コンテントヘッダー

発勁と当身について

20150814_001.jpg

 最新DVD『発勁と当身』について、少しばかり背景を解説しておこうと思います。

 発勁に関しては、私は具体的なやり方を誰かに教わってできるようになった訳ではありませんが、一番、参考になったのは、戸隠流忍法の道場に通った頃に、「体で当てる」というコツを教わったことが切っ掛けでした。

 これが、現在の私が提唱している“重心力”の発想に繋がった訳です。

 戸隠流忍法の技は複雑怪奇な逆や投げの変化技が特徴のように見えますが、実は当身が主体なのだそうです。危険なので、当身でなく逆固め技を多く使うようになったそうですね。

 だから、当身の多彩さは日本武術の中でも群を抜いているのではないか?と思えますが、個別の当身のやり方を修練する通常の基本稽古より、技の応用変化を直感的に駆使する感覚技法の練習が主体にされているようでした。

 先代の高松先生の映像を見ると、割りと基本練習が主体だったのかな~?という気がするんですが、だとすれば、現在の戸隠流忍法の稽古スタイルは初見先生が編み出したものなのかな~?という気もします。

 恐らく、初見先生が習っている中で、「ここが肝心なんだ!」と直感されたのかもしれません。

 この“直感”というのが武術に限らず習い事では非常に大切なものです。

 習ったものをそのまま変えずに伝えるのが伝統武術の正しい在り方だという認識が支配的ですが、それは、世界の武術事情からすれば特殊な考え方であり、大抵の国の武術が発展的に内容が変わっていくのが普通のことであり、それは中国の伝統武術も同様です。

 中国武術の型(套路)は、固定されたものであると考える日本の武術愛好家が多いのですが、実は、建前として日本人の嗜好に合わせてそう教えただけである可能性が高く、ある伝統武術の大家を招いて秘伝の套路を教わった団体が、数年後にもう一度、大家を招いて復習しようとしたら套路が丸で変わってしまっており、「以前に教わったのと違う」と文句を言うと、大家は不思議そうな顔で、「何を言っているんだ? 時間がたてば研究が進んで套路が変わるのは当たり前ではないか? 套路は形や手順を覚えるのではなく、形に秘められた拳理を体得するためのものだ。そんなこともわからんヤツは覚えるだけ無駄だな~」と、ため息をつかれたのだそうでした。

 ちょっと、考えればわかることです。

 由緒ある伝統的な武術の名門でも、「自分のところが本道である!」と主張する継承者が何人もいたり、どんどん分派していったりするでしょう?

 こういう現象を由々しきことだと考える人が多いのですが、私は当然のことだと思っています。

 学んだ人間の理解度や熟練度、考え方、身体の癖、思想、美意識、野心、欲望・・・等で技や体系が変わっていくのは当たり前のことでしょう?

 例えば、私のところも、何年も前に習っていた人が来ると、あまりにも練習内容が変わっているのに面食らってしまうようで、現会員と練習しても丸でついていけません。

 それは、私の研究が進むのに従って、常に内容をバージョンアップしているからなんですが、これは毎年、セミナーを受けている人なら実感されると思います。毎年、ほとんど同じテーマを繰り返しているのに内容は違うものになりつつ、教え方は逆にシンプルになっていくからです。

 もちろん、基本的なカリキュラムは游心流を立ち上げた頃から、そうは変わっていませんが、新しい練習法を加えていったり、従来のやり方を改良する作業は時々やっているので、久しぶりに参加した人は面食らってしまう訳です。

 武術の場合、要は効率よく人を殺傷する技術を追究する訳ですから、正義感のある人間でないと猟奇的になりかねません。

 だから、明治以降、戦後以降は、どんどんスポーツ化して本来の殺傷テクニックは捨てられていった訳ですね。

 当身もその中で捨てられたテクニックでした。

 柔道、剣道、合気道にも本来は当身がある訳ですが、練習もされないし研究もされないから廃れてしまった訳です。

 よって、当身に近い突き蹴りを主体とする空手を導入する人が多かったんですね?

 戸隠流忍法の先代宗家、高松先生は戦前に軍事探偵として中国大陸に渡っていて、そこで中国の武術家とも交流したそうですから、当身のやり方が中国武術の発勁に近くなったような印象もあります。

 特に蹴り技は太極拳のトウ脚そのままのものもありますし、八卦掌のお家芸である暗腿技法のような技も多くあります。

 なので、戸隠流忍法の当身のやり方から中国武術の発勁の技法に迫ることができると直感し、サンドバッグを打って研究しました。

 その後、実際に中国武術を学ぶようになると、各門派のやり方を比較研究するようになりましたが、決定的だったのは、やはり友寄隆一郎先生の技を実際に見せてもらったことが大きかったと思いますね。

 軽霊絶妙にして鋭利さと重厚さを併せ持つ機能美の極致でしたよ。あの見事さは今でも脳に鮮烈に焼き付いています。

 友寄先生の絶技には比べるべくもありませんが、お陰で私程度でも発勁の威力と用法に関して他に遅れはとらない自負心が得られました。

 また、発勁という言葉を広く知ら示した松田隆智先生から、「自己流でそれだけできるようになったとは信じられない」と、高く評価してくださり、晩年の交流を頂戴することができたことも、僥倖でした。

 そもそも、松田先生の著書と出会うことがなければ、私は武術研究の道を志すこともなかったでしょう。

 体格も体力も無い運動神経も鈍い私が、長く修行しているいろんな流儀の人に教えていけるというのも、松田先生に導かれたようなものかもしれません。

 そして、発勁と当身の関係性を多角的に研究する切っ掛けになったのは、新体道との縁があったからだと思います。

 実は、今だから書けますが、私の武術研究に指針を与えてくれた人がいます。

 その人は私と同様に甲野氏に学びながら疑問を持ち、甲野氏をブチのめして?離れたらしく、独自の直感的な武術研究成果を残して武術の世界そのものから離れました。

 もう武術の世界から離れている人なので名前を出して欲しくないそうなので、これ以上は書けません。

 詳しく書くと中編小説が書けるくらいなので割愛しますが、その人がやれなかったことを私が完遂しようとしている?・・・ような気もしています。

 いや、こう書いてしまうと正確でないかな~? 同様の関係性は何人もの方との縁が私にはあるからです。

 例えば、新体道との縁が深まったのは、気楽会を主宰していた中村先生でした。

 しかし、何の因果か? 現在では私の方が青木宏之先生と親交を深めています。

 これは、青木先生が他者を差別しない人である点と、後はフィーリングが合う人が付き合いが深まる・・・というだけの話なのかもしれません。

 先日、母親の葬式に帰って以降、一時的に高まった郷里に対する郷愁のようなものが日々、薄れていっています。

 どうしてか?というと、“価値観やフィーリングが合わない”からです。血の繋がりよりも、気が合うかどうか?ということの方が今の私にとっては大切なんですね。

 目指す方向が違うと、兄弟でもまったく違う人生を歩むことになります。私は兄と弟がいますが、二人とも武術には何の興味も示しません。完璧に普通の人生を歩いているので、私の生き方がどうにも理解できないみたいです。いや、理解の外なんでしょう。

 それどころか、田舎に帰れば、私の異質さだけが浮き彫りになってしまうようで、もはや、理解してもらおうという気すら起こりません。

 寂しいような気もしますが、無理解なままで関係がこじれる前に、別れていくのが賢明なんじゃなかろうか?とも思っています。

 自分が生まれた土地だから嫌いにはなれないんですが、もはや、戻る場所ではないな~?と・・・。


 私が武術やってきて一番、良かったと思うのは、ここぞという時に、スパッと決意できるという点ですね。ズルズル引きずらないで決められますから。

 やっぱ、一瞬で断ち切る!というのが私は好きですね。

 その一瞬で断ち切る技として、発勁は工夫されたのだと思いますし、当身もそうでしょう。

 本来の武術は一撃必殺の武器を使うものです。その武器が無い緊急時に“素手”の技を使います。

 この順番を現代の日本の武道や格闘技を愛好する人の大半が勘違いしています。

 実戦を素手で戦うなんか、本来はあり得ないことなのです。こんなことは普通の人間は誰でも気づくことなのに、武道や格闘技の愛好家には理解できない人が少なくない。

 それは、“試合”の弊害です。

“試合”を“実戦”と勘違いしてしまっているのです。“実戦”という言葉を安易に使用しているうちに意味を考えなくなってしまったのでしょう。

 無論、真摯に試合に向けて頑張っている方々は尊敬できますが、“違うもの”だという認識は必要でしょう。

『刃牙道』が、この辺りのテーマを模索しているので楽しみです・・・。


 ちなみに、発勁にも門派によっていろんなやり方がありますし、当身もそうです。個人の技量も関係します。

 ただ、この技術の共通項としては、威力の貫通性・浸透性が挙げられるでしょう。これは通常の打撃技とは随分、異質です。

 自分で打ち比べてみても、これほどの差があるのか?と驚かされてしまいますから、初めて体験した空手出身者は例外なくビックリするようです。

 まして、0距離、つまり、相手の身体に触れた状態から爆発的に威力が出せるというのは信じられないでしょう。

 できる人間でさえ、「初心者に教えてその場でできる筈がない!」と文句を言う人が多かったのですが・・・。事実は事実ですからね。私が教えれば誰でも基本的な発勁は体得できます! 「30年かかる」と言われる技を30秒で教えられます!

 ですから、DVDを見て、サンドバッグを打って実験してみられたらいいと思います。

 何しろ、セミナーの様子をそのまま映しているので、仕込みもヤラセもありませんからね(CGだと言うヤツいるかな~?)。中には、中国武術の先生と同等以上の威力が出せるようになった人もいますよ(笑)。


PS;来年の月例セミナー予約一括申し込みも、今年は月毎に割引料金設定を細かくしました。これは、本部道場賃料の支払い等で毎月お金がかかるので、苦肉の策です(涙)!
詳細はインフォメーション・コーナーをご覧ください。あっ、『発勁と当身』『続・合気の応用』割引セールは八月一杯ですから、お間違いなく・・・。

PS2;私が武芸考証をお手伝いした本『若さま剣客一色綾之丞・世嗣の子』(藤井龍著・コスミック時代文庫)が刊行されました! 関の孫六兼元を遣うイケメン剣客が活躍する話で、アクション描写がなかなかですよ! 読んでみてくださいね?

スポンサーサイト
このページのトップへ
コンテントヘッダー

映画プロデュース

 情報解禁してもいいということだったので、今夏に撮る映画について、ちょっと書いてみます!

 タイトルは、『セーラー服忍者』。まだ仮題なんですが、恐らく、これで決定するかな~?と思います。

 監督は、私も出演した(お蔵入りになってしまった)アイドル映画『ミリタリー娘』でメガホンを執った、ながせきいさむ監督。

 主演は鶴巻星奈さん。ながせき監督の連作アイドル映画でお馴染みのアイドル(カラオケでも歌があるそうです!)で、今後、モデルや女優としてどんどん活躍するでしょう。


 私にお誘いがあったのは、7月入った頃でしたか? つい先日なんですよ。

「今夏に仕事があくんで、“例の映画”やりませんか?」とのこと・・・。

“例の映画”というのは、以前に監督と話していた、「くノ一が現代にタイムスリップしてきて、追っかけてきたサムライと戦う!」という逆ターミネーター(あるいはゼイラム?)みたいな話だったんですが、脚本書いてる段階(原案はながせき監督で、試し書きの初稿は私が書いた)で、設定がそっくりなTVドラマがいきなり始まって、「こりゃあ、パクリだと思われるくらい設定が同じだよな~? 今、やるのはマズくね?」と、諦めていたんですね。

 しかし、このドラマ、さして話題にならず(タイトルも忘れた。シリーズ化予定の終わり方だったけど、多分、それは無いと思う。フジのカラーじゃないでしょう。テレ朝かと思った)に中途半端に終了してしまったので(でも、実は私、結構、楽しんで観てた。アクションにパルクール取り入れたり、チャレンジ精神があった)、「そろそろ、企画復活してもいいんじゃね?」と話した次第。

 サムライとニンジャの話だから、アクションは本格的にやりたいと思い、前提として、「つばさプロジェクトに参加してもらおう!」という方向で打ち合わせしました。

 今はアクションクラブは大小さまざまな団体がありますが、アクロバットが得意なところ、剣戟が得意なところ、喧嘩アクションが得意なところ、カンフー・アクションが得意なところ・・・と、各団体で特色があります。

 つばさプロジェクトの場合はアクロバット系だと思いますが、ニューハーフ忍者・妃羽理さんが居るので本格忍者アクションもできる。今回の企画にピッタリでした。

 私の好きな忍者映画は、『忍者武芸帖・百地三太夫』『龍の忍者』『ニンジャ2修羅の章』『妖刀斬首剣(生死決)』『スウォーズマン2』『エイリアンVSニンジャ』、好きな忍者ドラマは、『影の軍団3』『仮面の忍者赤影』といったところですか?

 ながせき監督は、『スケバン刑事3少女忍法帖伝奇』が大好きなんで、オマージュを捧げてますね。

 やっぱり、忍者アクションというとアクロバット的なのが欲しかったので、それで、つばさプロジェクトに出演交渉しに行った訳なんですよ。

 以前のながせき作品でも、つばプロの若手アクション女優のIさんに吹き替えのアクションを演じてもらい、秋本つばささん自ら現場に駆けつけてアクション演出もやって戴き、その鮮やかな仕事っぷりに、監督もプロデューサーも感心していました。

 クライマックスの短いシーンでしたが、作品のグレードがグッと上がりましたからね。

 で、今回は全面的に協力を取り付けたくて、電話で依頼していたら、妃羽理さんも出演してもらえそうだということ!

 その上、上海の中国表演武術大会で優勝した経験のある(つまり、世界チャンピオン!)若手アクション女優のSさんも出演可能とのことで、もうね~・・・映画の企画がどうこうという以前に、完全に個人的趣味で狂喜してしまいましたよ~!

 せっかくなんで、主人公のライバル?的な、Sさん向けのキャラを考えて付け加えたくらいです。

 まあ、この時点では自主映画の予定だったので、まさか、プロの映画でも成立しないような“神キャスティング”ができるとは思っていなかったんですけどね。

 ちなみにラスボスのサムライ(雨宮慶太監督の大傑作ゼイラムのイメージなんだけど、るろ剣の鵜堂刃衛の真似と勘違いする人がいるだろうな~?)は、私が演じるのが最初から決まっていたんですが、こうなるのが判っていたらキャスティングはもっと凝れたのにな~?と・・・ちと残念。

 もっと予算が潤沢な作品が撮れる機会が来るのに期待するしかないですな~。

 そして、これは全くの思いつきだったんですが、「青木宏之先生が特別出演したら凄いな~?」と思って、これも交渉しに行ってみたら、何と、スンナリOKとなりました!

 青木先生は、もともと空手をやる以前は演劇を志していたという話を聞いていたので、もしかしたら?と思ったんですが・・・意外にも芝居をするのは初めてだったんだそうです。

 確か、昔、新体道のドキュメンタリー映画を外国の映像作家が撮ったというのは聞いたことがあったんですが、劇映画は初めてになる訳で、最初で最後の機会になるかも?と思います(この作品を切っ掛けにオファーが来るかもしれませんが・・・)。

 そんなこんなで撮影はこれからですが、低予算ながら前代未聞の「超武術アイドル映画(なんじゃ、そりゃあ?)」になるかと思われます。

「どんな映画?」と言われたら・・・

「ニンジャ! サムライ! カンフー! JK(女子高生)!という映画です・・・」ということです。役者の芝居に拘るながせき監督だから、ドラマとして喜怒哀楽をきっちり表現してくれると思います(本読みで台詞の言い方にダメ出ししまくるところは鬼演出家の片鱗が?)から、単なる顔見せアクションにはならないでしょう。

 ながせき作品に出演したアイドルが本格女優目指すようになるパターンがあるから、皆、頑張って欲しいです。

 ま~、商業映画にバージョンアップしつつ、成り行きで私がプロデューサー(兼スタント兼小道具)やることになってしまったので、プレッシャーも感じておりますが、多分、一生に一度の機会だろうと思うので、ハラ括って頑張ります!

 もっとも、「クランクイン直前にプロデューサーが竹光の刀作ったり、笠塗ったり、面頬作ったりしてるのって、どうよ?」って気もしますが・・・武術の研究が役立って良かったね?ってことか・・・。

 皆様、是非とも応援宜しくお願い致しまする!


PS;最新DVD『発勁と当身』税込み二万円で新発売です! 『続・合気の応用』と同時申し込みの方は特別謝恩価格三万円(税込み)にさせて戴きます(サマーセールということで八月末日まで)。これで練習すればマジで達人になれますよ! いや、冗談じゃなくって、真似してやれば誰でも体得できると思うので・・・(また、勘違い人間を量産してしまうのか? う~ん、30万円にしようかな? ウソウソ・・・)。

20150814_001.jpg
このページのトップへ
コンテントヘッダー

剣棒セミナー感想

 9日は、剣と棒セミナーでした。

 もっとも、うちの場合の剣や棒というのは、原理的に素手と変わらないのですが、特に“読み”の訓練をするには剣と棒で練習する方が確実に意味が理解できる訳です。

 奇しくも、『刃牙道』最新刊で宮本武蔵が烈海王の繰り出す九節鞭(普通はクセツベンと呼びますが、ここではキュウセツベンと書かれています。類似の武器に七節鞭、四節鞭、十三節鞭とかもあります)の弱点を見抜くシーンが描かれていますが、恐らく、私の本も参考にしてもらったのだろうな~?と思いました。この手の武器の弱点を指摘しているのは私しかいないから・・・。

 で、今回のセミナーはビデオカメラで撮影しませんでした。

 最近は、ほぼ毎回、据え置きで撮影していたんですが、今回はやめておきました。

 理由はおわかりと思います。

“読み”の超簡単なやり方を教えているからです・・・(笑)。

 これが解ってしまうと、読みの構造を知らない相手にはコントのように簡単に勝ってしまいます。自称ニワカ達人を量産してしまうのが目に見えているので・・・。

 私が“読み”を知ったのは30歳の頃、とある拳法の先生に教えていただきました。

 いや、もちろん、存在は知っていたんですが、実際にできる人に会ったことが無かったのです。

 この先生のやり方は非常に具体的なものだったので、応用可能だと直感しました。

 それから、20年以上、研鑽研究の日々を費やし、ここ何年か、阿呆のように簡単に体得できる指導法を工夫しました。

 何故、工夫できたのか?

 剣術と杖術に応用して研究しているうちに、戦闘理論としての読みの段階的構造化のアイデアを思いつき、その成果を独己九剣という居合術の型に組み込んだのです。

 もっとも、素手の武道格闘技に慣れ過ぎている人は、居合術なんかには興味がない。むしろ、「日本刀振り回すなんか邪道過ぎる」と嫌ったりする人もいました。

 しかし、この型に真面目に取り組んだ会員は、読みの技能が格段にアップしました。

 やらなかった人間とは比較にならないくらいです。

 読みの技能が上がれば、相手の動きの隙間が読めるようになります。

 また、神速で振られる剣を避けるには身体技能に頼っては絶対に無理です。

 徹底的に“読み”を磨くしか方法はありません。

 ところが、“読み”は感覚技法だという強固な思い込みを持っている人がほとんどなので、武道の世界で失伝寸前になってしまっていた訳です。

 感覚は先天的な要素が強過ぎるので、できる人はできるけれど、できない人はいくらやってもできないのです。後天的に会得する学習の方法論が無かったのです。

 私は、バイオメカニズム的な観点で目付けを駆使する“読み”の技能を高める方法を考案しました。

 それを武術の戦闘理論に沿う形で訓練するための型として独己九剣を考えた訳です。

 具体的に言えば、この型は無刀捕りの訓練法なのです。

 そして、無刀捕りは日本剣術の究極奥義と言えるものです。つまり、この型は究極奥義を自然に体得するために考案した型なのです。

 その基本中の基本は最初の二本、左剣と右剣にあります。後は応用型です。

 この型を真剣を使ってできるようになれば、素手の技なんか恐れるに足らずです。

 もちろん、剣術、居合術の専門家が素手の武道格闘技を馬鹿にするのも愚かだと思いますよ。刀が無いと何もできないのでは武術家とは言えないからです。

 しかし、逆も言えますね?

 いくら素手で強かろうが、相手が殺傷力のある武器を持っていたら何の対応策も無いというのでは策が無さ過ぎるでしょう?

 私が一般の武道格闘技に懐疑的なのは、対武器の方法論を全然、講じなかったりする点です。危機管理意識が全然、無い!

 そして、決定的なのは、「人間は命の危険を感じれば、何らかの武器を手にするものである」という真理です。

 独りで家にいる時に強盗が押し入ってこようとしていたら、台所に行って包丁握るのが先決ですよ。それから警察に電話する!

 無防備なまま警察呼んでも、警察来る前に殺される危険性があるでしょう?

 その本能的な行動心理を考えないまま武道や格闘技の優位性を信じるのは思考停止に過ぎません。

 攻撃の威力にばかり拘るのは動物的な戦い方であり、人間の戦闘の主眼は知恵です。

 論理的合理的に戦い方を組み立てて、勝つべくして勝つ!という戦略戦術を組み立てないといけません。

 そのためには、敵の戦力を一瞬で観抜いて、先手先手で攻撃を潰していく・・・というのが日本武術が培った“読み”の戦闘理論なんですね。

 ま~、前置きがえらい長くなりましたが、今回のセミナーは、最も簡単にして、極めて合理的に読みを駆使する方法論を解説指導したという次第です・・・。

 ですから、これは参加した人達だけに留めておきたいので、映像作品にするのはまだ時期尚早かな~?と思った訳です。

 ですが、安心してください。

 解説そのものは、近日中に発売する新刊本の中でもやっていますから、半分くらいは解って戴けるかな~?と・・・。


 一応、セミナーの内容について書いておきますと、まず、(半)棒術からやりまして、次に剣術、そして、無刀捕り、最後に素手の技に応用してやりました。

 何故、この順番かというと、棒や剣は動きのごまかしが効かないから、正確にやらないとできない訳です。

 で、棒や剣で正確にできれば、素手の技が非常に無駄無く精錬される・・・という次第です。

 それと、棒や剣は先に恐怖心が出てしまいがちですね?

 怖いと相手の動きをちゃんと見れなくなるんですよ。

 逆説すると、武器の動きに慣れていれば、人間の動きの隙間が容易に観抜けるようになります。

 だから、ピンポイントで敵の隙間(急所)を狙うことができるようになる訳なんです。

 これは武器の機能と性質を知れば、弱点が解るというのと似ています。

 以前、実験でヌンチャク振り回している相手に傘で立ち向かってみたことがありますが、ビュンビュン振ってるヌンチャクの鎖の部分に傘を突っ込んで動きを止めてみせました。

『刃牙道』で烈海王の九節鞭を武蔵が同様に素手で奪い取ってみせるシーンに、私はニンマリしてしまいましたよ。

 武蔵が襷の紐で烈海王を縛ってしまう描写なんて、知らない人はおかしいと言うかもしれませんが、武蔵が竹内流を修行した形跡があると知れば、なるほど!と感心する人もいるでしょうね? 竹内流は捕手捕縛術が伝承しているからです・・・。


 今回のセミナーでは、武術初経験の空手経験者も、着実に戦闘理論が身に就いてきていました。逆に自身の学ぶ流派の技を深める切っ掛けになってくれればいいな~?と思いますね。

PS;ちょっと早過ぎるかもしれませんが、セミナー収録映像を編集したDVD『発勁と当身』間もなく発売します! 例によって税込み2万円です。『続・合気の応用』と併習すれば、“マジ達人”になる人が出るかも?です・・・。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

8月セミナーは剣と棒

 夏真っ盛りの月例セミナーは、剣術と棒術です。

 一般に、剣と言えば剣道、棒と言えば杖術や琉球古武術の棒術を思い浮かべる人が多いと思うんですが、游心流では剣と棒は武器術の基本であると共に、体術を精錬するために練習するものと位置付けています。

 私が剣術で研究したのは、剣道、居合道、古流剣術、古流居合術、新体道剣術、剣武天真流居合術などですが、特に古流は一通り、有名な流派は実際に習ったりビデオで研究したりしましたね。

 ただ、本格的に研究し始めたのは40半ば過ぎてからですかね~? 交叉法を知ったのが30過ぎてからで、そこからいろんな武術に応用研究し始めて、「これは日本刀について研究しないといけない」と直感してからは、まだ10年経過していないと思います。

 10年というと、随分、長くやっているように思われるかもしれませんが、私にとっては熟成期間には全然、足りません。

 武術の研究家を志したのが、まだ20代半ばから後半の頃でしたから、修行期間は約40年ありますが、没入してからは、まだ30年にもなっていないんですよ。

 何か、数年修行した程度で一人前の腕前になったつもりになる人とかいるみたいですけど、よく、そんな気持ちになれるもんだな~?と、私にはまったく理解の外です。

 情報集めて解ったつもりになってる人にも随分と会いました。

 でも、こういう人は、情報の真偽を判別する洞察力に欠けていて、単に物知り顔で自己満足になっているだけだったりしていましたね。

 ちょっと、突っ込んで話すとボロボロになって、結局、大切なことは何一つ知らなかったりする訳です。

 情報通という点に限れば、武道武術マスコミで仕事している人間が一番、詳しいと思います。他方面から様々な表沙汰にできない裏情報を聞く機会がありますからね。

 ただ、なまじ裏情報に通じているという自覚が自惚れを育ててしまう場合があるので、自分の実力を勘違いして達人気分に浸ってしまう人が出たりもするんですよね?

 これは、修行者としては気をつけないといけません。

 もっとも、武術に関しては知識の量がものを言う世界であることは確かなのですが、偽の知識も意図的に混ぜ込まれてしまうので、結局、洞察力が決め手になります。

 つまり、バカではものにならない訳です。武術を単純に体育だと思い込んでいる人は、決して大成することはないでしょう・・・。

 一例を挙げると、剣術で上級の構えとされる無構えですが、これは居合術と近くなる訳です。

 そして、居合の極意は「抜かずに制する」というものなんですが、これは無刀捕りに通じている訳です。

 私が游心流の上級型として独己九剣というのを考案したのは、この無刀捕りを養成するものとして考えたんですね。

 つまり、「素手で武器を制圧できれば、素手で素手の技を制圧するのは遥かに簡単になる」と考えたからです。

 これは、新陰流転會の渡邊忠成先生の実技を体験して確信に変わりました。

 40代は「いかにして接近密着するか?」と、“差し手”の研究を主にやってきましたが、50過ぎてからは、攻撃してくる瞬間の相手の心身の隙間を読んで先回りする研究をしています。

 つまり、避けると同時に相手の隙間にプスッと刺す・・・ということです。

 恐らく、昔の剣の遣い手は、こうやっていたと思うのです。

 ガチャガチャと敵と打ち合っていたら、結局、力比べになってしまいます。完全に“受け”を無くして、一方的に勝ちを制するには、これしかないと思います。

 その、“これしかない”の訓練法を、今回の剣と棒でお教えしたいと思っています。

 つまり、武器術の本質は、徹底的に“読みの訓練”なのだと私は考えている次第です。

 高度な武術の理論を求めている方の御参加を期待しています。

このページのトップへ
コンテントヘッダー

久しぶりに帰省

 急遽、映画のプロデューサーやることになってテンテコ舞いしている最中に、母親が死んだという連絡が入り、数年振りに田舎に帰りました。

 片道分しか金がなかったんですが、弟が貸してくれたんで飛行機で帰りました。が、数年前に新幹線とバス乗り継いで帰った時の約二倍で、「これならグアム島に行った方がずっと安いぞ?」と、かなりビビりました。

 いつの間に、こんなにバカ高くなっていたのか? これじゃあ、おいそれとは帰れないな~?と・・・。

 朝一で電車乗り継いで羽田空港に行き、30分しかなかったので大慌てでチケット買って福岡へ・・・。

 福岡空港で天草行きの飛行機に乗り継ぐつもりが、満席?

「キャンセルがあるかもしれないので45分(出発15分前)にまた来てください」とのことで待っていたんですが、これで乗れなかったら葬式には間に合わない。せっかく弟が金貸してくれて帰ってこれたのにな~・・・と、ちょっと、ガックリ・・・。

 しかし、43分くらいにキャンセルがあったということで乗れましたよ~。ラッキー!

 天草行きの飛行機は、最近、ちょくちょくTVで採り上げられる天草エアライン。小型機で大丈夫かな?という気もするんですが、そこがいいんじゃない?という感じで、家族連れが飛行機と記念写真撮ってたりして微笑ましかったですね。

『料理の鉄人』や映画『おくりびと』で有名な天草出身の放送作家、小山薫堂さんが郷里の復興のためにいろいろアイデアを出して盛り上げているらしいですね。

 何とか帰り着いたので弟に迎えに来てもらって葬儀場へ。親父の葬儀の時と同じ場所でした。


 私、親父は尊敬してたんだけど、母親とはすっごく相性悪くて、だから、死んだら悲しくなるのかな~?と思っていたんですが、兄貴や弟と違って、まったく何も感じませんでした。

 電話でも本当に毎度毎度、人の人格を否定し生き方を否定することばっかり言うので、本当に愛情も何も無くなりましたよ。

「老い先短いから、俺が聖人君子のフリをして優しく聞き流していればいいか~?」とか思って我慢して聞いていたんですが、調子に乗って高機動説教マシーンと化してベラベラベラベラ喋りまくるから、大体、60パーは“怒鳴って切る”というパターンでした。

 やっぱり、家族だからそうなる・・・? いや~、家族といえども、踏み込んでいい領域とそうでない領域というのは有ると思うんですよね?

 普通、親が死んだら、感謝の気持ちばっかり並べて「有り難う!」って叫ぶとかするもんでしょう?

 私もそういう具合に書きたいのはヤマヤマなんですけど、感謝してない訳じゃないんだけど(こんな極道息子を見捨てないで世話してくれたんで・・・)、それよりも人格・人生を否定する侮辱発言の数々を謝らずに逝った恨みの念の方が勝ってしまうんですよね。

 一言、謝ってくれていたら全然、違っていたでしょうけど、オタメごかしの言葉書く気にはなれないんですね。本心と違う綺麗事書くのって偽善的でやりたくないんですよ。

 まあ、母親として見たら文句ばっかりだけど、学校の先生としては優秀だったり、女学校や大学、短歌の友達とかからは好かれていたらしいので、別に悪い人じゃなかったと思いますけどね。

 例えば、今、私が死んでも、こんなにお葬式に集まってくれる人はいないだろうな~?と思うし(父親の時と同じくらい多くてビックリした)、それだけの生き方をした人だったんだな~?と、他人事みたいに思ってはいました。

 兄貴が私を庇っていろいろ言ってくれていたらしいので、死ぬ前には悪かったと言ってくれていたそうなんで、それが本当だったら、救われた気はします。

 そうそう、弟と兄貴の方が親しいんだけど、同級生のO君(名前思い出せなかったけど、顔は見覚えがあるな~?と・・・でも、道でパッとすれ違った程度だったらわからなかったと思う)が来てくれていて、2~3年前の高校の同窓会で私が贈ったDVDを上映?してくれていたと知って、非常に有り難かったです。

 多分、同級生には「そういえば、長野君は休み時間に蛇拳とかしよったな~?」と、笑って戴けたかな~?と・・・(苦笑)。

 まあ、久しぶりに帰って、親類にも会えたし、「母ちゃん、ありがとう」と書いておきますか・・・(もう遅い?)。

 そういえば・・・実家の庭はジャングル状態になっていましたが、猫が木登りしていて、もしかすると、昔飼ってたうちの猫の子孫かも?と思いました。犬や猫は文句言わずに無条件に甘えてくるから可愛いですけどね。エサさえやっていれば・・・。

 隠居してから田舎に帰って猫飼って暮らすというのもアリかな~? 都会で暮らすのあくせくして疲れるしな~(主に人間関係で)? でも、ベストセラー作家とかならないと無理か~?


 話は変わって、仕事で、つばさ基地でマッスルミュージカル等でも活躍されていたニューハーフ忍者、妃羽理さんの演武を見せて戴いたんですが、十字手裏剣や苦無の隠剣術(手の内に隠して使う術)や、九節鞭の操法を導入した鎖鎌の演武など、絶技の一語!

 うちの会員が絶賛していましたが、確かに、これだけの武術スキルを持つ人は滅多にいないでしょうね~? まさに、「聞きしに勝る腕前」というヤツですよ!

 私のイメージだと『笑傲江湖』の武林最強の武術家、東方不敗みたい・・・と言ったら、喜んで戴けたみたいです。

 とかく、武道の世界は芸能活動やっている人を見下す傾向がありますが、インチキな経歴を振りかざしてエバるような阿呆ばっかりの武道の世界より、磨き抜いた絶技を武器に芸能の世界で表現者として孤高に生きている人達の方が、私はずっと憧れますね~。

 そもそも、宮本武蔵が活躍した時代までは、武芸者というと武術の腕前を売って身を立てる人達のことで、“芸者”という言葉も元々は“武芸者”を指していたのだそうです。

 だから、決闘もプロモーション活動なんですよ。

 今の武道だって大会、トーナメントで優勝した経歴とかをウリにするじゃないですか?

 もっとも、今の武術の世界って、ピンキリの差が激し過ぎるでしょう? 凄い人は超人みたいだけど、ダメな人って、素人のケンカ慣れした人にすら一発で負けちゃうくらいでしょう?

 おまけにダメな人に限って自分の実力を勘違いして、達人気分でしゃしゃり出るから、勘弁してくれよ~って思う訳ですよ。

 格闘技と武術をごちゃ混ぜにして論じるのも、もういい加減にして欲しいんですよね。

 前者は競技であり競い合い。後者は自己防衛術。

 いい加減に理解してくれよ~と思いますよ。


 それに、秋本さんが小太刀を構えて見せてくれた瞬間、あまりの見事さに笑っちゃうしかなかったですよ。本当にスゴイな~・・・と。いくらプロでも、ダメな人もいますからね~?

 この身体技能の高さは、単に一つの型を延々と練習して出てくるものではなく、ありとあらゆる身体運動を経過した中から瞬間に出てくる形であり、多様に変化し得る静中に動を秘めた構え・・・つまり、武術で理想とされる達人の境地と同じなんですよ。

 武道武術だけに専念していても、このレベルに到達できる人は極めて稀です。

 何故かと言うと、固める訓練を延々と続けてしまうからです。武道オンリーの人って、決まって身体が凄い固いんですね。

 よく、読者の方やたまに練習に来る程度の会員から、「この先生が凄いと思うんですけど、どうですか?」って質問が来たりすることがあるんですが、スピードとか力強さ、動きの激しさを「凄い!」と、思う人が多いと思うんですけど、私は、もう、そこを評価する視点は無くなってるんですね。

 誰もが凄いと思うような動きは、実は武術的には予備動作や気配が丸見えで、非常に遅い動きだったりするからです。先を読んで攻防する戦闘理論が身につくと、こういう不自然に必要以上の力感や熱量を感じさせる動きというのは、バレバレに読まれてしまう訳なんですよ。

 特に空手出身の人はこの理論が理解できない人が多いみたいです。戦気や闘気を微塵も発散させないままで技を繰り出せるようにならなくては武術としては下の下です。

 若くて力があり余ってる人が楽しくやる分には注意はしませんが、40、50を過ぎた大人がいつまでもそんなヘボい技をやっているようでは恥さらしにしかなりません。

 武術を駆使するということは、平常心のままで非情な技を無心に繰り出せないとダメです。

 私が目指しているのは、そういうものなので、威圧的な顔をしているだけでもうアウトですよ。でも、大抵、そういう顔をしているから、武道や武術をやっているのが顔見たらすぐ判ってしまうんですよね~? 

 一般に、背筋がピンと伸びて胸をグッと出した姿勢が正しいのだと考えている人が多いですが、こういう“いかにも”な姿勢をしていると一瞬でやられてしまいます。

 不必要に筋肉を力ませて骨格を固定していると、身体そのものを居着かせていることになるからです。

 軽く構えていないと重さを駆使することができないのです。

 重さを駆使できないと敵を倒す威力が出ません。俗にいう「ただ力を抜けばいいというものではない!」という言葉の真の意味が、ここにあります。

 力を抜くのは重さを自在に駆使できるようにするために必要だからなんです。

 一撃で相手を身体ごとふっ飛ばしたり潰したりできるのも、重心力を駆使できればこそなんです。これを筋力で行おうとしたら、ものすごく大変なことになりますよ。

 重心力なら素人がコツを掴めば一瞬で体得できますからね・・・。

 合気だとピンとこない人でも当て技を受ければ理解できるでしょう。私も前回のセミナーで久しぶりにキックミットに普通の打撃を入れてみて、持ってる相手がビクともしないのに驚きましたよ。結構、力入れて打ったんだけどね。

 でも、分勁(ほとんど接触したところから打ち込む技)に切り替えたらバーンとふっ飛びますから、重心移動による打撃力の質の違いには改めて驚きます。

「あ~、こんなに違うものなんだ?」って・・・。

 この威力を暗勁にして打ち込んだら無事では済まないでしょう。

 この当て技のセミナーの回もDVD化します。武術の技がハッタリではないと証明したいので。だけど、これを体得したら、本当に危険過ぎるので試したりなさらないことをお勧めしますね?

 新入会員で「後遺症残らない程度に打ってみて欲しい」と言う人がいたので、馬形拳(形意十二形拳の一つ)でスキンタッチして打つ寸前までやってみたら、直感的に「危ない!」と気づいてくれたみたいでした(顔色がガラッと変わった)。

 馬形拳をまともに打つと肋骨グチャグチャに折れて肺に刺さって助からない・・・という具合になってしまうと思います。

 小塚師範が、「武術の当て技って、威力もそうですけど、狙う箇所がいちいち人体の急所になっているんですね~」と、苦笑いしていました。

 中国武術は本当の使い方を知ったら危険過ぎて怖くて使えないですよ。殺人淫楽症みたいに発狂する人間が出てしまう理由も解ります。強い弱いの次元じゃないもん・・・。

 うちのセミナー常連の人達は解ってくれていると思いますが、中国政府が武術を新体操的な表演武術にして普及したのも納得できます。

 けれども、表演武術の超人的身体技能を持つ人であれば、さささ~っと使い方教えれば、あっという間に超武術家に変身するのではないか?と、思いますけどね・・・(笑)。

 ちょっと、試してみたいかなぁ~?

このページのトップへ
著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

FC2カウンター
リンク
最新記事
カテゴリー
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

月別アーカイブ
ブログ内検索