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クマ出没の理由

 何やら、野生のクマが出没して事件になっている様子で、私の住む相模原市にも出没している(ラーメン屋のガラスドアにクマの足形が・・・)のだとか?

 この分だと市街地に出てくるのも時間の問題か?と思います。

 本州に住むのはツキノワグマで、北海道のヒグマと比べると全然、おとなしくて人も襲わないとされてきました。

 しかし、今回のクマ騒動では人を襲って食べた形跡があったのだとか?

 要するに、人間もエサだと思ったのでしょうが、以前は、「人間を怖がるから大声で威嚇すれば逃げる」と言われていました。

 何故、人間を怖がらなくなったのでしょうか?

 私が推測するに、狩猟人口が激減したからではないか?と思います。

 日本は銃規制が特別厳しく、狩猟期間も制限されています。

 その中から大型の獣を撃つにはスラッグ弾(散弾銃用の一発弾)を使うか大口径のライフル銃を使わねばなりません。

 鳥や小形の獣を撃つのに使う小粒の散弾銃や空気銃(ポンプ式・サイドレバー式・CO2ガス式)、あるいは標的射撃用の22口径のスモールボアライフルでは仕留められません。

 しかし、大口径ライフル銃の所持(日本でもスナイパーライフルの定番である338ラプアマグナム弾を撃てるライフルが所持可能)は散弾銃所持歴10年を越えないとダメという規制があるので、ベテランしか持てません。

 そんな理由もあるのでしょうが、近年、狩猟人口が激減していると言われているそうです。

 やる人が少なければ経験値も高まりません。

 狩猟は銃を持っていればできるというものではなく、猟犬も必要だし、獲物をさばくハンティングナイフの使い方も知らねばなりません。

 猟場は基本的に山ですから、車も必要です。

 もちろん、狩猟と銃に関する法令も知らねばなりません。

 個人で勉強して揃えるのは困難なので、都道府県の猟友会に入るのが必須でしょう。


 日本では事件が起こると武器の規制が必要だという論調になりますが、もっと多角的に検討して実効性のある対策を考えていかなくてはならないでしょう。

 どうにも、勘違いしているな~?と思うのは、武器さえ持っていれば大丈夫だと思っている人が多い点です。

 武器は道具ですから、使いこなせなければ役に立ちません。

 私、ガラケーからスマホに変えて一カ月経過しますが、基本操作に慣れるのに四苦八苦して北島師範に教えてもらいましたよ。パソコンはまだ満足に使えません。

 カナダなんかでは巨大なグリズリーベア(灰色熊)に対して、大口径ライフルとは別にマグナム弾を使う拳銃を携帯するのが常識だそうです。ライフルが壊れたり、咄嗟に至近距離に迫って来られた時には取り回し易い拳銃が必要だからです。

 ところが、かの有名な44マグナム(一発で象も倒せるとか、車のエンジンを撃ち抜くとか誤解されていた)であっても、実は一発で灰色熊を仕留めることはできないそうで、「五連射して、それでも倒せなかったら最後の一発で自殺しなさい」という冗談みたいな教訓があるそうです。

 でも、実際に六発全弾使って、ようやく熊を仕留めて助かった人もいたそうです。

 これが狩猟の現実なので、ワイルドキャット・カートリッジと呼ばれる自作の弾丸で44マグナム以上の強力な弾丸が作られたりしていたそうですね?

 454カスール(44マグナムの二倍)とか500マグナム(同じく三倍)なんかも元々はワイルドキャット・カートリッジから量産化されたのだとか?

 こういう狩猟用の強力な弾丸からすると、日本の警察官の使うニューナンブやSIGの弾丸では麻薬中毒のマッスル外国人を制圧するのは難しいのではないか?と思われますし、そもそも、訓練しなさ過ぎなので、TVドラマのようにはいかないでしょう。

 警察官の自殺事件がよくニュースになりますが、ろくな備えも無いのに凶悪犯に向かったりしなきゃいけない仕事なんだから、本当に同情しますよ。

「クマが出たから何とかしてくれ」って通報で駐在さんが向かって、拳銃使ったものの、クマが凶暴化して大怪我してしまった・・・なんて事件がそのうち起こるんじゃないかな~?と、心配ですね。

 そういえば、暴れている犬に何発も発砲したといって問題視しているようなニュース番組がありましたよね? 警察官の身になってみろ!って思いましたよ。

 犬や猫だって本気で向かってきたら野獣と変わらないんですから・・・。

 ショッピングセンターで包丁で客を刺したりするような甘えん坊バカなんか、アメリカだったら警備員に射殺されてますよね?

 死にたきゃ~、一人で勝手に死ねばいいんです!

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火繩銃持った!

 知人に預かっている小刀の鑑定に、霜剣堂帝国ホテル店に行ってきました。

 途中、小竹向原のアクション・アクロバットスタジオつばさ基地に、監督から預かった『セーラー服忍者』のポスターを持っていきました。

 平日昼間でしたが、秋本先生自らクラスの指導中でした。ヒマがあったら、次回作とか打ち合わせもできれば?と思っていたんですが、お忙しい様子でしたし、帝国ホテルがある内幸町までちと遠いので、そそくさと帰りました。

 が、流石、秋本先生! 「ちょっと待ってくださ~い・・・」と、お土産を持ってきてくださいました。

 帰り道、喉が渇いたので缶コーヒーを買って飲み、地下鉄小竹向原駅から内幸町駅まで切符を買って地下鉄に乗り込みました。

 市ケ谷で乗り換え、神保町でまた乗り換え、内幸町で降りました。

 ちと久しぶりだったので、帝国ホテルはどこかな~?とスマホのグーグルマップで確認します・・・(便利になったな~?)。

 すると、内幸町駅より日比谷駅の方が近かった・・・。

 事前確認は重要ですね? スマホにまだ慣れてないので使いこなせない機能も多い。

 ともあれ、無事、到着したので地下の商店街に行き、ウロ覚えで歩いて店に到着しました。

 確か、『セーラー服忍者』の撮影場所の交渉に来たのが前回でしたから、一年ぶりに近いですね?

 原宿の本店を紹介して戴いて、無事に撮影することができたんですが、今回は小刀の鑑定をしてもらいに来たので、早速、ブツをお見せしました。

 私の考えでは、明治の廃刀令で需要が無くなって生活に困った刀職人が土産物として作ったミニチュアの日本刀工芸品だろうと思ったものでしたが、やはり専門家の鑑定でなくてはいかんと思って、持参した訳でした。

 明治維新は、日本の伝統文化の危機でもありました。ここで多くの伝統武術が失われてしまいましたし、日本刀職人も食うに困って野鍛冶(鍬や鎌、鉈、包丁などを作る鍛冶屋さん)や工芸品の職人に転向したりしたという話を聞いていたからです。

 元来、日本刀の鍛冶は鍛冶職人の中でも別格の存在として憧れられていましたから、普通の野鍛冶をやるのは屈辱的に感じた人が多かっただろうと思います。

 現在も、刀匠で食える人はほんの一握りで、普段は包丁を作ったりしている人も少なくありませんが、「腕が落ちる」と批判される傾向があったりします。

 困ったもんです・・・。

 さてさて、話を戻すと、結果は私の思った通りのものという鑑定でした。

 目貫、柄糸、頭が紛失して刀身も錆びていましたが、これは補修しても構わないだろう?ということでした。

 尾崎正栄という新々刀期の名のある人の銘なのですが、土産物としての工芸品なので、素人の私が手を加えても価値が極端に落ちるというものでもない・・・というか、本人の作品なのかどうかも不明なので、現物の形を復元するだけに留めるのはアリ?かと。

 もっとも、ミニチュアなので既製の部品はサイズが合いません。

 どうしようか?と思って、町田の東急ハンズで使えそうなものを買ってきたりしたんですが、問題は柄糸でした。革巻きにしようと思ったんですが、革紐はブ厚くて柄に巻くのは無理がありました。

 バックスキンをグラインダーで削ろうか?とも考えたんですが、下手して千切れるとマズイ・・・。

 どうしようか?と思って、日曜日の稽古に行った時、サンドバッグの残り紐のサイズが合いそうだったので、直感的にこれが使えるかも?と思って持って帰って合わせてみたら、バッチリでした!

 こういうのって、地味にミラクルですよ!

 目貫は小さめのを問屋さんから買えばいいかな~?と・・・。

 頭(カシラと読む)は硬木とブラックのアクリル板を接着して削り出そうかと思っています。ミニチュアだから金属製でなくても強度的には問題ないでしょう。飾っておく代物だし・・・。

 ついでに問屋さんに切羽の予備と栗型、鐺、縁頭金具とかも注文しておこうかと思います。脇差二振の拵えも作ろうかと思って・・・。

 本当に私はこういう作業をやるのが大好きなんですよね~? 若かったら刀匠を目指したでしょうね? 田舎には土地あるから鍛冶場も作れるし・・・。

 もう、50過ぎだし、作家として売れっ子目指すしか人生の成功は望めませんがね?

 ちなみに、お店で居合をやりたい女性が来店されたことから、いろいろ質問を受けたりして予定よりかなり長居してしまいました。

 作家修行のために火繩銃も欲しいという話をしたら二丁、持たせてもらいました。

 思っていたより細身で軽く、狙い易かったんですが、「え~? これが軽いんですか?」と驚かれてしまいました。

 いや、本当にエアガンのゴツイのと比べれば、全然軽かったですよ。

 操作法は資料で調べていたのと、基本、Gunマニアですから、問題なかったですね。

 火繩銃は整備したら撃てる訳ですが、射撃するには免許が必要なので、勝手には撃てません。でも、空砲はいいらしいです。鉛の弾を飛ばす訳ではないから?

 火繩銃とはいえ、日本製は仕上げが素晴らしく、美術品と認められる理由が解ります。

 肩当ての無い、銃把を握った右手に頬を付け、先台を左手で支えて狙う二点射法が日本の火繩銃の特徴ですが、照準をつける照星と照門は見やすかったですね。

 堺筒とか国友鉄砲とか産地はいくつかありますが、もし日本の鉄砲生産が規制されずに発展していたら、どれほど銃が進化しただろう?と思わずにはいられませんでした。

 村田、南部、有坂・・・日本の銃の開発者は実は非常に優秀だったという評価があることも忘れてはいけないでしょう。

 やっぱり、精密な工芸品といえば、日本、ドイツ、スイスが世界でも最前衛でしょう。


追伸;ツッコミがあるとマズイので、書いておきますが、日本で銃の所持免許を持っていない者は銃を持ってはいけないことになっています。しかし、火繩銃は美術骨董品としての登録証が添付されているので、登録証が付いているものを持つのは違法ではありません。日本刀も美術品登録証が付いているものは誰でも所有できます。ただし、意味なく持ち歩いて他人に不安や恐怖を催させる行為をすれば処罰対象になりますので、充分、御注意ください。

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アフガニスタン・ブシドウ

「アフガンのサムライ」と呼ばれた田中光四郎先生が、インターネットTVで取材されたそうで、動画を拝見しました。

 私は以前、光四郎先生の本を手伝わせていただいた時に資料をお借りしたのでいろいろ見ていたんですが、写真でしか見たことがなかった、アフガニスタンでの光四郎先生がムジャヒディンに武術を教えている様子も見れて、ドキュメンタリー映画のようでした。

 しかし、「武道家として本当の実戦の場に立てた自分は幸せだ」と言いつつ、実際に何人かの人命を奪ったという後悔の念も滲ませたインタビュー映像は非常に重いです。

 旧ソ連軍が突然、アフガニスタンに侵攻し、現地ゲリラ“ムジャヒディン”が迎え撃ったのがアフガン紛争。大国の暴挙に義憤を感じ、単身、義勇兵を志願してアフガニスタンに渡った光四郎先生でした。

 後に“人間の盾”にも志願した光四郎先生は、オウム真理教の地下鉄テロ事件が起こった時にも、教主、麻原を殺そうとしたことがある。

 光四郎先生は、情の人です。世のため人のために自分の人生を捧げたいという願望があって、それを実行する勇気がある・・・。


 日本でも、私の父親より上の世代(90歳以上)は太平洋戦争で戦った人が数多くいました。

 私の父の兄弟の長男は潜水艦に乗っていて魚雷で撃沈されて亡くなっていて、実家に写真が飾ってありました。

 母の家族は終戦まで満州に居たので、日本に帰るのに大変な苦心をしたそうですし、帰ってきたら土地とか大分、奪われてしまっていて、満州時代とは段違いの貧乏生活を余儀なくされたそうでした。

 今の日本人は、祖父や曾祖父の時代の戦争を生き残った人達の末裔だという自覚があるでしょうか?

 私は子供の頃に戦争の話ばっかり聞いて育ったので、「戦争は絶対悪である」という意識が強いです。天草は長崎にも近いですから、長崎で被爆した人も結構いらっしゃいました。だから、戦争映画を英雄的に描く作品には拒否反応がでます。

 今でも世界中で戦争に苦しんでいる人達は大勢います。

 ヒロイズムとしての右翼の主張を私は嫌悪しますが、現実に戦闘の場に居たら、自分はどうするだろうか?と考えると、そうそう簡単に答えはでません。

 光四郎先生の行動が正しいのか間違いなのか・・・私には何とも言えません。

 義の精神は容易に“偽”にすり変わってしまうからです。それは光四郎先生自身も実際は痛感されているのではないか?と思っています。

 私は、新宿の焼き鳥屋で、「私は人を殺してしまった人間です。もう、生きてる価値が無いんです」と、涙をこぼした光四郎先生こそが好きです。

 思想ではなく、人間は“情”で動くからこそ人間なのだと私は思います。

「人を一人殺せば人殺し、何千何万と殺せば英雄」と言われます。

 この言葉が、“大義”の欺瞞性をよく表現していると思います。

 映像を見ていて思ったのは、光四郎先生の悲しそうな眼でした。自分の中の業の深さを持て余した人の眼であり、達観も超然もしていません。悟りなんて美しい言葉とは真逆の、だからこそ、“人間らしい慈愛を秘めた眼”です。

「実戦を体験できたから武道家として幸せ」だと言う価値観は、最早、“狂気”と言わざるを得ませんが、残念なことに私にはよく理解できる。共感してしまうのです・・・。

 本能として闘争を求める欲望が多かれ少なかれ、男には有ります。

 これは女性には理解しにくいところだと思います。

 最近は、この本能が非常に希薄な男も多くなっていると思いますが、社会環境の中で飼い慣らされてしまったと言えるかもしれません。

 沖縄の駐留米軍の軍人や元軍人が女性を襲って殺した事件に関して、TVである人が、戦争体験のトラウマで自己コントロールできなくなった・・・という意見を述べていましたが、これはある程度、納得できる面があるでしょう。

 殺し合いの場に立つことで理性が消し飛び、野獣の本能が剥き出しになってしまう。

 戦争は人の命を奪い、人の心をも殺してしまうのです・・・。

 武道や格闘技も、熱心にやっている人が自制心を失ってしまいがちなのも事実としてあります。そういう実例を沢山見ましたし、私自身も若い頃に「武を極めるには実際に人を殺してみる必要がある」という狂気に駆られた時期があり、その当時を知る親友からは、「あの頃の長野はヤクザ者に見えたよ」と言われました。

 私は実行する勇気がなかった。それが幸いでした。

 今になってから考えれば、社会の中でまっとうに生きられない自分に対する自己憐憫であり、現実逃避だったのだと自己分析しています。

 うちの会入会希望してくる人の中にも現実逃避しようとしている人がいます。武術を極めれば周囲から尊敬され生活も潤うと勘違いしている人もいれば、社会生活そのものを何も考えていない愚か者もいます。

「立禅を修練していると理性より本能が優位になって、野獣のような闘争本能を発揮できる・・・だから“強い”のだ」と説いたりする人は、多少なりとも社会性を失いつつあるのです。

 強さだけ求めていると、こういう発想になってしまいますが、こうなってしまえば、もうまともな社会生活ができなくなってしまいます。理性より本能が優位だというのは危険なことなのです。それを自覚していない。

 重要なのは、「いかに、自己コントロールするか?」ということであり、それこそが本当の武術の極意です。

 映画『椿三十郎』で、「本当に良い刀は鞘に入っているものですよ」と家老の奥方が三十郎を諭すシーン・・・あれが作品の本当のテーマだったのでしょう。

 ラストでライバルを倒した三十郎に若侍達が「お見事!」と言うと、「バカヤロー!」と三十郎は激怒して叱り飛ばしますが、“自分みたいな鞘無しの刀になっちゃいかん”という意味のことを言い残して去っていきます。

 私は、この映像を見ていて、この映画のシーンを思い出しました。光四郎先生は“鞘に納まっていられない刀”なんだと思い至りました。

 そこが魅力でありつつ、下手に触れれば傷つく・・・。他者に向ける憐憫の眼差しは、実は自分に向けられる筈だったのかもしれません。

 生存の理由。生きるための戦い。殺すための戦略・・・。

 死に場所を探すということは、生きた実感を最大限に味わいたいという願望。それは、戦いの中で死にたいという狂気であり、魔的(デモーニッシュ)な欲望です。

 それだけの人であれば、私は軽蔑するだけ。しかし、悲しみを湛えた光四郎先生の眼にこそ、魂の救いが有ると私は思っています。

 いちずにギラギラとした眼で師への尊敬と憧れを口にするお弟子さんには、どうか、光四郎先生の埋めようのない悲しみを見て欲しい!

 どんな理屈をつけようが、人殺しは人殺しなのだという厳然たる事実・・・。

 チンケなヒロイズムで祭り上げたりしないで欲しい!

 その悲しみの情こそが、人間・田中光四郎の真実だと私は思います!

 他意はありません。

 失礼に受け取られるのを承知で、率直に感じたままに書きました・・・。

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震脚で脳震盪は起こらないか?

 陳氏太極拳の安田先生が『秘伝』の連載中で、「震脚で脳震盪が起こったりはしない」という旨のことを書かれていました。

 専門に学んだ方なので、「嘘が広まってもらっては困る!」というお気持ちで書かれたのだろうと推察します。

 ただ、きちんとした先生に学んでいる方だから言えることではないか?と思います。

 震脚と一口に言っても陳氏太極拳だけが行うものではなく、例えば、私は陳氏太極拳は学んだことがなく八極拳を少し練習しただけですが、以前、松田隆智先生からお聞きした話で、大学生に教えていた時に、震脚を打った学生が脳震盪を起こして倒れたことがあったという話でした。その方は知っている方だったので驚きました。

 で、私も研究段階で「下手に震脚をやると脳震盪を起こす危険性がある」という事実を体感したことが何度もあって、「これは姿勢とかやり方とか注意してやらないと危険だな?」と思うようになって注意を促すようにしている次第です。

 安田先生が主張されているように、「まともな先生にきちんと学んでいれば、震脚で脳震盪が起こるようなことはない」のだろうと思いますが、日本で中国武術を学んでいる圧倒的大多数の愛好家は、“まともな先生にきちんと学ぶ機会はほとんど望めない”という現実を視野に置かれていないと思うのですね。

 特に私のようにいろんな流儀を実践研究している者は、“下手な練習”を膨大に積み重ねていく中から真相に近づいていく手法をとっているので、当然のことながら、身体中、故障しまくっています。

 よく、「練習で身体を故障するようでは実戦の時に困る」という中国武術家の意見もありますが、実戦で無傷に済む道理が無く、実戦を想定した練習での傷は勲章みたいなものであって、安全安心なだけの練習を延々と続けていて、急に苛酷な実戦に対応できるものかどうか? 考えるまでもないでしょう。

 十数年前にある中国武術家にケンカを売られて買いましたが、まともにケンカの一つもやったことがない人なのがすぐに判りました。安全安心な練習の中で自分の腕前を勘違いしてしまったのでしょう。後日、その人が全日本チャンピオンだったことを知って二度ビックリしましたが・・・。

 最近は、まともなケンカの一つも経験無いような人達が武術家を名乗っている実例が多い様子ですが、「よく、名乗れるな~?」と他人事ながら心配になります。

 武術の世界は伝統的にヤクザ社会と極めて似ていますから、本当の実戦派武術家はヤクザや秘密結社と兼業だったりすることも、ちっとも珍しくありません。公表しないから知られていないだけの話です。

 ともあれ、そうしたことも含めての経験の中から、私は「こうやったらマズイ。こうやった方がいい」という方法論を常に改善進行中で提供していくようにしている次第です。

 だから、私は「自分のやっているやり方が正しい」という言い方はしません。

 正しいかどうかの判断基準は結果オーライであり、権威主義的な正解とは固定観念の枠から永遠に出られない代物でしかありません。

 私は自分の研究を既存の武術観や武術理論に対する脱構築だと認識しています。斯界で言われている正解をすべて疑って実験検証していく作業が必要だと思っています。

 その作業の中から、「真剣白刃取りは不可能。実際の無刀取りとは違う」とか、「日本刀を逆手持ちで斬ってもちゃんと斬れる」とか、「背負太刀の抜き納めは左肩越しでないとできないというのは嘘。練習すれば右肩越しでもできる」・・・といった斯界で常識とされていた事柄を検証してきました。

 どうしてか?というと、百の流派があれば百の正解を主張するものだからです。

 つまり、本当に正しいのがどの流派か? どの先生が正解を知っているのか?

 こうしたことは皆目わからない。正解に迫るには権威者の発言を疑って、自分で実験検証していくしかありません。

 仮に、真の正解を知っている先生がいたとして、それをそのまま弟子に伝えるかどうか? 私は大いに疑問です。

 武術家は聖人君子ではなく、「包み隠さず何でもお教えします」と言っている先生が、実際は嘘はっぴゃくで金儲けしか考えていなかったりするからです。

 特に日本も中国も伝統武術の世界は秘伝だらけで、金さえ払って熱心に練習していればすべて教えてもらえる・・・なんて甘い考えはまったく通用しません。

 構造的に嘘を教えて飼い慣らしておき、「これは!」と思える弟子一人だけを選んで極意相伝するというのが“常識”だからです!

 無論、何人もの伝統武術修行者から、「そんなことはない! 昔はそうだったかもしれないが、現代では包み隠さず何でも教えてもらっている!」と反論されたことが何度もありました。

 ところが、そう言っている人の実演を見ると、本人は得意満面に「これが正しいやり方だ」と披露しているのですが、私から見ると、ものの見事に型の形式だけしか教わっておらず、技を崩して応用変化させて用いることや、基本となる戦闘理論がゴッソリ抜け落ちているのです・・・。

 つまり、カモにされて大金をふんだくられながら、嘘を教えられていた訳で、“騙されていた”のですね。


 話を戻しますが、私がまだ武術雑誌のライターをやっていた頃、「物凄い発勁を披露する先生がいたけれど、突然死してしまった。どうやら震脚のやり過ぎで脳にダメージを負ってしまったらしい」という話を聞いたことがありました。

 もちろん、安田先生が嘘を言っている訳ではなく、正しくやれば脳震盪は起こらないのでしょうが・・・さて、そもそもの話、正しくやれる人がどのくらいいるでしょうか?

 上手い人に共通している誤解は、自分を基準にして考えるので、下手な人、できない人が、「何故、うまくできないのか?」を理解できない点です。

 例えば、「立禅で頭がおかしくなるなんてあり得ない」と言う先生もいますが、それは御自分の周囲にいなかっただけで、実際に立禅をやっていて性格が豹変したり感情が激し易くなったりする人は結構な比率でいます。

 以前、立禅を中心に修行する流儀の師範格の人が浄霊をすると言って女子中学生を親の目の前で犯す?という信じられない事件がありましたが、このような常軌を逸する行動を是認させてしまうのが立禅も含めた瞑想系修行によって陥る“魔境”の恐ろしさです。

 この点の危険性をまるで考えていない人が多過ぎます! 甘過ぎる!

 特に、いくつかの流儀を兼修した人はそうなる確率が高いようですし、熱心にやっている人ほど発症率が高くなる現実があり、心ある人達の間では問題視されているんです。が、公に注意を促したりすれば生徒が減ってしまいかねないから、良い効果しか発表しない訳です。

 これは本を書く時の注意点としても、「本は宣伝のために書くものだからマイナスになる要素のことは書かないでくれ」と言われる場合が多いんですよ。

 でも、そんな裏事情を知らないから、空虚な綺麗事の理想論を読んで、「何て素晴らしい先生なんだ!」と信じてしまう人も多い訳ですね。

 世の中で苦労を重ねた人なら、文章の裏を読む(洞察する)ことができるでしょうが、まあ、読解力の無い人は大勢いますからね~?

 救いようがないのは、「立禅は最高ーっ!」とハイになった目で叫びながらやっているような人・・・完全に“ポン中”ですよ。

 以前、清原の事件の時に覚醒剤の作用についてTVのワイドショーで解説していましたが、覚醒剤はSEXの時の快感の十倍も気持ちいいと数値化されていて、「なるほどな~? こりゃ、やめられん筈だな~?」と、苦笑してしまいました。

 淫祀邪教と言いますが、武術も熱狂的にやっている人間にとっては宗教と同じ。

 独善と排他。自分の信じるものだけが全てで、他所は間違い・・・。

 判断基準がこれだけ!

 笑っちゃいますよ。「勝手に信じてやっててください」って言うしかありません。


 それと、ちょっと気になったのは、震脚は具体的な技には応用できないみたいに安田先生は書かれていましたが、これも疑問です。

 武術である以上、一つの目的のためだけの動作であるとは思えません。いくつもの目的が複合的に作用して相乗的に効果を高めるのが武術の術理である筈です。

 実際に八極拳の震脚を応用していくつもの武術用法を考案しましたが、套路の動作の中に組み込めば無限大に応用していけると私は考えます。

 以前、ビデオで見て、竹内流にも無双直伝英信流居合術にも空手道にも震脚のようにズシンと足を踏み締める動作を確認し、「はは~? これは中国武術の専売特許という訳ではないな?」と直感して研究してみたことがあります。

 陳氏太極拳は非常に優れた武術だと思います。安田先生も非常に優れた技量をお持ちの先生だと拝察します。生前の松田先生からもお話をうかがったことがありますし、中国武術の世界で一種独特のポジションを確立している方だと尊敬しております。

 しかし、だからこそ、自流の価値判断にのみ頼むのではなく、他流の良さや他流に打ち込んでいる人達の研鑽に想いを馳せて戴ければ、本当に有り難いことだと思います。


 さてさて・・・これまた余談ですが、今回の論考にも参考になると思うので書きます。

 横並びにしたマキワラを試斬する大会?の様子の動画を練習の時にスマホで見せてもらいました。

 が、足場を固めて、しっかり刀を振りつつ、失敗する人が続出していました。

 誰も彼も力み返って刀を振っているのと、足を踏ん張っているのが失敗する原因ではないか?と思いましたが、皆が皆、そうやっているということは、それが正しいやり方なのだと教育された結果なんだと思いました。

 マキワラが一本なら、それでもいいでしょうが、横並びのものを斬る場合は、刃筋が最後まで通らないといけないので、足場を固定してその場で身体を回転させるのではなく、横にスライドするようにして刃筋を持続的にまっすぐ通すようにしないと斬れない筈。

 非常に単純化した論ですが、要は“力がどう作用すれば、技としての効果が発揮されるか?”という点から考えないとダメです。

 私は試し斬りは、文字通り、頭で考えたやり方が正しいかどうかを検証するためにやっています。斬ることが目的でやっているのではありません。

 寸勁斬り(ネーミングは故・佐藤貴生先生!)も、重心力の集中で力を真っすぐ通す訓練として考えたもので、この練習によって通常の打拳の浸透勁のコントロールも向上しました。

 あるいは下段手刀払いを人さし指一本で実施して廻し蹴りを払い落とすこともできるようになりました。

 つまり、重さの乗せ方と力が働く面積の縮小化ができてきたという訳です。

 もう十年くらい経過しましたが、直感的に始めた独己九剣の稽古が、刀を使わなくとも同等以上の戦闘力を発揮できるようになってきた・・・という次第です。

 直感というのは凄いですね? まさか、ここまで研究が進むとは私自身も予想外です。

 奇しくも、『刃牙道』で宮本武蔵が無刀(素手)で二天一流を実施するという描写とリンクするような研究になってきて、その意味でも『刃牙道』の今後が非常に楽しみなのですが・・・。

 甲野氏経由の若手研究家の方も増えている様子ですし(広い意味でいったら私もそうなるのか? 嫌だな~・・・)、うちも若手のレベルアップっぷりは異常なくらいです。

 時代によって変わる面と、時代を超えて伝承される不変のもの・・・その両方を上手く機能させて後進にバトンタッチしていくのが、もう若くはないけれど年寄りでもない私の世代の責務なんだろうと思います。

 少なくとも、もう「ナントカ流が最高!」とはしゃいでいる幼稚な時代は終わったのです・・・。

 21世紀は、「武術によって、人間はどこまで進化していけるのか?」というのがテーマだと私は直感しています・・・。


PS;熊本大地震の義援金集めのためにDVD半額セールを実施してきましたが、一応は落ち着いてきているみたいですので、六月一杯で終了させて戴きます。御協力ありがとうございました! また、最新作『交叉法2』の割引セールも六月一杯とさせて戴きます。七月から通常価格となりますので、御希望の方はお早くお申し込みください!

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時代劇こそセンス・オブ・ワンダーが必要では?

 TVから時代劇ドラマがほとんど消滅して、今ではNHKだけが作っている感じですが、時代小説の世界も、何だかワンパターンの度が過ぎる気がしますね。

 そもそも、時代劇って、もっと空想的な世界観が通用する分野だったと思うのですが、現在の時代小説は、ほとんどが江戸時代の日常的な平均的庶民や武士を描いた作品ばかりのような気がします。

 妖怪がらみの作品もありますが、ほのぼの系のものが多くて、私はちょっと読む気がしないんですね~。

 私自身が、山田風太郎の忍法帳物とか柴田錬三郎の剣豪小説くらいしか時代小説を読んでないのですが、江戸時代の日常生活を描いて何が面白いのかな?と疑問に思うだけなんですよ。

 時代小説というのはそういう具合に書かないとダメなんだという出版社の取り決めとかあるんですかね~?

 昔の時代小説って、もっとSFファンタジー色が強かったような気がするんですよ。

『南総里見八犬伝』にしろ、『神州天魔峡』とか『紅孔雀』とかありますよね?

『水戸黄門』だって古い映画だと猿人とか出てくるんですよ。

 源頼光の『大江山酒呑童子』なんて妖怪退治物だし、怪談物や大映の妖怪三部作に大魔神シリーズなんて時代劇として非常に良くできています。

 東映の『怪竜大決戦』なんて面白かったし、この作品の着ぐるみ(怪竜と大蝦蟇)流用した『仮面の忍者・赤影』も実に楽しい作品です。

 特撮系では、『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『変身忍者・嵐』がありますが、それ以外にも『白獅子仮面』とか『魔人ハンター・ミツルギ』というのがありました。

 横溝正史だったか?も、『髑髏検行』という作品を書いていますが、これって元ネタがドラキュラなんですよね? 時代劇スペシャルで田村正和サマが演じていたのでヒーローっぽくなってましたが。

 原作読んでなくて、ムーに載ってた作品解説みたいなので読んだ記憶があるだけなんですが、横溝ミステリーも私は今ひとつ好みじゃないんですよ。推理小説って現実的過ぎて面白いと思えないんですよね? たかが人間が考えつく程度のトリックに翻弄される話って、スケールが小さ過ぎる。

 先日も小説の師匠と次回作の打ち合わせしていて、「長野さんは普通のミステリーは書きませんか?」と聞かれたので、「いいえ、ぜんっぜん、興味ありません。トリック考えるのに苦労しそうだし、戦闘シーンが書きたいだけなんで活劇しか書けません」と応えました。

 ほら、TVの二時間物の西村京太郎サスペンスとかあるでしょう? ああいう一般メジャー向けのものを書いたらいいのでは?と言われたんですが、私はバトルがメインでないと書けない(書く気がない?)んですよね~?

 夢枕獏とか菊地秀行の朝日ソノラマや角川ノベルズの世代だから・・・。

 そういえば、菊地秀行の『血鬼の国』という柳生十兵衛が吸血鬼と対決する作品を読みました。

 あとがきで菊地さん本人も不完全燃焼だったみたいな感想を書いていますが、確かにクライマックスが燃料切れっぽくあっさり終わってしまうところが往年の菊地作品と比べると、ちと物足りないかな~?という気もしました。

 それでも、菊地秀行が書いているんだからつまらない筈がない! 日常系時代小説に飽きがきていたので、実に楽しくサクサクッと読めました。

 先日、友人が電話で夢枕獏の『大帝の剣』を一気読みしたらアクションシーンが面白いから参考のために読んでみたら?と言ってきました。

 私、アクション描写は自分なりに新しいスタイルを確立したいんで、敢えて読まないでおこうかな~?と思っていますね。ただでさえ、似てると言われてしまうので。

 映画で殺陣やってみて思ったんですが、見せ方の工夫というのは映像でも文章でも共通する面があると思いますね。

 売れっ子作家の作品はどうか?と思って、宮部みゆきの『荒神』を中古で買って読みましたが、「時代劇で怪獣物やるには、こうだろうな~?」と私が考えていた案(陰陽道の式神で巨大山椒魚風の怪物出すという話)と似ていたので、「しまった! 先にやられてしまった」と思いましたが、流石は宮部みゆき!という完成度でした。

 宮部さんの作品は映像化されてる作品も多いし、時代劇でも現代劇でも何でも達者に書ける人だから、そりゃあ売れっ子になるよな~?と改めて思いましたね。

 私は頭の中に映像が浮かんで、それを描写するようにしていますが、それだと無駄に書き過ぎてしまうらしく、頃合いを探るのが難しい。所詮、万人向けに書くのは不可能だと認識したので、いろいろ実験してみようと思っています。

 とか何とか言っていたら、デビュー作を手伝ってもらっているH先生から重大なミスを指摘されました!

 何と、江戸時代の特殊部隊で設定した中の副隊長格が、設定した年だと12歳なのだとか?

 てっきりオッサンだとばっかり思っていて、ろくに調べないまま選んだ実在キャラだったんですが、昔の時代劇ドラマはいい加減だな~?と思いましたよ(いやいや、ちゃんと調べない俺がいい加減?)。

 味のあるキャラで残念だったんですが、幸い、設定している隊長の副官にピッタリの27歳くらいの実在キャラがいたので、その人物に取っ代えてもらいました。

 は~、焦った~・・・。

 でも、代理キャラながら、この人物も実に深みのあるムチャクチャな人生を送った(殿様を砲撃しようとして失敗し、江戸に逃げて名前を変えて道場やってたけどバレて打ち首獄門になった)人なので、面白くなりそうです・・・。

 やっぱり、作品のキャラクターってむちゃくちゃな人物の方が面白いじゃないですか?

 実際の人物で付き合いがあると困るけど・・・。

 けれども、武術の世界って、そういうムチャクチャな人が結構いるから面白い。キャラクター考えるのに苦労しません。

 やっぱり、普通の人生送ってる人と話しても全然つまんないし・・・。

 話は変わりますが、今、『トーキョウトライブ』観ながら書いてるんですけど、清野菜名さんがパンチラで激闘している“いつもの園しおん監督節”とはまったく違って、TVKで『まかない荘』というドラマに主演されていて、ちょいコメディーっぽい普通の役柄を演じられています。稲吉先生がダンス教えていたというのもビックリしたんですけど、清野さんは常に体当たり演技だな~?と、最近、感心しています。アクションの師匠が坂口拓さんだから?

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六月“縮地法”セミナー感想

 今年も半分になりました。早いもんです・・・。

 さて、今回は“縮地法”です。

 毎年やっていて、歩法だけは基礎訓練からやらないといけないので、結構な運動量になって疲れます。夏の暑い時期には避けたいところですが、六月になってしまいました。

「暑くならなきゃいいけどな~?」と思っていたら、割りと風が涼しくて、窓を開け放してやると気持ち良かったですね。

 一応、冷暖房完備なんですが、業務用だから電気代が嵩むので、あんまり使いたくないんですよ。

 この道場も2年経過したので、今月は更新しなきゃいけなくて、お金がいっぱいかかるので困ってたんですが、何とかギリギリ払えそうです・・・。

 余裕があれば二階も事務所に借りたいところですが、流石に今がギリギリなんで小説がヒットしないと無理ですね~?

 本当に50過ぎても生活に余裕が無いとは思わなかったな~? 予定ではブレイクして金に不自由しないくらいになってる筈だったんだけど、さてさて、金の心配しないで研究に専念できるようになるまで、後、どのくらいかかるかな~?

 もっとも、マスゾエさんみたいになるのも悲惨だから、地道にコツコツと実績を積み上げていくのが一番でしょうね?


 今回のセミナーは、いつもはアドリブで進めて教える内容が変動し過ぎるので、今回は事前にやる内容をノートに書き出してきました。

「えっ、それって普通でしょ?」って言いたい人もいると思いますが、私は本当にアドリブ体質でして、計画した通りに進めるのが苦手なんですよね。

 去年の11月3日にやった特別極意講習会の時も、最初のヤツに時間がとられて時間配分がメタメタになりましたもん。

 それでもやるべき内容は無理やり、やりましたけどね・・・。

 結局、私の考えでは、原理を理解し、後はどれだけ応用発展させる応用力を磨くか?ということが肝心だと思うんです。

 なので、縮地法の原理を理解してもらえば、それでOKなんですよ。

 常連の人は理解していると思うんですが、今回は初参加の人も何人もいたので、原理を理解してもらうために、縮地法を使った突きと普通の突きがどのくらい威力が違うのか?ということを体感してもらうようにしました。

 武道・格闘技を長くやっている人ほど、「突き技はこうするもの」という固定観念が強いので、指示した通りにやらせてもできないものなんですね?

 ミットを使って、“腕をまっすぐ突きの形にしたまま歩いていって当てる”というだけのことをやらせても、当てる瞬間に足を止めたり、腕を曲げて打とうとしてしまったりするんですね。

 強く打とうとするから、ついつい、習性でやってしまうのです。

 突きの威力を腕の筋肉の収縮力で出そうとする習性がついてしまっているんですね。

 腕は拳を握って真っすぐ肘を伸ばして固定させておいて、歩いていく時の身体に働いている運動エネルギーをそのまま拳に作用させれば、予想以上の威力が出せるのです。

 イメージしにくいかもしれませんが、例えば伝統空手の追い突きも、原理的にはこれと同じことをやっている訳です。遠い間合からバーンッ!と飛び出す時のエネルギーを拳に乗せるから小柄な選手でも驚くべき威力が出せるのです。

 ただ、当てないで止める(コントロール)のが難しい訳ですね? もし当てていたら、威力が出過ぎて手首や肘、肩を壊してしまう選手が続出するでしょう。

 どうしてか?というと、狙って当てていっても相手は止まって受け止める訳ではないからで、ほんのわずかズレるだけで自分の威力で手首や肘、肩を捻って壊してしまいかねないからです。

 実際、今回、丹田歩法で錬成された腹圧の威力を示すために北島師範に突かせて腹発勁で跳ね返すというのを実演した時、グキッと嫌な音で北島師範が手首を捻ってしまい、危うく折れるところでした。

 約束組手式にやってもこうなるんですから、実際にやったらもっと大怪我してしまうでしょう。

 北島師範も解っているからあまり強く打たないようにしていたのですが、それでは皆が信用しないだろうからと強く打たせた結果・・・危機一髪でした。

「内家拳なんてものは嘘だ!」と言う空手の先生もおられますが、私は太極拳の戦闘理論は凄いものだな~?と思いますし、他の武道にも組み込んでいけるものだと思います。

 日本の内家拳といえば、やはり合気武術だと思います。

 脱力して重力(重さ)を使って威力を出す。これなら体格や体力とは無関係に誰でもできます。

 そして、縮地法も、実は脚力(るろ剣の宗次郎は特別脚力が強いという設定だったけど、これは武芸考証を手伝った加来さんの誤解だったのかもしれない?)ではなく、重心移動をうまく使うことで気配なく迅速に体移動する方法として工夫されたものだと私は考えています。

 中国武術でも類似の歩法はいろいろ伝えられていて、歩法に特徴のある門派としては迷蹤芸(秘宗拳)や八卦掌が有名です。

 歩行というのは最も基本的な重心移動運動ですから、歩行を技化すれば凄いものになります。

 私は20代半ばから関心をもって研究し始めましたが、足よりも体幹部から動くことが重要なのではないか?と思い至り、骨盤の動き(ハラと腰)に注目しました。

 この辺は健康法や舞踊を研究したことも関係していますが、ほとんど直感ですよ。

 私以外の身体運動の研究家の大半が、やはり骨盤の動きに注目しています。これは、それが正解に近いということの証しでしょう。

 私の嫌いな人も言っていたりしますが・・・。

 どんな偉い人が言っていようが間違いは間違い。逆に無名な人が言っていようが正しいことは正しいのです。

「誰が言っているから信用できる」なんて考え方をしてはいけません! ダメ! 絶対!


 言っている内容そのものを吟味しなくてはいけません。信じる信じないで考えるのは愚か者です。

 どんな人間でも嘘をついたり間違ったりします。だから、他者を絶対視して盲信してはいけません。

 無論、私に対してもです!

 自分自身の洞察力を磨くことが大切なんですね。


 ところで、三尺以上の大太刀を遣う居合抜刀術の流派が集まる研究会に参加された方から聞いたんですが、研究会にゲストで参加した甲野氏は、いつもの普通の長さの刀で演武してみせただけで、三尺越えの大太刀の抜きには挑戦しなかったんだそうですね?

 それでは、参加した意味が無いと思うんですけどね?

 システマのシャシュカのセミナーに参加した時も日本刀の模擬刀遣って素手のミカエル先生に向かって奪われまくっただけ・・・一体、何のために参加したんでしょう?

 私は、動画で見た時に、「これって邪魔してるだけじゃん?」としか思いませんでしたね。研究したかったら個人的に別に時間とって頼めばいいじゃないですか? セミナー荒らしと判断されてつまみ出されても文句言えませんよ。

 それでも、敢えてそこまでするなら、せめて、日本刀vsシャシュカの軽い手合わせくらいすれば良かったのに・・・負けまくったら恥ずかしいから、やらなかったのかな?

 郷に入りては郷に従えって言うでしょう? これでは研究にはなりませんよ。

 うちは研究会なので、いろんな流派の人が参加して、時には技を見せてもらったりもしますが、明らかに挑戦的な態度とる人は許しませんよ。許してしまったら他の参加者に迷惑がかかってしまうでしょう?

 地方から高い交通費使って参加している人も多く、満足して帰って戴きたいので、不心得者には容赦しないつもりです。

(最近、兵庫支部も活動し始めたので、関西方面で御希望の方は宜しくどうぞ!)

 余談ですが、セミナーの時に三尺三寸の模擬刀を貸して戴いて抜かせてもらいましたが、帯に挟んだら私はこの寸法がギリギリだろうな~?と思いました。

 あと一寸あったら、ちょっと無理でしょうね?

 確か圓心流の田中普門先生だったと思いますが、三尺八寸の長大な刀を抜いておられて、ビックリ仰天した記憶があります。そんなに大柄な方ではないようにお見受けしますが、いろんな秘訣があるんだろうな~?と思いました。

 普通の居合(夢想神伝流や無双直伝英信流など)の抜き方では、まず三尺以上の刀は抜けません。いや、二尺六寸くらいが限界でしょう。

 そのためか、「三尺以上のあんな長い刀が抜けても実戦の役には立たない」と否定する居合の先生も少なからずおられますが、自分が抜けないから否定したいだけじゃないかな~?と思いますね。

 刃渡り三尺以上の刀を抜刀する方法としては、黒田鉄山先生の民弥流居合術の抜き方ならできると思います。

 私は一回、講習会受けただけ(初期のビデオに私が映ってる? いや~、お恥ずかしい)ですが、現在に到るも、得難い体験だったな~?と思っております。

 ちなみに、この時に、「あっ、流派は関係ないな? 理合が解れば秘密は解けるんだ」と直感したことが今の游心流理論のベースになっています。

 私が持ってる刀で一番長いのは、三尺二寸一分の一貫斎繁綱ですが、長さよりも重過ぎて速抜きできないですね~(苦笑)。まだまだ、修行の道は長いですよ・・・。


PS;今月の木曜日のメイプルホールの稽古会(19:00~21:00くらい)は、16日と30日もやります! 広々としてますから、お暇な会員さんはどうぞ! 最近は、ほとんど個人稽古になっています(苦笑)?

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6月セミナーは“縮地法”

 游心流の特徴としては、「一に脱力、二に交叉」なんですが、もう一つ重大な要素に「縮地法」があります。

 つまり、歩法ですね。

 これは、直接的に技としては使わないような印象がありますが、武術の戦闘法として縮地法は非常に重要な秘伝になります。

 最新作DVD『交叉法2』で、実は縮地法を応用した歩法の使い方も紹介しているんですが、今回は、これをより具体的に細かい練習法と理論を解説しようと思っています。

 中国武術では、「技は教えても歩は教えるな」と言うくらい重視されますし、日本の武術でも歩法や足捌きは見せないように袴で隠したと言われます。

 実は私、高校生の頃に両膝関節炎になってしまい(ロクに練習しないでマラソン大会に出て罹患した)、以降の人生、ずっと膝が悪く、ここ数年は悪化しています。

 例えば、昨年、映画の撮影中に、ちょっとした飛び降りシーンをやっただけで膝がイカレかかってしまったものでした。

 なので、先日、歩法を遣った時も、“できなくなってるかも?”とチラッと思ったんですが、問題なくやれて、内心、驚いていたんです。

「あれっ? 全然、平気だな~?」と・・・。

 まあ、理論上、多少、足腰に故障があってもできる筈だとは思っていたんですが、自分でやってみて確認すると感無量でしたね。

 ある意味、縮地法が一番、武術の技法の中で一般的に応用できるものかもしれません。

 単純に歩行速度を急加速させることができますし、出会い頭にぶつかったりすることを避けることもできたりします。

 先日、町田の小説講座に行くのに小田急町田駅の出口階段を昇ろうとした時、勢いよく走り降りてきた子供と激突しそうになりましたが、私がビュッと身体一つ分避けたので、ぶつからずに済みました。

 子供もぶつかると思ったんでしょうが、私をビックリした顔で見上げて立ちすくんでいました。

 飛び降りるくらいの勢いだったので、もしぶつかっていたら衝撃が自分に跳ね返って怪我させてしまっただろうと思います。

 この歩法は技術ですから、年齢重ねても延ばしていくことができます。

 私みたいな身体がポンコツの人間でもできるんですから、誰でもできますよ。

 ただし、これは日常的に自然な訓練が必要です。

 身体が馴染まないと、頭で理論を理解しただけではできないのです。


 以前、破門にした会員は、自分が体得できないのに「歩法は初心者には難しいから必要ありません」なんて言っていましたが、バカ過ぎて二の句がつげませんでした。

 簡単に体得できる技は簡単に破られます。体得に時間がかかる技は簡単には破られません。どちらの技が武術として有効性が高いでしょうか?

 無論、現在は、体得するのに無駄な時間はかけられませんから、稽古法も合理化しています。

 天剣の宗次郎の必殺技“瞬天殺”は縮地法と居合抜きの合体技だという設定でしたが、私もこれはいろいろ考えていました。

 以下は実際のセミナーにて・・・。

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真実はいつもヒトツ~っ!

「百人いたら百通りの答えがある」と気軽に言う人・・・

 あま~いっ!

「な~に、ヌルいことゆうとるんじゃい、ワ~レ~?」って、私は言いたいです。

 勘違いしてはいけません・・・。

 真実は常に、一つしかありません!

 もちろん、解釈は百人いたら百通りあっていいんですよ。気持ちの問題だから。どれが本当か嘘か?なんてことをはっきり白黒つけたいと思っている人間以外には、どうだってよかったりするんですよ。圧倒的に多くの場合・・・。

 でもね? 真実というのは一つしかないから“真実”と言うんですよ。ここ、大事!

 私が武術が大好きなのは、限りなく真実に近づいていける世にも珍しいものだから。

 武術にとっての真実とは、「戦って勝てる技術」ということです。実にシンプル。

 かつて、「戦えない武術ではいけないんですか?」と問うた人がいました。

 私は、「ダメ! 絶対!」と確信を以て断言しました。

 だって、武術は戦って勝つために数多の戦闘大好き人間達が周囲から変態扱いされるのも厭わず研究工夫して作り出してきたものだからです。

 戦えない武術は武術ではないのです。モデルガンが武器でないのと同じ。

 しかし、モデルガンでも改造して殺傷力のある弾丸発射機能を備えれば武器になりますよね? そうなったら改造銃という代物になり、銃の一種、あるいは亜種として認知されることになります。

 フルーツナイフだって、武器として使おうとすれば武器になってしまいます。

 私なんてラジオ体操でも阿波踊りでも武術に改造できますよ!

 何故か?

“戦う意志”が技術を生み出していくものだからです。

 どんな達人に習おうが、どんな秘技を修得しようが、戦えない人というものは居ます。

 私は、現代日本の最高峰クラスの達人に何人も会っていますが、弟子がそのレベルに達している例は非常に少ない・・・というか、ほとんど皆無に近いものでした。

 その理由は、戦う意志が無いからなんでしょうね。

 あるいは、「達人に習えて幸せ~。いつか自分も達人になれるといいな~?」という自己満足の願望に陥っているから、自身が師匠超えを目指さない。これではダメです。

 逆説すると、何の技も知らず、何の力も持たない者でも、戦う意志さえあれば、技術も力も自分で勉強して獲得するものです。肝心なのは“戦う意志”そのもの。

 独学だって、非常に高いレベルに到る人はいます。異常に意志が強い人だと。

 それに、戦うことだけ考えれば、武器を持てばいい。武器なんて、周囲にいくらでもあるでしょう? 何もなくても上着を振り回したり頭から被せてブン殴れば効果的だし、ベルトを鞭代わりにするもよし、靴を手に持って殴るのもいい。靴下だって砂とか土とか砂利とか摘めて殴ればブラックジャックみたいな打撃武器になります。

 どうですか? 周囲にいくらでも武器になりそうなものはあるでしょう? 戦う意志があれば、こういうこともどんどん考えつくようになるのです。

 例えば、ストーカーに家に押し入られた時に、ただ隠れるよりも台所にダッシュして包丁を握った方が助かる率が高まりますよ。

「風呂に入っていたらお手上げじゃないか?」と思うのも間違い。熱い湯をぶっかけるとか、シャンプーを目潰しにするとか、濡れタオルをヌンチャク代わりにするとかいろいろできますよ。

 トイレでもサンポールを目潰しにするとかトイレブラシで顔面突くとか・・・?

 ねっ? やろうと思えば、いくらでもできるでしょう?

 私が世界中の古今東西の武術を研究してきたのは何か?というと、別に技とか理論はどうでもよかったんですよ。

 私は信仰心が無いので、どんな必殺技だの高度な理論だの習っても、それが万能に通じる筈がないと思っていました。だから、今でもずっと研究し続けているんです。

 つまり、戦って勝つ方法を貪欲に追究してきただけなんですよ。

 武術に関して膨大な知識を得ることになったのも、副産物なんですね。基本的に武術の歴史だとか達人の経歴だとかには全然、興味がありません。

 小説書くようになったから意識的に調べているだけです。

 私は、戦って勝てる武術を追究しているだけだし、もしも無いのなら自分が作り出してやろうと思って研究してきています。習ったら、さらに改良する! 常に進歩し続けていく・・・それが武術のあるべき姿だと思います。

 この点、普通に武道や格闘技が好きでやっている人達とは考え方が根本から違う。

 私は武器を使うことを前提にしていますが、それは武器を使うのが人類の普遍的戦闘の真実だからですよ。

 素手の戦いに拘る人に共通するのは、本気で戦闘に勝つことを考えていないということです。「勝敗は時の運」みたいな呑気なことを言うのは素手で闘う格闘スタイルを楽しみたいだけなんであって、命のやり取りを考えていないからですよ。

 だから、戦争のような状況は何も考えないで、強いとか弱いとかヤンキー中学生レベルのことを考えていられる・・・近視眼的なんですね。

「そんな状況を今の日本で考えることそのものが異常だ」と、時々、言われます。

 阿呆ですね?

 今の日本の状況でも日夜、生死がかかる戦いに備えていなければいけない仕事の人達は大勢います。その人達がもしいなかったら、社会秩序は成立していません。

 法律が秩序を守っているのではありません。法律を支える処罰を“実行する人間”がいるから成立しているのです。

 そもそも犯罪をおかす人間はアウトロー(法律を無視する無法者)なんですから、そんな人間に法を守れと言うだけ無駄です。

 こんな簡単な理屈が解らない人間は“阿呆”としか言えないでしょう?

 生死がかかる戦いに備えている人達に感謝しないでどうします?

 具体的には警察官や自衛官。警備業務の人にも命がかかる危険な場所で仕事している人はいますよ。

 そこまででなくとも、日常生活の中で暴力に晒される機会は少なからずあります。

 学校や職場のイジメ、ママ友イジメ、サークル内イジメ、御近所トラブル、ネットコミュニティーでのイジメ、そして家庭内DV・・・。

 自分が経験が無い、あるいは経験しても鈍くて感じないから、「そんなものは無い。日本は平和そのもの」と考えるのは大間違いですよ。

 基本的に自分の幸せを優先して考えるのが人間の性質であり、世のため人のために粉骨砕身して自己犠牲の精神を持つ人は極めて希少でしょう。

 マスゾエ都知事のニュースとか見ると、一般社会だったら業務上横領で即刻捕まるレベルなんじゃないか?と思いますね。以前、五円玉ポケットにしまっただけで懲戒免職になった駅員が居たと思いますけど、庶民がマスゾエ都知事に怒っているのは、自分達が生活ギリギリで苦しい生活をしている中で、税金使って成り金みたいな真似繰り返している神経に腹が立っている訳ですよね?

 でも、私は政治家なんてあんなもんだと思ってるので、呆れるだけで腹は立ちません。

 ナルシシストは海外ではサイコパス扱いで危険視されているのに、日本ではちょっと変わった人程度に思われているそうです。ナルシシストは他者への共感ができない自分のことしか考えない人間だから、権力握るとムチャクチャやるから危ない・・・という理屈。

 マスゾエ都知事はナルシシストでしょう? 典型的な・・・。反省なんかしてないでしょう。“俺は今、受難を受けているのだ”としか思ってない。権力にしがみついてる。

 猪瀬さんはサクッと辞めたでしょう? 権力に未練が無いから辞められたんじゃないですか?

 ナルシシストといえば、武術界にも多いです。

 もう名前書かなくとも誰のことか解りますよね?

 大勢いるからな~・・・。

 最初のテーマに戻りますが、百人いたら百通りの解釈があるのは当然のことです。が、それは決して真実が百通りあることにはなりません。

 真実を追究するには厳しい態度が必要ですし、そのためには、むしろ解釈は邪魔になります。

 稽古の時に話題になったんですが、「水素水は科学分析するとただの水だから、健康に良いというのは何の根拠も無いのでは?」というもの。

 科学的に根拠が認められなくとも体験的に効果が認められるとして愛好者がいる物というのは無数にあります。

 EM菌、パイウォーター、紅茶きのこ、ぶらさがり健康機、磁化水、還元水、バナナ酢、ヒランヤ、サルノコシカケ、丸山ワクチン・・・etc

 多くの民間療法が科学的には根拠が無いとされながらも、愛好者がいなくなることはありません。

 どうしてか?というと、体験的に効果があると認識する人が一定数いるから。

 現在、療法として定着している、柔道接骨、指圧、鍼灸なども国が認定するには関係者の壮絶なまでの運動があったことを知る人は少ないでしょう。

 催眠療法も、創始者と見なされるメスメルは詐欺師扱いされていて、“動物磁気説”なんてものを提唱したりして科学的な理論を構築しようとしていた訳ですが、その後、心理療法の中で“自律訓練法”(シュルツが考案)が採り入れられて科学的に認められていきます。

 気功法も、中国で科学的に理論付けして普及したから、それほどオカルト的なイメージは薄いですが、元をただせば仙道の訓練法(内丹法)ですから、科学的か?と言えば、実に怪しい訳ですよ。

 日本ではダイエット体操くらいに思われているヨーガも、もともとは修行者の行法であり、根本は瞑想(メディテーション)です。原理的には気功法と同じなんですよ。

 座禅も仏教式の瞑想ですよね。

 20年くらい前にはカイロプラクティックも国認定の療法にしようという運動がありましたが、「科学的な根拠が認められない」として挫折しました。

 それはそれで良かったと思います。まともな教育を受けていないカイロプラクターが溢れている現状では危険過ぎるからです。

 しかし、私は「科学的に」という言葉には逆の意味で盲信が感じられてしまいます。科学が万能という認識自体が誇大妄想だと思うからです。

 そもそも、自然科学の源流は長い歴史の中での様々な試行錯誤の末に理論付けされてきたものであり、根本は体験的な知恵だった訳です。

 例えば、漢方薬はまさにそうですね。薬になるか毒になるか? 分析技術が無かった頃は体験的に調べていくしかない訳です。

 水素水のブームも、健康に良いと言われる水に共通するものは何か?と研究した人がいて、「水素含有量が多いからではないか?」という仮説をたてて発表したことが遠因だと思います。

 私、一時期、健康法の研究している頃にいろんな水を試してみたりしていたんですが、確かに成分分析すればただの水なんだけど、明らかに体調に変化が出たりする訳で、「果たしてこれはプラシーボ効果に過ぎないのだろうか?」と考えたりしましたね。

 個人的にはプラシーボとは言えない物もあると思います。例えばパイウォーター。これは相当、違いが出ましたね。水分の吸収率が良くなったのでしょう。ウサギの糞みたいに乾いた便がコロコロッと出るのでビックリしました。

「お尻拭かなくて済むからペーパー代が浮くな~?」とか思いましたね。

 その当時、パワーウォーターがブームとなりましたが、その時は水素ではなく「水分子が小さい」というのがキモでしたね。

 結局、科学は後追いだと思うんですよ。現象があって、仮説をたてて、分析して、理論化する・・・。

 既存の科学分析で判定できなくとも現象として“有る”ということを否定することはできません。

 ただ、注意しなければいけないのは、体験は主観であって個人の感想に過ぎない。客観性が乏しいものを絶対視してみたり、盲信する態度は、そこに付け込む詐欺的ビジネスの温床になることも現実ですから、常に批判的視点を忘れてはいけないと思いますね。

 要は、一つの視点に固定化する態度はマズイ!ということです。

 真実は一つ!

 しかし、真実を認識することは不可能に近いのだと謙虚な姿勢でいないといけない。

 故に、私は信仰心を持たないようにしている次第・・・。

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『ツマヌダ格闘街』が終わるの?

 5日の日曜日の稽古会は、入会希望の人が来るとのことだったので、まずは面接をして・・・と思って道場に行ったら、非常に真面目な学生さんで武術経験は無かったそうですが、覚えが早くて、なかなか将来性が有りそうな人でした。

 もちろん、断る理由もありませんから、すんなり入会してもらいました。

 どうも、武道とかの経験よりは年齢が若いかどうか?で習得スピードが違うのかな~?という気がしていますね。

 もちろん、若い方が覚えが早いです。

 正直、「こんなに若いうちに武術の極意みたいなことをバンバン教えてしまっていいのだろうか?」という気持ちもあります。

 DVDを買って練習していたそうなので、普通は数カ月は苦労するようなうちの基礎錬体もあっさりできてしまいました。

 数年やっていても満足にできない人がいたりするんですけどね?

 やはり、理論が解っていたら、習得は早いです。遅い人は、質問してみると練習している内容の意味をちっとも理解していなかったりするんですよね。

 恐らく、武道を習うのに理論とか練習の意味とかを考えた経験が無いのかもしれませんね。習うより慣れろ!と、ひたすら頭をカラッポにして身体を動かすだけだったのかもしれません。

 上達する人に共通しているのは観察眼があることと、やっている内容の意味を考えることです。

 極論すると、私が一から十まで手取り足取りして教えたのは北島師範だけ。その他の人達は、やって見せて解説するだけなのがほとんどです。

 私自身がそういう学び方をしてきたので、手取り足取りして教えるのが面倒臭くてやりたくないだけなんですね。本心を言えば・・・。

 もっとも、差し手とか推手とか合気とか、どうしても直に触れて体感させないと教えられない技術もありますから、そういうのは最近は具体的に技をかけたりかけさせたりして伝えるようにしています。が、これも最近のことです。

 良いか悪いかは結果次第ですし、私は游心流という流派を広めることより、私が教えた人が独自の道に進んでいったとしても最終的にひとかどの人物として活躍してくれればいいと思っています。

 逆に、どれだけ武術の腕が上がっても、世の中に埋もれたまま人生を浪費して死んだらそれまでで何も残せないような“しょうもない自己満足人間”にはなってもらいたくありません。

 私は若い頃に漠然と「武術の達人になりたい」とは思っていましたが、それが最終目標ではなく、世の中で活躍して歴史に名前が残るような偉大な業績を挙げてみせたい!という意志がありました。

 20歳頃のことです。

 もちろん、漠然とした誇大妄想に近いものでしたし、具体的に自分に何ができるのか?ということはさっぱり見えていませんでした。

 しかし、30半ば過ぎた頃からは具体的な目標ができてきましたね。

 それは、武術の研究それ自体が世の中に多大な貢献をすることに繋がるのではないか?という直感があったからで、それから20年近く経過して確信に変わりました。

 が、それは「武術修行が人間を根底から変えてしまえるものである」という確信であり、同時にそれが「とても危険で有害な要素を抱えているのだ」ということにも気づかせられました。

 なので、「果たして、これを広めていいのだろうか?」と、現時点で私は逡巡しています。

 何しろ、上達すればするほど、単純に戦闘能力が肥大するだけで、生産的な技能には結びつかないからです。「この技、本気でかけたら確実に相手は死ぬな~?」と・・・。

 また、危険で有害というのはどういうことか?と申しますと、誇大妄想的に万能感が高まって自分の“分”が見えなくなることと、稽古法を間違うと逆に弱くなったり心身の健康を害するということ。

 事実、このような害毒に塗れてしまっている武術家?はかなり多くいます。

 これでは、武術なんかやらない方がマシだったのではないか?と言いたくなります。

 私は長年、人を指導してきて問題のある人を何人も破門にしました。その人達は、明らかに武術なんかやらない方が良かったのです。最初からそこまで見抜けていれば教えなかったのにな~?と思うこともあります。

 ここ数年は、そういう失敗をしないように慎重に人を選ぶようにしているので、実に雰囲気の良い道場になったと思います。

 DVDを見ながら練習して、地方から通ってくる人と話すのは非常に楽しいですね。

「直に教わると全然、違うな~と思いました」と言われるんですが、「最初、インターネットで長野先生を調べて、とんでもない人だとビビッていたけど、DVD映像で見ると楽しそうに練習しているから、これなら大丈夫そうだと思い切って訪ねました」という人が多いんですね?

 私は気分が悪くなるだけなので、ジェラシーで発狂して戯言書きまくってるイカレポンチな人達の文とか読みませんけど(時間の無駄)、「宣伝にプラスもマイナスも無い」というのは本当だな~?と思っています。

 悪口書いてる人達も、そうすることで自分を卑して?・・・じゃなくって、癒しているのでしょうから、まあ、ここは月光仮面方式に(憎むな、殺すな)許しましょう。

 そういえば、松田隆智先生が、「光が射せば影ができるんだよ。本当のことを書いただけで恨まれるんだから、やんなっちゃうよな~(笑)」と言われていましたが、本当にその通りだよな~?と思います。


 最新作『交叉法2』、思った通り、“察気術”と“歩法”の感想をくれる人が多かったですね。

 厳密に言えば、この二つは交叉法とは“関係ない”んですが、敢えて入れたのには理由があります。

 ズバリ、交叉法の“弱点を補ってくれる”ものなのです。

 交叉法を成功させるには読みが重要なんですが、目付けだけに頼っていては暗いところでは使えません。どうしても勘を鋭敏にしないといけないんです。

 だから、殺気とか闘気を察知する感受性を磨く必要があるんですね。

 もっとも、感覚のトレーニングというのは論理性がありませんから、これまでは発表しなかった訳です。誤解されるのがオチだから・・・。

 でも、できる人間を量産できれば否定できなくなるでしょう? だから今回の最新作では収録した訳です。できる人もいれば、できない人もいる・・・それがリアルなんです。

 また、歩法を使って差し手するというやり方は、交叉法そのものがカウンター理論だと限定して考えていると、先々で攻めてくる相手にパワーとスピードで押し切られてしまう危険性があるので、“自分から攻撃していく方法”として考案したものです。

 相手が攻撃してくるまで待たない。

 従来の交叉法には歩法を使って自分から入身していくというやり方は無かったんですが、個人でやっている人はいたんですね。それで、私もいろいろ実験しているうちに歩法と交叉法を組み合わせればいいじゃないか?と直感して始めた訳です。

 これはごくごく最近ですよ。思いついたのは。

 だから、これまでは誰にも教えていないし、習ったこともありません。

 私は歩法を超神速でできるようにすることを目指していたんですが、あまりにも難しいので、最近は普通に歩くようにしてやったり、一、二歩の縮地法で用いるやり方とかに研究の方向性をシフトしてきています。

 武術は要するに、より簡単にできて、より効果が高い技を目指すのがいい訳ですね。

 シンプル・イズ・ベストですよ。

 普通、武術は形で覚えるものだという固定観念があり、複雑な形が高度なんだと思いがちです。

 しかし、実際に戦う場合は一瞬で終わるようにしないといけません。つまり、交叉法は本当の実戦のための理合なんですね。

 よく、「たった10秒で倒した」とか、「5秒もかからなかった」なんて達人を称賛したりしますが、これでもかかり過ぎなんですよ。

 1秒以上かかったらダメだと私は思います。一瞬で倒せないと・・・。

 だから、試合のイメージで考えたらダメなんですよ。一瞬で3、4箇所同時に攻撃するくらいでないといけませんし、一撃で倒せたらモア・ベターです。

 こう考えた場合、“相手の攻撃を受ける”という暇が無いことに気づかれるでしょう。

 受けて返していたらダメです。“受けて・返す”という二拍子になったら、まず通じません。

 無論、戦術的にはそういうのもありますが、それは下策だとして極力、やらないようにしないといけません。現実的だからと、低い目標を掲げてはいけません!

 練習型として、これまで初級対練では敢えて二拍子でやっていましたが、これも変えた方がいいかもしれないな~?と、最近、思うようになりました。

 何でか?というと、二拍子で動く癖がついてしまうからです。“避けて・攻撃”というパターンで覚えてしまうんですね?

 この欠点を改善するのに察気術があり歩法がある・・・ということで、難しいと言えば難しいかもしれませんが、練習すればできるようになるということを『交叉法2』では敢えて収録した次第です。


 そういえば、稽古会の時に聞いたら、私が熱烈愛読している『ツマヌダ格闘街』が終わってしまうのだとか?

 ガビ~ンとしました・・・。

 これでは、武術系漫画が『刃牙道』だけになってしまうではありませんか? 

 新展開シリーズとかやってくれないかな~?(ションボリ・・・)

 そういえば(はっ、また使ってしまった)、セブン・イレブンだけで売ってる月刊ヒーローズに連載している『BABEL』に登場するキャラが、いきなり八極拳の技を使い出して、たまげてしまいました。

 絵柄が『男組』の池上遼一さんに似ているのでお弟子さんなのかな~?とか、原作者が『拳児』を読んでいたのかな~?とか、いろいろ想像してしまいました。

 ウォン・カーウァイ監督の『グランドマスター』を観て八極拳に目覚めた人もいるかもしれませんね~?

 私も八卦掌の次に八極拳が好きです。やっぱり威力がず抜けて凄いですからね? 交叉法と合わせると天下無双ですよ!

 まあ、弱点といえば、交叉法知らないと墓穴掘ってしまうと思いますが・・・?

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小説講座特別対談

 私が通っている小説講座の特別対談があるというので、29日の日曜日に行ってきました。

 先生から「受講するとお金かかりますけど、ゲストやってくれたらタダでいいですよ」と言っていただいたので、「じゃあ、ゲストでお願いしまっす!」とお応えしておきました。

 もちろん、日曜日は稽古日なんで、最初の一時間だけ出て、後は栗原師範小塚師範に指導は任せて途中で抜けたんですが、三重からIさんが来ていて、ネットで買ったというマウザー(モーゼル)Kar98のモデルガンを持参して見せてくれたので、ちょっと楽しかったです!

 私、そんなに昔の軍用ライフルとかには興味がなかった(戦争嫌いだから)んですけど、単純に機能美という観点で「流石、ドイツの軍用銃はカッコイイな~?」と感動しましたね。

 軍用というのは、刀もそうなんですけど、頑丈さや威力が優先されるので、精度とか洗練されたスタイルとかとは縁遠いんですよ。

 逆に武器としての機能だけを追求して作られた物には一種の迫力もありますけどね。

 今でこそ肥後の同田貫とか、関の孫六兼元とかは名刀のイメージがありますが、美術刀剣としては二流と見なされていたんですよ。戦場刀として大量生産されていたから精緻な技巧とかは施されていないと考えられた訳です。

 名刀と言えば、正宗であり郷義弘、来、青江・・・といったものが相場で、妖刀で名高い村正でも二流扱いでしたから・・・。

 それでも、ドイツの銃は戦後に珍重されてアメリカに持ち帰られたりしたそうです。ルガーP08やワルサーP38もそうですが、マウザーKar98は、ボルトアクションの機関部だけ流用してハンティングライフルに仕立て直して未だに使っているハンターなんかもいるくらい、作動の信頼性が高いと聞きます。

 バヨネット(銃剣)も装着できて、いい感じです。

 ただ、昔のライフルなんで、ストック(銃床)の肩当て部分が金属なので反動で肩が痛くなるのが欠点なんだとか? ここはウレタンフォームのパッドとかに取り替えて改造すべきでしょうね。実用を考えれば。

 もっとIさんとおしゃべりしたかったんですが、一時間経って正午になったので、慌てて道場を出ました。


 対談場所は町田のカルチャーセンターなので、電車で二駅、徒歩時間含めて30分くらいですか?

 若干遅れて到着したので、既に始まっていました。

 壇上には平茂寛先生(朝日時代小説大賞でデビュー)、鳴神響一先生(角川春樹賞でデビュー)もいらっしゃいました。

 私もシレーッとした顔で鳴神先生の隣に着席! いつもの小説講座の仲間が???という顔で見てます・・・けど、私、一応、プロなんで、お二人よりも長く文筆業やってますしね~?

 集まっている受講生の皆さんは、ほぼ全員が、新人賞取ってデビューするのが目標の人達なので、必然的に新人賞を取る秘訣?についての質問が続きます。

 実は、私は「新人賞取っても一年後には九割が消えるのが現状で、いかにして作家として生き残っていくか?を考えないといけない」みたいな話をしようと思っていたんですけど、そこまで考えている人はほとんどいなかったので、やめておきました。

 どうしてか?というと、そんな話をして「そんなに作家の仕事が厳しいのなら、自分なんか到底ダメだな・・・」と諦めてしまう人が続出し、講座の受講生が減って先生の収入が減ってしまうだろうな~?と思ったからです。

 私自身が新人賞狙う気持ちがほとんど皆無なのも、下手に取ってしまってあれこれ規制がかかってしまうのが嫌なのと、私は“バトル物”なら時代劇でも現代劇でもファンタジー物でもホラー物でも何でも万能に書く自信があるし、リアリティーのあるアクション描写なら既存の作家の誰にも負けないと思っているからです。

 無論、それがどれだけ売れるかどうかは判りませんよ? 何しろ、小説家になろうと思ったことが全然無かったし、文芸修行もほとんどやってなかったですからね? シナリオ書いても、「長野さんはアイデアは面白いんだけどシナリオになってないよ」とプロに言われてしまうくらい文章の作法を知らなかったからです。

 でも、面白い作品を書く自信はあります。

 読者を楽しませたいというサービス精神も強い!

 恐らく、新人賞取ってデビューした作家が一年で消えてしまったりするのは、結局、自己満足で書いているからだと思うんですよ。

 この対談中で感じたのが、「この人達は誰一人、読者目線を持ってないな~?」というものでした。これはプロになったら致命傷になりますよ。読者目線が無いと売れる本が書けないからです・・・。


 今回は打ち上げにも参加しました。

 私は酒が弱いので、いつもは進んで打ち上げには参加しないんですが、上京してきた平茂先生や鳴神先生と話す機会は少ないので、多少、話しましたよ。

 受講生の女性の方とも何人か、お話しました。

 ひとり、昔の元カノに目の辺りがそっくりの人がいたので、ビックリして、スッゲ~、“ガン見”しちゃいましたよ~。まさか本人では?と錯覚するくらい似てたので・・・変に思われたかもしれん・・・。

 後半は、隣同士になったSさんとずっと話しました。

 Sさんは専門書を何冊も書かれていて、立場的には私と近いので、何やら、私と同じ感想を持っていたみたいでした。

 結構、厳しいことを言われていましたが、「おっしゃる通り」と言うしかありません。

 結局、プロ作家としてやっていく覚悟の無い人間に新人賞取らせても、一時のヌカ喜びさせるだけに終わってしまうのではないか? それだったら、下手な夢見させるのは罪作りなのかもしれない・・・?

 売れっ子の作家は自分のスタイルというものを確立しています。スタイルが確立できている時点で個性が出ます。

 例えば、時代小説を書いている人が時代劇が好きか?というと、全然、そんなことはありません。

 時代小説の方が新人賞取り易いから選んだだけという人が多いのです。

 時代小説の大家S氏も、もともと現代劇書いていたけど売れなくて、起死回生で時代劇書いたらバカ売れして時代小説しか書かせてもらえなくなった?という都市伝説があります。

 デビューするまでが大変、デビューして売れるまではもっと大変、でも、売れっ子を維持し続ける大変さもありますよね?

 いずれにしても大変なのは同じだということです。

 私の場合、小説家を目指していたのではなく、映画をやりたかった。映画をやるのに一番いいのは何か?と考えた時に、「原作者になること」だと思った訳です。

 小説か漫画、ラノベでベストセラー出せば、映画化の話も出てくるだろうと考えた訳ですね。

 だから、最初っから映像化前提で書きます。登場人物も実在の役者さんが演じているのをイメージしながら書きます。

 あるいはアニメで考えます。

 猫又侍を考えた時は、夜空の満月を背中にマントをなびかせて飛翔している猫顔(猫ヂル風)の侍が、殺到する手裏剣を刀でキンキンキンッと払いながら真っ向唐竹割りに画面に向かって迫ってくる映像が浮かんで、そこからストーリーを考えたんですよ。

 ゆるキャラが凄い武術の遣い手だったら面白いと思いませんか?

 やっぱり、キャラクターはギャップが無いとつまんないと思うんですよね?

 昔飼ってた猫のように、可愛いのに、一瞬で戦闘モードに切り変わるワイルドさが「カッコイイ~。うちの猫、最高!」と痺れましたね。

 だから、カンフー映画とか見ても、私は主人公より乞食の爺さんがカンフーの達人というのに憧れて、「達人になれるなら乞食でもいい」なんて思ったものでした。

 実際、私、見た目と性格のギャップあり過ぎて、「ブキミ」だとか「コワイ」とか言われるんですけどね~。

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おのれの分際をわきまえよう

 アイドルをストーカーして刺した男の事件は、本当にホラー系Vシネマみたいな話でしたが、アイドル乱立の現状からすれば起こるべくして起こった事件という気もします。

 ドルヲタの男の中には現実に誰とも付き合った経験が無くて、アイドルに金をつぎ込むことでライブ会場で握手したりお喋りしたりできることに対して、キャバクラのホステスに入れ込むサラリーマン以上に疑似恋愛妄想に陥る人間がいるんじゃないのかな~?と、前々から思っていたんですがね。

 事件を起こした男は、どう見ても女性にモテる顔ではないし、その上、性格も悪そうです。「僕はブサイクだから相手にしてもらえる筈はない。だからプラトニックな関係だけでいい。それだけで幸せなんだ」と、アイドルの成功と幸せを願うような謙虚な性格だったら良かったんでしょうけどね~。

 人間も生物学的に優秀な遺伝子を求めるものですから、美しさや強さ、頭の良さ、人柄の良さを求めるのが当たり前なんですよね。

 差別は良くないと言っても、わざわざブサイクで弱くてバカで性格の悪い相手を選ぶ人は滅多にいないでしょう?

 そもそも、そんなに完璧な人間なんかいない。

 だから、整形してでも美しい外見になろうとしたり、武道や格闘技に熱中したり、勉強したり、宗教や自己啓発セミナーに入ったりする訳ですよ。

 最も一般的なのが“勉強する”こと。

 その他のことは、あまり効果的ではありません。

 私も、武術というより、武術に関して膨大に勉強したことが役立っているんですよね。

 今も作家として歴史のこととかいろいろ勉強しなきゃいけないからやっているんですが、つくづく人間にとって重要なのは“勉強し続けること”だと思います。

 武道の世界では「バカになれないとダメだ!」なんて言われてきましたが、バカでは一流になれません。

『空手バカ一代』の主人公、大山倍達先生も、実際は非常に理知的で従来の空手界の権威に対抗する直接打撃制の試合方式を提唱して世界的な組織化を果たしました。

 ブルース・リーが欧米でいまだに尊敬され続けているのも、彼の武術理論が思想的に優秀だったからでしょう。

 日本の武道界は、理論や思考、思想をないがしろにして思考停止した“愚直なバカ”を礼讚する気質があったことが足を引っ張っていると思いますよ。

 例のストーカー刺傷事件を起こした男が柔道をやっていたという点。柔道関係者はどう思っているのでしょう?

 本来の柔道は、「精力善用・自他共栄」を旨としていると言われますが、この男は「精力悪用・自己中心」でしかありません。

 このような人間を出してしまったことに対する柔道界からの反省というものがあるのでしょうか?

 類似の事件が前にもありました。

 付き合っている女性の子供を暴行して殺したヤクザの男が元フルコンタクト空手のチャンピオンだったという事件・・・。

 こんな糞馬鹿に武道や格闘技を教えるのはキチガイに刃物を持たせるに等しい。

 教える以上は性格を矯正させる教育が必要でしょうが、果たして、そこまで考えている指導者がいるのかどうか? 私はかなり懐疑的です。

 要は、指導者の人間性に左右される問題で、システムとしての教育過程は存在していないに等しいでしょう。

 じゃあ、どうすればいいのか?

 中学校で武道教育を義務化しようとなった時に、およそ効果が望めない現実に唖然とさせられたものでしたが、まずモデルケースとして、そのような教育システムを実験検証するプロジェクトチームを個別にやっていくのが良いでしょう。

 言い出しっぺだから、私は今後、游心流の中でそういうコンセプトを立ちあげてみようと思います。

 システム化できるかどうかは判りませんが、それができる指導陣を養成できれば不可能ではないでしょう。将来的に・・・。

 まずは、「護身術」に関する点ですね。

 柔道をやっていた巨漢の男でさえ、華奢なアイドルを殺すのにナイフを使ったという点を、よくよく検討しなければなりません。

 普通に武道や格闘技をやっている人間は、自分の学んでいる技をそのまま使おうと考えるのですが、もし、本気で殺すことを考えた場合、意識的にか無意識的にかは不明ですが、確実に殺せる刃物などの武器を準備するということ・・・ここが肝心です。

 普通の武道では対ナイフなどの訓練をしません。なので、対処法を知りません。

 ここが致命的な欠陥であることを自覚しなければなりません。

 日本ではナイフの事件が起こるとナイフを規制する方向へ論点が向かいますが、凶器を遠ざければいいという問題ではなく、事件を起こす者は別の凶器を用意するだけの話なのです。

 現実的に、暴走車が何人もひき殺しても車が規制されることはありません。

 車の事故で一定数の犠牲者が出ていても、社会構造的に車を禁止する訳にはいかないからです。

 で、護身用にナイフを持ち歩けば、それ自体で罪に問われてしまいますから、暴漢のナイフにこちらもナイフで対抗することはできません。

 となれば、日常的に持ち歩ける物を護身用の武器に転用するしかありません。

 カバンは楯になり得ます。ビジネスバッグや革のハンドバッグをナイフで突き抜くのは意外に難しいものです。

 ベルトは鞭のように使えます。ネクタイは相手を後ろ手に捕縛するのに使えます。

 玄関のドアキーは握り込んだ拳から突き出せばパンチを必殺パンチに変えます。ヤクザがデカい指輪をはめているのも同様の理由です。

 革靴やウエスタンブーツ、エンジニアブーツなども蹴りの威力を高めます。ハイヒールは電車内の痴漢撃退に有効です。

 催涙スプレーの代わりにスプレー式の化粧品なども目に直接噴射すれば一時的な目潰し効果が望めます。

 ただし、中途半端な攻撃は過激な反撃を食らう危険性もあります。やるなら瞬間的に急所(目玉・金玉)を狙って潰すつもりでやらねばなりません。

 そして、ダッシュで逃げながら周囲に助けを求めるか警察を呼ぶ。

 仮にやり過ぎて殺してしまったとしたら、“必死で抵抗しただけで何も覚えていない”と力説する。あくまでも被害を受けて正当防衛をしただけである点を主張しなければなりませんし、事実、そのように振る舞う必要があります。

 後、護身術で重要なのは、諦めないこと!

 相手が武道や格闘技の使い手であろうが、複数であろうが、武装していようが、冷静に状況を分析すれば必ず付け入る隙があります!

 例えば、武道や格闘技というのは戦い方が固定していますから、まったく違う戦い方をすれば対応できなくなる欠点があります。

 格闘競技には向かない合気道や中国武術が、護身術では意外に優秀であるという事実も特筆しておきましょう。

 自分が素手で武器を持っている敵と戦わねばならない時はどうするか? 敵の武器を奪って使えばいいのです。

 そのためには日頃からいろんな武器の使い方を知っておく必要がありますが。

 どうしても自分が戦えない場合。この場合は戦う能力のある人に護ってもらうしかありません。

 ストーカー被害に悩まされている女性は、武道や格闘技の道場やジムに通って、人柄のいい人を選んで付き合うことをお勧めします・・・。

 以上、御参考になれば幸いです・・・。


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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