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身の程を知る

 シダックスの講座に“武術を教えている”という人が来ました。

 三月だったかに一度、体験入門した人でしたが、その時に売り込みのやり方とかを聞いてくるので、「ははぁ~、俺に雑誌社とか紹介してもらいたいんだな~」と思ったんですが、正直、私の眼には、“とても指導者というレベルの実力は無い”と思えたので、適当な話をして“やんわり断って”いました。

 こういう“自分が達人であるかのように思い込んでいる人”に厳しい対応をしてしまうと、陰で嫌がらせしてくるのが、毎度、お決まりのパターンだからです・・・。

 合気武術系統をやっている人が特に多いですね。神秘の技に憧れている人が錯覚しやすいのかもしれません。

 自己愛性人格障害者が武術の世界にはうんざりするくらい多いので、最近は警戒して会わないようにしていますが、シダックスは断れないので、たまに来ます。かなり長くやっているから止めたくはないんですが、受講生も少ない上に、困った人が来る率が高いので、続けるかどうか、悩んでおります。

 その人は「ほびっと村で講座をやってみたい」と言うので、「聞いてみたらいいんじゃないですか」と答えておいたんですが、4月に講座の時にほびっと村学校で「長野さんの紹介だって言う人が来たんですが、知っている人ですか?」と言われて、ちょっと面食らってしまいました。

 私は、「聞いてみたら・・・」とは言いましたが、紹介した訳ではありません。

 人を紹介するということは、その人の人品とか能力とかを知らないと、軽はずみにはできませんよね~? 一度会っただけの人を紹介するのは、ちょっと、よっぽどの才能のある人とかでないと無理ですよ。

 で、ほびっと村の方でも、話していて“講師ができる人ではない”と思って断ったそうでしたが、私としても、「僕は別に紹介した訳ではないし、武術を教えているとは言っていたけれども、正直、そんな技能の持ち主とは思えません。多少なりとも修行していれば、それなりの鍛えた形跡が心身に現れますからね~」とか話しましたけれど、やっぱり、私の名前を出すことで自分を売り込もうとしたんだな~と思わざるを得ず、「図々しいヤツだ」と、ちょっと立腹していました。

 それで、その人がシダックスの講座を正式に入会して受講してきたんですが、私に習う以上は、勘違いしたままでは捨てておけないし、本人のためと思って、「悪いんだけど、貴方は自分で思ってるような実力は無いよ。武術はそんなに甘くないし、人に教えるなら、もっと実力を磨かなきゃダメだ」と、はっきりと言いました。

 もちろん、普通は、いきなりそこまでは言いませんよ。“自尊心を傷つけられた”と恨まれるのが関の山ですからね。

 でも、年齢が私よりずっと年下だったのと、あまりにも基礎的な身体訓練ができていなかったので、本人のためを思って、敢えて自尊心を叩き潰すように言ったのです。身の程を知らないまま武術を教えていれば、いずれ、痛い思いをするハメになると思っての善意だったんですが・・・。

 たとえ、自分で武術の団体を率いている人であっても、私に正式に習いに来た以上、教える側の責任として、ダメな点は「それじゃ、ダメだ!」としっかり指摘すべきです。

 私は“勘違い”は絶対に許しません。教えるからには、まず心構えから変えさせるのが指導者の務めであり、責任だと思っています。

 初対面の時に私が優しく対応したのは、相手をお客さんだと思っていたからであり、二度目は“私に武術を習いに来た人”であると認識したので、厳しく欠点を指摘したのですね。

 これは経験の有無は関係ありません。何しろ、うちの会員さんの過半数が他流の経験が豊富で自身で道場を持っていたり、師範クラスの人も何人もいる訳ですから・・・。

 武術の技には殺人を目的にした技がいくらでもあります。人を殺す技を学ぶ以上、人並みの甘い考えしかできない人間は、精神を病んで誇大妄想に取り憑かれるのは当然の理なのです。

 よって、人を傷つけず自分も傷つかないで暴力だけを制圧できるようになるには生半可な修行では到達できません。ただ、長く学んだからできるというものではないし、現実に20年30年やっていても、できない人はできないものです。

 武術には素質も才能も必要ないと思います。が、唯一、“覚悟”だけは絶対不可欠なんです。それは自分に対して厳しく見つめて常に向上させていこうという意識であり、それが人生をクリエイトしていく前向きな意識に繋がるから、その一点だけで武術修行が価値あるものだと言える・・・と、私は思います。

 自分を厳しく磨く意志の無い人間に武術修行は何の価値もありません! 少なくとも、私の考えはこうです。

 無論、自尊心を満足させていたいのなら、他の道場を訪ねるなり、自分自身のサークルで同じ考えの人達を相手にやっていればいいでしょう。

 実力があろうがなかろうが、自己満足でやっていたいだけの人を、許すの許さないのと言う権利は私にはありません。

 しかし、私に習いに来た以上は、自己満足は決して許しません。

 私は武術に関しては、いたって古い考え方の人間です。「教わる以上は師匠と対等なつもりになるな! 弟子は師匠を信じて黙って言われた通りにやれっ!」というのが偽らざる本音です。

 例えば、私に対して「長野さん」と言った時点で、その人には武術の上っ面しか教えません。ギョッとする人もいるかもしれません。文章のイメージからすると、私はものすごく気さくな性格で誰とでも対等な立場で付き合おうとする人間のように思えるでしょう。

 無論、武術以外ではそうです。しかし、武術を教える場合は、厳格な師弟関係を求めます。私に対して師として敬う気がない人は、お客さんとして距離を取り、一定のところまでしか教えません。

 そういうのが「理不尽だ。横暴だ」とか思う人は武術を習う資格はありません。武術はそんな甘いもんじゃありません。命の奪い合いをする技を修練するんですよ? 民主的な平等な関係性で習えると思う方がおかしい。

 金さえ払えば習えると思ってるような人間には、こっちも教えたくないし、差別的で申し訳ないんですが、女性には特に目立ちますが、やたら特別扱いしてもらいたがる人がいます。ちゃんと習う気があるのか?と不審に思うことがあるんです。

 私は、きちんと学ぶつもりがない人間は相手にしませんから、念のため・・・。

 なので、この人には、「本人の中に秘めている“自惚れ”と“勘違い”をまず矯正してやらなきゃ~教えられないな」と思ったんですよ。

 その場では表情も変わらず、ケロッとした顔で聞いていたから、どうかな~?とは思ったんですが・・・。

 ところが、やっぱり、立腹して自分のブログで私に対する文句を書いていたそうです。

 それを見つけた矢嶋師範代北島師範に相談し、私に報告してくれましたが、「俺がいちいち相手すればややこしくなるから、矢嶋さんの方で忠告してやってくれないか? 2ちゃんねると違って個人で、しかも団体名乗っている人間の発言だと風評被害も大きくなるから捨ててはおけないからね。そのブログも、読むと腹立つから俺は読まないよ」と、対応は矢嶋師範代に一任しました。

 一応、「先方へ送るメールの文章をチェックしてください」と律義にメールしてくれたので読みましたが、流石に矢嶋師範代、男気溢れる内容で感心しましたよ。相手に対する思いやりさえ感じさせて、「やっぱ、うちの会員は腕前だけじゃなくて任侠道が解ってるな~。何か武侠小説の登場人物みたいだな~」なんて思いましたね。

 北島師範も完全に怒ると冷静でいられなくなるタイプだし、私も口より先に手が出る人間なので、一番、冷静でいられるであろう矢嶋師範代に一任した訳ですが・・・。

 何も、その人の活動を潰してやろうとは思っていないので、武士の情けで名前は書きませんが、この人は伝統武術を20年も修行したそうで、しかも業界では最も老舗の伝統ある道場で学んでいたそうです。

 ここの出身者には何人も会っていますが、真っ当な人ばかりでしたし、まともに修行していれば、相当な腕前になっていたでしょう。率直に言って、本当に習ってたのかな~?と、首を捻ってしまいました。

 ブログでは「自分は武道の天才だ」とか書いてたそうなんですが、そんなの自分で宣言する神経が既におかしいんですね。矢嶋師範代も、「最初は腹が立ったんですけど、読んでるうちに笑えてきて、でも、最後には可哀想になって悲しくなってしまいました」と感想を言っていました。

 講座の時も「キックボクシングやっている人が自分の技に感心していたんです」と、フフッと自慢げな顔をしていましたが、そのキックやっていたという人も、この人のあまりの弱々しさに可哀想になって感心したフリしてあげたんじゃないかな~?と思います。

 それほどまでに、ひ弱そうなのです。どんなに軽く打っても絶命しそうな虚弱な外見で、軸はブレているし、まっすぐ立てないし、重心も安定していません。発力させてみましたが、小学生低学年並みで哀れになりました。これで武術なんか教えていて、ヤンチャな人が来たら、撲殺されてしまいますよ。

 率直に言って、戦闘力0だと私が断言している甲野さんですら、この人と比べたら何十倍も強いでしょう。正直、私がこれまで会った人の中で一番、ひ弱でした。


「身の程を弁える」ということが修行者にとっては、最も重要なことです。

 世の中で一番、大切なことって、自分の力で生きていくってことです。自分の適性を間違えて、金稼げない仕事にのめり込んでいたら生きていけませんよ。

 この人は、ブログ中で自分の腕前を自信満々に書いていたそうなのですが、矢嶋師範代がコメントのメールで「あなたと手合わせする覚悟がある」と書いていたら、手合わせを受けるでも謝るでもなく、いきなりブログの文章を全面的に削除してしまったそうです。

 自信がないんだったら、そんな挑戦的なことは書かなきゃいいんです(私なら安易に削除しません。最初から覚悟して書くので・・・)し、最低限、「申し訳ありません」と謝るくらいするのが大人の対応だと思いますが・・・。

 私が名前を挙げなかったのも、武術家として名をなす可能性の無い人だと思っているからなのですが、伝統武術を長年修行して型稽古しか体験したことがなくて、こういう具合に悲惨な状態に陥っている人を、結構見かけるんですよ。

 自分でも本当は自信がないので、余計に空威張りして見せる人が多い。専門誌に出ている人にもそんな人がいるんですから、伝統武術が現代武道や格闘技をやっている人から軽蔑されるのも致し方ありません。

 本当に実力のある人は、むしろ、そういう具合に見せないですが、それでも訓練した形跡は身体的にどこかしら現れます。

 戦う技を習っているのに、全然、戦えない・・・その馬鹿馬鹿しい程の矛盾を自覚できない人は、武術を人に教えようなんて甘い考えは持たないほうがいいんです。

 普通は表沙汰にならないだけで、多くの武術師範が痛い思いや恥ずかしい思いを味わっているものです。名門の団体の二代目がフルコンタクト空手修行者に挑戦されて土下座して泣いて謝った・・・とか、そういう話は無数にありますよ。

 本物は、そんな自分の恥ずかしい話でも平然と話すことができる人です。隠して空威張りするのは自信がないからなんですよ。

 武術とは、身を捨てても戦うべき時には戦うという意志を持てる人だけが極めることができるものであり、覚悟無き者が軽々しく学んで極意に達することができるような甘いものではありません。血を流しても誇りを守る!というのが武術家の生き方なんです。

 研究家の私でさえ、そのぐらいの意識はあるんです。

 スポーツや趣味として武道や武術を楽しみたいと思う人は勝手にやればいいでしょう。

 しかし、スポーツや趣味として楽しむつもりで学んだ武術で命を護る戦闘状況に対処することは不可能です。“不可能”と断定するのは、そういうシーンを何度も見たことがあるからです。武道の黒帯で自分は強いと思っていた人間が無残にボロボロにされたり、恐怖に竦んで動けなくなったりするのです。

 繰り返します。一番、重要なのは、覚悟です! 強いとか弱いとかじゃありません。覚悟無き者が形だけ学んでも、武術を現実の人生に役立てることはできませんから、ゆめゆめ、お忘れのなきように・・・。


PS;原発について、いろんな本を読んで勉強していますけれど・・・何か、知れば知るほど、絶望的ですね? 危険だとは思ってたけど、これほどまでに酷いとは? 菅さんは原発を全廃させたくて粘っているのかもしれません。もし、そうだったら、私は全力で菅さんを応援しますよ!

PS2;運足と歩法の違いについて質問がありました。基本的に明確な違いはありませんが、私自身は、運足は“撃尺の間合に入ってからの足の運び方”で、歩法は“間合を問わず戦術的な足の遣い方”と考えて区別しています。つまり、私は、歩法には、運足も含めての体移動・間合の操作・攻撃技(蹴りや足がらみ、踏み足)等を総合的に総括した意味を持たせて用いています。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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