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USA支部長と・・・

 今月半ばに里帰りしていたUSA支部長が「寸勁斬りと抖勁を教えてください」と言っていたので、24日にメイプルホールを借りて個人指導をしました。

 試し斬りは慣れたけれども、畳表を一晩、風呂の水に浸しておいたり、用意するのがちと面倒。ライトスタンドを試し斬り台にするようになって、多少は準備が楽になったんですが、電車とバスを乗り継いで会場に手持ちで運べるのは半畳分のマキワラ二本が限界です。

 最初は一畳分を巻いていたんですが、これだと一つしか運べなくて、もったいないから半分に切って二つ用意するようになったんですけどね。

 で、相模原駅で待ち合わせて時間より早く到着したので自動販売機で缶コーヒーを買おうとしていたら、もう支部長は先に到着していました。

「ちょっと、喉渇いているから、待っててね」と、缶コーヒー買って飲んでから、バス乗り場に行き、メイプルホールへ・・・。

 バスの中で、例の映画企画の話とかいろいろ楽しいことを聞きましたが、これらは今は書けません。何か、最近、立場上、プロデューサーになった気分だな~?

 会場で道着に着替えて、ライトスタンドをセッティングしてマキワラを乗せ、早速、寸勁斬りを教えました。

 しかし、失敗。失敗・・・。飲み込みの早いUSA支部長も苦戦してます。

 見本に私もやってみましたが、失敗。

 今度は集中して・・・やっと、スパッと斬れました。

 すると、USA支部長も、次は半分以上、斬れていて、その次は八割り、そして最後は、ほとんど九割り以上、切断できました。

 いや、これは凄いです!

 私がやっても、もの凄~く精神集中して、やっとできる技で、先日、大石総教練も挑戦しましたがあえなく失敗していました。

 試し斬りの台を専門のものを使ってマキワラがきちんと固定されていれば、そこそこ斬れると思うんですが、ライトスタンドの代用という不安定な状態でここまで斬れれば、もう成功したのと同じことでしょう。

 アメリカでは日本刀の真剣はなかなか手に入らないでしょうから、模擬刀での練習法もアドバイスしました。

「要領は覚えたから、後は大根を模擬刀で斬る練習を重ねていけば大丈夫です」と言いましたら、「大根は簡単に斬れるから大丈夫でしょうか?」と不安そうにされてます。

「簡単に斬れるもので練習して成功するイメージを意識に刷り込むのが大切なんです。“難しい”というイメージが固まったら上達しなくなります」と答えると納得されていました。

 この日は逆手斬りも一度失敗して二度目で成功したくらいで、私もあんまり調子が出なかったんですが、失敗しても、失敗の原因を探っていくことが研究になりますからね。

 なんか、失敗することを過剰に恐れて挑戦しない人が多いですが、それじゃあ、いつまで経っても上達できませんからね。自分ができないのに、誰それの方が上手いだの下手だのといっちょ前に評論だけしたがる口先人間が居ますが、こういう手合いが一番、恥ずかしいですね。日々、精進あるのみ! 他人と比べる暇があったら自分を磨くべきです。

 それにしても、私の寸勁斬りはまだまだ完成の域には遠いですね~? 斬るまでにあんなに時間がかかってしまうのでは実用性0ですよ。正直、ちょっとゲンナリしました。

 もう、一瞬で精神統一して刃が触れたと同時に斬れるくらいにならないと武術としては役立たないでしょう・・・。これは今後の研究テーマですな~。


 もう一つ、指導希望だった抖勁ですが、これはローキックで蹴られたのを、蹴られた太ももから発勁して撥ね返す・・・という、「佐川伝“体の合気”に通じているのでは?」と私が考えている技です。

 通常は、“打撃技を受けてもダメージが無い”か、あるいは、“触れた箇所から発勁で吹っ飛ばす”というものなんですが・・・。

 これって、「ダメージが無くても相手が次々に連続攻撃してきたらど~すんの?」とか、「攻撃してくる相手にどうやって触れるの?」という、根本的な問題点があり、大抵の場合、見世物芸的な状況設定の中で演じられているに過ぎません。

「これじゃ~、知らない相手を驚かしているだけのハッタリだよな~?」と思っていたので、それより一歩進んで、“相手の攻撃そのものを撥ね返す”という技を研究していて開発したんですね。

 だから、「パンチやキックを出したら、当たったと同時に威力が撥ね返ってきて自分が吹っ飛ばされたり腕や脚が壊される」というレベルの技を目標にしてきて、その基本原理は解ったんですよね。

 ただね~、一つ、重大な問題があって、「失敗したら大怪我しかねないし、成功したら攻撃した方にダメージが倍加して戻ってしまうので、大怪我させかねない」という、極めて甚大なリスクがあるんですよね~・・・困った、困った・・・。

 よって、威力をセーブしての約束組手式の練習をするしか体得の方法が無いんです。

 必然的に会員同士でやるしかないんです。

 もっとも、私なんか一度もやったことないのに、頭の中で、「こうやったら、こうなる筈だよな~? なら、こうすればできるんじゃないか?」と、原理から考えた技を自分で実験してみてる訳ですから、無謀もいいとこでしょう?

 何か、批判する人達に察して欲しいのは、私は自分の身体をボロボロにしながら研究して開発してきた技を教えているんであって、人から習った技をそっくりそのまま教えている訳じゃないんですよ。

 無論、ほとんどが真似して観て盗んで覚えた技です。それはまったく否定しません!

 だけど~? 「文句があるなら、貴方は私と同じことができるんですか?」って言いたいんですよ。観たり聞いたりしただけで技を盗めるというのは、私が尋常じゃない集中力と分析能力を駆使して自分の身体で再現して試行錯誤を繰り返した“結果”なんですよ。

 私の自信は、「俺は誰よりも圧倒的に努力している!」という自負心から来ているものであって、自分が強いとかどうとか、そんなこと全然、思っていませんよ。

 私より格闘の技能や実力のある人、武術の技が優れている人なんか腐るほど居ます。これは謙遜じゃなくて、実感です。青木先生、小林先生、光四郎先生、友寄先生、初見先生、倉本先生・・・は言うに及ばず、無名な人でも、いっくらでも、居らっしゃいますよ。

 ですが、武術を徹底的に研究しているのは私が日本で随一だと確信しています。世界中でもトップから数えて10人の中には入ると思いますよ。

 それだけ努力しているという自信がありますからね。

 無論、それぞれの分野のエキスパートの方はいらっしゃるでしょうが、でも、総合的に研究している人には一度も会ったことがありません。

 武術は単なる運動じゃないんです。身体操作でもありません。それらは全体の一割も占めていませんよ。

 だから、真面目に黙々と練習を積み重ねているだけではダメなんですよ。

 言わせてもらえば、10年も20年も習っておきながら師匠の技に及びもつかない人は、もう、怠慢と無能の極みでしかありません!

 他人に文句を言う前に、自分の努力不足を猛省するのが先だと思うんですよ。

 私がいろんな斯界の有名師範を表立って批判してきたことが「けしからん」と思う人が多く居らっしゃるのは承知しています。

「人の批判は恥ずべき行為だ」という硬直化した考え方こそが武術武道の世界を浮世離れした不合理な世界にした一番の原因なんですよ。

 おかしなことを「それはおかしい!」と批判してはいけないというのは、単なるファシズムなんですよ。そんなものは礼儀でも何でもないっ!

 事なかれ主義の虚礼が蔓延しているからこそ、実質としての傲慢な精神構造の人間ばかりが大量生産されていってしまうのです。

 間違ったことをしている人間を批判していくのは、その業界の健全さを保つために重要で必要な行為なんです。そして、それをやれるのは私しかいないという自負があるから、嫌がって誰もやらないことをやってきているんですから、「長野さん、有り難う!」と言うのが当たり前だと思いますよ。いや、マジで・・・。

 もちろん、批判したい方は自由に批判してくださって構いませんが、どうにも、批判意見の論旨が皮相的な倫理観だったり、単なる勘違いだったりするので、困ってしまいますよ。

 結局、問題意識の無い人間にとっては私の言動は気に入らないという、ただ、それだけの話なんでしょう。単なる感情論に付き合っても意味がありません・・・。


 武道の世界は“自惚れ馬鹿の巣窟”なんで、自分のやっていることだけが優れていると思い込んでる人間がほとんどなんですよね~。いくら謙虚に振る舞っていても、酒を飲んだらガラッと人格が変わっちゃう人が多いですね。そっちが本性なんだろうな~と思いますね。だったら、日ごろから隠さないでいる人の方が愛嬌があって、いいですね・・・。


 今回は、USA支部長をいろんな人に紹介できました。今後に繋がっていくといいな~と思っています。

 彼が帰る日に、USA支部長と五段位師範代の認定書を渡しました。益々の活躍を祈って・・・。


追伸;アスペクトから出ていた『あなたの知らない武術のヒミツ』が文庫化されることになりました。6月25日に店頭に並ぶ予定です。最近、愛読してくださるようになった方から「読みたいけど、どこにも無い」と言われていたんですが、お求めやすい価格となりますので、是非、御一読くださいませ!

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やっぱ練習が楽しいね

 今週は17日が普通に練習、19日のシダックスは小説講座の同期の女性陣が見学に来られまして、20日の公園の練習も遠方から二人参加されていたので、ちょっと賑やかになりました。

 ここのところ、いろいろ用事が増えてきて、まともに指導できずに北島師範や大石総教練に任せたりしていたんですが、やっぱり、いつものように普通に練習してファミレスでお喋りする・・・というパターンが一番、楽しいですね?

 メイプルホールの練習後も、近くのデニーズに寄ってお喋りして帰るのが毎度のパターンで、それを楽しみにしてくれている会員さんも居ます。

 技術論をすることもありますが、大抵は全然関係ない話になりますね。映画とか時事ネタとか一定している訳じゃありませんが、無関係な話をしていても、やっぱり最終的には武術の話に戻ります。

 日曜日の公園の練習もそうなんですが、こちらは駅前のジョナサンで何時間も粘るのがパターンになっていて、時々、会員がパソコンでネット動画を見せてくれて、他流の研究にもなる大事な時間です。

 結局、ただ練習するよりも、一見、無駄に思える話の中に武術の秘訣が隠れていたりするんで、漫然とお喋りしているだけだと思っている人は、確実に上達に反映しませんね。

 北島師範や大石総教練、小塚師範代、栗原横浜同好会長なんかは、このお喋りタイムの中で私が重要な秘訣を示唆するような話をするのに気づいていて、要するに技の練習をした後の理論の勉強だと認識しているので、時間の許す限り、馬鹿話に付き合います。

 私は、実際に技を習わなくても話しているだけで相手の先生の技を学び取ることができますが、こういう話をすると、「そんな馬鹿なことがあるか! 実際に汗を流して練習してこそ武道なんだ!」と言下に否定する武道の先生が多いと思います。

 しかし、私に言わせてもらえば、そんな考えしかできない人は“能無し”です。いくら努力しても達人の域には一生、到達できないでしょうね。

 要するに、“身体を動かして練習しなければ体得できない”という強固な思い込みがあるから、「頭脳で分析しても体得できるものではない。そんなのは頭でっかちの妄想に過ぎない」と考えてしまうのです。

 私の知る達人の先生方は、優れた遣い手と会うと、その一挙手一投足に注意をこらし、話す内容から実力を測るのが当たり前です。

 佐原先生にうかがった話では、山口清吾先生は、鹿島神流の国井先生に学びに行った弟子から、国井先生の技のことを聞いただけで実演できてしまったそうですが、山口先生ほどのレベルであれば、当然だろうと思います。

 一度もやったことが無くても、技の原理に気づけば、技の形を再現するのは難しいことではないのです。

 例えば、私は逆手斬りや寸勁斬りは誰にも習ったことも無いし、やってみるまで練習したことさえ一度も無かったのです。

「こうやれば斬れる筈だ・・・」と考えて、実験してみただけなんですよ。

 いくらやってもできない人に共通しているのは、感覚が鈍いのと、原理をきちんと理解していないということです。

 私は身体が弱かったんですが、IQがそこそこ高いので、武術と相性が良かったんだと思います。生の腕力に頼らない理詰めで考えられている技術だから、飽きずに続けられたんだと思います。

 もちろん、理詰めで考えた技だけで実戦に通用すると考えるほど、私はものを知らない訳じゃありません。が、まったくの素人が自己防衛を考える場合に、身体で覚えろ式の武道や格闘技では身につく前に続けられないでしょう。

 護身術と武道は別物だと考える人が少なくありませんが、護身術と武術はほとんど同じです。それは、“道”じゃなくて“術”だからです。

“術”というのは、目的を達成するための方法論であり、より合理的な方策を探るものなんですね。

 つまり、護身術とは、より合理的に身を護ることが目的であって、護り方のセオリーなんか本質的には無い訳です。

「相手のこういう攻撃には、こう対処して・・・」みたいな武道や格闘技は、確かに護身術としてはあまりにも不合理な対処法しか持っていません。

 鍛えた技で対処するよりも、咄嗟に周囲の物を投げ付けながら逃げた方がマシだったりするでしょう?

 渋谷駅で口論から刃物で刺された事件でも解ることですが、護身や威嚇のために刃物などを持ち歩いている人間だって世の中には居るのです。

 ちょっとした口論からナイフを出してくるような人間はざらに居ます。そんなのは当たり前のことだと考えていてこそ護身術になるのです。「想定外だった」なんて言葉は危機管理者が絶対に口にしてはならない言葉です。

 シダックスの講座でも、圧倒的に初心者が受講されることが多いので、そういう話をするようにしています。危機に備える意識を持つだけで、危険を回避する確率が上がる筈だからです。

 さて、シダックスも時々、近くのサイゼリヤでお喋りしたりしていたんですが、今回は見学に来てくれた女性陣の感想も聞きたくて、1時間半くらいお喋りしましたね。

 もっとも、この日は北島師範が休んでいたので、ロクに技を実演できなかったんですが、真剣白刃取りの嘘とかいろいろ話をしまして、小説のネタにしてもらえればいいかな~?と・・・。

 どうも、女性の方が知的好奇心が旺盛なのかな~?という気もしますね~。男だと技の威力とかそういうところしか興味を持たない傾向があるような気がします。

 この日は、小説講座の先生が編集者の方と会うので、後で共同執筆する人全員が集まる予定もあったので、一度、帰宅してからもう一度、町田に出掛けてきましたが、何か、有名な武芸考証家の裏話とか聞いて面白かったですよ。

 先日の映画撮影の時の話とかしたり、映画ネタの馬鹿話とか、漫画原作の持ち込み方とか、いろいろ有益な話を聞けました。本当に、もっと早く講座を受講していれば良かったな~と、つくづく思います。

 私はやっぱり、映画とか本とか刀の拵え作るとか・・・なんか“作る”というのが性に合うんですね。

 武術も技そのものは破壊するばっかりでしょう? やっぱり、人を指導して育てていくのが楽しいのかもな~?と思います。

 青木先生は“人を作る”と言ってらっしゃいましたが、武術と書道と瞑想を教えて、人間の可能性を引き出していくところに本当の凄さを感じますね。

 ただ自分だけが強くなりたいと思っているうちはダメだな~と、最近、思うようになってきました。

 日曜日の稽古では、遠方から来ている会員さんに少しでも新しいことを教えておかなくては・・・と思いました。

 だって、ただ基本だけ繰り返しても、わざわざ来た意味が無いでしょう?

 体得できるかどうかは別として、新しい技を体験させて向上心を持続してもらおうと思っています。

 真面目な人は、「基本が大切だから・・・」と、延々と基本をやらせようとしてしまうところがあるんですが、そんなのは自分で気づけば勝手にやるんです。

 基本の練習というのは、自分が必要だと思ったら自分から日常的に練習するようになりますから、道場では次々に新しい技を体験させるべきですね。

 基本の練習を形式だけやっても応用性は育ちません。むしろ、パターンでしか動けなくなりますね。

 重要なのは形式の練習ではなくて中身の感覚を磨くことであり、徹底的に意識を集中して身体内部の感覚を高めていくことが肝心です。

 それができなければ、うちの練習は向いていません。いや、実をいえば武術に向いていないんです。

 私がもう、ほとんど練習していないというのも、外側を動かす必要がないからやらないだけで、意識的に身体感覚を練っているのが習慣になってしまっているからなんですよ。

 筋力にも頼らないので、繰り返し同じ動きをやることそのものが修行の邪魔にさえなりかねないんです。

 つまり、武術の修練は、先に進めば“脳トレ”になるんですよ。

 だから、うちの練習法だと体育会系より文系の人の方が向いているだろうと思います。

 上達する人も、分析能力のある人だと早いですね。

 さて、ジョナサンでいろいろ動画を見せてもらったんですが、ある合気道の師範の動きを見ました。

 その師範のお弟子さんに何人か指導したことがあるんですが、押しなべて動きが硬くてダメだったので、だいたい想像はしていたんですけれど、思った通り、勢いで技をかけており、合気道らしい柔らかく崩すような動きは全然ありませんでした。

 そうですねぇ~・・・、アダモちゃんの、ペイッてやるような動き? あんな感じ。

 想像通りだったのでガッカリはしませんでしたが、これが合気なんだと思ってしまうと残念なことだな~?と、部外者ながら思ってしまいました。

 洞察眼の無い人は、素早く勢いよく技をかけていれば、凄い!と思ってしまうものなんですが、そんな技は猫や猿にも劣ります。

 人間がやる技であれば、リラックスして何の力感も感じさせずにフワリと崩し制してしまうようなコブラ捕りの名人のような技を目指さないと意味がありません。

 まして、やたら早く技をかけていれば、受けをとっている人間に大怪我をさせてしまいかねません。素早く勢いよくやらないとかからないような技しかできない人間は、人に指導してはいけないと思いますよ。

 外国の合気道?の動画も見ましたが、実戦力では日本より上でしょうね? 伝統の形に拘る日本と、形に拘らないで自由に発展させる外国の修行者を比べれば、武術としては外国のやり方が正しいでしょうね。

 発展させないことに意義を求めるのは、日本人の悪しき伝統だと思いますよ。

 例えば、本来の居合術に正座からの大刀の抜きは無かった筈なんですし、とすれば、恐らく明治以降に創作された型の筈。それを伝統だから・・・と何の検証もしないで伝えていくのはナンセンスでしょう?

「日本の武道は伝統文化だから・・・」とか言いながら、その伝統そのものが誤って伝えられている事実に気づかないのでは論外ですよ。

 古流武術のほとんどの流派が古伝そのままの形を伝えてはいませんからね。自覚していない人が多いですが・・・。

「師匠の言葉を疑ってはいけない」という建前論の虚礼が蔓延し、真相を追究する者を排斥してきたのが日本の武術の世界の真相なんですよ。

「武道は礼に始まり礼に終わる」と言いますが、現実は虚礼に始まり虚礼で終わってしまっているんですよ。

 師匠には感謝の気持ちを持ちながら、でも学んだ技は実験検証し、情報は調査して裏付けを取っていく・・・そういう学問的探究心がこれからは必要でしょう。

 そうでないと、ネット社会の膨大な情報量に呑み込まれて、真贋の区別もつかない能無しばかりが増殖し、武術は真価を現すことなく沈没していくばかりでしょうね。

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漫画原作者への道

 小説家デビューを目指して講座に通ったものの、「今は時代小説でないとデビューは無理」と言われて、「そんなら剣豪小説だったらブッチギリだぜぇ~い」と思ったものの、参考に時代小説をいくつか読んでみたんですが、もうね~、時代考証がハンパ無くって、何だか歴史の本読んでるみたいな錯覚が・・・。

 結局、「正直言って、私は時代小説を面白く読めない。ましてや、自分でこういう小説を書きたいとも思わないな~」と思ってしまいました。

 つまり、今の時代小説ブームに乗った形で小説家デビューしても、それを持続していくのがシンドイだろうな~と思うと、一気に創作意欲が落ちてしまったんですが、同時に、「本当に、こんな読むのに疲れる小説が売れてんの?」と思ったんですが、売れてると言っても、せいぜい、三千部くらいが平均なんだそうで、「そんなんじゃあ、食えるようになるには月に2~3冊は書かなきゃ~ダメじゃん?」と、ますます、やる気が失せてしまったんですね。

 でも、「漫画の原作だったらイケルんじゃないか? 漫画だったら売上部数が一桁は違うし、人気が出れば二桁も三桁も違う筈! そもそも、私の考える話は映像的なんだから、小説よりも漫画の方が向いているに違いない。スコーレの編集長さんからも薦められたしな~」と思って、俄然、漫画原作者になる意欲が出てきています。

 小説講座の先生からも、「長野さんは実績があるから賞を狙うより持ち込みの方がいけるでしょう」「漫画原作の方が小説よりデビュー確率が高い」と言われたので、ますます、やる気が漲っている次第です。

 で、漫画原作となったら、王道パターンの武術物なら私の右に出る人は居ない!という自信があるので、剣豪物・現代武侠ファンタジー・ジュブナイル物を考えました。

 剣豪物は小説で書き上げたものがある。現代武侠ファンタジーは設定はできている。

 しかし、王道パターンと言えば、『拳児』『史上最強の弟子ケンイチ』『ツマヌダ格闘街』といったジュブナイルの「主人公が武術を学んで成長する」というものを書くべきかな~?とも思っています。

 このパターンは以前に小説で書いたこともあるんですが、あれって現実のモデルに寄り過ぎたので、ちとドメスティックになり過ぎたんですね。

 もっと違った感じにすべきだろうな~と思ってます。

 それで、内容は別にしてキャラクターが固まればストーリーは勝手に出来上がるという小池一夫先生の理論を用いて、まず、主人公の名前から決めてみようかな~?と思ったんですが・・・。

 何と! 武術格闘漫画の主人公には驚くべき共通点があることに気づいたのです!

 拳児、ケンイチ、ケンシロー(北斗の拳)、剣心(るろうに剣心)、飛鳥拳(空手バカ一代アニメ版)、ケン(ストリートファイター)・・・。

 どうですか?

 お気づきになりましたか?

 そうです。み~んな、ケンから始まってるんですよ。名前が・・・。

 もちろん、ケンじゃない主人公の有名作品もありますね。『男組』の流全次郎とか、『グラップラー刃牙』のバキとか、『修羅の門』の陸奥九十九とか・・・。

 しかし、強い男の名前の代名詞として“ケン”が付くというのは不思議なジンクスがあるのかもしれませんね?

 だって、ウルトラの父の本名だって、“ウルトラマンケン”なんですよっ!

 ケンと言ったら、何か「強いっ!」っていう雰囲気が有るのかも?

 日本には言霊信仰ってのもありますからね。大ヒットを目指すなら、主人公の名前はケンなんとかにしないといかんかな~?と思ったりしております


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塩谷瞬ばっかり何故、責める

 何か、ファミリー劇場で放送している『帰ってきたウルトラマン』の未放送分の、シーゴラスとシーモンスの回が、ようやく放送されたんですが・・・この夫婦怪獣の回って、津波のシーンがあるからダメだったと思っていたんですけど、改めて観ると、こいつら、“津波怪獣と竜巻怪獣”だったことを、すっかり忘れてましたよ~。

 今の時期、津波のショックが和らいだと思っていたら、何と、竜巻の被害があったばっかりの時に、シーゴラスとシーモンス・・・なんて皮肉な偶然の一致なんでござんしょうね?

 でも、夫婦で仲良くジャレ合うシーンなんかもあって、怪獣の夫婦が絆が深いのは『大巨獣ガッパ』の昔から定番ですね。

『オルカ』もそんな話だったっけな~? 夫婦のシャチのメスを殺したリチャード・ハリス演じる船長をオスのシャチが北極まで追い詰めて殺す・・・という、ちょっとフランケンシュタインの怪物に似た展開だったような気がする・・・。

 それからすると、芸能人って、簡単に結婚して簡単に別れるというのが当たり前過ぎて、もう別に何を聞いても驚かなくなりました。

 そういえば、昔、学生演劇の劇団に殺陣指導に行くたんびにラブラブカップルが順繰りに入れ替わってて、唖然とさせられたことを思い出しますが、やっぱり、芝居やってると役に入れ込んで相手に惚れるというのは当たり前に起こるんじゃないかな~?と思いますね。

 特に芸能人って、美男美女の巣窟じゃないですか?

 日常生活で一生に出会うかどうか?ってくらいの美男美女ばっかり日常的に会うんだから、惚れるなって方が無理なんじゃない?

 だいたい、普通に生きてる人間の間で美人だとかカッコイイとか言われている人って、客観的に判定して大したことありません。

 私、プロの役者やダンサーといった人達と付き合いがあるから、普通の生活していて美人だとかカッコイイと言われている人を見ても、「えっ、どこが?」としか思わなくなってしまってですね。

 例えば、顔立ちが整ってるというだけで美人と言うのはおかしいと思うんです。

 X脚で猫背で立ち姿が崩れていたり、歩く姿がギクシャクしてるとかしてるんです。何の訓練もしていない人は・・・。

 顔立ちが同じくらいでも、芸能人って、だいたい、芝居や歌やダンスの訓練したりして日常的に身体をブラッシュアップしているので、何もやっていない人とは雲泥の差が出るんですよ。

 しかも、誰もがそうであるから、そこから売れるようになる人は精神力がハンパ無いし、コミュニケーション能力も磨いているし、やっぱり並の人間じゃありませんよね。

 この、“自分を磨いている”というのが大きな要素であり、どんな分野でも一流になる人は等しくやっていることなんですね。

 特に芸能人にとっては、「色恋も芸の肥やしである」という考え方が昔からある訳じゃないですか?

 愛人が居て隠し子が居て・・・なんて当たり前の世界だった筈でしょう?

 有名な俳優が売れない頃にヒモ生活をしていて女の人に養ってもらっていた・・・なんて話を誰も非難しなかったじゃないですか?

 それなのに、たかが二股かけたくらいで塩谷瞬をそこまでつるし上げる必要がどこにあるのかいな?と、私は、本当に可哀想だな~と思いましたね。

 私も昔、惚れた女に二股かけられてたのが判って別れて以来、どうにも恋愛感情そのものが枯渇しちゃったんですけどね~。

 それがね~。聞いてくださいよぉ~。

「心が狭いっ」って言われちゃったんですよぉ~(苦笑)。

 いや~、当時はムカついたんですけど、今は何か、年とったせいか、「そっか~。やっぱ俺は心が狭かったかもな~?」なんて思うようになりましたね。

 塩谷瞬は、特撮マニアにとっては『忍風戦隊ハリケンジャー』のハリケンレッドで知られていますが、その後はあんまりパッとしてないですよね。

 イケメンが持て囃されても、やっぱり、それだけで渡っていけるほど芸能界は甘くないですからね。

 特撮専門誌に塩谷さんが個人で事務所をやるって記事を書いていたのを読んだ時は、あぶね~な~って思ったんですけど、要するに、今回のことだって彼を守ってくれる人達がいなかったから袋だたきにされたんじゃないか?と思いますよ。

 それに、彼は真相がバレてからも相手に直接、謝りに行ってるじゃないですか? 逃げ回ったりしてないだけでも、非常にいいヤツだと思いますよ。

 実は、先日、塩谷さんが主演したSF映画『ロボロック』を監督した友人と会った時に、「心配してメールしたら、ちゃんと返事が返ってきた。あいつはいいヤツなんだよ」って言ってました。

 もうイケメン・キャラは無理でしょうけど、“かまってちゃんキャラ”とか、そういうリニューアルをやって芸風を確立してしぶとくサバイバルしていって欲しいですね。

 禍福はあざなえる縄のごとし・・・ですよ。

 頑張れ、ハリケンレッド!

PS;やっぱ、ハリケンブルーにもちょっかい出してたのかな?


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聴勁セミナー感想

 5月の月例セミナーのテーマは、読みの中でも“触”感覚(聴勁)でした。

 4月の読みは“目付け”ですから、実はまだ解り易いやり方なんですね。説明するのもさして苦労しないし、小林先生に教わって以来、自分なりにいろいろな応用を工夫実験してきたので、“目付け”に関しては恐らく武術界で私が一番、研究しているかもしれませんね?

 例えば、ボクシングでは肩を観ろと教えますが、古流剣術では右拳を観ろと教える流派が多いんですね。

 ところが、比較的知られているやり方であれば、必ず研究されて通用させなくされたりしますから、私は次から次に観る箇所を変えて研究したり、自分が攻撃する時に予備動作が出ないように動く訓練とか、いろいろやりましたよ。

「相手の眼を観る」という目付けも、別に間違いではないのです。中級の術者くらいまでなら、攻撃の意識は眼の変化として顕在化しやすいからです。

 これは、武術だけでなくて人付き合いでも役立ちますよ。

 眼は口ほどにものを言う・・・というのは本当のことです。男だと相手の表情の変化とか気にしない人が多いですが、女性は細かく観察していますよね~?

 整体師には相手の姿勢を観てどこが悪いとか言い当てる人もいますが、武術もそういう観察眼が無くてはダメですよね。

 この点は、友寄先生から細かく注意を受けましたが、「え~、そんなところまで観抜けって言うんですか?」って、随分、驚いたものでした。

 武術も、そういう領域に入っていくと、もう完全に学問の世界になる訳ですよ。

 セミナーの前日には佐原先生とお会いしていろいろお話をうかがわせていただきましたが、やっぱり、武術で一角になる人は頭が良い人だよな~・・・と思いましたね。

 また、そういう学問的な対象と思って取り組むと、武術はいろんな領域に跨がっているので、非常に面白いものだと思います。

 さて、そんな中でも、今回の聴勁は、有り体に言えば、感覚を研ぎ澄まさないといけない訳で、目付けと違って、感覚が鈍い人だと教えてもどうにもなりません。

 特に、ガシガシ組手試合をやってきたような人ほど、体得が難しいようですね。

 どうしてか?というと、我を殺して相手の加えてくる(加えようとする)力の流れを読むために、最初は推手から始めるのですが、これを押し合いと解釈してしまうと全然、違う方向へと進んでしまうからです。

 太極拳の推手が何故、あんなゆっくりと柔らかく脱力して行うか?というと、そうしないと相手の力の圧力と方向が判らないからですよ。

 ところが、日本で多くの団体でやっているのは、単なる崩し合いのゲームとなったり、形式だけ練習して“型”をやっているだけ・・・。

 はっきり言って、そんなことやっていても時間の無駄ですね。

 聴勁の訓練は、あくまでも“読み”の技能を磨くものであって、攻撃の力の大きさ・流れ・方向などを皮膚感覚で読めるように訓練し、それを全身のどこでもできるようにし、さらに離れたところからの攻撃の意識を感じられるようにしていくことが大前提です。

 あるいは、西野流呼吸法の対気の練習みたいに、足を止めて互いの正中線上を押し合い“相手の気を受けて飛ぶ”・・・といった催眠暗示訓練法へと改変されてしまう場合もありますが、知識と見識の無い人達ほど簡単に騙されてしまったりする訳ですね。

「あれっ? これって推手の改悪じゃん?」と気づく人がいたって少なかったのは、それだけ推手訓練の意味を理解している人が少なかったことも関係あるのか? あるいは推手そのものを練習する団体が希少だったからかもしれません・・・。

 もっとも、私も最初は、「こんなヌルイ練習していたって空手やボクシングの素早いパンチには通用しない」と思っていました。

 しかし、推手と差し手の訓練を併用し、接触した瞬間に相手の体勢を崩す・・・ということを意識的に追究してきた結果、聴勁も非常に使える技術であると考えるようになりました。

 特に小柄な日本人が海外で身体の大きな屈強な男と戦う場合、聴勁は大きな味方になるでしょう。

 つまり、“相手の攻撃を食らわない”のが絶対条件になるからです。


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DVD-BOX発売記念セール!

 6月20日に、クエストさんから出ていた『武術秘伝の原理』『武術秘伝の活用』『武術秘伝の戦略』をまとめたDVD-BOX『游心流・武術秘伝伝授』が発売されます。

 デザイン・チェックで確認したんですけど、最初のが2006年、二巻目が2007年、そして三巻目が2009年に出していたんですね~・・・。

 正直言うと、その後、相当、研究が進んでしまったので3年以上も前の技を自分で見直すと恥ずかしいものがあるんですが、項目を見直すと、随分、盛りだくさんでやっていたんだな~?と、我ながら驚きます。

 無論、売れていないとBOX仕様にはなりません。専門誌に全然出ていない人間のDVD-BOXが出るということそのものが初だと思います。

 税込み¥15750ですので、宜しくお願いします。


 さて、せっかくなんで、その後の技の進展も、より多くの方に観てもらいたいので、DVD-BOX発売記念に自主製作DVDのセールもやりたいと思います。

 二巻同時に購入される方に限って半額にしようと思います(一巻だけの半額は無し!)。
 例えば、『戦闘理論』と『独己九剣』を同時購入の場合、45000円を22500円になる・・・という具合です。『戦闘理論』を単体で買うより、ずっと安くなります。

 セールは本日からDVD-BOXが発売される6月20日の前日、6月19日まで実施しますので、この機会をお見逃し無く~!


 あっ、そうそう。「長野さんのDVDはえらい高いからな~」と言う人もいるんですが、高いと思う人は価値の解らない人でしょうから、そういう人は買わなくて結構です。

 価値のあるものは高いのが当たり前です。激安2000円のダイヤモンドをプレゼントされて喜ぶ女がいますか? 「バカにすんなよっ」って怒るでしょ?

 私は価値の解る人しか相手したくありません。“高い”という感想は、価値が解らないから出てくるものであって、例えば、刀屋さんで75万円の虎徹を見て、「うわっ、流石に虎徹って値段が高いな~」と思うか、「うわっ、本物の虎徹がこんな安い値段の筈がない。偽物に違いない」と思うかでしょう。

 もちろん、前者は刀のことを何も知らない素人であり、後者は相応に刀の相場を知っている人の感想です。

 一般的な武道のDVDは5000円ちょっと。その相場からしたら、うちの自主製作DVDは馬鹿高いです。

 しかし、値段が高いのは、それだけ中身の情報の質が、武術に詳しい人が観たら価値が解るようなレベルだからであり、最初から価値の解る人向けにしか作っていません。

 つまり、武術に関する洞察力の無い人にとっては、ただ値段が高いだけのものにしか思えないでしょうね。

 だから、価値の解らない人を排除する意味もあって、最初から値段を高く設定しているのです。

 それでも、こうやって、時々、割引セールをやっているのは、価値が解って買いたいんだけど、お金が無い・・・という若い人たちにも、何とか買ってもらいたいな~と思うからです。

 私は、本当にやる気のある人なら無料で教えるのもやぶさかではありませんし、実際に真摯に武術を知りたいと思っている人には無料で教えたりしています。

 が、最初っからタダで教えてもらおうとするような武術マニアは門前払いしてます。

 不思議なもので、武術マニアにタダで教えると、タダで教えてもらって当然だという自惚れた精神構造になるんですよ。お金を払うのは感謝の気持ちを形にしているんです。

 私が小林先生に日本刀を贈らせてもらったのも、実は当時、貧乏ライターだった私は無料で教えていただいていたんですよ。それに、そればかりでなく、本当にお世話になりましたからね。

 それを「感謝しています」の言葉だけで済ます訳にはいきませんからね。

 恩返しできるだけになったら、ちゃんと恩返ししないと男じゃないですよね。

 世の中、恩知らずなヤツが多いな~とは思いますが、私はそんな連中と同列にはなりたくないですね・・・。


追伸;新陰流転會に正式に入会し、蟇肌撓いも入手! やったー!



--- 事務連絡 ---

『游心流武術健身法 独己九剣の応用秘訣』 DVD-R 本編:53分
価格 15,000円 (送料はこちらで負担致します。)

・『游心流武術の戦闘理論~読み・歩法・交叉法~』 DVD-R 本編:53分
価格 30,000円 (送料はこちらで負担致します。)

『発勁と化勁 原理と用法』 DVD-R 本編:1時間26分
価格 15,000円 (送料はこちらで負担致します。)

・『游心流武術健身法 上級 教材DVD』 DVD-R 
価格 20,000円  (送料はこちらで負担致します。)

・『游心流武術健身法 初級・中級 教材DVD』 DVD-R 
価格 20,000円  (送料はこちらで負担致します。)

 

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などが考えられますので、確認の上再送信を御願い致します。

毎度ですが、必ずYahooメール受信不可の方がいらっしゃいますので、よくよくのご確認をお願い致します!

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『SPEC~天~』観てきました

 仕事も、ちょっと一息ついた感じで暇ができたので、久しぶりに地元のMOVIX橋本で映画を観てきました。

 TVドラマが面白かった『SPEC』の劇場版。

 加瀬亮のSIT出身の謹厳実直な瀬文刑事と、戸田恵梨香の左手にSPECを持つ当麻刑事という対比が面白かったし、毎回のゲストの持つSPECがどんな超能力なのか?という興味もあって、ちょっと怪奇大作戦風でもありました。

 もともと、あの『ケイゾク』の続編という触れ込みで始まったドラマ・シリーズでしたが、世界観は全然別物で、まあ、金庸先生の『神雕侠侶』と『倚天屠龍記』くらいに違うという感じでしょうか?(って、誰もわかんないか?)

『ケイゾク』は、まだ刑事ドラマとしての現実味がありましたが、『SPEC』はエヴァみたいに陰謀史観が入っていたり、新人類と旧人類の戦いという仮面ライダー・アギトっぽいところがあったりします。

 あっ、今、書いてみて気づきましたけど、『SPEC~天~』はアギトそっくりかもしれませんね?

 神木クンも出てるし(神木クンがアギトに出演していたのはマニア間には有名)、神なのか大天使なのかわからないような謎のキャラも出てくるし、当麻がアギトだったと思えば、納得?

 世界の終末を思わせるエンディングながら、堤監督はユーモア・センスが強過ぎて、深刻な感じにはならないんですね。

 役者が熱演してても、無理やりギャグが挟まるところが持ち味で、観終わってもドヨ~ンとした気分にはならない。

 何か、韓流の作品なんかはドヨ~ンとした気分にさせられるものが多くて苦手なので、観なくなってしまったんですが、無理やり明るく終わる昔の香港カンフー映画とかが好きな私としては、堤作品のシャレの効いたテイストは好きです。

 特に、脇のキャラにまでインパクトある演技やセリフを言わせて印象に残るようにする演出法は、出演している役者さん達には嬉しいんじゃないでしょうか?

 例えば、デカレンジャーでデカレッドを演じていた載寧龍二に、「デカレッド」と言わせるとか・・・?

 重いシーンを軽く受け流すギャグ体質なところには、親近感を覚えますね。

 私も、去年、青木先生のお誘いで参加させていただいたチャリティー・イベントで、ギャグ・テイストの解説をしながら会員に演武させる・・・という“演出”をしたんですけど、何か、「武道だからって糞真面目に真剣に演武しているのを観客に見せて面白いのか?」と前々から思っていたんで、“お笑い”を入れた演武とかやって真面目な人に顰蹙を浴びつつウケを狙う!というアバンギャルドな芸風を追求したんですけどね~?

 余談ながら、近藤等則さんは、それを見て御自身が客員教授をやっている大学の講義に私をゲストで呼ぼうと思ったそうで、チャレンジャーですよね? 普通、あんなフザケたヤツに頼もうとは思わないでしょうけど・・・っうか、私、ついでに無刀取り演じただけで自分じゃ演武やってないですからね・・・。

 いや~、なんか、武道の演武って、物凄く厳粛な顔して真剣にやらないといけない・・・みたいなイメージを持ってる人が多くって、親しくなった小説家の方にDVD贈ったら、概ね、誉めてくださったんですけど、「一か所だけ、先生が笑いながら解説していたところがいけません!」って言われて、ええ~?って思っちゃいました。

 そんなこと言われると、セミナーの時とか稽古会の時はバカ話しながら教えているんで、面食らわれるだろうな~?と思いましたよ。笑いながらやった方がリラックスして動きは良くなるんですけどね・・・。


 思うに、堤監督も、照れ屋なんじゃないかな~?と・・・。真面目腐って芝居しているのを見ていると、いたたまれなくなるんじゃないでしょうかね?

 今回の『SPEC~天~』で完結してもおかしくないけれども、後、一回は完結編がありそうなので、それはやっぱり楽しみです。

 ちなみに、椎名吉平演じる“津田助広”って、江戸時代の有名な刀工の名前がモデルだと思います。初代は“そぼろ助広”、二代は“津田越前守助広”。大阪新刀の代表的刀工として有名なんですね。

 マニアックな言葉遊びが好きな堤監督らしいところですが、脚本の西荻さんのアイデアなのかもな~?

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『ミリタリーむすめ』銃設定考

「長野さん、映画に出たって本当?」と、ブログ読んだ人からよく聞かれるんですが、自主映画時代の知り合いで、今は映画などのプロデューサーをやっている友人から声を掛けてもらって、スマイル学園主演の映画『ミリタリーむすめ』に銃器アドバイザーとして参加した訳です。

 もちろん、私が本当にやりたかった仕事は映画製作でしたから、否の応えをする筈もなく、即決で参加を決めた次第でしたが・・・。

 まあ、撮影も無事に終わって、後は公開するまでの宣伝にも多少なりとも協力したいので、書ける範囲で書いてみたいと思います。

 どんな作品か?というと・・・

「日常の中に入り込んでくる非日常」としてのSF風味のある作品ですね。だとしても、アニメじゃなくて実写ですから、中学生女子が本物の銃を撃ちまくるという荒唐無稽さではなく、日常的な風景の中で描かれなくてはならないということで、結局、80年代からずっと続いているミリタリーとサバイバルゲームの愛好サークルという設定を活かし、キャストにはガスガンと一部電動ガンを持たせることになりました。

 もっとも、サバイバルゲーム愛好家って、よく刑事物などで変質者的Gunマニアとして描かれることが多く、そのイメージを緩和するのに“スマイル学園”の面々のキュートなルックスが大いに役立っていたと思いますね。

 いや、本当にひいき目じゃなくて、実際にカワイイんだもん。見た目だけじゃなくて性格もカワイイし、苛酷な現場でも誰も文句言わないしね~。主役のみなみを演じた飯田ゆかさんは風邪ひいて相当、シンドイ感じだったんですけど全然、弱音吐かないし嫌な顔しない。おっとりした感じなのに、本当にプロフェッショナル! もちろん、彼女だけじゃなくて全員がそうでしたけどね。

 企画当初は、ミリタリー・マニアっぷりをもっと出そうという感じだったんですが、製作費とか期間とか諸事情で、むしろ『ガンスリンガー・ガール』みたいなアニメ的な表現になったように思いますね。

 まず、主人公のみなみは、コテコテのミリタリー愛好家という設定なので、旧日本軍の南部14年式後期型(手袋をはめたまま引き金が引けるようにトリガーガードが大きくなっている)を持たせました。

 この銃は70年代くらいまでは旧日本兵が隠し持っていた拳銃という設定なんかで刑事物なんかによく出てました。前期型と後期型はトリガーガード(引き金の周りの円い部分で用心金と呼ばれる)の形で区別できますが、封印作品となっている怪奇大作戦の『狂鬼人間』で、狂わせ屋の罠にかかって一時的に発狂してしまった岸田森演じるSRIの牧史郎が、この拳銃を発砲しながら街を駆け巡る・・・というアブナ過ぎるシーンがありました。

 対する生徒会長の玲は、スコーピオン・サブマシンガンの二丁撃ち。高笑いしながら撃ちまくる姿はインパクト大。多分、作中で一番、目立っているんじゃないか?と思いますね。玲を演じた櫻井杏美さんは『マジスカ学園』や『牙狼』にも出ていたそうで、演技力とキャラクター性の強さで見事にライバル役を演じてましたね。

 参謀格の吉乃は、難しい長台詞を覚えなければいけないから、特に演技力のある人を・・・と監督が選んだだけあって、演じる山田あみさんは見事でしたね。中学生とは思えないマニアックな知識の持ち主という設定から、ワルサーP38ニッケルシルバーを持ってもらいました。

 P38といえばルパンの愛銃として有名ですが、ミリタリー・マニアにとってはドイツ軍の名銃としてオールド世代には人気が高い銃です。半自動式拳銃に初めてWアクションを組み込んだ拳銃としても有名で、現代のオートマチック拳銃の多くが、P38の機構を継承しています。

 寡黙なマーシャルアーツの遣い手の葵は、唯一、銃に頼らない。その代わり、サバイバルナイフを愛用してます。無論、中学生なのでナイフはゴム製。葵はまったく喋らない役なんですが、だからこそ逆に演技力が無いとダメ!と、監督が選んだのが今井花凜さん。

 唯一、格闘アクション・シーンもあって、ここは私が殺陣演出をして、相手役もやりましたが、蹴った痕が私の服に着いたから・・・と、凄く心配してくれて、優しい性格でしたよ。

 ちなみに、スマイル学園の面々は日頃からダンス練習しているから、総体的に身体能力高かったですね~。アクション演じる人は特別、運動神経のある人を・・・と思っていたものの、全員、そんなに差が無かったんです。

 芸能人って、普通の人間からすると天才的な才能の持ち主だと思いますよ。外見がカワイイのは当然として、それだけでは、到底、無理でしょうね~。

 大作アクション物にもそのまま出れそうなスナイパーの真希は、44オートマグを愛用してます。しかも、『ダーティハリー4・サドンインパクト』でクリント・イーストウッドが使った8インチのロングバレル。

 そして、実銃は2km先まで狙えるロングレンジ・スナイパーライフル、408チェイタック(シャイタック)M200を駆使するシーンは本作の一、二を争う見所ですよ!

 何つっても、真希役の黒木舞花さんが長身でクールでカッコイイんですよ~。現場でカメラのぞかせてもらった時に、思わず「カッコイイ~・・・」ってため息が出ましたよ。

 何しろ、対戦車ライフルみたいに馬鹿デカイ銃なんで、10代前半の女の子が持ってもサマにならんだろう?と思っていたんですが、これが実に似合っていました。これだけデカイ銃がサマになる女優さんって、他に居ないんじゃないかな~?

 もっとも、本人的には左利きなんだそうで、かなり扱い辛かったらしいですね・・・。

 このチェイタックM200は『ザ・シューター/極大射程』にも出ている重機関銃用の50BMG弾をボトルネック改良した超長距離狙撃用408チェイタック弾を撃てる銃をモデルに、香港のARES社がエアーガンとガスガンのコンバージョン・モデルとして製品化したもので、正価だと32万以上もするフルメタル製品。多分、高過ぎて売れないから他社が権利を買ったんじゃないか?と思うんですが、他社から廉価版が出てました。

 私は自主映画撮る予定で98000円のセール価格で売られていたのを買ったんですけど、まさかプロの映画のステージガンで使うことになろうとは・・・?

 余談ついでに書きますと、湾岸戦争以後、現在、1km以上を狙えるスーパーロングレンジ・スナイパーライフルの需要が高まり、以前は50BMGを使うバレットやマクミラン、ヘカートなんかが使われていたものの、50BMGは元々が重機関銃用の弾丸なので精度がちと足りない・・・ということで、超遠距離が狙えて精度が高い弾丸が研究されて、その中で408チェイタック弾も作られた訳ですが、広く使われるようになりつつあるのは、338ラプアマグナム弾で、弾丸の直径はオーソドックスなスナイパー用ライフルのレミントンM700などに使われる308ウインチェスターとほとんど変わらないものの、薬莢の大きさと弾頭の長さは圧倒的に大きく、精度も高いようです。

 後、発砲シーンは無いんですが、ミリタリー研究会の遥香(北村真珠)はレミントンM700。

 美由(羽矢有佐)はウイルソンLEとハイキャパ4.3デュアルトーンというコルトガバメントのカスタムガンの二丁遣い。

 謎の美少女・愛(田谷菜々子)は持ち銃無し(理由は本編を観れば判りま~す!)。

 玲が率いる生徒会の面々も、ミリタリー趣味は無い筈なのに重武装!

 万里子(井咲碧海)は西部劇仕様の古銃レミントン・バントライン・カービン。

 香(内田美衣)は逆に最新式のM4ナイツカスタム。

 中学生とも思えない?小柄な姉妹の姉、弥生(永島穂乃果)は、かの有名なかつての世界最強拳銃弾44マグナムの実に三倍のエネルギーを持つ50口径のマグナム弾が撃てるS&W・M500と、シティハンターの愛銃で有名なリボルバーのロールス・ロイスと異名を取ったコルト・パイソン357マグナムの8インチ・ハンターモデル。

 妹の皐月(岡崎いちご)も負けじと、スタームルガー・スーパーブラックホーク44マグナムの10インチ・ロングバレルのステンレスシルバーモデルと、『ドーベルマン刑事』の愛銃7.5インチの通常ブラックモデル。

 この姉妹は小さな身体に巨大なマグナム拳銃の二丁遣い(と、黒グラサンとゴーグル)というアンバランスさ。

 それから、ナチスの秘密兵器ハウニブを守る旧日本軍兵士の老人三人組の銃は、リーダーの治五郎(白木みのる)が38式歩兵銃。

 松尾(谷口英俊)がルガーP08アーティラリーモデル。『ルパン三世カリオストロの城』で峰不二子が持っていた拳銃です。

 私が演じた田沼(このために髭伸ばしたんだよ~)は、モーゼルM712にホルスター付きストックを取り付けたもの。

 モーゼルは『殺しが静かにやってくる』『殺しのライセンス』等々、多くのアクション映画に登場してますが、『狙撃』で主人公を追い詰める殺し屋の森雅之が使っていたのがマニア間で有名。主人公の加山雄三は単発式の特殊拳銃、スタームルガー・ハウキイ256マグナム(別名ホークアイ)を使って対決してました。


 老人三人組の銃は本物という設定ながら、スマイル学園演じる美少女中学生軍団は、法定基準威力に調整されたガスガン、エアガン、電動エアガンを使う設定となってます。

 選んだ銃器は、ミリタリー設定とはいささか掛け離れた物になってますが、これらがもし実物だったら?・・・前代未聞のGunアクション映画になっていた・・・かもね?


 それから、ネタバレになったら困るので、書けるギリギリで裏設定について書くと、この作品、ナチスの遺産を巡るSFでもあるんです。

 ナチスを結成したヒトラーがオカルトへ傾倒していたのは有名な話で、現にナチスの前身はオカルト秘教結社、トゥーレ協会だったのは有名。

 親衛隊のハインリヒ・ヒムラーもルーン文字の呪力を信じていたり、ヒトラーに憧れていたというオウム真理教の松本と似た精神構造だったと思われます。

 そもそも、当時はブラバツキー夫人の神智学が注目され、ルドルフ・シュタイナーが人智学を立ちあげ、悪名高い黒魔術師アレイスター・クロウリーが活躍した時期で、魔術的世界観に憧れる知的エリートが多かったんでしょうね。

 ナチスが次々に特殊な新兵器を作り出していたのも関係が無かったとは言えません。

 オカルト話はヨタ話と簡単に決めつける知識人は多いんですが、日本だって戦争末期には密教の秘技でアメリカ大統領を呪殺しようとしていたんだし、火の無いところに煙はたたないのでは?

 芸能人の占い師頼りを笑えないのが、この世の現実なんですよ。


 それと・・・撮影している時は気づかなかったんですが、撮影後に思ったのは、この作品、黒沢明監督の『七人の侍』に『隠し砦の三悪人』、それに『未知との遭遇』のニュアンスが入っているな~?ということ。

 御承知のごとく、『七人の侍』は、多くの亜流作品を生み出しています。『荒野の七人』『宇宙の七人』『七人のオタク』『Vマドンナ大戦争』『セブンソード 七剣下天山』といった具合・・・。

 あ~、そういえば・・・打ち合わせで監督と話している時に、『七人のオタク』について語ってましたね~?

 奇しくも、ミリタリー研究会のメンバーは、謎の美少女、愛を入れて七人。

 やっぱり、意識的だったのか?

 もっとも、テッポウを使うから『荒野の七人』が近いんですけれども、邦画マニア間で隠れファンの多い『Vマドンナ大戦争』に、ちょっと似てる感じもしますね。

 あの作品はハードバイオレンスな描写から、全体的に暗い印象で闇に埋もれてしまった傑作だったんですけれども、『ミリタリーむすめ』はアイドルの萌え要素がテーマ。

 必然的に猫カフェ・ムード?が漂う、まったりしたコメディが基本ライン。

 しかし・・・ロケ現場は苛酷を極めていました。全員、体調を崩してました。

 あの状況で笑顔と挨拶を忘れず、撮影の合間も歌って踊るスマイル学園の面々のド根性には、ただただ、感動!でしたね~。

 ロケ現場に同行していたプロデューサーも、帰りに御一緒したんですけど、「あの子たち、改めて見たら、メチャクチャ、カワイイな~」って、何度も言ってました。

 私、本当に早く完成した映画が観たいんですよ~。モーニング娘。の初主演映画の『モーニング刑事』より面白いと思うんですけどね(っつうか、観たこと無いんだけど)。

 皆、メジャーになって活躍してね~。「俺、この子たちと仕事したことあるんだぜ」って、飲み屋で自慢するからさ~。


PS;この『ミリタリーむすめ』は、製作支援サービス・上映イベントサービスを展開するドリパスによる作品です。ドリパス支援者には特典が付きますから、関心のある方は是非、宜しく!

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『こんな自分がイヤと思ったら読む本』

 游心流を1999年に興してから今年の秋には14年にもなりますか?

 結構、時間が経過するのは早いものですね~。

 つい、この間まで「10周年には何かやろうか?」なんて北島師範と話していたのが、忙しさにかまけて、すっかり時間が経ってしまいました・・・。

 まあ、これだけ続けていると会員の入れ替わりも多くありましたし、問題を起こして破門にした人も何人か居ます。

 無論、自然消滅した人も、自分から退会を願い出て去っていった人も何人か居ます。

 忘れた頃に、ひょっこり顔を出す方も居ますが、常連で来ている中では北島師範と横浜同好会の栗原さんが8年くらいで最も長くやっている会員ということになりますか?

 発足当初から残っている人は、ほとんど居なくなってしまいましたが、自身の仕事が軌道に乗って来られなくなった人も居ます。

 そういう人は、自身の仕事で活躍してくれていれば、それが何よりも嬉しいことです。
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 この『こんな自分がイヤと思ったら読む本』(現代書林)の著者の片寄陽平さんも、自身の整体治療院の仕事が忙しくなって、来られなくなっていた御一人で、律義な性格なので、「通えないのに会員で居るのは失礼なので・・・」と退会の旨を言われていたのですが、私の方から、「お願いですから、辞めないでください」と、後にも先にも、こっちからお願いして名前だけでも残しておいてくれと頼んだ唯一の人です。

 正直、私は退会したいと言う人を止める気持ちにはなれません。

 やる気の無い人に教えても身につかないし、游心流に学ぶ以上は、ぶっちぎりの超達人を目指していただきたいからです。

 游心流でネット検索すれば、誹謗中傷のオンパレードだったりするそうで、その中には元会員と称する人も居ますが、私は、「面と向かって文句を言えない恥を知らない連中は勝手にさえずってなさい」としか思っておりません。

 ですが、現実に実力の無い会員が増えれば、「やっぱり、游心流なんて大したことないじゃないか」と嘲笑されてしまいますから、私は中途半端な実力で自己満足するような会員は居てもらいたくないのです。

 武術は中途半端に身につけるのが一番、危ない。狭い世界で自惚れていれば人生を無駄に費やしてしまいかねません。上達することに関しては、徹底的に貪欲である方が良いと思いますね。常に自分の限界と向き合うことで本当の謙虚さが得られると思います。

 自己満足で武術を楽しみたいだけの人は、それに見合った道場や教室はいくらでもあります。「強いとか弱いとか関係ない。自分が楽しいかどうかだけが大切なんだ」と思っている人は、そういうところに通われたら充分でしょう。

 別に、そういう考えが間違っていると言うつもりはありません。私はそういう自己満足でやりたい人の考えが個人的に好きじゃないし、そういう人には教えたくないというだけの話なんです。

 ちょっとずつでも上達し続けていれば、後は長く続ければ続ける程、より高みに到達することができます。「このぐらいやれば充分」というのは有り得ないのです。

 私が武術に求めているのはリアルな戦闘技能であり、それは一度しかない人生を外部から抑圧されて忍従して生きるのではなく、誰からも支配されず、誰も支配せず、自分の理想とする人生を真っすぐ生きていくための精神的支柱であり具体的な防衛術として位置付けているからで、生きて行くあらゆる局面に応用できるものでなくては意味がないからです。

 だから、単に習い事であるとか伝統文化であるという認識だけに留まらず、様々な危機的状況に対応する豊富な戦闘技能やサバイバル技術を持っていないとダメだろう?と思っている訳です。

 こう考える切っ掛けは、中学時代の校内暴力の体験にありましたが、人間、一皮剥いたら自我をぶつけて暴力で押し通そうとする野性の本能が厳然として有ります。

 やっぱり、九州の男だと子供の頃から殴り合いの喧嘩は誰でもするし、話し合いでカタがつかないのが男の世界だったりしますよ。

「殴り合いの喧嘩なんか一度もしたことが無い」と言う人も居ますが、私には理解に苦しむばかりですね。「自分が体験したことが無いから現実にも有り得ない」という考え方そのものが不合理でしょう? 

「痛い思い、危険な体験をしたことが無い」というのは自慢にはなりません。もし危険な状況に陥っても対処法を知らないし考えたこともない・・・と言っているに等しいですからね。私が女で武術とか知らなかったら、こんな頼りにならない人とは知らない土地を一緒に歩きたくないでしょうね。

 今や、東京を大地震が襲うことも、富士山が爆発することも、それが現実に起こっても誰も「そんな馬鹿な?」とは言わないでしょう。

 私が武術に関心を持ったのは自然な流れでしたし、少なくとも男と生まれて武道や武術にまったく興味が無いという人の心性は理解に苦しみます。

 いや、正直言えば、大抵の人が憧れる気持ちは有るでしょう。ただ、「自分にはムリだ」と思っているから学ぼうと考えないだけです。

 実際、私も、まさか自分が武術を生業にするようになろうとは夢にも思いませんでしたよ。

 何しろ、運動神経はクラスで下から何番目って感じでしたし、何よりも体育が嫌いでしたね。

 もう、TV見たり何か作ってる方が好きでしたね~。

 でも、それでも土地柄から喧嘩はそこそこやる訳ですよ。で、体育は苦手だけど喧嘩はそこそこできる訳です。相撲なんかも結構、強かったんですよ。

「あれっ? 武道だと結構、できるかも?」と思いましたよね。で、相変わらず普通の運動とかスポーツは苦手なんだけど、武道的な動きだけはできた訳です。

 周囲を見回しても、私と似たような人がいましたね。

 どうも、一般的なスポーツと武道はちょっと違うぞ?と思って、自己流で、ずぅっと練習し続けて、結構、鍛えてましたね~。

 そのお陰で、道場に通うようになってからも上達は早かったと思います。

 ただ、スポーツ的な根性主義でやらされると全然、ダメ! もう、向いてないんです。

 向いてないから、「これはもう、自分でやり方を考える方が合理的だ」と思って個人的に研究会を始めて、それが游心流になっていった訳です。

 私のように運動神経が鈍くて体力も無い根性も無い・・・という人間の方が圧倒的に大多数の筈ですが、残念ながら一般の武道や格闘技は、そういう人が上達できるシステムではありません。だから、私は新しいシステムを作ったんですね。


 まあ、何事も止めずに長く続けていれば、それなりの形になっていくものです。

 自信持って言いますが、今、游心流が武術として最も進んでいると思っています。得られる限りのデータを集めて技術を原理的に分類再編成して新しくシステム化しましたからね。

 伝統的な武術は文化として完成されているけれども、やはり現実の今の時代に対応してはいません。

 現代的な武術流派の場合も、下手に運動構造の違う現代武道や格闘技を組み合わせてしまったがために戦闘理論がどっちつかずになってしまっている流派をよく見かけます。

 あるいは、戦闘理論そのものが備わっておらず、武術の理合を身体の操作法だと短絡的に理解してしまっている人も多いようですね。

 空手にしろ合気道にしろ、本来の戦闘理論を知らないまま、形式だけ練習してしまっている事例が大半だろうと思います。武術をスポーツと勘違いしてしまったからですね。

 いやはや、実にもったいないことです。唯一の希望は、まだ達人と呼べるに足る先生がいろんな流儀に少数は残っている・・・という点だけでしょうか?


 さて、本論に戻りますが、片寄さんの著書『こんな自分がイヤと思ったら読む本』の骨子となっているのは、身体の問題も含めて、「心のサビ」を落とすことで悩みは自然に解消していく・・・という単純明快な理論です。

 これは、要するに、“心法”について優しく解説してくれているのです。

 一読、よくありがちなスピリチュアルヒーリング系の自己啓発本のように解釈しがちですが、この本は、そういうマインドコントロールを説いた本ではありません。

 心と身体、その奥にある魂と呼ばれる根源的な意識の仕組みについて平易に説き明かしているのです。

“心のサビ”というのは、的確な表現で、肉体の老化の一つが酸化であることは、今日、広く知られるところです。

 細胞が酸化していくのと同様、心がネガティブな思考に侵食されていくことで悪因縁を招き寄せてしまう・・・というこの世の法則性を、この本では説いているのです。

 仏教的に言えば、唯識論ですよ。

 何カ月か前、うちの会員が片寄さんの活動をインターネットで調べて、「何だか、教祖様的になっているみたいです」なんて心配していたんですが、今回の本を読んで、杞憂であったと安心しました。

 カルト的になるということが必ずしもマイナスに作用するのではなく、結局、主宰者の方向性の問題なんですね。

 何らかのイデオロギーに従うのは人間の本能のようなものであり、誰もが自分の好みの考えに従って生きていて、それに反する考えを持つ人を非難したがってしまうものです。

 重要なのは、考えの違う人を容認できることです。“違い”を認められること。

 以前、片寄さんを個人指導した時に、当時、うちの会の内部が揉めていて困った状態であったことから、彼に愚痴をこぼしたことがあったんですが、その時に、「長野先生は自分でやる気になれば何でもできますよ。運気は自分でコントロールできるものです」と、キラキラ光る目でサラッと言ってくれたことが、その後、大いなる自信になって、迷いを払拭してくれました。

 そして、彼の言う通り、自分で自信をもってやってきたことが、ことごとく良い循環になってくれています。

 だから、形としては私が彼の先生の立場になり、実際に彼も私を尊重してくれましたが、実質的には、私の方が彼にどれだけ気持ちの上で助けられたか?ということなのです。

 今回、初の著書を贈ってもらい、本当に、こんな嬉しいことはありません。しかも、内容が本当に素晴らしい! 私の本の何十倍も良い! 今の世の中に、本当に必要な内容を説いてある本です。

 先日、RAKUDOの公演を観た時にも感じましたが、こんな素晴らしい人達が游心流に関心を持ってくれた・・・という事実が、本当に有り難く誇らしい気持ちなのです。

 あるいは、私に反感をもって離れた人達であっても、やはり、社会的に認められる業績を挙げてくれた方が、嬉しいですよ。むしろ、「どうだ! 長野!」と言ってくれた方が、悔しさよりも「参りました!」という気持ちになれるでしょう。

 だから、陰に隠れて陰湿な誹謗中傷をするしかできない何とも情けないヤツばっかりで、「あ~、俺はこんなヤツに教えていたのか~?」と、ガッカリするだけだったんですが、そういう時に片寄さんの贈ってくれた本を手に取った私の気持ちが解りますか?

 本当に世の中、物事を表面的にしか読めないヤツが多くて、自分の損か得か?でしか考えられないヤツには“義憤”という言葉が理解できないんでしょうけどね。

 私が甲野氏を批判し始めた時から、一貫して、「俺はこいつだけには絶対に負けんぞ!」って燃えてましたよ。

 だって、彼は純粋そうに見せてて本当はそうじゃありませんでしたからね。名誉欲が強過ぎるんですよ。

 もっとも、私の場合、元師匠に喧嘩売って離れた以上、より以上の業績を挙げないと男じゃないでしょ?

 甲野氏が社会的に挙げた業績に比べれば、私はまだまだ実績が足りません。だから、これからガンガン活躍して彼が広めた間違いを払拭して、さらに実効性ある武術文化への理解を広めないと男じゃない!

 有名人を批判する以上、そこまでやらなきゃ~ダメ。礼儀知らずを敢えて決行する以上は、そこまでやらないと筋を通したことにならない。

 どうも、私が単なる礼儀知らずだと誤解している人が多いみたいですが、私はむしろ礼儀にうるさいから、虚礼をしたくないんです。

 上っ面の礼は相手に対して最大の非礼ですよ。相手を侮ってるから適当にあしらおうとしている訳で、そういう虚礼を重視する連中の形式主義思考を引きずっていれば、社会的な評価は得られないでしょう?

 私は、「虚礼を強いる武道の世界こそが非常識」だと思ってるだけで、この構造的欺瞞体質を変えないと武術文化が世の中にまともに評価されないと思ってる訳で、それを改善するために一時的に自分の評判が悪くなるのは承知の上だったんですよ。

 10年20年先を見越して地道に実践する覚悟が無い人間には理解できないでしょうけれど、本物を目指すなら、目先の損得を考えていちゃ~ダメですよね。

 無論、自分の損得は後回しで、世の中に役立つ仕事をやれば、天が味方してくれます。

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五月セミナー“読み(聴勁)”

 五月の月例セミナーは、四月に続いて、“読み”の第二段「聴勁」です。

“読み”の技能は日本武術に特徴的なものですが、中国武術では、推手という稽古法で皮膚感覚を高めて相手の攻撃しようとする筋肉の予備動作を察知して対処する「聴勁」が工夫されていました。

 中国武術の試合が、よく互いの手首から手甲を触れ合わせたところから始まるのを、カンフー映画ファンの方なら思い出すのではないか?と思います。

 あれが、聴勁を働かせるテクニックなのです。

 この聴勁を駆使する門派としては、太極拳が有名ですが、ブルース・リーが学んだことで有名な詠春拳でも重視されています。

 無論、熟練した中国武術家なら当然のように用いるのですが、この推手の稽古法も、形式だけ手順を追って練習してしまうと、何の意味もなくなってしまいます。

 飽くまでも、皮膚感覚を養成することが目的であり、相手の力の微細な変化を感知できるように訓練しなければ、何の意味もなくなってしまうのです。

 その意味で、力任せに武道や格闘技を訓練してきた人ほど、体得するのが難しくなってしまいます。

 極論すれば、“読み”の技能は瞑想的な静かな精神でなければ発達しません。

「相手を読む」のが目的なので、自分勝手にノルマの訓練をしても何の役にも立たない訳ですし、「実戦的な練習をしなければならない」と思い込んでいるような人は、それだけで体得が覚束無くなります。

 つまり、“読み”の訓練に闘争心は邪魔にしかならないからです。

 よく、「初心者には闘争心が必要だから、最初はガンガン力任せでもいいから、きつい練習をやり、組手をバンバンこなさなければならない」と言う考えの人がいるんですが、私の見てきた限り、そのような訓練を経てきた人の大半が、“読み”の技能を得ることなく挫折して終わってしまいます。

 勘違いしている人が多いので、明記しておきます。

 練習内容は、自分の上達度合(進度)に応じて変えていかなくてはダメです。

 10代の練習、20代の練習、30代の練習、40代の練習、50代の練習、60代の練習、70代の練習・・・これらを一律に同じ内容でやって成果が得られるでしょうか?


 ダメに決まっていますね?

 こんなことは誰が考えても明白なことです。

 ところが、武道・武術・格闘技を熱心にやっている人ほど、こんな簡単なロジックが理解できず、いつまでも若い頃と同じ練習を繰り返してしまうのです。

 だから、30代、40代で引退しなければいけなくなってしまうのです。

 武術は本来、生涯に渡って向上し続けていくものです。

 これは、「武道とは本来、そうあるべきだ」という理想論を掲げているのではありませんよ。

 現実に、「武術は生涯に渡って向上させられる稽古体系を持っている」のです。

 それは、年齢によって稽古内容を深めていくから可能なのです。

 年齢を重ねれば、当然、肉体は老化していきます。だから、肉体の力に頼っていた技は威力を失っていきます。

 これはもう、自然の摂理だから仕方がありません。

 しかし、肉体が全面的に衰えるのか?と言えば、そうではありません。脳に蓄えられた情報や、その処理能力などは蓄積された分だけ深まっていきます。

 武術はそれを使うのです。

 肉体の生の力に頼るのではなく、戦略的思考に沿った身体の働きを効率よく用いることで心身の機能を引き出していく・・・それが武術の持ち味なのです。

 それは、東洋の哲学的身体観による伝統の英知です。

 つまり、武術とは戦闘という極限状況を生き残るために徹底的に研究された身体知と、心身の機能に対する探究の成果なのです。

 それは、ヨーガや仙道、密教、禅などの宗教的行法のトップシークレットを引き継ぐものであり、“読み”は、その中でも最も実践的な実用性のあるものとして伝えられてきています。

 聴勁とは、「力の流れを聴く技術」ですが、これは風水にも共通します。

 風水は、大地の気脈の流れを読む技術です。これを人体に応用したと考えれば理解しやすいでしょうか?

 ピンとこない人は、人相や手相を観る占いを考えてみてください。

 少しはピンと来た方もおられるかもしれません。

 昔の武術に占術が入っていたのも、同じ理由なのです。実際、私も手相とか人相を観る勉強もやり、そこそこ観れます。

“読み”というのは、そこまで深めていかねばならないのです。

 聴勁も、最初は皮膚感覚に頼りますが、次第に“気”の察知へと進んでいきます。

 ところが、ここで、いきなり“気”の察知に走ってしまうと自我意識に引っ張られて精神疾患に陥ってしまいかねないのですね。

 問題なのは、この手の訓練で感覚を磨くと万能感に酔いしれて権威主義的な方向に進んでしまう人間がいるという点です。

 修験道で道を誤った者が“天狗になる”と言われますが、このことを指しています。

 実際は精神疾患に陥っているだけなのに、「自分は超能力を得た」と勘違いして上から目線になってしまうのです。

 こうなると、もうまともな人生を歩めなくなってしまいますね。

 武術修行で大変なのは、この自惚れておかしくなってしまうことであり、常に現実的な視点を失わず、自分の限界をきちんと認識しておくことが大切ですね。

 まあ、この業界、有名な人だから間違いない・・・と知らない人は思いがちですが、現実は玉石混淆も極まれり・・・というのが真相なんですね。

 私は、自分から「私は武道家です」と名乗るような人とは、できるだけ関わらないようにしています。オツムテンテンの人だと思うので・・・。


 まっ、そういう次第で? 今回のセミナーでは、コテコテに現実的な聴勁のやり方を指導しますので、皆様、ふるって御参加ください。

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RAKUDO『時のかけら』公演

 GWの5/5に、うちの会の特別会員でもある稲吉優流先生が主宰するダンス・カンパニーRAKUDOの公演があり、お招きいただいたので、小塚師範代と一緒に観に行ってきました。

 前々日の木曜日のメイプルホールの稽古には、ポーランドでダンスを教えてらっしゃる松田孝子先生が見学に来られていて、武術とダンスに共通し得る身体について考える切っ掛けになっていましたが、一口にダンスといっても、様々なスタイルがあり、また、探究する人によって最終的には一人一流になるのは武術以上の世界なのではないかな~?と、久しぶりに随分、刺激を受けましたね。

 やはり、その翌日(5/4)の金曜日には、国際的な即興演奏のトランペッターとして有名な近藤等則さんの事務所にうかがって、仕事の依頼の打ち合わせをさせていただいていたんですが、武術も音楽もダンスも、自分の身体を使って技能を表現する点に於いて、共通原理が有るのでは?ということは、過去から現在にわたって無数の人が考えてきたことでしょうね。

 そんな中で武術に注目してもらって、私に声を掛けていただいたというのは光栄なことであると同時に、責任重大だと思っています。

 何しろ、武術のプロ?と呼べる立場なのかどうかは自分でも首を捻ってしまうからなのですが、では、私以外に武術に関して全般的な知識を持っていて、実技もそれなりにできる人というのが居るのか?と考えると、例えば、空手や合気道や古武術や中国武術に関してなら、居るかもしれませんが、全般的に知っている人間となると、多分、私しか居ないんじゃないか?と、傲慢かもしれませんが、思ってしまうのですね。

 だから、「武術について質問されたら何でも答えられなければいけない」と思って、日々、勉強しているんですが、いやはや、勉強すればするほど、自分が知らないことがいくらでも有るもんだ・・・と、何か愕然となってしまうんですよ。

 でも、「少なくとも、武術業界の誰よりも勉強し続けているのは私だ!」という自負心だけはあります。

 で、なんで勉強しているか?というと、他のジャンルの一流の人と付き合うには、それだけの知識と見識と技能の蓄積が無いと、「な~んだ・・・武術ってこの程度か?」と見下されてしまったら、私独りが恥をかくだけじゃ済まなくなるからですよ。

 よって、責任が重い・・・という次第です。

 いや、これは本音で申しますが、私以上に武術全般の知識も見識も実力も兼ね備えた人が居るのなら、私は武術研究家の看板は捨てます!

 それぐらい、大変ですから。

 多分、隠れて居るとは思うんですが、表だって活動している人の中には居ないと思います。自分の専門分野は詳しくても、ちょっとでも方向がズレると、あまりにもトンチンカンな解釈しかできない・・・そんな人が大半です。

 むしろ、素人のマニアの方が、よっぽど的確な視点を持っていたりする場合も少なくありませんからね。

 しかし、武術に関しては、やっている人間の大半が、あまりにも情報至上主義で考えてしまうので、案外、基本的な戦闘理論も知らなかったりするんですね。

 言葉は知っていても、その内容をきちんと理解して体得していなければ、武術を理解することは不可能なんですが、情報量が多ければいいのだと勘違いしている訳です。

 私は、研究家として情報が正しいかどうかは実験して確認してきました。

 そして、確認したことを発表してきている訳です。

 例えば、先日、武道漫画の第一人者として業界でも知られている坂丘のぼる先生新作DVDをお贈りしたんですが、私が片手の逆手斬りでマキワラを斬っている点を非常に評価してくださいました。

 いや~、案外、誰も誉めてくれなかったから、正直、ガックリしてたんですよぉ~。

 だって、私はこの技を実演している人を誰も見たことがなかったし、「逆手に刀を持って斬っても刃筋が立たないから斬れない」と言われていたことへのアンチテーゼとして実験して成功したものだったので、もっといろんな人が絶賛してくれるんじゃないか?と期待していたんですよ。

 だけど、誉めてくれたのは坂丘先生だけでしたよ。なんで?

 結局、難しいことを普通にやって見せても驚いてもらえないんでしょうね? 甲野さんみたいに仕組みが解れば小学生でもできるようなことを、さも難しい秘術であるかのごとく、もったいぶって、やって見せないと驚いてもらえないんでしょう・・・。


 しかし、RAKUDOの公演を観ていて思ったのは、とんでもなく難しい技を立て続けにニコヤカに演じ続けて見せるプロの表現力の凄まじさ・・・でしたね。

 武術愛好家は、往々にして踊りを馬鹿にします。

 私が武術と踊りの共通性を論じても、「納得いかない」と言う作家の方もいました。

 結局、口で論じることじゃないんです。やって見せるしかないし、自分でやってみないと理解できない。

 私は、実践の伴わない人の想像だけの論に対しては、物凄く冷淡な対応をする場合があります。

「やったことの無いヤツは黙れ!」とまで言ったりすることがあります。

 どうして、そこまで厳しく言うか?と申しますと、私は実践し体技を磨いている人達の努力に対して敬意を持っているからです。

 やりもしない人間が、無責任にあ~だこ~だと論じているのを見ると猛烈に怒りを感じてしまうのです。

 努力している人達が報われるのが当然であって、やりもしない人間が何をほざこうが評価する価値は無いと思っています。

 だから、人間、若いうちの苦労は買ってでもせよ!と言われるのは、本当のことだな~と思うのです。苦労知らずの人間の浅知恵で世の中は良くはならんでしょう。

 私も、売れる本を書くためには、もっともっと勉強しなきゃいかんと思っていますし、松田孝子先生、近藤等則さん、稲吉優流先生と、一流のプロの方と三日間、立て続けに会い、「武術研究に於いて長野峻也に勝る者無し!」と、早く言われるようにならねばならない・・・と思いましたね。

 それにしても・・・稲吉先生は私よりちょっと年上くらいなのに、以前、観た時より技能が数段、レベルアップされていて驚かされましたね。

 恐らく、ダンサーの中で最も年齢が高かったんじゃないか?と思うんですが、一番、若く見えるくらい全身をくまなく使って踊られていました。

 いや~、オレももう一回、鍛え直さなきゃ~いかんな~・・・って思いました。マジで。
PS;稲吉先生の創始した柔芯体メソッドの本とDVDがBABジャパンより近日発売予定です。50歳で驚異の身体技能を示されたことで実証されてますよ。お薦め!

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谷垣監督は任侠道がわかってるな~

 昔、松田隆智先生と電話で話している時に、「長野くんは任侠道がわかってるな~」と言われて、ハァ?と思ったことがあったんですが、これは松田先生的には「男気がある」という意味で最大限の誉め言葉だったらしいんですね。

 映画のロケに行っていたので買い忘れていた今月号の『映画秘宝』を買ってきて読んでいて、谷垣監督の連載記事のところで、思わず、「谷垣監督は任侠道がわかってるな~」と、唸っちゃいましたよ~。

 いえね。実際、読んでもらったら、判ると思うんですけど、今、撮影中の映画に関して、谷垣監督が敬愛するドニー・イェンさんが虚偽の情報を流されていることに対して、現場で真相を知っている立場として決然と反論を書かれていたんですよ。

 実名出してるから、そこはもうハラ括って書かれたんだと思います。

 事情を知らない部外者からしたら、恐らく、「そんな実名出して有名な人の悪口を書くなんて大人げがない・・・」と受け止める人も結構いると思います。

 私も散々、そういうこと言われてきたから判るんですけど、“実際に相手の実名を出して批判する文章を公に書く”というのは、物凄く覚悟が必要なんですよ。

 私はプロの物書きなんだから、素人が匿名でネットに書きちらすのとは全然、意味が違う訳ですからね。

 谷垣監督は、私よりずっとビッグネームですからね。そりゃあ、ここぞとばかりに非難する連中もいるだろうと思います。

 下手したら映画業界を干される事態にすら発展しかねない。それくらい“実名を出して批判する”というのは重大なことなんですよ。そのリスクを知らずに書く道理が無い!

 それでも、リスク背負ってもドニーさんの不名誉な噂を払拭しようとして書いたのが、私には判り過ぎるくらい、よ~く判りました。

 どうしてか?って言うと、私は武道マスコミ関係からは、ほとんどシャットアウトされていますからね。

 余談ですが、よく、セミナーに参加する人から聞かれるんですよ。

「長野先生くらい技も出来て、理論もしっかりして、教えるのも上手い人なら、専門雑誌に出たら、ダントツで物凄く人気が出るでしょう。どうして、出ないんですか?」って。

「いや、出ないんじゃなくて、出してもらえないんですよ。武道関係の出版社は僕を出したら雑誌が潰されかねないと思ってるでしょうね」と、いつも答えています。

 つまり、私が“実名を出してこの世界の名だたる達人?をボロクソに批判してきた”から、危険人物視されてる訳ですよ。

 でも、結果的には、それが私の独自のポジションを作ってきた訳ですし、本もDVDも業界でトップレベルに売れてるから、いいんですけどね。1000部くらいしか売れない業界で、まったく宣伝無しで、その10倍くらい売れてるんだから・・・。

 まっ、100倍くらい売れたら、声がかかるかもしれませんけど、純粋に宣伝効果を考えたら、失礼ながら武道の専門雑誌に出るメリットは、あんまり、感じません。

 武術愛好家は近視眼的になってるから気づいてないかもしれませんが、武術の専門雑誌って、よっぽど関心のある人しか存在さえ知らないものなんですよ。

 格闘技のブームだって、K-1が地上波で放送されなくなってから、もう、あって無いようなもんでしょうね。

 コアなファンだけを頼りに商売していても、5年後に雑誌が残っているかどうか?というのが今の現実的な問題だと私は思っています。

 もう、付き合いが無いから、編集者やライターやってる人達が、どこまで危機感持って考えているかどうかは判りませんが、私は10年以上前にライター辞めた時点で、「今のままでは業界は続かなくなるだろう」って思ってましたね。

 自分でやった方が稼ぐことができると思ったから、辞めたんです。賢明な選択だったと思いますよ。ざっと年収が10倍になったし?(ライター時代が貧乏芸人並みだったからだけどね)

 現実に、私が離れてしばらくしたら武術雑誌の老舗だった福昌堂の『武術(うーしゅう)』が休刊になってしまったし、BABの『武芸』も休刊されたでしょう?

 前者は編集者がいなくなったからで、後者は利益率が低かったからなのが理由だそうですね。

 そればかりか、新しく創刊される武術系雑誌がすぐに消えてしまう・・・、中国武術系が三冊くらい出たかな~? 頑張って欲しいとは思ったんですけど、正直、続かないだろうな~とは思いましたね。

 一時期、ムック本が続けられたのは、はっきり言って、甲野善紀さんのキャラ・ブームに乗っただけで、作ってる側も、甲野さんさえ出しておけばそこそこ売れるという安全パイとして依存してしまい、読者を魅了するような誌面にする努力を怠っていたのが真の原因だと思いますよ。

 例えば、中国の取材で撮った映像をタレ流し同然に付録DVDにする・・・もう、何を言っているのか解らないし、爺さんが何かの発作起こして暴れてるようにしか見えなかったり・・・芸が無いというよりも、「お前ら、売る気があるのかよ? 読者、ナメてんじゃねえよ!」と、軽く怒りの感情を覚えましたね。

 要するに、プロの仕事じゃないんです。マニアが自主製作しているレベルでしかなかったんですよ。売れなくて当たり前!

 あの時期に甲野さん抜きで黒字出せたのは私が参加したムックだけだった筈ですが、このムックだって、最初は甲野さんを取材する予定でいて、多忙を理由に断られてしまったから、私が編集顧問的にアドバイスして、取材先の先生や武術について書けるライターを指示したりして、ようやく形になりましたが、結果的に七割方は私が書くハメになったので、「長野さんが企画出したムックなんだ」って誤解されましたよね~。違うっちゅうのに・・・。

 でも、頼みの綱の甲野さんの神通力も失せかかっていると思いますよ。多分、新刊なんかも売れ行きはあまり良くないんじゃないですか? 書店で立ち読みして、あまりのつまんなさに目眩がしましたもん・・・。

 この大不況の時代に、つまんない本に金出す人間が居る筈がありません。ブームに胡座かいてナメた仕事をしていられる道理がないんです。

 私が絶対の自信持っていられるのは、徹底して読者目線に立って考えているからであって、本やDVDを続けて出してこれたのは、愛好家のツボを狙って書いているからである点と、初心者が入りやすいように、文章と内容を工夫してみたり、本筋と全然関係ないギャグとか書いて、読者が飽きずに楽しんで読めるように知恵絞ってるからですよ。

 もし、武術論の本書いたら、恐らく、売れても1000部しかいかないでしょうね?

 そんな部数の印税じゃあ、一カ月分の生活費にもなりませんから、私は書く気がしないんですよ。銭が溜まってヒマができたら書こうかな~?とは思ってますけどね。

 特に武術マニアは、マニア向けの文章しか書けないから、初心者にはチンプンカンプンになってしまうんですね。知識を誇りたがってるのが文章から透けて読めるのも嫌らしいし、初心者は引くよな~。

 要するに、“独りよがり”だから、面白くない訳です。

 やっぱり、売れるモノを作るというのは、真剣に努力しなきゃ~、テキトーにやって売れちゃう人なんかいないんですからね。

 これは、本書いてていつも思ってましたけど、先日、映画に参加して痛切に思いましたよね~。アイドルの子たちのど根性は、本当に健気でプロフェッショナルでしたよ~。

 このブログは武道マスコミ関係の人も結構、チェックしてるらしいから、これは売れる秘訣として書きますけど、第一に必要なのは、読者サービス! これですよ、これ!

 ギャグ・センスの無い人が私の真似して無理やりギャグ書くと、単なる軽薄なだけの文章になってしまうでしょうから、お勧めしませんけど、やっぱり、ある程度、本音をさらけ出すようにしないと建前だけで書いていたら読者は減ることはあっても増えることはありません。

 読者が何を求めているか?ということを常に考えながら作っていけば、必ず売れる本になります! 頑張れ~っ!

 はい、余談、終わりっ!

 谷垣監督は、今やアジアを代表するアクション監督として実績を作ってこられているから、「映画は作品がヒットすれば評価は変わる」という信念で、敢えて書かれたんじゃないかな~?と思いましたね。

 文章を表面的に読んで、「人の悪口はいけない」みたいなこと言う人が日本人にはあまりにも多過ぎますよ。底が浅いにも程があるっ!

 良い悪いは表面的に判断してはダメです。多角的に広い視野で考えて、必要なことだったら批判的な内容も、しっかり言っていかなくてはいけないんですよ。

 考えてみてください。親が子供が悪いことしてもまったく叱らなかったら、子供は善悪の判断がつかないワガママ勝手な人間に育ってしまいますよ。

 愛情を注ぐというのは、叱ることも含めてのことです。

「言うべきことというのは、何のために必要か?」という観点が重要です。

 谷垣監督が公に批判論を書かれたのは、一つには、ドニーさんを守るためですね。

 それだけ、いろんな連中が勝手な情報を出して足を引っ張ろうとしてきていたんでしょうね? 今やアジアを代表するアクションスターであるドニー・イェンさんなんだから、そりゃあ、妬み嫉みは集中しますよ・・・。

 そんな時にドニーさん本人が弁明したって、「言い訳している」としか受け止められないでしょう? 悪口言ってる連中の頭の中ではドニーさんは悪人になっちゃってるんだから・・・。

 だから、谷垣監督が「俺が泥かぶってやるよ」って気持ちで書かれた・・・と、私は思います。

 そういえば・・・『デビルマン』を撮った那須監督が物凄く誹謗中傷されていた時に、独り、高瀬先生だけが庇っていらっしゃいました。映画が監督のチカラだけでできるものではないのは業界に関わっていれば誰でも解ることなのに、そんな冷静な視点を持つ人がさっぱりいなかった・・・そこが怖いですね~。

 またまた余談ですけど、『デビルマン』は、東映と東映アニメーションのコラボが上手くいかなかったり、社内事情の問題が大きかったんだそうです。「あれじゃあ、誰が監督したって上手くいかない」と、裏事情を話してくれた人は言っていました。

 何か、あの時のことを思い出しましたよね~。

 那須監督は急逝されてしまって挽回のチャンスを失ってしまいましたが、谷垣監督は、誹謗中傷の中で「凄い映画を作って、テメ~ら、黙らせてやるっ!」って、きっと燃えてると思いますよ。

 私も、ずぅ~っと、そうやってきましたから・・・。

 まっ、そういう訳で・・・

 谷垣監督~! 応援してますよぉっ!


追伸;松田隆智先生と電話でお話して、BABから出る予定の本は、少し遅れるけれども、ちゃんと出るそうですっ! パチパチパチ・・・。早く読みた~い!

追伸2;『秘伝』編集部のSさんと会ったので、前回の本に写真を貸していただいた御礼を言っておきました。『秘伝』に載っただけで、「これは快挙だ!」って稽古後に皆で自爆ギャグ言ったりしてました。あ~・・・。

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“天真館”道場開き記念祝賀会

 忙しかった四月の最後のイベントは、29日の、天真会の新しい本部道場の道場開きの祝賀会でした。

 76歳になったという青木宏之先生ですが、何だか人生の最盛期のように活動が活発になり、その周囲にも社会的な大物や芸術芸能の世界の日本を代表するパイオニアや、武道の世界でも知る人ぞ知る・・・といった人がアリジゴク怪獣アントラーの磁力光線に引き寄せられるように集まってきている不思議な様子を見ていて、私もその一人なんでしょうけど、面白いですね~。

 青木先生の魅力は何か?と聞かれると、私はいつも、「正直なところ」だと答えています。

 な~んだ・・・と思われるかもしれませんが、武道・武術の世界で、正直な人って、滅多にいません。

 大抵の先生が、建前に縛られて自分の本心を隠して虚礼の形式に凝り固まっています。

 だから、ハラを割って話せるような人は、まず、いません。

 もちろん、人間、そんな構えた姿勢でずっと通していられる道理がありませんから、ほとんどの先生が酒に酔ったりした時に口汚く他流を非難したり、人を人とも思わない自惚れた言葉を口走ってしまったりする訳で、私はそれが嫌なので、日頃から本音をハラの中に溜め込まないように注意している次第です。

 程度の差はあっても日本人社会では、どこでも似たような光景が多いんだろうとは思いますが、武道・武術の世界は、建前としての綺麗な言葉を押し出している分、本音の汚さが目に余る点があります。

 よって、私は良い事も悪い事も平均して話せる人としか付き合いたくありませんね。その意味で、私は根本的に“武道家”という気質には馴染めません。気持ちが悪くなりますね。「俺は武道家なんだ!」みたいに意識する必要がどこにあるんでしょうね?

 青木先生の場合、周囲の人達をリラックスさせる雰囲気があって、その意味でちっとも武道家らしくありませんし、そこを誤解して侮る人もいるんでしょう。

 しかし、私は、間違いなく日本随一と評するに足る先生だと思います。

 無論、“技”に於いてですよ。

 部分的に青木先生以上だろうと思う先生も数人はおられます。が、総合的に青木先生を超えていると言える先生を私は他に知りません。

“技”は、“体技”があって、“心技”があり、さらにそれを超えた“神技”があると思います。

“神技”にまで到達する人は滅多におられないでしょうが、青木先生はそこまで達していると思いましたね。

 ほとんどの武道やっている人は、“体技”のレベルで終わってしまうんですよ。

 身体を鍛えることで達することができるのが“体技”。

 だから、それ以上のレベルの技を見ても理解できない。理解できないから体得もできない・・・そういう仕組みです。

 けれども、“心技”は、意識の使い方で身体の可能性を引き出すことができます。

 私が現在、研究しているのが、この“心技”です。意識を変えないと体得できない故に、先入観の無い素人の方が簡単に体得していったりする訳です。“心技”は脳神経に新しい回路を作っていくようなものです。

 ところが、その先の“神技”は、逆に心を消していかねばなりません。“無心”というヤツです。

 どうしてか?というと、心には“我”があるからです。自我の捕らわれから脱却することで技の限界を超えた“神技”が現出する・・・と想像します。

 青木先生が創始した新体道は、“神技”を得るためのシステムであったがために、一般的な武道の概念では読み解くことができず、多くの誤解を生じました。

 新体道が案外、広まらなかったのも、ここに原因があったでしょう。

 しかし、ここ最近、急激に青木先生の動向が活発化し、様々な分野の人が集まってくるようになったのも、時代の必要性があるからではないか?と私は思うようになりました。

 特に、昨年の3.11の大震災を体験した日本人は、“戦争を知らない子供達”ではあり得なくなりました。

 人間が起こす戦争でなくても、大自然のちょっとした変動で日本列島は消えてしまってもおかしくない。それが現実の本来の姿なのだ・・・ということを教えられたのです。

 そんな危機的現実の上に生きている日本人が、政治経済の社会構造の裏側を知ることで、恒常的な不安に苛まれるようになっています。

 けれども、この状況は、今まで一部の人間しか真剣に考えていなかったことが全国的に考えざるを得なくなっただけの話でしかありません。

 それでも、その現実に向き合うにはあまりにも心の弱い国民になってしまっていた日本人にとって、何を頼りにすればいいのか?と苦悩するようになってしまったのではないか?と思えます。

 答えは明確です。

 世の中が変えられないなら、自分を変えるしかないんです。

 世の中が頼りにならないなら、自分を頼るしかないのです。

 仏教で言うところの『自燈明』です。

 今回、本部道場を開設するに際して、天真会をカシラにし、『天真体道』と名乗られた点に、前衛を往く青木先生らしいな~と思いました。

 結局、名前に本質はありません。名前に権威を認めてしまえば本質は失われていく運命にあるのです。そうやってダメになっていく流儀団体の多さは、斯界の心ある人なら納得されるでしょう。

 新体道は若き日の青木宏之が天啓を以て創始したものですが、考えてみれば、人間が成長して年齢を重ねていけば、変わっていくものです。

 剣武天真流を新たに興して以来の青木先生のぐんぐん成長していく姿は、物凄く若々しいものでした。“天才”などという言葉ではくくれない、それは大陰陽師・安倍晴明や、大錬金術師パラケルススか? あるいは年を取らない大偉人と呼ばれたスウェーデンボルグか?・・・と思える異常な進歩に見えました。

 私は、青木先生と同じ時代に生まれて、親しく接することができることを神に感謝したいですよ。

 確かに武道の世界には伝説的な達人名人が多くいらっしゃったでしょう。

 しかし、そのほとんどが武道の世界の中だけでしか評価されていません。

 それは、とりもなおさず、それだけ武道が世間的に評価される分野になっていないということなんですよ。

 私はよく解ります。自分のことしか考えないヤツばっかりだからですよ。自己完結しているから社会的に働くことができない。自分の安寧しか考えない。

 社会的に活動して社会的な実績をあげないと、社会的な評価は得られませんからね。

 青木先生は、全能の天才ですよ。日本の歴史上でも、これだけの天才が出現したのは、空海とか、極めて少なかっただろうと思います。

 しかも、青木先生は、ただ自分だけが天才として屹立しているのではなくて、常に“人を育てよう”としています。

 そこが単なる武道家とは決定的に違うところですね。

 私が憧れるもう一つの理由も、そこですね。昔の自分には全然無かったものですよ。でも、今は、超達人をいっぱい育てたい!と、私は本気で思ってます。青木先生の影響かもしれませんね~?


 まあ、そんな訳で、スコーレ協会の永池会長や大倉正之助さん、近藤等則さんといった物凄く忙しい方まで駆けつけておられたり、一般の武道の道場開きとは根本から違っていましたが、二次会のパーティーは非常に楽しく演武も次々に披露されていました。

『秘伝』編集部のSさん(柳生心眼流の遣い手!)がずっと取材されていたので、この模様は『秘伝』に載ると思いますから、そちらを買ってくださいね。

 あっ、そうそう。会場で田中光四郎先生ともお会いしました。ハンガリーに指導に行ってこられていたそうですよ。日子流もどんどん広がっていくんじゃないかな~?


追伸;近藤等則さんから、ある依頼がありました。決まってから御報告しま~す!

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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