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久しぶりの忘年会

 12月30日には自主映画時代の仲間の忘年会が毎年あるのですが、ここ2~3年は風邪ひいたり日にちを間違ったりして行きそびれていましたけれど、今回は久しぶりに足を運びました。

 自主映画時代と言っても、私の場合、岡山に居た頃の大学の映画研究部の頃に目覚めて、本を参考に8mmフィルムのカメラで撮り始め、先輩のアドバイスに従って相模原の叔父を頼って上京して以来、都内の自主映画サークルを掛け持ちしたりしていたんですね。

 そもそも、私が熱中していた頃の自主映画の世界は、ちょうど、フィルムからビデオにカメラが移行していく時期であり、ちょっと上の世代が学生自主映画の黄金時代と言われてプロになっていく人が多くいて、ビジュアリストを名乗るようになる手塚眞さんや、おちゃらけ映画の巨匠となった河崎実さんが活躍していました。

 成城大学、日本大学芸術学部、大阪芸大なんかが特に活気があり、早稲田、慶応と続いてましたかね~。

 庵野監督や雨宮監督だって自主映画畑からプロになったんですよね。

 去年、休刊してしまった『ぴあ』のフィルム・フェスティバルや、日本映像フェスティバルなんかの自主映画コンテストが自主映画作家の登竜門にもなっていました。

 自主映画というとピンとこなくても、インディーズ・ムービーという括りにするとアマチュアとプロの境目がぐっと減るでしょう? 当時はプロの現場で助監督を長く続けて監督デビューするという過程をすっ飛ばして、アマチュアがインディーズで面白いのを撮れば、一気にプロ・デビューしていた時期でもあったのです。

 そして、上京して2~3年経過した頃に知り合いのプロデューサーをやっていた方から連絡を受けて関わるようになったのが、当時は慶応大学の学生を中心にした自主映画サークルで、この辺のことは『武術を生きる日々』の中に書いたので詳細は省きますが、以後、20年以上も付き合いは続いているという次第です。

 ただ、やっぱりバブル時期と重なっていたんでしょうね~? 90年代初頭にバブルがはじけてからは自主映画からプロへ・・・というコース自体が実質的に消滅してしまい、諦めて止めていった人も多かったですね。

 忘年会に来る人も段々と減っていきましたし、夢を語る時代も20代までだったような印象があります。

 それでも、映画やゲーム、TVの業界に進んだ人も多く、忘年会に来れば皆の消息も知れるので、私は時々、行っていました。

 もっとも、ここ数年は参加者もぐっと減少してしまって、特に昨年は寂しくなってしまっていたとのことで、前日まで実施されるかどうか判らない・・・とのこと。

 で、当日の朝には「こりゃあ、今年は無いかな~?」と思って、一緒に連れて行く予定だったCさんにも「代わりに個人指導するから・・・」と言っていたのです。

 ところが、夕方近くなって「やっぱり、やるんだって・・・」と友人から電話があり、またまた計画変更してCさんと町田で待ち合わせて二人で直行しました。

 ちなみに、何で会員を連れて行くのか?と申しますと、俳優であるCさんが演技の勉強をしていた学校の講師が、何と! 自主映画仲間のNTさんであった!ということが判明し、久しぶりに会いたいと言うことだったので連れて行った・・・ということなのです。

 いや~、でもね~・・・この事実が判明した時は、流石に驚きましたよ~。偶然にしても恐ろしくなりましたよ。

 だって、Cさんは武術を学びたくて、しかも地元だったから游心流に入った訳で、演技とは無関係な訳ですよね。

 で、たまたま、私が、昔、自主映画撮っていて、その仲間が何人も演劇の道に進んでいて、たまたま、その一人が演劇学校の講師になっていてCさんが教わっていた・・・という次第なんですから、いやはや、恐るべき奇縁です・・・。

 しかも、この事実に気づいたのが、新百合丘でウルトラマンの新作映画を観た帰りの小田急線の電車の中で話していて、「演劇学校の先輩にはオダギリジョーさんが居て・・・」と聞き、アレ?っと思って、「もしかして、コレコレコウイウ風貌の先生がいなかった?」と聞いていたら、何と、バッチシその人で、ウゲゲェッ?と驚いてしまったのでした。

 私も詳しいことは全然知らなかったんですが、やっぱり仲間のSさんがNTさんと同じところで芝居を学んでいて、同期にオダギリジョーが居たという話を、昔、聞いていて、NTさんはそこで演技指導の講師をやっていたとも聞いていたので、Cさんから話を聞いた時に、もしかして?と、ピーンと来たんですね。

 何か、偶然もここまで来ると凄いと思いませんか?

 武術に関することだったら、こういう恐るべき偶然の一致みたいなことは当たり前のように起こるんですよ。私の場合。

 だから、もう別に驚かなくなっちゃったんですけど、まさか、武術とは関係ない方面でも起こるとは思わなかったですね~。まあ、Cさんがうちに入ったのは武術を学ぶためだったから全く無関係という訳じゃありませんが・・・。

 それで、CさんがNTさんに会いたいと言っていたので、忘年会に行けば直接は会えなくても連絡先は判るだろうと思って誘った訳なんですよ。

 私自身、もう随分、彼には会っていません。以前は芝居の葉書を貰っていたので、ちょくちょく観劇に行っていたんですが・・・。


 今回、忘年会に是非、行きたいと思っていたのは、忘年会を開催する場所をいつも提供されているS山さんが、『新少林寺』のパンフレットに「少林武術と七星拳」という記事を書くのに私を推薦してくれたから、久しぶりに会って御礼しておかなくっちゃ~と思っていた訳です。

 彼は東宝に勤めながら、中国語圏の映画に詳しく映画に関する知識も仲間内でダントツで、学生時代から蘊蓄王でしたが、現在は磨きがかかっていますね。

 ちなみに、『新少林寺』のパンフレットは売れ行きが良かったので増刷されたんだそうです。パンフレットって増刷したりするんだ!って驚きましたが、たま~に増刷することもあるんだそうです。関わった者の一人としても嬉しい限りです。


 Cさんと小田急で新宿まで出て、総武線に乗り換えて新小岩で下車。

 もう十数回は来ている筈なのに、何だか毎回、道を間違えて迷ってしまったりするんですが、ウロ覚えながら、今回は何とか迷わずに到着しました。

 途中でお菓子とか寿司とか買って行きましたが、既に高級寿司桶やケンタッキーなどが持ち寄られていました。

 常連で来られている人はまだ来ていませんでしたし、Cさんが町田にバイク置きっぱなしだったので終電に間に合うように帰るためには10時15分くらいには出た方がいいだろうということで、2時間45分くらい居ましたが、9時くらいにはSさんも来て、Cさんと話していると、やっぱり同じところの先輩後輩だったということが判明!

 それに関する裏話なんかも聞けて、「なるほど~、そういうことだったのか~?」と、前々から疑問に思っていたことが解けた感じでした。

 まあ、この20年くらい、私もいろいろ苦労はしましたが、皆さんもそれぞれ苦労したりしていたんだな~と感慨無量でしたね~。

 Sさんは「もう、俺は働かないっ! 芝居に専念するっ!」と宣言したと聞いていて、大丈夫かよ~?と心配していたんですが、何と、蜷川先生の芝居に出演することになったそうで、これは今後、どんどんメジャーになっていくかも?という予感があります。

 遅咲きでも役者はどこでどう売れるか判らないからね~。彼はホンも書けるし演出もできる多才な人なんで、一回、注目浴びたらドドッと活躍の場は広がるでしょう。

 人間、本気で追究していることって必ず報われますよ。

 Sさんがスキ焼きなどの用意をしてきていたので、御馳走になって時間も来たので早めに帰りましたが、久しぶりの忘年会も少し活気を取り戻した感じで、今年は日本も世界もより良い一年になって欲しいな~と思いましたね。

 あっ、そうそう・・・偶然と言えば、またまた奇妙な偶然がありましたよ。

 最近の活動連絡のために現物持っていった方が理解しやすいと思って、何冊か本とDVDを持っていったんですが、たまたま連れてこられていた女子大学院生の方の実家のお店が“游心”という名前なんだそうで、マジっすか?と思いましたよ。

 偶然も重なるとコワイね・・・。

 でも、偶然が重なることって良い兆しなんで、今年は私ももっと活躍できるかも~?

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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
@yahoo.co.jp

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