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私の好きな流儀

 そういえば、セミナー後に会食しての帰り、「先生が一番好きな流派は何ですか?」と聞かれました。

「游心流です!」と言いたいところなんですが、これは研究家としての研究成果を編成したものなので、流派と言えるかどうか?は、私が死んだ後の話でしょう。

 なので、既存の武術の流派(門派)で言うなら、一番好きなのは“八卦掌”ですね。

『グランドマスター』でチャン・ツィイーがやっていた門派です。『太極(タイチー)2』ではユン・ピョウが、『阿羅漢』『ザ・ワン』ではジェット・リーがやっていました。

 実際、一番、練習したのは八卦掌ですね?

 程氏、尹氏、宮氏(二派)、馬氏、劉氏を習いました。後、少し研究したのは梁氏。

 やっぱり変幻自在の動きで戦うところが好きですね~。

 台湾の八卦掌ビデオを見たら、技の使い方が合気道そっくりで驚いたことがありましたね~?

 次に好きなのは、“八極拳”。

 これは何と言っても威力が絶大で一撃必殺な発勁が好きですね~。

 後は、甲乙つけがたいんですが、太極拳、形意拳、通背拳、白鶴拳、詠春拳、蟷螂拳、酔拳・・・ですね?

 松田先生から「心意六合拳を教えてやろう」と言われたんですが、「カッコ悪いからヤです」って断っちゃったんですよね~。今考えると習っておけば良かったかな~?とは思います。

 長拳系の跳躍したり伸び伸びと突き蹴りを出す門派は、私みたいに手足が短い純日本人体型だとカッコ悪いから、あまりやりませんでしたね~?

 空手の練習やっていた頃は蹴りに憧れて練習していました。

 普通に廻し蹴り、足刀蹴り、後ろ蹴り、後ろ廻し蹴り、掛け蹴りなんかは練習してましたけど、中国武術の蹴り技も練習しましたね。

 二起脚、旋風脚、虎尾脚、前掃腿、後掃腿、擺蓮脚、斧刃脚、釘脚、トウ脚とかは練習しました。しかし、ムエタイ習った時にスネで蹴る廻し蹴りの練習ばっかりやるようになって、それ以外の蹴りは膝蹴りくらいしか練習しなくなりましたね。

「蹴り技は実戦だと墓穴を掘りやすい」と聞いて、練習しなくなったんですよ。脚裏の筋切って練習できなくなったのも関係あります。お陰で高い蹴り出せない。

 今では、私が蹴り技出すと、みんな驚きます。「先生も蹴り技出すんだ~?」って。

 一応、節拳や六路短拳、弾腿、秘宗拳とかは少し練習したんですが、やっぱり接近密着戦法を旨とする内家拳系の方が体質的にも気質的にも私に合っていましたし、昔は苦手だったんですが、今では手技の方がずっと得意です。

 手技というとパンチしか考えない人もいますが、私は掌打の方を主に使いますね。

 拳で殴ると、手首をグキッとくじいたり、拳の関節がすぐ擦りむけて傷だらけになるんですよ。ケンカしたことある人なら解るでしょう?

 下手すると手の甲の細い骨折れたりしますからね。

 掌打だと、かなり耐久性あります。浸透勁も掌打の方が効果的です。ただ、瞬間的な破壊力(衝撃力)でKOするには拳の方がいいんです。

 でも、破壊的な衝撃力なら肘打ちが一番でしょうね? 八極拳の頂心肘なら一撃必殺も十分に可能でしょう。

 私が掌打を普通に使うようになったのは、打った瞬間、握って逆関節極めたり崩して投げたりもしやすいからです。怪我させないで制圧するにも都合が良い。

 拳だと殴るしかできませんからね。


 日本の武術だったら、タイ捨流が好きですね~。カッコイイ!

 次に新陰流かな? いや、二天一流か?

 後は、香取神道流、鹿島神流、小野派一刀流、示現流、天然理心流・・・ですね。

 やっぱり日本の武術だったら剣術と居合術が好きです。空手は中国武術の一種という印象がありますし、剣道や柔道はもう武術とは違う感じがします。

 合気道も好きなんですけど、やっぱり打撃技であったり剣で斬るというのが好みなんですね?

 組技系はあんまり好きじゃないな~。男同士で組み合うのヤだもん。一応、研究はしてますが、好きではないですね~。

 勝負が延々と続くのが嫌いなんですよ。スパッと一瞬で決着がつくのが好きです。

 だから、交叉法を知った時は「これだっ! 俺が求めていた武術はこれなんだ!」って思いましたし、そうでなければ23年もずぅ~っと研究し続けたりしていませんよ。

 技は一撃必殺! そして、理合は読みと交叉!

 これが武術の理想形だと私は思います。

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時代劇は好きですか?

 現在、作家デビュー目前と言ってもいいかな?というところまでは漕ぎ着けています。

 時代小説なんですが、当然、時代劇アクション活劇しか私は書けませんから、そういうものを書いているんです。

 でもね~。正直言って、私の世代で時代小説読む人はあんまり居ないですし、デビューしても売れるのかな~?という不安もあります。

 自分では面白いと思うんですけど、それが売れるかはわかりませんからね。

 古い読者の方は読んだことあると思いますが、時代劇小説はいくつか書いてて、自分でも楽しく書けるから好きなジャンルだし武芸考証も何度もやっているんですけれど、本格的にプロとして書くのとは話が別ですからね。

 私が時代劇好きになったのは、実は映画なんですね~。

 TV放送された『用心棒』『椿三十郎』と、時代劇スペシャルと銘打った時代劇の二時間スペシャルドラマ枠が70年代後半くらいにあって、それまでTVで何となく祖母や親父が見ていた時代劇とは異質なリアルな殺陣にほれ込んでしまったんです。

 ブルース・リーに始まるカンフーやカラテの映画は好きでしたが、それまでのTV時代劇の殺陣はリアルに見えなかったので興味が湧かなかったんですよ。

 けれども、『用心棒』『椿三十郎』の殺陣は非常にリアルで武術的に見えたので、様式的なチャンバラの中に時々出てくるリアルな剣戟に興味が出てきた訳です。

 中学時代に少し剣道やったのも無関係ではなかったと思いますが、剣術に非常に興味をひかれたんですね。

 親父が好きで読んでいた柴田錬三郎や山田風太郎の時代小説も本棚にいっぱい並んでいたので、これも全部読みましたね。

 ケレン味のある殺陣演出が有名だった五社英雄監督の『雲霧仁左衛門』『闇の狩人』は映画館で観ました。

 これで時代劇好きが決定的になって、TVの時代劇ドラマも好んで観るようになりました。

 萬屋錦之介の『破れ傘刀舟・悪人狩り』『破れ奉行』『破れ新九郎』『長崎犯科帖』『柳生新陰流』『それからの武蔵』『子連れ狼』『鬼平犯科帳』、若山富三郎先生の『唖侍鬼一法眼』『賞金稼ぎ』、勝新太郎の『座頭市』シリーズ、丹波哲郎の『鬼平犯科帳』、三船敏郎の『人魚亭異聞・無法街の素浪人』、中村敦夫の『木枯らし紋次郎』『おしどり右京捕物車』『水滸伝』『翔べ!必殺うらごろし』、天知茂の『雲霧仁左衛門』『江戸の牙』、千葉真一の『柳生一族の陰謀』『影の軍団』シリーズ『柳生あばれ旅』『柳生十兵衛あばれ旅』、田村正和の『眠狂四郎』『若様侍捕物帖』『鳴門秘帖』、渡哲也の『忍法かげろう斬り』、近藤正臣の『斬り抜ける』・・・etc.

 もっとも、定番の時代劇『水戸黄門』とか『暴れん坊将軍』とか『長七郎江戸日記』とか『三匹が斬る』とか『江戸の朝焼け』とか、そういう作品はあんまり積極的には観なかったんですよ。『大江戸捜査網』は好きだったけど・・・。

 やっぱり、必殺仕掛人とかのシリーズみたいな、ちょっとダークな感じのが好きで単純な勧善懲悪物って、何か受け付けなくてですね~。

 人を殺すのに明るく楽しくってのは、子供ながら何か違和感があって、斬る側もニヒリズムに浸ってて常に死を覚悟しているようなのが無いと、抵抗感がありました。

 つまり、主人公が正義というパターンは納得できなかったんですよ。

 ウルトラマンでもジャミラの回とか、ウルトラセブンでも『ノンマルトの使者』とかギエロン星獣の回とか、帰ってきたウルトラマンでもメイツ星人とムルチの回とかありますでしょう?・・・って、特撮ファンしか、わかんないか?

 私はアクション映画好きですが、戦争映画だけは好きじゃないんです。単なる破壊と殺戮にカタルシスは感じられないですよ。

 それはそれとして、映画で『戦国自衛隊』『魔界転生』『伊賀忍法帳』『里見八犬伝』を観てから、『忍者武芸帖・百地三太夫』を観て、完全に時代劇をアクション映画として観るようになりましたね。

 こういう作品って、今やっても人気が出ると思うんだけどな~?

 私はアクションが目当てなんで、近年の殺陣を描かないような時代劇はさっぱり観てません。ワサビ抜きの寿司、辛くないカレーみたいに感じるからです。

 意外と拾い物だと思ったのは、小塚師範お薦めの『超高速参勤交代!』。コメディなのに殺陣アクションの見せ場が結構あって、なかなか面白かった。割りとヒットしてましたよね?

 本格的にマニアになったのは学生時代。レンタルビデオ屋が出てきてから昔の映画の時代劇をよく観るようになって、『魔界転生』で注目していた若山富三郎先生が主演した『子連れ狼・死に風に向かう乳母車』を観て、“若ヤマニア”になっちゃった訳ですよ。

 そのうち、“殺陣”という日本の芸道に関して武術から派生した武道とはまた違った伝統文化として認識するようになり、殺陣評論家みたいな感じになってきた訳ですね。

 本当に武術の専門家は殺陣を一段低く見るようなところがありますが、私はそうは思いませんね~。武術を身体表現の芸術として高めた面があると思いますし、アクション俳優や殺陣師の先生は技能という観点では、その辺の武術家より実力が上の人がざらに居ますよ。

 まともに戦っても強いと思うけどな~? フツーに・・・。

 何しろ、最近の自称武術家には喧嘩すら一度もやったことないような人がゴロゴロしてるでしょう?

 武術を海外で呼ぶところのマーシャルアーツという言葉に最も相応しいのは、殺陣ではないかな~?と私なんかは思う訳です。

 何故なら、武術には表現の場が無いんですよ。戦って敵を殺す(制圧する)ことにしか意味が無いからです。

 それでは社会性が無い、というより単に犯罪にしかなりませんよね?

 では、試合が表現の場か?

 いや、試合をやるには武術の技が制限され過ぎて真価を発揮できません。

 残る手段は、“演武”という形式しかありません。

 が、型を演武しても部外者には意味がわかりません。

 だからこそ、殺陣の表現方法に注目するのです。

 時代劇ではクライマックスが殺陣で描かれるのがセオリーです。そのクライマックスを劇的に表現するためのドラマがあってもいいと私は思うんです。

 それが、アクション映画、“活劇”の醍醐味だと思います。

 小説書いている時に、私の頭の中では一本の映画が上映されています。それを文字で表現していく・・・私の書き方はそういうものですね。

 理想を言えば、小説を書く、ヒットする、映画化される・・・これが目標ですね~。

 出版不況の中でも時代小説は唯一売れている・・・と言われていますが、私は楽観していません。

 今のままだと、後、5年か10年で時代小説はガクンと売れなくなると思います。

 高齢者しか購読していないからです。視力が衰えて小説を読めなくなったりしたら、当然、買わなくなりますからね。

 その次の世代が買うかどうかは、時代劇というジャンルが下の世代にどれだけアピールできるか?にかかっているでしょう。

 私より若い世代も好んで読むようにするには、時代小説というより時代“活劇”小説を書いていくべきではないか?と思っています。

 柴田錬三郎や山田風太郎は今読んでも面白いですからね。

 そのためには、もっと映像化されないとダメだと思うし、『るろうに剣心』が大成功したみたいに漫画的表現を見直すべきではないか?と私は思います。

 どんな時代劇が読みたいか? 御意見を聞かせてください!


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武術の根本戦闘法~交叉法

 諸事情ありまして、新作DVD緊急発売することにしました。

 合気や発勁に関してはDVDも多く出してきましたが、正直言って、私にとってはそれほど重要なものではありません。

 何故かというと、“技”だからです。どんな凄い必殺技でも相手が黙ってかけられてくれるなんてことはありません。

 相手の厳しい突き・蹴り・投げ・逆・絞め・武器の攻撃を凌いで、こちらの必殺技を百パーセント確実に極めるための“戦術”を知らないと意味がありません。

 ヤマトの波動砲や悟空の元気玉のような超強力必殺技も、発射するのに時間がかかり過ぎたり、当てるのに苦心したりするでしょう?

 松田隆智先生も「いかなる者も撃破する最強の当て身と、絶対に当てる招法が大事だ」と言われていました。

 誰もが勘違いしてしまうのは、特別な技さえ体得すれば無敵の強さを得られる?と思い込んでいる点で、“気のパワーで打つ発勁さえ体得すれば筋肉パワーを軽く凌駕できる”と思い込んでいるスカポンタンな人間が今でも多数、存在しているということです。

 いえいえ、白状してしまうと、私も20代まではそう思っていました。

 初めて発勁が打てるようになった時は、「これさえできれば、もう無敵だ!」と舞い上がったりしたものでした。

 もちろん、いくら打撃力が出せても、相手の攻撃を処理して当てることができなければ役に立ちません。

 それを理解するには格闘技の経験を積む必要がありました。やられてみないと解らない訳です。こっちの必殺発勁をぶちかましてやろうと思っても、相手のジャブやローキックが先にバンバン当たって、近寄れない?!・・・そんな経験を何度かやって、格闘技の練習もした訳です。

 で、「ダメだ~。俺、才能無いわ~」と、メゲてしまっていた訳ですね?

 それから、もうすぐ30年も経過しようとしていますが、随分、紆余曲折したものだな~?と思います。

 ちょうど、30になった頃、ある先生と出会って交叉法の存在を知りました。

 それで、ピンときて居合術に応用してみました。

 すると、今まで相手の斬りに“抜き即斬”で合わせるなんて到底できなかったのに、あっさりできるようになりました。

 無刀取りもできるようになりました。誰にも習っていません。自己流です。

 剣でできるということは、素手ならもっと簡単にできるのでは?と考えて、研究会を作って教えながら研究するようになりました。

 一方で、新体道の青木宏之先生の演武をたまたま見る機会があり、交叉法の観点で観たところ、とてつもない達人であることに気づきました。

 一般に新体道は気の武道と呼ばれて、気合で相手を倒す遠当てが有名でした。ビデオで見た時も、“怪しいカルト団体”としか思えませんでした。

 実際、普通の演武は訳がわかりませんでした。

 ですが、青木先生は別格も別格、相手の攻撃を完璧に見切り、呼吸の隙間に気合をかけて昏倒させたり、武術家というよりバビル二世?という感じの神業遣いでした。

 が、相手の突きが腹に当たった?という瞬間、腹がブルンッとうねって相手はふっ飛んでしまい、「げげっ! この人、本当に凄い!」と背筋が寒くなりました。

 それから何回も新体道を経験する機会がありましたが、気のパワーで云々というものではなく、徹底的に肉体を鍛錬しまくった後の心法技術こそが真骨頂であるということが解りました。

 で、新体道空手の練習に参加してみたところ、丸っきり交叉法の練習だったので驚きました。

 以後、様々な武術の大家の演武を実際に観たり映像で見たりしてきて、すべてが交叉法を駆使していることに気づきました。

 中でも、賢友流の友寄隆一郎先生は、「武術は読みと交叉。これ以外にない」と言明されていました。

 私に最初に交叉法の存在を示して教えてくださった先生には本当に感謝以外の何もありません。

 ただ、この先生は交叉法は弟子にも隠して教えないくらい大切にされていたので、勝手に理論化して公開している私を認められる道理もありません。結果的にはお別れせざるを得ませんでした。

 無論、公開している以上は、教わったそのままではなく、私の長年の研究を加えて理論体系化してきています。私が教わったのは簡単な目付けのやり方と体捌きくらいでしたが、その後、30倍以上のコツや練習法を工夫しました。

 そして、他流の人達との手合わせを重ねて、「交叉法こそ流儀を問わず、武術の戦闘理論の究極極意となり得るものだ」と確信するようになりました。

 交叉法を知るか知らないかで武術が遣えるか遣えないか?が決定的に差ができます。

 でかいこと言いますが、この理合(戦闘理論)を知らない相手なら、どれだけ実力があっても勝つ自信があります。

 知ってるかどうか?というだけで、大人と子供のような差が生じてしまうのです。

 例えば、沖縄空手の達人と評判だった某氏も、交叉法を遣っていました。ところが周囲の人間はそれを知らないので、「フルコンのチャンピオンでも翻弄された天下無双の大達人」だと御神輿担いで持て囃したので、本人もすっかりその気になって天下第一は俺だと言わんばかりになってしまい、非常に残念なことになりました。

 また、游心流を名乗ったごく初期の頃に甲野氏と揉めて、私の会員数人が甲野氏の稽古会に乗り込んで彼の演芸!をコテンコテンに打ち破ったのも、実は交叉法を知っていたからなんですよ。

 中には教えて三カ月しか経過していない会員(武道経験0)もいましたが、甲野氏を圧倒的に上回ってしまったみたいです。

 勝てるとは思ってましたが、流石にそこまで差がついているとは予想していなかったので、驚きましたよ。

 ある中国武術の達人とお会いした時に、「はは~、やっぱり交叉法を遣ってるな~」と思って、技の入り方について質問したんですが、それまで発勁や化勁について事細かく説明してくれていた達人が、急に黙ってしまい、話を逸らして関係ないことを説明しはじめました。

 似たようなことが何度かありました。

 私自身も、そうするようになりました。なるほど、これは“猫に小判、豚に真珠”で、もったいなくて部外者に教えたくありません。

 相手も交叉法を知ってしまえば、簡単に勝てなくなってしまうからです。隠すのも道理だと思いました。

 しかし、知ってしまえば、別に摩訶不思議な超能力でも何でもない。ちゃんと原理があり、法則性がある訳で、私が教えれば確実に体得できます。

 逆に交叉法を知ることによって、大抵の武術が突然、実戦対応可能になりますし、意味不明だった空手の形や中国拳法の套路の秘密が自然に理解できるようになっていきます。

 なので、空手や合気道、中国表演武術をやっていた人などは、型や套路の動作がいきなり実戦的な必殺技に変わるので、ビックラこいて入会・・・なんてことがありました。

 最近は、システマやクラブマガの経験者が、えらく喜んでくださったりします。「技の応用のさせ方がわからなかったので助かりました」・・・とか。

 つまり、交叉法は、武術の秘伝の箱を開ける鍵のようなものなのです。正直、自分でも、ここまでほとんどあらゆる武術に応用できる理合だとは驚きましたけどね~?

 私が、「誰でも達人になれる!」と断言しているのも、交叉法という理論的根拠があるからなんですね。

 もちろん、発勁、合気、縮地法や様々な秘伝技も重要です。が、交叉法を知らなければ、こうした秘伝技は真価を発揮できません。

 これを知らないと、身体の大きな現代武道やプロ格闘技、外国の軍隊格闘術の猛者には何もできずに粉砕されてしまうでしょう。

「そんなの当たり前だ」と思ってるでしょう?

 NON、NON! 東洋の伝統武術はそんな底の浅いものではありません!

 一撃必殺は本当に実在します! そして、その一撃を確実に命中させる招法が交叉法なのです!

 だからこそ、これを知らない現代の日本の武道家は、昔から練習してきていることなのに、その奥にある真価に気づかず、結果的に宝の持ち腐れになっているのです。

 ですが、その事情を知らずに、「秘伝技さえ体得できれば勝てるのだ」と未だに信じ込まされている哀れな武術愛好家がゴマンと居るのです。


 そろそろ公開するか?と、ここ数年は考えていまして、ちょこちょことDVDでも解説してきたんですが、どうも、重要性に気づいてくれる人は少ない・・・というか、全然、いないのかもしれません。

 直接、習いに来ている人でも理解しようとしない人もいます。そんな人には教えていません。

 やっぱり、確実に体得しているのは常連の会員に限られますね。

 これはしょうがないのか?とも思っていたんですが、どうも、世間的には甲野氏のおバカな身体操作理論ばかりが広まって、役に立たないことに夢中になっていたり、全然、戦えない人が実戦を語るようなトンチンカンな様相を呈してきて、「これはマズイぞ?」と思うようになりました。

 自惚れたおバカさんが痛い目を見るのは薬になるからいいんですが、何も知らない真面目に武術に取り組みたい人達が勘違いさせられていく現状は危険です。

 交叉法という日本剣術が生み出した優れた理合の真価を知らないまま、外国の武術を礼讚しているような現状では、武道の母国という日本の名声も地に落ちてしまう・・・。

 正直言って、私は「自分達だけ勝てればいいや~」と思っていたんですが、このままでは日本の武術文化は根腐れしていく・・・という危機感が強くなってきました。

・・・っつう次第で、突然、「よしっ、今度のDVDは交叉法で行くぞぉ~っ!」と、決めた訳です。

 21日に急遽、撮影しました。

 いや~、改めて、交叉法知ってたら無敵やな~?と、ちょっと思いましたよ~。空手、合気道、剣道、居合道、中国拳法の技が気持ちよ~く、バンバン遣えるんですよ。

 一滴の汗もかきませんでしたよ。そのくらい省エネで戦える。

 世に達人と絶賛されている先生方の神業が、すべて交叉法を駆使していると見抜いた私が天才だったのかな~(ナルシズムに浸ってスンマセン)。

 そういえば、ある海外の武術を習っている人が入会して交叉法の初歩を知っただけで、そこのトップレベルの実力になってしまったらしい・・・。

 発勁ができて交叉法知ってたら取り敢えず、大概の相手には勝てます。

 何しろ、熟練すれば、相手が攻撃しようとする前にバチコーンッて叩いて終わり!

 譬えるなら、ウルトラマンが登場すると同時にスペシウム光線かまして怪獣を爆殺するようなもんです。

 はた目には、不意打ちで一方的に叩いているようにしか見えないと思いますが、これが交叉法の真価です。

 つまり、“相手に技を出させないまま一方的に打ち倒す”訳です。

 これなら相手がどれだけ実力があろうと木偶人形と変わりません。

 相手が武器持って、こっちが素手でも同じ。

 何故なら、相手の武器を受けないで、隙間を狙うからです。剣術と無刀捕りを比較して実演しましたので、見てください。

 特に、今回、重視したのは“差し手”です。パンチに差すのはいつもやっていますが、今回は蹴りに差すやり方も撮影しました。

 蹴り脚を引っかけてヒョイッと挙げると、相手は面白いようにふっ飛びます。思いっきりやると放物線描いてピョ~ンと飛んでしまって危ないのですが、ケンカでやったら面白いですよ~?

 我々は基本的に発勁打てるので、これで交叉法遣うと冗談みたいに見えます。

 説明すると大して難しい訳ではないんですが、それこそコロンブスの卵みたいな発想の転換ですね?

 例えば、「澤井健一先生は何故、腰を引いて構えるのか?」ということも分析していますが、どんな姿勢や動きにも、ちゃんとした理由がある訳です。

「これが正しくて、それ以外は間違い」とする論理が、根本的に誤りであるということですよ。

 多分、このDVDが出てから、「これが真の交叉法である」とか、「これが交叉法を超える理合だ」とか言い出す売名武術屋が出てくると思うんですが、こういう連中は本質を理解していないから、そんな阿呆なことを言い出すんですよ。

 交叉法はあらゆる武術に内蔵されています。理合というのはそういうものです。言葉を知らなくとも同質のことをやっている先生は沢山おられます。

 私は流派を問わず、それを抽出して理論化する研究をしているに過ぎません。研究家ですからね?

 心ある日本の武道武術の修行者が、具体的に自身を変える切っ掛けになってくれればいいな~と思います。

 実際に撮ってみて、今回のDVDはあらゆる武術、武道をやって悩んでいる人への達人ロードの道しるべになるのでは?と、思います!

 サイヤ人がスーパーサイヤ人になる!くらいの変化が起こりますから。

「憧れていた達人に自分がなれる!」

 そんなDVDになるでしょう。発売記念に二月中に申し込み入金する方は割り引きセールしますので、是非、どうぞ!

 いや~、今回は久々にいい作品になったぞ~!



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事務連絡 先行予約開始 『交叉法 - 游心流の戦闘法』 DVD

新作DVD 2016年3月発売!

タイトル:『交叉法 - 游心流の戦闘法

概要:武術を真に使えるようにする。交叉法の練習の仕方、応用法。
内容:
・交叉法の理論
・差し手…対パンチ、対蹴り
・応用法…伝統空手、フルコン空手、合気道

詳細はこちら
価格:20,000円

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二月“軸”セミナー感想

 二月の月例セミナーは“軸の確立”をテーマにしていました。

 軸と一口に言っても、解釈は様々で、いろんな人が解説しています。

 今回は、中心軸と側軸(肩と股関節を貫く垂直軸を指す)を主に解説しましたが、中心軸は一本、側軸は二本あると考えられています。

 中心軸に関しては、かなり以前から言及されていて、武術関係者の間では割りとポピュラーな概念だと私は思っていたんですが、参加者に聞くと、ほとんど知らなかったそうです。

 むしろ踊りの方で広まっている考え方かもしれませんね?

 私は、武術体を軸系と丹田系に分けて考えていましたが、これは20代半ばには考えていましたね。つまり、四半世紀前には知っていました。

 側軸に関しては、私の知る限りでは、多分、高岡さんが最初だったのではないか?と思います。

 私は少林寺拳法やっている知人から「少林寺拳法は二軸を使う」という話を聞いて、初めて考えるようになりました。やはり20代後半の頃でしたね?

 軸の概念で動きを分析するようになり、いろいろと解ったことがありました。

 中国武術は概ね、中心軸で動きますが、日本の伝統的武術は二軸を使います。ただし、一刀流以降の素肌剣術が中心軸を使うようになります。

 どこが違うのか?というと、姿勢(構え)です。

 半身の構え(相手に斜めに構える)は二軸を用いる場合が多く、中心軸の場合は、上体(正面)を相手に向ける“向身”が多いのです。

 沖縄空手は向身が基本ですが、これは中国武術の影響でしょう。

 先日、『少林寺』を久々に見ましたが、中に少林寺拳法の範士が出演しており、少林拳の動きとえらく違和感が有ることを再確認しました。

 この映画は少林寺拳法が少林寺の武術の正統な継承をしていることの証明を企画していたものですが、完成された作品を見れば、技術の根本原理が異なることが経験者なら明瞭に判る・・・というものに仕上がっています。

 この作品から約20年後に、少林寺拳法は中国武術とは無関係に日本で創始されたものであることを宣言しています。

 やっぱり、綿密に調査されたら真相は判明しますからね。早めに告白しておく方が被害が少なくなります。

 ベッキーみたいに・・・(人気商売はつらいよね~)。


 さて・・・今回は天候が悪いのとインフルエンザが流行しているためか、参加人数は少な目でしたけれども、あんまり多くない方が練習内容は濃くなる?という困った現象があります。

 軸と言っても、見た目でバッチリ判るようなハッキリした“体軸”というのは、私に言わせれば弱点を晒すようなものなので、最近は、初心者の練習目標くらいにしか思っていません。

 しかし、軸で考えると技をかけるのに便利な面もあるんですね?

 何よりも、実力が外見で判り易い!

 それなりに実力の高い人は軸がきっちりと立っているものです。後は、軸が太いか細いか、硬いか柔らかいか・・・。

 軸が立っていて実力のある人というのは、細~い糸のような軸で、ピアノ線のような強靭さが感じられるものです。それでいて身体に力みが無い。こういう人は達人レベル。

 もちろん、こういう人は滅多にいません。私も数人しか見たことありません。最近見た中では、アメリカ詠春拳の第一人者のフランシス・フォン先生。噂に聞いていた以上のあまりの素晴らしさに驚きました! 微塵も力強さを感じさせずにスルスルと技をかけてMMAにも対応できる応用性が凄いです! この先生には私でも習いたいと思いました。

 大抵は、ぶっとい軸を身体をガッチリ固めて維持している人。こういう人は強いけど、技の応用性がありません。ざらに居ますよ、空手家、剣道家、居合道家、合気道家・・・と、自分では「俺は強い!」と思い込んでいるような人達。

 今回は、「軸を想定することで技の応用性が広がる」ということを特に解説しました。

 まずは崩し技。

 軸を切り崩すイメージでかけると具合が良い。

 体捌きも、中心軸で躱すのと、側軸で躱すのとでは攻防の展開が変わってくるという点を解説しました。

 また、小手返しを軸を想定してかけると具合が良くなる・・・というのと、では、“軸をずらせば逆転できる”という応用法も解説しました。

 まあ、伝わったかどうかは不明ですが?

 これは、関節を固める時に、そこに軸を想定して“強制的に居着かせる”んです。

 だから、逆転するには軸をずらしてしまえば逃げられる訳ですね?

 軸を想定することで攻撃技も防御技も次々に応用できる訳です。

 これを、一つ一つの技として覚えていくと、膨大に覚えなくてはならなくなりますが、原理的に考える癖がつくと、いくらでも応用展開できるようになる訳です。

 実際、私はその場のアドリブで技を編み出しているので、具体的に習った技はそんなに数多い訳ではありません。組み合わせと応用変化で無限大に編み出していける訳です。

 そうなった場合、「これが正しくて、それ以外は間違い」という論理そのものが固定観念に過ぎないということが明瞭に判ります。

 武術の場合なら、戦って勝つことが唯一絶対の条件であり、その他はすべてオマケに過ぎません。

「これが正しい技だ!」と言うこと自体が矛盾している訳ですよ。

 ただし、「勝てない技は間違い」です。それでは武術とは言えませんからね?

 最近は、「戦って勝つことに何の意味があるのか?」なんて真顔でのたまう武術愛好家すら居ますけど、「そんなこと考えるのなら武術なんかやるな!」って言いたいです。

 どうも、甲野氏の悪影響で「戦えない武術でいいじゃない?」みたいなヘンなこと言い出すバカが増えているようで困ったものです。

「戦えないなら武術って言わなくていいんじゃない? どうしても“武術”って言いたいのは、自己承認されたいだけでしょ? “俺はスペシャルな人間なんだ”ってアピールしたいだけでしょ? でも、具体的に戦って自分の弱さを晒すのは嫌だから“武術は殺傷術だから自分は戦わない”なんて、嘘言って逃げるんですよ。判ってるよ。一度も真剣に戦ったことないんでしょ?」って、言いたくなるんですよね?

「じゃあ、長野は真剣に戦ったことあるのか?」って言いたい人もいるでしょう。

 あるよ。

 でなけりゃ、言えないでしょう?

 でも、若い時だし、全然、正々堂々と戦った訳じゃないから、恥ずかしくって言えません。そんなカッコイイこと言う余裕なかったですもん・・・。

 だから、高尚なこと言うような武術家は信用できないんですよ。

 
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模擬刀の補修

 小塚師範が使っていた模擬刀が相当、傷んでいたので預かって補修することにしました。

 柄には鮫(エイの革)が使ってあり、外装は割りと良いんですが、刀身は亜鉛合金の鋳物にメッキしている廉価の美術刀で、鐔の装飾の鯉が手元の方にレリーフされていたんですけど、これが“くせ者”で、尖り過ぎていて指を傷つけそうだったんですね?

 実際、知らずに借りて使っていた会員が指から血が滲んでいて、こりゃあ危ないな~と、応急処置で、道場でダイヤモンドヤスリで尖っている部分を丸めましたが、刀に嵌めてあるままだと細かいところまでは処理できません。

 それで預かった訳です。

 柄を外して鐔を逆さまに装着すれば問題解決するのですが、小塚師範が外そうとして目釘を抜こうとしたけど抜けなかったそうで、「柄と刀身が接着されているみたいで分解できませんでした」と言っていました。

 安い美術刀ではよくあることです。

 柄がプラでできて鮫の肌目のようなブツブツが付いたものだと、よくボンドで固められていたりします。こういうものだと柄糸を解いてバラすしかないんですが、これは木材に鮫を貼りつけて目貫も付けて柄糸が巻いてあるので、それなりに手間のかかった作りなんですね。

 が、それよりも問題は、鞘が割れていることでした。

 小塚師範は接着してエポキシパテで成型していたんですが、鞘の真ん中の繋ぎ目から割れてしまうと、普通に接着しただけだと強度的に無理があって、また同じところから割れるんですよね~。

 本当に、一回割れると割れ目を接着するだけでは強度不足なんですよ。小塚師範も仕事が終わって帰ってからはニャンコの世話も大変だろうから、作業する暇もないだろうしな~?と思って、預かった次第。

 私はいつも真剣の外装を自作しています(20回以上やってます)から、模擬刀の補修くらいはどうってことありませんからね。

 もっとも、いろいろゴタゴタと忙しかったものですから、中々、手付かずだったんですが、ようやくヒマができたので、金曜の夜に補修作業をやりました。

 まず、柄を外すために、目釘(材質は竹)を抜かなければなりませんが、確かに堅くて抜けません。小塚師範が抜こうと悪戦苦闘した痕跡が目釘に残っていました。

 こういう場合、私は目釘そのものにキリで穴を穿ち、少しずつ削り取ってしまいます。

 目釘は新たに作らなければならなくなりますが、また竹の丸棒を削って新しく作ればいいので、まずは柄を外すのを優先します。

 この模擬刀は鐔が緩んでいたので、「緩むということは接着剤で固められてはいないんじゃないかな?」と思ったのです。であれば、目釘さえ取り除けば柄は外せる筈です。

 目釘を削り除くと最初は堅かったんですが、思った通り、ちゃんと柄は外れました。接着剤も使ってありませんでした。これで作業は楽に済みます。

 切羽二枚と鐔を外して、鐔を反対側にしてはめ込み、柄を装着しました。大雑把に削った竹の丸棒を抜き差ししながら少しずつ削って調整しながら目釘を作り、打ち込んでみたら、ちゃんとなりました。これで分解も可能になりましたよ。

 刀身に刃毀れもあったので、こちらも金属用ヤスリとダイヤモンドヤスリを使って均しました。これで刀そのものは完了です。

 次は、鞘です。

 繋ぎ目から割れた鞘は、居合で使うには危険です。たとえ模擬刀でも超高速で引っこ抜いた時に、また鞘が割れて左手の平を傷つけてしまうかもしれません。

 実際、真剣だと、このような事故が多いのです。古流居合術の遣い手として有名な先生も、若い時に鞘割れで左手の平に大怪我をしているという噂を聞いたことがあります。

 実は私もやったことあります。怪我はしませんでしたが、それ以来、鞘の強化補修はいろいろ考えるようになりました。

 愛刀家に言わせれば邪道なのでしょうが、私は下手糞なので御容赦ください!

 結果、割れた鞘は鯉口から握り一個分の箇所を重点的に補強します。ここが割れなければ問題ないのです。

 で、どうするか?というと、“針金を巻く”のです。

 しかし、鞘の表にそのまま針金を巻いたのでは不細工過ぎますから、見苦しくならないように補強を兼ねた装飾を施します。

 まず、鞘の表面を漆塗装を剥ぎ取るくらいに薄く削り、彫刻刀(三角刀か切り出し刀)か三角ヤスリで針金を巻き込む溝を彫ります。溝を彫るのは、針金を埋め込むためです。

 そのまま巻くと針金を巻いた部分が出っ張るので、鯉口近くを握った時に太くなり過ぎてしまったりするので、握り心地を考えて溝を彫って埋め込むようにしています。

 彫った溝に針金を埋め込むように巻き込みますが、何周巻くかは好みで構いません。

 5~6周でも、万が一、鞘が割れても刀の刃で手を傷つける心配はなくなりますから。

 私は10~12回は最低、巻いていますが、これは念のための処置なので、回数はそんなに気にしなくて大丈夫ですし、針金も0.5mmの太さくらいで十分です。

 今回は鯉口(コイグチ、刀身を抜き納めする開口部分で鯉の口のように見えるからこう呼ばれる)から栗形(クリガタ、下緒を通して装着する部品で帯に差した時に表側に在る)の手前まで12周巻きました。

 さて、最後は、この針金を巻いた部分に接着剤で革を貼り付けて完了です。私は東急ハンズで色付きのエイ革を買ってきて柄巻きに使っている残りを利用しています。

 これは非常に丈夫なのと、格好がいいので気に入っています。目の細かいヤスリで削って“研ぎ出し鮫”にするのも本格的になっていいかもしれませんね?

 今回は柄木用に使った残りの“焦げ茶染めの鮫(エイの革)”を接着しましたが、どうもサイズを合わせるのに苦労しました。それで5cm幅に長く切って斜めに巻き込むように接着してみました。

 ツギハギになると不細工かな?と思ったんですが、苦肉の策がかえって格好良くできました!

 刀のハバキ(刀身を鞘の中で浮かせて固定する金具で赤銅や真鍮、金着せ、銀などでできている)もユルユルになっていたので、これも鞘の鯉口の内側に雲丹を買った時にためていた木製の台から取った薄板をハサミで適当に切り、接着しました。

 ちなみに、これは水に浸して塩抜きしてから天日干ししておくのが良いと思います。塩分が残っていると真剣の鞘に使うと錆が発生する原因になりかねません。まっ、模擬刀ならそこまで神経質になる必要はないと思いますが。

 小塚師範は木目シートを貼り付けていたみたいですが、私も昔、やっていたんですが、これだと剥がれた粘着剤がハバキや刀身にこびり着いてしまったりします。それで、これは剥がして新たに作った次第です。

 薄板を接着しても使っていればすぐに擦り減ってしまうのですが、だからといってアルミテープとか硬い粘着シートを貼っていたりすると刀身を傷つけてしまったり、粘着剤がこびりついたりするので、面倒臭くてもマメに薄板(桐みたいな柔らかい材質のものを使ってください)を貼って補修する方が結局はベストだと思いますよ。

 もちろん、武道具店に頼めば補修はしてくれるんですが、新しい模擬刀買った方が安上がりではないか?と思うくらい料金がかかる場合もあります。自分でやった方がずっと安上がりだし、刀への愛着も湧いて刀の構造を理解することもできます。

 特に居合の稽古をやっている人なら、鞘の補修くらいは自分でやれないとダメだと思ったので、今回は私なりに工夫した“やり方”を簡単に解説してみました。

 揃えておく道具は、目釘抜き(武道具店に売ってる。無ければ金づちと先端が細くなった金属の棒で可)、キリ(電動ドリルでも可)、木工ヤスリ、金属ヤスリ、ダイヤモンドヤスリ、彫刻刀、瞬間接着剤(すぐ硬化する。ゼリー状と液状があると便利)、ウルトラ多用途超強力接着剤(固まるとゴム状になる)、エポキシパテ(粘土みたいに練って使い、セメントみたいに固まる)、針金(0.5mmくらいがいい)、工作用薄刃ノコギリ、竹丸棒(竹刀に使う竹だとモアベター、削って目釘を作る)、皮革(東急ハンズにいろいろなのが売ってるよ)、ハサミ、ラジオペンチ(針金切ったりするのに有ると便利)、マジックインキ(目印を描くのに必要)、柔らかい材質の薄板・・・その他、材料になりそうな物です。

 私は町田の東急ハンズと横浜線の古淵駅から歩いて5分くらいにあるホームセンター島忠で、「これ、使えそうだな~?」と思ったものを、ちょこちょこ買ってきてます。

 中学時代の技術家庭の授業で使った工具から、高校時代に買った工具、大学時代に買った工具・・・と、ずぅ~っと、ちょこちょこ買い足してきているんですけどね。

 今回は稽古用の模擬刀なので一晩でできましたが、真剣の外装作る時は最低三日くらいはかかります。

 でも、そうやって作ると愛着湧きますよね?

「お祖父ちゃんの遺品のボロボロになった模擬刀があるんだけど・・・」という刀剣女子でDIY好きの方とかは挑戦してみられてはいかがでしょうか? 凝れば凝るでキリがないですけどね?

 拵えを自作することを否定する方も居ますが、私の場合、自分で作らないと不安なんですよ。既製の模擬刀使っていて柄が折れたのを二回見たことあります。

 古い刀で拵えがボロボロになっている場合もあります。補修しても木が虫に食われてボロボロになっていると、振っただけで折れたりするんですよね。

 本職の人に注文したら20万くらい取られるし、それでも頑丈に壊れないように作ってもらえるかどうか?

 武道具店で作ってもらうのも安くはできるけど、やはり強度的に心配です。特に柄が細いと心配なんですよね~。茎が短いのに細くて長い朴の木の柄だと、不安ですよ。見てくれより頑丈さが大切だと私は思うので・・・。

 もちろん、美術品だからという理由はわかりますが、日本刀の第一の目的は戦闘用でしょう? 戦闘用に生まれて機能美を珍重するようになっただけです。

 戦後、美術品として登録されるようになったからと言っても、それを大上段に構えた価値観しか認めないというのは何か違うんじゃないかな~?と思いますね。

 武術で言うなら、どんな優れた絶技を持っていても、戦って勝てない人は尊敬されないですよ。

 その点で、格闘技やっている人達から武術がバカにされたりするのも仕方がないように思いますね。

 甲野さんみたいになったらオシマイですよ・・・。

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本物って何?

 日曜日の稽古前、小塚師範から電話がかかってきて「階段のシャッターの鍵が開きません」とのことでした。

 もともと、癖がある鍵で開けるのにコツが要り、皆、悪戦苦闘していたんですが、今回は本格的に開かなくなっているらしく、私も駆けつけてみましたが、もう完全にOUTでした。

 一階がビルのオーナーの工房(ガラス工芸)になっているので、相談しようと思ったんですが、日曜日だからお休みされていました。

 後から会員が来て入れないとマズイので、皆が来るまで待ちましたけど、こういう日に限って参加者が増えて滅多に来れない人も来ていたんですよね~(苦笑)。

 まあ、「ちょっと寒いけど、天気がいいから久しぶりに公園でやろう!」と、皆で駅の向こうの鹿沼公園に行って、久々に野外練習しましたよ。

 公園だと模擬刀はもちろんですが、木刀も使う訳にはいきませんので、もっぱら基礎練体と対練、推手の練習になります。

 ガンガン殴りあったりしないので、「何の練習ですか?」と興味もって聞いてくる年配の小父さんもいたりするんですけど、この日は二回も聞かれましたね。

 面倒臭いから「太極拳です」って答えます。

 ちょっと詳しい人だと「太極拳って空手みたいな組み手もやるんですか?」と聞いてきたりするんで、「本当はあるんですけど、健康法でやっている団体だと練習しないだけなんですよ~」と、笑顔でごまかしたりします。

 もう少し詳しい人(経験者)だと、腕試ししたがったりする場合も無くはありませんが、そういう場合は、いきなり「ここで金玉掴んで捻り潰す」「ここで目ン玉えぐり取る」「ここで喉笛掴んで押し潰す」「ここで耳を引き千切る」と、エグイ技路線に変更しますと・・・戦意喪失して黙って退いていきますね。

 スポーツ競技の感覚で腕試ししてカタワにされたらかなわん・・・と恐怖心を植え付けてあげる訳です。

 で、大抵、武道や格闘技をちょこっとやったことある初段か、せいぜい二段までの人間ですね。三段以上でこういうタイプは流石にいないと思いますけど。

 あ~、そういえば・・・子供を暴行して殺した暴力団員のデカブツが、何と、元極真空手のチャンピオンだったと報道されていて、愕然としてしまいましたよ。

 何て情けない・・・。私の知る極真空手修行者は全員が素晴らしく謙虚で人柄の良い人ばっかりだったのに、チャンピオンにまでなりながら、どうしてこんなクズになり下がってしまったんでしょう?

 本当に「情けない」の一語です!

 武道家としてのプライドも自制心も無い。無差別に暴力ふるうしかできない。本来、こんなヤツに空手を教えてはいけないと思うんですが、目先の強さしか求めていないと、こんな歪な精神構造のゴミ人間になってしまうのでしょう。

 でも、私も本当に気をつけないといけないと思いましたね。破門にしましたけど、勘違いした自惚れ屋は何人も出してしまいましたから・・・。

 少なくとも“キチガイに刃物”みたいにならないよう、教える人はきちんと選ばないといけないと思っているので、入会希望者でも態度が悪かったりすると断ったりしてます。

「武術はバカではものにならない」と言われるんですが、それは戦略思考、戦術試行をできる知性がないと実技を遣いこなせないからなんです。

 そういう点から言っても、武道を学びながら本質を考えている人は滅多にいませんね。

 チンピラ的強さしか求めないバカは、昔は入門させないのが当たり前だったのですが。


 練習後に、久々に駅前のジョナサンに行きました。

 ある意味、練習以上に練習後に飯食べながらいろいろな話をするのが戦略思考を育てる場として重要なんだと私は思っていますし、私自身も貴重な情報収集になります。

 昨年、セミナーを受講されていたスポーツトレーナーの方からも聞いていたんですが、ここ最近、整体や気功の先生が武術を教えて、しかも異常な高額で教えているのだそうですね?

 まっ、価格設定は教える人次第ですし、習う人が納得しているのであれば他人がとやかく言う問題ではありません。

 整体・カイロプラクティックなどの業界では100万円を超えるようなセミナーが普通にあるので、料金設定がバカ高くなるのも、そのせいかもしれません。80年代末の自己啓発セミナーも、そんな感じで300万円くらい取るのが当たり前な感じでしたね。

 無論、バブルが弾けて、こういうセミナー業界は一気に消滅していきましたが、企業研修なんかで細々と生き残り、未だに異常に高額で教えているところもあります。

 最近は、お金儲けに繋がるという名目で気功とか教えるところがあると聞きますけど、ただお金を集めるのに気功を用いるというのは完全なマルチ商法の手口ですね。

 気功というのはそもそも仙道やヨーガ、山岳密教の修行法を現代的エクササイズとして中国で再編成したものであり、ルーツからすればお金を集めるという世俗的欲求とは反対のものです。

 その筋の専門用語で「お試し」と言いますが、こういう欲望成就に応用した場合、最初はウハウハで上手くいったりするんですが、ほどほどで止めないと、どんどん欲望が肥大してコントロールできなくなり、最後は自滅してしまいます。

 気功の原理は催眠と同じです。自分を騙し、他人を騙す。そんなの良い訳ないんです。

 私は宗教哲学とか勉強してたんで、そのことも知ってましたから、自分の欲望成就には使わなかったんですよ。一時的に上手くいっても後で大変な災難に陥るのがわかってましたからね。

 願望達成だの成功哲学だのとやっている人には注意するようにしているんですが、こういうのは自己暗示ですから自分を客観視できなくなってる人は聞く耳ないんですよね。で、精神疾患まっしぐらになる人も多いです。「お金欲しい」やら、「有名になりたい」といった欲望だけをストレートに求めるのは自滅するだけです。

 お金が欲しければ、お金を稼げる能力を磨く! 有名になりたければ、自分の目指す分野で実績をあげる。これが一番です。

 私が小説の勉強したのも、これが理由なんですよ。自分が金を稼ぐ可能性のある能力を磨く!

「地道にコツコツ」・・・これが本当の成功の秘訣。


 さて、一般に武道の指導料は安過ぎるのではないか?とも言われますが、まあ、上限として入会金10000円で月謝10000円くらいかな~?とは思います。

 それ以上だと「高い」という感じがしますが、内容がその分濃いとか、施設の装備が良いとか、それなりの付加価値があれば問題視する程ではないか?と思います。

 逆に安過ぎるところだと、無料とか月謝2000円とか、そういう“お得感”をウリにするところもあります。

 そもそも「武道は金で買うものではない」という観念もあるので、お金を貰うことに抵抗を感じる年配の先生も大勢います。

 私も初期の頃は抵抗を感じました。が、安い料金(一回千円)で発勁も合気も何でも教えようとしたところ、ほとんど人が来ませんでした。

 つまり、安かろう悪かろうという観念が習い事にはある訳で、「ちょっと高いな」くらいが一番、信用を得やすいのでしょう。

 また、安くない金額を払ったら真剣度が違います。安いと真剣にやらないんですね。

 そういう様子を何年も観察してきたので、今では、「武術は安売りしない!」ということを自戒しています。「価値のあるものはそれなりの対価を払うのが当然だ」と、考え方を改めた訳です。

 個人指導は一回10000円貰っていますが、続けてきている人は真剣度が全然違うので、やはり上達度が尋常ではないですね? ほとんど別人のようになっています。

 だから、昨年は一回20000円の特別講習会もやった訳です。真剣に学びたい人だけを選びたかった訳です。

 そういう料金設定にしたので、“荒らし”が目的の人とかは来なくなりましたね。

 道場破りに金かける人はいないでしょう?

 もっとも、私は料金に見合った内容を提供できる自信があるから高くできましたが、「アンタ、誰?」って具合に、武術の世界で見たことも聞いたこともないような人がバカ高い料金で「これが本物の技だ」って教えていると聞くと、“誇大妄想狂がカルトを興す”みたいに思えて、いかがなものか?と思うんですよね~?

 もちろん、そういう人は昔っからざらにいます。甲野氏みたいに自己アピールが異常に上手くて世間を完全に騙してしまった実例すらありますからね~?

 詳しくない人は未だに信じていますが、まともに修行している人で甲野氏とまともな手合わせした人は、あまりの弱さにビックリした・・・という実例が多いので、業界の裏事情に詳しい人達の間ではお笑いの対象(ギャグ)でしかありませんよ。

 彼を利用したい人は仲良くしたがるんでしょうが、ダメな人はダメとはっきり言っていないと、最終的には同じ穴のムジナ扱いされるだけでしょうね?

 事実はいずれ明らかになります。現代のようにインターネットが発達した世の中では真相は隠せないですよ。

 特に、武術は実際にまともに手合わせすれば実力は露になってしまいます。延々とごまかし続けることは不可能ですよ。

 けれども、業界の体質を知らない人達だと区別がつかずに騙されてしまったりしますから、真贋の見分け方もお教えしましょう。

 本当に実力と見識がある先生ならば、「これが本物だ!」とは、決して言いません。

 何故なら、詳しく研究し知識が増えれば増えるほど、「これが本物で他は偽物」とは言えなくなっていくからです。

 実例で説明すると、甲野氏の武術はインチキですが、理論的に正しいことも部分部分では散見されます。

 トータルで見れば、武術家とすればインチキ詐欺師(戦闘力0だから)にしかならないんですが、武術の研究をしている人間だとすれば、あれでもOKなんですよ。

 どういうことか?というと、武術家であれば第一に実戦能力の高さが評価基準になりますから、まともに戦って全戦全敗の甲野氏は武術家と呼ぶに相応しくないということになります。

 ところが、“武術の研究をしている人間”ということになれば、別に実戦能力皆無でも構わない訳です。実戦経験も必要としません。趣味でやっているだけですからね。

 また、研究家と名乗らなければ、発表内容に責任を持つ必要もなくなります。プロではなくなるからです。

 つまり、“趣味で武術のまね事をやって文筆や講演活動をしている作家”だと規定するなら、な~んにも問題ない訳ですよ。単なる“奇人変人”として・・・。

 例えば、作家で武道や武術を趣味でやっている人もいますよね? その場合、下手であっても「修行している」という事実だけでハクが付きます。

 まして、道場で教えていたりする人だと、もう達人扱いされても構わないでしょう。

 何故なら、作家と武道を両立させてどちらもプロだというのは、並大抵の才能ではないからです。どちらか一つだけでも並の人間にはできませんからね? 並でないなら達人扱いされたって構わないでしょう? 達人の定義がある訳じゃないし・・・。

 宮本武蔵が高い評価を得られたのも画家であったり理論書を書いたからですよ。ただ強いだけなら武蔵以上の人もいたでしょう。


 私の場合は研究“家”と名乗っているので、甲野氏のように無責任に振る舞う訳にはいきません。発表内容には責任が伴いますから、間違ったらお詫びして訂正するということを心掛けています。

 武術の修行をしている人間としてもプライドの問題として勝負には拘るし、実戦能力を高めることを第一に考えていますから、指導する場合もそのように言っています。

 小説も発表して作家としても本格的に活動しようと思っていますが、これは研究家とは別の仕事ですからね。

 しかし、作家、文筆家としては、言葉の意味は正確にすべきだと思っています。

「これが本物の技だ」と称するならば、何が本物で何が偽物なのか?ということを説明できなくてはなりません。

 本来、説明するには膨大な知識が必要ですから、専門家は資料を集めたり自分で学んだりフィールドワークしたり、物凄く調べる訳ですよ。

 ところが、調べれば調べるほど、背反する事実が出てきて定説が覆ったりするんです。

 だから、専門家として真摯に研究していればいる程、「これが本物だ」とは言えなくなっていくのです。

 私のところにも「長野先生が本物だと思って来ました。教えてください」と言って来る人はいます。

 ですが、そういう人は見識が浅いから簡単に“本物”なんて言葉を使っているのです。

「私は本物じゃありませんよ。私の技はほとんど全てがパクリですよ」と言います。事実がそうだから、ありのまま言っています。正統な流派を継いでいる訳でもありませんし、実力だって私以上の人はいくらでもいます。

 武道武術の世界に詳しくない人が勘違いしたり舞い上がってしまったりするんですよ。

 唖然として来なくなる人はそれでいいと思っています。“本物”とは何か?と考えて自分が何を求めているのか・・・と改めて考え直して入会する人にしか教えたくない。

 そういう人でないと教えても体得できないんですよ。見世物芸なら誰でもできますが、武術の技を実用レベルで体得するには理合をきちんと理解して応用できないとダメです。

 私のところには、甲野氏や高岡氏、宇城氏、日野氏のところに行っていた人が結構いるんですが、“本物の武術とは何だろうか?”と悩んだ揚げ句に私のところに来たりしているみたいです。

 結局、こういう人達に共通しているのは、「有名な先生に習えば自分も凄くなれるに違いない」という依頼心でした。

 私に習いに来たのも、「長野さんに習えば自分でも達人になれそうだ」と甘いこと考える訳ですね。

 もちろん、こういう考えの抜けない人は、私が教えても、やっぱりダメです。で、また、別の団体に移っていくだけですね。で、考えを改めない限り、ずっとそのままです。

 こういう人は、本気で自分を変えたいと思っておらず、達人の弟子という立場に安心したいだけです。

 私は“本物の技”は存在しないと思います。でも、“本物の武術家”には誰でもなれると思います。

 それは、「徹底して自分に嘘をつかずに真剣に探究し続けること」です。

“本物”かどうかは自分の決意に左右されるのであって、他人から与えられるものではないのです。

 バカ高い金を払えば自分のものにできる・・・そんな都合の良い武術はありませんよ。

 むしろ、そんな御都合主義の考えをした時点で、その人は永遠に偽物のままです。

 近藤勇は偽物の虎徹を本物と信じていたと言われますが、一説に清麿が打った刀に虎徹の銘を切った刀だったとされます。

 その当時、清麿の刀は虎徹の刀に遠く及ばない値段で取引されましたが、現在では清麿の刀は正宗をも凌ぐ人気で最も高額な値段で取引されて虎徹を完全に超えています。

 要するに、近藤は刀の本質を洞察でき、当時の第一級とされた虎徹に優るとも劣らない刀であるから本物だと認識していたのではないか?と思いますね。

 日本のみならず世界中にいろいろな武術武道を学ぶ人がいて、「自分の学んでいる流儀こそが本物だ」という自負を持っている人が大勢います。

 それが間違っている・・・とは言えないでしょう?

 しかし、本気で探究している人は、安易に「これが本物だ」とは言えなくなる。それは、本物を求め続けているから、言えなくなるのです。

「これが本物の~~だ!」と言って教える人がいたら、迂闊に近づかないのが賢明です。

 誇大妄想狂か詐欺師、そのどちらかでしょう。


 稽古の翌日、シャッターの鍵が開かなくなったことを不動産屋さんに相談に行き、大家さんに連絡してもらって直行したら、大家さんがCRC556で開けてくれました。

 錆びて動きがおかしくなっただけだったみたいです。部品が壊れたのかと思った。

 ま~、セミナーの時じゃなくて良かったですよ~。

 せっかく大家さんが開けてくださったんで、前々からガラス工芸の作品を見たいと思っていたので見せてもらいました! 私も工芸は好きですけど、やっぱり素人ですから、プロの仕事の細かさには圧倒されました。

 表札も作られていたので、游心流の道場の表札もクリスタルガラスで作ってもらうとカッコイイな~?と思って、注文することにしました。

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二月セミナー“軸の確立”

 今年に入って、もう二回目ですよ。早いよな~・・・年取ると時間が経過するのが加速度がついてるんじゃないか?というくらい早くなってるような印象がありますね?

 10代の頃が一番、長かったような気がしますね? で、その頃から精神年齢ちっとも上がってないような気がするんですよね~?

 何しろ、今でも学校に通っている夢見て、「将来は俺はどうすればいいかな~?」なんか考えてたりするんですよね。で、目覚めて「あれっ、今、何考えていたんだっけ?」と、変な違和感が残ってたりするんです。

 私は両親共に学校の先生だったんで、家の中でも学校の話ばっかりするんですよ。ずぅ~っとそうだから、世の中が学校の中だけしかないような気持ちになってしまうんですよね~?

 親戚も学校の先生だらけだったんで、尚更、そうなってしまうし、家の中でも教育について考えるのが家族の習性になっていたんですよね。

 まだ両親共健在だった頃に、田舎に帰省している時に会員から電話がかかってきて、「長野先生をお願いします」って言われて母親が、「はい、私です」って答えて、「いえ、あのぅ~長野先生を・・・」って言われて、「はいはい・・・わかりました」って親父に代わって、「いえ、あの、違います」って言われて、「あ~、なるほど・・・」って兄貴に代わって、「あの~、長野峻也先生に・・・」と言われて、ようやく私に代わってくれた・・・ということもありました。

 兄貴は当時、病院の薬局に勤めていて長野先生と呼ばれていたんで、病院の人からかかってきたと思われたみたいですね。

 私の両親兄弟は私がどういう生活をしているのか?ということをまったく理解していなかったので(何回説明しても理解してくれなかった)、「へ~、お前も先生って呼ばれてるんだ?」と意外な顔をされましたね。

 電話だと声がそっくりだったらしくて、親父にかかってきた親父の学校に勤めている先生とか、「はい、長野です」って返事すると、「あっ、校長!・・・」って話し始めて、「あっ、ちょっとお待ちください。父に代わります」って言って、「ええっ?」ってビックリされて、代わった親父が電話の後で、「あんまり声がそっくりだけん、校長だと思とったら、息子さんだったけん、たまがったですよ~って言うとったよ?」と笑ってましたが、こういうことが何回もありましたね。

 2月1日で53になったんですけど、確かこの年は親父はもう校長になっていたと思います。もう、そんな年になっちゃったか~?と、ちょっとね~・・・流石にもう若気の至りでって言い訳は通用しない年になったよな~って思いますね。

 でも、覚えのある人は多いと思うんですが、別に年とったからって精神年齢が上がるって訳じゃないですよね?

 武術にしろGunにしろ特撮にしろ猫にしろ・・・子供の頃に好きだったものは未だに好きですし、むしろ、拍車がかかってますよね。

 普通はこうじゃないのかな~?

 普通に就職して結婚して子供できて・・・って経験をしていないから、童心のままなんですかね~?

 多分、本来は私みたいなのが当然なのに、社会の中で生きていく過程でいろいろなしがらみを感じて自分を偽って生きていかなくちゃならない人が大半だから、本音を隠して装っていなければならないんじゃないか?とか思ったりします。

 よってストレスが溜まる。

 ストレス解消の娯楽産業の中に武道の道場なんかもあると思うんですが、怒鳴られド突かれ金を取られる・・・って、SMじゃあるまいし?って思うようなところもありますよね~?

 私はそれが嫌で嫌で、自分がやるんだったら、わいわい笑いながら楽しんで練習できる道場にしたいと思ってました。

 あんまり規律が無くて好き勝手にやるのでは怪我したりしかねないから注意が必要ですが、武術は基本的にしかめっ面して必死にやっても上達はしません。

 まして、本質的には殺人術を練習する訳ですから、練習相手を怪我させないことを第一に考えて力のコントロールをしながら技の効果を確認していく繊細な感覚を養成しないといけません。

 もちろん、いざとなったら問答無用で敵をぶち倒す覚悟が必要ですが、それはいざという時の覚悟の問題であって、普段の練習でそんな精神でやっていたら社会不適応者を育てるだけなんですよ。

 練習は練習、生活は生活、実戦は実戦と区別して適切に対応できることが重要です。

 私が猫好きなのも、昔、飼ってた猫が、見事なまでのこの区別をやってのけていたからなんですよ。武術の達人でもこうはいかないだろう?というくらい一瞬で戦闘モードに変われました。

 これは本能なんでしょうね~? 何しろ、手のひらに乗るくらいの生後一カ月にもなっていない子猫というより赤ちゃん猫の頃ですよ。ヨチヨチ歩きしてたのに、ちっちゃいネズミが出てきたのを見つけて眼がキラリンッ!となったと思ったら、ダッシュして超神速猫パンチ(早過ぎて見えない!)でバババババッとちびネズミを翻弄したので、「ひぃぃーっ! このままネズミばりばり食うんじゃね?」って怖かったので、「こらこら、もうそのぐらいにしとけっ!」って後ろ首摘まんで引き離したんですが、ちびネズミは既に御臨終になっていました・・・。

 いろんな達人に会いましたけど、まだうちの猫以上の人には会ったことありません!

 例えば、縁側の座布団の上で寝てた時に、犬が猛烈にワンワン吠えても無視してたんですが、暴れて吠えかかった拍子に犬の首輪が外れて飛び掛かったんですよ。

「やめろっ!」って叫んだけど、もう犬にかみ殺されてる猫の情景が脳裏に浮かびましたね。ところが、咬まれる寸前、クルッと振り向いた猫の猫爪パンチが犬の鼻面にザクッと炸裂し、激痛に犬がギャンッ!と鳴いて、恐怖に尻尾丸めてブルブル震えて縁の下に逃げようとしたんですが、戦闘モード全開になった猫がフーッと威嚇しながらバリッバリッと犬のケツに猫爪パンチをお見舞いして、その度に犬がキャーン、キャーンって悲鳴を挙げて助けを求めるようにこっちを見る訳ですよ。

 うちの犬はスピッツの雑種であんまり大きくないんですけど、流石に猫よりはずっと大きいですよね? 犬の癖に自分から攻撃していって猫に負けて助けを求めるような目でこっち見るなよ~って思いましたけど、「はいはい、もうそのくらいにしてあげて~」って、猫を離してやりましたけどね。

 この時に思ったのは、実戦は体格じゃないな~ってことと、一発で逆転する気迫と必殺技が重要だってことですね。

 人間は戦闘モードに入るのに時間がかかり過ぎますよね? 一瞬で迎撃できないとダメだよな~?と思いました。これも、私が試合に乗れない理由の一つです。

 ケンカの上手い人って、特徴があって、不意打ちが上手いんですよ。全っ然、攻撃する素振りも見せないで、いきなり喉首掴むとか、意識の隙間を狙うんですね。

 さらに達人になると、闘気がまったく出ないままで必殺技を出せる。私が目指しているのはこれですね?

『猫の妙術』とか、『木鶏』のレベルです。

 素人さんとか普通に武道・格闘技やっている人だと、気迫が漲った技とかを「凄いっ!」って絶賛したりしますけど、このレベルしか見えない人は武術の奥義とかを洞察する眼力はありません。

 私の本の感想で、先日、「付属DVDの仁平師範の突きが凄い!」って書いてこられた地方の会員さんがいたんですが、「あ~、この人、全然見えていないな~」って思いました。仁平師範も、“素人目に凄く見えるようにわざとやっていた”訳なんです。うちの幹部連中は苦笑してましたよ。あざといことやってるな~って・・・。

 うちの会員さんだったら、そこはちゃんと見極めて欲しいところですね?

 本当に凄い人の技は自然過ぎて全然凄く見えないものなのです。

 凄く見えないから、「こんなの簡単だろ?」って思うんだけど、真似しようとしてもできない訳です。

 ところが、何の経験もない人が真似したらできてしまったりするんですよ。

 何故でしょう?

 偏見が無いから普通の技だと思って、そのまま真似するからなのと、力まないからなんですね。

 実は簡単にできるのに、「この技は本物の師匠に就いて30年は修行しないとできないのだ」みたいに思い込まされると、“できない自分”を肯定してしまう訳ですね。

 それと、武道や格闘技の経験者は、力み癖がある。これが最大の障害です。

 長年、修行してきた人がうちに入ってきて一番苦心するのが、力み癖を抜くことです。

 特にフルコンタクト空手を長年やっていた人は例外なく堅いですね。

 でも、実力のある人は意外とスンナリ力を抜けます。感覚的に力まない方が技が効くことを知ってるからです。

 合気道やっている人が一番、うちとの相性は良いように思いますが、中には妙に堅い人もいるんですよ。そんな人の何人かに修行歴を聞いたら、堅い人は皆、同じ先生に習っていたので、これはその先生が堅いんだろうな~?と・・・。

 二月の月例セミナーのテーマは「軸の確立」ですが、軸なんてものはそもそも有りません!

 しかし、人間の身体は骨格を筋肉によって支持され脳と神経の指令によってバランスが調整されながら動かされています。

 そこには地球の引力との関係があり、重力の偏りを制御しながら効率良く動く身体運用法の一つの概念として、「軸の想定」が工夫された訳ですね。

 なので、軸というのは身体運動の理論化に於ける一つの原理でしかない訳です。

 ですが、軸を想定することで、様々な動きを効率的にして技の向上が望めます。

 よって、中心軸、側軸、二軸理論といったものが次々に提唱されてきた訳ですが、もともと無いということは、無限に有ると仮定することができる訳ですね?

 目付けのやり方としても軸を想定すれば非常に簡略化することができます。

 便利なんですよね? 軸で考えると・・・。

 ただし、もともと無いので、あまりにも軸で解釈しようとすることは逆に固定観念化を促してしまうので、それはいかがなものかな~?と、私なんかは思う訳です。

 もっと言ってしまえば、私が提唱している脱力技法・読み・交叉法・・・なんかも、本来は無い訳ですよ。“理論”だから。

“理論”は人間が考えた概念なんですから、もともとは無い。でも、それが“有る”という具合に定義付けすることによって科学が発展してきたんですよね?

 それは、自然界の様々な法則を発見して名前をつけて理論付けしていく作業を人類が延々と続けてきた精華であり、文化・文明というものは、そうやって作り出されてきた訳ですよ。

 だから、「江戸時代以前の日本人はナンバで歩いていた」と言った時に、「江戸時代って何か? 日本人とは何か? ナンバって何か? 歩くって何か?」といった具合に分解し、それぞれの意味を探っていく作業が研究家としての必要な作業だと私は思っているんですよね。

 武術だって、そうやって本気で探究しようとしたら、物凄く膨大な分野の知識を研究していかなければならなくなりますよ。

 だけど、それが本当の楽しさなんだと私は思います。

 世に武術の研究家を名乗っている人は何人かはいますが、本質的な探究をしていると言える人はいないと思いますよ。私だって、目指してはいるけど今の段階で充分だとは全く思っていません。死ぬ時までにどこまでいけるか?ですけれど、次の世代に本当に役立つ形のものを遺したいとは思っています。

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親が遺した財産

 どうせ、もう田舎には帰ることはあるまいと思ったので、去年夏に死んだ母親の名義になっていた土地も「俺は要らん。兄貴と弟で分けてくれ」と言っていたんですが、兄貴の方から「せめて土地を売って金を分けようか?」と言ってくれて、取り敢えず120坪程もある田舎の土地を一つ貰ったんですね。

 で、「売れるんだったら売って金にしてもよかね?」と言ってくれていたんですが、何しろ天草の中でも中心地から外れた田圃の中なので、大した額にはならないだろうと思っていたんです。

 貰った土地は、私が小さい頃にちょっとだけ住んでいて、覚えているのは階段からおっこちて大泣きしたのと、庭の桜の木に毛虫がいてビックリした・・・ということぐらい。

 その後、親父が格安(月額5000円!)で人に貸したりしていましたがシロアリに食われているということで家は潰してさら地にし、その後は長く、そのままです。

 私が幼稚園に入る頃の家は天草の中心地の住宅街にあって、ここが自分の家という認識でした。猫飼っていた小学生の頃が一番、いい時代でしたかね~?

 が、親が学校の先生だと転勤があるので、ちょくちょく引っ越ししていたんですね。中学時代は親父の勤める高校の住宅に住んで地元の学校に通い、土日はこの家に戻ってくるという生活でした。

 ちなみに私が猫好きなのも、一週間毎に帰ってきた時に猫がダッシュで迎えに来てくれるので、「犬は三日飼えば一生忘れないけど猫は長年飼っても三日で忘れる」と言われていたのを、普通の猫はそうかもしれないけど、うちの猫は赤ちゃんの頃から飼ってたので非常に義理堅かったですね~?

 私は本当は引っ越しとか旅行とかあんまり好きじゃなくて定住インドア派なんですが、何故か、やたらに引っ越ししまくる人生でしたね。

 それでも、この家はずっとありました。父親が退職した時に建て替えましたが、場所は同じ。

 もっとも、兄貴が相続したので売るかどうかするだろうと思います。自営業で金が要るでしょうから。

 つまり、もう田舎に帰っても帰る家はない訳です。

 弟は熊本市内に母親が退職した時に買った家を貰っていますが、私は「土地だけ貰ってもしょうがないし、金に替えるのもアリかな~?」という気持ちにもなりかかっていました。

 で、兄貴から電話がかかってきて「土地が売れるけど、どうする?」ということでしたが、予想を遥かに下回る額で、「ハァァ~?」って言っちゃいましたよ。

 いくら辺鄙な田舎だといっても、山林とかじゃなく普通の平たい土地で120坪もある訳ですよ。相模原で120坪もあったら道場付きの豪邸建てられますよね?

 何か財産を子供に遺そうとしてくれた親に対して、申し訳なくて哀しくなってしまってですね~。売らないことにして断りました。

 正直、田舎に帰る気持ちはありません。何でか?というと、世の中の流れから切り離されて家族と隣近所のことだけ考えて生きるような狭い生き方には耐えられないからです。

 田舎に住んでいるとそうなりがちなんですよ。刺激が無いから・・・。

 住んでる時は不満も疑問も無かったですけど、上京してきてから、特別に私はいろんな業界の前衛的な人と出会って影響受けまくったので、自分の生活空間だけ考えて生きるようなのは耐えられないんですよ。

 けれども、田中泯さんと出会ってから、少し考えが変わりましたね。田舎でもやろうと思えば世界中の人と繋がれる。場所は関係ない。

 もちろん、それは泯さんが世界的なダンサーという芸術家だからだとは思うんですよ。

 だったら、私も今後、日本を代表する武術文化の研究家とか、作家として全国的に知られるくらいになれば、田舎に戻っても何のマイナスもないだろうと思ったんですね。

 しかし、まだまだ時期尚早です。この土地も、いずれ有効に活用しようと思います。

『キッズリターン』のセリフじゃないけど、「まだ始まってもいね~よ」って感じ。

 中学の時の同級生から、「長野君は何か、普通の人間とは違う人みたいな気がする。何か将来、凄い有名になるんじゃないかな~?」と言われたことがありました。

 大学の同級生からも、「長野は何か普通じゃない気がする」と言われましたし、映画研究部の後輩からは「先輩みたいな奇人には会ったことがない」と言われました。まあ、誉め言葉だと受け止めています。

 親父からも、「父ちゃんにはわからんが、お前は何か大きな仕事をするような気がする」と言われました。

 自分でも薄々、俺は普通じゃないんじゃないかな~?という漠然とした“普通の人”“普通の幸せ”“普通の人生”に対する違和感のようなものがずぅ~っと有りました。

 単なる自意識過剰と言えばそれまでなんですが、今は「あ~、やっぱり俺は何か普通に生きちゃいかん人間だったんだな~?」と思ってますね。

 武術をずぅ~っと続けてきたのが、その証拠ですね。

 率直に言うと、「これはやらされてるんだ!」と思ってる訳です。つまり、天命みたいなものがあると感じるんですよ。

 こういうのは才能とは無関係なのかもしれません。

 才能が全然ないのに第一人者としてやっている人というのも、いろんな業界に結構いるからです。むしろ、本当に才能がある人というのは“知る人ぞ知る存在”として影に隠れて一般的には知られていない場合が多いですね。

 特に武術の業界はそうです。

 私なんか及びもつかない人がいくらでもいます。だから、武術家なんて畏れ多くて名乗れないんですよ。

 ただ、どの業界でも口の達者な人というのは前衛にいます。いわゆる宣伝部長ですね。

 これは、知識があって屁理屈こねる能力があれば誰でもできます。ただし、ある程度の社会性がないと“奇人変人”なのがバレて干されますけどね~? 単なるオタクが一時的には持て囃されても第一人者にまで成り上がれないというのも、この最低限の社会性の有無が関係しています。

 まああれですよ。営業トーク能力ですね?

 それと自己演出能力!

 従って、演技性人格障害や空想虚言症の人って、割りと有名人に多いみたいですよ。

“平気で嘘つける人”ですね・・・。

 こういう人は作家とか芸能人とか、ちょっと特殊な業界でないと生きていけないとは思いますけどね。

 武術の世界も多いけどな~・・・。

“ナチュラルボーン詐欺師”が・・・。

 こういう人って、第三者から見れば胡散臭いんですけど、信者もできたりするんですよね。「ちょっと毒に当たるくらいがおいしいんだ」って、毒キノコ愛好家が言っていましたけど、そういうもんかもしれませんね?



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我が青春の福昌堂・・・

 武道・武術・格闘技の世界は、専門雑誌の存在によってけん引されてきた側面があります。

 中でも、『月刊空手道』『季刊武術(ウーシュウ)』『月刊フルコンタクトKARATE』の出版元であった福昌堂は、小さな出版社でありながら、武道マスコミの中枢を担う人材を多数輩出した点で、特別な会社であったと言えるでしょう。

 一時期、精神世界方面の雑誌(『パワースペース』)を出したこともありましたが、根幹は武道・武術・格闘技を専門とする出版社であり続けました。

 その福昌堂が、倒産したという話を小説講座の新年会でフリーの編集者の方から聞きました。ネットのニュースでも出たんだそうですね?

「あ~、ついに・・・」と、さして驚きもなく受け止められましたが、それは昨年末にやはり武道関係の雑誌の編集者の方とお会いした時に「恐らく、3月くらいまでには無くなるんじゃないか?」という話を聞いていたからでした。

 福昌堂の倒産というのは、やはりアベノミクスが大企業に偏った経済政策で、中小企業に厳しいものだという説を実証しているような印象もあります。

 そもそも、ニッチなジャンル系出版社というのは一定数の固定読者を対象にしているので、そうそう売上がガクンと落ちることはなく、不況にも強いと言われていました。

 福昌堂も、まさにその典型の出版社なので、結構続くのではないか?と思っていたんですが・・・出版不況も極まった感じがしますね。

 残るは、『秘伝』を擁するBABジャパンと、『JKファン』を擁するチャンプしかありませんが、武術に関しては『秘伝』が最後の砦という感じですね。

 それと、山田編集長のフルコムと、武道・武術・格闘技DVDのクエスト(私はクエストさんでお世話になっていますから、全力で生き残りへの助力を惜しまない覚悟です!)。

 しかしね~。売上ということを考えれば、もう昔から変わらないやり方でやっていても伸びないのだと思いますね。

 元武術(ウーシュウ)組が学研で甲野氏をフィーチャーしたムックを出して中国武術の専門雑誌を作ろうとした時も、続きませんでしたが、ジャンルの問題よりも編集内容が武術(ウーシュウ)と少しも変わらなかった点に問題があったと思うんですね。

 小さな出版社なら一万部も売れれば大丈夫でしょうが、学研みたいな大手で雑誌の売上が一万部では全然、ペイしないでしょう。続かなくて当然だと思いましたよ。

 やっぱり読者のニーズを考えることと、新しい読者を獲得するために何が必要か?ということを真剣に考えていないとルーチンワークで作っていれば見放されてしまいます。

 かつての古武術ブームの正体は、甲野氏のブームでしかなかったことを武道武術の業界の人達は解っていなかったんですね。

 しかし、ブームに頼っていれば、ブームの終了と同時に消えてなくなってしまうのが宿命です。コンスタントに売れ続けるには、固定読者を獲得する信頼のブランドを築かないとなりません。

 私はそう考えていたので、“スポーツや介護に役立つ古武術の身体操作”といった路線には行きませんでした。「武術はあくまでも戦闘術なのだ。人間が生きるために避けて通れない戦いを勝ち抜くための知恵なのだ」ということを延々と主張し続けていれば、必ず注目してくれる人は増えると考えていたからです。

 それと、私は実践し続けていますからね。頭でっかちの理論を唱えている訳ではなくて、日々の試行と研究の成果をずぅ~っと発表し続けてきているから、潰されないでやって来れている訳です。

 もっとも、それはどこの団体でも多少なりともやっていることです。うちは所帯が小さいから小回りが利いて、より研究が進み易いというだけかもしれません。


 それにしても、福昌堂は、私が初めてプロのもの書きとして仕事を頂戴した会社であり、やはり、非常に残念ではありますよ。

 いわば自分の30代の遅い青春を過ごした学校みたいな印象があります。

 大学生の頃から月刊空手道を読み始めて、ウーシュウ、フルコンも愛読しました。

 格闘技ブームで続々と格闘技雑誌が出版された時も、あくまでも技術解説を中心にした“実際に練習している人のための雑誌”であったから愛読し続けられました。

 業界をけん引する人材が沢山、この会社から出ているということも特筆すべきでしょうね?

 中国武術を本格的に日本に紹介し、中国でも第一人者として知られる松田隆智先生と笠尾楊柳先生、古武道研究の第一人者である高橋賢先生、柳生心眼流の島津先生、通背拳の常松先生、振武舘の黒田先生、武神館の初見先生、新体道の青木先生が始めて紹介されたのも月刊空手道の連載記事(竹内海四郎氏の武の足跡シリーズ等)だったのではないでしょうか?

 その他、甲野氏が紹介されたのも月刊空手道が最初でしたね。

 空手はもちろん、いろんな先生が紹介されていますが、空道の東孝先生や芦原会館の芦原英幸先生、和道会の柳川先生、自成道の時津先生が初めて紹介されたのも月刊空手道だったと思いますし、近年は日子流の田中光四郎先生もよく出られていました。

 幻の実戦中国拳法と呼ばれていた太気拳を初めて雑誌で紹介したのも季刊ウーシュウでした。

 出版関係者では、BABジャパンの東口社長と『秘伝』の副編集長の塩澤さん、ライターの野村さん、村上さん、精神世界系の編集をされている生島裕さん(私がもの書きになる切っ掛けを与えてくれた大恩人です!)、フルコムの山田さん、野沢さん、今の肩書は知りませんが小島さんも元月刊空手道編集長でした。

 俳優に転身した須藤さんもバイトしていたと聞きます。

 学研の編集者になった椎原さんも私がお世話になっていた頃のウーシュウの編集長でしたね。

 漫画家の坂丘のぼるさんは今はJKファンで連載されていますし、まあ、私も福昌堂出身者の端くれではありますかね~(苦笑)?

 こうして考えてみると、武道武術の業界を作ってきたのは福昌堂だったのかも?とすら思えます。

 亡くなられた松田先生と最後に電話で話した時に、「福昌堂のお陰で自分は中国武術の研究を続けられて研究成果を発表し続けることができたから感謝している」ということを話されていました。

 中村社長への恩義を感じられていたので、『秘伝』に出て欲しいという東口さんの要請にも最初は断られていたんですね。

 しかし、当時(椎原編集長が辞めた後)はウーシュウから締め出されておられたので、私は「そこまでウーシュウに義理だてることはないですよ。松田先生の価値を解っていて出て欲しいと言ってくれる場所に移っても構わないでしょう。もし、事情を知らない人間が松田先生を裏切り者みたいに言った時は、私が“事実はこうだ”と言ってやりますよ」と、勧めたので、「長野君がそこまで言ってくれるのなら、じゃあ、会うだけ会ってみるか?」と言われて、東口さんに会って、熱意に応える格好で『秘伝』に出ることを決心されたという次第でした。

 そういう訳で、松田先生が福昌堂を裏切ったみたいに思っている方がいたとしたら、それは大きな誤解ですから、御承知くださいね?

 まあ、いろいろ思い出も尽きませんが、福昌堂という小さな出版社が武道・武術・格闘技の世界に及ぼした影響というのは想像以上に大きなものだったという事実は、ここにきちんと書いておきたいと思います。

 何より、そこに集っていた人達は、金や出世より武道・武術・格闘技が大好きという人達ばっかりであり、実に楽しい会社でしたね。

 ちょっとライターとして出入りしていただけの私でなく、もっと語るに相応しい方もおられると思いますので、恐らく、どなたかが単行本とか書かれるのではないかな~?という予感もありますが・・・。

 ちなみに、今回のタイトル、気づいた方もいるかもしれませんが、『我が青春のアルカディア』をパクリました。スンマセン!

PS;愛隆堂も潰れたという噂を聞いていたんですが、ガセだったそうです。ネットって怖いね~? 誰かが嘘書いたり、読み間違って流した情報があっという間に広まったりしますからね~? 私、できるだけ正確に書こうと心掛けているんですけどね~? す~ぐ揚げ足取ろうとする人とかいるからな~? 直接文句言われるなら誤解を解けるけど、陰口広めるだけだから嘘話が広まる。本当にこの業界は女々しい人が多くて困ります・・・あっ、女々しいなんて女性蔑視だよな~、スンマセン!



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幼児虐待死について

 またぞろ、幼児の虐待死事件が続発しています。

 私は、これだけは本当に許せない!

 抵抗できない弱い者を虐待するなんて男のやることじゃないでしょう? また、母親が一緒になってイジメたり、見て見ぬフリをしたりするというのも理解できません。

 何で、そんなクソのような男と付き合うのでしょう?

 身長190cm以上の巨漢で暴力団員だという男と付き合う神経がまず解らないし、自分の子供が暴行されていたら包丁で刺し殺して止めるくらいの決死の気持ちがあってしかるべきだと思いますよ。

 とにかく、ストーカー殺人事件なんかの時も思うんですが、親だったら子供護るために命をかけるのが当たり前なんじゃないの?と思います。

「身体がでかくて力が強いから、暴れられたらどうしようもない」って、よく言い訳する人がいるんですけど、食事に一服盛ってやればいいんですよ。

 大体、暴力で弱い者を従わせようとするような人間は、暴力をふるえない身体にしてやるのが一番ですね。

 以前、終電車に肘を振り回しながら乗り込んできたデカブツも、私の前に立ってた人を肘で小突いて、私にも仕掛けてきたから、避けると同時に反射的に逆に肘で寸勁入れちゃったんですけど、身体をくの字に折り曲げてから脅すように睨んできました。

 この時は私も内心、激怒したんで、“このヤロー、ぶち殺されたいか?”という念を込めて睨み返してやりました。

 すると、視線を泳がせて俯いたまま、次の駅でそそくさと降りて行きました。

 多分、後遺症出たと思いますけど、仮にくたばったとしても良心の呵責はありません。

 あんな暴力的な人間はさっさとあの世に逝くのが世の中のためですよ。もし、その時にかかってきたら二度と暴力のふるえない身体にしてやりましたよ!

 数年前にも知人が暴力事件で警察の厄介になったんですが、釈放されてから私の家に来て武勇伝みたいなつもりで話したので、この時も激怒して、「お前、どんだけ周囲に迷惑かけたと思ってるんだ? 今度やったら両手両足叩き折ってやるぞ!」と怒鳴りつけたら、慌てふためいて逃げるように帰って行きました。

 結構な年齢になって、分別も無く衝動に任せて暴力をふるうなんていうのは、社会で暮らす資格が無いです。

 暴力衝動を昇華するために格闘技がある訳ですからね。


 それにしても、シングルマザーで子供を育てることの経済的な大変さを思うと、ろくでなしの男にも頼りたくなるのか?と、物悲しくなるんですけど、やっぱり暴力ふるうような男だけは関わっちゃいけないですよ。

 弱い者イジメするような男は性根が腐ってます。改善の余地無しですよ。

 とにかく、一発でもひっぱたかれたら「離婚します!」って家を出たほうがいいでしょうね。そのくらいは・・・と我慢していたら必ずエスカレートしますよ。嫁や子供に暴力ふるうようなDV男は人間失格です!

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実はプロレス好き

・・・というオッサンは多くて、私も好きか嫌いかと言えば“好き”なんですが、最近はプロレス好き女子のお陰でブームが復活しているのだとか?

 でも、女子の目線はイケメンマッチョ若手レスラーが組んずほぐれつしているシーンが好きという、かつての女子プロレス好き男子とちっとも変わらない理由なんだそうで、BL好き女子も加担しているのだとか?

 はあ~、そうなんすか? 時代は変わったな~・・・。

 私の親の世代(昭和一桁)だと、圧倒的に力道山のファンでしょうし、シャープ兄弟とか知ってる世代ですね。

 私がTVで見はじめた頃は、ジャイアント馬場の全盛期で、アントニオ猪木、ストロング小林(後に金剛)、大木金太郎、坂口征二とかがいて、ブルーノ・サンマルチノ、カール・ゴッチ、ボボ・ブラジル、ザ・デストロイヤー、フレッド・ブラッシーなんかがよく出てましたね。

 その後、馬場の全日と猪木の新日に分かれて、藤波辰巳、ジャンボ鶴田、天竜、長州とかが出てきて、ファンク兄弟、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン、ビル・ロビンソン、ミル・マスカラス、ドス・カラス、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディーとかが活躍してました。

 でも、プロレスではしばしば異種格闘技対戦がマッチメイクされ、プロ柔道を目指した木村政彦に始まり、柔道のオリンピック金メダリストのアントン・ヘーシンクやウィレム・ルスカが出たり、梶原一騎がプロデュースしていた頃にはモンスターマンとか極真のウィリー・ウイリアムスとか出たり、馬場もバンドー空手の遣い手という触れ込みのラジャ・ライオン(自分が蹴った拍子にヘナヘナ・スッテンコロリンとコケてしまって呆然としましたよ。その後、倉田先生の映画『ファイナルファイト』に出演した時は別人のようにちゃんとアクション演じてた・・・別人?)と闘ったりしてました。

 しかし、プロレスの黄金期と言えば、恐らく、初代タイガーマスクが活躍した頃ではないかな~?と思います。四次元殺法と呼ばれたルチャ・リーブレ仕込みのアクロバチックな闘い方は、今日のプロレス人気にまで継承されています。

 覆面レスラーもマスカラス以降いろいろ出ていて、ザ・コブラ、ウルトラマンとかもいましたけど、獣神サンダーライガーとスーパーストロングマシーンぐらいかな~? タイガーマスク以降では? あっ、ブラックタイガーもいたか?

 プロレスは梶原一騎原作の『タイガーマスク』のアニメ化によってもプロレスの漫画化という路線があって、『アステカイザー』という実写とアニメが合体した番組もありましたけど、漫画とアニメで一番成功したのは、何といっても『キンニクマン』でしょう?

 最初の設定ではウルトラの父が不倫してできた子供がキンニクマンで、ウルトラの母や兄弟にイジメられて地球にやってきたという完全なウルトラシリーズのパロディー作品だったんですが、これは問題あり過ぎの設定だから無かったことにしてキンニク星の王子という設定となり、超人がプロレスするという設定ができて、テリーマンやロビンマスク、ラーメンマン、ウォーズマン、バッファローマン、アシュラマンとか出てきましたね。

 一方でリアルな格闘技路線もこの頃から模索されて、前田日明とドン・ニールセンの試合がきっかけで、空前の格闘技ブームが起こり、格闘技雑誌がいくつも出版されたものでした。

 ここで、藤原組長のような燻し銀の技の遣い手に陽が当たったのは、歓迎すべきことでした。

 格闘技としてのプロフェッショナル・レスリングへの注目が集まったからです。

 今日にまで続く格闘技ファンは、この時期に萌芽があったと言えるでしょう。

 つまり、UWFプロレスを中心として、シューティング、シュートボクシング、フルコンタクト空手、ムエタイ、ボクシング、サンボ、高専柔道等が注目を集め、打撃系と組み討ち系というカテゴライズができ、グレイシー柔術のアルティメット大会を契機として総合格闘技の流れができたからです。

 K-1の前身となったトーワ杯トーナメント以降、アマチュアも参加するグローブ空手、新空手というジャンルもできましたし、プロとアマの垣根も曖昧になっていきました。

 この流れが無かったら、格闘技漫画というジャンルが生まれていなかったかもしれません。『グラップラー刃牙』『修羅の門』・・・等がその代表格でしょう。

 そんな流れの中で、アマ・スポーツとしての現代武道からはみ出していた伝統武術は“神秘武道”なる冷笑的なネーミングで格闘技ファンから語られるようになりました。

「悔しかったら試合で勝て」という具合に挑発を受けて、試合に挑戦して敗退する武術修行者もいますが、自分の団体の主催でなければ勝てないという格闘技のセオリーから逃れることは困難で、ずっとマイナーな存在であり続けているのが実情でしょう。

 そもそも、武術にとっては試合はルール設定があり断片的な技量を競うものでしかなかったのですが、それ自体が目的化してしまうと格闘“競”技としてのカテゴリーに入ってしまい、それ専門の練習を積んでいないと対応できないものです。

 中国の散打は、中国武術を格闘技化したものと考えられていますが、実際のところ、シュアイジャオという組み討ち格闘技をベースにロングフック(圏捶)とサイドキック(足揣脚)を組み合わせて新たに創編されたものであり、カンフー映画でよく見られる打撃技主体のものではありません。

 そもそもが、中国武術は空手やボクシングのように打撃技のみで闘うスタイルではなく、打撃技と逆・投げ・崩し・点穴(ツボ攻め)が融合しているもので、門派による技術の違いも激しいので競技化が困難だと思われました。

 ボクシングに挑戦して破った国民的ヒーロー“神拳大龍”と呼ばれた蔡龍雲老師は華拳の遣い手ですが、華拳というのは長拳という表演武術(型の演武を競う競技)の中心になっている種目の門派なので、伝統中国武術マニアにはあまり評価されなかったりする門派なんですが、要は“遣い手の腕次第”という武術の当たり前の現実を示したのが蔡老師だったんですね~。

 中国の散打大会に出場した友人に聞いたところでは蔡老師はその大会の時も重要なポストで来られていたらしいですね。随分、前なので、その後、御健勝でおられるかは存じませんが・・・。

 初期の散打(散手)大会では意拳が活躍したり、通備拳の馬賢達老師が活躍したりとか、大会毎にいろいろな門派の人が活躍して一定のスタイルが無かった様子です。

 台湾の雷抬賽という散打大会では蘇東成老師や体流法の大槻一博先生が優勝したりされていたように聞いていますが、実は20代後半の頃に私も出場を目標にして格闘技の練習をしていた時期があったんですけどね・・・挫折して、でもせっかく練習したんだし?ということで、桐生の村上祐尊先生が主催されているグローブ空手の大会に出て判定負けしたのが私の剣道以外での唯一の試合体験でしたね~・・・。

 でもこれで格闘技の練習はやめてしまいましたね~。「一日十時間も練習してこの程度か?」って自己嫌悪に陥りましたよ~。試合そのものは何か独特な爽やかさがあって良かったから、またやろうという気持ちも一瞬あったんですが、いかんせん、格闘技やるには年齢がいき過ぎていたのですが、やっぱ、伸び代が感じられないとモチベーションが続かないですよ。

 本当、この頃は、「俺は何て才能が無いんだ~」って、落ち込みましたけどね~? 今思えば、変に勘違いしないですんだので、貴重な体験だったと思います。人間、本当の成長は失敗からしか得られないんですよ!

(あっ、何か凄いカッコイイこと言った気がする?)

 現在の散打の闘い方のスタイルを見ていると、シュートボクシングが一番、相性が良いように思えます。ロングフックを腕ごと相手の首に巻き付けて首投げにする展開が非常に頻繁に見られる点などです。

 これは、空手やテコンドー、ムエタイと闘った時に有利に闘えるように研究されたスタイルなのだそうです。

 K-1では肘打ちが禁止されていますが、これが禁止されたのではムエタイの選手が勝つのは困難になるでしょう。たった一つのルールで闘い方は想像以上に制限されることを知る必要があります。

 そういう意味でもプロレスは意外に実戦的なのだと思います。殺し合いを想定していたらプロレスラーが圧倒的に強くなるかもしれません。何しろ、パイプ椅子や折り畳み机、ゴングで殴ったり、マイクのコードで首絞めたり、フォークで刺したりしても“5カウント以内の反則はアリ”なのですから・・・。

 それを「八百長だ!」と非難する人もいますが、根本的に勘違いしていると思うんですよね?

 誰もが誤解していますが、格闘技は殺し合いを想定していません。ルールを決めて技の力量を競い合うスポーツなのです。

 なので、そこに単純な「強い・弱い」を決定する発想を持ち込むのはナンセンスなのです。決定されるのは技量の優劣であって、戦闘能力の計測ではありません。

 まして、“実戦的”という言葉を付け加えると、益々、おかしな解釈になります。本当に実戦ということを考えるのなら、どちらかの選手が死ぬまでやらなければ実戦的とは言えないでしょう?

 例えば、“実戦的な剣道”や“実戦的な柔道”を語る人はいません。しかし、“実戦的な空手”や“実戦的な合気道”を語る人は多いのです。

 どうしてでしょうか?

 恐らく、剣道や柔道は完全に競技スポーツ化しているので、実戦で語る必然性が無いからでしょうし、空手や合気道はストリートファイトへの対応を想定している武術性を残しているからでしょう。

 けれども、行き過ぎた実戦論は不毛なだけです。

 どうしても強いか弱いかに拘るのであれば、テロ組織に潜り込んで殲滅してくるとか、そういうことをやって証明されたらいかがでしょう? それが世の中にとっても役に立つ“実戦的強さ”ではないでしょうか?

 ルールを決めて素手で一対一で殴りっこして勝った俺は強い!・・・って、何かの自慢になるんでしょうか?

 幼稚園児が砂場を分捕って威張るのと変わりないと思うんですけどね?

 一般のスポーツを楽しむのと同様に、格闘技を、プロレスを楽しむ態度こそが正しいと思うのは、私ばかりなんでしょうか?

 試合に勝つための日々のトレーニングを積み重ねるストイックさや、試合で懸命に頑張る意志力や、負けても相手を称える謙虚さとか、そういうスポーツマンシップをこそ評価すべきだと思うんですけどね~。私の会った格闘技の人達は、皆、そういう精神の輝きを放っていて、私なんか「あっ、まぶしい!」って思いましたね~。

 それに比べると武術やっている人間なんて、オーラがどす黒く濁っていて、ムワァ~ンと嫌な臭いが漂ってくるような精神の腐ったような悪臭を放っていて、私なんか「げっ、寄るなっ!」って思いましたね~。

PS;射撃の解説で文字の打ち間違いがありました。狙いをつける部品は、銃口上のものが“照星(フロントサイト)”で、機関部後方上のものが“照門(リアーサイト)”です。お詫びして訂正致します!

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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