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ようやく新刊本、出ま~す・・・

 あ~、疲れてまっスぅ~・・・。

 一年半ぶりに、ようやく新刊が出る運びになりまして、現在、最終的な編集作業と直しに入っております・・・。

 いや~、疲れた、疲れた・・・。本当に疲れた・・・。

 これまでで一番、大変だったと思います。

 何回、書き直したことか? 一回は全面的に企画を見直したくらいだから、ざっと考えても本三冊分くらいは書いているんですよね。

 その結果、より良い本になったのかどうか・・・ということすら、今回は判りません。

 でももう、全力出して、これ以上は何のアイデアも出ないというところまで頑張ったから、しょ~がないですわ。

 丹田というテーマを思いついた時はいけると思ったんですけどね~。これが思い違いもいいところでしたよ。

 何しろ、私の本のファンは、「いかなる神秘的なことでもバッサリと合理的に解説する長野ism」を期待しているのだから、その期待に応えるような内容でなければならない・・・と編集者から散々、言われてですね~・・・。

 でもね~。無理なもんは無理なんですよ。

 オリエンタルなオカルト知識を駆使して書いたら面白いでしょ?と思っていたら、嵐のようなダメ出しが出てきて、直しても直してもダメ出し・・・。

 かと言っても、無理やり科学的に書いたところで、エセ科学にしかならんしな~。

 今回は限界を思い知りましたね~。

 そういう次第で、読者にとっては怪しい本と感じられる可能性も高いと思います。

 ただし、私にとっては、目標にしていた秘技ができるようになったり、実験してみたらできちゃったよ~ってことがあったんで、非常に満足できる仕事になりました。

 後は、読者に受け入れてもらえたらいいな~と思っています。

 9月の後半には書店に並ぶと思いますので、是非、宜しく!

 ところで、このに掲載する写真撮影していて、うちの会員さん達が異常に上達していることに気づいて驚いてしまいましたよ。

 特に北島師範の内功のレベルが尋常じゃなくなっていて、驚きました。この調子で皆が丹田開発していったら、超・達人を量産できちゃうと思います。いや、マジで・・・。

 先日、久しぶりに会った武友からも「凄いね~」と言われました。

 何が凄いか?っていうと、北島師範と、高校生会員のNさんが凄いね~という感想だったんですが、彼はオーラの量が見える人なんで、やっぱ、判るだろうな~と思いました。

 実際、動いて技やってるところも見せたかったですけどね。

 そういえば青木先生も北島師範を誉めてくださってました。

 矢嶋師範代もチャリティー演武会以降はちょっと変わってきたので、そろそろ大化けしそうな感じです。歩法も相当、速くなってるし・・・。

 正直いって、私の理論を信じて専念してくれさえすれば、週一回か二回の練習で3~5年で、必ず達人のレベルまで育ててみせますけどね~。

 上達するのって、身体鍛えるより考え方を変えた方が早いんですよ。

 何も考えないでガムシャラに練習したって、武術はちっとも上達しません。上達する仕組みが解明できたんですよ。もう、はっきり解りましたよ。

 だけど、これはしばらく隠しておきますね。

 企業秘密ってことで・・・。

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“秘技”体得!

 以前から、真剣での試し斬りで、マキワラに刃をくっつけた状態から、そのままスパッと切断する、中国武術の寸勁を応用したような斬り技ができないものか?と思ってまして、「数年のうちに体得してみせる!」と決意していました。

 原理としては、寸勁のように、ほとんど触れた位置から力を浸透させるように刃筋だけを徹すようにすれば斬れる筈だと分析していたんですが、理論通りにやれるかどうかはわかりませんでした。

 普通の試し斬りがよほど上達してからでないと無理だろうと思っていたんです。

 ところが、新刊本用の写真撮影のために試し斬りを動画撮影していて、それこそダメモトのぶっつけ本番でやってみたところ、あっさりとできてしまいましたっ!

「アレッ? 斬れちゃったでないの?」って感じ・・・。

 いや~、正直、成功するとは思っていませんでしたよ。私は、恐らく、スッゴイ、ドヤ顔していたと思います。

 撮影してもらった動画を見直すと、見事にスパッと切断される様子が映っています。

 斬った感触としてもスイカを押し切りにしたような感じに近いでしょうか? 抵抗感はほとんどありませんでした。

 この技ができるということは、うちの体術でやっている打拳(加速距離を必要としない)と同様に、“刀を振り回す必要がない”ということになります。

 振り回さずに刀をピタッとくっつけて、そこからスパッと斬れるのです。

“刀を振り回す必要がない”ということは、刀の斬撃力を出そうとして振りかぶったりして力のタメを作る必要がなく、無駄に動かなくてもいい上に、隙ができないということになるんですね。

 必然的に、戦闘理論もガラリと変わってしまうことになります。

 とにかく、体術と同様に、刀を触れてしまえば勝てるということになり、振り回して遠心力を利用してなで斬りにしようとする必要がないので、相手が斬りかかろうとする隙間にスルッと、こちらの刀を滑り込ませるようにすればいいのです。

 もう、卑怯なくらい、圧倒的に有利なんですよ。

 無論、“できた”といっても、もっと自在にどういう体勢からでも、片手でも斬れるようでなくては実用的には使えないでしょうが、基本原理を会得すれば、後は時間の問題でできるようになれるでしょう。

 そういう意味で、私にとっては游心流独自の刀法が編成されるための革命的な体験だったのです。理論上はできると思っていましたが、それが現実にできてみると、やっぱり嬉しさは格別ですよ。

 この技の撮影をしたのは、“丹田力”の解説のためだったんですが、奇しくも、「丹田力が培われていたからできた」ということの良い証明にもなりました。

 もちろん、失敗したら別の技をやるつもりでいたんですが・・・。


 もう一つ、前回、借り物の脇差で惜しくも失敗した“抜刀と共に片手で斬る”、文字通りの“居合斬り”もやってみましたが、こちらも難無く成功!

 撮影した動画を見ると、我ながら力が抜けた抜き・即・斬!で、私が理想にしていた脱力しての斬りの原理に忠実にやれていて、ナルシシストみたいで申し訳ないんですが、惚れ惚れするように上手くいきました。

 鞘から抜き出す力を殺さずに、そのまま斬る。やっぱり、居合術というなら、これができなきゃ~、抜いた後で一旦止まって両手で構えてから斬っても意味がないでしょう?

 あまりに調子が良いので、下からの逆袈裟斬り上げもやってみましたが、これは無理だろうと思っていたのが、これまた成功! ビックリしましたよ。

 できると思っていなかったので撮影しなかったのがもったいなかった・・・。

 マキワラも短くなってしまったんですが、ついでにもう一度・・・しかし、今度は失敗でした・・・が、失敗したのは自作の台に装着していたマキワラを挿して固定する竹に当たっていたために刃筋が狂ってしまったからのようでした。

 もっとも、その竹も先端が切断されていました。斬り上げでこうだから、上から斬り落としていたら竹ごと斬れていたでしょうね。

 この日の感触としては、「既に基本抜刀の斬り上げや逆手斬りなんかの片手斬りも、もうできるだろうな~?」と思えました。マキワラを二本しか用意していなかったので実験できませんでしたが・・・。


 ところで、技ができるようになるのは、必ずしも練習の数をこなしたからというものでもないと私は考えています。

 数をこなすことは非常に重要なんですが、もっと重要なのは“基本原理をしっかりと体得しておくこと”です。それさえできていれば、後は応用で技は勝手にできるようになっていくものです。

 現に、私は初めてやってみて、できた・・・ということが多いのです。それは、先に「こうやればできる筈だ」というメカニズムと理論を仮定で考案していて、その“確認作業”として実験的精神で技を試しているからです。

 その意味でも動画撮影しておくと、失敗した時に、どこに問題点があったのか?の分析ができますし、「マキワラを斬った方が、切断面から刃筋が狂ったかどうかが判ります」と、清心館の佐原先生から御教示いただき、現在は注意深く観察するようにしています。

 例えば、会員さんが斬った時に、成功するしないにかかわらず、切断面の様子を観れば、刃筋の乱れが判別できます。

 そして、浅い箇所で刃筋が乱れたか、あるいは途中で曲がったか、または最後まで斬れずに刃が止まったか・・・といった原因が判るのです。

 今回の稽古では大学で合気道部の主将だったK塚さんは、素直な刀法でストンと斬れていましたが、空手を長年修行してうちの会員中でダントツの才能の持ち主の高校生のNさんは、斬れてはいましたが、意外にスパッとは斬れませんでした。

 これは、恐らく、当たった瞬間にグッと締める突きの癖が出て、刀の刃筋が乱れて力が持続的に作用しなかったからだと思われます。

 空手や現代剣道を長年やっている人が試し斬りをやると、素人より斬れなかったりする場合が多いと言われていますけれど、これは、当たった瞬間に“締める”という操作が原因と考えられ、力をぐっと入れたり、捻ったり、筋肉を締めるような動作がわずかでも加わると、そこで刃筋が狂って力のベクトルがズレてしまう・・・という仕組みです。

 素手の打撃だと、衝撃力の総和がダメージとなるので、これがマイナスとは限らないのですが、貫通力や浸透力を作用させる武術の打撃法は、日本刀の斬る働きと共通すると私は考えています。

 だから、柔術の当て身や中国武術の浸透勁(暗勁)の訓練には、試し斬りが役立つと思うのです。

 沖縄空手の当破や裏当てと呼ばれる突き技も、同質と考えられます。

 ところが、寸止めやフルコンの競技に慣れると、貫通性のある突きよりも、体表面で衝撃が大きくなるような突きでアピールする癖ができてきて、それで日本刀の斬りのような貫通性を知らないうちに失ってしまうようです。

 けれども、新体道空手をやっている人だと試し斬りも凄く斬れたりする。

 これは、新体道の突きの動作が、突き腕を伸ばしたまま身体ごと真っすぐ入る構造だからだと考えられます。逆説すれば、新体道を正しく修行している人は、試し斬りをいきなりやっても斬れて当然であり、もし、斬れなかったら、新体道の術理に適っていないということになるでしょう。

 青木宏之先生が竹林の中で、普通の人だと刀を曲げたり折ったりしかねないぶっとい竹を、茹でた竹ノ子を斬るみたいに、無造作にスッパスッパ斬っている動画を見ると、刀の刃筋が見事に真っすぐ入っていることが判ります。

 通常の居合や抜刀道、剣術の修行者だと、姿勢や構えといった外見の形にこだわるものですが、斬れるという現象に限れば、要は、刀にどれだけ重さが乗って、刃筋が真っすぐ徹るか?という点“だけ”が重要なのです。

 姿勢の形や握り方のコツといった事柄ばかりにこだわる人間は、本質的なことがまったく理解できておらず、技の働きや力の流れが全然、観えていない。

 師範クラスでも、恐らく、大部分がそのレベルだと思います。権威におもねるような人間は本質を追究しておらず、段位や肩書で判断したがるものです。

 なので、青木先生の動画を見ても、力の作用する本質的な技の働きが洞察できない馬鹿者は、訳知り顔で批判してみたりする・・・自身の不明をさらしているのに気づかない愚か者です。

 簡単な話、できるかどうか、自分でやってみたらいいのです。


 私が試し斬りを稽古に導入したのも、力まかせでは斬れない日本刀の斬る動作を通して、寸分の狂いなく相手に入身する感覚を養成することと、微細な点や線に力を集中させ貫通させる感覚の向上を目指しているからです。

 その意味でも、この日は日頃の研究が一定の水準にまで到達したという感動がありましたね。

 しかし、こうした難しいと思っていた技が難無くできたのは、やはり、関住兼氏の刀の斬れ味の良さに助けられたのだと思います。

 横浜名刀会で「この刀は物凄い斬れるよ~」といわれていたのは、嘘ではなかったということですね。本当に、気持ちよく、良く斬れます。

「スゲーな~。この刀は・・・」と、改めて感心しました。

 実際、2~3年前までは「刀なんて、どれも斬れ味に大した差はないだろう」と思っていたんですが、大きな間違いでした。刀の斬れ味は一つ一つ、全然、違うんですね~。

 考えてみたら当然かもしれません。ナイフでも包丁でも切れ味は違いますからね。

 ナマクラ刀を使っていたら、こういう具合にはできなかっただろうな~と思います。お陰で16万円の出費も無駄にならずに良かった・・・いや、16万円でこれだけの斬れ味の刀が入手できて、到底、できないと思っていた技が難無く体得できたのは僥倖です。

 今後は、いろんな斬り技を体得していって、その研究成果を会員に伝えていきたいな~と思っています。


 末筆ながら、試し斬りのイロハを御指導いただいた清心館館長・佐原文東先生と、特殊抜刀の秘訣(腰の遣い方)を口伝くださった剣武天真流宗家・青木宏之先生に、御礼申し上げます。


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チャリティー演武・演奏会「映像」感想

 7月17日のチャリティー演武・演奏会の様子を映した資料映像を出演者特権?で頂戴しまして、改めて観たので感想を書いてみたいと思います。

 当日は、ほびっと村の講座と重なったので、私はほとんど観てなかったんですね。

 北島師範・矢嶋師範代は「会場に残って、私の分まで観てきなさい」と言っておいたんですが、やっぱり、観たいですもんね~。

 まず、のっけにやった我々の演武ですが・・・。

 いや~・・・舞台の上で観ていた時は、まあまあ、いいかな?と思ったんですが、改めて観ると、へった糞ですね~・・・。

 他の先生方と比べると、かなりレベルが落ちますね。二人とも刀の振り下ろすスピードがまず遅い。遠慮し過ぎてます。迫力無さ過ぎ!

 そして、抜き付けのスピードも遅い・・・というか、ノロい。

「怪我だけはしないように・・・」と言っておいたのがマズかったか? 練習の時よりかなり遅くなってしまっていましたね。「ぶっ殺す気でいけぇ~っ」って言うべきでした。

 それと、やっぱ、キエエ~イッ!とか、掛け声かけてやらんと、サマにならないですね~。練習しているのとまったく同じでやらせたのは失敗でしたね。

 よくよく観ると、結構、いい感じでやってはいるんですけど、気迫が見えないから迫力が無くって、しょぼく見えてしまうんですよ。

 ちょっと実戦ばっかり考え過ぎてましたよ・・・。

 どういう意味かって?

 実戦を考えたら、気迫出してたら、簡単に察知されてしまうでしょ? だから、うちでは“気迫出さないように”やっているんですよ。必殺仕事人みたいな技が理想。

 でも、うちのやり方は演武で考えたら全部マイナスになってしまいますね。反省!

 次の機会は、もっとインチキ臭い大嘘こいた演武をやろうと思います。

 まあ、思った通り、他の演武が真面目そのもので、私のギャグがちょっとウケてたから、まっ・・・いっかぁ? 次回はもっと大爆笑ギャグを考えて臨まねば・・・(ちが~う! そこじゃな~い!)。


 さて、それでは他の出演者の皆様の批評をば・・・。

 まず、河野智聖先生。整体武道を目指す心道の演武と、河野先生の琵琶演奏・・・。

 本当に多芸多才ですね~。やっぱり芸術家肌なんでしょうね。河野先生は。

 お弟子さん方の演武には、振武舘武術や新体道、合気道、空手などの要素が感じられましたが、河野先生の演武は、野口整体の活元運動から入って行法的な動きや中国武術の柔らかい手法もあり、また杖術の操作が良かったですね~。

 以前、江古田のブッディで拝見した時はヌンチャクや釵なども使われていましたが、得物の操作が自然なところがいいですね。

 今回は、さらに柔らかく自然な動きをされていて、非常に良かったです。

 惜しむらくは・・・“お笑い”が足りないかな~?

 そういうキャラじゃないか? 河野先生が私みたいにギャグばっかり話してたら、ブキミかもね・・・?


 田中光四郎先生と日子流の演武は、DVDと見比べると、ちょっと硬い感じがしましたが、やっぱり、舞台上でやるとなると緊張して、しょうがない面がありますかね?

 光四郎先生は、心身とも70過ぎた人には全然、見えません。

 結婚されたから調子がいいんでしょうね。

 チャリティーとは思えない必殺の気迫で、倒した相手にトドメを入れる鬼のような演武に、会場に座ってたオバちゃんがヒエエッ!とのけぞっていた・・・とか(北島師範の目撃談による)?

 光四郎先生らしい妥協しないところが、むしろ清々しいです。


 さて、剣武天真流!

 どんどん上達していかれているのが判って、これまた良かった。廻刀動作が増えたのかな?と思いましたが、どうでしょう?

 吉田倫子さんが宮本武蔵の二天一流風に大小二刀で自由剣舞を演じたのには、ちょっとビックリ。吉田さんは毎回、意表を衝くチャレンジングな演技で楽しませてくれます。

 剣舞で二刀をやる場合は、小太刀の二刀の方が左右のバランスがとりやすく、実際、以前は小太刀木刀の二刀演技だったと記憶していますが、まさか大小二刀でやるとは思わなかった・・・。

 あれは抜刀はできても納刀が難しいんですよね。小刀を口にくわえて大刀を納めてから小刀を納めるとか殺陣でやるんですが、時代劇では編集でカットを繋いで一瞬で納めているように見せてるみたいですね。

 それと、大井秀岳先生の組み太刀は、まるで鹿島神流の国井先生を想起させるようなハラの据わった身勢で、上半身と下半身は逆にクネクネッと柔らかく、粘るような生ゴムが動いているような感じで、本当に素晴らしい演武でした。

 青木先生が「大井くらいできるようになったヤツはいない」と言っていたのも道理!

 新体道で培った身体が見事に剣と一致しています。重厚な中に鋭さを秘め、それとは反するようにスルスルッと滑るような運足で間合を詰めて相手を誘導していく様子には、青木先生が求めてこられた武の理想が順調に次世代に受け継がれていっていることを予感させていました。

 さてさて、その新体道ですが、今回はいつもの奔放さは抑えて、基本的な動きと技を紹介するという構成にされていた様子です。

 中でも石井さんの棒術での組み棒で、棒が当たっても弾かれたりせずにガシッと張り付くようになるところに、並々ならない技の凄みを感じました。

 棒を打ち合うと、まず大抵は弾かれたり、滑ったりするんです。

 それが、ガシッとかみ合うように当たるというのは、手の内の柔らかさと棒と身体が一致して当たると同時に溶け合うような力の働きがあるということなんですよ。

 実際に打ち合えば、凄く重いズシッとした打ちに感じるでしょうね。

 新体道の武術性は、外形ではなくて、中身にあるんです。

 ここでも大井先生の技の柔らかく相手と同化するような動きには、驚かされました。

 青木先生にそっくりなんですよ。

 楽天会の会員だった方にも何人も会ったことあるんですが、ここまで青木先生に似ている人はいなかったと思います。

 いや、似せようとしても似せられるもんじゃないですからね。

 性格も体能も違えば、技の動きも違うのが当たり前。青木先生とはキャラクターからして全然、違うように思える大井先生の動きがここまで似てくるというのは、恐らく、大井先生が“我(エゴ)”を消しているからでしょうね。

 本当に驚きました・・・。


 演武の感想は以上です。

 演奏に関しては、「凄い!」という言葉以外に出てきません。

 津軽三味線の岡田修さん、シャンソン弾き語りの田中朗さん、そして、エレクトリック・トランペットの近藤等則さん・・・。

 世界レベルのアーティストの演奏は、流石と言うしかないですよ。

 強いて言うなら、大トリだった近藤さんの演奏と青木先生の剣舞のコラボ・・・。

 あの大達人・青木宏之を踊らせようとする近藤等則の演奏のイジワルさ(苦笑)?

 これはもう、演武と演奏の戦いそのものでした。

 近藤さんの刃で挑発するかのような演奏が、必然的に秘術を駆使して戦わざるを得なくなった青木先生の技を引き出していく・・・。

 何か、こっちまで心臓が痛くなってきそうな気がする緊迫感がありました。

 青木先生にとって、近年、稀にみる“気の戦い”だったのではないでしょうか? こんな手ごわい相手は他にいないよな~・・・。

 ところで、青木先生は、今回のチャリティー演武・演奏会を、また引き続いてやっていって、被災地の人達を継続して助けたいといわれていました。

 自分たちの権威性を誇示したいだけの連中にかかわるのは嫌ですが、今回のような趣旨であれば、私共も、微力ながらお役に立てれば・・・と思っています。

 もう少し、カッチョイイ演武ができるように鍛え直したいと思いま~す。

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新『つばさ基地』お披露目

 何か、もうすでに科学特捜隊における平田昭彦演じる博士のような立ち位置にいるかのような錯覚を覚えるくらい、つばさ基地の活動に時々関わっている私ですが、思い出深い大塚から、有楽町線の小竹向原駅近くに移転して、改めてオープンしたという、新・つばさ基地のお披露目のオープニングパーティーに行ってまいりました。

 大塚のつばさ基地も、私は凄く親しみがあって、名残惜しい気持ちもあります。

 どうしてか?というと、何度か定期練習で使わせてもらっているのと、休止していますが映像作品の企画でうかがったり、あるいはクエストさんで出してもらった第二弾のDVD『游心流・武術秘伝の活用』の撮影場所が、ここだったからです。

 決して長いという程でもない5年くらいのお付き合いですが、この間にはうちもいろいろとありましたし、去っていった者もいるし、一時は本気で游心流を解散しようか?と考えたくらいですが、考えてみれば、この期間に私は出版活動を定着させることができて、雨降って地固まる・・・の譬えの通りになりました。

 秋本さんも、どうやら、同じような苦労の連続だったらしく、志しを同じくする仲間であっても、気持ちを持続させていくのは難しいのが世の常ですよね。

 ましてや、社長という立場であれば、私の何倍、いやいや、何十倍も大変だったろうと思いますよ。

 それにしても、今回の移転先の新・つばさ基地。もともとは配送センターの倉庫だったらしく、格闘技団体の道場を想わせます。

 とにかく、天井の高さが6mってのは凄い! トランポリンも練習できるみたい。

 ここを借りるのに金銭的にも大分、無理をしたらしいですが、隊員(会員のことをつばさ基地では隊員と呼ぶそうな)にレベルの高いトレーニングをさせるためには、どうしても必要だと考えたんだそうです。

 必要だったら、とにかくやる!という、その姿勢の男前さ。今、日本を支えているのは大和なでしこの力だよな~・・・と、つくづく実感・・・。


 え~、オープニングパーティーはお盆の8月16日。お昼の1時から神主さんに祝詞をあげてもらって安全と繁栄の祈願。

 私は東京支部のキャプテンを勤めるK塚さんと10分前に駅で待ち合わせして行きましたが、道を間違えてちょっと迷いました。初めての方は余裕をもって地図を片手に行ってみるといいでしょう。

 ちなみに、高瀬先生の殺陣講座に通っているK塚さんですが、何と!その高瀬先生と駅で出くわしたそうで、「へえ~、アクション監督の大御所がわざわざお祝いに駆けつけるなんて・・・」と、改めて高瀬先生の義理がたさと、若手で活躍している人を応援する器の大きさに感嘆させられましたよ。

 ただ、高瀬先生はお祝いを持ってきて、その後は仕事に直行されたらしく、それはそれで、仕事で忙しい中を、わざわざお祝いを渡すためだけに駆けつけられたということですから、なおさら、仁義に篤い人なんだな~と・・・。

 式も終わり、つばさ基地の講師、スタッフの紹介では、自己紹介と同時に、バク転、バク宙、連続アクロバットのパフォーマンスに唸ってしまいます。

 スゲーよ! 滞空時間と高さがハンパないっスよ。

 アクションクラブ数々あれど、アクロバットアクションに関しては日本で一、二を争う水準なんじゃないでしょうか?

 私みたいに運動音痴な人間から見ると、神業に見えます。『龍の忍者』のオープニング思い出したよ。「つばさ基地でニンジャ映画作ってハリウッドに売り込んだらいいだろうな~」と思います。いや、マジで・・・。

 秋本さんから「来賓で挨拶してください」ということで私も喋ったんですが、実は夜通し原稿直ししていて脳の疲労がピークに達していたので、何をしゃべったのか一切、記憶にござんせん・・・スマン!

 ただし、お祝いに“ポンプアクション式ソウドオフ・ショットガン”のエアガン持っていくのと、写真が載ってた『秘伝』と演武・演奏会のプログラムは忘れずに持っていっていたので、お見せしましたよ。

 プレゼントに模擬刀やガスガンなどの“武器”ばっかり贈ってる私は、はた目ではどういう人間に見えるんでしょうか?

 秋本さんからは、「紹介したい人がいます」とのことで、香港カンフー映画の配給などもやっていたプロデューサーの方とか御紹介いただいたんですが、この方がもぉぉ~、すんごいディープなカンフー映画の裏話(真実の“裏”話・・・)を聞かせてくださいまして、嬉しくなって、私もついうっかり、そういう“裏”話を口走ってしまうと、「えっ? 何で、そのこと知ってるんですか?」と、真剣に聞かれてしまいました。

“あっ、マズイ。これは、そっち系の人間だと勘違いされるかもしれん”と思って、武術関係の知り合いから聞いた話だということを御説明しました。

 ふぅ~っ、ヤバイヤバイ。そっち系の人間だと思われちゃうところだったよ・・・。


 新刊本の原稿直しがなかなか進んでいないので、1時間半くらいで帰りましたけど、大きく広くなった、つばさ基地。それだけ夢も大きく広がっていく予感がありました。

 新・つばさ基地と、つばさプロジェクトの、益々の発展と躍進を確信しております。

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田中光四郎『日子流小太刀伝授』

 クエストさんから田中光四郎先生の日子流の第三弾DVDが出ました。

 前二作も見ていたんですが、「これは、下手に真似して大怪我する人が出るんじゃないか?」と思って、敢えて御紹介、推薦することは遠慮していました。

 田中光四郎先生が不二流体術の宗家だった頃からお付き合いさせていただき、もう、十数年は経過しますけれど、不二流を離れて日子流を新たに立ち上げた経緯について聞く限り、いろいろと思うところがあって、敢えて距離を取っていたというのが、偽らざる本心です。

 私自身も同時期に分裂騒動を体験しました。

 組織としての活動を図る場合、複数の人間のいろいろな思惑が交錯します。主宰者の考えから離れていくのは避けられないのでしょう。

 人それぞれ自分が正しいと思って行動するのが常ですから、単純にその是非を論じても意味がありません。

 正直いって、私は田中先生にも至らない問題点はあっただろうと思っています。

 何故、そう思うかというと、私も田中先生とお付き合いしている中で、「光四郎先生も泥酔するとカラミ酒で困っちゃうな~、もう~(苦笑)」と思ったことも二度や三度ではありませんでしたし、私自身も自分の会で問題が起こった時に、「あ~、もうちょっと何とかできなかったかな~?」と反省するのが常だったからです。

 だから、今現在、不二流を担ってらっしゃる方々にも言い分はあるでしょう。

 先日のチャリティー演武・演奏会の時に光四郎先生とお話している時に、「私は喧嘩屋だ。喧嘩屋を仕込むことしかできない・・・」みたいなことをおっしゃっていたと記憶しているんですが(スイマセン。酔ってたから正確かどうか不明です)、その時に「そうですね~。師匠にまで喧嘩売っちゃうんですからね~」って、ギャグのつもりで言ったんですけど、何かイヤミになっちゃいましたかね~。光四郎先生、ごめんなさいっ!


 私が武道・武術関係者と一定の距離を置いているのは、「深く付き合うと喧嘩になる」
という観念があるからですし、それは尊敬する師範であれば尚更、崩れた部分は見たくないと思うからなんですよ。

 どんな達人であっても、いや、達人であればある程、精神の中に狂気の部分を濃く持っているものです。

 考えてみてください。拳で殴ったり蹴ったり、投げ飛ばしたり、首を絞めたり、あまつさえ日本刀でぶった斬る練習を冗談抜きで真剣にやるんですよ?

 まともな神経であろう筈がないでしょう?

 武術を修行する者は、人間の根源的な動物本能が強いからこそ、それを制御しようとして学ぶ側面があると私は思っています。

 その点で、田中光四郎先生は典型的な武術家なんですよ。

 人並み外れた物凄い戦闘意欲(動物本能)を、苛酷な修行で制御し続けて生きてきた人物だと私は思っています。

 ぶっちゃけた話。獣のように生き死にに直結した戦いをしたいという欲求があって、それを人としての倫理観で押さえ付けるのに修行せざるを得なかった人だと思います。

 おとなしく市民として普通に生きていくのに苦痛を感じてしまうのでしょう。

 しかし、無頼なだけの人ではなく、「人が人として人らしく生きていくのはどういうことか?」と常に考える知性の人でもあります。

 私が最初に光四郎先生にお会いした時に、まず感じたのが、「非常に理知的な人だな」ということでした。

 自ら工夫された武術技法も、極めて緻密に組み立てられたものでした。決して感覚的に他流を寄せ集めしたものではありません。

 極めて実戦に即した縮地法・交叉法・体捌き・崩し・打拳・・・などを有機的に組み上げて形作られていました。

 また、戦闘理論を極めてシンプルにまとめられている点にも驚きました。

「こうやって敵を潰す」という方程式を明確に持っていらっしゃったのです。

 そこから逆算した稽古法を体系化されている点にも、極めて理知的な才能を感じさせました。

 普通、既存の流派を学んでも自分なりのものを作り上げられる人は滅多にいません。

 例えば、私なんかはそういう能力は致命的に欠けていて、だからこそ、できるだけ多くの他流のデータを集めて、組み合わせていくしかできませんでした。よって、オリジナルのものはほとんど無いに等しいのです。

 しかし、光四郎先生はそれをやってのけていたのです。正しく天才です。

 そうですね~。こういう先例は、青木先生が新体道を創始したくらいしかないんじゃないでしょうか?

 私が学んだ小林先生も、稽古内容は嫡流真伝中国正派拳法と太氣至誠拳法そのままであり、練習法の工夫はしても、練習内容そのものに手を加えたりはしていませんでした。

 甲野善紀氏の技なんて、合気道・鹿島神流・駒川改心流・民弥流・大東流等からパクッてアレンジしていますから、本人が主張するようなオリジナリティーは全然ありません。

 最近、DVDで観た『護道』も、原理的には上原清吉先生の本部御殿手から採り入れられているのでしょう。以前に「躰全道」と名乗られていた頃に本で見たやり方とは根本から変えられているのではないか?と思えました。

 そもそも、古武術であっても、長く伝統が続く間に風俗習慣が変化するのに併せて微妙に変化しているものです。

 戦国期の抜刀術が太刀の操法であり、打刀を刃を上にして帯に差すようになってから根本的に変革されたように、甲冑武術から素肌武術となり、さらに明治以降の生活習慣の変化によって正座による抜きが一般化していったように・・・。

 伝統文化がどうこうと論じるのなら、そういった時代の変遷による変化も考慮しないと嘘になってしまいます。


 さて、それで『日子流小太刀伝授』ですが、私は、本当に最近、稀に見る優れた内容であると思いました。

 見事!の一言。

 前作の小太刀、護身術では、まだお弟子さん方がこなれていませんでしたが、今回は、光四郎先生が日子流を興す切っ掛けとなった木村真実さんの上達ぶりに本当に驚かされました。

 まだ、運足などに甘いところは残っていますが、もう以前とは別人のように気迫も澄んで集中し、鋭い攻撃にも迷いがありません。

 よくぞ、短期間でここまで育てられた・・・と、私は改めて光四郎先生の素晴らしさに気づかされました。単なる酔っ払い爺いじゃないな~・・・と、感動しました。

 しかし、光四郎先生の指導を真正面から受け止めて精進されたであろう木村真実さんも、見上げた根性だと思います。

 光四郎先生御自身も、無駄な力みが抜けて、過去最高の出来ではないでしょうか? 齢七十を超えた人間の動きだろうか?という驚きを感じます。


 これは、是非とも、うちの会員にも見せて(買わせて)、性根を据えて修行すべし!というべきだな~と思いました。

 武術の実戦を考えるすべての人に見てもらいたいDVDであると、今回は自信をもって大推薦させていただきます!

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言葉の話

 矢嶋師範代の東京支部のブログ、なかなか茶目っ気があって面白いんですが、「あれっ、誤字かな?」と思ったりすることがありました。

 どうも、繰り返し書いているので誤字じゃなくて勘違い?してるみたいですね。少なくとも、言葉の意味をちゃんと考えていたら、間違わない筈ですが・・・。

 最近の彼は、練習後に「用事がありますから・・・」とすぐ帰ってしまうので、こういう細かいことはきちんと教えられていませんし、いい機会なので、読者の皆さんにも考えてもらいたいので、ここに書いてみます。

 游心流で初級・中級の二人組んでの約束一本組手型の稽古法は、「対錬(対練)」と名付けているんですが、彼はこれを繰り返し「体練」と書いていまして、これじゃ~、「基礎練(錬)体」と意味が同じになってしまうんです。

 何でもないことのように思われるかもしれませんが、こういう間違いは、稽古している内容の意味をちゃんと理解していないから、間違いに気づかないのですね。

 彼の一番の問題点は、相手をちゃんと観察していないということです。自分勝手に技を出したりスピードで翻弄してやろうという小手先の“動き”に頼り切ってしまっている。

 だから、格闘技時代の戦い方になってしまったり、構える瞬間に相手の目前で目をつぶってしまったりする癖が抜けない。

「対」じゃなくて「体」と書いてしまう理由がここに顕在化しています。要は、彼は「対」の文字に潜在している術の理合を見落としてしまっている。だから、言葉を無頓着に用いてしまうのです。

「体練」と書いたら、「体を練る」という意味にしかなりません。筋トレと変わらなくなってしまうんですよ。体の操作が上手くなれば技も上手くなると勘違いしているのかも?

「対錬」というのは、「相対訓練」という意味であり、二人で技を出し合って、基本的な攻防原理(間合・拍子を読む)を体得するのが目的です。

 基本技と戦闘理論の訓練なのであって、“身体の動きを練る練習ではありません”。

 どうも、「武術は身体操作法である」という浅薄な論に影響されている面があるみたいで、うちの会員さん達も、私が、「身体の動きなんかどうでもいい。ただ脱力しさえすればいいんだ」と思っている点を、まだ理解していないみたいですね~。

 どうも、彼に限らず、他の会員も「身体を練り込んで自由自在に動けるようにすればいいのだ」と思ってるみたいですが、実際の勝負はそんな簡単なもんじゃないんです。

 身体をどうやって動かすか?じゃなくて、まず“脱力”すること。徹底して脱力することに固執しなきゃダメです。

 脱力することの意味は、身体を水のように、さらに煙のように用いて、相手の攻撃のパワーを作用させなくするのが目的です。

 身体の動きでやろうとしても、どんなに柔らかく動こうとしても、力が入って硬くなっている箇所に当たれば力が作用してしまいます。絶対に力で受けてはいけない!

 わずかでも力で受ければ、そのまま相手のペースになってしまう。知らぬ間に力対力でやり合ってしまう。

 未熟なうちの勝負となったら、それも仕方がない面はありますが、稽古でそれをやったら全てがオジャンです。稽古は徹底的に相手の攻撃にぶつからないように訓練しなければなりません。

 それ以外に、最高度の武術の戦闘理論を体得する道は開かれません。目標は相手の攻撃を完全に無力化すること。それが游心流の目指す武術の戦闘理論なのです。

 だから、絶対に脱力が必要不可欠なのです。

 何万回でもいいます! 脱力ができなければ、どんなに自在に中国雑技団員やヨーガ行者のように身体を動かせてもダメです!

 考えてみてください。私自身、現在、身体そのものを鍛える練習はまったくやっていません。何でやらないか?というと無益だと思ってるからですよ。下手に鍛えると力む癖をつけて、ついつい相手の攻撃に対抗してしまう。

“体練”は初級のうちにやるものであり、中級以上は戦術訓練が主でなければなりませんから、より“対錬”を重視し、内容を深めていかなければなりません。漫然と形を繰り返していても何にもなりません。

 真にリラックスして自然に動くには、“自分の肉体を無いものだ”と思うことです。

 例えば、居合の練習だって、いかに力を抜いたまま刀を操作するか?がテーマなので、取り落とすギリギリまで力を抜いて、尚且つ、刃筋を徹すというのが訓練の目的です。

 極論したら、刀が勝手に抜かれて、勝手に斬って、勝手に納まる。アレッ?と思ったら刀持った相手の首が胴体から離れて勝手に転がってて、自分がいつ斬ったのか丸で自覚がない・・・そういう“無想剣”の境地を目指しているんですよ。

 日本刀を使う場合は、刀の機能をいかに引き出すか?が重要であって、我力を込めれば込める程、刀の機能は潰されていってしまう・・・。それが日本刀という武器の性質なんですね。これは、私が数十振りの刀を使い比べて得た“刀法の理”です。

 刀は一振り一振り、全部違うんです。その刀の性質を理解して使わないと本領を発揮できません。

 これは勝負と同じ。パッと対面して相手の戦力や戦闘法、身体の癖、思考の癖などを外見や話し方、動きの特徴などから読み取らないといけません。無論、読み取ったと同時に制圧法を瞬時に組み上げるスパコンのような戦略思考能力を磨かないといけません。

 そういう“脳の訓練”を日頃から習慣化することで、処理速度が上がっていき、ついにはパッと観ただけで制圧法が勝手に身体に指令される・・・というのが達人の秘密です。

「身体を練ることは、まったく必要ない」と言うつもりはありませんが、中級以上の修行者は身体訓練をする以上に、“考え方の訓練”をしなきゃいけません。ベテランが初級者と同じように肉体に頼ってはいけません。

 一般に武道“修業者”は、「無念無想で黙って身体を動かせば良し!」という勘違いをしている人が多過ぎます。

 10代20代から30代半ばくらいまでの人なら、相応の身体訓練をすべきだと思いますが、それ以降の人間は、もっと頭を使って効率的な稽古をする必要があります。でないと進歩は止まって、若い人にどんどん追い越されてしまいます。

 中年過ぎても若い頃と同じ内容の練習をするのは、単なるトレーニング中毒であって、はっきり言って自己満足の無駄そのものです。だから進歩しなくなるのです。

 武術の場合、技や稽古法、理合等々には名称が付いているものですが、その名称の中に本質が隠されていたりするんですね。

 例えば、「胴着(胴衣)」と書いたりするのも、「いや、こう書いていいのかな?」と考えなきゃ~、いけません。武術を修行する者ならば、「道着(衣)」と書かなければおかしいでしょう?

 私の本やブログを読んでる人は、私が同じ意味の漢字をわざわざ書き分けていたりするのに気づかれたのではないでしょうか?

「わかる」を「判る」「解る」と書き分けていたり、「いう」を「言う」「謂う」「云う」と書いたり、「みる」を「見る」「観る」「診る」と書いたり・・・。

 私は、「修業」とは書かずに「修行」と書いていますが、この言葉一つだけで私が目指す方向が“判ります”よ。

「技(業)を修める」のではなく、「“行”を修める」ということ。

 退会を申し出てきた人でも、手紙できちんと挨拶してくる人には怒りませんが、グダグダと恨みがましいことをメールで書いてきた人には激怒したりしていますね?

 文句を直接、面と向かって言われたら、むしろ怒らないですよ。自分が逃げられる安全な場所で一方的に文句を言って言葉の責任を取らない“卑劣さ”に怒っているのです。

 これなんか、私が“修業”じゃなくて“修行”を目指しているから激怒する訳です。文句があるなら、直接、私に会って文句言うのが“筋”。怖くて言えないなら、一生、黙ってればいい。一方的に文句を書いたりするのは相手を貶めて自尊心を満足させたいだけの卑屈な精神が透けています。

 そういう「やり方がおかしい」と思ったから怒ってる訳ですね。

“筋違いな行いをして恥じない者”を、私は心の底から軽蔑します!

 即ち、「武術を修行することは生き方の問題」だと考えているから、わざわざ「修行」と書いているのですね。

「一般の人は武術を楽しみたいと思っているだけだから、長野先生の言うような人は集まりませんよ」と、結果的に破門にした以前の師範代たちは言っていましたが、「この腐れ外道どもっ!」と、私は内心では猛烈に腹を立てていました。

「人を殺せる技を練習して何が楽しいのか? おのれらはキチガイか?」と思いました。

 確かに、一般の武道は既に実質的に競技スポーツとなっていますから、楽しんでやっても構わないでしょう。別に人を殺す技を磨こうとしているのではありませんし、スポーツはスポーツとして価値があります。

 武術に関しても、サークル・ノリで楽しみたい人達を否定するつもりはありませんし、講座やセミナーに参加する人に私の考えを押し付けるつもりも毛頭ありません。

 しかし、武術を真剣に学びたいと考えている人には、「武術は何のために人を殺せる技を練習するのか?」といった命題についても、しっかりと考えていってもらいたい。こういうことは技の修練なんかの何千倍何万倍も大切なことです。

 私自身の考えは、「極限状況を生き残る決意と覚悟を養うために武術修行は役立つものであり、それを目指して学ばねば無価値」というものです。

 技の練度が上がれば上がる程、人の生き死にについて考えるようにならなきゃ、単なるバイオレンスマシーンの養成をしているだけになってしまいますよ。

 本気で真の殺傷力を持つ武術を極めようと思ったら、絶対に社会性を失わないように心を正していかなきゃいけない。単なる道徳観をいっているのではなく、“自分が身を滅ぼさないため”です。

 まず、自己の防衛。次に家族や友人の防衛。さらに無関係な人をも助けられること。そして、国、人類へと考えが広がっていかなければ、武術学んでも無意味でしょう?

 自分の強さを誇りたいだけで武術をやりたがるようなウツケ者が多過ぎる! だから武術が世の中に評価されないのですよ。

 私は、権力に迎合せずに世の中の問題に立ち向かって解決していけるような気骨のある人間を育てたい。そのために武術を研究し役立てたい。自己満足で趣味を楽しみたいだけの阿呆に教えるのは私にとっては時間の無駄です。

 例えば、日本の総理大臣が武術の達人でサムライ・スピリットの持ち主だったら、世界のどこの国からも尊敬されるようになりますよ。私はそんな世界に誇れる日本人を育てたい。そういう志しの高い人を游心流は大歓迎しますよ。

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8月セミナー『交叉法2~差し手と推手~』感想

 一年のうち、最も糞暑い時期の7・8月の月例セミナーは、毎年、中ダルミ気味なんですが、今年は暑い中も熱く開催しましたよ。

 さて、8月は、先月に続いての交叉法で、テーマは“差し手と推手”です。

 推手は太極拳や意拳でもポピュラーな稽古法であり、内家拳の接近密着戦法の要になる重要な技法なんですが、やっている人達にとって最も疑問に思うのは、「離れたところから高速で突いてくる相手をどうやって接近密着戦法にもちこめるのか?」ということでしょう。

 事実、多くの内家拳修行者が、まともに戦うと理論通りに接近密着して戦うことができずにボクサーに殴り倒され、空手家に突き倒され、キックボクサーに蹴り飛ばされて、一方的にボコボコにされて負けてしまった・・・という逸話ばかりが多いものです。

 私自身、「実際に素早く動き回りながら攻撃してくる相手に接近密着戦法なんて絵に描いた餅でしかない」と若い頃は思っていましたし、「中国拳法・古武術・合気武道みたいに型しか練習しない流儀は実戦には通用しない」と馬鹿にしていました。

 なので、推手も、「最初っから接触して戦う練習したって意味ないよ。合気揚げやって喜んでるパープリン連中と一緒じゃ~ん?」と小馬鹿にしていました。

 けれども、その後、紆余曲折あって、“差し手”の技法を研究しているうちに、「あれっ? ひょっとして、この技法と組み合わせたら、推手も真価を発揮できるんじゃないか?」と直感したのが40歳過ぎた頃でしたかね~?

 交叉法の研究していても自由組手になると、なかなか理論通りにやれるものではないと思いましたね。実際、ランダムに殴り合うのに一撃目でカウンター合わせるのは難しいんですよ。打撃だけの交叉法では勝てないと思って、歩法の研究をしたのも、交叉法の弱点を補完するためでした。

 特に分裂騒動で人を指導するのに嫌気がさして、もう辞めてしまおうか?とさえ思っていた時期に、「僕らは長野先生に教えてもらいたいんです」と残って会を支えてくれた会員三人(それぞれ現在は支部・同好会を預かっている游心流の指導員に育ちました)と公園で練習するようになり、そこに大石教練が参加してからは、この“差し手”と“推手”が融合してきて、游心流の母体となる戦闘法のパターンが自然に組み上がってきました。

 だから、理論に実技が重なってきたのも、ここ3~4年なんですよ。それまでは理論倒れとまでは言いませんが、実技が追いついていなかったですね。

 で、現時点では、差し手と推手を駆使することによって、接近密着戦を旨とする内家拳の戦闘理論を実用的に実現できると確信できるようになりました。

 無論、ここまで到達するのに、どれだけ大変な研究を重ねてきたか?

 うちの場合、圧倒的に他流経験者が来る場合が多いので、疑問のある人を納得させられなければいけない訳で、それはつまり、腕試ししてきた者を制圧して見せなきゃいけない訳です。

 そういう点で、おとなしく従ってくれる人ばかりとは限りませんから、「練習中にわざと本気で攻撃して腕試ししてくるようなヤツもいるから、その時は構わないから寸勁ぶち込んでいいよ。なめた態度取るヤツには絶対に遠慮しちゃダメだ。相手に怪我させないように・・・なんて考えて遠慮して受けてやったりしたら、図に乗って悪口言いふらすからね。俺も甘い対処して失敗したことあるから、今はなめたヤツは手足の一本も叩き折ってやると決意しているよ。その方が相手にとっても薬になるよ」と、指導員クラスの会員にはきつく言い聞かせています。

 うちの会員さんは性格が優し過ぎるので、つけこまれるとマズイですからね。

 武術は“性悪説”が大前提です。どんな人間にも悪の面があるという考えで、安易に他人を信用してはいけないという考え方が基本です。

 実際、親切めかして近づいてきた人が、突然、敵意を剥き出して豹変したことが何度も何度もありましたし、2ちゃんねるとかでうちの悪口書き込んでいる人間の中にも元会員がいることも判っています。

 自身の姓名を明らかにして堂々と批判するのなら話は別です。が、匿名で影に隠れて誹謗中傷を繰り返したりするような人間は、自分の都合の悪いことを隠して一方的に人を恨みたがるのが特徴みたいです。

 そんな心に闇を抱えた人間は、自分の内部の悪意を肥大させていき、やがては自滅してしまうのがこの世の中の理法というものです。

 私の名を騙って周囲の人に嫌がらせして、私がやっているように思わせて警察に訴えた人さえいますよ。やり方が異常でしたね~。こっちが先に地元警察に届け出ていたので助かりましたが、弁護士に相談して告訴しようかどうかと考えていたところ、嘘がバレてしまったとか仕事を切られてしまった・・・といった話を聞いて、哀れに思ってやめておきましたが、自分のことは棚に上げて一方的に人を恨み世を呪うタイプの人間はいるものです。

 反対に、苦しい境遇にいても常に感謝の気持ちを持っていると、不思議なもので知らない人から支えてもらったり助けてもらったりするんですね。

 人間の意識は世の中の流れに繋がっているんだな~と、よく思いますよ。

 やたらにイジメを受けたり、悲惨な人生を送っている人は、自分自身の心を見つめ直してみたらいいでしょう。不幸な状況というのは、必ず、自分で招き寄せているのです。

 だから、人を呪わば穴二つというのは本当のことです。呪う気持ちは必ず自分に返ってくるんですよ。

 最近、青木先生が、2ちゃんねるであまりにも私が悪く書かれているのを心配されて、葉書や電話で削除依頼のアドバイスをしてくださったのですが、私自身、これまで甲野善紀氏や高岡英夫氏や宇城憲治氏や木村達夫氏等を罵詈雑言で非難しまくってきています。

 ですから、彼らのファンの反感を買って誹謗中傷されるのは当たり前のことだと思っていますし、因果応報だと弁えています。

 けれども、私が批判しなければ彼らの問題点は誰も指摘せず、彼らが権威者として崇め奉られていくことで武術文化がどれだけ歪められて世間に普及してしまうだろうか?と考えると、やはり、自分が傷つかないでいればいいという考えにはなれませんでした。

 つまり、誹謗中傷、毀誉褒貶は研究家として本望だと思っているのです。

 もっとも、武道雑誌の編集者には私を敵視している人も少なくないらしく、まさかそこまでとは思っておらず唖然となってしまったのですが、「長野さんの関係者は採り上げない」とのことで、私がお世話になった先生の取材が取りやめになったという話を聞き、慌てて陳情の手紙を書いたこともあります。

 返事がなかったので、直接、訪ねて直談判しようか?と思っていたのですが、先入観で凝り固まっている人には「あいつ、殴り込みに来たな?」と勘違いされるかも?と思えたので、やめておきました。

 私のせいで取材が取りやめになってしまった先生にも電話でお詫びしておきましたが、「気にする必要はないよ。こういうのは縁だから」と逆に慰めていただきましたけれど、本当に、自分が覚悟してやってきたことながら、お世話になった人に御迷惑をお掛けしてしまったのは、ただただ心苦しい限りでしたよ。

 10年ちょっと前くらいは、武道雑誌の編集者は、私が意見を言っても取り合わず、トラブルメイカー扱いしていたものです。無名で実績が無いと当然なんでしょうね。

 でも、そういう無礼な対応をされたお陰で、「こいつら、今に見てろよ! 俺が正しいことを俺自身が証明してやる」と、私自身が頑張れたので、そういう対応をしてもらって良かったのかもな~?と思っています。

 今現在はちっとも恨む気持ちはありませんよ。出版業界が不況で、どこも、「いつ仕事が無くなるか判らない」という不安を抱えていらっしゃるでしょう。

 武道誌なんかも書店で見かけることが激減してしまっていますから、「あ~、俺は自分で本書いていられるし、DVDも三つも出してもらえたから恵まれてるよな~」と思いますね。

 でもね~、私が武道マスコミで嫌われるのは一向に構わない(自分で本書くようになってから年収がライター時代の十倍になりましたよ。それでも普通のサラリーマン程度だけど、独身だから趣味に金かけられます)のですが、私の関係者に風評被害が及ぶのは防がねばなりません。そういう意味で、2ちゃんねるに関して削除依頼も現在検討中です。

 私は読まないから知らないんですが、とにかく酷いらしいですね~。本当に精神疾患の人達が書き込みしているみたいです。

 あ~、そういえば、今月号の『秘伝』で、先月のチャリティー演武・演奏会の報告記事が掲載してあり、何と! 私と北島師範の演武写真も載っていました。

 まあ、名前くらいは載せてくれるかな~?とは思っていましたが、まさか写真付きとは驚きました。いや~、今では日本唯一の武術専門誌となってしまっている『秘伝』に載せていただけるとは光栄ですね~。

・・・っつーか・・・よくまあ、こんなバッチシ、タイミング合わせて撮ったな~? 流石、塩沢副編集長。プロフェッショナルですね~。本当に、ありがとうございます!

 それと、東口社長も、私ごときを載せるのを許してくださって、ありがとうございます! 松田先生の新刊、即、買わせていただきましたよ~。

 でもやっぱり、これは青木先生のお陰ですね。ありがとうございます!

 んっ?・・・アレッ? 河野先生と光四郎先生と青木先生の写真はあるけど・・・えっ? 新体道と剣武天真流の写真がなぁぁ~い! オイオイ、塩沢さぁ~ん・・・。


 さてさて、本題に戻りま~す。

 今回のセミナーは、一年二年三年と続けて受講されている人達の上達っぷりには、感動的なものがありましたよ!

 正直いって、差し手は凄~く、難しいんですよ。素人がいきなりできるような技術じゃないんです。

 だから、最初に構えている相手の腕に差し手する方法からやってもらって、それで慣れてから、本格的な差し手の基本技術に移ったんですが、この方法が良かったみたいで、割りと皆さん、上手にこなしていました。

 それで、「これなら教えても大丈夫そうだな」と思って、前蹴りを差し手で制するやり方もやってみました。

 これって、太気拳では高等戦術なんですよ~。

 私も結構、長いことかかってコツを分析しましたね。

 下手にやったら指とか腕とか怪我する危険性がありますからね~。

 でも、ちょっとコツを教えたら、高校生会員のNさんが、何と私よりも上手にできるようになっちゃって、口アングリ・・・。

「こいつ、リアル刃牙かよぉっ?」って思いましたよ。

 世の中、天才というのはいるんですねぇ~、いるんですよぉ~(稲川淳二?)。

 あっ、そういえば、『ツマヌダ格闘街』の作者の方って、自分では修行しておらず本の知識だけで描いている?んだそうで、「ウソ~? マジっすか?」って思いましたよ。

 もし、本当にそうなんだったら、断言しますが、“超・天才”! 実際に武術学んだら確実に達人になれます!(私が教えたら・・・という前提なので悪しからず)

 いや~、プロの漫画家の卓越した才能の凄さというのには、本当にビビっちゃいますよね~。

 でも、やっぱり、描ける人と描けない人に分かれるのかもしれない。坂丘先生のように自身が空手家でいろんな武道武術の師範に直に会える境遇でないと描けない攻防の絵というものがあるし、それも含めてセンスの問題もあると思うけど・・・。


 あっ、も~一つ、そういえば、『るろうに剣心』のアクション担当は谷垣監督なんだそうです! あ~、良かったぁ~・・・あの作品は従来のチャンバラの殺陣だけではダメだろうし、かといって派手なアクションだけでも軽くなっちゃってダメだろうし、いろいろ難しい面があると思っていたんですが、谷垣監督なら絶対に間違いのないアクションになるでしょう。

 これで出来上がりを不安に思う必要はなくなりました。後は劇場公開を楽しみに待っていればいいでしょう。「日本のワンチャイ・シリーズに・・・」と言ったという大友監督の目指す方向性もバッチリだと思います・・・っていうか、一本だけで終わらずシリーズ化するのなら、尚更、期待大ですね。

 神谷薫は武井咲。あ~、なるほどっ! これは期待できそうですね。

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8月セミナー『交叉法2~差し手と推手~』

 夏真っ盛りの8月の月例セミナーは、交叉法のより具体的な技法展開である、“差し手と推手”についてがテーマです。

“差し手”は、太気拳で用いられる用語ですが、太気拳一門では極めて難度の高い技術とされています。

 しかし、私は拳法系の研究をしていて、「差し手を応用していくことで、かなり汎用性の高い戦闘法になるのでは?」と直感的に思って、以後、游心流の戦闘理論上の要となる技法と位置付けています。

 例えば、大石教練は、「僕は差し手が無かったら、失礼ですが游心流には入らなかったです」と言っていました。

 つまり、彼にとっては目付けや歩法よりも差し手が根本的な技法に思えたようです。

 どうしてか?というと、差し手が駆使できれば、空手の型や中国武術、合気道、あるいは武器に応用すれば剣術や杖術など、大抵の武術に応用でき、また、大抵の打撃格闘技や武道の技を“構造的に破る招法”となるからです。

 もっとも、私が最初に研究しはじめた時は、そこまで普遍性のある技法だとは認識していませんでした。

 事実、游心流を名乗った12年前には、ほとんど自覚的にやってはおらず、技の一つと認識していました。

 本格的に研究し始めたのは、分裂騒動があった後に日曜日に公園で教えるようになってから・・・だったでしょうか?

 それまでは、やはり技の一つという認識のほうが強かったんですが、薄々、いろいろ応用が利きそうだという印象はありました。

 つまり、公園で教えるようになって、武器術を教えられなくなってしまったので、素手でいろんな技を教えているうちに、差し手の重要性に気づくようになり、それが“差し手から展開する戦闘法”として認識されるようになっていったのです。

 私のイメージとしては、小林直樹先生と岩間統正先生の太気拳流の差し手からの招法戦術と、賢友流宗家・友寄隆一郎先生の形意拳の掌法に多大なヒントを受けた結果だと思っています。

 なので、「これは太気拳に限らず、形意拳・通背拳・八卦掌・空手等々に原理的に共通するんじゃないか?」と考えて、いろいろ工夫し始めたんですね。

 一つには、“推手”の練習法が、「確かに接触してからの崩しが使えれば、推手技法も打撃格闘技を破るのに有効なんだけどな~。あのスピードでバシバシ飛んでくるパンチには使えないよな~・・・」という残念感があって、岩間先生が“瞬間推手”と呼んでおられた、瞬間的に交叉した腕で崩しをかける技法を見て、「あ~、差し手がきっちりできさえすれば、推手が使えるな~」と思ってはいたんです。

 確かに、差し手の技術は、一朝一夕に体得できるものではありません。

 自由組手で使うとか、ボクシングのような速いパンチに使うのは至難でしょう。

 しかし、難しいから・・・と諦めてしまったら、技の進化は止まります。

 我々は、毎週毎週、差し手の稽古を繰り返しました。

 最初は無構えで。慣れてきたら、いろんな構えから・・・。

 上から差す・下から差す・外から差す・内から差す・・・さらに、差すと同時に発勁したり、差すと同時に合気で崩したり・・・といったことを試していきました。

 数年続けて、なんとかかんとか、技として実用できるレベルになってきたかな~?という感じですが、これも差し手だけに頼ってしまっては失敗した時に自滅してしまいますからね・・・。

 正直、差し手は教えても簡単には体得できないと思います。

 しかし、差し手を知ることによって武術の戦闘法がガラッと様変わりして理解できるようになるのは、なかなか感動的なものがあると思います。

 例えば、差し手を知ることで空手の戦闘理論が明確に理解できるようになります。それによって空手の型の意味するところも自然に洞察できるようになります。

 これは、剣術などの武器にも応用できます。

 実際、私は差し手を応用していろんな剣術を研究していますし、差し手の技法原理には一刀流の切り落としを参考にしてもいます。

 今回は“通”の人には喜んでいただける内容だと思います。

PS;『游心流武術の戦闘理論~読み・歩法・交叉法~』は、7月より30000円に値上げしておりますが、セミナー参加される方には当初の20000円で販売継続することにしておりますので、宜しくお願い致します。それから、游心流会員の方には20000円でお売り致しますので、注文の時に申し出てください(長く来ていない人だと会員かどうか事務局で判らない場合がございますので、必ず自己申告してください)。

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游心流に於ける基本技

「基本技(突きや蹴り、受け技、移動基本、受け身等々)の個別練習はしないのですか?」と、横浜同好会に参加されている他流経験の新入会員の方から質問されたと横浜同好会の主催者から報告されました。

 この方には、最初に会った時に基本技についての私の考え方をお話したつもりだったんですが、同じ質問を何度かされていたらしいので、よく理解されていないのでしょう。

 それで、“游心流に於ける基本技”について、多少、解説しておきたいと思います。

 まず、私は、ものすごく基本を大切だと考えている人間であるという点を御理解ください。

 もし、基本技の練習をやらせるとしたら、正拳突き一万本とか、前蹴り三千本とか、そのくらい延々とやるべきだと考えています。

 ただし、こんなに数練習をすると、一時間二時間ぶっ通しでやってヘトヘトになって練習時間が終わってしまうでしょう。

 つまり、何が言いたいのか?と申しますと、「基本技の練習は各自が自宅で毎日練習すればいい。道場は基本技を練習する場ではない」ということです。

 けれども、游心流では、あらゆる流儀の基本技練習を劇的にレベルアップさせる練習をやっています。

 それが、“基礎錬体”です。

 他流経験者は意味が解らず、どれだけ重要性を強調しても熱心に取り組まない人もいるのですが、最初に指導する、スワイショウ・立禅・三元試力、そして丹田歩法・這い・練り等の歩法訓練こそが、游心流に於ける基本技そのものなのです。

 どういう意味かと申しますと、一般に、武道を学んでも上手下手の差が著しく出てきてしまうのは、「基本技の訓練の意味を知らずに練習している」という点が一つ、「基礎ができていない人間に基本技をやらせても単に身体の動きをパターン化するだけ」という点が二つ・・・この二点の問題点に大まかな理由があります。

 私が20年以上、武術の指導を続けて、多くの武道・格闘技経験者を分析してきた結果、“その流儀特有の基本技を熱心に練習すればする程、動きがワンパターンになってしまって、裏をかかれると極端に弱い”という現象があることに気づかされました。

 思い出してください。

 昔、アルティメット大会でグレーシー柔術に為す術なく敗れていった空手家の姿。

 あれは、果たして“空手が弱くてグレーシー柔術が強かった”ということだったのでしょうか?

 私はそうは思いません。“グレーシー柔術は他流の戦闘パターンを研究し尽くして戦術的に打ち破る理論を構築していたから”だというのが私の考えです。

 強いとか弱いとかは、そんな簡単に判定できることではありません。「勝負に勝った者が強いのだ」という認識は、間違いとは言えませんが、甚だ大雑把です。

 打撃技の効力を発揮できなくする戦術を工夫したグレーシー柔術のクレバーさを称賛するなら解りますが、「空手は弱い」と断定的に語っていた当時の格闘技メディア関係者の頭の悪さを批判する人がいなかったことが、私には不思議でした。

 話を戻しますが、武術に於いて、攻防のパターンを敵に知られることは、既に負けたと同然の失策になり得ます。

 そこで、私は、游心流で分かりやすい基本技の練習は削除しました。

 何故か?

 基本技を分析すれば、その流儀の戦闘理論が明らかになってしまうからです。

 突き蹴りを練習していれば、「打撃技を使う流儀」だと小学生にも判ります。

 受け身を練習していれば、「投げ技を使う流儀」、棒を振っていたら棒術、木刀を振っていたら剣術・・・基本技の内容で、どんな戦い方をする流儀なのか判る。

 次に、突きのやり方に注目すれば、間合や攻防のパターンも判ります。フットワークを使っていれば、フットワークと共に突きを出すんだな~と判る。

 恐らく、私の書いていることに疑問を感じない方もおられるでしょう。

「そんな当たり前のことがどうしたと言いたいんだ?」と思われるかもしれません。

 技が公明正大に明かされて試合する競技武道ならば、それでいいのです。

 しかし、私が研究し指導しているのは競技は念頭に置いていません。あくまでも武術は自己防衛術なのであり、敵に技を知られないことが重要な必勝の秘訣となるのです。

 無論、私は、空手・中国武術・合気武術・剣術・居合術・・・等々の技について解説してきていますから、「技をさんざん公開しているじゃないか?」と早とちりする人もいるでしょう。

 しかし、私は、教材DVD以外では、一度も「游心流の技・戦闘法」については公開していないのですよ。教材DVDを異常に高く設定しているのも、一般に知らせたくないからです。気づいた方がいるかどうかは判りませんが・・・。

 いろんな流儀の技の解説をしているのも、率直に言えば、「そういう戦い方をするのだな・・・」と、外部に誤解させておく戦術的意味があるからなのです。

 例えば、長く付き合いのある武道マスコミ関係の友人にさえ、私は自分の技を見せませんでしたが、初めてDVDを見た彼は、「正直いって、長野さんは全然、技をやって見せないから口先だけだと思っていたんで、こんなにできるとは思わなかった」と言われたことがあります。

 私にとっては当然の心得だと思っています。だって、付き合いの長い先生に対しても、私は技を見せてもらうことはあっても、自分がやって見せることは、ほぼ皆無だからなんです。

 ですから、長く付き合いのある先生でも、私がどのくらいできるのかはまったく御承知でないと思いますが、一つには、下手にやって見せると、警戒されて関係が悪くなったりするので、「私は研究家ですから・・・」と一歩引くように心掛けてきた訳です。

 こういうのは基本的心得なんですよ。自分ができると思って平気で実力を見せつけようとする人間は、その時点でもうダメですね。まあ、馬鹿は独りで自惚れてれば宜しい!

 私自身は会員ですら迂闊に信用しないように心掛けていますし、自分が実際に使うつもりでいる奥の手の技・戦闘法は、今でも隠したままで、信用できると見定めた会員にしか教えていません。「長野さんは何でもオープンに喋る人だろう」と思っている人は、私が意外に古臭い考え方の人間なのに驚いたりするみたいです。

 やはり、伝統文化の良い部分を個人的考えで侵してはいけないと思うからなんです。

 しかし、「それなら何故、いろんな技を解説したり実演して見せたりしているのか?」と申しますと、これは失われつつある武術の考え方や理論についてを研究家として啓蒙しなければならないと考えているからです。

 つまり、間違って広まっている点について、普遍性のある武術文化については解説し実演して見せていく必要があると考えている訳なんですが、個人で研究している“游心流”というシステムの中身は、私の考える理想像としての武術を構築したいと考えているので、部外者には解らないように二重三重にシールドを敷いている次第なのです。

 ですから、“基礎錬体”の内容は、あらゆる流儀に伝わる基本技の、さらに基盤となる“自由自在に最強の技を出せる身体感覚を培うトレーニング・システム”として考案しているのです。

 なので、“基本技を一切練習しなくとも、基礎錬体をみっちり練習して身体を練り込んでいれば、一度も練習したことのない他流の基本技も一見しただけで熟練したレベルで再現できる”ように考案しているので、わざわざ基本技を練習したりしないのです。

 つまり、無駄を省いた訳です。

 無論、基本技を個人で練習する分は一向に構いません。

 しかし、基礎錬体を怠って基本技をやっても大した効果は出ませんし、他の大切な練習をする時間的余裕が無くなってしまうので、道場ではやらない訳です。

 武道を長年やっている人は、共通して身体に異常な癖をつけてしまっています。特定の動きだけに特化させて身体を使ってきたために、不自然に身体を歪ませてしまっているのです。

 無論、その動きが効力を発揮する場では良いでしょう。しかし、特定の動きに特化しているということは、それだけ応用性が無いということなのです。

 専用の工具は、それ以外の用途には使えません。ペーパーナイフをキャンプに持っていっても、ほとんど何の役にも立たないでしょう? キャンプで役立つのは大型のサバイバルナイフのようなものです。

 マタギは、袋ナガサという万能剣鉈を使って簡易小屋を作ったり、料理を作ったり、棒を取っ手に差し込んで熊槍にしたり・・・と、いろんな用途に用いるそうですが、武術というのは、このような応用性の高さが重要なのです。

 私が、ありとあらゆる武術を研究して整体や宗教、舞踊、工芸等も研究してきたのは、本来の武術を知るには、それだけ幅広く研究しなければ理解できないと思ったからです。

 限定的な(競技的な)強さしか求めていなかったら、こんなことはやってこなかったでしょう。

 以前、公園で稽古するようになって、私が回し蹴りを使ったら、矢嶋師範代がえらくビックリして、「ええ~? 游心流には回し蹴りもあったんですかぁっ?」と言うのです。

 私が全然、使わなかったから、「回し蹴りは軌道が大きくて無駄が多いから無いんだろうな~?」と、勝手に思い込んでいたんだそうです。

 私が回し蹴りに限らず蹴り技をほとんど使わなかったのは、相手の正面から蹴りを出せば、こちらが居着き、カウンターを食らう危険性があったからです。

 そして、この時に回し蹴りを出したのは、歩法を使って相手の死角に入って反撃の心配が無いことを確認してから出したのです。

 ちなみに、私は10年以上、回し蹴りの練習をしていませんでしたが、蹴りの威力は衰えるどころか倍加していました。

 何故でしょうか? 基本技の練習を一切やっていなかったのに、どうして威力が倍加していたのでしょうか?

 それは、“基礎錬体をやっていた”からなのです。

 基礎錬体をやることによってあらゆる基本技が自在にできるようになり、しかも威力も倍加する・・・というのが、私が游心流の“基礎錬体”の中に内蔵させた秘中の秘訣なのです。

 どうしてそうなるのか?という御質問に関しては、「骨盤の動きを練るから」とだけ御説明しておきましょう。

 要するに、基本技の極意たる重要性は、“技は体幹部に始まる”という点にある訳であり、それを無理解なままでガムシャラに基本技の外形を繰り返していても、“労多くして功少なし”という次第なのです。

 まあ、大マケしてもう一言。「骨盤は重心を蔵す」・・・つまり、骨盤の動きを練るということが重心移動によるパワーを得る要だということです。「重心移動でパワーを出す」と言っているのは、譬えでも冗談でもありません。いくら説明しても私の言葉を信用せずに筋力で解釈しようとする“糞タワケ者”は、練習の邪魔なので、来ないでもらいたいですね。

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気功修練の問題点

 以前から再三、注意してきていますが、気功の修練には精神疾患に陥る危険性があります。

 お恥ずかしいことですが、うちの会員の中からも、私の注意を無視して気功修練に没入したがために、言動が非現実的となり社会性を失ってしまった人間が数名は出ています。

 気功やヨーガ、禅、修験道等の修練には、神秘的体験が伴いますが、これらの現象は脳内覚醒物質のもたらすものであり、それが度を超すと中毒症状に陥ってしまいます。

 また、幻視・幻聴等の幻覚症状が起こるようになると、本人は「霊感が開発された」と思ったりするのですが、精神医療の場では“統合失調症”と判断されてしまうものです。

 私も若い頃にはそうなってしまった時期がありましたが、元来、心理学に関心が深かったので、「あ~、これは幻覚だから惑わされちゃいけないんだな~」と、神秘体験を客観的科学的に分析することで社会性を失わずに済みました。

「身体に気持ちイイことをやれば、すべてがハッピーで人生も良くなる」みたいな考えをヒーリングやセラピー、あるいは自己啓発セミナーで提唱したりする人が非常に多いのですが、これは“脳内覚醒物質の作用でイッちゃってる状態の発言”ですから、こんなことを真に受けて真似していたら“身の破滅”です。

 身体に気持ちイイからって麻薬をバンバンやれば心身は破壊されてしまいます。

 働きもしないで、毎日毎日お祭り騒ぎで遊んで暮らしていたら、たちまち生活できなくなりますよね。

 安易に「身体に気持ちイイことが正しい」と主張する人達は、マトモな神経ではありません。自分自身でも、それが判らなくなってしまっているのです。

 極端な楽観主義を主張している人には注意が必要です。脳が正常な社会的価値判断ができなくなっている可能性が極めて高いからです。

 社会人には批判精神が必要です。何事も肯定しかしなければ、詐欺師が野放しになって社会が混乱してしまうでしょう。

「原発は絶対安全で安価でクリーンで資源の少ない日本の将来には無くてはならないものであり、高速増殖炉やプルサーマル型炉は夢のエネルギー源なのです」という良いことずくめの神話をバラ撒いた揚げ句、日本は未来永劫に続く放射能との戦いを十字架として背負ってしまいました。

 ありとあらゆる汚い策略で反対意見を封殺し、良いことだけを洗脳キャンペーンしてきたツケの大きさを考えれば、私の言っていることの意味も御理解いただけるでしょう。

 良いことしか言わない人物の周囲には、無知で信心深い依頼心の強い人達が集まってくるものですが、それが新宗教やカルト団体に育ってしまう例も多いのです。

 割りとディープにやっている気功やヨーガの団体も、そんな雰囲気になってしまう場合がありますが、武術や整体の団体にも、そうなり易い側面があります。

 私みたいに相当、神経質にそうならないように注意していてさえ、研究熱心な会員が自分勝手な解釈で気功や内功修練に励んで後戻りできなくなって破門にせざるを得なかった経験があるのですから、その危険性について何も考えていない指導者の下では、精神病患者を量産するような事態になってもおかしくはないでしょう。

 具体例を挙げれば、オウムの地下鉄テロ事件や弁護士一家惨殺事件、ライフスペースのミイラ放置事件(「定説です」が流行った)、白装束集団パナウェーブ研究所、ザイン、法の華(「最高ですか~?」が流行った)・・・いくらでもありますね。

 外国にだってあります。

 ガイアナ人民寺院大量自殺事件、シャロン・テート惨殺事件、ブランチ・ダヴィディアン事件、太陽寺院集団自殺事件・・・等。K・K・K(クークラックスクラン)なんか今でもありますからね~。

 過激な反社会的事件を起こした教団が特別ということではなくて、本来、宗教には排外的性質があるのです。

 イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、仏教・・・等の世界的宗教には無数の派閥があり、派閥間の紛争が歴史上でも繰り返されてきています。

 これは、もちろん、政治や経済の国家間の軋轢という合理的理由もあるでしょうが、むしろ、人間の業の問題に帰結するでしょう。

 つまり、人間は価値観を共有できない者は排斥したくなる生き物だからです。

 どうしてか?というと、人間は社会的動物なので、個々の価値観が違っていても、社会を形成して所属しなければならないからです。

 そこに、あまりにも異質な価値観を持つ者がいると、社会の規範を脅かしてしまいかねません。よって、宗旨変えさせようと迫ったり、あるいは親切めかして教育(洗脳)しようとしたりするのです。

 人間は、価値観を同じくする者同士でいることが安心できるのです。

 気功の訓練を熱心にやれば、脳の機能が開発されます。

 ですが、それは喜ばしいことばかりではありません。物事の認識の仕方が決定的に変質してしまえば、周囲の人達と価値観を共有できなくなってしまいます。

 そうなれば、「あの人、変わってるね」と言われるようになり、それがふとした弾みで「頭がおかしいんじゃないの?」と言われるようになったりするのです。

 実を言えば、武術を真剣に修行すれば、多少なりとも神秘的経験をすることになり、第六感のようなものは自然に芽生えてきます。

 しかし、これらは人間の潜在能力であって特別な超能力が外から備わる訳ではありません。

 潜在している能力というのは、必要ないから眠っていた能力です。必要ないというのは、日常生活空間で発揮していると不都合だから眠っているのです。

 だから、こういう潜在能力が発揮できるようになっても、熟練者は、そんな能力なんか持っていないように振る舞うのが常です。

 喜んで人前で見せたがる人は、世の中のことに対する認識が甘いのです。

 例えば、青木宏之先生は、一般の人の前では決して武術の技量を見せつけようとはしません。「いや~、私なんか弱いですよ~」なんて言うので、観抜けない人からは、「本当にこの人、強いの?」とか思われるようです。

 が、もちろん、青木先生はそんなことは全然、気にされていません。

 青木先生に限らず、本当に極意・奥義に到達している先生は、強がって見せようとはしないのです。「武術の極意とは何ですか?」とか聞かれても、「いや~、わかんないですねぇ~」とかしらばっくれるものなのです。

 これが、世の中で社会性を保って生きる修行者の知恵なんですよ。

 いかにも修行者です・・・と言わんばかりに技を見せびらかしするのは、所詮、異能の権威をもって大衆の尊敬を得たいという欲心に過ぎません。

 本来、修行者は「神通力が備わっても、それに捕らわれてはいけない」というのが大前提なのですが、どうにも考えの甘い人が少なくないですね。

 むしろ、インチキ手品で超能力めいたパフォーマンスを繰り返して世間にコビるような低脳な武術家?ばっかりですし、そんな低脳で愚劣で精神病院に通ったほうが良いような人間のクズみたいな連中ばかり紹介している雑誌なんかもあるんですから、困ったもんですよ。

 だから、私は武術家なんて死んでも名乗りたくないし、専門雑誌に取材されないのも、むしろプラスですよ。ノータリン連中のお仲間だと思われたくありませんし、自分で本書いた方が遥かにお金も入りますからね。武道系出版社って、笑っちゃうほど金払い悪いですよ~。

 ライターやってた頃の収入って、今の1/10でしたからね。いや、マジっすよ? 未だにライターやってる人達は大丈夫なのかな~?って、余計な心配しちゃいますもん。

 よっぽど、武術バカみたいな人しか続けられないと思いますよ。普通にサラリーマン生活していた人が転職したら鬱病になると思うな~・・・。

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兼氏で試し斬り

 横浜名刀会さんで購入した試し斬り用の関の刀“兼氏”でマキワラ斬りをやってみました。

「物凄い斬れるよ~」との社長さんの言葉の通り、こりゃ~、本当によく斬れます。

 預かり物の脇差が凄く斬れると聞いていたので、これも試させてもらったんですが、この脇差よりもっと斬れますね。

 新入会員のK村さんにも斬らせてみたんですが、1/3くらいに短くなって斬りづらくなった(斬りつける目測がつけづらく慣れてる者でも難しいので、普通だと取り替える)マキワラもスッパリと両断してのけて(なかなか、筋が宜しい!)、ちょっと気分がハイになるような斬れ味です。

 脇差の方は片手抜刀で即斬!をやってみたんですが、刃の侵入角度が甘くて九割り斬れたところで台の固定用竹が折れてしまい、再度、挑戦したものの、またもや台を倒してしまいました。

 ちなみに、ブラ~ンと垂れ下がったままだと台に差し替えられないので、北島師範とK塚指導員に「これ、こうやって、持っててね・・・」と持たせたまま、脇差で狙い澄まして、スパーン!と切ったら、二人ともヒィ~ッと、超ビビッておりました。

「嫌な予感がしました・・・」って苦笑する顔。でも目には「アンタ、鬼か?」という非難の色が・・・。ドンマイ、ドンマイッ!

 先日、片手抜刀斬りもほぼ成功していたんで大丈夫だと思ったんですが、脇差だと当たる位置をもっと深くしないとダメなんだな~と思いました。

 間合をもう少し詰めて、75度くらいで刀身の中程で斬り込めば良かったと思うんですが(多分、兼氏だったら截断できた)と思うんですが、軽量の脇差の片手斬りだと無理だったかな~?と、ちと残念。

 しかし、斬れ味はかなりいいのが確認できたので、万全を期して両手で握って右袈裟に斬ったら、ストンと斬れました。

「おっ? こりゃ~、もう少しいけそうだ」と思ったので、そのまま左袈裟に斬ったら、これも難無く成功しました。脇差を両手で握って斬るというのは、何か自分では納得いかなかったんですが・・・。

 もっと、いろいろと実験してみたかったんですが、用意してきたマキワラが二つしかなかったのと、預かり物の脇差を万一、曲げたりしたらマズイので、これくらいにしておきました。

 それにしても、やはり刀によって斬れ味は違うものだな~と、改めて実感しました。

 試し斬りのエキスパートである山田浅右衛門も、『懐寶剣尺』という著書で、刃味で、業物・良業物・大業物・最上大業物・・・と刀を分類していたくらいですから、やっぱり、刀によって斬れ味は随分、違っていたんだろうな~と思います。

 現代では罪人の死体を斬って二ツ胴(死骸を二つ重ねて斬ったということ)だの三ツ胴だのと試す訳にはいきませんが、浅右衛門の時代はそうやって試していたんですから恐ろしいことです。

 伝説によれば、源頼光が大江山の酒呑童子の首を斬ったと伝わる“童子斬・安綱”は六ツ胴!を斬って、尚、土壇に刀身がめり込んだそうですが、刀剣博物館で実際に観た実物は、刃渡り二尺六寸の元反り、小切っ先の堂々とした太刀でした。

 現代の抜刀道の大会で、いくつも並べたマキワラを斬ったり、畳を立てておいて両断したりするのに使われる刀は、刀の身幅が極端に広くて柄の二倍くらいあり、もう日本刀としてのバランスを無視した試し斬り専用の刃物みたいで、何かマグロさばく超巨大な包丁を連想してしまいます。

 無論、競技としてやる以上は道具もそれ相応に特化するのは当然のことだと思うんですが、腕前が未熟なのを道具でごまかしたりする事態になったら本末転倒ですよね。

 試し斬りの方法論については清心館の佐原先生に御指導いただき、マキワラにする畳表も頂戴しました。この場を借りて御礼申し上げます・・・。


 え~、ところで、「長野の無刀捕りは模擬刀を使ってるからできるんであって、真剣を眼前にした場合、たとえ演武であっても、あんな真似はできるものではない。無刀の術とは捨て身で無心になる境地を求めるものなのであって、対真剣でやらねば意味がない。素人騙しのパフォーマンスは武を辱めるものであり、即刻、止めるべきだ」という御意見を小耳に挟みました。

 まさしく、おっしゃる通りであると思います。だから、“やってみました”。



 誤解する人や、意図的に貶す人もいるので、「俺はやってるんだから、お前も文句があるなら、やって見せてくれよ」と言いたいところではありますが、もし失敗したら命を落とす危険性も十二分にありますから、それは申しません。私は研究家としての探究心でやっている訳ですから、くれぐれも真似なさらないでください。

 それに、私は無刀捕りに関しては、もう20年近く研究してきて、自分なりの基本的な方法論を構築していますから、「演武としてはこうやれば大丈夫」という理論は持っています。

 理論的裏付けが無く、度胸試しや反射神経、身体操作に頼ってやっている訳ではありません。

 というか、そんなやり方でやっていたら、命がいくつあっても足りませんよ。セオリーを知らないで、最初から無理のあるやり方で頑張ってやろうとしてしまうのが一番、危険です。

 もちろん、理論的にセオリー通りにやれば絶対に失敗しないというものでもありませんが、知らないでやれば、失敗する確率は100パーセントに近づいてしまうのです。

 なので、絶対に大丈夫だとは言えません。

 それでも、私が失敗しておっ死ぬのは覚悟の上だとしても、斬ってこさせている北島師範を犯罪者にする訳にはいきませんから、現実的にも絶対に失敗する訳にはいきません。

 かつて、青木先生が楽天会を主宰された時は、参加者は稽古中の事故死も辞さずの覚悟で遺書を書いて稽古に臨んでいたそうです。

 私自身はそういう意識でやっていますが、会員にそこまで要求はしません。が、気持ちの上では、そういう意識を求めて欲しいと思っています。

 何故なら、捨て身になる意識こそが武術修行の最も肝心な部分だと考えているからであり、趣味を楽しむような感覚で武術に深入りすれば、精神を歪めてしまうだけと思うからです。

 身体はリラックスし、心は穏やかに、意識は研ぎ澄ますことが必要です。でなければ、突発的に発生したトラブルに対処できません。

 この日も独己九剣を教える時に、真剣を使って寸止めで指導しましたが、真剣を向けられる北島師範の顔面には緊張の汗が滴っています。

 これを度胸が無いと言うのは真剣の恐ろしさを知らない人間のタワ言です。怖さを判らない者は危険なものを人前で平気で振り回してしまったりするのです。

 怖さを十分、知り、その上で、その怖さを克服して平静な心を持てるようにならねば修行する意味がありません。だから、“わざと”真剣で指導したのです。

 もちろん、失敗して怪我でもさせたら私も犯罪者ですからね。やってるこっちだって実は細心の注意を払って緊張を持続させていたんですよ。

 でも、そういう真剣さを外見に露にしてしまうようなレベルでは、こういう演武は止めておいた方が無難だと思います。つまり、本当に捨て身になり切れていないので、いざという時にタイミングを捕らえられないからです。フェイントされると為す術なくやられてしまったりするのが、こういうレベルの術者です。

『史上最強の弟子ケンイチ』で言うところの“静のタイプ”ですね。

 もっとも、私が知る中では数人しか、そんな人はいませんでしたけどね。

 こうした真剣を用いた稽古は、無論のこと、一般の会員さんにはやりません。「この人は大丈夫」と判断した人に対してしかやらせません。

 特に、真剣の怖さを判らない人間に日本刀を持たせたら、文字どおりの“キチガイに刃物”ですからね。

 案外、実際に居合をやっている人間の中にも、そんなタイプのアブナイ人間は少なからずいたりするんですよ。

 そういう意味でも、きちんと日本刀の威力と怖さを知るためにも、マキワラの試し斬りは定期的に稽古させていこうと思っています。

 ただ、最後に、「私共は、世間の耳目を集めたくて物珍しそうな技の演武をやっているのではない」という点だけは強調したいと思います。

 重ねて申しますが、居合や剣術の修行者の方で、無刀捕りとかをいきなり練習しようとかしないようにお願いします。これは基本的に体術ができないと無理ですから・・・。


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世界へ向けて・・・

 游心流本部会員で俳優のCさんが、アメリカはロサンゼルスへSFX技術の勉強を兼ねて、アメリカ支部長のabeさんを訪ねて、今後の游心流の世界普及に関して打ち合わせをしてくるというので、そのための打ち合わせをメイプルビルの喫茶室でやりました。

 8月から10月半ばまで向こうに滞在するというので、その間、やはりハリウッドで俳優業をやっているabeさんと、映画に関するネットワークも築ければ・・・という狙いもあるんですが、私が昔、自主映画やっていた頃の仲間にはプロの監督やシナリオライターになっている人もいるし、もちろん、メジャーではありませんが俳優を続けている人もいます。

 それに、アクション系の俳優さんなら知り合いに多いので、インディーズで日本とアメリカを繋ぐ作品の企画とかができればな~?という気持ちもある訳です。

 以前の私は、「日本の中で・・・」という強い希望があって、海外にはまったく関心が無かったんですが、正直、日本国内の武道武術業界(特にマスコミ)の保守的体質には、もう何も期待できないと思うようになりました。

“流派の優劣(そんなもの個人の技量の問題でしかない)”や“個人の目先の強さ(そんなのルール決めて公平にやるスポーツでないと決められない。ルールが変われば結果も変わる)”ばかりを延々と云々していたり、あるいは「身体操作がスポーツに応用が利く」だの「介護に役立った」だの・・・本末転倒も甚だしく、“他分野の権威に擦り寄って疑似的権威主義を確立しようとする(世間に迎合してウケを狙ってる)サモしい連中ばかり”で、ほとほとウンザリしてしまいますよ。

 私のところを尋ねてくる人からも、「長野先生は介護やスポーツに役立つとか、そういうことをやるつもりはないんですか? そうやった方が長野先生ももっと評価されると思うんですが・・・」と、親切心のつもりで言われたことも何度かあるんですが、「いや、僕は全然、そんなことアピールする気はありません。いくら介護に役立ったりスポーツに応用できたって、護身の役に立たなかったら、そんなもん武術としては下の下ですよ。そういう本末転倒のウケ狙って、世間の注目を浴びてみたって、要するに誤解を広めるだけでしょう? 僕は研究家として、そんな愚かな真似をして世の中で成功したいとは思いませんよ。武術は、第一に戦闘術として命を護る役に立たなきゃ存在意義がまったくありませんよ。その他の価値は付加価値でしかありません。それが理解できない人に教えるつもりはありませんし、勘違いした人間に評価されたって迷惑なだけです。武術はそんな薄っぺらい代物じゃありませんよ。貴方もそんな程度のこと考えてるのなら、やらない方がいいですよ」と言うのが常です。

 お陰様で、ずう~っと、こういう具合に言い続けてきて、相応に苦労はしましたが、何とか生活してこれていますし、何よりも理解者が増えてきています。

 一時の人気にあやかって「武術の身体操作は・・・」とか人気取りのプロパガンダしなかったのが逆に評価を得てきているんだと思っていますよ。

 けれども、私のような人間は希少です。斯界でそれなりに地位を築いていながらウケ狙いしたがる人も少なくありませんね。

 武術を文化として追究した場合に得られる膨大な恩恵を無視して、単なる趣味嗜好の領域に貶めているボンクラばっかりで、「日本の武道武術の世界は阿呆の巣窟か?」と思ってしまうのです。

 それなのに、「学校教育で武道をやらせて・・・」なんて、安易(大馬鹿?)なことを考えたりするんだから、「原発事故以後のメディアを使った原発の必要性をアピールしまくる大キャンペーンを見ていても、そもそも日本人は、何でここまで目先の利益しか考えない阿呆に成り下がってしまったのか?」と、ただただ情けないばかりです。

 よって、私は日本の文化である武術を海外の心ある人達にきちんと知ってもらって、「本来の日本文化はこういうものなんです。日本人自身も忘れ果ててしまっていますが・・・」とアピールしたいと思うようになった訳です。

 Cさんも、以前から日本の芸能界の閉鎖的な体質に疑問を感じていて、既にタイやフランスなどへ行って人脈を築こうとしていたそうで、私にも「日本人は逆輸入の形でしかきちんと評価してくれないですよ」と話してくれましたが、それは私も同感です。

 そのためには、ブルース・リーが実践したように映画というプロパガンダのツールは大きな力を持っていると思います。

 私自身は俳優をやりたい訳じゃありませんが、スタッフとして映画に関わりたいというのは30年来の希望なんですね。だから、Cさんやabeさんが活躍してくれると嬉しいし、そのために自分の持っている“武器”は惜しむことなく伝えたいと思っています。

 もっとも、誤解する人が多いでしょうから、一言、申し上げます。空手や柔道、剣道ができるということは、アメリカに行っても“武器”にはならないでしょう。

 どうしてか?というと、もう既に日本人以上にできる人がいくらでもいるからです。

 空手の世界で静かなブームになっている沖縄空手に関しても、実は沖縄からハワイや西海岸に移住した人達によって古伝の沖縄空手が結構、伝えられているのだという情報もあります。

 そういえば、山根流棒術であるとか、沖縄剛柔流や本部流などの沖縄空手や、横山和正先生のような先進的に古伝の空手を追究されている師範もいらっしゃるようですし、多分、日本以上に空手そのものの理論的普及がされているのではないかな~?と思います。

 恐らく、日本人より長く熱心にやっていて、詳しい人がいるでしょう。

 日本でそれらの黒帯を持っているという程度で自信満々で行ったりしたら大恥をかくだけでしょうね。ただの力自慢で頭がカラッポの空手家なんか誰も相手にしてくれないでしょう。

 従って、“武器”となる可能性としては、合気道、居合術・・・などの古武術系の競技化されていない技ができることが必要になるだろうと思います。

 アメリカは世界中の武術・格闘術が流入しています。それらを比較研究している人も少なくないでしょう。

 だから、それらの流儀を一通り知っていて、立ち合う場合に備えて弱点を研究しておかねばならないと思います。

 この点で、もう、日本のほとんどの武道格闘技愛好家では対応できないでしょう。

 日本の武道格闘技愛好家は、基本的に他流の研究をしないし、特に“戦闘”に関する視点が極めて狭い範囲にしか向けられないからです。

 私も昔は、散々、「節操の無いヤツだ」と軽蔑されたものでした。

 しかし、私は、陰口を言われている間も、一日も休まずに武術を研究し発展させ続けてきました。10年前とは雲泥の差ですし、1年前や半年前と比べてもどんどん変化していっています。

 以前、私を単なるオタクだと思って侮って自分の技量に自信満々でいた人が、最近の私の技を見てギョッとした・・・とか、「こんなにできる人だとは思わなかった」と驚いていたという話も聞いたりしました。

 今では、斯界で名のある師範方でさえ「長野先生の知識・情報・研究は恐るべし」と異口同音で言われるようになりました。

 何が“恐るべし”と思われたのか?と申しますと、私の研究が日々、発展して技がどんどん増殖していっているように見えるからでしょう。

 普通に武道、武術、格闘技を学んでいる人間にとっては、最初からその流儀の枠組みがあり上限が決まっていますから、数年学べば、師範も弟子も知っている内容はほとんど差が無くなってしまいます。

 後は熟練の度合でしか差がつきません。

 しかし、游心流には枠組みも上限も有りません。基本的な身体の練り方と技の練習法があり、後は理論があるだけ。

 ただし、基本を学べば、大抵の流儀に応用が利きますし、どんどん他流の技を吸収して膨張させていくことができます。ウルトラQに出てきた無限大にエネルギーを吸収して膨張していく“バルンガ”みたいなものなのです。

 なので、人によっては2~3時間で倍々で実力が上がったりする場合も起こり得ます。

 それは、その人が学んでいた流儀の技が理論的に納得できたことによって、技の質が一挙に上がったからです。

 反対に、いつまでやっても一向に上達できない人もたま~にいますが、これは自分が学んできた流儀のやり方から理論を理解しようとして、結果的に理解できないからです。

 今まで、何千という武道修行者に指導してきましたが、驚くなかれ、自身の学んでいる流派の本質的理論を“まったく理解していない人が大半だった”のです!

 恐ろしいことに指導者レベルでもそうなのです。自分の流派の戦闘理論や稽古理論を解っていないんですよ? 信じられないことですが、事実は事実だから仕方ありません。

 例えば、「何故、脱力が重要か?」とか、「何のために基本の練習をするのか?」とか、「型はどう用いるのか?」とか、こういった根本的なことをまったく理解できないままで練習し、教えているのです。

 こんな状態で上達する道理はありません。実際に、他流と戦うと自分の流儀の技をまともに使えずにボロ負けしてしまったりするのです。

 これは、強いとか弱いとかの技量の量的問題と勘違いして論じる人ばっかりですが、全然、違いますよ。「自分がやっている流儀の戦闘理論を知らずに相手の戦闘パターンに合わせてしまったから何もできないままやられてしまった・・・」というのが真相です。

 ねっ、こう説明すれば、「あっ、なるほど、そういうことか?」と気づいた方もいるんじゃないでしょうか?

 勝ち負けには明確な理由があるんです。それを考えないで「弱いから負けたんス・・・」と言えば、“潔い・立派だ”と称賛されるかもしれませんが、そういう認識からは何の学びも得られませんよ。

 強いとか弱いとかの論は客観性が無いんです。しかし、勝ち負けは客観的に結果として現れるものです。練習の組手や試合で負けることは、自身の中の負ける要素を客観的に明らかにしてくれる点に意義があるのですから、負けたら負けた理由を考えて改善していけばいいのです。

 逆に、勝ったら何も学ぶことがないんですよ。よっぽど志しの高い人しか、「あんな勝ち方ではダメだ・・・」と反省して考えたりしない。

 ブルース・リーは道場破りと戦って、倒すのに時間がかかってしまったのに反省して技を改良していったそうですが、彼の偉さは、そこにある訳ですよ。

 私も、まだまだ、今の程度で留まるつもりはありません。

 私が目指すのは、かつて誰も解明できなかったあらゆる武術の深奥を解明し、誰もが極意に達することができる明確な稽古システムを構築することです。

 何事も、中途半端なうちは“武器”にはなりませんが、徹底的に突き抜けて追究すれば“脅威的な武器”へと変質します。

 私が創始した游心流には、ありとあらゆる武術のエッセンスを注入しています。その全貌は習っている会員の誰一人、体得どころか理解し得た者がいません。

 何故なら、私自身が自分の研究してきている内容の全てを“文書化”したことがないからです。

 理論にしても、余分なところを削りまくった根本原理については解説していますが、これを体系的にまとめあげようとすれば、百科事典みたいな本を何冊も書かねばならなくなるでしょう。

 単純化するのは簡単なんですが、理論体系化するのは作業の量がとんでもなく膨らんでしまうので、労力の点で非常に困難なことなのです。

 例えば、私がこれまで購入した日本刀(真剣)は、既に20振りを越えています。

 これはコレクションの趣味で購入した訳ではなく、日本刀という武器の研究が目的だから数が増えていった訳です。

 まず、拵え(外装)の研究、それから研ぎの研究、刀身の形や重量の研究のために短刀から脇差・定寸刀・長寸刀・大太刀を揃えましたし、居合術や剣術の技がどう変わっていくか?ということも研究しましたし、試し斬りに向く刀の研究もしました。

 こういった研究というものは、一つだけではできないのです。いろんな刀で比較していかねば解りません。


 私は研究家として、それぞれの流儀の特徴を比較研究することが目的で、必ずしも自分の腕前を上げようとは考えていなかったのですが、知識が増えれば、それだけ結果的に技量も自然に上がっていったのです。

 もちろん、ルールを決めた試合では若い人には勝てないでしょうが、そうでなければ私が勝てるという確固たる自信があります。武術が伝えるパワー、スピード、テクニック、そしてタクティクスが、それを可能にしてくれていると確信して微塵も疑いません。

「長野は武術教の信者だ」と言いたかったら、好きに言ってください。その通りです。私は武術こそは人類が創始した最高の実践戦闘哲学であると盲目的に信仰しています。

 普通の武道や格闘技だったら実力が衰えていく筈の40過ぎてからもどんどん実力が上がっていくというのは、スポーツ的理論では考えられないことでしょう。

 これがまた、研究意欲を高めてくれました。

「俺みたいな運動音痴で病気持ちのオッサンが、何故、技量が上がっていけるのか?」という秘密が解明できれば、大抵の人が実力アップできると思ったのです。

 武術の形だけ研究していたら解らなかっただろうとも思いますし、その意味では試行錯誤を繰り返したことと、私自身に肉体的な素質や才能が無かったことが逆にプラスに働きました。

 つまり、肉体に頼りたくとも頼れなかったからです。

 でも、勘違いしないでください。10代20代から30代の前半までは、人並み以上に身体は鍛えましたよ。

 4kgの鉄アレイ持ったまま、一日一万本空突きやったり、1時間ぶっ通しでフットワーク練習したり、馬歩站椿功だって低い姿勢で30分もできたんです。

 中学時代だって2kgくらいの振り棒で一日千回素振りしていたんです。

 そういう日常的訓練を20年くらい繰り返した揚げ句で、「俺には素質も才能もないな~」と結論づけたのであって、やりもしないで詭弁を弄しているんじゃありません。

 専門家を目指すのなら、それなりに鍛えることは必要です。

 しかし、老人や女性、子供のように鍛えてもタカが知れている人には、もっと効率的で戦術を駆使したクレバーな技と戦法を教えないと意味がありません。

 結果がすべてだからですよ。武術で戦う場合は勝てなきゃ意味がない。相手が自分より遥かに強くても、何とか知恵を絞って勝つことを考える。

 強さを競うんじゃありません。必ず勝つために必要なことをやる! 神秘だのロマンだのじゃありません。武術に神秘やロマンを求めるのは何も理解していない者の錯覚そのものです。

 徹底的にリアルに戦闘を考えて、徹底的に冷徹に勝つために必要なことをやる!

 戦いというのは、それだけの覚悟を必要とするものです。兵法なんだから、あらゆる意味で勝つことを考えないといけない。

 場合によっては自分の命を捨てて家族を救う、会社を救う、国を救う、人類を救う・・・そういうのも武術の考え方(小分の兵法・大分の兵法)なんです。肉体を護っても、いずれは滅ぶんだから、一命を捨てて、もっと大きなものを護れるのなら、“死に甲斐”もあるというものでしょう?

 要するに、武術というのは無駄死にしないための“武器”。「死を想う(メメント・モリ)」のが武術を修行するということです。

 考えてみてください。肉体はいずれ滅ぶものだときちんと弁えていれば、拝金主義に捕らわれず、本当に人類にとって大切なことを選ぶことができるでしょう?

 せっかく武術修行しながら、我欲が膨らんで経歴捏造して権威主義に走ったりするのは、要は、中途半端な身過ぎ世過ぎでやってるからですよ。

 私に言わせてもらえば、武術の本当の価値が解ってないからです。

 本当に良い会員さんが育ってきてくれているので、游心流は今後、世界を目指していきますよ。

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DVDご注文を頂いた方で返信が来ない方へ(事務連絡)

2011/06/29にDVD申し込み頂いた会員のH詰様、ご注文のメールを頂いた翌日、購入受付メールをお送り致しました。7/31に再送信させて頂きましたが、届きましたでしょうか?

事務連絡最新情報の一番下あたりにあるように、


Q.セミナー申し込み・DVD購入・ご感想・ご意見等でメールを送ったが返信が来ない。

A.Yahooメール(フリーメール)を受け取れる設定にして(メール設定を確認して)、再送信を御願い致します。

それでも来ない場合は、
 ③ネット・PCの不具合の為。
 ⑤游心流事務が送信したメールが迷惑メールフォルダに振り分けられている?

などが考えられますので、確認の上再送信を御願い致します。

こちらはメールを受け取れていますので、宜しくお願い致します。

2011/08/01
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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