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先日・・・

 親しくしていただいている武道の先生の御依頼で対談をやったんですが、その打ち合わせと、対談後にお食事している時に、私が武道業界の秘蔵話をバンバン喋ったら、同席されていた先生のお弟子さんがビックリ仰天した顔で、「長野先生は、本当によく知ってますね~?」と驚かれていました。

 その方も私の本やブログは読まれているそうですが、そこで話したのは文章にしていない文字通りの秘蔵話だった訳です。

 例えば、斯界で一世を風靡したような著名な武道家の虚偽の経歴とか何人も話したんですが・・・。

「ここで話しているようなこと書いたら、武道界がシッチャカメッチャカになりかねないから書けないですよ。僕なんか、知ってること何でも書いてるように思われがちなんですけど、とんでもないですよ。技に関しても文章で書いたり公開していることの十倍以上は隠してますよ」と、お話したら感心するより呆れたような表情をされてました。

 経歴の捏造というのは武道業界で何百年も昔からおこなわれてきたことであり、それは専門用語で“仮託”と言いますが、要するに流派を権威付けするために歴史上の有名人が創始者であるという粉飾をする訳ですね。

 中国武術なら、孫悟空・沙悟浄・関羽・岳飛・燕青・孫賓なんかを創始者とする門派がありますし、日本でも鑑真・最澄・坂上田村麿・藤原釜足・聖徳太子を流祖に掲げる流派があります。

 大東流合気柔術が新羅三郎源義満から始まるというのも“仮託”であって、現在の武術の研究家でマジで信じている人は発狂してない限りはいないでしょう。

 もっとも、「新羅三郎というのは新羅(シラギ)からやってきたという意味で、合気武術のルーツは朝鮮半島なのだ~!」って言ってたアホがいたような・・・?

 だから、それは作り話なんだからさ~・・・ってことです。

 それでも、事実は小説より奇なり!という場合もあったりするから面白いんですが、やっぱり、情報は裏付けが重要だし、武術は体現しているものが全てであるというハードボイルドな態度で権威を排除しないとダメなんですよね。


 何か、私の苦手な監督のウォン・カーウァイが武侠物を撮るという話を聞いたのは、香港カンフー・マニアの小塚師範代からでしたが、それが日本でも大々的に公開するというではないですか?

 香港のオシャレ系監督だからか? それともチャン・ツィイーとトニー・レオンだからか?

 ブルース・リーの師匠のイップ・マンを描いたドニーさんの作品が日本でも局地的に話題になっていましたが、香港では次々にイップ・マンを主役にした作品が量産されている様子で、かつてのウォン・フェイフォン状態?

 で、トニー・レオンがイップ・マンに扮する作品だと聞いていたんですが、『グランドマスター』というタイトルでTVでしきりと宣伝されている様子を見ると、何か、ちょっと違うな~?という一抹の不安が・・・。

 小塚師範代からの情報と、ぴあの特別編集小冊子を読むと、これは別にイップ・マンが主役という訳でもないような感じではないですか?

 ところが、どうもこれは・・・私が学んだ門派とも関係あるみたいな・・・?

 というのは、チャン・ツィイー演じる八卦掌の遣い手の父親の名前が宮宝森・・・。

 あの~、これって、宮宝田(傳)のことですよね?

 八卦門の中では尹福の後を継いで清の護衛官をやってた人です。

 ハシゴの無い家の二階で暮らしていて、軽功でピョ~ンと飛び上がったり降りたりしていたという八卦門中でも神秘的逸話の多い人です。

 私は松田隆智先生に、台湾武壇に伝わっている宮派の八母掌(八卦門の基本套路)を習いましたし、大連の武術家の黄志誠老師の講習会で、やはり宮派の二十四連環掌を教わりました。(もっとも、一回、覚えてから練習しなくなったので套路は忘れてしまったんですけど)。

 ふ~む・・・これはまた奇妙な縁だな~?と思っていると・・・。

 八極拳を遣う中国国民党の特務機関に属す暗殺者“一線天”って・・・、こ、これってば、もしかして・・・台湾武壇総帥の劉雲焦先生のことじゃ~ん!

 どっひゃあ~? 流石にたまげました・・・(詳細は『拳児』を参照くださいませ)。

 あのぅ~・・・すいません。私、実は劉雲焦系八極拳の大八極という套路を、昔、木本泰司先生に一回だけ習ったことありまして、その後は松田先生と親しくなったので、口伝の形式ですが、いろいろレクチャー受けて、それを母体にして八極拳の戦闘理論を研究してきたんですよ・・・。

 やっぱり、八極拳の総合的研究をした人物としては国内外を見回しても松田先生が随一だと思いますし、私は本当に天運に恵まれているとしか言えないですね・・・。

 いや~、この『グランドマスター』って、こわいくらい私にとって奇縁のある作品なんだな~?と思いましたね。

 詠春拳と形意拳も、ちょこちょこっとは習ってますけど、調べたらまた縁があったりするかも?

 あっ、そっか? イップ・マン系だとJKD系ってことだから、やっぱり縁がありますね?

 だって、うちの埼玉支部長とUSA支部長がそうだから・・・。

 ちなみに、二人が徹底解説した『カリ&シラット』DVDですが、一つ、付け加えておかねばなりません。

 それは、二人共、私が教えた脱力技法と読み・交叉法などを技法の内部に取り入れているので、やり方としてはカリであり、シラットであり・・・なんですが、技の効力に、いわゆる内功の力が働いていてハイブリッド化しているんですね?

 まあ、『新種誕生!』ってな感じですか?

 例えば、埼玉支部長の山田師範代は、「以前だったら大きな相手の攻撃をカリのやり方だけじゃ受け切れなかったんですが、脱力技法を遣うと簡単にできるようになってきたんです。自分が学んだフランシス・フォン先生がこうやっていたのかな~?と思えて、今は受けると同時に相手を崩して次々に技を繰り出せるようになってきました」と、言われていました。

 これは、カリの技術がどうこうという問題ではなく、個人の感覚的技能の範疇に入ることですが、一つの技が深まると、それにつられてドンドン技の体系が変わっていく(進化する)ということの証明だと思います。

 ブルース・リーがそうであったように、武術は進化し続けていくべきものだと思いますね。

 私は游心流と名乗ってはいますが、これを一流派として覇権を競うつもりはまったくなく、あくまでも武術という身体文化であり実戦哲学である分野を総合的に研究していくための実験場だと認識しています。

 だから、他流にも応用が利くし、他分野にも応用できて当然。

 ただし、あくまでも本道は、人間の自己防衛術としての最も合理的な方法論を求め続けることであり、それは戦いを直視しながら、その戦いの核となる人間の心を解放し、自由な生き方をできる“行”として、戦いを超えた人の在り方を悟っていける・・・そこまで至って、ようやく“道”に入るんじゃないですか?

 私には恐らく、一生、悟れないままの遠い道でしょうけどね~。


 話は変わりますが、日曜日の早朝に時事放談を観ていて、野中弘務さんが良いことを言ってるな~と思いました。

 以前から、私は野中さんには親近感を覚えていたんですが、それは話がどうとかじゃなくて、本当に本心から日本と国民のことを憂えているように感じたからです。

 私は知りませんが、ネット右翼ですか? 若い人達で過激なナショナリズム発言をする人達が増えているんでしょう?

 だけど、野中さんは、橋下さんの慰安婦問題発言に関して、「下劣です!」と叱責し、そんな右翼的論を吐く人達にも危機感を持っていたんでしょうね?

「戦争を知らない人達の周囲にも戦争の犠牲になった人達は必ず居るんだ。絶対に戦争はやってはいけない」と言われていて、とかく非難されがちな村山談話を高く評価されていました。

 私も同感です。戦争だけは絶対にごめんですよ。

 だって、私の伯父さんは私が生まれるずっと前の戦争中に、乗ってた潜水艦が沈められて、今でも海の底ですよ。家の仏壇の上に飾ってある古い白黒写真でしか知らない。

 太平洋戦争の時は、はっきり言って、「お前たちが国を衛る礎になるのだ!」と洗脳され暴力的に強制連行されて殺し合いをやらされた若者ばっかりですよ。

 拒否すれば「非国民めっ!」と家族まで差別されるから、人権も糞も無い。

 でも、誰が好きこのんで、人殺しなんかするのか?

 私は、生まれてこの方、殺したいと思った人は二人だけですが、でも、いくら憎くても殺せないですよ。

 そのうちの一人とは、過日、あるパーティーの帰りにばったり顔を合わせましたが、その人だって私の悪口さんざん言いまくってる(あんなインチキ野郎のDVDが出て、何で俺様のがでないんだっ!ってな調子なんでしょうね?)んだから、私を殺してやりたいくらい憎悪(嫉妬かな?)しているんじゃないですか?

 でも、私が「お疲れさまでしたっ!」と挨拶したら、嫌な顔して俯いたまま何も言ってきませんでしたよ。

 同じなんですよ。

 いくら憎悪していたって、実力行為に及べば、自分の立場が社会的にどれだけの損害を被るか?と、ほんのちょっとでも考えれば、明白じゃないですか?

 嫌いな人とは付き合わなければいいだけだし、武術の技は実際に使うとすれば自分か自分の助けたい人を助ける時か・・・まあ、そんな緊急の危機的状況だけでしょう。

 私は自衛隊なんか要らないとは申しません。もしもの時の備えとして国が必要だと思って組織し、現実に様々な災害時の活躍は論じるまでもないことなんだから、個人がどうこう言うレベルじゃありません。

 けれども、私は自分と自分の周辺の人達くらい護れるくらいでありたいし、そういう日本人を増やしたい。そのために武術をやっています。

 ただ、「自衛隊を国防軍として認めて・・・」という安倍首相の考え方には賛同できませんね。戦う意志も能力も無い人達を無理やり強制連行して殺人マシーンに改造しようってことですかね~? ショッカーですかい?

 安倍首相とか石原さんとか、アンタら実際に戦場で戦う心配ないから好き勝手に言えるでしょうが、実際に殺し合いやらされて死ぬ若者や家族のこと、考えてんのかい?

 散々、子供の頃から聞かされてきたけど、戦争を生き延びた人達がどれだけ大変な苦労をしてきたか・・・? 隣の家の小母さんが長崎で被爆していて原爆症の後遺症で突然、脳神経を病んで奇行をやるようになった時は、本当に子供心に恐ろしかったですよ。遊びに行ってジュースもらったりして優しい人だったのに、突然、意味不明のことを言って家に入って来られた時は・・・。

 昔はそんな人が結構居ました。天草は長崎にも近いから戦後に移住してきた原爆症の人が多かったんですよ。

 そういったことを真剣に考えるのなら、絶対に軍事力で護ろうなんか考えないでしょ?

 いかに戦争が起きないように他国と信頼関係を築いていくか?・・・それ以外に道は無いでしょう?

 橋下さんの問題にしろ、安倍首相の妄執のような憲法改正論にしても、野中さんが憂えているように、「いつか見た、聞いた、戦争への一本道」に思えますね。

 戦争の放棄を宣言した日本憲法。最高じゃん!

 しょっちゅう、戦争ばっかりやってる国からしたら日本はシャンバラですよ。そこに誇り持たないで、一体、どこを誇るんですか?

 日本の長い歴史の中で最も素晴らしい平和で自由で平等な時代を築いた憲法なんだから、進駐軍に強制された憲法だから・・・なんて言ってないで、アメリカは日本を世界一平和で自由な国にしてくれた!と、感謝すりゃ~いいんですよ(イヤミ?)。


PS;私が長い解説文を書いている『忍術忠臣蔵』(若桜木虔著・青松書院)という本が発刊されました。これまで公に書かなかった秘密の情報も、ついに書いてしまいましたよ~。これ書いたら、オレ、忍者に暗殺されるかも~(笑)? 面白いから買ってね(うちでも取り扱ってます)。
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PS2;私が江戸時代の武器や流派、剣豪、刀工などについて解説文を書いた『時代劇ファンのための大江戸歴史講座』(晋遊舎)も、現在、発売中です! こちらも必読ですよ!(こちらはうちでは販売しておりませんので、書店やネット通販でお求めくださいませ)
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本の紹介

1,『鉄と日本刀』天田昭次 慶友社

 武術の根本的な原理を探究していて、「これは日本刀操法を研究しなければ解らないな~。そのためには真剣を入手しなければ」と思ったのが、かれこれ10年くらい前。

 本が売れて、真剣を買えるようになってからは、「これは日本刀の製作法を研究しなきゃ~ダメだな~?」と思うようになってから数年、もう武術の本よりも買ってるかもしれない?というくらい、随分と日本刀関連の本を購読しました。

 和鉄でなければ造れないとされる日本刀。

 その材料である玉鋼は鑪(タタラ)製鉄法でなければ造れない・・・。

 その鑪製鉄法も、古代から中世の頃はどうやっていたのか解らない。

 だから、鎌倉時代の古名刀を再現したいと思っても、どうやってもできない・・・。

 幕末新々刀から続き、現代日本刀作家たちもが夢みる古刀の再現。それを追究した天田刀匠が行き着いたのは自家製鋼という手法。

「古刀の材料は玉鋼ではなく銑鉄(ズク)だった」という仮説を実証するために繰り返された実験研究の記録は、伝統工芸師としての刀匠を超えて、まるで賢者の石を求めて実験を繰り返す中世の錬金術師を想起させます。

 また、現代に日本刀文化の伝統を繋げた人達の物語は、知られざる近代日本の裏面史であり、武道の世界とも繋がっていたのだな~・・・と、感慨深いものがあります。

 ここ数年、多くの刀剣関係書を読みましたが、これほどエキサイティングな本は初めてでした。


2,『基礎から始めるアクション 技斗/殺陣』高瀬將嗣 雷鳥社

 日曜日の稽古小塚師範代が持ってきたこの本をパラパラとめくった大石総教練の目の色が変わり、「うわ~、これはいいですね~・・・武道の秘訣に当たることがわかりやすく書かれてますね。僕も欲しいです」と、武道以外の本には目もくれなかった彼が、私の知る限り、初の“武道書以外の本”に興味津々の様子でした。

 もっとも、高瀬先生は「武道と殺陣はまったく別物です」と明確に言われています。

 それは、武道を侮っての発言ではなく、むしろ逆に敬意を払うからこそのものなのですが、私は研究家として「いや~、高瀬先生ぐらい武道全般を研究している武道家は滅多にいないんですけどね~(苦笑)」と、ちょっとブルーな気持ちになります・・・。

 ちゃんとした観る眼のある人ならば、この本で紹介解説されている内容が、一般の武道より深く身体操作・理合・戦術などを研究した上で構築されている事実に気づくでしょうが、そこまで気づく武道家が、今の日本に何人居るんだろうか?と思うと、物悲し~い気持ちになってしまうのです。

 パーティーの時に来賓代表で挨拶された今野敏先生は、武道と違って技を大きく、出をわかりやすくする点に感心したと言われていましたが、「武道は動きを小さく相手に出を読まれないように予備動作を無くして出すから凄いんだぞぉ~」みたいに言いたいドヤ顔をされてて、私ははっきり申し上げますが、「アッチャ~! それは安全に怪我なくやれて、その上で迫力あるように魅せるための演出でやっている訳で、それができるということは、逆説的に動きを小さく出を読ませないようにやることも簡単にできる・・・とは、思わないんですか~?」と思いました。

「やっちまったな~。今野先生~(苦笑)」と・・・。

 見た目の表現は、何を目的にしているか?で決まってくる訳で、武道はルールを決めた試合で互いの技を競うのが一般的な目的ですが、殺陣は演技として、どう魅力的に戦いの様子を見せるか?が目的なんですね。

 これが武術となると、「要するに、勝負は勝ちゃ~いいんだよ! 負けちゃったら人生終わるんだよ」の世界なので、技以上に戦術や使う武器の性能に比重が大きく働きます。

 だから、武術の場合、本当の戦闘法は隠しておいて、型なんかもわざとフェイクにしたりする訳ですね。手の内ばれたら、どんな必殺技も研究されて破られますからね。

 なので、武術を伝えるのに踊りの中に隠して伝えた・・・なんてこともある訳です。

 棒の手踊りなんかその典型例だし、カポエィラやインドの武術なんかも舞踊の中に隠したりしています。

 私が踊りを研究したのも、この事実を確認したかったからなんですよ。

 古武術の型なんて、所作の意味を知らなかったらまるで使えないものだし、それを口伝で伝えるシステムだったから、口伝が伝わらないまま型だけ伝わって意味不明になってしまったりしているんです。

 殺陣の源流は踊りです。日本舞踊には“立ち回り”が伝承しています。

 居合の名流として今に伝わる田宮流も、先代は田宮神剣流という剣舞に特化した流儀を伝承していて、現在の田宮流の型は他流に学んで先代が再編成したものだと聞きます。

 このように剣舞として伝わった居合術の流儀もいくつかあるようですし、最近、『秘伝』にて「天然理心流の棒術が棒の手踊りとして伝えられていた」という記事を読んだこともあります。

 このような実例を検討するまでもなく、殺陣が意外に伝統的な武術と重なる面があるということです。

 これが香港になると、ジャッキー・チェンやサモハン・キンポー、ユン・ピョウなどは京劇学校出身で、京劇の訓練の中で様々な武術の型も学んだようです。

 有名なアクション監督のラウ・カーリョンにいたっては中国南派拳術の名門、洪家拳のマスターでもありますからね。

 そもそも、中国の武術は、京劇の影響もあってパフォーマンスとしての表演武術が普及され、その天才的チャンピオンであったリー・リンチェイが『少林寺』でデビューしても演技に支障がなかったのも、表演という形態が演技に通じていたからでしょう。

 リー・リンチェイは、その後、ジェット・リーという芸名となって今も活躍していますが、カタチはカッコイイけれども、立ち回りで相手役の人にマジ当てしてしまったり、逆に「痛がりだった」といった噂が漏れてくるのも、アクションの技能の難しさを物語っているでしょう。

 特に難しいのは、間合と運足ではないかと思います。

 当たる間合がわかっていないと、当たらないように攻撃することはできません。

 伝統空手の寸止めという技術が、いかに高度なものであるか?は、部外者には想像もつかないでしょう。

 また、アクションでは、1vs1ばかりではなく、複数の相手と戦う様子も見せなくてはなりません。間合と運足がわかっていないと、これはとてもできません。

 ある殺陣師が空手の先生を呼んで、迫力のあるシーンにしようと空手の先生を囲んだカラミ数人が一気にかかっていくのをアドリブで倒すシーンを撮ろうとしたところ、空手の先生は何もできずにボコられてしまった・・・といいます。

 まあ、普通、空手は一対複数の練習はしないので、パニクッちゃったんでしょうね?

 無論、高瀬先生の言う通り、実際の戦いと演技としてのアクションは、まったくの別物です。

 しかし、一般の武道から失われた重要な秘訣がアクション演技の中に眠っているかもしれません。

 現に、私が武術の技を考える参考にしているのはアクション映画です。

 それは、理想的な技の用法が、そこに表現されている場合が多いからです。

 意外と武術のDVD教材なんかには、そういう具体的な技の使い方が解説されておらず、ただ、延々と型を演武しているだけのものが多いんですね。

 だから、参考にならない訳です。

 技のリアリティーという点では、かつて高瀬道場がアクションを担当していたビー・バップ・ハイスクールなんかの喧嘩殺法に学ぶ点が多かったですね~。

「あ~、これはやってないとわからないよな~」って思う描写がいくつもありましたし、発想が“武術的”なんですよ。

 昔、暴走族上がりやヤンキー上がりの人間が何人も入会してきていましたが、彼らが言うには「長野先生の発想はリアルで、俺らよりやり方が汚い」と、“そこがいいんじゃない”と言ってましたね。

 ただ、彼らは長く続きませんでした。

 どうしてか?というと、「長野先生の技は相手を殺すか半身不随にしてしまいそうだから・・・」と言うのです。

 どうも、喧嘩を楽しみたかったのに、私の技だと最初からトドメさすので必殺仕事人みたいになって喧嘩にならないから困惑してしまったみたいでした。

 しかし、こういう武術の技はアクションとして表現するには向いているだろうと思うんですけどね? どうでしょうかね?

 ちなみに、この本はDVDが非常にわかりやすいです。これで1800円というのはバーゲンセールもいいところですね。

 私だったら1万円にしますけどね~(笑)。

 うちの会員は是非、買ってくださいね(買わないと破門じゃ~っ!)。


PS;私が長い解説文を書いた『忍術忠臣蔵』という本が出ます。今年出る第一弾の本ですので、皆さん、買ってね?

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青木先生と東京散歩

 原宿の刀剣店、霜剣堂さんでセールがあるという葉書を頂戴していて、青木先生から一緒に行きましょうとお電話をいただき、その日に天真書法塾のお弟子さんで独立してシャンバラ教室を運営されている小原蘭禅さんの個展に寄ってから行くということだったので、私も個展に足を運ばせてもらいました。

 個展会場は青山だったんですが、私、こういう東京の小洒落た場所って、ほとんど来ないもんですから、結構、迷うかな~?と思ったんですが、割りとスンナリ到着できましたよ。

 小原さんの作品は結婚される前の姓の時に天真書法塾の作品展で見て、非常に印象に残っていたんですが、特別な感性のある方だな~と思っていました。

 私は書の良し悪しは解りませんが、これでも中学時代は美術部の部長だったんで・・・。

 教室の名前がシャンバラというくらいなんで、スピリチュアル系の感性のある方なのは想像がつくんですが、今回、あらためて作品を観てますと、単純に紙に墨で書いたとは思えない文字中にキラキラ光るツブのようなものが感じられました。

 目の錯覚かな~?と思ったんですが、それがある作品と無い作品があります。

 小原さんに質問してみたら、墨だけだと味気無いと思って、金墨とかをごく微量、混ぜてみたりしているそうでした。

 それで刀に金筋が走るような墨文字中の働きが出た訳ですね。

 こういう発想は、なかなか、男だと考えつかないかもしれないですね~。女性ならではなのかな~?とも思いましたが、でも、文字は力強くエネルギーに満ちていて青木先生に似ています。

 次回は本田虹風さんも、ここで個展をされるということでしたが、天真書法塾は益々、広がっていくようですね。


 さて、ギャラリーを後にして、青木先生と一緒にタクシーで霜剣堂に向かいました。

 私は、昨年、青木先生にプレゼントしてもらった小烏丸の刀の外装を完成していたのをお見せしようと思って持参していたのを受付で預けて、店内を見て回りました。

 かなりの名刀が陳列されていますが、幕末の固山宗次とか三善長道、肥前忠吉、孫六兼元、虎徹二代目興正などの最上大業物もあり、古備前の真恒や備前一文字、幕末の長運斎綱英、綾杉肌の地肌が有名な月山貞一、清麿の兄の真雄や弟子の清人など、有名な刀匠の作品がいろいろ見られました。

 また、比較的安い数十万円で買える中には靖国刀もありました。

 全体的に値段はかなり安くなっており、固山宗次の大刀でも150万というのがありました。試し斬りやる人にとっては喉から手が出るんじゃないですかね?

 帰り際に拵え付きの小烏丸をお店の方にお見せしましたら、結構、私が自作しているのに驚かれた様子で、ちょっとドヤ顔になりましたよ。

 青木先生は武道家というより本来は典型的な芸術家タイプなので、そうですね~、レオナルド・ダ・ビンチみたいなタイプと言えば外国の人は納得できるでしょうかね?

 武術は身体表現の面もありますが、基本は技術ですね。

 美術工芸品も、実は技術に裏打ちされていないと高いレベルでの評価はされないものです。

 そういう深いところの芸術談義みたいなのをできる武術関係者は少ないらしいですね。

 私の方も、青木先生でないと理解してもらえないような話もあるので、こういう機会は贅沢だな~と思います。

 ま~、贅沢と言えば、今、青木先生の直接の指導を受けられている人達も、本当に贅沢なことだと思いますよ。

 小原蘭禅さんが、「(個展を開けたのも)青木先生と吉田先生のお陰です・・・」と御二方に深々と頭をさげておられた様子を見ていて、感謝する気持ちが無いと学び向上することはできないものだと、改めて痛感させられました。

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日本の政治家は国民のこと考えてないね~

 アベ首相の憲法改正まっしぐらの姿勢もおかしいと思ってましたが、橋下さんの「従軍慰安婦制度は必要だった」発言となると、もう、「気は確かですか?」と言うしかないですね~。

 いや~、驚きましたよ。

「従軍慰安婦制度が当時の状況では必要だった」なんて考えは女性蔑視も甚だしい、「いつの時代の九州男児やねん?」と言いたくなるような狂った考えで、ビタ一文の正義もありませんよ。

 いつ死ぬかもしれない兵士が風俗に行く・・・というのとは次元が違いますよ。

“制度”の必要性を論じることの危険性と、その根底にいかに人間の尊厳を軽視しているかが透けて見えます。

 いや~、本当に橋下さんは危なっかしい人だとは思ってましたが、まさか、ここまで人としてのまともな心が錆びている人だとは思わなかった。

「従軍慰安婦制度は証拠がない」と言っても、証拠が無いから白であるとは断定できない訳ですよ。この論理は「人を殺しても証拠が無ければ罪には問われない」と言っているのと同じ論理であり、人としておかしいでしょう?

 やっぱり、政治家って、人を人とも思っておらず、国のため、社会のため・・・という大義名分をたてれば人心を踏みにじっても恥じない連中なのか?と思いますね。

 こういう人が政治のトップにたてば、簡単にヒトラーやポル・ポトみたいになりそうで怖いですね~。

 今回の発言に関しては徹底的に批判してグゥの音も出ないくらいにしてやらないと、橋下さんは反省しないでしょうね。最低過ぎて、言葉も出ない・・・。


 アベ首相も言葉は穏やかだけど危なっかしいです・・・。

 国のために国民を犠牲にしても構わない・・・とでも思ってるような政治家は、“やむにやまれず”戦争を起こしたり、「徴兵制が必要だ」とか安易に言い出す知能指数の低過ぎる発想で国民を苦しめるでしょう。

 今、憲法改正を言い出すアベさんには暴走の芽を感じますね。

 かつて、「美しい国・日本」をスローガンにし、今は「強い国・日本」をスローガンにする。

 原発のセールスしてるニュース映像とか見てたら「エイプリルフールですか?」って感じ。世界最高の技術もってて、どうして福島原発事故が起こり、未だに後始末できずにいるのか? 最低のジョークとしか思えませんし、実際に相手国の新聞にはそう評論されているそうだし・・・。

 確かに彼は日本という国を愛して危機感を持っているかもしれませんが、日本という国を護るために国民を犠牲にすることも厭わない典型的権力者になる素質は充分だと思います。国が大切で国民は大切じゃないんですよ。

 何よりも、今の国民は生活の苦しさに四苦八苦しており、憲法改正なんかより景気回復を願っている訳で、「景気を回復させてやるから憲法改正させてね」みたいなやり方には、先々のアジアの紛争勃発をも予感させてしまいますね。

 戦略的にもマズイですね~? どうしてこう、目先のメンツとか優先するかな~?

 自分たちの誇りを守りたいなら、先に周囲の国の誇りを尊重していくことです。自分のことは後回しにして人のために尽くす! それができる人間が尊敬されるんですよ!

「これからは外国のように日本人もアピールしなければいけない!」って、アピールの仕方が間違ってるんですよ。

 そうすれば、「あ~、日本人って何て立派なんだ。日本って何て素晴らしい国なんだ。我が国もこうなりたい・・・」となって、自然に変わっていくんですよ。

 北風と太陽ですよ。

 日本の国旗の日の丸は太陽を崇拝するものでしょう? 北風方式でやっちゃ~ダメですよ。

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近藤さんの突き

 昨年に引き続いて、今年も即興トランペット奏者として世界に名高い近藤等則さんの依頼で、近藤さんが講師を勤める東京経済大学で武術の講義をやらせていただきました。

 GW中に依頼の電話をいただいたのですが、どうも喉風邪をこじらせてしまって体調が治らず、当日も電車に乗ったら咳が止まらず、これは無理かな~?と思ったくらいでしたが、何とか国分寺駅に到着し、ホームでしばらく休んでいたら大分、落ち着きました。

 どうも、電車の中の弱冷房のエアコンで汚れて冷たい空気を浴びたのが咳の原因だったようです。

 シルバーシートで咳き込んでいると、隣の小母さんが「マスクを使いますか?」と親切に差し出してくれたのにも声が出せなくて応えられなかったくらい酷くて、正直、よく、あの状態でやれたな~?と、我ながらプロ根性を誉めてあげたいくらいです。

 この日は北島師範がどうしても仕事を休めなかったのですが、小塚師範代が有給取って助手に来てくれたので、何とかなりました。

 どうも、今度の体調不良はおかしなもので、咳や鼻水、喉の荒れなんかはあるものの、特に熱が出て身体がダルいということもないんですね。ただ、咳が出始めると止まらなくなってしまうので、あまり動けない・・・。

 松田孝子先生が来られた3日のメイプルホールの特別稽古の時も、翌々日の日曜の稽古の時も、ちょっと頑張って動こうとすると咳き込みそうだったので、ほとんど何もしなかったぐらい。

 なので、今回は小塚師範代が居てくれて本当に助かりました~。

 私、もともとパニック障害とかあるもんだから、頑張りたくても頑張れない体質なんで、それが逆に脱力技法を追究するのに役立ったりした訳だし、北島師範や小塚師範代、千葉師範代・・・と、活動を助けてくれる会員にも恵まれていますから、やっぱり、天の御加護があるんだろうな~?と、本気で思っています。

 最近、思うのは、縁が続く人とは元々の天運みたいなものがあるんだろう・・・ということです。続かない場合でも、縁があった時々は、その人が居てくれて助けられたということばかりでした。

 助けられたら助け返したいという気持ちはあるのですが、なかなか、それができる場合と、できない場合もあるものです。こういうのは個人の力技でどうこうできるものではないですね。

 まあ、嫌がらせや悪質な妨害とかもあるにしても、それもまた、こっちが発奮する材料になっているので、そういうのが全然無いと私自身も甘く考える悪い癖がつくかもしれないので、建設的に解釈していますが・・・。


 駅で小塚師範代と待ち合わせて大学へ向かい、待ち合わせ場所の校舎の外のベンチで座って待っていると、近藤さんが早めに来られました。

 簡単に打ち合わせをしていると、まず、日本の武術の歴史や特徴について話してから実技講習に入って欲しいということでした。

 この辺りのことも、不思議なことに、最近、小説の勉強を兼ねて武術と関連した歴史の勉強とかしていたのが役立っていて、先日の『KARATE・BUSHIDO』誌の編集長氏の質問に答えたのも同じようなテーマでしたし、ちょっと出来過ぎなくらいのタイミングではありました。

 時間になって講義室に入り、近藤さんの御紹介で、まずは日本武術の成り立ちとか特徴について少し話しました。

 こういうのは説明するのは意外と難しいですね。私は日本の武術だけを研究している訳ではないので、必然的に外国からどのように武術が伝わってきて、それが日本の中でどう独自の発展をして今に繋がっているのか?ということまで話したくなるんですが、それをやったら時間がいくらあっても足りなくなるからです。

 聞いてる方だって、関心があれば別ですが、関心が無かったら退屈極まりないでしょうから、実技講習の方が楽なんですよ。大抵の場合、面白がってもらえますから・・・。

 それでも、ざっと解説してから、日本武術の特徴について、かなり大胆に自説を披露しました。

 それは、「日本の武術は、本来、受け技、攻撃技が一体化している」ということ。

 この点について話して、それを実技ではどのように使うのか?というのを、本来だったら剣で説明したいところなんですが、人数も多いので、“中段突きに対する下段払い受けからの交叉捻り突き”を二人組みになって簡単にやってもらいました。

 もっとも、これはちょっと強引過ぎましたね。

 小塚師範代も言っていましたが、我々は普段、武術に興味津々の人達を相手に解説したり指導したりしている訳です。興味の無い人を相手にすることは、まずありません。

 たまたま、近藤さんの講座を受講している学生さん達にとっては、「武術って何やるの?」という感しかないでしょう。

 思い返せば、私も学生時代にワクワクしながら講義を受けたという記憶はまったく無かった訳で、「なんか、タリ~な~・・・」みたいな感じ以上でも以下でもないと思います。

 昨年はまあまあ面白がってもらえましたが、今年は受講生もほとんど新しくなっているそうなので、どうしたもんかな~?と、私もちょっと考えてしまった訳です。

 ただ、近藤さんがゲストに恥かかせちゃ~ならん?といったサービス精神で、率先して動いてみせられ、新体道で鍛えた突きをビュバッ!と繰り出して見せられたのには、私も小塚師範代も、「何か、得したね」と・・・。

 そうなんですよ。近藤さんはアーティストであると同時に新体道で鍛えた武道家でもあるんですよ。何か、野性動物のような迫力で、常にオーラが灼熱しているみたいに思える人ですね。

 そうだな~、シルバー仮面ジャイアントが初めて戦ったサザン星人みたいな・・・って、相変わらず、特撮オタクしか判らない譬えでスマンです!

 今イチ、ノリが悪い様子だったので、「ここは、やっぱ、十八番でいくか?」と、続いて寸勁、合気とやっていきましたが、やっぱり、経験の無い人にとったら、合気的な技が一番、興味を持ってもらいやすいみたいですね~?

 やっぱり、指合気なんかは、誰でも驚くみたいですし、最低限、「武術は筋力ではなくて脱力して重心移動力を使う」ということだけ覚えていてくれれば、将来、役に立つかもしれませんから・・・。

 最後の質問タイムでは、意外と皆さん、疑問を次々にぶつけてくれたので、割りといい感じでしたね? セミナーなんかではあんまり質問する人はいないんですが・・・。

 ただ、いつも言われるんですが、「練習ではできても実際にはできそうもない」ということなんですが、「はい、その通りですが、こういうやり方があると頭に入れておくだけでも危機にあった時の気持ちが変わるでしょう」みたいに答えておきました。

 実際、武道を何年やったところで、殺意のある人間に襲撃された時に冷静に対応できる人は稀れでしょう。私だって、どうなるかは、そういう場に遭遇してみなければ解りません。

 ただ、知識として対処の仕方を何通りも知っていると、危機に遭遇した時に慌てないで冷静に考えられるのは確かです。いきなりナイフで襲いかかられたりした経験はありませんが、そうなりかかったような経験は何度もありますし、痴漢とかストーカーに狙われてる女性とか、何度か助けたことありますから。

 暴力がいけないことなのは当然なんですが、でも現実に暴力に遭遇することは誰でもある訳です。話して解らない相手や、理不尽なことを押し付けられることも世の中で生きていれば、いくらでも体験することがあります。

 私は何も暴力で解決しろと言いたい訳ではありませんが、理不尽な暴力から防衛する技能は持っておくべきだと言いたいだけですね。

 あっ、だけど、憲法9条を変えろ!なんてことは言いませんよ。

 戦争を放棄するというのは人類の目指すべき境地であり、それを、現状に合わせて現実主義的視点で変えよう・・・なんてするのは愚策だと思いますね。

 国家の防衛を考えるならば、日本という島国に住む我々の先祖が培ってきた文化や精神をこそ示すべきであり、他国へのアピールの仕方をもっと考えた方がいい。

 日本の本質は「和魂」ですよ。

 日本の武術は「和して同じず」の精神がある。それは敵を一方的に殲滅すればいいというものではない。

 私は戦う技能も意志も無いのに国防を語るような人達が吐き気がするほど嫌いです。

「他国から侵略されたらどうするんだ? そのために自衛隊を国防軍にするべきなんだ」なんて考えを、自衛隊員全員が持っているとは思えません。国を護るために実戦を勝ち抜く覚悟がある人は、ごくごく一部だと思います。

「自衛隊は安定した仕事だから・・・」という程度で“就職”した人が大半ではないでしょうか。否定する人は多いでしょうが、本音はそうだと思いますよ。

 命の奪り合いをするということに関する認識が甘過ぎますね。自分がやったことないから、軽々に言えるんですよ。

 戦う意志の無い人達を戦わせて、自分達は天下国家を論じて民衆を洗脳するだけで国士のような顔をする・・・そういう連中が私は大っ嫌いです!

 国防の必要性を論じる者は率先して自ら武器を取って戦う訓練をすべし! それができない者に国防を語る資格は無し! 私はそう考えます。


「他国に侵略されたらどうする?」という論議の前に、侵略されないような外交のやり方を探らねばならないし、この辺は、アベさんは危なっかしいな~と思いますね。やっぱ、権力握ってる人間の発想しかできないし、「国を護るために、私の代わりに戦って死んでください!」って、言ってみたらどうでしょう?

 先日、桜井さんがBSの番組で話されていたのを見ましたが、やっぱり上から目線の人なんだな~と思いましたね。庶民の気持ちが解ってないな~と思いました。ちょっと、がっかりしました。

 民主党も馬鹿だったけど、自民党も五十歩百歩。大挙して靖国参拝する議員たちという図を今、この時期にやれば、格好の火種を与えるだけでしょう? それでなくともアベさんの価値観外交というド下手な戦略にジリジリしてるのに・・・。

 正論だと言っても、戦略も無いのにやっちゃダメなことがあるんですよ。

 世の中、論理じゃ動きません。人間は感情が思考を優先するんです。中国・韓国に於ける日本の印象の悪さは、中国人、韓国人の感情に鈍感過ぎるからですよ。

 それが国家に洗脳された結果だとしても、まず国民の感情を考えていかなきゃ~、洗脳は解けません。

 そういうのをすっ飛ばして国防を語るのは愚の骨頂なんですよ。自衛隊の軍備を過信するのは平和惚けの判断でしょう。

 もし、戦争となれば、中国にしろ北朝鮮にしろ、まずは先に工作員潜り込ませるでしょう。内部から撹乱されたら正面きって戦う軍備も役に立たない。

 私が武術の実戦に拘って研究してきたのは、日本に侵略軍が入ってきた時にゲリラで戦うことを想定しているからです。

 でも、国家のためだの何だのじゃ~ありませんよ。国家の権威? そんなもん、知らね~よ!

 日本という国が無くなっても、日本人のDNAが残ればいいんですよ。私は日本人は素晴らしい民族だと思っています。拝金主義と権力指向で心を失った連中以外は・・・。


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夏八木勲さん逝去

「もし、ルパン三世の実写版を撮るなら、次元大介の役は夏八木勲さんだね」と、言っていたくらい、私は好きな俳優さんで、ハードボイルドな役柄で右に並ぶ人がいない希有な存在感だったと思います。

 数多くの時代劇にも出演されていましたが、出番が少なくとも印象が強く残り、例えば、『柳生一族の陰謀』の別宮将左衛門とか、『雲霧仁左衛門』の洲走りの熊五郎とか、『闇の狩人』の殺し屋とか、『忍者武芸帖・百地三太夫』の服部半蔵なんかは夏八木さんの存在感無くして成立しない役柄でした。

 五社英雄監督の『牙狼之介』『牙狼之介地獄斬り』や、工藤栄一監督の『十一人の侍』などの主演作も素晴らしかったですが、TV時代劇での出演も印象深いものが少なくありません。

 若い頃に出演した『風』の逆手斬りが得意な敵役や、『子連れ狼』の柳生烈堂役、『柳生十兵衛七番勝負』の柳生但馬守役など、剣豪役がやはり似合いました。

 殺陣の上手さが際立ったのは、TV時代劇スペシャル『十三人の刺客』の鬼頭半兵衛役や、『丹下左膳 剣風! 百万両の壷』の蒲生泰軒役、それから『十七人の忍者』の敵忍者軍団のボス役でした。

 現代劇では、角川作品への出演が多く、SFの『戦国自衛隊』の長尾景虎役、『野性の証明』の執拗に主人公を追いながら、最期は主人公を助けて命を捨てる北野刑事役、『白昼の死角』の主演、タイトルを失念してしまったんですが、渡瀬恒彦さんが主演したハードボイルド・アクション作でライバル役を演じられていたことも思い出します。

 バイプレイヤーとして多くの作品にも出演されていますが、やはり、この人が出ると作品が締まると言うか、並の俳優には出せない存在感が凄くあって、それは年齢を重ねても余計に風格が増していたように思います。

 膵臓癌を患いながら作品に出演し続けられていたというのは、『ブラックレイン』の時の松田優作を思い出しますが、余命いくばくも無いと自覚しながら作品に出演されていた人は、石原裕二郎、若山富三郎、緒形拳、原田芳雄・・・といった男らしい人が多いですね。

 先年亡くなられた地井さんが極悪の殺し屋を演じていたことが有名な『黄金の犬』でも、実は夏八木さんがストーリーの軸となる主役の一人を演じていました。

 巨大な陰謀の鍵を握って逃避行をしている普通の男役でしたが、偶然、出会った猟犬ゴロの逞しさに感化されて、陰謀に立ち向かう決心をするところに燃えます。

 竹内力とのW主演作『人斬り銀次』では若い頃は伝説的侠客として恐れられた初老の男を演じていて、やはり愛する者の死で怒りを思い出し刀を手にする・・・という展開でした。

 夏八木さんが日本刀を構えると実にサマになりました。

 千葉ちゃん主演の『子連れ殺人拳』では、子連れの居合術を使う殺し屋を演じていましたが、まるで子連れ狼の現代版のようでした。

 戦う姿が似合う俳優さんが、また一人、亡くなられたのは実に残念です。

 夏八木勲さんの御冥福をお祈りします・・・。

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五月セミナー感想

 いやはや、まだ風邪が治りません・・・。どうも、変な風邪だな~と思ってセミナーに行きますと、私と同様の症状の人が二人もいました。

 何だか、熱は出ないけど咳が続く風邪が流行っているらしい・・・。

 熱が出るというのは身体の中のウイルスを殺そうとする反応なんですが、熱が出ないということはウイルスが死なないから、延々と症状が続くのかもな~?なんて思ったりしています。

 まあ、無理が効かなくなる年齢でもありますし、ボチボチやりますかね?


 さて、今回丹田です。

 最近は、「凄いですね~!」と、人からいわれて牛蛙の腹のようになった私のオナカを撫でると御利益がある?みたいな感じで触りに来る人が多いです。

 昔は太るのが嫌だったんですが、丹田ができてきた・・・という感触があると、「まっ、いっか~? この方が威力出るし・・・」と思うようになってですね。無理に痩せたら威力が無くなりそうなんで・・・。

 武術家でスマートな人を見ても、「てんでハラができてないな~。あんな身体じゃ、一撃必殺の突きは出せないよ」と蔑むような視点になってきちゃいました。

 やっぱり私は一発で相手を戦闘不能にできる威力が無いと技なんかいくらできても意味ないと思ってるので、まずはとにかく一撃必殺を目指してもらいたいと思っています。

 それを実現するには、ハラができてないと無理だと思いますね。

 まず、下丹田で絶対的なパワーを体得する。これが基本ですね。

 それから、中丹田で自在なハンド・テクニックを得て、上丹田で読みを磨く・・・。

 上・中・下の丹田は、スポーツで言うところの心・技・体を鍛える具体的な手掛かりになっているんですね。

 もっとも、丹田そのものは身体感覚であって特定の実体はありません。

 ただ、身体器官に相応して感覚を高めていくことで、具体的な実感を得ることはできますから、その意味で嘘だとは言えない訳です。

 特に下丹田の感覚は、腹圧が高まるという現象で具体的に実感が得られやすい。

 セミナー中でも下丹田の膨張感覚を使って、小塚師範代の突きを受け止めて見せましたが、威力が跳ね返ってくるので下手したら突いた方が手首挫いてしまったりする訳です。

 これは台湾の内家拳の達人、王樹金老師が演じてみせていたことで日本の武術界でもよく知られています。

 王樹金門下出身の中国武術家も、佐藤金兵衛、笠尾恭二・・・といった斯界で有名な方が多い。

 私は、内家拳を修行しているなら丹田感覚が無いとダメだと思います。

 以前、内家拳と称して演武している人が、さっぱり内功が無くて、本人は素晴らしい演技をしているつもりだったのでしょうが、それはもうガガンボ(蚊のデカいの)がダンスしているようにしか見えないシュールなギャグに見えました。

 中国武術で内功の大切さが言われる意味を、この時ほど痛感したことはありません。

 どんなに外形を取り繕っても、中身の無い人は一緒に仕事してみれば判ります。

 中国武術マニアには、口を開けば「コンフー(内功と同様の意味)が大切だ!」と言う人がいますが、実際にコンフーが高い人でそんなことを口にする人には会ったことがありません。

 多分、「自分にはコンフーが足りないから・・・」という意味で言っているんでしょうね?

 で、「コンフーは長年かけなければ会得できないのだ!」と言いたがる人も多いんですが、長年かけてもできてない人の方がざらに多いのは、どうした訳でしょう?

 ちゃんとした先生に拝師しなければ・・・とでも言いたいのかもしれませんが、拝師していてもできてない人は珍しくありません。

 これは簡単な理屈です。

 鍛え方を理解してやれば、ごく短時間で養成できてしまうのに対して、やり方を知らなければ何十年やっても養成できないというだけの話です。

 ちゃんとした先生に拝師してるにも拘わらずできない人の場合、その拝師が金許しに過ぎないか、あるいは先生が有名なだけで実は偽者だったかのどちらかでしょう。

 結局、何を習ったか?とか、誰に習ったか?ということは、そんなに重要なことではないと私は思います。

 実際、私のところに入会しても微塵も上達しない人も少なくありません。

 何故か? ちょっと習えば誰でも達人になれる?みたいな誇大妄想でやってきて、ろくに練習しないまま来なくなっているような人は上達する道理が無いからです。

 中には、一度も練習していないのにDVDを見て練習していた成果で、最初から上手くできる人なんかも居ますが、こういう人は別に何の流派に入門してもちゃんと上達するでしょう。

 いろんなところの講習会をつまみ食いして歩いているだけで遣い手になれるような甘い世界じゃありませんよ。

「でも、長野さんはいろんな流派を齧り歩いただけでそれだけの実力になったんでしょう?」と言いたい人もいるかもしれませんが、勘違いしないでくださいね。

 私は、常人なら絶対に耐えられないようなハーデスト・ライフを武術に捧げて生きているんですから、趣味で楽しんでるような人達と比べられても困ります。

 無駄に無駄を積み重ねて人生捨て身で取り組んできてるだから、神様が可哀想だと同情して、いろんな達人に引き合わせてくれてるんだと思います。

 そして、私は達人に会ったら吸収しまくってやる!という気持ちで接しているので、長年師事している人でも気づかなかったような技の秘訣を観抜いたりできるんですよ。

 だから、誤解しないでもらいたいですね。

 私は素質も才能も無いけれど、志しをまっとうするという執念だけは異常に強いので、軽い気持ちで武術に関心持った人達とは次元が違うんですよ!

「武術で一番大切なのは何ですか?」と聞かれたら、「全身全霊捨て身で打ち込む精神です。それが無い人が技なんか覚えても何の役にも立たないでしょう」と迷わず答えます。

 丹田を鍛えるというのも、人間の“芯”の部分を鍛えるということなんです。

 日本刀で譬えると、地鉄(じがね)を鍛練することです。

 丹田を鍛えるということは、人間存在の芯の部分に向き合うということに繋がってきます。それは武術とか何だとかを飛び抜けた“行(ギョウ)”の部分になるんですね。

 日本や中国の武術には、そういう行の部分が組合わさっています。

 今回は、それを理解してもらおうと思って、丹田の解説をホワイトボードでやってから、実技講習をやってみました・・・。

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5月セミナー“丹田”

 月例セミナー五月は、「丹田」がテーマです。

 DVDを購入された方から、「丹田を作ると精神面の効果はあると思っていましたが、あんな強力な防御力ができるとは思っていませんでした」と、北島師範が腹圧で回し蹴りを跳ね返す様子を見て驚かれた感想を頂戴しました。

 実際、丹田を開発して具体的に何がどうなるか?ということは言えないんですね。

 教えたら、即、技として体現できるというものではないので、実感が無い人の方が多いでしょう。

 この、腹圧による打撃技を跳ね返す技は、中国武術の発勁の最高段階と言われる抖勁や、あるいは合気の技の極意と言われる体の合気と原理的には同じであろうと私は考えておりますが、下丹田の膨張する感覚、腹圧の強さが必要なので、鍛えてない人にやらせても怪我をするのがオチだと思います。

 ただし、技術的に類似のことは脱力技法に熟練すればできます。

 うちの場合、鍛えないとできない技では普遍性が無いと考えており、鍛えなくても感覚を体得すればできる技を教えて、その完成度を高めるために丹田の開発をする・・・という稽古体系を研究しています。

 とは言っても、これは私が独りで研究していることなので、皆、知らずに練習していて、いつの間にか体得している・・・という具合になっています。

 私が自分を研究家と名乗ってきたのは、実は非常に大きな野望があるからなのです。

 それは、まず、既存の武術技法の解明。

 発勁・合気・縮地法・読み・交叉法・・・等の高度な秘伝技の技術の完全解明。

 はっきり言って、この段階はもう完了しました。

 この上、研究すべき理論はありません。

 あっ、でも誤解ありませんように・・・。私は、これらを公開する気はさらさらありません。それをやれば武道業界がメチャクチャに混乱するのが目に見えているからです。

 縁のあった人を選んで段階的に指導する・・・ということを今後は一層、徹底的にやろうと思っています。

 ただ自分の実力を上げたいというだけの人には教えません。そんな程度の人間は中途半端に強くなったと勘違いして自滅するのがオチだからですし、残念ながら、そうなった人間が何人も過去に居たからです。

 無論、私はそういう人には途中から肝心なことは隠して教えませんでした。が、一度、自惚れてしまうと自分のレベルも相手のレベルも見えなくなるものです。人間、自惚れて自分が最高だと思った瞬間から我知らず技量が落ちていくものです。

 何故なら、技量を支えているのは肉体ではなく精神だからです。邪念がわいた段階で技の質は曇っていくものなのです。

 顔色が変わるという言葉がありますが、心の動揺は顔色に出ます。どんなに否定しても本音は表情に現れます。

 私は、他人の言葉は信じません。むしろ、表情を観察しています。表情に嘘が無いかどうかを確かめれば済むことです。

 自分自身をマインドコントロールして心の動きを表情に出さないようにしている人間も居ますが、それは能面のような不気味な顔付きになるので、ハラに一物あることが逆にはっきり判ってしまいます。

 武術家のレベルを知りたかったら顔をよくよく観察することです。

 有名な武術家の多くが、ナルチシストなのがはっきり判るでしょう。

 最近、よく言われるのが、「長野さんは誠実な人だ」という言葉ですが、私は、他人に対しては嘘を言うこともありますが、自分に対しては絶対に嘘は言いません。自分の本心に嘘をつかないでいることが、もっとも気持ちよくいられるからそうしているだけです。

 人付き合いをしていても、相手に対して厳しいことも指摘する人の方が、ずっと正直で信頼できる人柄である場合が多いものです。

 が、それもテクニックでやっている狡猾な人間も居ますから、安易に信用するのはよくないでしょう。

 武術の技はだまし合いが前提なので、逆に相手の本心を観抜く眼力が重視されます。

 ところが、そういう眼力のある人というのは案外、少ないものです。

 凄く眼力があるのに、容易に人から騙されてしまったりする先生も居ます。それは眼力とは別に愛情が深いからだったりもするので、一概に否定したくはありませんね。

 武道・武術の先生というのは、大概、自分の学ぶ流派以外にはまったく目もくれないものです。

 ですが、自分の学ぶ流派なら詳しいか?というと、そうとも言えないのです。

 何故なら、どんな流派も、突然、無から成立した訳ではなく基盤になる流派があったのですし、分派した流派もあるでしょう。

 私も習った人は20人を越えますし、齧った流儀も70は下りません。本や映像で研究した流派となると数百を確実に超えます。

 それらを整理して游心流を興した後も、無数の流儀を研究してきましたから、どの流儀が優れていて、どれが劣っている・・・みたいな論議は無知な人間の妄想に過ぎないと思っています。

 例えば、空手を例にしてみても、ある伝統派空手道の~流を学んでいる人は、それだけが優れていると考えている場合が多いものです。

 よく言われるのが、「フルコンタクト空手は空手の原理を理解していないから空手とは言えない」という論議ですが、これなんかは私は「まったくもって正しい。ただし、フルコンタクト空手はより進化して発展していく可能性がある新しいカラテと言えるだろう」と思っていますね。

 そもそも、本土に渡って以降の空手は、琉球の秘密拳法だった頃の“手”とは戦闘理論からしてまったく別物になったと思います。

 何故なら、“手”は突き蹴りだけで戦う武術ではないと思うからです。

 空手道は、競技形式に合わせて技術体系を別個にしてしまったために、形の本来の意味が不明確になってしまいました。

 逆に、琉球の“手”も、本当に中国武術とまったく別に発生したとは考えにくく、中国源流であろうことは明白でしょう。

 これらの考証は、日本のみならず、東アジアから東南アジアに伝わる伝統武術を幅広く比較検証してみればよいことです。

 それをやろうともせずに、「空手は日本伝統の武道である!」と、白い道着に黒帯を締めることを権威として語ることは、オツムの低度が知れるというものでしょう。

「テコンドーが空手の源流だ」と偽説を称える韓国を笑えませんね。

 琉球の“手”が、薩摩藩の支配に対する抵抗の武術であったという事実を知るなら、本土に渡って以降の柔道を真似た白い道着に黒帯を締めるスタイルに対する遠慮があってしかるべきだろうと私は思います。

 少なくとも日本人が空手を学ぶなら、琉球の歴史、沖縄の歴史に関して勉強するくらいはやるべきでしょう?

 自国の文化を大切に思うのなら、他国の文化も尊重する節度ある態度が必要ですね。


 ちょっと長くなりましたが、既存の武術の技だけならば、私は一通り研究して充分に分析し尽くしたと思っています。

 今は、どんな流派の技を見ても、原理的に分類して、どのパターンを発展させているか?という観点で観ています。

 そして、今後は、これまで無かった武術の可能性を発掘していこうと思っています。

 その軸の一つになるのが、丹田の開発なんですよ。

 上・中・下の丹田を開発していくことで人間の潜在能力がどれだけ引き出していけるのか?・・・それを探るのが、今後の私の課題ですね。

 まずは、武術的にどう役立つのか?ということについて、今度のセミナーでは解説してみようと思います。


PS;高瀬先生より、ジャパン・アクション・アワードの開催は谷垣監督とG0C00の辻井先生が企画し、高瀬道場が手伝ったものである・・・というメールを頂戴しました。誤解がありましたら私の早トチリですので、お許しくださいませ!

PS2;『カリ&シラットDVD、絶賛販売中です! ほとんど100分の長尺ですが、講習会を直撮りしたドキュメンタリー作品ですので、臨場感ありますよ~。カリはいくつか出てますが、日本でシラットのテクニック解説したのは初めてじゃないですかね? 游心流では、今後も知られざる武術を紹介する作品を企画していきたいと思っておりますが、売り込みは基本的にお断りしま~す。

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質問があったので・・・

 会員から質問があったので、いくつか答えてみます。

1,「日本の剣術では何故、楯を使わないのか?」

 海外では片手で楯、片手で刀剣を持って戦う場合が多く見られますが、日本の剣術はそうしませんね?
 これは、日本刀の使い方が受けと攻撃を同時にやることが前提になっているからです。
 具体的には鎬(しのぎ)を使って敵の刀を受け逸らしながら斬り込む“交叉合わせ斬り(突き)”の原理を使うからです。
 従って、敵の攻撃を受けるだけの技というのは本来は無い訳で、型にそのような動きがあっても、「型では受け太刀だけれど、本当は受けずに斬る」みたいな口伝があるのが普通です。
 いわゆる部外者に見せても構わないようにフェイクを混ぜた表の型とは別に、本当の使い方を選ばれた者のみに教えるための裏の型がある訳ですが、その事情を知らない人間が表の型を見て「あんなの使えない」と侮ったりする訳です。
 二刀流でも小刀で受けて大刀で斬る・・・みたいに思われがちですが、実際は同時攻撃します。攻撃する刀の軌道線上で“ついでに”敵の刀を受け捌いている訳です。
 やってみれば一目瞭然で、相手の攻撃を受けてから反撃しても中々、当たりません。スピードの問題ではなく、拍子が「受け・攻め」の二つになってしまうからです。
 どうも、この拍子について理解している人が少ないですね。見た目の速度に気を取られて、全然、間に合わない見世技を「速い!」と錯覚する阿呆が増殖しているのは困ったものですが、専門家が勘違いして披露している以上、素人が錯覚するのは仕方がないかもしれませんね? 素人は素早い動きを見れば「凄い!」と思うでしょうが、武術のセオリーを理解している人間は見た目の速さではなく動き出す瞬間のタイミングを観察するので、速さの概念が全然、違う訳です。
 例えば、うちの常連会員が空手界最速との呼び声の高い師範の突きを見て、「冗談でしょう? 速いのは手先だけでテレフォンパンチもいいところじゃないですか?」と言っていましたが、確かに最速のパンチを打つために大きく全身でタメを作ってから突いているその師範の突きは二拍子になってしまっていたので、我々から見たら冗談のように遅く見えた訳です・・・。
 老齢の達人がゆっくり動いているのに若い者の猛烈な動きを楽々と躱してしまうのも、スピードではなく、この拍子の問題なのです。


2,「流派によって使う刀が違うのか?」

 薩摩ジゲン流のように“薩摩拵え”という特別な外装をあつらえることも現実にあります。
 が、伯耆流に使う“肥後拵え”や、柳生連也が考案したという“柳生拵え”等もありますが、それらが一般的に普及していたか?となると疑問です。
 貧乏な侍は、そもそも高い金出して外装をあつらえたりできなかったでしょうから。
 例えば、“忍者刀”というのも、実物はほとんど残っていないとされます。解説された古文書に描かれているから実際にあったとは限らないでしょう。忍術の優秀性をアピールするために描かれた創作だったかもしれないからです・・・。


3,「游心流では形はどう扱うのか?」

 形(型)は、その流派の特色を成すものですが、うちの場合は、対他流迎撃を考えているので、はっきり言って形の練習に力を入れると戦闘法もパターン化してしまうという弊害を考えて、特定の形を繰り返し練るという練習はしません。
 重視しているのは変幻自在に動ける身体と、全身のどこからでも打撃できる重心移動感覚、「動けばすなわち技となる」という植芝盛平状態を目指しています。
 無論、正中線だの丹田だのの感覚は中級から上級の前半くらいまでは必要でしょうが、それ以上を目指す場合は、むしろ邪魔になるでしょう。
 長所というのは裏を返せば短所でもあるのです。
 強力な打撃力を出すために足を踏ん張って全身を大きく連動させて打つ・・・というのはまともに当たれば倒せるかもしれませんが、相手がサンドバッグみたいにじっと打たれるのを待ってくれている道理がありませんね?
 プロ格闘家の打撃技は、相手選手が無防備で急所に食らえば一撃必殺の威力が充分にあるものですが、試合では一発で勝負がつくことは稀れでしょう?
 武術を修行する者は、無防備な相手や技を知らない相手を前提に考えていてはいけません。
 形はあくまでも基礎的な身体を練るのと基本的な戦闘のための五体の武器化が目的であって、伝統武術マニアが考えている程の意味はありません。
 肝心なのは、形の中から無数の応用変化技法を抽出して即興で使える感覚を養うことであり、私はそのために中国武術や日本古武術等々、いろんな形を研究しましたが、仕組みが解ってしまうとどれも似たりよったりだな~と思っています。
 だから、逆に骨盤の三つの動きだけに集約してしまった訳です。
 うちの三元試力をみっちりやっていれば、大概の形の要求する身法は自然成長します。
 この発想は、実は青木宏之先生が考案した“天真五相”がネタ元なのです。
 この天真五相は、あまりにも抽象化されてしまったので武術的実用はどのようにできるのか不明で、習っている人達も実用化できるとも思っていない人が多いでしょう。
 普通の空手の形は左右体がアシンメトリー(非対象)ですが、天真五相はシンメトリーなんですね? これは「陰陽が分かれていない」という武術の一般概念からしたら掟破りなんですよ。
 でも、ア・エ・イ・オ・ウ(ン)の“五行”はあります。
 これがどういう意味かは武道という枠組みを外して見ないと解りません。
 ヒントを書いておけば、健康法はシンメトリーが原則・・・、まあ、そういうことですよ。武術は自然体に逆らっている・・・という訳です。
 無論、だからといって私は武術の形を否定している訳ではありません。
 その証拠に上級型(独己九剣)は念入りに考案しています。
 居合術から無刀捕り・剣・杖・体術等へと無限に応用発展していく超進化系の型として作った訳なんですが、どうも、会員の誰一人としてこの型の凄さを理解してくれていない様子なのが哀しいですね~。
 この型を作った時は、「俺、超天才だぜ! スゲ~ぜ、俺!」って小躍りして思ったんですけどね~(苦笑)。
 居合術が体術にそのまま応用できるなんてスゴイと思いませんか?
 これに比べると初級・中級の対錬型は三つくらいに減らせないかな~?と思ってるんですが・・・。
 まっ、独己九剣も最初の二本だけで充分なんですけどね・・・。


4,「そうは言っても、あまりに手掛かりが無さ過ぎて、初心者は上達できないと思うんですが・・・」

 太気拳は立禅だけ、八卦掌は走圏だけ・・・という例もありますね。
 居合だって、極論したら横払い・縦抜き・斜め斬り上げだけでいいんですよ。
 形なんか全部、応用変化して増えただけなんだから、枝葉をいくらやっても上達する訳じゃありません。私はボクシングの練習した時なんて、ステップ踏みながらジャブ・ジャブ・ストレートを延々と3時間繰り返したりしてました。
 それだけやってりゃ~形はそこそこサマになりますよ。
 形がサマにならない会員が多いのを気にしているのかもしれませんが、それは練習量が絶対的に少ないだけの話で、熱心にやっている会員さんは形は勝手にサマになっていきますし、形がマズくても戦って勝てれば何の問題もありません。
 どうも、質問者は、「形が極まらないと威力が出ない」と思い込んでいる様子ですが、そんなことはありません。何故なら、世界中に奇妙キテレツな動きの武術が無数にあり、「あんなんで、どうして勝てるんだ?」と不可解になるような格好で相手を倒してしまったりする・・・。
 要は、私は「やり方はどうだっていい。勝ちゃ~いいんだよ!」としか思ってないので、とにかく合理的に簡単に勝てるやり方を追究していて、それが従来の武道武術の見た目と全然違うものになっても構わないと思っている訳です。
 特に最近は、仮想敵としての他流の戦闘法を分析してきて、弱点を知り過ぎてしまったので、既存のいかにも武道武術です・・・みたいなやり方が危なっかしく見えて仕方がなくなってしまいました。
 何しろ、突きを出した瞬間、蹴りを出した瞬間、タックルした瞬間、投げをうった瞬間、絞め技をかけた瞬間・・・こういった攻撃した瞬間にこそ弱点が最も露にさらけ出されてしまう・・・という皮肉な事情が判明してからは、危なっかしくて攻撃する気がしなくなってしまいました。
 まったくの素人でも、この弱点を徹底的に教えてナイフ一本渡せば、チャンピオン級の人間を殺すことも難しくないでしょう。そのくらい、この弱点は致命的なんですが、どうも、まだ誰も気づいていないみたいですね?
 私が形に対して拒否感を強めているのも、ここに理由がある訳ですよ。武術はとにかく絶対に勝つことを考えないとダメですからね。
 最もわかりやすい例を挙げれば、私は姿勢を定めてないでしょう?
 姿勢を定めて力を出すというのは“筋肉の連動で力を出す”ということです。
 この方式の最大の問題点は、どんなに工夫しても“瞬間的に足を踏ん張って身体が居着いてしまうこと”です。
 これでは、相手に反撃する手掛かりを与えてしまう訳ですね。
 勝つことが目的であれば、戦闘法は効果的なら何でもいい訳で、武術的であることは、武術のセオリーを捨ててしまうことも含んでいる訳です。
 だから、“外見から強さが判ってしまうレベル”では論外。「本当にこの人がそんなに達人なのかな~?」と思えるような、一見して強さを感じないのが理想的ですね~。
 ギャップのある人の方が格好いいじゃないですか?
 私なんか、以前は「長野のヘッポコ。ペテン師。嘘つき・・・」と散々に言われていたし、「あんなインチキ野郎は指一本で倒せる」みたいに言ってる武術家?の先生とか居たそうですけど、最近は、「会えて光栄です!」とか言われるようになりましたよ。
 本当に、最近、急に変わってきた感じがしますが、それは長く武道をやっている人が習いに来て、「何をどうされたか判らないようにやられてしまった」「長野先生は強いとか弱いとかじゃなくて、平気で機械を分解するみたいに人を壊してしまいそうだから・・・」という感想を持たれて、そういう得体が知れないという噂が広まったからみたいです。
 しかし、それは幅広くジャンルに捕らわれないで研究してきた成果です。
 形に拘る気持ちは、ジャンルに拘る気持ちの現れであり、形の中に浸っていたいんでしょうね? でも、どんなに美しく形が演じられても負けてしまっては武術では意味がないんです。むしろ、瞬間瞬間にまったく新しい形を即興で生み出せるくらいの身体性を磨くことが重要だと思います。
 既成概念に捕らわれないことが進化する鍵ですよ!

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ゴールデンウィーク特別稽古

 毎年、GWは休日に特別稽古をするんですが、今年は昨年、見学に来られたプロダンサーの松田孝子先生が、また来たいということだったので、それに合わせて5月3日にメイプルホールでの稽古を設定しました。

 当日は北島師範が所用で欠席した外は、東京支部長、横浜支部長も参加し、常連のKさんとN師範代も参加していました。

 もっとも、大石総教練が仕事でギックリ腰をやってしまったそうでしたが、柔道整復の学校に通い始めたN師範代(游心流体道塾主宰!)の療法で治してもらっていました。

 何でも、武道界で伝説となっている鳥居隆篤先生の治療術を見学する機会があったそうで、気功も使った療術となっていました。

 鳥居先生って写真で見るとバカボンのパパに似てるな~と、怪しい感じがしていたんですが、とにかく、あっちこっちで聞く話が「マジで達人!」というものばかり。ちゃんと学んだお弟子さんも実力者揃いで、達人伝説は本物のようです。

 療法家としても並の腕前ではないらしいですね。

 ただ、凄過ぎるから技を取れる人が凄く少ないらしいですね。これまた達人にはありがちな話です。

 ついでだから書いておきますが、業界で名の通った武術師範なんかが秘技を習ったりしているそうです。私はお会いしたことありませんが、大石総教練とN師範代が証言していたので間違いないでしょう。

 見せかけだけのハッタリ君が多い武術業界の中では“本物”と言える数少ない人物であるといっても過言にはならないでしょうね。

 私はそっちのやり方はさっぱりできませんが(習ったのが力学的な骨格矯正が主体だったので)、結果がすべてだと思ってるので、現実にお爺ちゃん状態だった大石総教練がまともに立って歩けるようになった点で否定する気持ちにはなりませんね。

 また、毎週、ジェット爺ぃことUさんの鍼を受けていて経絡と気血の流れの関係も面白いもんだな~と思っています。

 一応は習ってるから勉強し直しますかね~?

 さてさて、当日は松田先生は3歳の娘さんとバレエをやっているお友達を連れてくるということでしたが、多忙のため、30分程度ですぐ帰らなくてはならないそうでした。

 半年くらい前にカナダのダンス指導家の方のワークショップを見学させていただいてもらった時は、小塚師範代と一緒に見学に行きまして、その時に本を差し上げたりしていたので、いくつか質問があったそうでした。

 私はちょっと喉風邪こじらせて寝込んでいた直後だったので、実演解説は小塚師範代にやってもらいましたが、説明がよく解らないということだったので少し実演解説したりしました。

 やっぱり、初心者に説明するというのは難しいですよね。ある意味、文化が違うみたいなものですからね。

 お友達は松田先生に無理に引っ張ってこられた感が満点でしたが、やっぱりバレエをやっている方なので勘がよくて、本来は凄く難しい技も、ちょっとコツを教えただけですぐにできていました。

 この辺は筋力の弱い女性の方が簡単にできたりするんですよね。

 そういう意味でもうちの技は老人や女性に向いていますね。闘争本能も乏しい人の方が技を体得するには都合がいい。

 私も病み上がりだったので力の抜け具合が丁度良くて、自分でも“あっ、今日は調子いいな~”と思いましたね。

 脱力技法は本当に便利! ヘロヘロな状態の方が威力出ちゃうんですからね~。

 本当に鍛えるのがバカらしくなりますよ。無駄過ぎて・・・。

 ガンガン鍛えた筋肉パワーを素人が脱力技法使えば簡単に上回ってしまうんですから。

 数日前に関西の会員さんから電話があって、久しぶりに本部道場に行ったら武術マニアの親子が入門していて、その人達に教える時にうちの技を使ったら、「それは八極拳ですね? ついに理想の武術に出会った!」と大喜びし、お父さんはキラキラ光る目で内弟子志願し、息子さんはニヤリと笑って、「これ覚えたらケンカで無敵だぜ・・・」と言っていたのだとか?

 いろいろ武術系の道場を回ったけど、どこもさっぱり技ができるようにならなかったんだそうですが、先日のほびっと村に来ていた人もそんなこと言っていたな~と思いましたね。

 正直言って、うちは特別なことをやっている訳じゃなくて、本来の武術はこういうものだろう?と思って練習しているだけなんですけどね。

 ただ、やっている内容の意味を理解してやっているのか、そうでないのか?ということは結果を大きく左右しますね。

 型稽古も、動作の一つ一つの意味をちゃんと理解して練習していないと何年やっても何の役にも立たないでしょうし、組手や乱取りも、ルーチンワークでこなしているだけの場合が圧倒的に多いようです。

 だから、一般に、武道に戦術を駆使して闘う人は滅多にいませんね。

 この技にはこう対処する・・・という方法論をいくつか組み合わせるのが関の山。

 しかし、本来、一つの技に対して一つの対処法しか知らないのでは二回闘えば底が割れますよ。

 いわゆる“バカの一つ覚え”というヤツです。

 一つの技に関しては、少なくとも十以上の対処法を持っておくべきだし、できれば即興で対処できた方がいいですね。

 古流の剣術や柔術、居合術では「極意は基本技にアリ!」と言われますが、それは技の形ではなく原理を理解して応用変化技を無数に考えつけるようになることを“極意”と呼ぶ訳です。

 金科玉条のように「基本が大切なんだ」と何の工夫もしないで基本練習だけを延々と繰り返していても何もなりません!

 この点を理解してもらうために、松田先生一行が帰られた後、独己九剣の第一と第二の左剣と右剣の応用を練習してもらいました。

 つまり、“無刀捕り”ですね。

 まず、上段からの斬り込みに対して、次は“突き”に対して・・・。

 原理が解っていればできる筈なんですが、突きに対しては皆、苦戦していましたね。

 技が変われば、繰り出す身法も攻撃の軌道線も変わりますから、対処法も変わって来ます。

 刀、槍、短刀・・・等と得物を変えて攻撃のやり方も変えて練習していかないと生きた稽古にはなりません。

 最終的には真剣の斬り込みを躱すとか、手裏剣を躱すとかまでできるようになってもらいたいんですが、これは原理構造が完全に解っていないと意識が硬直化するとできませんからね。

 恐らく、このやり方をきちんと理解してやっている人は日本で五人もいないと思いますね。

 意識の使い方と身法も大切ですが、攻撃してくる得物の攻撃の軌道が読めないと危ないですよ。そこが観えない限りは練習しても無駄だと思いますね。

 まっ、ヒントだけ書くと、何故、剣道では正中線が重視されるのか?ということです。

 これ、きちんと説明できたら立派です。多分、誰もまともに説明できないと思いますけれど・・・。


PS;9日に、トランペッターの近藤等則さんが講師をされている東京経済大学でまたワークショップをやります。二回目だから、どんなのやろうかな?

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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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