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これからのアクション映画を考える

 東映チャンネルで武田梨奈主演の『ハイキックガール』『KG(カラテガール)』を観ました。

 この二つの作品は別のストーリーで関連は無いんですが、『黒帯』以来のプロデューサー兼ディレクター兼アクター兼アクションコーディネーター兼シナリオライターの西さんが孤軍奮闘で製作し続けている“空手アクション”映画です。

 しかし、私の周辺で誉める人は少ない。

 それは、「映画としてどうだろう?」といった根本的なことから、「アクションの見せ方が下手」「シナリオがひど過ぎる」・・・といった毎度毎度の御定まりの批判意見。

 でもね。

 私は西さんの心意気というか、今の時代に“空手映画”なるジャンルを復興しようという志しの高さだけで、瑣末なことはどうでもよくなってしまうんですよ。

 確かに、批判されている事柄は当たっているとは思います。

「本物の空手家の技を見せたい」という志しは良くても、魅せるための技術がまだまだ足りないとは思います。

 例えば、カメラワーク、編集技術もそうですが、シナリオをもっともっと練り込んで作品世界を作り込む必要があるのは、誰もが指摘するところでしょう。

 特に、今回、『KG』を観て思ったのは、200年前の琉球で伝説の空手家がいて、その空手家が着けていた黒帯を巡る裏の武道界の権力闘争を描いた話・・・という設定そのものが、あまりにもアバウト過ぎて、「空手が好きなら、空手の歴史はちゃんと調べましょうよ」と言いたくなったのでした。

 もともと、白い道着に黒帯を絞めるというスタイルは柔道に倣ったものであって、沖縄空手にはそういう伝統はありませんでしたし、200年前だったら、空手の流派も無かったのですし、そもそも「空手」という言葉さえ無かった。

 恐らく、「手(てぃ)」という言葉はあっても、“誰それの手”と言っていただけと思われます。空手の語源である中国から伝わった「唐手」も、果たして「からて」と読んだのか?というのは疑問が残るところで、「とぅでぃ」と読んだ可能性もあります。

 沖縄空手の三大派閥と言われる、那覇手・泊手・首里手に関しても、それは日本古武術の流派や中国武術の門派とは意味合いが異なっているのですし、空手の流派は、本土に紹介されて以降、便宜的に本土の流派の概念に倣って急ごしらえで名乗っただけです。

 そのため、普及活動に邁進して柔道方式の白い道着に黒帯を絞めるというスタイルを踏襲したもので、それが沖縄に逆輸入されただけです。

 こうした基本的知識があるならば、“200年前の沖縄の伝説の空手家の黒帯”というモチーフは取る筈がありません。

 私は、武術の研究をしてきて、空手家が白い道着に黒帯を絞めることや、武器術を否定して徒手空拳で闘うものだと主張するようになった点に、本土に伝わって以降の現代武道化の刷り込み思想があったと感じます。

 それによって、空手の武術としての研究が大幅に制限され遅れてしまっているように感じられるのです。

 なので、「沖縄独自の武術と言うなら、何故、白い道着に黒帯を絞めるのか?」という根本的な疑問も感じるのです。それは、琉球が日本に隷属させられた屈辱をわざわざ顕すことになるのではないか?と思うからです。

 沖縄空手がちょっとしたブームとなっているのに、この点を考える人がいないことが不思議でなりません。ブルース・リーが空手とクンフーの違いを明瞭に作品中で説いたり、袴を前後逆に履かせたりしたことも、中国武術文化に対する誇りの顕れでしょう。

 いや、無論、私は「“琉球古伝の手”こそ最高であるから云々・・・」といった論述がしたい訳ではありません。

 ただ、空手に拘るのなら、もっと歴史的な研究もすべきではないか?と言いたいのですね。“黒帯”に愛着を持つのは本土に伝わって以降の空手家でしょう。

 琉球古武術の研究や、中国武術との技術的関連性や薩摩示現流との相関関係など、さっぱり研究されていないことが山ほどあります。

 そういった未解明な部分を含めて空手をテーマとするならファンタジーとしてもっとイマジネーションを膨らませていろんな要素を取り込んだ新しい作品を撮っていく方が、まったく新しいマーシャルアーツ・ムービーを誕生させられるのではないか?

 私は、まずそう思いました。

 西さんが日本に紹介したというタイの『マッハ!(原題はオンバク)』は、ムエタイの源流である古式ムエタイに、クラビ・クラボーンの武器術なども導入されていましたが、こういったスタイルの作品を日本で作るとしたら、空手の源流の琉球の“手”や、柔道の源流の古流柔術、剣道の源流の古流剣術、合気道の源流の大東流合気・・・といった、いわゆる古い源流の武術を掘り起こす中で、新しいマーシャルアーツ・アクションを探る必要があります。

 私が『ハイキックガール』を高く評価したのは、中達也先生が示して見せた空手の技の武術としての“構造的合理性”を表現してのけていた点でした。

 指導シーンでの解説実演。そして、クライマックスでの空手の型の動作を教科書的に戦闘で使ってみせたシーン・・・。

 これは実に画期的なことでした。ブルース・リー以外にこれをやった人はいないでしょう(『ドラゴンへの道』が顕著)。

 前作『黒帯』では、そういう描写はほとんどありませんでした。だから、私の評価は低くなったのです。既存のものを見せても感動はありません。

『KG』では、“紅流空手”という架空のスタイルを作り出した点は評価できますが、内容の理論的説得力が足りませんでした。

 黒帯の権威性を巡る話よりも、より具体的に「いかなる敵も一撃で倒した」という秘伝の必殺技を巡る争奪戦にした方が面白かったと思うのです。例えば、秘伝書の争奪戦にするとか?

 物語の弱さは、中先生が冒頭で殺されてしまう展開にもあったでしょうし、中先生の一撃を受けて半身不随になっていた筈の敵の親玉が、最後には立ち上がって応戦してくるというような話でなくては、ストーリーが弱過ぎます。

 この作品の設定は、『お姉チャンバラ』で妹が洗脳されて父を殺して敵になっていたというところや、『必殺女拳士』の冒頭で千葉ちゃん演じる空手家が瀕死の重傷をおわされて、成長した娘の志穂美悦子が仇を討つ・・・といった展開そのままです。

 空手アクションの魅力を見せることが重要であり、確かに武田梨奈と妹役の飛松陽奈の驚異的な空手アクションは、アイドルや女優が頑張っても到達できないレベルではありました。

 しかし、ドキュメンタリーではなく、創作劇としてのドラマでは、アクションだけを単独で見せても意味はなく、ドラマの中に有機的に融合して必然性のあるアクションを視覚的な演出も含めて重層的に表現していかなくてはなりません。

 アクロバット・アクションだけなら、もっと上手いアクションスタントのプロはざらにいます。

 空手をベースとしたマーシャルアーツの技を魅力的に見せるのなら、技の合理性と必然性を観客に説得力と驚きを以て見せなくてはなりません。

 恐らく、真面目過ぎるのでしょう。もっと多面的な喜怒哀楽を促すストーリーと演出が必要だと思いました。BAKAスレスレの過剰な表現だって必要なのです。

 思い出してください。

 ブルース・リーはそれをやったからこそ、マーシャルアーツ映画という分野を切り開いたのです。

 私もそうですが、アクション映画が好きな人間は、アクションさえ優れていればストーリーなんかどうでもいい。むしろ、下手なドラマは邪魔臭い・・・とさえ考えます。

 しかし、実際にアクションだけを延々と見せられても、果たして面白いと感じるでしょうか?

 人間は、いかなるものにも意味を求めてイマジネーションを膨らませることで楽しむことができます。

 映画は総合芸術だと言われますが、それはストーリーがあり、映像が美しく、音楽に惹き込まれ、演技者のドラマに共感することで成立します。

 どんな一流の人間でも一人だけでは映画は作れません。一流のシナリオ、一流の美術、一流の演技者、一流の音楽、一流の演出、一流の編集、一流の宣伝・・・多くの人間が関わるビッグビジネスだからこそ、エンターティンメント映画が成立するのです。

 私が好きなアクション映画は、大抵が特撮物です。

 大掛かりなものでなくても、ウェルメイドな小品でも色んな要素が闇鍋みたいにハイブリッドしている作品を面白いと思うのです。

 例えば、北村龍平監督の『VERSUS』。ノワールなギャング物でありながら、ゾンビが出てくるホラーであり、マーシャルアーツ、Gun、剣のアクションが高いレベルで展開し、最後はSFとなるスタイリッシュな映像感覚には非常に興奮させられました。

 インディーズでこれだけの作品が作れるというのは驚異であると受け取られるでしょうが、かつて、同様の発想で8mm自主映画で製作費に300万円もかけた作品がありました。

 監督もスタッフもキャストも、当時、大学生。私は縁あって武術指導(マーシャルアーツ・スーパーバイザー)という形で参加し、この時から武術研究と指導を職業にする切っ掛けになりました。

 もう、20年以上も前の話です。

 また、『新少林寺』のパンフレットで「少林武術と七星拳」というコラム記事を書かせてもらったのも、その当時から付き合いがあり、現在は東宝に勤める自主映画時代の友人が推薦してくれたからでした。

 本当に面白いアクション映画ならば、世界中、どこの国の人が観ても共感する。それは、世界中、どこの国に行ってもブルース・リーを知らない人がいないことで証明されています。

 そして、その遺伝子は香港映画の世界で、ジャッキー・チェン、サモハン・キンポー、ユン・ピョウ、ジェット・リー、ミシェール・ヨー、ドニー・イェンへと受け継がれていっています。

 無論、欧米にもチャック・ノリス、ジャン・クロード・バンダム、ドルフ・ラングレン、スチーブン・セガール、ジェイソン・ステイサムといった直系のアクション俳優が出ました。

 最近は、タイからトニー・ジャー、ジージャーが出てきました。

 では、日本はどうか? JJサニー千葉、倉田保昭といった大御所を別として、真田広之はアクションをメインとする俳優とは言えなくなりました。

『蘇える金狼』や一匹狼の殺し屋・鳴海昌平が活躍する遊戯シリーズでハードボイルド・アクションの旗手と期待されていた松田優作が、『野獣死すべし』で脱アクション、演技派俳優へと脱皮していった点に象徴されるように、日本の芸能界ではアクションを売りにすることを演技者として低く見る風潮があるように思います。

 松田優作や真田広之が、アクション俳優と呼ばれることに抵抗を感じたように、大御所の千葉ちゃんでさえ、アクションしかできない俳優のように言われるのは嫌だという感情がある様子でした。

 それだけ演技が静かで内省的なものを良しとする観念が日本の芸能界にはあるのでしょう。

 けれども、役者馬鹿と呼ばれた勝新は、殺陣アクションに多大な努力をしていました。

 私の周囲には役者志望の人が沢山いましたが、彼ら彼女らの大半が、殺陣アクションを芸として磨き自らの演技の武器としようとはしていません。やっぱり、低く見ているようでした。

 だから、私は結局、殺陣指導は諦めて武術そのものを求められるままに指導研究するようになりましたし、20年続けているうちに武術の研究に関しては国内で並ぶ人がいなくなりました。

 大言壮語だと思われるでしょうね。無論、知識量や特定の流派門派に精通する人は何人もいらっしゃいます。

 しかし、ほとんどの方が、“空手だけ”“古武術だけ”“中国武術だけ”に詳しいのであって、武術全般に詳しい人は私以外には見当たりません。

 それに私は、ただ単純に武術を学んだり本を読んで知識を蓄えてきた訳ではなく、すべて実地に検証してきています。大抵の武術の秘伝は技術的に解明し尽くしていますし、斯界で名の通った人達の嘘(捏造)も調べあげ、発表している内容の間違いや技の弱点もすべて分析しています。

 これらをすべて公開したら、日本の武道・武術の世界は大混乱になってしまうでしょうから、これは墓場まで持っていくつもりですが、「出る杭は打たれる」で、いろいろと圧力をかけてくる人間もいますから、その時は天誅をくらわしてやるつもりでいますが。

 何はともあれ、私は本当に面白い日本のアクション映画が観たいし、そのためには自分が作る側になりたいな~と思っている今日この頃です・・・。

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つばさ基地“武器術”セミナー報告

 11月23日の振り替えセミナーは、今夏、小竹向原駅近くに移転したばかりの“つばさ基地”さんをお借りして、「武器術」のセミナーとなりました。

 夏に鏡開きした時に来て以来で、その時はアサッテの方向へと歩いてしまって、結構、迷ったものだったんですが、今回は北島師範が地図を用意してくれていたので、「え~っと・・・、要するに、“ゴルフセンター沿いの道”を歩いていけば到着するんだよな~」と思って歩いていったら、何故、初回はあんなに迷ってしまったんだろう?と思うくらい、あっさりと到着しましたよ。フシギ・・・。

 一回迷うと、「迷いやすい」という固定観念ができてしまうものですが、冷静に地図に従えば、迷う方がどうかしているくらい簡単に到着するものですね。

 実際、以前の大塚にあった頃より駅からずっと近くなっているんですね。

 途中、電信柱にも看板が出ていたので、より確実に到着しましたが、セミナー参加者の皆さんは無事に到着できるのだろうか?と思っていたら、ほとんどの人がスンナリ到着。

 若干名、迷って遅れていましたが、それも大した遅れではありませんでした。

 それよりも、今回は人数分の棒(剣)と真剣、模擬刀、試し斬り用のマキワラと自作マキワラ台、そしてガスとエアでBB弾を撃ち出すピストルとライフルを用意して相模原から運ばねばならなかったので、私独りでは無理!

 それで、北島師範と海外指導部長として現在特訓中の千葉一博(来年一月より師範代に任命する予定)さんの相模原組に朝から来てもらい、荷物を分担して持ってもらい、一緒に出発しました。

 流石に、今回は二人でも運ぶのは大変だったでしょうから、三人で運べて助かりましたよ~。二人には大感謝!の印に寿司を奢らせてもらいましたよ。


 さてさて、受講申し込み者は少なかったものの、蓋を開けてみたらぞくぞくと集まり、予定の二倍くらいの人数となりました。あの~、一応、「アムロ、行きま~す!」とかメールしておいてくれると助かりますです、ハイ。

 毎年のセミナーでも武器術の回はあんまり人気があるとは思えないんですが、最近はちょっと違ってきましたね。治安の悪さも手伝ってか、「武器への対処法を知らないといけないぞ」と思う人が増えてきているような気もします。

 あるいは、「游心流は素手の技も武器の技も原理は同じ」と言っていることの意味を理解してもらえたのかも? だとしたら嬉しいですね。

 人数も増えたので、やっぱり、つばさ基地をお借りして大正解! 広々としたスペースで棒や木刀を振り回して練習しても、ぶつからずに済みましたよ。

 スタッフの方の話では大塚のスタジオの床面積の5倍あるんだそうで、しかも天井は高いところで6mもあるんですからね~。何か、ジャイアントロボの格納庫を思い出しましたよ。

 もっとも、これだけ広くなっても秋本さんは、いずれもっと広い場所に移ろうと考えているんだそうで、この貪欲なまでの向上心は、せこい日常にしがみついていたがる日本男児に分けてあげたいですね。

 やっぱり、時代を変えていく人間というのは、絶対に現状に満足するということはないんでしょう。30そこそこで悟り澄ましたようなこと言うヤツが武術の世界には多いんですが、私はそんな人間が一番、嫌い! 単なる欺瞞家ですよ、こんな連中。

 男だったら、金欲しい! 美人と付き合いたい! 有名になって人からチヤホヤされたい!・・・って願望が全然無い訳ないでしょう?

 私なんか、「地上最強の超武術家になりたいっ!」って願望ありますもん。それで、刀だって、「郷義弘が欲しいっ!(まあ、2000万くらいしますね)」って思ってますし、私設の博物館とか建てられるくらいの財力は持ちたいですね。

 贅沢な生活がしたい訳じゃないんですが(むしろ、性に合わない)、自分がやりたい道楽を金の心配しないでできるくらいにはなりたいですよ。

 まあ、世の中がこの先、どうなるか解らない時代になってきたから、この願望も変わるとは思いますけどね・・・。


 さて、練習内容は、棒の手慣らし(手の内を滑らせて持ち替える)、半棒術から入り、棒のからめ捕り。そして、棒を剣に見立てての組み居合。組み太刀、素手での太刀奪い。

 これらの技は原理的にこれまで練習してきた素手の技の延長上。日本の古武術全般に通じる基本的な体操作を武器術で覚える・・・という構成です。

 これまでやってきたことの応用なので、皆さん、さして苦労はしていません。あんまり直さなくても大丈夫。武器術をまったく別物としてやろうとしたら、決してできなかったでしょう。空手をやっている人が剣道をいきなりやってもできないように・・・。

 しかし、今回のメインイベントは、“真剣での試し斬り”です。

 まず、刀の持ち方と振り方を説明し、私が模範で斬ってみせます。当然、両手持ちですが、オヤッ? なんか既にやりにくい感触が・・・。

 最近、片手斬りや片手逆手斬りに慣れてきたせいか?

 まあ、普通に斬れたから、見ている皆さんは私の違和感には気づかなかったでしょうけれど・・・。

 ちょっと説明しておきますと、両手で握って斬るのは向身(むこうみ)となって斬る対象に上体の正面が向きます。それに対して片手斬りだと刀に重さを乗せるには自然に半身をきらないといけない訳ですね。

 片手斬りに慣れた私は自然に半身をきるようになっていたので、向身のまま両手握りで斬るのが窮屈に感じてしまった・・・ということのようです。

 特に逆手斬りになると、より半身にきる動作が大きくなるのですね。これはもう体捌きするくらいの気持ちでやらないと斬れないでしょう。

「逆手じゃ斬れない」と言う人が多いのは、この体捌きを使う感覚に気づかないからじゃないでしょうか? 単純に刃筋が立たないという問題だけではないでしょうね。


 で、マキワラが二本しか持ってこれなかったので、参加者の有志にだけ挑戦してもらうことにしたんですが、やっぱり、真剣を振るというのは心理的に抵抗あるみたいで、皆さん、怖がってモジモジしています。

 ここは某流派の剣術の免許皆伝であるCさんに見本をば見せてもらって・・・と、最初にやってもらいましたが、試し斬りは初めてらしいんですが、ピシッと斬ってもらいました。

 誰かがやると安心して他の人もやりたがるもの。まあ、概ね、皆さん、ちゃんと斬れてましたね。細竹の時よりずっといい。

 マキワラより乾いた細竹の方が切断するのは難しいです。刃毀れするのも竹の方。竹は水分を多く含んでいる時と乾いている時では硬さが全然違うのです。細い竹でも乾いていると鉄線みたいで硬い上に表面もツルツルで滑るし、撓って斬れなかったりします。

 2ちゃんねるウォッチャーの会員の話では、何と!「力任せに叩きつけても斬れるんだ」と主張してるバカチン(青木先生の青竹斬りを力任せだとほざいていたBAKA)もいたそうなんですが、できるかどうか、そんなに自信あるなら実演しているのを撮影してユーチューブで出してみせたらいいんです。

 実演して見せられない者が口先で何をほざこうが論外。恥知らずは切腹して果てるが宜しいっ!

 力任せに叩きつければ刃筋が乱れてしまいます。たとえ切断できても切断面を見れば、“斬れている”のか“引き千切れてしまった”のかは一目瞭然。

 我々、武術を修行する者が試し斬りをするのは、ただ両断するんじゃなくて、より正確に斬れるかどうか?であって、力が集中して真っすぐ貫いていっているのを確認するためであり、切断面が潰れたようになって引き千切れてしまっているのは「斬れた」とは言わない訳なんですよ。

 私が試し斬りを教わった清心館の佐原先生は、「細竹よりも、やっぱりマキワラを使った方がいいですよ」とアドバイスくださったんですが、それは切断面を観ることで力が正確に作用しているかどうかの判断ができるから・・・ということでした。

 途中で切断面が曲がったり、距離が遠くて端っこが残ったり、試し斬りをやることで自分の技の力がどう作用しているのか?とか、間合が適切なのか?とか、そこから学べることは非常に多いのです。

 でも、初めてだと、とりあえず切断できれば嬉しいものです。斬れる度に全員がオオ~ッ!と歓声を叫ぶのは、ちと大袈裟か?とは思うものの、無理からぬ反応でしょう。

 たかがマキワラでも刃物なら何でも切断できるというものじゃありませんからね。

 最後に中途半端に残ったマキワラを、私が逆手片手斬りで右袈裟に斬り下げてみせたら、また歓声!

 嬉しいんだけど、さすがに照れ臭いんで、「まあ、刃筋さえ通せば斬れるように(刀は)出来てるんで、手の内がどうとかいうより片手で逆手に握ったって斬れるんだってことですよ」と説明しました。

 なんか、手の内の握りだとか、姿勢がどうだとか形式にばっかり拘る人が多いんですけど、言っちゃ~悪いけど、“下手糞だから拘るんだ”と思います。

“正しいやり方”なんて、条件がちょっと変わればガラッと変わるもんなんです。要は、目的に沿って結果が出せれば、それはすべてが間違っていないってことなんですよ。

 結果が出せない人間が「これが正しい」なんて言っちゃ~ダメなんです。そんな権威主義を保守しようとする意識しかなかったら、日本の武道は世界に取り残されてしまうだけですよ。

 弱っちい武術家が御大層な思想をとなえてみせたって説得力0でしょう?

 だから、「逆手斬りはムリ!」と言われているから、「じゃあ、できるようになってやろ~じゃないの!」って研究家魂が燃えた訳っスよ。

 正直、コツが解って逆手斬りがどんどん上達してきましたね~。なんか、もう、フツーに斬れて当たり前に思えてきました・・・。

 試し斬りと手裏剣は、技量がそのまま現れるから、向上していく実感が得られて格別の楽しさがありますね。気軽に練習できないのが難点ですけど・・・。

 今回の武器術では、簡単な基礎的銃の扱いを知ってもらおうと思い、ガスガンは、コルト・パイソン.357マグナム・8インチハンターと、44オートマグ・クリント1を用意しました。

 パイソンは回転式、リボルバー。オートマグは半自動式、セミオートマチック。最近は半自動式が主流ですが、この二つの方式が拳銃の二大基本です。

 そして、ライフルは、レミントンM700タイプの東京マルイのVSR-10ボルトアクションエアーガンのシルバーモデル。

 これらの銃は、標準的な拳銃とライフル銃の代表的な操作形式のものとして選んだのですが、そもそも、回転式と半自動式では操作法が全然違うので、両方知らないと困る。

 そして、ライフル銃の場合、狩猟用のライフルがほとんどボルトアクションであり、スナイパーが使うのもボルトアクションが多いので、これを選んだ訳ですね。

 無論、自動式のアサルトライフルもある訳ですが、これは基本的に半自動式の拳銃と構造的には変わらないので、オートマチック拳銃が撃てれば大丈夫。

 現代日本人も道具としての銃の操作法は知っておくべきだと私は考えますし、武術を学ぶのなら、さらに武器として使いこなせるようになっておくべきだろうと思います。

 かつて戦国時代の日本は世界有数の銃大国だった時代もあったそうです。その後、連発銃や雷管式銃なんかも独自に作り出していたり、もしかすると日本もアメリカみたいな銃大国になっていた可能性もあります。

 銃砲の武術流派だってあるし、教養として銃の撃ち方を伝える総合武術流派もある。武術としてあらゆる武器や戦い方に通暁しておくのは、本来、当然のことなんですね。現在の武道の在り方の方が歪んでしまっているのだと私は考えます。

 使い方を知らない武器は、持っていても鉄アレイの代わりにしかなりませんからね。

 今回は、目一杯、解説指導、練習してもらって3時間があっという間に終わってしまった感じでしたが、広くて明るい“ニューつばさ基地”をお借りできて、非常に楽しくやれました。

 参加者の皆さんからも「これまでで一番楽しかった」という声がいただけました。

 秋本さん、スタッフの皆さん、看板犬のぴーよ・・・。ありがとうございました!

追伸;うちの会員さんで、つばさ基地のストレッチクラスを受講したら、一回で前屈が10cmも伸びた!とびっくらこいて連絡してくれた人がいました。秋本先生、凄いっス!

追伸2;12月2日にギネスに挑戦するTV番組の企画に、つばさ基地のメンバーが出ているそうです。結果はTVで確認してね。

追伸3;来年の月例セミナーの一括予約申し込み希望の方は、お早くお願い致します。一年通してやれば、素人目には達人になります。二年続ければ自信がつきます。三年続ければ相応の実力者になれます。もともと武道をやっていた人は、技の本質に気づくことができるでしょう。やってない人でも戦闘力は数十倍になります。が、続ければ続けるほど、「人間はこんな簡単に壊れてしまうんだ」と悟って、人に優しくなれます。本当の達人は、自然に謙虚になるものです。私なんか、まだまだだよな~・・・。

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意外な作品で若山先生が・・・

 東映チャンネルで『妖艶毒婦伝・人斬りお勝』という、ちょいエロ時代劇に若山先生が特別出演しているというので観ました。

 話は甲源一刀流道場の養女お勝(宮園純子)が惨殺された義父と義弟(近藤正臣)の仇を討つ・・・というありきたりなものなんですが、当時、流行った残酷時代劇ブームの影響か? ちょいエログロ風で厳格な剣術師範の西村晃(二代目黄門様)が娘を救うために身代わりで捕まり、拷問されて殺されるシーンとか、ちょっとホラーな感じです。

 西村晃は殺陣が大好きで、『十三人の刺客』『十一人の侍』『牙狼之助・地獄斬り』などで達人を演じてきていますし、TV時代劇スペシャル『新吾十番勝負3』で柳生如雲斎、NHKの役所さん主演デビュー作『宮本武蔵』で柳生石舟斎を演じており、正和サマ版眠狂四郎TVシリーズでも人斬り稼業に苦悩する侍役を熱演し、この時は狂四郎と対決することなく諭されて去っていく・・・という実質的主役の回もありました。

 最晩年の主演作『マタギ』での西村晃さんは、最新式のライフルではなく使い慣れた村田銃で最凶の巨大熊と対決する老マタギを演じていましたが、視力が衰えて名人技が使えなくなった名人役で、ダメ狩猟犬を鍛えて孫と一緒に山に入り、見事に熊を仕留めたものの、「こいつは山に返す」と雪の中に埋めてやる・・・という侠気溢れる作品で名作ですよ。

『帝都物語』では、人造人間“学天則”を発明した実父、西村真琴博士を演じていたのも話題になっていました。

 この『人斬りお勝』でも、まともに戦えば悪党連中を一人で成敗しちゃいそうな達人だったのに、嬲り殺しにされてしまうところが残念感を煽ります。正義感が強過ぎると狡猾な連中に騙し討ちにされるという世の中のリアルを表現してますね~。

 宮園純子さんは水戸黄門の初期シリーズで風車の矢七の女房のお新さんのイメージが強いので、こういう役はなんか違和感を感じます。立ち回りも今ひとつです。助っ人で出てくる大信田礼子のほうが、この手の役柄を沢山演じて慣れてるせいか、立ち回りが上手いというのも、本末転倒な気がします。

 要するに、作品としてさして面白味はない訳です。TV時代劇で似たような話を何百回も見たような気がするからです。

 でも、お勝がお尋ね者となって中盤に、唐突に出てくる賞金稼ぎ!が、何と、若山先生なんですよ。

 それがまた、結局、お勝を助けてしまうんですが、大信田礼子に「オジサン」と呼ばれる以外、特に何者か判らない・・・。

 でも、これって・・・若山先生が子連れ狼を演じる以前に最もお気に入りで演じていた、賞金稼ぎ・錣市兵衛(しころいちべえ)そのマンマなんですよ!

 若山先生の賞金稼ぎシリーズといえば、劇場版『賞金稼ぎ・薩摩の首』『五人の賞金稼ぎ』『賞金首・一瞬八人斬り!』の三部作と、TVシリーズ『賞金稼ぎ』があります。

 若山先生の殺陣スキル全開の豪快なアクション時代劇のシリーズなんですが、もう時代考証も糞もないムチャクチャさで、特殊警棒でカリスティックみたいに敵を滅多打ちにするとか、1950年代に発売されてるS&W44マグナムを撃つとか、やりたい放題。

 劇場版は“時代劇版007”というのがウリだったのですが、マカロニウエスタン風時代劇でしたね。TVシリーズでの愛用の銃は、コルト・バントライン・スペシャル(銃身がバカ長いコルト45シングルアクションアーミィー。ネッド・バントラインがコルト社に作らせて当時の有名ガンマン四人に贈ったという伝説の銃で、使いこなせたのがワイアット・アープだけだったとか? でも、長い銃身でぶっ叩いてたって話)と、ランダル・カスタム(ウィンチェスターのレバーアクションライフルの銃身と銃床を切り詰めたS・マックィーン主演のTVシリーズ『拳銃無宿』の主人公の名前にちなんで呼ばれる)。

 若山先生が相当なガンマニアだったことが判ります。

 愛用の刀も、三尺の大太刀や仕込み杖など、変わった刀をよく使っていましたが、アジトにはいろんな刀や隠し銃、手裏剣、鞭、ライフル、拳銃・・・と沢山持っているという設定で、最初は表稼業は医者でしたが、後半は寺子屋の塾長になっていました。

 劇場版も面白いんですが、TVシリーズは更にコミカルな要素も増えて面白かったですね~。

 それにしても、特別出演で、いきなり錣市兵衛で出てきた若山先生、期待に違わず必殺居合斬りで数人を瞬殺してみせたりします。

 やっぱ、上手いな~・・・。

 ところで、ちょうど、日本映画専門チャンネルで優作映画の特集をやっていて、『蘇る金狼』とか観たばっかりだったんですが、若山先生の錣市兵衛のハードボイルドさは優作のハードボイルド・ヒーローと非常に似ています。

 若山先生と優作は、『新事件・ドクターストップ』と『ブラックレイン』で共演していますが、役者として、ちょっと共通した面を感じますね。暴れん坊なところとか?

 こういう俳優さんって、今は少ないというか、いないというか・・・何か、残念ですよね~。

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本の紹介!

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僕はずっと裸だった 前衛ダンサーの身体論』田中泯著 写真・岡田正人 工作社刊

 私が、この世の中で最も畏怖の念で見ている田中泯さんの著書が出ました。

「泯さんが本を書いたらしい」と聞き、町田のあおい書店の演劇コーナーに平積みされていたのを見て、即買いました。

 私は泯さんが現代思想とかニューサイエンス方面の著名な人達と知り合いであるらしい?ということぐらいしか知らなくて、泯さんの思想がどういうものなのか?というのも、まったく知りません。

・・・というのも、私は“思想”なるものに対して、非常に拒否感を持っている人間なので、自分では思想を持たないように注意していて、思想的なる人との付き合いでは距離感を保つことにいつも注意しているからです。

 何故?

 喧嘩になるからですよ。

“思想”に付随するのは“権威性”です。これは避けようもなく必ず付いて回ります。

 私は権威的なるモノを見ると叩き壊してやりたい衝動にかられます。

 だって、不自然の極みでしょう。権威性は人間が生み出した最も醜い精神の産物だと思いますし、権威主義から生み出された様々な暴力のシステムによって、どれだけ多くの人が苦しめられ続けていることか・・・。

 私が思想を持たないということを、「それ自体が長野さんの思想であることに気づいていないではないか?」と評した人が数人はいました。

 が、私は自らの“思想”を持たないと言っているのは、“思想”というものに付随する権威性を持たないという意味であり、思想そのものは空虚な観念でしかないと自覚しているという意味なのです。

 人が思想をとなえる時、そこには厳粛な権威性を伴っています。

 そして、その思想に共鳴した人達がシンパとなって崇めていくことで権威が構造化されていきます。

 そうやって出来上がっていったのが宗教であり、政治であり、社会システムそのものです。

 これらの社会システムを維持するためには、思想を共有しない者を排除する現実的なシステムも必要となります。

 それが法による裁きであり、それを執行する警察や軍隊といった諸機関です。

 お解りと思いますが、警察や軍隊は暴力で強制的に支配する機関です。逆らう者は処罰されます。

 カダフィが惨殺された様子をニュースで見て、「ざま~みろ!」と思った人は、カダフィが傲岸不遜で残忍な独裁者であるという観念だけを刷り込まれている人でしょう。

 客観的に惨殺されたカダフィの死骸を見たら、「何て残酷なんだ・・・」と思うのが自然な反応でしょう。

 人間の自然な感情をねじ曲げてしまうのも“思想”と呼ばれる“洗脳”なのです。

 こういう構造的なルートがあることを意識しないまま“思想”をとなえる人を、私はたまらなく嫌悪します。

 そもそも、「俺の思想は・・・」とかしゃべくる人間の“醜怪さ”を感じないことが気持ちが悪い。

 だから、私は、思想をしゃべっている人は下品で嫌いです。

「長野さんは思想性が無くって本音だけだから、ダメだな~」とか言うような人間は、人間の底が浅いんですよ。

 わかってね~な~・・・と思うだけ。

 人間の本音は、どんな作られた美辞麗句より、遥かにエネルギーを持っているのです。


 さて、そういう訳で、田中泯さんの思想を聞いてみたいと一度も思ったことがない私ですが、泯さんがどんな想いを文章にしているのか?という点は、ちょっとだけ関心がありました。

“ちょっとだけ”というのは、泯さんはダンサーとして言葉では表現し得ない深いレベルで雄弁に語り続けて来ているのを何度も観てきているので、あの肉体とオーラが表現し語りかけてくるのと同等以上のものが言葉で語られるとは思えなかったからなんですが、それでも泯さんが言葉ではどう表現するのかな?という関心も無くはなかったからです。

 以前、泯さんの写真集を買いました。

 圧倒的な迫力がありました。が、それは田中泯の肉体と魂が写真の力で召還されている魔術的なエネルギーが感じられたからでした。

 今回の本も、有り難いことに、故・田中正人さんが撮った写真が多く掲載されていて、それがもう、一つ一つが素晴らしい!

 私は文章を読む前にページをめくりながら写真を眺めてため息をついていました。

 ようやく、文章を読みはじめましたが、泯さんが、師匠、土方巽に対する熱い想いがこれほどまでだったのか?という驚きがありました。

 私は、25年程前に熊本の牧堂文庫の蔵書で読んだ、江戸時代の古伝書『無住心剣術書』(夕雲流剣術の伝書を神谷伝心斎の派の人間が書き写したらしい)で、同流を崩壊させる原因となった三世、真里谷圓四郎を「大酒呑みで人柄が悪いように言う人がいるが、腕前を批判する人は誰もいない」と擁護して書いている弟子の川村秀東を思い出しました。

 武術の世界でも、最近は師をないがしろにして恥じない人間が多いものですが、泯さんが土方巽という異人(マレビト)と出会うことによって、決定的に人生が変わっていった様子がうかがえるようでした。

 私は、今まで、田中泯さんに親しみを感じたことは一度もありませんでした。畏怖と憧憬の対象でしかなく、せいぜい、ジョークを言って無理やり笑かしてやろうとイタズラ心を燃やす程度でしかなかったのです。

 これは、憧れている人にあんまり近づき過ぎるとロクな結果にならないという、これまでの人生での経験則からのものでもありましたが、今度、泯さんに会う時は、もう少しばかり距離を縮めてみようと思いました。


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「江戸しぐさ」完全理解』越川禮子・林田明大共著 三五館刊

 ひそかなブームを呼んでいる“江戸しぐさ”の解説本ですが、陽明学の研究家、林田明大先生の解説も加わることで、実に面白く読めました。

 林田先生とは、今年の6月にスコーレ家庭教育振興協会の親睦会でお会いしまして、名刺代わりに本をお渡ししたところ、私が講師をやっているシダックス橋本店宛に御著書『イヤな「仕事」もニッコリやれる陽明学』を贈っていただきました。

 すぐにお返事しようと思っていたものの、甲野さんと親しくお付き合いされている御様子だったので、「いや、俺と付き合って甲野さんとの仲が悪くなったら申し訳ないしな~」とか思っているうちにズルズルと時を過ごしました。

 ですが、新しい本を出したので、自伝本と二つ、お贈りしたんですね。御礼として。

 そうしたら、『真説「陽明学」入門』という本もお贈りくださいまして、また、御自身のブログで私の本の感想も非常に好意的に書いてくださいました。

 ここまでしてもらったら、遠慮していても仕方がないな~と思い、一度、直にお会いしてじっくりお話させていただければ・・・と思っておりますので、林田先生、どうぞ宜しくお願いします。

 林田先生は、何でも長崎は島原の出身だそうで、やはり中学時代にいじめを受けたとか、何だか私と似たところがあるな~と思いました。

 親睦会の時にお聞きしたのは、昔、新体道もやっておられたそうで、今は甲野氏の紹介で韓氏意拳を学ばれているそうです。

 ルドルフ・シュタイナーの研究をされて、陽明学の研究を専門にされるようになったらしく、禅やニューサイエンスにも関心が深く、クリシュナムルティーもお好きなようなので、多分、共通の話題はいくつもありそうで、今から、ちょっと楽しみです。

“江戸しぐさ”も、これから時代小説書く時の参考にさせていただければ・・・と思っています。

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出版記念食事会

 あっ・・・またもや、記念写真撮るの忘れたっ!・・・という訳で、出版記念のお食事会でしたが、写真はありません。いつものオッサン軍団だけじゃなくって女性もいたのにな~・・・残念っ・・・。

 どうも、うちの会の特徴として、人が集まると夢中になって話し込んでお客さんを放ったらかしてしまうとか、気が利かないったらありゃしない。これも女性会員が少ないからかな~?とかも思うんですがね~。やっぱ、男に気配り求めるのは無理があるでしょ?

 この日は公園で稽古してから、駅で待ち合わせて和食ファミレス華屋与兵衛に行くという段取りだったんですが、天気予報で雨になるということだったんで、「練習は休みにして12時に駅に行けばいいかな~?」と思っていたら、曇天ながら練習可能で、カッタルイな~と思いつつ、10時半にいつものように駅に向かい、集まった会員と合流して普通に公園で練習しましたよ。

 今回の本で一番、写真モデルで活躍してもらったNさんも練習に参加してくれたので充実した練習になりましたね。

 彼は本当に、私が今まで会った人間の中で武術の素質・才能に関してはずば抜けています。10年20年先には、伝統空手・古武術・沖縄空手・中国武術、いずれも斯界のトップになる逸材だと私は思っています。

 でも、その素質や才能に驕ることのない素直な心根を持っていることが一番!

 うちに入会希望してきた時は中学生だったから、「中学生にうちの技を教えていいものか?」と北島師範と相談したものでした。

 だって、うちの技はマトモに使えば、簡単に人体を壊せる技ばっかり(武道に詳しいUSA支部長のアベさんがビビッたくらい凶悪で、ほとんど暗殺テクニック)ですから、暴れん坊の中学生とかに教えたら“ヒト死ニ”が出るかもしれません。

 実際、お父さんの太鼓判を得て入会した後、試合で交叉法を使って、危うく・・・(割愛します)・・・なんてこともあったりして、本人も武術の技をマトモに使えばどうなるか?ということをはっきり認識した様子で、私の注意もよく聞いてくれます。

 あ~、良かった~。

 やっぱ、バカチンに武術教えてはいかんと思います。

 最近、はっきり解ったんですけど、上達の要は、本心からやることですね。邪念がある人は、いくらやっても上達しないんですよ。テクニックとか理論とか、そんなものに頼る気持ちがある人は、結局、上達できませんよ。

 心と体は一体なんだな~と、つくづく思います。

 上達したかったら、一心にやること。それだけですね。秘訣は・・・。

 さて、早めに練習を切り上げて、12時に駅に戻ると、漫画家でいつもイラストをお願いしている黒谷薫先生と、今回、表紙イラストをお願いしたIさんも来ていました。

 いつも辛口批評な黒谷先生も、Iさんのイラストは絶賛していて、「女性ならではの描線の優しさとか、若い女の子だと明るいばっかりの絵が多いけれども、Iさんは暗い内面を感じさせるオリジナルのセンスがある」と評していました。

 もっとも、黒谷先生に私の小説原案とか漫画原案とか見せたら、散々に言われたんですけどね~(苦笑)。ショックのパァ~ですよ。

 華屋与兵衛は、いつも空いてるからお座敷で・・・と計画していたら、この日に限って予約されてて、テーブル席に大人数で座って、ちょっと窮屈・・・。だから、予約しとこうよって言ったんだよ~、もう~(忘年会はしっかり予約しとかなくっちゃ~)。

 実は小林先生御夫妻も呼ぼうかな~?とか思っていたんですが、呼ばなくて正解。「段取りが悪いっ!」って叱られるに決まってますからね~。

 何か、テーブル席だと、普通に、いつもの懇親会みたいな感じで、今イチ、出版記念という感じがしなかったですね~。

 編集のSさんも来なかったから、風邪でもひいてるのかな~?と思って電話したら繋がらず、帰宅してからまたかけたら留守電。深夜になって折り返し電話がかかってきて、徹夜で仕事して仕事場に缶詰になっていて疲れて出掛けられなかったとか? 電話しようとしたら携帯の充電が切れていたとか? オイオイ・・・。

 なんか、盛り上がりに欠ける出版記念食事会でしたが、黒谷先生が恩師の故・古城武司先生がコミカライズを手掛けたウルトラQの復刻漫画(マンガショップコミックス刊)と猫漫画雑誌『ねこころ』をプレゼントしてくれました。古城先生が病床で描かれた猫キャラの東海道五十三次の画集も発売されるそうです。

 私は、赤ちゃん猫を叔父さんが持ってきて飼ったので、最初のペットだったこともあって、やっぱ、猫好きなんですよね~。赤ちゃんから飼ってるから凄くなついて、家の玄関とかブロック塀の上で待ってて帰ってくるとニャ~っと甘えてきて、そのまま台所に直行してエサくれってアピールする・・・って、エサ欲しかっただけ?

 犬も好きなんですけど、散歩させたり手間がかかるから、エサやっていればいいだけの猫の方が物ぐさな私には合います。

 Iさんも記念にケーキを持ってきてくれまして、私が20歳くらい若かったら惚れたな~・・・とか思いましたよ。

 会員は何にもくれんかったな~・・・。

 武道業界では、2000部も売れてない本の出版記念パーティーを京王プラザホテル借りて盛大にやったりするのが恒例なんですが、何かね~、そんなに見栄張ってどうすんの?って、私なんかは思ってしまうんですけどね。

 アスペクトさんでシリーズ化して七冊。累計で5万部近くはいってるんじゃないか?と思うんですが、今回の本が、実は一番、自信が無い。

 けれども、案外、そういう時の本の方が評判が良かったりするんだから、不思議。

 何か、「今までの本で一番、良かった」とか、「感動しました」というメールをいくつも頂戴して面食らっています。

 気功とか、そういう方面にかなり批判的な内容なので、反発が凄いと思っていたんですよね。

 けれども、むしろ、「よくぞ、言ってくれた!」という意見もありましたね。

 もちろん、格別に苦労した本なので、評判が良いと嬉しいんですが、自分自身が満足できるには遠く及ばなかったので、多少、複雑な気持ちではあります。

 試し斬りの技も、もう、本で解説したレベルよりずっと上手くなってるし(もう、片手でスパスパ切れます。逆手斬りもできる)、はしゃいで披露してる自分が恥ずかしくなってきています。

 最近、以前に作った刀の拵えが気に入らなくなってきて、発作的に改造したりしていますが、相州綱廣の南蛮鉄で鍛えたという刀も、「ちょっと柄糸を巻き直そうかな?」と思っていたら、柄そのものが太過ぎるように感じてしまって、鮫(エイの革)を剥がして、補強用の針金をほどいて柄木をノミで削り、ミニカンナで削り・・・とやったりして一日がかりで改造し始めてしまった訳。

 こういう無駄っぽいことでも、経験が増えれば、それは財産になります。

 ラブホのバイトも、弟子の造反も、ストーカーの嫌がらせも・・・すべてが財産!

 ところで、時代小説作家になるためにいくつか読んでおこうと思って、『いっしん虎徹』という小説を買ってきて読んだんですが、これは非常に面白かった。

 中で南蛮鉄の描写が出てくるんですが、やっぱり、南蛮鉄と呼ばれたのはダマスカスナイフの原料として有名なウーツ鋼だったんですね~。

 刀好きにとっては必読の本です。虎徹のライバル?として三代目越前康継が出てくるんですが、将軍家お抱え刀鍛冶だったものの、何か、あんまりパッとしない印象があって好きになれなかったんですが、この作者も同じように感じていたんだな~・・・と、妙なところに共感してしまいました。

 虎徹、正宗、清麿は偽銘が多いですが、偽物でも出来が良い刀が多いみたいです。

 横浜名刀会で偽銘の虎徹を見ましたが、非常に出来が良くて、値段も頃合いだったので買おうかな~?とか思っていたら、さっさと売れてしまっていました。

 私はブランドで決めるタイプじゃないんですが、やっぱり、良い刀は有名な刀匠の作ですね~。

 武道やっている人間は、日本刀は一振りだけでも購入すべきだと思いますよ。

 なんて、綱廣の柄の拵えを作り直していたら、青木先生から電話があって、試し斬り用の刀をお弟子さんに使わせていたら、地面に切り込んでしまって刃毀れが出来てしまい、オイルストーンの砥石(ナイフ用のもの)で刃毀れは直したものの仕上げ研ぎ用の砥石が無いので研いでもらいたいとの御用でして、まあ、本職じゃないけど、試し斬り用の刀なら素人研ぎでも問題なかろうと思ってお引き受けしました。

 何しろ、青木先生から趣味の刀剣研ぎセットをプレゼントしてもらっていますから、これは御恩返ししなくてはいけません・・・。

 で、送られてきた刀を見てみたら、丁子刃紋で反りが深く、やや腰反りで重味のある刀です。試し斬り用には少しもったいないかな~?という感じです。銘は“助博”。新々刀か現代刀(明治頃?)かな~という感じですが、二尺二寸弱で扱いやすい。

 日本刀の定寸は二尺三寸とされていますが、私がこれまで多く見てきた限りでは、二尺二寸の刀がもっとも多いように思えます。

 江戸時代の日本人の平均身長からしても、二尺三寸だと現代人が二尺五~六寸の刀を使うくらいの感覚になってしまうんじゃないかな~?と思うんですが、二尺二寸だと二尺四寸から四寸五分くらいの感覚で扱えたのではないか?と・・・。

 現代の居合道の抜き方だと、二尺六寸以上の刀を抜くのはかなりきつくなってしまいます。二尺七寸あったら、もう抜けないでしょう。

 長い刀を抜くには真半身をきって鞘引きと腕・胴体・腰を開く動作を一致させねばなりませんし、鐔も小さくないと右手の合谷のツボ辺りに当たって痣になったりします。

 昔、二尺七寸の超合金模擬刀で居合の練習をしていた頃、右手の合谷の辺りに黒々と痣ができていて、何で、こんな所に痣が?と思っていたんですが、居合の練習で鐔が当たってできたんだと判るまで、しばらく気づきませんでした。

 おっと・・・また、関係ない刀話が長くなってしまいましたので、本日はこれまで!

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やっぱり気功のせい?

 除霊と称して暴行死させたという事件は昔からありますが、除霊と称してレイプしたって話ははじめて聞きました。

 それがまた、太気拳(意拳)の道場をやっていた人だっていうんだから、カナヅチで脳天ぶっ叩かれた気分です・・・。あ~あ・・・。

 オヤジ狩りを撃退して過剰防衛になっちゃったというんだったら、むしろ拍手したいくらいですが、60過ぎて未成年の少女を襲うのに「除霊です」って、恥ずかし過ぎます。

 もうね~、TVのニュースで、「容疑者は、このようなものをやっていたそうです」ってレポーターが言って、カメラが斜め下に下がると、“太気拳(意拳)~~道場”って看板が映った時は、ガァァ~~~ン・・・ってなりましたよ(苦笑)。

 近所の人の話だと、「なんか太極拳みたいなことやってた」とか、「お経のようなものをブツブツ唱えていた」って・・・。

 ははぁ~? これは立禅やり過ぎて“魔境”に陥っちゃったんだな?と思います。

 中国武術系は気功の訓練でオツムがイッちゃう人がいますからね。ザラに・・・。

 私が『潜在力を引き出す武術の丹田』で警告していたような状態になっていたんじゃないか?と思いますね。

 辞めさせた元の会員にも気功に熱中して“除霊”の話ばっかりするようになった連中がいましたが、脳の違うチャンネルにチューニングしちゃって現実感覚を失ってしまう場合があるから、私は気功訓練はあんまり薦められないですね。

 立禅やっていると誇大妄想的になるのは事実で、言動がおかしくなって自制できなくなる人も数パーセントはいます。危険性を解ってやってる分には自分で「あっ、これはおかしいな?」と自分で気づいてやめられるんですが、無邪気過ぎる人だとイキッぱなしで戻ってこれなくなっちゃうんですよ。

 もっとも、断っておきますが、気功訓練が悪いんじゃなくて、気功の訓練によって刺激された脳が、その人の本質的に持っていて隠している欲望とか邪念を引き出してしまうのだと私は考えています。

 だから、まっとうな人はヘンにならないんですよ。

 元からヘンな人が、より一層、ヘンになっただけ。換言すれば、本性が顕れただけ。

 なので、精神病的資質のある人がやれば、テキメンで発症してしまう。病的要素が出尽くしてしまえば良くなるとも考えられますが、それには一定期間が必要で、治るまでに社会生活が営めなくなる現実的危険性の方が心配されます。

 病的要素は誰でもある訳ですから、上手にコントロールして付き合っていった方が無難だと思いますね。無理に完全に治そうとする方がムチャだと思う。

 私は人によって教え方を変えるし、入会希望者を門前払いすることもありますが、それはすべて相手を観て、その人に害のないように考えて対処するのが常です。

 九割りの人に武術は役立つと思っていますが、中には、武術をやれば人生を壊しかねない人だっているんですよ。

 意味なく人に危害を加えるような人間にとって武術は暴力拡大装置にしかならない。多くの人に迷惑をかけて、最終的には本人を自滅させてしまう。

 私は教える立場ですから、そこまで予測して、習う人に何が必要なのか?ということも考えていかなきゃならないと思っていますが、今回のような武術をやっている人が社会的な事件を起こすと、情けないやら恥ずかしいやら・・・。

 正義のヒーローになれとまでは申しませんが、武術修行者としてのプライドは失わないで欲しいですね。ホント、頼むよ~。

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11月例セミナー報告

 今月は二回ありますので少し参加者が減っていましたが、今回も楽しくやれました。

 もっとも、参加者の皆さんは、もう「格闘技と武術はまったく別物」という私の主張を実感として体感している様子で、最早、「競技としての格闘に武術の技を活かす」ということには関心が無くなってしまったようにも思えます。

 セミナーを始めた当初は、「ジャブにはどう対処するのか?」とか、「ローキックには?」といった質問が活発に出されたものですが、最近は、そういう質問はほとんど出なくなってしまいました。

 どうしてか?というと、うちの戦闘理論が、「相手が攻撃しようと動き出す寸前に密着して崩し・打撃・逆関節・投げを複合的にかけて相手に何もさせずに一方的に潰す」というものなので、個々の技への対処法を聞いても意味がないことを徐々に理解しつつあるからだと思われます。

 それでも、“密着する方法”について聞いてくる人もいまして、「さすが、判ってる」と感心しましたね。

 そうなんですよ。ボクシングでも伝統空手でも剣道でもフェンシングでも、フットワークを駆使して遠い間合から一気に打ってくるのであって、こちらが密着するのを黙って待っていてくれる訳ではないからです。

 私が甲野氏に代表される伝統武術の“技の見せ方”に疑問を感じるのが、この点にあります。初めから、自分が一方的に技を施せるようなシチュエイションに限定した“状況設定”の中で神技?をやってみせている。格闘のリアリティーが無いんですよ。

 神技が成立する条件は主に二つ。

「相手がこちらの技を知らないこと」と、この“状況設定”というヤツです。

 甲野氏にしろ、大東流合気の合気上げ等にしろ、この二つの条件が崩れてしまえば、まったく通用しないと言っても過言ではありません。甲野氏がガチ勝負になると連戦連敗しているのがよい証拠です。恐らく、勝った試しはないでしょう。

 例えば、甲野氏が吉田秀彦さんと『爆問学問』で相撲を取って2勝1敗していましたが、これもカラクリがあります。

 それは、“畳半分くらいの狭いスペースでやった点”にあり、このくらい狭いと動き回っていなすことができなくなります。必然的にいきなり組み合うことになりますが、甲野氏は重心を低く取って上体を脱力させて相手の力を受け流し、自分は下からかち上げて相手の重心を浮かす・・・。

 スペースが広ければいなすことができますが、これを封じるためにワザと狭いスペースを設定して「逃げられない不利な状況でやっている」という具合に相手には思わせ、実は相手を“居着かせて”自分が有利になるようにしているのです。ウマイっ!

 私が大東流佐川道場の木村達夫さんに合気揚げを何度もかけられてカラクリに気づき、足場を広く取って封じた・・・というのも、同様の理屈です。

 知らない相手には簡単にかかっても、仕組みを見抜かれれば通じなくなる・・・それが武術の一面の真理なのです。手品と一緒で、このような戦術を“強い弱い”で考えるから踊らされてしまう訳ですが、ま~、見抜けない人の多いこと多いこと(苦笑)。

 甲野氏は、相手が自由に動き回って闘うことを制限するための状況設定を工夫するのが、彼の考える武術研究のテーマなんでしょうね。

 それでも、番組を見ていたら無邪気に手の内もさらしているし、あれは見抜けない人間も問題なんだから、まあ、しょうがないな~と、笑って見てました。それに動きだけなら60過ぎてあれだけできれば大したものでしょう。特に嘘も言ってないし・・・。

 むしろ、問題視すべきなのは、田中さんに棒を持たせて真剣を振り回して見せていた点ですが、弟子相手にやるのなら判りますが、素人相手に真剣を振り回して、万が一、事故が起こったら誰が責任を取れるのか? 真剣を素早く振れると自慢する前に、あれだけ速く振り回せば、目釘が折れて刀身が飛び出す危険性も考えられ、危険極まりない。

 甲野氏は元々、常識そのものが欠落している人なので、番組プロデューサーとディレクターの認識の甘さを糾弾せねばならないでしょう。居酒屋の畳ひっぺがして手裏剣打つようなイカレポンチを野放しにしちゃダメっすよ。


 かくも“状況設定”というのはカラクリが隠れているので要注意。

 しかし、これは戦術的な意味もあるので、完全に無意味という訳ではなく、世に達人と呼ばれた人のほとんどが、巧妙に相手を追い込んで実力を封じておいて倒していた訳ですし、私自身も、大いに利用しています。

 ただ、タネと仕掛けを説明しないとあまりにもアンフェアだろうと私は思っているので、大抵の場合、やってみせた後で説明するように心掛けていますが・・・。

 不勉強で頭の悪い人は武術には向かないと言ってきたのは、戦術を見破れないとダメだからです。武術は戦略的思考力、換言すれば“狡猾さ”が求められるのです。

 つまるところ、“読み”が先にある訳です。

“読み”を深めれば、それは相手の“思考”を読むところまで行きます。それも、相手が意識する以前の無意識に隠している思考まで読むことを武術の心法は追究します。

 どうやって読むか? 文章で読む。表情で読む。声のトーンで読む。癖で読む。対人の間合で読む。服装で読む。趣味で読む。身体(姿勢・体型・骨格・筋肉の緊張)を読む。

 私は、日常的にそういったことを意識的に考えながら生活しています。


 さてさて、今回のセミナーでは、北島師範が体調不良で休んでいたので、矢嶋師範代に前半の進行を頼みましたが、その前に、彼には重要なことがありました。

 セミナーの最初には、いつも参加者全員で車座になって自己紹介をやってもらうのですが、その時に、矢嶋師範代には、ある“告白”をしてもらいました。

 内容については彼が自分のブログで書くと思うので、ここでは触れません。彼自身が包み隠さずに自分の本心を明らかにすることに意義があるからで、私が分析して代弁しても仕方がないからです。

 今回、参加者から、「先生のブログで個人名を出して批判していたのを読んで、不特定多数の人の目に触れるブログで書くのは、いかがなものか?と思っていたんですが、そういうことだったんですか。それで安心しました」という感想がありました。

 私が、個人名を出して批判する時は、相手が社会的な影響力のある人の場合か、あるいは身内の中で責任を持たせている人間の場合か、概ね、どちらかが理由です。

 矢嶋師範代の場合、私に代わって游心流の技を指導するのを許している・・・という立場上、必然的に厳しくならざるを得ませんし、もし、その責任感の自覚が足りなければ、とっくの昔に解任しています。いや、実際に、今のままだと解任するしかないと思っていました。

 簡単に言って、実力が足りなかったからです。同期の会員は皆で、どうやったら矢嶋さんを師範代に相応しい実力にさせられるか?と相談していました。本人もどうやったら上達できるのか?とわからなくなっていた訳です。

 いつも書いていますが、私が追究している武術は前人未踏の“達人が当たり前”の領域であって、自己満足で武術を楽しみたい人や、武道やって黒帯がとれる程度で満足できる人を指導者に任命する程、甘い考え方はしていません。

 何より、そんなレベルの低い考えで武術に取り組んでいれば、必ず自分の身を滅ぼすハメになってしまいます。行き着く先は、誇大妄想狂か、自惚れて痛い思いをするか、そんなところです。

 最も重要なのは、本心に従うことです。エエ格好しようとか優越感に浸ろうという邪念があれば修行は進みません。間違った方向に進んでいるのに自分では気づかない・・・そんな事態に陥っているのを矯正するのは師の義務です。

 彼も相当に悩んだ筈ですが、性格的に客観的に考えられないし、逃げたりごまかしたりする心の弱さが見えました。だから、真正面からしっかりと悩むませるべきと考え、そう仕向けていた訳です。案の定、迷いがふっ切れると、見る見るうちに向上してきました。

 以前は、問題点を10回以上、注意しても直せませんでした。尋常ではない覚えの悪さでしたが、自分の問題点を自覚してからは、一回注意してちゃんと直せるようになりました。いかに今まで心と身体が乖離していたか?ということです。

 翌々日の東京支部の稽古会の時には、彼の心の強さを試すために、わざと真剣(相州綱廣)を使って独己九剣をやりましたが、これは今まで北島師範にしかやっておらず、北島師範は緊張のあまり、あっという間に顔面が汗塗れになっていました。

 そりゃあ、怖くて当たり前ですからね。触れれば斬れる刃渡り60cm以上の刃物を突き付けられるんですから、バカでなければ怖い筈です。

 ところが、矢嶋師範代はさして緊張することもなく淡々と打ち太刀をやってみせ、大した胆力だと感心した次第です。「長野先生の腕を信頼しているからできたんです」と言ってはいましたが、以前の彼だったら眼前の真剣への恐怖に身体が竦んで、まともに動けなくなっていただろうと思います。

 私が考えていた以上に、心と身体は不可分なのだと改めて思い知った次第。

 現在、「人を傷つけるのは良くないことだ」という論理が過剰に行き過ぎて、子供の頃から傷つけないように育てようとする風潮があるように感じます。児童虐待は論外ですが、過保護が行き過ぎれば、大人になっても人の痛みの解らない馬鹿にしか育ちません。

 傷つくことは人間の成長に絶対に必要なことなのです。傷ついたり傷つけられたりする体験を繰り返す中で、痛みを知り、他者への思いやりや感謝の気持ちを育むことが本当の成長に繋がると私は思います。

 ましてや、武術は自分の大切な人を守るためには命をかけて戦い、場合によっては人を殺すことをも厭わないリアルな生存戦略を大前提にしているのですから、つまらぬ自尊心なんぞは踏みにじって捨て身で身も心もさらす覚悟が無くては向上は夢のまた夢です。

 3.11以来、日本という国は裏の仕組みが次々に露になってきています。新聞やTVのニュースさえ信用できない時代に、人は何を信じて生きていけるのか?

「もう、誰も信じられない!」と嘆くようなマヌケのままで世の中に対する絶望と不信にマゾみたいに浸って生きるのか?

 私は自分以外は信じてません。疑う訳でもありませんが、所詮、人は人。

 他人に憧れても自分が他人の人生と代われるものじゃありません。

 人間、生きるも死ぬも一遍こっきりですよ。生きてるうちが花なんだから、絶望に打ち拉がれて人生終わるより、やりたいことを全力でやって天命尽きた方がいいんじゃないですか?

 これまでは、出る杭は打たれるから出ないようにしよう・・・っていうのが基本的日本人の生き方マニュアルだったんでしょうが、そんなつまんない生き方したって、死ぬ時ゃ~、死ぬんだから、他人に嫌われても自分がやりたいように生きた方が絶対にいいんですよ。

 そういう覚悟を決めてしまえば、こんなに楽なことはありません。他人の目線なんか気にする必要もない。


 セミナーでやった内容についても一つだけ触れておきましょう。

 今回は、相手のパンチしてくる腕にからめて崩し、倒しながらそのまま腕を取って腕拉ぎ逆十字固めに極めていく・・・というのをやったんですが、こういうやり方は総合格闘技などでもざらにやりますね。

 で、当然、そうするのだろうと思った参加者もいたと思いますが、実はそれは目的ではありません。腕を取ったまま寝技に入りつつ、カカトで肋骨を蹴り折る・カカトで顔面を叩き蹴る・足刀で喉首を蹴り潰す・・・という凶悪な技を指導しました。

 寝技で関節の逆を極めて仕留める・・・という発想は格闘技のものであって、武術の場合は急所に致命傷を与えるのが当然のやり方です。これは素手でも武器を持っていても変わるものではありません。

 が、もしも、こんな攻防を日常的に乱取りで練習したら、たちまち死人と半身不随者を量産してしまうでしょう。このような事情を知れば、多くの伝統武術が型稽古オンリーになっていったのも必然的な流れだと私は思いますし、「型しかやらないから弱い」だのと馬鹿にする態度は、あまりにも無知だと言わねばならないでしょう。

 11月23日の“つばさ基地”での武器術セミナーは、棒・剣・銃の三つを基本として、素手で武器に対する術、武器から素手に応用する術・・・などをやる予定ですが、型稽古でなければ体得できない武術の理論について、実地に御説明したいと思います。


PS;11月19日から全国東宝系で上映される、アンディ・ラウ、ニコラス・ツェー、ジャッキー・チェンが出演する新世紀の新しい少林寺映画『新少林寺』の劇場プログラムで、「少林寺武術」について拙文を書かせていただいております。劇場にお越しの方は、是非、お買い求めくださいませ!
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セミナーのお知らせです!

 東京支部の矢嶋師範代が仕事の都合で11月中はかなり忙しくなってしまい、15日以外は休まざるを得ないということで相談してきまして、けれども1日は新規に入会希望者が来られるということだったので、私が臨時で師範代々?で行きました。

 初心者なら未だしも、うちに来られる人の過半数は、既に他流で相応の実力を身につけている例が多く、そうした人達が納得できる技をやって見せられなければいけない・・・と思っています。

 私は、武術を学ぶ以上は、第一に実力を求めて欲しい。自己満足を求めるだけの仲良し倶楽部がやりたくて游心流を興した訳じゃありませんから、自己満足しか求めていない人達には出ていってもらいました。

 筋力に頼るスポーツであれば、一日休めば腕は落ちます。一カ月休めば一年の努力が無駄になります。

 しかし、武術の場合は、一度、達したらまず落ちることはありません。自転車に乗れるようになったら乗れなくなることがないように・・・。

 筋力ではなくて身体感覚(神経)主導だから、こうなるのです。

 武術は本来、身体感覚を磨いて身体の潜在能力を余すことなく使うことを目論んで構築されています。最初は身法を磨き、中級以上は心法を訓練します。

 游心流の常連会員は、現在は、心法の訓練が主体になっており、私自身、もう身法(身体の動かし方)を教えるつもりはありません。北島師範矢嶋師範代に任せています。

「これが游心流の基本にして極意だ」と言っている基礎錬体すら、私自身はほとんどやっていないのです。

 太気拳や意拳では、「立禅(站椿功)だけやればいい」と言われますが、中級から上級の段階に達している修行者にとっては、これは本当のことです。

 肉体の訓練をやるよりも効率良く身体内の神経回路を無限増殖させていくことで、できなかった技を身体に覚えさせていくことができるからです。

 筋肉を繰り返し動かして技を覚え込ませねばならないと信じ込んでいる人には納得できないでしょうが、私がパッと観ただけで一度も修行したことのない流派の技を覚えて、しかも返し技や応用技を即座に考案してしまえるのも、要は常に脳神経系の訓練をしているから、技を構造的に解析している・・・ということです。

 形や手順を覚えている訳ではないのです。

 無論、型は大切です。型の形に意味があるからです。

 しかし、型の意味する要求は“理合(技と術を駆使する理論)”であり、いったん理合が解ってしまえば型の形通りに動くのは逆に不合理なのです。

 どうしてか?というと、型は設定された状況での戦闘の一例を示しているに過ぎないので、その用法を覚えても、相手が自由に攻撃してきたら対処が難しいからです。

 いくら関節技を覚えても、遠間から素早い突き蹴りを連発されたら役立たないでしょう? その場合、突き蹴りを捌いて密着しないと関節技をかける余裕はできません。

 突き蹴りを捌かれて寝技で仕留められる恐怖から総合格闘技に移ったフルコンタクト空手マンも多いと聞きます。パターン化した技しか知らなければ別系統の戦闘法には対処できないのです。

「打撃と組み討ちがある総合格闘技こそ最強だ!」と主張する人には元フルコン空手出身者が多いみたいです。

 しかし、空手はもともと総合的格闘技術を持っていましたからね。突き蹴りオンリーになったのは試合偏重のせいです。

 だから、「沖縄空手最強!」みたいなことを言い出す人もいます。でも、これも競技空手のイメージから過大評価しているように私には思えます。流儀の優劣で考えることそのものが大いなる勘違いですよ。


 一つの技には、応用法、変化技、返し技が必要になるのですが、それらを一つ一つ覚えていったら膨大な量になってしまい、人間の記憶容量には収まりません。

 重要なのは、形を覚えるのではなく、理合に沿って合理的に動く身体感覚を養成することであり、それができれば結果的に応用変化、返し技も自在にできるようになる訳です。

 そして、このような能力は心法の訓練にシフトしてきてから一気に高まったのですが、一日中、何の練習もしていないのに実力が上がり続けられるのも、それだけ脳神経系が開発されていっているからで、視点を変えれば、むしろ、「一日中、練習している」とも言える訳です。

 逆に、今、常連会員の中では矢嶋師範代だけが上達が停滞し続けて、後輩に次々に追い抜かれてしまっており、正直、今のままだと師範代を名乗らせる訳にはいかないな~と思っていたんですが、どうやら理由も判明しました。

 良くも悪くも、彼は生真面目で、言葉に捕らわれて信念に頼るタイプなのが向上を妨げている様子です。要は、頭が堅い。柔軟な思考力に欠けるところがありますね。

 つまり、彼は「脱力が大事である。脱力して重心移動を使う」という言葉に捕らわれ過ぎて、逆に筋肉に力が入って重心移動も使えなくなっているのです。

 逆暗示がかかってしまっているんですよ。

 意識すればするほど、身体が逆に力んでしまい、重心移動しようと身体をバラバラに使いながら“連動していない”ので重心移動が結局は使えないまま、打つ瞬間には身体を固めて上腕の筋力で打ってしまっているのです。

 大石教練が自分を打たせて矢嶋師範代の掌打の“質”を確認していましたが、打つ瞬間に腕に力が入ってガツンと叩いてしまうので威力が浸透しない。「もっと力を抜いて」と言うと、今度はペチペチパンチになってしまう・・・。

 つまり、重心移動を掌まで導けていないのです。

 打つ瞬間に重心が上がってしまっている。これじゃあ、一発で倒す重さは出ません。一発で倒せないパンチを何発打っても時間の無駄です。

 フルコンの渾身の力を込めた突き蹴りの方が遥かに効きますよ。

 矢嶋師範代に必要なのは、毎回の練習で体感したことを一つ一つ着実に覚えて問題点を改善していくことですね。それしか、向上の道はないでしょう。

 単に戦うだけのことなら筋力でぶっ叩こうが勝てばいいんです。

 しかし、小柄な日本人がそれをやっていても熊みたいな外国人には遠く及びません。

 重心移動を用いた打撃は相手の芯に響き、根こそぎ大木を刈り倒すような圧倒的なパワーが出せます。そのパワーで一瞬に打ち抜く発勁の怖さは受けた者しか理解できないでしょう。

 人体に耐えられないレベルの必殺パワーが出せることが游心流の第一の目標です。それを体得してから、「人を傷つけずに制圧する技」を追及していかなくてはいけませんからね。

 もっとも、こういうことは游心流だけがそうだということではなくて、本質的には武術にとって当たり前の論理なんだと思いますよ。

 次の月例セミナーは、13日に江古田ストアハウスで実施しますが、今回は格闘技や護身術に武術をどう応用するか?という点を参加者と一緒に考えながらやってみたいと思っています。

 やっぱり、「武術は伝統文化だから型の伝承こそが本筋である」という筋論では、世間的に納得する人はいないと思うんですよ。

 武術の実用ということを今回は考えてみたいと思っていますので、志しある方は是非、おいでください!

 それから、23日の祝日には、場所を“つばさ基地”さんに変更して『武器術』のセミナーを開催します。今回は試し斬りの研究も進んだので、また希望者にはマキワラ斬りもやってもらおうと思っています。

 刀で斬るという運動は構造的に「力の集中」「力の持続作用」「力の浸透」「全身の連動」といったことがどれだけ成立しているか?という確認作業に非常に有効だということが判明してきました。

 まず、斬れるかどうか? そして、切断面で力がブレずに作用しているか? 斬り方で力の働く角度と身体連動の具合を知ることができます。

 私が寸勁斬りや抜き斬り、片手逆手斬りなどを試しているのも、すべて「手の内や姿勢で斬るのではなくて、いかにして体幹部の力を刀の刃に伝達させるか?」という実験なのです。

 独己九剣の稽古で確認できない部分を試し斬りで実験している訳です。

 最近、真っ向斬りに限れば、無刀捕りが相当できるようになってきました。北島師範も安心してビュンビュン振ってくれるようになりましたが、シダックスで模擬刀でビュンッと振ってくるのをヒョイッと避けて奪ってみせていたら、剣道をやっていた受講者の方がえらくビックリされていました。

 読みと拍子について知らない人から見たら信じられないかもしれませんね。理論が解れば、別に難しいという程ではないんですが・・・。

 そういえば、私は今回、観に行けなかったんですが、アクションパーティナイト5を観てきた北島師範は、「つばさ基地のキックボクシング講師の人がリキヤさんとガチ試合していたんですが、凄かったですよっ! でも、一番、凄いと思ったのはニューハーフ忍者のヒバリさんで、鎌ヌンチャクとか目隠ししての鎌投げで風船を割ったり、手裏剣も反転打法で二本同時に打ったりしていてビックリしました。とても僕たちなんかの演武は比較にならないですよ。やっぱり、先生が言う通り、プロのエンターティナーは技のレベルがハンパない上に、芸も備えているんだから凄いですね~・・・」と、ひたすら感動しまくっていました。

 いや~、23日は秋本さんに笑われないように頑張らなくっちゃ~、オレ(苦笑)。



PS;相模原メイプルホール稽古会、渕野辺日曜稽古会東京支部稽古会横浜同好会橋本同好会(別名・猫の穴)、江古田ストアハウス月例セミナー、ほびっと村講座、シダックス橋本駅前店カルチャークラブも宜しく! USA支部もありますが、近日中に游心流の英語版ホームページもできますので、来年はいろいろとワールドワイドに活動を広げていく予定でおります。

※事務連絡※
2012年月例セミナー 一括予約(先行割引予約)開始しました。
・全回参加で通常120,000円を半額60,000円で受講出来ます!
セミナー常連の方(游心流会員も含む)はさらに10,000円を引いた、50,000円でOKです!
(2011/12/10まで受付)
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和鋼(玉鋼)について

 忙し過ぎて、なかなか行けなかった横浜名刀会にようやく行ってきまして、その時に“玉鋼(タマハガネ)”のカケラが売ってあったので、一個、買ってきました。

 玉鋼というのは、日本刀の材料になるタタラ製鉄で造られた“和鋼”です。

 NHKでドキュメンタリー番組になるくらい、タタラ製鉄というのは日本の優れた伝統的製鉄技術であり、現代の最先端技術でも採れない純度の高い鉄が採れるというのですから、本当に凄いものだな~と思います。

 この“タタラ”という言葉も、現代でいうところの“ハイテク”に相当する言葉だったそうで、イメージ的には錬金術に近い感じかもしれません。

 タタラの技術者はタタラ者と呼ばれたり、時には妖怪“一本ダタラ”に譬えられたり、“山窩”のように山を漂泊して生きる特殊な技術者たちとされていました。

 元々は、遠くヒッタイトの一族が流れてきて、中国、朝鮮半島を経由して日本に帰化したと言われていますが、東南アジアにもタタラのような製鉄をする種族がいるらしくて、南洋から経由してやってきた可能性もありますね。

 ところが、ここが面白いところで、タタラ製鉄で造られた和鋼は、山の砂鉄を溶かして造られているんですが、日本刀という世界にも類例の無い美術的刀剣を造るのに適した粘りのある性質で、打ち延ばして折り重ねる多層鋼に硬軟の鋼を組み合わせた片刃曲刀の姿はほとんど変わらないのに、刀身に浮き出る鉄の粒子が描き出す紋様の美しさは多数の流派を生み出してきました。

 代表的なのは、粟田口、一文字、青江、長舩、金剛兵衛、波平、三条、古備前、尻懸、志津、三池、舞草(新東宝の封印作品『九十九本目の生娘』の設定に登場する)等々。

 純度の極めて高い鉄に木炭を燃やして出る炭素が加わる炭素鋼が日本刀の素材ですが、近代的なコークスを燃やして溶かして固める鉄材とは全く違っている訳です。

 江戸時代初期には南蛮鉄(ウーツ鋼?)を混ぜて造られた刀もあったり、幕末には東北の“餅鉄(磁鉄鋼)”を利用したりもした(蟠竜斎道俊など)ようですが、日本刀の素材はタタラ製鉄で造られた和鋼でなければダメだと言われています。

 しかし、タタラ製鉄は技術者の負担が大きく、大量に造ることはできません。物凄い苦労をしてできる鋼だから、“玉を得るような鋼”という意味で、“玉鋼”と呼ばれるようになったそうですが、この言葉自体は明治以降に呼ばれるようになったのだとか?

 実際に“玉鋼”を観てみると、黒・銀・金・青・紫の色味が含まれて貴金属の原石のような感じがします。
20111107_001.jpg

 人間が造り出した純度の高い鉄ということで考えると、まるで錬金術に於ける“賢者の石”を彷彿とさせる神秘的な感じさえするのです。

 近代の産業文明以前に人類の文明が発達する最も大きな原動力となったのは、実は“鉄”だという説があります。

 鉄器文明によって武器が発達し、戦争が文明を高める切っ掛けになったからであるとされます。

 自然界には純粋な鉄は存在しません。酸化鉄しかありません。

 古代の鉄剣は隕鉄で作られている例が多いそうですが、隕鉄にはニッケル分が多くて白っぽくなるそうですね。

 砂鉄から精錬するタタラの技術がどこから来たものなのか?と考えると楽しい。

 砂鉄や鉄鋼石という酸化鉄を精錬して様々な合金を作り出して文明を高めてきた・・・ということを考えると、確かに人類が文明を高めてきたのは鉄のお陰かもしれないな~と思いますし、錬金術の原型になっているのは鉄の精錬にあったのかもしれませんね。

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『妖怪人間ベム』感想

 日テレ土曜夜の『妖怪人間ベム』。

「『怪物くん』みたいなパロディ的な感じになったら嫌だけどな~」と思っていたんですが、意外に重厚な人間存在を哲学する内容になっていて、非常に感心しています。

 亀梨君のベムというのは無理があるのでは?と思っていましたが、これがビックリ。かなりの好演で原作のベムよりずっと人間味があります。彼の当たり役になるかもしれませんね。

 そもそも、原作アニメがあまりにも怪奇趣味が際だっていて、敵の妖怪なんかより主人公たちの方が不気味という点が出色でした。

 しかし、昔のヒーロー物って、結構、怪奇趣味が強かったりしてましたよね。

 黄金バットだって、何で顔がドクロなんだろう?って思ったし、鬼太郎だって紙芝居の時の“奇太郎”は、ひたすら不気味な顔で邪悪な感じでした。

 デビルマンだって原作の絵は悪魔そのものだし、ウルトラマンも最初は高原竜ヒドラみたいな怪獣タイプで名前も“ベムラー”・・・。

 これなんか、メタリックなヒューマノイド・タイプのウルトラマンのデザインが決定してから敵怪獣に名前やデザインが流用されたってことでしょう。

 いかに映像化されるまでに企画が変転していくか?といういい例ですよ。

 私も、今、小説家目指していろんな作品のプロットを考えては練り直し、考えては練り直し・・・と繰り返していますけれど、こういうのは自主映画撮ってた学生時代以来でしょうかね~?

 ここ最近は、TVドラマがダメになってきて・・・みたいな話ばっかりでしたし、特に時代劇ドラマがほとんど消滅してしまったことからTVの危機が囁かれていましたが、いや、むしろ、最近は力入れてドラマ作ろうとしている感じがしますけどね。

 栗山千明の主婦スパイ物みたいなのも、「えっ、何で栗山千明がこんなチープなドラマに主演してんの?」って思ったんですけど、でも、観ると面白いんですよ。ラノベっぽいのが大人の鑑賞にはたえないと思えたんですが、本来、エンターティンメントって、こういう非現実的な話を軽く見せてくれるところが大切なんですよ。

 仮面ライダーや戦隊シリーズが定着しているのも、かつての時代劇が持っていたようなファンタジー性を楽しむ心の余裕が転移していったからじゃないか?と思うんですね。

 世界中、どこの人間でも精神の奥には幻想と怪奇を求める夢想のロマンチシズムがあります。

 これは世界中の神話伝説を紐解けば明らかです。

 日常的なリアルなドラマの中に滲むロマンを求めても、それは時代が変われば受け入れられなくなるでしょう。

 時代を超えて人気を呼ぶ特撮作品は、幻想と怪奇という人間の根源的な精神の奥底に眠る感情に由来するからなんじゃないか?と私は思いますね。

 でも、私はマゾヒストじゃないので、恐怖の対象には戦いを挑むという物語しか考えられないですね~。

『エコエコアザラク』の佐伯日菜子版が大好きなのも、黒井ミサが狂言回し的存在に留まらずに敵と戦うからですよ。

 仮に私がホラーを書いても、『牙狼』のようなゴーストハンター物みたいなのしか書けないでしょうね。

 やっぱ、男だったら、死ぬ時に絶望と恐怖に顔を引きつらせて死んじゃダメでしょう。

 ニヤッと不敵に笑って死ぬのがカッコイイと思うんですけどね。

 そういう意味では、私は純粋なホラー小説というのは書けないだろうな~・・・。

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甲野先生、それは犯罪です・・・

 いつも、『コンバットマガジン』の甲野善紀氏の連載記事は立ち読みしているんですが、「ま~た、ヨシノリちゃんが阿呆なこと書いてんじゃないかな~?」とチェックして、阿呆なこと書いてたら指摘せねばいかん!という“武術界の御意見番”としての使命感があるんですよ。

 笑って済ませば敵も増えなくていいんでしょうけど、嘘が広まるのをくい止める人間がいないと武術文化が世の中で誤解されるだけでしょう? 私が評判を気にして黙ってしまったら、もう、他に誰も間違いを指摘する人がいませんからね。

 武術業界は自分の立場を守るためには平気で嘘つく人ばっかりですからね。経歴詐称を自分でやるのも他人を見逃すのも同じことですよ。

 で、今月号の記事中で、オーマイガッ!と頭を抱える箇所がありましたので、ここに指摘させていただきます・・・。

『とにかく、今年の6月頃だったろうか、京都の旅館で風呂敷のような布を蛍光灯のプルスイッチのヒモに結びつけて垂らし、それに向かって袈裟斬りで斬りつけつつ、「影抜き」を行った時・・・中略・・・この時、横で見ていた人に「まるで手品でも見ているようです」と言われた。』

 え~っと・・・、甲野氏と親しい人なら、彼が常に日本刀(真剣)を持ち歩いていることは御承知と思います。

 ということは、彼は旅館の中で設備品に向かって真剣振り回した?ということを自分から自白しているということなんでしょうか?

 そんでもって、そこにはスタッフみたいな人達もいて、一緒になって“共犯関係”をやらかしていたってことなんでしょうか?

 いえ、百歩譲って、旅館の自分たちの部屋の中で真剣を抜いて見せたということくらいなら、外部に迷惑を掛けなければ良しとしましょう。

 しかし、この場合、“蛍光灯のヒモに布を結んで、それを目標に刀を振った”ということだと、軽犯罪になると思いますよ。

 甲野氏は、いつも「常識を疑え」と言っていますが、これじゃあ、単に自分が非常識なイカレポンチと自白しているようなもんでしょう?

 それに、私が呆れてしまったのは、その場で見ていた人達の問題意識の欠落っぷりですよ。何で、そんな馬鹿げた真似を許してしまうのか?

「先生、こんなところでやっちゃダメですよ!」と窘めるのが真っ当な人間です!

 私が甲野氏をずっと批判してきているのは、彼のように非常識で世間知らずな人間を大先生扱いしていれば、次第にその非常識さを問題に思わない愚鈍なシンパが周囲に増えていってしまうと予測しているからです。

 狂気は盲信と共に伝染していくのです。

 カルト宗教の教祖みたいな気質の武術家?を持て囃す風潮は、即刻、やめるべき。

 そうしないと、武術業界は、いつまで経っても阿呆の巣窟ですよ・・・。

 これからは世界の真相に目を向けて、信じることより真実に対する真摯な態度をこそ必要とされます。

 個人の強固な信念が世の中に災厄をもたらす元凶になるという点を忘れてはいけません。甲野氏の言う「確かな体感を通した信念」なんて代物は、単なる現実逃避と傲岸不遜な自惚れしか生み出しませんよ。

 大切なのは、「自分は間違っているかもしれない」という一歩引いた冷静さ。それが謙虚さと他者に対する敬意を生み出すのです。

 昔、躾道館の小林先生から、「長野さんは神様になっちゃダメだよ」と言われたことがありました。

 恐らく、小林先生は私の中にある甲野氏的なる邪心を察知して間違った道に向かわないように諭してくださったのだと思っています。小林先生のお陰で今の私があります。

 上っ面を飾った謙虚さを観抜けない人達が甲野氏の邪心に侵されてしまうことを私は恐れますね。甲野氏を面白がって採り上げるメディア関係者は、注意して欲しいです(『爆問』の太田さんには期待したいですね・・・)。

 大震災以後、日本のメディアからは信頼性が失われてしまった印象がありますが、今、必要なのは“無知で無力な大衆を導くカリスマ的なオピニオンリーダー”ではなくて、「正確な真実の情報を提供し、誰もが自身で考えて行動するのを促す」という基本姿勢なんじゃないでしょうか?

 もういい加減に、馬鹿のひとつ覚えみたいに甲野氏のようなトリックスターを持て囃す茶番はやめてもらいたいですね。

 大体、情報を発信する側の人間は受け手を馬鹿にしていますよ。

 私の本が売れてるのは、読者が「本当の真相を知りたい」と思ってるからですよ。「長野さんだけは本当のことを書いているんじゃないか?」と期待しているから買ってくれてる訳でしょう。

 読者は、専門雑誌に載ってる人だから間違いないと信じて習いに行って、「騙された・・・」という思いを何度も味わっている人が少なくありません。そんな人達が私の本を愛読してくれるようになっている訳です。

 だから、「本当の真相を書けば必ず売れる」と思って、私は書いてきてる訳ですよ。思った通り、普通の武道の本の数倍売れてる。

 率直に言って、私が本書いてるのは生活費稼ぐためだもん。売れる本を書くというのが大前提ですよ。

 このブログは武道雑誌の編集者やライターも読んでいるらしいので、売上を上げる秘訣を教えます。

「本当の真相を書きなさい。そうすれば売れます!」

 武術の雑誌作ってる人達は、読者の気持ちを理解しようとしていないし、無知な連中には真偽の区別もつかないんだから煽り文句の惹句さえ上手く書けばヘボでも何でも達人と信じてくれる・・・という甘い考えでテキトーに作ってきた側面が確実にありますよ。

 売れっ子の先生さえ出しておけば売れる・・・という編集姿勢に未来はありません。ダメな人は「アイツ、本当はダメだよ」ってインターネットであっという間に広まりますからね。

 良くも悪くも、今の時代は真相が一日で世界中に広まるのですから、情報産業に関わる者はビジネスに戦略と覚悟が必要ですよ。

 まっ、嘘つかないのが一番だと思います。いずれ、自分の首絞めちゃうからね~。

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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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