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脱原発は人類の未来のためですよ

 原発論争が世界中で活発化していますね。

「クリーンで安全で経済的なエネルギー」と喧伝されてきた原発ですが、福島原発の大事故によって、それらの宣伝文句がまったく信用ならないものであったことが白日の下にさらけ出されています。

 しかし、敢えて申し上げれば、この大事故によって原発の問題点が浮き彫りになったことは、人類の未来を考える良い切っ掛けになったと思われます。

 私は中学時代から原発の危険性に注目していたんですが、今回、改めていろいろ本を読んで勉強してみました。

 私は考えが甘かったですね。危険だとは思っていたけれども、まさか、ここまでとは思いませんでした・・・。

 それと、経済的というのも真っ赤な嘘。日本の技術が世界一というのも嘘。何から何まで嘘だらけ・・・。

 唖然となりました。


 そもそも、日本の原子力発電は国策でありながら、アメリカに押し付けられたものであり、自民党政権がゴリ押ししてきたものであり、そして拝金主義で構造化され、アンタッチャブルの聖域へと押し上げられてきたものです。

 要は、金をバラ撒いて原発を地方に押し付けて、援助金を出すことで地元に文句を言わせないようにしてきただけです。

 都市部から遠く離れた場所にしか作らないのは、原発の危険性を解っていたからに外なりません。

 しかし、原発が事故を起こして暴走してしまうと、それを止めるまでに長い期間と膨大な金がかかる・・・ということが、今回の福島の事故で判明しました。

 それだけではなく、使用済み燃料も処理できない放射性物質のままであるという事実。

 それを再度循環利用しようという高速増殖炉やプルサーマル型原子炉は、実は福島原発とは比較にならない危険性を秘めており、もし事故が起これば日本に壊滅的な打撃を与えてしまう・・・ということ。水で冷やせば大爆発を起こしてしまうNa冷却というのも絶望的な恐ろしさです。事故が起これば打つ手がない。即刻、廃止しないと日本は滅亡しますよ!

 何故、かくも危険極まる代物を国策として推進しようとしてきていたのか?

 拝金思想に目が眩んでいたんだとしか思えません。

 私が菅さんに期待せざるを得ないのは、自民党に政権が戻った時に原発推進の国策へと逆戻りしてしまうのではないか?と思うからです。

 問題の本質は日本の経済やエネルギーの問題ではありません。

 日本という国が壊滅する危険性のある原発から脱却する必要があるということです。

「今、原発をやめたら日本の経済が立ち行かなくなる」というもっともらしい声もまた、まやかしに満ちています。

 むしろ、「今、原発をやめないと日本の未来は失われかねない」ということです。

 それほどまでに“危険”なのです。

 私は武術を研究している人間ですから、安全な状況ではなく非常時の最悪の状況を考えます。最悪の状況を切り抜ける方策があるなら未だしも、最悪の状況に陥ったら滅亡へと向かうのを回避できない・・・という原発に未来を託すメリットはありません。

「事故さえ起こさねば大丈夫」なんて、何と愚かな考えでしょう。戦争やテロの標的になる場合を想定しなければ国の危機管理はできません。

 原発は核兵器工場と同じです。福島原発の事故で、既に広島型原爆の80発分の放射性物質が拡散してしまったと推測されています。これは今後も増えていくでしょう。

 いい加減に目先の経済効率など考える拝金思想は捨てなくてはいけない。

 地震に関しても、恐らく、現代は活発期に入ったのだろうと思われます。今回の震災を教訓にして備えねばなりません。

「太陽光発電は非効率だ」と、しきりにアピールされたりもしています。

「高いマンションが建設されて日光が遮られて太陽光発電パネルに日光が届かなくなった」という記事も新聞に出ていました。

 何て知恵がないのでしょう?

 太陽光発電が非効率なら、蓄電技術や集光の工夫をして高めていけばいいだけです。日光が遮られてしまったのなら、鏡やレンズで光を集めて照射するようにすればいいではないですか?

 その程度のことは日曜大工で自作できることです。

 私が提案するのは、太陽光パネルや風力の発電キットを売り出してDIYで設置できるようにすれば、大幅に資金も少なくできるし普及も一気に広がるだろうということです。

 電気を個人で作り出していけるようにして普及につとめれば、大規模な停電も避けることができるようになるでしょう。

 それが今までできないような制度になっていたことが問題なのです。巨大な利権組織となっていた電力会社と政府の癒着を構造的に解体して、いろんな企業が参入できるようにすればビジネスとしても大きな可能性を開拓することができる。

 リスクは分散する。これが基本です。

 一局集中の発想から離れて“個”を確立させ、自由に動ける“個”が繋がっていく結果としてできてくる“絆”の重要性は、被災地にいる人達こそが実感されているのではないでしょうか?

 これまでの日本は経済大国として世界の中心にあろうとする意識が強過ぎたのではないでしょうか?

 その結果、足元を見ていなかった。

 人間らしい生き方は、国の制度が提供するものではなく、個人が自分の生きるフィールドで懸命に働き生活していく中にしかありません。

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そんなに武術家って名乗りたい?

 シダックスの講座に来て、ブログで私の悪口書いた武術の団体を持っているという人ですが、一応、申し込んでるから、ひょっとしてまた講座に来るかな~?と思っていたんですが、現れませんでした。

 矢嶋師範代がメールしたらブログの文章を一挙に消してしまって、それっきりだったそうです。

 けれども、最低限の礼儀として私に“謝罪に来るのは当たり前”だと思うんですが、それさえしないというのは、どういう神経をしているのか?と思います。武術がどうこうと言う以前の礼節や覚悟が欠落していますね。

 いや、謝る気がなくて、本気で私に対して立腹しているのなら、それこそ立ち合いを挑んで実力を見せつけるくらいのことはやらないと、武術の団体を名乗るに値しないでしょう。

「そんなこと言っていたら武道なんか誰もできないじゃないか?」みたいなことを書いていたそうなんですが、ちゃんちゃら、おかしいですよ。

 自分にとって大切なものを守るためには捨て身で戦う・・・という意志を持たない者に武道や武術は不要です。

 本来、武道や武術は暇つぶしの趣味として楽しむために学ぶ習い事ではありません。心身を鍛えてハラを養成するのが目的です。

 自然、己の言動に覚悟を伴って生きる糧とすることを心掛けて修行せねばなりません。

 そういう意識が無い者に武道や武術を学ぶ資格はありません! 少なくとも私はそういう人間には教えません。

 ましてや、武道・武術の団体を率いて人を指導していこうと考えている人間なら、命をかけても名誉を死守する!という覚悟がなくて、一体、どうするのか?

 私は、侮辱されて黙っている武道・武術の師範には一度も会ったことはありません。

 およそ戦闘的な雰囲気が一切見えない青木宏之先生でも、「新体道の技なんか効かない」と挑発されたら、「好きにかかってきていいですよ~」と言って、その言葉通りに向かっていった空手家が一瞬で血ダルマにされた・・・という話を聞いています。

 自分から強がって見せない人のほうがむしろ、怖いんです。

 威嚇するのは自分に自信がないからなんですね。強さを見せつけようとする人は、やっぱり二流以下ですね。

 強いか弱いかではなくて、まず重要なのはハラです。ハラが据わっている人には半端な技なんか通用しません。

 武道家である、武術家である・・・という自負があるのなら、それは、“必要な時は命懸けで戦う”という覚悟が絶対に必要です。

 私が、「あなたには人を指導するだけの技量はないよ。もっと基本から鍛えたほうがいい」と言ったのは、その人には覚悟がまったく無いと思ったからです。

 覚悟がないから怖さも解らないし、怖さが解らないから自惚れて「私は武道の天才だ」みたいな誇大妄想に支配されてしまうのです。

 私に観の眼が無いように書いていたそうですが、立ち合いも辞さずの覚悟で反論を書いた矢嶋師範代のメールを読んで、おびえてブログの文章を消して謝罪するでもなく知らぬフリを決め込む・・・私が洞察した通り、覚悟も責任感もプライドもありませんね?

 怒っていたのは矢嶋師範代だけではなく、うちの常連会員は全員、怒ってました。それで、団体を持っている人物だと知ると、「是非、行ってみたい!」と、もう道場破りしそうな勢いで皆が言いだすので、「止めときなさい」と止めました。

 手を合わせるまでもない人物だと思うからであり、そんな人物と関わって大切な会員が警察の厄介になったりしては師として申し訳が立たないからです。

 私も、師匠の悪口言われて乗り込もうとしたことがありますから、「行ってみたい」と言った会員の気持ちはよく解りますし、逆に、私の発言に腹を立てて乗り込んできた人達の気持ちも解ります。

 ですが、どうか、短気は起こさないで欲しいと思います。自分の行動には必ず関係ある人達への影響が伴います。冷静に大局を観て行動しなければなりません。

 軽い気持ちでやったことが、取り返しのつかない結果になることもあるのです。

 最近も、ある先生が私の尊敬する小林先生の技を批判していたと聞いて、もう、道場に乗り込んでやろうか?と思うくらい猛烈に腹が立ちましたが、それをやっても小林先生が喜ばないのが解っていたので、ぐっと我慢しました。

 だから、私も、もし彼が“立ち合い”を求めてきたらお相手するつもりでいます。必要と考えて、敢えて彼の自尊心を傷つけた私の指導法は、確かに行き過ぎたものではあったかも知れませんし、言葉の責任は持たなきゃいけないと思っています。

 私は綺麗言は申しません。私が武術を教えているのは生活費を稼ぐためです。しかし、生業である以上、「本気で道を求めている人に応えられる游心流でありたい」と、そう念じて、日々を過ごしてきているつもりです。

 なので、安易な気持ちの人は私に近づかないでください。私は、自分の研究こそが世界一であると胸を張れるだけの研究成果を遺したい。まだまだ道は遠い。武術文化を世の中に役立つ形にするために私はこの世に生まれてきて、多くの素晴らしい先生方と出会えたのだと思います。

 ですから、私の研究を邪魔しないでもらいたい・・・と、これが目下の願いです。


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スコーレ懇親の集いに行ってきました・・・

 何だか、最近、お呼ばれが多くて忙しいです。

 でもまあ、呼ばれるということは存在を認めてもらっているということですから、有り難い限りですね。

 さて、青木宏之先生の御紹介で縁をいただいたスコーレ家庭教育振興協会の年一回の懇親会に、昨年に続いて今年も行ってきました。

 用事を済ませて会場の京王プラザホテルに向かった時は、既に開始時刻を過ぎていたんですが、遅れて行っても快く迎えていただき、恐縮至極です・・・。

 スコーレ協会を支援されている、いろいろな業界の名士の方々が今回も多数、臨席されていましたが、昨年は初めてだったので少し気後れしてしまいました。

 今年は様子が解っている分、気楽に参加させていただきましたが、青木先生も来られていたので、早速、青木先生と一緒のテーブルでお話をうかがわせてもらったりしていました。

 すると、7月17日の天真會主催のチャリティー演武・演奏会が既に定員オーバーになってしまったそうでした。早っ!

 会場で青木先生と親しい方々も、演武・演奏会に来られると話されていて、私も「すいません。僕も(演武)やらせてもらいますぅ~」と愛想ふりまいたりしていたんですが、内心では「こりゃ~、下手なことやったら青木先生に恥かかせることになっちゃうな~?」と、ちょいビビリましたよ。

 コントやろうか?とか思ってたんですけど、「真面目にやらねば!(ホントか?)」と思いましたよ。

 それにしても、青木先生の奥様が凄く気を遣ってくださいまして、恐縮してしまいました。「主人が、いつも長野さん、長野さんって言ってるんですよ」と言われて、いや~、天下の大名人に気に入ってもらえるなんて、光栄なことだな~・・・と思いましたね。

 でも、例によって2ちゃんねる掲示板とかで、私に反感持ってる剣術マニアだかが青木先生にもケチつけてるらしくて、何か申し訳なくてですね~。

 一言、お断りしておきますが、私は悪口言われ慣れてるから何と言われてもどうということはないんですが(目の前で言われたら最後まで言わせませんけど)、私の尊敬する先生方の悪口を言う人は、絶対に許さないので覚悟していてくださいね・・・フフッ。


PS;DVDの注文が殺到しまして、ちょっと発送が遅れております。申し訳ありません。しばらくお待ちください。あっ、それから最新作DVDに関しては、いつものように観ただけですぐに技ができるようになる・・・という代物ではなく、特に歩法に関しては基礎から地道に訓練していかないとできるようにはなれないと思いますので、そのつもりでご覧ください。実際、この歩法ができるようになったのは数人しかいません。うちの会の確率で言えば約2%くらいでしょうか? 地道な訓練をやらずに体得できると勘違いされている方がいると困るので、申し添えさせていただきます。

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創るということ・・・

 昨年に撮る予定でいた自主製作の短編映画。

 SFとかパロディとかいくつか考えたんですが、その一つにハードボイルド風のものを考えていました。

 ですが、“1km以上離れた標的を主人公が撃つ”という話にしたもんで、その“1km以上離れた標的を狙える狙撃銃”が小道具で必要になり、それで計画が宙ぶらりんになっていました。

 この小道具さえ入手できれば、一番、簡単に撮れそうな話だったんですね。

 それで、いっそのことスクラッチビルドで自分で作ってしまおうか?とすら思ったんですけど、やっぱ、狙撃シーンがカッコ良くなるには、実物のような動きがある小道具でないとダメですからね・・・。

 無可動のモックアップ銃をただ構えて・・・というんだったら、せっかくの狙撃シーンがつまんないでしょう?

 私は、この“狙撃シーン”のワクワクする緊張感を映像で見せてくれる作品が大好きで、松田優作の『最も危険な遊戯』『処刑遊戯』、加山雄三の『狙撃』とか、邦画のそれが大好きなんですよ。

 仲村トオルがVシネマで主演した『狙撃-シューティスト-』のシリーズなんかも良かったですね~。優作の遊戯シリーズの影響を受けているのか?と思わせて、加山雄三の『狙撃』の方に近いんですよね~。タバコを立てて風向きを読むとか、芸が細かくてリアリズムを感じましたよね~。ラストなんて、引退して彼女と遠くへ行こうとする主人公が、新しく雇われたスナイパーに撃たれて絶命・・・と思ったら、スナイパーは自分?というシュールな展開で唸ってしまいます。

 中条静夫さんもいい味出してましたよ。あぶデカの関係での友情出演なんでしょうけれど、銃のメンテナンスをするガンスミスが登場するのとしないのでは、作品の世界観に絶対的に差が出ますからね。

 優作の作品には、そういう人物がいなかった点が少し寂しかった。意外と銃の扱いがぞんざいだったりしてました。トビー門口さんが参加していた割りに・・・。加山さんには岸田森がいたからな~。

 加山さんと言えば若大将のイメージしかないかもしれませんが、銃を扱わせたら一級のハードボイルド感を出せる役者さんですよ。多分、実際にクレー射撃とかされているんでしょう。

『狙撃』の時は、ラストでモーゼルM712(フルオートできる拳銃)を持つ凄腕の殺し屋と対決するのに、わざわざ一発しか撃てないスタームルガー・ハウキイ(ホークアイ).256マグナムを持って対決するんですね~。

 この拳銃、遠目でパッと見た時にはスタームルガー・ブラックホーク.357マグナムかな?って感じに見えるんですが、六連発の回転弾倉があるべきところに弾丸を一発だけ込められる特殊加工がされていて、.256マグナムというボトルネックのライフル弾みたいな弾丸を装填するという狩猟用、もしくは標的射撃用の特殊な拳銃なのですよ。

 映画に登場したのも、この作品一回きりらしく、しかも実銃の方も売れ行きが悪くて製造中止になったそうです。

 この演出には、速撃ち世界トップクラスの国本圭一さん(モデルガン・ガスガンの専門ショップ“ウエスタンアームズ”を経営。銃器評論家として時々TVにも出演したりする)が参加していたそうですが、プロが選ぶ銃ということで考えられたんでしょうね~。

 銃に詳しくない人だったら、単発銃が何十発も連発しようが何とも思わないでしょうけど、やっぱり、アクション映画の醍醐味というのは、出てくる武器の描写にある訳ですよね~。

 それで、昨年、自主映画用にレミントンM700タイプのボルトアクション・エアーガン(東京マルイ製)が半額に近かったんで、買ってきて、これを使おうかな~?とも思ったんですよ。

 だけど、レミントンM700では300~500mくらいが標準の有効射程距離で、特別製の狙撃銃にカスタマイズしたところで700~800mが限界だと言われます。

 どうしてか?というと、使う弾薬の能力がそこまでなんですよ。

 7.62mmNATO弾では1kmを超える狙撃には耐えられないでしょう。

「しょうがない。ちょっと安易になっちゃうけど、700m先を狙う設定に変えるかな~?」とも思ったんですが・・・。

 けれども、普通のライフル銃では無理な1km超え狙撃でも可能な、ロングレンジ・スナイパーライフルというものがあります。

 これは、重機関銃に用いる.50口径(12.7mm)の弾丸を使うバレット・ライフルが湾岸戦争で、超長距離狙撃で用いられて成果があったことから研究が進みました。

 最初は、アンチマテリアル・ライフル(対物ライフル)と呼ばれて、車のエンジンを撃ち抜くような使い方をしていて、第一次大戦と第二次大戦で使われた対戦車ライフル(ドイツ、ロシア、ポーランド等が使った)の現代版とされていました。

 バレット・ライフルの成功から、いろんな会社が大口径で超長距離狙撃を可能とするライフルを開発するようになりました。

 口径も、.50口径だけでなく、中には20mm口径の、かつての対戦車ライフルと同様の物まで作られました。

 しかし、これらの銃は、大口径の弾丸を1km以上先まで安定して撃ち出す機能を持たせるために、普通のライフルのように肩付けで狙えるようなサイズではなくなり、普通のライフル銃の2倍も3倍も重くなり、バイポッド(二脚)で支えて伏せ撃ちするしかありませんでした。

 また、弾丸も必要以上に大きいため(重機関銃用の弾丸なので、精度より威力重視で作られている)に、今イチ命中精度に欠けました。

 そこで、現在は弾薬と銃のバランスを考えたロングレンジ・スナイパーライフルが開発されるようになり、特に精度と威力のバランスを考えた.338ラプアマグナム弾が主流になりつつあるようです。

 軍隊や、特殊部隊の狙撃ライフルでも、“弾丸は7.62mmではなく.338ラプアマグナムが使えるライフル銃”という条件が付加されるようになってきたそうです。

 なので、小道具に使う銃も.338ラプアマグナムが撃てるライフル銃にしようか?とも思っていたんですが、もう一つ、.50口径の弾薬を改造して.401口径にボトルネックダウンした高性能超長距離狙撃銃が知られるようになりました。

 それが、“CHEYTAC M200”です。

 この銃の凄いのは、メカニズム的に反動が極めて少なく、1km超えの狙撃が楽々にでき、1.5kmくらいも狙えるというところです。

 香港のエアガン・メイカーが30万円以上するエアーとガスの切り替えで撃てるエアーガンとして発売していて、これを使えたらな~?と思っていたんですが、30万円以上もするのでは、自主映画撮るのに短編とは言えども製作費が吹っ飛んでしまいます。

「この銃を小道具に使えると格好いいんだけどな~・・・」と思っていましたが、ちょっと無理だな~と諦めていました。

 そうこうしていると、ほとんど同じものが半額くらいで他社から再販されたみたいですね。あまりに高くて売れなかったので権利を売ったのかな?とも思いますが、事情はわかりません。

 でも、それでも15万円くらいするのは、ちょっと買うのにためらいますよね~? 本の印税が入った時に・・・とも思っていたんですが・・・。

 が、大阪のショップでディスカウント・セールで9万8000円で売りに出されているのがアームズマガジンの前月の広告で出ていたので、「これなら何とか買えるけど・・・」と、思ったものの、部屋の更新でお金が余計にかかったので、断念していました。

 ところが、金が入って余裕ができた今月も、引き続いて広告が出ていたので、「これはチャンスだ。今なら買えるぞ。というか、今買わなきゃ~、次は買えないぞ」と思って、注文しました。

 電話注文で在庫確認したところ、タン・カラー(砂漠で目立たないような黄土色に着色されたもの)のものがまだ在庫があるそうでしたが、「部品に不具合があって発送に遅れます」とのこと・・・。

 どうしようか?と思いましたが、余裕のある時にしか買えないと思って、部品が揃ったら送ってもらうよう予約注文しておきました。

 それから一週間。何カ月か待つのも覚悟していたものの、予想外に早く連絡があって、発送してもらえました。

 もうね~、見てくださいよ、このフテブテしいツラ構え・・・。押井守監督が好きそうな感じの銃でしょ?
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 一見、自動式か?という外見ですが、これはボルトアクションで、一発一発ボルトを操作して撃ちます。面倒臭そうですが、1km以上、離れた相手を狙うんだったら、ボルトアクションで充分ですよ。

 狙撃銃として最先端の特殊部隊でさえボルトアクションを使っている現実を考えれば、スナイパーは一発必中を狙うものなのが解るでしょう。

 本物は15kg以上もあるそうですが、これは8.6kg、約半分の重さなので、何とか立った状態でも構えることはできます。連射はキツイけど・・・。

 私が、この銃が気に入ったのは、銃身・機関部・肩当てが分割でき、ボルトも外せることです。

 アクション映画の狙撃シーンの醍醐味の一つに、ライフルの組み立てシーンがありますね。

 特に、こんなバカデカイ銃をそのままケースに入れて持ち歩くのは無茶なので、簡単に分割できるようになっていないと困る・・・。

 ゴルゴ13だって、M16ライフルを分割して持ち運ぶでしょう?

 チャールズ・ブロンソンの『狼の挽歌』や、『ジャッカルの日』みたいな孤独なスナイパーの仕事を描いたハードボイルド作品には、ライフル銃を組み立てるシーンが不可欠ですよ・・・っつうか、要は、“そのシーンが撮りたい”訳です!

 しかし・・・コレ、重過ぎて、組み立てるのに苦労しますわ・・・。

 何か、大太刀作ってもらって拵え作った時と同じような感慨がありましたね~。

「カッコイイんだけど・・・非実用的・・・かも~?」

 まあ、いい! 要するに、遠くからズドゴォーンッ!っと一発撃ちゃあ終わりってところが、このCHEYTAC M200の真骨頂なんですからね~。

 これで小道具も揃ったから、年内には自主映画撮ろうかな~?と思っちょります。主演はもう決まっていて、うちの会員のCさん。身長180cmを越える長身で、この銃でも似合うでしょう。海外での活躍も視野に入れていて、今年はその基礎固めです。

 ちなみに、彼が出演している芝居『甘い丘』(フェドー劇場)を、ラピュタ阿佐ケ谷の地下劇場ザムザ阿佐ケ谷に会員のK塚さんを誘って観に行ってきました。
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 有名な声優さん(あのドラ・・・)も出演されていて、演出の方は、あの野沢那智さんのお弟子さんなのだそうです!

 ストーリー自体は、しごく日常的な町工場の人間関係を描いていて、特に私の好きなケレン味溢れたバトルやホラーやサスペンスがある訳でもありません。

 が、何なんでしょう? この淡々と進む中に混在する平凡な人間の中に潜むいろんな想いの錯綜・・・。

 私は、8年前に生活苦のために仕方なく働いたラブホテルでの日々が脳裏によぎりました。

 いろいろワケありでバイトしていた主婦や若者、精神に障害があることを感じさせる人・・・そんな人達でも受け入れてくれる職場の有り難さとか、そこから抜け出したいという思いと相反する、居心地の良さ・・・みたいな感覚は、確かに私も感じていたものです。

 元来、私は人間嫌いです。独りで夢想に耽っている方が圧倒的に好きです。

 二浪して入った大学の一年生の時は、不登校に陥り、10カ月くらい、ほとんどアパートに籠もって自己流で武術やヨーガ、気功の訓練に没頭し、哲学や現代思想、宗教学の本ばっかり読んでいました。

 まあ、今の仕事の基礎がこの時期に養えたと思えば無駄にはなっていませんが、二年目に、このままではいけないと思って、再び大学に通いました。

 ところが、これも映画研究部に入ってから、映画のトリコになって学業そっちのけで映画のことばっかり考えていましたからね。

 その結果、クラブの先輩ミヤザワさんの鶴の一声、「長野君。本気で映画やりたかったら、やっぱ、東京に行かんとあかんでぇ~」という言葉で、“そうだ! それしかない!”と思い立って、綺麗さっぱり学業は捨ててしまいましたね・・・。

 こんな20代前半でドロップアウト人生を歩み始めて、なんやかんやで、普通の人間だと30回くらい自殺未遂してんじゃないか?とか思いますが、今となっては微塵も後悔することなく、「我が人生に一片の悔い無し!」と笑って死ねそうなくらい武術馬鹿人生を送ってきました・・・。

 何かね~、Cさんや、USA支部長のabeさんのように、自分の夢を実現するために人生を捧げて生きている人間の潔さというか、そうやって生きている人達が私は大好きだし尊敬できるし、自分も明らかにそういう人間なんですよ。

 だからね~。甘いこと考えてる人には、「悪いこと言わないから、普通の仕事して生きること考えた方がいいよ。あなたの考え方じゃ絶対、無理だよ」とアドバイスするのが常ですね。

 で、今回の、この芝居。退屈するどころか、予想外に惹き付けられて、何か、何とも表現できない癒されるような不思議な心地よさが残りましたね~。

 ダンナに逃げられた主婦のヒロインが、そこはかとなくうだつの上がらない純情中年親父の不器用な愛情によって立ち直り、またゴミ溜めみたいな職場に戻ってくるラストなんて、メゾン一刻と男おいどんを足したみたいな感じで良かったな~。

 Cさんが演じた小説家志望のヒモ青年?も、何だか、Cさんのキャラに引っ張られて爽やかな純情青年みたいで嫌みがないんですよね。台本的にどうよ?と思う人がいるかもしれませんが、案外、現実はこういうもんです。本当に根っから嫌なヤツなんて、そうそういるもんじゃないです。

 あ~、そうだ。この作品。何かアニメーション的な感じがするかも?

 淡々と続く日常の中の残酷さや人恋しさ、そういう人の想いを汲み上げてホンにした作者は女性だそうです。一瞬も飽きさせずに見せ切った役者さんたちも凄いです。

 設定は平成らしいですが、雰囲気的には昭和です。

 そういえば、私も働いていたラブホを辞めてから、一度、顔出しに行ったことありますが、それくらい懐かしく感じていましたね。別のホテルに変わっていた時はショックでしたが・・・。

 そんな個人的感慨もあって、離婚して自由を得たヒロインが、また戻ってきた心情も解る気がしました。

 ホント、いい作品でした。

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30日は撮影やります!

お知らせです!;6月30日のメイプルホールの本部道場稽古は、海外向け動画の撮影をやります。お時間のある会員さんは手伝いに来てくださいね。


 さて、19日(日)の本部青空稽古会?は、お花見以来、高校生会員のNさんが来ていました。

 高校生とは言っても、Nさんの武術歴は十数年。何と3歳から始めているというのですから、子連れ狼の大五郎みたいです・・・。

 一番、長く続けているのは伝統派空手道なんですが、何かもう、試合よりも武術として追究していきたいと思っているらしくて、親子ぐらいの年齢差なのに、話していても少しもギャップを感じません。

 うちも、才能のある人から無い人まで、随分、いろんな流儀の人が来ていますが、才能という点ではNさんは上位三本の指に入る逸材です。

 何しろ、交叉法や脱力技法を試合で使えるくらいなんだから、格闘漫画の主人公かよ?と思えてしまいます。

 でも、本当に驚かされるのは、毎朝(というか深夜だけどね)三時から練習して朝六時過ぎまでやっているってんだから、恐れ入ります。天才とは努力を続けられる才能のことなんだな~・・・と、シミジミ・・・。

 大石教練もNさんを高く評価していて、一緒に練習しているとはしゃいでしまって、かなり暴走?してしまっていました。

 せっかく私が小林先生直伝?(DVD観てパクッた)の技を教えているのに、自分で工夫している技を解説し始めて、そのまま夢中になって説明・実演・説明・実演・・・と、延々と教えているんだから、「まったく、こいつはもぉ~(苦笑)」と思いましたよ。

 でも、大石教練も入会した頃と比べると、随分、説明が上手くなりました。

 彼は腕前は既に師範クラスでしたが、技の説明が感覚的過ぎて、人には全然伝わらなかったんですね。

 それが、最近は、感覚を論理的に変換して説明できるようになってきましたから、知らない間に指導家としての技量がぐんと上がっているのです。

 その論理的に説明できるという点が、技を整理し、自身の技量もより向上させていて、実戦力では、世間的に達人と名前が知られているような師範方と比べても、少なくとも引けは取らないと思いますね。

 彼は、新体道と鳥居隆篤先生のところで柔法を修行していたそうなんですが、技というより武術に必要な身体感覚を養っていたのが良かったんだろうな~と思います。

 何しろ、空手でも中国拳法でも、DVD観ただけで、数十年修行した人みたいに真似できてしまうんですね。

 だから、特に教えなくても、やって見せれば、勝手に体得してしまうんですよ。

 大石教練は特別なんだと思っていたんですが、でもNさんもそういうタイプなんですよね~(笑)。うちの中年会員連中は、皆で笑っちゃうしかないです。これで高校生なんだから、これから、どうなっていくんだろう?と思います。

 しかし、Nさんも、尊敬する空手の先生がいて、それが、あの中達也先生なんですね。

 中先生は、何でも、七段に昇段されたそうなんですが、「ちょっと待って・・・中先生って、まだ40代半ばじゃなかったっけ?」ってNさんに聞き返したんですが・・・。

 武道に詳しい方だったら、40代半ばで七段になるということのビックリ度がお解りになるでしょう。破格も破格、超破格なことですよ!

 だけど、私は不思議には思いません。「中先生だったら、当然だよな~」と思っています。

 空手界は沖縄空手ブームですが、私が不思議なのは、何で「中先生がもっとクローズアップされないのかな~?」ということです。

 だって、縮地法もできるし、先を取るのもできるし、読みもできるし、身体操作のレベルも武道界でトップレベルですよ。武道の世界が、いかにブランド・イメージに左右されてしまって自分の洞察力を信じる人が少ないか?ということだと思いますね。

 正直、沖縄空手の先生だって、ピンキリですよ。「沖縄空手を教える」と言えば、ヘヘェ~ッて群がるような阿呆な状況は考え物だと思いますね。

 でもね。私は、競技空手の世界出身で、こんなにも武術空手の理論を体現できている人が存在するなんて夢にも思っていませんでしたから、本当に驚きましたもんね。

 そうですね~。小林先生に初めて会った時以来かな~?

 あっ、でも、誤解しないでくださいね。私は中先生には、まだお会いしたことはありません。よって、内輪ボメしているんじゃないんですよ。

 純粋に、「この先生は凄いな~」と感動したから書いているだけです。

 同様に思ったのは、そうですね~・・・居合術の町井先生がエアガンから打ち出された6mmBB弾を抜き斬りにしたのを見た時くらいかな~? 据え物斬りなら、良い刀があれば、そこそこのことはできる自信がありますが、あんな豆粒みたいなBB弾が高速で飛んでくるのに抜き斬りに正確に刀の刃を当てるなんて・・・神業以外の何と表現できるでしょう? ただのパフォーマンスだと罵倒する人達がいるというのが信じられません。高速で動いている豆粒大の物体に正確に抜き斬りできるということは、人間が相手なら一瞬でどこでも自由自在に斬れるということですよ。仮に、もしも町井先生が人格的に最悪の人物であっとしても、あの技の凄さは誰にも否定できないでしょう? それに、文章を読む限り、人間味があって自分の心に正直な方だと思いますよ。非難している人達も、やっかみで言っているにしても、自分自身が恥ずかしくないんでしょうかね~? こっちが恥ずかしくなりますよ・・・。


 話を戻しますが、中先生を尊敬して修行しているNさんを見ても、やはり、弟子を見れば師匠が解るんですよね。本当に腕前が優れた人物は、やはり心も優れているものです。

 同様に、大石教練を見れば、鳥居先生がただ者ではないのが解るし、新体道に秘められた能力開発トレーニング法としての優秀性が解る・・・。

 私も、いろんな先生方に学んでいますから、先生方に恥をかかせないように、もっともっと自分と会員の腕前を磨いていかなくちゃな~・・・と思いますね。

 先日は、小林先生からも「弟子がちゃんと育っている」とホメていただけましたし、もう心のねじ曲がったような人間は游心流からは一人も出したくありません。

 しかし、自惚れたり、自分の実力を勘違いしたりしている人間くらい、はたで見ていて哀しくなる人達はいませんね~。武術武道は、やはり、甘い世界であってはならないんだな~と思うばかりです。


PS;7月17日のほびっと村の講座(昼2時から4時)ですが、私と北島・矢嶋の三名が天真会主催のチャリティー演武・演奏会に出演する関係で、前半の30分程は東京支部助教のK塚さんが基礎錬体を中心に指導し、それから私が会場入りする予定ですので、受講希望の方はあらかじめ御了解くださいませ。また、場合によっては30分延長するかもしれませんが、参加料金は変わりませんので御安心くださいませ。

PS2;K塚さんに借りた谷垣監督作『くノ一・五人衆VS女ドラゴン軍団』。普通の蒼井そらファンはギャフンと卒倒しそうな“純粋功夫片”ですが、香港功夫映画マニアのK塚さんに教えてもらったんですが、ストーリーもジャッキー・チェンの3D映画『飛龍拳』のマンマなんだそうですね。それと、女の子が二人がかりでニャ~ッ!って感じで松田賢二を襲うシーンも、ジャッキーとノラ・ミヤオが共演している『蛇鶴八拳』にあるシーンだったことを洋画シネフィル・イマジカでの放送を観て発見しました! ヘンなアクションだから元ネタがあるんだろうとは思ってましたが・・・谷垣監督、どこまでジャッキー好きやねん? 御関心のある方はレンタルビデオ屋さんで探してね?・・・あっ、ひょっとして間違ってAVコーナーに置いてある可能性が・・・。

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身の程を知る

 シダックスの講座に“武術を教えている”という人が来ました。

 三月だったかに一度、体験入門した人でしたが、その時に売り込みのやり方とかを聞いてくるので、「ははぁ~、俺に雑誌社とか紹介してもらいたいんだな~」と思ったんですが、正直、私の眼には、“とても指導者というレベルの実力は無い”と思えたので、適当な話をして“やんわり断って”いました。

 こういう“自分が達人であるかのように思い込んでいる人”に厳しい対応をしてしまうと、陰で嫌がらせしてくるのが、毎度、お決まりのパターンだからです・・・。

 合気武術系統をやっている人が特に多いですね。神秘の技に憧れている人が錯覚しやすいのかもしれません。

 自己愛性人格障害者が武術の世界にはうんざりするくらい多いので、最近は警戒して会わないようにしていますが、シダックスは断れないので、たまに来ます。かなり長くやっているから止めたくはないんですが、受講生も少ない上に、困った人が来る率が高いので、続けるかどうか、悩んでおります。

 その人は「ほびっと村で講座をやってみたい」と言うので、「聞いてみたらいいんじゃないですか」と答えておいたんですが、4月に講座の時にほびっと村学校で「長野さんの紹介だって言う人が来たんですが、知っている人ですか?」と言われて、ちょっと面食らってしまいました。

 私は、「聞いてみたら・・・」とは言いましたが、紹介した訳ではありません。

 人を紹介するということは、その人の人品とか能力とかを知らないと、軽はずみにはできませんよね~? 一度会っただけの人を紹介するのは、ちょっと、よっぽどの才能のある人とかでないと無理ですよ。

 で、ほびっと村の方でも、話していて“講師ができる人ではない”と思って断ったそうでしたが、私としても、「僕は別に紹介した訳ではないし、武術を教えているとは言っていたけれども、正直、そんな技能の持ち主とは思えません。多少なりとも修行していれば、それなりの鍛えた形跡が心身に現れますからね~」とか話しましたけれど、やっぱり、私の名前を出すことで自分を売り込もうとしたんだな~と思わざるを得ず、「図々しいヤツだ」と、ちょっと立腹していました。

 それで、その人がシダックスの講座を正式に入会して受講してきたんですが、私に習う以上は、勘違いしたままでは捨てておけないし、本人のためと思って、「悪いんだけど、貴方は自分で思ってるような実力は無いよ。武術はそんなに甘くないし、人に教えるなら、もっと実力を磨かなきゃダメだ」と、はっきりと言いました。

 もちろん、普通は、いきなりそこまでは言いませんよ。“自尊心を傷つけられた”と恨まれるのが関の山ですからね。

 でも、年齢が私よりずっと年下だったのと、あまりにも基礎的な身体訓練ができていなかったので、本人のためを思って、敢えて自尊心を叩き潰すように言ったのです。身の程を知らないまま武術を教えていれば、いずれ、痛い思いをするハメになると思っての善意だったんですが・・・。

 たとえ、自分で武術の団体を率いている人であっても、私に正式に習いに来た以上、教える側の責任として、ダメな点は「それじゃ、ダメだ!」としっかり指摘すべきです。

 私は“勘違い”は絶対に許しません。教えるからには、まず心構えから変えさせるのが指導者の務めであり、責任だと思っています。

 初対面の時に私が優しく対応したのは、相手をお客さんだと思っていたからであり、二度目は“私に武術を習いに来た人”であると認識したので、厳しく欠点を指摘したのですね。

 これは経験の有無は関係ありません。何しろ、うちの会員さんの過半数が他流の経験が豊富で自身で道場を持っていたり、師範クラスの人も何人もいる訳ですから・・・。

 武術の技には殺人を目的にした技がいくらでもあります。人を殺す技を学ぶ以上、人並みの甘い考えしかできない人間は、精神を病んで誇大妄想に取り憑かれるのは当然の理なのです。

 よって、人を傷つけず自分も傷つかないで暴力だけを制圧できるようになるには生半可な修行では到達できません。ただ、長く学んだからできるというものではないし、現実に20年30年やっていても、できない人はできないものです。

 武術には素質も才能も必要ないと思います。が、唯一、“覚悟”だけは絶対不可欠なんです。それは自分に対して厳しく見つめて常に向上させていこうという意識であり、それが人生をクリエイトしていく前向きな意識に繋がるから、その一点だけで武術修行が価値あるものだと言える・・・と、私は思います。

 自分を厳しく磨く意志の無い人間に武術修行は何の価値もありません! 少なくとも、私の考えはこうです。

 無論、自尊心を満足させていたいのなら、他の道場を訪ねるなり、自分自身のサークルで同じ考えの人達を相手にやっていればいいでしょう。

 実力があろうがなかろうが、自己満足でやっていたいだけの人を、許すの許さないのと言う権利は私にはありません。

 しかし、私に習いに来た以上は、自己満足は決して許しません。

 私は武術に関しては、いたって古い考え方の人間です。「教わる以上は師匠と対等なつもりになるな! 弟子は師匠を信じて黙って言われた通りにやれっ!」というのが偽らざる本音です。

 例えば、私に対して「長野さん」と言った時点で、その人には武術の上っ面しか教えません。ギョッとする人もいるかもしれません。文章のイメージからすると、私はものすごく気さくな性格で誰とでも対等な立場で付き合おうとする人間のように思えるでしょう。

 無論、武術以外ではそうです。しかし、武術を教える場合は、厳格な師弟関係を求めます。私に対して師として敬う気がない人は、お客さんとして距離を取り、一定のところまでしか教えません。

 そういうのが「理不尽だ。横暴だ」とか思う人は武術を習う資格はありません。武術はそんな甘いもんじゃありません。命の奪い合いをする技を修練するんですよ? 民主的な平等な関係性で習えると思う方がおかしい。

 金さえ払えば習えると思ってるような人間には、こっちも教えたくないし、差別的で申し訳ないんですが、女性には特に目立ちますが、やたら特別扱いしてもらいたがる人がいます。ちゃんと習う気があるのか?と不審に思うことがあるんです。

 私は、きちんと学ぶつもりがない人間は相手にしませんから、念のため・・・。

 なので、この人には、「本人の中に秘めている“自惚れ”と“勘違い”をまず矯正してやらなきゃ~教えられないな」と思ったんですよ。

 その場では表情も変わらず、ケロッとした顔で聞いていたから、どうかな~?とは思ったんですが・・・。

 ところが、やっぱり、立腹して自分のブログで私に対する文句を書いていたそうです。

 それを見つけた矢嶋師範代北島師範に相談し、私に報告してくれましたが、「俺がいちいち相手すればややこしくなるから、矢嶋さんの方で忠告してやってくれないか? 2ちゃんねると違って個人で、しかも団体名乗っている人間の発言だと風評被害も大きくなるから捨ててはおけないからね。そのブログも、読むと腹立つから俺は読まないよ」と、対応は矢嶋師範代に一任しました。

 一応、「先方へ送るメールの文章をチェックしてください」と律義にメールしてくれたので読みましたが、流石に矢嶋師範代、男気溢れる内容で感心しましたよ。相手に対する思いやりさえ感じさせて、「やっぱ、うちの会員は腕前だけじゃなくて任侠道が解ってるな~。何か武侠小説の登場人物みたいだな~」なんて思いましたね。

 北島師範も完全に怒ると冷静でいられなくなるタイプだし、私も口より先に手が出る人間なので、一番、冷静でいられるであろう矢嶋師範代に一任した訳ですが・・・。

 何も、その人の活動を潰してやろうとは思っていないので、武士の情けで名前は書きませんが、この人は伝統武術を20年も修行したそうで、しかも業界では最も老舗の伝統ある道場で学んでいたそうです。

 ここの出身者には何人も会っていますが、真っ当な人ばかりでしたし、まともに修行していれば、相当な腕前になっていたでしょう。率直に言って、本当に習ってたのかな~?と、首を捻ってしまいました。

 ブログでは「自分は武道の天才だ」とか書いてたそうなんですが、そんなの自分で宣言する神経が既におかしいんですね。矢嶋師範代も、「最初は腹が立ったんですけど、読んでるうちに笑えてきて、でも、最後には可哀想になって悲しくなってしまいました」と感想を言っていました。

 講座の時も「キックボクシングやっている人が自分の技に感心していたんです」と、フフッと自慢げな顔をしていましたが、そのキックやっていたという人も、この人のあまりの弱々しさに可哀想になって感心したフリしてあげたんじゃないかな~?と思います。

 それほどまでに、ひ弱そうなのです。どんなに軽く打っても絶命しそうな虚弱な外見で、軸はブレているし、まっすぐ立てないし、重心も安定していません。発力させてみましたが、小学生低学年並みで哀れになりました。これで武術なんか教えていて、ヤンチャな人が来たら、撲殺されてしまいますよ。

 率直に言って、戦闘力0だと私が断言している甲野さんですら、この人と比べたら何十倍も強いでしょう。正直、私がこれまで会った人の中で一番、ひ弱でした。


「身の程を弁える」ということが修行者にとっては、最も重要なことです。

 世の中で一番、大切なことって、自分の力で生きていくってことです。自分の適性を間違えて、金稼げない仕事にのめり込んでいたら生きていけませんよ。

 この人は、ブログ中で自分の腕前を自信満々に書いていたそうなのですが、矢嶋師範代がコメントのメールで「あなたと手合わせする覚悟がある」と書いていたら、手合わせを受けるでも謝るでもなく、いきなりブログの文章を全面的に削除してしまったそうです。

 自信がないんだったら、そんな挑戦的なことは書かなきゃいいんです(私なら安易に削除しません。最初から覚悟して書くので・・・)し、最低限、「申し訳ありません」と謝るくらいするのが大人の対応だと思いますが・・・。

 私が名前を挙げなかったのも、武術家として名をなす可能性の無い人だと思っているからなのですが、伝統武術を長年修行して型稽古しか体験したことがなくて、こういう具合に悲惨な状態に陥っている人を、結構見かけるんですよ。

 自分でも本当は自信がないので、余計に空威張りして見せる人が多い。専門誌に出ている人にもそんな人がいるんですから、伝統武術が現代武道や格闘技をやっている人から軽蔑されるのも致し方ありません。

 本当に実力のある人は、むしろ、そういう具合に見せないですが、それでも訓練した形跡は身体的にどこかしら現れます。

 戦う技を習っているのに、全然、戦えない・・・その馬鹿馬鹿しい程の矛盾を自覚できない人は、武術を人に教えようなんて甘い考えは持たないほうがいいんです。

 普通は表沙汰にならないだけで、多くの武術師範が痛い思いや恥ずかしい思いを味わっているものです。名門の団体の二代目がフルコンタクト空手修行者に挑戦されて土下座して泣いて謝った・・・とか、そういう話は無数にありますよ。

 本物は、そんな自分の恥ずかしい話でも平然と話すことができる人です。隠して空威張りするのは自信がないからなんですよ。

 武術とは、身を捨てても戦うべき時には戦うという意志を持てる人だけが極めることができるものであり、覚悟無き者が軽々しく学んで極意に達することができるような甘いものではありません。血を流しても誇りを守る!というのが武術家の生き方なんです。

 研究家の私でさえ、そのぐらいの意識はあるんです。

 スポーツや趣味として武道や武術を楽しみたいと思う人は勝手にやればいいでしょう。

 しかし、スポーツや趣味として楽しむつもりで学んだ武術で命を護る戦闘状況に対処することは不可能です。“不可能”と断定するのは、そういうシーンを何度も見たことがあるからです。武道の黒帯で自分は強いと思っていた人間が無残にボロボロにされたり、恐怖に竦んで動けなくなったりするのです。

 繰り返します。一番、重要なのは、覚悟です! 強いとか弱いとかじゃありません。覚悟無き者が形だけ学んでも、武術を現実の人生に役立てることはできませんから、ゆめゆめ、お忘れのなきように・・・。


PS;原発について、いろんな本を読んで勉強していますけれど・・・何か、知れば知るほど、絶望的ですね? 危険だとは思ってたけど、これほどまでに酷いとは? 菅さんは原発を全廃させたくて粘っているのかもしれません。もし、そうだったら、私は全力で菅さんを応援しますよ!

PS2;運足と歩法の違いについて質問がありました。基本的に明確な違いはありませんが、私自身は、運足は“撃尺の間合に入ってからの足の運び方”で、歩法は“間合を問わず戦術的な足の遣い方”と考えて区別しています。つまり、私は、歩法には、運足も含めての体移動・間合の操作・攻撃技(蹴りや足がらみ、踏み足)等を総合的に総括した意味を持たせて用いています。

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戦闘理論について

戦闘理論というのは、一体、どういう意味なんですか?」という質問があって、ちょっとビックリ・・・。

 そうか~。その段階で既に知らないのでは、疑問に思わないのも道理だな~?

 ならば、解りやすく解説してみましょうかね?(っつうか、こんなことブログに書く内容じゃないけどな~?)

 一番、解りやすく解説するなら、「うちの流派では、こうやって戦うことで勝てる」という、その流派毎の必勝パターンというものが、本来は必須なんですよ。

 ところが、それを秘伝として一子相伝とかしているうちに、ちゃんと伝わらないまま忘れ去られてしまい、揚げ句の果てには存在していたことすら誰もが忘れてしまった・・・という状態になっているのが、現在の武術武道の世界になっちゃってる訳です。

 早い話が、本来、同門同士で戦う必要はなかった訳なので、大抵の流派は他流と戦う場合にどうやって勝つか?というテーマで独自の戦闘理論を構築していたんですね。

 太極拳は少林拳や長拳の打撃技を破る工夫をして戦闘理論を作っているし、新陰流は神道流を破る後の先を、一刀流は“斬り落とし”をベースに戦闘理論を作った・・・。

 ところが、稽古の一環で同門同士で戦う練習をしているうちに、戦い方がパターン化してきて誰もが同じ技で同じ戦い方をするようになり、単に技量が上の者が勝つというスポーツ的な方向へ発展して普及していった訳です。

 こうなると、戦闘理論がものを言うこともなくなっていった訳ですよ。

 何でかって言うと、誰もがルールに則って同じ戦い方をするので、戦術も戦略も持ち込めなくなってしまったからです。

 どういう意味か?っていうと、現代の剣道の試合に宮本武蔵みたいに遅れてきたり竹刀じゃなくてデカイ木刀使ったりするヤツが出てきたら、その時点で反則負けでしょ?

 つまり、スポーツの試合形式は戦闘理論を必要としないし、むしろ邪魔にしかならない訳ですよ。

 このパターンを打ち破ったのは、アルティメット大会を開催して格闘技界に旋風を呼んだ頃のグレイシー柔術ですね。

 グレイシー柔術は他流をどうやって制圧するか?という戦闘理論を明確に構築していたんですよ。戦術戦略を活かすためのルール設定までやっていた訳です。

「こうすれば我々が必ず勝てる」と理詰めで作戦をたてて、そのための必要な練習をして試合に臨んでいたんですから、そりゃあ、勝負にならないのは当たり前だったんですね。

 ところが、何度も繰り返すうちに段々、それも通じなくなってきて負けたりするようにもなる。公開試合で実践して見せたから研究されてしまったのが原因ですね。

 つまり、戦闘理論は隠しておくから効果絶大なのです。公表したら、通じなくなっていくのは必然です。

 モロボシダン言うところの「血を吐きながら走る哀しいマラソン」なんですよ・・・。

 でもまあ、もう少し具体的に解説しておきましょう。

 戦闘理論は、本来、同門同士で戦う場合は想定しないものです。だから、現代の競技武道や格闘技とは考え方が異なるんですね。

 基本的には、「いかなる敵にも勝利すべし!」というものなので、考えられる限り、あらゆるシチュエーションで、あらゆる戦闘法を相手に殲滅することを目的に考案される必要があります。

 だから、“武芸百般”を学ぶのは、むしろ必要性を考えた基本訓練だったんですね。

 武芸百般ができることを前提とした上での戦闘理論なのです。

 突き蹴り・投げ・絞め・関節技・急所責め・体捌き・歩法・読み・交叉法などを駆使した徒手体術。

 剣・棒・薙刀・槍・ヌンチャク・十手・釵・トンファー・鎖鎌・手裏剣・弓矢・隠し武器・鉄砲などの武器の操作術。

 怪我・骨折・捻挫・病気などの治療術と毒薬などの知識。

・・・こういうことを基本的に知っていて体得していることが前提なんですね。

 何でか?っていうと、敵は複数かもしれないし、武器も持っているかもしれないし、こちらが怪我したり病気したりで万全に戦えない状態を狙われるかもしれない・・・。

 そういう最悪の事態を先に想定して、そこから生き残るにはどうするか?ということを考えるのが本来の意味での戦闘理論なんですよ。

 言葉を換えれば“兵法”ですね。

 平和な状態で武術を修行する意味は一つだけ。“戦いに備えるため”なんですよ。それが“平法”です。

 もちろん、具体的な戦闘理論というのにはいろんなものがありますよ。

 太極拳は相手に接近密着して打撃技を出せないようにして制圧するし、伝統空手は逆に、離れたところから高速で突き蹴りを急所に叩き込んで制圧する。

 一刀流剣術は対の先で相手の正中線を斬り落とすし、新陰流は相手に技を出させて体捌きしながら後の先で小手を斬って制するし、示現流は先々の先で一方的に斬って斬って相手の反撃を許さない・・・。

 この、その流派毎の戦闘理論を真に理解して駆使すれば必ず勝てる!と、創始者は確信したからこそ、流派を称えたんだと思います。

 無論、その流派毎の戦闘理論というのは言葉で解説できなくても身体で具現化できるなら問題ない訳です。

 多くの実戦名手と尊称された武術家は、恐らく意識的に戦闘理論を用いていた訳ではなかったでしょう。感覚的に使っていたと思われます。

 けれども、凡人がその境地に達するには、一度、戦闘理論を構築する必要があるんですよ。自分の身体感覚というのは人には伝えられませんからね。

 それに、現代的な感覚だと、「剣道は小手・面・胴と突きしか使わないし、防具を装着して竹刀できちんと一本取らないとダメ」といったことが厳密に決められているので、そもそも、「刀や木刀が無かったら剣道家は全然戦えない」と思われていますよね?

 映画の世界の創作ではありますが、『用心棒』の主人公の桑畑三十郎(仮名)は、刀を持っていると超人的に強いですが、刀を奪われてヤクザたちのリンチでボロボロにされてしまいますし、『十三人の刺客』(工藤栄一監督版)でニヒルな無敵の剣の遣い手と思われていた浪人・平山九十郎は、刀が折れるとヒエエ~ッ!と、恐怖に顔を引きつらせて無様に逃げ回った揚げ句、何もできずにブスッと刺されて惨めに死にます・・・。

 武道論の大家として知られた南郷継正氏は、後者を評して「剣道家は見たくないシーンだろう」と書いていましたが、江戸時代の侍が剣を持たないと途端に弱くなる・・・という描写そのものが武術を知らない人間のイメージなんですね。

 本来の武士は、剣術・柔術・角力・居合術・弓術・槍術・馬術・泳法くらいは普通に習練していた筈ですし、武芸好きだったら、もっと沢山やっていたでしょう。

 刀が無いと弱い・・・なんて筈はありません。この辺の描写は『レッドサン』では見事に改善されていて、ミフネは刀が無くても柔術や弓術や手裏剣の遣い手で、なかなか格好良かったです。

 こういう武術の本来の姿は、むしろ殺陣の中で表現されていて、真田広之や藤岡弘、は、そういう意味でも海外では俳優であると同時にマーシャルアーティストと名乗って活動してもいいんじゃないか?と思います。だって、恐らく、日本で武術家と名乗ってる人たちより実力あると思いますし・・・。

 つまりですね。武術で言うところの戦闘理論というのは、どんな敵に対しても勝てなきゃいけないので、根本的には“相手に技を出させないようにする”ということを考える訳ですよ。

 そのためには自分が何でもできなきゃ~ダメなんです。

 素手で戦うと抜群に強くても、武器の遣い方を知らなかったら、武器持ってる相手とは戦えませんね。でも、武器だって万能じゃないんだから、勝てない武器は必ずあるんですよ。

 素手の武道や格闘技も、技術的な弱点は必ずあります。その弱点だけ攻めれば破ることはできます。

 そういうことを総合的に考えるのが戦闘理論であり、それが戦術戦略というものです。

 例えば、「戦わずして勝つ」というのだって、より社会的現実性を鑑みた現実的戦闘理論なんですよね。

 武道・格闘技やっている人間は、「闘って強いか弱いかを確かめたい」と考えがちなんですが、それはスポーツ的な発想だったり不良のケンカみたいな感覚でしかありません。

 相手も同じ感覚や価値観を共有して納得できる関係性でないと、これはやっちゃ~ダメなんですよ。決闘罪になるから。

 でも、武道・格闘技をやると、自分がどのくらい強くなったのか確認したくなるんですね。武術だって、ある時期はそうなります。

 私だって、そうだったから、別に否定しようとは思わないですよ。20、30くらいの人間が「戦うことには意味がない」とかスカしたこと言ってるのを後ろから蹴り飛ばしたことありますよ。「なっなっなっ・・・何するんですかぁ~っ?」って、メッチャ、ビビりまくった顔して慌ててましたけど、こういうヤツって偽善者ですよね。戦うことが空しいとか思うなら、武術なんぞやるなーっ!って話です。

 だいたいね~。世の中は理不尽で不条理なものなんです。自分の思う通りに生きられる道理がありません。だから、生きていくのは戦いそのものなんですよ。「男なら、戦って死ねぇいっ!」ってのが私の座右の銘です・・・(今、考えたけど)。

 だけど、40、50過ぎてまで、そんな感性剥き出しのままだったら社会性が無さ過ぎるでしょう? こういう脳が壊れてんじゃないか?って、人、たまに来ますよ。

 単なる社会不適応者ですよね。

 私なんか、常に猫かぶってますもん。青木先生も小林先生も光四郎先生も・・・私の尊敬する先生方は、皆、猫かぶって優しそうです。酒呑むと変わるけど・・・。


PS;DVD注文いただいた方から、昔出したビデオを観て「タモリ倶楽部の空耳アワーの人かと思ってました」と添え書きしてあって、いや~、そういえば似てたかも?と思いましたよ。髪と髭を伸ばしていて、刀禅の小用先生から真顔で、「オウムの松本に似過ぎてるからやめなさいっ!」と注意されたことがあります。今も髪伸ばしてますけど、これは自主映画やるためなんですけどね・・・。

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ストアハウス“上野”で新劇場!

 江古田で毎月開催しているセミナー会場等で利用させていただいているストアハウスが、劇場としての活動を休止して2年。場所を上野に移しての新しい劇場がオープンするということで、上野ストアハウスの開場記念公演『縄-ROPE-』を、6/14の最終日に観に行ってきました!
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 チラシの地図を頼りに行ったんですが、夜になると地図を頼りに行くのって大変ですね~? 何か、グルグル回っちゃって、かなり余裕をもって出掛けた筈なのに、開演5分前に到着しましたよ。

 上野駅自体が大きいから、初めて行く人はちょっと迷うかもしれませんね。

 江古田ストアハウスは駅から降りてすぐのビルだったんですが、これはこれで雑居ビルの4Fだから、見上げないと気づかなかったりして、やっぱり初めて来た人が気づかないで回っちゃった・・・ということもあったそうです。

 でも、何はともあれ、ようやく見つけた新劇場だそうですから、主宰の木村真悟さんはじめ、カンパニーの皆さんの希望に満ちたやる気満々の表情には、こっちも感慨深いものがありましたね~。

 今回の公演に関連して開場前夜祭とかいろいろとあったらしいんですが、私、ちょうど忙しくって、そちらには行けなかったんですが、公演される『縄』は観たことがなかったものですから、これは是非、観たいと思っていて、最終日は何とか都合つけて行ってきましたね。

 ストアハウスカンパニーの特徴としては、極めてアート性が高いのに、同時にエンターティンメント性も感じられて、最初から最後まで一瞬も飽きさせないで集中して観られるという点が挙げられます。

 何度も観せていただいていて、その度に驚かされる内容なんですけれど、コンテンポラリーダンスとも違うし、いわゆる芝居とも違うし、単純にパフォーミングアートとも言えないし・・・、でも、それらをすべて包含している前衛的な演技として出演者の身体性を、無機的にも有機的にも表現し尽くす演出に、毎回、圧倒されます。

 今回は、特に、「これを考え出している木村さんの頭の中はどうなってるんだ?」と思いました。

 先日、観たばっかりの芝居は、エンターティンメントに徹していて非常に楽しかった。

 けれども、ストアハウスカンパニーの公演は、出演者にセリフは無いし、最初から最後まで舞台で動き回って、転がり、走り、暴れ回るというアクション俳優並の激しい運動を繰り広げます。

 多分、一回の公演やる度に1~3kgくらい痩せると思います。

 前衛舞踏だと、こんな激しさは見せないし、コンテンポラリーダンスでも、こんな具合の生々しい表現はしないでしょう。

 そして、毎回の公演で駆使されるのは、木箱であったり布切れであったりというオブジェなんですが、それが今回は無数の“縄”でありまして、そこから連想されるのはSM?か、あるいはホラー映画みたいな展開になるのかな~?といったことを想像していました。

 実際、舞台を埋め尽くした縄の中で転がり回ったりしている様子は、あのゲテモノ・ホラーの怪作『スクワーム』(ゴカイやミミズが人を襲うパニック系ホラー)を思い出させましたが、「ざるソバの上で遊んでいる小人」のイメージもありましたね。

 そして、チラシの写真にも使われている縄で頭をグルグル巻きにして仮面のようにした姿は、何やら縄状のエイリアンによる侵略SF映画?みたいな印象も受けました。

 そんな、いつもにも増してホラーなダークファンタジーっぽさを感じながら観ているうちに、何故か、時節柄、地震と津波で壊滅的打撃を受け、原発事故の放射能汚染に苦しむ人々が足掻く様子にも思えてきました。

 そうしているうちに、何だか、絶望的な状況の中でも希望をもって懸命に助け合いながら生き抜いていこうとしている人達の姿に観えてくるんですね。

“縄”には、“絆”の意味が込められていたようです。

 それは、新生ストアハウスカンパニーが、新たに挑戦していく意志を示し、今の世の中に「元気出せっ!」と、叱咤激励しているような印象でもありました。

 これからも一ファンとして、楽しませてもらいたいと思います。

 上野ストアハウスの躍進をお祈り致します!

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すいません! 値上げします!

 え~、誠に恐縮ですが、新作DVD『游心流武術の戦闘理論~読み・歩法・交叉法~』は、7月より大幅値上げをすることとさせていただきます。

 理由は、「これを観ただけで頭の良い人はいろんな流儀の型から技を作り出してしまえるだろうし、パクり放題にパクって、あたかも“謎の達人から一子相伝したかのごとく経歴詐称をする山師”が大量に出てきてしまいかねない」と、会員内で協議の上、封印しようか?とも思ったのですが、ある程度、販売してしまっているので封印することはできない。

 そこで、「素性の判らない人には売らないように書店売りは控えようか?」と思って、いつもは置かせていただいている神保町の高山本店さんにも今回は持っていかず、今までのところ、ネット通販とセミナー会場などでの手渡しでの販売だけにしていたんですが、高山本店さんの方から「新作のDVDを買いに来たお客さんがいて・・・」との注文の問い合わせを頂戴しました。

 それで、考えに考えた末、「書店販売は3万円にしよう。ネット注文する人だけ2万円で・・・」と考えたんですが・・・「それもまたおかしな話だしな~?」・・・と悩みまして、またまた協議の上、全面的に値上げすることに致しました。

 いきなり値上げするのもよろしくないので、6月中のネット通販は従来通り2万円とさせていたただき、7月から一律、3万円に値上げさせていただきます。

 高山本店さんにも6月中から3万円で置かせていただきますが、あそこは一割引きになりますから、多分2万7千円で売られると思います。中古DVDが一本買えるだけ安くなると思えば、随分と安くなった気もしますが、やっぱ、常識的には高過ぎるでしょうね。

 が、それほどまでに、このDVDで解説している内容は武術にとって核心中の核心であり、型しか知らない伝統武術家がこの理論を採用して修練していくことで、いずれは紛うかた無き“本物の遣い手”に必ずと断言できるくらいに“なれる”と思っています。

 もちろん、信じたくない人に信じてもらう必要はありません。嘘だと思う人、悪意ある人には買ってもらいたくありませんし、また、私共を信頼している方であっても、自身を向上させたいという気持ちがなく、単に興味本位に知りたいというだけの人には猫に小判もいいところなので、「なら、値段を高くすることにするしかないよな~」と決めた次第です。

 価値の解る人にとっては、「この内容だと5万円でも安いですよ」と言う人もいますので、私としては3万円でも妥当な値段だとは思っています。

 無論、ただ見ただけで突然、達人のようになれる人は滅多にいない(でも、全然いないとは言えない)とは思いますが、武術の理合を、かつてここまで明確にシンプルに解説した人間はいないだろうと思っています。職業柄、類書には目を通すようにしていますが、体得可能のレベルで明確に説明されているものは皆無と断言できます。

 どうしてか?と申しますと、武術の理合という代物は、従来、“言語化し得ない感性のレベルに同調することでしか伝えられないもの”だったからです。

 つまり、“感覚を磨くしか体得の手段が無かった”のです。

 私自身、感覚を磨いて体得するしか方法が無かったので、無刀取りや歩法などは、それなりにできるようになるまでに数年もかかっていますし、脱力技法にしろ発勁や合気にしろ、パフォーマンスとしてできるようになってから実用レベルに引き上げるまでには10~20年の歳月の試行錯誤と研究研鑽の日々を必要としています。

「長野さんは器用だから・・・」と、よく言われるんですが、冗談じゃありません。普通の人間なら諦めるところを何度失敗しても諦めないで執念深く試行錯誤を繰り返し続けてきた結果なんですよ。

 それと、私は自分が身体的に恵まれていなかったので、それを補うために徹底的に頭脳を駆使して技をどうやったらできるようになるのか?という観点で分析するようにしてきたので、それが結果的に技の理論構造化に繋がってきたんですね。

 従来、感覚を磨くためのキイワードとして、数多の武術家が、「気だ」といい続けてきていた訳ですし、その「気」を物理的エネルギーととらえて言語化しようとする作業はされてきたものの、守備範囲の定義付けが広すぎたり曖昧過ぎたりしたために、むしろ説明すればする程、抽象的になって「言葉で説明できないものなのだ」というアンタッチャブルな方向へとシフトしていく傾向が強まっていったのです。

 要するに、“気”で説明しようとしたことが、武術の実体を誤解させ続けてきた諸悪の根源にしかならなかった・・・と判断するしかありません。

 これは、「気なんかない!」とか「気は存在する!」といったアルナシ論議に本質をすり替えさせてしまっていたという意味であって、私が問題視しているのは、「気で説明しようとしてきたことが大間違いである! もっと常識的に誰でも論理的に納得できる説明をする必要がある」と主張したいに過ぎません。

 言うなれば、このような言語化を阻む武術の世界の自己陶酔型の体質そのものが、何十年も理論構築を妨げ続ける原因であり続けたのです。

 気で説明しないことを標榜した甲野善紀氏にしたところで、ナンバ・井桁・四方輪・・・といった俺ジナル言語を創作して独自に構築した俺ジナル理論を唱えていたので、実際問題として全然、人には伝わっていません。何よりも、しょっちゅう新理論を発表して「今までとは全然違う」と主張するから困ったものです。

 私なんか游心流興した時点から基本的な理論は全然変わっていません。やり方が発展しているだけです。技は変わるのはOKですが、理論というのはちょこちょこ変えたらダメなんですよ。

 スポーツや介護に役立ったという身体操作の研究家としては評価できますが、有り体に申して、“彼の工夫した武術には戦闘理論が無く”、個別の技に対応できる“限定的パフォーマンス技法”を次々に発表しているだけです。

 つまり、本来の武術という姿からは逸脱して衒学的な身体運動の次元へと貶めてしまっているのです。

 単なる身体運動であるからこそ、他分野に応用が利き易かった・・・だから、世間の注目を集めて時代の寵児と持て囃された・・・が、肝心の武術としては実用不能(戦闘理論が欠落しているためにそうなる)であるという現実が露呈してきて相手にされなくなってきたという次第でしょう。

 もっとも、甲野氏以前にも以後にも類似した自称武術家の問題はいくらでもありましたし、その多くが“気の武道”を標榜していた点から考えれば、甲野氏は気を“術理”と言い換えただけに過ぎません。

 この手の人達の心理構造は、リアリストとしての武術を追究するのではなくロマンチストとしての武術イメージに自己陶酔したがっている訳で、当然、弟子が育つ筈もありません。

 自然、言葉遊びの自己欺瞞集団へとアサッテの方向へ増殖していくだけで、「武術なんて、自分の実力も弁えない勘違い誇大妄想狂がやるもの」という風潮を武道格闘技の世界に蔓延させるに多大なる貢献?をしてしまっているのです・・・。

 そして、そういう所謂“武術ヲタ”の購買層に頼って刊行され続けていった武術雑誌が、よりディープなネタを提供するインターネットに敗れて休刊していった状況を鑑みるに、専門誌がもっと啓蒙的に“武術ヲタ”を“まっとうな武術愛好家”へと育てていく方向性を示していたならば、現在の状況は大きく変わっていただろうにな~?と、その現場に一時期足を置いていた者の一人として思うところはあります・・・。

 私は、できるだけ常識的に納得できるレベルの言語化で説明するように心掛けてきましたが、それでも常識的レベルを逸脱する現象が起こることまでは否定できませんでした。

 それは、“心法”です。

 心法に関しては、ヤラセではない証拠として撮影中の事故も、そのままDVDに収録しました。

 普通はそういう部分は編集でカットして神秘性を煽るところなのでしょうが、私共は研究対象として武術に取り組んでいるので、事実は事実として、そのまま提示すべきと判断した次第です。

 そういう内容でもありますから、武術の価値をよく解っておらず、また個人的売名と社会的成功のために武術を私的に利用しようとするような卑しい人間を排除したいと思っている訳です。

 ただし、恐らく、日本の武術家のように型そのものを金科玉条に盲信している人には理解できるかどうかは定かではありません。どうしてか?というと、信仰心は現実を曇らせてしまうからです。

 私が危惧しているのは、合理的思考が常の海外のマーシャルアーティストがこれを知ったら、超人的な技の遣い手に変身してしまって、もはや日本の武術家が太刀打ちできなくなってしまうだろうと思っているからです。

 海外の武術愛好家は、特定のやり方に固執せず、有効性のある技術は何でも貪欲に取り入れようとする傾向があります。カジュケンボー(空手・柔術・拳法・ボクシングの融合)やJKD(詠春拳・ムエタイ・カリ・ペンチャックシラット・サファーデ等を取り入れている)のように、流派という枠組みを取り払って進化発展系のマーシャルアーツを先取の気性で創始する人が少なくありません。

 それは、伝統の格式を重んじる文化的気質が少ないからこそ、技法原理そのものに目を向けることができるのでしょう。

 日本でこれをやると「節操のないヤツだ!」と否定的に潰しにかかられます。私自身がそういう具合にされてきましたから、痛感しています。

 ですから、海外の武術を修行されている方からの御注文があって、受けるかどうか、かなり迷いました。この理論を、その流儀の中に取り入れられれば、もう、信仰心で取り組んでいる日本の武術家では、誰も勝てなくなってしまうぞ・・・と思ったからです。

 ですが、真摯に道を求めている方の要望には応えたいですし、それで「個人で練習するだけに留めておいてください」と書き添えてお売りしました。後はその方次第ですね。

 それでも、インターネットで注文された方ならどなたであるということが判っていますから、万が一に問題が発生した場合でも対応ができます。

 けれども、書店売りだと誰が買われるか判りません。

 以前、雑誌を読んでいて、私が自主製作DVDで解説している内容とそっくりそのまま解説実演している武術家がいらして、「おいおい、これって俺が考えたやり方で誰も言っていないぞ? というか、俺がストリートダンスを参考に考案した練習法が何で伝統武術にある訳?(苦笑)」と、呆れてしまったことがありました。

 こりゃあ、ダメでしょ? 私なんて、「この技は誰それ先生に習って・・・」って、一所懸命、言ったり書いたりしているのに・・・。何なんでしょう? この平気で嘘をつく節操の無さは・・・。

 別に「勝手にパクるなっ!」とは言いません。私なんかあらゆるところから、パクりにパクりまくってきていますからね。

 ただ、「嘘は言うなよ!」ってことですよ。

 いや、漫画や小説だったらいいんですよ。目的が違うんだから、エンターティンメントとして広まるための参考として使ってもらうのは、むしろ嬉しいくらいです。私の本を参考にしてもらえたのなら、こんな名誉なことはないでしょう?

 うちには役者さんやプロのダンサーの方も所属されていますが、そうした人達が自身のフィールドで武術を役立ててくれることは本当に嬉しいです。

 欲を言えば、参考文献として書名をあげておいてくださると私の本が売れて印税が増えるから、もっと有り難いんですけどね~(お願いしまっす!)。

 だけど、いわば同業者でそれをやっちゃあダメでしょう? 推理小説なんかでトリック勝手に使ったらいかんでしょう? つまり、そういうことですよ。

 そういえば、以前、空手の雑誌で松濤会の特集記事が出ていて、そこで“天真五相の型”が紹介してあったんですけど、これが青木先生が創案して新体道に伝わっている型だということは一言も書いてなくって、私は猛烈に腹が立ちましたね~。これって無邪気な詐欺行為ですよ。こういう筋違いなことを、何故か武術武道の世界では誰もが平然とやってしまう。原点に敬意を払うのは礼儀でしょう?

 私が書いたり武術教えたりしているのは、生活費を稼ぐためであって、“シノギ”なんです。趣味や道楽を楽しむような経済的余裕は一切無いんです。

 ブログだって、基本的には宣伝が目的で書いているんですよ! 自己満足のためでも自己主張したいのでもありません! 宣伝広告費がかけられないからブログで書いている訳ですよ。

 現実問題として、金を稼ぐためのビジネスの一環でブログも書いているのです。

 だって、私は文章書くのはプロですからね。金につながらない無駄な文章は書きませんよ。だから、“掲示板でワイワイ書き込む人達の気持ちが全然、解らない”ですよ。

「何で金にもならない場所で自己主張したり他人の悪口書き込んだりして喜んでいられるんだろう? そんなヒマがあったら、腕前磨くか、女の子と遊びに行くか、仕事して金稼いだ方がいいじゃん? 何で無駄なことにエネルギー注いでんの?」としか思いません。

 お金というものは、かけたエネルギーの代価として客観的に数値化して払われるものであって、価値に見合うか見合わないかの問題はあっても綺麗だの汚いだのの問題じゃないんです。

 だけど、私は金のためなら何でもやる・・・という覚悟はありません。仕事内容は自分のやりたいこと、納得できることに限ります。

 この点は、ちょっと自分でも「甘いな~、俺は・・・」と思うところではありますが、そもそも、純粋に金儲けだけが目的だったら、武術なんかやってないよね~。

 DVDだって、5000円くらいにして書店売りもバンバンやった方が儲かるに決まってるんですが、そこはそれ・・・やっぱり、“真摯に道を求めて価値の解る人だけ”に伝えたいと思ってしまうんですよ。

 価値の解らない人は、この値段だと買わないですよね。安く売れば、観の眼もないのに誹謗中傷したいだけの連中にエサ与えるようなもんですからね。

・・・という次第で、7月より3万円に値上げしますので、悪しからず御理解ください。

 また、既に買われた方は、このDVDはどんな極意書にも優る武術の理合が解説されていますから、そのつもりでご覧ください。

 例えば、北島師範は、高校時代の空手の友人と久しぶりに会って軽く組手やってみて、以前は一方的に弄ばれるくらい太刀打ちできなかったのに、今では逆に友人の動きが全て読めて先が取れたので、「えっ? 本当にこんなに差がついちゃうものなのか?」って驚いたそうです。

 戦闘理論の有無とは、武術に於ける勝負論の方程式の有無と同じ意味になるんです。強い弱いの問題ではなくなるんです。

 読者の中で既に何かの流儀を修行されている方がおられたら、自問してください。「自分の学んでいる流儀の戦闘理論はどういうものか?」と・・・。

 恐らく、答えられる人はいないと思います。

 よく考えてください。ほとんどの人が、自分の学んでいる流儀が、「このように戦うことで敵を制圧できるのだ」という戦闘方法の必勝の方程式を知らないままで学んでいるのです!

 そんなバカなことがあるものか?と思うのなら、説明してください。

 ねっ? できないでしょう?

 何となく漠然と、「実力があれば勝てる」とか、「この必殺技を使えば勝てる」とか呑気に夢想しながら道場に通ってるんじゃないですか?

 はっきり申し上げます。勝つには理由があります。負けるのも理由があります。その理由を明確に理解して対策をたてられる人間が常勝するのです。

 これは仕事でもナンパでも同じですよ。常に成果を出せる人は、「こうすれば成果に繋がる」と明確に解っているのです。それを理解できないまま「頑張れば何とかなる」と思い込んでいても偶然の成果は得られても常に一定の成果を出し続けることはできません。

 ですから、私は武術に関して、「こうすれば常勝できる。そして常勝するためにはこういう訓練をする必要がある」ということをDVDで解説実演している訳です。例えば、宇城さんの技の秘密も明確に判りますよ。よっぽどの馬鹿じゃなければ・・・。

 単に個別の技の解説をしているんじゃないんですよ。武術の常勝するための理論ですから、武蔵の五輪書みたいにビジネスに応用して考えることだってできます。

 これを、1円の価値にするか、100万円、1000万円の価値にするかは買った人次第なんです。

 大袈裟だと思われますか?

 いいえ、客観的な事実として、単純な計算をしてみますと・・・私自身、このDVDで解説している内容で本を10冊以上、DVDを何本もセミナー講座講習会を何年も開いてきている訳で、そこから得た収益はトータルで1000万をとっくに超してます。

 毎月5000円とか10000円とか月謝払って何年も道場に通って体得できる技のレベルと比べて、高いか安いかは論じるまでもないと思っています。

 高いと思う方には必要ないでしょう。既に買われた方は、何度も観て理論を理解してください。そうすれば、目先の強い弱いではなく、達人への道は現実のものになります。

 そして、この理論を人生設計に応用することで、もしかすると人生が劇的に変化するかもしれませんよ? 信じるかどうかは・・・貴方次第です!

(何か、自己啓発セミナーみたいになっちゃったな~・・・テヘヘッ)

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6月セミナー“歩法”

 今年も早くも半分まで来ました

 今回は“歩法”です。地味です。本気で武術を求める人しか関心を持たないであろうテーマです。

 だから、少ないかな?と思っていたんですが、いつもと変わらないくらいの人数で、しかも、いつもより期待感が高い!

 何か、セミナーを受講してきている常連の皆さんにとっては、既に発勁や合気よりも、基本的な技法についての原理を知りたいという欲求の方が強くなっているのかもしれませんね?

 歩法に関しては、動画にも出してもらっています

 観た人の感想では、「なんか人間の動きとは思えなかった」とか、「あれを出しちゃっていいんですか?」といった意見を聞きました。

 出しちゃっていいのかどうか?という点では、歩法にしろ無刀捕りにしろ、「訓練していない人が真似しようったって、できる訳がない。だから、“やれるもんなら、やってみな”ってつもりで出したんだよ。無刀捕りの時は、北島師範に、遠慮しないで思い切って振ってきなさいって言っておいたから、彼は一瞬、“しまった! 斬ってしまったか?”と思ったんだって・・・。俺も、もっと早くに避けれるんだけど、それじゃあ、臨場感が出ないから、なるべくギリギリまで待って避けたんだよね。だから、北島師範も内心怖かったと思うよ。それから、歩法も、下手に真似して速く動こうとして脚力で動こうとしたら足首捻ったりアキレス腱切ったり故障するだけだからね。文句があるヤツは自分でやってみたら、どれだけ難しいことやってるのか判るよ。あっ、でも、無刀捕りは失敗すると死ぬから実験しない方がいいと思うよ」ってことです。

 今回は、練習法を最初にしっかりやってもらい、応用の対練は基本的な運足による捌き方とか、相手が攻撃してくるタイミングをとらえて死角から迎撃したり捌いたりするやり方を解説しました。

 今回もベラボーに動ける人がいて、「才能ある人って、ポイントさえ押さえれば一気に変わるな~。それに比べて、俺って本当に才能ないよな~。できるようになるまで5~6年かかったからな~」って、ちょっと悲しくなりましたね。

 セミナーが終了した後は、いつものように近くの喫茶店で親睦会をやって帰りましたが、今回は遠くから初参加された方といろいろ話して楽しかったですね。

 古武術を学んでいる方でしたが、ちっとも自惚れたところの無い謙虚で真面目な性格の人でした。こういう人ばっかり来てくれると嬉しいんだけどな~・・・。

 そうそう、原発事情に詳しい参加者の方から日本の原発事情についていろいろ裏話をうかがえたんですが・・・いや~、日本国の将来を偉い人達に任せるのって、やっぱ怖いな~って思いましたね。

 結局、拝金主義に染まってる人達に利他的合理精神を求めるのが間違いでしょう。

 ニュース見てても、仮設住宅への入居が進んでないそうですが、もっと疎開を進めるとか別のやり方が有効じゃないですかね~? あの災害現場の映像を見ると、無理して近くに住んでも金もないし仕事もないじゃ~、生活できないでしょう?

 再開発して復興させるのに、一年や二年じゃ、どうにもならない。で、金をどうするか?って論議に帰結してしまうのって、阿呆じゃないか?と思いますよ。

 住むところが無くなった。全財産を失った。家族も失った・・・。そんな人達が膨大に出てしまったから、何とか国が保障して・・・っていったって、現実に日々の生活をしのいでいかなくちゃならない人にとったら、集まった義援金を当座の資金として自分が生活していける環境(住む場所と仕事)を与えるのが先決じゃないですかね?

「国が何とかしますから、待っててください」ってのが問題を長引かせてしまう。

 老人や子供、病気で働けない人達は別問題ですが、働ける人には働いて生活できる環境に移る一時的疎開を勧めるほうがいいし、被災地を復興させるための労働力が必要になるのは、まだ先でしょう。

 潔く原発は廃止しましょうよ。地震大国日本じゃ、ムリ!

 自然エネルギー開発に全力を挙げていろんな会社が参入すれば、むしろ日本が世界のリーダーに返り咲いてトップに立てますよ。海水からマグネシウム取り出す技術とか、そういう新しいエネルギー・システムを日本から提案するんですよ。

 今の時点でTPPやったら日本の農業潰れるよ。

 戦後に頑張って経済大国になった経験があるんだから、日本はどん底からはい上がるのはお手の物ですよ。既存のものに頼るんじゃなくて、新しいものを生み出していく。

 具体的な提案も一つ。

 太陽光発電や風力発電の手作りキットを販売する! これは普及が進みますよ。いろんな会社が参入することで価格もどんどん低くできるし、技術もどんどん進化します。

 LEDがいい例でしょ?

 金儲けのチャンスになる分野はどんどん発展しますからね。

 エネルギーは自分たちで作るって時代は楽しいと思いませんか?

 政治家が頭悪くてもビジネスの世界は先見の明のある人が無数にいますからね。

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筋を通すやり方

 シダックスの講座に通われていた伝統派空手道を長年修行されているKさんから、手紙をいただきました。

 ここのところ、来られていなかったので、多分、忙しくされているんだろうな~と思っていたので、講座を受講できなくなったというお断りの手紙なんだろうと思って拝読しました。

 技も素晴らしく、受講されている態度も立派ですし、何より人柄が素晴らしい人でしたから、来られなくなるのは残念だな~と思っていますが、元々、受講された理由が、「空手を極めたい」と言われていたので、私としてもうちのやり方を押し付けるのではなくて、空手に役立つような術の理について指導させてもらっていました。

 うちの技は基本的に内家拳の原理で組み立てているので、熟練すればする程、空手の技や理論とは違い(特に間合が異なる)が出てきてしまうでしょうから、そこは敢えて教え過ぎないようにしていた訳です。

 お手紙には、自身が長年、空手に携わってきて生じた疑問について悩まれていたことや、私の本を読んでから違った視点から空手を観れるようになってきていたこと、そして、ある空手師範と出会って、一から空手の理を教えてもらおうと決意されたこと等を率直につづられていました。

 私も、その空手師範の著作を読んでいて、注目しているお一人だったので、「あ~、Kさんが選んだくらいだから、この先生はやっぱり実力も理論も優れた方だったんだろうな~」と思いました。

 もし、おかしな師範に師事されたのであれば、私も一言、注意しようとしていたでしょう。やっぱり、言葉は巧みでも内実が伴っている人は少ないですからね。

 恐らく、北島師範矢嶋師範代は、Kさんが来られなくなることを私以上にガッカリすると思いますが、私は最初から、「空手を極めたい」と話されていたので、いずれ信頼できる空手師範と出会うか、あるいは御自身で空手の理合を体現されるかしたら、来られなくなるだろうと思っていました。

 空手にほれ込んで、空手に疑問を持ちながらもやめずに続けてこられたのであれば、そういう筋の通し方をされる人物だと思っていたからです。

 それで、予想していた通りになったと受け止めています。

 むしろ、空手の研究のために受講したに過ぎない私に対して、ここまで義理をたてて恩義に感じてくれていたことを知って、逆に恐縮してしまいました。

 正直申しまして、私でさえ、教えている人に対しては、「私の技と理論だけを信頼して他には目を向けてもらいたくない」という気持ちはあります。

 私でさえそうなんだから、大抵の武術・武道の先生は、口には出さなくともそういう気持ちを持っているに違いないと思っています。

 けれども、こういう感情は、ある種の征服欲でしかありません。

 人は人、自分は自分。来る者は拒まず、去る者は追わず。

 修行者は、執着心は修行の妨げにしかならず、レット・イット・ビー、為すがままに為さしめよ・・・という心境であらねばならないと思います。

 後ろ足で砂をかけるように、文句をつけたり、悪罵を撒き散らしたり、自らの正義を印象つける文言を残して去っていった人間も何人もいました。

 一方で、離れるにしても、手紙で「先生に会えたお陰で良かった」と感謝の言葉だけを伝えて去る人もいました。

 私は、感謝の言葉が記してあっても、恐らくは私に体する不満もあっただろうと受け止めています。感謝だけしているのなら辞める道理がないからです。

 その言いたい文句をぐっとこらえて感謝の言葉だけをつづるというのが、“筋を通す”ということだと思います。

 私は、もの書きですから、言葉そのものではなく、その言葉を使っている本心を読みます。退会に関することでも、手紙を書いて送る人は、それなりに改まった意識と覚悟の現れであり、メールで簡単に書いてくるような人間は相手をなめているとしか言えません。

 一番良いのは直接挨拶に来ること。次は手紙で伝えること。その次は電話。その次は何も言わずに自然にフェードアウトすること。

 しかし、直接教えている人からメールで一方的に退会しますとだけ書き送ってくるのを受け取るのは気分が悪いものです。これはフェードアウトするより非礼です。

 一方的な宣言を簡単に済ましておこうというのは、相手への敬意が欠落していますし、まともにコミュニケーションを取りたくないからでしょう。

 その点、話し合いができる電話のほうがマシだし、手間のかかる手紙を書くほうが誠意が感じられます。

 ただ、批判めいたことを僅かでも書いていれば、どんな感謝の言葉も体裁だけの虚飾であり、本音は“批判している箇所”にしかありません。要は、そこに自尊心のアピールがあるからです。謙虚なフリをしていながら、内心では相手を侮っているのです。

 中には、「そんな気持ちは絶対に無い!」と言い張る人もいましたが、無意識の気持ちは文章に現れるんですね。だいたい、面と向かって言えない時点で自分にやましい気持ちがある証拠であって、どんな理屈を並べても“失格”です。

 私は、感謝していれば感謝の言葉を書き、文句があれば文句を書きます。

 武術・武道の世界の筋の通し方ではありませんが、これは“私なりの筋の通し方”として一貫してきています。

 それは、尊敬し親愛の情のある相手に“嘘偽りの言葉”を送ることが不誠実だと考えるからです。

 なので、手紙に書いたことは電話でも言えるし本人の目の前でも言えます。

 10年以上前の話ですが、「松田隆智先生に意見できるのは(弟子の)野口さんと長野さんだけしかいませんよ」と言われたことがありました。

「松田さんは物凄く怒る人だから、人の意見なんか聞かない」という話も聞いたことがありました。

 しかし、実際に松田先生と親しくお付き合いさせていただいて、松田先生は決して意味なく怒ったりする人物ではありませんでしたし、筋を通す人間の言葉には謙虚に耳を傾ける侠気のある方でした。

 私も二回くらい、物凄い勢いで怒鳴られたことはありますが、それは私に足りないところがあったからであって、きちんとお話すると「君の今後の活動のためを思って言ったんだから、悪く思わないでもらいたい」と言われ、私は、「あ~、松田先生は普通の人よりずっと情の篤い人なんだな~」と思いました。

 ですから、私が意を決して意見した時も正面から受け止めてくださいました。私が挑戦してきたという面白話にして周囲に話されていて参りましたけどね・・・(苦笑)。

 薄情で冷淡な人は、あんまり激しく怒るなんてことはないんですよ。怒らないから優しくて頼りになるか?と思ったりしていると、何かあった時に全然助けてくれないもんですね。

 結局、人の話なんて、その人の価値観や受け止め方、理解度によって、どうとでも変わってしまうものだな~と思いましたね。

 人の噂は信頼に足りませんが、ある程度の目安として、大体、賛否両論ある人のほうが優秀ですね。

 誉める意見ばっかりだとシンパが意味も判らずに誉めてるだけだったりするし、反対に貶す意見ばっかりなのも、反感持ってる人間が誹謗中傷しているだけだったりします。

 不必要なおべんちゃらも、感情的な誹謗中傷も、その人の認識のレベルを表現しています。武術に関する限り、素人がプロに対等な地点でものを話そうとすることそのものが大きな勘違いです。

 まあ、よくいます。そういう勘違いして意見する輩は・・・。

 そういう経験を重ねてきたので、私は自分の眼しか信用しません。どんな達人だという噂も、自分で観たり体験したりしてみなければ判りませんよ。

 だから、業界的に流通している「あの人は達人」みたいな評価と私の評価は、かなり違っていたりしますが、私は自分の評価に自信があるので、どこの誰がどう言っているから・・・みたいなのは判断の参考にしません。

 例えば、私の尊敬している先生が評価していても「あんなのダメですよ。何故なら、これこれこういうところがダメですからね」って平気で言ったりしますからね。

 付き合える先生が限られるという意味がお判りだと思います。

 自分で観て、「良い人は良い。ダメな人はダメ」と言いますし、友人であろうが先輩であろうが先生であろうが、「その技はそこがダメですね」って平然とダメ出しする性格なんだから、自己満足でやっていたい人は私と付き合うとノイローゼになると思いますよ。

 ダメな人を挙げると文句言われるから、今、良いと思う人を少し挙げますと、空手では中先生、香川先生、倉本先生、太極拳では、池田先生、高先生、太気拳では岩間先生・・・といった先生方が凄いな~と思います。

 メディアで評価されていても、私の眼には全然、武術のブの字も解ってないように思える人も少なくありませんが、わざわざ名前挙げてケンカ売る必要もないでしょう。直接、聞いてくれれば教えますけどね。


 ともあれ、武術で“筋を通す”ということの最も重要な目的は、“自分自身の向上”に他ならないのであって、今回、Kさんが自身の「空手を極めたい」という想いに忠実に従って、新しい師を見つけられたことは、祝福してあげるべきだ・・・と思って、餞別代わりに新作DVDを贈らせてもらいました。

 次に会う時に、御自身の理想の空手を体現されていることを祈りたいですね。

 Kさん。応援していますから、頑張ってください!


PS;ユーチューブで新作DVDに収録している歩法無刀捕りの映像を出してもらっています。是非ご覧ください。大したことないと思う人は、できるかどうか自分でやってみてもらいたいですね。あっ、でも“無刀捕りは失敗すると死ぬ”から真似しないでね。

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知ってる人が出てる作品だから誉めてる訳じゃない!

 先日、立て続けにお会いした、岩本淳也先生と谷垣健治監督が、それぞれ武術指導と出演、監督を担当した作品がある!ということを、香港カンフー映画マニアのK塚さんから聞いて、是非、観たいと思ってDVDを貸してもらいました。

 その作品は、蒼井そら主演作品『くノ一 五人衆VS女ドラゴン軍団』なるコテコテのカンフー作品でありました!
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 察しの良い人は想像がつくように、蒼井そら主演ですから、“エロス”が加味されたカンフーアクション作品であることは必至! ジャケットも煽っておりまする・・・。

 ですが・・・そちらを期待して観た方は、恐らく、「何コレ?」と思われることでありましょう。

 谷垣監督は、“生粋の香港アクションバカ”であるということが容易に想像できましたね~。

 もうね~、あまりにもお座なりなオッパイぽろりんが出てくるだけであります。

 恐らく、GPミュージアムソフトの偉い方から、「どんな内容にしてもいいけど、裸だけはちゃんと出してね」と言われていたのでは? だから、「ハイ、出したからいいでしょ?」って感じで、そっちの演出する気は、ものの見事に“0”ですね。

 だけども、私は別にそれでいいです。エロスに力入れてアクションが緩くなるのは嫌だから・・・。

 何故なら、『ヤングマスター』の護送されるウォン・インシックが助け出されて敵を蹴散らして手下に飛び蹴りかましてから握手っ!ってなシーンとか、『酔拳』で飛鴻がウォン・チョンリーに「この鉄心様の股をくぐれっ!」って屈辱的な言葉責めで悔し泣きするシーンとか、『蛇拳』で白長天が教えた足捌きを独りで練習するシーンとか、ナイフの刃を指先でペキッと折ったり、猫舌だから毒入りお茶を入れ替えてて助かった・・・というシーン等々、70年代後半のジャッキーの香港カンフー映画にオマージュを捧げた印象深いシーンを再現していたり、音楽が『龍拳』の「ドラゴン・フィ~スト・・・」ってな音楽の流用だったり、マニア心をくすぐる演出が随所にあって、香港カンフー・アクション愛がビシバシ伝わってきたからです。

 つまり、まさに私のようなマニアのためだけに撮ってるの?ってな感じの作品だったからですね。

 そらちゃんはじめ、女の子のアクションは「頑張りました~。お疲れ~っス」ってな感じで子猫がじゃれてる感じではありますが、いろんな意味でカラダ張ってます。

 でも、この作品の一番の見所は、やっぱり、カンフーアクションです。本場中国でチャンピオンになった岩本先生のカンフーアクションが見れるだけでも感涙物ですよ。

 それと、松田賢二さんのアクション・センスは素晴らしいですね。岩本先生とそんなに遜色ない感じに動けるんだから、大したものです。

VERSUS』以来、数々のVシネ・アクション物や仮面ライダー・シリーズで活躍してきたアクション派の面目躍如という印象がありました。

 しかし・・・ここまで自分の趣味だけで作って、怒られなかったんでしょうか? 谷垣監督・・・。だって、蒼井そら主演に釣られて観る人達には、貴方のハートは1mgも伝わらないと思うんですけどね~(あっ、俺みたいな人間には伝わるから、まっ、いっか)。


 また、自主映画、学生演劇にかかわっていた頃からの友人である島本和人さんが、久々に芝居をやるというので、日暮里のd-倉庫に行ってきました。
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 公演作は『カラスバレット』。戦国時代の風雲児で織田信長を狙撃したので有名な鉄砲一族、雑賀(さいが)衆の雑賀孫一の活躍を描いたファンタジー時代劇でした。

 いやね~・・・これがまた、私が今まで観た演劇の中でも三本の指に入るんじゃないか?と思えるくらい面白くって、エンターティンメントに徹底していてサイコーでしたよ。

 島本さんは、演技修行時代の同期に仮面ライダー・クウガを演じる前のオダギリジョーがいたりします。

 その彼が久しぶりに芝居をするというので、私は楽しみにして観たんですが、予想をずっと上回っていましたね~。羽柴秀吉役でしたが、コミカル且つワイルドな野人的秀吉で面白かったですね~。

 本当に円熟した境地に達しているのと、演出側が彼の持ち味を最大限に活かす術を知っているというか・・・「コレだよ、コレ」って感じでしたね。

 自主映画時代からの友人ですが、彼の演技は本当に誰の模倣でもなく、誰も模倣できない味わいがあるので、好むと好まざるにかかわらず、役者としてやっていくにはオール・オア・ナッシングになってしまうんじゃないか?と思っていたんですが、私は彼の芝居は大好きですよ。アレが見れないと残念。

 何か、かなり久しぶりにやるというので、本人は「自己満足だよ」みたいに謙遜していたらしいんですが、ストーリーは山田風太郎の忍法帖と中島かずきの髑髏城の七人を足してアニメ風に味付けしたみたいなぶっ飛んだ面白さがあるし、アニメ的なポップな感じでありながらも、笑わせる所、泣かせる所がきっちりと演出されていて、お世辞抜きに、本当に抜群に面白かったですよ~。

 そうですね~。大地丙太郎監督でアニメ化したら面白いんじゃないかな~?

 それに、私が感動したのは、殺陣アクションが非常に素晴らしくて、壇上はそんなに広くないのに、ダイナミックなアクションと剣殺陣、棍術などが非常に魅力的に披露されていて感心させられましたね。芝居の殺陣で、これだけ魅せるのは凄いですよ。

 私、ここ数年、プロのアクションを見慣れているので、中途半端な殺陣では満足できなくなっているんで、正直、もしダメだったら「あんな中途半端な殺陣ならやらない方がいいよ」って言っちゃったと思うんですが、これは完璧です! パーフェクト! 

 使っていた刀は合金製かアルミ製の模擬刀のように思えましたが、よく訓練された役者さん達がスピーディーに操っていて危なげなかったですね。

 殺陣はT.P.O.の奥住英明さん、殺陣協力で自身もカラクリロボット(えっと・・マジ・・・みたいな?)を演じてダイナミックな連続蹴りや棍術を披露していた梶武志さん。それと、雑賀衆を演じていた木戸雅美さん、嵐田由宇さん等女性陣の殺陣も見事でしたね~。刀持って転がったりするの難しいからね~。

 あんまし誉めてばっかりだと「身内だから宣伝してるのか?」って思われると困るので、少しは問題点も指摘しておきますか?

 そうですね~・・・強いて言えば、雑賀孫一の使う鉄砲を、もうちょっと工夫して六連銃身のもの(実際にあります)とか長距離狙撃タイプの銃とかを使い分けるとかしたら、もっと良かったかな~?とは思いますね。

 仲間にガンスミスみたいなヤツがいて新案の銃をいろいろ作ってるとかウンチクを語ると、もっと面白くなると思うな~。

 もちろん、ストーリーも凄く面白いのでラノベ化するのもアリだと思います。

 ラストシーンなんて、ちょっと『夢みるように眠りたい』を思い出したし、明智光秀は生き残ったから、今度は第二部とかもやってもらいたいですな~。

 江戸時代になってからの雑賀衆が影の軍団みたいに活躍する話にして、光秀がその後、天海になったという話とかとからめると面白いと思うけど・・・。

 ちなみに織田信長と根来忍者のボスを演じた大岡伸次さん、狂言回し的な巌太夫を演じた岡見文克さんも存在感が際だっていて、久々に見る友人知人の芝居の熟練した芸に、男子三日会わざれば刮目してまみえよって言葉を思い出しました。

 それにしても、みんな変わらないな~。好きなことやってる人間って年とらないのね?

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日本刀拵え製作請け負い

 友人知人から頼まれてやる請け負い仕事というのは、何か、プロフェッショナル魂をくすぐるものがあります。

 過去にやった請け負い仕事には、ボディガードとか荒事専門の方との交渉とかいったものもあるんですが、こういうのはボランティアです。

 ちゃんとお金貰ってやる仕事としては、日本刀の拵え製作というのがあります。

 何度か作ってるので手慣れてるのと、私は職人じゃないので格安で請け負うことができますし、やっぱり武用刀の拵えというのは、心得のある人間が作った方がメンテナンスが利くんですね。

 私は自分の持ってる刀はほとんど自分で拵えは製作していますから、武用刀で使う場合の工夫とかノウハウも自然に自得しました。

 刀は一本一本、違うので、一本一本、それに見合ってバランスを調整したり目的に応じて柄の長さや太さや柄糸の巻き方も変えたりします。

 その時々の気分で作っているので、後々、気に入らなくなって作り直す場合もあるんですね。

 数年前に会員さんに譲ってもらった二尺二寸の無銘の刀も、重ねは薄いんですが身幅が広くて試し斬りには随分、使いました。

 切り込み疵がいくつもあったので、多分、血を吸った刀だと思います。幕末頃の刀じゃないかと思うんですが、薄刃過ぎるので戦闘に使う刀としては選ばないだろうと思うので、多分、襲撃されて必死で防御した時にできた疵だろうと思うんですね。

 ただ、もの打ちの部分に深い錆び疵があったので、ここで斬って疵ができたんだろうな~と思います。

 本当は、そういう疵は名誉の勲章として残したりするそうなんですが、私は試し斬り用に邪魔なので、疵の部分は全てヤスリと砥石で削り取りました。

 一年半くらい前に青木先生の刀の拵えを作る時に、添えられていた真鍮のハバキが大き過ぎて刀身の身幅とアンバランスだったので、この刀のハバキと交換して、寸法を合わせて加工して装着したんですが、残った真鍮のハバキを替わりに装着しようとしても、やはり寸法が違っていたので、加工の必要があったんで、そのまま放置していたんですね。

 鐔も適当なものが無かったので、茎が剥き出しのまま放ったらかしにしていました。

 ふと、その刀の無残な姿に視線が止まって、「これも、そろそろちゃんと拵えを作ってやろうかな~?」と思って、まず、真鍮のハバキを刀にピッタリ合うようにヤスリでゴシゴシと整形します・・・。

 これは、地道にヤスリでゴシゴシと削るのみ・・・。ホビー用のミニグラインダーもあるんですが、夜中に作業し始めたのでミニグラインダーのキュイーン・・・という音をさせたら騒音で御近所迷惑ですから、手作業でゴシゴシ・・・と、ひたすら削りました。

 大変は大変なんですが、これはこれで楽しかったりもします。

 刀にキチッと嵌まってからは、今度は寸法が大き過ぎる外側も削って薄くします。

 金属も、ヤスリで削っていると、ある段階から急に木材を削っているように軟らかく削れる感じになったりします。

 真鍮は意外と硬くて、成分によっては軟鉄より硬く感じるものもあります。削りカスは金粉みたいにキラキラしていて綺麗なんですが、酸化すると黒ずんできます。

 ちょっと疲れましたが、割りとうまく削れました。

 ハバキというのは、表面がツルツルだと鯉口から滑ってしまうので、わざと刻み目が粗く入っているものなので、わざとヤスリ目を残すように削りました。

 鐔は、横浜名刀会さんで錆びて形が多少崩れたものをいくつか一括で安く買っていたものの中から、適当なのを選んで装着しました。刀身が薄くて軽量なので、鐔も透かし鐔の軽いものにしました。

 柄は模擬刀のプラ柄に革巻きしたものですが、プラだと粘りがあるので朴の木のものよりむしろ丈夫なように感じます。すぐに折れるからダメだと言う人もいますが、実用上は問題無いですね。これで試し斬りもしていますよ。鞘も模擬刀のものの流用です。

 出来上がったものをメイプルホールの本部稽古で使ってみましたが、別の刀のように使いやすくなりました。


 さて、この刀の拵えを作り直している時に、武友から電話があって、試し斬りに使う脇差の拵えを作りたいという話だったので、「材料費プラス製作手数料2万円でやりましょうか?」と言うと、それでやってくれということでした。

 早速、送られてきた脇差と、手紙で拵えの希望が書かれていたので、鐔・縁頭金具・目貫・柄革・鮫革・下緒等々のおおよその材料費と製作費を振り込んでもらうように連絡しました。ちょうど、材料買う金が無かったので先払いでお願いしたんです。

 普通、武道具店や刀剣店で真剣の拵えを頼めば、最低でも20万円はすると思います。

 上限となったら、刀と一緒で何百万~一千万を超える拵えもあります。

 私は武用としての実用しか求めていないので、かなり大雑把に作りますが、耐久性だけは職人さん以上に考えて作っていますよ。

 希望では、「合口拵えにしてくれ」とか「二本目釘にしたい」とか言われたんですが、「合口拵えは武用刀としては極めて危険だし、小さくても鐔があった方がいい。それと、目釘穴の数は登録証に明記されているから勝手に穴をあけると捕まるからダメ!」と答えておきました。

 この脇差、新刀の大業物として有名な“肥前國住忠廣”の銘がありますが、傷み具合(埋め鉄が三つもある)からすると、古刀なんじゃないかな~?と思いますけれど、足長丁子の刃紋がなかなか良い感じです。

 白鞘の拵えのままで試し斬りしたら、驚くほど、物凄く斬れたそうです。

 調べてみると、二代忠廣が足長丁子の刃紋が上手かったそうで、もしかして傷みが激しいから大安売りされていた本物だったのかもしれませんね~? 本物だったら大業物だから、斬れて当然なのかも?

 しかし、刀の真贋は、素人にゃ~、判りませんわ~。

 余談ながら、佐川急便で送ってくれた脇差には、「美術品(日本刀)」と書かれていて、私はドキィッとしましたよ・・・(美術品だけにしといてくれよぉ~)。


 話は変わりますが、新作DVDを贈っていた躾道館の小林先生から電話をいただきまして、絶賛と言ってもいいくらい誉めてくださいました。

 小林先生からは(交叉法の具体的なやり方や読み、歩法についてまで詳細に解説しているので)、「怒られるかな~?」と、戦々恐々としていたんですが、「解説が非常に解りやすくて上手い。それと、お弟子さんが素晴らしい。それは、長野さんがきちんと教えている証拠だよ」と、“孫弟子”の成長を喜んでくださいました。

 本当に、私は、たとえ百万人の武術愛好家から糞味噌に貶されたとしても、ここまで小林先生が評価してくれたという事実だけで、誇りをもって一生、胸張れます。

 そして、私が教えた会員を「俺にとったら孫弟子だからね」と言ってくれただけで光栄ですよ。

 その電話の時にお聞きしましたが、昨年出た小林先生の太気拳のDVDを、ある兄弟子が絶賛してくださったそうで、それがもう、凄く嬉しかったそうでした。

 小林先生は澤井先生の最晩年の弟子でしたから、太気拳一門の中では、ほとんどが兄弟子なんですね。かなり年下のお弟子さんでさえ、「~兄弟子」と呼んでましたからね。

 だから、大先輩から誉めてもらえたことが何よりも嬉しかったんだと思います。

 普通、後輩が注目されると焼き餅やいて貶したくなるのも人情ってものですが、その先生も立派な方だな~と思いましたね。

 また、小林先生御自身のお弟子さん(僭越ながら私にとっては兄弟弟子となります)が活躍している話もうかがいました。

「弟子が活躍していると俺も鼻が高いよ。もちろん、“今は”長野さんもその一人だよ」と言われていたので、「これまで自慢できない弟子ですいませんでした」って申し上げておきました。いや~、小林先生には迷惑かけまくってきましたからね~(苦笑)。

 小林先生は、技ができるとか実力があるとかいうよりも、むしろ、人間的に成長して世の中で活躍することを喜んでくれる傾向が昔からありました。

 それは、桜公路先生や澤井先生もそうだったからなんじゃないかな~?と思います。

 私も、最近、そんな気持ちになってきました。

 武術の腕を誇っても、単に嫌な性格のヤツでしかないでしょう? 自惚れて恩をアダで返すような人間のその後の様子を見聞すると、決して良い方向へは向かっていっていないですよね。

 うちの会員さんの何人かは被災地にボランティアに行ったそうです。東京支部長の矢嶋師範代も、仕事として出向しました。私は自分の生活がやっとこさで何もできませんでしたが、彼らがいることが誇らしいです。

 海外に縁ができはしましたが、私はやっぱり、日本人として、強く明るくたくましい日本人を育てるために武術を役立てたいです。

 武術は制度としての社会的人間を育てるのではなくて、独立独歩の意志を持つ個人を育成するためにこそ役立つと私は思っています。

 ただ、それが自分の我欲をまっとうするために他人を顧みないような人間には伝えるべきじゃないよな~と思っています。

 幕末維新の志士が、若い頃は剣の修行に励んでいた事実。誰かさんの受け売りみたいでちょっと恥ずかしくはありますが、これからの時代を開拓していける人間を武術を通して育成できれば、教えていただいた先生方への一番の恩返しになるんじゃないか?とは思っています。

 大難は変革のチャンスでもありますからね。

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日本は素晴らしい国だけど、政治がねぇ~・・・

 いや~、新聞読んでもTV見てても、菅批判ばっかりで凄いですね~。揚げ句の果てに不信任案が提出されて大騒ぎ・・・。

 ミヤネ屋で実況を見てたんですけど、オモシロ過ぎますね~。

 小沢グループ、鳩山グループが造反して・・・という民主党分裂か?という状況から、一夜明けて菅さんが「復興のメドがついたら辞める」と言ったことから造反組がコロッと寝返って?・・・なんて、下手なコメディ見てるみたいでしたね。

 職を辞した人達や、離党届けを出してまで賛成に回ろうとした横粂さんや、涙ながらに賛成票を投じた松木さんの立場はどうなるの?って感じがしましたよ。

 大体、親分の小沢さんが欠席したりするところが嫌らしい。あれだけ大見え切っていたんだから、ちゃんと一票投じるべきですよ。

 何か、私みたいに政治家という人種に嫌悪感に近い感情持ってる人間からしても、「おいおい、アンタら、この期に及んで、足の引っ張り合いやってる場合じゃないでしょ?」って一言、いいたくなりますよね~。

 私は日本が世界で一番、素晴らしい国だと思ってるし、国民も善良で忍耐強くて賢い人間ばっかりだと信じています。

 今回、とんでもない大災害が起こったことで、日本の国民が一致団結して新しい国作りに動き出すに違いない・・・なんて、理想を思い描いたんですが・・・。

 何か、政治家がハラの据わってない人達ばっかりなんだな~?と思えて、別にガッカリはしませんけど(期待してないから)、流石に呆れ果てますよね。

 菅降ろしに熱心なのも結構ですが、じゃあ、誰が首相になったらいいというんですかね~? 安倍さんを推す意見もあるけど、あんなにプレッシャーに弱い人を今のこの時期に選んで大丈夫だと思う人達の気がしれません。

 敢えて菅さんを援護してみますが、「独善先行だ」って批判するのは簡単ですが、今のこの時期に、悠長に考えの違う人達で論議していたって話が纏まる筈がない。

 何をどうやろうがマスコミには叩かれて、国会でも叩かれるのが明白なんだから、少なくとも、そういう状況でも執念深く首相を続けられる鈍感な人でなきゃ~ダメでしょう。

 周囲の意見をハイハイ聞いて論議して決めようなんて鳩山さんみたいな人にしたら、それこそ行き詰まりますよ。方針が一日のうちに三転四転、コロッコロ変わる人なんだから、宇宙人と呼ばれるのに相応しい・・・。

 菅さんと直談判して理解し合ったと思いつつ、結局、「嘘つきだ! ペテン師だ! 詐欺師だ!」って怒ったりして笑わせてくれます。「次の選挙は出ない」と言っておいて出てきたお前が言うか?って、コントだとしても皮肉が効き過ぎてますね~。

 鳩山さんが寝返ったから、みんな反対に回ったのに、その本人が「騙された」と怒ってるんだからね~。

「お前が事態を混乱させてるんだよ」って、誰か周囲の人が教えてあげたほうがいいよ。

 菅さんは中々、戦略家だな~って思いましたね。宮本武蔵みたい。政治家としてはヤリ手でしょう。

 指導力とか人望は望めないけどね~。あそこまで平然と人の信頼を裏切れるんだから、そりゃあ、党内で人気が無いのは解る。

 でもね。民主党がどうなろうが、そんなの国民には関係ないです。

 あの民主党内の仁義無き戦いを見せつけられて、それでも、私が菅さんを援護するのは、今のこの状況で「俺に任せろ!」って、唯一、言ってるところを評価している訳ですよ。

 菅降ろしを連呼していた人達は、じゃあ、この人がやれば間違いないんだ!って人を指し示していないじゃないですか?

「俺がやるから、お前は引っ込め!」って言えなきゃ~、ダメでしょう。そういう筋の通し方をできない連中ばっかりだから、纏まらないんですよ。谷垣さんも迫力が無いよ。

 協力求められた時に即決して連立して、そこから主導権を奪うくらいの政治的戦略が無くてどうするのか? 

 誰が首相になったって、大した違いはないって思ってるからじゃないですか?

 それならそれでいい。能力が足りないなら、周りが助ければいいんです。

 批判だけじゃ人は動かないんです。より実効性のある代案を出せない連中は、所詮、烏合の衆ですよ。

 小沢さんなんて「私には腹案がある」とか言いながら、その腹案を開陳しないじゃないですか? 実効性があるかどうか自信がないんでしょ?

 大体、今の状況が首相を変えたくらいで顕著に改善できるようなレベルじゃないのは、誰にだって判りますよ。

 はっきり言って、首相は外面だけハッタリ利かせられればいいんですよ。パフォーマンスだけで結構なんです。実際に動く実動部隊は、それぞれのスペシャリストを集めて臨機応変にやってもらえばいいんです。

 そして、その人達が動きやすいように支援するのが一番早いでしょう。

 私見ですが、首相は演技力のある人がいい。小泉さんみたいなキャラの立ってる人だったら、阿呆なこと言ってもキャラで許されてたでしょう? そういう雰囲気先行の人の方が今の時期はいいんですよ。いっそ、政治のこと何も知らない役者さんにやらせた方がいいくらいですね。

 実際に菅さんは何度も被災地に行って、被災者に叱られたりしてるでしょう? パフォーマンスに過ぎないと言ったって、行かない人よりずっとマシですよ。むしろ、パフォーマンスが足りないっ! 被災地で泣いてみせるくらいしても良かったよね~。

 現地を見ないと判らないことがあるんだから・・・。

 菅さんは本音を言えば原発反対の人でしょう。アメリカやフランスに睨まれて、原発推進を約束させられてたけど、彼だったら次世代エネルギー戦略を熱心にやると思うんですよ。空想的だと批判するのは簡単ですが、やる気になったらやれますよ。原発の安全性を高めるフリして次世代エネルギー戦略に力を入れるくらいの腹芸はできるんじゃない?

 実際、小沢・鳩山を敵に回して見事に欺いた手腕は評価されるべきですよ。普通、できないでしょう? 人間性を疑われて敵を山ほど作ってしまいますからね。

 欲を言えば、サミットの時に、最初に感極まって涙ながらに「日本を助けてくださってありがとうございますっ!」ってくらいの芝居やったら、世界中から同情が集まって良かっただろうし、「やっぱり、原発は恐ろしい・・・」というメッセージを広げていけたのに惜しいな~と思いましたね。

 そういうのは政治家として失格だって言われるでしょうけど、人間的な弱みを晒した方が人の心は掴めますよ。そして、その方が今の日本を救うのには効果的です。

 政治戦略より、いかに世界の人達の心を掴むか?が重要なんですからね。

 その点でいうと、今回の不信任案のドタバタ劇で最も輝いていたのは松木さんです!

 菅さんは策士、鳩山さんは間抜け、小沢さんは恥知らず、岡田さんは石頭っぷりを、それぞれ晒しただけで何も得られなかったし、信用を下げただけだけど、松木さんは“男気のある気骨のあるヤツ”という印象を残して除名されるんだから、もうメディアが放っておきませんよ。

 今後の活躍が期待できますね。政治家やめたって熱血政治評論家で一生、食えるよ。

 だけど、菅さんのダーティーなまでのクレバーさが見せつけられて、私は面白かったな~。鳩山・小沢を煙にまいた手腕は凄い! 邪魔者は消せ!みたいな冷酷さを発揮するところは近年の日本の政治家には見られないハードボイルドさで、意外と後々、「実は優れた総理だったかも?」って評価されるかもしれない。

 お人よしの人だとアメリカの御意向に従えられちゃって、「結局、原発しかないんだ」って論に後戻りしますよ。

 事故直後は「原発はもう沢山だ!」って流れができたけれども、いろんな評論家とか学者が出てきて「現実的には原発しかないんだ」って論調に戻そうとしている・・・。

 三つも四つも原子炉がメルトダウンして、廃炉に莫大な金がかかる・・・なんて、冷静に考えれば原発は非効率の極みですよ。目先のエネルギーのために日本列島を死の国に晒す危険性のある原発を永続させようとする愚かさよ・・・。

「より確実な安全対策をすればいい」って・・・阿呆抜かせ!と言いたい。

 これまで、「絶対に安全だ。日本の技術は世界一だ」と大見え切ってきたのに、今回の体たらくは何とする? 信用しろって方がおかしい。嘘つくの、いい加減にしろって!

 それに、地震と津波に備えてみたって、原発のモロさが世界中に広く知れ渡ったからには、テロリストが絶対に狙う! 作業員になって潜り込んで、チョチョッといじれば大爆発しちゃうでしょう? 敵国を壊滅させるのに、こんな簡単な方法はない。

 何の戦闘訓練受けたこともない素人でも、やる気になったら一国を壊滅させられるんですよ? この恐ろしさを何で警戒しないのか?

 9.11事件がアメリカの自作自演だという都市伝説が根強く囁かれるのも、テロを起こすなら原発に突っ込んだ方が壊滅的打撃を与えられるからですよ。イメージ・シンボルの建物に突っ込んでも、それは威嚇効果にしかならないでしょう?

 むしろ、アメリカが報復するための口実を与える効果しかない。

 現実に、アメリカがイラクを爆撃して殺した人間の方が遥かに多いじゃないですか?

 世界を滅ぼすのが核兵器じゃなくて原子力発電所ってことも想定すべきですよ。

 そもそも原発って、核兵器作るのに転用できるから推進された訳で、確かにエネルギー効率は高いけれども、放射性廃棄物も沢山出てしまうんですよね。

 アメリカは知らぬフリしていますが、廃棄物利用で劣化ウラン弾(弾頭の芯に劣化ウランを利用したもので、弾頭重量が非常に重いので破壊力が高まる)作って戦争で使ってみたものの、爆発飛散した劣化ウランの粉末を吸って体内被爆した兵士が問題になりましたよね~。

 原発がクリーン・エネルギーだって、大嘘こいちゃって、どうするつもりなんですかね~? 嘘を広めてる評論家や学者の大罪を糾弾すべきですよ。

「プルトニウムは飲んでも大丈夫」って・・・、じゃあ、お前が飲んで見せろっての。

 プルトニウムって、地獄の神プルートーが語源なくらい有毒な元素なんだからね。

「太陽光発電なんて非効率なものには頼れない」って、原発推進派の連中は言い切りますが、考えてみたらいい。

一、「初期費用だけで半永久的にエネルギーが取り出せる」

二、「環境破壊しない」

三、「設置も除去も簡単」

四、「大停電の連鎖を免れる」

五、「廃棄物が出ない」

・・・メリットだけでしょ?

「エネルギーの生産効率が悪い」とか「夜間は使えない」とか言われるけど、新築する家やマンションや公共の建物に最初から太陽光発電パネル設置しちゃえばいいんですよ。沢山作れば問題ないし、蓄電技術を研究すればいいんですよ。夢と希望ばっかりじゃん?

 それに、現時点で生産効率が悪いとしても、個別に発電できることで総体としての電力会社からのエネルギー供給を大幅に節約することができるんですから、結論としていいことずくめなんですよ。複合的な太陽熱温水システムとか、地熱利用とか、風力利用とか、天然ガスとか自然エネルギーは可能性に満ちていますよ。

 中央集権的に発電所からエネルギーを供給するという現状のシステムのままだったら、災害の度に右往左往しなくちゃならないでしょ? エネルギー分散型システムにしてリスクも分散させないと危ないよね。

 要は、「金にならない」と思ってるから力を入れないだけでしょ?

 だけど、それも大きな誤解です。

 太陽光発電技術と蓄電技術をどんどん開発競争することでコストは下がって安くできるし、設置すれば設置するほどエネルギー供給率が上がる。大規模な発電所を建造できない国に普及したら、充分にビジネスとして発展していけますよ。

 目先の資金のことばっかり考えていちゃ~ダメですよ。ビジネスは損して得とるのが基本なんだから・・・。

 資源の無い日本にとっては最高の救世主になります。

 大国のエゴに乗っかって無理に原発作ってきた過去の浅はかさを反省する絶好のチャンスなんだから、ここは“次世代エネルギー開発立国宣言”をしていけば、世界をリードする「流石、日本の技術は凄いっ!」って話になるんだから、ここで後戻りしちゃ~ダメなんですよ。

 今の政治家のダメさって、一つには先見の明の無さと、身を捨てても将来のためにやるべきことをやる・・・っていう覚悟がなくって、自分たちの保身と虚栄を優先していることでしょう。その上、いつまで経っても旧態依然の党派でしか動けない。

 海上保安庁の動画漏洩事件の時だって、今回の注水停止命令を無視して注水し続けた現場の責任者の事件だって、政治がきちんと機能してないから、現場の人間が先々をおもんぱかって自分が泥かぶる覚悟でやってる訳じゃないですか?

 正直、日本に政府なんか無くなっても、やってけんじゃないのかな~?

 無政府状態、オッケーなんじゃ~ないの?

 昔、『武術(うーしゅう)』の編集長と編集者が辞めてしまった時、バイトのライターが中心になって出していた時期がありましたけど、凄いよね~、あの状態でも雑誌は出せるんだもん・・・。

 政府が崩壊しても、現場の人間が独自に判断して行動した方がうまくいくかもしれないですよ? 一回、全部、ぶっ潰れて、民衆の中から地域ごとに自然に自治共同体が出てきて新世紀の国取り物語みたいになるのもいいんじゃないかな~?

 第一、一番、おかしいよな~?って思うのは、何で金が無いと何もできないと考えるのかね? 仮設住宅なんて、自分たちでバンバン勝手に作ればいいんですよ。

 ガレキの山から使えそうな材木とかベニヤ板とか集めれば、いくらでも作れますよ。小学校の時に、そういうの作るのが上手い友達がいて、材木置き場で釘を一本も使わないで三階建ての基地作って、遊んだもんです。

 大工のオジサンにどやされて泣く泣く解体したけど、その後も懲りずに材木の隙間に潜った形の基地を作ったよ。今だったら、「そんな危険なことしちゃ~ダメ!」っていう話になるんでしょうけど、子供は危険なことが大好きなんですよ。

 法律がどうとか、そんなもん、後から考えればいいんです。生きるのが先なんですよ。

 義援金だって、さっさと払えばいいんですよ。今、必要な時にやらんでどうすんの? 公平に渡す・・・なんて、今は無理なんだから、渡せるところからどんどん渡して、一人でも多く助けていかなきゃ~ダメですよね。

・・・っちゅう訳で、日本国の最大の恥は、本物の政治家がいないってことですかね~?

 政治家に期待できないのは、よく解ったんで、まあ~、勝手にやっててくださいよって話で、これからは民間で頑張って日本を立て直しましょうよ。

 武術の根本はサバイバルだからね~。



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青木先生の剣舞の秘訣

 七月のチャリティー演武会での演目について、シダックスの講座でいろいろ考えています。

 北島師範と矢嶋師範代に独己九剣をやってもらって、その後で私がアドリブで何かやろうかな~?と思っておりますが、まだ検討中です。

 何しろ、新体道、剣武天真流、日子流、心道(河野智聖先生の創始した流派で心道流空手とは無関係。っていうか、宇城氏は今、心道流は名乗ってないの?)と並んでやらなきゃいけないんで、結構、プレッシャーありますね~。

 あんまり下手だと「長野さんは口だけやのう~」って笑われちゃうもんな~。

 試し斬りでもやろうか?と思ったんですが、真剣使うのはマズイかな~?とか、いろいろ考えています。

 取り敢えず、北島、矢嶋両名の技量を恥ずかしくないレベルにしておかなくちゃいかんので、この日は、二人に青木先生の剣舞の秘訣を教えて練習させました。

「えっ? 何だそれ?」って思われますか?

 まあ、書いちゃっても、誰も真似できないでしょうから、解説してみましょうか?

 それはですね。

 普通に居合とか剣術とかやっている人だったら、刀を“構えて、斬って、止める”でしょう?

 青木先生は、これやってないんですよ。剣舞の時は・・・。

 そして、最初から最後まで青木先生は“足を止めないで動き続けている”んです。

「何だ。そんなことなのか・・・」と思った人。ふっふっふ・・・。

 この秘訣の通りにやってみてくださいよ・・・ふっふっふ・・・。

 できないでしょ?

 これって、簡単にはできませんよ。

 特に従来の剣術、居合術をやっていた人ほど、できないと思います。どうしても足が止まるか、あるいは剣をピシッと止めてしまうか・・・。

 青木先生の剣舞の映像は結構、動画で出ていたから、見たことある人は多いでしょう。

 だけど、あの難しさを洞察できた人が何人いたでしょうか? やってみればすぐ解るでしょうけれど、多分、やってみた人はいないでしょうね。

 フツー、刀を斬り下ろした時にピシッと止める時は、ほぼ同時に足も止まるんですよ。

 ということは、斬り下ろした時にその刀線の流れを中断しないためには、足を止めずに動かして、刀線の方向を変化させていかなくてはなりません。

 そして、身体はグニャグニャに柔らかく使って刀の動くに従って動くようにしないと止まってしまいます。

 感覚的に言えば、刀を自由自在に遊ばせて、その動きに引っ張られるように全身が刀を追うようにしていけばいいのです。

 とまあ、解説すれば簡単そうですが、やっぱり、難しいでしょう。

 北島師範も矢嶋師範代も四苦八苦して練習していましたよ。

 いや、模範でやって見せてる私だって、ぶっつけ本番だから、2~3箇所、動きが滞ってしまっています。

 けれども、この練習法は、先月、メイプルホールの独り練習で大太刀と槍をそれぞれ練習していて自得したものなんですね。

 技の手順や形はありません。唯一、「刀を止めないで動き続ける」ということだけ。

 何で、こんな練習をやらせたか?というと、手っ取り早く剣体一致を実現するためなんですよ。

 通常は、ビュッと振って、ピタッと止まる。また、ビュッと振って、止まる・・・というのを繰り返すんですが、これって、ビュッと振った後は必ず止まる訳なんで、振られたと同時に入身したら、意外と簡単に無刀取りできちゃったりするんです。

 ということは、そこを狙って打てば、ビックリするくらい簡単に打ててしまったりします。これが“動きの拍子をとらえる”ということです。

 ですが、この動静のリズムが無くて、常に動き回って一瞬も止まらなかったら、どうしようもないでしょう? 下手に攻めたら、カウンターでナマス斬りにされますよ。

 ここなんですよ。青木先生の剣舞の凄さは・・・。

 だから、観る人が観れば、「うわっ、この人の剣はまったく隙がないぞ」って、思う訳なんですね。

 事実、剣道の高段者や剣術の免許皆伝者が、青木先生の剣舞を見て、「こんなことのできる人が現代にいたなんて・・・」と絶句したらしいですね。

 ネットで酷評したりしている連中が、いかに見識のない阿呆か?ということが解る。

 私が「新体道の空手の突きは怖くないけど、養気系の動きはムチャクチャ怖い」と書いたのも同じ理屈です。新体道空手も空手としてはず抜けて凄いですが、まだ、“空手”というカテゴリーの中の形をとっているので、そこに付け入る隙が必然的に現れる訳です。

 そこが読めない人間はお手上げでしょうが、武道の形をとっている限りは、まだ弱点が残ってしまう訳ですよ。

 ところが、新体道の真の凄さは、やはり養気系の無形の動きを作ったことですね。動き続けているから、隙間ができないんですよ。しかも、そこから攻撃技も出せる。狙い所が無い上に、どこから攻撃されるか解らないんだから、何とも恐ろしいです。

 つくづく、青木先生は前衛を突っ走っているな~と思います。

 多くの人は一所懸命、技の形を作ってですね~。最強と思える形を作ることに熱心ですが、その形そのものに弱点が生まれるという矛盾に気づいてない人ばっかりですね。

 無論、形がないと稽古できないから、稽古システムとしての形は必要なんですが、それがそのまま戦闘理論になると考えたらヤバイんですね~。

 何か、「沖縄空手には廻し蹴りは無い」と言い切った師範がいるそうなんですが、稽古法の形の中にないから存在しないと考えるのが短絡的なんですよ。

 実際、沖縄剛柔流には下段の廻し蹴りはありますよ。足尖で相手の脚の筋目を突き刺すように蹴るのです。

 現在のフルコン空手で主流になっているスネで蹴る廻し蹴りは、ムエタイから採用したものと考えられますが、中国武術にも豊富にありますからね。中国武術だと靴の裏の面で蹴るか、側面のエッジで蹴るか、靴尖で蹴るか、カカトで蹴るか・・・と多彩に使い分けますが・・・。

 あんまり技を限定して独善的な主張をするのは良くないと思いますよ。最終的に自身の見識の浅さが露呈するだけですからね。人間、己の分を知るのが大切ですよ。

 ちなみに、廻し蹴りは、まっすぐ蹴って防がれた時に、途中で軌道を変化させて蹴ったことが技へと進化したものでしょう。応用変化技が、基本技へと昇華したものです。

 ムエタイがスネで蹴るようになったのは、動き回って打ち合う試合が発達することで、動き回る相手をとらえるのに、当たる面積が広くなるスネ蹴りを用いるようになったから・・・と考えられます。

 状況によって技は変化するんですね。その論理を弁えていれば、極真空手に始まるフルコンタクト空手の現在の形態が、空手というジャンルの中で“あるベクトルで発展した”ものであるという点は納得がいくところであって、無理やり、原点回帰して沖縄古伝空手に帰らねばならないと思い込む必要はないでしょう。

 温故知新も過ぎれば害毒が出てきますよ。純血主義は種の生命力を弱めてしまいます。遺伝学上、ハイブリッドした方が強くなるんです。漢方薬だって、単独の生薬よりもいくつも組み合わせることで薬効が高まるじゃないですか?

 純血にこだわって近親相姦繰り返していたら奇形児が増えたりするでしょう?

 備前伝の日本刀の鍛刀法には、わざとクズ鉄を少し混ぜることで強度を増す秘伝があるそうです。

 そういう具合に考えれば、技の変化と深化は発展の過程の重要な要素なんですからね。

 青木先生の真の凄さが理解できるのは、その変化と深化の発展過程を推測して理論的に組み立てて考えられる洞察眼と推理力と論理構成力が備わっている人間だけでしょう。

 前衛舞踏のごとき形態から武道とは異質なものと受け止めてしまうのはOUTなんですよ。身体の動きという観点まで解体して考えることで本質的意味が観えてきます。

 普通に武道やってきた人は、自分の認識だけが正しくて他は間違いだとしか考えられない単純思考パターンしかない人が多い。

 そういう人は、自ら求めて見識を広げようとはしませんからね。「自分だけが正しい」と思った時点で、その人はもう終わってしまっているんですけどね~。学ぶことはゴマンとあるんだけど、無知な人程、それを自覚していないのが日本の武道の世界ですかね?

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修行は続くよ、どこまでもォ~?

 最新作DVD『游心流武術の戦闘理論』は、私としては、この十数年くらいの研究成果のエッセンスを全部、出した・・・という満足感と、それなりの達成感があって、いろんな先生に観てみらって講評を聞きたいと思い、何人かの先生にお贈りしました。

 もちろん、私が現代日本の最高峰と思う青木宏之先生には真っ先にお贈りしました。

 けれども、電話されても、ちっとも感想を言われないので、「う~ん・・・全然、評価するところが無いと思われたのかな~? いや、そんなにダメな筈はないんだけど」と、ちょっと不安になってきました。

 それで、「青木先生。DVDはどうだったでしょうか?」って、自分から聞いたところ、「いや~、一流一派の宗家に対しては・・・」とか言われるので、「青木先生~。僕は自分では良いと思ってますけど、先生の視点から観てダメなところを教えて欲しくて贈ってるんですから、遠慮しないで言ってくださいよ~」と、お願いしました。

 無論のことですが、私は自分で「まあまあ良いか?」と思ってDVD作って売っているんです(ダメだと思ったもの売る訳にはいきませんよね?)が、それは、“武術理論”に対する自信であって、自分の技量が達人レベルに達しているとかいった勘違いは、全然、していません。

 というか、私、武術に関しては自己満足したことは一度もありません。

「今回はかなり上手くいってるな~?」と、一瞬、思ったりはしますが、自己陶酔するくらいの満足感を感じたことは一度もありませんね。それがあったら、「武術家でござる」って名乗ってますよ。

 だってね~。周囲に化け物みたいな先生、何人も観てきているじゃないですか? 自惚れようがありませんよ~。そこまでナルシストじゃないですよ~。

 だから、いつも、「いや~。あんなレベルで自分が達人と思えるなんて、度胸があるな~?」って、いろんな武道・武術の先生方を見て、感心するばっかりです。

 そこいくと、格闘技の世界や競技武道の世界でトップに君臨するような人達は、やっぱり凄いし、人柄も謙虚ですよね。ただ、武術という観点から観ると、ちょっと違うな~と思うんですが・・・。

 結局、武術の伝えてきている身体文化、心と身体の操作に関する叡知は物凄いのに、現代では型だけ有り難がって、その中に秘められている理合については忘れ去られてしまっていると思うんですよ。

 現実に理合を体現できる武術家は数える程しかいないですからね。

 鍛錬不足もあるとは思いますが、やっぱり、解っていなくて勘違いしていると思うんですよ。

 そして、その勘違いは私だって必ず有る筈なんですが、それを教えてもらえる先生は、極めて少ないように思っています。

 その極めて少ない先生の中でも青木先生であれば、私の研究してきたことなんかとっくにご存じで、その先の道筋も示してもらえるに違いない・・・と思って、DVDを贈ったんですよね。

 正直、私のDVD観てもチンプンカンプンで何も判読できない人も少なくないと思うんですよ。

 特に、ガンガン殴り合うことしか知らない人だと、まったく意味が解らないでしょう。

 武道・武術・格闘技をやりたがる人って、脳幹(爬虫類の脳)は発達しているけど前頭葉(理性と論理的思考を司る脳)が働いてないような人ばっかりですよ。直感型で論理的思考力が備わってないような人が多いです。

 思い込みが激しい・独善的・短絡的・後先考えない・無知・単純・すぐ騙される・感情を抑制できない・・・。

 要するに、「頭が悪い」んですね。性格や気質もあるでしょうけれど、知性を磨くトレーニングが嫌いな人が武道や武術、格闘技にのめり込むケースが多いんじゃないでしょうか?

 私、勉強は苦手で、成績が良かったのは中学時代だけでしたけど、とにかく本読むのが大好きだったんで、自分が興味あることは独学で勉強するのが癖だったんですね。それが武術に関しても学問的なアプローチをする切っ掛けになっているでしょう。

 けれども、私みたいな人間は特殊なんですよ。武術の世界では・・・。

 何も考えずに無心で練習する者こそが尊敬される世界ですから、“武道バカ”を称賛したりしますからね。

 だけど、やっぱり、“バカはバカ”ですよ。本当に極意に達する人間は、絶対にバカでは有り得ないと私は確信しています。


 さてさて、それで、「ダメなところを教えてくださいっ!」とお願いしたので、青木先生から、いくつか改善すべき点を指摘してもらえました。

「あ~、やっぱり、そうだったのか~」と、自分でも薄々、あそこがマズイかな?と思っていた点を的確に指摘してもらいました。

 自分で良いと思っていても、その道の先輩から観れば未熟であったり、マズイやり方であったりする点はいくらでもあるものです。

 青木先生は、普段は、相手の立場を考えて批判的なことは一切言われないようにしていますから、私がお願いしなかったら、決して言われなかったでしょう。

 特に、武道・武術の世界では、軽口や冗談であっても批判的なことを言えば、妙に逆恨みされてしまうケースが非常に多いものです。私も乗り込んだり乗り込まれたりしたことが何度もありますからね・・・。

 ただし、青木先生も、お弟子さん方には事細か~くダメ出しされているに違いありません。そうでなければ、剣武天真流が、発足して2年くらいで、あんなにレベルが上がっていく道理がありません。

 私も指導者の端くれとして断言できますが、親愛の情が無ければ、厳しいダメ出しはできないんですよ。それを理解できない人が多過ぎますよね・・・。

 誉めて伸ばすって言いますけど、そればっかりじゃ~、過保護の餓鬼のまま大人になって、世の中なめ腐った“穀潰し”に育つ可能性が高いと思うな~・・・。

 流派を名乗って12年目。年齢も48歳となれば、もう誰も教えてくれる先生はいません。自分が先生と呼ばれる立場ですから・・・。

 けれども、48歳というのは武道・武術の世界では、まだまだ若造ですからね~。やっぱり、70歳くらいにならないと円熟したレベルには到達できないでしょう。

 修行に完成なんてものは有り得ないんだと思いますよ・・・。

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武術を習うことを誤解している?

 先日の日曜日の稽古会後のいつものファミレス“ジョナサン”での会食で、退会した元会員が、北島師範が指導した時に基本をしっかり手直しさせられたことを、「イジメられたように思い込んでいた様子だったので、それで辞めたくなったのでは?」という意見を聞きました。

 これと同様のことを別の会員さんからも聞いていたのですが、もし、事実、それが理由で辞めたのだとしたら、「一体、何を勘違いして入会してきたんだろう?」と思います。

 率直に申しますが、趣味を楽しみたいだけなんだったら、武術なんかやらない方がいいですよ。自己満足が得たいだけなら、他にいくらでも楽しい習い事はあるでしょう。

 武術にしろ、武道や格闘技といった闘う技能を磨く習い事というのは、自分の好き勝手に学ぶことはできません。

 特に初心者は、先生や先輩の指示する内容を全面的に黙々と練習しなければならないのが鉄則です。

 我流でやっている間は、ほとんどの練習が無駄になってしまうと心得てください。我流で長年やっていた私が言うんだから、間違いありません。

 私だって、部活動で習った時や、道場に通うようになった頃は、黙って言われた通りに練習しました。「こんなバカな練習が何の役にたつのか?」と思ったことも一度や二度ではありませんでしたが、仮に事実、無駄であったとしても、その無駄なことを我慢してやるという行為が忍耐力を体得させてくれていると、今になって思います。

 だから、習い事というのは、どんな理不尽に思えることでも我慢しないと、上達できる道理がありません。

 第一、武術で想定する戦いというのは、自分の思いとは一切、関係なく、いきなり始まって、理不尽の極みで襲ってくるものです。

 相手はオヤジ狩りや暴走族やチーマーやヤクザかもしれない。木刀や鉄パイプで殴ってくるかもしれない。ナイフや包丁で突いてくるかもしれない。複数で囲んで殴る蹴るしてくるかもしれない・・・。

 ねっ、卑怯も糞もないんですよ。

「そんなシチュエイションは滅多にないよ」と思うでしょうが、少なくとも私は何度かあります。

 そういう体験で学んだことで、「先手必勝で相手をビビらせる」とか、技より戦術なんだと確信した訳ですよ。

 自己満足で練習したパンチやキックなんか通用しません。一発で相手の息の根止められるくらいの威力があるなら話は別ですが、アドレナリン出まくってる戦闘意欲満々の男は骨折するとか鼻血が出るとかぐらいじゃ、全然、怯みません。

 むしろ、より凶暴になるだけです。

 元ヤン、元ゾクの会員に聞いたら、「武道とかやってるヤツなんかチョロイ」って、口を揃えて言いますね。

 何でか?っていうと、「武道やる人間って、元々、気が弱いヤツだ」って言うんです。

 だから、「ケンカになるとビビッて何もできなくなる」って言うんですよ。確かに、そういう人間は少なくないと思いますね。気が弱い人間ほど、強がって見せたがります。

 だけど、戦うことを意識しているという点で、少なくとも現実を直視しているだけマシじゃないかな~?とは思います。

 どんな綺麗事いったって、世の中は暴力で支えられているんです。いや、生きていくのに暴力を否定できません。

 生きるためには外の生命体を殺して食べなきゃならないんですからね。殺す覚悟がない生物は生きていけません。生きることはあらゆる局面で戦いなんです。偽善的な平和主義をとなえている人間は、現実を直視してないだけですよ。


 さて、それで最初に戻りますが、北島師範は生真面目だから、基本がきちんと体得できていない人に、できるようになるまで、一所懸命、指導しただけなんですね。

 それを、“イジメられた”と受け止めるというのは、どんな過保護な育ち方をしたのか?と、私はただただ疑問なだけです。

 自分勝手な解釈で自分が気持ちいい程度に練習してダメな癖がついてしまっていたのを、先生が「それじゃダメですよ」と、一所懸命に矯正するように指導してくれたんだから、「こんなダメな僕のために、一所懸命教えてくださって、本当に有り難い」と感謝するのが当たり前です。

 つまり、「自己流で気分よく練習していた内容を否定されて自尊心を傷つけられた」というのを“イジメられた”と解釈したということなんでしょうが、自己満足を得たいだけなら、独りでやっていればいいんです。

 はっきり申し上げておきます。

 論外! 武術を習うに値しない!

 最近は、若い人で凄く才能があって礼儀も弁えた人が何人か入ってきて、全体的にレベルアップできて良かったな~と思っていたんですが、やっぱり、ポツリポツリと甘えた人も来ます。

 大体、ちょっと厳しくするとすぐ来なくなりますが、そこそこまともだった人間も豹変してしまう例(本性が出ちゃうみたい)もあるので、本当に武術で人を育てるのは難しいな~と思います。

 付き合いのある先生に聞いても、そういう人はどこの道場にも最低一人はいるみたいですから、完全に排除するのは難しいのかもしれません。

 それでも、通っているうちに精神的に成長してくれればいいな~とは思うんですが、十代だったらまだしも、成人以降だと考えの甘さを矯正するのは大変だよな~と思います。

 総じて、この手のタイプの人は、他人とのコミュニケーションがまともに取れなくて現実逃避で武術を習いたがっているように感じます。

 いい年齢なのに、無職であるとかバイトすらしていないとかだったりします。

 周囲から見下されるのが嫌で、普通の人がやらないような特技を体得して威張りたいのが本心なんでしょうが、そんな甘えた考えで体得できる程、武術はお安くないですよ。

 やるんなら、真剣にやる。いわれた通りに真剣にやる。中途半端に身につけるくらい危険なことはありません。自分が気持ちよく楽しみたいだけなら、武術なんかやらないほうがいいんですよ。頭がおかしくなるだけ。

 私は、中学時代の不良たちや、愛の無いシゴキをやってくれた先輩にも今では感謝していますよ。あの経験が無かったら武術やっていなかったですね。人生にマイナスは無いんです。

 世の中、自分の思いどおりにはなりません。頑張っても頑張っても成功できなくて、失敗ばかり重なって、自尊心なんか踏みにじられてお先真っ暗・・・という生き方の中から、懸命に足掻いて、必死で知恵を絞って、ひたすら忍耐して自分の人生を積み上げていくしか道は無いんですよ。

 世の中で成功してる人って、信じられないくらい失敗を重ねていながら、呆れるくらいの忍耐力でそれを克服してきている人ばっかりですよ。そういう人って、泣き言いわないですよね。

 具体的には、自分が周囲に合わせていく訓練が必要なんです。厳しく指導してくれる人をこそ、信頼すべきなんですね。

 甘やかされて自分の我を通させてくれる環境で育った人間は、自分の力で自立していくのが困難になってしまうんです。

 退会した彼も、この点だけは理解して欲しいですね。技が体得できなくても、それさえ理解できれば、きっと、これからの人生に役立つでしょう・・・。


 話は変わりますが、入会しても、全然、練習に来れない人が非常に多いです。

 特に、掛け持ちしている人は、大抵、そうなってしまいます。

 入会しても通えないと何も体得できないままですから、そういう方は教材DVDの購入をお勧めします。

 真面目に練習すれば、そこそこ上達はできます。購入された方の御質問にはお答えしますから、是非、御利用いただきたいですね。

 値段が高いと思われる人もいるでしょうが、安売りして普及する気なんか無いからですよ。“やる気”と“本気”を確かめている訳です。

 現実問題として、入会して全然通えなくて何も体得できないよりは、結果的に遥かにお得なんですよね。

 二、三カ月、うちの稽古会に通っても、游心流の技の全体はまったく見えません。ことさら発勁や合気の練習もしないし、ただただ、基本の練習を繰り返すだけ。基本の身法と技の原理をみっちり体得させるのが目的だからです。

 一年くらい通っている人が月例セミナーに参加して、「初めて合気を教えてもらいました」って言ってたくらいです。

 稽古会は、長期的に通って地道に実力をつけようと思っている人のためにやっているので、毎週通って、最低、半年くらいは続けないと、それなりの実力はつきません。

 また、教材DVDは、「長野さんの技ってどんななのかな?」と興味本位の人に買ってもらうために作っているのではなく、ちゃんと練習してもらえば体得できるように作っています。

 実際、以前、九州からセミナーに参加された方は教材DVDを買って練習しているだけで常連会員以上に身体が練れていました。だから、教える技をどんどん吸収していきました。そんな人もいたのです。

 ですから、既に何かを学んでいらっしゃる人は、教材DVDを買って練習してもらって、半年に一回でも、余裕がある時にセミナーとか受講してもらった方が、結局は効率が良いと思いますよ。

 やっぱり、游心流に関心持ってもらったのであれば、ちゃんと体得して使えるようになってもらいたいんですよ。見ながら練習してもらえば、ある程度は体得できるように工夫してDVD作ってますから、そんじょそこらの武術DVDと同列に思わないで欲しいです

 私は、伝統しょってる人間じゃないんで、習った技にしろ戦闘理論にしろ、徹底的に実験研究して長所も短所も調べ尽くしています。

 その成果のエッセンスを公開しているので、何も考えずに先生から教えてもらっている内容を「これこそが正しいのだ」と独善的に信じ込んで教えている人達と比べられても困るんです。

 どんな流派の師範であっても、自分の学ぶ流派こそ最高だと信じ込んでますから、その最高の技に弱点があるとは考えない訳です。

 私は、まったく逆です。皆さんが、とても想像が及ばないくらい、あらゆる流派の弱点を綿密に研究し尽くしてます。

 だから、何やってもいいんだったら、必ず潰してみせます。強いとか弱いとか関係ないです。だって、弱点だけネチネチ攻めるんだから、そりゃあ、相手は「うわっ、そんな阿呆な~? そんなの反則だろ~っ?」って、愕然としますよ。

 無論、ルール無用の卑怯千万な戦法も使います。でもね。武術は勝てば官軍なんだから、卑怯も糞もありません。戦う以上は、とにかく勝つことを考えなきゃダメ!

「勝つか負けるか、やってみなければ判らない」なんて言う人いますけど、この発想は、相手と“同じ条件で闘って・・・”という前提で考えているんですね。こういう具合に考える時点で武術の発想じゃありません。

「絶対、負けないのが武術である」って言う人も多いですね。間違いじゃないけど、随分、後ろ向きな考え方だな~って思うんですよ。絶対に負けないことが目的なら、逃げればいいんです。戦わなきゃ負けないんだから・・・。

 何で、徹底的に勝つこと考えないのか?と私は不思議です。

 徹底的に勝つためには、敵の弱点だけを徹底的に調べあげて、情容赦なく攻撃すればまず勝てます。私は基本発想がこうなので、この研究成果は誰にも教えないで、こっそりノートに纏めておいて遺書として残すつもりです。いわゆる秘伝書ですね。

“游心流武芸帳”とか・・・。あっ、そうだ。偽物もわざとシャレで作っとこうかな?

 ちなみに、自分の流派の技と戦法に関しても、弱点は熟知しています。私は完全な技なんか無いと思ってるので、自分の考える最高に効率の良い技にも弱点があるのは解っているので、いろんな技を組み合わせることで補完しているんですが、この点についても誰にも教えません。

 ただ・・・今回、DVD『游心流の戦闘理論』には、意識しないうちに結構、出してしまったんで、見直してから頭抱えてしまってですね~。いや、こりゃ~、ちょっと気の利いたヤツにはパクられ放題だし、ヤバイな~・・・と、ここ何日か悩んでおります。

 やっぱ・・・封印するかな~?

 それとも、値段を5万円くらいに上げるかな~?

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先生に感謝!

 久しぶりに、横浜同好会の稽古に行きました。新入会者の面談も兼ねてです。

 主催者のK原さんと共に、入会希望者の方といろいろ話をしました。

 さて、それで新入会員の方と三人で練習するか?と思ったら、先日、本部に入会したばっかりのK村さんも来ました。

 ちょいと驚きました。

 どうしてか?というと、私、「この人、続かないだろう」と思っていたから、スワイショウと立禅しか教えていなかったからですよ。

 礼儀もなってないし、未熟という以前に、我流で練習していたので物凄く変な癖がついてしまっていて基本ができていませんでしたから、「教えてもモノにならんだろう。どうせ、すぐ来なくなる」と思っていました。

 それが、片道一時間以上かけて横浜同好会まで来たんです。

 礼儀も少し弁えはじめました。目付きにも真剣味が出てきました。たった三回目で、雰囲気も変わってきていたのです。

 調子のいい言葉を並べて“やる気”をアピールする人はいますが、そういう人はまず続かないことが多いです。なので、私は“言葉”は信用しません。

 その人の態度を観察して教えるかどうかを判断します。特に、練習中の態度を観れば、如実に判りますね。

 単に、覗きに来たのか、私の腕前が探りたいのか、私に会ってみたかっただけなのか、ウリコミに来たのか・・・いろいろですよ。

 なので、「あ~、ちゃんと覚えたいんだな~」と思ったので、スワイショウと立禅だけじゃ可哀想なので、普通に基礎錬体・推手・初級対錬・差し手の説明などもやりました。

“やる気”と“本気”があるなら、私は拒みません。礼儀作法や何かは徐々に覚えてくれればいいでしょう。自分に自信がつけば自然に妙な自己顕示はしなくなるものです。

 正直、それが感じられない人には、私は技をやって見せることすら稀ですよ。適当にお喋りして一つも技見せないまま、「じゃ、さよ~なら~」で、おしまいです。

 習う気持ちのないヤツに教えてやる義理なんかありませんからね。

 私は自分の人生を捧げて武術の研究をやってきたんです。誰が好きこのんで食うや食わずでお先真っ暗の武術研究家なんて商売やりますか? 興味本位のレジャー感覚しかない人間には教えたくないんですよ。もったいない・・・。

 私は、流儀に優劣は無いと思っている一方で、「俺ぐらい武術を探究している人間はいない!」という強烈な自負を持っているんです。

 私は、躾道館の小林直樹先生、天真会の青木宏之先生、賢友流の友寄隆一郎先生、武神館の野口幸男先生・・・といった多くの先生方から、本当に貴重な技や理論の教えを受けました。それらの技や理論は、先生方が血と汗で研鑽して得られたものであるのは言うまでもありません。

 現代で、一生、探しても天運が無ければ会うこともできないであろう先生方にお会いすることができて、おまけに技を見せていただいて、解説までしてもらったんですから、こんな恵まれた人間はいませんよ。

 これだけしていただいて、技を体得できなかったら、それは全て自分の怠慢です。

 私の技には多くの素晴らしい先生方の教えが無数に詰まっています。だから、先生方に恥をかかせないように、生涯かけて磨きあげていかなくてはなりませんし、世の中ナメ腐ったようなヤツには教えたくありません。

 それは、小林先生や青木先生や友寄先生や野口先生が、御自身で身をもって示してくださっていたからですよ。ナメ腐ったヤツはぶちのめす! それこそが武術の教えなんですね。

 ところで、これは是非、書いておきたいんですが、小林先生は、去年、DVDを撮影された時に、自身の最も得意である絶技“超神速歩法”を一切、やりませんでした。

 私は、それが残念でなりませんでしたが、小林先生が自身の最も得意な技を隠した理由は、「俺は、ほんの少しでも澤井先生や桜公路先生に恩返ししたいと思ったんだ。それはできたんじゃないか?と思う。だから満足しているよ」と言われていました。

 つまり、小林先生は、自分を売り出したい訳じゃないんですよ。「習った先生に恩返しがしたい。自分よりも先輩を取り上げて欲しい」というのが、私が小林先生に初めて会った時から一貫して微塵も変わらない御希望でしたよ。

 だから、小林先生は兄弟子の岡林先生や高木先生を御紹介されたんですね。「自分よりも兄弟子を専門誌で採り上げてくれ・・・」ということだったんです。

 自分を売り出すことばっかりに躍起になっている人達と比べて、何と謙虚なんだと思います。

 でも、私は弟子として小林先生の本当の凄さを多くの人に知って欲しかったんですね。

 あの人間技とは思えない超絶のスピードを見せて欲しかった・・・。

 私が小林先生の太気拳のDVDをあまり誉めなかった理由がコレなんです。だって、肝心要の歩法をやって見せなければ、隠して動いている“不自然さ”を“未熟さ”と誤解する人もいるでしょう?

 だから、私としては、正直、悔しくて悔しくて仕方がなかったんですよ。「この期に及んで、何でそこまで隠すのか? フルスピードでなくてもいいから、普段通りに歩法をやって見せてくれればいいのに・・・」と、残念で残念で、仕方がなかったんですよ。

 案の定、小林先生のDVDを見て酷評している師範もいたみたいです。「太気拳はこうじゃない。何で小林さんは間違ってしまったんだ」と・・・。

 そうなっても仕方がないですね。だって、肝心のことを隠しているんだから、そりゃあ、“不自然な動き”に見えるのは当然でしょう。歩法を駆使して動くべきところを、動かないように懸命に足を止めようとしているんだから・・・。

 そこまで隠すのか?って、私は唖然としましたからね。いや、気持ちは解ってます。それをやって見せたら、どうなるか?ということは、武術業界の“乙女チックな気質”を熟知している私からすれば、容易に想像がつきます。


 私が、新作DVDで歩法を実演したのは、これが理由です。この歩法のところだけユーチューブにも出してもらうように頼んでいます。

 私は元々、走るのは非常に遅くて、その上、両膝関節炎ですから、足で蹴って動いたら、絶対にこのスピードは出せません。小林先生の歩法の異常な速度の秘密がスリ足にあると考えて何年も実験研究した成果なのです。

 このスピードはスリ足で体内の重心移動を先導することで、いくらでも加速させることが可能です。私も、フルスピード出したら、もっと倍速できます。ただ、それをやると寸止めできなくなって相手を怪我させてしまうので、ギリギリ、コントロールできる辺りでやっています。

 北島師範、矢嶋師範代の演武も、出来は75点くらいですが、まあ上出来です。矢嶋師範代は緊張して堅くなってしまったので、まだ少し蹴って動いてしまい、その分、無駄に動いていますが、それでも充分、速い。

 北島師範は、まだまだ速く動けます。ただ、そうすると掌打のコントロールが利かなくなるでしょうから、自分でセーブしていますね。

 真似してやってもらえば、どれくらい難しい技か判ると思います。簡単に真似できると思うなら、やってみてください。片足ずつ踏ん張って蹴った瞬間、必ず動きが分断してしまってスピードの限界がすぐに来ます。スリ足でないと無理なんですよ。

“スリ足はダメだ”と言う先生もおられるそうですが、日本の武道が何故、スリ足を基本にしているのか?という点を考えてみて欲しいですね。そこには常識では想像もつかない身体操作の秘密があるからなんですよ。

 断言しますが、脚力で蹴って動いたらダメなんです。脚力で速く動こうとすれば、アキレス腱切断するとか故障するでしょう。骨盤から動かして足はそれに僅かに遅れてついてくる感じです。

 ちなみに、私が床をダンダンと踏んでいるのは、蹴って身体を上げているのではなくて、身体を“沈めて”沈墜勁を利用して発勁を連発しながら動く小林先生の得意の身法の真似です。重い発勁は単発で打つしかできないんですが、これだと連発しながら歩法も駆使できます。ただし、下丹田ができてないと身体壊します。

 これは、床を蹴って動いているのではない(よく観たら身体が沈んだ瞬間にドンッと震脚しているのが判ります)ので、お間違いのないように・・・。

 そして、ここに明記しておきます。

 小林先生の本気の歩法は、私の10~20倍の速度です。10~20倍速にして見てみたらいいでしょう。足の動きは消えて見えないでしょう。小林先生はそれくらいのスピードで動けるのだと想像してください。

 体内部を物凄い高速で動かすことで重心移動を極限まで加速させているのです。これを単に筋力でやろうとしたら、一発で身体壊れますよ。

 小林先生のDVDを見て侮った人は、もう一度、よくよく観てください。

 弟子の拳や蹴りを受ける時の微塵も力の入っていない腕を・・・。私は本当に戦慄しましたよ。完全脱力で、触れた瞬間に、そこにトンッと沈墜勁を働かせて衝撃力を消してしまっているのです! 恐るべきスキルです。

 これは、伸筋で張り出すようにして受けるのとはまったく別のやり方です。伸筋で張り出すように受ければ、相手の力がもっと強ければ、上回った力が作用してこちらの腕は折れてしまうでしょう。

 澤井先生はそういう技ではなかったと想像します。生前の蹴りを前腕で受ける映像を観ると、脱力したところから腕で受ける瞬間に発力しています。伸筋の張る身体操作ではありません。

 私が観た中では岩間先生がそうされていました。フワッと蹴りを掌で受けると同時に膝を抜いて全身の沈む重みを作用させていらっしゃいました。岩間先生も脱力技法なのですね。伸筋で張る受けはやっていらっしゃいませんでした。

 恐らく、澤井先生の太気拳の原理が脱力技法だったのであろうと思います。

 伸筋の活用は、全身の筋肉の協調を意味しますが、強い力は出ますけれども、自ずと限度があります。相手の力に抵抗して跳ね返すやり方だからです。圧倒的に相手の力が上回っていたら、潰されてしまうでしょう。

 でも、これは意拳の主流派(姚一門)がそうやっていますね。全身の“張り”で相手を弾き出して制空圏を護るという戦闘理論でしょう。これは、張る瞬間に全身を一致させ、脚で地面に釘を打つように、瞬間、居着かねばなりません。

 黒田先生が意拳の居着きについて批判的ニュアンスで評されたことがありましたが、確かに剣術の視点から見ると致命的に見えるでしょう。

 でも、澤井先生の技はそうではなかったと思いますよ。私は小林先生と岩間先生の動きと技の原理を見て、そう思いましたが、小林先生も岩間先生も意拳はやっておられないでしょう?

 太気拳にある“迎え手”という技の名前から考えても、澤井先生の技の本質は、相手の攻撃を“迎え入れておいて重心を崩して無力化する”という考えが根本原理にあったのではないか?と思います。つまり、合気的な、相手の攻撃を跳ねのけるのでない同化して威力を吸収してしまうやり方です。

 これは下丹田タイプの澤井先生に対して、中丹田タイプの意拳(姚一門系)の攻防原理が異なってくるのと比例していると考えられます。

 まあ、技術分析はこのくらいにしておきます。体験のない人には意味不明な論でしょうし、感情論で文句を誘発しても困りますから。

 ただし、両方をやっている人なら、「あっ、そうか・・・」と思われる点はあるでしょう。そういう真摯な探究者のヒントにしてもらえれば有り難いですね。


PS;次回、六月十二日の江古田・月例セミナーは、奇しくも歩法(縮地法)です。宜しかったら、直に体験してみてください。

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日本もアクション女優が続々出るかも?

『映画秘宝』の高瀬先生の連載記事で、アクションの上手い女優について評論されていて、芦名星や原幹恵の名前が挙げられていました。

 あんましピンとこない人も多いかもしれませんが、私も芦名星には注目していたんですね~。

 この女優さんは、確かモデル出身じゃなかったでしょうか?

 私ども特撮バカ(自分で言うか?)の間では、「仮面ライダー響鬼に出てた魔化魍の姫を演じてた人」として有名だったんですが、映画界的には役所さんが出てた『シルク』で注目された女優さんとしての方が有名でしょうね。

 その後は、いろんなドラマにも出演されて、主演映画も『七瀬ふたたび』がありますが、『ブラッディマンデー』の時の女刑事役の時に、総合格闘技の練習するシーンがあったんですが、凄く上手いんでオオッと思ったことがあったんですよ。プロ格闘家っぽいんですよ。リラックスしてスルスルッと技かけたりしてて・・・。

 シーンはちょこっとだけでしたが、手足の長さとクールビューティーな風貌でアンジェリーナ・ジョリーっぽいですよね。スパイアクション物とか似合いそうですね。

 原幹恵は、『キューティハニー・ザ・ライブ』の主演でしたから、AACでみっちり鍛えられたに違いありません。

 AACは昔、ライターやってた頃に取材しましたけど、雰囲気が明るくて楽しんで練習しているところが良かったな~。スーツアクターで有名な吉田瑞穂さんと名刺交換した時に、「あっ、貴方はゼイラムですね?」って言ったら、スッゲ~苦笑されていました(どんなヲタクやねん?と思ったことでしょう)。

 もう十数年前ですけどね~。F堂で仕事貰ってた頃は楽しかったな~。もう、同期のライターや編集者もほとんど離れていますけどね。

 あっ、そういえば、あの時の私が担当したアクションカラテ特集号、岩本先生も楽しんで読んでくださってたみたいです。「ブルース・リーは神である!」みたいな発狂した調子の文章で「月刊空手道も、ついにここまで堕ちたか・・・」とお叱りを受けたりしましたっけ・・・(最高!という賞賛も多かったけどね)。

 余談ですが、どこかの出版社の編集者の方で、私にアクション映画について書かせてみようという奇特な方はいらっしゃいませんかね~? そこそこ売れる本にはなると思うんで、企画が無くて困ってる方、待ってま~す!

 それはそれとして、原幹恵ちゃんは、あの高瀬先生が絶賛するくらいだから、よっぽどでしょうね~。高瀬道場でレッスンした成果を早く披露してもらいたいですね・・・っていうか、もう、“高瀬先生の監督作品で主演したらいいと思います!”


 ところで、身体の柔軟性とスピード、姿勢のキメといった身体訓練の基礎ができていれば、役者のアクションはそれなりにサマになります。

 だから、中途半端に武道かじった人より、バレエやっていた人や新体操出身の女優はアクションやっても見栄えがすると思います。

 自分で言うのも何ですが、武道武術やっていた人間は、動きが小さ過ぎて見栄えがしないんですね。多少、誇張してカッコ良く見せる工夫とかしないと駄目だと思うんです。

 私も芝居で殺陣つけてた時は、いかに見栄えよく見せるか?ってことを優先して考えましたからね。武術でやる場合と逆のこと指導しましたね。

 こういうことはブルース・リーも弁えていたそうです。「実戦で高い蹴りは出さない」とか本人が言ってた訳ですから。

 なので、魅せることを優先するダンスや体操とかをやっていた人の方がアクションには向いているんですね。仮に私がアクション映画の監督をする場合、役者さんはダンスや体操やっていた人を優先的に集めるかもしれませんね。見栄えするもんね~。

牙狼GARO』の、さとうやすえや、松山メアリーは、その典型じゃないでしょうか?

 本格的なスタント・アクションやアクロバット・アクションはプロに敵わないとしても、アクションの基礎訓練は演技者としての幅を広げます。

 柴咲コウの『少林少女』も、本人が相当、頑張って訓練した成果が出ていたと思いますよ。

 高瀬先生は、『黒帯』は誉められていましたけど、それは長崎監督だから演出がちゃんとしてたという評価でしょうか?

ハイキックガール』『KG』は殺陣師の視点から低く評価されているご様子でしたが、それはまあ、解ります。

 アクションの見せ方が映画のドラマとうまくマッチしていないように思うでしょう。それは私も同様に思ったんですよ。

 だから、できたらプロの殺陣師がきちんとアクションの構成や見せ方の演出をした方が良いとは思いましたね。

 もっとも、私は、『黒帯』より『ハイキックガール』の方が好きなんですね。

 何でか?というと、武田梨奈のスキルの高さそのものに感動できたからですし、中達也師範の見事過ぎる空手の分解組手風のテクニックが存分に見られたから、それだけで見せ方はどうでもよくなってしまったからです。

 連続して動ける人は、カット割りや編集で分断すると、むしろ迫力が減ってしまいますから、この辺りは難しいところですね。

 一般にアクションの上手い人は引きの画面でカットしないで見せるのが効果的ですが、それ一辺倒でも飽きるでしょう。アクションの演出、見せ方は難しいのです。

 私個人は、『黒帯』は、ドラマが実につまんなかったので、空手の凄さが堪能できませんでした。シナリオの問題でしょう。あれでは高倉健のデビュー作『電光空手打ち』みたいな時代錯誤な感じで、真面目過ぎてストーリーに魅力を感じませんでしたね。

 ちなみに、『黒帯』で夏木陽介が演じた主人公たちの師匠は、最初は前衛舞踊家の田中泯さんにオファーがあったそうです。泯さん、断っちゃったみたいです。

 空手映画は、やっぱり、“アマゾネス7”とか“高砂流吹き矢”とか“シラリンチャン”とか、敵はインチキ臭っさいゴレンジャーのナントカ仮面みたいなのが唐突に出てきて、千葉ちゃんの「ヒューッ・・・カァァ~」って息吹と共に金玉むしり取るような空手殺法が出てこないと“つまんない”ですっ!

 アクションの一つの魅力は、“バカに徹する!”という点もありますよ。お笑い見る感覚と近いですよね。つまり、エンタメとして何も考えないで楽しめることが大切!

 若山先生の子連れ狼シリーズだって、「三途の川の乳母車」「死に風に向かう乳母車」「地獄へゆくぞ!大五郎」って、タイトルだけで、「バカやってま~す!」ってわかるじゃないですか? そこがいいんですよ。内容もほんとにバカだったりするし・・・。

 私が香港カンフー映画好きなのも、一言でいって「バカ過ぎるから」ですよ。

 スウォーズマンとか大好きですよ。一回観ただけじゃ、どういう話なのか全然わかんないし・・・。ジャッキーの『シティハンター』も全然、シティハンターじゃないんだけど、そんなもんどうでもいいってくらい面白かったですよ。

 でも、『ハイキックガール』で、一つ、残念だったのは、やっぱり、ラストは“石橋雅史先生が登場しないとダメ”ですよね。“本位田三兄弟の長兄、猪一郎”(次男が鹿次郎で三男が蝶三郎なんだよねって・・・花札じゃん?)とか名乗って、「イエエエ~イッ!」って叫びながら、釵をカチーン、カチーン・・・と・・・って、ムッ? 何か、“白獅子仮面”みたいだな~?(いきなり、ドマイナー特撮チョンマゲ話・・・)

『KG』は見逃しちゃったんですが、横浜まで観に行った北島師範の話によれば、何かカンフーとJKDの使い手、乙黒エリ主演の『お姉チャンバラ』と同じような話(とーちゃんが殺された誘拐された妹が洗脳されて姉妹対決する?)みたいです・・・って、解る?


 何か、最近は、女装男子(男の娘)や、お姉キャラが市民権を得てきたのに比例するように、ワイルド男子系の映像作品が激減してきた気がするんですが、正直、私はアクション映画だったら主演が男でも女でもどっちでもいいです。

 むしろ、肉弾相打つアクションよりも、アートのごとく組み上げられたテクニカルなバトルアクションの方が好きなんで、女性が活躍する作品の方が面白かったりします。

 高瀬先生も挙げておられる志穂美悦子の女必殺拳シリーズなんて、千葉ちゃんのカラテ映画以上に華麗なアクションが魅力的でしたね。悦っちゃんは『里見八犬伝』の犬坂毛野なんて素晴らしかったですよ。あの頃のJACは凄かったな~・・・。

 ミッチー・ラブは『ジャッカー電撃隊』のハートクイン、カレン水木役が、早川絵美は『ザ・カゲスター』のベルスター、風村鈴子役が特撮バカ的には(しつこい?)、有名ですが、二人とも東映カラテ映画(女必殺拳シリーズや『少林寺拳法』)にも、ちょくちょく出てましたよね。

 やっぱ、あのカラテでも何でも「激突!」していた頃が楽しいですよね。合気道ですら激突してたんだから・・・(悦っちゃんがドサクサに紛れて蹴りまくる。合気道じゃね~じゃん?)。

 今だったら、武道や格闘技ができる女子は、「カッケエ~!」と称賛されますが、昔はイロモノ的に見られましたからね。彼氏もなかなかできないとか? 私なんか逆に武術できる女でないと興味ないですけどね。

 しかし、現代は、女が主役で世界を動かしていく時代へと向かっているのかもしれません。男が頼りなくなった分、女が能力値、高まっているような気がします。


 で、高瀬道場の多加野詩子先生がヒルナンデスに出演された時に平愛梨の殺陣センスがいいな~と注目していたら、平ちゃんが出ているというので、会員のK塚さんが『笑う大天使(ミカエル)』のDVDを貸してくれたので、アクション・メイキングのところを見ました。

 この作品、アジアを股にかけるアクション監督、谷垣健治監督(あっ、今、思い出したけど、サイン書いてもらえば良かったか。しまった・・・)がアクション演出をされた作品であるというのと、上野樹理が主演しているというので有名です。

 で、『ネガティブ・ハッピー・チェーンソー・エッジ』でアクション女優っぷりを披露し、『必死剣・鳥刺し』でトヨエツに「ごめんっ」って、刺し殺されていた?関めぐみも出ています。

 しかし、アクション・センスは平ちゃんがダントツで、瞬発力やパンチ、キックの回転の速さ、動きのキレ等、冗談抜きで逸材だと思います。『20世紀少年』のカンナ役はこの演技が注目されたのか?とも思いました。

 谷垣監督の批評によると、「(女子は)160cmくらいの背丈が一番、アクションに向いている」とのことで、監督の著書にも「アクション俳優は背丈の小さい人が多い」と、170cmに足らない私なんか勇気が持てることが書いてありましたね。

 身長低い方が単純に神経伝達の距離が短いからかな~?とも思いますが、確かに武術の世界でも「名人に大男はいない」と言われるんですね。

 それにしても、平ちゃん主演で『あずみ』のTVシリーズとか作ったら、時代劇復活するんじゃないかな~? こんな才能のある女優を使わないのはもったいないですよ。TV朝日かTV東京さん、どうですか?


 しっかしま~、谷垣監督のインタビューを見ていて、殺陣師の先生方は、そこらの武道の師範より遥かに教えて上手いな~と思いましたね。武術教えてる人間として頭下がりましたよ。

 ヒルナンデスで平ちゃんたちに教えていた多加野先生も、2時間しか教えていないらしいんですが、それでまったくの初心者をあそこまでできるように教えたんですから、驚異的な指導力ですよ。絶句・・・。


PS;いつもお世話になっているアクション女優の秋本つばささんが主宰する“つばさ基地”が、都内のもっと広い場所に移転するそうです。広さが4倍で天井まで6mあるんだそうですよ。凄いな~。立ちあげて数年で、そこまで・・・(絶句)。やっぱ、時代は女が動かしていくのかも?

PS2;いつもお世話になっているストアハウスさんが、上野に新しい劇場を開場しました。記念公演『縄-ROPE-』は、6/8~14にあります。演劇ともダンスとも分類し難い屹立する孤高の前衛パフォーミングアートを、この機会に是非、一度、観てみられてはいかがでしょうか? スンゴイよ~。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
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@yahoo.co.jp

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