コンテントヘッダー

萌え殺しのロケ終了

 福島県の白河でアイドル“スマイル学園”の主演映画『ミリタリーむすめ』のロケに参加してまいりました。

 いや~、一言でいって、キツかった・・・。

 ちょうど、桜が満開の頃かな?と思っていたら、異様な寒気のために桜の開花は遅れておりました。いや、それよりも、妙に寒くて、春に慣れていた身体がパニクってしまい、喉風邪はぶり返すは、腹は壊すは、膝の関節炎も出てきて、揚げ句に腰痛まで出てきて、肉体的には散々な状態でしたよ~。

 私、今回、85歳の老人役もやってるんですが、最後の日には肉体的に本当にそのくらいの状態になってたかもしれませんね?

 俳優業をやっている千葉師範代にも助手兼役者で参加してもらっていたので、何とかなりましたが、私独りだったら、ちょっとこなせなかったでしょうね~。

 キャストの持つ銃の管理や持ち方、撃ち方などの指導をやった訳ですが、普通に考えれば簡単そうに思えるところでしょうが・・・人数が多いから大変なんだもん!

 おまけに、9割り方、私の個人所有の銃を使ったんですが、映画撮影用じゃないから重くて、アイドルの女の子に持たせると負担が大きくて、大変だったろうな~と思います。

 中には、10kg近い重いライフルまであったし、基本的にマグナム系のデカイ銃ばっかり持たせてますからね~。

 しっかし・・・今回、本当に驚かされたのは、中にはまだ小学生の子もいたくらい、若いアイドルの女の子たちが苛酷な撮影現場で文句も言わず、駄々をこねるでもなく、鬼監督?の指示に「よろしくお願いします!」「ありがとうございました!」って、懸命に仕事をこなしていっていたことです・・・。

 アクション・シーンなんて、予算足りないからスタントマンいませんからね。飛んだり跳ねたり、回ったり、走ったり、殴ったり蹴ったり・・・と、リハーサルで何度も何度もやらなきゃいけないでしょう? 本当に大変ですよぉ~。

 監督から「アクションやる子を選ぶから同席してくれ」って言われてオーディションの時に見ていたんですが、いつもダンス稽古しているから、身体能力は全員、同じくらいあったんですね。

 多分、普通の女の子にやらせたらできないだろうな~?と思うことも彼女たちは全然、問題なかったですね。

 ダンスやっているとバランスの取り方が上手くなるみたいで、片足軸にして回転してもバランス崩れないですよね。

 でも、それ以上に、根性あるな~・・・って、そこに一番、驚かされましたよ。

「やっぱ、プロはすげぇ~な~・・・」と感心していたんですが、カメラマンの方の話では、ここまで礼儀正しくできるアイドル・グループは少ないということでしたね。

 別の現場でワガママなアイドル・グループに閉口したらしいです。

 まっ、そりゃあそうだろうな~と、納得しました。

 監督は、「この映画のテーマは“萌え”だ!」と言っていて、こだわりの演出は、そこまでやるか?という感じでしたが、低予算の作品でここまでできるのか?という感じにはなっていると思います。

 それだけ、みんな頑張った。キャストもスタッフも体調を崩してマジでぶっ倒れそうになっていたのに、撮影が終わった瞬間、「やった~っ!」と狂喜する全員の満面の笑みに、映画作りの現場の楽しさを味わいました。

 それにしても、映画に関わりたくて上京してきたのが四半世紀も前。やっとプロの現場に関われるようになったか?と思うと、感慨もひとしおです。

 公開は8月に都内劇場でイベント上映をやって、DVD発売になる?とのことでしたが、私も予定外にアクション・シーンに出演までしてしまい、“美少女に蹴っ飛ばされる長野”の姿を見たい方は、是非是非、ご覧くださりたく・・・(苦笑)。


 あっ、そうそう。面白かったのは、撮影の二日目にロケした小学校の校庭で遊んでいた男の子グループが、美少女ばっかりゾロゾロ居るから、たまげたんでしょうね?

 何か、ずぅ~っと校庭に居て、帰ったかな~?と思ったら、暗くなってからまた来ていました。

 そりゃあ、クラスに一人、居るか居ないか?ぐらいの美少女が十数人も居たら、男子中学生として当然ですわな~・・・。

スポンサーサイト
このページのトップへ
コンテントヘッダー

クトゥルー神話のアニメが・・・

 ライトノベルにクトゥルー神話ネタのコメディ作品があるとは聞いていたんですが、それが深夜アニメ化されるというので、楽しみに観ました。

『這いよれ!ニャル子さん』がそれ・・・。

 ニャル子さんとは、クトゥルー神話に登場する邪神の中でも最も人間的なキャラで狂言廻し的存在であるニャルラトホテプ(ナイアルラトホテップ)で、千の顔を持つ何にでも変身できる邪神なんですが、この作品中ではラノベのお約束である美少女キャラ・・・。

 当然ながら、クトゥルー神話に登場する邪神キャラも次々に登場するんですが、何か、この作品の著者は恐らく特撮オタクでもあるんでしょうね? 宇宙刑事のパロディがあったり、妙に趣味が私とカブります。

 先日、『中二病大事典』という本を買って初めて知ったんですけど、私は典型的な“中二病人間”だったことが判明! そ~だったんだ・・・。

 50歳目前なのに精神年齢が中二・・・これって、ど~なんでしょう?

 武道マスコミ業界でも、「長野さんは単なるオタク」だと、散々、陰口を叩かれてきましたが、私は自信をもって「その通りです!」と胸張ってきましたけれど、これからは、「私は元祖・中二病です!」と言いますよ。

 でもね~。精神年齢が幼くったって、それは裏を返せば、発想が若いってことなんで、メディアに関わる人間としての耐用年齢が長い!という利点がある訳ですよ。

 本業の武術研究だって、私は自分で新しい技と理論をどんどん生み出していく邪神ウボ=サスラのような能力があるので、既存の流派の技と知識を溜め込むしかできないボンクラ連中に何を言われようが、知ったこっちゃ~ありませんよっ!

 大体、いい若いモンが老成して守りの発想ばっかりしとったらいかんとですよ・・・。


 え~、それはそれとして、クトゥルー神話について知らない読者のために、少し解説をば、致しまする・・・(何か、日本語おかしくね? オレ)。

 クトゥルー神話とは、ハワード・フィリップス・ラブクラフトによって創始されたコズミック・ホラー小説に登場する異次元から襲来する邪悪な神々と遭遇した人間たちの恐怖を、数多の作家によって描かれて広がった世界観の、神話小説群・・・というような感じ・・・(つうか、一応、物書きなのに、説明がわかんなくね? オレ)。

 日本でもクトゥルー神話の愛好家は多くて、かの有名な江戸川乱歩もまたラブクラフト作品を高く評価したそうですし、『帝都物語』の荒俣宏に、巨匠・水木しげる先生もまた、ラブクラフトの傑作『ダンウィッチの怪』を翻案した作品を描いています。

 そして、栗本薫が『魔界水滸伝』で、クトゥルー神話の邪神と日本の妖怪の対決を描いたことから広く認知されるようになり、また、菊地秀行がクトゥルー神話への造詣が深いことで有名であったり、風見潤が、そのものズバリのクトゥルー・オペラ四部作を発表しています。

 魔術に造詣が深い朝松健(アーサー・マッケンから採ったそうです)は、『邪神帝国』という作品を書いていて、日本に於けるクトゥルー神話研究の第一人者といわれますが、最近は時代小説も書かれていて、「あ~、やはり、今は時代小説でないと売れないのか・・・」と、何か複雑な心境でしたね~。

 魔術といえば、ラブクラフトはオカルト方面の知識に精通していたとも言われていて、当時、注目されていた神智学協会やアレイスター・クロウリーの『法の書』との共通性が論じられたりもしています。

 そもそも、邪神という概念そのものが、異教の神々を邪悪な悪魔へと貶めていくキリスト教的な世界観へのアンチテーゼなのですし、そこにSF的な解釈を施してコズミック・ホラーという分野を開拓したラブクラフトに宗教哲学的な思想家の側面が見いだせるのは当然のことかもしれません。

 その他にも、村上春樹がクトゥルー・ネタを盛り込んでいるのはマニア間で有名ですし、シナリオライターの小中千昭がアニメや特撮ドラマにクトゥルー・ネタを露骨に入れていたのもマニアには知られていました。

 中でも、『ギミア・ぶれいく』中の『インスマスを覆う影』は傑作で、主演の佐野史郎はクトゥルー神話マニアとしてつとに有名。自身もクトゥルー神話作品を発表しているほどですし、『ゴジラ・ファイナルウォーズ』では邪神を信じるテロリスト役をアドリブでキャラ付けしていたほどでした。

 いっそ、佐野史郎が監督したクトゥルー神話の映画が見てみたいですね。何か凄い作品になりそうな予感がするんですが・・・、ちょっとヤバイ事件が起きるかも?

 最近では、ウルトラQにクトゥルー神話の影響があるのでは?とも言われていますし、日本のホラー映画批評の第一人者である鷲巣義明氏が、公害怪獣ヘドラとクトゥルー神話の邪神との類似性について言及しています。

 海外ではクトゥルー神話作品の映画化は少なくありません。『ダンウィッチ・ホラー』『ダゴン』『ネクロノミコン』『フロムビヨンド』『マウス・オブ・マッドネス』『ミスト』等々、結構な数があるようです。

 意外なところでは、『サンゲリア』で有名なイタリアン・ホラーの巨匠、ルチオ・フルチの作品『地獄の門』などで、クトゥルー・ネタが出てきたりして、ホラーに於けるアイコンとしてのクトゥルー・ネタは定番中の定番となっています。

 しかし、世紀末ムード漂う90年代後半に放送された『ウルトラマンティガ』の最終回に登場した最強の怪獣ガタノゾーアは、海底の古代都市ルルイエから出現します。このガタノゾーアは、そのものズバリの邪神であり、マニアはかなり驚いたものでした。

 同時期に放送されていた『エコエコアザラク』もまた、クトゥルー・ネタが随所にちりばめられていましたが(脚本に参加した漫画原作者の七月鏡一がクトゥルー神話ファンらしい)、最終回の邪教教団が崇める神は、明らかに邪神をイメージしていましたし、TVシリーズの人気を受けた劇場版『エコエコアザラク3』は、劇場映画としてはアトラクション・ムービーの域に留まってしまいましたが、『ダンウィッチの怪』を元ネタにし、多層的なホラー要素を入れた堂々とした正統派のクトゥルー神話作品となり、主人公の黒井ミサは邪神と対等に戦える伝説の魔女としてエポックメイキングなホラーヒロインとなったのでした・・・。

『這いよれ!ニャル子さん』を観てみると、案外、この『エコエコアザラク』の影響があるのかも?と思えました。

 もちろん、『エコエコアザラク』はコメディではありませんが、特に佐伯日菜子が演じたTVシリーズでは、黒井ミサが天然ボケをかます演出があったりして、コメディ路線もあり得るかも?という予感もありました。

 ホラーとコメディは相反するものでありながら、“怖過ぎて笑ってしまう”という感覚もあり、ただ怖いだけのものを延々と見せつけられるより、ふっと笑わせてくれるような要素があった方が楽しめます。

 好みの問題でしょうが、私は真面目なだけの作品は好きではないし、その逆に、単なるおフザケだけでも白けてしまいます。

 短い作品なら、ひたすら怖いだけでもアリだと思いますが、長編で延々と怖いのは流石に疲れるでしょうね。

 クトゥルー神話のパロディということでは、諸星大二郎の『栞と紙魚子』シリーズもそうですが、ド真ん中でパロッた『這いよれ!ニャル子さん』をラブクラフト本人が見たら、一体、何と感想を言うのでしょうか?

 案外、シャレが好きな人だったみたいなので、逆にコメディに目覚めてメジャー作家になっていたかもしれませんね~?



このページのトップへ
コンテントヘッダー

ほびっと村講座感想

 15日は、ほびっと村で講座がありましたが、今回は妙に少なくて、たったの6人。ここ最近で最少ですね。宣伝が足りなかったかな~?

 でも、場所があんまり広くないので、このくらいの人数が練習しやすいというのも皮肉な話です。

 あんまり儲からなかったけど、一応は黒字だったので、ひと安心。四月は、みんな忙しいのか? ほぼ常連だった人達も来ていなかったですね~。何か、心配になっちゃうな~?

 今の世の中、どこで何が起こるかわからないですからね?

 暴走車の事件も、一瞬、アキバの通り魔事件か?とも思いましたし、6.5mのアミメニシキヘビに咬まれて亡くなった・・・という事件なんか、朝のニュース番組で「アミメニシキヘビは大きくなると14mを越える・・・」みたいに放送されてて、「うへえっ? そこまでデカくならね~よっ! 正式な記録では9.9mの筈だよ。いい加減なこと発表すんじゃね~よっ」って、TVにツッコミ入れたのは私だけ?

 もうね~。「宇宙人、ほんとにいました」って言われても、「あっ、そうっスか?」って、ちっともビックリしないと思います。

「ツチノコ捕まりました」って言われても、「ようやく捕まりましたか?」って感じ。

 なんかもう~、何でもアリの世界になっちゃった感じがするのは、私だけ?

 だから、「何か陰謀かな?」って、すぐ思えてしまったりもするんですよね。やたら、足を引っ張ろうとネガティブ・キャンペーンする人達もいるし・・・。

 講座が始まるより、ちょっと早く到着したので、ナワ・プラサードのユリ子さんとお喋りしたり(コーヒーを御馳走になりました)、原発の話とか、出版不況の話とか、ほびっと村の今後の企画の話とか、いろいろしたんですけどね。

 ほびっと村って、もともと、日本のニューエイジ運動の拠点の一つだったんで、カウンター・カルチャーの論客が出入りしたりしていたんですよね。

 最近は、昨年の大震災後の原発事故で、一気に政治への不信が高まって、かつての社会運動的なムーブメントが高まってきている感じがします。

 全共闘世代の闘争していた人達の半分くらいが、ニューエイジ・ムーブメントに興味を持って、日本の精神世界開拓の旗振り役になったりしているんですね。エコロジーとか自然農法とか、気功、ヨガ、太極拳、トランス・パーソナル心理学とか・・・。

 アメリカでは、ベトナム戦争後のヒッピーがニューエイジへと繋がっていて、ヨーガ、禅、太極拳、ヒーリングタオ、カイロプラクティック、オステオパシー、ロルフィング、アレクサンダー・テクニーク、フェルデンクライス、NLP、自己啓発セミナー・・・なんかに細胞分裂して増殖していったんですね。

 もともと、アメリカはキリスト教の国じゃないですか? そこに雑多な宗教や価値観を信仰し、個人の解放を目指すカウンター・カルチャーが興ったのも自然な道理なんでしょうね?

 だって、悪魔教会(チャーチ・オブ・セイタン)なんてものもできてしまうんだから。

 これって、日本で言えば、真言立川流がいきなり復活したようなもんでしょう?

 新体道も、武道という文脈で考えるより、言わば“日本のニューエイジ・ムーブメント”だと考えた方が理解しやすいでしょうね。「カラダを解放して心を解放するシステム」だと理解するのが一番、しっくりくるんじゃないでしょうか?

 ただ、個人の心と身体の解放というテーマは、反面では反社会を意味してしまいます。

 何でか?というと、個人が解放されてフリーダムに生きていったら、社会の秩序が維持できなくなるから・・・。

 そういう意味で、政治が権力装置で国民を縛りつけようとするのは必然なんですよ。だって、社会という構造を維持することが目的なんだから・・・。

 原発にしても、原発マネーのシステムを解体すると、それで成立していた社会の機構が維持できなくなる。だから、何とか復帰させようと、世論を騙くらかす偽装工作を駆使してまでやってる訳ですね・・・。

 そこに、個人としての国民が不在のままで論議されるのも仕方がないのですよ。

 だって、社会は権力装置で維持されるシステムそのものなんだから、国民は大小様々な部品としてしか考えられない。取り替えの利く小さな部品のことは考えず、エンジンやコンピュータを優先しようとするのは当たり前でしょう・・・。

 ところが、彼ら権力の中枢にいる人達は大事なことを忘れてしまっているんです。“社会は個人の集合体だ”という真実を・・・、人間は機械じゃないんだから・・・。

 権力は、人間の本質を見誤らせますね。

 神ならぬ人間が神の視座に立つことは、滅びの始まりなんですね。

 人類滅亡のイメージが遥かな昔から、ずっと言われ続けてきたのは何故か?というと、それは畏怖する心が権力からの解放を促すからだったんだ・・・と私は思います。

 謙虚な心は自然に感じるものでなければ意味がありません。

 私は、最近の野田首相を観ていると、謙虚さを装う奥にある傲慢さを感じて本当に嫌な気持ちになりますよ。「この国のため・・・」というお題目を自分にマインドコントロールかけて“誠実さ”を自己演出しているのでしょう。

 が、彼は国民の現実をちゃんと観ていませんよ。システムを維持することしか考えていない。システムを改善していくアイデアが無いんだから・・・。

 この国に、本当の政治家はもういないんでしょうか? それとも、能力が低過ぎるのでしょうか?

 少なくとも、民主党政権の功罪の功の部分は、「日本に民主主義なんか無かったのだ」という真相を露呈させてくれた点でしょう。

 日本人に決定的な政治不信を植え付けてくれた点は、むしろ、良かったんだと思いますね。

 これから日本がどんどんダメになっていったとしても、アナーキズムによる個人が立ち上がる原始共同体の島(国ではない!)になったら、それはそれで希望の地となり得るかもしれません。

 それは、「日本が滅ぶ!」という悲観論で語るべきではなく、社会機構が解体されて個人が自由に開拓して生きていけるフロンティア時代になると思えばいいんですよ。

 私は、もう「社会なんざ、どうなろうが知ったこっちゃ~ねえよ」というのが本音。どんな状況になろうが、個人個人が力強く、しぶとく生き抜く・・・ということに関心が向かっています。

 そのために、武術を役立てられれば、本望ですね。だって、国が無くなれば、個人を守るのは個人の力だけしかありませんから・・・。

 けれども、今の日本の武道に、そんな技能を求めるのは無理がありますね。やってる人達だって、趣味(娯楽)でやってるだけでしょう。

 しかし、武術は本来、兵法から発達しています。兵法というのは戦場で戦う技術であり、私も現代の市街戦にまで対応できる武術を追究しています。だから、現代の特殊部隊の戦術なんかも研究してきている訳ですよ。過去に学ぶだけじゃ~、実用性が無い。

 私は、現代から未来に渡って、役立つものでなければ武術失格だと思っています。

 そのためには、戦闘術と養生健身術の二つの要素は絶対不可欠だと考えます。

 サバイバルが目的なので、素手でも武器を使っても戦えなければダメだと思っていますし、軽い病気や怪我も治せるべきでしょう。

 そういう意味で、健康法やサバイバル術の研究もやってきましたし、銃やミリタリーに関することも相応に知っています。

 そのお陰で、現在、参加している映画では、“軍事・Gunアドバイザー”というポジションであり、実は、今回、武術の指導は全然やっていないのです。

 意外でしょ?

 無論、アクション・シーンの演出もやりましたが、こちらは20年ぶりに普通の格闘技の技を使った立ち回りを指導しました。

 個人的には武術的なテクニックを使いたかったんですが、監督の希望のイメージに合わせると従来の格闘アクションの方が相応しいと思った訳です。


 それはそれ。

 ほびっと村の講座は、一応、独己九剣の応用をやると予告しておいたので、まず、独己九剣から“左剣”と“雪崩潰し”の技を抽出して、その応用の体術技法をいろいろやりました。

 左剣で重要なのは、「正中線を確保したまま体捌きで交叉法を用いる」という点にあります。攻撃を避けて、相手にとっての死角に付け入るのが骨子です。

 雪崩潰しで重要なのは、「沈身をかけて相手の体勢を崩す」という点です。これは、崩し技の原理をよく熟知し、相手の体勢に応じて微妙に崩す方向を修正していく感覚を必要としますが、これはまだ北島師範ですら会得していませんでしたね。

 多分、うちの会員では大石総教練ができるかどうか?というくらい難しい部類に入るかもしれません。触れた瞬間に崩れる方向を感知して技をかけなきゃならないので・・・。

 体勢を崩すといっても、人間は体質・体格・体能などが皆、違うので、通り一遍なマニュアルで覚えてしまうと、かからない人に出会って困惑したままで終わってしまいかねないのです。

 技がかからなかった場合、咄嗟に変化技をかけられるのも重要ですが、かからない理由を瞬時に察知してかかる技へと微妙に修正できる技能があれば、これが最も正しい訳なのです。

 この辺の感覚は人に伝えるのは至難なので、普通は“名人芸”として一代限りで終わってしまうものです。

 私はヘソ曲がりなので、名人芸と言われている技でも、「意地でも秘密を解明してやる!」と燃えてしまう性格なので、大抵の秘伝技はすべて原理解析しています。

「長野の嘘つき~」と言ってくれて、一向に構いませんよ。事実かどうかはできるようになった自分しか判らないことであり、別に他人に認めてもらう必要なんかありませんからね。できる会員を育てていけば、論より証拠になりますからね。

 武術に論争は無意味です。できるかできないか? 肝心なのは、それだけです。

 多くの秘伝とされる技も、自分で試して人にも教えて体得させていく過程で、「案外、簡単だよな~」と思うようになっていった訳です。できてしまえば、原理解析は難しくありませんからね。「こうやった方ができるんじゃないかな~?」と、どんどんシンプルになる訳です。

 例えば、佐川幸義先生の伝説の秘技“体の合気”も、「恐らく、こういうことだろう」という分析から出発して実験練習しているうちに基礎原理は解析できてきましたし、その原理から考えたいろいろな応用技も、日々、開発していっています。

 予定していたより早かったですね~? 「あ~、なるほど、こうやっていたのか?」って思っていますよ。

 最新DVDで基礎的なことはやっていますが、その後、もっと研究は進んでいき、原理的には極めてシンプルな技術となってきています。

 つまり、“教えれば誰でも体得可能な技”だということです。鍛えなければできない技でもない。理論を理解して、理論通りに動けばできると思います。

 いろんな人が体得できないのは、多分、「物凄く鍛えないとできない」と思い込んでいるのが最大の原因だと思いますね。

 最近、思うのは、武術に関して、“鍛える”という行為は非常に問題を孕んでいるということです。大抵の人が理論を理解しないまま、闇雲に筋肉に負荷をかけて鍛えているだけなんですよ。“独りよがり”なんですよ。

“体の合気”を例にとれば、私は、技をかけられて体勢が崩れて吹っ飛ばされている受け手の重心の流れを連続写真から解析していくことで、技の効力(力がどう働いているのか?)を考えたんですね。そこから、そのような効力が作用する技とは、どのような技術なのか?と考えてフィードバッグさせて技を具体化させていったんです。

 力ではなくて、技のメカニズムを解明しなければダメなんですよ。

 無論、原理だけだと実用性は乏しいのですが、自在に応用発展させられる段階になると、極めて実用性の高い武術技法になる・・・と言えます。

 もっとも、実用性が高くなるという意味は、“威力があり過ぎて危ない”ということで、まともに使えば相手に致命傷を与えることになってしまう・・・という訳で、「実用性が高い技は実際に使う訳にはいかない技」だということになってしまいます。

 先日のセミナーの感想で、DVDを見た参加者が、「長野先生が一番ゆっくり動いて遅く見えたんですが、それは読みを駆使しているからでしょうか?」と言われていたんですが、私がゆっくり動いているのは、おっしゃる通り、「読みを駆使しているので、それだけ余裕があるから」というのと、「早く動いたら威力が出過ぎて受けている会員に怪我をさせかねない」からでもあります。

 私が早く動いたら、すべて先の先となってしまうので、受けている会員が攻撃を出せないまま、一方的に私が技をかけているように見えるでしょう。それだと教材用のDVDにならず、ヤラセにしか見えないので、私は相手に技を出させてから封じるようにしている訳です。

 また、北島師範はいつも私にゆっくり攻撃を出すのが習性になっているのですが、どうしてか?というと、彼が早く攻撃したら、私もそれだけ早く迎撃してしまうので、途中で技が止められずにカウンターで入ってしまったりしたので、自然にゆっくり攻撃するようになってしまったのですね。彼は本気だしたらムチャクチャ速いし、そうなると私も寸止めなんか到底できません。

 交叉法の問題点は、相手の本気度に応じて技のスピードも変わる点で、互いによく知っている者同士なら加減できても、知らない者が相手だと止めるに止められず、大怪我をさせてしまいかねない・・・という点です。

 だから、私も実戦以外では交叉法を使うのは気が進まないですね。下手にやって見せても、こちらが加減しているのが解らずに侮られるだろうし(実際、何度かそうなったので、今は反省して、「やるからには殺す気でやらなきゃならん」と決意しています)、それでは本気でやろう・・・とすれば、相手に怪我を負わせるのは避けられません。

 実戦で命を護る勝負にしか使えないな~と思いますね。

 しかし、だからこそ、弱者が強者に打ち勝つ秘術として素晴らしい術だと思います。


 講座が終わって、いつものように喫茶店でお喋りしてから帰りましたが、ろくに花見もできなかったので、独りで橋本駅から相模線で上溝駅に行き、桜の名所の横山公園へ行きました。

 夜桜見物になったので、まだ十分に桜が楽しめましたよ。

 帰りに住宅街を歩いていると、駐車場に猫が何匹か居て、飼い猫で大切に育てられているからか? 近寄っても警戒して逃げたりしなかったですね。あ~、早く猫が飼える暮らしがしたい・・・。

 せっかくだから、そのまま歩いて相模原の市役所通りを桜並木を見ながら帰りましたが、こちらは車の廃棄ガスで温度が高いせいか、散るのが早くて半分以上、葉桜になってましたね。でも、商店街では出店も出ていて賑やかでしたよ。

 ついでなんで、そのまま駅には向かわずに歩いて渕野辺の鹿沼公園まで行き、公園の桜も見てきました。何しろ、この前は、つぼみ見会になっちゃいましたからね~。

 やっぱり、公園の桜は結構、長持ちしていましたね。相模原組の会員を呼んで、もう一回、夜桜見物でもやろうか?と思いましたけどね~。

 1時間半くらい歩いて相模原の桜を愛でてきましたが、結構、長く住んでますけど、相模原は綺麗ないい町ですね~。都内に出るにも交通の便は悪くないし、治安は悪いらしいんだけど、すごく住みやすいですよ。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

ストロンガーよ、永遠に・・・

 仮面ライダー・ストロンガー、超神ビビューンに主演された俳優の荒木しげるさんが逝去されました。

 新聞で見つけた時は、ショックでしたが、やっぱりな~という気もしました。

 ご生前に、一度だけ荒木さんが経営されているスナックを特撮好きの矢嶋さんに連れられてお訪ねしましたが、その時にも大病をされた後で、かなりお痩せになっておられましたから・・・。

 それでも、眼の輝きと内に秘めた正義感の強さを感じさせられ、政治家も志された荒木さんの生きざまを思うと、ヒーローを演じてこられた人でなければ得られない様々な感慨があるんだろうな~と思いました。

 私は、歴代の仮面ライダーの中でもストロンガーが特に印象深かったですね。

 電波人間タックルという女性の相棒がいながら、変にベタベタしないでストイックなぶっきらぼうな性格を通していたり、硬派な不良っぽさがストロンガーの魅力でしたね。

 敵の奇っ怪人の毒ガスが効かなかった時も、奇っ怪人から「なぜ、効かなかったんだ?」と言われて、「そんなの俺が知るかぁっ!」と一喝する気合で乗り切る体育会系な性格が素敵でした・・・。

 そんな豪快なストロンガーを演じる荒木さんもまた、やっぱり豪快な性格だったみたいですし、お会いした時も、チバちゃんの空手映画や暴れん坊将軍に出演した時の撮影の裏話をうかがったことはよく覚えていますが、正直、あがってしまって、頭が真っ白になって記憶が曖昧になってしまいました。

 ただ、荒木さんは国の政策などに対する怒りの気持ちから政治家を志されたらしく、また、選挙にも出るお気持ちがあったそうですね。

 特撮番組に出ることは俳優としてワンランク低い評価を受けるという話も以前はあって、、ジャリ番と小馬鹿にされたりもしていたようですが、今では若手の登竜門として特撮番組に出てブレイクするのが当たり前になりました。

 考えてみてください。

 吉永さゆりや松坂慶子、真田広之、オダギリジョーだって子供向け特撮番組出身なんですよ。

 北川景子だってセーラーマーズだったんだし、どんなに有名な俳優になって、どれだけ多くの役柄を演じても、特撮番組のヒーロー、ヒロインを演じていた時の印象の強さに勝る役柄は、ちょっと無いと思いますよ。

 あの松田優作だって、いろんな役を演じましたが、一番印象が強いのは、やっぱりGパン刑事でしょうし、その次に探偵物語の工藤ちゃんではないでしょうか? 特撮じゃないけど、普通の文芸ドラマじゃないでしょ?

 しかし、そんな伝説の俳優・松田優作も、売れない頃は『突撃!ヒューマン』のオーディションを受けていたそうなんですね。もし、ヒューマンが優作のデビュー作だったら?と思うと、何か微笑ましくなりますね。

 ちなみに、荒木しげるさんの“しげる”は、東映の岡田茂氏から採ったそうです。共演の岡田京子さんの“岡田”と分けた?という話もありますが、つまり、それだけ期待の大きい俳優さんだったということでしょう。

 岡田京子さんも早くに亡くなられたそうですが、荒木さんも、まだ63歳。早すぎますよね。原口監督の『デスカッパ』にちらっと顔見せ的に出演されていたのを見たのが最後でしたが、健康でありさえすれば、まだまだ、これから政治の世界で活躍できたでしょうに、本当に残念です。

 でも、映像作品はずっと後の世にも残り、ヒーローは心の中に永遠に生きています。

 私は、「俺は仮面ライダー・ストロンガーに会ったことあるんだぜ」と、一生、自慢し続けますよ。

 荒木しげるさんの御冥福を心よりお祈り致します・・・。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

四月セミナー“目付け”感想

 四月の月例セミナーは、ようやく桜が満開になった8日に、いつもの江古田ストアハウス稽古場で開催しました。

 四月は年度初めだから忙しいのか、かなり少なくなった印象でしたが、“読み”が有ると無いのでは戦いの様相が次元が違ってしまうくらい変わってしまう・・・という点を理解していただくために、今回は、「目付けが心法に繋がっていく・・・」という点を強調してやってみました。

 何しろ、相手の攻撃の出が読めれば、基本的に受け技が必要無くなってしまいます。

 読みの技能が古流の剣術で発達したものである理由が、ここに有ります。

 刀で斬られれば容易に致命傷を負います。刀の斬り込みを自分の刀で受け止めれば、刃毀れしたり、刀が曲がったり、場合によっては刀が折れてしまったりします。

 だから、日本の剣術は、基本的に相手の斬り込みを力任せにガッチリ受け止める・・・ということはしない訳です。

 これは素手の武道でも本来は同じことであり、相手の突き蹴りを身体で受け止めて耐える・・・という発想は、大山倍達師範がボディビルを採り入れるまでは、一部の沖縄空手にしかなかった発想でしょう。

 直接打撃制を考えると、やはり防具を用いることに考えが行き着くのが自然な流れであり、それは、「空手は一撃必殺」という認識があるが故のものでした。

 無論、何故、「空手は一撃必殺」と考えられたか?というと、琉球の手が、薩摩の示現流などの日本剣術の初太刀で仕留める思想へのカウンター思想として考えられたからであると思われます。

 その「一発食らえば死ぬ」という認識がある武術に於いて、相手の攻撃を受け止めるという発想は出てこないものであり、「いかに相手の攻撃を出せなくするか?」という方向で研究されたのが、“読み”なのです。

 つまり、相手が攻撃しようと考えて、動き出し、攻撃が出て、当たり、威力の最大値に達する・・・という、一瞬とも言える時間の中で、実は何段階もある・・・という点を読んで、先に先に潰していく・・・という戦術が発達していった訳です。

 先の先は、相手が攻撃しようと考えた瞬間を制圧することであり、対の先は攻撃が動き出して出てくる瞬間にこちらも攻撃を出して、当たるのを阻止する、いわゆる交叉法のことです。

 後の先は、相手が攻撃して当てようとする目標地点から体を捌いて避けつつ、死角から迎撃することであり、これは新陰流で言うところの「陰を斬らせる」ということです。

 読みを組み入れた武術の流派の場合、この三つの先で基本的戦闘理論を分類することが可能です。

 先の先は夕雲流、対の先は一刀流系、後の先は新陰流系・・・といった具合です。

 現代で読みを戦闘理論に組み込んでいる流派は至って少なく、意識的にやっているのは新体道くらいではないか?と思います。

 流派として意識してやっているところは、ほとんど見たことがありません。

 そもそも、非常に感覚的、観念的なものなので、伝承が難しいという面もあります。

 ただし、世に達人と評価の高かった武術家、武道家は、ほとんどが読みの技能に熟達していました。が、それらは技術的に高められたものではなく、感覚的に自然に体得されていったに過ぎず、だからこそ、弟子に伝わることはほとんど無かったようです。

 目付けに関しても、「技のコツ」としてしか考えられておらず、これが絶対的な必勝の原理へと繋がる重要性があると考える人は滅多にいなかったでしょう。

 しかし、私は躾道館の小林直樹先生に教わって以来、新体道の青木先生、賢友流の友寄先生、日子流の光四郎先生に、それぞれの御研究されたやり方をうかがい、読みの技能を深める工夫をしてきました。

 そして、10年余り・・・、具体的に段階を踏めば誰でも読みの技能を高めていける稽古システム化ができたと自負しています。

 中でも、賢友流の友寄先生の教えは、具体的でありつつ応用性の広いものであり、そこから考えさせられたものは無限大にも思える程です。

 以前は、「本物の達人は、やっぱり居たんだな~」という感動を味わっていただけでしたが、教わった以上は、自分も目指さなくては男じゃないし、読みを駆使することのできる武術家を育てていくのも役目でしょう。

 常連会員の何人かに関しては、日々進化し続けているので安心しています。どうせ、やるなら“超達人軍団”にするくらいでないと、武術やっている意味がないでしょう?

 技がどうこうというのは実戦を知らない人間の妄想です。実戦となれば、一にも二にも度胸と覚悟がものを言います。「このヤロー! ぶち殺してくれるっ!」という凶暴な戦闘本能に身を委ねる・・・。それができない人間が武術の極意に達するなんか夢物語ですよ。

 女性とか甲野さんファンだった人に多いんですが、「私は武術に興味ありません。戦うのなんか嫌です」と言いつつ習いたがる人もいるんですが、そういう人は他所の団体に行かれるのがいいでしょう。

 私は、「本気で武術を極めてみたい。現実に戦える力が欲しい」という人に応えたいから武術の研究を続けているのであって、「まあ、面白そうだからやってみようかな?」くらいの人を相手するのは、はっきり言って時間の無駄に思えてしまうのです。自己満足が得たい人は、うちに来てもらってもしょうがないし、懸命にやっている会員の邪魔なのです。下戸が飲み屋に行くようなもんでしょ?

「戦う意志がお前を最終兵器に変える!(少女コマンドーいずみ)」みたいに、問題なのは戦う意志、覚悟なんですよ。覚悟のある無しで人間の戦闘力は何倍にも何十倍にもなります。これも“心法”なんですよ。

 私が稲葉先生を絶賛したのも、“そこ”なんですよ! 技だけなら、私、互角に戦う自信があります。でも、覚悟の出来具合が何倍も上回っておられるのが解ったから、「あっ、これは、とても勝てないな~」って思って感銘を受けた。だから、絶賛した・・・そういうことなんですよ。

 ただし・・・覚悟ができる上で、平常心で読みを駆使することができる者だけが、本物の名人達人の世界に到達できるのだと思いますよ。

 やるからには、それを目指さないとダメですよね。

 その第一歩としての“目付け”のやり方は・・・(以下、割愛。『武術の読み』を読んでくださいませ)。


 今月は、次の15日にも、ほびっと村講座があります。こちらも宜しく!

PS;アイドル映画にスタッフと役者で参加することになり、テンテコ舞いです。お陰で本がさっぱり進みません。あ~、忙しい忙しい・・・。

20120410_001.jpg
このページのトップへ
コンテントヘッダー

4月セミナー“読み”

 四月の月例セミナーのテーマは“読み(目付け)”です。

 最近、格闘技系漫画でも先を取る読みの重要性について取り上げられたり、専門雑誌も特集を組むほどになっていますが、これはやっぱり、私が書いてきた事柄が注目された結果なんだと、内心、自負している次第です。

 もっとも、20年くらい前には、“読み”という言葉も概念も明確にはなくて、もっと心法的な第六感を開発するしか体得の筋道が無い!と信じられていたような塩梅でしたし、私が“目付け”の重要性を確信して研究し始めた頃も、「そんな簡単なものじゃない」という批判意見の方が強かったですね。

 でもね。できない連中が何を言おうが論外ですから、相手しなかったですよ。ただ自分の研究を進めるだけです。できる人間を何人も育てれば、否定しようがない事実になりますからね。

 しかし、批判されている方々が全面的に間違っていた訳ではなくて、“読み”に関して、熟練すればするほど、“目付け”に頼らなくなるのも事実なのです。

 うちの会員でも、いつまでも目付けに頼っている人は、ある程度の段階で必ず進歩が止まってしまいます。

 心法にシフトしていかなくては高度な“読み”を駆使することはできない・・・と言えるでしょう。

 賢友流二代宗家、友寄隆一郎先生が説かれる通り、「徹底的に五感を磨け! そうすれば自然に第六感が芽生えてくる・・・」のだと痛感するばかりです。

 ところが、ここが難しい問題なんですが、“目付け”を無視して、いきなり「心眼を開こう!」と考えて、ろくな稽古もしないで瞑想に耽ったりしていれば、大抵の場合、魔境に捕らわれて精神疾患に陥る危険性があるんですね。

 私が“気の武術”に警戒してきたのは、ここに問題点があります。

 要するに、心眼と幻覚の境目は非常に曖昧で、明確な区別がつきにくいんですよ。

 本人にも区別できないし、他人には尚更でしょう?

 私は心理カウンセラーを一時期目指していたので、割合、心理学には詳しい方ですし、新興宗教や自己啓発セミナーの類いの、いわゆるマインドコントロール技術の方法論にも詳しいので、その方面の人間が、どのようにして人心を操っていくか?という仕組みも、実はかなりよく知っています。

 例えば、催眠商法やら占い師の話術なんかにも、そのような典型的なやり方があるんですね。

 私がそういう方面の知識があるのを知らずに、非常にマニュアル化されたマインドコントロールの手法を使って私をコントロールしようとした人間も以前は居たんですが、ビジネスパートナーだったので簡単に切り捨てる訳にもいかず、半年くらいは様子を観察していました。そして、「これは反省する見込みは無いな」と判断し、最終的には縁切りしました。

 本人は私をうまく操っているつもりだったんでしょうが、こちとら潜った修羅場の数が違いますからね(苦笑)。「自分が居なかったら、長野先生の老後はありませんね~(笑)」とか、「僕は先生に頼らなくても自分でやった方がお金稼げるんですよ(笑)」とか言っていました。

 このような物言いは、「自分がいなければ貴方はやっていけないのだ」と、相手に不安を感じさせることで依存心をかき立てようとするマインドコントロール話術の典型的な手口なんですね。私は、(あ~、こんな安い手口が通用すると思ってるとは、俺もなめられたもんだな~?)と、内心、苦笑していましたが、この言葉で縁切りする決心がつきましたね。信の置けない人間だとはっきり判ったからです。

 彼は才能豊かな人間でしたが、自惚れが過ぎて他人の気持ちを理解できないのが致命的な欠陥でした。策士、策に溺れると言いますが、人を侮る人間は、必ずしっぺ返しを食らうハメに陥るものです(教えてやる機会を逸したので、ここに書いておきます)。



 私が武術に惹かれたのは、戦ってみれば正しいかどうか判明する!というリアリティーがあるからです。

 どんなゴタクを並べようが、実際に手合わせして相手の攻撃を制することができなければ、いかなる理論も空理空論だということです。

 武術は直に手合わせすれば真実が明らかになる・・・という潔い領域がある。下手にやれば、命を無くすかもしれない・・・という峻厳さがあるからこそ、口先だけでずっとごまかしていけるような甘い世界であってはなりませんし、だからこそ、「人を侮らず、自己を驕らず、日々、修練を怠らず」という自戒が必須となるのです。

 他人にケチつけてる暇があったら、自分を向上させることに専心する。それが武術を修行する者の心得です。その基本に関しては私は絶対に誰にも引けを取りません!

 個々の技術レベルでは優れた実力者はいくらでもおられるでしょうが、武芸全般を水準以上にできることを私は目指しています。オールラウンドに戦えれば、あるジャンルで圧倒的に強い相手であっても、その人が苦手なやり方で攻めたてて持ち味を封じておいて一方的に勝つことができる訳で、それも武術の常套手段であり、弱者が強者に勝てるほとんど唯一の戦術です。

 本来の武術とは、そういう戦術をメインに工夫してきたものですからね。人生全般に役立つのは、そういう戦術発想なのであって、身体鍛えたり職人芸的な技が役立つ訳ではありません。

 同じ条件で戦えば、技術に差が無くとも体格や体力、体能で差が出てしまいます。しかし、何をやってもいいのなら、女性が男性に勝つことも、老人が若者に勝つことも、子供が大人に勝つことも工夫次第で充分に可能です。

「いくらなんでも女子供老人が若くて屈強な男に勝てる訳がないじゃないか?」と思うのは、武道や格闘技の戦い方でしか考えられない人間の錯覚に過ぎません。

 簡単な話、武器を使えば簡単なのです。

 それを卑怯と言うのなら、熊や鮫と素手で戦ってやろうとするでしょうか? どんな屈強な男でも野生の猛獣と素手で戦おうとは考えないでしょう。槍や弓矢、銃、あるいは落とし穴などのトラップを仕掛けるでしょう?

 それを卑怯だと考えるでしょうか?

「現代で早く刀抜けたり、10m先から手裏剣打てても何の役に立つんだ?」と、批判する空手師範もいたそうですが、失礼ながら、「現代で人を殴ったり蹴ったりする技能の高さを誇って、どんな社会的評価があるんでしょうか?」って聞きたいですよ。

 現実的な意味の無さに関しては素手だろうが武器だろうが五十歩百歩でしょう?

 技そのものが特に役に立つ訳じゃないんです。技の稽古も関心の無い人には何の価値もないんです。

 しかし、技の修練で心身の機能そのものがアップし、達観して生きていける事、そして世の中で日々遭遇する雑多なトラブルに動揺しないで冷静に対処して解決していく精神と知識を高められる点に武術修行の価値があると私は確信している訳です。

 その意味で、いろんな戦い方ができることを、私は武術に必須の要素だと考えており、理論的には游心流は最前衛の武術として日々進化させてきた・・・と自負しています。

 また、それを実証してくれる会員も何人か育てられたと思っています。破門や除籍にした人間は別として、来なくなった昔の会員さん達に対しては、「今のやり方なら確実にレベルアップさせられたのに、中途半端なものを教えてしまったな~」という申し訳ない気持ちでいます。五年後、十年後にも同じことを思うかもしれませんが・・・。

 2~3年で離れた人には想像がつかないと思うんですが、例えば北島師範や横浜同好会のK原さんは8年くらい地道に続けていて、それはもう別人のようになっています。大石総教練も4年くらいなるでしょうか。もともと強かったけど、今は格闘漫画のキャラみたいな現実離れした技の遣い手になっています。

 でも、ここ2~3年くらいに入った常連会員さんの上達っぷりはファンタジーみたいですよ。唖然となります・・・。中でも72歳で入ったUさんの進歩は冗談みたい(笑)。

 研究も、恐ろしいくらい、どんどん進んできています。正直、人間が、こんな短時間でガラッと変わってしまうというのは魔術的ですよ。私ですら想像できませんでした。もう、ズブの素人でも70過ぎた老人でも、真面目に取り組んでもらえばビックリするくらい上達できると確信してますね。

「長野がどんな凄い技を体得しようが俺は認めない!」って言ってる人もいると聞いたんですが、大体、私は自分の理論や技を他人に認めて欲しいと思ったこと一度もないんですよ。事実は事実だとしか思ってないから、現実に圧倒的に勝てる武術を目指してきただけで、他人に認めてもらいたいなんか、最初っから考えてないです。

 ですが、自分の研究が最先端であるという実感はあります。優れた人や流派は星の数ほどあっても、“武術”という文化の奥深さを解明していっているのは、私たちだと自負しています。

 本当に、これは野口先生、甲野センセイ、小用先生、渡辺先生、パリッシュ先生、大友先生、木本先生、小林先生、高木先生、岩間先生、友寄先生、松田先生、高先生、光四郎先生、時津先生、青木先生、香川先生、佐原先生、河原先生・・・のお陰です!

 優れた先生方の研鑽されてこられたエッセンスを少しずつ分けていただいた・・・というのが私の大いなる財産です。そのエッセンスを熟成させて10年も20年も研鑽した結果、「何をどうすれば上達できるのか?」という稽古のセオリーが判明したのです。



 さて、余談が過ぎました。“読み”に関しても、初心者から中級者に関しては、“目付け”のやり方で、かなりの向上を図ることはできます!

 心法を駆使した“読み”は個人差が大きいのですが、“目付け”でやれば、大体、誰でも一定水準まで上達させることができます。

 対戦時に目付けで読む場合、相手の身体の“居着き”を観て、そこを攻めます。

“居着き”とは、“力んでいる箇所”だと考えてもらえば結構です。例えば、よく“力のタメ”の重要性が説かれますね? 「力のタメが無いと強い打撃が出せない」と・・・。

 しかし、タメの動作そのものが居着きであり、タメの動作の最中にそこを攻められたら対処できません。強い打撃を出そうとしてタメを作った瞬間が居着きになってしまう訳なのです。

 游心流の基本は無構えですが、これはタメを作らない体勢なのです。しかし、この構えから攻撃を出すには力のタメを作って動くやり方ではダメです。

 私が“重心移動の力”を用いると言っている意味がここにあります。力のタメを必要とせず、0からいきなり100の力を出せるようにするには、筋肉の収縮によって力を生み出す方法論から脱却しないといけません。

 これは、現代の武道格闘技のみならず、スポーツ運動理論の根幹と対立する考え方になってしまうでしょうが、古来から伝承する武術の極意を研究してきた結果として強く主張しておかなくてはならないでしょう。

 運動のパフォーマンスを決定するのが筋力によるものとする常識から離れない限り、武術の理論は読めないでしょう。

 スポーツ運動理論は、せいぜい、百年かそこらでしかないと思うんですが、武術の理論は何百年も何千年も昔から構築されてきたものなんです。現代的な観点から安易に判断してはいけないでしょう。

 松田隆智先生も言われていましたが、経絡理論なんか千年以上前にはあった・・・とすれば、古人の達していた生命原理への理解は、現代人の考える以上のものがあったのではないか?

 松田先生が生涯賭けて武術を探究された偉業は、単なる武術愛好家の間だけで利用しようとしてはいけないんじゃないでしょうか?

 またまた余談ですが、BABジャパンから出る予定の松田先生の著書が未だに出ていません。私の周囲の人達も、皆、楽しみにしているのに、どうなっているんでしょうか?

 日本に中国武術の文化を知らせ、多くの修行者に道筋を示してきた松田先生の著作活動は、本来、もっともっと広く認知されていなければおかしいと思うのです。

 中国武術専門誌が休刊になった後、BABジャパンの社長自ら頭を下げて松田先生を招かれたと聞いています。出版不況の今の御時世ですから、大変だとは思いますが、恩義を知る方の会社ですから、多少遅れても必ず出してくださるものと信じております。

 ともあれ、今月は、読みの基本である“目付け”の最新バージョンを御指導します!

このページのトップへ
コンテントヘッダー

稲葉先生はサムライだよ・・・

 BABジャパンから稲葉稔先生のDVDが出るとのことで、一巻と二巻を購入させていただきました。
20120404_01.jpg 20120404_02.jpg

 稲葉先生は最晩年の国井先生に師事されて、あまりの吸収の早さに国井先生が驚き、宗家を託そうか?と真剣に考えられた・・・という逸話のある天才的師範として業界の一部では昔から有名な方です。

 ネット動画などでいくらかは見ていましたが、以前から稲葉先生の技が見たいな~と思っていたので、DVDが出ると知って、これは是非とも購入せねば・・・と思いました。

 何度か、清心館の佐原先生からも稲葉先生の恐ろしい逸話(シャレが通じない人だ!とか? ガ~ン・・・俺なんか「無礼者っ!」って首すっ飛ばされるかも?)を聞いていたので、安心してDVDで拝見できるのは有り難い限りだと思っています。

 もうね~。私のイメージでは星一徹みたいな感じの先生になっていたので、DVDも黙々と黙って演武されているだけなのかな~?と思っていたんです。

 ところが、物凄く丁寧に、細かく説明しながら技の実演解説をされていて、本当に、買って良かったな~と思いましたよ。

 武術のDVDで、ここまで細かく説明されているものって、あんまり無いですよ。

 私だって、こんなに細かく解説しません。

「見てわかんないヤツに説明したってわからん!」というのが、割りと一般的な武術の世界の常識で、説明が一切無いDVDもざらなんです。

 その点からしても、こんなに説明してくれる先生は希少だと思います。

 しかし、ま~、ずう~っと、説明しっぱなしなんですから、恐れ入りました。

 私も何度もDVD撮ってるから解るんですが、説明しながら技も実演するのって、難しいんですよ~? これだけ説明し続けながら実演するのは物凄く疲れる筈ですし、かなり頭脳をフレキシブルに駆使できないと無理なんですね。

 私のお目当ての抜刀術はまだ三巻目のようなので見れていませんが、説明の時にさりげなく、スルッと抜刀された自然さには、逆にギョッとしましたよ。

 佐原先生のお話では、稲葉先生の相対しての抜刀術を16mmカメラで撮影したら、一コマ目で刀の柄に手をかけたのが映っていて、次のコマでは抜いた刀の切っ先が相手の喉元に突き付けられていた・・・のだとか? 16mmフィルムって、毎秒20コマ前後くらいかな~?と思うんですが、だとすれば、単純に計算して1/20秒? 0.05秒ってこと? ひょっとすると、速撃ち世界一のボブ・マンデンに匹敵するのかも? ひょえ~・・・。どんだけ速いの~?

 人間の反射神経の限界って、0.2秒くらいなんだそうですが、ごく稀に限界突破できる人もいるみたいですね。

 稲葉先生の技を拝見しますと、ちょっと中国武術の発勁のような感じもします。気合鋭く爆発的な当たりがあって、あれは掛けられた方はたまらんな~と思いました。

 やはり、ハラを中心に鍛えられているからでしょうか? 動きの中心もすべてハラからで、気合も、ィエィッ! トォッ!・・・と、腹圧で圧縮した内気が絞り出される感じですが、無理やりな印象がありません。

 体の練りに関しては、肥田式の影響もあるのかな~?という感じも受けましたが、ヨーガ的な柔らかさも感じますね。この辺は稲葉先生が独自に研究されたのではないでしょうか?

 非常に論理的に理に適った説明をされるので、中級以上の修行者には大いに参考になるのではないか?と思います。

 ただ、まったくの初心者には内容が難し過ぎて、皆目、理解できないような気もしました。ある程度以上の武術経験者でなければ、具体的な理解は難しいかもしれません。


 思うに、稲葉先生が国井先生に師事した時に、異常に吸収が早かったというのは、山口清吾先生に合気道を学ばれて、身体が練れていて、感覚が鋭かった・・・という点が大きく働いていたのではないでしょうか?

 どうしてそう思うか?というと、私のところでも覚えが早い人は合気道経験者が多いように思えるからなのです。

 K塚師範代なんて、大学合気道部の主将だったそうなんですが、一年くらいで異様に上手くなってましたからね~。


 勝手なイメージで、私は稲葉先生は技を隠して説明もしない方だと思っていたんですが、ひょっとすると、このDVDを最初で最後にするつもりで臨まれたんじゃないか?という、そんな静かな覚悟のようなものも感じられました。

 何だか、淡々と説明されながら、想いの深さのようなものが感じられてならない。

 演武も、伝統的な古流の通り、御自身が打ち太刀をやって、お弟子さんに技を掛けさせておられます。自分がやりながら説明した方が遥かに楽なんですが、敢えて、セオリー通りにやり、詳しく説明されている中だけで御自身が技をやってみせられています。

 何だか、見ているうちにジーンとしてくるものがあります。

 これは、敢えて率直に申しますが、恐らく、稲葉先生御自身、老いを実感されていらっしゃると思うのです。動けるうちに残しておきたいと考えられたのではないか?と。

 何より、お弟子さんの受けを取って倒される度に、少ししんどそうに起き上がってこられている姿に、嘘偽りのない有りのままの姿を晒して見せようとする峻厳な男気が感じられるのです。

 合気道家でもある稲葉先生の技だから、もっと軽く流麗な美しい演武を想像していましたが、カッコ良く見せようとかいう自己顕示的な色がまったく無く、泥臭く、愚直な、リアルな有りのままを晒して見せようとする古武士の風格が感じられたのです。

 まるで、自らの生涯かけて研鑽した武芸の本質を、ここに刻んでおこうとしているかのように、道場の外が暗くなっても淡々と説明演武を続けられています。

 だから、このDVDには何か魂が塗り込められたかのような異様な気迫も感じられるのです。

 こういう表現が適切か?は別として、私には、『遺書』のようにも感じられました。

 志しのある方は、絶対に買って損のない作品だと思います。今の時代にも、こんなハラの据わった日本人が居るのだ・・・と知るだけでも価値があるでしょう。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

ツボミ見会になっちゃったよぉ~ん

 どうも、ここ3年くらいバッチシ花見会ができない・・・。

「今年も三割咲いてたらマシな方かな~?」とか話していたら、公園の桜は見事なまでに全部、ツボミの状態で、まったく咲いていませんでした・・・。

 いくらなんでも、こりゃあ参ったな~(苦笑)。

 それでも、この日は数年ぶりに参加したOさんも来ていましたし、指導員クラスは全員参加していて賑やかになりました。

 公園の中では、今年から始まったという“渕野辺桜祭り”の出店やイベントがやっていましたが、まさかツボミ状態だとはイベント主催者も思わなかったでしょうね~?

 イベント会場から離れると、いつもの公園と変わらず、花見客が多少居るか?という程度で、練習するには都合が良かったですね。

 一説に、桜の花は覚醒作用のある物質が出るのだとか?

 なので、桜の季節に人は浮かれ騒いでしまうのだとか?

 ツボミ状態でもその効果があったものか? 大石総教練が完全にスイッチが入って、パンチもキックも若手にバッコンバッコン出して受けさせたり、何かムチャクチャな感じになってましたね~。

 抖勁でローキックを弾き返すというのも教えていたんですが、頭で解っていても身体が危険を感じて瞬間に腰が逃げてしまい、結果、痛いだけ!という感じになって、泣き笑いになってましたね。

 やっぱり、脱力技法って、恐怖心を超えて、「絶対に大丈夫だ!」という発想の転換が無いと使いこなすのは難しいんでしょうね?

 頭で解っていても身体が反応して及び腰になってしまう・・・。

 武術の技は、正直、誰でもできますが、それを実戦で使える人は一にも二にも度胸!であり、ハラの出来た人でないとダメみたいですね。

 素手でやっていると互いにわからないんですが、剣でやるようにしたのは、ここに意味があるんですよね。

 いくら巧みな身体操作ができても、度胸が無いと実戦に対応するのは夢物語です。率直に言って、今、游心流で稽古しているのは覚悟なんですよ。

 技はできて当たり前。戦術を知っているのも当たり前。

 けれども、心の強さというのは先天的な要素が大きいので、鍛えてどうにかなるというものではありません。

 けれども、今の世の中で武道・武術を学ぶという行為の本当の価値といったら、精神を鍛える・心を強くする・・・ということを無視したら何にもならないでしょう。

 絶対絶命の危機に直面しても超然としていられる心を獲得するのが重要なことで、技の稽古や戦術の工夫は二義的なものでしかありません。

 例えば、交叉法の練習は、本来の意味を理解してやれば、非常に怖いものなんです。

 これを怖いから・・・と防具を装着してやれば意味が無くなってしまいます。危険性を理解してそれを乗り越える覚悟をするから意味がありますし、もちろん、お互いに納得してお互いを尊重する気持ちもないといけません。

 ただ、強い攻撃を出して相手を圧倒してやろう・・・という気持ちでは練習が成立しないのです。

 そういう意味で、自分のことしか考えない人には向いていません。剣で語る・拳で語る・・・といった事柄は、絵空事ではありません。

 一緒に練習していれば相手の気持ちも判ってくるのです。

 その意味でも、今の游心流は非常に解放的に練習できていて、良い環境だな~と思っています。戸外の練習も良いものです・・・。

 練習後は花見らしく、皆で食べて飲んで・・・また、練習?という具合になりましたが、何か大石総教練がハッスルし過ぎて酔い潰れてしまいました。

 そりゃ~そうだ・・・。あんなに飲んでるのに多人数捌きとかやったら、酔いが廻って大変ですよ~。

 私は、丸々一週間くらい喉風邪をこじらせて体調が悪く、この日も顔だけ出して早く帰ろうか?と思っていたんですが、結局、二次会のいつものジョナサンまでいましたよ。

 NさんやK塚さんが入って間も無いというイメージばかりがあったんですが、二人とも、もう2年以上経過していたんですね~。中3で入ったNさんが、もう高3・・・。時間が経つのは早いもんです・・・。

 それに、去年の大地震以来、“世の中はいつどうなるかわからない”という価値観が当たり前になりました。絆の大切さも言われますが、個人としては、“悔いのない生き方をしたい”という想いが強くなってるんじゃないでしょうか?

 過日、松田隆智先生と電話でお話している時に、「いろいろ苦労したけど自分の人生はこれで良かったと思う」という点で意見が一致しましたよね。

 失敗は無数にしたけど、全部、無駄にはなっていません。“お陰様”で、今に繋がっています。不思議を通り越して、何じゃこりゃ~?って感じにいろいろ仕事の話が動いてきているんですが、それもこれまで培った実績があればこそ!

 そして、その実績ができたのも、いろんな人が支援してくれたお陰です。

 だから、“お陰様”なんですね。


 ところで、政治の話はもうするまい・・・とも思っていたんですが、消費税増税の茶番劇と、東電の電気料値上げの話をニュースで見ていて、本当に、腹が立ってきましたね。

 冷静に考えれば誰にでも判ることですが、今の瀕死の状態の日本を支えているのは誰なのか? 国民の収入が激減している時期に、支出だけが増えればどうなりますか?

 最低限の生活費は削れないから娯楽費を削るしかなくなりますね? そうすると娯楽産業は次々に潰れ、そこで働いている人達は仕事が無くなる。テーマパークだの動物園や水族館が潰れ、本だの何だのも売れなくなっていく・・・。

 金が無くなるから娯楽で憂さ晴らしもできなくて鬱々となって生き甲斐を失って、自殺者倍増、間違い無し!

 消費税上げるしか方法がないと言う論理は理解できますが、無い袖は振れないですよ。

 金が無いのに、払わなきゃならない金は増えていく・・・。死ねって言ってるようなもんですよ。

 そこそこ安定収入がある人達には、それが無い人達の苦労はわからないんでしょう。

 でも、下が潰れていけば、上も立ち行かなくなりますよ。連鎖的にどんどん潰れていきますよ。

 そんな中で電気料金大幅値上げというのもふざけた話ですね。もう、独占企業というシステム自体を構造的に改めないとシステムに首絞められて日本国が自壊するだけ。角を矯めて牛を殺すような愚を勇気をもって改めるのが政治家の役目であり、命を賭けてやるべきなのは、そこでしょう?

 私は、野田首相の無策なのにはガッカリしますよ。いや、民主党の皆さん方も国民の代表だという自覚があるなら、やるべきことの順番を間違えるな!と言いたいですね。

 今、もう一度、首都直下型でなくとも大規模な地震が起こって都市破壊が起これば、もう日本は立ち上がれなくなりますよ。

 優先すべきは、災害に備えることを事業として経済に結び付けることですよ。マイナスの要素をプラスに転換する知恵を使わなくては経済がどんどん一方的に冷え込んでいくだけでしょう?

 震災のガレキをどこに持っていくか?なんてことより、震災で出たガレキを利用して防潮堤を造るといった発想の転換が何故、できないのか? 放射能に汚染されたものを拡散するより、一か所に集めて処理する方が合理的と思いますけどね。

 その上で放射能の無毒化する実験研究をしたり新エネルギー開発の実験施設にすれば、新しい産業が活性化できるじゃないですか?

 それに、被災者が元の地域に戻って・・・と考えるより新天地に移住していくことを考えた方が、日本中の過疎に悩む市町村にとっては人口が増えて活性化するんだから、いいんじゃないですか?

 そこは地方自治体が何年間かは無料で土地と家屋を提供して移住して仕事をやってもらうようにすればいいんですよ。

 余震のレベルで震度5強まで起こっている今の状況で、チンタラ復興させていても無駄じゃないですかね?

 もう、今までの日本のやり方ではやっていけない時代になったんだと早く自覚して、大胆に改革していかなくてはいけないと思いますね。

 法律がどうこうと言ってる場合じゃなくて、現実的に有効なやり方を超法規的な発想で試みていく勇気が、今の日本の政治家には必要なんだと思いますね。利権に振り回されてるような器の小さい人間がいくら集まってもダメだと思いますね。


PS;4月15日のほびっと村の講座は、独己九剣の護身術への応用法をやります。この前の横浜の剣術講習会でやれなかったことをやってみようと思っています。
このページのトップへ
著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

FC2カウンター
リンク
最新記事
カテゴリー
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

月別アーカイブ
ブログ内検索