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高瀬道場パーティー

 行ってきました!

 高瀬道場の新代表お披露目と殺陣・技斗の技術解説入門書出版のお祝いを兼ねたパーティーが、GWに入った28日の夕方からグランドヒル市ケ谷にて開催されました!(パチパチパチ・・・)

 しかしま~、ここ最近の高瀬道場の快進撃は凄いと思います。

 先日の『ジャパン・アクション・アワード2013』だって、高瀬先生が音頭をとらなければ、ずっと開催されることもないまま、「日本映画でアクションは日蔭者だからな~」と、嘆くばかりだったことでしょう。

 本当に、物凄く画期的なことだったと思うんですよ。

 マジで泣きそうになりましたよ!

 それに続いて、高瀬先生が殺陣アクションの技法解説書を出され、森先生が新代表となり、これから高瀬道場が多方面に活躍の場を広げていかれるだろうな~?と、最近、予知能力が芽生えてきた私は思うのですよ!


 この日は公園の練習が終わってから、Uさんに鍼を打ってもらって(約一週間に一度、打ってもらっていて、鳩尾にできていた硬結がどんどん小さくなってきました。和鍼はスゲェ~ぜ!)、それで帰宅してシャワー浴びて不精髭剃って着替えて出発!

 小田急町田駅でお誘いしていた小説講座の先生と合流して出発。

 JR市ケ谷駅で高瀬道場の殺陣講座を受講している東京支部長の小塚師範代と合流し、会場へ・・・。

 天候が素晴らしく風が気持ちいい。

 高瀬道場の門出を祝っているような感じでしたね。

 さて、会場で受付すると、高瀬先生が出迎えてくださって、席まで案内してくださいました。お忙しい中を恐縮です!

 小塚師範代が「ちゃんとした格好をしていかないとダメみたいですよ」と言っていたので、私は親父の形見の礼服を一応、クリーニングに出して着ていたんですが、白ワイシャツにネクタイとかまでしなくちゃいかんかったみたいで、ちょっと冷や汗・・・。

 もう何年もネクタイ締めてないから、締め方、忘れたもんね・・・。

 小説講座の先生は物書きの習性で、メッチャ、ラフな格好だったので、「しまった! 先生にも背広着てきてねって言っておくべきだった・・・」と、師匠に恥かかせてしまって申し訳ないです・・・。

 こういうところ、私は本当に社会常識に欠けてるから恥ずかしいです。田舎モンでごめんなさいっ!


 さて、会場には、高瀬道場の長い歴史に合わせて、そうそうたる顔触れの著名な方が来られていました。

 政治家、映画監督、小説家、編集者、もちろん、俳優やアクション監督も・・・。


 実は私、自分からお声かけていくのが苦手で・・・、もともとの性格が引っ込み思案なのもあるんですが、武道業界で「長野は有名人に取り入っていく・・・」みたいに誹謗中傷する人が多かったもんですから、嫌になっちゃって、極力、自分から声をかけないようにするのが習慣になっちゃったんですよ。

 だって、他人の力で仕事してるみたいに言われるのはしゃくにさわるし、私は本来、自分の力しか信じない人間だし、武道武術の世界は“実力”こそが第一に評価されるべき世界じゃないですか?

 だから、小判鮫みたいな連中と一緒にされたくないんですよ。

 人様から、「是非、力を貸してください」と言われるような男にならなきゃ~ダメじゃん?

 良い酒には看板は要らないって言うでしょ?

 口コミで広まるのが一番だと思いますね。もっとも、私のところは誹謗中傷が圧倒的に多いし、武道業界でも悪口言われまくりですが・・・、あまりに悪く言われると、逆に「こんなに悪く言われる長野さんってどんな人なんだろう?」って興味が湧いて、セミナーや講座が繁盛している訳ですが・・・(苦笑)。

 でも、出る杭は打たれるくらいでないと世の中に何事かを成し遂げることはできないと思うんですよ。

 武道業界は特にそうで、評判と実際がまるで一致しない人が少なくありませんし、他人を貶めることで自分を実際以上に大きく見せようとする人も少なくないものです。

 私は、そんな人達とは付き合いたくありません。悪口言いたきゃ~勝手にほざけ!という認識・・・。まっ、狭い業界だから、すぐ本人の耳にも入るんですが・・・(笑)。

 そして、付き合いを厳選するようになってから親しくしていただいている方のお一人が高瀬先生でした。

 芸能関係の方とは少なからず接することがありますが、以前は「有名人はタカビーなんじゃないか?」と思っていたものの、むしろ、そういう人は少ないみたいですね?

 武術の世界だと威張り腐った勘違いパワハラ野郎が多いんですが、芸能関係だとプロデューサー以外はそんな人は少ないのかな~?と、思ったりしています。

 例えば、先日のジャパン・アクション・アワードでビデオレターで登場した妻夫木さんなんて、メッチャいい人だな~と思いましたね。

 それと、高瀬先生の御紹介でお会いした谷垣監督は、本当に、ただもうアクションが好きで好きでしょうがな~いっ!って感じが、本当に邪気が無くてエ~人だな~・・・と思います。

 この日も会場におられたので少しお喋りさせてもらいました。

『妻は、くノ一』のアクションでカンフー系の中に忍法体術の打拳術を使っていたのに感心したという話をしたら、谷垣監督の親しい方がアクション演出やってるそうで、相当マニアックな方らしいですね。

 今、日本のアクションは変革期になっているような気がします。

 海外のアクション演出を学んだ世代が主に深夜のドラマなどで実験的なアクション表現を試みる中で、どんどんレベルアップしてきているような気がするんです。

 高瀬先生は、その様子を肌で感じながら、尚且つ、過去に日本映画が培ってきた殺陣アクションの芸道をさらに磨いていこうとされているのではないか?と、私は勝手に想像しています。

 率直に言うと、『るろうに剣心』が切っ掛けになったと思うのです。

 それまで、日本の殺陣は独特のスタイルが確立されているから、海外のアクションを持ち込んでも「アレは別物」という楽観があったことでしょう。

 しかし、『るろうに剣心』は、既存の殺陣に海外の進化したアクションを融合してのけたのです!

 これは、既存の殺陣のフォーマットを伝承することを命題にしていた人達にとっては、かつての“三十郎ショック”を超えるものがあったと思います。

 残された道は、「更に進化する」か、「無視する」か・・・。そのどちらかしか選択肢が無くなってしまったのです。

 当時の『映画秘宝』に掲載された高瀬先生の批評がそれを物語っていたように私見します。

 無論、高瀬先生は「更に進化する」道を選ばれたことでしょう。

 私は、最近、痛感するんですが、これと同じ状況は、今の日本の武道界にも言えることだろうと思っています。

 海外のマーシャルアーツは日進月歩しています。

 カリ、エスクリマ、アーニス、ペンチャックシラット、古式ムエタイ、クラビクラボーン・・・等の東南アジアの武術が、今、海外でブームとなっています。

 また、詠春拳もまたドニー・イェンの作品が切っ掛けで再び脚光を浴びてきています。

 ロシアのシステマや、イスラエルのクラブ・マガ、カパプなどの軍隊系武術も注目されています。

 しかし・・・日本に限れば、どうでしょうか?

 武道は旧態依然とした保守的形式主義に縛られたまま進化の方向性は皆無と言って過言ではありません。

 本来、武術は進化が止まれば死んだと同然です。

 歴史が長い流派ほど、その時代時代に応じた新しい技術を採り入れてバージョンアップをはかって来ています。

 ところが、伝統的な古武術流儀のほとんどが型の伝承のみに終始して、技の実用を考えなくなってしまっており、実際に型をすべて学んでも、一向に戦えるようになっていないのが現実なのです。

 はっきり言えば、10年20年30年やっても護身術にすらならない。

 では、ルールを決めた競技によって発展させるのが正しいか?となると、それはスポーツ的発展はしても武術としての内容の進化には必ずしもならない・・・。

 技を競うのと戦うのは別のことだからです。

 当然ながら、武術は戦う術であって、個々の技の優劣を競うものではないのです。ここを勘違いしている修行者のあまりの多さに、私はただただゲンナリさせられます。

 武術とは力ではなく、あくまでも術で戦うものであり、術とは人間の叡知の結晶なのです! そこに誇りを持たなければ、どこを誇るべきなのか?

「俺はこんなに強い!」と自慢しても、拳銃向けられたら何もできなくなるような“強さ”が誇れますか?

 私は、本当に、もう武道家だの武術家だのと自慢げにふんぞり返ってる人達の姿を見ると恥ずかしくてたまりません。こんな低脳な連中と一緒にされたくないんですよ。

 武術というのは知力がモノを言うのです。筋トレしても上達しません!

 武術の訓練法とは身体知を深めて、ただひたすら合理的に身体を使って最少の労力で最大のパワーを生み出すことであり、武術の戦闘法とは、ただひたすら敵の先手を取って何もさせずに一方的に打ち勝つ方法なのです!

 ねっ? こういうのを競技にしても面白くも何ともないでしょう?

 だから、武術は殺陣のような演武によってしか表現し得ないと私は思うのです。

 何しろ、私の真の師匠は、数多のアクション映画のヒーローなんですよ。

 武術の教材DVDとか見ても、あんまり実用的な技の使い方は出てないんですが、映画だと理想的な形で見せてくれるんですよね~。

 私が殺陣アクションを高く評価しているのは、武術の理想像を示してくれているのが殺陣アクションだからなのです。

 そんな訳で、皆さん、高瀬先生の本、絶対、買うべし

 谷垣監督の『アクション映画バカ一代』も買うべし!

(よしっ、ちょっとムリっぽいけど、何とか最後は纏まったかな?)

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ジャパンアクションアワード

 日本のアクション映画に関する表彰をしよう!ということで、今年から始まった『ジャパン・アクション・アワード』が、19日に新宿Faceで開催されました。

『映画秘宝』で告知されていて、香港アクション大好きの小塚師範代からも連絡があったので、二人分チケット買っておいてもらって、出掛けてきましたよ。

 開催に関しては高瀬道場の皆さんが中心になっているらしく、司会の高瀬先生と、幕間の殺陣は森先生、ちょっとお茶目な技闘は加賀谷先生が・・・と、単なる表彰式には終わらないアクションの祭典に相応しいイベントになっていました。

 私は、若駒の林先生、JAEの西本先生には以前、取材でお会いしたことがあり、また、谷垣監督とも先日のイベントでお会いしました。

 もちろん、高瀬道場の技芸会や公演には毎度のようにうかがっております。

 だから、観客というより気分的には身内のような感覚だったんですが、ふと思ったのは、「何で、これまで、こういう式典が無かったのかな~?」ということであり、「本来、日本アカデミーなんかで表彰すべきだったんじゃないのか?」という思いも強くありましたね。

 例えば、いつも書いてることですが、雨宮慶太監督の作品が日本アカデミーで評価されることは無かったのに対して、今回は肘井美佳さんとアクション・コーディネーターの方が表彰されていて、私は溜飲を下げることができました。

「COOL JAPAN」を海外に広めていこうとしている時期に、アニメ・漫画・ラノベ・特撮はメインのコンテンツになる訳ですから、特撮ジャンルの第一人者である雨宮監督を無視するような態度を邦画界が続けているのは物凄く損失になると思うんですね。

 そして、クールジャパンの各分野に跨がっているのが、アクション(活劇)であるという事実にも気づいていない・・・。これは本当に愚かなことだと思います。

 日本刀のブレードアクションに対する海外の映画人の憧れに気づいていないのは、本当に愚かしいことです。『スターウォーズ』が黒沢時代劇にインスパイアされているのは有名なことでしょう?

 黒沢の椿三十郎とリメイク版の椿三十郎の決定的な差がどこにあったのか?というと、それは、日本刀の戦いに対する殺気のぶつかり合いだと思いますよ。

 あのラストの柄をからませての攻防は、武術の表面的な技の形を頭でっかちになぞってしまい、リアルから掛け離れてしまっていましたが、武道のテクニックばかり使おうとして実戦の気迫や戦術がごっそり抜け落ちてしまった失敗例でしたね。

 小学生でも、「あんなことするより殴った方が早いじゃん?」と気づきますよね。

 ケンカ一つやったことのない人間が武道や武術を稽古していると、物凄く妙な戦闘法を思いついたりするものです。ヤンキーに笑われるのも無理ないでしょうね?

 どうも、最近、思うのは、武道をそこそこやってきているのに向かい合ってもちっとも殺気が出ない人が多いんですね。

 達人が殺気を内に静めているのとは全然違っていて、そもそも戦闘に対する覚悟が無い訳ですよ。こんな人達がどれだけ技を体得しても、実際には使えないと思います。

 殺陣の上手下手も、テクニックだけの問題ではなくて、この意識の乗り方があるかないかで、まったく違って見えると思いますね。

 近衛十四郎や若山富三郎先生は本当に人殺しそうな気迫が出てたりしてましたよ。

 やっぱり、時代劇のヒーローで上手い人は、「このヤロー、叩っ斬ってやる!」という気迫を瞬間に凝縮させて表現できる人だと思いますね。


 時代劇の大御所である里見浩太朗さんも最高顧問で来られていて、数多くの時代劇や現代劇のアクション物で悪役を演じられてきた内田勝正さんと、高瀬先生が質問する形でトークショーもあり、実に興味深いお話が聞けました。

 特に時代劇に関しては昔の侍の所作とか、いろんな知識が伝わっているんですね。これは文化としてもっと保護されるべきだと思いますね。

 日本アカデミーはTVでも放送されていますが、今回の式典を放送した方がずっと楽しいのにな~?と思ったのは私ばかりではないでしょう。

 今回、多くの部門を『るろうに剣心』が取っていましたが、谷垣監督はチームワークの勝利を強調するようにスタッフの名前を列挙していて微笑ましくも男気を感じさせてくれました。

 そうなんですよね~。映画って、一人じゃ作れないですからね?

 無論、監督の作品であるとか、プロデューサーの作品である・・・といったことを否定はしませんが、多くのスタッフとキャスト、そして何よりも作品を観て評価する観客も含めた総合芸術であり究極のエンターティンメントだと思います。

 せっかく作っても日の目を見れない作品も少なくないそうですが、実にもったいないことです。

 アクション映画というと特殊な分野のように感じられるかもしれませんが、活劇映画は映画の原点なのに、日本ではそれを忘れているように思えてしまいます。

 でも、人気がある作品って、実はアクション主体の作品ばっかりなんですよね。

『ドラゴンボール』『北斗の拳』『ワンピース』『ナルト』『ブリーチ』・・・。

 アクションが主体でなくとも、アクセントとして凄いアクションが入っていたりすると、「あのドラマは面白かったな~」と記憶に残る場合があります。

 逆に、アクションがショボイと全体がダメに思える作品もあります。

 特に時代劇で殺陣がつまらないと、どんなにドラマが充実していても駄作に思えてしまいます。

 最近は、何でもCGで表現しようとして妙なアクション演出をしてしまう場合が多くて、残念になってしまったりしています。

 そういう風潮にガチンコ勝負をかけるような気合の入ったアクション映画を作ろうという人達が、このイベントには集まっているんだな~?という熱気を感じましたね。

 倉田保昭先生に、シンシア・ラスターこと『バイオマン』のファラキャットでデビューした大島由香利さんも居たし、『ハイキックガール』でデビューして以来、快進撃を続ける武田梨奈さんは最優秀アクション女優賞を貰って号泣していたし、会場に来れなかった人達もビデオレターで挨拶していて、非常に暖かい雰囲気のイベントでした。

 監督さんも、崔洋一監督、犬童一心監督、大友啓史監督が来られていて賞状のプレゼンターをされていました。

 司会は、高瀬先生と、飯干景子さん。しかしま~、飯干さんの司会進行の上手さには舌を巻きましたよ。

 トチッてもユーモアで切り返して逆に盛り上げるし、でしゃばらず巧みに相手を引き立てる話術には、人柄の良さが滲み出てますね。

 谷垣監督のトークイベントの時は一般観客として来られていて、随分、もったいないな~と思ったものでしたが、香港アクション愛の深さが関係者に認められての今回の抜擢だったのではないでしょうか?

 個人的には飯干さんと谷垣監督、高瀬先生のトークライブショーとかやってもらいたいですね。面白そう!

 帰りに林先生が近くを歩いておられたので、「以前、ムック本で取材させていただいた者です」とお声掛けしまして名刺もお渡ししました。

 ちょっと思い出してもらえたみたいでしたが、確か10年近く経過してる筈なのに、林先生は全然、変わっておられなかったですね~。

 さて、お次ぎは高瀬道場の出版記念パーティーだ!

 お楽しみはこれからです・・・

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カリ・シラット、合気護身術講座

 今回は西荻窪ほびっと村にて、20日にカリとシラット(ちょびっと詠春拳)、21日に合気護身術の講習会を開催しました。

 カリ・シラットは、USA支部長のアベ師範代が里帰りしたのに併せて、アベ師範代のアメリカ修行時代の友人に当たる埼玉幸手支部長の山田師範代がWライダーのごとくタッグを組んでの初の武術講習会でした。

 前半はカリを山田師範代が、後半はシラットをアベ師範代が担当して指導しましたが、これは急遽、游心流DVDシリーズの特別編として製作販売することにしまして、私がカメラマンで撮影しましたよ。

「えっ? 長野さん、カメラマンとか大丈夫なの?」と思われるかもしれませんが、学生時代は8mmカメラで自主映画撮ってたし、ビデオカメラもそれなりに使ってたからね。

 しかしま~・・・山田、アベ両師範代は、初めてとは思えない立派な指導っぷりで、皆さん、これは素晴らしいですよ! 本当に、うちは人材が揃ってて凄いですわ。

 山田師範代の指導の丁寧さと理論的な説明は、私のようなアバウトな性格の人間には無いものであり、DVDや動画で見るフィリピン武術の奥深さも感じましたね。

 アメリカでは既にブームとなっていて、様々なアクション映画に採用されていたりして、日本でもここ最近、注目されつつあるカリですが(『SP』で岡田君がインストラクター資格を取る程、熱心に学んだ)、“スティックを使わない素手の技での練習の仕方をこれだけ事細かく指導した”のは、恐らく日本でも初めてなんじゃないでしょうか?

 また、アベ師範代のシラットは、変幻自在な体移動による動物的な動きの中に、中国武術やカポエィラのような動きも入っているし、脚がらみの技は地ショウ拳系の雰囲気もあります。

 最近、インドネシアの最強格闘術として『ザ・レイド』のアクションに使われているというので注目されているシラットですが、アベ師範代の話では、実はブルース・リーも熱心に研究していてグラウンド・テクニック(投げ・固め・絞め)にシラットの技を採り入れていたのだそうです。ざっと1960年代の話ですよね?

 つまり、『燃えよドラゴン』の冒頭のサモハン・キンポーとの試合のシーンや、『死亡遊戯』でのカーリム・アブドゥール・ジャバールとの戦いのシーン等にシラットの技を活用していて、世間的に言われている詠春拳のハンド・テクニックよりも多用していた?らしいのですね。

 エクササイズとしても秀逸で、「う~ん・・・今回は1万円で売ろうと思ってたけど、この内容だと2万円でないとおかしいな~」と判断し、DVDは2万円で販売することにしました。

 それだけ内容が素晴らしいということです!


 さて、翌日21日は、私の講座でした。連日、ほびっと村に来るのも、何だか、ちょっと恥ずかしい気もしましたし、二日続けてだと参加者が減るかも?と思っていたんですが、むしろ、いつもより多めでしたね。

 合気ばっかりやってる感じもありましたが、今回も5人も初参加の方が居て、盛況でした。

 例によって私は何をやろうか?と全然考えずに、ぶっつけ本番の即興でやりましたが(山田、アベ両師範代は綿密にリハーサルなんかもやっていたらしいです。まっ、普通はそうですよね?)、結構、皆さん、喜んでくださったみたいで安心しました。

 合気といっても、もう何回もやっているので、座捕り合気揚げみたいなのは省略して、うちの三元試力を応用した合気技とか、発勁風の“体の合気”を中心にやりましたよ。

 回し蹴りを食らうと同時に弾き飛ばす!というヤツ・・・。

 実戦で使おうと思ったら、対打撃技ができないと話になりませんからね。

 最後の感想の時に、「武術に憧れていろんなところに行ってみたけれど、行けば行くほど、ガッカリして、もう止めてしまおうか?と思っていたんですが、こんな楽しくやれたのは初めてです。感動しました!」と言ってくれた方が居て、「それを2ちゃんねるに書いてくださ~いっ!」って言っときましたよ。

 本当に嫌がらせめいたことばっかりしつっこく繰り返す人間が未だに居ますが、腕前に疑問があるなら、潰しに来ればいいだけでしょう? その度胸が無い人間が武術なんかやっても絶対に身にならないですよ。

 うちの会員も、大抵、「本当かな~?」という疑問を大なり小なり持って入会してきた人ばっかりですが、自分ができるようになって初めて、「あ~、本当のことなんだ」と納得できる訳です。

 はっきり言って、武術やりたがる人は、自分が体得することに対する執念が無い!

 その癖、有名な先生に秘伝を教えてもらうことに関する特権意識だけを求める。

 でもね~。免許皆伝貰ったり、拝師したり、~段貰ったりしたところで、自分の腕前に自信を持てなかったら、まったく意味が無いんですよ。

 私は、現実にどんな状況でも戦って勝ち残れる戦闘技能を求めているだけなので、権威なんか眼中にないんですよ。武術をやっているのも、自分の目的とする戦闘技能を伝えていると思うから学んできた訳です。

 そもそも、武術というものは、私の求める条件と同様のものを求めた人達が考案して伝え、代々の伝承者が研究工夫を加えて発展させながら長い年月を進化してきたものです。

 それを“必要性が無いから”と、危険な技を省いてスポーツ競技の形式に押し込んでしまったから“衰退してしまった”訳ですよ。

 スポーツ競技としての武道なり格闘技なりを教えられる人はゴマンと居ても、真に武術を研究して伝えられる人は、今はもう絶滅寸前に物凄く少ないですよ。

 空手だって形の意味を教えられる人は驚く程少ないし、中国武術なんて20年も30年もやっても使えない人がざらに居る。合気道なんて何年もやっている本人が、「いや~、使えませんよ」なんて平気で言っちゃう・・・。おかしいと思わないんでしょうか?

 護身術として役立たないなら武術としての核が無いのと同じですよ。

 だから、私は流派を超えて武術を戦闘哲学と技術を伝える文化として長年、研究してきた訳ですよ。

 その努力は“唯我独尊”だと思ってますよ。マジ!

 私と同じ努力は誰もできないと思います。何故なら、縁が無いとできないからですよ。

 たとえ、私と縁ができても、薄い人は離れていきますね。それはその人にとっては私と一緒にやっていくのはキツイからだと思いますよ。

 本気で武術やろうという人は、やっぱり、純粋な情熱が無いと無理なんですよ。その人自身の天命もあれば、天運みたいなものもありますし・・・。

“縁無き衆生は度し難し”というでしょ?

 まあ、今回は、「武術やりたくて上京してきたけれど、やればやる程、ガッカリさせられた」という人に希望を提供できただけでも良かったですね。

 その人の相手をしたのがN師範代で、体の合気?で回し蹴りを弾き返してみせたりしていたので、「游心流の皆さんは、みんな、こんなことできるんですかぁ~?」とビックリしていて、「いや~、この人は特別なんで・・・。みんながこのレベルだったら、俺はもっと自慢しまくって、誰でもかかって来いやぁ~って、言ってますよ(笑)」と応えておきました。

 でも、うちは幹部クラスが凄いことなってるんで、“達人養成道場”の名に恥じないレベルになりつつあるな~?と思いました。

 今後、もっと露出を増やしていけば、私の言ってることがスタンダードになると思っています。でも、それは過去に武術を真摯に探求されていた諸先生方の言葉を追認するだけでしかないんですけどね? だから、青木先生、松田先生、友寄先生、光四郎先生・・・に感謝!

 私に疑問を持つのは御自由ですが、確認もしないで否定すんな!と言いたいですね。

 例えば、「発勁が打てるようになると危なくてスパーリングなんかできない」という話も、決して眉唾じゃないんですね。

 新作DVDをお贈りした陽明学の林田先生から、「スパーリングなんかも収録した方がいいんじゃない?」と言われて、「うちはスパーリングできないんですよ。最初の頃に防具付けてやってみたんですが、防具があるからと思って安心して打ったら首が折れそうになったとか、後で倒れたとか事故が起こるので、発勁で打ち合うとマジで死ぬな~と思って、寸止めで練習するしかなかったんですよ。伝統空手が寸止めルールにしたのも、発勁と同様の打撃ができる人間同士ではそうするしかなかったんだと思いますよ」と説明すると、「そんなに危険なものなの?」と、ちょっと引き気味でした。

 いつもふっ飛ばすようにしているのも、そうしないとマジで致命傷になる危険性があるからなんですよ。「押し飛ばすだけじゃ本物の発勁とは言えない」なんてほざく人もいますが、バカじゃないの?と思いますよ。マジで効かすように打ったら死ぬか生涯治癒できない内傷を負うかのどちらかでしょう?

 できるから隠してるくらい気づかんのか?って思いますけどね・・・。


 山田、アベ両師範代は研究室に泊まってもらって、宴会やりました。小塚師範代だけしか参加できなかったんですが、楽しくやれましたよ。

 翌朝、研究室に来たら、二人で手裏剣練習してましたが、もう三本同時打ちも体得できましたね。これでアメリカ戻ってニンジャのフリしても大丈夫?

 もっとも、アベ師範代は肘が痛いと言うので、ジェット爺ぃことUさんに来てもらって鍼を打ってもらいました。

 和鍼まで体験したんだから、アメリカへの土産話もできましたね?



PS;カリ・シラットのDVDを急遽、販売することになりました。4月中には販売できると思いますので、先行予約受付します。価格は2万円。予約申し込みされた方には完成次第、順次発送致します。これは期待してもらいたいですね~。
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PS2;戦闘理論と上級編は5月までで販売を終わらせていただきます。単品で申し込まれる場合は、それぞれ半額とさせていただきます。二つ併せての場合は2万円です。申し込みはお早くどうぞ

PS3;春の入会金半額セールも、もうすぐ終了しますが、GW期間中まで有効にしますので、希望者は5/6までにお申し込みください。ちなみに5/2(木)のメイプルホールの稽古会は、翌日3日(祝日)の夕方4時から6時に変更になります。


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最近、観た作品

 CSの有り難いところは、観たかった作品が一年も経たずに観られたりすることです。

 映画館で観逃していた作品も、割りと何カ月かしたら放送してくれるので、助かりますし、しかも、観逃しても何度もやるので助かります。

 ドニー・イェンのイップマン・シリーズも観られるし、ジャッキー・チェンの『酔拳』も久々に観ました。

 そして、劇場で観たかったな~と思っていたミシェール・ヨーの『レイン・オブ・アサシン(剣雨)』も観ました。

 この作品、DVD買おうかな~?と思っていたんですが、CSで放送されることが判って、ウキウキして観ました。

 で、出来はどうか?というと、私は大満足です。

 ミシェール姉さんが使う剣は、弾体剣という種類の剣身がグニューンと曲がるヤツで、この特性を活かした必殺技が良かった。

『グリーン・デスティニー』の時はチャン・ツィイーにおいしいところを持っていかれてしまってましたが、やっぱり香港アクションの女性ナンバー1は、ミシェール姉さんだと再認識させてくれました。

 バレエで鍛えた身体の柔軟性に加えて、動きのキレがあるんですよね。これはミシェール姉さんがダントツの武器でしょう。

 しかも、私と年齢同じですから、50歳くらいなんですよ。それで、あれだけ動けるというのは驚異としか言えません。

 夫婦愛と復讐をからめたミステリー・タッチの作品ですが、ボンクラだと思っていた旦那が実は復讐の鬼で、凄い遣い手というのもいいですね~。

 戦いの最中に剣を研ぐ・・・というハードボイルドな雰囲気が、それまでのボンクラで単なる善良なだけのヤツだと思っていたら?という展開が武侠物のオハコです!

 そして、二分割された達磨のミイラを巡る争奪戦を首謀している首領の目的が、最強の武功を得る・・・というのじゃなくて、宦官でSEXできない自分のアソコを再生するため・・・というドヨ~ンとした展開・・・。

 それを密かに愛していた若い女殺し屋にゲラゲラ笑われたもんだから、怒ってブチ殺してしまう・・・という、笑っていいのか哀れと思うべきなのか・・・ちょっと困った展開ですね。

 そういえば、武侠物の最強の悪役って、宦官とか、タマキン切って最強になる秘伝書に従って最強になったけど人格ガラッと変わっちゃったりする人が多いような気がします。

『ドラゴンイン』とか『スウォーズマン2・3』とか?


 さて、それから、DVDで観たんですが、凄いアクションだと噂になっていた『ザ・レイド』。

 確かにアクションは凄いです。『マッハ!』を彷彿とさせます。

 でも、技がエグイところが際だっていて、ちょっとホラー映画みたいです。

 実際、SWATチームがマンションに乗り込んでいって凶暴な住民と戦う・・・というのは、あの『ゾンビ』の冒頭とそっくりなんですよ。

 もっとも、うちの会員は、エグイ技は私の技で見慣れてるので、あんまり驚かなかったみたいです・・・。


 若山先生の劇場版『賞金稼ぎ』第一作も、やっぱり面白いですね~。

 座頭市の真似したり、若山先生もノリノリです。

 五月は第二弾『五人の賞金稼ぎ』も放送されるので楽しみです・・・。


『はぐれ組VS忍者・後編』は、高瀬道場の加賀谷さんが出演しているというので、一所懸命に探しましたが、「あれっ? あんなジョーズ並に存在感のある加賀谷さんが?」と思っていたら、忍者軍団の中の怪人ポジションで扮装していたから、わかんなかったんですね~(苦笑)。

 何か、ちょっともったいない扱いだな~と思いましたけど、やっぱりアクションのキレは流石ですね。でも、はぐれ組の一員だった方が良かったと思うな~・・・。

 ついでにアニメの『グラップラー刃牙』。何か、久々に観ると作画崩壊が物凄いですね~? それが逆に味になってしまうところが刃牙っぽさかもしれないんですが、原作も終了したことですし、続編も観たいですね~。


 あっ、もう一つ。BSプレミアムでやっている『妻はくノ一』に、田中泯さんがレギュラー出演してました。

 何と! 平戸藩主で『甲子夜話』などの著作で有名な松浦静山(まつらせいざん)役。

 この松浦静山という人は、心形刀流の遣い手で有名な剣豪殿様なんですよ。

 心形刀流と言えば、幕末に銃撃で隻腕になっても戦った剣客、伊庭八郎が有名ですけどね。

 殺陣シーンも、主役の市川染五郎は弱い役なんで活躍しないんですが(染五郎は立ち回り上手いんだけどな~)、くノ一の美織ちゃん(の吹き替え)が、アクロバットとカンフーをフュージョンしたような派手な立ち回りで楽しめました。

 何か、刀の柄を握ってる手の指に鳳眼(一本)拳を当てたり、骨指術の技なんかを遣っていて、おっ?と思いましたね。

 泯さんも剣豪殿様っぷりを披露してくれることでしょう。楽しみです!

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越川禮子先生米寿のお祝い

 陽明学の林田明大先生(余談ですが、「なんで“大先生”って書いてるの?」という質問がありましたけど、明・大先生と書いてるんじゃなくて、明大・先生なんですよ)の御紹介で、昨年のスコーレ親睦会の時にお会いし、その後、林田先生に連れられて御自宅へ遊びにうかがったNPO江戸しぐさの越川禮子先生の米寿のお祝いパーティーのお誘いを受けまして、13日に原宿に行ってきました。

 原宿は滅多に来ないんですが、久しぶりに歩く原宿は相変わらず人が多くて、刀剣店の霜剣堂さんの近くのパーティー会場でしたが、参加希望者が殺到してしまったので広い場所に変更になったということでした。

 会場近くまでくると、続々と紳士淑女が集まっている建物がありまして、何かイベントがあるのかな~?と思って、よくよく見ていたら、そこがパーティー会場でした。なんか凄い人数です・・・。

「要するにお誕生会だからカジュアルな格好でいいよね~?」と思って、春物シャツにジャケット、ジーンズに靴も久しぶりに磨いて気楽に行ったんですが・・・「しまった・・・親父の形見の礼服着てくればよかった・・・」と思いましたよ・・・。

 一応、おニューの帽子買って被ってたから、まっ、いっか?と思って、会場に入ると林田先生が迎えてくださり、次から次に人を紹介してくださいまして、一応、念のため名刺を用意していたんですが、切れてしまいましたよ。

 最近、思うんですけど、私も和服着てポン刀持ち歩くとかケッタイなコスプレ親父みたいにした方がいいのかな~?なんて思ったりもします。所詮、私なんて特殊技能職だから、イロモノですからね。

 何しろ、武術なんて物騒なものを研究して武器を集めて「合理的な人体の破壊のやり方」を日夜真剣に考えてる訳ですから、もう人間・失格! 一歩間違うと、反社会的テロリストになりかねない。

 まかり間違っても自分が立派な人間であるという勘違いをしてはいかん!と思う次第。

「そうだ、私はヘンタイなのだ」と自覚していなければいけない! そして、ヘンタイをウリにして意地汚~く銭を稼いで生活するしかないのではなかろうか?と、自虐的に思ったりする訳です。

 もっとも、そのヘンタイ性をキャラ付けにして仕事をしているダメ人間も、あたかも立派な哲学的求道者であるかのごとく世間的に錯覚させてきた数多の先人の恩恵に浴して、「~先生」と呼ばれることに羞恥心が薄れていく今日この頃・・・。

「あ~、人間はこうして自己認識を歪めて初志を忘れていくんだな~?」と、久々に痛感しましたね。

 近年で言えば、メディアに採り上げられて武術のイメージをアップさせてくれた甲野善紀氏がいなければ、私は食えていないでしょう。その意味で超・恩人です。

 が、御承知のごとく、私は甲野氏が嫌いです。

 今更のことながら、何故、嫌いか?というと、彼は武術の真価を世間に知らせたのではなく、枝葉末節でしかない“身体運用法・身体操作術”をアピールすることにより、「武術とは身体の動かし方に価値がある」という、大きな大きな誤解を広めてしまったからです。

 江戸時代以前の日本人の身体操作の優れた点を論じるのに武術を語り口に利用しただけでしかない・・・と私は思っていますし、ここでは技術的反論はしませんが、彼は本当は武術という文化に対する敬意を全然持っていないのだろうな~?と思います。

 自己の売名だけが目的で、人からチヤホヤ崇め奉られたいだけの人なんだろうと思いますね。“そういうのが気持ち悪い”とか言いつつ、自分がちやほやされていないと露骨に嫌な顔するし・・・。

 武術に関しても、誰もが知らない分野(現代武道をやっている人達でも全く知らない)だからこそ、自分が好き勝手にねじ曲げた俺ジナル理論を提唱してメディアを通じて間違いを広めてしまった・・・というマイナス面が大きくなっているように感じますね。

・・・と言うのも、パーティーが終わった後の二次会にも誘っていただき、そこで“ナンバ歩き”なるものに対しての質問を受けたので、少し実演解説を試みたのですが、いかに彼のお陰で間違いが広く伝播してしまっていることか・・・?と、私は愕然としてしまうとですたい・・・(唐突に天草弁)。

 武術の世界に“ナンバ”という言葉はありません。

 もちろん、江戸時代の一般用語としても“ナンバ”という言葉はなく、当然、“ナンバ歩き”だの“ナンバ走り”という言葉もありません。

「えっ? そんな馬鹿な?」と思う歴史愛好者も多いと思いますが、これが事実。

 現に、上泉伊勢守の門流の一派である駒川改心流を伝承する黒田鉄山師範も、雑誌連載記事中で、「ナンバって何ですか?」と“自分は知らない”と書かれています。

 私が親しくさせていただいている清心館の佐原先生も、「ナンバというのは聞いたことないですね~」と言われていました。

 当然といえば当然なんです。実は、“ナンバ”とは日本舞踊、歌舞伎に伝わる舞踊の専門用語なので、一般的な言葉でもなく、無論、武術とはまるで関係ない言葉だからです。

“ナンバ”で説明する空手家や古武術家が少なからずいるようですが、彼らは甲野氏の本を読んで無批判に信じているだけだろうと思います。もっと、深く勉強してもらいたいものです。

 日本舞踊では、“ナンバン”と“ナンバ”に分かれていて、どちらも語源は、「南蛮人の歩き方はヘンだね?」と嘲笑したところから出ており、踊りの中で表現する場合も、六方を踏む・・・というような“ヘンテコな歩き方”という意味でデフォルメされたものなのです。

 それがどうして江戸時代以前の日本人独自の歩き方になるのか?

 おかしいでしょう? 山がちだから半身のナンバが普通になったと言いますが、山がちなのは日本ばかりじゃないし、地域によっても違います。服装のせいだと思いますよ。

 ちなみに“ナンバ歩き”だの“ナンバ走り”だのというのは造語であり、前者は演出家の武智鉄二氏か、その弟子筋の武芸考証家の名和弓雄氏が使った言葉のようですし、後者は甲野氏の造語か、あるいは末次さんが「ナンバをイメージしている」と公言したことでメディアが作った造語の可能性があります。

 いずれにしても、本来の日本語にそういうものはありません。それなのに江戸時代の考証本なんかに堂々と“ナンバ歩き”と書いているウッカリ者のプロも多いんですから、こっちが恥ずかしいですよ。プロだったら、もうちょっと、ちゃんと勉強しろよ!と・・・。

 よく考えてください。

 歩き方や走り方に~歩きだの~走りだのと普通は名付けないでしょう? 専門用語として名付けられても一般向けに“~走り”とかは言わないですよ。

 そもそも甲野氏がナンバについて知ったのは名和氏のレクチャーを受けたからであり、要はパクリなんですよ。名和氏が古武術の師範であることから、「ナンバの身ごなしが古武術に通じている」と説明したのを早とちりしたんじゃないでしょうか?

 つまり、言い出しっぺが全然、解ってなくて勘違いしていた訳です。

 理論がどうこうと言う場合は、学術の世界ではきちんと原点を明記しなければダメなんですけどね・・・。

 甲野氏の問題点は、「昔の絵に描かれているから・・・」とか、物凄く安易な理由で自説を主張したりするんですが、特殊な分野だから、誰も真偽の判別がつかない。

 だから、調子に乗ってテキトーなことばっかり思いつきで喧伝し、素人騙しの実用性0の演武ばっかり発表する・・・。判別がつかない人達は「有名な人だから本当なんだろう」と錯覚させられて信じてしまう。

 私は研究家ですから、間違いは間違いとしてビシバシ指摘していかなくちゃならない。私が研究“家”と名乗っているのは、自分の言葉に対する責任を持とうと思っているからです。

 甲野氏は批判されると研究“者”とか名乗って責任逃れしようとする。それを謙虚さの現れだと勘違いして持て囃す阿呆な取り巻きが大勢いるからバカが増殖するんです!

「身体の動きが変わってスポーツのパフォーマンスが上がったり介護技術に役立ったりするのは画期的なことだとは思わないんですか?」と、これまで何度、言われたことでしょう?

 それって、武術でなくてもいいんじゃないですか?

 身体の合理的な使い方を研究するのなら、別に武術である必然性は皆無でしょう?

 現実に、甲野氏のやってる身体操作術に古武術の要素は、ほとんど0に近い。

 彼が沖ヨガを学んだ飛龍会の故・伊藤昇先生が提唱した胴体力の理論(フェルデンクライス・メソッドの影響が強いらしい)と、合気道や新体道の脱力技法の応用だと思いますね。彼が学んだ伊藤昇先生、合気道の山口清吾先生や、新体道の青木宏之先生・・・等に対する義理が立たないんじゃないですかね~?

 そういう肝心要のことは隠すんだから・・・(苦笑)。

 また、いろんな武道家だの整体師だのという人達が甲野氏の物真似やってみせたりするのも恥ずかしい。「お前ら、プライドってものが無いのかっ?」と私は言いたい。


 私が武術を研究しているのは、あくまでも戦って勝つ!という戦闘術としての側面であり、そこに付随する形での伝統医術であったり心身開発術であったり、あるいはアートとして芸術芸能の分野に役立つなら楽しいな~ということです。

 それぞれの分野で御活躍されているプロの方々ともご縁ができて、尚更、そう思うようになりました。

 身体操作がどうのこうのと言ってみたところで、そんなの武術だけの専売特許じゃないんですよ。レベル低過ぎて、話になりません。誰でもできる簡単なことを、よくもまあ、あそこまで権威付けして小難しく解説できるもんだな~?と、むしろ、そういうところに感心してしまいますね。

 また、阿呆臭いと思ったのは、TVで筋電位を測る装置で甲野氏の技を測定して「信じられない! 筋電位が動いていないのに、あんな力が出ている?」って騒いでて、甲野氏も、「私の技は科学では解明できない」なんて威張ってる・・・救いようのない大バカ軍団です。

 そりゃあ、筋肉に力込めないで脱力したまま重心移動の力を使ってるんだから、筋電位が変わらないの当たり前なんですよ。なんで、そこに気づかないのか?

 何で、世の中、こんなにバカばっかりなんでしょう?

 私はむしろ哀しいです。本当に私以外に観抜ける人がいないんでしょうか? 合気道や太極拳の先生なら洞察できる筈だと思うんですが・・・本当に、もう観の眼のある人がいなくなってしまったのでしょうか?


 私自身は、九割以上、弱者が理不尽な暴力に蹂躙されないための防衛術を研究していきたいと思っています。身体の動きの改善とかそういうのは余技でしかやる気はありませんし、他の分野に役立っても、全然、戦えない武術では無意味だからです。

「何で、そこまで戦いに拘るんですか? そんなに暴力にさらされることなんか日本じゃないでしょう?」ってこともまた、よく言われます。

 そうでしょうか?

 私は中学時代のイジメを契機に武術を志しましたし、これまで50年生きてきた中で、理不尽な暴力にさらされている人を何度も助けることができましたが、これは私が対抗手段を持っていたからできたことでした。

 学校・職場・サークル・近所付き合い等でも人間関係でまったく揉めないなんてことはあり得ないと思います。

 終電近くの電車の中で酔っ払いにからまれたとか、痴漢に遭遇して怖い思いをした人はざらに居るでしょう?

 通勤電車で毎日乗る訳でもない私でも、何度もそういうシーンを見ていますし、渋谷の夜の繁華街で大乱闘を演じている学生達の姿も見たりしました。

(これを書いてる時にボストン・マラソンの爆弾事件やら包丁持って屋根の上で籠城した男の捕り物劇とかニュースで見ました)

 例えば、日本は平和な国だから警察も自衛隊もいらないよね~って、解散しちゃったらどうなるんでしょうか?

 たちまち犯罪大国、あるいは中国やロシアの植民地にされてしまうと思いますよ。

 暴力はいけないことだ!って、そんなことはわかりきったことです。しかし、そのいけないことを平然とやる人間が居るのも現実です。

 暴力に暴力で対抗する発想そのものが悪である!と言う論理を私は賛成しません。

 リアリティーの無い空理空論だとしか思わないからです。世の中、そんなにメルヘンチックじゃないんですよ。必死で戦わないと生きられない局面は人生の中で必ずありますよ。

 非暴力をとなえて無抵抗でやられっぱなしになるのも本人の自由ですが、自分の家族や友人、恋人が暴力の被害を受けていても何もしないのであれば、それは単なる無能者。

「警察に相談しても助けてくれなかった」と、いつも問題になりますが、私も一度、地元警察に相談に行った時に、「貴方が殺されでもしなきゃ~警察は動けないのが現実なんですよ」と言われて、あ~、まったくその通りだろうな・・・と思いました。

 武術を教えている立場上、脅迫めいたことをやる人間は必ず居るものですが、いつでも来たら撃退する!という確固たる覚悟をしていなければ武術を教えるなど無理な話だろうと思います。

 そういう現実の世の中の負の側面を認めて、それに備えておくのが武術の修行眼目の基本だと思っています。

 どうも、国防論を口にする人達に疑問を感じるのは、「何故、貴方は戦闘訓練しないんですか?」ということです。自分自身が戦う能力も無いのに、大局を語っても何にもならないでしょう。

 ペンは剣より強し!というのは社会機構が正常な場合の話であり、紛争状態では通用しません。銃の扱いすら知らない人間が戦争状態に置かれても何もできないでしょう?

 私は、国防を論じるなら、まず第一に銃の使い方から訓練し、撃たれたら死ぬという現実をきちんと弁えてから論じてもらいたいと思いますね。

 私は自衛隊の人達には戦って欲しくありません。歩兵の戦闘になれば中国にも北朝鮮にも勝てないと思うからです。武器の性能以前に、今の日本人が平気で人間を的にして銃の引き金をひけるとは思えないからです。

 一瞬の逡巡のうちに蜂の巣にされてしまうのがオチでしょう。それをやれと言うのは酷でしょう?

 あまりにも空理空論がまかり通っていると思います。

 武道をやっている人間だって、今はスポーツとして取り組んでるだけですからね。命の取り合いになったら通用しないでしょう。

 しかし、誰もが私と同じ考えをすべきとは思いませんね。やっぱり私は自分が極端過ぎる生き方をしていると自覚していますし、少数精鋭の武術人を育てて、彼らが今の日本の中で社会貢献できる人間として活躍してくれれば、私のヘンタイ人生も無駄にはならないでしょう・・・。それで充分じゃないでしょうか?


 あれれ・・・?

 物凄い脱線したまま長くなってしまいましたね? 失敬!

 私は、越川先生はもっとずっとお若いと思っていたので、今回、米寿ということに非常に驚いてしまったのですが、高齢化が社会問題とされている日本にあって、若い者が足元にも及ばないように元気で活躍されているお姿を拝見すると、「やっぱ、人間は心映えが肝心だよな~」と、つくづく思いました。

 私は古武術介護術に関して、何か、嫌な印象が拭えなかったんですが、それは、一種、老人差別的な「人間は年とったら一人で何もできない荷物のようになってしまうもの」みたいな上から目線の雰囲気が嫌だったんだ・・・と、改めて気づきました。

 私の親父は熊本県の教育界ではちょっとした名士として知られていましたが、六十代で脳梗塞やってから三度倒れ、晩年は認知症の症状も出ていまして、私が帰ると、すっかり家族の中でお爺ちゃん扱いされていて、何か辛くなりましたね。

 昭和一桁生まれだったので努力するのが当たり前の性格だった親父は、養生とリハビリにも励んでいたので、あんまり酷くはなりませんでしたが、このままだと介護が必要だからと心臓の手術をして、その後亡くなりましたけれど、何か悔しくてですね~。

 家族が、もう親父を尊敬しなくなっていたからです。私は離れて暮らしていたからかもしれませんが、死んだ後も尊敬され続けて欲しかったですね。

 死んだ後から不名誉な噂話を聞いて、否定もしないで「そうだったんですか~?」なんて・・・死人は反論できないんだから家族が反論してやれよって、本当に思いましたよ。

 私だったら、「失礼なこと言うんじゃねえっ! 親父はそんな人間じゃねえっ! ふざけんな、このヤロー、帰れっ!」って、怒鳴りつけてますけどね~?

 まあ、そうしなかったというのは、それだけ尊敬の気持ちが無かったってことで、家族と言っても、そんなもんですか?って、私は本当に悲しくなったんですよ。

 人間は年とっても誇り高く凛として生きていくべきだ・・・と、そう思います。

 そうすることで、若者も老人に敬意をはらい人生の先達としての教えを求めるようになるでしょう。

 私もナメられないように、これからもっともっと実力を上げて、若い頃の何十倍も仕事して周囲に恐れられる武闘派爺さんになってやろうと思ってます。


PS;去年、手伝った映画で主演だった飯田ゆかさんが事務所を辞めたそうで非常に残念です。既に黒木舞花さんと山田亜美さんも辞めているそうで、これでは映画を公開しても意味がありません。現場で風邪ひいて具合が悪い中を一所懸命に頑張って芝居していた姿を思い出すと、本当に可哀想です。ホームページで「退学」と書かれていたそうですが、ちょっと、あんまりじゃないですかね? どんな理由があるにしろ、中心メンバーで頑張っていたのに配慮が無さ過ぎますよ。「事情があって辞めることになりましたが、彼女のこれまでの頑張りに感謝し、飯田ゆかのこれからの人生が実りあるものになるよう、ファンの皆様、暖かく見守ってあげてください」みたいに書くのが当然でしょう? その程度の礼節も知らない人間がホームページ書いているんでしょうか? ここには書きませんが、映画に関連してある人のあまりにも非礼極まるパワハラ対応に、私は怒りを通り越して空しさだけが増幅していました。迷惑かけるだけになってはいかんと思って黙っているつもりでしたが、これは酷過ぎますよ。アイドルだって人間なんだから、ただの商品みたいにプロデュースする側が扱う権利はありません。私はボランティアで手伝っただけで何の義理もないから、思ったこと書かせていただきました! 飯田さん、負けずに頑張れ!

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4月セミナー“縮地法”感想

 今回の月例セミナーは、教材DVDと合わせて“歩法”をテーマにしています。

 歩法は、いつもその場で目に見えた効果が出る訳ではないので、技を掛け合う練習の時に、どういう技を指導しようか?と毎度、悩むところなんですが、今回は八卦掌を教えると決めていたので、割りとスムーズに進みました。

 私は、中国武術の中では八卦掌が一番好きで、次が太極拳、その次が八極拳、形意拳、白鶴拳・・・と続きますかね?

 太気拳は別格として、稽古法は意拳を研究させてもらいましたが、この稽古法に関しても、これからは八卦掌をもっと採り入れていこうかな~?と、過日、馬貴派八卦掌を見学させていただいて思いましたね。

 私が松田隆智先生に直に教わったのも宮宝田派の八卦掌でしたし、宮派は大連の武術家、黄志誠老師にも連環掌を教わりました。ま~、講座だから、ほんの少しなんですけど、時間は少なくても得るものは大きかったですね。

 他には、ほびっと村で大友映男先生に王樹金伝程派を、取材を通じて高小飛老師から王培生伝の程派・尹派・劉派を勉強させてもらいました。

 よく、「長野はちゃんと学んでいない。武術は長く修練しなければ本当には使えない。コンフーが大切なのだ!」と言う人が居るんですが、そう言ってる人のコンフー(内功)の威力を見たら、私の1/3もなくて、笑っちゃいました。

 言ってる自分が恥ずかしくないのか?

 まあね~。チンタラ・チンタラと長年修行しても本質を掴めなきゃ~武術の真の威力や絶技を駆使して戦えるようにはならないんですよ。

「20年30年、真面目に修行してきて、その程度ですか?」って言いたくなる人が大半と言っても、言い過ぎじゃないんじゃないでしょうか?

 上手とか下手とかの問題じゃなくて、「それは武術として使いものになりませんけど? オタクは自分でできてるつもりなんですか?」って聞きたくなってしまう人が少なくありません。要するに、自分のやってることの意味が分かってないんですよ。

 せめて、「テメ~のレベルくらいはきっちり認識しろ」と言いたいですね。

 どんな名人に20年も30年も習おうが、本質を掴み取れない人間は、ずぅ~っと凡庸な腕前のまま体力の衰えと同時にダメになっていくだけです。

 重要なのは、一瞬で本質を洞察して掴み取る能力であり、短時間でも圧倒的に凝縮された集中力で一発で体得する身体感覚の鋭敏さ、一瞬の勝負に全生命を賭けて悔い無し!とする超然たる精神力・・・といったものがあれば、「男子三日会わざれば刮目して相まみえよ!」みたいに大化けするのは、むしろ、当然と言えるでしょう。

 武術の種別の優劣を論じたがる馬鹿も同じことです。それぞれの良さや、「ちょっとここは欠けてるな~」という面なども含めて総合的に客観的に考えて学ばないとダメです。

「八卦掌は踊りみたいで威力に欠ける」という話も専門雑誌なんかで読んでいたんですが、例えば黄老師の発勁の凄さには驚かされましたし、歩法を駆使してドバンと打ち込む発勁の威力は凄まじいものだと思いましたね。

 これは、先日、馬貴派八卦掌の李老師の技を見ていて再認識しました。

 普通、発勁の威力を高める秘訣は震脚にある訳ですが、八卦掌は歩法による推進力を利用するので伝統空手に近いかもしれません。

 遊撃戦に適しているな~と思うのです。

 それで、ここ最近、研究室であれやこれやと研究していたものを、今回のセミナーでは指導したんです。

 一口に、歩法と言い、縮地法と言った時に、具体的な戦術として役立つのか?という疑問を持つ人もいると思ったので、今回はそれを伝えるのがテーマだったんですね。

 その一つの解答というのが、「自分から攻撃を仕掛ける」ということです。

「えっ? 何それ? 当たり前なんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、伝統的な武術の場合、自分から仕掛けるのは初心者くらいなんですね。

 交叉法にしろ読みにしろ、自分から仕掛けるのではなく、相手が仕掛けてくるのを待つのが基本なのです。

「空手に先手無し」という言葉も、礼節を説いているのではなく、戦闘理論の原理を解いている訳なんです。

 どうしてか?というと、仕掛けた瞬間に隙ができるからです・・・。

 武術の基本戦術は、相手に仕掛けさせておいて、隙ができたところを狙撃するカウンター攻撃なんです。

 しかし、いかなる高等戦術も手の内がバレていたら、そうは通用するものではありませんね?

 昔、ライターやってた頃に「とにかく発勁の威力がハンパない」と友人から聞いて高小飛先生を取材した時、漫画のようにふっ飛ばされた同僚の姿を見て、(これはヤバイ。こっちから攻めたら倍返しになるな・・・)とお利口な私は推手で一切、力を込めませんでした。

 お陰で飛ばされず、高先生からもえらく評価していただきました。聞けば、実戦的とされる流派の人がほとんど道場破り気分でやってきては高先生のスーパー発勁を食らって宙に舞うのがいつものことだったのだとか・・・? それで、「高先生と互角に推手した唯一の男」になった訳・・・。

 でも、これは技術の構造が読めたから、とっさに対策講じただけで、実力でも何でもない訳ですよ。

 それに、先にふっ飛ばされた同僚も、ちょいマゾっ気があるのか? 取材先の先生に痛い目に合わされてる時の嬉しそうな顔・・・。ひょっとすると、わざと技を受けてみたかったのかもね?

 こういうレベルの対戦以前の手合わせは随分とやりました。勝負じゃないから、私もわざと受けてみる場合もありますし、相手が偉そうにするのでムカついて技を封じたり反撃したこともありました。

 ガチンコで戦ったことはほとんど無いですね。組手や試合は、別に武術の技使った訳じゃないし・・・というか、武術の技って、実際にマジで使うと相手に致命傷与えてしまうのが判るから、ちょっと怖くて使えないんですよ。

 本当に体験したら判りますよ。こんなのマジでやったら死にますって・・・いや、本当に・・・。

 私は親しい人にもほとんど自分から技やって見せたりしませんし、武道関係の方だと尚更、見せませんから、正直、「長野さんは本当はどのくらいできるんだ?」と疑問を持たれたりすると思うんですね。

 いや、別に解ってもらいたいとも思ってないので、それはいいんですが、最近、居合道の高段者の方が素手の護身術を習いたがっているので・・・と、親しい武道の先生に紹介されて、その方に個人指導したんですね。

 で、「命の危険がある時には、これを知ってると動揺しないで済みますから・・・」って、寸勁を教えたんです。

 ブ厚いキックミット持たせて1/10くらいの力で打ったんですが、それでもひとたまりもなく倒れられた(安全のために後ろに布団を置いておいた)ので、非常に驚かれていました。

 次にやり方を説明して私がミット持って受けてみたんですが、流石に長年居合をされているだけあって飲み込みが良くて、一発で私も倒れましたね。

「実は~さんと、本当にそんなに簡単に人がふっ飛んだりするのかな~って話していたんですけど、本当なんですね~。これは受けてみないと絶対、信じられないでしょうね」と、相当、衝撃的だった様子でした。

 今は私もメカニズムが完全に解っているので、ちっとも不思議に思いませんし、教えれば何の経験もない女性や老人、子供でもできる技なのだと思っていますが、確かに威力という点だけ考えたら、長年鍛えた筋力パワーをも簡単に超えてしまう重心移動の力というのは、体験してみなければ信じられないでしょう。

「要するに、これは拳の先で体当たりしているのと同じなんですね。ということは、別に拳でなくても掌でも肘でも、あるいは肩や背中や腹からでも打てるんですよ。それをやるには全身を柔軟に動かせないといけないんですけど、筋力で打つ訳じゃないから女性でも老人でも一発で大の男をふっ飛ばす威力が出せますよ。・・・ただし、ふっ飛ばすのは、実はまだ安全なんです。本当に効く打ち方でやると、その場に崩れるように倒れて失神したり、その場で大丈夫でも後から身体が動かせなくなったり・・・とかするんです。だから、この技は本当に命が危険な時にだけ使ってください」とお話しました。


 私は、最近、交叉法や目付け、読みのやり方なんかも、かなり詳しく解説したりしていますが、それは親切でやっているのではありません。

 研究が進んだので公表してしまっても差し支えがないと判断しているからです。

 つまり、交叉法が通用しない相手でも破る工夫をしているから公表している訳ですし、本来、武術というものは個人レベルでどんどん進化発展させていかなければ、あっという間に通用しなくなってしまうものです。

 戦術と一口に言っても、簡単なものから複雑なものまでありますよね?

 私が交叉法を初めて知ったのは20年も前です。全体の修行年数の半分以上です。

 それから居合・剣・杖・ナイフ・手裏剣といった武器に応用し、無刀捕りに応用し、拳銃の抜き撃ちに応用し、話術に応用し、読心術に応用し・・・と、常に進化させるように研究を進めてきましたし、その過程で弱点にも気づいて、それを克服するやり方も研究してきました。

 私がいろんな技を解明して人に体得させられるのも、日々の研究の賜物であって、素質や才能の問題ではありません。

 執念と集中力、努力と向上心の成果であって、のんべんだらりと道場に通って、真面目に練習やってま~す!程度の無思考でルーチンワークの練習をやって自己満足している連中が自分のレベルで考えてもらっても理解できる道理がないでしょう。

 嘘でも何でもなく、私は型の形だけから実戦用法を洞察する能力があります。

 従って、八卦掌の用法も、誰にも習っていませんが、無尽蔵に即興で思いついてしまえます。

 うちの会の幹部クラスなら、私が嘘を言っていないのはいつも見ているので判る筈ですが、普通に武道をやってきた人達はなかなか信じてくれません。

 技の用法というものは、知っている人から習う以外に体得できないものだと思い込んでいるのです。

 無論、それが間違いとは言い切れません。

 私も相当数の技の用法は直に習ったりビデオや動画等で知って得ているからです。

 しかし、流派が違っていても、人間の身体は頭が一つに手足が二つずつ胴体にくっついているのが普通ですから、動きのパターンは似てくるものです。

 突き・蹴り・投げ・逆・絞めくらいしか体術の技は無いし、合理的になればなる程、異種の流儀でも似てくるものなのです。

 だったら、合理性から考えて技を工夫することも可能であるし、いろんな流儀に戦闘のコツを伝える言葉がありますから、それに従っていけば技は勝手に派生してくる。

 そう考えて、空手や太極拳の動きを「無駄に動いているのではなく、必ず意味がある筈だ」と信じて分析していった訳です。

 やっぱり思った通りでした。

 一見して妙チキリンに見える動作も、実際には奇想天外な合理性で工夫された実戦用法になっているんですね?

 それこそ蛇拳でも酔拳でも蟷螂拳でも、実に驚くべき合理性で必殺技を伝えているのです。

 本当に、私はもう面白くって仕方が無い!

 こんな面白いものを、何ゆえに、あんな面白くも何ともない練習の仕方で役に立たないように教えているのか?と、いつも思うのです。

 ただ、この面白さは男限定なのかもしれませんね? 女性で面白がる人は少ないです。

 マニアック過ぎるように感じるのかもしれませんが、実際は、これほど女性向きの護身術はそうそうないと思うのですが・・・(教材DVD歩法1を見てもらえば納得されるでしょう。経験0の女性がその場で必殺0インチパンチを体得してしまっているので)。

 武術は筋力の完全否定から・・・とは、黒田鉄山先生の教えですが、私も同感です。

 筋力に頼る技は武術の進化を止めてしまうだけです。

 何故なら、筋力を駆使しようとすれば、身体内部に居着きを生じるからであり、そこが弱点になるからです。

 無論、キングコングのような筋力がある人は、それを駆使して戦えばいいでしょう。

 しかし、小柄な日本人がそれをやってもタカが知れています。むしろ、力に力で対抗して押し潰されるのがオチでしょう。

 日本人の英知は、ヤワラ術を生み出したところにあります。

 やわらかく相手の力に抵抗しない“柳に雪折れ無し”の術理で対する戦闘術。

 これは中国内家拳とも同じですね。

 さて、その内家拳中でも歩法に特化した八卦掌は、先手で攻める戦法も有しています。

 それは、過日の馬貴派八卦掌を見ていて気づきました。

 馬貴派は尹派の流れを汲んでいます。

 尹派といえば、掌型は牛舌掌・・・。四指をくっつけて真っすぐ伸ばす掌型。

 広く市井に普及した程派は龍爪掌・・・。龍が玉を握っている形の掌型。


 この掌型から戦闘法を読み解くと、程派は合気道のような投げを多用し、尹派は貫手で攻めていく筈・・・。

 牛舌掌という名前にもヒントがありますね?

 何故、牛の舌なのか?

 これは形意拳の拳が口元から導く点と同様に、口元からベロリと舌を出すように貫手を突き出して攻めていくことを暗示していると考えられます。

 無論、自分から攻撃したら相手も馬鹿じゃなければ受け捌こうとしますね?

 はい、ここで図らずも交叉差し手の形になります。

 内家拳の必勝パターンである手が触れた状態になる訳ですよ。

 後は随意に変化しながら相手を制圧するだけ!

 游心流的に考えれば、牽制の一打を受けさせておいて二打目で仕留める猛虎硬爬山戦法なんですよ。


 わかんない人が多いと思いますが、これ以上は説明しません。知りたくば、次回ほびっと村(21日)に来られたし!


追伸;20日にも当会USA支部長と埼玉幸手支部長による、シラット(ペンチャックシラット)やカリ(エスクリマ)、詠春拳の特別講習会をほびっと村で実施しますので、宜しく! 最近、『葉問』で詠春拳に目覚めた人や、『ザ・ライド』でシラットのエグイ技にMに目覚めた人は、是非、どうぞ。セミナー中も幸手支部長が、東京支部長と游心流体道塾を立ち上げたN師範代に詠春拳のチイサウとか教えておりました・・・。




※※※ 事務局告知 ※※※


http://infoyushin.blog.fc2.com/blog-entry-29.html


●游心流USA支部長・幸手支部長指導 カリ・シラット講習会 開催!
・4/20(土)17:30~20:30 予定 (4/20は橋本支部稽古はありません、皆さん行きましょう!)
・場所 ほびっと村 http://www.nabra.co.jp/hobbit/default.htm(リンク先に案内は出ていませんので、注意!)
・参加費 (お釣りの無いようにお願いします!)
 一般参加者 4000円
 遊心流会員 3500円
 高校生以下 3000円
☆予約不要



●ほびっと村講座 游心流武術~~『合気護身術』
2013年4月21日(日)13:00~15:00
講師/長野峻也
参加費/3000円(お釣りの無いようにお願いします!)
☆予約不要

http://www.nabra.co.jp/hobbit/yushinryu.htm
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四月のセミナー・講座

 四月の月例セミナーのテーマは、“縮地法”です!

 教材DVDの最新作が『歩法、這い、練り』なんですが、これと内容が重なる訳です。

 私は元々、高校時代から両膝の関節炎が持病で30年以上つきあっているんですが、だからこそ逆に歩法の研究は特別にやったものです。

 最近は膝痛もかなり酷くなっているんですが、“縮地法”はそれでもできるんですから不思議ですね?

 要は、脚力で動く歩法ではないからできる訳です。

 以前、やはり「膝が悪くて歩けなかった母に教えたら、スルスル歩けるようになりました」という感謝のメールをDVDを買った方から頂戴したことがあります。

 どうしてか?というと、スリ足で歩くから膝への負担が少なくなるんですね。

 スリ足というのは地面を蹴って歩く動作ではないので、常に体重が両足に分散するので、負担が少なくなるんです。

 片足だけでジャンプしたり、高いところから飛び降りた時に片足だけで着地してみたら、私の言いたいことが判ると思います。負担が大きいどころか怪我しかねないでしょう?

 普通、中国武術では片足に完全に体重を乗せ換えることを秘訣としますが、私はどうもこれに納得がいかなくてですね~?

 何でか?というと、片足に完全に体重を乗せてしまったら居着くじゃないですか?

 そこを狙われたらヤバイでしょう?

 いや、ヤバイんですよ。だって、私だったら片足に体重が乗った瞬間(蹴り出してきた時なんか)に膝砕き足刀蹴り食らわしますから・・・。

 游心流があまり蹴り技を使わないのも同じ理由です。ルール無用の勝負の場合には面と向かってハイキック出すなんか自殺行為なんですよ。

 自分の蹴りが届く間合なら相手の蹴りも届く。片足立ちで蹴りを出したら軸足を狙われるのは当然でしょう? 蹴りはモーションも大きいから、一発食らう覚悟で最初から軸足蹴り砕くつもりでいる相手に出したらヤバイんですよ。

 無論、軸足狙わなくても片足立ちになった瞬間は歩法が使えないんだから、顔面から胴体に渡って隙だらけですよ。蹴ってきてくれたら「有り難うございま~す!」って訳。

 こっちのカウンター攻撃が威力倍増するんだから・・・。

 蹴りを出すなら歩法の中で出すか? あるいは相手の死角から出すか? もしくは相手の体勢が崩れた状態で出すか? それくらいでしょうね。

 特に、“縮地法”を駆使するには片足に力を込めて地面を蹴ったりしてはいけません。

 それでは武術にはなりません。

 胴体から押し出すように重心移動して、それに足が引っ張られるようについていく感覚が重要なんですね。要するに、体幹部先導の歩法なんです。

 そして、この歩法を駆使するからこそ、動きながら攻撃と防御をも同時に自在にできる訳ですよ。

 ボクシングの試合で足を止めて打ち合うシーンがありますが、アレをフットワークを使いながらできたらいいと思いませんか?

 しかし、パンチの威力を出すのに足でリングの床を蹴るキックショックを使う・・・という訳ではありません。

 これは形意拳のコン歩や八極拳の震脚にも通じるんですが、やった瞬間に居着いてしまうのが、やっぱり気に入らない・・・。

 それで私は段階を設定しました。

 まず、第一に体得するのは骨盤起動の歩法。

 次にジグザグの歩法(這い)。

 その次に歩法と手法の分離と協調(練り)。

 そして、震脚を交えた丹田の爆発呼吸を利用した内燃機関化(発勁連発)。

 最終段階はスピードのみに特化(超加速歩法)。

 これらの歩法の基盤になっているのが日本武道の基礎であるスリ足なのです。

 このメカニズムを解析するのに、えらい苦労しましたよ~。

 ちなみに、これは段階を一つ一つクリアしていかないと体得できないどころか身体を故障するだけです。

 実際に、見様見真似で第四段階の歩法を練習して足首挫いた人が何人も居ます。

 ちょっと練習したくらいでは体得できないから、第二段階以降は必要ない!と言い出した者も居たくらいです。

 が、体得が難しいことをやらせるには、相応の理由がある訳です。

 何か、「長野さんが教えれば、どんな難しい技でも簡単に体得できる」というイメージばかりが広まってしまいましたが、簡単にできることは簡単に防がれてしまうものなんですよ。

 難しいことを体得してこそ、本当に高度な水準に到達できることは言うまでもありません!

 ちなみに、第一段階は下丹田、第三段階は中丹田、第五段階は上丹田の錬成法ともなっていて、歩法の訓練が東洋の身体学に於ける心身開発法にもなっているのです。

 これは、中国武術の中でも新しい門派である八卦掌の走圏法の中で説明してみようかな?と思っておりますが、結構、エポックメイキングだと思いますよ~。

 オカルトマニアばっかり来たら気持ち悪いから、今まであまり言わないように注意していたんですが、武術が単なる戦闘技術ではなく、“超人養成システム”だってことなんですからね~。

 いや、本当に、実にもったいない学び方をしてますよ。皆・・・。本当に価値が全然、わかってない。格闘技だと認識していたら真価が全く観えてこないし、「身体の動きを質的に変える」なんて、何ともしみったれた論理で哀しいですよ。

 そんなんじゃ~、ありません! 人間を進化させるシステムが武術の中に隠されているんです!

 正直、何十万円も取るんじゃないかな~? 自己啓発系のところだったら。

 まっ、御安心ください。料金はいつもと同じですから。今月は、この原理をみっちりと指導したいと思います。


 さて、続く翌週の西荻窪ほびっと村での講座は、『合気護身術』です!

 最早、ダンナ芸としての合気揚げだの何だのをやっていても意味がありません。

 護身術としての合気技をどう駆使すれば良いか?ということを、いろいろやってみますので、御期待ください!

 動けば即ち技になる!という植芝盛平の境地を目指しますよっ(マジっすか?)。


PS;セミナー、講座共に教材DVDの販売もしております。なんかもう武術のDVDじゃなくて、“超人養成DVD講座”って名前変えちゃおうかな~?なんて考えたりしていますが、それくらいの内容になってきちゃいましたよ。

PS2;ほびっと村での講座の前日は、USA支部長・幸手支部長による、今、ちまたで話題のインドネシアの最凶武術シラット!の特別講習会があります。もちろん、私も行きますので、みんな! 西荻窪ほびっと村で僕と握手!

PS3;時代小説の解説文を頼まれました。忠臣蔵物なんですが、目茶苦茶面白いです。刊行されたらお知らせしますので、買ってね~!

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生活保護受給について

・・・ギャンブルに使うような者には受給させない・・・とする条例を提出している市長に関して「監視するようで良くない」「やり過ぎ」という論議が起こっているという話を朝のワイドショーで採り上げていました。

「監視し過ぎるのはどうか?」とか、「楽しみを奪ってしまうのはどうか?」といった意見を司会者側が呈していましたが、これはどうですかね~?

 生活保護が必要な人を助けるのは社会の務めだとは思いますが、現実に、必要ないのに保護費を受け取ってギャンブルなどにのめり込んでいる人間が少なからず居て、本当に必要な人が受け取れないのでは本末転倒になってしまう・・・という問題を提起した点については、以前から言われてきつつも具体的な対策が出てこなかった訳で、市長の勇気を評価してもよいと思いますね。

 失業保険で働かずに食えてる・・・なんて人も居ましたが、私はそういうの貰ったことないんで、そりゃあもう、苦労しましたよ。

 考えてみたら、私もパニック障害で普通の会社勤めとか諦めて、最低限の日雇い肉体労働と、親にたかり、友達にたかり・・・としてやってきましたが、そんな保護制度を利用すれば、もっと楽に生きてこれたのかな~?とか思うんですが・・・。

 ただね~。人間、やろうとすれば、やれる仕事は必ずあると思うんですよ。

 私が武術教え始めたのも、もの書きやっているのも、一番の理由は、生活費稼ぐためなんですよ。

 酷い時は発作でぶっ倒れてしまうので電車にも乗れないくらいでしたから、これじゃ~会社勤めもできない。金が無くなっちゃ~日雇いのバイトしたりして凌いでましたが、本当にお先真っ暗ですよ。

 それでも武術は好きでずっと続けていたし、文章書くのも好きでしたからね~。いつの間にかファン?もできてきたんで、「もう、これで食っていくしかしょうがね~な~?」って思った訳ですよ。

 もちろん、金を稼ぐにはプロにならなくちゃ~いけません!

 プロでやっていくなら、知識も見識も、それなりの実力も無くてはいけませんからね。

 ここで助かったのは、私はオタク気質だったということです。知らない間にプロでやっていくに十分な知識が備わっていたんですね~?

 見識と実力は、これはもう運が良かったとしか言えませんが、現代で求めても得られないような知る人ぞ知る先生方に出会ってこれたことが大きかったですね?

 私自身が凡庸でも縁があった先生方が超一流だったので、基準がメチャクチャ高くなったんで、一般的な武道道場の先生とか見ても「あ~、この程度なんだ?」って思えるようになってしまった訳です。

 やっぱり基準が高くなると知らない間に見識も実力もくっついてくるもんなんですよ。

 有り難いことに、私は読解能力だけは異常に高かったんですが、これはオタク気質だから執念深く集中して観察するのが習性だったことがプラスになりましたね。

 何事も上達する人とそうでない人の差がどこにあるか?というと、“執念”なんです。

 それがマイナスに働くと、ストーカー化したり反社会的な方向になったりするんですが、研究家タイプになれば、その筋で業績をあげられるようにもなれる訳ですよ。


 私は今でも定収入が無いんで生活は決して楽ではありませんが、それでも自分の人生は普通の人が体験できないような面白い人生だよな~と思ってるので、ちっとも後悔はしていませんね。

 たとえ普通に仕事やって普通に結婚していたとしても、仮に趣味で道場通っていたとしても、やっぱりそういう人生に憧れはありませんね。

 人はパンのみに生きるにあらず・・・ってのはその通りだと思います。


 生活保護受給されててギャンブルに使うくらいなら、何で自分のやりたい仕事をやるための勉強に使わないのか?という疑問を私は感じますね。

 その場だけの楽しみよりも、先々の楽しみを得るために使えばいいのに・・・と思います。

 お金は使えば無くなりますが、教養は無くならないでしょう? 知識や知恵はお金を生み出すアイデアになるでしょう?

 そういう意味で、確かに無駄に貰ったお金を浪費し続けているだけの人間は社会が保護してやる必要は無いような気がするんですけどね?

 
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田中光四郎先生が・・・

『月刊空手道』『月刊フルコンタクトKARATE』に登場されていました。

 先日、青木宏之先生のパーティーに行く途中でお会いしたばかりでしたが、日子流は着々と海外普及へと動いていた様子で、私も嬉しいです。

 いつも書いていますが、光四郎先生の創始された日子流は本来的な意味での武術そのものであり、体術に関しても日本伝統の体術が対刀剣を前提にしているのと同じく、無刀捕り・短刀捕りの構造になっています。

 最近、国内外の護身系武術の映像を観ていますが、どうも対刃物に対する技術に疑問を感じることが多かったんですが、光四郎先生は流石! 刃物の怖さと弱点を熟知されているな~と感心させられました。

 体捌きで避け躱すと同時に刃物を持つ手を拘束して仕留めていく方法論は、実に納得できる技法です。

 刃物は、変に受け流そうとすれば反転して刃先をひっかけられる危険性があり(私ならそうします)、大前提として動かせないようにするのが最善策であると私見します。

 刃物の怖さは、太い血管(動脈)をかき切られれば終わり・・・だということです。とても病院の手術室まで保つことはできないでしょう。

 一瞬で殺される方が恐怖心を感じなくて済むだけ安楽でしょう。じわじわと死へと向かっていく恐怖と痛みを感じながら殺されていく・・・というのは拷問されるのと同じであり、対処法を間違ったばかりに自分からそういう状況に陥ってしまうのでは、護身にも何にもなりません。

 ですが、そういう間違った対処法しか提示することができない流儀が大半であるかもしれません。調べれば調べる程、「いや~、これはマズイでしょう?」と思えるやり方ばかりが本やDVDで紹介されているのです・・・。


 私がいくら言っても、呑気な連中は素手での強さを云々し腕試ししたがるような頭の悪いにも程がある人間が居ますが、「阿呆」としか言いようがありません。

 連日のように刃物による殺傷事件が起こっている昨今、対刃物を真剣に考えようとしない武道関係者の危機意識の欠落ぶりは“怠慢”の一言です。

 居合道諸流派の修行者にしたところで、様式としての型の追及しかしていない方が大半でしょう。

 斬れる斬れないもともかく、実戦でどう使うか?をまるで考えていない人が多いのは理解に苦しみます。

 真剣に考え、いろんな試し斬りを実践し、古流の門を叩いて実戦刀法の駆け引きを研究する人はそうは多くないでしょう。

 しかし、それを当たり前のこととしてやらなければ、型の真の意味を読み解くことは不可能であろうと思います。型を護ることと型を活かし実戦用法を抽出することは車の両輪として本来、不可分のものだった筈です。

 以前、空手道の教本作りに参加させていただいた時に、伝統空手道の世界で型と組手の両方で世界チャンピオンになった伝説的師範である香川政夫先生から「型無しと型破りは全然、別物なんだ」ということをおうかがいして、いたく感動させられたことがありました。

“型無し”というのは基本原理が解っていないデタラメなだけの状態であり、“型破り”というのは基本原理を体得した上で型に捕らわれないで自由自在に応用変化させられる状態だということでした。

 武術を探究する者が目指すべきなのは、当然、後者の“型破り”でなければなりませんね?

 また、身体操法の基本原理が体術と小太刀術で共通しているということが、どれだけ合理的なことであるか?を理解している人間からすれば、日子流のシンプルな動きが、どれだけ研鑽研究された中から抽出されているか?ということにも気づくでしょう。

 真に優れた流儀であれば武器でも素手でも身体操法は共通しているものだからです。

 光四郎先生は、武の追及に関して、極めて真面目な方です。ごまかしを嫌い、真に遣える技を70半ばとなった今も追及されています。

 日本の武の伝統が形式や権威主義に呑み込まれた現状に背を向けて、常在戦場の精神で死ぬまで生きる・・・という姿勢が素晴らしい。

 私は田中光四郎先生に出会えたことが一生の宝だと思っています。


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Voice from Monochrome

 以前、田中泯さんの事務局をされていた齋藤朋さんからダンス公演の招待メールを頂戴しまして、丁度、その日は暇があって、随分、御無沙汰もしていたものですから御挨拶がてら神奈川芸術劇場へ出掛けてきました。

 皆さん、御承知のように、ここ数年、私は武道関係者よりもダンス関係者との付き合いの方が楽しくてですね~。

 殺陣アクションのプロの方とも共通していると思うんですが、純粋に身体を思いっきり動かすことの快感を知っているダンサーの方は、何かキラキラ光って見えるんですよ。

 そこんところは武術やってる人間には、ドョォ~ン・・・と粘ついた空気をまとわりつかせて暗~い顔したヤツが多くて、もう、最近は本当に嫌気がさしてきてますよ。

 そこんところは、ダンサーの方は単純に姿勢が美しく動きが美しいですね。

 例えば、顔立ちが綺麗なのに姿勢が悪くて表情が暗い女性や、歩き方がギクシャクしてたり動きがトロい女性なんかは私は生理的に受け付けなくてですね~。

 動物好きな私も、やっぱりブサイクな犬や猫は好きじゃないですね。

 やっぱり、武術なんかでも姿勢がスッと無理なく伸びていたり動きが美しく流れるように技を極められる人がカッコイイでしょう?

 だから、合気道や八卦掌が好きなんですけどね。


 それはそれとして、忙しくてダンス公演見るのも久しぶりだったんですが、場所が、いつも行く刀屋さんの近くの日本大通り駅の近くだったので、行きやすかったというのもありました。

 それにしても、主催されている加藤みや子さんのお名前は失礼ながら存じ上げなかったんですが、田中泯さんのところで拝見して不肖私が批評させていただいた舞踏家の武内靖彦さんも出演されているとのことだったので、「それなら前衛派の公演なのかな~?」と思ったのですが・・・。

 会場で齋藤さんに挨拶して大スタジオに入り、開演を待ちました・・・。


 おやっ? 前衛派なのかと思っていたら、結構、普通にコンテンポラリーダンスみたいだな~?

 かなり大勢の演者が出ておられてバラエティーに富んだいろんなスタイルの踊りが交錯し、その中で武内さんも静かな歩みの中に、7年前だったか?あの夏の白州で見たイメージが蘇りました。

 舞台美術もシンプルな中で凝った装いを見せてくれ、非常に華やかなダンス公演でしたね。

 それにしても、あれだけいろんなスタイルが混然一体となった公演というのは初めて見ました。実に充実した内容でした。素晴らしい!

 齋藤さんもお忙しい様子だったので、あまり話せませんでしたが、お元気で御活躍されていて私も嬉しいです。

 
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動き出しは先端からか中芯からか?

 熱心な読者の方から技術的な御質問を頂戴しましたが、これは他の修行者の方にも御参考になるか?と思ったので、ここで答えてみたいと思います。

「骨盤から動くのと、拳や指先の先端から動くのでは術理や威力などにどう違いが出るのか?」という御質問です。

 游心流では「すべての動きは骨盤から動きなさい」と教えておりますが、無論、武術の戦術上から考えれば、正反対のやり方を使っても有効であれば否定はしません。

 詳細は直に実演して長所と短所を説明しながら解説しないと伝えるのは困難であろうと思うのですけれども、実践者の参考になるかどうかは不明ですが、流派門派の違いで説明してみようと思います。

 まず、“中芯から動く”ということの典型例なのは、太極拳や沖縄空手などのような下丹田(骨盤)から動いて背中から肩、腕、拳先へと力を波のように伝達させる身体操作法を基本とする派です。

 これらは東洋医術(丹田開発)や瞑想法(小周天法やクンダリニー・ヨーガ)などでも基礎となるものであり、いわば王道なのです。

 しかし、王道があれば変則的な奇道もある訳ですね?

 典型例とすれば、八卦掌や酔拳、カポエィラ、躰道なんかがそれでしょう。

 戦闘理論で解析すると面白いんですが、自分の中芯を保ったまま相手の中心に斬り割っていくようなやり方が王道であり、これは小野派一刀流の切り落としや、新陰流の合し撃ちなんかの技法ですね。

 これに対して、相手の中心をダイレクトに狙わず、斜めに避けたり回転したり転がったり寝転んだりしながら攻撃するやり方となると、八卦掌の“斜避正”の原則(斜めに避けながら相手の中心を奪う)などに代表される側面攻撃なんかがあります。

 新陰流の体捌きや合気道の転身・回身の動作なんかもそれですね?

 さて、游心流では「骨盤(中芯)から動け」と教えていますが、これは基本的な身体操作の王道を先に体得させるためのものです。

 新陰流は、「神道流や念流などの当時の剣術の主要流派を学んだ上泉伊勢守が、特に(愛洲)陰流の術理から戦闘理論の核心を抽出して“新陰流”を立ち上げた」と伝えています。

 それは、八卦掌的な斜避正の原理を体系化したものだったようです。

 しかし、真っすぐ相手の中心軸に自分の中心軸を合わせてクサビを打ち込むように斬り割っていく一刀流(その源流である念流も)の切り落としの技法の極意を採り入れたとされる柳生の合し撃ちも、後に重要な技法原理として採り入れています。

 游心流の交叉法は、この切り落とし、合し撃ちの技法原理を体術に応用したものですが、自分の中心軸から相手の中心軸を斬り割っていく・・・ということは、あくまでも基本的原理であり、実際の用法としてそのままの形で使える場合は少ないものです。

 当然、相手との状況に応じて変化応用させられないと意味がない訳です。

 私が独己九剣考えたのは、素手の練習だけでは相手の中心軸を的確に斬り込む感覚が養成できないと痛感したからでした。

 つまり、点や線が観えていない人間に点や線の攻撃をしろと教えても無理がある訳なんですね?

 素手での攻防オンリーの流儀の人が交叉法や読みの感覚をなかなか養成できないのも、ここに原因があると私は考えた訳です。

 事実、相手の中心軸線上に正確に打ち込める人間は意外と少ないし、自分の中心軸線上に向かってくる攻撃を紙一重で躱す技能も10年やってもできない人はできないまま。

 これでは上達する道理がありません。

 ちなみにフック系のパンチや回し蹴りが打撃格闘技で主流になったのも、中心軸線を取れなくとも横から回して打ち蹴れば、なで斬りにするように命中しやすいからでしょう。

 垂らした紐を切断するのに銃で狙うより刀で斬った方が遥かに簡単でしょう?

 が、こういうアバウトな戦闘法に慣れてしまうと正確に中心の点や線をとらえて打てるストレートパンチや前蹴りの練達者と対戦すればカウンターで先にやられてしまう訳ですよ。

 游心流ではカウンター攻撃が主体ですから、必然的にフック系のパンチや回し蹴りは相手の体勢が崩れた時や、崩しながら仕留める時にしか出さなくなりました。

 向かい合ったところから円曲的な攻撃をすれば直線攻撃にやられてしまうからです。

 ちょっと戦術的な説明がくどくなってしまいましたが、御質問にあった「先端から動く攻撃法」に関しては、例えば“寸勁での二度突き”が典型例でしょうし、うちで言えば、差し手を出して触れた状態から体だけ回り込んで相手の死角(背勢)を取る場合などに用います。

 恐らく、この御質問の前提になっているのは甲野氏が提唱した理論ではないか?と思うのですが、甲野氏の弟子の中島氏が『秘伝』の記事の中で「先端から動く」という身体操作法を解説されていたので、それを採り入れた戦術なのかもしれませんね?

 私見を述べれば、この「先端から動く」という身体操作法に関しては、体幹部に予備動作が出ないという利点はありますが、術理としてはやり方がバレてしまうとリスクが高いだけに思えます。

 それをわざわざ雑誌で写真付きで解説してしまうというのも、手品のネタばらしをしているみたいで、「オイオイ・・・最初から手の内バラしてたら通じなくなるっちゅうに~?」と、苦笑して読みましたが、恐らく、武術的な発想で危機意識を持っていないから平気で発表されているのでしょうね? (それとも、周囲にバカしか居ないのか?)

 どうしてか?と申しますと、“全身を固めて(一体化)したまま突っ込んでいるから”であり、動いた瞬間に、ちょっとでも方向をずらされたら自滅してしまう訳ですよ。

 無論、先端から動くということは身体内部の連動の動きはありませんから胴体を観察しても予備動作は確認できません。その意味では“消えた動き”に見せかけることができます。

 しかし、予備動作を消しても全身が固まっているので、先端から動いたと同時に、こっちからほんのわずかでも身体の角度を変えればツルンと滑って、あさっての方向に突っ込んでしまう・・・という超バカな事態になりかねません。

 目付けでは消えた動きになっても、聴勁化勁のエジキになってしまうのです。

 だから、私は「何じゃ~、コリャ? 新作コントか?」って思ったんですね(苦笑)。

 つまり、“奇道”は王道に対して一回だけなら通用しても、二度も三度も通用するようなものではない訳ですよ。いわゆるラッキーパンチの類いでしかありません。

 問題なのは、「このやり方が正しい」と思い込んで、一つのやり方に拘る態度です。

 特に、このような“心身一体化した動き”を標榜している流儀に関しては、自分達の弱点(先端から動けば自分から重心バランスを崩しやすくなる)をまるで認識していない場合がほとんどです。

「心身一体化することが集中先鋭化させ攻撃力を最も高める極意である」と信じていたりする武道家は数多いのですが、応用変化できない一本調子の攻撃は単なる“硬直化”でしかなく、ドツボにはまって自滅する自己陶酔思想でしかないんですよ。

 例えば、八極拳の発勁は、瞬間に全身を剛体化させて瞬発させますから、その戦闘法に於いて、さりげなく柔らかく前拳を敵の胴体に触れておいて、ドバンッ!と重心移動のエネルギーを送り込んで打ち倒す・・・という“先端から動いて攻撃する”ような使い方をしますが、重要なのは、“さりげなく柔らかく前拳を敵の胴体に触れておく”という招式(技を極めるための戦術的準備作業)なのであって、威力に惑わされてはいけません。

 同様のシチュエイションで太極拳だと骨盤をグルンと回転させて鞭がしなるような連動で重心移動させて拳を瞬発させますが、これだと威力が伝導するまで時間がかかりますし予備動作も大きいですね?

 だから、「これでは遅い。避けられてしまう」と考える人が多いでしょうが、これまた戦術と不可分なんですよ。連動の動き、即ち“纏絲勁”や“抽絲勁”は、相手の攻撃を巻き込みながら相手が自覚しないままに重心バランスを崩させる高等戦術を兼ねているのですね。

 即ち、敵の攻撃を触れて化勁しながら体勢を崩させつつ同時にこちらの発勁を打ち込む・・・というのが太極拳の戦闘理論であり、無駄に動いている訳ではないのです。

 これは空手の基本の上段受け、内受け、外受け、下段払い受け・・・などの動作を化勁であると考えると、“受け崩しながらの交叉合わせ突き”という攻撃技へと変化応用できる訳ですね。

 太極拳と沖縄空手が原理的戦闘理論が同じだったという訳ですよ!

 以上、「先端から動くか? 中芯(骨盤)から動くか?」の意味に関する簡単な解説を試みましたが、ちょっとこれは上級向け過ぎるかもしれませんから、文章だけで、どの程度理解してもらえるかは判らないですね~?

 うちの幹部指導員クラスでも文章だけで解るかな~?と、ちょっと不安です。

 そもそも、ここに書いている太極拳や沖縄空手、八卦掌などの戦闘理論を解っている人自体が極めて少ないと思いますし・・・?

 これはやっぱり個人指導で直接実演解説していかないと御理解いただけるかどうかは解らないですかね~?

 次回の月例セミナーは縮地法がテーマなんですが、この御質問についても解説してみようかな~?と思います。


PS;個人指導を御希望の方はお気軽にどうぞ。基礎基本から一通りの指導をする場合は一回一万円となりますが(宿泊される場合は宿泊費込みとなります)、「発勁だけ」「合気だけ」「歩法だけ」といった具合に一つの技の徹底指導のみ御希望の場合(宿泊無し)、一回通常料金の二千円とします。部屋代かかってるので、御利用お待ちしてま~す!

PS2;今回の“先端から動く”という点は、新作DVD『歩法、這い、練り』中に発勁(0インチパンチ)を指導している箇所がそのまま当てはまります。御参考にどうぞ!

PS3;4月になりましたので、謝恩セールに割引品目ももう一つ増やします。『上級編』プラス『戦闘理論』を、通常価格50000円のところを、何と! 20000円と致します! こちらは、販売中止検討中の商品なので、この機会をお見逃しなく・・・。

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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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