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メディアの怖さ

 最近の選挙を見ていると、まるで戦国時代のような権謀術策がうかがえて、興味津々でしたが、“メディアの力”がいかに巨大なうねりを生み出して民衆を扇動していくものなのか?ということを痛感させられます。

 3.11以降は、何だか日本の裏側が露呈して“実は戦後一貫してアメリカの属国であり続けて独立主権国家ではなかった”という真相が漠然と日本国民の間に広まり、その反動とも言える保守思想がスタンダードであるような雰囲気が蔓延してきました。

 私の10代から20代の頃(1970年代から80年代)は、保守思想というのは頭の悪い人達の考え方であるというイメージが支配的でした。

 保守的という言葉は悪いイメージしかありませんでした。

 いわゆるサヨクのオジサンやオバサンが元気だった時代でした。

 ところが、ソビエト連邦が崩壊し、社会党が社民党となって党勢が衰え、中国で天安門事件が起こり、北朝鮮が日本人拉致をしていた事実が明らかになるにつけて、社会主義、共産主義思想への懐疑の念が広がり、サヨクのオジサン、オバサン達は自信を喪失し思想の力を信頼できなくなっていきました。

 私は、左翼系にも右翼系にも首を突っ込み、宗教哲学を勉強したりもしましたが、一番、馴染んだのはジッドウ・クリシュナムルティーの「あらゆるものを否定し尽くして最後に残るものを解釈無しに認識せよ」という方法論を実践していました。

 だから、何も信じていません。

 信じるという観念活動そのものが事実を歪めてしまうからです。

 それと同時に、いろいろな分野に関心を広げて、でき得る限り、多くの情報を取り入れるようにしてきました。

 大学に入ったものの、専門教科の勉強を放棄して図書館と書店に入り浸って本ばかり読んでいました。

 それと同時にヨーガや、その当時はまだ珍しかった気功の訓練をし、武術の独修に明け暮れていました。

 従って、私は二回、大学に行きましたが、どちらも専門の勉強はほとんど受けていません。

 ただ、自分自身で勉強する時間が欲しかったのです。

 この時期に自分で勉強していたことが今の自分を培っています。当時は無目的に興味が赴くままに手当たり次第に本を読んでいましたが、それが後々の活動を支える基礎となっているのですから、結果論とはいえ、面白いものです。

 それでも、知識というのは蓄えるだけでは意味がありません。

 表現活動をすることで生活の糧を得る工夫が必要となりますね。

 私の場合は、本を読む立場から書く立場になり、映画を観る立場から創る立場になってきています。

 いかんせん、真面な教育を受ける機会を自分から放棄してしまっているので、真面な仕事に就くことはできませんでした。

 当時は正体不明だったパニック障害の持病があったことも大きかったのですが、いろんなマイナス要素が、今ではプラスに作用しています。

 いろんな知識、いろんな思想を勉強していたから、分析能力が並み外れて大きくなっていました。

「何か一つのことに打ち込むべきだ」と、若い頃から何百回も言われてきましたが、私の場合はいろんな分野に首を突っ込んだお陰で、特定の価値観に縛られずに済んでいます。

 また、嫌がらせ、抑圧も人一倍、受けてきたので耐久力がつき、また世の中で注目されることの怖さも早い時期から理解できました。

 人間は理性ではなく感情で動く動物なのです。

 だから、合理的な行動をする人間というのは実際には皆無です。

 人間は間違っているとわかっていても不合理なことを本能的にやってしまうのです。

 感情ということで言うと、小池さんブームがまさにそうでしたね?

 都知事選の時は判官贔屓で孤立無援だった小池さんを応援し、都議選もそうでした。

 しかし、今回の選挙では「リセットします」「排除します」「さらさらありません」といった情の無い機械的合理主義の発言が小池さんへの反感を煽り、民衆にそっぽを向かれました。

 マスコミの対応も実に面白かったですね?

 雑誌なんて、最初は自民が負けて小池が勝つと煽っていたのに、後半はまったく逆のことを書いていました。

 これって、左翼雑誌がいきなり右翼雑誌に変わったみたいな印象でしたが、それだけ雑誌に思想性が無いという証明なのかもしれません。

 かと思えば、まったくブレない雑誌なんかもありますよね?

 昨今はブレないことが良いことのような印象も受けますが、考えがブレないということは固定観念に支配されていて融通が利かないということなんですよ。

 無闇やたらと安倍首相をバックアップする人達も気持ちが悪いし、百年も二百年も変わらないような共産党の主張も怖い。

 このような「これこそが正しいのだ」と主張する人達は、洗脳されたカルト集団と何も変わりません。

 過日、“間違った日本文化を正す”というTV番組でアメリカの田舎の空手道場にフルコンタクト空手チャンピオンの女性が乗り込んで間違いを正すという趣旨のものがありましたが、私はちょっと疑問を持ちましたね。

 例えば、「空手で股間を蹴るのは反則だ」というのは試合ルールの話であって、本来の沖縄空手で股間を蹴るのはむしろ基本です。

 現代武道や格闘技では試合ルールに合わせて急所を狙うことは忌避されていますが、武術では急所を狙うのが当然のことなのです。本質的に「武術とは強大な敵の急所を狙い打って倒す術」なのですから・・・。

 ですから、アメリカのように治安が悪い国で護身術としてのKARATEで急所を攻撃することを教えるのはまったく正しい訳ですよ。

 また、「空手は素手の武道。棒を使うのはおかしい」と馬鹿にしていましたが、見たところ、師範代の使う棒術は琉球古武術に伝わるまっとうな棍術の操法でしたし、使っている棒も両端が先細りになっている琉球古武術特有の六尺棒でした。

 つまり、この師範代は日本でも普及していない琉球古武術の貴重な棍術を学んでいたと思われるのです。

 沖縄空手の身体操法が棒術と極めて関連が深いというのは、例えば今野塾の今野敏先生も主張されていることで、沖縄空手を深く探究している人にとっては常識なのです。

 逆に、無知を晒しているみたいで、ゲンナリしてしまいました。

「Xの形で敵の攻撃を受け止める」というのも馬鹿にされていましたが、これって単純に“十字受け”のことであり、空手の形に対する無知を晒しています。

 馬乗りになって殴るというのもMMAが普及している現在、格闘技で無視できない技術であり、研究のために導入するのは非難できません。

「空手だから、こうでなくてはならない」という考え方こそ誤りでしょう。

 沖縄空手、伝統空手、フルコンタクト空手と、技術体系も戦闘理論も変わってきていますし、トータルで「空手とは何か」を論じた人は未だ皆無だと思います(不肖、私がそれをやろうとしていますが・・・)。

 その点でいえば、今野敏先生は立派だな~と思ったのは、「自分は琉球古伝の空手、しかも首里手のみを探究している」と自身の立場を明確にしている点ですね。流石は文筆のプロだからこそ、論の前提となる立脚点を明確に示されているのだと思いました。

 要するに、この空手道場の経営者が知識が乏しく腕前が足りないというだけの話であって、情熱をもって空手を愛好する気持ちには嘘はなかったと思うんですよ。

 日本も外国の文化がデタラメに普及している例はいくらでもあるでしょうし、日本流に昇華している例もありますよね?

 ラーメンやカレー、餃子なんかも本場の人が食べて「この料理、おいしいね~。一体、何?」と聞いたといいますからね。

 自国の文化や伝統に誇りを持とうというコンセプトは良いのですが、それと同時に他国の文化や伝統にも敬意を払うのが筋でしょう。

 この番組は“正しい日本文化を世界に広めたい”という非常に良心的で誠実なコンセプトがあると思いますから、くれぐれも独善的な上から目線とならないよう慎重にして欲しいな~と思いますね。

 小塚師範が裏話を教えてくれ、番組プロデューサーの解釈で一面的な構成にされていたらしいと知りましたが、無理解だからこそ細部は無視して結論アリキで作られるということは、どこでも日常的に起こることでしょう。

 悪意がある訳ではないのでしょう。

 番組のコンセプトに合った形にすれば、専門的なことは割愛せざるを得なくなる。

 これは致し方のないことだと思いますよ。

 私もライターやっていた頃の雑誌作りでいろいろ体験したので理解はできます。

 それでも、自分が主体的にかかわる場合は、なるべく正確な情報を提示したいと思っています。

 そんな時に、ふいにTV番組の出演のお話を頂戴したので、どうにも運命的なものを感じないわけにはいきませんでしたね。

 先日も取材に道場へ来られたので、あれこれ打ち合わせしながら小塚師範に受けとってもらって実演したり、小塚師範に手裏剣や木人椿トレーニングなどもやってもらいましたが、大変、面白がってもらった様子で有り難かったですね。

 本当に最近は武術ブームも遠い昔のことになってしまったみたいで、世間から取り残されたみたいな寂しい感触しかなかったので、お話を戴いた時は、「キタ、キタ~ッ!」って思いましたよ。

 今回、本当に有り難いな~と思うのは、ディレクターが実に誠実に楽しい番組を作ろうとされていて、そのためにまったく知らない分野の事柄を熱心に調べておられることでした。

 私も時代小説書くのにいろいろ調べて書かなくてはならないので、関心の無い本なんかも読むようにしているんですが、未知の分野って「面白い!」と思うまでが“苦痛”なんですよ。

 なので、今回、非常に熱を持って面白い番組にしようとされている中で私を選んでくださったことに本当に感謝しています。

 まだ収録前なので詳細は明かせませんが、期待してもらえる番組にできるよう頑張りたいと思っています。

 とにかく、メディアに出る。顔と名前が知られる・・・ということに関しては恐ろしい面もありますが、一回しかない人生ですし、私もどうせ、後、二十年かそこらしか生きていないでしょうから、与えられた機会は精一杯頑張ってみたいと思いますね。

 だって、私が死んだ後にも私の研究してきたことは残りますからね。

 できる限り、有益なものを残して、間接的にでも、これからの時代を生きる人達の力になりたいと思います。

 あと、個人的には猫と暮らせる老後の家を建てたい・・・。

 人間は裏切るけど、猫は裏切りません!


PS;3日の特別圧縮セミナーは、一年間でやる月例セミナーの内容を4時間で教える!というムチャなコンセプトなので、やる内容は多いです。消化不良になる人が多いとは思いますが、取り敢えず、全般的な武術の原理を理解してもらうには最適かな?と思っております。御興味のある方はどうぞ・・・。

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ほびっと村感想

ほびっと村感想

 今回のホビット村の講座は過去最低人数になりそうでしたが、ギリギリで参加者が来たので少ないながらも充実した内容になりました。

 最近、「ブログ記事が載るのが遅い」とお叱りを受けたりしているんですが、小説とか本の仕事とかテンテコ舞いしておりまして、どうしても手が回らない訳です。

 基本的にブログは宣伝プラス趣味なのに対して、小説も本も金を貰うための原稿書きの仕事ですから、どちらを優先するかは言うまでもありません。

 昔、「私は持病があって働けないのでお金が払えません。それでも武術が大好きなので、ただで教えて欲しい」と電話してきた人がいました。

 その持病というのが赤面症なのだそうです。

 対人恐怖で顔が真っ赤になって恥ずかしいのだそうです・・・。

「バカタレ! 顔、真っ赤にして働け!」とお答えしました。

 そもそも、お金が無いのに教えてくれと自分から申し出る根性が甘えておりまする。

 そして、ビジネスとして道場経営している相手にそんなこと頼む神経がイカれておりますね。だから、まともに働けないのでしょうね。

 もっとも、ただで教えている人もいます。

 それは私の代わりに教えてくれている師範に任命した会員です。

 つまり、私の仕事を手伝ってくれている訳ですから、ただで教えるのは当たり前ですよね?

 もし、ビジネス展開がもっとうまくいっているのなら、給料を払わねばならないくらいです。

 だから、将来的にはそうなるように仕事を頑張っている訳で、ただで教えてくれなんてバカなこと言う人間にかまってやる暇はありません。

 長くやっていると、時々、このような常識も何も無いようなタワケ者が接触してくることがありますが、本当にその人の家族の方が気の毒に思えますね。

 バカというのは中々直らないようです。

 高速道路でインネンつけて人を死なせてしまった犯人。何度もやっていたそうですが、この手のバカも、たま~に遭遇することがあります。

 驚いたのは、こいつに元彼女がいたということですね。付き合う相手は選ばないといけませんね。

 しかしまあ、こういうバカに限って武道や格闘技とかやっていたりする場合も多々ありますから、注意しなければなりません。

 これまで多くの道場を拝見しましたが、どんなに師匠が人格者でも、最低、一人はオツムテンテンな人がいるものです。

 私はバカには教えないと決めております。バカが事件起こしたらヤバイでしょ?

 それに、武術は肉体の強さとはあんまり関係ありません。

 長く教えていて、上達する人は知的水準が高いという統計が取れました。要するに深く考えるタイプが上達するんですね。

 虚弱体質な人でも「身体を強くするにはどういう訓練をすれば良いか?」と考える人だと変わっていきます。

「俺は頭悪いからダメだな」と思った人は、やるだけ無駄だからやめた方がいいでしょうね。だって、こう考える人は自分を変えていこうという信念が無いからですよ。

 非常に多いのが、「優れた先生に習えば上達できる」と考える人。これはまったくの間違いです。

 上達する人は誰にも習わなくとも自分で必死に勉強して他人の何十倍でも努力して上達します。

 優れた師範の弟子が意外と凡庸な人間ばっかりという例のほうが多いんですよ。

 また、技は素晴らしいけれども、まったく戦えないという人もいます。それは技の形ばかり整えて、現実に戦うことを考えていないから対応できなくなるんですよ。

 本当に、こういう人は多いですよ。

 武道や格闘技は肉体の強さを求めますが、それは限定されたルール上の試合を目的にしているからです。どんなに身体を鍛えても、戦い方がまったく異なると途端に対応できなくなる人がほとんどです。

 私が「武術は戦略戦術が肝心だ」と言っているのは、こういう意味であり、それが解らない人は、所詮、戦いを一度も真剣に考えたことのない人だということですよ。

 武術は基本、人間の急所だけを狙います。弱いところを徹底的に攻めます。

 だから、力が弱くとも身体が小さくとも年とっても病気してても泥酔してても勝てる工夫があります。

 最近、動画でいろんな武術をチェックしていますが、驚くべき実力者はいますね~?

 刃渡り四尺!の長~い刀を抜く柳川藩伝景流の先生にはビックリ仰天させられました。

 いろいろ見てると、自分なんか及びもつかない実力者はゴマンといるのだと思いましたね。

 ただ、技ができるのと実際に戦うのは違います。

 単純に考えて、どれだけ実力があっても世の中に知られないまま死んでしまっては歴史に埋もれて何の意味もなくなってしまいます。

 そうやって埋もれて消えてしまった実力者は大勢、いたのだろうと思います。

 それはそれでカッコイイかもしれませんが、見方を変えれば、単なる自己満足。

 私が研究家と名乗っているのも、そんな優れた師範や流儀を発掘して世の中に知らせる必要があると考えたからでした。

 TVからお声がかかったのも運命的なものなんだろうと思っています。

 本の仕事が目白押しなのもそうでしょう。

 大変は大変だけれども、ニーズがあるうちは御奉公せねば・・・と思っています。


 22日の定期稽古会は超大型台風が直撃するのでお休みにしようか?と思っていましたが、大したことなかったので普通にやりました。

 ところが、始めてみるとどんどん風雨が強まってくるので、遠方から来ている会員さんが帰れなくなっては困るので、一時間で切り上げました。

 翌日は台風一過で、阿佐ケ谷の游心流合気道の稽古会です。

 私、ちょっと風邪気味だったので休むかどうするか?と悩んだんですが、定着するまでは顔を出すと決めていたので、出掛けました。

 月曜夜八時半から九時半で第二・四の隔週でやっていますが、「毎週やって欲しい」という声もあるので、来年からは毎週やらせてもらおうかな~?と思っています。

 練習場所のオルタナスタジオは駅からも遠くないし、設備も整っていて非常に良い道場です。私達の前の時間帯は、たいてい、深井先生のクラスが使われています。

 深井先生は実力も人柄も尊敬できる本当に珍しい武術家ですよ!

 本当にこの業界は根性のねじ曲がったパワハラ体質のクズみたいな自称武術家が跋扈していますから、なかなか推薦できる先生はいないんですが、深井先生は間違いない!

 岡部武央先生の御紹介で川保天骨さんにお会いしたのが昨年末でしたかね~? それから怒涛のようにいろいろな展開があって、ちょっと、ついていくのが大変なくらい忙しくしております。

 それはそれとして、今回の練習で思ったのは、「合気道は掴んだり掴まれたりから攻防が始まる技が多いから、これを突き蹴りから始まるようにしたらどうかな~?」ということでした。

 現在では打撃技から始まるのが当たり前になっていますから、突き蹴りの対処法を練習していないとどうにもならないんですよね。

 特にボクシングや伝統空手のように遠い間合から素早く打ってくる相手に対応できなくては何にもなりません。

「合気道だから合気道の技だけやればいい」というのは戦後の武道教育論の弊害で、だから私は武道ではなく“武術”と言っている訳ですが、広く様々な武道・武術・格闘技・戦闘術を研究して対処法を工夫していなくては、本来の“武”の精神には馴染まないと思うのです。

 どれだけ品格ある美しい凛とした技をやって見せられても、ゴロツキの力任せの暴力に為す術がなかったら、それは“武”とは言えないんですよ。

 そういう観点で言えば、現代日本の武道はみんな奇形になっていますよ。様式美に拘って本質を無視してしまっている。

「侮辱するな!」ともし言われるのでしたら、私はその人に問いたい。「斬れない日本刀がどんなに美しくても、それは最早、日本刀とは呼ばれません。どんなに型を美しく演じられても、型の意味を知らねばパフォーマーでしかありません。本末転倒している伝統を正すのは伝統の継承者の義務ではありませんか?」と・・・。

 余談ですが、バレエを学んでいる女性が空手や合気道やカンフーを学んで“バレエ拳”を工夫するという動画を見ました。

 私は非常に興味深く楽しく拝見しましたが、コメント欄には非難囂々で「空手を侮辱するな!」みたいな調子で、何とも了見の狭い人達だな~?と、ウンザリさせられてしまいました。

 別にふざけたり侮辱したりしたくてやっている訳ではなく、未知の武道武術を学んでバレエで鍛えた身体能力をどう活かすか?と試行錯誤している様子をドキュメンタリータッチでやっている訳でしょう?

 そんなに目くじら立てることなのか?と思いました。

『黒帯』や『ハイキックガール』『KG』『ハイキックエンジェルズ』などのプロデューサーをされている西冬彦さんが企画されている様子でしたが、正直、そんなに詳しい知識を持っている方ではないと思いますけど、だからといって対象をリスペクトしていない訳ではなく、むしろ未知の流儀に対する溢れんばかりの好奇心と憧憬から愛情を持って作品作りしてこられているように私は感じておりまして、微笑ましいとは思っても悪い感情はまったくありません!

 動画を見た印象では、流石はバレリーナ! 足指先で直立してクルクル回転して軸が崩れない身体能力は驚嘆すべきものであり、個人的にはカンフーとの相性が一番良いのではないか?と思いましたね。

 かく言う私も、20代後半から、クラシックバレエ、パントマイム、能、日本舞踊、バリ舞踊、エジプシャンダンス、インド舞踊、暗黒舞踏、前衛舞踊、ブレイクダンス等々研究しました。

 何故なら、日本舞踊には古い時代の日本武術の所作が伝わっているし、能は日本剣術の身体運用と多くの共通点がある。それに、世界中の武術が舞踊と関連性をもって伝えられている(コサックダンスやカポエィラ等)ということを知ったからです。

 特に、空手だって“空手踊り”というのがあるくらいですから、沖縄空手の遣い手が踊りに極意があると言うのも道理。何故、バレリーナが空手をやったら侮辱したことになるのか?

 クルクル回ってカカト落としして空手家がやられる演出が気に入らないのか?

 実に了見が狭い!

 お芝居なんだから・・・。

 ジャッキー・チェンの『ドランクモンキー酔拳』に出てきたウォン・フェイホンの叔母さん役の女優さんは元々バレリーナなんだそうです。

 軽々と避けて高く上がった蹴り足を自在にコントロールする殺陣は実に見事でした。

 恐らく、西さんの企画イメージとしても、このシーンにインスパイアされた面があったのかもしれません。

 何にせよ、新しいアクション女優を育てていこうという情熱にはエールを送りたい!

 私も西さんの映画を見ていなければ、ガールズ武闘アクション物を書いていなかったかもしれません・・・。

 だから、「面白い映画を見せてくれて有り難うございますっ!」って感じですよ。

 それにしても、動画を見ていると、本当に心ない誹謗中傷を書き込む人がいますね~?

 書いてて恥ずかしくならないのかな~? 読んでて「可哀想な人だな~。自分の人生の中で誰からも認めてもらえなかったのかもしれないな~?」と思うんですよね。

 私も若いころはそうでしたよ。世の中を呪ってましたよ。まだペエペエのライターだった頃には意見を言ってもクレイマー扱い。バカにされまくりましたよ~!

 私が武道の専門誌とかにさっぱり出ないのも、そういうイメージが大きいからです。

 でもね・・・「いつか、必ず、こいつらに後悔させてやるっ!」と思って頑張りましたよ。

 そういう意味では、「馬鹿にして戴いて有り難うございます。お陰様で諦めずに頑張ってこれました」ってことですかね?


追伸;突然ですが、去年もやりましたように、11月3日(文化の日)に、また特別圧縮武術セミナーを開催します! 今回は武術の基礎基本をレクチャーしながら発勁・合気・縮地法・無刀取り・零勁斬り・型分解・・・そして最近研究中の“GUN捕り”をやります。
場所;渕野辺本部道場
時間;11:00~15:00
一般参加20000円、会員10000円
・・・です!

直前なので参加者は少ないと思いますが、少数精鋭でいいか?と・・・。

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15日のホビット村はDVDと小説の発売記念講座

+++ほびっと村講座+++
日時:2017/10/15(日) 13:00 - 15:00
場所:JR中央線西荻窪駅南口下車 徒歩2分
 〒167-0053 東京都杉並区西荻南3-15-3 ほびっと村
講師:長野峻也
参加費:3,000円
※予約不要
+++++++++++++++++++++++

 今度の日曜のホビット村游心流合気道は、DVD『セーラー服忍者』と、そのノベライズ小説『御先祖さまは忍者ガール』の発売記念講習会です!
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 いつも発売日が間に合わなかったんですが、今回は間に合いましたよぉ~!

 最近、阿佐ケ谷の隔週でやっている游心流合気道がなかなか盛況で、たった一時間なのに充実した練習ができています。

 この分だと来年から毎週できるかも?という感じです。

 こちらの練習は月曜しか休みが取れないIさんに合わせて始めたんですが、ワケ有りで合気道から離れたものの、当時は三段もらっていたそうなのでIさんの合気道の実力は確かです。

 だから、游心流合気道の基本体系をIさんを実験体?にして形作っているのです。

 あのですね~? 既に完成された体系をそのままなぞるよりも、ああかな~? こうかな~?と試行錯誤を繰り返しながら構築していくのって、非常に楽しいんですよね?

 私が研究家だからかもしれませんが、合気道をベースに様々な流儀の技や戦術を組み込んでいったり無駄をそぎ落としてシンプルにしていく作業というのは、実にエキサイティングなDIY精神を刺激してくれます!

 游心流武術健身法は一応、体系を組み上げているので細かい改良をするくらいしか手を加える余地が無くなっているのですが、游心流合気道は0から作り上げていく最中なので、本当に面白いんですよ。

 日本古武術、琉球古武術、中国武術、フィリピン武術、インドネシア武術、アメリカン武術、ロシアン武術、ブラジリアン武術・・・等々、ありとあらゆる武術の知識を組み込んで、剣やナイフ、銃にも対抗できるものを作ろうとしています。

 私独りではできなくとも、いろんな流儀を体験している会員が集まって知恵を出し合ってみたり、DVDや動画で未知の流儀を研究したり・・・今の時代だからこそできる!

 そしてまた、その研究成果をDVDで発表する!

 ワケ有りで発表できないことは小説というフィクションの中に、そっと挟み込む・・・。

 陽明学研究家の林田明大先生から『評伝・中江藤樹』(三五館)を贈っていただいたのですが、最後の作品になるかもしれないという覚悟で書かれた力作で、研究家の生き様を教えてもらう想いでした。

 私だって、明治時代の平均寿命は越えてしまっていますし、この先、いつどうなるか解らない。与えられた仕事は精一杯やらなければなるまい!と思っています。

 いい年したオッサンがガールズアクション書くのだって、ロリコン趣味じゃなくて「肉体的に弱い筈の女の子でも武術を体得すれば超絶の戦闘能力を発揮できるのだ!」という真実を伝えたいからなんですよっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 男が強いのって当たり前じゃん? それに男の肉体って美しくない!

 華奢な美少女がメチャクチャ強い!というのが武術の理想像なんですよっ!

 合気道は、その中でも最も理想像に近いかもね?

 15日、宜しくねっ!


追伸;19日の相模原メイプルホールの稽古は、私が原稿執筆で多忙のためお休みしますので、間違って来られないようにお願いします。

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DVD『セーラー服忍者』『御先祖さまは忍者ガール』発売!

 ついに『セーラー服忍者』DVD発売されましたっ!
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 黒谷先生を通して何年も御無沙汰している映画仲間にも見てもらいましたが・・・「これは凄いっ! 長野さんは流石、長年武術をやっているだけあって、ただ立ってる姿だけで剣豪の雰囲気が出ている。これはどんな役者にも出せないだろう。俺の中では『るろうに剣心』より断然、上だよ」と、大絶賛してくれたのだそうでした。

 ちなみに、この友人には私は武術の演武とか一度も見せたことありません。単に映画の話をするだけの友人でしたから、私が武術の専門家だということは知っていましたが、私の実力がどのくらいとか全然知らなかった筈です。

 基本的に、私は第三者に技を見せないように心掛けているんですね。変に警戒されたり、逆に妙な信仰をされるのも宜しくないし、武術は不必要にアピールするものではないと思っています。

 だから、DVDは次々に出していますが、これは生活費を稼ぐのが主な目的でありまして、自分の流派を広げようという気持ちではないんですよ。

 値段もわざと高くしてますし、わかる人だけわかってくれればいいという気持ち。

 それでも、理解してもらえれば嬉しい。

 るろうに剣心より上というのは誉め過ぎですが、やっぱり嬉しいですね。

 もし、リメイクする企画が実現したら、もっと徹底的に武術的アクションをやってみたいですね? この作品の時は普通のチャンバラをやろうとしたので中途半端になってしまいましたし、監督がアクション演出に慣れていないとか、予算が無かったり準備が足りなかったり・・・と色々、できなかったことが多かったので。

 その後、『師父』と『RE:BORN』を見て、アクションの見せ方にルールは無いのだと考えが変わったので、今後はもっと斬新な武闘演出をやれると思います。

 しかし、私としては青木宏之先生に特別出演してもらえたのが一番、嬉しいんですよ。

 短いシーンだけですが、あれが有るのと無いのでは作品のテーマががらりと変わってしまうのです・・・。

 実際、昔の剣豪と現代の武道家が戦ったらどうなるか?

 大抵は昔の剣豪の圧倒的な勝利になると思います。

 何故なら、命懸けなんですから、どれだけ身体能力が高くても現代の武道家とは精神力の次元が違うでしょう?

 真剣に戦う時に最も重要な要素は“気迫”ですよ。

「この野郎、ぶち殺してやるっ!」と燃えてる人間に武道の技なんか通用しないと思いますよ。

 30年前くらいに聞いた話ですが、いくつもの武道を修めて毎日殴り合いの喧嘩三昧の屈強な警備員が、自殺しようとしている若い女性を取り押さえようとした時に、ナイフを持って手首から血を流しながら狂気の表情で笑いかけられた瞬間、あまりの恐怖に身体が竦んで何もできなくなってしまったそうでした。

 私も似た体験したことあるので、よく解ります。死ぬか生きるかの状況では綺麗事の理屈は通用しませんよ。

 逆説すれば、どんな実戦的な武道を学ぼうが、瞬間に身体が勝手に反応して動けないならば意味がないのです。

 頭で考えてどうこうしようというレベルでは本当の実戦に対処することは不可能でしょうし、武術とエクササイズの区別もつかない人(身体操作法は武術の基礎訓練に過ぎない)だと論外です。

セーラー服忍者』を作った時、どう考えても丸目蔵人佐にくノ一の少女が勝てる道理がないと思いました。

 いくら現代の知恵を使ったところで、それだけで勝てるだろうか?と思った私は、青木先生が会得した“心法の武術”に思い至ったのです。

 青木先生が新体道を創始した時、無住心剣術を念頭に置いていたと聞いていました。

 だから、「無住心剣の極意を得たなら、くノ一の少女が丸目蔵人佐に勝つこともできるのでは?」と考えて、シナリオに組み込んだ次第だったのです。

 恐らく、まだ誰もそこには気づいていない様子ですが、小説『御先祖さまは忍者ガール』では、その理論構造についても触れています。

 こちらも13日には発売されますが、早速、熱心な“哀毒者”の方が、「また、長野が気持ち悪い本書いた・・・」と、熱烈なラブコールを2ちゃんねるに書いていらっしゃる模様ですね? もう~、照れちゃって、もう~。「長野先生、最高でぇ~すっ!」って書いていいのに、素直じゃないですね~?

 皆さん、すぐ忘れてしまうみたいなんですが、私は武術の研究家なんですよ!

 一日24時間、一年365日、常に武術のことを考えて生きている人間なんですよ!

 その私が単なる映画、単なる小説を創ると思いますか?

 当然のごとく武術の極意や奥義、秘伝について作品の中核に据えるに決まっているではありませんか? この作品中でも発勁、当て身活殺法の極意について、秘伝をさりげなくバラしていますから、判る人が読めば、解る筈・・・。

 今までノンフィクションの本は沢山書きましたが、ノンフィクションだと問題が発生するから書けないことが沢山あった訳ですよ。

 でも、フィクションだったら、「これはフィクションですから・・・」って言い訳できるから、今まで書けなかったことまでさりげなく書いたりできるんですよ。

 だから、私は『セーラー服忍者』を見ようともしないばかりの会員にはガッカリしたんですよ。本当は・・・。

 何という洞察力の無さ!

 まあ、仕方がない。武道や格闘技を好む人間には頭脳を鍛えずに肉体を鍛えることしか知らない者が非常に多いのだから、あらゆるものから武術の極意を得ようと知恵を絞って観察する習慣なんか無かっただろうし、「習慣付けなさい」と言っても、どうやればいいのか解らないかもしれません。

 けれども、岡部宜史師範は、流石に映画を見てそこまで洞察されていましたよね。

 でも、うちの会員でそこまで考えて鑑賞した人間が何人いるのだろうか?

 これ以上は書きません。

 実際に何度か見たら「あ~、これはここを表現しているのか?」と気づくであろう点を色々ちりばめていますから、見てもらうしかありません・・・。

 余談ですが、どうも、言葉に捕らわれてしまう人が多いですよね~?

 正確には“言葉のイメージ”ですが、私が解りやすく表現できているのは、実は長年の研究成果と武術以外の勉強をいろいろやってきたからなんですよ。

 ニューサイエンスや現代思想の本も随分、読んだし、私自身は東洋哲学に関心を持って宗教哲学を勉強したけれど、オーソドックスな哲学も一通り勉強したし、宗教とは正反対の社会科学の勉強会にも参加してました。

 だから、右も左も基礎的な思想は判りますよ。

 最初は武術とも重なる神秘思想を勉強しましたが、それを真に理解するにはオーソドックスな哲学を知る必要があると思った訳です。

 結果として、専門用語をそっくりそのまま使わないように私は心掛けています。

 どうしてか?というと、専門用語は専門にやっている人間にしか意味が通じないからです。

 武術の世界が非常にマイナーになってしまったのは、この専門用語によるオタク共同体を武術マスコミが形成して一種の特権意識を蔓延させてしまったからだと私は考えます。

 世間一般の人に通じない言葉を使って説明しても何の意味もないのだと気づいたのですよ。それまでは専門用語をバシバシ使っていましたから。

 もう、かれこれ30年以上も前ですよ。

 それで、専門用語を普通の人間が解る言葉に翻訳する作業を進めてきたんです。

 勿論、翻訳するには元々の専門用語の意味をきちんと知らなければなりませんよね。

 だから、江戸時代に書かれた秘伝書や中国の武術書なんかも調べたりしましたよ。読めなくとも漢字で書いてあれば意味は大体、解りますからね。

 例えば、纏絲勁と抽絲勁、波浪勁、螺旋勁の違いを説明できる人は極めて少ないと思います。

 大阪支部長は何回説明しても白鶴震身と纏絲勁を混同していて、9日のセミナーの時も、まだ誤解したままだったので、唖然としてしまいました。

「何回、実演して説明しても勘違いしているのは、一体、何故なのだろうか?」と、逆に不思議になりました。

 動画で見たとか本に書いてあることを鵜呑みにしているのか、よく判りませんが、中国武術の専門誌が無い現状では「圧倒的に基本知識が欠如しているからなのか?」と思い至りました。

 やっぱり武術の基本知識を解説する本を私が書かないとダメかな~?と思いました。

 物凄~く、簡単に言えば、「白鶴拳の極意と陳氏太極拳の極意がおんなじ訳があるかいっ?」ということなんですよ。

“門派が違う”んだから、似て見えてもやり方が違うに決まってるでしょう?

 偶然、酷似していたとしても完全に同じということはあり得ないんですよ。

 纏絲は“捩り”で、白鶴震身は“波動”です。

 全然、違うでしょう? 回転動作と、波打つ動作なんだから・・・。

 見た目のブルルンッと震える最終動作が似てるからおんなじだと勘違いしてるだけ!

 正確に身体動作をやれば全然、別物なのが明確に判る。それが判らないということは正確にできていないということか? あるいはバイオメカニズム的認識が足りないから?

 私がいつも言ってるのは、何で武術には無数の流派があるのか?ってことなんですよ。

 各流儀で独自の技や理合を工夫しているから一派を立てる訳ですよね?

 ということは、流派会派の数だけ独自の技法がある訳ですし、極論すれば遣い手の技量によっても同じ技がまるで別物に変わってしまうんですよ。

 外見に大きく現れるうちはまだまだで、本当に完成されると外見に一切あらわれないで内部操作されます。だから、私も本式に遣う時はほとんど外目には判らないようにしますし、教えるためにわざと大きくわかりやすくしているんですよ。

 別に大阪支部長に限りませんが、味噌も糞も一緒くたに論じる雑過ぎな人が多いっ!

・・・ということをセミナー後にこんこんとお説教しましたけど、ちゃんと伝わってるかな~? ちと心配・・・。

 やはり、現段階では一般の人向けに教えるセミナーとかは私がやらないとマズイな~?と思いました。だって、勘違いして間違ったことを教えたら、教えた私が嘘を教えていることになってしまうでしょう?

 普通の武術の先生が間違ったこと教えても、「しょうがないな~(苦笑)」で済むけど、研究家の私が間違いを広めたら罪が重いですよ。だから、言葉の使い方には私は実はかなり厳しいですよ。会員が、いい加減なこと言ってたら叱ります!

 腕前の点ではうちの師範、支部長は問題ないレベルだと思っているんですが、知識に関してはまだまだ任せられないな~?と思っています。

 責任はトップに来てしまいますからね。会を名乗っている以上は・・・。

 もちろん、他所の団体ではインチキ臭かったりへーきで間違いを教えていたりするところが多いみたいなんですが、「他所がそうだからうちも・・・」って考えだから武術武道の世界が一般社会から評価されてこなかった訳ですからね?

 頑張れ! オレ!


・・・例えば、一刀流の切り落としと原理的に共通する技法は、多くの剣術流派に伝承していますが、それぞれの流派で細かいコツが加わっている訳です。そこは尊重しないといけない!

 無論、特色が同じ流儀は多くて、偶然、似たのを別とすれば源流を辿ると同じ系統だったということが多いんですが、だからといって一つの原理だけで論じるのは雑過ぎます!

 いろんな流儀は、それを創始した者の積年の研究と工夫の結晶化したものなのですから、その努力に対する敬意を払うのが当然なんですよ。

 それを忘れてはいかんですよね?

 ということが解っていれば、流儀の優劣を論じることそのものがアンポンタンなのだと気づく筈ですし、いろんな流儀の技を大雑把に一緒くたに論じることがいかに失礼なことか?と、これも自然に解る筈。

 自分の知り得た範囲だけで多くの流儀を理解したつもりになることも頭が悪いでしょう? 知れば知るほど、自分の知識の限界を痛感していかなくてはいけません。

 恐らく、今現時点で日本に私以上に武術について詳しい方はいないだろうと思います。

 近く出す『剣豪・柔豪・昭和の武人 日本武術達人列伝』を読んでいただければ、ハッタリでないことを予想してもらえるのではないか?と思います。

 それでも、知ったかぶりして批判するネットストーカーはいるでしょうが、堂々と論陣を張ってくる人は尊重しようと思っていますよ。専門に研究している人は結構いますからね?

 そんな人達の総体化された形のインターネットの知識量には私も及びそうにありませんが、そこに「武術の理合をどれだけ理解できているか?」を加えれば、多分、私のほうが先に進んでいるでしょう。

 けれども、だからといって私は「自分が正しい」とは思っていません。

 何故なら、私以上の腕前の先生はゴマンといるし、知り得た情報が間違っているかもしれないし、私の理解が浅いかもしれない。

 この世に「正しい」というものは観念上の定義以外には有り得ないのです。

 無知の知を理解している分だけ、私はマシな部類だと自覚しています。

 繰り返しますが、“自分が正しい”と思った瞬間に虚偽が生じます。この世に正しいものは有っても人間はそれを認識したり他者に提示することはできないのです。

 必ず“誤差”が生じますから・・・。

 この“限界”をきちんと弁えることが重要です。

 もっと言えば、私は他人に理解してもらおうなんて傲慢なことは考えていません。

 ただ、作品を創造し、それを他者に楽しんでもらいたいと思っています。

 その意味では武術も本も映画も、すべてが同じことです。

 実は、近々、TV出演することになりました。多分、その先は演技の世界に入ることになりそうです。強く誘われているので。

 小説のデビューも含めて、いくつもの企画が今の時期に集中したことは、これまで経験がありませんでしたから、「これは一体、どういうことか?」と思うばかりですが、取り敢えず、やれることは全部やってみようと思います。

 何しろ、人間はいつ死ぬか判らない。生きてるうちに精一杯のことをやっておかないと死ぬ時に後悔したくありませんからね?・・・とか言いつつ、金稼げるかも?と思ってるのが本音ですけどね。

 まあ、そんな訳で、『セーラー服忍者』と併せて読むことで謎が解ける『御先祖さまは忍者ガール』(叢文社)も13日に発売されます! よほど大きな書店でないと並ばないと思うので、アマゾンで注文してもらうのが一番、確実でしょう。

 それにしても、54ですからね? “遅咲き”もいいところですよね~? 手相から予想はしていたんですが・・・。

 死んだ母親の最期の電話で、「(結婚していない)お前の人生は価値がない」でしたからね~? この時は怒りを通り越して、目の前にいたら殴ってしまっていたかもしれません。死んだ後でも許せない気持ちが残ってますから・・・。

 親が生きてるうちだったら良かったんでしょうけど、まあ、仕方がありません。

 神秘主義的解釈ですが、死んだ両親やお世話になった先生方が心配して私の運気を良くしてくれているのかもしれない・・・そんなことも考えるほど、これまでの人生で記憶にないくらい運気の流れが良いですよ。

 だからこそ、責任が伴う! 若い頃だったら舞い上がって天下取ったような視野狭搾に陥ったかもしれませんが・・・(いい齡しててガキみたいに舞い上がる人もいるけど)。

 身内で心配な人もいます。借金ばっかり増やして武術にのめり込んでいる人(歯止めかけないと自殺するしかないところまで追い詰められるかも?)、重い肝臓病と戦っている人、会社が倒産寸前で給料ももらえていない人、才能は凄くて仕事も絶好調だけれども周囲にまともに社会性のある大人がおらずにドンドン先鋭化してしまっている人・・・全般的には上手くいっているのだけれども、それでも心配事は生じてくるものです。

 私が助けられればいいんだけど・・・人間には人間の限界というものがありますから。

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新体道50周年パーティー

 8日の武器術セミナーは異常に参加人数が少なくて、いつもの稽古会みたいになりましたが、北海道からFさんが駆けつけてくれたりしたのと、会員のNさんが自作ナイフ(RE:BORNのカランビット改造ナイフを木製で再現!)やガスガン(M1911系二丁)を持ってきてくれていたので、なかなか楽しい内容になりました。

 最近、凝ってるのが、“銃で撃たれそうなのを察知して避ける”という銃への対処法なんですが、ガスガンで実験していていろいろ解ってきましたよ。そのうち研究成果を発表できると思います。

 9日は新体道の50周年パーティーで、私は来賓挨拶をするハメになっていたので、前々日にスラックス買って、ジャケット着用で行きましたよ。
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 でもノーネクタイでポロシャツ着ていったので、どうかな?と思ったんですが、私の前に来賓挨拶された先生もノーネクタイだったので、ちょっと安心・・・流石、新体道!

 とはいえ、30周年、40周年と参加している身からすると、50周年が開けたのは奇跡的だったんじゃなかろうか?と思えてなりません。

 だから、気づいた人がいたかどうか判りませんが、私、祝辞話している時に結構、ウルルッて来そうになったんですよね~?

 無理やりギャグ言ってごまかしたけど。

 30周年の時は、気楽会の中村晴一先生の御紹介でした。

 その後、新体道との縁が深まり、直接、青木宏之先生と接する機会が増えていってからは、新体道の組織的な内部事情を好むと好まざるに関係なく知ることになっていきました。
 そして思ったのは、青木先生の孤独ですよ。

 直接の弟子で青木先生の気持ちをきちんと理解していたのは岡田満先生くらいなんじゃないかな~?と私は想像します。

 その次の世代が中心になった新体道40周年は、近藤等則さんが音頭をとられていましたが、実態としては分裂危機的状況だったのを近藤さんが「何とかしなければ・・・」と男気でもり立てたという事情がありました。

 この辺りの裏事情は書けませんが、今となっては私が一番知っていると言えるかもしれません。書けないけど・・・。

 それから十年。

 青木先生は剣武天真流を興して武道家復帰されました。

 ずうっと、見守らせてもらってきた身で言わせてもらえば、新体道の“新”とは“革新の新”なんですよ。

 常に革新されていくべきものであり、50年前に生まれたものをそのまま保存継承しようとするのは“形つくって魂入れず”なんですよ。

 50年前は確かに前衛だった。時代を先取りした未来的武道だった。

 しかし、50年も経過すれば世の中は変わります。

 他流だって躍進し新しい流儀も生まれます。

 武術は、結局、最新の技術、最新の戦略戦術を採り入れていかなければ通用しなくなります。

 余談ながら、ある人が戦略戦術なんか必要ないというようなことを書かれているのを読みましたが、「所詮、武術とは縁のない人だったか?」と思いました。

 武術は綺麗事ではありません。戦って勝つためには善悪も強弱も関係なく勝てる武器を用意して敵対者を倒す・・・それだけのことです。

 私は、どんな優れた技の持ち主を見ても、「この人ともし戦わなくてはならなくなったら、どうすれば勝てるかな?」と、まず考えます。

 これは、憧れたり尊敬したりする感情とは別の一種の職業病のようなものです。

 どうしてか?というと、勝つことを考えることをやめてしまったら自分を向上させようとする意欲が失われてしまうからです。

 無論のこと、青木先生に対しても、私はどうやったら勝てるか?と考えています。

 当然、先生も気づいていますよ。時々、挑発的なこと言ってくるし・・・(笑)。

 でも、そういう面もないとダメなんですよ。崇めてしまったらオシマイ!

 それに、不思議なもので、崇め奉ったりする人間に限って、ある日、突然、「こんな人だと思わなかった」って反感剥き出しにして攻撃してきたりするから面白いですよね?

 それはつまり、先生を崇めることによって、「こんな凄い先生に習っている自分はやっぱり凄い」みたいな自己崇拝願望なんですよ。

 だから、本音は「自分が威張りたいだけ」なんですよ。

 外部の人に謙虚に振る舞う人が、身内にパワハラしてたりすることって多いじゃないですか? そういう情けないのが人間の本性に近いんだと思いますね。

 掛け値無しに、私は武術の世界で青木先生を最も尊敬していますが、それは、自分のダメな部分を隠さないでさらけ出してしまえる“強さ”ですよ。

 黙っていれば周囲は聖人君子扱いしてくれる立場なのに、相手と同じ目線まで降りてきてくれる。

 それを勘違いして馬鹿にするような人達は、それこそ愚か者です。

 それに、青木先生は武術家ではないんですね。戦略戦術の研究はしてもそれを使いこなしていこうとはしない。策士、策に溺れることを理解しているからでしょうが、かと言って、青木先生の立派なところは、戦略戦術を馬鹿にしない点で、自分の知らないことは何でも勉強されるんですよね。今でも・・・。

 それでも、達観しているから、ある一線を超えるとどうでもよくなるみたい。何度も裏切られても、それでも恨まないで愛情を持ち続けられるのは、本当に頭が下がります。

 そこを教われる先生は、もう青木先生しかいないと思いますね。

 能力じゃなくて、時代に求められる人間っているんですよ。

 古武術ブームを作った甲野氏がまさしくそうでした。が、能力が足りないから今は表舞台に出てこなくなったように思えます。

 甲野氏に続け!といろんな人が出てきましたが、結局、続かなかった。

 芸能界や政治家の世界も同じでしょうね? 小池フィーバーも息切れしてきてるし。

 今回の新体道パーティーではREBORNをテーマにしていましたが、本当に新しいシン体道がこれから広がっていくんだろうと思います。

 日々、進化していくのが革新ですから・・・。

 私はそれを見守っていきたいと思っています。

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十月セミナーは武器術

 さてさて、十月の月例セミナーは、「武器術」です!

剣体一致の原理』を見ていただいた方には御理解戴けると思いますが、私の考える武術理論は素手でも武器を持っても原理的に同じだという点に最大の特徴があります。

 というか、私が長年研究してきた結論として、武術とは武器術が主体であり、素手の拳法体術は副次的に発達したと考えます。

 それでは、何故、「空手や柔道や少林寺拳法や合気道は素手なのか?」とか、「ボクシングやレスリングやムエタイやカポエィラやシラットはどうして素手なんだ?」とか言いたくなる人も多いでしょうし、私が教えた人達の中にも、どうしても武器術には抵抗を感じるとしてやらなかった人もいます。

 しかし、これらの考えは近代のスポーツ化された武道や格闘技を前提に考えているだけで、はっきり言って“間違い”、あるいは“無知”と言い換えることもできます。

 要するに、本来の武術を骨抜きにするために間違いをわざと広めて、皆を騙してしまっている訳ですよ。

 誰がそんなことをしたのか?

 まずは権力者であり、その影響を恐れた当事者が権力者の目をくらますために、わざと安全なスポーツであるという具合に改編して広めて見せた訳です。

 知らない人のために書きますと、空手には棒・ヌンチャク・トンファー・釵・スルジン・ティンベー・ローチン・鉄拳・櫂(ウェーク)などの武器術がありますし、柔道の源流の柔術は刀剣を使います。

 少林寺拳法にも如意棒というのがありますし、合気道も剣・杖・短刀を使います。

 ボクシングも昔はナックルダスターみたいな武器を装着したようですし、ムエタイも昔は武器術とセットでした。

 カポエィラも足指にナイフを装着する暗器を使うし、シラットはカランビットナイフやターバンを使う術なんかもあります。

 システマにもシャシュカという剣術や鞭があるし、カラリパヤットも多彩な武器術が知られます。

 無論、中国武術は刀・剣・棍・槍の外にも多くの武器術があります。

 まあ、相撲やレスリングは素手で戦いますが、これらは訓練法であったり儀礼的なものだからであって、武術である以上は武器術がメインなんですね。

 私はもうスポーツ化された武道には興味が無くなりつつありますが、その大きな理由が、武器に対する備えの意識が無くて、強いの弱いのと論議するような連中の呑気さに辟易させられるからなのです。

 現代に生きて戦闘について少しでも真剣に考えれば、素手の格闘の強さを論じることがいかに虚構にしかならないか?と気づきそうなものなのに、何故か、武道格闘技の愛好家ほど気づかないのです・・・。

 早い話、ナイフや包丁持った通り魔や、銃で武装したテロリストに遭遇した時に、何もできずに殺されるしかできない者に武を語って欲しくないな~?と思う訳です。

 現に海外のマーシャルアーティストは必ず考えてますでしょう?

 日本だけですよ。素手を前提に強いの弱いのとほざいているのって・・・。

 だから、今回の武器術セミナーは、ナイフや銃に対することをやります。

 相手の武器の奪い方。

 こっちも武器を使うやり方。

 武器のメカニズムと使い方。特に銃については知識が無いと対応は難しくなります。

 ちなみに武器というものは、使い方を知らないと自分を傷つけてしまいます。

 私もヌンチャクや刀で自分でつけた疵があります。

 だからこそ“怖さ”がわかります。

 わかるからこそ、武器術の錬磨の必要性を痛感するのです・・・。

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游心流合気道 稽古会情報

游心流合気道の稽古は毎月第二第四月曜の夜8時半から9時半に、阿佐ヶ谷オルタナスタジオです!

詳細はこちら
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剣武天真流演武会2017

 毎年、年末に開催される剣武天真流の演武会ですが、今年は11月に青木先生が国連!に行くので大変だということで、早めに開催されました。

 毎年、見ていますが、今年は本当にビックリしましたね~。

 今の剣武天真流の師範勢の力量は、かつての新体道の師範勢を完全に超えていると思いましたよ。

「何じゃ、こりゃあ?」というしかありません。

 私は青木先生の指導力というのを改めて再認識させられましたね~。

 人間の潜在能力を引き出す指導体系というのは、新体道の専売特許みたいなものでしたが、それが今は剣武天真流によってさらに進化発展させられているようです。

 10年前に青木先生は、「日本刀が身体の能力を引き出してくれる」と言われていました。

 ちょうど、私も直感的に剣術の研究を始めた時期でしたから、大いに励まされました。

 日本武術の本質は、やはり日本刀の操法と戦闘法と無関係ではない・・・と、益々、確信できました。

 何故なら、居合術を嫌ってやらなかった会員と、熱心に練習した人間では雲泥の差ができているからです。

 剣武天真流の凄さは、まさに居合の数稽古(千も万も抜く)によって心身が新しい次元に踏み込んだからだと思います。

 重要なのは目先の“実戦的”な技に囚われてはいけないということです。

“非実戦的”に見える所作の奥にある理合を洞察し、それを会得することによって次元が変わるのです。

 特に居合は構えないので、より心法が重要になりますし、骨盤から動くので丹田力が養成できます。

 幕末の侍が国難に際して活躍できたのも剣の修練をしていたからではないか?と私は思います。

 とにかく、今年の演武は一番驚かされましたよ!

 そして、「武道人生は去年の演武で終わった」と言う青木先生のアドリブでの組手は、かつて到達できなかった次元を気づいたら通り過ぎてしまっていた?のではないかな~と思うくらい素晴らしく、私の目がおかしくなっていなければ、青木先生の実力は生涯で最高の頂点に達していると思いました。

 久々に遠当ても拝見しましたが、これまでとレベルが違うんですよ。

 往々にして、「強くなりたい」「もっとレベルを上げたい」「実力が衰えないように」と考えているうちはできなかったことが、すっかり諦めてしまったら“できるようになってしまった”ということが起こります。

 もしかして、そういうことなのかな~?と思ったりしています。

 10月9日には、新体道の50周年記念パーティーが開催されますが、まさか自分がこれほど深く関わることになろうとは夢にも思いませんでしたけれど、青木先生に『魂のルフラン』とか歌っていただきたいですね~?


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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