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『子連れ狼』がチャンネルnecoで放送!

 四月五月のチャンネルnecoで、若山富三郎先生の至高の殺陣が拝める伝説の時代活劇『子連れ狼』シリーズ六部作が放送されるそうですっ!

 皆さん! これは必見ですよぉっ!

 何つったって、これを観たら、もう他のチャンバラ映画観ても物足りなくなってしまうこと請け合いです。

 抜き斬り納めが一調子の超絶居合術! 敵の刀を片手で逆手奪いにしての二刀流! 仕込み槍と仕込み長巻の分離合体殺法! 鎧通しの手裏剣打ち! レミントンの二丁拳銃!
 ガトリングガン並みの連射銃が搭載された水陸両用高機動戦闘乳母車! スタントマンが要らない空中殺法! ライダーキック張りの飛び蹴りで馬上の敵を蹴り落とし、着地と同時に居合抜き斬り! 炸裂する竹筒手榴弾! 真剣を使ってのアドリブ御前仕合! 林与一もビビッた大五郎の死生眼! ルパン三世みたいに変装が上手い裏柳生忍者! シースルー鎖帷子で後ろ向きに走って去っていく松尾嘉代の高笑い! 乳母車の装甲も貫くアーマーピアシング大根! コブシが効き過ぎて笑いを誘ってしまう若山先生の歌! 立ち回りのドサクサに紛れてフンドシ一丁でミル・マスカラスみたいなドロップキックをかます若山先生! 雪山で「寒い~」と泣き言を言う土蜘蛛ゾンビ・トリオ!・・・

 もうね~。見所がテンコ盛りですよ。

 そう言えば、若山先生が和製ダーティハリーみたいな刑事を演じた『桜の代紋』も、同時期に撮影されたらしくて、監督も三隅研次だし、『子連れ狼』シリーズに登場していた役者さんが多く出ていましたね。配給も東宝だし・・・。

 小林昭二(黒鍬支配頭・小角)、大木実(弁天来三兄弟の長兄・弁馬と柳生烈堂)、松尾嘉代(明石柳生の別式女軍団の首領)、草野大悟(馬上短筒の名手)、渡辺文雄(柳生備前だったっけ?)、東三千(乞胸お雪)、それに殺陣の名手、佐藤京一先生も出てましたよ。

 しかし、犯人役の石橋蓮司を尋問するのに、「スポーツやろうぜ」と言い出して柔道で痛めつけるシーンは、流石、役者になるか柔道の道場主やるか悩んだというだけあって、若山先生の体術の冴えが拝めます。

 本当に、こんなに万能に何でもできちゃう役者さんって、他にはいないと思いますよ。

 勘が良いというところでは長門勇さんも上手いですよね~。槍も上手いし、居合や二刀流も上手いし、トンファーや釵なんかも器用にこなせるし、体捌きも身軽で、身体能力的に若山先生と似てますね。

『いも侍』シリーズは最高でしたよ。

 殺陣の名手と言えば、近衛十四郎ですが、近衛さんは長尺の槍を素晴らしく上手く扱ってましたね~。武術的に観ると、ちょっと変だと思う箇所もあるんですが、柳生武芸帳シリーズの『無頼の谷』の逆手二刀流は物凄かったですね~。

 そう言えば、高瀬道場の高瀬将嗣先生が『映画秘宝』の連載中で、殺陣の上手い役者さんについて書かれていて、「流石は高瀬先生だな~」と、唸ってしまいましたよ。

 それは、『十兵衛暗殺剣』で、近衛さんが引き立っていたのは小太刀の名手、幕屋大休(実在した剣客です。幕屋新陰流)を演じた大友柳太朗の上手さにあったと評されていた点です。それが判るのは、高瀬先生御自身が、舞台演武で小太刀を用いた立ち回りをよく演じられているからこそだと思いますね。

 大体、立ち回りで見栄えがするのは長い刀であって、近衛さんは二尺八寸の刃渡りに柄も45cmくらいの長柄の刀を使っていたようですし、主役の刀はからみ役より少し長い場合が多いように見受けられます。

 小太刀で相手を圧倒するような強さを表現するのは非常に難しい筈で、自然、体構えから滲み出てくる気迫が表現されなければ弱々しく見えてしまうものです。

 大友さんは実際に古流剣術なども習いに行って殺陣の研究をされていたそうですが、この作品の時の強豪っぷりは近衛さんがたじろぐのも無理からぬと思わせるものでした。

 けれども、それほど評価する人がいなくて、私は不思議に思っていたんですが、流石は高瀬先生だな~と思いましたよ。

 小太刀を用いて戦う主人公と言えば、『たそがれ清兵衛』『必死剣鳥刺し』といった藤沢周平作品の主人公が多いですが、私が凄く記憶に残っているものでは、五社英雄監督の『闇の狩人』で、原田芳雄が演じた記憶喪失の仕掛け人が、屋内で大刀を振るのが不利だと判断して、いきなり脇差を抜いて、障子を蹴倒しながら飛び込んでいって、目的の侍達を斬るシーンですね。

 ここで慌てて応戦した侍が大刀を天井のハリに切り込んでしまい、そこを斬られるという『たそがれ清兵衛』で田中泯さんが斬られたシーンの原型がありました。

 これってマヌケそうですが、幕末には本当にあったみたいで、勤王刀という刀身が三尺近い刀が流行ったものの、しばらくすると二尺二寸くらいの短い刀が流行ったんだそうですね。

 つまり、屋内で襲撃された時に長い刀は邪魔だったということです。龍馬を暗殺した刀も脇差だったとされています。

 武器の携帯性ということでは、1970年代から80年代初頭のアメリカの私服警官は、拳銃を二丁持つ場合が多かったそうですが、これは何故かというと、警察官の持つ拳銃はリボルバーと決まっていたので、弾数が少なく、撃ち尽くして弾替えしている最中を狙われると危険だということから、銃身の短いスナブノーズ(猪っ鼻)の小型リボルバーをもう一丁、アンクル(足首)ホルスターに入れていたりしたらしいです。

 当時はセミオートマチック・ピストルはジャミング(回転不良)を起こすと危険だというので、回転式拳銃が好まれたそうですが、その後、セミオートマチック・ピストルの性能がグングン上がって、弾丸が数多く撃てて作動も確実なものが多く発売されたので、警察でもセミオートマチック・ピストルを採用するようになったそうです。

 映画『SP』に出てくる拳銃もSIG.JPモデルという日本向けの中型セミオートマチック・ピストルになっていますね。

 武器は実際に使われて不具合があると改良されていく・・・というのが自然な流れですが、そういえば、『子連れ狼』も、シリーズが進むに従って、乳母車の装備がバージョンアップしていき、最終作『地獄へ行くぞ大五郎』では、装甲板付きスノーモービルみたいになってましたね・・・。


PS;高瀬道場の多加野詩子先生が八王子の読売文化センターで女性向け殺陣講座を担当されているようです。刀剣女子、歴女の皆さんは習ってみられてはいかが?

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射撃王

 ヒストリーチャンネルで“射撃”のキングを決めるという番組があって、そりゃあ、観てもつまんないんじゃないかな~?とか思っていたんですが、何かSASUKEみたいな構成の番組で、面白かったですね~。

 射撃だから、ピストルとライフルを使うのは当たり前で、ピストルシューティングのチャンピオンとか海兵隊員とかライフルシューティングの専門家とかが挑戦する訳なんですが、それだけだと勝てない。

 何故か?というと、使うものに、ロングボウ(長弓)やクロスボウ(ボウガン)やスロウイング(投げ)ナイフまであるから・・・。

 ピストルやライフルだって、最新式とは限らず、西部劇で使うコルトピースメイカーやウィンチェスターM73、スコフィールド・ピストルなぞという前々世紀に作られた銃を使ったりするのです。

 選手も面食らってたりする・・・そこが面白いんですね。

 特に弓矢や投げナイフは全員が四苦八苦する訳ですよ。「何で射撃でこんなのやるんだよ?」って感じで怒る・・・。

 しかし、私はちょっと感心しちゃいましたね~。

 非常に武術的な発想ですよね。

 これを日本武術に譬えたら、棒手裏剣と和弓が使えなきゃいけないってこと。

 それに、日本の古武術では關流や稲富流といった砲術の流派もありますが、総合武術の流派だと火繩銃の撃ち方くらいは知識として学んでいたようなんですよ。

 古式泳法の流派には水中で火繩銃を装填して撃つ術も伝承しています。

 雑賀衆みたいな鉄砲集団もいたし、国友一族みたいな鉄砲製作集団もいた。特に国友一族の国友一貫斎なんて、舶来の空気銃を改良した連発式の“気砲”とか、子連れ狼で出てくる火繩式の20連射銃(映画ではガトリングガンみたいになってたけど)なんかも発明していたんですよ。

 十手や脇差に偽装した銃もあったし、短筒から抱え大筒もあったし、三連・四連・六連発式の複銃身の連発火繩銃もあったんです。

 幕末には日本独自に雷管式の銃も発明していたし、もし江戸時代に銃に対する規制が無かったら、欧米以上に発展して世界一の銃国家になっていた可能性が高いように思いますね。

 もし、そうなっていたら、日本の古武術の表芸は拳銃になっていたかもしれませんね。

“ガンカタ”じゃ~ん?

 私が『リベリオン』でガンカタを見て、真剣に練習しようかと思ったのも、こういう元ネタがあったからなんですね。

 武道やっている人は、概ね、「銃は卑怯だ」って嫌いますね。

 けれども、小林先生も青木先生も銃大好きだし、田中光四郎先生は実際にAK47持ってアフガンで戦ってたんですからね。

 松田隆智先生も実は銃が嫌いじゃなくって、「やっぱ、コルトガバメントがいいな~」って言ってましたよ。海外の射撃場で撃ったそうです。

 今野敏先生も射撃が趣味だと本のプロフィールに書いてありましたし、功朗法の横山先生も射撃がプロ級だったんじゃなかったかな~?

 やっぱり、現代で武術を極めようと思うなら、銃くらいは扱えないとダメだと思ってて、游心流も年に一回は射撃ツアーに海外旅行しようと思ってます。

 専属道場があったら、手裏剣と弓術(一応、やり方くらいは知ってます)も練習するんですけどね~。流石にお借りしてるホールで手裏剣だの弓矢だのは使う訳にいかないですからね~(試し斬りやエアガンはたまにやってるけど・・・)。

 
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こんな本を読んだ・・・

 電車が止まったり計画停電の影響で、仕事がさっぱり進みません。

 ジタバタしても仕方がないので、ここぞとばかりに深夜から明け方にかけて原稿書き、昼間は本を読んで過ごしています・・・。

 21日の月曜日は、会員さんに紹介してもらったイラストレーター志望の女性と打ち合わせしに小田急線相武台前駅に行ってきました。

 サンプルの絵を貰って仕事の進行の説明をざっと話して、帰りに町田のあおい書店に寄って本を8000円分くらい買ってきました。

 毎月買ってる『映画秘宝』は、高瀬将嗣先生の連載記事とホラー映画評論の第一人者である鷲巣義明先生の作品解説批評を読むのが楽しみです。偽悪的な雑誌のテイストが面白いから、結局、毎月必ず購読している雑誌は、これだけになってしまいましたね。

 お行儀の良い文章とか読んでも面白くありませんからね。この点は武道の本なんて糞つまらんのばっかりですからね~・・・。

 一応、資料的な価値があるからと思って以前はかなり高い本でも買い集めてきていたんですが、最近は、「こういうことならネットで調べたら判ることでしょ?」と思って、買わなくなりましたね。

 それでも、稽古の時に会員さんが言っていた、今野敏先生と押井守監督の対談本『武道のリアル』という本があったので、買いました。

 まだじっくり読んではいませんが、一般の武道本と違って、対談形式なので本音がバシバシでてきて、実にスリリングな(危ない?)内容になっていて、ちょっと、ドキッとしてしまいました。

 私は、ここまでよ~言えんな~と思いましたよ。狙われるから・・・。

 ま~、そういう問題発言がバシバシと出てくる勇気ある内容なのは、むしろ痛快ですけどね。読む側としては・・・。

 それにしても、「あ~、そうか~? 今野先生って中国武術とか全然関心なかったのか~?」っていうのは、ちょっと驚きました。

 考えてみたら、空手やってきた人って、案外、中国武術を評価しない人が多いみたいですね? 私は最初から中国武術に関心があって、それから空手にも関心を持ったので、「何で、中国武術を評価しない空手人が多いのかな~?」と不思議だったんですけどね。

 一つには、私の両親が旧満州で生まれてることも関係していると思うんですよ。戦後の引き上げ組なんで、どうかしたら残留孤児になってたかもしれないから、中国文化に対する憧れが物心つく頃からあったのかもしれません。

 それに、私がラッキーだったのは、小林先生や岩間先生、友寄隆一郎先生といった現代日本で真に使える中国武術の先生と出会えたことですね。やっぱり、実際に見ないとね。

 強い弱いは個人の問題ですが、技術的に奥深いのは、空手より中国武術であると私は確信して微塵も疑いません!

 どうしてか?というと、空手の技法・戦術・訓練法・身体運用法などは、中国武術の中に全部包含されていると思うからです。それは両方を修行してみれば誰でもそう思うだろうと思っています。

 私は、空手人は中国武術を知らな過ぎると言うか、知ろうとしてないように思うんですよね。それが非常に残念です。

 中国武術に有って空手に無い技はありますが、空手に有って中国武術に無い技はないと思いますよ。ただ、本土に伝わって以降は競技上で日本剣道の影響を強く受けたので、戦い方は剣道的ですけどね。伝統派は。フルコンはまた違うけど・・・。

 でも、沖縄空手を見ると、やっぱり技の用法とかは中国武術に非常に近いですし、ヌンチャクや棒、トンファー、釵、ティンベー・ローチン等の琉球古武器術はすべて中国や台湾、あるいはタイとか東南アジアに類似の武器が無数にあります。

 そういう点をもっと深く研究すべきだと思うんですけどね~。

 表演武術を見て「あれは実戦には使えない」と言うのも単なる勘違いだし、散打を見て「キックボクシングみたいだな」と言うのも勘違い。伝統武術を見て「う~ん、深い」と言う場合も、大抵、実は解らないからテキトーに言ってるだけ・・・。

 中国武術が理解できないのは、戦闘理論を教えてくれないから、空手の試合形式のフィルターを通してしか判断できないからですよ。

 中国武術の試合とか見てもフルコンタクト空手風にしか見えない場合が多いですが、それは戦闘理論の統一理解がないから試行錯誤している段階だから、致し方ないんですね。

 中国散打なんかシュアイジャオの投げをベースに打撃は圏捶と足揣脚で組み上げて独自の戦闘スタイルを作っていったそうです。そのスタイル作りの段階でムエタイや日本の空手道も研究して、「もっと違う中国武術独自のものにしよう」と考えて、組み討ち武術であるシュアイジャオをベースにしたと聞いています。

 これなんて、松濤館流空手道をベースにしながら試合スタイルを蹴り技中心にして差別化したテコンドーや、そこに大東流合気柔術をミックスしてもっと多彩な技法体系にしたハッキドー(合気道)のような朝鮮武道の成立のさせ方とも似てますよね。

 だから、あまり中国“拳法”っぽくないので文句を言う日本の中国武術愛好家が多いみたいですが、見た目と違って実際に学ぶと原理的には極めて中国武術らしい戦闘理論であるそうです。

 誤解されているのは、もともと、中国武術は空手のように離隔して打撃技の応酬で勝負を決するのではなく、打撃から投げ・逆技なども駆使して戦うのが門派を問わず普通なんですね。武器だって普通に練習するし、いくつかの門派を併習するのも普通。

 陳氏太極拳の実戦高手として日本の武術愛好家間でも有名な馮志強老師が、実は白猿通背拳の遣い手だってのは業界では有名な話ですが、拳型を見ると確かに通背拳で用いる透骨拳のように握られてる写真がありますよね。

 私も通背拳、通臂拳、孫ビン拳とかちょこっと習いましたが、ハイスピードで掌や拳を腕を背中から肩甲骨にかけて鞭みたいに完全脱力してバシュバシュバシュッて打ちまくるのって、ケンカ的には非常に有効なんですね。普通のパンチの三倍以上速く打てるし。

 ただ、コントロールが難しいので相手に怪我させるリスクがあるので、あんまり使わないようにしていますが、普通の格闘技しかやったことない人にやると面食らいますね。どうやって打ってるのか全然見えないと言われます。うちでは大石教練が上手いですね。教えたらすぐ体得してしまいました。

 そもそも、空手と合気道のどっちが強いか?と論じても全然解らないのと同じで、正確な判断をするには、同等に修行して比較検討しながら、それぞれの戦闘理論を十分に解析しなきゃいけません。

 そういう意味で言えば、この『武道のリアル』は、沖縄空手に対する今野先生個人の愛着から拡大させて他流を考えられている点に、正直言って多少の無理を感じざるを得なかったのですが(競技化されると技の精度は発展しますから上手下手で論じるのはおかしいと思う)、それは現在の日本の武道という文化の置かれている立ち位置の問題であるようにも思えましたね。

 日本では、トータルに武道・武術・格闘技を概観して分類分析できる専門家が育っていないんだと思いますよ。ネット掲示板には武術マニアは腐るほどいるでしょうが、彼らの中で本当に修行し実践してきている人は半分もいないでしょう。所詮、耳学問でしかない人が大多数だから、論外です。何事もある程度、実践しなきゃ何とも言えません。

 中国武術や古武術なんて空手や合気道の圧倒的な修行人口とは比較するのも愚かです。

 日本は、空手なら空手、合気道なら合気道、剣道なら剣道、古武術なら古武術、格闘技なら格闘技・・・という細分化した専門家だけが並列的にいるだけで、武道文化・武術文化・格闘技の社会学・・・といったトータルで、しかも技術的にも深く比較研究してものを言える人間がいないんだと思われます。

 例えば、高岡さんや日野さんなんかはそのポジションに立てる人なのか?という期待感があったのでしょうが、どちらかというと武術武道系身体論の文脈にカテゴライズされていましたね。

 それは、彼らの立脚点がビジネスモデルにあったからだと思うんですよ。

 両者共に自己啓発セミナー的手法に立っていましたからね。まっ、言葉を変えれば新興宗教的と言いますか・・・。この文脈で現在際立っているのは宇城さんですかね~? なんだか、大川隆法っぽくなっちゃいましたね~(苦笑)。

 武術武道系身体論の文脈を打ち立てたのは甲野善紀氏であって、その社会的影響力を見て、誰もが真似してしまった点に、武術・武道・格闘技の差異化が不問にされてしまった遠因もあったと思いますけどね。

 なんちゅうか・・・不幸ですね・・・。

 その点、今野先生と押井監督のドメスティックな対談本という中であっても、この本の価値は大きなものになる可能性はあるでしょう。

 社会的なモデルケースとしての“武道”なるものの正体に迫ろうとした・・・という一点で、例えば内田樹さんの武道思想本よりも、ずっと身近な説得力を感じられる。

 内田樹さんの武道論には思想はあっても理論が提示されていない。技術や戦術の構造的理論が示されないままなんで、説得力が欠けているんですよ。合気道と居合道とかしかやってないから、競技的な武道のぶつかりあいを経験してないのが決定的に致命傷になってると思います。

「で、それって戦って強いの弱いの?」って問いかけに対して、内田さんは多分、一所懸命、説明するんじゃないかな~? そんな気がする。ワイルドさが欠けてる。

「ゴチャゴチャ言わんとかかって来なさい」って言える風格ってもんが感じられない。だから、私は内田さんの武道論には魅力を感じません。何か、カッコワルイ。甲野さんに共通するカッコワルサを感じる。

 その点、『武道のリアル』は一言で言って、面白かった!

 細かいこと言ったら、いろいろありますけどね。そりゃあ、こちとら武術評論のプロだもん。「そりゃ~、違うでしょう」と言いたいところは大分、ありました。

 それでも日本では、こういう本はあまり出てこなかった。多分、海外には普通にあると思いますが・・・。

 うちの会員さん達が読めば、目くじら立てるような箇所はいくらでもありましたが、対談というのは問題発言が出てしまいがちなんですよ。特に武道業界の事情を知らない編集者がからむと、ビックリするほどムチャな内容の本が出てしまうこともあるんです。

 あっ、ごめん・・・。そういえば、武道の専門出版社から出た本でもムチャクチャ配慮に欠けた内容の本もあったな~・・・?

 一読して、「なんじゃあ~、こりゃあ~?」って卒倒しそうになった本があった。私の思った通り、告訴されたらしいけど・・・っつ~か、そんなの原稿読めば解るだろ?って思ったけどな~・・・武道系出版社には、そういうこと解んない編集者もいるんですね?

 お世話になっている会社の社長さんから、「長野さんは武道の専門出版社じゃなくて、アスペクト筑摩から出したから良かったんですよ」と言われたことあります。特に筑摩新書の本『使える武術』を読んでいただいたら、「これはロングセラーになる内容ですよ」と言っていただいて有り難かったですね。

 新書判コーナーにあるから、読んでない人もいらっしゃると思いますが、是非、宜しく(って、自分の本の宣伝かいっ?)。


 それはそれで、もう一冊・・・。

『マルセ太郎読本』は、田中泯さんの話も載っていて、マルセさんの白州での公演記録映像のDVDも付いています。

 私は、マルセ太郎さんのことは昔、TVで見たことがあるという程度の認識しかないのですが、上京して前衛舞踊関係の人達と繋がりができたり、一時期、武術研究のために舞踊をあれこれ観て回っていた頃に、パントマイマーのマルセル・マルソーにちなんでマルセ太郎という芸名になった・・・という程度のことは、どこかで読んだか聞いたかしたように思います。

 で、昨年だったか? plan-Bで貰ったチラシでマルセ太郎さんのことが書かれていて、泯さんと親しい方だったのか・・・と改めて思った訳だったんですが・・・。

 でも、正直いうと、この本を書店で手に取って買ったのは、泯さんの対談箇所があったからなんですね。

 私は、初めて泯さんに会った時は、何か怖くてですね~。あんまり喋れなかったんですね。

 と言うか、その後、多少は冗談言うくらいにはなったものの、相変わらず泯さんは怖いな~という印象があって、そもそもそんなに喋くり倒すような人じゃないので、こっちからベラベラ喋って怒らせたらいかんな~とか思わせるような孤高の人という感じがあるんですよ。

 近づき難いというか・・・。宮崎駿的というか、頑固なラーメン屋さん的というか・・・(違うかっ?)。

 私は元々、趣味とか嗜好が合う人とは狂ったように喋くり倒す人間なんですが、特殊な性癖過ぎるんで、話が合う人かどうかを見極めるのが大変なんで、自分から親しく普通に話しかけていくというのが、どうも、苦手で苦手で仕方がなくってですね。

 それでも比較的、芸術関係とかの人とは話せるんですけど、やっぱり圧倒的にアクション映画とかホラー映画とか武術のオタク話とかでないとダメなんですよね~。

 だから、セミナーの後とか稽古の後に参加者や会員と喋ってる時が一番、幸せですね。

 何といっても気楽でいい。私は質問に答えるだけ。後は馬鹿話して笑わせてるだけ。

 こういう一見、無駄なコミュニケーションの中からこそ、実はいろんなインスピレーションが浮かんできたりするんですよね。

 ただ、こういう関係性は私が上位構造にいる訳ですよね。王様状態。

 こればっかりじゃダメですよね。

 だから、青木先生や小林先生と電話で話すとか、泯さんや石原さんの踊りを観に行ったりするのは、上から降りてくる啓示のようなインスピレーションが得られて有り難いんですよね~。

 いや、自分で気づいていたことを再確認させてもらって「あ~、やっぱりそうだった」と思うことの方が最近は多いんですけど、私が考えていたのとは違う文脈で説明されるというのは極めて重要なことなんですよね。

 前衛舞踊の魅力は、私にとってはそういう啓示的な閃きを得られる点にあると思いますが、芸術(アート)・芸能(エンターティンメント)の区分と差異については未分化の部分というものがありますよね?

 私はその辺は拘りはありませんから、何でも良いと思ったら見て楽しめる。

 上手か下手かってのはあっても、流儀や派閥に優劣を冠して論じるのは凄く失礼だし馬鹿げていると思うんですね。観えるものが観えなくなっちゃうんですよ。もったいない。

 そりゃあ、上手であるのがいいに決まっているんですけど、上手か下手かでカテゴライズできない部分というのがどの分野でもありますからね。古武道大会なんか、典型例。それが判らないヤツはダメだと思いますよ。

 この辺りの私の感性は流派に拘らない点にも共通性があるかもしれませんけどね。

 話が長くなりましたけど、この本『マルセ太郎読本』の中で、「ほんとに怖い顔してるんですから、マルセさんは(笑)。」と泯さんが言っている箇所で、私は、ちょっとプッと吹き出してしまいました。

 確かにそりゃそうだな~と、本に掲載されているマルセさんの顔を見ると思うんですけど、「泯さんも結構、怖いよ?」って私は言いたくなりましたね~。

 でも、あの泯さんがこんなに喋ってるの?という驚きの方が大きかったですね。まあ、観衆の前で対談やってて喋らなかったらマズイんでしょうけど、それだけ田中泯をして喋らせるに値する人物が、マルセ太郎さんだったのか?と、私は思いましたよね。

 泯さんって、「何だコイツ・・・」って思ったら、フ~ンって全然相手しない人だと私は勝手に思ってるんですけど、土方巽を師匠と敬うのと似た感じでマルセ太郎さんを語られているのかな~?と、この本を読んでいて、ちょっと嫉妬に近い感覚もありました。

 あっ・・・そうか・・・なるほど・・・今、書いてて気づきましたよ。田中泯さんってあ~なんだろう、こうなんだろうって私が書いてることって、「俺は自分のこと言ってんのか?」って、今、気づきました。

 私が小林先生や青木先生や友寄先生について語る時も、こんな具合に喋ってるのかもしれませんね~。そういえば、セミナーに初参加した人から「もっと怖い人かと思ってました」って、いつも言われるもんな~・・・。

 だけど、怖く見える人って、本質を追究しているからなんだと私は思います。「まあまあ、いいじゃない・・・」というのを「俺は許さん・・・」みたいなところがあるから顔に現れるんだと思いますよ。

 マルセ太郎さんの凄さは、本で語られてることだけだとピンと来ないんですが、付属DVDを観て、ガァ~ン・・・って感じで痛感しましたよ。泯さんが心酔する筈だな~と思いました。天才とか言うより“鬼才”ですね。魔物的な練度で培われた芸ですよ。

 なるほど、恐ろしい人だ・・・と、私は久しぶりに思いました。必見!


『武道のリアル』エンターブレイン 1700円(税抜き)
『マルセ太郎読本』クリエイツかもがわ 2200円(税抜き)


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原発の論議から見えてくるものは?

『朝まで生テレビ』を久々に、しっかり観ました。

 でも、相変わらず、何だかな~という感じがしましたね。

 今回のM9.0の巨大地震と巨大津波によって壊滅した東北・北関東地方の正確な被害状況は今でもよく判明していない状態ですし、膨大な行方不明の人達がいるということの実感があまり無いように思えます。

 判明した死者数が一万人を超えてしまったということですが、行方不明の方々を加えると推定三万人を超えてしまうだろうと思われます。

 その上に、原発事故による放射能漏れに対する不安が問題を倍々に大きくしてしまっているのは、風評被害も含めてのことでしょう。

 災害に対する予測が甘かったのも事実でしょうが、重要なのは、起こった災害の被害を最小限に留めて状況をいかに早く復帰させるか?という点が優先課題であり、その次には、次に起こるかもしれない災害の時に備えて何を準備しておけばいいのか?ということを、今回の災害から学ぶことですよ。

 で、今回の災害で実感された大きな問題は、日本がいかに膨大な電力エネルギーによって運営されているのか?ということであり、それを賄うために原発が必要とされていたのだ・・・という側面があるでしょう。

 計画停電も皆が一所懸命に節電したら回避できた・・・。これは何を意味するのでしょうか? 要するに、これまで電力を使い過ぎていたということじゃないでしょうか?

 私も11日以降は厚着して布団に足を入れて原稿書きしたり、暖房をつけないようにしてなるべく節電するようにしていますが、寒くて風邪ひきそうになったりもしましたが、被災地の人達の不便さを思えば、この程度の我慢は何でもない。

 長いこと貧乏生活に耐えてきた経験が、こういう時に役立つとは思わなかったですが、例えば、私が小学校の頃は、母方の実家は囲炉裏で暖をとっていたし、ご飯もカマドでマキ木を燃やして炊いていました。

 もちろん、風呂もそうでしたが、こっちは私の家も随分長くマキを燃やして風呂の水を沸かしていましたね。

 だから、当然ながら小学校の頃は庭でマキ木を鉈で割って細かくする作業とかを普通にやっていました。細かく割ったマキをカマドに突っ込んで、空気が入るように灰をかき出して隙間を開けて、新聞紙を細く裂いてマッチで火をつけて入れる訳です。

 乾燥した木を使わないと枝を払った生木とか使うと煙りばっかり出て燃えない・・・とかですね。コツがある訳ですよ。

 そういうマキにするような材木がいっぱいあったんで、適当なのをノコギリで切って、肥後乃守という折り畳みナイフで削って木刀作って振ったりとか、弓矢作ってみたりとか、ヌンチャクも自作しましたね。

 こういうことって50歳前後の田舎に育った男は、結構経験あるんじゃないですか?

 電気が使えないと何もできなくなる・・・という都市の機構というのがむしろ危険な感じがしますけどね。

 電気の重要性ということは解ります。電力が無いと都市機能が働かなくなる・・・という点も解ります。

 しかし、今後の復興を考える場合、最初から自家発電機能を考えた都市開発などをやってみたらいいのではないか?

 この点は秋本つばささんがブログで提案されていて、私も考えていたことなんですが、国が特別に予算を使って、太陽熱発電装置をマンションやデパート、公共の大きな建物等に設置して蓄電機能をもたらすとかやってみたら、長期的に考えれば非常に良くなると思うのです。

 個人の家だと難しいでしょうが、地区ごとに太陽熱発電装置や風力、波力発電などの複合的発電手段を用いれば、電力のかなりの部分が賄えると思えます。

 原発の致命的な危険性が露呈したこの際、エコロジカルな発電手段に切り替えていくことが必要でしょうし、そのようなバッテリー開発などに力を入れれば日本の経済復興にも役立つのではないでしょうか?

 これからは携帯電話みたいに電気を溜めて使う・・・というのがいいんじゃないかな~?と思いますね。

 あるいは、もっと極論ですが、田舎に住んでいる人は電気無しの生活に挑戦するのもアリじゃないか?

 江戸時代以前の日本は電気なんか無かったんだし、それで充分、いい国だったと言われてる訳ですから、いいんじゃないかな?

 今回、電車が一斉に止まってしまったので、自転車がすごく売れたそうですが、自転車に蓄電装置つけたら面白いんじゃないですかね?

 電気自動車も太陽光発電と走ることで蓄電できるようにしたら半永久的に走れるかも?

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相模原近隣限定!

 相模原市で外国語教育を中心に活動してきているECS外語学院の主催で、隔週木曜に本部道場稽古をやっている千代田メイプルホールのあるメイプルビル4FのECS相模原校で、3月31日(木)の午前10:30~12:00に、アメリカ人女性講師による米国西部の文化と食べ物について「英語トーク」の会が開催されます(通訳アリ)。

 参加費は1000円で、お茶・ケーキ付き。ECS講師も参加されますので、相模原近隣にお住まいの方で生の英語に触れてみたい方は、是非、気軽に御参加ください。

 対象は小学生から大人まで。春休み中の学生さん達もいかがでしょうか?

 もちろん、私、長野も参加する予定です(御要望があったら何か演武するかも?)。

 予約申し込みは、3月29日(火)までに電話でお申し込みくださいませ!

ECS外語学院 042-783-0169

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KM君のこと

 稽古後にいつものようにファミレスでだべっていて、2ちゃんねるの悪口掲示板を読んでいた会員さんの感想を聞いていると、「この時期に、地震のこととか一切書かずに相変わらず悪口書いてるんで、あ~、本当に頭がおかしい人達なんだな~と思いました。この人達の頭の中には長野先生のことしかないんですね。それに、昔のことは詳しく書くけど、最近のことは憶測だけで書いてるのが判るんです。最近のうちの会の内部のことは何も知らないんでしょう。知ってたら書く訳ないようなことばっかり書いてますよ」って、笑いながら感想を言われていました。

 しかし、それを聞いて私は、「あ~、やっぱり、“あいつ”はまだ書き続けているんだな~・・・」と、少なからずガッカリさせられました。

 会員さんは「十人くらいで書いているのでは?」と言っていましたが、何人もいるように思わせて、実際は一人か二人、いいとこ三人でしょう。

 どうしてか?というと、以前がそうだったからです。独りビリー・ミリガン(多重人格者で有名な人)状態だったのです。

 風評被害を防止する意味でも、もう一度、彼“KM君”のことについて、しっかりと書いておかなければいけないな~と思いました。


・・・さて、それでKM君のことですが、これは何年も前から私のホームページやブログを読んでくださっている方だったら御承知と思いますが、最近、本を読んでからブログを読みはじめたという方だと、2ちゃんねる掲示板を読んで「長野さんってそんな人なのか?」と大きな不安を感じたり誤解された方も少なからずいらっしゃるかもしれませんので、風評被害を防止するために、もう一度、解説しておかねばなりません。

 KM君は、私の文筆活動を邪魔する目的で游心流を尋ねてきた人間でした。彼は新体道もやっていたそうですが、むしろ甲野信者であり高岡英夫信者であり、甲野高岡批判をしている私を内部から潰すために2ちゃんねる掲示板に何十人もいるように見せかけて異様な書き込みを執拗に続けていました。

 もっとも、甲野さんや高岡さんのビデオを持ってきては私に見せて悪口を言っていましたから、結局、甲野さん高岡さんも裏切っていた訳です。

 私はパソコンを扱えなかったので彼の目論みを判別できずに何度も失策を続けてしまいました。彼は私の前では極めて従順な真面目な会員を演じていたからです。

 甲野氏の稽古会に乗り込んだのもKM君が2ちゃんねるで誹謗されていると信じてのことでしたし(本人の成り済まし狂言でした)、オフ会に誘われて受けたのも、KM君がいろんな悪口を書き込んだことに腹を立てた格闘技オフ会の主要メンバーの方が乗り込んでこられたのですが、話し合いの上、円満な技術講習をするという話で行ったものの、KM君の画策で腕試し目的の人ばかりが集まっていた・・・という事態になっていました。

 何より、友好的に講習会をやるつもりで行ったら、集まっている人がほぼ全員、敵意に満ちた腕試ししたくてウズウズしている様子だったので、内心、「しまった~! やられたっ」と思って、困惑しまくっていたというのが偽らざる本心です。

 そんな次第ですので、その時のことを鬼の首とったように言われても困るな~っていう気もありますが、後からKM君の仕出かした事だと判明した時の私の気持ちも理解して欲しいところです。

 何と言えばいいでしょうか? ホラー映画の主人公になった気分でしたよ。ある意味、信頼していたヤツが裏切り者どころじゃない邪悪なサイコ君だった訳ですから。

 私は、その時は甲野氏にもお詫びの手紙を書きましたし、格闘技オフ会の皆さんもKM君に躍らされた訳だったのですから、本当に申し訳ないな~と思いました。確かお詫びの言葉を会員さんに頼んで書き込みしてもらった記憶があります。10年近く前なのではっきりとは覚えていませんが・・・。

 KM君が犯人だったと判明した時は、私は彼に対して、自信を持たそうと格別に教えたつもりだったのに、何故、あんな恐ろしい真似をしていたのか?と思いましたが、とても正気とは思えず、説得して会員さんに紹介してもらった心療内科のクリニックに連れていきました。

 そこでの診断は、いわゆる多重人格症というもので、インターネットに向かうと別人格が出てきて私を陥れるような書き込みをしてしまうのだそうでした。

 そんな病気はドラマや映画の中だけと思っていましたが、実在したというのに驚きでしたね。ただ、後にこの病院の先生に連絡して相談したところ、「彼は既に通院していない。それはもう犯罪のレベルだから警察に相談すべきだ」と言われたことも記しておきます。

 KM君を問い詰めた時、彼は中学高校と酷いイジメを受けていて、大学に進学してからはオウム真理教のサークルに入っていたと言うのです。

 そして、薬学部だったので覚醒剤の類いを全部自分で実験したとか、人格が入れ替わった時に沖縄に行ってしまっていた・・・といった異常な体験談を、まるで自慢話のようにしてみせました(顔に薄笑いを浮かべてました)。

 彼がイジメを受けた理由には、このような“変態的な自己顕示欲の強さ”も関係あったと思いますし、「よく、自殺しなかったね~。俺だったら耐えられないな~」と言うと、「やっぱり、自殺は怖くてできませんでした」と言っていました。

 何だかアキバの加藤君みたいです。私は彼に同情する人の気持ちは金輪際、理解できません。死にたきゃ~独りで勝手に死ねばいいのに、何で無関係な人達を大勢殺さなきゃならないのか?という猛烈な怒りしか感じません。

 つくづく自殺するのも勇気が必要だと思います。犯罪起こすヤツは徹底的にエゴイストなんじゃないか?と思います。

 結局、KM君が会員の個人情報まで2ちゃんねるに書いてしまうので、当時の会員の大半が嫌がって来なくなってしまいました。

 被害金額を単純計算しても数百万にはなるでしょうね。2~3年くらいそれが続いた訳ですから。私にとったら、“祟り神”みたいなヤツですよ。

 で、これでは会に置いておけないので休会処分にして治療に専念するように諭しましたが、しばらくすると、また2ちゃんねるで悪口ワールドを開拓し、揚げ句に私の世話になった会社の社長さんを誹謗中傷するような書き込みをし、その偽情報がその社長さんの親しい武道家の耳に入り、書き込みした者を捕まえて制裁を加える云々という話になってしまいました。

 後から会員さんに頼んで、プリントしたものを読んでみたら、その社長さんが死んで葬式に行ったら右翼ばっかり来ていたとか、恩人の娘さんをレイプしたとか、あまりにも異常で悪意に満ちたもので、気持ち悪くて最後まで読めませんでしたよ。

 私はそのことを社長さんからたまたま電話で聞いて、「それは・・・もしかして僕の名前も書いてありませんでしたか?」と聞くと、「はいはい、長野さんの名前も出てきてましたよ」と言われたので、“これはKM君に違いない”と直感し、社長さんには犯人が精神疾患の私の会員であると思われることを話した上で、KM君に連絡をつけようと彼の仕事場に行きましたが、既に仕事は辞めていました。

 ただ、職場の社長さんが携帯電話の番号を知っているということだったので、事情を話して警察沙汰になる前に私の方に連絡するように話して欲しいと頼んでおきました。

 すると、その日のうちにKM君からしらばっくれた調子で電話があり、「あ~、長野さん、お久しぶりですね~。何の用ですか?」と言うので、「あのな~、お前、もう、俺は助けられんぞ。お前のやったことは犯罪だぞ。どうするつもりなんだ?」と言うと、“自分が書き込んだことは自覚していた”らしく(この辺りが病気なのかどうか曖昧なところです)、途端に慌てまくって「どうしたらいいでしょうか? 助けてください」と言うので、「とにかく俺も謝ってみるから、お前も即刻、書き込みを消して先方に謝罪してみろ。許してもらえるかどうかはわからんけどな・・・」と忠告しておきました。

 すると、数日後に社長さんからKM君が酒を贈って詫びてきたという話をうかがいました。度量の大きい方だったので笑い話で済ませてくださいましたが、あの文章内容だったら名誉毀損どころの話ではないでしょう。殺されても文句は言えない内容でした。

 でも、これで済んだ訳ではなく、しばらくすると2ちゃんねるに同様の書き込みが溜まるというので(私は見ないので会員から聞くだけです)、「病気だから、しゃ~ね~な~」と苦笑していたんですが、ある時、KM君の友人という方から電話がかかってきて、「KM君が行方不明になって親御さんが探しているのだけれど心辺りはありませんか?」とのことで、その友人の方の話では、千葉の方で薬剤師の仕事をしていたが、突然、行方不明になってしまって警察にも捜索願いを出して、部屋の荷物を実家に送り返したりという後始末を頼まれて上京したついでに、私の住む相模原にも立ち寄られて、駅前のファミレスで事情をうかがいました。

 すると、KM君自身が話していた通り、彼は酷いイジメを受けていたそうで、大学時代にも行方不明になって沖縄で預金を引き出したのが分かって発見されたということもあったそうでした。「あ~、本当だったのか」と愕然としましたよ。

 そして、何故、私のうちの電話番号が解ったのか?というと、何と、KM君の部屋に残していたCD-ROMに2ちゃんねるに自分で何人もいるように見せかけて書き込んだ私に対する誹謗中傷や個人情報がすべて入っていたというのです。

 これを聞いた時は、流石に気持ちが悪いのを通り越してしまいました。御友人の方も、一度は私にそれを見せようとされましたが、「いや、先生には見せない方がいいですね」と引っ込められていました。よほど、病的なことを書き込んでいたのでしょうね。

 それで行方について心辺りがあったら親御さんに連絡して欲しいとの依頼を受けたのですが、会員に2ちゃんねるを見てもらった感触では、どうも、私のブログを熱心に読んで書き込みしている人間がいるのは間違いなく、それが恐らくKM君だろうということで、イチかバチか、ブログ中で「K君、親御さんが心配しているから連絡しなさい」と書いてみた訳です。

 すると、何日かしてKM君本人から「実家に戻っています」という連絡がメールで来て、それから手紙も来ました。手紙には「訴えられるのも覚悟しています」と書いてありましたが、私はそういう告訴してどうこうというのをやっている余裕がないのもあって、「とにかく病気の治療に専念しなさい」と返事した記憶があります。

 彼に関しては、私が紹介して通うようになっていた太極拳教室の先生にも事情を話しに行った時に、別の困った話も聞いていました。

 KM君がそこの教室に来ていた女の子にストーカーみたいにしつこく付きまとっていたというのです。

 本当に、関わる人達に迷惑ばかり掛けるヤツだと、呆れ果てました。「何だ、女にフラれた腹いせもあったのか?」とガッカリするよりバカバカしくなりましたけどね。

 2ちゃんねる掲示板に関しては、KM君がメインで悪口をずうっと書いているのは疑う余地のないところだと思って、私はもう相手にもしていませんでした。私の悪口書くことでストレス解消できるのなら、ずっとやっていればいいと思ったからです。何しろ、私はそんなもん読みませんからね。人格障害者のタワ言だとしか思ってません。そんなヤツは武術業界に有名無名問わずゴマンといますから・・・。

 ですが、今回、改めてここに採り上げて書いているのは、うちの北島師範・矢嶋師範代・大石教練についてや、青木宏之先生についても誹謗するような内容を書き込んでいたと聞いたからです。これは以前の社長さんの事件みたいに発展しかねません。

 私自身、彼の撒き散らした風評被害によって業界にマイナスのイメージが拡散して長年活動の障害になってきました。が、それはもの書きとしては避けて通れない道なので、我慢しています。きちんとした読解力のある人ならば、偽情報に惑わされたりはしないと信じるからです。

 けれども、会員やお世話になっている方々に対する言われ無き誹謗中傷は断じて許せません!

 KM君は、「自殺未遂を起こして精神病院に収容されていたのでしばらくブログを読んでいなかったが、久しぶりに見たら自分のことが書かれていて驚いた。過去の自分の不始末が招いたこととは言え、疑われるのはつらい」という内容の手紙を寄越していました。

 本来、私に対して申し訳ないという気持ちがあるなら、決して関わらないようにする筈です。未だに平気のへーざで手紙を寄越す友達感覚でいることが彼の根源的な甘えの構造であり“かまって欲しい”心理なのでしょう。

 彼は、一切、相手の迷惑を考えない訳です。そして、無視されると悪口をたれ流すネットストーカーに早変わり・・・。この手の人は被害者意識しかないから、自分の行動が問題を招いている事実を認められないのでしょう。

 世の通り魔犯人と同じく自己愛性破壊衝動がある。インターネット掲示板という場が、それを引き出してしまったのです。そして、彼はそこから離れることができないネット中毒患者です。

 何よりも、彼は重大な間違いをおかしています。

 人格の分裂を起こしてまた悪口を書き込みすることが明白であるにも拘わらず、“私のブログを平然と読み続けている”という事実です。これは、間接的に「悪口を書き込みしています」と告白するに等しいのです。

 もし、真摯に治療に専念しようとしているのなら、自分が犯罪に走らないように“インターネット断ち”をしていなければなりません。肝心要なことをやらずにネットを楽しんで見ている・・・これは、覚醒剤所持で捕まった人が「覚醒剤は怖いから手を出してはいけない」と言いながら、自分ではやり続けているのと同じ構造です。

 未だに平然と私の本を購読し、ブログを読み続けていることそのものが、人格転移を起こして2ちゃんねるに誹謗中傷文を書き込みし続ける犯罪行為に直結しているという自覚が彼にはまるでありません。その上、私に対して親愛の情を向けているつもりでメールや手紙を出してきて、「疑われて辛い」なんて間の抜けたことを書いてる訳ですから、始末におえません。

 彼はある種の精神疾患であることは疑いのない事実ですが、犯罪行為を無自覚にやっているとは言えません。専門の医師が「それは犯罪だから警察に相談しなさい」と匙を投げてしまったのです。彼は自覚しながら対策を怠っている。つまり、犯罪をやめる気がないのです。よって、責任能力は確実にある。理路整然と言い訳の文章が書けるのだから。

 このまま「病気だから仕方ない」と、こちらが容認していれば、彼は一生涯、私に付きまとって私や私の関係者の誹謗中傷を続けて犯罪行為を塗り重ねていくのが明白です。私が告発しなくても、私の関係者が告発するのは時間の問題かもしれません。彼自身は自業自得だから同情の余地はまったくありませんが、親御さんは哀れです。

 ネット掲示板の書き込みでも最近はすぐに捕まりますね。私も名誉毀損と私文書偽造で訴えれば、すぐに告訴できるでしょう。その方が自分を律することのできない彼のためにも良いのかも?と思います。

 彼は言い訳すれば私が許すと思って甘えているのでしょうが、私は言い訳する人間が一番、嫌いなのです。何度も同じ過ちを繰り返す人間は自分を変える意志が無い。精神疾患よりも、その意志力の脆弱さこそが問題の核心なのです。

 インターネットに繋げない環境に自分を置けば全て解決するのに、KM君はそれをやろうとしない。そして、自分のことは棚に上げて一方的に相手を恨み呪う・・・救いようのない馬鹿さ加減です。

 イジメを受けたトラウマが彼の精神に完治不能の病気をもたらしたのでしょうか? それは言い訳でしょう。イジメを受けるに足る理由が、彼の性格の中に元々あったと考えるのが妥当です。「あらゆる覚醒剤を試してみた」と自慢げに私の前で言った時の彼は実に嬉しそうな顔をしていました・・・。

 今、懸命に耐えて頑張っている被災者の皆さんや、何とか支援しようとされている人達のことを思えば、私はKM君に対しては猛烈な怒りと徹底的な軽蔑しか感じません。疑われて辛い? 信頼を裏切り続ける人間にそんなことを言う資格はない!

 くだらんことを書き込みする暇があるなら、被災地でボランティアでもやったらどうなのかと思います。自殺する勇気もないなら、せめて世の中の何らかの役に立つことをすべきでしょう。

 このような事情がありますので、もし、KM君につられて同様の書き込みを続けている人がいるのなら、今のうちにやめておくのが賢明だと思いますので、ここに御忠告申し上げます。

 適当な時期に告訴しようと思ってますので、今のうちに自分が書いた書き込みは消して二度と迂闊な書き込みはしない方が良いと思いますから、お急ぎください。

 今のネット掲示板は、無責任に人を誹謗中傷できる場所ではありません。私は、自分の発言に責任を持つ覚悟で批判的批評をしてきているのであって、匿名で好き勝手に書いている人が自分と同列と考えるのは大きな間違いです。無責任に人の悪口を言って許されるのは幼稚園児以下でしょう。

 また、2ちゃんねる掲示板を読んで不安を感じられた方がおられるのでしたら、このような事情があり、悪意をもって私と游心流を貶めようとしている人間の仕業であるという点を、どうぞ、御了解いただきたく思います。

 以上、悪しからず御理解いただければ幸いです。

 インターネット掲示板が、有意義で、楽しく、人の和を広げるツールとして活用されることを祈ります。

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発勁と武器

 セミナーに参加されている方から、「発勁と切り落としの技ではあまり関係ないのではないか?」という中々鋭い御質問があって、少し詳しく回答させてもらったんですが、これはブログに載せても面白いか?と思ったので、以下、かい摘まんで載せてみたいと思います・・・。


『御感想、ありがとうございました。

 セミナー当日は、S流剣術を修行されている方と、剣道高段位の方が参加されていたので、剣の使い方で発勁的な使い方をする用法をお見せしたんですが、切り落としに関する点では、確かに、御指摘の通りで、格別、発勁と関連付ける技法ではありません。

 が、切り落としの原型と言われている馬庭念流の“切り割り”、“割り突き”の技の場合は、僅かに螺旋状に巻く動きで剣を打ち付けるようにして弾き逸らす技法となっており、これは、馬庭念流を学んだ、鹿島神流18代の国井善弥先生も得意技とされていたそうです。

 一刀流に於ける切り落としは、“擦り落とし”、“擦り上げ”の技法として剣道に伝わっていますが、真剣で行う場合、鎬の高さによっても技法の成功率が相当、変わったのではないか?と私は考えています。

 木刀ではできても、薄刃の模擬刀では擦り付けるくらいでは、思うように相手の剣は逸れません。

 これは杖術の相手の剣の側面を巻くように打って弾き逸らす技法のように、真剣での本来の切り落としの技法は、巻くように打ち付けて弾き逸らして用いる場合が多かったのではないか?と私は考えております。

 これは、実戦で使った形跡のある古い刀に残っている傷の箇所を調べての仮説ですが、刀に残っている傷としては、刃毀れ・刃切れの他には、棟を打たれた痕跡や、鎬の切っ先から五寸辺りに狭い範囲で削れた痕跡がある刀がいくつかありました。

 棟を打つのは、そこが鉄が軟らかくて弱点になっていたからと思われますが、鎬の傷は、明らかに切り落とし系統の技術を使って戦った痕跡と思われます。

 しかし、もしも一刀流系の切り落としを用いていたとすれば、もっと広い範囲で鎬が削れている筈です。

 そこで、少し実験してみたんですが、真剣での切り落としの技法で多く用いられたのは、杖の巻き打って刀を弾くのと同様の、念流式の剣が交叉する瞬間に打ち弾いて正中線を取るやり方が多かったであろう・・・という見解を持った次第です。

 なので、このやり方の場合だと発勁と技術的な共通性が多いので、紹介解説してみても良かったかな~?と思った次第です。

 もっとも、こういうやり方は刀を痛めることになりますから、私はガンガン打ち合うのは好きではありません。次回の化勁では、剣の受け流しについて解説しようと思っています(文中、若干の修整アリ)』


・・・以上です。

 補足すれば、「切り落としに始まり、切り落としに終わる」とまで言われる一刀流の極意の技法である“切り落とし”ですが、原理的に共通する技法は、多くの剣術流派に独特なアレンジをして伝わっており、例えば、新陰流の“合撃(がっし)”は、一説によれば一刀流に対抗するために考案されたと言われています。

 また、取材の時に拝見した天然理心流にも同様の技がありましたし、一刀流の源流とされる念流を再興した馬庭念流にも、その馬庭念流を学んだ現代古武術界の名物師範だった国井先生の鹿島神流にもあることは前述の通りです。

 同様の原理からすれば、杖術の遣い方として、相手の切り降ろしてくる刀の側面を捻り打つようにして弾く技法も、これに近いと言えるでしょう。

 私は切り落としの技を素手の拳法に応用することを考えて、躾道館の小林直樹先生が練習時に実演解説してくれていた太気拳の“差し手”をヒントにして、游心流で空手や中国武術の手技の応用法として実験研究し、游心流式の“差し手技法”を独自に考案していきました。

 特に、分裂騒動の後、残った会員を相手に地元の公園で教えるようになってからは、差し手の技法は游心流の戦術的な重要な技法として定着するようになりました。

 無論、何年も前からやってはいたんですが、原理的な技法として位置付けるようになった訳です。空手の腕を捻って突く突き技や受け技の意味や、中国拳法の纏絲勁や螺旋勁も、単なる身体運用だけではなくて、もっと積極的な攻防技術としての意味がある筈だと考えていった訳です。

 それとは別に、私自身は、差し手の技法を、再度、武器術に応用する研究も密かに続けていました。

 例えば、杖術の捻って打つ技法の源流は、槍術にあると思われましたし、これは中国の兵器(器械)法にもありますし、そもそも、「何故、捻るのか?」という意味の力学的合理性についてが解りませんでしたから、「単に力のベクトルを変えるというだけではなくて、力の働く原理、あるいは働かない原理を探ろう」と考えて研究を進めた訳でした。

 そして、「捻りの動きは、加えられた力を逸らすというだけに留まらず、巻き取って相手に送り返すことを目的にしているのだ」と思い至り、游心流の技法体系を一段階進めることができました。

 その結果、居合術の九つの基本型“独己九剣”を考案した訳ですが、この型の中に無刀捕り・鉄扇・半棒・杖・手裏剣・拳銃射撃・・・等の大抵の武器術への転用ができる応用性と、対複数を相手にするための理合、さらに居合術から剣術へ、あるいは居合術から奪刀しての二刀剣術へと発展できる膨大な武器法の自然増殖する技法生成のエッセンスを植えつけていました。

 このアイデアは、まったくの直感的なものでしかありませんでしたが、「素手でやれることを武器を遣ってやるだけの話だから、特に難しいことはないだろう」と、割合、楽観的に型を考えたものでした。

 ところが、人間の直感というものは侮れないものだな~?と思うのは、当初、私が考えていた以上に、この型の応用発展性は無限大に思え、湯水がわき出るようにアドリブでいろいろな技をその場で生み出せるのですね。

 私としては、小林先生に教わった無構え自然体での交叉法を、刀を差してやっているだけのイメージに過ぎなかったんですが、まあ何と言うべきか、刀が技を教えてくれると申しますか・・・実に多くの発見をさせてくれ、今も次々に技が出てくるのです。

 奇しくも、ほぼ同時期に、田中光四郎先生は小太刀を用いた日子流を興され、青木宏之先生は総合居合術の新流・剣武天真流を興されていました。

 日本の武術の理合である、「正中線・読み・先を取る」といった要素は、すべて刀での攻防を基準にして出来上がった理合です。

 沖縄空手は対日本剣術を想定して発展したと伝わりますし、本土に伝えられて以後は剣道の試合方式に習って組手が発展してきました。

 合気道は、刀を持つことで技の意味が明白に解ります。素手の武道としては不可解な要素の多い合気道も、無刀捕りを前提にしているのだと思えば、非常に合理性のある技法体系である事実に気づかされます。

 柔道は明治時代に格闘競技として発展する中で刀との関連性が薄れていきましたが、嘉納治五郎自身は、古武道研究会を主催したり、空手や合気道を柔道の中に組み込もうとしたり、本来の目標としては、日本の武術の流儀を取り払って近代的武道大系としてのあらゆる流派を呑み込んだ“柔道”を構築しようとしていたのではないか?と私は推測しています。

 実際、柔道の形には短刀捕りなどの対刀を意識した古式の柔術そのままの技が含まれています。

 が、嘉納の目論みを真に理解して継承する人が周りにいなかったのではないか?と私は思っています。

 これは別に嘉納だけの特殊な事情ではなく、現代のどの武道団体・組織でも同様の事情は腐る程ありますし、私の創った国内最小流派のベスト5に入るであろう游心流?であってさえ、一種の乗っ取り?を画策する人間もいたのですから、人間が三人集まれば、起こり得る問題なのでしょう。

 私は、はっきり言って中身の無い者が名前だけの流派の権威を振りかざすのなんて、糞バカバカしいとしか思わないんですけどね。

 この点については青木先生と電話で深夜に語り合ったことがありますが、まっ、今は話す訳にはいかないので黙っておきます。いずれ、歴史の証言者としての役割が来た時には武術研究家の名に賭けて、真相を明らかにしたいと思っています・・・(今、これ読んでビビッた人は、自分からゲロッといた方がいいかもよ~?)。

 ともあれ・・・刀を追究すればするほど、日本武術の核心に迫っていっている実感がありますが、これまた、本の印税収入で十数本も真剣を入手することができて、それによっていろんな研究が進められたことも大きいように思います。

 今は、抜刀と同時に片手で斬る技をきちんと体得しようとしていますが、適当な斬る素材が無いのがネックですね~。ホームセンターで買ってくる細竹は乾いて硬いので刀の傷みが激しくなるし(幕末に作られたらしい薄刃の刀を使っていたら刃毀れしまくったよ)、畳表を巻いて作るマキワラがいいんですが、畳表が入手できないのが困りものです。

 固定する台は自分で作れますけど、やっぱり、もっと数斬って研究したいですね。

 今月号の『剣道日本』で日本刀の特集があって、椎名市衛先生の試斬りと日本刀の“格式(素晴らしい表現!)”のお話が非常に勉強になりましたね。

 宮入行平刀匠と竹刀職人の長崎さんのお話も考えさせられました。“竹刀職人が国内に10人もいないかもしれない”というのには愕然とさせられましたよ。

 刀匠も、一人前になるまで10年くらいの修行が必要だし、一人前になって新作名刀展で賞を取るようになっても、ほとんどの人は専業では暮らしていけないと聞きます。

 宮入刀匠の「就職難から会社組織に順応できない人が勘違いして尋ねてくるが、結局は後ろ脚で砂をかけられてしまうことも少なくありません」と言われているところや、長崎さんの「センスのある子はすぐに飽きてしまう」と言われるところなんて、私自身が若い時分に組織に順応できなかったり勘違いしたりして周囲に迷惑をかけてしまっていたことや、指導者として生活するようになってからも、目をかけていた生徒に後ろ脚で砂かけられて去って行かれた経験なんかも思い出して、考え込んでしまいましたね~。

 結局、好きなことをやり続けるには、生活の基盤がないとダメなんですよね。私の場合、どういう訳だか、奇跡的に?危機に陥ると誰かが助けてくれる・・・ということを無数に繰り返してやってこれたような気がします。

 今回だって、スカンピンになりかかったら、DVDの注文をいただいて、涙が出るほど有り難いです。電気代が一万円越えてて気絶しそうになった揚げ句だったので・・・(次回作『游心流の戦闘理論・基本編』は期待してくださいねっ)

 例えば、私の悪口言ってる人達だって、ちゃんと毎回、本買って隅々まで読んでダメ出ししてくれている訳で、私の印税収入に協力していただいている大切なお客様ですからね。御希望だったら、サイン書いてさしあげたいですよ。欲しくないか?

 ちょっと、歌でも歌っちゃうか? どお~かでぇ~、誰~かがぁ~、俺のブログを読んでくれてるぅ~・・・(木枯らし紋次郎の曲で歌ってみました)。


 ところで・・・、相模原の地元で竹林が荒れ放題で困っている方とかいたら、斬らせてもらえないですかね~? 六月~七月くらいの梅雨の後の水分含んで柔らかい竹だったら、刀も傷まないで助かるんですけどね・・・。

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ぼやく!

 あ~、まったくもう~って感じで、余震とか多くて、ゆっくり寝られないのはムカつきますね?

 静岡でも震度6が起こったり、千葉も余震がでかいのあったり、計画停電も無計画もいいところだし、寒いし(でも、意地でもエアコンはつけん! 被災された人達を思えば、何のこれしき・・・)、「勝手にしやがれっ!」って気になってきましたよ。

 近所のスーパーもコンビニも買い溜めされて、ろくに買えないし、困ったもんです。

 それに、この機会に一気に初挑戦時代小説書きあげよう(自分で言うのも何ですが、メチャクチャ面白いと思います。現在原稿用紙にして300枚近く書いたよ)と思ったのに、いつ停電になるかわからないので、深夜から明け方にしか書けないし、でかい地震が来た時にすぐ逃げられるようにと思って、なるべく風呂に入らないようにしてるからオヤジ臭がするし・・・。

 でもまあ、例によって菅さん批判が週刊誌でバシバシ書かれたりしていますけど、考えてみてくださいよ。もし、「鳩山さんが首相の時だったら・・・」って。

 ねっ? 考えただけで恐ろしい事態になりそうでしょ?

 こういう時って、誰かに責任おっかぶせたくなるもんですけど、どんな権力者だって、人間一人で何がどうなるものでもないですよ。

 それぞれの立場で自分のできる範囲のことをしっかりやるのが大切なことですよね。だから、今、俺ができるのは節電と、被災地の人達に対して「強く生きてください」とエールを送ることくらいしかできない。

 長い間、武術やってきて、「生きているのは死と隣り合わせ」なんだと言っておきながら、こういう時に自分がオタオタしてたら話にならないし、もう私は復興した後の日本に自分が何ができるのか?ってことばっかり考えています。

 代償はとてつもなく大きかったけれども、マイナスだけでは終わらないでしょう。世界中から日本に支援をしようとしてくれているのも、国家だのイデオロギーだのを超えた人間の感情の繋がりが絆に育っていっている感触があって、この試練を乗り越えた時に世界はもっと新しくなっていくんじゃないか?と思えて、何か楽しみな気もします。

 とにかく、生き残れば、どうにでもなりますよ。亡くなった人達の分も背負って、やっていくのが使命ですね。

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石原志保・独舞『否連続11』感

 19日の土曜日に、プランBで田中泯さん率いる桃花村の踊り手、石原志保さんの踊りの最新作が公演されました。

 何しろ、11日に突如として起こった巨大地震の影響で、交通機関はメタメタな状態だったので、予約はしてみたものの、当日まで「行けるのか?」という疑問がありました。

 それと言うのも、計画停電で道場はほとんどお休みせざるを得なくなり、また、JR横浜線も全面的に運休という状態を何日も続けていたからです。

 何とか金曜日には電車は動いてはいましたが、かなりの規模の地震と言っていい余震が次々に起こるので、どこでどうなるか判らない。

 下手に都内に出れば、帰れなくなりそうな“バッド・デイズ”・・・(新作本の打ち合わせもまだなのだ)。

 けれども、その状況で、敢えて公演を実施するという心意気がいいんですよね~。

 武術の場合も、いついかなる時も戦いを忘れず・・・という常在戦場の意識が大切とされています。

 だから、17日の本部稽古会だって、電気が消えていたって真っ暗闇の中で練習するつもりでいたんですけど、会場の貸し出しができないということだったので、断念せざるを得ませんでした。


 19日は、急行電車が無くて各駅停車で行くしかなかったので、開始時刻に間に合わず、踊りの後半しか見れなかったんですけれども、泯さんはじめ、桃花村メンバーは皆さん、明るくて悲壮な感じはありませんでしたね。到って自然体・・・。

 思ってたよりお客さんも普通に沢山来られていて、ちょっと、凄いな~って思いましたよ。今、この時期に踊りを見に来るというのは、本当に凄いと思います。

 私は今回、正直な気持ちを言うと、踊りを楽しむという感覚はとても持てなくて、ただ、皆さんが元気でいらっしゃるのかな~?というのを確かめたかった・・・という、単純にそれだけで足を運びました。

 しかし、拍子抜けするほど普通にやっていらしたので、私も普通に踊りを鑑賞して、「石原さんって、本当に手足が長いな~。やっぱ、ダンサーは俺みたいに手足短いとサマにならんよな~」とか、「今回の舞台って、この前、泯さんが踊った時と同じで鉄板だよね~? 拳とか手首とか足の指とか、あれはメチャクチャ痛いよな~?」とか、「何か、泯さんのところの踊り手の人達って、踊ってる最中にどこに重心があるのか判んね~な~。こういう相手と戦うと合気も化勁も効かないだろうな~。参っちゃうな~」とか、そういうことを色々と勝手に考えたりしておりました・・・。

 で、結局、当初の気分はふっ飛んで、か~な~り、踊りを堪能させていただきましたでござる・・・(はっ? 時代小説ずっと書いてたから、つい“ござる”とか書いてもうたよっ)。

 話は変わりますが、こういう日本全体が沈滞しているムードの時って、逆に笑い飛ばすようなのも必要だと思いますね。

 帰りに駅前のコンビニで週刊誌を立ち読みしていたら、TVでお笑い番組やったり、ニュース番組のアナウンサーが笑ってるのが不謹慎だとか書かれていたんですね。

 でも、そういう具合に文句言う風潮の方が、何かおかしいと思うんですよ。

 人間は、本当に悲惨な時って、精神の緊張を緩和したくて自然に笑えてきたりするものです。だって、悲しみに暮れるのって、嫌でしょう?

 私は、そういう時は無理やり笑い飛ばしたくなります。悲しみに浸って日本中でみんながワンワン泣けばいいのか? 気持ちワリーよ!

 悲惨過ぎて笑ってしまった・・・という瞬間を切り取って、不謹慎だと非難しているとすれば、それはどうなのか?と思うんですよね。

 ニュース番組を担当して悲惨な情報が次から次にやってくれば、並の神経では耐えられないでしょう。

「ちょっと待ってよ。こんなの冗談でしょ~?」って精神の臨海点を支えるには笑って拒絶するしかなくなる・・・それが健全な人間の心理メカニズムであるという点を、週刊誌記者はさっぱり解ってない。

「FテレビのAアナは・・・」とか、鬼の首とったように非難する阿呆と同じレベルでプロの記者が記事書いててどうすんだよ? バッカじゃね~のか?

 女子アナが地名を間違えまくったとか・・・地名とか人名ってヘンな読み方させたりするから、しらなきゃ読めなくて当然。本人だって、失敗してから反省して直すに決まってるんだから、「女子アナのくせに・・・」みたいなの、もう、止めて欲しいですよ。

 だってね~。あの大災害が起こって以降、TV局の報道キャスターって、不眠不休で頑張ってる訳で、俺なんか逆に本当に頭下がりますよ。被災地でずっとリポートしている日テレの丸岡さんなんて、元々報道キャスターだから本領発揮している感じです。

 原発の事故を何とか最小限度に治めようと命がけで頑張っている人達だって、菅さんが「命がけでやってくれっ」って叱咤したことが鼓舞させているのかも知れないし、週刊誌記者さんたちは、菅さんが人でなしの無能な人間だと非難して済ませばいいと思っているのか?

 もうちょっと建設的に支えるようなこと書いて勇気を広めるような記事書けないか?

 私が菅さんの立場だったとしても、「誰かが命がけでやらなければ莫大な被害が広がってしまう。貴方たち以外にできる人達はいないんだ。ここは命を捨てる覚悟で貴方たちが踏ん張ってもらいたい」って、やっぱり言いますよ。

 放ったらかしといたら、どうなるか? 放射能汚染が決定的に広がる結果になるのが判ってるんだったら、誰かが犠牲になる覚悟でくい止める努力するしかないじゃないか? 薄っぺらな倫理観振りかざすんじゃねえってんだ!

 俺は、やらないヤツが外からあ~だこ~だと勝手なこと言って批判するのって、本当に虫酸が走るくらい嫌っ!

 これまで痴漢に会ってる女性とか何回か助けたことありますけど、満員電車で大の男が沢山いるのに、酔っ払いの爺さん一人たしなめようとしないんだよ? 殴られたって猫パンチ以下でしかないのが判ってる相手であっても、怖がってしまうのって、恥ずかし過ぎると思いませんか?

 パンチパーマで金ピカ腕時計してるオッサンとかなら、怖がるのも解るけどね~。

・・・アレッ?

 なんか、石原志保さんの踊りについて書く予定だったのに、何故か、パンチパーマのオッサンの話になってしまったぞ・・・? 大丈夫か、オレ? トーゴーシッチョウショウになっちゃったのかぁ~?(はいっ、ここ2ちゃんねるネタです。ヨロシクッ!)


 はいっ、軌道修正ぃ~っ!

 近所のダイエー・グルメシティで米が買い占めされて無かったので、丁度いいや~と思って、泯さん率いる身体気象農場で収穫された玄米も買ってきました!

 ちなみに、玄米は表皮のセルロース成分が放射性物質を排泄する作用があるとされています。コンブなどの海草類と共に、主食として玄米を食べると放射性物質の排毒作用が期待できると思いますよ(ハトムギもいいらしいよ)。

 何だか、“うがい薬を飲め”とかいうヨー素剤の代用法がネットで広がって問題視されているそうですが、薬品というのは症状が出たり出る前から服用するものであって、健康な状態で摂取したら副作用の方が大きいんですね。

 それよりも普段の食事内容を薬膳食に工夫していく方が良いと思います。

 あ~、それにしても、泯さんのところに行くと、何か元気を分けてもらったような気がしますよ。やっぱり、普段から大地と格闘して生活されている人達って、揺るぎないですよね。田舎の農業やっていた爺ちゃん、婆ちゃんを思い出します。

 やっぱり、日本人は、農業が原点なんだよな~って思います。大地に足踏ん張って生きなきゃ~ダメだなっ。

 何か、石原さんの踊り見たら、もう少しで完成する初挑戦時代小説のラストをどうするか?と悩んでいたのの、いいインスピレーションも湧きましたよ。

(ごめんっ! 俺、今日は脳みそがシュールレアリスムになっちゃってるみたいっス)

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サバイバルこそ武術の極意!

 まず、震災の犠牲になられた方々の御冥福を心からお祈り申し上げます。


 私のブログを読んでくださっている方は、少なくとも武術に対して多大な関心と興味を持ち、また心身を鍛える訓練法としての可能性を期待してくださっていると思います。

 ですから、ここに武術の“絶対の極意”について書きます!

 それは、“サバイバル(生き残るための術)”であるということです。

 表向きは、武術は格闘の技術を訓練するものです。

 素手で殴り、蹴り、投げ、関節を固め、首を絞め上げ・・・といった技術から、棒や剣、槍、薙刀、手裏剣といった武器を用いて戦う技術までを習練するもの・・・というイメージを、多くの人はお持ちだと思います。

 それは、決して間違いではありませんが、しかし、それらが全てだということではありません。武術はスポーツでも格闘技でもありません。

 本来の武術には、軍法戦術・築城術・方位占術・薬方治療術・密教呪殺術・武具製作術・間諜忍術・馬術・水術・砲術・・・等々の膨大な知識と技能の習得が要求されます。

 つまり、本来の意味での武術家と言えば、軍事戦略家・建築家・風水師・易者・薬剤師・整体療法家・接骨師・エクソシスト・拝み屋・カスタムナイフメイカー・スパイ・騎手・スイマー・スナイパー等々を独りで兼務している上に、空手・柔道・合気道・少林寺拳法・剣道・居合道・杖道・弓道のいずれも高段者であり、海外の武術や格闘技に関しても一通りの知識を持っている・・・というような人物だったのです。

「そんなヤツがいるか?」と思うでしょうし、「何のためにそんないろいろな知識が必要なのか?」とも思われるでしょう。

 答えは、「いかなる危難に遭遇しても必ず生還してこれるように・・・」という意味で、ありとあらゆる知識と技能を修得しようとしたのです。

 つまり、武術とは、他者と戦う技量を競うためのものではなく、あくまでも、「いかなる敵と遭遇しても生き残れるための技術を修練するもの」なのです。

 要するに、サバイバルを目的としている訳です。

 ここに書いた“敵”とは、必ずしも人間を意味してはいません。

 病気、怪我、災害等も含んだ広い意味で、“自分を害する要素”を“敵”と規定しています。

 ですから、今回の地震と津浪に被災され、仮に家族がいなくなり、独りぼっちになってしまった・・・という場合であっても、とにかく、“生き残る”という強い意志を持つことが武術の目指す極意なのであるという点を理解してもらいたいと思います。

 私は、今回の地震の激しい揺れを感じた中で、一瞬、怯んでしまいました。まったくもって未熟千万! 次の瞬間、猛省しました!

 たとえ、どのような災害に遭遇しても、「俺は必ず無事に生き延びてみせる」という揺るぎない信念を持たねばならない・・・と、すぐに考え、「大丈夫だ。この揺れはすぐに止まる。俺はこの程度で死ぬことはない・・・」と、すぐに自己催眠を試みました。

 ところが、普通、地震の揺れは長くとも一分程度で終わると言われているのに、どうも、もっと続いているように感じられました。

 物凄く長く感じられるのです。

 しかも、揺れが強くなっていく・・・。これは不安を呼び起こす効果が抜群でした。

 私は自己催眠の内容を切り替えました・・・。

「人間、生きるも死ぬも運命だ。俺の存在が世の中に意味があるなら、まだ死なないだろう。死ぬなら、もう必要がないということだろう・・・」と、運を天に任せる気持ちにしました。

 こっちの方が気楽になりましたね。

 家の壁に掴まり、揺れに合わせてリラックスして、どうにでもしろ・・・という気持ちでいると、不安も恐怖も自然に薄れていきました。

 そして、揺れも徐々に収まりました。

 その後も余震が次々に数え切れないくらいありましたが、「どうとでもしろ。死ぬ時は死ぬんだ」とハラを括ると、何という程のこともありません。

 不安や恐怖は、結局、“自分の心が生み出す”のです。

 災害に遭遇するということは、その後のPTSDなどの問題が大きく作用します。

 人は、どれだけ苦境に陥っても平然としている人もいれば、ほんの少しキツイ言葉を投げかけられたくらいで自殺してしまう人もいます。

 この差は何なのか? 単純に強いとか弱いとかでは測れない面があるのではないか?

 それは、心の耐久性であり、さらに言うなら、ものの考え方(受け止め方)の差であったりするのでしょう。

 今回、わずか二分程度の時間で、私はものの考え方で心の耐久性が決定的に変化するということを自覚しました。

 確かに、今回の災害は、日本の歴史上でも最も甚大な災害事件として記録されることになるでしょうが、この災害を体験し、そこから復興していく過程で新たに獲得していくものが“必ずある”と思います。

 その一つは、世界中から“平和ボケしている国民”と揶揄されてきた日本人が、悲惨な災害に遭遇しても人間の品性を失わずに、助け合っていた・・・。「日本人のマナーの良さ」を示すことでこそ、大きな評価を得られるであろうということです。

 かつて“エコノミック・アニマル”と侮蔑されていた日本人の本当の精神性を示すチャンスに変えていってこそ、それが世界の人達への良き範となり得る・・・と、これは私の尊敬する青木宏之先生の御意見でしたが、私もまったくその通りだと思います。

 今、日本は試練の刻を迎えました。恐らく、これが“底”だと思います。

 これからは、上を向いて登っていくだけです。その“向上”の揺るぎない精神を養うためにこそ、私は武術に関わってきたのかもしれない?・・・と、そう思っています。

 だから、私は悲惨さを嘆くのは、もうやめます! 嘆き悲しむ前に、やらねばならないことはいくらでもあります。

 不幸にして犠牲になられた方々の命を無為にしないのが、生き残った者の鎮魂の礼であり義務であると思います。

 何はともあれ、生き残ること。亡くなった人達の想いを背負って日本を再生すること。

 かつて無かった大きな大きなイベントに遭遇した日本は、これから強制的に生まれ変わっていかねばなりません。しかしそれは、何か大きな意味があることだと思います。これからの世界の在り方に決定的な影響力を及ぼすものになる筈だと私は思っています・・・。

「21世紀の世の中は、国境や民族を超えて世界の人々が協力し支え合って生きていかねばならない」というモデルケースを創ること。

 それが、日本に与えられた役目のように思います。


PS;無事を確認する友人や受講生の皆さんの連絡を沢山いただきました。ありがとうございます。私も友人知人に連絡していますが、連絡がつかない方も少なくありません。ともかく、無事でいてください。また、貴重なアドバイスを頂戴した孝真会の川島先生、ありがとうございました(東京支部長ブログに掲載)。放射性物質の除去に役立つヨウ素の摂り方について西荻窪ナワ・プラサードよりメールを頂戴しました。ありがとうございます。同様の話を天真会の青木宏之先生からもお教えいただきました。不思議なことに、生前の親父が送ってくれていた荷物の中からコンブ飴が出てきていたので、ヨウ素が手軽に摂れます。日曜の稽古に参加した北島師範とK塚さんにも差し上げました。その他、プラサード情報(星川さん「放射能で首都圏壊滅-誰も知らない震災対策」三五館より引用)によれば、さば・かつお・ぶり・塩鮭などを一切れ食べると充分摂れるようです。塩昆布とかワカメ味噌汁、トロロ昆布など、食事に取り入れると良いでしょう。

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原発に代わるエネルギーを

 原子力発電の危険性については、もう随分と昔から指摘されてきたことでしたが、今回の災害ほど、それが浮き彫りになったことは無かったでしょう。

 スリーマイル島の時もチェルノブイリの時も、「日本の原子力発電の技術は世界一であり、安全である」という主張がされるばかりでした。

 しかし、その安全性は神話に過ぎなかったという現実が露になりました。

 今回は震災と、その後の巨大津浪によるダメージが引き金となりましたが、地震列島と呼ばれる日本で原子力を利用しようとすることが、そもそもの間違いだったのではないか?と思われてなりません。

 言わずと知れたことですが、日本は唯一の被爆国です。広島・長崎に落とされた原爆により、放射能の危険性については世界で最も身近に感じている国民であり、その象徴とも言える核の犠牲で誕生した大怪獣ゴジラが(映画とは言えども)生まれ、長く親しまれていました。

 が、ゴジラがシリーズを終了して数年、日本国民が核の恐ろしさを忘れつつあった時に、突如として起こった未曾有の大地震、そしてかつて経験したことのない津浪、そして、純然たる人災としか言えない原発の事故に脅えることとなりました。

 地震や津浪は自然の猛威であり、人の力ではいかんともしがたい。

 が、原発は人が作ったものです。

 今回は災害によって引き起こされましたが、例えば、テロ活動や戦争で意図的に狙われたらどうなるのか?

 一瞬にして日本は放射能に汚染されてしまいかねない。

 その危険性については、まったくの無策ではなかったのか?

 確かに原発の力が無ければ、今の日本の電力は賄えないでしょうが、もっともっと昔から、もっと安全なエネルギーを得る研究を重ねて徐々に移行するようにしておけば、状況は違っていたのではないか?と思われてなりません。

 皮肉ながら、今回、国民の節電や危機管理の意識が高まったことは良かったと思いますけれども、原発の報道をニュースで見る限り、安心させるような言葉を発しながらも水素爆発だの火災だのと、次から次に事態は悪化するばかりです。

 これで本当に安全なのか?という疑念ばかりがつのります。

 原発が推進された事情に関しては、巨大な金が動くから・・・という点も指摘されていました。つまり、もっと安全な発電技術では儲からないから推進されなかったという可能性も考えられます。

 今更、それを言っても仕方がありませんが、今後は原発に頼るエネルギー政策からは脱却し、海洋資源を使った波力発電とか、海水からマグネシウムを取り出す研究とか、そういった方向へ向かうべきだと思いますし、そもそも巨大なエネルギーが無ければやっていけない国のシステムを見直さねばならないでしょう。

 被災地の方面にお住まいの方々を偲んで、私も金曜日からエアコンは使わないで重ね着して生活しています。

 20代30代には、金が無くて、しょっちゅう電気・ガス・水道・電話も止められたりしていましたから、別にどうということはありませんが、遠方の会員さんや受講生の皆さんの中で連絡が取れない人のことが気になってしまいます。

 家や家族を無くされて不安な中で過ごされている人達が、日常生活に戻れた後でPTSDに苛まれる場合も多いだろうと思います。

 戦後60年以上も平和で安全で豊かな国であり続けた日本で、これだけの試練が来るとは予想もできなかったでしょうが、都心が大した被害を受けなかったことには驚きを感じています。

 中枢が潰れてしまったら、日本全体が立ち直るのが難しくなってしまうからです。

 株価が下がったとか、この状況で嘆いても仕方がありません。ここから立ち直ることで何年か先のより良い日本の繁栄を目指すのが本筋であり、現時点は生き残り、立て直すことが先決です。

 その時に同じ過ちを繰り返さないために、長期的視点でエコロジカルな発電技術の研究開発に力を入れていって欲しいと思います。


PS;このような大災害が起こると、本能的に強姦とかの暴力事件が起こりやすくなるとされます。土曜日に講座と稽古会が終わって帰る時に、電車の中でかなり大きな音量で音楽を流して傍若無人にしている人もいました。理性のタガが外れやすくなってしまうので、特に夜間に一人歩きしたりせず、戸締まりにも気をつけてください。

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3月“化勁”セミナー

 いやはや、年が明けたと思ったら、あっという間に一月も二月も過ぎて、もう三月!

 月末にはお花見が迫ってるじゃ~ないですかぁ~?

 それにしても、今年は一月二月と出費がかさんで、三月はスッカラカンになりそうですよ。定収入が無い自由業の、ここが辛いところですよね。

「こうなったら、フリマでもやるか~?」と思ったりもするんですが、私が売れるのって、ビデオ・DVDと本とエアガン・ガスガンと日本刀(真剣!)に、鎖鎌にヌンチャク、トンファー、釵、万力鎖、三節棍、鉄鉤、中国剣、鉄扇、子母鴛鴦鉞、八斬刀、南蛮千鳥鉄、手裏剣・・・とまあ、見事に買う人を限定しまくる代物ばっかりだし、シート広げて売ってたら、多分、警察官がやってきて、「逮捕しちゃうぞっ!」って、しょっぴかれるだろうな~?

 道場生がもっと増えれば問題ないんですけどね~。

・・・っていうか、人数だけだったら、結構いるんだけど、毎週通ってくる人が極端に少ないので(子供クラス無いとダメか?)、月例セミナーが頼みの綱なんですよ。ぶっちゃけた話・・・。

 だから、よそ様とどっこいどっこいの内容では参加者が増える道理もありません。

 だったら、「普通では教えない内容を教えて、しかも、きっちり体得できる!」というウリが無いといけません。

 さらに、「初心者にも体得できる!」というウリも必要不可欠だと思っています。

 このコンセプトを曲げないように何年もやってきて、それなりに都市伝説のように評判が広まったお陰で、何とかやってこれている訳ですが、いつまでもそれだけじゃ~、ジリ貧になるだけですね。シノギは辛い・・・。

 だから、本とDVDは定期的にしっかり出していかなくては・・・と思っておりまして、近日中に、DVDの新作を製作しようと思っています。

 発勁や合気はこれまで何度も出していますから、今度は、これまで出していないものをやろうと思います。

 それで考えたんですが、躾道館の小林先生からもお許しをいただいたので、思い切って、「読みと交叉法、そして歩法」をテーマにして作ってみようと思います。

 これは本当に公開するつもりは全然なかったんですけどね。秘伝中の秘伝だし、以前は、これをバラした会員は破門にしていましたからね。それくらい大切にしてた・・・。

 何しろ、小林先生が公開していないものを、私が勝手に出しちゃいかんだろうと思っていたんですよ。

 でも、小林先生もDVDを出されたし、それに補足するような内容なら私が出してもいいだろうと思ったのです。

 特に、歩法に関しては、小林先生はもう表に出すつもりがないんだ(あそこまで隠すとは思わなかった)と思われますから、それなら、その片鱗でもお見せして、「小林先生は私の20倍速いんですぅっ!」と言うしかないな~・・・なんて思った訳です。

 だから、ここ最近、会員にも歩法の特訓やらせているんですけどね。実は公開することに決めたから特訓させているんですよ。あんまりレベル低いと逆に小林先生に恥かかせることになるでしょう?

 もちろん、教材用なので、誰でも段階を踏んで練習してもらえば体得できるように説明します。DVDを見ながら練習してもらっても、小林先生の超神速の歩法ができるようになる人が出てくるかもしれない? うちの会で一人、その可能性の高い会員がいるんですが、さあ、どうなるかな~?

 乞、御期待!


 さて、三月の月例セミナーは“化勁”がテーマです。

 発勁は、最大パワーを打ち出す技でしたが、化勁は、その最大パワーを受け流して無力化させる技術です。

 つまり、矛と盾の関係ですね。

 しかし、この技術は、実は重心移動による力を表裏逆に用いるだけで、本質的には同じ技術と言うこともできます。

 力を作用させるか作用させないかの違いなのです。

 化勁は、合気の技の中国武術版と言うこともできるでしょう。メカニズム的には同種と言っても過言ではありません。

 しかし、合気が、柔術技法の発展形として生まれたと考えられるのに対して、化勁は技というより術法です。

 より、原理的な要素が強いのです。

 合気と化勁の共通性について最初に指摘したのは、吉丸慶雪師範だと思われます。

 吉丸師範は佐川派大東流合気と、憑志強老師伝の陳式太極拳の化勁との共通性について著書で指摘されていたと記憶しています。

 ただ、一口に合気と言っても、伸筋を用いた脚裏・背筋・腕の伸筋へと連動協調させることで合気揚げを掛ける会派及び個人と、脱力して相手の力を作用させないようにして崩す会派及び個人、あるいは、合気と称しながら実態としては柔術の逆技を用いている会派及び個人・・・等々、厳密に観察すると分類できる訳です。

 無論、ここではトラブルを避けるために具体的な分類例は書きませんが、比較検討すれば個々で随分、違う訳です。

 ちなみに、游心流は脱力技法を旨としていますが、これは王樹金系の太極拳原理から合気技法との共通性を武道医学の観点から検証研究していて独自に編成したもので、それは多分に私の性格や体質に負うところが多々ありました。

 そして、システマを見た時に、「あ~、俺の目指していた方向性は間違っていなかった」という確信が得られました。

 が、私は日本人としての矜持がありますから、外国の武術にお手上げはしたくなかったんですね。日本武術を核として体系化を図ることを求めてきたので、システマを実際に習おうとは思わなかった訳ですが、それでも示唆を受ける点は少なくありませんでした。

 また、システマを見てから“化勁”に対する理解が進んだ面もあります。

 結局のところ、合気だの化勁だのという専門用語を付ければ、何か特別で特殊な技なのだという思い込みが生じてしまいがちですが、それこそ思い込みでしかなく、原理的に分析すれば、さして特殊なものでも何でもないのです。

 化勁をメカニズムとして考えた場合、それは空手・柔道・剣道・相撲・レスリング・ボクシング等々、ほとんどの武道格闘技にも潜在的に活用できるものであり、個人のコツの部分では活用している人間がいても不思議ではありません。

 けれども、意識的に“これ”を用いていけば、パフォーマンスが何段階もレベルアップするであろうことは確実に請け合うことができます。

 例えば、「空手の突きは何故、捻るのか?」という点は、突き(攻撃)の動作の中に化勁が内蔵されていると解釈することで疑問が解けますし、これは受け技の動作にも含まれていることが読み解けてきます。

 その結果、「空手の受け技は実は攻撃技である」という結論に至ったのです。


 この“化勁”の原理を現代で最も利用していたのは、恐らく、甲野善紀氏でしょう。彼の示すパフォーマンスは、ほとんど化勁の原理を応用したものに過ぎません。

・・・ということは・・・化勁が解れば、彼のパフォーマンスは即座に再現できるのであり、小難しい細かい手法に拘る必要はまったくありません。

 私が「甲野氏の技は古武術ではなく合気道の応用だ」と指摘したのは、こういう意味だった訳です。

 合気や化勁は、現代武道や格闘技では、これまでほとんど研究されてきていません。だから、格闘技関係者はシステマを見ても「訳が判らない」と言ったりする訳です。

 しかし、合気や化勁を知らなければ達人への道は見えないでしょう。力に任せて身体を鍛えているだけでは老いと共に実力も衰えるだけです。

 極意は、“我力”を捨てることです。

“我力”を捨てれば“自然力”が駆使できます。

 これは、人付き合いでも同じですよ。我を捨てて、人を受け入れれば、人が力を貸してくれる。

 俺が俺がと言って、自分のことしか考えず、人を見ないでいれば、自惚れて自分すら見えなくなっていくものです。

“化勁”を通して、いろいろ人間関係についても考えてみると面白いと思いますよ。

 ちなみに、以前、松田隆智先生から「長野君は化勁の達人だな~(苦笑)」と言われたことがあるんですが、私のあまりの口八丁っぷりに呆れ果てて感心された様子でしたが、実際問題、危機百発みたいにトラブル続きの人生を無難に渡ってこれたのも私の異能のなせる技だったかもしれません・・・。

 どうも、業界的に私は物凄い性格がキッツくて頑固一徹みたいに思われがちなんですけど、実際は真逆だったりしますからね。

 実技の上でも私は化勁が得意になっちゃいましたからね~(苦笑)。

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3月セミナー休止のお知らせ

 3月の月例セミナーですが、今回の大地震による余震の心配もありますので、休止することに致しました。

 特に地方から参加される受講生の方は、もし交通機関が不通になった場合は帰られなくなってしまいますし、都内で大きな余震が起こった場合、建物の倒壊の心配も考えられますので、どうぞ、悪しからず御了解ください。

 3月セミナーの分は振り替えて実施しますので、日時が決定してから告知させていただきます。宜しく御協力ください。


 それにしても、今回の地震は、長く続く揺れの激しさに、「ついに来たか?」と観念したり、「死ぬかもしれない」という恐怖心も感じたり、1~2分間の間に、心も揺れました。

「あ~、やっぱり俺は臆病だな~」と、少々、ガッカリしました。

 人間は、本当の危機に陥ると、本性が現れるものですね?

 TVのニュースで次々に入ってくる映像を見ていると、大自然の力の恐ろしさと、人間のちっぽけさを改めて痛感させられます。

 まるでパニック映画のように津浪に呑み込まれ横倒しになる船や押し流される車、炎上する町、燃えるコンビナート、ぐらぐらと揺れるビルから剥がれ落ちる壁材・・・。

「1000年や500年に一度の大地震」と専門家が言うM8.8の観測史上最大という規模の災害・・・。

 私は、鎌倉の鶴ケ丘八幡宮の御神木が折れた時に、「あ~、日本に何か大きな災害が起こるんだな」という嫌な予感がしたものでした。

 今、その予感が的中してしまったという哀しい気持ちでいます。

 災害に合われ、お亡くなりになられた方々の御冥福を祈ると共に、この日本全体を襲った大災害を、何とかして日本が奮起するために祈念しなければいけない・・・と、そう思っています。

 外国で起こる災害や紛争を、日本人は感覚的に他人事にしか考えられなかったのも事実でしょう。しかし、今回は、ついに日本でも起こった。

 危機管理の意識は、何としても生き残るという強い意志によって支えられる筈です。

 どうか、皆さん。心を強く持っていてください。

 悪いことは永遠に続くものじゃありませんから・・・。

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DVD撮影完了!

・・・いや~、忙しい一日でした。

 3/6は、午前中には通常通りに渕野辺駅集合、鹿沼公園にて稽古会をやりまして、こちらはセミナー未受講分の振替参加で遠方から来られていた女性の参加者もいらして、いつものオッサン軍団とは少し違った感じで練習しました。

 練習後に駅前のジョナサンで昼食を食べながら、お話したところ、最初は甲野さんの本を愛読されていたらしく、それで古武術の道場にも入られたそうなんですが、たまたま私の本を買って、甲野さんの正体?にビックリ仰天されて、それで私が書いてることが本当なのかな~と思ってセミナーにも参加されてみた・・・ということみたいです。

 そりゃあ、TVにも出て本も沢山出していて、内田樹や茂木さんや養老さんと対談本を出したりしている武術界の最も有名な人が、実は「とてつもなく弱い。その上、平気で嘘をつく性格?」だったという情報を知ったら、「ホンマでっか?」と誰だって思うに違いありません。

 でもね。率直に申しますが、武術の世界って伝統的に、そんな人間が非常に多かったと思いますよ。表沙汰にならなかっただけで・・・。

 特に、古武術と合気武道と中国武術の世界は経歴詐称は当たり前の世界です。

 何でかって言うと、型の伝承しかやらないのが普通だから、「俺はもしかして、ムチャクチャ達人なのかもしれない・・・」という誇大妄想がムクムク湧いてきてしまうんですね。

 試合で白黒ついちゃう世界だと、誇大妄想に陥ってもバキッとぶん殴られて目が覚めたりするし、公開の場所で試合するから言い逃れが利かないでしょう?

 だから、一般に、剣道、柔道、空手道などでは、そういう誇大妄想狂は生息できないんですね。

 うちの会だって、過去に誇大妄想にオツムを乗っ取られた者は何人か出てしまいましたよ。それは私の指導方針の甘さによるものだから、今は「絶対に許さない!」という厳しい方針に変えました。

「自惚れたこと言いよったら、腕の二、三本も(二本しかないよ)叩き折ってくれるっ!」ってな気持ちです。

 本当に実力ある人だったら、でかいこと言っても、「はは~、おっしゃる通りです」って私なんかは言ってしまう人間なんですが、でかいこと言う人間って、大体、実力が伴っていないんですよね。

 私が、「これぞ現代の本物の達人だ」と思っている青木先生、小林先生、友寄先生、光四郎先生は、自分が負けた話でも平然としてくれました。

 考えてみれば当たり前の話で、修行時代に先生や先輩に負けるのは当たり前だし、病気だったり泥酔していたりという時にも遅れを取ることはありますよ。

 生涯不敗というのは、それだけ実戦経験が少なくて弱い相手としか闘ってないってことでしょう?

 だから、自信のある人ほど自分の負けた話は平気で言えるもんですよ。

 ろくに闘ったこともない人間が有名な武道家や格闘家をバカにした発言をしたり上から目線で論評する・・・恥ずかしいですね?

 私は、甲野さんのどこが嫌いって、もう、あの前代未聞の恥知らずっぷりですよ。

 それでもまだ、“若気の至り”ってのはあるから、30前の人間が言うんだったら、笑って済ませる場合もありますけどね~。私も覚えがあるし・・・(苦笑)。


 まあ、それはそれで、わざわざ2時間もかけて遠くまで稽古に参加してくださって恐縮しております。女性で、これだけ熱心な人は初めてでしたよ。

 さて、それで、昼食後は常連会員の皆さんと一緒に江古田へ移動。4:00から江古田ストアハウスでDVD撮影に入りました。

 今回の内容は、『游心流の戦闘理論・基本編』ということで、読み(目付け・聴勁・心法)と交叉法(対の先・後の先・先の先)と、そして、本邦初公開の歩法です。

 結構、内容が多くなって撮影が時間内に終わるかな~?と心配だったんですが、結構、サクサク進んで、2時間で撮影完了しました(1時間余ったよ)。

 とにかく、今回の戦闘理論の公開に関しては、これまで秘伝扱いして公開してこなかった内容について実技で見せる・・・というのがコンセプトだったので、出し惜しみしないで実演しています。

 その結果、今回は相当、凄い内容になったと思っています。武術の理合と技の使い方に関して、ここまで平易に公開したのは初めてなんじゃなかろうか?と思います。

 見せ芸はやらず、すべてリアルな武術の技と戦術を原理解説から実演までやっているんですが、私は、うちの会員が、これほど上達していたとは・・・と、ちょっと感動してしまいましたね。

 発勁とか合気とかは、どうしても実演する場合に危険性のないように見世芸でやるしかないんですが、目の肥えた武術ファンや格闘技やっている人からは、「あれじゃ実戦に使えないだろう」と言われてしまうしかない訳ですよ。

 だからといって本気でやったら危険過ぎるんですね。

 今回も寸止めにしたり崩して倒すだけにしていますが、それでも、理合に則った戦闘法というのが、これほど圧倒的なものなのか?ということは、理解してもらえるんじゃないか?と思っています。

 パワー・スピード・テクニックを超えたタクティクス(戦略・戦闘理論)を知らなければ、武術は現代武道や格闘技には到底対応できないでしょう。

 そして、そのタクティクスを支えている技法は単独で成立しているのではなく、複合的に成り立っているのだということです。

 今回のDVDでは、特に、大石教練が新体道仕込みの心法での読み(察知術)を駆使して、北島師範の攻撃を捌いて投げ倒す・・・という目隠し組手をやっていますが、これがヤラセでないのは、投げられた北島師範が受け身を取れずに後頭部を床板に強く打ち付けて瞬間、失神したようになったシーンで明らかです。

 これが、もし路上のアスファルトの上だったら命にかかわっていたでしょう。

 目隠ししていたので手加減ができなかったという点もありますが、大石教練の反応力の鋭さは尋常なレベルではなくなっています。

 また、矢嶋師範代の歩法も、かなりのスピードアップを果たして掌打との連携も上達してきています。

 しかし、私が一番驚いたのは、北島師範の縮地法を駆使した連続掌打の激烈さです。

 動き出した瞬間に熱風のような闘気がブワッと吹き付けてきたように感じて、横で見ていた私も恐ろしいと感じた程でした。

 無論、彼らはフルパワー、フルスピードでやってはいません。それをやったら、とても技をコントロールできないでしょう。

 もし、フルパワー、フルスピードでやれば、そんじょそこいらの腕自慢ごときはひとたまりもなく撃砕してしまうだろうと思っています。

 これは、今までのDVDと比べたら殺伐とした内容になったかもしれませんが、游心流がヤワな流儀ではないと知ってもらうには、このくらいはいいか?と思っています。

 是非、御期待ください。

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3/6に撮影やります!

 突然ですが、3/6の日曜日の夕方16:00~19:00まで、江古田ストアハウスでDVD撮影を実施することになりました。

 午前中の渕野辺での練習が終わってから、昼食をとって、それから行っても間に合う時間帯なので、通常の公園の稽古会も実施することにします。

 ただ、DVD撮影は手伝いの人が欲しいので、会員でお暇のある方は来てくださると有り難いです。謝礼は出せませんが、無料でうちの極意技の解説が見学できますよ(会員だけですので、念のため・・・)。

 今回は、ついに・・・ついに・・・ついにぃ~~~~、あの“読みと交叉法、そして歩法”を出してしまいますっ・・・。

 いや~、本音を申します。

「背に腹は代えられない」ってことですよ・・・。ぶっちゃけた話。

 これだけは公開したくなかった。勝手に外部に教えた会員を破門にしてまで守ってきた秘伝中の極秘伝だから・・・。

 普通は、30年くらい地道に稽古を積み重ねて、ある日、突然、悟ってできるようになる?・・・かもしれない・・・というのが“読み”。

 それを徹底的に簡単にできるように研究を重ねてきた。

 でも、小林先生が大切に大切に大切に大切に・・・してきた“読みと交叉”。

 そして、絶対に公開しなかった“歩法”。

 それを私が公開しちゃっていいのか?と、自問自答を繰り返して10年以上も経過しました。

 でも、うちの会員でも何人もできるようになってきたから、「まっ、もう、いっかぁ~?」と、実にアバウトに決心してしまいました。

 だけど、もう隠しておいても意味がないと思うんですよ。時代はどんどんどんどんどんどんどんどんどん・・・・と、先へ先へと進んでいっています。

 武術の世界も秘伝やなんだと言ってる場合じゃありません。

 21世紀の日本の武術が世界に雄飛するための一助になれば、研究家として望外の喜びというものです。

 そのためには、研究して得た成果は出す!

 そうしなければ先には進めないでしょう。という訳で、御期待ください。

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技のパターンをいくら覚えても使えない

・・・というのが、私の考えで、従って、游心流では特定の技らしき技はほぼ無きに等しいものです。

 先週の土曜日に橋本稽古会(“ソレイユ橋本”と思っていたら、“ソレイユさがみ”でした。ゴメン!)に、セミナー受講されている方が参加されたんですが、「空手のような基本技はないんですか?」と質問されていました。

「うちの基本技は、三元試力です」と北島師範は答えていました。

 まっ、これが正解なんですけれど、何もやったことのない人だと突き蹴りなどのやり方が分からないというので、最近は、一応、一通りの突きや蹴りのやり方なども北島師範に指導してもらうように依頼しています。

 基本技は単純だからごまかしが利きません。北島師範は習った空手を学んだ先生が良かったのでしょう。細かい形まで端正で変な癖がありませんでした。だから、形が正確だったから意味を理解しただけで、知らない間にグ~ンと伸びたのです。

 同様に空手や合気道の基本ができている人は、うちに来てから短期間にグググッと伸びています。基本の意味を知らなくとも、身体に染み込んでいる人は、9割9分のところまで達している。そこに意味を理解することで基本が完成し、一気に花開いた・・・ということのように思えます。

 基本の意味を理解するということがいかに重要かということを思い知ります。

 北島師範には、まあ、ざっと、正拳・裏拳・拳槌・貫手・手刀打ち・背刀打ち・掌打・前蹴り・足刀蹴り・廻し蹴り・内廻し・外廻し・二段蹴り・後ろ蹴り・後ろ廻し蹴りくらいは、やってもらいたいと伝えておきました。

 それと、順突き・逆突きの移動基本と、上段揚げ受け・内受け・外受け・手刀受け・下段払い受けなどの基本の“受け技”・・・。

 ただし、受け技に関しては、游心流では“受け流しての崩し技や、逆関節極め、挫き、交叉合わせ突き等の攻撃技”であると解釈しているので、基本の“受け技”という言い方ではなくて別の呼称を考えようと思っていますが、空手の世界で長く“受け技”と認識されて呼ばれてきているので、混乱を避ける意味で、ここでは“受け技”の名称を使っています。

 しかし、空手やボクシング、ムエタイなどの突き蹴りは、部外者にはよく区別できません。でも、似て見えても専門にやればかなり質的に異なるのですね。

 例えば、廻し蹴りに関しては、伝統空手道や少林寺拳法では上足底(足指を反らせた付け根の部分)を当てるように指導しますが、試合では距離をかせいでスピーディーに当てる意味で足首を伸ばして甲の部分を当てます。

 これは“蹴りのボクシング”の異名を取るテコンドーなどでも用いられますし、フランスのサバット(サファーデ)にも見られます。

 ところが、沖縄空手の上地流等では足指先を強力に鍛えて貫手のように指先で刺すように蹴ります。

 それに対して、靴で蹴ることを前提とする中国武術の蹴りは、靴先を突き刺すように蹴ったり、靴底のエッジを効かせて切るように蹴ったり、足裏の内側で蹴ったりします。

 廻し蹴りで最も一般的になっているのは、ムエタイのスネ蹴りで、これがフルコンタクト空手に採用されて急速に普及し、現在の格闘技の蹴り技といえば、「廻し蹴りはスネで蹴るもの」というのが常識化しています。

 廻し蹴り一つだけ検証しても、大まかに分類してこれだけの違いが出てくる訳です。

 しかしながら、それらを使い分けて用いることのできる人は稀でしょう。そもそも、蹴り方の微妙な違いは、戦闘スタイルそのものをガラリと変えてしまうので、おいそれと採用することができないからなのです。

 スネを当てるのと爪先を当てるのとでは、間合が20~30cmは変わってしまうので、戦い方は随分と異なってしまうのです。ムエタイが、肘当て膝蹴り、首相撲の技術を用いるのも至近距離での攻防をするからですが、その距離の間合に入るためにはスネで蹴る廻し蹴りが必要になります。これを爪先で蹴っていたら、そこまで踏み込むのは容易ではなくなるでしょう・・・。

 このように、用いる技は間合を決定し、戦闘様式を決定していくのです。そこを理解しないまま他流の技を導入しても意味がありません。

 けれども、突き技にしろ蹴り技にしろ、技の機動力を発する身体操作の根本原理はそんなに違いがある訳ではありません。

 それが、骨盤の横回旋、縦回旋、螺旋8の字回旋の三つに大別できる訳です。

 主な原理的構造分類を論じるなら・・・

 横は、空手の突きや廻し蹴り・野球のピッチングやバッティングなど・・・。

 縦は、形意拳系の打拳・通背拳系の打拳・手裏剣打ち・剣術の真っ向斬りなど・・・。

 螺旋は、八卦掌法・ボクシングのデンプシーロール・意拳の打拳など・・・。

 私は、骨盤の動きに注目して身体操作の原理を分類したところ、このような傾向分析が自然にできていった訳です。骨盤に注目したのは、骨格系整体・手技療法やキネシオロジー等の観点で様々な分野の達人の動きを20年以上も比較研究した結果であって、流行に乗った訳ではまったくありません。

「流派の優劣なんか無い!」と言い切れるのも、人間の身体メカニズムという一次的観点から分析しているので、武術武道にドップリと浸って信仰心に支配されている人のように、“技”という二次的要素の「強い・速い・凄い」といった主観的な“見た目上の優劣”に惑されないで済んでいるから断言できるのです。

 とするならば・・・、「技の基幹となる骨盤の動きを練り込むことによって、各種の基本技も容易に体得できる筈」だと考えた訳です。

 なので、游心流に他流のような基本技はありませんが、それは「基本技は必要ない」と考えているからでは断じてありません!

 むしろ、あらゆる流儀に分化発展し得る、流儀を超えた絶対的基盤となる“大基本技”を練習している・・・と言えます。


 その基本技ということで、ちょっと解説しておきますと、「何故、基本技の練習が大切なのか?」という点なのですが、要は、「文字を知らないと文章は書けない」ということなんですよ。

 そして、文字というのは、その民族の文化の特色を現す原型なんですね。

 日本語は、漢字、ひらがな、カタカナがあり、明治以降は和製英語なども使われていますね?

 これ、何かに気づきませんか?

「日本文化は外国の文化を導入して独自のものを作り上げることに長けている」という特色を現しています。

 基本的には漢字(中国)の文化圏である日本ですが、ひらがな、カタカナを作り出したことで独自のシンプルな文化を生み出してきたんですね。

 もっとも、漢字と、ひらがな、カタカナが混在するという点ではむしろシンプルに見えて複雑だったりするんですが、それもまた日本人、日本文化の特色が出ているとは思えないでしょうか?

 朝鮮半島ではハングルが作られたでしょう? あれもまた文化の独自性をアピールするためだったと思いますよ。

 やっぱり、言語と文字というのは人間の精神活動の基本なので、民族の文化的特色を考える場合に無視することはできません。

 武道の基本技も、その武道の特色を現すものです。

 空手を例に取れば、基本技の構え一つ観ただけで戦闘法があらかた判明します。

 歩幅を広く腰を落として構える首里手の系列(少林流・松濤館流など)は、遠間を飛び込みながら突きを出すのに適しています。そのために、やや前重心の前屈立ちを多用します。

 歩幅を狭く手を小さく構える那覇手の系列(剛柔流など)は、後手必勝の後先の技を得意とし、密着するくらいの間合での崩しや逆技を用いてトドメの突きを入れる特徴があります。それに適した後ろ足に重心を乗せる猫足立ちを多用します。


 私が游心流を名乗った時は、「読みと交叉法、脱力技法、骨盤をメインギヤとした身体操作、加速歩法」を流派としての根本原理として考えていました。

 それから12年目に入っても、当時のこの考え方は基本的に変わっていません。

 何も、変えないつもりでやってきた訳ではありません。他に良いやり方があれば、いくらでも変わって構わない・・・と思いながら、やってきました。

 それでも変わらなかったというのは、他に良いと思うやり方が無かったということなんですね。「やっぱり、俺が考えていた通りだった」と、日々、確信が深まっただけです。

 ただし、付け加えた要素は無数にあります。

 12年前は全然できなかったことが、12年(干支でワン・サイクルだな~)で当たり前にできるようになったことも多くあります。

 会員のレベルも今が一番、高いと思います。昨年入った若手が短期間で異様に伸びてきているのも驚きです。

 けれども、「功罪もあるな~?」と思ったのは、私が“何でも説明し過ぎる”という点ですね。

 会員が、私の言葉にあまりに捕らわれ過ぎてしまっているように思う場合もある。

 つまり、自分で考えていなかったり、私の言葉の本筋とは関係ない点に固執してしまって勘違いしてしまっていたり・・・という点が、ちょくちょく見られたりするのです。

 だから、私はなるべく、「俺の言ってることを絶対だと思うな」とか、「俺の本を読んだら関連分野の本を10冊読みなさい」とか、自分で考える癖をつけるように勧めているんです。

 游心流では下丹田(骨盤)の出来具合が実力に比例していますし、下丹田(骨盤)から動くことがきっちりできないと、技もワンパターンになってしまいます。基本中の基本。

 パターン化した技しか使えない人は、実戦では無力です。

 何故なら、相手は自分に都合よく攻撃してくれないし、体格や体能力によって、たとえ同じ技を使ったとしてもタイミングや圧力、スピード、距離、角度・・・等が全て異なるからです。

 游心流で多用する差し手に関しても、パターンで覚えていたら、“絶対に”通用しません! 丹田を中心にした身体感覚を駆使して、その場その場で微調整して対応できなくてはならないので、極論したら、毎回、違うパターンで制圧できなくてはなりません。

 どうしてか? 人間は機械のように毎回同じ動きで攻撃することはできないからです。

 当然、迎撃する場合も微妙に変化して対応しなければならなくなります。

 技の手順なんか覚えたところで意味はないのです。そんな技は、使えません! 使えない技の練習なんか、やっても時間の無駄です。武術の上達は好むと好まざるにかかわらず、戦闘能力の向上に直結するものでなければ、単なるレクリエーションでしかありません。

「長野先生の考え方は世の中に通用しませんよ。皆、単純に練習を楽しみたいだけなんだから・・・。長野先生の考えをいくら主張したって人は増えないですよ」と元会員に言われたことがありましたが、“自己満足の暇潰しを楽しむような余裕のある人間”が、今の構造的経済不況の日本の中でどのくらいいるでしょうか?

 誰もが自己の経済的自立や、家族を養う責任や、仕事上の責任に日々、追われていることでしょう。趣味の習い事にかまけている余裕なんか無い筈です。

 実際、彼の主催している稽古会は、その後、さっぱり増えずに、むしろ減ってしまっているように聞いています。バブルの頃でもあるまいし、自己満足しか求めない稽古に、本当に学びたい向上心のある人は来る筈がない。

 自身が身体的・精神的・知的に向上しているという実感が得られないのなら、私は武術なんか無くなって構わないとさえ思っています。「強くなる?」。阿呆らしい。引退したプロボクシングのチャンピオンがヤクザの用心棒をしなければ食っていけなかったりするのが世の中です。

 その世の中の荒波に立ち向かって強く生きていける知力と精神力を磨くサバイバル精神を養成する武術修行でなければ価値はないではないか?と私は思っているのです。

 何しろ、私自身の人生がモロにそうですからね。

 向上心を持たない、何とな~く、武術って面白そうだから・・・と浮ついた気持ちで学びたがる人間が10年20年と続く道理はありません。そして、10年20年と続かなければ、本当の価値を実感することはないでしょう。何も体得できなければ無駄なだけ。

 ところで、日曜日の公園での稽古を始める直前、いつも公園の整備をされている職員の方から、「あの~、タウンニュースに出てた方ですよね~?」と声を掛けられました。

 多分、いつも仕事の邪魔になってる変な連中がいるな~?くらいに思われていたのではないでしょうか? それが、新聞の折り込みチラシを見て、「あれっ? この人、いつも公園で見かけてるぞ? あ~、あれは武術の練習をしているのか~?」と、思われたのでしょう。

 また、いつものように部屋代を支払いに不動産屋さんに行った時に、社長さんからも「長野君。タウンニュース見たよ。良かったな~」と、自分のことみたいに喜んでもらいました。社長さんには、それこそ相模原に越して20年以上、御迷惑をお掛けして私のド貧乏時代を御承知(一年間、家賃滞納したことあって、親父に払ってもらった! うわっ、ダメ過ぎだよ~)なので、市内で活躍している人物が紹介される記事に載ったことが、余計に感じるものがあった様子でした。

PS;停滞していた新刊、ようやく動き出しました。春の間には出ると思います。何か、物凄~く、期間が空いたような気がする? 去年の夏に書いた原稿なのに数年前みたい。

PS2;DVD割引セール入会金半額セール中です。のんびりしてると過ぎちゃいますよ~。急いでねっ!

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手ごたえの正体

「手ごたえが無い・・・」という感想を、発勁を指導した時に、必ずと言って良いくらい言われます。

 実際に、発勁がうまく極まると、相手はズバ~ンと吹っ飛んでしまったりするのですが、打ったこちらは手ごたえを感じない場合がほとんどです。

 なので、武道を長くやってきている人ほど、「こんなので効いているんだろうか?」と首を捻ってしまうものです。

 私も、最初は、あまりの手ごたえの無さに驚いたものでしたが、徐々に、威力が相手に本当に作用していれば、跳ね返ってくる反作用の力が無いので手ごたえを感じないのだという理屈が理解できるようになりました。

 しかし、特にフルコンタクト空手をやっている人だと、「そんな筈はない。俺たちは必死に叩き合っているが、人間はそうそう簡単に倒れるものじゃないんだ!」と言いたくなるでしょう。

 その気持ちは理解できます。

 私も一時期はそう思っていましたから・・・。

 でも、本当に効く打撃技というのは、単純に力が大きいというだけではなく、力がどう作用するか?という点で決定されるのです。

 ハンマーでガンガン叩き合うようなフルコンの試合を耐え抜く強靭な肉体の持ち主が、たった一発の触れるか触れないかの掌打で、ストーンとその場に崩れ落ちてしまったりするのです。

 これは、力がどう作用しているのか?という問題で、単純なパワーの大きさではないのです。

 試合中はあれほどまでに超人的打たれ強さを発揮したのに・・・と思うでしょうが、試合は筋肉が鎧のようになって力を内部に浸透させないから、耐えられた。

 あるいは、打つ方も無意識に筋肉を打って、身体の芯に力が働いていなかった・・・という次第でしょう。

 発勁の特徴は、拳の貫通性と掌の浸透拡散性の力の作用にあります。

 打つ時に、背骨を砕いて後ろまで拳が突き抜けたようなイメージで突くことで、力が貫通性質を備えます。

 この種の突きは、身体の中にヌルリッと入ってきたような異様な感触があります。

 ハイスピードカメラで見ると野球のボールがバットに当たった瞬間はペチャンコに潰れていたりしますし、日本刀で氷の固まりを切った時に日本刀がグニャリと曲がったりしていますが、堅い物でも瞬間的な弾性というのがあるのでしょうから、肉体の場合は65%くらいは水分なので、それほど不思議でもないのでしょう。

 万事、科学的に合理性のある視点を以て考えることが、まず第一に必要なことです。そういう観点が無いと、いきなり妄想チックな解説で事実を百倍くらいに膨らませたような誇大な秘技が続出することになってしまい、その真相を見抜けない人達に支持されることで、あっという間にメディアを通じて広まってしまうからです。

 一例を挙げると、「日本刀を竹刀より素早く振れる(重量を活かせば竹刀より速く振れるのは当たり前です。日本刀の振れる速度は肉眼で確認できないくらい速いのは計測すれば判明するでしょう)」とか、「格闘家のアキレス腱固めをスルリと抜けた(脱力することで力を作用させなくすれば“誰でもできます”。腕でも首でも脚でもどこでも一緒。游心流では“ウナギ抜け”と名付けた各種関節技・絞め技から離脱する技法を教えております。でも、システマみたいにフリーに戦う中で使えなきゃ意味ありません)」とか、“状況設定の中での主観的イメージだけ”を煽って、通常の武道・格闘技へのアンチだけをいたずらに拡大させることになり、真面目な実践者を惑わし、武道・格闘技を知らない人達に誤解を広めてしまうからです。

 私は、個人的に、こういう自己の売名のために文化を愚弄し世の人々をたばかる根性の腐り果てた人間は断じて許せません! 武術研究家の名に賭けて、天誅を食らわしてやりますっ!


 まっ、それはそれとして・・・こうした貫通性の突きは、江上茂翁の命で空手の突き技の効き方を研究し、試行錯誤を繰り返して新体道を創始するに至った青木宏之先生によって完成されました。

 江上翁の写真から想像するに、江上翁御自身の突き技の御研究は、恐らく、古武術の当て身技から多くのインスピレーションを得られたのではないか?と私は考えます。

 写真で見る江上翁の拳の握り方が、そのように観えるからです。

 例えば、柳生心眼流や竹内流の当て身に使う拳形に似ています。フワッと握られているのも、親和体道や合気道の影響かも知れません。

 それに対して新体道では、きっちりと中高一本拳を握り、空手道の低く腰を落とした前屈立ちでの全身を大きく開き伸ばしたダイナミックなフォームに特徴があります。

 言うならば、全身を大槍にして拳を槍穂にしている・・・のです。

 現在の江上流を名乗られている師範と団体の突きのフォームは大なり小なり青木先生の考案された新体道空手の影響を受けているとは思いますが、写真で残る江上翁の体構えと突きのフォームとは掛け離れているように私には観えます。

 この根幹の技術的基盤について、明確に理論的に説明しているのは青木先生だけのように私には思えますが、それは、青木先生が御自身では明確に理論的に考案されているからではないでしょうか?

 受け売りの理論ではうまく説明することは不可能です。私の武術理論も、会員で十分に説明できる人はいません。八割、理解していれば良い方です。

 新体道空手の突き技は、フォームがそのコンセプトを明白に表現しています。

 つまり、“全身を拳先の一点に集中して、どこまでも真っすぐに貫いていく”という愚直なまでの純粋な直進攻撃あるのみです。

 これは、「一の太刀を疑わず、二の太刀は無いものと知れ!」と教える示現流の意地を、より徹底的に追及したような印象があります。

 しかし、これでは外れてしまえばコントみたいなものです。

 だから、多くの武道関係者は新体道を見てもフフフ・・・と笑って問題外のものと思ってしまうのでしょう。

 確かに形だけ見たら、意味が解らないし、その愚直過ぎる戦闘理念は、一般の武道のそれとは別次元と言うしかありません。

 けれども、誰もが忘れているのは、「新体道は心法(読み)の武道である」ということなのです。“遠当て”も、異常なまでの読みの副産物でしかないのです。

 何も、意味もなく一撃必殺の特攻を仕掛ける訳ではありません。

 相手が攻撃しようと意識して実際に身体が動こうとするまでのタイムラグの隙間を察知して先々で攻撃する・・・。

 だから、無防備な状態の相手にそのまま当たる。人間は避けようとしていれば避けられるけれど、これから攻撃しようとすれば、身体は前方へ動く準備をしています。だから、そのタイミングで先を取られると避けられずに食らってしまう・・・これは交叉法の基本的原理です。

 よって、新体道では“当たるのが解っているから全身全霊で突いている”という、極めてシンプル且つ間違いのない戦闘理論なのですね。

 従って、読みの能力の無い者が新体道の技を使いこなすことは“原理的に決してあり得ません”。「心法の訓練を抜いた新体道では武道としてまったく使えない」でしょう。

 私が身体操作理論で武道武術を解読しようとすることが無意味だと解いてきたのは、こういう明々白々な理由があるからなのですが、心法(読み)の重要性をまったく理解していない筋肉鍛えることが稽古だとしか考えられない人達には、もう、まるっきり理解不能みたいですね。

 これまで、数多くの人達を指導してきましたが、最も理解力の無かったのは、武道をガンガン10年以上続けてきた人ばっかりでした。

 何もやっていない人の方が先入観がないので、すぐに理解できる。理解できない人は筋トレ命みたいにガンガン鍛えてきた人で、物事をすべて“筋肉”で理解しようとするので、本当に頭痛がしましたよ。

 筋トレ中毒なんでしょうね。筋トレもやり方によるのは嘘ではありませんが、武術で考えると筋トレは効率が悪過ぎるのです。だから、うちでは勧めないし、むしろ、禁止しているくらいです。

 身体を鍛えるのなら、日常生活の動きの中に組み込んでやるのが最も効率が良いと私は思っています。立つ、座る、歩く・・・といった動作を、すべて骨盤から動くように“意識していく”ことで、身体の動きは勝手に変わります。

 つまり、“意識すること”が大切で、筋肉の力を抜いて抜いて抜ききって、その上で全身の隅々まで神経を張り巡らせて意識を滞らせずに動く・・・これが武術上の理想的自然体です。うちの会でも北島師範、大石教練、その他会員が、数名は、この状態に近づいてきています。無念無想は、これができた上での話ですよ。

 ともかく・・・、気合入れれば二、三発は耐えられる・・・というような打撃技じゃなくて、「一発入ったら死ぬ」という恐怖感のある技では、戦闘の様式も何もかも違ってくるんですよ。

 そして、真に効くというのは、手ごたえが感じられない。効いたかどうだか自分じゃ判らない・・・。

 よく、「確かに手ごたえが有った・・・」みたいなシーンが時代劇なんかであるでしょう?

 あれは嘘だと思いますね。

 物が斬れる時は、手ごたえが感じられないんですよ。スカッて感じで刀が通り抜けるから、手ごたえは全然ないんです。

 手ごたえがあると感じるのは、引っ掛かりがあって抵抗感が生じるからであって、そういう場合はちゃんと斬れなかったということですね。

 試し斬りしている人間は、判ると思いますよ。

 刀で試し斬りするようになって、私は、この手ごたえの無さこそが技の威力が無駄なく集中して効いている証拠なんだと考えるようになり、だからこそ、発勁の手ごたえの無さこそが効いている証明なんだと考えられるようになりました。

 坊さんを斬首した時に、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と二つ念佛を唱えてから首が落ちたから、二念佛ナントカという名前が付いた刀の話とかがあります。

 発勁も、打たれたその場では大したことがないのに、翌日、動けなくなったりしますが、こういう威力の作用の仕方というのは恐ろしいですよね。

 刀の試し斬りをやるようになって、いろいろ武術上の研究が進みました。それは、素手の技にも大いに役立つものであった・・・という点は、声を大にして言いたいですね。

 何しろ、刀は素手で受け止められない。躱すしかない。それに比べれば、素手の技くらいは脱力していなせば簡単に無力化できます。それが“化勁”ですよ。これまた、相手の力とぶつかる抵抗感があるうちは、まだまだ未熟ということです。

 抵抗するから力を受ける。抵抗しなければ力は働かない。「武術に受け技は無い」と私が解いてきたのは、この原理を厳守することで武術の技が高度なレベルに昇華していけると考えているからです。老人・子供・体格体力の劣る者・女性が、屈強な暴漢を手玉に取れるのが武術の醍醐味であり、それが可能になるには、絶対に受け止めてはいけない!

「現実には、そんなの無理だよ」と長くやっている人ほど断言しますが、私はそうは思いません。私の生涯は、その不可能と思われることを現実のものにするように人を育てるということでしょう・・・。

「手ごたえが無い」ということこそ武術の秘伝中の秘伝なんだと私は思う。

 もっとも、私は自分が発見したとか、はしゃいで言う気は全然しません。脱力の重要性はずっと昔から多くの武術家が言ってきたことです。私はそれを再確認してきただけの話だからです。

 世の多くの武道・格闘技を実践されている方は、徹底して脱力して技を用いることを実験してみて欲しいですね。たったそれだけで、今まで考えていたやり方がガラッと変わるのを実感されると思いますよ。

 ちなみに、試し斬りは相模原本部の千代田メイプルホールでの稽古(第一・三・五木曜夜7:00~9:00)の時に、頻度としては二カ月に一回くらい実践しています。近郊にお住まいの方は、是非、どうぞ。刀も一杯あるから心配ありませんよ。


PS;知り合いの編集者の方から電話をいただいて、ちょっと企画前提の話をしたんですが、ホームページに出してる猫又侍の話が面白かったと言ってもらいました。私としては漫画原作で武術をからめた妖怪物とか怪獣物とか伝奇ファンタジー系のものを書きたいんですけど、割りとコンスタントに売れる可能性がある時代小説の本格的なチャンバラ物を書いてみようと思って、密かに執筆中なんですが、4月くらいが大賞の締め切りだと思っていたら、11月くらいらしくて、勘違いしておりました。なので、ファンタジー系でもう一つ書いて応募してみようか?と思っております。それにしても、私は文芸の修行をやれば良かったな~・・・と、最近、つくづく思いますよ。アイデアだけはどんどん思いつくのに、文章でまとめるのが下手だからな~・・・。自分の才能は早めに確認して伸ばすべきですね。
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日本のホラー映画を考える

 ジャパニーズ・ホラーで有名になった日本のホラー映画ではありますが、原点である怪談映画となると、『四ツ谷怪談』のお岩、『番町皿屋敷』のお菊、『累が淵』の累、『牡丹灯籠』のお露といった幽霊のヒロインと、『怪猫有馬御殿』の化け猫、『雪女』のお雪といった妖女の二系列があるでしょう。

 怪談映画となると幽霊話が圧倒的に多いですが、大映の妖怪シリーズのようなユニークな妖怪が大挙出演する作品もあります。

 あるいは、『八犬伝』や、源頼光の妖怪退治の話なんかも映画化されたりしていましたが、これらはファンタジー色が強くホラーというには難がありました。

 その点、ホラー映画としては『ゴジラ』『ラドン』『獣人雪男』『フランケンシュタイン対地底怪獣』『サンダ対ガイラ』等の怪獣映画にはホラー・テイストが色濃くありました。

 東宝の変身人間シリーズ『ガス人間第一号』『美女と液体人間』などもSFホラーといえるかもしれませんが、やはり、そのものズバリなのは『マタンゴ』だったでしょう。

 放射能で突然変異したキノコ人間。人間がマタンゴを食べてマタンゴ人間になってしまうという退廃的な恐怖は、麻薬中毒へのメタファーではありましたが、救いのない地獄のような展開は恐ろしいものでした。

 この救いの無さに関しては、『吸血鬼ゴケミドロ』も侵略SFホラーとして『マタンゴ』に並ぶ傑作です。額がパカッと割れてゼリー状のエイリアン“ゴケミドロ”が寄生するところは本当に恐ろしいものです。

『エクソシスト』に始まるオカルト・ブームの頃には、『犬神の悪霊(たたり)』『妖婆』『ハウス』『歌姫魔界を行く』などが作られました。

 それと、『恐竜怪鳥の伝説』も、意外にホラー・テイストが強い作品でした。

 そのものズバリのホラーとしては、『血を吸う人形』『血を吸う目』『血を吸う薔薇』の三部作がありますが、第一作はゾンビ物、二作目三作目は吸血鬼物でした。

 80年代にはVシネマが全盛となり、スプラッター作品が多く量産されました。

『妖怪天国』『キクロプス』『バイオセラピー』『アギ鬼神の怒り』『GUZOO』等々、この時期に自主映画作家からプロになる登竜門のようなブームがあって、多くの才能ある作家がプロになっていきました。

 手塚眞、小中ブラザーズ、早川光、飯田譲二、塚本真也・・・等々。

 同時に、TVでも深夜枠で実験的なホラー・ドラマのシリーズが作られるようになり、これは90年代に全盛を迎えます。

『ナイトヘッド』は、その中でも最も成功した作品と言えるでしょうし、既に劇場版で二作、製作されていた『エコエコアザラク』がTVドラマ・シリーズとなって、深夜枠では異例のヒットになったものの、同時期に起きた猟奇殺人事件への配慮から最終回まで放送されずに打ち切られてしまったことは、逆にいえば、それだけホラーというジャンルの影響力がメジャーになっていたという証明でしょう。

 そうこうしているうちに、Jホラーの金字塔となった『リング』が登場して、Jホラー・ブームとなりますが、この流れは80年代から続く心霊実話再現ドラマの流れに乗ったものとも思われます。

『邪眼霊』『女優霊』、そして『呪怨』、『渋谷怪談』シリーズとか。

 ひたすら、“怖さ”を追及した作品も、最近は頭打ちになった印象もあります。

 そういう中で『新耳袋』のような、ちょっと不思議な実話テイストのオムニバス作品もコンスタントに製作されています。

 しかし、インターネットの動画で心霊映像(つくりものの・・・)が大量生産されるようになった現在では、純然たるホラー映画をプロが提供していくという構図は維持するのが難しいでしょう。

 そうなれば、単に怖いというだけではない作品の付加価値も必要になるでしょう。

 そういう意味では、『片腕マシンガール』『東京残酷警察』・・・のような、ホラーやアクション、スプラッター等が混然一体となったクール・ジャパンの作品でないといけないかもしれません。

 が、単純な怖いホラー映画というものも無くなって欲しくないな~・・・と思うのは私だけでしょうか?

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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