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若手が育ってます

 うちの会は、割りと年齢が高めで、70代・60代・50代・40代・30代と揃っていますが、20代以下の会員は極端に少ない。

 普通の武道だったら10代以下の子供クラスが充実していたりするんでしょうが、うちの場合、マニアック過ぎるのと、子供に教えて喧嘩で相手の首を折ったり金玉蹴り潰したり、肘や膝の関節をへし折ったりしたら大変なので、これまで避けてきたという事情もあります。

 子供は加減ができませんからね~(苦笑)。

 そんな中、最年少会員の高校生のNさんは、既にうちのトップレベルの実力者です。

 中学生の時に入会希望があった時は、「大丈夫かな~?」と事務局で相談して「親御さんの許可を取ってください」と返信し、お父さんの「うちの子は絶対、大丈夫です」という力強いお返事を頂戴したので許可したという次第でしたが、実はその段階で10年近く空手道を修行していたので才能は抜群だったんですね。

 けれど、最近は金庸の武侠小説の主人公か?ってくらいの異常な上達っぷりで、武術雑誌に載ってるような先生なんかより、よほど遣えますよ。いや、マジで。

 こう書くと、身長が180cm以上で100kgくらいのデカイ、ヤンキー高校生をイメージする人が多いかもしれませんが、中肉中背で、全然フツーです。

 技をやってみせない限り、武術やっている人間とすら見えないでしょう。本人も武張ったところがまったく無いし・・・。

 しかし、彼の凄いところは、とにかく観の眼がベラボーにある点なんですよ。

 オーガの攻撃の先を取ってみせた刃牙を見ていた独歩ちゃんが、「その年で使えるのか?」と、ガァァ~~~ンとしてた・・・あんな感じで、教えていても毎回、ギョエ~?と思うくらいの才能です。

 入会して間もない頃、試合で交叉法使ったら、相手が突っ込んできたので寸止めにならず、当たった相手が首を痛めてタンカで退場。殺っちゃったか?と思って恐ろしくなったと言っていました。

 あ~、無事で良かった・・・。もう少しで地上最強の男・竜になっちゃうところでしたよ(またも、わかる人を超限定する譬えでスマンです!)。

 また、格闘技好きの仲間とスパーリングやっていて年上のムエタイ何年もやっている人の蹴りを游心流式下段払いで受けたら、蹴り足の膝関節が脱きゅうしてしまって、本人も慌てたみたいですが、蹴った相手も痛いのを通り越して唖然となってしまったみたい。

 でも、彼のビックリしてしまうところは、「あっ、済みません!」と、その場で関節を嵌めて治してあげたっていうんだから、ビックリ! 治療家目指してるんですよね。

 そんな高校生、格闘漫画の主人公にもいないでしょう?

 また、発勁セミナーの時に八極拳の把子拳を使った打撃訣(松田隆智先生が無言で示して教えてくださった)を教えたら、重ねたクッションの上からバスンッと打って、受けた横浜同好会長が、グルンッて身体が捩れながらふっ飛んで、「何か、普通の寸勁より、いきなり威力が三倍くらいになってましたよ~」と苦笑していました。

「なるほど~。この技は直打ちしたら死ぬな~、コレ?」って思いましたね。私は一度も実験したことなかったんですが・・・。

 ことほど、然様に、彼の才能は傑出しています・・・。

 率直に申しますが、私がこれまで会ってきたいかなる武道・武術の大家と比べても、こと才能という点に限れば、圧倒的に上です! こんな才能のある人間が他に居るとは思えません。

「それは小林先生や青木先生よりも才能があると言ってるのか?」と言いたい人もいるでしょう。

 無論、その通りです!

 もちろん、現時点での彼は一介の修行者でしかありませんし、斯界の名だたる諸先生方と比べるのはおこがましいでしょう。

 しかし、私が尊敬する先生方は、長年の修行の結果、獲得された技の境地であるのに対して、既に高校生でありながら、それらの境地に迫る道筋を歩いている彼が、20代、30代、40代になった頃、どれだけのレベルに達しているのだろう?と考えると、もう普通に“達人”なんて言葉のレベルに収まっているとは、とても思えないのです。

 今のところ、まだ、大石総教練、北島師範には地力で差がありますが、この先、いつ追い越してしまうか?は解りません。

 いや、何が凄いか?と言って、彼は一回、動きを観れば、演じた本人よりも上手く動きをコピーできてしまうのです。

 場合によっては写真だけから動きを想像して再現してしまうんですから、尋常な才能ではありません。

 ですから、友寄先生の形意五行連環拳や、小林先生の99式太極拳を完コピして演じてみせてくれ、しかも太極拳に関しては小林先生の独特の体動を本人以上?に演じてみせたんですから、私はビックリ仰天しましたよ~(苦笑)。

 私も物真似は得意なつもりだったんですけど、もう本物以上に本物?って感じで、驚くのを通り越して笑っちゃいましたよ。

 普通、空手やっていた人は中国武術の特に内家拳の動きは苦手なんですね。動きにキメを取ってしまうから全体の動きの流れが途切れてしまうのです。

 けれど、彼は一年もしないでできるようになりましたね。逆に、空手の先生からは「動きが流れていていかん!」と叱られたらしいんですが、でも、本当に優れた空手家は内家拳的になっていますよ。

 私が何年もかかって苦心してできるようになった鳴鶴拳の白鶴震身も、一度観ただけで私より上手にできるようになってました。「御冗談でしょう~(笑)」って感じで笑うしかないですね。

 しかも、できるようになるに従って、他の武術もどんどん上達していくんです。

 内功も相当できてるし、歩法もできる。読みも優れているし、交叉法もできる。

 金庸の『笑傲江湖』の主人公、令孤冲は、華山派の一番弟子(大師兄)ですが、最初は大した腕前ではなかったものの、独孤九剣を習って師匠より強くなり、次に吸星大法をそうと知らずに学んで実力が倍加。さらに少林派の易筋経を学んで内功が充実して武術界最強の男になります。金庸の他の作品の主人公も、大体、似たような展開でいくつかの流儀の秘伝を偶然学んで、本人が知らないうちに最強になってしまいます。

 彼の場合も、そんな感じでしょうね。変な欲が無いんですよ。

 10代でこれだけ各派の武術の極意的なことができるようになってしまうと、先々、もう武術という枠組みの中では留まっていないだろうな~?と思いますね。

 何カ月か前に、「今度、青木先生に紹介するよ」と言った時は、「いや、自分なんかはおこがましいです・・・」と言っていたんですが、ネット動画で青木先生の横蹴りを見て、いたく感動し、「今度、紹介してください」と言っていました。

 そうだな~。彼が学ぶに足る武術家といったら、もう青木宏之先生しかいないんじゃないかな~?と思いましたね。

 技の優れた先生はいても、彼は一目観れば完コピできてしまうから、身法で学ぶ先生はいないと思うんですね。青木先生の心法を学べば、彼は超達人になっていくだろうな~?と思っています。

 でも、誤解してもらいたくないんですが、彼は自分の才能に甘えて自惚れるような脆弱な精神じゃありませんよ。

 毎朝暗い3時くらいから3時間くらい稽古しているそうなんです。

 つまり、「努力に優る天才は無し」ってことなんですよ。

 それと、こっちが注意したことは素直に従う・・・。ここが彼の真の強さです!

 教えを受けるからには信じて従う! これができない人は教えを受けても無駄です。

 例えば、稽古会の後のファミレスで聞いたんですが、私の批判ブログで某拳法(その流儀の名誉のために隠します)の修業者がうちの悪口を書いていたそうなんですね。

「あ~、あいつかぁ~? 覚えてるよ。某拳法をやっているというヤツがセミナーに来たんだけど、Yさんが教えている時に不意打ちしたりして、真面目に習う気持ちがなくて、要するに自意識過剰で自分が強いと勘違いしてるヤツで、腕試ししたかったんだろうけど、Yさんも人が好過ぎるからお客さん扱いして『練習だから本気で打たないようにしてくださいね。怪我したら困るんで』って我慢して言ったらしいんだけど、それで勘違いして偉そうな文面でメールしてきたから、この無礼者めが!と思って、『疑問があるなら相手してやるから来い!』って返事したら、“大人げない”みたいな捨て台詞返して、逃げ打ったんだよ。アイツは、やりかねないね~。でも、いい年して陰に隠れて悪口書くなんて、自分が恥ずかしくないのかね~?」と笑って話しました。

 付け足しておきますが、その時、Yさんが人が好すぎるから(後で、「そういう時は構わないからブチのめせ! その方が本人の精神の矯正になるよ。人間、痛い思いしないと自分の問題点をしっかり見つめないんだから」と注意しておきました)、これはナメられたらマズイと思った北島師範が代わって、その人が攻撃しようとする先を抑えて顔面に寸止めしてみせたりして、「本気でやるなら、こっちも本気でやりますよ・・・フフッ(笑)」と言ったら、油汗流して引きつり笑いを返しておとなしくなった・・・という私が見た“客観的事実”もここに明記しておきます。

 もっとも、事実を書いても、恐らく、こういう人は自分の都合の良いようにもっともらしく言い訳を繰り返すのが常でしょうね。とても反省するとは思えません。反省するくらいなら、最初からあんな態度は取らないですよ。

「相手してやるから、来い」と言われて逃げるような人間に武術を学ぶ資格はありませんよ。たとえ負けると判っていても、直接会って、手合わせするか、あるいは謝罪するか・・・それができるのが武を志す者の矜持ですよ。

 別にこの人が特別ということじゃなくて、随分、そんな人に会いましたよ。根性無しなのに、自尊心だけは人一倍強くて、恥を知らない。逃げながら悪口言うというカッコ悪いことを繰り返す者が少なくありません。

 こういう連中には、こっちが恥ずかし過ぎて、怒る気も失せます。

 批判するのは自由ですが、本当に恥ずかしくないんでしょうかね? 実際に立ち合いもしないで「あいつは弱い!」とか書くのって、物凄く、みっともないことですよ。

 私に勝ったヤツが言うんでしたら、「あ~、おっしゃる通りです」って言いますけど(私、自分の負けた話は隠したことないんですけど?)、立ち合ってもいない人間からどうのこうのと言われたくないですね~。

 まして、確かめもしないで「長野は嘘つきだ」って言うヤツがいるんだから、本当に嫉妬心で発狂してるんですか?って聞きたくなります。

 日曜日の公園の稽古に乱入襲撃してくれれば、お相手しますよ。嘘か本当かは、立ち合えば判ることでしょう。游心流なんてチョロイと思ってるのなら、試してみれば?(悪魔の囁き?)

 私は、口先だけの人間は嫌いなんです。批判するなら、自分の言葉には責任を持つという日本男子の矜持くらいは忘れないでくださいよ。

 それと、私は他流を侮る気持ちはまったくありません。どの流派も真摯に研鑽している方がいくらでもいらっしゃることを熟知しています。

 ただし、研鑽のやり方に関して、不合理で成果が上がらず悩んでいる方も多く、そうした方々に役立つ情報を提供したいと研究家として考えているだけです。

 また、指導家としては教えを受けたいといって集っている人を、着実にレベルアップさせるのが私の使命だと考えていますし、その方向性としては、武道・格闘技が強くなりたいという人以上に、心身虚弱な人が駆使できる護身術技法を工夫していくことが、より社会的意義が高いと思っています。

 ですから、教えを受ける気持ちもなく、自意識過剰な強さを競い合いたいという考えの人間とは拘わりたくないのが本心です。

 それでも、降りかかる火の粉は払わねばなりませんから、腕試ししたいなら、勝手にやればいいでしょう。それに対処できてこそ武術なんですから、我が身を犠牲にして我々の研究に験体しようという崇高な志しは、有り難く受け止めなきゃならないでしょうね?



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時代小説執筆開始

 小説家を目指しての第一弾として、まず共著でやってみることにして、先日、打ち合わせをしました。

 時代小説ブームと言っても、実際に売れているのは圧倒的に剣豪小説らしいんですね。

 殺陣シーンの描写に関しては誰にも負けないという自信があるのですが、小説の修行は初心者ですから、既にプロデビューしている方で、殺陣描写には自信がイマイチという方と組んで、フジコフジオみたいな感じ?で書こう・・・という作戦なんです。

 もっとも、今回は私の小説講座の先生がアイデアを出してくださって、それで私がプロットとストーリーを考えたものをやることになりました。

 まあ、完成してないから内容は秘密ですが、打ち合わせしていて、「これ、もしかして凄く売れるかも?」と、町田駅前のデニーズで二人でニヤニヤしながら話してたんですけどね~。

 時代小説書く場合、やっぱり私としては年配の人だけじゃなくて若い人が楽しめるものを書きたいし、TV時代劇復活の導火線になってくれるといいな~と思っています。

 今回はネタとしては古典的な話なんですが、それを新しい視点から描く!というのをコンセプトにしています。

 やっぱり、古き良き時代へのノスタルジーばっかりでやっていては先細りするだけだし、時代小説ファンがどんどん高齢化して読まなくなった時に若い人が読むようになるとは思えないんですよ。

 時代小説、意識して読んだりしているんですが、どうも、古臭くってかなわない。読んでいて疲れてしまうんです。

「なんで、こんな疲れる小説が売れるんだろう?」と思ったりしています。

 私は読んでいて映像が浮かばない作品はダメだと思います。本を読むのも映画観るのと一緒!

 でも、最近の時代劇映画を観ていると、何だか文芸的な風格を出そうとし過ぎて、映像表現のダイナミズムを忘れてしまっているような気がするな~?

 だから、物足りないのかな~?


 さて、忙しくて行けていなかった横浜名刀会さんに久しぶりに行きました。

 立て続けにお客さんが来ているので繁盛しているのか?と思ったら、どちらも刀を売りに来ている人でした。

 不況続きで刀を売って金に替えようとする人が多いらしいんですが、名のある刀も随分と安くなっていて、「今は刀も底値になっているので売らない方がいいよ」と社長さんも言っていました。

 逆に言うと、今が絶好の買い刻ということでもありますね。

 私は支払い中の具氏(末古刀)を引き取ってきました。四国徳島の刀匠だそうです。

 何でも海軍中将だかのコレクションの中の一振りだったそうなんですが、研がないと綺麗に見えないものの、皆焼(ひたつら)刃で、えらく鋭い、もの切れしそうな感じの刀で、刃先に触れるとザックリ切れそうな怖さがあって、ちょっと妖刀村正みたいな感じがしますね。これは、研ぐのも大変そうです。

 重ねも厚く、二尺三寸ちょうどの定寸刀なので居合演武の時に使うのにいいかな~?と思って、一目惚れで買ったんですが、柄が壊れていたので社長さんとしては綺麗に研いで拵えもちゃんと作って、それなりの値段で売るつもりだったらしく、不完全な状態で安く売るのは気が進まない様子で、別の関物らしき三本杉刃文の刀を勧められたんですけれど、やっぱり、こっちの皆焼刃の刀の妖しい魅力には抗えませんでした・・・。

 この刀は、確かに綺麗に仕上げると、相当、美しく凄みのある刀になると思います。

 帰ってから、早速、柄を補修しました。壊れていたのを何か巻き付けて補強してあったんですが、それも経年劣化していて爪でこそぐとボロボロッと落ちてしまいました。

 漆で黒く塗った鮫革も装飾用に側面に張り付ける形式だったので、これも剥がして柄木を見てみると、ヒビが入っているだけで虫に食われたりはしていません。

「あ~、これなら補強すれば使えるな・・・」と思って、余計な部分を削り落として柄下地に仕上げました。虫に食われていたら作り直すしかないと思っていたんですが・・・。

 ところが、刀の茎を見てみますと、古い刀に特有で、柄の2/3くらいの長さしかありません。短い・・・。

 このままだと強く振った時に柄折れする可能性が高いので、柄木の左右に金ノコで切断した平鉄板を二つ埋め込む強化策を講じ、ヒビには瞬間接着剤を流して固め、さらに針金巻きで強化しました。

 面倒な作業ではありますが、これくらいやっておかないと、試し斬りどころか、振った瞬間に柄が折れたら大事故になりかねません。

 大竹利典先生の書かれた天真正伝香取神道流平法の御本の中で、古い刀の柄折れについて書かれていらして、「なるほど、やっぱりそうか・・・」と思いまして、こういう事故に繋がりかねない問題点については注意してし過ぎることはないと再認識した次第です。

 目釘穴も二つあったので、せっかくだから二つ目釘に加工してみました。やっぱり試し斬りする刀だと目釘は二つあった方が安心です。

 これで柄下地は完成です。このまま振っても柄折れの心配は感じないくらい頑丈になりました。

 この刀は刀身も重いので先重りだったのですが、補強に使った平鉄板と針金で少し重くなっている筈で、これでバランス的にも良くなり、遣い勝手も上がったと思います。

 鮫革は明るいグリーンに染めたものを東急ハンズで買っておいたので、これを使い、柄糸も青木先生に紹介していただいた刀装具の問屋さんに注文して黒艶無しの牛革にしてゴージャスな感じにしてみました。

 元々の金具類が揃っていたので、柄の製作だけで済みましたが、真鍮の縁頭に鯉口の金具、コジリも付いていて、目貫は馬、鐔は丸形の透かし鐔に深緑の鮫に黒革巻、下緒も緑色にしました。真鍮の金色と対比ができていいんじゃないか?と思ったんですが、正解でした。また、刀友?の青木宏之先生に見せたいと思っています。

 もう、刀の外装を自作するのも自分でやらないと気が済まなくなってしまいましたが、それは外見が綺麗でも中身がしっかりしていないと安心して使えないという実践する側の考えからです。

 ちょうど、新陰流にも入ったばかりですし、今後、日本剣術の本格的な研究をするために、ちょっと重いけれども武用刀としては手頃な刀を手に入れたと思っています。尾張の麒麟児・連也斎の柳生拵え風に、目貫の位置は左右逆の逆目貫にしてみました。

 以前は異形の長刀とか変わった刀にしか関心が無かったんですが、今は少なくとも地味でも実践的な刀に好みが移ってきました(皆焼刃という変わった刀だけど)。

 軽い方が好きなんですが、打ち合わせて折れてしまうような脆弱な刀では意味がありませんし、この具氏の刀を持つとハラに力が漲ってくる感じがします。

 また、この日は小説に合わせて、ちょっと特殊な刀の注文も相談してきました。

 小説中での殺陣シーンを実際に実験して書いてみようと思ってまして、そのために主人公が使う刀と同じものを作ってみようと思ったんですが、流石に刀の中身は自分では作れませんから、その相談をした次第です。

 なるべく安くと考えていますが、刀工の方々の経済的苦境を知る身としては、あまり安くお願いするのも気がひけます。既製の刀で手頃なのが無いか?と探してみましたが、ちょっと無かったので、やっぱり注文するしかないな~と・・・。

 そういえば、若手の刀工の方が経済的に苦しかったからなんでしょうが、自殺された事件があったそうで、非常に残念なことです。

 専門の刀匠で生活できている人は、ごく一握りだそうです。それは、月に二振りしか作ってはいけない・・・とか、木炭を大量に使い、鍛冶場の設置が大変だとか・・・いろいろな難しい問題点があるからです。

 日本刀という世界に誇る美術工芸品の作家に対して、国が文化振興のための経済援助をするのが良いと思うのですが・・・。

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強さに潜む弱さ

 先日の月例セミナーから入会された新入会員の方は、長く独り稽古で独自に武道を探求されていたそうで、それ以前にある合気系武道を熱心に修行されていました。

 随分、前に会ったことがあるらしいのですが、少し話をしただけで私の技は見たことがなかったそうです。

 実は、私は“長年付き合っていても一度も技を見せたことがない”という武道関係者の知人が何人もいます。

 無論、武道をやっていない人だと、自分から話すことさえ少ないです。

 どうしてか?と申しますと、武術修行はその内容を人に知られないようにするのが基本的な心得だと考えているからです。

 以前、TV関係の方が見学に来られた時に、私と間違えて北島師範に挨拶したことがあって、皆で大笑いしたことがありました。

 つまり、それくらい私は“武術をやっている人に見えない(弱そう)”という訳です。

 普通の武道家だと恥だと思ったりするのかもしれませんが、私はむしろ、嬉しい。

「武術をやっているように外見で判るようでは未熟者だ」と思っているからです。

 世間的には、いかにも「俺は武道家だ!」と言わんばかりにチンピラチックな態度で振る舞いたがるトンチキもいますが、私はそういう人は心の底から軽蔑しています。

 変に謙虚に振る舞うのも芝居染みていて違和感を感じますが、相手に威圧感を感じさせるようでは社会性に問題がありますよ。


 さて、話を戻しますと、セミナー後の日曜の公園の稽古に新入会員の方が参加されたのですが、大石総教練、小塚師範代と練習してもらいまして、自分で考えていた武道観がガラガラガラ~ッと崩れ落ちるような頭が真っ白になる感覚があった・・・みたいな感想を言われていました。

 私は他流の方の前では極力、自分の技を見せないように気をつけているので、恐らく、この方も私は理論派だから実技は大してできないだろうと思っていたと想像しています。

 習いに来たのも情報を知りたかったのだろうと思います。

 ご自分の実力にもそれなりの自負があったのでしょう。

 こういう方は時々、いらっしゃるので慣れていますので、最初は大石総教練に当てて、固定観念を壊してもらうようにしています。

 どうしてかというと、自分の固定観念にしがみついていたら全く向上しないからです。


 私、わかっちゃったんですよ。

 武道を熱心に修行している人は、強さしか求めていない。つまり、攻撃技の威力やスピードばかり高めようとしてしまうのです。

「長野は何をヘンなこと言ってんだ? 当たり前じゃんか?」と思った方は、この先は読むだけ時間の無駄です。

 攻撃技の威力やスピードを磨くことで全体の戦闘力が上がる・・・と考えるのは、はっきり言って素人さんです。

 こうした発想は、戦術を考えない人間の発想です。

 私が武道ではなくて武術を研究してきたのは、戦術発想を研究してきた訳です。

 だから、技を隠したり、弱いと侮られて怒らないのも、「しめしめ・・・こいつら俺の戦術に踊らされてやがる(笑)」と思っているからなんです。

 つまり、こちらの術策に陥っている相手なら、どうにでも料理できるという考えがある訳で、勝つために必要なのは、「いかに相手の実力を出させないか?」というのに尽きる訳ですよ。

 だから、“読み”が最重要になる訳です。

 攻撃する意志があるから技が必要になる訳で、その意志が兆しとして無ければ技を出すどころか戦う必要すらありません。

 そして、こちらが攻撃する意志を持たない場合、相手が一方的に攻撃しようとすることは、何らかの目的意識が有る場合を除いては、まず有り得ないのです。

 戦いは、互いに攻撃を繰り出し合う以前に勝負を決するのが戦術であり、攻防が始まって以降は単なる“競い合い”になるのです。

 武術が目指す戦闘は、相手の先の先を取って制圧することであり、互いに技を出し合って競うものではありません。だから、「先に手を出した方が負ける」というのも戦術の論理なのであり、ここには、“不用意に攻撃すれば隙をつかれて破れる”という技術構造的な問題点の指摘がある訳です。

 強さを漠然と求める人は、競い合いの強さと、戦術的勝負論を混同してしまいがちで、武術を学んでも体得する才能がありません。

 それは理解力の低さと共に、“強さ”の概念に対する認識の甘さが関係します。

 私は、「武術は自分より強い者に勝てなくてはならない」という定義から発想し、研究を続けてきましたが、それは“強さ”に対する認識の多角的検討から始まりました。

 つまり、通常の武道・格闘技から現代的戦闘法に渡る原理原則を疑ってかかることから始めたのです。

 何故なら、いかなる武力も完全ということはあり得ないので、まず破り方から研究したのです。

 つまり、強さの影に潜む弱さを明らかにすることです。

 それは根本的な原理にまで還元して考えることになり、“力の働き”というところにまで行き着きました。

 ここから逆転して考えた結果、武術で極意とされる技と戦術の共通性が判明してきたのです。

 言葉で表現してもリアリティーが無いでしょう。私の言っていることがいかなるものかは自分で体験して納得してもらうしかないと思っています・・・。

 口で言うだけなら誰でも超達人になれますからね?


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天真會・青木宏之先生からのメール

 チェコスロバキアやフランス、スイスを書道と剣武天真流天真体道の指導で回ってこられた青木宏之先生から、帰国の御連絡メールを戴きました。

 一読して、「これは私だけで読むのはもったいなさ過ぎるな~?」と思いまして、青木先生にブログに転載しても良いでしょうか?とうかがいまして、許可を頂戴しましたので、転載させて戴きます。

 どうぞ、御覧ください・・・。


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長野峻也殿
梅雨前の毎日お変わりありませんか?
チェコの日本祭(書道展・書道指導・演武会)及びフランスの剣武合宿より帰りました。
天真書法塾の会員達や剣武天真流の諸君が大活躍してくれて共に大成功でした。


旧プラハ発祥の地ベナトキ市では展覧会とデモンストレーション、新体道と剣武の演武をやり、 またボヘミアの首都であるプラハでは東京オリンピックとメキシコオリンピックの名花チャスラフスカさんの大歓迎を受け、大分派手に演武と書のデモンストレーションをやりました。
この日本祭には鎧兜で完全装備したチェコ人武者が三人出演しましたが、彼等の兜、鎧、日本刀など全て自分たちの手作りだったのには驚嘆しました。鎧など細部まで全く本物でした。


その後スイスのジュネーブへ飛び、スイス国境に近い、そしてシャモニーにも近いムジェーブと言うスキー場の町で合宿に入りました。
フランスでの剣武合宿と審査会は天真会のフランス会員諸氏が我々を心底から歓迎してくれ、何から何までほんとうによくやってくれました。剣武天真流に対するフランスの人達の尊敬と情熱には圧倒される思いでした。
彼等の刀技は昨秋日本へ来た頃とはもう全く変わってしまい、審査会でみんなの演武を見た時、あまりにも上達しているのでその迫力には息を呑む思いでした。
25人のほぼ全員が私の稽古を何年も(長い人は40年も)やってきておりますので、今や日本の何処の剣術に出しても8.9.10段は簡単に取れるほどの力をつけているようです。
代表のジョエルとデルフィの指導、そしてDVDだけを頼りにやっているだけなのですが…。(ジョエルは私が初めに教えてから42年、デルフィは25年以上になります。)


合宿も本当に素晴らしい成果がありましたが、ただただこちらを信じてくれ、まっしぐらに前進しているという感じなのです。
彼等の演武を見ていますと新体道に関する限り時代が激しく変わりつつあるのを感じさせられます。


合宿の道場や宿舎がムジェーブと言ってヨーロッパアルプスの一角にあるスキー場の町で、近くのシャモニーへも二度行きました。
3842mもあるエギーユ・デュ・ミディという超険しい岩山の頂上まで会員たちが連れて行ってくれ、一気にゴンドラで上がりました。すぐ目の前に聳える真っ白に輝く巨大なモンブランと周りを取り囲むアルプスの迫力と美しさにはもう圧倒されるばかりでした。
ヨーロッパアルプスはイタリア、スイス、フランス、ドイツにまたがる広大な山域を持っていますが、その厚い氷と雪に囲まれた険しく真っ白な山々の威容の中に立った時には、文字通りの大自然の前で人間の小ささを嫌というほど見せつけられる思いでした。


そして私も道を歩む一人として「76歳だあ~」なんて寝ぼけていないで、天真書法塾でも剣武でも瞑想カレッジでも新体道でももうめちゃくちゃに頑張らなければいけないなあと痛感するのみでした。


世界の新体道グループを刀に例えれば私の創造力は剣尖であり、次々に開発してきた最先端の技はその刀の刃を研ぎあげる行為だったのかなあと思えるようなことが続けざまにありました。
切っ先きを失い刃もすっかり丸くなった刀などもう戦場では全く役に立たない無用の長物ですからね。


もう新しい剣技創造へのエネルギーをたっぷり貰い続けた旅になりました。


ということで取り急ぎ帰国の御報告まで。
青木宏之
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スコーレ懇親の集い

 今年も、スコーレ家庭教育振興協会主催の懇親会に行ってきました。

 会場は新宿の京王プラザホテル。いつも、天真會の青木先生と一緒にお喋りして過ごすんですが、今年は青木先生がいらっしゃらなかったので、来月14日に主宰団体の講座に呼んでいただいている陽明学研究家の林田明大先生と色々、お話しておりました。

 林田先生とは昨年の懇親会で知り合いまして、私と仲の悪い某先生(苦笑)とお付き合いがあるとうかがって、ちょっと距離を取っていたのですが、何かとお世話いただき、御著書も贈っていただき、「~さんのことは気にしなくて結構ですよ」と言っていただいたので、最近、安心してお付き合いさせていただくようになりました。

 同じ九州出身ということもあり、どことなく似たところがあったのかもしれません。非常にざっくばらんに飾らない方で、かといって人に媚びて取り入るような人でもありません。その手の人はだいぶん、見慣れたので、パッと観て「この人は付き合うと危険だ」といった勘も働くんですね・・・。

 林田先生の御紹介で、作詞家の湯川れい子さんはじめ、NPO法人江戸しぐさの越川禮子さん・大岩由利さん、投扇(時代劇で見たことがある人もいるでしょう)の小林悴扇さん、四條司家当主の四條隆彦さん、構想日本ディレクターの西田陽光さん・・・と、御紹介いただきました。

 また、スコーレ協会の方から、プロデューサーの小山芳郎さん、桜美林大学教授の川西重忠さんも御紹介いただきました。

 この懇親会に来られる方々は、それぞれ各界の第一人者で、スコーレの会長である永池会長の縁ある皆さんで、またそれぞれ、今の日本の状況を憂い、これからの日本を良くしていくために力を尽くしていこうとされている方ばかりです。

 来賓の挨拶として、湯川さんがお話しされましたが、作詞家として有名な方なので、私もお名前は存じ上げていましたが、非常に社会的な使命感を持っていろいろな活動をされている方だったのだ・・・ということに、改めて感銘を受けました。

 正直言って、私は本来、自分の趣味道楽の世界に引きこもって耽溺して生きていられれば何の不満も感じない自己チュー人間です。

 だから、このような社会的な改革の志しを持つ人達が集まっている中にいると、どうしようもなく劣等感を感じざるを得ません。

 そもそも、青木先生が永池会長を御紹介くださったのも、たまたま家が近くて顔見知りになっておけば相互に何か役立つのでは?という軽い気持ちであったのです。

 私も、スコーレがいかなる活動をしている団体か?ということも、ほとんど知らないままで訪ねていったのですね。今、思えば随分、失礼でしたね~。

 私の取り柄といえば、ただ「武術に関して異常に詳しい」というだけ・・・。

「いいのかな~? 俺が参加しても・・・」と、未だに思うところがあります。

 けれども、毎回、声を掛けてくださる方がいらして、貴重な話が聞けるのは、非常に大きな意味があると思っています。

 やっぱり、自分の柄がどうこうという問題ではなく、好むと好まざるとに拘わらず、人間は生まれたからにはやらねばならない天命や宿命といったものが、誰にでも本当は有るのだと思います。

 私の場合、恐らく、武術研究を社会的に役立つ形で発表していくのが天命なんだと思っています。そして、そのためには、できるだけ多くの社会的志しを持っている人達との縁が必要なのは、考えるまでもないことでしょう。

 そういえば、数年ぶりに壮神社の恩蔵社長と会いまして、ビックリ! 

 恩蔵社長には何度、助けてもらったことでしょう・・・?

 恩蔵社長は文字通りの大恩人なんですよ。

 武術の業界は、本当に昨日の友は今日の敵・・・を地で行く世界ですが、敵も多いが、危機になった時に救いの手を差し伸べてくれる人達も何人もいましたよ。

 別に目立ちたい訳じゃないんですけど、自分のやりたいことには貪欲なので、良くも悪くも目立ってしまうんですよね~。

 お陰様で、今、こうして自分の選んだ人生を心から楽しいと思えるようになりました。

 今後は、やっぱり社会的な影響力も高まってきていますから、それこそ世の中のこれからを良くするような仕事をやっていかなきゃ~いかんな~?と思っていますので、いつまでも俺が強いの誰それは弱いの・・・とほざくしか能の無いバカチン連中(恥ずかしいという感性は無いのか?)とは関わらないようにしようと思ってます。

 昔は俺もワルだった・・・自慢する男が武術関係は多過ぎますよ。恥ずかしいね~?


 それはそうと、23日の読売新聞朝刊の社説で、核燃料サイクルについて、エネルギー戦略の重要な柱だと題して、『(前略)・・・原発と核燃料サイクルの継続を将来にわたるエネルギー戦略にしっかり位置づけるべきだ。だが、課題も山積している。再処理を経た燃料を、どの原発で燃やすかを、“地元の理解も得て決めねばならない”。核燃料サイクルの拠点として建設中の日本原燃の再処理工場(青森県六ケ所村)は、完成間際で技術的難関にぶつかっている。核燃料サイクルを効率化できる高速増殖炉「もんじゅ」も、トラブルが続いている。“確固たる原子力政策なしには、こうした難題に対処できまい”。・・・(後略)』(“”は筆者)と書かれていて、唖然とさせられました・・・。

 読売新聞が原発推進派なのは判っていましたが、この社説の呑気さ加減は感動してしまうくらい楽観的ですね?

 あのチェルノブイリと並ぶ歴史的大事故になった福島原発事故を経験しておきながら、未だにエネルギー戦略がどうこう・・・と論じられる危機意識の欠落っぷり・・・。

 核燃料サイクルというのは、ウランを燃やして出きたプルトニウムを更に燃やして使うという“サイクル”であって、高速増殖炉は、一種の永久機関として期待されたものでした。

 が、その夢の永久機関は、現実的にはそら恐ろしく技術的難問だらけの危険極まりない機関であって、一度、暴走しはじめたら、ほぼノンストップで加速していき、日本列島を生物が住めない死の国に変えてしまう威力のある代物なんですよ。

 諸外国がこの方式から撤退していった意味をちゃんと考えれば、目先の金の計算なんかやってる場合じゃないでしょう?

 核燃料の再処理施設というのも、冥界の王であるプルートーから採ったという毒性の高いプルトニウムを扱うのですから、技術的難関にぶつかるのは当然のことです。

 高速増殖炉の恐ろしい危険性を知っている技術者ならば、この社説の呑気さに怒りを感じるに違いありません。例えば、もし『もんじゅ』で福島並みの事故が起こったら、どうにもできないですよ。完全にアウト! 日本は滅びます!

 何せ、「確固たる原子力政策なしには、こうした難題に対処できない」という、笑うしかない見当外れな論を示しているのだから・・・。

 本当に必要なのは、“確固たる原子力制御技術”なのであり、政策なんかではないのですよ。技術も無いのに難題に対処できる道理がないでしょう?

 福島原発の事故を思い起こしてみたらいいのです。確固たる制御技術があったら、あんな大事故にはならなかったでしょう。

 想定外の津波によって原子炉が壊れたのでしょうか? いや、冷静に考えれば、地震で壊れていたと考えるべきでしょう。

 そして、地震の危険性は格段に高まり、今や、いつ首都直下型地震が起こり、富士山が噴火しても不思議ではない時代になってしまっているのに、まだ制御技術も覚束無い原発を使い続けようとする暗愚さ・・・。

 折しも、日本の原発政策が、核武装を目論んでのものだったことがNHKのETV特集で明かされました。私は、NHKは、よくぞ、そこを明かしたと思いましたよ。

 話は知っていたけれども、その点をマスメディアが触れたことは極めて大きな意味があります。

 考えてみればおかしなことなんですよ。

 何で、日本に、こんなに原発が有るのか?

 北朝鮮で原発が作られると大騒ぎするでしょう? でも、日本はいつの間にか世界有数の原発国家になっていたんですよ。

 これは、協定があったと考えるのが自然ですね。アメリカと・・・。

 利害が一致しているから許されている。許されているけれど、それはアメリカの属国だから・・・という論理。

 日本は戦後民主主義の実験国とされながら、原発で核武装を目論みながら、その実、原発という急所を沢山仕掛けられて文句が言えなくなってしまった・・・と考えるべきでしょうね。

 政治の動きを眺めていると、そんな裏の事情が透けて読めますね?

 国破れて山河は死せり・・・では終わりですね。野田さんが二万回切腹しても責任とれないんですよ。命をかけて、「今、原発依存をやめて本当に自然と共に生きる日本へと脱却していきましょう」と宣言する政治家の倫理と勇気が必要だったのに・・・。

 もうこうなったら、日本国が無くなっても、日本人が生き残ればいい。

 無論、生き残った日本人がどこの国の人間になったとしても、日本の文化と精神を守り伝えていけば、日本人の誇りのDNAは残っていくでしょう。

 日本の良さは、三つあると思います。国土の豊かさ・文化の豊饒さ・精神の気高さ。この三つです。

 もし、日本の国土が無くなっても、本物の日本人が生き残っていけば、いずれ、どこかの地に新しい日本国を根付かせていけると思う。

 政治経済が全部ダメになっても、本当に優れた日本人が生き残っていけばいい。

 だから、私は、そんな日本人を育てる役に立たせるために武術研究をしているつもりでいます。権力にぶっ潰されない誇り高い日本人が増えれば、正邪は見極められますよ。

 今の日本の本当に不幸なのは、拝金主義と組織論に潰されて自己の思いを貫けない脆弱な人間が国の中枢に巣くっていることですね。

 恐らく、原発推進を決めた当時の政治家たちは、本気で国家防衛の必要性を考えていたのでしょう。しかし、それが今では自国の首を絞めることになってしまっている。要するに操られていたんです。

 制御できない武器は自分を自滅させるだけなんですよ。まして、経済問題しか考えなくなっている今の政治家に大局を観て判断していくことを求めるのは能力的に無理なんですね。

 無能な人達は退場していくのが定めですね・・・。

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オウム的なる心性

 オウム真理教のテロ事件が記憶から風化しつつあった時期に、逃走し続けていた犯人が捕まった・・・という点から、いろいろ考えさせられることがありました。

 オウム事件が起こった時、精神世界系の愛好家や専門家の人達で、我が心に共通する問題として反省する声を、私は寡聞にして聞きませんでした。

 つまり、「オウムが特別なのだ」という認識だったのです。

 当時、通っていた道場で、事件が起こった直後、「あれはオウムがやったんじゃないかな~?」と私が言った時、「長野さ~ん、まさか宗教団体がそんなことする訳ないじゃないですか~?(笑)」と言っていた知人が、ニュースでオウムの仕業だと判った時、青ざめた顔で「長野さんは、何で知ってたんですか?」と聞いてきたものでした。

 別に知っていた訳じゃありません。雑誌『トワイライト・ゾーン』で麻原が人気を得ていた頃、つまりオウム真理教の出発の時点から、反社会的な方向へ行くだろうことが予想できていたからです。

 だから、脱会問題で揉めている事件などにも注目していましたし、関係者の不可解な死などから、「あ~、これは殺ってるな・・・」と思っていた訳です。

 宗教に詳しくない人達は、宗教というのは平和と愛と慈悲を説く誠実で心優しい人がやるものだという固定観念があるようですが、私はそうは思いません。

 自分の信仰心に凝り固まって自惚れが強くて信仰に沿わない人や物事、他の宗教に対してはどこまでも凶暴になれる“狂人”の量産装置だと思っています。

 一般に、なにがしかの信仰で結ばれている人間の集団に対して多くの人が感じる不気味さの正体が、その凶暴性を引き出す発狂マシーン原理に有るでしょう。

 つまり、熱狂的な崇拝の原理であるカルトに対して、人は恐怖を感じるのです。

 しかし、それは別に特別なものなどではありません。

 人間は大なり小なり、何かを信じて依存しているものです。

 美容と健康に良いからという理由でヨーガに取り組む人達のほとんどが、ヨーガの宗教的側面を知りません。それを知った時に、「凄いっ! ヨーガとはそんな深いものだったのか?」と痺れてのめり込んでいった揚げ句が、テロ事件を起こしても何とも思わない精神が壊れてしまった人間になってしまう・・・。

 でも、世界の紛争地域を見てみれば、イスラム教の派閥やユダヤ教、キリスト教原理主義の対立であったりする訳ですね。

 つまり、異教徒を滅ぼせ!という論理があるから、あそこまで徹底的に殺戮に励むことができる訳です。

 全共闘運動の過激派だって、革命のためには犠牲も必要だという論理で突っ走ってしまった訳ですね。それは北朝鮮を見れば明らかでしょう。

 レーニン、ポルポト、毛沢東・・・みんなそうですよ。

 松本智津夫が麻原彰晃と名乗って「自分は人類の救世主マイトレーヤである」と雑誌の連載で言いだした時点で、「あ~、こいつは単なる権威主義者だな」と私は思いました。

 武術業界で活動するようになった頃、今の游心流の前身になる研究会をやっていたんですが、ある時、オウム真理教から「セミナーに来ませんか?」という葉書が来たことがありました。

 私は、オウム真理教は危ない方向へいっていると思っていたので、無視して行きませんでしたが、どうも、いくつかの武術サークルに誘いをかけていた様子ですね。

 テロ事件が起こった後、オウムがいくつもの武術サークルに接触して人材を引き抜いていたという事実が判りました。

 大阪のある中国武術団体の主催者からは、オウムの青山弁護士が八極拳の講習会を受講している様子を撮った写真を見せられましたし、ライターをやっていた福昌堂では、オウムの本部が近かったこともあって、中国武術のビデオを信者が買いに来ていたという話を聞きました。

 いや~・・・私も、もう少し世間知らずだったらオウムに取り込まれてテロ事件に関わって逃げ回ったりしていたかもしれない・・・。

 そういえば、游心流初期の会員で物凄い問題を起こしたKさんという人も、学生時代にオウムに入っていたそうでした。

 彼の場合、幼少期から物凄いイジメを受けて精神が屈折してしまっていたのがオウムなどの精神世界や武術に憧れた理由だったそうですが・・・。

 実際に、私も学生時代にヨーガや仙道を自習して大学を一年間通わずに自宅に引きこもり状態だった時期があります。宗教や哲学の本ばっかり読んでました。その頃に統一教会のビデオセンターに引き込まれたこともあります。

 その当時は我ながら精神科で診察してもらっていたら病気と診断されていただろうな~?と思いますね。「俺は世の中、悟ってしまった・・・」って思ったりしていましたからね~(苦笑)。

 でも、こういうのって、要するに現実逃避でしかないんですよ。

 そのことに気づいて、大学に復帰したんですが、そこで今度は映画にのめり込んで完全ドロップアウトしてしまったんですけどね~・・・。

 ここまで来ると、天命だと思ってます。


 まあ、それはそれとして、オウム真理教にエリートが取り込まれたのが不思議がられていますが、エリートだからこそ、自分の限界を思い知った時の耐久力が低く、現実逃避の方舟としてオウムにのめり込んでいったんじゃないでしょうか?

 精神世界好きの人や、武術やりたがる人の中にもかなりのパーセンテージで現実逃避癖のある人がいます。

 社会で自分の立場を確立するには対人コミュニケーションの技術を習得しなければなりませんが、これが下手な人であったり、支配欲が強過ぎる人なんかは精神世界や武術に入りたがるんですよ。

 つまり、自分が上から目線でいられるようにしたいんですね。

 うちの会員にも何人かいましたけど、謙虚そうに振る舞っていても内心では私を上から見下ろすような感覚でいる訳です。

 私はあんまり先生ヅラしないから、こういう人はテキメンで本性が出てきますね。

 対等なつもりになり、それが逆転して、突如として上から目線になるんですよ。

 だから、結局、やめちゃいますよね。私は自惚れは絶対に許さないから・・・。

 しかし、人を上から目線で見たがる人間は、本当は自分の劣等感を見透かされるのが怖くてたまらない自信のない人です。

 自信がないから虚勢を張るんですよ。自信がないから一般の人が関心を持たないような分野の知識を得て威張りたがるんです。

 結論から言うと、現実の社会生活の中で自分が無能な人間なのを自覚しているから現実から目を逸らして、自分が特別な存在であると思いたがっている訳です。

 私を目の敵にする人達に共通するのが、“武術を特別な聖域に置いておきたい選民意識の強さ”ですね。

 こういうのは武術マニアに多い心性です。武術の神秘性を崇拝している自分にとって、その神秘性を暴いていく私が目障りでしょうがない訳ですよ。

 ところが、私を論破するだけの知識も無いし、実力で黙らせる自信も無いから、ネットでセコセコと誹謗中傷してイメージダウンさせようとやっきになる・・・いや~、ミジメったらしいですな~?

 今回、捕まった高橋克也が留置場で蓮華座組んで瞑想修行してみせたりしているのも、そういう示威行動で自分を守ろうとしている訳で、こんなヤツの洗脳を解いて反省させようとするのは無駄でしょう。

 そのまま食事抜きにして即身浄仏させてやったらどうでしょうかね?

 結局、武術にしろ宗教にしろ精神世界にしろ、修行している自分に酔っ払っていたいだけの社会的に糞の役にも立たない“自己満足自惚れ馬鹿”が非常に多いということです。

 くだらんゴタク並べるヒマがあれば、世の中に役立つような仕事をちゃんとやらなきゃ~ダメですよね?

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エイリアンが戦国時代に・・・

 早々にハリウッドリメイクも決まったという『AVNエイリアンVSニンジャ』を、東映チャンネルで観ました。

 戦国時代にエイリアンが飛来してニンジャと戦う・・・というストーリーは、正直いって有って無いようなもの。ひたすら、アクションとギャグを楽しむというテイストは、観客を選ぶかもしれませんが、当然ながら、私は大好きです!

 アクション指導は下村勇二さん。当代一、二を争う若手アクション・コーディネーターとして、将来はユエン・ウーピンのような立ち位置になるんじゃないかな~?と個人的には思っておりますが、そんな下村さんの出世作『VERSUS』から、より進化したようなコジャレたアクションが楽しいです。

 特に、個人的に、あの谷垣監督をして「アクションの才能がある」と言わしめた女優、肘井美佳が、『アンダーワールド』の女吸血鬼役で人気を高めたケイト・ベッキンセールもかくや?の女ニンジャを演じて、エイリアンとタイマンを張る!というアクション女優っぷりを発揮しているのが最高です。

 肘井美佳といえば、『牙狼GARO』のヒロインとして“守られキャラ”のイメージが定着しましたが、第一シリーズ終盤で魔界の女神の依代となって主人公たちと闘うシーンでのアクションは見事でした。

 が、やっぱり、正義の側でアクションばりばりやってもらいたいですよね?

 で、今回の『AVN』は、アクション女優の肘井美佳が活躍しているところが良かったですね。ちょっと、無理やりセクシーな感じを出そうとし過ぎて深夜バラエティっぽいところは御愛嬌ですが(苦笑)。


 スシ・タイフーン系統の作品は、『片腕マシンガール』『東京残酷警察』『デスカッパ』と観てきましたが、自主映画畑出身の私にとっては、こういう低予算で監督のみならずスタッフもキャストもワイワイ言いながら撮ってる様子が感じられる作品が好きなんですよね。

 今はプロとアマの境目が低くなってきているから、低予算でもそれなりのクオリティーの作品が撮れるし、むしろ、自分が本当に観たいと思っている作品を撮るのが良いと思うんですよね。

 そういう意味で、“時代劇”でありながら現代SFアクションにしか観えない『AVN』は、まあ、時代劇版プレデターみたいなものなんですね。

 時代劇ドラマが民放で無くなったものの、ファンタジー・ワールドとしての時代劇を開拓するのは大いにアリだと思うんです。

 かつての『仮面の忍者・赤影』や、『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『魔人ハンター・ミツルギ』『白獅子仮面』『変身忍者・嵐』といった子供向け特撮ドラマだけでなく、孤高の日本特撮の鬼才、雨宮慶太監督の野心作『タオの月』なんて、阿部寛の殺陣が素晴らしく良かった! ズバッと斬った後のザァッとかかってくる返り血を笠で防ぐところが・・・。

 雨宮監督の劇場オリジナルのデビュー作だった『未来忍者』も、設定としては戦国時代のパラレルワールドでしたし、出世作となった『ゼイラム』の最強宇宙生物ゼイラムの造形が、若山富三郎先生の渋い演技?(っつ~か、唖だから喋れない・・・)が記憶に残るハードボイルド時代劇『唖侍・鬼一法眼』の賞金稼ぎそっくりに見えるのは私だけなんでしょうか?(あっ、そうだ! ゼイラムの新作を時代劇でやったら面白いのでは?)

 民放の時代劇復活も、ファンタジー時代劇路線でやればいいんですよ。『おりん』もそんな感じだったんだし、『魔界転生』『シグルイ』『バジリスク』『あずみ』・・・いくらでも原作には困らない。

 時代劇作る側は「時代劇の型枠を壊してはいけない」ということにあまりにも捕らわれ過ぎてると思いますよ。

 ドラマはドラマなんだから、もっと奔放にイメージを飛躍させないと、ジッチャンバアチャンしか見ないんじゃ話にならないでしょう?

『るろうに剣心』だって、劇場版ができるんだからドラマでやったっていいんですよ。

 正直いって、現代アクションではハリウッドや香港にはとても及ばないですよ。『SP』を観た時に、「あ~、頑張ってるな~」と思いつつ、でもボーン・シリーズに勝ってるか?といったら勝ててはいない・・・。

 予算が違うからだと誰もが言いますが、私はそうは思いません。アクションの見せ方や編集技術に差があるせいだと思いました。

 それは、『AVN』を観れば明らかです。アクションの見せ方や編集のやり方で、活劇映画はかくも違うものになるのです。予算の問題じゃありません。アイデアとセンスと工夫と技術の問題です。

 しかし、誰もが忘れてしまっていますが、香港アクションの原点は、実は日本の時代劇なんですよ。

 勝新の座頭市や若山先生の子連れ狼、三船敏郎の用心棒といった時代劇作品の殺陣を参考に香港のアクションは大きく進化したのです。ワイヤーワークだって、恐らく日本の吊りの技術からだったと思いますよ。

 スターウォーズのライトセーバーの立ち回りが黒沢時代劇を参考にしていたというのも有名な話ですし、80年代のスプラッター映画ブームが、若山先生の子連れ狼を再編集した『ショーグン・アサシン』の影響だったという説もあります。

 ニンジャ・ブームも、当然、日本の忍者についての小説が大ヒットしたのと同時期に海外に忍法武芸を普及活動した戸隠流忍法の初見良昭先生の存在が大きかったのです。

 ちなみに初見先生は千葉真一主演の『柳生一族の陰謀』『影の軍団』などのTVシリーズで武芸考証を担当したことが知られていますが、日本ではそんなに知名度が高いとは言えませんけれど、海外ではゴッドハンド大山倍達に並ぶ“日本の古武道の大家”として超有名な人物なのです。個人的には文化勲章まとめて百個くらい捧げるべきだと思っていますが・・・。

 時代劇が衰退したのと同様に、日本人は日本の伝統文化に対する理解があまりにも低過ぎると思いますね。

 関係者がもったい付け過ぎてアンタッチャブルの聖域にしたがるのも理由の一つにはあると思うんですが、日本刀を使った殺陣の様式は、日本人しかサマにならないですよ。

 例えば、『SFソードキル』を観れば、それは明らかでしょう。

 藤岡弘、の日本刀アクションの腰の据わった斬撃は実に重々しく、一撃必殺の気迫が満ちていました。

 この気迫は外国の剣技にはあまり感じられません。

 何故なら、外国の刀剣は刀剣自体の機能以上でも以下でもありませんが、日本刀は、持ち手との一体化によって機能が大きくも小さくもなるのです。

 昔の時代劇は、そんな日本刀の怖さを表現していましたが、今は単なるデカいナイフでしか表現できていません。

 日本刀の怖さをよく表現した作品としては、意外に思う方がほとんどだと思うんですけれど、『ザ・ヤクザ』には唸りましたね。

 クライマックスで高倉健がロバート・ミッチャムと共に敵のヤクザの賭博場に乗り込むんですが、ここでの高倉健の殺陣の緊迫感は異様な迫力がありました。

 ちなみに、この『ザ・ヤクザ』をイメージしたというスチーブン・セガールの『イントゥ・ザ・サン』は、セガールの勘違いっぷりと俺様な展開で、トンデモ映画になってしまっていました(せめて大塚明夫のフキカエで観たら印象が違うかも?)。

 しかし、最近の中国武侠ドラマを観ていると、刀剣の描写に非常に拘っているみたいですね。初期の作品の『笑傲江湖』は、あの怪作『スウォーズマン』シリーズの原作をドラマ化しているので、剣戟描写が非常に楽しいです。

 何だか、『AVN』から話が大きく逸脱してしまいましたね~・・・(苦笑)。

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アスペクト武術シリーズ文庫化

 先にお知らせしました『あなたの知らない武術のヒミツ』の文庫版が25日発売に合わせて見本が上がってきました。

 非常にいい感じです。文庫版後書きも新たに書いておりますので、よろしく

 また、編集のSさんから電話がありまして、何と! 早々に『誰も知らない武術のヒケツ』が8月、『そこが知りたい武術のシクミ』も10月に文庫化発売がほぼ決定したのだそうです・・・。

 ちょっとビックリ・・・。

 何か、ほとんど何もやらずに今年は最低三冊出せてしまうという訳で、恐縮です!

 いいのか? 仕事しないで印税貰っても?

 まっ、私の文章スタイルって、元々が新書版か文庫版向きだと思っていたので、お小遣いの少ない若年層の皆さんが買ってくれると嬉しいな~と思っております。

 小説の先生曰く、「インターネットでは、誉められるより徹底的に悪口書かれる方が遥かに宣伝効果が高い」のだそうなので、Mクン(←誰?)も気合入れて批判してくださいねっ?

 私は、感想なんか、どうでもいいんです。要は、“売れればいい”んですよっ!

 いっぱい売れて、いっぱい印税が入ってくれるなら、評判なんぞ、ど~でもいいんですよ!

 私は別に有名になって世の中に認められたいとか、そんなことは全然、眼中にありません。

 だって、私の研究している内容をきちんと理解して評価できるだけの慧眼の持ち主は世の中に数える程しかいないと思ってるんで、実際に体験して体得してもらうしか信用してもらえないでしょう。

 無知で洞察力のカケラも無い嫉妬心しかない人達から中傷されてもセセラ笑ってるだけですし、逆に、訳も分からず持て囃されても、それで有頂天になるほど間抜けじゃありません。

 そんなことじゃなくて、具体的な活動資金を稼ぎたいんですよね。本を書いているのはそのためですから。

 稼いだ金で道場建てたり、信頼できる仲間とクリエイティブな事業をやって、これからの世の中を開拓していく人材を育成していきたいんです。

 ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』の原題『精武門』って、伝統武術を通じて中国人民の心身を鍛え、国を担う人材を育てていこう・・・という理想に燃えながら急逝してしまった実在の武術家、霍元甲の架空の弟子、陳真の活躍を描いた作品なんですが、この霍元甲という人は、日本で言うなら講道館柔道の創始者、嘉納治五郎みたいな人物なんです。

 精武門というのは、一般の流派とは違う意味で、霍が創設した“精武体育会”を指しているんです。現在、活動されているかは存じ上げないんですが、日本にも支部があったんですよ。

 何かね~。最近、急激に武術の技能向上への欲求が薄れてきてですね~。勝手に上がってしまうから欲求が無くなってきたんですね。

 代わりに、武術を人材育成に役立てるべきだというアイデアが日々、強まってきているんです。

 一般的に武道や格闘技で強くなる人って、もともと体力や気力に恵まれている人ばっかりで、言わば、強い人がもっと強くなるために武道や格闘技をやっている・・・という構図があるんです。

 でも、本当に武道や格闘技が必要とされる人は、体力が無くて気力が弱い人ではないですか?

 私は、老人や女性でも若く屈強な男性に勝てるやり方を追究してきて、ついにそれを発見し体得のシステムも作り出せました。

 そして、それを超速学習できるメドも立ちました。

 もう、一般の武道・格闘技のみならず既存の流儀武術とも大幅に異なる教授システムになったのです。

 それで、一般的な辛く苦しい練習を長年耐え忍んで、ようやく達することのできる領域だ・・・と、頑なに信じられてきた固定概念を叩き潰してしまった訳ですよ。

 しかし・・・これらは私が作り出したものではなくて、既に本来の武術の構造の中に秘められていたものなんです。やってる人間が気づかないだけ。

 だから、大抵の流儀にも応用できます。別に游心流が特別優れているという訳じゃないのですよ。

 もちろん、この原理を解明するのに、多くの先生方の教えに導かれましたし、私がたまたま、その任に選ばれたんじゃないか?と思っているんですけどね。

 いや、本当に苦労だけはいろいろしましたよ。物凄い回り道したような気もするし、よく克服できたな~?と冷や汗が出るようなピンチが何度もありました。

 でも、苦労したから内容がより磨かれたような気がしています。

 いや、年とっても衰えないという自信はあったんですけど、年取って向上に加速度がつくとは予想していなかったんですよ。

 70過ぎて始めた人が、たった一年足らずで別人のようになってしまうんだから、我ながら、何という物凄い人間改造トレーニング・システムを作り上げてしまったのか?と、ちょっと怖くなってしまうぐらいです。

 信じてもらわなく結構! やってみれば判ることなんで・・・。

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近藤等則氏の講義にゲストで・・・

 昨年夏の天真會主催のチャリティー・イベントを切っ掛けに縁が深まった、世界に名高い(何か、最近、世界レベルの人とばっか縁が出来てきましたね?)エレクトリック・トランペッターの近藤等則さんが客員教授をされている東京経済大学の近藤さんの講義に、ゲストで呼んでいただきまして、北島師範、千葉師範代と一緒に、6月7日に行って参りました。

 近藤さんは、あの田中泯さんとも親しく、“日本人の身体”に関して一家言を持たれており、日本でヨーガがまだそんなに知られていない頃からハタ・ヨーガに取り組んだり、新体道の初期の頃からの修行もされていたり(新体道OBの中で最も後援してこられた方だと思います)、実はアーティストという枠組みを超えて身体論に関して幅広い研究をされているんですね。

 それで、新体道という空手を母体に発展した体技をされていることから、武術研究をしている私にもお声を掛けてもらった・・・ということなんですが、恐らく、青木宏之先生が推薦してくださったんじゃないかな~?と思っています。

 ともあれ、世界の近藤から声をかけてもらって断る理由はありません。二つ返事でお引き受けしまして、この日、東京経済大学のある国分寺に向かいました・・・。

 国分寺を歩いたことは、ほとんどありません。バスで駅まで来たことがあるだけと記憶していましたが・・・。

 駅から大学への道を歩いている時に、「はて? 何だか、この道、以前に通ったことあるような~?」と、デジャヴ感に浸っておりますと、「確かにここは通ったことがある!」という確信に変わり、大学の校舎に入って、完全に思い出しました!

 十数年前だったと思うんですが、ここでパフォーミングアート批評の及川廣信先生の御招待で舞踏公演を観に来たことがあった!ということを思い出しましたよ。

 そうだ! ここだったんだ~・・・と、何だか、凄く嬉しい気持ちになりました。

 東京経済大学は、してみれば、前衛的先取の気性のある大学なのかな~?と思えますね(近藤さんが教えているくらいだし・・・)。

 待ち合わせ場所で三人で座って待っていると、近藤さんが現れて地下の講義室に招き入れてくださいました。

 一応、道着に着替えて先に来ている学生の皆さんにプリントを配ったりしましたが、正直、これは関心の無い人には意味がないと思っていて、実際の講義は、いつものセミナーや講座のように実技実習主体でやるつもりでした。

・・・というか、私の研究している武術って、自分で体験してみないと丸で理解できない代物なのですよね。

 それも、熱心に武道に取り組んできた人ほど、「そんな簡単に合気や発勁ができるようになる訳がない! このインチキ研究家風情が何をデタラメ言いやがって・・・」と目の仇にする人が少なくありませんでしたね。

 ところが、私のを読んだりDVDを見たりして半信半疑でセミナーを受講して、まったくの素人が、あっという間に武術の達人しかできないと言われていた技を再現してしまうのを目前にして、茫然となってしまう・・・という光景も、もう何十回も見てきたのですよ。

 だから、論より証拠で、「まず、やってもらって自分ができるようになってもらう」というのが一番、大切なことだと思っていまして、能書きはいいから、基本的にワークショップ形式でやる・・・というのが私のやり方なんです。

 いや、正直に申し上げて、私自身も、最初は、こんなに簡単に武術の秘伝とか極意と言われているような技が素人でもすぐに体得できるなんか夢にも思っていなかったんです。

 しかし、私が自分で苦心して再現できるようになっていくうちに、「ん~・・・、もしかして、これって教えたら誰でもすぐできるんじゃないかな~?」と思うようになり、何度も何度も教えているうちに教えるポイントが段々とシンプルになっていき、結果的により簡単に教えられるようになっていった・・・という次第なのです。

 何せ、游心流を名乗る以前からだから、もう20年以上も教えてきているからです。

 その20年の蓄積の末、「自分の力を抜く・相手の力に対抗しない・相手の力の方向をずらす・重心移動の力を用いる・骨盤から動く・スリ足を用いる・・・」といった様々な原理を確立していったのです。

 ただ、これらの原理は武術のみならず、舞踊や健康法や職人や何やらの、いろんな流儀の中の達人と呼ばれている人達に共通する心身の使い方を観察していて採り入れていったものなんですね。

 そういう意味で、私のオリジナルだとは言えないんですよ。どこでもやっていることですから・・・。

 ただし、それを自覚的に理論化してやっている人は非常に少なく、流儀の根幹にして教えているところは見当たらなかったので、私は自分で再編成していった訳です。

 誤解のないように申しますが、それでは、何故、一般の武道武術では何十年単位で必死で練習しないとできないような技が、私が教えると、あっという間に誰でも体得できるのか?

 それは、「仕組みを理解しているかどうか?」ということなんです。

 一般に武道武術に取り組んでいる人は、自分が学んでいる流儀の稽古法に、どういう意味があるのか?ということを知らないままです。

 だから、何年も何十年も学んでも、極意に到達できる人が一握りで、多くの人が途中で挫折したり、ただやっているだけでちっとも上達しなかったりするのです。

 考えてみれば簡単な理屈なんですよ。TVの機構を知らない人間がTVの修理はできないでしょう? 専門教育を受けた医者にしか手術はできないでしょう?

 武道武術をやりながら、いつまでも上達しないというのは、技や訓練法や戦闘理論を理解していないままで、“習うより慣れろ”という方法論を盲信してしまうからです。

 そういう稽古を長年続ける以外に体得できないのだ・・・という“強固な刷り込み”があるから、自分の意識を縛ってしまうんですね。

 そういう訳で、その下手な呪縛がない分、素人の方が簡単に体得する・・・という理屈なんです。解る?

 例えば、「確かに力を抜くのが極意だが、初心者から力を抜かせていたら、現実に人と戦った時に何もできずに簡単に倒されてしまう。最初は身体を鍛えて肉体を鍛えることが肝心なのだ」と、どんな武術武道をやってきた先生であっても、必ずと言ってよいくらい判で押したように同じく言われます。

 そうですね~・・・、間違いとは言えないんですが、この考え方も、実は自身の体験からくる“思い込みの要素”がかなり有ると思うんですよ。

 私、最近、そのような“必死の修行”の効果そのものを捨ててしまえるくらい超然とした意識にならないとダメなんじゃなかろうか?と思えてきたんです。

 結局、「初心者には戦うための肉体が必要」という考え方の中に、「敵とぶつかった時に潰されないように・・・」という“対抗する考え”が潜んでいるんですね。

 脱力技法、交叉法を研究してきて、結局は、これらも心法の世界に入っていかないとダメだと気づいた訳なんですが、どういう意味か?と申しますと、対抗する意識があると無意識に筋肉の神経に電気信号が送られて、力を抜いているつもりなのに力が入ってしまうんですね。

 そうすると、相手の攻撃が、こちらに作用してしまう訳です。

 必然的に相手が強ければ、そのまま押し切られてこっちがやられる。

 そこで勘違いして、「やっぱり、力も必要なんだ。筋肉を鍛えないと本物の脱力はできない!」と、大馬鹿こいちゃって、力比べやっちゃう訳です。

 72歳のUさんなんて、腕が私の半分の太さもないですよ。それで脱力して空手出身の会員のミドルキックを脱力技法で撥ね返せるんですからね~。

 とにかく、“力がぶつからないように化勁に熟練すればいいだけ”なんです。

 私がシステマを高く評価したのもそこなんですよ。徹底的に相手の力を作用させないように受け流してしまう点に脅威を感じたのです。

 うちが自由組手やらないことにしたのも、下手に自由組手やると筋肉馬鹿状態になって相手と競い合うばかりになり、結果的に技が全然、身につかない。そんでもって、技が体得できないから尚更、筋肉を鍛えて対抗しようとしてしまう・・・という悪循環に陥ってしまうからなんですよ。

 事実、自由組手をばりばりこなしてきた人ほど、繊細巧妙な技は身につきません。できないから、益々、筋肉に頼ろうとする。

 それでも中年過ぎて筋力では若い人に勝てなくなり、それで武術の技に関心を持つようですが、とにかく鍛えるのを止めないと身につかないですね。

 筋肉は鍛えて膨らませるんじゃなくて、ゴムのように柔らかく練るようにした方がいいでしょう。ストレッチは非常にいいと思います。

 私が猫好きなのも、猫の身体能力の高さに注目しているからです。猫は犬みたいに走るのが好きでもないし、一日の大半は寝てます。運動らしいことをやるのは寝起きに全身をゆっくりと伸ばすだけ・・・。それだけで、瞬間的な動きの素早さは物凄い!

 よって、無駄に身体を鍛える武道武術より、楽しくダンスやっている方が本来の武術を体得するには、ずっと向いているんですよね。


 近藤さんの講座の受講生は、ほとんど女子大生ばっかりで、「あれっ? この大学って女子大だったっけ?」と思ったくらいでした。

 まあ、初心者には最も解りやすい脱力系合気からやりましたが、皆、「え~? 嘘?」と、キャッキャ言いながら楽しくやってくれました。

 やっぱ、若い女子がキャッキャ言いながらやってもらうのが、一番、教え甲斐がありますよね。ムサイ親父同士で加齢臭漂わせながら練習するのって嫌です!

 座捕り合気上げから始めて、指合気、二人捕り、合気柔術などをやり、痴漢対策の護身術として、背後から抱きかかえられた時の脱出法や背後から腕を回して首絞められた時の脱出法・・・などもやりました。

 特に背後から捕まってるのを脱力技法でトコロテンが抜けるみたいにツルンッと脱出できるというのは、私がやっても「えっ? マジ?」という感じで見ていましたが、自分でやってみて、意外に簡単にスルッと抜けられるので、「あっ、できたぁっ!」と、喜んでましたね。

 首絞められたのを抜ける技は、更に驚いたみたいでしたが、やっぱり実際にやってみたらできるので、これは相当、皆さん、驚かされたみたいでした。

 ちなみに、こういう技は日頃、全然やらないので、千葉師範代もビックリしてたみたいでした。

 それにしても、妙に覚えが良い。ここまであっさり脱力できるとは・・・?

 何でも、青木先生も来られて新体道を体験していたそうで、脱力する感覚を先に体得していたからなんでしょうね?

 それと、ダンスをやっている人も居たので、素晴らしく飲み込みが早かったです。

 胸を押されて片足立ちでも大丈夫・・・というのもやりました。ある太極拳家が自慢げに披露していた技?でしたが・・・。

 こういう技は「30年くらい修行しなければできない」とか言われたりもするんですが、原理的に言えば「力を抜いて相手の加えてくる力に抵抗しない」というだけの話なので、感覚的に「力がぶつからないようにして・・・」ということだけ専心すれば簡単にできるようになるものです。

 30秒で体得してましたよ。いや、マジで・・・。

 やることなくなってしまったので、自主製作したDVDを見てもらいながら簡単に解説・・・というか裏話とか喋ったりしまして、後半は、事故が起こったらマズイからやめておこうか?と思っていた寸勁も、要望があったので教えました。

 と、ここで近藤さんの新体道魂に火がつき、男子学生がクッション三枚重ねているところに新体道特有の中高一本拳でズビシーッと突きを入れて、「お~っ! 近藤さんの突きを見ちゃったよぉ~!」と、私、内心で喜んでおりました・・・。

 何か、クッション三枚じゃ全然足りなかったか?

 最後は、太気拳の練りの練習法で、両腕をぐるんぐるん回しながら前進後退を繰り返す練習法を指導し、それを実際に技として使う用法を指導して終了しました。

 何か、全員の感想も聞いてみましたが、楽しんでもらえたみたいです。

 帰りは近藤さんと駅まで一緒に行き、途中で1時間近くコーヒー飲みながらお喋りして帰りましたが、本当に近藤さんは全然、飾らない人だし話題の引き出しの幅の広さには驚かされますね。

 ふと、「あれっ? 何で俺は近藤等則さんと、こんなに仲良くなってんだろう?」と、思ったりもしましたが、それは近藤さんの器の大きさなんだと思いますね。全然、威張らない自然体で、豪快な人でした。そうですね~。椿三十郎みたいな感じかな?

 体験的に思うのは、名前ばっかりで内実が伴っていない人ほど、尊大に振る舞いたがるみたいですね。威圧的に上っ面の造形ばっかりつくろいたがる人は、本当の自分をさらすのに恐怖心があるのかもしれません。

 凡庸な人はそんなもんですが、その道の超一流になる人ほど、自分をさらけ出せる人のように思えます。


 練習日と重なったので北島師範には先に行ってもらい、千葉師範代と一緒にメイプルホールへ向かいましたが、北島師範は珍しくノリノリでしたね。

 女子大生ばっかりだったからか?

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日本の政治はここまで腐ってるのか・・・

 野田総理が大飯原発の再稼働を宣言する会見には、流石の私も唖然呆然・・・「この人、頭どうにかなっちゃったの?」とすらマジで思ってしまいました。

 野田総理の腰の低さ、丁寧なもの言い、そつの無い対応・・・それらが、見事に人を欺くための手練手管でしかなかったことが、この会見で実証されたように思えました。

 しかし、案外、マスコミは騒がない。もっと大騒ぎになって当然だと思ったんですが、一部で論じられている通り、マスコミもグルになっているとしか考えられませんね。

 過日、西荻窪のほびっと村で講座をやった後、主催者のユリ子さんと話していて、「この国の政治は本当に腐っている。酷いとは思っていたけれど、まさかここまでとは・・・」と慨嘆されていましたが、私も同感・・・というか、反論する人の頭の中身が見てみたいですよ。

 野田総理の発言の論旨は、「日本の豊かな国民生活のために原発は必要」「これからも原発を続ける」「安全が確認された(という設定の)原発は再稼働していく・・・」ってこと以外に解釈のしようのない話なんですよ。

 これ、福島で会見してもらいたかったですね~。野田総理が暗殺されても不思議じゃないでしょう。そのくらい被災者の心を踏み躙る非道な発言ですよ。

 確かに日本の逼迫する経済状態で原発マネーを捨てることは大変かもしれませんが、それじゃあ、原発を続けていくことが反映に繋がるんでしょうか?

 原発の一大問題点は、使った燃料が捨てられないことです。

 どんな立派な家やビルであっても、トイレが無かったら、不便なんてもんじゃないでしょう? 原発がそれなんですよ。

 だから、「使った燃料を再処理してまた使う・・・」という高速増殖炉やプルサーマル型などが日本の優れた技術で可能であるとして取り組まれていましたが、実情はまったく無理。むしろ、ほんの少しの事故で日本列島が死の島になりかねない、とんでもない危険な代物であることが判明してきました。

 野田総理は、福島原発事故の収束宣言を早々に出していましたが、折しも都内公園で高濃度の放射性物質が測定されたり、関東周辺で未だに放射性物質のホットスポットがある訳です。

 原発を続ける限り、日本には未来永劫に渡る滅亡の危険がついて回ってしまいます。

 まして、昨年の東日本大震災以降、日本列島は地震列島化してしまいました。

 いつ、どこで大規模な地震が起こり、大津波が襲うかも判らない・・・。

 そんな状況で、目先の経済効率を優先することの愚かさを自覚しない人間は、狂っているとしか言えません。

 これまで、原発推進をしてきた人達は、「原発は絶対安全だ!」という無根拠な信仰を掲げて地域住民に金をバラ撒いて“豊かな生活”を提供してきました。

 福島原発の被害を受けた人達も、そんな原発マネーの恩恵を受けた人がいたでしょうが、「馬鹿なことをしてしまった・・・」と後悔しなかった人がいるでしょうか?

 東京電力の値上げの話も、噴飯物の欺瞞です。

 愚かしいのは、政府がそれを容認していることですよ。消費税増税の話も胡散臭い。

 野田総理がやろうとしているのは、国民から絞れるだけ絞って、どこかの国に貢ぐということじゃないですか? TPPだってそうでしょう?

 二言目には「国民のため」と言いながら、実際にやろうとしているのは疲弊している国民から更に絞ろうとしているだけ・・・。

 やるべきなのは、まず雇用を増やすこと。そのための新しい仕事を増やすこと。

 簡単なのは、原発解体事業。そして新しいエネルギー事業。破壊と再生。

 この二つをやるだけで巨大な雇用が生まれますね。

 だけど、野田総理には、そういう新しいシステムを作り出す知恵が無い。金の無いところから金を回そうとしたってダメなのは判り切っているのに・・・。

 福島原発で故郷を失った人達には過疎化が進む地域へ移住の斡旋をして、そこで休耕地を開拓したり農業や漁業を活発化すればいいんですよ。

 日本中、過疎で悩んでいる地域はいっぱいあるんですから・・・。

 これまで、実態の伴わない仕事で金だけ回すような真似をしてきたから、この国はおかしくなって拝金主義の守銭奴ばかりが増殖してしまった・・・と私は思います。

 だから、実態のある仕事をやる人を増やしていけばいいんですよ。

 実態のある仕事をやっている人は、生活の苦労も思い知りますよね? だから金の有り難みもわかるし、痛みを知ることが他者への思いやりにも繋がるでしょう?

 日本の政治家がここまでダメなのは、生活の苦労を知らないから人の痛みを知らないんですよ。

 消費税10%にしたら生活できなくなる人が沢山いる・・・という想像が働けば、やらないでしょう?

 通り魔事件起こしたバカが、通帳に20万円しか残ってなくて、これじゃ生活できなくて死ぬしかないと思ったとかいう話でしたが、20万もあれば、日雇いで食いつないで仕事を探す資金には充分ですよ。

 私なんか今でも預金通帳、しょっちゅう、底を尽いてますよ。

 だけど、「金が無くなってきたから、次の本の企画を考えて持ち込むぞっ」って、必死のモチベーションになる。

 私が金持ちのボンボンだったら、何の仕事もしてないでしょうね。貧乏が私の武術を磨いて、成り上がり精神を強くしてくれた最大の鍵ですよ。

 そして、パニック障害で発作起こして電車でバンバン倒れたりしていたから、「これじゃあ、会社勤務とか無理だな~」と思ったから、自宅でできるもの書きの仕事をやれるように頑張ってきた訳ですよ。

 な~んにも無駄になっていない。

 時間はかかりましたけどね。そうですね~、ざっと20年ぐらいかな~?

 でも、苦労を重ねた分、もの書きのネタには困りません。だから、これも無駄ではないんです。

 私が本当に日本の将来を考えて一命を賭けようという政治家と縁ができれば、「日本を2年前の水準に戻すのに原発が必要だと考えるより、向こう10年、経済成長は抑制されても、原発依存から脱却して日本独自の新しいエネルギー・システムの研究開発に専念すれば、100年先、200年先の世界をリードする国家として日本は世界のモデルケースになれますよ。それだけのアイデアを持つ民間の研究家や企業に支援すればいいでしょう」と話したいですね。

 この際、本音を申しますが、私が武術を研究してきたのは、要するに体制を信じていないからなんですよ。

 人間は権力によって変わってしまうものでしょう。

 誰もがヒトラーのような権力で大衆を操りたいという欲望を持っている。その欲望の強い者が政治家を志す・・・と私は思っているので、それで政治は嫌いなんですが、しかし、権力欲に振り回されない克己心を持ち、尚且つ、世の中により良き働きのできる人間が一人でも多く出てくれば、体制の歯車として使われるだけの生き方しかできない民衆という概念を打破して、個人個人が世界と繋がって世界を開いていく働きができる・・・と思うんですね。

 それだけの働きのできる人間は、個人で体制と拮抗するエネルギーを持っていなければいけないでしょう?

 私は、誰もが一騎当千の人間力を持つことで世の中はいくらでも変えられると思っています。

 釈迦、マホメット、ゾロアスター、モーセ、イエス、空海・・・といった宗教家や、哲学者、科学者と並んで、意外と武術家で歴史を変えるほどの影響力を発揮した人がいるでしょう?

 宮本武蔵とブルース・リーは、まさにそうですよ。

 で、世間的にはそこまで知られていませんが、現代最高の武術家として私は青木宏之先生が、まさに人類史上のキーパーソンだと思っています。

 だから、格闘の強い弱いみたいな低レベルな話しかできない阿呆連中とは、もう話したくないんですよ。馬鹿馬鹿しいっちゅうか、何ちゅうか・・・。

 野田総理をはじめ、民主党の議員さん達をTVで見ていると、何だか“落ち武者ゾンビ”に見えてきますね? もう、死に体になっているというか、体制に逆らえずに洗脳された話をしているだけにしか見えません。

 野田総理の会見について、田中優子先生が、「菅さんの退陣のゴタゴタの時から、こうなることが決まっていたのかな~?と思いました」と言われた点。流石の洞察力だと思いました。

 菅さんが首相の座にあそこまでしがみついていたのは、「今、自分が代わったら原発マネーと引き換えに日本は原発実験場にされてしまう」という必死の抵抗だったのではないか?と、私は思っていますが、野田総理は、あっさりと日本を、日本国民を某国への人身御供に売り渡してしまおうとしている・・・と思います。

 野田総理の言う「豊かな国」とは何なんでしょうか? 政治家や一部の大企業だけが豊かに暮らすために国民から搾取できる国という意味なんでしょうか?

 誠実な仮面の奥に悪魔の奸計を巡らしている・・・と思います。

 そういえば、野田総理は左右の瞳の大きさが倍くらい違ってきています。これは左右脳の働きがアンバランスであるということを示しており、要するにハラの中と言ってることが違うということ・・・と観相術では観ます。

“巧言令色少なし仁”ということでしょうね・・・。

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六月セミナー“交叉法”感想

 今年の月例セミナーも既に半分まで来ました。

 そして、今回の“交叉法”は、私の武術研究の中心テーマとなっている理合です。

 今回は初参加の方や二回目の方もいらしたので、基礎錬体(スワイショウ、立禅、三元試力)の武術的応用法も久しぶりにやりまして、発勁(寸勁)の打ち方もついでにやりました。

 この寸勁ができて交叉法を覚えれば、基本的な武術の戦闘法としては充分であると私は思っています。

 一撃で相手を戦闘不能にできるだけの威力の当て身と、その当て身を確実に当てるための理論・・・。

 これは、松田隆智先生が生涯求めていると言われていたものです。

 奇しくも、その二つを私は得られてしまいました。

 しかし、松田先生は、「これは一朝一夕にできることではない」と信じられていたのに対して、私は「誰でも数年で実用レベルには問題なく体得できる」と考えている点が違うくらいでしょう。

 いや、敢えて挑発的に表現すれば、「護身術レベルなら数時間、人によっては30分で体得できる」と言えます。

 何故なら、理論をきちんと理解して素直に実践すれば、少しも難しいことではないからですし、日々の鍛練を積み重ねることで真の威力が出せるという考えそのものが、技の本質を知らないが故の思い込み(希望的観測)に過ぎないと私は考えるからです。

 有り体に言ってしまえば、武道・格闘技の訓練がスポーツ的な観点からの“必要な筋肉の強化”に偏ってしまっているからこその誤解があると思われます。

 本当に必要なのは、テクニックの勘所を一つ一つ理解して理詰めで積み上げていく・・・という作業なのですが、それを忘れ果てて、無意味に肉体を鍛えることに終始してしまったがために、労多くして功が少ない状態になってしまっているのです。

 例えば、今回の交叉法にしても、無構えで待つという形式だけに拘ってしまうと発展性がありません。

 無構えからいろいろな構えへと変化しながら相手の出を誘う・・・という戦術を駆使することで、後の先、対の先、先の先、先々の先・・・と発展していかねば実用にはなりません。

 あるいは、その先を取る読みの技能を深めることなしにスパーリング練習に入ってしまえば、読みも糞も無くなって、「交叉法は使えない」という誤解にも陥りかねません。

 武術の目指すのは、精神論ではなくて具体論です。

 勝つために何が必要か?ということを考えて、理詰めで技術体系を組み上げ、より発展させていかなければなりません。

 そのための重要不可欠なヒントが交叉法にはあります。

 また、交叉法は本来、剣の戦いから派生した理合であると考えられ、一撃で殺すことのできる武器の威力を前提にしなければ意味がありません。

 だから、私は素手でも一撃で致命傷を与えることのできる発勁に拘ったのです。


 今回のセミナーでは、太気拳で言うところの“差し手”の技術が、空手道の捻り突きや陳氏太極拳の纏絲勁、八卦掌の螺旋勁などに通じる、相手の攻撃してくる突き腕を利用した“交叉合わせ突き”の原理に通じるものであることを解説しました。

 あるいは、形意拳の崩拳、鑽拳などや、合掌したままクサビ状に突き込む技などが、一刀流の切り落とし、新陰流の合し撃ち(一刀両断)などの原理に通じるものであることも解説しました。

 もっとも、ストレート系の突き技にしか使えないのでは論外なので、前蹴りを差し手でそらしてキャッチして投げるとか、横蹴りをキャッチして投げるとか、回し蹴りを下段払いで撥ね返すとか、ムエタイの首角力からの膝蹴りを掌で撥ね返して指頭(刀)拳(戸隠流や八光流で用いる親指尖端で突く当て身)を肋骨の隙間に刺す技とか・・・いろいろやってみました。

 確かに突き蹴りは当たれば怖いです。無防備に急所に一撃食らえば悶絶物です・・・。

 しかし、ボクシングやK-1、極真空手の試合を見ても判るように、互いに警戒しながら攻防を繰り広げていて無防備に急所に一撃食らうことは滅多にありませんし、動き回っている相手に当たっても威力が半減してしまうので一発で倒れることも少ないのが現実です。

 そして、突き蹴りは重大な弱点が隠れているのです。

 それは、「突き蹴りを出した瞬間に必ず隙間が開く」ということです。

 もちろん、ある程度の間合を保ったまま素早く攻防していると、その一瞬の隙間を迎撃するということは極めて至難です。

 ところが、実はここにも盲点があるのです・・・。

 それは、「ある程度の間合を保ったまま打撃技だけで闘う」という点です。

 これは総合格闘技やブラジリアン柔術をやっている人なら当たり前の話でしょう。「パンチやキックしてきた瞬間にタックルして倒して首絞めればイチコロだよ」と笑っている人の話を聞いたこともありますが、実際に突き蹴りは威力が大きい反面、弱点も大きいのです。

 考えてみてください。本来の琉球空手は突き蹴りだけじゃなくて逆技や投げ技、固め技、点穴技なども含まれています。

 型の所作も突き蹴りだけでは解釈不能なのです。

 つまり、琉球空手は本来、総合格闘術なのですね。

 中国武術も同じことであり、酔っ払いや動物の真似をしたり奇妙な動作をしたりするのも、打撃技だけで考えたら理解に苦しむでしょう。

 例えば、突き蹴りに関しても本来の使い方は忘れられてしまっており、「一本拳なんか指を痛めるだけで使えない」と断定する空手家がいますが、そもそも使い方そのものが違う訳なのです。

 特殊な拳型や貫手などは、離れたところからオリャーッ!と突き込むような使い方はしないのです。至近距離から急所にスッと差し込むように使うのです。

「そんなので威力が出るのか?」と疑う人もいるでしょうが、軽くやっても効くから急所というのです。急所という言葉も、元来、お灸を据える所である“灸所”から転用されたりしており、いわゆるツボなんですね。

 昔の武術家は、医者と兼任していたりしていますが、それだけ人体の仕組みを知り尽くしていた訳ですね。

 私も日本武道医学を学んだり、カイロプラクティックやいろいろな整体療法や健康法なども研究してきましたが、人体の効率的な破壊のやり方を知ることが武術技法の効率化に繋がりました。

 で、結論として、何も考えずに阿呆みたいに肉体を鍛えるヒマがあったら、生理解剖学とか心理学とかを勉強した方が、よっぽど益になると思います。

 これから50代になり60代になり、肉体が老化していっても武術の技はどんどん向上すると思っています。それは、武術が体育ではなく身体学問だからですよ。

 身体の仕組みを探究すればするほど、より効率的に簡単に極意の技が使えるようになると思いますね。

 もう、うちの会でも数人は達人レベルになっていますし、これから超達人レベルになっていくでしょう。

 今の先行き不安な時代、最後に頼りになるのは自分だけですからね。それも呑気に十年も二十年も修行しているヒマはありません。

 ひょっとすると、世の中の激変に対応できる人間が必要だから、短期間に超達人を養成できるシステムを私が開発する役目があったのかもしれません。

 そういう具合に考えないと、いくらなんでも、こんなに簡単に武術が体得できる筈がないですもんね?

 とにかく、今は与えられた仕事をしっかりとこなしていくだけですよ。

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六月セミナー“交叉法”

 お待たせしましたっ!

 月例セミナーの六月は、我が游心流のお家芸である“交叉法”です!

 これが解らないと武術の戦闘理論は解らない!・・・と、私は自信をもって言えます。

 思い起こせば・・・初めて交叉法を知ったのは、現・躾道館館長である小林直樹先生と二度目にお会いした時でした。

 無構えで静かに立ち、「さっ、攻撃してきなさい・・・」と不敵な笑みを見せている先生に、攻撃しようとしたか否か?の瞬間、私の視界には小林先生のカンフーシューズの裏が広がっていました・・・。

 のわ~っ! なんじゃ~こりゃあ?・・・と思ってから、もう20年くらい経過するんですね~?

 刻の流れは早いものです・・・。

 思えば、当時、小林先生は交叉法とは言わず、「交叉」と言われていましたし、無構えとは言わず、「自然体」と言われていました。

 理合という言葉も使われていませんでしたし、目付けという言葉も使われていなかったんですよ。

 交叉法・無構え・理合・目付けといった言葉は、私が一般的な武術用語で説明するために使ったものでした。

 どうしてか?と言うと、小林先生は、桜公路先生から教わった、そのままを伝承しようとされていましたが、私は直感的に、「これは剣術、特に居合術の理合から工夫された戦闘理論だな」と考えて、流派を問わずに普遍性のある理合だと考えたからでした。

 で、実際に私は拳法には拘らず、あらゆる武術に応用して研究していきました。

 特に居合術の戦闘理論として交叉法から逆に考えて独己九剣を考案したのも、私は流派という考え方ではなく、“武術の普遍的原理”を最初から求めていたからです。

 こういう点を批判されるのは構わないのですが、技の形に捕らわれていては武術の本質を探究することはできないでしょう。その点で私は他者の評価を期待はしていません。

 理解してもらいたいとか認めて欲しいという考えは全然無いのです。

 どうしてか?

 私は現実に自分が技が遣えるかどうか?ということしか眼中に無いからです。

 できるかできないか? 勝てるか勝てないか? それだけの話です。

「それなら、試合に出て勝ってみせないのは卑怯だ」とかほざく人もいますが、私は試合で闘って勝つことには何の意義も見いだせません。命がかかった勝負に勝てるかどうかしか求めていないからです。

 それが武術なんだと考えているからです。

 つまり、強いとか弱いとかいう考え方とも違うんです。生き残れる技を追究しているので、他者の技と威力やスピードなどを競うつもりが無いからです。

 素手でも戦える。武器を持っても戦える。頭脳戦略を駆使しても戦える。

 そういうのが武術であると考えているので、スポーツ的な勝負観しかない人とは根本的に考えが合わないし、魅力も感じないのです。


 さて、交叉法です・・・。

 小林先生に学んで以来、私は交叉法の観点から技の優れた先生方に学ぶようになりました。

 青木宏之先生、田中光四郎先生、友寄隆一郎先生・・・。

 中でも、友寄先生の理論的研究に触れられたのは僥倖でした。恐らく、交叉法と読みに関しての研究をされている師範で、ここまで普遍的に捉えておられる方は他におられないでしょう。

 友寄先生が実演された掌法には決定的なインスピレーションを得て、私にとっては何年も理想の技のイメージでした。

 それが、具体的な技の招法になったのは、游心流を興してから数年が経過してからでしたが、更に理合として確立したのは、大石総教練が入会した前後くらいでした。

 それが、“差し手”技法です。

 今、思えば、小林先生も友寄先生も当たり前に使われていたようでしたが、その当時は気づかなかったですね~。

 しかし、交叉法という理論を具体的な技として用いる場合に、この差し手の技法は予想を遥かに上回る普遍性を秘めていました。

 つまり、離れた間合から接近密着戦法へと入るための重要な繋がりの技法だったのです。

 今では、游心流のオリジナル・テクニックと言ってもいいくらいに技法として多彩に発展してきました。

 そればかりか、空手の受け技が攻防一体の技へと変化したり、内家武術の必勝パターンの要になってきたのです。

 そして、最近では、ここから“体の合気”のように用いることもできるようになってきました。

 今のところ、私しかできませんが、原理的にははっきりしてきたので指導して体得させるのも時間の問題でしょう。夏までには常連会員には体得させたいですね。

 そういう訳で、今回のセミナーでは“差し手技法”の基本から応用、最新研究成果まで披露したいと思っています。


 そういえば、USA支部長が久しぶりに練習に参加して、「先生のブログから想像して、かなり技が変わっているだろうとは思っていたんですが、あまりに技のレベルが上がっているんで驚きました」と、苦笑しながら言われてました。

 実際、彼もアメリカで独自に研究して相当に倍々の上達(二年前の2~3倍の技量にはなってました)をしていたんですが、我々がそれ以上に研究が進んでしまっていたので、ビックリしたらしいです。

 特に大石総教練と北島師範と小塚師範代には驚いたみたいです。

 が、それ以上に、会の雰囲気が纏まっていたのが良いと言ってくれました。

 私が人を縛るのが嫌いなので、どうしても会員の纏まりが欠けてしまいがちだったんですが、確かに最近は纏まってきた印象があります。

 目指す方向が一致しているからでしょうかね~?

 月例セミナーもそんな感じになっているんで、何か冗談抜きで“達人養成場”みたいになってきましたよ・・・。

 まっ、そのくらいでないと料金高過ぎるでしょうからね。

 でも、「人間って、本当に誰でも達人になれるんだな~?」と、最近、感慨深いです。

 結局、技を外部からいくら仕込んでも意識が変わらないとダメなんですね。

 逆説すると、意識が変われば、人間は一瞬で自分の中に眠っていた能力を発揮することができるんですよ。

 これは、青木先生とお付き合いしていて、本当に身に染みて解りました。76歳の青木先生が若い頃よりも異常なスピードで進化していき、その薫陶を受けている会員の皆さんもまた、あり得ない速度で上達していっているんですね~。

 身体の動きがどうこうとかじゃないですね~。やっぱり脳の開発。意識を開いていくことで人間の能力はぐんぐん引き出していけるんですよ。

 そのヒントの一つが、“交叉法”に隠れている・・・それを、今回、お伝えします!

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高瀬道場“技芸会”

 毎年おなじみになった高瀬道場の技芸会に、小塚師範代、USA支部長と一緒に行ってきました。

 今回、たまたまUSA支部長の帰省と重なっていたので、東京に居る間に、あっちこっち連れ回して人を紹介しまくったんですね。

 主に映画関係者を紹介しておきたかったので、グッドタイミングで高瀬先生にも御紹介できて、良かった~・・・。

 ハリウッドでの映画業界の話を聞いていて、日本のアクション系アクターが進出できないかな~?と前々から思っていたんですが・・・まあ、この先は守秘義務があるんで割愛しますけどね・・・。

“その時”に、日本の殺陣がしっかりできる人を・・・ということで、老舗中の老舗である高瀬道場の技芸会に一緒に行けたのは好都合でしたね。

 USA支部長の話では、あっちでは韓国系の人達がバイタリティーがあるので日本人はいい役を取られてしまうらしいですね。

 それは実は日本も同じことで、芸能界で活躍している人達の多くが在日二世三世だったりするんですよね。

 その辺の人種の話になると差別的な問題になるから誰もが避ける訳ですけど、事実として、芸能界と武道格闘技界、それとパチンコ業界なんかはコリアン系が多いんですね。

 ただ、よく考えてみたら、ハーフやクォーターの人が多い訳ですから、今更、嫌韓流とか言っても同族蔑視なんじゃないかな~?とも思うんですけどね。

 まあ、和田アキコさんや錦野旦さんや崔洋一監督みたいに隠していない人もいますけど、やっぱり差別を恐れて多くの人は隠していなきゃいられない・・・ってことを考えれば、やっぱり人種差別的な考え方は良くないですよ。

 だって、外国に行ったら我々も日本人だというだけで差別されてしまうでしょう?

 人種や性別は自分で選べないんだから、そういう差別は人として恥ずべきことです。

 ただし、「日本の武道や文化のルーツがすべて朝鮮から来たものだ」なんて嘘だけは研究家として断じて容認しませんけどね。嘘は嘘。捏造は許しませんよ~!


 さて、技芸会です。

 殺陣を一般の人に教える・・・という試みを、恐らく業界で初めてやったのが、高瀬道場でしょう。

 そして、今ではプロ、アマ問わず、カルチャーセンターには様々な殺陣教室があり、何だか、武術の教室より多いんじゃないか?というくらい増えているみたいです。

 やってることと言えば、古流剣術の型稽古を芝居の振り付けでやる・・・と思ってもらえばOK?

 歴女ブームや刀剣女子ブーム、コスプレ・ブームなんかとマッチしたんじゃないか?と思えるのは、圧倒的に女性が多いから。

 しかし、礼法が徹底されているので、むしろ、そんじょそこらの武術道場より礼儀作法がしっかりしているのには頭が下がります。

「うちも礼法、しっかり教えないといかんな~」と反省させられたでござるよ・・・。

 審査員の方が言っていたように、回を重ねて全体的に技量がボトムアップしているので、下手さを愛嬌でごまかすような演技はほとんど無く、剣殺陣も徒手格闘の演技も構成がしっかりしてきて演劇的な楽しさも出てきていました。

 特に、棒術を演じた少年たちは見事なものでしたし、往年のビーバップ・スタイルの不良アクションも、主役の女の子がキレて怒涛のアクションでぶちのめす!というところなんか実に楽しかったですね~。

 TVKで『戦国男子』ってドラマをやってますけど、『戦国女子』もやって欲しいですよね~。アニメだけじゃなくて・・・。

 その他も、かなりアクション寸劇として完成された組もありましたね。

 中でも座頭市剣法を駆使した組は見ごたえがありました。「難しいからね~、アレは」とか思っていたんですが、予想以上によく研究されていて、勝新座頭市っぽい感じが良かった!


 そして、ガイズ・メンバーの演技は流石の重厚さで、USA支部長も大喜びでした。

 私は、加賀谷さんが出てくるだけで目が釘付けになっちゃってですね~。「この人が出てきたら、一体、何やるんだろ~?」と、ドキドキしちゃう訳ですよ。加賀谷さん主演でVシネの武闘物とか撮ったら、面白いんじゃないかな~?と思ってます(何だったら私、原案書きますけど・・・高瀬先生、どうですか?)。

 トンファーVS六尺棒なんて、『拳精』のジャッキー・チェンとはまた違った気迫溢れる殺陣で、トンファーで棒が寸断されたりしてて、ヒヤッとしましたけど、流石、その程度のハプニングで中断したりはしないところがプロフェッショナルでした・・・。

 余談ですが、日本の棒術で使う樫の棒は、硬いんですけど、粘りが少ないので打ち合った時の衝撃で切断されたように折れることが多いんです。

 特に木刀やトンファー、ヌンチャクなんかの遠心力が働いた先端が当たった時に、スパッと切れるように折れたりします。

 私も武術の演武会で何回か見たことがありますし、昔、学生演劇の殺陣つけた時に杖が当たる度に杉材を削って作った剣が寸断されてしまい、アワワワッと慌てたことがあります(まっ、怪我しないで済んだから良かったけど、熱中すると寸止めもできないからな~?)。

 中国北方の棍法で使う白臘杆は柳科の柔軟性のある木なので、当たってもしなって折れないし、その“撓り”を利用して勁力の力の伝導の修練をするのに役立つんですね。

 ブンッと振り降ろして身体全体で停めることで、棍の芯にビィィ~~~ン・・・と震えるような波動が伝わる感触があるんです。発勁の浸透力を錬成するのにこの木を用いた槍術の訓練をするんですね。

 私は撓りの少ない赤樫の杖でやってもビィ~~~ンと鳴ったので、北島師範がビックリしてましたけどね。浸透勁が自在にできるとそのくらいできるんですよ(自慢げ)。

 ちなみに、ヒストリーチャンネルの『ガニー軍曹のミリタリー大百科』で、日本刀で氷のブロックを切断するハイスピード映像があったんですが、日本刀が瞬間的にグニャッ!って撓っていたので、ちょっと驚きました。ロングソードなんかはそうならなかったんですが、日本刀の斬れ味の鋭さの秘密が、“撓り”にあるのかも?と思いました。


 この高瀬道場の師範陣の殺陣にはUSA支部長も満足げでした。

 彼はハリウッドのレベルの高いアクションを見慣れているし、自身も長く武術をやっているので、その辺は妥協なく観劇している様子でしたが、「アメリカだとすぐにカンフーのアクションになっちゃうんですけど、日本の伝統的な剣の使い方だったから、良かったですね~」と、言ってくれたので、誘って良かったですよ。

 また、女子殺陣部を創設して広めている多加野先生の演技は、単刀、鉄尺(釵)、棍、薙刀を取り替えながらのカンフー・スタイルのアクションで、往年のジャッキー・チェンの蛇拳・酔拳・笑拳の頃のアクションを彷彿とさせてくれて楽しかったですね~。

 武器を取り替えながら戦うところは、『グリーンデスティニー』のミシェール・ヨーとチャン・ツィイーを思い出しました。

 後は、やっぱり、高瀬先生の剣殺陣が見たかったけどな~・・・。ちょっと残念。


 こういうのを見せつけられるとね~。・・・『ミリタリーむすめ』の時はGunの指導が中心だったので、素手のアクションもちょっとはやりましたけど、本格的な武術アクションの殺陣とかやりたいっすね~?

 何か、時代劇とかの武芸考証の仕事、どっか依頼してくれないかな~? お金もらわなくてもいいんですけどね~?(私にやらせてくれたら、ものすっごぉ~いマニアックな手をつけちゃうかも?)

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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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