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個人指導開始

 25日の金曜日に契約を済ませまして、早速、26日の土曜日には個人指導を開始しました。

 第一号は、地方在住の小説家の方で、小説家養成講座の先生から御紹介していただき作品の武芸考証のお手伝いをしています。

 以前、シダックスで一回教えたことがあったので、今回、実地指導は二度目です。

 時代小説を書かれているので、やはり、剣術と日本刀の説明になりますが、後々の作品の参考にもなるかと思って、ライフルの構え方と火繩銃の構え方の違いや、パーカッション式リボルバーの装填の仕方なんかも説明しました。

 刀にしろ銃にしろ、扱い方を知っている人間は滅多にいないし、居たとしても流派による違いや古式銃まで知っている人は少ないでしょう。

 武術の先生なんかでも自分の専門の流儀以外のことは冗談のように無知な人が大半で、それが他流批判に繋がりやすいのですが、まっとうな武術研究の専門家が全然いない現状だからこそ、私は武術オタクからプロになれたのですから、まあ、今のままでも全然、オッケーです。

 でも、研究すればする程、自分の無知さを痛感させられるばかりで、嫌になってきますけどね~。知らないからこそ自信満々で能書き垂れていられる訳で、羨ましいですね。

 私は研究のために日本刀は20本以上、収集して拵えを作ったり、試し斬りや研ぎまでやっているので、実地に試した上での考えを述べることができるのが強みです。武芸考証家を名乗っている人は、今は恐らくいないと思うんですが、私は名乗ってみようかと思ってます。

 指導の後は講座の新年会が町田であったので、小説家の方と一緒に行きました。

 イタリアン・レストランを借り切って80人近く居たそうで、ゴッタ返していました。

 私、実はパーティーって、ちょっと苦手で、気の合う人数人でファミレスでくっちゃべってる方が気楽でいいんですけどね。

 話の合わない人と一緒に居るのは苦痛なんですよ。だから、独りで趣味に没頭してる方がずっといいと思ってる訳です。

 しかし、この日は講座の先生が次々に人を紹介してくださったので、割りと面白かったですよ。

 日本刀や武術、銃、特撮ドラマの話とかしても面白がって聞いてくれる女性って、私的にサイコーですよね~。普通の女だとドン引きするからな~・・・。

 でも、今は出版不況だから作家にしろ編集者にしろ危機感がありますからね。どういう作品が売れるのか? デビューするにはどうしたらいいのか?

 まあ、悩む訳ですよ。

 たとえ新人賞取ってデビューしても、作品が売れるかどうかとは別問題。むしろ、新人賞取った人は売れる作品を書けないというジンクスもあって、二年後にはやめていたというのが当たり前の現状なんです。順調に作家として残っていくのは、ほんの一部。

 私もデビューできそうでできない・・・というのが今の偽らざる現状なんですけど、やっぱり新人賞にも応募してみるかな~?という気持ちにもなっています。

 何しろ、去年は一つも企画が通らなかったので(でも文庫本三冊にDVD-BOX出てる)、今年は気合入れてやっていかなきゃなりません。

 そんな訳で、研究室兼個人指導道場としてワンルーム・マンション借りたんですね。

 8畳くらいでも個人指導するには十分で、居合術や試し斬り、手裏剣、スタンディングバッグでの発勁トレーニングもできます。エアガン、ガスガン使って射撃訓練もできますし、打ち合わせにももってこい。太極拳や八卦掌なんかの型練習もできる。

 また、駅から近いので雨が降って公園で練習できない日にも練習できます。

 遠方から来られた会員の宿泊もできますし、幹部及び幹部候補生は無料で使えるようにします。つまり、師範、総教練、師範代と、指導員を目指している人は無料という訳。

 もし、「習いたいんだけど游心流はお金が高くて・・・」と思っている人は、指導員を目指そうと思われる人だったら、特別扱いで無料で教えますよ。

 でも、単に金けちって技だけ教えてもらいたいとか、游心流に所属することだけで自己満足したいような人は私は相手にしたくないんで、本気でやりたい人だけですね。

「本気でやりたい」というのは、どういう意味か?と申しますと、素手の技だけじゃなくて剣術・居合術・棒術・手裏剣・射撃なんかも一通りできて、武術とその周辺領域の知識も相応に勉強してもらい、尚且つ、ちゃんと社会人としてのコミュニケーションが取れる人・・・になってもらうということです。

 だから、自己チュー武術マニアはお断りです!

 知識が欲しいだけだったら、DVDで十分だと思うんですよ。何のために道場へ通うのか?というと、きちんとした実力を養成して現実に使える技能を体得するには、志しを同じくする仲間と練習を積み重ねるしか道がないからなんですよ。

 護身術として必要なのは気迫と知識だけです。知識を頭に入れて、いざという時に実践する気迫さえあれば十分です。

 しかし、この気迫というものは、先天的な性格に左右されてしまうのです。

 恐らく、現代日本人にもっとも欠けているのが、この気迫でしょう。ちょっと厳しくされると、途端にびびって逃げ出すとか、危険な状況に遭遇したら頭が真っ白になって何も考えられなくなる。

 自分の欲望や感情を制御できない人も増えていますね。これも自制心が足りないのですね。

 でも、どうも、今の日本人の状況は生物として異常だと思うんです。心が弱過ぎる。それはつまり、考え方が規格化されて想定外のことに遭遇すると思考が停止してしまうからだと思われます。

 危険に遭遇しているのにボサッと立ち止まってじっと何もしないでいる・・・そんな人間が非常に多い。動物としての本能が壊れかかっています。

 これは恐らく生物的な問題だろうと思います。


 武術の訓練は、身体の日常性からの脱却ですが、非日常性を想定して日常生活を送ることも重要で、いかにも修行しています・・・という雰囲気を外部に感じさせるようでは論外なのです。

「武術をやっているように見えてはいけない」というのが、私が最初に教わった古流の教えでしたが、現実には武張るのがカッコイイことだという勘違いした人間が多いのが、この世界の実情でした。

 いかにも武術家でございます・・・という格好をしてみたり、一本歯の高下駄履いて歩いたりする勘違い人間を増殖させる風潮を作った甲野氏の罪は、実は想像以上に大きいような気がします。

「良い刀は鞘に入っているものだ」という『椿三十郎』のテーマは、現代で武術修行を志す人間にとって重要だと思いますね。


 翌、27日は公園の稽古を神奈川新聞の記者の方が写真に撮りたいということだったのですが、すぐ撮って、帰られました。何でも春のお稽古特集の記事らしく、横浜・小田原・伊勢原・厚木等、紹介される中で相模原地区はうちが選ばれたそうです。

 稽古が終わってから、町田で日中武道の友好演武会があるそうなので、皆で観に行きました。午前中から夕方までずぅっとやっていたらしく、これはやる方も観る方も大変だな~と思いました。

 菅原総合武道研究所が主催だったみたいで、太極拳と香取神道流の演武が多かったですが、中国の先生の八卦連環掌が私的には一番、興味深かったですね。

 南拳の演武もありましたが、一般的な表演用南拳の套路だと、洪家拳に蔡李佛家拳の技術を加えて編成されているものなんですが、どうも、鶴拳系のサンチンみたいでしたね。

 鶴拳系の拳法は白鶴拳・食鶴拳・鳴鶴拳・宿鶴拳や、詠春拳もそうだし、洪家拳の中にも五形拳(『拳精』の五獣の拳ですよ!)の中に鶴拳があったり、虎鶴双形拳という套路があったり、ジャッキーの『蛇鶴八拳』なんてのもありましたね。

 外にも五祖拳(太祖拳・十八羅漢拳・猴拳・白鶴拳・達磨拳)の中にも入ってるという中国南方で最もポピュラーな拳種で、実は沖縄の那覇手の源流も鶴拳系なんですよね。

 そうそう・・・意拳の王嚮斎は、形意拳の郭雲深に学び套路を廃した拳法を創始したとされますが、中国各地を旅していろんな門派と手合わせして技を磨いた中で、心意六合拳・梅花拳、白鶴拳に特に学ぶところが多かったと述べているそうですが、中でも白鶴拳の技法には大きな影響を受けたらしく、「意拳を深く学べば学ぶ程、白鶴拳に近づいていく」という説もあります。

 空手も意拳もJKDも、その源流に鶴拳があったというのは意外ですね~?

 そんな背景もあるので、結構、白鶴拳は研究したんですよ。空手の研究にもなるし。

 ヒントを得たのは賢友流の友寄隆一郎先生の技の示範でした。空手と中国武術の原理研究に於いて友寄先生に並ぶ人はいないと私は思っていますが、それは身体構造的な共通性を瞬間に洞察される友寄先生の観の眼あればこそだと思います。

 武術の世界には、世に知られず優れた研究をされている先生がおられますから、間接的にでも紹介していければいいかな~?と思っていますが・・・。

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橋下さんの教育改革の賛否

 恐らく、「長野さんは橋下さんの教育改革についての論にはファシズム的だとして批判するんだろうな~?」と思う方が多いと思います。

 何しろ、私は橋下さんがあんまり好きじゃないし、政治家としての能力にも期待していません。「権力持たせたら危ないタイプじゃないか?」と思っています。

 しかし、今回の体罰を苦にして自殺した生徒に関する橋下さんの対応に関しては、私は賛成とも反対とも簡単には言えません。

 概ねの批判論者の言うようなファシズム的な過剰な強引さには反感を感じるのも事実ですが、かと言って、橋下さんが何故、この問題を捨てておかずにトンデモない手法で強引に自論を強制しているか?という点にも理解できる面があるからです。

 批判論が多いようですから、共感する意味について書いてみます。

 今回の体罰による自殺に至った事件は、周囲の無関心による放置によって起こった事件なのは自明のことです。

 体育会系の厳しい指導でビンタを張った・・・というのは、日頃はそんなことをしない先生が、特別にやるから生徒の心に響くのであって、日常的にやっていたら単なる暴力でしかありません。

 だから、自殺した訳でしょう?

 私も長年、武術を指導している人間ですから、叩いたりすることもあります。が、怪我しないようにとか、後遺症が出ないように・・・と、かなり注意して叩きますし、むしろ、叱責した時に叩いたことは一度も無いんですよ。

 何でか?というと、叱責する時に叩いても気持ちが伝わらないと感じるからです。

 自惚れて勘違いしている人間に「お前の実力はこの程度なんだよ~?」という気持ちでちょっとマジ突き入れてやったこともありますが、やっぱり、反省しないんですよ。徹底的に論理で納得させないといけないと思うようになりました。

 で、話しても通じなければ、辞めてもらう。信頼関係が崩れてしまったら武術の教授は不可能ですよ。何しろ、素手で簡単に人を殺せる技術を伝授する訳ですから・・・。

 これはもちろん、辞める側にも同じことで、私を信用できないと思えば、辞めて戴くのが最善でしょう。だから、辞めたいと言う人を止めたことは二回しかありません。

 体罰の是非を言うなら、私自身、ぶっ叩かれて反省した記憶は無いですね~。恨みに思ったこともありませんが、一所懸命、言葉で叱責して戴いた時は、「あ~、本当に俺が悪かった。俺が間違っていた!」と反省できましたよ。やっぱり、言葉で伝えて互いが納得いくようにするのが本筋でしょう。

 昔、ある先生に「俺はこんなこと言いたくないんだよ」と言われて、「あ~、申し訳なかった」と思ったことがありましたが、間接的に「あの先生はこんな風に言っていた」と聞かされた時は、本当にゲンナリしました。直接、言うだけの信用も無くなったんだな~と思った訳です。

 私は間接的に陰口叩くのは自己嫌悪に陥るので、言いたいことがあったら直接言うように心掛けています。それはつまり、相手を信用しているからできる訳で、信用できない人に対しては、むしろ、何も言いません。聞く耳のない人に言うだけ無駄でしょう?

 今回の体罰自殺事件に関して、橋下さんが「自分も多少の体罰は必要なんじゃないかと思ってましたが認識不足でした」みたいに言う気持ちと、「あんな状況を野放しにしていることは異常だ。人が死んでるのに自分のことしか考えないのか?」といった憤る気持ちは、よく解る気がします。

「入試は人生で一回しかないのに・・・」「自分の夢を奪わないで・・・」といった受験生の意見には、まあ、目前のことしか見えないから仕方がないかも知れませんが、「もし体罰を容認するような学校に貴方が入って、自殺した子と同じ目にあったらどうするんですか?」と言いたいですね。

 自分の親兄弟、子供、親友、恋人、連れ合いが理不尽な暴力やイジメを受けて自殺してしまった場合、どうしますか?

 私だったら、相手のところに直談判に行って謝罪させます。謝罪しなかったら殺してしまうかもしれません。

 日常的な傷害事件を体罰是非論で語ることがそもそもの間違いだし、それを容認するような風潮の学校ではダメでしょう? 「そんなの自分には関係ない」みたいな考え方をするのでは同じことが繰り返されるだけ。橋下さんはそこを何とかしなくちゃいけないと考えたのなら、偉いと思いますよ。

 体罰じゃありませんでしたが、私の中学時代は校内暴力がそれはひどいものでした。

 でも、恐らく先生方も悩んで、何とかしようと頑張っておられたと思うんですね。容認していた訳じゃない。だから、イジメられる側だった私も「こんな連中に負けちゃいかん」と思えたんじゃないかな~?と、今になって思うんですよ。

 あるいは、イジメている側の者にも世の中の偽善や欺瞞に対する軽蔑の感情があって、暴力をふるうことに対する相手の出方を試しているようなフシもありました。ヤンキーは案外、過剰な正義感持っていたりしますからね。ヤクザになっちゃう人間には社会の偽善欺瞞に馴染めない人間もいるんですよ。


 思うに、この事件で自殺した生徒の場合、先生に暴力受けていたんだから、相談できる人がいないじゃないですか?

 誰も助けてくれない。確かに異常な環境としか言えないでしょう?

 橋下さんが自分の人気がガタ落ちするのも構わずに、自論を強硬に主張し、力ずくで教育委員会を動かしたのも、そこを慮ってだとしたら、やり方は適切とは言えないでしょうが、その偽悪的な心意気には共感を覚えるのです。

 例えば、「入試が人生に一度だけしかない」なんて言う女の子は、「10代で人生悟ったような言葉を吐くんじゃねえ! そんなの百回でも二百回でもできるよ」って叱ってやりたいですよ。自殺せざるを得なかった生徒の葬式で同じこと言えるのか?って話。

 私は二浪して大学行って、しかも中退したし、不登校で苦しんでいる中から何とか頑張って高卒資格取った人間もいっぱい見てきています。

 学ぶことの楽しさを知ったのは学校に通っていた頃じゃ~ないし、今の仕事に役立っていることは、ほぼ社会に出てから独習した知識と技術ばっかりですよ。

 そういう生き方だってできるんだから、たかが入試ぐらいに「人生に一度しかない」とか大仰なこと言ってんじゃない!って話ですよ。

 自殺した子は人生無くしてしまったんです。そこまで追い詰められているのに誰も救いの手を差し伸べられなかった。

 その子の親は大切な息子に良かれと信じて、体罰受けて苦しんでいる息子を救えなかった無力感を抱えて、一生、後悔して生きていかなくちゃならないんです。

 もし、今回の橋下さんがやったような、根本から改める対策を取らないままだったら、「実績がある人だから・・・」という理由で、この体罰教師を何のお咎めもないまま現状維持させてしまうんじゃないでしょうか?

 それは、そういう状況を放置し続けた学校全体の体質に問題がある訳ですからね。

 まして、自殺事件なんか他人事と平然とうそぶき、そういう体質をすら「現実なんて、そんなもんでしょう?」みたいな妙に冷めた意見でスルーしてしまう、自分のことしか考えない生徒や親達がいる以上、同様の事件は繰り返される可能性が続きます。

 実際、その学校の教師にインタビューしたニュース番組を見ましたが、およそ問題意識は皆無。本来なら、教師の間で「生徒が安心して通える学校にしていこう!」という意見が出て体質改善していかなきゃ嘘でしょう?

 自殺した子は、そういう心の無い環境に対する抗議の気持ちもあったと思うんです。

 どうも・・・現代日本は人間関係に相手に対する思いやりの気持ちが欠けているように思えてなりません。自分の得か損かしか考えない。

 そういうことの象徴なんじゃないかな~?という気すらするんですよ。

 妙に冷めてる。自分のことしか考えない。そのくせ、寂しがり屋で始終、メールで誰かと繋がりたがる・・・。

 何か、そんな風になってる人が多過ぎるんじゃないかな~?

 でも、日本人のDNAには合わないと思うんですよ。そういうスカした態度は・・・。

 こういう風に思うのは、私が尊敬できる指導者に何人も会ってるからでしょうね。

 例えば、秋本つばささん。生徒さん達に対する愛情の深さと対人関係に於ける距離感とか本当に尊敬できる人です。やっぱり、ただ技術を教えればいいってもんじゃないですよね。

 それから、高瀬將嗣先生。技芸会や舞台公演を何度も拝見させて戴いていますが、生徒さん達の規律の正しさと和気藹々とした雰囲気は本当に素晴らしいですよ。清水の次郎長一家見てるみたい?

 武道では、礼儀は厳しく言われても、どうしても形式的になりがちで、身についてるとは言い難いところがあります。形式的な礼儀だと何か違和感を感じるんですね。

 私も、そういう点で形式的な礼儀はサークル活動ノリなんで厳しく教えたりしていませんから、会員さんのそれまでの常識の範疇での対応に任せているんですが、やっぱりまるで礼儀を知らない人間だと対外的に恥ずかしいですからね~。

 でも、これは礼儀作法をきちんと指導しなかった私の責任なんで、今後はちょっと考えていかないといかんな~と思ってます。会員も、以前より私が口うるさくなってると感じてるかもしれません・・・。

 何しろ、世間的風潮として礼儀作法を考えないようになってきているからでしょうが、習いに来ているのにタメ口きくヤツもいますからね~(苦笑)。「お前、何様のつもりだよ」って、ハラの内で叱って顔は笑って聞いてるんですがね。

 この点、武術マニアは本当に口の利き方知らないヤツが多いですよ。私は相手が年下でもその道のプロだったら「~先生」って必ず言いますけどね。

 そういえば、左翼系の考え方の強い人だと「~先生」って言うのをわざと避ける人が多いですね。言葉の使い方で、その人の思想背景が透けてくるのも面白いな~と思います。

 言葉の使い方とか、人との対応の仕方って、モロにその人の実力が顕在化します。

 喜怒哀楽が出たり、逆に無機質に隠したり、達観したように距離を保ったり、親近感を演出して取り入ろうとしたり・・・いろいろですよ。それで性格が解る。

 長年、武術の研究してきて人の心を読むのが習性になっているので、人付き合いが苦痛に感じることも多いんですが、人に期待するより自分をしっかり確立していくようにするのが、結局は対人関係も間違いなくなっていくのかな~?と思っています。

 そうすれば、相手の気持ちに立って考えることも容易になるでしょう。


 まあ、橋下さんの今回の対応は物議をかもしていますが、彼としては問題提起することで自殺した子の死を無駄にしなかった・・・という点で、弁護士らしいような気がしています。

 我々も、簡単に是非を論じる前に、物事を多角的に観て、よく考えてみるのが正しい対応じゃないかな~?と思います。

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アルジェリア人質事件

 日本人人質も犠牲になった特殊部隊突入に関するニュースを見ていて、つくづく紛争が当たり前の地域の人命尊重の度合と、日本のように長く平和が続いている国の認識との決定的な差を感じざるを得ませんね。

 文句言っても通じないでしょう。

 藤岡弘、さんが海外の武道家の友人宅に行ったら、「これを持ってなさい」と拳銃渡されたという話をGun雑誌でされていましたが、彼のような武士道精神の権化のような人であっても、郷に入ったら郷に従うべきとして銃の訓練をしているそうです。

 紛争が当たり前の地域に日本人が行く場合、安全の保障は期待できないでしょうから、会社の側で私設部隊を雇っておくくらいしか対策は無いかもしれません。

 海外だとアサルトライフルで武装している民間のガード会社なんかもあります。傭兵とか退役軍人で特殊部隊出身者なんかが再就職してたりするんです。

 私も頼まれてボランティアで個人のガードやったことがあるんですが、武器用意して行きましたよ。その筋の連中が来るかもしれない・・・って話だったから、「それならチャカくらい持ってくるかも?」と思ったんで・・・。

 通り魔だって空き巣だってナイフの一本くらいは持ってるのが当たり前なのに、何で素手で対抗しようとするのか、私はさっぱり理解できません。空手映画の影響かな?

 どう考えても、銃で武装している連中に武道や格闘技で対抗できる道理がありません。

 だから、「そんなことを考えるのは非現実的だよ」と言う言葉を平然と吐く武道家?が当たり前の日本人の感覚が海外で通用する道理がありません。

 そういうスポーツ感覚が武道なんだと勘違いしているような人達は武道がどうこうとか喋っちゃダメですよ。日本の恥になるから黙ってなさい!と言いたい。

 武の本質は護身です。護身というのは、命がかかった時に必要な技術を考えないといけません。一般に、あまりにもスポーツ感覚に毒されていると思いますね。

 真剣を触ったこともない剣道家が当たり前の日本で、酔っ払いやチンピラの恫喝に縮みあがるような精神構造の武術家?が増殖していくだけ(甲野氏のせいだと思います)。空しいな~と思います。

 私が言いたいのは、「命がかかった時は戦え!」ってことです。

 理不尽な暴力に無抵抗で我慢することしか考えない日本人ではダメですよ。

 中学校で武道を正課にして・・・なんてことを考えるよりも、かえって平和ボケが酷くなるから護身術教えた方がいいと思いますね。

 危機に関して敏感になるだろうし・・・。


 アメリカの銃規制も、あれでは単なる刀狩り。現実に規制される前に買い込もうとする人達でアメリカのGunマーケットは空前の好景気だそうです。

 事件の大半は違法な銃なんだから規制しても意味が無い。むしろ、各家庭で銃の状況を調べて登録させるとか車と同じナンバー制にした方が犯罪防止に役立つでしょう。

 また、その調査の過程で問題起こしそうな人物もマークできて一石二鳥ですよ。

 日本のような免許制もいいかもしれませんね?


 ともあれ、事件の犠牲になられた方々には本当にお気の毒でしたとしか言えませんが、今後は海外に行く日本人には危機管理の意識を持たせるように国が考えて欲しいですね。

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ほびっと村“発勁護身術”

 2013年1月は、月例セミナーに続いて西荻窪ほびっと村学校での講座もありましたが、今回は、どういう訳か? いつも10人足らずくらいなのに、16人も参加者がいらっしゃって、しかも半分くらいが初参加でした。

 東京同好会の小塚師範代も、「ほびっと村でこんなに人が来たのは初めて見ました」と言ってましたが、確かに、再開して以来では最多人数だろうと思います。

 もっとも、十数年前には最高で40人くらいになったこともあり、20人くらい参加者がいるのも珍しいとは言えないくらいだったんですが、ここ最近の印象としては二倍くらい来られているような感じですね。

 何でかな~?と思ったんですが、ニコ動生放送を見た人達が来られたのかな~?なんて思ったんですが、参加者に聞いてみたら誰も見てなかったみたいで、益々、謎です!

 まあ、参加者が多いとそれだけ儲かるので有り難いんですけれど、ここのスペースでは16人はちと多過ぎるのが難点・・・。

 何しろ、今回は“発勁”をやる予定なので、<人が跳ぶ>のです・・・。余計に大変になってしまいます。

 事実、今回、もうちょっとで窓ガラス割ってア~レ~!って事故が起こりそうになりまして、はぁ~・・・危なかったぁ~・・・と。

 以前は座布団三枚重ねて打ち手・受け手・支え手(跳ね飛ばされた人を受け止める人)で練習してもらっていたんですが、最近は威力を抑えていてもスゲ~ことになったりするので、「う~ん・・・危ないかも? やっぱり四枚にして・・・」と指示しました。

 前半は小塚師範代に基礎錬体をやってもらい、その後、基礎錬体の形や動作の武術的意味を私が示して、それを二人組んで練習してもらいました。

 今回は合気道をやっている人が数人いたので、教えやすかったですね。なまじ空手をやっていた人だったりすると、同じ突きでも突き方が違うので、むしろやり辛かったりするようなのです。

 発勁はノーモーションで打つので、多くの打撃格闘技のような力のタメを作りません。

 0の状態から力のタメを使わずに瞬間に100の力を打ち出す。

 そのためには身体の重さを乗せる要領を体感しないといけない訳ですが、これは本当に単なるコツなので、できる人はすぐにできるし、できない人は非常に苦労したりするのです。

 0から一気に100の力を出すためには、全身を十分に脱力させておかなくてはならない訳で、そこにちょっとでも力みが出ると力の流れをストップさせて全然効かない・・・という結果になったりするのです。

 この感覚は合気とも近いので、合気道の上手い人の方がやりやすいようですね。

 もう一つ、発勁の特徴として、コツが解ると0距離でも打てるので、相手に触れたら即打てる訳で、格闘技術としては極めて革命的な技だと思います。

 後半は発勁の基本的な打ち方と、その応用例を指導しました。

 縦拳・前腕・肘・双掌と、発勁式のローキックを指導しました。

 発勁式のローキックを解説する時に示範しようとすると、北島師範小塚師範代も(えぇ~・・・アレをやるんですかぁ~?)という非難するような目をします・・・。

 このローキック、見た目はいかにもへなちょこそうに見えるんですが、実は物凄い重い威力が出まして、多分、突っ張ってる脚に直に蹴り込んだら簡単に骨折すると思います。

 実際に座布団四枚重ねた上を半分以下に加減して蹴りましたが、受けた小塚師範代は一拍遅れてベチャッと潰れるように倒れてました。

 何で、こんな具合になるか?と申しますと、この蹴りは当たってから衝撃が浸透する威力が作用する持続時間が長くなるので、雪崩に巻き込まれるような感じでパワーが作用してくるのですね。

 蹴りの発勁を研究している時に、どうやって蹴り脚に重さを乗せるか?を考えて工夫した技なんですが、実は太極拳の踏脚はコレよりもっと威力が出まして、まともに入れたら内臓破裂するか背骨が折れるかすると思います。

 これは相手を踏み潰すような蹴りですが、うちの会では身長の高い千葉師範代が最も威力が出せます。この前も、軽~く当たっただけで受けた相手が蹲ってましたし・・・(17日のメイプルホール稽古中にて。余談ですが、この日は神奈川新聞の取材を受けました)。

 私は、発勁のメカニズムについては分析し尽くしていますが、力の作用の仕方については、まだまだ未解明な部分があり、私でも予想がつかないので、全力で打つのは怖くて一度もやったことありません。

 まあ、譬えるなら、『幽々白書』の暗黒武術大会の決勝で戸愚呂弟が百パーセントの力を解放して戦える相手に巡り会いたがっていた・・・?みたいな・・・(違うか?)。

 点撃・打撃訣・拳撃・掌撃による威力の作用の仕方などは人体実験できない面があるので、私でさえ予想もしなかった効き方をしたりします。

 何よりも、この技の真に恐ろしい点は、鍛えていない人間でもコツが解れば必殺の威力が出せる・・・という点でしょう。

 逆説すれば、こんなに護身術に絶好の技はない訳です。

 何しろ、老人でも女性でも子供でも、体得しさえすれば一発で大の大人を打ち倒す威力が出せる・・・という冗談みたいな特徴があるからです。

 まあ、普通に武道や格闘技を熱心に練習してきた人には理解してもらえないでしょうし、どれだけやって見せても心情的に認めたくないかもしれません。

 何よりも常識的に「鍛えた大の男を何の経験もないか弱い女性が一発で打ち倒すなんて、漫画じゃあるまいし、嘘をつくのも大概にしろ!」・・・って思うでしょう。

 仮に、か弱く見えるけれども実は遣い手の空手ガールだったらあり得るかも?と思うでしょうが、発勁に関してはズブの素人でもちゃんとやればできちゃう訳なんです(私が教えればの話です)。

 だから、どんな武道の大家が否定したとしても、事実は事実なんです。

 事実であることは、参加された方には納得してもらえると思います。

「素人の私がこんな簡単に経験者を吹っ飛ばせるようなパンチが打てるなんて・・・凄いと言うより恐ろしいと思いました」という感想を言ってくれた人もいました(セミナー参加者)。

 もちろん、戦いは威力さえあれば勝てるというものではありませんが、倒す威力が無い技はいくら出しても無駄に終わるでしょう。

 護身術ということを考える時に、「これを使えば必ず倒せる」という自信が無くては、暴力に立ち向かう勇気は出せないでしょう。

 だから、護身術を考える時に一番大事な立ち向かう勇気を持てるようにすることが肝心だと思うのです。

 ただ、発勁の欠点は、「自分で威力がどのくらい出ているのかよく判らない」という点であり、軽くやっても致命傷を与えてしまうかもしれず、護身術としてはオーバーパワー過ぎるかもしれません。

 これもまた、参加された方には納得戴けるか?と思います。

「こんなに軽く打ってるのに何十kgの人間がズバーンとふっ跳んでしまうのか? もし、これをクッション無しで直に思いっきり打ったらどうなるんだ?」という恐怖心を持った方もいらっしゃいました。

 私も怖くて百パーで打つなんてできません。三十パー以下にして後遺症が残らないように力が背中に抜けるように注意して打つようにしていますが・・・。

 何はともあれ、「中国武術なんか弱い」と思っていた昔の私を思い出すと、何と無知だったことか?と、恥ずかしい限りです。

 中国武術が弱く見えるのは、やっている人達が本来の戦い方を知らないからなんです。

 私に言わせてもらえば、こんな超合理的に人体を破壊する術を考えた昔の中国の武術家は恐ろしいものだな~・・・と思います。

 それにしても、今回、「痴漢に遭遇するので何か身につけたいで~す!」みたいな若い女の子が参加してるかな~?と、ちょっと期待してたんですが、オッサンばっかでした。

 俺のモテ期はもう来ないのかぁ~?

PS;25日から研究室(秘密特訓場?)をJR横浜線淵野辺駅から歩いて5分くらいのところに借ります。本格運用は来週以降となりますが、これで個人指導もいつでもできるようになりますので、宜しくお願いします。

PS2;以前、私に成り済まして悪さをしていた人間が居たんですけれど、ひょっとすると同じヤツかも?みたいなことがありましたので、私の名前でヘンな書き込みとか嫌なメールとかあったら私にお知らせください。弁護士さんに相談しますので・・・。(そういう次第ですから、私の誹謗中傷をいい気になってやっている人達もお覚悟くださいね)

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体罰と暴力障害

 私の小中学の頃は、体罰という言葉はあんまり聞いたことがなかったんですが、教師が生徒を叱る時にビンタ張るのは当たり前・・・の時代でした。

 今は、聞くところでは「殴りたかったら殴ってみろよ。教育委員会に訴えるよ」とガキが教師を挑発しながら暴力をふるったりする・・・んだとか?

 私だったら、「ふぅ~ん。どうせ訴えられるんなら、思う存分に殴っちゃおっかな~?」って、そのガキが恐怖でチビるくらい追い詰めちゃいますけどね・・・。

 私が大学入った頃は、母親が「とにかく教職課程さえ取れば、就職はどうとでもできるから・・・」なんて言われて、意地でも取りませんでした。

 私の両親は教師だったので、コネが利くから・・・という考えだった訳で、私はそういうのが嫌だったんです。

 うちの親父は熊本県下の教育関係者間でも名前が知られていて県の教育長にもなるんじゃないか?と言われるくらい(実際は某高校の校長で終わりました)だったので、親のコネで教師になっても「長野先生の息子はダメだね~」と笑われるようなダメ教師にしかなれない。そんな、ただのドラ息子で終わりたくなかったんですよ。

 結局、大学も辞めてしまったし、それ以降、現在に到るまで、多分、普通の精神の人だったら自殺するか鬱病になるかになっちゃうだろうな~?というダメダメ人生でしたが、まあ、反社会勢力に入らなかったのが奇跡かも?という感じで今に到るのは、神様に護られてるせいじゃなかろうか?と、結構、真面目に信じてたりしています・・・。

 あっ、今、思い出しましたけど、「アンタ、ヤクザに向いてる」と、本職の人から誘われたことがありましたよ。30代の頃だったと思いますけど、どういう状況で言われたのかはヒ・ミ・ツ・・・(笑)。

 やっぱり犯罪だけはやっちゃいけないと思ってました。どうしてか?というと、私が犯罪おかして新聞に載ったりしたら、頑張って生きてきて周囲から尊敬される教師になっていた両親に申し訳がたたない・・・と思ってたから。

 田舎の人は総じて世間体を気にするものです。世間体と言うのは御町内の噂話レベルなんですけどね。

 そういうのも嫌なんで、田舎には帰りたくないんですよ。


 それはそうとして、体罰を苦にして自殺した少年のことが論議されています。

 体罰は是か非か?という論議になりがちですが、以前から言ってるように、私は体罰は認めちゃいかんと思っています。

 体罰という名前で権力を持つ側の人間が暴力を行使することを容認しちゃいかん!

 人間、小っちゃい権力でも他人に振りかざして威張りたくなるもんですから、絶対に免罪符を与えてはいけないですよ。

 だけど、体罰が必要だと論じる人達の気持ちも理解できなくはありません。

 平気で暴力ふるうような生徒を口先でおとなしくさせるのは難しいですよ。

 ヤンキーや暴走族のように木刀や金属バット持って暴れるような相手を口先で何とかできます? できる訳ないでしょう。

 うちの会に入った人間の中にも、あからさまに、(何だ~、こいつ、本当に強いの?)って顔して挑発してきた者も居ましたよ。30分くらいカワイガリ?してやったら、「先生、僕にも教えてくださいっ!」ってなりましたけど・・・(苦笑)。

 中学生くらいになるとつかみ合いのケンカしたこともないような大人じゃ敵わないようなヤツもざらに居ます。

 最近は聞きませんが、家庭内暴力で暴れたという話も昔はよく聞きました。

 現実に暴力をふるってる人間に対しては実際に力でねじ伏せるしか方法が無いのは現実なんですよ。

「そんなことはない!」と言ってる人は、現実を無視してるだけ。

「警察も軍隊も必要ない。銃を無くせば犯罪は無くなる」って論理も、あまりにも平和ボケ過ぎ。

 世の中から銃を無くしたらどうなるか? 屈強な暴漢が我が物顔でのし歩く北斗の拳状態になるだけですよ。

「すべての武器を無くせばいい」って言い出す人もいるんですが、50cmの紐があれば人を絞め殺すことができますよね?

 コンビニのポリ袋を頭に被せて窒息死させることだってできる。

 周囲に武器に使えそうなものなんか、ゴロゴロしてますよ。日曜大工の道具箱なんて殺人兵器のシークレットケースみたいなもんです。

 そもそも武器が無くなったら人間は野生動物に捕食され放題でしょう? 人類、生き残ってないでしょう。

 だからといって「体罰も必要だ」と言いたい訳ではありません。

 人間が暴力ふるうのは本能として否定できない現実であり、一見、悪に見える行為もその実、必要性があるんだと言いたい訳です。

 もっとも、そこで文明論を語ったところで何もならん。

 私は、「現実を受け止めて現実的な対応法を講じるべき」と言いたい訳ですよ。

 体罰なんてものを認めてはいけないけれど、教育の現場で度を越して暴れるとか、明確に教わる気持ちが無いとか、そういう子供はペナルティーとして教室に入れなきゃいい。

 あぶれた不良性感度の高い子供はどうするか? 程度に応じた教育プログラムの場に行けるようにすればいいでしょう。それこそフリースクールであったり不登校生向けの塾がありますから。

 で、それでも行きたくない子供も居るでしょうが、現実社会で生きていくには生きられる知恵と知識、術が必要な訳で、それを自覚できなきゃ親に庇護されて生きるくらいしか方法は無いですね。

 では、そんな子供を持った親はどうすればいいのか?

 足掻いてください!

 自分の子供だったら一緒に悩んで足掻いて答えを見つけ出していく覚悟をしてください・・・と言うしかないですよ。

 そんな簡単に答えなんか見つからないし、何のトラブルもなく過ごせる人生なんか幻想かサザエさんの世界にしか無いですよ。

 私の親の世代は戦中派だったんで、戦争の話ばっかり聞かされましたよ。

 母親が子供の頃に住んでいた大連では、国境近くで機関銃の撃つ曳光弾の光が闇夜を切り裂いて飛んでいく様子が綺麗だったとか・・・、天草に帰ってきたら土地を取られてしまっていて海水を煮詰めて塩を作った・・・とか、そういう苦労話。

 生きてただけで有り難いという時代なら、どうということの無い悩みを、人生の一大事と悩むのも、馬鹿らしいことだと思いませんか?

 私が武術始めたのも、最初から他人に助けてもらおうと思わなかったから。

 戦争の話ばっかり聞いてたから、「自分の力で何とかできなきゃ生きていけないのが人生だ」と思ってたから。

 もっとも、実際には周囲の人達がいろいろ救いの手を差し伸べてくれましたが、それも、私が最初から人を頼っていたら助けてくれなかったんじゃないか?と思います。

 私のところに来る武術志願の人の中には、そら恐ろしいくらい他力本願な人が結構居ます。武術を習えば人生がどうにかなるのか? 何か勘違いしてますね~。

 私は、そういう人はほとんど断ります。

「武術なんかやってる場合じゃないでしょ? 今、貴方に必要なのは必死で働くことです」と・・・。

 私にとっての武術は今では仕事・・・つまり、マネーを稼ぐ手段になってる訳です。趣味でやってる訳じゃないので、そりゃあもう~、必死ですよ!

 趣味で取り組んでる人達は、「何か適当に習えて最高に強くなれる道場ないかな~?」みたいな阿呆なこと考えたりするけど、そんな人間がどんな優れた先生に素晴らしい技を習ったところで遣い手にはなれませんよ。

 実際に斯界で噂される一流の道場を数多く見てきた私の認識は、「どんな先生に習っても凡庸な人は並み以上にはなれない」ということです。

 先生は凄いんだけど、弟子は凡庸・・・というのが大抵の道場の現実です。

 そこんところはボクシングやキック、総合格闘技なんかのジムではあり得ないですから、まともに実力を高めたいなら、そういう格闘技ジムに入った方がいいでしょう。

 これは、うちでも同じことです。着実に実力をつけているのは熱心に通っている人に限られます。セミナーや講座に一回だけ来て見世物芸ができるようになっても、それは武術的実力ではありませんからね。

 無論、本気で護身術の必要性を考えている人に対しては、常に、「どうやったら、もっと合理的にできるか?」と、毎日毎日考えて練習中も会員の様子を観察して技を改良することを考えていますが、甘いこと考えてる人間には厳しい現実を突き付けるのが私の誠意ですよ。

 総体的に、みんな、必死さが足りないですね~? 食うにも困るような生活したことないんだろうな~?


・・・おやっ? ふと外を見ると雨が雪に変わってますね~?

 今住んでる部屋はエアコンがついてるから、今期は風邪ひかずに済んでるんですが、以前の部屋は暖房がコタツだけだったから、しょっちゅう風邪ひいてましたよ。

 ここ数年は、ほぼ毎月、家賃払えていますが、以前はしょっちゅう滞納しちゃってましたから・・・。

 ちゃんと仕事して金稼ぐということが、生活の基盤ですよね?

 私は持病(パニック障害)のせいで、普通に勤めることができなかったんですが、武術をずっと続けてきたのと、中二病で文章書く能力が少しあったから、それを駆使して何とか食えるようになりましたが、この先はどうなるか判りませんからね。日々、勉強!

 何にしても、金を稼ぐ仕事をするためには、相応の勉強をしないといけない。教育はそのために有る訳ですから・・・。


 最後になりますが、体罰による自殺・・・の今回の事件をワイドショーなんかで聞く限りは、これはもう暴力障害事件でしかありませんよね?

 スポーツや武道にはついて回る話ですが、考えてみたら、私は体罰として会員叩いたことはほとんどありません。練習でついうったり当たっちゃった・・・くらいですね。

 そもそも、今回のような体罰云々の是非を論じる場合、フルコンタクト空手やボクシング、キックボクシング、シュートボクシング、総合格闘技、相撲なんかはどうなるんでしょう。

 何か変な具合に誤解されて圧力かけられたら嫌だな~・・・。

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雪道歩くコツ

 会員さんから質問があって、「雪道で転ばないように歩いていたら丹田歩法みたいになったんですが・・・」というものでしたが、要領としては一緒なんです。

 コツは、足裏をそのまま上げて、そのまま下ろす・・・という八卦掌の“平起平落”のやり方です。雪道だとスリ足は無理ですが、普通にカカトから着地して蹴り上げて歩こうとすると滑りやすい訳です。

 アイスバーンになってるところで普通に歩くとツルッと滑って体勢を崩して転ぶ訳ですから、地面を蹴る動作をやらないことが肝心です。

 実は、この訓練をするのに、日曜日の公園の稽古では舗装されていない砂利の多い土の地面がある築山の上でやるようにしているんですが、ここだと地面を蹴る動作をすると砂利で滑ったりしやすく、雨や雪の後の泥濘んだ時には滑って転びやすい・・・。

「そんな足場の悪いところでやるのは危険じゃないか?」と言いたい人も居るでしょうが、発想が逆なんですね。

 足場が悪い場所で動けたら、普通の場所では自由自在に動けるようになる訳です。

 最近は、ちょっとでも危険だと思ったら安全に安全に・・・という考え方をする風潮がありますが、そんな過保護な環境でやっていたのでは実戦に通用しなくなりますよ。

 先日も、会員が八卦掌の走圏をカカトから踏んでやっていて、私は黙ってしばらく見ていたんですが、霜が溶けて泥濘んできたので、案の定、ヌルッと滑っていました。

 そこで、「カカトから踏み込むと滑る・・・」と指導しました。

 自分でうまくいかない経験をすることによって、改善の必要性が自覚できる訳です。

 何でもかんでも一から十まで教えていたら、会員が自分で考えなくても私に聞けばいいんだと安心してしまうでしょう。そうなったら、伸びなくなりますよ。

 無駄に思えても、こういう試行錯誤を繰り返す体験が重要なんです。

 あるいは、滑らないように・・・と注意していても滑る時は滑る・・・。そういう場合は、無理に耐えようとするより、自分から丸まって受け身を取った方がマシです。

 失敗しない方がいいけど、失敗したら仕方がない。ただし、被害を最小限に留めるようにするとか、再挑戦の糧にするのが賢明なやり方です。

 一番、悪いのは、失敗しても認めないで反省もせず、同じやり方を続けてしまうことです。

 こういう人は、同じ失敗を何度も何度も繰り返し、その度に自分の問題を自覚しないで外部に問題点があると責任転嫁してしまうものです。

 そんなことを続けていれば、周囲から人が離れて孤立していくだけでしょう。たとえ人が集まってきても、心の無い、信義を知らない烏合の集団となるだけですよ。

 誤解する人が居るので書いておきますが、私はアンチファンが多いですが、応援してくれる人も大勢居ます。だから、頑張ろうというモチベーションが続く訳です。

 それに、心理学的に考えても面と向かって敵愾心を燃やす人は、それだけ深く関心を持っている訳です。嫌い嫌いも好きのうち・・・って心理。

 本当に心の底から嫌いだったら、無視するものですよ。

 私は殺してやりたいと思ったくらい嫌いな人に関しては、一度も批判したことがありません。名前を書くのも嫌だから。

 先日のセミナーでも、「長野さんは甲野さんが嫌いなんじゃないんですか?」と質問されましたが、そんなにまで嫌いじゃありません。だって、面白過ぎるじゃないですか?

 だから、私にツッコミ入れられたら、「やったー!」って、若手芸人のように喜ばなきゃ~ダメですなんですよ(ホントか?)。

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大島渚監督ご逝去

『愛のコリーダ』『戦場のメリークリスマス』『御法度』で知られる大島渚監督がお亡くなりになられました。

 TVのコメンテイターとしても活躍されていた日本の映画監督を代表する文化人としても、有名な監督でした。

 ベートーベンを思わせる風貌と着物姿で熱い性格は、反骨の人そのもので、社会の不正を許さないという全共闘世代の典型的な方だったと思います。

 一方で、女優の小山明子さんとの鴛鴦夫婦を最後まで貫いたところは、離婚が当たり前の芸能界で珍しいことだったろうと思いました。

 しかし、初めて知りましたが、あの崔洋一監督の師匠だったんですね?

 だから、崔監督は『カムイ外伝』を撮ったのか~?と、私は、ようやく納得がいきましたよ。

 大島監督は、白戸三平の忍者劇画の絵を使った長編『忍者武芸帳』を撮っています。

『カムイ外伝』も白戸三平だし、どちらも民衆が体制に虐げられている中で立ち上がろうとする抵抗の物語として、全共闘世代に好んで読まれていたとされます。

 それにしても、反骨の人が随分、少なくなってしまったな~・・・と思います。

 結局、『御法度』が最後の作品になってしまいましたが、せめて、もう一作くらいは撮らせてあげたかったですね。

 器の大きい日本人が亡くなっていくのは、寂しいですね。


 大島渚監督の御冥福をお祈りします・・・。

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一月セミナー感想

 2013年しょっぱなの月例セミナーですが、私、久々にパニック障害の発作起こしちゃって、電車を三回降りて休み、開始時刻に間に合わないと思って北島師範に「遅れるから先に始めておいてくれ」とメールしました。

 この発作が厄介なのは本格的に起こってしまうと15分から30分間は完全に動けなくなってしまうので、起こりそうだと思ったら電車降りて休むとかしないといけないんですよね。芸人さんとかTVのタレントさんが、この病気で長期休養したり引退したりしてますが、よく解りますよ。

・・・と言うのも、天真会の吉田先生から頂戴したペンダントを汚部屋の中で落としてしまって見当たらなくなっちゃったもんだから、そのまま出かけたんですが、2年ぶりくらいに発作が出てしまったんですよ。

 いや~、参りました。

 同時に、あのペンダントが如何に効いていたか?という間接的証明になりましたよ。

 遅れて江古田の会場に向かうと、ビルの下で初参加の人に呼び止められました。場所が分からなかったみたい。駅の真ん前過ぎて、意外と気づかない人も居るし、ビルの出入り口が正面に無いから迷うんですよね。

 一緒に会場に入ると、北島師範小塚師範代が先に進めてくれていました。

 もう、ほとんど任せてしまっても問題無いから、今日は見てるだけにしようかな~?とも思ったんですが、見てるとウズウズしてきて、結局、いつものように独演会みたいにやりましたよ(苦笑)。

 それにしても常連さんの中には、発勁の威力がハンパ無くなってる人も居て、受けた人がウワァ~ッ!って叫びながら跳ね飛ばされたり、普通にガシガシ武道やってきて体格のガッシリした人が、コロンコロン転がされて、わざとやってんのか?と思うくらい、もう笑っちゃうしかなくて嬉しそうな顔でコロンコロン倒れまくってたり・・・。

 ちなみに、張り切り過ぎてギックリ腰になりそうだったのを、埼玉幸手支部長が治してあげましたっ!

 初参加した人は、脱力技法の冗談みたいな威力にびっくらこいちゃったみたいです。

 何か、毎年やってるんですが、年々、バージョンアップして嘘でしょ~?って感じになってきてますね。

 もう、パンチや蹴りをペチッとはたき落とすだけで相手がベチャッと潰れてしまうとか、普通にみんなできるようになってきてます。こういう技って、一昔前だと達人だけができる気の技とか言われてたんだけどね?

 この日は黒田鉄山先生が昔、月刊空手道の取材で現在、秘伝の副編集長やっているSさんのローキックを片手でピタッて止めてみせた技や、国井善弥先生の得意技である下段払いで突き蹴りをはたき落として身体ごとベチャッと潰す技とか、そういうのをアレンジしていくつもやりましたが、皆さん、結構できてましたよ。

 自分で言うのもなんですが、30年かかってもできないような技が30秒で体得できるってのは、うちの専売特許かな?と思います。

 私は、事実を言ってるだけなんで、「長野、嘘つくんじゃ~ね~よ」って言いたい人は、別に信じてもらいたいとかゼ~ンゼ~ン思ってないんで、好きにほざいててくださいよ。

 できない人達がゴチャゴチャ屁理屈並べて自惚れたり嫉妬したりしている間に、着実にできる人を増やして教授体系を進化させていっているので、悪口言ってる人達に対しても「哀れだねぇ~」としか思ってません。バカに理解してもらおうとか思わないし~。

 逆に、「なんで、こんな簡単なことを、さも高度な神業のように哲学的に権威付けして語りたがる人が多いのかな~? 甲野さんとか・・・」と、私はとっても不思議です。

 結果的に弟子にさっぱり伝わらないでしょう? 教えてできるようになっちゃうと自分の技が通じなくなるから隠したいのが本音じゃないですかね? 要は、武術をダシにして自分の権威性を広めて文化人ぶりたいんでしょう。

 劣等感の裏返しですね。

 でもまあ、いっか? 他所がそうやっててくれれば、うちが儲かるから・・・。

「何だ、長野は金儲けが目的でやってるのか?」って・・・?

 そうですけど、それが何か?

「武道は金儲けの道具ではないっ!」って・・・?

 じゃあ、「月謝取って教えるべきではない」って日本中の道場に手紙出せば?

 私の経験上、タダでいろいろ教えていると自惚れて増長する人間が出やすい。タダなんだから、どんどん教えてくれ・・・みたいに貪欲になって感謝する気持ちが無くなっていく・・・そんな人間が何人も居ましたよ。破門にしたけど。

 だから、やる気と誠意を確認するために、それ相応のお金を取るべきだと考えます。

 ちなみに、現在、師範代以上の幹部からはお金取っていません。それは仕事で疲れて帰ってきてから私に代わって指導をやってもらっていたり、会の運営を支えて私の仕事を手伝ってもらっているからです。

 本当は、会社形式で給料出せるくらいにしてあげたいんですが、現時点ではまだまだなんですね。だから、ビジネスとして皆にきちんと給料出して生活の面倒を見れるくらいになりたい・・・というのが目下の私の目標なんですよ。

 それが、良くない考えなんですかね?

 お金を稼ぐことは生活の基盤を安定させるということだから、非常に大切なことです。

 どんな綺麗言を並べても、社会人として金を稼ぐ活動をしていないことは恥ずかしいことですよ。

 何か「修行」という言葉に酔っ払って世の中で生きていく責任を放棄している人間もいますよ。真面目に働いている人から金を騙し取るような寄生虫野郎が聖人君子ヅラしたりするのがカルト宗教の最大の問題点な訳でしょう?

 うちはセミナー料金も高いしDVDも高い。

 でも、これは金を貰ってもロクに身につかなくとも文句を言われない武術業界へのアンチテーゼのつもりです。

 私は、実力が無いのに武道家を名乗る人に対しては猛烈に厳しいですが、それは何故か?というと、間違いを広めることの長期的問題点を考えるからです。

「値段が高いからには、きちんと教えて体得させる!」という決意表明なんですよ。

 もう5年くらい、毎月のセミナーに関西から参加されている方もいますし、今回は和歌山から来られた方もいらっしゃったり、東北から、九州から毎回、足を運んでくださっている方もいます。受講料金の何倍も交通費を使って来られているんです。

 値段に見合った内容じゃなかったら、誰がわざわざ、そこまでしますか?

 金取って教える以上は責任があります。払ったお金以上に喜んで満足してもらう・・・ということを目標にしなきゃいけないんです。

 仕事で疲れて道場に行って、どつかれて怒られてお金をぶん取られる・・・って、そんなのマゾしか続かないでしょう? その上、ろくに体得できないんだったら、詐欺です。

 私はそんなの嫌だし、自分が嫌なことを人に対してやりたくないです。

 このブログはいろんな流儀の指導者の方も読んでらっしゃると思いますから、その参考にして考えてもらいたくて書いてます。

 やっぱり、武術や武道は金払って技を教えるという一方通行じゃダメですよ。

 何故、この技が必要なのか? 何のためにこの稽古法をやっているのか? そもそも、何のために武道や武術を学ぶのか?

 こういった事柄について生徒から質問された時に答えられなきゃ~ダメでしょう?

 もちろん、どれが正解か?なんてことは言えません。

 でも、人を指導する以上は、自分なりの考えを持っていなくちゃダメですよ。

 ただ面白がってやっているとか、ただ強くなりたいとか、そんな幼稚なことを言ってるようではダメですよ。特に30過ぎて、そんなことしか言えなかったら人間失格です!

 何で武術は面白いのか?

 私からすれば、人体の構造に詳しくなれたり、心の動きが身体の動きにシンクロしたりするのが面白いし、武術や武器の歴史的変遷なんてのも面白い。

 それと、体格の大きな屈強な人間を簡単にコロリッと倒せる技術的な面白さがありますよね。

 そして、死ぬことに対してリアルに直視した中から出てきた哲学的発想が凄いし、そもそも「人間に潜在しているチカラって、こんな凄いものだったんだ」という感動は、どんなスポーツや学問でも得られないと思います。

 つまり、武術を通して人間に秘められたチカラの存在を知ることができる。だから、楽しい訳ですよ。

 この日に初参加した人と終わった後で喫茶店で話していた時に、甲野さんのように介護やスポーツに役立てたりして世間的にもっとアピールしたらいいんじゃないか?といった意味合いのことを言われたんですが、こういう提案は、しょっちゅう言われるんです。

 けれど、失礼ながら、こういう考えは武術の本当の価値を知らないから、こういう発想に繋がるんだと私は思っています。一時的なポピュリズム(大衆迎合主義)でブームに便乗しようという程度では意味がないんですよ。もっと恒久的な価値を求めないと。

 譬えるなら、“超一流の料理人を目指している人が最高の包丁と出会った感動”です。

 ただ切断するというだけだったら、日本刀も鉈も斧も鋸もマチェーテもチェーンソーもタクティカルナイフも包丁も変わらないですよね? 理屈で言えば。

 でも、全然違いますよね。使い方・切る対象・切り口・・・。

 包丁だって、フルーツナイフ・菜っ切り包丁・出刃包丁・牛刀と、みんな違うし、百円ショップで買った包丁と日本刀職人が鍛造した和包丁なんかは全然、質が違いますよね。

 日本刀も、私、数十振り試し斬りで比較してみましたが、想像以上に斬れ味は違うものなんですよ。似たような形してるんだから似たようなもんだと予想していたら、こんなにも違うんだ!と驚きましたね~。

 実力がついていくに従って、余計に差が判るようになってきましたよ。

 これはもちろん、斬る対象によっても違ってきます。

 私の究極の目的は“最高の武術を創造すること”です。お金を稼ぐことはその目的実現に必要だからですよ。

 だから、「達人先生に習えて幸せ~」みたいなヌルいこと考えてるようなシロウト連中から悪口言われても何とも思いません。

 私は、国内でトップレベルの先生方に何人もお会いしていますが、尊敬はしても、必ず習性で「この先生のどこが弱点かな~?」と考えながら観てしまうんですよ。

 だからこそ、武術の研究家としての眼力が養成された訳です。

 よって、他人の評価は全然、当てにしていません。どんなに世評が高くとも、自分で観て「こりゃ、アカン」と思ったことが何度もありましたよ。

「こりゃ、アカン」と思ったというのは、つまり、「この先生と俺が戦ったら俺が勝っちゃうな~」って意味ですが、これまた、誤解されがちなことなので解説しておきます。

 どんな達人でも人間である以上、必ず弱点はあります。そして、相手の攻撃を恐れず相討ち覚悟で弱点だけを攻めれば、実力差が10倍あったとしても勝てるんですよ。

 ルール無用の真剣勝負というのはそういうものです。知識と覚悟。この二つあれば勝てます。

 逆説すれば、ルールつけて互角に闘えば、その闘い方に慣れているとか体格や体力が優る方が有利になる訳です。

 だから、「私は試合やっても勝てない」と平気で言ってる訳ですが、真剣勝負しなきゃいけなくなったら、私はどんなことやっても絶対に勝ちにいきますよ。その自信があるから、競技で勝つことに対する野心が湧かないんですね。まあ、若くもないし。

 命がけの勝負を前提にしているのが武術なんだから・・・。

・・・という認識を指導して、ものの考え方を幅広くしていってもらうのも、最近のうちの特徴ですかね?

 今回のセミナーでも、アドリブでいろいろ技の実験をやってみました。

 白鶴拳の白鶴震身や太極拳の纏絲勁を原理的に利用した骨盤で打つ発勁で廻し蹴り跳ね返すとか・・・?

 これは「骨盤の動きをメイン動力に使う」という游心流の基本概念をそのまま技に反映させたんですが、これまで一度もやってみたことなかった訳で、アドリブで試してみたんですが、予想以上にできましたね。

 よく「体幹部を使う」って言われますが、「体幹部でそのまま打撃する」のを教えてるのはうちぐらいじゃないかな~?と思います。

 そういう意味ではセミナーそのものが実験の場となっているかもしれませんね。

 今年も始まったばかりです。宜しくお願いします!

PS;次回ほびっと村の講座はぐっとお安く3000円にて受講できますんで、宜しくお願いします。今回は発勁のいろんな打撃方式を護身術的に使ってみます! 皆さん、発勁というと拳か掌しか考えなかったり、「空手の突きは関節のある部分ならどこでも打てる」という言葉にヘヘェ~っと有り難がったりしますが、別に関節部分でなくても打てます。拳・掌・肘くらいは誰でも考えつくでしょうが、うちでは腕一本で20ケ所以上使って打てますよ。これは参加した人だけ教えます・・・フ、フ、フ。

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時間よ止まれ~

・・・ってのは永ちゃんの歌ですが、何か、「この人、ずっと時間が止まったままなのかな~?」みたいな人って居ますよね?

「俺は昔、ヤンチャしてたんだぜ~」って酒が入ると毎度、同じ自慢する上司とか居たりするんでしょうけど、武術好きな人にも多いみたいです。

 何か、20年くらい前に私と手紙のやり取りしたことがあると名乗る人物から年賀状が来たんですが、ミミズがのたくったような文字でよく読めない上に、書いてる内容が古武術の業界では名前の知られた師範で海外の番組でも取材されている方の悪口と、私がやっぱり20年前くらいにちょっとだけ交流があった武術修行者の方が私に対する批判的な感想を言っていた?という“お知らせ(なのかな~?)”をしたかった様子なんですが。

 そもそも、何で年賀状にそんな意味不明のこと書いてくるのか? 年賀状って新年の御挨拶が目的なんですからね~? 一種の不幸の手紙?

 そもそも、私、この人とは一度も直に会ったことないんです。いや、あまりに変な手紙ばっかり書いてくるから、説教してやろうと思って、関西方面に武者修行兼ねて旅行したついでに訪ねたことはあるんですが、本人の相談にのっているという牧師さんだったかな~? 名前は忘れたんですが、そういう人とお会いして、その人が統合失調症らしいことが判ったので、以後、関わらないようにして、年月が経過したという次第です。

“触らぬ神に祟り無し”だな~と思うのですが、20年も前の因果が巡ってくるというのも困ったものです。

 病気だからしょうがないとは思うんですが、この人にとっては20年前の私と手紙のやり取りをしたことが、つい昨日のことのように記憶されているんでしょう。

 つまり、20年間、まったく自分の状況が変わっていないんでしょうね?

 恐らく、その古武術師範に厳しく叱責されて逆恨みしているんでしょうが、私もそんな困った人間に何人も会って逆恨みされてきたので、容易に想像がつきます。

 多分、この人もそうなんでしょうが、不登校の子供の中にも、ずっと改善しないまま20過ぎて30過ぎて、中には40過ぎても親に依存して引き籠もったまま生きている・・・という人が案外、居るように聞きます。そこまでなると、本格的に鬱病とか統合失調症とかなっている人が多いんでしょう。

 軽度の統合失調症だと、単に“困った人”程度で社会生活している人も多いと思うんですが、自分が病気である自覚が無いと、どんどん悪化してしまったりもするみたいです。

 昔は分裂病と言っていましたが、異常な言動を繰り返して社会生活がまともにできなくなる人も居るので、イメージが悪いから・・・と名前を変えた訳ですね。

 御承知の方もおられると思いますが、私が游心流を興した当時の会員にも、この病気の人間が居まして、2ちゃんねるを使って嫌がらせを繰り返してくれたものですから、会も内部崩壊みたいになって、えらい迷惑を被りましたよ。

 当時の会員も、ほとんど来なくなってしまいましたが、そりゃあ、自分の個人情報をネットに晒されたら困りますからね。私の監督不行き届きだったのは否定できませんから、当時の会員諸氏には申し訳無いですよ。

 しかし、その後、本人を問い詰めて色々と事情が判るに連れて、子供時代のイジメのトラウマから逃れるために大学でオウムのサークルに入った・・・といったサイコサスペンスみたいな話になってきて、紆余曲折の末、今は地元に戻って治療している筈?なんですが・・・、この元会員の場合も時間が経過すると自分の罪を忘れて友達気分で私に葉書書いてきたりするので、「このヤロウ、本当に反省してんのか?」とムカつきました。

「お陰様で治療も順調に進んで仕事もできるようになりました」と、慰謝料100万円くらい送ってくれるんだったら「あ~、良かったな~」って思うんですがね・・・。

 多分、今でも私のブログをチェックして2ちゃんねるに書き込みしてるんだろうと思います。意志の弱さのハンパの無さからすれば、「こりゃあ、イジメられて当然の性格だな~」としか思えず同情の気持ちは湧きません。

 少なくとも、人の信頼を得たいのであれば、断固として罪を犯さない・・・という決死の覚悟が必要です。同じ過ちをズルズルと繰り返すような人間が他人の憐憫の情を期待するのは間違いですよ。

 イジメを受けたから性格がねじ曲がって云々・・・というのは、私には言い訳にしか聞こえません。暴力に対して逃げるなり立ち向かうなり具体的に有効な対応を講じることを教えない日本の平和ボケ体質に飼い慣らされ過ぎてるんじゃないか?という気もします。

 ましてや、親が理不尽なイジメを受けてる子供を護るために具体的な行動をしないのもどうかな~?って思うんですね。

 イジメ受けてることを親に相談するのは恥ずかしいですよ。九州の男だったら尚更です。私も恥ずかしいから親には言いませんでした。自分で何とかしようと思ったから。

・・・でも、親だったら判りますよ。林田先生も子供さんがイジメ受けてるのを学校側に直談判したと聞きますが、それは当然なんじゃないでしょうか? その当然のことを実行できない人のあまりの多さが情けないですね。

 私も子供がそんな目にあったら同じようにするでしょうね。子供いないけど・・・。

 暴力に対してイジイジと見て見ぬフリするしかできない親からは、同じような対応しかできない子供が育つでしょう。優しさと甘さを勘違いしている人が今の日本には多過ぎると思います。

 モンスター・ペアレントと言われる人の中にも、単に視野が狭いだけで正義感が空回りしている人が居ると思います。問題があるのに何も行動しようとしない人よりマシではないでしょうか?

 子供を、黙ってイジメを受け続けて耐えられなくなったから自殺する・・・そんなパターンに陥らせてはいかんでしょう。長いものには巻かれろ・・・ではなく、「理不尽なことには従えない」と意志表示できる人間に育てるのが親の義務だと思いますよ。

「そんなことが言えるのは長野さんが強いからだ。世の中は長野さんみたいに強い人ばかりじゃない」と、何十回も言われましたが、「冗談じゃない。私なんかイジメられてたくらいだから全然弱いですよ。でも、弱いままの自分が嫌だったから強くなろうと頑張ってきたんだし、弱い人間も仲良く平等に生きる権利がある・・・みたいな共同幻想を掲げていても世の中、何も変わりませんよ。結局、意志薄弱な自分を自己憐憫しているだけでしょう?」と、その度に言って、場を白けさせてきましたが・・・。

 結論から言って、甘えた人間は嫌い。自己憐憫に浸りたい人間が武術なんかやっても誇大妄想狂になるのが関の山です。

 そんな性根の腐ったヤツが十数人は尋ねて来ましたね。

 そこそこ修行していてもそうなる人間が居るのが不思議なんですが、空手や柔道、格闘技とかには、そんな人間は少ないんですね。

 大抵が、中国武術か古武術、合気武術をやっている?・・・と自称する人です。

 今、うちの会員で残っている人は空手出身者が多いんですが、やっぱり組手や試合の経験があると誇大妄想にはなりにくいんでしょうね。

 そういう意味では、精神衛生上、自由組手やって痛い思いや悔しい思いをわざとさせるのも必要なのかもしれませんね?

 技の上達は簡単ですが、心を磨くことは本当に難しいです。

 もう、こっちは色々と忙しいし、礼儀も弁えない興味本位の馬鹿者の相手してやる暇は無いので、最近は礼儀を弁えない人間の問い合わせには返事しないことにしています。

 この人も返信して欲しくないらしくて、自分の住所は書いていません。自分の鬱憤を他人にぶつけているだけです。恐らく40は過ぎてる筈と思いますが、精神年齢は幼児レベルですね。どうやって生活してるんでしょうね?

 それにしても、10年も20年も何の進歩もしないでいる人間の気持ちは私には理解できません。自分の将来が不安にならないんでしょうか?

 人間の一生で本当に活躍できるのは、早い人で30代と40代、大器晩成型で50代と60代くらいじゃないでしょうか? 青木先生みたいに70代後半で青年期以上に活躍する人も居ることは居ますが、もう例外中の例外だし、周囲の人達が青木先生を尊敬し助けてきている・・・本当の信頼関係がないとできないことでしょう。

 私も、誰もついてきてくれなかったら、とっくに辞めていたでしょうし、まだ本当に活躍しているとは言えないので、これから頑張って20年。恩を受けた人達にはちゃんと恩返しして、余力があったら世の中に役立てることをやり尽くしてから死にたいですね。

 20代はまだ右も左も解らず、自分がどんな生き方をすればいいのか?と迷っていましたが、30代で武術研究家という方向性を見つけて試行錯誤を繰り返し、それが40代で実り始めたと思っていますが、その成果を発揮するのは、これから10年、評価が定まるのにもう10年・・・くらいかかるんじゃないかな~?と思います。

 ただし、これは私が順調に生きていられれば・・・の話だし、世の中もどう変わっていくか解りません。

 そういう世の中の動きと、それにどう関わっていくか?を考えていると、困った人に関わってくだらないトラブルにかまけている時間はありません。

 自分の人生を有意義なものにするか、世を呪い人を羨むだけで摩滅させるか・・・すべては自分の意志によって決まるものです。

 誹謗中傷やヘンテコな手紙も、逆転した人気の証明ですから、期待を裏切ることのないようにしなきゃ~いかんな~・・・と思います。要は“ジェラシー”向けられてる訳ですから、口ではバカにしていながら本心は畏怖の対象な訳でしょう?

 いや~、気分いいな~(笑)。

 でもね。困った人達に忠告します。いつまでも他人を嫉妬してないで自分を磨かないと人生、終わってしまいますよ。自分の時間が止まったままの人は、早く時間を動かしてください。

 今の自分の状況をきちんと認識して、少しでも良くなりたいと思うのなら、自分で良くする努力をしてください。トイレ掃除からでもいいし、毎日、仏壇に手を合わせるのでもいいでしょう。ゴミ出しでもいいし、哲学書を読むのもいい(個人的には林田先生の本がお薦め)。

 自分のモチベーションを高めて、自分にできる仕事をやればいいでしょう。

 人生は一回しかないんだから、無駄に無益に浪費しないで、自分でクリエイトしていかなきゃ~ダメですよ!


PS;何か中国でテコンドー少女が刃物持った女の手首を蹴り上げて刃物を蹴り落とした画像をニュースで見ましたけど、ブルース・リーでさえ失敗した技を実戦で成功するなんて、カッコイイっスね~? ニーハイブーツ履いてたから刃先がかすっても大丈夫と計算したのかも知れませんが、もうアクション女優デビューさせて中国政府が国民的ヒロインとして売り出せばいいと思います。それにしても技もともかく、凄い度胸だ・・・。

PS2;何と! 不幸の年賀状第二弾?が届きましたよっ(苦笑)。何で私に出してきたのか理由が解りました。この人、私に説教されたのを20年間恨んでいたみたい。私が“てきおう障害”なんだそうです。でも、この人、“てきおう”も漢字で書けないんじゃ~、まともに仕事もやってないでしょう。大体、適応障害の人間が何冊も本出したりDVD作ったりイベントで審査員やったりできるんですかね~? 私は「まともじゃない人間にはまともじゃない対応をする。それがまともな人間だ」という『ヨコハマBJブルース』の時の松田優作の教えに従ってるだけ。あっ、でも一応、何か事件が起こるとマズイから、件の古武道師範にはお伝えしておこうかな~?と思っています。私の師匠と仲の良い方だし・・・。「人を呪わば穴二つ」というのは現実にありますからね。嫌がらせするなら、そこだけは弁えて、やりたかったら、お好きにど~ぞ! 私はマイナスのエネルギーを吸収転換して自分のプラスに使えばいいだけですからね。念の強さに陰陽の区別はありません。陰陽転換は化勁の極意ですよ。

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八卦掌の威力

 付き合いのある仕事先の方から「今度、ある八卦掌の先生の稽古会を見学に行くことになったんですが、中国武術はよく判らないので、長野さんも一緒に行って感想を聞かせてくれませんか?」とお誘いを受け、どうも、前々から噂に聞いていた先生なのではないか?と直感し、お引き受けしました。

 もう、いつも書いていることですが、私は自分から進んで武術の先生とお会いしようという気持ちは無くなってまして、その理由は一つには、私が業界で甚だイメージが悪くて悪名が轟いているので、挑戦しに来たと勘違いされて警戒されたりする可能性もある・・・ということがあります。

 また、最初は謙虚にしていても、付き合いが深まると傲岸不遜になる人も多いので、もう嫌気がさしていまして、座右の銘は「君子の交わりは水のごとし」とし、薄い付き合いを保つように注意しています。

 なので、武術武道関係で私がある程度深くお付き合いさせてもらっている先生と言ったら、青木宏之先生と、あとは数える程しかいらっしゃいません。

 例えば、長年、お世話になっていた先生とも、つい先日、お別れする決心をしまして、その旨のお手紙を出しましたが、年賀状でお返事らしきことを書かれていらしたんですが、何を意図されているのか不明なので、私は返書は出しませんでした。やはり、お別れするのが正解だったな・・・と、期待はしていませんでしたが、多少残念に思いましたね。

 余談ですが、武道武術の先生は、本音をさらすことを嫌う方が多いですね? しかし、本音をさらさないとまっとうな信頼関係は築けないと思いますよ。相手が真剣に肚を割っているのに自分は当たり障りの無いような対応しかしないのでは、信義のある交わりはできません。

 下手な小細工で間接的に伝えようとしても、事態は改善しないばかりか不信感を与えるだけです。

 本音でぶつかれば傷つくこともあるでしょうが、傷ついても構わないという強い意志でこそ、相手の魂に響くんじゃないでしょうか? トラブルを避けるだけが武術なのだと勘違いしている人が多過ぎるような気がしますね・・・。

 だから、今の時代に武術人がただの変わり者扱いされてしまうんじゃないでしょうか?

 日本で最も評価されている武術人が甲野善紀さんというのは、何とも情けない状況だと私は思いますけど、現実に社会一般に影響力を示した点では否定できませんからね。

 もっとも、一般的に知られていないだけで世の中に大きな影響を与えている先生は、松田隆智先生や青木宏之先生がいらっしゃいます。私は研究家としてその溝を埋めていかなくちゃいけません・・・。


 さてさて、そんな次第で私は、自分から会ってみたいと思える方は、もう、ほとんどいなかったんですが・・・、今回は多少、期待していた面もあったのです。

 で、約束した日に都内某所の体育館に行きまして、会場で練習されている方に御挨拶したら、ちょっと早くて先生も来られていなかったんで、一階のロビーで缶コーヒー飲みながら待っていると、依頼主一行と、その八卦掌の先生が来られました。

 あれっ、やっぱり見覚えがあるな~?と思って、「もしかして、以前、学研のムック本に出られてないですか?」とお尋ねしますと、やっぱり、そうでした。

 つまり、私が(ひょっとして・・・)と思っていた先生その人だったのです。

 いや~、噂はいろいろ聞いていたんです。“八卦掌で凄い強い先生だ”という噂。

 しかし、直にお会いすると、非常に優しく邪気の無い明るい先生で、そうですね~? 私の知ってるタイプとしては高小飛先生を思い出しましたね。

 けれども、中国の先生は、顔は優しくても技を繰り出す時は凄く荒っぽくなる方が多いので、油断は禁物です。

 道場に入ると、稽古生の方が集まってきていましたが、予想していたよりずっと多くて、ざっと20人くらいいらっしゃいましたね。女性も数人居て、太極拳以外の中国武術でこの人数は多いと言ってよいでしょう。

 何しろ、あまり表だって生徒募集されていないのでしょうから、口コミだけで集まったと考えるしかありません。

 練習を見学していて思ったのは、先生が理論的に技の原理や用法の仕組みについて説明され、そればかりか逆に質問して生徒に考えを深めさせていた点で、単なる身体操作でもなく観念的にもならず、非常に実践的でありつつ哲学的な学びの空間として設定されているな~・・・ということ。

 ムック本の表現では“ガマガエルみたいで泥臭くてカッコ悪いんだけど、強い”というものでしたが、私の目には先生の動きは非常に機能美の極致に思えて、八卦掌特有の流れが止まらない円転の動きに、うねりと捩りの掌法が組合わさり、穿掌はドリルのようで挑掌は薙刀で斬り上げるよう、撞掌はコンクリート塀を打ち砕くがごとき烈しさ・・・。

 歩法は軽やかで身法は同側順体(世間的にナンバという言葉で間違って広まっているもの)、掌法は重剛・・・これは噂に違わぬ超絶なる威力だな~と思いました。

 技の用法の受けを取っているのが長身の外国人の方で、恐らく、普通の打撃格闘技の突き蹴りをガンガン受けても平気なんじゃなかろうか?と思うものの、斬馬刀で刈り倒されるように為す術なく引っ繰り返され、吹っ飛ばされる。

 その様子が、ただ単に八卦掌の動作を教科書的に使っているだけ。

「あんな軟弱な踊りみたいな動きでは武術として役立つ訳ない」と言われていた八卦掌の、かくも凄絶にして鋭くパワーに満ちた動きを見れば、多くの中国武術マニアは絶句するに違いありません。

 更に、八卦掌の養生効果が走圏にあると説く先生の内力に満ちた丹田の迫力。

 実際に武道の修練で壊れていた身体が自然に治癒されていった・・・と言う生徒の皆さんの声を聞けば、納得するしかない。

 中国武術の中で一つだけ選べと言われれば、私は迷わず八卦掌を選ぶ・・・というくらい好きで、台湾武壇に伝わったのと大連に伝承している宮宝田派二系統と、王培生派に伝わる程廷華・尹福・劉徳寛派は少し習ったんですが、今回は、根本的な八卦掌の原理について非常に有意義な時間を戴きました。

 ちなみに、この先生が教えられている派は八卦門中で最も実戦派で有名だった馬貴の系統。確かに発力(発勁)は腕は伸ばしたまま、運足と共に体の移動力を乗せて貫くように烈しく打ち出すので、貫通力と力積の大きさは見た目以上に巨大な筈で、おまけに運足は形意拳の寄せ足での震脚に似て、大槍で突き貫くような雄偉な様。

 一般に発勁の威力の強大な門派は一撃の破壊力を高めるのに震脚の踏み付けを利用しますが、これは瞬間に体が居着く欠陥も有します。

 だから連発できない波動砲みたいな方式。

 しかし、八卦掌の戦闘法は運足が止まらず動き続ける遊撃戦闘に特徴があり、一般の格闘技のような右構え・左構えの別も無く、回転・旋転・伸縮を目まぐるしく用いてサークリングの運足で斜めに躱しながら、交叉法で相手の中心軸をクサビで割り込むように斬り割って体勢を崩してしまいます。

 この戦闘法は内家拳の中でも最も新しく成立した門派だからこそ、実は他の内家拳を打ち破る戦術を蔵しています。

 その秘密が“歩”・・・つまり、走圏にあります。

 一般に武術は自分の制圧空間(制空圏)に敵の攻撃を入れないことを旨としますが、八卦掌は走圏の内部に敵を封じることで一方的に打ち倒す・・・つまり、制空圏に閉じ込めて倒すのが秘訣なのです。

 日本古武術風に言えば、“包容同化”ということです。

・・・というのは、私が八卦掌を研究してきて独自見解で到達した考えなのですが、この日はその考えが正解であったと再認識した次第でした。

 昨年、新陰流剣術・制剛流抜刀術の指導を受けた時以来の感動でした。


 先生の希望としては、これからもっと普及して広めていきたいと考えておられるそうで、その時は御迷惑でなければ、私も微力ながらお手伝いできればな~と思いました。

 それにしても、ムック本で紹介されていたことは随分、見当違いだったのでは?と思いました。

 下盤勢のやり方が全然、違う。ムック本で強調する程、腹圧を掛けることに意味があるのではなく、自然に下方に気を沈めるようにしているだけ。何か誤解されて広まっちゃったんじゃないかな~?

 中国武術の門派の中では、比較的新しく成立した八卦掌。何でも古ければいいと言うものじゃない。先進の武術を骨董品扱いする斯界の悪弊は取り除くべきですね。

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日本が生き残る道

 いつの間にか原発大国だった日本が、世界で最も脆弱な国である事実を露呈してしまってから、もうすぐ2年に到ろうとしています。

 安倍政権は国防力の強化を掲げていますが、それよりも真っ先に優先すべきことは、国中に散在する原発を安全なまま廃炉に導くことです。

 これは、日本国の経済を考えてのことでも環境破壊を憂慮してのことでもありません。

 バルブを一捻りするだけで冷却水が機能しなくなり、壊滅的自爆装置へと変貌してしまう原発を、国中に数十ケ所も置いておく国防上の愚策を、一刻も早く解消する決断が必要だということです。

 たかが電気料金と国を死の島へと変える危険性を無視することの、どちらを優先するか? 論じるまでもありません。

 もし、どうしても原発が必要だと言うのであれば、各原発にアサルトライフルやマシンピストルで武装し、野戦体術にも優れた自衛隊か警視庁の精鋭を10人前後は常駐させて、出入りする者の素性を徹底的に調査し、24時間365日の厳しい安全管理が必要です。

 最低限、それだけはやらないと、テロリストに狙われれば一巻の終わりです。武装も何も必要ない。ただ侵入して作業終了時に冷却水のバルブを捻りさえすれば、勝手に炉心が壊れ、核爆発が起こる・・・。

 こんな子供でもできる簡単なテロを全国の原発の数箇所で同時にやれば、日本は壊滅します。もし、人生に絶望し自暴自棄になった者が通り魔事件の代わりにやろうとしたら、どうやって防ぐのでしょう?

 もしも、あのオウムの地下鉄テロ事件が今起こるとしたら、やはり、彼らは原発を狙ったでしょう。そして、それは人類史に残る一国の絶滅事件となってしまいます。

 ですが、たかが原発にそこまでのリスクを背負うことができるでしょうか? 現実問題としてできないでしょう。

 だから、廃炉にしていくしか選択の道が無いのです。

 無論、「それでは日本のエネルギー問題はどうなる?」と言われるでしょう。

「日本のような少資源国にはどうにもならない」と嘆く前に、もっと日本人の底力を信頼したらどうでしょう?

『古代日本の超技術』(講談社ブルーバックス)という本を読めば、如何にかつての日本人が優れた智恵を持っていたかに愕然とするでしょう。

 資源が無ければ、安易に外国の技術に頼るのではなく、自国で作り出せばいいのですし、それができる技能が日本人には有るのです。

 新エネルギーとして私は海水のマグネシウムを利用する技術を推します。

 これなら島国の日本にとって無尽蔵のエネルギー開発となり得ます。安定エネルギーともなり、世界に先駆けての技術として国際社会の未来にも貢献できます。

 今すぐにできる技術ではなくとも、今すぐに育てていけば数年で実用化できる。海外からのエネルギーの輸入に頼る必要も無くなる。

 世界中がエネルギーの奪い合いで紛争が続いている問題もすべて解決できる。

 それなら、やるしかない!

 無論、金儲けの邪魔になると妨害する向きも出てくるでしょう。しかし、それを護るのが本当の国防です。また、世界からエネルギーの奪い合いを無くすことができれば、本当の平和な世界を実現し、国の境界が無くなり、尚且つ、それぞれの民族の文化を尊重した真に対等の付き合いができるようになる。

 ならば、その理想を目指していかなる妨害にも屈することなく国を挙げて新世界の実現に邁進するのが、本当の日本人に課せられた使命ではないか?

 原爆を落とされた日本が原発で自滅するよりも、戦争の無意味さを知る日本人が恒久的平和を実現するためのエネルギー革命を世界に提供できれば、アインシュタインが言ったとかいう「日本が世界を救う」という言葉も現実になる訳です。

 願わくば、心ある政治家・投資家・企業経営者が奮起されることを祈ります!


参考『マグネシウム文明論』(PHP新書)

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教材DVD『基礎錬体編』発売開始

 お待たせしました。DVD新教材シリーズ第一弾『基礎錬体編』できました!

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 プロのカメラマンに撮って頂き、内容も徹底して解説に重きを置いていますので、独修用に最適です。

 つきましては、従来の『初級・中級』教材は、新シリーズ発売に併せて内容が古くなってしまいましたので廃盤とさせて頂きます。游心流を基礎から学びたいと考えて、尚且つ、遠方に住んでいて通えない・・・という方も、こちらの新シリーズを順番に買って練習して頂くことをお薦めします。

 何しろ、一昨年くらいから練習内容が質的に激変してしまったので、昔のやり方より今の方が何倍も効率が良くなってしまったのです。

 そういう意味では、昔、教えていた会員の皆様で関心がある場合は、これで練習し直してもらいたいですね。

 年四回、季刊のペースで制作していく予定ですので、次回は四月に『歩法』だけで一巻にする予定です。無論、歩法の健身効果と武術的用法について画期的な内容にする予定ですから、御期待ください。

 新シリーズ開始を記念し、1月2月は、『合気の応用』と二巻セットの場合、通常だと2万円プラス1万円で、合計3万円を1万円引きの2万円に割引させて頂きます。

(『基礎錬体編』のみの場合は1万円です)

 真面目に一途にやって頂ければ、誰でも必ず上達できますので、御安心ください。

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2013年月例セミナーの第一回は『脱力体の養成』

 新年初っ端の月例セミナーは、游心流の原点の一つである脱力体の養成をテーマにします。

 敵に対抗しようとする意識を除いて、徹底的に受け流し、相手が自滅するのを誘う・・・というのが、唯一、老若男女、誰でもできる武術であると言えると思います。

 何年か前に「力が作用するということはどういうことか?」という点で閃いて、そこから技を造り直していったんですが、そのお陰で、相手がどんな流儀の遣い手であろうが怖いとは思わなくなりました。

 どんなボクサーでも、攻撃しないでずっと逃げ回っている相手を倒すのは至難だと言われますが、もしリングが無くて相手が陸上の選手だったら、尚更、倒すどころか逃げられてしまうでしょうね。

 原理的に言えば同じことで、強いか弱いかが意味を持つのは、互いに抵抗して力を出し合うからなんですよ。

 それをやれば力が強くて体格が優れた方が勝つのが当たり前でしょう?

 私も若い頃は結構鍛えていたんで、体格の割りには力がある方でしたが、もう50歳近いし日頃から全然鍛えていないので、腕力は相当落ちていると思います。

 でも、打撃力はずっと上がっています。

 どうしてか?というと、筋力を捨てて重心力を遣うようになったからです。

 体内の重心を急激に移動集中させて打ち込めば、拳でも掌でも前腕でも肩でも当てる箇所はどこでもいいし、威力も相手が受け止められずに身体ごと吹っ飛ぶような圧倒的なパワーが出ます。

 しかも、教えればズブの素人でも出来る!

 こりゃあ、秘伝にした筈ですな~?

 長年鍛えてきた人達が泣いちゃいますよ~。

 その上、鍛えに鍛えた人ほど脱力が苦手で重心移動を自分で止めてしまうんだから、認めたくないのも解る気がします。

 でも、事実は事実!

 神秘の気の技として演じられている技の八割以上は脱力技法で再現できます。

 固定観念を捨てて参加してくださいね。


 それから、新年第二弾は、ほびっと村学校での超必殺護身術講座もありますよ~。こっちは3000円で安いので、お試しの方、歓迎します!

 聞けば何でも答える喫茶店トークライブもありますよぉ~(苦笑)。

 何でも、先日、ゲスト出演したニコ生動画が無料で観られるようになるそうなんで、「長野さんって怖い人なんじゃないの~?」と思っていた方、そっちを観て御判断くださいませ・・・。

 2013年は、みんな~、オラと一緒にパライソさ行くだぁ~!

(何か、最近、だんだんヤケクソになってきてるな~、オレ?)


 ところで、選挙終わりましたね?

 民主党、惨敗しましたね?

 野田さん、予想できなかったんですかね?

 小沢さん、すっかり影が薄くなりましたね?

 安倍さん、マジで憲法改正するんですかね?

 日本も徴兵制導入するのかな~?

 脱原発、遠くなりましたね?

 何か、マジメにコメントする気がしませんね?

 あ~、世界平和はまだまだ遠いな~・・・。

PS;DVD『合気の応用』、神保町の高山本店さんにだけ卸してるんですが、何か、すぐ売り切れてるみたいでお店の方もビックリされてました。何せ、値段が普通の武道DVDの四倍くらいだからね~。そんなに数が売れるとは思えなかったのに、もう10本以上売れてますからね。ちなみに合気道や空手道の先生で明らかに私の本やDVDを参考にされているらしい方の話も聞きますが、名のある先生方に参考にして戴けるというのは研究家冥利につきますよ! 一時は甲野理論に影響されている人が多かったですが、やっと間違いに気づいて本来の武術性を考えてくれる人が増えてきたか?と思うと、本当に有り難いです。武術は身体操作だけに価値があるのではなく、むしろ、それは基礎的なことでしかありません。武術の本質は“理合”であり戦略的思考にこそ価値がある・・・ということを私は声を大にして言っていこうと思います。

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教材DVD『基礎錬体』発売

 予告しておりましたDVD新シリーズの第一弾『基礎錬体』の仮編映像を日曜の稽古会後にファミレスでチェックしました。

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 これまでは紹介という範疇を出ませんでしたが、これからは一つ一つ丁寧に解説して独習用教材として製作していこう・・・というコンセプトです。

 まず、基礎錬体そのものは、武術以外の普通のエクササイズとしても活用できますし、「骨盤から動く・脱力する」という点に特化した身体訓練法として游心流立ち上げの頃から一貫して続けてきています。

 武術に関心が無い人にも取り組んでもらえるという点では、非常に意義があるでしょう。

 今回、プロのカメラマンの方に撮って戴いたので、プロローグとエピローグがイメージ映像になっていて、何か凄いです。

 それと、独己九剣を一つずつ解説していくことにしたんですが、この型がマンマ無刀捕りにもなるという点を実演しています。

 解説のためだから、いつもゆっくりやっているんですが、「あんなユックリだったら誰でもできる!」と勘違いする人がいるので、今回、「もっと早く! もっと早く! もっと早く!」と受けをとってくれた千葉師範代に早く斬りつけてもらいましたが、そこが面白いと思いますよ。

 でも、撮影後に小塚師範代がボソッと、「あれ、失敗したら死んでますね・・・」と言った意味が、よく解りました。

・・・という訳で、この無刀捕りは真似しないでくださいね。私がチョ~達人だからできることであって、単純に真似しようとしてもできません・・・死んでも知らんよ(笑)。

 あ~、失敗しなくて良かったぁ~・・・(苦笑)。


 ちなみに、教材DVDシリーズから大幅値下げして一万円とさせていただきます。

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映画・本の感想

 年末年始はTVが特番ばっかりでつまんないので、日本映画専門チャンネルとかアニマックスとか観たり、本を大量に買い込んできて読み耽ったりしました・・・。

 それで、ちょっと感想を書いてみます。

 まず、幕末のテロリストとして名高い岡田以蔵を勝新太郎が演じ、薩摩の田中新兵衛を、あの三島由紀夫が演じたという伝説の作品『人斬り』を、久々に観ました。

 何と言っても、この作品、キャスティングが異様な豪華さ!

 坂本龍馬を石原裕次郎が演じ、仲代達矢演じる武市半平太を冷酷非情な革命集団の狂気を秘めたリーダーとして描いた点でも出色でした。

 勝新は腕は凄いけれどもピュアな暗殺者、人斬り以蔵を人間味たっぷりに演じていて、座頭市とはまったく異なるアンチヒーロー像(ひたすらダメな人間が最後の最後に男の意地を見せて死ぬ)を表現しています。

 しかし、この作品のおいしい役は、かの文豪にして衝撃の切腹自殺を果たした三島が、ナルチシスト全開で異様な迫力を表現した田中新兵衛に注目すべきでしょう。

 三島由紀夫がホモセクシャルだったのはつとに有名な周知の事実ですが、生まれついての貧弱な肉体を美輪さんに茶化されて傷つき、執念深く肉体改造に励んだことが知られています。

 ボディビルに熱中し、同時に剣道・空手道・合気道などの武道に入門したことも有名な話です。

 実際、うちの会のジェット爺ぃことUさんは、若かりし頃に半年だけ通った合気会本部道場で修行に励む三島由紀夫を見たことがあるそうです。

 ただし、「三島由紀夫は異常なまでの熱心さで取り組んでいた」とは当時の武道関係者の誰もが共通して評することながら、同時に「恐ろしく不器用で下手だった・・・」とも付け加えるところですから、よっぽどの下手さだったのでしょう。

 事実として、あれだけボディビルに熱中して筋肉を膨らますことに執心していたら、素早く流れるように動くのが基本である武道が上達するのは難しかったでしょう。

 まして、元来、身体虚弱であったということは、元々の運動神経も悪かったのでしょうから・・・。

 けれども、この映画での三島は、まさに“はまり役”で、その不器用さが逆に武骨な薩摩武士の性格にマッチしていて、殺陣のシーンでも一撃必殺の異様な緊迫感をかもし出しています。動きは堅いんですが、剣を構えた姿の迫力は演技とは思えない殺気が出ています。

 また、武市に反発して土佐勤王党を飛び出したものの、どこも武市の声が掛かっていて刺客の腕を買ってもらえず、行きつけの飲み屋でもツケが効かないとなって、情けなさに泣きじゃくる以蔵に会った新兵衛が、「よかよか、酒くらいわしがおごってやる」と言うシーンは、その後に武市に謝罪して復帰した時に、新兵衛に罪を着せる姉公路暗殺を依頼されて動揺しながらも友を裏切ってしまう以蔵の心情にも重なります。

 だから、土佐藩邸に自白に赴く時に、自決した半兵衛をも、「薩摩の田中新兵衛・・・」と自分が殺したと告白するのでした・・・。

 この作品、改めて自衛隊駐屯地でのクーデター呼びかけの後の切腹自殺という劇的な最期を遂げた後で観れば、三島のギラギラとした眼光に単なる演技を超えた異様な迫力が出ていて、感じ入るところがあります。

 出番は少ないながらも三島由紀夫がこの作品で最もオイシイ役柄だったな~?と思うと、演劇の世界で生き続けて欲しかった・・・と、惜しい気がしますね。


『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』も、やっぱり凄いですね~。

 円谷特撮の黄金期ではないでしょうか? CGが発達した現在の視点で観ても、凄いな~と思います。

 まず、冒頭で出てくる大タコの触手のうねくり具合が神技ですよ、もう。

 そしてガイラの怖さ・・・身長が25mという設定なのも怖いですね。

 サンダの細胞が海で増殖してガイラになった・・・という設定は、平成ゴジラの細胞からビオランテが生まれ、スペースゴジラが誕生したのを彷彿とさせますし、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』のラストで海底に沈んだゴジラの心臓がドクッドクッと脈動するシーンまでを想起させます。

 前作の『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』は、当初はフランケンシュタインとゴジラが戦う、いわば『キングコング対ゴジラ』の第二弾を狙っていたらしいのですが、この時期はゴジラのキャラクターに頼るのではなく、新しいクリーチャーを生み出そうと挑戦していた頃だったのでしょう。

 しかし、フランケンシュタインというよりはキングコング・タイプの獣人型となり、プロレスの影響が強く出た作品となりました。なんかサンダは白人プロレスラーで、ガイラはボボ・ブラジルみたい?

 最期は海底火山の噴火に巻き込まれて二匹は戦いながら海の底へ沈んでいった・・・ということになっていますが、作品の設定からすると続編を作るのは容易だったでしょう。

 無論、版権の問題でフランケンシュタインという名称は使えないでしょうが、SF作品として続編が書かれてもおかしくないように思えますね。

 例えば、『マタンゴ』が小説で続編が書かれたように・・・。

 怪獣映画というジャンルは世界でも日本のオリジナル路線で発展したジャンルなのですから、伝統芸としてちゃんとコンスタントに作るべきだと思いますね。

 東映系の仮面ライダーや戦隊シリーズは人気が定着しているのに、東宝系の怪獣路線が途絶えたままなのは、何とも残念です。

 ハリウッド版ゴジラも新生して2014年には公開されるそうですが、それに併せて日本でもシリーズ復活してもらいたいですね。

 いや、映画でなくてもTVシリーズでもいいと思いますよ。『流星人間ゾーン』を復活するという手もあるし・・・。あの作品、完結しないまま終わってるんで、東宝怪獣オール出演でやればいいと思います。

 ゴジラ・キングギドラ・ガイガンがゲスト出演し、ゴジラはゾーンファイターの危機に駆けつけて助ける正義の怪獣!という当時のヘドラ・ガイガン・メガロ・メカゴジラ・チタノザウルスとの対戦時代のキャラ設定が活かされていました。

 その後は、この時代のゴジラを「大衆に迎合して怒りを忘れて堕落した」と、否定的に語る人が多かったんですが、当時、ガキンチョだった私にとっては、ゴジラと言えば正義の怪獣で、これはガメラと共に私の世代には刷り込まれていると思います。

 だから、『ゴジラ・ファイナルウォーズ』も、X星人に洗脳されている怪獣たちがゴジラとの戦いで自我を取り戻していって地球を衛るために最後は団結して戦う!という『怪獣総進撃』的な設定だったら、もっと支持が広がったのではないかな~?と思うんですがね・・・ガイガンやカイザーギドラといった敵怪獣はカッコ良かったし・・・。

 私の精神は70年代のヒーロー番組で形成されてる感じがしますね~・・・。

『黄金の犬』も、改めてちゃんと観たら、凄い面白いのでビックリ!

 地井さんが凶悪な殺し屋を演じているので有名な作品ですが、ヤサグレ刑事の鶴田浩二が、もうほとんどダーティーハリーと化していて、敵をバンバン射殺しちゃうし、音楽がルパンや優作の遊戯シリーズ、『野性の証明』の大野雄二さんなので、ノリノリでしたよ(ちなみに大野さんのライブが相模原メイプルホールで1月27日にあります)。

 この頃の鶴田浩二は自分でアクションやる年齢じゃないんで、何だか違和感あるんですが、そこがまた男のロマンでカッコイイですね。今だったら動物虐待だって問題になるでしょうけど、ワイルドな作風が懐かしいです。


 さて、映画はひとまず置くとして、林田先生のお薦めで『荒天の武学』という新書を買って読みました。

 武道論でも知られる内田樹さんと韓氏意拳の光岡英稔さんの対談本です。

 もっとも、私はお二人が甲野善紀氏のお仲間なのも手伝って、これまであんまり本を読んだことがありませんでした。

 内田さんの本も二冊くらい読みましたが、どうも、読んでいてモヤモヤするな~?という感じで、結論として「この人とは合わない」と思っていました。

 光岡さんの本は書店で立ち読みしたくらいで買って読んだことはありません。

 何か、印象として「やたら小難しい文章を書く人だな~?」としか思わなかったのですね。具体的な技術解説が無いのも食指が動かない理由でした。

 でも、今回の本は割りとサクサク読めて、面白かったですね~。

 内田さんが「弱い武道家」だと自分を妙に卑下してたりするのが微笑ましいですが、それだけ光岡さんの実力に恐れをなして、いつもの上から目線論調が控えめになっているので読みやすかったのかもしれません。

 で、途中で何か私に当てつけて書いてるのかな?と思う箇所もあったんですが、まあ、見解の相違ってことで、私も、もうすぐ50なんで大人の観点で読みましたね。

 印象として、内田さんも光岡さんも非常に善人で純粋な人なんだろうな~?と思いました。だから、嫌な印象は受けませんでした。

 で、楽しく一気に読んで、内容を思い出そうとしたんですが・・・アレッ? 何か、サッパリ記憶に残ってないな~?と思いまして、何で記憶に残らなかったのか?・・・と考えてみて、はたと気づきましたよ。

 つまり、具体的な技なり術なりについての解説がまったく無かったんですよ。

 要するに、武術をネタにした哲学書だったんですね?

 私も学生時代に哲学本は結構読んでいたんで、それで面白く読めたんでしょうが、読み終わってから何か非常に物足りない思いが出てきた・・・それは世の中の諸問題について論じていながら具体策が全然無い・・・という点が物足りなかったのでしょう。

 また、光岡さんの「きれい事では済まない状況を如何にきれいに解決できるか」って・・・論理については、正直、私は賛成できませんでしたね。

「何できれいに解決する必要があるのか? もっとガムシャラに必死に汚くやってでも解決していこうとする執念も大切なんじゃないか?」と、私は思うんですね。

 研究家として言わせてもらえば、光岡さんは武術の定義を自分の希望的感覚で大衆迎合的に甘く語り過ぎているように思えました。武術って、そんな綺麗な代物じゃありませんよ。

 殺す技を修練した上での「人を活かす」という精神レベルに達するのであって、殺す技を体得していない人間が口先で「人を活かす」なんて言っていたらエセ宗教みたいで欺瞞にしかなりません。

 必要とあらば、どんな汚い真似をして「人非人!」と罵られようとも決然として実行する精神が必須なのであって、そこに他人の評価を求めない自己の生きざまを貫く意志の熱量を高めていくのが武術の修行じゃないでしょうか?

 綺麗とか汚いという美意識で語ることそのものが間違いだと思うんですよ。「一人殺せば人殺し。千人殺せば英雄」という価値観に繋がる非常に危険な思想の根が、そこに潜んでいますよ。

 本来、武術は兵法として徹底的に研究されてきたものが個人の自己防衛術の部分を抽出して広められたものであり、本質的には平和な時期に戦乱に備えて修行研究をする点に意味があります。それは広い意味で軍事と繋がっています。そこを無視してはいけないでしょう。

 当然、個人の戦闘術に留まらない大量殺戮の手段や情報戦をも想定して研究されていたのが現実です。毒薬や化学兵器・・・いわゆる忍術も含んでいました。

 だから、陸軍中野学校ではそういう古武術の兵法的側面が研究されたりしていた訳ですし、戦前は軍事探偵に雇われた武術家(養神館の塩田剛三、空手協会の中山正敏その他)が多く中国大陸に送り出されていたのですし、それらの人が戦後、大きな会派を率いていっている歴史的事実を鑑みれば、綺麗事で括れる道理がありません。

 それと、厳然たる事実として中国の武術は秘密結社と密接に関係している(義和団や太平天国、あるいは洪門会、各種幇会など)し、日本の武道・武術も右翼系統の流れ(有名なところは頭山一族)と不可分であることは日本の武道武術界の長老的立場の人なら誰でも知ってることですよ。

 実際に私もそういう人に何人も会ってますからね。

 そんなの小説や劇画の世界の話だろうと思ってる人が多いでしょうが、ところがどっこい・・・事実は小説より奇なり!です。

 例えば、内田さんの師匠の多田先生の先生である中村天風もまた「人斬り天風」と呼ばれた随変流抜刀術の腕を買われてある任務で中国大陸へ渡ったそうですが、そういう人は結構居たんですよ。

 今だって右翼系・ヤクザ系の武道家はざらです。興行のからむボクシングやキックの世界もそうだしね~。

 武術を美しい言葉で哲学的に語ることは、私は抵抗を感じます。権威主義で囲い込んで信仰対象にし兼ねず、修行者を“神の視座”に挙げ奉り現実逃避や増長傲慢の心根に導く危険性があります。要するに、「人を人とも思わない自己愛者を育てる」のです。

 ~~流とか~~拳だけが特別!みたいな観念が、どれだけ武術の世界を歪ませて誇大妄想狂を量産してきたか?ということを関係者はきちんと認識しなきゃなりません。

 私は、流儀を比較して優越を論じることそのものが非常にナンセンスなことだと考えますし、いろいろな流儀を研究してきて、その流儀独自の優れた点もあれば、劣っている点も必ずあって、完全な流儀などお目にかかったことがありません。

 私が膨大に研究してきたのも、比較研究せざるを得なかったからです。

 現実に武術は殺し合いと騙し合いの戦術を駆使して生き残る術を徹底的に追究してきた歴史があり、それが生きる事の綺麗言では済まないリアルに直面した結果である・・・という点を有耶無耶にごまかして語ってはならないでしょう。私はそう思っています。

『荒天の武学』、私としては不満や疑問も残りましたが、叩き台として読者にメッセージを送る本としては充分に成功していると思いますから、読んだ人達のいろんな感想を聞いてみたいですね。私の考えだって専門バカな部分は必ず有るでしょうから・・・。

 そういう意味で超御薦め!です。

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年始の御挨拶

 明けましておめでとうございます! 本年も、どうぞ宜しくお願い致します。

 さてさて、ここ数年は独りで年末年始を過ごすことが通例となりましたが、一応、年越しソバとかは習慣で食べたりしております。

 30日には游心流の忘年会を駅近くの和食ファミレス華屋与兵衛でお座敷借りて開催しました。

 4000円のしゃぶしゃぶ付き松花堂コースにしましたが、贅沢な感じでしたよ。

 本当は、公園で練習してから・・・の予定だったんですけど、生憎、雨で練習できず、しょうがないので、いつものジョナサンに行って、お昼までドリンクバーで粘ったんですが、遠くから来ているNさんは「練習できなくて残念ですっ・・・」と本当に残念そうでした。

 ちなみにNさんは師範代に格上げしましたが、理由は言わずもがな・・・技量が抜群だからです。

 しかし、本当の理由は、この若さでず抜けた技量に達していながら、まったく驕っていない点にあります。

 もし、私が彼と入れ替わって高校生の時にこれだけの技量であったら、もう世の中に敵はいない!とばかりに自惚れ果てて発狂していても不思議ではないでしょう。

 Nさんは、そんな凡庸な精神構造ではなく、ひたすら修行者として冷静に歩んでいますから、そこを評価して師範代に認定した次第です。

 けれども、今回、いろいろ話を聞いていて、彼が何故、これほどの天才性をものにしているのか?という理由が判明しました。

 それは、彼が学んだ古武術の師、S先生が、無名ながら驚くべき技量の持ち主であったらしいのです。

 それは、Nさんがまだ小学生だった頃、友人のお祖父さんで武術の遣い手であるということで教わったそうなのですが、その頃、メディアに頻出していた甲野善紀氏の講演会に誘われて観に行ったそうです。

 S先生は遠くから観ていただけだったそうですが、帰り道で首を捻りながら歩いておられたそうです。

 Nさんもまた、有名な武術の遣い手という触れ込みだったのに、自分が学んでいる師に比べれば遥かにレベルが低いので、「この人はできない人だな~」と思ったそうです。

 何故なら、このS先生は、箸を手裏剣打ちにして捨てられていたフライパンをカシュッ!と貫くことができたそうなのです・・・。

 鋼鉄の手裏剣でもフライパンを貫くのは難しいでしょうが、木製の箸でできたというのは「できるかも知れないけど、本当にできたら物凄いな~」という仰天の腕前です。

 Nさんが刺さった箸を抜こうとしても抜けなかったそうですが、S先生はスルーッと抜いてしまったそうで、単なる技量ではない神秘的なものを感じたそうでした。

 ちなみに、S先生からは整体活法術を学んだそうで、それが切っ掛けでNさんは高校卒業後は伝統療術の専門家への道を歩むことに決めていたそうなのでした。

 ちなみに、このS先生のお名前は私も初めて聞きました。

 それだけの腕前であれば私が知っていてもおかしくないと思ったのですが、世に出ないままやってこられていた方なのでしょう。

 直接、お会いしていれば、どういう経歴の方なのか、もう少し正確に判ったかもしれませんが、亡くなられた今となっては判りません。

 ただ、殺活法の技法には分筋・断筋・錯骨といった言葉を使われていたらしく、これらは中国武術の擒拿(チンナ)や点穴法に類する“分筋錯骨法”の流れかもしれず、また、武道医学の影響があるような気もします。

 何はともあれ、S先生が亡くなられた今となっては、Nさんが学び目撃してきたものが全てであり、そこから発展させつつ他分野との共通項を探して体系化していくしか道はありません。

 しかし、私は彼ならそれができるだろうと思っています。私はそれを手助けすることで次の世代に古い武術の遺産が活かされることを期待するだけです。


 さて、今年の正月は、青木宏之先生より頂戴した小烏丸造りの刀の鞘塗りをしました。

 この刀は、霊剣“小烏丸”を写した刀なので、いつもよりゴージャスな感じにしようと思っていたので、鞘の握りに近い所に余った鮫革を貼り、黒漆塗りにした後で、東急ハンズで買ってきたダイヤピースの金・金茶・レインボーの粉を混ぜ合わせて撒き散らしてみました。

 こうすると、光の加減でいろんな具合に光ってゴージャス! 黒漆の下地が夜の星空みたいで綺麗なんですよね~・・・。

 金と金茶が微妙に違うし、ところどころに青や赤が光ってイルミネーションっぽいのですよ。

 このケバケバしい感じもいいのではないか?と思って、ハバキや切羽、縁頭も金で鮫は緑、柄糸は黒革にしてますからね。

 もっとも、作業が終わって鞘を物干し台に吊り下げて部屋に入ってみたら、服や作業した場所に金粉がピカピカ光ってて・・・「あ~、そういえば、最近やってなかったから忘れてたけど、いつも、こうなってたな~?」と・・・。

 漆塗料が乾いてダイヤピースの粉も定着したかな?と思ったんですが、混合したから粒子が大きくなって塗料にくっついていない分があるらしく、軽く表面を目の細かいスポンジ研磨材でさすって均してみたんですけど、それでも凸凹が残るので、今回はさらにクリヤーのシリコンスプレーを吹き付けて保護膜を作ることにしてみました。

 このままだとザラザラした手触りだし、帯に抜き差しする時に金粉が散らばって道着が汚れてしまいますからね。

 それにしても、この小烏丸造りの刀は、かなり斬れそうな気がするんですが・・・。

 今年は新しい特訓ルーム?も借りるし、数年ぶりに鍛え直してみっかな~?と思ってますので、皆様、宜しくお願い致します・・・。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
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