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秋本つばさ先生『ヒロインステーション』出演!

 ヒロインエンターテイメントのDVD雑誌『ヒロインステーション』にアクション女優の秋本つばささんが出ているという話を聞いて、先日、アスペクトさんに原稿直しの打ち合わせに行ったついでに神保町の書泉グランデに買いに行ったんですけど、置いてなくってですね~。

 書泉グランデに無いなんて・・・と思っていたら、つばさ基地で殺陣教室に通っている矢嶋師範代がつばさ基地で売ってるというので買ってきてもらいました。

 DVDで秋本さんのアクション指導風景も収録されているということで、ライターの平山賢司さんが体験取材されています。

 で、シダックスの講座の時に矢嶋師範代に代金を渡して受け取ってきたんですが、「何か・・・いけないブツを受け渡してるみたいですね・・・」なんて矢嶋師範代が言うんで、本当にそんな気になっちゃいましたよ(ヤクの取引じゃないんだから~)。

 リニューアル創刊号ということで、特集は萩原佐代子と牧野美千子の往年(80年代)の戦隊シリーズのヒロインの今!

 何か、私と同世代の筈なのに異常に若いのにビックリ。引退しても女優さんって凄い!


 そして、特集の第三が秋本さん!

 インタビュー記事を読むと、何かハリウッドも視野に入れた物凄い夢を描かれていて、でも、秋本さんなら本当に実現できるだろうな~・・・という感じがします。

 何より、彼女の凄いところは周囲の人に対する気配りと自分に対する厳しさ。その徹底したところはオリンピックの金メダリスト級の志しの高さプラス、世の中に貢献したいという人類愛も持たれているところ。

 まあね~、以前、別の雑誌のインタビューで“理想の男性は”という質問に「自分に厳しい人」と答えられていたんですが、それも納得です。しょ~もない男なんか見向きもしないでしょうな~・・・。

 で、最初にお会いしてから5年くらい経ちますか? それでも秋本さんのアクションをしっかり見た機会って、アクションパーティナイトくらいしかなかったので、今回のDVD映像で平山さんを鍛える秋本先生の打撃格闘テクニックの動きは感動物でしたよ。

 矢嶋師範代が、「僕は秋本先生とまともに戦って勝つ自信ないですぅ~」って言ってたんですが、確かに、この突き蹴りのキレ味とスピードはハンパないです。

 正直言って、たまげましたよ。

 以前、パンチの巧みさに感心したんですが、今回は蹴りの見事さに唸ってしまいましたね~。アクション用の魅せる回し蹴りと、実戦的な三日月蹴りの違いを実演してみせる秋本先生の軸の安定度といい、無駄な力みが無く、シュッと撓るように蹴りが出るところなんて、トップクラスのテコンドーやムエタイの選手を思わせます。

 空手道場経営しても成功するだろうな~と思いましたね。

 ちなみに平山さんの運動神経の悪さも際立っていて、蹴りが膝よりちょい上くらいにしか上がらないところが、何か、いい感じにオタッキーでいいな~って感じでした。

「いつもは蹴りを300回やるんですが、今日は30回でいいです」って、何か、やっぱり普通にフルコン空手道場っぽいノリですが、女性向け護身術教室やってもいいんじゃないかな~?

 つばさ基地の名物アクロバット教室での、バック転になると、子供たちの華麗な体操技が楽しそうでした。こちらでの秋本先生は、何だか学校の先生っぽいですね。何か『熱中時代』の志穂美悦子を思い出しましたよ。


 ちなみに、8月半ばからつばさ基地は移転して、4倍の広さになるんだそうです。夢の実現に向けてちゃくちゃくと計画進行中のようです。

 いつどうなるか判らない時代だからこそ、精一杯、夢に向かって生きていかなきゃいけない・・・と思わせてくれるリアル・スーパーヒロインとして、これからもっと注目されていく人だと思いました。


 あっ、それと、先日、秋本さんとつばさ基地の面々も出演されているという水野美紀主演『ソードシーカーズ~刀狩る者』のDVDをK塚さんに買ってもらって観ました。

 ストーリーが今ひとつ解りにくいかな~と思ったんですが、クライマックスに向かって、どんどんアクションが面白くなってきて、なかなか楽しめました。

 刀好きの私としては、シリーズとしてどんどん続いて欲しいものだな~と思います。

 劇中で、カンフー(劈掛掌か?)を使う敵が出てくるんですが、この人のカンフー殺法が実に見事で感心してしまいましたよ。香港カンフー映画でも、こんな具合に技を魅せられる人は少ないと思いますね。それほど、武術的に理に適った動きでした。

 それと、水野美紀が戦う敵の中に蹴りの名手がいたり、もっとアクションを緻密に見せてくれると更に良くなったんじゃないかな~?と思いました。

 やっぱり、アクション物の魅力は、個性的なアクションを見せるキャラクターによりますよね。『酔拳』のウォン・チョンリー、『ヤングマスター』のウォン・インシック、『スパルタンX』のベニー・ユキーデ等々、悪役でも強い印象が残る人もいます。

 ちょうど、モンドTVで『芸者VS忍者』というヘンな映画を見たんですが、これがビックリするくらいアクションが独創的で、香港のワイヤーアクションの影響があるのか?とも思ったんですが、主演女優さんが相当動ける人で、『マッハ!』の古式ムエタイまで使っていて驚きましたよ。

 単なるモンド映画だと思って見たら、思わぬアクション傑作でした。

 こういうのって、クエンティン・タランティーノとかが大好きそうですね。


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差別観念について

 先日の講座の時に、参加者から、「駅なんかにハングル文字が書かれていることについて先生は何と思いますか?」と聞かれました。

 この方は以前にも同様の話をしていたんで、正直、またか?と呆れてしまいました。場の空気が読めない人って武道をやっている人には多いですが、私から人種差別を肯定するような発言を引き出したいのか?と、内心、非常に不愉快でした。

「よっぽど在日朝鮮の人達が嫌いなんだろうけど、社会経験の乏しい中学生でもあるまいし、こういう公開講座の場で質問するなんて、何て社会的良識の欠けた迂闊な人だ? もし、この場に在日朝鮮の人がいたらどうするつもりなんだ? いや、それよりも、もし俺自身がそうだったらどうするつもりなんだ?」と、一瞬、怒鳴りつけてやろうか?とも思いましたが、グッとこらえて適当に話しました。

 ネットの住人には右翼的な発言で平然と人種差別の文言を書きたてる人間もいるそうですが、それは匿名だから無責任に本音をさらせるのではないでしょうか?

 初めて会う人達の前で、生でこれほど無防備な発言をする人は珍しいです。

 率直に申しますが、人種差別に類する発言を公言してしまえば、その人に対する周囲の人達の評価は極端に低下します。

「極めて低いレベルの教育水準の人間である」と判断されるのが普通ですし、責任ある立場の人間であれば、社会的に葬られる可能性さえあります。

 ヒトラーが、今でも世界中から極悪人として嫌われ、評価する言葉を発した人まで袋叩きにあうのも、彼がユダヤ人を差別し虐殺したからであることは言うまでもなく、そのような人間を評価する者もまた人種差別を正当化して考える愚劣な考えの人間であると認識されるからに外なりません。

 最近も、ヒトラーを擁護するような発言をした映画監督が糾弾されていましたし、ユダヤ人であることを公言しているナタリー・ポートマンが「彼を軽蔑する」と言ったとか聞きました。

 無論、人の思想、信条は自由であり、他者からあれこれ言われる筋合いではありませんが、差別発言くらい人間の評価を貶めてしまうものはありません。

 何故なら、本人は何の悪気がなくとも、差別された側の人間の心には深い傷がつけられ恨みの感情を残してしまうからです。

 日本で、武道界、格闘技界、芸能界は、特に在日朝鮮の人が多いとされます。

 テコンドーはそのままですし、フルコンタクト空手も多いし、中国武術も結構多いと聞きます。つまり、武道界で人種差別発言をすれば、恐らく数十人に一人くらいの確率で在日の人の耳に入ってしまわざるを得ないでしょう。

 芸能界はもっと多いでしょうね。十人に一人くらいかもしれません。

 何故なら、差別を恐れて、出自を隠して日本人のフリをし続けている人が大多数であるとも言われるからです。彼らの特徴として、在日であることを隠すために、日本人以上に国粋的思想をとなえる傾向が強いようです。右翼活動家の中にも相当多いと聞きます。

 有名なところでは、力道山、大山倍達、松田優作、つかこうへい・・・といった人達が在日の人でした。

 その他、私が聞いたところでも日本人なら誰もが知っている超大物歌手や俳優、女優、演出家、武道家、格闘家、スポーツ選手が在日外国人であるそうですが、もう、日本を代表する有名な人ばかりで呆然となってしまうくらいです。

 私の付き合いのある人の中にも何人か在日二世の人がいましたし、隠している人もいるようです。

 ある人は、成人するまで親から在日二世であることを知らされずに育ったと言っていました。ちょっと困ったところのある人でしたが、私には大切な友人ですよ(とか言いつつ、もう数年、連絡とってないけど・・・)。

 そんな具合で、ケンカ別れした人もいますが、今でも付き合いのある人もいます。

 だから、私は人種差別的な発言をしないように注意しなければ・・・と思ってはいますが、我知らず、そのような意味の言葉を発してしまったこともあります。

“バカチョン・カメラ”の“チョン”というのが朝鮮人を差別する言葉だと知ったのは、十年くらい前のことでした。

 差別する意識が無くても、結果的に差別することになってしまう・・・ということもあるのです。

 逆に、日本人が外国に行った時に、イエローモンキーとかジャップみたいに言われたり、馬鹿にされた言葉を言われたら、どんな気持ちでしょうか?

 海外留学経験のある友人に聞くと、必ずと言っていいくらい差別された経験があると語っていました。

 人種の優越意識は時と場所で変わってしまいますし、そもそも、出自は自分では選ぶことができません。

 ウルトラセブンの有名な話で、地球の先住民族ノンマルトの海底都市をウルトラ警備隊が撃滅してしまう・・・というストーリーがありました。

 正義の人達と信じていた人達が、無慈悲に敵を殺して喜んでいる姿には、大いなる皮肉が効いていました。

 この話を書いた脚本家の金城哲夫は沖縄の出身で、度々、差別される側の恨みを込めた話を書いたとされます。

 そもそも、空手の源流は琉球の手であり、琉球民族の文化であって、「本土に琉球手の本質は伝えなかった」という説を、私は本当のことだろうと思います。

 もちろん、その琉球の文化には中国の影響が大きく、琉球手が中国武術に大部分を負うものであることを私は確信して疑いませんが、全部がそうだとは思いません。

 同様に、本土に伝えられた琉球手が、日本の空手道へと発展していった歴史もまた否定できない事実です。

 このような文化の伝播と発展は、人種の交流と無関係ではあり得ません。

 日本という国もまた、現在の大多数の人間が、本来はこの日本の国土に住んでいたのではなく、大陸から、南洋から渡ってきたいくつもの民族の混合された者であるとされています。

 では、元から住んでいた原日本人と言うべき人種はどこへ行ってしまったのか?

 有名なところはアイヌ民族ですが、古来、“土蜘蛛”“手長・足長”と呼ばれた者達や、ダイダラボッチ(レイラボッチ、デェラボッチ、ダイタ法師等々)のような巨人伝説や、あるいはコロボックルのような小人伝説の原型になった民族が実際に居たのではないか?という民族学的研究もあります。

 今の日本人は、その多くが中国から朝鮮半島を経由してやってきた渡来人の末裔の割合がかなり多いのでしょう。

 その意味で、数千年のタイムスパンで考えてみれば、在日朝鮮人がどうしたこうしたと論じることそのものが噴飯物の冗談となってしまうでしょう。

 ただし、現在、「コムドが日本の剣道になった」だの、「空手の源流はテコンドーの母体であるテッキョン」だの、「合気道の源流の大東流を創始した新羅三郎はシラギの人間」だとかいった偽説に関しては、私も研究家として断固として異をとなえます。

 しかしながら、類似した説が、かつての日本にも有ったという事実は御承知ですか?

 日本が世界の盟主国であるという思想がかつては有ったのです。それが日本の軍国化に一役かった面は否めないと私は思っています。

 日本の大東亜共栄圏思想も、日本人がアジアの盟主であると主張する驕った考えであると近隣国から嫌悪された所以でもあるでしょう。

 日本は歴史上、一度も外国の植民地にされた経験がありませんが、アジアの多くの国が外国に支配された経験があります。その痛みに対して無自覚でいてはいけないでしょう。

 沖縄県も、本来なら“琉球国”であるのが正しい姿なのではないでしょうか?

 支配する者は支配される者の痛みが解りません。差別する者は差別される者の痛みが解りません。

 その「痛みを知らない」ということに無自覚でいてはいけないでしょう。

 かく言う私も、「ホモは嫌い」とか、差別観念による考えはあります。嫌いという感情は生理的な面もあるので否定できませんが、その差別観念の問題点について無自覚でいたり、鈍感でいることは恥ずべきことだと考えます。

 うちの会にはいわゆる女装男子の会員がいますが、最初、私は「あいつ、ホモっぽいから誰か注意してやってくれよ~」なんて冗談めいて言っていたんですが、その後、ビジュアルバンドやっていたり、要するに本人の信念でやっているというのが解ったので、その後は全面的に応援して、彼が独自のアーティストとして確立して世の中に認められることを心から祈っています。

 成熟した社会は、個人の価値観を認めて自由な生き方を容認することを基盤として制度化されるべきです。その基底観念として、差別意識は解体されていかねばなりません。

 重要なのは、他者への共感と理解。そして、自己への内省。

 私は物書きの仕事をしているので、言葉の影響については人一倍、慎重であらねばなりませんし、武術を通して人を教育する立場でもありますから、教育的指導のやり方についても考えなくてはなりません。

 無論、だからと言って、いい年をした大人に子供を諭すような説教をぶつのも不遜というものでしょう。

 ですが、差別発言を無邪気に口にしてしまう人は、要するに、“幼い”のです。これは年齢とは関係ありません。むしろ、年齢に相応した発言ができなければ、周囲から自身の評価を貶めていってしまうでしょう。

 人は言葉ひとつで人生をも棒に振ってしまう場合があります。失言によって一国の総理大臣が追い落とされてしまったりするのも、言葉から、その人の思想信条が批評され責任を追及されるからです。

 中学の修学旅行で、熊本の旅館に泊まった時、宿の従業員同士が、「今日の客は天草のモンたい」と、軽蔑した響きで話しているのが聞こえて、腹が立つやら哀しいやら、非常に嫌な記憶となって今でも残っています。

 天草は熊本県に入ってはいますが、離れ島ですから文化的には特殊だったので、熊本の人からすれば“島流しの島の罪人の子孫”といった観点があったのかもしれません。

 また、親父が熊本県八代(八代亜紀の故郷)の八代高校の校長となって赴任していた時に、被差別部落の区域があったらしく、そこの地区に話し合いに行ってきたことがあり、お土産に大量の牛肉を貰ってきたことがありました。

 つまり、屠畜業を営むエタ・非人と呼ばれていた人達の末裔が住む地区だったということでしょう。

 このような被差別部落出身の人達も日本中のどこにでもいます。芸能の世界は伝統的に“河原乞食”と呼ばれる最下層の民とされますが、そのような伝統的な人種や地区の差別はいつの世の中にも、世界中のどこにでもあるものです。

 現在は、福島から避難してきた子供達が学校で差別されている・・・と問題になっています。風評被害の根本にも差別観念が潜んでいるのです。

 とはいえ、差別観念を無くすことは恐らく無理でしょう。

 しかし、差別することが恥ずべきことだという観念があれば、人は他者を傷つける罪の意識を、もう少し自覚できるのではないか?と、私はそう思います。

 皆さんは、どうお考えになりますか? 御意見を聞かせてください。

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菅さん、よく言った!

 菅首相の脱原発宣言。非難轟々ではありますが、私は、「よくぞ、言った!」という気持ちで一杯です!

 福島原発事故が起こって以来、この国の原発推進国策の恐るべき危険性について、多くの識者が声をあげてきています。

 日本の経済力劣化を心配する声も大きく、メディアを使った原発の必要性キャンペーンも根強いですが、日本の国土が生き物が住めない死の国になり兼ねない原発事故へのリスクと比べれば、選択の余地はないでしょう。

 このまま目先の経済効率に捕らわれて原発を続けていこうとすることは、日本という国の滅亡を招きかねない愚かな選択です。

 どうしてか?というと、原発は放射能汚染を拡大しながらでしか電気エネルギーを生み出せないからです。

 火力発電はCO2を出すから地球温暖化を招いていると批判されますが、原発は放射性廃棄物を生み出します。どっちが危険か考えるまでもありません。

「夢のエネルギー・システム」というプルサーマル型や高速増殖炉も、その危険性が倍加するだけで、海外では技術的に不可能として諦められている技術であり、日本の場合は技術力への信仰心で取り組んでいるとしか言えません。

 水や空気に触れると爆発してしまうナトリウムを使わないと冷却できないというのも致命的な恐ろしさです。もし、福島のような事故が起これば為す術がなく、プルトニウムなどの放射性物質が撒き散らされてしまうのです。

「夢のエネルギー・システム」どころか、現実は「悪夢のエネルギー・システム」です。

 そして、もう一つ、重要な問題は、日本の原発の多くが地震が発生しやすい場所に建てられているということです。

 もしも、プルサーマル型や高速増殖炉のある原発で大きな地震が起こり事故が発生したら、福島とは比較にならない被害が広がってしまいます。

 日本経済がどうこうだの電力不足がどうこうだのと悠長なことを論じている場合ではなく、一刻も早く全原発を停止し、国の政策を転換させるべきです。

 一時的に経済は混乱し、日本は貧乏になるでしょう。

 しかし、内憂を排した後は、立て直していけます。新しいエネルギーをどんどん開発していけば世界をリードしていける。

 今は、目先の経済効率など求めるべきではありません。原発というハイリスクな荷物を手放さないといけません。

 菅首相は、このような情報を知り、考えた末に脱原発を宣言したと思います。

 他の誰が、脱原発へと国の政策の舵を切ろうとできたでしょう?

 確かに菅首相は首相の器ではないかもしれません。

 しかし、そういう人間だったからこそ、戦後の国策として巨大な拝金構造として日本の政治の根底に巣くった原発というガン病巣を切除する決心ができたのだと思います。

 これまで危険性を巧妙に隠蔽し、クリーンな未来のエネルギーというイメージ戦略で、膨大な金を動かす原発ビジネスの恩恵で肥え太ってきた人間たちは、必死でイメージを取り繕おうとしています。

 それは政治家の多くも共犯なのです。

 結局、自分たちの利権を守りたいだけです。

 国民がどれだけ犠牲になろうと、そんな連中の心は痛まない。

 震災以後、恐らく関東圏にも放射性物質がかなり拡散しているだろうと思われます。

 ここ最近、周囲の人が脱毛が酷くなっているようです。多分、放射性物質を含んだ雨を受けたからではないかと思います。

 私は帽子を愛用しているので大丈夫なようですが、体内の有毒物質を排泄する機能があるネックレスをつけているためか、私もちょくちょく好転反応が現れます。先日は、突如、薄めた赤ワインのような血尿が出て驚かされました。

 体調は良いし足裏の反射区で腎臓のところを探ってみても何ともありません。恐らく、体内に溜まった放射性物質を排出したのでは?と考えましたが、血尿は二回出て、以後は普通になりました。やはり、好転反応だったのだと思います。

 けれども、最早、空気・水・食品から体内に取り込まれる放射性物質は避けるのが難しい状況です。

 このような現状で、さらなる原発事故が起これば、もう日本に住み続けることはできなくなってしまうでしょう。

 だから、どうか、目先の経済効率ではなく、将来のために危険な芽は摘み取る勇気を持って欲しい。

 日本は、元々、自然と共存し豊かな文化を育んでいた国です。経済大国などという浮ついた目標のために犠牲にしてきたものを、今、取り戻すべき時期が来ています。

 今、この時代に生き合わせた我々には、その責任があるのではないでしょうか?

 未来を犠牲にした繁栄など求めるのは愚かなだけです。


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今夏最大のイベント、無事完了!

 7月17日は天真会主催のチャリティー演武・演奏会と、ほびっと村での必殺太極拳2の講座がありました。

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 こういう大事な日に限って、好転反応が起きるもので、朝から体調はイマイチ・イマニ?という感じで、困ったもんだな~・・・と思いつつ、演武そのものは北島師範矢嶋師範代の独己九剣がメインなので、まあ、私は解説だけでもいいか?とか思っておりました。

 それよりも、ほびっと村の講座が始まるまでには到着できそうもないので、K塚さんに先に進めておいてもらうように要請していたのですが、なるべく早く到着しなくちゃいけません。

 そっちが気掛かりだったんですが・・・。

 チャリティー演武・演奏会は、もともと、青木宏之先生の武道歴60周年をお祝いするために新体道メンバーと天真会メンバーが中心で計画していたものだそうでしたが、東日本大震災を受けて青木先生が、「こんな時期なのでお祝いは辞退したい」と申し出られたことから、「それなら被災地への義援金を集めるチャリティーとして実施してはどうか」ということで開催することになったのだそうでした。

 で、私にも演武をやってくださいと天真会の吉田晶子先生から申し入れをいただき、前に一回、断ってたものですから、二度目は不義理だな~と思って、今回は有り難くお受けした次第・・・。

 しかしですね~・・・「新体道剣武天真流日子流心道と並んで、俺らが演武するなんざ~、10年早い。よって、游心流としてはギャグに走るっ! ・・・つ~か、誰も俺らに重厚な演武とか期待してないよ。真面目にやったら逆にガッカリさせちゃうに違いない・・・」とか作戦を練ったりしていたんですね。

 いや~、単に人前で演武したことないから、こっ恥ずかしくって緊張して失敗する可能性が高いと思った訳ですよ。

 なので、「心配いらん! 君らが失敗したら俺が魔法の話術でごまかすから・・・」とか言って、北島・矢嶋両名に特訓させたのです・・・。

 でも、一応、私もやらないと説得力が無いだろうな~と思って、二つ、三つは演武向けの技を練習してはいたんですね。

 けれども、会場に着いて楽屋から舞台に上がって見てみると、いや~、こりゃ~、緊張するなってのが無理な話ですね。「ガラスの仮面」でもつけないと・・・。

 もともと、“緊張しい”の北島・矢嶋両名は既に陰鬱な表情で顔が強ばってる・・・。

 やべ~な~と思いつつ、青木先生の剣舞と挨拶の後、初っ端で我々が演武するんですが、もう、舞台に出た時点で二人の緊張度がアリアリと見えていました。

 それで、「このままじゃ~、ひどい状態になりそうだな~」と思って、“作戦その一”を決行!

 北島・矢嶋の紹介のついでに「二人ともお嫁さん募集中で~す」と軽くジャブ・・・会場に笑い声が・・・。二人とも苦笑しておりますが、若干、緊張がほぐれた様子。

 よっしゃ~、これで少しはリラックスできただろう・・・。

 二人でほぼ交互に独己九剣の演武・・・。

 会場から判りやすくするために順番を入れ替えて、矢嶋師範代の“右剣(敵の正面斬りを右に躱すと同時に右手抜刀、敵の手首に斬り付ける技)”から。ちょっとスピードがトロイけど、まっ、いいでしょう・・・。

 と思ったら、“左剣(同様に左に躱すと同時に抜刀し両手で握って敵の手首に斬り付ける)”の時に、北島師範が抜刀が不十分で抜きが二拍子になってしまった・・・。

 やっちまったな~・・・。

 気づく人は少なかったかもしれませんが、「まだ緊張しとるな~・・・」と思って“作戦その二”、「緊張してて、ちょっと失敗しましたけど~」とかフォロー。

 これで大分、気楽になったか、後はまずまずの出来で終わりました。

 点数でいうと70点くらいかな? まあ、特に悪くはありません。練習した成果は出せたと思います。

 もっとも、予想以上に二人とも緊張していたので、このまま私が演武してもうまくいかない可能性があると考えて、そのまま終わろうか?と、計画変更しようと思ったんですが、このまま終わるとちょっと物足りないだろうな~と思い、「すいません。まだ、時間ありますか?」と、咄嗟にタイムキーパー役の方に聞きました。

 すると、「まだ、ありますよ」とのことでしたので、「すいません。一つだけ応用技をやってみます」と言って、独己九剣を応用した無刀奪りの技を私がやりました。

 予定では、ここで合気技法で刀を奪う技とか、裏体捌きで刀を捌くと同時に北島師範の鞘を抜き取って、そのまま背後に回りこんで逆側から刀を奪って刀をクルリンッと回して鞘に納めて・・・っとかやる予定でいたんです。

 でも、北島師範の緊張度合いが膝に来ていたので、こりゃあ、思わぬ事故でも起こるとヤバイと判断して、対峙した瞬間に計画変更、右剣を応用したシンプルな無刀奪りをやって終わりました。

 まあ、こんなもんかな?と思いましたが、私としては技の出来より、ギャグが結構、ウケてたのに満足しておりました。

 北島・矢嶋両名の演武も、初めてにしてはまずまずだったかな~?と思っております。

 二人はそのまま演武・演奏会を鑑賞してもらうようにして、私は即行で会場を出て、ほびっと村のある西荻窪に向かいました。三鷹駅から二つ隣りですからね。場所がもっと遠かったら断らなきゃいけなかったでしょう。

 数分、遅れましたが、ほびっと村に到着。基礎錬体はそのままK塚さんに指導してもらって、その後、簡化24式太極拳を参加者全員で演じ、次に個別の動作の武術的応用例をいろいろ実演解説していきました・・・。

 前回のほびっと村の講座で全部はできなかったので、その続きのつもりだったんですが、念のため、最初からやっていったところ、またも時間が足りなくなって途中で終わってしまいました。こりゃあ、第三弾『帰ってきた必殺太極拳3 大逆転』とかやらなきゃいかんかな~?

 しかし、その分、一つの動作を三つ四つの技に応用させるやり方を解説していったので、内容的にはかなり濃くなったかな?と思います。

 講座が終わると、またまた即行で三鷹に戻り(忙しい~っ!)、演武・演奏会の会場の楽屋に入ります。

 演奏会はまだ終了しておらず、最後の青木先生の剣舞の最中でした。

 楽屋のTVには世界を股にかけるトランペッター近藤等則さん(1980年代には俳優や司会者としてTVにも多く出演され、NHK時代劇の音楽も多く担当)の吹き鳴らすトランペットの音色に合わせて青木先生が剣舞を舞われています。

 使用刀は、青木先生がお気に入りの和泉守国貞(井上眞改の父)の刀。実際は眞改との合作らしいと鑑定された新刀期の名刀です。大きな“のたれ刃”で大阪正宗と呼ばれた眞改の特徴がよく現れています。

 絶えず運足を使って停まることなく刀を舞わし続ける青木先生の剣舞は、一般の剣術の定法からは外れているので評価が難しいでしょうが、真似してみれば一目瞭然!

 こんな風に刀を扱える人が二人といるとは思えません。

 そしてまた、近藤さんのトランペットがガチでタイマンを張るような猛々しさで、それにつられて青木先生の剣武も苛烈さを増す・・・。何とも凄いコラボだな~と・・・私が観る度に動きの精度がバージョンアップし続けているのも驚異の一言!

 武道歴60年の成果であると言われても、では60年修行すれば誰もができるのか?と問えば、それはNOと言うしかありますまい。

 修行の年月は量より質がものを言い、質は入魂、全身全霊の探究あってこそ高まるものです。

 その60年の質と量を兼ね備えた修行の歴史は、一代の武人にして万能の大天才たる青木宏之先生の伝説を証明しているに過ぎません。

 その晴れがましい舞台に上らせてもらえた私共は一生の栄誉に浴したと言っても過言ではないでしょう。

 しかし、そんな大仰な権威主義的認識を笑い飛ばしてしまうような“おおらかさ”こそが大・青木ファミリーの“家風”のように思えます。

 演武・演奏会が終わった後は、場所を移して打ち上げと祝賀パーティーです。

 アスペクトさんで私のシリーズ本をずっと担当してもらっている関さんも来ていたので、関さんに河野智聖先生田中光四郎先生を紹介したりしながら、会場へ向かいました。

 あっ、そうだ。余談ですけど、先日、シダックスに来た武術家を名乗る人が河野先生と知り合いだと言っていたので、河野先生に聞いてみたんですよ。

 そうすると名前も覚えてなかったみたいで、「腕の太さが僕の1/3くらいしかなくて、身体のどこにも鍛えた形跡が無い人で・・・」と説明すると、「あ~、その人は・・・」と思い出されていました。オイオイ・・・。

 何でも、2~3回来たことがあるだけだそうでした。だろうと思ったけど・・・。


 青木先生が多くの人から慕われ尊敬されるのは、まず第一にそのベラボーな武術の力量があり、その上で、利己的な生き方でなく利他的な生き方をしてきたからでしょう。

 パーティー会場に集まっている人達の“明るさ”は、普通の武道では見られないものです。

 そういう集まりだからこそ、私も演武をお受けできたんですね。他の団体だったら断っています。我欲だらけで人を利用しようという考えの人達とは付き合いたくありません。

 打ち上げの席では、ちょっと酔ってしまったので何を話していたのかあまり覚えていませんが、田中光四郎先生とお弟子さんたちと御一緒しました。

 あっ、そうそう。新体道・剣武天真流の秋山さんも御一緒しましたが、日本刀の拵えの製作がプロ級で、今回の最初の剣舞で青木先生が遣われた幕末の名刀匠、固山宗次(新々刀期きっての最上大業物の刀匠として有名)の刀の柄も秋山さんが実に見事に端正に作られていました。私の10倍うまい!

 合気道も実戦派で有名な黒岩先生(ボクシング出身の異色の合気道家として知られる)に学ばれていたそうで、新体道一門でも型演武の名手として知られている秋山さんですが、この度、青木先生と光四郎先生の友情の賜物で、日子流を学ばれることになっています。

 私は、その後見人になっているんですが、同様に後見人になっている秋山さんの親友の石井さんとも会場でお話しましたけれど、本当に新体道の人達は、皆さん、人柄が素晴らしいんですね~。

 武道をやる人は我欲の強い人が多いんですが、やっぱりそういう人は二流で止まってしまうものです。

 本当に一流、超一流になる人は、定型を打ち破った“型破り”な人であり、我欲を捨てられる超然とした人ですね。

 結局、我欲があると相手を読めないんです。心の作用はすべて身体に現れてきます。無心が大事だというのは、読みの攻防が前提にあるからであり、そこが武の真髄たるところです。

 身体の外側だけしか観ない人が多い。そこしか見えないから、観えないものを“気”の一言で片付けてしまうんですね。

 昔の武術家は読みを重視したので、観せないようにするのが当たり前でした。

 私の習った躾道館の小林直樹先生がそういうタイプだったので、私も隠すのが習性になりました。動画やDVDでバンバン出してるように思われるでしょうが、実は肝心なところはいつも隠して見せないようにしています。

 隠すのは武術を学ぶ者の基本的心得なんですよ。いかにも強そうに見せる人は、それだけでもうダメですよ。自分が強いと思う時点で他人を侮って見てしまうので、人の本当の実力が観えなくなるのです。

 でも、隠し続けていれば存在しないのも同じです。秘伝という伝統が武術の世界に誤解と迷妄を広めてしまう誘因になっていたのも事実でしょう。

 だから、武術修行の良い部分を教育に展開していく研究が必要なんじゃないかな~?と、私は改めて思うようになっています。

 そして、青木先生は、私にそういう役割を持たせたいと思って、機会を与えてくださったんだろうな~と思うんですね。

 あまり知られていませんが、あの甲野善紀氏が最初に公の場所で演武したのも青木先生の紹介でした。『科学技術と精神世界』のシンポジウムの時のことです。

 ここで伝説の遠当てを披露したことから新体道が有名になり、また同時に毀誉褒貶を広める切っ掛けとなりました。ところが、これは気の存在を信用しないという海外の科学者たちへの実証実験としてやってくれと頼まれて、渋々、青木先生が実演してみせたんだそうです。

 その後は遠当ての実演ばかり頼まれてキワモノ的扱いをされてしまったりしたので、青木先生は長く武道から離れてしまっていた・・・という訳なんですね。大まかに言うと。

 しかし、今また剣武天真流を立ち上げ、新体道も新たな体制となったのには時代の要請という面があったのと、武術としての青木先生の確立したものをきちんと評価評論できる人間(つまり、俺だよ、俺・・・フッフッフ)が出てきたという点も多少なりとも関係していたのかな~?という気がします。

 20年ちょっと前なら、甲野氏のような人がいた訳ですが、でも、結局、本当に青木先生が成し遂げたものが理解されていたのか?というと疑問も残りますね。

 近藤等則さんは、甲野氏に会った時に、その辺りの疑問をぶつけられたらしいですが、何か、ただ単に武道の世界の伝説の達人の名声を自己宣伝に利用しただけ?という印象が拭えないんですね。その後の甲野氏の動向を見ていると、その時々に知り合ったいろんな業界の著名人を利用しているだけにしか見えない・・・。

 青木先生はまったく気にしていないみたいですが、私はちょっとな~。「アンタ、誰のお陰で今の地位にいれると思ってんの?」って言いたいですけどね。

・・・っつ~か、それを言ったら俺も同じかも?と思ったんで、今回の演武中、“雪崩潰し(沈身のエネルギーを刀の棟に乗せて押し潰す技)”の技に関しては、「甲野善紀先生に習っていた頃に学んだもので、源流の鹿島神流の技も参考にしてアレンジしたものです」って、ちゃ~んと解説しておきましたよ。

 事実は事実。そこに自分の好き嫌いで事実をねじ曲げては研究家失格ですから・・・。

 帰り際、近藤さんに挨拶してちくま新書の私の書いた本を名刺代わりにお渡ししてきましたが、これって、私が使わせてもらっている相模原市の千代田メイプルホールで近藤さんのライブとか企画できないかな~?と思って、メイプルのスタッフの方と約束していたからなんです。

 新体道が組織的に運営が難しい時期に、近藤さんがバックアップしてNPO新体道が立ちあげられて、大井先生がトップに立ったという経緯がありました。その時のパーティーで初めてお会いしましたが、何かタテガミが炎で燃えているライオンみたいなイメージの人ですね~。

 企画が実現して相模原で近藤さんのトランペットが聞けたらいいな~と思ってます。

 それにしても近藤さんと青木先生は何だか師弟を超えて義兄弟みたいだな~って思いましたね。あのオーラの強烈さは一番、似てらっしゃるんじゃないでしょうか?

 それにしても、ここ数年で最も熱い一日でしたよ。帰りに北島師範と渕野辺の和食ファミレス華屋与兵衛に寄って、軽く打ち上げをしました。

 矢嶋師範代やK塚さんにもおごらなきゃ~ならないんですが、会員さん達が一所懸命、協力してくれるお陰で、今回のイベントはうまくいきました。

 感謝!

 被災地の皆さんへの義援金、沢山集まってるといいな~?

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原田芳雄さん逝去

 野性味のある演技で時代劇でも活躍されていた原田芳雄さんが亡くなられました。

 好きな俳優さんだったので、非常に残念です。

 私が印象に残っている作品は、『竜馬暗殺』『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『浪人街』『ハンテッド』『あずみ』『赤い鳥逃げた?』『どついたるねん』『原子力戦争』等ですが、北大路欣也主演のTV東京の大型時代劇『徳川風雲録』だったか?で、知謀と剣の腕を駆使して将軍吉宗に迫る山之内伊賀介を演じられていたのも強く印象に残っています。

 アウトローが似合う人で、松田優作が憧れてアニキと慕い、原田さんの真似をしていたというのは有名な話です。

 深作監督の『いつかギラギラする日』では、ヤク中のヒットマンを演じられていましたが、コルトパイソン.357マグナムを持った異様な殺し屋ぶりの存在感が凄かったですね~。

 確かそうだったと思うんですが、鈴木清順監督が撮られたという空手家の浅井哲彦先生のドキュメンタリー作品があって、そのナレーションを原田さんが担当されていたように記憶しているんですが・・・?

 私が初めて原田さんを知ったのは、五社英雄監督の『闇の狩人』で、記憶を失って仕掛け人の元締め御名の清右衛門(仲代達矢)に雇われる谷川弥太郎を演じられていたのを映画館で観た時でした。

 凄腕の剣の遣い手でありながら、「一対一なら腕の差でどうにでもなるが、相手が二人、三人と増えていけば、そうもいかない・・・」と、複数の侍を仕掛ける仕事を依頼された時にぼそっと語るシーンに痺れたものです。

 結局は独りで複数の侍が談合している屋内に突入して全員、倒してしまうんですが、ここのシーンが時代劇史に残る名シーンだと私は思っています。

 談合の屋敷に侵入した原田さんが大刀を抜いて天井の高さを確認すると、大刀ではなく脇差を抜いて、ウオ~ッと襖を蹴り倒しながら突入していくのです!

 談合していた侍たちはパニックに陥り、大刀を抜いて迎撃しようとしますが、鴨居に斬り込んでしまって、腕を切断されたりし、ますますパニックに陥り、原田さんに次々に斬り倒されてしまうのですが・・・何と、そこにいた侍たちは原田さんの仲間だったことが判明!

 記憶を失っていた原田さんは、そうとは知らずに刺客となって仲間を斬ってしまった・・・という実にドラマチックな展開で、「わからん。俺は一体、誰なんだ~?」と煩悶するところが出色でした。

 五社英雄監督は、その後、女性の激しい情念の作品を撮るようになってチャンバラ活劇は撮らなくなってしまって亡くなられましたが、この『闇の狩人』で原田さんを付け狙って致命傷を与えるアバズレ女を演じた松尾佳代さんが大熱演したTV時代劇『丹下左膳・剣風!百万両の壷』が、恐らく五社監督の最後の時代劇演出だったんじゃないかな~?と思いますが・・・。

 また、ハリウッドの忍者映画『ハンテッド』で、新幹線の中で日本刀をふるう現代のサムライ役を演じられた時は、その見事な刀捌きに感動させられ、『あずみ』の時も少年刺客団を育てた老剣豪・小幡月斎役で激しい立ち回りを演じられていました。

 勝新太郎さんとも親しく、勝さんの『痛快!河内山宗春』では宗春の仲間の剣客を演じられていました。

 それに、私は観た記憶がないのですが、柳生但馬守宗矩の生涯を描いたNHK大河ドラマ『春の坂道』では柳生十兵衛を演じて鮮烈な印象を残したと評判でした。

 30年くらい昔に、メキシコの荒野でサムライが活躍するストーリーの映画企画で、原田さんが主演する計画があったという話をどこかで読んだ記憶があるのですが、もしそれが実現していたら、ハリウッドで活躍する日本人俳優の先駆けになっていたのではないかな~?と、少々、残念です。

 71歳というのは、ちょっと早過ぎます。

 私は、原田さん演ずる老剣客が活躍する時代劇が観たかったな~・・・と思います。

 原田芳雄さんの御冥福をお祈りします・・・。

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脇差外装完成!

 まあ、見てやってください。

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 武友、中村晴一先生に依頼されて製作した脇差の外装が完成しました。

 ちょうど、いろいろと用事が重なって遅れてしまったんですが、作り始めたら、割りとサクサクと作業が進んで、特に苦労するところもなく、楽しんで作りました。

 注文の時に、『朱色の鞘・柄糸は革巻き・鐔は武蔵鐔』という要望があったので、材料を揃えるのに少し時間がかかったんですが、青木先生に紹介していただいた刀剣用品の問屋さんを直接訪ねて揃えました。

 縁頭の金具や目貫、鮫革、切羽、コジリ金具などの指定は特になかったので、肥後拵え風にして鮫も黒染めのものを使って目貫は竜にしました。

 切羽はハバキに合わせて金にし、コジリ金具も装着しました。

 脇差としては一尺七寸と長目で身幅も広いので、外装も武骨な感じにしてみました。

 朱色の鞘塗りはやったことなかったんですが、町田の東急ハンズで釣具用の新ウルシのコーナーを探して一つだけ残っていたので、これを購入しました。

 下緒を通す栗形も、いつもは木のチップから削り出して成型して作っていたんですが、問屋さんで水牛の角から作った栗形が売ってあったので、これの角形のものを買って装着してみました。下緒は緑色にしてみました。

 鯉口(鞘の入り口の部分)に装着する水牛角の板も買ったんですが、これを削り出して作るのは相当に難しそうだったので、今回は断念して割愛しました。プラスティックの板から削り出してもいいかもしれませんね。模擬刀だとそうなっているみたいです。

 専用の工具とか機械を利用すれば、もっと簡単にバッチリ仕上げられるでしょうが、彫刻刀やミニ鉋、ヤスリなどで手作業で作ると、荒い感じになってしまいますが、私は、その荒い感じが実用刀の刀という感じがして好きです。

 もちろん、普通は日本刀は美術品ですから、工芸品としての製作精度が要求されるでしょうが、武器も道具としての使い込むための工夫や改良があってしかるべきと思います。

 この刀も、相当に傷みが激しく、錆びて鍛え割れができたところに埋め金をしてあったりするので、外装が妙に華美だとバランスが悪いでしょう。

 なので、今回はシンプルで実用向けに拘ってみました。

 預かり物ではありますが、かなり気に入りました。肥前國住忠廣、本物かも?

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故郷は遠きにありて・・・

 去年の正月に故郷で高校の同窓会が30年ぶりにあったそうで、私は参加しなかったんですが、同窓会の様子をコラージュした写真を贈ってくれまして、興味深く拝見しました・・・が・・・。

 いやはや、30年という年月は、かくも人の容貌を変化させるものなのか?と、些か、愕然とするものがありました。

 辛うじて判ったのが三人か四人。女子に関しては、誰が誰だか全然、判りません。

 恐らく、帰省した時に顔を合わせても、誰だか判らないだろうな~?と思いました。

 記憶の中では高校生の頃の姿しかありませんが、大変失礼ながら、そこに居並ぶ同窓生という中年のオジサン、オバサン達の姿には、物凄い違和感だけしか感じないのです。

 高校生の頃の父親母親くらいの年齢になっている訳ですから・・・。

 本当に申し訳ないことに、“懐かしい”という感情はまったく湧いてきませんでした。

 しかし、それは同窓の彼ら彼女らにしても、恐らく同じことでしょう。

 私も、もう半世紀近く生きてきて10代の頃とは別人のようになっています。毎日、少しずつ変化していく自分の姿を見慣れているから感じないだけでしょう。

 だから、同窓生に対して「老けたな~」とでも言えば、それは自分に言うのと同じことなんですね。

 中学や大学の頃と比べて、高校の頃の記憶は、そんなに強い印象は残っていません。

 中学時代は暴力学校だったから強く印象に残っていますし、大学時代は学業そっちのけで普通の人生からドロップアウトした時期なので、中退したにも関わらず、強い印象があります。

 が、平和で淡々と過ごした高校時代は、そんなに印象が強く残ってはいない。

 友達も少なかったし、勉学に励んだ訳でも部活に熱中した訳でもなかったので、特別に懐かしく思い出すような事件も、これといってないのですね。

 今のように武術にのめり込むでもなく、本や通信講座で自己流で練習してはいましたが、まだまだ自己満足でしかなく、将来、それで身をたてるようになろうとは夢にも思っていない頃でした。

 はっきり言って、居ても居なくても問題ないような存在感の薄い高校生だったと思いますよ。

 だから、30年ぶりに集まった同窓生の皆の様子を見ていると、尋常ではない疎外感すら感じてしまいました。

 ネクタイ締めたスーツ姿が居並ぶと、田舎でまっとうに働いて一家をなしているんだろうな~?と想像しますし、恐らく私みたいな人生を歩んでいる人はいないだろうな~?と思うばかりです。

「あ~、やっぱり、俺は参加しなくて正解だったんだろうな~? もう、共通の話題も何も無くて、完全な別世界の住人という風にしかならないだろうな~・・・」と、そんな風に思いました。

 こういう感慨は、何も故郷の同窓生に対してだけ感じるのではなくて、田舎の母親と電話で話している時も、いつも痛切に感じていることなのです。

“価値観が違う”と言いますが、ものの考え方が思考の枠組みから異なってしまうと、もう話がまったくかみ合わなくなってしまうのです。

 人間は、理解し認め合う関係が最も心地よく感じられるものです。

 故郷は遠きにありて思うもの・・・、けだし名言であると思いますね。

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『小川の辺』感想

 映画マニアの友人が『小川の辺(ほとり)』を観てきたというので感想を聞きました。

「う~ん・・・脚本が酷いね~」とのこと・・・。

 何でもロードムービーみたいに主人公が歩いていくのを追っかける中に回想シーンが入って物語の全体像が判る?みたいな構成になっているそうでしたが、「これが実際にはよく判らない」と言うのです。

 ちょこちょこと起こるエピソードが説明不足過ぎて何が何だか判らないというのです。

「それって環境イメージ・ビデオみたいですね~」と言ったら、「そうなんだよ。美しい風景を見せたいのかもしれないんだけど、伏線が効いてないから全体の締まりが無い。細かいエピソードが脈絡が無いからストーリーにからんでこないんだよ。典型的にダメなシナリオだよ、コリャ~」とのことでした・・・。

 何でも、友人の友人が先に観てきて酷評していたと言うのですね。その先入観も関係したのかな~?とも思いましたが・・・。

 でもまあ、私としては、殺陣がビシィッとしていれば、全てが許せる。「時代劇のキモは殺陣である!」が持論ですからね~。

 親しくしていただいている高瀬先生が殺陣を担当された作品ですから、そこさえ見所であれば・・・という祈るような気持ちだ・・・というのが偽らざる心境です。

 映画創りには多くの金が費やされ、多くの人材が集められます。

 そして、数カ月から長くて数年もの時間をかけ、創られます。が、撮影が済んで、編集が終わったとしても、それが劇場で公開されるかどうかはまた別の話です。

 劇場公開されるより、されないままの作品が多いという話も耳にします。

 企画段階で終わってしまう作品も無数にあるとされます。企画がタライ回しされた揚げ句にZ級に酷い作品になって公開されてしまう場合もあります。

 私も、もともと映画が好きで映画に携わりたくて大学を中退し上京してきた人間ですし、プロの作品には一つくらいスタッフで関わった程度で、主に自主映画の現場にいましたが、自主映画であっても、そこで共に映画を創っていた友人知人の何人かは今ではプロで活躍していますし、役者を目指した人も何人もいます。

 私はシナリオライターを目指していましたが才能が無くて、むしろ趣味の武術を役立てて殺陣の指導を頼まれているうちに、なんやかんやで武術の業界で都市伝説の男?みたいになってしまいましたが、でも、やっぱり映画に関わりたいんですよ。

 映画は総合芸術であり巨大なエンターティンメント・イベントであり、一本の映画が人の人生を左右するくらいの影響力を持つ魔物のようなチカラを持っています。

 それに、いかなる作品も自分で観ないと何とも言えないんですよ。

 心に残る作品というのは、莫大な金がかかった超大作も、学生が撮った自主映画も関係ないんです。

 重要なのは、その作品の中に創り手の想いが込められ、それが観る者の魂に響くかどうか?という、ただ、それだけのことなんですよ。

 だから、私の基準は簡単なもんです。俺の魂に響くかどうか? それだけ。

 で、私も橋本駅近くのMOVIX橋本で観てきましたよっ。

 モギリのお姉ちゃんがレッサーパンダの赤ちゃんみたいでメチャクチャ可愛いのに感動して劇場に入ると・・・ガラ~ン・・・えっ? 俺だけ?・・・。

 平日のレイトショーだから少ないだろうとは思ってたけど、久しぶりに貸し切り状態だな~・・・と思って、悠然と座席に座っていると、ギリギリの時間になってオバちゃん二人が入ってきて、何か私の隣に一つ空けて席に座ってます・・・。

 MOVIXの困るところって、ここなんですよ。ガラガラなのに、何故か観客を密集させたがる・・・。指定席制度って、ガラガラだと意味ないし・・・。

 空いてるから別の席に移ろうか?とも思いましたが、それも何か嫌みな感じがしたんで、我慢して座ってたら、もう二人、今度はオッサンが入ってきて、やっぱり私の後ろの席に陣取りました・・・。

 だからさ~。MOVIXさん、そういうのやめましょうよ~。ガラガラなんだからバラけて座らせりゃ~いいじゃん?

・・・とか思いつつ、映画が始まりました。

 なるほど、こりゃ~、環境イメージ映画みたいっスね~・・・。なんか、壮大に無駄なシーンを繋げてるような気もします。

 必要なシーンだけにすると30分で終わるかな?という感じでした。


 でも、大ざっぱに感想を述べます。

 決して感動的な傑作という作品ではありません。ドラマチックな展開もありません。

 しかし、友人が言うほど悪くはない。むしろ、これはこれでアリだな~と思います。

 何がアリかというと、作品を盛り上げるための“あざとい演出が全然無い”という淡々とした展開が、ある種のサッパリとした清涼感を感じさせているのです。

 私は一本も満足に観たことないんですが、小津映画ってこんな感じなのかな~?とか思いました。

 もちろん、友人が指摘していたような問題点は私も感じました。もっとドラマチックな展開が無いと、時代劇という“ファンタジー空間”を成立させるリアリティーが乏しくなってしまいます。

 例えば、山田洋次監督の藤沢時代劇三部作が高い評価を受けたのは、クライマックスに向かって物語が盛り上がっていったからですね。そして殺陣バトルでクライマックスを迎える。

 そのためには、登場人物の葛藤がもっとあってもいい。

 が、それを排除して淡々と進んでいく物語の中で、クライマックスの“二つの対決シーン”がより際立って、兄妹と、兄弟のように育った使用人の三人の心が交錯する瞬間、幸福な未来を暗示させて終わる・・・というところは、さすがに藤沢周平!という感じがしましたよ。

『山桜』の東山君は、全然しゃべんないので、なんかウルトラマンっぽかったんですが、今回は、結構、しゃべります。でも心の葛藤が見えないので、見ようによっては冷酷なヤツにも思えたんです。

 特に剣友を上意討ちにするのに、さっぱり葛藤が無い。いくら侍だからって、命懸けて戦わなきゃならんのに、精神が強靭過ぎますよ。眠狂四郎じゃないんだから・・・。

 まあ、原作がそうなんでしょうけど、ドラマとしては、剣友を心ならずも斬った後に、諸悪の根源だった西岡徳馬演じる侍医を討ち果たす・・・みたいな展開があった方がカタルシスを感じられます。『隠し剣・鬼の爪』『必死剣・鳥刺し』がそんな話でした。

 だってね~、片岡愛之助演じる森衛は完璧なまでに熱血正義漢なんですよ。何にも悪くないのに、殿様の面子潰したってだけで上意討ちって、それ、おかしくない?って思いましたね。

 私は、藤沢周平の作品の、こういうサラリーマン哀歌みたいなところが余計だと思っているのです。私自身が「俺の生きざまは俺のルールで決める! お前らのルールを俺に押し付けるんじゃねえっ!」ってタイプだから、どうしても感情移入できない。

 でも、この作品は菊地凜子の型破り女の登場によって、ラストでガラッとテイストが変わり、冷酷非常なサラリーマン侍の東山君が、まるで「鬼平かよ?」って感じの粋な計らいを見せて去っていく・・・という展開で、本当に後味良く終わるのです。

 それと、尾野真千子と勝地涼が良かったっスね~。

 東山君と菊地凜子って、何かレプリカントっぽいというか非人間的な感じがするんですよ。そこに尾野真千子と勝地涼の人間的な存在感の綺麗な感じでうまく中和しているような気がしますね。

 そして、殺陣シーンは、非常に良かったですね~。

 友人は低い評価でしたが、私から観ると、物凄くスリリングな立ち回りをやっているのが判る。これは、演じる役者は大変だったと思いますよ。ごまかしが無いんです。

 高瀬先生は不本意だったらしいのですが、随所に見ごたえのあるギリギリの剣の攻防が展開されていて、ヒヤッとする場面が何カ所かあり、攻防の中で武術的な展開をいくつも見せてましたが、私は凄くいいと思います。

 惜しむらくは、もう少しカットを割って効果的に見せる編集がされていたら、さらに良かったんじゃないかな~?と思いました。

 例えば、スネを斬っていくのを足を上げて避けたり、左肩に刀をかつぎあげて受け止めるとか、平突きを続飯付けにして受け流すとか、非常に高度な攻防の手を見せていて、ああいうシーンを流れの中でそのまま見せたのではもったいないし、攻防の中での感情の動きが出た方がもっと面白くなったでしょう。

 私は、その難しさとか怖さが判るので、「うひゃ~、これは怖いぞ~」と思って見てましたね。

 特に東山君と愛之助は、ほぼ互角の腕前なので、真剣での立ち合いをやっているうちに競い合う快感に浸ってしまって、ついニヤついてしまう・・・とか? そういう描写があると、もっと面白くなっただろうな~と思いましたね。

 ちょっと、そういう面も匂わせるようなやり取りがあるんですが、もう少し露骨に出して、「どうせ、討たれるなら、貴様ととことんやり合ってみたかった・・・」とか愛之助が言って嬉しそうに死ぬとか? そういう『たそがれ清兵衛』の田中泯さんみたいなのが出ると、文句なく傑作になったでしょうね。

 それと、菊地凜子と勝地涼が剣術の稽古している昔の回想シーンなんかがあると、もっと良かったでしょうね~。それで、凜子が東山君から一本取るシーンとかあると、もっと面白い。でないと、最後に凜子がやたら強いのが唐突過ぎるかも?

 ともかく、この作品。一見の価値は十分にあると思います。私は『山桜』より面白いと思いましたよ。あの作品は殺陣をクライマックスに持ってこないから、どうも締まりが無かった。やっぱ、殺陣はちゃんとクライマックスにないとね~。

 高瀬先生は不本意だったかもしれませんけど、監督の狙っていた作品のテイストは、きちんと出ていたんじゃないでしょうか? 後は好みの問題でしょうね。私は嫌いな作品じゃありません。


 ところで、先日、畳表を巻いたマキワラで試斬りやってみて、刀によって斬れ味がまったく違うということを改めて痛感しました。

 私が未熟なのもありますが、それにしても刀でこんなに差が出るとはな~?と思って、試斬り用の刀を一振り欲しいと思って、横浜名刀会に月々の支払いに行った時に社長さんに聞いてみました。

 数振りの試斬りに向いた刀を見せてもらいましたが、中で「これは物凄い斬れるよ」と見せてもらったのが濃州関住兼氏の刀。

 関物というと美術刀剣としてはあまり評価されていませんが、最上大業物で有名な関の孫六兼元を代表として、実戦一辺倒の刀の産地として有名です。

 一説に、赤穂義士が討ち入りのために関の刀を揃えたという話もあります。それほど斬れ味が優れて頑丈だったのでしょう。

 実際、清心館の佐原先生の道場で試斬りを体験させていただいた時に、最も上手い方が、関の孫六兼元が物凄く斬れたという話をされていましたし、太極拳と居合をされている河原達先生も、兼元が凄く斬れるという話をされていたと記憶しています。

 そういう訳で、この関の刀を選びました。

 茎を見ると、さほど錆びておらず、それほど古い刀ではないようです。新刀か新々刀、場合によっては明治以降の現代刀かもしれませんね。刀身はやや短か目で反りは浅く、刃渡りは二尺二寸三分くらい。

 しかし、三本杉の尖り互の目の刃紋が兼元風で、刀としての面白味はありませんが、肥後拵えの素朴な外装と合わさって、エキスパートが使う飾り気のないコルト・ガバメントを思わせます。

 鐔も小さ目なので居合にも向いています。伯耆流にはもってこいかも?

 派手さが皆無なので、ちょっと前の私だったら、素通りしてしまったでしょうが、実用を考えると中々たのもしい感じがして気に入りました。

 もっとも一番の理由は、“安かった”からですよ。この長さで外装もちゃんと付いていて16万円という破格の値段で「物凄く斬れるよ」と言われたら、買うしかないです。

 次のメイプルホールの稽古の時に、また試斬りやってみようと思っていますが、今度は台もきちんと用意して、この刀の実力を実験してみようと思っています。

・・・とまあ、またまた刀コレクションが増えておりますが、いずれ、会員さんが上達して自分の稽古会を持てるようになったら免許代わりに差し上げるつもりでいます。

 だってね~。この刀達は私が死んだ後の世にも残っていきますからね~。

 でも、何か戦国大名みたいだな~? 「褒美に、コレをとらす・・・」なんつって、刀あげるの・・・。

 刀は中古車から新築の家やマンションが買えるくらい、値段に幅がありますけど、そんな刃物は世界中で日本刀だけですよ。

 現代ではヤクザが持つ凶器みたいなイメージで見られがちな日本刀ですが、それは女の発想です。日本男児なら、日本刀の一振りくらい持ってないといけません(極論?)。

PS;住んでるマンションが例の地震で外壁にヒビが入ったりしたらしく、今月一杯補修工事があるというので、窓から部屋の中が見えないように、ホームセンターにカーテンを買いに行きました。カーテンつけたら窓から入る熱を遮断したからか、冷房の効きが格段に良くなりましたね~。こんなに違うんだ~?と感動。ついでに“タイル針”というのを発見して買ってきましたけど、白井流や香取神道流の針型手裏剣くらいの大きさなんですが、昔、武道医学のパリッシュ先生から「畳み針だ」とのことで貰ったものと同じで、あれは「タイル針だ」って言っていたんだな~・・・と、20年ぶりに判明しましたよ。

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あ~、情けない・・・

 自称・柔道六段のニセ武道家が、自らの経営する道場の門下生の児童にセクハラして捕まった・・・という事件をニュースで見て、武術を教えている者の端くれとして、本当に恥ずかしくて情けなくて、哀しくさえなってしまいました。

 カッコ悪いにも程がある・・・。

 こんなヤツは滅多にいないだろう・・・と思われるかもしれませんが、いやいや、案外、この手の変態チックな武道・武術の指導者というのはいるんですよ。実際・・・。

 まあね~、名前挙げると名誉毀損で訴えられちゃうから書く訳にもいかないんですけど、皆さんが想像しているより多いと思いますよ。

 本来だったら、私は、武道・武術の素晴らしさ、武道家・武術家の清廉潔白さを主張すべき立場の人間ですし、そうしたいのがヤマヤマなのです。

 が、現実はどうか?

 道場にはセクハラ、パワハラが跋扈し、誇大妄想狂のナルシストが教えていたりする実例が少なくはないんです。

 そもそも、人が人を殴ったり蹴ったり投げたり絞めあげたりするんだから、そういう行為を喜々として楽しむ人間が、普通の精神構造であるとは言えないでしょう?

 はっきり言って、実力の高い人ほど狂気の部分も持ってますよ。

 私なんかも、時々、「俺ってドSかな~?」なんて思ったりしますよ。ホント。

 なので、師弟関係に信頼感が伴わなければ、武道や武術の稽古は単なる暴力の訓練にしかなりません。

 そして、信頼感というのは、師に対する尊敬が前提になるのであって、つまりは、尊敬されるような“武人”として、師たる者は自らを常に磨いていなければならない訳です。

 私みたいに先生扱いされるのが元々は嫌いな人間であっても、やっぱり立場上、人から先生と呼ばれるということは“責任”が伴いますからね。

 最近は自覚的に先生らしく振る舞うようにしています。タメ口きいたら、「あ~ん? 何だ、その口の利き方は~? 俺と対等のつもりでおるんか、こんガキがぁ~・・・」って、いきなり蹴ります・・・(ホントです)。

 そもそも、私は“礼儀知らずな人間は物凄い嫌い”なんです。九州人ですから!

 うちの親父も普段はめちゃくちゃ温厚な性格でしたが、口の利き方を知らない若い日教組の先生が「校長~」とか馴れ馴れしく言ってくると、知らんぷりしていました。

「校長先生と言わなかったから・・・」とのことです。

 なので、最近は礼儀作法とか、そういうところから指導しなきゃいけないのですが、北島師範も矢嶋師範代も礼儀をきちんと弁えているので、彼らに任せていられるから助かります。

 でも、私も「礼儀知らずだ」の「常識がない」だの、斯界の中で色々と言われてきました。が、自分の筋は必ず通してきているつもりですから、物事の理が洞察できないボンクラ連中からどう評価されるか?ということはあまり気にしていません。

 武道・武術の業界は一言で言って“事なかれ主義”なので、嘘・捏造が常識化している業界なので、そういう恥知らずな連中とつるむ気持ちは皆無です。

 よって、そんな武術業界の常識に従うつもりはさらさら無いですし、上っ面の礼節を求めるペラペラな精神の連中と付き合うつもりも全くありません。

 昔、古流武術の研究家の人から、「君も、この業界でやっていくなら礼節を弁えて・・・」とか言われたことありましたが、この人、他人の家から古文書ガメていこうとして見つかって叱られたと聞いて、笑ってしまいましたよ。

 綺麗言ほざくヤツほど胡散臭いものです。私は、武道・武術業界の人間の言葉なんか一切、信用していませんから、自分で調べて自分で試してきた次第です。

 無論、付き合いのある先生方まで信用しない訳じゃありませんが、でも、やっぱり言葉は鵜呑みにしません。間違いかもしれないし、私と共通認識とは限らないでしょう?


 だからね~・・・。できもしない武道の段位を自分勝手に名乗り、信頼して親から預けられている子供達を変態性欲のハケ口にしたこの自称柔道家は、あまりにも愚劣で醜悪過ぎますよ。

 こんな異常者が武道家を名乗るのでは、日本武道の未来は暗いですね~。

 それにしても女の弟子に手を出したという話はよく聞きます(やっていいという意味じゃありませんから念のため・・・)が、“ホモ先生”というのは気持ち悪い! やられた子供はトラウマになっちゃいますよね~。

 あっ、でも・・・2ちゃんねる掲示板で私の悪口を一日中書き込みしている連中も、ほとんど“ホモ・ネットストーカー”ですね~。気色悪い連中ですね~。ずう~っと私のブログを読んで、いちいち文句書いてるそうなんですが、私に馬鹿にされて書かれることが快感なんでしょうね? じゃあ、“ドM・ホモ・ネットストーカー”か?


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『目付け』感想

 7月セミナーのテーマは、交叉法の『目付け』でした。

 目付けというと、昨年アスペクトさんから出していただいた『武術の読み』で大分、書いていますから、同じことを繰り返して説明しても芸がない。

 それで、今回は、「相手の動き出しを目付けで読む」というよりも、「相手を外見で読む方法」や、「攻防の流れの中で相手の目付けを封じながら技を施す」といった、少し違った観点から解説してみました。

 そういう観点で理解してもらいやすいのでは?と考えて、杖術で説明してみたりしました。

 あまり言いたくはないんですが、私が甲野氏に師事していた時分に、抜刀術・手裏剣術と並んで最も力を入れて稽古したのが杖術でした。

 というのも、大学時代にちょこっとだけ学んだ竹内流の棒術の下地があったのと、戸隠流忍法の道場で野口先生から個人的に九鬼神流棒術を教わったり、半棒術を学んだりしていたので、杖術の変幻自在な動きが面白いと思ったからなんですね。

 甲野氏は杖術は自分のオリジナルで工夫したものなので特定の流儀の動きではないと言っていましたが、私はそれをベースにして実戦用法はいろいろ自分で工夫していきました。

 後に新体道棒術や中国棍法なども少し学んだので、それらの要素もミックスしていったんですが、本やDVDで神道夢想流なんかの杖術も研究しましたね。

 杖術は、間合を自在に調節しながら攻防を繰り広げる武術であり、対剣術を想定しているので、“目付け”を狂わせる工夫がいろいろとあるんですね。

 なので、交叉法の破法としての研究をするのに役立ちました。

 特に、向かい合った相手に何も持っていないように見せかけておいて、当たる筈のない間合から先制攻撃する術があったりしますから、怖いですよ~。ちょっと飛び道具に近いかもしれませんね。

 無手だと思って切りかかったら、ヒョイッと杖の先端が眼前に現れるのは、面食らってしまうものです。セミナーで実演した時も北島師範の踏み込みに合わせて隙間に突きを入れたら、少し強く当たり過ぎてしまいました。喉に当たっていたらやばかったですね。

 単純に“目付け”を考えていると、こういう“目付け”を狂わせる術に遭遇すると翻弄されてやられてしまう訳ですよ。

 杖術の杖は割りと細いから大した破壊力は無く、刀で斬り込まれると簡単に切断されそうに思えて(動いている最中だとまず切断は無理)、多くの武術愛好家は見向きもしないかもしれませんが、戦術的に相手の心身の隙間にスルスルッと侵入してくる精妙な技は、体術にも剣術にも応用がきく、大変、優れた武術だと私は思います。

 六尺棒だと長過ぎて携帯に不便ですが、123cmくらいの杖だと携帯していても威圧感を与えず、そのくせ、剣より長いので有利なのです。

 相手が届かないと思っている間合で届くというのは、凄いことなんですよ。剣の当たる間合に踏み込もうとすると、その寸前に杖の間合に入っていることに気づかないで打たれる訳です。

 ステッキや傘などはもっと短いですが、杖術を稽古しておくと、ゴルフクラブやモップ、箒などの棒状のものを咄嗟に護身に応用できるでしょう。ナイフや包丁を振り回す通り魔にも充分、対抗できます。

 捕り物具にも細くて撓る鉄鞭がありますが、釣竿なんかは武器に応用すれば厄介でしょうね~。杖術の上手い人は相手に巻き付くように隙間に繰り出して行きますからね。太い棒だとこういうことはできないんですよ。

 お薦めです!

 セミナー後半には、いつも質疑応答(無ければ感想)のコーナーを設けているんですが、そこである参加者から、「相手が動き出すのを目付けで読むのを解説されるので、次はてっきり、“相手に読ませないように動き出す気配が出ない方法”を解説されるんだと思っていたので驚きました」と言われました。

「そういう方法は長年の熟練が必要だから初心者に教えてもいきなりはできません。だから、初心者でもすぐできて、もっと実用的なやり方を指導したんです」と応えました。

 他の人からは、「長野先生は本当に実戦に関して物凄く考えていますね~」と言われましたが、私に言わせてもらうなら、現代の武道家・武術家を自負している人達が“考えなさ過ぎ”なんだと思いますよ。

 昔、何人かの武術師範が、「気配を察知する」とか「気配を消す」とか言っていましたが、理論倒れで実際には全然できていませんでした。手先の力は抜けていても、それ以前の体幹部分で強引な力のタメを出したり、動く前段階が居着いていたり・・・正直、「もしかして、これってギャグ?」と思いました。

 でもね~、当たり前なんです。生きて呼吸し、心臓が動いて、体温は36~37度くらいは誰だってあるんだから、「気配を消す」なんかできる道理がないのです。

「気配を消す」と言っても、それは「攻撃しようとする意欲や挙動が通常の心理状態や自然な体勢とは異なるので相手に察知されやすくなる。だから、無心でリラックスした体勢のままで攻撃できるようにする」という意味になる訳ですよ。

 そういう意味であれば、人間も動物と同様に、勘が働きますからね。特に幼児の時は鋭いそうですね(青木宏之先生の談)。

 余談ですが、今回のセミナーで実演解説している途中で、私の背後から軽い殺気みたいなものを感じて背中がムズムズしましたよ。ひょっとして、参加者の誰かが、「今、襲ったらどうかな?」って考えたんじゃないかな~?と思ったんですが・・・誰か心当たりあります?

 読みの訓練を続けていくと、そんな具合に動物的勘も発達するようです。

 ですが、観念的なイメージだけで気配がどうとか言っていたって何の役にも立ちませんし、武術は結果が肝心です。生き残るのが目的なのですから、別に高度な技に拘る必然性がありませんし、有効性の高い簡単に使える技を馬鹿にしてはいけません。

 セミナーでは形意拳の三体式(三才式とも言う)の実戦向け応用法を指導しましたが、こうした構えは、“相手の攻撃を受けて返すため”のものと思い込んでいる人が多いんですが、実際はもっと積極的に技を極めるための“招式”だと私は解釈しています。

 つまり、先々を取って攻め崩していくためのものだと思う次第です。

 下手に構えて相手の攻撃を待っていると、逆に返し技を食らって危ないんですよ。

 游心流で最初に無構えを徹底的に練習するのは、確実に交叉法の理論を覚えるためなんですね。

 その後は、いろいろな構えの実戦用法を個別に学んでいきます。

 どういう意味か?というと、構えというのは、戦術なんですよ。相手の反応を誘い出して戦術的に無力化するのが目的なのであって、“自分の防御のために構える訳ではありません”。

 この論は、ほとんどの人が誤解していますから、「げげっ? そうだったの?」と思うか、「ま~た、長野がテキトーなこと言ってるよ」と思うかのどっちかでしょう。

 けれども、私はテキトーに言っている訳じゃありません。“構え”についても十数年研究し続けていて、数年前の分裂騒動以後に公園で会員に教えるようになってから(それまでは教えなかった)、初めて本格的な実験をするようになりました。

 考えてみてください。

 もし、防御が目的であれば、何故、構えが無数にあるのでしょうか?

 おかしいと思いませんか?

 簡単に言えば、全身をカバーして防御する構えなんか身体構造的に不可能なんです。

 中段に構えれば顔と脚がガラ空きだし、上段に構えれば顔から下が全部空きますね?

 防御のために構えると考えたら、こんな不合理な構えをする道理がないでしょう?

 つまり、構えというのは防御が目的ではないんですね。そう考えないと合理的な理由がないんですよ。

“読み”“目付け”というのは、そういう「相手の外側に表現されている情報から何を意図しているのかを分析する」ということなんですよ。

 普通に武道・格闘技をやっている人達は、自分が強くなるために・・・と考えてやっていますね。

 そして、“自分が強くなれば勝てる”と、ただ盲信してしまっています。

 で、試合で負けると皆が同じことを言います。

「相手が自分より強かっただけです」と・・・。

 まあね~、スポーツマンとしては潔くて立派だと思いますけど、これがもし実戦であったら?と考えると、あまりにも諦めが良過ぎませんかね~。

 皆、強い者が勝つのが武道であり格闘技である!と信じて疑わないようなんですが、これは技量を量的な大小でしか考えないから、そうなってしまうんですよ。

 武術は基本的に質が問題となります。強いか弱いかで勝敗が決まる・・・という観点ではなくて、「自分の今の腕前ではあいつには勝てない。なら、どうすれば勝てるか?」という地点から考えて戦略戦術を練り、その結果として「こうすれば勝てる」という勝算が出てきてから初めて挑む訳です。

 具体的な例をいうと、「あいつは身長が高くて手足が長い。そして拳法が得意で離れて打ち合うのに慣れている。しかし、重心が高くて懐に潜り込まれると脆い。ならば、こちらの顔面を晒してわざと打たせて、懐が空いた瞬間に潜り込んでタックルだな・・・」みたいに具体的な制圧の戦法を考えていく訳です。そして、その戦法を成功させるために体格と戦い方の似た人間を探して実際の戦術通りに練習する訳ですよ。

 しかし、こうしたことって気の利いたプロ格闘技の選手とトレーナーなら考えますよね~? どうして武術やっている人間は考えないんでしょう? 私はそれが不思議です。

 まあ、いいです。他人がどうこう言ってもしょうがないし、私は自分の考える武術理論を追究するのみです。

 だからこそ、私は“読み”から始まるんですね。

「俺とあいつと、どっちが強いかは戦ってみなくちゃ~、わからん!」と思うのなら、戦わない訳ですよ。だって、わかんないんだから・・・。

 作戦を練って、「こうすれば確実に勝てる」という答えが見つかってから、勝負するのが兵法の常道なのです。

 そのための情報収集と情報分析から始めるのが武術なんです。

「無心で当たって砕けるんじゃ~っ!」・・・みたいな考え方は武術にはないんです。みんな誤解してるけど・・・。

 戦いを楽しむというのもダメ!

 それは漫画やスポーツでは楽しいかもしれないけど、武術の戦いは命がかかっちゃうんだから、ギリギリまで避けて避けて避けて避けて避けて・・・それでも避けるに避けられない状況で、「こうなったらしょうがない!」と瞬間にハラ括って一撃必殺を狙う・・・それが武術の戦いというものなんです。

 だから、やると決めたら、捨て身でやらなきゃ~いかんのです。

 交叉法の極意は、“捨て身”です。

 私が学んだ小林直樹先生の師である桜公路一顱先生は、交叉法の極意を「相手に命を捧げなさい」と教えたそうです。

 勝ち負けを離れて、死を覚悟して身を晒すことで敵の動静を正確に察知できる。それが交叉法の真価を確実に得るための心法なのです。

 功利的な技術論に頼ろうとする心がそもそもの間違いです。よ~く御了解ください。


PS;今度の日曜日(17日)の西荻窪ほびっと村での必殺太極拳第二弾は、私が少し遅れて入りますが、東京支部主将に時間通りに始めてもらって基礎錬体を中心に進めてもらいますので、安心して受講ください。私は、西荻窪から二駅隣りの三鷹駅近くで天真会主催のチャリティー演武・演奏会にて演武してから駆けつける予定でおります。どうしても調整がつかなかったので申し訳ありませんが、その分、超必殺技を指導させてもらいますので、御期待くださいませ・・・。

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12日は交叉法“読み”

 7月のセミナーは、交叉法の基礎である“読み”の目付けに関して、やります。

 正直言うと、私はもう目付けはほとんど用いなくなっているんですが、初心者から中級者にとっては、目付けを知るのと知らないのでは雲泥の差が出ます。

 何よりも、武術の基本は、“周囲の観察”にあります。

 昔の武芸達者な武士は、パッと相手を観て、どこの藩の者で、どのくらいの技量の者なのか洞察したとされます。

 それは超能力か?とも思えますが、徹底的な観察力と分析力、そして知識によって判断していたのです。

 何故なら、江戸時代は各藩によって御留流と呼ばれる独自の流儀が奨励されていたり、藩独自の刀の拵えがあったので、持っている刀を観察すれば、どこの藩の者であるとか、刀の使い込み具合などから技量も類推できたのですね。

 例えば、薩摩武士だったら独特の薩摩拵えの刀を持つ者ですし、下級武士だったら柄に鮫革じゃなくて牛革を使っているとかで判ります。

 あるいは肥後拵えの柄で短か目の刀を差していたら、肥後の伯耆流の遣い手であるとか、柳生拵えだったら尾張藩であろうとか、結構、判る訳です。

 無論、刀の修練を積んでいる者だったら柄糸が手垢で黒ずんでいたり鞘引きで塗りが剥げていたり・・・といった点で判別できます。

 こういった洞察眼もまた“目付け”の中に含まれる基本的な要素なのです。

 こういった事柄は日頃から注意して暮らしていれば、自然に高まっていきますし、私も長くやっているので、既にドラゴンボールの“スカウター”みたいになっていて、パッと観ただけで相手がどのくらいの腕前なのかは本人よりも判りますし、ほとんどズレはありません。

 逆に言えば、私の眼を眩ませられるくらいの人だったら、それは余程の武術名人です。

 別に武術の動きをやらなくても、できる人かそうでないかは判ります。

 できる人は、重心が低い・適度にリラックスして力みがない・目が落ち着いている・・・といった特徴があります。

 できない人は、この逆だと思えばいいでしょう。

 つまり、重心が高くて、身体がコチコチで、視線がオドオドして落ち着きがない人だと、まず間違いなく弱いです。

 もっと言えば、実力のある人でも、重心が浮き上がり、身体が緊張し、心が動揺してテンパッてる状態になると実力を発揮できなくて驚くほど呆気なくやられてしまうものなんですね。

 武術の場合、相手が自分より強い場合、いかにその強さを削減させてしまうか?ということを先に考える訳で、だからこそ戦術が重視されるのです。

 ですから、目付けも、戦術の基本要素として研究されてきたんですね。

 ただ、気功の修練をやっていると、一見、達人のような状態になる場合もあります。

 ところが、ここがクセモノで、達人の状態になっても戦い方を知らないと、やっぱり勝てないんですよ。

 特に中国武術を好む人は内功さえ練れば無敵の強さが得られると信じ込んでしまったりするんですが、内功というのは技の効力を高める要素にはなっても、それだけ積んでも戦えないんですよ。

 換言すると、瞑想や座禅やったり滝行やると内功は練られます。

 でも、ヨーガの行者や禅僧や神道の行者であっても、武術できなきゃ、戦えないんですよ。

 つまり、技を知らなきゃ~、戦えないってことです。

 まして、内功の訓練を積んでも内功が全然練られていない人はざらにいます。少なくとも内功が練られると重心が丹田に集まってくるので姿勢が安定しますから、推手で押されたくらいではビクともしなくなるものです。

 先日、シダックスに来た人は内功の訓練を重視しているそうでしたが、矢嶋師範代と推手すると簡単に押し崩されてしまっていて、見ていて痛々しいくらい脆弱で、これで武術を教えようなんて自滅するのが目に見えていたので老婆心で忠告したんですが・・・。

 私のブログ読んだり読んだりしてくれている方の中にも、実際に道場に通っている訳ではないという方が多くいらっしゃると思いますが、本当に武術を体得するというのは生半可な気持ちでは無理ですから、くれぐれも誇大妄想に浸ったりしないように御注意ください。

 本当に人生を半分以上、無駄に費やして、まともな人生を送れなくなっている人間も少なからずいるんです。

 そんな連中は誇大妄想に耽って、ネット掲示板で匿名で威張り散らすことでしか自己表現できない自己愛性人格障害者ですよ。

 現実に向き合えない者には武術は無用です。

 原発の作業員が日給10~40万円で募集されているらしいので、せめて、世の中のために人生を捧げてくれるのなら、尊敬できますが・・・いかがですか?


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るろうに剣心・祝!実写化

 噂は出ていましたが、『るろうに剣心』の実写化が決定したそうですね。

 主演の佐藤健は、私個人としては最適なキャスティングだと思います。

 噂が出た時に「イメージに合わない」というファンの声もあったみたいですが、他にイメージが合う人がいるんでしょうか?

 私は佐藤健以外には誰も思いつきませんけどね~。あのナイーブな影を負ったような風貌と、運動神経の良さのギャップ! 剣心の二面性を出せるのは彼しかいないと思いますよ。


 ともかく、せっかくだから、私も勝手にキャスティング考えてみますっ!

 剣心の師匠の比古清十郎は阿部寛。あの上背と年齢的な点なども考えると阿部ちゃんしかいない。斬心塾仕込みの抜刀術の腕前を活かしてもらいたいですね~。

 斎藤一は堤真一とかどうかな~? JAC出身で柳生心眼流の心得もある堤さんの本格剣戟が見たいですっ! 藤田五郎の時の愛想の良さと、斎藤に戻った時のハードさも堤さんの演技力なら問題無し!

 蒼紫様は水嶋ヒロではどうでしょう? 本格復帰作としてもいいし、CFのソードアクション(谷垣監督が演出されてるそうです)を見ても、小太刀二刀流回転剣舞は彼しかできないと思います。

 カブトと電王の仮面ライダー出身者同士の対決というのも話題性あっていいでしょ?

 志々尾真実は松山ケンイチってのはどうか? 包帯巻いてて顔が分からないから、忙しい彼が出ても吹き替えやりやすい?し、カムイ外伝で鍛えられ運動神経も演技力も若手ナンバー1の松ケンなら狂気の革命家、志々尾にピッタリでしょ?

 左之助は加瀬亮がいいと思う。ドスの効いたケンカ屋でありながらお人よしなところとか。

 弥彦は須賀健太かな?

 薫殿はちょっとイメージ違うかもしれないけど、個人的に平愛梨にやらせたい。ヒルナンデスの多加野先生の殺陣教室訪問の時の様子とか、『笑うミカエル』の時の谷垣監督のアクション指導時の評価を考えて、彼女の殺陣センスを開眼させたいものです。

 天剣の宗次郎は神木隆之介。これ以上のハマリ役は考えられないでしょう?

 翁は石橋蓮司。コミカルな演技と殺陣の上手さで。駒形由美は麻生久美子じゃどうかな~? あと、何か名前忘れたけど、参謀格の人。この人は塚本真也監督とかどうかな?

 それから、監督はNHKを辞めてフリーになった大友さんだと聞いたんで、きっと田中泯さんをキャスティングする筈・・・。

 とすれば、黒笠・鵜堂刃衛か、大久保利道とかに配役するんじゃないかな~?と。あるいは盲剣の宇水という線もあるか?

 それとも、剣心の幕末の頃の人斬り抜刀斎と呼ばれていた頃の回想シーンで、泯さん演じるところの山岡鉄舟と剣を交えて人斬りを辞めた・・・みたいなエピソードを作ってもいいかもね?

 剣心のモデルになった河上彦斎は、佐久間象山を斬った時に衝撃を受けて人斬りをやめてますからね。泯さんが出るならオリジナルの印象的なエピソードが欲しいですね。


 それから・・・明王のアンジは永沢俊矢じゃどうかな?

 大鎌の鎌足は佐藤かよで決まりでしょう。そのまんまだし・・・。

 刀狩りの張は松田賢二でどう?

 飛翔の蝙也はクリスチャン・ベールみたいに断食しないと無理だからCG(富士もCGだね。あの爺さんは麿赤兒かな?)。


 何はともあれ、『るろうに剣心』には、“縮地”とか“二重の極み(当て身の秘訣の二度突き)”とか、二階堂流平法の“心の一方”などが出てくるので、普通の剣術アクションに武術的な要素がからむ点に期待が持てます。

 泯さんのお弟子さんの石原さんの踊りを観に行った時に大友さんとは会ったんですが、NHKの堅いイメージとは真逆の人だったんで、「フリーになってエンタメ系の作品をバンバン撮っていかれた方が、映画業界で一時代を築ける才能のある人だ」と思ったので、その通りに進んでいかれていて、私も先見の明があるな~と自画自賛しています。

『ハゲタカ』『龍馬伝』ときて、ここで『るろうに剣心』を撮るのは流石だな~?と思いましたね。普通、ここで漫画原作でアニメが大ヒットした作品は選ばないですよ。並の人だったら・・・。

 これで本当に面白い作品を撮れば、固定したイメージを払拭して何でも撮れる人だという評価ができる筈ですから、一気にヒットメイカーとして認知されるでしょう。

 ただ、相当な挑戦にはなるでしょう。下手なものになってヒットしなければ、一気に評判を落としてしまいますから、これは大きな賭けですね。映像作家としての浮沈を決める大きな勝負になるんじゃないですか?

 でも、私は、あの監督さんだったら、既存の方法論に捕らわれずに斬新な作品を作り上げるに違いないと思っています・・・。

 あと、私を武芸考証で雇えば完璧だね!(さりげなく、売り込み)

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会うは別れの始まりか?

 昨年から自主映画向けに髪を伸ばしっぱなしにしていたので、ずっと散髪に行っていなかったんですが、同じ店を利用していた北島師範から、散髪屋さんがずっと休業したままだと聞いて、「病気されているのか、経営が大変で閉店してしまったのか?」と心配していたんです。

 ところが、近所の自転車屋さんに寄った北島師範が、散髪屋のオヤジさんが肺ガンで急逝されていたという話を聞いたと知らせてくれて、何だか、一気に気持ちが沈んでしまいました。

 12年くらい利用していたお店で、オヤジさんも57歳だったそうですから、まだまだ元気に仕事できる年齢だったのに、ガンというのは本当に恐ろしいし悲しい病気です。

 私が本を出した時は買ってくれていて、「サインを書いてください」と頼まれて照れ臭かったものでしたが、確か「いつもお世話になっています」と書いた覚えがあります。

 貧乏で生活のためにラブホでバイトしていた時期にも、励ましていただいた記憶がありますし、手に職があれば贅沢はできなくても食うには困らない程度にはやっていけるというような話をされていたことも覚えています。

 しかし、病気になってしまえば技能も活かすことができません。

 もう、二度とお会いすることもできなくなってしまったのか・・・と思うと、非常に寂しいです。数カ月に一回程度しか散髪しない私にとっては、お気に入りのお店だったんですが・・・。

 心から御冥福を祈らせていただきます。そして、有り難うございました。


 話は変わりますが、今のこの時期、将来に絶望して自ら命を絶つ人も増えているようです。

「原発が憎い」と恨みを残して命を絶った酪農家の方や、避難地域で「家に帰りたい」と願いながら命尽きた方・・・。

 災害を生き延びても、絶望に心を塞がれて生きる気力を失ってしまった人達の多さを思うと、暗澹たる気持ちになります。

 ですが、どんなに絶望的に思えていても、生きている限りは必死になって生きることを目指していくべきじゃないでしょうか?

 人間の希望は自ら心を奮い立たせることでしか芽生えてきません。

 福島では原発を止めようと命懸けで頑張っている人達がいますし、被災地の復興に尽力している多くの名もなき人達もいます。

 多くの人命が失われた今回の災害を生き延びた人間には、生きることへの重大な責任があるんじゃないでしょうか?

 今のこの時代に生き合わせた我々には、ただ生きるだけではなく、生き合わせた理由があるのだと思います。

 だから、死ぬ瞬間にまで生きた証しを遺せるような生き方をしなくちゃいけない。

 それは、恐らく、次の世代の人達がより良く暮らしていけるような世の中にするために、自らの生きるフィールドを精一杯クリエイトしていくことでしょう。

 そのためには負の遺産は残してはいけない。将来にツケを回してはいけない。

 天災は仕方がない。けれども、人災は起こしてはいけないのです。

 政治・経済・教育・・・これらの現場に本物の人材がいなければ、国が滅ぶだけではなく人類が滅亡していくでしょう。その滅亡の因子に無自覚でいてはなりません。

 7月17日は災害チャリティーの演武・演奏会に参加させてもらいます。一人でも多くの方に希望を持ってもらえるように頑張ります!

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発送遅れて済みません!

 新作DVD、7月から値上げすると告知した途端、注文が殺到してしまいまして、DVDのケースが無くなったり、いろいろと対応が遅れてしまいました。

 それで、順次、DVDの作動チェックを実施してから送らせていただいておりますが、注文入金いただいてから一週間以上も遅くなってしまった方も出てしまいまして、大変、申し訳なく思っております(「DVDにサインを書いてください」と書かれていた方もいらしたんですが、誰が誰だかわかんなくなっちゃって、ゴメンなさ~いっ!)。


 以前は一括して百個単位で作ったりしていたんですが、これだと売れ残ると在庫を抱えることになって不経済だったので、現在は注文数に応じて一つ一つ作っている次第。

 なので、買われた方は御承知と思いますが、“手作り感モロ出し”です。

 一応、撮影編集などは映画のCG作ったこともあるプロのグラフィックデザイナーの友人に謝礼を払って依頼しているんですが、それ以外は家内産業(事務局と私)なのです。

 まあ、毎月、このぐらい売れるんだったら会社化するところなんですがね~。

 将来的にそこまでいけるといいんですけどね~。


 それはそれとして、DVDだけでなく、宣伝媒体としてのネットの動画も活用していこうと思ってまして、30日のメイプルホール稽古会では海外向け動画の英語版・フランス語版用にする“素材”の撮影もやりました。

 海外向けの宣伝しようと考えたのも、うちの技は海外の方が絶対にウケがいいと思うからなんですね。日本だと“目障りだ”と思う人達が悪意だけで貶すし、それを鵜呑みにする人と黙って放置する人しかいないでしょう?

 そんな訳で、うちは風評被害は業界ナンバー1でしょうから、冷静に中身を見て評価してくれる人は選別されてしまうんです。

 情報は嘘でも何でも広まったら事実かどうかは関係なくなりますからね。実際、間違いが広まることに関して武術業界で問題視しているのって私くらいなもんでしょう?

 専門誌の編集者やライターだって、嘘だって解ってることも平然と書いちゃうんです。

 どうしてか?っていうと、武道武術の先生方が物凄く不勉強で、自分の習った先生の発言を盲信しておうむ返しに繰り返しているに過ぎなかったりするので、間違いだと解っていても、それを指摘すると怒らせてトラブルに発展するのを知ってるからです。

 そんな訳で、「ナンバは古武術に伝わるもの」という完全な間違いも定説になっちゃったままでしょう? 無知で不勉強な先生ばっかりの武術業界で、唯一、“知識が豊富で頭がいい”と思われていた人が言うことだから間違いないだろうと思って、裏付け取らないままで取り上げてしまったからですよ。

 私みたいに、「このオッチャン、自分の都合の良いように捏造して話すからね~」って解ってる人がいなかったのが不幸ですね~。それで売れちゃったばっかりに一大権威に祭り上げられてしまったんだから、お笑い草です。

 こういう“情報公害”が今の時代は無制限に垂れ流されているんですよ。誰もが、「世の中、そんなもんでしょ~」って妙に達観しちゃってる・・・。

 私が日本の武術界に見切りつけた理由がこういうことです。嘘や間違いを容認するどころか、共犯者になって事実とすり替えようとするんだから愚か過ぎます。

 恐らく外国の愛好家だったら、純粋に技や理論だけを評価してくれると思うんで、これから目指すは世界ですよ。


 そういう野望を掲げての撮影で、試し斬りも撮りましたが、このために佐原先生から畳表をいただいた次第なのですね。

 実際には細竹使ったのとそう代わりは無いし、むしろカチンカチンに乾いた竹の方が刃が通りにくくて斬りにくかったりするんですけど、畳表巻いたマキワラ斬る方が見た目のインパクトがありますからね。

 でも、経費をケチって専用の台を使わず金具に竹を固定して布テープで固定して斬ろうとしたところ、高さが足りなくて、しょうがないから椅子の上に固定して斬ろうとしたんですが、平らじゃないのでマキワラの固定がうまくいかずに、きちんと斬れたのが半分くらい・・・という事態になってしまい、せっかく畳表用意して水に浸けて巻いたり、車出してもらって運んだり・・・とやったのに、イマイチどころかイマニ?になってしまいました。

 やっぱり、お金かけるべきところにはかけなくちゃ~ダメだな~と思いましたよ。

 まあ、試し斬りに関しては撮り直すことにします・・・。


 その他はお好みでアドリブで撮影したんですが、会員のK塚さんの合気技とか、Cさんの0インチパンチとか、私も袈裟斬りしてくるのを空手奪刀(くうしゅだっとう)で投げたり、脱力技法による指一本で崩したり、片足立ちで胸を押されても平気~とかのパフォーマンス技と、拳法系の突きや蹴りを受けたと同時に潰す実戦向けの使い方もやってみました。

 北島師範の突き蹴り、久しぶりに受けましたけど、これ受け損なったらヤバイぞ~って思いましたね。重いんだもん・・・。他の人にやらせたら怪我しそうです。

 彼は体重も20kgくらい私より重いですからね。ボクシングだったら試合が成立しませんよ。

 でも、武術は体格差は関係ないです。仮に体重が私の倍ある人でも問題ないです。

 筋力で対抗している訳じゃなくて、相手の威力を作用させないように受けると同時に、体内で重心移動を加速させて“乗せたり(沈身を使う)”“跳ね返したり(発勁で打ち返す)”しているので、パワーに関しては不安はまったくありません。

「触れたら勝てる」と私が言っている意味が、この動画を見てもらったら納得いかれるんじゃないか?と思います。

 もっとも、普通に武道や格闘技をやってきた人は、神秘の技だとか勘違いするだろうとは思いますが・・・、でも、これは原理を理解してちょっと練習すれば体得するのはそんなに難しくはありません。

 けれども、やっぱり、定期的に練習して一定期間が過ぎないと使いこなすのは難しい。

 うちの会員さんでも、常連で通ってきている人以外はなかなか体得できないままだったりしますからね。

 誤解のないように申し上げておきますが、原理を理解して申し合わせの練習で一回できたとしても、臨機応変に自在に使いこなせるようになるには、やはり年単位で通って熟練するしかないんですよ。

 その意味で、うちの会員で戦闘理論通りに戦えるのは二人か三人ですよ。そこそこ戦える人があと四人か五人くらいかな~?

 つまり、それくらい現実に武術を駆使して戦うのは大変な修行が必要だということなんですね。

 パフォーマンスで甲野氏とか合気武術の技だとかを体得するのは原理を理解して勘の良い人なら3分でできますよ。嘘だと言いたいでしょうが、事実なんだからしょうがない。

 でも、そんな素人演芸ができたって糞の役にも立たないでしょ?

 本当に役に立つ武術というのは、殺意をもって向かってきた相手を一瞬で戦闘不能にできる技能であり、それを必要とあらば躊躇なく使う峻厳な心です。

 それと同時にギリギリまでそれをやらずに自制できる精神の強さも必要です。

 見世物演芸ばかりやって「武術の達人でございま~す」みたいなことやっていながら、いざ実際に立ち合えば百戦百敗、必ず負けてるようじゃ~、存在自体が赤塚不二夫のギャグみたいなもんでしょ?

 またね~、そんな連中を大先生扱いしている“時代の間抜けさ加減”をおかしいと思わないような人間は武術なんか、やっちゃ~ダメですよ。

 人間は本気にならなきゃいけない時期とか、戦わなきゃいけない時が一生のうちに何回かはあるんですよ。

 武術修行するのは、その時に逃げずに立ち向かうためです。

 私みたいに気の小さい臆病な人間でも、もう何度かそれを経験したし、その時に逃げなかったから今がある訳です。

 これからも、まだあるでしょうね。でも、むしろ楽しみですよ。試練は乗り越えた時に大きな力に変わるからです。



 撮影と練習が終わった後は、近くのデニーズで軽く食事と反省会をやったんですが、改めて、よくここまで続けてこれたもんだな~?と、ちょっと感慨に耽ってしまいました。

 正直、20代の頃は、自分がここまで武術にのめり込んでいくことになるとは思っていませんでしたし、また、これほど、いろんな技を体得できるとも思っていませんでした。

 というか、武術の世界の伝説的秘技のようなものは、特別の才能がある人が、特別な名人の教えを受けて、長年、真剣に修行を積んだ後に、運よく体得できる・・・というような代物なんだと思っていた訳ですよ。

 ところがどっこい・・・私みたいに素質も才能もなく、ろくすっぽ修行していない人間が次々にできるようになったり、斯界の第一人者と言われているような先生が案外、ヘタッピだったりするんだから、「なんじゃ~、こりゃあ~? 全然、違うじゃ~ん?」と、まったくもって、笑うしかなくなってしまったものでした。

 でもね。

 一つだけ確かなのは、私は武術に関してはとてつもなく幸運な人間であるということです。何か、見えないチカラに導かれているとしか思えません。

 有名無名を問わず、本当に優れた先生方に次々に出会うことができたし、それも段階的に自分の見識が上がった時に、自分に欠けているものを教えてくれる先生と出会ってきたように思えて仕方がありません。

 だから、今の私の能力は、教えを受けた先生方のお陰なんだと心から思います。

 独力で生み出すなんて絶対にあり得ない!

 そのことを伝えていくのも重要だと思いますね。それが文化を伝承していくということなんじゃないかな~?と思います。

 結構、意外なところで「ブログ読んでます」「本読んでます」とか言われることがあるんですよね。

 DVDの申し込みの時にもいろいろ書いてくださる方がいらして、有り難いと同時に「期待を裏切れないな~」って思いますね。

 しっかし、何だか、私は武術界に於ける都市伝説のキャラみたい?ですね~(苦笑)。

 専門雑誌に全然出ないというのもカリスマ・アーティストっぽくて良かったのかも?

 実際は、警戒されて取材されないだけなんだけどね~。

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武術を語るには相手も選ぶ

 最近、専門分野以外からお声をかけていただく機会が増えたんですが、正直、武術を知らない人に理解してもらおうとする努力の空しさに、ガックリさせられることもありますね。

 私は、本当に、心の底から本心を申しますが、“趣味嗜好の合う人としか話したくない”んです!

 一に武術(武器含む)。二に特撮ドラマ。三に武術アクション映画。四にホラー映画。五にGunアクション映画。六に時代劇映画。七以降は、舞踊・精神世界・宗教学・神秘思想・UMA・なんかが、ほぼ同じくらいの比率で関心があるくらいですかね~?

 どうですか~? メッチャ、限定するでしょう? オタクでしょう?

 はっきりいって、野球とかサッカーとかパチンコとか麻雀とか、およそ一般大衆が普通に好きそうなものには“全然、関心ありません!”

 強いて普通っぽいところは、犬猫が好きってぐらいかな~?

 でも、その分、“人間嫌い”だしな~?

 最近は、これが酷くなってきて、普通の人と話するのが面倒臭くなってきて、共通の話題が持てなそうな人だと初めから一切、喋らなくなりましたね。

 失礼かもしれないんですけど、疲れるし、つまんないし、話題の合わない人に無理に合わせるのは人生の無駄のように感じてしまいます。

 そんな訳ですから、外の分野の人に合わせていこうとすると疲れるんですよ~。何かゲンナリしてくるんです。

 だから、自分の専門分野でしっかりと実績を積み上げて、それが活かせる状況で外部から声をかけてもらって仕事するのが一番いいんだろうな~と思います。

 どうも、昔っから自分から売り込み営業みたいなのしても、うまくいかないんですよね~? 何でですかね~?

 そういう訳で、やっぱり宣伝より実績作りが肝心ですね。

 そして、私の場合は、実績作りの基本はただひたすら、“自分の腕を磨く”ということです。

 先日は日本最高の中国拳法家と私が信じて疑わない躾道館の小林直樹先生からも誉めていただけましたし、兄弟子にあたる躾道館柏支部長の岡部武央先生からもDVDの感想で「この十年間で凄く進んでいたんですね~」と感心したという感想を頂戴しました。

 いや~、本当にもう極端な貧乏生活を20年以上続けて、数多の嫌がらせと風評被害にもめげずに研究を続けてきた成果ですからね。私と同じことは誰にもできないと思いますよ。そりゃあもう、覚悟が違いますから、観る人に観てもらえば、決して低い評価である筈はないと思っています。

 だから、安売りはしない訳ですよ。悪口言いたいヤツでも2万円も3万円も出してまでDVD買って悪口評論する気持ちにはなれないでしょう。

 だけど、本当に価値が観える人にとっては、このDVDは千金の値があることに気づくと思いますよ。私が研究してきたことの一番、基本になっていることを、ほぼ解説していますからね。


 さて、過日、清心館道場の佐原先生とお話した時に、「細い竹より畳表を巻いたものを斬った方が刃筋が通っているかどうか判るから、いいですよ」と教えていただいて畳表を分けていただく約束をさせていただいていたので、動画撮影で試斬りをやろうと思って、佐原先生にお願いして畳表を頂戴しました。

 お金は要らないと言われたんですが、タダで貰うのも図々しいので、新作DVDをプレゼントさせていただきましたが、私がテクで持って帰るつもりでいたんですが、「車でないと無理ですよ」と、拙宅まで送ってくださいました・・・。

 いやはや・・・やっぱり図々しいですね~、私・・・。

 お送りいただいている車中で、合気会の隠れた名人として有名だった山口清吾先生の思い出話や、合気道師範方の技の特徴などについてお話をうかがったり、私の意見を申し上げたりしたんですが、つくづく思うのは、「武術の話が通じる人でないと俺は付き合えないな~」ということでした。

 佐原先生は私にとっては武術研究上の良き先輩であり、武術に関する考え方の方向性がかなり近い、数少ない先生のお一人です。

 私にとって、今、他にこんな話ができるのは、青木宏之先生と・・・。

 青木宏之先生と・・・

 え~・・・青木先生・・・と・・・

 あれっ、他に思いつかない・・・。

 むむぅ~・・・、青木先生と佐原先生しかいないじゃ~ん?

 いや~、参ったな~。話の通じる先生が二人だけか~?

 松田先生とはもう何年もお会いしてないしな~。

 結局、私は会員と話す時しか武術の話が通じていないんですね。でも、会員相手だと教える格好になってしまうので、ちょっと違うんですね~・・・。まあ、大石教練と話すのが一番面白いですけどね~。かなり観えてるから。

 あ~、今、気づきましたけど、だから青木先生も私を気に入ってくれているんでしょうね~?

 松田先生が私を気に入ってくれたのもそうだったのかもしれないな~?

 佐原先生は合気道だけでなく古流剣術や中国武術にも精通されているので、私にとっては非常にツーカーで話ができて有り難いんですよね~。

 セミナーの時にはいろんな流儀の修行経験のある方が参加されたりするので、終わった後に喫茶店で何時間も長話するのがいつものことで、これもホビット村で講座やってた頃からの恒例なんで、16~17年くらいでしょうか?

 それで、いろんな流儀の裏話を聞く機会があって、それが必然的に私が事情通になっていった一番の理由なんですね。

 ただ、表に出せない話が多くて、私なんか文章のイメージからすると何でも書いちゃいそうに思えるでしょうが、実際は知ってることの一割以下しか書けないですよ。

 だから、一割の話から全体を推測して考えるような人が伸びていくんですね。

 私が話した分だけしか受け取れなかったり、さらにその1/10になってしまう人の方が過半数でしょうか?

 やっぱり、情報に捕らわれてしまう人が多いですね。

 情報を信じるか信じないか?ではなくて、情報の意味するところを吟味して有益か無益か、仮に無益だったとしても他の情報と組み合わせると意味合いが異なって有益になる場合もありますから、いろいろと多角的に吟味することを習慣にしておいた方がいい。

 マニアは多角的に吟味することが非常に下手ですね。情報を量でしか認識していない。

 とにかく量が多ければいいと思っている。しかし、それでは情報を処理し切れず混乱するだけです。

 ある一定量の情報は必要ですが、それよりも情報の質を吟味して重要なものから整理して役立てていかないと益にはならないのです。

 我流でやっている人は、ここで間違ってしまう場合が多い様子ですね。

 実際に体験を通して得た情報は、リアリティーの厚みが全然違いますから、得た情報を質的に有益かそうでないかのフィルターにかけることができます。

 なので、体験をなるべく多く重ねてきている人間は、それだけ情報の質を吟味するようになる訳ですよ。

 そういう意味で、いろんな流儀を体験しておくことは無益ではありません。

 ただし、カンフールンペンという言葉がある(愛隆堂から出ている具一寿氏の著書で初出)んですが、いろんな流儀を齧り歩いて何一つ、まともな技が使えないままだと、20年やろうが30年やろうが、“素人に毛の生えたような相手”にも勝てない悲惨な状況にはまり込んでしまう場合も多々あります。

 例えば、古流剣術を個人で研究している人が剣道二段の人と袋撓いで対戦して一方的に滅多打ちされて最後に蹴り飛ばされてるのを見たことあります。イジメられているようにしか見えませんでしたが、本気で打ち合えば、日々、やり合っている剣道の方が圧倒的に強いですよ。武術のロマンもヘッタクレもありません。

 伝統的な武術は型を重視し過ぎるのに問題があると思います。状況設定の中の技は自由攻防には通用しません。

 じゃあ、どうするか?

 相手に自由攻防させないようにするしか勝ち目はありませんね。私はそう考えて10年以上、研究を続けてきたんですが、それは自由攻防で立ち合うと無傷で一方的に制圧するなんか不可能だという現実を知ったから、その突破口を探究したんです。

 自分で自信が持てるようになったのも、2~3年くらい前ですかね? 今は、対面した瞬間に相手のどこを攻めれば何もできなくなるか?というのが解るようになったので、読みの能力の無い人には確実に勝つ自信があります。触れたと同時に浸透勁打てばいいんだから・・・。

 うちの会員の中にもそういう能力が芽生えた人が何人かはいますよ。だから、思い切ってDVDで戦闘理論を公開してしまった次第です。次の次の段階まで研究が進んでいるので・・・。

 ただ、我流でこういう技や戦術を体得するのは無理です。相手だって動き回って攻撃してくるんですからね。

 そういう意味でも、若いうちに乱取り・自由組手・試合・野試合・・・等を何度か経験しておくことは重要です。

 しかも、負ける経験の方がより重要です。

 無論、自分の欠点を知ることができるからです。

 一方的に勝ってしまうと技術的に得るものが何もないのです。「一方的に勝ったから俺は強い!」という妄想的自己愛しか残らないのです。

 命を失ったり治癒できない障害を負うのでない限り、手合わせして打ち破られる経験をしておくことは、極めて重要であると私は考えます。

 これは、人生も同じです。失敗を重ねて試行錯誤を繰り返すことが人生の浮き沈みに対応する処世の知恵を育むのです。失敗を必要以上に恐れて安全確実な生き方をしようと考えていると何もできずに人生を浪費していくだけです。

「生きてる限りは負けじゃない」という論理もあります。それもまた正しいでしょう。

 十数年前には、私は無刀取りなんか全然できませんでした。竹刀で打ってもらって避ける練習もしましたが、打ってくるタイミングが読めているのに避けるのが間に合わずに打たれてしまいました。

 しかし、今では演武の形式で上段から、八相からの袈裟斬りなども、真剣を用いても、比較的楽に躱せるようになりました。

 これは読みと交叉法を研鑽し、コツを一つ一つ発見していった結果です。

 動画で出している無刀取りのハイスピード映像を観てください。この時は、わざとギリギリまで待って躱しています。このタイミングで避けようとすると、恐らく斬られるでしょう。

 演武で真っすぐ斬ってくる設定ですから、斬ろうとする意識が動いた瞬間に避けたほうが速いし安全だし確実なんですが、それをやると知らない人にはフライングにしか見えないだろうと思い、わざとギリギリまで待ってから躱しました。

 ギリギリまで待てるということは、それだけ心理的余裕があるということです。

 もちろん、真似して失敗したら大怪我どころでは済みませんから、絶対に真似なさらないでもらいたいんですが、もう一つ、ここでは大きな実験をやっているのです。

 無刀取りの演武で、多くの人は闘気を発して相手を威圧しながらやったりするのですが、私は逆に闘気を静めて、なるべくフワッと動くようにやってみました。

 実際にはイメージ通りにはいかず、ヒョコッという感じで避けてしまいましたが、刀の鋭い切り込みとは対象的に動くようにしています。

 結果、斬り込んだ北島師範は、「うわっ、やってしまった・・・」と、私を本当に斬ってしまった?と、一瞬、思ったそうでした。

 いつも、彼は遠慮して切り込みが遅くなってしまうので、「それじゃあ、見栄えがしないから、ビュッと切り込め! 失敗したら俺が悪いんだから・・・」と事前に一喝していたのです。

 ただ、普段はこんな練習をやっていませんから、万一、私を叩き斬ってしまったら・・・と彼が怖がってしまうのも当然でしょう。

 でも、私は自分の戦闘理論の正しさには自信があるので、失敗することは心配していません。“理”に通じれば技は成功するのが当たり前だという意識になるのです。

 成功するかどうか不安があったら、最初からやりませんよ。

 自分を信頼して委ねること。“運が悪けりゃ、死ぬだけさ~っ”と思っていれば、どうってことはありませんよ。

 あっ、でも、本当に真似しないでくださいね。運の悪い人のほうが多いですから。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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