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游心流の学び方

 どこの道場も似たようなものだと聞きますが、うちの場合、新しく入会してもほとんど通えない人も少なくありません。

 長引く不況・・・仕事があるだけで感謝しなきゃいけない時期にアフター5は好きな趣味に・・・って訳にもいかない人が多いでしょうからね。

 無理して通わなくとも、クエストさんからDVDも三巻出ていますし、より体系的に学びたい人には教材DVD(初級中級編・上級編・発勁と化勁原理と応用、それぞれ5000円引きセール中ですので、宜しくお願いします)も作っています。

 これらを買って何度も見ながら練習してもらえば、人にもよりますが、結構、ちゃんと上達できるでしょう。

 その上で、時間のある時に月例セミナーを受講するとかしてもらうと練習の勘所が掴めると思いますし、こちらで欠点は手直ししますから、そうそう御心配はありません。

 普通の武道・武術を未経験者が独習して体得するのは、かなり困難です。

 無理とは申しませんが、対人練習をしたことのない人だと間合の測り方や攻防のタイミング、攻撃の力加減・・・等々が解らないからです。

 特に離れて突き蹴りを打ち合う戦い方は、対人練習を数多くこなしていかないと上達は望めません。

 もっとも、対人練習にも問題点はあります。習うより慣れろ式に身体の反射神経に頼り過ぎてしまうからです。フェイントに騙されたり駆け引きに引きずられて勝負がなかなかつかなくなるのも対人練習によって覚えた“癖”です。

 うちの場合は、独りで練習していても上達できるようにしたいと考えて稽古法を作っています。

 なるべく対人練習をしなくても上達できるようにしたいのです(まったく必要ないという意味ではありません。むしろ“約束組手”は十分にやるべき)。

 うちの戦法は“打撃技で仕留める”という考えがありますが、通常の打撃武道・格闘技とは打撃技の構造が異なるのです。

 つまり、“距離を保って打ち合う”というスタイルを取らず、逆・固め・絞め・投げ・崩し・急所責め等が使える密着戦闘で打てる“0インチの打撃”を用いるからです。

 今年の月例セミナーで、二回に渡って各種の発勁打撃法を指導したのも、実は、この密着したところから打てる“0インチ打撃”を当たり前に使えるようになってもらう為に構成したものでした。

 だから、初回は拳・掌・肘・肩等を使って打つ“発勁の基本原理”を指導し、二回目で、全身のいたる所で打ち、“相手の打撃技を発勁で跳ね返す”という極意中の極意の原理を指導してみた次第です。

 ここ最近、どういう体勢でも発勁が打てるようにするにはどうするか?ということを密かに研究してきていまして、「どうして、そういうことを研究しているのか?」というなら、対組み討ち・対寝技などへの対策として、打撃技の技術革新を目指している訳です。

 普通に距離をとって打撃技を応酬しても、技量が同等であれば一撃で決まることは滅多に無く、ましてや総合格闘技や寝技の遣い手を打撃で仕留め損なえば、転がされて無様に首絞められたり肘を延ばされて降参するしかなくなるのが現実的な展開です。

 そもそも、打撃技がどんな強力であったとしても、動き回って攻撃してくる相手に的確に当てて百パーセントの力で打ち倒す・・・ということは非常に難しい訳です。

 止まっているサンドバッグを打てば、バコォ~ンと打てても、揺れ動いていたら、正確に芯を捕らえて打つのは難しくなりますね。おまけにサンドバッグが打ち返してきたらどうなるか?

 私のいいたいことも御理解いただけるでしょう。

 私が打撃技が好きなのに逆技・絞め・投げ等を人一倍研究してきたのも、現実的な戦いを考えれば、どうしても幅広く技を知っている必要があると考えたからです。

 武器術も同様だし、銃に拘るのも同様の理由です。

 本気で命がかかった戦闘を考えるなら、一つのやり方に拘るのは不合理です。想定し得る、ありとあらゆるやり方を検討しなければなりません。

 利き腕が折れたら、もう一方の腕で。それも折れたら蹴りで。足も折れたら相手の首筋に噛み付いて動脈を咬み切るサング(鮮血のマエストロ、ルチオ・フルチ監督の『サンゲリア』のゾンビを日本公開版でこう呼ぶ)殺法で・・・。

 私は、打撃技の弱点と限界を克服する研究をやってきました。

 まず、「極限まで威力を高める」。

 それから、「確実に当てる」。

 松田隆智先生は、「どんな相手でも倒せる絶対の威力と、必ず命中させる招法を兼ね備えた突きを生涯かけて探究しようと思ったんだ」と話されていました。

 私も松田先生の教えに感化されているんでしょうね。

 でも、私はさらに、「どういう体勢でも当てて効かせられる」。

 ついでに、「一発の打撃技の中に千変万化する応用変化技法を組み込む」。

 この二つの要素を加えて研究しました。

 その結果、打撃技と逆技・固め技・絞め技・投げ技・急所責め技・崩し技などが全て融合してきたのです。

 そして、必ずしも手足でなくても打てるようになりました。当然、体勢も関係ありません。座っていても寝ていても打てます。打たれた箇所から打つ(跳ね返す)こともできます。

 武技としての打撃技は、完成の域に達しているといってもいいと私は自負していますが、無論のこと、後は“遣い手の技量の問題”だけです。

 セミナーに熱心に通っている人の中には、自分でアドリブで変化技を編み出せる人もちらほらと現れてきました。

 つまり、行書・草書のように技が途切れず流れの中で的確な技を出せるようになってきているのです。

 当初の私が目指していた武術の理想像に、極めて近いところまで進展してきたという感触があります。

「動けば即ち技になる」「触れただけで相手は倒れる」というレベルには確実に到達できるという実感があります。

 私個人が到達した? 違います。

游心流を学んで体得してもらえば、誰でもそうなれる」という確信があるということ。

 しかし、私の目標はそこで終わりではありません。今の段階では、まだまだ身体技法のレベルでしかありません。

 私は、さらに上を目指したいのです。「相手の敵意を察知する」「そして敵意を雲散霧消させる」・・・そういう心法の境地に達することができなければ武術修行に何の価値があるのでしょうか?

 論を戻しますと・・・要するに、今現在やっている打撃格闘技の戦闘法は、密着されると打てなくなってしまう点が最大の弱点なのであって、「相手に密着されないように・・・」と怖々やっているところに、既に敗北の予感がある訳ですね。

 かつて、大山倍達先生は、「最強の格闘技は空手よ。そして、最強の空手は極真空手なんだよ」と言いました。

 今では、この言葉を信じる格闘技マニアは無きに等しいでしょう。曰く、「顔面を打たない」「関節技や寝技がない」等の理由で、極真空手に始まるフルコンタクト空手の実戦性には疑問符が付けられるようになってしまいました。

 しかし、もし、大山先生が生きていたら、欠点は放置されていなかったでしょう。

 技術革新は、止まることなく日々、おこなわれなければ意味がありません。

「顔面を打たないから弱いと言うなら、打てばいい。関節技や寝技がないのが問題なら導入すればいい」という論理も当然。

 けれども、方法論はもう一つあります。持てる技術をどんなシチュエイションにも対応できるように深めればいい。

 だから、解決策はしごく簡単! 密着したところから打てればモーマンタイ!

 打撃格闘技者と戦う時は、一発くらいもらうのを覚悟して(相手の打撃が当たるということはこっちのも当たる距離)密着してからズババババーン!と、相手が失神するまで発勁連打すればいいのだし、組み討ちや寝技の得意な者とやる時も、わざと密着させてズババババーン!とやればいいんですよ。

 とにかく、くっついたらズババババーン! 一発くらっても(化勁で威力は殺しておくべし)十発お返し。くっついてからフルパワー発勁をぶちかましまくって、「この一打十連撃で地獄へ行けぇ~いっ!」とやればOKなんですよ。

 密着して当てておいてから打つので外れない(確実に命中する)。密着したところからフルパワーで打てるから確実にダメージを与えられる(確実に倒せる威力)・・・。

 しかし、密着するためには、相手の攻撃を封殺する技術も必要です。

 それが“読み・交叉法・歩法”です。これで打ち合いはしない! 一方的に先を取って、一方的に打ち込む。だから確実に勝てる・・・ってのが游心流の戦闘法であり、本来の武術のやり方だと解明して再現した次第です。

 もっとも、理屈だけなら簡単ですけどね~。実際にやるには度胸が要りますよ~。

 攻撃してくる相手に密着するんだから、どんなに技に自信があっても勇気が要りますよね~。怖がって足が止まったら、そのまま攻撃食らってしまう・・・。

「命を相手に捧げなさい」と、小林直樹先生の師である桜公路一顱先生は言われていたそうですが、桜公路伝の拳法を受け継いだ小林先生も度胸がハンパないですよ。

 命を護るための武術の極意が、命を捨てる覚悟を必要とする・・・皮肉ですけど、トンチが効いてる?

 だから、游心流では、最初に無構えを取る。反応できなかったら自滅するという背水の陣から始めるのです。「命を捨てる覚悟なんて大袈裟な・・・」と思うのなら、真剣を向けられた状態を想像してみてください。

 私はクエストのDVD撮影の時に相手に真剣を持たせて無刀捕り演武してみました。
 無論、やったことないんですよ。ぶっつけ本番。失敗したら撮影中止どころか新聞ネタでしょうね。

 だけど、敢えてやったのは、覚悟を見せたいと思ったからです。捨て身になれることが武術の極意であり、死を前提に考えなければ恐怖心を克服することはできません。

 私が武術修行に意義を認められるのは、この点だけといっても過言ではありません。

 古武術の身体操法だの、気の力だの・・・そんなゴタクはたくさんですよ。武術を学ぶことの本当の意義は、「正面から死を見つめて超然と生きること」です。

 生きることは日々、死へと向かって歩いていくことです。しかし、単体としての死は他の生を繋ぐことでもあります。その原理を延々と繰り返す中で、人類は文化文明を創造し、歴史を紡いできました。

 武術という文化には、その人類の歴史の最も端的な部分が伝わっているように私には思えます。

 だから、游心流を選んだ人には、人類の文化として誕生し伝承されてきた武術そのものに関心を持って、単なる身体トレーニングの一種としてではなく、学問体系として取り組んでもらいたいと私は念願しています。

 なんかね~。ただ身体動かして気持ちいい~ってだけなら、葉っぱでも喫ってりゃ~え~やん? 

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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