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戦闘理論について

戦闘理論というのは、一体、どういう意味なんですか?」という質問があって、ちょっとビックリ・・・。

 そうか~。その段階で既に知らないのでは、疑問に思わないのも道理だな~?

 ならば、解りやすく解説してみましょうかね?(っつうか、こんなことブログに書く内容じゃないけどな~?)

 一番、解りやすく解説するなら、「うちの流派では、こうやって戦うことで勝てる」という、その流派毎の必勝パターンというものが、本来は必須なんですよ。

 ところが、それを秘伝として一子相伝とかしているうちに、ちゃんと伝わらないまま忘れ去られてしまい、揚げ句の果てには存在していたことすら誰もが忘れてしまった・・・という状態になっているのが、現在の武術武道の世界になっちゃってる訳です。

 早い話が、本来、同門同士で戦う必要はなかった訳なので、大抵の流派は他流と戦う場合にどうやって勝つか?というテーマで独自の戦闘理論を構築していたんですね。

 太極拳は少林拳や長拳の打撃技を破る工夫をして戦闘理論を作っているし、新陰流は神道流を破る後の先を、一刀流は“斬り落とし”をベースに戦闘理論を作った・・・。

 ところが、稽古の一環で同門同士で戦う練習をしているうちに、戦い方がパターン化してきて誰もが同じ技で同じ戦い方をするようになり、単に技量が上の者が勝つというスポーツ的な方向へ発展して普及していった訳です。

 こうなると、戦闘理論がものを言うこともなくなっていった訳ですよ。

 何でかって言うと、誰もがルールに則って同じ戦い方をするので、戦術も戦略も持ち込めなくなってしまったからです。

 どういう意味か?っていうと、現代の剣道の試合に宮本武蔵みたいに遅れてきたり竹刀じゃなくてデカイ木刀使ったりするヤツが出てきたら、その時点で反則負けでしょ?

 つまり、スポーツの試合形式は戦闘理論を必要としないし、むしろ邪魔にしかならない訳ですよ。

 このパターンを打ち破ったのは、アルティメット大会を開催して格闘技界に旋風を呼んだ頃のグレイシー柔術ですね。

 グレイシー柔術は他流をどうやって制圧するか?という戦闘理論を明確に構築していたんですよ。戦術戦略を活かすためのルール設定までやっていた訳です。

「こうすれば我々が必ず勝てる」と理詰めで作戦をたてて、そのための必要な練習をして試合に臨んでいたんですから、そりゃあ、勝負にならないのは当たり前だったんですね。

 ところが、何度も繰り返すうちに段々、それも通じなくなってきて負けたりするようにもなる。公開試合で実践して見せたから研究されてしまったのが原因ですね。

 つまり、戦闘理論は隠しておくから効果絶大なのです。公表したら、通じなくなっていくのは必然です。

 モロボシダン言うところの「血を吐きながら走る哀しいマラソン」なんですよ・・・。

 でもまあ、もう少し具体的に解説しておきましょう。

 戦闘理論は、本来、同門同士で戦う場合は想定しないものです。だから、現代の競技武道や格闘技とは考え方が異なるんですね。

 基本的には、「いかなる敵にも勝利すべし!」というものなので、考えられる限り、あらゆるシチュエーションで、あらゆる戦闘法を相手に殲滅することを目的に考案される必要があります。

 だから、“武芸百般”を学ぶのは、むしろ必要性を考えた基本訓練だったんですね。

 武芸百般ができることを前提とした上での戦闘理論なのです。

 突き蹴り・投げ・絞め・関節技・急所責め・体捌き・歩法・読み・交叉法などを駆使した徒手体術。

 剣・棒・薙刀・槍・ヌンチャク・十手・釵・トンファー・鎖鎌・手裏剣・弓矢・隠し武器・鉄砲などの武器の操作術。

 怪我・骨折・捻挫・病気などの治療術と毒薬などの知識。

・・・こういうことを基本的に知っていて体得していることが前提なんですね。

 何でか?っていうと、敵は複数かもしれないし、武器も持っているかもしれないし、こちらが怪我したり病気したりで万全に戦えない状態を狙われるかもしれない・・・。

 そういう最悪の事態を先に想定して、そこから生き残るにはどうするか?ということを考えるのが本来の意味での戦闘理論なんですよ。

 言葉を換えれば“兵法”ですね。

 平和な状態で武術を修行する意味は一つだけ。“戦いに備えるため”なんですよ。それが“平法”です。

 もちろん、具体的な戦闘理論というのにはいろんなものがありますよ。

 太極拳は相手に接近密着して打撃技を出せないようにして制圧するし、伝統空手は逆に、離れたところから高速で突き蹴りを急所に叩き込んで制圧する。

 一刀流剣術は対の先で相手の正中線を斬り落とすし、新陰流は相手に技を出させて体捌きしながら後の先で小手を斬って制するし、示現流は先々の先で一方的に斬って斬って相手の反撃を許さない・・・。

 この、その流派毎の戦闘理論を真に理解して駆使すれば必ず勝てる!と、創始者は確信したからこそ、流派を称えたんだと思います。

 無論、その流派毎の戦闘理論というのは言葉で解説できなくても身体で具現化できるなら問題ない訳です。

 多くの実戦名手と尊称された武術家は、恐らく意識的に戦闘理論を用いていた訳ではなかったでしょう。感覚的に使っていたと思われます。

 けれども、凡人がその境地に達するには、一度、戦闘理論を構築する必要があるんですよ。自分の身体感覚というのは人には伝えられませんからね。

 それに、現代的な感覚だと、「剣道は小手・面・胴と突きしか使わないし、防具を装着して竹刀できちんと一本取らないとダメ」といったことが厳密に決められているので、そもそも、「刀や木刀が無かったら剣道家は全然戦えない」と思われていますよね?

 映画の世界の創作ではありますが、『用心棒』の主人公の桑畑三十郎(仮名)は、刀を持っていると超人的に強いですが、刀を奪われてヤクザたちのリンチでボロボロにされてしまいますし、『十三人の刺客』(工藤栄一監督版)でニヒルな無敵の剣の遣い手と思われていた浪人・平山九十郎は、刀が折れるとヒエエ~ッ!と、恐怖に顔を引きつらせて無様に逃げ回った揚げ句、何もできずにブスッと刺されて惨めに死にます・・・。

 武道論の大家として知られた南郷継正氏は、後者を評して「剣道家は見たくないシーンだろう」と書いていましたが、江戸時代の侍が剣を持たないと途端に弱くなる・・・という描写そのものが武術を知らない人間のイメージなんですね。

 本来の武士は、剣術・柔術・角力・居合術・弓術・槍術・馬術・泳法くらいは普通に習練していた筈ですし、武芸好きだったら、もっと沢山やっていたでしょう。

 刀が無いと弱い・・・なんて筈はありません。この辺の描写は『レッドサン』では見事に改善されていて、ミフネは刀が無くても柔術や弓術や手裏剣の遣い手で、なかなか格好良かったです。

 こういう武術の本来の姿は、むしろ殺陣の中で表現されていて、真田広之や藤岡弘、は、そういう意味でも海外では俳優であると同時にマーシャルアーティストと名乗って活動してもいいんじゃないか?と思います。だって、恐らく、日本で武術家と名乗ってる人たちより実力あると思いますし・・・。

 つまりですね。武術で言うところの戦闘理論というのは、どんな敵に対しても勝てなきゃいけないので、根本的には“相手に技を出させないようにする”ということを考える訳ですよ。

 そのためには自分が何でもできなきゃ~ダメなんです。

 素手で戦うと抜群に強くても、武器の遣い方を知らなかったら、武器持ってる相手とは戦えませんね。でも、武器だって万能じゃないんだから、勝てない武器は必ずあるんですよ。

 素手の武道や格闘技も、技術的な弱点は必ずあります。その弱点だけ攻めれば破ることはできます。

 そういうことを総合的に考えるのが戦闘理論であり、それが戦術戦略というものです。

 例えば、「戦わずして勝つ」というのだって、より社会的現実性を鑑みた現実的戦闘理論なんですよね。

 武道・格闘技やっている人間は、「闘って強いか弱いかを確かめたい」と考えがちなんですが、それはスポーツ的な発想だったり不良のケンカみたいな感覚でしかありません。

 相手も同じ感覚や価値観を共有して納得できる関係性でないと、これはやっちゃ~ダメなんですよ。決闘罪になるから。

 でも、武道・格闘技をやると、自分がどのくらい強くなったのか確認したくなるんですね。武術だって、ある時期はそうなります。

 私だって、そうだったから、別に否定しようとは思わないですよ。20、30くらいの人間が「戦うことには意味がない」とかスカしたこと言ってるのを後ろから蹴り飛ばしたことありますよ。「なっなっなっ・・・何するんですかぁ~っ?」って、メッチャ、ビビりまくった顔して慌ててましたけど、こういうヤツって偽善者ですよね。戦うことが空しいとか思うなら、武術なんぞやるなーっ!って話です。

 だいたいね~。世の中は理不尽で不条理なものなんです。自分の思う通りに生きられる道理がありません。だから、生きていくのは戦いそのものなんですよ。「男なら、戦って死ねぇいっ!」ってのが私の座右の銘です・・・(今、考えたけど)。

 だけど、40、50過ぎてまで、そんな感性剥き出しのままだったら社会性が無さ過ぎるでしょう? こういう脳が壊れてんじゃないか?って、人、たまに来ますよ。

 単なる社会不適応者ですよね。

 私なんか、常に猫かぶってますもん。青木先生も小林先生も光四郎先生も・・・私の尊敬する先生方は、皆、猫かぶって優しそうです。酒呑むと変わるけど・・・。


PS;DVD注文いただいた方から、昔出したビデオを観て「タモリ倶楽部の空耳アワーの人かと思ってました」と添え書きしてあって、いや~、そういえば似てたかも?と思いましたよ。髪と髭を伸ばしていて、刀禅の小用先生から真顔で、「オウムの松本に似過ぎてるからやめなさいっ!」と注意されたことがあります。今も髪伸ばしてますけど、これは自主映画やるためなんですけどね・・・。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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