。

 結構、ここまでの削り作業は面倒臭くて、彫刻刀とノミとヤスリをとっかえひっかえ、微調整しながら削り込んでいったので、いつもより少々、てこずりましたね。

 それでも、狙い通りに重りと平鉄棒を埋め込んだ柄は、結構な重量感があり、これなら完成した時の重心バランスも割りと良くなるんじゃないかな~?と思いつつ、補強用の針金を巻く溝を三角ヤスリで削り、針金を巻きました。

 平鉄棒をはめ込む時に目釘穴の部分を丸鉄鋼ヤスリで削って位置を合わせておいたんですが、この時に目釘穴も広げておきました。

 白鞘の時の目釘は細くて、それをそのまま流用すれば折れてしまいそうだったからなんですね。

 茎の目釘穴の八割り以上の太さの目釘にしておかないと、この刀の重さを支えるには心配です。白鞘の目釘は、だいたい、細過ぎるのです。仮留めのつもりだからなんでしょうかね?

 そもそも、ヤクザ映画なんかで白鞘の刀を使ったりしていますが、白鞘は保存用の軟らかい朴の木で作られているので、それで試し斬りとかしたら柄が折れてしまったりするのです。

 試し斬り用の斬り柄などは、白木の柄を責め金で締めて用いますが、朴ではなくて樫などを使うと聞きます。これは『必殺仕事人・激突!』で滝田栄さん演じる首斬り朝右衛門が使っていましたが、身幅が広く二尺六~七寸くらいのダンビラに斬り柄をはめて仕事に赴くところが非常にカッコ良かったですね~。滝田さんの重厚な殺陣は素晴らしかったですね~。


 まあ、後は、黒染めの鮫(エイの革)を、東急ハンズの皮革コーナーで買っておいたので、これを張り付けて、金龍の目貫を付けて、柄糸は焦げ茶の牛革のを尚武堂さんに注文しているので、それが届いたら柄は完成です。

 鞘の方は、これも、いつもより強化して作ろうと思っていまして、コジリ金具を装着したり、鯉口のところが割れないような細工もしておこうと思っています。

 この辺りの工夫は、青木先生の刀の外装を作らせてもらったのが勉強になりました。

 完成までには、後、一週間は必要かと思いますが、今回は苦労している分、完成が自分でも待ち遠しいですね。鮫を貼った状態の柄を装着して軽く抜き納めしてみましたが、強度的には問題ない感じにできましたよ。

 ちなみに、先日、青木先生から頂戴した松葉国正刀匠が作られたスウェーデン鋼の刀は、刃毀れを削り取って研ぎ直し、曲がりを直し、緩くなっていた鯉口に薄板を貼って堅くし、ガタついていた鐔も直しました。

 後は刀身も研ぎ直したいところですが、また12万くらいかかってしまいそうだから、試し斬りと居合の練習用に、当面はこのまま使わせていただこうと思っています。


 ところで、アメリカでは、市販の拳銃をコンバットシューティング競技向けにカスタマイズする職人がいて、ガン・スミスと呼ばれます。

 主に、コルト・ガバメントM1911A1の45口径をベースにして銃身を取り替えたり、引き金を軽くしたり、安全装置のレバーを延長したり、調整式の照準器を着けたりするところから始まり、様々なカスタム・チューンナップが行われてきました。

 これは、1970年代くらいにコンバットシューティングの学校ができてから、急速に発展していったようです。

 私は、日本刀の拵えを自作するようになってから、もう20年以上になるんですが、作った数も20本以上になります。

 現在は、刀の機能をいかに引き出すか?という観点と、技を駆使するには、どういった拵えが良いか?といったことを考えながら、一振りずつ微妙に作り方を変えています。

 柄の長さ、太さ、金具の形、柄糸の巻き方、鐔の形状・・・等々。“これが良い”と思っても、やはり次に作る時は少し変えます。それは、刀の長さ、反り、厚み、身幅、重量等が違うので、それに合わせて変えざるを得ないからです。

 なので、アメリカのガン・スミスと自分がやっていることは同じようなものだな~と思うようになりましたが、もし、私がアメリカに生まれていたらガン・スミスの仕事をしていたかも知れませんね?

 日本ではナイフメイキングくらいならやれそうなので、前々から本格的に修行してみようと思っていますが、本格的にやるには専門の作業場にそれなりの電動工具を揃える必要があるので、道場兼自宅の一件屋にでも住まないと、ちょっと難しいですね。

 もうちょっと年とって田舎に帰ってから・・・という手もありますが、それをやるには経済的に困らない生活ができる身分にならなければ無理でしょう。

 できれば鍛冶場も作って鍛造ナイフとかも作りたいんですけどね。


 今年は、海外に游心流を出していこうと思っているのですが、その時に、マーシャルアーツの研究家という面と同時に、“ソード・スミス”という肩書を名乗るのもいいかも知れないな~と思っています。

 結構、刀の数も揃ったので、一回、長野峻也作品展とかギャラリー借りてやってみようかな~?とか思ったりしています。見栄えはしますよね。十文字鎌槍に薙刀、大太刀なんかもありますからね。メイプルビルにギャラリー游ってあるので、本当に一回、やってみようかな~?

 ところで、技の研究は武具の研究とも重なると思うのです。

 私は剣術を本格的に修行した経験がないのですが、日本刀の構造に詳しくなったことで、技の形を観ただけで、戦闘理論が判るようになったのです。

 考えてみてください。

 銃の構造を知っていれば、どうやれば命中するか?ということも自ずと判りますよね?


 剣術というのは、刀が教えてくれる面があるのです。

 特に、居合のように、腰に差した刀を抜刀一閃で敵を斬る技となると、剣体の一致が重要な要素となりますし、そこから間合や角度を読み、拍子を合わせたり外したりする高度な攻防理論が体得できてきます。

 それは素手になっても同じことなのです。

 刀の拵えを自作してきたことが、まさか、こんなに武術研究に役立つとは予想外でしたが、武道をやっている人は、木刀やヌンチャクなんかは自分で自作してみるといいと思いますよ。

 タイ捨流では自分の木刀は自作するそうですが、ナイフ一本で道具を作ったり、刃毀れしたら砥石で研ぐ・・・といった作業をすることは、サバイバル技術にも直結しますから、実は武術の修行にも役立つんですよね。

 ただガムシャラに拳足をぶつけ合っても手足を痛めると戦えなくなるでしょう? 道具を用いると、尚更、その問題点を痛感させられる訳です。

 刀が折れたらどうするか?と考えるより、折れないような使い方を工夫するのが武術なんですよ。

 私が、相手の攻撃を受けないようにしろと教えているのは、つまり、そういうことなんですね。

 受けるということは、相手の力にこっちも同等以上の力を出して受けるということですね。そうしないと受けられないですから・・・。

 でも、これでは基本的に自分より力の強い相手には勝てないですよね。

 だから、受けない。躱すか、受け流すか、力が最大になる前に潰すかのどれかしかないですね。躱すのは“後の先”、受け流すのは“対の先”、先に潰すのは“先の先”という訳なんですよ。

 どうっスか? 実に解りやすいでしょ?

 剣術が、何故に、先を取ることを要求するのか?ということの理由が、ここにあると私は思いますね。

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対立を前提とした外交に未来があるのか?

 昨年からか、北朝鮮や中国、ロシアの脅威に対する民主党の無策な外交政策に批判が集まっています。

 しかし、そこでいきなり国防論議が高まって核武装も必要だの何だの言い出すのは、「なんじゃらホイ?」って感じがするんですね。

 軍事ってのは、兵法ですよね? 兵法ってのは表ざたにするもんじゃないんですよ。

 私がもし日本の国防の最高責任者だったら、表向きは自衛隊を出しておきながら、裏では徹底的な秘密戦術部隊をこっそり組織しますね。

 世界各国の最先端の武器を研究して、それ以上の武器を開発したり、世界の特殊部隊のOBを招いて日本の特殊部隊員を徹底的に鍛え上げたり、陸軍中野学校も真っ青のスパイ養成機関をこっそり作ります。

「そんなの法律が許さない」とかヌルイこと言ってる場合じゃないんです。

 兵法というのは詭道なんです。法律なんぞ無視して国民を護るためには手段は選ばないという目的遂行のためには無法も辞さずの非常な決意が必要なんですよ。

 だからといって、私は核兵器とか持つべきとは言いません。

 核武装するということは国際的にも睨まれる。日本にそういう力を持たせたくない国は多いでしょう。

 それよりも、日本にしかできない技術を利用した方がいい。

 例えば、病原菌を撒き散らす。そして、「降参すれば薬を挙げますよ」って具合にすれば無駄に争う必要がないでしょう?

 汚い? い~や、結果的には最も綺麗に決着がつきますよ。

 銃や爆弾を使って戦えば、なかなか決着もつかずに大量に死傷者が出るでしょう。

 汚いやり方でも結果が良いなら、そっちがいいと私は思いますね。

 戦国時代も兵糧攻めってあるじゃないですか? 敵の城に人夫に化けて入り込んだ忍者が井戸に毒入れて簡単に制圧したという話もあります。

 汚い? い~や、戦争を効率良く勝つためには当たり前の手段ですよ。

 何か、私は政治家とか評論家が唱えている国防論とか聞いていると、ほんっとに、頭が悪いな~と思うんですね。

 戦って勝つ気があるのか?と思いますよ。

 今の日本が軍備を進めたところで戦争なんかに耐えられる道理がないですよ。

 だって、戦う準備をして生活している日本人が何人いますか? 戦闘の意識のない人間に戦い方を教えたって、実際にできますか? 戦う気力も技も持たない人間を戦場に送り出して殺し合いさせる・・・その非道を考えて国防の論議をしてもらいたいですね。

 かつて、三島が自衛隊に決起を促した時に誰も相手にしなかったのは何故か? 簡単に言えば、自衛隊に入ったのは安定した生活ができるから・・・程度のサラリーマン的考えしかなく、国防の礎になろうとする意識のある人間は皆無に近かったからじゃないですかね~?

「自衛隊を国軍にしろ」と言う論議も、隊員の意識を変えないとダメだと思ってるからでしょう。

 そういう点からすれば、クビを覚悟して尖閣諸島の漁船体当たり映像を流出させた海上保安庁の彼は、何だかんだ言われても日本のためを考えて行動したのは間違いないでしょう。

 しかし、そういう人達が報われないのが今の日本ですね・・・。


 中国武術史上最強と呼ばれた李書文は、あまりの強さに尋常の勝負では誰も太刀打ちできないことから、試合で殺された者の身内に仇と狙われて毒殺された・・・と伝えられます。

 幕末から明治にかけて活躍した山岡鉄舟は、暗殺された清河八郎と親友だったり、不穏な時代で生死をかけた斬り合いが日常的であった時代に、一人も殺すことなく剣聖と崇められました。

 武術とは兵法です。兵法は戦場で勝利する法を解くものです。

 李書文は兵法家として優れていたけれども、日常の場を戦場と勘違いしていたから恨みを買ってしまった・・・。李書文公の技芸を学んだ者の一人として残念です。

 戦場でない場では、兵法は平法に変わります。

 平法とは無益な戦いを避けることを第一の目的とします。戦えるけれども戦わない。それが平法です。

 戦国時代に興った天真正伝香取神道流の開祖、飯篠長威斎は、武術は平法であると説いています。香取の技は門外不出とし、武技をもって立身出世しようとすることを戒めたそうです。

 新陰流の開祖、上泉伊勢守は、稽古や試合で命を落とすことのないように蟇肌撓いと呼ばれる割り竹に革袋を被せて漆を塗った竹刀の原型を発明しています。

 戦国の世に生まれた彼らが、武術は兵法よりも平法であると説いたことの意味は大きいでしょう。

 武術は人を殺すためのものではなく、自分の命を護り、同時に敵の命も奪わずに恨みを残さないことを本分とする・・・という認識があったのでしょう。

 しかし、今日、武術は単なる格闘の技術だけのものと解釈され、あまつさえ、「型ばっかりで時代遅れの使えないもの」という不当な低い評価をされています。

 だからこそ、スポーツや介護技術に役立った・・・という副次的な転用効果ばかりが注目されてきました。

 まったく、武術のブの字も解っていない専門家によって、大きな誤解と無理解が広まるばかりです。

 命を捧げて武術を追及してきた先人には何と恥ずかしい事態だろうか?と思います。


 武術の目的は敵に勝利することです。が、その勝利する内容が問われるのです。

 一時的な目先の勝ち負けを求めても意味がありません。

 本当の勝利とは敵対する者がいなくなる無敵の境地に達することです。

『カンフーハッスル』で、チャウ・シンチーは、この武術の神髄をよく表現していたでしょう。

 圧倒的な技量を見せつけて最強の敵、火雲邪神に敗北を認めさせた主人公は、火雲邪神に弟子入りを頼まれて受け入れてやるのです。

 このようなシーンは、古来から武術の大家にはよくある話です。

 柳生石舟斎が上泉伊勢守に弟子入りしたシーン。善鬼が伊藤一刀斎に弟子入りしたシーン。

 私にすら似たようなことは何度かありました。が、私はまだまだ敵が多過ぎるので未熟千万。比較するのも愚かでしょう。

 しかし、青木先生と親交が深まるにつれ、やっぱり、武術を単なる戦闘術のレベルでだけ追究していたら意味がないと思うようになってきました。

 それまでも文化芸術の分野で国際的に活動されている一流の人達に何人も出会っていましたが、私は心の中で随分、引け目を感じていたんですね。

「俺は所詮、武術しかできない。人のぶっ殺し方ばかり喜々として研究している変態だからな~」という劣等感が凄く強かったんですよ。

 けれども、最近は段々、変わってきました。

「毒も薬に転用できる。武術も武医同術、活殺自在の精神と技術があるではないか?」と思うようになり、また、武術の平法としての考え方は、現代の国防論議とは別の道筋を見つけ出す平和への叡知となる・・・と思えるようになってきたからです。

 結局、争いの根っこは何か?というと、心の問題です。

 ならば、対立を生み出す心を、共感を生み出す心に変えていけば、争いは必然的に消滅していきます。

 昨年、日本バッシングで揺れる中国に、いつもセミナーで使わせてもらっている江古田ストアハウスの経営団体であるストアハウス・カンパニーのメンバーが公演に行ったそうです。そして、非常に暖かい評価を受けて無事に帰って来られたそうです。

 同時期に、TVのニュース番組で、日本のアニメや漫画に熱狂する中国のオタク世代の様子を見せてくれていました。

 本当に優れた文化芸術は、国家の思惑やイデオロギーの対立をいとも簡単に超えて、人の心を繋いでいくのです。

 考えてもみてください。

 鬼畜米英と呼んで憎悪していた国を、戦後世代の我々は憧れと親しみで見ています。

 これは、戦後の教育と共に、映画やTVドラマによって広められた米英の文化への共感が根底にあるでしょう。

 それは、それまでの日本にはないスタイルだったことが大きいのではないでしょうか?


 本当に良いものは誰が見ても良いと認めるものです。かつて日本経済が繁栄したのは、良いものを作って売ったからなのは疑う余地がありません。

 今、日本は問題が山積みになっていますが、それは日本の良さをアピールすることを怠ったツケではないか?と私は思います。

 勤勉、我慢強い、努力家・・・といった日本人の特徴とされていた気質が根こそぎ奪われるかのように、日本人は自信喪失させられてきています。

 自分の子供を虐待死させたり、さしたる理由もなく通り魔事件を起こすひ弱な精神の人間が増殖しつつあります。

 こういうことをやる人間は、自分を恥ずかしいと思う感覚が無いのでしょう。

 根本的には国を良くするには国民の質を良くすることしかありません。その意味では子供手当は悪いことではないでしょうが、それよりも教育の内容をもっと考えていくことが必要だし効果的だと思うのですが・・・。

 まあ、ないものねだりしても仕方ないから、私は私で武術指導の中で教育的意味を探ってみようか?と思っています。

 結局、武術の技を真剣に追究すればするほど、人を効率よく殺す技能にしか行き着かないのですね。

 それでは、身の破滅ですよね。

 重要なのは、そういう技術を体得した上で、自分はどう生きていくのか?という展望をきちんと持つことですよ。

 私は、そういう生きるための武術を追究していきたいですね。

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特撮愛は時代を超えるのだ!

 ホラー特撮系ジャンル映画の批評家として『映画秘宝』『宇宙船』その他で健筆をふるわれている鷲津義明氏の渾身の研究批評同人誌『HEDORAH/公害怪獣の映像世界』の大幅増補改定“最終版”が出ました!

 もう~、前作を『宇宙船』の記事で知った時は、速攻で注文して麻薬中毒患者のようにむさぼり読んだものでしたが、これ以上、何を加えるところがあるのかな~?と思いつつも、『映画秘宝』の後書きで最終版が出ると書かれていたので、また注文しようと思っていました。

 ところが、何と鷲津氏より見本を贈りたいので送付先を教えてください・・・とのメールを頂戴しまして、何とも有り難くも勿体ないこと・・・と思いつつ、最終版を贈っていただきました。

 いや~、もう、絶句してしまいました。凄過ぎて言葉が出ません!

 この本には、大いなる愛が詰まっているのですよ。“ヘドラ愛”が・・・。

 いやね~、前にも書いたと思うんですけど、ゴジラやガメラ、大魔神、ウルトラマンとかだったら、熱狂的なファンの同人誌はいくらでもあると思いますよ。

 でも、“ヘドラ”をここまで愛せますか?

 もしも、現実にヘドラが現れたら、臭くて汚くて近寄れないし、下手に触ったら溶けて骨だけになっちゃいそうなんですよ。

「俺に触るとヤケドするぜ」ってな感じ?

 外国にも人食いアメーバみたいな怪物はいますけど、ヘドラは何かちょっとキュートな感じがするんですよね。ゴジラと戦う時も、何か子犬が擦り寄っていくみたいな感じもしたし・・・。

 しかし、私がヘドラ好きなのは、何といっても強いからですよ。

 怪獣は強くないといけない。ゼットン、キングジョー、ブラックキング、バラバ、バードン、セブンガー・・・。ゴジラとの対戦怪獣では、やっぱり、キングギドラにメカゴジラでしょうかね~?

 しかしね~。客観的に最強怪獣のスペックを分析していくと、ヘドラはめちゃくちゃ強いと思う訳ですよ。

 第一、格闘戦での物理的なダメージは受け付けない。ゴジラのパンチもすっぽ抜けて、しかも殴ったゴジラの手の肉が溶けて骨が見えてしまったくらい。恐ろしい~。

 次に、バラバラにされても死ぬ訳じゃなくて、鉱物生命体の細胞がヘドロを吸収して増殖合体していくので、理論上、不死身なんですね。

 唯一、劇中では電極板の放射する高熱電流で乾燥させられて撃退されましたが、あれだって雨が降って細胞が活性化したら、またヘドロを吸収して復活するんじゃないの?と思いましたよね。

 それを暗示するように、映画のラストではヘドロの海から「そして、もう一匹?」のテロップと共にヘドラの顔が映っていました・・・。

 今、急速な高度経済成長をしている中国なんかから新しいヘドラが出現した?なんて話にすれば成立しちゃうんですね。

 実際、鷲津氏も私と同じように思って、『ゴジラ対ヘドラ』のその後の物語を小説原案の形で、この本の中で発表されているんですが、これがもう、ホラー映画批評の第一人者らしいツボを押さえた素晴らしいホラー小説になっているんですよ。

 私は、これだけでも完全な小説にして角川ホラー小説大賞とかに応募してみてもらいたいな~と思いましたね。

 ちなみに、この最終版には、私のファンレターも収録してもらっています。

 御希望の方は、〒173-0005東京都板橋区仲宿51-141-101 鷲津義明宛へ、郵便番号、住所、氏名を明記した紙と80円切手を同封して在庫確認の問い合わせしてくださいとのことです。

 ちなみに値段は2500円だそうですが、私だったら5000円の値段をつけたでしょうね~。労力から考えたら、この値段で全部売れたとしても、絶対に赤字だと思います。

 私も昔、同人誌作ったことあるから想像つくんですけど、この内容を仕上げるのは並大抵の苦労じゃないですよ。完全にプロの仕事だし、実際に最初は出版社に企画を出されたらしいんですが、ほら、今は凄い出版不況の時期だから、確実に売れると思われない限り、ジャンル映画の研究批評本を出すのは難しいんですよ。

 でも、自主製作なら誰に遠慮することもないし、自分の好きにできるから、これで良かったんだと思いますね。

 やっぱり、何事も愛のある創造物は凄いパワーを秘めていますよね~。


 さてさて、そういえば、先週、会員のCさんと地元の映画館にウルトラマンゼロの映画を観に行ってきましたよ。

 今回は馴染みの怪獣が出ていないので、怪獣ファンにとっては少し物足りない印象があったかもしれないんですが、前回のウルトラの星の描写から進んで、何だかスターウォーズ的な新しいスペースオペラ調のシリーズ化を目指しているんだろうな~と思えました。

 私にとっては、ミラーマン、ファイヤーマン、ジャンボーグAをリメイクしたゼロを助けて戦う新ヒーロー達とのバディ・ムービーとして楽しめましたね。

 つまり、ここには円谷プロが構築してきたウルトラ世界とそこから派生したヒーロー達との饗宴が実現していた訳です。

 これは24時間TVの手塚治虫キャラ総出の『マリンエクスプレス』や、永井豪の『バイオレンスジャック』の後半みたいな遊びの精神がある訳ですね。

 好き嫌いはあるでしょうが、私はこういうのは大好きなんですよね。

 特に、ジャンボーグAのリニューアルであるジャンボットは、怪物くんや龍馬伝で注目された濱田龍臣くんが「ジャン・ファイト!」の掛け声で宇宙船がロボットに変形して戦うんですけど・・・かつて、セスナの操縦者、立花直樹がエメラルド星人から贈られたロボット、ジャンボーグAが普段はセスナに換装していたことから設定された・・・というところまではオールド・ファンなら解ると思うんですが・・・。

 実は、さらにもう一つの秘密があったんですよ。

 ジャンボーグAの企画はTV放送される何年か以前からあったらしく、最初はジャンボーAという名前で、小学生の少年が巨大ロボットの操縦者に選ばれて悪の宇宙人の操る怪獣と戦う・・・という漫画が『小学?年生』に掲載されたことがあったのです。

 私はリアルタイムで漫画を読んだから、数年後にTVでジャンボーグAが始まった時に、「あっ、あの漫画と同じだ」と思ったんですね。

 ということから考えると、ジャンボットの操縦者が少年になったというのは、原点回帰だった訳ですね。

 カイザーベリアルの帝国軍に対抗する大船団とかの描写はアドベンチャー・スペースオペラとしての新しいウルトラ・シリーズを模索することの宣言のように思えました。

 特撮ドラマが単なるSFの中に組み込まれることなく巨大なジャンルを確立してきた日本の状況は、クール・ジャパンと言うより、ワンダー・ジャパンなんだと思います。

 もっと自信をもって世界に発信していくことで、日本のクリエイティブ産業も大きく発展するでしょう。

 例えば、日本以外には怪獣という概念が無いんですよ。

 吸血鬼・狼男・フランケンシュタインの怪物・ゾンビとかの等身大のモンスターはいますが、キングコングはあくまでもでかいゴリラだし、でかいタコに、でかいワニに、生き残っていた恐竜くらいしかいないんですよ。

 つまり、外国人はUMAと怪獣の区別がつかないんですよ。

 USA版ゴジラを見れば解りますよね。あれってイグアナドンでしょ?

 怪獣というのは人間の武器じゃ倒せないものなんですよ。

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甲野善紀氏の剣道批判に疑問アリ

 最初に申し上げておきますが、私はもう、甲野氏の批判をしたくはありません。散々、批判し続けて、そのお陰で知名度が上がったという事実もありますから、“お陰様”ということでの感謝の気持ちも持つべきだと考えているからです。

 けれども、研究家の義務として、甲野氏に限らず、著名人の発言内容におかしな点があれば指摘せざるを得ません。難儀なことです・・・。

『コンバットマガジン』の甲野善紀氏の連載記事には、一応、毎回、ざっと目を通しているんですが、雑誌そのものを毎回買っている訳ではないので、流し読みすることの方が多いんですね。

 それでも、ここ何回かは、例の「鐔の近くを両手を寄せて持つのが本来の日本刀の持ち方」だと主張する甲野氏の論が、どの程度の正当性を持つのか?という関心から、私も結構、実験してみました。

 やっぱり、何事もやってみなければ解らないことはありますし、私は研究家として感情で論議したりはしたくありませんから・・・。

 実践した上での所感を述べますと、取り敢えず、甲野氏の説く“両手を寄せて柄を持つ”ということのメリットは有ると言えるでしょう。

 特に、“初心のうちの試し斬り”で斬撃力を集中させるには、柄の中に通っている茎(中心)を直接握るようなつもりで持つことは有効性があります。

 居合を習われていた萬屋錦之介は刀をそう握っていましたが、恐らく試斬もされていたのではないか?と思いました。

 両手を寄せて持つということは、腕が絞られて胴体により密着するんですね。そうすると、胴体(体幹部)の動きを直接剣に伝えやすくなる・・・つまり、体捌きの動きが剣の捌きに直結しやすくなるという特徴はある訳です。

 ですから、溝口派一刀流の左右転化出身の秘太刀・・・みたいな体捌きしながらの剣体一致の刀法なんかはやりやすくなるでしょう。

 ただ、柄の鐔元と端っこを両手を離して持つやり方より、“やりやすいから正しい”という考え方は問題です。

 何事もメリットに拘れば近視眼的になるものです。“これが正しい”という論理は、それ以外は間違いだという論理を生じます。

 メリットは視点を変えればデメリットも見えてきます。具体的に言えば、誰にでも解るデメリットもあるんですね。

 まず、“両手を寄せて握る”という点にのみ拘れば、片手打ちを捨ててしまうことになりますね。

 剣道で上段からの片手面打ち・・・で優勝した人もいましたよね? ああいう技を捨ててしまうのは馬鹿げていますよね?

 そもそも、両手を寄せて柄を持てば、柄の長さを利用した新陰流系統に伝わる秘訣“八寸の延べ金(小笠原長治の秘技として有名)”などの柄の握りを滑らせて剣の到達距離を延ばす技などが使えなくなってしまいます。

 それと併せて、突き技も両手を寄せて握っていれば、伸びが出ません。

 第一、鐔元に両手を寄せて握れば、通常八寸以上ある柄の三寸くらいは余ることになりますが、これは攻防時の自在な操刀の時に邪魔にこそなれ、益するところがありません。

 両手を寄せて握るのが正しいのであれば、最初からその寸法の長さの柄が作られていた筈でしょう。

 現に、脇差の柄は短いものですが、これは片手で用いることが前提だからです。

 日本刀に限らず、道具の部分部分の寸法や形状というものは、用途に応じて適正なものとして工夫されたものである筈です。両手で握って、余る寸法でわざわざ作られているというのは、不合理極まりなく、考えにくいことです。

「柄当てに用いればいいではないか」と言う人もいるかも知れませんが、武術の技の本質を理解していない者の考えですね。

 柄頭で当てる技は古武術に広く使われていますが、本来、柄頭を掌の中に包むように握って隠しておくところから、突然に滑らせて繰り出すから効果がある技(これは杖術の秘訣でもあります)なのです。

 そのため、滑らしの分も含めて柄の長さは決定されている筈です。

 例えば、鎌倉時代以前の日本刀の柄は刀身の反りの深さと同様に茎(中心)も反っており、柄も反っていました。

 実際に、そういう形状の拵えも作ってみましたが、グルカナイフのように、片手操法ですっぽ抜けるのを防ぐ滑り留めの意味があったと考えられます。

 日本刀の両手操法は、長巻や薙刀、大太刀から発展したものではないか?と私は類推していますが、香取神道流、新陰流、駒川改心流といった古くから形を変えずに伝わっていると思われる流儀のいずれもが、甲野氏の主張するような両手を寄せて柄を握るということをしていません。

 これを、「明治期に変わった」と考えるのは極めておかしなことなのです。

 何故なら、こうした古流の名門流儀は、昔から伝わる形を「一切、変えない」ということを“大前提”としているからであり、時代の趨勢とはまったく無関係であり、柄の持ち方という技の前提となる要素を変更する道理がないからです。

 もしも、甲野氏の説が正しいのであれば、それは最低限、口伝の形で必ず伝えられてきた筈で、途中で変わることなど絶対に考えられません。

 もちろん、私も実践してみた限り、甲野氏の説を全面的に否定するものではありませんが、当然ながら全面的に支持することもできません。

 そもそも、「これが正しくて、これが間違い」というのは武術に関してはあり得ないと言っても言い過ぎではありません。

 何故なら、相手の予想もしない技を使うからこそ勝てるからです。有効性があれば、どんな技を使っても正しい。それが武術の根本原理です。

 一つのやり方だけを正しいものであるかのように決めつけて論じるのは、物事の表裏を考えない幼稚な考えでしかありません。

 そもそも、甲野氏の論説は、「江戸時代以前の日本人は動物性タンパク質を取っていなかった」といった、あまりにも極端な論をたてて注目を浴びようとする問題点がありました。

 論じるのも馬鹿馬鹿しいことですが、魚や貝、山鳥、猪、鹿などを食べなかった筈がありません。木を見て森を見ない傾向があるのが、甲野氏の最大の問題点でしょう。

 以上、甲野氏の論への疑問としておきます。


 しかし、それにしても、今回の甲野氏の論述は、あまりにも独善的に過ぎていて、現代剣道への強烈な憎悪の感情すら感じられてしまいました。

 馬鹿げていると言ってしまえば、それまでですが、「自分が教えた者が剣道の大会で優勝した」とかいった論理的な根拠も示さず、ただ自分の周囲の支持者が具合が良いと認めてくれている・・・というだけで、現代剣道を「滑稽に見える」だの何だのと見下した書き方をしていることには、およそ客観性が無く、論理破綻という以上に偏執的な異常さすら感じられてなりません。

 そもそも、最早、まったく別物である現代剣道と古流剣術とを比べて、どちらが正しいの正しくないのと論じることそのものが、甚だしく馬鹿げていますし、甲野氏は自身が学んだ古流剣術流儀でさえ正誤を論じています。

 鹿島神流時代からの盟友に教えて「30年以上無駄なことをしてたね」と感想を言われたということも紹介していますが、これまた随分と失礼なことではないでしょうか。

 これでは、鹿島神流のやり方が間違っていると言うに等しいでしょう。しかも、自分の言葉でなく友人の感想として紹介している点に、より悪質さを感じてしまいます。

 百歩譲って、私も、剣道や空手道といった現代武道が、本来的な武術性を理解しないまま競技試合に引きずられた技術論をしているのはいかがなものか?という気持ちは確かにあります。

 ですが、それはスポーツ競技として武術とは違う方向に進んで、その世界では発展している訳ですから、自分がその世界でやっているならともかく、部外者である身で良いの悪いのと公刊されている雑誌の中で非難すべきことではないでしょう。

 それこそ、“恥知らず”、“分を弁えない”というものです。

 もし、甲野氏があくまでも現代剣道を批判したいのであれば、御自分が剣道の全日本大会に出場して完膚無きまでに現代剣道の猛者を打ち破って見せてから、思う存分、批判すればいいのです。

 それをやらずに信奉者を相手に技を使って己の技の優秀性を主張するのは、地方の草相撲大会で優勝した者が大相撲の横綱を馬鹿にするに等しく、単なる誇大妄想としか言えないでしょう。

 甲野氏は、「武の世界は、あくまでも身体を通してそこで行われる事で説得力を持つ」と書いており、あるいは編集者が意訳して書いたのかもしれませんが、“武の世界は、実力を通して行われる事でのみ説得力を持つ”と書かれています。

 私は、この言葉を甲野氏自身がもう一度、自分に照らして、よくよく考えられることを祈りたいと思います。

 どういう意味かと申しますと、かつて甲野氏は筑波大学の剣道五段の先生と防具を付けて試合し、30分間、ずうっと打ちまくられて何もできなかった・・・という経験があるからです。

 あるいはまた、私のところに習いに来ていた剣道二段の会員が、甲野氏の公開稽古会に参加した時に、袋竹刀で一方的に打ち込んで甲野氏は一発も返すことができなかった・・・ということもあります。

 さらにまた、友人が主宰する剣術の稽古会を尋ねた甲野氏が、そこの師範代と竹刀を合わせたまま、打とうとした寸前に竹刀を素手で奪われる・・・ということもあったそうです。

 まだまだ、このような冗談のような惨敗話は無数にあります。これで、何の説得力があると主張したいのでしょうか? 「私は誇大妄想狂ですから、信用しないでくれ」とでも言いたいのでしょうか?

 このような負け方は、通常ではあり得ないことです。甲野氏を本物と信じている人達にとっては、とても信じがたいことでしょうが、「どうも、おかしいな~」と思って、本気で倒すつもりで攻撃したら、あっけなく打ち倒してしまった・・・という事例が非常に多い(私も体験済み)のです。

 つまり、条件設定に守られた“現実には通用しない空虚な武術パフォーマンス”を演じているうちに、自らの現実が見えなくなってしまった哀しい武術マニア・・・それが甲野善紀氏の偽りのない真相である・・・と断言する以外にありません。

 記事中、剣道家及び武道家一般を侮蔑する対象として、「このような滑稽な人間にだけはなるまい」と書いている甲野氏自身、外ならぬ自分自身がそういう“滑稽な人間”である現実を、一刻も早く認識され、武術武道の世界から身を引かれることを、かつての弟子として心より祈らずにはおれませんでした。

 未だに、こんな馬鹿げたことを主張しているようでは、多くの人の見ている前で、誰かに打ちのめされて、大詐欺師のレッテルを貼られてしまうでしょうに・・・。

 いや・・・もしかして、甲野氏自身、心の底では誰かに完膚無きまでに叩きのめされて武術家としての命脈を絶ってもらいたいのかもしれません。そうとでも考えない限り、いつまでも分を弁えずに武道界を挑発し続ける理由がありませんが・・・。

 最後に、これだけは申し述べておきたいと思います。

 世の中には、武道・武術・格闘技に真摯に取り組んでいる人が沢山います。確かにくだらない権威主義者もいますが、真剣にやっている人も少なくありません。私は、そういう人達に無数に会いました。そういう真剣にやっている人達を惑わすような無責任な虚言を弄することは絶対にしないでもらいたい。

 甲野先生。自分の分を知ってください。既存の権威を非難することで自分の権威を築こうとするのは、人として最も恥ずべき愚劣なやり方です。所詮、同類の権威主義者であることには何も変わりがない。

 世の中の様々な分野の著名な人と交流していることで世間的な知名度と評価を高めてきた身としては、武術の世界に詳しくない世間の人達からは“斯界の第一人者”という視点で見られるでしょう。

 しかし、それは同時に、いつ何時、馬脚を顕して大詐欺師として奈落の底に沈みかねない危うさを孕んでいる・・・ということです。

 その点を考えて、注目を集めたいだけの思いつきの論を主張し現代武道批判をするのは慎まれたが良いでしょう。

“雉も鳴かずば撃たれまい”・・・です。


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縁あって生きる

 なんか、最近、仏教ブームみたいだな~?と、本屋さんやコンビニの書籍売り場、TVを観ていて思いますね。

 やっぱり、混迷を深めて先が読めない時代に生きているという不安や閉塞感から、スピリチュアル・ブームが一段落し、諦めの境地というか、諸行無常がこの世の理法なんだという仏教の教えがしっくり来るようになったのかな~?という気がします。

 大ざっぱに言うと、西洋の哲学は、神学を大前提にして、そこから人間とは何か?ということを考えて個別に発展していった訳ですが、東洋では宇宙観が先にあって、その中に人間も含まれているという基本的考えがありますね。

 だから、個々の哲学者を崇めるようなシステムではなくて、宇宙観の切り取り方が人によって様々あります・・・ってだけなんだと思うんですよ。

 西洋だと個人が考えた思想のシステムを絶対視したりするでしょう?

 マルキシズムはその典型。偉大な個人を崇めたがる訳ですよ。

 キリスト教だってイスラム教だって、そういう構造ですよね。

 教化された理論によって社会をシステム化していこうとするのが西洋的な考え方のような気がします。

 最近、にわかに注目されてきたイルミナティの陰謀史観だって、キリスト教的選民思想が根底にあって、それに従って世界の歴史を動かしていこうとする勢力があるのだ・・・という考えな訳です。

 けれども、仏教はそうじゃないですよね。教化理論はあるけれども、それを社会システムにはしていない訳です(しようとした人は数多いるけどね)。

 道教もそうですし、神道にも似たところがありますが、仏教の解いているのは、万物は変化し続けるものだってことです。生成流転して絶えず変化していく(無常)のが自然の法則なんだと解いている訳です。

 ただ、その法則性の中で、縁起の法則というのがあると説いてる訳ですが、この縁起というのは、物事には因果があって、それが縁の働きによって起こるとされている訳です。

 日本の幽霊の話なんて、全部、基本ラインが縁起の法則で作られていますが、これは、「だから、悪い因を起こしたら自分に報いが帰ってくるので、悪いことはしちゃいけないよ」という教えが含まれている訳ですよ。

 お金持ちが年とってからボランティア活動に専念したりするのも、金儲けのために他人を蹴落としたりしてきた因を払うために陰徳を積む・・・という知恵が習慣として長く伝承されてきたのでしょう。

 プラマイ0にする知恵ですね。

 こうした事柄は唯物論的には肯定できない不可解なものですが、長い長い人間の営みの中で現実味をもって伝承されてきたことで、人間の深層心理の中に厳然と“事実”として刷り込まれているのかもしれませんし、はたまた、人類の原始の生活の中で大自然に対する畏怖の感情として残った思念の記憶なのかもしれません。

 いずれにしろ、私自身、これまでの人生で縁起の法則を強く実感させられる経験は何度もありました。

 特に、武術をやるようになってからは、本当に自分の意志で決めているとは思えないくらい、出会った人との縁によって人生が方向付けされてきた・・・という強い実感があります。

 本当に、この想いは年々強まっていくばかりで、数年前には、ちょっと怖いな~と思ったりもしたものでしたが、最近は、「俺はこれをやらなきゃいかんのだろうな~?」という諦めにも似た確信を得るに至っています。

 自分の執着心で続けているのなら理解できるんですが、私は必ずしも武術で身をたてようなんて思っていませんでしたから・・・、というか、武術みたいなマイナーなもので生活できるとは思ってもいなかったですよ。

 けれども、当然のことながら、教わった先生方のお力を借りただけであることは言うまでもないことです。

 文字通り、これらは縁のなせる技でした。

 だからこそ、先日は、中国拳法を教わった小林直樹先生に価格にして40万円を越える真剣をお贈りしました。

 この40万円という値段に関しては、高いのか安いのか人によって感想はさまざまでしょうが、現在の私の生活水準では、ギリギリの感謝の気持ちでした。何しろ、貯金が底をついたのですからね。普通は、そんな馬鹿なことはしないでしょう。

 けれども、私の今日あるのは小林先生と出会って教えを受けたお陰であると確信して疑いません。できることなら200万や300万、あるいは1000万の刀を贈ったって、少しも惜しいとは思わない。

 何しろ、私の武術研究家としての能力の大半は、小林先生と出会うことがなければ開花しないままだったでしょうから・・・。

 そして、小林先生に刀をお贈りしてから、今度は無性に「青木先生にも贈らなきゃ~」という気持ちがしてきました。

 やっぱり、今、現時点で、私が最も影響を受けているのは紛れもなく青木先生なのは間違いありませんから・・・。

 私は、今でも新体道の会員でもなければ剣武天真流の会員でもありません。青木先生に弟子入りした訳ではないのです。

 が、形として弟子入りしていないだけで、有形無形の教えを受けたという点では、それはもう、ちょっと想像もつかないくらいの影響を受けていると言えるでしょう。

 だから、何か感謝の気持ちを形としてお贈りしたいな~と思ったのですね。

 そこで、「そうだ。やっぱり、刀を贈るべきだな。それも自分が一番、気に入っている手放したくないと思っている刀を贈るべきだ」と思ったんです。

 どうして、そう思ったか?というと、自分が一番執着している物を手放すことに意味があり、それこそが感謝の気持ちを顕すことになると考えたからです。

 で、最も気に入っている小宮四郎国安を贈ることにしました。

 一年以上、チマチマとお金を支払って、ようやく手に入れた刀です。昭和の最上大業物と言われた小宮一門の大剛刀。一日一度は必ず抜いて眺めていた刀です。

 これなら青木先生に贈っても恥ずかしくないでしょうし、いずれ青木先生のお弟子さんの誰かに渡っても喜んでもらえるでしょう。

 でも・・・青木先生は私が小宮四郎をどれだけ気に入っていたかを御承知だったからでしょう。代わりに松葉国正刀匠がスウェーデン鋼で鍛えた試斬用の刀をくださいました。

 以前、事務所で見せていただいた刀ですが、一門の試し斬りに使って刃毀れができたり、かなり傷んでいました。私が自分で補修できることをご存じだったので下さった訳です。

 実を申しますと、この刀を事務所で見せていただいた時に、瞬間、自分がこの刀で試し斬りをしているイメージが浮かんだんですね・・・。

 そして、その一瞬のイメージの通り、この刀は今、私の手元にやって来た・・・。

 こういうのも縁なんだと思います。

 早速、刃毀れのある箇所の周辺をダイヤモンドシャープナーで荒く削って平坦にし、さらに砥石で研いで刃の形を整えました。刃毀れが少々深かったのですが、焼き刃の範囲に収まっていたので、そんなに姿形が崩れることもありませんでした。

 ただし、切っ先のフクラ(丸く曲線的になっている刃の部分)は、刃毀れを直すにはほぼ直線的に削るしかなく、カマス切っ先のように鋭角になってしまいましたが、これはこれで鋭利な感じで悪くないでしょう。

『密命~寒月霞斬り』の時の榎木孝明さんが使っていた刀がカマス切っ先でした。

 この刀は松葉国正刀匠が試し斬りのデモンストレーションに用いていた刀なのだそうで、薄刃で軽いのに太い竹を真横に切ってしまったり、非常に良く斬れる刀なのだそうです。

 俗に、ジープの板バネで作った刀はそこらの日本刀より良く斬れたと言われますが、スウェーデン鋼で打ったこの刀も、そういう感じなのかも知れません。

 刃紋は直刃に少しのたれ調で、銀白色の鉄地は明るく冴えています。綺麗に研ぎ直せば、また鑑賞用にも良い刀でしょうが、試し斬り訓練でくたびれた今の姿にも味があります。

 刃渡りは、ぴったり二尺三寸の定寸。意外にも私は定寸の刀は持っていなかったのですが、奇しくも入手できた訳です。

 拵えも肥後拵えで武蔵(海鼠透かし)鐔。関口流や伯耆流の居合術に向いた感じです。

 現代武道界の伝説の名人から頂戴した刀ですから、ありがたく使わせていただこうと思います・・・。

 それから、天真会の吉田晶子先生からは特殊な高エネルギーのグッズをいただきましたけれど、私の持病のパニック障害にも効果があるだろうとのことで、本当にありがたいことです。

 早速、身につけてみたところ、立禅をやると身体内の気の流れる感覚がえらくはっきりと判り、こりゃあ、凄いな~と思いました。久々に気功をやってみたら、熱感が凄くて驚きましたね。

 なかなか治らない風邪の症状も、一時的に酷くなって咳が出たんですが、どうもこれは邪気の排泄作用が強まっているんだな~という感じです。

 野口整体では風邪は心身の調整作用と解釈されていますが、症状が強まっても嫌な感じがないんですね。症状が出た後は元気になってくる感じがします。

 そういえば、シダックスの講座の時も着けていたら、内力がグワーッと上がってくる感じがしましたね。

 そして、講座の帰りには咳が止まらなくなって、夜中に困りましたけれど、いつの間にか眠っていて、明け方に目が覚めると、今度は猛烈な腹痛がして、トイレに駆け込みました。

 どうも、これは俗に言うところの宿便、古便と呼ばれる腸管壁に残っている滞留便が排出されたらしく、普通は断食を何日かやらないと出ないと言われているのです。

 朝になると、一応、症状は治まったんですが、凄い疲れて、この日は月例セミナーでしたから、迎えに来た北島師範に、もし私が行けなかったら代わりに指導やってくれと頼んで電車の中では死んだようになっていました。

 いつもはパニック障害の発作が起こるような体調だったんですが、不思議に発作は起きず、何とか到着してからセミナーを開始すると、後は嘘のように何事もなく進行していきました。

 今は、身体中のあっちこっちの古傷が少し痛みますが、この反応が治まるとバージョンアップできそうな予感がします。

 元気な時に着けていたらどうなるのか?と、楽しみですね。
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2011・一月セミナー報告

 2011年の月例セミナーも始まりました。

 初回は“発勁の基本”を徹底体得してもらうのがテーマで、もう理屈はいいから、実地にバンバン打って体得してもらいましょう・・・という方針でやりました。

 しかし、初参加の人が少し気持ち悪くなったり(激しく吹っ飛んだので軽い鞭打ちみたいになったのかも?)して、クッションをあてがってはいたものの、発勁の威力が貫通性に特徴がある点を改めて恐ろしいな~と思いました。

 発勁の打撃は、「どのくらいパワーが出ているのか、自分でよく判らない」という点が難点です。力を込めて打つのではないので、「こんな軽い打撃で効いているのか?」という疑問が出てきてしまうのです。

 軽くポンッと打っただけなのに、体重80~90kgの人がバーンッと吹っ飛んでしまうのは不思議な光景です。

 飛ばされまいと下手に耐えると、一拍遅れて腹に溶けた鉛が広がってくるような何とも嫌な感触があって、立っていられなくなってヘナヘナと倒れてしまったり、泡を吹いて倒れたまま失神したり・・・という具合に、発勁の効果というのは、複雑な作用をするのです。

 だから、加減の仕方が難しいのです。

 特に、常連の人の威力は怖いくらいになっているので、もしクッション無しで直接打てば、相当に危険な事態になったのではないか?とも思えます。

 今回は吹っ飛んで頭を打ったりしないように三人組になって、練習したんですけれど、人間一人がバヒューンっ!とすっ飛んでいく様子はユーモラスながら、威力の程はちょっと恐ろしいくらいです。

 この威力を、吹っ飛ばすのでなく人体破壊に作用させるように打てば、致命傷を与えることになってしまいます。失神くらいで済めばいいでしょうが、心臓が止まったり、脊椎が折れたりしたら取り返しがつきません。

 そして、発勁の怖さは、素人がすぐに体得してしまえる点にあると思います。

 中国武術の世界では、発勁は名師の直門弟子になって何十年も修行を積まねば体得できないと言われていました。

 しかし、私の研究上で言うなら、これはまったくの間違いです。メカニズムを理解すれば、大して練習しなくとも体得できます。

・・・と、こういうことを書けば、「長野は嘘つきだ。発勁はそんな簡単に体得できるものではない」とヒステリックに非難する中国武術愛好家が結構いました。

 が、そんなことを言っている人が私の1/10以下の発勁の威力しか出せなかったりするんですから、阿呆臭くて話になりません。自分の無能と無理解を棚に上げて、権威付けされた誤説を確かめもせずに盲信しているのです。

 私は自分で研究してできるようになり、できるようになってから何年も何年も分析し続けてきています。だから、自信をもって「発勁はこういうものです」と言えるし、誰に対しても体得させられるのです。

 信仰心で論じている人とは違うのです。

 もっとも、できるようになればなったで、ほんのちょっとした打ち方で威力が倍増したりダメージが複合的に作用してしまうのですから、本当に武術は恐ろしいものだな~と、つくづく思います。

 今回、うちの最年少の会員に八極拳の把子拳の打撃法の秘伝を教えたんですが、それを受けたフルコン歴20年以上の会員さんは、「全然、威力が違います。いきなり三倍くらい強くなりました」と驚いていました。

 まあ、秘伝なので解説はしませんが、基本原理が解れば、そこから応用することで技の作用は何倍何十倍にも広がっていく・・・という仕組みなんですよ。

 そして、こういう武術の構造的な秘密が解ければ、力任せで技を使うことには何のメリットもないことが理解できるでしょう。力に力で対抗するやり方は根本的に間違いだということが解ります。

 徹底的に力を抜いて、相手の攻撃も徹頭徹尾、受け流してしまう。そこに武術の叡知が隠れているんですね。

 昔、松田隆智先生から、「長野君はよく独力でそこまで体得したな~。凄いな~。でも、あの打ち方は危険だから公開しないほうがいいぞ・・・」と言われました。今はよく意味が解ります。確かに危険過ぎるんですよ。

 発勁の打撃秘訣というのは、素手で効率良く人体を破壊するテクニックであって、強いとか弱いとかの話ではなくなってしまうのです。本気で使えば確実に相手を殺してしまうんです。刃物の必要は無くなってしまいます。

 全然、鍛えていない人でも殺傷力のある打撃が出せる訳ですから・・・。

 やっぱり、精神的にハンパな人に教えると危険だし、素手で通り魔やる人間とか出てしまいかねませんから、今後はもっと注意して教えていかなきゃいけないな~と思いましたよね。

 今回、形意拳(半歩寄せ足で打つ虎形拳“虎撲把”)や八極拳(直突き・肘当て・肩当て)の発勁を中心に指導しましたが、これらは護身術としては過激に過ぎるかもしれません。威力もそうですが、打撃技の応酬をする間合より近くから打ち込むので、打たれる方は避けるのが難しく、抵抗もできずに一発で倒されてしまうからです。

 本気で打ち込めば怪我くらいでは済まないでしょう。駅のホームで打ったら線路におっこちるかもしれませんし、道路で打ったら、酔って足元が覚束無ければ後頭部からアスファルトに激突してオダブツになるかもしれません・・・。

 本当に命が危ないという場合でもない限りは決して使わないでくださいね。

 さて、次回は、もっと多彩な打ち方を指導する予定でいますが、くれぐれも危険のないように、参加される方の御協力をお願い致します・・・。


 え~、それから16日のほびっと村の講座ですが、こちらは談話と技の実習を半々くらいで実施しようと思っています。

 会場が江古田ストアハウスより手狭で、階下に自然食レストランがあるため、あまり激しく動き回れません。実習は合気や化勁、剣術を中心に柔らかく制圧する技術を指導しようと思っていますので、かつて来られていた方や初参加の方も歓迎致します。

 最先端研究成果を披露しますので、御期待くださいませ・・・。


追伸;原宿駅近くの霜剣堂さんの初春セールを見に行ってきましたが、肥前忠吉、虎徹、三善道長などの最上大業物や、「郷と化け物は見たことがない」と言われる幻の名刀、郷義弘等々、博物館でしか見たことないような刀をじっくりと拝見できました。眼福!

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新年あけましておめでとうございます

・・・って、ちょっと遅くてスンマセン。

 実は、27日くらいから風邪?インフルエンザ?の症状が出て寝込んでおりまして、年末にやろうと思っていたことが全部パ~になって、困ったもんでしたので・・・。

 という次第で、注文いただいたDVDの発送も遅れてしまいまして、年越してしまって済みません。お許しくださいませ・・・。

 え~っと・・・、まあ、稽古納めの様子からでもお話しましょうか?

 12月26日は稽古納めで忘年会込みでしたので、どれだけ人が来るかな~?とウキウキして行ったら、ほぼいつものメンバー。矢嶋師範代が欠席で横浜同好会の若手新入会員のIさんが参加していたので、人数的にはいつもと同じ。

 ちょっと、カックンと来ました。もうちょっと久しぶりの人とか来るかと思って楽しみにしてたのにな~? 特にビジュアル系Qちゃんが、どんな妖艶な?格好してくるかな~と楽しみだったのに~・・・(つ~か、最近、方向性に悩んでんのかな~?)。

 でも、Iさんが別人のように予想以上に上達していて、流石に半年間、毎回欠かさず稽古に来ていた甲斐があったな~と、指導を任せっきりだったK原さんの間接的な頑張りに感謝!

 どう上達していたか?というと、パンチの予備動作がほとんどなく、いきなりズバッと打てるのと、変に修業経験が無かったのが幸いして“無心で打てる”訳ですよ。

 だから、うちの会の中で最も読みの優れた大石教練の顎にいきなりヒットさせていたので、皆、ビックリ! 嘘だろ~って思いましたよ。

 大石教練は読みの能力は抜群なんですが、余裕をかまして遊び過ぎる癖があるので、たま~に、相手のパンチが流れて浅く打たれることはありましたが、今回は、結構、モロに食らってましたね~。

 これでIさんに打撃力が備わってたらKOされちゃったかもしれません。油断大敵だよね~。

「Iさんは凄い勘がいいですよ。あれは大化けするかもしれませんね」と絶賛していましたが、大石教練が手放しで誉めるのは珍しかったですね。

 Iさんは横浜同好会の限定会員さんなので、この日は稽古納めだから本部稽古会の参加も特別許可したんですが、入会初日の時とは別人ですし、横浜同好会は参加者が少ないのがもったいないですね~。横浜方面の会員さん。ヨロシク!


 え~、Iさんが酔拳を教えて欲しいということだったので、この日は酒は飲んでないけど、酔拳の基本的な打法や歩法、身法と技の変化を指導しました。

 やっぱり、少々アルコール入らないと自分でもイマイチだな~とは思ったんですが、やっぱ公園で酔拳やってると楽しいですね。

 後は形意拳の劈拳から変化する招法をいろいろとやったりしているうちに、久々に蛟龍歩を使ったフットワークもやり、これの練習法も割りと細かく指導しました。

 北島師範と矢嶋師範代と大石教練は、まあ、大体できるようになりましたかね? K原さんもできかかってきていますね。

 この歩法ができるとかなり面白くなるんですが、最初から歩法に頼るとダメなんで、総合的にやっていかないといけません。

 稽古後は予約していた和食ファミレス華屋与兵衛で飲み会。やっぱ、忘年会は座敷だよね~。


・・・という次第でしたが、翌日は体調不良により寝込み、月曜から木曜まで買い物にすら行けませんでしたよ。

 うち、二日はほぼ断食状態。ちょっと痩せた気がする・・・。

 会員で俳優のCさんから電話があってウルトラマンゼロを観に行く日取りを決めていたんですが、体調不良につき年明けにしてと頼んだり、今年こそ行こうと楽しみにしていた自主映画時代の仲間の忘年会にも断りの電話を入れざるを得ず・・・いや~、計画狂いまくったな~?

 何よりも年内に二尺七寸の刀の拵えをある程度作ってしまおうと思っていたのが、材料を買いに行けないのでお預け・・・というのが悶々としましたな~・・・。

 独身で困るのは、こういう体調不良の時なんですよね~。

 まあ、一年間、これといった問題も起きなかった分、集中して最後に来たか~?という感じです。


 さてさて、年賀状も出せなかったんですが、よく、うちのセミナーに参加される方から言われることで、「今までいくつもの武術団体に参加してみたけれども納得できなかった。長野先生のところが偽物だったら武術はやめてしまおうと思っていた」ということを打ち明けられることが何度かあったんですね。

 この点について私の考えをもう一度、書いておきます。

 まず、武術に偽物も本物もありませんよ。経歴を偽ったり偽装している人物や流派はざらにありますが、私はそれを本物偽物の判断基準にはしていません。

 従って、私は游心流と名乗っている自分の創作流儀を本物だの偽物だの他人に評価されることそのものを好みません。武術は武術。私は自分の理想とする武術イメージを追究して日々研鑽を積んでいるだけです。他人の評価は眼中にありませんからね。

 ですから、「游心流なんか偽物だ」と言われれば、「それを言うなら俺を倒してからにしてください」と言うし、「游心流こそ本物です」と言われても、「オベッカ言うヒマあったら、ちゃんと練習しなさい」と叱ります。

 私は論より証拠。実体としての必殺の技。合理性ある術理。それしか求めていません。

 むしろ、「どうして、本物だの偽物だのという言葉に囚われているのかな~?」と不思議に思うんですね。

 それは、自分が本質を理解して追究していないからでしょう。

 どんな正統名門有名流儀を学んでも、自分が未熟だったら、それは本物とは言えないでしょう?

 骨董品じゃないんですから、武術という修行する者の心身に蓄積される技芸にとって、本物か偽物かというのは、唯一、自己の練度と理解度によってしか論議できない訳。

 だから、中国武術学ぶ人間が、「少林寺拳法は偽物だ」とか「空手なんかレベルが低い」とか言ったとしても、本人が戦って勝てなければ、まったく意味がありませんね。

 日本刀もブランドが幅を利かす世界ですが、無銘だろうが偽銘だろうが実用機能が優れていたら関係ない・・・というのが武用刀の論理です。

 私は武術にブランド的観点で本物だの偽物だの論じている時点で、その人の向上は期待できないと思うんです。

 何故か?

 それは、武術は、“与えてもらえるもの”だと考えているからですよ。

 本物の達人からきちんと教えてもらえば自分も本物の達人になれる・・・という甘い考えが根底に巣くっている訳ですよね。

 まったくの大間違いですよ。

 いくら達人から教えてもらったところで、自分自身がボンクラで極意を掴めなかったら、凡庸なレベルで終わってしまいますよ。

 こんな当たり前の論理をわかっていない人がいかに多いか? それを考えれば、確かに現在の日本の武道武術の世界は、日々、偽物(使えない技の形だけ知っている戦えない武術家)が増殖していっているインチキ業界?なのかもしれません。

 しかしながら、問題の根本は自分の内部にしかないんですよ。

 例えば、ほとんどの伝統武術は型を正確に伝承していく・・・という作業だけで完結してしまっていますし、それを正統化するための理論を防波堤のように張り巡らせて閉鎖空間を築いてきています。

 型を正確に伝承するためには、それは間違いとは言えませんが、本質論からすれば、それはもう武術の修行の一部だけが変形してしまっているとしか言えません。

 つまり、武術として活力あるものにしようと考えるなら、価値観の方向性を別に設定して独自の道を歩まなければならない訳です。

 今日の日本に於ける伝統武術流派の多くが、守・破・離のうちの“守”だけを延々と続けることを要求させ、それに従わない者を破門にしてきています。この価値観を容認できる人は少ないでしょうが、免許皆伝まで進まなければ、“破・離”に移行することは許されないというルールがあるため、忍耐のみを長年、要求される訳です。

 では、晴れて免許皆伝を得たから、独自の道を歩けるのか?というと、これも建前先行で、実質的には流派のルールに縛られ続けるのが現実です。

 いやはや、難儀なことですね。

 私が研究家と名乗り、游心流と名乗ったのは、このような伝統の呪縛から離れて自由に武術の技の本質を探究するためでした。

 無論、“反則”です。掟破りなのを承知の上でやってきたのです。

 従って、随分と非難されました。直接習った先生方からも、決して良くは思われませんでした。だから、私の真似はしてもらいたくありません。物凄く苦労するからです。

 それでも、そうするしか真に武術の本質を探究する方法は無かったでしょう。

 取り敢えず、ある程度、実績ができてしまえば、もう表だって非難する人はいなくなってきましたね。いや~、長いことかかって大変でしたわ~・・・。

 本物か偽物か・・・などと考えるより、武術に関しては自分の追究によってのみ本物度が高まっていくのだと認識してみたら良いと思います。

 私は、世界最高最新最強の武術を目指して死ぬまで一直線に探究する覚悟ですから、それを他人が何と評価しようが関心ありません。結局、流派だの何だの関係ないんです。

 本気で追究している人は、必ず「俺のやっている流儀こそが最強だ!」と信じている訳ですよ。

 それを他人がとやかく言うことじゃないんです。そんなこと言うヒマがあったら、自分も「俺の流儀はもっと最強!」と一途に信じてやればいいんです!

 たかが百年足らずの人生。無意味なこと悩んでるヒマはありません。やりたいことは徹底的にやり尽くして、「俺はやったぞぉ~っ!」と叫んで死にましょう!

 恐らく、本物の武術なんてものは“流儀”の中にはないのです。唯一、修行者が自覚的に探究している中だけに“本物”はある筈です。

 外部を責めるのではなく、半端な自分を責めることです。問題はすべからく自分の認識の中にあるのです。教えてもらえなければ自分で編み出す・・・これが武術修行の基本ですよ。

 う~ん、何かカッコイイこと書いたかも? オレ・・・・。



追伸;新年第一回目の江古田月例セミナー(9日)は、「体得せよ! 気力転身、一撃必殺発勁パワー!第一弾」です。「あなたのパンチ力が一瞬で三倍になる!」 うわ~・・・我ながら嘘臭ぇ~(笑)。

追伸2;そして、翌週16日には新年第二弾特別企画公開講座が西荻窪ほびっと村学校で開催されます。こっちは随分と久しぶりですよ。こちらは予約不要で参加費3000円ですから、初めての方も、昔、来ていた方も気楽においでください。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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