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アルミって硬って~?

 会員の抜刀訓練用にと思って、三尺三分くらいの長寸の居合訓練刀を自作しようと思って、町田の東急ハンズでアルミの1mの平板を買ってきていたんですが、毎晩、金ヤスリでガシガシと削って切っ先や刃側の形を成型したり、柄に納まる茎(なかご)を削り出したりしていたんですが、錆び錆びの透かし鍔や美術刀の柄を嵌めて、ハバキは真剣の短刀に付いていた木製のハバキを流用することにして、これに銅テープを貼って“銅着せ”?のハバキにしました。

 実際のハバキは白銀師という専門職人が居て、銅や真鍮、銀で作ったりするんですけど、薄い金の板で包む“金着せ”という技術があるんですね? それで真似てみた訳です。

 鞘用の板材も買ってきたんですが、90cmまでのしかなかったので、ちょっと、切っ先がはみ出てしまいます。この部分は鐺でもあるから硬い材質のものを繋ごうかと思います。

 茎の部分が9cmと短くなってしまったので、振った時に強度的に大丈夫かな?とは思ったんですが、アルミで軽いから問題なさそうでした。

 もっとも、個人指導している会員さんに持たせたら、「うわっ、重いですね~? 僕の持ってる居合刀より重いですよ」と言うので、あれっ、そうなのかな?と思いましたが、やっぱり三尺越えた刀だと真剣だったら2kg以上になったりするし、アルミでも定寸の居合刀よりは重いのかな~?と思いました。

 過日、セミナーに参加された古武術を学ばれている方から三尺三寸の居合刀を抜かせてもらったんですが、非常に軽く感じました。

 刀身の材質と刀の重心バランスの問題でもあるんでしょうね?

 実は、この方といろいろ話していて、居合術の原点は大太刀抜刀だよな~?と直感したんで、自分でも練習して会員にも練習させたいと思った訳です。

 三尺二寸一分の真剣も持ってはいますが、これは重過ぎて稽古に使うのは無理。私の個人的練習にしか使えません。

 会員にやらせたら鞘を割るか怪我するかのどっちかでしょうし、鞘を作り直さないと、ちょっと使えません。

 で、三尺越えの模擬刀を買おうか?と思ったんですが、10万~20万くらいしちゃうんですよ。

 そんな時に東急ハンズで見て回っている時に、自分でも作れるんじゃないかな~?と思った訳です。

 折しも、『唖侍・鬼一法眼』が始まり、若山先生の三尺の長剣居合を見て、益々、その気になりました。

 やっぱ、刀は長いのが映えますよ!

 鞘無しの状態で、ほびっと村の講座にも持っていきましたよ。

「後は茎に穴開けたら完成だよ」って言っておいたんですが・・・(ガ~~~~ン)。

 翌日、個人指導の前に道場でドリルで穴あけようとしたんですが・・・さっ、刺さらん?

 以前は問題なく貫通していたドリルが全然刺さらないんですよ?

 少し丸く削れるけど、それ以上、いきません・・・。

 ドリル刃がへたってるのかもしれんと思って、“ステンレスも削れる驚異の切削力”と書かれている千円越えのドリルビットを買ってきて最挑戦したんですが、やっぱり無理。

 ステンレスより頑丈なアルミって・・・?

 これはもう大工仕事用のドリルじゃなくて工業工作用の機械でないと無理っぽいな~?と思いました。

 それにしても、金ヤスリで削ってる時も尋常じゃなく硬いな~?とは思っていたんですが、まさか、電動ドリルも通さないとは・・・?

 成分は、アルミニウムにマグネシウムも混ざってるようですが、そのせいで超合金化したんでしょうか?

 まあ、頑丈な方が練習に使うにはいいんですけどね~?

「まっ、先に鞘とか作っておくか~?」と、鞘作っておりますが、木材は加工が楽で助かりますわ~・・・。

(数日後、完成! まだ目釘穴開けてないけど・・・)

 しっかし・・・原稿書かんで、こんなことしてるのを見つかったら、怒られるかな?

 大体、TV見ながら、本読みながら、細工しながら、原稿書いたりしております。

 今回も、キマイラの最新刊が出てたのを買って読みながらでした。

 何と、物語の始まる前、久鬼麗一と九十九三蔵が出会う話になっていて、「おいおい、今更過去に戻ってどうすんじゃい?」と突っ込みを入れてしまったんですが、流石は夢枕獏!

 何のストレスもなくサクサクサクッと読めました。

 途中、完全に少年格闘物になったりして、空手部を仕切ってる連中が黒・青・赤・白・黄の姓だったりして、「おいおい、それじゃゴレンジャーみたいだろ?」って、再び突っ込みを入れてみたり、“試し掛け”って自由組手が出てきて、「おいおい、それを言うなら“掛け試し”だよ?」って、またまたまた、突っ込みを入れたりしながら、でも、面白いんですよ~。

 でも、「流石に合宿で金玉潰れたのを寝かせてるだけじゃダメでしょう? ちゃんと病院に運びましょうよ~」・・・とか、随所に出てくるリアリティーを無視した豪快な展開は「昭和だな~?」と思いましたね。

 知ってる人はもう少ないと思いますが、キマイラシリーズの原点、『幻獣少年キマイラ』は、80年くらいに書かれた作品で、作品世界ではまだ一年も経過していないんじゃないかな~?と思うんですよ。

 当時は携帯もスマホも無いし、インターネットも無い。

 ここまで長期シリーズになるとは獏さんも思っていなかったでしょうし、辻褄合わせるのが大変だと思いますよ。

 だけど、シリーズ完結も近いらしいし、待望の映像化も期待したいですね~。

 個人的には塚本晋也監督がいいのでは?と思いますが、いかがでしょう?

 アクションは谷垣健治監督で・・・。

 武芸考証は私、やりますよぉ~(笑)。神秘学とかも詳しいよぉ~。

 いやいや、実写よりも、まずはアニメ化がいいかな?

 キマイラシリーズが、やっぱり獏さんの最高傑作だと思うし、大鳳、久鬼、九十九といった少年たちと、真壁雲斎、宇名月典膳といった爺さん、そして何といっても龍王院弘ですよ。

 主要キャラがことごとく武術の遣い手というのがいいじゃないですか?

『寄生獣』が映像化されたんだから、キマイラもできるでしょう?

 刃牙もアニメ新シリーズが放送されるそうだし、ブリーチも実写映画化されるんでしょう?

 キマイラも是非!


追伸;ドリルに付いてる安全装置だと思っていたボタンが、実は回転数の切り替えスイッチだったことが判明! ハイサイクルにしてみたら、何とか穴を穿つことに成功しましたよっ! 鞘も延長部分にエポキシパテ盛って成型し、金色の装飾テープ貼って、鯉口近くは割れる可能性があるので三角ヤスリで溝刻んで針金巻いて、映画の小道具用に買った牛革貼り、栗形は紫檀を削って作りました。塗りは黒の漆塗料を節約するために閃いてマジックインキでベタ塗りした上に、クリアーの漆塗料に金・銀・レインボーカラーの粉を混ぜたものをハケで塗ってみました。これは光を当てると金・銀・黄・緑・青・赤のツブツブが点滅してるみたいで綺麗なんですよ。目釘で柄を固定した刀を納めると、稽古用に適当に作ったとは思えない出来になりましたよ~。柄材は安い美術刀のプラ製ながら柄糸は革巻きですからね。いや、今回は随分、安く作れました~。ついでに試作ナイフにもドリルで穴を三箇所穿ち、後は鉄工ヤスリで地道にギシギシギシギシギシギシ・・・と削りながら人差し指の第二関節まで入るくらいまで円く穴を広げていきました。これは、人差し指でクルクルクルッと回せるようにするためなんですが、カランビットナイフにヒントを得てやってみた訳です。ナイフを逆手持ちで使うのに腕の裏側に隠し持つのをクルッと回して逆手持ちにするのに役立つんですね。ちなみに、この試作ナイフは非対象の両刃なんで、押しても引いても切れるんですよね。拳法術のキモ先生に習ったナイフ術に向いた形で工夫しました。シャシュカの折れた切っ先で作ったとは、ちょっと見ても判らない?

追伸2;ドリルがちゃんと使えることが判ったので、いろいろ護身用具を試作してみようか?と思ってます。昔、武道医学のパリッシュ先生から見せてもらった古流に伝わる秘武器(中国風にいうと暗器)もアルミ板から削り出して作れそうだな~?と思って、早速、東急ハンズで厚さ5mmと3mm(2枚)のアルミ板を買ってきました。5mmの板で暗器が四つは削り出せそうです。3mmの方は「これで子母鴛鴦鉞を自作してみようかな~?」と思いついて買いましたよ。でも切り出して金ヤスリで成型するのは相当、骨が折れそうです。ヒマと気力が余ってる時に挑戦してみようかな~?と・・・。


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新年会

 いつもは忘年会だけしかやらなかったんですが、「東京支部の新年会を小塚師範宅でやらない?」と言っていたら、何だか、游心流全体の新年会だと思われたのか? 少々、大掛かりになってしまいました。

 私は、小塚師範の飼ってる三毛猫のカヅコに会いたかっただけなんですけどね。

 支部長は、東京橋本横浜幸手に大阪まで揃って、そこに体道塾の仁平師範に常連会員、女性会員も三名?と、結構な人数になりました。

 で、猫ちゃんはビックリしたみたいで、終始、落ちつきなく目玉を真ん丸にしてあっちに行ったり、こっちに行ったりしていてあんまり遊べなかったですね~(グッスン)。

 料理上手な小塚師範の自宅ではいつも小料理屋状態・・・実際に看板猫つきの小料理屋(深夜食堂?)を開業した方が儲かるのではないか?と、皆で話しているくらいです。

 私は完成直前の刃渡り三尺超えの長尺居合稽古用刀を持っていって披露しました。

 今回はアルミ材削って刀身まで作ってますからね。もう、ほとんど職人化しつつあります。その後は、無事、ドリルで穴穿って目釘もつけたし・・・。

 剣武天真流にも通っているK中さんは、流石にちゃんと抜き納めできましたが、他の会員でできる人は何人いることか? 普通の居合道をやっている人だと、この長さはまず抜けません。大体、普通の居合の抜き方だと二尺七寸くらいになると抜けない。

 抜き方が違うからですが、黒田鉄山先生のところの抜き方だと長尺刀でも抜けると思います。私は黒田先生の初の講習会を受講した時の収穫が大きかったですね~(この時の様子を映したビデオには私も映ってるそうでした)。原理がわかれば流派の別は関係なくなると思います。

 コツとしては半身を切ることですかね? まあ、稽古用に作ったので、初めはできなくとも構いませんがね。長尺刀が抜ければ定寸刀(二尺三~四寸)が脇差抜くみたいに簡単に抜けるようになりますよ。

 ちなみにK中さんは、「先生、僕が下手だったら破門するつもりだったんですか~?」と言うので、「まあ、上手だったから、いいよ」と、天真会での演武を誉めておきましたよ。

 仁平師範は少し仕事に余裕ができるらしく、「先生、この道場に行けってところがあれば言ってください!」と、道場破り宣言・・・?

 何やら、インチキ臭かったり自惚れたことをほざく自称武術家連中に憤りを感じている様子・・・。

「やめときなさい。君が行ったら、弱い者イジメにしかならないから」と、止めておきましたけど、「あっ? 甲野さんのところだけは行ってもいいよ」と。これ以上、日本武術に泥を塗るような恥ずかしい真似をさせてはいけませんからね?

 いや、しかし・・・確かに若手(でもないか?)の武術家を名乗ってる人達は自惚れの度が過ぎて言葉は丁寧だけれども、その実、気持ちが悪いくらい自己愛に凝り固まってる人間が増えてきているような感じがしてなりません。

 私は“甲野病”と呼んでいます。

 不当に他流を蔑んだり、他者の権威を利用して売名に励んだりする品性下劣さを言葉巧みに隠す病気です。

 一種のナルチシズムですね。

 甲野善紀氏と仲良くしてると感染してしまうんですよ。

 私は疑問感じて離れたから感染しないで済みましたけど・・・例えば、宇城氏なんて、もろに甲野病に感染してしまいましたよね~?

 結構、感染してる人が多いんじゃないかな~?

 これに感染すると、嘘を嘘で塗り固めて屁理屈をこねまくるようになり、最後は現実認識ができなくなって自分の頭の中の世界観に浸ってしまうようになりますから、歪な精神構造になって後戻りできなくなります。

 用心しましょう・・・。

 さて、わざわざ大阪から駆けつけてくれたキヨタキ大阪支部長(游心流二段)は、早速、三月から始める稽古会の概要を報告してくれました。

 大阪名古屋にもイサミ(武道・格闘技具の専門店)さんがあるそうで、そこで格闘技歴のある店長さんと仲良くなって、ミットを使って発勁を打ってみせたところ、非常に驚かれて「是非、やってみたい」と言われたとのことで、早くも大阪支部は会員が増えていきそうな塩梅です。

 やっぱり打拳距離0で数十から百kgの人間を数m弾き飛ばすような威力が出せるというのは、“一般の武道や格闘技の概念にはありません”から、初めて受けたら、そりゃあ驚かれますよね?

 イサミさんに勤務されている人達は、ちょっと齧りました程度の人達ではなく、本格的に格闘技を練習されている人ばかりなので、未知の技術に素直に関心を持ってくださったのではないでしょうかね? 有り難いですね~。

 昔、大阪でセミナーやった時は、結構、皆さん、ノリが良くて喜んでくれたな~?と、懐かしく思い出しましたよ。

 関西の人はあったかいですよね。関東は良く言えばクールですが、悪く言えば、スカしたヤツが多くて、厭味な印象を受けることが少なくありません。九州人の私は、関西の人のほうが好きですね~。本音で話せる感じがする。

 そういえば、大阪セミナーの時、宇城氏の直弟子の方が参加されていて焦りましたけど、飲み会で“変わっていく師匠への哀しさ”を訴えておられたのが本当に気の毒でした。

 なんでも、宇城氏に甲野氏を引き合わせたのがその方だったのだそうで、非常に後悔されていましたね? 影響されてしまった・・・と。

 その後、その方も結局、宇城氏から離れて「宇城氏以上の弟子を育てる!」と宣言されていましたが、大阪は男気のある人が多いと思いました。随分、長く会っていませんが、きっと頑張ってお弟子さんを育てられていることと思います! 応援してますよ!

 ただ、あまりにも宇城氏を過大評価して他の流儀の優れた人達に目を向けないのでは、もったいないと思いますね?

 どこの流派団体にも優れた遣い手は必ずいますから!

 例えば、私は発勁の威力には絶対的な自信を持っていますが、それは自分が優れているというのではなく、“発勁という技撃法のメカニズム自体が優秀である”という認識であり、私が教えれば誰でも私と同程度かそれ以上に遣えるようになると確信しています。

 そういえば、ポーランドの武術研究家ヤヌシュ先生一行と技術交流した時、私が八極拳式発勁(冲捶=中段突き)で、キックミット持った横浜支部長が吹っ飛んだ時は、隣で練習していた空手の人達が唖然として見ていた?と、後から会員から聞きましたけど、0距離打撃の威力には驚かれるでしょうね?

 新年会後に兵庫支部長から電話があった時に、両手で胸をド~ンと押してきた人に対して、(そうだっ? 抖勁で跳ね返してみよう!)と思って、押された箇所から発勁して打ち返してみたそうなんですが、相手はウギャッと言って崩れ落ちてしまったそうで、何と、ギックリ腰になってしまったのだそうでした。

 多分、脚で踏ん張っていたので威力が中間点の腰椎に作用してしまったのでしょう。

 後ろに素直に吹っ飛ばされていた方が被害は無かったんでしょうけどね?

 やっぱり、0距離打撃は恐ろしい技だと思いますよ。要するに、中国武術の暗勁と同じなので、ポンッと打ったようにしか見えないのに甚大なダメージを与えてしまえますからね。最新DVDの『0距離打撃戦闘法』が高山本店さんに卸している分の売れ行きがえらい早いんですが、中国武術ファンが密かに買ってるのかもしれません。

 だけど、何度でも繰り返しますが、本当に危険なんで、絶対、人を打って試したりしないでくださいね? 武術は飽くまでも「護身術」なんですから!


・・・新年会やってみて、今、游心流に集まってくれている人間の善良さ、嘘の無さ、好きな武道に打ち込む一途さ・・・そういった純情一途さというのは、現代では死滅しかかっているものなのかもしれませんが、人間は本気で愛する時は、損得感情なんか捨てて、真っすぐ向かうものなんだと思います。

 うちの会には他流経験者がたくさんいますけれど、それまで学んだことを無価値だと思ってもらいたくありません。

 極真空手、芦原空手、円心空手、新体道、合気会、気の研、空手協会、講道館柔道、剣道、居合道、杖道、日本拳法、少林寺拳法、不動禅少林寺拳法、詠春拳、ジークンドー、クラブマガ、システマ、剛柔流、大東流、八光流・・・等々、どんな流儀でも、先人が命をかけて生み出し、誇りをかけて護り伝えてきたものですよ!

 それにプラスして、游心流で学んだことに誇りを持ってもらえるように、今後も研鑽を怠らないようにしなければ・・・と、改めて思いました。

 作家が主体になっても、私は生涯、武術という文化の研究家であることに誇りを持っていきたいですね。

 それがたとえ、人を殺傷する技術であったとしても、根本に“命を護る”という目的がある限り、伝承していく価値はあると思っています・・・。

 そうですね~?

 今年の目標としては、取り敢えず、“強い弱い”という価値判断ではなく、「“命を護る”というのが武の道なのだ」という価値観を広めたいですね?

 暴力で他人を従わせるのではなく、いかなる暴力にも屈服することなく孤高を護り、それゆえに他者を尊重する・・・という真の意味に於ける“唯我独尊”。そのためにこそ武術修行は価値があると主張したいものです。

 そのためには、自分がそういう心掛けで生きていかないといけないよな~?と思いますね。

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松方弘樹さん逝去

 また、昭和の名優が亡くなりましたね~。

 松方さんは脳リンパ種を患ってから、約一年・・・早過ぎますよ。

 70歳を過ぎてもお元気で、殺陣の腕前もいささかも衰えるところがなく、凄い俳優さんだな~?と感銘を受けていたので、本当に残念です。

 松方さんのお父さんは戦前派の殺陣の名手として有名な近衛十四郎さんで、映画では柳生十兵衛役を当たり役にされていて、TV時代劇では『素浪人花山大吉』などが知られていました。

 松方さんは父親である近衛さんの十兵衛シリーズに出演していましたが、『伊賀の影丸』や『怪竜大決戦』での忍者役や、市川雷蔵さんの後を受けて眠狂四郎をやったり、遠山の金さんや大江戸捜査網の主演もつとめたり、『徳川三国史』で松平伊豆守信綱をやったり、時代劇スペシャル『雲霧仁左衛門』で仁左衛門も、そのライバル安倍式部も演じていました。

 もちろん、有名な『仁義なき戦い』以降はVシネ系ヤクザ映画にも多数出演されていましたが、私はやっぱり時代劇のヒーローを演じる役者さんというイメージの方が強い。

 お父さんの当たり役、柳生十兵衛を演じた一連の時代劇スペシャルや、晩年の主演作になってしまった『柳生十兵衛世直し旅』や、リメイク版『十三人の刺客』では時代劇役者としての格の違いを見せつけていました。

 また、榎木孝明さんが主演した『密命・寒月霞み斬り』ではライバル役を鬼気迫る熱演で表現していました。

 映画版の『柳生一族の陰謀』では顔に痣のある吃音症の徳川家光を演じて千葉ちゃんの十兵衛に首チョンパされていましたが、TV時代劇スペシャル版では柳生但馬守宗矩を演じられていました。

 時代劇スペシャルといえば、テレ東の新春長編時代劇『柳生武芸帳』では、疋田陰流の山田浮月斎を怪演して、高橋英樹さん演じる柳生但馬守宗矩との対決シーンもあり、『ドラゴンキングダム』に於けるジャッキー・チェンVSジェット・リーを彷彿させました。

 Vシネの『影の軍団』や『闇の軍団』では猿飛佐助役でしたが、千葉ちゃんとの友情出演に近かったのでしょう。

 千葉ちゃん主演の『ドーベルマン刑事』では元ヤクザの芸能プロデューサーを演じていましたが、ほれ込んだ歌手のために手段を選ばない屈折した男の純情は泣けます。

 そういえば、ワイドショーで代表作を『柳生一族の陰謀』と紹介されていたんですけど、前述したように主演作ではなく、むしろ『真田幸村の謀略』だよな~?と思いましたね。

 殺陣はお父さんに習った訳ではないそうでしたが、お父さんそっくりで、斬った後に、くいっと手首を捩って刀を立てるところは明らかに真似されたんだろうと思います。

 実際、弟の目黒裕樹さんもそっくりだし・・・。

 まだまだ、長生きして欲しかったですね~。本当に残念無念です・・・。

 合掌!


追伸;黒木メイサ主演の『花嵐の剣士』だったか?をBSプレミアムで見ました。黒木メイサは目茶目茶、カッコイイ! ちとワイヤー使い過ぎか?とは思いましたが、殺陣も非常に工夫されていて面白かったです。法神流って伝承しているんですね~? 幕末の実在した女剣士の話・・・連続ドラマで見たいものです・・・。

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ほびっと村感想

 今年、しょっぱなのほびっと村の講座は游心流合気道の初披露となりました!

 つまり、游心流武術の考え方を組み込んだ合気道ということですね?

 ちょうど、0インチ打撃法を幹部クラス全員体得してしまって、危険過ぎて迂闊に打てなくなってしまったので、崩して制圧する合気道の技術体系と、殺伐としない技の掛け合いが中心の稽古法がピッタリだと思ったんですよ。

 そもそも、合気道が現在の練習体系になったのは、怪我人が続出して“地獄道場”という異名をとるほどだったので、普及するために安全に技を掛け合えるように工夫した結果だということなんですね。

 創始者である植芝盛平翁も、最初は大東流柔術と名乗った時期もあり、後に相生流と名乗ったり、九鬼神伝流との関連も匂わせたり、実は結構、紆余曲折しておりまして、合気道に落ち着くまでは色々とあった様子です。

 巷間に知られるように、大東流を武田惣角に習った後に大本教に入信してから独自の悟りを得て合気道と名乗った・・・というような単純なものではなかったようです。

 それと、本当に危険な技は、お互いが弁えて安全に気を配りながら注意して練習しないと体得できませんし、そういう練習ができるのが合気道の素晴らしいところだと思うんですね?

 もっとも、私自身は合気道を実際に体験したのは一時間半しかない訳で、そんな人間が合気道を名乗ったり教えたりしていいのか?って疑問の声があると思います。

 いいんです!

 游心流の中の合気道なんですから、部外者にとやかく言われる筋合いじゃありません!

 ただし、専任師範は私以外から選ぶつもりでいます。

 順当なのは東京支部長の小塚師範なんですが、「大学の部活でやっていただけの人間がおこがましいですよ~」と遠慮しているので、まだ正式には決めていません。

 他にも修行歴が10年の人と20年の人もいて、その他にも数人いるので、やってるうちに自然に決まるだろう?と思って、今は焦っていません。

 何よりも、技の研究するのが楽しくってしょうがないんですよ。

 横浜支部長の栗原師範も、「(うちは)こんなに楽しいのに、何で、皆、興味持ってくれないんですかね~?」と首ひねっていました。

 私も不思議です。

 游心流合気道も各派の合気武術を研究した私の集大成としたいと思っています。

 従来の合気道では裏技扱いになっている当て身も多用しますし、剣の理合との融合、対武器などを流派の特色にしようと思っています。

 要するに、私が触れて示唆を受けて脳内で理想化された合気道を具現化したい!という欲求が生じたんですね。

 これは、やっぱり新体道と佐原先生の合気道を取材させてもらったからだと思います。

 御承知の方は少ないと思いますが、ザックリ言って、新体道は空手をベースにして合気武術の理合で構築されていると言っても間違いにはならないでしょう。特に、養気体の技は空手とは別物です。

 以前、武術研究の先輩Nさんから、「長野さんの技は中国武術の技を日本武術の理合で使っているね~」と言われたことがありましたが、そう言われて、あ~、なるほど、そう言われたらそうだよな~?と思ったものでした。

 読みも交叉法も剣(居合)術の理合なんですよ。

 それを応用して中国武術の使用法を工夫したのが北区赤羽にあった大日本講武會の櫻公路一顱先生。

 縁あって学べた理合を以ていろいろな流儀の達人を観察して回った結果、「私のような素質も才能も無い人間でもできるかも?」と直感して研究して、もう四半世紀も経過しますよ。

 中でも、日本武術の特質とも言えるのが合気道の中に受け継がれているような気がしますね。

 それが、力を捨てる・闘争心を捨てるということで、捨ててしまって0になることで個人の力ではなく自然と調和した力を駆使することができる!

 合気って、そういうことだと思います。

 我を捨てて、流れに身を委ねる。

 身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり・・・なんですよ。

 個人指導の時に合気道三段のIさんに教えていて、彼が「正直言って、まだ筋力が必要なんじゃないか?と先生を疑う気持ちがあるかもしれません・・・」と言ったんですが、なるほど、彼がさっぱり伸びなかった理由が判明したと思いました。

 要するに、捨てられないんですよ。だから、体得できない。

 手に荷物持っていたらダイヤモンドが落ちていても掴めないですよね?

 気持ちが固まっていたら身体は思うように動いてくれません。気持ちを楽にしていたら、相手が殴ってくるのも先に解ってひょいひょい避けられます。

 何事も、上手な人というのはリラックスして余裕があります。

 下手な人は、緊張して身体が固まり、視線が一点に固定しています。

 私が脱力が大切だというのは、根本の問題なんです。

 気持ちと身体は一体なんです。

 だから、どちらかをコントロールできれば心身はコントロールできるんですよ。

 それから、私に習いに来る人は、未だに「游心流は広まってもらいたくありません。自分たちだけのものにしていたい」と言う人がいるんですが、こういう姑息な性根でいると技も体得できないんですよね。

 要するに、劣等感があるから優越感に浸りたくて武術に依頼心を持ってしまう。

 現実逃避です。

 武術ができても偉くも何ともありません。

 私は作家として成功したいとは思いますが、生涯、武術家なんて名乗りたくありませんよ。

 名乗ってる人達は優越意識があるんでしょうが、武術家という肩書は一般人にとってはヤクザの親類くらいにしか思われませんし、少なくとも知性的な人間とは思ってもらえません。

 実際、非常に知的水準の低い人が多い(マニアックな知識はあっても、一般常識的な知識が欠落している)のが現実です。

 私の場合、武術は護身のため。そして修行は娯楽。楽しいから練習する。それだけ!

 生活の糧を得るのは売文業に徹したいですよね。数年のうちに作家として生活を確立させようと思っていますから、毎月、資料本に何万円も費やして勉強しています。お陰で貯金はまったくたまりません。

 でも、これは稽古をするより遥かに重要なことです。

 誰もが誤解していますが、武術とは身体運動よりも脳機能のトレーニングなのです。知識を蓄え、知恵を磨き、論理的戦略思考を発達させなければ意味がありません。

 実際に自分の五体を駆使して戦わねばならないのは下策なんですよ。

「戦わずして勝つ!」というのは、知恵を使え!という意味なんですよ。無論、上級者同士の立ち合いでは“位(くらい)勝ち”というものがありますが・・・。

 だから、「武術は馬鹿には体得できない」と言われているのです。

 ただし、文化としての武術の研究は、私に課せられた天命だと思っています。だからこそ、武術を利用して文化人の真似事みたいなことはしたくないんですよ。

 それは天に唾する行為だと思っています。

 そんな連中、ざらにいますからね~。同類と思われたくありませんよ。

「猛練習することを意味がないと言うんですか?」と、最近もよく聞かれます。

 猛練習することの意味を考えてやるのなら、ある程度の意味や効果はありますが、無心にやればそれでいいと思っているのなら大間違いです。

 答えが知りたい人も多いでしょうから、解説しておくと、猛練習というのはランニングハイのような動的瞑想法による変性意識状態に脳の状態を導くための一つの手段です。

 一つの手段と言うからには、他の方法もいくつもある訳で、効率を考えると、それほど賢いやり方ではありません。過剰な肉体鍛練による傷害の心配もあります。

 瞑想法の類いも問題が無いとは言えません。瞑想修行で廃人同然となってしまった人の話は、精神世界方面ではざらに聞きますし、私も何人も実見しています。

 原因は、神経伝達物質の過剰分泌による現実感覚の喪失だろうと考えられます。

「身体に良いものは沢山とればいい」と考えるのは阿呆です。何事も適正量というものがあるのです。薬を大量に飲めば毒になるでしょう? 何故、それを考えない? 馬鹿過ぎますよ!

 神経伝達物質であるドーパミン、エンドルフィン、セロトニン、ノルアドレナリン・・・等は適正な分泌量でなくては心身に悪影響を与えてしまう・・・という基本認識が欠落している人もいますね~。しかも、現役医師免許持っている人が・・・(気が狂ってる)。

 神経伝達物質は麻薬や覚醒剤より遥かに強力な幻覚作用をもたらすと言われており、昔、『脳内革命』という本が流行りましたが、最近も類似の本が出版されたりしているようです。

 はっきり言って、天然シャブ中患者を増やすだけだと思いますね。

 瞑想法を教える団体で、このような失敗した人を出していない団体は、恐らく皆無でしょう。

 私は具体的に名前を挙げられますが、敢えて書かずにおきましょう。

 私のところでさえ、気功の研究をしている連中が言動がおかしくなって、結果的に破門にせざるを得ませんでした。

 私の指示を無視するようになったからです。これでは治るものも治りません。

 一人、関係妄想の症状を訴えてきた会員の時は、「それは精神疾患の症状だから、しかるべき治療を受けなさい」と指示して従ってくれたので大丈夫でしたが・・・。

 何事も“中庸”が大切なのです。

 気持ち良ければそれが正しいことなのだと結論付ける・・・それは自己催眠に陥って思考停止しているだけなのです。

 世の中に溢れるマルチビジネスの類いは、そうやって信者を増やしていくのです。

「プラスイメージを持ちなさい」って、誰もが自分にとって都合の良いプラスイメージでしか考えなくなったら、世の中はメチャクチャになってしまいますよ。利己主義者を増産し続けているのが自己啓発セミナー系の阿呆システムなんですよ。

 ずる賢い詐欺師が愚か者を量産して金を吸い上げるために考え出したものです。

 お金というのは、生活を支える大切なものであり、だから働いて賃金を得ることが生活の核になっている訳ですね。

 よく、「健康は金に代えられないでしょう?」と言って法外な治療費を要求するクソ療法家?がいますが、彼らの正体は拝金主義者なんですよ。病気に苦しんでいる人を洗脳して金を絞り取ってしまうのでは、たとえ病気が治っても、借金苦で自殺するハメにならないとも限りません。

 病気治しを謡い文句にする霊能者とか新興宗教なんかも同様です!

 健全な批判精神というものは社会性ある大人にとって必須のものです。

 問題点をきちんと認識し、それを解決していくこと無しに未来は無いのです!

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時代劇は死なず

 年末年始は時代劇のスペシャルがあるのが恒例でしたが、今年はついにTV東京もやらずに、NHKの居眠り磐音のスペシャルくらいでした。

 私は作家として時代小説に関わっているので、映像化される時代劇を書くことに拘りがあります。

 やっぱり水戸黄門が終わったのが大きな変わり目になったんでしょうね?

 小説の世界では時代小説は安定して売れていると言われていましたが、ここ最近、ガクッと落ちてきている様子です。

 高齢の読者しか想定していないのだから、ある時期を越えたら売れなくなるのは当然だろうと私は何年も前から言っていました。

 何しろ、対象年齢を60歳と想定しているものの、実際に時代小説を好んで読む層は70過ぎてるでしょう。

 そうすると、もう老眼が酷くて文字の小さな文庫とか読まなくなりますよ。

 さくさく読めて映像が浮かび、映画やドラマを見ているような錯覚を覚える作品・・・そういうものを書かないと売れないんじゃないかな~?と私は思っています。

 文章を読むことがストレスになるような作品は売れないだろう?とも思います。

 実際、売れてる作家の作品は読んでいても疲れません。さくさくっと読めます。

 これは映像作品も同じで、テンポよく進んでくれないと疲れてしまいます。

 その点、昔の時代劇映画やドラマは展開に緩急があって疲れないで見れます。

『鬼平犯科帳』が根強い人気作品になったのも、そこに理由があったと思いますが、やっぱり中村吉右衛門が主演だという点が大きかったのだろうと思いますね。

 吉右衛門さんは男の色気が有りますよね~。だから、女性ファンが多かった。

『斬り捨て御免!』の時はまだ若かったから若干のいやらしさに繋がってしまっていたけれど、鬼平になると理想のリーダーという印象がありました。

 ついに終わってしまったものの、何と、鬼平のアニメが始まってビックリ!

 アニメ風の演出をするのか?と思っていたら、実に正攻法で作られていて、絵も綺麗だし素晴らしかったですね~。これなら従来の鬼平ファンも喜ぶのでは?

 時代劇にしろアニメにしろ、世界中で日本がダントツで誇れる分野ですからね。

 昔は特撮映画も日本が抜きん出ていましたが、『スターウォーズ』と『未知との遭遇』で引き離されてしまいました。

 栗原師範が東宝の『惑星大戦争』を見て、「あまりのチャチさに驚きました」と言っていましたが、『スターウォーズ』に対抗するために急遽撮られたこの作品、特撮は予算で決まるという法則を見せつけていましたね。

 この時期は東映も『宇宙からのメッセージ』を撮ったりしていましたが、同様の低評価が多かったですね。

 イタリアかな? 『スタークラッシュ』という作品も似た感じなんですね。

 人形アニメーションを駆使した巨大女神ロボ(多分、『アルゴ探検隊の大冒険』の青銅の魔人タロスを真似てる)や、等身大衛兵ロボが出てくるんですが、造形も適当だしアニメートスキルが低くて非常に雑。レイ・ハリーハウゼンの偉大さが自ずと痛感されます。

 せめて、デビッド・アレンとかジム・ダンフォースとか雇う金はなかったのか?

 主演のキャロライン・マンローがボンデージ服着てるところは『惑星大戦争』の浅野ゆう子と同じ。SFのヒロインは、『バーバレラ』のジェーン・フォンダの影響下にあるのでしょうか?・・・っつうか、寺沢武市の作品もそうだけど・・・。

 意味不明でリアリティ無視なんだけど、美女がちょいエロの格好をするというのも、娯楽作品の王道? 私も時代小説書く時は「やっぱ、セクシーくノ一出さんといかんよな~?」と思ってしまいますから・・・。

 何か、ロジャー・コーマンみたいなこと書いてますが・・・。


 私は時代劇専門チャンネル見る率が高いんですけど、『唖侍・鬼一法眼』を久々に放送していて見直しているんですけど、若山先生の武術スキルはやっぱり凄いですよ。

 鬼一法眼は口が利けない設定なので、必然的に異常なまでのハードボイルド風になります。これはもうマカロニウエスタンの世界ですよ。

 実際に海外ロケする予定もあったらしいですね?

 三尺の長刀を居合抜きにするシーンとか、殺陣の見事さは惚れ惚れしますよ。

 雨宮慶太監督の『ゼイラム』は、鬼一法眼がモデルなんじゃないかな~?と私は思っていて、『セーラー服忍者』で丸目蔵人佐演じた時は意識していたんですが・・・(近日、DVD化予定)。

 実弟カツシンも協力して勝新が監督した回もありますし、若山先生が監督した回もあります。

 音楽もシタールとか使っていて実に渋い!

 私なりに殺陣の好きな俳優さんを挙げますと、若山富三郎先生、大山勝巳、滝田栄、長門勇、田村正和、夏八木勲、勝新太郎、萬屋錦之助、高橋英樹、杉良太郎、仲代達矢、千葉真一、真田広之、松平健、緒形拳、藤岡弘、、北大路欣也、里見浩太朗、松方弘樹、西村晃・・・etcとなります。

 無論、坂東妻三郎や近衛十四郎、月形竜之助、嵐寛十郎もいいな~と思いますね。

 女優さんだと松山容子、松坂慶子、由美かおる、志穂美悦子、それからジュディ・オングさんですね~。

 先日、BSプレミアムで殺陣の特集をされていて高橋英樹さんも即興で立ち回りを実演していましたが、そこに殺陣の解説で呼ばれていたのがウルトラマンレオのスーツアクターも勤めていた二家本辰巳さん。

 松田優作さんに気に入られていたという話も聞きますが、やっぱり人柄の良さがお顔に出てますよね?

 昔は殺陣師というと影の人というイメージがありましたが、最近は注目度が上がっていますよね?

 香港アクションやハリウッドアクションで活躍した人達が帰ってきて日本のアクションをぐぐっと盛り上げているような印象もあります。

 しかし、日本のアクションの原点は、やっぱり時代劇だと思うんですよ。

 ぐっと腰の据わった姿勢で必殺の剣気が交錯し、一瞬で決着がつく剣の勝負・・・私はこれが一番、好きですよね~・・・。

 そういう観点で言って、高瀬將嗣先生が殺陣を担当された作品が良いですね~。

 中でも『花のあと』で北川景子があそこまで殺陣をこなしたところなんて・・・練習風景が目に浮かびましたもん。

 若手の俳優は腰がフラついてたり構えが硬直してる人が多くて、がっかりすることがあるんですけど(運足でピョンピョン跳ねてしまう)、高瀬先生が担当する作品ではそういうことが無いですからね~。

 私が書いた時代小説が将来映像化される時は、是非とも高瀬先生に殺陣指導して戴いて、できれば出演してもらいたいですね~。幕末の剣聖・男谷精一郎とか似合うと思うな~。

 そのためには、まず、時代劇人気を復活させるような作品をバンバン書いていかないといけませんがね~?

 最近はリアリティーを履き違えて設定が雁字搦めになってる気がするんですよね~?

 柴錬や五味、風太郎のような奔放な伝奇作品が少なくなっています。

 昔は、『仮面の忍者・赤影』『変身忍者・嵐』『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『魔人ハンター・ミツルギ』『白獅子仮面』『猿飛佐助』『紅孔雀』『新八犬伝』とかあったし、アニメでも『サスケ』『カムイ外伝』『風のフジ丸』『佐武と市捕り物控え』『どろろ』『まんが日本昔話』『一休さん』『おんぶお化け』とかありましたよ。

 アニメといえば、『バジリスク』なんか凄く出来が良かったと思いますし、牙狼の平安時代編なんて発想が実に斬新でしたね~。

 武侠ドラマなんかも中国の時代劇ですよね?

 ソードアクションの面白さという点でも時代劇はもっともっと進化していけると思います。

 何しろ、チャンバラ時代劇は日本人しか作れないジャンルなんですから・・・。

 まあ、私がブーム復活させるつもりで書きますよ・・・。

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脱力体感想とお知らせ

 1/8は、本年初の月例セミナーでした。

 今年は一括予約申し込みの方が少なかったので、かなり少なくなるかな?と思っていたんですが、そうでもなかったですね?

 会員になると半額になるので、入会希望と一緒に受講された方もいます。

 もう“脱力体”が游心流の基本以前の基礎中の基礎なので、これができないと後のいろんな技はみんな中途半端になってしまいます。

 伸び悩んでいる会員を見ても、まず脱力の度合が悪い人が多いんですよ。

 武道や格闘技の経験者の方が脱力は苦手な人が多いので、最初は随分、苦労する人がいます。

 横浜支部長の栗原師範も、5年くらいはうまく脱力できずに苦労されていました。

 5年というと、普通の人は諦めて辞めてしまいますよね?

 何しろ、うちで5年以上続けて来ている人は10人いませんからね。

 他所の道場も、最近は三カ月続ける人すら少ないのだそうです。一回来て来なくなる人すら珍しくなく、入会手続きだけして一度も練習しない人すら数人はいました。

 私自身、何年も続けた流儀はなく、せいぜい、2年くらい通った程度なのですが、でも、技を体得しようという欲求は異常に強くて、体験入会しただけであっても、ずうっと練習し続けて基本は体得してきています。

 だから、ある道場で体験した時に、そこで一番ベテランだった人から「長野さんはやったことあるんですか?」と聞かれて、「いいえ、今、初めてですけど」と応えるとビックリした顔で、「いや、長野さん、うちの道場の誰よりも上手いですよ。何年もやっているのかと思ったんですが、本当に初めてなんですか?」と言われたことがありました。

「技の外形を真似るのが上手いだけ」の人ならいるんですが、私は中身を考えながら動いて結果的に外形が整うのが正しいと思っているので、そのように動いたつもりでした。

 その方も私と同様に考えて練習されていたから、「この人は違う・・・」と思われた様子でした。

 私は強くなりたいというより技の本質を体得したいと思って練習しているので、技を観取るのは凄く上手いですよ。

 だから、脱力が重要だと気づいたのも、技が生み出す威力というものが筋力とは少し違うな~?と思ったからです。

 それは古武術や太極拳、合気道の修練の中で確信に変わり、様々な武術に応用して独自の体系ができあがってきたという次第です。

 ここ何年かは日本刀の研究で得た理合を還元してきて、より発展してきたという実感がありますが、それは、「武術は武器を用いる戦闘術が本筋であり、素手の技術は副産物でしかない」という考えにまで行き着きました。

 何故か?というと、武器というものは筋力で操作するものではなく、身体機能を特段に飛躍させる道具だからです。

 人間が動物と最も異なるのが、道具を作って使う能力を持っているという点です。

 もちろん、カラスや燕が巣を作ったり、ビーバーがダムや巣を作ったりもしますが、作った道具を駆使したりはしませんよね?

 持って生まれた本能的機能の範疇でしか動物は生きられません。

 しかし、人間は本能を抑制して理性と知性を駆使して道具を作り、それを使う能力を持ち、しかもその能力を進化させてきています。

 武道や格闘技を好む人の中には、闘争本能の昇華のために取り組む人がいて、闘う行為そのものに耽溺する人もいます。

 つまり、スポーツとして取り組む訳です。

 娯楽、遊戯としてのスポーツを否定はしませんが、少なくとも武術の本質はそこにはありません。

 スポーツは本能で楽しむものです。論理は必要ありません(上達論とか勝負論とかを持ち込むことはできますが、それはスポーツの在り方とは実は無関係なものです)。

 ところが、武術というのは本能を超えて純粋に戦闘を論理化させたものなのです。

 即ち、「戦闘に勝つために何が必要か?」という観点で技術が体系化され発展していくものなのです。

 それは生き死にを問題としているから、本能に任せた勝負で体力・気力・根性に頼っている訳にはいかないからです。

 格闘漫画だったら、気力と根性で実力が上の相手に辛うじて勝っていくのを描くのがカタルシスに繋がる訳ですね?

 しかし、ウルトラマンだと怪獣の弱点を攻撃したり必殺技でブチ殺す。勝てない怪獣に遭遇するとウルトラブレスレット貰ったりして勝ったりする。

 生きるか死ぬかの勝負で綺麗事いってられませんからね?

 ところがどっこい!

 武道やっている人間に限って、綺麗事ばっかり言うんですよね~? 本当に危機感というものが無い!

 私は綺麗事言う人間が世の中で一番、嫌い! 要するに、“鈍感”なんですよ。

 人の痛み、苦しみ、悲しみ、恐れ、不安・・・といったものに対する共感する優しさが欠けてるから、無神経な綺麗事を口にして恥じることがないのです。

 私はいろんな業界(オカルト・社会運動・新宗教・教育・差別問題・環境・健康法・療法・芸術・自主映画・文芸・出版)に首突っ込んだから、いろんな人達に会いましたが、真摯に取り組んでいる人ほど、綺麗事を口にしません。できなくなるんですよ。

 綺麗事を平気で口にする人というのは、基本的に嘘つきで無責任、冷淡ですね。

 良く言えば合理主義者ですが、はっきり言って人間としての深みが無い・・・。

 薄っぺらな人間と話しているとムカついてくるんですよね?

 武術の世界では、青木宏之先生、松田隆智先生、友寄隆一郎先生、佐原文東先生・・・くらいですかね~? お話していて充実感があった方は・・・。

 中でも青木先生と松田先生は私にとって格別な先生でしたね?

 ツーカーと言えるような、何でも包み隠さずに話せる先生で、何時間でも話していて飽きることがありませんでしたよ。

 もちろん、相性もあるとは思うんですが、私は権威主義的な先生とは根本から合いませんから・・・(だから、反発して生意気なヤツだと目の敵にされたりしました)。

 自分がされて嫌なことは会員にもしないように気をつけていますけど、「先生と呼ばれる以上は教育的指導はしなくちゃいけない」と50過ぎてからは自戒しています。

 ダメなところはダメだと指摘してやらないと直らないですからね? 言ってもダメな人はもう放置プレイで何も言わないし、問題あると思ったら「はい、破門です」って平気で切り捨てます。

 青木先生から、先日、「それはやってはいけない」と言われたんですけど、縁を切る宣言をすることで相手の中に変化が生じ、一時的に私を恨んでも、いずれ自分の問題点に気づいて自ら直す切っ掛けを与えることになると思うので、私は迷いません。

 私は人から嫌われたり逆恨みされることには何の恐れもありません。他人の批評なんかどうでもいいのです。

 生きている間に、現実にどれだけの成果をあげられるか? そこにしか関心がありませんし、自分の思いに嘘をつかない! それだけですよ。


 今回のセミナーは大阪支部長の任命と大阪支部の新規活動を報告しました。

 具体的には3月から毎週日曜に開催する予定とのことで、本部師範が教えに行く大阪セミナーも年内には開催する計画でいます。

 10年くらい前までやっていた大阪支部とはまったくの別組織ですが、当時、来ていた方も参加は可能ですから希望される方は申し出てください。

 ちなみに、游心流の指導員は二段からで、師範代は三段、師範は四段を認定します。

 技もともかく基本は人柄で選びます。

 普通に練習に通っていれば一年で初段は取れますが、二段は三年はかかるかな~?というところです。

 ただし、寸勁斬りができれば二段を許しており、大阪支部長も私の目の前で寸勁斬りが連続でできたので二段を認定し、支部開設の許可を出した訳です。

 直接教えた回数は10回に満たないと思いますが、とにかく武術の研究に熱心なので(熱中し過ぎて他の会員から苦情?が出ていたくらいで、私も“暴れる君”とあだ名つけてた)、会う度に格段に進歩していました。

 今回は特に進歩が著しく、やる気も満々で指導カリキュラムも自分で考えてきていたくらいなので、栗原師範が「彼はえらいな~」と非常に感心していましたね。

 うちの技はあまりにも危険過ぎるので、安易に広める訳にはいかない?とは思っていますが、だからこそ老人でも女性でも護身術として抜群の効果を出せると思いますので、あくまでも護身術として広めていきたいんですね?


追伸;直前ですが、15日(日)は西荻窪ほびっと村学校で、游心流合気道の初お目見えです! ムチャクチャ寒くなりそうで不安ですが(また風邪がぶり返しそう?)、気合入れてやりまっす! 合気道は本当に使えるのか?と心配な人は是非!

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脱力体の重要性

 今度の日曜日は月例セミナーの第一回ですが、毎年、第一回目は「脱力体の養成」をテーマにしています。

 どうして脱力体を第一にもってくるか?と言いますと、武道にしろスポーツにしろ勉強にしろ、筋肉に力を入れて緊張する程、効果が上がらなくなると考えるからです。

 ものの考え方が一面的で独善的な人は、身体的にも緊張して身体が堅い人が多い。

 もちろん、緊張型の人は勤勉であったり真面目であったりする良い面もあるのですが、行き過ぎてしまうと頑迷で融通が利かない愚か者になりかねません。

 武道家には、こういうタイプが実に多かったんですね。

 私は、だから武道家が日本の様々な業界で活躍できなかったのだと思います。

 もっとも、権力者に忠実なタイプは武道家タイプでしたから、戦前は奨励されました。

“権力の番犬”にはもって来いなんですよね。

 しかし、こういうタイプは達人とか名人にはなれないですよ。

 もちろん、その生来の真面目さ、勤勉さから稽古は熱心にやり続けるので、高い段位になって有名になる人はざらにいます。

 けれども、だから達人だとか名人だとか言えるのか?というと、私は全然、違うと思いますね。

 少なくとも、私が会った達人、名人と呼べるレベルの先生方は、物腰が柔らかく考え方も柔軟な方ばかりでしたし、洞察力が人間技のレベルではありませんでした。

 つまり、非常に頭脳明晰なんですよ。

 私は文筆業やってますから有名大学出てたり頭の良い人には沢山会っていますが、そういう人間としての頭の良さではなくて、やっぱり洞察力ですかね~? パッと見て、相手の本質を観抜いてしまうとか、そういう妖怪的な頭脳の持ち主なんですよ。

 年末に最近、紹介してもらって知人になった合気道家の方から知らせてもらって知ったんですが、合気会の若手の指導員が迷惑行為で警察に捕まったのだそうですね。

 ニュースを見ると、真面目そうだけれども前頭葉の働きが悪そうな目付きでした。

 脳の状態は大体、目に顕われます。

 ストレスとかあったのかもしれないけれど、犯罪行為をやってしまう言い訳にはなりません。

 恐らく、自分の欲求を適度に発散させられない性格で、ストレスを溜め込み続けてしまって爆発したのかもしれません。

 つまり、考え方が固定していて柔軟にあれこれ考えられなかったのでしょう。

 武道の先生は、そういう愚直さを持て囃してしまう傾向が強いので、弟子は疑問があっても先生に質問したりしないし、先生の問題点を指摘することも憚ります。

 武道の先生は、どんな無茶ブリをしても黙って従う“自分の頭で考えない”馬鹿が大好きなんですよ!

 だから、“思慮分別の無い馬鹿”が増殖するんです!

 武道の世界は、未だに前時代的な封建主義の道場が非常に多いですよね。私は、そういう道場を見るとウンザリさせられます。いつの時代やねん?と・・・。

 もちろん、最低限の礼儀も節度も必要ないとは言いませんけれど、もっと普通にやれないもんかな~?と思いますね。

 何か、“量産型馬鹿の製造工場”みたいな道場すらありますから・・・。

 そんな世界だから、“大馬鹿が先生やっている道場”も少なくありません。

 10年くらい前だったか? 荻窪の体育館を利用していた時に、個人解放の時間帯で畳の上で我々が数人で練習していたら、道着を着た爺様がヨタヨタとやってきて、無言で我々に向かって、シッシッと犬でも追っ払うみたいな仕草をしました。

 一人の会員が怒った顔で何か文句を言おうとしたんですが、「まあまあ」と宥めて、わざとらしくニコヤカに「どうぞ、どうぞ~」と場所を譲りました。

 その爺様。何と合気道八段の大先生?だったらしい・・・。

 でも、私の目には、ひいき目に見ても二段がせいぜいという程度にしか見えませんでしたし、いつも小人数で練習している合気道の先生らしき壮年の人の方がずっと実力がありそうでした。この方は明るく謙虚で、立ち居振る舞いが実に見事でしたね~。

 清心館佐原先生とお話していた時に、「あの先生が八段だったら佐原先生は八十段ですよ」とギャグを言ったら佐原先生は苦笑しておられましたが・・・。

 武道の世界は、喧嘩が強ければ尊敬される世界だったりするので、しょうがないか?とも思いますけど、これじゃあ、世間的に尊敬される道理がありませんよね~?

 ジャイアンが尊敬されてスネオが一番、嫌われる?(私はドラえもんみたいなもんなので、「長野はズルい!」と嫌われる・・・)って、何だかな~?


 え~っと・・・それで、何を言いたいのか?というと、私は、「本来の武道も武術も、みんながイメージしているようなものじゃな~いっ!」と言いたい訳です。

 武道にしろ武術にしろ、今現在、ものすごく表面的で抽象的なイメージで語られますでしょう? 専門家を名乗っている人達ですら首を捻るようなヘンテコリンな定義を言い出すから、本当に困ったものです。

 実際に修行している人間ですら、自分が何を修行しているのか?ということを全然、解ってないんですよ。だから、質問したって答えられない。

 じゃあ、武道をやっている大学の先生なら?と思って聞いてみても、いや~、やっぱり無理ですよ。

 何故なら、武芸百般の経験が無いし、流派の違いや各国の民族に伝わる武術についても知らないし、武術と舞踊、宗教、医術の関係なんかまで幅広く研究している人なんか皆無でしょう?

 どうしてそうなるか?というと、皆、自分の学んだものが一番だという思い込みに埋没して自己満足に陥ってしまうからですよ。

 即ち、頭が堅いんです・・・。

 武術で一番、重要なのは、「考え方を柔軟にすること」なんですよ。

 そもそも、武術って、人間にとって最も忌むべき“殺人”の技術を修練するものですよね? これって倫理的にも社会通念的にも完全にOUTでしょう?

 その完全にOUTな文化が、何故、何百年何千年も延々と伝えられてきたのでしょう?

 それは、「生きるためには戦わざるを得ない局面がある」という“生存のリアル”に対する具体的な対策を教える解答の一つだからです。

 警察や軍隊が無いと社会も国家も維持できない。けれども、もし絶対権力を持つ施政者が民衆を完全に支配するために警察や軍隊を利用したらどうなるでしょう?

 この具体例は、ナチスのホロコースト、ポルポトのクメールルージュ等々、人類の歴史に無数にあり、現在も続いているではありませんか?

 思想として暴力を否定し法律で処罰することにしたところで、現実の暴力が無くなることはない訳ですよ。

 その現実の暴力から個人が自己防衛を考えた時に“武術が誕生する訳”です。

 武術というのは権力から切り離された“完全なる自己防衛術”なのです。

 本質として、そこに正義だの善だの悪だのという概念はありません。あるのは、唯一、「護るための戦闘術」です。

 概念があるとすれば、“完全なる専守防衛の術”だということくらい。

 だから、中国、琉球の武術家は、自分が武術ができることを隠しておくことが基本でした。そして、やむを得ぬ場合にのみ遣った。

 日本では安土桃山から江戸時代初期を中心に武芸を売って地位を得る風潮ができましたが、一部の武術家は隠して生きたようです。腕前をアピールする行為を恥ずかしいことと考える人もいた訳です(まっとうな社会人ならそうですが・・・)。

 私も学生時代に母親から「お前はそんなことやっててヤクザにでもなりたいのか?」と言われたことがあります。

 父親は剣道の有段者だったので、私が武術にのめり込んでも文句を言ったことはありませんでした。

 まあ、男のロマンは女には解らんし、熊本の男は武道やるのが一つのステイタスだったのかもしれません。

 それはさておき、最近のストーカーやら通り魔、狂人の起こす事件などをニュースで見ると、「俺だったら、こんなヤツ、一瞬で倒すのにな~? くっそ~、ちゃんとした武術を広めたいな~?」と思うのです。

 競技に偏っている武道や格闘技には自己防衛術の概念が乏しく、特に“対刃物”をさっぱり考えていないんですよね~。

 何故、考えないか?というと、自分が練習しないからですよ。

 鉛筆を削れないとか料理ができないとか、最早、珍しくも何ともないでしょう?

 日本の教育環境の中で刃物の使い方を教えないのは、本当に大問題だと思いますね。

 それで、数年前から、私は游心流の中で制定したナイフ術を指導しようと思い、游心流独自のタクティカルナイフも考えていました。

 年末年始に風邪が治らずに困っていたんですが、無駄に時間を浪費するのが嫌だったので本を読みまくったりしていたんですよ。

 その時、ふと、以前に「システマ剣術シャシュカで使うアルミ製の刀が折れたので先生にプレゼントします」と会員さんに貰ったシャシュカの折れた切っ先があったのを思い出したので、これを金ヤスリで加工してみようと思ったんですね。

 ヤスリでガシガシ削っているうちに、あれこれイメージが湧いてきて、ちょっと面白い形になってきました。

 最初は、以前、田中光四郎先生に贈った両刃の日本刀の短刀みたいにするつもりだったんですが、「非対象の両刃でブレイドとグリップが一体化したものにしてみようか?」と思いつきました。

 私は同じ物を二回作るのは嫌なんですよ。せっかくロシア武術の刀剣だったんだから、日本風にする必要はないだろう?と思いまして、握りは、順手と逆手で握った時に安定してグリッピングできるように削り込んでみました。

 やっぱり機能性を優先しないと格好だけ良くてもダメですからね。

 アルミの鋳物らしく、空気が入ってス(透き間)が出来た箇所が多く、だから折れたのだろうと思いますが、トレーニング用ナイフとしては強度的に十分ですから、プロトタイプをいくつか作ってみてから正式採用する本物のナイフを作ってみるつもりです。

 游心流合気道では対ナイフを基本にするつもりです・・・。合気道って元々、そういうものだし、冨木式合気道がまさにそうですよね?

 さて、話を戻します。

 考え方というのは、その人が生きてきた中で自然に固まってきているものであって、「はい、そうですか?」と簡単に変えられるものじゃありません。

 例えば、敬虔なキリスト教徒に「イスラム教こそが正しいのだから変えなさい」と言っても、無理でしょう?

 だから、考え方をいきなり変えさせるのは無理なのですね。

 しかし、考え方が固定している人というのは、概ね、身体が堅いものなんです。力む癖がついている。

 だから、まず、身体を柔軟にする!

 脱力することを身体に覚えさせる。

 身体の力みを抜くことで精神もリラックスする・・・その状態でこそ脳機能が円滑に働き、考え方も柔軟になる・・・という仕組みです。

 だから、私は、これまでの「武道をやると馬鹿になる」という状態を「武術をやると頭が良くなる」という方向へ転換していくような啓蒙活動をやろうかな?と思っています。

 その第一歩として「脱力することによって達人しかできないと言われている技がバンバンできるようになる!」ということを証明しますので、初めての方こそ、歓迎致します。

 来たれ!


追伸;今年は、支部がいくつか増えそうです。10年くらい前にやっていた大阪支部も新しく復活する見込みです! 関西方面は兵庫支部に続いてですが、復活して欲しいと言っておられた皆様、御期待ください!


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特撮秘宝に『メカゴジラの逆襲』の後日譚小説が?

 昭和のゴジラ・シリーズの完結編であった『メカゴジラの逆襲』は、脚本家で映画監督の高山由紀子さんが脚本家デビューした作品であり、また『ゴジラ』以降の東宝特撮映画の巨匠である本多猪四郎監督の遺作でもありました。

 昨年から『ゴジラ』シリーズのDVDブックが続けて販売されていて、『メカゴジラの逆襲』も出ています。

 これは当時のパンフレットやポスター、漫画まで付録で収録されていたりする非常にお得なシリーズで、私もこの際だから全部揃えようと思っています。

『ゴッドマン』と『ゴジラアイランド』も収録されてるし・・・。

『シン・ゴジラ』の大ヒットで過去のゴジラ・シリーズにも目を向ける人が増えたように思うんですが、日本人がゴジラに代表される日本の特撮映画の素晴らしさを知らないというのは問題だと思います。

 日本人ならアニメと特撮という世界に誇るカルチャーをきちんと知っていないといけませんよ。

『メカゴジラの逆襲』は、メカゴジラのコントロール回路と繋がっているサイボーグ少女真船桂の悲恋の話が入ることによって、他のゴジラシリーズには無い恋愛の要素が入っていて、流石、女性の脚本家ならではの繊細なストーリーが心に残るのです。

 ウルトラシリーズでもセブンの人気が高いのは、やはり、ダンとアンヌの恋愛があるからでしょう。

 で、特撮秘宝vol.5には高山由紀子さんのインタビュー記事と共に、何と! 高山さん本人の手による小説が書かれていたのですが、それが何と何と、『メカゴジラの逆襲』の百年後の世界を描いており、サイボーグ少女桂とチタノザウルスがサイボーグ化されたマイスター・タイターノなる存在が登場しています。

 私も作家の端くれですが、この小説には唸りましたよ。

 メカゴジラもゴジラも出てこないけれども、チタノザウルスと真船桂の物語が百年後に続いているとは?

 思えば、私が昔、学生演劇で殺陣つけたりしていた頃の友人である高山さんの息子さんの高山なおきさんの家で高山由紀子さんとお話した時、デビュー作である『メカゴジラの逆襲』を誇りに思っていらっしゃる様子だった事・・・。

 だからこそ、改めてその続編となる短編小説をも書かれたのだ・・・と。

 この感動は、『ゴジラ対ヘドラ』の研究本で後日譚小説を書かれた鷲巣義明さんの作品を読んだ時に近いかもしれません。

 作品世界への揺るぎない愛情が有り余る形で続編が誕生するというジャンル愛による必然性・・・。

 私の創作衝動も同じなんです。

『最も危険な遊戯』『魔界転生』『子連れ狼・死に風に向かう乳母車』『妖刀・斬首剣』『笑傲江湖』『剣鬼』・・・結局、過去に見て大好きになった作品の影響を抜きにまったく新しい作品なんて書ける道理がないのです。

 しかし、私はオタクであるが故の強みがあります。

 その道の第一人者と呼ばれるような人間は、総じて、オタクなのです。

 はっきり書いておきましょう。

 小説は誰でも書けますが、面白い小説は普通の人間には書けません!

 作家とか芸術家という職業は、頭が狂っている人間でもなれるかもしれないのです!

 妄想力が役立つからです。


 そういえば、小学生の頃、熱中して愛読した『世界妖怪図鑑』の復刻版がメチャ高い値段で売ってたんですが、思い切って買ってみて正解でした!

 メチャクチャ面白いんですよ!

 イラストや写真、昔の絵画がちりばめられているんですが、映画の写真なんかは許可取ってるのかな~?と疑問です。

 水木先生監修の本と比べて、佐藤有文さんが監修してるこの本は、「大御所には負けない!」というようなガッツを感じるんですよね?

 かなり適当に作ってんじゃないかな~?というような妖怪も出てます。

 ブルガリアの妖怪“胃ぶらりん”って、「夜になると、生首が胃と腸ごとスルスルとぬけ、耳ではばたいて生き血を吸いとる・・・」って、これはインドネシアの妖怪だよね?

 漢字で書くと“飛頭蛮”。日本の抜け首(ろくろっ首)の元ネタと言われてる。

“鉄獣イバク”って、普通にアルマジロの絵なんですけど? 塩かけると溶けるって、ナメゴンですか?

 それに、昔の本ならではの放送禁止用語の記載・・・。

“地獄のタイガー”では・・・耳が“ツンボ”になるほど、ものすごく大きいほえ声なのだ・・・とか、“悪魔ブネ”では・・・片“チンバ”の悪魔で・・・とか、読んでいてハラハラさせられます。

 そうそう、放送禁止用語と言えば・・・若山富三郎先生の大傑作『唖侍・鬼一法眼』が時代劇専門チャンネルで久々に放送されます!

 若山先生の実弟、勝新太郎が演じた座頭市は“メクラ”でしたが、鬼一法眼は“オシ”・・・何か、『ミラクルカンフー阿修羅』を思い出しますね?って、誰も思い出さない?

 これに中村敦夫主演の『おしどり右京・捕り物車』を加えて日本三大身体障害者が活躍する時代劇・・・あっ? 丹下左膳を忘れてた? あっ? どろろの百鬼丸はもっと凄かったか?

 劇画だったら『血ダルマ兵法~おのれらに告ぐ~』があったな~?

 いやいや、サイボーグ009とか仮面ライダーとかもヒトであってヒトならざる者の苦悩が一貫したテーマでしたよね?

 今でこそパラリンピックが開催され身体障害者に対する差別意識は薄まっているような印象もありますが、人間は本質的に異質を排斥する心理を持つもので、見かけの美醜にも拘るし、人種や性別、果ては考え方の違いまでも排斥する差別意識が根っこにある。

 在日の人や部落出身の人への差別意識は日本人の心の闇に依然として巣くっていると思いますが、「そもそも、日本人って何なのか? 日本人はどこからやってきたのか?」と考えると、なかなかにややこしい問題がありますよ。

 例えば、沖縄は日本だって言い切れるのだろうか? 北海道や東北はアイヌを追いやって日本人が侵略したんじゃなかったか?

 九州にもクマソやサツマハヤトが居たのをヤマト民族が奪ったのかもしれません。それは神話の中にも象徴的に語られていますよね? 国譲りの話で・・・。

 ウルトラセブンの問題作『ノンマルトの使者』では、地球はもともとノンマルトと呼ばれる先住民族が支配していたのを現在の地球人が侵略して奪い取ったものだ?というテーマが提示されます。

 日ユ同祖論というのがありますが、「日本人の祖先はユダヤ人で、現在のユダヤ人は人種的には別だ」という説もあるみたいです。

 若い頃の私は武術の研究をしていて宗教の伝播も考えないといけないと思い、あれこれと調べるようになったんですが、宗教というのは根っこに民族主義があるんですね。

 つまり、選民思想なんですよ。元来・・・。

 日本人は元来、血の繋がりを重視しています。これが家系という概念を生み出します。

 戦後教育で薄まって個人主義が当たり前になりましたが、今でも田舎では家系を重視する人は少なくありません。

 古流の武術だと代々、家系に伝わっている・・・という流儀が珍しくありませんよね?

 この家系の伝統の最も大きなものが天皇家なのだと考えてもらえば納得がいく人が多いのではないでしょうか?

 だから、「今時、それは無いんじゃない?」というような女性天皇を頑なに認めないのも、思想的伝統の中に「家を継ぐのは男子でなくてはならない。それも長男でなくては」というアンタッチャブルの認識がある訳ですよ。

 つまり、血統の純粋性を守らねばならないとする考えがある訳です。

 が、生物学の基本として近い血統同士で種を継承すればDNAが壊れていく・・・というものがあるでしょう?

 イザナギとイザナミが最初に交わった時に骨無し子“比留子(ヒルコ)”が生まれてしまったので“葦(アシ)の船に乗せて流し去(ウ)てき”・・・つまり、“水に流した(捨てた)”という逸話がありますよね?

“水子”という概念もここから出ているのでしょう。今では流産したり人工的に堕胎した(中絶)子供の供養ということになっていますが、昔は“間引き”した子供のことだったんでしょう・・・。

 だから、ハーフの人って遺伝的に強靭で優秀な人が生まれるという説も、なるべく血筋が遠い方がDNAが強くなるからなのかもしれません。

 そういえば、「京女(きょうおんな)に東男(あずまおとこ)」って言いますよね?

 実際に芸能界で活躍している人達ってハーフの人が多いですよね?

 トーク番組ではイジメられた体験を語っていたりしますが、それは優秀なDNAを持つ人に対する無意識的な嫉妬心なんだと思いますよ。

 超能力者が差別される話と一緒ですよ。

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2017年挨拶

 明けまして、おめでとうございます!


 2017年しょっぱなの稽古は1/2に淵野辺本部稽古会で実施。

 北島師範栗原師範が参加していましたが、私が風邪が治らずあまり動けなかったので、口頭で解説する指導に留めて早めに切り上げました。

 1/5の木曜日にはメイプルホール稽古会(19:00~20:45)、そして、2017年月例セミナーの第一回目『脱力体の養成』は1/8(日)、ほびっと村学校講座は1/15(日)に開催します!

 今年は予約されている方が少ないのですが、毎年、進化した技術指導内容を自負しておりますので、久々の方、初めての方も歓迎致します。

 2016年は技術的に変革があった年でした。

 游心流武術の戦闘理論では「寸勁(ワンインチ打撃)を多用する」というものがあって、それに準じて構えや戦闘法を組み立てていたんですが、これを「零勁(0インチ打撃)を用いる」というものにしたお陰で、構えから何からかなり変わってしまいました。

 特に、0インチ打撃技を用いるということを前提にすると、“打撃技”に於ける“力のタメ”を一切排除してしまうので、いわゆる空手や拳法のような打撃格闘技のスタイルでなくなってしまうのです。

 例えば、2016年最後の練習である日曜の本部稽古会では、太気拳構えによる差し手の練習で、腕を肩より上に掲げていたのを、肩の位置まで下げて、両手の平を相手に向けて、「まあまあ、やめてくださいよ」と制止するポーズに変えました。

 これまでは、相手が突いてくる腕に“落として接触するように”差し手をおこなっていたんですが、このポーズからは、打ってくるのに“添える”ようにするだけで事が足ります。

“落とすやり方”の問題点は、「タイミングがずれると空振りして隙が生じてしまう」という点だったので、相手の攻撃の瞬間にドンピシャでタイミングを合わせる必要がありました。

 つまり、相手が“主体”で自分は相手に合わせて“従属して”いたのですね。

 しかし、新しいポーズだと、別に相手が打って出てくるまで待つ必要もないし、自分から「まあまあ・・・」と言いながら近づいていって接触することも可能になります。

 実際、会員にやらせてみても、「こっちの方が格段に楽ですね」という感想でした。

 このやり方は以前から剣術で研究していた“続飯付け”の応用なんですが、剣でできるなら手でやった方が簡単にできる筈ですからね。

 要するに、“先の先”を取る訳です。

 何か、フライングだと勘違いしている会員さんもいるみたいなんですが、はっきり申し上げておきますが、武術の戦闘理論にフライングという概念はありません!

 読みも何も無く、勝手に動いて無防備にカウンター攻撃を食らうのがフライングなのであって、相手が攻撃しようとする寸前に止められれば、それに越したことはない訳です。

 ですから、一見、フライングに見えるやり方を二回以上続けていたら、それは狙ってやっている訳ですね。私も修行時代にはよく勘違いされました。相手が“先の先”を知らないと理解できない訳で、「何か不思議だ~?」と言われたりしましたが・・・。

“後の先”を狙って、相手が動き出す瞬間を待つのが癖になっている人は、いわゆる気配の出ない攻撃や、相手の攻撃力が予想外に大きかった場合に遅れを取ることになってしまいます。

 ですから、武術の上級者は先手先手を制していくようになり、ついには、相手が攻撃動作をする以前の攻撃意欲が脳波に出た瞬間を制する“先の先”“先々の先”を取るのが当たり前になります。

 これは剣術だから生まれた理合だろうと思われます。素手で闘う場合にそこまでの必然性は生じませんから・・・(多少、殴られたぐらいで死ぬ恐怖はないでしょ?)。

 私が新体道を高く評価し青木先生を古今独歩の最後の名人と称賛を惜しまないのも、この“脳波レベルの読み”を体現されているからであって、だからこそ、数多の武道家・格闘家を難無く圧倒的に退けてしまった訳ですね。

 私が目指しているのもそのレベルなので、ここは誤解されないようにお願いします。

 さて、0インチ打撃を体得していれば、この「まあまあ・・・・」の構えと戦法が鉄壁の戦闘理論となります。

 無論、接触してから打つのですから、相手も打てる間合ではあります。現に、忘年会でやって見せた時、大石総教練は私の腹にパンチを出してきましたからね。

 ただし、素手を前提で考えた場合、接触したところから100で打てる人間と、加速度をつける距離が無いと打てない人間では、同時に打てば前者が圧倒的に勝てる訳です。

 両方が0インチ打撃を体得していたら、相討ちになるでしょう。差ができるとすれば、急所に当たるか威力に差があるか?・・・です。

 素手での0インチ打撃法で我々(私と師範、常連会員数名)が体得したのは、『修羅の門』に出てくる“無空波”に近いものです。振動波を打ち込むので体内に複雑な波紋効果を生じさせ、まったく予測不能のダメージを発生させるのです(DVDで練習法は解説しています)。

 これは、衝撃力の大きさではなく、また単なる貫通力でもありません。浸透して毒に侵されるような性質のダメージになります。

 これは低威力の軽い弾丸が人体に命中してから横転したりして貫通しないまま体内に残る様子をイメージしてもらうと近いかもしれません。つまり、命中した時の威力が大したことなくとも、体内で動きが変わることによって結果的に大きなダメージを生じさせてしまう訳です。

 私は、いつも発勁の演武では相手を後ろに飛ばすようにしていますが、これは、威力が体内に蓄積しないで後ろに抜けるように貫通させる打ち方をしているからです。

 この打ち方なら相手が派手に吹っ飛んでも実際は体内への破壊力は働いていません。

 もちろん、吹っ飛んだ時に後頭部を打ったりしないように受け手が二次被害を受けないように配慮する必要はありますが、このような演武なら安全なのです。

 もっとも振動波を用いた0インチ打撃を使うと、どうしても威力が体内に残留し易く、軽く打っても致命的なダメージを発生させてしまう危険性がある・・・ということがこれまでの研究で判明しました。

 例えば、DVD向けの撮影で防具を着けて受け手を務めてくれた北島師範から「内傷を負ってしまったみたいなんですが、どうすれば治せるでしょう?」と一週間後に相談を受けたことがありました。

 私に気を使って黙っていたらしいんですが、いつまでも痛みが引かないので不安になって質問した様子でした。

 私の自己治療法としてはホッカイロを貼りっ放しにして痛みが出なくなるまで様子を見るというものを過去に試して効果がありましたが、これは、その当時に来ていた会員さんから「温熱療法が効くのでは?」とアドバイスを受けて実験してみて改善しました。

 しかし、北島師範は貼りっ放しにせずに付けたり付けなかったりしていたらしく、効果があがりませんでした。

 それで、忘年会の時に仁平師範に治療してもらって治ったみたいでした。が、仁平師範も、この打撃法は寸止めに留めないと危険だと指摘していました。

 この技は、もう格闘技的な競技には使えませんね。安易に打てば、相手に予想外の致命傷を与えてしまいかねないからです。

 何しろ、防具越しに慎重にセーブして打ってもこうなってしまうのですから、競技試合の興奮状態で使えば簡単に致命傷になってしまうでしょう。それも試合後、何日か経過してから突然死したりするかもしれません。

 松田隆智先生の軽く打った発勁を手のひらで受けた青木先生が、「この突きは日本の武道には無いものだね。これをまともに打ったら内臓がグチャグチャになってしまうよ」と評しておられましたが、その打撃法がまさに、この0インチ打撃法なのです。

 その場で見ていたので、私は原理的に解析して研究したんですね。見せてもらっただけで私にとっては教えてもらったのと同じことですから、体得しないと失礼でしょう?

 松田先生は八極拳の冲捶、形意拳の崩拳、つまり“中段突き”で示されていましたが、拳や腕の横の振動ではなく、腕の芯を纏絲勁(螺旋状に巻き付くドリル状の振動)と沈墜勁(ピストン運動のような振動)が連なっている様子を内観できたので、まずは内観した身体感覚を移し取るように瞑想状態で再現してイメージ訓練し、それによって生じた自分自身の身体感覚を利用して直拳・裏拳・掌打・把子拳打・鉤手打・腕打・肘打等でも打てるように、その後、あれこれ工夫した・・・という次第です。

 ちょっとオカルト的に受け取られると困るので、このやり方は他人に教えたことはありませんが、私が見ただけで技の原理を盗める理由がこれなんですよね。

 仁平師範は教えなくとも自分でやっていましたね。

 ただ、これはイメージ力だけでも身体能力だけでもできないので、真似してできるようになる人はほとんどいないと思いますので、御注意ください。失敗するだけならまだしも、誇大妄想に陥る人もいますから・・・。

 松田先生は、「技の威力は正しい姿勢から生じる」という考え方をされていました。形が大切なのだと言われていたんですね。

 しかし、私はそうは思えませんでした。

 何故なら、現実に戦う時に正しい姿勢を取ることは不可能に近く、少なからず姿勢は崩れる筈であり、その崩れた姿勢の中からでも打ち倒す威力が出せなくてはならないと考えたからです。

 これは、私が新体道に注目した時に、“一撃必倒の突きを出す統一体”ではなく、“ぐにゃんぐにゃんに脱力した体勢からピシャッと打ち出す鞭手を用いる養気体”の技に関心を持ったり、システマに注目したりした理由でもありますが、私が泥酔した状態で日本拳法の人と手合わせした時に自然に酔拳の技が出た?という体験から直感したことでもありました。

 要は、楷書、行書、草書の別があると思うのです。

 基本稽古は楷書で、行書や草書は実用の時に用いる。そう考えれば、武術の訓練法と実戦応用の意味が理解できるのではないでしょうか?

 0インチ打撃は、肩・背中・腹・スネ・足裏でも打てますが、手技と比べるとコントロールが難しい。振動させながら打ち込むという芸当は、やはり手技に限られます。

 ただし、姿勢が崩れた状態でも打てないと、例えば、寝技でマウントポジションを取られたら為す術が無くなってしまいますね?

 立って姿勢を正確に定めないと打てないのでは実用性が無いに等しいことになるでしょう? 新作DVDでは、それを示すためにマウントを取られた状態でも打てることを示しましたが、これを実際にやれば相手に致命傷を与えてしまいますから、競技試合で試すのは絶対にやめてもらいたいですね。

 武術というのは、「どんな状況からでも逆転できる知恵と技術があるんだよ?」と言いたかったので敢えて紹介しましたが・・・。

 ちなみに、こう書くと特殊なことのようですが、白鶴拳の白鶴震身や陳氏太極拳の抖勁、柳生心眼流の武者震いといった技法も、振動波を発生させながら打ち込む工夫なのではないか?と思います。

 私も、このような技法が秘伝として伝わっている事実を検討して振動波0インチ打撃法を考案した訳で、まったくのゼロから独力で編み出した訳ではありません。

 また、濡れた犬がブルブルッと水気を吹き飛ばしたり、ベリーダンサーが体幹を細かく揺れ動かす動きなども研究しました。

 無論、これらの身体運動の基本は脱力体なんですね。筋肉をごてごてと膨らませた人はできない。だから、游心流では筋トレを御法度にした訳です。

(脱力体からの脅威の技についてはセミナーでどうぞ!)

 もう一点、ここで考えなくてはならないのは、「接触して間合が潰されている状態で迂闊に打撃技を出せば、自分に隙を生じさせてしまう」ということです。

 もし、互いが接触対面している状態で相手に殺意があったら、こちらがパンチを出したと同時に顔面に掌打(横面)と親指貫手(そのまま目に突っ込む)を入れるでしょう?

 何故か?

 パンチを出すということは、“パンチを出した腕”は防御に使えなくなるからです。

 つまり、私が打撃技の最大の盲点と考えたのが、ここなのです。

 打撃技を出した瞬間、腕や脚は攻撃力を集中させるために防御ができなくなる。即ち、「最も弱い隙間を晒すことになる」のです。

「攻撃の瞬間が防御力が最も低くなる」という真理から、「先を取る読みと交叉法」が日本武術の極意となったのだと私は考えています。

 即ち、それが戦法としての“後の先”であり、「空手に先手無し!」と言われる言葉の真の戦術的意味(先に手を出して攻撃した方が不利になる)なのですね。

 しかし、日本剣術の世界は、“先の先”を理想とします。

 だから、向かい合っただけで勝てるかどうかを察知して無益な腕試しをしないという境地に達する訳です。

 技や力の強弱ではなく、“読み”のレベルが勝敗を決める。それが日本の武術の到達した心法の世界なのですよ・・・。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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