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今年は飛躍の年となるか・・・

 一月から仕事が立て込んでいるんですが、お金が入るのはまだ先・・・。でも、仕事しないと金は入らないんだから、頑張るしかない・・・。あ~、大変だよな~・・・。

 何となく、プロのもの書きにはなれたものの、ヒットメイカーへの道はまだ先の話で、自分の自由な仕事を選べる立場ではありません。

 が、それでもお呼びがかかるのは有り難い。

 やっぱり、武術というバックボーンが有ることが私の最大の武器になっているんですから、それは最大限に活用しなくちゃ~いけません。

 で、時代小説家向けの殺陣師?のような仕事をやることになりそうな塩梅・・・。

 既に、時代小説家志望者向けの本の共著の企画も始まっていて、現在、進行中なんですが、それと同時進行で、自分の武術技法書も進めていますし、もう一つ、映画の企画案も進めておりまして、こちらはストーリー原案をアメリカのエージェントを介してプロデューサーに提出し、シナリオ化してもらっている最中です。

 アメリカ人が好きそうな要素をテンコ盛りして書いたので、予想通り、食いつきが良かった。私のアイデアは、やっぱりアメリカ人好みなんだな~? これで念願の映画の仕事ができるか?

 ただし、英訳シナリオの出来によって企画が進むかどうかが決定されるとのことで、もう少し熟成期間も必要かな~?と・・・。

 後、漫画原作と小説も同時進行でやっていきたいな~と思いますね。

『るろうに剣心』って、実は原作者付きなんだそうですね? 加来耕三さんが原作なんだそうですよ?

 劇画原作者で有名な小池一夫さんも、さいとうプロを飛び出した時は各出版社に廻状回されて仕事干されて大変だったらしいですね。

 あの小池先生ですら、そんな大変な時期を体験されていたのか?と思うと、勇気がわきますよ。

 何せ、私も武道出版業界では似たような立場ですからね~。

 よく、読者やセミナー参加者から、「長野先生は、どうして秘伝には出ないんですか?」って、よく聞かれるんですけど、出ないんじゃなくて、出してもらえないんですよ。

 お呼びもかからないのに、自分から出してくれって押しかけていくのも変だしね~。

 でもね~。客観的に考えても、今、武道専門誌に出てもあんまり意味ないんですよね。

 だって、本が売れても2000部程度。印税は20~30万程度でしょ? これじゃ~、全然、食えないですよ。

 才能を100円ショップで叩き売りにするようなもんですよ。

 松田先生と話した時も、拳児の印税のお陰で何とか助かったって言われていましたけど、清貧に生きるのって、大変ですよぉ~。

 なので、私の場合、専門雑誌に出ないことが「カリスマ性」を確立しているんで、本もDVDもずっと売れ続けてるから、いいんですよ。

 悪口書かれたり不買運動とかされると、「そんなに悪く言われる長野さんって何者?」という好奇心から、逆に買う人が増えるんだそうですね。

 だって、今時、インターネット掲示板の情報を鵜呑みにする人っていないでしょう?

 批判されるのも有り難いですね~。批判されるってことは、それだけ注目される人だってことの証明ですからね。

 第一、私なんて、本当に心の底から嫌ってる人のことなんて、書かないもんね。話題にするのも嫌なんですよ。係わりたくないから。

 そんな人が何人かはいますよ。

 話題にされる人って、やっぱり、話題にせずにはおれないカリスマ性みたいなものがある訳で、私も悪口言われなくなったらお仕舞いだよな~って思います。

 これからも、どんどん成り上がって話題にしていただける人間にならなくっちゃ~と思います。

 そんな次第なんで、世界よ終わるな~っ!

追伸;トイレとか風呂に入っている時に地震が起きたら、とりあえず、ドアを開きましょう。もしかして閉じ込められたら困るでしょ?
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礼儀知らずね~

 芥川賞を取った作家が、会見で礼儀知らずな発言をした・・・と話題になっていましたが、ああいうムカつかせるような言動をわざと取るキャラって、今時、珍しいですから、マスコミのかっこうの素材になっているみたいです。

 私、昔の友達にああいう人がいたんで、ちょっと、思い出して面白かったですね。

 多分、武道やっている人間が見たら、「何だ、あの態度は?」と怒るだろうな~?と思うんですけど、普通に社会に出て生活していれば、本音と建前を使い分けて嫌らしい性格にならざるを得なかったりしますから、そういう意味では高校卒業後に一度も働かずに小説家目指して書いてきた・・・という“コケの一念”みたいなプライドが、容易に媚びない性格を形成したと思えば、むしろ、立派だな~と思いましたね。

 私なんて、周囲の人から“異常に頑固で、自分の非を絶対に認めない人間”みたいに思われていますけど、全然、“そんなことない”ですからね。

 恐らく、武術やっていて、私みたいにヘコヘコ謝りに行ったりする人は滅多にいないと思いますよ。

 昔、ある先生と電話していた時に、「じゃあ、言いますけど、長野さんは私のことを陰で~~と言っていたそうじゃないですか?」と、“どうだ! この野郎”と、鬼の首取ったみたいに言われたんですが、次の瞬間、「はい、言いました。申し訳ありません!」と、即座に認めて謝ったので、「ええ~っ? なっ、何で謝るんですか~?」と、ビックリされていました。

 普通は、そういうことってシラを切って認めないんでしょうけど、私は、「事実は事実」として自分に非があれば認める人間なんで、その先生の陰口を叩いた(という認識ではなくて、ブラックジョークのつもりだったんですけどね)のは事実だったので、それで不快に思われたのなら、申し訳ない・・・という考えで謝った訳ですよ。

 どうですか? この一点の曇りも無い私の公明正大さ! 陰で言うことは本人にも言える・・・それが“仁義ある男”ってもんでしょう?

 私の場合、自分が間違っていないと思っていても、場を収めるために必要だと思ったら、即座に謝りますからね。“どげせん”ですよ。

 逆に、「必要ない」と思ったら、どれだけ自分が悪くても謝りません。

 意味がわからないかもしれませんが、私にとってはどっちが正しいか?ということは大した問題じゃないんです。

 本質的に、正しいとか正しくないとか言うのは、価値基準が設定されて初めて決定されるのであって、その価値基準を受け入れるかどうかが問題になるからです。

 つまり、そこには本当は“好きか嫌いか?”という不合理な基準しかないんですよ。

 それを誰もが理解できていない。

 本当は自分の好みで「これが正しい。あいつは間違っている」と言っているだけなのに、それを自覚していない人があまりにも多いですね~。

 私が「これが正しい」と言う時は、同時に「本質的には自分の好みで判断してるんだけどね~」という覚めた認識も持っている訳です。

 私は物凄~く客観的に考える人間なので、人の意見に対しては、「これは現実的に受け入れるべきかどうか?」とか、時には損得勘定で考えたり、あるいは逆に、好き嫌いだけで考えたりする場合もある訳です。

 まったくのケース・バイ・ケースですよ。

 どうしてか?というと、「本質的に何が正しくて何が正しくないという論理は妄想に過ぎない」と理解しているから、どっちに転んでもいいのだと考えるからです。

 普通、武道やっている人って、何が何でも「これが正しいから、こうしなさい!」という考え方に陥りがちなんですよね。

 これって、要は、何も考えていないんですよ。自分の信奉する価値基準に合うか合わないかで自動的に判断しているだけ。つまり、独善でしかないんです。

 だから、多様な価値を認めるということができない人が多い。異質な価値を容認できないんですね。

 私なんか、それがわかってるから、最初っから認めてもらおうと思ってないですよ。

 先日、人と電話していて聞いたのは、「いろんな人が長野さんのやり方に反感を持っている」とのこと。伝統的な武術、武道をやってきた人達にとっては私は危険分子にしか見えないでしょうし、そのように言う人が多いんだそうです。

 でも、私の周囲には、逆に支持して応援してくれる人が沢山います。

 これって、どういうことか?

 要するに、現状を良しとしている人にとっては改革しようとしている私が目障りに映るし、現状に危機感を持っている人は私に期待する・・・ということでしょう。

 何か、橋下市長みたいだけど、これはもう、永遠に相いれない価値観の相克というものでしょうね。

 だけどね~。笑ってしまうのは、「長野は筋を通さない」とか、「長野は礼儀を弁えない」とか非難されたりするんですけど、そんなこと言ってる人に限って、全然、筋違いなことをしたり礼儀を無視したりしているんだから、呆れちゃうんですよね~。

 例えば、田中光四郎先生は、ライター時代の私にはさん付けで呼ばれていましたが、今は長野先生と呼ばれます。どうしてか?というと、私がそれなりの立場になっていることを尊重されているからですね。

 そういうTPOを使い分けするのは礼節の基本ですが、意外にできる人は少ない。武道の世界では・・・。

 私は、「人の悪口を言ってはいけない。それが人としての在り方だ」と思っている人は、陰口も言ってはいけないと思いますよ。表向きだけ言わないようにしていても、陰で言っていたら精神性の低度は同じことです。

 本当の“克己心”というのは、そういうことですよ。

「人の悪口を言ってはならん」と言うのなら、自身がそれを口にした瞬間に腹かっさばいてみせる! それくらいの覚悟で自分を律するのが真の“克己心”というものでしょう?

 でもね~。こんなの普通の人間には無理ですよ。物凄い決死の修行しているような人でもなければ・・・。

 よって、私は、自分ができもしないようなお題目は唱えない。否応無く偽善者にならざるを得ないから・・・。

 私が綺麗事を並べる人間が信用できないのは、偽善的過ぎると思うからです。

「口が悪い人ほど正直で信用できる」というのが、これまで生きてきた上での人生訓ですかね~?

 人の悪口って、本音をさらさないと言えないでしょう? そういう点では2ちゃんねるで阿呆書いてる連中にも一分の正義があると言えるでしょうね。匿名じゃなかったら尊敬するけど・・・。


 ともかく、要は、私は自分ができもしないことを掲げて見せるような真似はしたくないし、自分ができることで、世の中に貢献できるような仕事をやり遂げて、歴史に名前が残るくらいの生きた証しを遺したいな~・・・という“野望”を持っている訳で、他人の評価なんか、業績次第でどうにでも変わると思ってますから、現時点で、どうこう言われたって何とも思いませんね~。

 そりゃあ、やっぱり、誉められたら嬉しいけど、“お世辞言いながら陰口叩いてた”って聞かされると、面と向かって悪口言われるのの何十倍も嫌~な気分になりますからね。

 だから、あの不機嫌会見した作家の彼って、そんなに厭味には感じなかったですよ。自分の厭味な部分を隠さない点で、非常に誠実な人柄であることが判る。

 武道・武術の世界には、もっと陰湿で厭味な人間がゴマンといますからね・・・。

 あたしゃ~、本当にウンザリしてますよ。
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『逃亡者おりん』に見る、これからの時代劇の在り方

 TV時代劇衰退の原因がいろいろと語られていますが、要は、若い人が見ないという点が大きいんだろうな~と思いますね。簡単に言うと・・・。

 でも、皮肉なことに時代小説ブームだっていうんですからね~。全然、時代小説なんか書きそうもなかった人まで時代小説書くようになってる。例えば、ホラー小説家の朝松健さんとか?

 中国でも武侠小説や武侠ドラマのブームがあるみたいですが、日本ではTV時代劇は壊滅寸前・・・何でこうなるの?ってのは先日、書きましたね。

 で、そんな時期にTV時代劇の動向を占うのに格好の素材が『逃亡者おりん2』です。

 まず、ゴールデン枠で視聴率取れないなら、いっそ深夜枠で・・・という開き直りが清々しいですね。

 しかも、30分枠に圧縮。必然的にドラマの進行も無駄を省いたシンプルな活劇調。

 主演の青山倫子は相変わらず殺陣は下手ですが、やっぱり数こなしているせいか、段々、サマになってきています。かつての村上弘明みたいな展開か?

 でも、主役が下手なのを周りが補っていて、意外にもアクション時代劇として楽しめるではありませんか?

 おりんのバトル・コスチュームは、相変わらずキャッツアイ風レオタードにケンシロー肩パッド。そして、必殺の手鎖!

 着物を脱いだら、突然、この格好になってしまうところなんか、天知茂の明智小五郎を彷彿とさせます。

 何か、よくわからんが、スッゲー面白いドラマを見たような気がする? ひょっとして深夜だから脳内麻薬とか出てるのかも~?

 ちなみに、やっぱ、こういう番組のスポンサーって、最近はパチンコ業界になってるって噂ですけど、どうなんでしょうかね~?

 でも、TV東京は地道に面白い番組作る努力してるところが昔から好き!

『密命~寒月霞斬り~』も続編やってくださいな~。

 そうだ! 深夜の30分連続ドラマだったら、山田風太郎の長編忍法帳物とかできるじゃん? 『魔界転生』も『甲賀忍法帳』も『伊賀忍法帳』も『柳生忍法帳』も、何でもできるじゃん? 元々がアダルトな作風だし・・・。

 昔、Vシネで『魔界転生』二巻で撮ってたけど、かなり頑張って撮ってたな~?という印象があります。あれって江戸村とかで撮ってたんじゃなかったかな?

 日光江戸村でも忍者映画撮ったそうですけど、昔、JACと組んでTV東京でやってたよね? ああいう形でいろんな場所で時代劇撮ればいいと思う。競争してグレードも上がると思うし・・・。

 そうだっ! 『るろうに剣心』も『あずみ』も『サムライ・チャンプルー』も、深夜の実写ドラマ・シリーズで作ればいいんですよっ!

 日テレの『怪物くん』や『妖怪人間ベム』みたいにヒットする可能性は高い。

 今のアニメは何でも萌系になっちゃって代わり映えしなくなってるから、実写ドラマで漫画やかつての名作アニメをやればいいんですよ。

 せっかくのコンテンツをハリウッドに売り渡して駄作にされるぐらいなら、日本でTVドラマ化した方が、きっと面白い作品ができるでしょう。

 時代劇じゃないけど、『寄生獣』が実写ドラマで観たいっ!

 諸星大二郎の『暗黒神話』と『孔子暗黒伝』と『マッドメン』が実写ドラマで観たいっ! オオナムチや、恐竜や、ン・バギがCGで動いているのを観たいっ!

 あっ、そうだ! 『西遊妖猿伝』を中国と合作映画で撮ったら凄そう!

 コンテンツ天国の日本なのに、景気復興の道筋が読めない政治家ばっかりで、ヤ~ね?


PS;岩捲の脇差の拵えを年末から作っていたんですが、ようやく完成しました。今回は小柄匱を作って、小柄小刀を納められるようにしてみました。どうでしょう?


PS2;陽明学の研究家、林田明大先生著『志士の流儀』、絶賛発売中です! やっぱ、男と生まれたからには、“志し”を持って生きなきゃ~、いかんとですよ! でも、現代では女性の方が志しが高い人が多いような気がするな~・・・周囲を見回しても・・・。
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参加してくださった方、ありがとうございます

 ほびっと村の今年最初の講座の前日、うちの新人会員のKさんが、突然、訪ねてきました。

 どうしたのか?と思って家にあげて、秘蔵の日本刀なぞ見せてやったりしながら話を聞きましたら、2ちゃんねる掲示板に煽りの書き込みをしたら、事態がややこしくなって、ほびっと村の講座に道場破りが何人も行くということになってしまったのだそうで、責任を感じて私にお詫びを言いにきたらしい様子でした。

 まあ、「道場破りに来い!」と挑発して書いていたのは私自身ですから、彼を叱る資格は私にはありませんからね~(苦笑)。

 ただ、「ねっ? インターネット掲示板に書き込みしても人の口には戸は建てられないでしょ? 君はネットばかり見て、書かれていることを簡単に信じてしまうけど、無責任に書き込みできるということは、読む方はそうでもなくても、書き込みしているのはそれだけ非常識な人間だってことで、今回は勉強になったでしょ?」と慰めておきました。

 何でも、キックボクシングをやっている人も来る?とか言っていましたが、「それがどうかしたの? 相手が誰であろうが勝負となったら関係ないよ。ただ、怪我したり警察沙汰になるのは、できたら避けたいね~」と話しておきました。

 一応、そういうことなら対策はたてて準備しておかねばなりませんから、うちも頭数を揃えておこうと思って主な指導陣には声をかけておきました。

 うちは、今後、海外普及も視野においていて、活動をこれまでよりオープン化しようと考えています。そういう時に、たかだか、ネット掲示板で誹謗中傷を繰り返して騒ぐような恥を知らない連中を恐れるようでは話にも何にもならないでしょう。

 久々に、「よし、今回は真剣勝負も辞さずの覚悟をもって臨もう!」と決心しました。


 これは“試練”というものだと思いましたね。

 真剣勝負を標榜する以上、こちらの希望通りに事が進むような甘い考えでいてはなりません。戦わずして勝つ境地に到るには、技も心も両方、鍛えていかねばなりません。

 何の実戦経験も無い武道家が海外に出ていって「教えてやろう」なんて言っても、ナイフでブスッ、ピストルでズドン・・・で、一巻の終わり・・・ということになりかねないのではないでしょうか?

 私自身は、さして数の経験はありませんが、実は実戦めいた経験は何度かあります。

 平和な日本でそうそう実戦経験なんかできるものか?と思われるかもしれませんが、人間は夜に酔っ払って歩いていれば、普通はやる筈もないような暴力的な行動を平気でとってしまうものですよ。アルコール中毒は大麻以上だって言いますからね~。

 ナイフを突き付けられたり、ヤクザに脅された?り、喧嘩の仲裁に入ったり、襲撃されたり、ストーカーに付きまとわれている女性を助けたりしたこと、いろいろあります(結構、あるな~、オレ・・・)。

 でも、ハラ括って対応すれば実力行使しないで済むことが多いんですよ。

 実際にやり合わずとも、命がかかった状況に突然、置かれた時に、どう冷静に対応できるか?という胆力が無ければ、長年磨いた武術の技も駆使できないまま命を落とす場合もあるでしょう。

 しかし、そういう状況を自分から求めてつくるのは市民社会から逸脱してしまうことになります。アウトロー(ヤクザ者)になってしまうということですね。

 うちの会員さん達には、そういう襲撃の意志を持つ相手にどう対応するか?という経験を磨くまたとないチャンスかもしれない・・・と思ったのは、事実です。

 無論、本当に危ない時は、私が身体張って護らねば筋が通りませんが、でも、うちの指導陣が、そんじょそこいらの腕自慢に遅れを取るとはまったく思っていません。

 だから、「むしろ、これは有り難いことだ」と、考えるようにしました。

 だって、襲撃してもらってそれを撃退するのだったら、こちらは非難されません。やり過ぎてしまった?という場合も、相手が刃物でも持っていれば十分に正当防衛は証明してもらえるでしょう?

 すいませんね~。危ないことばっかり考えてしまって・・・。

 確かに、こんな危ないことを考える私は武道家の資格はありませんし、指導者としても問題大アリだと思います。それは指摘されるまでもなく自覚しています。

 しかし、世の中で生きていくのに、そんな建前に守られた綺麗事を口にしていて何ができるでしょうか?

 私が、いや、敢えて申しますが、今の世の中に生きている“私たち”は、現実にそこに在る様々な問題を直視し、逃げずに問題解決の具体的行動をとっていかねばなりません。

 先に頂戴した批判ブログの内容を読んでも、私は少しも心が動きません。空理空論としか思わなかったからです。

 現代に生きる私たちに必要なのは、宗教的な慰安の観念に依存して“自己を眠らせて生きる”ことではなく、現実逃避することなく新しい時代を開拓していくために、知恵を絞って具体的な問題解決のために行動していくことだと思っています。

 それが、“今”の時代に生まれた者の宿命であり義務でもあり、また、人が人として生きることのレーゾンゲートル(存在証明)ではないでしょうか?

 義を見てせざるは勇無き也!・・・ですよ。

 私はそれができないのなら、自分が生まれてきた甲斐は無いと思っています。

 私は、“武道家”だの“指導者”だのの資格が自分にあるとは思いませんが、自分の生き方が間違っているとは露ほども思っていませんし、私についてきてくれ、支持してくださる人達が、私に何を期待しているか?という点に関しては十分に理解しているつもりですし、その期待を裏切ることだけはすまいと念じています。

 それに、私は、日本の多くの武道家は了見があまりにも狭いと思います。「武道家とはこうであるべきだ」という信念を持つことは否定しませんが、自分の生活空間の付き合いだけで物事を語り、まったく“大局を観ようとしていない”のではないか。

「日本は武道の母国である」と言いながら、その不勉強ぶりと世界観の狭さは絶望的なまでに小市民主義です。宗教や哲学の用語を借りねば自己の考えを語れないのでは、知性の拙劣さを自白するに等しい。

 善人ぶって、「人の恨みを買うのは未熟者である」と言い訳して、自分の殻に閉じこもってしまうのが日本の武道家を自認する人達に多い自閉的傾向です。だから、武道は社会的に高く認知されないままなのだと私は考えます。

 何もしなければ何もトラブルは起きないでしょうが、何もしなければ何も得られない・・・それが、世の理(ことわり)というものです。

 世の中で何事かを成す人は、いわゆるトラブルメイカーの側面を必ず持っています。

 どんな争い事の嫌いな優しい性格の人であっても、突出した技能を持ち、新しい価値を世の中に提示する人は、周囲に誤解され、警戒され、敵視され、揚げ句に潰しにかかられてしまいます。

 イエス・キリストだって、ゴータマ・シッダールタだって、生存の時代は、既存の価値観から人々を解放するメッセンジャーだった筈ですよ。

「だったら長野は、自分が突出した技能を持ち、新しい価値を世の中に提示する人間だって言いたいのか?」と思われるでしょうね。

 はい! その通りです! 私は自覚的に自分が新しい時代を開拓していく人間の一人になろうとして生きています。それだけのチカラが武術文化に隠されていると確信しているから、そのチカラを抽出する研究をしているのであって、小乗的な自己満足で武術をやっているのではありません。

 この考えは、青木宏之先生と親しくしていただくようになるに従って、そのような巨大な時代の運命的な法則の存在を強く感じるようになった影響ですね。

 青木先生は、十数年も前に私がまったくの無名のペーペーの頃から、「長野さんは必ず、武道の世界で名を成す人間になるから、その自覚をもって頑張ってください」と言ってくださっていました。松田隆智先生も、そうやって私を出版関係に推薦してくださっていました。

 私がもの書きになる切っ掛けを与えてくださった元月刊空手道・季刊武術の編集長だった生島裕氏は、明確に「長野さんは才能があるから・・・」と言ってくださいました。

 こうした方々は、私を表面的に判断せず、中身を観て言ってくださいました。その心に響く激励の言霊が、私の魂を磨いて困難にめげずに初志貫徹する強靭な精神力を養成してくれたのだと思っています。

 でも、そんな人は滅多にいませんよ。大抵は、「どこの馬の骨とも知れないヤツが大言壮語している」と小馬鹿にしたりキチガイ扱いして門前払いを食わせるだけでしたね。

 もちろん、そうされたら、「あ~、そうですか? そういうナメた態度とるんだったら、後々、ホエヅラかかしてさしあげましょう・・・」と、逆に奮起しましたけどね。

 いちいち名前は挙げませんが、他にも何人かの方が私の才能を認めて将来性を買って応援してくださいました。

 こうした人達の御厚情があればこそ、今の私があると思っています。私は、少しも舞い上がったり調子に乗ったりはしていませんよ。もし、そういう風に見えるのなら、失礼ながら、そう思う人の心の中に嫉妬心が潜んでいるからなんでしょう。

 つまり、本心は私みたいにやりたいが、敵が増えるのが嫌だからできないでいる・・・というのが真相でしょう。

 ブレーキ踏みながらアクセル踏んでるようなものです。自己矛盾に気づいてないだけ。

 私は、やられたら、やり返す主義です。魔太郎が来る!みたいな性格。それは逆説すれば、恩人には恩返ししたいということです。

 恩情の気持ちに応えられなかったら、男じゃないでしょう?

 皆、誤解していますが、“摩擦”は、天が与えた試練であり、その本質は“チャンス”なのです。

 神話伝説の時代から今の映画やTVのドラマでも、優しく謙虚で争い事なんか嫌いな主人公が、何故か次から次に争いに巻き込まれて、必死でそれを乗り越えていく過程で成長していく・・・というのが定番です。

 試練を乗り越えることによって、大きく道が広がる・・・というのが神代の昔から人間の真実なのです。

 今の日本の教育方針は、子供に危ないことをさせない・やらせない・・・という過保護システムでしょう? だから、逆境に極端に弱い日本人が増えたんですよ。

 田中光四郎先生の魅力も普通の武道家とは比較になりませんが、それは自ら進んでアフガン・ゲリラになったり、人間の盾になったり、常に世界的な問題の最前線に出ていった行動力の賜物でしょう。

 そして、エゴしかない人は、試練を乗り越える苦労をしようとはしません。どんどんごまかして歪んでいってしまいます。変節して輝きを失ってしまうのです・・・。

 エゴが優先する人は、いざという時に行動する度胸は無いものです。私はそう考えているので、「俺を非難するのなら、ハラ括って倒しに行く度胸を決めてみなよ。姿隠して陰口たたくだけしかできない自分のままで満足なのか?」というエール(応援)の気持ちも込めた“挑発”をしているつもりなのですが・・・。


 翌日、正午ちょうどに北島師範、大石教練と連れ立って、渕野辺を出発しました。

 西荻窪駅で会員と合流し、ほびっと村へ・・・。


 今回、いつもやっている最初の自己紹介はやりませんでした。名前も書いてもらいませんでした。

 もし、この場に道場破りが目的で乗り込んできた人がいたとしても、それは試練として私自身が受け止めなければならないと考え、下手な疑心暗鬼にならずに、ただ緊張感を持っていつも通りに講座を実施するのが正しい対応だと考えたからです。

 それに、無責任に陰口を叩くだけしかできない人間とは違って、いわば敵地である相手の講座に実際に足を運ぶというのは、そっちも覚悟を必要とするのです。

 私も、何度か乗り込んだことがあるので、よく解ります。乗り込む方だって“怖い”んですよ。それが当たり前なんです。

 だから、「もし、本当に乗り込んできた人がいるとしたら、口先だけの愉快犯じゃないんだから、敬意を払って対応してくれ」と北島師範たちには話しておきました。

 第一、挑発した私が悪いのですから、やられるのも自業自得なのです・・・。

 講座を始める前に、私がブログで挑発的なことを書いた理由を説明し、「できれば穏便に講座を進めたいけれども、どうしても納得がいかない人は好きにかかってきてください。その時はこちらも本気で立ち向かいます」と話してから開始しました。

 で、それから2時間。

 本当に有り難いことに、ここ最近でももっとも充実した楽しい講習にすることができたと感じています。本当に、私は楽しかったですし、何人もの参加者が「楽しかった」と言ってくださいました。

 特に、海外指導部長に任命したばかりの千葉師範代が見学に同伴されていたカナダ在住の女性の方(日本人です)が、「やっぱり体験してみたい」ということで練習にも参加され、楽しんで帰られたのが有り難かったですね~。

 心の中で道場破りを考えていた人が果たして居たのかどうか? それは判りません。

 知ろうとも思わないし、もはや、どうでもいいことです。

 私は、この日、参加してくださったすべての人に心から感謝したいと思っています。本当に、ありがとうございました!

 また、反省すべきは、もの書きとして、言葉の持つ影響力をまだまだ甘く考えていたな~という点です。

 これは、今後の課題として活動に役立てていきたいと思っていますので、建設的な御批判を頂戴できれば幸いです。

「長野のここがダメだ!・・・という批判は、こちらの足りない点を教えてくれるに等しいのだから、被害者意識で受け止めてはいけない」と、会員にも話しておきました。

 私なんか足元にも及ばない先生は無数にいますからね~。私の目標は70歳で地上最強の男(竜?)になることなんで、まだまだ20年以上ありますからね~(笑)。

 ただ、無数の先人が伝えた武術の可能性を探り、世の中に役立つものとして、時代性を鑑みて、より一層、発展させていくことが私の研究の目的であり、それ以外には「生活の心配が要らない程度の経済的基盤が確立できて自宅兼道場を建てて猫に囲まれて暮らせればいいな~(猫道場?)」くらいの望みしかありません。

 殺法はもう発狂寸前まで研究したので、今後は、より一層の心法の研究を進めていきたいと考えています。


追伸;講座の翌日、小説の師匠との共著の企画打ち合わせで出版社の編集者の方とお会いしました。その時に師匠から、「新聞の講評なんか載せてもらっても売上には結びつかない。それより悪口を沢山書かれている方が圧倒的に宣伝効果が出るんだよ」と言われて、目からウロコがボロボロボロッと落ちた思いがしましたよっ! 俺は今まで、なんて勘違いをしていたんだっ! 毒舌キャラ封印も考えていたんですが、本が売れなくなったら困るから、やっぱし、やめたぁっ! 人に称賛されるより、金が儲かった方がいいもん!
2ちゃんねるで悪口書いてる皆さん! タダで宣伝してくれるアナタ達が頼りです。これからも、「長野のキチガイ」とか「ド変態野郎」とか、思う存分、悪口を書いてくださいねっ? どうぞ、夜露死苦~!

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批判の真意に驚き

 矢嶋師範代からメールで連絡があり、私がお世話になっていた小林直樹先生の躾道館の福岡支部長という人物が、名指しこそしないものの、明らかに私を揶揄し人格否定をした内容の意見を自身のブログに書いている・・・と知らせてくれたので、拝読しました。

 内容的には私の発言の言葉尻を捕らえての「指導者にあるまじき人間である」との批判であり、「武道武術は克己心を養うためのもので、自分から敵を作るような発言をすべきではない」といった内容でした。

 このような内容の批判意見は、これまで耳にタコができるくらい聞いてきました。

 個人の考えで、「長野の言っていることは私の考えとは違う。賛成できない」というのであれば、随意に意見を書いてもらえばよいと思います。

 また、私が指導者に相応しくないとの考えも、その人が個人的に思って主張されるのであれば、私がとやかく言うつもりはありません。

 しかし、今回は、その人が躾道館の福岡支部長であると名乗っている以上、彼の見解は躾道館の見解であるというニュアンスを持ってしまいますから、これは看過できないと思い、早速、躾道館の代表である小林先生にお電話で陳情を申し上げました。

 その上で、「本人には伝えたから、後は自分で話しなさい」とのことで連絡先を教えていただきました・・・。

 翌日、本人に電話しました。忙しいらしく、何度かけてもなかなか出ない。夕方、やっと出て、「仕事が忙しいので、夜にかけてください」とのことでした。

 この時は、「こいつ、どうしてくれようか?」という超人機メタルダーに瞬転しそうな勢いでしたが・・・(って、この譬えは解らないでしょうね~。人間体の剣流星が、「怒る!」って言って、メタルダーに変身するんですね~。あ~、こういうの説明するのは、メッチャ空しいな~)。

 その後、新宿で東京支部の新年食事会に出掛けて参加してきました。約束の時間までに帰らねば・・・と思いましたが、ちょっと無理。新百合丘駅で途中下車して電話し、「今、駅で・・・家に到着するのがあと30分以上遅れるから待っていてくれ」と言うと、「え~、困るな~」とか言いやがるので、「お前が悪いんだから、待ってなよ」と言っておきました。

 でも、この時点の電話の様子で、「アレッ? 何か、おっかしいな~?」と、ちょっと思いました。声の調子が以前と同じなのです。憎悪があれば、どこか声が強ばったりするものですが・・・。

 以前と同じというのは、実は、彼は元々、私に教わっていたのです。私が紹介して小林先生に習うようになったので、いわば、私は彼にとっては恩人の筈なのです。

 それが何故、私に憎悪を向けて潰しにかかるようなことをブログに書いたりするようになったのか?・・・と、まずはそれが不可解だったのです。

 いや、率直に言えば、「こいつは正気なのか?」と思いました。精神を病んでいる人間がしつこく嫌がらせの書き込みをする・・・というのなら、いくらでもあるでしょう。

 だから、実際に久しぶりに声を聞いてみて、別に私を憎悪するような調子は全然なかったので、「これは、何か、おかしいな~?」と思った訳です。

 で、家に到着してから電話をかけて、色々話しました。

 無論、最初は猛烈に怒っているのを抑えて冷静に話しながら様子をうかがいました。

 昔から変わったヤツだったので、ついに本当におかしくなったのか?とも思ったんですが、しばらく話していて、驚くべきことを彼は言い出したのです。

 彼は、以前の私の文章を真似して書いて、間接的に私を窘めようとした?らしいのですね。

「はぁっ? 何それ?」と思ったんですが、要は、彼は“彼の周辺のいろんな人”が私の文章に腹を立てたりしているのを聞いていて、それを何とか私に解らせて、無用な敵をつくらないように諭すつもりで、わざと書いた?ということだったそうなのです。

「僕は別に長野先生を憎んだりしていませんよ~」と、いけしゃあしゃあと言い、「あの程度で怒るなんかヘンでしょう。自分はもっと酷いことを書いていたじゃないですか?」とのこと・・・う~む・・・確かに・・・(納得しちゃってるよ、オレ)。

 で、2時間以上もいろいろ話しましたが、お互いに誤解していた点もいくつもあったらしいのと、これはもう実に驚くべきことなんですが、どうやら彼は、自分が名誉棄損で訴えられて慰謝料をふんだくられる事態になることも想定した上で、私の過激キャラの問題点を自覚させようとしていたらしい?のです・・・。

 いや、ぶったまげてしまいました・・・。

 もし、私が聞く耳持たずに怒りに任せて告訴してしまっていたら・・・彼はどうなっていたでしょうか?

 電話を切った後で、私は本当に、彼が危険な賭けをしてまで批判してくれたことを心の底から有り難いと思いました。


 これまで、いろんな人から誤解され、裏切られ、罵倒され、陰口を叩かれ、嫌がらせされてきました。

「これは俺の業だな。もう、人は信用すまい。信じていなければ裏切られても何てことはない。人は人だ。俺は俺で自分のやりたいことだけを真っすぐやっていけばいい。言いたいヤツは勝手に言えばいい。俺は必ず武術を通して偉大な業績を挙げてみせる・・・」と、自分に言い聞かせて生きてきました。

 自分の力だけ頼り、自分の観る眼のみ信じて武術研究をやってきました。

 他人が何と評していようと、私は自分の眼しか信用しませんでした。

 だから、観る眼を鍛えることに関しては貪欲に磨き抜いてきました。世界中の誰よりも観る眼を磨いて、一目観れば技の本質を観抜けるだけの超洞察眼を養成しようとしてきました。それが私の最高の武器になると信じて・・・。

 ところが、今回は、まったくもって“フシアナ”でした。

 私は、彼の意図することがまるで観抜けませんでした。名誉棄損で訴えられるのも覚悟の上で、私が誰かに恨まれて刺されたりして命を落とすことのないように諌めようと考えてくれたというのは、信じ難い行為です。

 もちろん、私が過激な文章を書くのは芸風でキャラを際立たせるのが目的で、いわばコリン星?みたいなものなんですが、シャレの解らない人が多い武道の世界では敵を増やすのは必然であると承知の上ではありました。

 率直に言いまして、武道の本は2000部売れたら万々歳というのが相場です。この程度では武道専門の小さな出版社でしか出せません。これで食っていくのなんか無理です。

「もっと、きちんとした武道の本を書きなさい」といろんな先生が言われるのですが、一度、売れない本を書いたら“もの書き”として失職しかねないのが今の出版不況の御時世なのです。無味乾燥な1000~2000部しか売れないような本を書く訳にはいかないのです。

 私は10000部以上売れるような本を書くにはどうすればいいか?と考え、結論としてシャレのめした文章で書くというスタイルを作り上げました。この戦略は成功してアスペクトさんで最初に出した本は増刷を重ねて10000部を越えました。

 シリーズがずっと続いているのも、毎回、コンスタントに売れているという実績があるからです。が、ちょっとカタイ感じに書くと売上に響くので、文体を変える訳にはいきません。

 売れる商品を作るというのは実に大変なことです。内容が良ければ売れると考えるのは素人考えです。プロは売るためにどうすればいいか?と日夜、知恵を絞っています。

 なので、私の文章スタイルは多少の敵を作っても多くの人を楽しませるという前提で書いています。内実を知らない人が気楽に論評するのとは違って、私は売れる本を書くというのが大前提なのです。

 そういう事情があるので、一部の頭の固い人達を喜ばせるために、美しい立派な誰からも文句を言われないような文章とかを書く気は、最初っから微塵も無いのです。

 そういうのは宗教の本とかなら歓迎されるでしょうが・・・。

 私はもともと、本音と建前を使い分けるのが嫌いだったのと、武道の世界の権威主義的体質が馬鹿馬鹿しくって、おちょくってやりたくてウズウズしていました。

 特に、綺麗事ばかり言いながら行動が全然伴わないのは最低にカッコ悪いと思っていたので、本音バシバシの毒舌芸風が馴染んでいたんですね。

 私が最も嫌いな軽蔑する人間は、相手によってコロコロ話を変える二枚舌の人間です。

 いつでも過激、どこでも攻撃・・・の行き行きて神軍みたいな人が面白いし好きなので、自分のキャラをそういう具合に作ってきた訳です。

 これは、そうそう変えるということもできません(本が売れなくなると死活問題なので)が、少なくとも、今回、彼が大変なリスクを犯して私の問題点を自覚させようとしてくれた男気は、有り難く受け止めねば、申し訳無いことだと思っています。

「でも、それならそれで、最初っから私に意見してくれれば良さそうなものなのに」とも電話で言いましたが、後から考えてみると、「いや、このくらいやられないと私が自分のやり方を考え直そうとはしない頑固者なのも解っていたんだろうな~?」とも思いましたね。

 やり方はメチャクチャですが(長野先生のやり方を真似ただけだそうです。あ~、そうですか?)、今回は気持ちよく負けを宣言させていただきます・・・。参りました。

 人から裏切られることに慣れっこになっていて、彼の真意を観抜けなかったことが恥ずかしいですね。疑心は暗鬼を生じる・・・ということですね。

 彼の真意はよく解ったので、今後は私の問題だと思う点は遠慮なく批判してもらいたいと言っておきました。

 いや、本当に今回は、「困ったな~」と思いましたが、予想外に嬉しい結末になって、災い転じて福と成す・・・というのは本当のことだな~と思いましたよ。

 前々から疑問に思っていたことも大分、解けて、「あ~、なるほど~。そういうことなのか?」という点もあり、情報交換の点でも有益でした(電話代の請求が怖い・・・)。


 最後に・・・。

 森坂。ありがとう! お前は本当にええヤツだ。でも、私の真似して事情知らない人に誤解されるようなことは、もう、やめておいてくれよ。普通に批判してくれよ。

 ちゃんと批判してくれる人は有り難い存在です。


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時代劇の復活は有るか

『水戸黄門』が終了し、TV時代劇のレギュラー枠がほぼ無くなってしまった中で、TV東京では『逃亡者おりん2』が始まるそうで、スペシャル版もありました。

 私は、時代劇というより“時代活劇”が好きです。

『たそがれ清兵衛』以来、藤沢周平原作の人情時代劇が映画化され続けていますが、私個人は、リアリティーよりも“リアルな嘘”で楽しませるアクション時代劇が観たいと思っています。

 藤沢時代劇がブームだと言っていても、映画館で時代劇映画を観ている観客は圧倒的に老人ばかりで、若い人はさっぱり観に来ていません。

 それでは、今の60代70代の時代劇視聴者がいなくなったらどうなるのでしょうか?


 今は時代小説ブームなのだそうです。

 しかし、それは小説を読む人が激減し、辛うじて読んでいる層が老人ばかりになってしまっているだけなのではないか?と思えてしまいます。

 私が小説家デビューを目指して初めて知ったのは、今は、時代小説でなければ作家デビューは無理だということでした。

 けれども、時代小説を書くには勉強しなければならないことが多くて、しかも老人に受けるような書き方をしないとダメな様子で、正直、抵抗感があります。

 時代小説が嫌いだとか書きたくないというのではありませんが、私は若い人が読んで夢中になれる時代活劇を書きたいのです。

 年寄りがノスタルジーを感じるような作品でなければならないのなら、そんな作品は書きたくありません・・・いや、私には書こうとしても書けないでしょう。

 そもそも、バトル・アクションのシーンが書きたいだけなのです。現代物ではできないから時代小説で・・・と考えているだけで、映画やドラマでも、私の好みは、ナレーターの朗読でストーリーを説明して、いきなり戦闘シーンから始まっても良いくらいです。

 先日、朝にTV朝日で再放送している『八丁堀の七人』で、石橋蓮司さんがゲスト出演していて、ボケたフリをしている老剣客を演じていましたが、正体を現した時の凄みのある演技は、『浪人街』の時の母衣(“ほろ”と読む)権兵衛を彷彿とさせていて、ゾクッとしました。人情時代劇でありながら、殺陣に手抜きが無いのが、このシリーズの良さでしたね。

 殺陣の達者な役者さんを敵役に配するだけで格段に違いますからね~。須藤雅宏さんが出演されていた時は、特に凄かったですね~。

 逆に、今の時代劇は戦闘シーンをおざなりにしたものが多くて、ウンザリしてしまいますよ。リアリティーを求めるのも、やり過ぎると逆に物凄くつまらなくなってしまいますし、せっかく、優れた腕のある役者さんがいろんな剣友会や殺陣アクションのクラブに居るのに、何故、わざわざ経験の無い俳優にやらせようとするのか? 私はやる気そのものを疑います。

『たそがれ清兵衛』は、当代きっての殺陣の名手である真田広之に、日本を代表する前衛舞踊の高手である田中泯さんが本格的な剣の修行をして臨んだから、あれだけの傑作になったのであって、あれは一つの奇跡なんですよ。

 NHKの『クローズアップ現代』で、時代劇衰退を考えるというテーマでやっていましたが、ゲスト・コメンテーターで山田洋次監督が出演されていまして御自身の時代劇論を話されていました。

「あ~、そうか~。山田監督は殺陣には興味ないんだな~」と思いましたね。

 古き良き日本の文化習俗の美しさや、人情の機微を描く時代劇をもっと作るべきだと主張されていたんですが、それだと尚更、時代劇を観る人が少なくなるんじゃないかな~?と思いました。

 私は、時代劇が衰退したのは殺陣アクションのダイナミズムを追究しなくなった点が大きいと思います。

 山田監督の関心は、そういう点には無いのでしょうし、藤沢時代劇三部作に関しても、殺陣ではなくて、リアルな剣の戦闘を描きたいと考えられていたのだろうと思います。

 一般に、あの三部作で誤解されているのは、殺陣を担当された久世浩氏が注目されていたのですが、私が観るところ、むしろ武芸考証で参加されていた山梨県白州にお住まいの正心館道場の蓑輪先生の考えが大きく反映していたように思うのです。

 聞くところでは、山田監督は、従来の殺陣特有の様式化した動作に拒否感を示されていたそうで、もっと現実味のある戦闘にしたいと考えられていたらしく、蓑輪先生の意見を採用されることが多かったみたいです。

 その証拠に、久世氏が単独で関わった作品である『蝉しぐれ』や『柳生十兵衛七番勝負』『必死剣・鳥刺し』などでは、山田監督の時代劇のようなアッサリ感は消滅し、雰囲気が丸で異質になっていて、能の所作を採り入れたりしていました。

 でも、私の個人的好みで言うなら、今、一番、殺陣として素晴らしいと思うのは高瀬道場ですね。『山桜』『花のあと』『小川の辺』、いずれもシーンは少ないながらも印象的で、太刀捌きの基本、刀法の基本を押さえた上で、リアルなケレンを加えているところが良いんです。大抵は、どっちかに偏ってしまうんですが・・・。

 中で、私が一番、好きなのは『花のあと』ですね。北川景子の可憐さは必見です。相当、訓練して臨んだそうで、本当に立派でした。

 やっぱり、誰が何と言おうが、時代劇の華は殺陣ですよ!

 何故なら、時代劇のエポックメイキングとなった作品・・・例えば、『七人の侍』『用心棒』『椿三十郎』『三匹の侍』『座頭市』『子連れ狼』『木枯らし紋次郎』『必殺シリーズ』『柳生一族の陰謀』『影の軍団シリーズ』といった作品に共通する要素は何か?というと、要するに「斬新な殺陣が人気を呼んだ」からです。

 多くの批評家が誤解している悪しき風潮は、時代劇作品の最大の魅力は、チャンバラ・アクションであるという疑いようのない現実を見落として、「殺陣は従属的な要素に過ぎない」と勘違いしてしまっている点にあります。

 試しに殺陣を完全に排除した時代劇ホームドラマを作っていけばいいでしょう。一つや二つは評価されても、三つも四つも作られれば、飽きられてしまうでしょう。

 無論、だから殺陣だけに特化した作品ならいいか?というと、それも上手くいかないと思います。

 例えば、申し訳ないんですけど、TV東京で一昨年制作した『柳生武芸帖』は、殺陣の達者な俳優を揃えていながら、その肝心の殺陣アクションの魅力が、さっぱり伝わってきませんでした。

 失敗の理由は、「従来の形式的な殺陣をただやればいいというものではない」ということですよ。特に私が一番、ガッカリしたのは、何かというとすぐに真剣を両掌で挟み取る“真剣白刃取り”・・・もうちょっと工夫しろよ!と言いたい。あんな技はリアリティーも糞もないんだから、馬鹿の一つ覚えみたいにやったら噴飯物にしかなりません。

 松平健演じる柳生兵庫介が背後から真剣を斬り込んで、それを反町演じる柳生十兵衛が頭上でパシッと受け止めてみせたのは、何かのギャグかいな?と唖然となってしまいましたよ。ヒドイ! あまりにもヒドイ演出です!

 とにかく、もうね~。ああいう頭の悪い古びて腐ったような殺陣の手を伝家の宝刀みたいに繰り出して恥じないようでは、殺陣は時代に取り残されていくだけですよ。

 やっちゃダメ! 絶対!

 いや、ギャグでやるんだったら許します。『ジャンゴ』は面白かったから・・・。


 私は、同世代の人と比べても時代劇を多く観る方ですが、やはり、観たい作品は限られます。殺陣が気に入るかどうか?が選択基準であり、その次にストーリーの面白さがあります。

 例えば、ほとんど殺陣の無かった『新十郎捕り物帖・快刀乱麻』という作品を小学生の頃に熱中して観ていましたが、この作品は深夜アニメ、ノイタミナ枠で放送されていた『UN-GO』の原作と同じ作品です。明治時代の推理探偵物なんですが、シュールな絵とテーマ曲がオープニングタイトルに重なって、非常に幻想的な雰囲気のある作品であったと記憶していて、もう一度、観たいんですが、なかなかCSでも放送されなくて、もしかするとフィルムが紛失してしまっているのかもしれませんが・・・。

 この作品、推理物なので、ほとんど殺陣は無かったんですけれど、最終回辺になると、いつも寝転んで推理するだけの新十郎(若林豪)が自ら乗り込んで敵をバッタバッタと倒すシーンがあったように記憶していて、待ってました!と興奮した記憶がありまして、最終回を楽しみにしていたんですが、何かの理由で観損なってしまったんですね~。それが未だに残念でね~・・・。

 率直に言って、今、それだけ熱中して観たいと思える時代劇作品が無いというのが本音なんですね。辛うじて、『密命~寒月霞斬り~』は良かったかな~? 何より、作ってる人が面白い作品を作ってやろうという意識で取り組めば、そんな悪い出来にはなりませんよ。

『必殺』や『影の軍団』は、若い人が熱中して観ていたという印象がありますが、90年代以降はそういう雰囲気が無くなっていったんじゃないでしょうか?

 私は今、CSで武侠ドラマを好きで観ていますが、これって中国の時代劇ですよね?

 でも、要は、カンフー映画のように武術の遣い手が次々に出てきて戦いまくる展開があって、そこに恋愛ドラマがからむから面白いんだと思います。

 歴女ブームなんかも、戦国物ゲームのキャラクターから派生していったんじゃないか?と思いますが、要するに鎧兜を着たプロレスと同じだと思うんですよ。

 美形キャラばっかりなのは、多分、女子プロレスに熱中していた流れと同じだと思う。

 私は、時代劇はきらびやかにキメキメでカッコイイものであるべきだと思います。ホームドラマみたいなのは現代劇でやればいいんです!

 時代劇の魅力を復活させるには、ファンタジーに徹して、孤高の剣客と流浪の侠客と異端の陰陽師といなせな姉御と寡黙な忍者がゴレンジャーのようにバテレンの妖術遣い軍団と戦う・・・といったような作品をバンバン作れば、簡単に復活しますよ!

 そして、殺陣も、伝統的な剣殺陣に古流武術やワイヤーワークも組み込んで、常に新しいアクションを構築していく努力を怠ってはいけません。十年も二十年も同じような殺陣を繰り返して伝統だと威張るんじゃなく、何の訓練もしていない糞生意気な屁理屈役者を主役にしたりする制作サイドには断固としてNOを言う気骨のあるアクション監督が、インディーズ体制で納得できる作品を作り出していくべきでしょう。

 時代劇というのは、日本人にしか作れない分野なんです。それが衰退したということは、日本人が自分たちの生きてきている風土・文化・伝統を忘れてしまいつつあるということの一つの現れなんですよ。

 時代劇だけでなく、現代の刑事物なんかでもチマチマしたリアリティーばっかりに拘って、ダイナミズムが失われてしまっているのは困ったもんだと思います。

 刑事がマグナム、バンバン撃ったって、いいじゃないか? 近未来の機動警察という設定でもいいじゃないか? せせこましいリアリティーを、わざわざ、劇場やTVで観せなくたっていいよ。ミタさんやベムがウケたのは、リアリティーを逸脱しているところでしょう?

 一方で、仮面ライダーや戦隊シリーズが人気があるというのは、子供たちには活力があるということでしょう。

 いずれ死にゆく老人の感性に合わせるのではなく、たとえ老人であっても心は若々しく少年のような無邪気な冒険心や正義感を忘れない活力のある作品を作っていけば、時代劇の復権は少しも難しくはないと私は思いますね。

 具体的な対策として、TVの連続時代劇で『魔界転生』『シグルイ』『るろうに剣心』『サムライ・チャンプルー』を実写でやりましょう。これなら若い人も面白がって観ますよ。

 NHKも地上波で時代劇枠復活させましょう。『あずみ』がいいですね。

 以前、大河でMUSASIが奮わなかったのは、吉川版に拘ったからですよ。バガボンドを原作にしてやれば、ちゃんと視聴率取れたと思いますよ。

 東映の『レッドシャドウ赤影』がコケてしまったのも、怪忍獣が出なかったからです!

 何か、時代劇撮る時にオーソドックスな原作小説物を・・・って考えるから失敗するんですよ。

 小説じゃなくて漫画原作にした方が若い人が観るようなものになるんだし、それで年よりが観ないか?というと、そうでもないんですよ。時代劇好きな年よりはチャンバラが観たくて、間違って『キル・ビル』観に行ったりするんだから・・・。

 結論!

「時代劇を復権するには漫画を原作とせよ! 漫画は原作の宝庫ですよ」

追伸;今、一番の期待は、『るろうに剣心』ですよ! あの大友監督に谷垣アクション監督が組んだんだから、面白くなかろう筈が無いっ! あ~、待ち遠しいよぉ~・・・。

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今年はもっとオープンに

 游心流では、これまで技と理合をかなり秘密主義的に部外に出さないように注意してきたんですが、これは、一つには、「技が危険過ぎる」という点があること、そして、「根本的な理合を出してしまうと売名に利用しようとする人間が現れる」という危険性も考えました。

 しかし、一番の理由は、私も含めて主な会員の実力がどこに出ても恥ずかしくないくらいにならなければ、下手に出しても侮られたり、潰されたりするだけだと思っていたからです。

 ぶっちゃけ、競技武道や格闘技のように試合で実力を示す・・・という戦闘様式ではないので、「それって強いの? 弱いの?」という観点で論じられると、必然的に試合してみせるしかなくなり、そうするとうちの持ち味を殺してやらざるを得ず、そうすると勝てない・・・「何だよ、弱いじゃん」と馬鹿にされていく・・・という悪循環に陥ることを避けたかった次第です。

 でも、護身戦闘術としての武術の観点が、ここ近年、かなり浸透してきている印象があることと、長く続いてきた武術ブームが一段落して、今後は客観的な比較検討対象になっていくだろう・・・という手ごたえが得られた事。

 そして、何よりもうちの主な会員が急激にレベルアップしてきた事から、そろそろメジャー化を目指して普及していく段階になったと思っています。

 技術的なことを言えば、まず、“寸勁を駆使して戦う戦闘理論を会員が体得してきた”という点があります。

 うちの会員は空手出身者が多いためか、どうしても間合を保って突き蹴りを出そうとしてしまう習性が抜けなかったのですが、特に大石教練が自由に技を出させて捌いて見せていたために、「あ~、こうすればいいのか?」というイメージが出来上がってきたみたいで、常連の会員はどんどん実力アップしていきました。

 これさえ体得すれば、大概の徒手格闘の技術を封じて戦うことができます。


 もっとも、こういうことを書けば、気に入らない人も大勢、いらっしゃるでしょう。

 しかし、私は、こうした戦闘理論は、本来の武術には流派を問わず備わっていた筈だと考えていて、沖縄空手にしろ中国武術にしろ、型に伝わる技が効力を発揮するには寸勁を用いていると解釈しなければ納得できない動作が多いのです。

 その意味では、私は温故知新で武術を解明しようとしただけであり、逆説すれば、他流の人にも採り入れていってもらえば、その人が学ぶ流儀をバージョンアップしていけると考えていて、流派を問わず武道・格闘技全体が技術革新していけば結構なことだと思っています。

 ただし、競技武道として固まっている柔道・空手道・剣道などでは恐らく無理でしょうね。

 合気道や少林寺拳法、フルコンタクト空手だったら採用してもらえる余地はあると思いますが、それも教条的になっている道場だと、やはり無理でしょう。

 私が期待しているのは、総合系の格闘技です。より発展させていこうという余地があるので、採用される可能性は高いと思っています。

 打撃と組み討ちが分離しているMMAが、密着戦で打撃が使えれば、ガラッと闘い方が変わる可能性があります。

 しかし、一番、興味を持ってもらえそうなのは、日本ではなくて海外のマーシャルアーティストでしょう。

 年始にUSA支部長とメールのやり取りをしましたが、彼はアメリカでも著名なマーシャルアーティストにうちの技をプライベートレッスンしていて、手ごたえを感じていたようで、技術解説書を書くことも大歓迎してくれ、英語版を強く勧めてくれました。

 それで、英語字幕を付けてユーチューブにもどんどん技を出していこうということにしています。

 これまでは悪意をもって貶めようとする人間を警戒し過ぎていたんですが、論より証拠ですから、現実に私の理論通りにやれば誰でもきちんと体得し上達していけるという事実を出していけば、心ある人は認めてくれると思っています。

 出る杭は打たれるものですが、巨大な鉄塔は打つことができません。潰せるものなら潰してみろ!という気概でいます。

 とかく、武術の世界は口では綺麗事の礼節を言いながら、本心は目障りな人間を陰に隠れて足を引っ張ろうとする卑劣漢が満ち満ちています。要するに、自分が威張りたいのが本音なんですよ。自己顕示欲を隠して謙虚なフリをしたがる偽善者・欺瞞家が腐るほど多いのが武術の世界です。

 だから、私は綺麗事を言う人間は一切、信用できません。本当に志しがある人間は自分からは言わないものですよ。“巧言令色少なし仁”ですね。

 うちの会員さんにしろ、私の本を愛読している人にしろ、私が立派な人格者だとは期待していないでしょう。「オモロイおっさんで本音をバシバシ言うところが素敵~!」と思ってもらえば、充分、有り難き幸せですよ。

 武道やってるヤツって、やたらに礼節だの克己心だの歯が浮くような恥ずかしいセリフを並べたがりますが、「どっかのインチキ新興宗教の信者かよ?」って言いたくなるのは私だけなんでしょうか?

 今日は敢えて、“本心”を申しますが、今現在、国内で私以上に武術全般の技術と理論を構造的に解明できている人間はいないと思っています。

 昨年、松田隆智先生の発勁を見せて戴いて確信しました。「自分の研究は間違っていなかった。今、私の発勁は国内でトップレベルに達している」と思いました。

 一番とは申しません。しかし、恐らく五本の指には入っていると思います。

 嘘だと言いたい人もいるでしょう。

 ならば、私に打たせてください。松田先生からは「危険だから打たないほうがいい」と注意されましたが、中国武術の名誉を守るために死なない程度に加減して打ちましょう。

 それでも、後遺症は残るかもしれません。打撃力が浸透するのでキックミット越しに打っても効くし、複雑な威力の浸透をするので、思いもしない後遺症が出るからです。

 これまで半分から1/3以下にセーブしてブ厚いキックミット越しに打ったにもかかわらず、翌日、動けなくなった人、失神した人、首を捻挫した人、血尿が出た人・・・など、いろんな症状が出た人がいました。

 私が、「直にフルパワーで打ち込んだら確実に死ぬだろう」と言う理由も御理解いただけると思います。単なる破壊力ではないのです。

 それを覚悟で試したいと思う人なら、私も殺人犯になるのも覚悟で、いくらでも打ってみせます。だから、私を嘘つき呼ばわりするなら、自身の命を捨てる覚悟もしてください。

 自分の言葉に責任を持つということは、口で言う程、簡単ではありません。十冊以上も本を出して専門家として活動している以上、私は自分の言葉が一般人の無責任な言葉とは根本的に次元が違うということも自覚しています。

 その上で発している言葉だということを理解し、どうぞ、言葉尻を捕まえた安易な解釈は慎んでもらいたい!


 合気に関しても、私のはほぼ完全なる独学です。合気道を実際に習ったのは一時間半。大東流合気柔術は知人のレクチャーを受けただけです。

 けれども、佐川幸義先生が駆使したといわれる伝説の技“体の合気”も、技術構造的には分析し尽くしましたし、ここ最近で、ほぼ体得したと言っても過言とはならないくらいになりました。

 私は、この技は太極拳の抖勁とほぼ同質の技であると考えています。

 最近、パンチやキックを当たった瞬間に、当たった箇所から跳ね飛ばす・・・というやり方を実験してきて要領が解ってきました。

 これは、化勁と発勁をほとんど同時におこなうのです。

 要領は、脱力体であることと、体内の重心移動を使うこと。そして、相手の打撃力が働く方向を転換させて相手に送り返す。この三点が秘訣です。

 この技を体得するヒントになったのは、蘇イク彰老師が随分前に雑誌『武芸』の中で、「高度な発勁は、打たれた瞬間に打たれた箇所から発することだ」と述べていた点でしたが、当時は、「そんなのできる訳ないよ。ハッタリ言ってんじゃないか?」と思ったのが偽らざる本音でした。

 しかし、「硬気功で打たれても平気というのは、実は打たれた瞬間にその箇所に気を集中して跳ね返すのだ」という話を小耳に挟んで、「あ~、それじゃあ、蘇老師が言っていたことは本当だったのか?」と思って、実験してみました。

 最初はなかなかタイミングが合わなかったんですが、これが上手く極まると、パンチやキックを放った会員が手首や脚を痛めたり、身体ごと弾かれるように吹っ飛んだりするようになったのです。

「あ~、これか~?」と思って、いろいろ試していき、確信が持てるようになりました。

 これらの技は、秘伝だったのかもしれませんが、少なくとも神技ではありません。原理が解れば誰もが体得できるものです。

 そして、何と! 全然、別種の技だと思っていた発勁と化勁、合気の技は、体内の重心移動を駆使するという点で共通原理を有していたのです。

 私のできるレベルの技は、個人差はあっても基本的に誰でも体得できますし、しかも、「良師について長年学ばねば真の威力は出ない」と言われていた点だけは、明確に否定します。原理が解って、身体が練れている人なら、即座に体得できると言っても過言ではありません!

 事実、ダンス白州で世界20カ国以上から集まっていたダンサーに教えた時や、昨年末に江古田でストアハウスカンパニーのメンバーに教えた時など、あっという間に体得し、しかも何年も修行してきた人間以上のレベルで技を駆使していたり、教えたこちらが驚かされたものでした。

 つまり、武術の技は、仕組みさえ理解できれば、あっという間に人間を達人に導くことができるのです!

 本当に、この真相が判明した時は、私は喜んでいいのか悲しんでいいのか、判らなくなってしまいましたし、これを公開してしまって良いものか?と悩みました。

 懸命に苦しい練習を長く続けてきた人達のことを思えば、こんなことを公開するのは、あまりにも非情ではあるまいか?とも思えたのです。

 無論、技ができるようになるのと、実際に戦うのは別のことですが、これまた、「戦闘を構造的に解明していけば、戦略戦術的に相手の持ち味を潰してしまえば自分が一方的に勝つのは不可能ではない」という、これまた戦闘の理論的仕組みを理解するかどうかに鍵が有るという真相が判明してくるのです。

 正直、戦って勝つのなんて、簡単な理論なのです。

 要は、「相手の戦闘法を調べておいて、弱点だけ徹底して攻める」ということをやればいいだけです。

 もちろん、これは競技として闘う場合は卑怯卑劣な反則行為です。

 しかし、「武術の目的は命を護る戦闘は必ず勝って生き延びねばならないということ」であり、基本的に卑怯卑劣という論理はありません。勝つためには、必要なことを的確にやるだけです。

 つまり、競技として闘う武道や格闘技とは戦う目的がまったく違うのです。

 競技は、技量の強さを測定するために闘います。だから、ルールが必要です。

 しかし、武術の場合は、サバイバルが目的なので、どんな手段を使っても敵は抹殺するか、それが不可能ならば徹底して逃げるか・・・そういうものなんですね。

 その究極の極意となれば、「生涯不戦」です。戦わずに一生を終えられれば、それが最も良いということであり、普通、武術を修行する者はこの境地を目指します。

 何故なら、武術の戦闘は前提として敵を抹殺することが目的だからです。敢えて人殺しになりたい人間なんて、変質者でもなければいないでしょう?


 会員の技量が上がっていくのを見ることは嬉しい反面、少し空しくもあります。

 彼らが上達すればする程、「俺はこんな殺人術を教えてしまっていいのだろうか?」という感情が具体的に高まっていくのです。

 これまで入会を断ったり、破門にしたりした人達に関しては、その中の何人かは、明らかに変質者的な要素を感じて、「こんな人間にこれ以上教えたら世の中に害を及ぼすだけだ」と思ったからでした。

 しかし、そうさせてしまったのは私が指導者として相手にも自分にも厳しさが足りなかったからでもあると思います。

 正直、武術を教え始めたのも生活のためでした。パニック障害という持病のためにまともな勤めができなかったからでもありました。武術を教えて金を貰うことには抵抗がありました。これは今でも払拭しきれてはいません。

 今でも、自分はこういう人生で正しかったのか?と考えることがありますが、本の読者やセミナーの参加者の感想や笑い顔が救いです。

 けれども、私のような武術を商売にする人間にはなって欲しくありません。何か、もっと世の中に貢献できる仕事を持ちながら、それを陰から支える形で武術を嗜んでもらうのが一番いいと思っています。

 武術は表芸にはなりません。游心流は私一代で終わってしまって構わない。あまりにも殺法を追究し過ぎてしまったと思っています。

 それでも、私は偽善者や欺瞞家にはなりたくありません。だから、上っ面の倫理観を並べて権威付けする愚か者に与することは生涯ないでしょう。

 私は言葉は信じない。その人の生き様を観て、付き合うか付き合わないか決めるだけ。

 非難したければ勝手にすればいい。それで私の生き方が変わる訳じゃなし、来る者選んで、去る者は忘れるだけです・・・。

 サヨナラだけが人生・・・。そして、私は新しい出会いを求めます。

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セミナー及び本撮影

 2012年は一月から忙し~い~。あ~、疲れるぅ~。

 2日は初稽古、5日は予行練習、8日は月例セミナーの一回目、そして、翌9日は技術書の写真撮影・・・ふぅ~、大変だよ~(来週15日はホビット村で“激突!合気”だよ~。予約不要だから道場破りにもって来いだよぉ~。ホ~レホレ。独己九剣破りたいんだったら相手してやるよぉ~。おいでやっしゃ~)。

 まずは8日のセミナーの感想をば・・・。

 昨年は初参加の人は少なかったんですが、今年は初めて参加される方が増えました。

 今年は個々の秘技の伝授という形式ではなくて、技術的な原理解明を毎回のテーマとしてみようと思いまして、初回は游心流の根本原理の筆頭要素である『脱力技法』をテーマにしてみました。

 私は最近、武道や格闘技で苦しいトレーニングを積むことに弊害を感じるようになってきまして、私自身、30前後の頃に鉄アレイ握ったまま一万本突き・スクワット三千回・空蹴り三千本・拳立て二百回・腹筋百回2セット・フットワーク30分・縄跳び30分・ミット打ち1時間・ミット蹴り1時間・馬歩站椿30分・立禅一時間・・・といった練習をやっていたものの、それが具体的に役立ったか?というと、「片足立ちのまま百本くらい蹴りを連続して出せるようになった」というくらいの成果しかありませんでしたね。

 無駄とは言いませんが、こういう練習は自己満足でしかなかったな~と思うのです。

 結局、相手もいないのに独りでいくら練習したって武術は体得できないってことです。

 それは、脱力技法の奥深さに気づいてから、尚更、肉体をいじめ抜いて練習しても成果は上がらないと思うようになってきた訳です。

・・・と言うか、「昔から達人だけができる神技だ」と言われている技の大半が、脱力技法の応用でしかないという現実があるのです。

 脱力の重要性を解く流儀には、太極拳や合気道がありますが、大東流合気柔術や八光流柔術、鳥居隆篤先生の柔法、練気柔身法・・・等々、いくつもありますし、特に脱力を唱えていなくても実態として脱力技法を駆使している流儀には新体道やシステマがあります。

 また、少なくない武術流儀の師範が、「武術の極意は力を抜くことだ」と説いている事実もあります。

 もっとも、同じように力を抜くことを教えていても、いわゆる脱力技法とは別に、「ただ脱力したのでは威力も出ない。本当の脱力とは屈筋の力だけ抜いて伸筋を用いるのだ」と説く師範も拳法系には何人も見られます。

 私は、“いわゆる脱力技法”を文字通り、「筋肉を脱力させて用いる技法」と定義しており、伸筋技法とは別物と解釈しています。

 そして、游心流の技は、“いわゆる脱力技法”であり、伸筋技法はほとんど使いません。
“ほとんど使わない”と言うのは、場合によっては使うということなんですが、それは、「効果的であれば何でも使えばいい」という合理精神でのことであって、筋力でねじ伏せることが技としてダメだと言いたい訳でもないのと同じ意味合いで、「伸筋技法も効果的だったら使いますけど、うちの技は脱力が基本ですよ」という意味です。

 伸筋技法は勁の伝達を遮断してしまう閉気截脈法を使えば簡単に破ることができますし、出せる威力も一撃必殺とまではいきません。中途半端だから、游心流では採用していませんし、伸筋技法を体得しても脱力技法は使えませんが、脱力技法ができれば伸筋技法は簡単にできますから、練習する必要もないんですね。

 私は最近、「もしかすると武道の練習って、物凄く不合理で効率の悪いことをやっているのではないか?」と、疑問に思うようになってきました。

 何故なら、武道を熱心に打ち込んで練習してきた人ほど、脱力技法を体得することが苦手で、何年やっても駆使できなかったりするからです。

 それに対して、武道なんかよりヨーガやダンスをやっていたような人の方が、スポンジが水を吸収するように技を体得していけるのです。

 長く人に指導してきて判明したのは、一番、覚えが早いのはダンサー、次に武道経験の無い頭の柔軟な人、次に初心者、一番覚えが悪いのが熱心に武道に打ち込んできた人・・・なのです。

 特に致命的に覚えが悪いのは、必要以上に筋トレに励んできた人です。

 こういう人は物凄く苦労します。稽古で覚えても、実際に動いて技を出そうとすると、無意識のうちについつい力が入ってガチンガチンに力みまくってしまいます。

 また、可哀想になってしまうのは、こういう人の場合、毎日毎日、脱力の稽古を積んでいないと、練習を休めばすぐに形状記憶合金のように力む癖が戻ってしまうことです。

 私が筋トレ系の練習をやらなくなったのは、このような理由も関係しています。本当に練習らしい練習は稽古で教える時しかやらず、毎日やっているのは刀の抜き納めを数回やるだけなのです。

 では、単に怠けているのか?というと、全然違っていて、私の場合、日常動作そのものを武術的意識で動くように意識することで、もっと効率的な訓練にしているので、表現を変えれば一日中、ぶっ通しで稽古している・・・とも言える訳です。

 特に、脱力技法の最も重要な点というのは、「何のために脱力が必要なのか?」という意味をきちんと理解すること・・・なんですね。

 何しろ、「単純に脱力しただけでは威力が出ない!」と説く先生が少なくない。これは「力を出すのは筋肉の収縮以外には無い」という強固な思い込みによるのです。

 こういう誤解をしたまま取り組んでも何にも上達しないんですよ。

 ズバリ! “脱力するのは筋力では発揮できない絶大な威力を得るため”であり、“長年、苦しい修行を重ねて体得したパワーを素人が一瞬で凌駕できる技のパワー”を得るためなんですよ。

 つまり、以前から言ってますように、“重心移動によって発生するグラビトン・パワー!”を得るために脱力が絶対必要だからなんですよっ!

 そうです!

 あの、大鉄人ワンセブンの究極必殺技、グラビトン! あれですよ、アレ!

 私が「道場破りなんぞ屁でもないよ!」という絶対的な自信が持てるのも、このグラビトン・パワーを自在に駆使できるようになったという確信を得たからであって、たかが数十kgから百kg前後の質量しかない人間の繰り出す攻撃力なんぞ恐れるに足らず!と思っているからです。

「一打完殺」を実現し得る攻撃力は、いくら筋力を鍛えようが、伸筋を駆使して全身で打てようが、人間一人のスケールの質量では到達できませんよ。

 ところが、「李書文に二の打ち要らず」と恐れられた八極門の李書文や、「半歩崩拳、打遍天下」と尊称された形意門の郭雲深、軽く触れた程度の掌打で口喧嘩していた車夫を絶命させてしまう程の暗勁を体得していた白猿通背門の酔鬼張三といった伝説の中国武術高手の秘伝絶招の逸話もありますね?

 こうした逸話が本当かどうか?ということを研究してきた結論として、私は事実であったと確信するんですね。

 どうしてか?というと、私たち、游心流の何人かの会員は、現実にそういうレベルに近い発勁を打てるようになっているからであり、体内で重心を高速で移動させることで生じるエネルギーを打ち出す発勁の威力は、数十kgから百kg程度の人間の身体で受け止められるものではなく、文字通り、ダンプカーに激突したかのようにふっ飛ばされますし、ふっ飛ばずに威力が体内に作用してしまえば内臓や骨がグチャグチャになるほどの凄絶なダメージになるでしょう。

 過日、松田隆智先生の発勁の質を試されていた青木宏之先生が、「・・・これは、人に伝えてはいけない技かもな~・・・こんな突きを食らったら内臓がグチャグチャになってしまうよ」と、非常に真剣な顔で私に耳打ちされましたが、実は私もそのくらいの発勁をもう打てるようになっているのです。

 もっとも、うちの師範、師範代クラスも私に近い威力を出せるようになっていて、自分ではまだ無自覚なのが、ある意味、怖い・・・。

 軽くやってるつもりでも、クッションやミット持って受けた相手がズバーンとふっ飛んだり、バターンッとぶっ倒れてしまったりするので、「とにかく、半分・・・いや、1/3以下にセーブして、怪我させないように、くれぐれも注意して・・・」と口を酸っぱくして指導しています。

 判りますか? 私が脱力することの重要性を力説しているのは、筋力では到達できない圧倒的な一撃完殺パワーの領域の必殺技を体得する大前提だからなんですよ。

 重心移動で生じるエネルギーは、体内で移動スピードを加速させれば加速させる程、ぐんぐん高まります。沈墜勁や開合勁、纏絲勁、弾勁、波浪勁・・・といった勁の働きは、その重心移動を倍々に加速させるための工夫だと考えれば、理解しやすいでしょうし、実際に私は新しい勁の働きをいろいろ工夫してもいます。

 つまり、「ただ脱力しただけでは威力が出ない。屈筋の力だけ抜いて、伸筋を繋げて全身の力を協調連動させて打つのが正しいのだ」と説いている師範方は、真の発勁の威力を知らないから勘違いされているのですよ。

 技の効力は、その技が発生する身体操作のメカニズムとエネルギーの働き、パワーが倍加し伝達していく仕組み等々を明確に理解することによって、応用変化は自在にできるのです。

 これは、私が教わったことを忠実に実践してきた人間ではなく、自分自身で探究し、その過程で多くの師範に教わったり、技を掛けてもらったり、観せてもらったり、説明を受けたり、本を読んだり、映像を観たり・・・ということを膨大に繰り返してきた中で、根本的な原理を探るのが習慣になったからでもあります。

 そして、理解度が進むに従って、工夫する技も進化していっている訳です。

 游心流を興した時点ではまだ解っていなかったことが、今では明確に解っているということも多くありますし、また、一緒に練習することで研究を深めていく共同の同志でもある会員が入れ替わる度に、優れた人材が入るようになってきました。

 ここにも運命的なものを感じざるを得ません。縁というものを強く感じるのです。

 今回のセミナーでも、そういう縁を強く感じましたし、寸勁や合気の技を何の苦もなく次々に体得していく講習会というのは、恐らく、世界に二つとないだろうと思います。

 爆問学問で甲野さんが実演した技なんかも参加者に原理を説明してやらせてみましたが、仕組みが解れば、誰でも簡単にできるのです。彼の技は身体操作ではなく、八割以上は脱力技法を応用して見せ方を変えているだけだからです。

 これは筋電位の変化を調べる実験で、「おかしい。こんなことは起こる筈がない。甲野先生は技をかける時に筋肉を使っていない?」と研究者が首を捻っていましたが、当たり前ですよ。筋肉の収縮で力を出してるんじゃないんだから・・・。

 彼の技の真相を探るなら、重心点の移動を調べないと解らないですよ。

 特に、セミナーでも最後に質問に答える中で、「拘束されている女の子でも抜け出せるのか?」という質問に、男に背後から羽交い締めにされているのを脱力して抜け出す“ウナギ抜け”を教えて、親娘で参加されている方にやってもらいましたら、私より上手にトコロ天がスポーンッと抜けるように簡単に脱出されていました。

 無論、いろんなシチュエイションに対処するには応用性が必要ですが、基本的なやり方を理解していれば、危機に陥った時に落ち着いて脱出策を考える余裕が出ます。

 重要なのは、この“心の余裕”なんですね。危ない時ほど、力を抜いて、どうにでもなれ!という捨て身の精神になることで、人間の真のパワーが発動するのです・・・。

 そうそう・・・昔、バカみたいに延々と練習していた時の唯一の成果は、延々と練習するには余分な力を抜かないといけない・・・ということでした。

 そういう意味では千も万も数稽古を繰り返すことも無駄じゃないかも?ですね~。


 翌、9日は、朝から次にアスペクトさんで出す技術解説書向けの写真撮影です。

 今回はメイプルホールで撮影することにしていたので、総勢十人で臨みました。

 でも、撮影中も大石教練を中心にうちの会員さん達は、キャッキャッ騒いでキックミット蹴ったり、夢中で練習していて、ちょっと、ウルセーな~(苦笑)と思いましたよ。

 残念ながら、矢嶋師範代だけが所用で来れなかったんですが、新しい師範代二名と主将は参加できたので、結構、皆で攻守交替しながら写真撮影しました。

 私は前日夜にドカ食いしておなか壊してしまっていたので、あんまり動けなくなってしまったんで助かりましたが、呑気にやっていて時間内に全部は撮れそうもなくなってしまい、これはヤバイ!と思って、後半は北島師範相手に私が一気にやりました。

 今回は、脱力技法がどれだけ効果的か?というのを写真で表現したかったので、“蹴りを抖勁で弾き返す”というのをいくつも撮りました。

 これは、ローキックを打たれた箇所から発勁して弾き返す・ミドルキックを腹で弾き返す・ハイキックを片手前腕で弾き返す・・・といったものです。

 恐らく、佐川先生がやったという“体の合気”の原理にも共通すると思うのですが、従来の脱力技法を駆使した技だと「蹴りの威力を分散して効かなくさせる」というのが主だったやり方でした。

 でも、それだけだと面白くないし、写真で見ても判らないので、受けたと同時に体内の重心移動をそこに集中してバーンと撥ね返す・・・という技に応用してみた次第です。

 前日のセミナーでは矢嶋師範代に蹴らせて実演してみせたんですが、結構マジ蹴りしたので威力がドーンと返ってしまった矢嶋ックスは相当、痛かったらしく脚を抱えて唸っていました・・・。

 これは大石教練ができるか?と思って、最初はやってもらいましたが、どうもイメージが違う。ちゃんとできれば、蹴った北島師範は身体ごと跳ね返される筈です。

 蹴った北島師範が、「大石さんを蹴ると岩石みたいに硬くて痛いんですけど、長野先生はでかい風船みたいなボーンと弾き返される感触があるんです」と評していまして、じゃあ、私がやるか?と思って、交替してやりました。

 北島師範は、本気で蹴ると自分の脚を痛めるのが解っているので、少しセーブして蹴っていましたが、それが逆に脱力しての蹴りになっているので受けた私も“げげぇっ、重っ・・・”と一瞬思いましたよ。この蹴り、技使わないで受けたら脚折れましたね~(汗)。

 で、蹴りを受けた太ももと両腕は、ちょっと赤くなってましたね。骨まで響く蹴りでしたよ。

 以前、セミナーを受講した人が北島師範の技を受けていて、「うわ~っ、北島先生はDVDでいつも長野先生にコロッと簡単に転がされていたから、大した実力じゃないのか?と思っていたら、こんなに強かったんですね~!」と驚いていましたね。

 そりゃあ、そうですよ~。弱いヤツ、師範にする訳ないでしょ?

 他の会員も大石教練がキックミット持って指導し、脱力してのグラビトン・キックをやらせていたんですが、何かね~、あれ、ミット無しで食らったらグチャッと車のタイヤに敷かれてカエルが潰れるみたいになりそうな異様な重~い威力でしたよ。

 あの~、うちに道場破りに行ってみようと思ってる方がいらっしゃったら、保険証じゃなくて、事前に生命保険に入っておかれた方がいいと思いますよ。大袈裟じゃなくて、一発、まともに食らったらマジで死にますよ? プロ野球選手がフルスイングでバット振るのに匹敵する威力だと思います。

 以前、寸勁教えた人が軽く壁に拳を圧し当てていたら、ボコッと壁に拳の穴が開いてしまったことがありました。寸勁の怖さは、触れているところから、いきなりMAXパワーが出ることであって、構えて・ギュンと身体を捻り絞って・拳を振り出して・当たる・・・という手順の中で威力が加速度的に高まるという打撃メカニズムではなくて、0の状態から瞬間に100の力が出せる訳です。

 本当に、昔の武術家は、何という恐ろしい技を工夫したものだな~と、つくづく思いますね。「中国武術なんか弱いよ」って言ってるヤツは腰抜かすよ。

 確かに、こんな異常な殺傷力が出せてしまうのでは秘伝にして教える人を選ばないとマズイよな~・・・と思います。

「武術なんか型ばっかりで理論倒れだよ」と侮っている愛好家も少なくありませんが、それは真相を理解していないだけなんですよ。武術は本当に、人類が発明した最高の戦闘哲学であり戦闘技芸ですよ。本当に、教えを受けた先生方に感謝ですよっ。本、期待していてください!(「命を捨てても試してみたい」という道場破りの方、待ってま~す!)
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予行練習・・・

 9日に技術解説書の写真撮影をするのに試し斬りもやるので、試し斬り用の台に使えそうな撮影用ライトを固定するスタンドを、町田のヨドバシカメラで買ってきました。

 これなら使えそうだな~?と閃いて買ったものなんですが、今年最初のメイプルホールの稽古に持参して使ってみました。

 何しろ、専用台を買えば4万円近くしますし、大き過ぎて持ち運びは無理・・・。

 それで試行錯誤して何度も自作していたんですが、このライトスタンドは高さも調整できるし軽くて丈夫。三脚を折り畳んで縮めればコンパクトで持ち運びもラクラクで、実に優れ物です。

 実際に使ってみた感想として、十分に使用可能でした。

 上手く斬れれば固定しなくても倒れることもないし、マキワラを挿入する刺し木(竹)の入る穴も上と横にも開いているので、高さを調整すれば横に挿して斬ることもできますね。

 あるいは、横に棒を挿しておいて、剣道の打ち込み台風にして実戦的なイメージ・トレーニングをやることも可能でしょう。

 この打ち込み台相手の居合のイメージ・トレーニングを一時期、よくやっていまして、それが独己九剣を考える原型になったんですね。

・・・ということは、このスタンドを利用すれば、独りで独己九剣の修練が積める?ということになりますね。

 いや~、本当にこれは優れ物ですよ・・・。

 7800円で買ったんですが、いくつか買って、対複数を斬るとか、ラジコン自走式に改造すると、もっと面白い稽古ができるかも?


 まあ、このスタンドが使えるかどうかの実験だったので、試し斬りはラフにやったんですが、会員さんがネット通販で買った模擬刀を貸してもらって試し斬りやってみました。

 両断とはいきませんでしたが、半分くらいは斬れました。マキワラをもっと細くしたら両断できたでしょうが、材質が非鉄金属で刃も付いていない模擬刀でここまで斬れれば上等でしょう(研いで刃を付けたら、両断できたかな?)。

 何度も挑戦して折れたらいけないので、一回だけで返しましたが、最近の模擬刀は軽くて丈夫ですね~。

 真剣に代えて、再び挑戦。

 もう、片手逆手斬りも問題なく斬れるようになりましたけど、普通の刀だとやりにくいですね~。片手逆手斬り専用の刀を造ろうかな~? 一尺二寸の脇差だと短か過ぎたので、刃渡りは二尺弱くらいで座頭市の仕込み杖みたいなのが片手の逆手斬りにはいいような気がしますね~。

 身幅は広くて重ねは薄い方がいいだろうな~? 片手で斬るには刀は軽く、体幹部の回転で斬るから反りは浅いか、無反りでもいいでしょうね。

 こう考えていくと、座頭市の仕込み杖って片手逆手斬りには最適だったんじゃないか?と思えます。

 こういうことって、自分でやってみるまで解らなかったですね。

 最初は片手の順手でさえ斬るのは難しかったのですが、清心館の佐原先生とお話していて、お弟子さんに円明流(二天一流を名乗る前に宮本武蔵が名乗っていた流派名)を修行された方がいらして、その人が片手で上手に斬ることから技術分析され、「片手斬りは刃筋を徹すのに手首をこねてはいけない」という秘訣を話されていたんですね。

 それで、マキワラに斬り込む瞬間に前腕の真ん中辺りから先を固定して斬るようなイメージでやってみたら、片手斬りもできるようになったんですね。

 それで、「刃筋さえ徹せば斬れるんだったら、逆手で握ってもできない道理はないだろう」と考えて、逆手で握っての片手斬り上げをやってみたら、ちゃんと斬れた訳です。

 刀は斬れるように作られているんだから、その機能を活かすようにすれば斬れるのが当たり前なんだと思います。

 武術の技は効果的かどうかが問題なのであって、結果が出せれば正道も邪道もないと私は思います。現代の武道修行者は、この本質的な道理を忘れて形式主義的理想論ばかり唱え過ぎると思います。

 やってみもしないで否定ばっかりしたがる。

 そういう点では、私は甲野さんを少しは評価しますよ。誰もやらないことに挑戦する姿勢は立派だと思います。

 ただ、惜しむらくは、御本人に武術的認識力が無いために方向がズレたトンチキな武術パフォーマンスにしかならない点が哀しいのですが・・・、まあ、それを観抜けない人が圧倒的に多い現状の方に問題があるとも言えるでしょう。

 武術は勝てなきゃ、意味がない。自分より強い敵にも勝てなきゃ~いけない・・・。

 それを実現するには戦略戦術が必要なのであり、当たり前のやりかたでは当たり前の結果しか出ません。

 武術の本質は頭脳戦であり、頭脳を使わずに肉体だけ鍛えても体得はできません。

 どうも、日本の武道は小賢しい理屈は抜きで無心で肉体をいじめて稽古するのが本筋なのだという風潮でやってきているのが、全体的な劣化を招いてしまったのではないか?と思いますね。

 もっと頭を使って、合理的に、理論的に技を分析したり、稽古法を工夫したりしていかなくては発展しませんよ。

 大石教練と話していて、「うちで伸びる人は、やっぱり頭のいい人ですね~」と言っていましたが、特に新しく師範代、主将に任命した三人は理論的に技を解析して体得するタイプなので短期間で急速に伸びましたね。


追伸;撮影当日、時間が無くなって試し斬りはほとんど撮れなかったんですが、寸勁斬りがバッチシ決まって、ドヤッ!って顔したら、「アレッ? 今の撮るんですか?」って、撮影してなかったとのこと・・・。ガックーンとなって、じゃあ、もう一度と思ってやってみたんですが、今度は失敗・・・あ~あ・・・この技、まだ、精神集中してやらないと成功できないんだよな~。一発目が凄くうまくいってたんで、再挑戦は集中が切れちゃいましたよ~(泣く)。もっと自由自在にできなきゃ~ダメだね~。と、反省して帰宅して刀を手入れしてたら、ちょっと刃が丸まってる感じでした。そっか~? 切れ味も鈍ってたのか?

追伸2;矢嶋ックスからメールがあって、「『特撮ニュータイプ』は角川書店では?」とのこと。アレッ? そうだっけ?と思って確認したら、本当に角川でしたっ! スンマッセンでした。訂正しま~す! よくやったぞ、矢嶋ックス。君はこれから游心流の東京支部長兼師範代兼“特撮部長”だっ! 後輩に追い抜かれても気にするなっ!

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ホビージャパンって偉いっ

『Gun』が突然、休刊してしまってガビーン・・・となっていて、コンバットマガジンやアームズマガジンで何かコメントされていないかな~?と思っていたら、何と! アームズマガジンの付録に2012年カレンダーと、『Gun Professionals』VOL.0なる小冊子が付いているじゃ~あ~りませんかぁっ?

「何じゃ~、こりゃあ~?」と思ったものの、表紙の雰囲気から、「これは、早速、Gunが復活したんだなっ?」と、ピーンと来ましたよ。

 で、めくってみて確信しました。執筆陣がほとんどGun誌ライター陣でしたからね。

 あ~、良かったな~・・・このまま消えてしまったら、どうなることか?と心配だったので、こんなに早く復活してくれるとは、有り難い・・・。

 それにしても・・・『アームズマガジン』と『ファンシューティング』という銃専門誌を既に出しているホビージャパンが、『Gun』まで出すというのは凄いことです。

 何か、かつての福昌堂の『フルコンタクトKARATE』『武術』『空手道』時代を思い出すな~。

 それにしても、ホビージャパンという会社は懐が深いね~。

 何せ、『特撮ニュータイプ』という特撮専門誌を出しているにもかかわらず、休刊した『宇宙船』を引き受けて復活させたのも、この会社だったんだし、趣味(ホビー)に関する守護神っぷりは尋常じゃないな~?と思いました。

 単に引き受けると言っても、今の出版不況の御時世にそれをやるというのは物凄い決断が要ることだと思うんですよ。

 私なんかも「本が売れなきゃ~、次は出せません」と言われて、毎度、戦々恐々として必死で書いていますからね。雑誌だと最低でも一万部は越えていないと続けられないと思います。

 今は出版社も文筆家も生き残りに必死な時代で、休刊した雑誌を引き受けるなんて夢にも思えない状況の筈なんです。

 それを一度ならず二度までもやってのけるというのは、本当に凄い!

 雑誌一つには、印刷整本代・紙代・運送代・取り次ぎ店と書店への支払い・編集者の給料・営業の給料・ライターの賃金・カメラマンの賃金・取材先への謝礼・必要経費等々が発生する訳ですが、主に広告収入に頼らざるを得ない訳です。

 最近は大手の新聞だって広告記事を一面に大々的に掲載していたりします。

 こういうのは不況のせいでもあるんですよ。零細企業が広告費を削減しているので大手だけしか広告を出せなくなりつつある。

 電通や博報堂のような最大手の広告会社だって、噂に聞くところでは給料が半分になってしまった?なんて話がありますからね~。

 だから、零細企業は宣伝できないからジリ貧になって潰れてしまう・・・という例も多いみたいなんですよ。

 宣伝はインターネットで充分だし、悪評も評のうちですから、誹謗中傷が巡り巡って、「長野さんも敵が多いね~(笑)。でも、“出る杭は打たれる”だからね~」って、小説の師匠から言われて照れちゃいました~(苦笑)。

「どんなに打たれようが、スカイツリーみたいにグングン出て独り勝ちしたるっ!」って思ってるので平気なんですけど、露骨にやられると、何でそこまで嫌がらせしたがるのかな~?と不思議ですね。ライターから“先生”になっちゃったのが嫉妬心をかきたてるんでしょうかね?(当たり?)

 だけど、私はライターやる前から武術研究家って名乗ってたんだけどな~?

 ライターやったのも生活費の足しにしようと思ったからで、大して足しにならないから、今は自分の本書いた方がずっといいし、ライターの仕事はやる気しないですけどね。

 ただ、ライター時代も気楽で楽しかったですよ~。もっと金が入るんだったら、続けても良かったけど、あれだけじゃ~将来性が無いからな~。

 武道系出版社も、もっと危機感を持って先行きを読んでやっていかないと総崩れになるのは時間の問題だと私は思っています。

 何か、変にプライドだけ強い人が多いような気がする。ビジネスは、相手がどんなヤツでも頭下げていかなきゃ~ダメですよね~。

 憎んでたり、馬鹿にしてたりした人が助けてくれる・・・なんてことだってあり得ますからね。ビジネスの世界だと・・・。

 ホビージャパンのような器量の大きな会社があればいいんですけど、狭い業界で、さらに付き合いを狭くしてるのは先見の明の無さとしか言えないですね~・・・。


追伸;新聞読んでてビックリしたんですが、真樹日佐夫先生が急性肺炎で亡くなられたそうですね。全然、お元気そうだったのに、驚きました。格闘技の世界や芸能界にも大きな影響力のある方だったので、周囲の人達は困惑されているでしょう。私は面識ありませんが、やっぱり、噂はあちこちで聞いていました。今は、ただ、御冥福をお祈り致します。

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久しぶりの忘年会

 12月30日には自主映画時代の仲間の忘年会が毎年あるのですが、ここ2~3年は風邪ひいたり日にちを間違ったりして行きそびれていましたけれど、今回は久しぶりに足を運びました。

 自主映画時代と言っても、私の場合、岡山に居た頃の大学の映画研究部の頃に目覚めて、本を参考に8mmフィルムのカメラで撮り始め、先輩のアドバイスに従って相模原の叔父を頼って上京して以来、都内の自主映画サークルを掛け持ちしたりしていたんですね。

 そもそも、私が熱中していた頃の自主映画の世界は、ちょうど、フィルムからビデオにカメラが移行していく時期であり、ちょっと上の世代が学生自主映画の黄金時代と言われてプロになっていく人が多くいて、ビジュアリストを名乗るようになる手塚眞さんや、おちゃらけ映画の巨匠となった河崎実さんが活躍していました。

 成城大学、日本大学芸術学部、大阪芸大なんかが特に活気があり、早稲田、慶応と続いてましたかね~。

 庵野監督や雨宮監督だって自主映画畑からプロになったんですよね。

 去年、休刊してしまった『ぴあ』のフィルム・フェスティバルや、日本映像フェスティバルなんかの自主映画コンテストが自主映画作家の登竜門にもなっていました。

 自主映画というとピンとこなくても、インディーズ・ムービーという括りにするとアマチュアとプロの境目がぐっと減るでしょう? 当時はプロの現場で助監督を長く続けて監督デビューするという過程をすっ飛ばして、アマチュアがインディーズで面白いのを撮れば、一気にプロ・デビューしていた時期でもあったのです。

 そして、上京して2~3年経過した頃に知り合いのプロデューサーをやっていた方から連絡を受けて関わるようになったのが、当時は慶応大学の学生を中心にした自主映画サークルで、この辺のことは『武術を生きる日々』の中に書いたので詳細は省きますが、以後、20年以上も付き合いは続いているという次第です。

 ただ、やっぱりバブル時期と重なっていたんでしょうね~? 90年代初頭にバブルがはじけてからは自主映画からプロへ・・・というコース自体が実質的に消滅してしまい、諦めて止めていった人も多かったですね。

 忘年会に来る人も段々と減っていきましたし、夢を語る時代も20代までだったような印象があります。

 それでも、映画やゲーム、TVの業界に進んだ人も多く、忘年会に来れば皆の消息も知れるので、私は時々、行っていました。

 もっとも、ここ数年は参加者もぐっと減少してしまって、特に昨年は寂しくなってしまっていたとのことで、前日まで実施されるかどうか判らない・・・とのこと。

 で、当日の朝には「こりゃあ、今年は無いかな~?」と思って、一緒に連れて行く予定だったCさんにも「代わりに個人指導するから・・・」と言っていたのです。

 ところが、夕方近くなって「やっぱり、やるんだって・・・」と友人から電話があり、またまた計画変更してCさんと町田で待ち合わせて二人で直行しました。

 ちなみに、何で会員を連れて行くのか?と申しますと、俳優であるCさんが演技の勉強をしていた学校の講師が、何と! 自主映画仲間のNTさんであった!ということが判明し、久しぶりに会いたいと言うことだったので連れて行った・・・ということなのです。

 いや~、でもね~・・・この事実が判明した時は、流石に驚きましたよ~。偶然にしても恐ろしくなりましたよ。

 だって、Cさんは武術を学びたくて、しかも地元だったから游心流に入った訳で、演技とは無関係な訳ですよね。

 で、たまたま、私が、昔、自主映画撮っていて、その仲間が何人も演劇の道に進んでいて、たまたま、その一人が演劇学校の講師になっていてCさんが教わっていた・・・という次第なんですから、いやはや、恐るべき奇縁です・・・。

 しかも、この事実に気づいたのが、新百合丘でウルトラマンの新作映画を観た帰りの小田急線の電車の中で話していて、「演劇学校の先輩にはオダギリジョーさんが居て・・・」と聞き、アレ?っと思って、「もしかして、コレコレコウイウ風貌の先生がいなかった?」と聞いていたら、何と、バッチシその人で、ウゲゲェッ?と驚いてしまったのでした。

 私も詳しいことは全然知らなかったんですが、やっぱり仲間のSさんがNTさんと同じところで芝居を学んでいて、同期にオダギリジョーが居たという話を、昔、聞いていて、NTさんはそこで演技指導の講師をやっていたとも聞いていたので、Cさんから話を聞いた時に、もしかして?と、ピーンと来たんですね。

 何か、偶然もここまで来ると凄いと思いませんか?

 武術に関することだったら、こういう恐るべき偶然の一致みたいなことは当たり前のように起こるんですよ。私の場合。

 だから、もう別に驚かなくなっちゃったんですけど、まさか、武術とは関係ない方面でも起こるとは思わなかったですね~。まあ、Cさんがうちに入ったのは武術を学ぶためだったから全く無関係という訳じゃありませんが・・・。

 それで、CさんがNTさんに会いたいと言っていたので、忘年会に行けば直接は会えなくても連絡先は判るだろうと思って誘った訳なんですよ。

 私自身、もう随分、彼には会っていません。以前は芝居の葉書を貰っていたので、ちょくちょく観劇に行っていたんですが・・・。


 今回、忘年会に是非、行きたいと思っていたのは、忘年会を開催する場所をいつも提供されているS山さんが、『新少林寺』のパンフレットに「少林武術と七星拳」という記事を書くのに私を推薦してくれたから、久しぶりに会って御礼しておかなくっちゃ~と思っていた訳です。

 彼は東宝に勤めながら、中国語圏の映画に詳しく映画に関する知識も仲間内でダントツで、学生時代から蘊蓄王でしたが、現在は磨きがかかっていますね。

 ちなみに、『新少林寺』のパンフレットは売れ行きが良かったので増刷されたんだそうです。パンフレットって増刷したりするんだ!って驚きましたが、たま~に増刷することもあるんだそうです。関わった者の一人としても嬉しい限りです。


 Cさんと小田急で新宿まで出て、総武線に乗り換えて新小岩で下車。

 もう十数回は来ている筈なのに、何だか毎回、道を間違えて迷ってしまったりするんですが、ウロ覚えながら、今回は何とか迷わずに到着しました。

 途中でお菓子とか寿司とか買って行きましたが、既に高級寿司桶やケンタッキーなどが持ち寄られていました。

 常連で来られている人はまだ来ていませんでしたし、Cさんが町田にバイク置きっぱなしだったので終電に間に合うように帰るためには10時15分くらいには出た方がいいだろうということで、2時間45分くらい居ましたが、9時くらいにはSさんも来て、Cさんと話していると、やっぱり同じところの先輩後輩だったということが判明!

 それに関する裏話なんかも聞けて、「なるほど~、そういうことだったのか~?」と、前々から疑問に思っていたことが解けた感じでした。

 まあ、この20年くらい、私もいろいろ苦労はしましたが、皆さんもそれぞれ苦労したりしていたんだな~と感慨無量でしたね~。

 Sさんは「もう、俺は働かないっ! 芝居に専念するっ!」と宣言したと聞いていて、大丈夫かよ~?と心配していたんですが、何と、蜷川先生の芝居に出演することになったそうで、これは今後、どんどんメジャーになっていくかも?という予感があります。

 遅咲きでも役者はどこでどう売れるか判らないからね~。彼はホンも書けるし演出もできる多才な人なんで、一回、注目浴びたらドドッと活躍の場は広がるでしょう。

 人間、本気で追究していることって必ず報われますよ。

 Sさんがスキ焼きなどの用意をしてきていたので、御馳走になって時間も来たので早めに帰りましたが、久しぶりの忘年会も少し活気を取り戻した感じで、今年は日本も世界もより良い一年になって欲しいな~と思いましたね。

 あっ、そうそう・・・偶然と言えば、またまた奇妙な偶然がありましたよ。

 最近の活動連絡のために現物持っていった方が理解しやすいと思って、何冊か本とDVDを持っていったんですが、たまたま連れてこられていた女子大学院生の方の実家のお店が“游心”という名前なんだそうで、マジっすか?と思いましたよ。

 偶然も重なるとコワイね・・・。

 でも、偶然が重なることって良い兆しなんで、今年は私ももっと活躍できるかも~?

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これは何かの運命か・・・

 年の瀬も押し詰まってきた28日、西荻窪の天真会事務所に河野智聖先生はじめ斯界で知る人ぞ知る武術師範がお二人も訪ねられるとのことで、「僕も行っていいですか?」と青木先生のお許しを頂戴してうかがってきました。

 どうして私も押しかけたのか?と申しますと、その武術師範のお一人が私が教わったことのある方であり、また、以前、貧乏ライターやっていた頃に三万円お借りしたままお返ししておらず、いずれお返ししなければ・・・と思いつつ時を過ごしてしまっていたからなんです。

 もっとも、青木先生と電話でお話している時に、「お金に困っているような人でもないので、お金をお返しするより刀を一振りお贈りした方が喜ばれるんじゃないかな~。その方が粋だよな~」という話になり、それで一振り選んで持参しました。

 この先生は、古流剣術の卓越した遣い手で、斯界では表に出ない達人の代表格として知られ、中国武術の遣い手でもあります。名前を出せば誰もが知っている有名な空手師範を手合わせで床に這わせたとか、フルコンタクト空手界でも知られる沖縄空手の達人の技が全然通じなかったとか、いくつかの噂がありますが、あの先生の実力からすれば、あり得る話だろうな~?と私は思っています。

 実際に、実戦派の武術師範数名が、あの人とだけは手合わせしたくないと避けているくらいなのです。

 御迷惑がかかるといけないので敢えてお名前は伏せますが、意外にも青木先生はご存じなかったらしく、どんな人物なのか?と、直に会う前に私に聞かれたという次第です。

 何だか、いつの間にか武術に関することでは私が一番、事情通になってしまっており、青木先生ばかりでなく、結構、いろんな方から質問されたりして、「いや~、長野さんは本当に、何でもよく知ってるね~」と呆れ顔をされたりもしますね。

 そういえば、西荻窪駅に到着して事務所に向かおうとしたら、呼び止められて、オヤッ?と思って振り向いたら河野先生一行で、連れ立って向かったんですが、そこに自然身法出口衆太郎先生もいらっしゃって、私は初対面でしたが、専門雑誌に出ておられるのを昔から見てお名前は存じ上げていましたし、御著書も拝読していました。

 光栄にも、出口先生も私のことは知っていらしたそうで(多分、悪名の方だと思うけど)、道々、武術談義に花が咲きました・・・。

 が、この時も、私が武術業界のほとんど知られていない人のことまで知っていたり、武術以外の世界でもいろんな人と知り合いだったりしたからか、「いや~、長野さんは随分、顔が広いですね~」と、感心するより、ちょっと呆れた顔をされていました。

 しかしま~、出口先生とは初対面だったのにいろいろ話が弾んでしまって、事務所を大分、通り過ぎてしまい、“あれっ、こんなに遠かったっけ?”と背後の河野先生を振り向き、やっぱり通り過ごしてしまったようで、引き返したりしましたね。

 道案内役が間違っちゃって面目なかったです・・・(苦笑)。スンマッセン。

 河野先生は青木先生をもっと引き立てたいと考えていらっしゃる様子で、いろんな人を紹介したりイベントに呼ばれたり、この日もお弟子さん方を引き連れて来られていて、本当に人柄の良い方で“武道家なんぞ”にしておくのはもったいないですね。

 お弟子さんから、私のことは「河野先生と同じようなことをやっている人がいるな~と前から思っていたんですよ」と言われまして、それはこちらも同じことだったんですが、性格は全然違いますね。河野先生は博愛精神が青木先生と似てますけど、私は狂気の部分が青木先生と似てる?かも・・・。

 実は、この日は別に用事があったんですが、そっちは年明けに延ばしてもらって来ていたんです。こんなチャンスは滅多にないですからね。

 ついでと言っちゃ~何ですが、青木先生には外装を作りかけている脇差(岩捲派の鑑定書付き)を見せたくて持ってきていました。

 青木先生が持ってらっしゃる和泉守国貞(“大阪正宗”と呼ばれた新刀の代表格・井上眞改との親子合作らしい)や固山宗次(幕末新々刀の最上大業物)、現代刀の最高峰と言われる吉原義人(古今の名匠に迫る腕前)といった名刀には遠く及びませんが、この脇差、鵜ノ首造りで身幅が広く、薙刀直し風の味わいがあって気に入っています。

 もっとも、末古刀(室町時代くらい)なので、“落ち武者の霊”とかくっついてたりして・・・?


 で、件の先生への贈呈用の刀は、ちょっと迷ったんですが、短刀にしました。

 ちょいワケ有りなんですが、出来は悪くないし、恐らく定寸刀や脇差は数振りは持ってらっしゃるだろうな~?と考えて、短刀にしたのですが、嬉しそうに構えたりされて、割りと喜んでいただけたみたいでした。


 青木先生も日本刀コレクションを披露してくださったり、江上茂先生や井上方軒先生のことなどや、国井先生を訪ねた時のこと、ブラジルでの太極拳家やカポエィラの大名人との交流の話など、いろいろ話してくださいました。

 また、質問に答える形で、斬鉄剣で有名になった初代小林康宏刀匠についてなども話されたり、武術以外でも書道のことや被災地支援のことなども気さくに話されました。

 被災地支援については、セシウムを除去する研究実験をしている方のデータを見せてもらいましたが、実際にこのデータの通りの効果があるのなら、政府に提出して役立ててもらえば一番良いのでしょうけれど、それがダメでも市民運動レベルで実施していければ良いな~と思っていますが・・・やっぱり、後者かな~? 何か野田政権も信用できそうにないしな~・・・。


 夕方から別の来客があるとのことで早めに引き上げましたが、帰り道、青木先生のあまりのざっくばらんさに、皆さん、感動されていた様子でした。

 そりゃあね~。普通の武道の先生だったら、もっと「俺は武道家だぁーっ!」って感じに仰々しく振るまいますからね~。

 青木先生は自分の修行時代に散々やられていた話とか平然とされるし、相手を萎縮させたりしないように非常に気を使われるので、たまに勘違いして「このオッサン、ほんまに強いんか?」と侮ったりするボンクラもいるんですよね~。

 それで試そうとしてエラい目にあった人も多いみたいですね~。

 実際に手合わせすれば、もう格が違うというか、次元が違うというか、あまりの彼我の差に泣くか笑うかしかなくなってしまうでしょうけどね・・・。

 あ~、こわいこわい・・・この先生だけは怒らせちゃいけないっ・・・。

 ネットで青木先生を下手だとかほざく人もいるそうですが、素人さんは気楽でいいですよね~。

 いつも、ネット・ウォッチャーの会員に「面白いこと書いてる阿呆がいないの?」って聞くと、「こんな阿呆がいましたよ」って話してくれるんですけど、いやはや、本当にお馬鹿さんで、笑かしてくれますよね~。

 何でも、剣術馬鹿がひとり居るそうで(私の独己九剣を破るとか言ってるヤツかな?)、こいつ、性懲りもなく、「刃筋が通れば力任せでも斬れるんだ」って書いてたそうで、大笑いしちゃいました。

「力任せに振れば刃筋そのものがブレるから切断できずに裂けたり止まったりする。仮に切断できても切断面は乱れてしまい、それは“斬れた”とは言わない」んだって、前にも書いてるのに、日本語の読解力が無いのか、根本的に頭が悪いのか、脳の一部に機能不全があるのか、それとも正論なのを承知で私にケチをつけたいばかりに論理矛盾してしまったのか・・・?

 いずれにしても、物凄い馬鹿丸出し!

 そもそも、剣を学ぶ者が試し斬りをする目的は、刃筋が正しく斬撃できているかどうかを“客観的に判断するため”であり、斬ることを目的にしている訳ではありません。

 だからこそ、「試し斬りは邪道である」と言って否定する師範もいる訳ですよ。

 それは、「自分の刀線は刃筋が真っすぐ徹っているのだから試してみる必要はない」という絶対的な自負心があるから否定する訳であり、私はそういう師範の考えが間違っているとは言えません。

 ましてや、どれだけマキワラや太い竹が斬れたとか鉄板が斬れたとか言っても、それは腕前だけではなくて刀の性能に負う部分も大きいのは論じるまでもないでしょう。

 この剣術マニア氏も、試斬を表芸とする抜刀道、刀道の多くの師範方が、試し斬りに向いた極端に身幅の広い異形の日本刀をわざわざ注文打ちしてもらっている事実も知らぬ筈はありますまい。

 高度な試斬はナマクラ刀を使ってはできないのです。試斬世界一のギネス記録を持つ町井先生ですら、軍刀で鉄板斬りをやった時には刀が折れてしまったということをブログで吐露されていたのを読んだ記憶があります。

 美術刀剣としては低い評価しかない初代小林康宏の刀を多くの愛好家が求めるのも、武用試斬刀としての高い評価があるからです。

 私も、刀の購入動機の第一は、よく斬れるという一点であり、昨年は試し斬り専用の刀を横浜名刀会の社長さんに見立ててもらって購入したくらいです。

 青木先生は木刀で青竹を切っていたそうですし、私も以前、模擬刀で乾燥した細竹を切ることもできました。これらは力任せでなく技がないと切れません。

 真剣だって、よく斬れる刀とそうでもない刀があります。上手い会員も苦手な会員もいます。

 無論、私も稽古で上手くいったり失敗したりを繰り返して徐々に技量アップしていますから、私なんか及びもつかない斬り手の方はいくらでもおられるでしょう。

 ですが、私はやるからには最高の境地を目指します。優れた遣い手を見れば、その人以上になりたいと願って稽古します。武術は自分ができなきゃ意味が無いからです。

 なので、私は自分と会員の技量を上げることに熱意を注いでいるので、他所の先生の技量がどうしたこうしたということには丸っきり関心がありません。

 優れた先生の技を見ても、憧れるより先に、どうやったら超えられるか?と考えますから、ネットで掲示板に無駄話を書き込むようなヒマはありません。

 このブログも宣伝の一環ですし、基本的に私は文章書いて金を貰うのが仕事なので、無駄な文章は書きたくありませんし、ヒマ人の誹謗中傷に答える義理もありません。

 それでも、あまりにしつこく誹謗中傷を繰り返されれば名誉棄損や業務妨害のネガティブ・キャンペーンとなって仕事に差し障りが出てしまうでしょう。

 なので、はっきり書いておきますが、私の技量にケチをつけるなら、私を倒してからにしてもらいたいですね。

 インターネットが普及して、誰もが自由に発言して情報発信できるようになったのは良いとしても、ナルシストが無責任に自己顕示欲全開で大活躍するようになったのは困ったもんです。

 人に迷惑かけなきゃ~何やってもいいと思いますが、素性を隠しての批判は誹謗中傷にしかなりません。言いたいことがあるのなら、自分の氏素姓をはっきり出して堂々と論陣を張るのが武を嗜む者の最低限の心得でしょう。

 それができない卑劣漢には武を語って欲しくないですね。

 素人が匿名でデカいことほざくのは勝手ですが、私は流派の看板掲げてやっている人間ですから、当然ながら、道場破りも覚悟の上です。

 ネットで誹謗中傷を繰り返している連中に告げておきます。

「私はちゃんと勝負を受けますから、そんなに気に入らないなら倒しに来なさい。私をぶっ倒してから“長野は弱い”と放言しなさい。セミナーやイベントでなければ警察呼ばないから安心してどうぞ。ただ、保険証は持参下さい。私は入院費出せませんから・・・」

 さあ、こう書いた以上は、無責任に私を誹謗中傷すれば、自分の臆病者っぷりをさらすだけになります。書けば書くほど、嫉妬に狂ってネガティブ・キャンペーン張ってるだけなのがバレバレになります。それを承知で、尚も屁理屈を並べるのでしょうか? そこまで恥を知らないでしょうか?

 私は思うんですけど、くだらんこと繰り返していて自分が哀れにならないんでしょうかね? こういう人って、ちゃんと仕事してんのか? 家族に迷惑かけないで自分一人の力で生活してんのか? 恐らく、女に相手されない童貞のまま中年になって、武術に打ち込んで、いつか自分が達人になって甲野さんのようにTVに出て持て囃されたいという、かなわぬ夢にしがみつくことでしか自分の存在理由を確認できなくなっているんでしょうね? 当たり過ぎてる?

 自己顕示欲だけで無駄に生息しているクズになるのも、世の中に多大な貢献をして活躍する人間になるのも、本人の志し次第。世の中や他人を憎んだり呪ったりするような者は単なる甘えん坊のナルシストですよ。


 今、続々と各界の有能な人材が青木先生に吸い寄せられるように集まってきている印象があります。

 武術界だけでも、田中光四郎先生松田隆智先生河野智聖先生・・・という人達が集い、私もその一人ですが、何か大きなムーブメントになっていくような気がしますね。

 2012年。オカルト方面では大きな転換の年とされています。それがどういう意味になるのか? この年に巡り合わせて生まれてきた我々にはどんな役割があるのか?

 海外のある予言者が、「新しい世界を導く指導者は、マスター・青木宏之の弟子である」と言っていたそうです。

 これが特定の誰かを指すのか、あるいは青木先生に影響を受けた者達を意味しているのか? それは今後、明らかになっていくかもしれませんが、私もその中の一人になれるように頑張りたいと思っています!


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新年明けましておめでとうございます

 大激動の2011年も終わり、1999年以来の世界の終末が訪れる年と噂されていた2012年になりましたよ~。

 いやはや、去年の想定外の大震災によって、流石の平和ボケ日本人も危機感を強く持ったかな~?という気もしていましたが、やっぱり人生の大部分を平和中毒で生きてきた人には、なかなか危機感を持って生きるという状況にはならないもんだな~?と思います。

 無論、それが悪いとかどうとか言いたい訳じゃありません。

 危機感が無くて呑気に生きていられる人は幸せなんじゃないかと思います。

 かつての赤軍派みたいに「革命は暴力によるしかないんだ」という思想より、「戦うより逃げるのを選ぶ」という絶対平和主義の人の方が、少なくとも世の中に迷惑かけないでしょう?

 ここ近年の通り魔事件とかは、思想や怨恨や欲望によるのではなくて、漠然とした自殺願望と自己顕示欲が入り混じって、どうせ死ぬなら沢山の人を殺して・・・みたいなのが増えているような気がします。

 ナルシスト型とでも言ったらいいんでしょうか? 要するに、世間に注目してもらいたいんでしょう。

 これって、ネット掲示板に一日中、書き込みしているような人間に共通する精神性なんだろうと思います。

 現実の社会で世間的な注目を浴びて活躍している人は、神憑りのような天運の持ち主だとも考えられます。

 それは、そんな人達が必ずしも一流の実力を持ち合わせていなかったりすることからも明らかです。

 やっぱり、天運なんですよ。

 ただ、天運というのは気まぐれで、一挙に世の中を席巻するような人気を集めてくれたか?と思うと、潮が曳くように離れていってしまい、当人は奈落の底まで堕ちていってしまう場合も珍しくありません。

 私が中国拳法を教わった小林直樹先生は、「運は誰にでも平等に訪れている。ただ、それに気づいて掴む人と気づかないで掴まない人がいるだけだ」と言われていましたが、これは太気拳の澤井先生が言われていたことだったようです。

 私は、拳法の打拳速度に関して小林先生が世界一だと信じて微塵も疑いません(フルスピードで動くと手足が完全に消えて見えなくなる! 刃牙だって少しは見えてたのに?)が、御本人はそれを誇るでもなく、恐らく死ぬまで隠したままでいるつもりなのだろうと思います(DVDでも歩法は完全に隠して無理やり動かなかった)けれど、それは、小林先生自身が世間的な名利栄達を得ることを望んでおらず、むしろ、そんな虚栄を得ることで人としての幸せを見失ってしまうことを避けたいと思われているからでしょう。

 天運を望むのは誰しも同じと思いますが、問題は、天運を掴んだ時に何を為すか?ということであり、その時に自己の欲望の充足しか求めなければ、恐らく、後に何も残らないでしょう。

 やはり、重要なのは、“人事を尽くして天命を待つ”という態度であり、自分が為すべき仕事を最大限に努力してこなすことだと思います。

 そして、そうやっている人間が天運を掴んだ時は、昇龍、天に駆け登るごとくの活躍をし、偉大な成果を世に還元するでしょう。

 小林先生が、運の話をされた時、「長野さんは気づいて掴んだから、それだけ活躍できるようになったんだから・・・」と言っていただきました。

 僭越ながら、確かにそうだと思っています。

 小林先生に会い、学んだ人は少なくはありませんが、その中で何人の人が、あの武芸の真価(読み・交叉・体幹主導・スリ足歩法)に気づき、ものにすることができたでしょうか?

 単に、「いや~、小林先生は強いな~」で終わってしまっている人が多いのではないか?と思います。

 で、その強さは黙って言われる通りに練習すれば自分も得られると盲信してしまう・・・。でも、いつまで経っても小林先生に近寄れないから諦めてしまったという人が少なからず居たのではないか?と思えるのです。

 武道・格闘技を愛好する人の多くが、強いか弱いかしか見ようとしないし、それでしか考えられないようです。何故、強いのか?という理由を考えようとしない。

 武術の凄さは外からは見えません。力感や見た目のスピードではなく技の効力も身体内部から出るものだからです。

 要するに、外に現れるものしか見ない人には何も見えない。身体内部の動き・意識の働き・理合の意味・・・それらを洞察し、尚且つ、自分の中で咀嚼しなければ何も理解できないし体得もできません。うちの会員でも上達できない人は総じて観察力が足りません。

 これは専門でやっている人でも同じです。まったくもって目玉はついていても本質が観抜けない連中がほとんどで、観抜けないのに勘違いしたことを発表し続けています。影響力があるだけ、こういう連中の方が問題ですね。一挙に間違いを広めてしまいますから。

 武術に関しては闘って見せることが滅多にありませんし、実力のある人ほど正体を隠す傾向があるので、尚更、判らない訳です。が、判らないのも術の内なんですね。

 小林先生しかり、青木宏之先生しかり、です。

 私が普通の武道や格闘技に馴染めなかった理由の一つがコレで、強い人は見た目が強そうなんですよ。強さの尺度が外見と比例しているんですね。意外性が無くて、つまらん。

 そんな次第で、我が游心流は、外見は強そうに見えないまま、実力は超絶的に凄いっ!という“超達人育成プロジェクト・チーム”を目指した訳です。

・・・っつう次第で、今年は新年2日には初稽古をしました。

 初稽古は下は高校生、上は年金生活の人まで参加され、寒風吹きすさぶ鹿沼公園で練習しました。

 正月から集まってるくらいだから、皆、気合入ってるな~?って感じなんですが、特に高校生会員のNさんは、大石教練のマンツーマンで、ほとんど自由組手風にやり合っていたんですが、何かもう、リアル刃牙?って感じで、伝統空手に八極拳・白猿通背拳・劈掛掌・形意拳・太極拳などの技をからめて繰り出し、迎える大石教練は、太気拳に蟷螂連珠砲・大東流合気・新体道・フリッカージャヴ・鴛鴦脚なんかも繰り出して、何かサモハンが監督したデブゴン・シリーズの立ち回り見ているみたいで面白かったっス・・・。

 このNさんの素質と才能は驚くのを通り越して“神”のレベルですよ。何しろ、「最近、賢友流の友寄隆一郎先生の形意五行連環拳を『JKファン』の記事の写真からイメージして練習しています」と言うので、実演してもらったんですが、ナンとっ! これが、かつて友寄先生が自宅道場で演武してくださった形意五行連環拳にそっくりで、体動の竜がうねるような螺旋連動と、バシュッと空を斬るような鋭い掌法の発勁! そして緩急自在の流れと瞬発する腰のキレ・・・それはもう、友寄先生が憑依したのでは?と思えるくらい見事な演武で、もう七割以上完成形と言っても過言じゃなかったですね。

 本当にぶったまげました・・・。友寄先生の動きをここまで真似できるのは小林先生くらいしか知りません。

 しかも、Nさんは友寄先生に会ったこともなければ演武している映像を見たこともない訳です。『JKファン』の記事の掲載写真から友寄先生の動きの特徴を“読んで”、自分で再現してみた結果なのです。

 正直、こんな化け物みたいな才能の持ち主は生涯に二度も会うことはないでしょう。

 私が会った化け物武術家の先生方は、既に完成形でしたから、ある意味、凄いのも当然と言えば当然だったでしょう。が、Nさんはまだ高校生ですからね。今後、どんな風になっていくのか?と考えると、ただもう、彼がダークサイドに引っ張られないように見守ることくらいしか私にはできそうもありませんね~。

 Nさんに引っ張られる格好で、大石教練もハッスルして動いていましたが、こちらも40過ぎた人間がこんな動きできるのか?って感じでドニー・イェンみたいな高速回転パンチや老獪な暗脚連環腿法を使って翻弄してのけていたのは流石でした。

 大学合気道部で主将だったK塚さんも、正中線を切り返す絶妙の見切りと体捌きを遣ったり、脱力して重い蹴りをドコッ・ドコッ・・・とNさんに繰り出して、先輩の貫禄を見せていました。

 K塚さんの成長ぶりも驚きです。合気道とフルコン空手と中国拳法と游心流がうまい具合にブレンドされてハイブリッドしてきた感じですが、やっぱり、合気道の素晴らしさというのが改めて実感されますね~。

 そういえば、この日は参加できなかったんですが、いろいろ習っていたCさんも合気道の裏入身を遣うのが上手くて、歩法のスピードも倍加してきていました。

 横浜同好会代表のK原さんも形意五行拳の崩拳が恐ろしく鋭くなっていて、何か短刀でブスッと刺してるみたいな感じで、とてもフルコンタクト空手家とは思えない柔らかい動きになっています。

 2011年は世の中は大変でしたが、彼らの進展を見ていると、游心流にとっては地盤固めになった年でしたね。

 目下、最新会員のUさんも、御齢72歳ながら、太気拳風の構えがサマになってきて、一年後が楽しみです。ほとんどの稽古会に通われていますからね。


 私は体格も体力もスタミナも無いし、年齢も50に近いですから、格闘技的な実力なんか望むべくもありません。でも、瞬間的な勝負なら私が勝ちます(豪語!)。

 若くて体格も体力もスタミナもある強い人が、明らかに弱い筈の私にあっさりと負けてしまうのは、これは、簡単な話、「戦闘理論がまったく違うから・・・」起こる現象なんですね。

 相手と同じ土俵でまともに立ち合わない。相手の技の効力が発揮できないようにして自分の技を一方的に掛ける・・・だから、勝てる訳であり、これなら技量の強い弱いではなくて戦術の優劣で勝敗が決まる訳ですね。

 こう書けば、いくら頭が悪い人でも納得できるでしょ?

 補足しておけば、通常の打撃技は間合を潰してしまえば出せなくなるし、組み討ち技は離れて足で動き回って闘うヒットアンドアウェイ戦法には太刀打ちできない。

 この理屈は解りますよね?

 游心流は、接近密着戦法で、しかも打撃技で仕留めます。逆技・投げ技・絞め技は二の次、三の次です。

「寸勁が打てなければ絵に描いた餅」だと言っているのは、くっついた状態で自在に打撃技を出せなければ接近密着戦法が成立しないからなんです。

 よって、游心流では、自由自在に一打必倒の寸勁を拳・掌・前腕・肘・肩・背中・膝・スネ・足裏などで打てるようにする“基礎錬体”を基盤に修練し、それができるという前提で、読みと交叉、そして歩法を修練する訳です。

 で、これができれば相手がどんな技が得意でも、とにかく接近密着してしまい、しかる後に、寸勁をドカドカ打ち込んで相手が息の根止まるか戦闘意欲を失うまで攻撃し続ける訳ですね。

 何しろ、間合を潰されてしまうと相手は打撃技が出せなくなるし、組み討ち技を出す前に致命的な打撃を打ち込まれるという八方塞がりな状態になってしまう訳ですよ。

 私が自信満々で「瞬間の勝負なら勝てる」と豪語するのは、触れる位置まで間合を詰めてしまえば、大抵の人が戦闘力がガクンと落ちてしまうのに対して、私は逆に圧倒的に戦闘力が上がるからなんですよ。

 もちろん、「離れて戦えば長野は実力が出せないだろう?」って思われるでしょうが、それは考えが甘いですね。私も自分の弱点をさらす以上は既に対策はたてています。歩法を重視したり、手裏剣やら銃を研究しているのがその証拠ですが、それ以上はヒミツ!

 どうっスか? 理論的には無敵でしょ?

 もちろん、理論は理論だから、実際にできなきゃ無意味です。

 でも、うちの会員の何人かはそれができるようになってきたんです。

 もっとも、この戦闘理論は、本来、中国内家拳では当たり前なんですね。ところが実際に駆使できる人が滅多にいなかった(最初から推手の状態で始めようとする)もんですから、私が独自に歩法や崩し、読みを研究して再編成していった訳です。

 さらに、武器術にも応用していった結果、独己九剣ができた訳なんですね。体術と武器術の相互連環システムが出来上がった訳です。

 この游心流独自のシステムは、他流にも応用可能です。その辺のことは次に出す技術解説書で明確にしたいと思っていますので、乞、御期待!ですね。

 技術的なことを書けば・・・

 まず、「筋力に頼らない」ということが非常に大きな要素です。

 筋力に頼る武術家も少なくありません。ですが、高齢になっても実力を維持できる人は筋力には頼っていません。むしろ、徹底的に筋力に頼らない方がより効率よく勝てるのではないか?と私は考えました。

 脱力することで身体に常に作用している重力を最大限に利用する・・・それが武術の行き着いた答えであると私は考えています。

 身体に働いている重力を一点に集めて体内を流動させ加速させることで瞬間的に莫大なエネルギーを生じさせる・・・。

 物理的な気のパワーの正体はこれであると私は考えます。

 また、重心をバラバラに体内で拡散させ相手の攻撃を受け流したりすることで相手の体勢を崩す技法も戦術的に大きな意味を持ちます。

 この二つを自在に体内で処理することで武術の戦闘理論は飛躍的に進化させられます。

 それが、発勁であり、合気であり、化勁であり、縮地法です。

「武術とは、煎じ詰めれば、重心の奪い合いである」との言説がありますが、高度な技法上の展開を考えれば、まさにその通りです。

 2012年は元日の昼から、やや強い地震が関東地方を襲いました。昨年の3・11の時を彷彿させる長い時間の揺れを感じました。

 これは、「あの大震災を忘れるな」という警告のようにも思えました。

 いつ、いかなる時にも災難は不条理に唐突に訪れるものです。

 武術修行はそれに備える覚悟と、起こってしまった災難を乗り越える技能を与えてくれます。

 私は、その武術に伝承されている有益な知識と技能を次代に伝えていくために生かされているようにも思えます。

 8日(日)には恒例の月例セミナーも始まります。15日(日)には、ほびっと村でも講座『必殺合気』があります

 今年も新しい出会いを期待しています。志しある方の御参加を待っております。


追伸;新年より、新しく師範代二名、主将一名を任命しました。
千葉一博 二段 海外指導部長兼師範代
小塚孝太郎 二段 師範代
仁平尚人 二段 主将
この三名は、進境著しく、特に仁平さんは高校生ながら実力・技能・見識共に抜群でありますので、特段の異例として認定致しました。また、USA支部のabe hiro支部長には五段、横浜同好会代表の栗原章氏にも二段を認定します。今後も一層の精進と研鑽を期待します。

追伸2;游心流師範代及び段級位は、破門除籍処分された者に関しては無効です。退会者に関しては役職は無効ですが段位は有効です。通信講座受講生の段級位申請は長野まで申し出てくだされば検討致します。段級位の認定基準は游心流の理合の理解度と体現度をメインに審査しており、修行期間は無関係ですので、御参考まで・・・。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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