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世界へ向けて・・・

 游心流本部会員で俳優のCさんが、アメリカはロサンゼルスへSFX技術の勉強を兼ねて、アメリカ支部長のabeさんを訪ねて、今後の游心流の世界普及に関して打ち合わせをしてくるというので、そのための打ち合わせをメイプルビルの喫茶室でやりました。

 8月から10月半ばまで向こうに滞在するというので、その間、やはりハリウッドで俳優業をやっているabeさんと、映画に関するネットワークも築ければ・・・という狙いもあるんですが、私が昔、自主映画やっていた頃の仲間にはプロの監督やシナリオライターになっている人もいるし、もちろん、メジャーではありませんが俳優を続けている人もいます。

 それに、アクション系の俳優さんなら知り合いに多いので、インディーズで日本とアメリカを繋ぐ作品の企画とかができればな~?という気持ちもある訳です。

 以前の私は、「日本の中で・・・」という強い希望があって、海外にはまったく関心が無かったんですが、正直、日本国内の武道武術業界(特にマスコミ)の保守的体質には、もう何も期待できないと思うようになりました。

“流派の優劣(そんなもの個人の技量の問題でしかない)”や“個人の目先の強さ(そんなのルール決めて公平にやるスポーツでないと決められない。ルールが変われば結果も変わる)”ばかりを延々と云々していたり、あるいは「身体操作がスポーツに応用が利く」だの「介護に役立った」だの・・・本末転倒も甚だしく、“他分野の権威に擦り寄って疑似的権威主義を確立しようとする(世間に迎合してウケを狙ってる)サモしい連中ばかり”で、ほとほとウンザリしてしまいますよ。

 私のところを尋ねてくる人からも、「長野先生は介護やスポーツに役立つとか、そういうことをやるつもりはないんですか? そうやった方が長野先生ももっと評価されると思うんですが・・・」と、親切心のつもりで言われたことも何度かあるんですが、「いや、僕は全然、そんなことアピールする気はありません。いくら介護に役立ったりスポーツに応用できたって、護身の役に立たなかったら、そんなもん武術としては下の下ですよ。そういう本末転倒のウケ狙って、世間の注目を浴びてみたって、要するに誤解を広めるだけでしょう? 僕は研究家として、そんな愚かな真似をして世の中で成功したいとは思いませんよ。武術は、第一に戦闘術として命を護る役に立たなきゃ存在意義がまったくありませんよ。その他の価値は付加価値でしかありません。それが理解できない人に教えるつもりはありませんし、勘違いした人間に評価されたって迷惑なだけです。武術はそんな薄っぺらい代物じゃありませんよ。貴方もそんな程度のこと考えてるのなら、やらない方がいいですよ」と言うのが常です。

 お陰様で、ずう~っと、こういう具合に言い続けてきて、相応に苦労はしましたが、何とか生活してこれていますし、何よりも理解者が増えてきています。

 一時の人気にあやかって「武術の身体操作は・・・」とか人気取りのプロパガンダしなかったのが逆に評価を得てきているんだと思っていますよ。

 けれども、私のような人間は希少です。斯界でそれなりに地位を築いていながらウケ狙いしたがる人も少なくありませんね。

 武術を文化として追究した場合に得られる膨大な恩恵を無視して、単なる趣味嗜好の領域に貶めているボンクラばっかりで、「日本の武道武術の世界は阿呆の巣窟か?」と思ってしまうのです。

 それなのに、「学校教育で武道をやらせて・・・」なんて、安易(大馬鹿?)なことを考えたりするんだから、「原発事故以後のメディアを使った原発の必要性をアピールしまくる大キャンペーンを見ていても、そもそも日本人は、何でここまで目先の利益しか考えない阿呆に成り下がってしまったのか?」と、ただただ情けないばかりです。

 よって、私は日本の文化である武術を海外の心ある人達にきちんと知ってもらって、「本来の日本文化はこういうものなんです。日本人自身も忘れ果ててしまっていますが・・・」とアピールしたいと思うようになった訳です。

 Cさんも、以前から日本の芸能界の閉鎖的な体質に疑問を感じていて、既にタイやフランスなどへ行って人脈を築こうとしていたそうで、私にも「日本人は逆輸入の形でしかきちんと評価してくれないですよ」と話してくれましたが、それは私も同感です。

 そのためには、ブルース・リーが実践したように映画というプロパガンダのツールは大きな力を持っていると思います。

 私自身は俳優をやりたい訳じゃありませんが、スタッフとして映画に関わりたいというのは30年来の希望なんですね。だから、Cさんやabeさんが活躍してくれると嬉しいし、そのために自分の持っている“武器”は惜しむことなく伝えたいと思っています。

 もっとも、誤解する人が多いでしょうから、一言、申し上げます。空手や柔道、剣道ができるということは、アメリカに行っても“武器”にはならないでしょう。

 どうしてか?というと、もう既に日本人以上にできる人がいくらでもいるからです。

 空手の世界で静かなブームになっている沖縄空手に関しても、実は沖縄からハワイや西海岸に移住した人達によって古伝の沖縄空手が結構、伝えられているのだという情報もあります。

 そういえば、山根流棒術であるとか、沖縄剛柔流や本部流などの沖縄空手や、横山和正先生のような先進的に古伝の空手を追究されている師範もいらっしゃるようですし、多分、日本以上に空手そのものの理論的普及がされているのではないかな~?と思います。

 恐らく、日本人より長く熱心にやっていて、詳しい人がいるでしょう。

 日本でそれらの黒帯を持っているという程度で自信満々で行ったりしたら大恥をかくだけでしょうね。ただの力自慢で頭がカラッポの空手家なんか誰も相手にしてくれないでしょう。

 従って、“武器”となる可能性としては、合気道、居合術・・・などの古武術系の競技化されていない技ができることが必要になるだろうと思います。

 アメリカは世界中の武術・格闘術が流入しています。それらを比較研究している人も少なくないでしょう。

 だから、それらの流儀を一通り知っていて、立ち合う場合に備えて弱点を研究しておかねばならないと思います。

 この点で、もう、日本のほとんどの武道格闘技愛好家では対応できないでしょう。

 日本の武道格闘技愛好家は、基本的に他流の研究をしないし、特に“戦闘”に関する視点が極めて狭い範囲にしか向けられないからです。

 私も昔は、散々、「節操の無いヤツだ」と軽蔑されたものでした。

 しかし、私は、陰口を言われている間も、一日も休まずに武術を研究し発展させ続けてきました。10年前とは雲泥の差ですし、1年前や半年前と比べてもどんどん変化していっています。

 以前、私を単なるオタクだと思って侮って自分の技量に自信満々でいた人が、最近の私の技を見てギョッとした・・・とか、「こんなにできる人だとは思わなかった」と驚いていたという話も聞いたりしました。

 今では、斯界で名のある師範方でさえ「長野先生の知識・情報・研究は恐るべし」と異口同音で言われるようになりました。

 何が“恐るべし”と思われたのか?と申しますと、私の研究が日々、発展して技がどんどん増殖していっているように見えるからでしょう。

 普通に武道、武術、格闘技を学んでいる人間にとっては、最初からその流儀の枠組みがあり上限が決まっていますから、数年学べば、師範も弟子も知っている内容はほとんど差が無くなってしまいます。

 後は熟練の度合でしか差がつきません。

 しかし、游心流には枠組みも上限も有りません。基本的な身体の練り方と技の練習法があり、後は理論があるだけ。

 ただし、基本を学べば、大抵の流儀に応用が利きますし、どんどん他流の技を吸収して膨張させていくことができます。ウルトラQに出てきた無限大にエネルギーを吸収して膨張していく“バルンガ”みたいなものなのです。

 なので、人によっては2~3時間で倍々で実力が上がったりする場合も起こり得ます。

 それは、その人が学んでいた流儀の技が理論的に納得できたことによって、技の質が一挙に上がったからです。

 反対に、いつまでやっても一向に上達できない人もたま~にいますが、これは自分が学んできた流儀のやり方から理論を理解しようとして、結果的に理解できないからです。

 今まで、何千という武道修行者に指導してきましたが、驚くなかれ、自身の学んでいる流派の本質的理論を“まったく理解していない人が大半だった”のです!

 恐ろしいことに指導者レベルでもそうなのです。自分の流派の戦闘理論や稽古理論を解っていないんですよ? 信じられないことですが、事実は事実だから仕方ありません。

 例えば、「何故、脱力が重要か?」とか、「何のために基本の練習をするのか?」とか、「型はどう用いるのか?」とか、こういった根本的なことをまったく理解できないままで練習し、教えているのです。

 こんな状態で上達する道理はありません。実際に、他流と戦うと自分の流儀の技をまともに使えずにボロ負けしてしまったりするのです。

 これは、強いとか弱いとかの技量の量的問題と勘違いして論じる人ばっかりですが、全然、違いますよ。「自分がやっている流儀の戦闘理論を知らずに相手の戦闘パターンに合わせてしまったから何もできないままやられてしまった・・・」というのが真相です。

 ねっ、こう説明すれば、「あっ、なるほど、そういうことか?」と気づいた方もいるんじゃないでしょうか?

 勝ち負けには明確な理由があるんです。それを考えないで「弱いから負けたんス・・・」と言えば、“潔い・立派だ”と称賛されるかもしれませんが、そういう認識からは何の学びも得られませんよ。

 強いとか弱いとかの論は客観性が無いんです。しかし、勝ち負けは客観的に結果として現れるものです。練習の組手や試合で負けることは、自身の中の負ける要素を客観的に明らかにしてくれる点に意義があるのですから、負けたら負けた理由を考えて改善していけばいいのです。

 逆に、勝ったら何も学ぶことがないんですよ。よっぽど志しの高い人しか、「あんな勝ち方ではダメだ・・・」と反省して考えたりしない。

 ブルース・リーは道場破りと戦って、倒すのに時間がかかってしまったのに反省して技を改良していったそうですが、彼の偉さは、そこにある訳ですよ。

 私も、まだまだ、今の程度で留まるつもりはありません。

 私が目指すのは、かつて誰も解明できなかったあらゆる武術の深奥を解明し、誰もが極意に達することができる明確な稽古システムを構築することです。

 何事も、中途半端なうちは“武器”にはなりませんが、徹底的に突き抜けて追究すれば“脅威的な武器”へと変質します。

 私が創始した游心流には、ありとあらゆる武術のエッセンスを注入しています。その全貌は習っている会員の誰一人、体得どころか理解し得た者がいません。

 何故なら、私自身が自分の研究してきている内容の全てを“文書化”したことがないからです。

 理論にしても、余分なところを削りまくった根本原理については解説していますが、これを体系的にまとめあげようとすれば、百科事典みたいな本を何冊も書かねばならなくなるでしょう。

 単純化するのは簡単なんですが、理論体系化するのは作業の量がとんでもなく膨らんでしまうので、労力の点で非常に困難なことなのです。

 例えば、私がこれまで購入した日本刀(真剣)は、既に20振りを越えています。

 これはコレクションの趣味で購入した訳ではなく、日本刀という武器の研究が目的だから数が増えていった訳です。

 まず、拵え(外装)の研究、それから研ぎの研究、刀身の形や重量の研究のために短刀から脇差・定寸刀・長寸刀・大太刀を揃えましたし、居合術や剣術の技がどう変わっていくか?ということも研究しましたし、試し斬りに向く刀の研究もしました。

 こういった研究というものは、一つだけではできないのです。いろんな刀で比較していかねば解りません。


 私は研究家として、それぞれの流儀の特徴を比較研究することが目的で、必ずしも自分の腕前を上げようとは考えていなかったのですが、知識が増えれば、それだけ結果的に技量も自然に上がっていったのです。

 もちろん、ルールを決めた試合では若い人には勝てないでしょうが、そうでなければ私が勝てるという確固たる自信があります。武術が伝えるパワー、スピード、テクニック、そしてタクティクスが、それを可能にしてくれていると確信して微塵も疑いません。

「長野は武術教の信者だ」と言いたかったら、好きに言ってください。その通りです。私は武術こそは人類が創始した最高の実践戦闘哲学であると盲目的に信仰しています。

 普通の武道や格闘技だったら実力が衰えていく筈の40過ぎてからもどんどん実力が上がっていくというのは、スポーツ的理論では考えられないことでしょう。

 これがまた、研究意欲を高めてくれました。

「俺みたいな運動音痴で病気持ちのオッサンが、何故、技量が上がっていけるのか?」という秘密が解明できれば、大抵の人が実力アップできると思ったのです。

 武術の形だけ研究していたら解らなかっただろうとも思いますし、その意味では試行錯誤を繰り返したことと、私自身に肉体的な素質や才能が無かったことが逆にプラスに働きました。

 つまり、肉体に頼りたくとも頼れなかったからです。

 でも、勘違いしないでください。10代20代から30代の前半までは、人並み以上に身体は鍛えましたよ。

 4kgの鉄アレイ持ったまま、一日一万本空突きやったり、1時間ぶっ通しでフットワーク練習したり、馬歩站椿功だって低い姿勢で30分もできたんです。

 中学時代だって2kgくらいの振り棒で一日千回素振りしていたんです。

 そういう日常的訓練を20年くらい繰り返した揚げ句で、「俺には素質も才能もないな~」と結論づけたのであって、やりもしないで詭弁を弄しているんじゃありません。

 専門家を目指すのなら、それなりに鍛えることは必要です。

 しかし、老人や女性、子供のように鍛えてもタカが知れている人には、もっと効率的で戦術を駆使したクレバーな技と戦法を教えないと意味がありません。

 結果がすべてだからですよ。武術で戦う場合は勝てなきゃ意味がない。相手が自分より遥かに強くても、何とか知恵を絞って勝つことを考える。

 強さを競うんじゃありません。必ず勝つために必要なことをやる! 神秘だのロマンだのじゃありません。武術に神秘やロマンを求めるのは何も理解していない者の錯覚そのものです。

 徹底的にリアルに戦闘を考えて、徹底的に冷徹に勝つために必要なことをやる!

 戦いというのは、それだけの覚悟を必要とするものです。兵法なんだから、あらゆる意味で勝つことを考えないといけない。

 場合によっては自分の命を捨てて家族を救う、会社を救う、国を救う、人類を救う・・・そういうのも武術の考え方(小分の兵法・大分の兵法)なんです。肉体を護っても、いずれは滅ぶんだから、一命を捨てて、もっと大きなものを護れるのなら、“死に甲斐”もあるというものでしょう?

 要するに、武術というのは無駄死にしないための“武器”。「死を想う(メメント・モリ)」のが武術を修行するということです。

 考えてみてください。肉体はいずれ滅ぶものだときちんと弁えていれば、拝金主義に捕らわれず、本当に人類にとって大切なことを選ぶことができるでしょう?

 せっかく武術修行しながら、我欲が膨らんで経歴捏造して権威主義に走ったりするのは、要は、中途半端な身過ぎ世過ぎでやってるからですよ。

 私に言わせてもらえば、武術の本当の価値が解ってないからです。

 本当に良い会員さんが育ってきてくれているので、游心流は今後、世界を目指していきますよ。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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