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9月セミナー感想

 今回の月例セミナーでは「型の研究」をやりまして、いろいろな門派の動作を武術的に解析するということをやってみました。

 でも、うちの会員さんで一年以上続けている人だと、自分で結構、解析できちゃったりするんで、改めて私がやらなくてもいいかな~?という感じだったりもするんです。

 つまり、戦闘理論が解っていれば、型の動作が何を意味しているか?ということは一目瞭然に判るようになる筈なんですね。

 正直いって、技だの型だの覚えるよりも、戦闘理論をきっちり理解できれば他流の技を看盗ることは簡単なんですよ。いや、観なくても説明されただけでも概略、解ります。

 私が修行経験の無い流儀の技をすぐ再現できるのも、技の形を真似ようとしているんじゃなくて、戦闘理論から解析して必然的に出てくるであろう技を推測して動いているからで、実は形を真似している訳じゃないんですよ。

「物真似が上手いんだ」と、よく誤解されるんですが、形を真似しようと思ったことは一度もありません。


 誰もが長年、道場に通って苦しい稽古に耐えてこそ体得できるのだ・・・と信じて疑わないでしょうが、結論から言うと全然、違うと思います。

 重要なのは脳神経にできる人の技の映像を焼き付けて、その映像の動きに自分の身体の動きを同調させる作業がうまいかどうか・・・。それさえできれば一瞬で体得できても不思議じゃありません。

 ところが、普通、武道に熱心に取り組んでいる人は、肉体に負荷を与えて動きを繰り返していれば、いつかできるようになるに違いない・・・という考えで、まず先生の動きをちゃんと観察しないし、その動きを自分の身体にトレースしようともしないんですね。

 だから、十年も修行しているのに先生の動きの特徴が体現できない人もざらにいたりします。学び方のコツを知らないから、こうなってしまうんです。

 もっとも、外見だけいくら真似しても中身が全然違っていたら論外です。例えば、伸筋技法と脱力技法だと根本的な技法の原理から全然違うんですが、そこを洞察できる人は意外と少ないですね。固定観念で「これはこういうものなんだ」と思い込んでしまうと観察があまくなってしまうんです。

 よって、技の形とか手順を真似していたって実は意味ないんですよ。

 どうしてか?というと、実際に戦う時にはパターン化した技をただ闇雲に出しても素人が突っ立ってる場合でもなければ、まず通用しないからです。

 だから、正直いって、「長年、~流を学んでいました」といってくる人の過半数がパターン化した動きしかできません。

 むしろ、齧っただけくらいの人のほうが教えてすぐ体得できますね。

 長年、愚直に練習している人は、同じパターンでの試合をやれば強いのでしょうが、フリーなファイトに通用するとは思えません・・・というか、そもそも、そういうことを考えたことがないのでしょう。

 実戦を考えるのであれば、応用変化できる身体性を磨くのが最優先課題であり、それは、一瞬で相手の戦闘パターンを読み取り、的確な戦術に切り替えることのできる脳力です。

 こういう脳力にうちの会で最も長けているのは、何と最年少会員のNさん。

 何しろ、一回だけ演じて見せた白鶴拳の白鶴震身を一目しただけで体得し、しかも私より上手にできるようになっちゃいましたからね~。もう、唖然とするような才能で、将来、どれだけの武術家になるものやら、想像もつきません。

 Nさんは保育園でイジメに遭遇し、子供心に“自分の身は自分で護るしかない”と考えて武術修行を開始したというのですから、子連れ狼の大五郎みたいな子供だったんでしょうかね~。格闘漫画の主人公にも、これだけの才能のあるキャラはいないですよ。


 さて、「型の研究」というテーマも、何度もやっているので、同じような解釈ばかりだと常連さんはつまんないだろうと思って、なるべく違う解釈をしてみたつもりでしたが、例によって私はアドリブでやっているので、一日経過した今となっては何をどうやったのか、さっぱり覚えておりません・・・。

 確か・・・形意拳に白猿通背拳に九十九式太極拳に詠春拳に太気拳に新陰流に戸隠流忍法に大東流にラジオ体操?だったっけ・・・。

 空手その他の修行歴のある初参加の受講生は随分、驚かれていた様子でしたが、確かに我ながら、何でこんなにいろんな流儀の技をできるようになっちゃったのか、自分でも不思議な感じがしますね。

 以前、霊能力があるという人に視てもらったら、私は前世でもそのまた前世でも武術の研究やっていた人間だって言われました。だから、個人の才能ではできないようなことができるのだとか?

 じゃあ、次に生まれ変わっても、やっぱり、今と同じことやるのかな~?

 ブルース・リーがそうだったと聞きますが、ほとんど学んだことのない流儀の技でも私はすぐ再現できちゃうんですよ。今回もドニーさんの『イップマン』の技とかもやりましたよ。詠春拳は通信講座でしかやったことないんだけど・・・。

「ラジオ体操からでも武術はできる!」と言ったら、「やってみてください」と言われたので、これもやってみました!

「そんないい加減な?」と思う人もいるかもしれませんが、だいたい、型の動作を固定した用法であると考えるのが大間違いのコンコンチキなのであって、臨機応変、変幻自在、融通無碍に応用変化技を抽出していけるようにならなければ、型を理解したとは言えません。

 習ったものを大切にするのは立派なことだと思いますが、自分自身でクリエイティブに技を生み出していくのでなければ、武術は生命力を失ってしまいますよ。

 そういう意味で、私は21世紀の武術を作り出していきたいんですね。

 型というものは、楷書で文字を覚えるようなものであり、それを実際に技として用いる場合は、型の形を壊して崩したり分解して別の動きと組み合わせたりしなければ使えないのですね。

「型は楷書で、そのまま実用に使うのは無理ですが、行書、草書のように崩したり流れをつくったりすることで実用に使うことができます」と説明しました。

 これは料理で考えれば解りやすいでしょう。

 型は食材と思えばいい。

 大根やネギや肉を切って食べやすいサイズに加工し、炒めたり茹でたりしながら調味料で味をととのえて料理として器に盛ってから、“食べる”。

 食材によっては、そのまま食べると毒があるものなんかもある訳ですよ。

 ウナギなんか、血液に青酸化合物が含まれるから刺し身なんかにはできない。熱を通すことで青酸化合物を分解して無毒化する訳です。

 だから、“蒲焼き”という調理法が発明されたんですよ。

 梅干しなんかもそうですよね。

 食材を生のままで食べる場合が多い和食の場合、殺菌したり無毒化する工夫がいろいろあるんですよね。

 寿司でワサビをつけたり酢飯にしたり、ガリをつけたり、熱いお茶を出すのも、生の魚の寄生虫の卵だの細菌を殺すためなんですよ。単なる味のためだととらえるのは食文化に対する認識の甘さですよね。

 よく、「武術の型は是か非か?」という評論を訳知り顔で述べる人もいますが、解って言ってるのかな~?と思って、興味津々で読んでも、「なんのこっちゃか、じぇ~んじぇ~ん、わかんな~い・・・」という場合がほとんどです。

 要するに、アンタッチャブルで型信仰に陥っているか、あるいは「型は実戦には使えないけれども伝統文化として伝えていく価値がある」という、極めて真っ当だけれども?マークが無限増殖していくような論理のどちらか。

 やってる人間が意味も解らずにやっているんだから、型の意味するところを語っても群盲象を撫でるがごとき百人百様の解釈にしかならない訳ですよ。

 私自身、「型というのは、稽古法として編み出されたものであって、錬功の意味もあるし、そのままの形では実戦に通用するものとは言えないけれども、型の中には実戦で勝つための無数の秘訣が具体的に圧縮されて入っているので、戦闘理論が解っている人間が観れば、無尽蔵の実戦技法を取り出していける」と考えていて、この考えが“大正解”であると自信をもって主張できますけれども、だからといって、「絶対にこれが正しい」とは主張しません。

 何しろ、自分で作った型じゃないんだから、どこまでいっても“俺流の型の解釈”という次元から脱出することはできない訳ですよ。

 だから、実際に型を活かして使える人を何人も育てた方が早いと思ったんですね。所詮、武術は口先で論じるものじゃなくて、“現実にやれるかどうか”ですからね。

 そういう意味でいえば、游心流の中の対錬の型は、間違いなく私の考えが反映しているので「こういう意味である」と断言できますよ。

 ところがところが・・・(笑)、セミナーが終わって懇親会やって帰る間際で聞いたんですが、游心流の技の破り方?を鬼の首とったみたいに解説していた人がいたそうで、みんなで“お笑いネタ”にして爆笑させてもらいましたよ。

「アッタマ悪りぃ~ヤツもいるもんだね~(爆笑)」・・・と、久々に、あまりのダイナミックBAKAっぷりに笑かしてもらいましたよ。

 えっ、どういう意味かって?

 フフフ・・・だってねぇ~・・・。

 この人ってば、“稽古法として考案されている型の所作が、そのまま実戦で使う技なんだと勘違いして、破り方を考えて自慢げに披露している”・・・っちゅう訳(苦笑)。

 稽古でやってる型をそのまま使う馬鹿がどこにおります? そもそも、私が実際に戦う場合に用いる技を公開するようなトンマだと思ってる時点で“阿呆”ですね。

 武術の型というのは、他流の人間に見られても問題ないように真の用法は隠して、わざと“実戦ではやらないように改変して演じる”というのが真相です。

 私は、それを充分、解っているので、型の動作をそっくりそのまま使ったりしないで、使う場合は必ず応用変化させる訳ですよ。当たり前のことなんですけどね~。

 だから、自分で作った型なら、尚更ですよ。“独己九剣”を居合術だと思っていたら大間違い! 居合術で練習しているのを公開しているだけ・・・。

 こんなことは武術をまともに修行している人間なら誰でも判っていることなのに、いやはや、誠に無知蒙昧な人間もいたものだねぇ~。

 武術の秘伝性を知らない人間は、いくら研究したって真相には至れず、ただ、公開されているマニアックな情報を集めて解ったつもりになって自惚れる・・・錯覚してるだけなんですよ。

 自分の無知さを解らずに、一丁前に武術を語る・・・哀しい人だねぇ~。

 シロウトさんだから、しょうがないけどね。プロだって解ってない人が多いんだし。

 調子に乗って面白半分に人の誹謗中傷・嫌がらせを続けているから、自分の頭の悪さを晒してしまうんです。因果応報というものですね。アホなことやるヒマあったら、ちゃんと練習したほうがいいよね。



 おっと、相当、脱線したな~。

 それにしても、セミナーの常連さん達の上達ぶりは目覚ましいものがありましたね。

 終盤の質疑応答の時間で、「何故、意味も解らないのに型稽古を喜んでやるのか?」という疑問に関して、参加者の方が、「多分、日本人は型にはまることで安心できるのではないか?」と言われていたことが印象深かったですね。

 つまり、パターンにはまることで何も考えずに安心できる・・・そこが魅力なのかもしれませんね。

 そういえば、「立禅さえやっていればいい」とか、単純化した思想を信仰する人が多いのは確かですね。

 でもね~。思考停止してしまったら、新しいものは何も生まれてこないですよ。

 どんな流儀であれ、昔から伝わってきているものが使えない道理はありません。本当に使えないものだったら無くなってますよ。

 形骸化というのは、伝えている人間の探究心の顕在化したものだと私見します。

 想像力が創造の源泉です。

 伝統武術を学ぶ人は、是非とも誇りを持って学び、一通り学んだ後は型の中に隠された無限の教えを読み解いていってください。

 そうすれば、武術文化は大いなる叡智をもたらしてくれるでしょう。


 あっ・・・でも、想像力と妄想力は別物ですよぉ~。


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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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