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10月セミナー感想

 10月の月例セミナーは秋晴れの9日に、いつもの江古田ストアハウス稽古場で実施しました。

 予告したように、今回は3月に震災で休止していた『化勁』をテーマにしていたんですが、本当に、今回、参加されなかった方には物凄く大損させてしまったな~と、ちょっとばかし申し訳なく思いました。それほど、今回は技術レベルが高かった。もう、感動!

 最近、私は居合術のことばっかり書いているので、素手の拳法体術には関心が薄くて技術的にも進展していないのでは?と思っている人もいるみたいなんですが、私の武術研究のメインは、あくまでも素手の拳法体術を基盤にしています。

 新刊本潜在力を引き出す武術の丹田』を読まれた方は、私が“寸勁斬り”や“片手抜刀斬り”を写真解説しているところもご存じだと思います。

 このような試し斬りを稽古しているのは、試し斬りすることそのものを目的にしているのではなく、「力の集中」「下丹田(骨盤と腹圧)の操作」「力のベクトル」・・・といった事柄を、素手でやるより遥かに厳密精密に技化して体得するための“確認作業”としてやっているのです。

 一般に、素手の武道や格闘技を愛好する人は武器には興味を示さず、むしろ嫌う人も多いものです。

 反対に、剣道や居合道を愛好する人は素手の武道や格闘技にまったく関心を持たない人が多い・・・。

 剣豪小説や時代劇映画などでも、剣の達人が刀が折れたり、奪われたりすると、突如として弱くなってしまう描写が多いものです。

 私は、このような描写は「現代の武道しか知らないから誤解しているのではないか?」と思います。

 剣聖として名高い上泉伊勢守信綱は、戦場では槍の名手として知られていました。また、無刀取りを実演してみせて、「この技を極めよ」と命じて無刀取りを修練させた柳生石舟斎が、見事、“無刀の位”を確立したのを見て新陰流の道統を譲ったと伝えられます。

 つまり、上泉信綱自身が既に無刀取り(柔術)もできたということなのです。

 本来、武術は武芸百般、一通りできるのが当たり前だったのです。そういう意味では、現代日本の武道の在り方がおかしい・・・と言うべきなのだと私は思っています。

 なので、私は、ありとあらゆる武術に手を染めました。空手・合気・柔・拳法・剣・居合・槍・薙刀・手裏剣・弓・ヌンチャク・トンファー・釵・万力鎖・鎖鎌・隠し武器・・・等々。

 その結果、「武器術は力任せにやっても上達できない。術技の原理を理解しなければ使いこなせない」という事実に気づきました。

 素手の拳法体術は、力任せにやってもそこそこ使うことができます。筋トレで上達することも可能です。

 けれども、それだからこそ、筋肉を鍛えることで技の威力を高めるという理論ばかりが固定化して定説になってしまったのです。

 でも、私は疑問を持ちました。「筋肉の強さで実力が決まるのでは体格に優れた外国人には永遠に勝てないではないか? 本来の武術がそんな底の浅いものである筈がない。まして、武器を持った戦いで筋力に頼っても意味がない。重要なのはテクニックと戦術だろう?」と思ったのです。

 日本刀の操作、刀法の原理を探るようになったのは、「日本で発達してきた武術は日本刀の戦闘理論の応用変化、派生したものに過ぎず、日本刀の操法と戦闘法を探究することで根源的な理合が判明してくるのではないか?」という直感があったからでした。

 その直感の大本になっているのは、小林直樹先生から教わった『交叉法』でした。

 無構え自然体でゆったり立つ小林先生には、攻撃されると同時に反射迎撃する極めて高度な“武的システム”がありました。空手・合気・居合・太極拳の高手である兄弟子の岡林先生をして、「一瞬の勝負で小林君に勝てる人間はいないだろう」とまで言わせるほど、完成度の高いシステムでした。

 私は、小林先生の技を見慣れていたからこそ、「宇城氏の技にはまだ未完成な部分があるな」とか、青木先生の演武を観た時に、「あ~、この先生は本当に凄い。本物だ」と十数年前の時点で思ったのです。小林先生の駆使する交叉法こそ、私の武術理論の要です。

 もっとも、小林先生は本気で学びたい人間にしか交叉法は教えていませんでしたし、見学に来ただけの人間には見せもしませんでしたから、その真価を理解した人は至って少なかったようです。

 御自身もさっぱり宣伝しないので、今でも弟子は少ないみたいでもったいないことだな~と思いますが、「フェイクじゃなくて、本当に強い武術家はいるのか?」と思っている武道・格闘技修行者には強く推薦したい先生です。

 さて、小林先生御自身は拳法に拘りがあり、武器術にはさしたる関心はないようでしたが、私は初めて観た小林先生の恐るべき交叉法の瞬撃の蹴りに、「あっ! これは居合と同じではないか? もしかしたら居合術も、交叉法で組み直せば剣術にも対抗できるのでは?」と思って研究してきました。

 かれこれ18年前のことですよ。随分と時間が経過したものです・・・。

 現在では、この時の直感が間違っていなかったと確信していますが、自信をもってやれるようになったのは、つい最近のことです。

 今回の“化勁”も、延期したことが結果的に良かったようです。三月の時点では、ここまで進展できなかったでしょう。

 化勁と交叉法を合体させた游心流式の反射迎撃システムが完成形に近づいてきている・・・という実感が得られました。

 受講生に一通り、技を練習してもらった後で、「それでは、今度は相手に一発だけ攻撃してもらって、それに自由に技を返す練習をしてみてください」と言いました。

 皆、ええっ?と、面食らった顔をしていましたが、無視して続けてもらいました。

 すると、ほとんどの方が自由に反応して返し技をかけています・・・。

 これはどういう意味かと申しますと、技を形ではなくて、身体感覚として養成できつつあり、“身体が勝手に反応できている”ということなんです。凄いですよ、これができるということは・・・。

 このまま続けていれば、相手が攻撃すると同時に自由自在にアドリブで動いて技を瞬間瞬間に編み出していく・・・という、私と同じことができるようになります。

 そして、今回、敢えてそれをやらせてみた訳です。が、その結果は予想以上の成果でした。

 特に武道経験の全然ないような人でも、それなりの形ができてきているのには驚かされました。月一回の稽古でも2~3年続けていれば驚くほど変わるものです。

 通常、武道でも武術でも基本技や型を楷書できちっと覚えることが必要だ・・・とされますが、きちっと覚えた形を、そっくりそのまま実戦で使おうとする間違いを誰もがおかしてしまいます。

 実戦で遣う場合は、型の理合を用いるのであって、形に拘っていても全然使えません。

 何故なら、相手は同門の練習相手ではないので、自分の都合に合わせた攻撃はしてこないからです。

 考えてみてください。大型ナイフで殺人を犯そうとしている者に遭遇して、「ナイフを使うのは卑怯だから、正々堂々と素手で闘え!」と説教して効果があるでしょうか?

 実戦はこちらの想定を超えたものです。武器を隠し持っていたり、複数で襲撃してきたりするのも何でもアリなのです。

 余談ながら、何でも、「独己九剣の技と戦ってみたい」とかネットで書いてる人がいたそうです。

 この人は、独己九剣が日本刀を使うための型だと勘違いしてしまっているらしいのですが、公開している技は“組み抜刀の居合術”ですが、それは稽古用の表技であって、実は、実戦で使う場合は、“体術をベースに使う”のが独己九剣の型の実戦用法なんです。

 つまり、体術がベースだということは、杖でも棒でも手裏剣でも拳銃でもヌンチャクでも九節鞭でもピストルでも、武器は何でも使えます。

 もちろん、武器が無ければ、体術でも拳法でも使えるように考案しています。

 私が独己九剣の型を考案したのは、「武術は本来、武芸百般に通じているべき」という考えがあったからであり、特に日本の武術は日本刀の操法と戦闘理論を根幹にしているため、間合と拍子(読み)と角度の取り方を学ぶために居合術で工夫したに過ぎません。

 先日、次のDVD作品のために応用例を説明しましたが、私が抜刀したと同時に、突き蹴りも繰り出して、そのまま逆技や腕折り、目潰し、喉潰し、頸骨折り・・・などの技も繰り出したので、見ていた会員がかなり驚いて慄然としてしまっていました。

 これらの技は無論のことながら、本来の古流武術に有る技をヒントに私が膨らましたものですが、裏技なので、一般的な剣術や剣道しか知らない人はひどく驚かれます。

 このような戦法は通常の剣の理合を潰すために工夫したもので、打撃系武道・格闘技の潰し方と大差はありません。“独己九剣”が“独己九拳”へと変化する訳です。

 武術は本来、敵を殺す方法を徹底して研究しているものであり、技を交えて強いの弱いのと論じるような甘い考えで取り組むべきではありません。殺す技術を体得してこそ「人を傷つけず活かす」という考えに到るのです。

 游心流は武道でも格闘技でもありません。老若男女、誰でもが自分の命を護ることができるように創始した武術であり、他流と技量を競うことは念頭に置いていません。

 よって、技も戦闘理論も、「いかに敵の戦闘力を0にするか?」というテーマだけで研究してきており、それは平たく言えば「いざという時は敵を殺すために有効なことは何でもやる」という決死の覚悟が前提です。その覚悟があってこそ、秘めて忍んでより良い人生を生き切ることができる。それが武術を修行する意味です。

 おっと、余談が過ぎましたね。元に戻りましょう・・・。

 セミナーの後半は、これまでほとんど教えたことのなかった、連続パンチや回し蹴りなどへの返し技を指導しました。

 ハイキック、ミドルキック、ローキックのそれぞれの対処法と、連続してパンチしてこようとする相手を封じる方法を指導しました。

 特に蹴り技への対処法はあんまり指導していなかったんで、会員も驚いていたみたいです。下手にやると蹴った方が大怪我する危険性があるからやらなかったんですがね。

 うまくできる人には、蹴り脚をすくい上げるように受け流しながら、そのままふっ飛ばす太極拳の単鞭の鉤手の応用技法も教えました。

 これ、昔、使ったことあるんですが、蹴った方がワイヤーに吊られてふっ飛ぶみたいになってしまうので、相当に受け身ができないと危ないんです。

 会員を大怪我させたくないので、教えられなかった技がかなりあるんですね。

 それでなくとも、身体の反射迎撃システムが高まると、かなり注意していないと簡単に相手に致命傷与えてしまいます・・・。

「鍛えている人間にはそんな簡単に通じないものだ」って武道や格闘技やっている人は考えるでしょうが、これまた大きな勘違いです。どんなに鍛えていても、知らない技には意外にあっさりかかってしまうものです。本当に唖然とするくらいに・・・。

 フルコンタクト空手の猛者が合気道や大東流、沖縄古伝空手の師範にあっさり負けてしまうのも、同じ論理。知らない戦闘理論だから対処できないのです。これは、どちらが強いか弱いか?の問題ではないのですから誤解してはなりません。

 うちでも、他流で師範クラスの人が日曜の稽古会に参加した時に、自分のやってきた武道の技がまったく通じないので、呆然とした表情されたりしますが、それは、“読み”を知ってるか知らないか?という問題だけなんです。

 ぶっちゃけて言うと、私が他流の師範の技を簡単に封じてしまえるのも、“絶対的な知識量の差”の問題なのであって、基本的な実力の問題じゃないんです。

 ルールを決めた試合をやれば、私は彼らに全然敵わないですよ。

 しかし、武術は競技じゃありません。知識量と戦闘理論が勝敗を分けます。どんな流派でもレベルの高い人は自流の技と戦術を徹底して研究しているものであり、流派の優劣で考えるのは間違い。

 松田隆智先生と電話で話していて、「長野君はそこをきちんと書いてるから偉い」と誉めていただきました。斯界の第一人者が認めてくださるんだから、観る目の無い連中が何をほざこうが知ったこっちゃありません。

 この点は、くれぐれもお間違いのないように、皆さん、自分が学ぶ流儀に誇りを持って修行に励んでください。武術に関して、本物か偽物かは、自己の到達したレベルに応じて決まるのです。

 その点、私はまだまだ本物と言えるレベルではありません。もっともっと、ぶっちぎりで“超・達人”になり、尚且つ、“超・達人”を育てていかなきゃ~いけないと思っています。

 ただ、今回のセミナーを見ていて、会員やセミナー受講者の中から、そんな人が現れるのも夢じゃないと思いました。「理合を知ることで、人間はかくも変わっていくのか?」と、ただただ、教えを受けた先生方や先達の残した本、映像などの存在に感謝するだけです。研究家として、一人でも多くの志しある人に伝えていけたらいいな~と思います。

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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