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礼儀知らずね~

 芥川賞を取った作家が、会見で礼儀知らずな発言をした・・・と話題になっていましたが、ああいうムカつかせるような言動をわざと取るキャラって、今時、珍しいですから、マスコミのかっこうの素材になっているみたいです。

 私、昔の友達にああいう人がいたんで、ちょっと、思い出して面白かったですね。

 多分、武道やっている人間が見たら、「何だ、あの態度は?」と怒るだろうな~?と思うんですけど、普通に社会に出て生活していれば、本音と建前を使い分けて嫌らしい性格にならざるを得なかったりしますから、そういう意味では高校卒業後に一度も働かずに小説家目指して書いてきた・・・という“コケの一念”みたいなプライドが、容易に媚びない性格を形成したと思えば、むしろ、立派だな~と思いましたね。

 私なんて、周囲の人から“異常に頑固で、自分の非を絶対に認めない人間”みたいに思われていますけど、全然、“そんなことない”ですからね。

 恐らく、武術やっていて、私みたいにヘコヘコ謝りに行ったりする人は滅多にいないと思いますよ。

 昔、ある先生と電話していた時に、「じゃあ、言いますけど、長野さんは私のことを陰で~~と言っていたそうじゃないですか?」と、“どうだ! この野郎”と、鬼の首取ったみたいに言われたんですが、次の瞬間、「はい、言いました。申し訳ありません!」と、即座に認めて謝ったので、「ええ~っ? なっ、何で謝るんですか~?」と、ビックリされていました。

 普通は、そういうことってシラを切って認めないんでしょうけど、私は、「事実は事実」として自分に非があれば認める人間なんで、その先生の陰口を叩いた(という認識ではなくて、ブラックジョークのつもりだったんですけどね)のは事実だったので、それで不快に思われたのなら、申し訳ない・・・という考えで謝った訳ですよ。

 どうですか? この一点の曇りも無い私の公明正大さ! 陰で言うことは本人にも言える・・・それが“仁義ある男”ってもんでしょう?

 私の場合、自分が間違っていないと思っていても、場を収めるために必要だと思ったら、即座に謝りますからね。“どげせん”ですよ。

 逆に、「必要ない」と思ったら、どれだけ自分が悪くても謝りません。

 意味がわからないかもしれませんが、私にとってはどっちが正しいか?ということは大した問題じゃないんです。

 本質的に、正しいとか正しくないとか言うのは、価値基準が設定されて初めて決定されるのであって、その価値基準を受け入れるかどうかが問題になるからです。

 つまり、そこには本当は“好きか嫌いか?”という不合理な基準しかないんですよ。

 それを誰もが理解できていない。

 本当は自分の好みで「これが正しい。あいつは間違っている」と言っているだけなのに、それを自覚していない人があまりにも多いですね~。

 私が「これが正しい」と言う時は、同時に「本質的には自分の好みで判断してるんだけどね~」という覚めた認識も持っている訳です。

 私は物凄~く客観的に考える人間なので、人の意見に対しては、「これは現実的に受け入れるべきかどうか?」とか、時には損得勘定で考えたり、あるいは逆に、好き嫌いだけで考えたりする場合もある訳です。

 まったくのケース・バイ・ケースですよ。

 どうしてか?というと、「本質的に何が正しくて何が正しくないという論理は妄想に過ぎない」と理解しているから、どっちに転んでもいいのだと考えるからです。

 普通、武道やっている人って、何が何でも「これが正しいから、こうしなさい!」という考え方に陥りがちなんですよね。

 これって、要は、何も考えていないんですよ。自分の信奉する価値基準に合うか合わないかで自動的に判断しているだけ。つまり、独善でしかないんです。

 だから、多様な価値を認めるということができない人が多い。異質な価値を容認できないんですね。

 私なんか、それがわかってるから、最初っから認めてもらおうと思ってないですよ。

 先日、人と電話していて聞いたのは、「いろんな人が長野さんのやり方に反感を持っている」とのこと。伝統的な武術、武道をやってきた人達にとっては私は危険分子にしか見えないでしょうし、そのように言う人が多いんだそうです。

 でも、私の周囲には、逆に支持して応援してくれる人が沢山います。

 これって、どういうことか?

 要するに、現状を良しとしている人にとっては改革しようとしている私が目障りに映るし、現状に危機感を持っている人は私に期待する・・・ということでしょう。

 何か、橋下市長みたいだけど、これはもう、永遠に相いれない価値観の相克というものでしょうね。

 だけどね~。笑ってしまうのは、「長野は筋を通さない」とか、「長野は礼儀を弁えない」とか非難されたりするんですけど、そんなこと言ってる人に限って、全然、筋違いなことをしたり礼儀を無視したりしているんだから、呆れちゃうんですよね~。

 例えば、田中光四郎先生は、ライター時代の私にはさん付けで呼ばれていましたが、今は長野先生と呼ばれます。どうしてか?というと、私がそれなりの立場になっていることを尊重されているからですね。

 そういうTPOを使い分けするのは礼節の基本ですが、意外にできる人は少ない。武道の世界では・・・。

 私は、「人の悪口を言ってはいけない。それが人としての在り方だ」と思っている人は、陰口も言ってはいけないと思いますよ。表向きだけ言わないようにしていても、陰で言っていたら精神性の低度は同じことです。

 本当の“克己心”というのは、そういうことですよ。

「人の悪口を言ってはならん」と言うのなら、自身がそれを口にした瞬間に腹かっさばいてみせる! それくらいの覚悟で自分を律するのが真の“克己心”というものでしょう?

 でもね~。こんなの普通の人間には無理ですよ。物凄い決死の修行しているような人でもなければ・・・。

 よって、私は、自分ができもしないようなお題目は唱えない。否応無く偽善者にならざるを得ないから・・・。

 私が綺麗事を並べる人間が信用できないのは、偽善的過ぎると思うからです。

「口が悪い人ほど正直で信用できる」というのが、これまで生きてきた上での人生訓ですかね~?

 人の悪口って、本音をさらさないと言えないでしょう? そういう点では2ちゃんねるで阿呆書いてる連中にも一分の正義があると言えるでしょうね。匿名じゃなかったら尊敬するけど・・・。


 ともかく、要は、私は自分ができもしないことを掲げて見せるような真似はしたくないし、自分ができることで、世の中に貢献できるような仕事をやり遂げて、歴史に名前が残るくらいの生きた証しを遺したいな~・・・という“野望”を持っている訳で、他人の評価なんか、業績次第でどうにでも変わると思ってますから、現時点で、どうこう言われたって何とも思いませんね~。

 そりゃあ、やっぱり、誉められたら嬉しいけど、“お世辞言いながら陰口叩いてた”って聞かされると、面と向かって悪口言われるのの何十倍も嫌~な気分になりますからね。

 だから、あの不機嫌会見した作家の彼って、そんなに厭味には感じなかったですよ。自分の厭味な部分を隠さない点で、非常に誠実な人柄であることが判る。

 武道・武術の世界には、もっと陰湿で厭味な人間がゴマンといますからね・・・。

 あたしゃ~、本当にウンザリしてますよ。
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著者プロフィール

yusinryu

Author:yusinryu
長野峻也(ながのしゅんや)。武術研究家。游心流武術健身法主宰。
武術指導、アクション殺陣指導致します。映画等のコラムも書きます。
関係者の方、ご連絡をお待ちしております。
yusin_mail_from2006
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