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岩間先生の絶技

『秘伝』の最新号は“殺陣”の特集で、殺陣大好き人間としては非常に楽しく拝読しました。

 林邦史朗先生は、10年くらい前に古武術のムック本で取材要請された時に、担当編集者がまったく古武術について知らなかったので、「古武術に関しては専門知識がないと書けませんよ。僕は専門誌のライターやってたから、解らないことあったら聞いてくださいね」と言っていたら、案の定、どうにもならなくなったらしく、急遽、「ライターもやってください」と依頼され、おまけに取材先の選定まで手伝うことになり、その時に、「甲野さんが有名だけど、あの人は売れっ子だから、今から依頼しても無理でしょう。それより武術に詳しい殺陣の先生の方がいいでしょう」と、私が提案した先生の中のお一人だったのです。

 昔、ある演武会で試し斬りを披露されているのを見ていましたから・・・。

 取材の日も、当日の朝に担当者から連絡が来て、急遽、私が行くことになり、朝から朝霞まで行きましたね~(おまけにその日は夕方から三鷹に天然理心流の取材に行ったし、大変だったな~?)。

 林先生には、随分、いろいろ注文してやって戴きましたね~。私が個人的に見たかった逆手での試し斬りも見せて戴いたのが、非常に勉強になりました。

 先日、そのムック本を地方会員の方が入手したといって持参してくれましたが、問題起こして離れた会員も写っていたり、いやはや、何とも・・・と思いましたけど、全体の7割くらい私が書いてしまったものですから、私が企画したムックなんだと誤解されてしまいましたね? まあ、別にいいんですけど・・・。

 カムイの島口先生は、『キルビル』が有名ですが、刀剣アーティストと呼んだ方が相応しいような印象がありますね。

 モキュメンタリー格闘映画で古流居合の師範を演じられていたのが印象深いですが、杉作J太郎さんの監督作『幽霊スナック殴り込み』(だっけ?)にも出演されていたと記憶しています。

 余談ですが、杉作さんが東映チャンネルで松方さんにインタビューしているところを拝見しましたが、非常に丁寧な言葉遣いと、松方さんに対する尊敬の姿勢がうかがえて、文筆家としてはアウトロー的な芸風なのに、本人は素晴らしく感受性の豊かな人なんだな~?と、好感を持ちましたよ。

 それから、今、殺陣といえば、最も幅広く活躍されているのは高瀬道場を率いる高瀬將嗣先生でしょう。刀剣女子が、これだけ増加したのも、高瀬道場の多加野詩子先生が率先して広げていかれたからではないか?と思っています。

 昨年末に『秘伝』の副編集長氏とたまたま会った時に、「当然、高瀬道場も取材するんですよね?」と確認していたので、楽しみにしていました。

 高瀬先生は、礼法や所作なども広く勉強されていて、私なんか、むしろ教えて戴いているような感じですよね。

 扇子とか懐紙の使い方とか全然、知らなかったですからね~(武術的な使い方しか研究してないから)。

 最近、時代小説書いたりするようになったから、勉強し始めていますけど、いやはや、勉強しなきゃいけない事柄の多さにゲンナリしてますよ・・・。

 古武術に詳しいから解ると思うかも知れませんが、現代にまで残っている古武術流派って、ほとんどが明治以降に型とか改変されているんですよね。

 恐らく、例外は無いと思います。多少、研究してみれば、流派の草創期とは変わっている点がいくつもあることに気づく筈だと思います。

 例えば、居合術の多くが正座に大刀を差してやっていますが、江戸時代以前の武士は正座の習慣が無く、また、大刀を差したまま座ったりしません。

 制剛流も正座だったのでおかしいな~と思ったんですが、古い伝書を入手したので確認してみると、やっぱりもともとは正座じゃなかったんですね。他流と同様、改変された訳です。

 その制剛流を採り入れた尾張の新陰流から派生した居合術を、柳生流や新陰流の居合術であると称して教え、あまつさえ、「柳生石舟斎(上泉伊勢守)が学んだ神道流の居合術から・・・」なんて、怒る気もなくなる程の大間違いを主張してしまう人も居るんだから、「本当にお前ら、武術の文化を正統に遺す気があるのか?」と聞きたくなるんですよ。

 神道流の居合術と比較してみたら、全然違うのバレバレじゃん。ね~?

 この高度に発達したネット情報化社会の中で、「知らなかった」で済みますか?

 居合術の開祖と崇められる林崎甚助重信の技も、もともと三尺三寸の大太刀を抜く技で、現代に伝わっている林崎系居合術とはまったく別物です。

 太刀から定寸(二尺三寸)の帯に差す打刀に習慣が変わったのに合わせて技法も変わった訳です。さらに幕末から明治以降に正座でやるようになったのでしょう。

 こういう事情を知らずに、現代の形から類推すると間違ってしまう訳ですよ。

 もっとも、うちの会員にも、こういうことを定期的に講義している訳じゃないので、ちゃんと教えていかなくちゃいかんと思っています。

 技だけじゃなく、知識も大切です。いくら実力あっても頭がカラッポじゃあ、恥ずかしいですよね? 知識のあるインチキ武術屋に、コロッと騙されてしまう武道の先生方も多いですが、それは知識と見識が足りないから見抜けないし、有名だというだけの権威に対して盲信してしまう態度もいけないんですよ。

 はっきり言って、勉強が足りないんです。腕を磨くのと同等以上に頭脳を磨かなきゃ~ダメですよ。

「俺は頭が悪いから・・・」と口癖にしている人は、よ~く心掛けてください。「俺は頭が悪いから勉強しても無駄なんだ」と言い訳しているに過ぎないんですよ!

 私だって、自分で頭が悪いとは思ってませんが、日々、「勉強が足りない。もっと学ばないといかん!」と思っています。技の練習も、どうやればできるようになるか?と、いつも考えて練習しています。

 一時間でも上達が感じられなかったら、もう、やる気がしなくなりますよ。ルーチンワークの練習なんか一分だってできません。

 こういう性分だから、興味の持てないことだとまるっきり頭に入らないんですけどね。

 好きなことだと熱狂的に集中してしまいます。

 そういえば、橋本支部に通っている会員さんが私の影響で武器マニアになり、日本刀の本も買ってきていたんですが、そこに掲載されている刀の写真で、「長野先生、このヘンなヤツは何ですか? 僕の模擬刀にはついていないんですが・・・」と言うので、見てみたら、“返り角(かえりづの)”という部品のことでした。

 これは鞘の栗型(くりがた。下緒“さげお”を装着する部品)の下の方に間隔を開けて装着されていたりするものなんですが、鞘が帯に固定して納まるようにするストッパーなんですね。

 私は、鞘引きとかよくやるので、これが付いていると邪魔なので装着していませんが、ちょっと高級な拵えだと装着されていたりするもので、水牛の角で造られていたりしますね。

 そう説明すると、「はぁ~、なるほど~!」と、感心していました。

“三所物(みどころもの)”も質問されたので、説明しておきました。笄(こうがい)・目貫(めぬき)・小柄(こづか)を総称して言うのです。

 そういえば、日本刀の本だと「愛好家だったら、このくらい当然、知ってますよね?」という感じで説明されていなかったりしますから、初心者は混乱しますよね?

“口伝(くでん)”なんて言葉も、読み方を知らずに「こうでん」と読んでいる会員さんが何人も居ました。“理合(りあい)”を「りごう」と読んでた先生も・・・。

 私も10年前は、日本刀についてはさっぱり知らなかったですよ。何十冊も読んだからな~(百冊越えてるかも)?

 いつの間にか専門の本(『時代劇の間違い探し』)を書けるくらい詳しくなりましたけど、まだまだ、勉強しなきゃいけないことは山ほど有ります!

 例えば、無反りの直刀の刃文を“のたれ刃”だと思っていたんですが、蛍光灯の明かりに透かして、よ~く観てみたら、何と、細かい丁子乱れの刃文でした。古い刀なのと、刃のところが全体的に白く“刃取り”してあったので判りませんでした。重花丁子(じゅうかちょうじ)乱れみたいです・・・。沸(にえ)出来で金筋(きんすじ)、砂流(すなが)しが多く、新刀でもかなり古い刀だと思いますね。ハマグリ刃で、猪首(いくび)切っ先だし・・・。

 あっ、そういえば・・・『時代劇の間違い探し』をお贈りしていた時代小説の大家の先生からメールを頂戴しまして、うちの道場に見学に来たいとの恐れ多い依頼を頂戴しました。

 その先生は非常に勉強熱心で、歴史に関する資料本が図書館ひらけそうなくらい持ってらっしゃると聞いていますが、今回の本で従来の武芸考証本に書かれている事柄の間違いをいくつも指摘したので、愕然となってしまわれたらしいです。

 それで、実際に確認して、これからの執筆の参考にしたいということでしょう。

 昨年は漫画家の方が来られて、今年は時代小説作家の方も来られていますが、こんな大物の先生が来られるというのは初めてで、流石にちょっと緊張しますね。


 あっ、それと、『秘伝』を読んでいて、岩間統正先生の太気拳の記事が凄く良かった!

「差し手は手ばかりでやるものじゃない」というのは、下手なりに私も研究していたことなんですが、斯界の大先輩の言われる言葉に、大いに勇気付けられました。

 ただ、相手の攻撃を遮るだけだったら意味が無いと思っていたんですよ。それだとパリーしたり受けたりするのと同じことでしょう?

 すぐに次の攻撃が来るから、打撃戦の間合のまま差し手を遣ってもダメで、同時に間合を潰して相手の体勢を崩していかないといけない筈です。

 全身のどこでも差していって、相手の攻撃を滑らし逸らしながら、こちらの迎撃は命中させる・・・というものでなければ、武術としての戦術的用法にならない筈ですから。

 もっとも、上半身で差すのはできても下半身(脚)で差していくのは難しいですよ。

 やっぱり、岩間先生は凄いな~と、改めて感動しました。

「頭が良くないと武術は上達しない」と、この業界では言われるんですが、岩間先生には納得させられますね。

 それに、あの若々しさ・・・十数年前にお会いした時と、まったく変わらない!

 先日、アクションアワード2015で倉田保昭先生が70歳と聞いて、会場がどよめいていましたが、まさにそんな感じです。

 本当に、岩間先生は凄いですわ~・・・。


 そういえば、土日の稽古に兵庫から来ていたSさんも、もう結構なお年なんですが、うちに来るようになって、やっぱり10年くらい経っているでしょうか?

 会員になってからは5年くらいかと思いますが、ほとんど武道経験が無く、うちの純粋培養に近いんですけど、久しぶりに見ていて、随分、実力がついていたので、初段あげました。

 特に、独己九剣がしっかりできていました。

 これ、ちゃんとできるのは北島師範くらいなんですよ。

 どうしてか?というと、私がマンツーマンで細かく教えたのが彼だけだからです。

 時には真剣遣って教えたりもしましたからね。

 Sさんも形はしっかりできていました。

 できれば道着を買って練習してもらうと、全然、完成度が変わると思います。

 せっかく、遠くから来ているので、手裏剣も特訓してもらいました。一間(1.8m)ならほぼ刺さるようになっていたので、今回は二間で刺せるように練習してもらいましたが、まだちょっと無理で、剣が回転してしまっていました。

 直打法では無理なので、反転打法でやってもらいましたが、距離が的確だと、こっちの方が刺さったりします。

 クルッと回ってプスッと刺さるのは面白いですよ~。

 手裏剣術は練習するのが難しいですが、一人暮らしなら六畳くらいの室内で練習できるよう、『中級対錬』DVDで小塚師範が的の作り方から細かく解説しています。

 室内で練習するなら畳み針でもできますし、先を尖らせた箸でもやれると思いますよ。

 独り練習には武器術がもってこいですからね~。

 武器を敵だと思って、敵を自在にコントロールするつもりで練習するのもいいですよ。

 形意(心意)拳や八極拳が槍法から発展したと言われるのも、槍法をやってみて始めて、「なるほど」と思います。

 手裏剣術は劈掛掌や通背(臂)拳に通じるような気がしますね?

 程派八卦掌は刀で、尹派八卦掌は剣や峨嵋刺かな?

 武術は武器術をやることで、より深く理解することができます!

 どうも、現代武道は素手で競技をすることに特化してしまって本来の武術とは違うものになってしまったんじゃないか?と思えますね。剣道も防具に守られ過ぎだし・・。

 空手も棒術や釵術、トンファー、ヌンチャクをやって始めて、解る理合があります。

 日本の武術は日本刀を知らないと本質は理解できません。これは間違いないことなので、強く主張しておきたいと思います。

 合気道も素手の武道にしようとしているみたいですが、剣や杖を捨ててしまえば深みが無くなっていく一方だと思いますが・・・。

 それに、武器も練習することで、一生、楽しく練習できるようになると思うんですけどね~?


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日本ミステリー文学大賞パーティー

 一昨年だったか、小説講座の先生に誘われて、このパーティーに行ったんですけれど、今回も、「紹介したい編集者がいるので・・・」とのことで行きました。

 会場が帝国ホテルだったので、何振りか買ったことのある霜剣堂さんに寄って、『時代劇の間違い探し』を一冊贈呈してきました。

 まだ、小説ではデビューしてないので、こういうパーティーに行っていいのかな~?という気もするんですが、門下生も十数人来られていたので、何だか、遠足気分でしたよ。

 こういう晴れがましい場所って、本当に苦手で、私は趣味のあう人とファミレスでオタク話に興じる方がずっといいんですが、たまに、こういうプロの作家の方や編集者がガバチョッと集う場所に紛れ込むと、それなりにモチベーションが上がるというか、「早くベストセラー作家になるぞ~!」という気持ちになったりもします。

 多分、先生も門下生にそういう気分を味わせるために誘っているんだろうと思います。

 会場には、当然ながら、今野塾の今野敏先生もおられたので御挨拶しましたが、“えっ、なんでこんなところに居るの?”という顔をされていました。

 別に間違って紛れ込んだ訳じゃないです~(笑)。

 その他、多分、有名な作家の方なんだろうな~?という和服を着た方とか、タダ者じゃないオーラを出している方とか大勢、いらっしゃいましたね。

 しかし、盛大なパーティーに参加しながら思うのは、せっかく新人賞を取ってデビューしても、一、二年後には影も形もなくなってしまった・・・みたいな例が非常に多くて、作家として生き残っていくのは至難な時代です。

 食えているのは、ごくごく一握りの作家だけというのは、役者やミュージシャンなんかにも共通します。

 本を連続して出せているだけで(それで食えていなくても)、御の字というもの。

 いやはや、楽に生活するには普通に就職して真面目に働くのが一番、確実だろうな~?と、あらためて思います。

 売れっ子になるのは、実力も必要でしょうが、それよりも運かな~?という気がしますね。まあ、“運を引き寄せる粘り強い性格”かな~?

 私も小説家デビューして、そればっかり書いていたら、消えていたかもしれませんね?

 取り敢えず、ここ十年、割りとコンスタントに本を書いてこれたのは、ひとえに見捨てないで愛読してくださっている読者の皆様のお陰です!

 悪口言うために買ってくれてる人達にも感謝!

 アナタ達が、心の奥では私の熱狂的大ファンであるということも、もう充分、解っています!

 何の関心も無い人だと話題にも出ないからね?

 
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アクションアワード2015

 今年も、アクション映画を表彰する“愛すべきアクションバカの祭典?”アクションアワードが開催されました。

 場所は四ッ谷区民ホール。

 去年は行けず、今年も小説講座があったんですが、やっぱり、年一回だから見たいよね~?ということで、今年は小塚師範にチケット買っといてもらって行きましたよ。

 今年も、すっかりお馴染みになった飯干景子さん(物凄い上手くて毎回、感心してしまう)と高瀬先生の司会で、やや進行が遅れていたそうですが、アットホームな雰囲気で非常に楽しく拝見しました。

 まずは、高瀬道場とキッズアクションのエキシビションの模範演技があり、高瀬道場の加賀谷先生のトンファー!(『拳精』のジャッキーを思い出した)と、森先生の剣! 高度な技が次々に出てくるので、目を皿のようにして凝視してしまいました。

 キッズアクションも、良かったですね~。

 いずれも、カラミ役のリアクションによって芯が引き立つ・・・というアクションの基本を見せてくれます。

 武道や武術では、やられた側がリアクションを見せるのはNGで、やられても「痛くないも~ん」「やられてないも~ん」と、スッとぼけて見せるのが心得とされますから、アクションとして表現する場合に、一番、苦労するところですね。

 でも、演技としての格闘アクションでは、“やられ方”が技の凄さを表現する訳で、派手にふっ飛んだり、身体をくの字に折り曲げてつっぷすとか、身体を回転させて倒れるとか・・・いろいろな表現法があります。

 一見、地味で注目されないのですが、プロの視点からは、“やられた時の演じ方”の方が評価の大きさになるのでしょうね。

 あの有名な、“五万回斬られた男”福本清三さんが注目されたのも、彼の極端に蝦反って後頭部から倒れる、“地味なのに危険な倒れ方”が注目されたからでした。

 やっぱり、プロの方は、派手な技より地味で目立たない渋い技に高い評価をするものでしょう。

 真似できない凄い技は、「スゲー!」で終わりなんですが、「アレなら真似すればできるかも?」と思えるような技に人は惹かれるのです・・・。

 ジャッキー・チェンの酔拳、蛇拳や特訓シーン・・・アレですよ、アレ!

 私は、アレを見なければ、武術を続けていなかったかもしれません・・・。ついでに言えば、ユエン・シャオティエン! あの「小汚い爺さんが強い!」というのはカルチャーショックでした。

 それまで、カッコイイ男が強い!というイメージが定着していたので、見た目とギャップがある人間の何と、カッコイイことか?と、私は憧れた次第でしたね。

 そういえば、ウルトラマンレオに出てきたセブンガー! あれも帰ってきたウルトラマンをボコボコにした強敵怪獣アシュランを、地面をゴロゴロ転がりながら一方的にボコボコにしてしまった・・・。

 見た目は中年太りの冴えないオッサンのような風貌のカッコ悪いロボットで、登場した瞬間、こりゃアカンと思ったのに、単なる怪力だけでメチャクチャ強い!

 しかし、1分しか戦えなかったから、すぐ引っ込んでしまい、竜隊長のナレーション?で、「惜しかったね~。もうちょっとで倒せたのに・・・」という声に、全国の視聴者も同意したことでしょう・・・。

 おっと、脱線・・・。

 式典は、アクション女優賞の表彰が一番、良かったですね~。

 武井咲、秋元才加、清野菜名、土屋太鳳と、『太秦トワイライト』のヒロイン(名前、ド忘れした。済みません)が選ばれていました。

 いや、それにしても秋元才加のオーラの凄さに驚きました。魔戒法師、美空で選ばれていたんですが、あのキャラクターが乗り移っていたのか?と思えましたよ。

 清野さんは、ウロボロスでもアクションばりばりで活躍してましたが、武井咲と土屋太鳳(撮影中につきビデオレターで登場。アクション愛を熱く語ってくれました)の『るろうに剣心』組が、やっぱり圧倒的に強かったですね~。

 質量共に、日本のアクション映画史に残りますからね。

 男優賞は、ほとんど本人が来れていなかったので、寂しくなってしまいましたが、その後がエライことでしたよ!

「やっぱ、アクションアワードなんだから、ただ表彰しただけじゃつまんないでしょ?」という主催者側の危険なサービス精神が発動!

「一分間で何人、おっこちられるか?」という階段落ちギネス挑戦を始めたのです!

 つくづく、「この人達って、本当に本物のアクションバカなんだ」と、思いました。

 特に谷垣さんなんて、今では「るろ剣の谷垣」としてアジア圏で畏怖をもって語られる生けるレジェンドになってるアクション監督なのに・・・何、この軽さ?

 もしかして、みんな、舞台裏でハッパ吸ってラリッちゃってるの? 正気の人達がやるこっちゃないでしょ?

 しかも、ただ、転がり落ちるだけでも危険なのに、谷垣さんはイチイチ、違うバージョンで痛さを表現しようとするジャッキーが憑依したかのようなムチャな飛び込み方・・・案の定と言うか、当然と言うべきか・・・怪我して血が出たみたいです。

 それでも、有り余るファンサービス精神で、観客に要らぬ心配をさせまいと、額をハンカチで押さえたまま苦笑いしたまま舞台上をトテテテテーッと行ったり来たり・・・あ~、骨の髄まで香港アクションが染み込んでいる人なんだ?と、ちょっと、ジーンとした。

 後で「大丈夫?」ってメールしようかな~?と思ったんですが、多分、膨大にメール貰ってウンザリしてるだろうな~?と思って、やめておきました。

 だって、アクションクリエイターにとっての怪我は勲章そのものですからね。

 今年も、楽しく拝見しました!

 個人的には、樋口監督や雨宮監督といった特撮系の方を生で見れたのが嬉しいです。

 多分、学生時代は単なる自主映画マニアだったりしたんだろうと思うと、私も目指すべき目標が明瞭になります。

 非常に楽しかったです!

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一事が万事

 小説講座仲間の人達と勉強会をやろうということで、14日には、うちの道場へ来てもらいまして、試し斬りとか手裏剣とか、超簡単な護身術とかやりました。

 やっぱり数をこなしていると試し斬りも上達しますよね? 逆手斬りも寸勁斬りも、かなり簡単にできるようになってきました。

 無反りの刀を使ったんですが、これはよく斬れるな~と、最近、思っています。逆手斬りの場合は特に、無反りの刀の方が斬れますね?

 座頭市剣法の意外な実戦性に気づきましたが、先日、BSプレミアムで勝新太郎特集があり、座頭市剣法の工夫のために合気道の植芝盛平翁を自宅に招いて習った!という話は驚きましたよ。

 わざわざ来てもらったなんて、流石は大スターと言うべきか、植芝翁のフットワークの軽さに驚くべきか・・・?

 ところで、「日本刀は反りがあるから、よく斬れる。反りの無いものは絶対にダメだ」と、講武所の窪田清音(源清麿に刀造りをやらせた大恩人)は言っていましたから、私も自分で試すまで無反りの刀はあんまり斬れないんじゃないか?と思っていました。

 こんなに斬れるとは予想していませんでしたが、もっとも、刀の機能だけで斬れる訳ではないので、私の斬り方も意識しないだけで変わってきたんだろうと思います。

 この刀は江戸時代の初期の頃の新刀らしいですが、無銘で身幅は狭く、鎬筋は刀身の真ん中近くにあり、切っ先は小さく、沸がよく付いたのたれ刃文で、重ねはやや厚く、ハマグリ刃です。わずかに反りはありますが、ほとんど無反りに近く、茎には目釘穴が四つも穿たれています。

 形状や茎の目釘穴の多さからすると、何度も拵えを取り替えたらしく、時には仕込み杖に入れられていたかもしれません。

 ただし、仕込み杖に入れていたにしては刃渡りが二尺四寸というのは長過ぎるかな~?とも思いますが、せっかく目釘穴がいくつも開いているので、付属していた糸巻きの柄にキリで穴を開けて、東急ハンズで買ってきた真鍮の細い丸棒をヤスリで加工して“控え目釘”を作って二本目釘にしてみました。

 せっかく斬れ味もいいので(逆手斬りや寸勁斬りにはもってこい)、二本目釘にして刀身のスッポ抜け防止も万全にしたので試し斬りも安心してやれます。

 試し斬りの練習の良さは、斬れなかった時も、切れた痕を観察して、刃がどこまで入ったか?とか、切り口の曲がり具合などで、刃筋の方向などが解り、どう修正したら良いか?が分析できる点です。

 だから、成功するか失敗するかは二の次なんですよ。

 むしろ、失敗を重ねてこそ研究が進むんです。何でも簡単にできてしまうと、どこが良いのか悪いのかと考えなくなってしまうでしょう?

 俗に、天才型の人は指導者に向かないと言われますが、失敗を繰り返してもめげずにしつこく追究する人間の方が、上達システムを工夫するためのデータを得られますから、その点で私は向いていたんだろうな~?(物凄い我田引水?)と思います。

 手裏剣の方も、やり方を教えると急に上達する人が居て、面白いもんだと思います。

 誰かができると、他の人達もできるようになる・・・?という不思議な現象もありまして、試し斬りとか手裏剣は、特にそうです。ストレス解消にもってこい!

 一方、護身術は、イジメ対策のサイトを運営しているTさんと、護身術体験講座をやってみようという趣旨で実演してみたんですが、「これはヤバイでしょ?」って感じで実現は遠のいた感じです・・・(苦笑)。

 何でか?というと、イジメられている子供に、こんな技を教えるのは過激過ぎるのでは?となった訳ですが、どういう技を実演解説したか?というと・・・。

「金玉を殴れ!」「目玉を突け!」「乳首をつねれ!」・・・と、卑怯殺法ばっかりやった訳です・・・(微笑)。

 もっと、華麗な神業のようなものを期待されていたのかもしれないんですが、現実的にイジメられている女性・子供・老人などが確実に屈強な相手をやっつけるには、「急所攻撃あるのみ!」というのが私の持論だからです。

 空手や柔道や合気道の華麗な技を駆使するには、初心者の場合、毎日一時間練習して最低でも半年から一年は経過しないと実用できる水準にはならないでしょう。

 それでも万全とは言えません。

 それは武道の専門家が、日々、痛感していることで、「この技で本当に護身になるだろうか?」と不安を感じる人が(真剣に追及している人ほど)少なくないのです。

 見世芸的な技は、実用性は逆に薄いものです。

 気の技とか、身体運用術みたいな技は、いざとなったら全然、役に立たないと思っていた方がいいでしょう。

 気の達人と自称していた武道の先生が格闘家とガチ勝負して瞬殺されて病院送りになったり、数々の神業をメディアに披露し続けている古武術の大家が、実は百回以上もボロ負けしている・・・とか、ほとんどコントのような実情があります。

 あるいは、本物の達人に習えば大丈夫・・・かと思っていたら、有名歌手のディナーショーみたいな達人の独演会を繰り返し見せられるばっかりで、ちっとも技を教えてくれなかった・・・なんて、ヒドイ話もあります。

 なので、私は本当に実用性実効性のある技を指導しないといかんと思っています。

「誰でも使えて効果的なやり方」でなければ護身術にはなりません。

・・・となれば、答えは一つだけです。「徹底的に急所だけ攻める」ということです。

 武道は、もともと、急所を狙う術でした。

 昔の空手では「三つの玉を狙え」と教えられました。

「目ン玉、金玉、喉っ玉」だという訳です。

 競技スポーツ化する段階で、「危険だから急所は狙わない」という真逆の考えが浸透していき、それが当たり前になってしまったのです。

 まあ、競技が悪いと言ってる訳じゃありません。

 競技の考えと実戦の考えをごっちゃにするのが悪いと言ってる訳です。

 武術に関しても、本質的には人を殺す合理性を考えて考案されている訳ですが、「殺しちゃマズイから、なるべく殺さないで制圧するようにしましょう」という考えで研究が進んだ訳です。

 だから、殺し方を知らない人間が、「武道は人を殺す技ではない。人を活かす道なのだ」みたいなことを得意満面で言うのが、いかにみっともない偽善なのか?ということです。

 武道の先生には、その手の偽善的な人が多いので、私はなるべく付き合いたくない訳です。裏表が異常に激しい! 気持ち悪い!

 そんな次第ですが、「善悪の判断の未成熟な子供に急所攻撃の技ばかり教えたらヤバイでしょ?」ということで、護身術体験講座は先送りになりそうですね。

 道場で軽く遊んだ後は、最近、行きつけの和食よへいに行って、お食事会しながらの漫画原作勉強会にしました。

・・・と言っても、堅苦しいものじゃなく、テーマ無しでだらだらダベッてる学生時代の文系部活のノリでしたけどね。

 でも、一見、無駄に思えるような集まりでも、リラックスしてお互いの気持ちを吐き出して聞いてもらうというのはストレス解消になりつつ、いろんなアイデアや企画を思いつくものなんですよ!

 人生は、「あ~、回り道しちゃって無駄だったな~?」と思うようなことでも、後から「あの時に経験していたから良かったんだな~?」と思える場合が非常に多くて、長い目で考えられるようになると、「マイナスになることなんか無い」と気づくんですよ。

 翌日の日曜稽古会は、地方会員の方が二人、参加されました。

 遠くから都合つけて来てくれるんですから、有り難いですよね~。

 でも、それだけの期待を持って参加されているんだから、期待外れな指導をしたらダメですからね~。指導料プラス交通費や宿泊費もかかる訳ですから・・・。

 逆に責任重大ですよ。

 一人は、大阪で講習会やっていた頃に入会された方で、少林寺拳法を長くやっている方で、他の有名な先生の講習会にも複数回、参加したことがあるそうでしたが、私が批判しているのと同様の疑問を感じたそうでした。

 最近、「有名な先生だからと習いに行ったけれど、技はちっとも教えてくれず、なんだかカルト宗教みたいだった」という感想をよく聞くんですけれど、こういう人達って、教える気は既に無いんだと思います。

 御神輿担がれて、いい気になってるだけ。信者増やして喜んでるだけ。有名人に取り入って権威者ぶりたいだけ・・・。その権威を脅かされては困るから、本当のことは教えず、「気の力なんだ~」と、検証不能の神秘のパワーを振りかざしているだけ・・・。

 佐原先生が、「人をダメにするには、先生、先生と奉っていればいいんですよ」と笑っておられましたが、本当に身の程を勘違いして実質として堕落していく人が多いですね。

 以前、クエストの社長さんから、「長野さん、TVなんか出ない方がいいんですよ」と言われましたが、その当時はTVに出たら本がもっと売れるだろうにな~?と出たかったんですけど、結果的に出なかったのが良かったのかもしれないな~?(ちょろっと出たことあるけど)と思いましたね。

 脚光を浴びると自分を見失ってしまうという実例が、随分、あります。一度、権威化してしまうと、嘘に嘘を重ねても自分の権威性を護ろうとしてしまう。

 本当に怖いと思うのは、そんな人の周囲にいる人達も甘い汁を吸えなくなると困るから、積極的に嘘に加担していくということです。

 まともな人は、途中で気づいて離れていきますが・・・。

『秘伝』に、また、ちょこっと甲野氏が出てましたが、動かないでいる相手に神業?をやってみせる素人騙しの演芸?を、また懲りもせずに、しつこく演じていて(この技、27年前からやってましたよ。進歩の無さは凄い! 動かない相手にどんな技演じても意味がありません。そんな阿呆なことやってるから剣道家に30分間、打たれっぱなしになるんですよ。甲野先生?)、「流石! 生涯揺るがぬ詐欺師人生を迷わずまっとうしてくだされい」と思いましたよ。

 でも、信じてくっついてる人達も、マタンゴ茸食べてマタンゴになっていくみたいで、怖いな~(苦笑)。

 まあ、人の悪口ばっかり書いててもしょうがないですけど、本当に、どうしてこう、有名になるとダメになっていくんですかね~? ダメな人が有名になりたがってるだけなんでしょうかね~?

 私は有名になったら本が売れて生活が楽になって仕事が広がるだろうから・・・としか思ってなくて、基本的には独りで映画やTV見たり、本読んだり、工作してるのが好きなんですけどね。

 人と会うのも趣味が同じ人達だったら楽しいけど、そうでない場合は苦痛でしかありません。特撮とアニメと妖怪と武術と武器と猫の話ばっかりしていたい小六病?の引きこもりオッサンですから。

 余談おわりっ!

 日曜稽古会で初めて中級対錬を体験した地方会員のNさんは、「凄く実戦的ですね」と感想を言われていましたけれど、この型はうちのオリジナルであると同時に、実は八極拳の頂心肘や冲捶を実用的に遣う工夫をしています。

 例えば、相手のリードブローに差し手して、換手を遣って入身しつつ、腋の下に肘当てしつつ、同時に暗腿(足をからめて崩す技)で崩す・・・という複合技を一挙動で極める技でありながら、八極拳の頂心肘の技そのままでフィニッシュになる・・・。

 暗腿を仕掛ける時に金的蹴りをプラスすることもできますし、肘当てを巻き込み投げに変化させることもできます。

 一つの技の入り方から何種類にも応用変化させていくことは、約束組手形式でしか練習できません。

 流派によっては“解き”とか“崩し”と呼ばれていますが、空手の型の“分解”を更に応用変化させるようなものです。

 初級対錬は、ある流派の相対型(敢えて名前は書きません。隠しているのではなく、教わった先生に「書かない」と申し上げたので)を、ほとんどそのまま応用して練習していましたが、その元々の原型は、「空手道の初期の組み型だったのではないか?」と指摘を受けています。その可能性もあるかもしれない?と思います。

 しかし、ほとんどそのまま応用して用いたのは、型がシンプルで、後の先の読みと交叉法の理論を体得するのに、非常に合理的なものだと思ったからです。

 ただし、今日的には、中段順突きで攻撃してくる敵を想定するのは現実味が無いので、初級は原理体得のための練習と位置付けています。

 それに対して、中級対錬では、フルコン空手やボクシング風に組手構えからのリードパンチに差し手していく方式ですが、これは、格闘に慣れている人間がもっとも使うベーシックなやり方なので、より現実的な練習法として考えた訳です。

 原理的に言えば何も変わらないのですが、腹を殴ってくるか、顔面を殴ってくるかの差は大きいでしょうね。特に武術的な考え方に不慣れな人だと、原理から応用するということが、さっぱり解らないと言われます。

 私は無構えに慣れてしまったので、構えを取るのは違和感があるのですが、普通に武道をやってきた人だと構えないのは恐怖心がわくようです。それで、構えたところから手捌きで差し手する方式にした訳です。

 余談ながら、以前、教材用に作ったDVDでは、中級対錬がまだ未完成だったので、無構えでやっていたんです。しかし、無構えだと迅速なジャブに対応するのは難しい。

『刃牙道』でクローン宮本武蔵に対抗する刃牙がジャブで一発当てるシーンが描かれ、現代武術の最速の技!と解説されていましたが、確かにジャブは厄介ですよ。

 剣道家がフェンシングに苦戦するのも、細かく素早く突いてこられる“点撃”を制するのが難しいからです。

 ですが、先端は“点”でも、ジャブはロケットパンチではなく、胴体から繋がった腕がありますから、伸びてくる腕を狙えば制圧することは比較的難易度が下がります(容易とまでは言えません)。

 また、“最短距離を直線で打ってくるから閃光の速度が出る”のならば、パンチの軌道はたった一つ。ならば、最初から軌道線上を遮るか、あるいはわずかに空けておいて誘導することで伸びてくる腕を狙う・・・という戦法が使えます。

 だから、中級では構えを駆使する工夫をしたのです。

 つまり、伝統武術で現代武道や格闘技に対処できるような練習法として、攻め手はオーソドックスな組手構えで、こちらは太気拳や形意拳などの構えを駆使して武術の技で迎撃する!というコンセプトなんですね。

 ただし、“相手の一発目に合わせる”という交叉法の理論から外れては意味がありませんから、これも間合を保って技を繰り出すような方向での発展は厳禁です。

 初級では主に“後の先”で技をかけますが、中級では“対の先”です。

 相手の一発目に合わせて間合を潰して二発目以降を出せなくしつつ制圧する。

 せっかく交叉法の練習をしているのに、通常の武道や格闘技のように間合を保って技を繰り出すような戦い方をしたら何にもなりませんから・・・。

 だから、手順を決めない差し手練習と推手を別個にやっている訳です(中級対錬DVDで、これらは紹介解説しています)。

 これは、内家拳や合気、念流の続飯付けのような、接触して相手の重心をコントロールして技を出せなくしていくための練習です。

 ただ、肝心なのは、この“接触する”という点で、これは相手が動き出す前か、動き出した瞬間か、動き出して止まった瞬間か・・・という“動きの流れが中断している間”でないと難しい訳です。

 誰もが勘違いしてしまうのは、素早く動くことは、動き出しと動いた後に居着きが生じてしまうという点です。自分で隙を作っている訳です。

 そうではなく、ゆっくりとでも動き続けていることが肝心なのです。そのためには踏ん張っては絶対にダメです!

 足を踏ん張って力のタメを作って打て!という教えは実は非常に危ない。

 ゆっくりとでも動き続けるということは、重心移動させ続けている訳で、当たった瞬間に、そのまま重心力を効かせることができます。これは、合気道では移動力と呼ばれていますが、伝統空手にも見られますね。

 中国武術の歩法の要点や日本剣術の極意の運足も、この移動力の利用にポイントがあります。止まってる車が発進した瞬間と、走ってる車と、どちらに当たった方が危険でしょうか?

 よって、武術の読みは、止まったところから動き出す瞬間の間をとらえるものです。

 Nさんが遠くからわざわざ来たのは、この点を学びたいからだったそうなので、これは剣術で教えまして、それから素手に応用してもらいました。

 最近、「この順番で指導していると格段に飲み込みが早くなった」と、横浜支部長からの報告もあって、木刀を持たせて打ってこさせて、その隙間に袋竹刀を差し込んでみせる・・・というのをやってから、素手に応用させています。

 剣術だと動きが大きくなるので隙間が読みやすくなりますね。それで体幹部の気配の変化を確認する癖をつけてから素手でやってみると、簡単にできる訳です。

 前日に、兵庫のKさんから電話があって、たまたま出会った武術の遣い手が私と同じようなことをやって見せたという話を聞いていたんですが、Nさんも少林寺拳法の先生から同様に先を取る技をやって見せられたので、読みと先を取る技の重要性を痛感し、それで久々に私に習いに来られた・・・という次第だったそうです。

 どうも、これはシンクロニシティーが来たか?って感じですね。

 読み・交叉法・先を取る・・・という日本の武術の本当の極意について皆が注目しつつあるのかもしれないな~?と思います。

 ただ、これまでは全部、感覚で処理していたので、習得のための合理的な階段が無かった訳です。

 できる先生も、教えることはできなかった訳で、「気の作用なんだ」としか説明できなかったんですね。

 私はそれを作ったので、素質や才能が無くても、真面目にやってもらえば早いか遅いかは人によりますが、大体の人はできるようになります。

 感覚を育てるというのは非常に難しいのですが、目付けから教えれば大抵の人はできます。

 けれども、「目付けが重要だ」と教えると、「目付けさえできれば万能にできる」と思い込む人が大半ですし、「目付けより勘でやった方がいい。観ていたら遅れる」と言う人もいます。

 ですが、どっちも一長一短あります。

 目付けだけに頼れば、フェイントに引っ掛かり易いし、勘にだけ頼れば殺気に過剰反応して多数相手だと混乱してしまいます。

 物事は一つのやり方だけで何でも対応できるような単純なものじゃありません。

 一事が万事と思い込むのは単細胞生物の反応であり、人間はケースバイケースで対応を変えていく応用力が必要で、トライアルアンドエラーを繰り返していく中で常に、倦まずたゆまず学習していく姿勢が大切です・・・。

“失敗は成功のもと”って言う言葉は、「失敗に学びなさい」という教えですから、呑気に失敗しても平気な顔していてはいかんのですぞ!

PS;家の近くにファミマが出来るみたいで、道場からも5分で買いに来れる。「道場の近くにコンビニとか有ればな~」と思っていたので、良かったです。

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リンチ殺人とズンズン運動

 川崎の中一リンチ殺人事件は、何だか、昔のコンクリート詰め殺人事件を思い出させました。

 中学生というのは不良に憧れたりする時期だったりもして、不良グループに入ってしまった結果なのかな~?という気もするんですが、親は何で、止めなかったのか?という疑問を口にするのは酷でしょうか?

 真夜中に友達に呼び出されて遊びに出る・・・というのを許してしまう時点で、親としてどうなのか?と、私は思ってしまうのです。

 コンクリート詰め殺人事件の時も、凶行を繰り広げている子供に気づかない筈がないのに、親は何もできないでいた。

 今回の事件も、申し訳ないんですけど、親は何やってたんだよ?と言いたくなるんですよ。

 U君がしょうもない連中と付き合って、学校に行かなくなったのを知らない筈がないでしょう?

 何で、必死になって止めさせないのか?

 優しさと無責任を勘違いしてるんじゃないのか?

 事件を起こした少年は、U君の別の仲間が押しかけてきたことを恨んで犯行に及んだのだそうですが、この少年の親も、一体、何やってたんだ?と思うんですよ。

 息子が人様に大怪我させたら、お詫びに行くのが当たり前でしょう?

 もし、私に子供がいて、こんなこと仕出かしたら、「お前、弱い者イジメみたいな真似、今度、やったら俺がお前をぶった斬ってやるからな!」と、脅しつけますよ。

 ならぬことはならぬ!と全身全霊で教えるのが親の勤めですよ。

 以前、暴力事件起こして警察の厄介になった知人が、全然、反省していなかったので、「お前、こんど、やったら両手両足叩き折ってやるからな!」って脅しつけたことありました。私の生涯で一番、怒ったかもしれません。

 どうしてか?というと、私が教えた技を使ったらしいからです。箔が付いたみたいな気分でケンカ自慢をしたので、本当に脳天かち割ってやろうか?と思いましたよ。

 震えながら逃げていきましたけど、小さい頃にイジメられたりして可哀想だからと教えてやったのに、自分から暴力事件起こすなんて、本当に情けなかったです。

 いや、仮に暴力事件起こしたとしても、誰かを助けるためだとかいった理由だったら怒りはしません。法律がどうこうというより、男として正義を通した結果なら、たとえ死刑になろうが、「お前は立派だ」って言ってやりますよ。

 暴力に屈服させられるのが嫌だから、私は武術やってきた訳ですが、これはつまり、いざとなったら戦うと決心している訳です。

 だから、これまでも随分と、いろんな、くっだらね~連中(主に武術関係者)から脅し文句言われてきましたが、「殺されたって他人の言いなりにはならん! 黙らせたかったら、やってみろ!」と覚悟しているので、屁とも思わないです。

 別に私が強い人間だからじゃないですよ。

 人間、生きるも死ぬも一度だけ。他人の言いなりになって卑屈にウジウジ生きるより、「やれるもんなら、やってみろ、このヤロー!」って開き直って死んだ方がカッコイイでしょ?

 そんだけ。

 他にカッコイイ理由なんかありません。

 私が不思議なのは、何で、カッコ悪~い真似をしたがるのかな~?ということです。

 弱い者イジメとか、権力を嵩に着るとか、匿名で誹謗中傷するとか、嫌がらせするとか、自分で自分を貶めているだけじゃないですか?

 そんな真似して自己嫌悪に陥らないんでしょうかね~?

 川崎の事件の首謀者の18歳の少年は、「年下とばかり付き合って威張る、根性無し」と揶揄されていましたが、やっている行動からすれば確かにその通りでしょうね。

 U君を惨殺した理由が、人気者なのを妬んで・・・っていうんだから、そこまで外道になりたいのか?と、唖然とします。

 まあ、そういう人間も居るのは、私も経験上、何人か知ってますけど、嫌がらせ程度で普通は止まるでしょう? 殺人にまで発展するというのは前頭葉が腐ってるのか?と思います。

 昔の不良は弱い者イジメだけはしない・・・とか、それなりにルールを持っていたと思うんですが、何だか、どんどん、そういう自制心が薄れていっているような印象がありますね。

 武術やっている人間だけは、そんな具合にならないで欲しいですね? イジメられてる人を見かけたら、「君たち、やめなさい!」って、割って入って欲しいです。

 そういうエエカッコウシイ親父だったら、どんどんやってください!

 もっとも、私は男だったら助けに行きませんけどね・・・。「青年よ、降りかかる火の粉は自分で払え!」と、心の中で呼びかけるだけで無視して通り過ぎたりします。

 えっ、冷たいですか?

 だって、大の男がイジメられてやられっぱなしになってるのって、ダメ過ぎでしょ?

 TVの検証番組で、女の子にチンピラみたいなのがからむのを助けるオタクとか居ましたよ? 人は見かけじゃないな~?と・・・。


 それから、ズンズン運動・・・。

 これ、TVのニュース番組で見た時に「あぶないな~」と思ったんですよね~。

 赤ん坊は、骨もまだ固まっておらず、整体とかやっちゃいけないというのが、その方面の常識なんですよ。

 この運動を考案したオバチャンは、医学的知識とか全然、無いそうですが、一種の新興宗教みたいな感じで広まったんじゃないでしょうか?

 特に頭部を揺らすのは危険ですよ。

 脳障害や頸骨の中の神経を傷める危険性があります。

 胸を圧迫するのも赤ん坊の場合は厳禁です。肋骨折れて内臓を傷つける危険性がある。

 何で、こんな危ない運動が広まったのか、不可解です。

 カイロプラクティックなんかの整体療法が問題になったのも、未熟な療法家を大量生産したからでしょう?

 一般に健康法というのは過剰にやったら逆効果になるものなんです。

 何事も、ほどほどにやるのが良いんですよ。

 結婚年齢が上がって、高齢出産が増えているせいで、ダウン症の子供が産まれる率が上がっていると言われます。

 で、このズンズン体操でダウン症の子供が治ると喧伝していたそうなんですが、「おいおい、そんな訳はないでしょう?」って思いましたよ。

 障害を持つ子供を持つ親は、ワラにもすがる思いで健康法や新興宗教に頼る場合がありますが、治療してどうこうという問題ではなく、それなりに生きていく知恵や能力を磨く訓練をさせるしか方法は無い・・・という現実を受け入れられなくしてしまうのは本当に酷いことですよ。

 似たようなインチキ療法家や拝み屋さんも巷間に少なくないですから、あまり信じ過ぎないことが肝心ですね。


 え~っと、赤トンボ研究者が教え子を殺して・・・って事件も、何だかな~?と、阿藤海みたいに首捻ってしまいますね。

「殺してくれ」って言われたから殺すって・・・アンタ、嘘つくのもいい加減にしなさいって感じですね。

 何か、どの事件も人間が劣化してる証明に思えます・・・。


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新作DVD『中級対錬』について

 新作DVDで紹介している中級対錬なんですが、「初級とどう違うんですか?」と聞かれるので、御説明しておきます。

 初級対錬は、自分は無構えで立ち、相手が中段(鳩尾の辺り)に突いてきたのに対して技をかけていく後の先の練習です。

 これは、体捌きと読みの養成が主な目的で、技は二の次です。

 どうしてか?というと、現実の戦いで中段突きで攻撃してくる人間は、まず居ません。

 無構えで後の先を狙うのも、余程、実力に差がないと成功は至難です。

 ですが、体捌きと読みの訓練のためには、稽古法として、この方が良かったのです。

 で、初級で充分に、読みの能力を高めて、体捌きも体得したら、今度は、もっと現実的な攻撃に対処するやり方に変えた方がいいのです。

 それで考えたのが、中級対錬です。

 これは、自分は太気拳構え等に構えておいて、ボクシング的に構えた相手がリードパンチ(ジャブ)を顔面に向かって出してくるのに合わせて、手捌きしながら技をかけていく方式です。

 つまり、対の先で合わせる、より実戦向けの交叉法の練習になる訳です。

 多少、格闘技の経験がある人間なら、構えたところから前手で顔面めがけてリードパンチを出して、二撃目か三撃目で仕留めるコンビネーション攻撃をするものです。

 ですが、一撃目のリードパンチに合わせて技を施すことで、二撃目以降を出せなくしていく・・・これが交叉法の考え方であり、相手に攻防の主導権を持たせないことに必勝の方程式がある訳です。

 よく、技術的な批判で、「游心流にはコンビネーションが無い。あれでは乱戦になれば勝てない」とほざく御仁がいらっしゃいますが、コンビネーションを使わないから勝てる戦闘法が交叉法なのです。

 交叉法の真価を理解できないから、「コンビネーションが必要だ」とか、たわけた言葉が出るのです。

 本当にバカ過ぎて話になりませんね。

 もちろん、うちの会員にもコンビネーションとか打ち合いが好きな人間もいます。

 いくら、「一発目で相手を崩して二発目以降を出させちゃダメだ!」と言っても、すぐに元に戻って打ち合いをしたがります。もう、本人のシュミだから、勝手にやらせていますが、そんなやり方を他の会員に教えたりしたら叱ってますけどね。

 要するに、闘いを楽しみたい人にとっては、うちのやり方はつまらないでしょう。

 相手の技を出させなくして、自分が一方的に倒す・・・というのを練習しているので、競技的な醍醐味はまったくありません。

「相手の技を受けて返す・・・ということは絶対にやるな!」と言っています。

 少なくとも、受けざるを得なかったら、受けたと同時に攻撃しなければなりません。

 受け即攻撃ですよ!

 本来の武術はすべてこの原理でできていた(過去形?)のです。

 交叉法は技ではなく、理合なので、個別の技で表現したら無数に技はあります。

 ですが、原理を無視した技は、たとえ数万の技数があっても無意味です。

 例えば、「空手道の受け技は、試合では使えない」と言われますが、これは原理から外れているから使えないのです。

 つまり、空手道の受け技は、実は受けではないのです。

 では、何か?

“受け流しながら攻撃する技”であり、交叉法で用いる“攻撃技”だったのです。

 このような誤解は、理合を知らないから生じる訳です。

 仕方がないですよね? 空手道界の先人が知らなかったのですから・・・。

 琉球手の遣い手たちが、「ヤマトンチューには教えるな」って、厳命していたんでしょうね~?

 まあ、そういう訳ですから、中級対錬を練習していれば、実戦への対応力も飛躍的に上がるでしょう。

 今回は、中級対錬を補完するための差し手の練習法と推手のやり方も解説しています。

 独己九剣は、追い燕と、流星ですが、これらも読みと動きの隙間に合わせる練習です。

 応用法は“寸延び短刀”でやっていますが、これは間合を瞬時に詰める縮地法を実は遣っています。が、自分で見直しても、よく判別できなかったので、気づく人はほとんどいないでしょう。

 間合の調節ができれば、無刀捕りも難しくなくなってきますから・・・。

 逆に、手裏剣は、遠い間合を剣を飛ばして縮める訳なので、縮空法?みたいなもので、空間を意識で埋める訓練になります。

 普通の武道や格闘技では、その種目によって間合は一~三つくらいしか使われません。

 離合(りあい)とか手合(てあい)とか言っていた人も居ましたね?

 ですが、間合を数値的に分類するのは、雑なやり方でしょう。

 空間把握能力の高い人だとmm単位で違いを認識できたりします。触れるか触れないかの微細な接点で技を駆使する内家拳や合気武術の場合、雑な間合感覚はむしろ邪魔になります。

 この感覚を高める訓練に、手裏剣は絶好だと気づきました。

 間合を5~10cmずつくらいずらして、離れたり近寄ったりしながら剣を打つことで、手のうちと力加減、剣を離すタイミング・・・等々の細かい処理を“勘”で行うのです。

 勘というのは人間の能力の中でも最も優れたもので、優れた職人の皮膚感覚は、どんな機械でも再現できなかったりしますね?

 勘を磨く訓練として手裏剣術は可能性があると思いますね。

 今回のDVDでは、家の中で練習する人のための的の作り方まで解説しています。これでホームセンターでコンクリート針を買ってきて練習してみたら良いと思います。

 試し斬りは流石にできないでしょうが、逆手袈裟斬りや、寸勁斬りの様子をご覧ください!

 詠春拳の木人椿トレーニングも実演していますから、詠春拳好きの方もどうぞ!

 後、セミナーの様子を映した映像が、何故か消失してしまっていたので、公園で練習する大石総教練と仁平師範の自由対錬も収録しています。

 二枚組の二万円(税込み)ですが、ヨロシクどうぞ


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東京支部演武

 7日の土曜日は、東京支部の練習会場である文京区勤労福祉会館のお祭りで、昨年に引き続いて演武をしました!

 去年は山田師範詠春拳小塚師範と池田会員による合気道、北島師範の空手と太極拳等々、いろいろやったんですが、今年は山田師範がアメリカに行っていたり、皆、用事で手伝えないということだったんで、小塚師範と北島師範と私で独己九剣の演武を中心に体験してもらおう!という、かなりテキトーな計画で臨みました・・・(汗)。

 別に失敗した訳じゃ~ありませんが、こういうのはあんまりテキトーにやろうとしてはいけませんね~(苦笑)。

 見にきてくださった方がほとんど御高齢の方々だったので、腰痛に効く体操とか、膝痛くても歩ける歩法とか・・・そういう感じになりました。

 模擬刀使うと印象が悪いかもしれないと思って鞘付き木刀で演武したんですけどね。

 私も、一応、二刀流とか無刀取りとか十手とかやりました。

 我々の後はマイケル・ジャクソンのなりきりパフォーマンスのダンスチームが演技されていましたが、やっぱ、芸として洗練されていますよね~。

 我々は、照れ笑いでごまかしながらテキトーにやってしまう癖があるので、大いに反省させられました~。

 来年は、もっとデラックスな感じ(意味不明)でやろうかな?


 劇団四季にも出演経験があるプロダンサーの松田英子先生も見にきてくださったので、終わってから駅前のパン屋さんの飲食スペースでお喋りして帰りました。

 途中、英子先生のスマホでポーランドの松田孝子先生(姉妹です)からの電話があって、何という偶然だ?と思いつつ、お喋りしました。

 日本に帰省した時は、何かイベントやりましょう!と盛り上がりましたよ。


 私は、武術関係の付き合いは必要最小限にしていますが、アーティストとの付き合いは大歓迎なので、そちらの付き合いの方が多いくらいです。

 9日に個人指導で来られたMさんも、打楽器操者のミュージシャンで、まだ演奏は見たことなかったんですが、ちっともアピールされないので、恐らく、相当な実力者だろうと思っていたんですけれど、この日はタンバリンを持参してきてくれて生実演してもらいました!

「うっひゃあ~! 予想はしてたけど、ずっとハイレベルだった~!」という絶技で、滑らかに連動しつつも独立して動く指先や手首関節などの撫で摩るがごとくの接触で多彩な音階が弾き出されてくるのに、まず、ビックリ!

 打楽器って、一つの音色だけと思ってたけど、こんなに多彩な音階が出せるなんて知らなかった・・・と思ったんですけど、こういう技をできる人はやっぱり少ないんだそうです。でしょうね・・・(苦笑)。

 コルトピースメイカーのファニングの技術で、一挙動で三連発撃つ超高度な技があるんですけど、Mさんは一挙動で数回、あるいはダラララララ~ッとイングラムMAC11サブマシンガンみたいに打ってるんで、唖然となりました・・・(手首から先が消えて見えない? 久々の、この速さ・・・)。

 聞けば、昨年末にタモリ倶楽部にも出演していたんだとか・・・。でしょうね・・・。

 私、音楽はさっぱり判りませんけど、この技の凄さは誰が見たって「凄い!」としか言えないと思いますよ。

 それでいて、「生活、カツカツです(微笑)」ってところがカッコイイですね?

 今、教本も書かれているそうなんで、遠からず脚光を浴びるんじゃないかな~?と思いますが・・・それにしても、うちは優秀な人材と縁ができる運命なのかな~?と、改めて思いました。

 取り残されないように私も頑張りま~す!

 さ~て・・・アニメのシナリオ募集作品の続きを書くか~?

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三月セミナー感想

 三月の月例セミナーは、下丹田(骨盤)から動くことの効用について指導しました。

 主に推手をやりましたが、この練習法は骨盤から動くことと、相手の押してくるテンションを感じながら、受け流していき逆に押し返す・・・という動きであり、予告していた“相手の動きに応じる”というものの典型です。

 もっとも、手順を説明するだけで手一杯になってしまって、具体的に相手の押してくるテンションを察知して動く・・・というところまでは教え切れず、これは次回以降に持ち越しするつもりです。

 これも毎年、やっていることなので、もう、あんまり細かく説明する気が起きなくて、どんどん実技練習で流していったんですが、丹田をダイレクトに開発する方法として、丹田歩法とは別に、振り棒の練習法については若干の説明をしました。

 これは3.5kgくらいの1mの六角断面の鉄棒なんですが、剣道のようなつもりで振れば、簡単に腕の筋断裂を起こしてしまいそうな重さです。

 まあ、ウエイトトレーニングやっている人だと振れることは振れるでしょうが、腕の筋肉で振り回してしまうと刃筋を立てる刀法は逆にできなくなってしまいがちです。

 新陰流や二天一流ではごく軽く薄い木剣を使いますが、これは刃筋を立てて刀の軌道を精密に描くように振るための工夫なんですね。

 昔、今の刀禅を教えていらっしゃる小用茂夫先生に、薄い竹の物差しを代用してゆっくりゆっくりと振るといいと教わって練習したことがあります。

 確かに軽いものを正確に振る方がずっと難しいのです。

 振り棒自体は、実は中学生の頃から練習していたんですね。戸山流の中村泰三郎先生の本で紹介されていたので、太い樹の枝を削り出した自作のものを一日千本振って練習していたんです。

 重さは測っていませんが、普通の木刀の2本分以上はあったと思います。

 なので、私は体格に比べて手首は細いのに前腕だけやたら太くなったんですよ。

 けれども、重いものを腕だけで振れば無理があることは自明で、後々になって、太い木刀を使う流派が、何のためにやっていたのか?と研究するようになると、肚と腰の鍛練、つまり、骨盤周りの鍛練だということが解ってきた訳です。

 肥田式強健術の腰腹練修法は鉄棒を使いますが、これも腹圧を掛けるための補助であって、重さに意味があるものではないでしょう。

 こういうことは形式的に単純に練習していても解りません。

 探求心を持って取り組まないと何の発見にも繋がらないでしょう。

 うちは研究会なので、教えた内容を単純に知識として積み重ねてもあまり意味がありません。

 普通は知識を積み重ねて練習の量をこなすだけなので、そういうやり方に慣れている人にとっては面食らってしまうかもしれませんが、理合を掴もうと考えている人にはいろいろヒントにしてもらえる筈?です。

 その証拠に、ちょっとヒントを教えただけで格段に伸びる人もいます。

 そういう意味では、何の経験もない人の方が飲み込みが早く、既存のやり方や常識に染まっている人ほど鈍いという現象が起こります。

 ただし、今回は小説講座の仲間の女性が参加されたんですが、日頃から身体を動かす習慣がまったく無かったらしいので、かなり疲れた顔をされていました。

 初めての人だと大体、疲労されます。

 それは、内容がハードだからではなく、慣れていない動きなので無意識に力んでしまうのが主な原因なのですが、気後れして身体が萎縮していた様子もありましたね?

 これは、何をどう学ぶ場合でもしょうがないと思います。最初からリラックスできる人は稀ですし、できたから良いというものでもありません。

 新しいことに取り組む時は、最初にうまくできないことをきちんと自覚しておいた方が後々、プラスになるのです。

 マズイのは、できていない自分を認識できないまま、既存の概念で分析して理解したつもりになってしまうことです。

 このパターンが一番、マズイです。

 こういう人はいつまでも上達できませんし、せっかく学んだことからも得られるものが無い(理解力が無い)からです。

 もっとも、会員でない限りは、私はそれを敢えて自覚させようとは思いません。

 経験上、いくら注意しても聞く耳のないような人は反感を持ったり逆恨みしたりするものなのは、これまで何度も何度も繰り返し見てきたからです。

 なので、聞く耳のない人は、「勝手に解ったつもりでいて頂戴」という放置プレイにするのが最近の対応です。

 冷たいと思われるでしょうが、本気で私に学びたい人達にエネルギーを集中したいので、興味本位なだけの人は金銭に見合ったレベルまで指導すれば、それだけで充分だと考えているからです。

 慈善事業でやっているのではなく、私が武術を指導するのは生活費を賄うためですから、そこはシビアに考えなくてはやっていけなくなります。

 では、金銭に余裕ができて趣味的に教えられるようになったら方針を変えるのか?と問われたら、さて、どうでしょうか? そうなってみないと何とも言えませんね。

 ただ、つくづく思うのは、現代で“武術”という文化は絶滅危惧対象であるということです。

 これは、セミナー後に参加者とも論議したことですが、民間に細々と伝わっている伝統療術も、国の法律が定めている範囲は極めて狭く、例えば、“ほねつぎ”の技術に関しても、天神真楊流に伝わる技術の全部ではなく、当然ながら様々な流派に伝わる医術の総和からすれば一部分という言葉を使うのさえ、ためらわれる程、部分的です。

 活法、調息(呼吸)法、筋整法、按腹、観念法、最近流行の腱引き法、薬法、金創法といったものは、法的に認められていないので、ほとんど伝わっていません。

 故・中山清先生はそれを憂いて武道医学を立ち上げた訳ですが、同様のことは例えば日本の和鍼にもあります(和鍼は中国鍼と原理が違うので、学んでも免許が得られず伝承内容が先細りしていく一方で、もはや完全に指導できる人は皆無に近い)し、関係者が必死の努力をして残そうとしても難しいものです。

 うちの会には柔整・鍼灸・身体均整・カイロ・・・と、大抵の手技療法のプロが居ますが、当然ながら腕前は千差万別で、「プロだから実力者という訳でもない」と聞きます。

 当然でしょう。武道や格闘技の師範でも実力や見識は大きな差があります。有名だからとか段位が高いからとか、私は一切、信用しません。

 ただ、実力のある人は、「断定的なもの言いをしない(見識が深い)」「流派や団体ではなく個人を評価する(あくまでも個人の力量の問題なのを理解している)」「自分からアピールしない(自信があるので他者の評価を求めない)」という点が共通しているので、話していれば、だいたい予測がつきます。

 私は、「法律で認められるかどうか?」という考え方はしません。

 法律は、所詮、その分野について何の理解も無い部外者が一般論という名の主観で決めてしまうのですから、いかがなものか?と思う場合がほとんどです。

 例えば、カイロプラクティックが日本で様々な問題になっているのも、医療行為として法的に認められていないからであると言われますが、多少、学んだ者として言わせてもらえば、インチキビジネスでやっている連中を全体と考えて、手技療法の一つとして立派な治療効果を挙げられる人達をも、いっしょくたに否定してしまうのは、あまりにも横暴過ぎるだろうと思います。

「カイロプラクターは、アメリカではドクターとして認められていませんよ」とのことでしたが、そんな公式に認められるかどうか?を、唯一の価値基準とするのは短絡的過ぎると思います。

 現に整形外科に通っても治らなかった腰痛が治って、感激してカイロプラクターになった主婦・・・とか、そういう人も少なくないんですから、現実に治るかどうか?という価値判断の方が確かでしょう?

 似た論理には、一部の中国武術家が性格が悪くて弱いのを例に挙げて、「だから、中国武術なんかダメだ」と言うに等しい。

 確かに、フルコン空手やっている人達の間では、このような短絡的な決めつけを平気で口にする人も多いですし、「長野さんは何で、中国武術みたいな怪しいのをやっているんですか?」と面と向かって聞いてきた人もいましたよ。

 何人も居ました。こういう人。「うるせーな、この野郎。疑問があるなら、やってやるから、掛かって来い!」って言ったら、逃げる・・・というのが、毎度のパターンですが、自分が挑発的なもの言いをしておきながら、相手が本気で怒ったら、逃げる・・・というのは、何なんでしょうかね? 強いの弱いの言う以前に、礼儀も何も解ってない! 「俺は強い」と威張りたいのかね?

 私は『空手バカ一代』の功罪の一つなんじゃないか?と思いますね。

 人が真剣に大切に懸命にやっている事柄を、他人が上から目線であ~だこ~だと批評するのであれば、相応のハラを括って言うのが礼儀でしょう。

 確かに、言いたくなる気持ちは解りますよ。インチキ詐欺師みたいな連中が跋扈している業界なんか綺麗さっぱり無くなってしまった方が世の中の為になるんじゃないか?とか思わないでもありません。

 でも、それは自分の見知った範囲でのことであり、主観を絶対視しちゃ~いかんですよね?

 もっともっと幅広く、客観的に、様々な社会的関わりや存在価値を考えて、大局的に判断していかなくてはいかんでしょう?

 私は研究家なんで、この点は注意しても、し過ぎることはないと思っています。情報を発信する側の人間なので、責任重大ですからね。

 これも、よく言われることですが、「現代医学に文句がなるなら医者の資格を取ればいい」という人もいます。が、現代医学と伝統療術では理論的にまったく別物であり、施術者として活動できる人は極端に制限されてしまう。

 特に気を観て感じる能力の有無によって施術効果が大きく変わる療術の世界では、向き不向きがはっきり現れてしまうので、習えば誰でもできるというものではありません。

 プロでやっている人でも何も解っていない人は随分、居ます。現代医学でも名医と呼ばれる人が少ないのと同じことです。

 療術の世界がインチキ詐欺師の温床となっている現実も知ってはいますが、その世界特有の長い研究成果もあり、真摯にやっている人達も少なくないのですから、ダメな例だけで一律に否定するような発言は謹むのが礼儀と私は考えます。

 現に、私は勉強はしましたが、自分には向いていない(専門家としてやるには気を感じる能力が鈍いので)と思って本業にはしませんでしたけれど、武術全体の研究には大いに役立っていますし、私ができなかった研究は仁平師範が進めていってくれると確信しています。

 明治以降は日本の伝統文化がかなり破壊されました。破壊されて西洋文化に慣らされてしまった今の日本人には、伝統的な歴史や文化の価値を認識できる能力すら失われて社会機能性の観点から「法律で認められないものは存在の価値無し」という乱暴な二元論で価値判断をすることに何の疑問も感じなくなっているように思えます。

 私は法律が絶対だとは考えませんし、「悪法もまた法なり」くらいの認識はありますが、積極的に法を人間の上位概念にする考えは持てません。

 何故なら、そのような考えは、「法に触れなければ何をやっても許される」という考えに容易に転換してしまうと思うからです。

 法律がどうであれ、人間としてやっていいことと悪いことの区別くらいつけられなければ、それはもう人間失格でしょう?

 川崎の中学生死傷事件も、「少年法で守られているから殺人も可?」だと考えなかったかどうか? そのくらいの計算はしていたんじゃないか?

 三人の少年の一人でも、「こんなことやっちゃダメだ! 俺たちは本物のクズになっちゃうよ」と身体を張って窘めていたら、まったく違う結果になったと思います。

 理想論に過ぎないことを承知で申しますが、法律が必要ないくらい人間が成熟した世の中を目指すのが、人類の究極の目標ではないでしょうか? それには、教育の充実が優先するでしょうね?


 私が武術研究を本気でやろうとしたのも、武道や格闘技に親しむ人達が武術については丸っきり理解しておらず、強いか弱いか?でしか存在価値を論じられない、恐ろしく馬鹿げた論理を振りかざしていたからです。

 晩年の松田先生が、何度か、「俺は悔しいよ。もっと若かったら、中国武術がどれだけ優れているか実証して見せたのに・・・」と言われていました。

 だから、素質も才能も無い弱い自分でも武術なら勝てると証明して見せたいと思って、私は既存のあらゆる武道や格闘技を研究し、弱点を探り、破り方を工夫しました。

 勝ってみせるしか認められないという現実があると考えるからこそ、徹底的に勝ちに拘って研究している訳です。

 負けは死・・・という武術の死生観に於いて、殴り合いの強いの弱いのを論じることそのものがピントが外れています。

 そのピントが外れていることを認識できない今の日本人にとって、本当に生き死にがかかった戦闘状況に遭遇した時に適切な対応ができるのでしょうか?

 私が目指しているのは、どこからどう見ても、格闘能力なんか皆無であるような女性や子供や老人が、屈強な暴漢をあっさりと撃退してしまえる“技術”です。

 無論、従来の武道や格闘技が無価値だと言いたいのではありませんから、誤解しないでください。

 ただ、素手での格闘技能を競い合うことに執着することは、現実的な生命の危機状況とは掛け離れています。

 もし、“実戦”を語るのであれば、最低限、ナイフや銃を持って殺意のある相手を想定した技術を研究していなければならないでしょう。

 その観点に於いて、今の日本はあまりにも無防備で無策であると言わざるを得ません。

 本来の日本の武術は、剣・居合・棒・槍・薙刀・手裏剣・弓・鉄砲・・・とたいていの武器術を学んだ後に素手の柔術が来ます。

 柔術そのものも、基本的に対武器の武術なのであって、素手同士で戦うことを想定していません。素手同士は相撲なのです。

 この辺りの事情は、『刃牙道』で宮本武蔵のクローン蘇生を描いたことで板垣恵介さんも哲学的なテーマとして考えられているのではないか?と思えます。

 もしかすると私の本を読んでの影響もあった?のかもしれません。もし、そうだったら、大変、光栄なことですが・・・。

 どっちにしても、真摯に戦いを考えていけば、行き着くテーマだったでしょう。

 私も、武術を始めたばかりの頃から今のような考えだった訳ではありませんが、漠然としたイメージとしては考えていたように思います。

 だから、武道や格闘技に「何か違うな~?」と、どこか違和感を感じて馴染めなかったのかもしれません。

 そもそも、試合という形式そのものに違和感があるのです。何で、第三者に見せる必要があるのか? 見せることに意味があるのなら、それは興行であり、ビジネス・スポーツであって武術の本質とは別物だ・・・という思いがありました。

 これは良い悪いと言っているのではなく、“別物だ”と言っているのです。

 見せる興行という形態であれば、ダンスや演劇、あるいは映画やTVドラマの中に組み込んだアクションとしての武術表現が良いのではないか?と思っています。

 何故なら、武術の技をまともに使えば相手に致命傷を負わせることになりますから、演出を加えた演技として表現するしか見世物としての芸の本道は無いでしょう。

 リアルではなくリアリティーが大切です。

 真剣で斬り合えば、ちょっと当たり所が悪かっただけで死んでしまうでしょう。それをリアルな勝負をすべきというのは殺し合いをしろと言っているのに等しい。

 無論、武術は殺し合いを目的にしているのではありません。殺される危機を回避するための戦闘術なのです。

 よって、「逃げるが勝ち」という手段が発想されるのですが、これまた「逃げ足が早ければ大丈夫」という単純な話にはなりません。

 これは誰でも考えるのですが、複数の敵に囲まれていたり、狭い場所に追い詰められていたら逃げられません。

 つまり、逃げ足の早さが勝ちに繋がると考える人は、無意識のうちに敵は一人で広々とした場所だと決めてかかっている訳です。

 少し前に通り魔に殺された少年は、背中を向けて逃げていて防御できずに背中にナイフを何度も突き立てられて死んでいます。逃げずに立ち向かう方が助かったかもしれない。

 動画で見ましたが、危険を感じた猫が後ろ脚で立ち上がり、横歩きで逃げたりしていました。コミカルに見えますが、これも、敵に背中を向けたら危ないという本能的な反応として、そういう奇妙な動き方をしてしまったのでしょう。

 もし、通り魔に出会ったら、下手に逃げずに、相討ち覚悟で殺意を込めて睨んでください。“睨みつける”というのが実は非常に効果的です。圧倒的な戦力の差をも時に覆してしまいます。パワハラ上司の撃退にもいいですよ。

PS;徹底解説シリーズ最新作DVD『中級対錬』二枚組、完成しました! 中級は、より実際的な組手スタイルの攻撃への交叉迎撃法の型です。独己九剣は、追い燕・流星の二つ。そして東京支部長による手裏剣術や木人トレーニング、逆手試し斬りと寸勁斬り伝承。差し手と推手の解説など。最新作が最高傑作!です・・・。

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独り練習

 最近、会員の上達が目覚ましいので、私が取り残されていてはシャレにならんと思って、道場のゴミ出しに明け方前に行って、一時間程度、試し斬りと手裏剣、杖術、居合抜きなんかを練習しています。

 27日の金曜は朝3時に道場へ行って、試し斬りに使ったマキワラの、まだ練習に使えそうな長さのものをライトスタンドに装着して、いろんな斬り方を試しました。

 佐原先生の教えに従って、とにかく数多く斬ってみることも重要だと思った訳ですね。

 ホームセンターで畳表のゴザ買って使ってる訳ですが、一畳分で千円近くするんで、ケチッて半畳に切断して使ってるんですが、最近は自分で練習するより会員に斬らせているんで、もっと藤岡先生や滝田先生みたいにザックザク斬って練習したいんですよね~?

 畳屋さんから古い畳表をタダで貰ってこれたらいいんですけど、車が無いと大量に運べないでしょう?

 それで、ホームセンターで二畳分買ってきて使ってる訳なんですけど、我ながら貧乏臭いな~と・・・。

 専門試に載っている写真や動画で見る試し斬りやっている団体の先生って、専用の刀使って専用の台使って、バンバン斬って見せたりしていますが、何かね~・・・斬ってる時の鬼のような形相とか見ると、「この先生とは付き合いたくないな~」とか思う訳です。

 私、武術研究の一環で手相や人相も研究したんですけど(プロの占い師に「プロになれますよ」と言われたことあります)、どうも、この方面の方は我の強さがオーラになって放射されてるんですよね~?

 技に関しても技巧より腕力で斬ってるみたいな人が多くて、そういうのは、私はパスしたいですね。

 やっぱり、青木先生のようにヘナヘナ~ッとしつつもスカーンッとぶっとい竹が斬れるとか、草刈りするみたいに普段着でヒョイヒョイ斬ってる直心影流の先生とか、そういうのがカッコイイんですよね~。

 まあ、そうは言いつつも、筋力以上の威力を出すには、やっぱり瞬間的に物凄い超高速で刀が走らないといけない訳で、そういう練習は万が一、刀がすっぽ抜けたり走り過ぎたりしたら危険なので、独り練習でしかやりません。

 なので、この時も、まだ一回くらい斬れそうな長さのマキワラを選んで、スタンドに差して練習しました。

 実は鞘からの抜き斬りの練習をしたかったんですが、一回やったら、マキワラが飛んでしまってダメでした。

 半分くらい切れ目が入っていましたが、やや間合いが遠かったようです。

 町井先生はこれで飛んでくるBB弾斬っちゃうんだから、とんでもない技量ですね?

 でも、もう斬れないので、この技は諦めて後は逆手斬りの練習をしました。

 もっとも、切れる範囲が狭いので片手で振ると外れてしまいますから、右手は逆手にして左手を普通に掴んで、寸勁斬りの間合で斬りました。

 これは上手くできました。

 寸勁斬りも大分、慣れてきましたね。北島師範小塚師範もできるし、游心流のお家芸にしておきましょう。

 調子に乗って斬っていたら、ザクッと、またもや芯棒に斬り込んでダメにしちゃいました。あ~、また、削り出さなきゃ~・・・。


 その後は、ワルサーPPK/Sの試し撃ちをやりました。5m離れて、ほぼ同じ箇所に当たるので、中々、性能が良いです。威力もそこそこあります。装弾数も22発もあるので、護身用に持ち歩けそうな感じですけど、まあね~・・・悪用するヤツの方が多いだろうから、持ち歩くのはお勧めできませんけどね。

 本物の銃は、こ~んな小さいのでも一発で人間の命を奪ってしまえるんだから、恐ろしいですよね~?

 武術なんか、長く修行しても、一発で暴漢を撃退できるだけの技量には、そうそうなれませんからね~。それ考えると空しいよね~?

 で、空しくなってきたので試射はすぐ止めて、手裏剣をやりました。

 わざと回転させて遠くの的に当てる・・・というのも、ちょっとやってみようと思って、三間離れて反転打法で打ってみました。

 すると、極細コンクリート針と畳針がうまくプスッと刺さって、ちょっとビックリしましたよ。

 でも、安定した軌道で飛ばすのは無理なので、二間で直打の練習に切り替えました。

 こういうのは普通に投げれば自然に回転してしまうものなので、回転を抑えて直打で打つというのは手の内とかフォームとかいろいろ注意しないといけないので、何か、面倒臭いです。

 人差し指に添わせてみたり、中指に添わせてみたり、端っこを摘まんでみたり、左足前、右足前で打ってみたり、いろいろ試してみましたが、どれが正解という訳でもないような気がします。

 ただ、私の場合、手刀で斬るようにして親指で押し出すように打った時に、手裏剣が安定して飛ぶような感じがしたので、これでしばらく打ってみましたが、意識的にビュッと腕の振りを速くしてみたら、非常にいい感じに刺さりました。

 そういえば、腕の振りが速い人が真っすぐ飛んでドスッと刺さっていたな~?と思い出したので、しばらく、これで研究してみようか?と思います。

 しかし・・・最近、ちょっと肩が痛くなったりしていて、私は肩痛は経験が無かったので、やっぱ歳かな~?と思ったんですが、よく考えたら“手裏剣やり過ぎただけ”でした。

 ふと時計を見ると、3時50分になっており、「はっ、今日の『めざましアクア』は長野美郷ちゃんだから、早く帰んなきゃ~」と、ちらばったマキワラのカスを掃除してゴミ袋に詰め、戸締まりして鍵かけて帰りました。

 途中でゴミ捨て場にゴミを捨てて、帰りついたら4時01分。グッドタイミングでした。

 さて、告知です。

 3月の月例セミナーは、『下丹田の開発と骨盤から動く』です!

 身体操作の根幹は、体幹から動くことですが、今回は自分から動くのではなく、相手から動かしてもらうやり方を解説してみようかと思います。

 意味がわかんないですか? 参加すればわかりますよ。

 要は、原理が解れば、やり方を逆にしても成立したりするもんなんですよ。実際。

 先日、青木先生にお誕生日おめでとうメールしておいたら、お電話頂戴して、ちょっと長話しました。

 青木先生は若い頃から物凄いハード・トレーニングを続けてきたから、79歳になっても止められないみたいなんですね。

 3.5kgの刀袋を400~500素振りして、熱海の山の急勾配の坂道を4kmばかり走ったら、心臓に違和感があったので病院で診てもらったら、医者から爆笑されたと。

 お断りしておきますが、青木先生は両膝故障してるし腰椎の手術もしているんですよ。

 普通の人間だと立って歩行できないと思いますよ。

「長野さ~ん、俺も79歳になっちゃって、日々、老いをヒシヒシと感じるんだよ~」と言われたってね~(笑)。

 私は52になったばかりですが、先日、拳立て伏せやろうとしたら一回もできませんでしたし、30秒くらいダッシュしたら死ぬかと思いましたよ。

 ちなみに私も研究用に買った3.5kgくらいの鉄の振り棒持ってるんですけど、たま~に、ゆっくり数回振るくらいしか使いません。これを少し使った後だと重い刀が凄く軽く感じるので・・・(脳を騙しているだけですが)。

 この重量だと剣道やってる人でも一回もまともに振れないでしょうね。筋トレのつもりでやってしまうと無駄に筋肉が肥大して武術的にはマイナスになってしまうんですが、逆に腕の力を抜いて骨盤に乗せるつもりでやると丹田トレーニングになるんですよ。

 直心影流の振り棒や天然理心流のぶっとい木刀も、筋トレじゃなくて、下丹田を精錬するために使っていたんでしょう(これはセミナーの時に解説します)。

 青木先生に限った話ではなく、ハードな訓練を続けている先生は、それが絶対に必要なんだと主張されます。

 が、私は疑問なんです。

 だから、わざと「青木先生、逆もまた真ですよ。全然、練習しないでも上達できることを証明してみせますよ~。フッフッフ」と、大言壮語しちゃいましたよ。

 私は理論的に効率良いやり方を考えているだけで、戦って勝つにはどうすればいいか?と年がら年中考えてる訳です。武術は、肉体に頼っていたら怪我したり病気したりした時にダメになっちゃうでしょ?

 でも、そういう最悪の状態の時こそ戦えないと意味がないじゃないですか?

 私はそう考えてるので、とても勝てないと思える条件で、いかにして勝つか?を研究してきた訳で、「強い方が勝つ」という考え方は捨ててしまいました。

 今のところの結論としては、「弱点探って、そこだけ攻める」。

 どうですか? 当たり前過ぎて逆に納得がいかないでしょう? 武道やってる人だと余計に認めたくないんですよ。こういう考えは。

「動いている人間の急所にそんなに簡単に当てられるものじゃない」って言い出すんですけど、それは大きな勘違いです。“動いた瞬間に急所ができる”からです・・・。

 じっと動かずに、カウンター狙ってる相手に当てる方がずっと難しいのです。

 ちょっと、説明しましょうか?

 パンチを出したら腋の下が開きますね? 腋の下は鍛えても筋肉が付かないので脆い。

 蹴りを出したら股間が開きますね? 股間が急所なのは言わずもがなだし、片足立ちになればバランスを保つのは難しく軸足そのものが弱点になります。

 ねっ? 動けば急所がガラ空きになるんです。こんなチャンス、狙わない手は無い!

「空手に先手無し」とか、「先に動いた方が負ける」と言われるのは、このことを言ってる訳で、観念的な話じゃないんですよ。非常に具体的な戦闘理論を教えている訳。

 私が「自分は全然、弱いですよ~」と一方で言いながら、「実戦で強いだの弱いだの関係無いよ」と平然と矛盾するようなことを言えるのも、このような攻防時の原理を研究しているからです。

 攻撃の瞬間に急所がガラ空きになると解っている私は、相手が攻撃してきてくれたら、「やった~!」という気持ちですよ。正当防衛も成立し易くなるでしょ?

 大体、強がってる人は、こういうことを全然、解っていません。考えたことすら無い。

 攻撃力が高ければ勝てると極めて単純に考えているだけです。おまけに、大した攻撃力も無かったりするんだからギャグみたいですよ。小学生が腕自慢してるみたいな自称武術家が現実に居ますからね~。

 以前、「ナイフ一本あれば、どんな格闘技の猛者にも勝つ自信がある」と書いたことありましたが、「ナイフ一本くらいでプロの格闘家に勝てる訳ないだろ」と反論するマニアがいました。

 最初からナイフを振りかざしていれば対処できるかも知れませんが、ナイフを持っていても持ってないフリをしたままの相手を素手だと思って通常の格闘技の技を仕掛けていったらどうなるでしょうか?

 空手家や柔道家が、この手に掛かって、あっさりと殺された事件もあります。

 急所を刺されなければ大丈夫だと考える人もいますが、太い動脈切られたら、病院に到着するまでに出血多量で死ぬ可能性も高いでしょう。

 武道やっている人間は特に、正々堂々と戦って勝ちたいと思う訳です。

「卑怯なセコイやり方で勝とうなんて考えてはいか~ん!」と青木先生も、お弟子さん達に指導したそうです。

 心意気は良し!としても、いかに青木先生と言えども、この点だけは、私はまったく賛成できないですね~。

 現実の戦いは、自分がやらない残酷で陰険なことも、相手はやる可能性がある・・・と考えて、“卑怯卑劣な騙し討ち”に備えておくのも武道家の心得だと思うからです。

 無住心剣術の伝書にも、多数に襲われたら刀に拘らないで殴ったり蹴ったりして逃れよ!って書いてありました(そういうのは畜生兵法だって否定してた流派の筈なのに?)。

 世の中で綺麗事だけでは対処できない出来事はいくらでもあります。自分が汚れ役となって戦略戦術を駆使して守らねばならない場合もあるでしょう。

 武術は、その必要悪としての暴力ではない“防衛力”を養成するものでしょう?

 私はそう思ってるので、洞察力の無い人達にどれだけ悪人扱いされたって、ちっとも気になりません。悪人、結構! 無能な善人よりずっといい!

 終始一貫して自分の真義を貫いてきたという自負があるので、他人の評価なんか関係ありませんよ。最後には、「結局、長野が言ってたことが真実だったんだ」と、誰もが認めるのが決定事項だと“読んでる”からです。

 そうでなかったら、自殺するか田舎に帰るかしてますよ~(苦笑)。

PS;3/1の日曜稽古会は私が寝過ごして慌てて道場に行ったら、幹部は急用で来れず、雨で寒かったせいか、他の会員も来ませんでした。それで独りで手裏剣やったり細竹の試し斬りやったりしたんですが、堅い竹を斬るのに、つい力んでしまって、アルミ合金のスタンドに思いっきりぶつけてしまい、刀が刃毀れしてしまいました。やっちゃった~と思って、持って帰って、ダイヤモンドヤスリでシャシャシャーッと研いで刃毀れした箇所を削り直して均しましたが、やっぱり新刀だとこうなるか~?と思いましたね。以前、同じようにぶつけた古刀はビクともしていなかったのですが・・・。

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岩槻映画祭で

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 2013年の秋に撮影した『GrimReaper』が短編コンペ部門に入選したので上映される・・・との、ながせきいさむ監督からの連絡を受けて、観に行ってきました。

 粗編したものは一年前に観せてもらっていたんですが、完成版は観ていなかったんですよね~。

 ながせき監督はアイドル事務所の育成プログラムとして連作で撮っていたので、自主製作とは言っても、中身はプロ仕様。演技指導も結構厳しく、粘りに粘るので、撮影は数日ですが、それはもう体育会の合宿のような現場です。

 しかし、だからこそ、出演したアイドルの女の子達はメキメキと演技力が上がり、一作毎にオーラの輝きが倍増していくのです・・・。

 最新作の『いちごジャム』も上映されるとのことだったので、そちらの上映時間に間に合うように・・・と、出発したものの、乗る予定の電車に3分ほど間に合わず、次の電車で出発しました。

 まあ、予定の電車で行けば、上映時間の一時間半も早く岩槻駅に到着してしまう計算だったので、全然、余裕だと思っていたんですが・・・。

 なんと・・・岩槻に到着したのは予定の上映開始時間を10分過ぎた頃・・・。何故、こんなに誤差が?

 取り敢えず、この手の上映の場合は何だかんだと時間がズレ込むのが常識ですから、タクシーで会場に向かえば大丈夫だろう?と思って、迷わずタクシーを使いました。

 タクシーに乗ってよかったですよ。結構、駅から離れていて歩いてくるのは難しい感じでしたよ。

 運転手さんも、「何かイベントでもあるんですか?」と質問され、「映画祭で友人の作品が上映されるんです」と言うと、「あ~、そうだ。映画祭だって言ってたな~?」と。

 で、会場に到着して受付をすると、私は上映作品関係者ということで、関係者向けの受付で名簿に名前を書いて入りました。

 開始時間から20分くらい過ぎていましたが、案の定、まだ始まっておらず(開始時刻ちょうどに始まる方が少ないという読みが当たった)、ながせき監督達が座ってる席がわからなかったので、適当に前の方で座りましたら、小声で「長野さ~ん」と呼ばれて、振り向くと、ながせき監督と主演の鶴巻星奈さん達が居ました。

 鶴巻さんとは一年ぶりくらいですか? 撮影の時以来だから、もうちょっと長いですかね? 久しぶりに会ったら、何かオーラがハンパなく出ていて(一瞬、虹色だったので驚いたよ)、10代女子の成長の凄さにビックリしましたね~。

 で、『いちごジャム』を観て、またビックリ!

 芝居が偉い上手くなっていて、主人公のライバル的なヤな女の子役だったんですが、何かカッコイイんですよ~。壁ドンもするし・・・(笑)。

 この作品は私はノータッチだったんですが、うちの千葉さんが主人公のお父さんのミュージシャン役で出ていてコメディリリーフ的な芝居を披露しているんですが、私が見てきた中で一番、いい芝居を見せてくれています。

 要は、女子高校生のバンド結成物なんですが、笑うところは笑わせてくれるし、泣けるところもウルッと来る。

 これは簡単なようで凄い大変ですよ。

 特に、バンドメンバー一人一人のキャラクターの描き分けが上手い。お嬢様も居れば、ヤンキー娘も居る・・・。実に魅力的に描いている。

 アイドル映画なら、「昔、いまぜき(今関あきよし監督。アイドル映画しか撮らない人で有名)、今、ながせき」と言われるようになれるんじゃないかな~?と思います(嬉しくない?)。

 非常にオーソドックスな話なんですが、突飛な表現に逃げないところが立派!

 映像表現に凝って、観客そっちのけで自己陶酔するような作家性を振りかざす監督も日本には多いと思うんですが、観終わって、ゲンナリするようなものじゃダメだと思うんですよね?

 ながせき監督は娯楽映画を気負わずきっちり撮れる人で、しかし、その中に自身の拘りを頑固に挟み込む・・・そんな作風だと二作御一緒して思いましたね。

 恐らく、現時点で『いちごジャム』が、ながせき監督の代表作と言えるんじゃないでしょうか? カメラワークとか若干の粗も感じましたが、そこが気になるというのは全体の完成度が高いからなのです。下手な映画はど~でもよくなりますから・・・(笑)。


 さて、『GrimReaper』は、しばらく後からの上映だったので、会場の外に出て監督やプロデューサーと話したりしていましたが、やっぱりアイドル親衛隊のファンの人達も観に来ていたらしく、メインキャストのアイドル達と一緒に写真撮ったり、なごやかでした。

 で、『GrimReaper』が始まる少し前にまた会場に入りましたが、その回で上映されていた『あやかしの世界』の妖怪の特殊メイクの凄さに唖然としてしまいました。

 河童、天狗、竜・・・等々、何か、異様に完成度高い。誰が造ったんだろう?

 昔の大映の『妖怪百物語』を思わせる百鬼夜行シーンもありましたが、もう一回、ちゃんと観たいな~?と思いましたね。さいたま市の伝説をベースにしているそうですが、幻想的な作風は私好みでした。

 岩槻映画祭、恐るべし!

 短編コンペ部門プログラムCで、三作品が上映される中の二つ目に『GrimReaper』が上映されましたが、短編と言っても32分なので、ストーリー性は一番でしょうね。

 短編というと、大概、一発ネタでストーリー性の無いイメージ的なものかコメディになるものなんですよ。他の二作が、まさにそうでした。

 完成版を観るのは初めてで緊張しましたが、以前、感じた欠点と思えるところはすべて改善されており、また、大きなスクリーンで観ると、やっぱり違うな~?と思いました。

 ちょうど、『少女ヒーロー読本』(早見慎司著・原書房刊)という本を買ってきて読んだばっかりだったんで、「これぞまさに少女ヒーローそのものだ!」と思いましたね。

 撮ってる最中にも思ったんですが、『スケバン刑事』と『エコエコアザラク』のテイストが濃厚なんですよ。

 主人公が正体不明(名前すら判らない)の謎の少女であり、パイロキネシス(発火念動力の持ち主)の能力者である・・・という“戦闘美少女”な訳ですよ。

 戦闘に向かう時にセーラー服に着替えるところとか、“わかってる”!

 その上、当初は設定になかった格闘能力も撮影段階で付加したので、超能力使わなくても相当、強いんですよ!

 最初の監督のイメージでは肉体を駆使したアクションをやるつもりは無かったそうなんですが(つまり、クロスファイアの矢田ちゃんだった訳)、計画を進めている段階で、監督が「やっぱり、アクション入れたい! スタントウーマンを使いたい」と私に相談してこられたので、つばさ基地を紹介してMIさんを紹介してもらった訳です。

 で、悪徳刑事と深夜の公園で格闘するんですが、監督がまたムチャ言い出して(苦笑)、「公園の横を通っている電車の光を背景に格闘しているシーンが撮りたい」と・・・。

 相手役の高杉心悟さんはキックボクシングの心得があるからアクションは大丈夫だと言うんですが、「おいおいっ、初対面で立ち回り合わせるのがやっとなのに、そんな難しいことできると思ってんのかよぉ~っ!」って思いましたよ~。

「格闘技の心得がある人は当てる癖があるから逆に難しいんだけどな~?」と、これも心配・・・。

 いつも高瀬先生が言われるように、“アクションは武道や格闘技の経験が実はほとんど役に立たない技能”なんですよね~。基本的に・・・。

 でも、現場にお母さんと一緒に来てくれたMIさんは、流石にあの秋本つばささんの教え子だけあって、予想以上の素晴らしい動きで高杉さんの結構マジなキックとかを見事に捌いてアクションを極めてくれましたよ!

 高杉さんもMIさんを大絶賛してましたね~。

 ま~、裏話をしてしまえば、仕事が終わって車をかっ飛ばして現場に駆けつけてくれた秋本さん自ら立ち回りの手を考えてくれたから・・・なんですけどね。

 だから、秋本さんから、「もうちょっとで到着しますから、それまで待っててくださ~い」と携帯に電話があった時は、正直、「助かった~」と思いましたよ。所詮は素人の私の演出では、無理な条件だったので・・・(電車が通っている7秒間にシルエットでカッコイイのをやってくれ!って・・・ムチャぶり過ぎです・・・)。

 一応、アクション指導のクレジットタイトルでは私の名前が先になっていますが、それも秋本さんが私を立ててくれているのであって、実際に私が指導したのはナイフの使い方と拳銃の使い方くらいでしたね。

 武器は全般的に何でも使えるんで、私・・・。

 あっ、ナイフはシラットで使うカランビットナイフを渋谷のナイフ専門店ジ・エッジで買ってきて安全のために刃はヤスリで潰しておき、型取りして厚紙で模擬ナイフも二つ作りました(一つは刃が折れるシーン用)。

 あらためて観ると、悪役の高杉さんの凶悪なキャラがあるからこそ、復讐のエモーションにカタルシスが感じられるんですね。本当に、悪いヤツだもんな~?(笑)

 それにしても、鶴巻星奈さんは、佐伯日菜子が主演したエコエコアザラクを彷彿とさせるミステリアスで哀愁をたたえた演技で、カッコイイです! 多くの人に観てもらいたいですね~?

 と、上映が終わってから、後ろの席から話しかけられて、オヤッ?と思ったら、スタントアクションを演じてくれたMIさんのお母さんでした! 御本人が試験で観に来れなかったので代わりに来られたそうでした。いい親子だな~?と、羨ましくなりましたね。

 私は本当に親兄弟や親戚から随分、長い間、まるっきり理解してもらえなかったですからね~?

 本当に応援してくれた叔父さんは早く亡くなってしまったしな~。

 今でこそ文筆業が順調ですし、武術研究家としては私がぶっちぎりで日本で一番だと自負してますけどね・・・って、こう書いたら、「長野、えらそうにすんな!」とか文句言いたがる人がいるんですけど、悔しかったら私になり替わって武術研究家としての実績をあげてみればいいんですよ。

 本の一冊も書いたことないような人間が作家名乗ってたら、誇大妄想だと思われるでしょう?

 批評なんか誰でもできるけど、実際に作品を作り出すのは全く次元が違うことなんですよ。

 ながせき監督は、初監督作である『ミリタリーむすめ』をこのまま埋もれさせたくないと、何とか世に出すことはできないか?と、リメイク作品を作って同時発売はできないか?と言っていたんですが、今、リメイクしたら相当な傑作が作れると思います。

 志しを持つクリエイターに関しては、常に“最新作が最高傑作”なんですよ・・・。

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著者プロフィール

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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