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『ザ・ゴリラ7』がやっと見れた!

 昔、見たTV番組で、もう一度見たいな~?と思っている作品には、『新十郎捕り物帖・快刀乱麻』と、この『ザ・ゴリラ7』がありました。

 最近、スマホでググッてみたら、『新十郎捕り物帖・快刀乱麻』がありまして、やった~?と思っていろいろ読んでみたところ、何と、最終回以外は映像が残っていないのだとか?

 むむ~、残念・・・。

 しかし、最終回だけ見逃していたので、これだけでも見れたら御の字ですよね?

 この番組自体も面白かったんですが、テーマ曲が非常に素晴らしい! でも、どうも市販されていないらしい。

 でも、ネットで聴けたので、感動しましたよ~。

 本当に良い時代になったな~?

 頼むから戦争とか起こらないでね~?


 さて、もう一つの見たかった番組『ザ・ゴリラ7』ですが、こちらは東映チャンネルで放送されましたよぉっ!

 現代スパイアクションみたいな作品でしたが、千葉ちゃん主演でエッちゃんや治郎さんも出てるJAC初期の傑作アクションドラマでした。

 で、楽しみにして初回放送を見たところ、ゲストに、伴直弥、池田駿介、成川哲夫が出ているではないですか?

 特撮マニアなら判るでしょう?

 つまり、アラーの使者(千葉ちゃん)、ビジンダー・マリ(エッちゃん)、インターポール捜査官滝(治郎さん)に、キカイダー・ジロー(伴さん)、キカイダー01・イチロー(池田さん)、スペクトルマン・蒲生譲二(成川さん)が揃っていたという訳!

 もうね~、特撮キチガイの私としては、妄想力全開でしたよ!

 一頃、リアルなばっかりの刑事ドラマが主流になって、つまんねえな~?と思っていたんですが、最近は、70~80年代のムチャぶりアクション物に回帰しようとしているかのように、アクションに力を入れている作品が増えてきて、楽しくなっていたんですけど、『ザ・ゴリラ7』はそんな作品の原点的なドラマだったと言えると思います。

 まあ、警察じゃないみたいで、スパイ組織みたいな感じなのかな~?と思いますが、
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意識の転換が結果を左右する

 どうも、ここ何年か、「懸命に武道の修行を積むことが本当に実力の向上に繋がるのだろうか?」という疑問が膨らんでいます。

 私自身、何年も、いわゆる練習らしい練習をまったくやっていません。立禅すら、せいぜい一分くらいしかやりませんし、筋トレの類いは徹底的にやっていません。

 しかし、居合とか杖術とか手裏剣とか、そういうのは練習し始めると結構やってしまったりもするんですが、それも型の稽古みたいなことはやりません。

 型稽古というと、せいぜい、簡化24式太極拳と八卦掌の走圏をやるくらいで、これもメイプルホールで生徒が誰も来なかった時に独り稽古でやっている程度です。

 汗をかくほどの練習もやっていないのです。

 それで十年くらい?

 普通に武道に取り組んでいる人だったら、完全にOUTだと思うでしょう?

 でも、一日十時間も汗だくになって血尿が出るくらい必死で頑張っていた頃より、今のほうが遥かに実力は上がっています。

 無論、多くの武道修行者は私と同年代になっていても毎日汗だくになって練習しているのだろうと思います。

 そういう必死で練習を続けていることをステイタスにしている先生も多く、「練習しない=怠けている=修行者失格」という強固な認識を微塵も疑っていないからです。

 私が練習らしい練習をしなくなったのは、始めた当時に時間が無くなったという点もあったのですが、脱力技法を研究しているうちに、練習すればするほど下手になる?という悪循環に気づいたからでした。

 つまり、ついつい余計な力が入ってしまって技が成功しなかったのです。

「力を抜かなくてはいけないのに、力を入れる練習ばかりすれば、下手になるのは当たり前だよな~? いっそ、練習しなければどうなる?」と考えて実践してみた訳です。

 最初は、相手の攻撃力に打ち負けては元も子も無いと考えて、ついつい力を入れてしまっていたのですが、例のグデングデンに酔った状態での手合わせで、重心力の真の威力に気づいて、徹底的に脱力して完全に相手の攻撃力を受け止めないで流し崩す“化勁”を磨くことに徹した訳です。

 その結果、太極拳や合気道の戦闘原理を理想として追究してきました。

 副産物的に達人しかできないと言われていた数々の技が、脱力技法によってほとんど再現できることを発見し、「まったくの素人にもできる!」と実証することで、武道の世界で金科玉条となっている考え方に疑問を提示する反骨的快感に浸ってきました。

 私にはそもそもの信仰心がありません。

 何も信じていませんから、疑ってかかることに対する倫理的束縛がありません。

 これは研究家にとって必要不可欠の資質であり、私にとっては技の優劣、流派の優劣、個人の優劣などすべて無価値であり、何が正しくて何が間違いか?という区別すら意味がないというニヒリズム的理解をしているのです。

 これは若い頃にジッドゥ・クリシュナムルティーが好きで著作をかたっぱしから読んでいた影響でしょう。

 武道好きには思想だの美意識だのに拘りを持つ人が多いのですが、彼らの根本には自己崇拝があります。その代償としての憧れの師範への過度の熱愛や憧憬があります。

 根本が自己崇拝ですから、実力が上がって憧れの師範を超えた?と自認(大抵は錯覚)した時に自我意識が肥大して誇大妄想狂となり果ててしまう例が多くあります。

 このタイプの人達に共通するのは、「いかなる人間も自覚のある無しに関係なく何らかの思想信条によって行動原理を支配されている」という自己認識を他者に押し付けたがるという点です。

 無思想、無信条である人間というものの存在を認めたくないのです。

 何故なら、そんな人間は自らの誇大妄想を洞察してしまうからで、つまりは自身が構築している権威主義的思想の正当性を共有してくれないからです。

 どういう意味かと申しますと、特定の宗教を信仰している者にとって、それ以外の宗教の教えは間違いであり、間違った信仰は否定されるべきだ・・・という独善性があるということです。

 私には信仰心がありません。

 だから、他人の信仰心に干渉する気もないのです。

 お解りでしょうか?

 私が流派の優劣論争だの強弱論争だのを無意味だと認識しているのは、私はいかなる対象にも信仰心を持っていないからなのです。

 けれども、過剰に批判したりするのは何故か?

 それは、自分の信仰心に過ぎないものを、これが正しいんですよ!と広めようしている人達の阿呆さ加減を指摘してやりたいからです。

「ヤボなことをするな! それはお前の誇大妄想に過ぎないんだよ?」と指摘してやりたいだけ。だから、私と同様に、信仰に過ぎないと自覚している人には文句を言わないんですよ。

 松田隆智先生や青木宏之先生は、ちゃ~んと解ってらっしゃいましたから、私も安心して本音で話せた訳です。

 信仰心の強い人だと、勝手に敵愾心を燃やして私を貶めようとするので長続きしませんね?

 武道の世界では信仰心の強い人が圧倒的に多いので、私のような考え方の人間は目障りで仕方がないのでしょう。

 即ち、自分が長年、「これが正しいのだ!」と信じて疑わなかったことを根底から揺るがすような“自分の信仰を脅かす悪魔”のような人間に思える訳です。

 無論、これは信仰心の強固な人間に特有の“被害妄想”です。

 精神病理として考えると、非常に危ないタイプで、ちょっとした弾みで簡単に社会規範を逸脱してしまうような人間です。

 ところが、そういう歪んだ精神構造だからこそ、一定以上の水準に達することができた?という現実もあります。

 つまり、歪んでいたり危ない精神だから強い?という大変、困った現実がある訳です。

 シンガーソングライターを滅多刺ししたストーカー男は柔道を、相模原で戦後最多人数の殺傷事件を起こした犯人も格闘技をやっていた・・・という事実がある。

 この連中は明らかに自己肥大した神意識の持ち主で、選民思想のようなものがあったのでしょう。だから、あのような残忍な事件を平然とやれた訳で、惜しむらくは、彼らに教える立場の人達が、何故、そこを見抜けなかったのか?ということです。

 私は、競技スポーツの弊害であろうと考えます。

「競技者として強ければいい」という認識しかないから、本人の人としての精神面の欠陥を放置したのだと思います。

 私が入会希望者やDVD購入希望者をたまに断ったりするのも、人として他者に対する時の言葉や態度を重視するからです。

「こういう言葉を用いれば相手がどのように感じるか?」と予測して言葉を選ぶのが社会性のある人間ですから、まずはそこを観察します。

 つまり、基本的な礼儀作法を弁えているか?という“常識”の有無。

 私は常識の欠けている人間に武術を教えるのはキチガイに刃物持たせるようなものだと思いますから、初対面で非常識な態度の人には教えません。

 しかし、その“常識”を意図的に駆使して人を騙そうとする狡猾な人間もいますから、そこを更に洞察していく力も養う必要があります。

 10年前の分裂騒動の時も、私は半年間、観察し続けました。そして、彼らには私に対する敬意は失われており、自分達の方が上だという優越意識が認められたので、最初はその優越感を満足させるために“独立”を提案して体よく追い出しましたが、「破門された」と第三者に告げ口しているのを確認したので、「あ~、体面を保ってあげようとしたのに、そういう被害者ヅラするんだ? だったら御希望通り、破門にしましょう!」と破門宣告した・・・という次第です。

 私は性格優しいですよ? でも、ある一線を超えたらためらわずに斬ります!

 必要とあらば、いつでも捨て身になれる! それが宮本武蔵の言う“巌の身”であり、修行者として範とすべきだと思っています(まあ、これは趣味ですよ)。

 日頃の言動というのは、その人の基本的考え方が反映されますから、注意していれば相当に多くのことが洞察できます。

 これは、“武術の読み”にも直結することです。

 この点に関しては、戸隠流忍法を習った時に野口先生に教わったことが多かったと思いますし、後に友寄先生からはかなり厳しく言われましたね。

 伝統的な武術家は、技よりも、このような心得について非常に重視しているものです。

 だから、私も技とか実力よりも心得がどの程度なのか?という点を、まず観察します。

 で、本当にできる人は、微塵もそれを感じさせないものですね? 武道家でござい!と宣伝して歩いているような人は論外ですね。

 現実は残酷なものです。

 有名な空手の師範がバスの割り込みした者を叱ったら、ナイフで刺されて即死したとか、全米空手チャンピオンが小学生に拳銃で射殺されたとか、クラブマガのインストラクターが喧嘩に巻き込まれてナイフで刺されて死んだとか、柔道家が引ったくりを取り押さえたけど「許してください」と言われて放してやったら隠し持っていたナイフで刺されて死んだとか・・・こういう話は腐るほどありますよ。

「自分は強い」と思っているから、油断して弱いはずの者に殺されてしまった訳です。

 日本プロレスの父である力道山がヤクザにナイフで刺されたのが原因で死んだという事実もあります。

 だから、私は技だの力だのはあんまり評価していません。その人が武術家としての心構えをどのくらい体現できているか?を評価しますね。

 極端に言えば、顔を見ただけでわかりますよ? 威圧するような険しい顔している人はダメですね。戦闘意欲を表面に出していたら相手も反応しますからね?

 でも、専門誌の取材なんかでは、強そうな顔をしてくれって注文出したりしますからね~? 本人の意志じゃないかもしれないから、表に出ている情報だけでは判断できませんけどね・・・。

 あっ、それと誤解する人がいるので解説しておきますが、「組手もやらずに強くなれるはずがない!」と言う人が随分といらっしゃるんですが、私は勝つことしか考えていないので、逆に「組手になったら勝てないでしょ? 確実に勝つには、いかにして相手の技を封殺して何もさせないようにするか? 相手に技を出させて自分も技を繰り出して、どっちの技が速くて強いか?で勝負を決するのは競技の考え方であって、武術の戦闘理論は徹底的に自分が一方的に勝つためだけの理論なので、原則的に騙し討ちにするのが鉄則です!」と申し上げておきます。

 だから、「老人でも子供でも非力な女性でも屈強な男に勝てる!」と主張している訳で、「勝つためには、正々堂々とまともに戦ってはいけません。相手を油断させ急所だけを狙い、できれば、一発で殺せる強力な武器を使いなさい!」と言う訳です。

 このような考え方を「卑怯だ」と非難する者は真の戦闘のなんたるか?を一度も考えたことのない“平和惚け勘違い人間”です!

「組手、実戦的、強さ」を主張する人達って、同じ条件で競うことしか想定していないし、圧倒的に相手が自分より強い場合を考えていません。

 負けたら死ぬという絶対の危機を想定していないから、“強さ”を無邪気に論じられるのです!

 武道、格闘技に親しんでいる人はまったく疑問に感じない様子ですが、そもそも武術の源流は戦場で戦う“兵法”ですよ。

“兵法”というのは、いかに効率よく敵を殺すか?というものですよね?

 私が言わんとしている事柄を、よくよく考えてみて戴きたいですね?

 そうすれば、いかに自分が幼稚な平和惚けした考え方をしているのか?が解ると思いますよ。

 本当に、私は武道家を自認している人と話していて、情けなくなるというか、「こいつ、本当に頭悪いな~?」と、つくづく失望することが多いんですよね?

 ほら、北朝鮮とアメリカがいつ戦争はじめるか判らない時に、殴り合いの強いの弱いのと喜んで話している時点で「阿呆ですか?」としか言えないでしょう~。

 現実逃避していないで、意識を転換していかなくちゃ~生き残れない人類滅亡前夜に我々は生まれてきているのかもしれませんよ~?

「人類存亡の危機に臨んで、俺は一体、何ができるだろう?」って、嘘でもいいから言ってくださいよっ!

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教材DVD『化勁の極意』+稽古会ご感想_20170421

Q. 大阪支部の感想及び「化勁の極意」感想

長野先生

こんにちは。滋賀の会員の●●●●と申します。

「化勁の極意」のDVDを拝見致しました。応用技法を見て、回し 蹴りやローキックは、剛柔流での練習ではどうしても体を固めて止 めるやり方になってしまうので、柔らかくキャッチして流したり、 体を回して流したりする方法がとても参考になりました。関節技は 、空手の型分解やシラットの逮捕術で抑え込まれた時に活かせると 思いました。

化勁の基礎の横・縦ですが、これは4月16日の大阪支部の練習で 、三元試力の横・縦の動作で行えるという事をやりました。相手の 突きを流したり、威力を弱めてしまったりする事を初めて体験しま した。また、向き合った時に相手は顔や肩に意識が向いている場合 が多いから、この横・縦の動作を応用して相手に意表をついた動き が出来ると言われました。こういった事から空手等の組手でよくや るピシッとした姿勢は、ある方向から力が加わったら簡単に潰され る恐れがあるという事がわかりました。

他に行った練習ですが、ようしん歩から腕を振りながら突いたり、 独己九剣の1~3本目をやったりしました。 腕をブルッ振りながら突くと八鶴振身の突きになっていると言われ たので凄く驚きました。 独己九剣は素手の状態で制圧するやり方もやりました。

様々な事をやったり、 深く掘り下げたりしながら練習をしているので、 いつも非常に充実した練習が出来ます。 今後も通い続けていきます。



A. 八鶴震身ではなく白鶴震身ですね。

先日、大阪支部長から電話で報告受けたんですが、私が確認しないと本当に白鶴震身かどうかは判りませんよ。

纒絲勁を使った陳氏太極拳の突き技と混同しているようにも思えたので、今度、見せて下さいね!

ちなみに、白鶴震身は白鶴拳でも秘伝扱いされているので、そうそうできるものではありません。

骨盤を細かくぶるぶるっと震わせて、振動を指先まで伝導させる技術です。

似て見えても纒絲勁とは違いますので、専門に修行して体得した人間しか判別がつきません。

まあ、色々研究しながら練習するのは良いことですから、楽しくやってください!

長野



+++事務連絡+++

DVD『化勁の極意』コンテンツ
 ・化勁の基礎(骨盤の横回転・縦回転)
 ・閉気栽脈法(相手の力の伝導を分断する)
 ・推手(片手のやり方・両手のやり方・差し手を利用した応用法)
 ・ワカメ体操(新体道養気体訓練の応用法・対多人数)
 ・剣術(続飯付けの応用法)
 ・ナイフ取り(受け流しながらしっかり取る)
 ・ピストル取り(銃口を避けて取る)
 ・関節技からの逆転(小手返しからの逆転・肘取りからの逆転)
 ・蹴りへの対応(ミドルキックの威力を柔らかく吸収しながらキャッチしての蹴り脚固め・ローキックの威力に逆らわず回転して流す)

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零勁斬りと見えない打撃

 15日(土)は、大阪在住の会員さんが個人指導を希望してこられたので、小塚師範も交えていろいろと雑談しながら指導しました。

ブログで書かれていた、目で見えないような速さの打撃というのを見せてもらえませんか?」とのことだったので、細かく解説しながら実演してみましたが、「長野先生、本当に全然、見えなかったですよ?」とビックリされた様子で、このくらい驚いてくれると、こっちも教えていて気分がいいですよね?

 相手の構えを打ち崩しながらババババッと鞭手を連発してみせて、「大体、今ので70%くらいの速度です。今は四発打ちましたけど、実際は掌打から背掌、前腕、肘打ち、一本拳に変化させながら最低でも5~6発は打ちます」と、やり方を説明しました。

 まあ、経験の無い人から誉められても大して嬉しくはないんですけど、並み以上の経験者が誉めてくれると嬉しいですよね?

兵庫支部長のキシさんが上手いから習うといいですよ」と言っておきました。

 フルコンタクト空手や何やら、いろいろ修行されていて某流儀では指導員をされているのだそうですが、やはり、御多分に漏れず緊張して力む癖があったらしいですね?

 私の経験上で言えば、武道経験者のほぼ100%が、力む癖があります。

 本当に脱力ができている人はプロのダンサーとか、ほんの数えるほどしかいませんでしたね。

 やっぱり、戦うとなると無意識に緊張してガッチガチになってしまいます。よほど精神的に余裕がないと戦う時に脱力するなんてできないんですよ。

 ダンサー系の人がすぐ脱力できるのは戦闘の怖さを知らないから・・・という要素が大きいでしょうね?

 しかし、本当に達人とか名人と呼ばれるくらいの優れた武術家だったら、実戦に際しても脱力できる筈です。

 プロの格闘家でも熟練者はリラックスして余計な力みがありません。伸びのあるしなやかなパンチやキックで相手をKOするシーンとか見ると、「あれっ? あんなので倒れるの?」と疑問に感じた経験のある人も多いんじゃないでしょうか?

 見た目に強そうなのと、実際に効くのは別なんですよ。チョコンと突いて相手がバタンキューとなるのは、重心力打撃の特徴で、打った本人も力感が無いので「え~っ? 嘘でしょ?」と信じられなかったりするんです。

 私も、20代半ばの頃、初めて寸勁を体得した時、ポンッと打ったら、サンドバッグがドバ~ンッ!と跳ね上がったのでビックラこいたものでした。

 以来、30年近くなりますが、本人は体得しているのに自覚がないという人が何人もいて、最近は、「サンドバッグ打ってみなさい」と打たせて、どのくらい威力が出ているのか確認してもらって納得してもらうようにしています。

 いちいちキックミット持って、打たせていたのでは受けた会員に後遺症が出たりしかねませんからね。

 実際、北島師範小塚師範は、後から後遺症があったと報告してくれましたが、威力が後ろに抜けるように打っても、体内に残ってしまったりするんですね。

 最近は会員には「サンドバッグ打ってどのくらい威力が出ているか確認すればいいよ」とお勧めしています。

 で、0インチパンチは力んでいたらまったく打てませんからね。伸筋繋げて打つことはできますが、前腕、肘、肩、背中、腹なんかで打つには、重心移動の力が必要です。

 うちの戦闘理論は、0インチ打撃ができないと絵に描いた餅になって「あんなのオカルトオタクのタワ言だ!」と最強格闘マニアから馬鹿にされてしまいますからね。

 逆に、力み癖が取り除けさえすれば、瞬間に技能がガラッと変わって向上します。

 この日もサンドバッグ打って確認してもらったんですが、触れたところからバシーンッとサンドバッグが弾けることで、あ~、こんなに威力が出ているんだ・・・と納得してもらえた様子でした。

 この確認作業が、なかなか難しかったのですが、サンドバッグを置く以前は、最も良いのが“寸勁斬り”であると思って、実施するようになったのですね?

 これは正確に力の方向がブレずに、真っすぐ通らないと成功できませんから、確認のために良いのです。

 力が足りなかったり方向がずれたりすると切断できませんからね。

 この日も寸勁斬りを教えてくれということだったので、マキワラを準備しておきましたが、最初は失敗したものの、結果的には二回成功したので、游心流二段を認定しました。

 この辺は経験者だからこそ、脱力のコツを飲み込むのが早かったですね。

 小塚師範は零勁斬りに挑戦し、最初は八割りくらい斬れていたので再挑戦。マキワラの斬る位置を低く指定してやってもらったら、あっさり斬れました!

 私が散々、苦心してやっとできるようになった技を、いとも簡単に体得してしまったので、あんまり嬉しくないな~?と、ちょっと拗ねちゃいましたよ~(苦笑)。

 恐らく、北島師範もやらせればすぐに体得できるでしょう。先日の寸勁斬りは、限りなく零勁斬りに近かったので・・・。

 しかし、一度できてしまうと、難しいと思っていた技も当たり前にできるようになるもので、一つの段階にいつまでも拘っていてはいけないというお達しかな?と思います。

 この日は、高い交通費を使って遠くから、わざわざ来てくれたので、なるべく多く教えたいと思って、質問にどんどん答えるようにしていたんですが、頭がパンパンになってしまったそうで、一通り実演解説して終了しました。

 関西の人は本音を素直に話してシャレっ気もあるので、私は大好きですね~! どうも、関東の人は本音を隠して調子を合わせるだけの人が多くて、信用できない人がいます。

 これはますます、大阪でセミナーやらないといけないな~?と思いました。


 翌日の日曜稽古会は、久々に鹿沼公園で花見しながら桜の樹の下で練習しました!

 桜の花びらが舞い散る中で、鞭手連環打法を細かく解説しながら練習させました。

 とにかく、見えない打撃というのは、「物理的に単純に速くて見えない」というのと、「予備動作がなく無駄な動きがないので見えにくい」というのと、「相手の視界から外れているので見えない」、「視覚には映っているのに意識に反応しないので結果的に見えていない」というくらいの種類があります。

 武術では、これらの要素を複合的に用いて、敵(相手)に反応させないまま、こちらの攻撃を命中させることを求めます。

 強いとか弱いとかという基準で判断できない理由が、この辺りにある訳です。

 
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秋本先生初著書『どんなに体が硬くてもペターッと前屈できる本』

秋本先生初著書『どんなに体が硬くてもペターッと前屈できる本
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 健康雑誌で有名なマキノ出版から謹呈本が贈られてきたので、「あれっ? 俺はマキノ出版さんとは関係ないけどな~?」と思いつつ、開封しました。

 すると!

 何と!

 秋本つばさ先生の著書ではないですかぁっ?

 少し前に著書を書いたと聞いていたんですが、私は秋本先生が関係しているベースボールマガジンから出るものとばかり思っていたんですね~。

 でも、恐らくマキノ出版から出た方が広がりがあるんじゃないかな~?という気がしますね?

 スポーツ関係よりも健康関係の方が需要がありますから。

 確か、以前に「秋本先生も本出すといいですよ」とアドバイスした記憶があったんですが、いろんな資格を持っている秋本先生ならではのシンプルで解りやすい構成で感心しましたね~。

 しかも、体質別に分けてストレッチ・メニューを解説しているところが、そんじょそこらの本とは根本から違いますね~。

 モデルも秋本先生自身がすべて演じていて、衣装も変えたり、実にきめ細かく実用解説書として工夫してあります。

 昨年、つばさ基地のアクションパーティナイトにお誘いして紹介した『デボラがライバル』『プラトニックセックス』『ダンボールハウスガール』などの映画の松浦雅子監督は、秋本先生を一目見て、「う~ん、できる・・・」と、剣豪みたいなこと言っていましたが、この本を見せたら何と言われるかな~?と思いましたね。

 素晴らしいっ!


 それと、話は変わりますが、東映チャンネルで『ハイキックエンジェルズ』を見ましたよっ!

『仮面ライダー・アマゾンズ』にも出演し、過日のアクションアワード2017にも出ておられた宮原華音さんのデビュー作で、子安慎悟先生が出演しているということで、ドキドキして見ました。

 冒頭、何となく、懐かしいような気がしたんですが、何か『セーラー服忍者』と作風が似ている?と思いましたよ。

 ただ、ガールズアクションとしては完敗だ・・・と思ってしまいました。グッスン。とても、ここまではできませんよ・・・。

 やっぱ、西監督のアクションへの拘りには、ながせき監督では太刀打ちできないかな~?と、そんなことも考えてしまいましたけどね。

 で、宮原さんのライバル的仲間で出演している青野楓さんの長~い脚でのキックも良かったんですけど、何か痣だらけになっているのは、マジで打ち合ったせいなのではなかろうか?と思うと、西監督、相変わらず鬼ですな~?と思いました。

 私的には、高田馬場の書店で話しかけられた経験がある子安先生の演技にドキドキしながら見たんですけど、ずっと無言で一言もセリフがありません?

 やっぱ、芝居経験が無いとそうならざるを得ないよな~?と、『セーラー服忍者』で同じようなポジションを演じた私は、一人、納得したのでした・・・。

 でも、ベニー・ユキーデとジャッキーとの対決を思わせる青野さんとの対決シーンでは子安キックも見せてくれて、やはり存在感はピカイチでしたね!

 しかし、痛そうだな~?

 何か、主題歌がどっかで聞いたことがあると思っていたら、『北斗の拳2』だったかの主題歌なんですね~?

 自主映画っぽい雰囲気が逆に可愛らしい作品ですね?

 えっと、それと、5月21日だったか? 岩槻映画祭で『セーラー服忍者』が再上映されるそうです! うちの会の千葉さんも初監督に挑戦した『面影』という短編作品を出してますので、宜しかったら是非!

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子供が好きって言えない?

 最初にはっきり申しますが、私は子供が苦手です! はっきり言って、好きじゃありません。

 そもそも、あまり人間が好きではありません。

 可愛いと思うのは子猫とか子犬とかで、人間の子供が可愛いと思ったことはほぼありません。

 基本、人間嫌いなのは、私が趣味に没頭するタイプで他人に邪魔されたくないからでしょうね?

 だから、友人は多いんですけど、それは趣味が合う人だからで、趣味が合わない人とは口を利くのも嫌なくらいなんですね。

 趣味が合う人なら老若男女関係なく話が合います。ずっと趣味の話だけしていられますからね。

 でも、それは好きとか何とかいう感情ではありません。

 楽しい話を共有できる人という認識ですね。

 こういう性格なんで家庭人には向いてないですよね? 結婚したいとか子供が欲しいとかいう普通の人間の感情が全然ないんですよね。

 よく、独りでいたら寂しいだろう?と言われたりするんですが、他人と一緒に暮らしたらものすごくストレスを感じそうなんで、嫌ですよね?

 私は孤独を楽しめる人間なんで、孤独に趣味に没頭している時間こそが至福なんです。

 根っからの自由人タイプなんで、何の制約も受けずに好きな趣味に没頭して生きていられたら、それが一番の理想なんですよ。

 他人から「あ~しろ、こ~しろ」と言われるのが一番、嫌い!

 だから、普通に勤め人とかできないのも気質的な問題なんですよね。病は気からで、体調も悪くなるんですよ。

 子供が嫌いというのも、子供は煩わしいじゃないですか?

 猫好きなのは、猫はエサやって撫でてれば文句も言わないし、必要以上にベタベタしてこない奥ゆかしさがあるからですよ。

 犬も可愛いんだけど、ちょっとベタベタ過剰に甘えてきたり、キャンキャン吠えてうるさいし、散歩させたり手間がかかるし・・・やっぱり猫が好き。

 自分の子供なら可愛いと思うものだ・・・とも言われるんですが、いないから何とも言えません。

 兄貴の娘が小さい時は甘えてきたりしましたけど、やっぱり煩わしいという気持ちがあって、可愛いとはあんまり思わなかったですよね?

 そんな具合なんで、映画に参加した時に、ながせき監督や千葉さんが子供好きと言うのが理解できなかったんですけどね。

 特に、女の子だと下手に頭撫でたりしただけで変態ジジイ扱いされそうで怖いでしょう? 最近は・・・。

 高校生以下だと気、使いますよ。

 で、最近、気づいたんですけど、私は対等に話のできる相手でないと嫌なんだと思いました。

 人を上から目線で見るのに自己嫌悪を感じてしまうんですよ。

 猫好きなのもそのせいなんだと気づきました。

 猫は人間を主人だと思ってないですよね? 岩合さんもそう言ってるし・・・。


 リンちゃんを殺した容疑者が保護者会の会長だったというニュースを見て、唖然となりました。

 デイブ・スペクターがピエロの格好して男子児童を襲って殺していた猟奇殺人犯の話をしていましたが、確かに似ていると思いました。

 ロリコンの有名人なんて宮崎駿やチャールズ・チャップリンとかざらにいますけど、犯罪おかさなきゃ~趣味の話なんで問題ありません。

 ドルヲタのオッサンなんかもキモいとは思うけど、犯罪おかさなきゃ~非難される筋合いではありませんし、彼らの存在で多くのアイドル業界が成立している経済的理由があるんだから、感謝されても非難される存在ではない訳です。

 私なんかも武器マニアで日夜、より効果的な人殺しのテクニックを研究しているマッドな性癖の人間なんですが、犯罪おかさない限りはオッケーなんですよ。

 この事件の容疑者も、単なる子供好きなだけのロリコン親父だったら何の問題もなかったんですよ。

 けれども、犯罪やったらいかんのです!

 相手の嫌がることを暴力的に強制し、その上、殺害に及んだとすれば、それはもう別次元の問題なんですよ。

 子供が好き・・・という言葉の裏側にある異常な欲望を制御できない人間は、反社会的な存在でしかありません。

 そういう人間はどうしたらいいのか?

 社会から放逐されるしかないんですよ。

 つまり、終身刑か死刑・・・これしかない。野獣死すべし!ですよ・・・。

 人間の条件というのは、理性で本能を制御できることです!

「本気で強くなりたいと思うなら、一時的にでも社会性を捨てるくらいの覚悟が必要ではないか?」と考える人間が武道を愛好する者には少なからずいますが、こういう考えは人が人として生きていくために“守るべき一線”を理解できない愚者の考えです!

 たった一度でも一線を越えてしまった事実が公になってしまったら、その人ばかりか、その人の周囲の人達にまで取り返しのつかない悪影響を及ぼしてしまうのです。

 その怖さを考えていれば、絶対に、こんな馬鹿な意見は口にできない筈です。

 つまり、考えが甘いんですよ。浅薄なんですよ。頭が悪いんですよ。幼稚なんですよ。世間知らずなんですよ・・・。

 でも、武道やっている人間には腐るほどいます。こういう考えを平然と口にするお馬鹿さんが・・・。

 専門的に追及する覚悟として自分自身で自問自答するのなら理解はできるんです。

 しかし、それを絶対に他人に対して口にしてはいけないんです。

 だって、言い換えれば、犯罪おかしてもオッケーなんだって言ってるんですよ。理性で制御できなくなるくらい本能に任せろって言うのは、そういうことです。

 そして、そうすることが崇高なことやっているんだと勘違いしていやがるから始末が悪いんですよ。

 オウム真理教の地下鉄サリン事件はそうやって起きたんですよ。彼らは神の視点に立っていたから、平然と犯罪をおかしたんです。

 実際は飛行機で東京上空からサリンを撒く計画だったそうですね?

 人を上から目線で見て、弱い者を強い者が蹂躙しても構わないという考えが犯罪を生み出す訳です。

「強くなる」って何なのか? 何のために「強くなろう」とするのか?

 はっきり言って、自分が他者より優位に立ちたいからですよ!

 だから、強くなりたいんですよ!

 権力者が民衆を奴隷のように扱うのと何の変わりがあるのか? 原理的に同じです!

 この本質を理解していれば、「強くなろうと思うなら・・・」みたいな下品な考えを口にできますか?

「恥を知れ!」と言いたい。

 私が武術を実践研究しているのは、強くなるためではありません! 強い力で蹂躙しようとしてくる人間を撃退する“戦いに備える戦略・戦術・戦闘理論”と“具体的な武器”を使う必要性を感じているからですよ。

 戦う力が無い人間が、一方的に暴力の犠牲にされる状況を脱するカウンター理論を研究している訳です。

 とにかく絶対に勝ち残るために必要なことをやる!

 それが私の研究している武術であり、それは生き残るためのサバイバル術なのです。

 TVや新聞のニュースとか見れば、「どっちが強いの弱いの」と呑気に論議をしている場合ではないくらい世界が壊滅しかねないような危機的状況に向かっているというのに、全然、他人事だと思ってる。

 こんな輩は脳みそが腐っているとしか言えないでしょう?

 武道愛好家に限って、「こいつら、危機意識とか無いのか?」と思うような幼稚なことばっかり言ってるし、阿呆丸だしで自分は強いとか思ってる訳ですから、恥ずかしい!

 こんな物凄い馬鹿な連中の同類と思われたくないですよ。

 本当の意味で強いというのはどういうことなのか?

 それは、弱い人達を助ける強さでしょう?

 ウルトラマンがゼットンに負けたからと言って、ゼットンを崇める人がいますか?

 いや、いるんですよ。そういう馬鹿が・・・。

 ただ、強ければいい。極悪人だろうが何だろうが、強くさえあればいいんだ・・・と考える馬鹿はいるんですよ。

 事実、武道界で問題が有ることで有名な人物を、ただ強いというだけで評価したりしてましたよね~、○○君は・・・。

 やっぱり、理性がちゃんと働いていないんでしょうね?

「本音を正直に言って何が悪いんだ?」と言うやつもいたな~?

「お前の頭が悪いんだよ」って答えましたけどね。

 一線を越えない。自分を律する。

 これが本当の意味での修行だと思いますね。

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DVD『化勁の極意』

 最新作化勁の極意』、柔道やっている人が申し込みされる率が高いですね?

 確かに柔道には応用しやすいと思います。

 今の柔道は筋力で技をかけるのが当たり前になっていますが、これだと年齢を重ねると辛くなる一方です。

 以前、柔道の道場をやっている年配の方とお話した時、腰痛持ちで受け身とるのも辛いし、若い者と乱取りするのは体力的に続かない・・・と本音をこぼされていました。

 それで、筋肉に力を入れて対抗することをやめて、脱力して“いなし”、返し技を主体にすることをアドバイスしたんですが、その後、楽にやれていると御礼状を戴いた記憶があります。

 その時に実演して背負投げや体落とし、大外刈り、内股などをかけてもらって潰すコツをお教えしたんですが、随分、ビックリされていましたね。

 でも、タネを明かせば、技をかけようとする瞬間は力の方向が一点に集中するので、その方向を、ほんのちょっとでもずらしてやれば嘘みたいに簡単に潰せるんですよ。

 この事実に気づいている人は非常に少ないですね。力を集中すればするほど、実は隙だらけになってしまうのです!

 だからこそ、力を抜いて重心操作で相手をいなすという化勁の技術は年齢重ねても熟練していけるのですね?

 そもそも、「柔道」という言葉そのものが脱力することを極意なのだと示唆している訳ですよね?

 まさしく化勁と相性が良い!

 もっとも、実は剣道、合気道、空手道、杖道など、何にでも応用が利きますし、ボクシングやキックボクシング、総合格闘技、ブラジリアン柔術などにも隠し味的に使うことができます。

 数年前に、現在はブラジリアン柔術の女子世界チャンピオンになっている、りかっくまさんが来られた時、腕力は強くないのですが、相手の力を働かなくする化勁の技術を天然で気づいて使われていることが判ったので、「僕が教えることは何もないですね~?」と苦笑いしてしまったことがありました。

 その時はまだ日本チャンピオンだったのかな~? でもトップになる人というのは常識とされている練習法以外のことまで研究するものなんだな~?と思いましたし、その後、世界チャンピオンになられたのも納得でしたね。

「俺が教えてやった」と言いたいところですが、実際はな~んにも教えていません! りかっくまさん本人の努力と研究の賜物ですよ。


 今回のDVDは、いつもと比べると売上は宜しくないんですが、化勁というのは味の素みたいな万能調味料みたいな働きを武道や格闘技にもたらすものなので、本当は最高に役立つんですけど・・・結構、価値が判らない人が多いのかな~?と、思いますね。

 案の定、システマとの類似性を指摘する意見もあったんですが、DVD中で明言しているように、主な参考にしているのは新体道のワカメ体操なんですよ。

 それと太極拳ですかね~?

 化勁で崩して発勁でトドメを刺す?みたいなイメージを最初は私も持っていたんですが、どうも違いますね?

 化勁だけで相手は自滅してしまうので、わざわざトドメ刺す必要もないのです。

 また、発勁も、相手を化勁で崩しているからこそ完璧に食らわすことができる訳ですし、熟練すれば発勁の中に化勁が、化勁の中に発勁が融合してくるような感じになります。

 例えば、鞭手打法を使う場合も、会員がやるとペチペチッとなるのですが、私がやると、一発目で相手がガクッと崩れる・・・つまり、弾勁の中に化勁が交じっているのです。

「触れたら勝てる!」と私が豪語しているのも、触れた状態で相手の重心を奪う化勁を会得しているから、自在に0インチ打撃を打ち込む自信があるからなんですよ。

 これも、人間は重心が崩れていると力が半減してしまうというキネシオロジーの理論を応用しているからです。

 だから、逆に、自分が重心が崩れた状態でも戦えるにはどうすればいいか?と考えたりもして、結果的に酔拳の戦闘法を応用した訳ですが・・・。

 普通、何か有効な理論に気づいたら、それに沿って技を考える人が大半なんでしょうが、私は「逆もまた真なり!」と考えて、正反対のやり方も研究するのが癖です。

 その上で、どっちが有効性が高いか?と考えてきています。

 筋肉を鍛えてパフォーマンスをアップしようという運動理論も間違いではありません。

 しかし、だれもが思っているほど効率的ではないし、効果が出るまで時間がかかり過ぎます。

 そして、結局は力と力の対抗戦になってしまい、そうなると体格や体力に左右されてしまい、子供や老人、女性は屈強な若い男性には絶対に勝てないという結論になります。

 私自身、30歳前まではそう考えていました。

 筋肉も並み以上に鍛えていましたから、腕や脚も結構太くて筋肉質なのに驚かれたりしますし、「実は筋力でかけているんじゃないですか?」と疑われたりします。

 だから、脱力技法を体得するまでは相当に苦心したんですよ。

 信じていないと本当に脱力したりできないですよ。相手がマジでキックやパンチしてきたのを脱力したまま受け流すなんて、達人中の達人しかできないのでは?と思っていたからです。

 でも、四十を過ぎ、五十を過ぎて、体力そのものがガクッと落ちてくると、筋力に頼れなくなるんですよ。

 そこで初めて、真の脱力技法の威力に気づいた訳です!

「ええ~っ? こんなに威力が出るの?」と、ビックリしましたもん。

 普通はガンガン打ち合っても大丈夫なものなのに、ポンッと発勁一発で相手がぶわ~んっと吹っ飛ばされたり、ヒョイッと化勁しただけでべっちゃ~んと潰れてしまったりするのです。

 何じゃ~、こりゃあ?という感じの、あまりにも圧倒的な威力で鉄人のように強いと思っていた相手がヌイグルミみたいな軽さで吹っ飛んだり潰れたりしてしまうのです。

 神秘の気のパワーだとでも思うしか納得できないでしょうね?

「あ~、そうか? これは重心移動の問題なんだ」と気づいて理論化してからは、人に教えて体得させることも容易になりました。

 神秘武道の仕組みを解明できた訳です。

 だから、私はあくまでも普通の言葉で誰もが理解できるように教えることを追究したいですね。

 そうしないと、いつまでも怪しいものだと偏見を植え付けるだけだし、無知な人達が奉ってカルト団体化してしまう危険性があるからです。

 この前、仁平師範の伝承する刀功門について武術としては非常に価値ある貴重な門派だと思いつつ“普及すべきでない”と断腸の思いで批評したのも、社会常識を破壊しかねない要素があまりにも濃過ぎたからなんですよ。

 仁平師範も若いからオウム事件の時のスピリチュアル業界が危険視された時代を知らないので(当時、ヨガや気功のサークルがどんどん潰れた)、オカルチックな言説がどれだけ社会の潜在的圧力を高めてしまうか?という恐ろしさを丸っきり解っていません。

 彼の周囲の人達も、手放しで称賛するばっかりで、少しも冷静なアドバイスをしようとしない。いや、できないのでしょう?

 無責任に煽るばかりで、既にプチ・カルト宗教化しそうな勢い・・・。

 この際ですから、はっきり明記しておきますが、游心流はオカルト禁止です!

 私は作家や研究家としてオカルトには拘わりますが(現にあるものは否定しない)、それを一般に普及するのは、どうやっても害悪にしかならない(偏見と盲信を広めるだけ)と考えています。

 だから、游心流の理論からはオカルト的な理論(気功的神秘主義的な理論)は除きます!

 世間的に怪しい団体だと思われてしまうのはマイナスにしかならないでしょう?

 それに、10年前くらいに分裂騒動が起こった時とまったく同じような振る舞いを無邪気にはしゃいで大石さんが暴走していたお花見会を見ていて、「これは厳しく禁止するって言うしかないな~?」と、悲しい気持ちになりましたよ。

 オカルトは楽しいんです! 百物語や稲川さんのイベントは人気があるじゃ~ないですか?

 私だって、大好きなんですよ。

 でもね。オカルトの世界観で世の中を生きていくことはできません! 見えない世界を語るのはアリだけれども、見えない世界を見えるものとして普及することはできないのですよ。

 それをやったのがオウム真理教であり、その結末は反社会テロリズムだったという現実をしっかりと認識しなければなりません!

 オカルトとは隠秘学と訳しますね? 公にしてはいけないんですよ。

 山口敏太郎さんはオカルトはプロレスだと言っていますが、そういうシャレっ気のあるエンターティンメントとして扱うのが健全なんだと私も思いますね。

 広義のサブカルかな~? メインストリームではないからメジャーにはなれないし、してはいけないんですよ。

 これは余談ですが、4スタンス理論って鳥居先生に習ったものなんだそうですね?

 出自を隠して普及するというのは随分、失礼な話だとは思っていたんですが、「いいや、待てよ~? もしかして、そのまま出したらオカルト理論的過ぎてメジャーになれないと考えて、わざと簡略化した理論にしたのかもしれないな~? ビジネス展開を考えたら、それが賢いやり方だよな~?」と考え直しました。

 普及するということは、できるだけシンプルにした方がいいんですよ。

 ほら、180度開脚ができるというだけの本が100万部突破したでしょう?

 あれやこれやとネタを提示するより、これだけやればオールオッケー!と言い切ってしまう方が売れるんだ・・・という話を聞いたことあります。ヒットの法則ですね。

 じゃあ、私もやるかぁ~?

 脱力すればいいんじゃあ~~~~!!!(何か、ヤケクソだな~?)


+++事務連絡+++

DVD『化勁の極意』コンテンツ
 ・化勁の基礎(骨盤の横回転・縦回転)
 ・閉気栽脈法(相手の力の伝導を分断する)
 ・推手(片手のやり方・両手のやり方・差し手を利用した応用法)
 ・ワカメ体操(新体道養気体訓練の応用法・対多人数)
 ・剣術(続飯付けの応用法)
 ・ナイフ取り(受け流しながらしっかり取る)
 ・ピストル取り(銃口を避けて取る)
 ・関節技からの逆転(小手返しからの逆転・肘取りからの逆転)
 ・蹴りへの対応(ミドルキックの威力を柔らかく吸収しながらキャッチしての蹴り脚固め・ローキックの威力に逆らわず回転して流す)

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静岡に天才武術家アリ!

 私が昔、習った先生の道場では天才的な才能を持った兄弟がいました。

 琉球古武術、伝統空手道、フルコンタクト空手、合気道、ムエタイ等を学んでいたのが弟の武央(タケヒサ)先生でしたが、その後、日本人で初めて中国の散打(自由搏撃)大会で中量級チャンピオンとなり、中国散打の名選手と互角以上の試合をやった(判定で敗れた)ことで、中国武術の大家から絶賛されたと聞いています。

 さらにその後はインドでヨーガを学んだり、中国で意拳を学んだりされていました。

 長いこと御無沙汰していたものの、昨年、連絡を頂戴して川保天骨さんを御紹介して戴いて、また交流が再開したという次第なんですが、兄の宜史(ヨシフミ)先生はどうされているのか?と思っていました。

 いつも弟の武央先生の才能を高く評価して「弟は天才ですよ!」と言われていましたが、私は、「う~ん、むしろ、天才タイプなのは宜史さんなのかもしれないな~?」と思ったことが何度もありましたね。

 弟の武央先生は、どっしりと土に足を着けて修行する沈身の感じなんですが、宜史先生は、風のように軽やかに何物にも捕らわれない浮身の感じなんですよ。

 で、ほら? 私って、どこからどう見ても浮身の感じでしょ?

 気質的に似てるからだったのか、宜史先生とは気が合ったんですよね~?

 だから、私が個人で作っていた機関誌の企画に協力してもらって、天然理心流や太気拳(意拳)、ニューマーシャルアーツ(サンボ系)、松田隆智先生の八卦掌?とか体験してもらったりしたんですよ。

 で、「スゲェ~!」と思ったことが何度かあったんですが、一番、戦慄を覚えたのは、故・龍飛雲老師のトーナメントで準優勝した時の試合ですよ!

 相手選手の蹴りと宜史先生の蹴り足がカチ合った瞬間、パキーンッと甲高い音がして、直後に宜史先生が片足のまま戦い出したんです。

 おやっ?と思って、よく見たら、挙げている足の足首からぐにゃっとあり得ない方向に曲がっています。

 足首の上の二本の骨が完全骨折していたのです。

 その点だけ見れば、相手選手の蹴りの威力が凄いという評価に繋がるかもしれませんが、私はむしろ、宜史先生の精神力に度肝を抜かれたんですよ。

 だって、ケンケンしながら、そのまま戦ってるんですよ?

 絶叫するか、倒れて動けなくなるかのどっちかでしょう?

 極真の黒澤先生が拳の骨が折れて皮を破って突き出したまま戦っていたという有名な逸話がありますが、あれを彷彿とさせます。

 無論、もつれて倒れた時に、骨折しているのが判明して病院に搬送され、その後、一カ月以上は入院生活で、「そりゃあ、メチャクチャ痛かったですよ~(笑)」と言っていましたが、格闘技の試合でこんな凄絶なシーンを見ることになるとは思わなかったですよ。

 また、宜史先生は、当時、弟子の誰もできなかった師匠の歩法を唯一、できるようになっていました。

 その後、誰かできるようになった人がいるのか知りませんが、私は独自に研究して私なりの歩法“蛟龍歩”を工夫したんですが、道場ではずっと隠していたんですね。

 でも、宜史先生には、ちょっとした動きで見破られました。

「はは~、長野さん、先生の歩法、盗みましたね(笑)」と言われたのを、今でもよく覚えています。

 そんな次第なんですが、そこの道場と縁が切れてからは、ずっと会っていなかったんですけれど、武央先生から、「実家がある静岡に戻って独自の考えで総合的に武道を研究する道場を主宰している」とは何年か前に聞いていました。

 あの分析能力なら、さぞやユニークな道場だろうな~?と興味津々でいたんですが、川保さんとの企画で武術ムック本を作ろうという話になっていたので、取材してみたいな~?と思っていた訳です。

 そうすると、やっぱりシンクロニシティーが起こるんでしょうね~?

 宜史先生の方から武央先生を通じて、私が書いた小説を読んで誉めて戴いたんです。

 ですら、御礼と併せて取材を申し込みました。

 お弟子さんは少ないらしいんですが、若いお弟子さんが私の愛読者らしくて、以前から注目してくれていたらしいですね?

 極真空手でも、会は分裂しても、弟子同士は仲良く付き合っていたりするじゃないですか?

 最近、つくづく思うのは、武術は伝える人次第だということです。

 松田隆智先生が、「三年かけても良師を選べ」と本に書かれていたことは本当のことだな~?と、つくづく痛感させられます。

 有名な流派だからとか、会が大きいからとか、先生が専門誌に出ているからとか、そういったことを基準に評価する人が大半でしょうが、真実は違います!

 そういった事柄は、「宣伝が上手い」というだけだったりするのです。

 本当に実力がある先生は宣伝が嫌いで、まったく表に出なかったりするので、まったく無名で、業界の一部でだけ噂されている・・・なんてことが多いんですよ。

 しかし、それでは本当に優れた武術が失われてしまいかねません。

 伝統は誰かが繋いでいかないと消滅してしまいます。

 特に技芸の分野は人間が学んで次の世代に伝えていくしか方法がないのです。

 私は武術研究家として、優れた技と理論を持つ人を紹介していくのも自分の仕事だと思っていますが、さて、なかなか、紹介できるような先生は少ないのが現実でした。

 しかし、岡部宜史先生なら安心して広く紹介し推薦できると確信しています!

 どうぞ、静岡近郊にお住まいの方で武術を学んでみたいと思っておられる方は、富士宮市の総合武道研究会玄武館をお訪ねください。

 実力も見識も人柄も優れて、その上、“シャレが分かる”明るい先生ですよ!

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四月セミナー“中丹田”感想

 四月セミナーは“中丹田”の開発と活用についてをテーマにしましたが、ここ何年か、わざとゆっくり動くようにしていたので、私が「スピードが遅いのが弱点」だと思い込む人が会員にもいる様子でしたので、久しぶりにハイスピード拳法・通背拳をアレンジした鞭手連環打法と、第二段階蛟龍歩を使ってみました。

 私はスピードには相当、自信があります。

 ボクシングやっていた人から「長野先生みたいに速い人は見たことない」と言われたことがあります。

 先日も、練習後にファミレスで武術の動画をスマホを見ていた会員間で、「この先生、スピードが凄いですね~っ?」と盛り上がっていた時、北島師範だけが、「長野先生の方が全然、速いですよ」と、ぼそっと言っていました。

 彼は10年以上も私の技を受けているので、私がフルスピード出したら、どれだけ速いのか?を知ってる訳です。

 ここ数年は、ほとんど本気のスピード出して動いたことありませんから、ここ数年で入った会員、つまり、現在の会員の大多数が、私がそんなにスピードが出せることを知らない訳です。

 簡単に言えば、普段はわざとゆっくり動くようにして隠しているんですね。弟子にさえ見せない。

 いわゆる“奥の手”というヤツです。

 ただし、普段はやらない理由がもう三点あります。

1,フルスピード出すと、加速度がつき過ぎて打拳を止められなくなってしまうので相手に怪我をさせてしまう。

2,下丹田と中丹田を併用して動くのでメッチャ疲れるので、数秒しかできない。

3,教える時に、速く動いていると何やっているのか全然判別できないので、会員や受講生が困る。

・・・という次第です。

 また、上丹田を開発していくと読みの能力が上がるので、相手が動き出す寸前を抑えることができるようになる。

 従って、わざわざハイスピードで動く必要がない・・・という理由もありますが。

 けれども、前日に大阪支部長から電話があってセミナー前に剣術を教えて欲しいということだったんですが、その時にいろいろ話していて、「俺は動きが速いと言われる先生方を大勢見たけれども、ちっとも速いとは思わなかった。なぜなら、目に見える速度だから。俺の習ったある先生は本気で動くと手と足が消えて見えなくなっていた。だから、速いな~と感じるくらいの速度は目に見えている訳だから、大した速度じゃないよ。本当に速いと言えるのは目に映らないくらいだろうし、俺が目指しているのも、そんな超神速の速度だよ」と大見栄を切ってしまったので、これはちょっと見せなきゃいかんな~?と思った次第。

 そんな訳で、この日は久々に、70~80%くらいのスピードを出してみました。

 これは、一挙動で最低5~6発連打しますが、意味なく速く打ってるんじゃなく、一発目で相手の前手に拍掌で牽制をかけて意識を集中させつつ崩しをかけ、虚の状態になった顔面、後頭部、脇下などに背掌、前腕、肘、一本拳(竜頭拳or透骨拳)を流れるように打ち込んでいく戦法です。

 また、当然ながら間合が詰まっていきますから、暗腿で崩しをかけていったりします。

 寸止めできるスピードだと、このくらいが限度ですが、もし、100パーでこの連環打法を遣えば、相手に大怪我以上のダメージを与えることになってしまいますね?

 100パーだと実際に当てないと止まらないし、当てることを前提だから振り切って打てる訳です。

 が、そのスピードで連打すると加速度がつき過ぎて、相手に大怪我させてしまいかねませんから、少しスピードを犠牲にしないとコントロールして寸止めできないんですよ。

 もう一つの弱点は、スピードばかり出そうとすると一発一発の威力が減殺されてしまうんですね。受講生の中には単なるペチペチパンチになってしまっている人もいましたが、スピードを重さに変えるように、打つ一発一発が当たる瞬間に意識を乗せて打撃を重くする心法も必要です。

 もちろん、慣れたら考えなくてもそうなりますが・・・。

 ちなみに、この連環打法に蛟龍歩を組み合わせると、戦術的に相当、面白くなります。

 蛟龍歩を使うと視界から出たり入ったりするので、受ける側は感覚的に余計に速く感じてしまう訳ですね。

 実際、目の前でやられると、もう全然、目で追えません。それで、「相手が動いたと思った次の瞬間にはめった打ちにされていた」となる訳です。

 今回、私は栗原師範の技を受けてみたんですが、これで攻撃されたら防戦一方になってしまいますね?

 最近、確実に速くなっているんですが、栗原師範は還暦超えたそうなんです。それでこのスピードで動くというのは化け物染みていますよ! 

 これは後の先や対の先では対処できないでしょう。

 となれば、動き出す前の先の先で制するしか対処法がありません。

 フルスピードではありませんが、若手会員からは「うわっ、長野先生、速過ぎて見えないですよ~っ!」と、結構、ビックリしてくれたので、ちょっとドヤ顔しちゃいました。

 大阪支部長も大喜びして熱心に質問してきたので、具体的なコツをその場で指導したら、“何とっ!”その場でかなりコツを掴んでしまい、おまけに自分がやってきた流儀の技と組み合わせて応用技まで開発していましたよ!

 彼は本当に伸びるのが凄く速いですよ。セミナー後のファミレスでも教えたことをノートに図解で書いたり疑問点をいろいろ質問してきていましたからね。

 大阪支部の稽古会に参加した人が絶賛していたのも、彼が理論派だからでしょうね。

“中丹田”というテーマは中途半端な感じで興味を持たなかった人が多かったのか、参加者は少なかったんですが、武術の戦闘理論という点では非常に満足度が高かったと思います。

 八斬刀(詠春拳の武器)の遣い方も質問されたのでやったし・・・。

 では、具体的な練習する時のコツは何か?と言いますと・・・

 スピードを速くするコツは、関節を緩めて筋肉は脱力させること。肩甲骨から先をほうり出すように射出するのがコツです。

 ということは、つまり、化勁の身体操法と同じなんですよね~。

 すべてが脱力体によって実現できる訳です!

 私が常日頃から、「脱力が大切だ」と口を酸っぱくして言う理由が、武道や格闘技をガシガシやってきた人ほど、筋肉が力みまくっていて武術の技が吸収できないからなんですよ。

 とにかく、「筋肉が力を生み出す」という概念を捨ててください!

 ほぼ大多数の空手家が言う「必要な筋肉には力を入れなくてはならない」という考えでは、実際には“無意識に不必要な筋肉にまで力が入ってしまう”のです。

 徹底的に筋肉に力を込めない! 筋肉は敵だ!というくらいの気持ちが重要です!

 筋肉の収縮が力を生み出すという考えを捨てない限り、重心力を駆使することはできません!

 体格・年齢・体力・性別の差を覆すには重心力を駆使できるようになるしかないと私は断言しておきたいと思います。

「本当に脱力したら立っておれないではないか?」と疑問を呈する方もおられますが、それでこそ理想なんですよ!

 考えてみてください。筋肉だけで立てますか? 立つというのは骨格があるから立てるんですよ。タコやイカが直立して歩かないでしょう? 動きを先導するのは骨です。

 だから、游心流では骨盤主導なんですよ!

 合気の達人が死の寸前に弟子に腕を握らせて吹っ飛ばしてみせたという逸話を検討すれば、武術の技の威力が筋肉の収縮力によるものでないことは明らかでしょう? 

 私も、泥酔して倒れる寸前の状態で某拳法修行者と手合わせしてみましたが、見ていた会員からは「いつもより技がキレてました」と言われましたからね~?

 とにかく、武術の極意とは“脱力”! これに尽きます!

 では、何のために脱力するのか?

 それは“重心力を目一杯駆使するため”です!

 筋力では到底、納得できないような異常な威力も重心力だからこそ発揮されるのです!

 最新作DVDでは、複数の相手に抑えられているのを脱力して骨盤からブルンッと回転するだけで振り払ってしまう合気風の応用技もやっていますが、こんなの筋力ではほとんどできませんよ。

 化勁の凄さは圧倒的なパワーの差を無意味にしてしまえる点にあります!

 それは、相手の力に力で対抗する理論を捨てて、発想を転換したから可能になったのですよ。自分自身の力ではなく、万物に働いている“重力”を利用するのです!

 大体、どんなに鍛えても肉体は年々衰えるんですよ。

 しかし、重心力は衰えません。技巧的に熟練すればむしろどんどん向上させられます。

 これはスポーツの概念とは反対なので、スポーツに熱心な人ほど信じられないと思います。

 けれども、極めて力学的な問題なんですよ。少しも神秘的なものではありません。

 少なくとも私がやっていることはそうです。

 教えれば誰でも会得できます! その場で!

 今月は4/30(日)にも西荻窪ほびっと村学校講座をやりますが、是非、実感してもらいたいですね?

 人間は、「あっ、こういうことなのか?」と自覚しただけで、それこそ一瞬でガラッと変われるんですよ。

 達人も凡人も人であることは変わらないんですよ。

 どこが違うのか?というのは、理を掴んだかそうでないかの差だけです。

 延々と修行しても理が掴めない人は達人になれないし、逆に何の修行もしていない人でも理を掴んだ瞬間に達人になってしまうのです!

 だから、武術って面白いな~?と、つくづく思いますよ。

 実は苦しい修行とか鍛練とかとは別の次元で理合に気づいた人が、一瞬で達人になってしまえるからです。

 金庸先生の武侠小説の主人公は偶然、秘伝を伝授されて無敵の達人になってしまったりするんですが、事実、そういうことがあるんですよ。武術って・・・。

 逆に、理合を考えないでいくら努力したって無駄なんですよ。それが真実!

 しかし、「苦しい修行を長年ひたすら耐えて続けることで達人になれるものなんだ」って、皆、信じ込んでますけど、これ、間違いです。

 ただの“思い込み”、あるいは自分の無能をごまかすための“希望的観測”でしかありません。

 長年、頑張って修行してきている人ほど、自己のアイデンティティーとして否定したくないから、“思い込み”を“信念”と言い換え、そのうち“真実”なんだと錯覚してしまうのです。

“必死で頑張っている俺”というナルチシズムに耽溺しているだけで、まったく客観的事実を見ようとしていないのです。

 はっきり言って、単なる思考停止です。思考停止からは何の進歩も望めません。

 具体例でいうなら、「型を延々と繰り返すことで技は自然に体得できる」と思い込んでいる人が多いですが、戦闘理論を考えないで型だけ繰り返していても、何年やろうが自然体得なんかできません。

 型は徹底的に分析することで無尽蔵の武術の理論と知恵を教えてくれますが、分析するには理論がある訳です。

 これは、今度のほびっと村の講座で解説しましょうかね?

追伸;最新DVD『化勁の極意』絶賛発売中! 脱力体こそがS級達人への道! 自分は弱いと劣等感を持っている人こそ、これを買ってください!

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四月セミナー“中丹田”

 四月の月例セミナーは、“中丹田”です。

 身体操作の観点から述べれば、中丹田は胸の操作が中心になりますが、骨格で考えると肩甲骨の操作になります。

 肩甲骨から腕を動かすようにようにすると・・・

1,腕が長く使える。

2,手技のスピードがアップする。

3,手技の技巧が上手くなる。

・・・といった効果が得られます。

 また、どうした理由か私もわかりませんが、中丹田を開発すると情感が豊かになるようなのですね?

 だから、役者の訓練には非常に良いのではないかな~?と思いますね。

「中丹田が開発されているな~?」と思った人には、心道の河野智聖先生がいます!

 イベントで野口整体を教わった故・岡島瑞徳先生のことを語っておられた時に感極まって涙を流されていたところが、強く印象に残っています。本当に優しい方です。

 実際、中丹田を特に意識して訓練していた頃、異常なくらい感動症になってしまって、TVドラマ見ても涙がちょちょ切れてきたりして困ったことがありました。

 今でも、自分で小説書いていて感動して泣けてきたりしますからね~?

 自分で考えた話に自分で感動して泣いてるのって、気持ち悪いでしょ?

「俺、頭おかしいかな~?」って、時々、心配になるくらいですよ。

 しかし、涙は心の潤滑油みたいなもので、健康のためには泣いたり笑ったりするのが一番いいんですよ!

 怒るのと無感動でボーッとするのが最悪!

 心身の健康に悪いのです。

 結局、感情をぐっとこらえて溜め込むのが健康に悪いんですよね? 発散させないと。

 踊ったり、酒飲んだりするのも、そういう心身の欲求なんでしょうね~?

 そういえば、お花見の時に、オカルト話に興じていたら、“本物の方”が寄ってきて、皆でウワワ~ッと思いましたよ。

 そういう電波を受信しちゃうんでしょうかね?

 江戸時代なんて、そういう人に暗がりで出会って妖怪話になったりするんだろうな?

 何か、大映の『妖怪百物語』に出てきた“おしろい婆ぁ”を思い出しましたけど、桜の花には麻薬効果がある物質を発散させると聞いたこともあるし、この季節はそういう人が出ますよね?

 あっ、すいません。話が脱線しましたね?(って、いつものことか?)

 中丹田は心臓に対応しているとされますから、非常に重要なんですね。

 下丹田ほど技の威力は出ませんが、中丹田は技そのものが多彩になるんですよ。

 今回はお蔵だしして普段、見せないような技をいろいろやってみようか?と思っています。

 つまり、一つの動作で十も二十も応用変化技が出せる!ということを実技指導してみようかな?と・・・。

追伸;最新作DVD『化勁の極意』、早速、感想をいただきました。「柔道に応用することを閃いた」とのことで、確かに柔道や合気道には役立つだろうな?と思います。

追伸2;質問もありました。「化勁の時に軸を回転させて受け流すのですか?」とのことですが、「できれば軸とか芯を消して、加わってくる力の方向をずらすことだけを意識してください。機械的な対応を覚えてしまうと応用が利かなくなりますよ」。

追伸3;花見の時に「江上茂先生の『空手道入門』が復刻されてましたよ」と聞いたので、早速、翌日、町田のブック・ファーストに行って、『シン・ゴジラ』のDVDと一緒に買ってきましたよ。でも、読んでビックリ! 原本は青木先生が全面協力して出来た本なのに、写真は入れ替えられていて全く別物になっていました。青木先生の影響を消そうという意図を強烈に感じて気持ちが悪くなりました。そこまでするの?と思いましたが、たった一人、学習院大学空手部長の工藤張雄さんだけが、“私が常に思うのは、新体道の青木宏之さんの出版初期の恩恵に感謝すべきである。”と書かれている点。そこだけが何とも言えない侠気を感じさせてくれましたね? 何だか、パンドラの箱みたいだな~?と・・・。

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テレ東、やるな~。

 最近、テレ東がやる気満々だな~?と思いますね。

 以前は東京ローカル局と低く見られていたのに、最近はフジテレビを追い越しそうな勢いもあります。

 特に、大沢在昌原作のサスペンスドラマ『冬芽の人』は、力作でした。

 親子くらい年の離れた恋愛がどうとか書かれていたのを新聞で読んだ時は、もういいよ~と思ったんですが、実際のドラマは実にハードボイルドな展開で、鈴木京香が実にカッコイイ元女刑事の中年OL?という役柄で、一市民でありながら因縁の事件の真相に迫っていき、最後は拳銃を手にして戦い、言い訳もせずに刑に服する・・・というもの。

 まあ、「OLが仕事もしないで何やってんの?」とか、「こんな美女だったら年齢差考えないで惚れるでしょ?」とか、いくつもツッコミ所はあるんですが、『人間の証明』の八杉恭子より、こっちの方が魅力的なのは間違いなく、流石は格闘技好き女優だよな~と思いましたね。

 それと、田中泯さんが有無を言わさぬ極悪人を演じていたのも良かったですね~。

 いつもだったら、心ならずも無法を働く人・・・という敵役のイメージが強い泯さんが、今回は徹底してイデオローグとしての悪人なんですね?

 先が読めない驚愕の展開といい、どこか無難な印象が残る二時間ドラマの一線を越えていて、映画を見た感じでした。

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スタンレー・プラニン氏死去

 合気道を学び、合気道の研究のために来日して『合気ニュース』を刊行されていたスタンレー・プラニン氏が、2017年3月10日に胃癌でラスベガスの自宅で亡くなられたそうです。

 私はクエストさんで聞いて、どう出版のサイトで確認したんですが、まだ71歳だったそうで残念なことだと思います。

 合気道の専門誌として地道に続けてこられて、大東流や甲野善紀氏のブレイクのきっかけを作ったのも、『合気ニュース』だったと私見します。

 私が砂泊先生や親英体道のビデオを見たのも合気ニュースから出ていた作品が最初でした。

 ロシアの合気道というキャッチフレーズでシステマを紹介したのも、確か合気ニュースが最初だったのではなかったでしょうか?

 私は二、三回、直にお会いしたことはありましたが、親しくなることもなく終わりましたけれども、スタンレー氏が合気道界に果たした功績は、非常に大きなものだったと思いますし、合気道を中心とした武術の研究に関して敬意を覚えます。

 時に、経歴詐称の団体を厳しく批判する記事を書かれていた熱血な点も、個人的に好きでしたね。武道武術をやる人間は本質的に熱血漢であって欲しいんですよ。

 合気ニュースも、今は、どう出版と名前が変わり、宇城氏の著作専門の出版社みたいになってしまっているので、往時のスタンレー氏の真摯な合気道探求のテーマ性は失われてしまいましたから、ずっと買っていません。

 スタンレー氏としては残念だったのではなかろうか?と思いますが、その後もアメリカに戻ってライフワークとして合気道に関わっておられたのは、実に立派な人生だったのだろうと思います。

 私も二十代後半から三十代にかけて、『合気ニュース』に大いに刺激を受けて武術研究家としての自分のポジションを確立してきました。

 そして、結果的に日本武術の到達した極意が合気道の中に有る!とまで認じるに至りました。

 游心流の中から分派して游心流合気道を立ち上げたのも、合気道の魅力を教えてくれた『合気ニュース』のお陰だったかもしれません。

 スタンレー・プラニンさん! 

 有り難うございました!


追伸;黒澤浩樹先生も急逝されたと聞き、大変、驚きました。竹山晴友先生との対談の予定などもあったそうでしたが、本当に一時代を築いた格闘技界のヒーローが亡くなられたのは残念至極です。何と、私と同学年だったそうで、まだまだ、これからの人生だったのに・・・と思うと、きっと、お弟子さん達も途方に暮れるお気持ちだと思います。けれども、どうか、黒澤先生の分も頑張って戴きたいと思います。一代の空手家、黒澤浩樹先生の御冥福を祈ります。

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お花見感想

 四月二日は毎年、恒例のお花見会を淵野辺駅近くの鹿沼公園で開催しているんですが、今回は寒の戻りが激しくて開花した桜が増えないままで、「これじゃあ、蕾見会になりそうだな~? だったら、道場で飲み会にするか~?」と思いつつ、一応、公園を見て回ったんですね。

 そうすると、ダイダラボッチが踏ん付けた跡が沼になったという公園の池の辺の一区画の桜が六~七割咲いていて、「あ~、ここならいいか?」と、計画通りのお花見としました。

 お花見会には必ず大石総教練も来るのですが、彼が来ると仁平師範と怪しいオカルト思想ばかり話すので、正直、困るな~?と思っているんですが、武術を追究し過ぎると、オカルトになってしまうのは事実なんで、私も研究家としては否定することもできない訳ですよ。

 先日も仁平師範が継いでいる刀功門という武術流儀の稽古体系を実演解説してもらったんですが、率直に言って、一般に広めるべき内容ではないと私は思いました。

 恐らく、道教系の内家武術なのは間違いないんですが、武術というよりは仙道行法なんですね。

 ある程度、推測はできましたが、具体的なことは敢えてここには書きません。

 どうしてか?というと、情報だけ知りたがって我流で真似ると確実に廃人になると思ったからです。

 浅くやる分には健康法としても良いだろうと思うのですが、拝師して奥の伝までやるとなると、百人中、九十九人は精神を病むだろうと思います。

 何故、そう思うか?というと、トランス(憑依)系の練功をやるからなんですよ。

 つまり、この稽古を真剣にやればやるほど、霊能が出てくる。

 換言すれば、心理学的には幻覚・幻聴が当たり前になってまっとうな社会生活を送るのが困難になる・・・という次第で、これは仁平師範は天命があって受け継いだのだと私は思います。

 しかし、そんな人は万に一人もいません。

 たいていの人は単純に発狂してしまう確率が圧倒的に高いと思います。

 無論、武術としては私は非常に興味をそそられます。すべてが秘伝。体得できれば超人となるでしょう・・・。

 けれども、普通の人間が趣味の範疇で学ぶべき代物ではありません。

 リヤカーにジェットエンジン載せるようなもんです。

 それこそ、命を捨てて、魂を捧げて、何もかもを捨てる覚悟を決めて修行に打ち込む決意が必要でしょう。

 言葉で言うのは簡単ですが、実際にそれをやれと言われてできる人間は万に一人もいないだろうし、仮にできたとしても本当に命を失う可能性もあります。

 大袈裟だと思う人が大半かもしれませんが、宗教行法というのは、本来、そういう性質のものであり、インドではヨーガの実践者が毎年、多数、死んでいるという話もありますし、修養団体の創始者が意外と短命だったりするのも、そういうことなんですよ。

 以前、仁平師範と話している時に、「僕は気が狂うかと思ったことが何度もあります」と言っていましたが、なるほど、この稽古をしていたら、そうなるわな~?と思いましたね。

 霊能者と言われる人達は脚光を浴びてTVに出るようになると能力を失ってしまうと言われますが、当然なんですよね。修行で得た能力は修行を怠って我欲に捕らわれたら失うのが当然のことだからです。

 特に武術の場合、直接的な戦闘能力を求めますから、その根底には「他人に抜きん出た力を得て優越感に浸りたい」という願望(邪念と言った方が正確か?)があるので、テキメンに人格が破壊されてしまいがちなのです。

 釈迦はマーラ(魔羅)に、イエスはサタン(悪魔)に瞑想修行の邪魔をされたと伝わりますが、マーラやサタンとは人間の無意識下に潜んでいる本能なんですよ。

 だから、どんな聖人君子のような善人であっても、修行していたら自分の深層心理に潜んでいた本能的欲望と対面することになります。

 まして、武術修行を志す人のほとんどが、「強くなりたい」と漠然とした願望を持っていますから、オツムがイカレるのも当然の帰結でしょう。

 仁平師範の場合、療法家でもあるから精神のバランスを保てているのかもしれませんが、ところが療法療術の世界というのも武術以上に危うい精神の人達が跋扈する魑魅魍魎の世界だという現実もあるんですね。

 まず、金の亡者になりがちです。

 そして、他者を精神的に支配したいという欲求にも押し流されやすい。

 いや、人間なんだから、そういう欲望はあって当たり前ですし、私はそれを否定したいのではありません。むしろ、そういう自分の俗なところを隠さない人のほうが健全だと思っています。

 でもね~、みんな嘘つくんですよ!

 聖人君子のように振る舞いたがり、周囲の取り巻きがそれを補強してカルト宗教みたいになっていくんです。

 宗教団体って、そうやってできていく訳ですよ。

 ただし、現代ではあらゆる活動がビジネスモデルへと転換されていきます。それが現代日本の中では社会的生存戦略となっているので、仕方がないとも言えるでしょう。

 私自身、武術と物書きの二足の草鞋で何とか食えている人間なので、心情的には楽しく武術に取り組んで、楽しく小説書いて生活に困らないだけの金が入れば何の文句もない訳ですが、世の中、そんな甘い気持ちでしのげる道理は無い!ということを痛感している訳ですよ。

 大石総教練は、「本気で武術で強くなろうと思うなら社会生活をかなぐり捨てて取り組む時期も必要じゃないですか?」と言うんですが、私は、そんな無責任なことは言えませんし、根本的に考え違いだと思いますね。

 武術、武道、格闘技にどれだけ取り組んでも、近代兵器で武装した敵には敵いません。

 ヤンキーの殴り合いや格闘技の試合のレベルで戦闘を考える人を戦場にほうり込んでどれだけの働きができるでしょうか?

 戦闘ということを真剣に考えていないと言うしかありません。

 私は、戦わねば生き残れないという状況でしか武術を使うつもりはありませんし、その場合はまずためらわずに武器を手にしますよ。

 よって、あらゆる武器を使いこなせるように練習しておこうと思っていますし、本来の武術とはそういうものだと確信しています。

 つまり、生きるため。自分と自分が大切に守りたいと思う対象を守る。そのための戦闘状況に陥った時の奥の手として武術に取り組んでいるのです。

「強いとか弱いとか、こいつ、いまだにそんな糞みたいなこと考えてんのか?」って悲しくなりましたよ。ね~、大石く~ん?

 先週土曜に橋本支部の稽古会に行って、北島師範だけだったんで、これ幸いと松田隆智先生が晩年に体得されていた発勁の打ち方を私が研究したやり方を細かく指導したんですが、松田先生が青木先生に打ってみせた時と同じように両手のひらで受けてみたんですけど、青木先生が「長野さん、これはやっぱり人に教えたりしない方がいいんじゃないかな~? こんなの受けたら内臓がぐちゃぐちゃになっちゃうよ。これは日本の武道には無い打ち方だね~」と言われたのを実感しました。

 直接、受けていたら、私は死ぬか半身不随になってますよ。それほど爆発的な浸透力が手のひらを貫通して腹に浸透してきたので、ぞぞっとしましたね。

 わかっちゃいたけど、本当に恐ろしい技だ・・・と。

 素手ですら、やり方によってはこれだけの殺傷力が出せる訳で、武術というものは本式に体得すれば腕試しなんか不可能ですよ。私は、この威力を前提にして技術体系を作っているので、今更、「強くなりたい」なんて漠然と考える人の認識を疑うばかりで、本心から情けなかったです・・・。

 例えば、もし自分がアメリカ人だったら銃を買いまくってコンバットシューティングの学校に入りますよ。そっちの方が武術よりずっと効率良く戦闘能力が高まる。

 で、銃で戦うのを前提にしている人が「どっちが強いか?」って考えますか?

 生存戦略の最も肝心な点は、社会の中で無事に生きて人生をまっとうすることなんですよ。極力、戦いを避けることが重要です。

 その上で、万が一に遭遇するかもしれない戦いに備えておき、必要な準備をやる!

 それが“平法”というものですよ!

 無邪気に武術談義に興じるのも酒の席だから許せるけれども、根本的な自滅の危険性について無自覚過ぎるのは、思慮分別が足りな過ぎると思います。酒の席だから本音が出てくるのでしょうが、武術とオカルトに耽溺し過ぎれば現実逃避になってしまいます。

 社会からスポイルされる危険性があることを自覚して「オカルトは隠す!」というのが賢明なやり方なんです。

 花見に参加していたある会員は「ついていけないな~」みたいな顔で先に帰ってしまいましたが、普通の人間にはついていけないのが当然なんです。

 うちの会員はみんな優しいから直接、注意しないけれども、オカルト話に辟易している人は少なくはないでしょうね?

 花見の翌日、月一で個人指導している時にあまり人には教えていないことを指導したんですが、私は本当にありとあらゆる武道や格闘技の研究をしてきて破り方を工夫しているので、強いの弱いと論じる人が、もう物凄~く馬鹿に見えて仕方がないのですよ。

 素手の技なんて、一発で殺す威力の無い技しか持っていない相手を恐れる必要はないし、第一、“人間は動けば必ず急所が開きます”。だから、最低、相討ちで死ぬ覚悟さえできれば、ボールペン一つで致命傷を与えることは可能なんですよ。

 この事実を自覚していれば、もう強いとか弱いとか論じることが、いかに馬鹿馬鹿しいことかが判ります。

 そして、武道とか格闘技とかの技術がいかに表面的な部分だけをクローズアップして普及されてきたのか?ということも自ずと解明されますよ。

 また、オカルトは何故、“隠秘学”なのか?ということも理解できるでしょう。


 私は研究家だから、そういう深い領域まで研究していますが、游心流は“一般の普通の人が取り組んで役立つもの”にしたいので、過度な訓練もしないし、最少限の努力で最大限の効果が得られる技術を教えたいと思っています。

 普通に生きている人にとって、武術のディープな修行をすることはマイナス面の方が大きいんですよ。

“縁なき衆生は度し難し”と言います。

 人間には、持って生まれた器量というものがあります。それはどんな修行でも超えられないと思いますし、適材適所で人それぞれが最も活躍できる分野がある訳です。

 仁平師範は武術と療術に類い稀な素質と才能が有ります。

 花見会の時も飲み過ぎて発作が出そうになったので治してもらいましたが、将来、日本一となるだろうことを私は微塵も疑いません!

 だから、仁平師範には自身は徹底的にディープな部分を極め尽くして前人未踏の領域にまで達して欲しいと思っていますが、それを安易に公開しないで、本当に伝承できる人を一人か二人でも選んで伝えていってもらいたいな?と思っています。


 結局、人間も自然の一部ですから、今、自分が生きている時代の要請で生まれてきているんですよ。間違いなく!

 私は彼に限らず、今の若い人達は自分の頃とはまったく能力値が違うな~?と痛感しています。

 縄文人の中から弥生人が出てきたようなものかもしれません?

 あるいは環境破壊が進んで人類が滅亡寸前になりかかっているから、その危機的状況を乗り越えるだけの能力がある“新人類”が誕生してきているのかもしれない?と、私は青木宏之先生と最近はよく話していますね?

 ただ、SF小説なんかでも新人類を旧人類が滅ぼそうとするストーリーがよくあるでしょう?

 オウム事件はそうした中で誇大妄想が高じた人達が起こした事件だったし、現実社会と対立する形ではなく、現実社会の中で徐々に改善させていくようにしないといけない訳ですよ。

 例えば、原発の危険性を訴えるより、原発より機能的で安くて安全なエネルギーを発明すれば問題は解決するじゃないですか?

 でも、世の中にはそういう研究をしている人は少なからず存在しても完成する前に潰されてしまうんですよね。

 そのためには、武術だの療術だのの狭~い世界の特殊な価値観に埋没してはいけないと思いますね。人類の本能には異質なものを排斥しようとするメカニズムがありますから。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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