コンテントヘッダー

中先生の実践空手理論に納得!

 ハイキックガールのメイキング映像に収録されている中達也先生の空手道講座には、目からウロコが落ちましたよ!

 かつて、空手道の技術と理論を、ここまで平易に、明快に、納得のいく実技で解き明かしてみせた人がいたでしょうか?

 空手の世界で沖縄古伝空手のブームが起きても、私は今ひとつ、興味をそそられませんでした。

 どうしてか?と言うと、型の解釈の奥深さや身体操作の理論はあっても、それらは私が20年以上前から研究してきた中国武術や古武術、合気武術のそれと比べて目新しいものを感じなかったからです。

 よく、「武術の型は古ければ古いものほど良い」という説がありますが、私はこれには大いに疑問を感じるのです。

 古い時代の武術は、技も戦闘理論も単純です。単純だから実戦的だという論理も成り立つかもしれませんが、新しい流儀は古いものを改革してより技術研究が進んで確立されるというのが当たり前の事情です。

 無論、私も、より古い流儀の型も研究しました。

 合気道から大東流を、大東流から関口流その他の柔術を・・・、剣道から北辰一刀流を、北辰一刀流から中西派一刀流を、中西派一刀流から小野派一刀流を、小野派一刀流から馬庭念流を・・・、新陰流から神道流を・・・等々。

 中国武術でいうなら、太気拳から意拳を、意拳から形意拳を、形意拳から心意六合拳を、心意六合拳から戴氏心意拳を・・・ビデオやDVDで研究し、どういう具合に技が使えるか?と試してきました。

 その結果、私の結論は、「より新しく出来た流儀の方が技術的には洗練され実戦への対応性も高い」というものになりました。

 その結論の目安としては、歩法と招法が、多彩に発展した現代の様々な武道や格闘技にどれだけ対応し得るか?という点でのものです。

 戦い方が単純だった頃なら簡単な工夫の術技でも勝てたでしょうが、戦い方が発展していけば、単純な技で制圧するのは無理な話です。

 簡単に言えば、ボクシングのジャブやムエタイのローキックに対処する技は古い武術には工夫されていません。

 古い武術を盲信する人達は、それを使って現代武道や格闘技の実力者と戦う経験をほとんど積んでいない場合が多いでしょう。

 日本の中国武術黎明期である30年以上前には、物珍しさで中国武術を学ぶ人が少なくなかったでしょうが、その当時は台湾から実戦名手である王樹金老師が招聘されたり、澤井健一先生が空手家を弟子にとって太気拳を教えていて、「中国武術は強い」というイメージがあった訳です。

 しかし、その後は中国武術の型ばかり学んで使えない人が増殖したので、「中国武術はオタクが学ぶもので型ばっかりで弱い」というイメージが広まってしまったのです。

 似たような状況は合気道や古武術でもありました。カリスマ的な達人がいても、一般的なレベルで使える人がさっぱりいなかったのです。

 空手や柔道で黒帯を持っていれば、少なくとも素人より弱いということはない訳ですが、中国武術や合気道では十年二十年やっていても、喧嘩慣れしている素人に負けてしまったりする訳です。

 型武術の問題点は、「型だけやっていれば強くなれる」という幻想を煽って、戦闘の意識のない人間を中心に広まった点にあります。

 彼らは、何のために型を修練するのか?という意味を理解しないままでやっているので、それを戦闘に活かすことができないのです。

 型というものは、身体操作と技の用法と変化などを学ぶためのものです。一人で稽古し、それを二人で確認しながら、今度は間合いと拍子を学んで、必勝の理合をつかみ取ることが目的です。

 しかし、型は、意味を理解している師が口伝で弟子に技の秘訣や意味、間合いの盗み方や外し方、拍子の取り方・・・等々を説明していくことで高いレベルの技と理論を教えるように組み立てられています。

 ですから、何も解らない人間が型の動作と手順だけを延々と繰り返していても、使えるようにはなりません。

 よって、武術の世界は徒弟制度のような厳密な師と弟子の秘儀伝授システムが“伝統”として構造化されてきたものです。

 これは、権威主義による家元制度として伝えられてきたものですから、そのシステムを成立させるために型の内実を部外者には読み解けないようにしたと考えられます。

 もっとも、私は桜公路伝の交叉法理論を小林直樹先生に教わり、それが武術全般に普遍的に通底する基盤となる理合であると直感し、十数年間、試行錯誤を繰り返して実験を進めてきたお陰で、型を見ただけで用法も理論も読み解けるようになってしまった訳です。

 率直に申しますが、実際に習っている人よりも、私が見た方が技の応用変化は読み解けます。それほど、交叉法の理合は根本的な原理を示していたんですね。

 以来、それまで学んだ居合・剣・杖・棒・柔・拳法・合気・・・等の技の実用法が明確に理解できるようになりましたし、フェイクかそうでないかも判別できるようになりました。

 型を見ていれば、その動作がどういう意味を持っているのかが解りますし、さらに応用変化法や返し技まで、即座に工夫できるようになった・・・というのは、何度も述べてきたことです。

 そんな訳なので、沖縄空手礼讚の風潮にも、ちょっと、何か違うような気がするな~という思いがありました。

「空手は本来、突き蹴りだけの武術ではなく、投げや関節、絞め等も含んでいるのだ」と、さも斬新なことかのように発表されていたりすると、ウ~ム・・・と唸ってしまうのですね。

「そんなのどんな武術でも当たり前なんだけどな~」と、苦笑してしまわざるを得ないからです。

 確かに沖縄空手の技の解説は知らない人には斬新に思えるかもしれませんが、だからといって本土に渡って以降の伝統空手やフルコンタクト空手が劣るものだとは私は思わないのです。

「本土に渡ってから作られたピンアンの型は体育的な要素しかない」なんて聞くと、おいおい、そりゃあ違うでしょう?と思ったりするのです。

 型の手順なんか違っていても、根本の動きの原理が同じであれば、後は使う人の腕次第でどんどん応用変化技法は編み出せるものです。

 これは太極拳で私は確認済みです。健康体操として広まった簡化24式太極拳でも用法原理を理解していれば超実戦拳法にあっという間に早変わりしますよ。

 だから、ピンアンだって実戦空手型になり得る筈です。

 源流だけが優れているという考え方は本質を理解していない者の考え方ですよ。

 例えば、宮本武蔵は抽象的な五つの型しか遺していません。これらの型は、およそ実戦に使えるとは思えないくらい単純極まりないものです。

 しかし、ただ単純なのではなく、単純さの中に無限の応用変化に発展し得る自在性が秘められています。流石は武蔵はただ者じゃないな~と私は思いましたね。

 だいたい、用法が一つしかないと考えるのは何も理解していない証拠ですよ。一つの動作の中に最低でも十通りくらいの変化可能性はあるものです。それを足の寄せ方や位置取り、入るタイミングや姿勢などで更に何通りにも変化するでしょう。

 そういう変化応用を組み合わせていけば無限といっていいくらいに発展するんです。

 それが解っていれば、型の優劣なんか論じる気にはならないでしょう。


 なんか、ムッチャ、前置きが長くなってしまいました!

『ハイキックガール』を観た時に、主人公の師匠を演じた中達也先生の教科書のような空手技の見事な演武アクションに痺れて、東映チャンネルで放送されるのを毎回毎回、観ていたんですが、何回、観ても惚れ惚れするくらい見事なんですよ。

 無論、主演の武田梨奈の体張った空手演技も良かったんですが、中先生の自然体の演技と機能美そのもののシャープな技の冴えが素晴らし過ぎましたよ。

 伝統空手の技って、速いけど直線的過ぎて、見ていても面白くはありません。

 フルコンタクト空手の技は、格闘技的で、アクションとしては単調過ぎます。

 しかし、中先生は空手の型の動作を実戦用法として次々に披露してくれて、アクションとしての醍醐味を出しつつ武術性を失うこともないリアリティーある武術としての空手を初めて映像で見せてくれていたように思います。

 だから、『ハイキックガール』の格闘アクションは香港カンフーやタイのアクション映画にも匹敵する日本の空手アクションの魅力をもう一度確認させてくれていたように思います。

 けれども、メイキングを見ていて、「はは~、これは中先生だったからこそ、達成できたことなんだな~?」と思いましたね。

 中先生の空手技術講座は、中国武術や古武術等の身体操作理論なども研究した上で伝統空手の技術理論を独自に組み立てられていることが私には察することができました。

 単に競技スポーツとしてバイオメカニズム的に研究している人はいるでしょう。

 単に古武術の身体操作理論を流用している人もいるでしょう。

 単に中国武術と比較して研究している人もいるでしょう。

 しかし、それらを総合的に研究して空手技術の理論を打ち立てている人は、恐らくは中先生だけではないか?と私は拝察します。

 私は、伝統空手道の世界に、このような革新的理論解明をされている方がおられるとは予想していませんでした。

「例えば、空手の突きはボクシングとはまったく違う。空手は相手を固定しておいて突くものです」と、さりげなく言われていますが、これは根本的な戦闘理論がガラッと変わることを示しているんですね。これを実践するのとしないのでは戦闘様式がまったく違うものになるのです。

 私はこれに気づいていたのですが(中国武術がそうするので)、「空手家でもない私が、しゃしゃり出て空手の理論を啓蒙せねばならないのか?」という逡巡もあったので、あまり積極的に主張しませんでしたが、お陰で一つ、大きな肩の荷が降ろせたような気持ちです。

 空手を学ぶ方は、いろんな空手の本やDVDもありますが、迷わず中先生の理論に触れてみられることが最も良いと思います。

 かくも優れた人材を映画に引っ張りだした西監督。貴方は立派です!

スポンサーサイト
このページのトップへ
コンテントヘッダー

『マタンゴ 最後の逆襲』

 角川ホラー文庫で、東宝のホラー特撮の傑作として有名な『マタンゴ』の続編が書かれているという話を雑誌で知って、読んでみようかな~?と思いつつ、結構なボリュームにたじろいで未読のままだった、吉村達也の『マタンゴ 最後の逆襲』を、思い切って購読してみました。

 20代の頃は、一日に一冊は読まないと落ち着かないくらいの活字中毒だったんですが、30代以降はあんまり小説は読まなくなっていたんです。

 ここ最近は、文筆業の幅を広げるために小説にもチャレンジしようと思って、勉強のつもりで読むようになったんですが、年齢のせいか長編は疲れるので躊躇してしまうんですよね~。

 けれども、『マタンゴ』は、私が産まれた1963年の作品であり、子供の頃にTVで観て、ラストシーンのショッキングさにトラウマになった作品でもありました。

 いつも私の本のイラストをお願いしている漫画家の黒谷先生も『マタンゴ』がトラウマだったそうで、キノコがちょっと苦手らしいです。

 しかし、怖いものほど関心を惹かれるもので、「『マタンゴ』の続編なんて、どんな話なんだろう?」と、興味津々になってしまう人も多いでしょうね。

 何よりも、作者の吉村達也さんが、『マタンゴ』の後日談を見たいという気持ちが強かったのだろうと思います。

 ちなみに、『マタンゴ』の原作、ウイリアム・ホープ・ホジスンが書いた『闇の声』も読みましたが、映画とはかなり違った感じの短編です。

『マタンゴ』の翻案ではないか?と言われているのは、ルチオ・フルチの代表作『サンゲリア(原題はゾンビ2)』ですが、ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画がSF的なのに比べて、ヴゥードゥー教のゾンビに近づいた怨霊というか地獄の餓鬼みたいな感じのゾンビがフルチの作品からは感じられます。

 ヨット、南の島、怪物化する仲間・・・といった道具立ては、確かに『マタンゴ』が元ネタなのかも知れません。

 真似されるとすれば、それは設定が上出来である証拠でもあります。

『マタンゴ』がカルト的人気を持ったのは、極限状況に置かれた人間たちが本音を剥き出しにしていく点にあったと指摘する人が多いですが、キノコの毒性や麻薬性の恐ろしさをメタファーとしている点もあるでしょう。

 特に、謹厳実直な船長が仲間を置き去りにして独りで島を脱出しようとした点に象徴されます。


 この続編小説には、『マタンゴ』に敬意を払った仕掛けも多くありますが、それ以外にもいろいろな作品の影響が感じられます。

 狂言廻し的に登場している占い師の婆さんは、『幻魔大戦』のそれを思わせますし、主人公たち七人が都市伝説のフィールドワークにやってきてキャンプしながら樹海の前で話しているところなんかは、カーペンター監督の『ザ・フォッグ』を思い出します。

 他にも『溶解人間』とか『原子人間』『カプリコン1』『エイリアン』『REC』『地獄の黙示録』『怪奇大作戦』『シルバー仮面』『バイオハザード』『幻の湖』等の影響があるような印象を受けました。

 かなりのページ数があったのに、徹夜で読み終えてしまいました。

 非常に映像的なんですね。ホラーというよりSF。ただ、実写映画化は金がかかり過ぎて難しいだろうな~と思いました。

 これは、『屍鬼』みたいにノイタミナ枠でアニメ化したら非常に面白いんじゃないかな~?と思いましたね。


追伸;ニュージーランドの大地震。マグニチュードはそれほどでもなかったのに、縦揺れだったためか、被害の大きな災害となりました。地震大国と呼ばれる日本ですが、いまや世界中のどこで地震が起こっても不思議ではありません。犠牲者の御冥福をお祈りするばかりです。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

護身術講習会終了!

 本部道場でお借りしている相模原市千代田のメイプルホールにて、初めて対外向けの護身術講習会を開催致しました。

 地元情報紙にも広告を出して、人物紹介コーナーで取材もしてもらいましたから、さぞや参加者が殺到するか?・・・とは思っていなかったんですが、問い合わせ人数より少なかったのは、ちょっと残念。

 それでも、やっぱり新聞の折り込みで各家庭に配られる情報紙の宣伝力は侮れないな~と思ったのは・・・

1,稽古の様子を外から見学する人が明らかに増えた。

2,町中でジロジロ見られることが露骨に増えた。

3,行きつけのコンビニの店長さんから「タウンニュース見ましたよ~」と笑顔で言われた。

4,北島師範や大石教練の家族や親戚が「ほらほら、長野先生が出てるよっ」と言っていた。

・・・といった、ちょっとした変化はあったように思います。

 昔、今は亡き『武術(うーしゅう)』の教室案内コーナーに載せてもらった時も、直後の問い合わせはさっぱり無かったんですが、三カ月、半年、一年、二年くらいの周期で問い合わせが来たりしていました。

 私は何でだろう?と思っていたんですが、当時の編集長だった椎原さんから、「記事の直後より、時間を置いてから問い合わせする人が多いんですよ」と聞いて、あ~、そういうものなのかな~?と思いましたね。

 言われてみれば、確かに・・・と思い当たるフシもあります。

 パッと関心がわいて来てみたものの、サッと熱が冷めるように来なくなる人が随分いたように思います。やる気満々で入会したものの、一度も練習しないまま二度と来ない人も少なからずいらっしゃるんですけど、何がしたかったのかな?と、実に不可解です。

 だって、入会金一万円払って、何ひとつ身につけないままなんですよ? 私が有名なアイドルとかだったら、まだ解るんですけど、何か一万円寄付してくれたのかな~? 申し訳ないな~・・・(苦笑)。

 ですから、「護身術の講習会も、大して参加者はいないかもしれないけれど、後から噂を聞いて道場に尋ねてくる人が出てくるだろう」と思っていた訳です。

 もっとも、私としては予約不要で500円というタダ同然の料金で教えるのは、“これが最初で最後”だと思うので、「今回は別に、腕試しみたいな人間が来てもリアル護身術が見せられるからいいのにな~?」と思っていたんですけど・・・そういう人は来なかったですね。

 出掛ける30分くらい前に青木先生から電話があって、多少、お喋りしたんですが、青木先生は2ちゃんねる悪口掲示板とか読んでる!・・・そうで、私に対する非難なんかも自分に照らして「私の教えている者の中にも、口には出さなくとも同じような疑問や不満を持っている者がいるかもしれないから、指導する時の参考にしようと思ってます」と言われていて、流石に器が違うな~って思いましたよ。

 普通、どんなに理路整然とした意見であったとしても、批判的なニュアンスが少しでもあったら、「悪口を書かれた!」と激怒するのが武道家気質ってものです。

 全面的に称賛されていないと冷静に受け止められない“お子ちゃま”ばっかりなんで、私は武道関係者と付き合うのはウンザリしてしまうんで、最近は極力避けています。

 でも、不必要に称賛だけするのって馬鹿にしてるのと変わらないですよ。

 良い面もあれば悪い面もあるのが当たり前で、カルト教団の教祖様でもあるまいし、たかが人間一匹を神様扱いして捧げ奉るのは“阿呆の極み”です。

 青木先生は、「私は自分の強さを自慢する人が本当に嫌いです。武道はそういうものじゃなくって、自分のできなかったことができるようになっていく喜びを感じてやるべき」と言われていましたが、概ね、同感です。

 講習会で実技講習になった途端、つまらなそうにしていた参加者が瞳をキラキラさせて子供のような顔で技をかけている様子を見ると、「あ~、金銭的には赤字だったけど、やっぱりやって良かったな~」って思いましたね。

 柔道をやってらっしゃった方が、胸倉掴まれた時の対処法を体験して「あ~、なるほど、これは思いつかないな~」と笑ってらっしゃって、非常に楽しそうにされていた様子に、私も嬉しくなりました。

 しかめっ面して練習するのが武道だと思い込んでいる人も多いですが、意識がリラックスしてこそ身体も本当の自在な動きができる。

 いろいろ実験してみた結果、必死で頑張れば頑張る程、武術は上達しないことに気づきました。笑ってやるのが最も効果的です。笑うと筋肉が緩む。脱力できるから筋力に頼らず重心移動を目一杯活用できる・・・という次第です。

 緊張感が必要だと思い込んでいる人は、ガンガン叩き合う闘い方しかできない。だから堅くなってガチンコ勝負になって、筋力で粉砕されてしまう。

 いかに脱力して相手の攻撃をまともにもらわないか? そして、脱力したところから一瞬でマックス・パワーをぶち込むか? これこそが極意ですよ。

 必死でやった後で極意に到達できるのだ~っと信じ込んでやっている人は生涯、到達できないでしょう。解ってるんだから、最初からやればいいんですよ。

 別段、武術武道に限った話ではなく、勉強でもスポーツでも何らかの習い事でも、自分ができなかったことができるようになる瞬間というのは、非常に楽しいものです。

 一般的に武道や格闘技は、おおよそ35歳くらいまでは技能を高めていけますが、それ以上の年齢になると現状を維持するだけでも大変な努力を必要としますし、40過ぎたら体力と反射神経の衰えと共に確実に実力が衰えていかざるを得ません。

 いや、スポーツは何でもそうですね。オリンピックで活躍するトップアスリートは、十代半ばから二十代前半です。

 何と短い・・・。

 けれども、これは生理学的にはっきりしていて、この世代でないと反射神経が追いつかないんですよ。

 筋力はまだ維持できますが、反射神経が衰えてしまうとスポーツ競技でトップを争うのは無理があります。

 そこいくと武術は筋力にも反射神経にも頼らない“理合”に則りさえすれば老人であっても若い者にヒケを取らないで済みます。

 もちろん、競技には対応できないでしょうが、実戦能力は衰えません。

「そんなこと言っても、若くて圧倒的な筋力を持つ者には勝てないだろう?」と疑問に思われる方もいると思います。対抗性の戦闘法しか考えないから、こうなる。

 うちの会員にも未だに圧倒的な筋力パワーの巨漢と戦って勝てるだろうか?って心配してる人がいたりして、ガッカリしますもん。武術のブの字も解ってない! 格闘技じゃないんだから、何で相手と同じ戦い方をする必要があるのか? 相手の闘い方に付き合う義理はないんです。

 人間の筋力なんか野生動物に比べたら生まれたての小鹿並みですよ。多少鍛えたところでチンパンジーにも勝てません。

 武術はそんな弱い筋肉に頼るんじゃなくて、全身に働いている重力を使う。だから体格も筋力も関係なく、大きな力が出せる。何にも鍛えていない普通の人間でも沈墜勁を利用すればパンチ力が“1t”出るんですよ? 改造人間にでもならなきゃ、筋力では出すのが難しい数値です。

 しかも、このパンチは拳を加速させる距離が必要なく0距離で出せるんですからね。拳でも掌でも肘でも肩でも出せる(最強なのは肘!)。そりゃあ、体重100kgでも2~3m吹っ飛ぶのも道理でしょう?

 もし、飛ばさずに一瞬に内臓に1tの重さがかかったらどうなります?

 恐らく内臓破裂しますね? 発勁の特徴の一つである浸透勁は筋肉の壁をすり抜けて内臓に威力を浸透させる・・・判りますよね? これがどれだけ恐ろしい技なのか?

 1tのパワーだけなら蹴り技で出せる人はプロ格闘家にはいるでしょう。が、突きで出すのは不可能に近いし、さらにその威力を内臓に浸透させるには秘訣が要ります。

 発勁は、むしろ、殺さないで済むように加減して当てられるか?ということの方が心配なので、私は試したいとも思わないのです。

 なので、私は一度も全力で発勁打ったことがありません。ミット越しでも、いつも1/3か、せいぜい半分くらいの威力にセーブしています。

 そうしないと受けた会員が致命傷を負ってしまうからです。直接打撃で肘で全力で打ったら、どんなに鍛えていても人間の筋肉では内臓を守り切れないでしょう。

 かつて松田隆智先生が大学の実験で寸勁の打撃力測定に協力した時に数十kgのコンクリートの固まりの測定器そのものが吹っ飛んでしまったそうです。発勁の怖さを物語るエピソードだと思います。

 無論、空手やボクシングのパンチより中国武術の発勁が上だと言いたいんじゃないんです。空手やボクシングのパンチも無防備な人間の頭に完全ヒットしたら、容易に殺してしまうでしょう。あの衝撃力は凄い!

 けれども、発勁は接触したところ(0距離)で打てて、要領を理解すれば素人にも打ててしまう・・・という点が恐ろしいのです。

 もっとも、「発勁は、自分でどのくらい威力が出ているのかよく解らない」という問題点があります。あんまり遠慮し過ぎると、ちっとも効かなかったりもするので、ほんのちょっとだけ効くように慎重に打たないと、「こんなの効かね~よ」と侮られてしまうかもしれません。

 威力を示す場合、そこが難しいところなんです。

 派手に吹っ飛ばすように打った方が安全なのですね。効かすように打つと、飛ばずにその場に倒れてしまいますが、未熟だった頃にクッション越しに人に打ってみて相手が泡を吹いて悶絶してしまったことがあって、慌てました。

 これまでも、フルコン系の空手や打撃格闘技を10年20年と長く修行してきている人に加減してやって見せたりしてきましたが、彼らは、「これは危な過ぎて人に対しては使えませんね。全力で打ったら確実に殺してしまいます・・・」と薄気味悪そうに敬遠されました。

 一撃必殺をイメージ上の目標として修練している人達であっても、いざ実際に一撃必殺が可能な技を目の当たりにすると、自分達がやってきている武道や格闘技の概念からは外れている“人体を致命的に粉砕するためだけの邪悪な技”のように思えるみたいです。

 私が「こりゃ、全力で打ったら確実に死ぬな~」と思って以後も、相当、注意して軽~く打つようにしてきましたが、それでも練習後に「その場で何ともなかったのに翌日動けなくなりました」・・・みたいな苦情を何度も何度も言われたものでした。

 先日、数年ぶりにミット打ちでムエタイ式のミドルキックをやってみたんですが、受けた北島師範が、顔面が強ばっていました。「先生の蹴りは骨までズシーンと内部に響いてくるから怖いです」と言っていましたが、もちろん、約1/3くらいにパワーを抑えて蹴ったのです。

 要するに、普通のパンチや蹴りを打っても発勁のようになってしまって、威力が身体内部に浸透する打撃技になってしまったんですね。

 自分でも判っていたので、私はここ最近は相手が陶器でできている(瀬戸大将?)つもりで壊さないように扱うつもりで教えています。相当に注意していますよ。軽く打っても後から症状が出てきてしまうので、怖いからです。

 けれども、うちの常連の会員もそうなってきてしまい、特に北島師範と大石教練の発勁の威力は私と同じようになってしまっていて、実際に先々週の橋本稽古会で大石教練がスキンタッチ程度に触れるくらいに打っていた相手が、翌日、動けなくなって三日間は寝込んだと告白してくれました。

 私も見ていたんですが、本当に触るくらいのパンチで一度も打ち込んではいなかったんですね。アレでもそんなに効いてしまうのか?と、ぞっとしました・・・。

 触れただけで致命傷を負わせられるような発勁は、暗勁と呼ばれ、そうした暗勁の遣い手を“毒手”(毒薬に浸して鍛える練法という誤説が信じられていますが)と称しますが、我々はそうなってしまった訳です。

 長年、武術を研究してきましたが、業界的に広まっているのは妄説誤説も多いものの、発勁に関しては松田隆智先生が説かれてきたことは真実であると私は申し上げざるを得ません。本当に危険極まりない。体得したから解りました。

 思えば十数年前に松田隆智先生から、「危険だから公開しない方がいい」と注意されたことが現実化してしまった訳です。

 しかし、こうなってしまったら後戻りはできませんから、今後はよっぽどの危険に陥ったのでない限り、無闇に人を打たないように厳しく自戒しなければならないでしょう。

 日本刀は鞘に納めて無闇に抜かない。それは武術も同じことです。

 武術は人に誇示するものでもないし威嚇するのは言語道断! 何にもやっていないように見せないといけません。

 生涯、使わずに済ますことを願いつつ、日々の修練を世の中に益になる方向に役立てていかなくちゃいけないな~と思いますね。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」って言葉がありますからね。

 ポンッと打ったら相手が絶命するような技じゃ、北斗の拳みたいな世界ならまだしも、日本じゃ~逆に使えないですよね? 殺活自在とは、よく言ったもんだと思います。

「ホントかよ~?」と信じられない方は、うちのDVD買って(割引セール中です)練習してみてください。自分で体得したら信じるも信じないもないでしょう? ただ、実験してどういう結果になっても、自己責任でお願いしますね?

このページのトップへ
コンテントヘッダー

断捨離に挑戦?

 ケーブルTVの検査に一年に一回、来られるんですが、その時にインターネットの接続環境の申し込みもしました。

 何しろ、皆さん、信じられないでしょうけれども、私、未だにパソコン扱えないんですよね~。

 会員さんに中古パソコン貰ったりもしたんですけど、使えなくって、慣れてて早いから、またワープロ使ってるんですよ~。

 でも、もうワープロのフロッピーディスクも販売終了してしまうし、いい加減にパソコン買わなくっちゃ~と思ってですね。会員さんに教えてもらいながら物色していたんですが、丁度、タイミングが良かったので申し込んだんです。

 ところが、ネット環境を設置するのに工事が必要だとのことで、ケーブルが繋がってる箇所に引っ越し荷物を山積みに置いたままでいたもんですから、さ~大変!

 工事の人が来る前日(14日)の夜から片付け始めたんですが、読んだ本とかバンバン放置して積み上げたりしていたもんですから、ゴミ・チラシと混ざってて、ゴミ袋と段ボール箱に仕分けしながら片付けていたんですが、大変でした。

 ちょっとした引っ越し作業やってるみたい・・・。

 でも、片付けてるうちに、最近、流行の“断捨離”の心境が芽生えてきまして、いい機会だから、これから毎日少しずつ要らない物を仕分けして捨てていこうかな~?と思いつきましたよ。

 何分、学生時代まではまだそれほどでもなかったんですが、フリーター生活をするようになってからは、基本的に掃除しない人間になっていって、6年住んだ前の家、10年住んだその前の部屋なんて、男おいどん状態でしたからね~。

 特に6年住んだ前の家は、引っ越ししなきゃならなくなってから、会員に手伝ってもらって片付けようとしたら、全然お手上げ状態で、しょうがないから業者さんに頼んで20万掛けて片付けてもらったんですよ。

 でも、業者さんがお手上げになって、それ以上は金もかけられないから、半分くらい片付けてもらっていたから、今の住所と行ったり来たりしながら、毎日、少しずつ片付けていって、一カ月でようやく空っぽにしましたよ。

 家そのものを潰して建て替えるということだったんで、契約切れても一カ月は出入りできたので良かったんですが・・・。

 ついでに「記念に畳貰ってもいいですか?」と聞いて、古畳を一枚もらってきたんですが、これは手裏剣の的にしています。お陰で手裏剣もそこそこ打てるようになりました。

 で、こんな苦労はしたくないから、次に引っ越す時はささっとできるように・・・と、引っ越し荷物の大半を箱詰めのままにして部屋に積み上げておいた訳ですよ。

 まあ、3/5くらいは本とビデオテープだったし。

 それでも習性は直りませんね~。2年目くらいから、またゴミ部屋化していったんですよね。

 私の親父は掃除好きなんですけど、母親がものぐさで、年とってからドンドン重病化していって、「あ~、俺はこんなところが似ちゃったんだな~」と、ガッカリしますよ。

 だから、この際、断捨離ブームに乗っかって、私も生活環境から少しずつ変えていこうと思ってます。

 だって、もうパソコンできるようにならなきゃ仕事にならないですからね。

 仕事しなきゃ金は入らないし、金がないと刀が・・・じゃなくって、常設道場とか持てないですしね~。

 今、住んでいる部屋は結構、気に入ってはいるんですが、唯一、ペット飼えないのが嫌なんですよ。

 私は猫、飼いたいんですよ。シャレた猫じゃなくて昔、飼ってたキジトラの猫をもう一回、子猫から育てたい。できたら犬も飼いたいけど、それは家族がいないと世話が大変だからね~。

 それで庭付きの一戸建で、1Fが道場で2Fが居住スペースで3Fが資料室兼展示スペースで屋上はバルコニーになってて6畳くらいの作業部屋が付いてる・・・そんな家がいいですね。庭は家庭菜園とかやったり果物の実る樹を植えたいですね。

 ついでにB-1Fもあると、試写室みたいにしてミニミニシアターみたいな感じにして映画サークルなんかもやりたいですね。金取って営業するのもいいかも? 一応、16mm映写技師資格持ってるし・・・。

 相模原は土地が余ってるから、金さえ稼げればできそうなんですけどね。

 ちょうど良さげなビルとか不動産情報のチラシで見たりすると、欲しいな~って思うんですけど・・・アレ? 何か、全然、断捨離になってないな~?

 断捨離って、もともと煩悩を無くすことが目的なんで、御利益求めてちゃダメなんですよね~。

 まあ、私の場合、武術研究の業績が世界で認められて会員が千とか万とか越えないとムリなんでしょうけど・・・生きてるうちにできるかな~?

 いや・・・待てよ・・・、よくよく考えると、今、うちの流派は何だかんだ言っても本部以外に東京・横浜・橋本と、ここ一年で活動場所がぐぐっと増えてきているし、USA支部までできたんだから、この程度の夢は一、二年で実現するかもしれんしな~?

 とにかく、やれる仕事をこなす。それだけですよ。地道にやることやってりゃ~、お天道さんが見ていてくれるでしょう・・・。

 あっ、そうだ! 私にはもう一つの武器があった!

 やっぱ、物書きとして一発二発三発とベストセラーを出せれば、印税で何とかできる?

 よしっ、やるぞっ!・・・と思いつつ、昨年夏に書いて停滞していた原稿をバババッと一晩で直してアスペクトへGO! 三月は無理としても桜の咲く頃には出したいな~。

 さて・・・それでは、久しぶりに応募する気になった小説を書こうかな~?

 う~ん、眠いっ・・・。

 よし、寝るっ!

 おやすみなさい・・・。

(寝てる時が一番幸せ・・・私の前世は猫だったかも?)

このページのトップへ
コンテントヘッダー

アクション武術映画に学ぶべし!

 私が独学で武術の練習を始めた中学の頃から高校にかけては、まだ武術のビデオなんてものは無かったですから、もっぱら、ジャッキー・チェンの『蛇拳』『酔拳』『笑拳』なんぞを真似して特訓したりしていたものです。

 西部劇見ていた頃は拳銃の早撃ちとガンのスピンとかトリックシュートをやっていたし、時代劇見ていた頃は居合や剣術の真似事をしていたものです。

 そして、今でも格闘アクションのある映画を見ていたら、技を真似して稽古に取り入れるのが習性になっています。

 でも、武道やっている人は、「アクション映画なんか偽物だ」と、ハナッから見ようともしない人が少なくありません。

 もちろん、エンターティンメントとして見せているので現実味のないアクションも多いですが、よくよく見ると基本的な部分や、技の入り方や極め方などに驚くほど巧妙で高度な技術を見せている場合も少なくありません。

 例えば、時代劇でいうなら、後期の必殺シリーズに出演していた滝田栄さん演じる仕事人、清河八郎・千葉周作・平手造酒・山田朝右衛門などの殺陣は、非常に武術性の高い重厚で巧妙なもの(斬心塾の東郷秀信先生の指導)でしたし、榎木孝明さんの『密命~寒月霞斬り』での殺陣も、かなり工夫を凝らされていました。

 私の敬愛する若山富三郎先生の『子連れ狼』『唖侍・鬼一法眼』『賞金稼ぎ』『新御金蔵破り』『快傑黒頭巾』『道場破り』『新吾十番勝負』『影の軍団Ⅲ第一話』『魔界転生』等での剣・居合・二刀術・懐剣・体術・空手・薙刀・手裏剣・槍・鞭・拳銃・警棒?等の技は、どれも素晴らし過ぎます。

 しかし、何といっても勉強になるのは、香港カンフー映画ですね。

 これはね~。もう、中国武術を学ぶのに最高の教材ですよ。中国武術の教材DVDより遥かに勉強になります。

 何故か? 実際に戦う場合の用法をアレンジしたアクションの中で見せてくれているからですよ。

 例えば、『龍の忍者』の中でコナン・リーが真田広之と戦うシーンの中で、まず指先の貫手で当てて、次に第二関節の平拳で当て、更に縦拳で当てる・・・という三段当てをやるんですが、これなんて中国武術の打拳の特徴を端的に表現しています。

 つまり、“技の流れを途切れさせずに次々に変化させて用いる”という点がここに現れている訳ですよ。

 日本の空手だと一発打ったら引き戻してもう一発・・・という具合に技と技が分断されて使われるでしょう?

 私が中国武術の研究をしていた時に、最も参考になったのが、カンフー映画なんです。

 何しろ、教材DVDは套路(型)を延々とやって見せるだけで、酷いのになると技の使い方は一切紹介されていなかったりしますからね。つまり、下手くそなカンフーダンスでしかなかったりするんですよ。

 今だったら、私はそれでも勉強になりますが、当時は頭痛がしましたね~。「こんなの見るよりカンフー映画見た方が遥かに勉強になるよ」って思いました。

 アクション映画の場合、アクションをどう視覚的にリアリティーあるように見せるか?という点が肝心ですから、殺陣師やアクション・コーディネーター、あるいはアクション監督といった人達は、心血を注いでアクションをクリエイトする訳ですね。

 何しろ、アクションがショボクてはアクション映画として失格になってしまいますからね~。

 もちろん、アクションといっても表現法は色々です。

 リアルなガチンコ格闘を見せるのか? ハードボイルドな雰囲気の印象的アクションを見せるのか? エンタメ性の高いファンタジックなアクロバット・アクションを見せるのか? 武術性の高い技巧的アクションを見せるのか?

 作品の方向性から著しく外れたアクションではいけないでしょう。無論、実験的に作風と全然かみ合わないアクションをやってシュールな面白さを表現するという場合もあるでしょうが(『発狂する唇』みたいに香港アクションの大家でジェット・リーのWを勤めていたシャン・シンシンを呼んでアクション演出したとかいう場合)、わざとそれをやると観客もドン引きするだけでしょうね~。

 ただ、アクションの面白さというのは、作品自体がつまらなくとも、一点豪華主義的に見た者の心に映像が残る場合があります。

 逆に、アクションが酷くて作品が台なしになる場合もありますが・・・。

 やはり、アクションをやるなら凄いのを見せてもらいたいし、中途半端にやるのなら、やらなくてもいいと私なんかは思ってしまうのです。

 最近の時代劇作品は、何か殺陣に徹底的に拘るか、付け足しでテキトーにやるかの二方向に分化しているようにも思えますが、文芸大作作りたいのならチャンバラは必要ないでしょ? でもチャンバラの無い時代劇ってのもね~?

 香港カンフーやタイの肉弾アクションとか見ると、カラダ張って作ってるな~というエンタメ魂を感じますし、とにかく「凄いアクションを見せて観客の度肝抜いてやるっ」という執念のようなものを感じます。

 ここ最近、DVDを借りて『葉問』『葉問2』『チョコレート・ファイター』『ハイキックガール・メイキング(ある意味、本編よりゴージャス? 中先生の空手技術講座も入ってるんですが、こんなに合理的に教えられる空手家って初めて見ました。空手愛好家は必見! 俺もチャンプのDVD買わなくっちゃ~)』、そして、チョコレート・ファイターでデビューしたジージャーの主演作でネットで日本公開運動をしている人もいるという『レイジング・フェニックス(物凄い斬新なアクションのテンコ盛りです。これ日本で劇場公開しなかったら阿呆ですよ)』も見ました。

 いやもう~、凄いの何のって・・・、ドニーさんやジージャー、武田梨奈に中達也師範!の身体能力の高さといい、ガチンコ・アクションにかける気迫と根性・・・恐れ入ります。

 私は、高瀬道場の高瀬先生や、つばさプロジェクトの秋本つばささんとも親しくしてもらっていますが、アクションというのは、普通の演技とは違って、日々の訓練を何年も積み重ねていかなくては、人を感動させるようなレベルのアクションを見せることはできない・・・ということが解る訳ですよ。

 アクションだけは演技力ではどうにもならない水準の領域があるんですね。

 だから、スタントマンがいるし、殺陣師がいるし、アクション俳優、アクション女優がいる訳です。

 かつて、日本の映画界の黎明期には、チャンバラ映画が全盛だったでしょう。その頃はモノクロで無声映画。だから、演技がどうこうというより、アクションで見せる。だからこそ、“活動写真”と呼ばれた訳でしょう。

 そして、チャンバラの殺陣は、歌舞伎の立ち回りから派生した言葉だとされますが、その源流は日本舞踊にもありますし、さらに辿れば武術の動きを真似て作られたものだったりもします。

 この辺の事情は京劇とも似ていますね。

 ジャッキー・チェンは京劇学校の出身ですし、先輩のサモハン・キンポーや後輩のユン・ピョウと組んだ80年代の『プロジェクトA』『スパルタンX』『サイクロンZ』等は、香港アクション映画が日本でも最も熱い視線で見られていた時期でした。

 この時期に大学で自主映画を撮ったりしていた私にとっては、将来はアクション映画製作に関わりたい・・・という夢を追いかけて、大学を中退して上京したんですね。

 なんやかんやあって、今では武術の研究指導を仕事にして本なぞも書いている訳ですが、実はまだ映画製作そのものは諦めていないんですよ。

 何でもいいから関わりたい。物凄いアクション映画の製作スタッフの中に関わっていたい・・・というのが夢ですね~。

 だって、考えてみてくださいよ。

 ブルース・リーは、たった一本のアクション映画『燃えよドラゴン』で、映画と武術の歴史に名前を残したんですよ。

 これって、宮本武蔵に匹敵するとは思いませんか?

 もし、宮本武蔵が五輪書を書かなかったら・・・果たして彼は世界中に名前を轟かす剣聖になっていたでしょうか?

 恐らく、武蔵より強い剣客は何人もいたと思います。が、武蔵ほど名前を知られなかったのは何故か? 武術の極意を書き示した書物を残さなかったからですよ。

 ブルース・リーが今でも世界中のアクション映画や武術ファンに崇められているのは何故か? それは、『燃えよドラゴン』の中に彼の武術哲学が表現されていたからですよ。

 私が思うに、日本でアクション映画が単にB級の娯楽作品としてしか見做されないのは、精神性の表現が下手だからではないかな~?と思いますね。

 ハリウッドで『グリーン・デスティニー』が受けたのは、ワイヤーワークがどうこうと言うよりも、あの作品が中国のタオの思想(武当派武術の総本山である武当山って、道教の聖地のひとつなのです)のニュアンスを表現していたからじゃないか?と私は思いますね。

 そういう東洋哲学の考え方にアメリカ人はグッときたんじゃないかな~?

 日本の映画ファンも作り手も、そこを誤解しているようにも思います。アクションそのものが独立して演技とは別にあるように思い込んでしまっている。

 そうじゃなくて、アクションの中に精神性の表現も含まれているんだし、それを端的に表現した日本映画というと、『子連れ狼・死に風に向かう乳母車(下級武士の武士道観)』と『子連れ狼・冥府魔道(藩主の武士道観)』『七人の侍(農民と武士)』『十三人の刺客(旧作・武士の面目)』とかですかね?

 ちょっと観念的だけれども、『野獣死すべし(徹底した倫理観の崩壊)』と『ア・ホーマンス(ラストで正体がサイボーグだったと判る主人公が「人間ですよ」と呟く精神世界の妙)』もそうかもしれません。

 まあ、あんまり精神性を前に出し過ぎるとアクションの醍醐味が失われかねないから難しいんですけどね~。

 とにかく、武術に関心があるなら、武術アクション映画に学べることは想像以上に多いものだという点だけは、御理解いただきたいですね・・・。

・・・つ~か、そういうテーマの新書版の本とか、どっかの出版社で書かせてくれないかな~?

 マジで二日で書き上げますよ~。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

地元情報紙に載りました!

 横浜を中心に神奈川県全域に支社のある情報紙発行のタウンニュース社の『タウンニュースさがみはら中央区版』に、2月20日に開催する護身術講習会の記事掲載を依頼したところ、市内の人物紹介コーナーで取材してもらえることになり、2/3発行号の人物風土記に載りました。

20110204_000.jpg

 講習会の主催者の説明を聞いて、面白そうだと思われたみたいです。“面白い”という意味では、私は相当、面白いだろうな~と思いますけどね。

 取材は、1月25日の昼にメイプルホールで受けたんですが、担当記者の方が女性の方で、しかも美女!だったので、日頃、女っ気のない武道バカ群ばかり相手にしている私は、舞い上がって、ペ~ラペラ喋りまくって、取材後は何喋ったのか忘れてしまうくらいでしたね。

「年齢はおいくつですか?」って聞かれて、「エージーイー・フォーティエイトですっ!」とか、堂々とオヤジ・ギャグかまして、取材受けてんのか、合コンに来たのかわかんない感じになっちゃいましたよ。

・・・っつ~か、歳とると羞恥心とか無くなってくるんですね。大野さんのライブ観に行った時は、メイプルホールの担当者の方から、「随分、長く(取材で)話してましたね(笑)」って言われちゃいましたよ。

 でも、流石だな~と思ったのは、私のメチャクチャな経歴(一貫性のカケラもない)とか聞いて、それを的確に纏めて紹介記事にされていたことです。

 私は、自分の経歴とか的確に短く纏めて書くのはできないですよ。ついつい、ダラダラと長くなって、途中で脱線してアサッテの方向へ話題が飛んだまま、戻れなくなって“終わり”ってなってしまうんですね。

 ドラマの最終回だったら、視聴者が置いてきぼりになって茫然となってしまうような“カルト作品”となっちゃいそうな感じですかね?

 ともあれ、地元に少しでも貢献してみようと思いついて計画した護身術講習会。参加費500円という、私のいつもの講座からすると激安料金にしたのも、ボランティア感覚。

「参加してみたいけど、料金が高くて・・・」と思っていた方も、長野セミナーお試しにいかがですか? 料金は安くても手抜きはしませんよ。

 

(事務連絡)

【護身術講習会】
・日時:2011/02/20(日)13:30~15:30
・場所:メイプルホール(千代田)
・参加費:500円(おつり出ませんので、悪しからず)
・内容:1、緊急事態に備える
    2、対処法
    3、やってはいけない事
    4、誰でも出来る護身術

※希望者は直接会場へ。詳細は042-751-5011(メイプルホール)まで。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

武術家の品格

 躾道館柏支部の岡部武央先生から電話がありまして、私が紹介した人が入会されたので御礼の挨拶を・・・ということでした。

 まあ、何と律義な・・・。

 世の中には、私が何人も紹介して道場に入った人がいるのに、御礼どころか陰で中傷する師範すらいるので、もう、武術武道の世界に義理人情は消滅してしまったんだと思っていましたから、岡部先生は流石にそこらの武道家とは違うな~と思いました。

 そうですね~。こういう具合に御礼を言われたのは、高小飛先生青木宏之先生田中光四郎先生友寄隆一郎先生小林直樹先生・・・くらいかな~?

 別に恩に着てもらいたいなんか一切、思っていませんけど、こっちが色々お世話したのに、されて当然みたいな態度取られたら、そりゃあ、不愉快ですよね。

 揚げ句の果てに、陰で人の悪いイメージを広めたりするような人は、私は武術家としてどれだけ実力があっても軽蔑対象にしかならないですね。

 批判するなら、堂々と公式にやればいいんですよ。私は、自分に非があると思ったら、いっくらでもお詫びしますからね。非がないと思ったら徹底的に反論するけど・・・。

 で、概ね反論してきたんですが、私は陰で言うのは嫌だから、表口叩いてきたんですよね。批判するなら堂々と! これが私の主義です。

 でもまあ・・・別に他人様はどうでもいいや~。勝手になんとでも言ってくれって感じですよ。


 でもね~、やっぱり、岡部先生は実力も精神性も凄い! これからの日本の武道の世界をリードしていける器だと改めて思いましたね~。

 聞くところでは、お兄さんの宜史先生は実家のある静岡で武道武術を幅広く学問的に探究する道場をやっているとのこと。きっと、優れた武術家をたくさん育てられることだと思います。

 兄弟揃って天才的でしたからね。

 中国散打の木本先生も、地道に活動を続けられているようにうかがいました。最近は武道格闘技の専門雑誌そのものが休刊したり部数が激減したりしている様子なので、宣伝活動がままならないでしょうが、地道に続けるのが一番、重要ですからね。

 世の中に広く知られるにはタイミングがありますから、その時に備えて地道に地盤を作っていくことが大切だと思いますし、その時に私も何らかの御協力ができればな~と思っています。

 やっぱり、真面目に純粋にやっている人達をこそ応援していきたいと思っています。

 それに、今はインターネットで自分から発信していける時代ですから、やりようによってはマスメディアに採り上げられる以上に認知度を高めることが可能ですからね。

 研究家として、真面目にやっている人を紹介していくのも仕事のうちです。

 少ないけど・・・(苦笑)。


 あっ、そうそう。岡部先生から、「紬絲勁(ちゅうしけい)というのはどういうものですか?」と御質問を受けましたので、御参考までに解説してみます。

 陳式太極拳に於ける纏絲勁(てんしけい)が、「勁力が、糸がまとわりつくように螺旋状に足から腰、背中、肩、腕、拳へと連動していく様子」を言うのに対して、楊式以降の太極拳では、「勁力が身体の外側にはほとんど現れず、身体の内部を意識に先導されて、ゆっくりと繭から糸を紡ぎ出すように流れていく様子」を紬絲勁と呼んでいます。

 よく、陳式の纏絲勁を筋肉をぐりぐりと捻って表現する人もいますが、太極拳では意識で勁力の連動を促すのが本筋なので、紬絲勁が正しくできていれば、自然に身体内部から下丹田の熱感覚が広がるように纏絲勁のような体動が出現してくる場合があります。

 私の知る限りでは、躾道館の小林直樹先生がそうなっており、小林先生は王樹金老師が伝えた99式太極拳を長年修練されており、また太気拳の立禅も修練されたからでしょうか?

 突如として、纏絲勁のような螺旋の捻り運動が身体内部から沸き上がるように出てきたそうです。

 私はそれを見慣れていたものですから、どうも、陳式の演練をやっている人の大多数が、無理やり自分で捻って纏絲勁を表現しているように観えて仕方がなかったものです。

 要するに、力んで筋肉で捻っている・・・ように見える。

 そうじゃなくて、脱力して自然にやっていて身体の内部から捻られるような動きが自律的に発動しないと意味がないと思うんですね。

 なので、自分としても注意して自然にやるようにしてきたんですが、正確にできるようになったのは北島師範だけですね。後、合気道をやっていて中国武術経験のあるK塚さんも、もう少しで体得しそうな感じですが・・・。

 ちなみに、私が脱力の重要性や震脚の要領に気づいたのは、小林先生の発勁を見ていてでした。

 DVDで小林先生はかなり説明されていますが、私としては、小林先生の体の動きそのものを、よぉ~く観察してもらいたいですね。

 もの凄く力が抜けたままで動いているんですよ。

 それと重心がブレないですね。

 小林先生は腕はあんまり太くなくて、むしろ細いくらいなんですが、胴体は太くて特に骨盤の腰回りはガッシリしています。それでいて胴体を細かく緻密に動かせるんですよ。

 見慣れている私でさえ、改めてDVDで見ると惚れ惚れするように滑らかです。

 あ~・・・これで、あの超神速の歩法さえ見せてくれていれば・・・。

 多分、もう公開する気がないと思うので、小林先生の歩法が見たい方は躾道館に入会するしかないと思います。

 私が想像していたより小林先生も丁寧に指導されるようになっている様子ですから、本物の中国拳法を学びたい方は、是非、訪ねてみられたら良いと思いますよ。


このページのトップへ
コンテントヘッダー

游心流の学び方

 どこの道場も似たようなものだと聞きますが、うちの場合、新しく入会してもほとんど通えない人も少なくありません。

 長引く不況・・・仕事があるだけで感謝しなきゃいけない時期にアフター5は好きな趣味に・・・って訳にもいかない人が多いでしょうからね。

 無理して通わなくとも、クエストさんからDVDも三巻出ていますし、より体系的に学びたい人には教材DVD(初級中級編・上級編・発勁と化勁原理と応用、それぞれ5000円引きセール中ですので、宜しくお願いします)も作っています。

 これらを買って何度も見ながら練習してもらえば、人にもよりますが、結構、ちゃんと上達できるでしょう。

 その上で、時間のある時に月例セミナーを受講するとかしてもらうと練習の勘所が掴めると思いますし、こちらで欠点は手直ししますから、そうそう御心配はありません。

 普通の武道・武術を未経験者が独習して体得するのは、かなり困難です。

 無理とは申しませんが、対人練習をしたことのない人だと間合の測り方や攻防のタイミング、攻撃の力加減・・・等々が解らないからです。

 特に離れて突き蹴りを打ち合う戦い方は、対人練習を数多くこなしていかないと上達は望めません。

 もっとも、対人練習にも問題点はあります。習うより慣れろ式に身体の反射神経に頼り過ぎてしまうからです。フェイントに騙されたり駆け引きに引きずられて勝負がなかなかつかなくなるのも対人練習によって覚えた“癖”です。

 うちの場合は、独りで練習していても上達できるようにしたいと考えて稽古法を作っています。

 なるべく対人練習をしなくても上達できるようにしたいのです(まったく必要ないという意味ではありません。むしろ“約束組手”は十分にやるべき)。

 うちの戦法は“打撃技で仕留める”という考えがありますが、通常の打撃武道・格闘技とは打撃技の構造が異なるのです。

 つまり、“距離を保って打ち合う”というスタイルを取らず、逆・固め・絞め・投げ・崩し・急所責め等が使える密着戦闘で打てる“0インチの打撃”を用いるからです。

 今年の月例セミナーで、二回に渡って各種の発勁打撃法を指導したのも、実は、この密着したところから打てる“0インチ打撃”を当たり前に使えるようになってもらう為に構成したものでした。

 だから、初回は拳・掌・肘・肩等を使って打つ“発勁の基本原理”を指導し、二回目で、全身のいたる所で打ち、“相手の打撃技を発勁で跳ね返す”という極意中の極意の原理を指導してみた次第です。

 ここ最近、どういう体勢でも発勁が打てるようにするにはどうするか?ということを密かに研究してきていまして、「どうして、そういうことを研究しているのか?」というなら、対組み討ち・対寝技などへの対策として、打撃技の技術革新を目指している訳です。

 普通に距離をとって打撃技を応酬しても、技量が同等であれば一撃で決まることは滅多に無く、ましてや総合格闘技や寝技の遣い手を打撃で仕留め損なえば、転がされて無様に首絞められたり肘を延ばされて降参するしかなくなるのが現実的な展開です。

 そもそも、打撃技がどんな強力であったとしても、動き回って攻撃してくる相手に的確に当てて百パーセントの力で打ち倒す・・・ということは非常に難しい訳です。

 止まっているサンドバッグを打てば、バコォ~ンと打てても、揺れ動いていたら、正確に芯を捕らえて打つのは難しくなりますね。おまけにサンドバッグが打ち返してきたらどうなるか?

 私のいいたいことも御理解いただけるでしょう。

 私が打撃技が好きなのに逆技・絞め・投げ等を人一倍研究してきたのも、現実的な戦いを考えれば、どうしても幅広く技を知っている必要があると考えたからです。

 武器術も同様だし、銃に拘るのも同様の理由です。

 本気で命がかかった戦闘を考えるなら、一つのやり方に拘るのは不合理です。想定し得る、ありとあらゆるやり方を検討しなければなりません。

 利き腕が折れたら、もう一方の腕で。それも折れたら蹴りで。足も折れたら相手の首筋に噛み付いて動脈を咬み切るサング(鮮血のマエストロ、ルチオ・フルチ監督の『サンゲリア』のゾンビを日本公開版でこう呼ぶ)殺法で・・・。

 私は、打撃技の弱点と限界を克服する研究をやってきました。

 まず、「極限まで威力を高める」。

 それから、「確実に当てる」。

 松田隆智先生は、「どんな相手でも倒せる絶対の威力と、必ず命中させる招法を兼ね備えた突きを生涯かけて探究しようと思ったんだ」と話されていました。

 私も松田先生の教えに感化されているんでしょうね。

 でも、私はさらに、「どういう体勢でも当てて効かせられる」。

 ついでに、「一発の打撃技の中に千変万化する応用変化技法を組み込む」。

 この二つの要素を加えて研究しました。

 その結果、打撃技と逆技・固め技・絞め技・投げ技・急所責め技・崩し技などが全て融合してきたのです。

 そして、必ずしも手足でなくても打てるようになりました。当然、体勢も関係ありません。座っていても寝ていても打てます。打たれた箇所から打つ(跳ね返す)こともできます。

 武技としての打撃技は、完成の域に達しているといってもいいと私は自負していますが、無論のこと、後は“遣い手の技量の問題”だけです。

 セミナーに熱心に通っている人の中には、自分でアドリブで変化技を編み出せる人もちらほらと現れてきました。

 つまり、行書・草書のように技が途切れず流れの中で的確な技を出せるようになってきているのです。

 当初の私が目指していた武術の理想像に、極めて近いところまで進展してきたという感触があります。

「動けば即ち技になる」「触れただけで相手は倒れる」というレベルには確実に到達できるという実感があります。

 私個人が到達した? 違います。

游心流を学んで体得してもらえば、誰でもそうなれる」という確信があるということ。

 しかし、私の目標はそこで終わりではありません。今の段階では、まだまだ身体技法のレベルでしかありません。

 私は、さらに上を目指したいのです。「相手の敵意を察知する」「そして敵意を雲散霧消させる」・・・そういう心法の境地に達することができなければ武術修行に何の価値があるのでしょうか?

 論を戻しますと・・・要するに、今現在やっている打撃格闘技の戦闘法は、密着されると打てなくなってしまう点が最大の弱点なのであって、「相手に密着されないように・・・」と怖々やっているところに、既に敗北の予感がある訳ですね。

 かつて、大山倍達先生は、「最強の格闘技は空手よ。そして、最強の空手は極真空手なんだよ」と言いました。

 今では、この言葉を信じる格闘技マニアは無きに等しいでしょう。曰く、「顔面を打たない」「関節技や寝技がない」等の理由で、極真空手に始まるフルコンタクト空手の実戦性には疑問符が付けられるようになってしまいました。

 しかし、もし、大山先生が生きていたら、欠点は放置されていなかったでしょう。

 技術革新は、止まることなく日々、おこなわれなければ意味がありません。

「顔面を打たないから弱いと言うなら、打てばいい。関節技や寝技がないのが問題なら導入すればいい」という論理も当然。

 けれども、方法論はもう一つあります。持てる技術をどんなシチュエイションにも対応できるように深めればいい。

 だから、解決策はしごく簡単! 密着したところから打てればモーマンタイ!

 打撃格闘技者と戦う時は、一発くらいもらうのを覚悟して(相手の打撃が当たるということはこっちのも当たる距離)密着してからズババババーン!と、相手が失神するまで発勁連打すればいいのだし、組み討ちや寝技の得意な者とやる時も、わざと密着させてズババババーン!とやればいいんですよ。

 とにかく、くっついたらズババババーン! 一発くらっても(化勁で威力は殺しておくべし)十発お返し。くっついてからフルパワー発勁をぶちかましまくって、「この一打十連撃で地獄へ行けぇ~いっ!」とやればOKなんですよ。

 密着して当てておいてから打つので外れない(確実に命中する)。密着したところからフルパワーで打てるから確実にダメージを与えられる(確実に倒せる威力)・・・。

 しかし、密着するためには、相手の攻撃を封殺する技術も必要です。

 それが“読み・交叉法・歩法”です。これで打ち合いはしない! 一方的に先を取って、一方的に打ち込む。だから確実に勝てる・・・ってのが游心流の戦闘法であり、本来の武術のやり方だと解明して再現した次第です。

 もっとも、理屈だけなら簡単ですけどね~。実際にやるには度胸が要りますよ~。

 攻撃してくる相手に密着するんだから、どんなに技に自信があっても勇気が要りますよね~。怖がって足が止まったら、そのまま攻撃食らってしまう・・・。

「命を相手に捧げなさい」と、小林直樹先生の師である桜公路一顱先生は言われていたそうですが、桜公路伝の拳法を受け継いだ小林先生も度胸がハンパないですよ。

 命を護るための武術の極意が、命を捨てる覚悟を必要とする・・・皮肉ですけど、トンチが効いてる?

 だから、游心流では、最初に無構えを取る。反応できなかったら自滅するという背水の陣から始めるのです。「命を捨てる覚悟なんて大袈裟な・・・」と思うのなら、真剣を向けられた状態を想像してみてください。

 私はクエストのDVD撮影の時に相手に真剣を持たせて無刀捕り演武してみました。
 無論、やったことないんですよ。ぶっつけ本番。失敗したら撮影中止どころか新聞ネタでしょうね。

 だけど、敢えてやったのは、覚悟を見せたいと思ったからです。捨て身になれることが武術の極意であり、死を前提に考えなければ恐怖心を克服することはできません。

 私が武術修行に意義を認められるのは、この点だけといっても過言ではありません。

 古武術の身体操法だの、気の力だの・・・そんなゴタクはたくさんですよ。武術を学ぶことの本当の意義は、「正面から死を見つめて超然と生きること」です。

 生きることは日々、死へと向かって歩いていくことです。しかし、単体としての死は他の生を繋ぐことでもあります。その原理を延々と繰り返す中で、人類は文化文明を創造し、歴史を紡いできました。

 武術という文化には、その人類の歴史の最も端的な部分が伝わっているように私には思えます。

 だから、游心流を選んだ人には、人類の文化として誕生し伝承されてきた武術そのものに関心を持って、単なる身体トレーニングの一種としてではなく、学問体系として取り組んでもらいたいと私は念願しています。

 なんかね~。ただ身体動かして気持ちいい~ってだけなら、葉っぱでも喫ってりゃ~え~やん? 

このページのトップへ
コンテントヘッダー

橋本稽古会始動!

 当会初の師範に任命した北島師範の稽古会も、2/12に、ようやく開始することができました。

20110214_001.jpg   20110214_002.jpg

 支部稽古会を最初に始めたのは矢嶋師範代で、その次に横浜同好会をK原さんが始め、さらにUSA支部活動も始まりましたが、北島師範は私のサポートに徹していて、自らの稽古会を始めようとする様子がなかったので、私としてもちょっと気掛かりではありました。

 しかし、目出度く、今回、橋本駅すぐのサティ6Fのソレイユ橋本にて游心流同好会として稽古会を設けることができました。

 しかも、何と、夕方6:00~10:00までという長時間。

 本部稽古会の倍の時間で、セミナーより1時間も長いんですよ。何と、ゴージャス!

 当日、予約した会場に入ってみると、外から見たよりかなり広くて驚きました。これなら、歩法とかもいろいろ練習できます。

 初日は参加者も集まらないだろうと覚悟していた北島師範でしたが、東京支部のKさん、大石教練と新会員のIさんに私と、それなりの人数で練習できました。

 北島師範の方針として、“徹底して基礎基本を体得熟練させる”という点を目指していて、空手の基本突き・移動基本なども採り入れていました。

 私も、本部でやり切れない基本技の突き・蹴り・受け等や型の練習などをやってみたらどうか?と、案を出しておいたんですが、游心流をより完璧に体得するためには一通りの基本技の訓練も必要と北島師範は考えたようです。

 私も、できればそこまでやりたいと思っていて、過去には若干やらせてみたりしていたんですが、地道な基本稽古は嫌がって、あまりやらない人が多かったので、結局、はしょってしまっていたのです。

 ですが、今は支部活動も拠点がいくつかできてきたのですから、稽古会毎の特色を出してやっていってもらえば、互いの足りない点を補えるのではないか?と思います。

 東京支部は矢嶋師範代の涙ぐましい努力の賜物で、もうすぐ一年を迎えようとしていますし、徐々に参加会員も固定してきています。

 横浜同好会も増えてはいませんが、固定会員は着実に実力アップしてきています。

 USA支部は完全に任せっきりですが、思いがけない展開がありそうで楽しみです。

 そして、満を持して始動した北島師範の稽古会は、最も忠実に私の技を受け継いでいる北島師範が、独自に考えた稽古メソッドを指導する初の場所となるでしょう。

 しかも、土曜の夕方から夜にかけて四時間ですよ。時間の制約の少ない余裕ある練習環境ですから、ここから、どれだけ実力ある人が育っていくか?と思うと、先が楽しみですね。

 会員、セミナー常連の皆さんも、本当に上達したい方は、是非、御参加ください。


練習内容;
スワイショウ・立禅・三元試力・歩法(丹田歩法・這い・練り・揺身歩・蛟龍歩1~4・走圏)・対錬(初級・中級)・差し手(定歩・蛟龍歩を用いて)・推手・型(簡化24式太極拳・ピンアン・ナイファンチ・形意五行拳等)・基本(突き・移動突き・蹴り・受け)等々。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

2月セミナー“抖勁”報告

 2011年二回目の月例セミナーも、何事もなく無事に終了しました。お疲れサマっす。

 さて、今回の“抖勁”ですが、中国武術でも極意中の極意とされている技なので、仕組みが解ったからといってもできるとは限らない・・・かも?と思っていたんですが、皆さん、結構、できてましたよ~。

 スゴイな~・・・。

 これできたら普通に達人ですよ~?

 どうしてか?

「パンチしてきた腕に交叉した手首で弾き返す」「お腹でパンチを弾き返す」「胸でパンチを弾き返す」「背中で打つ」「ローキックを太ももで弾き返す」・・・といったことを、ほぼ0インチパンチの要領で、くっついた0距離から重心移動だけで打ってもらった訳です。

 ねっ、これができたらブルース・リーのワンインチ・パンチも真っ青でしょ?

 数年ぶりにセミナーに参加した方も、「以前とは違いますね~」と感想を言われていたんですが、そりゃ~そうですよ。

 だって、以前は、こんな技、できませんでしたからね。できないことは教えようがないです。

 特にローキックを太ももで蹴られた瞬間に弾き返すという技は、つい最近ですよ。仕組みが解ってできるようになったのは・・・。

 お腹でパンチを弾き返すのも、ちょっと前までは私みたいに腹圧が高まって下丹田の膨張収縮のできる人でないとできないと思っていたんですが、腹じゃなくて腰から打ち出す感覚でやれば誰でもできるということにその場で気づいて、やってもらったら、皆さん、できていました。

 無論、パンチしてきたのにタイミングを合わせるのは難しいですし、失敗すると悶絶しそうだし、成功しても打った方が手首を痛める危険性があるので、拳を腹に押し付けた状態でやってもらいました。

 これができたので、今度は胸。肩甲骨の開閉で胸をへこましたり突き出したりする動作でやってもらいましたが、これはストリート・ダンスのテクニックにもありますよね。

 で、次は“背中で打つ”という技。

 これは、かの実戦合気の達人、塩田剛三先生が、演武会の多人数掛けの時に、後ろから羽交い締めにしようとした弟子に思わず背中で当て身を入れてしまい、入れられた弟子は絶息して倒れ、カエルのように腹を膨らませて悶絶した・・・という伝説のある技。

 実際、これは難しいんですが、原理からすれば胸で打つ動作の反対をやればいい訳。

 しかし、模範演武で背後から私を羽交い締めにした北島師範に形通り、やって見せたところ、ちょっと“入ってしまった”らしく、北島師範がウプッと呻いて顔面が青ざめて胸を押さえて涙目になってしまいました・・・。ヤベッ。

 慌てて背活を施しましたが、これって、後から効いてきたりするからな~?

 それから発勁で蹴るローキックをやって、暗腿に発勁を入れるやり方なんかも指導し、逆にローキックを発勁で蹴られた箇所で弾き返すやり方も指導しました。

 これは、蹴りが当たって威力が乗るまでの零コンマ2秒くらいの時間差の瞬間に弾き返すことで、蹴った方の蹴り足に威力が倍加して跳ね返ってくる・・・という仕組み。

 下手すると蹴った方が脚を骨折するかもしれないデンジャラスな技です。

 ちなみに、これと原理的に同様の技が、下段払いで相手の突き腕、蹴り脚を払い落とすと攻撃した方がふっ飛んだり、ぶっ潰れたり、腕や脚が折れたりする・・・という青木先生の伝説の技があるんですが、私は青木先生の著書を読んで、どういう原理でそうなるのか?と長年、試行錯誤を繰り返してきて解明しました(多分?)。

 これは、足を踏ん張って力強く手刀で切り落とす・・・という具合にやっちゃダメ!

 腕をプランプラン、身体もリラックス、膝もゆったりさせて、攻撃してきた腕や脚に腕を乗せるだけで瞬間的に凄いGがかかって、人間の力では出せないような圧倒的な威力が発生するという仕組み・・・。

 もちろん、ある意味では簡単で誰でもできるんですが、高速で攻撃してくる相手の手足にピタリと合わせるのが非常に難しい訳です。

 仮に合わせられたとしても、怖がって腰が引けてしまうと重心落下のエネルギーが作用しなくなって、押し切られてしまうし、反射的に緊張して腕を固めると腕が折れてしまうかもしれません。

 どっちにしろリスクは高いので実戦で用いるのは困難です。

 が、うちの最年少会員のNさんは、ムエタイ経験者と手合わせして蹴り脚に合わせて、この下段払いを食らわしたところ、相手は膝関節が亜脱きゅうしてしまったらしく、あまりの威力に本人もやられた相手も唖然となってしまったそうな・・・。

・・・ってか、君は陸奥圓明流の遣い手ですか?


 才能あり過ぎる後輩たちの追い上げに、内心、動揺しまくってるであろう矢嶋師範代(自分で書くところに潜在意識が出てるよな~。シャレになってないよ)に、「きみぃ~、北島師範の稽古会で鍛え直してもらいなさい」と、さらに追い打ちをかける私・・・ハッパかけ過ぎですか?

 しっかしま~、本当に今回のセミナーは、ビデオで撮影しておけば良かったかも~?


 そうそう。そういえば、ある参加者と喫茶店の打ち上げで話していて、もともと小島さんのブログを面白く読んでいて、2ちゃんねるの小島VS長野のところを読んで、それで「長野さんって、どんなキチガイなんだろう?(苦笑)」と思ってブログ読むようになって、「あれっ? なんかマトモっぽいぞ? ちょっと見てみようかな?」と思って受講したということでした。

 いや~、小島さんと2ちゃんねるのお陰ですね~。俺、武道マスコミ間でブラックリスト載ってるから採り上げてくれないからな~。

 ありがとうございます。これからも宣伝、夜露死苦!


追伸;2月20日(日)は、昼1:30~3:30に、相模原市中央区千代田のメイプルホールにて護身術の講習会を開催します。料金は、何と、たったの五百円! ワンコインで必殺護身術の技と戦術がこってり学べますよ~。ある意味、游心流の真価をお見せします。近郊にお住まいの方、是非、おいでくださいませ~。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

2月セミナー『発勁2“抖勁の体得”』

 2011年の月例セミナーも早くも二回目です。

 何だか、今年も時間の経過するのが妙に早い気がしますが、1月のセミナーで発勁の基本を体得してもらい、2月では発勁の最高の極意とも言われる“抖勁”を体得してもらう予定でいます。

 1月の時点でも、相当に強力な発勁が打てるようになった人がいましたが、今回のセミナーでは、「全身のどこからでも打てる」という発勁の特徴を体現できるように原理解説と実技指導をします。

 もっとも、1月のセミナーでの反省点として、今回はより安全に事故の無いようにやりたいと思っていますので、原理解説に力を入れたいと思っています。

 特に、通常の拳で打つ発勁打撃法と違って、抖勁のように「全身のどこからでも打てる」という打撃法というのは、完全に、「加速度をつけて拳を振り当てるパンチ」とは異質なものになります。

 この打撃法は、「体内で重心移動を使って、当てる箇所に重心を集めて打ち出す」という身体感覚を体感しない限り、打てない訳です。

 極端にいうと、筋肉の収縮によって生じるパワーをほとんど使えないので、むしろ、一般の武道や格闘技を熱心にやってきた人ほど難しいかもしれません。

 恐らく、アニメーションなどのダンスをやっている人なら簡単にできると思います。

 つまり、身体感覚をイメージ化するのに長けている人が、容易に体現できるでしょう。

 ただし、今回の抖勁の技法の本当の難しさは、相手の攻撃をどう封じて、どう発勁をうまく極めるか?という点にあります。

 約束組手的にやるのは、さして難しいものではありませんが、抖勁を実戦で用いるのは、それなりの難しさがあります。

 例えば、“体の合気”や“拍皮球”といった技は、神経反射を利用する面はあるものの、力学的には抖勁で跳ね飛ばすものと考えられます。

 人間の身体が大きく跳ね飛ぶのも、相手が加えてくる力と、こちらの発勁が合わさることで瞬間的に膨大なパワーが生じることで起こる現象です。

 私は、高小飛先生の推手で斜め45度に人が跳ね飛ばされるのを見ていますし、重心を操作することで人体が簡単に崩れたり、大きく跳ね飛んだりすることを確認してきています。

 人によっては、「武術の攻防は互いの重心の奪い合いだ」とさえ言うくらい、彼我の重心操作は技術的な核心に近いものだと言えます。

 だからこそ、「パンチ力やキック力がちょっとした秘訣で三倍になる」と私は言えた訳なのです。

 もし、筋力で威力を三倍にしようとすれば、どれだけ無理が生じるでしょうか? 必死で稽古してきた人なら、「そんな大嘘はあり得ない!」と怒るでしょう。

 ですが、重心移動を用いれば、これは実際に可能なのです。

 肘当てを用いれば、体重50kgの女性が100kgの巨漢を一撃で悶絶させる威力を出すことが充分に可能であると私は断言します。

 普通だったら、「非力な女性が屈強な男に勝つのはあり得ない」と、熱心に修行している人間ほど言うでしょう。

 確かに、筋力でそれをやろうとすれば無理です。

 しかし、重心移動のエネルギーを肘鉄に集めて脇腹に打ち込めば、容易に肋骨をへし折り、折れた骨片が肺腑に突き刺さって致命傷を与えてしまえるでしょうし、肝臓を破裂させることもできるでしょう。

 重心移動に老若男女の区別はないのです。技術的に洗練されている方が威力は出せるのです。

 中国の武侠小説で老人や女性の武術家が驚異的な実力を発揮する描写があるのも、中国武術の威力の根源が内功による内力によるものであるとされているからです。

 そして、私は内力の正体を重心移動によって生み出されるパワーであると定義しています。

 合気もそうです。発勁が自分自身の体内の重心を操作する技術であるなら、合気は相手の体内の重心を操作して制圧する技術です。

 原理的には共通しているため、両者は極意に至れば同様の技を駆使することができるようになります。

 この辺の技のメカニズムに関しては、どうしても“気”の作用でしか説明されてこなかったのですが、私は、もっと明確に技術論として再現可能な技の体得をもって理解して戴くようにしたいと思っています。

 ただ、その具体的な内容は、セミナーを受講された方への特典として、ここに公開することは遠慮しておきます。説明しても信じない人も多いでしょうし・・・私は信じてもらおうとは少しも思っていません。

 事実は、体得した人達が証明してくれますからね。

“極意は睫(まつげ)の先にあり”と言いますが、秘密が解ければ、確かにその通りだな~と思いますね。

 多くの方の御参加をお待ちしています。


PS;2~3月にかけて游心流の自主製作DVDの割引セールを実施します。それぞれ5000円引きとなりますので、宜しくどうぞ。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

北島師範も支部稽古会開設!

 告知しましたように、北島師範から「僕も場所を借りて教えてみたいんです」との申し出がありまして、土曜日のシダックス講座の終わった後に、橋本駅前のサティ6Fにある男女共同参画事業の推進をしているソレイユ橋本に、稽古場に使えそうなスペースを、シダックス講座を受講していた北島師範・矢嶋師範代・会員のMさん・三重県から講座に通っているIさんと一緒に下見に行ってきました。

 使えるスペースは一つだけでしたが、空いている日を聞いてみたら、何と、土曜日の午後18:00~22:00まで、ほぼ毎週空いていて、料金も安かったので、北島師範が即刻、仮予約をしてしまいました。

 そんなに広くはありませんが、そこそこのスペースがあって、しかも四時間、ゆったりと使えるのですから、贅沢です。

 北島師範としては、後輩である矢嶋師範代(東京支部)と、同期であるKさん(横浜同好会)が先に稽古会で指導をしていることと、早くも游心流USAが活動し始めている点に刺激を受けていて、自分でも指導と自分の修練を兼ねた稽古会を持ちたいと思っていた様子です。

 彼の性格からしたら、私のサポートができれば充分だという考え方で、これまで自分から「やってみたい」とは言わなかったですから、やる気になったのは重畳です。

 何だかんだ言いながら、彼が一番、私の技を受け継いでいて、打撃力もスピードもテクニックも一番あるんですね。先日の木曜日にメイプルホールで歩法を使いながらの対人練習をやらせた時は、想像はしていたんですけど、それ以上で、掌打の連撃と歩法が一致していて恐ろしいくらいでした。一瞬、小林先生を思い出しましたもん・・・。

「歩法は必要ない」と勝手なことを言っていて破門にした会員の中には、私が北島師範だけ贔屓にして過大評価しているんだと侮っている者がいたんですが、「この技を防げるものなら、やってみな」って、一度、やらせてみたかったですね。

 一瞬でフルボッコ状態になることを私は確信して疑いません。

 私は交叉法と読みを最も研究してきましたが、それと同等以上に歩法の研究をしてきました。

 何故か?

 それは、交叉法と読みを駆使する理合を破るには歩法が必要だったからです。

 しかし、当然ながら、ちょっとやそっとのスピードでは話になりません。目で追える程度の速さでは通用しません。

「こいつ、人間じゃねえっ!」って、相手がブルッてしまうくらい瞬間移動しているように思えるくらいの超絶的な速度を出すのが目標です・・・。

 そういえば、日曜の公園の稽古でやらせていたら、大石教練のパンチの速いこと速いこと・・・これはドニー・イェンよりちょびっと速いかもしれない? 何かパッキャオみたいでしたよ。これで歩法と連動して打てたら、小林先生のフルスロットルの1/3くらいの速度は出せるかもしれない・・・。

 私の知らない間に、こんなに皆、上達していたんだな~? この先、うちの会はどうなっていくんだろう?

 そういえば、三重から毎週、夜行バスでシダックスに通っている学生のIさんも、特に武道経験はないらしいんですが、歩法を教えたら、かなりいい感じでスルスルッと動いていて、これで練功を積んでいけばすぐに体得してしまいそうです。

 こういう会の発展期にとっては、北島師範の稽古会を開くのも、タイミングがいいかもしれませんね。

 仕事の関係で彼は土曜日か日曜日しかできないとのことで、どちらも私が指導する日なので、どうかな~?とは思ったんですが、時間帯を変えることで、みっちり基礎練習できる稽古会になれば、練習時間と場所が増えるのは、大いに歓迎すべきことだと思います。

 以前にも書きました通り、初心者に教えるのは私の場合はよろしくない。

 東京支部で矢嶋師範代が指導した会員さん達の方が、私が直接教えるより基本的なことは覚えられるようでしたから、北島師範が指導した会員も、しっかり基礎ができていくのではないか?と思います。

 土曜日の夜というのも、昼から夕方にかけてのシダックスの講座より、参加しやすい人が多いかもしれません。

 橋本という街は、京王相模原線とJR横浜線・相模線が通っている利便性の高い場所ですから、都心や横浜、八王子などからも来やすいでしょう。

 もちろん、シダックスの講座が終わってから、集中的に基本練習をやってレベルを上げたいという会員さんでもいいでしょう。

 告知したと思ったら、いきなり12日の土曜日から始まる北島師範のソレイユ橋本支部サタデーナイト稽古会ですが、参加したい方は、是非、お申し出くださいませ。


・・・それにしても、日曜日の公園の稽古の時にも思ったんですが、今、うちの会の中で歩法をできるのが、北島師範・矢嶋師範代・大石教練ですが、これに続く感じで三、四人がすぐにできそうなんですけれど、本当に半年後、一年後には、相当、凄いことになりそうなんですね。

 矢嶋師範代の歩法の動画も出しましたが、ユーチューブに出した時と比べても、かなりスピードアップしているし、あの頃はまだ床を蹴って動く癖が抜けていませんでしたが、最近は重心移動を使って体移動できるようになってきて、動画の動きはカメラを向けられただけで緊張して三割くらい落ちている感じでしたが、改めて観てみると、中々のスピードです。

 本人は「俺って遅いな~」と言っていましたが、左右に身体を振ってジグザグに踏み込む様子は、相手している会員のCさんがタイミングを測って狙いをつけるのができずに躊躇して、パンチを打つに打てないでいる様子が少し解ります。

 もう少し、わざと相手にパンチを出させるような駆け引きを構えの中でやれるようになれば、もっと楽に自在に入れるようになるでしょう。

 この歩法を研究したのは、躾道館の小林直樹先生の超加速歩法をイメージして、何とかそれに近づけたいと願ったからでしたが、十八年目にして、ようやく扉の取っ手に指をかけることができたか・・・という思いです。

 ただ、居着かずにスピードだけ出して動くというだけなら、十二年前にできるようになりましたが、それを実際の攻防の中で使えるようにするにはどうするか?という研究に入るまで、随分と時間がかかってしまいました。

 これは、私だけができても意味が無かったのです。その意味で、今、私についてきてくれている会員の皆さんには、本当に感謝したいですね。

 流派発足以来、ずっと通っている会員はいませんが、ここ数年間の会内部の充実ぶりには誇りたい気持ちです。公園で稽古するようになり、大石教練が入会した辺りから、ググッとレベルアップしてきましたね。

 継続だけが本当のチカラになるのだと、本当につくづく思いますね。

 今、来なくなってしまった会員の皆さんも、毎日、少しずつでも稽古を続けて上達していてくれればいいな~と思います。

 自分で努力して磨いた能力は嘘をつきません。

 他人に認めてもらうために磨いたのではなく、自分自身を向上させるために磨くものでなければ、武術修行に何の価値があるでしょうか?

 私は、他人に認めてもらいたいとは思っていませんし、会員に対しても、良い点は良いと言い、ダメな点はダメだと言います。もし、私に認めてもらいたいと思うのであれば、私を唸らせるくらいの技を体現してください。

 小林先生は、「武道は他人に認めてもらうのが目的じゃないけれど、本当に実力がある人には、誰でも自然に頭を下げるようになる」と言われていました。

 だから、游心流を学ぶ方は、何よりも自分自身を日々磨くことを優先してください。

 それから、他流を真摯に学んでいる人を尊重してください。努力しているのが自分だけだと思うのは大きな錯覚です。努力しないで他人をクサすしかできない連中の言葉に耳を貸す必要はありません。

 けれども、誉め言葉よりも、批判的な言葉の中にこそ、自分の足りない部分を教えてくれるヒントがありますから、游心流会員は、批判意見を糧にして自分を磨いていってください。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

Kei Takei ムービングアース・オリエントスフィア

 ダンス公演のお知らせです。12日、13日に日暮里サニーホールにて舞踊家ケイ・タケイさんのカンパニー公演があるそうです。

 どうぞ、御関心のある方は足を運んでみられてはいかがでしょうか?

 今回は居合道家の方のパフォーマンスもあるそうですよ。私は仕事で見れなくて残念!

 また、24日には東中野のポレポレ坐にて『徹の部屋Vol.12 うたをさがして』があるそうです。

 どちらも問い合わせ・予約はマルメロ e-mail:saitomo55@gmail.com へどうぞ。

20110208_001.jpg 20110208_002.jpg

20110208_003.jpg 20110208_004.jpg
このページのトップへ
コンテントヘッダー

ごめんなさい!

 松葉刀匠の打ったスウェーデン鋼の刀についてブログで何度か書いておりますが、この刀を頂戴した青木宏之先生からお電話を戴きまして、実際にはスウェーデン鋼で作った刀ではなく、松葉刀匠が日本刀の斬れ味を研究するのに鉄質の違うものを混ぜていろいろ試している中で作られた刀の一本であり、伝統的な日本刀の作刀法から外れた刀を作った訳ではないというお話でした。

 青木先生からは、「私が悪いんだけど、長野さんに話をする時に勘違いして大袈裟に言っちゃったのが悪かったので、ごめんなさいね。訂正しておいてください」とのことだったんですね。

 何でか?というと、日本刀製作の資格免許は、美術品としての日本伝統の和鋼(玉鋼)を鍛えて作られた伝統的製作法に則った作品を作ることに関しての許可なので、例えばジープの板バネを加工して作った・・・とかいった戦争時までのいい加減なものは日本刀とは認められていないので、当然、現在は作るのも所持するのも認められていません。

 ですから、例えば、流星刀のような隕鉄で作られた刀の場合でも、隕鉄だけで作られたのではなく、玉鋼の中に一割くらい隕鉄を混ぜて作った・・・というのが真相なんだそうです。

 仮に隕鉄だけで作ったとしたら、それは日本刀の形をしているけれども日本刀ではないと判断されてしまうことになる訳です。

 ところが、では日本刀は玉鋼百%で作られているのか?というと、そうでもなくて、備前伝では“古鉄をちょっと混ぜることで強度が上がる”といった、その伝統的作刀理論でもいろいろな秘伝がある訳ですね。

 あるいは、無名の刀匠の場合に、価格の高い玉鋼を何キロも買えないので(玉鋼にも純度に応じて等級がある)、別の鉄を混ぜたりして作ったりする訳です。

 私の持っている相州綱広は、南蛮鉄で作られたと銘切りされていますが、これだって全部が南蛮鉄で作られている訳ではないでしょう。南蛮鉄で作った刀は、江戸初期の越前康継が有名ですが、その時期にはハイカラなイメージがあったんでしょう。

 松葉刀匠は御自身で試し斬りもされて合気道も長年修行されていらっしゃるので、当然、御自身で刀を打つ時も、異種の鉄を混ぜ合わせて鉄質にどう違いが出るのか?と研究されたのではないでしょうか?

 それこそ、虎徹のように・・・。

 刀匠の中には、そのような実用刀剣としての機能を調べる意味でいろいろ試した人もいた筈(斬鉄剣で有名な小林康弘刀匠のような)で、松葉刀匠のこの刀も、現代風の“南蛮鉄を混ぜて作った刀”のようです。

 例えば、スウェーデン鋼の鋼材を叩いて素延べして日本刀の形を作ったとして(これは違反です)も、それでは単にマグロ包丁みたいなもので、この刀のような地肌の潤いやスゥーッと流れるような刃紋はできないでしょう。

 刀剣の世界も、武術の世界に負けず劣らず同業者同士で足の引っ張り合いをしたりしているようですから、誤解が広まり、“松葉さんは違反の刀を作っている”と噂が広まって刀匠免許が剥奪されてしまったりしたら、現代刀剣界の逸材を失うことになってしまいますし、とんでもない罪作りなことで、私は切腹しても間に合いませんから、ここに訂正してお詫びを申し上げます。

 申し訳ありません。どうぞ、宜しく御理解くださいませ。

20110120_001.jpg
20110120_002.jpg
20110120_004.jpg
このページのトップへ
コンテントヘッダー

『倚天屠龍記』は面白いですよ~

 チャンネルnecoで、金庸先生原作の武侠ドラマ、『射チョウ英雄伝』『神チョウ侠侶』に続く、シリーズ最終作『倚天屠龍記』が放送中です。

 原作を読んだ時は、『神チョウ侠侶』の最後から繋がった世界観だったと思っていたら、いきなり百年くらい年月が経過してしまったり、主人公だと思っていた人物が、あっという間に爺さんになって登場したりするから、のけ反ってしまったものでした。

 まあ、金庸先生の作品ってば、いつもそんな感じだからな~?と思って読んでいたんですが、シリーズとはいっても、過去の作品でちょびっと活躍した人物の子孫が悪役で出てきたりするくらいで、あんまり関連性が無いので、ざざっと読んで、内容はよく頭に入らなかったんですよ。

 ところが、ドラマで観たら、これは凄い面白いですね~。

 中国で太極拳の創始者という伝説のある張三豊が主人公の大先生で登場するんですが、武侠ドラマでは常連となっている于承恵が演じていていますが、この人は『少林寺』で悪の将軍を演じて以来、武侠物に於ける大御所スターとして長年、君臨してきた感じがします。

 実際にも剣術の遣い手で有名な武術家ですから、戦闘シーンも風格があるんですね。主演作『黄河大侠』なんて渋かったですね~。

 TVドラマ『少林寺伝奇』でも妖怪仙人?という強敵を演じていましたが、金庸作品ドラマでは、『笑傲江湖』の華山派剣術流の大家で独孤九剣を主人公に伝えた風清揚、『神チョウ侠侶』で東邪こと桃花島主・黄薬師を演じた他、『連城訣』や『碧血剣』にも出ていました。

 デビュー作『少林寺』の時(1980年くらい)にも50前後くらいだったろうと思うので、実際にも、かなり御高齢の筈なんですが、ドラマで見るとまだまだお元気ですね。

 ジェット・リーが主演した映画版『カンフー・カルト・マスター魔教教主』の時は、確か張三豊はサモハン・キンポーが演じていたような気がするんですが、あの映画は何かギャグっぽかったからな~。

 今回のドラマ版の主役、ダン・チャオは、ジェットのような超人っぽさはありませんが、普通っぽいのに、偶然が重なって九陽真經を修練し、乾坤大内功を体得し、太極拳と太極剣の極意を授かる・・・という、反則のような偶然性で、ポンポンポーンッと超達人になってしまうんですから、オイオイって感じがします。

 まあね~。金庸先生の作品の主人公って、いつもこんな具合に本人が望んだ訳でもないのに次から次に秘伝極意を授かって、ムッチャ超達人になって武林(武術界)のトップになる・・・って~のがお約束なんですけどね。

 ただ、正統な武術の極意と、邪教の秘伝を得て合わせ技でバージョンアップするというのが毎度のことで、極意に正邪の区別はないんだというような考えが金庸先生にあったのかも知れませんね。

 例えば、『笑傲江湖』の主人公、令狐冲は、華山派気功流を学びながら、剣術流に伝わる独孤九剣を学び、日月神教の教主からそうとは知らずに吸星大法を教わり、さらに少林派の易筋經を修練させられ、無敵の超達人になります。

『射チョウ英雄伝』の郭靖も、北丐こと九指神通、洪七公に降龍十八掌を学び、老顔童こと周伯通に騙されて無理やり九陰真經を教わり、また左右の手で別々の技を繰り出す空明拳を教わって、郭大侠と尊称される達人になりますし、『神チョウ侠侶』の楊過も、西毒こと欧陽鋒から蝦蟇功、洪七公から打狗棒術を学び、玉女真經、九陰真經を修め、片腕になってから昔日の無敵の剣客・独孤求敗の相棒だった神チョウ(巨大な鷲)によって鍛えられ、独自の武功を磨いていました。

 こういう具合に主人公がいろいろな流儀の秘伝を得て無敵になっていく・・・というパターンは、日本の時代小説なんかにはあんまり見られません。

 日本の時代小説だと、主人公は一つの流派だけを受け継いで、他流の強豪と競い合うというのが普通です。

 ところが、金庸先生の武侠小説のパターンって、『ドラゴンボール』とか『幽々白書』には当てはまりますよね?

 孫悟空が、亀仙人に鍛えられ、桃白白に破れて超仙水を飲んで強くなり、ピッコロ大魔王に破れて超神水を飲んで強くなり、フリーザとの戦いでスーパーサイヤ人に目覚めて強くなり、人造人間との戦いでスーパーサイヤ人の可能性を広げ、魔人ブゥとの戦いでスーパーサイヤ人3になり、ベジータと合体してベジットになり、TVオリジナルでスーパーサイヤ人4となり・・・といった次々にバージョンアップするパターン。

 幽々白書の浦飯幽助も、霊ガン、ショットガンを体得し、霊光波動拳を体得し、魔族大覚醒を経てS級妖怪並みの力を得ていきましたね~。

 こういう主人公のバージョンアップというのは、少年漫画では王道パターンだったのかも知れませんね。

『男組』や『男大空』もそうだった。

 私の世代がジャッキー・チェンの初期のカンフー映画が好きだったのも、弱い主人公が懸命に修行して秘伝を授けられ、戦いを通じて独自の極意を閃いて勝つ!というパターンが好きだったんですね~。

 あっ・・・何か、今、ふと思いついたんですけど、金庸先生の武侠小説って、何だか私の武術修行歴と似てるような気がする・・・。マジで現代の達人にばっかり教わってるからな~。

 だけど、私は主人公じゃないんだよね。いろんな曰くがあって受け継いだ秘伝を誰かに伝えるのが役目なのかも知れない・・・?

 発勁・合気・化勁・聴勁・目付け・交叉法・丹田呼吸法・縮地法・無刀捕り・居合・殺活術・心法・・・等々、大抵の武術の秘伝極意は技術的に分析解明しちゃってるもんね。

 武器も何でも一通りはできますからね。

 私の知ってることを若くて才能があって人柄の良い人に全部教えたら、武侠ドラマの主人公みたいな“超達人”に現実になると思いますよ。

 信じるか信じないかは、アナタ次第です・・・(byうらごろし)

このページのトップへ
コンテントヘッダー

松葉国正刀匠の刀、初試し斬り・・・

 2月3日の節分は、メイプルホール本部稽古会で、青木先生より頂戴した松葉国正刀匠製作のスウェーデン鋼の刀の初試し斬りをやってみました。

「この刀は、カミソリみたいに凄く良く斬れるから、是非、試し斬りをやってみてもらいたいんですよ」と、青木先生からうかがってまして、刃毀れを直したり曲がりを直したりしている時に、「よし、これで試し斬りには問題ない筈だ」と思いつつ、実際に斬ってみるのをワクワクしていたんですね。

 ただ、試し斬りは、シダックス講座(流石に追い出されるだろうな?)や公園(犯罪ですな)でやる訳にはいきませんから、メイプルホールで稽古する本部の隔週木曜の稽古会まで待たねばなりません。

 武術愛好家の中には、人から奇異の目で見られることを優越的に感じる変態的な精神構造になってしまっている人も多く、人前で平然と武器を見せびらかしたりするオツムテンテンな人も少なからずいますが、このような行動は武術文化を一般の目に誤解させていくだけですから、よくよく注意してもらいたいものですし、指導する側も厳しく教導すべきだと思います。

 特に、模擬刀は、見た目は真剣と区別がつきませんから、戸外でそのまま持ち歩くなどもっての外ですし、軽犯罪で逮捕されても文句は言えません。人を驚かせるようなことのないように、どうぞ、御注意を・・・。


 それはそれで、この日は、ワクワクしながら細竹を用意して向かったんですが、ちょっと忙しくて前日の夜に水分含ませるために風呂の残り湯を張った中に置いておくのを忘れまして、カチンカチンに乾いて硬い状態だったので、「これは下手したら、また刃毀れするかもな~?」と、ちょっと心配でした。

 太くても水分をたっぷり含んだ青竹だったら、割りとシャクッと斬れるんですけど、乾いて繊維の締まった竹は、細くても硬くて斬るのは難しいんですよ。

 竹槍なんかも切った断面を火で炙って水分を飛ばして硬くして使うと伝えられます。

 もっとも、ホームセンターとかで買ってきたら、既に乾いて硬くなってますよね?

 だから、密閉して湯気の溜まった風呂場に一晩置いて多少、水分を含ませておくと、斬り易くなることを実験で確認して、最近の試し斬りする時は、そうやっていたんです。

 以前は、そういう工夫を全然、考えなかったので、薄刃の幕末の新々刀(斬り合った痕跡があった)で斬ってたんですが、これは刃毀れしまくってガリガリになってしまっていたんですね。美術刀の拵えを流用して外装を作っていたので、プラスチックの柄もすぐに緩んでしまい、今、柄は作り直すつもりで外していますが。

 このスウェーデン鋼の刀も、青木先生が主催された試斬合宿で竹林で青竹を斬りまくり、かなり荒っぽく使って傷んでいたのを頂戴して私が補修したものなので、あんまり硬い竹を斬って、また刃毀れしたらマズイな~と思ったんですが・・・。


 練習は、刀の抜き・振り・納めをしばらくやらせて、それから通常の体術の練習に入り、火曜日の東京支部でもやらせた、“歩法を使った差し手”の練習をやらせました。

 北島師範も矢嶋師範代も初めてやらせた練習法でしたが、予想以上に歩法と掌打の連動がうまくできていて、初めてとは思えないくらいスピードも乗っていました。

 ボクシングをやっている人なら解ると思うのですが、パンチの連打を素早くやろうとすれば、どうしても足は止まってしまいます。「足を止めて打ち合いになる」という表現はありますが、「フットワークを使いながら素早く連打し続ける」という表現は聞いたことがありません。それというのは、極めて困難な技術だからです。

 私も昔、ボクシング技術の指導を受けた時に、フットワークを使いながらジャブを打ち続ける練習を、前進しながら、後退しながら、左右に回り込み(サークリングという)ながら・・・と、一日一時間くらいやっていたことがありますが、ジャブだけならできますが、これをワンツーでやると、どうしても足が止まってしまったものでした。

 どうしてか?というと、足で蹴って動く力をパンチに乗せるために、フットワークのリズムから外れた動きでパンチを出すのは不合理だからです。

 歩法が居着かないで動き続けながら連打もやるとなると、とんでもなく難しくなる訳ですね。

 私が彼らにやらせたのは、そういうことなのです・・・。

 これは、手と足をまったく別々に動かせなくてはできませんが、その練習法としては、太気拳の這いと練りが役立ち、私はそこにスリ足で動く歩法を組み込んでみました。

 そして、この動きのポイントは、仙骨から動くということです。手足を仙骨を起点として別々に動かすことによって、別々に動いていながら協調連動することができるのです。

 ボクシングのフットワークは、足から動くために、足の踏み出すリズムにパンチが同調するので、手足を別々に動かすのが難しくなるという訳です・・・。

 熟練した太気拳士が手技だけで連打しているからといっても、ボクシングとは動きの原理が違うんですね。どっちが良いの悪いのという問題ではないのです。

 初めてやって、これだけできるなら、毎回、やり続けていれば、どれほどのレベルに達していくでしょうか? 一年後が楽しみです。

 目付け・読み・誘い・掌法・身法・歩法を高度に融合させて使うこと・・・それが目下の目標です。


 そして、最後に試し斬りです。

 今回、補修したスウェーデン鋼の刀がどのくらい斬れるか?という確認が目的なので、数多く斬る用意はしていません。細竹も二本だけしか持ってきていません。

 最初に、抜き打ちの片手斬り上げで逆袈裟に斬れるかどうか試してみましたが、2/3くらいは切り込んでいましたが、惜しくも竹が跳んでしまって切断は失敗しました。半分以上は斬れていたので、完全に固定していれば斬れたと思いますが、下から上へ斬り上げるのは力が乗らずに想像していた以上に難しいですね。

 そもそも、「片手で斬れるかどうか?」という時点で難しいので、抜き打ちでの斬り上げはまだまだ稽古が必要ということで、今度は抜いた刀をそのまま片手袈裟に斬って、切断できるかどうかを試しました。結果は動画をご覧ください・・・。


 下に斬り下げるのは重力に従うので切断できました。まあ、片手斬りに成功したのと、抜刀の動作からそのまま斬ることができたので、この日は良しとしておきました。

 北島師範、矢嶋師範代、会員のCさんも問題なく斬ることができました。乾燥した硬い細竹が斬れれば、通常のマキワラ一本くらいは難無く斬れるでしょう。

 スウェーデン鋼のこの刀。斬れ味は鋭い。弾力もあって、上質な包丁のような感じもします。ただ、薄刃で平肉が落とされているので、硬物斬りは刃毀れが心配です。硬物には斬れ味は犠牲になっても、ハマグリ刃の鉈みたいな断面の刀が向いているのではないか?と思われます。

 シャープな切断面から想像するに、この刀は、恐らく、マキワラや梅雨時の竹のような人体に近い柔らかさを持つ物を鋭利に斬るのに向いていそうに思いました。

 段ボールに切り込んだらシャーッと斬れて怖いくらいでしたし・・・。

 本当は、試し斬りに使うより、綺麗に磨いておいた方が白銀色に輝いて非常に美しい刀なんですけどね。

 使った後は、やはり硬い細竹を斬ったので、刃先が微かにギザギザっぽくなっていました。軽く研いで均しておきましたが、やっぱり、硬物斬るのは止めておこうと思います。もったいないですわ~。

 ちなみに、松葉刀匠は、この刀で太い青竹をスパスパ斬ってみせられたと青木先生からお聞きしましたが、若手刀匠の中でも最も進境著しい名手として、現代刀剣界で注目されている鬼才であるからこそ、刀の性質を熟知していて、日本刀の機能を引き出せるのでしょう。

 合気道を、あの大名人、砂泊カン秀先生に学ばれ、試斬の腕も超一流であると青木先生が太鼓判を押されている武道家でもあります。

 私、一度、電話でお話させていただく機会がありましたが、声だけで人柄の良さが伝わってきましたね。私の本も読んでいただいていたみたいで、本当にお恥ずかしい限りです。

 宮崎にお住まいで、合気道の指導もされているそうですから、九州にお住まいの方で真摯に武術を求めている方は、学んで損のない希有な師範であると推薦させていただきたいと思っています。

 ちなみに、松葉刀匠の作られた刀をもう一振り買い求める予定でいるのですが、剛壮にして丁子刃紋の華やかな素晴らしい刀でした。身幅も重ねも極めて大きく刃渡りも二尺五寸もありましたが、バランスが絶妙で、そんなに重く感じません。

 ゴツイ刀なのに優美で優しい印象があるんです。それに、華やかなのに厭味が無い。

 作品には作り手の人柄が反映するものだと、つくづく思いましたね。

 居合道をなさっている方で注文打ちしてもらいたいと考えられている方は、松葉刀匠に依頼されるといいですよ。世界中の誰に見せても恥ずかしくない現代の名刀が得られるでしょう・・・(百万は最低越えると思いますので、経済的に余裕のある方で、ね)。


PS;北島師範から、「場所を借りて地元で稽古会を主宰してみたいのですが・・・」との申し出がありました。もちろん、是非、やってみてもらいたいと思っています。詳細はまた・・・。若手会員も育ってきているし、オジサン会員も上達しているし、やっぱり継続は力ですね。女性会員が増えてもいいように、女性向けの練習メニューも作りました。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

脱力が大基本2!

 友人の沖縄空手の先生のブログを読んでいて、「脱力だけではダメで、脱力パフォーマンスができてもそれだけじゃ闘えない」というような意味合いの意見を書かれていらっしゃいました。

 武道武術の一般論からすれば、これはまったく、その通りの意見だと思います。

「えっ? 長野は、この前、脱力こそが重要だって書いてたじゃん?」と思われた方も多いと思います。

 が、よく読んでくださいませ。

 私は、“武道武術の一般論からすれば”と但し書きを付けているんですね。

 私が提唱している脱力技法は、一般の武道武術で言われている脱力よりも、「もっと、もぉっと、フニャンフニャンに脱力するべしっ!」と言っている訳でありまして、多くの脱力系武道武術を提唱している方々の演武とか観ていてと、私の目にはカチンコチンに観えていたりする訳ですよ。

 よく見かけるのが、肘から先は力が抜けているけれど、上腕から肩が堅いとか、腕は抜けてるけど胴体が固まってるとか、脚が踏ん張ってるとか、顔が固まってるとか?

「この程度の脱力のやり方では、いざ実際に闘おうとすれば、たちまち化けの皮が剥がれて力に力で対抗してしまい、結果的にぶっ潰されてオシャカになるのがオチ! いっそ、筋肉パワーで火事場の馬鹿力出して叩き潰した方が賢いよっ」と言いたくなるのです。

 しかし、游心流では、「相手の加えてくる力を完璧に殺す。そして、こちらの重心力を百パーセント注ぎ込む」というのが理想の目指すべき勝負論です。

「俺の技がすかされて、気づいたらやられてしまっていたような・・・? う~ん、何で俺、負けちゃったの? ひょっとしてアイツ、妖術使い?」という具合に、負けた相手が首を捻って苦笑いしちゃって、戦う気が無くなるような勝ち方が“理想”なのです。

「何か、アイツに下手に拘わると宜しくないな~。苦手だな~」と、ヘヘヘッと苦笑いしながら帰っていってもらえると有り難いんですね。

 誰だって、自分が一途に打ち込んできた技をぶっ潰されてしまったら恨みが残るでしょう? だから、恨みを残さないために、相手に実力を出させないように仕向ける訳です。

 実力出せないまま、訳がわからない負け方すると、あんまり負けた気がしないんですよね。「俺が実力を出せていれば勝てた・・・」という、ちょっと残念でアンラッキーだったな~って感じで自分を納得させられるから、そんなにプライド傷つかないんですよ。

 私は空手も柔道も合気も中国武術もカポエィラもボクシングもムエタイもペンチャックシラットもシステマも忍法も・・・何でも好きです。それぞれを学んでいる人が「自分の学ぶ流儀こそが最高だ」と信じてやっていることも重々、承知しています。

 だから、競い合うのなら未だしも、優劣を論争し合うのって、不毛じゃないですか?

 どの流派も強い人もいれば弱い人もいますよ。長所もあれば短所もある。人間一人一人に個性があるのと同じですよ。短所を除いて長所を伸ばせばいい。それが修行でしょ?

 だから、「貴方が今、私に負けたのは実力差ではありません。私は研究家だから貴方の弱点を狙って、そこだけ攻めたから、今は勝てたけれども、正々堂々と闘えば勝てないですよ」と、私ははっきり言えるし、現実に言ってきました。

 無論、単なる舞い上がってるだけの相手には“愛の寸勁”で突き転ばせてやったりもしてます。でも、それは「舞い上がっちゃダメだよ~。身の程を知らないと俺のところだったから、この程度だけど、もっと気合の入った道場に行ったら、こんなもんじゃ済まないよ~」という教育的指導をしているつもりです。

 言うなれば、これが、これこそが、游心流の目指す“脱力技法”です。

 ケース・バイ・ケースで対応を変える。相手と状況に応じる。必要なら迷わず先手必勝にする。

 恐らく、私と会った人は、いろんな印象を持つと思います。「面白い人だった」「優しい人だった」「鬼のように怖かった」・・・とか。

 私は相手の態度で全然違う対応をしますからね。これも脱力の極意です。

 最初から相手に勝ってやろうという征服的意識じゃ使えないんですよ。そして、脱力技法の攻防理論を成功させるためには、読みと交叉法が必要となるのです。

 つまり、私が言いたいのは、「中途半端な脱力技法は使えない」ということです。

 よく見受けられるのは、相手と向かい合うまでは脱力できていても、動き出した途端に力が入ってガッシャンガッシャンと音がしそうなくらいギコチなくなってしまう人。

 あるいは、相手と触れ合ったり、攻撃しようとした瞬間にガチーンと筋肉が固まってしまう人。

 何故、脱力技法が演武パフォーマンスとしてしか駆使できないか?という問題点は、ここにあります。

 試合や組手になった瞬間に、相手の攻撃に潰されまいという無意識の筋肉反射で身体が緊張して固まってしまう・・・だから、脱力技法が使えなくなってしまうのです。

 私が、「身体の動きなんか考えるな!」と厳しく叱咤したりするのも、実にここに理由があります。

 実際に闘おうという場面で身体の動きがどうこう言う以前に、心が恐怖や不安で萎縮して身体の動きを統御できなくなることを知っているからなのです。

 だから、身法より心法が大切だと言っている訳で、心法とセットになっていない脱力技法は、それこそ使い物にならない訳です。

 脱力技法の優れた点は、「練習する必要がない」という点にもあります。

 ただ、日常生活の中で、意識して身体の部分部分に力が入っているな~と感じた時に、そこの力をじわ~っと抜いていく・・・ということをやるだけで、力を抜く脱力の感覚が磨かれていきます。

 ガムシャラに練習の量だけ積み重ねても感覚というのは磨けないのです。いや、むしろ鈍っていく危険性すらあります。

 最近、いくつか自分で疑問がわいた点もあって、集中的に特訓してみたり、また逆にまったく練習しないでいたり、いろいろと実験してみたんですね。

 そうしたら、特訓してもしなくても変わらないんですよ。私の場合は・・・。

 何でか?というと、恐らく、運動することの神経作用を運動しないで脳内で処理する機能が私の場合は完全に組み上がってしまっているので、頭の中で技のイメージを組み上げることで、結果的に運動したのと同じことになっている・・・のではないか?と思われます。

 つまり、完全に脳トレで武術の稽古ができちゃう訳。

 私が既存の流派をそのまま習おうとしなかったのは、いろんな流儀に一長一短があり、それらを組み合わせて、発展させていくべきだと考えていたからです。

 そして、いくつもの流派を学べば、細部は違っていても、大元のところで共通する基本原理というものはあるんですね。

 その最も大きな共通原理が“脱力”だった訳です。

 もちろん、友人の空手の先生が言う通り、大抵の場合、脱力技法はパフォーマンス止まりでしか駆使できない人がほとんどです。

 教える側が使えなければ、習う側が使える道理はありません。よって、脱力技法をパフォーマンスとしてしか使えない人ばかりが増殖してしまうのです。

 しかし、よく考えてください。現実に使えない技法が、いろんな流派で基本となっているものでしょうか? 基本として伝える以上は、伝えるなりの意味がある筈です。

 要するに、本来は使えるのに、使えないレベルに止めてしまって発展させようとしないでいる現状が問題なのだと私は考えました。

 実際、私も長い間、脱力技法をまともに実戦で使えるとは思えませんでした。パフォーマンスとしてやる分には、既に20代後半で大概の技はできるようになっていました。

 従って、実際に戦う場合はこの手の技は通用しないものだと思った時期もあります。

 けれども、40歳過ぎた頃から、少しずつ認識を改める出来事があって、ここ2~3年は、「脱力技法でなければ老齢になっても衰えない武術には到達できない」と確信を持つようになりました。

 つまり、“脱力技法で圧倒的な攻撃力と防御力を発揮できる”と確信できたからです。

 これは、「内家拳の理論は正しかった」という認識でもあります。

 別に外家拳がダメだの筋力を使うのが劣っているとか言いたいのではありませんよ。熊やゴリラみたいに常人の何十倍もの筋肉パワーが発揮できるのなら、それを使えばいい。

 しかし、「武術の達人に普通の人間が到るには、これこそが最も合理的だ!」という理論を構築できたと私は自信をもって言えます。

 具体的に言うと、“実戦で使える脱力技法”の研究が進んだということです。

 パフォーマンスはできて当然。その先にある実戦に通用する脱力技法はどうすればよいのか?という研究を、ここ数年、日曜日の公園での稽古で実験してきて、当初の目標水準に近づいた・・・という次第です。

 このようなアイデアを築けた切っ掛けとしては、新体道、合気武道、太気拳、太極拳、システマ等々、先人の研究があったからこそですし、武道武術以外にも、舞踊の世界や手技療法等の勉強も役立ちました。

 あるいは、若い頃に心理カウンセラーを目指して勉強した心理学や心理療法の知識も役立っているかもしれません。

 また、宗教学や神秘学も勉強したりしていましたが、これらも心理学と関連付けて、呪術とか黒魔術、錬金術、仙術(内丹・外丹・符呪)、ヨーガ、スーフィズム、カバラとかもいろいろ本を読んで研究していたものでした。

 これらのオカルト紛いの研究は、やっていた当時は自分の心の闇を広げるみたいで良くなかったのですが、今では他人のマイナスの感情を受けても受け流したり、逆に呪い返しにできたりしているので、あながち悪いだけでもなかったですね。

 考えてもみてください。

 2ちゃんねる掲示板等での私への攻撃は異様なまでの憎悪に満ちているでしょう? でも実際の嫌がらせはもっと酷かったですよ。私に成り済まして犯罪の濡れ衣着せようとして警察に訴えた人物さえいました(その後、嘘なのがバレて自業自得になったらしい。当たり前です)。

 普通の人間だったら、ノイローゼになったりして自滅していきますよ。

 でも、私の場合、攻撃されればされる程、活躍の幅が広くなってきてます。10冊以上、本を出したりDVDもシリーズで出ている。学会誌に記事を書いたり、アクションイベントで審査員頼まれたりしている。

 別に自分から売り込んだりしていないですよ。これって、変だと思いませんか?

 私に嫌がらせしたり攻撃したりしてきた人達の中には、一所懸命、自分から売り込んだりしている人もいましたが、うまく行かずに、その後、徐々にウダツが上がらなくなってきたりしています。

 何故か?というと、私に向けた嫉妬や憎悪の感情のエネルギーを、私が浄化吸収して自分の活動エネルギーにしてしまったり、あんまり酷い場合は呪い返しにしたんですよ。

 だから、私に嫌がらせし続けている人はエネルギーを吸い取られたり、逆にマイナスのエネルギーをそのまま返されたりして自分で自分にダメージを被ってしまった訳です。

 こう書けば、しつこく掲示板に私の悪口を書き込みしている人でも、ハッとすることがある筈です。

「人を呪わば穴ふたつ」と言いますが、呪いの精神エネルギーは相手に向かうのが半分で、残り半分は自分に反作用で返ってくるんですね。

 私はそれを知っているから、人を呪ったりしないように注意しています。“こんチクショーめっ!”と思っても、直接反応するのではなく、仕事に集中することで解消してきたんですよ。

 また、批判する時も愛情を持って批判するように心掛けています。これは、私の文章を文言に捕らわれずに全体を俯瞰して読んでもらえば、察知してもらえると思います。私は憎悪の感情だけで批判したことは一度もないんです。

 もし、憎悪の感情で批判していたら、私はとっくの昔に自分で自分の精神を壊して潰れてしまっていますよ。

 何故なら、批判意見を発表するということは、批判された側の恨みを買うし、商品価値を落とされた出版社からも危険人物視されますよね。

 私が武道系の専門誌に載らないのは、敵視、あるいは危険人物視されている証拠ですが、それは、そうなることも覚悟の上で批判意見を書き、その心意気を理解できる人達が支持してくれてきた・・・という訳ですね。

 こういうことを書けば、何か特別なスピリチュアルなまじないみたいな術を使ったのか?と思われるでしょうが、特別にそんなことはしていません。

 ただ、心理学と宗教学、神秘学をいろいろ調べていると、人間の意識のメカニズムが段々、理解できてきた訳です。

 なので、至って科学的に解釈して、物事が起こる時の前後の因果関係から心の働き、精神の作用、そして実際に起こった行動の意味を考えて、どう対処すれば事態を改善に向けていけるか?と考えて、自分にできる対応を戦略的にやってきただけの話です。

 そもそも、人間は、人知を超えた宇宙の働きといったものへの根源的な畏怖の感情を持つものです。

 前世の因果や悪霊が憑いているといった話をされると、それらの言葉の持つ畏怖の響きによって暗示がかかり、精神が支配されてしまうものです。

 けれども、これらは心理学や脳科学の領域ではかなり明確に解明されつつあり、遺伝子の研究によっても説明がつくようになっています。

 例えば、動物霊の憑依現象などは、前頭葉の働きがうまくいかずに小脳や脳幹が優位に働いて動物的な反応を理性で制御できなくなっている状態・・・と解釈できます。

 以前、霊能者という人から、「貴方は複数の厄介な邪悪な霊が憑いている」と言われたことがありましたが、しばらくしたら、「おかしい・・・普通の人だったら、とっくに取り殺されて死んでいる筈なのに、貴方は何か特別強力な守護霊がいるみたいだ」と言われたりしました。

 あのですね。邪悪かそうでないか?というのはどうやって区別するんでしょうね? 善悪は同じコインの裏と表みたいなものです。一人の人間の遺伝情報の中には膨大な生命体の記憶が残っている筈ですし、その中の一つや二つの邪悪?なものに支配されるほど、生命の歴史というのは薄っぺらじゃありませんよ。

 結局、やたらに恐れて不安と恐怖で自分の心を呪縛する自己催眠が問題なのです。


 さて、そういう次第で、身体機能と心理作用の関連を、私は昔から独自に研究してきて、それを武術にも応用してきました。

 もっとも、これは別に特別なことじゃなくて、30年40年前の武道家には、結構、研究している人がいた筈です。

 生きるか死ぬかということを真剣に探究すれば、そういう研究をするのは、むしろ、当たり前のことだと私は思っていますし、目先の強さばかり求める人達の近視眼っぷりにはヘソが茶沸かすってなもんですよ・・・。

 かなり脱線してしまいましたが、要するに、脱力することの意味は、身体と心を一体化して自然体で戦いに臨める度胸を養う・・・という効果がある訳です。

 だから、とにかく、力を抜きましょう。いや、こう言い換えるべきか?

 力を捨てましょう! 目先の効果を求めるテクニックや方法論に頼る気持ちは捨てましょう。

 捨ててしまえば真相が観えますよ・・・。


PS;AGE48になった記念に、毎度恒例のDVDの値下げセールをやらせていただきます。2万円は1万5千円に。1万5千円は1万円に、値下げさせていただきます。そうですね~? 期間は3月一杯までにしましょうか? この機会に是非、ご覧あれ。
このページのトップへ
コンテントヘッダー

東京支部稽古会出張指導

 2月1日の東京支部稽古会は、久しぶりに私も足を運びました。

 この日はセミナー常連のUさんがセミナー未消化分振替体験入門で来られていて、割りと賑やかな感じの稽古会になりました。

 先日、小林先生の許可も戴き、その時に「歩法もバンバン教えてもいいですよね?」とお断りしたので、この日から早速、歩法の使い方も指導しました。

 実を申しますと、これまで“速く動くやり方”だけは教えていて、以前も3人くらいはできるようになった会員がいた(一人は、三カ月しかやってないのに歩法ができるだけで甲野大先生を翻弄してしまい、その結果、自惚れてどうにもならなくなったので破門にしています。才能あっても自惚れるともうダメ!)んですが、“具体的に歩法を攻防の中でどう使うか?”ということは教えていなかったんですよ。

 何でか?というと、やっぱり、小林先生のお家芸なので、小林先生が公開していない以上、未熟なレベルで私が公開してみせて、「何だ、この程度か?」と言われたりしたら、小林先生に恥かかせることになるでしょう?

 それに、私自身が勝負の中で使う研究が進められなかったので、教えたくても教えられなかったのが偽らざるところでした。本当に、ごく最近(去年くらい)ですよ。自信もってやれるようになったのは。

 だから、小林先生が公開するまでは私もおおっぴらには教えないと決めていたんです。

 北島師範、矢嶋師範代、大石教練が充分にできるようになって、それで研究が進んで、セミナーで昨年、教えたら、何人かはかなりいい線いっていたんですね。やっぱり、細かく分解してコツを教えながらやらせたら、できるようになるもんですね?(俺は5~6年かかったんだけどな~)

 その、いい線いっていた高校生のNさんや東京支部キャプテンのKさんは、やはり、いきなり、いい感じで動いていて、“目の前で相手が消える感覚”に狂喜して、楽しんで練習していました。

 この歩法は、重心移動を利用して動くので、足の蹴り出しが必要ないので予備動作が極小になるんですね。だから、突然、目の前からパッと消えたように感じるんですよ。

 大袈裟に言うと、熟練すると瞬間移動しているような、目の前で目線で追い切れなくて、消えたと思ったら、ちょっと位置を変えて現れる・・・ように感じたりするんです。

 入ったばっかりの今年の春から大学生になるKさんも、高校の頃には空手部のキャプテンだったそうで、日曜日の本部稽古会にも参加していたんですが、飛び込み突きの時に和道流式の縮地法使ってた(物凄い研究熱心な先生に習ったらしい)くらいだから、すぐ体得できるんじゃないかな~?と楽しみです。

 この調子で熟練していったら、うちの会は今年は物凄いことになりそうだな~?と思っています。こうなったら、“達人量産道場・猫の穴”とか名前つけちゃうかな?

 ところが、最も上手だったのは、何と会員にはなっていないUさんで、冗談抜きにこれは凄ぇ~! 速いだけじゃなくて、掌打を5~6発連打して的確に打ち込みながら、バババッと動いて、おまけに相手の背後にスルッと回り込んでしまうという高度なレベルでやって見せてくれて、相手してた大学生ダンサーのHさんは唖然・・・見てるこちらも唖然としました・・・。

 セミナーに淡々と通って歩法をしっかり練習されていたことと、これまでいろいろな流派で学んできたテクニックが繋がってきたんじゃないかな~?と思いました。

 武術って、やってる間は意味が解らなくても、やってる意味が解ると、突如としてポンポンポ~ンッと上達したりするんですよ。だから、面白い! こんな面白いのに、何で多くの人は興味を示さないのか、ボカ~、不思議だな~?

 かつて、私が教えた人の中で、ここまで歩法を駆使できた人はいなかったですよ。小林先生に見せたかったな~。Uさんを、うちの特別会員としてスカウトしようかとマジで考えてます。いわゆる、ヘッドハンティングってやつですね。

 これだけできるのを単なる個人的な趣味で終わらせたらもったいないですよ。


 歩法に関しては、矢嶋師範代が独自にダンスも習ったりして研究した結果、最もいい感じで体現できていたんですが、この日も久しぶりにやって見せてくれ、デュラララッ!(あのアニメ?)って感じで動いて、素晴らしかったですね~。

 彼は、素質も才能も乏しく、おまけに物凄くブキッチョです。教えたそばから間違ったりする。「わざとやってんのか? それはコントか?」と思うくらい。でも、辛抱強く私の指摘したところをしっかり直そうとする、その努力家の点は誰にも負けません。

 そういう性格だから、私はむしろ安心して彼の欠点をブログに書いたりできる。だって、そうすれば、必ず直してくるからね。

 この日は、私の誕生日だったので、稽古が終わってから高田馬場に出て、サイゼリヤで軽く食事会にしました(最高齢会員のSさんは翌日が誕生日だったそうです)。

 そこで、2ちゃんねるの私の悪口掲示板の話題になったんですが(よく、練習後に笑い話のネタに利用させてもらってますので、ガンガン頑張って書いてくださいね)、何でも「師範代の面子を潰すような内容はいかがなものか?」という案外、まともな意見も出ていたそうです。

 まともな意見なので、お答えしておきます。

 私は、以前、会員のプライドを傷つけないように心掛けて対応していました。

 ところが、そうすると、“対等”なつもりになってきて、それがいつの間にか“上から目線”になったりしていたんですね。

 俗に言う“テング”になってしまっていた訳です。

 武術の世界は、実際に試合をしたりはしませんから、やってるうちに自惚れてしまいやすいんですが、誉めて伸ばす方式は自惚れを助長して本人をダメにしてしまうだけだと、よ~く解りましたね。

 それまでは、多少の欠点には目をつぶって、良いところを伸ばすようにさせれば欠点もカバーできると思っていたんですが、誉めるだけだと調子に乗ってしまうだけだし、欠点も結局、より拡大してしまうだけで何一つ利点がないんですよ。

 それで、師匠の役目は、「弟子の欠点を自覚させ、改善するように仕向けること」なんだと思うようになったんです。

 それに、一度、テングになってしまうと、注意したって受け入れません。それに、ぶっ叩かれて実力が無いのを露呈させられても恨むだけで、根性は直らないんですよ。

 負けても負けを認めなくなる。プライドだけが異常に肥大して誇大妄想が膨らみ、自分が天下第一の達人であるかのごとく思い込んでしまったりする訳です。

 いるでしょ? そんな自称武術家って。

 プロの武術師範にも多いですよ。実際。こういう精神疾患に陥っている人は。

 プロがそんななんだから、そこらの武術愛好家には、もっと多いんじゃないでしょうかね?

 私は、もう、二度とそんな人間を会の中から出したくありませんから、ちょっとでも、そういう自惚れた兆候が現れたら、即座に「この未熟者めがっ!」と叱りつけるようにしようと決めています。怒るのは嫌なんですが、必要なことはやらなきゃいかんのですよ。

 修行者にとって、メンツだのプライドだのというのはぶっ潰すべき要素でしかありません。百に一つの価値も無い! ぶっ潰してやるのが師匠の役目だと私は考えます。

 それでも、「ブログに書く必要はないだろう」と思われるかもしれませんね。

 いや、私はそうは思いませんよ。本人の知らないところで陰口叩くより、潔いでしょう。

 私が2ちゃんねるに拘わらないのも、自分の正体隠して他人を批判したって何の説得力も持たないと思ってるからですよ。文章責任持たないヤツの意見なんか世間は耳を貸しません。

 本気で私が気に入らないと思う人なら、直接、やってきますよ。そういう人なら敬意を持って接するにやぶさかではありませんが。

 安全なところに隠れて正体隠して誹謗中傷だけ繰り返すのは負け犬の遠吠えというものです。そういう風にしか見られていないという点を丸で自覚することもなく、いつまでもいつまでも同じ事を繰り返しているのは、完全なる精神疾患と言わざるを得ません。

 惨めさ全開で空威張りするしか能の無い可哀想な人達ですよ・・・自分が物凄くカッコ悪いことやっているということが客観的に自覚できない可哀想な人達ですね。

 こういう人達に共通してるのは、劣等感の固まりみたいな深層心理を洞察されないように、過保護の餓鬼みたいに人一倍、メンツやプライドに拘っている・・・ってことです。

 現実の生活空間では誰にも認めてもらえないから、自己憐憫だけが肥大して、自己愛性人格障害に陥ってネット掲示板でカミになりたがるのですね。

 だから、ですよ。本人のメンツだのプライドだのを守ってやる代わりに、未熟なのを放置したままではハンパな腕前で大怪我してから気づいても遅過ぎるでしょう?

 もっとも、聞く耳がない相手だったら、私はむしろ放置して何も言いません。じっと観察し続けて、態度が改まらなければ、「はい、貴方はもう、うちに来なくて結構」と破門にするだけです。何人かは、そうして破門にしています。

 たとえ師範代を任命した会員であっても同じです。仮に矢嶋師範代が自惚れて陰で私の悪口言うようになったら、迷わず破門にしますよ。

 以前、自分のブログで中途半端に私の悪口書いてた会員も即刻、破門にしましたよ。批判意見があるなら堂々と書けばいいんです。変に揶揄するような姑息な真似するヤツは許しません。

 どうも、考えの甘い人間が多過ぎます。武術は命かかった勝負に勝ち残ることを学ぶんだから、なめた態度とったら命取りになりますよ。それを教えるのも師匠の義務ですし、意見するなら師匠を実力で倒す覚悟くらいしなきゃ~ダメですよ。でなきゃ、武術なんかやる資格ありません。

 でも誤解しないでもらいたい。注意したり叱ったりするうちは、まだ、指導者としての愛情があるんです。でなきゃ、逆恨みされるかもしれないのに厳しいこと言えない。

 愛情が無くなれば、「あ~、俺の言う通りにできないなら、好きにしてください。ただし、游心流からは出ていってくださいね。自分たちで会つくって、思う存分、好き勝手にやって、俺の知らんところで文句垂れて喜んでなさい」と言うだけです。

 冗談抜きで、私が人生捨てる覚悟で命懸けて研究し育ててきた成果が“游心流”なんだから、気に入らない人間には一億円出されたって教えませんよ。

 だから、本気で教える人間には、メンツだのプライドだのはドブに捨てる覚悟を要求します。「シュミとかヒマ潰しでやりたいなら、他所に行ってくださいよ。俺は武術の本質を求めたいと思っている人間だけが残ってくれればいいんだよ」って言ってますよ。

 そう宣言して残った中の一人が矢嶋師範代です。彼を一角の武術家に育てるのは私の義務ですから、甘やかしはしません。

 御理解いただけるかは不明ですが、疑問への解答としておきます。

 その他、いくつかチェックした会員から聞きましたが、答える必要も感じないので、本日はこれまで!

このページのトップへ
コンテントヘッダー

別冊アサ秘ジャーナルに謎の刀匠が?

 1月30日の深夜にTBSにチャンネルを回したら、何やら刀剣がひしめいている博物館と、その館長という人が出ていました。

「おっ、こりゃあ・・・何だ? 何者だ?」と思いましたが、最初、その館長の風貌に、「あれっ? この人はもしかして高岡英夫さんか?」と思ったんですが、よく見ると別人みたいです。

 しかし、その風貌といい、話ぶりといい、独特の怪人オーラを纏っています。途中から見たので、よく判らなかったんですが、刀剣の博物館の館長で刀剣研磨を生業にしているらしい。

 そして、さらに見ていると、刀匠でもあるらしく、名字は柳田というらしい。

「ははぁ~・・・、この人は、田中光四郎先生が隕鉄で作った流星刀を注文打ちしたという刀鍛冶の柳田律夫さんだな?」と、ピンと来ました。

 それを証明するように、自身が打った刀で試し斬りも披露され、また、隕鉄を混ぜた刀の話も出て、間違いないと思いました。

 光四郎先生から断片的に話をうかがって、訪ねてみたいと思ったものの、刀の値段が400~500万と聞いて、「うひゃあ~、俺には頼めないよ~」と思って諦めていたんですが、刀剣の博物館をされているんだったら、それは是非、観てみたいな~と思いましたね。

 それに自作の流星刀の斬れ味は本当に凄そうで、注文主の起倒流の総師範がマキワラ五本を纏めたものを一刀両断されたのには、目を見張りました。

 もちろん、この師範の腕前は相当なものなのが、抜刀して構えた瞬間に判りましたが、やはり刀の斬れ味がよほど良くないとアレは斬れないでしょう。

 う~ん・・・刀バカ魂がムクムク起き上がってくるな~・・・。


 それに、「隕石が江の島に落ちて、その隕鉄を使って正宗が刀を作ったのではないか?」とか、「朝鮮半島経由の青銅の手筒が種ヶ島以前に日本に入ってきた鉄砲の原型ではないか?」といった歴史ミステリー的な話をされているのもロマン溢れる話で楽しいです。

 鉄砲によって鎧の様式が変わったという話も面白い。

 また、江戸時代の鐔に雪の結晶らしきデザインが彫り込まれているのは何故なのか?といった話も、「私も判りません」とオチをつける点などが茶目っ気があって楽しい人柄を感じさせます。

 ちなみに、雪の結晶を観る顕微鏡みたいなものは、連発銃や空気銃の発明で知られる国友鉄砲鍛冶一族の中でも有名な国友一貫斎が作っていたんじゃなかったかな~?と思います。確か、一貫斎は、晩年は望遠鏡とか作ったりしていたそうですが・・・。


 たまたま観た番組でしたが、偶然とは言え、やっぱり、日本刀の文化を守り伝えていこうとしている人の存在を知るのは嬉しいですね。

 先日は日本刀振り回した爺さんが警察官の指を斬るという悲惨な事件がありましたが、日本刀を単なる凶器にはしてもらいたくないものです・・・。


このページのトップへ
コンテントヘッダー

大野雄二ライブ(メイプルホールにて)

 千代田メイプルホールで1/29に、大野雄二さんのライブがあるということで、また予約して出掛けてきました。

 いつものように、相模原駅で6番線のバス乗り場でバスを待ちます。ちと寒い。

 市役所通りを通るバスがやってきて、寒いので急いで乗ります。

 すぐ降りられるように乗降口すぐの席に座っていると、発車間際に乗って来た人が、運転手さんに何やら尋ねていましたが、運転手さんはよく判らないと言っていた様子で、「途中で通り過ぎるから、よく見てて・・・」みたいに答えているのだけ聞こえました。

 その人も運転手さんのすぐ後ろの席に座っていました。

 バスが発車して、しばらく行くと、また、同じ人が後ろから運転手さんに尋ねていましたが、「メイプルホールはどう行けば・・・」と言っていたので、「あ~、この人もライブに行くんだな~」と思って、横から、「メイプルホールだったら、次の停留所か、その次の停留所を降りて、すぐですよ」と教えてあげました。

 で、次の停留所で、「降りますか? この次でもいいですよ」と聞くと、どうしよう?という顔をしていたので、「じゃあ、次で降りますか? 僕もメイプルホールに行くところなんで一緒に行きますか?」と言うと、安心した顔で「お願いします」とのこと。

 次のバス停留所の“高校前”で降りて、その人と一緒にメイプルホールに行きました。

 やはり、大野さんのライブに練馬から来たんだそうですが、町田までは来たことがあったものの、相模原は初めてで場所がよく判らずに困っていたらしいです。昼間ならまだしも、夕方、日が暮れてからだと知らない町で初めての場所探すのは結構、大変なんですよね~。

 流行の、ちょい女装系男子風の見たところ20歳くらいの人でしたが、こちとらウルティメイトな女装男子が会員に居て見慣れてますからね。

 メイプルホールに到着すると、帰りのバスの時間を気にしていた彼に時刻表を示して、私は予約して当日精算にしていた料金を払って、会場に入ります。

 前回も満員だったので、立ち見も覚悟していたんですが、後ろの方の使わない出入り口の階段が空いていたので、そこに座って陣取りました。

 その後も続々とお客さんが入ってきまして、スタート時刻を少し過ぎたくらいに、大野さん達が入場してこられてライブが始まりました。

 ジャズ・ナンバーから数曲。ピアノが大野さん、ベースが新しく参加された井上陽介さん、そしてドラムスが江藤良人さん。音楽に疎い私でも、大野さん達の演奏スキルの高さが解ります。スゲ~としか言えない・・・。

 メンバー紹介が終わり、いよいよ大野さんのオリジナル曲の演奏です。

『犬神家の一族』『ルパン三世』それぞれの愛のテーマ。

“愛のテーマ”というと、大野ミュージックの往年の映画音楽で定番です。

 あ~、何か、いいな~・・・。映像が脳裏に浮かびますよ。袴姿の石坂金田一。黄金色に染まった海岸をバギーで疾走するフジコちゃんと、空を飛び交うカモメ・・・。私の中学、高校時代・・・。

 そして、締めはやっぱりルパン三世のテーマ。

 伊福部音楽と言えばゴジラが思い浮かぶように、大野さんと言えばルパンのイメージが定着しています。

 だけど、私の個人的な好みとしては、『人間の証明』『野性の証明』『黄金の犬』といった大作映画の音楽や、松田優作のアクション代表作『遊戯シリーズ』のテーマ曲。TVの『スペースコブラ』に『大激闘マッドポリス80』などの刑事アクション物やVシネの仲村トオル主演『狙撃・シューティストシリーズ』のテーマ曲等々の都会的アクション作品のテーマ曲も大好きなんですね(ちなみに前回、大野さんの音楽と思い込んでいた『蘇る金狼』『野獣死すべし』は別の人でした。ごめんなさい)。

 今回も、『犬神家の一族』のテーマ曲を聞いていると、70年代後半の、日本中に大野サウンドが溢れていた時代を思い出します。浪人して大学入った頃が一番、聞いていたかな~?

 相模原にも長く住んでいますが、高校の頃、ラジオで聞いていた大野サウンドを、生で聞く機会がこようとは、夢にも思わなかったですよね~。

 田舎育ちの私には都心の喧噪は苦手だけど、やっぱ、相模原くらいのちょい都会が住み易くていいや~・・・。

 それに、土曜の夜にメイプルホールでライブを楽しめるというのは、何かプチ・ゴージャスな感じがしますね。

PS;矢嶋師範代から、「ワシズさんは、“鷲津”じゃなくて“鷲巣”さんなんじゃないですか?」と、ブログの漢字が間違っていたと指摘されました。本当、間違っておりまして、大変、失礼しました。鷲巣先生、ごめんなさい。


このページのトップへ
著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

FC2カウンター
リンク
最新記事
カテゴリー
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

月別アーカイブ
ブログ内検索